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Web誌友会 板/2

100「訊け」管理人:2013/02/14(木) 12:29:21 ID:???


 おいおいおい・・・・・なんか、非道ではないか。

 そんなにa hopeさま、おかしな事言っているかい?そうでは、ないでしょう。

 いやなんか、そんな感じの色眼鏡って、なんかオカシイぜ?




101さくら:2013/02/14(木) 12:45:17 ID:xQj6jtN.
訊けさんには、なにがわかるんですか?

うのちゃんの気持ちも考えたことがあるのですか?

102さくら:2013/02/14(木) 12:46:27 ID:xQj6jtN.
こういう人の気持ちも感情も
おもいやることができない、真の生長の家って、なんですか?

きれいごとで、終わりでしょう。

103さくら:2013/02/14(木) 12:47:24 ID:xQj6jtN.
訊けさん
ホープさんの考えを、代弁できるなら、してください。

104さくら:2013/02/14(木) 12:49:54 ID:xQj6jtN.
真の生長の家人じゃなくても、心があるのは、わかりますか。
あなただけじゃないんですよ。
健気に生長の家を生きているのは。

ここでは書きたくありませんが、
見えないところで、
わたしにも傷つくこともあるんです。

105さくら:2013/02/14(木) 12:52:17 ID:xQj6jtN.

健気なホープさんをみんなで、
かばってください。

色眼鏡は、もう、書き込まないので、
安心して、
真の生長の家ごっこを続けてください。

106「訊け」管理人:2013/02/14(木) 13:35:52 ID:???

 いやいや・・・・かばうのでは〝ない〟。特定の人をかばうことは、しない。さらにはa hopeさんが健気だとかそんなことは、全然関係ない。彼女がたとえ悪女だろうが関係ない。さらには、本流管理人だろうが・・・(中略)・・・関係ない。でも、なんか、文字だけ見ていると「なんか、おかしいよなあ」という感じがする。それだけだ。

 ・・・・まあ、途中の事情だけど、これを精査していないのは認める。だからさくらにも言い分は、あるものと思う。そして現在、印象だけで書いてはいるけれども、それにしても「なんかなあ」という・・・(中略)・・・たとえばもっと、具体的に指摘するのはどうだろう。やはり、第三者から見るとなんか、a hopeさんが先日来、袋たたきに遭っている印象だなあ。

 ・・・・で、どうだろう。その「具体的に指摘する」というのは。

 ・・・・a hopeさん発言の、どこが問題なのか。それを出す必要があると思う。それでないと、なんか第三者的には、どうしても「感情論に走っている」風に、見えて仕舞うんだけどなあ・・・





追伸

 もしもこの投稿者が、「吉瀬美智子チャン」だったり「綾瀬はるかチャン」だったとしても、わし、同じことを言うだろうなあ。いや、なんかオカシイ。ナニがオカシイのかよく分らんが現時点、「なんかオカシイ」。

107初心者:2013/02/14(木) 13:44:32 ID:4YcI.wfQ
ダブルバインド(二重拘束)の用語は、この国でもすでに日常の言語として定着した
かの感がありますね。

そんなダブルバインドですが、じっさいはどういうものなのでしょう。専門的な説明
を読んだことはないのですが、自分なりに考えたことを書いてみます。

遊びに熱中している子供がいるとします。そこへ母親がやってきて、「買い物に
行ってちょうだい」と頼んだとします(子供はひとりで買い物に行けるくらいの
年齢です)。子供はもちろん「やだ」と返事します。すると母親は「行きたくないの
なら行かなくていい」と非難めいた口調で答えます。その言葉の意味を察知した
子供は、遊びをあきらめ買い物に出かけます。

さて以上のやりとりのなかで、母親が子供に「ダブルバインドをかけた」ことが
おわかりでしょうか。子供は「行かなくていい」というメッセージのなかに「行け」
という正反対のメッセージを読み取っているのです。

その結果としてなにが起こるかというと、子供は、母親の意志ではなく自分の意志
で、行きたくもない買い物に行かされる、といった矛盾した状況に追い込まれるの
です。母親は「行かなくてもいい」といっているわけですから、行かなくてもよい
はずなのに、なぜか行かされてしまう。これがダブルバインドの一例ですね。

母親によってダブルバインドをかけられた子供は、自分の意志で、自分が望まない
行動にかりたてられます。「行かなくてもよいはずの買い物になぜ自分は自分の意
志で行こうとしているのか」。子供にとってまったく理解しがたく、しかも大変な
苦痛をともなう状況が、自分がけっして望まない形で出現するのです。

子供は当然のことに、この困難な状況をなんとしてでも解消しようとします。その
もっとも手っ取り早い解消方法が、ふたつの意志のうちのひとつの意志を自分の
ものではないものとみなす、という方法です。

行きたくないほうの意志を自分ほんらいの意志とみなし、買い物に行かせたほうの
意志を自分ほんらいの意志ではないとみなせば、問題は解決します。母親のもので
も自分のものでもない意志がどこかにあって、その意志によって自分は買い物に
行かせられたのだと考えれば、なんの矛盾もなく問題を解決できるというわけです。

ダブルバインドをかけ続けられた子供は、以上のような方法で、自分の外にあって、
しかもそれでいて自分にたえず「〜せよ」と命ずる意志の存在をたえず意識する
ようになる可能性があるのですね。

そうなるとどうなるでしょう。子供はやがて、自分以外の誰かによってつねに
「〜せよ」と命じられる状況に追い込まれるかもしれないということです。不用意
なダブルバインドで、たえず何者かによって「〜せよ」と命じられる精神症状を呈す
る可能性があるということですね。

以上のごとく、ダブルバインドは大変に大きな影響を相手におよぼすものである
はずなのですが、世の中には、自分ではまったく気づかないままに、相手にダブル
バインドをかけ続ける人がいるようです。

「愛している」といいながら、「あなたの話は虚説だから聞きたくないの」とする
ダブルメッセージを執拗に送りつづける。送られたほうは、あきらかなダブルメッセ
ージにいらだち、ダブルバインドとおなじか、さしてちがわぬ精神的苦痛を受け
つづける。問題の人物はというと「あなたのことは嫌いだ」、「あなたの発言は幼稚
だ」といった矛盾のないメッセージを受けつづけているわけですから、さほど困難
な状況には置かれなくて済んでいる。

大げさなとおもわれるでしょうが、以上がわたしの実感するところです。この名伏
しがたい違和感は、執拗に愛されつづけている自分と、あからさまに拒絶されてい
る自分とを分離させないかぎり、けっして解消できないたぐいの違和感であるよう
な気がいたします。

108「訊け」管理人:2013/02/14(木) 13:50:14 ID:???



>>107初心者さま


>>「愛している」といいながら、「あなたの話は虚説だから聞きたくないの」とする
ダブルメッセージを執拗に送りつづける。<<


 ああ、なるほど。初心者さまやさくらの発言ですが、真意が少し理解できました。て、言いますか以下の様に理解しました。これで、間違いないでしょうかね・・・・

 たとえば、a hopeさん。ご発言がこんな感じになっているという ―― まあ、概略だけ記す形になりますけども、「総裁論の虚説」を指摘されておられる。だけども、「愛している」と仰っておられる。「この点にご不満がある」とこう、理解しました。

 ・・・・そういう理解でよいのでしょうかね。(まあ、話を「元総裁並びに教団問題」だけに絞ってますが)




追伸

 そういう意味ならば、私にも理解できます。

109「訊け」管理人:2013/02/14(木) 14:17:17 ID:???

(×)元総裁
(○)現総裁並びに教団問題

110初心者:2013/02/14(木) 14:19:21 ID:4YcI.wfQ
>>95

しかし世の中には、総裁おんみずからが、ホープ様のあのような幼稚な発言を抑え
にくると本気で考える人がいるんですねえ。

111トキ:2013/02/14(木) 14:31:14 ID:1q3wg2Ec
 でも、初心者様も、少し女性には厳しすぎると感じてしまいます。

もう少し、優しい態度でも良いかと思います。差し出がましい事を申しあげて、
すみません。

合掌 ありがとうございます

112初心者:2013/02/14(木) 14:41:02 ID:4YcI.wfQ
訊け様

総裁は関係ありません。ホープ様は、わたしの発言も、真の生長の家をはずれた
虚説といっておられるのですよ。「真の生長の家」や「絶対的真理」でご自分を囲い
込むことで、ホープ様はそれとは異なる考え方を排斥しておられるのです。いう
までもなく、ホープ様にとってわたしの発言は、「真の生長の家」でもなければ
「絶対的真理」でもありませんから、虚説ということになります。「真の生長の家」と
はそういう意味でしょう。

排斥したければ排斥すればよいのです。むろんこちらは、その了見を批判します。
相手を排斥したいのであれば「愛している」とはいわないでいただきたい。なにを
思おうとそれはホープ様の勝手ですが、それをわざわざ口にだして表明する必要
などどこにもないはずです。

こうした手法は、ご自分は気持ちよくても、ときに相手を不快にさせ、またべつの
ときにはダブルバインドにかけることもあるということを自覚していただきたい
ということです。

もちろんホープ様は、いつものごとく「難しすぎて理解できない」でこの問題を
終わらせてしまわれるでしょう。わたしはですね、わたし以外にも不快に感じて
おられる人たちが幾人かはおられるとおもい、あえて書き込むことにいたしたのです。

113さくら:2013/02/14(木) 14:44:01 ID:xQj6jtN.
訊けさま。

訊けさまは、そんなつまらない感情で人をかばうことはしないし、話せる人だと、ここでの言動からもわたしは信頼してます。

それから、わたしが「感情的」に過ぎるのは、認めています。
さきに書いたように、ここでは書きたくないですが、わたしにも「傷」がありますから、どうしても、そこに触れてしまうので、言葉となって出てしまいます。
それはわたしの問題であり、申し訳ありませんでした。

ただ、ものごとは、なんでもそうですが、
表面に見える形だけが全てではなく、その「背後」がありますよね?
表面的な印象だけで、ものごとを判断するのは、なにも理解ができないと、わたしは思っています。
なにか、物事が起こった時、「ここには、どんな意味があるんだろう」「なぜ、ここでこのようなことが起こるのか」と考えるのは、真理を学ぶ私たちには大切な姿勢であるんじゃないでしょうか?

悪いことが起こった時もそうじゃないですか。
悪いことをきれいごとで飾ったり、避けたり、悪だからないとしたり、虚説といったり、排除したり…わたしはしたくないです。
ほんとうに自分が誠実に向き合おうとするとき、それが「ほんとうには無い」んだ、本物じゃなかったんだ…と、実感として気づく時に出会いますよね?
訊けさまもそうですよね?
わたしは、生長の家に出会ったから、そういうことがわかりました。

ただ、わたしはホープさんとはいまは、話す気はありません。
理解しあえる土壌が感じられず、(人を理解するのは、脳みそじゃないです。こころの基盤ですから。)「アホ」を自称して、自分のご想像の実相を押し付けて、愛してるアピールされても、
いまは、心通いあう会話はできないと感じますから。
わたしの実相は、だれのご想像の実相でもありません。


これは、はっきり言えますが、ホープさまがわたしを「愛する」より、
わたしは、ホープさまを愛してます。

ホープさんの中に、わたしは、わたし自身がいるのを見ているからですよ。

だから、これは、ホープさまの批判じゃないんです。
自分と向き合い、自分の影と統合する過程なんです。

これは「関係の絶対性」に向き合うことです。
人間関係はそうでしょう。
光明面をみるとは、闇を「無視する」ことではなく、闇に「向き合う」ことではないかと思います、闇がないものだと、自分がほんとうに自分が「わかる」まで。

(そういえば、本流派の方も、雅宣総裁に少なからず、「自分の影」を、投影し、闘わなければならないのではないですか。

自分の影と向き合うのは、命がけのこともありますから、たいへんですね。)


だから、わたしは、わたしの感情を否定しませんが、
感情的に過ぎた言葉だった点は、お詫び申し上げます。

人を故意に傷つけたり、揶揄やバカにすることは、あってはならないですが、
ここが、web誌友会であろうとなかろうと、
というか、だからこそ、表面の言葉のやりとりだけじゃない、
ぶつかり合いがあることもあると思います。

114初心者:2013/02/14(木) 14:44:18 ID:4YcI.wfQ
トキ様

ホープ様は、「虚説」、「真の生長の家」と確信犯的に言いつづけておられます。
これまで幾度か批判いたしましたが、何度でも言いつづけておられます。女性と
いえども、ならぬものはならぬのです。

115初心者:2013/02/14(木) 14:49:34 ID:4YcI.wfQ
さくらちゃんへ

人は、きれいなペルソナをつくればつくるほど、外の世界に薄汚れたシャドーを
映し出しますね。わかりきった道理です。

116トキ:2013/02/14(木) 15:22:14 ID:1q3wg2Ec
>>114

 私には、初心者様もa hope様も大事な投稿者様です。

 今、ざっと見たのですが、a hope様のご発言で、初心者様を対象にしたものはなかったと
思います。その上で、初心者様が、a hope様のご発言に異論があるのはそれも当然だとは
思いますが、それはそれで礼儀を尽くして指摘した上で、ご自分のご意見を開陳し、最終的
には閲覧者様や他の判断に任せるのが良いと思います。

 反論は歓迎ですが、言論の封印は、行き過ぎだと思います。

 なお、これは個人的な意見ですから、その点もご理解下さい。

合掌 ありがとうございます

117さくら:2013/02/14(木) 15:38:11 ID:xQj6jtN.
トキさまは、わたしが「カルトスパイ」と言われたときも、「ふじ子ちゃんのように色目を使い」と言われたときも、「宗教人としても人間としても、ありえない人間」だといわれたときも、ひとことも止めることをなさいませんでした。
これはわたしには、自分がいわれたからでしょうね。
行き過ぎと感じましたが。
トキさまはなにもかんじない。

管理人としての基準は理解しかねますが、
「女性」には、やさしいのですね。

118さくら:2013/02/14(木) 15:40:59 ID:xQj6jtN.
態度が人によってちがうのは、組織でやってく上で必要ですから、どうぞ、
わたしは、無視を続けてください。

ご丁寧な対応は年上の初心者様だけで十分です。

119トキ:2013/02/14(木) 15:51:09 ID:1q3wg2Ec
>>117

 行き届かない点がありました点は深くお詫び申し上げます。

 申し訳ありませんでした。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

120さくら:2013/02/14(木) 16:08:38 ID:xQj6jtN.
心ない言葉は、
ほんとうに突き刺さるので、わたしには、やめてください。

121SAKURA:2013/02/14(木) 16:11:56 ID:XKr/ryCE
「トキ様」 へ     「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
今回は、横スレにて…【感 想 論〜♫】を〜〜〜一言

■現在、ここでは【空 論 大 会】なのでしょうか〜〜〜???
正直に申しますと、全て“空 中”に浮いた感じで“ピント…”が?はずれた会話に見えますかと。
何か「a hope様」の問題なのでしょうが〜〜〜??それはその人の考え方?捉え方?もあり、まだ
ここで【空 論】された方々よりは、一応は、御自分の意見を述べられています。…が?

別の投稿者の中には?本人のイメ−ジばかりが先行しまして、本人の考えの主旨が(何がいいたい
のか?)理解出来ず…本当に中に浮いた感じですかしら〜〜〜ン!!その中で、
「a hope様」なりの意見を投稿されていますかと。そのように感じ取りました次第です。

■此処で…>>91「a hope様」の文章の中から…
>今でも、現象の出来事には振り回されていますが、以前より動揺しなくなってきています。
それは、すべて、「生長の家の教え」のおかげだと思っています。<  (抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
上記の抜粋文は、御本人の体験の感想が、私ども“第三者…部外者”には伝わりますモノが、
ありますかと…。そのような判断を致しております。…が?
                                  
再合掌

122「訊け」管理人:2013/02/14(木) 16:43:29 ID:???


>>さくら


 確かにあれらは、ヒドかった。もう、さくらへ対してのハラスメント、(「反論」ではない)が多々、寄せられていた。あれは確かに、ヒドかった。もう皆さん、覚えてはおられないでしょうけども・・・・

 まあでも、せめてトキさんにはあんな場面、「仲裁をお願いしたかったかな」と・・・・「それ、関係ないじゃん?」「さくらが元カルトとか、なんか関係あります?」とか・・・いや、私が入ると、もう、「それは大変な事に」という・・・・・。





追伸

 で、本流派にもモノ申したい。いやこれ、「オマエの信仰が浅いのだあ!」てな話にして頂いても結構。でも一言、モノ申したい。まあ・・・・

 いや、さくらとかにハラスメントして、ですよ、その後・・・・・まあ、「和解派のクセに!」とかは卑怯でしょう(^^)。いや、挑発しておいて、「和解派のクセに!」でしょ。あんなのは、武士道に反するのでは?まあ、私は大歓迎ですが、他人には止めましょう。

123うのはな:2013/02/14(木) 16:57:20 ID:zzNh6pl2
生長の家には不協和音しかない、という看板でも掲げているような
 訊けブログ不況社長が出て来ると、数々の女性信者が傷つく事態になります。

 トッキーの場合は理数系出身の運動員なので、あのー、そのおー、って
 かんじで、仲裁だとか、筑前焚きだとか、そんなことは不得手であるのは仕方がない。

124神の子さん:2013/02/14(木) 17:01:37 ID:dkfN/eIU
うのはなさんがトキ様の云う事を聞かないだけでしょう??
トキ様は貴女様に何と申されておられましたかしら。

125うのはな:2013/02/14(木) 17:02:11 ID:zzNh6pl2

 今の誌友会テーマは何なのか知りませんが、さくらとプロデューサーが
 出て来たから、しばらく「ぶっとびさくらとしっぽり」版になるわけですね。
 訊けは何しにきてるんでしょうか?
 もうすぐ下校の時間です。

126うのはな:2013/02/14(木) 17:04:42 ID:zzNh6pl2
124 名前:神の子さん 投稿日: 2013/02/14(木) 17:01:37 ID:dkfN/eIU
うのはなさんがトキ様の云う事を聞かないだけでしょう??
トキ様は貴女様に何と申されておられましたかしら。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 うのはなさん、訊け管理人さんじゃなくて、僕とお話ししませんか?
 ってよくいわれましたよ。五回くらい(笑)

127志恩:2013/02/14(木) 17:05:52 ID:.QY5jUA6
初心者様とさくらさんは、

以前は、私に集中攻撃されてましたが、
最近は、若手の新人でいらっしゃるa hopeさんに集中攻撃ですか?

 ahope様は、初心者様に対して、なにかいわれましたか?
私は、トキ様もコメントされてますが、ahope様の発言で初心者様を対象にした発言があったかどうか、
今私も ざっとでしが、見直したのですが、どこにも見あたらなかったですよ。


>>117:さくらさん

トキ様に対して ききずでならない発言ですね。

>>管理人としての基準は理解しかねますが、
「女性」には、やさしいのですね。>>

ということは、さくらさん、あなたは、女性では、ないといことですね。


そして、重ねて

>>トキさまは、わたしが「カルトスパイ」と言われたときも、「ふじ子ちゃんのように色目を使い」と言われたときも、「宗教人としても人間としても、ありえない人間」だといわれたときも、
ひとことも止めることをなさいませんでした。>>

それは、私が、過去にさくらさんと バトルを繰り広げた時の事柄をおっしゃっておられるのですが、
過去の当時のさくらさんの発言や、行動を見直されたら、そのように疑われても仕方の無い、発言や行動を
されていらしたからでしょう。

それを、この時期になって、いまさら、トキ様に当たるとは、随分執念深いご性格なんですね。

初心者様とさくらさんと、コンビで異口同音に、新人を集中攻撃してて、
なんか、見てて、情けなくなって来て、口も出したく無いですけれど、

お二人とも、新人相手に、なにを されてるのですか???


以前は私、1人によってたかって集中攻撃されてましたが、新人のほうへ矛先を
変更されたのですか?

私には、a hopeさんのいわれていることで、どこが、おかしいのか、わかりません。

128トキ:2013/02/14(木) 17:11:55 ID:1q3wg2Ec
 なんか、荒れてきましたね。いや、管理人として、申し訳ないです。

 明日からweb誌友会が始まります。真理を研鑽する貴重な機会です。
いろいろな意見があると思いますが、お互いの意見を出し合うのも、勉強になると
思います。

 それまで、宿題にしてみてはどうでしょうか?

よろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

129「訊け」管理人:2013/02/14(木) 17:12:26 ID:???


 皆さんいかがでしょう?


 さくらさんとa hopeさんの件は「こちら」で。そして、

 さくらさんへの苦情は「別板で」ってのは・・・・いや、論点が違うでしょう。






追伸

 この程度の発言も、「和解派のクセに」になるんでしょうか。だとしたらば、「ああ無情」。

130さくら:2013/02/14(木) 17:18:43 ID:xQj6jtN.
訊けさま

わたしは、それを言った方を、いまは、何も思いません。

わたしも調子に乗ってたから、言わずにいられなかったものが、
あったのだと思いますし。
(志恩さま、そういうことですので。)

言われた方だけが、被害者じゃないですよ。
云う方も傷つくのです。
わたしも云う時のほうが、つらいからわかります。

でも、トキさまのその時の対応の方を、わたしは覚えています。

「わたしが行き届かない点をお許しください。合掌」

一行、このひとことでした。
人は、信頼してる人からの、心ない言葉は、突き刺さるものです。

それからも、わたしのことは気に入らないようですから、
おなざりのことばは、なおさら傷つきます。

新人が、
真の生長の家のみなさまがここでどちらが、真の生長の家か判断しますとか、
人を虚説だとかサタンだとかいいますか?

わたしは、生長の家で、聞いたこともないです。

131さくら:2013/02/14(木) 17:22:29 ID:xQj6jtN.
どうぞ、わたしを判断してください。

ここを見ているという、真の生長の家人が判断してください。

わたしは、生長の家で命をもらって救われました。

人に判断されることは、すごく傷つくこともあるけど、こわくないです。

132志恩:2013/02/14(木) 17:23:00 ID:.QY5jUA6
また言ってるんですか訊け君まで、
あのときは、さくらさんが、こちらの掲示板では、さんざん本流の悪口を言ってたのに、
本流の掲示板に載るために、
あちらのお方をさんざん持ち上げて、こっちで言ってたことと、あちらへ行って、さくらさんが書き込まれたことと、

言ってることに一貫性がないから、そこを私が一貫性がないと,指摘したら、訊け君が、それは、本流へ入るための策であるから、
いっこうに構わない事だ。おれは、志恩さんより、さくらさんのほうが、賢いと思うから、今後も、さくらさんに学びたいと、私を
蹴って、さくらさんの味方をしたんじゃないの。

あのときは、さくらさんは、初心者様と,二人で、「組織なんかいらない、組織なんか必要ないんじゃないか、、」と、ふたりで、しっぽり
語り合っておられたから、宗教組織を潰すのは、カルトスパイの役目だから、以前、さくらさんは、統一教会の優秀なスパイだったと自ら
語っておられたこともあり、まるで、カルトスパイのセリフですね、、と,言ったのです。

悪かったですね。あのとき、あとで、あやまったのに、まだ、そのときのことを蒸し返すのですか。

133うのはな:2013/02/14(木) 17:42:54 ID:XnNLNTjU

やくざの常套句を使う部外者こそ、別版へ行ってください。
 今は、さくらさんとプロデューサーのしっぽり版で、
 トッキーへの不満がオプションされてるだけです。

 世界一迷惑な誌友会司会者は、ここで発言しなくてもよろしいです。

134SAKURA:2013/02/14(木) 17:43:41 ID:XKr/ryCE
「トキ様」 へ     「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
今回は、横スレにて…【感 想 論〜♫】を〜〜〜一言

■現在、ここでは【空 論 大 会】なのでしょうか〜〜〜???
正直に申しますと、全て“空 中”に浮いた感じで“ピント…”が?はずれた会話に見えますかと。
何か「a hope様」の問題なのでしょうが〜〜〜??それはその人の考え方?捉え方?もあり、まだ
ここで【空 論】された方々よりは、一応は、御自分の意見を述べられています。…が?

別の投稿者の中には?本人のイメ−ジばかりが先行しまして、本人の考えの主旨が(何がいいたい
のか?)理解出来ず…本当に中に浮いた感じですかしら〜〜〜ン!!その中で、
「a hope様」なりの意見を投稿されていますかと。そのように感じ取りました次第です。

■此処で…>>91「a hope様」の文章の中から…
>今でも、現象の出来事には振り回されていますが、以前より動揺しなくなってきています。
それは、すべて、「生長の家の教え」のおかげだと思っています。<  (抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
上記の抜粋文は、御本人の体験の感想が、私ども“第三者…部外者”には伝わりますモノが、
ありますかと…。そのような判断を致しております。…が?
                                  
再合掌

135志恩:2013/02/14(木) 17:45:33 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

最近、拝見していて
いくつかあるうちの言葉で、 ”真の「生長の家の教え」” という言葉が、
初心者様とさくらさんは、特に かんにさわる ようです。

その言葉がでると

蜂の巣を叩いたときみたいに、何度も、お二人が貴女に攻撃を開始されますから
今度から”真の「生長の家の教え」”という言葉は、使わないようにされて、

”本来の「生長の家の教え」”と、言われたら、いかがでしょう。

それから、もう1つ、お二人が、かんにさわるのは、
a hopeさまが、度々使われる

「愛してます」「大好きです」

と、いう言葉のようです。

私もよく、だいすきです、というのですが、

これも、大人に対して掲示板でいう場合は、うれしく感じる人と、不愉快に感じる人が
いるということが、初心者さまとさくらさんの反応を見ていて、感じました。

その言葉は、心で思っても、なるべく大人の他人に言うのは、私も含めてなのですが、控えた方がいいのかも
しれないな、と思っているところです。

136SAKURA:2013/02/14(木) 17:45:51 ID:XKr/ryCE
「トキ様」 へ     「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
今回は、横スレにて…【感 想 論〜♫】を〜〜〜一言
>>134 投稿の続きです…。 

―――【 追 伸 事 項 】―――
■■【WEB誌友会…の主旨は〜〜〜?】――>【スレッドは、生長の家信徒の人達のweb誌友会…】
此処でいいます【真理…の話】にはとても“ほど遠〜〜〜い”といいますのが?強いのです。

■私は、思いますには「アピ−ル…ひらがなのさくらさん」は、ある面「いつもワイドショ−」なの
でしょうか?ハッキリいいますと【何をいいたいのかしら〜〜ン!という…会話から何の事?〜】
と……一つ分かることは「イメ−ジ売り?」でしょうか?九州の表現でいいますところの〜〜〜
私は“頭がいい!!私はきれいな素敵な女性だ!!私は〜〜〜私は!といった感じでしょうか??
本人のイメ−ジばかりが先行しまして、本人の考えの主旨が(何がいいたいのか?)理解出来ず…
本当に中に浮いた感じですかしら〜〜〜ン!!

まず【生活に生きた…具体論】が見えないのです。此処は『WEB誌友会の会場』ですし〜〜〜?
個人的には、例えば、対面での【白鳩誌友会…】の時にでも…白鳩会員の皆様の具体性ある討論を、
お互いに“お話”されていますが?此処【WEB誌友会…】といいますのは〜〜??

それに「管理人…トキ様」から“すぐさま!!”「さくら様」宛への返事は、なさっていますから?
■この頃…私ども知人関係では【同じところで?知り合い?その様な感じでしょうか…?】その様に、
「管理人 トキ様」との関係論になりますでしょう…と?
【部外者…としての見方】を知人関係にて、雑談させて頂いております。

【WEB誌友会】というのは…【空中論…】での出口がない会話なのでしょうか??
                               再合掌
PS: 「a hope様」の投稿は、御本人なりの具体論であり第三者としては何度もいいます様に、
理解できるものが〜〜〜ありますかと。

137さくら:2013/02/14(木) 17:51:44 ID:xQj6jtN.
志恩さま

率直に言いますが、
あなたは、人の真意を理解されてないですよ。
だから、ホープさんとわたしの間に入ってくるのは、迷惑です。
歪曲していますから、物事が複雑になるんです。

あなたが言ったことは、わたしにとってはひどいことばですが、
トキ管理人さまには、何も感じない言葉であったので、
いま初心者さまとホープさまの仲裁に入る様には、ならなかった例を挙げてるだけで、
志恩さまの言葉を、もうなんとも思ってませんよ。

志恩さま
これも率直に言いますが、
あなたは、わたしと初心者さまが話していたことは、理解されてません。

わたしがあちらで言ったこともです。

わたしは、たとえ本の著作権がどうだろうとこうだろうと、
『生命の実相』は、本流であろうとなかろうと、真理は永遠に残るものではないのですか?
と言った意味を、あちらに言いに行きましたよ。

組織は、本来、宗教には必要ないといったのは、
組織論と、宗教的真実は、
分けて考えるべきことがあると、いまも思ってます。

あの時も、わたしは学びの最中で、言葉足らずだったのです。

138SAKURA:2013/02/14(木) 18:28:38 ID:XKr/ryCE
「トキ様」 へ     「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
今回は、横スレにて…【感 想 論〜♫】を〜〜〜一言
>>134>>136 投稿の続きです…。 

―――【 追 伸 事 項 】――― 
■■ 【 言 論 の 自 由 】に関して〜〜〜

>今度から“真の「生長の家の教え」” という言葉…云々…
この“言葉…”は、「a hope様」の表現の自由であり…捉え方の問題です…。

私どもの知人関係では、彼女がその様な言葉を使っての表現と…受け止めています。
今回>>91「a hope様」の文章から、御本人なりに“悟られたモノ”があるのでは〜〜〜その様に
感じ取りました。…が?
人は『魂の成長』という事で…感じ取りますモノがありますかと。うまく表現ができませんが〜〜〜
「真の生長の家…」といいますことの中には、この様な意味合いが含まれていますのでしょうかと。

■「雅春先生」は『魂の向上=成長する事』が、人間とおっしゃつています…。
                                  再合掌

Ps:此処は「初心者様・さくら様」専用のボ−ド見たいにおっしゃいます方が〜〜〜変

139うのはな:2013/02/14(木) 18:30:40 ID:.iGF2jO6
さくらさんは、統一教会の優秀なスパイだったと自ら
語っておられたこともあり、まるで、カルトスパイのセリフですね、、と,言ったのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
統一協会だとか、宇治の職員だったとか、そんなことなら私も訊けのブログで
言われているのである。規約違反してまでそんな話で盛りあってるんんだから
相当な人達だろう。
そして当然トキさんが何かいうということはないですが、私とさくらさんとの
何気ない会話を聞いては、訊けが僕をかばってくれた人の古傷に触れてだとか、
ギャーギャー攻撃してきたから、さくらさんはトキさんがかばってくれなくても
充分じゃないの?
とにかく、訊けが出しゃばるとろくなことにならないから、このあとの苦情は
別の場所に引っ越したほうがいいでしょう。

140志恩:2013/02/14(木) 19:19:59 ID:.QY5jUA6
SAKURA様

コメント、ありがとうございます。
そうですね、SAKURA様のおっしゃる通り、ahope様が
真の「生長の家の教え」と、今後もおっしゃりたかったら、それは、ご本人の自由です。

私は、その言葉を、初心者様とさくらさまが、別板でも、繰り返し 持ち出されて、
あれこれおっしゃっていたので、では、本来の「生長の家の教え」と,言ったら

内容としては、同じことなので、あれこれ言われなくて、いいかなと、老婆心で思ったのです。
失礼しました。

141志恩:2013/02/14(木) 19:33:37 ID:.QY5jUA6
さくら様

>>率直に言いますが、
あなたは、人の真意を理解されてないですよ。
だから、ホープさんとわたしの間に入ってくるのは、迷惑です。
歪曲していますから、物事が複雑になるんです。<<

とおっしゃいますが、
それでは、初心者様とさくら様が、今回WEB誌友会板へご登場されて、

ahope様に、がんがん追求されてることを、見ていらした中で、
あなた達の真意とやらが、なんなのか、お二人以外に理解された方が、何人おられると
思いますか?

トキ様も仲裁に入り、お仲間の訊け君迄、来て、

SAKURA様まで、

>>136:【WEB誌友会…の主旨は〜〜〜?】――>【スレッドは、生長の家信徒の人達のweb誌友会…】
此処でいいます【真理…の話】にはとても“ほど遠〜〜〜い”といいますのが?強いのです。

■私は、思いますには「アピ−ル…ひらがなのさくらさん」は、ある面「いつもワイドショ−」なの
でしょうか?ハッキリいいますと【何をいいたいのかしら〜〜ン!という…会話から何の事?〜】

と……一つ分かることは「イメ−ジ売り?」でしょうか?九州の表現でいいますところの〜〜〜

私は“頭がいい!!私はきれいな素敵な女性だ!!私は〜〜〜私は!といった感じでしょうか??
本人のイメ−ジばかりが先行しまして、本人の考えの主旨が(何がいいたいのか?)理解出来ず…
本当に中に浮いた感じですかしら〜〜〜ン!!<<

と今回の感想を述べておられますよ。

では、さくら様の真意とは、なんだったのですか?
われわれにも わかるように わかりやすく おっしゃってください。

142トキ:2013/02/14(木) 20:02:34 ID:1q3wg2Ec
 まあまあ、明日からこちらで誌友会がありますから、この件はこのあたりでご容赦をお願いします。

 管理人としては、力量不足を痛感しております。本当に申し訳ありませんでした。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

143a hope:2013/02/14(木) 22:02:54 ID:TqpbsVIM

みなさま こんばんは

えーと、先ほど、掲示板を拝見して少し驚いています。
わたしの 名前 「a hope」や、「ホープ」というカタカナに変化したものが、
本人不在のこのweb誌友会板にたくさん登場しているのですから・・・ね。

初心者さまやさくらさま、goroさま、志恩さま、訊け管理人さま、トキさま、SAKURAさま、そしてうのはなさまという(見落としがあったらごめんなさい)、
この掲示板の主要投稿者がこぞって登場してくださって、 アホの a hopeの投稿を巡って、討論してくださっているみたいでなんだか申し訳なく感じています。

また、トキさまはじめわたしをご心配してくださっているみなさま、
わたしは大丈夫ですのでご心配なさらないでくださいね。


ところで、>>142でトキさまもおっしゃっていますが、
明日は 第11回 web誌友会が開催されます。
ですので、スレッドを改めまして予告させていただきますね。

144a hope:2013/02/14(木) 22:04:10 ID:TqpbsVIM

『第11回web誌友会』予告
≪日時≫
2月15日(金)21:30から
2月17日(日)23:30まで
≪テキスト≫
『生命の實相』第2巻第5章「神への道しるべ」(p.139〜166、28ページ分)

今月もまた、みなさんと一緒に生長の家の聖典「生命の實相」がお勉強出来て、 a hopeはとても幸せです。
復興Gさま、トキさま、そしてみなさま、今回もどうぞよろしくお願いいたしますね!

145トキ:2013/02/14(木) 22:14:21 ID:1q3wg2Ec
>>144

a hope 様

 ご丁寧なご掲示、深く感謝申し上げます

よろしくお願いを申しあげます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

146るん:2013/02/14(木) 22:32:25 ID:pic01rm6
初心者様
a hope様
亀レスになって申し訳ありません。(今週になって今日が初めてのアクセスですんで)

冠詞の事なのですが。
>>たとえば英語の不定冠詞である“a”ですが、これは「物質あり」とする唯物思想のあらわれであるはずなのですよ。<<
>>物質はない、あるのは心だけであるとする唯心論の考え方を反映させたのが定冠詞である“the”であるはずなのですよ<<

あなたはこう  ↑ おっしゃってますが、私には????です。この発想は一体どこから?

私は入社当時、英文に冠詞を入れ忘れるのをよく指摘されました。ので自分なりに勉強したのですが、まあややこしいし難しいのですが

『定冠詞  the  は 相手が知ってる物。たくさん有るものの中のひとつ。につける。 

『不定冠詞 a,an は それが不特定多数の場合、相手が知らない物。 につける。     ですよ。唯物論、唯心論なんて関係ないですよ。

定冠詞[the]が唯心論て、おっしゃってますが、「the」しか使わない物が有りますよね、

例えば、The Japanese Island(日本列島)、 The moon 、 The sun、←これのどこが唯心論なんですか?

147るん:2013/02/14(木) 22:47:14 ID:pic01rm6
初心者様、a hope様

>>少なくともお子様たちに、「不定冠詞である“a”は唯物論であり虚説であるのだから
>>ぜったいにつかうな、唯心論である“the”だけをつかえ」とこのように教育指導なさっていただき
>>ますことを、わたくし個人の信念として熱望いたす次第であります。

           
         ↑こうも、書かれてますが

冠詞の解釈が間違ってるだけでなく  生長の家は『唯神実相論』ですので

『「唯心論」だけ使え。』   と力説されても・・・・・

148初心者:2013/02/14(木) 23:07:02 ID:4YcI.wfQ
あなた方は、精神的に苦しんでいる人がいたときに、その人にたいして、自分の
苦しさを理解できるように言え、とおっしゃるのでしょうか。万人が共有できる
形でその苦しさを語れとおっしゃるのでしょうか。

「何が言いたいのかしら」ですって。「わかるようにわかりやすく語れ」ですって。
そうですか、そうですか。あなた方は、苦しんでいる人がいたら、いつもこのよう
に接してらっしゃるのですね。「なにが言いたいのかしら。そんなこと言われても
なんにもわかりませんわ」。「わかるようにもっと論理的に理詰めで語ってみれ
ば」。いつもこういうことをおっしゃっておられるわけですね。

何人に理解されたか。これが大事だとおもってらっしゃるわけですね。たとえ理解
されなくとも、理解しようとしてくださる方が何人かでもいてくだされば、これで
十分なのですがね。「何人に理解されたか」を問題にするような人に理解していた
だかなくてもけっこうでございます。

あなた方になにかを伝えたいわけではありません。数を問題にするような人に
理解してもらおうとも考えておりません。勘違いしないでください。理解されない
のは、はじめから承知のうえで書いているのです。

もちろん当の本人にわかっていただくためでもありません。これからもお好きなだ
け「愛しています」を連発なさればよろしいでしょう。ただ少数の、似たような苦痛
や不快感を共有している人たちがもしもいるとしたなら、そうした人たちへのメッ
セージとして書いたつもりですので、どうかお気になさらないでください。

ダーウィンの進化論にかんする記述でさえあの方は「難しくて理解できない」とし
て拒絶なさるのですよ。それでいてなにやら、「虚説」ということだけはわかった
ように語ってらっしゃいます。無知であることを隠れ蓑に、批判の矛先をただ一点
だけにしぼろうとしてらっしゃいますね。

じつにみごとな使いわけではありませんか。じつにたくみな戦略ではありません
か。こちらの虚説はよくてよ、理解できないのでぜんぜん気にいたしません。でも
こちらの虚説は、理解できなくても許せませんのよ。なぜって、あの方を愛していま
すもの。

「あなたを愛しています」といわれてそれを信じ、話しかけたところが「あなたの
言葉はすべて虚説です。理解しようという気にもなれません。でもあなたを愛して
います」との返事がかえってくる。これを異様ととらえる人もいれば、そうでない
人もいる。

「けっきょくは数が問題なのよ」。そうですか。異様ととらえる人がごくごく少数で
あれば、「何が言いたいのから〜ん」ですよね。どうぞご勝手に。

149さくら:2013/02/14(木) 23:08:49 ID:xQj6jtN.
>わたしは大丈夫ですのでご心配なさらないでくださいね。


おはなしになりませんね。
健気健気。

はい。みなさん、解散、解散。
おわりです。

お遊戯会のつづきをどうぞ。

150初心者:2013/02/14(木) 23:25:52 ID:4YcI.wfQ
るん様

ヨーロッパで普遍論争がかまびすしく議論されたのは、途中の中断をはさんで、
11世紀から14世紀の長きにわたってであったといいます。普遍論争とは、「実相が
ある」と考える人たちと、「実相はない、あるのは物質だけである」と考える人たち
によって争われた論争であったといわれているようです。

英語圏では、この論争が定冠詞と不定冠詞の成立に結びついたというのを、かつ
て読んだことがあります。「実相がある」と主張する人たちは、“the book”つまり
は実相としてのブックがあると主張し、「物質だけがある」と主張する人たちは、
存在するのは個物としての“a book”だけであると主張したと考えればわかり
やすいでしょう。

“the book”は実相、“a book”は物質と考えれば理解しやすいのではないでしょ
うか。異論はあるかもしれませんが、生長の家の方々には以上のような説明がシッ
クリくるのではないでしょうか。

定冠詞、不定冠詞にも思想的、哲学的背景があるということですね。ただしこれ
は、20年もまえに読んだ本の記憶です。真偽のほどはご自分で判断なさってく
ださい。わたしはこの説明に納得しています。

それと、唯心論といっても、ほんらいは実念論というべきものであり、プラトン主義
や新プラトン主義をそれぞれべつべつに奉ずる人々の思想をひとまとめに総合し
たものだと理解してください。

生長の家の唯神実相論は、ガチのプラトン主義と新プラトン主義がともどもに取り
入れられているとしかおもえないので、わたしには理解できない哲学思想です。
わたしの勉強不足といったところでしょう。

151a hope:2013/02/15(金) 00:28:01 ID:TqpbsVIM
初心者さま、さくらさま、みなさま

おやすみする前に、どうしてわたしが、「愛する」、「愛している」を連発するのか、
その理由をお伝えしておきますね。

それは、『実相を観ずる歌』にこうあるからです。

・・・・

神は愛にして、
吾れは神の子なれば、
吾れはすべてを愛し、
すべては吾れを愛す。

・・・

わたしは、〝神の子〝 だから、皆さんを愛するのです。

ほかに、理由はありません。
それが、「生長の家の信仰の基本」なのではないかと思っているからです。


それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。

152SAKURA:2013/02/15(金) 02:20:50 ID:0l1bXleY
トキ様 へ   観覧者の皆様 へ
こんばんは…・・・ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>134>>136>>138>> 投稿の続きです…。

先程…気分転換に…“〜♫〜♫ 雨の中 ♫〜♫〜”を、愛犬と一緒に散歩……
結構〜〜雨の中もそれなりに?いとおかし〜〜〜かと。

❤〜さて「愛する…」此の言葉に関しての「a hope 様」の解説論…
そうです〜〜〜ネ!???でしょうかと〜〜〜?

此の「解釈論…」は〜〜〜?

唯!ケ−ス・バイ・ケ−ス…も多少は、考慮すべき点がありますでしょうかと思います…。
先程の「志恩様…>>135 の投稿内容…」から、
“愛する”ということに関しましては、一里ありますかと…思います。…が?

                        再合掌

PS:【WEB誌友会】のご連絡…ありがとうございました。

153志恩:2013/02/15(金) 04:15:38 ID:.QY5jUA6
初心者様、さくら様

a hope様がいわれることが、不愉快に思われるなら、ahope様の書き込みは、読まれなければ
いいのではないですか。

ここで、初心者さまとさくらさまが、異口同音にいきりたっておられても、なにが不愉快なのか
他人に理解されなければ、事態はかえられないのではないでしょうか。

私が、ばかすぎて分らないのが問題なのか、初心者様が他人が理解しにくい言葉で話されるのが
問題なのか、わかりませんけれど、なにが、不愉快で二人揃って、怒ってばかりおられるのか、
あなたがたの主張が、さっぱり理解できないでおります。

>149:さくらさん曰く

>>はい。みなさん、解散、解散。
おわりです。

お遊戯会のつづきをどうぞ。<<


ふざけんな。

154a hope:2013/02/15(金) 08:35:42 ID:TqpbsVIM
るんさま

るんさまは、英語をお勉強されているのですよね。
初心者さまの難しいお話にお答えできるのは、さすがですね。
わたしも、以前、本格的に英語のお勉強をしようかと思っていた時期がありましたが、
興味が違うほうに向いてしまい、今は、英語とはあまり関係のない仕事をしています。

でも、また、少しずつ英語を勉強していきたいなとも思っています。
今のところ、仕事の勉強と生長の家のお勉強で目いっぱいですが…。

人間無限力ですから、わたしもるんさまの向上心を見習って生長し続けたいです。

>>146 147のご投稿に、心より感謝いたします。

よろしかったら、今夜からのweb誌友会にもぜひご参加くださいね!

155a hope:2013/02/15(金) 08:37:21 ID:TqpbsVIM
初心者さま


わたしは、初心者さまがわたしの発言に怒ってしまわれるのは、無理もないと感じています。

昨日は、仕事に行く前に初心者さまからわたし宛の投稿を拝見して、時間がなかったので、
「難しくて答えようがない」、というような、発言をしてしまったからです。

それは、嘘ではないのですが、初心者さまの気持ちを思いやることができない、
ひどい発言だったと思い反省しています。

そのあとさくらさまが登場されていろいろ発言してくださったのも、
わたしのその心を見抜かれたからだと思います。

本当にわたしは、まだまだなんですね〜(溜息)
そんな不十分な人間なのに、一人前に「虚説」だとか、「真」だとか、連発していれば、
初心者さまや、さくらさま以外にも、わたしの発言を不愉快に感じる方はいらっしゃるのではないかと自分でも感じています。

ですが、そんなことを考えていては、何も発言できなくなってしまうので、みなさまのご指導を謙虚な気持ちで受けながら、
これから、 a hopeはマイペースで思うことを、率直に発言させていただくつもりでいます。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

156a hope:2013/02/15(金) 08:57:18 ID:TqpbsVIM
SAKURAさま 志恩さま

「愛する」という言葉は、やはりそう簡単に使わないほうがいい言葉なのでしょうか?

ですが、わたしは「愛」こそ宗教の基本であると思うのです。

では、「愛している」を連発しているわたしは、どのくらいの比重でみなさまを愛せているかは、
それは、おそらく、谷口雅春先生や、キリストさまの愛に比べたら、蟻粒ほどの「愛」ということになっるのだと思います。

ですが、「ありがとうございます。」という言葉と同様に、「愛しています」も言い続けていることで、
もっともっとみなさんを愛せるようになるのではないかと勝手に思い込んで発言していました。

ですから、初心者さまにダブルバインドの例をご指摘されたときには、
ああ、自分は気付いていなかったけれども、このような不特定多数の方がご覧になっている掲示板では、
もしかしたら、そういうこともあり得るかもしれない… と感じています。


みなさま

わたしのいう「愛する」「愛しています」の「愛」は、「生長の家の愛」です。
つまりは、 〝自他一体の愛〝 です。

そしてこれは本当は、私自身が一番求めているものかもしれませんね(笑)

157a hope:2013/02/15(金) 09:08:50 ID:TqpbsVIM
『第11回web誌友会』予告

≪日時≫
2月15日(金)21:30から
2月17日(日)23:30まで

≪テキスト≫
『生命の實相』第2巻第5章「神への道しるべ」(p.139〜166、28ページ分)

158a hope:2013/02/15(金) 09:20:32 ID:TqpbsVIM
みなさま

今夜の誌友会30分前くらいになりましたら、いつものように a hope が、
(準備祈願)の祈りの言葉と、聖典「真理の吟唱」より、『天地の万物を祝福する祈り』を謹写させていただきます。

みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

159復興G:2013/02/15(金) 09:34:02 ID:AB6RqYXc

a hope 様、ありがとうございます。
安心しました。
web誌友会、よろしくお願いいたします。合掌。

皆さま、ありがとうございます。
私は昨日は夜まで趣味の会の集まりがあり、帰りは遅くなったので、疲れてここに書き込みはできませんでした。

さて、私も昨日の皆さまの活発なご投稿を拝見して、率直な感想などを述べさせていただきましょう。
少しお待ちください。

160初心者:2013/02/15(金) 11:01:49 ID:4YcI.wfQ
ダブルバインドが、その性質からして母と子のあいだで起きやすいのはいうまでも
ないにしても、宗教においても、これは非常に起きやすいものだと考えます。

長い歴史のなかで鍛え上げられてきた伝統的宗教のなかには、ダブルバインドの
危険性を熟知していて、その危険性を意図的にコントロールしているところもある
といわれているようですが、歴史に鍛えられたという経験のない新興宗教には
コントロールのためのいかなる仕組みもない、というのが現状ではないでしょうか。

「真の生長の家」にたいする嫌悪感は、こうした表現に宗教的ダブルバインドの
においをかぎとっているという一面があるということをいっておきます。これは
わたしの印象ですが、ダブルバインドをかける側の人にとってみれば、「真の生長の
家」は心地のよい言葉として感じられているはずです。

161復興G:2013/02/15(金) 12:13:27 ID:AB6RqYXc

初心者様。

a hope様は、
>>生長の家の総裁である雅宣先生が、一方で人間神の子の「唯神実相」を説かれ、もう一方で罪の子人間が犯した環境破壊という現象問題に取り組まれているというその矛盾に直面して、わたしの魂が混乱したのだと思います。その結果、精神不安に陥り、体調を壊し、2週間寝たきりの状態になりました。
ですから、あくまでも、わたし、a hopeの見解ですが、そのような二元論を信じていらっしゃる「雅宣先生の今の教え」は、すべて「虚説」だと思っています。<<

と書かれました。しかし、初心者様のお説を「虚説」と書かれたことはないと思います。それだのに、なぜ
>>総裁は関係ありません。ホープ様は、わたしの発言も、真の生長の家をはずれた虚説といっておられるのですよ。<< (>>112
とおっしゃるのでしょう。

それは、初心者様が総裁と深く同一化した思いを持っていらっしゃるということでしょうね。

>>わたし自身、あなた様によってダブルバインドをかけられ不快な思いをしているもののひとりであるような気がいたします。この不快さはそのように考えなければとても理解できないシロモノなのですよ。<< (<<94)

ということですが、「ダブルバインド」についてウィキでは

≪例えると、親が子供に「おいで」と(言語的に)言っておきながら、いざ子供が近寄ってくると逆にどんと突き飛ばしてしまう(非言語的であり、最初の命令とは階層が異なるため、矛盾をそれと気がつきにくい)。呼ばれてそれを無視すると怒られ、近寄っていっても拒絶される。子は次第にその矛盾から逃げられなくなり疑心暗鬼となり、家庭外に出てもそのような世界であると認識し別の他人に対しても同じように接してしまうようになる。≫

――その結果、その状況におかれた人が統合失調症に似た症状を示すようになると指摘する説がある、と書かれています。

が、さて、そのような「ダブルバインド」的行為を、多くの生長の家信徒たちに、「人の気持ちも感情も思いやることができない」で、乱暴に執拗に繰り返しておられるのが現雅宣総裁ではないか、というのが私の感想です。たとえば、2月11日建国記念日式典での総裁のご挨拶なども、ひどいものだと、私は思います。これでは、信徒は劣等感に陥り、あるいは反撥し、ますます教団・総裁から離れて行く者が多くなると思います。

初心者様。志恩様が、感情的になってむちゃくちゃなことをおっしゃるとき、その背景の心を思いやって発言されていましたでしょうか?

さくら様も、>>113
>>ただ、ものごとは、なんでもそうですが、表面に見える形だけが全てではなく、その「背後」がありますよね?
表面的な印象だけで、ものごとを判断するのは、なにも理解ができないと、わたしは思っています。
なにか、物事が起こった時、「ここには、どんな意味があるんだろう」「なぜ、ここでこのようなことが起こるのか」と考えるのは、真理を学ぶ私たちには大切な姿勢であるんじゃないでしょうか?<<

と書かれていますが、お互いに常にそういう思いやりの気持をもって発言・行動されていれば、現在のような混乱は起こらなかったかも知れません。
<つづく>

162復興G:2013/02/15(金) 12:14:07 ID:AB6RqYXc

さて、a hope 様が、>>79 で、

>>わたしは谷口雅春先生の「生命の實相」を拝読して、魂を震わせて現教団に入信しました。
わたしの魂が求めていたのは「唯神実相哲学」で雅宣先生の「現象問題を扱った環境」のお話ではなかったのです。ですが当時わたしは何もわからない真の新入生でしたから、その矛盾に全く気付きませんでした。
生長の家の総裁である雅宣先生が、一方で人間神の子の「唯神実相」を説かれ、もう一方で罪の子人間が犯した環境破壊という現象問題に取り組まれているというその矛盾に直面して、わたしの魂が混乱したのだと思います。その結果、精神不安に陥り、体調を壊し、2週間寝たきりの状態になりました。
ですから、あくまでも、わたし、a hopeの見解ですが、そのような二元論を信じていらっしゃる「雅宣先生の今の教え」は、すべて「虚説」だと思っています。
たとえ、雅春先生の教えと同じことをわかりやすく本にして出版されていても、それを執筆された雅宣先生のお心が、一方で『神』を信じ、もう一方で『現象あり』も信じる「二元論」である限り、すべてが虚説であるというのが、a hopeの見解です。
ですから、わたし、 a hopeは「雅宣先生の今の教え」に賛同するつもりは全くありません。<<

――と書かれたことについて、私は
「プリントアウトして、しっかと受け止めています。a hope様の体験は、真実の体験であり、とても貴重なものだと思います。」
と書きました。

それは、a hope様の体験が私自身の過去の直接体験と重なり合うところもあるので、これは「真実の体験だ」と感じたからです。

私は、>>86で次のように書いていました。

≪そして、私もしずかにわが内なる神の声を聴いております。それは――前のweb誌友会板
>>1589>>1592>>1593>>1595
で書いている高校2年のとき初めて聴いた、わが魂の底なる、内なる神の声です。

一、われは聴くわが内なる声を
  “みひかりを常にもとめて
  わが御手をしかと握れよ
  安らなれすべて善ければ
  とこしえに此処極楽に
  なれは今まもられてあり。
  何者か汝を奪わん。
  大いなる我れ汝を抱けば。”

二、われは聴くわが内なる声を
  “われ常に汝をまもれば、
  われ常に汝を導けば、
  何時のとき何処にあるも、
  汝は完たく清くけがれず、
  行く道に迷うことなし。
  われは汝の内なる神ぞ
  わが護り常に完たし。”

――という「堅信歌」を心の内で歌いながら・・・・・・≫

と。そこで、思うことを次に書かせていただきます。
<つづく>

163さくら:2013/02/15(金) 12:50:04 ID:p8juji6I
「真実の体験」?

それは、ホープ様にとってそうなのであり、復興Gさまにいくら認めれてるホープ様だといって、その他は虚説とはなりませんよね?

わたしは、混乱するから距離をおくだの、
あなたが言ってることは、理解できないだの、
わたしのことは、あなたには理解されないだのとホープ様に言われてきましたが、

わたしは、自分とちがう体験をし、
自分とちがう真実を体験した人を、混乱するといったり、サタンと言ったり、おもったこともありません。
わたしは、自分だけが生命の実相を、雅春先生を理解してる「真の生長の家」だの、おもったこともありません。

復興Gさまとホープ様には、真実でも、他を否定していい理由なんてないのではないですか。

たとえ、真の生長の家でもそれをする権利はないとわたしはおもいます。

164さくら:2013/02/15(金) 12:59:32 ID:p8juji6I
体調が悪くなったから、虚説ですか?
生理的嫌悪以外、ここに、根拠が、なんの真実があるのですか?


雅宣総裁がないをされたことが間違えであったのか、どんな発言が教えとちがうのか、
その発言は、ほんとうに、雅春先生を抹殺しようとしてるのか、
生長の家のために、どう改善し改革すべきか、
虚説という人は、すこしでも、考えたことがありますか。

理解できないものを理解しようとすることは、苦痛が伴います。

自分の無知を隠れ蓑にしてはいけないとわたしはおもいます。

165初心者:2013/02/15(金) 13:31:27 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

わたしはこちらで大勢のおそらくは敵対する勢力を相手にやりとりをしているつも
りですので、このことによって過剰なプレッシャーにさらされることがあり、そのこ
とで感情が左右されることはあるやもしれませんが、そのほかのときに感情的に
なることはほとんどないと考えています。

以前も復興Gさまが、わたしの発言を「怒り」と表現されたことがありましたが(自
然状態と文化的状態のやりとりをしていたときです)、わたしはぜんぜん怒っては
いませんでした。

ひとつの手法として怒りモードで書くことはあります。昨晩の書き込みもそうでし
た。あれを読めば「感情的」ととる人もおられるでしょうけども、わたしはまったく
冷静にあれを書きあげました。むしろ「るんちゃん」への返信に多少の感情が入り混
じったことを自覚しています。

感情の話はこれくらいにして、総裁こそがダブルバインドをかけているとされる
発言はなるほどとおもいました。実感はありませんけども、そういうことがあった
としても不思議なことではない気がいたします。

実態は存じませんが、現総裁が現実の問題に取り組まれているのはたしかなこと
なのでしょう。「ない」はずの現象に取り組むのはたしかに矛盾です。たとえば経済
活動ですが、これも「ない」はずの現象世界での活動という意味では矛盾です。

ですけども、この矛盾がなければ現代の世の中は成り立ちません。アリストテレス
は、生命体としての国家のなかに生理現象としての経済活動をみいだし、それを
「エコノミー」と名づけたといわれているように、国家という生命体にとって、経済
活動はなくてはならない生理現象ということがいえるはずなのです。

環境問題はエコノミーの結果ですね。環境破壊は、国家という生命体の生理現象
によって生みだされたものだ、ということがいえますね。環境破壊を真理の側から
みたとき、それを現象一辺倒の活動とみなすことができるのでしょうか。

環境が破壊されたのは、国家の生理現象が正常におこなわれなかったからでは
ないでしょうか。環境活動が、もしもこれを正常にもどそうとする活動であったとし
たとき、それでもこれを「虚説」のひと言で片づけてよいということになるのでしょうか。

話を変えます。

ダブルバインドということでいえば、「実相世界」と「現象世界」の関係はダブル
バインドとはならないのでしょうか。「実相がある」、「現象はない」をそれぞれの
メッセージとしても、両者の関係を説明しうるメタ・メッセージがおそらくどこにも
存在しないはずなのですね。

ダブルバインドは、ゲシュタルト心理学では「袋小路」というそうですけども、「実相
世界」と「現象世界」の関係を説明するメタ・メッセージをいくら得ようとしても、
文字どおりの「袋小路」に入り込んでいくだけなのですね。

こうした袋小路を抜け出すには、考えるのをやめる、という方法しかなさそうです。
考えるのをやめてメタ・メッセージの追求を放棄しさえすれば、「すべてがわかっ
た」という感覚になることも可能です。

20年前のわたしがそうでした。「すべてがわかった」とする感覚につつまれていま
した。もちろん今でもそうした感覚を得ようとすれば、いつでも得ることができます。

「すべてがわかった」という感覚につつまれていた当時のわたしは、自分のことを
とても偉いに人間だと思いこんでいました。世間の誰もがバカにみえていました。

「実相世界」と「現象世界」はダブルバインドです。考えることをやめないかぎり
解消することのできない袋小路です。考えることをやめた人にとって、すべての
ことは自明です。「人間知を超越した自分は世間の誰よりも偉い」。これが自明の
こととなります。

166復興G:2013/02/15(金) 13:32:23 ID:AB6RqYXc

>>162のつづきです。

私は、高校2年のときに、わが魂の底なる、内なる神の声を聴いたと申しますか、不可思議光を見たと言いますか、ある「霊的体験」とでもいうような、不思議な体験をしました。そして、地方から上京して東京の大学に入った。けれども、そこでは

≪大学で、人生の師に出会うことはありませんでした。大学は、私にとってストレス以外の何ものでもありませんでした。私は退学願いを出しました。≫

と、前のweb誌友会板>>1593に書いています。
簡単にそのように書いていますけれども、その日々は、そそらく想像を絶する(体験のない人にはわからないと思われる)苦しい日々でした。ノイローゼ(神経症)とか、統合失調症といわれるものだったかも知れません。

 大学に入ってから、あの、高校2年の時に見た輝く光、無限の希望の光――あの「光」を見失いかけたのです。

 あれは一体、どこから来た光だったのだろう……そして、あの光を再び自分の中に輝かすにはどうしたらよいのだろう――ということが、私の最大の、のっぴきならぬ関心事でした。大学の講義にはついて行けなくて、勝手にいろんな本を読みました。

 哲学者ヘーゲルが、1818年にベルリン大学で行った開講の挨拶というのに
 「人間は自己を尊敬しなければならない、自己をもって最高のものにねうちすると考えなければならない。精神の偉大さと威力とは人が如何に大きく考えても大きすぎるということはないのであります。宇宙の閉ざされた本質は認識の勇気に抵抗し得るであろう力をば有しない……この勇気の前に宇宙の本質は自己を開き、富と深さとを開示し、それを享受せしめるに相違ないのであります。」
(天野貞祐著『学生に与ふる書』より)

 とあるのを読んで、よし、自分の求めていたものは哲学だ! と哲学の講義を聴いてみても、大学での哲学の講義には魂を沸き立たすようなものはありませんでした。

 私は、大学に絶望して、退学願いを書いて一度は提出しました。それは、私の尊敬していた恩師の忠告で引っ込めましたけれども、大学は留年したり休学したりして、大いに悩みました。

 そのころ、私はトルストイの『人生読本』を読みました。
そこには、次のようなことが書いてありました。

○あらゆる宗教の本体は、何のために私は生きるか、自分をとりまく無限無窮の世界に対する私の関係は如何なるものであるかという事実に対する知識である。

○いろんな知識をかき集めている学者どもは不憫なものだ。ひとりよがりの哲学者たち、飽くことを知らぬ研究家等は不憫なものだ。これらの善くない富者たちは、ラザロの徒が絶えず飢えに悩んでいるにも拘わらず、毎日毎日自分たちの知識上の饗宴で無為徒食しているのだ。これらの人々は皆無に等しい代物でお腹がいっぱいになっているのだ。何となれば、そうして空しい知識は、道徳的完成にも、社会的完成にも力を致すところがないからである。

○無益な学問をうんとこさ学び知るよりは、人生の法則を少し知る方がましである。

○最も野蛮な迷信の一つは、人間は信仰なしに生き得るものだという独断に対する現代のいわゆる学者の大多数の迷信である。

 ――これを読んで私は、私の求めているものは「宗教」だ! と思いました。以前は目に見えないものを信ずるのは頭の足りない人のすることだくらいに思っていた私でしたが、本当は最も頭の良い人間は、生命の根元を探求し宗教を求めるものだとわかりました。

 そして、縁あって谷口雅春先生の『生命の實相』に触れ、ただひたすらに読み始めたのです。そして、高校2年のころ垣間みたあの光り輝く世界が何であったのか、それをとりもどすにはどうすればよいか、その答えがここにある――と思ったのです。

 大学では教えてくれない素晴らしい哲学、生活に生きる哲学が、ここにありました。
 私は、すぐ生長の家青年会に入会して、活動を始めました。ここに、自分を本当に生かし、人を生かす道があった。「この最高の真理を、永遠に学び生き続け、全世界に光を与えてまいりましょう!」と。
<つづく>

167復興G:2013/02/15(金) 13:56:16 ID:AB6RqYXc

>>166のつづきです。

私が大学で苦しい神経症的な状態にあったとき、『生命の實相』を読めば、なんとか魂がやすらぐ思いをもったことを思い出します。その頃、どうしても大学の講義をまともに聴いて勉強しようという気持になることができなかったのです。

それは、「いい」とか「悪い」とかの理屈を超えたもの、魂の渇望というようなもので、『生命の實相』を読むことしかできなかったのです。
それが、私の実体験です。

私は、a hope様の体験と、上記の自分の体験において、何か共通するものを感じてしまうのです。

それは、「いい」とか「悪い」とかの理屈を超えたものなのです。

168さくら:2013/02/15(金) 13:56:40 ID:p8juji6I
ホープ様の虚説レポートは、復興Gさまは、お認めなのでしょうが、
わたしには、違和感があり、名指しでご指名頂いたにも関わらず、一言もありませんでした。

しかも、距離をおくというわたしに、なぜ、初心者さまと並べて、ここの場へ引き出そうとされたのか。
…わたしは、自分のこころに傷ついたものがあるので、
愛してるという言葉を素直に受け取れませんでした。

なぜなら、ホープ様の「真実の体験」により、わたしは虚説の方に分類されたからです。

わたしは、復興Gさまが、なんと素晴らしいことをいうのでしょう、とお認めになる、
ホープ様のご想像の
実相など、わたしは持ち合わせてはいません。

わたしは、神から作られた、
ただ唯一の実相があるだけです。

そこには、虚説もサタンも、ありません。

169初心者:2013/02/15(金) 14:38:28 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

さくらちゃんが書いておられますように、ホープ様はなぜ、さくらちゃんとわたしを
虚説レポート発表の場に呼び出されたのでしょう。

ホープ様は、「真説以外は虚説」と明確に述べておられるような気がいたします。
ホープ様の真説と虚説の二分法によれば、わたしの発言はどちらに属するのか、
それはホープ様にちょくせつ尋ねてみられればわかることなのではないでしょうか。

170さくら:2013/02/15(金) 14:53:58 ID:p8juji6I
汚れなき、誌友会が始まるまでは、書いていてもよいですか。

真の生長の家ではない、わたしにも、真実の体験があり、
本流派のみなさまにも、生長の家のなかで、真実の体験があり、
…生長の家にふれた方、…まだふれてはいない方にも、真実の体験があり、
真摯に生きようとしている人は、誰であれ、真実の体験のなかに、神を見て、生かされていますよね。
復興Gさまが、プリントアウトするほどのホープ様の体験だけではありません。

わたしにも、否定してもしきれない、誰にも分類されたくない、
真実の体験があります。

誰にでも、真摯に生きていれば、真実の体験がありますよね。

そこには、真だと偽だと、誰かに判断され、分類されることもありません。

否定されれば、怒りも感じことがあります。

……そういえば、もしかしたら、雅宣総裁がされてるのは、多くの方の、生長の家での真実の体験を否定するような言動にも感じれることがあるのかもしれません、

171さくら:2013/02/15(金) 15:48:50 ID:p8juji6I

ホープ様が誌友会の最中に、「多様性」アレルギーがあると書いたことがありました。

わたしの発言からです。

いくらなんでも社会生活も知っているであろう、子どもも育てたであろう方から、「多様性」にアレルギーがあるなどという言葉を聞くとはおもってもいず、
ここの雰囲気を壊してしまったけれど、ショックだったのは、
他を排除して多様性を認めない、カルトの経験を思い出してしまったからです。

多様性とは何かを知らない、というだけではなく、いくら雅宣総裁を思い出すといっても、「アレルギー」という言葉にも、違和感を感じました。

そのときわたしは、キリスト教的宗教観が世界に普及される過程において、多様性のある多神教的な宗教(アニミズム信仰など)が、
ある場合においては、
生理的嫌悪によって排除されてきたという論説の本を読んでいました。
宗教的独善は、正義の名の下に、確実な根拠もなく異質なものを排除する歴史もありました。
魔女狩りもそうです。アニミズム信仰の排除や、生理的嫌悪に基づいた理由が多くありました。
ヒトラーには、民族多様性に対するアレルギーがあったといえます。

正義とは、他を排除する、武器になってはいけないし、
多様性を認めるとは、真実を虚説で穢すことでもない、とわたしは、切実に感じていました。

カルトの経験は、それを経験したことのない方にはおそらく、わからない感覚があるとおもいます。

信じるものがちがうというだけで、他を殺し、他に殺されることもあるという、現実もあります。

ですから、わたしには、虚説レポートも、真の生長の家以外自分に入れないけど、愛してる…という発想も、同じ生長の家を学ぶものとして、
どうしてもこころに抑えきれないものが湧いてしまいました。

172SAKURA:2013/02/15(金) 16:41:18 ID:cjjCC9AE
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>134>>136>>138>>152 投稿の続きです…。

尚「ひらがなのさくら様」が“投稿続き”されていますが…
此処にて、私【ロ−マ字(大文字)SAKURA】の投稿しますと、誤解が生じますと困りますので、
一言断わりましての“投稿内容”を、させて頂きます。   ―― その① ――

■只今!“休み時間…”で?時間的に余裕がないのですが?
本日の【>>156の「a hope様」の投稿内容も含めて…】感想を述べさせていただきます…。
今回の「復興G様」の“解説”には何処か正直申しますと“矛盾点…”を感じるモノがあります。
昨日「a hope様」の言葉の中で“愛している…”此の言葉の“使用感〜〜〜”ですが?
更に「真の生長の家」とは表現的には理解できます。…が??個人的には、余りにも「復興G様」の
「a hope様」への後押しと申しますか?感じられますモノがあり、そうなりますと……

【 此の“真の生長の家…”という言葉? 何処からの“原点”と捉えるべきでしょうか?疑問点 】

あくまでも、私達は此の現実世界に於きまして、お一人お一人の皆様が「神の子…」です。
それは【生長の家…お家騒動】の現在でも、例え【分派…派閥?】になりましょうとも、一人一人が
「神の子…」です。つまり、皆様誰もが『神との一体』をどこまで出来ますのでしょうか?これが
今日の【課題…】でしょうかと。この様に私は考えております…。

彼女の入門は、まず!最初に入っていく過程では殆どの方は“経験・体験”があると思います。
【真理…】を掴んでいく過程での言動なら、理解出来ます。…が?ある“特別優遇された表現”は
如何かと思います。それとも〜〜?それは「個人の感情問題」に入っていく部分がありますのでは
ないでしょうか??確かに!一人一人“個性”がありますから「表現力は豊富…」です。
しかしながら、これを共有する閲覧者の皆様に対してもと…考慮するとなりますと…「言葉=言霊」の
意味は、非常に重要なる位置づけになるモノと判断致します。…が?
            
昨日「ひらがなのさくら様」の言葉から、いつも彼女はウィンドウ・タイプでしたから、何を?
言ってるのかが理解しがたく、本日の投稿内容(又!七変化のさくら様)にて意味が理解しました。
これに関しましては、私も【具体的…】に記載投稿したいです。…が?現在…仕事の関係で時間調整
が出来かねますので【WEB誌友会…】が、終わりました頃に記したいと思います。…が?

                               つづく

173SAKURA:2013/02/15(金) 16:43:11 ID:cjjCC9AE
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>134>>136>>138>>152>>172 投稿の続きです…。

 ―― その② ――
>>172 投稿の続きです…
■一つ思いますが「a hope様」の場合は、『特定な人間対称…』に、この“愛しています”が、や
やもしますと使用されているような捉え方を受けますので…此の事が「ケ−ス・バイ・ケ−ス」と
言う事になりますでしょうか?そう〜〜〜ですョネ!【現総裁雅宣先生…擁護派】としての私に、
そのような言葉な使い方を「a hope様」から、かけられた事?がないのですから、そこが〜〜〜
【神地一体…?疑問点?】となっていきますのです。

まず【真の生長の家…の真理】を把握されますと「誰とも“声…”をかけれる心境」ではないでしょ
うかと…世間一般の第三者は見ますモノと判断しますかと。ましてや〜〜〜捉え方によりましては、
「自身の感情論(仲間意識=好みの人)だけを対称にした“使用感…”が見えます。…が?今回は、
ことのほか、通常よりも“仲間意識的”での使用が感じるモノがありますかしら〜〜〜ン!と思い
ました。更に、余りにも「a hope様」に誇示しすぎる“傾向…”があり、新しい信仰の門をたたか
れました方が【分派…の皆様の会】に入ってこられますと、まずは、目に付きますでしょうから、
どうかしますと、時間の経過によりましては、入信されても離れていく感じにも思えます。…が?

■更に「言葉の使用感?」この現実社会に於けます「言葉…」が余りにも軽すぎる感が致します。
❤【ありがとうございます…】と【愛してる…】とは、随分意味が?ニュ−アンス感?が、
変って来るのではないでしょうかと……??更に!「神の子」としての【みな兄弟の感覚ならば、
本当の意味で“心…”からの思念をしますと、それだけで随分と表情(対面の場合)も、文体表現
も変わりますのではと思う次第です。…が?無理した“表現遣い”をされたような感じでしょうか
と。時には“愛してる…此のニュアンス”とみえます時もありますし、どうかしますと〜〜〜?
「商売用語に…客引き言葉」に見えてしまうこともありますが?これは、私・知人関係の捉え方です。

最終的には、「愛しています」と言います表現は〜〜クリスチャン関係〜〜〜関連してきますので
しょうか?モット飛躍しますと「お国柄??の慣習」にもなりますのでしょうかと?…「感情的表現」
“ハッピ−!”という感覚なのでしょうか〜〜〜?もっと詳しく【具体論…】で書きたいのです。
合間にての投稿で……後日にて“投稿”します。
                                   再合掌

174復興G:2013/02/15(金) 16:50:54 ID:AB6RqYXc

>>169 :初心者様

>>さくらちゃんが書いておられますように、ホープ様はなぜ、さくらちゃんとわたしを虚説レポート発表の場に呼び出されたのでしょう。<<

正直いえば、私も「なぜ?」わざわざ波風立てるようなことを……という感じを持ちました。

おそらく、a hope様は、
>>それは、『実相を観ずる歌』にこうあるからです。
・・・・
神は愛にして、
吾れは神の子なれば、
吾れはすべてを愛し、
すべては吾れを愛す。
・・・
わたしは、〝神の子〝 だから、皆さんを愛するのです。
ほかに、理由はありません。<<

――だから、初心者様にも、さくら様にも呼びかけたくなった、というような単純な動機かなあと想像していますが……。
 これも、神のお計らいなのでしょうか。私も今一度自分をふりかえり、勉強させていただいていますから。


なお、>>165で初心者様は
>>ダブルバインドということでいえば、「実相世界」と「現象世界」の関係はダブルバインドとはならないのでしょうか。「実相がある」、「現象はない」をそれぞれのメッセージとしても、両者の関係を説明しうるメタ・メッセージがおそらくどこにも存在しないはずなのですね。<<

と書かれていますが、それについて私は<<58、<<59で書きましたように

>>「実相」は時間・空間の中にあらず、時空を生み出した本源世界 すなわち「久遠の今」にある。
また、現象世界は4次元時空間というスクリーン上に投影された映画であって、「実相」はフィルムに当たる、とも説かれています。
フィルムはすでに完成している、そこにすべてがあって完成している。けれども現象世界へのに投影は一コマ一コマ順番に映し出されるのであって、一度にすべてが投影されるわけではないから、現象は無常であって、不完全である。
私たちの五官は、投影された影である現象世界を認識する道具でありますから、その五官によって<フィルム>の世界、「実相」を知ることはできない。現象の言葉をもって実相を説明することはできない。というので「不立文字」とか「教外別伝」と言われてきた。……(後略)……<<

という説明で私は納得し、「ダブルバインド」とは全然感じておりませんが――。なぜ、初心者様がそのようにおっしゃるのか、よく理解できません。考えています。

175さくら:2013/02/15(金) 17:15:10 ID:p8juji6I
ここは、先日で、のべ30万人の方が見た、とのことです。

ホープ様は、ここを見ている真の生長の家が判断します、と自信をもたれていますが、
わたしは、誰にも判断されなくても、構いません。

意見がちがっても、
まあ4.5人、話せる人がいれば、
ここに出会えてよかったな、と思います。

なので、わたしが書いたことも、
3.4人、まあ、真の生長の家じゃなくても、そんな見方もあるよね、
そう思うこともあるよね。

とおもってくれる人がいただけで、
有難いです。

ほんとうに、そんな出会いは、有難いです。

ありがとうございました。



176復興G:2013/02/15(金) 17:53:38 ID:AB6RqYXc

さくら様

精力的な書き込み、ありがとうございます。

生長の家は「一つ」であって、「真の生長の家」 「偽の生長の家」などというものはなく、「排除する」などということもあり得ません。

a hope様も、「真の生長の家」と言ったつもりはないと言われてましたよね。真の「生長の家の教え」と言ったことはあるけれど――と。

私も、真の「生長の家の教え」とは何か、それを究め、それを生ききって行きたいと思っています。

そのためのweb誌友会が、まもなく始まります。

心を空しくして、神の御導きを受けたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

合掌

177復興G:2013/02/15(金) 18:03:07 ID:AB6RqYXc

 予告文をもう一度貼らせていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『第11回web誌友会』予告
≪日時≫
2月15日(金)21:30から
2月17日(日)23:30まで
≪テキスト≫
『生命の實相』第2巻第5章「神への道しるべ」(p.139〜166、28ページ分)

  合掌

178復興G:2013/02/15(金) 18:24:47 ID:AB6RqYXc

web誌友会テキスト 『生命の實相』第2巻より<1>

   第五章 神への道しるべ

 霊眼で多数の人が同時に「生長の家の神さま」を拝したという話がでましたので、いよいよ神さまとはどんなものだということを説明すべき段どりになりました。

 哲学的には神とは「大生命」だ生命の大本源だ、といってしまえばなんでもないようなものの、神とは必ずしもそんな抽象的なものではなく、活ける愛の神、生命の神、知恵の神、美の神であって、それを見る目さえあれば、人と人とが相対するように、人格的にさえもあらわれたまうのであります。キリストの神がそうであった。旧約の預言者にあらわれた神がそうであった。そのほかいろいろの宗教の開祖たちには神さまのみ声を直接にお聞きになった方が多いのであります。
 「われ神を見、神より聞きしところをなんじらに伝う」そこにこそ真の宗教の教祖たる権威があるのであります。

 ところがふつうの人には神は眼では見ることができないのですから、それを見た人が説明してあげてもなかなか納得できるものではないのであります。たとえばここに生まれつきの色盲の人があって、その人には青い色がぜんぜん見えないとしますと、この色盲の人にあなたの見た色のほかに青い色というものが存在するぞと教えてあげても、その人は本来、青い色を見たことがないので、かえって色盲でない方の人のいうことを疑ってかかることになります。神の見えない人は色盲でなくていわば心盲です。色盲が青色の存在を信じないと同じように心盲が神の存在を信じないのも無理はないのであります。

 そこで理論的にでも神の存在の説明をせねばならぬことになるのですが、この、神さまがあるという事実を知らして人間を導こうという宗教なるものがいろいろの宗派にわかれていまして、互いに他の宗派の悪口をいっているような状態ですから、はじめて信仰の道に入ろうとする人にはどちらの宗派のいうことが正しいのだか見当がとれないのであります。
 真宗の人は阿弥陀仏だけを信じて、南無阿弥陀仏と六字の名号だけをとなえておれば救われるというかと思いますと、日蓮上人などは、『無量義経』においてお釈迦様は今まで四十余年間にわたって説教したことは方便にいったことで真実をいったのではない、今こそ本当の真理を説くといって『妙法蓮華経』をお説きになったのであるから、この『妙法蓮華経』に説かれてあることだけが本当で、それまでの説法は嘘である、むろん念仏をとなえて救われるなどということは真っ赤な嘘であって念仏をとなえれば無間地獄(むけんじごく)におちるといって日蓮上人は親鸞聖人の教えを非常にわるくいっています。
 同じ仏教のうちですらも、こういうふうにいろいろな説があって、互いに争っている始末でありますから、ましてキリスト教と仏教とにいたっては犬猿もただならない間柄で、時々大道でもキリスト教の路傍伝道者と仏教の布教師とが争っている有様を目撃するのであります。
 先日ひとかどの人格者であられると思っていた、キリスト教信者の発行していられる雑誌を読んで見ますと、「日本のどんな片田舎へいっても天理教や金光教の教会はあるのに、キリスト教の教会はめったにない、もって日本のいかに迷信国であるかがわかる」というようなことをいっておられるのを見て、わたしはあきれてしまったのであります。

 もちろんどんな宗教にも人の造った部分と神の造った部分とがあって、人の造った部分は、どうもおもしろくない。天理教でも金光教でも神様から示された教えは実にかがやいている。文学者として有名な倉田百三氏なども、天理教祖の「みかぐら歌」を実に深い立派なものだといって賞めていられますし、金光教でも高橋正雄さんなどの信仰になるとずいぶん深いところにはいっていられて、必ずしもキリスト教信者よりもその信仰の正しさが劣っているとはいわれないのであります。

 こうなるといよいよもって、どの宗教を信じてよいかわからなくなるのであります。一つの宗教を信ずれば、ほかの宗教の神さまからは外道だとか邪道だとかいって叱られそうでありますから、まあまあ触らぬ神に崇りなしで、どの神さまをも信じないでおこうという人もできれば、宗教相互の間にそんなに矛盾衝突があるのはどの宗教も真理でないからだと思う人もできてきますので、これは実に残念なことであります。
<つづく>

179復興G:2013/02/15(金) 18:25:33 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章より<2>

 聖書にはこう書いてある、日本の古典にはこう書いてある、などといいましても、あらゆる権威に対して新しい科学的批判を加え、その批判をパスしたものでないと信じないのが現代人でありますから、科学的には今よりもズッと野蛮な時代に書かれた古書経典に何らの権威をも認めないのは当然であります。

 それでは現代人は何によって神の実在(おられること)を知ることができるのでしょうか。わたしの考えではわれわれが神を知ることができるのは、われわれおのおのの内に神と同じものがあるからであります。

 たとえばわれわれがバラの色を観てこれを美しいと感じる。この美しいというのは、たいていの人はバラの花だけの美しいのをわれわれが感ずるのだと思っていますが、実は自分の心に美しさがあるから、バラの花の美を感じうるのであってバラの花そのものだけが美しいのではありません。
 バラの花そのものだけが美しいのでありましたら、猫がバラの花を見ても美しいと感じなければならない、鼠がバラの花を見ても美しいと感じなければならない。ところが猫が花を植えて楽しんでいるのをわたしたちは見たことがありませんし、鼠がバラの花を見て、その美に感心しているのも見たことはありません。
 これによってみても、美しさは観る人の心が対象たるバラの花に映って、その反射が自分の心に返ってきて、そこで始めて美しいと感じることがわかるのであります。

 すなわちバラの花を見て美しいということがわれわれにわかるのは、われわれ自身の心のうちに「美しさ」があってバラの花という鏡に映し出してみて、はじめてこれを美しいと感じるのであります。美学、すなわちわれわれがなぜ美感を感ずるかということを研究する学問ではこれを「感情の移入説」といって、学界で一般に肯定されている学説であります。

 そこでわれわれはバラの花の美を感ずる。しかし同じバラの花の美を感ずるにしましても、それを感ずるわれわれの心のうちに宿っているところの「美」がどの程度まで開発されているかによって、美の感じかたにも、深さがいろいろあるのであります。

 たとえば皆さんが花をお活けになるにしましても、自分の心のうちの「美」が磨かれている人ほど、美に対する感覚が鋭敏であります。それでこの枝をこういうふうにしたほうがいっそう美があらわれるということがわかるのであります。
 この美があらわれるという美は本来どこにあるかといいますと、花をお活けになる御本人の心のうちにあるのであります。心のなかに活ける前から、ちゃんと色の美しい配列の仕方が描かれている、その心のうちにえがかれているとおりの姿に花を配列すると、はじめて美しい活け花や盛り花ができあがるのであります。

 だからわれわれは活け花の美を見ることは活けた人の心の美を見ることであります。活ける人の心に美がなければ活け花の美はありません。しかし猫や鼠が活け花を見ましてもそれを美とは感ずることはできません。活け花の美を最も深く感じうる人は、花心のある人――すなわち活け花の美しさをはじめから心の内に育てている人であります。
 すなわち「活け花を見る」と簡単にわれわれはいいますけれども、実は活けた人の心の美がそれを見る人の心の美とぴったりあって、隠れていた美が表面にでてハッキリするのであります。

 そのようにわれわれは自分の心のうちにあるものしか見ることができません。またたとい触れてもそれを感ずることができません。
 もしわれわれが神を見ることができ、あるいは神を感ずることができますならば、その人のうちに神がやどっているからであります。
 すると神を見ることも感ずることもできない人には、神が宿っていないのであるかと申しますと必ずしもそうではありません。あまり現在の境遇に満足し切っている人は神をもとめる必要がないから、神を見ることも感ずることもしないのであります。
 それは神を見ることができないのではなく、しないのであります。
<つづく>

180復興G:2013/02/15(金) 18:27:02 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章より<3>

 たとえばあまり美しい景色のなかにいて、そのままで満足しきっている人には活け花も盛り花も不要なのであります。人間が活け花や盛り花を工夫して住居を飾るのは、自分の住む現在の周囲に不満足なところがある。すなわちまだ美に不足したところがある。そこにもっと円満な美をあらわしたい――こう思うから活け花や盛り花でお座敷を飾るというようなことをするのであります。

 そのようにわれわれが神をもとめるのは、何か自分自身の生活または自分の周囲の生活に不満足な不完全な状態があるからであります。
 キリストが「富める者が神の国に入る事のむずかしいのは、らくだが針の孔を通るよりもむずかしい」と嘆じられましたのは、富める者の驕慢な心が神のみ心にかなわないという意味もありますが、現状に満足しているものは、みずから進んで神の国に入ろうとしないことをいわれたのでもありましょう。
 またあるときには「貧しき者は幸いなるかな、神の国はなんじらのものなればなり」といわれたのも、貧しくして現状に不満足なものほど神の国に入りたいという欲求が盛んになることをいわれたのでありましょう。

 こう申しますと神の国はただ貧しき人のみに与えられる福音のように思われるかもしれませんが、必ずしもそうではないのであります。現在の人間生活というものをまともにみて、そこになんらかの不満足を感ずる人ならば、それはたとい王様であっても「貧しき者」であって神の国に入ることができるのであります。
 釈迦牟尼はマカダ国の王様の皇太子でありながら、周囲の人間生活の不完全――すなわち生老病死の四苦を見て、もっと完全円満な世界をもとめてそこにはじめて神の国(さとりの道)に入ることができられたのであります。

 われわれがこのように現実世界の状態や、現実世界の人間の不完全不円満にあきたらないで、円満な世界や人格をもとめようとするのは、不完全な現実世界とはピッタリ調和することのできない完全円満なあるものをわれわれの内にもっているからであります。
 われわれが完全円満なあるものを内部にもっていなければ完全円満な人格や状態を予想することができないのであります。このわれわれの内にある完全円満なあるもの、これがすなわち神であります。

 このようにわれわれが現状に不満足であって、いっそう完全円満なものを予想する性質をもっている限りわれわれの内には神が宿っているのであります。
 このようにわれわれ人間にはみな神がやどっているのでありますが、その神性の開発されている程度はいろいろでありまして、そのために世界の宗教には、いろいろの宗派がわかれ、礼拝する本尊となるべき神仏にも、いろいろのあらわれ方があるのであります。
 それはちょうど、われわれが活け花をするときに、花を生ける人おのおのの心のうちに開発されている「美」が活け花になって、そこに内在の美が外に客観的に現われる時に、いろいろのあらわれ方をして、いろいろの流派となるのと同じであります。

 このように人間の心の内部にある「美」が外界に投射し出され客観化(かたちにか)して「活け花の美」となりますと同じように、人間の心の内部にある完全円満さ、すなわち神性が外界に投射せられて、それが客観化されたのが神であります。
 無神論者のなかには神とは人間のつくったものであって、神が人間を造ったのではないという方がありますが、それも一理はあるのでありまして、人間に本来神性がなければ神をつくることも想像することもできないのであります。人間の内部精神に美がなければ活け花を美しく活けることもできないのと同じであります。

 ところが活け花は流儀流儀でいろいろの型がありますけれども、そこに「美」があらわれているということは否定することができないのであります。各流の活け花がいずれも「美」であるということにおいては一つでありますが、そこに人間個人個人の性格や、大きく見ては民族的に見ても、その美のあらわれ方が違うのであります。
 外国には活け花などはまったくないけれども草花を愛する性質は非常にすぐれているとか、日本画と西洋画とは味がちがうけれども「美」であることは一つであるとか、日本舞踊と西洋のダンスとはそれぞれ形はちがうけれども「美」ということにおいては一つであるとかいうふうにであります。
<つづく>

181復興G:2013/02/15(金) 18:28:48 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章より<4>

 わたしは今「美」であることにおいては一つであると申しました。「美」のあらわれ方はいろいろあっても、それが「美」として感じられる限りは、そこに共通のもの――すなわち一つのものがどれにもあるのであります。
 美しいものを観たときにわれわれが感ずる感じを振り返ってみますと、それはなつかしきものにめぐり会っ忙ような感じがするのであります。今までおさえつけておいた生命の障硬が除かれていきいきと生命が躍動するような感じがするのであります。こういう共通の感じを受けますのは主観的に心のうちだけに潜められていた「美」が客観的に外部に投射し出きれて、はじめて表現の自由を得るからであります。

 「美」の世界を深く掘って行きますと、どこまで掘っていっても行き詰りがないのであります。ここまで美しければ、もうそれ以上の美は求める必要がないというような終点が「美」にはないのであります。大芸術家ほどこのことをよく知っていまして「芸術は生涯の修行」であるとは芸道の各人たちからたびたび聞く言葉であります。
 このようにわれわれの感ずる「美」は無限の美を予想し、それを理想としていて、その無限の美に到達することを念願としているのであります。このように無限の美をわれわれが予想し、心に描くことができるのは、すでにわれわれの心のうちに「無限」の美がひそかに宿っているからであります。

 外形は五尺ばかりの有限な肉体でありながら、われわれがこのように「無限」の美を追求しなければどうしても完全に安心ができないというのは、われわれの内部には「無限性」が宿っていて、その「無限性」の開顕を内部から要求してやまないからであります。

 われわれのうちに宿っている円満完全性――これをさっきは神であるといいましたが、今はわれわれに宿っている「無限性」を神であると申すのであります。つまり、「円満完全性」と「無限性」とは同じものであります。無限であってこそ完全円満なのでありまして有限なものはそれだけに限られていてけっして円満完全でありえないのであります。

 われわれの生涯の課題はこの「無限性」をいかに完全に開顕するかということであります。すなわち有限の形を通して無限を生きる――ここに有限は無限の「真」に対してただ一個のシンボルとして存在するにすぎないのであります。われわれのあらゆる努力は、誰の努力でも有限の形を通してできるだけ無限に生きようとしているのであります。
 お金をふやそうとする努力でも、名前を残そうとする努力でも、芸術家の美に対する追求でも、道徳家の善に対する追求でも、「朝(あした)に道を聞かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり」というような瞬間に焦点をあつめたような生活でも、有限の形を通して無限をどうかして完全に生きたいという、本能のあらわれにすぎないのであります。

 こういうふうに人間の内部には誰の内部にでも「無限」がやどっているのであります。ところが「無限」というものは必ず絶対ということをともなうのでありまして二つも三つも同時に「無限」があちこちにいくつもあるというわけには行かないのであります。
 たとえば自分が無限の金持ならば、他の人は無一文に相違ないのであります、自分も無限の金持であり、同時に他の人も無限の金持であるとしますと、それは一つの無限の富を共有しているからであります。
 一つの無限の富を共有しておれば、何人(なんぴと)でも同時に無限の金持であります。

 これと同じようにわれわれすべての人間が「無限」を自己の内にやどしている場合にはそれは一つの「無限」が共通にわれわれに宿っているからであります。一つの「無限」がいくつにも分化してわれわれおのおのの内部に宿ってわれわれの真我、無限性、仏性または神性になっているのであります。
 それでわれわれに宿っている「無限性」からいえば、その本源たる「無限者」はわれわれの親であり、われわれはみんな「無限者」すなわち「神の子」であることがわかるのであります。

 <一応ここまでとさせていただきます。>

182トキ:2013/02/15(金) 20:45:49 ID:MkJelLVU
復興G 様

 ご多忙の中、すばらしいご文章をご紹介下さり、ありがとございます。
本当に、感謝申し上げます。

 今回も誌友会、楽しみにしております。よろしくご指導のほど、お願いを致します。

合掌 ありがとうございます

183a hope:2013/02/15(金) 21:24:26 ID:TqpbsVIM
第11回WEB誌友会開会の時刻 が近づいてまいりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を掲載させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

184a hope:2013/02/15(金) 21:30:45 ID:TqpbsVIM

聖典「真理の吟唱」より『天地の万物を祝福する祈り』

神は常に働きたまう。
神の働きは常に調和した働きとなって顕れてくるのである。
なぜなら、神は一切のものの根元であり給い、一切のものは、
神の一つの智慧によって統一せられているから相克摩擦ということはないからである。
神の働きは常に一切のものが調和した働きとなってあらわれてくるのである。
もし不調和なことがあらわれてくるならば、それは、自分の〝我の心〝が、
〝神の心〝に一致しないところがあるために、神そのままの調和した智慧があらわれて来ないからである。

われは今、一切、心を虚しくして、〝我の心〝を去ったのである。
それゆえに必ず〝神の智慧〝があらわれるのである。
今まで〝我の心〝が去るとともに滔々(とうとう)として〝神の叡智〝は流れ入ってくるのである。

われは今、神の御前に坐して、われ心を空しくして神に向かう。
それゆえに、〝神の叡智〝われに流れ入りて、人に応じ、時に応じ、
場所に応じ、事に応じて、すべてを生かす働きがおのずからできてくるのである。

われは今、神の御前に坐して、わが心空しくして神に向かう。
それゆえに〝神の愛〝われに流れ入りて、一切万物を祝福したまうのである。
神は我れを通して一切万物を祝福したまうがゆえに、我はまた一切万物を祝福するのである。
一切万物を我れは祝福するがゆえに、一切万物は我れの味方であり、我れは万物の味方であり、
互いに制し合うことなく、互いに生かし合いばかりになるのである。

ああ、互いに生かし合いの世界の清く美しく楽しきかな。
今ここに、地上に天国は建設せられたのである。
ここがこのまま天国の実現であり、完全にすべての人は自由であり、
すべての出来事は処を得、時にふさわしく、あるべき処に、
あるべきものが実現して、まことに調和したすがたであるのである。

今、ここに我が家に天国が実現しているのである。
されば、すべての家族ことごとく健康に、愉しく、不平をいうものも一人もなく、
その計画するところの事は必ず成就し、欲する事物はことごとく集まり来り、
欲せざる事物はことごとく消滅するのである。

まことにも我が家は、神に祝福された天国の家である。
我れ神に感謝し奉る。

 合掌。

185トキ:2013/02/15(金) 21:42:35 ID:MkJelLVU
 ありがとうございます。本日もよろしくお願い申し上げます。

186復興G:2013/02/15(金) 21:43:00 ID:AB6RqYXc

a hopeさま

ありがとうございました。

すばらしい 『天地の万物を祝福する祈り』、拝読・心読いたしました。

すでに祈りは叶えられました。
ありがとうございます。

合掌

187トキ:2013/02/15(金) 21:48:10 ID:MkJelLVU
復興G様、ご指導を感謝申し上げます。a hope様、お祈り、ありがとうございました。

188復興G:2013/02/15(金) 21:51:12 ID:AB6RqYXc

時間はたっぷりとありますから、皆さま、お気楽に、そしてご遠慮なく、疑問点でもなんでもお書き込みください。

ありがとうございます。

189復興G:2013/02/15(金) 21:54:50 ID:AB6RqYXc

トキ様、たいへんお世話になります。

よろしくお願いいたします。

合掌

190トキ:2013/02/15(金) 22:08:51 ID:MkJelLVU
>>178

 いつも素晴らしいご指導、感謝申し上げます。


 無神論者の事が書いてありますが、若い頃は神様なんかいるものか、という人が多いみたいです。
ところが、ある程度、年齢が行くと、そういう考え方から脱皮する人が多いように思えます。

 実は、私の大学時代の恩師がガンになったので、教え子が集まって病院にお見舞いに参上したの
です。すると、その恩師がしみじみ話していたのは、自分が現在の地位に就けたのは、自分が才能
があり、頭がよく、努力したからだと思っていた。しかし、自分がガンになって感じたのは、実に
自分は無力である、という事実だ。ようやく、自分は神様について考えるようになった、という内容
でした。

 ただ、宗教家と言われる人にも、いろいろとあります。先日、法要があり、私も出席したのです
が、若い僧侶がたいへん偉そうに怒鳴るので、実に不愉快になりました。修行の出来ていない私は
怒鳴りかえそうかと思いましたが、場所柄を考えて、我慢しました。

 が、翌日、怒鳴った僧侶のお寺の和尚様がわざわざ私の家に来て、先日は、私の寺の僧侶が失礼をして
たいへん申し訳ありませんでした、と最敬礼をしてお詫びをされました。それを見て、自分はまだまだ
修行が足りないと痛烈に反省をしたのです。

 それ以来、いろいろと思案をしているところです。

 とりとめもない感想を申しあげて、すみませんでした。

合掌 ありがとうございます

191a hope:2013/02/15(金) 22:17:47 ID:TqpbsVIM
復興Gさま トキさま、ありがとうございます。

今回は、ちょっと忙しかったので、まだ、テキストの範囲を全部拝読し終わっていないのですが、
途中までのところで、少し気になったところがあるので、質問させていただきます。

p141 五行目〜  (復興Gさま謹写箇所 >>178 後半部分)

『…もちろんどんな宗教にも人の造った部分と神の造った部分とがあって、
人の造った部分は、どうもおもしろくない。…』

とありますが、この文章からすると「生長の家の教え」にも、
人の造った部分と神の造った部分があるように思えます。

わたしは、谷口雅春先生は、「自分は(神の声を伝える?)ラッパである。」とおっしゃっていたそうですが、
現象人間の雅春先生は「一求道者である。」と謙虚であらあれたと聞いています。

わたしは、これは、「(神の造った部分=真理)は不変であるが、(現象人間の雅春先生が造った部分)の教え」は
場所や時代などの条件によって変化していかなければいけない」ということになるのではないかと感じたのですが… 
どうなのでしょうか?


わたしのような、新人がこのような生意気なことをいうと、気分を害される方も多いのではないかと感じています。

ですがわたしは、どうしても真実が知りたいのです。
みなさま、a hope の礼儀知らずどうぞお許しください。

そして、遠慮なくご教示、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

192復興G:2013/02/15(金) 22:39:25 ID:AB6RqYXc

>>190 :トキ様。

私も、おっしゃるとおりだと思います。

「実るほど頭(こうべ)をたれる稲穂かな」というのを実感しますね。合掌の指揮者でも、若造は威張って指揮する、80歳を超えた超ベテランの指揮者が実に謙虚で、「皆さん、ありがとう」と感謝讃嘆しながら指揮される、というのも、私はいま体験しています。

>>191:a hopeさま。

>>『…もちろんどんな宗教にも人の造った部分と神の造った部分とがあって、人の造った部分は、どうもおもしろくない。…』
とありますが、この文章からすると「生長の家の教え」にも、人の造った部分と神の造った部分があるように思えます。……<<

するどいご質問ですね。
私からお答えする前に、皆さまからのご意見を伺いたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

193トキ:2013/02/15(金) 22:53:12 ID:MkJelLVU
>>192

 などほど、「実るほど頭(こうべ)をたれる稲穂かな」ですね。私は確実に若造ですから、耳が痛いです。

>>『…もちろんどんな宗教にも人の造った部分と神の造った部分とがあって、人の造った部分は、どうもおもしろくない。…』

 その話って、総裁がよくされる「卵の気味と白身の話」ですね(笑)。

 もちろん、人の作った部分は面白くないというのは事実だと思います。しかし、これは、それを安易に濫用するのはたいへん危険だと
感じます。やはりひととおり、修行をしてから、その上でないと判断はできないと思います。

194復興G:2013/02/15(金) 23:08:04 ID:AB6RqYXc

a hope様のご質問について。『生命の實相』第1巻「總説篇」p.14〜15に、次のようにありましたね。ご参考に提示させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   「生長の家」とわたし

 「わたしはこの『生長の家』の生き方がどんなに善い生活だかということについては、確信をもっている。諸方の読者から集まって来る多くの讃辞は、わたしのこの確信がただのウヌぼれでないことを第三者として証拠だてている。

 なかにはわたしを教祖あつかいにしてくださる誌友もあるが、わたしは『生長の家』の教祖ではない。わたしは諸君と共に『生長の家』の教えを聴聞して、ひたすら、その教えのごとく生き行こうと努力する一人の求道者にすぎない。わたしがまだこの世的な悩みをいく分でも持っているのはわたしの生活がまだ『生長の家』の生き方には完全になり切っていないからである。

 むろんこの雑誌の原稿はわたしの手にもったペンにより書かれる。しかし、ひとたび『生長の家』を書こうとしてわたしがペンをもって机に向かうとき、わたしはもうふだんのわたしではないのである。霊きたりてわたしを導く。弱い性質のわたしにはとても書けない強い言葉が流れるように湧いて来る。第二号の『生長の家の歌』のごときは自分ながら驚くほど強いことが書けている。

 わたしが亀岡にいたとき、わたしが専念、教えのことを書いているのをかたわらで見ていた霊視能力者の加藤氏は、わたしと別な霊人が筆をとっている姿を見たといっていた。それは信じてよいかどうかは知らない。しかしもし『生長の家』に教祖というものがあるならば、この地上のわたしではないであろう。

 「およそ宗教的な深さをもったものは、それが教えであると芸術であるとを問わず、その源(みなもと)は霊界にあるのである。古来から神品(しんぴん)といい神徠(しんらい)といったのはこれである。

 われわれはすべて霊界および現世の人々からラジオ的に放送されて来る思想波動を感受するところの受信機であるのである。しかしJOAKの放送を受けるにはラジオの受信機の調節をJOAKの放送に合わさなければならぬであろう。それと同じくわれらがいっそう高き世界より来る思想波動に感ずるためには、自分の心をその思想波動に調子を合わさねばならぬのである。

 ここにわれらは不断に心を清め、こころをいっそう高き世界よりの波動に感ずるように訓練しなければならない。この訓練がたりないとき雑音が混じる。受けるインスピレーションが不純なものとなる。もしわたしの書くものに純粋でない雑音が混じっているならば、それはわたしの罪であって、霊界よりこの地上に『生長の家』運動をはじめた神秘者の罪ではないのである。」
   (『生命の實相』第1巻p.14〜15より)

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

――上記を拝読して、考えてみましょう。
ご意見をお待ちします。

195a hope:2013/02/15(金) 23:13:02 ID:TqpbsVIM
>>193 トキさま

えっ?

>>『…もちろんどんな宗教にも人の造った部分と神の造った部分とがあって、人の造った部分は、どうもおもしろくない。…』
その話って、総裁がよくされる「卵の気味と白身の話」ですね(笑)。

そうなのですか?そういえば、そんなようなお話もどこかで聞いたようなきがします。

それでは雅宜先生は、そういう理由で「雅春先生の教え」を、
ガラリと「今の教え」に変えられてしまわれたのでしょうか…

196復興G:2013/02/15(金) 23:45:07 ID:AB6RqYXc

>>191 :a hope様、>>193 :トキ様

>>わたしは、これは、「(神の造った部分=真理)は不変であるが、(現象人間の雅春先生が造った部分)の教え」は場所や時代などの条件によって変化していかなければいけない」ということになるのではないかと感じたのですが…どうなのでしょうか?<<

>>194に謹写させていただいた『生命の實相』第1巻の御文章からすると、
>>「(神の造った部分=真理)は不変であるが、(現象人間の雅春先生が造った部分)の教え」は場所や時代などの条件によって変化していかなければいけない」ということになるのではないか<<

というように、「神の造った部分」・「人の造った部分」と、はっきり分けることはできないのではないでしょうか。

「もしわたしの書くものに純粋でない雑音が混じっているならば、それはわたしの罪であって、霊界よりこの地上に『生長の家』運動をはじめた神秘者の罪ではないのである。」と谷口雅春先生はお書きになっているのです。

「この部分は神から書かしめられたが、ここからは現象人間の谷口雅春が書く」などと書き分けられてはいないのですから。
そうして「不断に心を清め、こころをいっそう高き世界よりの波動に感ずるように訓練し」ておられた谷口雅春先生のお書きになったものに、「純粋でない雑音が混じっている」ところがあったかどうか、などということは、私たちに判断できることではありません。それは「なかった」と信ずるのが信仰ではないかと、私は思います。

したがって、「神の造った部分」と「人の造った部分」を切り分けることができない以上、「人の造った部分」は場所や時代などの条件によって変化していかなければいけない、と切り分けてしまうのも不適切ではないでしょうか。

ですから当然、「神の造った部分」がいわゆる「卵の黄身」(教えの中核部分)で「人の造った部分」がいわゆる「卵の白身」(周辺<周縁>部分)と切り分けるわけにも行かないと、私は思います。

「卵の黄身・白身」という判断は誰が、どのようにしてするか。それは、別問題として考えるべきことでしょう。

私はそのように考えますが、いかがでしょうか。

197復興G:2013/02/15(金) 23:50:25 ID:AB6RqYXc

では、私は今夜はこれにておやすみさせていただきます。

おやすみなさい。

198復興G:2013/02/15(金) 23:56:43 ID:AB6RqYXc

あ、ちょっと気になった誤字について。

a hopeさま、「雅宜先生」ではなく「雅宣先生」です。
「宜」と「宣」は別字です。

では、今度は本当に、おやすみなさい。

199SAKURA:2013/02/15(金) 23:58:39 ID:y8fsR43M
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

遅くなりましたが…【WEB誌友会】の資料を閲覧させて頂いております…。
いつもながらの【復興G様…資料の転載】感謝申し上げます…。

何卒、「遅番組…にての参加」失礼ながら、何卒!宜しくお願い申し上げます。
                               再合掌

200SAKURA:2013/02/16(土) 00:03:54 ID:y8fsR43M
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199 SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ(1) 】からなのですが……

>>178の「復興G様」の投稿から……
>南無阿弥陀仏と六字の名号だけをとなえておれば救われるというかと思いますと<…云々…
と〜〜〜思いますに「念仏…」だけでは、救われないのです〜〜〜ョネ!
これも【霊の世界…】では、以前に於きまして“投稿記載”していますが?やはり
【 意識=心 】ではと、思う次第なのです。…が〜〜〜??

先程「管理人…トキ様」が法要で?お坊様が、“威張るとの事”だそうで、これも【上下関係…】
なのですョネ!!個人的ですが、私の菩提寺のお寺は、確かに“腰の低い方”なんだと思ってい
ましたら、どうも他の処では、やはり「大住職様の顔」を伺かがっているような方がいらっしゃい
まして、これには“ビックリ”…やはり「人間関係 = コミュニケ−ション」の知識から来る
のではと思います。…が?今回、私も話す内容が、いつも宗教に付いて質問しますから、
「大住職様」も、前以上に勉強されているようにお見受けいたしますが、いつも、大それた
質問内容ばかりを「大住職様」に持ち込みます。…が?この頃では、「大住職様」サイドでは
前以上に、私が質問しても“返答…”が早くなって参りまして、こちらも次の質問に勉強でしょうか?

この様に「南無阿弥陀仏と六字の名号」だけを唱えると…救われる事は、やはり“無い!”との事
で、やはり“行じる事…”でしょうかと。
ですから、やはり日本史上でも【宗教同士の争い…】は、実に醜いものではないでしょうか??
それに、西洋の「十字軍…のような戦い(国家間)にも、発展しかねないとしますと……複雑です。
そう云えば日本でも「平安時代…」に、「鳥羽上皇?」でしたか?「延暦寺の僧侶での乱」でしたか?
この時代の出来事も、これと付随するのかも?やはり「日本…」でもあった事なのです〜〜ョネ!

さて「お寺のお坊さんも威張る人?」ほど、果たして“気位の高さ(中身の勉強)は〜〜〜?”
【 ゼロ 】に等しく思える部分もありましょうかと。

そして【信仰の正しさが劣っている?いない?】は別問題でありまして…如何に現代人が
“無神論者”が多い存在にても…「神の存在」を知ることが大切なのでしょうかと…考えさせられ
ます文章かと…思いました次第です。

                                    つづく
PS:
次に「復興G様」から“転載…頂きました資料(2)”からの感想を、順次投稿させて頂きます。

201a hope:2013/02/16(土) 00:29:54 ID:TqpbsVIM
 >>196 復興Gさま

信仰とは、100パーセント信じることなのですよね。
わたしは、そう生きたいと思っているのです。

でも、わたしは、まだまだ周りの人たちからの影響を受けやすいです。

今回のわたしの質問内容は、雅宣先生の「黄身と白身」のお考えと、
とても近いものになっていたようで自分でもとてもお驚いています。

わたしは、知らないうちに「今の教」えの影響を受けてしまっていて、
雅春先生を100パーセント信じられなくなっていたのでしょうか・・・?
とても、怖いことだと感じています。

>>196の復興Gさまの投稿を拝見して、目が覚めた思いです。

ありがとうございます。

雅宣先生の誤字のご指摘もありがとうございました。
雅宣先生にたいへん失礼なことをしてしまっていました。

わたしも、これで今夜はおやすみさせていただきます。

それでは、みなさまおやすみなさい。

202SAKURA:2013/02/16(土) 02:44:55 ID:vHmGGzRQ
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>> SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ(2―1) 】からなのですが……
>>179の「復興G様」の投稿から……

===【抜 粋 投 稿】==================================
■>たとえばわれわれがバラの色を観てこれを美しいと感じる。この美しいというのは、たいていの人はバラの花だけの美しいのをわれわれが感ずるのだと思っていますが、実は自分の心に美しさがあるから、バラの花の美を感じうるのであってバラの花そのものだけが美しいのではありません。
 バラの花そのものだけが美しいのでありましたら、猫がバラの花を見ても美しいと感じなければならない、鼠がバラの花を見ても美しいと感じなければならない。ところが猫が花を植えて楽しんでいるのをわたしたちは見たことがありませんし、鼠がバラの花を見て、その美に感心しているのも見たことはありません。
 これによってみても、美しさは観る人の心が対象たるバラの花に映って、その反射が自分の心に返ってきて、そこで始めて美しいと感じることがわかるのであります。(一部抜粋)
==============================================

■バラの例えは、分かりやすい見かたでしょうかと、思います。…が?
同様に“視角…視点…”はそれは【その人の“心の中”の開発??】ということでしょうか?…
“オ−バ−”な話ですが【類 の 法 則 の 仲 間】でいきますと、同様な“心…”は、
“テレパシ−”の如く、“心…”に響くモノなんです〜〜〜ョネ!!その様に“類似性”もしくは
“異なる見方”とは、最終的なる原因は「環境から来る!」のではと思います。…が??
もうすぐ、此処九州はいち早く“春…”が訪れますが…此の地上に咲ききます各種の花は、神様の
世界の“多様性”を表していますでしょうか〜〜〜?

つづく

203SAKURA:2013/02/16(土) 02:46:32 ID:vHmGGzRQ
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202  SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ(2―2) 】からなのですが……
>>179の「復興G様」の投稿から……

此処で「亡き清超先生…の言葉」からの抜粋文を…論外かもしれませんが〜〜♫〜〜

===【抜 粋 投 稿】==================================
ためしに奥深い山に分け入るならば、私達はそこにも人知れずひっそりと、美しい花が咲き誇って
いるのを発見するでしょう。その花は幸いにして今人に知られたかも知れませんが、不幸にして
人間に一度も知られる事なく、むなしく咲いては枯れる草花がどれだけ多くあったかわからないの
です。しかしこれらの草花は、人に知られるからといって美しく咲くのでもなく、人に知られない
からといってイイカゲンに咲くのでもなく、その場所に与えられた条件での最善を尽くし、せい一杯
に咲き誇っていたのであります。それはどの草花においても例外なくそうなのであります。
このような“平素の努力”があるからこそ、たまたま人に見つけられると、「ああ美しい」と感嘆され
……云々……もし彼らが「人に見られる時だけ美しく咲こう」と、平素山奥で咲いている時には怠
けてウスギタナク咲いているのであれば、それは怪物であります。そんなものはもはや「美」では
なく「醜」であり、吾々はそのような花を、とても珍重する気にはなれないのです。(一部抜粋)
==============================================

例えば…ある人は「バラの花が好き」それは、人に知られている“花…バラ”であり、ある人は
「人知れず…野に咲く花…が好き」…十人十色…ですモノ〜♫〜 今回の「WEB誌友会」にて?
お邪魔虫【SAKURA…】ですが〜〜〜【現総裁先生…擁護派…】ここでは【類の法則…】程遠い
かと〜〜〜これも「バラの花」と似ていますのでしょうかと〜〜〜?

■同じ花を見ましても「綺麗いネ〜〜」と捉えるその“心…”は、そのような似た環境かと。
つまり【環境はこころの影…】だと理解が出来まして、前以上に【類 の 法 則】にのっかり
ますには、やはり〜〜〜【自分の心を向上 = 魂の向上】更に、“奥の〜奥の〜深層部の心”を
引き出すという事かと。
【本当の自分との出会い】==>【実相の姿】に戻ることでしょうか??ミセカケの“心…”では
なく、本当の“心…”私の“心…”に宿った本来の姿が【心の現れ=実相の私=神の子の私】と、
改めて感じいりました次第です。
それは一人一人の【実相…本当の自分の姿】は異なりますから「恨みの心?憎む心?」は当然なが
ら捨て去り…このような心を捨てさえすれば「幸福…切符論」を頂けましょうかと。
かといって…そんなことぐらい〜〜〜わけないこと〜〜〜?でしょうか  (微笑)

                          つづく
PS: 今日は〜〜〜私の“独り言…”舞台〜〜の投稿に〜〜  おやすみなさいませ。
明日が…「閲覧者の皆様」に取りまして、ますますとハッピ−な一日であります事を「お祈り…」…

204るん:2013/02/16(土) 03:19:46 ID:pic01rm6
復興G様
>>したがって、「神の造った部分」と「人の造った部分」を切り分けることができない以上、「人の造った部分」は場所や時代などの条件によって変化していかなければいけない、
>と切り分けてしまうのも不適切ではないでしょうか。


a hope様
>>わたしは、これは、「(神の造った部分=真理)は不変であるが、(現象人間の雅春先生が造った部分)の教え」は
>>場所や時代などの条件によって変化していかなければいけない」ということになるのではないかと感じたのですが… 
>>どうなのでしょうか?

少しだけ、参加させて下さいね。実は、私はずっと前から思ってた事があるのです。
すっごく生意気な書き方になりますので、申し訳ないです。初めに断っておきます。

雅春先生の男尊女卑的なところが、いやでした。そういう内容が書いてある部分は読まないようにしてました。

「実相独在」や「物質無し」は、神からきた いわゆる「真理」の部分だけど、

「男尊女卑」的な部分は、明治生まれの男性の考えで、(肉体の雅春先生の考え)「普遍の真理」とは思えないです。

実は半年くらい前に・・・拝雅春先生の書かれた(男尊女卑の)すごい内容の文が紹介されていたのを見つけました。その内容は、かなりショックな内容でした。

(内容は、下品で 書けないのですが・・・ヒントはハイ、ニコ、ポンです。ちょっと下ネタ)←↑これはやっぱり「神からきた真理」だとは思えませんのです。

205るん:2013/02/16(土) 03:39:37 ID:pic01rm6
初心者様

冠詞の件ですが、

初心者様だから、やはり哲学的な見地からおっしゃっていたのですね。

しかし、哲学的見地からの冠詞のとらえた内容のものは、今も昨日も(昨日も投稿する前に、ちょっと検索してみましたのです)

見つける事ができませんでした。

初心者さまは頭がよすぎて、特に話される哲学とかが・・私には到底、太刀打ちできませんので(全然、解らない)

昨日「あっ、これ(冠詞)なら私にも初心者様に突っ込める!!」と思ったので つい調子に乗って失礼な言い方になってしまいました。

申し訳ありませんでした。許して下さい。

206るん:2013/02/16(土) 04:14:22 ID:pic01rm6
a hopeさま

お声かけて下さり、いつも気ぃ、使って頂きまして有難うございます。

英語ですが、おそらく私はあなたの足元にも及びません。

訊け様の 英語ブログですが 2回目3回目と訪問させて頂いて問題を解いたのですが

(まあ30問位あるとして、)正解は1個でした。点数、1点ですね。(*・ω・*)ポッ>こんな点数、恥ずかしくて訊け様にも言えませんワ。



ところで、>>わたしは、これは、「(神の造った部分=真理)は不変であるが、(現象人間の雅春先生が造った部分)の教え」は
>>場所や時代などの条件によって変化していかなければいけない」ということになるのではないかと感じたのですが… 


   
こう書かれてますが、雅春先生の文章の「どんな内容」が、そう思われますか?

207復興G:2013/02/16(土) 06:52:54 ID:AB6RqYXc

SAKURA様。

テキストに添って、感想を書いてくださり、ありがとうございました。

>>200
>南無阿弥陀仏と六字の名号だけをとなえておれば救われるというかと思いますと<…云々…と〜〜〜思いますに「念仏…」だけでは、救われないのです〜〜〜ョネ!これも【霊の世界…】では、以前に於きまして“投稿記載”していますが?やはり【 意識=心 】ではと、思う次第なのです。…が〜〜〜??<

親鸞聖人は、「小慈小悲もなき悪人」と(肉体の)自我を否定し、「南無阿弥陀仏」を唱えて他力にすがるしかない、ということを強調されたと思います。

生長の家では、『人生は心で支配せよ』という本もありますが、それは結局「神の心で支配せよ」ということになるのであって、谷口雅春先生も、肉体の心で人生を支配しようと努力したけれどもできなかった、ということを自伝篇にお書きになっていると思います。

榎本恵吾先生が、宇治で研修生の指導を担当しておられたときに書かれた「研修のヒント」というプリントの最初に、次のように書かれています。

     ―「研修のヒント」“はしがき”にかえて―

 これから諸君の前に、あの練成道場がよいのか、この練成道場がよいのか。あるいはまた、あの修行がよいのか、この修行がよいのか。厳しいのが良いのか、易しいのがよいのか。いろいろな人達に逢って、色々な意見を聴かされて、その判断に迫られる時があるかも知れない。これらのことは、今昔を問わず、常に偉大で真剣な先人たち、宗教家と言われる人々が直面して来た、重大で、最もいのちがけで当らなければならなかった問題であったのであり、今でもそれは少しも変ることはありません。
 老婆心ながら私の信とするところをしたためますから、参考にして下さい。

 どちらの道を選ぶかは全くのその人その人の自由でありますが、次のことだけは判然としています。
 すなわち、
 人間は修行の積み重ねによって救われるのではない。修行が出来たか出来ないかということと、救われるか否かは全く関係のないこと。このまま自分もひとも生かされていることを喜び感謝するのが神の子の生活であります。

 修行。例えば、練成を受けること。研修を受けること。神想観をすること。聖典を読むこと。愛行をすること等……は、すべて現象であって無であること。

 それらがすべて無であることが真理でなければ、「どうして全能なる神が、釈迦、キリストのように修行の出来ている人々と、修行の出来ないものとをつくったのか。どうして不完全なもの、すなわち修行をしなければ救われないものをつくったか」という疑問を解くことが出来ない。神は完全であるということは、修行の成績は無であって、本来このままで救われ切っている完全なるものだけがあるということであります。

 しかし、「このことを自覚しなかったら無いのと同じで、その自覚することに当るのが、いわゆる修行である。」と従来までの宗教では説かれていたのであります。ところが尊師谷口雅春先生は、それは方便としては一応は認めておられますが、本当は人間は神の子であって、そのままで自性円満であることを発見されたのであります。それは“自覚する”という人間の修行、努力の助けを借りずとも人間をそのまま完全に生み給うた神の発見だったのであります。
<つづく>

208復興G:2013/02/16(土) 06:53:48 ID:AB6RqYXc

<榎本恵吾先生「研修のヒント」つづき>

 自覚する、自覚しないは現象のことであって、本来“無”であります。

 自覚するというのは、おのずから覚めているということであって、「……の教えによって」とか「……の修行によって」となるとそれは自覚ではないのであって、他によって覚めさせられた他覚であります。自覚とは自ずから覚めていること。私たちは自ずから覚めている生命であるからこそ、この生長の家の真理にふれることが出来たのです。

 自覚しなければ無いのと同じであるというのは、それはお金などのような物質の場合の話であって、生命は自覚しない方が、伸び伸びと活動するのであります。心臓などは全くあることが解らないときが一番よく働いているときなのであります。これを「吾が生くるはわが力ならず」とも「吾がわざはわが為すにあらず」とも教えられているのであります。

 もしも神は、修行した人だけしかよう救わないというのであれば、殆んどの人類を救うことが出来ない力不足の神を認めることになって、“修行しなければ”というのは神を尊敬するのではなく、神を軽蔑することになります。

 そして、最も重大な問題は、
「修行しなければ……」という立場に立つと、修行の出来ていないと思う人を審かざるを得ないのであります。「あの人も出来ていない」「この人も出来ていない」そして「自分も出来ていない」ということになって「天地一切を拝む」のではなくて、「天地一切を審く」という罪を犯すことになるということであります。

 そして、「あの道場は……」「この道場は……」と道場同志が審き合うということが始るのであります。これが多くの宗派が派閥に別れた原因の一つとなっているとも考えられるのであります。

 無条件にある光り。世界に比類のないみ教えにふれている私たちが、世界に比類のない調和と、拝みと、感謝の、崇高な、安らかさに満ちた毎日毎日を与えられていることに感謝を捧げる、ただ一筋の道がここにあります。

 この心に満ちて生きているとき、私たちは神への全托の道を生きているのです。神への全托の輝きに満ちている研修生をひたすら礼拝させていただくのみであります。われらの道は“審かない道”“拝む道”であり、自分を拝みひとを拝む道であります。

 私は“修行をするな”というのではないのです。“修行をしなければ救われない”というのはもうすでに生長の家のみ教えではないということであります。むしろ、無条件に生かされていること、この身このまま光りであることを知れば研修が楽しくなるのであります。「研修のヒント」とは「楽しさへのヒント」ということであります。

 とにもかくにも、私達は先ず光りであり、すべては完全である神なる光りがするのであつて、「光りになるために」ではないということであります。

 どの師を選び、どの練成道場を選ぶかは全くの自由でありますが、どこに行くにしても、それは“光り”がそこを輝かせに行くのであること。“救われているもの”が行くのであって、“救われるため”に行くのではないということであります。

 ますます自己祝福と自己礼拝を歩まれんことを。研修生に栄えあれ!

 <以上、榎本恵吾先生「研修のヒント」より>

――私はここに、自力の修行でない称名念仏を説かれた親鸞聖人の境地に通ずるものがあるのではないかと思っています。ご参考までに。

209a hope:2013/02/16(土) 09:36:49 ID:TqpbsVIM
みなさま おはようございます。

SAKURAさま、るんさま、ご参加うれしいです。

実は、最近ちょっと子供のことで心配なことがあって、心に不安があったのです。
いつもは、そういう時は神想観をすると大体すぐに解決するのですが、今回はなかなか難しかったのです。

ですが、今朝の神想観のあと、現象にも明るい兆しが見えてきました。
本当に、神想観って、素晴らしいですね!!

ところで、昨晩のわたしは完全に現象に捉われていました。

>>191の質問内容も、不適切であったと反省しています。
>>196の復興Gさまからのお返事を、もう一度じっくり拝読して、考えてみたいです。

ですから、>>206のるんさまのご質問

>>ところで、>>わたしは、これは、「(神の造った部分=真理)は不変であるが、(現象人間の雅春先生が造った部分)の教え」は
>>場所や時代などの条件によって変化していかなければいけない」ということになるのではないかと感じたのですが… 

こう書かれてますが、雅春先生の文章の「どんな内容」が、そう思われますか?<<

も、もう少し考えさせてくださいね。

後夜祭になってしまうかもしれませんが、自分なりのお返事をさせていただくつもりでいます。


今は、みなさまの書き込みをじっくり拝見してお勉強させていただきたいです。

感謝 合掌。

210復興G:2013/02/16(土) 09:52:57 ID:AB6RqYXc

>>204 :るん様。

率直なご感想・ご意見、ありがとうございます。

>>雅春先生の男尊女卑的なところが、いやでした。そういう内容が書いてある部分は読まないようにしてました。
「実相独在」や「物質無し」は、神からきた いわゆる「真理」の部分だけど、「男尊女卑」的な部分は、明治生まれの男性の考えで、(肉体の雅春先生の考え)「普遍の真理」とは思えないです。
実は半年くらい前に・・・拝雅春先生の書かれた(男尊女卑の)すごい内容の文が紹介されていたのを見つけました。その内容は、かなりショックな内容でした。
(内容は、下品で 書けないのですが・・・ヒントはハイ、ニコ、ポンです。ちょっと下ネタ)←↑これはやっぱり「神からきた真理」だとは思えませんのです。<<

さて、谷口雅春先生が、一見「男尊女卑」的なことを強調して説かれていることは、私も承知しています。
しかし、その真意は「男尊女卑」ではなく、たいへんな女性尊重のフェミニスト、女性解放論者だったのではないか、というのが私の感想です。

というのは、思いつくだけでも『女は愛の太陽だ』『をんな生ける意義あり』『女性の幸福365章』『女の生き甲斐』『女の教養』『女の浄土』『新しい結婚』……と、「女性の幸福」に関する本は随分たくさん書かれていますが、「男性の幸福」だけについて書かれている本は一冊もありません。(だから、白鳩会の勢いが相愛会をはるかにしのぐものになっているのではないでしょうか。)

谷口雅春先生は、男性・女性を問わず、人間は肉体ではなく時空を超えた霊的存在である、本体は神そのものであると観ておられる。だから、一見「下品」と思われるような肉体の話も、突き放して何のためらいもなしに書かれているように思われます。たとえば、「久遠天上理想国実現の神示」に

 ≪『生長の家』の因縁を書き置く。『生長の家』とは人間が付けた名ではない。神がつけさせたのである。『生長の家』とはタカアマハラのことである。―に無限に生びることを『生』と言い、|に無限に長びることを『長』と言い、―と|とが十字に交叉した中心を息叉(家)と言う、―の生命と|の生命とが交叉した中心が『家』である。イヘ(エ)のヘ(エ)は交叉の形を象徴ったものである。家のことを巣と言い、住むと言う。住むと言うのは中心に集ることである。一切のものは中心に集り、中心に統一せられることによって澄む即ち浄められるのである。

 ……生長の家を、高天原と仮名付けさせたり、生長の家と仮名付けさせたが、高天原――瑞穂の国――生長の家――この三つは三位にして一体である。『生長の家』とは『長生の家』、『無量寿の家』、即ち『不滅の家』であって、実相生命の不滅の相が家系となって連綿と続く家である、日本に於ては国と家とは一体である。全世界もまた家と国とが一体であることを教えたのがイエス・キリストであって、そのために彼は人間同士を兄弟と呼ばせたのである。併し兄弟があるばかりで兄弟相争っては家は治まらぬのである。兄弟があり、家長があり、其処に統一があって始めて此の世界が浄まって生長の家となり、不滅の家となるのである。≫

とあって、そのご講義に(『秘められたる神示』より)

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 この神示にあらわれているところの『 』で包んでいない生長の家と書かれているのは、教団の名称でもなければ、雑誌の名前でもないのであります。それは「生」と「長」と「時間」と「空間」とが縦横交叉した一点の、その一点もない「中(みなか)」の世界「未発の中(みはつのちゅう)」の世界をあらわす抽象名詞なのであります。それは現象世界以前の世界――住吉世界であり極楽浄土であり、時間以前の世界なのでありますから年齢(とし)をとらない長生(ながいき)の家、無量寿の家――浦島太郎がそこに住(い)っていた間はいつまでも若かった世界――すなわち"実相の世界"であります。

 雑誌の名前や教団の名称に『生長の家』とつけられているのは、その"実相の世界"なる生長の家を説くところの雑誌であり、団体であるからで、現象界の雑誌や団体そのものが無量寿の家そのものではないのであります。『日本』という雑誌が日本のことを記事にする雑誌であっても、雑誌や発行所は日本国[そのものではなく、世界の色々の問題を取扱う雑誌が『世界』と名づけられていても、『世界』誌そのものが世界ではないようなものです。
<つづく>

211復興G:2013/02/16(土) 09:53:43 ID:AB6RqYXc

<『秘められたる神示』より、つづき>

 そのことがわかりまして、「高天原――瑞穂国――生長の家――この三つは三位にして一体である」という聖句を解釈すると本当の意味がわかるのであります。右の図解を御覧下さい。

 縦の線は「時間」をあらわします。横の線は「空間」を象徴します。時間を祖先・祖先・祖先と遡って行きますと、生命の本源たる至上者(いとたかきもの・最高者)に到達いたします。それが図解では「高」となっているのであります。生命の種子は至上者より縦に天降って来て地上に降誕し、そこで現象界に形として発芽し、それが更に縦に生(の)びるのであります。図解の縦の線に、「生」とあるのは、生命が縦に天降り、更にそれが、本源の至上者に達せんとして縦にのびることの象徴であります。

 「生」という象形文字は生命が天降って、更に縦にのびることを象どったのであります。その縦に生びるものを穗と謂います。麦の穂、稲の穂、薄の穗などすべて縦に生(の)び「萌え出でる」のであります。炎は縦に伸びて「燃え上る」のであります。だから縦の線は「火」を象徴します。火は活機さかんにして、暖かく陽性であります。だから図解には「陽」とあります。

 この世界は陽陰の結合で出来ています。縦の線は「陽」であり、男性性器も勢い旺(さか)んなれば縦に勃起します。男性の縦に対して女性は水平に横たわる。其処に陽陰の交叉が行われます。男女の肉体は、無形の陽陰の原理が象徴的にあらわれたに過ぎません。

 現象界の一切のものは、この無形の陽陰の原理が表現されているのでありまして、原子ひとつを執って考えてみましても、それは陽電気を帯電する原子核と陰電気を帯電する電子との結合から出来ており、それが更に陰陽イオンの吸引力によって複合して、複雑な分子構造にまで発展して、色々の現象界の事物を形成するに至るのであります。一個の「原子」もそれは「陰陽」の結合せる国即ち「水火(みずほ)の国」であり、「生」と「長」との原理の結合せる家、即ち「生長の家」だと謂うことができるのであります。この図解にも陽陰交叉の一点が中心になっていることを注目しておいて下さい。

 ところで、日本国は、実相世界の神なる一つの中心に統一せられている其の中心帰一秩序が最も完全にあらわれている国なのであります。神は「善人にも悪人にも平等に太陽の光熱や雨の霑(うるお)いを与え給う」筈であるのに何故、日本国を特に御守護せられるかと申しますと、それは決して依怙贔屓(えこひいき)ではなく、神の宇宙創造の根本構図であるところの、一切のものには、極微の原子から極大の太陽系統に至るまで、変ることなき中心があるということであります。

 人体を構成する細胞にも、その一つ一つに変ることなき中心なる"細胞核"があるのであります。細胞核が崩壊したらその細胞は死滅しますし、原子の中心なる原子核が崩壊したら原子そのものが崩壊してしまい、太陽なる中心が途中で消滅するか破壊するかしてしまえば太陽系統そのものが崩壊してしまうのと同じであります。樹木にも変らざる中心なる幹があります。中心なる幹が枯れればその樹木全体が枯れてしまうのであります。人体にも脳・脊髄なる「変らざる中心」があり、脳・脊髄を取換えることは出来ないし、若し今後外科医術が発達して脳髄や脊髄を取換える手術が出来るようになったとしてもそれを取換えたら恐らく、以前の人間とは別の人間になってしまうでしょう。……(後略。『秘められたる神示』より)

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 とあります。
 このご講義の中にも、「男性性器も……」というような表現もありますが、それが下品だなどと思う人はいないでしょう。

 古事記神話のイザナギ・イザナミの結びの物語にも、セックスのような表現がありますが、それは卑猥だなどとは思われず、日本人はそれを「神典」として来ました。そこに宇宙の真理があらわれているからでしょう。

 ……ということで、納得されませんか?

212SAKURA:2013/02/16(土) 12:55:44 ID:1qAvVM.I
復興G様 へ  観覧者の皆様 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203 SAKURA投稿の続きです…。

■「復興G様」からの“お返事”を頂きました事に…感謝申し上げます。 
尚、下記は、頂きました“お返事…>>207の投稿”中からの一部抜粋投稿せて頂きましたモノです。

===【抜 粋 投 稿 文】================================
>それらがすべて無であることが真理でなければ、「どうして全能なる神が、釈迦、キリストのよ
うに修行の出来ている人々と、修行の出来ないものとをつくったのか。どうして不完全なもの、す
なわち修行をしなければ救われないものをつくったか」という疑問を解くことが出来ない。神は完
全であるということは、修行の成績は無であって、本来このままで救われ切っている完全なるもの
だけがあるということであります。<   (一部抜粋)
==============================================

「修行の成績は無であって、本来このままで救われ切っている完全なるモノ…云々…」此処の解釈は
如何なモノでしょうか〜〜〜と一人で考えておりますと
私の捉え方としましては【自我…我】を棄て去る…つまり【無我…】にして初めて、
「全脳なる親さまなる神が、わたくしのすべてのことを見守り下さいますモノと…そして私は
神様にすべてをまかせることとなり、当然ながら心も平和になるモノかと。それは必ずや……
成就するのである」という事なのでしょうかと〜〜〜♫
しかしながら…今の私は「我…無我」という心の修行が、まだまだ〜〜〜><でしょうかと。

それに「修行…」という“言葉からのイメ−ジ”は、どうしても個人的な解釈になりますが……
よく言いますところの修験道的(山伏)なるイメ−ジが個人的にはもたげてしまいますでしょうか?
…山に立てこもり…云々…このような感が致しますかと。
それよりも「雅春先生…神想観=瞑想」によりまして…『神様…とは〜〜〜?』
活ける愛の神・生命の神・智慧の神・美の神…云々…このように「甘露の法雨」の中にも…
そして「神との一体」を深めてまいりまして…これは「神の子なる自覚意識」に入ることとなり…
【実相世界…】への“鍵”を頂いていますモノと、個人的な捉え方に到りましたのですが…。

今回「雅春先生…」の色々なる視点での“解釈…”を改めて知ることが出来ました事に…
感謝いたします。それと共に「テキスト…教材」として取り上げて頂きました「復興G様」へ
感謝申し上げます…。

引き続き…「頂きましたテキスト…」からの閲覧にての感想を順次投稿させて頂きます。
                                   
                               再合掌

213トキ:2013/02/16(土) 15:15:28 ID:9wlISb0c
 組織にいる人間から見ると、今の生長の家は、白鳩会のほうが断然、大きな態度ですから、男性は小さくなっています(笑)
という冗談はさておき、本題に入ります。

 生命の実相の女性教育編などを拝読すると、谷口雅春先生は実に女性をほめておられます。普通の宗教が男尊女卑だった時代に
女性も同じく神の子である、と言い切られたのは実に素晴らし事です。例えば、女性解放運動の指導者だった平塚らいてふさんも
生長の家を褒めておられます。実際、青踏社の人には、平塚さんに勧められて信徒になった人もいるみたいです。

 逆に市川房枝さんなどは、生長の家には冷たかったと聞きます。

 調べてみると、平塚さんは禅を若い頃からされておられ、宗教心があったみたいです。本当に女性の幸せを祈る人は、生長の家の
素晴らしさが分かるのではないか、と思っています。

214SAKURA:2013/02/16(土) 15:44:47 ID:1qAvVM.I
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212 SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ(2―3) 】からなのですが……
>>179の「復興G様」の投稿から……

===【投稿文】======================================
>そこでわれわれはバラの花の美を感ずる。しかし同じバラの花の美を感ずるにしましても、
それを感ずるわれわれの心のうちに宿っているところの「美」がどの程度まで開発されている
かによって、美の感じかたにも、深さがいろいろあるのであります。<  (一部抜粋)
==============================================

■そのように“心の深さ=魂の高さ”によるものと思うのです。…が?では“魂の高さ”を、
より高く〜高く〜高度にするには〜〜〜もちろんです〜〜ョネ!【真理の勉強…】
つまり、一つは【WEB誌友会…】での意見・捉え方の相違点はありましょうとも…お互いに
意見交換にての“真理を掴む”ということでしょうか〜〜〜

そういえば【別板…】で見ますと『肉体年齢??』と投稿された方がいました。…が?
「雅春先生」も【肉体もすべて、心で!決まる。つまり“精神統一に繋がる”事で……】なのでは
と、思います。「亡き母」を思い出しますと“91歳…”で他界しましたが、思い出しますと、
“89歳”までは、顔の変化もなく、その後「老人ホ−ム」に入ってからでしょうか……??
次第に“老化現象”が第三者的に見ましても、少し出始めた感が致します。…が?
それでも私たちが「老人ホ−ム」を訪ねますと、次第にお互いの会話から「亡き母」の表情が“89歳”
以前のもとの顔を、のぞかせるようになりました。…が?

                         つづく

215SAKURA:2013/02/16(土) 15:48:23 ID:1qAvVM.I
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214 SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ(2―3) 】からなのですが……
>>179の「復興G様」の投稿から……

>>214投稿の続きです…。
■やはり「心…が顔に現れる」という事を、その当時、自覚しました。…が?このように
「肉体は、仮モノ」です〜〜〜ョネ!「現象=現実…」で、その人の姿・形としての年齢を見ますと、
老化なのでしょうか?年齢制限で見てるのでしょうか?その人自身が「老化現象…」が、かなり肉体
的に顕れているので、相手に対して「にくじ事…」を言われているのではと〜〜〜?感じた次第です。

■ 別板の中の【掲示板・運営/方針 板】==========================

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1346745644/874 志恩様の投稿
↓     ↓     ↓     ↓
874 :神の子様:2013/02/16(土) 12:40:49
>>861 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1346745644/861 
還暦もすぎた70歳(女性)の書き込みだって。
キモチワル 。。。
↓     ↓     ↓     ↓     
875 名前:神の子様 投稿日: 2013/02/16(土) 13:18:18
>>862
それは肉体の年でしょうが                  (一部抜粋)
=============================================

■■≪・・・???≫このよな“会話投稿”を閲覧しまして「精神年齢の幼稚さ」で“ビックリ”
です。この様に【外ばかり求める〜〜〜肉体ばかり求める方達は〜〜〜しかも本人達の年齢も?】

思いますに「投稿の会話…」では“70歳…”と聞いただけで「もう老化と断定!」して……
「気持ち悪いとか?」此の言葉は、ここに登場する事が気持ちが悪い〜〜〜?とも受け止められ、
此の人の“偏見なる見方”は、余りにも幼稚な見方で、全てが『現象的=現実的』にみて、本当に
『心貧しきモノ』という感が致した次第です。…が?このように“投稿された人物こそ”が、
今!時代の流れのピ−クでしょうか【整形のしすぎ…】であるのでしょうかと。本人自身が尚の事
“老化現象”が激しいのでしょう〜〜〜ネ!!

同じ老化でも……“綺麗〜ネと見える方”…更に同じ“70代…でも老けているネと見られる方”…
ここが「ポイント…」ではないでしょうか??「亡き母」は“89歳”までは肉体的には(顔)の
年齢が見受けられませんでした。肉体的に“老けて見られる方”は【現象論】ばかり見つめすぎて、
綺麗に見せる心の“美の開発”されていないのですかと。
先ず【実 相 を 見 る】には、それは何度も言います様に“種をまく”やがて“芽が出て来ます”

この様に『バラの花が綺麗ね〜〜〜』と云われるように〜〜〜
“心に種をまく”・・・それは【祈り…祈り…】で潜在意識の奥底の心を、引き出す事ではないでし
ょうか???最近は、確かに、現象的に「身近な…整形にての変身術」があります。…が?
『パット花…』になる事は『散るのも早い整形…かと』それよりも
『心を見つめて知識・智慧を磨く…さらに“神地一体!”…これは“祈り…”』にてと思いました。
                        つづく

216SAKURA:2013/02/16(土) 15:59:04 ID:1qAvVM.I
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215 SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ (2―4) 】からなのですが……

では次に私の「亡き母」と同じ年齢の方ですが『犬養道子さんの画像』を見られたら、如何に…・
『宗教は精神と意識に繋がること……』だと思いましたので、この場にて張り付けさせて頂きます。

■犬養道子さんの写真画像ですが(2007年)の頃ですが???
http://www.inukai-kikin.jp/2007report.htm  ≪ 素敵な画像〜♫ ≫

■キリスト教特別講演会開催 (2004)年ころですが???
http://www.rakuno.ac.jp/news/200412/news28.html 

尚!現在は「老人ホ−ム」に在中との事ですが??

===【素敵なブログ… 転載記事 】============================
母はとある老人ホームに入っている。そこには、聖書の研究家として有名な犬養道子さんが
住んでおられる。ひょんなきっかけから、犬養さんを母が教会へ行くとき、母の運転する車に
おのせすることとなった。父のお別れ会のときも、ご高齢で歩くのがやっとなのに、犬養さんは
来てくださった。私は、子どものころから、聖書を読む習慣がある。洗礼は受けていない。ここ
数年、うつがひどかったせいもあり、しばらく聖書を読んでいなかった。父が亡くなって、また
読みたいと思ったが、愛用の聖書がみつからない。そこで、どうせ買うなら、英語版、しかも口
語体でなるべく易しいものを探したいと思った。どう探してよいかわからなかったので、母から
犬養さんに聞いてもらった。すると、突然、母のところに犬養さんから、さしあげます、と一冊の
聖書が届いた。それは以下のものである。私がいただき、読ませていただくことにした。

http://plaza.rakuten.co.jp/olive3518/diary/?ctgy=5 

                       つづく

217るん:2013/02/16(土) 16:03:41 ID:pic01rm6
復興Gさま

お返事を頂きまして、(それも長文)本当に本当に有難うございます。

本当にそうですね、「男性の幸福365章」なんて本はないですね。

復興G様の書いてくださいました文を何回も読みました。そしてその返信を今書いてますが

何回も書いては消し、の繰り返しで もう何十分もたってしまってます。うまく書けないのですが・・

私はそれでもやっぱり雅春先生は、男尊女卑的なところが無い。とは思えないのです。

『夫にぜったいハイ。』とか・・・・私は結婚したとしてもそんな事、出来そうにありません。

我を通すのは良いことだとは思えませんが、それは男女ともに言えることで、女性だけにそれを強いるのは違うと思いますのです。

ストレスがたまって、病気になってしまいそうです。

ちょっと、今思い出したのですが、生命の実相の何巻かに宮さんて方(女性の方)のエピソードが載ってありました。

「宮さんの夫様の入れ歯をお手伝いさんが謝って割ってしまった」事に関する宮さんの心の反省?(どんな心の影か?)みたいな事が書いてあるのですが、

(割れたのは)お手伝いさんと宮さんの心の影のように書いてらっしゃるのですが、それを初めて読んだ時、私は中学生でしたが「入れ歯みたいな自分の口の中に入れてる物を、

お手伝いさんや奥さんに洗わせて自分で洗わないことこそがおかしい。割れた原因は、むしろそんな夫さんの心の影だ。そんな気持ちでいる限りまた、割れる!」と思いました。

しかしそのことを本人さんだけでなく宮さんもお手伝いさんも誰も疑問に思わず「当たり前」としているところが、そして普通にエピソードとして載っていることが、私的には「びっくり」でした。

あっ、私の先のコメントで「内容がびっくりした。」と書きましたがその内容が載ってるブログを見つけました。私が見たのは「ここ」ではないのですが

同じ事が書いてありますのでここでもいいと思いますので、(もう知ってらっしゃる所かもしれませんが)よかったら見てください。

私が先に書いた宮さんのエピソード内容もここの内容もかなり時代錯誤だと思います。という事は「不変の、普遍の真理では無い」という事ではないですか?

明治生まれの雅春先生の人間の部分が、書かれたんではないでしょうか?

http://seichou5.seesaa.net/article/5278901.html  ←ここです。

http://seichou5.seesaa.net/article/4672695.html  ←ここも同じところですが・・

ちょっとこれから出かけます。

218SAKURA:2013/02/16(土) 16:08:24 ID:1qAvVM.I
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216 SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ (2―4) 】からなのですが……

>>216投稿の続きです…。
■おなじ老人ホームの在中の方の娘さんのプログですが、そこで犬養さんから頂いた本の抜粋です。
つくづく聖典をよんで行くことでしょうか??心にス〜〜ト入りましたが??如何でしょうか??
「下ネタでかわす言葉」より「後でいい余韻を残す言葉」は、永遠性です〜〜〜ョネ〜〜〜

The New Jerusalem Bible Reader's Editin
DOUBLEDAY ISBN:0-385-24833-4

今、この中で、愛するものが亡くなった時に読む言葉を読んでいる。
それは以下のものである。

THE NEW TESTMENT より
Blessed are those who moun:
they shall be comforted.
(MATTEW CHAPTER 5 - 4)
P.1152

悲しむ者は幸いです。
その人は慰められるからです。
(マタイの福音書 5章 第4節)

Blessed be the God and Father of our Lord Jesus Christ,the mercifull Father and the God
who gives evry possible encouragement;
he supports us in every hardship,so that we are able to come to the support of others,in every
hardship of theirs because of the encouragement that we ourselves receive from God.
(2 ORINTHIANS THE SECOND LETTER OF PAUL TO THE CHURCH AT CORINTH
INTRODUCTION
Address and greetings.Thanksgiving 3,4)
P.1339

私達の主イエス・キリストの父なる神、慈悲の神、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
神はどのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私達も、自分自身が神か
ら受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
(コリント人への手紙第2 第1章 第3節、4節)

=====================================================
■上記は抜粋投稿させて頂きました…。
やはり「魂を磨く…向上」する事は、改めて素晴らし〜〜イ!此の「WEB誌友会」でのテキストに
より、各個人の方々の捉え方を閲覧・自分自身なりに考え直す機会を頂きます事は…感謝!です…。
そして
「復興G様」「トキ様」「a hope様」「るん様」と共に参加させて頂く機会を得ました事に
“感謝の念”を〜
                                つづく

219復興G:2013/02/16(土) 16:17:24 ID:AB6RqYXc

>>210>>211に、
『秘められたる神示』より「久遠天上理想国実現の神示」のご講義の一部を謹写させていただきましたが、その続きにも大切なすばらしいご教示がありますので、ぜひ皆様とともに拝読し噛みしめて、生長の家出現の世界的使命・神意を確認し合いたいと思い、ここに慎んで掲示させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

<『秘められたる神示』より「久遠天上理想国実現の神示」ご講義(>>210のつづき)>

 ……即ち以前の人間は、脳髄なる不変の中心が変ることによって、もう存在しなくなるのであります。物体にしても、すべての物には、それがバランスを得るための力学的中心があるのであります。力学的中心の存在しないものは此の世に無いのであります。若し一時的に有ってもそれは安定しないで、倒れるのであります。

 このように一切の存在には変らざる中心がありますのに、"国家"なるものだけは、日本国のみがその帰一の中心として皇統連綿不変なる天皇を持続しているのであって、他の諸国の中心は常に弱肉強食禅定放伐、纂奪交替をほしいままにしており、変化常なき状態であります。
 このような諸外国の、常に"帰一の中心"の交替する状態は、実相世界の久遠常住の秩序があらわれているとは言えないのであります。このように世界に中心が沢山あり、その主権を互いに利己主義的に主張する限りに於ては、世界に戦争は絶えないのは当然のことであります。

 だから、現象世界に実相世界の調和ある秩序が影を映して、永久平和の全世界が実現するためには、

「生滅常なき現実世界が変じて久遠実相世界の常住性を顕現するには、常住性ある国がひろがりて常住性なき国を包みて、十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界としなければならぬ。」

 と、神示は教えているのであります。「常住性ある国」とは、神武建国以来一度も天皇なる中心が廃れたことのない国のことであると私は考えます。

 さて、日本の皇室の御紋章の十六菊の説明がその次に書かれているのであります。即ち「十六菊と云うのは光が十六方位にひろがりて、十六方位の国ことごとくを中心に統一せることを象徴(かたちど)ったものである」と説明されております。

 これは菊花の御紋章が何故、その花弁が十六枚にしてあるのか、何故その図形に○が中心になっているのか、何故その○に十六方向の線が中心帰一しているのかの説明であります。「常住性ある国がひろがりて常住性なき国を包みて」とありますから、何だか「常住性ある日本国が、世界各国を併合したり征服したりする」かの如く誤解を受けるおそれがありますが、そのように誤解してはならないと私は考えます。

 それは「武力で包む」のでも征服するのでもなく、「光が十六方位にひろがりて」とありますから、「武力がひろがる」のではなく、自然と天皇の御徳の光がひろがりて、全世界の国々が自由意志で会議の上、永久平和の世界をつくるには世界連邦をつくるより仕方がないと考えるとき、そうすれば、世界連邦も唯、連邦になったままで、各国、自分の好き候を主張しているのでは世界連邦以前と同じだから、連邦をつくる以上連邦政府の中央主権を象徴する神聖な何かがなければならない。

 しかし世界各国を見渡してもどこの国にもそのような神聖なる連邦政府の主権を象徴するような方はいない。どうしても、そのような「神聖な中心」を求むれば、日本天皇にそれを求めなければならないのであります。

 「光が十六方位にひろがりて」は天皇の御徳の光があらゆる方角にひろがり聞えることであって、「十六菊」とは「十六聞く」にほかならないのであり、「世界連邦の中心主権の象徴としては、どうしても日本天皇になって戴くより外は仕方がございません」と世界各国から推戴して来る時期が来ることが此処に暗示されているのでありますまいか。
<つづく>

220復興G:2013/02/16(土) 16:18:04 ID:AB6RqYXc

<『秘められたる神示』より「久遠天上理想国実現の神示」ご講義(>>210のつづき)>

 もっとも神示に内在する深い意味は、私たちが勝手に推し測るとトンでもない間違をすることがあるので、唯これは私だけの私解釈であります。しかし世界最高の知性だと称(い)われている相対性原理の発見者たる最高の科学者にして哲学者なるアインシュタイン博士も、私の解釈に似たような意見を次のように述べているのであります。

 「世界の未来は進むだけ進み、その間幾度びも争いは繰り返され、最後に戦さに疲れる時がくる。その時人類は必ず誠の平和を求めて世界的盟主をあげねばならぬ時が来る。この世界盟主なるものは、武力や金の力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた最も古く又尊い家柄でなくてはならぬ。
 世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならぬ。吾々は神に感謝する。天が吾々に日本という尊い国を作って置いてくれたことを。」

 このように世界最高の知性も十六菊の家が世界連邦の中央に輝かなければならないことを説いているのであります。

 その十六の数は一六でありその数字を合すると七つと成り、『創世記』にあらわれたる世界完成の数なのであります。だからその十六菊によって世界はその調和ある結合を完成しなければならぬと私は考えます。
 ここにある"七つの燈台"とは世界完成の"世を照らす光"であると考えます。
 アインシュタインをして言わしむればその「完成(ななつ)の光」が中央にあって、世界盟主として立つところの現象世界があらわれれば、それは久遠実相の世界の高天原――瑞穗の国――陽陰和合して中心ある家――生長の家が地上に涌出したということになるのであります。

 この理想世界は地上に創造されたり、人為によって創作されたりするのではなく、涌出するのであります。「涌出」というのは、既に埋藏され秘されてあるものが、見える世界に湧き出ることであります。『黙示録』にある

 「われ新しき天と地とを見たり……新しきイエルサレムの新郎(はなむこ)のために飾りたる新婦(はなよめ)のごとく準備(そなえ)して、神の許(もと)をいで、天より降るを見たり」

とあるように、実相世界に既にあるものが現象世界に影を映すのであります。しかしまだ現象界にクッキリと影をうつすほどに太陽は高く昇っていない。日本の国威も信用もそんなに高く昇っていない。「太陽はまだ昇り始めたばかりである」と神は仰せられているのであります。……(後略)

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

――今月のテキストは「神への道しるべ」という章でありますが、生長の家の大神は何のために谷口雅春先生を通してこの人類光明化運動を始められたのかを再確認いたしたく、上記神示ご講義を謹写掲載させていただきました。
 なお、つづいて関連する『光明道中記』の御文章を謹写掲示させて頂きます。

221復興G:2013/02/16(土) 16:18:42 ID:AB6RqYXc

<『光明道中記』より>

   一月二十三日 寒菊競い開く日

  十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするが日本の使命である。(『秘められたる神示――神示講義〈秘の巻〉』「久遠天上理想国実現の神示」)

 全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇(はっこういう)の建国の理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。

 理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。何故そう云う名称を附したかと言えば、生は縦に無限に生(の)びることを現し、長は横に長(の)びることを現すからである。縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇(スメラミコト)の御天職である。

 此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。全世界は天皇に於て一宇(ひとつのいえ)である。万国の民にそれを告げ知らせる東道(みちしるべ)の役目を以て出現したのが吾々の団体である。

 病気が治り運命がよくなり、万事に成功すると云うが如きはただ副作用に過ぎない。天地の真理、すべてが生長する真理に随順して生きる時、真理の中には病気不幸は存在しないが故に、病気不幸が消えるのは当然のことである。病気不幸が起るには何か真理に離れたことがある。省みて真理に載るものは幸である。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ありがとうございます。合掌

222復興G:2013/02/16(土) 18:55:04 ID:AB6RqYXc

>>217 :るん様

>>その内容が載ってるブログを見つけました<<

その<「21世紀生長の家研究会」のブログ>、初めて見ました。

これは本当に“下品な”、女性蔑視の俗語で書かれてますね。でも、下品な表現は、谷口雅春先生が書かれた御文章でないことはおわかりですよね。
(←は当研究会のコメントです)
と注釈してある“当研究会のコメント”部分に下品な俗語が書かれているだけですからね。

「21世紀生長の家研究会」というのは、生命の実相哲学なんかわからない、下品な野次馬さんのブログのようですから、そんなものに惑わされることなく、私たちは本物の真理を求め学んでまいりましょう。

この地上に、神は人間を男と女とにつくられた。

せっかく男と生まれ、あるいは女と生まれたのに、男だか女だかわからないような、どっちでもいいような生き方より、男は男らしく男の天分を生かし、女は女らしく女の天分を生かした生き方をする方が、生き甲斐があるような気がしますが、そうではないでしょうか。

これは、谷口雅春先生が言われるから――とかではなく、私自身の思いなのですが……。

223復興G:2013/02/16(土) 19:12:28 ID:AB6RqYXc

あ、それから、私も>>220で謹写させていただいた、谷口雅春先生の引用されているアインシュタインの言葉について、

<「アインシュタインの予言」として知られている言葉は元来、アインシュタインのものでもシュタインのものでもなかった。国体思想家・田中智学のものであった」>

という説があることを、上のブログで初めて知りました。
(谷口雅宣先生のブログで取り上げられていたそうですが、見逃していました)

まあ、しかし
「吾々は神に感謝する。天が吾々に日本という尊い国を作って置いてくれたことを。」
というアインシュタインの言葉はなかったとしても、「久遠天上理想国実現の神示」は神示ですから、これを深く受け止めて、神意実現の使命に邁進すべきことに変わりはあり得ませんね。

224a hope:2013/02/16(土) 19:36:06 ID:TqpbsVIM
みなさま

この掲示板でわたしが一言、発言するたびに、初心者さまとさくらさまがすごい勢いでわたしの批判をされます。

また、復興Gさまがわたしの投稿文を再掲載しても、お二人は同じことをされます。
これ以上、復興Gさまやトキさまにご迷惑をおかけすることはできません。

わたしごときの発言に、お二人がどうしてそのような反応をされるのか、今は理解できませんが、
すべての現象はわたしの心の影ですので、反省のためしばらく自粛させていただきたいと思います。

初心者さまとさくらさまをそんなにも怒らせてしまったことを、心からお詫びいたします。


復興Gさま トキさま 

しばらく、発言は控えますが、 a hopeは今回もしっかりお勉強させていただきます。
引き続き、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

225トキ:2013/02/16(土) 19:57:56 ID:9wlISb0c
>>224

a hope様

 ご投稿、ありがとうございます。

その点は気にされずに、ご投稿をお願いします。全然、迷惑になっていません。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

226SAKURA:2013/02/16(土) 21:08:47 ID:1meWUCC2
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「a hope様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218 SAKURA投稿の続きです…。

>>224「a hope様」の投稿に関しまして…(横スレにて……失礼とは思いましたが…… )

>この掲示板でわたしが一言、発言するたびに、初心者さまとさくらさまがすごい勢いでわたしの
批判をされます。<   (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■せっかく「真理…勉強」にて【魂の向上…】をなさっていらっしゃいます「a hope様」ですから、
第三者の言葉に惑わされずに…(如何なる中傷・非難の言葉)…etcであろうとも、
【神様と一体】…神様にすがる〜〜「自己意識を強く!」持たれた方が宜しいかと…思いますが?

個人的には、随分と私【SAKURAもタタカレ】ました。そして、これは「魂の成長する過程」と!
痛切に【魂の向上…】をとの思いが…今振り返りますと致します。…が?

❤Blessed be the God and Father of our Lord Jesus Christ,the mercifull Father and the God
who gives evry possible encouragement;
he supports us in every hardship,so that we are able to come to the support of others,in
every hardship of theirs because of the encouragement that we ourselves receive from God.
(2 ORINTHIANS THE SECOND LETTER OF PAUL TO THE CHURCH AT CORINTH
INTRODUCTION
Address and greetings.Thanksgiving 3,4)
P.1339

❤私達の主イエス・キリストの父なる神、慈悲の神、すべての慰めの神がほめたたえられますよう
に。神はどのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私達も、自分
自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
(コリント人への手紙第2 第1章 第3節、4節)
                               再合掌

PS:
「a hope様」の投稿を楽しみに閲覧されていらっしゃいる方が、いらっしゃいますモノと…
思います。…が?

227復興G:2013/02/16(土) 21:19:30 ID:AB6RqYXc

>>217 :るん様
>>我を通すのは良いことだとは思えませんが、それは男女ともに言えることで、女性だけにそれを強いるのは違うと思いますのです。
ストレスがたまって、病気になってしまいそうです。<<

生長の家は、人間解放の宗教であって、女性に何かを強いるなんてことはありませんよ。
妻は夫に「ハイ」と従わなくてはならない、ということに縛りを感じている人には、榎本恵吾先生はよく「ご主人を蹴っ飛ばしたっていいんですよ。ご主人は自分だ、と思えばわがままも言えるし、神様なら甘えてもいいんですよ」というようなことを言っておられましたね。

228復興G:2013/02/16(土) 21:33:06 ID:AB6RqYXc

a hope様
皆々さま

困ったときには、神様を呼びましょう。
神は遠くにいらっしゃるのではなくて、私たちの内にいらっしゃるのですから。

何があっても、大丈夫です。

「堅信歌」を歌いましょう。

一、われは聴くわが内なる声を
  “みひかりを常にもとめて
  わが御手をしかと握れよ
  安らなれすべて善ければ
  とこしえに此処極楽に
  なれは今まもられてあり。
  何者か汝を奪わん。
  大いなる我れ汝を抱けば。”

二、われは聴くわが内なる声を
  “われ常に汝をまもれば、
  われ常に汝を導けば、
  何時のとき何処にあるも、
  汝は完たく清くけがれず、
  行く道に迷うことなし。
  われは汝の内なる神ぞ
  わが護り常に完たし。”

ありがとうございます。

229rei:2013/02/16(土) 21:33:29 ID:bo95azFI

a hope様

私はあなたの投稿楽しみに見ておりますよ。
真理を生きようとされて「愛してます」と、一生懸命書き込まれてるのがわかります。
私のココロと通ずる部分もあります。
私は読むのと書き込むのに時間がかかりすぎるので、あなた様が書き込んでくださると大変助かります。

合掌

232復興G:2013/02/16(土) 21:49:33 ID:AB6RqYXc

さて、少し私の勉強しながら考えていることを書き込ませて頂きましょう。

 (テキストp.142から)
 ≪それでは現代人は何によって神の実在(おられること)を知ることができるのでしょうか。わたしの考えではわれわれが神を知ることができるのは、われわれおのおのの内に神と同じものがあるからであります。≫

――創造の神、本源の神は、時空(次元)をも創造し給うた無限絶対者である。その絶対者なる神の具現が、わが生命なのである。だから、わが内に無限が宿っている。だから、われわれは無限絶対なる神の実在を知ることができるのである。

 (テキストp.148から)
 ≪外形は五尺ばかりの有限な肉体でありながら、われわれがこのように「無限」の美を追求しなければどうしても完全に安心ができないというのは、われわれの内部には「無限性」が宿っていて、その「無限性」の開顕を内部から要求してやまないからであります。≫

――肉体には誕生日があり、「ご臨終です」という時が来る。
しかし、本体は不生不滅――いや、「本来生・不滅」――というのは、生命の本体は時空の中に生まれてきたのではなく、時空を生み出したものだということ。だから、人間の本体は生まれたこともなく死ぬこともないのである。

 (テキストp.139から)
 ≪哲学的には神とは「大生命」だ生命の大本源だ、といってしまえばなんでもないようなものの、神とは必ずしもそんな抽象的なものではなく、活ける愛の神、生命の神、知恵の神、美の神であって、それを見る目さえあれば、人と人とが相対するように、人格的にさえもあらわれたまうのであります。キリストの神がそうであった。旧約の預言者にあらわれた神がそうであった。そのほかいろいろの宗教の開祖たちには神さまのみ声を直接にお聞きになった方が多いのであります。
 「われ神を見、神より聞きしところをなんじらに伝う」そこにこそ真の宗教の教祖たる権威があるのであります。≫

――谷口清超先生作詞の聖歌「ああ わが神よ」を歌いたくなります。

233復興G:2013/02/16(土) 21:55:36 ID:AB6RqYXc

なお、もう少しテキストの続きを謹写させて頂きましょう。

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章より<5>

 以上の説明によってわれわれがみんな神の子であり、われわれのうちには無限者を宿していることがおわかりになったことだと思います。

 「無限者」なる神は絶対であって一つであります。この点はキリスト教で説くところが真実であります。

 ところが日本には「八百万の神々」といいまして無数の神々がある、仏教でも護法の神として、持国天(じこくてん)だの、毘沙門天(びしゃもんてん)だの、帝釈天(たいしゃくてん)だのといって多数の神々があります。一つの「無限者(かみさま)」のみを説くキリスト教徒にはいろいろの神々を説く教えが迷信だと思えるのも無理がないのであります。誰でもこの一神か多神かの問題にはつまずきがちであります。そこで神を知るには一神か多神かの問題をまず解決してかからなければならないのであります。

 この一神か多神かの問題を解決するには「神」という言葉の意味をはっきりさせておかなければ混同するのであります。

 日本語でカミと申しますのは、第一に創造神のことをカミと申すのであります。この語源は「醸(か)む」といって「上」と「下」とが和合すること、天と地とが結び合うこと、陰と陽とが触れ合うことによって事物を生み出す愛の働きをいうのであります。歯で噛むということも上下相会するという同じ語源からきたのであります。
 ありとあらゆるものを陰と陽との和合、すなわち愛のはたらきによって造り出し給う霊妙なる「創造の原理神」が第一義のカミであります。

 第二に、われわれがカミと申しますのは「輝く身」すなわち一つの発光身をいうのであります。
 一燈園などでは「お光り」といっています。
 仏教では「不可思議光」といったり「無礙光如来(むげこうにょらい)」といったりしています。
 キリスト教では『創世記』に「神、光あれといい給いければすなわち光ありき」と書いてあるのがそれであります。
 この神は本来それは真如法身(しんにょほっしん=観自在原理)そのものであって相(かたち)がないのであります。ただ救うてくださいと呼ぶ者があるので、真如界から救いの求めに応じて発光身となって観世音菩薩のごとく機に応じていろいろの姿に顕現せられる如来であります。
 キリスト教でいうエンゼル(天使)の多くはこれで、唯一根元神から投げかけられた「救いの霊波」が形体化して顕現したものであります。
 みなさまが霊眼に同時に御覧になった「生長の家の神さま」もこの「救いの霊波」が形体化して顕現したものであります。

 いずれも元は一つ、そのお働きによって名前が違う。
 たとえば観自在菩薩というのは観察自在のお働きをして衆生を教化(きょうげ)になるので、そうお名前を申し上げ、阿弥陀如来というのはアミダすなわち無量寿無量光の働きとあらわれ、死後までも衆生を摂取し給うからそう申し上げ、天照大御神と申し上げるのは「渾珠(あま)」すなわち「宇宙」を、限りなく遍照し給い一切のものをはぐくみ育てたまう働きとなって顕われていたまうからそう申し上げ、「生長の家の神」というのは、狭義においては家々、家庭家庭を生長さす一つのおはたらきであり、広義においては「宇宙(いえ)」全体に満ちみちている普遍的真理を世界に宣布し給う救済力として顕現になっているから、そう申し上げる。

 神そのものの本質本体からいえば一つでありますが、その救いの働き(すなわち霊波の種類)からいえば異なるわけでありまして、霊波が異(ちが)うから霊眼で見てもお姿が異なるわけであります。

 ちょうどそれはもとは一つの太陽光線でも、プリズムで光を分散させて見れば七色にも八色にもなり、そのおのおのの光波は別々の作用を人体に及ぼすようなものであります。

 第三にわれわれがカミと申しますのは幽(かく)り身の略称であります。すなわち肉眼で見える体(たい)を備えてはいないけれど、体(たい)がないのではなく幽微(かすか〉な身を備えているのであります。
 この階級の神の種類は千差万別であって、低きものにはまだ悟りを開かない人間の亡霊や動物霊などがあり、高きものにはズッと高い神界に住む神格を得た人霊があるのであります。
 仏説ではこの世で善因を積んだものは「天」に生まれると申しますが、この諸天にいます神々はすべてこの幽り身に属する神々であります。
<つづく>

234復興G:2013/02/16(土) 21:56:30 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章より<6>

 まだ詳しくいえば日本語の神という言葉を語源的に解釈しますと、いろいろの意義を包含しているのでありますが、まあだいたいふつうはこの三種のカミをいうのであります。
 そして神が一つだと主張する人は、神という言葉で宇宙の創造者としての唯一つの神を指していわれるのでありますから唯一つということに決してまちがいがないのであります。
 そして神は多神だと主張する人は救いの化身たる第二類以下の神々を含めていわれるのでありますから、これもまちがいがないのであります。同じ言葉で別々のものを指して、互いに「一神」だ「多神」だと論争していても結局解決のはてしがないのであります。

 さてこのように神は一神であるとともに、時と所と人とに応じて、場所しだい、時代しだい、救われる相手しだいで、そのあらわれ方が千差万別してくるのでありまして、時代により、そこに住んでいる人間の発達程度に応じて、いろいろに変化して現われ給うて人をお救いになるのであります。「一神教」のキリスト教にあらわれた神でも、旧約にあらわれた神エホバのある部分は怒りの神、復讐の神、嫉みの神、国粋論者の神であって、ほかの神を拝んではならぬ、イスラエルの国はぜひともユダヤ人に回復させねばならぬなどと非常に執着の強い狭いことをいっているのでありますが、新約の神になってくると、ズッと大きな地方色のない広い神になってきています。「心の清きものは、神を見ることを得ん」とか、「神の国はここに見よかしこに見よというべき性質のものではない。なんじらの心のうちにあるのだ」とか非常に普遍的な大きなものになっているのであります。ある新興宗教の神論というのを読んでみても「神は叱ったり、すかしたりして人間を改心させねばならぬからなかなか骨が折れるのであるぞよ」などとあって、一つの神でも救いのために、いろいろの相(すがた)であらわれる必要のあることを説いてあるのであります。そこであらわれから見れば多神、もとから見れば一神ということになるのであります。

 そこでこの神と通ずるすなわち神と感応霊交するにはどうしたらよいかといいますと、それには精神統一ということが第一であります。
 祈りも読経も静坐も坐禅も、生長の家で行なう「神想観」の修行も、すべてこれ精神を統一して、神と自分とを感応しやすくし、神の啓示に導かれて日常生活上に、できるだけ強く深く完全に神をあらわすためなのであります。
 霊媒による心霊現象研究も有料で実験に応ずる霊媒では、料金をとる手前、本当にその霊魂がこないときには霊魂がでてきてしゃべるかのごとくつじつまを合わせねばならぬので、虚偽や詐術がまじりがちで、ことごとくは信じられませんが、次に掲げるのは古河鉱業大連支店の青年社員、浅野新樹君が死んでから、その母多慶子(たけこ)氏を霊媒としてその父和三郎氏に通信せられて来た霊界の状態であって、職業霊媒でないから、大部分は信じえられます。そのうちに、こんな一節があります。

  問い「前にもいく度も聞いたが、幽界における身体の感じをモ一度きかせてくれないか? 呼吸や脈搏はあるかね?」

  答え「そんなものはてんで気がつきませんネ。内臓などもあるのか無いのかわかりません……。」

  問い「地面を踏む感じは?」

  答え「自分の室にいる時は歩くという感じがしないでもありませんが、地上の歩行とはだいぶ異(ちが)います。歩くといっても何やら軽い柔らかい気持です。また足音というものもしません。遠距離に行く時には一気呵成に行ってしまうのでなおさら歩くという観念が起こりませんね……。」
<つづく>

235復興G:2013/02/16(土) 21:57:18 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章より<7>

  問い「幼少で死んだものが幽界でどんな生活をしているか、一つその実況を見てきてくれないか?」

  答え「承知しました。一つ守護神さんにたのんでみましょう。――(五、六分の後)
 ただ今見せてもらいました。赤ん坊でも、小さいながらわれわれと同様修行させられて心も姿も発達するのですネ。地上の子供のようには迅速ではないが、やはりあんなぐあいに大きくなるのですね。僕の行った所では五十歳ぐらいの婦人たちが二、三人おって、それが子供たちの世話をしていました。子供の人数ですか――人数は五、六人で、三歳から四、五歳ぐらいの男と女の児が一緒にいました。抱かれたり何かしている具合は現世とちっともかわりません。場所はあっさりした家の内部ですが、ドウも幽界(こちら)の家屋はどうも皆軽そうに見えます。ずっしりと重そうな趣がなく、なんやら芝居の道具立てのような感じがしますネ。僕は守護神さんに向かい、これらの子供が学校へ行く年齢になればどうなるのかと尋ねてみましたら、守護神きんはさっそく僕を学校のような場所へ連れて行って見学させてくれました。一学級の生徒は二十人ぐらいで、やはりここでも男女合併教育をしていました……。」

  問い「他にも組がいくつもあるのだね?」

  答え「いろいろの組に分れています。何を標準として学級を分けるのかというと、それは受持の教師のする事で、主として子供が死ぬ時に因縁によりて導いてくれた神とか仏とかに相談して十分調査の上で実行するらしいのです。もっとも宗教的区別などはある程度までの話で、上の方に進めばそんな区別はぜんぜん消滅するそうです。」

  問い「科目はどんなふうに分れているか?」

  答え「現世とは大分異いますね。算術などはぜんぜん不必要で、そのほか地理も歴史もありません。幽界で一ばん重きを置くのはやはり精神統一で、これをやるとなんでもわかるのです。音楽だの文芸だのも、子供の天分しだいでワケなく進歩するようです。学問というよりもむしろ趣味に属しましょう。趣味があればいくらでも進歩するが、趣味がなければまるきり駄目です。ですから子供たちは一室に集まっておりながら、その学修する科目はめいめい異います。」(下略)

 この霊界通信は他の信ずべき霊界通信と一致するところも多く、真実性を認めることができるのであります。この霊界通信にもあるとおり宗教的区別というものは上層の霊界へ行けば無くなるので、「この宗教でなければ救われない」と偏頗(へんぱ)に片寄った執着をもっている間はそんなに高い霊界に行くことができないということをすべての霊界通信は一致していっているのであります。

 それから、霊界へ行っての修行が何よりも精神統一が第一だというのはおもしろいではありませんか。「霊界では精神統一をやるとなんでもわかる。音楽だの文芸だのも子供の天分しだいでワケなく進歩する」と新樹青年は霊界の事情を見てきて話しているのですが、われわれの住んでいる地上の生活もやはり原則は同じことで、精神統一によってあらゆるものが上達し、われわれの境遇運命も徐々に精神力によって支配できるようになっているのであります。
 「心が一つの目的物に統一して注意がそこに集中すると、自分と周囲の一切とがその目的物を実現すべき方向に自然に動き出す」というのが最近発見された精神科学の原理であります。
<つづく>

236復興G:2013/02/16(土) 22:00:16 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章より<8>

 かりにわれわれが絵を描こうと思って、絵に精神統一をしていますと、その精神集中力が磁石的な引力となって絵を完成するに必要な霊界の波動が、「類をもって集まる」または「類は類を招(よ)ぶ」という心の法則に従って集まってくるのであります。
 絵でも文学でも発明でも皆同じことであります。
 インスピレーションというのが、霊界の波動を感受することをいうのであります。われわれのいう精神統一とはポカンとして無念無想になってしまうことではなく、一心不乱に一つのことに精神を純粋に集中することであります。

 われわれは何も思わなくなるということは決してできないものでありまして、たとい表面の心がポカンとして何も考えていなくとも、奥底にあって「隠れている表面に浮かばない心」は一つの習慣的なリズム(調子)をもって常に活動しているのであります。
 だからわたしはこの「隠れている心」を「習慣の心」といっているのであります。
 ラジオの受信機が波長の合った放送だけを感受するように、われわれの心の習慣的なリズムは、そのリズム相応の精神波動を霊界から感受し、それを現実世界の形あるものとするのであります。

 だから心の習慣的リズムの清まり方しだいでわれわれは最高(いとたか)き神界から発するリズムにも感ずることもできるのであります。
 「心の清き者は神を見ることができる」というのはこのことをいったのであります。
 心の習慣的リズムの清きものは神を見ることができますが、心の習慣的リズムが芸術家であるものは、霊界の大芸術家から放散するリズムを感受して、それを現実世界の芸術としてあらわすのであります。

 ダッフェ女史の自動書記にあらわれた霊界旅行記には、霊界の大芸術家を感受していかにこの地上の芸術家が芸術を完成するかの手続きがかなり明瞭に示されてあります。

 ある日小児に誘われて近隣の人々のありさまを見に出かけたことがあります。最初に訪ずれたのはある画室で、そこでは一人の画家が心血を注いで力作中であった。
 彼の刷毛(はけ)の先から出てくる巧妙な色彩、眼の前の画布に現われてくる物象は実在のごとく思われるほど生命の満ちたものでありました。
 私は画に親しむ時間を持たなかったため自分で描く事はできないのですが、心中に潜む趣味は鑑賞家としての資格だけはわたしに与えてくれました。
 けれども生前数多く見た名画のうちにもこれほどの感銘を見出しえなかったのです。恍惚とその画の前に立ちつくしたわたしを遮らずに、しばらくわたしを審美の世界に楽しませてくれたこの画家は最後に口を開きました。
 「あなたはまだ半分だけしか見ていられません。他の半分も御覧になりませんか。」

 彼の画は完成しておったので、わたしには彼の意味が受け取れず、なんのことかと迷っていると見る見る彼の姿もその作画も画室もろとも消滅して、とって代った光景は、現界のある画室の内部、なかに一人の若者が熱心に絵筆を動かしつつあるところでありました。
 わたしにはその画家の心中が読めるのでしたが、彼はわたしが今賞讃した偉大な画を幻に見たのです。そして比べようもなくつよい衝動にかられてその美しい印象をありのまま描こうと懸命の努力をしているのでした。

 この不思議な光景をわたしに示した画家がこの時傍(そば)におったので、わたしは尋ねました。

 「これはいったいどうした事なのでしょう?」

 「現界の名画というもののすべては、霊の世界にその本体があるということをおめにかけたのです。
 あの画家はああして筆を動かす前にすでにわたしの描いた絵の幻影を心中に捉えておるのです。
 そしてもしあなたが御質問なされば彼は必ず自分の筆が心中の画想を完全に表現しえぬことを嘆くに相違ありません。
 こうした人々を地上では天才と呼んでいるのです。」彼は会心の微笑を口辺に浮かべておりました。
<つづく>

237復興G:2013/02/16(土) 22:02:54 ID:AB6RqYXc

あらゆる芸術の根源は霊界にある、とも言われていますね。

高級霊界に波長が合うよう、心をきれいにしておきましょう。

238SAKURA:2013/02/16(土) 22:09:45 ID:1meWUCC2
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「a hope様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>> SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ (2―5) 】からなのですが……
>>179の「復興G様」の投稿から……

===【抜粋文】======================================
>>そのようにわれわれは自分の心のうちにあるものしか見ることができません。またたとい
触れてもそれを感ずることができません〜〜略〜〜
>>あまり現在の境遇に満足し切っている人は
神をもとめる必要がないから、神を見ることも感ずることもしないのであります。 
それは神を見ることができないのではなく、しないのであります。<<  (一部抜粋)
==============================================

■神をもとめ…神を見るは……♫
【背 水 の 陣】をひいた方なのでしょうか……??それも含まれますかと思います。常日頃から
それよりもひたすら【 神にすがる心 = 祈り 】ではと思います。
人は、神様から各自への“テレパシ−”を頂いておりまして、それぞれのアンテナにて受信する
ことが出来るのですから、但し、そのチャンネルはキチンとしていませんと…正確なる
“テレパシ−”は受信することが出来ないかと。それに答えるためにも……
やはり【 祈り・神想観 更に“イメ−ジ” 】だと思えます。…が?

まだ!まだ!私も【祈り…】が足りないのでは…?と思いながら、本格的に『神地一体に融合』で
しょうか??私も〜〜♫〜〜ジャン・ジャン・ジャン・ジャンと【祈る事…】…

それが“宇宙…への遭遇……邁進”で〜〜〜す。…が??
                                再合掌

                          つづく

PS:引き続き…「頂きましたテキスト…」からの閲覧にての感想を順次投稿させて頂きます。

239復興G:2013/02/16(土) 22:59:26 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

私は今夜はこれにておやすみさせていただき、明日日中はリアルの世界で予定行事がありますので、次は明晩お目にかかります。
では心の友なる、生命の兄弟なる皆さま、神様の祝福を受けてハッピーな日夜をお過ごしください。
おやすみなさい。

240るん:2013/02/17(日) 00:02:12 ID:pic01rm6
復興G様

有難うございます

>>榎本恵吾先生はよく「ご主人を蹴っ飛ばしたっていいんですよ。ご主人は自分だ、と思えばわがままも言えるし、神様なら甘えてもいいんですよ」
>>というようなことを言っておられましたね。

 そうなんですか?よかったです。自分には「絶対、ハイ」なんてできそうにないですんで。

とはいえ、いつもこういう事を考えてるわけではないです。

実相独在、人間神の子、物質無しの真理を感激しながら、噛みしめて読ませて頂いてます。

この真理を教えてくださった雅春先生には、もう感謝しても感謝してもしきれません。この縦の真理がなかったら

これから先、生きていけないです。この世界が終わっても霊界もありますし。

ご教示、いろいろ有難うございました。明日のご予定、お気をつけて行ってらっしゃいませ。

a hope様
 んな事いわないで、明日から、また書き込み、よろしくお願いいたしますね。

SAKURAさま
 神我一体の境地を目標にされていらっしゃいますか?
 凄い!すてき!がんばってくださいね。

241さくら:2013/02/17(日) 00:11:53 ID:yIRd12ZI
誌友会ご参加のみなさま

わたしはweb誌友会はじまってから、一言も発言しておりませんので、
誰に対しても、発言のたびに、すごい勢いなどで、批判しておりません。
誤解があれば、ご理解頂きたくお願い申し上げます。

ここの主役の方がいなくなり、わたしのせいなら、ご迷惑をかけ、申し訳ありませんでした。

「虚説レポート」の件で、なぜかわざわざお呼びかけを受けましたので、
それに関連し、前から気になっていたことについて、個人的感想をのべましたが、
…個人的感情にすぎ、偏見がありまして、皆様には大変失礼な発言がありました事は、深くお詫び申し上げます。
…未熟な自分を、深く反省しております。
不快な想いをさせましてすみませんでした。

それぞれの学び方があるのですから、ここでの発言や学び方も強制されず、
各自の場で、真も偽もない生長の家を、それぞれの真実の体験として学べばよいと、わたしは思っています。

これからは掲示板には参加はしませんが、様々な面で、学ばせて頂きます。

ありがとうございました。



242志恩:2013/02/17(日) 07:56:35 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様、テキストを謹写して下さったり、貴重な体験談もWEB誌友会のおかげで
お聞き出来まして、大変幸せに 存じております。

昨日、復興G様が貼付して下さいました私もお気に入りである「堅信歌」を、
今日は、昔なつかしく 早朝神想観後に、小声で歌ってみました。
これを歌うと、純粋な少女の頃の私の気持ちになれます。

今朝、早朝に、皆様の書き込みも 大急ぎで拝見させて頂きました。
ありがとうございます。

復興G様は、今日はお出かけだそうですね。
行っていらっしゃいませ。
私も、娘一家が昨日から来ていて、泊まっておりますので、今日も昼間は入れません。


   「堅信歌」

1、われは聴くわが内なる声を
  “みひかりを常にもとめて
  わが御手をしかと握れよ
  安らなれすべて善ければ
  とこしえに此処極楽に
  なれは今まもられてあり。
  何者か汝を奪わん。
  大いなる我れ汝を抱けば。”

2、われは聴くわが内なる声を
  “われ常に汝をまもれば、
  われ常に汝を導けば、
  何時のとき何処にあるも、
  汝は完たく清くけがれず、
  行く道に迷うことなし。
  われは汝の内なる神ぞ
  わが護り常に完たし。”
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ところで、
復興G様とa hope様の生長の家に触れられた動機は、知る事ができましたが、

トキ様の場合は、一白鳩会員様からのご縁からでしょうか?

SAKURA様は、ご両親がご熱心でいらしたからでしょうね。
先日,SAKURA様がお話下さったハーフの黒人のお子さんを持たれた女性への、SAKURA様のお母様の真心こもったご指導とご行為、
こころ温まる実話ですが、感動しました。いいお話をありがとうございます。

るんさんは、どんなことで、生長の家に触れられたのですか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今回のテキスト156頁あたりから、霊界通信のことが、書かれてありますが、
以前、トキ様がご紹介下さった浅野和三郎著「新樹の通信」についても、雅春先生は触れられておりますね。

私は、浅野和三郎著「小桜姫物語」もSAKURA様同様に読んでおりますから、一層、興味深く今回のテキスト部分を拝読しました。

生長の家のおかげで、人間は神の子で生き通しのいのちであると、教えて頂いておりますので、いつも大安心の境地で過ごせますこと、
本当に有り難いことだと思っております。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨夜は、娘は、娘の子が通っている幼稚園の役員と、子が習いに行っているバレーの方の役員と2つの役員をしていることで、
娘は、役員のなかまの間での人間関係のストレスを抱えており、
私は、夜11時ころまで その娘の話をひたすら聞いてあげていました。どこにでも課題はあるものです。
でも、娘は自分で話しているうちに、自分で答えを出していました。(笑) 答は、だれでも 自分の内に あるのでした。

243志恩:2013/02/17(日) 08:02:13 ID:.QY5jUA6
娘は、だんなさまが、出張中なので、6歳と3歳の子を連れて、来ている。

244復興G:2013/02/17(日) 08:56:56 ID:AB6RqYXc

出かける前に、ちょっとひと言。
皆さま、ありがとうございます。

a hope様、皆さまからも期待されているようですし、私もa hope様の発言からとても勉強させて頂き、迷惑どころか、とても感謝しています。ですから、どうぞまた神の声を聞かせてください。

SAKURA様、るん様、さくら様、志恩様
コメント、ありがとうございます。

ではまた夜に。
合掌 ありがとうございます。

245トキ:2013/02/17(日) 12:36:05 ID:Jta5Me9g
 復興Gさま、ご指導、ありがとうございます。

 生命の実相の第2巻、浅野和三郎先生の「新樹の霊言」のくだりですね。あの霊言は不思議です。
オリジナルの本を読むと、まだ戦争の気配もない頃に、戦争が起こる、と予言をしたりしています。
 それを考えると、信頼性が高い内容だと思っています。

246初心者:2013/02/17(日) 14:45:05 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

休み時間のようですので、少しだけお邪魔させていただきます。

いきなりですが、宇宙というのは不思議なものです。誕生して137億年ともいわれ
ているようですが、誕生の刹那に発せられたとされる光が(正確には電磁波という
べきでしょうか)、いまだに地球に降り注いているようなのですね。

137億年前に一瞬のあいだ発せられた光が、いまだになぜか地球に降り注いで
いるのです。かりに100億年後にも地球が存在するとすれば、237億年前に発せら
れた光がやはり地球に降り注ぐことでしょう。

降り注いだ光は、地球にぶつかって消滅するか、とおりすぎていきます。消滅した光
やとおりすぎていった光はもはやもどってくることはないでしょう。それでも、一瞬
のあいだに発せられた光が、地球が存在するかぎり降り注いできます。この光は、
いったいどこからやって来るのでしょう。

こうした宇宙の神秘をさぐろうとすれば、「ない現象をつかんでいる」と、生長の家
ではかならず否定されることになります。

本題にはいります。

>>「実相」は時間・空間の中にあらず、時空を生み出した本源世界 すなわち「久遠の今」にある。
また、現象世界は4次元時空間というスクリーン上に投影された映画であって、「実相」はフィルムに当たる、とも説かれています。
フィルムはすでに完成している、そこにすべてがあって完成している。けれども現象世界へのに投影は一コマ一コマ順番に映し出されるのであって、一度にすべてが投影されるわけではないから、現象は無常であって、不完全である。
私たちの五官は、投影された影である現象世界を認識する道具でありますから、その五官によって<フィルム>の世界、「実相」を知ることはできない。現象の言葉をもって実相を説明することはできない。というので「不立文字」とか「教外別伝」と言われてきた。……(後略)……<<

>という説明で私は納得し、「ダブルバインド」とは全然感じておりませんが――。なぜ、初心者様がそのようにおっしゃるのか、よく理解できません。考えています。

唯物論は、「下位のものごとで上位のものごとを説明すること」と定義できます。
この定義によれば、下位のものごとであるはずの物質で、上位のものごとである
はずの精神を説明しようとすれば、これが唯物論となります。

では逆に、上位のものごとで下位のものごとを説明しようとする場合はどうでしょ
う。物質的世界はどのような仕組みで成り立っているのか。これを考えるのは唯物
論なのでしょうか。

「一コマ一コマ順番に映し出される」のたとえは、物質世界がつくりだされるとき
の仕組みを述べたものです。あきらかに、物質世界よりも上位のものごとについて
の説明です。

わたしは、こうした上位のものごとである仕組みによって、下位のものごとである
物質世界の成り立ちを説明しようとしているつもりなのですが、なぜかいつも
「唯物論」として否定されます。雅春先生が説明されても、唯物論として否定される
ことはありません。いったいなぜわたしだけが、唯物論として否定されるのでしょう。

「一コマ一コマ順番に映し出す」仕組みを神によってつくられた仕組みであると
考えるわたしは、こうした神の仕組みと、それによってつくられた物質世界を、たん
に「ない」と否定するのではなく、深く探求したいと考えています。

生長の家では、「一コマ一コマ映し出すのは迷いの証拠であり、そのような迷いに
よってつくられた物質世界はほんらいない」と説明されているようですので、探究
する意味はいっさいないとも考えられているようです。

このような違いがあるということなのでしょうか。

生長の家が「一コマ一コマ映し出す仕組が、ほんらいないはずの迷った世界をつく
りだす」と考えているのだとすれば、このように考えなければならない理由とは
なんなのでしょうか。これを神がおつくりになられた仕組みとみなさないのだと
すれば、それはなぜなのでしょうか。WEB誌友会終了後でかまいませんので、お答
えをお聞かせいただければありがたく存じます。

「一コマ一コマ順送り」の仕組みを神がおつくりになられた仕組みと考えても
ぜんぜん問題はないはずですのに、なぜこのように考えることを、人間知、唯物
論、虚説として否定されなければならないのでしょう。このように否定されること
がわたしにはダブルバインドとして感じられます。

ところで復興Gさまは、実相世界は固体と考えておられるのでしょうか、流体と考え
ておられるのでしょうか。固体であれば、これもダブルバインドとなります。どちら
であると考えておられるのでしょうか。

247SAKURA:2013/02/17(日) 14:59:58 ID:d36N9scE
復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「a hope様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238
SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ (3−1) 】からなのですが……
>>180の「復興G様」のテキスト投稿から……

===【投稿文】======================================>>キリストが「富める者が神の国に入る事のむずかしいのは、らくだが針の孔を通るよりもむ
ずかしい」と嘆じられましたのは、富める者の驕慢な心が神のみ心にかなわないという意味もあ
りますが、現状に満足しているものは、みずから進んで神の国に入ろうとしないことをいわれた
のでもありましょう。

>> またあるときには「貧しき者は幸いなるかな、神の国はなんじらのものなればなり」と
いわれたのも、貧しくして現状に不満足なものほど神の国に入りたいという欲求が盛んになる
ことをいわれたのでありましょう。   (一部抜粋)
==============================================

■「富める者は神の国に入る事は、むずかしい」…“納得”でしょうかと。??反対に……
「貧しき者は幸いなるかな、神の国はなんじらのものなればなり」これも、分かる感じがします。
“宗教の門=信仰の門を叩く”場合は、やはり!窮地に追い込まれた時の【絶体絶命状態…】から、
神にすがる気持ち!ひたすらすがる気持ち!が、益々と強くなるものでしょう。

逆に「平穏!平和!な状態」ですと、何の不自由感もない場合とか、更に“お金…”に執着した
モノとかは……まず“心…”がモノに焦点をあわせていますから「神様…」は現象的な捉え方に
なるのでしょうか。「神の国…」に入るには、その人の【絶体絶命状態…の心理】においては、
その「神の国の門」を叩き、入りやすのです〜〜〜ョネ??
それでも、尚「貧しき者」になってしまいますのは、やはり【感謝の心…】でしょうかと。
【SAKURA…】 は、ますます【感謝探しの冒険の旅〜☆〜】でしょうか???
“ガンバル心…”…“持続精神…”は『感謝…』からかしら〜〜〜ン!!

                             つづく

248復興G:2013/02/17(日) 20:09:49 ID:AB6RqYXc

皆さま、復興Gは只今帰ってまいりました。

>>246 :初心者様

ようこそ、ありがとうございます。

ご質問の、後ろの方から少しお答えさせていただきたく思います。

>>ところで復興Gさまは、実相世界は固体と考えておられるのでしょうか、流体と考えておられるのでしょうか。固体であれば、これもダブルバインドとなります。どちらであると考えておられるのでしょうか。 <<

もちろん、実相世界は固体でも流体でもありません。固体や流体は、3次元空間の中の物質の状態であり、実相世界は次元を超えた(「次元」をも創り出した元のところ)にあるのですから、それは固体でも流体でもあり得ません。「実相は金剛不壊」と言われることがありますが、それは五官の世界に住んでいる人間に、現象の言葉で仮りに表現したもので、本当は不立文字でしょう。
もし実相が固体や流体であったら、「火にも焼けず……」というわけにはいかないと思います。

>>生長の家が「一コマ一コマ映し出す仕組が、ほんらいないはずの迷った世界をつくりだす」と考えているのだとすれば、このように考えなければならない理由とはなんなのでしょうか。これを神がおつくりになられた仕組みとみなさないのだとすれば、それはなぜなのでしょうか。<<

――「一コマ一コマ映し出す仕組が、ほんらいないはずの迷った世界をつくりだす」という表現はちょっとおかしいと思います。「一コマ一コマ映し出す」というのは映画に譬えたわけですが、それは「影を映す」「投影する」ということで、映し出された影は影であって本来ない。だから、「迷った世界」は本来ない、ということでしょう。
「このように考えなければならない理由」なんて、ないと思います。それは、「1+1=2」でなければならない理由を問うようなものでしょう。それは、「神がおつくりになった仕組み」と考えてよいと思います。

もっと前の方のご質問は、むつかしいので、web誌友会終了後(明日以後)に、ご質問の意味が分からないところを質問しながらお答えしたいと思います。
ありがとうございます。

249復興G:2013/02/17(日) 20:11:12 ID:AB6RqYXc

トキ様
SAKURA様
志恩さま
皆々さま

私は霊界のことにはあまり興味がなかったのですが、今回は、なにか納得できるものがありました。

テキスト第5章の最後のところを謹写させて頂きましょう。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

<テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章p.165~166より>

 ……この霊界よりの消息にあるように、われわれは心のリズムを浄め上げ、高め上げ、高き霊界のリズムと調子を合わすことによってのみ、いっそう偉大に進歩せる霊界、天界、さらに進んでは実相世界のリズムを感受し、それによって人間界に偉大な芸術や、偉大な発明や、偉大な思想を生み出すことができるのであります。

 われわれが神に近づこうとするには、神と調子を合わすということよりも必要なことはないのであります。

 われわれの心のリズムが低卑であれば、低卑なカミ(すなわち第三種類に属する霊魂神(みたまのかみ)のうちでもいっそう低い階級のまだ悟りを開かない人間の亡霊や、他愛もない動物の霊魂)とリズムが感合しまして、実際生活上実につまらない誘惑を受け、肉欲や、物質欲などの虜になってしまうのであります。

 だから自分の奥底の魂のリズムを高潔にすることほどわれわれにとって必要なことはないのであります。

 で、この奥底の魂のリズムを清く高くするために、われわれは「神想観」のごとき精神統一の修行を行ない、せめて、ある時間に限っていっさいの低い地的な心の思い煩いを去り、一心不乱に心を至上神(いとたかきもの)にのみ注いで、魂の奥底のリズムを高めかつ清めるようにおすすめしているのであります。

 こうして魂の奥底のリズムを高めておきますと、芸術家は芸術家として、いっそう高き霊界の大芸術のリズムを感受し、思想家は思想家として、これまたいっそう高き霊界の大思想のリズムに触れることができ、その人おのおのの天分の種類に応じての最高のものをこの現実世界に生み出すことができるのであります。

 生長の家の「智慧の言葉」に「人間の心は大生命の変圧器」だということがありますが、せっかく、最聖(いとたか)き大生命からの高圧の電流を受けながら、われわれの心のリズムが低卑なために微弱な電流に変じてしまうのは惜しいことであります。

 わたしが皆さんにしっかり「神想観」の実修をしてくださるようおすすめし、一方日常生活においても「生長の家の生き方」を実践して争いや怒りや憎みの心の曇りをとり去ってくださるようにおすすめしているのは、皆さんが霊界、天界、実相界のいっそう精微なリズム(精神波動)を感受し、これを実生活に再現して実人生を生き甲斐のある価値あるものにしてくださることを念願するからであって、「神想観」によって病気が治ることがあるのは、心のリズムが調うとともに、現実界全体のリズムが整うてくるために起こる単なる一作用にすぎないのであります。
<謹写 完>

250復興G:2013/02/17(日) 20:42:38 ID:AB6RqYXc

 また、『生命の實相』第9巻 p.121には、次のような霊界通信が書かれています。

 スピリット自身は「芸術」についてかく語る
 自分はさらに他の問題――芸術――に話題を転じた。霊界の生活には、自分たちが現世で、音楽や絵画や彫刻や詩歌によって得るような歓喜に相応するものがあるか?――とたずねた。
 「なんのことはない! あらゆる芸術の発生する根元の世界は霊界なのだ!」とヴェッテリニは叫んだ。「芸術の精髄は霊界で創造せられる。地上の芸術的表現はその貧弱な写しにすぎない。余の言わんと欲するところをよく理会せよ。もしある作品にして、高く貴き熱ある作品であるならば、それを心に描き出したのはスピリットであり、その美を認めたものもスピリットである。それで、人の霊魂がその物質的肉体より脱離した時には、かれ霊魂は肉体の枷鎖(つながり)の中にある時よりも芸術創作の神髄にいっそう容易に貫き入るのである。かれ霊魂は、もはや物質的条件によってわずらわされたり束縛せられたりすることはない。明らかに霊界人は弾ずべき楽器をもっていない。しかしかれらは種々無数のバイブレイションを組み合わせて、最も霊妙なる感じの音楽詩歌を創作することができるのである。君たち、現世の人々は霊界(真に存在するもの)から、ただ暗示を、ただかすかな反響を受けるにすぎない!」

251復興G:2013/02/17(日) 20:52:13 ID:AB6RqYXc

 関連する聖典の御文章を謹写掲示させていただきます。


(『生命の實相』第29巻p.125〜)

   十、われらの運命は心にある

 われわれの運命というものは、こういうふうに、どこからともなく、子孫からでも他人からでも送られてくる念波によって変化するのであります。甲を思い浮かべるのでも乙を思い浮かべるのでも、それはちらと頭を掠(かす)める思いであります。ほんのちょっとしたことが癇癪(かんしゃく)にさわって家庭や会社を飛び出す。いつもならなんでもないことが、ある時はとうてい耐えられなくなる。こういうちらと頭を掠める思いが人間の前途の運命を左右するのであります。どういう時に、どういうふうに心が動いてくるか、その神秘を司るものは宇宙を浮遊しているいろいろの念波にあるのです。

 都合の悪い人は悪い念波ばかりを感受して、せっかく、そこにいれば出世するような所を飛び出したり、発明にも資本を出してくれそうな所へは因縁が結ばれないで、なんとなしにその人が行くと毛嫌いされてしまうような所へ、旅費を使って「資本を出してくれないか」と申し込んで、剣もホロロに断わられ、そのためせっかくの発明もなんにもならないというようなことになります。このようにわれわれの運命を支配するものは不思議なちょっとちらっと頭を掠める思いです。

 右するか左するか、滅亡の道か、繁栄の道か、これはちらっとわれわれの頭を掠めるほんの不思議な微妙な閃(ひらめ)きにありますので、この微妙なスイッチを司っているものはなんであるかというと、この宇宙の無数のラジオのような精神波動である。その中のどの波動に感応するかということによって、良い波動を受けるか悪い波動を受けるかが定まるのであります。

 われわれが良い波動を受けるにはどうしてもわれわれ自身が良い波動を受けられる良き波長を出すラジオ装置にならなければいけないのです。念波の感応は波長の共鳴によるのでありますから、自分が繁栄するには、人をよくしてあげたいという深切の良き念波を常に起こしていなければならないのです。「あの人を生かしてあげたい、この人を生かしてあげたい、深切をしてあげたい、喜ばしてあげたい」という念波を常に起こしますと、宇宙にいろいろ満ちている「生かしてあげたい」という念波がまた自分に引っかかってくるのであります。そうして良い考えが浮かんで自分の運命が自然と好転するのであります。まことに、善念は善念を招び、悪念は悪念を招ぶとは真理であります。

252復興G:2013/02/17(日) 20:52:53 ID:AB6RqYXc

   高級神霊の導きを受ける祈り(聖経『続 真理の吟唱』より)

 われは常に欲するところのものがおのずから来り欲せざるところのものが自ら去るのである。それは恰も如意宝珠を掌中にせるが如しである。われ神に感謝し奉る。

 人間の運命は「ふと思いつくことを行動する」ことによって、おのずから結果が展開して行くのである。ある人は、良きアイディアを「ふと思いつく」ことにょって、それを行動に移して大成功したが、ある人は「ふと思いつく」ことを実行したために大火災を起こして大変な損失を蒙ったのである。ある人は、「この自動車で鎌倉へ行こう」とみずからタクシーを呼び留めてそれに乗ったために、その自動車がトラックと正面衝突して重症を蒙ったのである。まことに「ふと思いつく」ということで大抵、人の日常生活は行なわれ、その人自身の運命を決定しつつあるのである。

 まことに「ふと思いつく」という事の中には、神秘な、運命を支配する力が秘められているのである。その「ふと」というものは一体何であろうか。われわれが、考慮せず、計画せず、図らわずして思いつくところの、その「ふと」というものは、人間を幸福の運命にも災禍の運命にも導いて行くのである。

 ふと思いつかせる神秘者は、人間の脳髄の中には居ないのである。それは霊界から何らかの霊がわれわれに霊波を送って来てふと思いつかせるのである。

 霊界からわれわれの行動を支配するためにアイディアを放送して来る神秘者は、大別すれば二種類あるのである。それは、吾々の運命を良化するために正しいアイディアを常に送ってくれている善霊と、われわれの運命を傷つけんがために間違ったアイディアを送って来る邪霊とに分つことができるのである。

 善霊はその人を善導するために神から命ぜられてその人を常に導きつつある正守護神である。これは概ねその人の先祖霊のうち神通力を得たる高級霊がその任に当たっている。そのほかにその人が特殊重要な職務に就くとき、その任務にふさわしきその職能に勘能なる高級霊が特命守護神として追加されてその人を導くことになっている。しかし善霊が守護し導くといっても、それは霊であるからアイディアを霊送してその人を導くのである。その人は放送されたアイディアを「ふと思いつく」という形で感受してその導きに従って行動して善果を得るのである。

 正守護神及び特命守護神の導きは完全であるから、その放送アイディアを感受して、それを"思いつき"として実行している限り、その人の運命は傷つくことはないし、行動に失錯や失敗はないのである。しかし人は往々にして物質的欲望や、肉体の快楽追求の欲望に心の波長を狂わせて、自分の心の波長が正守護神や特命守護神の放送霊波に波長が合わなくなり、守護指導のアイディアを感受し得なくなることがある。そのとき迷える亡霊や怨霊の如きものの放送霊波を感受して、それをみずからの「思いつき」として行動して失敗するのである。その失敗を避けるためには、人は毎日、必ず神想観を実修して自己の心の波長を正しく調律し、神より遣わされたる高級守護霊の導きのみを感受し得る正しき"心の状態"に維持することが必要なのである。

 この尊き真理を知らしめ給いし神に感謝し奉り、毎日神想観の厳修を怠らず高級神霊の導きを受けて行動することを誓い奉る。ありがとうございます。

253SAKURA:2013/02/17(日) 20:59:12 ID:csPqeQPY
復興G様」 へ  「トキ様」 へ  
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>
SAKURA投稿の続きです…。

>>249 復興G様の投稿より…。
「復興G様…」お帰りなさいませ。大変お疲れの処を「霊界…についての記載事項」…
ありがとうございます。今日は、私の地方では曇天…寒さがまた?ぶり返すのでしょうか?
くれぐれも…風邪をひかれませんようにと…『お祈り』を〜〜

■>>高き霊界のリズムと調子を合わすことによってのみいっそう偉大に進歩せる霊界、
天界、さらに進んでは実相世界のリズムを感受し、それによって人間界に偉大な芸術や、偉大な
発明や、偉大な思想を生み出すことができるのであります。<<(一部抜粋文)

>>自分の奥底の魂のリズムを高潔にすること…云々…『神想観』…<<  (一部抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
此の事は…『神想観…瞑想』の重要性をつくづく感じます…。まだまだ〜〜時としては、
周囲の“煩わしい煩悩”にいまだにフラフラ〜〜〜(微笑)ですが??
普段の行動が「神の子…」としての自覚ある行動かと考えますと?いまだに【我欲…】あり…
でしょうか??これでは〜〜〜反省しつつ〜〜〜強い「意志力…」にて
【神想観=>実相世界】へ、突入??日々の努力にて【神想観…神地一体】トライ!トライ!
して参ります…。此の決意を、新たにでしょうかと。

つづきまして…(前回の「復興G様」からのテキストからの感想投稿の続きを…)
                     
つづく

254SAKURA:2013/02/17(日) 21:01:50 ID:csPqeQPY
復興G様」 へ  「トキ様」 へ  
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>
SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ (3−2) 】からなのですが……
>>180の「復興G様」の投稿から……

===【投稿文】=====================================
>> われわれがこのように現実世界の状態や、現実世界の人間の不完全不円満にあきたらない
で、円満な世界や人格をもとめようとするのは、不完全な現実世界とはピッタリ調和することの
できない完全円満なあるものをわれわれの内にもっているからであります。
われわれが完全円満なあるものを内部にもっていなければ完全円満な人格や状態を予想する
ことができないのであります。このわれわれの内にある完全円満なあるもの、これがすなわち
神であります<< (一部抜粋)
==============================================

■ですので【感謝…】は“人格の形成”にも繋がるのでしょうかと??
「神の国」に入る事は【 人格=心理=真理 】につながる!心は“イメ−ジ”で瞑想する事です
ので、正しい思考へと導く書籍本を読む事でもあり……更に、それを“実践する行動”は〜〜〜、
【 祈り=実践行動 】でしょうか。それが「神の国に入る入門」でしょう。しかも、
完全な円満な世界観を“イメ−ジ・トレ−ニングする訓練”する事で、これがイメ−ジ化に繋がり
この“トレ−ニングのその延長線”が【神想観…】とも言えるのではないのでしょうか?
何となく〜〜何となく〜〜わかっちょうな感じですが。まずは【実践・行動…】へ!!
                           
  再合掌

                           つづく

255トキ:2013/02/17(日) 21:41:32 ID:Z2ApAsL2
復興G様

 おかえりなさい。実は、私も外出しておりました。いくつかこの点について、体験があるのですが、書けないの
が残念です!

 ただ、波長の世界ですから、どの波長に自分を合わせるかは大事ですね。
本当に復興G様のご指導の正しさは感じております。

256SAKURA:2013/02/17(日) 22:20:14 ID:csPqeQPY
復興G様」 へ  「トキ様」 へ  
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>254
SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ (3−2) 】からなのですが……
>>181の「復興G様」の投稿から……
===【投稿文】=====================================
>>外形は五尺ばかりの有限な肉体でありながら、われわれがこのように「無限」の美を追求
しなければどうしても完全に安心ができないというのは、われわれの内部には「無限性」が宿っ
ていて、その「無限性」の開顕を内部から要求してやまないからであります。 (一部抜粋)
=============================================

■■「肉体は心の影…」と云いますように、現在の私の?“肉体はふくよかで〜〜〜す。
希望としては?モット!細くなりたいと願っていながらも「ダイエット作戦」を思考錯誤して
も?尚〜〜〜現“ボディ!”はと??つまり五官で見るところの“形”に現れたものだけを見て
行く……これが【有限の世界観…】がある限りは、次なる【無限の世界観…】が見えないのです
〜〜〜ョネ!!そうしますと【無限…】を引き出すには、それは魂の奥の奥の心に入れ込む事で
しょうか?【有限…】で見えても、そう“脳を騙す?”とある方が云いました様に、私の潜在
意識に送り込む“言葉の力”で、それは【有限…】でも【無限…】に広がっていくのですョネ!

【 有限から無限に行く 】には、そうですョ!!“ヒカリ”がピカット!光るように“言葉の力”
を出すことも、それは【神からの伝言言葉】になるのです〜〜〜ョネ!!
❤【神は愛なり〜】と云いますように“言葉から潜在意識に入っていく事”を、別の表現では?
【 有限から無限に、繋がっていく事 】を改めて理解しましたかと。

===【投稿文】======================================
>> われわれのうちに宿っている円満完全性――これをさっきは神であるといいましたが、
今はわれわれに宿っている「無限性」を神であると申すのであります。つまり、「円満完全性」と
「無限性」とは同じものであります。無限であってこそ完全円満なのでありまして有限なものは
それだけに限られていてけっして円満完全でありえないのであります。(一部抜粋)
==============================================

■「生長の家」では、円満完全をよく唱えますが、これも“無限性に繋がる事”で、当に!!一体
になれる言葉でしょうか??完全円満〜♫と、唱えて行くうちに無限性が出て来まして、
【神地一体…】なのです〜〜〜ネ??
❤【言葉は神…さらに神は愛なり】ですから、更に付け加えて【愛…】も必須条件に見えます。
“言葉”から発した“言葉”は、愛の言葉からは、“神は愛なり…”と自覚し、さらに“無限性”が
広がっていくように思えます。!!
【そのままの心は、澄み切った“心…”で、心遣い・やさしさをかける事となり、“言葉”は……
全て「言霊=魂」に繋がりますものと。【 無限性は神の心=神の子】なんです〜〜〜ョネ!!

■すべての始まりは、すべて【言葉…】から始まるのですョネ!! ❤〜“神は愛なり”
                         つづく

257初心者:2013/02/17(日) 23:00:31 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

WEB誌友会の途中ではありますが、せっかくご返信をいただきましたので書かせ
ていただきます。どうか気になさらずに誌友会をお続けになってください。

>もちろん、実相世界は固体でも流体でもありません。固体や流体は、3次元空間の中の物質の状態であり、実相世界は次元を超えた(「次元」をも創り出した元のところ)にあるのですから、それは固体でも流体でもあり得ません。「実相は金剛不壊」と言われることがありますが、それは五官の世界に住んでいる人間に、現象の言葉で仮りに表現したもので、本当は不立文字でしょう。
もし実相が固体や流体であったら、「火にも焼けず……」というわけにはいかないと思います。

「流体」というのは「固体ではない」との意味でもちいたものです。わたしは、固体
とみえているものはすべてが非実在であると考えておりますので、「固体としての
実相世界は非実在であり、ない」ということが確認できればそれで十分です。

ホープ様や復興Gさまが語っておられる真の「生長の家の教え」をうかがって
おりますと、実相世界には固体の大地があり、大地の上には固体の自然や固体
の建物があり、そこでは固体の実相人間がみなすこやかに仲良く暮らしている、と
考えるのが真の「生長の家の教え」であるとの印象をうけたものですから、ホープ
様や復興Gさまは、実相世界を固体の世界と考えておられるものと判断しておりました。

もしも固体の実相世界が実在するとなると、わたしの主張する「本物の宇宙」は
理論的に成り立たなくなるものですから、復興Gさまに「固体か流体か」をおたずね
いたしたものです。「固体の実相世界は非実在であり、ない」との確約を得られるの
であれば、それだけで十分です。確約はいただけますでしょうか。

258初心者:2013/02/17(日) 23:04:17 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>――「一コマ一コマ映し出す仕組が、ほんらいないはずの迷った世界をつくりだす」という表現はちょっとおかしいと思います。

そうなのですね、わたしもおかしいとおもいます。このおかしさこそがダブルバイ
ンドの正体という気がいたします。

生長の家では、現象世界を「迷いの産物」として表現しませんでしょうか。もしも
このように表現するなら、一コマ一コマを現象世界として映し出す仕組みが迷いを
つくりだしているということになってしまいます。

このように考えることはとうていできませんので、もしもこのように考えなければ
ならないとすれば、これがダブルバインドとなって、「神の仕組みがなぜ迷った
世界をつくるのか」とのおかしな問いかけをしなくてはならなくなります。「神の
仕組みは迷った世界をつくらない」と考えるなら、おかしな問いかけをしなくても
すむことになります。

現象世界は迷いの産物ではない。これがわたしの考えるところですが、生長の家
は、現象世界を迷いの産物として説明しているようなところがありはしませんでしょうか。

>「一コマ一コマ映し出す」というのは映画に譬えたわけですが、それは「影を映す」「投影する」ということで、映し出された影は影であって本来ない。だから、「迷った世界」は本来ない、ということでしょう。
「このように考えなければならない理由」なんて、ないと思います。それは、「1+1=2」でなければならない理由を問うようなものでしょう。それは、「神がおつくりになった仕組み」と考えてよいと思います。

わたしは、現象世界を実在と考えるのは迷いであるにしても、人が「迷い」によって
ないはずの現象世界をあるがごとく経験しているとは考えておりません。

ないはずの現象世界をあるがごとくつくりだせる仕組みが本物宇宙にはある
はずなのですね。この仕組みを利用して人類は現象世界をつくりだしている、とする
のが「本物の宇宙」の基本的な考え方です。

したがって、人類が本物の宇宙の仕組みを利用することでつくりだした現象世界を
「影であるから、ほんらいない」と言いつづけなければならない理由はどこにも
ないと考えます。現象世界を実在と思い込んでいる人にたいしては「ほんらいな
い」と説明する必要はあるにしても、「実在ではない」と了解した人にたいしてまで
「影であるから、ほんらいない」と言いつづけなければならない理由はどこにも
ないと考えるということです。

「このように考えなければならない理由」というのは、「現象は非実在」と了解した
人にたいしても、生長の家は「現象は迷いであり影であるから、ほんらいない」と
なおも言いつづけているとおもえるので、なぜそのように言いつづけなければ
ならないのか、との意味でその理由をたずねたものです。

現象世界を正しく説明するのであれば、「影であるから、ほんらいない」ではなく
「現象世界は神の計画を実現するために、人類がそれをあるがごとく経験して
いるのである」というべきではないでしょうか。

生長の家はなぜいつまでも「影だから、ない」の考えにこだわり続けてそのように
言いつづけるのでしょうか。現象世界を、重要な役割を担ってあるがごとくあらわ
れた世界と、なぜ考えようとしないのでしょうか。なぜ否定することばかりを考え
るのでしょうか。

「現象世界は迷いの産物であり影であるので、ほんらいない」とするのが真の
「生長の家の教え」だとすれば、神の仕組みによって映し出された世界を、真の
「生長の家の教え」は、ことさらに「迷いの産物」としてのみ描き出そうとしている
ことになりはしませんでしょうか。

259SAKURA:2013/02/17(日) 23:11:22 ID:csPqeQPY
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>256>>
SAKURA投稿の続きです…。

>>250の「復興G様」の投稿テキスト内容から……  (ジャンプしまして〜♫〜)
■■『生命の實相』第9巻 p.121 〜♫

===【 霊界通信 投稿 】================================
>>スピリット自身は「芸術」についてかく語る
 自分はさらに他の問題――芸術――に話題を転じた。霊界の生活には、自分たちが現世で、音楽や
絵画や彫刻や詩歌によって得るような歓喜に相応するものがあるか?――とたずねた。
 「なんのことはない! あらゆる芸術の発生する根元の世界は霊界なのだ!」とヴェッテリニは
叫んだ。…<<     (一部抜粋)
==============================================

■頂きました“テキスト”の中から…初めて「生命の実相」を拝読しました時の事です…。
個人的に“霊の世界”…興味シンシン〜♫〜でしたので??特に上記の文章内容のところで…フト!
当時を思い出しました。

❤「霊界の世界…パワ―頂けるのでしょうか??」そうでしたらと…当時……
今は亡き「デザィナ−・ディオ−ル」の芸術感覚を〜〜〜ことさら「祈り…」にての【暗示…】
を頂ければと〜〜〜【暗示=アイデア】を、ひたすら!ひたすら!でしたかしら〜〜〜ン!
実は、その頃は(15〜17年前…ある大阪財界の方の着物のリフォ−ム)を手掛けるに当たり、
初めての挑戦で…「形見の着物…」と言われますと、尚の事〜〜><心臓がドキドキ!でしたかと?

その後!!【出来る!出来る!〜〜〜出来る!】と云い聞かせながら…途中で、多少の弱気なる
“こころ”にもなりましたが…強い“意志力…出来る!”と潜在意識に入れ込みまして…
以前より「神想観…」真剣に〜♫〜させて頂きまして“多少のアイデア…”を頂き、無事に…
「形見の着物」を、よみがえさせる事が出来ましたのです。…が?
あの時の【真剣さ…?】しかし、今!【復興G様のテキスト】を拝読していますと…当時の
私はある面では当時の【弱気の心 = 有限…での心】でしたのかと。人間は「有限にして無限」…
と云います事は【強い意志力にての“出来る心”= 無限…での心】に成っていく!

但し、その方法として「雅春先生…言葉の重要性」を、改めて感じました次第です…。
それで…今回「復興G様」のこのテキストの部分を拝読するなり…思い出深いモノがあります。…が?
                                再合掌
              つづく

PS:「復興G様」に於かれましては?【霊界…通信】この世界を信じられますでしょうか??
私は……と?

260復興G:2013/02/17(日) 23:27:01 ID:AB6RqYXc

SAKURA様、トキ様、そして初心者様。

コメント、ありがとうございます。

皆々さま

聖典からたくさんの御文章を引用させて頂きましたが、みな自分の勉強のためでした。
それで、学んだことをまとめますと――

テキストの最初の方に

≪哲学的には神とは「大生命」だ生命の大本源だ、といってしまえばなんでもないようなものの、神とは必ずしもそんな抽象的なものではなく、活ける愛の神、生命の神、知恵の神、美の神であって、それを見る目さえあれば、人と人とが相対するように、人格的にさえもあらわれたまうのであります。≫

とありましたが、この「哲学的に神とは生命の大本源」とは、時空間をも生み出した、一切現象発生の枢機を握る「久遠の今」なる実相世界であり、
実相の完全円満・無限絶対なる創造の神――ありとあらゆるものを陰と陽との和合、すなわち愛のはたらきによって造り出し給う霊妙なる「創造の原理神」が第一義のカミである。

さらにその唯一根元神から投げかけられた「救いの霊波」が形体化して顕現した第二義の神。

幽(かく)り身すなわち肉眼で見える体(たい)を備えてはいないけれど、体(たい)がないのではなく幽微(かすか〉な身を備えている、霊魂神――第三義の神。

――とあって、吾々を守り導いて下さる神は、元は一神であるが、時と所と人とに応じて、場所しだい、時代しだい、救われる相手しだいで、そのあらわれ方が千差万別して導き給う。だからわれわれは、心を浄め、精神統一して愛の神、高級神霊に波長が合うようにすることによって、霊の導きを得て限りない美の創造ができる。

そして、中心帰一万物調和の神の構図を地上の全世界に顕現するために、創造の神の導きによって生長の家は出現した……

われわれはその神から与えられた使命を生きるのが、生き甲斐であり幸福である――と、少し飛躍しましたが、私は私自身の学びをまとめました。

皆さまは、いかがでしょうか。

間もなく終了の時間になりますので、初心者様へのお答えは、web誌友会後、明日にさせていただきたく存じます。よろしくお願いいたします。

261復興G:2013/02/17(日) 23:38:34 ID:AB6RqYXc

終了時刻の23:30になりましたので、世界平和の祈りをもって、一応誌友会を終了させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

◇◇◇世界平和の祈り◇◇◇
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い
すべての人々の心に、愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

◇◇◇光明思念の歌◇◇◇
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ご参加くださいました皆さま、ご協力、ありがとうございました。
 そして閲覧してくださいました皆々さま、ありがとうございました。

 高級善霊のお守り、お導きをいただいて、ますます生き甲斐ある幸福の道を歩まれますように。
 おやすみなさい。

262復興G:2013/02/18(月) 09:01:38 ID:AB6RqYXc

初心者様

おはようございます。

昨夜はすばらしいご質問を頂戴しましたこと、ありがたく感謝申し上げます。昨夜はちょっと疲れてもう目がしょぼしょぼしていましたので、お答えを本日に延ばさせて頂きました。おゆるしください。

さて、
>>257
>>「固体の実相世界は非実在であり、ない」との確約を得られるのであれば、それだけで十分です。確約はいただけますでしょうか。<<

私は、「固体の実相世界」などというものはあり得ないと確信しております。

>>258
現象世界を正しく説明するのであれば、「影であるから、ほんらいない」ではなく
「現象世界は神の計画を実現するために、人類がそれをあるがごとく経験しているのである」というべきではないでしょうか。<<

そうですね。
『神 真理を告げ給う』のp.44〜p.49には、次のように記されていました。

     ○

 完全な神の分身であるあなたが何故迷うかと、あなたは問うであろう。“迷いは何処から来たのか”というのは仏教でも重大な設問になっている。「“迷い”本来無し」と一刀両断に截ち切る解答は従来からある。それでも、「では、その本来無き迷いが、どうして恰もあるかの如くあらわれて来るのか」という最後の問が残るのである。その最後の問に“わたし”は答えることにする。

     ○

 あなたは仏教の「煩悩即菩提」という語をたびたび聴いたこともあるし、読んだこともあるであろう。“迷い”がそのまま“菩提”の道程であるということである。“迷い”という「菩提とは別なもの」があるのではないのである。“迷い”と見えているものが、実は“悟り”が動き出し、現象化しつつある道程であるから、“迷い”本来無しといい得るのである。
 あなた達が“迷い”だと思っているものは、実は“わたし”が“神の国”を地上に顕現するための土台又は地盤になるための精神的基礎工事を行うために授けたところのものなのである。

     ○

 時間及び空間というものは本来ない。実相世界は超時空的存在の世界であるからである。時問の観念、空間の観念は物質的存在を心に描くための謂わば“画布(カンバス)”として必要なので“わたし”が人間に与えたところの架空的観念である。それは光の波を固定して映画の光景として見せるスクリーンの役目をなさしめるために“人間の心”に対して“わたし”が与えたところの概念である。このスクリーン上に生命の波動(心の波)が放射されると、生命の波動(心の波)が固定化されて物質化して感じられるのである。この物質化として感じられる基盤がなければ、地上に天国を建設するという“わたし”の芸術を成就することが出来ないので、“わたし”は人間に時間空間の観念を与えたのである。時間及び空間は“わたし”の創造である。
<つづきます>

263復興G:2013/02/18(月) 09:02:20 ID:AB6RqYXc

(『神 真理を告げ給う』p.46〜p.49より、つづきです)

     ○

 空間の観念を与えられた人間は、恰もスクリーンを与えられた人間が映写機から放射される光の波を、単に“光の波”として感受せずに物質界に起った具体的事象として感ずると同じ原理で、生命の波動(心の波)を単に波動として感受せずに、それを地上世界の物質的事象として感じ、その物質を具体的確固な存在として感ずるのである。地上が具体的存在だと感ずる精神的地盤が成立しなかったら、地上に天国を実現することは不可能なのだから、生命の霊的波動を物質化して感じ、地上を具象的存在だと感ずることは地上天国建設の第一歩の成就なのである。

     ○

 しかしながら、また別の観点からするならば、生命的波動を、空間面上の“物質”と翻訳して誤認することは“迷い”の発生ということにもなるのである。そして、それが、その“迷い”の発生は何処から生じたかという常に投げかけられる原因になるのである。“光”がなければ影を投ずることもないように、“迷い”は地上に天国を描き出すための画布として、“わたし”が投げかけた影である。

     ○

 “わたし”は、“わたし”の生命の霊的波動即ち“コトバ”によって先ず「光あれ」と想念して“光”を生み出し、次ぎ次ぎと万物を生み出して最後に“わたし”の最高完全のイメージの顕現としての人間を創造した。それら一切の事物と人間とは“わたし”から出たアイディアの霊的波動の顕現であるから霊的実在なのである。
 それなのに“わたし”は人間の霊的自覚を眠らせて、人間が時間・空間のスクリーン上に顕われている物質的存在なる「肉体」であるという夢を見せたのである。このことを『創世記』では「土の塵をもって人を創造(つく)り」という風に『物質人間』の重複創造として記述しているのである。それは本当に“重複創造”である。

     ○

 それが“重複創造”であるというのは、“わたし”の生命の波動即ちコトバによって創造された霊的存在であるところの“実相人間”と、その実相の自覚が眠りに入って“自己”を“土の塵”即ち“物質”にて創造られたるものと夢みている“物質人間”とが同時にそこに出現しているからなのである。

     ○

 “物質人間”は“本当の人間”ではなく、時間・空間の立体カンバス上に描かれたる“作品人間”なのである。それはテレビの画面上にあらわれた人物の如く動くのであるけれども、それは人間の心が創作した人物であって、“わたし”が創造した“神の肖像”そのままの人物ではないのである。

 しかし“わたし”はその人物の中に“わたし”の地上天国建設の念願を鋳込んである。それゆえに、彼は善悪の差別を考える理智を備えていて、兎も角も、自分の“善”と考える方向に行動しようとする欲望を備えているのである。物質の世界に、物質人間としてあらわされたる人間が、地上天国を描き出すのは、はじめて絵筆をもってカンバスに向った初歩の画家のように、充分完全なる絵を画くことが出来ないで、いろいろ試行錯誤を繰返すのである。そして中々、天国的な状態をあらわすことが出来ないで、“ああでもない”“こうでもない”と試行錯誤を繰返す。そこに善悪を差別する智的修行があるのである。この事を『創世記』第三章にはアダムとイヴとが“善悪を知る樹の果”を食したという風に書いているのである。
   (以上、『神 真理を告げ給う』p.44〜p.49より)

――上記は、とても考えさせられるお言葉ですね。

<つづきます>

264復興G:2013/02/18(月) 09:41:02 ID:AB6RqYXc

>>263のつづきです。

また、『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」の、次の質疑ご回答にも、私はとても考えさせられ、勉強になりました。長文になって恐縮ですが、謹写転載させて頂きます。

       ○

(『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」88〜99ページより)

   二、現象なしの自覚について

(問) 病はないことはない。病は現象としてあるのである。それはただ実在ではないのである。それを「病なし」と言いきるのは言いすぎである。現象は無いことはない、現象を全否定してしまうのはまちがいである。現象は本体的実在ではないことはもちろんであるが、本体展開して現象となるのであって、現象なしと言いきってしまうのは奇矯だと言う人があります。(中根氏出題)

(答) 生長の家では「現象は実在でない、病は実在でない」という言葉を各所のページで説いておりますが、また時には、非実在と書いて「あらず」とか「ない」とかふりがなをつけたところもあります。が、近ごろはいっそう平易なわかり易い言葉で直截的簡明に「病気はない」「現象はあるように見えてもない」と力強く言いきることにしているのであります。

 わたしがなぜこう言うかは悟った人は知っていると思います。われわれが平常使っている言葉は、現象界を言いあらわす言葉であって、実相に直参する言葉ではありませんから、その言葉をそのまま利用して、至妙の実相に直参せしめるためには、普通とちょっと違う「奇矯に見えるかもしれない」言葉を使うのであります。言葉は月を指す指であって、言葉の表現にとらわれていては、月を指す指の形が太いとか細いとか議論していると同じで、いつも月が見えないことになるのであります。

 「現象はない」という言葉をわたしが使うようになるには霊感的な導きはむろんありますが、わたしとしては人間的にもよほど苦心したのであります。第一、「実在」という言葉は哲学上の言葉でありまして、普通の人には(少なくとも中学程度卒業くらいまでの哲学的素養なき人には)理解しがたい言葉なのであります。
 「実在」とは何を意味するかということになりますと、大変むずかしいことになりまして、『生命の實相』のような大衆の光明化を目指している聖典には、こんなむずかしい言葉はなるべく少なく使いたいと思いました。

 ある信徒の方はわたしに「生長の家は高遠の真理を驚くほどやさしく書いてありますが、どうもまだ言葉がむずかしいと言う人が多いから、できるだけやさしく書いてくれ」というような注文もせられたのであります。

 いろいろ考えたすえ、この「実在」という哲学上のむずかしい言葉を、わたしはたんに「アル」または「本当にある」という言葉に代えたのであります。これを哲学的に理屈を捏ねて、実在でないというのと単に「ない」とは大いに意味が違うような言葉の穿鑿問題に浮き身をやつすのはまちがっているのであります。

 わたしの使っている言葉にはいろいろ平易化の上に苦心があるのですから、言葉で引っかかって揚足をとらずにその真意を知って実相に直参していただきたいのであります。

 が、「実在」と「アル」とはそんなに問題にするほど違いません。また、その逆、「実在でない」と単に「ナイ」とはそんなに違いません。「実在」という言葉はむずかしそうな言葉でありますけれども、英語では、“Being”すなわち「在ること」という字を使って「実在」と言うのであります。わたしはこの英語の易しさに感心しました。「実在」と言わずに「アルコト」とは平易で要をつくしています。「実在」が「アルコト」であれば、「実在でない」ことを「ない」と平易に言ったら、かえって平易でわかりやすいと思います。

 むろん、英語の“Being”を「実在」と読ませるにはBを花文字にしてあります。日本語には花文字がありませんから、花文字を使うわけにゆかないので、前後の関係で「実在でない」という意味をわからすように苦心した上で「ない」という言葉を使い、また時々、花文字の代わりに、その「ない」という言葉の所に傍点を付したりして、それとなく解るようにしてあるのであります。
<つづく>

265復興G:2013/02/18(月) 09:42:07 ID:AB6RqYXc

<『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」88〜99ページより、つづき>

 生長の家で、「現象は無い、肉体は無い」とハッキリ「無い」と言いきることに反対する人に二種あります。その一説は、色即是空の「空」という字は単に「ない」という言葉と異う、アルにはアルのであって何かアル、それは実在でないと言うだけだ、と言う人であり、その二は「諸法実相」という仏教上の言葉を「現象即実相」と解する人であります。

 ところが、仏典には「空」をハッキリ「無し」と断言してあるところもあります。『般若心経』にも「五蘊皆空」と書いてあって、その「空」を説明するためには、「色受想行識もまた無し」とか、「老死無し」とか、「老死の尽くることも無し」とか、仏教でもやはり「無い」という言葉を持ってきて説明するほかに仕方がないのであります。

 「老死」すなわち老いたり死んだりすることは現象でありますが、『般若心経』には「老死というものは単に無いのではない、現象としてはあるのである。実在でないだけである」というように、長たらしい緩慢な表現の仕方をしてないので、端的に簡明直截的に「老死無し」と一喝し、始めから人間に老死は無いのだから、これから悟って無くなるというようなものでないという意味をふくめて「老死の尽くることも無し」と言っているのであります。

 『般若心経』の用語などでも「空」とは単に無とはちがうというような批評をせられる人から見たら、「老死無し」というのは言葉が奇矯である。老死は実在に非ずと言わなければまちがっている。もし「老死無し」というような奇矯なことを『般若心経』に書いたら人心を惑わすものであると経文の結集者に抗議を申し込まねばならぬでありましょうが、その当時は言葉に引っかかる人がなく、用語がまずくても経文の神髄をつかむ人が多くて、その経を読んでも気狂になる人もなく、かえって気狂が治るくらいで、今に至るまで、この経文が改竄されたということを聴かないのであります。

 実際に『生長の家』を読んで「不完全な現象はあるように見えてもないのだ」また「ただ至妙の実相のみがあるのだ」と教えられても、続々と病気が治る、環境が治る、経済状態がよくなる実例があらわれるのはなぜでしょうか。はたして「現象はない」「病気はない」「不幸はない」等々……というふうに「ない」という言葉を使うことが、不適当なのであれば、そういうよい結果が起こることはありません。

 世間普通の人は、現象界の出来事は皆そのままあると思っているのです。それで、現象の一種である病気もあると思っている。老死もあると思っている。不幸も災難もあると思っている。あると思うがゆえに捉われ、捉われるがゆえに病気にかかりやすく、かかった病気が治りがたく、かえって老死を速め、不幸災厄の前に屈服してしまうのです。
 しかしそれらの不完全な現象は、「あるように見えてもないんだぞ」とわたしが掛け声をかけてあげると病気に崩折れていた人が妙に立ち上がり、もう老衰していたと見える人が若返って白髪まで黒くなり、不幸の前に勇気を失っていた人が勇気を回復して事業に邁進成功し、意地悪の姑や、放蕩の良人なども、あるように見えてもないんだぞと掛け声をかけると、そんな悪い姑や良人はない、神の子たる本当に深切な姑や良人ばかりがあると思って姑や良人に隔意なく事えるようになって、今まで地獄状態であった家庭が光明化した実例もたくさんあります。

 「ない」という言葉と「実在でない」という言葉は哲学上の論議を交す場合には、あるいは厳密に区別して使わなければならぬ時もあるかもしれませぬが、生長の家でわたしが「ない」という言葉を現象に関して使う場合は、哲学上の理屈をこねるためではなく、老病不幸等(現象)をあると思って執着していて、かえって迷い苦しんでいる人に、その迷い苦しみを取り去るために、応病与薬的に投げかける喝であって、それが「言葉の薬」として実際的に迷いを去る上に効果を顕わして迷いが去り、老病不幸が治っていれば、それでわたしの目的はとげられ、信徒が『生長の家』や『生命の實相』を読む目的を達せられているのであります。
<つづく>

266復興G:2013/02/18(月) 09:42:49 ID:AB6RqYXc

<『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」88〜99ページより、つづき>

 たとえば、薬というものはたいてい毒性をもったものですが、病気に応じて、適当に調合して適量に用いると効くことがあります。現象界をあると思いすぎて執着し、苦しんでいる人に対しては、「ない」という端的直截な言葉が一等よくきくのであって、「ない、ない」と幾度繰り返しても、五官の方では常にあるように見えていて、「ある、ある」と主張してくれているのですから五官の方での「ある」という主張と、生長の家での薬語「ない」とが適当に中和して、迷いや執着を去る上に効果を奏し、事実上、実効上、病気が治り、不幸その他がいちじるしく癒やされているのですから、生長の家で、「現象は無い」という言葉を使うのは、その用法がまちがっていると言われないのであります。

 およそ薬というものは、薬それ自身に毒性があるから使ってならないというわけのものではないのであります。モルヒネは毒薬であっても、本当にそれがよく効いたら人間に適するようにしてそれを使えば、かえって胃腸病が治ったり神経衰弱が治ったりすることがあります。そうすると、モルヒネのような毒薬でも、本来毒であるか薬であるかは容易に分かるものではない、使いようによって毒ともなれば薬ともなるのであります。

 それと同じく、「無」という言葉も下手に使えば、人を気狂にするかもしれない、今まで哲学にかぶれて厭世自殺をしたり、仏教の「空」をさとったと思って隠遁生活をする人が出たりして、仏教は厭世思想だという悪評を受けたのも無を説き「空」を語る言葉の薬剤が、効きすぎたり、効かなすぎたりしたからであります。
 上手にこれを使えば、現に、生長の家のように病を治し、運命をよくするのであります。

 同じヨードでも、ヨードは普通なら細胞を破壊する激毒性がありますが、ある操作をこれに加えておくと強壮剤となります。

 「無」の言葉は今まで「ある」と思っていた現象を「ない」と言いきるのですから、ヨード以上に峻効をもっている。それを適当の効果を持たすように、文章の中にいわばコロイド状に組み込んであるのが『生長の家』であり、『生命の實相』であります。だから『生長の家』を読んで効くか効かぬか、薬になるか毒になるかは、読んだ多数実験者の実際例によって証明せられているのです。

 かくのごとく「無」の字は峻効を有するので、生長の家では、それが人間に働きかけて、生命を生かすので、有効無害の働きをするように、文章中に巧みに他の言葉と混ぜて調合してあるのであります。「無」の字、「ない」という言葉は、生長の家の発明でも発見でもありません。釈迦の昔からある言葉ですが、生長の家の独創的なところは、「無」の字、「ない」という言葉を、文章全体の中に織り込んであるその織り込み方にあるのであります。

 この織り込み方はわたし独特であって、わたし独特のインスピレーションによって書いてゆくので、誰にも真似はできないのであります。思想は真似はできても、言葉の調合は真似ができないのであります。だから、今までお経を読んでも聖書を読んでも治らなかった病気でも、その同じ真理が説いてある生長の家では、聖典を読んだり話を聴いただけで病気が治るのであります。

 「現象はない」とか「病気はない」とかいう言葉は、語法が不穏当であるとかいって注意して下さるのはありがたいが、毒性峻烈なヨードでもヨード剤として特殊の分子構造のうちに結合せしめてヨードを安定せしめたときには無害有効となるがごとく、「無」の字の効果は峻烈であっても、わたしの書きまたは話す特殊の文章組織の中に結合せしめたときに効力が最も卓絶した薬物となるのであります。
<つづく>

267復興G:2013/02/18(月) 09:43:37 ID:AB6RqYXc

<『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」88〜99ページより、つづき>

 それで、『生命の實相』を読む人にはその人の心の中に、こちらで処方した「無」の字の一定刺激を連続的に与える方が効果がよいのであります。それで、生長の家で説いている「無」の字や、「現象はない」という語だけを抽出してその「無」の内容や効能を理屈でいろいろ詮議しても「無」の字の効果は、わたしの執筆全体にひろがっていて、はじめてヨード剤のように効果を現わしますのですから、単に「無」の字や「現象はない」の語句だけを抽出して語句の適否を非難することは見当外れです。ヨード剤でもその成分中のヨードだけを抽出して激毒性であると言って批評してみても、ヨード剤全体が効果を現わせばその薬は優良であるではありませんか。

 薬剤に併用禁忌の薬があります。たとえば鉄剤を飲んでから、タンニンを含有するものを飲むと、鉄とタンニンとが結合して、吸収不能のタンニン鉄になるのであります。生長の家で「病気はない、老死はない、不幸はない、あるように見えても現象はない」と言いきるところに飲み易い(無学者にも解り易いの意)美妙な言葉の鉄剤となるのですが、その「ない」という言葉に茶々を入れる批評を読むときには、その「茶々」の中にはタンニンが含まれていますので、そのタンニンがせっかくの「ない」という言葉の鉄剤と結合して吸収不能のタンニン鉄となり、読者の心に「無」の字の吸収を不完全ならしめ、心の鉄剤の効果を薄めますので、わたしはこれを避けたいと思っているのであります。

 近ごろ、生長の家思想の有名なると効果の顕著なるにつれて、その全体の思想を踏襲して、包装や名称だけを加えて、一旗あげてみようとし、かつあまり同じことを書いても受売りであると一見わかるので、同じ意味を異なる文章で書き表わし、「何々会」等という別異の名称で雑誌などを出される方がありますが、そういう雑誌の文章は「無」の字の言葉の調合法がちがうので、わたしの処方した「言葉の鉄剤」に「茶々」を入れることになります。

 茶々を入れられるとその人の心のうちで、「無」字のバランスがこわれるので『生長の家』を読んで万事好転していた人が、その種の雑誌を併用したために「無」字の鉄剤の吸収率が鈍ってふらつく人があります。そうしてその種の、雑誌の現象はあるとかないとか論じてある文章を読んだ日には、心のバランスが破れてなんとなく不安で、会社にいても思うように仕事が運ばなかったり、集金が集まらなかったり、ついぞ起こらなかった歯痛が起こってきた人などもあります。

 「無」を説くのは仏教でも、一燈園でも説いている。キリスト教でも解釈の仕様によれば「無」を説いているのです。生長の家と、それらの宗教とどこがちがうかと言いますと、「無」字の扱い方が「ない」と易しく言いきって、その「ない」がわたしの文章全体の流れの上に巧みに効果的に織り混ぜられていて、古今に多く類例を見ないような、読む人のこころに端的に作用して、病を即座になおすほどに心の解放を与え、「無」を説くとも隠遁的にならず、厭世的にならず、かえって積極的な活動力を与える点にあるのであります。

 むつかしい複雑な「無」の理論をお読みになりたければ仏典にはいくらでも複雑なものがありますから、『大乗起信論』でも、『大般若経』でもお読みになるとよいと思います。

 この問題については「善き樹はよき果実を結ぶ、果実を見てその樹の良否を知れ」というキリストの言葉でお答えしたいと思います。理屈でその樹は悪い果を結ぶはずだという理論が通りましても、実際その樹が善き果を結ぶ場合には理論の方にまだ気づかれない欠陥があるのです。理論で宗教で病気が治るはずがないと結論されても、実際に治る以上はその理論の気のつかないところに真理があるのです。

 真理というものは多数決の理屈で定まるものではありません。そういう論議を読むのに費やす時間がありますならば、言葉をよく調合せしめたる――「無」字を巧みに調剤してある聖典『生命の實相』を幾度でも繰り返し読んで、少しでもいっそう深く悟りに入られるよう希望致します。

(以上、『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」88〜99ページより)

268トキ:2013/02/18(月) 10:07:05 ID:HPyZdUGM
復興G様

 長時間のご指導、ありがとうございました。本当に勉強になりました。
また、投稿者様にも深く感謝申し上げます。

 多数の閲覧者様にとって、有益な内容だったと確信しております。また、web誌友会の開催中は
閲覧数が上昇していた事を考えると、多くの信徒様がご覧になったと思います。

 今後とも、ご指導をよろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

269復興G:2013/02/18(月) 10:27:08 ID:AB6RqYXc

>>267のつづきです。

 以上、聖典の引用文ばかり長くなり、申し訳ありませんでした。

 「実相」とか神の御心は限りなく大きいもので、私たちの内にもその無限が宿っているにしても、現象的にはまだまだ未開発の未熟者ですから、私は勉強中であり、初心者様に「こうだ」と断定的に申し上げるようなことはできません。
 上記の聖典などを繰り返し拝読しながら、真理の深さに打たれ、学び、熟慮しているところであります。

 なお、生長の家では「縦の真理」「横の真理」ということも言われ、「縦の真理」は「人間は神の子。実相独在」ということであり、「横の真理」は「三界唯心、現象は心の影」と説かれておりますが、この「横の真理」にとらわれ、思わしくないことが出てくると「これはどういう心の影だろうか」と引っかかって内向きになり、自分を責めて自己処罰してしまう人も結構まじめな信徒さんに多く見られたように思います。それで榎本恵吾氏などはそういう人たちに、「現象は影に過ぎないのだから、横の真理は“ないもの”の法則ですよ、“実相独在”だけでいいのですよ」と強調され、それによって初めて救われたという人もたくさんいます。

 現象は実相が展開中で未完成ですから不完全で、不調和や悪が「ある」と見える。それを善くしよう、「悪」を消そうとして悪を見れば、「見るものが現れる」という法則によって、ますます本来ない悪があるかのごとく出てくる、という悪循環を繰り返して悩んでいることが多いのが現状ではないでしょうか。そこから救出するための特効薬が「現象なし」「実相独在」という言葉であって、このことはもっともっと徹底する必要があるのではないかと、私は思っております。

 だいたい以上のようなことで、お答えになったでしょうか。

270初心者:2013/02/18(月) 12:41:04 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>私は、「固体の実相世界」などというものはあり得ないと確信しております。

と力強い言葉で確約をいただきましたこと、感謝いたします。

「初心者は雅春先生を否定している」とほうぼうで思われているようですが、
わたしが否定してきたのは「固体の実相がある」とされる雅春先生の教えです。

固体の実相さえなければすべてが説明できる。固体の実相があれば、なにも説明
できない。こうした事情にふれながら、わたしが雅春先生の教えを否定するかの
ような発言をくり返す、その理由を説明してきたつもりなのですが、「雅春先生は
固体の実相があるとはいっておられない」といった反論はついぞみかけることが
ありませんでした。これはいったいどういうことなのでしょう。

みなさまは「実相世界は固体である」と考えておられるのではありませんか。固体
と考えるためにダブルバインドにかけられているのではありませぬか。

復興Gさまもいつぞやわたしに、「実相世界には美女がいて酒が飲める。パース
ペクティヴもある」とこのように説明なされました。パースペクティヴがあるという
ことは、実相世界を固体的三次元世界と考えるしかないということになりはしない
のですか。

生長の家の方々は、「固体の実相世界がある」と思い込んでおられるためにダブル
バインドにかけられています。ダブルバインドを解消することをもって「悟り」と称し
ておられるはずです。真の生長の家の教えとは、固体の実相世界を「あり」とする
教えなのではありませぬか。

271うのはな:2013/02/18(月) 13:37:13 ID:a.OcI.Rc
初心者総裁先生

 総裁のお話は、こことは毛並が違うように思えるのですが?

272復興G:2013/02/18(月) 13:40:04 ID:AB6RqYXc

>>270 :初心者様。

>>わたしが否定してきたのは「固体の実相がある」とされる雅春先生の教えです。<<

――私は寡聞にして、谷口雅春先生が「固体の実相がある」と教えられたことを知りません。どこにそんな教えがあったでしょうか。

273初心者:2013/02/18(月) 14:04:28 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>――私は寡聞にして、谷口雅春先生が「固体の実相がある」と教えられたことを知りません。どこにそんな教えがあったでしょうか。

「固体の実相があるとされる雅春先生の教え」と書くのと、「固体の実相があると
された雅春先生の教え」と書くのとでは、意味がまったくちがってまいります。

「固体の実相があるとされる」とは、たとえば復興Gさまが「パースベクティヴは
ある」と言われたように、弟子たちによって「雅春先生の教えがそのようにみなさ
れている」との意味もふくめて書いたつもりです。

もちろんどこかで雅春先生が、実相世界には「荘厳なる建築物がある」といった
ような意味のことを説いておられたのを読んだ記憶がありますが、どこであった
のかはさだかでありませんので、これにふれることはいたしません。

弟子たちが「実相世界は固体である」と思い込んでいるフシがある。このことを
問題にしております。

274初心者:2013/02/18(月) 14:07:18 ID:4YcI.wfQ
うのはなさま〜

ホープ様がわたしを呼びだされて、復興Gさまと対話することをのぞまれたのですよ。

275初心者:2013/02/18(月) 14:22:23 ID:4YcI.wfQ
かつてこちらで問題になった、雅春先生と倉田百三氏の「寂光論争」ですが、論争
のなかで雅春先生は「実相世界には形がある」とのご主張で、「実相は寂光であ
る」とする倉田百三氏の主張をしりぞけようとなされていた、との記憶があります
が、あの論争はなにが問われていたのでしょうか。最終的には病気が治るかどうか
が問題にされていたという気がいたしております。

276復興G:2013/02/18(月) 14:38:38 ID:AB6RqYXc

>>273 :初心者様。
>>「固体の実相があるとされる」とは、たとえば復興Gさまが「パースベクティヴはある」と言われたように、弟子たちによって「雅春先生の教えがそのようにみなされている」との意味もふくめて書いたつもりです。<<

――そんなことを書いたことがあったかなあと探してみましたら、ありました。
≪現象世界にパースペクティブがあるなら、その元の時空間を超えた、時空間を生み出した元の実相世界にもパースペクティブはある。実相世界は「静」でなく「動」でもある。「動」でありながら不変であるという、現象世界では考えられない、一切の根源世界なのです。実相世界は時空以前の世界だけれども、そこには具体的な形も全てあるのです。≫
と、偉そうに書いたことがありましたね。

しかし、そのときも私は「固体の実相がある」とは思っておりませんでした。
「パースペクティブ」とは、「遠近感のこと」くらいの理解しかなく、ともかく実相世界は本源世界でそこにはすべてがデザインされてあるのだから、遠近感もふくまれているはずだ、くらいの思いで、そう書いておりました。

しかし、それは「デザインされている」というようなことであって、「固体の実相がある」となどは全く思っておりませんでした。

>>弟子たちによって「雅春先生の教えがそのようにみなされている」<< と書かれましたが、そうでしょうか。そんな根拠がどこにあるのでしょう。

277初心者:2013/02/18(月) 15:05:28 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>>>弟子たちによって「雅春先生の教えがそのようにみなされている」<< と書かれましたが、そうでしょうか。そんな根拠がどこにあるのでしょう。

「実相世界には美女がいて、酒も飲める」と復興Gさまはかつておっしゃられまし
た。これを実相世界は弟子たちによって固体とみなされているフシがある、と判断
する根拠としてあげることができます。

また#25の投稿で、ホープ様は以下のごとく述べておられます。

>とあるように、きっと実相世界では、この世界のすべての人々が病むこともなく、
老いて死すこともなく、怒ることもなく、悲しむことも、悩むこともなく
、完全円満な姿で大調和して暮らしているのだろうな…」と想像しています。

「完全円満な姿」といっておられることから、ホープ様は「固体の実相世界」を想像
しておられるのはあきらかではないでしょうか。

さらに根拠をあげるなら、すでに述べましたように、わたしは「固体の実相世界」を
否定してまいりましたが、「雅春先生は固体の実相世界など説いておられない」と
の反論は皆無であったということです。これを「実相世界は固体である」とみな
さまが思いこんでおられると判断した根拠としてあげることができます。

あとは、それぞれの方に「実相世界には形があるとおもわれますか」とたずねて
みられればよろしいのではないかと考えます。

278初心者:2013/02/18(月) 15:27:54 ID:4YcI.wfQ
「固体の実相世界がある」とするのが、唯一にして最大の虚説です。固体の実相
世界などどこにもあるはずがありません。

かつて「真実の世界は流体である」とするわたしの主張にたいして、るんちゃんは
「そんな世界は人を幸福にしない」といったような意味の反論をなさいました。

るんちゃんにとっても、実相世界は固体的世界でなければならないようです。現象
世界をたとえ否定しようとも、べつの場所に、現象世界とよく似ていて、それで
いて不都合なことはいっさい起きない世界があるとおもえるからこそ、弟子たち
は安心して現象世界を「ない」と否定できるのではないでしょうか。

もしも否定したあとに形ある世界などどこにもないとしたら、それでも否定できる
でしょうか。真実の世界が、固体ではなく流体であったとしても、現象世界よりは
マシだとおもえる人が、いったいどれほどいるというのでしょうか。

現象世界をことさらに否定しようとする人たちの気がしれません。

279復興G:2013/02/18(月) 16:19:21 ID:AB6RqYXc

>>277 :初心者様。

>>「実相世界には美女がいて、酒も飲める」と復興Gさまはかつておっしゃられました。これを実相世界は弟子たちによって固体とみなされているフシがある、と判断する根拠としてあげることができます。<<
――それは、過去ログを探してみましたら。初心者様が

>>わたくしはただ、実相世界はどこが面白いのか?と、このことに疑問を持っております。
むかし、フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」という曲が流行りました。歌詞に「天国よいとこ、いちどはおいで。酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ」というのがありましたが、実相世界でも酒は飲めるのでありましょうか。長身美形のおねえさまがたはおられるのでありましょうか。<<

 と、問いかけをされましたので、私はお答えして

≪──神様には御神酒を献げるのが祭りの行事であります。“サケ”は“栄える気”という意味だそうで、神様も御神酒を召し上がるのですから、神の国なる実相世界ではもちろん酒は飲めて、おいしいでありましょうね。そして、高天原ではアメノウズメノミコトが裸踊りをなさってるんですし、龍宮城では乙姫様が舞い踊っておられるのであります。高天原も龍宮城も、実相世界の別名でございますから、「ねえちゃんはきれいだ」どころではないと存じます。≫

 と、書いておりました。
 それは、>>実相世界はどこが面白いのか?<< に対してのお答えであったわけです。
 実相世界が面白くないなんてことはあり得ない、と思ったからです。

 それがどうして>>これを実相世界は弟子たちによって固体とみなされているフシがある、と判断する根拠としてあげることができます。<< ということになるのか、わかりかねます。

 また、
>>「完全円満な姿」といっておられることから、ホープ様は「固体の実相世界」を想像しておられるのはあきらかではないでしょうか。<<

 というのも、わかりません。「完全円満な姿」とは、限定された姿ではないはずです。もちろん、想像するときには、ある限定された笑顔などを心に描くことはあるかも知れませんが、それがすべてだと限定しているということはないでしょう。

>>わたしは「固体の実相世界」を否定してまいりましたが、「雅春先生は固体の実相世界など説いておられない」との反論は皆無であったということです。これを「実相世界は固体である」とみなさまが思いこんでおられると判断した根拠としてあげることができます。<<

――初心者様の、頭が痛くなるような投稿文を、誰もが読んでいるなどとは思われません。反論がないというのは、みなそれぞれ忙しくて、読んだり反論したりしていられないということだと、私は思います。私自身もある時期以後は読まなくなっていました。

280SAKURA:2013/02/18(月) 16:28:09 ID:sn/vJ89M
復興G様」 へ  「トキ様」 へ  
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>254>>256
>>259 SAKURA投稿の続きです…。

>>260の「復興G様」の投稿内容から〜〜閲覧させて頂きまして
■>聖典からたくさんの御文章を引用させて頂きましたが、みな自分の勉強のためでした。
それで、学んだことをまとめますと  ―云々―   (一部抜粋)
==============================================

■■此の投稿内容の中で【みな自分の為の勉強……】此の言葉…そうなのですネ??
正直申しますと…“スロ−・テンポのSAKURA”ですから、脳内回路がめまぐるしく><
「復興G様…」の次々頂きました“テキスト投稿”を、私は、付いて行くだけで精一杯の私が?
大変貴重なテキスト資料…お忙しい中に転載して頂きまして、それを私なりに消化しますのに、
頭が混沌となる場面も個人的には、多々ありました。

しかしながら…それでも、私なりに“パソコン”を前に、キ―打って行くうちに、更に!読み直す
事によりまして、思いもかけない数々の箇所をひらっていく…また、その箇所での理解力を深め、
文章表現がダンダンひらめいていくのです。
そうこうしますと「断定した言葉は有限…」で、更に!「進む事が無限…」と云いますこの仕組み
が分かり、今までの【迷い・悩み…】が私なりに全てわかるように成りましたかと。
更に、いろんなテキスト資料を、後にて、素直に拝読していくうちに、新たなるいろいろな思考が
浮かびまして【益々…未知の遭遇の世界】に出会った感じです。
もう一度「タイムマシン…タイムスリット」で戻るには、私の固執した“心…”が砕けて行く
ように成りますと“心は戻る〜♫”のではと思いました。

■≪使命≫……此の言葉を自問自答しますと……
まずは【 私の使命は、“愛”足りないのではと?そこから出発の旅でしょうかと。 】
❤〜【真理…】・【光明…】・【智慧…】・【絶対の…“愛”】が要約、今回の頂きました“テキスト”を
自問自答にて、殊のほか【実感…】させて頂く事となりました。…「感謝…」

■遅くなりましたが…
今回の【WEB誌友会】参加させて頂きました事に、深く感謝申し上げます。
                         ❤〜 ありがとうございます…。

PS:頂きました“テキスト…”から、個人的に、随時…勉強をさせて頂きます…。

281復興G:2013/02/18(月) 16:38:20 ID:AB6RqYXc

SAKURA様

たくさんのレスをいただき、ありがとうございます。

お返事をさしあげたいと思いながら、まだできないでいます。すみません。

282初心者:2013/02/18(月) 17:03:04 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>それは、>>実相世界はどこが面白いのか?<< に対してのお答えであったわけです。
 実相世界が面白くないなんてことはあり得ない、と思ったからです。
 それがどうして>>これを実相世界は弟子たちによって固体とみなされているフシがある、と判断する根拠としてあげることができます。<< ということになるのか、わかりかねます。

復興Gさまは、実相世界は面白いところだと考えておられるということですね。
その根拠として「美女がいて酒が飲める」とおっしゃられたと理解してよろしいのですね。

形のない美女がいて形のない酒を飲んでどこが面白いのでしょう。これが面白い
といわれる復興Gさまのお考えこそ理解できかねるものです。

こういう説明を聞けば、形のある美女がいて、形のある酒が飲めるので実相世界
は楽しいのだと、たいていは考えますよね。そういうつもりで説明したのではない
とおっしゃりたいわけですね。

形のない美女を相手に形のない酒を飲む。これのどこが面白いのか、あらためて
ご説明いただけますでしょうか。

ところで、「固体の実相世界を否定してきた」というのは、「初心者は雅春先生を
否定している」との批判がよせられているものですから、これに反論する形で
「固体としての実相世界だけを否定している」と反論したものです。

こうしたわたしの反論にたいして、雅春先生が「固体の実相世界」を説いておられ
ないということを知っているのであれば、「雅春先生はそのような教えは説いて
おられない」と再反論すればよいだけのことです。そうした反論がいっさいなかっ
たのなぜなのでしょう。これをどのように解釈すればよいのでしょうか。

「わたしを批判する人たちが、わたしの反論を読んでいなかった」という説明は
成り立たないとおもわれます。

283初心者:2013/02/18(月) 17:04:25 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

わたしへの返信はあとまわしでかまいません。

284初心者:2013/02/18(月) 17:20:05 ID:4YcI.wfQ
しつこいようですが、ひと言。

雅春先生は固体の実相を説いておられない、というのはわたしにとって好都合な
ことでありますので、これを否定しようとは考えておりません。

ただ、「雅春先生は固体の実相を説いておられない」というのが生長の家の人々の
共通認識であるのか、ということをたしかめたいだけです。あとになって「そうで
はない」といわれてもこまりますので、共通認識であることを確認したいという
ことであります。

復興Gさまのお言葉から、これは共通認識であると判断いたしますが、それでよろ
しいのですね。

285トキ:2013/02/18(月) 18:06:34 ID:HPyZdUGM
>>284

初心者様

 これは私の頭が悪いせいだと思いますが、「固体の実相」という概念が理解できないと思います。
 おそらく、他の方々もそれを理解するのが難しい状態だと思います。

今、私の縁者の「一白鳩会員」が書いた「詳密講習会」のノートを読んでいます。ノートだけでは
分からないので、「一白鳩会員」が時間のある時に、解説を聞きながら少しずつ「詳密講習会」の
講義内容を勉強しています。

 「詳密講習会」の内容は、かなり高度な内容ですが、今の時点では、「固体の実相」という表現
はもちろん、それを連想させるご指導もないようです。この講習会でも説かれていないという場合
は、かなり古い資料をもひもとく必要があるでしょうが、谷口雅春先生が特に言及されていないか
もしれません。谷口雅春先生はそれをご存知だったと思いますが、率直に言って、講義の実益がない
というのが原因かと思います。生活者である私達にとって、優先順位としては、別のものがあると
思われるのです。

 よく生長の家で説かれるのが、幻灯機というか、スライドの上映の図をもって、実相と現象の喩え
に使われます。ランプがあって、フィルムがあって、レンズがあって、最後にスクリーンに投影され
る、という仕組みです。ランプやフィルムまでが実相世界で、それは完璧だが、レンズに曇りがある
と、スクリーンがおかしくなる、という話になります。このランプは変わらなくても、フィルムが
変わるという発想をするのなら、”個体の実相”を谷口雅春先生は説いておられない、という事は可能
かもしれません。実際には、フィルムではなくて、「流体の実相」が変化をする、という考え方は
可能だと思います。

 ただ、これは私個人の感想で、「これが答えだ」と断言するつもりはないので、ご注意下さい。

286復興G:2013/02/18(月) 19:05:53 ID:AB6RqYXc

>>282 :初心者様

>>復興Gさまは、実相世界は面白いところだと考えておられるということですね。その根拠として「美女がいて酒が飲める」とおっしゃられたと理解してよろしいのですね。<<

――私は
≪──神様には御神酒を献げるのが祭りの行事であります。“サケ”は“栄える気”という意味だそうで、神様も御神酒を召し上がるのですから、神の国なる実相世界ではもちろん酒は飲めて、おいしいでありましょうね。そして、高天原ではアメノウズメノミコトが裸踊りをなさってるんですし、龍宮城では乙姫様が舞い踊っておられるのであります。高天原も龍宮城も、実相世界の別名でございますから、「ねえちゃんはきれいだ」どころではないと存じます。≫

 と申しました。
 実相世界の有様を現象界のわれわれが具体的に知ることなどできないのはわかっています。
 しかし、実相世界は「神の無限のよろこびの海……」と基本的神想観でも念じており、無限の智慧・愛・生命・喜び・調和という神の6つの御徳の生かす力に満たされているところである、ということから、上記のような表現を使ったわけであって、その言葉尻をとらえて揚げ足を取るようなことはナンセンスだと思いますが。

>>ところで、「固体の実相世界を否定してきた」というのは、「初心者は雅春先生を否定している」との批判がよせられているものですから、これに反論する形で「固体としての実相世界だけを否定している」と反論したものです。<<

――そうでしたか。

>>こうしたわたしの反論にたいして、雅春先生が「固体の実相世界」を説いておられないということを知っているのであれば、「雅春先生はそのような教えは説いておられない」と再反論すればよいだけのことです。そうした反論がいっさいなかったのなぜなのでしょう。<<

――私は、初心者さまのそのような反論は読んでいませんでした。ほかの人のことは、わかりません。
 しかし、トキ様が
>>これは私の頭が悪いせいだと思いますが、「固体の実相」という概念が理解できないと思います。<<

と書いていらっしゃいますように、「固体の実相」という概念は、ほとんどの人に理解できないと思われます。

>>284
>>「雅春先生は固体の実相を説いておられない」というのが生長の家の人々の共通認識であるのか、ということをたしかめたいだけです。
復興Gさまのお言葉から、これは共通認識であると判断いたしますが、それでよろしいのですね。 <<

――私は、上記のように“「固体の実相」という概念は、ほとんどの人に理解できないと思われます”から、
<「雅春先生は固体の実相を説いておられない」というのが生長の家の人々の共通認識になっている>とも思いません。それが私の感想、認識です。

私自身も、初心者様がなぜ
>>「固体の実相世界がある」とするのが、唯一にして最大の虚説です。固体の実相世界などどこにもあるはずがありません。<<

とおっしゃらねばならないのか、理解できていません。

287初心者:2013/02/18(月) 19:42:03 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>その言葉尻をとらえて揚げ足を取るようなことはナンセンスだと思いますが。

復興Gさまには、わたしの問いかけがたんなる揚げ足取りにしか感じられないのですね。

Dブレーンには本物の美女がいて、本物の酒があり、本物の人間が美女を相手に酒
を酌み交わしているとわたしは考えています。もちろん美女にも酒にも形はありません。

わたしは、形のない世界についてもっと知りたいと考えています。復興Gさまから、
形のない世界にかんする何らかのビジョンや新しい着想がいただけるものと期待
して問いかけたつもりなのですが、これをたんなる揚げ足取りとされ、ナンセンスと
されるということなのですね。

形のない世界にかんして何かをつかんでおられると期待したのですが、どうやら
とんだ見込み違いであったようです。

>――私は、上記のように“「固体の実相」という概念は、ほとんどの人に理解できないと思われます”から、
<「雅春先生は固体の実相を説いておられない」というのが生長の家の人々の共通認識になっている>とも思いません。それが私の感想、認識です。

「固体の実相」とは、実相世界は現象世界と似ているのかということです。よく似た
世界と考えてよいのかということです。ほとんどの人に理解できないことを尋ね
ているという認識はありません。よく似た世界であるのか、まったく似ていない
世界であるのかということです。このことにかんしてどのような共通認識があるの
かということをお尋ねいたしております。

288トキ:2013/02/18(月) 20:08:26 ID:HPyZdUGM
 初心者様の投稿を拝見していると、何だか映画のマトリックスを連想してしまいます。
あの映画では、巨大コンピューターに接続された人間の頭脳に、コンピューターから信号
が送られ、脳内では、一種の幻影をみていて、それがその人の人生になっていました。

 ただ、個人的な感想では、以下の点があり得ると思います。

 一つは、固定の実相や流動の実相について、谷口雅春先生は明確なご指導をされていな
い可能性はあります。すると、信徒がこの問題について議論をする場合、共通の考え方
というのは存在しないで、各人の感想とか考えという程度に留まると思います。ですから
この点について、「生長の家の信徒の共通の認識」を得るのは、困難だと考えます。

 もう一つは、この問題について、議論の実益があるのか、という疑問です。
例えば、今、この文章をタブレットで書いているとします。画面上には、文字はならびますが
タブレット内部では、あくまでも信号の状態で留まっています。二進法ですから、
一見したら、無意味な数字の羅列になると思います。が、それが、インターネットで送信
され、この掲示板の運営会社のサーバーに送られると、ある段階で、人間の目に見える形
になります。それは、一つの段階ではなくて、いくつもの段階を経ます。すると、ある段階
では、人間から見たら無意味な信号でも、ある段階を経ると、人間の目でも見ても、理解が
できるものになります。しかし、例えば、閲覧者様のパソコンやタブレットの調子が悪いと
文字化けをして、読めないのも事実です。

 が、文章をうっているタブレット上の画面では、人間が読める状態になっています。

 つまり、タブレット上の文章は、信号なのか、文字なのか、という議論に近くて、それは
両方とも正しい、という答えになりかねない、というのが感想です。

 というのも、私個人の感想で、「生長の家の信徒の共通の認識」ですから、ご理解下さい。

289復興G:2013/02/18(月) 20:11:28 ID:AB6RqYXc

>>287 :初心者様

>>「固体の実相」とは、実相世界は現象世界と似ているのかということです。よく似た世界と考えてよいのかということです。<<

それは、映画の譬えでいえば実相世界はフィルムの中に完成している作者の創作で、現象世界はスクリーンに映し出された映像、ということですから、似ていない別のものということはないでしょう。現象は実相の具体的展開です。しかし、フィルムとスクリーンの映像では、次元が違うといいますか、フィルムにあたる実相の作者はスクリーンそのものもつくった制作者であり、スクリーン(次元)を超えたところにあるわけですから、その意味では全然違うとも言えるでしょう。

実相に形がないことはない。実相に形がなかったら、現象に形が写ってくることもあり得ないわけですから。しかし、前にも申しましたように実相の「形」はデザイン、アイディア、理念の形というようなものであって、固体化した形ではない、というのが私の認識です。

290初心者:2013/02/18(月) 20:29:42 ID:4YcI.wfQ
トキ様

わたしは、雅春先生は、神が完全なる実相世界を創造し、完全なる人間を創造なさ
れたと説いておられると考えておりました。「創造はない」と考えたわたしは、
「神が完全なる人間を創ったとは考えていない」と書いたのですね。すると光明
掲示板から「初心者は雅春先生の教えを否定した」との反応がかえってまいりました。

こうした反応からみて、雅春先生が「神が完全なる人間を創造した」と説いておら
れるのは間違いないと考えてよさそうです。では雅春先生は、実相世界や実相
人間はどのようなものとして創造されたと説いておられるのでしょうか。形のない
ものとして創造されたと説いておられるのでしょうか。

ところでトキ様、わたしは現象世界を「マトリックス」という言葉で表現しておりま
す。マーヤとは、ヒンドゥー教で「幻想」を意味する言葉とされていますが、マトリック
スの語源ともなっているようです。マーヤがマトリックスの語源であることを知った
のは、もちろん「マトリックス」という言葉を使いはじめたあとのことです。

「論証の意味があるのか」ということですが、わたしはいまの議論を、生長の家の
人々にみられる「人間知をことさらにさげすみたがる傾向」の根絶へと、できること
なら結び付けたいと考えております。

なにを知り、なにをつかめば人間はあれほどまでに尊大な態度をとれるように
なるのか。これを復興Gさまに教えていただきたいと考えております。

291復興G:2013/02/18(月) 20:47:28 ID:AB6RqYXc

>>290 :初心者様。

>>なにを知り、なにをつかめば人間はあれほどまでに尊大な態度をとれるようになるのか。これを復興Gさまに教えていただきたいと考えております。<<

――私は、初心者様に、異常な「尊大な態度」を感じておりますよ。

>>生長の家の人々にみられる「人間知をことさらにさげすみたがる傾向」の根絶へと、できることなら結び付けたいと考えております。<<

というお言葉にも、それを感じます。

292初心者:2013/02/18(月) 21:04:04 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

いわれるように、わたしはたしかに尊大な態度をとっております。しかしこうした
態度をとるようになったのは、「人間知」とさげすまれるようになったからであると
自分では考えています。

尊大さには尊大さで立ち向かう。これがわたしの流儀です。

293初心者:2013/02/18(月) 21:12:22 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

復興Gさまが最初にこちらにこられたとき、わたしも一緒になって「アホ、アホ」と
いっておったのですよ。それがなぜこのようになってしまったのか、それは理由
なきことではないということをご理解ください。

294復興G:2013/02/18(月) 21:20:25 ID:AB6RqYXc

初心者様。

そうですか。わかりました。

では、永久にこのような戦いは続きますね。

295初心者:2013/02/18(月) 21:29:52 ID:4YcI.wfQ
トキ様

>よく生長の家で説かれるのが、幻灯機というか、スライドの上映の図をもって、実相と現象の喩え
に使われます。ランプがあって、フィルムがあって、レンズがあって、最後にスクリーンに投影され
る、という仕組みです。ランプやフィルムまでが実相世界で、それは完璧だが、レンズに曇りがある
と、スクリーンがおかしくなる、という話になります。このランプは変わらなくても、フィルムが
変わるという発想をするのなら、”個体の実相”を谷口雅春先生は説いておられない、という事は可能
かもしれません。実際には、フィルムではなくて、「流体の実相」が変化をする、という考え方は
可能だと思います。

上記の説明がなされるかぎり、「固体の実相」を想定するのは困難と考えます。もし
も上記の説明を取り入れながら、しかも「固体の実相」を「あり」とするならダブル
バインドがかならず生じます。

「固体の実相」を想定しないのであれば、上記のような説明でなされる雅春先生の
教えの基本的な思想は、それほど特別なものではないという気がいたします。
「固体の実相」を取り入れた瞬間にダブルバインドが生じ、それは特別なものとなります。

本流独特の尊大さは、「固体の実相」を取り入れたことに源流があるのではないか
とわたしはみております。「固体の実相」を否定できれば、雅春先生の教えは特別
なものではなくなり、本流はその尊大さを維持できなくなると考えております。

296初心者:2013/02/18(月) 21:37:41 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>では、永久にこのような戦いは続きますね。

雅春先生の教えのなにを知り、なにをつかめば、あれほどまでに自分を偉い人間と
おもいこめるようになるのでしょうか。

297復興G:2013/02/18(月) 22:55:38 ID:AB6RqYXc

初心者様。

>>いわれるように、わたしはたしかに尊大な態度をとっております。しかしこうした態度をとるようになったのは、「人間知」とさげすまれるようになったからであると自分では考えています。
尊大さには尊大さで立ち向かう。これがわたしの流儀です。<< (>>292

という初心者様のコメントに対して、私は

≪そうですか。わかりました。
では、永久にこのような戦いは続きますね。≫

と書きました。

その心を、初心者様は全然くみ取っていただいていないのですね。

<尊大さには尊大さで立ち向かう。>

この流儀を貫いて行かれる限り、永久にこの戦いは続きますね。それでよいのですか、と私は言いたかったのです。

雅宣総裁も、講習会で、生長の家の教義の三つの柱は
1.実相独在
2.唯心所現
3.万教帰一
だと説かれていると思います。
「唯心所現」は、「三界唯心」とも言って、自分が変われば相手が変わり世界が変わる、ということだと思いますが、初心者様はその生長の家の教えを否定して、相手が変わらなければ自分は変わらない、とおっしゃるのでしょうか。

総裁は、「大調和の神示」に回帰しよう、とおっしゃっているようですが、「天地一切のものと和解せよ。ただし、人間同士はその限りにあらず」というのが生長の家なのでしょうか。

「万教帰一」と言いながら、生長の家を信奉する同士が分派をつくり罵りあい争いあっている、生長の家というのはお家騒動の家だ、ということで有名です。こんなことで、それは仕方がない、俺の知ったこっちゃない、あいつらが悪いんだ――とお考えなのでしょうか。

お伺いします。

298志恩:2013/02/19(火) 03:55:23 ID:.QY5jUA6
初心者様

横スレ失礼致します。

初心者様がおっしゃる「固体の実相世界」という言葉は、私も今まで 聞いたことの無い言葉でしたので、

大先輩である復興様やトキ様は、聞かれたことがおありなのかしら?と、お答えを待っていましたら、お二人ともやはり、
お聞きになっておられないようでした。若いメンバーのSAKURA様やるん様の反応もそれについては、ありませんでした。

それで、その言葉は、どこに書いてあったのか、または、どこでお聞きになられたのか、
初心者様に、教えて欲しいなと思っております。

「神様の智慧が、固となって現われ、、」という表現は、確か どこかで聞いた気がしますけれど、
「固体の実相」については、知りません。

雅春先生は「実相世界」については、
「実相世界」は、

無色、無聴、無味無臭、無触の世界では非ず、
無限の妙色、妙音、妙味、妙触を備えている無限次元の世界なのである。

われらが、実相世界を現象界に投影する「念のレンズ」が浄まって、その屈折率が少なくなるにしたがって、
感じる感覚が豊富になり、感覚の種類が増加してくる。。。と説かれておられました。


私も、「実相世界では、」と、言うときがありますが、私は、そういう場合は、実相世界そのものを指しているのではなく
「実相が 素通しで 投影された 世界 であれば」という意味で、使っていました。
皆様もそうなのでは、ないでしょうか。

というより、「実相世界」そのものの捉え方が、異なってるんだという意味だとしましたら、ピントがずれてて
答えになっていませんね。


また、258:で初心者様は、

>>生長の家では、現象世界を「迷いの産物」として表現しませんでしょうか。もしも
このように表現するなら、一コマ一コマを現象世界として映し出す仕組みが迷いを
つくりだしているということになってしまいます。<<

と言われましたが、復興G様が、重複創造のことを謹写下さいましたので
私も大変勉強になりました。

雅春先生は、「現象世界」については、
「生命の實相」の生命篇にも、

「現実世界の眼に見えている存在は、光もあれば闇もあり
『真理』の投影と『虚』の投影とが、相交錯(あいこうさく)しているのが、この現象世界である。
現象はない、と現象を断ち切るのは、そうすることにより、大自在に達するからである。」

とお示し下さっておられます。

ですから、現象世界全体を、迷いの産物だとは、おっしゃっておられませんでしたよ。  

私等は、昔から実生活で、精神的に追いつめられて、切羽詰まった状況におかれたときに、
雅春先生の説かれた教えを、まっすぐに信じ 真剣に行じることにより、

つぎつぎに、問題と見える事柄が、好転してきましたので、つまり、理屈ではなく
実体験の連続で、腹の底から、その ほんものさ を体験し認識していることですので、

それを理屈で説明するのは、困難なのです。  つづく

299志恩:2013/02/19(火) 04:06:01 ID:.QY5jUA6
少し勉強した「波動」言語で お話させて頂きます。

言葉も「波動」ですが、現象世界の物体・物質も波動ですよね。

テーブルを普通に見れば、
そこに固い物質としてのテーブルが見えます。しかし、それは
肉体の波動である肉眼で見れば固体として見えますが、、霊的波動の世界から見れば、隙間だらけの物体です。

つまり、
波動の細かい霊の世界から見れば、波動の粗い肉体世界は隙間だらけの世界と言えます。
だから、霊は肉体に入り込む(憑依)出来ると言われています。

そして、波動の細かい世界からみましたら、粗い世界は見える。人間が修行によって肉体の粗い波動を
霊化し、微妙な波動にしていくことで、霊的な世界が見えてくるようになる。

神想観を行ったりするのは

この肉体波動を霊的波動に 作り替えて行くための修行です。

そうすることで、よりスピーディに微妙な神霊の波動に近づける。
そのために、現象世界はない、ない、ないと、自分に言い聞かせ 肉体感覚を否定していく。

つまり、これは、我の否定により、そして、現象世界を否定していくことにより 本源の実相世界に座するすべです。

そして、自我の意識がなくなりますと、真我(神の子人間)の 真実の姿が現れる。

もともとの生長の家の教えは、人間が肉体であるという「迷妄」を脱却して人間の本体とは何かを頭脳ではなく、
意識を進化させることによって把握しようとする宗教ではないでしょうか。

人間の奥の方にある神様の意識に近づく。これは肉体の頭脳だけで なしうることは困難なことです。

しかし、
人間がこの地上に肉体を持って生まれたということは、誰もがこの修行をなさねばなりませんから,何度も生まれ替わって
来ているそうです。

われわれは、転生を必要としない段階まで魂が進化すれば、この段階から抜け出せるそうです。

但し、イエスキリストや、仏陀等の聖者・救世主として生まれ変わってきた方々は…別。

これらの方々は、生まれ かわらなくても良いのですが

地上の人類の救済のために生まれかわって来ていると聞いています。

雅春先生も、そのお一人で いらっしゃるのかどうかは 存じ上げません

300志恩:2013/02/19(火) 04:12:52 ID:.QY5jUA6
ディスカッションを拝見していますけれど、
むずかしいご質問や会話は、
今後も 復興G様、トキ様と おねがいします。

なにせ私は、アッシ言葉じゃないと、江戸っ子なので さっぱり わからないもんで。。

301SAKURA:2013/02/19(火) 05:26:24 ID:RBq1jPYU
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「志恩様」 へ
おはようございます……。     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>254>>256
>>259>>280 SAKURA投稿の続きです…。

>>242の「志恩様」 へ
遅くなりましたが“お返事…”ありがとうございます。「WEB誌友会」も名目上終わりましたので…
最初に【別板での投稿内容…志恩様(URL…)】を、間違いまして私が此処の【WEB誌友会】にて
投稿しました事を、深くお詫び申し上げます…。後で気づきまして「お詫びの投稿をと…」
その予定でしたが、タイミングが外れてしまいまして、此処で改めましてお詫び申し上げます。

■さて「亡き母」が、当時の“黒人の方との結婚された方との個人相談”の事を、先日此処にて
投稿【聖典 板】致しました。…が?当時の私は、まだ学生でした。…が?今おぼろげなる記憶を
たどりますと、確かその方の“イメ−ジ”は俳優でいきますと「岸田今日子さんの雰囲気」が多分に
あり、育ちの良さがつたわっていましたかと。当時、私は、座敷にいましたので、その方に“お茶”
の差し入れを持って行きました。その時の「会話…><」はですが、私は、ぶしつけに「奈良県の
生まれですか〜〜〜」と確認するように聞きますと、その女性は「現在在中は…奈良ですが??」と
…それでつい「でしたら、出身地は奈良ではなく?出身はどこなのでしょうか?」つかさず聞きますと、笑って「中心なのですが??中心〜〜〜?」と言われた記憶があります。…が?「中心ってどこ??」と、後日「亡き母」に聞きますと、「亡き母…」が、笑いながら「中心は中心なの〜〜〜?
これで〜〜〜終わり?」今にして考えますと「東京出身…」だったのでしょうか??それとも〜〜
私達の同じ氏族だったのかしら〜〜〜ン!「亡き母」の先祖は「元!京都出身…」ですから、今に
してみれば“モット!モット!”聞いていたらとの思いが、致します。?

その方のシグサは、育ちの良さが見えました。…が?もしかしますと「志恩様」とおなじ年齢前後?
でしょうかと思いました次第です。???
「志恩様」も、横浜?高台の方?とか……以前の投稿にて記載されていましたかと…。

最後に“風邪”…云々…とお聞きしていましたが?もう〜〜〜全快されましたのでしょうか??
“お身体”を、お大事に…♫…
                            再合掌
PS:
「志恩様」の文章中…【固定実相…】此の件の私なりの解釈はありますが…此処での投稿は
記載しましても「初心者様」自身が〜〜〜判断されました場合には、おそらく…???かとの
判断があります。ですから「私のブログ」に…記載する事にしました。但し【実相・現象】は、
【教区会員 板】に投稿させて頂きます…。[かわいい感じのSAKURA流 解釈論]なのです。
そして、予定は未定ですが〜〜〜?ころ合いを見まして「ブログ…」紹介させて頂きます…。

PPS:今から【お祈り…】致します…。

302トキ:2013/02/19(火) 09:49:00 ID:9wlISb0c
>>295

初心者様

 ご投稿、ありがとうございます。

>>本流独特の尊大さは、「固体の実相」を取り入れたことに源流があるのではないか
>>とわたしはみております。「固体の実相」を否定できれば、雅春先生の教えは特別
>>なものではなくなり、本流はその尊大さを維持できなくなると考えております。

 うーん、まあ、本流復活派と言われる人達の中には、確かに尊大な人はいます。でも、
教団側にも偉そうな人はいます。さらに言えば、先日書いたように、他の宗教団体になる
と偉そうな人はもっとたくさんいます。宗教団体に関係ない人になると、尊大な人はゴロゴロ
います。

 つまり、誰かが尊大な事は、教義の問題ではなくて、その人の問題だと思うのです。

 だいたい、谷口雅春先生は、生長の家の幹部や講師は威張ってもよい、とはどこにも
書いてないと思います。むしろ、静思集なんて本を拝読すると、先生と言われる事は
危ない事だ、といぐらい書かれています。

 だから、生長の家を自称する人が、尊大な態度を取るのは、その人が実は、信仰という
ものを本当には分かっていない、という事を意味するだけだと思います。

 大事な事は、生長の家を自称する人が尊大な態度をとるのを見たら、自分はそうでないか
と省みる事だと感じます。

 余談ですが、ソルジェニーツィンの収容所群島の中で、「善と悪をくぎる線は、民族の
中にあるのでもなく、宗教の中にあるのでもなく、イデオロギーの中にあるのでもなく、
人の心の中にあるのだ」と書いています。

 と、思いますね。

合掌 ありがとうございます

303初心者:2013/02/19(火) 10:10:58 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>その心を、初心者様は全然くみ取っていただいていないのですね。

「くみ取る」の意味がわかりません(おっしゃりたい意味はもちろん理解しておりま
す)。復興Gさまは、一部外者のわたしに問題があると考えておられるのでしょう
か、それとも生長の家の体質に問題があると考えておられるのでしょうか。

わたしの心が変わったとして、それで生長の家の体質が変わると考えておられる
ということなのでしょうか。わたしは20年間、生長の家とはかかわっておりません
でしたが、教団の体質はいぜんよりもひどくなっております。これがわたしの心の
あらわれだとおっしゃりたいのでしょうか。

先日も、「本流は総裁を利用しろ」と書いたところが、「どのように利用すれば
よいのか、あなたは具体的に書く必要がある」といってこられた人があったので、
なぜわたしが説明しなければならないのか、その理由は判然とはせぬものの、
とにかく答えようとおもい、「本流は具体的になにをなさそうとしているのか」と
これ以上ないというくらいにへりくだった態度で質問いたしたのです。

このあたりまえの質問にたいして返ってきた返事が、「(半端者が)一人前の
口をきくんじゃない。これが社会の一般常識だ」というものであったのです。

どうやら、本流になにかを問いかけるには、雅春先生のご著書を熟読したあと
でなければならないというのが、本流の常識ではなく社会の一般常識であると、
その人はおっしゃりたいようでした。

ひと言でいえば、雅春先生のご著書を熟読して、しかもそれを無条件に受け入れた
ものだけが本流と対等に対話できるということになりますでしょう。これが、本流に
とっては、もはや社会の一般常識でさえあるということなのですね。

このような言われ方をするのは、生長の家的には「自分の心に問題があるからだ」
と考えますね。たしかにわたしにも反省すべき点はあるのでしょう。しかしですね、
一部外者のわたしに反省を求めるのか、先日も学ぶ会の電話の応対の尊大さが
問題になったように、以上のごとき、社会の一般常識とはおよそかけはなれている
としかおもえない対応が常態化しているとおもえる本流に反省を求めるのか、と
なったときに、それでも復興Gさまはわたしに反省を求めるとおっしゃられるので
しょうか。

304初心者:2013/02/19(火) 10:20:54 ID:4YcI.wfQ
志恩様

「固体の実相」とは、すでに申し上げたように、多くの信徒の方々が、雅春先生が
説かれる実相世界を現象世界とよく似た世界と思い込んでいるフシがある、と
いうことです。思い込んでおられないのであれば、話がしやすくなるので問題は
ありません。思い込んでおられるとしたなら、これはやっかいな話です。

305初心者:2013/02/19(火) 11:47:39 ID:4YcI.wfQ
トキ様

わたしがとくに申し上げたいのは、「人間知」という言葉に代表される尊大さ
です。世の中に尊大さを売り物にする輩は少なくないにしても、「人間知」にたい
する批判を売り物にする尊大さは、あまり聞いたことがありません。

雅春先生は、医薬に関係する近代的知性を批判する形で登場なされたはずです。
雅春先生のお考えのなかにも、「人間知」にたいする批判や否定的心情は間違い
なくおありだろうと考えます。

生長の家に根強くはびこっているであろう、人間知をことさらに蔑視しようと
する感情的傾向が雅春先生の教えと無関係であるとは考えておりません。

306復興G:2013/02/19(火) 12:16:04 ID:AB6RqYXc

>>303 :初心者様

私は、
≪「万教帰一」と言いながら、生長の家を信奉する同士が分派をつくり罵りあい争いあっている、生長の家というのはお家騒動の家だ、ということで有名です。こんなことで、それは仕方がない、俺の知ったこっちゃない、あいつらが悪いんだ――とお考えなのでしょうか。
お伺いします。≫

と、お伺いしました。
それに対するお答えは、結局、

<自分は20年間、生長の家とはかかわっていなかった一部外者である。だから、生長の家がどうなろうと、俺の知ったこっちゃない。それは信徒が悪いんだ。谷口雅春先生の教えにも疑問がある>
――とお考えだということになりますか。

307初心者:2013/02/19(火) 12:28:49 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

わたしは以下のようにお尋ねいたしております。雅春先生の教えのなにを知ったと
おもい、なにがわかったとおもえれば、本流やその他の人々のごとき尊大な態度が
とれるようになるのでしょうか。この問いかけにたいするお答はいただけないので
しょうか。

これまで、わたしがいったいどれだけ「人間知」、「頭脳知」、「脳内運動」、「五感知」
といった表現で否定的にあつかわれてきたか、復興Gさまはおそらくご存じないで
ありましょう(あとはまあ、人格攻撃に身元詮索、揚げ足取りや重箱のすみをつつく
がごときくだらぬ批判ばかりです)。

否定的にあつかわれるだけならまだしも、具体的にどこがどうだから人間知なの
だ、といった応答は皆無です。いっさい説明なしに否定的な言葉を投げかけられる
だけです。

さくら様とやりとりしている最中にもたびたび割り込んでくる人があり、なにを
いうかとおもえば、「コントだ」、「漫才だ」、「五感知でしか考えられないことを恥じ
よ」というだけで、具体的なことがらについてはなにもコメントなされません。

こうした傾向はホープ様にも見受けられます。「真の生長の家の教え」でまわりを
囲い込み、それ以外は「虚説」として排除しようとしておられます。「人間知」が
「虚説」に置き換えられただけで、あとはまったく変わり映えのしないことを
やっておられるだけです。

「虚説」の内容については、理解できないことを口実に、具体的なことがらはほと
んどいっさいなにもコメントしようともしておられません。反論があっても、理解で
きないのを口実にいっさい応答しようともしておられません。尊大な態度をとり
たがる輩たちとはいささか異なった新バージョンではあっても、まったくの焼き直
しでしかないといえます。

聞くところによると、「虚説」を連発されるホープ様にたいして、復興Gさまは「神の
声を聞かせてください」とおっしゃられたとか。これは事実なのですか。もしこれが
事実であるとすれば、復興Gさま、あなた様はなんとなさけないことをなさって
おられるのでしょう。

「真の生長の家の教え」がなんであるかは存じませんが、雅春先生の教えのなにを
知り、なにがわかれば、それを「真の生長の家の教え」と名乗り、それとは異なる
考えを「虚説」としてしりぞけることできるようになるのでしょうか。復興Gさまは、
いかなるご所存で「真の生長の家の教え」に迎合しておられるのでしょうか。

わたしがいっているのは、以上のごとく、そのほとんどがわたしの個人的なことが
らに属する問題です。「生長の家がどうなるのか」ということまで、一部外者でしか
ないわたしに考える責任があると、復興Gさまはいっておられるのでしょうか。問い
かけの意味がまったく理解できません。もっと明確に述べていただけますでしょうか。

308初心者:2013/02/19(火) 12:59:57 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

尊大な態度をとりたがる輩、しかり、ホープ様、しかり。教えのなかに人をそうさせ
るなにかがある。ちがいますか。

これは唯心所現で片づく問題ではなく、構造的な問題と考えます。人をしてその
ようにさせるなにかがある。これはその構造の問題であるというのがわたしの
予想です(唯心所現で問題を解決しようとしても構造は温存されるだけです)。

教えの構造。日本語の言語構造。わたしにできることがあるとすれば、これを
いくらかでも分析していくことだけであると考えますが、いずれにしても、わたしに
は荷が重すぎる課題です。

309トキ:2013/02/19(火) 14:22:22 ID:9wlISb0c
初心者様

 「人間知」、「頭脳知」、「脳内運動」、「五感知」というのは、自分を戒めるために使う
用語です。他人を攻撃するために使う時点で、それは谷口雅春先生の教えから逸脱していると
思います。その点は指摘したいとおもいます。この場合、問題にすべきは智慧ではなくて、愛
の問題です。普通、他人にそれを言うのが失礼で、思いやりがない発想であることがわかれば
そういう使い方をしないと思います。

 ところで、初心者様は、生長の家部の掲示板で行われたバトルの原因が、教えの構造にあると
お考えです。まあ、この点は、管理人がいい加減なためである、と考えるのが普通だと思うので
すが(笑)、それならば、疑問に感じるべき点はあると思うのです。

 これは、以前にも申しましたが、他の宗教の掲示板でも、この手のバトルはよくあります。
生長の家以外の宗教でもバトルもあります。宗教以外の世界でもバトルはあります。これらは
生長の家の教義とは全く関係ない場所で行われています。無論、生長の家の世界で、こういう
事が起こっているのは問題ですが、しかし、他の世界でも起こっているのは、教義の構造とは
無関係だという証明になるとは思います。

310初心者:2013/02/19(火) 14:33:31 ID:4YcI.wfQ
トキ様

それでは、「人間知」と批判する人たちに批判の根拠をあたえているものとはなん
なのでしょう。

311復興G:2013/02/19(火) 14:46:08 ID:AB6RqYXc

>>307 :初心者様。

>>わたしは以下のようにお尋ねいたしております。雅春先生の教えのなにを知ったとおもい、なにがわかったとおもえれば、本流やその他の人々のごとき尊大な態度がとれるようになるのでしょうか。<<

雅春先生の教えで、生長の家の教えは「常不軽菩薩の教え」であると言われております。常に人を軽んぜず、すべての人に仏が宿っているとして、すべての人を拝む。たとえ「そんなことがあるものか」と石をぶつける人がいても、石の届かぬ所まで逃げてまた「あなた様も本来仏でいらっしゃいます」と拝んだという常不軽菩薩のように、すべての人が本来仏(神)であるとして拝むのが生長の家であると教えられています。

それだのに、「本流」を名乗る人々、「谷口雅春先生を学ぶ」と言っている方たちの中にも、尊大な態度をとる方たちがいらっしゃることは、私も過去において感じたことがあり、「谷口雅春先生を学ぶ会」は「――学ばない会」になっているのではないか、と感じたので、同会に入ろうと思ったたことはありません。今は変わってきているのかも知れませんが。

ですから、
>>なにがわかったとおもえれば、本流やその他の人々のごとき尊大な態度がとれるようになるのでしょうか。<<
に対するお答えは、
「教えのわかり方が足りないとき、尊大な態度がとれる」
のではないかと思っております。

「神は、すべてものものを自分自身として見給う。」
その神のように生きよう、というのが生長の家であると思っております。

そして、総裁もおっしゃっていますように、すべては観世音菩薩の示現でありますから、すべてのものに神のみ声を聴くという姿勢で生きたいと思っております。

初心者様のお言葉にも神のみ声を聴きたいし、a hope様のお言葉にも神のみ声を聴きたい。ですから、a hope様に、「神の声を聞かせてください」と申しました。それがなぜ、「なんとなさけないことをなさっておられるのでしょう」ということになるのか、不思議です。

私は、a hope様に「尊大な態度」を感じたことはありません。いや、とても謙虚でひたむきな信仰姿勢を感じています。

しかし、「迎合する」という気持はなく、私はわが内なる神のみ声に従って行きます。

>>「生長の家がどうなるのか」ということまで、一部外者でしかないわたしに考える責任があると、復興Gさまはいっておられるのでしょうか。<<

私は一度もそのようなことを言った覚えはありません。

312復興G:2013/02/19(火) 14:56:58 ID:AB6RqYXc

私はこれから所用で出かけ、次は夜にお目にかかります。

313トキ:2013/02/19(火) 15:02:04 ID:9wlISb0c
 これは、法律に詳しい友人が話していたのですが、過失犯の問題を考える時に、「直近過失論」という発想をするらしいです。

 例えば、交通事故を起こしてしまった場合、起こした事故の原因となる「過失」を考える必要があります。すると
すると、事故の原因になる事実がありますが、その事実が起こる前には別の事実の存在があります。それをどんどん
追求して行くと、ついには収集がつかなくなります。例えば、交通事故で人が死んだのは、自動車という乗り物が
存在したからだ、というところまで行き着きます。だから、ある程度のところで、切るのが普通になっています。
で、普通は、その直近の過失に限定して、責任を追求するらしいです。

 掲示板で何かバトルが起こった場合、例えば、バトルを起こした人の悪意とか、管理人の過失を問うのは自然で
すが、それをどんどんと観念論的に追求して、生長の家の教えが原因だ、と言われるのは、論理の飛躍があると
感じてしまいます

 昔の唄に、「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、全部、おいらが悪いのよ」というのがあったそうですが、
その世界になってしまいます。

 つまり、観念論的な責任の追求は、ある時点で切らないと、おさまらないのではないか? と感じる次第です。

314トキ:2013/02/19(火) 15:20:13 ID:9wlISb0c
>>310

 この文章を読む前に先の文章を書きました。

 たぶん、人により動機は異なると思います。安易な文章を書く事は、掲示板の安全上、控えたいのですが、
智慧が足りないか、愛が足りないか、という事でしょうか。その動機をひとくくりにするのは、危険かも
しれません。

 争いはやはり、双方に何かが足りないからだと感じています。

315トキ:2013/02/19(火) 15:54:49 ID:9wlISb0c
>>311

 確かに、本流復活派の人の中には、ものすごく尊大な人もいると感じて事はあります。
その意味では、初心者様の発言は理解できます。

 まあ、かく言う私も、生長の家今昔物語では、総裁=初心者=トキ と同等の扱いを受けているので
すから、初心者様も少しは私の苦労も認めて欲しいのですが(笑)、それは、自分自身の反省の材料だ
と考えるべきだと思っています。

316トキ:2013/02/19(火) 16:20:32 ID:9wlISb0c
 今、少し考えてみました。

 例えば、組織に入って、運動をする。その時に指導者が、先ず、信仰を第1にしなさい、というか、
それとも、活動を第1にしなさい、というかで、差が大きいと感じます。見ていると、信仰を第1にし
なさい(本当は、それが当たり前なのですが)の人は常識があり、円満な人が多いですが、訳が分からず
活動に邁進していた人の中には、どうかという人もいました。

 あと、これは共産党の話ですが、以下の

http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/takahasisira.htm

白鳥事件の弁護人岡林辰雄弁護士をめぐって

という文章は考えさせられます。つまり、個人としては、「良い人」なのに、組織が関わると、「暴走」する
という事実です。この傾向が強い人は、「暴走」する傾向が強いと思います。

 つまり、組織の一員である、という自覚(それも大事ですが)、一人の信仰者である、という自覚から
出発しないと、おかしな事になると思うのです。これは、本流復活派、教団側にも言えると思うのです。

 今、問い直すべきは、本流復活派も教団側も、自分が一人の信仰者である、という立場から出発する事が
大事だと感じます。

317初心者:2013/02/19(火) 16:20:45 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>私は一度もそのようなことを言った覚えはありません。

これは「一部外者には言っていない」という意味なのでしょうか。明確な説明を
求めたつもりなりですが、これではなにをおっしゃりたいのかまったくわかりま
せん。謎をかけるような真似はやめていただけますでしょうか。

>初心者様のお言葉にも神のみ声を聴きたいし、a hope様のお言葉にも神のみ声を聴きたい。ですから、a hope様に、「神の声を聞かせてください」と申しました。それがなぜ、「なんとなさけないことをなさっておられるのでしょう」ということになるのか、不思議です。

そうですか、相手が誰であっても神の声を聞こうとしておられるということです
ね。

>>168 >>170 のさくら様のご投稿は復興Gさまに宛てたものですよね。この
書き込みを読んで復興Gさまはなにもお感じにならなかったのでしょうか。

わたしには、

>わたしは、復興Gさまが、なんと素晴らしいことをいうのでしょう、とお認めになる、
ホープ様のご想像の
実相など、わたしは持ち合わせてはいません。
わたしは、神から作られた、
ただ唯一の実相があるだけです。
そこには、虚説もサタンも、ありません。


>わたしにも、否定してもしきれない、誰にも分類されたくない、
真実の体験があります。
誰にでも、真摯に生きていれば、真実の体験がありますよね。
そこには、真だと偽だと、誰かに判断され、分類されることもありません。
否定されれば、怒りも感じことがあります。

といっておられるさくら様の言葉から、さくら様の心のそこからの叫びが聞こえて
くる気がいたします。ホープ様のあの浮ついた決まり文句とは比べるべくもない
悲痛な叫びが聞こえてまいります。

これにたいする復興Gさまのご返信は形ばかりのものでした。復興Gさまには、
さくら様がなにを訴えられようとも「精力的な書き込み」としてしか感じられない
ということなのですね。

浮ついた決まり文句に神の声を聞けても、心の叫びには神の声を聞こうとなされ
ない。復興Gさま、きれいごとでご自分を飾られるのはいい加減になさったらいか
がですか。訊け様はどうしてこちらに出てこられないのでしょう。なぜ参加なされ
ないのですか。なにかあったとは聞きましたが、くわしいことは存じません。

>「教えのわかり方が足りないとき、尊大な態度がとれる」
のではないかと思っております。

そうですか、ではわたしにたいして「人間知」、「頭脳知」、「脳内運動」と尊大な
態度をとった人たちは、全員「教えのわかり方が足りない」人たちとみてもよい
ということなのですね。誰がいったかということを、おそらく復興Gさまはご存じ
ないでしょうけども、「わかり方が足りない」人たちと考えてもよいということなの
ですね。

ところで、ホープ様は、「虚説」、「二元論」、「唯物論」といった言葉で他を批判し
否定するような言動をつづけておられるようにおもわれますが、これは「わかり
方」が十分に足りたうえでの発言であると復興Gさまはみておられると判断いた
しました。

ではお聞きいたします。「わかり方」が十分に足りたホープ様は、教えのなにを知
り、なにをわかったうえであのような言動をつづけておられると復興Gさまは
考えておられるのでしょうか。これをお尋ねいたします。

318SAKURA:2013/02/19(火) 16:45:06 ID:b4gcQJKI
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
おはようございます……。     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>254>>256
>>259>>280>>301>> SAKURA投稿の続きです…。

■此処【WEB誌友会…】 の展開は【有限なる世界観〜〜〜】なのでしょうかと??
そうです〜ネ!【 出口のない討論会 】に、末端信者(献金斜陽族)として個人的には見えます。
閲覧していきますと、果たして【疑問点…】が、浮かんでまいりました。…が?

❤【人を救う哲学…その展開論がみえませんし……唯!空論展開でしょうか??信者は?一般は?】

昨日は「志恩様の投稿」に【固定実相…】についての記載がなされていましたから、私は、正直
仕事の合間に【固定実相…】について考えていきますと、実に“面白い事〜♫〜”を発見致しました。
これに関しましては「雅春先生」も記しているように思いますが、やはり“具体論…”になって
いきます。そして【真理…哲学の門】の1ペ−ジを、ひらく事に成りますのではないかと。

さて、私は此処で“投稿…”をと思いました。…が?ストップ・モ−ションです。何故ならば、今
までの「初心者様の討論内容」を閲覧させて頂きながら?私の知識許容範囲内での判断は、全てに
起きまして【具体論…】が見えませんし、まず一番に感じます事は、閲覧して下さいます方々が〜
拝読されました時に……?

■果たして“幸福感〜❤”はいかがなものでしょうか? 幸福感?失せてしまいますのでは?

更に私などの末端信者が、現在投稿しましても、此処「管理人様…」は?殆どと云っていい程、
現在に於きましては、“スル―”されていますから、こちらも前以上に“投稿…”に関しましては、
それなりの事を踏まえましての投稿内容・タイミングでしょうかとも?こうなりますと…此処での
【WEB誌友会…】の意義は如何なものなのかと…此処にいたり「原点…」つまり従来の【誌友会…】
の意義との比較を否応なしにせざるおえない状況下でしょう?
これでは〜〜〜【人 を 救 済 … 心に残る真理の言葉】は〜〜〜??

最後に、今回のヒント【固定実相論…】は面白いので、私の“プログ…”に載せました。…が?
ただ、これが“引き金…”になりまして、モット専門家であります「哲学者の皆様」が投稿されて
参られますと…私もどうしようかしら〜〜〜ン!(冷汗><)と思っている所存です。何度閲覧
しましても、具体論はどうなるのでしょうか〜〜〜??此処では【大学講義…】なの〜♫でしょうか?

余談ですが、私の聴覚喪失の原因の【タタキ男…】は〜〜〜
【上げ足論法 => 話をドンドン反らしていきます事には“天才”的でしたが〜〜?】ある人の
“言葉…”にこの【タタキ男…】の話しぶりには100%中90%はその話に載せられる人物像と…
個人的に「初心者様」を見ますと【タタキ男…】に“ダブって”みえてしまいます。…が?

                                  再合掌
PS:余談ですが…吸血鬼・ゾンビの中には「学歴詐欺…」が多いのでしょうか?
…特にこの中の「B○という女性」は、すぐさま【東筑…】と二言目に云いまして、以前私の勤めて
いました“オ―ナ―”もこのインパクトが強く…随分とこの人物に関しての金銭的問題で〜振り回
され〜時間の無駄をついやしてしまい…そのような思い出があり…今回も大事な時期【裁判】にて…
当時の事を、思い出させられます感じを抱いてしまい〜〜〜ましたかと。

319a hope:2013/02/19(火) 17:01:22 ID:TqpbsVIM
初心者さま   

謹慎中ですが、初心者さまやさくらさまが、あまりにわたしのこの掲示板での発言を、
いい加減に利用されて、間違ってみなさまにお伝えされているようなので、
そういう、みなさまに誤解を与えてしまうような行為だけはやめていただきたくお願いにあがりました。

たとえば、>>317

>>ところで、ホープ様は、「虚説」、「二元論」、「唯物論」といった言葉で他を批判し
否定するような言動をつづけておられるようにおもわれますが、<<

それは、事実でしょうか?
事実であるなら、わたしの今までのそれに関した発言をすべて、ここに添付してくださいませんか?

さくらさまのお言葉だけ添付されて、わたしの発言をしていただけないのであれば、
初心者さまのお言葉は真実味に欠けるのではないでしょうか?

以上、お願いにだけまいりました。

よろしくお願いいたします。


復興Gさま

初心者さまへのご質問へのお返事は、初心者さまがそれをされてからになさってくださいね。

よろしくお願いいたします。

320初心者:2013/02/19(火) 17:52:26 ID:4YcI.wfQ
ホープ様

>それは、事実でしょうか?
事実であるなら、わたしの今までのそれに関した発言をすべて、ここに添付してくださいませんか?

わたしの言葉をどうやら理解しておられるようですね。「理解できないの」とカマ
トトぶっておられたということですね。

「すべて添付」といわれてもこまります。わたしは、「言動をつづけておられるよう
におもわれる」と婉曲に述べたつもりです。すべてでなくともよいでしょう。

>>79の書き込みだけで十分でしょう。このなかでホープ様は、「二元論」の
表現を二度ほどお使いになられて、総裁の考えを「すべて虚説」と断じきって
おられますね。ご自分の文章です。お読みになってください。

「虚説」ということはたびたび言っておられるのはあきらかですね。「唯物論」
にかんしましてもどこかで使ってはおられるでしょうけども、それがどこかは
わかりません。

いずれにしても、わたしは「言動をつづけておられるようにおもわれる」と
の婉曲な表現をもちいたのですから、「事実でしょうか?」といわれても、
たぶん事実でしょうとしかお答えすることはできません。たぶん事実だと
おもいます。

それとですね、「体調をくずした」とことあるごとにいっておられますが、それは
復興Gさまがいっておられるように、総裁によってダブルバインドをかけられた
結果そのようになられたということでしょう。

これはこちらで述べてよいことはわかりませんけども、おそらくホープ様は、生育
のある段階で強烈なダブルバインドをかけられつづけたのではないですか。

これ以上のことは申しませんけども、なにかが起こったからといって、霊的なもの
ごとやそれに類するものごとに短絡的に結びつけて考えるというのはいかがな
ものでしょう。もっとふつうに考えようとはおもわれないのですか。

321わたし:2013/02/19(火) 17:54:45 ID:CEjZCaQI
>>308 初心者さま

一介の信徒です。

「「これは唯心所現で片づく問題ではなく、構造的な問題と考えます。人をしてそのようにさせるなにかがある。
これはその構造の問題であるというのがわたしの予想です。
教えの構造。
日本語の言語構造。
わたしにできることがあるとすれば、これをいくらかでも分析していくことだけであると考えますが、いずれにしても、わたしには荷が重すぎる課題です。」」

初心者さまも「言語」に触れておられますが、言葉あるところには対立の可能性があり、傲慢な態度を生じさせる可能性があります。
これは、言葉の根本的な性質です。

ですから、こうした問題を根本的に超えるには、言葉を超えなければなりません。
もっと正確に言うならば、「思考を超える」ということです。
最も正確に言えば、「自己を超える」ということです。

私のこの言葉も、もちろん対立・傲慢の要因となります。

ですから、インドの聖者などは「沈黙」をもって語ります。
自然界のごとくに。

広がる青空、流れる雲、清流のせせらぎ、打ち寄せる波、水平線に映える夕日・・・

自然は、言葉を持ちません。
彼らは、沈黙をもって語りかけます。
それゆえ、自然は美しいのです。
荒涼としているかに見える砂漠でも、生命の住めない宇宙の星でも、そこには神の霊気というべき何かが満ちています。

自然は、対立の言葉にも傲慢の言葉にも、何も言葉を返しません。
自己を持たないからです。
言い換えれば、エゴがない、ということです。
それゆえに、自然は美しいのです。沈黙は美しいのです。

生命の実相といえども、甘露の法雨といえども、言葉をもって語るという問題があるのです。
言葉あるところエゴがあります。
それを超えるものは、沈黙以外にはありません。

322a hope:2013/02/19(火) 18:29:26 ID:TqpbsVIM
初心者さま  

わたしは、わたしは初心者さまのお言葉を、すべて理解できないほどのアホではありません。
自分の中に知識として入っていないことに関して初心者さまがお話になると理解できないのです。
それを、理解せよといわれても、理解する努力をする時間がわたしにはないのです。
わたしには家族がおりますし、仕事もしていますからね。

ところで、やはりすべて添付できないということは、初心者さまは真実をおっしゃっていられないということになりますね。

>>このなかでホープ様は、「二元論」の
表現を二度ほどお使いになられて、総裁の考えを「すべて虚説」と断じきって
おられますね。<<

>>ところで、ホープ様は、「虚説」、「二元論」、「唯物論」といった言葉で他を批判し
否定するような言動をつづけておられるようにおもわれますが、<<

この二つの内容は、まったく同じでしょうか?

わたしは、そうは感じません。
もっと説得力のある、わたしの発言の添付お願いいたします。
その上で、復興Gさまにあらためてご質問なさってくださいね。

よろしくお願いいたします。

そのあとの

>>それとですね、「体調をくずした」とことあるごとにいっておられますが、それは
復興Gさまがいっておられるように、総裁によってダブルバインドをかけられた
結果そのようになられたということでしょう。

これはこちらで述べてよいことはわかりませんけども、おそらくホープ様は、生育
のある段階で強烈なダブルバインドをかけられつづけたのではないですか。

これ以上のことは申しませんけども、なにかが起こったからといって、霊的なもの
ごとやそれに類するものごとに短絡的に結びつけて考えるというのはいかがな
ものでしょう。もっとふつうに考えようとはおもわれないのですか。 <<

こちらに関しましては、多少思い当たることもあるので、お返事することもできますが、
今は謹慎中なので、発言は控えさせていただきます。

よろしくお願いいたします。

323トキ:2013/02/19(火) 18:37:19 ID:9wlISb0c
>>321

わたし 様

 ご投稿を歓迎致します。管理人のトキです。今後ともよろしくお願いします。

 たいへん、真摯な内容で感銘を受けました。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

324うめ:2013/02/19(火) 19:47:14 ID:/3nxKE2Q

初心者様

雅春先生は固体の実相を説いておられない、と私は思っています。

325NANCY:2013/02/19(火) 20:46:54 ID:dGeUHjWM
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】で〜〜〜す。

横スレにて…失礼しますかと。
【WEB誌友会…】今回は??大波?小波?と云います感じでしょうか〜〜〜?

❤〜はじめまして〜〜〜〜〜「わたくし」様へ
よろしくお願いいたします…。

でも!不思議なな気分です。…が?
投稿文章が〜〜〜?「ひらがなのさくら様」タッチでしょうか?その様にお見受けしますかと…
世のなかには「3人似た人が〜〜〜」その様に言われますが〜〜〜

内容的には【SAKURA…】さんの今までの内容を踏まえての“総括的にまとめた感じの部分”が?
ところどころにお見受けしますかと…… これは個人的な味方です。…が?

PS:≪ここの管理人 トキ様≫…感銘とは??
何を基準になさいますのでしょうか〜〜〜? その様に思いましたかしら〜〜〜ン!
もうすぐ「裁判…」が〜〜〜そう思いますと?【生長の家…の行く末】信者・一般としても、
気になるモノですかと。
                       再合掌

326復興G:2013/02/19(火) 21:09:46 ID:AB6RqYXc

>>317 :初心者様。

出先から帰ってまいりまして、初心者様、a hope様、「わたし」様、トキ様などのご投稿文を拝見いたしました。

>>321 「わたし」様のご投稿文
「言葉あるところには対立の可能性があり、傲慢な態度を生じさせる可能性があります。……」
というのを拝見しまして、私も反省いたしました。

というのは、私もかなり初心者様のお怒りを買うような挑戦的なするどい言葉を発して、「尊大な態度」になっていたかもしれない、それについてはお詫びしなくてはならないと思いました。どうか、お許しください。

で、「沈黙は金」という諺もあり、「われは黙して行かん」もよろしいかと思いますが、素直に語るのもよいと思いますので、少し語らせて頂きましょう。

まず、
>>>私は一度もそのようなことを言った覚えはありません。<
これは「一部外者には言っていない」という意味なのでしょうか。明確な説明を求めたつもりなりですが、これではなにをおっしゃりたいのかまったくわかりません。謎をかけるような真似はやめていただけますでしょうか。<<

ということですが、これは、初心者様の>>307
>>「生長の家がどうなるのか」ということまで、一部外者でしかないわたしに考える責任があると、復興Gさまはいっておられるのでしょうか。<<
というご質問に対して
>私は一度もそのようなことを言った覚えはありません<
と申していました。

それは、私が>>297(および>>306)で
<雅宣総裁も、講習会で、生長の家の教義の三つの柱は
1.実相独在
2.唯心所現
3.万教帰一
だと説かれていると思います。
「唯心所現」は、「三界唯心」とも言って、自分が変われば相手が変わり世界が変わる、ということだと思いますが、初心者様はその生長の家の教えを否定して、相手が変わらなければ自分は変わらない、とおっしゃるのでしょうか。>
と詰問した形になっているけれども、
<「生長の家がどうなるのか」ということまであなたが考える責任がある>とは言っていない、と屁理屈をこねていたのでした。
でも、冷静に見れば、上記のご質問を受けても仕方がないような挑発的な詰問をしたと思いますので、その点はお詫びいたします。

>>わたしにたいして「人間知」、「頭脳知」、「脳内運動」と尊大な態度をとった人たちは、全員「教えのわかり方が足りない」人たちとみてもよいということなのですね。<<

――私も「お前は態度が尊大だ」と注意を受けることがあります。それは、私が「常不軽菩薩」でありたいと思いながらそうなりきっていないからだと、自己反省します。「教えのわかり方が足りないからだ」というのは、人を裁くための規準ではなく、自己反省するための規準だと思っております。

>>「わかり方」が十分に足りたホープ様は、教えのなにを知り、なにをわかったうえであのような言動をつづけておられると復興Gさまは考えておられるのでしょうか。これをお尋ねいたします。<<

a hope様は、教えが十分わかったとは言われていません。しかし、a hope様の体験は、前に私が>>166>>167で書きましたように、私自身の体験と共通するものを感じ、「よい」「悪い」を超え、理屈を超えて共感するところがあるので、それを肯定せざるを得ない気持なのです。

これでご納得いただけるとは思いませんが、少しでも私の気持ちをご理解いただけたら幸せです。私の至らないところは重々お詫びいたします。

ありがとうございます。

327SAKURA:2013/02/19(火) 21:22:00 ID:dGeUHjWM
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「a hope様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>254>>256
>>259>>280>>301>>318>> SAKURA投稿の続きです…。

■「a hope様」 へ…   (>>224の投稿内容から)  その①
「WEB誌友会」も名目上終わりましたので…今日久しぶりの「a hope様」の投稿に…
正直な話、安心感を抱きましたかと…。実は、私なりに〜〜〜

■色々〜〜〜考えていたのです。…が?TYO練馬の大泉に在中の頃…?私は、何十年ぶりかに、
「生長の家」の門をたたきました。“タタキ男”に出会って以来の私は『 信仰熱心な両親 』…
と云う概念で「生長の家…御教え」に関しては、軽い感じを抱く感がありましたかと。それでも、
潜在意識の中には「御教え…真理」が私なりに残っていましたのでしょうかと。

「生長の家の活動」は、“聴力喪失”となりましてから縁遠くなり…それに多々なる要因もあり、
いつしか私の「脳内奥殿入り?」でしょうか??さて!東京に上京致しましたのが“30代…”
からのSTART!!初めての“東京暮し”に、今からの全てに関し“新規…”と云う観点から、
近くの支部に、入会となりました。(正確には、当時の事務局の担当が??此処!此処!とその
区内での支部長名簿…紹介して下さりましての…その中からの選択)でした。…が?唯一つ、
【今後の課題…】としましては、上京したばかりですから地理的にも“うとい”存在!でしたの
で…今後は、他県からの転入に際しては、事務教区の方々が訪ねて来た信者に対しては、話を聴
いての対応策を親身にしていただきますと幸いに思います。…が?

話は変わりますが、その頃、私自身の名前で入会…今でこそ、正直に申しますが「二重投稿会員…」
でしたかと。此処で当時ですが「教化部長の奥様」が…素敵な方で、更に「地方講師」との事!
年齢的にも違和感はありませんでしたのです。ある時、この支部長宅にての誌友会の際に、いろん
な話をする機会がありまして、それがキッカケとなり、その後、事あるごとに出会いがありますと
自然に“会話のできる中…”の関係でした。…が?その方が…【宝塚出身の方…】でした。しかも
当時『女性役…』でしたとの事です。?やはり当時の事を話されますと・…「女性特有のイジメ」
が〜〜〜><凄い現象として…例えば!当時「舞台に立つ前日」に“靴の中”に、針が入っていた
りで、それを知らないではいていますと〜〜〜とても大変な事に〜〜〜多々なるイジメにて…
それはモ〜〜〜ゥ!言葉に云い現わせない世界でしたかとか〜〜〜??

また、ある時「お客様…」で中野在中の方と知り合いまして此の方も【宝塚出身…】でしたが、
その方は、余りのイジメに閉口して、途中中退したそうです。その後ですが、当時の傷からで
しょう。今でも、あのイジメは心の片隅に残っており今となっては、それでも「初心の夢…目標」
に向かい、逆にその“イジメ”をバネに最後までやり通した方が、人生の価値感として
【自信を持つ…】事に成り、全てが現状とは違った人生にと〜〜〜今では、過去の愚痴!ばかりの
人生にと……そのような事を、笑っておっしゃいました。
つづく

328SAKURA:2013/02/19(火) 21:24:37 ID:dGeUHjWM
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ 「a hope様」 へ  
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>254>>256
>>259>>280>>301>>318>>327>> SAKURA投稿の続きです…。

■「a hope様」 へ…   (>>224の投稿内容から)  その②

>>327 その①の投稿の続きです…。
■さらに「聴覚障害のセンタ−」に“手話サ−クル”に参加してからでしょうか??その中で、
とてもさっぱりした御年配の方がいました。此の方も、また【宝塚出身…】で『男性役…』、此の
方もやはりイジメはありましたそうです。…が?『男性役…』なので『女性役…』ほどではなく、
それでも、舞台に立つ“歌唱”に際して、いつしか「聴覚障害…」になり、その後、かすかな音での
歌唱〜♫となりまして、今では“ボランティアの方”に支えられて歌っていますとの事。(意外と
有名な方です。)この様に、『途中下車…』しますと❤〜【人生は振り出し〜〜〜になる!】かと、
私は思います。「a hope様」は、周囲の方に、やさしいので気を配りすぎる面があるように!
たわいのない“女性特有の感情“に振り回されたら、何のための【信 仰…】なのでしょうか?
いつも【 聖 典 板 】に投稿されていましたのでは〜〜〜周りの方が、どんなに悪態・中傷
言葉を言われても……【強い意志力】にて、いつもの明るい「a hope様」さんに戻って頂きたい
モノと思っておりました。御存じのように、私は此処でかなり“イジメ対象”にされていますが?
狭い範囲での“思考”では、永遠に『魂の成長…程遠い』と云えますかと。
人間とは【魂いの成長…】は〜〜〜???いつも自問自答していますの〜♫

それでも【祈り…】【哲学の思考…】で私は、今!以前の私と比較しますと強くなりましたでしょう。
ここFUKで、友人を作りますと、必ず!後からの尾行での「吸血鬼・ゾンビ…軍団」が、その対象と
なる友人・知人関係に〜〜〜“私達のありもしない嘘事……を中州中!!”・“ある時は店員…”に
話をして【 人間関係=コミュニケ−ション 】を、遮断するようにしているのです。…が?先日も、
≪ドラッグ≫のお店の人に〜〜〜?これが実質【FUKのNPO?どうかしますとFUKの教区に?】
二重席でしょうか??このように、最近では、お店の常連になったばかりの処でも、このような
ケ−スが多々起きています。ありもしない言葉❤【私達が独身で色目をもっているから?気を付け
ないと後が怖いですョとか?…』こんな感じで話しているとの事を〜〜〜それでも!
【心!心!を磨く事に優先…】していこうとの決意です。
今こそ!「a hope様」に与えられました【神様からの課題…】その壁を乗り越えれる「a hope様」
だからこそ…【自分を高めていく事】に、焦点を集中されましては!!

今回の事を乗り越えることこそが〜〜〜!!❤〜では元気に登場されました事に安心感を…!!

329志恩:2013/02/19(火) 22:18:50 ID:.QY5jUA6
NANCY様

>>❤〜はじめまして〜〜〜〜〜「わたくし」様へ
よろしくお願いいたします…。

でも!不思議なな気分です。…が?
投稿文章が〜〜〜?「ひらがなのさくら様」タッチでしょうか?その様にお見受けしますかと…
世のなかには「3人似た人が〜〜〜」その様に言われますが〜〜〜>>

NANCY様も、わたくし様=さくら様 と、感じられましたか。
私も、すぐに わかりました。さくらさんだってこと(笑)
普通に、今迄通り、さくらさんの名で出ていらしたら、よろしいのにね。(笑)

330復興G:2013/02/20(水) 06:23:26 ID:AB6RqYXc

初心者様

初心者様には、おそらくご多用の中、a hope様の質問に答える時間もないほどのところへ私が割り込みまして、申し訳ありませんでした。

ですから、以下のことはお聞き流しにしていただいて結構なのですが、少し語らせていただくことをお許しください。


言葉は、両刃の剣(もろはのつるぎ)です。
言葉で相手を斬れば、その同じ剣で自分も斬られねばなりません。

だから、人を斬るような言葉は吐かないで黙している方が無難でしょう。

でも、その危険な言葉を、敢えて吐かずにおれなくなることもあります。

私の吐く言葉も、自分に返ってきて自分を傷つけることになるリスク、危険を承知しながら、少しとりとめもないことを語らせて頂くことをお許しください。

まず、>>326で、私が

<a hope様は、教えが十分わかったとは言われていません。しかし、a hope様の体験は、前に私が>>166>>167で書きましたように、私自身の体験と共通するものを感じ、「よい」「悪い」を超え、理屈を超えて共感するところがあるので、それを肯定せざるを得ない気持なのです。>

と申し上げたことについて、補足と申しますか、振り返って思うことですが――。

もう60年以上も前になる学生時代のこと、それはとてもとても苦しい時代だったということを、思い出します。今でも、ときどきその苦しかったことを夢に見ます。

それはおそらく、初心者様にも、あるいはさくら様にも、状況や性質は違っても、そういう苦しいご体験はあったのではないかと想像されますが……。

せっかく大学に入ったんだから、まずはその大学の講義をしっかり聴いて勉強すべきだ、親を安心させるべきだ、「生長の家」というのも「感謝」を説いているのではないか――と説得され、それを聞き入れようとしても、どうしてもそれができない。そういう苦しい、苦しい時代がありました。
ただ『生命の實相』にすがりついて、『生命の實相』を読んでいるばかりしかできない、苦しい時代があったのです。

それは、私の力不足でついて行けなかったということもあるでしょう。しかし、それだけではない、なにか因縁のようなものを感じます。私には私の使命があって、天界からの導きといいますか、強い力で私をそうさせる何かがあったのかという気がします。

でも、そういうことがあったおかげで、人とは違う道を歩み、いま80歳の傘寿になっても、同期生の誰よりも若々しく、「人間は、死なない」という確信が持てて、生き甲斐をもって明るく生きることができています。

それは、ひとえに『生命の實相』のおかげであると思います。

谷口雅宣総裁には申し訳ないですが、総裁の書かれたものを読むのは苦労で、それによって『生命の實相』を読んだときのような救いがもたらされるとは思えません。

「総裁に中心帰一しよう」と、私も言い続けてきましたし、それでみんなが幸福になれればそれに越したことはないと思うのですが、a hope様の体験にも、「そういうことはあるだろうな」と思えてしまうものがあります。これは、前にも申しましたが、よい悪いを越え、理屈を超えた思いです。
<つづきます>

331復興G:2013/02/20(水) 08:01:48 ID:AB6RqYXc

>>330のつづきです。

初心者様は、総裁とはちがうと思いますが、総裁に共感し、共通の思いを持っていらっしゃるように思います。
それで申し上げているのですが、スルーしていただいてままいません。――

先日、床屋へ行ったときそこに置いてあったある週刊誌(週刊現代だったかと思います)で、曾野綾子さんが「イジメ」問題について書いておられたのを読みました。手許に資料がないので正確ではありませんが、

「イジメをなくするには教育制度の改革が必要だという議論があるが、制度改革でイジメはなくなるものではない。人間はみな、いじめることに快感を覚えるような性(さが)をもっている。だからイジメは大人の社会にも、どこにでもある。一方、どんな悪人にも、善性が宿っている。そういうことを前提に考えなくては、制度を変えても決してイジメはなくならないだろう。」
――ということを、体験をまじえながら語られていて、説得力のあるご主張でした。

初心者様は、>>308
>>これは唯心所現で片づく問題ではなく、構造的な問題と考えます。人をしてそのようにさせるなにかがある。これはその構造の問題であるというのがわたしの予想です。教えの構造。日本語の言語構造。わたしにできることがあるとすれば、これをいくらかでも分析していくことだけであると考えますが、いずれにしても、わたしには荷が重すぎる課題です。<<

と書かれましたが、私は「構造の問題」ではないと考えます。

初心者様は、生長の家の人々はことさらに「人間知」を軽視したがる、それは教えにも問題があるのでは――というようなことを言われたと思います。正確を期するために調べますと――
>>290
>>わたしはいまの議論を、生長の家の人々にみられる「人間知をことさらにさげすみたがる傾向」の根絶へと、できることなら結び付けたいと考えております。<<
>>305
>>雅春先生のお考えのなかにも、「人間知」にたいする批判や否定的心情は間違いなくおありだろうと考えます。生長の家に根強くはびこっているであろう、人間知をことさらに蔑視しようとする感情的傾向が雅春先生の教えと無関係であるとは考えておりません。<<

とありました。

私は、今回のweb誌友会で学びました中にも、
≪「なんのことはない! あらゆる芸術の発生する根元の世界は霊界なのだ!」とヴェッテリニは叫んだ。「芸術の精髄は霊界で創造せられる。地上の芸術的表現はその貧弱な写しにすぎない。余の言わんと欲するところをよく理会せよ。もしある作品にして、高く貴き熱ある作品であるならば、それを心に描き出したのはスピリットであり、その美を認めたものもスピリットである。それで、人の霊魂がその物質的肉体より脱離した時には、かれ霊魂は肉体の枷鎖(つながり)の中にある時よりも芸術創作の神髄にいっそう容易に貫き入るのである。かれ霊魂は、もはや物質的条件によってわずらわされたり束縛せられたりすることはない。明らかに霊界人は弾ずべき楽器をもっていない。しかしかれらは種々無数のバイブレイションを組み合わせて、最も霊妙なる感じの音楽詩歌を創作することができるのである。君たち、現世の人々は霊界(真に存在するもの)から、ただ暗示を、ただかすかな反響を受けるにすぎない!」≫(『生命の實相』第9巻より)

とありました。私は、それを信じます。

「人間知」を、ことさらにさげすむというような気持はなく、人間知の努力も尊いものだとは思いますが、それよりはるかに、人間知では計り知れない素晴らしいものが天界、霊界には存在していて、われわれが心を空しくし魂のリズムを高潔にするときその霊界からの導きを得られる、ということは信じられます。
<つづきます>

332復興G:2013/02/20(水) 10:19:00 ID:AB6RqYXc

>>331のつづきです。

私は「霊界通信」に特に関心を持つものではありません。霊界も別次元の現象界であると言われており、「絶対界」ではないからです。

われわれ地上の人間(肉体人間)は4次元時空間の中に生まれ、死んで行く。その五官の感覚で、時空間を超えた高次元のことを知ることはできない。それは、以前話題にしたことがありました、橋本健氏著『四次元世界の神秘』の「ナメクジの話」からも、推定できます。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

   二次元世界の生物は三次元をどう見る

 二次元世界の生物――二次元しか知ることのできない生物がいたとして、その二次元の生物は、三次元のわれわれをどう見るでしょうか。
 二次元の世界、すなわち平面の世界に、厚みのないナメクジが二匹、ナメ子とナメ吉が住んでいると仮定してみましょう。二匹は二次元の生物ですから、この平面のことしか知りません。この紙の外にわれわれ人間がいることを、彼等は知ることができません。
 ところで、われわれ三次元の人間からは、二次元のナメクジをよく見ることができます。そこでわれわれが、あまり二匹のナメクジが仲がよいのでちょっとうらやんで、「ナメクジのくせにナメ合ってやがってナメーきな奴だ」ナメ吉をとっちゃえ……とばかり、ナメ吉を紙の外につまみ出したとします。そうすると、ナメ子にとっては、突如としてナメ吉が消えたと思うわけです。
 そこでナメ子は、ナメ吉をたずねて三千里、二次元の世界をたずね歩いたとしても、ナメ吉はもはや二次元にはいませんから、見つけることはできないのです。「ああナメ吉は神かくしにあってしまった」とナメ子はなげき悲しむでしょう。
 それを見ていた人間が、あわれに思って、ナメ吉を二次元平面の世界に返してやるとすれば、「アッ、突如としてナメ吉が出現した! 奇跡だ!」とナメ子は狂喜することでしょう。
 しかし不思議だ、こんなことはあるはずがない、とナメ吉は物理学者になって、二次元の物理学を研究したとしても、彼は人間を見ることができないので、二次元だけの研究では、どうしてこんな奇跡が起きたかを知ることはできないのです。
 このように、三次元のわれわれは、二次元世界の住人に対しては、神の如き、生殺与奪の力を持っている。
  ――橋本健氏著『四次元世界の神秘』より――

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

――霊界というのは、多分、4次元時空間以上の高次元にあるのでしょう。だから、霊界の神秘者の助けを頂けば、4次元世界からは“奇跡”としか思えないようなことが起きてもおかしくない。しかし、その霊界も次元の違う現象世界である。

次元を超えた、次元をも創り出した第一原因者がある。それが創造神、絶対者である。

人間生命は、その絶対者なる創造神の生命の顕現したものである。それが「神の子」ということである。


さて、生長の家では「万教帰一」を説きますね。
しかし、地上界(通常“現象界”という“この世”のことですが、霊界<あの世>も現象界でありますから、区別するために“地上界”と言いましょう)の各宗教宗派はそれぞれ別の経典、教典を持ち、ちがった説き方をしていますから、その形に現れたものを研究すればするほど違いが明らかになるばかりで、決して「万教帰一」にはならないのではないでしょうか。

高級霊界では、「精神統一」だけが課題で、信仰に於いても宗派の違いは全く問題にならない、という霊界通信があったと思いますがそれは、高級霊界というのは「絶対界」に近いからだと思われます。「絶対界」には対立がない。

その「絶対界」すなわち「実相世界」だけが真実の実在であり、現象界は本来ない、とする生長の家唯神実相哲学にしてはじめて「万教帰一」が成り立つのであって、いわゆる「人間知恵」の工夫や研究で「万教帰一」は決して成り立つものではない、と私は確信しています。
<つづきます>

333初心者:2013/02/20(水) 11:17:14 ID:4YcI.wfQ
わたし様

鋭いご洞察です。言葉をもって語ることに問題がある。たしかにおっしゃるとおり
なのです。

自然は美しい。そのとおりです。ではなにが美しいのでしょう。人間はなにをもって
自然を美しいと感じるのでしょう。

わたしは「差異」だとおもいます。差異によって生じる多様性だとおもいます。
なぜこのように考えるかというと、人間が感じ取れるのは差異だけであると
考えるからです。

言葉も差異を語るものです。「イヌ」という言葉は、犬という生き物それじたいを
指し示すのではなく、犬と他の動物との差異のみを指し示しているのではないか、
とわたしは考えます。

言葉がもしも差異しか指し示していないとすれば、そのような言葉をもって真理を
語ることができるのでしょうか。わたしはできないと考えます(わたし様が語って
おられるのは、このようなことではないかと推察いたします。)。

これが「できる」、つまりは「言葉は差異ではなく意味である」と思い込んでいる
人たちが、「絶対的真理」や「虚説」と言った表現を好んでもちい、こうした言葉に
よって惹起される感情を暴走させているというのが、いま起きている構造的問題
ではないかというのがわたしの予想です。

334初心者:2013/02/20(水) 11:19:48 ID:4YcI.wfQ
うめ様

>雅春先生は固体の実相を説いておられない、と私は思っています。

そうですか。わたしもそうであって欲しいとおもっています。

335初心者:2013/02/20(水) 11:29:21 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>初心者様には、おそらくご多用の中、a hope様の質問に答える時間もないほどのところへ私が割り込みまして、申し訳ありませんでした。

このような仕方でホープ様に共感しておられるということですね。

>私もかなり初心者様のお怒りを買うような挑戦的なするどい言葉を発して、「尊大な態度」になっていたかもしれない、それについてはお詫びしなくてはならないと思いました。どうか、お許しください

ですから、復興Gさまのことで怒りを感じたことはおそらくいちどもないともうして
おります。

>谷口雅宣総裁には申し訳ないですが、総裁の書かれたものを読むのは苦労で、それによって『生命の實相』を読んだときのような救いがもたらされるとは思えません。

総裁のご文章を読んだことはほとんどありませんが、想像するに、総裁は救済を
企図しておられるのではなく、わたしが感じている「構造的問題」と同様の問題を
くり返し論じておられるような気がいたします。

総裁はおそらく、雅春先生がのこしていかれた「構造的問題」を解消しようとして
おられるのでしょう。総裁に救いを求めるのであれば、「言語の呪縛」という牢獄
からの解放ということになるのではないでしょうか。

336初心者:2013/02/20(水) 11:59:01 ID:4YcI.wfQ
ホープ様

そこまでいわれるのであれば、「唯物論」、「二元論」、「絶対的真理」に関して
ホープ様がどのように考えておられるのか、そのお考えを述べてみられれば
よろしいでしょう。

その考え方が妥当なものであれば、わたしは前言を撤回いたします。

337初心者:2013/02/20(水) 12:12:17 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

「真の生長の家の教え」を標榜しておられるホープ様は、総裁が環境問題に取り組
むのは、「現象あり」と信じていることであり、それは「二元論」を信じているので
あり、したがってその考えは「すべて虚説」であると、このようにいっておられる、と
わたしは理解しております。

ホープ様が、現象問題への取り組みを「虚説」として否定するこうした考え方を
もっておられるとすれば、雅春先生の教えのどこからこうした考え方出てくるのか
ということを、これまでホープ様のおそらくはそのほとんどの発言に賛意を示して
こられたであろう復興Gさまに、わたしはおたずねしております。

338復興G:2013/02/20(水) 13:58:59 ID:AB6RqYXc

さて、「生長の家本流」を名乗ったり、「谷口雅春先生を学ぶ」と称する界に属している人の中に、「虚説とは何か」と言えば、
≪それは谷口雅宣先生が、谷口雅春先生の「教え」と違うことを説いているから、それを“虚説”と言っているだけのこと。だから、谷口雅宣先生の「教え」とは「和解」できないのだ≫
とおっしゃる方があるようです。が、これでは、谷口雅春先生の教えに背く、生長の家倫理学において最も重い罪とされている“偶像崇拝”になるのではないかと、私は思います。すなわち――『生命の實相』第13巻「倫理篇 上」第2章より、その典拠を以下に謹写させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

<『生命の實相』第13巻 倫理篇上 第2章「第一の神性隠蔽」より(p.81〜)>

   肉体をもって神性に代える現代キリスト教徒の迷誤

 げに、霊なる「神の子」を肉体と見るところの第一の神性隠蔽が「アダムの原罪」なのでありますが、現代の滔々(とうとう)たるキリスト教徒はこの「アダムの原罪」を犯しているのであります。

 キリストを肉体イエスにのみ見いだして、「アブラハムの生まれぬ前(さき)よりわれは在るなり」とイエス自身いわれた「永遠の神性」を見ることができず、「肉体イエス」を通さなければ人間は救われないなどと、「肉体」をもって「神性」に代え、「迷い」をもって「実相」に代えているキリスト教徒のいかに多いことでありましょうぞ。

 「アブラハムの生まれぬ前より、われは在るなり」とイエス自身のいわれた「永遠の神性」をもってわれらの救いの本尊だとするとき、その「永遠の神性」は誰にも皆自己の内面に宿っているのでありますから、いなその「永遠の神性」のみが本当の存在であり「本物の自分」なのでありますから、「救い」はすでに自己の内に備わっているのでありますのに、外にあるキリスト――「肉体イエス」を通じて初めて人間は救われると信ずるなどは誠に愚かしき考えであります。

 キリスト教では形あるものを崇拝することを偶像崇拝といって、非常に軽蔑して忌み嫌うのでありますが、「永遠の神性」を礼拝の対象にせず、二千年前ユダヤに生まれた肉体イエスを通さねば救われないなどと、肉体を礼拝の対象にしているなどは、みずから忌み嫌う偶像崇拝に陥っていることになるのであります。

 こうして「永遠神性」に背を向け顔をそむけて、ある特定の肉体を崇拝の的にすることは神の実相を見ざるもの、本当の神を「自己の迷い」をもって包み隠せるはなはだしき罪なのであります。

   宗教争いは偶像崇拝よリ起こる

 物質的な形あるものを礼拝の的にするようになりますと、物質的な形あるものは有限でありますから、ここまでは自分の領分であって、お前の領分でないというような争いができてくるのであります。

 人間を和合させる働きをせねばならぬ宗教でさえも、肉体キリストという物質的顕現に捉えられていましては、顕現せられましたそれぞれの応身または報身は異なりますから、互いに信者争い、領分争いをしなければならぬようになってくるのは当然であります。
 その宗教が偶像崇拝教である程度は他教を排斥する程度でわかるのであります。

 つまり、すべての争いの第一の萌芽(めばえ)は、物質的な形あるものを崇拝すること――すなわち偶像崇拝――よりくるのであります。

 すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますならば、「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのであります。
<つづく>

339復興G:2013/02/20(水) 14:00:06 ID:AB6RqYXc

<『生命の實相』第13巻 倫理篇上 第2章「第一の神性隠蔽」より、つづき(p.83〜)>

 キリストでもこれを肉体イエスという「物質的形体」に見いださず、「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在り」といわれた「永遠神性」にこれを見いだし、仏でもこれを肉体釈迦に見いださず、「過去の諸仏は皆わが弟子なり」と阿難に答えた「久遠の釈迦」に見いだし、「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず「すべての教えわれに流れ入りて生命を得ん」と示された「久遠実在の生長の家」に見いだすとき、すべての教えは、ここからあすこまでは自分の領分だなどという縄張り争いをする必要がなくなるのであります。

   人間の不自由の萌芽

 ところが、これに反して、少しでも物質的形体に捉われはじめますと、人間は本来の「自由」をわれとわが念で固定して「不自由」ならしめるのであります。「争い」というのも「不自由」の一面のすがたであります。すなわち本来の全体としての自由を失っているから「争い」が起こるのであります。

 時計の歯車でも全体としての自由が失われていなければ、どの歯車も不自由にカチ合い争うなどということはないのでありますが、全体としての自由が失われると、歯車と歯車とが互いに調和して運行しないで、カチ合って時計が止ってしまうのであります。
 この全体としての自由を失った「カチ合い」が、「争い」なのであります。

 宗派争いをして仏教を罵ったり、キリスト教を排斥したりして、和協合同しえないのは、この「カチ合い」でありまして、人類の和協合同を説くべき宗教みずからが、和協合同を失っているという矛盾を演じているのでありまして、これというのも礼拝の本尊をば、「永遠の神性」とか「久遠本仏」とかに見いださず、物質的形体のイエスに見いだしたり、肉体釈迦に見いだしたりして、「第一の神性隠蔽」に捉われているからであります。

 宗教でさえも礼拝の本尊を「物質的形体」においたならば、このように争いが起こるのでありますが、個人の生命を「久遠の生命」の流れの中に見いださず、それを「肉体」という物質的形体の中に見いだそうとするときは、「物」をもって「生命」に置き換えた原罪(第一の神性隠蔽)から出発して諸々の罪悪が発生するのであります。
<謹写 終わり>

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――>>335で初心者様が

>>総裁に救いを求めるのであれば、「言語の呪縛」という牢獄からの解放ということになるのではないでしょうか。<<

とおっしゃっていますが、上記聖典のご教示のように

≪キリストでもこれを肉体イエスという「物質的形体」に見いださず、「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在り」といわれた「永遠神性」にこれを見いだし、仏でもこれを肉体釈迦に見いださず、「過去の諸仏は皆わが弟子なり」と阿難に答えた「久遠の釈迦」に見いだし、「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず「すべての教えわれに流れ入りて生命を得ん」と示された「久遠実在の生長の家」に見いだすとき、すべての教えは、ここからあすこまでは自分の領分だなどという縄張り争いをする必要がなくなる≫

ということになって、「言語の呪縛」という牢獄からの解放はおのずからなされるのではないでしょうか。

340復興G:2013/02/20(水) 14:18:17 ID:AB6RqYXc

>>337 :初心者さま
>>「真の生長の家の教え」を標榜しておられるホープ様は、総裁が環境問題に取り組むのは、「現象あり」と信じていることであり、それは「二元論」を信じているのであり、したがってその考えは「すべて虚説」であると、このようにいっておられる、とわたしは理解しております。
ホープ様が、現象問題への取り組みを「虚説」として否定するこうした考え方をもっておられるとすれば、雅春先生の教えのどこからこうした考え方出てくるのかということを、これまでホープ様のおそらくはそのほとんどの発言に賛意を示してこられたであろう復興Gさまに、わたしはおたずねしております。<<

失礼いたしました。私は>>338>>339の文章をつくることに没頭していて、初心者様の上記お問いかけを見ていませんでした。
お答えいたします。

a hope様は、
>>わたしは谷口雅春先生の「生命の實相」を拝読して、魂を震わせて現教団に入信しました。
わたしの魂が求めていたのは「唯神実相哲学」で雅宣先生の「現象問題を扱った環境」のお話ではなかったのです。ですが当時わたしは何もわからない真の新入生でしたから、その矛盾に全く気付きませんでした。
生長の家の総裁である雅宣先生が、一方で人間神の子の「唯神実相」を説かれ、もう一方で罪の子人間が犯した環境破壊という現象問題に取り組まれているというその矛盾に直面して、わたしの魂が混乱したのだと思います。その結果、精神不安に陥り、体調を壊し、2週間寝たきりの状態になりました。
ですから、あくまでも、わたし、a hopeの見解ですが、そのような二元論を信じていらっしゃる「雅宣先生の今の教え」は、すべて「虚説」だと思っています。
たとえ、雅春先生の教えと同じことをわかりやすく本にして出版されていても、それを執筆された雅宣先生のお心が、一方で『神』を信じ、もう一方で『現象あり』も信じる「二元論」である限り、すべてが虚説であるというのが、a hopeの見解です。<<

と書かれました。(>>79

私自身は、上記a hope様のように
≪雅宣先生のお心が、一方で『神』を信じ、もう一方で『現象あり』も信じる「二元論」である限り、すべてが虚説である≫
とまでは言い切れなくて、ちょっとびっくりしておりました。

「――すべてが虚説」と言い切ってよいのかどうか、考えております。少しお時間をください。

343復興G:2013/02/20(水) 15:30:59 ID:AB6RqYXc

初心者様。

前記 a hope様の投稿文は、
>あくまでも、わたし、a hopeの見解ですが、<

と書かれているので、私はそういう見解もあり得るかなあと、少し驚きながら、否定も肯定もせずに見ておりました。

「雅春先生の教えのどこからこうした考え方が出てくるのか」
――ということですが――それは、まだ、わかりません。

ところで、少し別のことですが――

 鷲谷いづみ氏(東大大学院農学生命科学研究科教授)が少し前に、日経新聞夕刊の「明日への話題」欄に次のようなことを書いておられました。

    〜〜〜〜〜〜〜〜

≪海の危険な生物のうち、もっとも恐れられているのがイモガイ類である。美しい貝殻の形や模様とは裏腹に、イモガイ類の中にはどう猛な肉食で、猛毒をもつモリの如き器官で魚や貝をつき殺して食べるものもいる。しかし、ことわざ「毒と薬は紙一重」という諺のとおり、その毒は、医療の現場で役立つものが少なくない。

 モルヒネの1000倍もの痛み止めの効力があるのに習慣性の少ないジコノタイドなど、すでに医療現場で利用されているものもある。イモガイ属だけでも、5万種類もの薬として利用できる可能性のある化学物質が存在するという推定もある。

 そのように有用な薬の宝庫と目されるイモガイ類だが、サンゴ礁の世界的な環境悪化のため、その人類にとっての有用性を確認する間もなく、相当数の未発見種を含む多くの種が絶滅してしまう可能性が懸念されている。≫

――毒は、薬にもなるということですね。

今、教団・総裁と、“本流”を名乗る別派とは、お互いに不倶戴天の敵のように憎みいがみ合っているように思われますが、お互い「毒を薬にする」ような、大局的な見方はできないものかと、考えてしまいます。

344初心者:2013/02/20(水) 16:26:12 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

言語が牢獄であるというのは比喩でもなんでもなく、言語の向こう側にはなにも
ないのではないかということをいっています(つまり、言語はいかなる意味も事物
も指し示してはいないとも考えられるということです)。

言語をもちいることで生活し、言語をもちいることでしか思考できないのが人間
であるとして、それなのに言語はなにも指し示していないとすれば、人間はただ
言語のなかでのみ生活し、言語のなかでのみ思考していることになります。

言語のなかでのみ生きる人間は、言語の本性である二項対立のなかでのみ生きる
しかありません。二項対立のなかでしか生きられない人間は、言語によって生み出
された二項対立でしかなく、その意味で幻想であり虚構でしかない「真説と虚説」
の対立関係を生みだし、それを実在とみなすようになります。

「われこそは真説であり、対立するものはすべて虚説である」と言い争ってみた
ところで、それは言語の世界のゲームでしかないということです。

「永遠神性」、「唯仏与仏」、「久遠実在」といってみたところで、これらの言葉に
期待できるのは、復興Gさまもよくご存じの「言葉の象徴化作用」だけであるのかも
しれません。

言葉はなにも言い当てていない。これはたしかなことだと考えます。であればなに
ができるのでしょうか。できるのは「言葉はなにも言い当てていない」と言い張る
ことだけでしょう(これがわたしのやっていることです)。それもいやなら、わたし
様がいっておられるように「沈黙するしかない」ということになるのではないで
しょうか。

どうしても沈黙できないのであれば、「これが真理といっても間違いないのでは
ないか」といった物言いで謙虚に真理を語るにとどめる、というのが、言語の世界
でしか生きられない己を自覚したものの務めではないかと考えます。間違っても
「絶対的真理を直観把握した」なとどとは言いださないのが、言語の世界でしか
生きられない己を自覚した賢明なる覚者の作法ではないかとも考えます。

さきほどは、「救い」の表現にひきずられる形で「牢獄からの解放」とうっかり書い
てしまいましたが、総裁がいっておられるのは、「言語が牢獄であることをまずは
自覚しましょう」といったことだと考えたほうがいいような気がしてきました(ただ
しこれは、いちぶの情報から得た推測でしかありません)。

いずれにしても、人間が言葉をもちいるかぎり牢獄からの解放はないと考えた
ほうがよさそうです。牢獄の自覚なくして構造問題の解消なし、ということは
いっておきたいとおもいます。

>今、教団・総裁と、“本流”を名乗る別派とは、お互いに不倶戴天の敵のように憎みいがみ合っているように思われますが、お互い「毒を薬にする」ような、大局的な見方はできないものかと、考えてしまいます。

そのためにも毒の正体を見極めることがまずは必要なことだと考えます。とくに
書かれた言葉は、「毒にもなれば薬にもなる」という意味でパルマコンともみなさ
れることがあります。書かれた言葉を絶対化すれば、それは毒にしかなりえない
と考えます。

345トキ:2013/02/20(水) 16:40:38 ID:jQp/sX.w
 復興G様、初心者様、a hope様、ありがとうございます。


 初心者様、a hope様のご意見はそれぞれ、論理としては成り立つ話だと思っています。
もちろん、神界で谷口雅春先生がどんな感想をもってご覧かはわかりません。しかし、理屈と
しては、それぞれのお考えは、真理から説明は出来る事だと思っています。

 個人的には、こう考えています。谷口雅春先生も、ご生前、確かに「公害」の問題にも言及
されておられました。ですから、環境問題に言及する事自体は、間違いだとは思いません。が、
今の教団は、本来の信仰の話よりも、環境問題に過度に傾斜しているというのが第1の印象で
す。

 それと、今、谷口雅春先生の「詳密講習会」のノートを勉強していますが、その水準の高さ
には驚いています。こういう高い水準でのご指導がなされる他方で、環境や政治の話もされたの
で、バランスがとれていたと思うのです。しかし、今の講習会の指導内容は、信仰の概論という
か、入り口程度の指導です。参加者限定の幹部研鑽会でもそう高い水準の指導がなされていると
は思えないです。その他方で、環境とか政治の話は、かなり詳しく話しをされています。

 このバランスの悪さが、谷口雅宣先生に対する誤解を多々生んだと思っています。

 さて、初心者様と復興G様のご対話は長時間に及び、内容も高度で、ご覧になられた方々には
たいへん勉強になったと思います。しかし、閲覧者様も、少しお疲れではないか、と拝察する
次第です。初心者様、復興G様はもっとお疲れかと危惧しております。

 少し、このあたりでお休みをして、その上で、対話を再開するのもどうだろうか、と
考える次第であります。

 なお、休憩後の議論は、この板でも良いし、別の板、あるいは、傍流掲示板の別板
でも良いかと思います。

 以上、勝手な提案ですが、ご検討下されば、幸いです。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

346トキ:2013/02/20(水) 16:41:24 ID:jQp/sX.w
>>344をみないまま、上の投稿をしました。初心者様にはお詫びします。

347さくら:2013/02/20(水) 17:15:24 ID:Tvah0K9s
復興G様

前記 a hope様の投稿文は、
>あくまでも、わたし、a hopeの見解ですが、<
>と書かれているので、私はそういう見解もあり得るかなあと、少し驚きながら、否定も肯定もせずに見ておりました。

「雅春先生の教えのどこからこうした考え方が出てくるのか」
――ということですが――それは、まだ、わかりません。


…「いいもわるいもない。」とおっしゃったのも、
「指導者としての」復興G様の言葉ですよね。

これで、やっと、わたしは、指導者として、復興G様の真意を理解しました。
正しく真理を、
みなさんに、平等に、
指導されているのですね。

わたしにお返事を下さらなかったわけもわかりました。

納得できて、良かったです。



わたしが指導を受けた講師の先生は、はじめて生長の家にきた、わたしに、

「あなたに、生長の家に入れなんて言わないよ。
ここにいるうちは、親に感謝しなさい。
徹底的に親に感謝しなさい。
それをしたら、あなたは自由だよ、どこにでもてでいき、なにを信じてもよいから。
ただ、親に感謝しなさい。」

そう言われました。

親に、感謝ができたとき、わたしは、生長の家の信徒になりました。
…それから、生命の実相が、ほんとうに読めるようになったかもしれないです。

いまだ、親に感謝してもしきれない、…というか、すればするほど、
…たぶん、一生感謝しても、真の生長の家になんて、ふかく、たどり着けない、とわかるだけです。

その先生ならこういうかもしれません。

掲示板で、虚説レポート提出したり、真の生長の家の旗を掲げるより、
子育てや仕事のの合間に、
親に感謝しなさい。
できれば、10日間の練成をうけて、徹底的に親に感謝しなさい。


わたしは、ほんとうに、よい先生に出会い、指導してもらったんだと思っています。


ありがとうございました。

348さくら:2013/02/20(水) 17:27:03 ID:Tvah0K9s
それから、ひとつだけ。

「わたし様」は、さくらじゃないです。

「わたし様」。
ご迷惑をおかけしてすみません。

いつか、どこかで、生長の家を語れるご縁があるとよいですね。



349復興G:2013/02/20(水) 17:49:45 ID:AB6RqYXc

>>345 :トキ様。

ご愛念、ありがとうございます。

お察しのように、私は少々グロッキーです。
ご提案のように、少し休憩、休養させてください。
初心者様、よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。

さくら様。

ご投稿、ありがとうございます。

失礼していたと思いますが、何か納得してくださったそうで、ホッとしています。ありがとうございました。
合掌

350トキ:2013/02/20(水) 17:59:57 ID:jQp/sX.w
>>349

復興G様

 どうも行き届かないで、申し訳ありませんでした。

351SAKURA:2013/02/20(水) 18:15:55 ID:Z1rkQNTY
「トキ様」 へ   「観覧者様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>259>>280>>301>>318>>327>>328 SAKURA投稿の続きです…。

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再合掌

352SAKURA:2013/02/20(水) 18:21:15 ID:/k6SP6hk
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■■ 先程 【 実相・現象 】を―――>【教区会員 板】に投稿させて頂きました。
お時間がございましたら〜〜閲覧して下さると幸いで〜〜〜す。

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353さくら:2013/02/20(水) 18:57:51 ID:Tvah0K9s
復興G様

あの、なにかわからないけど、納得したというより…

…では、あえて確かめたいのですが、

指導者として、
復興G様も、ホープさまの見解には、
「少し驚きながら、否定も肯定もせずに見ておりました」

だったのですよね?

でも、個人的に復興G様は、

いいもわるいも(つまり真理か真理じゃなくても)共感したから、否定しなかったんですよね?


その理解でいいですか?


わたしのコメントをすべて、スルーだったのは、それをみとめれば、ホープさまを「否定」することになったからですか。

いまからでも、わたしのコメントに対応するお時間がおありですか?

なかったら結構ですが…。

354トキ:2013/02/20(水) 19:03:50 ID:jQp/sX.w
>>353

 今、復興G様は少々お疲れだと拝察しますから、少しご返答に時間を差し上げて下さい。

355さくら:2013/02/20(水) 19:06:02 ID:Tvah0K9s
わかっています。

わたしは、投稿を控えていて、
いま、たった、二回投稿をしただけです。

返信のさいそくもしていません。

356さくら:2013/02/20(水) 19:24:15 ID:Tvah0K9s
わたしは、ただ、ひとつだけ、復興G様に確かめたいだけです。
それがすめば、
ここで、非建設的なやりとりをするつもりは、ありません。

復興G様個人的には、ホープさまのこころに共感する。

指導者として復興G様は、
「少し驚きながら、否定も肯定もせずに見ておりました」

それでよろしいでしょうか。

それだけです。

ここは、真理を学ぶ場なので、確かめたいだけです。

お返事を急ぐわけではありません。

真理にたいせつな点だとおもうので、
それだけです。

357a hope:2013/02/20(水) 19:46:38 ID:TqpbsVIM
さくらさま  

わたしも謹慎中の身ですから、あまり多くは発言しませんが、
初心者さまにお願いしたことと同じことをさくらさまにも願いいたします。

>>347
>>掲示板で、虚説レポート提出したり、真の生長の家の旗を掲げるより、
子育てや仕事のの合間に、
親に感謝しなさい。
できれば、10日間の練成をうけて、徹底的に親に感謝しなさい。<<

この文章の中の
>>虚説レポート提出したり、真の生長の家の旗を掲げるより・・・<<
というのは、わたし a hopeの事でしょうか?

わたしは、「虚説に関するレポート」は提出しましたが、「虚説レポート」は提出していません。
それに、真の生長の家の旗も掲げていません。
ですから、それはわたしのことではありません。

もし、それが、わたしのことを意味しているのであれば、
それは事実とは異なる発言です。

復興Gさまは、そのような事実と異なることを平気で発言されるさくらさまのa hopeに関するご質問には、
お答えする必要はないと感じています。

もし、わたしの発言に問題があるのなら、どこがどう問題であるのか、
はっきり啓示してからにしてくださいね。

よろしくお願いいたします。

358志恩:2013/02/20(水) 19:59:59 ID:.QY5jUA6
さくらさん

さくらさんは、初心者様が出ていらっしゃると、必ずと言っていいほど、初心者様の援護射撃に
出てこられますね。

残念ながら、視聴者が聞いてて、初心者様が言われることが、もっともだと思われる人は、
極少数だと推察します。

へたなんだよね、なんというか、他人への説得力に欠けてる。

見てると,
いちいち いちいち

2人揃って
相変わらず イヤミッタラシク 揚げ足取りばっかりしててさ、

今回のディスカッションは、私も会話を読めば読む程 気持ちが沈んでいきました。

私だけでなく、
閲覧席で拝見してた人が、会話を読むと初心者様の 揚げ足取りばかりで、いや〜な気持ちになったとか、

それから、初心者様の発言を読むと、ゾンビと吸血鬼を連想したという人も、おられるではないですか?

私は、復興G様が、ahope様の体験に共感を覚えたのは、復興G様が60年前に、体験した想いと

重なったので、「いいも 悪いも無く共感した」つまり真理の文章とか理屈の問題じゃなく、、

そのような知識や理屈を超えて、同じ様な実体験があったので、その実体験したときの想いと重なり
共感したということをおっしゃったので、私の場合は、復興G様のお気持ちのほうが、 充分に
分りました。

初心者様のお気持ちも、分りました。
初心者様が、ご自分のことのように支持されている雅宣総裁が ひどく否定されていることへの
いいようもない悔しさ、腹立たしさを、この機に、訴えられておられると、感じました。

さくらさんは、
私は、2回しか出てないと言われますが、復興G様は、長時間にわたって、初心者様の質問に答え続けておられたことは、
見れば、充分にお分かりになるはずです。

それなのに、そういうときに
その、復興G様に対して、私には、返事したとかしないとか、
くだらないことを、ねちねち ねちねち 言ってて、聞いてる方が、はずかしくなります。

閲覧者の方々、1000人がご覧になられていたと致しましょう、

初心者様とさくらさんの言い分のほうへ、付く人は、1000人のうち、5人、いるかいないかだと思います。
その5人の中には、ええ、勿論、お仲間の 訊け君もいるでしょう。

復興G様の方へ 付く人は、1000人のうち、995人ぐらいではないでしょうか。

なぜ、このように、全国規模で、雅宣総裁への反論の声が高まっているのでしょう?
それには、深い理由があると思われませんか?

359さくら:2013/02/20(水) 20:01:52 ID:Tvah0K9s
ホープさま

失礼をお詫びいたします。

ただ、わたしには、もう虚説レポートの類も見せて頂かなくて、大丈夫ですので、ご指名はご遠慮ください。

ただ、ひとつ、復興G様にたしかめいだけです。


>あくまでも、わたし、a hopeの見解ですが、<
>と書かれているので、私はそういう見解もあり得るかなあと、

少し驚きながら、否定も肯定もせずに見ておりました。

「雅春先生の教えのどこからこうした考え方が出てくるのか」
――ということですが――それは、まだ、わかりません。<


この理解でよいのですね、と、確かめたいだけです。

お察しください。




360さくら:2013/02/20(水) 20:09:21 ID:Tvah0K9s
わたしは、指導者としての復興G様を信じたいだけです。

確かめなら去りますから。

361志恩:2013/02/20(水) 20:12:07 ID:.QY5jUA6
WEB誌友会のお世話係のahope様を潰し、復興G様とトキ様を潰せば、

「生命の實相」WEB輪読会は、潰せます。

ahopeさん、ここで、引っ込んだら 女がすたりますよ。

今後も、復興G様とトキ様のフォローをおねがいします。

私は、パソコンは、苦手なので、打つだけで精一杯なのです。

実生活のほうが、多忙のため、掲示板にも、そんなには出られません。

ですから、フオローは出来ません。

全国規模で、雅宣総裁擁護派は、このような手段でつぎつぎと「生命の實相」の隠滅を図って

いるのでしょうか!!

私は、今回のことを拝見していて、疑問に思いました。

362さくら:2013/02/20(水) 20:29:52 ID:Tvah0K9s
復興G様、わたしには、ひとことで、
構いません。

それで、わたしは、去りますから。

それだけです。

拝。

363さくら:2013/02/20(水) 20:31:22 ID:Tvah0K9s
うえ、
確かめなら去りますから。

…確かめたら。とよんでください。

364SAKURA:2013/02/20(水) 20:32:26 ID:USz91yqs
「トキ様」 へ   「観覧者様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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  ※尚、私! ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】と…
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┗ ─────────────────────────────────────── ┓

>>361の投稿文中……
>>全国規模で、雅宣総裁擁護派は、このような手段でつぎつぎと「生命の實相」の隠滅を
図って…<<此の言葉は〜〜〜どういう事を意味していますのでしょうか??

「機関誌…」にも「現総裁雅宣先生」は「創立者…谷口雅春先生の言葉」を掲載されていますし、
また各行事の中でも「雅春先生の言葉…」を取り上げられまして、御自分の考えを私ども信者に答弁
してくださっておられますが?? 一体これは?どういう事を〜〜〜変に思います。…が?
【疑問点…?】

:*゚。:*゚。:*゚。:*゚。:*゚。:*゚。:*゚。:*  再合掌

365トキ:2013/02/20(水) 21:07:29 ID:jQp/sX.w
 初心者様と総裁は別の人物である、という前提で話をしますね。

 今、ネット上で、総裁には非常に厳しい表現で、批判が行われています。その中には、誹謗中傷と言っても
よいものも含まれています。私は、それは悲しく思います。

 しかし、そのようは発言がなされた背景を考えると、やはり「組織」の問題があると思うのです。

 例えば、戦前や終戦後のしばらくは、各地にある教化部はほとんど信徒の自主的な運営でなされていました。
本部から、本部駐在講師が派遣されても、その権限は限られていました。その後、生長の家本部の権限が強化
され、教化部の「自治権」は段々と制限されてきました。しかし、生長の家の会議では、結構、自由な発言が
出来ました。また、何かあったら、教区の人間が教団本部の担当者と直接話し合いをして、問題を解決する
事も許されていました。つまり、組織内の風通しは、かなり良かったと言えるでしょう。

 ところが、谷口雅宣先生が指導をされるようになってから、極端な中央集権と言論の統制が始まりました。
重要な決定が総裁の側近の一部の人達でなされ、それに抗議をしても無視される、場合によっては抗議をし
た人が不利益な扱いを受ける、という場面が目立つようになりました。総裁やその周囲の人達は、それで
通ると思っているでしょうが、人間はそんなものではありません。納得の行かない手続と内容の決定が
続き、その結果が失敗の連続でも誰も責任を取らない、という事になれば、関係者から抗議の声がでる
のは当然だと思います。また、そういう場面を想像できない今の教団の指導部にも問題があると感じます。

 その抗議の声がある場面では、本流復活派という形で出たり、またはネット上での抗議という形ででた
のです。私自身は本流復活派は支持しないが、その動機は理解できます。そして、ネット上での抗議と
いうものも、十分に理解できると思っています。

 初心者様は、総裁ではないですが、総裁とご発想が似ています。匿名性の強いサイト上では、そういう
似た発言をすると、やはり攻撃の対象になりやすいです。それも間違っているとは思いますが、
しかし、攻撃者の心理としては、一種のトラウマというか、フラッシュバックが起こり、初心者様の
投稿から総裁を連想して、攻撃を始めるのでしょう。

 今のネット上の雰囲気は、そういう空気に満ちている、という事は考えた上で、対応する事が必要
だと感じています。

366初心者:2013/02/20(水) 21:52:09 ID:4YcI.wfQ
トキ様

わたしはすでに終わっているとおもっておりました。

以下は、トキ様とは関係のない話です。

それにしてもいい勉強になりました。いくら矛盾があろうとも、きれいごとをいえ
ば支持される。欺瞞をつけば「揚げ足取り」とされる。これが生長の家の本性だと
いうことですね。

「援護射撃」ということがいわれていますね。なんのための援護なのでしょう。
わたしがなぜ援護されねばならないのですか。

あとは、あいもかわらず「数」が問題のようですが、くだらぬことです。

何が話されているのか、まったく理解されていないようですね。表層的な印象だけ
で、なにやらわかったようなことが語られているようです。こういうところで書く
のは、じっさい無意味だということはわかっています。

ひとついっておきましょう。復興Gさまは、「形のない世界にもパースペクティヴは
ある」とおっしゃられました。この言葉からわたしはあるインスピレーションを得まし
た。話されていたのはこういうことなのですよ。理解できる人は、たしかに1000人
のうちの5人未満ということでしょうけども。

367SAKURA:2013/02/20(水) 22:47:23 ID:USz91yqs
「トキ様」 へ  
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>254>>256
>>259>>280>>301>>318>>327>>328>>364>> SAKURA投稿の続きです…。

>>365 の投稿を閲覧しながら……  
■「トキ様の言葉…」に〜〜〜“異議あり”です。失礼ながら〜〜〜
【以前は自由だった!!】これは本部職員の皆様達の“言葉…”ではないでしょうか??

※【信仰…門を叩きます…一人一人の信者は〜〜〜〜><】どの様な考え方なのでしょうか??

「信者…」は逆に!喜んでいる部分もあるように思います。…が?以前は、詳しく言いますと…
「雅春先生…」亡きあとしばらくしましてから、次第に「職員」・「本部講師」の傲慢な態度を、
末端信者(献金斜陽族)としては感じますし、この件は【教区…の幹部】の人も異口同音に、
おっしゃつていました。…が?
そうです〜〜〜ネ!本部ですれ違いに出会いますと…こちらが“会釈…”をいたしましても…><
素通り…とか?随分“嫌な感じ??”を、受けましたでしょうか?
これが【信仰を導く…講師陣の態度?】いつも?いつも?思うところがありましたでしょうか?

逆に、今回の投稿内容から推測しますと、職員サイドでは【自由…】であったような感が、致します
でしょうかと。その間の15年以上前から既に…
【信者は“数の論理”】で…人数確保…上層部からの通達事項にて、随分と苦しめられていました。
しかも、当時の“法外な数字の計算”です。商売人でも、このような計算は、まず!無理が来るのが、
分かっていますかと?更に、当時の今の【分派…そちらに行かれました皆様方】を含めまして、
「職員・本部職員の権力の乱用?」更に…「自分の顔を優先に“メンツ”を重んじ…」そうされた
方が、多いようにお見受けいたしました。…が?

■逆に思いますに今では【信者と共に歩む…】感じが見受けられて、更に前以上に【信者…】は
ある面、のび〜のび〜した部分もありますのではないのでしょうか?あの当時の「講習会の券」・
「普及誌のノルマ達成」・「信者の人数獲得数」…etc…此処で投稿しますと、キリがありません。
個人的には「本部練成道場…亡き徳久先生・松野先生時代にも奉仕に参りましたが…」当時も><

信者と共に〜〜〜この考えが今後必要ではないのでは?このようにこの場を借りまして、私自身の
考えを此処で投稿させて頂きました。…が?そうする事で、親近感が増し、いい方向に行くように、
思えます。“一部の信者の幹部”は、以前のような考え方での“行動体制…”を取られますなば、
“感情的…”には、いい気持ちにはなり得ませんでしょうかと思います。「職員・本部職員の皆様」が
本当に『人々を救済…】この精神で光明化としての“行動=実践”をされていたようには、当時!
は見えませんし、当時からの上層部からの通達にかんして「信者…」は、随分と〜〜〜><
【 数 字 の 呪 縛 】に縛られ…今ではある面!“解放…”されただけでも“心のゆとり”
ができてくるようです。

■【別のボ−ド】での意見ですが〜 後程“続きを投稿”させて頂きます。…が?

                                再合掌
PS:以前のある「教化部長先生」の言葉〜❤〜で……
「あの!東京ド−ムを3万人で埋めつくすと…地震が来ないのです。!!」このような
“スロ−ガン”にて、随分“そうなんだ〜〜〜ワ!”と信じて…大事なお客様の名簿…云々…
(後日この名簿は使用しないでください。断りましたのですが><)裏目になりましたが?
今の方が、随分と≪数字的≫には、楽に!楽に!このような“言葉…”を耳にしています。…が?
本当に私も含めまして『感謝の一言』です。…が??

368神の子さん:2013/02/21(木) 00:03:31 ID:???
SAKURA さんはいつも被害者意識ですね
心の法則から自己分析して考えてみてはいかがでしょうか。

369うのはな:2013/02/21(木) 00:09:45 ID:4rq1UWDw
WEB誌友会のお世話係のahope様を潰し、復興G様とトキ様を潰せば、

「生命の實相」WEB輪読会は、潰せます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 潰されたらいいのではないでしょうか。
 最初の誌友会では訊けがゴタゴタとして、他の人からも苦情多数でした。
 わたしや如月さんも巻き込まれ、如月さんは自粛するとか言いだし、
 トキさんは訊けに何の注意もできません。
 最近また訊けがさくらさんがどうだこうだといってます。
 まじめに研鑽されてるようですが、こんなにゴタゴタした中で誌友会や
 練成だって、はりきらなくても、他に勉強できることはあるのではないでしょうか。

370復興G:2013/02/21(木) 04:34:54 ID:AB6RqYXc

>>353:さくら様。

お問いかけありがとうございます。

昨日は疲れたので、たまっていたほかの用事をすませ、早く寝ました。それで今朝は3時から起きて、掲示板を見ています。

私の気持ちを、素直に伝えさせて頂きましょう。

私は、「指導者」という意識を持っていません。
web誌友会の指導者は、神でなくてはいけないと思っています。
そのために、私は空っぽになって、神の導きを得たいと願いながら、誌友会に望んでいます。
そして、誌友会でいちばん勉強させて頂いているのは私だと思っています。

今回も、たくさん聖典の引用もさせていただいたし、感想もたくさん書かせて頂きました。
それは、皆さんを指導してやろうというというような気持ではなく、私が「ふと思いつく」聖典の引用をして謹写させて頂いたり、「ふと思いつく、ひらめく」思いを書かせて頂いたりして、自分が整理され、浄められ、学ばせて頂くようなことが多かったと、ふりかえって思います。それは皆さまのおかげ、また神霊のお導きのおかげであると、感謝しています。

“復興G”というハンドルネームにこめた私の願いは、「生長の家ルネッサンス」と申したことがありました。
「生長の家は、和の家、仲よしの家である」というようなお言葉が、聖典に書かれていたと思います。それ、その本来の生長の家を復興したい。

『生長の家』創刊号に、(ブランコの詩)が載っています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

  生長のお家は
  日当りが好い、
  お庭がひろくて
  藤の棚があります。

  生長のお家に
  ブランコが出来ました
  多勢の子供が来て
  さわいでよろこびます。

  大人も子供も
  生長のお家に来る人たちは
  みんな一しょに
  伸び伸びと生長します。

  生長のお家で
  私たちは生長の火をとぼします
  人類の魂を燃やす火です。

  私は自分の火が
  大きいか小さいか知りません。
  だけど小さな火でも
  大きな蝋燭(ローソク)に火を点けることが出来ます。

  私の生長の火よりも
  大きな蝋燭も集って下さい
  何百何千の大廈高楼が
  小さな燐寸(マッチ)の火でやけるかも知れません。
  私はそれを期待しているのです

  火がつかなければ
  何度でも燐寸を擦ります。
  燐寸がなくなるまで私は
  人間の魂に火をつけて見たいと思っているのです。

    ――『生長の家』創刊号より、谷口雅春先生詩――

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――こういう「生長のお家」を、復活したいというのが私の願いです。

そんなことをいうと、初心者様から
「そんなきれいごとを言って・・・」 と叱られそうですが、まあ、言わせてくださいよ。

<つづく>

371復興G:2013/02/21(木) 04:35:41 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

「人間の魂に火をつけたい」

――それは、
「人間は、神だ。
神は、すべてのものを己れ自身と見給う。
すべてが私だ。

神は愛にして
われは神の子なれば
われはすべてを愛し
すべてはわれを愛す」

という思いになったとき、魂が燃えるのだと、私は思います。

それが、「神の子人間」「本当の人間」だというのが生長の家の教えであると思います。

「至上者の自覚の神示」というのもありますね。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   至上者の自覚の神示

 人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が神だと悟った者を謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違いである。斯くの如き想像をする者は自己が神だと言う真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。自己が神だと悟れたら人間は本当に謙遜になれるのである。キリストが弟子の足を洗うことが出来たのも、自己が神だと悟っていたからである。
 本当の謙遜は『神の自覚』から来る。……

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――みんな神の子だ、神だ! と自分を拝み、すべての人を、自然も含めてすべてのものを拝む。神しかない! というのが、「実相独在」ということであり、真の生長の家であると思います。

「人間至上主義」というのも、そういう神なる人間を至上とするのが本当の人間至上主義でなないかと思います。

谷口雅春先生は、それを説いてこられたと思います。

雅宣総裁は、「人間至上主義ではいけない」とおっしゃる。
そのとき、雅宣総裁は、「地球上の害獣」というような、本来ない人間、肉体人間を見て言っていらっしゃるのかなあと思います。

それは、「真の生長の家」ではないのかなあ、という気がしてきました。

a hope様が、
≪生長の家の総裁である雅宣先生が、一方で人間神の子の「唯神実相」を説かれ、もう一方で罪の子人間が犯した環境破壊という現象問題に取り組まれているというその矛盾に直面して、わたしの魂が混乱したのだと思います。その結果、精神不安に陥り、体調を壊し、2週間寝たきりの状態になりました。
ですから、あくまでも、わたし、a hopeの見解ですが、そのような二元論を信じていらっしゃる「雅宣先生の今の教え」は、すべて「虚説」だと思っています。≫

と書かれたことに対して、私は、
≪>あくまでも、わたし、a hopeの見解ですが、<
と書かれているので、私はそういう見解もあり得るかなあと、少し驚きながら、否定も肯定もせずに見ておりました。
「雅春先生の教えのどこからこうした考え方が出てくるのか」――ということですが――それは、まだ、わかりません。≫
と、初心者様の問いかけにお答えしました。

それはいつわりのない私の気持ちでしたが、今回さくら様から
「それでよろしいでしょうか。確かめたい」
と繰り返し問いかけられているようなので、よく考えているうちに、だんだん、もしかしたら雅宣総裁のおっしゃることは「虚説」なのかも知れない、と思うようになり始めています。

それが、正直な気持ちです。

これから、神想観をします。

372さくら:2013/02/21(木) 07:12:57 ID:Tvah0K9s
復興G様

おことば、ありがとうございました。
ご愛念だけは、しっかり受け取らせて頂きました。
すべてを、自分のなかで、昇華いたします。

わたしのなかで、どうしても確かめたかったことがありましたので、
ホープさまの発言を含め、復興G様がその発言を認めていたことを、別の講師の方に見て頂いて、指導を頂きました。

その指導のおかけで、わたしは、さらに自分の信仰観を確認できましたし、いま迷いはありません。
大きな視点で、自分の信仰を振り返り、他の方の気持ちを組む視点ができました。

ここへは邪魔はする気はありませんでしたが、
自分の信仰には、避けることができないことでしたので。
煩わしい想いをさせまして、申し訳ありませんでした。

わたしは、わたしの信頼する方から、直接、正しい指導が受けられて良かったとおもっています。
この掲示板をみたのが、新人のときじゃなくて、ほんとうに、幸いでした。

わたしも、祈らせて頂きます。
ずっと、大好きなahopeさまのことを、わたしは、変わらず祈っていますし、ここで出会った方もそうです。

復興G様なら、わたしの想いをわかってくださると、信じています。

気持ちや信仰の想いを伝えるのは、文字では難しいですね。

そんな限られた文字の世界のなかで、復興G様には、おことばをくださり、関わってくださいました。

正しい信仰を考える機会を与えて頂きありがとうございました。

わたしも、これから、祈ります。


拝。

373さくら:2013/02/21(木) 07:20:00 ID:Tvah0K9s
わたしは、真の生長の家を、信仰しません。
わたしが出会ったのは、「生長の家」ただ、ひとつです。
虚説も、どこにも、見ることができません。
虚説と見えることも、だれかの都合のわるいことも…
それも、すべて、その奥に「神の声」があると、これからも信じて行きたいと想います。


そのことも確認できました。
自分の信仰が未熟でも、そのことは、確かでした。

これで、用事はすみました。
ありがとうございました。

374初心者:2013/02/21(木) 07:42:19 ID:4YcI.wfQ
わたしは揚げ足取りをされるのが嫌いです。それとおなじくらい揚げ足取りをする
のは嫌いです。そのわたしが、揚げ足取りをしたとみなされているようです。なに
が言いたいのかわからない、ともいわれています。

そのようにみなされる原因は、復興Gさまとのやりとりが中途半端であったという
ことです。中途半端であったために、たんなる揚げ足取りとみなされ、こちらの
意図が伝わっていなかったということです。

まずなにが言いたかったのかといえば、復興Gさまはホープ様に甘すぎるのでは
ないかということです。ホープ様とのやりとりに私情をさしはさまれているのでは
ないかということです。私情を優先され、指導者としてホープ様をきちんと指導し
ておられないのではないかということです。

復興G様は、「自分は指導者ではないとおもっている」といっておられますが、まわ
りはそのようには考えません。復興Gさまを指導者とみているはずです。復興G
さまがホープ様の言い分をすべてお認めになり、それを「真の生長の家の教え」と
認定されるなら、少なくとも復興Gさまを指導者としておあいでおられるであろう
ホープ様は、自分の考えこそが「真の生長の家」との信念をますます強くされるに
きまっています。このことにたいする疑問や疑念をわたしは述べたつもりです。

ホープ様に「神の声を聞かせてください」といっておられる復興Gさまが、さくら様
の声を聞こうとはさなっておられません。訊け様を誌友会から追放されたとも聞き
ます。「初心者からも神の声を聞きたいとおもっている」といわれながら一方では
「初心者の書き込みは読む気にもならない」というようなことをいっておられます。

言行不一致。この言葉が思い浮かびます。私情をさしはさみホープ様を増長させ
ている、といわれても仕方のない言行不一致ぶりではないでしょうか。

またホープ様は、現象への取り組みを、二元論であり虚説として否定しておられま
す。「総裁の考えていることはすべて虚説」といっておられるホープ様を、復興G
さまは、「いい悪いではなく共感する」といって認めておられます。

一方では、「一コマ一コマ順送りに映し出す」仕組みを神の仕組みとして認めて
おられます。仕組みが神によってつくられたものであるのなら、その仕組みによっ
て映し出される現象世界は神の表現の場ということにはならないのでしょうか。

復興Gさまは、現象世界を神の表現の場として認めておられるようにもおもわれま
す(このあたりはいまいちど確認いたしたいところです)。しかし、真理を説きなが
ら現象の問題に取り組むのは虚説であると主張されるホープ様の発言をそのまま
受け入れ、認めておられるようです。

ですからわたしは、ホープ様のような考えが生長の家の教えのどこからでてくるの
かとおたずねいたしたのです。

「虚説」とは、相手の考えを全否定するにも等しい大変な言葉です。言われた人は、
「自分のすべてが否定された」と感じるはずです。このような大変な言葉をホープ
様は連発しておられます。それにたいして復興Gさまは、ひとこと注意するどころ
か賛意を示しておられるがごときありさまです。

わたしがただいちど「固体の実相があるとするのは虚説である」と述べただけで
復興Gさまはただちに、わたしの発言にたいする疑問を表明されました。それほど
までに「虚説」という言葉は強力な力をもった言葉であるはずなのですが、ホープ
様がいくら連発されようとも、疑問を示されるどころか、むしろホープ様の発言を
認めるがごとき言動をくり返しておられるという印象をもちます。

復興Gさまは、ホープ様を指導なされるにあたって私情をさしはさんでおられる。
それは指導者としてあるまじき行為である、というのがわたしの結論です。

375初心者:2013/02/21(木) 07:48:52 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

復興Gさまは訊け様を誌友会から追放されたと聞きました。これが事実なら、「自分
は指導者ではなく誌友会でともに学ぼうとおもっている」といわれる復興Gさまが
いったいいかなる権限でこのようなことをなされたのか、それをお聞きいたしたい
とおもいます。

376さくら:2013/02/21(木) 08:05:59 ID:Tvah0K9s
初心者様

わたしを指導して下さった方も、同じようなことを言いましたが、
ここで、書くべきがどうかは、別の問題だと思います。

復興G様が指導者だと思っていたので、
答えを聞きたかったのですが、
指導者ではない、とおっしゃってるので納得しましたし、
もうここも見ようとはおもいません。
復興G様が写される聖典は、時々みるかもしれませんが…
真の生長の家の内容は、指導ではないと言われましたので、見ません。
いま生長の家にとっても、たいせつな時期に、
これ以上、掲示板で信仰を語るものではないとわかりました。
身近に信頼できる講師がいて良かったです。
わたしも掲示板に、長く関わったことを反省しました。
文字だけの世界で、生長の家の深い信仰の世界は語れないと、
そのようにもわかりました。
自分の想いや信仰を傷つけることになるので、
わたしは、もう信仰のことは、信頼する方にだけ、
話をしようとおもいます。

さくらと誤解されていた、「わたし様」のことばは、
真理に近いです、

信仰による、沈黙。
話されないことのなかに、多くの気づきがあります、
難しいことでもあります、

初心者様、わたしの前にかいた言葉に対しても、こころを組んでくださり、
ありがとうございました。
どんな姿でも、どんなことばでも、その奥に
「神」をみるのが、ただひとつの生長の家の信仰だということに、
迷いはありません。

377復興G:2013/02/21(木) 08:45:30 ID:AB6RqYXc

>>372>>373 :さくら様

ありがとうございました。

>>わたしが出会ったのは、「生長の家」ただ、ひとつです。<<

そう、「生長の家」はただひとつです。
まちがいありません。

信頼できるよい指導者に出会われて、よかったですね。

創造神、本源の神はただひとつ、「生長の家」はただひとつですから、途中の道はちがっても、同じ頂上に向かっていることは間違いありません。信ずる講師に従って、信ずる道を行かれてください。

ますますのお幸せを祈ります。

ありがとうございました。

378初心者:2013/02/21(木) 08:53:55 ID:4YcI.wfQ
さくら様

たしかにここでのやりとりは無意味です。復興Gさまとのやりとりも、なあなあで
すませるつもりでした。しかしそれは間違っていたようです。なあなあでやりあって
いたのでは、たんなる揚げ足取りとみなされても仕方がないということがわかり
ました。

「揚げ足取り」とされるのはわたしにとって最大の屈辱です。揚げ足取りをせねば
ならぬほどの貧相な思想や哲学しかもっていないとみなされてしまったのです。

これは耐えがたい屈辱です。「人間知」といわれたほうがはるかにマシなくらいで
す。この屈辱ははらさねばなりません。結果はどうであれ、揚げ足取りと見なされ
ない程度に復興Gを追及していかなければならなくなってしまいました。リスクは
けっして小さなものではありません。

掲示板を去られるのは賢明な選択です。この場で信仰を語る意味はありません。
なにを語ろうともさくら様の思いがふみにじられるだけです。さくら様にとっての
理解と共感の場がみつかるとよいですね。

379復興G:2013/02/21(木) 08:55:40 ID:AB6RqYXc

>>375 :初心者様。

>>復興Gさまは訊け様を誌友会から追放されたと聞きました。これが事実なら、「自分は指導者ではなく誌友会でともに学ぼうとおもっている」といわれる復興Gさまがいったいいかなる権限でこのようなことをなされたのか、それをお聞きいたしたいとおもいます。<<

どこからそんなことをお聞きになったか知りませんが、いい加減なことを言わないでください。

訊け様に直接、訊いてみたらいいじゃありませんか。

訊け様。

私が、あなたを誌友会から追放しましたか?
初心者様に、ちゃんと教えてあげてください。
お願いします。

380a hope:2013/02/21(木) 09:08:41 ID:TqpbsVIM
>>374 初心者さま

>>またホープ様は、現象への取り組みを、二元論であり虚説として否定しておられま
す。「総裁の考えていることはすべて虚説」といっておられるホープ様を、復興G
さまは、「いい悪いではなく共感する」といって認めておられます。<<

わたしは、現象への取り組みを二元論だとも虚説だとも言っていません。
お願いですから、いい加減なことを言わないでください。

わたしは、雅宣先生のお心、考え方が、二元論ではないかと思っているだけです。
つまり、人間は神の子だけれども、現象世界では罪を犯している。
そう考えられているのではないかと感じているのです。

例えば、現教団が、

〝『人間は神の子である』だから、
自然破壊などという愚かな行為は決して犯さないのである。
神の子の自覚をもって、自然を大切にしていこう!〝

このようなスローガンの下で、環境保護運動をされるのであれば、
わたしは喜んでその運動に参加させていただきます。

381復興G:2013/02/21(木) 09:10:59 ID:AB6RqYXc

>>374 :初心者様。

374で初心者様がおっしゃっていることは、かなりあたっているでしょうね。認めます。

もう少し、じっくり反省熟考させて頂きます。
ありがとうございます。

382トキ:2013/02/21(木) 09:55:11 ID:nDYMVrzU
>>378

初心者様

 ご投稿、心から感謝申し上げます。

 この掲示板でのやり取りが初心者様が求めるものではなかった点については、管理人としては
申し訳なく思います。

 しかし、掲示板という場所は、原則、皆様、対等の立場であり、また、投稿に対するご返答も
あくまでも各投稿者様のご厚意でなされています。投稿に対して、返事があった場合、その内容
が自分の望むものであるか、いなかは別にして、やはり一定のレスペクトを示すべきだと思います。

 もちろん、その表現が侮辱や敵意を示すものならば、それは別です。初心者様は、侮辱をされた
と書かれていますが、個人的に見て、復興G様のお返事には、初心者様への侮辱や敵意を感じる
内容は感じられませんでした。

 私は、復興G様とは面識はありませんが、投稿内容から見て、ご高齢の方だと拝察します。また
信仰歴も長い方だと思います。そういう方が、ご多忙な中、貴重な時間をさいて、聖典を調べて
下さり、ご返答を下さった点には、やはりそれなりに感謝と敬意を示すべきだと思います。

 初心者様は、他の掲示板などで侮辱を受けたと憤慨されています。それは私も不当な扱いで
あると初心者様を応援しています。しかし、それをおっしゃるのなら、初心者様ご自身のやはり
他者へのレスペクトには配慮すべきだと思います。この点、復興G様へのご投稿を拝見し、少し
ショックを受けています。

 せっかく投稿をされたのに、こういう失礼な事を申しあげて、ご気分を害されたであろう点
には深くお詫びします。すみません。

 なお、実相のあり方の議論については、私は、考えた事もありませんでした。ですから、この
機会に考え、また、調べる機会を得たと考えています。この機会を与えて下さった初心者様に
は深く感謝申し上げます。また、初心者様の哲学的で深い思索には、尊敬の気持ちは感じてい
ます。

 以上は、あくまでも個人的な感想ですので、お許し下さい。

合掌 ありがとうございます

383初心者:2013/02/21(木) 10:15:33 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

訊け様のことはうわさを聞いただけで、なにが事実であるかは存じあげて
おりませんでした。事実でなければおわびいたします。WEB誌友会は、もともとは
訊け様がはじめられたはずですのに、いっこうに出てきておられる様子がないもの
ですから、このことをいぶかしくおもいました。

わたしは、現象世界は試行錯誤のほうがよいのではないかと考えています。神の
子だからこうであらねばならない、こうであったほうがよい、というのはちょっと
方向がちがうのではないかとも考えます。

野生の動物は、「神の子だからこうしよう」とは考えないでしょう。それでいて自然
の法則のままに自分を投げ出して、あるがままの自分を生ききっているという気が
いたします。人間にはそれができない。だからこそ「神の子だから」と不自然に自分
を律しなければならなくなるのだと考えます。

>わたしは、現象への取り組みを二元論だとも虚説だとも言っていません。
お願いですから、いい加減なことを言わないでください。

二元論、虚説といっておられるのはホープ様です。復興G様はたしか「いい悪い
ではなく共感した」といったような意味のことを書いておられたとはおもっていま
すが、復興Gさまが「二元論だ」と発言されたとはいっておりません。

ただし、「虚説なのかも知れないとは思うようになり始めた」と、微妙な表現で
書いておられますね。

>374で初心者様がおっしゃっていることは、かなりあたっているでしょうね。認めます。

復興Gさまのお気持ちは、やりとりのなかでわたしにも十分に伝わっておりましたの
で、すべておわったことにして、あれ以上のことはなにも書くまいとおもっており
ました。

ですけども、「揚げ足取り」と侮辱され、聞くに堪えない罵詈雑言が投げかけられて
いることを知り、どうしても書かざるを得なくなってしまいました。わたしの未熟さ
をどうかお笑いください。

いつの日か、復興Gさまと有意義なやりとりができればよいですね。ではこれにて。

384初心者:2013/02/21(木) 10:17:47 ID:4YcI.wfQ
トキ様

わたしは、復興Gさまから侮辱されたとはいっておりません。いまいちどおたしかめ
いだたければとおもいます。

385トキ:2013/02/21(木) 10:18:18 ID:nDYMVrzU
初心者様

 >>382の投稿は、>>383を見ないまま書きました。失礼をお詫びします。

合掌 ありがとうございます

386トキ:2013/02/21(木) 10:19:12 ID:nDYMVrzU
>>384

 そうでしたか。では、私の思い違いでした。お詫びして、取り消します。

合掌 ありがとうございます

387復興G:2013/02/21(木) 11:19:11 ID:AB6RqYXc

初心者様

ありがとうございました。

私は過去のログを調べて反省中です。

388rei:2013/02/21(木) 13:41:11 ID:bo95azFI

合掌
ありがとうございます。

初心者様と復興G様との会話の途中だったらごめんなさい。

誌友会も終わったようですし、一言お礼を言わせて下さい。

復興G様、生命の実相24巻の紹介ありがとうございました。
自分一人で読んでいた時には気付かなかった大事な所でした。
参加者との会話の中から浮かび上がったのかな。
やはり誌友会というのはいいですねえ。

生命の実相の中の言葉によって、私のどん底だった心が一縷の光を見出し、
信仰を続けている者です。
生命の実相はわたしにとって本当に本当に大切な本です。

また、私の周りの生長の家の信仰者の方は、それぞれ信仰の度合いはありますが
良い人達ばかりです。
私は生長の家にご縁があって心から喜んでいます。

この度の誌友会、本当にありがとうございました。

再拝

389復興G:2013/02/21(木) 14:47:16 ID:AB6RqYXc

>>388 :rei様。

うれしいコメント、ありがとうございます。

私は、もういい年齢(とし)して暴走老人を演じ、指導者としてあるまじき所行と言われたり、WEB誌友会は潰されたらいいのではないかといわれたりしたので、滅入ってグロッキーになり、そろそろ引退を考えようかという思いがわいてましたが、reiさまのご投稿で、少し甦りました。本当にありがとうございます。
感謝 合掌 礼拝

390SAKURA:2013/02/21(木) 14:49:09 ID:Gq3QJlOc
「復興G様」 へ 
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■「復興G様」からの >>281のお返事…早々にて…恐縮です。…ありがとうございます。
私事、大変遅れての“お礼の言葉”」申し訳ありませんでした。そして…特に今回の【WEB誌友会】
で、のテキスト資料…特別新しい“真理の発見”を、私なりに捉える事が出来ました事に、改めて
感謝の意を申し上げます…。ありがとうございます。今後とも何卒ご指導・御鞭撻の程、改めまして
お願い申し上げます…。
                            再合掌
PS:最近は特に…転載して頂いておりました「浅野先生の“霊界通信”」個人的に興味が(コピ−にて)
今!此の処に“ハマッテ”います【SAKURA】です。現世から次なる世界へ…いずれは、私も
参りましょうが?頂きました“テキスト資料…”を閲覧しますと…不安感は次第に消えていくかと。
それでも【今を活かす…意志力】この事を、深く感じ取ることが出来ました。

❤ “ 感謝 ”

391トキ:2013/02/21(木) 14:53:44 ID:nDYMVrzU
>>389

復興G様

 管理人が行き届かないため、たいへんなご迷惑とご心配をおかけして、大変申し訳ありませんでした。

 web誌友会開催中のアクセス数は普段よりも5割増ぐらいあります。ご参加はしないまでも、閲覧者様
からの関心は大きいと思います。今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。

 本当に、いろいろとありがとうございまた。心から感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

392SAKURA:2013/02/21(木) 16:05:57 ID:Gq3QJlOc
「トキ様」 へ  「観覧者様の皆様」 へ
こんにちは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>254>>256
>>259>>280>>301>>318>>327>>328>>364>>367>>  SAKURA投稿の続きです…。 

>>365 の投稿を閲覧しながら……  
■「トキ様の言葉…」に〜〜〜“異議あり”です。失礼ながら〜〜〜
【以前は自由だった!!】これは本部職員の皆様達の“言葉…”ではないでしょうか??

※【信仰…門を叩きます…一人一人の信者は〜〜〜〜><】どの様な考え方なのでしょうか??

「信者…」は逆に!喜んでいる部分もあるように思います。…が?以前は、詳しく言いますと…
「雅春先生…」亡きあとしばらくしましてから、次第に「職員」・「本部講師」の傲慢な態度を、
末端信者(献金斜陽族)としては感じますし、この件は【教区…の幹部】の人も異口同音に、
おっしゃつていました。…が?
そうです〜〜〜ネ!本部ですれ違いに出会いますと…こちらが“会釈…”をいたしましても…><
素通り…とか?随分“嫌な感じ??”を、受けましたでしょうか?
これが【信仰を導く…講師陣の態度?】いつも?いつも?思うところがありましたでしょうか?

逆に、今回の投稿内容から推測しますと、職員サイドでは【自由…】であったような感が、致します
でしょうかと。その間の15年以上前から既に…
【信者は“数の論理”】で…人数確保…上層部からの通達事項にて、随分と苦しめられていました。
しかも、当時の“法外な数字の計算”です。商売人でも、このような計算は、まず!無理が来るのが、
分かっていますかと?更に、当時の今の【分派…そちらに行かれました皆様方】を含めまして、
「職員・本部職員の権力の乱用?」更に…「自分の顔を優先に“メンツ”を重んじ…」そうされた
方が、多いようにお見受けいたしました。…が?

■逆に思いますに今では【信者と共に歩む…】感じが見受けられて、更に前以上に【信者…】は
ある面、のび〜のび〜した部分もありますのではないのでしょうか?あの当時の「講習会の券」・
「普及誌のノルマ達成」・「信者の人数獲得数」…etc…此処で投稿しますと、キリがありません。
個人的には「本部練成道場…亡き徳久先生・松野先生時代にも奉仕に参りましたが…」当時も><

信者と共に〜〜〜この考えが今後必要ではないのでは?このようにこの場を借りまして、私自身の
考えを此処で投稿させて頂きました。…が?そうする事で、親近感が増し、いい方向に行くように、
思えます。“一部の信者の幹部”は、以前のような考え方での“行動体制…”を取られますなば、
“感情的…”には、いい気持ちにはなり得ませんでしょうかと思います。「職員・本部職員の皆様」が
本当に『人々を救済…】この精神で光明化としての“行動=実践”をされていたようには、当時!
は見えませんし、当時からの上層部からの通達にかんして「信者…」は、随分と〜〜〜><
【 数 字 の 呪 縛 】に縛られ…今ではある面!“解放…”されただけでも“心のゆとり”
ができてくるようです。

■【別のボ−ド】での意見ですが〜 後程“続きを投稿”させて頂きます。…が?

                                再合掌
PS:以前のある「教化部長先生」の言葉〜❤〜で……
「あの!東京ド−ムを3万人で埋めつくすと…地震が来ないのです。!!」このような
“スロ−ガン”にて、随分“そうなんだ〜〜〜ワ!”と信じて…大事なお客様の名簿…云々…
(後日この名簿は使用しないでください。断りましたのですが><)裏目になりましたが?
今の方が、随分と≪数字的≫には、楽に!楽に!このような“言葉…”を耳にしています。…が?
本当に私も含めまして『感謝の一言』です。…が??

393神の子さん:2013/02/21(木) 16:24:49 ID:???
あまり自分勝手で長々しい文章は迷惑です。今後、この種の文章を書き込まれた場合は、
アクセス拒否をせざるを得なくなりますから、注意して下さい。これは警告です。

394トキ:2013/02/21(木) 16:39:32 ID:nDYMVrzU
>>392

Sakura様

 ご投稿、ありがとうございました。

 はい、確かに組織が肥大化するにつれて、問題は大きくなってきました。例えば、一部の幹部や講師、職員の中には
傲慢な態度を取る人も散見されるようになりました。例えば本流復活派の活動者の中にも、教団在籍中、たいへん
偉そうな態度を取る人や、常識のない言動をする人も一部、確かにいました。その点はSAKURA様のおっしゃる通り
で、私も同意します。

 以前、申しあげたように、某教区で聖使命会員の数字をあげるために聖使命会員の死亡届けを受け取らない、という
話は事実としてあったみたいです。また、ご講習会の数字をあげるために、幹部が信徒に無理を強要した事も実際に
あったみたいです。これらの点は、私も間違っていると思います。

 「一白鳩会員」は、戦前の生長の家もかすかに記憶していますが、時代を経るにつれて、教団が官僚化し、形骸化し
た実態を話しています。谷口雅宣先生が指導をされる以前の生長の家という組織にも、重大な問題があった、というの
は私も感じます。この点は、本流復活派と言われる方々も、反省は必要かと思います。(もちろん、教団側にも反省の
必要はあると感じますし、私も反省の必要はあると思います。)

 しかし、組織運営上、重大な欠陥はあっても、やはり教団には谷口雅春先生の直弟子の先生方も多数ご存命で、
まだ信仰とか愛とかは感じる事はできました。

 それに、何か問題があっても、谷口雅春先生や谷口清超先生がご存命中は、セーブがきいた部分はありました。
それが、今はなくなっています。教団の官僚化や形式化は、逆に強くなっていると感じます。もっと悪くなった、と
いうのが正直な感想です。

 結論を申しあげると、仮に、過去、教団の組織指導に重大な問題があったとしても、現在の組織指導の問題点を
免責するものではない、というのが私の考え方であります。

 ただ、私は、これをもって、誰かを糾弾するのではなくて、未来に向けて、広く議論をし、問題のない組織や運動
にするための材料にすべきだと思っています。

 以上、ご了解下さい。

合掌 ありがとうございます

395a hope:2013/02/21(木) 16:42:12 ID:TqpbsVIM
>>383初心者さま

>>わたしは、現象世界は試行錯誤のほうがよいのではないかと考えています。神の
子だからこうであらねばならない、こうであったほうがよい、というのはちょっと
方向がちがうのではないかとも考えます。
野生の動物は、「神の子だからこうしよう」とは考えないでしょう。それでいて自然
の法則のままに自分を投げ出して、あるがままの自分を生ききっているという気が
いたします。人間にはそれができない。だからこそ「神の子だから」と不自然に自分
を律しなければならなくなるのだと考えます。<<


「生長の家」の基本真理は「人間は神の子である」なのではないでしょうか?

本当に「神の子の自覚」があれば、「こうであらねばならない」などという
『ねばならぬ』の気持ちで生きることもなくなり、「神の子だからこうしよう」
などというはからい心もなくなり、自然体でいてすべてがうまくいき、
天地万物と大調和するようになるのだとわたしは感じています。

自分を律する必要が全くなくなってしまうのが、真の「神の子の自覚」を得た時なのだと思います。

その「神の子の自覚」を得るために、わたしたち「生長の家」人は、
神想観をし、聖典・聖経を拝読し、愛行に励むのだと思いますが、違うのでしょうか?

初心者さまやさくらさまは、復興Gさまがわたしにちゃんと指導していないだとか、私情をはさんでいるだとかおっしゃいますけれど、
いったい、何人の生長の家の先輩方がこの掲示板をご覧になってくださっているのでしょうか?

さくらさまの信頼できる講師の方であっても、この掲示板をご覧になっていて、
わたしの発言に問題があればご指導くださってもいいのではないですか?
さくらさま、わたしを「大好き」とおっしゃってくださるのなら、わたしを見捨てずに是非その講師の方にお願いしてください。

わたしは、このような開かれた場所で、もし、新人のわたしが間違った発言すれば、
必ずどなたかがご注意してくださるか、ご指導くださると信じて発言しています。
そして、謙虚にご指導を受けるつもりでいます。

ですが、失礼ですが、さくらさまや初心者さまのように、わたしの過去の発言をいい加減に引用したり、
曲解して言い換えられたりしてしまうと、閲覧者の方にも誤解を与えてしまいますし、わたし自身もとても混乱します。
ですから、そのようなご指導だけはもうやめていただきたいです。

復興Gさまは、毎回わたしの発言を必ず再掲載してくださり
「生長の家の教え」に沿ってしっかりとご指導くださっています。

ですからわたしは、心から復興Gさまを信頼しております。

396a hope:2013/02/21(木) 16:43:52 ID:TqpbsVIM
みなさま

謹慎中なのに何度も登場して申し訳ありません。
それから、わたしにあたたかい励ましのお言葉をくださったみなさま、
お名前を挙げるのは控えさせていただきますが、涙が出るくらいうれしかったです。

もう少し謹慎させていただきますが、次回のweb誌友会にはまた張り切って登場しますので、
どうぞよろしくお願いいたします。

感謝 合掌。

397復興G:2013/02/21(木) 16:51:53 ID:AB6RqYXc

>>391 :トキ様。
>>管理人が行き届かないため、たいへんなご迷惑とご心配をおかけして、大変申し訳ありませんでした。<<

とんでもありません。大変ご心配ご愛念をいただき、感謝しています。

>>web誌友会開催中のアクセス数は普段よりも5割増ぐらいあります。ご参加はしないまでも、閲覧者様からの関心は大きいと思います。<<

そうですか、ありがたいことです。
やはり、この掲示板の意義は大きいものがあるのでしょうね。
私も、老骨にむち打って、できるだけ頑張らせて頂きます。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
感謝 合掌

398神の子さん:2013/02/21(木) 18:13:14 ID:???
>>396
謹慎中にいっぱい書き込みすぎじゃん

399志恩:2013/02/21(木) 18:35:11 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様、そして お世話係のahope様

私も、WEB誌友会のおかげで、新鮮な気持ちで、
「生命の實相」を心して拝読できます幸運を、ありがたく思っております1人です。

思えば、復興G様は、雅春先生時代のときから 研修会議などにも 出席されていらしたほどの役職のあったお方で、
雅春先生や、各 有名本部講師の方々に 直に 薫陶をうけていらしたおかただということが、いままでの
お話の内容で分ってまいりました。

復興G様は、80歳でいらっしゃるそうですが、若々しく 自由自在に PCをこなされておられますので、おどろきです。
そのおかげによりまして、「生命の實相」の輪読会・WEB誌友会で、月1回 大先輩として教えていただける事が出来、幸せに思っております。

また、トキ様はトキ様で、トキ様の縁者でいらっしゃるという一白鳩会員様は、かなりのご高齢ではないかとご推察申し上げますが、
それにもかかわらず、頭は、全くぼけてなくて、戦前のことまで、覚えておられるというのは、ほんとうに 奇跡の人のようです。

a hope様は、まだお若いから、ご自分では、そういうつもりで言ったのではないのに、と言うことも、お相手に批判される場合もあるかもしれません。
だから、むかつくこともあるでしょうけれど、

(私なんか、若くなく、老気のいたり だらけで、、掲示板では、そのようなことは日常茶飯事でございますが)

私も、今迄、初心者様やさくら様のように、納得いかないことがあるときは、正直に、復興G様にどんどん質問してまいりました人間です。

どんどん質問することも、開かれたWEB誌友会という性格上、閲覧者の皆様の勉強になりますから、
今回のことも、プラス思考で捉えれば 有意義なことだったと思っております。

お互いに、相手の意見に対して、納得がいかなかったり、反論がある場合は、私は、そうは思わない、とか、そうは、思ってはいなかった、とか
がんがん、相手に 意見をおっしゃれば、いいんじゃないでしょうか。

言ったり、言われたり、、。

私も、WEB誌友会ではなく、ここの掲示板でですが、さんざん批判されて、どれだけ言われて来たかしれません。(私も言って来ましたが)

ですから ahope様の
消え入りたいお気持ちも理解できますが、これらも全て 学びの一環だと思われて、今後もよろしくお世話の方を、おねがいできたらありがたいなと
思っております。

これからも お互いが 意見交換により、磨き合いながら 前向きに生きて行けたら いいですね。

私が、最初からWEB誌友会に出ますと、1人でべらべら べらべら でしゃばって しゃべってしまうタイプですので、なるべく出るのは控えて、終わりの頃に
ちょこっと出るようにしたいのです。拝見しておりますし、 勉強はさせて頂いておりますので、ご了承くださいませ。

400a hope:2013/02/21(木) 18:39:49 ID:TqpbsVIM
>>398 神の子さま

本当ですね。
ご指摘ありがとうございます。

それでは、謹慎中であっても、自分のことでどなたかに、
ご迷惑をかけたりしてしまっている場合のみ登場させていただきます。
それ以外の書き込みは、しばらく控えさせていただきます。

よろしくお願いいたします。

401トキ:2013/02/21(木) 19:01:23 ID:nDYMVrzU
>>400

 いや、そんな事は気にしないで、どんどん投稿をして下さい。
むしろ、歓迎いたします。

 よろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

402志恩:2013/02/21(木) 19:02:23 ID:.QY5jUA6
>>神の子様

別板の方で,初心者様もさくら様も、もう掲示板には、来ませんので、、と言ったそばから
お二人とも すぐに、本島の ここへ出て来られてるじゃないですか?

君は、身内には、甘いんだね。いつものことですが。

そうそう、君もだね。黙っていられないのだよね。すぐでて来てる。

かくいう 私もだが。。

ここは、「謹慎は、あって なき が如き 掲示板。」

神の子様、いつも名で、出て来て下さい。

403志恩:2013/02/21(木) 19:03:59 ID:.QY5jUA6
a hope様も 聖典のつづきを…

404アクエリアン:2013/02/21(木) 19:21:51 ID:A/BtFVdU
a hope様

考えの違う人からの、論難に対する、受け答え、素晴らしいです。

敬服しました。

谷口雅春先生の教えが、現総裁のお経モドキに、 NOを言えない、情けない、雅春先生から直接教えを受けた人にくらべ、一億万倍、内在化されていると、私は、今回の書き込みを拝読させていただき、確信しました。

信仰は、年月ではないんですね。

今後の、ご精進を、祈っております。

405志恩:2013/02/21(木) 20:01:50 ID:.QY5jUA6
アクエリアン様

アクエリアン様も、そう思われましたか。。コメント、ありがとうございます。

初心者様は、以前より、痛々しいくらいに 追求されるようになられました。

お気持ちが、追い込まれておられるような、ゆとりの なさを感じました。

406神の子さん:2013/02/21(木) 20:04:51 ID:???

追い込まれたら逃げる誰かと違ってww

407トキ:2013/02/21(木) 20:10:32 ID:nDYMVrzU
 まあまあ、みなさま、大調和でお願いします。

初心者様もさくら様も、大切な投稿者様の仲間ですから。

合掌 ありがとうございます

408アクエリアン:2013/02/21(木) 20:43:27 ID:4S4FDuoE
志恩様、コメントありがとうございます。


>>初心者様は、以前より、痛々しいくら いに 追求されるようになられまし た。

お気持ちが、追い込まれておられるよ うな、ゆとりの なさを感じました。<<

初心者氏は、なにか掴まえておられるのでしょう。

こういう掲示板でやりとりしないで(基本の考えが違えば、なかなかうまくいかないので)、ご自身で、ブログなどを立ち上げて、ご自身の思想を発表されたらどうなのかとは思いますけど。

そうされれば、総裁=初心者疑惑も吹き飛ぶと思うのですが。笑い

409神の子さん:2013/02/21(木) 21:02:20 ID:???
初心者さまの書き込みも、さくらさまの書き込みも、とても良い内容でした。共感する所も、多々ありました。再開を待ちます。

410閲覧者:2013/02/21(木) 21:14:00 ID:a.sQGF/g
良い内容ですが、残念なことにお二人ともほぼ同時に出ていかれますね。
あ、確か、リアルのお友達でしたっけ。

411志恩:2013/02/21(木) 21:18:14 ID:.QY5jUA6
>>神の子様

「逃げる」「濡れ衣」と言ったら、誰だか ばれとる で。
君は、初心者様とさくら様のお仲間だってこともさ。

いつもの名で 出て下さい。

412志恩:2013/02/21(木) 21:29:15 ID:.QY5jUA6
アクエリアン様

初心者様は、昨年の7月頃に 訊け君と
「生命の實相」39巻の、雅春先生と倉田百三氏との「寂光論争」を語りあわれた時に、

初心者様は、思わず
「雅春先生が生きてる時に、聞いとけばよかった」とおっしゃいました。

普通、信徒が、そのような言葉遣いするでしょうか?
どこで、言われていたか、掲示板での発言記録を 探せばありますが、、

人間て、多く語ると、ふと 地がでて来ちゃうんですよね。

私だって、多く語ると、江戸っ子なので、ベランメー調が、ふと 出て来ちゃうんで ござんすよ。

413SAKURA:2013/02/21(木) 22:19:32 ID:dGeUHjWM
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ  
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>394…「トキ様」の投稿 から〜〜〜    ―― その1 ――

遅くなりましたが…「トキ様…」からの、お返事、ありがとうございました。ただ?躊躇しましたので〜〜〜す。
「小文字…sakura様」になっておりましたので…どうしようかと??返事に一瞬〜〜〜〜でしたが?やはり
“ 文面 ”から私こと【 大文字のSAKURA 】が文章中にみえましたので、返事を投稿させて頂きます。

■【他の教区での死亡された方…】の≪死亡届≫を受け取らない??に関してです。…が?

どうなんでしょうか??と思います。…が?唯!此処で申しますのも変ですが?いろんな思考が出てきます。
まず!そこの【 教区 】自身が、受け取らないのでしょうか〜〜〜?
それとも、その死亡なされた方の所属「支部長さん」が≪死亡届≫を提出されていないのでしょうか〜〜〜?
その点の確認をなさったのでしょうか?それは「トキ様…」どちらの判断とお聞きになられていますのですか?

■此処でブレイクしますが〜〜〜(参考までに〜〜〜)
私が、まだ「創価学会…在籍中」の当時のことを此処で“一例…”として投稿させて頂きます。それは、当時、
自宅を千葉の行徳に持っていた頃の事です。その頃は、“中野に事務所…”を置き、自宅は千葉の行徳という
状態で…「創価学会…入会」後、しばらくしましてからの状況です。実はこの「創価学会…入会」…に関しまし
ては、あるデパートでのお客様(創価学会員)の方との出会いから、入会しました。この方は、当時、東村山
なのですが、そこに新居を持たれており、その方とは“半年間…”は、楽しく過ごさせて頂きました。勿論!
他の東村山の皆様との触れ合いも楽しいモノでした。何故なら、私の【聴力喪失…】の現状の状況を、親身に
なって、大げさですが其処の会館の方達が“筆談…”・“ゆっくりした会話”この様に私に対応して下さいました。

ところが〜〜〜“半年後”に、中野に“籍…を移動”されたのです。…が?此処で【ハプニング…!!】
その頃の私は、まだ「仕事場」での寝起きしながらの状況での【住まい兼用ワンルーム】での住居でした。
その後、引っ越しにて「仕事場…中野!住まい…千葉の行徳」この様に〜〜〜この事は、後には【失敗…】かと。
実は、当時の私は、「中野の方達との支部会…活動」には当初、多少抵抗感があり、考えた末に、
「千葉の行徳の方へ会員移動…」する事に、決めましたのです。当時「創価学会」の「聖教新聞の購読」が
ありまして、たまたま近くの所に「聖教新聞担当の方」がいましたのです。…が?先ず!移動する前に、その
地域の状況を把握しましょうとの考えで、そのお宅を訪ねましたが?どうも≪類の法則≫には〜〜〜正直、
モット馴染めないのでは?その様な想いにて、結局!「仕事場の中野」此処にある「創価学会…の支部」に
移籍する事に決め…手続きを御願いしました。
                                        つづく

414SAKURA:2013/02/21(木) 22:23:25 ID:dGeUHjWM
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ  
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>394…「トキ様」の投稿 から〜〜〜    ―― その2 ――

>>413 の続き投稿です…。
ある日の事…電話が私どもにかかってきましたのです。
それは、まだ当時の事…【会員用の青カード…】が、【東中野の文化会館】に届いていないとの連絡なのです。
それで、私自身、また「埼玉の東村山」に連絡しますと、「埼玉の東村山の方」が既に【会員用の青カ−ド…】
は、千葉の方に提出していますと!ですから、また「千葉の文化会館」に、問い合わせますと(この段階では、
まだ千葉の行徳の支部の方)とお会いした事はなく…要約!私どもの【会員青カード…】を持った相手の方が
見つかり、当時その方は【会員カードの獲得(会員数)…】に執着されまして、何度も!何度も!【会員カード】
の移動を御願いしましたが?なかなか手放さないのです。確か?1月ぐらい小康状態でしたかと。

そこで【東中野の部長さん…の発案】にて、そこにそのまま【会員の青カード…】を残しておいて欲しいとの事で
した。これが原因で〜〜いつも“こころに引っかかり”……後に、この事が「第一回の脱退の原因」にも、多少の
影響を及ぼしました。…が?ある時、思いあまって【創価学会の本部】に問い合わせますと…休日にて??
たまたま【聖教新聞の幹部方…】が、電話口に出て下さいまして、話の内容から「確かに、他の人と合わない
だろう〜〜〜と」この判断をして頂きまして…或る“処置…”をなさってくださいました。それは、まず!
【脱退…】を勧めて、その後、3か月後に、また【創価学会入会の手続き】の形にして下さいましたが、たまたま
その方が【創価学会…幹部(池田会長側近)の方】でしたから、今にして思いますとその様な“手続き…”が、
出来ましたのでしょうかしら〜〜〜ン……【会員の青カード…】を、社会常識からずれた“信者の方”は
中々〜〜〜手放さないのですと、当時の「本部の方」がおっしゃつていました。…が?

その事を、ふと!思い出して「生長の家…支部長さんの方」で、そのような“手続き…”をされていない方も、
いられるのではと…??私も「亡き母…死亡届」を、まず「此処地元の教化部…」に電話しますと、教化部
から「支部長宅」にまず連絡して下さいとのことで「亡き母」は、モウ〜〜10年前に「支部長…」をやめており、
その地区での別の方が担当になり、その「支部長さん」に連絡しました。…が?その方は≪死亡届…≫を、
提出して下さり、無事に【亡き母の永代供養…】も全て終わりました。…が? ❤〜【 感謝 】この様に、
私事での判断ですが〜〜〜やはり何処か“連絡のミス”では??ないのでしょうかと??

■尚!【組織…前以上に官僚化】という事に関しましては、後日また!投稿をさせて頂きます。…が?

                                               再合掌

415ona:2013/02/22(金) 01:41:33 ID:Oj1ZYtC6
2012年ニコ生MVP & 重大事件第1位




なかっち 動画
http://www.youtube.com/watch?v=z2qK2lhk9O0s



みんなで選ぶニコ生重大事件 2012
http://vote1.fc2.com/browse/16615334/2/
2012年 ニコ生MVP
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2012年ニコ生事件簿ベスト10
http://niconama.doorblog.jp/archives/21097592.html

416SAKURA:2013/02/22(金) 21:31:52 ID:dGeUHjWM
トキ様 ヘ     観覧者の皆様 ヘ
こんばんは……    ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>413>>414>> 続き投稿です…。

>>394…「トキ様」の投稿 から〜〜〜    ―― その3 ――
最初に【補 足…】をさせてい頂きます。
「創価学会 2回目…入会」その後の【退 会 …】するに際しては、大変でした。…が?   ><

この「退会…(2回目)」には、大きく2つの要因での事情にて【退会…】する事に至りました。

■一つ目は、「創価学会」での【 日蓮聖人…様の古文書】などを、拝読していきましたが〜〜〜
次第に他の学会員の方々と活動して参りますと…一つの疑問が??
【国家……】この認識が、果たして〜〜〜私の想定以上に“薄れて”いく感じが致しました。どうしても、
周りの方々を見ていますと、私自身の思いよりも「現時点での自分自身の幸福論…」が、優先している
この事が?長く「生長の家…」をしておりますので「国家論…」が、脳裏にありましたので〜〜〜?
そして、何よりも【真理…】の捉え方は、「生長の家…御教え」は、素晴らし〜〜〜イと【実感…】

しかし、ある半面は、いいところもありました。…が?私の耳が不自由なのを承知で…以前投稿しましたが?
「結婚相手を紹介…」されました。ある時、相手は“エリートの方”で、東大農学部の教授の方を、紹介され
ましたのです。それが以前「前歯が三本抜けた方…」でしたので〜〜〜す。当時の私は、まだ思う人がいて、
…「星の王子様」ですが、それで、断わりを致しました。今にして思えば【障害…ハンディ−】とかに、
こだわらずに紹介して下さる事に“ビックリ…”でしたかと。少し思い出しますが、反対に「生長の家…」は?
【障害者…ハンディ−】の方との結婚は〜〜〜?どの様な中身なのでしょうかとも思います。??

■二つ目は、ある時のことです。2回目の入会しました支部にて「創価学会の八王子会館」で、
ビデオを見る機会があり、その会館に入館する際は、必ず!名前を記載します。其処に〜〜〜><
見覚えのある筆跡での……名前「黒幕デザイナー(偽名)」……それにて、これ以上は、此処には〜〜〜?
とんでもない事に〜〜〜と思うに至ったのです。…が? 

❤他にも多々なる原因はりますが〜〜〜            再合掌

                       つづく

417SAKURA:2013/02/22(金) 21:35:06 ID:dGeUHjWM
トキ様 ヘ     観覧者の皆様 ヘ
こんばんは……    ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>413>>414>>416 続き投稿です…。

>>394…「トキ様」の投稿 から〜〜〜    ―― その4 ―― 

■■>>【組織の中央部…教団の官僚化や形式化が強くなっている感が〜〜〜】…
仮に、過去、教団の組織指導に重大な問題があったとしても、現在の組織指導の問題点を免責するも
のではない、というのが私の考え方であります。 ただ、私は、これをもって、誰かを糾弾するのではなくて、
未来に向けて、広く議論をし、問題のない組織や運動にするための材料にすべきだと思っています。<<
                                                (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■■上記の件は、【賛同…】させて頂きます。それに信者の方々も【未来に向けての組織再編成…】には、
一目置いているモノと思います。…が?

さて、これは【組織…】には直接関係ないモノと思いますが「普及活動…」この方法を、正直申しますと、
従来の「普及誌……」に変わりまして 今後 ❤【媒体としてのインターネット活用…】この事は、
「雅春先生…」のおっしゃいます【言葉 =言霊】の重要性が、もっと!もっと!如何に重要かを、考えさせ
られますモノと??今回思いました次第です。そしてネット上での“言葉…”となりますと、考えます以上に
相手への「言葉の暴力…」つまりネガティブ感情を与えることなく、多々なる角度からの指導投稿文…が
大切かと思いました。それが…相手の方への指導投稿文での(対面での指導でない)“言葉…文章”が、
深く潜在意識に入り込み【自 信 !】ヘ繋がるモノと思います。
それに“文章での伝達”は、何度も拝読でしますから、ある面では【心に深く残るモノ…】と思います。
【WEB誌友会】では、ある面では、各年代での【言葉の使い方…】にも、考慮すべきものでしょうか〜〜〜?
それに「各講師の方々のブログ…」閲覧する上では、勿論ですが〜〜〜
一般の皆様にも、信者の皆様にも、閲覧しまして“楽し〜イ!嬉し〜イ!この【共有性が必要】でしょうかと。

更に、補足しますと〜〜〜
さて!確かに【過去の組織体制の結果…】が、今日の【生長の家…お家騒動】を招いたモノと思う次第です。
ですから「問題点…」を、お互いに話し合う事は、今後の【生長の家…行く末】に繋がるモノとおもいます。但し、
多少の不安は【森のオフィス…になりますと…「教区…」「信者…」とのパイプが?どの様になりますかと…】
薄れてしまいますと…現在の「お家騒動…」の原因も?一つは「信者との意見交流…稀薄さ」が要因と思い
ます。それにて、今後!どのようになりますかと、その点は、不安材料なのです。…が?

                                                       再合掌

                           つづく

418Kジロウ:2013/02/23(土) 14:25:17 ID:Nc8s0Epk

雅宣総裁が雅春先生の説いてきた事に関して補強したり、解釈の時代的なズレを含んだ事があるのも事実だし、そのことを指摘する事は決していけない事ではないと思います!
個人的に雅春先生には、現在通説となっている物理学の常識(真)が欠けている説明があると思います!

例えば、幸福を招く365章の142ページ
物理学は、神を発見した
では、

(前略)
「物質」は「無」の変形である事が発見された。
→自分の解釈では、暗黒物質(物理学の理論上でさえ解明されてない未知の物質)であり、それは「無」ではない

(中略)

この叡智を備えたエネルギーを吾々は神と称するのである。
→自分の解釈では、エネルギーは物質の変化したモノ、E〓mc2乗なので、
物質とエネルギーは比例関係にあるもの。
言霊として、エネルギーと表現するモノは、カロリーやジュールの単位で表されなければならない!

他では、宗教的な解釈では、
先祖供養において、
浄土真宗では、死後の世界は全ての者が、即、阿弥陀様と同じ西方浄土に生まれる、という教えである。
よって、浮遊霊や悪霊は存在しない!

そして、死後の世界はひとつのランクしかないので、
神道における
荒御霊→幸御霊にランクアップという事もない!

よって、浄土真宗では、先祖供養の必要はなく、教義にもない!

生長の家の先祖供養の概念からは少なくともズレているし、
少なくとも、万教帰一からハズれている!

他では聖書を言葉通りに受け取る事が多いが、聖書には比喩や誇大表現が多いので額面通りの解釈は納得しない!

ただ、

419Kジロウ:2013/02/23(土) 14:36:07 ID:Nc8s0Epk
K
雅宣総裁が雅春先生の説いてきた事に関して補強したり、解釈の時代的なズレを含んだ事があるのも事実だし、そのことを指摘する事は決していけない事ではないと思います!
個人的に雅春先生には、現在通説となっている物理学の常識(真)が欠けている説明があると思います!

例えば、幸福を招く365章の142ページ
物理学は、神を発見した
では、

(前略)
「物質」は「無」の変形である事が発見された。
→自分の解釈では、暗黒物質(物理学の理論上でさえ解明されてない未知の物質)であり、それは「無」ではない

(中略)

この叡智を備えたエネルギーを吾々は神と称するのである。
→自分の解釈では、エネルギーは物質の変化したモノ、E〓mc2乗なので、
物質とエネルギーは比例関係にあるもの。
言霊として、エネルギーと表現するモノは、カロリーやジュールの単位で表されなければならない!

他では、宗教的な解釈では、
先祖供養において、
浄土真宗では、死後の世界は全ての者が、即、阿弥陀様と同じ西方浄土に生まれる、という教えである。
よって、浮遊霊や悪霊は存在しない!

そして、死後の世界はひとつのランクしかないので、
神道における
荒御霊→幸御霊にランクアップという事もない!

よって、浄土真宗では、先祖供養の必要はなく、教義にもない!

生長の家の先祖供養の概念からは少なくともズレているし、
少なくとも、万教帰一からハズれている!

他では聖書を言葉通りに受け取る事が多いが、聖書には比喩や誇大表現が多いので額面通りの解釈は納得しない!

このような事は、考えるべき!

偉大な人の発言は全て正しいと受け取るのは危険です!

420トキ:2013/02/23(土) 15:19:40 ID:c7/td2dA
>>419

Kジロウ様

ご投稿、ありがとうございました

 まあ、確かに、エーテル学説など、現在の物理学の標準理論とは違う説明が生命の実相に書かれているのは
事実です。(もっとも、エーテル学説が再評価される時期がくる可能性を指摘する人もいますが)

 しかし、生命の実相が書かれたのは80年前であり、谷口雅春先生が市岡中学で勉強されたのは100年前です。
それを考えたら、谷口雅春先生を責めるのは少し酷な話だと思います。
 時代背景の問題もそうですが、読み手がそれを修正して学べばよいかと思っています。
合掌 ありがとうございます

421神の子さん:2013/02/23(土) 23:59:55 ID:pic01rm6

・・K痔瘻か・・

422トキ:2013/02/24(日) 23:08:49 ID:csJKRmmg
 お詫びと訂正です。

>>285 :トキ:2013/02/18(月) 18:06:34 ID:HPyZdUGM

>>今、私の縁者の「一白鳩会員」が書いた「詳密講習会」のノートを読んでいます。ノートだけでは
>>分からないので、「一白鳩会員」が時間のある時に、解説を聞きながら少しずつ「詳密講習会」の
>>講義内容を勉強しています。

>>「詳密講習会」の内容は、かなり高度な内容ですが、今の時点では、「固体の実相」という表現
>>はもちろん、それを連想させるご指導もないようです。

 と書きました。しかし、その後、昭和46年秋の「詳密講習会」(練成会)の初日の谷口雅春先生
のご講話で、これに関連する可能性のあるご講話をされています。もちろん「固体の実相」という
言葉は使っておられませんが、それを連想させる内容だったみたいです。宗教戯曲をテキストにして
完全円満なる神様が、何故、一件不完全と見える「現象」を作られたのか、という説明です。

 ただ、それを聴いた「一白鳩会員」の記憶が不鮮明なので、正確な内容の再現には時間がかかりそう
です。(ごめんなさい)

 どちらかと言うと、立花隆の「臨死体験」という本に出て来た、リリーという科学者が見たガーディアン
エンジェルの説明、つまり「神は無に飽きた。だから、仮想世界である現象世界を作り上げたのだ」という趣旨の
説明に近い内容みたいです。

 以上のような理由で、上記の説明を訂正させていただきます。

 申し訳ありませんでした。

合掌 ありがとうございます

423神の子さん:2013/02/27(水) 19:15:19 ID:qDuPHUbQ
>トキ理事長

 おはようございます。さて、WEB誌友会の開催日について触れますと「現在不明」が返答になりましょうか。

 まず現在は、誌友会という「米」を作る前の「田」を造っている段階です。この場合の「田」とは、参加メンバー集めと雰囲気作りを意味します。ある程度の参加メンバーが集まりそして、ガヤガヤと「なんだかオモシロそう」といった雰囲気、これをかもし出そうと考えております。個人的には「今夜にでも誌友会、シタイ」と気持ははやるのでありますが、隠忍自重という(笑)初っ端でコケるとあとが大変ですからね・・・

 また誌友会掲示板ですが、〝徳久克己顕彰〟の名の通りでございます。内容がオフザケでは困るもののこれ、たとえば文体が少々オフザケ気味であれOKとします。ただし注意点としては、「他人への誹謗中傷は厳禁」(当り前の話)に加え、「ハナシの論点をずらす」こともやや、注意喚起くらいはするつもりです。皆さん、忙しい中で書き込みしているわけでしょう?せっかくの投稿文の文意を損ねられたらこれ、参加意欲も低下すると思うからです。「貴方の〝長所〟を訊いているのに、なんでこの人は〝住所〟を返答?」・・・・・こういう時間のムダさが参加者に於て、意欲を低下させていると考えるからなのです。(これだけではありませんがね・・・)

 まあいずれにせよ、トキさん(笑)トキさんも参加して、くださいますよね?頼みますよ、ホント(笑)




424トキ:2013/02/27(水) 21:09:10 ID:rVTDS5dA
>>423

 了解しました。ありがとうございました。

425うのはな:2013/02/27(水) 23:00:39 ID:TkcwO0NM
 しかし、訊け管領人氏は女性のコメントが活発な掲示板はよくないとの
お考えだそうです。きょうも女性陣黙ってろといってましたよ。

>11. かぴばら 2012年06月20日 17:09
茉莉香さまも管理人様のWEB誌友会参加されませんか?真面目に、よいお知恵

426うのはな:2013/02/27(水) 23:01:39 ID:TkcwO0NM
訊け管領人 訊け管理人 に訂正。

427a hope:2013/02/28(木) 22:59:37 ID:TqpbsVIM
>>204 206 るんさま

お返事がたいへん遅れて申し訳ありません。
もう、後夜祭も終わってしまったのでしょうか…?

――――――――――――――――
ところで、>>わたしは、これは、「(神の造った部分=真理)は不変であるが、(現象人間の雅春先生が造った部分)の教え」は
>>場所や時代などの条件によって変化していかなければいけない」ということになるのではないかと感じたのですが… 

こう書かれてますが、雅春先生の文章の「どんな内容」が、そう思われますか?

――――――――――――――――

るんさま、実はわたしも以前通っていた母親教室で、講師の先生に
「妻は『夫にはいにこぽん』ですよ!と言われたときに、ものすごい抵抗を感じました。 

大体、講師の先生自身が、「わたしも『夫にはいにこぽん』はできてなくて、夫とケンカばかりしていますけど…」
なんて言いながらお話するんですから、全く説得力がありませんでしたね(笑)。

昔の日本は、家長(夫、父親)を立てて、妻や子供は従順に従うのが当たり前で、
それが日本人女性の美徳とされていましたよね。

でも、今は時代が変わってしまい、共働きの核家族や片親家庭も増え、さらに国際結婚をしている人もたくさんいます。
そんな現代に、「夫にはいにこぽん」の教えを説いても実際、無理があるのではないかと正直感じています。

ところで、この「はいにこぽん」は、元をたどれば、「相手の実相に『はいにこぽん』しましょう!
つまり相手の【実相礼拝】をしましょう!」という「生長の家」の根本真理を、
雅春先生がその時代背景に合わせて、女性に説かれた方便だったのではないでしょうか?

もしそうであれば、この「夫にはいにこぽん」は、「現象人間の雅春先生が造った部分」というより、
「雅春先生がその時代に合わせて『生長の家の真理』を説くために使った方便」と考えたほうがいいような気がしてきました。
(つづく)

428a hope:2013/02/28(木) 23:04:27 ID:TqpbsVIM
>>427(つづき)

実はこれは、先日、本流対策板にトンチンカンさまが、SAKURAさま宛にされているお返事を拝見して、
「あ〜そういうことなのかもしれない!」と気付かせていただいたことなのです。
トンチンカンさま、すみません、勝手ながら紹介させていただきます。

本流対策板>>330から転写
<【SAKURA】さん>へ
『複雑化した人間の思考を、当時の「雅春先生…」の回帰路線のままの【真理…】を伝道する上では、無理が生じますでしょうかと?』
・マサノブ氏は以前に “目玉焼き論” を述べておりました。
・真理に当たる “黄身” の部分は時代とともに変わることはない。 変わるのはその “白身” の部分であると・・・
・つまりは、“真理を説く”為の 方便 は変えても良いのありましょう。
・マサノブ氏は、“黄身”すなわち<真理>の部分を変えようとしているのであります。 この点が 大問題 だと意見具申しているのです。<<

本当に、この掲示板はお勉強になります。
トンチンカンさまの素晴らしいご教示に感謝します!


だから、現代に合わなくなった方便は、たとえ、雅春先生の説かれた方便であっても、
その状況に合わせて変えていっていいのではないかとわたしも感じています。

そして、そのことは、雅春先生自身も望んでおられたことなのではないでしょうか?

ですが、生長の家の根本真理である「人間神の子」や「実相礼拝」等は、
決して変えてはいけない部分なのだと、わたしもトンチンカンさま同様に感じています。


るんさま

ちなみに、わたしの夫はとても自立した人なので、自分のことはすべて自分でします。
ですから、わたしは「夫にはいにこぽん」をする必要がないのです。
ですが、わたしは夫を心から愛していますし、尊敬していますし、信頼しています。

わたしが、夫に同じように思われているかは???ですが…(笑)

429復興G:2013/03/01(金) 15:41:24 ID:AB6RqYXc

a hopeさま、るん様と交信中横切ってすみませんが……

皆々さま。

私は最近、ちょっと心境が開けた感じがします。それは――

<私は時間・空間の中に生まれてきたんじゃなかった。
私は時間・空間を生み出した、時間・空間を超えた生命だったんだ。

私は宇宙の中心主人公だったんだ。私は、一切者なんだ。

それが、「神の子」ということだったんだ。

だから、私の中にすべてがある。私はすべての創り主なんだ。

もし、この世が混乱していたら、それは私の責任なんだ。

私の心が浄まれば、世界は浄まるんだ。

生長の家の混乱は、総裁が悪いとか、“本流”と称する分派が悪いとか、いろいろゴチャゴチャ考えていましたが、そうした迷いがいっぺんに吹き飛んだ感じになりました。

自分が浄まればいいんだ! 自分が変わればいいんだ! そうだ! ありがとうございます!」

他人のせいにするから、ややこしくなるんだ! 「すべて自分の責任」と思えば、なにもややこしいことはない。自分が浄まればいいんだから。>

 ――と、そういう思いが湧いてまいりました。
 この心境を、忘れないようにしたいと思います。


さて、web誌友会について。私は、第3回から第11回まで8回にわたって、司会者的な役割をさせて頂いてきたようです。

もうそろそろ、誰かほかの方に交替して頂けないものかと望んでいますが――
交替して頂ける方はありませんでしょうか。
なければ、もうしばらく私が担当して続けさせて頂くしかないでしょうか。

3月のweb誌友会日程がまだ決まっていませんでしたね。

「原則第二金曜日の夜から次の日曜日夜まで」
となっていましたが、私が司会を続けるなら、

「原則第二金曜日(または第三金曜日)の夜から次の日曜日夜まで」

と変更していただき、どちらか都合のよい方を選ぶということにしていただければありがたく存じます。

それでお許し頂ければ、3月は、私の都合はどちらかといえば、第3金曜日の15日夜からの方が都合がよろしいので、そうして頂ければありがたく思います。トキ様、皆さま、ご意見をお聞かせ頂きたく存じます。

ありがとうございます。

430閲覧者:2013/03/01(金) 17:40:33 ID:UBOBtK4w
「訊け」管理人様を推薦いたします。

理由

教団に入会しておられないのに、生命の実相を読破しておられるから、
そういう方の指導を一度受けてみたいと思います。

431トキ:2013/03/01(金) 18:08:16 ID:D.HFcOVo
復興G様

 いつもご指導を賜り、ありがとうございます。

 個人的には引き続き復興G様のご指導を希望しますし、そうなると復興G様のご都合が最優先だと
思われます。(お疲れなのに、勝手な事を申しまして、すみません。)

 当日の進行は a hope様ではどうでしょうか? (また、勝手な事を決めて、すみませんです。)

 皆様のご意見もお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

432復興G:2013/03/01(金) 18:43:18 ID:AB6RqYXc

3月のweb誌友会日程の提案、変更です。

>>429 で私は、3月のweb誌友会日程として、
「第3金曜日の15日夜から」と提案させていただきましたが、変更しなければなりません。
私が出なければならない行事予定を、9日から15日に変更したいという通知が来ました。それで、誌友会は15日から9日に変更し(私が司会を担当する場合)、
3月のweb誌友会日程は、

「第2金曜日の9日夜から」

と変更させて頂きたく、お願いいたします。

ひきつづき、誌友会の司会担当などについて皆さまからのご意見を頂きたく、お願いいたします。

ありがとうございます。

433トキ:2013/03/01(金) 18:48:24 ID:D.HFcOVo
>>432

復興G様

 ありがとうございます。復興G様のご意向が最優先かと思います。

 運営ですが、講師にご負担がかからないように工夫をする必要があると思います。
 3日間となると、講師にかなりのお疲れが出ると拝察します。

時間やルールなど、復興G様もご提案をお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

434a hope:2013/03/01(金) 21:59:46 ID:TqpbsVIM

復興Gさま トキさま みなさま

こんばんは。

わたしは、司会は無理だと思いますが、今まで通りのお世話役というか、
アシスタント的な役割なら担当させていただきたいです。

このweb誌友会は参加者が少ないですが、たくさんの「生長の家」の方々が見てくださっているようですね。

ここで、素晴らしい「生長の家」の講師の先生、復興Gさまやトキさまのご指導ものと、聖典「生命の實相」のお勉強をつづけることで、
今後の「生長の家」に少しでも明るい兆しが射すことになるのであれば、こんなにうれしいことはありません。
わたしのできることを無理なくさせていただきたいと思います。


みなさま

復興Gさまはいつも、とても丁寧に時間をかけて一人一人に真心のこもったお返事をくださっています。
とても、ありがたいと感じています。

次回は、できるだけ聖典「生命の實相」の内容からそれないように気を付けながら、
参加させていただきたいと思っています。


ところで、次回の内容ですが、このままいくと、「第2巻、第六章 経済問題の解決」
ということになります。

わたしは、このトキ掲示板に参加して「生長の家」のお勉強を続けていくうちに、
健康とお金のことを心配することがほとんどなくなりました。

とくに、家計にとても余裕が出てきていて自分でも驚いています。
それは、わたしが仕事を始めたということも一つの理由かもしれませんが、
子供の進学の時など、必要な金額のお金がパッと入ってくるから不思議です。

次回のweb誌友会の内容は、その「無限供給」の仕組みが深くお勉強できそうで楽しみです。

ここトキ掲示板で、素晴らしい「生長の家」の教えをみなさまと一緒にお勉強できて、 a hopeはとても幸せです。

これからも、どうぞよろしくお願いいたしますね。

435神の子さん:2013/03/01(金) 23:36:43 ID:xiukhHeY
彼らは、それぞれに掛け合い漫才をしているのでは?NEW (6818)
日時:2013年03月01日 (金) 12時17分
名前:中村晃生

トキさんといい、初心者といい、トキ掲示板は、皆あらかじめ役割分担を決めて、ひまつぶしの掛け合い漫才をやっているとしか私には見えないんですが・・・

436復興G:2013/03/02(土) 09:46:54 ID:AB6RqYXc

さて、
>>430 で「閲覧者」様が
>>「訊け」管理人様を推薦いたします。<<
と投稿されました。それに対しては反応がないようですね。

>>423 で「神の子さん」が
>トキ理事長・・・<
と呼びかけられているのは、言葉の調子からすると「訊け」管理人様のようにも思われますが、その後沈黙されていますね。

私に対しては、
>>431で管理人のトキ様が
>>個人的には引き続き復興G様のご指導を希望します……当日の進行は a hope様ではどうでしょうか?<<

とおっしゃってくださり、それに対してa hope様が、協力を申し出てくださいました。

ほかにご意見がないようですので、今回はまた私が担当しなければならないかなと思っておりますが、それでよろしいでしょうか?

437トキ:2013/03/02(土) 09:50:35 ID:F0SnrtrA
>>436

復興G様

 復興G様に御負担をかけてばかりで申し訳ありませんが、皆様の御希望は復興G様のご指導の
ようですので、よろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

438復興G:2013/03/02(土) 10:13:23 ID:AB6RqYXc

>>437 :トキ様。

ありがとうございます。

それでは皆さま、来週に迫りました第12回web誌友会は、次のように開催させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『第12回web誌友会』予告
≪日時≫
3月8日(金)21:30から
3月10日(日)23:30まで
≪テキスト≫
『生命の實相』第2巻第6章「経済問題の解決」(p.167〜211、45ページ分)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

となります。>>432で「第2金曜日の9日夜から」と書いたのはカンちがい(カレンダー見違え)で、8日夜からでした。

どうぞ、よろしくお願いいたします。
合掌

439「訊け」管理人:2013/03/02(土) 10:43:47 ID:???


>>423

 念のためお伝えしておきます。この貼り付けは、私ではありません。

 あの方だと、思います。





440「訊け」管理人:2013/03/02(土) 10:45:01 ID:???


追伸

 >>423を貼り付けた方は、転写意図をご説明ください。

 宜しくお願い致します。




441うのはな:2013/03/02(土) 16:05:22 ID:YCbLw2eM

念のためお伝えしておきます。上の423を貼ったのは、うのはなではありません。
閲覧者さまの意見に反対しましたが、この版の邪魔にならないように、別のスレで
書いています。

 以上。

442うのはな:2013/03/02(土) 16:09:05 ID:9SmKFq.s
追伸

 それと、お邪魔ついでに、訊け管理人氏におねがいします。
 今後、川柳などは別版でおねがいします。

 拝。

443うのはな:2013/03/02(土) 16:12:23 ID:9k8DhHds
 別版でも、これはぼくではない、うのさんでは?と書かれていましたが、
逆の立場ならヌレギヌだ、デマだと騒がれることでしょう。

444a hope:2013/03/02(土) 19:47:37 ID:TqpbsVIM
>>327 328 SAKURAさま >>399 403 志恩さま >>404 アクエリアンさま

あたたかい励ましのお言葉をいただきまして、ありがとうございました。
わたしは、「生長の家の教え」が大好きな普通の主婦ですけれど、
その大好き度は、誰にも負けないかもしれません(笑)

まだまだわたしは、お勉強不足で拝読したいと思っている聖典が山積みなのです。
それに正直に白状しますけど、生活態度も真の信仰者には程遠いのですよ(汗)。

この掲示板で、「生長の家の」先輩のみなさまに見守っていただきながら、
ゆっくり生長していきたいと思っていますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

445a hope:2013/03/02(土) 19:49:28 ID:TqpbsVIM
>>438 復興Gさま

第12回 web誌友会 了解しました。
仕事や家の用事などもありますので、今回もまた自分のペースで参加させていただきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

446復興G:2013/03/02(土) 21:00:38 ID:AB6RqYXc

では、トキ様、a hopeさま、皆々様。

どうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございます。

447トキ:2013/03/02(土) 21:13:36 ID:JcfGZcNY
復興G様

 よろしくお願い申し上げます。
心から感謝いたします。

合掌 ありがとうございます

448a hope:2013/03/02(土) 23:22:38 ID:TqpbsVIM
>>229 reiさま

そうです! reiさまにも、たいへん心強くありがたいメッセージをいただいておりました。
本当にありがとうございました。
短いコメントでも構わないので、もしよろしかったら次回のweb誌友会にご参加くださるととてもうれしいです。


後、お声をかけると怒られてしまいそうなのでかけられないお方がお一人おりますが、
〝愛〝に関するたくさんのメッセージ感動しながら拝読しました。

また、「訊け」管理人さまのやさしい思いやりにも、心から感謝しています。

復興Gさまや、トキさま、るんさまのお心づかいもうれしかったです。


他にももし、a hopeにお声をかけてくださっている方がおりましたら、
お礼が行き届かずもうしわけありません。

これからも、心を込めて聖典謹写をさせていただいたり、web誌友会の運営に協力することで、
みなさまのやさしいお心にお応えしていきたいと思います。

みなさま 本当にありがとうございました。

450a hope:2013/03/07(木) 07:46:34 ID:TqpbsVIM
☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『第12回web誌友会』予告
≪日時≫
3月8日(金)21:30から
3月10日(日)23:30まで
≪テキスト≫
『生命の實相』第2巻第6章「経済問題の解決」(p.167〜211、45ページ分)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

みなさま いよいよ明日夜9時半〜「第12回web誌友会」が開催されます。

今回も、参加30分前くらいになりましたら、 a hopeが(準備祈願)の言葉と、
聖経『真理の吟唱』より、「無限の富者(ふうじゃ)となる祈り」を謹写させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

感謝 合掌。

451a hope:2013/03/07(木) 07:50:21 ID:TqpbsVIM
>>450訂正 
参加30分前くらい⇒開催30分前くらい

452トキ:2013/03/07(木) 19:48:29 ID:zDFBGQos
a hope様

 ご投稿、ありがとうございました。よろしくお願い申し上げます。

感謝、合掌

453復興G:2013/03/08(金) 12:54:32 ID:AB6RqYXc

トキ様、a hope様
ありがとうございます。

皆さま、ありがとうございます。

第12回web誌友会を、今夜から次のように開催させていただきます。ご一緒に、深く、楽しく勉強させて頂きましょう。
よろしくお願いいたします。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『第12回web誌友会』予告
≪日時≫
3月8日(金)21:30から
3月10日(日)23:30まで
≪テキスト≫
『生命の實相』第2巻第6章「経済問題の解決」(p.167〜211、45ページ分)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

それでは、テキストの当該箇所を、次に謹写掲示させていただきます。

web誌友会テキスト
 『生命の實相』第2巻第6章より<1>

    第六章 経済問題の解決

     神学より観たる貧困

  神いい給いけるはわれらに象(かたど)りてわれらの像(かたち)のごとくにわれら人を造り、これに海の魚と空の鳥と家畜と全地と地に匍(は)うところのすべての昆虫(はうもの)を治めしめんと神その像のごとくに人を創造(つく)りたまえり……神いい給いけるは、視よわれ全地の面(おも)にある実蓏(たね)のなる諸(すべ)ての草蔬(くさ)と核(たね)ある果実(このみ)のなる諸ての樹とをなんじらに与う、これはなんじらの糧となるべし。(『創世記』)

 人間は本来貧しくあるようには造られていません。貧しくあるべく造られていると思うものは造り主の愛がどれほどのものか、その力がどれほどのものかを疑うものであります。

 人間ははじめ裸でつくられてエデンの楽園におかれました。彼は裸であるから無一物でした。しかしエデンの園には欲する物が一つとして手に入らないものはないのであります。だから人間は裸であるけれども本来無尽蔵の富の中に置かれていたのであります。それだのになぜ人間が、無限供給のエデンの楽園から追い出されて「一生のあいだ労苦してその食を得」なければならなくなったかといいますと、それは神が禁じ給いし、「善悪を知る樹」の果(み)を、蛇にだまされて食べたからであります。すると、聖書によりますと、「彼らの目ともに開けて彼らその裸なるを知り、すなわち無花果樹(いちじく)の葉をつづりて裳(きもの)を作れり」とあるのであります。

 人間は神の言いつけを守らなかった――すなわち神をうたがった、その時にすでに人間は本当の自己を見る目が曇ったのであります。自己の生命は神の生命と一体であるから、知恵の果実(このみ)などで不足を補わなくとも無限の英知を蔵しているのです。それだのに知恵の果実を食べてもっとよけいに賢くなろうとしました。この態度には人間が、自己に埋蔵(かく)されている無限の英知を信ずることができず、外からの物に頼ろうとした不信があらわれているのであります。この不信ほど人間本来無限の自己を小さく限ってしまうものはないのであります。

 われわれに通じている無限供給の配水管に堰(せき)をしてしまうものは常にこの不信であります。

 本来の人間は「知恵」においても「富」においても「生命」においても本来無尽蔵です。それは水脈が神に通うているがために、必要に応じて汲めども汲めども水のつきぬ井戸のようなものでありますのに、人間は神の言葉を信ぜず、自己の無尽蔵を信ぜず、外に物を求めたがために、その結果、自己の「裸身(はだか)」なることを見ることになったのであります。すなわち彼は無限供給の天園に置かれながら、自己に与えられたところの無限供給を見ず、自己が裸身であることすなわち自己が貧しき無一物であるということに気がついたのであります。

 「気がつく」ということ、すなわち心で認めるということ、これが心の法則からいえば事物を存在に入れるための第一原因となるのであって、われらが心で認めないものは何も存在に入ることはできないのであります。
<つづく>

454復興G:2013/03/08(金) 12:55:27 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<2>

 御承知のとおり英国の詩人オスカー・ワイルドは「ロンドンの霧は詩人がそれを歌うまでは存在しなかった」といっているのであります。倉田百三氏も「自己に眼瞼(まぶた)があると気がついたために、目をつぶると、どうしても自分の眼瞼の裏が目に見えて眠られないで不眠症になった」と告白しておられます。
 このように人間というものはエデンの楽園の無限供給に気がついている間は無限に富んでいるのでありますが、自身の裸に気がつけば、気がついただけの程度に貧しくなるのであります。

 だから、富もうと思う者は人間に本来与えられている無限の供給に気がつかねばなりません。シェイクスピアは「身体を富ましめるものは心なり」('Tis the mind that makes the body rich.)といっていますが、さすがに彼は霊感的作者だといわねばなりません。

 近代「新思想(ニュー・ソート)」の霊感的執筆者中の随一人なるマーデン博士はニューヨークのある大繁昌をしている店の事務所を訪れた時、一つの標語が書いてあったのを見てその店が繁昌する理由をなるほどと感心したといっていられます。それには、

 「われらはわが家の繁昌のみをここで語る」

 と麗々しく書いてあったのであります。

 語るものは皆出てくる。これは言葉の創造力です。これが存在の法則であります。

 言葉に出していう時、必ず心は影響を受けます。そして心に常に思っているとおりに、その人の運命は造られるのです。

 言葉は神であることを知らねばなりません。そして三界は唯心の現われであることを知らねばなりません。

 貧しい人々は常に自己の貧しさを呟(つぶや)きがちですが、それはますます言葉の力で自己を貧しくするにすぎません。

 今日からわれわれはいっさい自己の貧しいことを口にしないでいましょう。そして、貧しい遣る瀬ない窮乏感に襲われて来たならば、静かに別室に退いて「神想観」をして精神を統一し、「神とわれとは一体である。神はすべてのものをもち給う。神のもち給うものをわれもまたもつのである。すべての物はわれに与えられているから自分は貧しくはないのである」という意味の言葉を強く強く自己に自信のできるまで思念せられるがよいのであります。

 毎日一定時間静坐して自分の心にこのことを強く強く刻みつけるための修行「神想観」については後に詳しく書いてあります。

 わたしがこのことを説いた時に、ある人はわたしのことをドン・キホーテ式の空想家だと評しました。しかしこのことをわたしのすすめたとおりに正直に実行している多数の人は現に今相当のくらしをしていられますし、会社の整理のあった時にも首にならずに済んだ人もあり、たとい全体の会社の事情として馘首(かくしゅ)せられましても、それがいっそうその人の運命が好転すべき一転機となっているのであります。

 就職難が突破できないとか、冗員淘汰(じょういんとうた)で首になるとかいいますけれども、それはみな心の問題であります。人間は現実に富む前に、まず「心」が富まねばなりません。諸君も知っていられるとおり心が富んでいる人は対談していてもなんとなく人を引きつけます。人を引きつける人は成功する人でありますが、人を引きつけない人は就職試験でハネられる人か、冗員淘汰で首になる人であります。

 皆さんは御承知でしょうが、繁昌している商店にはよく稲荷さんが祀ってあります。そしてよく紅(あか)いちょうちんに「寿福円満」とか「商売繁昌無病息災」などと書いてあります。

<つづく>

455復興G:2013/03/08(金) 12:56:22 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<3>
 一知半解な神学者は神は神聖であって我欲のために祈るべきではないといいます。また科学者はそれを一がいに迷信だといってけなします。

 しかしそういってけなす人の方が心の法則から見れば神学迷信とか、科学迷信とかにとらわれているのであります。
 なぜかといいますと、これを心理学的に観ますと、毎日、神前に坐して宣詞(のりと)なりお経なりを読めばおのずから精神統一ができます。その時目を引くような紅い提灯に「商売繁昌」と書いてあるのを見るならば、心に常に自家の「商売繁昌」を念(おも)っていることになり、宇宙に漂っている「商売繁昌」の精神波動を受けることにもなり、両方相まって、それが容貌や態度や応接ぶりなどにも影響して、人の気受けがよくなり、自己の自信力もでき、したがって本当に商売が繁昌するようになるのであります。

 毎日稲荷さんの前にぶらさげた「商売繁昌」と書いた提灯を眺めているのは、ニューヨークの大商店の事務所に「われらはわが家の繁昌のみをここで語る」と麗々しく書いて眺めているのと効果においては好一対であります。

 これとは反対に、常に自己が貧しいことを人につぶやいている人は、常に自己の心のうちに貧困が刻みつけられて、容貌がなんとなく貧乏相になります。新聞に求人の広告が出ているからとて、そんな人が往ってもそんな人を雇っては店が繁昌しそうでないので断られがちでありましょうし、またそんな人は自己の心を顧みないで他を恨み怒り憎むようにもなりましょう。

 人間が自己を顧みず、自己のおちどを他人のセイにして恨んだり怒ったり憎んだりしているようでは発達しませんし、発達しない人は落後するほかはないのであります。すなわち不成功に終るのであります。

 人間は希望をいだいて勉強し積極的に精力を使うようにすればふつうの人の二、三倍働いても疲れませんが、恨んだり怒ったり憎んだりして消極的に精力をつかうから、積極的に進歩する以上の精力を費しながら結局なんの効果もあがらなくなり、その結果、自分の心にますます自己の不遇を印象し、自分の雰囲気を毒し、人相を悪くし、その結果いよいよ現実的にも不遇から浮かび上がることができなくなるばかりであります。

 貧困になやむ人は他を怨んだり憎んだりするよりも、まず自己の心を顧みることから始めねばなりません。自分の心が自己の無限力を小さくしていないか、いくらでもはいって来るべき供給をじゃまするようなことをしていないか。これを顧みることであります。

 心の無限力をみとめず、自己の境遇を他人の掠奪の結果だとする経済観には「生長の家」は賛成できません。

 われわれの立場は本源の世界すなわち心の世界から貧困を癒そうとするのであって、本源に貧困の原因をそのままにしておいて、末流に小細工や膏薬貼りをしようとするのではないのであります。心から貧困の原因を取り去らないでおきながら、暴力で富める者から掠奪して貧者を富ませても、その人の心に貧困の原因が存在している限り、掠奪した物資を使い果たしてしまったらすぐまたその人は貧乏に帰ります。だから最も大切なのは心であって物ではありません。

     心と服装との相関作用

 ここでわたしは、「心」と「形」との相関的作用を述べたいと思います。ほかの宗教では極端に服装の質素を強要するような戒律もありますけれども、「生長の家」は生命の生長にふさわしい服装であれば、どんな服装でもよいのであります。かならずしも豊かな美しい服装を排斥しないのでありまして、服装の価値と不価値とはそれが自己の生長または向上に役立つかどうかによってきまるのであります。それで思い出されるのはナポレオンの逸話であります。

 ある時ナポレオン将軍のところへ伝令が馬に乗って大いそぎで戦線から報告書をたずさえてきたことがあります。あまりに急速に馬を走らせたので、伝令がナポレオン将軍のところへ着くと間もなく、馬は心臓麻痺でたおれてしまった。
 ナポレオンは戦線の司令へあてた返事を秘書にしたためさせると、やおらその伝令にむかって、「この馬に乗って全速力でこの返事を持って行け」と命じました。この馬というのはナポレオンの秘蔵する名馬でした。
 伝令はビックリしてナポレオン将軍の顔をうかがいながら「閣下、わたしは一兵卒にすぎません。閣下の御乗馬のような立派なお馬に乗りましたら罰があたります」と身体(からだ)を固くして気をつけの姿勢で答えました。
 この時ナポレオン将軍は「貴様、フランスの軍人にとって、立派すぎるというものはどこにもないぞ!」と一喝したそうであります。
<つづく>

456復興G:2013/03/08(金) 12:57:27 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<4>

 諸君はこの憐れなる伝令の一兵卒についてどうお考えになるでありましょうか? 世界には実際この憐れな一兵卒のように考えている人間が非常に多いのであります。

 ――自分のような人間には、こんな服装はもったいなさすぎる。もっともっと貧しいみすぼらしい服装こそ自分を包むにふさわしいのであるといって、人から見て不快がられるような服装を強いてしているような人もありますが、「生長の家」はそのような自己縮小的な消極的な生活者に対して、ナポレオン将軍がしたと同じように、「あなたよ、神の子たるあなたには立派すぎるという服装はどこにもありませんよ」と言明したのであります。
 『生命の實相』全集第四巻生活篇に、わたしは「鏡をみて幸福の表情をして笑う方法」を説明してこれによって病気がなおり、運命が開けてくるということを書いていますが、それは表情の印象力を応用して自身の心を生き生きとさし、気分を晴れやかにし、血行をよくし、接する人々を愉快ならしめる心理学応用の生活法でありますが、わたしがここにいおうとするのは服装のもつ印象力を利用して、自己の性格を改善し、自信力を増進し、接する人ごとに尊敬の念を起こさしめ、結局、自身の境遇と運命とを良化するところの「生長の家」式生活法であります。

 最近わたしはある父(てて)無しの赤ん坊がかなりの富豪のところへ養女としてもらわれていったときの話をきいたが、仲介に立った人が、「赤ん坊はそんなに容貌は良くありません」といったら、もらう家の夫人は平然として「いくら醜くてもかまいません。美人に育てますから」と自信をもって答えたということであります。わたしはそのときこの美人に育てるという言葉に非常に興味を覚えたのであります。

 諸君は良家の教養ある子女が、目鼻立ちのよくととのった貧家の子女よりもよっぽど醜い顔の道具をもっていながら、かえってどことなく奥ゆかしい美人らしく見える事実にいくたびも接しられたことがあるだろうと思います。彼女らのごときは、生まれつきの目鼻立ちはさほど良くはないが美人に育てられた娘に属するといってよいでありましょう。
 周囲の人々の愛撫の仕方や、境遇の匂いや、服装の色彩や、その家庭に漂っているなんとなくゆったりとした気分空気が、その娘の心にしみ込み、娘の心は娘の容貌となってあらわれてくるのであります。何事でも心がもとですから、その心をゆたかにのびのびと明かるくする服装をするということは必要なのであります。

 あなたの心をゆたかならしめ、これを生長さす方法なら、どんな方法でも惜しまずに行なうがよいのであります。あなたとは「心」であって「心」のほかにはあなたはないのだからであります。窮屈に、何事でも、服装でも、これでなければならぬと凝り固まるのはいけないのであります。

 わたしがここに「服装の威力」を説くからといって、それは何も必ず華美なきらびやかな服装をせよというのではありません。それは自己の職業または生活に応じて勝利者としての自覚を強める服装でありさえすればよいのであります。
 徳高き高僧はただ一枚の墨染めの衣をまとうことによって、自己が色香の世界にまどわされない高きさとりの境涯にいるという勝利者としての自覚を強めるのであります。
 一燈園の西田天香氏のような霊界の偉人は、そのただ一枚の紺の筒袖をまとうことによって、「われ世に勝てり」の氏の自覚をかえってつよめることができたのであります。

 およそ人にはいろいろの天分と、それが開発される時期とがありまして、一枚の破衣に勝利感を味わう時期もあれば、豪奢なる調度服装に勝利感を味わう時代もあります。
 またある人々は容貌の秀麗さとそれを引き立てる美しい衣服に勝利感を味わいますが、われわれが中学時代には制帽のシンを抜いてヘナヘナな形のくずれた帽子をかむることによって勝利感を味わったものであります。

 だから「生長の家」ではどんな服装にしなければ勝利者としての自覚が得られないなどとしゃくし定規な事はいわないのであります。ただわれらは常に「われ勝利者なり」という自覚を得るの助けとなるような服装をしなければならぬと教えるのであります。
 なぜなら「われ勝利者なり」という自覚が心にあってのみ、はじめてわれらの生長はのびのびと行なわれるからであります。
 何よりもまず心でありまして、心に成功感があってその人は成功し、心に勝利感があつてその人は勝利し、心に生長感があってその人は生長するのであります。
<つづく>

457復興G:2013/03/08(金) 12:58:08 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<5>

 人生はたとえていえば「心」という役者が演ずる舞台であります。
 成功したい者はすでに成功者であるかのように演出し、高徳者になりたい者はすでに高僧であるかのように演出し、健康になりたい者はすでに健康であるかのように眉をのばし、役者がある人物を舞台で演ずるように、心から自分のなりたいと思う人物になりきって人生という舞台で演出するとき、その人の「心」は人生でそれを形に現わすことをうるにいたるのであります。
 そして服装はこの演出のさいの気分を助ける一要素となるものでありますから、経済的に成功しようとする者は、それにふさわしい衣装を着て人生の舞台に出るべきであります。次に掲げる実話は生活様式は心を支配し、心は成功を支配する実例として興味あるものです。

 今は米国財界に時めく千万長者の某氏は、長いあいだ自分の貧困を脱することができなかったのでありますが、ある日ふと自分の読んだ本に「貧乏とは心の病気」だということが書いてあるのを見出して
 「コレだ。自分がいつまでも貧しいのは。今日からぜんぜん生活をやり直そう」
 と豁然(かつぜん)さとったのであります。

 氏は今まで「自分は貧乏だからできるだけシマツをしなければならない」と、一挙手一投足「自分は貧乏だから」を前提とした生活を送っていたために骨の髄まで心のうちに貧乏の感じがしみとおっている自分を笑いたくなった。氏はそれ以来毎日

 「おれは貧乏ではないぞ。心で富を呼び寄せるのだ。貧乏という観念(こころのたね)をおれはもう自分の心から駆逐した。自分は神の子だ。神は無限供給だから、神のもちたまうすべては自分に与えられているのだ。自分は無尽蔵の富を与えられているのだ。その自分を貧しいと思っていたのは自分のまちがいだったのだ。欲しいものはすべて今後は磁石に吸い寄せられるように自分のところへ集まってくるのだ。恐れることはない。今現にきつつあるのだ」

 と、公園をひとりで散歩するとき、就寝前の静かなる時などに、耳に聞こえるほどの声で、自分自身に強くはっきりと断定的にいって聞かすことにした。

 つまり、これは後に説く「自己暗示法」であって、言葉の力の応用であります。氏はしだいに成功に対する自信を得てきて、今まで心に横たわっていた貧乏の恐怖は消失しました。
 今たとい貧しくあろうとも、それは氏にとって消えるべく約束されたる過去の貧しい心の影にすぎないということがさとれたのです。未来には現在心にもっているところの無限供給の確信が形にあらわれてくるに相違ないという自信が強くムクムクと心の底から湧いてきたのであります。

 で、氏の生活様式も一変しました。
 今まで、氏は何事をするにも「自分は貧乏だから」を前提としていた。食事をとる時には、できるだけ安価な食事をとったし、数マイルのところへ通うにも、自分は貧乏だからとテクついたし、あらゆる生活様式がお前は貧乏だぞと氏の耳元で囁(ささや)いていたのでした。
 しかし氏は新しい勇気にかられて生活様式全体で、自分の富めることを印象(しみ)こませようとした。
 彼はふところの許す限り良い食事をとりました。
 一流の喫茶店でコーヒーをすするとき、悠揚とその柔かいソファに身体をもたせかけながら「われ富めり」という感じをたましいの底の底まで吸い込むようにしました。
 彼は今までの見るからに見すぼらしい乞食のような靴や帽子や洋服を捨てて、かなり紳士らしい服装を身にまとうことにしました。
 住宅も引っ越した。
 氏は「類は類を招(よ)ぶ」という真理にしたがって、できるだけ知名の富める人々と交際しはじめました。
 すると、そこから氏の運命はひとりでにひらけてきました。
 氏の快活な挙動、紳士らしい服装、自信のある態度は人々に氏を信用ある人物と認めしめるようになったのであります。
 氏はついにある人から大事業を託されるにいたり、それが氏の今日千万長者たる端緒になったのであります。
……後略……
<つづく>

458復興G:2013/03/08(金) 13:07:32 ID:AB6RqYXc

<つづく> としましたが、いったんここでテキストの謹写掲示を止めさせていただきます。

459復興G:2013/03/08(金) 15:42:49 ID:AB6RqYXc

前夜祭として、少し書き込みを始めましょう。

私は、まずテキストp.168(>>453)の

≪本来の人間は「知恵」においても「富」においても「生命」においても本来無尽蔵です。それは水脈が神に通うているがために、必要に応じて汲めども汲めども水のつきぬ井戸のようなものでありますのに……≫

というところ、「人間はみな、本来(すでに)無限を内に蔵している」ということ。これが根本実相の真理であるということ。だから、常にその自覚を新たにする「神想観」が大切である、と改めて深く感じ入っています。
そして――

テキストp.178(>>456〜457)の
≪「生長の家」ではどんな服装にしなければ勝利者としての自覚が得られないなどとしゃくし定規な事はいわないのであります。ただわれらは常に「われ勝利者なり」という自覚を得るの助けとなるような服装をしなければならぬと教えるのであります。なぜなら「われ勝利者なり」という自覚が心にあってのみ、はじめてわれらの生長はのびのびと行なわれるからであります。
 何よりもまず心でありまして、心に成功感があってその人は成功し、心に勝利感があつてその人は勝利し、心に生長感があってその人は生長するのであります。

 人生はたとえていえば「心」という役者が演ずる舞台であります。成功したい者はすでに成功者であるかのように演出し、高徳者になりたい者はすでに高僧であるかのように演出し、健康になりたい者はすでに健康であるかのように眉をのばし、役者がある人物を舞台で演ずるように、心から自分のなりたいと思う人物になりきって人生という舞台で演出するとき、その人の「心」は人生でそれを形に現わすことをうるにいたるのであります。≫

――上記を読んで、私は今まで服装には無頓着であったことを反省し、これからは「われ勝利者なり」の自覚を服装にいおいても表現することを考えていこうかと思っているところです。

460復興G:2013/03/08(金) 16:02:49 ID:AB6RqYXc

 テキストp.168(>>453)で思い浮かぶのは、聖歌「無限供給讃歌」です。

  無限供給讃歌
          谷口 雅春 作詞

一、われかつて まずしさの
  夢をえがきしかども
  ありとあらゆる 宇宙の富は
  かみのものと悟りぬ。

二、われかつて 神の子と
  知らずして迷いしが
  神の御許に かえりきたりて
  神の御子と悟りぬ。

三、天(あめ)の富 地(つち)のとみ
  神のつくりたまえる
  あらゆる資源 あらゆる富は
  御子に嗣がせたまえり。

四、神はその 有ちたまう
  すべて人にあたえ
  わが世嗣ぞと あがめたまえり
  われすでに富めるかな。

五、われすでに ゆたかなり
  神はわがための宝庫(みくら)
  すべてのたから われに属せり
  われすでに富めるかな。


――これは、テキストの195頁以下のところで、「ヘンリー・フォードの致富法」として書かれています。

≪ 記者――実は光明思想による事業経営の問題で、ぜひあなたの御意見をうかがいたいと思いまして、ちょっとお騒がせ申したわけです。
 全世界はあなたが、世界最大の工場の一つ――フォードの大自動車工場の創立者だったことを知っています。僕は若い時には資本も何もないほとんど無一物だったあなたが、これだけの事業を成就したのには驚嘆せずにはいられません。その秘訣をうけたまわりたくってまいったのですが。

 フォード――失礼ですがちょっとちがいます。君は僕がそのとき「ほとんど無一物」だったとおっしゃるが、正しいとはいえません。誰でもあらゆる物をもって出発する。すべてがわがうちにあるんですからな。

 記者――まったくです。僕はその言葉を聞きたかったのです。あなたがこれだけの仕事をし、これだけ偉大な人類への貢献をするのに要るだけの巨富を集めたその力は、「すでに自己の内に無限の富がある」というあなたの自覚です。しかもあなたは、あなたの富を少しも重大視していない。そこがあなたのえらいところだと思っているんです。≫

――というのを紹介してくださっていますが、深く感じるところがありますね。

 「わが内に、すでに無限がある。一切は、わが内にある」――この自覚こそ、無限供給・無限生長・無限調和の根本自覚になるのですね。

461復興G:2013/03/08(金) 16:08:17 ID:AB6RqYXc

さて、もう少しテキストの謹写を進めてまいりましょう。

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<6>

     富の無限供給と循環

 考えてみますに、われわれは神の子であって無限の神の供給源から養われているのでありますから、われわれに与えられている能力にしましても、健康にしましても、各個人の富にしましても、それは決して有限のところから取ってくるのではないのであります。
 仮にわたしが能力を増して二人前三人前の仕事がひとりでできるようになったとしましても、わたしは無限の大生命からわたしの能力を汲んでくるのでありまして、そのために、それだけのほかの人の能力が減るというわけのものではありません。
 また仮にわたしが健康を二倍ほども増進しましたからといって、わたしはひとの健康を横どりしてくるのでもありません。わたしが健康すぎたからとて、ひとがそれだけ病気になるわけのものでもありません。
 これはちょっと考えるとなんでもないことでありますが、しかもそのなんでもないところに不思議な真理があるのであります。

 能力とか健康とかいうものが宇宙に一定の分量しかないものならば、わたしが能力や健康を増せば増すほどほかの人の能力や健康がそれだけ減るべきはずでありますが、別にそれが減らないのですから、宇宙にある能力や健康の分量は無限だと考えるほかはないのであります。
 そうするとわたしたちは能力や健康をどこからいただいてくるかと申しますと、無限の生命の大海からいただいてくると考えるより仕方がありません。
 そこでわたしたちは「無限」というものにつながっているということが解るのであります。

 ――ここが実に大切なところであります。こうしてわたしたちの生命力は自分だけのものでない、有限のものではない。無限の大生命につながっているということがわかってきますと、非常に自分の「生命」が結構な貴いものだと解ってくるのであります。
 「生長の家」で「人間はみんな神の子だ」とか「無量寿仏の子だ」とか申しますのはこんなところからもわかるのであります。

 能力や健康はこのようにいくら自分のものをふやしましても、人のものを減らしはしないのでありますが、これが富の問題になってきますと、そう簡単に片づけることができなくなります。
 世のなかには一人の者が富んで繁昌すればするほど残りの多勢の者が貧乏するようになっていると考えている人がかなりあるようです。こう考えている人がありますので、「富の分配の公平」という事が経済界に重大な問題となっているのであります。
 資本家がよけいとれば勤労者は貧乏する、勤労者がよけいとれば資本家の収入が減る、と互いに血まなこになって騒ぎまわっているしだいで、これでは実に窮屈な世の中だといわねばなりません。

 むろんこの窮屈な考え方は一つの生産会社などについていえば真理であります。それは会社からあがる利益などというものは有限なものであって、その有限なものをある人数に分配するということになりますと、一人がよけいとれば他の人たちに分配する分量が減るのは当り前だからであります。

 しかしこれは「富」というものをただ会社という有限な物に引っかかって考えるからこんな窮屈なことになるのでありまして、われわれの富は何も会社からばかりくるものだと考える必要はないのであります。
 富はわれわれが無限の供給――すなわち神――と離れない限り、どこからでも必要に応じてやってくるものであります。「生長の家」ではこう考えるのであります。

 今、わたしは「神と離れる」という言葉を使いましたが、神は宇宙のどこにでも満ちていられますので、本当に神と離れるということは実際上できないことではありますが、たとい神のみふところに抱かれていましても、そこに吸うに応じて無限にでてくる栄養の多いお乳が鼻先にありましても、それに気がつかないで、どこかほかに牛乳のびんでもないかとさがしている間は神と離れているのも同じであります。
<つづく>

462復興G:2013/03/08(金) 16:09:17 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<7>

 「生長の家」ではたびたび申す言葉でありますが、世のなかには心で認めたものだけが存在に入るのですから、無限の供給であるところの神さまに気がつかず、有限な会社の利益の分け前ということばかりに心が引っかかって、できるだけ多くその分け前にありつこうと思って争っているような人たちは、いだかれている神さまのみふところの乳房に気がつかずに、有限な牛乳びんの中から、自分のコップに注がれた牛乳が少ないとか多いとかいい争っているようなもので、生活難、就職難、馘首(くびきり)恐怖などの大化け小化けが幻覚(まぼろし)の夢になって襲ってくるのもむりはありません。

 しかし、何もわれわれは行き詰まってきた今までの生産会社とか、その他なんでも有限な生産の資源しかないものに強いて引っかかってその利益の分け前ばかりを争っている必要はないのでありまして、行き詰まらない無限の供給――すなわち神様――と直接取り引きをひらいて新しい方面の事業を授かるようにすればよいのであります。
 これは、資本家の方でその気になりさえすれば、どのようにでも道がひらけてくるのでありまして、そこは心しだいで、神さまが道をひらいてくださるのであります。そうすれば現在多くある失業者も就職口ができることになり、こんなけっこうなことはないのであります。

 新事業を起こすといっても、新会社をこしらえるといっても、この不景気ではしようがないという人があるかもしれません。
 しかしこの不景気というものは、新事業を起こさないで、今までの事業の種類だけで互いに利益を争ったり、もう既成産業は膨脹するだけ膨脹しきっていて、これ以上産額をふやしても買い手がないので、職工を解雇でもして人員をへらし、操業短縮でもするよりほかに道はないような状態でありますのに、雇われたい人間の数はますますふえて行くために起こるのでありまして、不景気だといって新しい方面に事業を開拓せず、緊縮だ節約だといって、人類の兄弟がせっかくつくってくれたものを使わないようにするために、つくってくれたものは売れない。売れないから会社は今後つくる必要はない、つくる必要がないから、職工でも社員でも新たに雇い入れるどころか、かえって減らさねばならぬ――だからとうとうたる失業者の洪水などという恐しい新聞の標題(みだし)がでてくるのもむりはありません。

 考えてもごらんなさい、今後五年間、日本国中の人間が節約だといって米と野菜のほか何も買わないことにしましたらどうなるでしょうか。実に恐しい結果になります。
 あらゆる会社という会社、あらゆる工場という工場、米屋と八百屋以外のあらゆる商店という商店、これらはみんな失業者になってしまわねばなりません。

 どうもこれでは節約というものが道徳的にも経済的にも善いということはできないのであります。

 がんらい、人類の兄弟がせっかくつくってくれた品物を、金を出すのが惜しいといって使わぬということが善いはずはない。
 節約が美徳だというのは、ものがたらぬ場合に、それを自分ばかりがあまり使っては、ほかの人がそれを使いたくとも使えなくなる場合に、自分は使いたいのを我慢して兄弟にその品物を譲るという意味において尊い愛のあらわれと見ることができたからであります。
 つまり節約とは物を使い惜しみをするのが貴いのではなく、兄弟に譲るという愛の行為として貴いのであります。
 ところがこのごろの節約は品物は生産過剰で有り余っている。何も自分が金を出して買って使用したからとて、ほかの使いたい人が使えないで困るというようなことはない。かえってその品物に払った金の一部は社員や職工のふところにも廻りますし、会社も引き合うし、社員や職工も解雇されずにすむのであります。

 わたしは節約が美徳だというのはものがたらぬ場合に、それをあまり自分ばかり使っては、ほかの人がそれを使えなくなる場合に、その品物を兄弟に譲るという意味において尊い愛のあらわれと見ることができるからであると申しました。
 すなわちその品物が足らぬからよけい使っては、ひとの迷惑になるから節約するということが美徳となるのでありまして、たらぬという前提がなければ、節約が美徳だということは成り立たないのであります。
 自分が使っても他の人が使うのになんのさしつかえもなく、人々の用にたりさえすれば、兄弟のせっかくつくってくれたもの、神がせっかく与えてくださったものは、喜んでありがたく使うようにすればよいのであります。
<つづく>

463復興G:2013/03/08(金) 16:10:14 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<8>

 ところが宇宙総体からいって物がたらぬということを「生長の家」ではみとめないのであります。
 科学の方でも、「物質不滅則」という法則がありますが、いくらわれわれが使っても物質はなくなってしまわない。何か別の形になって残っていて、ある方法を加えればまたもとの姿になって帰ってくるのであります。
 なるほど、何か一つのものについていえば、それはたりなくなることはあります。しかし何もわれわれはその一つのものに引っかかっている必要はないのでありまして、その一つが足りなくなったならば何か代りになるものは必ず与えられるのであります。
 たとえば欧州大戦のときにドイツでは非常に食料が欠乏して困った。しかしその結果ドイツ人は人造肉といって酵母を繁殖させてたべることを考えついた。
 なるほどこれなら実に狭い面積で多量の食物が得られます。田地などにくらべると数十倍も収穫量があります。それに夏でも冬でも四季かまわずいつでも繁殖するのですから大したものであります。栄養の点からいってもほとんど肉類と大差のない成分を有していまして、しかも肉類に欠乏しているビタミンなども豊富に含んでいますので、実に健康食としてのあらゆる要素を完備しているという批評でありました。

 こういうように人間は何か一つ必要なものが足りなくなれば、それにかわるほかのものは必ず与えられるのであります。
 むろんこの世の中には一つとしてまったく同じ品物はありませんから、ただ一つのものにこだわっている限りは、どんな金持でも欲しいものは得られません。
 千万長者がわたしのもっている万年筆と同じ万年筆をもう一本欲しいといっても、まったく一分一厘もちがわぬ同じものは、どこをさがしても見つかるはずがありませんから、この一つのものに心が引っかかっている限りは、どんな金持でも貧乏人と同じことで二進も三進もゆかないのであります。
 ところが同じものでなくとも代りのものでもよい、同じ役にさえ立てばよいのだということになりますと、そこから道がひらけてくるのであります。

 このことは資本家側でも雇われる者の側からいっても同じことでありまして、今日の不景気は生産者側からいえば、資本家が特定の会社の利益に心が引っかかっているから、その会社の利益のあがり高がわるくなると、職工を解雇するとか、操業を短縮するとか、減給するとか、ものを消極的に消極的に運ぼうとするから起こったのであります。

 人は節約といえば美徳のように考え、職工や労働者を解雇するといえば、その雇い主をいかにも没義道な不徳漢のように思いますが、それは大いに考え方が違っていると思います。
 節約するということは職工や労働者が労力を出して造ってくれた品物を使わないことにするのでありますから、結局、職工や労画者の力を使わないようにすることであります。
 そしてまた解雇するということも職工や労働者の力は使わないようにすることでありますから、節約と解雇とは結局同じものを二様にいっているにすぎないのであります。

 この社会の実情に照らしてみましても、節約宣伝が行なわれるようになってから解雇者や失業者がふえてきたのは事実であります。これはつまり、「物」を節約するのは「人間」の力を利用することを節約するのと同じことであるからであります。
<つづく>

464復興G:2013/03/08(金) 16:11:19 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<9>


 これを消費者側からいいますと、信仰心の深い人は「もったいない」ということをよくいわれますが、なんでも買わず使わずに不自由をがまんして窮屈な生活をしている方があります。「生長の家」ではそんな節約ぶりには大反対であります。
 どんなものでも元は神さまが作ってくださったのだからもったいない――そのところまでは同じでありますが、次は異(ちが)います。
 わたくしどもでは、つかわないではもったいないからできるだけ生かして使えというのであります。
 与えられていないものまでを無理をして使うのはいけませんが、与えられているものを生かさない節約は人類の敵であります。
 われわれが生命力を出して仕事をした。その仕事をだれも使ってくれなくてはその努力が生きて来ません。
 物を生かして使うということは、人がそれをつくるために注いでくれた生命を生かすということになります。
 この世は持ちつ持たれつの世のなかでありますから、人の注いだ生命を生かすことは自分の生命を生長向上発展さすことになるのであります。
 だから「生長の家」では買うことを節約せよとはいいません。買うて生かせというのであります。
 大いに生かすためには大いに買わねばなりません。
 こうしますと購買力はふえ、製造会社や販売店の収入が増加し、職工も社員も店員もその収入が増加し、したがってますます購買力がふえ、新事業の計画もなんらの危険なく行なうことができ、したがってあとからあとから増加する人間の職業にも道がひらけてくるのであります。
 こうなれば就職難も会社のつぶれる心配もないのであります。生産者側からいっても消費者側からいっても消極と積極とではこうも異ってくるのであります。

 人は「寄付」行為の美徳を説きますが、買うということは、観方によれば一つの「寄付」であります。
 金をあるところから無い方へ寄付して、そのかわり物をあるところから無い方へ廻してもらうのであります。
 この有るところから無いところへ廻すということが一つの愛の行為でありまして、人間の美徳の一つであり、これによって経済界が円滑に循環して行くのであります。

 しかも「買う」ということは、単に「寄付」するということよりもいっそうの美徳であります。
 寄付するということは、働かぬ者にでも、なまけてずるい者にでも与えることになる場合があるのでありますが、「買う」ということは、働きという尊い生命活動に価いを支払い、次の生命活動を起こすだけの養いと勇気とを与えることになるので、いっそう尊いのであります。

 金は使ったら減るから使うのはもったいない、というように、ふつう考えられていますが、わたしの考えでは、金は使っても持っている人が変わるだけで世界のどこかには必ず合計すれば同じだけの金がある。だから、宇宙経済の上から少しももったいないことはない。
 しかもその効用の上からいえば、金は使えばつかうほどふえるのであります。つまり同じだけの金の分量しかなくともその社会に循環する回転率が増えるからです。
 十円の金でも世間をグルグル廻って一ヵ月に十ぺん自分の手に戻っては出て行くと百円に生かしてつかうことができます。それを手許に死蔵しておきますと十円が十円だけの値打ちもない、なんにも利用できないことになるのであります。

 しかし金を使って帰ってくるのならだれだって使いたいが、使えばなかなか帰って来ないので万一の時に貯蓄しておくことが必要だという人があります。これが世間の一般的な考え方であります。
 「生長の家」では「心の法則」ということを常に申しまして、身体は心で思うようになるというのでありますが、経済界も心で思うようになるのであります。
 「金は使ったらなかなか帰って来るものでない」と一般の人が固く心で思っている。だから自分の手許へ金がはいってきたが最後、金輪際出すまいとがんばります。まちがった道徳家はそれを節約の美徳だとして推賞します。
 そこで流通と循環とが本体であるべき経済界に、金の流れをじゃまする詰まったところがあちらにもこちらにもできてきます。
 節約だといって、大金持までが金をたんまりと持っていながら雇い人を解雇したり、人の作ったものを買わなくなったりします。
 こうなると、経済界は不景気になって出した金がなかなか手許に帰って来なくなります。
 すなわち心で思ったとおりになったのでありまして、実際の不景気が先に起こるのでなく心に起こった不景気が、つぎに形をあらわしたので、経済界も心のままになるのであります。
<つづく>

465復興G:2013/03/08(金) 16:12:31 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<10>

 現在社会問題として富の分配ということが問題となっているのは、富が一方に片寄っているからであります。
 富がありすぎるところには山のように積まれているのに、無いところには今日のパンにもさしつかえる。これではいけないから富豪に対抗するためにプロレタリアが連合して、今日の経済制度というものをもっとよいものにしなければならぬという。
 なるほどこれも一つの対症療法であります。
 これは身体にたとえると、頭に血がのぼせているから頭を冷やせというのと同じであります。
 しかし血を頭にのぼらせぬように根本からすれば冷やす必要はないのであります。
 なぜあたまに血がのぼるかというと血の循環が悪く一箇所にたまっているからであります。一箇所に血がたまらぬようにすれば冷やす必要もない、そんな対症療法も必要でなくなるのであります。

 経済界もこれと同じことでありまして、財を一箇所に停滞せしめないように根本からすれば問題はないのであります。
 なんでも一箇所に「積む」ということはよろしくない。これを日本人は太古(むかし)はよく知っていた。だから古代日本人は「罪」を「積む」という言葉と同じ語源から作ったのであります。
 ところがたぶん外国からでありましょう、「節約」という言葉が輸入されて来ました。これを日本語では「しまつ」といいます。「しまつ」というのは「しまる」ことすなわち「引きしめる」ことでありまして、出口をくくってしまうことであります。出口をくくってしまうから財が循環できなくなる。
 循環しないで一少部分の人間のところに富が蓄積するから、ここに近代の資本主義経済組織ができあがったのであります。

 マルクスは唯物史観を説きますが、「生長の家」は唯心史観であります。近代の経済組織は節約しなければ万一のために困ることが起こる、という人間の恐怖心が原動力となって築かれたと観るのであります。
 この恐怖心がもとになって富が一部に蓄積され、有無相通ずる流通が完全に行なわれないために、貧富の懸隔がますますはげしくなり、資本家が無資産家を脅かすようになったのであります。
 だから、この不完全な経済組織を改造するには、何も制度そのものに斧鉞を加えるにはおよばない。人間の心からこの恐怖心をとり去り、財をわれわれは蓄積しないでも、われわれの生活になくてならぬものは必ず神が与え給う――換言すれば無尽蔵の大生命から与えられる――という大信念を人間に与えるようにすればよいので、こうすれば財がある一箇所に片寄って有るという奇形な状態はなくなって、全体の人間に平等に富が循環するようになるというのであります。

 本来、神につくられ、神に生かされ、無限供給の神と一体であるところの人間が、みすぼらしくもその日のパンに困ったり、職業が得られなかったり、免職される心配でふるえておらねばならなかったりするのは、実に不合理な話でありまして、どこかにきっとまちがいがあって、無限供給の配水管に栓がされているに相違ないのであります。
 このまちがいさえ無くすれば人間は無限供給の泉にふれて、直接その無尽蔵の供給を受けることができるに違いないのであります。このまちがいというのがなんであるかといいますと、神の無限供給性を自覚しないことであります。

 さきにもいいましたように、人間は本来貧しくあるようには造られていないのであります。ケチケチせねばならぬようには造られてはいないのであります。これが「生長の家」の信念であります。
 みんな人間は無尽蔵に善いものが充ち満ちているエデンの楽園にすんでいるのでありますが、いろいろ受けるところに相異があるのは、心だけのものを受けるからであります。
 心という器が小さければ少ししか盛ることができないのであります。心という器が大きい者は多くを得ることができるのです。聖書に「少なくもてる者はなおうばわれ、多くもてる者はなお与えらる」という言葉がありますが、この心の法則をいったものでありましょう。

 だから心という器を大きくし、富想を持続するようにしさえすれば、われわれは欲する事物を自分のところへ呼び寄せることができるのであります。
 心を大きくするには、神すなわち無限供給者、無限英知者、無限能力者、無限生命者と一体であるとの自覚を深めることにまさるものはありません。
 かくして無限供給者なる神にわれわれが精神を集中するとき、同波長のものを呼び寄せる原理に従って、霊知的活動または霊知的微粒子体で互いに交流して、想念のうちに描いた富を実現することができるのであります。

466復興G:2013/03/08(金) 16:25:58 ID:AB6RqYXc

 では、私一人で突っ走り過ぎてもいけませんので、少しお休みして、21:30からの誌友会開会、皆さまからのご投稿を待ちたいと思います。

 今、日本は安部総理になってから「アベノミクス」と言われる経済政策で、株価は上がり、経済活性化のきざし、勢いが感じられます。そこには、上記聖典に見られる生長の家の経済学にも適った政策が見られるようにも思われます。そうしたことにまで言及した、活発なご発言を期待いたします。

 一方、生長の家教団は衰退の坂道を転げ落ちつつあるようにも思われますが――。

467トキ:2013/03/08(金) 17:39:55 ID:tLXulRtI
復興G様、ご多忙の中、ご指導を賜り、ありがとうございます。
よろしくお願い申し上げます。

468a hope:2013/03/08(金) 20:30:28 ID:TqpbsVIM
復興Gさま

聖典の謹写をありがとうございます。
今回も、ご指導どうぞよろしくお願いいたします。


みなさま こんばんは

もう、1時間ほどで 第12回Web誌友会の開会となります。

テキスト部分の聖典を読まれて、心に残った所を紹介してくださるだけでもいいですし、
疑問に感じた所を質問してくださってもいいと思います。
生長の家の講師である復興Gさまや、トキさまがお返事くださいますので、
どうぞ気軽にご参加くださいね。

きっと、生長の家の大神様も谷口雅春先生も、その他の天界の講師の先生方もみな、
この誌友会を見守ってくださっているのではないかと感じます。
心を空っぽにして、「生命の實相哲学」をじっくりお勉強させていただきます。
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

469トキ:2013/03/08(金) 21:01:33 ID:tLXulRtI
 よろしくお願いいたします。私は一求道者のつもりで、がんばります。

470a hope:2013/03/08(金) 21:02:41 ID:TqpbsVIM
第12回Web誌友会開会の時刻 が近づいてまいりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を掲載させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

471a hope:2013/03/08(金) 21:08:23 ID:TqpbsVIM
つづきまして、聖典『真理の吟唱』より「無限の富者(ふうじゃ)となる祈り」を謹写させていただきます。


「無限の富者となる祈り」

神は一切の本源者であり給う。
すべての存在と富とはことごとく神よりいでたるものである。
だから、神以外より発生したものは何物も存在しないのである。
人間は〝神の子〝として神の無限供給の後嗣者(こうししゃ)であるのである。
それゆえに、必要に応じて、必要なる事物の無限供給を受けることができるのである。

富とは決して貨幣だけの存在ではないのである。
人間にとってなくてはならぬ一切のものは、それが無形のものであろうと、
精神的な愛情の如きものであろうと、良き友であろうと、良き協力者であろうと、
良き同志であろうと、それらを有(も)つことは、すべて富を持つことなのである。
私は〝神の子〝であるから、毎日毎日、必要なる一切のものを富として与えられているのである。
それゆえに、私は今すでに無限の富者であるのである。

繁栄は〝神の子〝にとって当然の付随物であるのである。
決して私は貧しくなるなどということはないのである。
自分の事業は必ず栄え、計画は必ず図にあたるのである。
事に応じ、時に応じ、人に応じて、私は神に導かれて最も適切な処置をとることが出来るのである。
どんなに衰微せる事業でも、私はそれを生かすことができるのである。
なぜなら繁栄の叡智を神から私は与えられるからである。
その事業が時代に適さないものであれば、私はそれを適当な方向に転じて活かす事もできるのである。
神は神通自在であるから、決して旧態依然たる陋習(ろうしゅう)に甘んじている必要はないのである。
棄てるべきものは棄て、切るべきものは切り、生かすべきものは生かし、転ずべきものは転じ、
どんな万難をも切りひらいて行きづまることはないのである。
行き詰まったと見えるところに、新しく前よりも一層偉大なる使命を見出だすのである。

私は〝神の子〝であるから、全知全能にして無限供給にまします神の叡智と供給とに導かれ且つ満たされて、
如何なる不況期にも道を歩むのである。
〝神の子〝たる者は如何なるときにも蹉跌することはないのである。
蹉跌したと見えるとき、それは進歩の始まりであり、一層明るい世界への曲がり角であるのである。
それゆえに私は如何なる場合にも悒欝(ゆううつ)にとざされることなく、
また取越苦労することもなく、常に明るく勝利の大道を闊歩するのである。

今、私は神に導かれて、無限供給の真理の道を深く悟ったのであるから、
今後決して自己限定することはないのである。
神と私とを結ぶ供給の導管は広く開かれて、今滔々(とうとう)としていて無限の神の愛と智慧と生命と
良き協力者と必要なる資財とが私に流れ入りつつあるのである。
この真理を知らせ給いし神に深く感謝いたします。

感謝 合掌。

472復興G:2013/03/08(金) 21:37:46 ID:AB6RqYXc

a hope様、ありがとうございます。

皆さま、第12回web誌友会の開会です。

どうぞ、お気軽に何なりとお書き込みください。

473復興G:2013/03/08(金) 21:55:02 ID:AB6RqYXc

このweb誌友会を通しての大きなテーマは、「一人ひとりの法燈継承」ということでした。

安部総理の施政方針演説で冒頭に、次のように述べました。

≪「強い日本」。それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。
 「一身独立して一国独立する」
 私たち自身が、誰かに寄り掛かる心を捨て、それぞれの持ち場で、自ら運命を切りひらこうという意志を持たない限り、私たちの未来は開けません。
 日本は、今、いくつもの難しい課題を抱えています。しかし、くじけてはいけない。諦めてはいけません。
 私たち一人ひとりが、自ら立って前を向き、未来は明るいと信じて前進することが、私たちの次の、そのまた次の世代の日本人に立派な国、強い国を残す唯一の道であります。≫

万教帰一の神の国実現のために、縁あって生長の家の御教えに触れた私たち、一人一人が「一切者」の自覚に立ち、安部総理も言われるように、
「誰かに寄り掛かる心を捨て、自ら運命を切りひらこうという意志を持たない限り、私たちの未来は開けません」。

さあ、明るく、楽しく、真剣に、この最高の真理を学んでまいりましょう。

474トキ:2013/03/08(金) 22:01:35 ID:tLXulRtI
 復興G様がかいてくださった聖典を拝読して、思い出したことがありました。
少し筋が違うかもしれませんが、失礼を承知でかかさせていただきます。

 これは青年会時代のことですが、青年会の行事によく参加する学生さんが二人いました。
二人とも有名な大学に通っていたのですが、そのうち、一人は生長の家の真理に深く感銘を
受けて、活動をすることを決意し、役職も持たれ、熱心に活動をされました。もう一人の学生
さんは、「自分は学生ですから、今は勉強をします。活動は将来します。」といわれました。

 二人とも優秀な学生さんでしたから、大学を卒業したら、一流企業に就職ができました。
就職のため、遠隔地に行かれたので、しばらくは様子が分かりませんでしたが、数年後、二人
に会えることができました。

 熱心に活動をしていた学生さんは、活動で学んだ事を仕事でも生かし、バリバリ仕事をして成果を
あげたので、同期入社の中で最優秀との折り紙がつき、見る見るうちに出世していきました。

 他方、活動をせずに、勉強ばかりしていた学生さんは、人間関係がうまく作れずに社外でも社内で
もうまくコミュニケーションが出来ず、「使えない奴」という評価を上司からもらってしまい、ついには
退職して別の会社に移った、という話を聞きました。

 自分だけの幸せを願った者が、仕事で上手くいかず、かえって国家や他人の幸せを祈った人が
成功したのは、興味深いことだと思います。

475復興G:2013/03/08(金) 22:03:25 ID:AB6RqYXc

時間はたっぷりありますので、私は今夜はやすませて頂きます。皆さま、どうぞご自由にお書き込みください。明日またお目にかかります。
では、おやすみなさい。

476a hope:2013/03/08(金) 22:14:43 ID:TqpbsVIM
前夜祭において、>>459で復興Gさまが、

『私は、まずテキストp.168(>>453)の
≪本来の人間は「知恵」においても「富」においても「生命」においても本来無尽蔵です。それは水脈が神に通うているがために、必要に応じて汲めども汲めども水のつきぬ井戸のようなものでありますのに……≫
というところ、「人間はみな、本来(すでに)無限を内に蔵している」ということ。これが根本実相の真理であるということ。だから、常にその自覚を新たにする「神想観」が大切である、と改めて深く感じ入っています。
そして――』

とおっしゃっていますが、わたしはその文章の前の部分に赤線を引いてありました。

P168
≪人間は神の言いつけを守らなかった――すなわち神をうたがった、その時にすでに人間は本当の自己を見る目が曇ったのであります。自己の生命は神の生命と一体であるから、知恵の果実(このみ)などで不足を補わなくとも無限の英知を蔵しているのです。それだのに知恵の果実を食べてもっとよけいに賢くなろうとしました。この態度には人間が、自己に埋蔵(かく)されている無限の英知を信ずることができず、外からの物に頼ろうとした不信があらわれているのであります。この不信ほど人間本来無限の自己を小さく限ってしまうものはないのであります。
 われわれに通じている無限供給の配水管に堰(せき)をしてしまうものは常にこの不信であります≫

普通の人間は、自分の生命が神の生命と一体である、なんてとても信じられなと思います。
だいたい、神すら信じていない人がほとんどなのではないでしょうか。
わたしも、ほんの少し前までそうでした。
ですが、「生長の家の教え」(聖典『生命の實相』)に出会い、運命がガラリと変わりました。
日常生活でどんなに嫌なことがあっても、「神想観」すると心が明るくなり、元気になります。
神と一つである自分の命を自覚するからではないかと感じています。
やはり、生長の家の信仰で一番大切なのは「神想観」なのではないかと個人的には感じています。


ところで、わたしも明日、仕事が早番なので、今夜はこれでお休みさせていただきます。
明日また参加させていただきます。

それでは、「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。

477トキ:2013/03/08(金) 22:39:29 ID:tLXulRtI
 上に書いたことは、別に、学業を放棄して活動をしろ、ということではありません。
しかし、机上の空論として生長の家の本を読むのと、実践を通じて生長の家の信仰
を自分のものにするのとでは、大きな差がある、ということだと思います。

 この誌友会で学んだ事を、自分の生活や仕事にどう実践するか、それを考えな
がら、勉強することはとても大事だと思います。

 しかし、そのためにも、まずは誌友会で、自分の信仰を体得したいと念じております。
皆様のご参加を心からお待ちしております。多様なご意見が、閲覧者様にも他の投稿者
様にも、そしてご自身の勉強にもなると思います。

感謝、合掌

478a hope:2013/03/09(土) 06:58:42 ID:TqpbsVIM
復興Gさま トキさま みなさま

おはようございます。
わたしは、朝日の中で神想観をするのが大好きです。
わたしの家のリビングには東向きの窓があってお天気がいいと、
そこから素晴らしい朝日や朝焼けが見られます。

今朝も素晴らしい素晴らしい神想観をすることができました!

午後は家のことがあるので、夜また参加させていただきます。
それでは、みなさま、どうぞなんでもご気軽に書きこんでくださいね。

479トキ:2013/03/09(土) 09:35:35 ID:jVhiANic
 おはようございます。

 世の中が最近、変化が大きいので、困惑している人も多いと思います。
私の学生時代の友人と同窓会で会うと、いわゆる一流企業に勤めている
人から、定年が55歳になり、その後は嘱託の扱いになるので、給料が
ぐんと減る、という話を聞くと、なるほど難しい時代になったなあ、と
感じることもあります。

 しかし、その中でも、勉強をして、がんばっている人と意気消沈して
しまった人に分かれます。

 思うのですが、今までは、会社に就職したら、従業員は会社に忠誠を
つくす代わりに、会社が従業員を守ってくれたみたいです。昭和の時代
はそうだったと思います。

 しかし、今の時代は、そういう時代ではないと思います。一人ひとりが
しっかりと自己を確立する必要があると感じます。

 そのためにも、復興G様が書かれたことを体得し、自分のものにすること
が必要だと思います。

480「訊け」管理人:2013/03/09(土) 10:26:09 ID:???

 さて、今回のWEB誌友会ですが「経済問題」です。これがメインテーマなので一言(?)、体験談のようなものを開陳しようと思います。なお、この分野(経済問題)は私に於いては、日々切実に喫急の課題として浮上するものです。さらにはそれらを、もう、「奇蹟的に解決せしめた」という事例が多々、ございます。諸賢の信仰深化の一助となれば、幸いであります。

 ・・・・と云うことで以下、語ります。ですが、語りたいテーマが多岐に渡りそうです。ここは涙をのみつつも思い切って、話を三つに絞ろうと思います。本当はもう、多々語りたいのですが割愛し以下、本文にて語られる内容は、この三点だけとします。


∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

○ 普段、聖典のどこを読んで「経済(経営)問題」に対処しているのか。
○ それでも不安になった際に、どう対処したのか。
○ 「富想強化」に於いて、特に感銘を受けた御文章(紹介)

∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


(つづく)

481「訊け」管理人:2013/03/09(土) 10:27:12 ID:???

∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

○ 普段、聖典のどこを読んで「経済(経営)問題」に対処しているのか。

∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 ・・・先ず普段、以下の行動を実行しております。それは、

・ 「日時計日記」ならびに「奇蹟の手帳」の記入
・ 「感銘を受けた御文章」の転写(手帳やブログへ)
・ 「祝福行」の実行


<「日時計日記」ならびに「奇蹟の手帳」の記入>

 ・・・これは効果絶大だと、思います。御教えの「信念化」に於いて「絶大だと思える」という、そんな意味になります。例えば「日時計日記」の方は文字にて、毎日を肯定して行けます。一見すれば「事業悪化」と思えた事象が実は、案外良い面を探してみると宝の山と見えてくるわけです。そんな視点を強化してくれます。(そして、そんな視点が強化されればこれ、「三界は唯心所現」でありますからそのまま、「良い」ことが起ってきます)
 また、「奇蹟の手帳」も効果絶大です。
 左頁に「希望すること」を書きそして、その願いが叶った際に感謝の言葉を(右頁)に記入するという、一見単純な手帳ですが、「効果絶大」だと思います。これを繰返しておくと後日、非常に役に立ちます。個人的にはたとえば、「リーマンショック頃」に希望した数々の文が掲載、されてあります。そして、その横にはその、「絶対に解決不能」と思われた問題が、解決された事例が掲載、されてあるわけです。
 ・・・・「事実」としてバシッと、信仰の機能性を確認できるわけです。これで「信念化」出来ずば、ウソと云うものでありましょう。私のような元無神論者すらが現在、信仰を信ずるのはこの故です。なにせ、この「奇蹟の手帳」には事実として「願いは叶う」点が、網羅されているのですから。(余談ですが、この手帳を製作された雅春先生は、「本当にスゴイ」と思ってます)
 

<「感銘を受けた御文章」の転写(手帳やブログへ)>

 ・・・・時間があれば私は、自分のブログを見ます。そして、そこに掲載されてある御文章で良化、されます。または、手帳にも記入(※1)してあります。
 ・・・・仕事をしておればどうしても、まあ、〝現象をアリと見てしまう〟ことは起こりがちです。が、ブログや手帳を読むことで直ぐに(とはイカヌが)、実相に眼を転じて業務に励むことが出来つつあります。(また余談ながら、復興G様ご言及の「ヘンリーフォードの到富法(※2)」 ――これも普段から「反復して」拝読しております。これは我々事業家にとっては、非常に感化力の高いものだと、思います)


<「祝福行」の実行>

 ・・・・これも、効果絶大です。吉田國太郎先生が「無限供給」に関して触れて(※3)おられます。ここにはある女性が登場するのですが、その方は悩みを持っておりました。どんな悩みかと申せば、「非常に信仰深いのに、なかなか良いことが起らない」という、そんな悩みなのでありました。

 ではその女性は、いったいどんな風にこの問題 ―― 信仰深いのに成果が出ない ―― を、解決したのでしょうか。(興味ある方は註釈欄の※3をご拝読ください)ある気付きを得てこの女性は、無限供給の真髄を知ることと、なりました。(なお、祝福行のやり方に関してはhttp://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65682788.htmlをご参考ください)

(つづく)

482「訊け」管理人:2013/03/09(土) 10:29:22 ID:???

∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

○ それでも不安になった際に、どう対処したのか。

∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 ・・・・とは申せやはり、不安感に襲われます。仕事に励んでいればどうしても「現象」ですが、これに瞞着されます。現象をアリと見ての対処に、「乗り出しがちになる」という意味であり結果、「ああ、不安」となるというそんな、意味です。

 そんな際に、どうしたか?そして現在、どうしているか?どうすれば御教えがそのまま、現象界に現われるのか?・・・以下にて体験談風に、語ります。


・ 経済的「不足感」を肯定的に解釈する。
・ その他「自壊作用の概念」を、復習する


<経済的「不足感」を肯定的に解釈する>


 ・・・・これです。不足感を「肯定的に解釈する」わけです。これが出来れば大丈夫です。ところが・・・・・・まあ、「そうカンタンに、出來るか!」てなモンです(^^)。特に、支払手形の決済が二週間後などに迫っていて、そんな中で資金不足を「肯定的に解釈」など、出来るものでは、ありません。では、どうするか ――

 ・・・ある方より賜った『今を生きる』(※4服部仁郎先生著)、これに救われました。これを拝読し私は、この「不足感」を肯定的に解釈、できるようになりました。そして結果として、奇蹟的に問題が解決致しました。この、『今を生きる』にこんな趣旨の記述があります。たとえば、「経済的不足感」に関してですが、それは「¥がナイのでは〝ナイ〟」と。その、¥不足の状況だがそれは、「神様が一時的に¥を、預かってくれているんだ」と。「預かってくれているダケの話」なのだと。
 さらにはそれ、「不足感だが、神の口座にはたっぷりある」と。「今、オマエに渡したら、身動きが取れなくなるだろ?」と。「身動き取れないくらいの膨大な¥を、そのままオマエに渡したら却って『不自由』だろ?」と。「そんな不自由は不完全だ。だから今、神が預かっているだけなのだ」と。・・・・(意味、伝わりますかねえ?)いやつまり、不足感ってのは実は、それ、そのものが「神の配慮なのだ」と・・・・(さらに意味、伝わりますかねえ?)とまあ、こんな御文章を読んでこの問題、解決させました。その他にも不足感を「肯定的に」解釈された御文章(※5)などを、読みました。


<その他「自壊作用の概念」を、復習する>

 この概念を復習し、「信念化」することは大切だと思います。ちなみに、私のブログにはこの「自壊作用の概念」に関しカテゴリーを設けております。(http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/cat_50062395.html)ご参照ください。そして、これを拝読されれば如何に困難な(五官的に)状況とは申せそれが、「実は神からの導きである」と肯定出来る様に、なると思います。

(つづく)

483「訊け」管理人:2013/03/09(土) 10:31:21 ID:???

∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

○ 「富想強化」に於いて、特に感銘を受けた御文章(紹介)

∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

 最後ですが言うまでもなく、「聖典の反復拝読」は必須だと思います。そして以下、4つだけ紹介します。眼についた御文章を4つ、以下に拾いました。本当は多々ありますが消化不良となりましょう。ですので以下のみ、ご紹介します。なお、最初に出てくる徳久先生の御講話ですが、個人的にはこれが一番好きです。

 「現象ってのは、どーにでもなるのよ」てな感じの、安心感を与えてくださるご講話です。先生のご指導を受けて「笑いが止まらない」くらいに儲かった事業家の話から開始、されます(^^)。まあ、格調高い御文章もよいですが、こういったご講話も案外、眞理理解には必要と考えます。繰り返しですが、非常に「安心を与えてくれる」ご講話です。


※ 「現象はどーーにでもなる」「心の現われにすぎない」「だから気にしなさんな」(徳久克己先生ご講話より)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65663567.html

※ 「克てる」コトバ
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65637800.html

※ 「祈りとはお礼を言うこと」(藤原敏之先生御文章より)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65701284.html

※「ただ彼の上に神の業の顕れんがためなり」(吉田國太郎先生御文章より)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65676423.html


<了>

484「訊け」管理人:2013/03/09(土) 10:34:38 ID:???

<註>


>>481※1 または、手帳にも記入

・・・どんな言葉かと申せばたとえば、

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

「吾が全ての願いは吾が中に宿り給う神が内よりもよおし給う願いである。されば吾
が願いは決して成就しない事はないのである。」(『光明法語』43頁より謹写)

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

「今、我が陥れる状態は、真に我が求むる本当に善きものの来る前提として、神から
与えられている過程である。遠からず、自分はこの状態を通過して、我が真に求むる善
き状態に入るのである。
 神は全能の力をもってかくなさしめ給うたのであるから、疑うことも心配することも要ら
ないのである。」(『生命の實相』第8巻172頁より謹写)

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽



>>481※2 ヘンリーフォードの到富法
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65711429.html


>>481※3 吉田國太郎先生が「無限供給」に関して触れて
○「与える」ということ ―― 無限供給の原理(吉田國太郎先生御文章より)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65663777.html



>>482※4 『今を生きる』服部仁郎
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65606899.html

>>482※5 不安こそ、神の導きである(『生命の實相』33巻「随喜篇」より)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65685050.html

485トキ:2013/03/09(土) 10:41:00 ID:jVhiANic
「訊け」管理人 様、素晴らしいご投稿、ありがとうございます。
今、バタバタしているので、後ほど、投稿します。

486閲覧者:2013/03/09(土) 11:09:53 ID:K1z2sIRU
さすが訊け様、わかりやすいご文章をありがとうございます。
ご自分の体験がおありになるので、説得力がありますね。
奇蹟の手帳、非常に興味を持ちました。
欲しいのですぐ検索したのですが、現在品切れのようです。

487うのはな:2013/03/09(土) 12:10:01 ID:5yDWwcHo

本部のある偉いさんとお話ししていた時、練成講話など担当するとき、
●●講師がこういうテーマの担当をしているので、自分は知識があっても、
彼の邪魔にならないように、こういう話は控えるようにしているといって、
個人雑談として、ある教義の一端をお話しして下さったことがあります。
上で、自分の体験談を延々とやったり、徳久先生の講話をしている方がいますが、
復興G様が御多忙の中謹写してくださったテキストの影がうすくなっていくようです。

以前、誌友会でベテラン信徒さんから、参考テキストが多くて混乱したような意見がありました。
御注意のほどをお願いします。

拝。

488復興G:2013/03/09(土) 13:43:34 ID:AB6RqYXc

ありがとうございます。

この掲示板をご覧になっている方には、自分の経済問題を解決したいために見ているという方はほとんどいらっしゃらないと思います。
日本の行方や、生長の家教団の行方について深い関心を持ち、心配していらっしゃる方が多いのではないでしょうか。
私は、そのように拝察しています。

それで、お伺いしますが――

今、生長の家教団の聖使命会員数・会費納入率、組織会員数、講習会受講者数等がどんどん落ち込んで、教勢は縮小しつつあるようです。
それについて、今回のテキスト『生命の實相』第2巻第6章「経済問題の解決」を拝読して、どう考えられますか?
生長の家教団および関係団体の経済問題から見た行方について、皆さまはどう思われますか?

また、日本経済の行方についてはどうでしょうか。
大きい問題になりますが……。

489トキ:2013/03/09(土) 17:49:04 ID:jVhiANic
 組織の問題ですね。難しい問題です。以前、沖縄決戦という本を読んでいました。戦争中、沖縄守備隊の
司令部の高級参謀だった方の回顧録です。興味深かったのは、司令部の中でも、はっきりと「はやく和平
を結ぶべきだ」という会話が普通に交わされていた事実です。戦争に勝つ見込みがない以上、無駄な争い
はやめて、交渉での解決をはかるべきだ、ということです。

つまり、現場の立場から見たら、無駄なことはしたくない、ということなのでしょう。

 現在の組織の衰退は、ひとつには、聖典をめぐる裁判が原因にあり、次に本部のおかしな組織指導、信仰
指導にあります。

 まず、聖典の裁判については、「沖縄決戦」の話ではないですが、もう勝ち目もない以上、早く「和解」をする
べきです。教団に在籍している人間から見ても、いったい、何のために争っているのかも理解ができない状態
になっています。

 次に、本部の組織指導、信仰指導ですが、問題はこちらのほうが深刻だと思います。総裁、あるいは本部にも
何からの意図や目的があったとは思うのですが、現場から見たら、机上の空論であり、また大風呂敷としか思え
ない、理解に苦しむ組織指導が続きました。現場から見たら、数字が落ちているといわれても、当然だし、何も
疑問を感じない、というのが正直な感想です。今の本部の組織指導には魅力を感じないし、機関誌を封も切らずに
ゴミ箱に捨てている、という人は私の周囲にも存在します。魅力のない運動がのびるはずがないです。

 それで、思い出したのですが、一昨年でしたか、幹部研鑽会で、総裁が、クレジットカード会社の「買い物は世界を
救う」というキャッチコピーを批判されていました。高橋是清の論文を引用した、消費のすすめです。それを総裁は、
浪費の勧めだ、ということで否定されていました。

 でも、それを聞いた人からは、感激をした、という声は私の知る限り、ありませんでした。

(つづく)

490a hope:2013/03/09(土) 17:49:49 ID:TqpbsVIM
みなさま こんばんは

夕食前なのですが、少し時間が出来たので書きこみます。

「訊け」管理人さま

誌友会にご参加くださりありがとうございます。
また、うのはなさまも訊け管理人さまへのアドバイスをしてくださっているようですが、
ご参加(?)ありがとうございます。

確かに「訊け」管理人さまのご発言は、テキストの内容とは少しずれているかもしれません。
でも、わたしはその内容に救われる方は、少なくないのではないかと感じています。
わたし自身とてもお勉強になる内容でした。
ありがとうございます。


でも、復興Gさまのおっしゃるように、ここの掲示板の名前は「生長の家「本流復活」について考えるですから、
この掲示板をご覧の方の興味は、「生長の家の行方」の方にあるのかもしれません。

今回、わたしは書き込みを「生命の實相」の内容からそれないようにしよう。
と心に決めていましたが、正直に言えば、わたしは、「生命の實相」を深く拝読すればするほど、
「雅宣先生の教え」に違和感を覚えます。

みなさんは、そんなことはありませんか?

491うのはな:2013/03/09(土) 18:00:50 ID:9aAHJcF.
> a hope 様へ

 わたしはいつものように今晩から仕事に入るし、いつものように外野席からの
観覧です。今回の誌友会では志恩さまがお休みされ、以前は他の女性参加者が訊け氏の
話を聞いて、参加するのを自主規制されました。他の女性参加者の何人かも訊け氏から
虚無感をあたえられ、去っています。
 最近、訊け氏は別のところで女性投稿が目立つ掲示板はよくないだとか発言していますし、
せっかく穏やかな空気の中、始まった誌友会を彼の会場にしてほしくないなと思って
ひとこと意見させてもらいました。余計なことをしてしまったようです。
今後、ここに出てきませんから、いつものように有意義な誌友会にされますように。

 拝。

492トキ:2013/03/09(土) 18:24:55 ID:jVhiANic
>>490

 個人的な感想ですが、谷口雅宣先生は、ご自身では、谷口雅春先生の教えを
正確に理解し、それを現代的に発展させていると思っているようです。ただ、
問題は、ご本人と少数の側近を除けば、そう思っていない人のほうが大半なの
です。

 今の総裁が、お若い頃に理想世界に書かれたご文章などを拝読すると、
谷口雅宣先生は、結構、独自の思考パターンを持っている方だという感想が
あります。個人的には面白い方だし、好きな人ですが、総裁という公人の
立場では、あの発想をそのまま組織指導や信仰指導に持ち込むと、とんでも
ない話になると思います。

 本流復活派は、教団の巨額の金があるから、まだもっている、という言い方
をしていますが、私は、金よりも、谷口雅春先生、谷口清超先生の「お徳」が
まだ残っているので、何とかもっている、という考え方をしています。しかし、
今のままだと、もう時間はないでしょう。

 谷口雅宣先生が、谷口雅春先生の教えを性格に継承しようと思っておられるの
か、どうかはここでは議論はしません。が、結果として、今日、混乱が生じてい
る原因のうち、ある部分は総裁や本部に責任があるのは確かです。信徒がもとめ
るのは、あくまでも谷口雅春先生の説かれた真理です。教団上層部もその点を
認めて、対立者との話し合いを始めると共に、軌道の修正をはかることが大事だと思います。

493復興G:2013/03/09(土) 18:32:09 ID:AB6RqYXc

>>489 :トキ様。

ありがとうございます。

今回のテキスト・テーマは、「経済問題の解決」ですが、これに関しては、『生命の實相』第8巻第5章が「無限供給を受ける道」と題されていて、詳細に「富」の問題について説かれていますね。

「富」とは何であるかというと、それは「人のためになる働き」であり、「愛と智慧と生命の結晶」である。
生長の家教団が経済的に下降線をたどっているならば、それは今、人のために愛と智慧と生命を与えていない結果であるということになるのでしょうね。

第8巻123頁には、
≪無限供給を受けるためにはまず「争い奪う心」を止めよ≫
という小見出しで、
≪こう申しましても、わたしは決して浪費を勧めるのではありません。人間に必要なる供給は、神から来るのでありますから、無限の供給を得るには、ただ「浪費する」という意味での「使う」だけでは駄目で、神の心に波長を合わせなければならないのであります。神の供給は、人のためになるように与えられるのでありますから、われわれは神の心の波長に合うようにするには、人のためになるように与える心を起こしてこそ、また自分も豊富に与えられるようになるのであります。争う心を起こして奪い合いをしているようなことでは、緒局生産資源が枯渇してしまって供給が減少してしまうのであります。奪えばふえるだろうと思って争ってみた結果は、かえって自分の供給が減ってしまうのは、一杯のコップの水でも、二人の者が互いに奪い合いをするとその水がこぼれてしまって、二人ともその水を飲むことができない、おまけに争った結果、たくさん汗が出てますます体の水分は枯渇して咽喉がかわいてしまうのであります。
 この一杯の水でも、「まあ君、君の方から飲み給え」というようにして半分ずつわけ合って、それを飲んで二人とも元気が出て、どこか谷川に水でもなかろうかと、二人仲よく水を探しにまいりますと、そこに滾々と湧き出でている清水を見いだすことができるようなものであります。≫

とあります。

争っていては、衰退しかありえないでしょう。

494復興G:2013/03/09(土) 18:44:11 ID:AB6RqYXc

>>490 :a hope様。

>>正直に言えば、わたしは、「生命の實相」を深く拝読すればするほど、「雅宣先生の教え」に違和感を覚えます。
みなさんは、そんなことはありませんか?<<

――そんなこと、あるでしょうね。

雅宣総裁は、「人間至上主義ではいけない」みたいなことをおっしゃってます。しかし、それは地球上の害獣みたいな、本来ない肉体人間のことであって、生長の家の教えは本来、「神の子人間・至上主義」ではありませんか。

 「至上者の自覚の神示」には、「神なる人間」の自覚を弘めることが生長の家の使命であると記されています。

       ○

   至上者の自覚の神示

 人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が神だと悟った者を謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違いである。斯くの如き想像をする者は自己が神だと言う真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。自己が神だと悟れたら人間は本当に謙遜になれるのである。キリストが弟子の足を洗うことが出来たのも、自己が神だと悟っていたからである。

 本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性に自覚しないものは、いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈にすぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗(さか)らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。……(中略)……
 ……人間よ、人間自身の尊厳を自覚せよ、これを自覚することは人間自身の尊厳を奪還することである。『生長の家』は人間自身の尊厳を奪還せんがために出現した人生の燈台である。
(昭和八年三月十六日神示)

       ○

――この、神なる人間至上主義を復活しなければならないと思います。

495復興G:2013/03/09(土) 19:17:17 ID:AB6RqYXc

 谷口雅春先生は、青年よ、「人間復興の選士たれ」と叫ばれました。

       ○

   悠久・雄大永遠なる自己を自覚せよ
      (『第二青年の書』より)

 悠久にして雄大なる存在よ。それがあなたの実相だ。理想は上空にかかる雲ではない。理想はあなた自身の内部にある実相である。永遠なるもの、久遠なるもの、不滅なるもの、神なるものが、あなたの内部に宿っていて、それが、時々刻々無限の時間を通して顕現しようとしているのであるから、現象的に見れば理想は無限の彼方にあり、徐々に達し得るところの希望にすぎないと見えるであろうけれども、映画の画面が銀幕の上で徐々に展開するかのように見えながら、それは既に一巻の巻き収められたるフィルムの中に完成したものであるのと同じように、あなた自身のうちに、既に永遠なるもの、滅びざるもの、完全なるもの、既に完成せる理想が宿っているのである。

 あなたは目標を間違えてはならない。外界に引きずり廻されてはならない。外界の現象はただ映画のように内界の影にすぎないのである。深く深く内を観よ。あなたは既に完全なのである。あなたは愛深いものである。あなたは利己的存在ではない。あなたは神の最高の自己実現である。

 それがあなたの実相である。実相を現象の彼方に投映して考えるとき、それが「理想」として実現の目標として、遠くに懸っている雲のように見えるにすぎないが、それは、あなたの内に既に完成している――それをまず自覚しなければならない。

   人間復興の選士たれ

 現代の多くの人々は、自分の内にやどる永遠なる存在、実相、理想――久遠なるもの、悠久なるもの、真に美しきものを見失って、肉体的なるもの、物質的なるもの、須叟にして消えるものを追求している。彼らは本当の悦楽というものを知らないのだ。(中略)青年よ、せめて諸君は、真の人間復興の選士として、人間の内にやどる理想であり「実相」であるものを傷つけることなく、勇敢に、たくましく、肉体や物質の誘惑に対して闘い勝って、「人類よ、本当の幸福は此処にあるぞ」と、迷える人類に対して、真の幸福への道を、真の歓喜への道を指し示してくれなければならないのである。

 人間復興――何という素晴らしい諸君の使命であろう。いかに堕落しているように見えても真の人間は傷つけられてはいないのだ、なぜなら真の人間は霊であるからだ。真の人間は霊であるから傷つけられはしない。併し、気の毒にもその霊なる完全なる人間は、不幸にも、人類の長くそして執拗なる唯物論的迷妄によって蔽い隠されて、その殆ど全てがあらわれていないのである。青年よ、諸君が人類の先頭に立って、この蔽いを取除く役目をしないで、誰がそれを為し得るか。諸君は若いのだ。新鮮なのだ。まだ塵埃に蔽われていないのだ。古き執拗なる蔽いを取り除いて、人類の真の実相をあらわし、真の魂の悦びを知らしてやるのは、諸君を除いてほかにはないのだ。

 人間の実相は完全なるかな。魂の蔽いを除(と)れ。そして人間の実相を直視するのだ。まず自分の完全さを凝視するのだ。その凝視からあなたの完全な実相があらわれる。これが神想観である。神想観によって自己内在の完全な実相をあらわすことがまず第一だ。「観る」ことは「つくる」ことであり、「あらわす」ことである。常に神想観によって自己の霊なる悠久にして雄大、完全にして円満なる実相を見よ、併してそれを顕現せよ。同時にすべての隣人に対して、その真理を教えよ。それが真の愛行である。観と愛行と、車の両輪の如く、それが打ち揃って覚行円満なる菩薩となることを得るのである。青年よ、あなたは菩薩中の菩薩である。
    以上、(『第二青年の書』より 谷口雅春先生)

496a hope:2013/03/09(土) 19:26:49 ID:TqpbsVIM
>>486閲覧者さま

投稿ありがとうございます。
「訊け」さまとうのはなさまに気をとられ、閲覧者さまのご参加を見過ごしてしまいました。

本当ですね。
「訊け」管理人さまは、いつも冗談ばかりを言われているようなお方ですが、
お若いのに会社を経営されていて経営のご苦労もされています。
たしか、自殺まで考えていた時に、聖典「生命の實相」を読まれて救われたお方ですから、
「生長の家」や谷口雅春先生への思いは人一倍強いお方だとわたしも感じています。

497a hope:2013/03/09(土) 19:34:22 ID:TqpbsVIM
>>419うのはなさま

気を使っていただきありがとうございます。

>>今後、ここに出てきませんから、
いつものように有意義な誌友会にされますように。<<

そんなことを言わずに、うのはなさまも今回のweb誌友会の内容に思うことがあったら、
をどんどん発言なさってくださいね。

498復興G:2013/03/09(土) 19:38:46 ID:AB6RqYXc

 雅宣総裁は、4月号の機関誌『生長の家』で、「運動の変化について(2)」と題し、次のように書かれています。

……第二次世界大戦以降の人類の歩みを大づかみに眺めてみよう。……この大戦が、広島、長崎への原爆投下によって終結したという事実は、きわめて象徴的だ。そこから、人間の自然破壊が本格化したからである。当時の人類にとって、自然界は、そして地球は、無限の資源とエネルギーに溢れ、どんな大規模な人間の活動によっても破壊されず、かえって人間を束縛し、人間から奪い、人間の脅威として対峙する存在だった。……“人口爆発”とも呼ばれる人類の急激な増加と、その生活と経済活動による“公害”の頻発と自然破壊、とりわけ温室効果ガスの大気圏への大量排出によって、地球環境は恒久的に変化していくことが、夥しい数の科学的研究と実証データーの蓄積によって明らかになってきたのである。……
(以上、一部抜粋)

――上記でも、総裁の視点は「人間=地球上の害獣、つまり罪の子・肉体人間」なのですね。
本来の「神の子人間」を復興しよう、という明るい呼びかけがなされたら、信徒はもっともっと燃えるのでしょうが。

本来の生長の家が消えてしまっているように思われます。これでは、信徒が激減するのもやむを得ないでしょう。
「汝ら、罪の子人間よ、地球上の害獣よ」と責められているようなものですから。

虚説は排撃して、「神の子・人間至上主義」の真説を高く掲げましょう。結果は同じでも、その過程が大切です。

499トキ:2013/03/09(土) 19:45:15 ID:jVhiANic
>>489から続きます。

 確かに、谷口雅春先生は、ご自身ではかなり質素な生活をされていたとも
聞いています。その姿勢から考えると、浪費をすることは、生長の家の信徒
の態度ではないのは確かです。

 しかし、あの講演がなされた時期を考えると、総裁が支持された民主党政権
の経済運営の失敗で、株は下がる、景気は悪い、自殺者は3万人を超している
という状態でした。バブルの時期ならともかく、そんな時期に聞く人から元気や希望
を奪うような話をするのは、忙しい中、遠方から行事に参加した人に対して、
失礼としかいいようがない話です。一般論ですが、総裁、あるいは本部の失敗の
多くは、確かに理論的には説明はできるが、いわゆる「人 時 処」の三相応に欠ける
ものだと思います。私は、総裁ご本人の責任もあるが、側近に人を得ないことが原因
のある部分を占めていると思います。

 谷口雅宣先生は、教団の機関誌や「聖使命」新聞などを読むと、聖人君子のような
描かれ方をされるが、本流掲示板を見ると、鬼か悪魔のような描写をされること(と、いう
よりは、某掲示板の場合、それ以外の投稿をすると、アクセス禁止になってしまいます
が)が多いです。が、だいたいの場合、普通に考えて、長所もあれば、短所もあるのが普通
で、どちらも正しく、どちらも間違っているというのが私の考えです。ただ、今は、総裁の性格
が否定的な方向に作用してしまい、こういう混乱に至っていると思っています。客観的に
見れば、総裁も優れた感性や尊敬すべき点もあるのですから、よい側近をつけて、
短所を補い、長所を伸ばす体制を作ればよいのに、と思います。

 かって本田技研の本田宗一郎は、社長でしたが、自分には経営の才能が
ないと公言し、実務の全てを専務の藤沢武夫に任せていました。反して、今の教団で
は、総裁の側近にそういう側近が居ないことが原因のひとつだと思います。せめて、
谷口貴康先生などのご兄弟姉妹がアドバイザーとして存在すれば、ここまで事態は
こじれなかったと惜しまれます。

 どうも、本題と関係のない話を書いてしまい、どうもすみませんでした。

500あさひ:2013/03/09(土) 19:52:05 ID:/3nxKE2Q

復興G様


>雅宣総裁は、「人間至上主義ではいけない」みたいなことをおっしゃってます。しかし、それは地球上の害獣みたいな、本来ない肉体人間のことであって、生長の家の教えは本来、「神の子人間・至上主義」ではありませんか。<

私もそう思います。

至上者の自覚の神示の

>人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。<

この自覚を深めたいものです。
しっかり拝読させて頂きます。      合掌

501a hope:2013/03/09(土) 19:59:04 ID:TqpbsVIM
こちらをご覧のみなさま

今までこの掲示板には、素晴らしい「生長の家」の先輩方が沢山投稿されています。
お名前を挙げさせていただくこともできますが、見落としがあるといけないので省略させていただきまが、
今回のテキストの内容は先輩方みなさまで、現教団の衰退を検証していただくのには、
ぴったりの内容であるとわたしは感じています。

そして、わたし自身は現在、復興Gさまやトキさまのおっしゃることに深く同意しています。

先輩方、明るい「生長の家」の未来のために、どうぞ積極的なご参加をよろしくお願いいたします。

502a hope:2013/03/09(土) 20:02:32 ID:TqpbsVIM
>>501訂正
現教団の衰退を検証していただくのには、⇒現教団の衰退の原因を検証していただくのには、

503トキ:2013/03/09(土) 20:03:27 ID:jVhiANic
>>493

復興G様

 的確なご指導に深く感謝申し上げます。復興G様のご文章を拝読しない
で続きを書いたので、どうも失礼をしました。

 生命の実相第8巻「観行篇」の頭注版p123には「無限供給を受けるために
は、まず、「争い奪う心」を止めよ」とあります。愚見を述べる代わりに
聖典を謹写させていただきます。

-------------------------------------------------------------------

 人間に必要なる供給は、神から来たまうのでありますから、無限の供給
を得るには、ただ「浪費する」という意味での「使う」だけでは駄目で、
神の心に波長を合わせなければならないのであります。神の波長に合う
ようにするには、人のためになるように与えられるのでありますから、
われわれは神の心の波長に合うようにするには、人のためになるように
与える心を起こしてこそ、また自分も豊富に与えるようになるのであ
ります。
 争う心を起こして奪い合いをしているようなことでは、結局、生産
資源が枯渇してしまって供給が減少してしまうのであります。奪えば
ふえるだろうと思って争ってみた結果は、かえって自分の供給が減って
しまうのは、一杯のコップの水でも、二人の者が互いに奪い合いをする
とその水がこぼれてしまって、二人ともその水を飲むことができない
、おまけに争った結果、たくさん汗が出てますます体の水分は枯渇
して咽喉がかわいてしまうのであります。
 この一杯の水でも「まあ、君、君のほうから飲み給え」というよう
にして半分ずつわけ合って、それを飲んで二人とも元気が出て、
どこか谷川でもなかろうかと、二人仲良く水を探しに参ります
と、そこに滾滾と湧き出でている清水を見出すことができるような
ものであります。

---------------------------------------------------------------------

504復興G:2013/03/09(土) 20:05:34 ID:AB6RqYXc

>>500 :あさひ様。

ありがとうございます。

至上者の自覚の神示の
>人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。<

これは、身震いするほどのすごい、ありがたいことですね。

≪本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗(さか)らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。≫

私も、常にこの「謙遜」の自覚を深め、肝に銘じて、愛行に励みたいと思います。
ありがとうございます。

505a hope:2013/03/09(土) 20:10:20 ID:TqpbsVIM
>>あさひさま

お久しぶりです。
今回も、web誌友会にご参加くださりとてもうれしいです。
あさひさまのお名前を拝見すると、夜でも「朝日」を浴びたようなすがすがし気持ちになります。
引き続きのご参加、どうぞよろしくお願いいたします。

506トキ:2013/03/09(土) 21:44:30 ID:jVhiANic
あさひ様

 ご参加、ありがとございます。素晴らしいご意見を拝聴し、感謝申し上げます。

 皆様もどんどんご投稿をお願いいたします。

感謝、合掌

507a hope:2013/03/09(土) 22:07:52 ID:TqpbsVIM
.>>498 復興Gさま

<<雅宣総裁は、4月号の機関誌『生長の家』で、「運動の変化について(2)」と題し、次のように書かれています。

……第二次世界大戦以降の人類の歩みを大づかみに眺めてみよう。……この大戦が、広島、長崎への原爆投下によって終結したという事実は、きわめて象徴的だ。そこから、人間の自然破壊が本格化したからである。当時の人類にとって、自然界は、そして地球は、無限の資源とエネルギーに溢れ、どんな大規模な人間の活動によっても破壊されず、かえって人間を束縛し、人間から奪い、人間の脅威として対峙する存在だった。……“人口爆発”とも呼ばれる人類の急激な増加と、その生活と経済活動による“公害”の頻発と自然破壊、とりわけ温室効果ガスの大気圏への大量排出によって、地球環境は恒久的に変化していくことが、夥しい数の科学的研究と実証データーの蓄積によって明らかになってきたのである。……
(以上、一部抜粋)

――上記でも、総裁の視点は「人間=地球上の害獣、つまり罪の子・肉体人間」なのですね。
本来の「神の子人間」を復興しよう、という明るい呼びかけがなされたら、信徒はもっともっと燃えるのでしょうが。

本来の生長の家が消えてしまっているように思われます。これでは、信徒が激減するのもやむを得ないでしょう。
「汝ら、罪の子人間よ、地球上の害獣よ」と責められているようなものですから。

虚説は排撃して、「神の子・人間至上主義」の真説を高く掲げましょう。結果は同じでも、その過程が大切です。 >>


わたしも、前回のweb誌友会>>380で、

<<わたしは、雅宣先生のお心、考え方が、二元論ではないかと思っているだけです。
つまり、人間は神の子だけれども、現象世界では罪を犯している。
そう考えられているのではないかと感じているのです。

例えば、現教団が、

〝『人間は神の子である』だから、
自然破壊などという愚かな行為は決して犯さないのである。
神の子の自覚をもって、自然を大切にしていこう!〝

このようなスローガンの下で、環境保護運動をされるのであれば、
わたしは喜んでその運動に参加させていただきます。 >>


と発言させていただきました。


復興Gさまやトキさまは、雅宣先生が東日本大震災の後に書かれた「自然と人間の大調和を観ずる祈り」をご存知ですか?
まるで、上で復興Gさまが紹介してくださった雅宣先生の文章がそのまま祈りになったような感じがして、
わたしは読んでいて、とても気持ち悪くなります。
その原因が、やはり、復興Gさまがおっしゃるように、「汝ら、罪の子人間よ、地球上の害獣よ」という心で作られた祈りの言葉だからと感じています。

508a hope:2013/03/09(土) 22:25:08 ID:TqpbsVIM

わたしは、今夜はこれでおやすみさせていただきますね。
また、明日また参加します。

それでは「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。

509復興G:2013/03/10(日) 06:18:37 ID:AB6RqYXc

a hope様。

昨夜はわたし、ちょっと疲れて早く寝てしまいました。
ごめんなさい。

>>507>>508 しっかり読ませてもらいましたよ。

私たちは、神の子だ。

一切者だ。

神だ。

宇宙の創り主だ。

神は、すべてのものを己れ自身と見給う。

だから私たちは、すべてのものを己れ自身と見る。

ああ、ありがたきかな。

   * * * * *

神よ、荘厳にして美しき緑なす丘、

透きとおる蒼空(あおぞら)に漂う白き雲、

山々の樹々に囀(さえず)る小鳥の歌、

清冽(せいれつ)なる渓流に泳ぐ金鱗銀鱗(きんりんぎんりん)、

万物はあなたの影を宿して生き生きと輝いています。

あなたの輝きをもて人類の心を照らしたまえ。

すべての人類が争うことなく

唯一つの神の生命の岐(わか)れなることを自覚し

互いに手をつないで

み心が既に“実相の世界”に成るが如く

現象の世界にも、至福平和の世界が実現いたしますように、あなたの無限の愛をわれにそそぎ給え。

510復興G:2013/03/10(日) 06:36:40 ID:AB6RqYXc

 「神の子・人間至上主義」復興のために、「本来生、不滅の神示」を掲げさせていただきましょう。

   * * * * *

   本来生、不滅の神示

 物質の束縛に縛られざるものを人間と言うのである。真の人間は『神の子』であって物質ではなく、肉体ではない。肉体ではないから物質の世界に出入(しゅつにゅう)する事もない。物質の世界に出入する事がないから物質の世界より見れば人間は不生(ふしょう)である。不生であるから滅することも亦ないのである。

 物質界は念に従って生ずる念の映像なるが故に、従ってまた滅すれども、『人間』は本来物質界に生ぜざるを以て又滅すると言う事もない。人間は本来『生(しょう)』である。『滅』に対する『生』ではなく本来『生』であるから、老なく、病なく、死なく、破壊がないのである。

 老とは『生』の衰耄(すいもう)を言えども、人間は本来『生』であるから衰耄せず老朽しないのである。衰耄は『生』に非ず、人間に非ず。衰耄なきを『人間』と言い、老朽せざるを『人間』と言う。病なきを『人間』と言い、死なきを『人間』と言う。

 釈迦は『人間』の生老病死の四苦を見て出家したと言えども、釈迦はそのときまだ『人間』を見ていたのではない。念の影を見て『人間』と思い違いしていたに過ぎない。釈迦が此の世を見て無常と観じたのも『真の人間』の世を観たのではない。それは無明の投影の世を観て無常としたのである。

 真の人間は無常の中にあらず、肉体の中にあらず、人間は永遠不死、金剛身、実相身、清浄身である。人間は神の子なるが故に本来『浄(じょう)』にして不浄ではない。
 人間を指して不生不滅不垢不浄(ふしょうふめつふくふじょう)と言うのは真相ではない。般若(はんにゃ)の思想は無常想から実有(じつう)想に到る過渡的思想であるから、不生不滅不垢不浄を説きたれどもこれは物質に譬喩しての方便説である。

 人間は不生不滅ではなく、本来生にして不滅がその実相である。また人間は不垢不浄ではなく真清浄真無垢がその実相である。本来生、不滅、本来清浄真無垢なる人間の実相を知ったとき汝らは歓びに満されて手の舞い足の踏む所を知らないであろう。
  (昭和七年十一月二十五日神示)

511あさひ:2013/03/10(日) 07:08:05 ID:/3nxKE2Q
> 人間は不生不滅ではなく、本来生にして不滅がその実相である。また人間は不垢不浄ではなく真清浄真無垢がその実相である。本来生、不滅、本来清浄真無垢なる人間の実相を知ったとき汝らは歓びに満されて手の舞い足の踏む所を知らないであろう。<

実相はそうである。現象はない。しかし、目の前にある認知症の老人に対してどう対応すればよいのだろうか。

現象処理との問題、例えば人間の栄養摂取などもある程度現象処理的に考えねばならない。

実相独在とのバランス感覚が必要ですが、そのあたりの問題があります。

神の子人間が実は現実遊離の統合失調型になっていたのでは困ります。このあたりをお教えください。

512rei:2013/03/10(日) 07:37:46 ID:bo95azFI
おはようございます。

復興Gさま
いつもありがとうございます。

生長の家で繁栄の法則を教えられていながら、何故、教勢が落ちていくのか
不思議でならなかったです。
また、やってもやっても自分が真に明るくなれないのはどうしてだろうと、
読み方が足りないのか、伝道が足りないのか、といつも自分をせめていました。
わたしはまじめな信徒だったので、生長の家から発行されるものを無批判に全部読んでいました。 
雅春先生の教えと雅宣総裁の教えと区別がつかなかったのです。
雅宣総裁のお話を聞くと、人間は少ない方が地球環境の為に良いのじゃないのと
いつも思えて来てしまうのを変だなあと考えておりました。 


人間は素晴らしいんですよね。
私は神の子なんですよね。
わたしの本体は神そのもので、真清浄真無垢なる素晴らしい存在だったんですね。


先回の誌友会にてご指導いただいた時にはっきりわかりました。
茶茶を入れる様な文章をよんでは中和されてしまって、真理の効果が無くなってしまうと。

人間神の子と教えられながら、自分に自信が持てず悶々とした日々をおくっていた私と決別致します。

わたしは今日から新生致します。

ありがとうございました。


合掌

513復興G:2013/03/10(日) 07:41:22 ID:AB6RqYXc

>>511 :あさひ様。

>>実相はそうである。現象はない。しかし、目の前にある認知症の老人に対してどう対応すればよいのだろうか。
現象処理との問題、例えば人間の栄養摂取などもある程度現象処理的に考えねばならない。
実相独在とのバランス感覚が必要ですが、そのあたりの問題があります。
神の子人間が実は現実遊離の統合失調型になっていたのでは困ります。このあたりをお教えください。 <<

そう。

現実問題というのは、いろいろありますよね。

具体的なお答えにはならないと思いますが、「信仰生活の神示」を拝読して、考えてみましょう。

   * * * * *

   信仰生活の神示

 信仰生活とは無用意の生活ではない。すべてに於て完全に用意されている生活である。
 凡そ信仰生活ほど完全に用意されている生活はない。それは心が完全に用意されているだけではなく、物質にも完全に用意されている生活である。
 物質は心の影であるから心が完全に用意されているとき物質も必要に応じて完全に与えられるのである。
 家庭は一つの有機体であるから、良人が明日の用意をしないときには妻が明日の用意をするようになる。妻が明日の用意をしないときには良人が明日の用意をする。
 右の手が利かなくなったら左の手が利くようになるのも同じことだ。
 それは自然の代償作用でそう成るように計らいがあるのである。
 それは有難い自然の計らいであるから、夫婦互いに感謝するが好い。

 信仰生活とは明日の用意をしない生活だと思って、明日の用意をする配偶(つれあい)を信仰がないと思って夫婦が争っている家庭があれどもみんな誤った信仰である。
 『明日のことを思い煩うな』と言う意味は『明日の用意をするな』と言うことではない。
 信仰生活とは冬が来てから綿入を縫えと言うような生活ではない。秋から冬に要る綿入を縫うて置いても、それは『取越苦労』ではない。心が整えば秋から冬に要るものがちゃんと判って、自然法爾(ひとりで)に其の要る物を用意したくなるのである。
 自然法爾と言うものは、外から自然に与えられることばかりではない。内から自然に催して来るこころの中にも自然法爾がある。
 心が乱れて病気になったとき心が調えばその病気を治すに適当な食物が欲しくなるのも自然法爾である。
 野の鳥も卵を産む前に自然に巣を造りたくなる。卵を産む前に巣を造っても小鳥は取越苦労をしているのではない。
 『生長の家』の生活は物質に捉われない生活だと言っても、物質をきたながる生活ではない。金銭を穢いもののように思ってそれを捨てねば気が安まらぬような心も物質に捉われているのである。
 物質は影であるから綺麗も穢いもない。卵を産む前に小鳥が巣を造りたくなるように自然に用意したくなる時には内からの囁きに導かれて好い、心が調えばその心の展開として用意すべきものは適当の時に用意したくなる。
 すべて用意するものを信仰浅きものと思うな。用意しないで取越苦労をしている生活もあれば、取越苦労をしないで自然に用意している生活もある。
   (昭和六年十二月五日神示)

   * * * * *

ありがとうございます。

514復興G:2013/03/10(日) 07:57:25 ID:AB6RqYXc

>>512 :rei様。

ありがとうございます。

>>人間は素晴らしいんですよね。
私は神の子なんですよね。
わたしの本体は神そのもので、真清浄真無垢なる素晴らしい存在だったんですね。<<

そう!

すばらしいんですね!

そのまま、ただありがたいんですね!

ありがとうございます。

515rei:2013/03/10(日) 08:15:49 ID:bo95azFI
あさひさま

わたしは経験ないのですが、地方講師のかたの体験談で
認知症の方への対応で、正しいことを言うのではなく、完全に相手に寄り添ってあげることによって
全治したひとを三人は知っています。
そのお蔭だと思いますが、私は母が同じことを繰り返しても、その都度初めて聞くわというように
対応したり、母の間違いを指摘しないでそのまま時間の経過に任せると
不思議に元の母に戻ってるということを経験しています。
お話を聞いていたせいで、認知症を未然に防いでいると思ってます。

朝ドラの純と愛の主人公のお母さんへの対応はとてもいいなあと思って見ています。

現実遊離ととらえるかは紙一重で違うと思いますが、
愛を実行しているかどうかではないかと思っています。

合掌

516あさひ:2013/03/10(日) 09:32:40 ID:/3nxKE2Q
復興G様

信仰生活の神示
御提示くださりありがとうございます。

>自然法爾と言うものは、外から自然に与えられることばかりではない。内から自然に催して来るこころの中にも自然法爾がある。<

>用意しないで取越苦労をしている生活もあれば、取越苦労をしないで自然に用意している生活もある。<
   
そうですよね。有難うございます。

517あさひ:2013/03/10(日) 09:35:21 ID:/3nxKE2Q
rei様

ご教示ありがとうございます。

                            合掌

518a hope:2013/03/10(日) 10:12:11 ID:TqpbsVIM
みなさま おはようございます。

>>512reiさま

web誌友会へのご参加ありがとうございます!
reiさまの投稿を拝見していると、本当に、わたにに似ていらっしゃる方だと感じます。
わたしも、とてもまじめな性格で(生活態度はまじめではないのですが・・・笑)人をすぐに信じてしまいます。
子供のころから、「世の中に悪い人なんていないんだ!」という信念のようなものがありました。
だれかが人の悪口を言っていると、いつも心の中で悪口を言われている人よい所を一生懸命さがしていました。

そんなわたしだからこそ「人間神の子」「悪なし」「善一元」の「生長の家の教え」にこのようにのめりこんでいるのでしょうね。

わたしは、この掲示板で雅宣総裁先生の教え(著書や、経本、祈りの言葉等)の批判をけっこう激しくしています。
ですが、雅宣先生自信を「悪」であるとは少しも思っていません。
むしろ、わたしをここまで導いてくださった、観世音菩薩様だと思って心から感謝しているんですよ。
きっと、雅宣先生に直接お会いしていれば、雅宣先生の良い所さがしをいっぱいできるような気がして残念でなりません。

また、>>515のあさひさまへのコメントも共感させていただきました。
雅宣先生にしてみても、周りの人たちが真の愛を持って雅宣先生に対応されたら、
雅宣先生は正気に戻ってくださるのではないかと感じています。

ただ、雅宣先生は、認知症ではないので

<<私は母が同じことを繰り返しても、その都度初めて聞くわというように
対応したり、母の間違いを指摘しないでそのまま時間の経過に任せると
不思議に元の母に戻ってるということを経験しています。>>

これはありえないと思いますが・・・

愛を実行も相手によって変えていかなければいけないのかもしれませんね。

519a hope:2013/03/10(日) 10:15:35 ID:TqpbsVIM
>>518

reiさま みなさま、すみません。
今日は、日曜日で家族がいるので、落ち着かず、誤字脱字ばかりでした。
お許しください。

520復興G:2013/03/10(日) 10:54:34 ID:AB6RqYXc

a hope様。

a hope様が>>507

>>復興Gさまやトキさまは、雅宣先生が東日本大震災の後に書かれた「自然と人間の大調和を観ずる祈り」をご存知ですか? まるで、上で復興Gさまが紹介してくださった雅宣先生の文章がそのまま祈りになったような感じがして、わたしは読んでいて、とても気持ち悪くなります。
その原因が、やはり、復興Gさまがおっしゃるように、「汝ら、罪の子人間よ、地球上の害獣よ」という心で作られた祈りの言葉だからと感じています。<<

と書かれたことについて、お答えしていませんでしたね。

「自然と人間の大調和を観ずる祈り」は、もちろん知っています。そして、それを読んだときに、とてもいやな感じを受けたことも、思い浮かびます。
その祈りの言葉を抜粋しますと――

   * * * * * * * * * *

  自然と人間の大調和を観ずる祈り

 (前略)人間が自然を敵視すれば、その迷い心の反映として、自然の側から“敵”として扱われるような事態が現れてくるのである。人間が山を削り、森を切り倒し、川を堰き止め、湖や海を埋め立てて、人間だけの繁栄を画策しても、それは神の御心ではない。それは神が「はなはだ良い」と宣言された実相世界とは似ても似つかない“失敗作品”である。実相でないものは、必ず破壊と滅亡を迎える時が来る。それは偽象の崩壊であり、業の自壊である。
 
 しかし、これを“神の怒り”ととらえてはならない。広大な農地を破壊しながら猛スピードで突き進む津波を見て、神が怒りに燃えて破壊を進めていると考えてはならない。神は山を崩して海を埋め立て給わず。海岸に農地を作り給わず。工場を造り給わず。空港も、原子力発電所も造り給わず。それらすべては、人間が自己利益を考えて、動植物の絶滅を顧みずに行った行為である。日本列島やニュージーランド周辺で地震が起こるのは、太古から繰り返されている地殻変動の一部であり、決して異常事態ではない。それが異常事態に見えるのは、人間の視野が狭く、考える時間軸が短く、自己中心的だからである。
 
 多くの生物を絶滅させ、自然の与え合い、支え合いの仕組みを破壊しておいて、人間だけが永遠に繁栄することはありえない。生物種は互いに助け合い、補い合い、与え合っていて初めて繁栄するのが、大調和の世界の構図である。それを認めず、他の生物種を“道具”と見、あるいは“敵”と見、さらには“邪魔者”と見てきた人間が、本来安定的な世界を不安定に改変しているのである。その“失敗作品”から学ぶことが必要である。

 大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である。我々がいかに自然の与え合いの構図から恩恵を得てきたかが、それを失うことで実感させられる。我々がいかに人工の構築物を、田畑を、港を、道路を、送電線を、インターネットを築き上げても、自然界の精妙かつ膨大な仕組みとエネルギーを軽視し、蹂躙する愚を犯せば、文明生活は一瞬にして崩壊することを教えている。我々の本性である観世音菩薩は、「人間よもっと謙虚であれ」「自然の一部であることを自覚せよ」「自然と一体の自己を回復せよ」と教えているのである。(後略)

   * * * * * * * * * *

 この中に「人間が自然を敵視すれば……」という言葉が出てきますが、私は「人間が自然を敵視するしたことがあっただろうか?」と、とても疑問に思いました。

 「人間よもっと謙虚であれ」というのは、「至上者の自覚の神示」からすれば、

≪『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗(さか)らいもなしに承認することである≫

 ということでなければなりませんよね。

521復興G:2013/03/10(日) 11:04:47 ID:AB6RqYXc

>>512でrei様が
>>雅宣総裁のお話を聞くと、人間は少ない方が地球環境の為に良いのじゃないのと、いつも思えて来てしまうのを変だなあと考えておりました。

人間は素晴らしいんですよね。
私は神の子なんですよね。
わたしの本体は神そのもので、真清浄真無垢なる素晴らしい存在だったんですね。<<

と書き込んでくださいました。本当にその通りだと思います。

522トキ:2013/03/10(日) 11:16:40 ID:oCgfGKnI
復興G様

 おはようございます。まず、最初にお詫びしなければならないのは、パソコンの調子が悪くて、復興G様が
書いてくださったのと同じ部分を、私が気がつかずに書いてしまった点です。ごめんなさい!

 ところで、昨晩、本流光明掲示板に「森のオフィス」について、北杜市土地利用審議会の議事録が書いて
りましたが、審議会で生長の家の人が退席後、地元の委員が痛烈な表現で生長の家側を批判しておりまし
た。これは、本当に胸が痛む気持ちです。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1310

 かって長崎県の総本山を建立するときに、八日市屋二三雄先生が地元の議会で説明をしたところ
居合わせた議員が感激し、生長の家招致委員会を作ったのと対照的な話だと思います。今の組織
の指導部が信徒に迷惑をかけているだけならまだしも、外部の人たちにも迷惑をかけだしたのは
困ったものです。

 ただ、最近、こういうことが続くのは、ミクロで見たら、もちろん生長の家教団の指導部や本流復活派
の一部の人たちの言動が原因だと思います。しかし、もっと大きな視点で見たら、何か神様のご意志が
働いていると感じます。すると、マクロの視点から言えば、誰も悪くないし、立派に使命を果たしていると
も思います。

 そういえば、高校の世界史で、中世のカソリックでは教皇様が神の代理人である、という立場で組織の
運営をし、そのために信仰の腐敗や形骸化が始まったのを憂いたルターが、個人の信仰という立場での
信仰の刷新運動をはじめ、それが宗教改革になったと習いました。(もし、違ったら、ごめんなさい)

 復興G様がご指摘をされた「一人ひとりの法灯継承」というのが、これから本当に大事になってくると
思います。

523復興G:2013/03/10(日) 11:27:20 ID:AB6RqYXc

>>516 :あさひ様。

「光明皇后様の施浴」の伝説が思い出されます。

<光明皇后様は、千人の俗人の垢を洗い流す悲願をたて、実行された。最後の千人目にあらわれたのは、全身に血膿をもつ悪疾の患者でした。しかし、皇后は厭うことなく、背中を流し、さらに患者に乞われるまま膿まで吸い出してやりました。その瞬間、浴室に紫雲がたなびき、患者は立ち上がって黄金の光をはなち、「我は阿閃(あしゅく)如来なり」と言葉を残し消え去りました。>

ということでしたね。感動です。

524あさひ:2013/03/10(日) 11:59:10 ID:/3nxKE2Q
復興G様

ご教示ありがとうございます。

        合掌

525復興G:2013/03/10(日) 12:57:01 ID:AB6RqYXc

>>522 :トキ様。

 「北杜市土地利用審議会会議録」や、「光明掲示板」の投稿文を、よく読ませて頂きました。

 情報、ありがとうございます。

 教団本部の担当者も、ご苦労が多いと思います。

 なんとか、ご苦労が報われることを祈らずにはいられません。

526a hope:2013/03/10(日) 15:32:03 ID:TqpbsVIM
みなさま

前回の、web誌友会の時にわたしは「虚説」「二元論」という言葉を使い、
雅宣先生の教えを否定させていただきました。
そのことに関しては、わたし自身もたくさんの知識があるわけではなく、
ただ、「生命の實相」を拝読して理解したままをレポートにまとめたり、述べさせていただきました。

二元論という人は、自分自身の考え方も二元論なのではないかと、
批判される方々もいらっしゃるかと思います。

わたし自身は、完全に実相世界をさとったわけではないので、自分は二元論者だと思っています。
現象世界にいながらも、善一元の実相世界を生きることができるのは、聖者以外いないと思います。

そんななかでも、わたしたち生長の家の教えを信仰していく者は、その聖者の姿に少しでも近づくために、
神想観をしたり、聖典聖経を拝読したり、愛行をしたりするのではないでしょうか?

そのわたしたちの目標の一番頂点に立っていただくのが、「生長の家の総裁先生」でなければおかしいと思います。
ですが実際には、その頂点立っている総裁先生が、堂々と肉体人間の罪や、自然破壊された現象世界を認めるという虚説を信徒に説いていらつしゃる。
それは、本当におかしいことだと感じています。

雅宣先生、こちらをご覧ですか?
また、雅宣先生の側近の方もこちらをご覧でしたら雅宣先生にお伝えください。
信仰歴数年のただの主婦が、この掲示板でこんなことを言っていますよと。

このような批判をするのは、本当に気が重いです。

ですが、「虚説には和解してはいけない」これが、生長の家の教えなのですから、
やはり、総裁先生がおっしゃることであっても、わたしたちは虚説には和解してはいけないのだと感じています。

527a hope:2013/03/10(日) 16:58:30 ID:TqpbsVIM

わたしは、自分の投稿に自信があるわけではないのです。
むしろ、全然自信なんかありません。

だからこそ、このトキ掲示板のどんな意見も排除しない、
そしてたくさんの「生長の家」の先輩方がご覧になっている掲示板で発言しているのです。

わたしが言っていることが、間違っていれば、どうぞ遠慮なくご指導ください。
むしろ、そう願っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

528復興G:2013/03/10(日) 19:44:38 ID:AB6RqYXc

さて、今回のweb誌友会テキストのテーマは、
「経済問題の解決」でした。

「経済」ということについて、ここで整理して考えてみたいと思います。

【生命的経済学 考(1)】

「経済」という用語は、明治のはじめ、海外から入ってきた「エコノミクス」という学問の名称を日本語に訳す際、中国の「経世済民」という言葉を参考にして作られました。「経世」とは「世を治める」、「済民」は「民を救う」という意味で、合わせて「世を治めて民を救う」。これが経済ということになります。
経済学とはどんな学問か。多くの経済学者が認める定義として「資源の最適配分を考える学問」というものがあります。
地球上のあらゆる資源は限られている。その限られた資源をどのように配分すれば、最大多数の人々の幸せが得られるのか。これを考える学問だということです。

しかし、生長の家の経済学は、地球上の資源を有限と見てその分配を考えるという従来の経済学とは基本的に違います。生命を礼拝し、生命の無限生長をもたらす幸福の経済学、ということになるでしょうか。

一、吾等は生命を礼拝し生命の法則に随順して生活せんことを期す。

二、吾等は生命の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。

三、吾等は人類が無限生長の真道(まことのみち)を歩まんが為に生命の創化の法則を研究す。

という「生長の家の宣言」(『生長の家』創刊号)に則った生命的経済学であります。

生命は、生かして使うことによって無限に生(の)びる。むろん肉体の成長には限界がありますが、心・霊(たましい)の生長には限りがなく、どこまでも伸びる。

生命は使わずに死蔵することが罪(積み)である。

テキストにはこのことが次のように記されていました。

   * * * * * * * * * *

     富の無限供給と循環

 考えてみますに、われわれは神の子であって無限の神の供給源から養われているのでありますから、われわれに与えられている能力にしましても、健康にしましても、各個人の富にしましても、それは決して有限のところから取ってくるのではないのであります。

 仮にわたしが能力を増して二人前三人前の仕事がひとりでできるようになったとしましても、わたしは無限の大生命からわたしの能力を汲んでくるのでありまして、そのために、それだけのほかの人の能力が減るというわけのものではありません。

 また仮にわたしが健康を二倍ほども増進しましたからといって、わたしはひとの健康を横どりしてくるのでもありません。わたしが健康すぎたからとて、ひとがそれだけ病気になるわけのものでもありません。

 能力とか健康とかいうものが宇宙に一定の分量しかないものならば、わたしが能力や健康を増せば増すほどほかの人の能力や健康がそれだけ減るべきはずでありますが、別にそれが減らないのですから、宇宙にある能力や健康の分量は無限だと考えるほかはないのであります。

 そうするとわたしたちは能力や健康をどこからいただいてくるかと申しますと、無限の生命の大海からいただいてくると考えるより仕方がありません。

 そこでわたしたちは「無限」というものにつながっているということが解るのであります。

 ――ここが実に大切なところであります。こうしてわたしたちの生命力は自分だけのものでない、有限のものではない。無限の大生命につながっているということがわかってきますと、非常に自分の「生命」が結構な貴いものだと解ってくるのであります。
<つづく>

529復興G:2013/03/10(日) 19:45:27 ID:AB6RqYXc

【生命的経済学 考(2)】

戦後の日本が驚異的な経済成長を遂げたのは、地上の有限な資源を奪ってきたのではなく、物質的資源はもたないのに、外国から資源材料を買ってこれに知恵と愛をはたらかせ、付加価値をつけて輸出することにより世界の人々に幸福を与えたからであると思います。

NHKの「プロジェクトX」でとりあげられた数々の胸を打つエピソードなどは、その具体的な足跡を示しています。
「与えれば与えられる」の法則によって、日本は豊かになった。

マクロ的に見たとき、日本の経済発展は肉体自我の欲望によって自然破壊をしてきた結果である、などと皮相な見方をするのは、当を得ていないと私は思います。

結果的に自然破壊をもたらした面もあった。だから悪業を積んだだけだったと見るのは間違っていると思います。

          ○

失業者をつくることは、人間生命を死蔵させることですから、最大の罪(積み)になると思います。

だからテキストには次のようにあります。
(『生命の實相』第2巻p.185)

   * * * * * * * * * *

この不景気というものは、新事業を起こさないで、今までの事業の種類だけで互いに利益を争ったり、もう既成産業は膨脹するだけ膨脹しきっていて、これ以上産額をふやしても買い手がないので、職工を解雇でもして人員をへらし、操業短縮でもするよりほかに道はないような状態でありますのに、雇われたい人間の数はますますふえて行くために起こるのでありまして、不景気だといって新しい方面に事業を開拓せず、緊縮だ節約だといって、人類の兄弟がせっかくつくってくれたものを使わないようにするために、つくってくれたものは売れない。売れないから会社は今後つくる必要はない、つくる必要がないから、職工でも社員でも新たに雇い入れるどころか、かえって減らさねばならぬ――だからとうとうたる失業者の洪水などという恐しい新聞の標題(みだし)がでてくるのもむりはありません。

 考えてもごらんなさい、今後五年間、日本国中の人間が節約だといって米と野菜のほか何も買わないことにしましたらどうなるでしょうか。実に恐しい結果になります。
 あらゆる会社という会社、あらゆる工場という工場、米屋と八百屋以外のあらゆる商店という商店、これらはみんな失業者になってしまわねばなりません。

 どうもこれでは節約というものが道徳的にも経済的にも善いということはできないのであります。
(『生命の實相』第2巻p.185より)

   * * * * * * * * * *

さて、戦後日本の経済高度成長がオイルショック、リーマンショックなどでストップし、日本経済はきびしく長い冬の時代を耐えてきました。「失われた20年」などとも言われましたが、その間もただ足踏みしていたわけではないと私は思います。「春の新芽は冬にできる」と教えられています(谷口雅春先生『人生読本』)。

今、春が近づいています。

アベノミクスと言われる安部総理の経済政策で、物価2%上昇のインフレターゲットを設けられた。途端に株価がどんどん上昇し、経済活動が活気づいて、明るい雰囲気が支配的になってきた。なぜか。

今までデフレで、先行きの不安からみんなお金を使いたがらず、「しまつ」「節約」してものを買わない、売れないから造らない、造らないから雇わない、それで失業者があふれてきた。
<つづく>

530復興G:2013/03/10(日) 19:46:01 ID:AB6RqYXc

【生命的経済学 考(3)】

安部総理が経済政策としてインフレターゲットを設けた。それでこれから物価が上昇するぞということになれば、ただ預金しておいたのでは目減りして行く可能性が出てくるので、人々はお金を使うようになる。

それで、テキストにありますように、

   * * * * * * * * * *

 がんらい、人類の兄弟がせっかくつくってくれた品物を、金を出すのが惜しいといって使わぬということが善いはずはない。
 節約が美徳だというのは、ものがたらぬ場合に、それを自分ばかりがあまり使っては、ほかの人がそれを使いたくとも使えなくなる場合に、自分は使いたいのを我慢して兄弟にその品物を譲るという意味において尊い愛のあらわれと見ることができたからであります。

 つまり節約とは物を使い惜しみをするのが貴いのではなく、兄弟に譲るという愛の行為として貴いのであります。

 ところがこのごろの節約は品物は生産過剰で有り余っている。何も自分が金を出して買って使用したからとて、ほかの使いたい人が使えないで困るというようなことはない。かえってその品物に払った金の一部は社員や職工のふところにも廻りますし、会社も引き合うし、社員や職工も解雇されずにすむのであります。

 (中略)自分が使っても他の人が使うのになんのさしつかえもなく、人々の用にたりさえすれば、兄弟のせっかくつくってくれたもの、神がせっかく与えてくださったものは、喜んでありがたく使うようにすればよいのであります。

   * * * * * * * * * *

――ということになるので、まずインフレターゲットを設けた安部さんの経済政策は、方向としては生長の家の経済学からしても間違っていないのではないでしょうか。

 むろん、ただ浮かれて浪費的に使えばよいということでなく、適切な神の智慧をいただいて、適切な愛を行ずるのでなければならないのはもちろんであります。そのとき、

   * * * * * * * * * *

(テキストp.189〜190より)
 わたくしどもでは、つかわないではもったいないからできるだけ生かして使えというのであります。

 与えられていないものまでを無理をして使うのはいけませんが、与えられているものを生かさない節約は人類の敵であります。

 われわれが生命力を出して仕事をした。その仕事をだれも使ってくれなくてはその努力が生きて来ません。
 物を生かして使うということは、人がそれをつくるために注いでくれた生命を生かすということになります。

 この世は持ちつ持たれつの世のなかでありますから、人の注いだ生命を生かすことは自分の生命を生長向上発展さすことになるのであります。

 だから「生長の家」では買うことを節約せよとはいいません。買うて生かせというのであります。

 大いに生かすためには大いに買わねばなりません。
 こうしますと購買力はふえ、製造会社や販売店の収入が増加し、職工も社員も店員もその収入が増加し、したがってますます購買力がふえ、新事業の計画もなんらの危険なく行なうことができ、したがってあとからあとから増加する人間の職業にも道がひらけてくるのであります。

 こうなれば就職難も会社のつぶれる心配もないのであります。生産者側からいっても消費者側からいっても消極と積極とではこうも異ってくるのであります。

   * * * * * * * * * *

ということになるのではないかと思われるのであります。

531復興G:2013/03/10(日) 19:52:18 ID:AB6RqYXc

さて、経済学には全くの素人である私が、直感だけで以上のような大ボラを吹いてしまいました。

どうぞ、ご批判をお願いいたします。
ありがとうございます。

533a hope:2013/03/10(日) 20:42:37 ID:TqpbsVIM
>>528>>531 復興Gさま 

わたしは、家計簿すらまともにつけられないような経済には全く疎い主婦です。
ですが、今回のテキスト範囲を勉強していて現教団の方針(雅宣先生の教え)は、
「生長の家の経済学」とは違うのではないか・・・。
という、感じがしていました。

>>489で、トキさまが

<<それで、思い出したのですが、一昨年でしたか、幹部研鑽会で、総裁が、クレジットカード会社の「買い物は世界を
救う」というキャッチコピーを批判されていました。高橋是清の論文を引用した、消費のすすめです。それを総裁は、
浪費の勧めだ、ということで否定されていました。
でも、それを聞いた人からは、感激をした、という声は私の知る限り、ありませんでした。>>

というお話をされていました。
それが事実だとすると、ますます「雅宣先生の教え」は「生命の實相哲学」から外れているということになるような気がしてしまいます。
ですが、わたしには経済学の知識がないので、この問題に対してはこれ以上の発言は控えさせていただきます。

ところで、web誌友会の閉会は、今夜23時30分ですが、わたしは、明日も早いですし、家のこともしたいので、
今夜はこれで書き込みを終わらせていただきます。
最後までお手伝いできず、申し訳ありません。

今回も、素晴らしいご指導に心から感謝しています。

合掌。



みなさま

いつものように後夜祭もあると思いますので、みなさま閉会後もご意見等、お寄せくださいね。
それでは、参加くださったみなさま、閲覧して下さったみなさま、ありがとうございました。

感謝 合掌。

534復興G:2013/03/10(日) 20:56:46 ID:AB6RqYXc

さて、生長の家教団の行方はどうなるのでしょうか。

生長の家は、神の人類救済運動として神が始められた運動であるならば、このまま衰退の一途をたどって消えて行くはずはないと、私は思います。

いかなる困難も、乗りこえられないような障礙を神が与え給うはずはない。

しかし、人間の知恵才覚では乗りこえることができないような困難を与えられているのかも知れない、と思います。


私は、昨年11月、総本山での相愛会「ブロック教区連合会長会議資料」をコピーで入手しました。

それには、「連合会長の使命と役割」として、
  (前略)
 [2]相愛会員の使命感の高揚
この運動に対する燃えるような使命感を教区幹部、会員に点火することであります。具体的には、使命感をもって運動に喜んで参画し、創意工夫をして進展する相愛会運動を展開する幹部、会員を陸続と輩出することであります。
 [3]ビジョンの設定
そのために、わくわくするような自教区のビジョン(長期・中期・短期)を打ち出し、会員幹部と常に共有することであります。
  (後略)

というようなことが書いてありました。

さて、はたしてそれができるでしょうか。

私は、上記のことは絵空事、夢の中の寝言のようなものだと思います。

今の運動に、「燃えるような使命感」など湧いてくるわけはない。
総裁から「汝ら、罪の子人間よ、地球上の害獣よ」と責められ、「日本は侵略国である」と裁かれ、

>「日本の建国は世界に類例がないほど珍しく、古典に書かれた建国の理想は他国にない独特のものであるから、この理想を推し進めていけば、世界平和に貢献することができる」という意味のことが書いてありました。しかし、これは論理が混乱していて間違った考え方だと私は思います。特殊で、他に類例がないということ自体には、それほど価値はないのです。社会に受け入れられない特殊性や比類のなさは、かえって社会に有害です。単にウイルス作成の技術が優れているだけでは、犯罪者になることもある。<(建国記念の日式典での総裁あいさつ)

とおとしめられて、
「わくわくするような自教区のビジョン」なんていうのも、出てくるわけがない。

強いて「わくわくするようなビジョン」というなら、それは、
“本流”の人たちと和解し、共に手を繋ぎ肩を抱き合って神の国の実現、日本の実相顕現に一つ心で協力しあう姿、ということになる。

「万教帰一」と言いながら、生長の家の同士が分派をつくり争いあっていて、何が使命感ですか、何がわくわくするビジョンですか。寝言はやめてください、と言いたいです。

535復興G:2013/03/10(日) 21:50:35 ID:AB6RqYXc

トキ様
>>532の削除をお願いします。


皆さま、終了予定時刻の23:30にはまだ早いですが、私はこれにてやすませて頂きます。

世界平和の祈りをさせて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

◇◇◇世界平和の祈り◇◇◇

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。

その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い
すべての人々の心に、愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

◇◇◇光明思念の歌◇◇◇

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ご参加くださいました皆さま、ご協力、ありがとうございました。

 そして閲覧してくださいました皆々さま、ありがとうございました。

536あさひ:2013/03/10(日) 22:33:27 ID:/3nxKE2Q
復興G様

>神の国の実現、日本の実相顕現<

これに向けて働くことこそが、わくわくすることですね。

わくわくして頑張りましょう。      合掌

537トキ:2013/03/10(日) 23:04:11 ID:/bILsSIM
>>535

 遅れてすみませんでした。記事を削除し投稿者をアクセス禁止にしました。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

538トキ:2013/03/10(日) 23:25:41 ID:/bILsSIM
>>534

復興G様

 本日は、パソコンの調子が悪くなり、失礼をいたしました。

 一昨年の相愛会連合会長の研修会だったと記憶しておりますが、本部の講師が総裁に
中心帰一しましょう、という講話をしたら、某教区の連合会長が激怒し、

 「あなたたちは何も分かっていない! 今、現場は大変なんだ。総裁もそれをご存知ない。
私達がどんなに困っているか、総裁御自身が一度、現場を見に来て欲しい。」

と大声を出した、という話を聞きました。まさしく復興G様の言われる通りだと思います。

 長時間に渡り、素晴らしいご指導を賜った事に深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

539復興G:2013/03/11(月) 02:29:13 ID:AB6RqYXc

トキ様、a hope様、「訊け」管理人様、閲覧者様、うのはな様、reiさま、あさひ様、皆々さま。

ありがとうございました。

特にa hope様には、お忙しい中、お世話になりました。ありがとうございました。

今回の誌友会では、発言者は少なかったですが、でも、こうして続けることに意義があると思います。

50時間というのは長いような気もしますが、でも、この形体のままもうしばらく続けさせて頂きましょう。

次回は、4月第二金曜日の12日夜から14日(日)夜まででお願いしたく思います。

テキストは『生命の實相』第3巻に入りますが、第3巻は冒頭に8つの神示が掲載されています。

これらの神示は大切ですから、一回(1ヵ月)に2つずつ、4ヵ月かけてじっくりと勉強させていただいたらどうでしょうか。というのが私の提案ですが、ご意見をうかがいたいと思います。
よろしくお願い申し上げます。

合掌

540元青年会員です:2013/03/11(月) 07:19:01 ID:zOkAUrF2
WEB誌友会ありがとうございました。
私も学ばせていただきました。

>>520 復興Gさま
この「自然と人間の大調和を観ずる祈り」は、私には雅宣総裁の偽らざる本心であると感じられます。
客観的な評論的な話ではない、雅宣総裁個人の心を感じます。
それは私の胸に、強烈に痛々しく響いてまいりました。

それは生長の家総裁としては、問題のある祈りであるかもしれません。しかし私は、生長の家総裁以前の人間谷口雅宣として見る時、必ずしも問題だとは思えないのです。
この総裁の祈りは現象に心とらわれた迷いであるかもしれませんが、人間の良心というものを痛く痛く感ずるからです。

そこに私は、谷口雅春先生の、日本國體や人類滅亡の危機への痛切な叫び声を重ね合わせて想います。
お二人の思想には異なる部分がありますが、その言葉の悲痛な響きがとても似ているのです。そして、その裏側には深い愛情が流れていることを感じます。

私には、雅宣総裁の述べる真理の言葉よりも、この「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の方が谷口雅春先生を連想させます。本心より発する生身の言葉だと感ずるからです。
(残念ながら、雅宣総裁の真理の言葉には、谷口雅春先生のごとき喜びが感じられません)

私が思うには、雅宣総裁は、生長の家を悟る以前の谷口雅春先生に似ていらっしゃる感じがします。
現象世界の問題に苦しみ続けられた、若き日の谷口雅春先生に。
雅宣総裁の提唱するノーミート運動にも、そうした強い傾向を感じます。

若き日の迷える谷口雅春先生は、罪にまみれた自分自身の汚らしさに苦しみもがいていらっしゃいました。
つまり、現象世界の問題は外側の問題ではなく、自分自身の問題でありました。
そうであるがゆえに、その苦悩は私たちの想像を絶する痛み苦しみであったでしょう。
それはキリストの十字架にも似た、人類全員が背負う根源的な悩み苦しみでありました。

その生きる本源からの痛ましい苦悩こそが、輝かしい光明思想の生長の家を生み出したとも言えましょう。

雅宣総裁はおそらく、魂の奥深くでご自分を審判いて(さばいて)いらっしゃるはずです。
若き日の谷口雅春先生ほどの死ぬような苦しみではないにせよ、ご自分を責めていらっしゃるはずです。
そこに、私は人間谷口雅宣の良心を感ずるのです。人間誰しもが心深くに持っている、深い苦悩を感ずるのです。

残念ながら、それは生長の家総裁としては問題があるかもしれません。
雅宣総裁が、その深き苦悩から光明思想へと飛躍すれば良いのですが、それは今世では難しいかもしれません。
なぜなら雅宣総裁は、残念ながらまだ、自然破壊する人類の問題をご自身の問題として、十分には引き受けきれていないように思えるからです。

谷口雅春先生は、全人類全生命の問題を自分自身の問題として、十分に引き受け切っていらっしゃいました。
そうであるがゆえに死ぬように苦しみ、そうであるがゆえに必死で救いを求め、そうであるがゆえに「罪なし!人間は皆、神の子である!」の真理に目覚められました。

雅宣総裁は、そこまで自分自身の根源的な心に正直になることは出来ないのでしょう。
CO2削減という物質レベルで解決しようとしていること自体に、本質に触れ得ていないものを感じます。

ですが、十分ではないにしろ、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」には、雅宣総裁の人間としての良心がある、と私には思えるのです。
それは、谷口雅春先生の良心にも通ずるものだ、と私には思えるのです。

このような雅宣総裁をいただいたことには、トキさまのおっしゃるように、神の深慮というべきものがあるかもしれません。
しかし、私にはそれ以外の理由もあるような気がしています。
それは、生長の家信徒としては禁句であるかもしれませんが、あえて言います。
「生長の家に内在する迷いが、雅宣総裁を通して顕在化している」
言い換えれば、こうです。
「谷口雅春先生に残る迷いが、雅宣総裁を通して顕在化している」
そして、こうも言えます。
「谷口雅春先生の求道を支えた良心が、雅宣総裁を通して顕在化している」

つづく

541元青年会員です:2013/03/11(月) 07:20:04 ID:zOkAUrF2
(前回からのつづき)

谷口雅春先生の書かれた『大和の国日本』の中に、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」を思わせるようなご文章があります。
「一大警告!現状のままで継続するならば人類は絶滅する」というタイトルのご文章です。
内容はこのタイトルのとおりです。当時は原水爆の危機が叫ばれる時代でしたから、それを深く憂慮するご発言です。

ここでは、ただひたすら人類滅亡への危機意識が述べられています。神の子の自覚だとか光明思想の普及は全く書かれていません。「自然と人間の大調和を観ずる祈り」よりもひどいとも言いうるほどの内容です。
この谷口雅春先生の、危機を叫ぶ痛々しい魂が、雅宣総裁を通して現れているように私には思えてならないのです。

宗教的霊感というものは、後世には伝わりにくいものです。
対して、人間的な感情や理知的な知識は、伝わりやすいものです。
谷口雅春先生の人間的な迷いの部分や理知的な部分、あるいは批判精神が雅宣総裁へと伝わり、宗教的霊感や宗教的直感は伝わらなかった、というのが事実ではないかと思います。

しかし、それでもなお、雅宣総裁の強烈なまでの痛々しい祈りには人間の良心が流れているのを感じざるを得ません。
それはもちろん、谷口雅春先生の人類滅亡へのご発言にも流れている心です。

それは、表面的には迷いでしょう。現象世界・肉体人間に心とらわれていることの現れでしょう。
しかし、その裏には人間の良心があり、人類や生命への深い愛情が流れているのです。

私は、ここに実相を見ます。
仏の慈悲のこころを見ます。
どんな深い迷いに見えようとも、その奥に神のみこころが流れているのを感じます。
それは、実に実に尊く、美しい心です。

教団は、トキさまのおっしゃるように、さらに衰退の一途をたどるでしょう。
それは本当に残念なことです。
しかし、私たちはその奥に流れているものを見るべきです。
永遠に変わらざる生長の家を。

そこには人類普遍の良心が流れています。
それは程度の違いこそあれ、谷口雅春ー谷口清超ー谷口雅宣を貫く心ではありませんか?

542復興G:2013/03/11(月) 09:37:45 ID:AB6RqYXc

>>540>>541
元青年会員です 様。

拝読させて頂きました。

真摯に、生長の家 その実相と現象を受け止めて熟慮されている姿勢に、敬意を表します。

おっしゃるとおりであろうと思います。
さらに熟読、熟考させていただきます。

ありがとうございます。
合掌

543トンチンカン:2013/03/11(月) 09:39:21 ID:nFgY2khg
“Web誌友会”に参列の “元青年会員です” は、マサノブ氏でありましょうか?


早速に他の掲示板にて、『この“元青年会員です”を“マサノブ氏”であるとして見た場合、これは <自己弁護> を縷々と書き連ねているとしか思えません』、、、と書かれております。




<生長の家、新・本流復活掲示板>
========================================
“元青年会員です” = マサノブ氏 ・・?(414) 日時:2013年03月11日 (月) 09時25分
名前:サーチャー


“元青年会員です”=マサノブ氏・・?

皆さん、“元青年会員です”の下記の文章をご覧下さい!!

この“元青年会員です”を“マサノブ氏”であるとして見た場合、これは <自己弁護> を縷々と書き連ねているとしか思えません。


最後の、
『教団は、トキさまのおっしゃるように、さらに衰退の一途をたどるでしょう。それは本当に残念なことです。しかし、私たちはその奥に流れているものを見るべきです。永遠に変わらざる生長の家を。そこには人類普遍の良心が流れています。それは程度の違いこそあれ、谷口雅春ー谷口清超ー谷口雅宣を貫く心ではありませんか? 』


これは何ぞや? と言いたいです。

・現在の急速な <教勢低下> は今後も続く(衰退の一途をたどるでしょう)としております。

・それは(衰退の一途をだどること)本当に残念なことです。・・・・・バカにするな!!

・『私たちはその奥に流れているものを見るべきです』・・・・詭弁以外の何ものでもありません

・『永遠に変わらざる生長の家を。そこには人類普遍の良心が流れています』・・・・・ゴマカスな!!

・『それは程度の違いこそあれ、谷口雅春ー谷口清超ー谷口雅宣を貫く心ではありませんか?』・・・・・ノー、ノー、ノー
========================================

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&amp;mode=res&amp;log=217

544a hope:2013/03/11(月) 10:08:31 ID:TqpbsVIM

みなさま おはようございます。

今朝、起きて「元青年会員です」さまの投稿を拝見しました。
その深い内容に、とても感動しています。

真に相手の実相を見るとは、そういうことなのかもしれません。

わたしは今、「虚説」という言葉を安易に使ってしまったことを、たいへん反省しています。

「虚説」とは、自分自身の見解である。
そう、アドバイスしてくださった方がいます。

心ではそれがわかっていながら、なぜわたしは昨日あのような、みささまに呼びかけるような発言をしてしまったのか、
自分でもよく理解できません。

「元青年会員です」さま

一つだけ、質問させてください。

<<教団は、トキさまのおっしゃるように、さらに衰退の一途をたどるでしょう。
それは本当に残念なことです。
しかし、私たちはその奥に流れているものを見るべきです。
永遠に変わらざる生長の家を。>>

このようにおっしゃっていますが、これが雅宣先生や、純子先生を「愛する」ということなのでしょうか?



>>543 トンチンカンさま

わたしは、「元青年会員です」さまは、雅宣先生ではないと思いますよ(笑)


わたしは、今日はこれから仕事ですので、夜戻ります。

545rei:2013/03/11(月) 12:16:06 ID:bo95azFI

新幹線が発明されているのに、徒歩で行くようなもの、という喩えがありましたよね。
人間神の子と教えられているのに、もう一度悩み苦しめと?

546復興G:2013/03/11(月) 14:19:10 ID:AB6RqYXc

>>545 :rei様。

>>新幹線が発明されているのに、徒歩で行くようなもの、という喩えがありましたよね。人間神の子と教えられているのに、もう一度悩み苦しめと? <<

――そうでした! rei様のこのお言葉で、また目が覚めた思いです。

今、「元青年会員です」様のおっしゃっている

<<教団は、トキさまのおっしゃるように、さらに衰退の一途をたどるでしょう。それは本当に残念なことです。
しかし、私たちはその奥に流れているものを見るべきです。永遠に変わらざる生長の家を。>>

とは、「神の子」、すなわち神である、と考えています。

「元青年会員です」様は、

>>そこには人類普遍の良心が流れています。
それは程度の違いこそあれ、谷口雅春−谷口清超−谷口雅宣を貫く心ではありませんか? <<

とおっしゃっています。

ここで「元青年会員です」様がおっしゃる、雅宣総裁の「良心」とは、「小懺悔」の心なのですね。

「小懺悔」にとどまっていては、自他共に暗くなってしまって、救われません。本当の幸福は得られません。

「大懺悔」の心、すなわち

「神こそすべてのすべて、神はすべてにましまして絶対なるが故に、神の外にあるものなし」

「神はすべてなるが故に、神は罪を作らざるが故に、神のほかに造り主なきが故に、此の世界に犯されたる罪もなく、報いらるべき罪もなし」

――ありがとうございます、とただ感謝の心になる。

それが「大懺悔」である。そこに、「永遠に変わらざる生長の家」がある、と思います。

生長の家の基本は「大調和の神示」にあるとも言われますが、それも、人間は罪の子として反省して和解せよというような「良心」では、永遠に人類は救われない。「人間神の子、罪なし」の「大懺悔」こそが本当の感謝であり、大調和である。それが生長の家の基本、原点なのではないでしょうか。

そこにこそ、「永遠に変わらざる生長の家」があり、そこに人類普遍の神性が実在する。

それが、谷口雅春先生−谷口清超先生−谷口雅宣先生を貫く心であるはずだ、と思います。

「元青年会員です」様。

ご覧くださっているでしょうか。

私は、上記のように考えますが、いかがでしょうか。

547木綿豆腐:2013/03/11(月) 14:41:35 ID:.QY5jUA6
>>545:rei様
>>546:復興G様

の ご投稿文に同意させて頂きます。

548復興G:2013/03/11(月) 15:19:30 ID:AB6RqYXc

>>547 :木綿豆腐さま。

ありがとうございます。

549トキ:2013/03/11(月) 15:46:14 ID:2GHp4WH2
元青年会員です 様
復興G 様
木綿豆腐 様
rei様
a hope 様
トンチンカン様

ご投稿、ありがとうございました。私も少し考えてから、ご投稿をさせていただきます。

感謝、合掌

550トキ:2013/03/11(月) 21:13:22 ID:2GHp4WH2
元青年会員です 様

 真摯な内容のご投稿を拝見し、深く感銘を受けました。基本的な部分では、同じ意見の部分が多いです。

なお、この板のご指導は、復興G様なので、私の投稿はあくまえでも一人の参加者の意見とご理解下さい。

 私も、現在の雅宣先生は、大悟を得る前のお悩みの状態だと拝察しています。その意味では、ご
本人もたいへん、悩まれていると個人としては深く心配もしています。また、雅宣先生は純粋な方だ
し、知識も豊富な方ですから、ご自分なりの理想を実現しようと思われていたと思います。
 トキ個人としては、現在の谷口雅宣先生を高く評価する部分もあります。

 ただ、私は反面、すごくドライで冷たい見方もしています。

 日本国憲法76条3項に「全て裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法
及び法律にのみ拘束される」という条文があります。ここでいう良心とは、自分の主観的な価値観
ではなくて、職務にともなう良心である、ということだということです。人間だれしも個人的な価値観
も持っているし、人間としての良心ももっています。しかし、職業人として期待されるのは客観的な
ものです。これは法律家だけではなくて、これは、全ての仕事に共通する事だと思います。
  仮に自己の良心を仕事や立場で表明するとしても、まずは自分の仕事上の義務を果たすことが
優先します。例えば、谷口雅春先生で言えば、先生は信徒の魂の救済をされた上で、ご自分の所信
を表明されています。

 総裁がティーンエイジとか20歳代とかなら、職務に要求される価値観と自己の主観的な
価値観の乖離に悩むのは立派なことだと思います。しかし、現在の谷口雅宣先生の年齢とかキャリア
を考えると、今頃、その話はないだろう、という感想も持ちます。とても残酷で冷たい話です
が、そこで総裁の主観的な良心との葛藤を理由に谷口雅宣先生を弁護するのは逆に総裁に
失礼だと思っています。ラーメンと食べに行って、そのラーメンがまずかったら、おいしいとお世辞
を言うのではなくて、正直に言うのが相手への愛情とか敬意だと思います。

  それで思い出すのは、ヤオハンの和田カツさんのご主人だった和田良平さんの話です。
和田カツさんは熱心な生長の家の信仰者でしたが、ご主人は全く生長の家には関心はありま
せんでした。ところが、ひょんなことから、ご主人が教区の相愛会の連合会長を引き受ける事
になりました。すると、ご主人はやったことがない神想観もはじめ、一から生長の家の勉強を
始めたといいます。結果、ご主人は職責を果たされたと聞いています。

 そういう主観的な良心を全面的には肯定しない部分では、元青年会員です、様のご意見とは
違う部分はあります。現在の生長の家の状態を考えると、谷口雅宣先生が強い非難を受けるのは
とても残念ですが、仕方がないと思います。(もちろん、私個人は総裁が現在の状態を反省され
対立勢力との対話と和解の努力をされ、谷口雅春先生の教えをご自身の主観を交えずに
説かれる日が来ると信じております。)

 しかし、ご投稿の内容には多くのことを学び、また感銘を受けたことも同時に申し上げます。

ご投稿を深く感謝申し上げます。

感謝、合掌

551トンチンカン:2013/03/12(火) 00:39:03 ID:nFgY2khg
生長の家総裁としては問題があっても、マサノブ総裁に中心帰一なのでしょうか?


<Web誌友会 板/2>
========================================
540 :元青年会員です:2013/03/11(月) 07:19:01 ID:zOkAUrF2
(前略)
雅宣総裁はおそらく、魂の奥深くでご自分を審判いて(さばいて)いらっしゃるはずです。
若き日の谷口雅春先生ほどの死ぬような苦しみではないにせよ、ご自分を責めていらっしゃるはずです。
そこに、私は人間谷口雅宣の良心を感ずるのです。人間誰しもが心深くに持っている、深い苦悩を感ずるのです。

残念ながら、それは生長の家総裁としては問題があるかもしれません。
雅宣総裁が、その深き苦悩から光明思想へと飛躍すれば良いのですが、それは今世では難しいかもしれません。
なぜなら雅宣総裁は、残念ながらまだ、自然破壊する人類の問題をご自身の問題として、十分には引き受けきれていないように思えるからです。

谷口雅春先生は、全人類全生命の問題を自分自身の問題として、十分に引き受け切っていらっしゃいました。
そうであるがゆえに死ぬように苦しみ、そうであるがゆえに必死で救いを求め、そうであるがゆえに「罪なし!人間は皆、神の子である!」の真理に目覚められました。
========================================


・雅宣総裁はおそらく、魂の奥深くでご自分を審判いて(さばいて)いらっしゃるはずです。

・残念ながら、それは生長の家総裁としては問題があるかもしれません。

・雅宣総裁が、その深き苦悩から光明思想へと飛躍すれば良いのですが、それは今世では難しいかもしれません。



“元青年会員です”氏は、『それは今世では難しいかもしれません』、、とまで述べています。

そうであるならば、現在の 問題のある“生長の家総裁”のもとで、信徒達はマサノブ総裁の存命中は、“迷いの渦中”にドップリと浸かっていなければなりません。

どうして、「マサノブさん、“生長の家の総裁”という立場から退いていただいて、森の中でごゆっくりと 修行 して下さい」と申し上げられないのでしょうか?

マサノブ氏が『「罪なし!人間は皆、神の子である!」の真理に目覚められました』との悟りを開かれたその時に、また戻ってこられたらいいのではないのでしょうか?


ハッキリ言って、今のマサノブ氏には “生長の家総裁” としての資質がありません。問題があり過ぎです。 今や組織内のブーイングを鎮めることはムツカシイでしょう。

552rei:2013/03/12(火) 07:23:49 ID:bo95azFI

おはようございます

復興Gさま
ありがとうございます
1を言っただけで10も分かって下さる、
生長の家の方とはどこまで素晴らしいのでしょう!

木綿豆腐さま
時々コメントを私に頂いていますよね
ありがとうございます。

私は、元青年会員ですさまの文章を読ませてもらって、
総裁は大通智勝如来のような人だと思いました。

光がすぐそこにあるのに目を閉じている人のようです。

肉体人間を神の子だと思ってしまった人のようにも思います。

悪い手本を見せていただいてるのかとも思います。
良い手本も悪い手本もどちらも、自分の師であるというように書かれてあった。
そういう意味でならば感謝出来ます。











「人」を中心にした組織だとしたら、去るよりほかにありません。

553復興G:2013/03/12(火) 07:50:00 ID:AB6RqYXc

元青年会員です 様。

トキ様が、客観的な見方で、まことに適切なご投稿をしてくださいました。私も同感します。

この際、さらに総裁の、「日本は侵略国である」発言について、あらためて私の思うところを書かせて頂きます。

雅宣総裁が、平成3年(当時副総裁)5月から4年8月まで『理想世界』誌に「ネットワーク考」と題して書かれた文章の中で「日本は侵略国であり懺悔が必要」と書かれ、信徒の間に大きな波紋を巻き起こした。当時本部講師であったF氏は、退職して“「生長の家」路線変更か−谷口副総裁が「日本侵略論」展開−「創始者の教えに反す」”と題した記事を『国民新聞』に投稿し、平成4年7月25日号の一面トップに大きく掲載された。それに対して、一教化部長の「F氏に反論す」という論文が、平成4年10月号の機関誌『生長の家相愛会』に掲載されています。

 その冒頭に、リード文として

≪「生長の家」路線変更か――とは皮相な見方、井蛙の見なり。創始者の教えに反しているのは、F氏の方ではないか。今こそ真の日本救済――小日本ではなく「大日本(ひかりあまねきせかいのくに)」の実相顕現のために起ち上がるべき時である。そのためには、「大懺悔」が必要である。≫

 とあります。

 私は、この「大懺悔」というところに注目します。

 この「大懺悔」には、わざわざ「カギ括弧」がつけられているのです。

 「小懺悔」ではいけない。「大懺悔」が必要である。

 日本は大東亜戦争で他国を侵略しました、悪うございました――というのは「小懺悔」であります。

 小懺悔も必要ではありますが、そこにとどまっていたら、かえって業の流転でまた同じ過ちを繰り返す可能性が大であります。「罪なし、実相独在」の「大懺悔」に到ったとき、はじめて業を超えることができる。

 同論文には、次のようにあります。長文になりますが、要点を転写させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 F氏の「告発」文をきっかけに、今一度尊師谷口雅春先生の「日本は侵略国ではない」とのお言葉、そして副総裁谷口雅宣先生が「侵略したのは日本」とおっしゃったことの意味をかみしめ、整理して考えてみた。それを、次に記述させていただこう。

日本は侵略国か

 谷口雅春先生はたしかに、「日本は侵略国ではない」と説いて来られた。しかし、これは現象的な相対の世界の皮相な観点から日本無罪を主張しておられるのではない。深い生命の実相哲学から出てきたお言葉である。その奥義、秘密義に思いを致さねばならぬと思う。
『聖なる理想・国家・国民』の十五頁には、

< 日本国家の理想とは何であるか。それは「宇宙の理想」と一つのものである。「宇宙の理想」とは釈尊の説く金波羅華(こんぱらげ)の世界であり、キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。日本国を“侵略国”と誣(し)いる者は何者ぞ。去れ!! 日本国は世界の救世主たる使命を帯ぶ。>

 と書かれている。

 ここでも前半のお言葉から明かな如く、「実相独在」の観点から、「理念の日本」「日本の実相」を観じ、日本の使命を直観して説かれている。『日本を築くもの』の第三章に、「堅固法身・膿滴々地」と説かれ、『我ら日本人として』第四章にも「“理念の国”と“現象の国”に就いて」として詳説されている「理念の国」を直視し、「実相」の大地に立って説かれているのである。
<つづく>

554復興G:2013/03/12(火) 07:50:38 ID:AB6RqYXc

<つづき>
(中略)
 谷口雅春先生著『神と偕に生きる真理365章』83頁〜84頁には、

< パウロはこうして、「本当の我」と「我が中(うち)に宿る罪」〈過去の業(ごう=ワザ)の集積である運動慣性〉とを分離することに成功したのである。(略)

 このパウロの自己分析による「本当の自分」の発見が、宗教的悟りの要諦であるのである。私が時々コップの中の水の譬喩をもって、「本当の自分」のことを修行者にわかり易く説明することにしているのは次のようにである。――

「ここに透明なコップがあって澄明な純粋の水が入っているとする。この水の中に一つまみの泥を入れると、水は不透明になる。この時、人は“水が濁った”というのである。併し本当は水は濁っていない。水は依然としてH2Oの化学式をもった澄明な純粋の水である。濁っているのは水そのものではなくて、泥が濁っているのである。水は泥の濁りと何の関係もない。それだから漉器(こしき)で泥を漉し去れば、あとには依然として純粋な水があるのである。それと同じく “人間・神の子”の完全な実相は、どんな汚れた罪人のように見える人に於いても、変ることなく、円満な実相そのままである」>

 谷口雅春先生は、この純水のような実相の日本国を観じ、泥は水ではない、業は「人間」ではないように、真の「日本」は侵略していない、起こるべくして起こった戦争は、人類の業のなせるところである――と断じていられるのである。表面のお言葉の奥にある、先生の立っていらっしゃるところに立って、このお言葉をしっかと戴かねばならぬと思う。

 しかしながら、前掲書八十六頁に、

< 聖経に「生命の実相を知るものは因縁を超越して生命本来の歪みなき円相的自由を獲得せん」と示されているのであるから、どんな事をしても、超越すればよいと、多寡をくくって、無分別にも色々の悪業を平気でやる人がもしあるならば、その人は「生命の実相」を本当には知っていない人である。それだからその人は「生命の実相を知る者は因縁を超越して……」の恩典に浴することのできない人たちである。

 どんな小さな行為でも、それを為すことは業であり、因縁因果の世界に、業因を積み重ねつつあるのである。業には善業も悪業もあるが、どんな小さな善業でも毎日それを怠らずに積み重ねて往ったならば、「生命の実相」の悟りに入り、ついに因縁を超越することができるのである。>

 と書かれている。

 日本が戦争に敗れて劣等感や罪の意識に打ちひしがれていたときに、谷口雅春先生は声を大にして「日本は侵略国ではない」と叫ばれた。それによって私たちは希望と誇りをもって懸命に働いてきた結果、現在の日本の地位を築き上げることができた。そうしてここまで大きくなった日本が、さらに本来の神武建国の理想である「八紘一宇」――世界の真の平和実現の大きな使命を果たすためには、真の「大懺悔」「生まれ更わり」が必要なのである。それにはまず、実相と現象、偽我と真我の甄別をして、偽我を否定し、真我をこそ光り輝かさなければならないのである。

 副総裁谷口雅宣先生が、『理想世界』の「ネットワーク考」の中で「“大東亜戦争”で侵略行為を行ったのは日本」と書かれたのも、世界に大きな影響力を持つようになった経済大国日本が、さらに世界に受け入れられ尊敬される国として生まれ変わるには「大懺悔」が必要であるからである。さもなければ日本は再び大東亜戦争に突入したときのような過ちを犯し、人類は業の流転に翻弄されて永遠に世界平和は来ないからである。「大懺悔」のためにはまず「小我の否定」が必要だからである。
<つづく>

555復興G:2013/03/12(火) 07:51:34 ID:AB6RqYXc

<つづき>

「大和の国の神示」に、こう示されている。

< 大日本世界国(ひかりあまねきせかいのくに)と言うことを狭い意味に解して、日本民族の国だなどと考えるから誤解(まちがい)を生ずるのである。そんなものは小日本であり、本当の大日本国(ひかりのくに)ではない。天(あめ)の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来ることを、「全世界五大州の国土を『天孫(てんのみこころ)』に御奉還すべき時期が来る」と教えたのである。天孫とは肉体のことではない。「肉体は無い」と言うことをあれほど教えてあるのに、やはり肉体のことだと思って執着が強いから大それた間違をして取返しがつかぬことになるのである。神からみればすべての人間は神の子であるから、特に日本民族のみを愛すると言うことはない。あまり自惚(うぬぼ)れるから間違うのである。>

 天のみこころを現し、光あまねき世界――究極の世界平和を実現すべき尊い使命を持っているのが日本であり、その日本の実相を顕現すべき生長の家の使命は重大である。この時に、「小日本」にとらわれ、言葉の表面にとらわれた妄論を吐いて、信徒や愛国の徒をまどわす言動は許されないと思う。今こそ、大いなる日本の使命実現のために、国を過まる事なきよう、神意によって法燈を継承せられた総裁・副総裁に中心帰一し、謙虚に、そして真の誇りと自信を持って、迷うことなく、明るく、人類光明化運動にひたすら勇往邁進したいと思う。
(平成四年七月二十九日)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――以上、長文になりましたが、平成4年10月号の機関誌『生長の家相愛会』に掲載された一教化部長の論文の要点を転写させていただきました。

 「大懺悔」して、この論文のはじめの方に引用されている、『聖なる理想・国家・国民』の谷口雅春先生の御文章

< 日本国家の理想とは何であるか。それは「宇宙の理想」と一つのものである。「宇宙の理想」とは釈尊の説く金波羅華(こんぱらげ)の世界であり、キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。日本国を“侵略国”と誣(し)いる者は何者ぞ。去れ!! 日本国は世界の救世主たる使命を帯ぶ。>

 という御文章を、あらためてかみしめたいと思います。

元青年会員です 様。

 私は、間違っていますでしょうか。

556クソ:2013/03/12(火) 08:00:04 ID:tar1vhs2


3、11 だと言うのに、

相変わらず、教団内論争にあけくれる、みみっちい、カルト信者ども

人の名前つかって雑誌(いのちの環とか)を申し込んでんじゃないよ 送り返したけど

消費者センターに通報しました。

557復興G:2013/03/12(火) 08:29:10 ID:AB6RqYXc

>>552 :rei 様。

>>「人」を中心にした組織だとしたら、去るよりほかにありません。<<

――そうなりますね。

人類光明化運動指針第九条に、

「生長の家大神――総裁・副総裁――御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない」

とありますが、同時にそのあとに続いて

「如何にその人が有力者であろうと長年光明化運動に献身して来ようと、素晴らしき体験をもつ指導者であろうと、断じてその人を中心にしてはならない。若しも人を中心とすれば、その人が理解し把握している以上の運動の展開は不可能となり、歪んでいれば運動も歪むほかなく、その人とそりの合わぬ者、反対意見の者は身を引くか、対立して禍根を残すであろうし、若し或る人が情熱的な信仰を持つ場合、その人が真に中心を明らかに自覚している場合はよいが、唯熱心であるだけならば、何時かその人に頼り過ぎ、その人が転任或は他界した場合は、忽ち火の消えた様に衰微してしまった如き事例は往々にしてある。すべて皆中心を誤っていることに気がつかなかった為である。光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である。」

とあることを見落としてはなりませんね。
「神意が中心」です。

558「訊け」管理人:2013/03/12(火) 08:34:53 ID:???


 ご参考までに以下、掲載致します。以下はその、「侵略か否か」論争の発端となったとされる、現総裁の御文章です。(なお★印は特に重要と思われる箇所であり、私の方で付けたものです)


-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+

ネットワーク考⑧「侵略か解放か」 (『理想世界』誌平成3年12月号)より謹写――

あなたの抱かれた危惧(きぐ)の念はよく分かりました。しかし、私が前回書いた文章の中でもっとも強調したかった点を、あなたはどうやら誤解されているようです。その理由の一つは、あなたが、私の文章の中の一部の〝印象〟にばかりに注意を引かれていて、その中に展開されている〝論理〟を厳密に吟味しておられないところから来ると思います。

私が「感情論」と言ったのは、まさにこのことでありますが、<<★私は、前回の文章のどこにも「大東亜戦争は一分の理もない(日本の)侵略戦争だった」とは書いていません。★>>私も、当時の日本には「一分の理」以上のものがあったと思いますが、しかし、理由がどうあろうとも、「侵略をした」という事実は認めなければならないのです。

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+



 これが一文目(抜粋)です。さてここでおそらく、諸賢は「『侵略をした』という事実は認めなければならないのです。」の部分に違和感を覚えられたのでは、ないでしょうか。(私はそうでした)この点に関しても以下、文章を掲載致します。この侵略に関しては現総裁。以下の様に定義されておられます。やや長くなりますが、二文目として掲載します。

(つづく)

559「訊け」管理人:2013/03/12(火) 08:35:29 ID:???


(つづき)

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+

ネットワーク考⑧「侵略か解放か」 (『理想世界』誌平成3年12月号)より謹写――

まず、あなたの「侵略」の定義には誤りがあります。私がここで使っている「侵略」という言葉は、国際法や国際政治で普通に使われている用法にもとつくものです。つまり、「他国に対して自らが武力攻撃を仕掛け、または海上封鎖などの戦争類似行為をすること」であり、もっと端的に言えば「ある国がその国際的義務に違反して武力を行使すること」です。従って、あなたが「侵略とはいいません」としている「他国の領土や軍隊を攻撃すること」の中には、侵略は含まれねばなりません。

あなたは、「交戦中の他国領土の一時的占領」は侵略には当たらないから日本の真珠湾攻撃は侵略ではないという不思議な解釈をしておられますが、戦争が始まる前と始まった後とでは、国際法上適用される法規の体系が異なってくることを知らねばなりません。

「侵略」は、平時の国際法の体系によって認定されますが、侵略があれば、侵略された側は自衛権を行使しますから当然、戦争が始まります。その後は、戦時国際法が適用されます。この2つは別のもので、平時に他国の領土や軍隊を攻撃すれば、一般に違法行為となりますが、戦時に於てはそうはなりません。

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+


 あくまでも論点は、「戦時国際法」です。この法から眺めた場合は「侵略である」とのご主張が、総裁のご意見です。少なくともそう、解釈した次第です。なお、余談ながら以下例に触れることで私見真意の説明を、行います。なぜその区別が、「重要なのか」の点です。国際法的に観て「侵略だ」というのは、案外大切な点だと思えるのです。


 ・・・・・たとえば、出産近い妊婦を、「スピード違反しながら」病院へ搬送した者がいると仮定しましょう。そしてその後、警察にスピード違反の件で注意された者が、あるとしましょう。さてこの場合、以下二種類の反応のうちいずれが、「日本人らしい」と言えるでありましょうか。

1)「妻の出産のため、止むを得ませんでした。ですが、スピード違反をしたのは事実です。その点はお詫び致します。」
2)「妻が出産だったんだ!だから、スピード違反くらい大目に見ろ!」

 ・・・・私は確実に1)だと思います。

 そしてこれを、大東亜戦争に当て嵌めるならば、「戦時国際法違反を認めること」は、必要だと考えます。そして、その上で「それでも我が国には、『大義』があったのだ」という方向で説明を、すべきかと思っております。

 ・・・・話が逸れた感もしますのでまとめますが、現総裁の論点はその意味で、必要だと感じた次第です。





<私見まとめ>

○総裁が「侵略」と言われたのはあくまでも、「戦時国際法」の観点からではないでしょうか。
○ なにも、大東亜戦争全体を「侵略」だとおっしゃったわけでは、ないと思います。(一文目★印箇所をご参照)
○ 雅春先生が問題にされた点(「日本国を“侵略国”と誣(し)いる者は何者ぞ。去れ!! 」)とは、論点が違う気が致します。
○ なお、個人的には大東亜戦争ですが、「合法に非ざれども、『合徳』なり」が私見です。戦時国際法違反(無警告爆撃等)の点は素直に詫びて後、「しかれでもこれこれの大義があった(我が国には)」と述べることは、大切だと思っております。
○ もしも「国際法的に観ても、侵略ではナイ!」 ―― そんな意見あらば、それはそれで、興味を持ちます。




560「訊け」管理人:2013/03/12(火) 09:00:11 ID:???

<訂正>


<私見まとめ>欄

(×)なにも、大東亜戦争全体を「侵略」だとおっしゃったわけでは、ないと思います。(一文目★印箇所をご参照)

(○)なにも、大東亜戦争全体を「悪だ」とおっしゃったわけでは、ないと思います。(一文目★印箇所をご参照)

561クソ:2013/03/12(火) 09:16:25 ID:tar1vhs2


教祖の迷いは、そのまま信徒の迷いであり、人類の迷い。


信徒の迷いは、そのまま教祖の迷いになり、それは人類の迷いでもある。

人類の迷いは、過去の残像。

みんなまとめて迷いの家。

562木綿豆腐(=志恩):2013/03/12(火) 09:26:25 ID:.QY5jUA6

>>540 :元青年会員です:2013/03/11(月) 07:19:01 ID:zOkAUrF2
(前略)
雅宣総裁はおそらく、魂の奥深くでご自分を審判いて(さばいて)いらっしゃるはずです。
若き日の谷口雅春先生ほどの死ぬような苦しみではないにせよ、ご自分を責めていらっしゃるはずです。
そこに、私は人間谷口雅宣の良心を感ずるのです。人間誰しもが心深くに持っている、深い苦悩を感ずるのです。<<


雅宣総裁の このような苦悩は、雅宣総裁だけが、体験されてるわけではありません。様々なスピリチュアル系の本を読みますと、「悟り」の境地にまで達した多くの方々は、
ある期間、精神は暗雲たなびく中で悶々としているのですが、ある瞬間に 霧が晴れたように光明燦然とした光の中に生かされている自分に気づいている。

雅宣総裁は、悩みはじめられてから20年以上経たれる訳ですが、60歳を過ぎられた今になられても
まだまだ、深き苦悩から光明思想への飛躍が出来ず、それは 今世では難しいかもしれない、とおっしゃる。

私達が,生長の家総裁に 求めているのは、
雅宣総裁が、なぜ、いまもって 悩み続けているかという「説明」や「答」では、ありません。

生長の家の総裁になられたのですから、もともとの雅春先生がお説き下さった教えを、そのまま継承され われわれ信徒に伝えて、われわれが共に学ぶことにより『人生に 大安心を得ること』、
『教えを実践することにより、いかに毎日をハッピーにするかを目指していくこと』などが、われわれが 生長の家教団に 期待している基本の気持ちです。

総裁としての資質がないことは、雅宣総裁ご自身が一番分っておられることだと存じます。

雅宣総裁ご夫妻が、森のオフィスに引っ越されるということは、雅宣様は初めて、原宿穏田にある あの生家から独立するようなものです。あそこから離れたことは海外留学されたとき以外は、
暮らしの移動はされておられないのですから。

今後、世間の風の冷たさを肌身に感じ、少しは甘ちゃんの物事の捉え方や、甘ちゃんのご自分のご性格にも気づいて下さり、そのときこそ、潔い決断をされることを願っております。

それは、近い将来…ふいに訪れる「光の体験」か「総裁辞任のご決断」か、どちらかだと存じます…、と、

このように、トンチンカン様のように,私も、総裁の辞任につきましては、2年近く発言して来ましたが、
最近、疲れまして、トンチンカン様のような、強力な頼もしき発言者がご登場されましたので、私は、今後のことは、もう安心しておまかせしたいと思っているところです。 つづく

563トキ:2013/03/12(火) 09:32:11 ID:RT7caOUo
>>556

 この板は誌友会の板です。ご投稿の趣旨とは違います。違う板へご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

564トキ:2013/03/12(火) 09:36:51 ID:RT7caOUo
>>561

 別の板への投稿ならお返事はしますが、この板への投稿は趣旨が違います。
ご投稿は御控え下さい。

管理人

565木綿豆腐(=志恩):2013/03/12(火) 09:47:35 ID:.QY5jUA6
雅宣総裁が何を言っても通じず,何をしても受け入れられないのは、(1000人のうちの5人にしか通じていない)

先ず、言い回しが難解で、言葉の表現がへたなのと、ご自分が行って来たことへの信頼度≠「メディア力」がないことと、
心の根底のところで、雅春先生の教えを否定していること、

その雅宣総裁の根底の思想…

これらの点を うまく隠して論を進めても、結局うさん臭い結論にしか導かれないからだと思います。

ご自分の主義主張を論理的に説明してみても、ご本人の「根本思想」は、ごまかせないからです。

まず、読み手や聞き手を意識せず、書き 話されても、ご自分だけで自己満足し、完結してしまい、相手の意識革命を起こさせたりするのは、困難だと思います。

相手の心の中のもやもやが、晴れていくことはありません。より もやもやが増すだけなんです。

雅宣総裁は、1人1人の、神の子としての個性に向き合っていない。ゆえに、自分は正しいことを言ってるつもりなのに、次第に周囲から孤立していくのではないでしょうか。

自分の正直な姿を表すところは、自分の中ではありません。紙の上でも掲示板でもありません。それらを媒介にした『相手の中』です。 

雅宣総裁は、いまだにご自分の立場がなんなのか、まだ認識されておられません。

566うのはな:2013/03/12(火) 09:51:45 ID:HdP292ew

上記の訊け管理人様のように、雅宣先生が侵略戦争といったかどうか
の話も、誌友会の趣旨とちがう方向へいきそうな話題だと思います。

567復興G:2013/03/12(火) 10:00:52 ID:AB6RqYXc

>>558〜560
「訊け」管理人様。

雅宣現総裁(平成3年当時副総裁)の、「ネットワーク考」における大東亜戦争侵略論を、懇切に紹介、解説してくださって、ありがとうございます。
よくわかりました。その通りであると思います。

ただ、私が危惧すると言いますか、残念に思うのは、過去のことよりも、今年2月11日建国記念の日の式典での総裁挨拶でも、

>……「日本の建国は世界に類例がないほど珍しく、古典に書かれた建国の理想は他国にない独特のものであるから、この理想を推し進めていけば、世界平和に貢献することができる」という意味のことが書いてありました。しかし、これは論理が混乱していて間違った考え方だと私は思います。特殊で、他に類例がないということ自体には、それほど価値はないのです。社会に受け入れられない特殊性や比類のなさは、かえって社会に有害です。単にウイルス作成の技術が優れているだけでは、犯罪者になることもある。<
(建国記念の日式典での総裁あいさつ)

とおっしゃっていて、

>日本国家の理想とは何であるか。それは「宇宙の理想」と一つのものである。「宇宙の理想」とは釈尊の説く金波羅華(こんぱらげ)の世界であり、キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。……日本国は世界の救世主たる使命を帯ぶ。<

と谷口雅春先生がおっしゃっている日本の実相を否定しておられるように思われることです。

日本には日本の使命がある。生物にも多様性があるように、国にも多様性があって、それぞれ独自の使命があると思います。日本の使命は、「八紘為宇」(Universal Brotherhood)で、宇宙の理想と一つのものである、というのが生長の家の根本中心の教えであると私は思っております。谷口雅春先生のお教えは、そうでした。

それを、現総裁は、否定しておられるのではないか――というのが、私の危惧し、残念に思うところです。
そうでなければよいのですが。

568「訊け」管理人:2013/03/12(火) 10:47:21 ID:???


>>復興Gさま


 仕事中のためやや、無愛想な返信となります。その点をお詫びしまして以下、進んで参ります。(なお以下文には☆印を付記した箇所があります。この☆の意味はこうです。「あくまでも、現時点で私が収集した情報・資料の範囲内では、そう思います。」「ですが、新しい情報が入れば云うまでもなく、私は前言を撤回致します」 ―― なぜこんな、メンドウなことを行うのか?これは以下やり取りに於いて、正確さを期したいからであります。さらになお、☆の意味するところを一文一文に対して書くことは、読みづらくなるためです。以上、☆印の説明でございました)


――――――――――――――
 >>567それを、現総裁は、否定しておられるのではないか――というのが、私の危惧し、残念に思うところです。
そうでなければよいのですが。
――――――――――――――

 この点ですが、同意します。同意する理由ですが現総裁御文章の「悪文ぶり」を、例に挙げます。やはり総裁の御文章は雅春先生のそれを比較して、「解釈の余地がワイドである」と思います。個人個人によって読み方が、バラバラになる気は致します。ですので、私も危惧は致します。(☆)

 そして、「なんでこんなにも、読み方が変るのだろうか」と考えたのですが、一例を挙げればこんなことになると、思っております。それは、現総裁がよくお使いになられる「自然」という言葉です。これが、解釈が大きく分かれる原因ではなかろうかと(☆)。以下、解り易く説明すればこの、「自然」という言葉ですがこれが文によって、

“Nature”の意味なの?

“Truth”(實相)の意味なの?


 と、判然としなくなることがあります。これがたぶん、(現総裁に対して横行する)誤読撃ちの要因ではないかと、疑っております。(☆)仕事中のためやや、無愛想な返信となります。その点をお詫びしたしますが、貴殿がお感じになられた「危惧の念」でありますが、私もあります。そして、そんな感情が生まれるのはこの、総裁の御文章にも要因があるのでは、なかろうかと・・・・


追伸

 そして案外、よく話し合えば「分かり合える」のかもしれません。少なくとも語義を丁寧に説明して頂ければ、案外現総裁ですが、「まとも」 ―― 非常に不遜な物言いながら、方便です ―― ではないかと、思っております。論拠は総裁近著の『生長の家ってどんな教え』になります。

 ・・・・まあこんなことを書きますと、(貴殿以外の)ある方からは「頭でっかちに、総裁の言うことをそのまま真に受けて」なんて批判も、来るのです。ですが、総裁の御文章を拝読する限りですが、余りツッコミ所がないのも事実です。

余談

 御教えの抹殺意図は、「ない」と思っております(☆)。総裁の問題は思想にあるのではなく、あくまでも「組織運営の不得手さ」等に、帰結するのでは、なかろうかと・・・・

569「訊け」管理人:2013/03/12(火) 10:50:33 ID:???

<補足>

※ 現総裁御文章の「悪文ぶり」を、例に挙げます。

 ここで言う「悪文」の意味は、以下です。あくまでもこの「悪文ぶり」とは、
「雅春先生のそれと比較して(悪文)」という意味です。雅春先生の御文章と比べれば、
「解釈が分れやすいのではないか」との、そんな意味です。

 そして、これも強調しておきますが現総裁ですが、(一般の文と比較すれば)別に悪文
などでは、御座いません。(雅春先生の御文章に親しんだ方から見ればたぶん、そう映るであろう
との、そんな程度の意味であります)




570復興G:2013/03/12(火) 11:00:36 ID:AB6RqYXc

>>568 :「訊け」管理人様

>>総裁の問題は思想にあるのではなく、あくまでも「組織運営の不得手さ」等に、帰結するのでは、なかろうかと・・・・<<

生長の家は、単なる思想団体ではないでしょう。
宗教団体でしょう。

571木綿豆腐(=志恩):2013/03/12(火) 13:23:50 ID:.QY5jUA6
復興G様

私が尊敬していた雅春先生の直弟子のお方や組織の上部の方々が、神に中心帰一せず、
人間・雅宣総裁に、次々に中心帰一している 悲しい現状の中に於きまして、

復興G様は、(トキ様もそうですけれど)その中で 神に中心帰一されておられる 

いうなれば 神の良心、生長の家の良心というべき
大変ご立派で貴重なお方だと、心から 敬愛させて頂いております。

しばらくお休みさせて頂きますが,お許し下さい。

a hope様もありがとうございます。

572復興G:2013/03/12(火) 13:52:14 ID:AB6RqYXc

私は、間違ってました。

迷っていました。


>>429で、私は次のように書いていました。

>> <私は時間・空間の中に生まれてきたんじゃなかった。
私は時間・空間を生み出した、時間・空間を超えた生命だったんだ。

私は宇宙の中心主人公だったんだ。私は、一切者なんだ。

それが、「神の子」ということだったんだ。

だから、私の中にすべてがある。私はすべての創り主なんだ。

もし、この世が混乱していたら、それは私の責任なんだ。

私の心が浄まれば、世界は浄まるんだ。

生長の家の混乱は、総裁が悪いとか、“本流”と称する分派が悪いとか、いろいろゴチャゴチャ考えていましたが、そうした迷いがいっぺんに吹き飛んだ感じになりました。

自分が浄まればいいんだ! 自分が変わればいいんだ! そうだ! ありがとうございます!」

他人のせいにするから、ややこしくなるんだ! 「すべて自分の責任」と思えば、なにもややこしいことはない。自分が浄まればいいんだから。>

 ――と、そういう思いが湧いてまいりました。
 この心境を、忘れないようにしたいと思います。<<

――そう書いていたのに、もうそれを忘れかけていました。

そのときに、>>561 :クソ様が

>>教祖の迷いは、そのまま信徒の迷いであり、人類の迷い。
信徒の迷いは、そのまま教祖の迷いになり、それは人類の迷いでもある。
人類の迷いは、過去の残像。
みんなまとめて迷いの家。 <<

と書き込んでくださっていました。

クソ様、ありがとうございます。

そうでした。

おっしゃるとおりでした。

総裁の迷いは、私の迷いでした。

それは、過去の残像で、もう迷いは消えました。

私の中にすべてがある。私はすべての創り主なんだ。

私が浄まれば、世界は浄まるんだ。

すでに、浄まった美しい大調和の天国が、実現しているんだ!

その、美しい大調和の天国が、現象世界にも今、現れつつあるんだ!

ありがとうございます!

私は、ただ喜べばいいんだ!

喜ぶしかないんだ!

ありがとうございます!

573トキ:2013/03/12(火) 14:09:15 ID:RT7caOUo
>>571

 どうも当方が行き届かず、すみませんでした。

 復活を心からお待ちしています。今までのご功績に厚く御礼を申しあげます。
ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

574木綿豆腐(=志恩):2013/03/12(火) 14:23:56 ID:.QY5jUA6
>>572:復興G様

え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ (*>_<*)

575復興G:2013/03/12(火) 14:28:55 ID:AB6RqYXc

今朝の日経新聞「文化」欄に、

「がれきに花を咲かせよう」
<<福島の美術教諭、生徒と被災者を絵で元気に>>

という話が載っています。

≪ すべてが押し流され、色を失ってしまった風景。その中で、ピンク色の花がひときわ鮮やかだった。「桜を見ているだけで元気になれる」。がれきを片づけていた被災者の方は、1本だけ残った桜の前でそう語った。がれきに油性絵の具で花の絵を描いていく「がれきに花を咲かせよう」プロジェクトのきっかけとなったできごとだ。

 プロジェクトは、私(番匠あつみ)が美術教諭を務める保原高校(福島県伊達市)の生徒と2011年春から行っている。ヒマワリやスイセン、チューリップ。がれきの上に思い思いの絵をつける。昔話の「花咲かじいさん」では「かれき」に花を咲かせた。ならば「がれき」にも花を咲かせ、少しでも見た人に元気を出してもらえないか。美術部が中心だった活動も続けるうちに、今では30人以上がかかわっている。

 キャンバスとなるがれきは、主に震災で半壊した保原高校の校舎だ。(中略)

 プロジェクトを始めるとき、迷いもあった。住む場所や食べるものにも苦労している方がいるのに「アートなんてのんきなのではないか」という思いもあった。周りから非難を浴びることも覚悟していた。

 震災直後、半壊した校舎を見て生徒のショックは大きかった。先日まで学んでいた場所が、廃虚のようになっていることが信じられないようだった。そんな生徒たちをみて、「やろう」と決意した。がれきに花を描くことは見る側だけでなく、作る側にも元気を与えると思った。
 実際、私も描くことで救われた。……≫

 ――「花咲かじいさん」は、枯れ木にハイをまいて花を咲かせました。

 福島では、絵の具でガレキに花を咲かせました。

 生長の家では、「素直にハイ」をまいて、枯れ木にも、がれきにも、花を咲かせます。

 その「ハイ」は、「人間は神の子である、神である」という真理を素直に「ハイ」と承認すること、そして使命感に「ハイ」と従うこと。きっと、神様の花が美しく咲き香ります。

576木綿豆腐(=志恩):2013/03/12(火) 14:41:04 ID:.QY5jUA6
復興G様

おっしゃったこと 分ります。(^^)
ますます おげんきで いらして下さいませ。

合掌 ありがとうございました。

577復興G:2013/03/12(火) 14:44:23 ID:AB6RqYXc

前記、「ガレキに花を咲かせよう」の記事の続きです。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

≪震災が起きた際、私は学校で会議の真っ最中だった。突然、立っていられないほどの揺れが襲ってきた。長い時間それが続き、やっとのことで外に避難した。

 幸い家族は無事だった。ただ、自宅は電気が止まっており、近くの実家に身を寄せた。テレビに映し出される津波の映像や、原発のニュースを見ていると、不安で息が詰まりそうだった。「絵を描きたい、描かなきゃ」。なぜか強くそう思い、画用紙の上でボールペンを動かしつづけた。15枚を一気に描き上げたとき、心が深呼吸できたように少し楽になれた。

仮設住宅の壁にも絵

 高校では仮設校舎ができる2011年の秋まで、学年ごとに日替わりで登校し、体育館や武道場で授業を行うという状態が続いていた。生徒にも不安はあったに違いない。花を描くことが救いになったかどうかは分からない。それでも「自分たちのかつての校舎に絵を描くのは、最初は悲しかった」と言っていた生徒も、次第に楽しそうに作業をするようになっていった。

 避難されてきた方たちとも交流が生まれた。12年春からはグレー一色の殺風景な仮設住宅の壁に、絵を描かせてもらった。浜通りから避難されてきた福島県浪江町の方々からは、「海の絵を描いてほしい」と言われた。住民の方たちも参加してくれて、行くたびに新たな絵が追加されていることもあった。

 こうした活動を続けられるのは多くの人の支えがあるからだ。新聞やニュースで私たちのことを知った人から、絵の具が送られてきたこともあった。非難されるのを覚悟して始めただけに、こうした人たちに私も生徒も勇気をもらった。

東京・銀座で展示

 今年の2月には、東京・銀座で作品を展示してもらう機会もいただいた。がれきに描いた花には再生への思いが込められている。被災地のメッセージを、多くの人が集まる銀座で展示できたことは、生徒にとって貴重な経験になったと思う。

 もちろん除染し、放射線量を測った上で、問題ないがれきだけを使っている。福島というだけで色眼鏡で見られるのではとつい思ってしまう。会場には作品とともに測定器を置いた。

 プロジェクトがいつまで続くかは分からない。がれきの撤去も進む今、その段階を過ぎつつあるという気もする。それでもアートを通じ、何かを発信したいという思いが生徒たちには芽生えている。福島から何が伝えられるのか、生徒とともに考えていきたい。(ばんしょう・あつみ=美術教諭)≫

578復興G:2013/03/12(火) 14:49:35 ID:AB6RqYXc

>>576 :木綿豆腐(=志恩)様。

ありがとうございます。

お元気で、お幸せに。またそのうちにお目にかかりましょう。

579「訊け」管理人:2013/03/12(火) 17:41:25 ID:???


>>復興Gさま


 いろいろとご指導賜りまして、厚く御礼申し上げます。ところで、でありますが
「ガレキに花を咲かせよう」に関しまして以下の歌(合唱)を貼り付けます。


 今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。





○「花は咲く」 ――東日本震災復興支援ソング
http://www.youtube.com/watch?v=hGNEIPOCllE

作曲:菅野よう子
作詞︰岩井俊二

(歌詞)

真っ白な 雪道に 春風香る
わたしは なつかしい
あの街を 思い出す
叶えたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい
あの人を 思い出す
誰かの歌が聞こえる
誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える
悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは なつかしい
あの日々を 思い出す
傷ついて 傷つけて
報われず 泣いたりして
今はただ 愛おしい
あの人を 思い出す
誰かの想いが見える
誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える
悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
いつか恋する君のために

580a hope:2013/03/12(火) 19:41:57 ID:TqpbsVIM

みなさま こんばんは。

あの震災から、もう2年の歳月がたったのですね。
昨日、3月11日のその時間、わたしの職場でもサイレンがなり、仕事をやめて皆で黙とうをしました。

今、「訊け」管理人さまの貼ってくださった復興ソング「花は咲く」を聴きながら、
復興Gさまの「ガレキに花を咲かせよう」の記事を読ませていただきました。

そして――

<< ――「花咲かじいさん」は、枯れ木にハイをまいて花を咲かせました。
 福島では、絵の具でガレキに花を咲かせました。
 生長の家では、「素直にハイ」をまいて、枯れ木にも、がれきにも、花を咲かせます。
 その「ハイ」は、「人間は神の子である、神である」という真理を素直に「ハイ」と承認すること、そして使命感に「ハイ」と従うこと。きっと、神様の花が美しく咲き香ります。>>

――この復興Gさまのお言葉のところで、感動して涙がこぼれました。

そうですよね。
神さまは、別の所にいるのではない。
わたしたち自身が神なのだから、わたしたち一人ひとりが咲けば、枯れ木にもがれきにも花が咲くのですよね!

わたしも大切なことを思い出しました。
復興Gさま、「訊け」管理人さま 素晴らしい投稿を本当にありがとうございます。

お二人に、心から感謝します。


志恩さまも、またすぐに登場してくださいね。
心よりお待ちしています。

581復興G:2013/03/12(火) 21:21:17 ID:AB6RqYXc

トキ様、トンチンカン様、rei様、「訊け」管理人様、うのはな様、木綿豆腐(=志恩)様、クソ様、a hope様、観覧者の皆さま、そして復興G様。(自分にも感謝します)

今日は本当に充実してうれしい一日でした。
皆々さまに、心から感謝と祝福をささげます。
ありがとうございました。

神の智慧と愛と生命の祝福をいっぱい戴いて、美しい花がいっぱい、いっぱい咲き香りますように。

では、ちょっと早いですが、おやすみなさい。

582トキ:2013/03/12(火) 21:32:07 ID:RT7caOUo
復興G様

 長時間に渡り、素晴らしいご指導を賜り、ありがとうございました。
こちらこそ、御礼を遅れました。すみませんでした。

 多くの閲覧者様と同じく、私も多くの事を学びました。深く感謝申し上げます。

今後ともご指導のほど、お願いいたします。

合掌 ありがとうございます

583元青年会員です:2013/03/13(水) 06:38:27 ID:Jt3SRsQg
皆さんへの返事を長々と書いていたのですが、どうも話が暗い方へ暗い方へと流れてしまい、「これはおかしいなあ」と思って返事できずにいました。

復興Gさまのおっしゃるとおり、私の言う「良心」は、小懺悔に過ぎないのかもしれません。
生長の家は明るい教えですから、やっぱり大懺悔が基本ですよね。

罪意識は罪なしへと飛翔する可能性を持っていますが、まだ救いの相ではありませんから、実相と呼ぶべきではないかもしれません。
罪意識は、実相を悟る萌芽が生じ始めた状態だ、というのが正しいような気がします。
殺人にすら罪意識がないような人は、罪を感じる所からスタートする必要がありますからね。

皆様、失礼いたしました。もっとよく研鑽してまいります。

584rei:2013/03/13(水) 07:19:25 ID:bo95azFI

おはようございます

復興Gさま
素晴らしすぎて目がくらむようです。
私も、ただ、喜んでいれば良かったのですね。

ようやく私も大地に足をつけれた思いです。

ご指導、本当にありがとうございました。
失礼な言葉があったかもしれません。
お許しください。

合掌

585a hope:2013/03/13(水) 09:55:28 ID:TqpbsVIM
みなさま おはようございます。

元青年会員さまが素晴らしいご投稿をくださり、それについて考え、クソさまが率直なご意見を投稿してくださったおかげで、
復興Gさまが、生長の家の大切な真理を再確認してくださって本当によかったですね。


>>583元青年会員ですさま

>>544のわたしの投稿へのお返事も書いてくださっていたのでしょうか?
お手数をおかけして申し訳ありませんでした。
お返事を拝見できないのは残念ですが、この「真の愛の実行」の課題も、
自分自身で追究していくところに意味があるのかもしれませんね。

元ところで元青年会員ですさまは、禅修行をされているのですか?
わたしも「生長の家」に出会い神想観をするようになる前は、坐禅をしていました。
ですから、元青年会員ですさまのお話にとても惹かれるのかもしません。
またそんなお話も聞かせていただけるととてもうれしいです。

ところで、復興Gさまと、元青年会員ですさまのお話の中に、「小懺悔」と「大懺悔」という言葉がでてきましたが、
これは、過去のweb誌友会で、復興Gさまがとてもわかりやすいお話を例にして説明くださっているので、
それを紹介させていただきます。

web誌友板>>1602
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1602

>>1629〜1633
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1629
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1630
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1631
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1632
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1633

>>548でreiさまもおっしゃっていますが、復興Gさまのご指導の素晴らしさには、
わたしも目がくらんでしまいそうです。
このトキ掲示板には、あちらこちらに復興Gさまの真理の言葉が埋もれています。
みなさま、探してみてくださいね!

わたしは今日は仕事がお休みなので、「小懺悔」「大懺悔」についてお勉強しなおしてみます。
でも、その前に、久しぶりに子供たちの部屋の掃除をしてみようかと思います。
子供たちの「小懺悔」の材料がたくさん見つかりそうです(笑)

それでは「生長の家」のみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!

586「訊け」管理人:2013/03/13(水) 10:02:52 ID:???

>>583元青年会員ですさま


 私はもっと、貴殿のお話を拝聴したいです。よろしくお願い致します。なお、スレ違いならば
他でも、構わないと思います。

 貴殿のご意見ですが、素晴らしいです。気づきが得られます。




587うめ:2013/03/13(水) 12:22:37 ID:/3nxKE2Q
元青年会員です様

私も、もっと、元青年会員です様のお話を拝聴したいです

考えさせられること大です。

元青年会員です様は今も青年の心を持ちつづけておられるのですね。素晴らしい。

588a hope:2013/03/13(水) 16:35:29 ID:TqpbsVIM
>>539 復興Gさま

<<今回の誌友会では、発言者は少なかったですが、でも、こうして続けることに意義があると思います。
50時間というのは長いような気もしますが、でも、この形体のままもうしばらく続けさせて頂きましょう。
次回は、4月第二金曜日の12日夜から14日(日)夜まででお願いしたく思います。
テキストは『生命の實相』第3巻に入りますが、第3巻は冒頭に8つの神示が掲載されています。
これらの神示は大切ですから、一回(1ヵ月)に2つずつ、4ヵ月かけてじっくりと勉強させていただいたらどうでしょうか。というのが私の提案ですが、ご意見をうかがいたいと思います。>>

こちらの提案に賛成させていただきます。
実際、今回は期間中は発言者が少なかったですが、後夜祭で盛り上がりました。
そして、素晴らしい気付きがあったと思います。
わたしもこうして続けていくことが意義あることなのではないかと感じています。

4月は年度が代わるので、仕事や、子供の学校の予定等がまだはっきりしませんが、
また、自分のできる範囲でお手伝いをさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

589トキ:2013/03/13(水) 19:55:15 ID:YhbQL.kw
復興G様

 私もご提案に賛成です。やはり、web誌友会は閲覧者様に貴重な学びの場だと感じます。

よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

590復興G:2013/03/14(木) 00:19:09 ID:AB6RqYXc

皆さま

私は今日、同期会などの会合があり、只今帰ってまいりました。

元青年会員です 様、rei様、a hope様、「訊け」管理人さま、うめ様、トキ様。

ご投稿、只今拝見しました。ありがとうございました。

もう遅いし、寝ぼけていますので、また明日、必要なものにお返事あるいはコメントを差し上げます。

おやすみなさい。

591元青年会員です:2013/03/14(木) 02:39:39 ID:8TYsXug.
>>585 a hopeさま
私は、a hopeさまに愛を講釈できるほどの立派な人間ではありません。
あの私のコメントは、実相と迷いを私なりに考えてみた結果です。
私は、形ばかりの真理の(ように聞こえる)言葉よりも、心深くからの正直な声に値打ちを感じる人間ですので、あのようなお話になったのです。

禅については私なりの意見はありますが、修行をしたことはありません。
少し座禅してみたことがある程度です。
禅について詳しく述べると、この掲示板の趣旨から離れてしまいますので、ご勘弁ください。

592元青年会員です:2013/03/14(木) 02:40:57 ID:8TYsXug.
>>586 「訊け」管理人さま
>>587 うめさま
お褒めいただき大変うれしいですが、これ以上私の解釈を述べることは控えたいと思います。
私はまだ真理に達している人間ではありませんので、色々話し出すと、混乱を生み出してしまいかねません。
私の話よりも、吉田國太郎先生の「常楽への道」と藤原敏之先生の「あなたは必ず救われる」を読まれることをオススメします。
この二冊は、求道の心を知ることの出来る素晴らしい本です。
生長の家信徒であるか否かに関わらず、真理を求めるあらゆる方にオススメしたいですね。

593復興G:2013/03/14(木) 10:35:08 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

遅くなりましたが、昨夜お約束しました、昨日中の皆さまのご投稿にお返事、あるいはコメントをさしあげたいと思います。

まず、>>585 :a hopeさま。
「小懺悔」と「大懺悔」につい、過去のweb誌友会での私の投稿文を6つ、懇切に貼ってくださいまして、ありがとうございました。私もまたあらためて文献を再確認し、勉強させて頂きました。お礼を申します。

次に、>>588 :a hope様、そして>>589 :トキ様。

<<次回は、4月第二金曜日の12日夜から14日(日)夜まででお願いしたく思います。
テキストは『生命の實相』第3巻に入りますが、第3巻は冒頭に8つの神示が掲載されています。
これらの神示は大切ですから、一回(1ヵ月)に2つずつ、4ヵ月かけてじっくりと勉強させていただいたらどうでしょうか。というのが私の提案ですが、ご意見をうかがいたいと思います。>>

という私の提案に対して、ご賛同くださり、ありがとうございます。
ご両人のご協力がなければweb誌友会はできません。感謝して、次回

第13回web誌友会は
4月12日(金)21:30より、14日(日)23:30まで
テキスト 『生命の實相』第3巻「はしがき」〜p.3の終わりまで

として、開催させていただきましょう。
それまで、テキストを深く拝読しておきましょう。


次に、>>591>>592 :元青年会員です 様。

ご投稿に感謝致します。

>>私は、形ばかりの真理の(ように聞こえる)言葉よりも、心深くからの正直な声に値打ちを感じる人間ですので・・・・・<<(591)

というお言葉は、私にもずしんと響きました。

私も、「形ばかりの真理の(ように聞こえる)言葉」を発していることが多々あると思います。いっそう「心深くからの正直な声」を大切に、発して行きたいと思います。

>>592でオススメいただいた、吉田國太郎先生の「常楽への道」と藤原敏之先生の「あなたは必ず救われる」をあらためて繙いております。そして特に目にとまったところを、元青年会員です 様に代わって、謹写掲示させて頂こうと思います。しばらくお待ちください。

594a hope:2013/03/14(木) 10:38:32 ID:TqpbsVIM
>>591元青年会員ですさま

お返事ありがとうございます。

<<私は、形ばかりの真理の(ように聞こえる)言葉よりも、心深くからの正直な声に値打ちを感じる人間ですので、あのようなお話になったのです。>>

聖典を拝読するにしても、表面の言葉の意味だけ理解するのではなくて、
その言葉の奥にある真理の響きをとらえないと、魂が震えるような感動は味わえないと感じています。
わたしは、「生命の實相」やその他の雅春先生の聖典は、真理の言葉の詰まった聖典だと信じているのです。
そこは、元青年会員さまと、意見が分かれる所かもしれませんが・・・。

でも、「心深くからの正直な声に値打ちを感じる」このお言葉には、たいへん共感させていただきました。

ある講師の先生が、教えてくれた言葉を思いだしました。

「直心」(じきしん=そのままの心。我を出さない素直な心。空っぽの心。すなわち神の心)

わたしは、この掲示板に書き込みときには、神想観で心を空っぽにして、できるだけ、この「直心」になって、
書きこもうと努力はしているのですよ(笑)
まだまだ、我が出てしまいますが・・・。

禅についてですが、勝手に元青年会員ですさまが、禅修行されているんどと推測してしまい申し訳ありませんでした。
以前、どこかの板で、禅寺での修行を考えていらっしゃるというようなお言葉を拝見した気がしましたし、
今は「生長の家」も信仰されていらっしゃらないようなので、勝手に思い込んでしまいました。

でも、禅についてはご意見があられるようですね。
別に禅について語ることが、この掲示板の趣旨から外れるということはないとわたしは感じています。
他の皆さまも、元青年会員ですさま投稿からたくさん学ばれているようですので、禅のお話に限らず気が向かれましたら、
また、信仰/体験板などで、是非お話を聞かせてくださいね。

わたしは最近、混乱から大きな「気付き」が生まれるような気がしてきました。

今日もこれから仕事ですので、また、夜戻ります。
それでは「生長の家」のみなさま、行ってきます。

595復興G:2013/03/14(木) 12:02:46 ID:AB6RqYXc

>>593の続きです。
元青年会員 様に<592>でオススメいただいた吉田國太郎先生の「常楽への道」と藤原敏之先生の「あなたは必ず救われる」を繙き、目にとまったところを、元青年会員です 様に代わって、謹写掲示させて頂きます。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

■ 吉田國太郎先生著『増補新版 常楽への道』p.346〜より

 皆さんはそこに坐ってらして、今、“何”が坐っていらっしゃいますか? 今坐っている自分をジッと見ていただきたいのであります。(私の顔を見なくてもいいですから……笑声)

 坐っている自分をじっと見ていただきたい。……この時足が痛くて、あるいはあの先生の話はちょっとむつかしくて、頭が痛くてというような風に、脳味噌が坐っているか、足が坐っているか。今、肉体が坐っていますか? 皆さん、そこに。

 そこに肉体が坐っておりましたらばですね。皆さんは……“有難うございます”と言っても駄目です。……生長の家でいうところの“有難うございます”ではありません。

 あるいはこうして声を出しますときに、歌を唱うときに、あるいは、私のように演壇から話すときに、あるいは雑談的に誰かと話すときに声帯でものを言っているような気がしませんか。今、今、しゃべっているのは、やっぱり喉だ、というような気がしますか。

 どうですか皆さん。休憩時間に楽しそうに話した時に、今楽しそうに“誰々さん、何々何々”と話した時に、そういった現実の主人公は、“私の喉だ”とこう思ったですか。……そう思った人は今神の子ではありません。今ここに坐っているのは肉体だと思う人は、今、神の子ではありません。

 そうしたあたりのところが、よく私たちの魂の中できれいに整理をされるところから、私たちの本当の信仰というものが生まれてまいります。

 すべて、本当の信仰というものが権威を失いまして、形式的になり、本当の教えそのものの中にはすばらしい光と有難さがあってもですね、私達の生活の中にそれが出て来なくなるのは、そうしたあたりのところが崩れて行くことが、根本なのであります。

 ともかくそうしたあたりを崩れさせて、崩れたままで、それから先きに使う、使う心の使い方ばかりを運んでいってしまうのが、いわゆる脳髄の人間であります。肉体人間であります。

 生長の家では“肉体は無い”ということがですね、“物質はない”ということが、これが教えの一つの根本になってまいります。

 皆さん、肉体はあると思いますか、無いと思いますか。
 肉体あり、と思う人は顔洗って出直して来るんです。……ここで三、四日の間に洗えばいいんですけどね。……

 肉体があると思って、肉体があると思っていて、それで“嬉しいッ”と言っても駄目ですよ。明日になったら危ない嬉しさですよ、それは。それは影にだまされる嬉しさです。物にだまされる嬉しさです。今のその自分の心を使いながら、神の子として使えばいい言葉を使って感謝していっても駄目です。

 今現実に神の子として、使えばいい言葉を、そのまま素直に使って、その通りにただやりなさいということをただやって、それでいいと言うようなそんなナマやさしいものではないのです。そういうものは神の子が行ずる行ではございません。

 『肉体は無い』ということですね。(黒板に字を書く)これを説いて下さっている教えは、この生長の家以外にはないのです。あらゆる宗教は、本当の神の光を、、本当の自分、ですから生命の解放を……本当の生命が解放されることが本当の幸福なのであります。幸福は外にあるのではないのであります。裸のままで無限の幸福なのであります。

 生命が解放されたら、青空の中に、皆さん、無限の輝きが見えるんです。雀がおどっている姿の中に、すばらしいところの、あの鳴き声の中に、あのはばたきの中に、すばらしいところの美しさや、限りない懐しさがある。いわんや、人と人との、いのちの眼差しと眼差しとのやりとりの中にそれがあるのですね。

 しかし、『肉体は無い』『物質は無い』ということを、私たちがこれを通さないで、ここがうやむやのままですね、うやむやのままで、神や仏を拝むようになってしまっているのが、あらゆる宗教なのです。ここに宗教が人類を解放出来なくなった、人類の本当の幸福をですね、与えることの出来なくなったところのガンがあるのです。このガンを摘出することを完全にやったのが生長の家なのです。

596復興G:2013/03/14(木) 12:03:32 ID:AB6RqYXc

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

■ 藤原敏之先生著『あなたは必ず救われる』p.67〜より

  乗り物を間違えた!

 京都の人が東京に行こうと思って駅に行き、新幹線の超特急のひかり号に乗りこんで、ドアがしまり発車し、大阪の方に走り出したとしたらどうでありましょう。東京にはいけないで、そのままにしておれば岡山にいってしまうのであります。もしも時間でも決めて待ち合わせでもしていたら、大変なことになります。「さあ困った、どうしよう」ということになり、あわてなければならないことになります。

 目的は東京であるのに、岡山にいったのでは、どうすることも出来ません。乗ってしまったのだから仕方がない。電車はこのままで、東京にいけますよう神様にお願いしましょうとどんなに祈ったって、東京にいけるはずはないのであります。

 この場合、まず第一に気づかなければならないことは、「乗り物を間違えたな」ということであります。その次に大切なことは、さっそく東京行に乗りかえることなのであります。これ以外に解決する方法は絶対にないのであります。

 人生に於きまして、その人その人によって、それぞれ違った矛盾があり、悩みがあるのであります。健康を願いながら病気になって苦しんでおられる人、繁栄を願って努力しながら倒産して悩んでいる人、いついつまでも仲良く暮しましょうと誓って結婚式を挙げた夫婦が、半年も経たないうちに、夫婦別れをしなければならないと悩んでおる人、世の中のため、人のために役立つような立派な人問になってもらいたいと切に願いながら、世話して育てた子供が、赤軍派やいろいろな革命組織等に入って暴れまわって、沢山の人に御迷惑をかけるような子供になって、外に出て歩くのさえも遠慮し、小さくなって生きなければならないようなお気の毒な親、せっかく育てた子供がノイローゼや分裂症になって、人様のお役どころか、何の働きも出来ないような廃人になって泣いている親、親子が互いにいがみ合ってバラバラになって生活しなければならない悲しい家庭であるとか、例をあげればきりがありません。このように大概願いとは丸っきり反対のような結果を招いて苦しむということは、何といっても悲惨という外ありません。

 このようなのを矛盾といいますが、このような矛盾がどうして現れるかと申しますと、前にかいた例のように、東京にいく目的で列車にのりこんだのが、下りで岡山行であったのと全く同じであります。これは大きな矛盾であり、困るわけでありますが、この矛盾を解決する道はただ一つ、乗り物を間違えたことに気づく(自覚)ことと、次は気がついたらすぐに正常な列車(東京行)にのりかえることであります。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ありがとうございます。

 深く打たれるところがあり、そして元青年会員 様が、真摯に「本物」を掴もうと精進していらっしゃることが、ひびいて来ます。

 うれしいです。必ず、素晴らしい真の生長の家の御教えに回帰し、生長の家は本来の使命を達成することができると思われます。

 ありがとうございます!

597うのはな:2013/03/14(木) 13:24:35 ID:beC6QScM
 ・・・以前、私が司会をした誌友会ですが、「私に落ち度はありません」です。この点を振り返りましたが、自己弁解ではなく心底からそう、思えます。(「落ち度がある」との御主張あらば、その我が投稿ですが堂々、「ここに貼られたし」であります)ええ、今、振り返っても先の誌友会ですが、司会の私に落ち度は、「ない」ことをここに、表明します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
わたしに落ち度はありませんというのなら、なぜ、責任をとって司会者を控えるといった
発言をするのでしょうか?
 訊け氏は以前、本流を書きこみ禁止になったことを、わたしの不徳のいたすところだというように
発言していましたが、その反面執拗に、本流のことを排除だ背教だとも批判しています。

 もう出てこないといいながら臆面もなく出てきます。
 訊け氏のいうことは支離滅裂で信用できません。

598「訊け」管理人:2013/03/14(木) 17:18:40 ID:???


>>元青年会員さま


 ありがとうございます。私も両書共に大好きであります。あらためて拝読させて頂きました。さて今回、私は『常楽への道』を紹介させて頂きます。たしか以前、ここに投稿される「解説者」さまも同書、拝読しておられる旨を表明されて、おられました。私は特に、この箇所が好きであります。

○ 「往相精進の境を超えて」前編
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65584652.html
○ 〃 後編
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65585101.html

 再度拝読する機会を与えてくださり、ありがとうございました。



追伸

 ちなみに藤原先生では、「六文の定やん」が、特に気に入っております。

599うのはな:2013/03/15(金) 09:42:00 ID:IOWqcpLo

 トキ管理人さまへ

 あれだけ誌友会前後にいろいろな人から意見をいわれて、自主的に諸々の責任を
取って司会者を降板するといっていた訊け管理人さんが、最近ではぼくは全然悪いと思っていないと
表明されています。誌友会のとき、女神の部屋など訊け氏のブログのこととかでももめたと思います。
そのブログでさえ、ぼくは全然悪いと思っていない、これは僕が好きでつくったわけではない、
トキさんのためだ、というふうに話していました。

今後、訊けブログのリンクを貼らせないようにしてください。

600うのはな:2013/03/15(金) 09:48:35 ID:N1eT4w22

 訊けからいやな思いをさせられた志恩さんが休養されるにあたり、
これまで誌友会に参加し貢献してくださった方々、金木犀さんやマリーゴールドさん
などが思い出されます。

 彼女たちも、訊けからマイナスの影響を受け、それだけが原因でもないでしょうが、
ここの場から引退されたような形になっています。
 それなのに、ぼくは全然悪いと思っていない、と公言する人の神経を疑います。

 如月さんなどにも迷惑がかかったことと思います。
 わたしには何もできませんが、彼女たちの健康と幸運を祈らせていただきます。

 拝

601うのはな:2013/03/15(金) 09:59:25 ID:bT.UNkoo
30 :さくら:2013/02/05(火) 08:56:39 ID:earcshwI
>たとえ、さくらさまに理解されなくても、その気持ちに偽りはありません。


それはこちらのセリフです。
ただ、私の方が、ここでも器用に裏と表を上手に使い分けられないだけで、
真の生長の家のホープ様を混乱させ、理解されないのはこちらだと充分分かっておりますので、
どうぞお気遣いなくお願い申し上げます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜^

さくらマネは表裏の使い分けが出来なくても、訊け監督はそれができるようです。
今後は訊けブログで遊んでください。

602トキ:2013/03/15(金) 09:59:47 ID:6CVlXLL2
うのはな様

 この板は、web誌友会の会場です。個人に対する苦情やクレームは、別板でお願いします。
 また、「訊け管理人」様への苦情は、ご本人へのメールか、ご本人のブログでお願いを
します。

 この板は、誌友会の場所で、他の投稿者様へのクレームの場所ではないです。

 管理人として、強くお願いを申しあげます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

603うのはな:2013/03/15(金) 10:07:09 ID:EebPmb4M
追伸


 もう、「さくら」も来ないそうです。

 ですんで私もそろそろ、退散します。いやだって、人に「愛」だの「智慧」だの求める前に、反省することがあるんじゃないんですかね。「アナコンダ」「頭がおかしい」等の発言はOKです。さらには「死ね」「あの世へ行け」なんてものまで許容、されてます。一方で、上記三項目程度の話すら不能ならば、まあ普通・・・(中略)・・・もう、こんな掲示板じゃ「人が来ない」ですわ(^^)。いやだって、「ツマンネエ」もの(^^)。

604うのはな:2013/03/15(金) 10:09:18 ID:waBExT6Y
 トキ管理人さまへ

 誌友会に関係する話だから誌友会版に載せたんですが?
 それと別版でも訊け氏が自分のブログの苦情をここに持って来ていいわけですねとか
 他の人もいろいろ意見をいってますが、トキさんは回答されたのでしょうか?

605「訊け」管理人:2013/03/15(金) 10:27:11 ID:???


>>602トキ理事長

 (誌友会板でこんなことは書きたくないが)

 「ブログでの苦情」は、困ります。全て「メールにて」を、ご指示ください。

 さらにこの掲示板ですが、管理人は「トキ」さまです。他女性投稿者では「ない」のです。
管理人殿が「メールでの苦情」を申されて、早や9ヶ月経過してます。「ブログでの苦情」
は、困ります。全て「メールにて」を、再々度指示ください。





606「訊け」管理人:2013/03/15(金) 10:31:13 ID:???


>>元青年会員さま

 >>598に貴殿宛の返信を、掲載しております。念のためお知らせ致します。





607うのはな:2013/03/15(金) 10:32:18 ID:s3N.v/UY
トキ管理人さまへ

 以下の記述はこの版にあったものです。以下のようなものは個人の苦情の範疇に
入らないかご検討ください。

104 :さくら:2013/02/14(木) 12:49:54 ID:xQj6jtN.
真の生長の家人じゃなくても、心があるのは、わかりますか。
あなただけじゃないんですよ。
健気に生長の家を生きているのは。

ここでは書きたくありませんが、
見えないところで、
わたしにも傷つくこともあるんです。

608トキ:2013/03/15(金) 10:33:40 ID:6CVlXLL2
>>605

「訊け」管理人  様

 了解しました。失礼をしました。「ブログ」に関する部分はお詫びして、撤回をいたします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

609うのはな:2013/03/15(金) 10:35:12 ID:s3N.v/UY
101 :さくら:2013/02/14(木) 12:45:17 ID:xQj6jtN.
訊けさんには、なにがわかるんですか?

うのちゃんの気持ちも考えたことがあるのですか?


102 :さくら:2013/02/14(木) 12:46:27 ID:xQj6jtN.
こういう人の気持ちも感情も
おもいやることができない、真の生長の家って、なんですか?

きれいごとで、終わりでしょう。

610うのはな:2013/03/15(金) 10:37:03 ID:s3N.v/UY
604 名前:うのはな 投稿日: 2013/03/15(金) 10:09:18 ID:waBExT6Y
 トキ管理人さまへ

 誌友会に関係する話だから誌友会版に載せたんですが?
 それと別版でも訊け氏が自分のブログの苦情をここに持って来ていいわけですねとか
 他の人もいろいろ意見をいってますが、トキさんは回答されたのでしょうか?

611うのはな:2013/03/15(金) 10:40:20 ID:s3N.v/UY
 
 トキ管理人さまへ

 誌友会版ができる前の前夜祭では、訊け氏がうのはなさんをユカタ氏へのいけいえ
にとかマンガ絵などを掲載していました。他の方から誌友会前に苦情意見もあったと思いますが、
それらのとうこうに関して何か指示を与えましたか?

612「訊け」管理人:2013/03/15(金) 10:41:23 ID:???

BGM
http://www.youtube.com/watch?v=r9w5UpWRccg


>>トキ理事長

 こうしませんか。

 この方の投稿ですが、別板に貼り付けます。そして、ここの場所のものは「全て削除」で、
よいのではありませんか。

 ・・・・それくらいは対処、可能だと思います。そして、別板で訊け撃ちですが、継続して
頂きましょう。公論妨害さえなければ、まあ「よし」とします。





613うのはな:2013/03/15(金) 10:43:16 ID:s3N.v/UY
 訊け管理人さまへ

 あなたが開示するのに弁護士を通せといってきたクレーム対策室でも
なんでもトキさんこっちに誘導してください、とトキさんが関係しているので、
トキさんにここへ訊けのブログリンクは貼らせないようにしてください、と
トキ管理人あてにいっているのです。
あなたは口出ししないでください。

614うのはな:2013/03/15(金) 10:47:13 ID:YQQhliME
 
 部室版が出来たら落ち着くだろうと思います、のトキさんが部室版で訊け管理人氏が
割り込んできて長口論になった後に、うのはなさんは訊け管理人さんと直接話さないで
僕を間にはさんだらどうかというアイデアを選択して書いています。
訊け管理人さんは口出ししないでください。
あなたが、ここの管理人では{ない}のです。

615トキ:2013/03/15(金) 10:49:21 ID:6CVlXLL2
うのはな様

 管理人への連絡先です。
他の方に迷惑にならない形で、うのはな様のお考えをゆっくりと拝聴したので、以下へご連絡下さい。

tokirijicyo@yahoo.co.jp


合掌 ありがとうございます

管理人敬白

616うのはな:2013/03/15(金) 10:50:28 ID:N/iESTBo
 トキ管理人さまへ

 別版で、ということですが、その別版うのはな島では解説者さんがトキさんに
苦情していました。それについて明確な回答をされましたか?

617うのはな:2013/03/15(金) 11:18:06 ID:2.aydpeU
その女神の部屋の規約違反者であるリサさんという方が出席しなかったから、
わたしが訊けからさんざんな目にあったのです。トキさんに相談しても見なかったらいいという
事で、訊けからはわたしをアク禁にしてといえば許されるろ思っているとか
腹の立つことばかりいわれました。だからトキさんにもうリンクさせないでくださいといったんです。
訊けは口出さないでください。

618うのはな:2013/03/15(金) 11:18:51 ID:2.aydpeU
1169 :志恩:2012/02/21(火) 12:02:19 ID:.QY5jUA6
訊け君

私も、ぼるぼ様のご意見に賛成です。
こんなことを言うと、また、うのはなさんに叱られられそうだけれど、、

訊け君とうのはなさんが、ここでやりとりするから、
二人ともに華やかさを増し、二人ともに、スポットライトが、当たるのだと思います。

コントっていうと、うのはなさんは、激怒にちかく嫌うけれど、他人からみたらそうですよ。
他の人を,楽しくさせるから、コントに見えるのかな、人それぞれで、中には,嫌う人もいるけれど、、、、、

訊け君は、
訊けブログのほうに、うのはなさんを、ここからスカウトしようと、懸命で、あちらに
「女神の部屋」を増築して、うのはなさんを、盛んにご招待していたけれど、うのはなさんは、そこの部屋のつくりを見に行き、
ここへ帰って来て、「あの部屋は、好みでない」と感想を言うと、

それを聞きつけた訊け君は、ものすごくあせった様子で、慌てて部屋を作り直し、模様替えまでしました。

私は、それを遠くから眺めていて、微笑ましいやら、おかしいやらで、笑ってましたよ。

訊け君のやってることって、
まるで、オーストラリアに生息してる《アオアズマヤドリ》という鳥みたいだなって(笑)

アオアズマヤドリって鳥、知ってますか?

その鳥の、オスは、全身が光沢のある暗青色で被われていてね。そして、
オスは、メスに気に入って来てもらえるようにと、小枝などを組み合わせて「あずまや」(構造物)を作り、
その
周囲を《青い物》で、装飾しまくって、メスをご招待するのです。

だけど、オスの努力の甲斐もなく、メスが来て、それを見て、気に入らないで行ってしまうと、
オスは、慌てて、また、作り替えるわけです。
がんばるのよ、こんどこそ、メスに気にいってもらおうと思ってさ。
    
部屋も作り直し、青い装飾品も、変える、変える。
似てるでしょ?訊け君のやってることと(笑)

警察のほうは、トキさまに、おたずねしたら、知り合いの法律に詳しい人に、すでに
問い合わせてくださっていて、それは、最高裁で、社会事業団を、有罪にさせることより、むずかしい。つまり、
あなたが、おまわりさんに捕まる確率は、0に近い。とおっしゃってましたから、もう、それについては、安心されて、
逃亡生活には、終止符を打つことを、私も、ぼるぼ様同様に、おすすめします。

あなたは、だいたい、ひっそり自室に籠って、生きていられない性格ですものね。
ここのトキ様の集会所の窓から、ちょくちょく、ここの室内のうのはなさんの様子を覗きにきていることも、
みなさんから、ばれてますよ。

619トキ:2013/03/15(金) 11:33:56 ID:6CVlXLL2
うのはな様

 お返事はこちらに書きません。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1346745644/

に書きましたので、以後、この件は、こちらへ書かないで下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

620元青年会員です:2013/03/15(金) 18:27:49 ID:eZSv1gos
>>598
>>606 「訊け」管理人さま

抜粋箇所を読みました。
胸に切々と染み入ってまいりました。

私が吉田國太郎先生を好むのは、そのひたむきな求道姿勢にあります。
服部先生がおっしゃっていたように、吉田國太郎先生は実相の中心を悟りきった方ではありません。
抜粋箇所のお話のとおり、迷いつつ手探りで必死に真理に向き合っていらっしゃった方です。
その姿勢の純粋さに、私は敬意を表したくなるのです。

お顔にも、その純粋な浄らかさが現れていますね。
私には、命を捨てる特攻を間近に控えた兵士のように感じられます。
健康状態はひどい方でしたから、いつ死ぬとも良し、の覚悟が定まっていたのでしょう。

求道というものの何たるかを教えてくださる稀有な方だと思います。

621「訊け」管理人:2013/03/15(金) 19:31:20 ID:???

>>620


 國太郎先生ですがあの御文章、なんと ――30歳だったはずです。

 30歳であの御文章、お書きになられたわけです。特攻隊にも似たという、貴殿のご指摘は
その通りだと、思います。

 若くして亡くなった同先生でございますが・・・・・平成の世においても私や「解説者」さま等、多々お救いに
なられておられます。まさに、特攻隊のような方です。

追伸

 たしか同先生は、「20万人を救った」と、言われていたとか、嗚呼。

622トキ:2013/03/15(金) 20:30:58 ID:6CVlXLL2
 吉田國太郎先生をご存知の方に話を聞いた事があります。

 戦前はまだお元気で、青年とハイキングに行かれた事もあったみたいです。しかし、
その頃から、「普通の人とは違う、高い心境におられ、私達も近寄りがたい雰囲気が
あった」と言われていました。

 戦後、体調を崩すと、ご講演に行かれても、会場につかれて30分ぐらいは寝て
体調を調えておられたようです。が、その後、起き上がり、病気無しの話を順々
とされたと聞いています。

 やはり、すごい講師だったみたいです。

623さくら:2013/03/16(土) 08:53:52 ID:nqdx2mHk
元青年会員ですさま
訊けさま

割り込みしてすみません、。
「常楽への道」のお話だったので、一言だけ・・
わたしもこのご著書には、目の覚める想いをした一人です。

・・わたしは生長の家にきたころ、講師を捕まえては
「人間には罪がないということは、わかりません」と質問しているような、
やっかいな信徒でした、笑。(その頃の自分にはとても大切な問題でした、)
・・そんなバカを、一人の講師だけは丁寧に対応してくれて、
「あなたはすばらしいね、あなたの質問はすばらしいね。」
といって、「聖道へ」「神をさばく」(これは絶版になったものだと思いますが、貸してくださいました)
「生命の実相 自伝編」など・・雅春先生のまだ、求道の途中にある頃のものとともに・・その他のいろいろなご著書を紹介してくださいました。
・・だからなんというか、いまでも、生長の家では一見迷いに見えるようなものでも、真摯な求道の姿というものに、
シンパシーというか、共感することが多いです、。
(生長の家で変わったのは、迷うにしても、「大安心して迷える」というようになりました、笑)

その頃、古い信徒さまに頂いたのが「常楽への道」でした。
なんともいえず澄んだご文章から、求道の真摯さに、いつもこころ打たれています。

わたしは、このように生長の家の初期に良い先生に出会いをして導いてもらいましたが、
実は、組織活動で、つまづいて生長の家に疑問をもって離れました。

その中でも、「常楽への道」を読んだときには、その真摯な信仰姿勢にこころが引き締まり、
いち求道者としてのこころを、ふりかえさせられるようなご著書です。

思い出させてくださり、ありがとうございます。




624SAKURA:2013/03/16(土) 12:33:47 ID:XKr/ryCE
「トキ様」 へ   「観覧者様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

┏ ─────────────────────────────────────── ┓
  ※尚、私! ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】と…
「ひらがなのさくら様」とは〜〜〜〜全くもっての“別人”です。御了承下さいませ…。】
┗ ─────────────────────────────────────── ┓

■□【 お知らせ… 】
只今『 「教区会員」板 』で【SAKURAの山口講習会…日記をパ−トⅢ】まで、投稿しており
ますので、お忙しい中…お時間がありましたなら閲覧してくださいますと幸いです。更に、今回
「管理人・トキ様の投稿文章」からの感想を投稿させて頂いておりますので…それも、含めて
閲覧して頂きますと〜〜〜。

❤では!また今日も“頑張る…ガンバルウ−マン【SAKURA】です。…が?皆様も、社会情勢が
複雑化しております古今東西…【魂の向上】が益々と必要になりますのではないのでしょうか?
経済的不況を吹き飛ばすには?そして、今のこの現状を打開致しますには?〜〜〜〜
【自分の心=神との一体の自覚!】ができますと、何も!不安とかは〜〜〜ないのですョネ!!

■ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】は❤「大安心の境地は!神地一体」でしょうかと。

更に、先日の「山口開催の講演会」…総裁先生がご指導されました【日々の三正行…】を実践して
いきますと、当に「大安心の境地〜♫」で〜〜〜す。必ずや『神様が導いてくださるのです』と…
確信!!確信!!(更に、体験談のお話を拝聴して…“不可能の文字はない!!”と…確信!)

❤〜では……今日も一日!忙しい皆様方と共に【SAKURA〜〜流?…にてSTART!!】
                                       再合掌

626SAKURA:2013/03/16(土) 17:13:52 ID:L0R9jzpQ
トキ様 へ   観覧者の皆様 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

【 インフォメーション 】
此処!投稿者の皆様方も、多くの書籍本を拝読されていらっしゃいますよう〜〜〜ですかと。
ところで……

■□※谷口雅春先生著「 聖 道 へ 」……に関しましては?
今でも「アマゾン…」にて購入出来ますが?但し?現在でも『日本教文社』にも在りましたかと。
尚!先程…新品の書籍を「アマゾン」にて購入させて頂きました。此処での最後の一冊…“ゲット”
此処の掲示板にて紹介…頂きました事に、感謝申し上げます。
それから、余談ですが〜〜「アマゾン…」にて残り少ない様ですが【10冊の中古本】があります。
価格は〜〜〜色々で〜〜〜す。(微笑…)

※尚!!「常楽への道」吉田国太郎著になりますのです〜〜〜ネ!
この書籍本も「アマゾン」で購入出来ますようです〜〜〜ネ!そして「日本教文社」でも〜〜〜
【 増補新版 常楽への道 】として発行されています様です。
私は、存じませんせしたが〜〜〜この「吉田国太郎先生」というお方は?
【昭和10年、生長の家本部に奉職。同21年、本部理事に就任。死の巖頭に立ち続けながら
永遠の生命のみを観つめ、生長の家の布教活動に挺身。昭和32年6月逝去。】
このような“経歴のお方”なのです〜〜〜ネ!

■改めて「良書…との出会い」は、自分自身の「魂の向上」にもつながりますので…ご紹介頂き
ました皆様に…感謝申し上げます…。           再合掌

627トキ:2013/03/16(土) 20:54:22 ID:0vm.eILM
>>623

「聖道へ」は絶版になったのですか? 残念です。

628さくら:2013/03/16(土) 21:03:32 ID:gtAGHPqg
>>627
わたしは、元青年会員ですさまと訊けさまが「常楽への道」について語られていたので、「求道や信仰」に共感をしたかっただけです。
「聖道へ」のことは、当時は購入しましたが、いまは存じません。

「聖道へ」は、内容に関わらず、わたしにとっては、恩師との思い出もある、大切な、ご著書です。
雅春先生の真摯な求道の軌跡でもあると思います。

「一部の個人の求道」のはなしは、この掲示板の趣旨にあわないこともありますので、
今後も投稿は差し控えますので、ご安心下さい。

629トキ:2013/03/16(土) 21:23:07 ID:0vm.eILM
>>628

 ご投稿、ありがとうございました。

>>「一部の個人の求道」のはなしは、この掲示板の趣旨にあわないこともありますので、
>>今後も投稿は差し控えますので、ご安心下さい。

 他の方々の勉強になることもあると思うので、御時間のあるときでも、ご披露下されば幸いです。

合掌 ありがとうございます

630SAKURA:2013/03/16(土) 23:51:11 ID:NvcmVTKk
管理人 トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■ 「管理 トキ様」へ  その①
此処の「2チャンネル…ボ−ド」は、勝手に投稿ナンバ−・各ボ−ドが、動くのでしょうか〜〜?
以前から、不思議に思っていたのですが〜〜〜?変です〜〜〜ネ!

■あら???>>627「管理人…トキ様」に於かれましたは〜〜〜
私(ロ−マ字)の【SAKURA】が>>624>>626 現在!投稿しておりますが〜〜〜
この間に…【>>625の管理人トキ様】の番号が〜〜〜ありましたかと。この記憶が……
―――・【一部抜粋】―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・
627 :トキ:2013/03/16(土) 20:54:22 ID:0vm.eILM
>>623
「聖道へ」は絶版になったのですか? 残念です。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・――−・――

実は〜〜〜この削除されましたところの【>>625の管理人…トキ様】の削除された投稿文には???
私の記憶ですが〜〜〜下記のような内容でしたかと??
―――・【一部抜粋…記憶】―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・――
>>「聖道へ」は絶版になったのですか? 絶版ですか?
「初心者様から」頂いた…云々……              (アバウト的…です。…が?)
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・――−・――
※私の記憶では、この様な内容かと??この様に私は、この文章を閲覧しまして…
今回>>626のインフォメ―ションをさせて頂きました次第です…。が?

■現在の“コメント投稿の流れ…”で閲覧していきますと、まるで私達の“嫌がらせ?”に、
なるような感じに、当方と致しましては、受け取れますでしょうか〜〜〜?
>>625の管理人…トキ様 】の“幻のコメント!!!”が、すぐさま【削除…?】の様ですから
“流れ…”が、随分変わりますかと。そちら「管理人 トキ様」が消去されますのは、
いとも〜〜〜簡単でしょうが〜〜〜?

今回の私の“投稿文章”は❤【聖道へ…】は絶版?になったとの事すら?知らなかったといって過言では
ないのですが〜〜〜私は、前々から「絶版…?」になっているとの事を?記憶の中では【分派の皆様方達?】
が、おっしゃつておりましたから〜〜〜?又!そのように、信じておりました次第です。…が?“あるのかも?”
〜〜〜フト!インスプレーションにて“在る…”と、脳裏に…それにて「アマゾンを検索…」しますと、最後の
1冊(新書…)が…!しかしながら、後程入手可能な感じにも、文章から伺えました次第です。…が?

更に……
「吉田国太郎様…著書」の事も?【分派の皆様…】がよく紹介されていましたから〜〜〜❤【社会事業団の
出版関連…なのかと】と思いこんでいましたら、これも「日本教文社発行」でしたので〜〜〜“ビックリ”です。
戦前…からのご活躍の方…の様ですかと。それでしたら〜〜〜?

                                          つづく

631SAKURA:2013/03/16(土) 23:54:04 ID:NvcmVTKk
管理人 トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■ 「管理人 トキ様」へ  その②
>>630 の【SAKURA投稿の…】続きです…。

正直な話ですが?皆様が「戦争…」に関連しました事を、よく投稿されていましたので…今回「がてん!!」
が行きましたでしょうか?今回!!1冊残った事を知り、そうそう“購入…”致しましたので、これは、まさに
【神様の導き】でしょうか〜〜〜??思いますに〜〜〜今回!【たった一言の管理人…トキ様】の文章
>>625の管理人…トキ様】の幻のコメントが、“引き金…”になりましての【購入…更なる
真理探究】でした次第です。…が?これには感謝致します。改めまして“有難うございました…”

■さて!!これで、私はこのような“気持ち…”でのつまり新たなる【真理…探究!】閲覧の皆様
にも、良書を拝読します事は【人生へのプラス】になるものと“想い…”にて、私、同様に、拝読
されましたらとの“気持ち”が〜〜〜❤【蓋を開けます…】と、かなりの〜〜〜“イヤミ…!!”
なのでしょうかと。??

更に!この本の“感想…”も、特別待遇…「ひらがなのさくら様」への感想が求めていますので…
私も個人的に拝読しますが…「管理人 トキ様」のご要望の「ひらがなのさくら様」の感想を、
私も、拝読させて頂きます事を…楽しみに致しておきます。(こちらも読んでの感想〜は〜〜??)
是非とも「観覧者の皆様」にも…「雅春先生…」の初期の頃の著書と……思いますので如何かと?

❤〜やはり【管理人…トキ様】は、【分派…擁護派】ということが…益々と今回の件…及び
以前から「投稿…」しますと不思議な現象も…ありましたが?此処でも「管理人様は、中道では?」
そして「管理人側…」としては、当たり前の処置なのですかと?改めまして感じました次第です。

最後に…この【2チャンネル掲示板…】も【分派側…さくら様】推薦であります事が、今回、知らし
めくださいました事に…深く感謝いたします。『光明掲示板…含めまして』ですが〜〜〜
更に…「別板…」でも討論のようですので……!

■あくまでも…【現総裁…雅宣先生擁護派…】オンリ−の【SAKURA…(ロ−マ字“大”)】として、
投稿を引き続きさせて頂きます…。宜しくお願い申し上げます。

                                 再合掌

632SAKURA:2013/03/17(日) 03:37:41 ID:NvcmVTKk
管理人 トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>624 >>626 >>630>>631 のSAKURAの投稿の続きです…。

■「管理人…トキ様」 へ 【 追 伸 事 項 】
もう一度…よく閲覧してみますと〜〜〜殆ど「管理人…トキ様」は、
現総裁雅宣先生擁護派…としての!「オンリ−・ワン!SAKURA(ロ−マ字)」の投稿しております
投稿文章を、全く“拝読…”されていないのでは〜〜〜ないでしょうか??
こちらが>>626に投稿しておりました私の投稿の内容から、「 聖 道 へ 」に関して…
日本教文社から販売がされています。この事を、記載しています…が?

>>627 トキ様の返事の内容では、全くもっては「さくら様の投稿のみ」を、閲覧してのいつもの
“返事…”の様ですかと…ですから、この事から判断しますと、今までの全般に渡ります“投稿“
は〜〜〜閲覧がなされていない状況なのでしょう〜〜〜ネ!更に、今までの返事の内容から、冷静に
判断しますと【つじつまの合わない?“ふ…”に落ちない事もあり?…】今にして思いますと、
私の返事は【いやいやながらの返事……】でしたと判断しました。

■□ある時の事です。「神の子様」がおっしゃつていました事が思い出されます。それは〜〜〜

「管理人…トキ様」は、実に【嫌がっているので、返事を求めるな…】この様な事を…頂きました。
〜〜〜この時の私は【 生長の家の本部職員…】少なくとも?現時点での【奉職…】ですから、
多くの事を「2代目…清超先生時代からご指導を受けている方」ということは【魂ははるかに上…】
この様に思いました次第です。…が?ですから「神の子様…の言葉」が、そのように云われても?
当時としては、全く信じられませんでした。…が?【中立…派】かと〜〜
現実的に「神の子様…の言葉」は、本当と理解致しましたので、正直「意気消沈…」しております。

そして、時々【障害者である私に対しての…人道的な擁護の言葉…】これも、あくまでも【表面上】
ということが、今回の内容にて理解致しました。『管理人…トキ様』自身が【分派…擁護派】のよう
ですから……当然のことながら、「学ぶ会」「トキみつる会」「靖国見真会」…の皆様方の捉え方〜〜〜
【分派…障害者は?人間失格論…】とみなしているとの判断になりますでしょうかと〜〜〜!
この事は、ある面では【信仰とは…差 別 性 あ り】と捉える面も考慮ということでしょうか?

■結局は「本部職員のみ?元の仲間意識のみ?での事…この事が明確に判明致しましたでしょうかと。
信仰とは【信 者 と か 全 く 関 係 な い 事 で あ る】なのでしょうネ!!
では〜〜〜【奉 職 と は …】この事が?疑問点になりますでしょうか???

そして、いつも“不思議…”に思いましたが?こちらが“投稿…”しましても、いつもの事ながらと?
【全て…なしのつぶて!!】で、あくまでも【そちらの仲間同士…】とか?【お気に入りの方】は、
すばやくの対応にての“返事…”ですから、なるほど…今回も「ひらがなのさくら様」の方には、
【お気に入りの仲間】としての“お返事…”ですからと、考えなくても自然に思えます〜〜〜
投稿内容の流れでしたかと、今更ながら感じました次第です…。

■しかしながら、私は、本当に現在【生長の家…お家騒動】の事で…真剣に将来を考えての
“投稿…”しておりました次第なのです。…が?
もっと「生長の家…現総裁先生擁護派」としまして“真剣…”に投稿させて頂きます予定です。
…【お邪魔虫?】でしょうが〜〜〜その点は、ご了承くださいませ…。
最後に…「閲覧者…」の中で「賛同して頂けます皆様方々=現総裁雅宣先生擁護派…」の皆様が、
益々と…つたない【SAKURA投稿内容文章】を、閲覧して頂けますと…幸いに存じ申し上げます。

                                    再合掌

633神の子さん:2013/03/17(日) 09:16:50 ID:???

 トキさん、女難の相ありとみました。

634トキ:2013/03/17(日) 10:28:33 ID:NNa6VHMQ
>>632

 いえいえ、いつも楽しく拝見させていただいております。本当に感謝申し上げます。

 別にスルーしていてるのではなくて、SAKURA様の文章は続くので、完結してからご
感想を申しあげるつもりでいました。ご気分を害されたら、深くお詫びします。

 今後とも、ご投稿のほど、お願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

635SAKURA:2013/03/17(日) 13:01:25 ID:1meWUCC2
「管理人 トキ様」 へ  「観覧者 の 皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>624>>626>>630>>631>>632 のSAKURAの投稿の続きです…。

>>632についての“お返事…”と解釈して宜しいのでしょうか?早速の“お返事”頂きありが
とうございます…。そして【消去された>>625トキ様のコメント】が、存在していましたなら、
まだ私は、このような感情?はなかったはずだと思います。…が?「管理人…トキ様」?更に…
今回の私の意見は【つづき投稿…】では、ありませんのですが?(一つだけ?追伸事項は投稿かと)

事の発端としての流れを申しますと「>> 623 ひらがなのさくら様のコメント」から…その後ですが?
「管理人トキ様」が返答されましたのが、投稿ナンバ−が消去されました【>>625トキ様のコメント】
であります。そこの部分を、たまたま閲覧させて頂きまして、それについての私…
>>626 ロ−マ字のSAKURA】が、投稿コメント致しましたら〜〜私で事不在の後に、PCを開き
ますと後に【>>625管理人トキ様のコメント】が消去されていまして、閲覧しますと、更に…
>>626 ロ−マ字のSAKURA】がコメント後に【>>627管理人のトキ様のコメント】が投稿されて
おりました。…が?此処での【>>627トキ様の投稿の内容】にて、今回の返事が〜〜〜?疑問点と?
新たに感じましたでしょうか?しかも、私が投稿された“内容…”を、閲覧されて頂きましたなら、
>>627 管理人…トキ様のコメントの内容の返事】では〜〜〜無い筈です。…が?
❤〜此処が一番の私の「ポイント…」なのですが?これは?男性?女性ン?としての捉え方…かとも、
思いましたが〜〜〜やはり、私自身の全般にわたりましての「投稿内容…閲覧」は、ある面、殆ど
なれていないとの…管理人様は「分派…擁護派」ということなのでしょうかと。仲間意識?ただ〜〜

私が、投稿内容しましての伝えたかった主旨事は〜〜〜?更に、何故?この様に投稿する原因が生じ
ましたかの意図は、何度も申し上げました様に再度【>>626…書籍本のインフォメ−ション】それに、
これについては?この書本の廃版ではないのでは?まだ!まだ!日本教文社にて販売されています
事の「お知らせ…」なのですが、全くもって閲覧されていないのではないでしょうか???

更に【>>630>>631 SAKURAの投稿】は、上記の流れに到る内容を詳しくコメントしておりますが、
【現総裁先生…擁護派】としての文章は?…個人的に感情はあられますでしょうが?閲覧して頂き
ますと…幸いに思います。…が?「管理人であるトキ様」が「ひらがなのさくら様」に、返事の前に
こちらが、一応【書籍本についてのインフォメ―ション】はしておりますので【廃版…云々…】の
この様な内容の「管理人トキ様」の返事となるのでしょうか?これも【スル―…】という事なので
しょうか??これに到る経過を、何度も記載コメントしております次第なのですが…?

これに関しましての、「返答…」を、ご多忙とぞんじますが?頂けますと幸いに存じ申し上げます。
尚!【生長の家…公務】のと多忙中の時間の合間にて、お返事を頂けます事をお待ち申し上げます。

                                        再合掌
PS: 最後に「ネット…文章投稿」に関しましては?やはり…“理解…?判断…?”改めて
難問題かと…思いました次第ですかと。

636トキ:2013/03/17(日) 14:10:26 ID:63q.dM7Q
>>635

 ご投稿、ありがとうございました。

 先のコメントは、あまり適切な内容ではなかったので、消しました。
その件はお詫びします。

 聖道へ、については、昨日、私もゆっくりと拝見し、いい内容だなあ、と感激しました。
末尾には、50年後の谷口雅春先生のコメントが書かれているので、また勉強になります。

 この聖道も、もですが、吉田國太郎先生のご本も今でも教化部で発売されています。

 どうぞ、周囲の人にもどんどんと進めて下さい。

よろしくお願いします。

637SAKURA:2013/03/17(日) 22:46:07 ID:TuM1gF6c
管理人 トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>624>>626>>630>>631>>632>>635 のSAKURAの投稿の続きです…。

>>636 「管理人 トキ様」早々の“お返事…”ありがとうございます。
「コメント投稿」後、私事になりますが、今日は「亡き母」の菩提寺にて…【納骨堂の落成式…】
に、参加しましたので…先程(10時頃)今、戻ったところです。…が?そして、久しぶりに、
【甘露の法雨のお経…】を、新しい納骨堂の場所で、唱えて来ました。…何となく背後に両親が?
ヘタな私の“お経の読誦”を聞いてくれているような〜〜〜感じでしたかと。

■さて、私も、いつも流れを考えながら(考慮不十分カモ?)の投稿なのです。…が?今回
閲覧しました時、何とな〜〜〜く【ロ−マ字のSAKURA】の投稿が?流れから浮羽状況ナノ?おか
しく感じましたので…そのように見えてくるのですョネ!何度も見直しますと、こちらも分けが分
からずの“感情…”が、吹き出してしまったのです。…が?後程、考えますと「トキ様…」は
“男性”ですし、私は“女性”です。従いまして「感情の捉え方」が、男女違う事に、後で思い
なおしました。…が?「トキ様…」よりの早々の“お返事”で、納得しました。…が?前回?記憶
が定かではありませんが〜〜〜「goro様」が、似た様な投稿がありまして、その時の私はどうして
?と…云った感じでした。…が?今回の私も、似たような“体験…”をしたわけなのです。…が?

■本当に「文章投稿伝達…の難しさ」とか?「感情の伝え方」とか?いろんな意味合いにて、私も
いい勉強になりました次第です。私も、最初の「トキ様…」の文章から【アマゾンで検索】して、
書籍「聖道…」を購入いたしましたが、“戦前の時代の背景”から何処まで“現代の若者”に伝える
事が?表現が?〜〜〜出来るかが課題に思いますし「トキ様…」の感想から、まだ!手元には届いて
おりませんが、拝読してみることへの楽しみが増えましたでしょうか〜〜〜と思います。
【 50年後の谷口雅春先生のコメントが書かれているので…】早く〜〜特急便にて手元に〜♫〜

❤さて今日は「菩提寺」で【甘露の法雨…】を唱えて来ました。帰りには〜〜〜
【落成の饅頭…】を頂きまして〜〜〜ウキ!ウキ!気分でした。…天気も【雨のち晴れ??】
きっと!!「亡き両親…」が、ニッコリ・スマイルと…思います。       再合掌

PS: お忙しい中での「トキ様」からの早々の“お返事”改めまして、感謝申し上げます…。

638うのはな:2013/03/21(木) 14:54:03 ID:feieQgHk


1065 :「訊け」管理人:2013/03/16(土) 09:43:26

>>1060

 馬見て鹿だと言ってますが。

 だれもあなたのこと、言ってませんけども・・・・ホープさんの投稿でも、御覧になれば?


 あと、復興Gさまに謝罪、したら?あと、ついでに●ちゃんにもね・・・(不手際でバレましたとか)

 とか、書くと大変なことになりますんであとは、トキさんよろしく。(ハァ・・・)

639トキ:2013/03/21(木) 15:39:18 ID:lXU7i4ic
>>633

 本当にそうですね。痛感します。

640うのはな:2013/03/21(木) 15:46:21 ID:YCbLw2eM
トキさまへ

 みんなの意見をききましょうと、あなたが丸投げした別版方針版では
訊け管理人氏が「落ち着く」の定義についてゴタゴタいったまま、他の人の
身元詮索や、バカ女について議論しましょうなどの話題に脱線していってます。
言い逃れもいいことあるのかなの川柳版などの話もどうなったのでしょうか?

641うのはな:2013/03/21(木) 15:47:37 ID:YCbLw2eM

トキ様へ

 それと訊け管理人氏から、ウェブ誌友会版で復興Gさまに謝罪するべきだと
いわれましたが、トキ管理人さまの意見をお聞かせください。

642うのはな:2013/03/21(木) 15:51:40 ID:YCbLw2eM
960) 本部では今春から、倒れる職員や講師が続出。 投稿者:事情通
本部では今春から、倒れる職員や講師が続出。4月には宇治でも練成部から倒れた講師が2人出たという(1人は講話中に失神したと練成参加の方からお聴きした)。情けなや。「サラリーマン講師」の証ではないか。

どうなっているのか。

人を救う前に「自分たちを救ったほうがいいのではないか」とは、初めての練成参加者の言。

情けない。人類光明化の看板を下げて、「環境は心の影」なのに「環境問題」「環境問題」と騒ぐこと自体が、一番「問題なのではないか。」

谷口雅春先生の御教えではそうだが、これも「原理主義」なのだろうか。

643復興G:2013/03/30(土) 21:41:23 ID:AB6RqYXc

本掲示板の管理人 トキ様
ほか 皆々さま。

4月度の第13回WEB誌友会日程について、お伺いです。

第13回web誌友会は
4月12日(金)21:30より、14日(日)23:30まで
ということでご了承をいただいていましたが、私としては変更させて頂きたい都合が出てきました。

最終日の14日(日)、午前・午後とも、出かけなければならない行事予定が入りました。

1週間後の
≪19日(金)夜から21日(日)夜まで≫

に変更させて頂けないでしょうか。お伺いを申し上げます。

テキストは、『生命の實相』第3巻「はしがき」〜p.3の終わりまで です。(巻頭に掲げられた二つの神示について、重点的に学びます。)

ありがとうございます。 合掌 拝

644a hope:2013/03/31(日) 07:43:40 ID:TqpbsVIM
>>643復興Gさま

第13回 WEB誌友会の開催日の変更、わたしは大丈夫です。
今回も、どうぞよろしくお願いいたします。


みなさま

先日テキストになっている部分を確認しましたら、復興Gさまがおっしゃる、
『巻頭に掲げられた二つの神示』は、わたしの持っている神示集では、
「声字即実相の神示」と、「万教帰一の神示」という名前がつけられています。

ところで『神示』って、具体的にはどういうことなんなんだろう?
と、今、ちょっと思いまして、webで辞書検索してみましたら、

―――――――
1.神示

⇒七つの燈臺の點燈者の神示
――――――

とでました。

あらためて、「生長の家の教え」の偉大さを思い知りました。

645復興G:2013/03/31(日) 09:45:13 ID:AB6RqYXc

>>644 :a hope様。

コメント、ありがとうございます。
私も、webで辞書検索してみましたら、次のように出ているのを見つけました。

   * * * * * * * * * * *

Weblio 辞書
七つの燈臺の點燈者の神示の概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/12/20 04:55 UTC 版)

大調和の神示では「汝ら天地一切のものと和解せよ」と天地一切のもの、特に親・先祖・子孫・上司・部下・皇恩・神に感謝する様に説く。特に親に感謝する事を重視し、親に感謝しない者は神を感謝しても神の心にかなわないと説く。神は天地一切のものと感謝し調和したところに顕れるとも説く。

梅の花の神示では日本を世界でただ一つの光でありそれ以外は全て偽りの光であるとし、それ故日本は「日(霊)の本」というのであると説いた。また日本は精神で世界を統一する運動であるがそれに対して当時のソ連を世界を物質で支配しようとする運動であるとも説いた。またスターリンや無中心主義を「無明(迷い)の塊」であるとしそれらを中心にして世界が幸福になれるなどというものは愚か者であると批判し、一種の唯心論的体裁を持っている。

終戦後に著された4つの神示では天皇・国家の大権・神聖性の喪失について、国民自身の神聖さの自覚の欠乏が原因であると説いた。新たに導入された民主主義については国民が「民主」で天皇は「客」であると説いた。

33の神示
1.大調和の神示(昭和6年9月27日夜)
2.完成の燈臺の神示(昭和6年1月15日)
3.萬教歸一の神示(昭和6年4月5日)
4.新天新地の神示(昭和6年5月6日)
5."心の法則"と"平和への道"の神示(昭和6年5月30日夜)
6.歸幽の神示(昭和6年6月26日)
7.生死の教(昭和6年9月5日)
8."最後の審判"に就いての神示(昭和6年9月28日朝)
9.信仰生活の神示(昭和6年12月5日)
10.聲字即實相の神示(昭和7年1月11日)
11.自他一體の神示(昭和7年2月4日)
12.上求菩提・下化衆生の神示(昭和7年2月9日)
13.『いのちのゆには』の神示(昭和7年3月14日)
14.使命邁進の神示(昭和7年3月15日執務中)
15.無相圓相一切相の神示昭和7年4月10日)
16.無限供給の神示(昭和7年5月5日)
17.久遠天上理想國實現の神示(昭和7年5月27日)
18.萬教包容の神示(昭和7年7月7日朝)
19.懺悔の神示(昭和7年8月12日)
20.實相金剛身の神示(昭和7年9月2日)
21.無病常樂の神示(昭和7年11月10日)
22.本來生、不滅の神示(昭和7年11月25日)
23.梅の花の神示(昭和8年1月6日)
24.自然流通の神示(昭和8年1月25日)
25.至上者の自覺の神示(昭和8年3月16日)
26.本當の信仰に就いての神示(昭和8年8月5日)
27.靈魂進化の神示(昭和8年9月15日)
28.兒童教育に関する神示(時期未詳)
29.生長の家の食事(昭和5年11月4日)
30.終戰後の神示(昭和20年11月27日未明)
31.日本の實相顕現の神示(昭和20年12月28日未明)
32.君民同治の神示(12月28日午後12時、年未詳)
33.大和の國の神示(昭和21年1月6日朝、啓示)

尚、「大和の国の神示」はGHQの検閲で没収されたものが後に生長の家側へ戻り検討の結果神示として採用されたものである。

   * * * * * * * * * * *

646復興G:2013/03/31(日) 09:59:06 ID:AB6RqYXc

さて、私の提案と申しますか、お願いは、4月度の第13回web誌友会は、下記日程で開かせて頂きたいということです。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『第13回web誌友会』

≪日時≫
4月19日(金)21:30から
4月21日(日)23:30まで

≪テキスト≫
『生命の實相』第3巻はしがき〜p.3まで

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ご意見があればおっしゃっていただきたく、お願い申し上げます。

647トキ:2013/03/31(日) 10:48:18 ID:ZOYJ1Hoc
>>646


復興G様

 いつもご多忙の中、すばらしいご指導を賜り深く感謝申し上げます。

 ご提案の件、私は賛成をさせていただきます。
よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

648トキ:2013/04/01(月) 10:08:47 ID:Esid1Gs2
 天地一切の物に感謝せよ、で思い出した事がありました。

 ずいぶん前に生長の家宇治別格本山の研修生だった方から聞いた話です。
その方は、榎本恵吾先生から指導を受けていたのですが、ご一緒に行動をする事が多かったみたいです。

 宇治でも別格本山がある地域は田舎ですが、道路には自動車がよく通るので、犬や猫が自動車にひかれて
死んでいる光景をよく見たそうです。普通の人なら「気持ち悪い!」と目を背ける光景ですが、榎本先生は
自動車から降りて、死んでいる猫や犬を抱き上げ、抱きしめてから自動車に乗せて、適当な空き地まで運び
そこに穴を掘って埋葬し、懇ろに祈ってから、その場を立ち去られるそうです。そういう光景を何回も見た、と
その人は話していました。

 なかなか、普通の人はそこまで出来ないですが、「自然との調和」とはそういう事かもしれないと
思います。

649復興G:2013/04/01(月) 19:58:49 ID:AB6RqYXc

>>647
トキ様。

4月のweb誌友会日程について、ご賛成、ありがとうございました。

他にご異論はないようですから、第13回web誌友会は
     ○
≪日時≫
4月19日(金)21:30から
4月21日(日)23:30まで
≪テキスト≫
『生命の實相』第3巻はしがき〜p.3まで
     ○
で開催の予定とさせて頂きます。よろしくお願い申し上げます。

>>648

「自然との調和」について、榎本先生の逸話ご紹介、ありがとうございました。
本当に、榎本先生は実行の人だったんですね。感心させられます。

ところで、最近ある方から、「4千万本の木を植えた植物生態学者 宮脇昭の映像記録 『未来を照らすいのちの森』」というDVDを頂き、今日、拝見しました。

宮脇先生は今84歳ですが、ものすごいバイタリティーで全世界にいのちの森づくり活動をひろめておられる方で、私は飛田給道場で先生のご講演を聴いたことがありますが、今回のDVD作品を見、そのメッセージにあらためて感銘を受けました。それをちょっと謹写させていただきましょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

≪宮脇昭先生、植樹活動でのメッセージより≫

 生物社会は、競争しながら少し我慢して共に生きる。
 これが健全な状態です。
 好きな奴だけを集めない。
 今日はたった47種類を植えますが…(中略)…
 植物は命をかけて、根がスポットいっぱいになっています。ご覧のように、根が充満しています。これが本物なんですよ。

 死んだ材料は定規が使えても、人の顔は定規では描けません。
 それほど自然は多様性に富んでいます。
 違うことが大事なのです。
 違う人間を異質なものとして除(の)けないで――
 生物多様性とは、嫌な奴とも我慢しながら一緒に生きて行く。
 これが、40億年続いた生物社会の姿です。

 人類はここまで、愚か者は破滅していますが、日本民族が生き延びてきたのは、この生物社会の掟に従ってきたからであって、我慢できない生き物は一時も生きていけない。
 残念ながら戦後の日本の社会は、我慢を忘れているのではないか。
 人間はひとりでは生きていけない。人類も同様に、ひとりでは生きていけません。
 木を植えれば落ち葉の掃除がやっかいだし、日陰になるから伐れという。
 これは、刹那的にはそれでよいかも知れないが、生物社会ではむしろ危険な状態です。
 生物社会は、嫌な奴とも我慢して生きて行くこと。

 人類が地球で生き延びるために、最低限の 生産―消費―分解―還元 の生態系のシステム維持ができる程度に、すべての生き物と、我慢し、助け合い、共生していきましょう。
   <以上、宮脇昭先生のメッセージより>

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 私は上記を読んで、これは雅宣総裁も常に言っておられることに近いと思いましたが、同時に、

≪自然は多様性に富んでいます。
 違うことが大事なのです。
 違う人間を異質なものとして除(の)けないで――
 生物多様性とは、嫌な奴とも我慢しながら一緒に生きて行くこと。≫

 ということを、自然に対してだけでなく、同志である人間に対しても、嫌な奴を除(の)けないで、和解、感謝し調和して行かなくてはならないのではないか、と強く思いました。

650トキ:2013/04/01(月) 20:44:40 ID:Esid1Gs2
 よろしくお願い申し上げます。
ご多忙の中、ご指導を賜ります事を深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

653a hope:2013/04/16(火) 20:57:02 ID:6kIbHHgs

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『第13回web誌友会』

≪日時≫
4月19日(金)21:30から
4月21日(日)23:30まで

≪テキスト≫
『生命の實相』第3巻はしがき〜p.3まで

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


第13回web誌友会が近づいてきましたので、予告させていただきます。

わたしはここのところ、毎朝の神想観と「甘露の法雨」の読誦は欠かしませんでしたが、
聖典をゆっくりする拝読する時間がなかなか取れませんでした。

最近、少し仕事が落ち着いてきましたので、このweb誌友会に向けて、
「聖典」等の拝読をまた少しずつしていきたいです。

ところで谷口雅春先生は、神さまのお言葉を「生命の實相」、「神示」、「聖経」、
「『真理の吟唱』「神想観』等の祈りの言葉」、「智慧の言葉」などなどと、
様々なかたちで残してくださっています。

わたしは今、「生長の家の教え」=「真理」を様々な角度から、
飽きることなくお勉強できる幸せをしみじみと感じています。

復興Gさま、トキ様、みなさま、今回もどうぞよろしくお願いいたします。

654復興G:2013/04/18(木) 17:26:26 ID:AB6RqYXc

>>653 :a hopeさま。

ありがとうございます。

明晩からですね。第13回web誌友会。

私も、リアル世界での誌友会やいろいろな方面での活動をしながら、web誌友会に向けての勉強は始めています。
が、反応が遅くて、すみません。

『生命の實相』第3巻の最初の「はしがき」から、本文の3頁までを謹写。本文の最初には、「七つの燈台の点燈者の神示」が掲げられています。

それで、関連する神示講義『到彼岸の神示』の「声字即実相の神示」のご講義、それから『神ひとに語り給う』の「万教帰一の神示」ご講義も全文謹写しました。(まだ掲示板にアップはしていませんが)

そして今、生長の家本部が東京の原宿から山梨県の八ヶ岳南麓に移転することになって、原宿本部に鎮座されていた、七つの燈台の点燈者なる「御神像」も山梨へ移転されるということで、そのことについての総裁のブログ記事(唐松模様)を読んだり、いろいろな人の意見を聞いて学び、考えたりしています。「本流対策室」板にトンチンカン様が転載紹介された中村晃生さんの記事も読みました。

そうしたことについても、ご一緒に考えて行きたいと思っています。


皆々さま。

ある方が、昭和29年に原宿本部会館ができたときの谷口雅春先生・輝子先生の御文章を謹写して、次のようなアピールの文章を送ってくださいました。それを、次に転載させて頂きましょう。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

≪本部会館を創建当時に復原、保存を!≫という、ある友人のアピール

 いよいよ今年の10月には、生長の家本部が“森の中のオフィス”(山梨県北杜市)に移転されます。すると東京原宿の現本部会館はどうなるのか、いろいろな情報が飛びかっていますが、尊師・谷口雅春先生や、海外を含め全国の先輩信徒の思いがこもった、貴重な歴史的文化遺産でもあり、くれぐれも取り壊すこともなく、是非とも創建当時に復原し、永久保存をしていただきたいと思う。

 昭和29年(1954)3月1日、立教25周年を迎えたよき日に、百三十万信徒の真心の結晶として、足かけ4年の歳月を費やして原宿の本部会館は落慶した。ここに雅春先生の当時の御文章と、当時を回想された輝子先生の御文章を掲載させていただきます。
<つづく>

655復興G:2013/04/18(木) 17:27:37 ID:AB6RqYXc

<つづき>

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   百萬信徒の「まごころ」の結集  谷口雅春

 光明の塔部の最上層の室は、「栄光の間」と名付けられ、その下の塔部の室は「祈りの間」である。「栄光の間」は、維摩の居室が「空っぽ」であったと同じく「空」であって何の置き物もない。「空」にして無礙光であるのが神であるからである。栄光の間にて拍手して礼拝すれば、四壁にその拍手の響がこもって天地に感応するような感じがするのである。

 教主(※)室、総持室、理事室はあるけれども、教祖の室はこしらえてないのである。これには深い意味があるのである。教祖は過ぎ行くが、教主も理事も永遠につづいて行くであろう、と云う意味はこの本部の建物は「私のもの」でないと云うことである。

 私が本部の建物を建設するために、「特信」の手紙を書いたり、礼状やお願い状を書いたりしているのは、私の室をつくるためでもなければ、私の機関をつくるためでもないのである。この建物は神に捧げられたる建物である。建物はただの物質であるけれども、それは百萬信徒の「まごころ」の結集である。

「まごころ」と云うものは肉眼に見えないから、肉眼で見ると、ただの実業のビルディングでもこう云う聖堂でもただの「形」である。けれども「まごころ」が結集してこれだけの建物が建つと云うことは「容易ならぬこと」である。それは太陽の光を凸レンズで結集すると紙を焼くことが出来るように、「まごころ」が結集してこれだけのものが建つとき、人類の魂に一層容易に火をつけることが出来るのである。これから人類光明化の力が一層早くなるであろう。

  (『明窓浄机』「近頃思うこと」 『生長の家』昭和29年4月号より)

    ※教主=当時、雅春先生を教祖先生、清超先生を教主先生と呼んでいた。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   雅春先生、信徒たちの献身で  谷口輝子

 ――現在、東京の原宿に在る生長の家本部の建物は、昭和二十九年に落慶した。昭和二十年八月に終戦となったが、それから後、何年も何年も、日本中は貧しかった。生長の家本部も貧しかったが、教えの伝道のためには、どうしても教団の中心であり本拠となるべき建物が必要であった。

 原宿の生長の家学生寮の焼跡に、隣地の東郷神社の敷地の一部を購入して、そこに教団の本部を建てることになった。

 一流の建築会社である清水建設の当時の社長清水釘吉氏は、生長の家に非常に厚意をもって居られたので、建築費を一時払でなくとも建てて下さることになり、月賦払で何年もかかって支払ったことであった。その月賦の支払についての谷口総裁の苦労は非常なものであった。

 一万円の教団債を発行して全国の信徒に協力を願ったところ、各地より続々と応募して下さったので、それで清水組への支払いを月々つづけたり、三千円以上を本部へ奉納した人に、半折の揮毫を送ったりもされた。また全国へ講習に出かけ、その受講奉納金は大部分清水組への支払に提供された。自らの身を、ローソクの火のように灯して、総裁は清水組へ支払い、そして信徒たちへの教団債を返すことに努力をつづけて居られた。
<つづく>

656復興G:2013/04/18(木) 17:28:29 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 半折に揮毫しつづけられる総裁のために、我が家の家族と本部員の二、三人は墨をすり、私は朱印を押して、指を痛くしていた。

 総裁は地方巡講から帰京して、雨の日は原稿を書き、晴れた日は半折の画箋紙に大筆をふるって居られた。痩せ形の身を前屈みにして、大筆は長時間、画箋紙の上を走りつづけていた。その部屋も、次の部屋も、廊下にも、墨痕あざやかに墨の香りが満ちていた。六十歳を過ぎた人には重労働のように思えた。来る日も来る日も働きつづけて居られた。あの生長の家本部会館の建築費のために。私は夫の後姿を見て「御苦労さま、御苦労さま」と合掌した。

 誰のために建てる本部会館であろうか。谷口雅春の住むための家ではない。信徒みんなの集る家なのであった。信徒みんなとの、いろいろのことを連絡する事務の家でもあった。みんなのための家であった。

 建築中は、東郷神社境内の隅っこを借りて、清水組は飯場を建てていた。その飯場には百人ばかりの職人が出入りしていたと聞いた。百人の中に、生長の家の信徒が四、五人いた。赤見元二郎君はその一人であった。

 赤見君は毎朝五時に起きて飯場を出てその四、五人の友と建築現場に立った。瞑目合掌したそれらの人たちは、ひたすらに、その建築がスムーズに進行し、一人の怪我人もなくて完成に到りますようにと祈りつづけて居られた。あれほどの大建築中に、一人の死者も怪我人もなかったことは珍らしいことだったと私は聞かされた。わずか四、五人の人の祈りでも、真心からの純真な祈りは諾かれるものだと信じた。

 総裁の無欲恬淡な献身と信徒たちの純粋な献身とによって、生長の家の本部会館は、原宿の一角に美しく凛然と落成の日を迎えた。

 落慶式の日は、全国各地より信徒の幹部が集ったばかりでなく、教団外の団体の代表者なども来会されて、温い祝辞を述べて下さった。誰も彼も、明るい喜び溢れる顔をして、新築の美しい建物の中を右往左往して動いていた。信徒たちは、私の顔を見ると「お芽出とうございます。有難うございます」の喜びの声を浴びせかけた。私はうれしくて浮々としていた。(以下、略)

  (「人それぞれ」『理想世界』昭和56年6月号より)

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

※ この本部会館は「落成式典」ではなく、生長の家の大神に対して、この会館を捧げるという「捧堂式典」として挙行されている。神様に捧げたものを勝手に壊すのはいかがなものか。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ――以上は、ある友人から送られて来たアピールの文章を転写させていただいたものです。

 雅宣総裁の「唐松模様」も拝読して、皆さま、どうお考えになりますか。ご一緒に考えてみたいと思います。

657復興G:2013/04/18(木) 17:45:06 ID:AB6RqYXc

 明晩からの第13回web誌友会テキスト

『生命の實相』第3巻の本文3頁までのところを謹写しましたので、以下にアップロードさせて頂きます。

------------------------------------------

一人の生命が全体の生命のために生命を投げ出したとき、その生命は、全体の生命と一つになる。ひとりの生命がはなれ離れに動き出そうとするときには、いろいろの衝突や摩擦が起こるが、全体の生命とひとつになって、宇宙といっしょに動き出すならどこにもわれわれの活動に無理はおこらない。

 われわれが各個人(ひとりひとり)離ればなれに動き出すのは、たとえば、時計の針が針の力ばかりで動き出そうとするにもひとしい。そこには無理があり摩擦があり、ひょっとすればその時計の針が折れるかもしれないのである。

 しかし時計が全体の力で動いているときは実に小さなバネの力で長時間なめらかにそれは運転をつづけるのである。全体といっしょに動く生活、全体の力で生きる生活、自分だけの力で生きない生活、「我」で生きない生活、捨てたときおのずから生きてくる生活、これならいつまでたっても行きつまる気づかいはない。これが「生長の家」の生活である。

------------------------------------------

    七つの燈台の点燈者の神示

          ○

 わが第一の神殿は既に成れり。名付けて「生命の実相」という。完成(ななつ)の年になりてわが第一の神殿が完成するのも生命の顕現には周期的波動があるからである。
 七つが事物の顕現の周期律になっている。われに神殿は不要であると嘗て示したことがあろう。われは道(みち)であるから、わが道(ことば)を語るところに吾が神殿は築かれる。わが道(ことば)を載せた『生命の實相』こそわが神殿である。

 『生命の實相』はわが本体であり、無形の「生命の実相」を形にあらわしたのが『生命の實相』の本である。「言葉」を載せた書物を「本」と云うのも、「言葉」こそ事物の本(もと)であり、本質であり、本体であり、本物であるからである。「言葉の宇宙」が先ず出来て、「形の宇宙」がその映像(かげ)としてあらわれるのである。

 今迄の宇宙は、「言葉」が実相を語らず、不調和で濁っていたから、宇宙の万物の運行が乱れて生活苦や病気や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起こったのである。『生命の實相』の本が出た以上は、言葉が実相を語り、善き円満な調和した言葉の「本」が調うたのであるから今後何事も急転直下する。

 『生命の實相』を開くだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己の生命の実相を知り、歓喜踊躍して手の舞い足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟(さんばそう)に過ぎない。その歓びの相(すがた)こそ人間の生命の実相である。

 わが道(ことば)を「生命の実相」と呼ばしめ、それを本の形にして、披(ひら)いて読むものにさせたのも象徴的因縁あることである。『生命の實相』が展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。

 今は過渡時代であるから、仮相の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦いはその序幕である。神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏(う)って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起こるであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。
   (昭和七年一月十一日神示)
<つづく>

658復興G:2013/04/18(木) 17:45:53 ID:AB6RqYXc

<つづき>

          ○

 われに姿かたちがあるように云うものあれどわれは姿なきものである。われは道(ことば)である。われは霊性である、知恵である、愛である、生命である、われは如来である、われは一つにして多である。信仰深き諸方の霊覚者にわが神姿を示したることあれども、そはわが真の姿に非ず、見えたる神姿は霊覚者の心識の所現にも非ず。そは、われ神通力によって、疑う者の蒙を啓(ひら)かんがために、異る場所と異る人とに同じき一定の神姿を示して、神の客観的存在を実証したに過ぎない。

 されど、本来われに一定の神姿はない。如何なる姿も欲(おも)いのままに現ずることが自由である。されば、嘗てわれ汝に告げたのである「われに神殿は不要である」と。われは神殿がないとて身の入れ場所に困るような神ではない。供え物も要らぬ。わが姿を見んと欲(ねが)うものは『生長の家』を読め。われは言葉である。わが言葉を盛る雑誌こそわが神殿である。この雑誌がひろがるのこそわが神殿の大きくなることである。

 われにすがた形はない。われは霊の海である。大海原である。すべての宗教(おしえ)流れ来りて吾れに入らん。吾れは完成する者である。われは「七つの燈台」に燈(ひかり)を点ずる者である。古道も、仏教も、キリスト教も、天理教も、金光教も、黒住教も、大本教も、すべての教え我に流れ入りて生命を得ん。

 われは大(おおい)なるものなるかな。すべての教えを呑吐(どんと)してこれに生命を与え、すべての相争う教えをその神髄に於いて握手せしめる。吾れはすべてを包容し、すべてに光を与え、すべてに栄養を与え、すべてを生かす地下水である。他の如何なる宗教をも誹(そし)らず批(う)たず常に讃頌(たたえごと)と、善き言葉とを雨ふらして、それを浄めその神髄に燈(ともしび)を点ずる。

 あらゆる宗教がその神髄を礼拝して手をつなぐようにならねば此の現実世界の改造は完成せぬ。精神界が先きで現実界はその影である。元乱れて影完(まっ)たからず、宗教家よ、宗派争いをしている時ではない。
   (昭和六年四月五日神示)

659トキ:2013/04/18(木) 18:29:57 ID:gl5PbSBA
復興G様

 貴重なご文章をご投稿下さり、ありがとうございます。

 また、ご多忙の中、web誌友会でご指導を賜る事、深く感謝申し上げます。
皆様にもご参加を呼びかけたいと思います。
たいへん、勉強になる内容です。閲覧者様も、どんどん感想、疑問や質問などをお願いします。


 よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

660a hope:2013/04/19(金) 09:06:36 ID:6kIbHHgs
みなさま おはようございます。

いよいよ、今夜 21時半(9時半)より、第13回web誌友会が開会されます。
いつものように、わたしa hopeが、開会30分前くらいになりましたら、
「準備祈願」としての祈りの言葉と、「真理の吟唱」より、『人類全体を祝福する祈り』を謹写させていただきます。

今回は復興Gさまが、『原宿本部に鎮座されていた、七つの燈台の点燈者なる「御神像」も山梨へ移転される』件や、
『今年の10月に、生長の家本部が“森の中のオフィス”(山梨県北杜市)に移転された後の東京原宿の現本部会館はどうなるのか』について、
みなさまに一緒に考えてくださいと呼びかけられています。

わたしは偶然にも独身時代、原宿本部のすぐ近くのビルで仕事をしていたことがあります。
その威厳ある「御神像」の鎮座する建物の雰囲気に心が清まる思いがしいていたことを思い出ししました。

そのことに関しては、以下の復興Gさま紹介の雅春先生の御文章を拝読すると納得がいきました。

< 私が本部の建物を建設するために、「特信」の手紙を書いたり、礼状やお願い状を書いたりしているのは、私の室をつくるためでもなければ、私の機関をつくるためでもないのである。この建物は神に捧げられたる建物である。建物はただの物質であるけれども、それは百萬信徒の「まごころ」の結集である。
「まごころ」と云うものは肉眼に見えないから、肉眼で見ると、ただの実業のビルディングでもこう云う聖堂でもただの「形」である。けれども「まごころ」が結集してこれだけの建物が建つと云うことは「容易ならぬこと」である。それは太陽の光を凸レンズで結集すると紙を焼くことが出来るように、「まごころ」が結集してこれだけのものが建つとき、人類の魂に一層容易に火をつけることが出来るのである。これから人類光明化の力が一層早くなるであろう。>

原宿本部の建物は、〝百萬信徒の「まごころ」の結集〝であり、
また、輝子先生の御文章からもわかりますが〝谷口雅春先生の人類光明化運動〝への熱い思いのこめられた
「生長の家の教え」の伝道にとってはなくてはならないとても大切な建物だったのですね。

その建物が立ったからこそ、わたしはこうして、今、「生長の家の教え」をお勉強ができるのかもしれません。
そう考えると、心からの感謝の気持ちがわいてきます。
復興Gさま、本当に貴重な文章を紹介してくださりありがとうございます。

それではa hopeは、今夜みなさまとお会いするのを楽しみに、今日も元気に仕事に行ってきます。

661復興G:2013/04/19(金) 11:37:37 ID:AB6RqYXc

>>659 :トキ様。
>>660:a hope様。

積極的なご協力、ありがとうございます。

皆々さま、心を空しくして、生長の家の神髄を、楽しく、深く学ばせて頂き、わがものとさせて頂きましょう。
前夜祭がすでに始まっているところです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、テキスト『生命の實相』第3巻は、最初に「七つの燈台の点燈者の神示」と題して8つの神示が掲示されています(生長の家の神示は全部で33ありますが、第3巻の巻頭に掲げられているのはそのうちの8つです)。

今回は、その8つのうち最初の2つを、重点的に学ばせていただきます。これらの神示は、第3巻では特定の名称は付けられていませんが、『神示講義』や『神示集』では、「声字(しょうじ)即実相の神示」・「万教帰一の神示」と名づけられている神示です。

生長の家の神示はすべて、「七つの燈台の点燈者の神示」とされています。その意味は――

頭注版『生命の實相』第3巻の頭注には、次のように記されています。

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「七つの燈台」
新約聖書の『ヨハネ黙示録」第一章にある文字で、その当時あった七つの教会の象徴として、使徒ヨハネが神からの啓示(黙示)を受けた時に霊視した、七つの燭台のこと。ここでは「世を照らすすべての宗教」の象徴として、それに灯をつけ、唯物論にくらまされて今や消えようとしている形式だけになってしまった宗教に光を与える使命を受けて出現した天使を「七つの燈台の点燈者」といっている。(『生命の實相』第3巻の頭注より)

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これは、詳しくは、神示講義『神ひとに語り給ふ』の44頁以下に、谷口雅春先生が次のようにお教え下さっています。
<つづく>

662復興G:2013/04/19(金) 11:40:34 ID:AB6RqYXc

<つづき>

神示講義『神ひとに語り給ふ』(44頁〜 )より

   「七つの燈台」の意味するもの

 さて、聖経の巻頭に「七つの燈台の点燈者の神示」という言葉が出ているのでありますが、爰(ここ)に生長の家は一宗一派ではないということが、ちゃんとこの神示に書かれているのであります。「我は七つの燈台に燈を点ずる者である」と生長の家の教えを創(はじ)められた神様がみずから言っておられるのであります。この「七つの燈台」という言葉は、キリスト教の新約聖書の一番終に『黙示録』というのがありますが、その第一章を披(ひら)いて御覧になりますと次のように書かれているのであります。

 「われ振反(ふりかえ)りて我に語る声を見んとし、振反りて見れば七つの金の燈台あり。また燈台の間に人の子のごとき者ありて、足まで垂るる衣を着、胸に金の帯を束(つか)ね、その頭(かしら)と頭髪(かみのけ)とは白き毛のごとく雪のごとく白く、その目は焔の如く、その足は爐にて焼きたる輝ける真鍮(しんちゅう)のごとく、その声は衆(おお)くの水の声のごとし。その右の手に七つの星を持ち、その口より兩刀(もろは)の利(と)き剣(つるぎ)いで、その顔は烈しく照る日のごとし。……彼その右の手を我に按(お)きて言いたまう「懼(おそ)るな、我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、活ける者なり、我れ曾(かつ)て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く。また死と陰府(よみ)との鍵を有(も)てり……」

 此の「人の子」というのは、じつは「神の子」であって、イエス・キリスト自身が、常に自分を「人の子」と言っておられた。そして「我れ曾て死にたりしが」とあるのは一度は十字架にかけられて死んだように見えたがということであります。それで「人の子のごとき者」というのは、イエス・キリストのことであることがわかるのであります。肉体のイエス・キリストは三十三歳で磔けにかかりましたから、老人ではないのでありますが、それが復活して久遠の古(ふ)りたる無始の昔からの存在として白髪の老翁の姿を以ってこの七つの燈台の間を歩んでおられるのであります。

 ヨハネから見たら、どうも人相が「人の子」即ちイエスに似ているけれども老人の姿でありますから、どうも、イエスでないかも知れない、それで「人の子そのもの」と書かないで「人の子のごとき者」と書かれているのであります。ところが、その人の子のごとき者は、「我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、世々限りなく生く。また生と死との鍵をもてり」と仰せられているのであります。

 白髪というのは老人の老いぼれという意味ではなくて、また今漸く三十歳になったばかりのイエスであるという意味ではなしに、久遠の昔から永遠に続いている生き通しの生命を象徴した「白髪の老翁」というわけでありまして、決して老いぼれのお爺さんという意味ではないのであります。「久遠の生命」というのは百五十歳位の数えられる長寿ではなくて、無限の長寿というものを象徴した白髪の老翁の姿で示されたので、その「頭と頭髪とは白き毛の如く雪の如く」白衣(びゃくえ)を足先まで垂れた姿であらわれられたのであります。

 これはヨハネというキリストの弟子の中で、一番霊感の秀れた弟子が、キリストが磔(はりつ)けになりましてから、ローマ帝国の迫害を受けて、パトモス島という小アジアの小島へ流されて居ったときに神に祈って居りましたら、霊感的に、眼は瞑(つぶ)っておっても眼の前に七つの燈台の有様が見えて、白髪の老翁の姿がその間に歩みたまうのが見えたというのであります。

 その白髪の老翁は――我はα(アルファ)でありω(オメガ)であり――始めであり終りであり、生と死との鍵をもてり」と宣言したもうたことによって「宇宙の根元の神」であるということが明かであります。その神様が出て来られたので、ヨハネはその威厳にうたれて、そこに平伏(ひれふ)してしまった。そして「死したるものの如くなれり」と聖書には書かれています。
<つづく>

663復興G:2013/04/19(金) 11:56:29 ID:AB6RqYXc

<つづき>

神示講義『神ひとに語り給ふ』より

 単に土下座したというくらいのものではないのであって、地面に平伏(ひれふ)してしまって、もう再び起き上る事は出来ないという様な状態になった。そのとき“吾はアルファなりオメガなり、最先なり最後なり、生と死との鍵をもてり”とこう言われた。この神様が、生長の家の神様であって「七つの燈台に燈を点ずる者」でありたまうのであります。キリスト教的に言えば「久遠のキリスト」であります。

 肉体のキリストは三十三歳で死んだけれども、「本当のキリスト」は、久遠不滅であらせられるのです。『生命の實相』の中には真理と書いて、「キリスト」とフリ仮名をつけてある箇処が所々にあるのであります。「キリスト」というと、三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男の事だと、こう思っている人もありますけれども、あれはキリストの応現身であって、肉体的に或る時代に適するように応じて現れた姿であって、「本当のキリスト」は「真理」そのものであり、始めなく終りなく宇宙に充ちている所の真理そのものである訳なのです。その真理そのものは久遠不滅であるから、初めであり終りであり、永遠に不滅である、というので白髪の老翁の長寿の姿をもって人格化して出て来られている――こういう事になっている訳であります。

   内にやどるキリスト

 さて、新たに生れる問題でありますが、キリストの弟子のパウロという人が言っておりますが、「も早われ生くるにあらず、キリスト我れにあって生くるなり」この自覚が「新たに生れる」生れ更りであります。肉体の自覚からキリストの自覚に新たに生れるのです。自分という肉体的な存在が生きているのではなくて、「キリストわれにあって生くるなり」という所の自覚を得ることが、新たに生れることであります。

 「谷口先生はキリストの再来である」なんておっしゃる人もありますけれども、キリストは真理であり、普遍的な存在でありますから、私だけがキリストの再来じゃない、皆さんすべてにキリスト――即ち真理が宿っているから、パウロと同じように「キリストわれにあって生くるなり」という自覚を得るならば皆さんは「われキリスト」の自覚を得られたのであって、キリストの再来であるわけなんです。

 諸君、「汝自らを知れ」というソクラテスの言葉を、深い意味に於て如実に知ってですね、「自分というものは神の生命なんだ。最早われ生くるに非ず、キリスト我にあって生くるなり」と自覚するんですね。これを忘れるから不可(いか)んのですよ。これが根本問題であって、戦争が起るのも、人類の一人一人がキリストだという事を忘れているからですよ。自分が「愛」そのものであるところのキリストだという事を忘れているところに、色々の争いが起り、奪い合いが起り、色々面白からざる事が起ってくるのであります。自分がキリストであるという事を忘れて、自分は「煩悩の猿(ましら)」であると、ダーウィンの進化論などから、人間は獣類の子孫だなどと思って、人間が神の子であり、キリストであるという事を忘れている――其処に一切の混乱の源があるんですよ。

 仏教では「キリスト」と言わないで「仏性」と言うんです。つまり自分に宿っている処の仏性――仏なる本性がキリスト教では「内在のキリスト」であります。日本的に言えば「ミコト」なるものであります。何宗教にも偏らない用語を使えば「真理」と言うべきであります。神道でもキリスト教でも仏教でも同じ事です。生長の家は万教帰一であります。

 だから此の講習会に集って居られる方々には、いろいろの宗教の方々がいられる。仏教各宗の人も居られるし、キリスト教の各派の人も居られる。或いは教派神道の方々も居られる。こうして色々の宗教の人が生長の家に来て教えに触れられる。すると、“自分の信じておった宗教の神髄は本当はこういう意味であったのであるか”という事が判って其の宗教が本当に有りがたくなるのが生長の家であります。それで、自分が燈台だと言わないで「七つの燈台に火を点ずる者」というのであります。
<つづく>

664復興G:2013/04/19(金) 11:57:08 ID:AB6RqYXc

<つづき>

神示講義『神ひとに語り給ふ』より

 七つは完成の数でありまして一切を包容する意味であります。燈台というのは世を照らす光であって、世の光となる宗教の象徴であります。ところで、現在はまだあらゆる世を照らす光である筈の宗教が眠っていて其の法燈が消えているのであります。もう大分眼が覚めたらしい宗教もあるのですけれども、生長の家が二十七年前に出現した時分は、大抵の宗教は眠っておって燈がついていなかったのであります。

 だからどの宗教でもみな教祖の時代には、いろいろの奇蹟が現れたり、魂を本当に目覚めさせて如実に人間を救う事ができたのでありますけれども、それが段々弟子から弟子へ伝わり、それが「又弟子」に伝わりしてゆく中(うち)に、教えが段々水増しをするように迷いで薄まって、到頭、レッテルだけが「キリスト教」と書いてあって中身は別物が入っていたり、或いはレッテルは「仏教」と書いてあって、中身は釈尊のお説きになった真理がない水だけが入っているというような宗派ができて来ました。

 そして、そういう様な中身の異るものを「キリスト教」とか「仏教」とか言って売っているという様な事でありますから教祖が出現せられた時代にあらわれていた奇蹟があらわれなくなった。そしてその奇蹟があらわれないことを弁解する為に、奇蹟のあらわれる宗教を治病宗教とか新興宗教とか言って攻撃しておれば、自分の宗教が偉いように見えるだろうと思うような間違を犯して、テンとして恥じないようになって来たのであります。

 イエスでも釈尊でもはじめて出現したときには、既成宗教にあきたらないで出発した新興宗教であって、奇蹟が続々あらわれていたのであります――ところがその法燈が途中で消えて居たのですから、人生という航路を行く舟が難破するというのは無理がないという訳であります。

 其処で神様がそれに燈を点(つ)けなければいかん、という訳で、世を照らす光の燈台である各宗の教えに、生きた火を点ずる役目として出現せしめられたのが、生長の家であります。燈をつけるのであって、決して各宗の燈台を壊すのではないんですから安心せられたいのであります。だから私たちは決して生長の家へ改宗してやって来いとは言わないのであります。皆さんの信じていられる今迄の宗教のそのままでそれに本当に世を照す事のできる燈がついたらそれでいいんでありますから、生長の家にあらわれた神さまは『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好いという風に「新天新地の神示」に示されているのであります。

   (神示講義『神ひとに語り給ふ』より。原文は正漢字・歴史的仮名遣ひ)

665トキ:2013/04/19(金) 12:13:24 ID:4obc7AKc
 スエーデンボルグについて研究をしている渋谷協さんという人が書いた
「スエーデンボルグに啓示された死後の世界」(神智と神愛社、昭和42年
12月10日)という本に、谷口雅春先生の「続 人間死んでも死なぬ」
について、谷口雅春先生が霊媒の言葉をありがたがる事の危険性を指摘され
た点について、霊媒の言葉だからと言って信用できないとは限らないと反論を
しています。渋谷さんは、日本スエーデンボルグ協会の創立者のようです
から、渋谷さんの立場からは、それは当然かもしれません。

 確かにスエーデンボルグは詳細な著書を遺しており、それは貴重であると
は思います。

 しかし、こういう霊的なレベルでの信仰で留まっているのが本当に人間
の向上につながるのか、という疑問はあります。

 私の知り合いの霊能力者の方も、多くの人の相談にのっていましたが、その
相談の内容があまりにも物質的な利益を目的としたものであることに失望し、
相談をやめてしまった、という事がありました。

 青年の書のはしがきにもありますように、霊的な部分の研究は限定的にされる
べきもので、やはり、本道は神様の事にあると知るべきかと思いました。

 その観点から見て、神様について勉強ができる機会を提供して下さる復興G様
には深く感謝申し上げます。

666復興G:2013/04/19(金) 14:00:42 ID:AB6RqYXc

さて、『生命の實相』第3巻巻頭に掲げられた最初の二つの神示について、谷口雅春先生の「神示講義」にはどのように書かれているか、今夜からのweb誌友会のために資料として、謹写掲示させて頂きます。

まず、最初の「声字即実相の神示」です。
これは、『到彼岸の神示』125頁〜から。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

〔ご講義〕

   「吾が第一の神殿は既に成れり。名付けて『生命の實相』と云う。完成(ななつ)の年になりて吾が第一の神殿が完成するのも生命の顕現には周期的波動があるからである。七つが事物の顕現の周期律になっている。吾れに神殿は不要であると嘗て示したことがあろう。吾れは道(みち)であるから、吾が道(ことば)を語るところに吾が神殿は築かれる。吾が道(ことば)を載せた『生命の實相』こそ吾が神殿である。『生命の實相』は吾が本体であり、無形の『生命の実相』を形にあらわしたのが『生命の實相』の本である。『言葉』を載せた書物を『本』と云うのも、『言葉』こそ事物の本(もと)であり、本質であり、本体であり、本物であるからである。『言葉の宇宙』が先ず出来て、『形の宇宙』がその映像(かげ)としてあらわれるのである。……」

 新約聖書の『ヨハネ伝』第一章には「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言(ことば)は神なりき」とありますし、旧約聖書の『創世記』には「元始(はじめ)に神天地を創造(つくり)たまえり。地は定形(かたち)なく曠空(むなし)くして黒暗(やみ)淵(わだ)の面(おもて)にあり。神の霊、水の面(おもて)を覆いたりき。神光あれと言いたまいければ光ありき」とあります。万物の最初の創造――光の創造は「言いたまいければ」即ち“言葉”によって行われているのであります。弘法大師も『声字即実相』と仰せられており、「声」即ちコトバ及び「字」即ちコトバが形象化したものは、事物の「実相」即ち「本質」であると説いていられるのであります。

 それでは「言(ことば)」とは何であるかと言いますと、「太初(はじめ)に言(ことば)あり」でありまして、事物の生れる「太初(はじめ)」に言(ことば)がある。「太初」というのは根本原因のことであります。「第一原因」と言っても宜しい。第一にあるものがコトバであって、それが創造力をもっていて、第二、第三と、次々に現象が生れて来るのであります。そのことが「『言葉』を載せた書物を『本(ほん)』と言うのも、『言葉』こそ事物の本(もと)であり、本質であり、本体であり、本物であるからである」と爰(ここ)には示されているのであります。

 生長の家はコトバの宗教でありまして、コトバの力によって人類の心を浄め、地上に起る事件を浄化し、この世から一切の不幸を除去し地上に天国浄土を建設しようという運動であります。

 宇宙創造の本体にまします神はコトバであり、『ヨハネ伝』に「万(よろず)の物これ(註・コトバ)に由りて成り、成りたる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし」とありますように、万物は悉くコトバの創化力によって出現したのであります。

 だから事物の「成就」することを「成る」(鳴る)と言います。即ち「成る」と「鳴る」とは語源が一つでありまして、事物の第一原因はコトバであり、コトバは鳴り響くから「鳴る」即ち「成る」と言うのであります。すべての「事物」を「事」と言うのも、「事」の本質は「言」であり「事」と「言」とは同一語源であるからであります。

 私たちは事物を確認するときに、「これは何々と言うものである」と申しますが、「言うもの」とは「言」にほかならないのであります。「これは陶器と言うものである」と言えば、陶器は「陶器と言うコトバ」であると、その本質がコトバであることを顕わしているのであります。

 これを文語体で表現しますと、「これは陶器なり」と申しますが、「なり」(也)と言うのは「鳴り」であります。「これは陶器也(なり)」とは「これはコトバが鳴りひびいて陶器として顕れているのだ」という意味であります。そのようにコトバは事物の本質でありますから、コトバを載せた書物を「本」と言うのであり、コトバが世界を左右することにもなるのであります。
<つづく>

667復興G:2013/04/19(金) 14:01:26 ID:AB6RqYXc

<『到彼岸の神示』より 「声字即実相の神示」ご講義のつづき>

 ――(中略)――

 神はコトバであり、コトバが実相であり、形は現象でありますから、そういう宇宙普遍の真理のコトバ――実相のコトバ――であるところの神のお住いとしては神殿や社殿よりも「真理の言葉」を載せ、それを披(ひら)いて、読む人々が自然に救われるような書物こそ、真に神の坐し給う「神殿」と称すべきでありましょう。だから、神様は、

  「吾が第一の神殿は既に成れり。名附けて『生命の實相』と云う。」

 と、『生命の實相』の初版の本が出たときに宣言せられたのであります。

 いくら、そのような宣言が書かれてありましょうとも、それが唯の人間の作文であって、何等の効果もないような書物なら無価値でありますけれども、実際にその本を披いて読むことによって、医界不治の癌が治ったり、死刑囚さえも死刑から免除されて幸福な生活に入ることができるという――そういう事実があらわれて来るのだから、(拙著『私はこうして癌が治った』及び遠藤義雄氏著『真理は死刑の鎖も断つ』日本教文社刊参照)この『生命の實相』の本は、ただの人間たる「私」が書きおろした本ではなく、「私」を媒介として、或る神秘なる力が書いたればこそ、そのような神秘的力を発揮するのだと考えられるのであります。

 ――(中略)――

 この神示にある「吾が第一の神殿は既に成れり。名付けて『生命の實相』と云う」とあるのは最初の革表紙三方金の『生命の實相』の本が、私がまだ兵庫県住吉村にいた頃にはじめて出た最初の版の『生命の實相』のことでありまして、それが昭和七年一月に製本が完成したことを、昭和七年の七に因んで、それが決して偶然のことではないと教えられている訳であります。

 『言葉の宇宙』即ち「神の想念による宇宙」が先ず出来て、それが『形の宇宙』即ち「現象の宇宙」として時間的序列を通して出現するときには、“数霊”による周期率を以って展開して行くのであります。

 大体、生命の発展周期は三と五と七との倍数で展開して行くのでありますが、爰には昭和七年に『生命の實相』の初版が出たことに連関して「七」についての因縁だけが説かれているのであります。男の大厄が四十二歳というのも、これは七の六倍で、人間の運命転換の数になっております。必ずしも悪い転機になるのではないのでありまして、私などは四十二歳の男の大厄の年、そして家内が三十九歳(三の倍敷)の女の大厄の年に上京移転して、生長の家の人類光明化運動が大発展を途げたのであります。

 「今迄の宇宙は、『言葉』が実相を語らず、不調和で濁っていたから、宇宙の万物の運行が乱れて生活苦や、病気や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起ったのである。『生命の實相』の本が出た以上は、言葉が実相を語り、善き円満な調和した言葉の『本(もと)』が調うたのであるから今後何事も急転直下する。

 『生命の實相』を披(ひら)くだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己生命の実相を知り、歓喜踊躍して手の舞い足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟(さんばそう)に過ぎない。その歓びの相(すがた)こそ人間の生命の実相である。吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披いて読むものにさせたのも象徴的因縁あることである。『生命の實相』を展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。……」

 「『言葉』が実相を語らず、不調和で濁っている」というのは、人間の想念及び言語が実相の円満さをそのまま讃美し感嘆するような言葉を内容とせず、対立感情で悪口を互いに言い合っているような言葉で濁っていることなのです。

 実相の世界は、神の創造そのままでありますから、実相の世界には、生活苦や、病気や、天災や、戦争など色々の不調和なことはないのであります。それなのに現象世界にそのような不調和ばかり頻繁に起っているのは、「実相世界」の風光が現象世界に展開する過程に於て、人間の「心のレンズ」が曇っていて、実相と同調しない濁った想念(コトバ)を発しているからなのであります。

 しかし、『生命の實相』の本が出た以上は、それに書かれている言葉は、言々これ実相の言葉でありますから、「言葉の本が正されることになったのだから何事も急転直下してよくなる」と示されているのであります。
 (嘗て、鶴見の総持寺の管長で、一代の傑僧と言われた伊藤道海老師が『生命の實相』を『宇宙』誌上で評して「言々これ佛の語(ことば)」と書いたことがありました。)
<つづく>

668復興G:2013/04/19(金) 14:02:23 ID:AB6RqYXc

<『到彼岸の神示』より 「声字即実相の神示」ご講義のつづき>

 兎も角、実際、『生命の實相』を披いて読むだけで病念が去り、病気の治った人もあれば、煩悶が解決した人もあり、人間の生命の実相は“神の子”であるという真理を語って歓喜踊躍した人は幾千幾万あるか数え切れないのであります。

 これは何故かと言うと、すべて現象世界の善きものは、「実相世界」にあるものの展開でありますから、「実相」を心で観ずることによって展(ひら)いたら、現象界にも実相界の円満完全な有様が投影されて実現することになるのであります。その象徴として『生命の實相』の本を披くことによって、現象界にも家庭調和や病気の治癒や色々の功徳が実現するようになっているので、そのことを、神示には、

 「吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披いて読むものにさせたのも象徴的因縁あることである」

 とお示しになっているのであります。次に神示はこのように説いておられます。――

 「今は過渡時代であるから、仮相の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦いはその序幕である。

 神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。」

 これは日支事変中に啓示された神示でありまして、「日支の戦いを序幕」として、「まだまだ烈しいことが今後起る」と書かれているのであります。

 日支事変から大東亜戦争にかけて戦争中には“日本軍は皇軍であり、皇軍は神軍天兵である”とよく言われたものでありますが、この神示には、日支の戦いも、それを序幕として起る戦いも「神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏って自壊するのだ」と書かれています。

 実相の世界には「戦争」そのものが無いのでありますから、戦って敵を傷つける神軍というものは存在しないのであります。すべて戦って互いに相傷つく者は「迷い」と「迷い」との衝突であります。
 過去の人類の迷いの念が具体化して戦争が起るのは、過去に蒸発した水蒸気が或る時期が来れば大雨となって降下し、一時大いに荒れるが、台風一過して空気が澄み切るように、一時戦争としてあらわれて人類の過去の「迷い」(憎みや民族的嫉妬、憎悪等)が消えるのをケミカライゼーションと言ったのであります。
 こうして日支事変に継続して起るであろうと予告された大東亜戦争も「迷い」と「迷い」とが衝突して消えるための自壊作用であったのは論(い)うまでもありません。

 併し私は、正直に言って、大東亜戦争中、日本軍が勝つように努力協力致しました。
 “言葉の力”を知る私が、当時軍の指導によって、“必死”(必ず死ぬ)“決死”(きまって死ぬ)を掛声とし、「海征(ゆ)かば水漬(みづ)く屍(かばね)、山征かば草生(む)す屍……」の歌をうたって、国に報いるには「一死報国」のほかはないと、言葉の力をきわめて「死」を讃美している日本国の有様を見ましては、黙っておれませんでした。
 そんな死を讃美し「草生す屍」を礼讃する言葉を使っていては日本海軍は「水漬く屍」になり、日本陸軍は「草生す屍」になり、結局は日本の敗載になるほかはないと思いまして、到る処の講習会場で、私は「必死、決死、水漬く屍」の掛声をやめよ。「皇軍必勝・必勝生還」の標語をつくり、その“言葉の力”を強力に日本全土にひろめなければならないと講演したのであります。
 そのため、私は各講習会場でその講話をし、且つ「皇軍・必勝」の四文字を講習会毎に五百枚ずつ短冊に揮毫して、講習会員に無代進呈し、その短冊を自宅の壁又は柱に掲げて家族全部がその文字を観ながら『皇軍必勝』の“言葉の力”を念ずるようにお願いしたのでありました。
 私はその短冊を書くために毎夜午前二時頃まで労することもありましたが、終戦までにやっと五万枚を書くことができましたが、「海征かば水漬く屍…」の歌を念ずる人は、満洲国だけでも三千万人、日本人の軍需工場や軍隊でその歌を唱っている人が数千万人……私の五万枚の「皇軍必勝」の短冊のコトバの力は、数千万人の「水漬く屍」のコトバの力に対してはまことに衆寡敵せずでありました。
 ついに日本海軍はレイテ沖の海戦で目ぼしい軍艦の殆ど全部があの「海征かば……」の歌の言葉の通りに海の藻屑と化してしまったのでありました。
<つづく>

669復興G:2013/04/19(金) 14:03:08 ID:AB6RqYXc

<『到彼岸の神示』より 「声字即実相の神示」ご講義のつづき>

 実に「言葉の力」は恐ろしいものであります。こうして、「迷い」と「迷い」とは相搏って自壊いたしましたが、「生命の実相をしつかり握って神に委せているもの」はその恐るべき自壊作用の中に於ても、何等傷つくことなく、原子爆弾の放射を近距離に於て受けても、少しも傷つくことがなかったのであります。

 その一例を申しますれば、終戦後、宮崎県北部の生長の家連合会長や青年会長をしておられた甲斐信佳(かい・のぶよし)君であります。
 この人は満鉄につとめておられましたが、結核にかかったため、内地へ還って養生するよう社命を受けて日本へ帰って来たのでありました。
 日本へ帰ると生長の家に触れ、『生命の實相』を読んで、「人間神の子、本来無病の真理」を知り、結核が癒やされて健康になりましたので、恰も大東亜戦争の末期に臨んで、召集令状を受けたのであります。

 甲斐君が考えるには、
 「僕は生長の家に触れて病気が治ったのであるから、応召して行く前に、一度でよいから、谷口先生の直接の講習会を実地に受けて、自信力をつけて戦場へ行きたい。」
 そこで何処に講習会があるかと調べてみると当時、久留米に私の講習会があったので、宮崎県から態々(わざわざ)久留米へ来て講習をお受けになったのであります。その時、私は例の通り、死を讃美するような歌や、「水漬く屍」になるような歌を唱ってはならない。言葉はカリソメに言った言葉でも実現するから――と言って講義していたのであります。
 すると甲斐信佳君が、戦場で腹巻にする布をもって来て「これに皇軍必勝、必勝生還と書いてくれ」と言って墨を摺ってもって来られたのであります。その通り書いてあげましたら、甲斐君は悦んで応召して行かれた。
 任地は先ず九州長崎であったのであります。甲斐君は長崎に原子爆弾を落されたときには高射砲隊に属していて、測高機によって敵機の高度を測って、高射砲の射手にそれを伝える役目をしていたのであります。
 昭和二十年八月九日は非常に暑い日だったので、隊員は上着もシャツも脱いで上半身は裸になっていました。甲斐君は裸の背を空に向けて前にかがみ込んで測高機の目盛を見詰めていました。彼の裸の背には何の遮蔽物もないのでした。そのとき可成り近い距離で原子爆弾が爆発した。
 裸の背には明かに放射能に触れて一時薄赤く陽にやけたようになっていましたが、甲斐君はその後、何らの肉体的故障を経験することなく、元気で今も光明思想普及に活躍していられるのであります。
 まことに、此の神示にありますように「生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない」というのは事実でありまして、原子爆弾と雖も、甲斐君を傷つけることはできなかったのであります。

670復興G:2013/04/19(金) 14:21:24 ID:AB6RqYXc

>>665 :トキ様。

ありがとうございます。

「至上者の自覚の神示」に、次のようにありますね。

        ○

 (前略) 人間の偉大な仕事を皆憑霊(ひょうれい)の仕事のように説いて、人間をただ憑霊の傀儡(かいらい)のように教える者があるが邪教である。人間の本性に憑霊の示唆よりも偉大なものがあることを教えるものこそ正しき教である。人間は肉体でもなければ傀儡でもない。人間は霊であり神であり自主である。若し憑霊が『霊』であるが故に、偉大なる教を説き、偉大なる仕事が出来るならば、人間自身も『霊』であるが故に偉大なる教を説き、偉大なる仕事が出来ることも当然でなければならぬ。ただその教や仕事に高下があるのは霊界の霊にも、人間にも、自己内在の無限性の掘りさげ方に差があるからである。
 釈迦は決して憑霊の傀儡ではない、キリストも決して憑霊の傀儡ではない。いずれも自己内在の無限性を掘下げて、ついに仏性に達し、神性に達したから、霊界の諸霊来って此の二聖に事(つか)えたのである。釈耶の憑霊ばかりを観て釈迦が自覚したところの仏性、イエスが自覚したところの神性を見ない者は憐れである。憑霊が説くほどの教なら人間自身も霊であるから説き得べきであるのに、釈耶の教を釈耶自身の教ではなく憑霊の教であると説くスピリチュアリズムは自己撞着に陥っているのである。人間よ、人間自身の尊厳を自覚せよ、これを自覚することは人間自身の尊厳を奪還することである。『生長の家』は人間自身の尊厳を奪還せんがために出現した人生の燈台である。
(昭和八年三月十六日神示)

        ○

 ありがとうございます。

671トキ:2013/04/19(金) 18:35:47 ID:4obc7AKc
>>670

復興G様

 的確なご指導、ありがとうございました。確かにそうですね。

672トキ:2013/04/19(金) 19:45:42 ID:4obc7AKc
>>669

 素晴らしい記事をご紹介下さり、ありがとうございました。

 少し前まで、教区の先達には兵隊さんに行った経験のある人が多数おられました。
その中には、招集当時、既に生長の家に触れておられた人もおられましたが、そういう先達は
不思議に激戦地を避け、自分も負傷しないし、敵兵も殺さない、という体験をもった人ばかり
だったと記憶しております。

673a hope:2013/04/19(金) 20:58:26 ID:6kIbHHgs
第13回web誌友会開会の時刻 が近づいてまいりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉と掲載させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

674a hope:2013/04/19(金) 21:01:54 ID:6kIbHHgs
続きまして、聖経「真理の吟唱」より『人類全体を祝福する祈り』を謹写させていただきます。


『人類全体を祝福する祈り』

神はすべての創造主(つくりぬし)であり給う。
神は全能であり給う。
神はコトバにて万物を造りたまうたのである。
その全能なる神のコトバわれにやどり給うてわが生命と成り給えり。
されば我がコトバにて宣言することは必ずそれが具体化して現象界に現われてくるのである。

われは大いなるコトバの力にて、豊かなる富が人類に実現することを宣言するのである。
それゆえに、時間空間面に於ける秩序を通して必ず豊かなる富は世界の人類に実現するほかはないのである。

われは今、神の大いなる〝言葉の力〝にて人類全体の幸福を宣言するのである。
それゆえに、人類全体は必ず幸福になるほかはないのである。

われは今、神の大いなる〝言葉の力〝にて人類全体の平和を宣言するのである。
それゆえに人類全体は必ず平和になるほかはないのである。

われは今、神の大いなる〝言葉の力〝にて人類全体の正しき方向への進歩を宣言するのである。
それゆえに人類は必ず正しき方向へ進歩するに相違ないのである。

われは今、神の大いなる〝言葉の力〝にて人類全体の健康を宣言するのである。
それゆえに人類全体は毎日層一層健康を実現して行くことに間違いはないのである。

かくてわれは神の大いなる〝言葉の力〝にて人類全体の富裕と、幸福と、平和と、健康との念を宇宙に放送するがゆえに、
それらは必ず実現するとともに、その反響として人類の富も幸福も平和も健康もことごとく自分に撥ね返ってきて、
私は全人類から祝福される人となるのである。

まことに私は神が人類を祝福せんがために遣わされたる天の使いとして全人類を祝福するがゆえに、
われに還り来る祝福もまた無限であって限りを知らないのである。

無限の進歩向上が自分には約束されているのである。
今日もまた自分は進歩するのである。
明日もまた自分は進歩するのである。
進歩し向上することはまことに悦ばしきかな。

神は無限の内容をもちたまうがゆえに、神の自己実現である自分は、
時間空間のスクリーンを通してその無限を展開して行くのである。
内容が無限であるから、どれだけ進歩向上しても、尚なお向上発展の余裕が残されているのである。

私は今日も生長し前進する。
私は明日も進歩する。
私はさらに明後日も向上するのである。
生長、進歩、向上は、〝神の子〝たる者、神の自己顕現である自分の使命であるのである。
自分は何物にもこの進歩向上を阻まれるということはないのである。
自分の前進を妨げる者は何処にも存在しないのである。
進歩は神の御心であり、生長は神の意志である。
私は常に善き方向に新しく進むのである。
私は神と偕(とも)に前進し、神と共に新しいアイディアを生み出(いだ)し、神と偕に常に新しき生活に進み行く。
われは幸いなる者なるかな。
神に深き感謝を捧げます。

合掌。

675トキ:2013/04/19(金) 21:02:27 ID:4obc7AKc
>>673

 ありがとうございます。

676復興G:2013/04/19(金) 21:24:24 ID:AB6RqYXc

>>673>>674
a hopeさま。

すばらしい開会「準備祈願」のお祈り・聖経「真理の吟唱」より『人類全体を祝福する祈りを、ありがとうございました。

力強いパワーが湧き出てきました。

感謝 合掌。

677トキ:2013/04/19(金) 21:33:44 ID:4obc7AKc
>>674

 すばらしい一節です。今回の誌友会にふさわしい祈りだと思います。

678復興G:2013/04/19(金) 21:43:48 ID:AB6RqYXc

web誌友会開会の時刻になりました。

上記、a hope様が謹写して下さいました聖経「真理の吟唱」のお祈りの言葉は、まことに「声字即実相の神示」を生活に生かすお祈りであったと思います。

>>666に謹写させて頂きましたように、「声字即実相の神示」のご講義に、次のように記されていました。

       ○

「言(ことば)」とは何であるかと言いますと、「太初(はじめ)に言(ことば)あり」でありまして、事物の生れる「太初(はじめ)」に言(ことば)がある。「太初」というのは根本原因のことであります。「第一原因」と言っても宜しい。第一にあるものがコトバであって、それが創造力をもっていて、第二、第三と、次々に現象が生れて来るのであります。そのことが「『言葉』を載せた書物を『本(ほん)』と言うのも、『言葉』こそ事物の本(もと)であり、本質であり、本体であり、本物であるからである」と爰(ここ)には示されているのであります。

 生長の家はコトバの宗教でありまして、コトバの力によって人類の心を浄め、地上に起る事件を浄化し、この世から一切の不幸を除去し地上に天国浄土を建設しようという運動であります。

 宇宙創造の本体にまします神はコトバであり、『ヨハネ伝』に「万(よろず)の物これ(註・コトバ)に由りて成り、成りたる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし」とありますように、万物は悉くコトバの創化力によって出現したのであります。

 だから事物の「成就」することを「成る」(鳴る)と言います。即ち「成る」と「鳴る」とは語源が一つでありまして、事物の第一原因はコトバであり、コトバは鳴り響くから「鳴る」即ち「成る」と言うのであります。すべての「事物」を「事」と言うのも、「事」の本質は「言」であり「事」と「言」とは同一語源であるからであります。

       ○

 ですから、私たちは、現象にいかなる混乱や困難な情況が現れていようとも、

「今は過渡時代であるから、仮相の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦いはその序幕である。神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏(う)って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起こるであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。」

と神示にあるとおり、安心して、使命感のままに前進させて頂きましょう。

皆さま、どんどん思うところをお書き込みください。

679a hope:2013/04/19(金) 21:45:12 ID:6kIbHHgs
復興Gさま トキさま みなさま 

ありがとうございます。

今回の『人類全体を祝福する祈り』は今朝の神想観のあとに選び謹写しました。
わたしは、毎朝の神想観の後に「真理の吟唱」を唱えるのですが、毎日どの祈りを唱えても心から感動して、
神への感謝の気持ちでいっぱいになります。

みなさま、今回も、どうぞよろしくお願いいたします。

680トキ:2013/04/19(金) 21:48:33 ID:4obc7AKc
 今回もよろしくお願いいたします。皆様のご参加を心からお待ちしております。

合掌 ありがとうございます

681復興G:2013/04/19(金) 21:55:30 ID:AB6RqYXc

>>667

       ○

 「今迄の宇宙は、『言葉』が実相を語らず、不調和で濁っていたから、宇宙の万物の運行が乱れて生活苦や、病気や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起ったのである。『生命の實相』の本が出た以上は、言葉が実相を語り、善き円満な調和した言葉の『本(もと)』が調うたのであるから今後何事も急転直下する。

 『生命の實相』を披(ひら)くだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己生命の実相を知り、歓喜踊躍して手の舞い足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟(さんばそう)に過ぎない。その歓びの相(すがた)こそ人間の生命の実相である。吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披いて読むものにさせたのも象徴的因縁あることである。『生命の實相』を展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。……」

 「『言葉』が実相を語らず、不調和で濁っている」というのは、人間の想念及び言語が実相の円満さをそのまま讃美し感嘆するような言葉を内容とせず、対立感情で悪口を互いに言い合っているような言葉で濁っていることなのです。

 実相の世界は、神の創造そのままでありますから、実相の世界には、生活苦や、病気や、天災や、戦争など色々の不調和なことはないのであります。それなのに現象世界にそのような不調和ばかり頻繁に起っているのは、「実相世界」の風光が現象世界に展開する過程に於て、人間の「心のレンズ」が曇っていて、実相と同調しない濁った想念(コトバ)を発しているからなのであります。

 しかし、『生命の實相』の本が出た以上は、それに書かれている言葉は、言々これ実相の言葉でありますから、「言葉の本が正されることになったのだから何事も急転直下してよくなる」と示されているのであります。

       ○

 上記ご講義(『到彼岸の神示』)を拝読して、皆さま、何をお感じになるでしょうか。

682トキ:2013/04/19(金) 22:22:44 ID:4obc7AKc
>>681

 今、テレビを見ますと、米国で爆弾事件があり、また、それに関連していろいろな事件が起こっているみたいです。
報道によれば、犯人はチェチェン人とのことです。このチェチェン人は、旧ソ連の少数民族です。共産党時代に、
弾圧を受け、住んでいる土地を取り上げられたなどの迫害を受けました。当然、彼らは、こういう不当な迫害には
抵抗し、そのために、また、弾圧を受けるという繰り返しになりました。ソ連崩壊後は、今までの民族主義の高まり
から、とうとうソ連と戦争になりました。この戦争になった経過も不透明なものがありますが、今も争いは続いて
おります。

 もちろん、チェチェン人から見たら、ソ連に酷い弾圧を受けたので、その動機は必ずしも間違いではないのですが、
その争いが長年続いたために、ついにはマラソンの会場で無関係の市民を標的とした爆弾事件を起こすまでになった
のです。憎しみの言葉が悪い結果を生んだ事例だと思いました。

 つぎに逆の事例です。

 中国から弾圧を受けたダライラマは、アメリカで講演をしたときに、出席者のアメリカ人の学生から

「あなたは不幸ではないか? だって、王様として生まれたのに、中国に国を奪われ、王座も失い、外国で生活を
しているではないか?」と質問を受けました。その時に、ダライラマは

 「確かに、中国の武力弾圧は激しく非難されるべきだった。が、そうなったのは、チベットにも問題があったから
だ。私達は過去、あまりにも閉鎖的だった。が、今、私達は世界に向かって開かれた態度をとり、理解を得ている。
そして、大切なのは、よい言葉を使い、みんなをハッピーにする努力をしている。みんなをハッピーにしているから、その結果は、
必ず未来にはよい実を結ぶと信じている。そういう努力を今、しているから、私達は幸せなんだ。」

と答えたそうです。

 ダライラマは、ノーベル平和賞を受賞し、世界から尊敬を集めていますが、「良い言葉をつかう」という事は
谷口雅春先生がご指導をされた事であります。その意味では、谷口雅春先生も、ノーベル平和賞に相当する
と、勝手に想っています。

683復興G:2013/04/19(金) 22:27:43 ID:AB6RqYXc

現生長の家教団は、

≪『生命の實相』の本が出た以上は、それに書かれている言葉は、言々これ実相の言葉でありますから、「言葉の本が正されることになったのだから何事も急転直下してよくなる」と示されているのであります。≫

と谷口雅春先生が「神示講義」でおっしゃっている『生命の實相』を失っているのです。

それは、何を意味しているのでしょう。

「『言葉』が実相を語らず、不調和で濁っている」というのは、人間の想念及び言語が実相の円満さをそのまま讃美し感嘆するような言葉を内容とせず、対立感情で悪口を互いに言い合っているような言葉で濁っていることなのです。」

と、同「神示講義」には書かれています。

684a hope:2013/04/19(金) 22:34:56 ID:6kIbHHgs

今回のweb誌友会用に、わたしは『到彼岸の神示』を購入しました。
ですから、「声字(しょうじ)即実相の神示」の講義のところは、すでにすべて拝読してあります。
>>681で復興Gさまが、紹介してくださった箇所は、わたしも赤線を引いたところでした。

≪ 『生命の實相』を披(ひら)くだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己生命の実相を知り、歓喜踊躍して手の舞い足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟(さんばそう)に過ぎない。その歓びの相(すがた)こそ人間の生命の実相である。吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披いて読むものにさせたのも象徴的因縁あることである。『生命の實相』を展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。……≫

昔は、(谷口雅春先生ご存命のころ)はただ、『生命の實相』を読むだけでも、このような奇蹟といわれるようなことが当たり前のように次々に起きていたのですよね。
それが、今は、昔のような奇蹟が起きなくなってしまった。

そのことを

≪ 実相の世界は、神の創造そのままでありますから、実相の世界には、生活苦や、病気や、天災や、戦争など色々の不調和なことはないのであります。それなのに現象世界にそのような不調和ばかり頻繁に起っているのは、「実相世界」の風光が現象世界に展開する過程に於て、人間の「心のレンズ」が曇っていて、実相と同調しない濁った想念(コトバ)を発しているからなのであります。≫

この文章から考えると、今現在、「生長の家」に不調和ばかり起こっているのは、わたしたち信徒の「心のレンズ」が曇っていて、
實相と同調しない濁った想念(コトバ)を発しているからということになるのでしょうか?

685復興G:2013/04/19(金) 22:45:22 ID:AB6RqYXc

>>664には

       ○

神示講義『神ひとに語り給ふ』より

 七つは完成の数でありまして一切を包容する意味であります。燈台というのは世を照らす光であって、世の光となる宗教の象徴であります。ところで、現在はまだあらゆる世を照らす光である筈の宗教が眠っていて其の法燈が消えているのであります。もう大分眼が覚めたらしい宗教もあるのですけれども、生長の家が二十七年前に出現した時分は、大抵の宗教は眠っておって燈がついていなかったのであります。

 だからどの宗教でもみな教祖の時代には、いろいろの奇蹟が現れたり、魂を本当に目覚めさせて如実に人間を救う事ができたのでありますけれども、それが段々弟子から弟子へ伝わり、それが「又弟子」に伝わりしてゆく中(うち)に、教えが段々水増しをするように迷いで薄まって、到頭、レッテルだけが「キリスト教」と書いてあって中身は別物が入っていたり、或いはレッテルは「仏教」と書いてあって、中身は釈尊のお説きになった真理がない水だけが入っているというような宗派ができて来ました。

 そして、そういう様な中身の異るものを「キリスト教」とか「仏教」とか言って売っているという様な事でありますから教祖が出現せられた時代にあらわれていた奇蹟があらわれなくなった。そしてその奇蹟があらわれないことを弁解する為に、奇蹟のあらわれる宗教を治病宗教とか新興宗教とか言って攻撃しておれば、自分の宗教が偉いように見えるだろうと思うような間違を犯して、テンとして恥じないようになって来たのであります。

 イエスでも釈尊でもはじめて出現したときには、既成宗教にあきたらないで出発した新興宗教であって、奇蹟が続々あらわれていたのであります――ところがその法燈が途中で消えて居たのですから、人生という航路を行く舟が難破するというのは無理がないという訳であります。

 其処で神様がそれに燈を点(つ)けなければいかん、という訳で、世を照らす光の燈台である各宗の教えに、生きた火を点ずる役目として出現せしめられたのが、生長の家であります。燈をつけるのであって、決して各宗の燈台を壊すのではないんですから安心せられたいのであります。だから私たちは決して生長の家へ改宗してやって来いとは言わないのであります。皆さんの信じていられる今迄の宗教のそのままでそれに本当に世を照す事のできる燈がついたらそれでいいんでありますから、生長の家にあらわれた神さまは『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好いという風に「新天新地の神示」に示されているのであります。

   (神示講義『神ひとに語り給ふ』より。原文は正漢字・歴史的仮名遣ひ)

       ○

とありました。

その「七つの燈台に燈をつける」べき、世を照らす光の燈台であるはずの生長の家が、みずからが燈がついていない状態になっているのでは、お話にならないのであります。

686トキ:2013/04/19(金) 22:45:49 ID:4obc7AKc
>>683

 これは、私ではなくて、私の縁者の「一白鳩会員」が話していた事で、本題とは少しずれるのですが、

 「確かに総裁の指導は全くおかしいし、また生長の家社会事業団が裁判をした点も賛成できないと思います。
 この生命の実相は、普通の本ではなくて、神様の本なのだから、双方が”ワシのものだ”と頑張っているのは
見苦しい話です。

 が、信徒も今まで、聖典を軽く見ていたと感じる。生長の家宇治別格本山の先祖供養の行事でも、お焼香の
ときに、聖経を畳の上にじかに平気で置く人がおおいし、白鳩会の行事でも、生命の実相を粗末に扱う人はよく
見る。今回、こういう事が起こって、はじめて聖典や聖経のありがたみが分かったのではないか。

 その意味では、よい勉強になったと思います。」

という意見を述べていました。

 とはいえ、争いは悲しいとは思います。

 みなさまも、どんどん、ご投稿をお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

687復興G:2013/04/19(金) 22:58:01 ID:AB6RqYXc

>>684 :a hopeさま。

そうですね。

>>今現在、「生長の家」に不調和ばかり起こっているのは、わたしたち信徒の「心のレンズ」が曇っていて、實相と同調しない濁った想念(コトバ)を発しているからということになるのでしょうか? <<

そういうことになりますね。

しかし、です。

榎本恵吾先生の『研修のヒント』に、こうありました。

       ○

    三 今そのままで完全な實相を、讃え喜ぶことが「大懺悔」である

 懺悔には大懺悔と小懺悔のあることを、研修生の諸君はお聴きになったか、あるいは『生命の實相』等の聖典をお読みになってご存じのことと思います。

 小懺悔というのは要するに、心のあり方、行いのあり方、つまり過去のそれらについて、一つ一つ思い出して反省をすることに当ります。これはいわば煙草の煙を、火のついた煙草を持った手で消そうとするようなもので、ますます煙がつのるばかりであります。いくら努力しても混乱が深まるばかりなのであります。また小懺悔は、暗い部屋を明るくするのに、暗さをみがいて消して行って、光りが来てもいいように明るくしてから電燈をつけようとしているようなものでありまして、これでは永遠に部屋は明るくならないのであります。

 これに反して、大懺悔というのは、暗さを放っておいて電燈をつけるようなものであります。電燈をつけさえすればいいのであります。電燈をつけるのに当るのが、「實相を讃え喜ぶ」ことであります。「すばらしい、有難い」と喜ぶことであります。それ一つだけですべての不完全は消えるのであります。なぜならば、神は不完全をつくり給うていないからであります。

 神の創造し給うた世界には、不完全はない――實相の自分を素直に喜ぶことであります。暗ければ暗いほど、その暗さを忘れてしまって、明るさを持ってくることだけをやればよいのであります。たまには實相をみて自分をほめ、たまには現象をみてそれを無くそうと厳しく反省をする、というように、前を向いたり後ろを向いたり、していてはエネルギーの無駄使いとなります。それどころか心が前後に分裂してしまって、ノイローゼになってしまうのであります。ただただ神の子はまっしぐらに、光を喜んで前進するだけでよいのであります。

 あるとき練成を受けに来られた男のご老人がありました。「神の子である私は、すべてよくなる、ますますよくなる」ということを毎日毎日となえて、喜びの生活がはじまったのであります。

 ある日、田んぼに出られて畔(あぜ)の草かりをしていたのであります。「ますますよくなる。ますますよくなる。ありがたい。ありがたい」と喜びながらやっていると、チカッと何かが手にかみついたので、手をあげてみるとマムシがかみついていたというのであります。その人はそのままで、「これでよくなる。ますますよくなる」と言ったというのであります。マムシはバタッと落ちると逃げて行きました。

 それからその人は、マムシの毒のために意識不明になり、高い熱が出て、身体はゴム風船のようにはれ上り、一週間そのままの状態がつづいたのであります。それでもうわごとで「これでよくなる。ますますよくなる」と言っていたそうであります。だいたい、マムシにかまれてここまで生きておられるのがもう奇跡的なことなのでありますが、一週間たちますとハレがいっぺんに引くと同時に、実はその人は全身の関節リュウマチで、冬になると関節に布団針をさしこまれるような激痛に悩まされていたのでありましたが、そのハレが引くと同時にそれっ切り、その関節リュウマチが消えてしまったというのであります。
<つづく>

688復興G:2013/04/19(金) 22:58:56 ID:AB6RqYXc

<榎本恵吾先生の『研修のヒント』 つづき>

 この話には、実にさまざまなものを教えてくれるものがあります。実に素直なこの人の心境が伝わってくるのを憶(おぼ)えるのであります。

 ひとつの体験というものが生まれますと、それを聴く人によってさまざまなものが受けとられるのでありますが、この人がまむしにかまれているのを見たとたん、「自分はここまで練成を受けて来たのに、自分の心の中にはまだ他人(ひと)にかみつきたい心があるから、こんなことになったんだ。自分は駄目だ」という反省の方に心を持っていかず、「これでよくなる。ますますよくなる」と前へ前へとつき進んで行って、決して反省という後ろ向きになっていないところが実にすばらしいと思われるのであります。

 心のあり方に捉われて反省していたのでは、助からなかったのではないかと思われるのであります。ここに、宗教のとりあつかう生命というものが、反省をとび超えて喜ばしいものを実現するものだということを、教えてくれているように思われるのであります。暗さを消すには電燈をつければよい、ということを生きておられる話だと思われます。

「現象は無い」ということ。生長の家のみ教えの根本の真理は「現象なし」ということにあります。現象をみれば、たしかに、この方は人にかみつきたい心があって、その心の現われとしてマムシにかまれるということが出て来ている、ということは間違いのないことなのであります。この心の法則というものは、絶対にくるわせることは出来ないのであります。

 イエス・キリストも「汝もし右の頬をうたれなば、左の頬をもめぐらしてこれに打たせよ」といっているのでありますが、大体イエス・キリストともあろうものが、なぜ人に右の頬をなぐられることになるのかということが問題であります。これはやはりイエス・キリストが人をたたきたい心があるからであります。その結果なぐられることになったということは間違いのないことであります。

 この心の法則というものは絶対に間違いのないことなのでありますが、ただしこれは現象の法則でありまして、現象は無いのでありますから、この法則そのものが「無い」法則なのであります。心の影が現象であるというのですが、心そのものも現象であって、實相、實在ではないのであります。だからこそ、どんなに現象が現われていても實相は傷つくことなく輝きっぱなしであります。

 そして「現象は雲のようなもので、形に現われると心の業も消える」という法則によりまして、たちまち消えて、しみひとつついていない青空ばかりが残るのでありますから、形に現われましたことは放っておいて、實相の方を喜んで行けばよいのであります。

 實相を喜ぶ心は實相の心であります。その心がここに生きており、その心が神でありまして、「これでよくなる。ますますよくなる」という宣言によって、ますます喜ばしいものをその人の周囲に実現して行くのであります。それで「これでよくなる。ますますよくなる」ということにより、このようなすばらしいことが現実化したのであります。

 私たちにとっては、ただただ光りの前進があるばかりであります。

 西洋の物語で、ある山の上にすばらしいものがあって、それをとりに行くのに山頂に近づくと、後ろから美しい声が聴こえてくるのです。そしてその声の方をみようとふりかえると、たちまちその人は石にされてしまう――という物語は、お読みになったことがあると思いますが、この後ろをふりむくというのが、われわれにとりましては過去をふり向いて反省するということにあたるのであります。すると現象の悪に心がひっかかりまして、その悪に自分でつかまって自縄自縛されてしまうのであります。つまり石のように動けなくなってしまうのであります。

 ところが、勇敢にも、どんな美しい声が聴こえて来ても後ろをふり向かず、山頂に登った人があったのです。そして、その宝ものを手にしたとき、今まで石にされていた人々が全部生きかえったという物語であります。

 このように、まっしぐらに光の前進のみをつづけていますと、過去のいまわしいと思われていたことも、「あれがあったればこそ現在がある」とか「あれは自分がつまらないからああなっていたと思っていたが、そうではなく、自分がすばらしかったからこそであったのか」というようなことになって、そのとき、周囲にいられた人々も自分を生かして下さる観世音菩薩様だった、神さまだったと、生き生きと輝く姿で心に甦ってくるのであります。もうこの時、私たちはその人への感謝が出来ているのであります。感謝が出来ているということは、もうそこに神さまが現われてい給うということであります。そしてますます感謝の思いがひろがって行く、ということになるのであります。

689復興G:2013/04/19(金) 23:31:00 ID:AB6RqYXc

ということで、今夜はもうおやすみにさせて頂きましょう。

また明日、明るく楽しい誌友会を続けさせて頂きましょう。

皆さま、安らかにおやすみください。

690あさひ:2013/04/19(金) 23:44:38 ID:/3nxKE2Q
656に
>※ この本部会館は「落成式典」ではなく、生長の家の大神に対して、この会館を捧げるという「捧堂式典」として挙行されている。
神様に捧げたものを勝手に壊すのはいかがなものか。<と書かれていますが、私もそう思います。

691a hope:2013/04/20(土) 00:42:30 ID:6kIbHHgs
あさひさま、こんばんは!

ご参加、うれしいです。
今回もよろしくお願いいたします。


復興Gさま

>>687
わたしは、今までこの掲示板でずいぶん勉強させていただいてきたので、
小懺悔と大懺悔については、自分なりに理解しているつもりなのですが…、
少し、わからないことがあるので教えてください。

復興Gさまが紹介してくださった、榎本恵吾先生の御文章を拝読すると、
恵吾先生が徹底的に実相独在を貫き通されていたのがわかります。

恵吾先生は、心の法則すら現象の法則なのだから「無い」法則だと、言い切ってくださっているので、
わたしはそのような恵吾先生の御文章を拝読すると、どんどん心が軽くなっていき喜びで満たされます。

ところで、この榎本恵吾先生の実相を喜んで、何か悪い(と思われること)が起きても
「これでよくなる。ますますよくなる」と心に念じて生活していくことと、
現教団のいわゆる「日時計主義」とは違いますよね?

「現象の暗い面を見ずに、明るい面ばかりを見て日記を書きましょう」という、
「日時計日記」を以前はつけていましたが、わたしの心は満たされませんでした。
そして、東日本大震災を境につけるのをやめました。

わたしは最近になって、『現象に起きている問題はすべて自分の心の影であるから、相手を責めずまずは自分の心を反省してみよう!』
と考えるようになってからのほうが、家庭生活も、仕事も、友人関係もすべてうまくいくようになりましたが…。

でも、これはまだ小懺悔の段階ということなのでしょうか?

わたしも、今夜はこれでおやすみさせていただきます。
また、明日参加させていただきます。
それでは「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。

692復興G:2013/04/20(土) 06:37:20 ID:AB6RqYXc

神の子の皆さま、おはようございます。

今日も、すばらしい神の子の皆さまと、神様との対話、うれしいすばらしい誌友会ができますことを、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

昨夜は少し早くにやすませて頂き、たいへん失礼いたしました。

トキ様、あさひ様、a hope様のご投稿にしっかり向き合って考え、お答えしてまいります。

>>686 :トキ様。

>> これは、私ではなくて、私の縁者の「一白鳩会員」が話していた事で、本題とは少しずれるのですが、
 「確かに総裁の指導は全くおかしいし、また生長の家社会事業団が裁判をした点も賛成できないと思います。
 この生命の実相は、普通の本ではなくて、神様の本なのだから、双方が”ワシのものだ”と頑張っているのは見苦しい話です。
 が、信徒も今まで、聖典を軽く見ていたと感じる。生長の家宇治別格本山の先祖供養の行事でも、お焼香のときに、聖経を畳の上にじかに平気で置く人がおおいし、白鳩会の行事でも、生命の実相を粗末に扱う人はよく見る。今回、こういう事が起こって、はじめて聖典や聖経のありがたみが分かったのではないか。
 その意味では、よい勉強になったと思います。」
という意見を述べていました。
 とはいえ、争いは悲しいとは思います。<<

 おこたえが遅くなって申し訳ありませんでした。
 全く、「一白鳩会員」様のおっしゃるとおりだと思います。すべて、同感しております。

 今、このように『生命の實相』を大切に学ぶweb誌友会ができるのも、今まで聖典を軽く見て真剣に学んでいなかったために、著作権をめぐる裁判などの混乱がが起きてきたことにより、はじめて聖典や聖経のありがたみが分かってきたからだと言えるでしょう。

 その意味で、現在の状況は、私たち生長の家の神縁に触れたすべての神の子たちに、真剣な勉強、学びを促されている絶好の機会なのだと思われます。
 そう考えると、総裁をはじめ教団の方々、また社会事業団や「学ぶ会」など、“本流”(教団側から言えば“別派”)の方々、共に理由があって現在の状況をつくりだしておられるのだと思えてきました。

 「今」に感謝いたしましょう。そして、「今」としっかり向き合い、「今」の意味をかみしめながら、生命の実相哲学、神様の真理を、しっかり学び、実践させて頂きましょう。ありがとうございます。

693復興G:2013/04/20(土) 07:22:12 ID:AB6RqYXc

>>690 :あさひ様。

ご投稿ありがとうございます。

>>656
>>>※ この本部会館は「落成式典」ではなく、生長の家の大神に対して、この会館を捧げるという「捧堂式典」として挙行されている。神様に捧げたものを勝手に壊すのはいかがなものか。<と書かれていますが、私もそう思います。 <<

 私も、そう思っております。
 当時の谷口雅春先生の御文章に

 ≪光明の塔部の最上層の室は、「栄光の間」と名付けられ、その下の塔部の室は「祈りの間」である。「栄光の間」は、維摩の居室が「空っぽ」であったと同じく「空」であって何の置き物もない。「空」にして無礙光であるのが神であるからである。栄光の間にて拍手して礼拝すれば、四壁にその拍手の響がこもって天地に感応するような感じがするのである。≫

 とあること。また

 ≪建物はただの物質であるけれども、それは百萬信徒の「まごころ」の結集である。「まごころ」と云うものは肉眼に見えないから、肉眼で見ると、ただの実業のビルディングでもこう云う聖堂でもただの「形」である。けれども「まごころ」が結集してこれだけの建物が建つと云うことは「容易ならぬこと」である。≫

 とあることに、深い感銘を受けました。

 「まごころ」は、「神の心」であると思います。
 聖経『続真理の吟唱』の中の「われら“誠”を生きるための祈り」には、次のようにあります。

       ○

    われら“誠”を生きるための祈り (聖経『続真理の吟唱』161頁より)

 “誠”とは「成る言(ことば)」と書くのである。自己に宿る神の至上命令たる“言(ことば)」”を生きることを“誠を尽くす”というのである。その“言(ことば)」”とは、『ヨハネ伝』福音書には「はじめに言(ことば)」あり、言は神とともにあり、コトバは神なりき。よろずのもの是に由りて成り、成りたるものにひとつとして是に由らで成りたるはなし。これに生命あり」と示されていて、更につづいて「この生命は人の光なりき。光は暗黒(くらき)に照る。而して暗黒は之を悟らざりき」と示されているのである。

 ここに「暗黒(くらき)」とあるのは肉体を指していうのである。神の生命が肉体に宿って、肉体に生命を与え給い、見る力、聴く力、知る力、味わう力、創造する力等を与え給うて、肉体を生かして居たまうのである。それなのに、肉体はその内部にある聖なる生命の光に気がつかずして、肉体それみずからの力によって生きているかの如く錯覚していて、内なる光を見ることができないのである。それゆえに“誠”が生活にあらわれないのである。聖書はこれを「暗黒(くらき)」と名づけているのである。しかし肉体が生きているのは、内に輝いている神の生命の光に照らされ導かれ生理作用を営んでいるのである。そしてその光はイエス・キリストだけに宿っているのではない。だから「もろもろの人を照らす真の光ありて、世にきたれり」と聖書は録しているのである。

 「世」とは「世界」のことであるが、「肉体」も一つの世界であるのである。ところが暗黒なる此の物質の世界は、もろもろの人を照らす真の光ありて「世」に来り、その光は「世」に在り、「世」はその光に由りて成りたるに、「世」はこれを知らなかった。それゆえに聖書はこれを歎いて「かれは己の国にきたりしに、己の民は之を受けざり」と書いているのである。

 けれどもこの光を素直に受けて、自分を生かしているのは物質ではない、肉体ではない、自分を生かしている光は神の生命であると悟った者は――という意味で「されど之を受けし者、即ちその名を信ぜし者には“神の子”となる権を与え給えり」と『ヨハネ伝』は書いているのである。「名」というのは「はじめに言あり」のコトバであって、万物及び人間生命の由って来る本質又は実相である。自分の生命の本質は“神のいのち”である。其の実相を知ったとき、人は“神の子”たる権を与えられているのである。
<つづく>

696復興G:2013/04/20(土) 07:41:46 ID:AB6RqYXc

>>691 :a hope様。

>>わたしは最近になって、『現象に起きている問題はすべて自分の心の影であるから、相手を責めずまずは自分の心を反省してみよう!』と考えるようになってからのほうが、家庭生活も、仕事も、友人関係もすべてうまくいくようになりましたが…。
でも、これはまだ小懺悔の段階ということなのでしょうか?<<

a hope様は、すばらしい「一切者の自覚」に立たれて、『現象に起きている問題はすべて自分の心の影であるから、相手を責めずまずは自分の心を反省してみよう!』と考えられたから、すべてうまくいくようになられたのでしょうね。
そして、いつまでも自分を責めているのではなく、「感謝」の気持になっておられるので、必ずしも「小懺悔」にとどまっておられない。「感謝」して「喜ぶこと」こそ「大懺悔」だと、私は思います。

「一切者の自覚」、そして「感謝」はすばらしいですね。
私も、そうありたいと思います。

ありがとうございました。

697復興G:2013/04/20(土) 08:41:19 ID:AB6RqYXc

>>696のつづきです。
『幸福を招く365章』の117頁以下に、次のような御文章がありました。

         ○

    既に天国の饗宴に招かれている

 吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要るのであって、シテもワキも、二枚目も三枚目も馬の脚も要る訳である。吾々は此等の舞台上の役者と議論を戦わす必要はないのである。唯、各々がその役目を最も完全に実現してくれるように祈っていれば好いのである。尤(もっと)も自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだけれども。吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。

         ○

上記
≪それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。≫

――「お役目ご苦労様です」と、それぞれの立場の方たちに感謝しながら、「自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだ」と自覚して、内なる神のみ声を聴き、使命感のままに行動して行く。

そうありたいと思います。

698復興G:2013/04/20(土) 08:54:59 ID:AB6RqYXc

>>694の続きで、思うことすが・・・

>>御神像が山梨県の「森のオフィス」に移されることに決まったそうですから、御神像のない本部の「光明の塔」を遺してもあまり意味はなくなるので、取り壊されることになるのではないかと思われます。<<

 と書きましたが、御神像は、制作当時の状態に復元した新しいレプリカを造ることも可能でしょう。
 レプリカを造ったとしたら、原宿と山梨と、どちらをレプリカにするか。
 原宿の「光明の塔」から現在の像を外して山梨へ移送するのは、破損のおそれもあり大変なことですから、私は現在のものを原宿に遺し、山梨の方に、新しく復元したレプリカを置くのが適当だと考えます。
 皆さまはどう思われますか。

699復興G:2013/04/20(土) 09:13:16 ID:AB6RqYXc

web誌友会の本題からはずれてしまって、申し訳ありませんが、はずれついでに、>>694の続きでもう少し思ったこと――。

昔の日本女性は、各自で裁縫をして、使命を終え使えなくなった縫い針は、「針供養」をして感謝の祈りを捧げてからお返ししたものです。

仮にもし原宿の本部会館を取り壊さざるをえなくなった場合は――「針供養」どころではない、総裁をはじめとして本部職員、信徒一同、「まごころ」からの感謝を捧げ、盛大な感謝供養祭を行うべきだと思いました。

しかし、そうではなく、「本部会館を(耐震補強をして)創建当時に復原、保存を!」ということが、最もよいことであろうと、私は思います。

700トキ:2013/04/20(土) 09:57:37 ID:DWumjrqI
 おはようございます。

 教区の人間から見ますと、本部というのは滅多に行かない場所です。教区五者の場合は、それでも1年に数回は用事で行きますが、
それ以外の信徒さんから見ると、ほとんど行く機会がありません。中には、一生に一度という人もいると思います。そういう人にとって
直接の影響はすぐにはないのは事実です。

 ただ、遠方の教区の人間でも、生長の家以外の用事で東京に行く事はあります。昔は、そういう場合に気軽に寄って、知り合いの本部員
と食事をしたり、本部の早朝行事に出席したり、という事が可能でした。その意味で、地方の信徒にとっては、ある意味では心のよりどこ
ろ、という場面があった感じます。

 ところが、山梨県北杜市というのは、これは山梨県北杜市の皆様には御詫びしますが、あまり他府県の人は行かない場所です。私個人と
しては何か、地理的にも、精神的にも、本部が信徒さんから離れた場所になったような気がします。

 私も、今回の本部移転の話が出てから調べたのですが、今の本部に設立には多くの方の善意の寄付が集まったようです。今と違って、当時
の日本は貧しく、みんな苦労してお金を拠出したと思います。そういう事情を考えると、今回の本部移転は勿論、決定に至る経過も残念に
思う点はあります。あと、山梨県北杜市の市議会で、出席者が生長の家を激しく批判されていた点も、素直に受け取る必要はあると感じます。

 既に山梨県北杜市に本部の建物が着工され、今年の7月7日に移転するので、今更中止にはできないとは思います。が、何らかの形で、
建物の一部やご神像は残せないのか、と考えてしまいます。例えば、東京第一教区は本部の建物の裏にありました。東京第一教区は東京に
残るのですから、地方から出て来た信徒さんの受け皿になるような建物や体制になって欲しいとは思います。その意味では、ご神像も、
復興G様の言われるように、東京にあって欲しいと願います。

701復興G:2013/04/20(土) 10:11:56 ID:AB6RqYXc

トキ様、ありがとうございました。

>>693のつづき、694を修正して再投稿します。
順序が前後しますが、皆さま、693につづくものとしてご覧ください。
(友人の個人情報を削除したものです)

<われら“誠”を生きるための祈り(聖経『続真理の吟唱』より)のつづき>
 「言は肉体となりて我らの中に宿り給えり」われら即ちすべての人間に言は宿っていて、それが仮に肉体の姿をあらわしているのである。この実相を知っても知らないでも本来人間は“神の子”であるけれども、それを知らない間は“神の子”たる権を行使することはできない、一種の放浪者であり、迷い児であるのである。彼は虚仮不実(こけふじつ)の仮存在であって「誠あることなし」である。
 人が誠実に生きるとは“単に真剣に生きる”ということではなく、人間の本質であるところの実相すなわち“神の子”の自覚に基づいて生きることなのである。われらこの真理を悟り得たるは神の導きにほかならず、神に感謝し奉る。ありがとうございます。
       ○
 原宿の本部会館が建設された頃の日本は、敗戦占領下から独立回復後まもなくで、唯物主義の左翼革命運動に国家が転覆しそうな危機的状況にありました。そのとき、ここで青年大会が開催され、ここから「日の丸行進」が行われたりして、世界平和の礎となるべき日本の国を護る運動の拠点ともなりました。
 前記「本部会館を創建当時に復原、保存を!」という友人のアピールの結びに、
 ≪この本部会館は「落成式典」ではなく、生長の家の大神に対して、この会館を捧げるという「捧堂式典」として挙行されている。神様に捧げたものを勝手に壊すのはいかがなものか。≫
 とある言葉に、私も魂が震えました。
 上記のアピールが届いてまもなく、4月8日の日本経済新聞夕刊に載った次の記事が目にとまりました。
       ○
  SL「デゴイチ」引き取り先求む
    静岡市、解体中止し公募
 35年にわたって静岡市内で展示された蒸気機関車(SL)D51形の引き取り先を市が探している。老朽化を理由にいったん解体を決めたが、鉄道ファンから反対の声が相次いだため方針を転換し、保存の道を探ることになった。
 このD51形は1938年に製造され、75年まで北海道で運行。引退にあわせて市がJRから借り受け、葵区の駿府城公園にあった児童会館や、城北公園で展示してきた。
 ここ数年はさびや腐食が目立つように。「無人の公園で展示を続けるのは危険」と判断した市とJRが、いったんは解体撤去を決定した。その後、「壊さないで」という電話やメールが30件以上、寄せられた。市は直前に解体工事を中止。4月中にも引き取り先の公募を始める。
   (2013.4.8 日本経済新聞夕刊)
       ○
 ――SL「デゴイチ」だって、上記のように、いったん解体を決めたものでも、「壊さないで」という電話やメールが30件ばかり届いたら、解体工事を中止したのです。
 原宿の本部会館は、生長の家人類光明化運動の記念建築物として遺されるとも聞いていましたが、御神像が山梨県の「森のオフィス」に移されることに決まったそうですから、御神像のない本部の「光明の塔」を遺してもあまり意味はなくなるので、取り壊されることになるのではないかと思われます。それは、取り返しのつかない、残念なことになるのではないでしょうか。
 「天地は過ぎゆかん。されどわが言(ことば)は過ぎゆくことなし」
 とイエスが言われた、「わが言(ことば)」すなわち神の言(ことば)である「まごころ」のあらわれとして歴史的建物を保存することであり、そのために費用がかかるならば、信徒の「まごころ」による献資を募っても、保存活動をしたら――と思いますが、皆さまはどう思われますか。

702復興G:2013/04/20(土) 10:36:24 ID:AB6RqYXc

>>700 :トキ様。

>>山梨県北杜市の市議会で、出席者が生長の家を激しく批判されていた点も、素直に受け取る必要はあると感じます。<<

――そんなことがあったのですか。存じませんでした。
具体的に、ご存じでしたら教えて頂けませんか?

703トキ:2013/04/20(土) 11:01:02 ID:DWumjrqI
>>702

 失礼をしました。北杜市土地利用審議会の間違いでした。御詫びして、訂正させていただきます。
申し訳ありませんでした。

北杜市土地利用審議会では布教活動をしない施設と宣言 (6980)

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1310

http://www.city.hokuto.yamanashi.jp/biz/machi/machi/pdf/20120614.pdf

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自分達のことしか考えていない (7016)
日時:2013年03月10日 (日) 09時20分
名前:童子

 議事録の末尾に、生長の家関係者が退出した後の委員の発言があります




 ・・・私も我慢をしていましたが、一言言わせていただきます。

 今の宗教法人の方々のお話には決定的な欠陥があります。

 あの人たちは宗教家ですが、分っていません。

 よく話し合いをしろ、ということの意味がわかっていません。

 この人たちは自分達のことしか考えていません。

 自分達のことのみで、物事を進めています・・・・。

704トキ:2013/04/20(土) 11:28:39 ID:DWumjrqI
>>703

 追伸すると、総本山の建立のときには、地元の議会が生長の家招致委員会を作った、という話を聞いています。

 審議会の委員の話を拝見すると、生長の家というよりも、宗教法人への警戒心があるみたいです。しかし、それを
考慮に入れても、地元の方々から歓迎されない姿勢は残念だと思います。

・・・・すみません、話がずれてしましました。

705復興G:2013/04/20(土) 13:38:30 ID:AB6RqYXc

>>703>>704 :トキ様。

上記、北杜市土地利用審議会の会議録は、前に私もプリントアウトしてよく読みました。(それはもう捨ててしまったようで、今手許にはありませんが)光明掲示板の「童子」様の投稿文には、少し誤伝達があると思いました。

議事録の末尾に、生長の家関係者が退出した後の委員の発言として、

>>今の宗教法人の方々のお話には決定的な欠陥があります。あの人たちは宗教家ですが、分っていません。よく話し合いをしろ、ということの意味がわかっていません。この人たちは自分達のことしか考えていません。<<

という
「あの人たちは宗教家です[が]、分っていません。」
のところは、会議録原文では
「あの人たちは宗教家です[から]、分っていません。」
となっていました。

で、「宗教家です[から]」というのは何を意味するのだろうかと考えて、その前後を見ますと、他の営利会社などがこの地に進出してきたときにはこういう(経済的?)利益、便宜を地元に与えた。生長の家もそういうことを考慮してほしいが、「宗教家だから」そういうことは分からないだろう、という意味にとれました。

自分たちの物欲的利益がほしいということなので、生長の家関係者がいる前ではあからさまに言えなかったのだろうと、私は思いました。

で、議長は「分かった。そういうことにも努力するから」という意味のことを言って、結局満場一致で承認された、というのが会議録であったと記憶しています。

物事は偏見や誤解をなくして正確に事情を把握することが必要だと思います。

706トキ:2013/04/20(土) 14:16:10 ID:DWumjrqI
>>705

復興G様

 貴重なご指摘、ありがとうございました。この点について、少し個人的な感想を申しあげます。

 例えば、長崎の総本山の団体参拝練成会では、最後に地元の土産物屋さんを集めて
参加者にお土産を買う時間をもうけています。生長の家宇治別格本山では、盂蘭盆供養大祭
のときに、地元の商工会の協力で盆踊りを開催しています。宗教法人はあくまでも地元から
見たら余所者ですから、地元の溶け込もうとしたら、その点の配慮は必要かと思います。

 聞く所では、今回の「森のオフィス」の建設にあたっては、清水建設だけが担当し、
地元の業者は関与していないみたいです。これは、技術的な理由によるものでしょうが、
地元の人達にしたら、東京の宗教法人が、東京のゼネコンだけで大きな建築をするのは、
理屈はともかく感情的に考えて、面白くないだろう、というのは想像できます。

 大きな工事になると、地元に有形無形の迷惑はかけるでしょうから、どこかで地元の
人にも還元する手法をとれば、と思いました。

 ただ、私の書き方は誤解をうむ表現でしたので、その点は反省し、お詫びしたいと思います。
今後ともご指導の程、お願いを申しあげます。

合掌 ありがとうございます

707復興G:2013/04/20(土) 15:17:58 ID:AB6RqYXc

トキ様

ありがとうございます。

「一切の人に、物に、事に行き届くべし」ですね。

ご意見、ありがとうございました。

708トキ:2013/04/20(土) 15:39:15 ID:DWumjrqI
>>707

 はい、その通りですね。今後きをつけます。

709a hope:2013/04/20(土) 15:48:29 ID:6kIbHHgs

みなさま こんにちは

誌友会での話題が原宿本部や森のオフィスのお話のようです。
それは、すでに教団を退会したわたしが積極的に発言するような内容ではないので発言を控えさせていただいています。

ですが、以前goroさまが『山梨に移転後の原宿本部を取り壊さずに、記念館のような形で信徒の交流の場として提供してくださる』、
というような情報をこの掲示板にお知らせくださったことを思い出したのですが、わたしの記憶違いでしょうか?

goroさまは最近書き込みされていないようですが、ご覧になっているようでしたらその件に関する情報をもう一度いただけるとありがたいです。

原宿本部や御神像の行方はたくさんの信徒の方々にとって、関心度はとても高いのではないでしょうか?
それなのに、この時期になっても、本部から信徒の方々に正確な情報が入らないというのは、
世間一般的に考えるととても不思議なことのような気がしますが…。

みなさんのご意見、ご感想をお待ちしています。

710復興G:2013/04/20(土) 17:03:42 ID:AB6RqYXc

>>709 :a hopeさま。

今日はお仕事でお出かけかと思っていました。

>>誌友会での話題が原宿本部や森のオフィスのお話のようです。<<

これは、web誌友会の本題ではありませんね。

本題は、『生命の實相』をテキストとして学び、「一人ひとりの法燈継承」を考えることでしたね。

本題に戻しましょう。

どうぞ、ご意見、ご質問など、何でもどしどし投稿をお願いいたします。

711a hope:2013/04/20(土) 17:28:50 ID:6kIbHHgs
>>710 復興Gさま

今日は、久しぶりにお仕事がお休みの土曜日なのです。
にお天気も悪いので家で子供たちとゆっくり過ごしていました。

原宿本部会館や森のオフィスのお話も、これからの「生長の家」にとってとても大切なお話だと感じています。
本題からはずれているかもしれませんが、お話する価値のある内容だと思います。

復興Gさま、みなさま、どうぞお話を続けてください。
わたしも、思う事があれば発言させていただきます。

712トキ:2013/04/20(土) 19:13:21 ID:DWumjrqI
 先日、たまたま借りた本に、医学博士の堀田忠弘先生の「身体はなんでも知っている」という
のがありました。内容は、従来の西洋医学だけの限界を説明すると同時に、「病気の原因は心
の不調和である」というもので、生長の家の信徒には珍しくない内容でした。ただ、この方の
場合、長年、西洋医学で患者さんの健康を維持しようとしていて、その限界を知ったという話
でした。

 こういう具合に、過去、谷口雅春先生が説かれて来た事が、一般の人の間でも受け入れられる
ようになってきています。逆に言えば、心の法則などは、生長の家以外でも勉強できる時代にな
ってきています。更には、戦後の時代には、愛国心が軽視されてきましたが、その中を谷口雅春先生
は断固、愛国運動を展開されました。現代では、憲法改正が現実の議題にあるまでに世論は変化して
います。

 しかし、谷口雅春先生の唯神実相論は、生長の家でしか勉強できない事であります。
皮肉にも、それが現代の教団で軽視されているのは、寂しい事だと思います。

 とはいえ、嘆いてばかりでは何もすすみません。戦争中、英語の授業が廃止されると、向学心の
ある人は、英語の教師の家へ通って勉強をしたとききます。一人一人の信徒が、生長の家の真理を
勉強するのは、誰も邪魔は出来ませんから、一人一人が真理を勉強する時期だとは思います。

713トキ:2013/04/20(土) 19:47:02 ID:DWumjrqI
 実は、生命の実相の第3巻を読んでいたのですが、p152にこういう事が書いてありました。

 「病気などはなんでもありませんが、病気の治ることなどよりも大切な家庭のなかの和解が
そこに成立した。神の教えいうものは愛の教えの和合の教えであるべきですから、家族の一人が
何教を信じたがために、父子互いに相争うようなことになる教えは、その教えそのものが本来
いかによくても、その教えを信じる人おのおのの理解に片寄りがあるからである、この片寄りが
とれて、本当の神がわかり、自分の生命の本当の相というものが解ってくると、人間はその生命
の実相において一体であるから、ひとりでに和合せねばならなくなる。」

と谷口雅春先生はご指導をされています。これを拝読すると、谷口雅春先生は、宗教を奉じた
ために争いになるのは、間違っている、と言われていると私は解釈をしております。

 それで感じるのですが、私は教団に会員ですが、教団内の雰囲気がたいへん不調和になったと
感じています。しかし、個人としては、そういう不調和な世界とは波長を会わさない事には
どうしたら良いか、思案中であります。


 さらに、読み進めますと、p154には、

A- ある宗教では、宗教を信じたがために家族仲たがいをさせたりすることがありますが、
  生長の家の教えは家族を互いに和合さす働きをするのが尊いことだと拝ませていただいて
  おります。「生命の実相」という合本聖典の書名も実に内容にふさわしい名前でございま
  すねえ。

谷口ー合本の書名は誌友から公募し、応募されたなかから神示に従って定めたものですが、
   あれは北海道の青木応倫氏の命名です。

とあります。聖典の書名でも、信徒の意見を聞かれたぐらいですから、よく信徒の意見を
聞かれたと私は考えています。その聖典をめぐって争いが起こった事は、谷口雅春先生
に本当に申し訳ないと感じます。また、命名者が自分ではない、と正直に言われる
谷口雅春先生の雅量の大きさにも感嘆します。

 どうも、とりとめもない事を書きまして、すみません。

714復興G:2013/04/20(土) 20:57:30 ID:AB6RqYXc

さて、テキストに帰りましょう。

テキスト『生命の實相』第3巻で、2番目に掲載されているのは、「万教帰一の神示」と称されている神示です。
この神示の冒頭に、次のように記されています。

≪ われに姿かたちがあるように云うものあれどわれは姿なきものである。われは道(ことば)である。われは霊性である、知恵である、愛である、生命である、われは如来である、われは一つにして多である。

 信仰深き諸方の霊覚者にわが神姿を示したることあれども、そはわが真の姿に非ず、見えたる神姿は霊覚者の心識の所現にも非ず。そは、われ神通力によって、疑う者の蒙を啓(ひら)かんがために、異る場所と異る人とに同じき一定の神姿を示して、神の客観的存在を実証したに過ぎない。

 されど、本来われに一定の神姿はない。如何なる姿も欲(おも)いのままに現ずることが自由である。されば、嘗てわれ汝に告げたのである「われに神殿は不要である」と。われは神殿がないとて身の入れ場所に困るような神ではない。供え物も要らぬ。わが姿を見んと欲(ねが)うものは『生長の家』を読め。われは言葉である。わが言葉を盛る雑誌こそわが神殿である。この雑誌がひろがるのこそわが神殿の大きくなることである。≫

 と書かれており、『神ひとに語り給ふ』の中のご講義では、

≪「われに姿かたちあるように言うものあれどわれは姿なきものである」と、神示にありますが、これは神様とは如何なるものであるかということを示しているのであります。「われ」というのは神様御自身を指されたのであります。時々神の姿を見たと言う方がありますが、本源の神様には姿がないのであります。それを無相と謂(い)います。無相だからどんな相(すがた)もないのかと思うと、無相であるからどんな相でも現ずることが自由であるのであります。だから、神は無相にして無限相であるというのであります。

 現象界の相(すがた)のあるものはそういうように自由に姿を変ずるわけにはゆかんのであります。姿がないからこそ何にもさわりになるものはない、姿が限定されません。姿が限定されませんからどんな姿にも現れられるのであります。≫

と書かれていますから、今原宿の本部会館に鎮座されていて、まもなく山梨の方へ移転することになっている御神像は、「これこそが生長の家大神のお姿」というわけではない。「その一つの現れ」であるということですね。

 ですから、御神像が生長の家の本尊というわけではない。もしそうだったら、偶像崇拝になってしまいます。生長の家の本尊は人間の内に宿る、目には見えない宇宙大生命であるわけです。

 ならば、「御神像」にあまりこだわる必要はないわけですが――やはり一つの象徴として、造られたものはその心を大切に保存したい、ということでしょうね。

715復興G:2013/04/20(土) 21:06:36 ID:AB6RqYXc

「万教帰一の神示」には、つづいて

≪ われにすがた形はない。われは霊の海である。大海原である。すべての宗教(おしえ)流れ来りて吾れに入らん。吾れは完成する者である。われは「七つの燈台」に燈(ひかり)を点ずる者である。古道も、仏教も、キリスト教も、天理教も、金光教も、黒住教も、大本教も、すべての教え我に流れ入りて生命を得ん。

 われは大(おおい)なるものなるかな。すべての教えを呑吐(どんと)してこれに生命を与え、すべての相争う教えをその神髄に於いて握手せしめる。吾れはすべてを包容し、すべてに光を与え、すべてに栄養を与え、すべてを生かす地下水である。他の如何なる宗教をも誹(そし)らず批(う)たず常に讃頌(たたえごと)と、善き言葉とを雨ふらして、それを浄めその神髄に燈(ともしび)を点ずる。

 あらゆる宗教がその神髄を礼拝して手をつなぐようにならねば此の現実世界の改造は完成せぬ。精神界が先きで現実界はその影である。元乱れて影完(まっ)たからず、宗教家よ、宗派争いをしている時ではない。
   (昭和六年四月五日神示) ≫

 とあります。そしてそのご講義(『神ひとに語り給ふ』)には

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

〔万教帰一の神示 ご講義〕

・・・・・・現象界のものは時間空間に限定されて形が各々異って独特の姿をしている。ところが、神様は姿かたちがないから無限の姿を持っておられるのである。また姿がないから一定の形の宮や神殿の中におらねばならぬことはないのです。それで「吾れに神殿は不要である」と書かれていて、神様のお宮や神殿みたいなものは宇宙の本体神たる生長の家の神様には要らぬことを示されたのであります。

 既に古くからの誌友の人は御存じの方が多いと思いますが、生長の家の「生」というのは縦に生(の)びるという意味の文字であります。「長」というのは横に「長く」延びる、即ち延長するということで横広がりの世界――「空間」を象徴しているのであります。

 縦につづいているのが「時間」である。時間は縦に心の世界で象徴されるのであります。吾々のいのちを、お父さん、お祖父(じい)さん、曾祖父(ひいじい)さんと縦に遡(さかのぼ)って行く。この遡って行くのは時間的にさかのぼってゆくのですね。吾々の現象的にあらわれている生命の本質は「時間」の持続で出来ています。その時間を象徴するのに、何の某(なにがし)家の系図とか何とかいう場合には、上から下へと縦に線を引いて、「時間」又は「いのち」の持続または継続をあらわすのであります。子孫から先祖に遡るという場合には下から上へと縦の線を引いて示します。こういうように、「時間」という観念は、吾々の心の世界で縦の連想を有(も)っているので、それで縦の線を以って仮りに時間を象徴的に表すのであります。

 さて十字を描きますと、此の縦に生(の)びる線が「時間」にあたるので、これが生長の家の「生」であります。「生」という字は、樹木が無限に生びるという意味が表されているのであります。楠でも杉の木でも老衰することなく無限にのびます。それで時間の無限持続を象徴して十字の縦の線があります。これは時間の無限持続――即ちつづきであります。

 それから「長」の方は空間的ひろがりであります。こうして十字は持続と広袤(こうぼう)――「つづき」と「ひろがり」――「時間」の続きと「空間」的広がりをあらわします。

 この「時間」と「空間」とが十字にまとまって、天球(あま)となり「家」を成します。その「家」即ち宇宙を形成しているのが生長の家であります。ですから、大宇宙全体のことを生長の家と言うのであります。そして「生長の家の神」というのは大宇宙の神という意味であります。別に「生長の家」という一宗一派の本尊の神というような他宗と対立するような神ではないのであります。

 宇宙の中に神様が生れたのではなく、神様の生命そのものの広がりが宇宙であります。

 「吾れは智慧である、生命である、宇宙である」と「新天新地の神示」 中に書かれてありますが、宇宙そのものが神様であるわけです。

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 とあります。
 ここは、とても大切なところであると思います。

716復興G:2013/04/20(土) 21:34:11 ID:AB6RqYXc

 現象界のすべてのものは、時間と空間というスクリーン上に映し出された映像(かげ)であって、本来無である。

 地上のすべての宗教というのも、現れたすがたは映像(かげ)であって、無でありますね。

 しかしながら、

「宇宙の中に神様が生れたのではなく、神様の生命そのものの広がりが宇宙であります。」(神示ご講義)

という、時間・空間をも生み出された本源の神は、映像(かげ)ではない。影を映し出している第一原因者であって、現象界の一切の対立を超えている。それを「絶対者」という。

すべての宗教は、この「絶対者」なる神(仏)において本来「一」であるから、「万教帰一」となる。

映像(かげ)にすぎない現象のコトバを比較して共通点を見出し「万教帰一」を見出そうとしても、それは不可能であって、「時間・空間がまだ現れない、その元のところ」すなわち「久遠の今」に立ち、「久遠の今」にこそ「アブラハムの生まれぬ前(さき)より吾はあるなり」と言い、黙示録では「我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、活ける者なり、我れ曾(かつ)て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く」と言った「永遠のキリスト」の命があり、「天上天下唯我独尊」と言った釈尊の命があり、「自分もまた、明治二十六年十一月二十二日に母の肉体より誕生したのではなかった。そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始めから仏であった自分であったのだ」(自伝篇)とおっしゃっている谷口雅春先生の御命があり、自分もまたその永遠の生命がわが本体であると知るとき、はじめて「万教帰一」が成り立つのだと思います。

717復興G:2013/04/20(土) 22:59:36 ID:AB6RqYXc

では、皆さま、また明日がありますから、今夜は少し早いですが、私は寝ませて頂くことにします。

おやすみなさい。

718トキ:2013/04/20(土) 23:29:22 ID:DWumjrqI
>.717

復興G様、ご指導、ありがとうございます。皆様、ご投稿をお願いいたします。

719トキ:2013/04/20(土) 23:33:40 ID:DWumjrqI
>>714

復興G様


>.ですから、御神像が生長の家の本尊というわけではない。もしそうだったら、偶像崇拝になってしまいます。生長の家の本尊は人間の内に宿る、目には見えない宇宙大生命であるわけです。
>>ならば、「御神像」にあまりこだわる必要はないわけですが――やはり一つの象徴として、造られたものはその心を大切に保存したい、ということでしょうね。


 どのテープだったか失念をしたのですが、谷口雅春先生が、ご講話のテープで、「実相直視は大切だが、人間の世界で生きる以上、ある程度の人間味というのも大事だ」と
言及され、
 「母親が死んだときに、笑い乍ら、”あれは死んだんじゃないのだ、御月さんが欠けたのと同じだ”(場内、爆笑)と言ったら、おかしいでしょう。」

と言われた事があったと記憶しています。(最近、記憶力が落ちて、もし、間違いだったら、ごめんなさいです。)

 もちろん、ご神像は本尊ではないのですが、人間の気持ちとして、ご神像にこめられた誠意を大事にするのは人間として、当然だと思います。

720復興G:2013/04/21(日) 08:57:16 ID:AB6RqYXc

おはようございます。

>>719 :トキ様
ありがとうございます。

皆さま、ありがとうございます。

私は、只今『[類纂]神の真義とその理解 住吉大神顕斎の意義』(谷口雅春先生著・生長の家本部編)などの資料を丁寧に読み返し、

「生長の家とは」
「生長の家の本尊・主斎神とは」
「七つの燈台の点燈者」とは
「生長の家大神」・「住吉大神」とは
「人間とは」・「自分とは」

といったことについて、簡潔に的確に叙述してみたいと思い、勉強中であります。しばらくお待ち願いたいと思います。よろしくお願い申し上げます。
合掌

721a hope:2013/04/21(日) 10:26:56 ID:6kIbHHgs
復興Gさま トキさま みなさま

おはようございます。
昨晩、復興Gさまが「万教帰一の神示」とそのご講義(『神ひとに語り給ふ』より)をUPしてくださったので、
それに関して何か投稿しようと思ったのですが、この「万教帰一」は「生長の家」の教えの神髄であって、
とても高度な内容だと感じているので、なかなか、どのようにコメントしていいのか考えあぐねていました。

ところで、『神ひとに語り給ふ』は確か絶版になっている聖典で、購入することはできませんでしたが、
ありがたいことに、光明掲示板でコスモスさまが内容をすべて謹写してくださっています。
それを、伝統さまが『神示』集というスレッドに紹介され、さらにポイントをまとめてくださっています。
お二人のご愛念に心から感謝して、こちらでも紹介させていただきます。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1177  『神示』集

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=416 『神ひとに語り給う』神示講義 教えの巻 「万教帰一の神示」

わたしは昨晩、こちらを拝読させていただいたり、また、以前のweb誌友会で「七つの燈台の点燈者」と「生長の家大神」「住吉大神」との関係を、
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)さまや復興Gさまや他の投稿者のみなさまが話合われていたのを思い出し、それを探して拝読しなおしたりしていました。
そちらの方は、トーキングステックボードの>>1376あたりから、みなさんのお話が始まっています。
>>1393 >>1398〜 で復興Gさまが、お答えくださっていました。

ちょうど1年前になりますが、その当時、わたしにはそのお話はほとんど理解できませんでしたので、
まったくコメントしていませんが、今拝読しなおすと以前よりずっとよく理解できますし、とてもお勉強になる内容だと感じています。

「生命の實相」には、たくさんの神さまが登場されているので、きちんと「教え」を理解していないと混乱してしまいます。
>>720で、復興Gさまが『簡潔に的確に叙述』してくださるとおっしゃっています。

本当にありがたいです。
復興Gさま、どうぞよろしくお願いいたします。

722トキ:2013/04/21(日) 13:17:16 ID:aGc6KgHM
>>720

 早速のお返事、恐縮しております。暖かいご愛念に深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

723復興G:2013/04/21(日) 14:27:51 ID:AB6RqYXc

>>721 :a hope様。

反応が遅くなって、すみません。

>>『神ひとに語り給ふ』は確か絶版になっている聖典で、購入することはできませんでしたが、ありがたいことに、光明掲示板でコスモスさまが内容をすべて謹写してくださっています。<<

それは、ありがたいことですね。
私も全文アップできるように用意はしていましたが、その一部ずつしか掲示はしていませんでした。

>>以前のweb誌友会で「七つの燈台の点燈者」と「生長の家大神」「住吉大神」との関係を、ユタカ(なせば成る我ハ神の子)さまや復興Gさまや他の投稿者のみなさまが話合われていたのを思い出し、・・・<<

ありがとうございます。

私も、その「トーキングスティック板」と、第1回WEB誌友会が開催された当時の「部室板」を読み返してみて、よく書かれているなと、感心しています(笑)。
ユタカ様が、『生命の實相』第1巻巻頭になぜキリスト教の「黙示録」が出てくるのか? またその「七つの燈台の点燈者」は住吉大神であると言われるわけは? といった質問を出され、それにお答えしたものでした。

私は、「光明掲示板」に書かれている中村晃生氏の「マサノブ教批判」シリーズに、「ご神像」のことも出てきましたので、最初から全文をダウンロード、プリントアウトして読み、それに対し同意できるところと反論すべきところを書いてみようとしていました。

そのことにも関連しますので、まずは、前記の<七つの燈台の点燈者 即 住吉大神>ということについての投稿文を、再録させて頂きましょう。

 まず、ユタカ様のご質問です。

          ○

[質問]:『生命の實相』第1巻巻頭に

<我振り反(かえ)りて我に語る声を見んとし、振り反り見れば七つの金の燈台あり。また燈台の間に人の子のごときものありて足まで垂るる衣を着、胸に金の帯を束ね、その頭(かしら)と頭髪(かみのけ)とは白き毛のごとく雪のごとく白く、その目は炎の如く、その足は炉にて焼きたる輝ける真鍮のごとく、その声は衆(おお)くの水のごとし。その右の手に七つの星を持ちその口より両刃(もろは)の利(と)き剣(つるぎ)いで、その顔は烈(はげ)しく照る日のごとし。我これを見しとき其の足下に倒れて死にたる者の如くなれり。

彼その右の手を我におきて言い給う。「懼(おそ)るな、我は最先(いやさき)なり最後(いやはて)なり活けるものなり。われかつて死にたりしが、視よ世々限りなく生く。また死と陰府(よみ)との鍵をもてり。されば汝が見しことと今あること、後に成らんとする事を録(しる)せ。すなわち汝が見しところの我が右の手のある七つの星と七つの金の燈台との奥義なり。七つの星は七つの教会の使いにして、七つの燈台は七つの教会なり。(黙示録第1章、12節―20節)>

とありますが、生長の家は神道なのに、なぜ聖書が一番先に書かれているのでしょうか? これを質問したいです。

          ○

というご質問でした。

724復興G:2013/04/21(日) 14:46:02 ID:AB6RqYXc

>>723のつづきです。

[回答]
 『生命の實相』第1巻の冒頭に『黙示録』が引用されているのは、生長の家の大神は「七つの燈台の点燈者」すなわち『(ヨハネの)黙示録』に記されいる、永遠のキリストであるからであります。それは、次のページに「『七つの燈台の点燈者』の神示」として「大調和の神示」が掲げられておりますが、その「七つの燈台の点燈者」とは何者であるかを明らかにするため、その前に掲載されているのであります。

 「大調和の神示」に、

 「われ嘗て神の祭壇の前に供物を献ぐるとき、先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である」

 という言葉がありますが、これは新約聖書「マタイ伝」第5章23節〜26節にある、イエス・キリストの言葉を指しています。すなわち――

●「汝もし供物を祭壇にささぐる時、そこにて兄弟に怨まるる事あるを思い出さば、供物を祭壇の前に遺しおき、先ず往きて、その兄弟と和睦し、然るのち来りて、供物をささげよ。汝を訴うる者とともに途(みち)に在るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴うる者なんじを審判人(さばきびと)にわたし、遂になんじは獄に入れられん。誠に、なんじに告ぐ、一厘も残りなく償わずば、其処をいづること能わじ」

 と、イエスは言っているのであります。

 ですから、「大調和の神示」の「われ」とは、嘗てイエス・キリストとしてあらわれ教えを説いた者であるわけです。その「久遠のキリスト」が、生長の家大神であるということであります。

 このことは、『神ひとに語り給う』(神示講義「教」の巻)の中の「新天新地の神示」ご講義(p.39〜98)および「完成(ななつ)の燈台の神示」ご講義(p.232〜242)に書かれております。
(それは、この板の >>662>>663>>664に謹写掲示されています)

黙示録の「われ」というのはヨハネ伝及び黙示録の筆者であり、イエスキリストの弟子の使徒ヨハネのことであります。ところで、ヨハネに現れて黙示(啓示)を授けた永遠のキリストなる七つの燈台の点燈者が、なぜ住吉大神であるのか、ということであります。それは――

現象界のすべてのものは、四次元時空間の中に、相対的に展開されたものであります。四次元時空間と申しますのは、タテ・ヨコ・厚みの三方向のひろがりをもつ場が三次元空間であり、それにもう一つ時間という別次元のひろがりを加えた、生命表現の舞台が四次元時空間であります。ここに表現展開されたものはすべて相対的に現れており、そして、始めがあり終わりがあります。誕生した時・場所があって、死滅する時・場所があります。個別人間には皆誕生日があって、死ぬ時が来ます。

しかし、実は、この現象界は、四次元時空間というスクリーンに映し出された映画のようなものであります。その中に肉体をもってこの世に誕生したわれわれは、その四次元時空間というスクリーンに映し出された映画なる現象という世界で、その映画を見るための、五官という感覚器官を備えておりまして、その映画は仮のすがた、映像(かげ)であるにもかかわらず、影とは思わず、本物だと信じております。したがって生命は時空間の中に誕生しやがて死滅するものだと思っております。

しかし、あにはからんや、実は、映画を映しているスクリーンなる四次元時空間そのものをも創り出したのが、生命なのであります。すなわち生命は時空間の中に誕生したのではなく、時空間というスクリーンを作り肉体という表現身をもその中に現しだした主人公なのであります。それが、現象以前の、現象を超えた真理なのであります。

そのことを「永遠の真理」と申すことにいたしましょう。

この「永遠の真理」を自覚し、自由自在な生命(たましい)の解放を得たのが、釈迦でありキリストであり、天才的な哲人、宗教家、高僧などであったのであります。

また、わが日本人の祖先は、直感的にこの真理を自覚し、それを神話物語の形で伝承してきたのであります。それを、奈良時代天武天皇の命で、語り部の稗田阿礼という天才的な記憶力の持ち主が口述し太安萬侶が書き記して、712年(和銅5年)推古天皇に献上したとされているのが、日本古典の「古事記」であります。
<つづく>

725あさひ:2013/04/21(日) 14:57:16 ID:/3nxKE2Q
復興G様のお考えに賛成いたします。

>「本部会館を(耐震補強をして)創建当時に復原、保存を!」
ということが、最もよいことであろうと、私は思います<。

是非そうなって欲しいです。地方では当時の本部は竜宮城のような存在でした。

    合掌

726復興G:2013/04/21(日) 15:04:10 ID:AB6RqYXc

<つづき>

さて、「黙示録」でヨハネに現れた「人の子の如き者」すなわち永遠のキリストは、「我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、活ける者なり、我れ曾(かつ)て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く。」と言っております。

これは、肉体イエスは33歳で磔にかかって死んだと見えるけれども、生命の本体は時空間を超えて時空間をも創り出したもの、すなわち父なる神と一体なるものでありますから、死んでいないのであります。だから自由自在に復活してヨハネにあらわれ黙示(啓示)を与えることが出来たのであります。それで「死と陰府(よみ)との鍵を有(も)てり」――生死の鍵を握っている者だと言っているのであります。

では、住吉大神とは何者であるかと言いますと、古事記神話の中で、天照大御神様がお生まれになるに先立ち、宇宙浄めの神として、水と塩(霊)とを以て浄め給う龍宮海の神様として現れられた、上筒之男神(うわつつのおのかみ)、中筒之男神(なかつつのおのかみ)、底筒之男神(そこつつのおのかみ)と言われる三柱の神様を一体として総称し、住吉大神(すみのえのおおかみ、俗称すみよしの大神)と申しており、これが生長の家大神であると言われているのであります。

住吉大神は其の後同書に塩椎神(しほつちのかみ)又は塩椎翁(しほつちのおじ、日本書紀・神武天皇の巻)として現れ、天孫(てんそん、天照大神の御孫)ニニギノミコトの御子で皇統を継承される火遠理命(ホオリノミコト)――またの名を彦彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト、山幸彦)と申し上げる――が兄君から借りた釣り針を魚に取られて海辺で泣いておられたときに、ミコトを龍宮海にお導きして、失われた釣り針を取りもどし、美しい豊玉姫と結婚なされるようお導きをされております。

神話は、真理の象徴物語であります。

龍宮は海の底にあると言われておりますが、それは創造(ウミ)の根底(ソコ)すなわち、現象世界の一切のものを表現展開して映し出しているスクリーンであるところの時空間をも創造した、創造の根底の本源世界を象徴しています。そこにはあらゆる一切のものが備わっており、喪失ということのない世界でありますから、失われた釣り針も出てきたのは当然なのであります。

この龍宮海にお導きするとき、塩椎(シホツチ)翁、塩椎神すなわち住吉大神は目無堅間(めなしかつま)の小舟に乗せ奉ったとあります。目無堅間とは、時空間の目盛がない、すなわち時空間を超えている、時空間をも創造した根底の本源世界へお導きする船ということを意味しているのであります。

それで、「終戦後の神示」には

「われは七つの燈台に火を点ずる者である。われは白髪の老翁である。白髪とは久遠永劫よりつづく無量寿の象徴である。われは彦火火出見尊が魚(な)釣らす鈎(つりばり)を失い給ひて憂ひ泣きたまふ海辺に来りて、尊(みこと)を龍宮海に導きたる塩椎神(しほつちのかみ)である。塩椎神とは水(し)火(ほ)土(つち)之神の謂(いひ)である。霊は水火土と顕れ、一切のものは水火土から生れたのである。

 われは霊の海、創造の神である。水即ち『おしめり』と、火即ち『ぬくもり』と『土』の働きとがあって万物は生ずるのである。黙示録には『われはアルファなり、オメガなり、生と死との鑰(かぎ)を持てり』と録(しる)されてゐるのがそれである。

 われを単に海の神だと思ふな。龍宮海の神の如くあらはれてゐるのはウミ(生み)の象徴であり、龍宮無限供給の神のシンボルである。われは一切の創造(うみ)の神であるから無にして無尽蔵である。」

とあるのであります。
<つづく>

727復興G:2013/04/21(日) 15:11:18 ID:AB6RqYXc

<つづき>
神話は真理の象徴物語であり、この古事記神話は、黙示録に書かれた白髪の老翁のなる永遠のキリストが、「我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、活ける者なり、我れ曾(かつ)て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く。」と言っている真理と同じ真理を、別の形で表現されているものと言えるのでありまして、それ故に谷口雅春先生は、この「『ヨハネ黙示録』にあらわれた老翁のキリストが、住吉大神と一体である」とおっしゃっているのであります。と、私は理解させていただいております。

イエス・キリストが「真理は汝を自由ならしめん。汝は真理を知らざるべからず」と言った「真理」というのも、この真理であります。時空間を超えた永遠生命を自覚し、創造の根底世界即ち生命の実相に立てば、本当の自由自在を得て、限りない歓びをもって使命に邁進する事ができるということであります。

それで谷口雅春先生は「永遠(とわ)に国護り給わん」で

<まことに住吉本宮の「顕斎」とは、眠っていた実相の魂が、その眠りから目醒めて、自己が“神の子”であるということを開顕する、そしてその開顕された実相の誠実さが現実生活にあらわれる「新生」でなければならないのであります。
わたしは日本国民のすべてが住吉本宮の建立を契機としてその誠実を結集して、自己を「神の子」として礼拝し、住吉大神の分身として宇宙浄化の、そしてその浄化の中核体たる日本国浄化のために起ち上がり、単に「主よ、主よ、神よ、神よ」と呼ぶ者たるに留らず、神の御心を行ずる者となって下さることを希(こいねが)わずにはいられないのであります。>

とおっしゃっているのであります。この「眠っていた実相の魂が、その眠りから目醒めて、自己が“神の子”であるということを開顕する」というのは、永遠のキリストと一体なる、龍宮無量寿・無限供給の本源なる住吉大神とわれは一体である――という限りない歓びをもって、宇宙浄化の使命実現に邁進せよということだと思います。先生は、「住吉大神の分身」どころか「住吉大神の全心全霊」として起て、ともおっしゃったのであります。

その使命というのは、「国土安泰、万民泰平を謳歌し、天照大御神の御稜威(みいつ)六合(りくごう=くにのうち)に照り徹りて、神武天皇建国の御理想は実現せられ八紘(八方の荒れた国々)は一宇(いちう=ひとつの家の家族)となり、永久平和の世界連邦の理想達成を期するということであります。
<つづく>

728復興G:2013/04/21(日) 16:15:57 ID:AB6RqYXc

<つづき>

さて、『生命の實相』第1巻巻頭の「黙示録」について、次のような谷口雅春先生のご教示も掲示されていました――

          ○

≪ 『生命の實相』第一巻の開巻冒頭に、“はしがき”よりも、目次よりも、尚、その前の頁に、新約聖書の『黙示録』の第一章にある白髪の翁の姿をもってあらわれた「久遠のキリスト」の姿が描写されているのである。

 「何故、生長の家はキリスト教ではないのに、キリスト教聖書の一節を、『生命の實相』第一巻の“はしがき”よりも目次よりも尚前に引用して提出してあるか」といいますと、白髪は久遠の表象であり、キリスト教に於いては“生長の家の大神”は白髪の久遠神(ユダヤ人のイエスではない)としてあらわれていられるからであります。その白髪のキリストの御姿の描写の中に「その口より両刃の利き剣出で」と示されている。

 これは真と偽とを別ち美と醜とを分別し、善悪を審く、最後の審判の神剣なのである。善悪・美醜を審判する“秩序の智慧”が神であり、その神剣によって悪は切り棄てられ、偽は葬られ、本来無いのに姿をあらわしている病その他一切の醜きものは切り棄てられて地獄の火の坑に投げ入れられ焼きほろぼされて、真なるもの、美なるもの、善なるもののみがそこに住吉の世界が地上天国として姿をあらわすのであります。

 もし、この真と偽とを分ち、真なるもの、善なるもの、美なるもののみを顕わし、これに反するものを切り棄てるハタラキが発動しなければ天地は完成しないのであります。

 この真偽を分ち、美醜を区別し、善悪を審判するはたらきによって、天地は一新するのである。『黙示録』第二十一章にはこの事が明らかにされている。

 『我また新しき天と新しき地を見たり、これ前の天と地とは過ぎ去り、海も亦なきなり。我また聖なる都、新しきエルサレムの夫のために飾りたる新婦のごとく準備して、神の許をいで、天より降るを見たり・・・見よ、神の幕屋、人と偕(とも)にあり、神、人と偕に住み、人、神の民となり、神みづから人と偕に在(いま)して、かれらの目の涙をことごとく拭い去り給はん。今よりのち死もなく、悲嘆も、号叫も、苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり・・・斯くて御座に坐し給ふもの言ひたまふ「視よ、われ一切のものを新たにするなり」....』

 これが、“両刃の剣(もろはのつるぎ)”のはたらきであります。“剣(つるぎ)”は“片無”(かたな=刀)ではないのであって、敵を切るために、敵に向う一方にのみ刃がついていないで、自分に向う側にも刃がついていて、真ならざるもの、美ならざるもの、善ならざるものがあれば自分を切るのが、剣のハタラキであります。これが地上に平和をもち来らし、最後の審判によって、新しき天と地とをもち来たす住吉の世界を創造する神剣のはたらきである。

(生長の家誌 昭和53年11月号 谷口雅春先生)≫

          ○

 それで、次のようなご質問もありました。

[質問]
>いっぽうで、眞と偽を分ける(キリスト教)と 悪はない と浄化する住吉大神様と 違うような気がします。<

[回答]
「眞と偽を分ける」というのは「“最後の審判”に就いての神示」に出てくるお言葉でしょうか。

≪『虚妄(にせもの)の汝』は神より出ずるにあらず、神より出でざる汝は実在にあらず、実在に非ざる汝はその真相を暴露して消滅せん。わが臨(きた)れるは『真』と『偽』と、『実在』と『虚妄(こもう)』とを選(よ)り別けて、『偽』と『虚妄』とを永久に非実在(じごく)の中に葬りて封印を施さんがためである。≫
<つづく>

729復興G:2013/04/21(日) 16:17:10 ID:AB6RqYXc

<[回答]のつづき>

ここは、やはりそのご解説(『神ひとに語り給ふ』)で

≪…すなわち超越内在的意味に於ける“キリストの再臨”による“最後の審判”は、本来無いところの「虚妄(まよい)」の無を「無」として判決宣告して、永遠に出て来られない世界に堕獄し、本来人間の実相たる「完全人間」を実在なりと判決宣言して、それを如実にあらわすところの審判でありますから、「吾が宗教(おしえ)は恐怖の宗教にあらず、虚妄を焼かるる者は却って生き、暗黒を焼かるる者は却って光をあらわさん。病は癒され、悩みは消えん」とあるのであります。
「焼かるる者は『汝』にあらずして『虚妄の汝』であるからである。『虚妄の汝』は神より出ずるに非ず、神より出でざる汝は実在にあらず」と示されております通り、「病んだり、悩んだりしている汝」は、真に実在するのではなく、夢の中の人物のようなもので、「本来無い」のであります。
本来無い「悩みの人間」「病める人間」が、「私はこの通り存在します」と、感覚面に訴えて控訴しているのであります。「真理の光」に照らして、「汝らは、神より出でざるが故に、如何に実在の仮面を被るとも実在にあらず」と、最後の最高裁判所的裁決を下すのが、真理の再臨による「最後の審判」なのであります。≫

とありますから、やはり「眞と偽を分ける(キリスト教)と 悪はない と浄化する神様と」は、一つの同じ神様である、ということになりましょう。

          ○

 次のような質問(問題提起)もありました。

 「住吉大神」は第一義の神(創造神)ではなく、第二義の神(応現神)である。ということは「現象に悪を見た神」になるのではないか。
 新羅が攻めてきて、日本が滅びるか、潰れるかというような国家の一大危機に当たっていた当時、神功皇后様は住吉大神に戦勝の祈願をなさった。

 だから、榎本恵吾先生は『弟子像』79頁に

 「住吉大神の前には浄化しなければならない宇宙がすでにあり、観世音菩薩の前には色々な姿にあらわされるべき救いの対象が既にあり、久遠のキリストの前にもやはり、救わるべき死と黄泉(よみ)との間をさまよっている人間があるのである。すでにあるものに対している神はすでに最始源の神であるということは出来ないのである。

 これら応現神として現れられる神はすべて、最始源の神を指し示さんとして、われわれの前に現れ給うのである。そして、最始源の神へと上昇することこそが、その愛(応現神)にお応えする道なのである。それは全宗教の全説法をわがものとする道なのである。」

 と書かれている――と。

 それに対する回答です。

          ○

 『弟子像』79頁前後のご文章ですが、そこで言われていることの中心は、以下の所であると思います。

(谷口雅春先生が)
『神真理を告げ給う』の補章において「あなたが信ずる神は“絶対者”でなければならぬ」として、

<神が宇宙を創造するのに、何らかの材料をもって、例えば素粒子とか、水素原子とか、中性子とかいうものを材料としてそれを組立てて宇宙を創造したというのであれば、宇宙の最初に、神が創造しないところの、神以外の材料又は材質が存在したということになるのである。そして、それは神なる絶対者以外に、何ものか“材料”となるべきものが存在したということになるのであるから、そんな“神”は既に“絶対者”という資格がない――即ち、“創造る者”とその“素材となる物”とが相対する別個のものとなるから、そんな“神”は絶対者でなくて“相対者”だということになるのである。相対者は、“相対するもの”との関係に於いて、それ自身の働きが制約されることになるから全能者ということは出来なくなるのである。>(谷口雅春著『神真理を告げ給う』159〜160頁)

 と語られていること。ここが一番大切なところであると思います。
<つづく>

730復興G:2013/04/21(日) 16:33:50 ID:AB6RqYXc

<[回答]のつづき>

 「住吉大神は第二義の神で、創造神ではない」というのも、ちょっと語弊があります。

 『実相研鑽』第一集p.246以下にも、谷口雅春先生は次のようにおっしゃっています。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

≪“絶対”の中に一切のものがあるわけですから、……宇宙の大神、創造の大神、そのまま、塩椎大神、住吉大神と、いうことになっているわけです。……

 住吉大神は、その現われの面から言えば、応化神ということになって、「第二義の神様」と分類できるのですけれども、第二義というものは、第一義とはなれて、第二義があるんじゃなくって、第一義の中に第二義が包まれていて具体的な救済をのべるためにあらわれて来られるのであって、第一義の神だけで、じっとそれが無相にして、法身で、宇宙に充ち満ちていて、動かないだけでは、何の役にも立たんのでありますから、そこに具体的に救済の手をのべる働きとして人格神としてあらわれられたのが「観世音菩薩であり、キリストであり住吉大神であります。

 ――こういう意味で生長の家の神様の出現ということは、この絶体絶命の瞬刻限に於いて、この時、この日本という場所に於いて、またこの日本人という民族に於いて、現われなければならないという、そういう時と場所と人との三相応に於いて、出現して来たというのが、生長の家の人類光明化運動である。そして住吉大神となり、あるいは塩椎大神として出現せられる場合に、それは「全てを生み出す」「生みの底」(海の底)の大神という働きになっている。

 これを神話は住吉大神を龍宮の大神としているのです。「海の底」とは創造の根底世界のことであります。

 天地創造というのも結局「生み出す」こと、創造である。すなわち塩椎というのは水と火と土という陰陽ムスビの御働きによって一切を生みだすところの御働きを指すわけで、いよいよ第二の天之岩戸開きで天照大御神を現実世界に生み出して、地上に永久平和の世界を打ち建てるために、その産み出しの出口を浄化する働きをなきるのが「住吉大神」で、これは天照大御神御誕生の直前に出現し給うよう『古事記』に書かれているわけです。……

 皆さんはある意味では、すべて住吉大神であるのです。これは聖書の「ヨハネ伝」にあるところの、キリストが言われた言葉の「我ゆきて汝らに来るなり」というのに当るわけであって、すべての人間にはキリスト教的に言えば、内在のキリストが宿っているのである。また内在の「住吉大神」が宿っているのであるといえるわけであります。……

 我れ出でてこの世の中を救わずんば、救う人はないんだ」という、そういう強烈な自覚をもって各自の聖使命を遂行せられんことを希望し、皆さんに、非常に嘱望するわけであります。ありがとうございます。≫

 と。、「第二義の神」は「第一義の神」とは別である、と見るのは あらわれの面を見るからであって、実は、「別のもの」ではない。そのことを、谷口雅春先生はわかりやすく、次のようにご教示くださっています。

<一個の人間にたとえてみれば、谷口が口でしゃべっているとき、口だけがしゃべっているように見えても、口だけの働きではないわけである。第三者から相対的に見て口という部分だけを見たら、口だけがしゃべっているということにも見えるけれども、それは、そういうような面から見るから、そう見えるだけのことであります。

 ……法身即応化神ということになるわけです。そうですけれども、人間はどうも、区別して線を引いて分割したがる。(笑声)そうして、その“絶対”と“現象”とでも、それを区別するために、すじをひいて、別のようにしたがるけれども、“絶対”の中に一切のものがあるわけですから、線は、われわれが現象的に理解するために、仮にひくだけのものであって、(根本は)すじも何もなしに、宇宙の大神、創造の大神、そのまま、塩椎大神、住吉大神と、いうことになっているわけです。>
(『実相研鑽』より)

<つづく>

731トキ:2013/04/21(日) 16:45:30 ID:h3tvbvmA
復興G様

 素晴らしい内容だと思いました。感激しました。少しお返事が遅れますが、また、投稿を
させていただきます。ありがとうございます。

732復興G:2013/04/21(日) 17:19:46 ID:AB6RqYXc

<つづき>

なお、>>729

≪ 「住吉大神」は第一義の神(創造神)ではなく、第二義の神(応現神)である。ということは「現象に悪を見た神」になるのではないか。
 新羅が攻めてきて、日本が滅びるか、潰れるかというような国家の一大危機に当たっていた当時、神功皇后様は住吉大神に戦勝の祈願をなさった。≫

 ――ということに関して補足です――

 神功皇后が三韓征伐のとき住吉大神にお祈りなさった際、塩椎神(しほつちのかみ)から賜った潮干珠(しおひるのたま)と潮満珠(しおみつのたま)を出して祈られる。

 そのとき、海に潮干珠を投じられたら潮が引いて、新羅の軍艦はみな横倒しになってしまった。そこへ潮満珠を投じられたら潮が満ちて、新羅の軍艦はみな水没してしまった、ということになっています。

 この物語の意味を霊感的に解釈された谷口雅春先生のご教示が、

「三韓征伐とは、老病死の三奸(かん)の克服の象徴物語である。住吉大神(すみよしのおおかみ)が龍宮の大神であり、無量寿仏のあらわれである以上、老病死の三奸(かん)を克服せられたことは当然のことでなければならない。」

と、『生命の實相』第37巻 幸福篇上(P.48~P.50)に書かれているのであります。

三韓征伐の三韓とは老病死の三奸で、潮干珠とは、そういう悪はない、敵はないと現象を否定する言葉(魂)であり、潮満珠とは、「善のみ実在」と実相を肯定する言葉(魂)である。

ですから、質問者の

>(住吉大神は)「現象に悪を見た神」になるのではないか<

 というのは、現象に「悪はない」と否定して浄める神、というのが正しいのではないでしょうか。

733a hope:2013/04/21(日) 18:34:39 ID:6kIbHHgs
復興Gさま

<七つの燈台の点燈者 即 住吉大神>ということについての過去の投稿文を
再掲載してくださりありがとうございます。

とても読みやすいです。

ユタカさまや、金木犀さま、志恩さまなんかもご覧になっているでしょうか?
また、掲示板で昔のように真理のお話ができたら、とてもうれしいです。

それに今、本流対策板/5でもみなさんが生長の家の神さまについてのお話をされているみたいですね。

どうぞ、みなさま、こちらのweb誌友会にもご参加くださいね!

734a hope:2013/04/21(日) 18:44:35 ID:6kIbHHgs
>>725あさひさま

復興Gさまの投稿に埋もれてしまいましたが、投稿ありがとうございます

再掲載させていただきますね。


725 :あさひ:2013/04/21(日) 14:57:16 ID:/3nxKE2Q復興G様のお考えに賛成いたします。

>「本部会館を(耐震補強をして)創建当時に復原、保存を!」
ということが、最もよいことであろうと、私は思います<。

是非そうなって欲しいです。地方では当時の本部は竜宮城のような存在でした。

    合掌


原宿本部会館が、今後、復原・保存されて、地方の信徒の方の交流の場となったら、
わたしもとても素晴らしいと思います。
図書室(もちろん生長の家関係の本を中心に集めた)なんかもあったら、どんどん利用させていただきたいです。

みなさま、こちらの話題にもコメントをお待ちしています。

735a hope:2013/04/21(日) 19:01:01 ID:6kIbHHgs

当時のトーキングスティックボードには、訊け管理人さまやうのはなさま、さくらさまはもちろんですが、
ほかにも如月さま、春らんまんさま、山本富士子さま、ももんがさまなんかの名前もあって、本当に懐かしいです。

わたしは、みなさまに本当にいろんなことを教えていただきました。
この掲示板は、他の板にもたくさんの素晴らしい書き込みがあります。

トキさま、みなさま、本当にありがとうございます。

合掌。



感謝の気持ちで

736a hope:2013/04/21(日) 19:03:14 ID:6kIbHHgs
>>735 下の2行は、打ち間違いです。
失礼しました。

737復興G:2013/04/21(日) 21:31:23 ID:AB6RqYXc

あさひ様、トキ様、a hope様。

レス、ありがとうございます。

皆々さま。

今回はテーマが少し難しいと感じられたのでしょうか、ほとんど私の独演会みたいになっていますが、どうぞご遠慮なく何でもお書き込みください。

さて、>>720で私は、

>>只今『[類纂]神の真義とその理解 住吉大神顕斎の意義』(谷口雅春先生著・生長の家本部編)などの資料を丁寧に読み返し、
「生長の家とは」
「生長の家の本尊・主斎神とは」
「七つの燈台の点燈者」とは
「生長の家大神」・「住吉大神」とは
「人間とは」・「自分とは」
といったことについて、簡潔に的確に叙述してみたいと思い、勉強中であります。しばらくお待ち願いたいと思います。よろしくお願い申し上げます。<<

と書いておりました。が、まだできておりませんでした。

それについて、「簡潔に的確に」 書いてみようと思います。

   * * * * * * * * * * * * * * * * *

1. 「生長の家」とは何か。
  それは、自分の「いのち」のことである。
  (榎本恵吾先生にならいました)

2. 「生長の家の本尊・主斎神」とは何か。
  それも、自分の「いのち」である。

  ≪(『叡智の断片』49頁〜より)
    自性円満の自覚
 汝若し能(よ)く念々の馳求(ちぐ)の心を歇得(かつとく)せば便(すなわ)ち祖仏と別(こと)ならず。汝祖仏を識ることを得んと欲するや。汝、面前、聴法底(ちょうほうてい)是なり。(臨済録)

 悟りというものは、一切を外的原因だとして、責任を外に負わしていた者が、一転一切の責任は自己にありと、脚下照顧、自己に反照して、一切万事吾より出でて吾に還ると知ることである。

 外に神を求め、社殿に廟宮に寺院に教会に跪(ひざまず)いて、此処に神仏があり自分を不幸にも幸福にもする力ありと思っていた迷信から一転して、汝の祖師、釈迦仏もキリストも汝の内にあり、功徳の本源は自己の内にありと自覚する事が真の宗教であるのである。

 引用せる臨済録の「馳求(ちぐ)の心」とは外に求める心であって、「外に求めていた心を歇(や)めてしまったら、汝は即ち、今直ぐ仏と同体だ。汝、仏が何処にあるか知りたいと思うか。では教えてやろう。此の眼の前で仏法を聴いている其奴が仏其の者じゃ」と一喝したのである。

 生長の家の根本哲学『生命の實相』の冒頭の「生命の実相の自性円満なることを自覚すれば神の癒す力がはたらいてメタフィジカル・ヒーリングとなります」と書いてある。
 「吾人生命の自性円満」とは即ち仏性なり、神性なり。仏そのものであり、神そのものである。それを自覚せずんばすなわちやむ。
 自覚せば本来の円満性あらわれて神の癒す力が実現するのである。神は外にあらず。内にまします。今・此処、面前に法を聴く者、本書を読む者そのままに仏也。

 他に求むる事をやめよ。他に求むる心は争いの因也。真の人格主義は他に求めず他を奪わず、自己内在の力を礼拝して、一切万事我れより出でて我れに還ると知るのである。かく自分を仏と知りて、初めて他の人々をも仏と知る。仏と仏と相対せる世界此の世界なり。≫

3. 「七つの燈台の点燈者」とは
  それも、自分のことである。

4. 「生長の家大神」・「住吉大神」とは
  それも、自分の「いのち」の中に在すのである。

5. 「人間とは」・「自分とは」
  無である。 無即神である。愛である。光である。一切者である。

738a hope:2013/04/21(日) 21:58:48 ID:6kIbHHgs
>>737復興Gさま

ありがとうございます。
胸がいっぱいになりました。

そうでした、「人間は神の子」、つまり、人間=神 なのでした。

どうして、こんな簡単なことをわたしたちはなかなか自覚できないで、
外にばかり神を求めてしまうのでしょうか・・・?

昔の講師の先生方は、講話の時この「人間神の子」を連呼されていますよね。
だからこそ、信徒にその自覚が生まれて、奇蹟が起きたのではないでしょうか?

「生長の家」だったら、この「人間神の子」を一日何度も言わなければいけませんね。

Gさま、今回も素晴らしいご指導をありがとうございました。

感謝 合掌。

739復興G:2013/04/21(日) 22:11:40 ID:AB6RqYXc

ありがとうございます。

   至上者の自覚の神示

 人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が神だと悟った者を謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違いである。斯くの如き想像をする者は自己が神だと言う真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。自己が神だと悟れたら人間は本当に謙遜になれるのである。キリストが弟子の足を洗うことが出来たのも、自己が神だと悟っていたからである。

 本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性に自覚しないものは、いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈にすぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗(さか)らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。

 観点の違う者には解りようがない。人間の偉大な仕事を皆憑霊(ひょうれい)の仕事のように説いて、人間をただ憑霊の傀儡(かいらい)のように教える者があるが邪教である。人間の本性に憑霊の示唆よりも偉大なものがあることを教えるものこそ正しき教である。人間は肉体でもなければ傀儡でもない。人間は霊であり神であり自主である。若し憑霊が『霊』であるが故に、偉大なる教を説き、偉大なる仕事が出来るならば、人間自身も『霊』であるが故に偉大なる教を説き、偉大なる仕事が出来ることも当然でなければならぬ。ただその教や仕事に高下があるのは霊界の霊にも、人間にも、自己内在の無限性の掘りさげ方に差があるからである。

 釈迦は決して 憑霊の傀儡ではない、基督(キリスト)も決して憑霊の傀儡ではない。いずれも自己内在の無限性を掘下げて、終(つい)に仏性に達し、神性に達したから、霊界の諸霊 来って此の二聖に事(つか)えたのである。釈耶の憑霊ばかりを観て釈迦が自覚したところの仏性、イエスが自覚したところの神性を見ない者は憐れである。憑霊が説くほどの教なら人間自身も霊であるから説き得べきであるのに、釈耶の教を釈耶自身の教ではなく憑霊の教であると説くスピリチュアリズムは自己撞着に陥っているのである。

 人間よ、人間自身の尊厳を自覚せよ、これを自覚することは人間自身の尊厳を奪還することである。『生長の家』は人間自身の尊厳を奪還せんがために出現した人生の燈台である。
     (昭和八年三月十六日神示)

740復興G:2013/04/21(日) 22:23:49 ID:AB6RqYXc

ありがとうございます。

>>697の聖典引用文をもう一度貼らせて戴きます。

<『幸福を招く365章』の117頁〜より>

         ○

    既に天国の饗宴に招かれている

 吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。

 地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要るのであって、シテもワキも、二枚目も三枚目も馬の脚も要る訳である。吾々は此等の舞台上の役者と議論を戦わす必要はないのである。唯、各々がその役目を最も完全に実現してくれるように祈っていれば好いのである。

 尤(もっと)も自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだけれども。

 吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。

         ○

上記
≪それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。≫

 ――「お役目ご苦労様です」と、それぞれの立場の方たちに感謝しながら、「自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだ」と自覚して、内なる神のみ声を聴き、使命感のままに行動して行く。

 そうありたいと思います。

 ありがとうございます。
 合掌

741復興G:2013/04/21(日) 22:32:14 ID:AB6RqYXc

トキ様、a hope様

ありがとうございます。
ご協力、ありがとうございました。

今回は、閲覧して下さっている方はたくさんいらっしゃるかと思いますが、参加者(投稿者)が少ないようなので、そろそろお開きにしませんか。
締めくくりを、お願いできないでしょうか。

合掌 ありがとうございます。

742a hope:2013/04/21(日) 23:34:00 ID:6kIbHHgs
みなさま、終了予定時刻の23:30になりましたので、世界平和の祈りをさせて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

◇◇◇世界平和の祈り◇◇◇

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。

その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い
すべての人々の心に、愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

◇◇◇光明思念の歌◇◇◇

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

今回もたくさんの学びをありがとうございました。


感謝 合掌。

743SAKURA:2013/04/21(日) 23:38:23 ID:M9DbeNuI
「復興G様」 へ   「トキ 様」へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

大変、遅くなり、此処に於きましては〜〜〜場違いの人間かもしれません。…が?
どうしてかと申しますと…【現総裁雅宣先生…擁護派】ですし…それに ><
投稿されている「a hope様」の文章中からも、お声がかかっておりません様で…… 落ち込み??
前回も…ロ−マ字【SAKURA】 参加させて頂いておりましたが〜〜これも【大調和…】なのでしょうかと。

さて!
私事で…2〜3日前より…「書籍本…の整頓」です。私にとっては?それなりの書籍本の数々です…。
❤「復興G 様」に於かれましては、相当の数の書籍本をお持ちだとの想いです…。凄い書籍の数かと??
振り返りますと…古い本の整頓をしておりますと、その頃の時代背景…特に≪初版本≫に関しては、私なり
の両親の“思い出”も含めて、過去の情景が、走馬灯のように浮かんでは〜〜消え〜〜浮かび〜〜まして、
この様な感じで、「一冊一冊…の本」を手にしながら、中には煤汚れています“書籍本…”を手にしますと、
何とも知れない想いがこみ上げて来ます。

まだ?少し整頓すべきモノがありますが…「復興G様」からのテキスト…を拝読させて頂きながら、
いつものようにマイペ−スにての投稿を…させて頂きます…。宜しくお願い申しあげます…。
それにしても…… 今回は…「整理整頓」が〜〜〜
                                    再合掌

744a hope:2013/04/21(日) 23:47:30 ID:6kIbHHgs

SAKURAさま、お声かけせず、申し訳ありませんでした。
第1回web誌友会の時のトーキングステックボードにあった名前だけを羅列させていただきました。

今回も、ご参加ありがとうございます。
SAKURAさまのご投稿楽しみに拝見させていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

745a hope:2013/04/21(日) 23:59:18 ID:6kIbHHgs
SAKUTAさま、度々、すみません。

>>744ですが、正確には、第2回web誌友会の前夜際に参加されている方々のお名前の羅列でした。

SAKURAさまのお名前が見当たらなかったので、お声かけしませんでした。
投稿者すべての方への呼びかけは不可能ですので、どうかお許しください。

746SAKURA:2013/04/22(月) 01:08:35 ID:M9DbeNuI
「復興G様」へ 「観覧者様」へ  「管理人トキ様」へ  「a hope様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■>「a hope様」から 早速の返事にありがとうございました。( >>744>>745 の投稿…)
“お声…”をかけて頂きました事に、改めまして【感謝!】申し上げます…。ところで、
只今…休憩タイム…なのです。…が?随分〜〜前の事をよくご存知で??スゴ〜〜〜イ!かと?
思いました次第です…。逆に?他の懐かしい「役行様…」とか??「訊け管理人様」の司会とか??
今は昔〜〜〜というものでしょうか? 時の経過を〜〜〜つくづく感じます。

余談ですが…【現総裁雅宣先生…擁護派】として、「毎回…」こちらに参加させて頂いておりました。
…が?
■□きっと〜〜【雲に隠れているのでしょうか……】???
第一回の時も“ズ〜〜〜ッ!”と参加しています。…が???そうです〜〜〜ネ!
「a hope様」の視界には??「ひらがなのさくら様」しか?目に留まらない様ですかと…。
以前も「a hope様」自身から私に対して“スル−!殆ど拝読していない”そのような主旨の…投稿
をなされていらっしゃいましたから〜〜〜? 

余談ですが…上記のような理由からも❤「SAKURA…メ−ル便」を、誤解の内容に投稿しております
次第です…。【 「ひらがなのさくら様」とは、別人ですとの…一言メ−ルを〜〜〜投稿!!なのです。 】

■別に気になさらなくても… 随分昔の事を回想しますと?あの頃“イジメ…”られていましたかと。
あくまでも…【擁護派としての…参加】を、時間が許す限りは、投稿形式と、させて頂きます。
今後とも、何卒、宜しくお願い申し上げます…。

                                 再合掌

747誌友会閲覧者:2013/04/22(月) 07:50:26 ID:vgg7df6.
確かに今回だけはSAKURA様が可愛そうに思っていました。
名前を書かれるなら全ての人を書かれるか、それができないなら
せめて前回参加された人を書かれるべきではないかなあと思っていました。
「準備祈願」の長文をいとも簡単に書かれるa hope様がすべての人を書けないわけがないと思うのですが?

748a hope:2013/04/22(月) 09:09:04 ID:6kIbHHgs
>>746SAKURAさま
>>747誌友会閲覧者さま

ご指摘ありがとうございます。
本当ですね、名前の羅列は見落としがあるとよくないと思って、やめようと思っていたのに、
1年前の書き込みを拝見していて、あまりにも懐かしくなってしまって、特定の方のお名前を呼びかけてしまいました。
今後、気を付けたいと思います。

SAKURAさまは、この掲示板に書き込みが少ない時でも、毎日たくさんの書き込みをしてくださり、
この掲示板を盛り上げてくださっています。
わたしは。家庭と仕事に追われていますので、SAKURAさまだけではなくて、
他の投稿者さまの投稿も最近はほとんどゆっくり閲覧する時間はないのですが、
SAKURAさまがいつも元気に書き込みを続けてくださっていることには心から感謝しています。

どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

749復興G:2013/04/22(月) 09:38:58 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

第13回web誌友会も、ご参加くださった人数は少なかったけれども、やはり意義ある誌友会だったのではないかと感謝申し上げます。

これができたのは、管理人トキ様のおかげであります。ありがとうございました。

そしてまた、a hope様の献身的なお世話がなければできませんでした。
a hope様、本当にありがとうございました。

それから、時間内に書き込んで下さいましたのに、お返事できなかった >>725あさひ様。
ありがとうございます。>>734でa hope様がレスしてくださっていましたが、私も同感です。
きっと、よい結果になると信じています。


SAKURA様。
web誌友会閉会後に書き込みをしてくださったのですね。ありがとうございます。

web誌友会は50時間にわたってオープンになっており、投稿される方が少ないので、たびたび、皆さまに投稿をお呼びかけしていたと思います。
何も、個別に名指しで声がかからないからとて、遠慮することなく積極的に投稿してくださったらよかったと思いますが……どうぞ、あなたも司会者の気持ちになってご投稿ください。できれば、司会者をしていただきたいくらいです。よろしくお願い申し上げます。


まずは、あらためて皆さまに感謝申し上げます。
ありがとうございます。

終わってから思うことを、また後ほど投稿させていただきたいと思います。
合掌

750トキ:2013/04/22(月) 09:41:17 ID:HtiBzlX2
 おはようございます。復興G様、今回も素晴らしいご指導を賜り深く感謝申し上げます。
 また、a hopem様、司会ありがとうございました。

参加者の皆様にも御礼を申しあげます。

 感想などありましたら、閲覧者様も御寄せ下さい。
お願いいたします。

合掌 ありがとうございます

751a hope:2013/04/22(月) 09:58:33 ID:6kIbHHgs

トキさま、復興Gさま、みなさま 
あらためまして、おはようございます。

今回のweb誌友会の内容は、どうだったでしょうか?
前半は、原宿本部会館や森のオフィスに関するものでした。
そして、後半は万教帰一に関する内容でした。

わたしの個人的感想ですが、
谷口雅春先生はたくさんの書物をお書きになって、わたしたち信徒に残してくださっています。
それは、その書物をめぐって信徒同士裁判をしたり、
その「教え」を盾にして言い争いをさせるために残してくださっているのでしょうか?

わたしは、今回、このweb誌友会でお勉強させていただいていて、気づいたことがあります。
谷口雅春先生は、様々な角度から真理を説いてくださっています。
そして、万教帰一にしても、様々な神さまを例にあげられて説明してくださっています。
とても、高度で難し内容で誰もすぐに理解できるものではないと感じています。

ですが、わたしたち信徒が、その谷口雅春先生の〝お悟り〝に少しでも近づいて、
本当の「神の子の自覚」を得て、実相世界の大調和の喜びを感じてほしいというご愛念から、
数えきれないほどのご著書を残してくださっているのではないでしょうか?

わたしは「生命の實相」40巻すべてそろえて、少しづつですがお勉強させていただいています。
それだけで、もう、大安心の気持ちでいます。

だって、『わたしが、「生命の実相」の真理を悟ればいい』のですからね。
それが、谷口雅春先生の一番望んでおられることなのではないかと、感じています。

あくまでも、a hopeが個人的に感じていることですが・・・。


それでは、今日も元気に仕事に行ってきます。
みなさまも、素晴らしい一日をお過ごしくださいね!

752復興G:2013/04/22(月) 11:07:59 ID:AB6RqYXc

 さて、第13回web誌友会をちょっと振り返ってみます。

 心に引っかかっている言葉の一つに、>>724

≪ 「大調和の神示」に、
 「われ嘗て神の祭壇の前に供物を献ぐるとき、先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である」
 という言葉がありますが、これは新約聖書「マタイ伝」第5章23節〜26節にある、イエス・キリストの言葉を指しています。すなわち――

●「汝もし供物を祭壇にささぐる時、そこにて兄弟に怨まるる事あるを思い出さば、供物を祭壇の前に遺しおき、先ず往きて、その兄弟と和睦し、然るのち来りて、供物をささげよ。汝を訴うる者とともに途(みち)に在るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴うる者なんじを審判人(さばきびと)にわたし、遂になんじは獄に入れられん。誠に、なんじに告ぐ、一厘も残りなく償わずば、其処をいづること能わじ」
 と、イエスは言っているのであります。≫

 というところの、イエスの言葉です。

 それから、>>729

≪ …すなわち超越内在的意味に於ける“キリストの再臨”による“最後の審判”は、本来無いところの「虚妄(まよい)」の無を「無」として判決宣告して、永遠に出て来られない世界に堕獄し、本来人間の実相たる「完全人間」を実在なりと判決宣言して、それを如実にあらわすところの審判でありますから、「吾が宗教(おしえ)は恐怖の宗教にあらず、虚妄(まよい)を焼かるる者は却って生き、暗黒(やみ)を焼かるる者は却って光をあらわさん。病は癒され、悩みは消えん」とあるのであります。

「焼かるる者は『汝』にあらずして『虚妄(にせもの)の汝』であるからである。『虚妄の汝』は神より出ずるに非ず、神より出でざる汝は実在にあらず」と示されております通り、「病んだり、悩んだりしている汝」は、真に実在するのではなく、夢の中の人物のようなもので、「本来無い」のであります。

本来無い「悩みの人間」「病める人間」が、「私はこの通り存在します」と、感覚面に訴えて控訴しているのであります。「真理の光」に照らして、「汝らは、神より出でざるが故に、如何に実在の仮面を被るとも実在にあらず」と、最後の最高裁判所的裁決を下すのが、真理の再臨による「最後の審判」なのであります。≫

という「“最後の審判”に就いての神示」ご講義のお言葉(『神ひとに語り給ふ』)です。

 いずれも、「訴うる者」「審判人(さばきびと)」「控訴」「最高裁判所的裁決」というような、「裁判」に関わりある言葉が出てくるので、現在の『生命の實相』出版権をめぐる教団と社会事業団の争い、裁判対決を連想させます。

 「争い」とか「対決」というようなことが出てくるのは、「神の国」にはないことで、どちらか一方が正義(善)、一方が不正義(悪)であるということはなく、いずれも

 「迷いと迷いと相搏(う)って自壊するのだ。」(声字即実相の神示)

 という過程なのではないかと思われます。そして、

 「まだまだ烈しいことが今後起こるであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。」

 と神示にありますから、結局は自壊作用の後に、一層すばらしいことが出てくるしかない、と思われるのであります。

 ですから、>>740の通り、私たちは

 「吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである」(『幸福を招く365章』)

 「安らなれすべて善ければ
  とこしえに此処極楽に
  なれは今まもられてあり。」(「堅信歌」)

 ということを信じて、今、われ「七つの燈台の点燈者」なり、「住吉大神の全心全霊」なりとの自覚と信と使命感をもって、明るく愛を行じて行きたいと思います。

753復興G:2013/04/22(月) 11:15:09 ID:AB6RqYXc

上記>>752は、>>750>>751のトキ様・a hope様の投稿を見ないで書き込みました。

トキ様、a hope様、コメントありがとうございます。

合掌

754トキ:2013/04/22(月) 11:34:37 ID:HtiBzlX2
>>751

 それはその通りだと思います。谷口雅春先生は、講演などで遠方に行かれても、休み時間に
せっせと原稿を書かれていたと聞いています。地方の教化部に、意外にも谷口雅春先生の原稿
が残っていますが、それは、そういう経過があるからです。

 しかるに、本部や本流復活派が、聖典をめぐって争うのは、谷口雅春先生を悲しませる事に
なると思います。

 釈迦、キリストの時代と違い、今は、文字という形で、場合によっては音声や映像という形
で、教えは残っています。知識のある人は、知識で、本や雑誌や音声や映像を持っている人は、
法律に触れない範囲でそれらを紹介し、また、学ぶ事が、谷口雅春先生が望まれた事だと思い
ます。

 今回、復興G様が、ご指導をして下さりましたが、こういう形でのご指導を通じて、信徒の
魂の向上の機会があるのを、一人の信徒として、喜んでおります。

 復興G様、心から感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

755復興G:2013/04/22(月) 12:10:41 ID:AB6RqYXc

>>754 :トキ様
ありがとうございます。

>>谷口雅春先生は、講演などで遠方に行かれても、休み時間にせっせと原稿を書かれていた<<

そのお原稿は、そのまま地方の教化部などに置いて行かれたわけではなく、いったんは日本教文社編集部に届けられ、活字となって神誌などに掲載されてから、本部会館建設や地方の教化部会館建設のために献資した人たちに、お礼として賜ったものであると思います。

いずれにしても、先生はすべての時間も労力も書かれたお原稿も、神からの賜物として、私することなくすべてを捧げ尽くされた、と言えると思います。

私も、己を無にして、献げる生き方をしたいと願い思います。

賀川豊彦さんの、「神の祭り」という文章を思い出しました。

          ○

「聖パウロは言った。 “その身を活ける供物として神に献げよ” と。
五尺の鯉を神に祀ることは最も愉快なことである。
   (注。「五尺の鯉」は、人間を意味する)
 吾々の生活の凡てが神への供物であり、祭であるのだ。
 祭だ、祭だ! 花火が上り、楽隊が聞えるではないか。我々の生涯のあらゆる瞬間が神への祭だ。表に五色の旗が翻らなくとも、魂の奥には、永遠の燻香が立ち昇る。神への燔祭は、我々の赤き血そのものである。

 若き小羊を捕えて神に献げよ。全き小牛と全き小羊を神に献げよ。日本の若者の魂を捕えて神に献げよ。神への奉加は、吾々の生命そのものであらねばならない。吾々の玉串は、生霊そのものであらねばならぬ。完全に我々の全生命を神に祀ろうではないか。我々の肉体、我々の生活、我々の精神、我々の学問、我々の芸術、そして我々の道徳を神への献げ物として八足台に献げようではないか。

 永久の祭だ、永久の歓楽だ! 不滅の花火、無限の祝典、生命の神饌は永劫に尽くべくもない。両国の花火はなくとも、我々の心臓のうちには、不滅の血が花火以上に赤く爆発する。」

          ○

 ありがとうございます。

756SAKURA:2013/04/22(月) 12:18:36 ID:bdiHbvK.

「復興G様」へ 「観覧者様」へ  「管理人トキ様」へ  
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>> 投稿の続きです…。

>>747「誌友会閲覧者」様 >>752 「復興G様」>>751 「a hope 様」皆様方へ

色々な観点での私事…ロ−マ字(大文字)【SAKURA】 の“コトバ”を頂きました事…に対して
感謝申し上げます…。尚…私自身此処では「現総裁雅宣先生…擁護派」として、私なりの捉え方で…
楽しんで投稿させて頂いております。特に>>747からの“コトバ…”対して、感謝申し上げます。
従いまして、中には私の捉え方に反対の意見・思考があっても当然だと…それは個性かと…。
(今回は…私事にて、“過去の引きずった書籍・品物”の整頓にて??−−>ごみ箱??気ばかりが、
焦りとなり投稿させて頂く余裕が、ありませんでしたので…私自身のふたらなさかとも?)

そして「復興G様」からのテキスト指定箇所を頂きます事は、以前気がつかなかった事を、私なりに
解釈する機会を頂き…感謝申し上げます…。

今回の『生命の実相』の冒頭に……
−−−「抜粋投稿」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−―
「平和」それは人間が常に求めているものであり、この実現のためには人間は絶大な努力を払って
来ました。
しかし、“人間とは何か”を深く考えずに行動しようとすると、互いに衝突したり、奪いあったり、
傷つけあったりするだけで、そこからはなんの平和も生まれてきません。
…云々…                      『生命の実相』…第3巻
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−―−―
この言葉が…最初にインパクトを感じましたかと…個人的に思います。
≪平和≫…言い換えますと…「雅春先生のコトバ」の中に、
>>【心のやすらぎ・生き抜く力】とを与えずにはおかないでしょう。<<
本当に、この【WEB誌友会…】を閲覧して頂いております「観覧者の皆様方々」に…そのような感情を
少しでも抱いて頂けますならば【生長の家−――>成長の家――>魂いの向上】この事が、私どもに、
課せられた≪使命…≫ではないかと…改めて“この言葉”に一つ一つを、胸中に刻み込みました…。
改めて…素晴らしい「生命の実相」…【生命を活かす…活かしきる】この事を痛感させて頂きました。

                                         感謝拝

PS: 時間の合間に…皆様の投稿の内容を閲覧させて頂きながら…第3巻の指摘して頂きました処の感想
を、【SAKURA流?】にて投稿させて頂きます…。(投稿の内容に??反論も個人的にはありますが?)

❤最後に…「生長の家…」の創立者…「谷口雅春先生」は、一番【云いワケ…論】を嫌われましたかと。

757復興G:2013/04/22(月) 13:14:26 ID:AB6RqYXc

>>756 :SAKURA様。

>>   −−−「抜粋投稿」−−−−−−−
「平和」それは人間が常に求めているものであり、この実現のためには人間は絶大な努力を払って来ました。
しかし、“人間とは何か”を深く考えずに行動しようとすると、互いに衝突したり、奪いあったり、傷つけあったりするだけで、そこからはなんの平和も生まれてきません。
…云々…  『生命の実相』…第3巻
   −−−−−−−−−−−−−−―−― <<

上記は、第3巻の「はしがき」の冒頭の御文章を、わかりやすく書き直されたものでしょうか?

上記の通りの御文章は、テキストに見当たらないのですが……

758SAKURA:2013/04/22(月) 14:36:25 ID:gD0Nk1Y6
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756 投稿の続きです…。

>>757 「復興G様」へ
■□【ブックカバ−の裏…】にありますモノで…【冒頭…】という言葉は?撤回させて頂きます…。
ご指摘の…文章は〜〜〜❤そそっかしい【SAKURA…】でした。申し訳ございませんでした…。
この場を借りまして…お詫び申し上げます…。
【 生命の実相の頭注版(昭和37年初版)3巻 】以降には、記載されていますようですが…。
(但し?【 愛蔵版 】には…ありませんし、第三巻の内容も異なりますので、やはり時代の流れも
含めて、多くの人々への【真理…導く】事を、率先された「雅春先生…御心」が伺えますかと思う次第です。)

「雅春先生…のコトバ」は〜〜〜書籍本の隅々にまで“コトバ…=言霊=こころ”私どもの“心…”に
響くものがありますかと…今回「復興G様」が選択して頂きました“テキスト箇所”を拝読しながら
つくづく感じました。 ありがとうございます…。
                                再合掌

759トキ:2013/04/22(月) 16:39:32 ID:HtiBzlX2
>>755

 ご教示、ありがとうございました。確かに、ファックスのない時代に不思議な話だったと
思いましたが、そういう経過があったのですね。親切なご教示に深く感謝申し上げます。

 ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

760復興G:2013/04/22(月) 17:17:16 ID:AB6RqYXc

>>758 :SAKURA様。

わかりました。
編集者仲間では「カバー袖(そで)」と言っているところですね。そこに書かれているキャッチコピーの文章にありました。

それ(カバー袖のキャッチコピー)は普通、著者が書くものではなく、編集者がつくる文章です。ですから、『生命の實相』のカバー袖の文章も、谷口雅春先生がお書きになったのではなく、編集者が、この場合は先生の「はしがき」の御文章をもとに、やさしく書き直して作った文書だと思います。まあ、よくできた文章ですね。

その後ろの部分には、

≪「人間は生まれながらにして、その一人一人の中に限りない生命力があるのだ」と説く本書こそ、読者に「心の安らぎ」と「生き抜く力」を与えずにはおかないでしょう。≫

と書かれていますね。

それでわかりました。ありがとうございました。

761SAKURA:2013/04/23(火) 00:28:57 ID:5Z7ZB6rE
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758 投稿の続きです…。

>>760 「復興G様」からのお返事…に関しまして
早々のお返事を頂きまして…恐縮です。私の今回“抜粋投稿”しました事に関しましての、ご意見…
教鞭ありがとうございます…。(ブックカバ−の件)

余談ですが…先生の「コトバ…」−−>「生命の実相」に記載されています「コトバ=文字…」は、私に
取りましては、全てが…心の安らぎと…受け止めさせて頂いております。
ですから…今回の【 第三巻テキスト…「7つの燈台の点燈者の神示」 】に関しましては、殊のほか、
「復興G様」からの投稿箇所…を参照させて頂きながら、私なりにもう一度“見つめ直す…”この機会を
頂きました事に、深く〜深く〜感謝申し上げる次第です。ありがとうございます…。

                                   再合掌

762SAKURA:2013/04/23(火) 00:39:24 ID:5Z7ZB6rE
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こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761 投稿の続きです…。

■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…その① 】からの感想とさせていただきます…。
==========【 生命の実相 3巻 はしがき より 】==================

>>人間はなぜ、平和をもとめながら戦争をするのであろうか。その本当の理由を知る人は少ないので
ある。人類は生命に到る道をもとめながら死への道を選んでいるがごとく見える。それは、人間が自
己の本来清浄の霊的実在なる本質を知らないのと、キリスト教的原罪観または仏教的罪業間で自己処
罰、自己破壊をとげつつあるからである。自己の「霊」なる本質を知らないで、自己を「物」として
観、「肉」であると自覚する人間は、「物」としての自分を持続し、拡大しようと望まずにはいられな
い。しかも「物」は有限であるから、自己を無限に拡大しようとする希望は互いに衝突したり、奪い
合ったりするほかはなくなる。だから、唯物論的人生観にたつ以上は、人間は平和を欲しながら戦争
へと突入し、生命の完全なる伸展を欲しながら、自己破壊をつづけてゆかなければならないのである。<<
                                    (谷口雅春著)
===============================================

■なぜ戦争になるのでしょうか〜〜〜???平和を求めながら〜〜〜???この様になるのですかと。
この頃思うのです。…が? 【人間関係の争い事…】は、二通りあるように見受けます。…が?
それは「お金の執着=経済的利益追求からの正当論…」??もう一つは「本人のプライド…からの正当論」
でしょうか??

                             つづく

763SAKURA:2013/04/23(火) 00:41:23 ID:5Z7ZB6rE
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こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762 投稿の続きです…。

■【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…その2 】  
どちらも、結局は【我の強さ…】からなのです〜〜〜ョネ???
「戦争…」は、やはりこのような二通り理由からの中身で…互いに衝突、奪いあう、傷つけあう…etc
のようにも見えます。…が!!

私が、今!振り返りますと、やはり「若い時の執着心…」からも生じる事がありますかと。当時の「聴力
喪失」となる前の頃ですが、当時の「亡き父」は、ある事から【タタキ男の腰の高さ…】には、辟易して
いましたのです。ところが、当時の私は【人類はみな兄弟と…】云った感じでいますから、どんな人間でも
必ずや、いいところがあるので、まずは“信じる事…から全てが始まる!!”このような考え方でした。
「亡き父」は、娘がそのような考えでいますので、ある時の事です。その「タタキ男…」が【免許停止…】
になり、私の処にどうにかならないのか??この様な事を言いだしたので……実は「亡き父」は、当時の
「警察署長さん」と親しい間柄ですから“何とかはからい!!”をと当時、私は【免許停止…】になる前に、
「何か対処できないかしら〜〜〜ン??」と「亡き父」に相談しますと、当時の「亡き父」は気持ちよく、
警察にはからいに行ってくれました。そして、当時の親しい署長さんも、気持ち良く動いてくれました。
(まだ若いし、前途があるし、将来性を考えて〜〜〜との事から、気持ちが動いたのでしょうかと。)
…が?その後の【連絡…】では、【NG…発生】でした。実は〜〜〜【本人の記録】は、余りにも〜〜〜
スピ−ド違反の内容が〜〜〜??他にも〜〜〜??という事で、“はからい事…”が出来なかったのです。

それでも、その頃の私は【決め付ける…大人のやり方に反抗心…】が募りだしましたので〜〜〜それからは、
〜〜〜【我の戦い…】になり、気がつきますと■【頭部を瞬時に叩かれ…聴力喪失】今では、このような
姿・形なのです。…が?【ネガティブな感情の激突…破壊行為…へと…!!】

【戦争…】も同じ事で、これが正しい行動でしょう!−――>この【正当論…】が???ある人にとり、
“ねじ曲がった現象展開…”になっていくのでしょう〜〜〜ネ!!
❤【 初めにコトバがあり 】と云いますように、私の「過去のおさらい…」も始めに「亡き父」の言葉を
素直に聞き入れなかった事からでしょうか???【我…の張り合い?での代賞と云いますか??】
こうして考えていきますと【個人の思考の問題】ですから、やはり思いますには【戦争…】という前に
【生命とは〜〜〜?の論理観…】が、一番大事だと思えます。…が??

❤では〜〜〜次の「文章投稿…」の感想に入っていきま〜〜〜す。         

つづく

764SAKURA:2013/04/23(火) 00:51:00 ID:5Z7ZB6rE
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>763 投稿の続きです…。

■□ 此処で初めて閲覧されます…「観覧者」の皆様に対しまして…“一言”お断りをと。

【 >>763 投稿文章中…ですが? 】
〜〜〜【我の戦い…】になり、気がつきますと■【頭部を瞬時に叩かれ…聴力喪失】今では、このような
姿・形なのです。…が?【ネガティブな感情の激突…破壊行為…へと…!!】
此処で【頭部を叩いたのは】当然の事ですが『タタキ男…』ですので…御了承下さいませ…。

                                     再合掌

765復興G:2013/04/23(火) 09:25:12 ID:AB6RqYXc

SAKURA様。

今回(第13回)web誌友会テキストは、『生命の實相』第3巻の「はしがき」から本文3頁まで としてありましたので、私も「はしがき」のご文章は謹写しておりました。
しかし、「神示」の方がインパクトが強いと思って、それを優先させていました。
しかしながら、「はしがき」にも基本的な大切なことが書かれていますから、それをSAKURAさまが取り上げて下さったことは、よかったと思います。

まだつづきがありそうですので、拝読させて頂きます。

ありがとうございます。

766復興G:2013/04/23(火) 09:55:16 ID:AB6RqYXc

SAKURA様。
[部室 板/4 ]の648で、「訊け」管理人様が、安東巌先生のご講話というのを紹介されています。
それを文章化されているところに、次のようにありました。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

[安東巌先生ご講話 「生きる喜びとは」]

九年も教化部長をやっておりますと、「救われる人」がスグに判ります。生長の家を長がーくやってるのに、救われない人がいる。これはいったい、どういう事か?

さて、どんな人が救われるのか? 先ずは「赦すことの出来る人」です。そして、「感謝する人」も、救われます。「徳を積む人」も救われます。

 ・・・・谷口雅春先生のお話しで、こんなのがあるでしょ? 農夫が「ずっと祈ってたけど、収穫がなかった」と。アタリマエですよ。だってタネを蒔いていないのですから・・・・愛のタネを蒔いていないと、現実には収穫はないのです。練成会何回来ても、救われん人は救われん。だって「徳積み」をしていないんだもん。・・・

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ――ちょっと、ご参考になるところがあるかと思いましたので、紹介させていただきました。。
 ありがとうございます。

767トキ:2013/04/23(火) 10:07:39 ID:CGS7Lc8c
 昨晩、寝る前に祈っていて、ふと思いついた事がありました。

 谷口雅春先生が生長の家を始められるに当たっては、ご自宅がドロボウの被害に遭われて、それが契機
で生長の家を始められた、という事を書かれていました。ドロボウにあうのは災難ですが、それを転じて、
全世界に光明の灯がかかげられたのです。

 ところで。

 今、私は、この掲示板の管理人をして、多くの方からご指導を賜っていますが、もし、谷口雅宣先生が
忠実に谷口雅春先生の教えをそのままに説かれ、聖典の裁判が起こらなかったら、こういう管理人をする
事もなければ、そもそもインターネットで生長の家関係の掲示板を見る事もなかったと思います。

 さらには、復興G様から貴重なご指導を賜る事もなければ、多くの投稿者様と知り合う事もなかったと
思います。もっと言えば、谷口雅春先生の教えを根本から学び直す、という発想もわかなかったと感じま
す。

 もし、教団と本流復活派の争いがなければ、私は、教区のヒラ会員として、おとなしく生活をしてい
たと思います。これは、他の方にも該当するかもしれません。

 すると、一連の騒動とうのは、確かに「災難」ではありますが、しかし、多くの信徒さんにとっては、
何かの啓示であるような気がします。

 これは、以前、復興G様がご指導をされていた事ですが、谷口雅春先生がご立教前のドロボウのエピソード
と結びついたので、書かせていただきます。

合掌 ありがとうございます

768SAKURA:2013/04/23(火) 13:33:10 ID:8n7fei8U
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>763 >>764 の 投稿の続きです…。

■765>>766 の「復興G様」からの…お返事感謝申し上げます…。
更に、多々なる大先輩の諸先生方の「体験・・・」も踏まえての?投稿内容を閲覧させて頂きました。
ありがとうございます…。「安東先生…」…云々…

これに関しましたは、個人的には?『真理…永久不変』の部分と…現在私の身の回りでの〜〜〜><
『 想定外…現象=顕現事項 』に対しまして〜〜〜どの様に【心を持って行く…心の法則】を、
思案中なのです。 当に【暗中模索…】で〜〜〜す。><

■「復興G様」は、私の推定憶測?相当な書籍数々を所有されていらっしゃいますモノと…改めて思います。

実は?私事ですが…「書籍を購入する際…」に関しまして「雅春先生」もおっしゃつていましたが…そして、
学生時代の恩師も同じ事を私どもに指導して頂いておりましたのが…【はしりがき…】この部分に…
その「書籍を購入する…」その時の内容の大まかな事が解るので、これを参考に…そして書籍の結末の処を、
参考にして、購入したらいい?恩師の言葉で「ハズレがない??」この様な事を……
厚かましく〜〜〜続き投稿をさせて頂きます事!〜〜〜それに関しての“コトバ”を頂き…恐縮です…。
ありがとうございます。…

本当に、今!個人的に「 過去のおさらい 」を、しておりますと、「雅春先生」の本だけで…複雑化した
現代社会では、今後、判断できない事も、多々出てくるものではないかと思うのですが、後になり、私の
つたない“続き投稿内容”から、引用していくうちに!!【人間関係…】の時に、感情的=頭に来ますと?
それは既に❤〜【負けの人生…】と思うのです〜〜〜ョネ!!〜〜と、今!あらためて思う次第なのです。
但し、現状の私は「ヤカン頭〜〜〜なりやすい??」ので…修行中で〜〜〜す><

【戦争……争い】も、結局は、始め「コトバのぶつかりあい……」ですから、いずれにしましても、双方とも
…共倒れ…になる事の様に感じます。では??この現状事を少しでも“避けるには〜〜〜どうしたら〜〜〜?”
今!私に出来る事は、投稿者の皆様も同様に、この少ない時間帯に、出来るだけ、多くの観覧者様方々に、
私なりの「真理…私の捉えた真理」を、ライティングで伝えたいと思いますから〜〜〜!

今!!出来ますところの❤〜【愛…】……
この種まきは〜〜〜此処“パソコンの伝道での”種まき論”でしょうか〜〜〜?
本当に「パソコンのキ−ボ−ドにて文章を打つ事…!」は【愛…】がなくてはできません〜〜〜かと。
従いまして、お忙しい中に「復興G様…」からのテキスト投稿…感謝申し上げます。ありがとうございます。
■永久不変の【真理…伝える事】が、今や、「雅春先生…の御心」に叶うモノと…【使命感…】
この頃では思えます。時間を割いてのお返事…改めて感謝申し上げます。そして、閲覧して頂いております
「観覧者の皆様」にも…時間を割いて頂いております事…この共有性に感謝の念を抱かずにはおられません。

本当に、時間管理が、十分出来ていない私ですから?難しいのが現状です。“反省…いいワケ【SAKURA】”

きっと「神様…」が、何か?答えを、「或る時間・空間…」にて下さるものと“信じて!行じる!”…
今では?これも、私の【愛 行 …】一つなのでしょうかと。??

                                      再合掌

PS: >>767 「管理人 トキ様」の「フト??お話…」
拝読させて頂きまして…私も感じました事がありますので、後程、投稿させて頂きたく…思いました…。

769うのはな:2013/04/23(火) 15:29:29 ID:1XyvUc4.
669 名前:訊けファン 投稿日: 2013/04/23(火) 15:27:11 ID:???
せっかく訊け様がアップしてくださった音声ファイルが奥に行ってしまいます。

クレームは別板へどうぞ。

○【第二弾】安東巖先生ご講話【音声】
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65727511.html


 安東巖先生、「第二弾」です。音声のご講話です。今回のご講話も、非常に良いです。そして、日常生活を反省させて頂けます。どうぞ、ダウンロードされてお聴きください。



770復興G:2013/04/23(火) 15:55:42 ID:AB6RqYXc

>>767 :トキ様。

 まったく、おっしゃるとおり、もし谷口雅宣先生が愛深く忠実に谷口雅春先生の教えをそのままに説かれ、聖典の裁判が起こらなかったら、私もトキ様や掲示板の皆々さまと出会うこともなく、こんなに真剣に御教えを学ぶこともなかったでしょう。

 谷口雅春先生は、ドロボウに感謝し「今、起て!」の声を聞いて、起ち上がられた。おかげで、私たちは『生命の實相』の御教えにより救われたわけですね。

 “地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要る”ので、ドロボウにも、役割があった。

 とすれば、本部も、“本流”(別派)も、お互いを敵視せず、それぞれの役割を認めて感謝し和解し合えば、地上天国実現が早まるのでしょう。

 相手を“悪”と見て争いを続けていても、

 「まだまだ烈しいことが今後起こるであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。」

 と神示にありますから、結局は自壊作用の後に、一層すばらしいことが出てくるわけでしょう。しかし、烈しい自壊作用なしに天国が実現するよう、

 「汝を訴うる者とともに途(みち)に在るうちに、早く和解せよ。」(「マタイ伝」第5章23節〜26節)

 とイエスが言われているように、和解するのが道でありましょう。さもなければ、

 「恐らくは、訴うる者なんじを審判人(さばきびと)にわたし、遂になんじは獄に入れられん。誠に、なんじに告ぐ、一厘も残りなく償わずば、其処をいづること能わじ」

 と言われているわけですから。

 「獄に入れられん」というのは、文字通りの監獄ではなくても、「罪の価は死なり」と言われている、その「死」とは、神性を隠蔽していることが「包み=ツミ」で、生命の死であり、自縄自縛で自由を失うことになっているのだ、というご教示があったと思います。

 いずれにしても、私たちは

 「既に天国の饗宴に招かれている」

 「吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである」

 というお教えを信じて、祈りと愛を実践してまいりましょう。

 ありがとうございます。

771rei:2013/04/23(火) 17:56:59 ID:bo95azFI
復興Gさま

今回もご指導ありがとうございました。

767と770に同意致します。

今回の誌友会に何度も発言しようと思いながら、
神示の素晴らしさに圧倒されて、つまりレベルが高すぎて、
そうなのだ、そうなのだと思うばかりで、私の意見など差し挟めない
差し挟むべきでないと思っていて、時間が過ぎてしまいました。

今回の誌友会こそが、760と770の答えに繋がってると思いました。

先回の「くそ」さまの様な人がいらっしゃると、気づきも多い様に思います。
心臓がドキドキしますけれど。

トキさま
いつもありがとうございます。
ahopeさま
いつもお役ありがとうございます。

合掌

772トキ:2013/04/23(火) 19:17:42 ID:CGS7Lc8c
>>770

復興G様

 懇切なご指導に深く感謝申し上げます。

 先ほども、先達が訪問をされ、私に、「今の総裁の指導方針を見ると、組織の私物化が目立ち
納得ができない。」という話をされていました。

 ただ、谷口雅宣先生が副総裁になられる前から、組織の官僚化、形骸化は始まっていたという
印象を個人的には持っています。谷口雅春先生から指導を受けた先生が高齢になられ、亡くなられ
たり、引退をされ、代わりに、谷口雅春先生のお顔を見た事のない人達が幹部や講師になられました。
 そうすると、やはり、教化部の中の雰囲気も少し変わって来たみたいです。

 「一白鳩会員」が、「白鳩会などを見ていると、何かサークルか町内会のような感覚で生長の家の
行事に来る人が目立って来た」と話していました。真偽の程は知りませんが、青年会や相愛会を見ても
緊張感がなくなったのは確かだと思います。逆に、何か、運動偏重の傾向が見えるような気がします。

 これは、あくまでも個人的な印象ですが、組織内での官僚化や形骸化は、現在の総裁が指導をされる
ようになって以来、むしろ加速していると思います。

 先ほど、4月28日の全国幹部研鑽会の資料を見ていたら、テキストが「光明法語」と
「大自然讃歌」と「おいしいノーミート 四季の恵み弁当」でした。「幹部」を対象にした
行事のテキストに弁当の本を使うのは、おかしいと思います。私の周囲の友人にもそう発言をする人
がいます。しかし、その声が通らないのも事実です。閑話休題。

 が、仮に、谷口雅宣先生以外の方が総裁になっていたとしても、こういう官僚化や形骸化はやはり
程度の差はあれ、進んでいたと感じるのです。むしろ、谷口雅宣先生の指導の内容が、多くの方に
納得のいかないものであったため、従来の組織教学に疑問を感じた人達が、純粋な谷口雅春先生の教え
に戻ろう、という結論に達したと感じます。

 かって、釈尊は、入滅にあたり、「自分は全ての教えを説き終わった。自分の教えには秘密はない」と
言い、入滅の前に、周囲の弟子達に、疑問や質問はないか? と尋ねて、弟子が納得をした事を確認されて
から入滅されたときいたことがあります。が、釈尊の教えは文字ではなく、弟子の記憶という形で遺された
ため、後世、正確な教えが伝わらかったようです。

 幸い、谷口雅春先生の教えは文字や、場合によっては音声や画像で遺されています。その教えは、万人
が学ぶ事が可能です。教団にいる人も、本流復活派の人も、先ずは、谷口雅春先生の教えを学ぶ事から
始めるべきだと思います。それが、谷口雅春先生が望まれた事だと信じております。

合掌 ありがとうございます

773復興G:2013/04/23(火) 20:13:49 ID:AB6RqYXc

>>771 :rei様

ご感想を、ありがとうございました。
「大調和」を信じ祈りつつ、明るく励ませていただきましょう。

774復興G:2013/04/23(火) 21:44:19 ID:AB6RqYXc

>>772 :トキ様

ありがとうございます。

谷口雅春先生の教えは、「谷口雅春の教えではない。“真理の啓示者”は“實相世界”にある“神”のみなのである。」とおっしゃっています。
『實相と現象』のはしがき(これが先生の絶筆と思われ、ここに最期のご署名がされている)に、次のように記されています。

          ○

    はしがき (『實相と現象』)

 (前略)
 『生命の實相』が五十数年前に刊行されたとき、聖書型の黒革の表紙には、私の名は無かった。その後も形態は種々の変遷があったが、表紙や函の背文字には、「生長の家聖典」とのみ記して、著者名は出さなかった。表紙の平とか扉には、いつの頃からか名が出るようになったが、携帯版の前まで、背文字は一貫して「生長の家聖典」であった。神が私をパイプとして書かしめた聖なる典籍との畏れ慎しみであった。

 『神真理を告げ給う』の冒頭には、次の如くに述べられている。

 「“わたし”は今まで多くの教祖や哲人を通して人生の意義を説いて来た。君たちのうちには熱心に真理を求めて色々の書物を読み、色々の学者の説を読み、それに基いて思索をし、既に人生の意義を知ることが出来た人もある。しかしそんな人は非常に稀であって、大抵は、自分の偏見や既成概念の中を迂路チョロしていて、悟ったつもりで實際は悟っていないか、真理なんて求めても到底得られるものではないのだという絶望感で、“聖なる求め”を放棄している人もある。そのような人たちに“私”は、今ふたたび真理を知らせてあげたい愛念によって、今此処に谷口雅春を通して真理を説こうと思うのである。」

 更に次の節には、

 「……それらの宗教教祖や碩学や大哲の中に“わたし”は宿って、人々を導くために“わたし”は書いたり、説いたりして来たのである。真理は人間の肉体から生まれて来るものでも、人間の脳細胞から生産されて来るものでもなく、實にそれらの人々に宿っている“わたし”がそれを説いているのである……。」

 「しかし“本当の教祖”というべき“真理の啓示者”は“實相世界”にある“神”のみなのである。イエス・キリストも『師というべき者は、唯ひとり天の父のみである』といっているし、谷口雅春も、“自分は教祖ではない。實相世界に生長の家の本部はある”といっているのである。」

 この“わたし”は勿論、言うまでもなく神である。

 このような文章――神の言に接する毎に、私は畏れ平伏(ひれふ)すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、谷口は十二分にお応えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些かの梅いることなくお応えし得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、唯々感謝合掌、悦びが、悦びの波紋が見渡す限り拡がる様を、心眼に拝するのである。

 本著作集も第四巻となり、いよいよ佳境に入った感がある。生命の實相哲学の骨格を成す唯神實相論の霊々妙々の極意を、極めて平明に、話し言葉を以て表現してある。先の海外巡錫の時よりも若い時代の著述が多いが、もとより谷口の脳髄知、谷口の力価で構えて説いたものではない。いずれもその折々に最も相応しい神々の指導助言の賜である。万般の奇瑞が続出するのも、故なしとしない。

 諸賢が本著に親しまれることにより、“聖なる求め”を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代り切に切に望むものである。
    昭和六十年五月二十八日
          著者
           谷口雅春
              識す

          ○

 この先生のお言葉をかみしめて、命がけの学びをしたいと思います。

775復興G:2013/04/23(火) 21:54:26 ID:AB6RqYXc

誤字訂正し、お詫び申し上げます。

梅い → 悔い
力価 → 力𠈓(りきりょう)

776元本部職員D:2013/04/23(火) 22:35:55 ID:???
>>『實相と現象』のはしがき(これが先生の絶筆と思われ、ここに最期のご署名がされている)に、次のように記されています。

突然お邪魔します。遠くからいつも尊敬の思いでご高説を拝しています。本部職員後輩のDです。

さて、引用して下さった貴重な聖典『實相と現象』でありますが・・・
何故に重版保留の事実上の絶版扱いになっているのでしょうか。
先生は、このことに対してどのようにお考えですか。

わたしは、この一冊そして雅春先生の絶筆とも思われるこのメッセージを
消してしまうようなことだけでも、大変な罪(神性隠蔽)であると考えます。


>>
 諸賢が本著に親しまれることにより、“聖なる求め”を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代り切に切に望むものである。
    昭和六十年五月二十八日
          著者
           谷口雅春
              識す

777SAKURA:2013/04/23(火) 23:11:27 ID:BEUD3XFA
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768 投稿の続きです…。

■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 はしがき よりその③ 】==============
>>わたしは最近、アメリカの精神身体医学の大家カ−ル・メニンジャ−博士の『おのれに背くもの』
を日本教文社発行の翻訳で読んだが、これは人間に自己破壊の矛盾的な欲望を自殺本能とし、慢性病
を一種の慢性自殺としてその精神過程を分析している大変興味ある書物である。そしてその自己破壊
的本能を陶冶することによって病気の治ることを実例を挙げて説明しているのである。メニンジャ−
は「不運を嘆く一群」の人たちについても、その不運の大部分が不測の外部的禍いでくるのではなく
して、自己が他人に自分を虐待するようにし向けておいて、その反動として自分が逆境におかれてそ
の苦しみに耐えしのぶことに、一種のマゾヒスチックな快感を味あうものであることを指摘している
のである。<<               (一部抜粋)
==============================================

そうです〜〜〜ョネ!私も以前はある面「障害者として…」この“コトバ…”を、パ−トナ−は、よく
使っておりました。…が?当の私は〜〜〜【 心の葛藤 】〜〜〜><

当時は、一見「障害者…」に、みられたくな〜〜〜いの想いがあり、オスマシにしておりましら、
“パ−トナ−”は、私の繊細なる気持ち(?)とは裏腹に、必ず!オ−プンにしますので、気がつきますと、
私自身も、ノセラレ族と申しますか?ある面では、本当にオ−プン的になりました。

これも「潜在意識…」に、「障害者として…」の負い目があり、時には“武器に使う手段…”も必要かと?この
ように、おもいます。そうです〜〜〜ネ!【ケ−ス・バイ・ケ−ス…】でしょうか?
「障害者…」として“オ−プン!”にしますと、以前の日本社会は、正直申しますと“閉鎖的…”でしたが、
東京に住みだしてから、ある事を目撃するにいたり『人権の差別化…』を目のあたりにしてからは、
これは、【正々堂々…としないといけない事!!】を、イヤ〜〜〜と云うほど垣間見る事となり、また、私も
体験をする事となりました。
                                  つづく

778SAKURA:2013/04/23(火) 23:16:28 ID:BEUD3XFA
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こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777 投稿の続きです…。

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。「マイペ−ス」

【 生命の実相 3巻 はしがき よりその③ 】>>777 の続き投稿です…。

■『生長の家…』では、客観的に申しますと〜〜〜表面上は「障害者…」に対して、好意的な状態・態度に
見えるように思います。…が?相手が「障害者…」での、男女関係に関しては、殊のほか?反対される方が
多いように思いました。(過去の体験…から)当時の「役職の方々」は、必ず「障害者…」との結婚問題はと?
「苦労をします…。」この様ないい方でしたかと。??それに「肩書優先…」でしたかと。??更には、一方的な
事情での判断でしたかと。??これには【ショック…】でした〜〜が??当時の私は、心の傷として、かなりの
負い目をもちました。その事も、一つは“キッカケ”となりまして、その後【創価学会に入会】となったのです。
尚!現状でも〜〜〜この様な傾向が『生長の家…全体像』として残っているかも?知れません。

しばらくしまして「学会の方…」が❤【障害者でもデザイナ−になれる〜ワョ!】と言って「励ましのコトバ!」
更に〜〜「聴覚障害の団体…」があるから、そこの“クラブ…”に出入りしてみたらと…アドバイスをいただき、
『国立の文化ホ−ル…』に、はじめて出向きました。そこには、当時「聴覚障害者の方」が、かなりいまして、
正直“ビックリ…”です。生まれつきの「聴覚障害者…」で、その年に『早稲田大学に合格』したのでしょう。
その子は、記憶では“大田区…在住の男性”でしたが〜〜〜?その後!やはり、周囲の学会員の方が、負い目を
持たせる事よりも、世間に対等に前に〜前に〜進む事を…見守って行く!その様な周囲の光景が、今でも
印象的ですかと…。

或る時は、“パ−トナ−と、二人とも独身”ですから、周囲の方々の“はからい”で「お見合い…」のような感じ
での紹介をして頂き、この様にして頂きました事を、今では、懐かしく、今にして思いますが【感謝…】かと。

今の『生長の家…お家騒動』は、当時の私に対しての“コトバ…の使い方?投げ方?”は〜今では【分派…】に、
いかれた職員の皆様方でも、正直な話ですが❤『やさしさの欠如……』がどうしても伺えます。
■【 何故?如何して?会員が減少したのか〜〜〜】を、改めて振り返る時、そこには「過去の障害者の見方…」
への【差別化…】此の事も原因の一つの様に思いました。それに【同和問題】も、差別化しされた傾向が、
此処昨今の投稿内容から感じました。…が?果たして〜〜〜如何なものでしょうかと???

振り返りますと、この当時の私は、確かに【 不運を嘆く一群 】を嘆き悲しむ“私…自身”でした。…が?
それと、同じように【分派の皆様の中には〜〜〜被害者意識!!があるかと。これでは、まるで〜まるで〜
「悲劇の主人公…」にも見受られてしまいます。】……ある面は、理解も出来ますが〜【中傷が先行しますと!】


■最終的には【過去の私と似ている!!】
この様に、世間一般では、見られてるのですかと。!!そして今回【 悲劇の主人公を演じている様に〜〜〜
それは「罪と罰」…で】しょうか??そう!その様に思われますのでは?更に、考えますと…逆の観点から?
【 不 運 を 嘆 く 集 団 に 見 え る の で す か と 。】
折角❤「雅春先生…回帰」此の事を『スロ−ガン…』になされています【分派…皆様方々】も、
「不運を嘆く一群…信仰団体」なのですかしら〜〜〜ン???この様に、見られているのでは??
そう!!あまりにも【中 傷 が 先 行 さ れ る 方】此の行為は、結局!!
自分自身で、自分自身の【人格…が無】になる事と、そして【傷をつける…】ようなモノです〜〜〜ョネ!
                                          
                        つづく

779復興G:2013/04/24(水) 10:22:03 ID:AB6RqYXc

>>776 :元本部職員D様。

ご投稿、ありがとうございます。

『實相と現象』(谷口雅春著作集第4巻)が、「重版保留の事実上の絶版扱い」になっていたのでしたか。

それは、一個人の罪(神性隠蔽)だけではなく、すべての信徒、ひいてはすべての人類の神性開発を妨げる重大な罪(神性隠蔽)になると思いますね。

>>わたしは、この一冊そして雅春先生の絶筆とも思われるこのメッセージを消してしまうようなことだけでも、大変な罪(神性隠蔽)であると考えます。<<

同感です。これは、ぜひとも復刊を強くお願いしてまいりたいと思います。

『神ひとに語り給ふ』や『古事記と現代の預言』なども、同じです。

ご投稿、ありがとうございました。

780SAKURA:2013/04/24(水) 22:29:42 ID:BEUD3XFA
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■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 はしがき よりその④ 】==============
戦争も、闘争も、人類のあらゆる不幸、災禍、病気、貧苦等もこの種の人間の自己破壊願望のマゾ
ヒスチックな傾向からくるものであること、そしてその自己破壊願望の完全な修正が行われない限
りは、人間は、生命に到る道を欲しながら、死の世界に突入せざるをえないことが精神病理学者の
方から指摘せられはじめたのは興味あることである。わたしの『生命の実相』全集を読む人たちが、
おのずから病気が癒え、戦場においてさえも傷つかず、あらゆる人生の不幸を克服しえつつあるのは、
それを読むことによって、人間が本来物質的存在にあらざるところの『完全霊』なる自覚を得、“アダ
ムの原罪的“な人類共通の罪悪感が消滅して自己処罰の必要がなくなり、人間の自己破壊のゆがめ
る願望が根本的に修正せられるからである。          (谷口雅春著)
==============================================

■>>戦争も、闘争も、人類のあらゆる不幸、災禍、病気、貧苦等もこの種の人間の自己破壊願望のマゾ
ヒスチックな傾向からくるものであること…云々…<<

【分派…の皆様方達…】の今までの投稿内容を閲覧させて頂きながら、正直、ある面では「被害者意識…」が
強くどうしても見えるのです。…が?? 例えばなのですが〜〜〜><
※このように私は総裁にされたとか…?
※日本教文社の本の中には重版があり、これがなくなると「雅春先生の生存された頃の書籍」が失われて
しまうとか??この責任は〜〜〜??

全ての『行為…』が、【現総裁雅宣先生…】に原因があると言いたげな“投稿内容…”ではないのでしょうか?
全て〜〜〜なす事全て〜〜〜❤「現総裁雅宣先生…責任転嫁」にお見受けします。…が?

此処で!【 現総裁雅宣先生…責任転嫁 】別の方面からの捉え方です。…が?例えば〜〜〜
此処最近、【森のオフィス…云々】に関しての討論投稿が〜〜〜話題性としてクローズ・アップでしたかと。
私の記憶の中では「現原宿の建物――>森のオフィス」これに関し、亡くなられました
「2代目清超先生…」でも、「本部会館での催事」の中で、おっしゃつていらっしゃいました“コトバ…”が、
❤『 建物は修善しないといけませんし、当然!もつのです〜〜ョネ 』このように述べられまして、更に、
『理事会が〜〜〜』という事を、公の場にておっしゃいました記憶があります。という事は【分派側…】に、
いかれました方々の中は、当時の『理事会…』の関与された方もいらっしゃいますのでは?ないのでしょうか?
そうしますと「雅春先生…建立された建築物」への想いは、理解できますモノもありますが〜〜〜
その頃でも【修復工事…一度もなされた形跡が〜〜〜見受けられません。】それでは、【多々なる条件でも
耐久年数がもつものも〜〜〜今ではもたないのでは??】このように考えます。

                           つづく

781SAKURA:2013/04/24(水) 22:32:14 ID:BEUD3XFA
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■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

【 生命の実相 3巻 はしがき よりその④ 】>>780 続き投稿です…。
 
■そして、「観覧者の皆様」もご存知のように、此処昨今では〜〜〜??『地殻変動…地震発生』が多々です!
此の事も踏まえますと、いつ!【大自然災害…】が起こるとも?そうしますと、その時の【人命の保障…】を
考えた上での、行動かと?個人的にはお見受けしております。…が?そして「現原宿本部の立て直し…」
一部はそのまま?のような事を、お聞きしておりますが?当然「耐震性…」も考慮では〜?ないのでしょうか。
【分派の方々…】が、仮にその様な事態が発生した場合、責任もって【人命の保障…】を、逆に、なさいます
のでしょうか?正直な話「疑問…?」です〜〜〜ョネ!

【 別板 「まじめな話」の板 】では、「菅原理事…」様の事を、記載されていました。…が?

当時!萩窪時代の頃でしょうか??その姿を、本部会館にて、せわしく歩いていらっしゃいました姿を、
お見受けした事があります。その頃でしょうか?確か「青年会長…」から「本部…」へ…その後!確か〜〜
「アメリカ…」に行かれたとか?風の便りで、訊きました。…が?正直!その当たりの事は、詳しくは存じません。
…が?そして「長崎総本山の総務」をなさっていらっしゃいましたかと?その後、再び「本部…」へ〜〜?

■【青年会…会長】という経歴からの現役職…「理事…」の立場に!!

さて!個人的には?多々なるこの「青年会からの〜〜〜」此の捉え方は、多々あるかと思います。…が?
中には【分派…】の方に行かれた方の中には、同じように【元青年会…役職!】の方もいらっしゃるものと
推測致しております…。…が?此処は、個人の捉え方でしょうか〜〜〜!

■【中 心 帰 一 !】を、どこに?誰に?対してもつかによりまして【分岐点…】となったのでは?
つまり「現原宿…雅宣先生側」そして「分派側…雅春先生への回帰論…」これにて、当然ながら、御本人達の
「肩書…」が変わってきたのが、現状ではないのでしょうか?
ですから、その判断にて、現状の立場がある分けですから?それを【中傷…】する事は“オカシイ?”と、
思うのです…。その当時の【判断…これはあくまでも自分自身での決断での“行動”…】となりますから…?

相手を中傷する事は、世間一般から見ましても“オカシイ”ものとおもわれますかと。果たして〜〜〜><
批難する事は〜〜〜?世間でも通用しないモノと思います。【自己責任…】なのでは〜〜〜?

唯!「辛口メッセージ?」になりましょうが?果たして、【奉 職 者 と し て の 認 識 度】は?
つまり【信者…ヘの“救済への想い”…】何処までのモノなのかは?これからの御本人の【愛行…行】に
なりますモノと思います。
❤ 一般信者は〜〜〜今!冷静な目で〜〜〜見守っている!このような“心…”を抱きながら?でしょうか?

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1345969739/774【別板 「まじめな話」の板から】

【菅原理事…云々…】此の中傷 “コトバ” に関してですが〜〜〜当たり前の行動を…なさったのでは?
その様に思いますが?「本部…」からの任命に“ハイ!”をなさったその後の〜〜〜本人が今!の役職かと


                                         再合掌

782トキ:2013/04/25(木) 09:55:29 ID:76BRBSAc
 今朝の朝日新聞の朝刊を読んでいたら、米国のネット教育家のインタビューが掲載されていました。
もともと投資関係の仕事をしていた人が知人から子供に勉強を教えて欲しいと頼まれ、その依頼が増えた
ので、授業をネット上で公開したら反応が高く、ついにそれを専業にするようになった、というものです。

 このインタビューを読むと、ネット上での授業が、学校の教育を立派に補完するものであることが
わかります。ある面では、学校での授業よりも優れた面があります。例えば、ネット上の勉強は自分の
ペースで勉強ができ、また、同種の複数のコンテンツがある場合は、自分にあった授業を選択できるの
です。この人の場合、素人の視点で教えるので、解りやすいといいます。

 これと同じ事は信仰にも該当するのではないでしょうか。従来のような誌友会や練成会なども必要
ですが、ネット上では従来の組織ではできない事がたくさんあります。例えば、全く生長の家を知らない
人に、生長の家の講演会に誘うのは、誘われるほうにも、誘うほうにも抵抗があります。しかし、ネット
上の講話の動画を見る事をすすめるのは、それほどハードルは高くありません。

 ただ、ネット上での「講義」は、すぐれてコンテンツの内容を問われると思います。が、幸い、徳久先生
や松田先生など、先達の講義が動画として遺されています。これらは、一般の人にも親しまれるものです。

 また、誌友会などでの指導は、講師の質により効果が左右されます。忙しい中参加しても、絵手紙や環境
の話で参加者が怒りだした、という話は実際にあります。この点、我田に水をひくたとえだが、このweb誌友会
では、復興G様という優れた講師のご指導を直接受けられるので、当たり外れがない、と言えるでしょう。
 ご多忙の中、丁寧なご指導をして下さる復興G様には心から感謝申し上げます。ありがとうございます。

 生長の家でも、かって、楠本加美野先生のサイトがたいへんな人気でした。ある日突然廃止になって
しまいましたが、これは実にもったいない事をしたと思います。

 ネットという空間で何ができるか、をもっと議論できれば、と期待をしております。

合掌 ありがとうございます

783SAKURA:2013/04/25(木) 22:38:10 ID:BEUD3XFA
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こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777>>778>>780>>781 投稿の続きです…。
■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 はしがき よりその⑤ 】==============

本書は新修版『生命の実相』全集第二巻にあたり、「完全霊」としての自覚を得た人間が、いかに爆
弾雨下の戦場においても傷つかないかを、その実戦下の状態を描写したる場面を収録したと同時に、
さらに病気が、潜伏せる自己破壊願望によって起こるものであるから、(特にこの事は物質的医療が
てこずっている慢性病にいちじるしい)それにたいして薬剤を用いることをその事が自己破壊願望の発
露として、自己の肉体的にも経済的にも苦しめつつあることを指摘したのである、だから薬剤はおお
むね『一つの病気を征服することによって、他の病気を造る』ことになる事実を明らかにし、真に無
病、健全、そして、あらゆる闘争から超越した生活を送ろうとするならば、人生観を転換して、人類
の原罪観を払拭し、真に自在無礙なる生命の実相に目ざめなければならぬことを力説せる部分を収録し
て、一冊としたのである。戦場において傷つかない心境は、もって日常生活においても傷つかない心境
であるはずである。時局あわただしきに際して本書によって読者が八面玲瑯、無礙自在に傷つかない
心境であるはずである。時局あわただしきに際して本書によって読者が八面玲瑯、無礙自在に傷つか
ずに病まざる信念が獲得せられれば幸いである。            著者識す (谷口雅春著)
==============================================

■この様に、今の私に課せられた現状の“環境”は、本当に【精神向上の戦い場】でもあるのかも知れません。
今の私は、此処[「FUK… 」は生れ故郷なのです。…が?本当に【心の葛藤…】の日々ですかと。

さて!【国際化…】になり、今までの日本人の常識をくつがえすような?想定外の“アクシデント…発生”の
状況に直面することが、多々あります。エ〜〜〜ッ!考えられな〜〜〜イ!いつも「心の叫び…」かと。しかも
アジア圏の一員としての「日本国…」でありますから!特にここ「FUK…」は、アジア圏各国の交流場としての
“窓口…”との位置づけでしょうか?その様になりますのは、当然かもしれませんが〜〜〜

此処昨今では「地球温暖化…」によります【 異変… 】での、生態系圏に多々なる変化が生じていますのは、
誰しもご存知かと思います。以前は「鳥インフルエンザ…」人間には、害がない!という定説論でしたが><
現在では【人間感染が確認されまして…しかも、此処昨今の“ニュ−スの情報…”は、多々でしょうか??】

■ 中国 鳥インフルエンザ 「日本上陸」政府警戒 往来活発 GW迫る
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20130422095.html        (ダニによる媒介でもある…云々… )

どうしても「体力…」つまり「免疫力…」は、従来!日本人の場合は「衛生面…」に気をつけておりますから、
体質的には〜〜〜若干「弱い!言い換えますと〜〜〜温室育ち?」になりますでしょうかと。従いまして、
海外からの今までにないウイルス菌ですと「日本人…」が“バタバタ死ぬ…”その様な状況に陥るのではとの
一抹の不安がよぎります…。更には、考えられない「病気…」を併発してしまうのでは?
或る病院の先生は、その【医者の使命感…】から、一心に患者さんを診察しておられましたが、或る時、肺炎?
カゼ?…病気をうつされましたのでしょうか〜〜〜?帰らぬ人となりました。また或る先生は〜〜〜家族とは、
現在、一緒に住む事をなさらずにての【医者の使命感……?】から、別居生活中のようです。…が?

          つづく

784SAKURA:2013/04/25(木) 22:40:59 ID:BEUD3XFA
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777>>778>>780>>781>>783 投稿の続きです…。
■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

【 生命の実相 3巻 はしがき よりその⑤ 】>>783 の投稿の続きです…。

■>>「完全霊」としての自覚を得た人間が、いかに爆弾雨下の戦場においても傷つかないか…云々…<<
上記から「雅春先生」の【人間は肉体にあらず…!霊的人間…!】との自覚当然かとは思います。…が?
ある面では、対応策としての予防は必要ではないのでしょうかとも〜〜〜 >< 
此処は?柔軟性の【SAKURA…】なのです。

❤〜「雅春先生…」の言葉通りに〜〜〜
【“心…”で自己破壊願望を悲劇の主人公にならずに、神ともに立ち向かう精神……そのように“心…”を
訓練していく内に八面玲瑯、無礙自在に傷つかずに病まざる信念…つまり“心…”が獲得せられれば幸いである。】

【この“心…”ができる!!】今現在の私は、不動の心=信念の獲得に“焦点”を、しぼる事だと思います。
このように【分派…皆様方】も、今!置かれています立場は、こちら「現原宿教団…」に対しての【中傷論…】の
前に〜〜〜つまり【こころを振り向けるよりも…折角「雅春先生…回帰」というスロ−ガンを掲げて…】いらっ
しゃいますから、その“想い=想念”を、まずは「神…」に向けていかれた方が〜〜〜と思います。…が??

【新しい〜〜〜信者〜〜〜悩める人々を救済〜〜〜】これこそが「雅春先生の御心」の叶うかと思います。
現状の「行動…」は、果たして【別なる〜〜〜目的かと?】一般的には思われますのでは?

■こころの安らぎと〜〜〜生き抜く力は〜〜〜「生長の家…真理パワ−」より始まるかと…。

                                         再合掌

786SAKURA:2013/04/26(金) 21:37:51 ID:BEUD3XFA
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こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777>>778>>780>>781>>783>>784投稿の続きです…。
■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻  】===========================
>>一人の生命が全体の生命のために生命を投げ出したとき、その生命は、全体の生命と一つになる。
ひとりの生命がはなれ離れに動き出そうとするときには、いろいろの衝突や摩擦が起こるが、全体の生命
とひとつになって、宇宙といっしょに動き出すならどこにもわれわれの活動に無理はおこらない。<<
                          (一部抜粋)
================================================

■【 生命の流れ…? 】に沿った場合、例えば?「川の流れ…・」は一定の流れになるでしょうか〜〜〜?

全体の流れが【天…】から流れてきます。その“流れ…”とは〜〜〜
そうなのです〜〜〜ョネ!「神様からのテレパシ−…」なのです〜〜〜ョネ?当然ながら、
一人一人へ…各自へ…公平に…!平等に…!流れてくる“テレパシ−”を、私どもは、神様から与えられて
いますのに〜〜〜><「不調和な心…つまり感情」を抱きますと、折角の素晴らし〜〜〜イ!
「神様からの伝言メッセージ」が、私どもの心に入ってこないのです〜〜〜ョネ???そうなのです。

【 テ レ パ シ − が 遮 断 さ れ て し ま う の で す。 】
それでは?私達が、何か〜〜〜『大きな壁』つまり『背水の陣…』を引いた時はどうなるのでしょうか??
そのような状態が起きました時、はじめて私どもは『神様との連絡パイプ』を、必死に探す〜〜〜><
神様ヘ伝える〜〜〜><それは【祈り…】のほかには、ないです〜〜〜ョネ!

❤〜【祈り…】で、全てが叶うのでしょうか〜〜〜?との問いかけ論には?そうでもないのです〜〜〜ョネ!
その時の「心の捉え方?持ち方?により、大きな寛容な心境」は、キット!「神様の御心…」に叶いますのでは
…その時が、初めて【祈り…】叶うという事なのでしょうか〜〜〜とも??

では?そのような気持になるには【感 謝 か ら 始 ま る !】のですョネ????そのような“心境”
になりますと、おのずから【調和の精神…】が働きますから、自然と流れもいい方向にいくことになるのでは?
と思います。…が??
【SAKURA…】も、今!今!生かされているのだ〜〜〜ワ!今…「過去のおさらい…」から、見落としていた
事柄に多々の気づきが〜〜〜此処で初めて【感謝…】が、ますますとできる【SAKURAパワー】…増大かと。

只今より【宇 宙 全 体 の 循 環 動 き 出 す 原 動 力】従いまして〜〜〜
此処で“スゥイツチ・オン”かと????
                            つづく

787SAKURA:2013/04/27(土) 20:55:45 ID:BEUD3XFA
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777>>778>>780>>781>>783>>784>>786 投稿の続きです…。
■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 その① 】===========================
>>われわれが各個人(ひとりひとり)離ればなれに動き出すのは、たとえば、時計の針が針の力ばかりで
動き出そうとするにもひとしい。そこには無理があり摩擦があり、ひょっとすればその時計の針が折
れるかもしれないのである。<<                    (一部抜粋)
==================================================

■【 感謝のない心… 】で、行動しますと〜〜〜?いろんな事に“摩擦…”が生じてきますから、それは、
まるで〜〜〜まるで〜〜〜時計の針を反対に“ネジ…”を巻いていくような感じでしょうか〜〜〜??そう!!
ど〜〜ん!ど〜〜ん!と深みに〜〜〜底のない世界に落ちていくような感じでしょうかしら〜〜〜ン?

例えばですが〜〜〜【高速自動車の方向を、反対方向に走行して向かいます〜><」と、観覧者の皆様も分か
られますように…❤〜【絶対絶命…!!!これは、もう事故!】で〜〜〜すョネ!このように〜〜〜
“現象的…”にみましても、確実に【事 故…】につながっていくようなモノですから〜〜〜♫
【心の調和が出来ない場合…】は、確実に!ですかと。しかも“形…”として悲惨な事に〜〜〜><このように
一例として申しました【高速道路…反対走行!の場合】と同じように【トラブルメーカー】になるのも、当たり
前です〜〜〜ョネ!!

■■【調和のない心?出来ない心は〜〜〜?それは『我の心…』から〜〜〜】になるのではと、思うのです。
今!私も置かれていますところの「環境…」にも、もう少し〜〜〜だけ!!
❤〜【 心のエッセンス… 少しだけ? 】入れて行こうと思います。…が?

余談ですが〜〜〜フト!【別板…】にての「管理人 トキ様」の“コトバ…”〜〜〜(下記URL…)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1359705116/153 「管理人 トキ様」のコトバ…
>>…云々…ながい文章をたくさん投稿しても、かえって読み手には理解はできません。要点は何か。
それが大事です。<< (一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

これって??どうしても“気になります表現”でしょうか〜〜〜?
今後は?かなり【小分けにしての…皆様の投稿に従う事…】に致すべき なのでしょう?かしら〜〜〜ン!
◆◆「管理人…トキ様」に取りまして…その代表者『うのはな様流〜〜最高!』という事なのでしょう。
少々「ショック!」を受けましたが??【具体論のない事が〜お気に入りの管理人様…本音】と判断ですかと。

❤それにしても私自身は「遠縁の親戚のコピ−ライタ―」…“長い文…”・“短い文…”も上手いし〜〜〜?
お手本にして行きたいと…【キャッチ・コピ−】!!!奥様が〜〜〜“コマ−シャル…”に?

今後とも「観覧者…様方々」を対象に【現総裁雅宣先生…擁護派】としての投稿をさせていただく次第です。
…が?尚!「観覧者の皆様…」お忙しい時間の中…少しでも閲覧して頂きますと幸いに思います。
                              つづく

788SAKURA:2013/04/28(日) 20:33:29 ID:BEUD3XFA
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。 
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777>>778>>780>>781>>783>>784>>786>>787
の投稿続きです…。

■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 その② 】===========================
>>しかし時計が全体の力で動いているときは実に小さなバネの力で長時間なめらかにそれは運転をつづけ
るのである。全体といっしょに動く生活、全体の力で生きる生活、自分だけの力で生きない生活、「我」で
生きない生活、捨てたときおのずから生きてくる生活、これならいつまでたっても行きつまる気づかいは
ない。これが「生長の家」の生活である。<<   (一部抜粋)
==================================================

■【川のながれ〜♫〜】のような心境で、「神様…」にお任せする…。❤〜「吾…父なる神よ…」
これこそが、【生長の家…生き方】なのではないでしょうか〜〜〜!
そうです〜〜〜ョネ!【 調 和 】する事は“へつらう”とか?ではなく、「神様…」にお任せして、そこに
何か起ころうとも?如何なる事態になろうとも?…屹度〜〜〜「神様…」が、いい方向に導き給う…!!
必ず!益々と一層すばらしい方向にしようとしてくださるといった…【心境…になる事】でしようかと。???

そうです〜〜〜ョネ!この世は、十人十色??ですモノ?色々な考えが在りますから?そう「個性…」
ある面では、それもまたよろしいかな?実に、面白いのでしうかと。??

今!改めまして〜〜〜多々なる“苦難…”が、押し寄せて来ましても、必ず!すべてを「神へ全托…」
つまり、神の御心に振り向ける事が〜〜〜❤【 生長の家…御教え 】に思えます〜〜〜。

                                     再合掌

789a hope:2013/04/28(日) 20:48:29 ID:dHQNZBQc
SAKURAさまのご投稿の途中で申し訳ありませんが、発言させていただきます。

<< ながい文章をたくさん投稿しても、かえって読み手には理解はできません。
要点は何か。それが大事です。
 また、私を含めて全ての投稿者様には、自分では問題がないと思っている投稿が、
誰かを傷つける場合もある、という意識を持って欲しいという事です。投稿の前には
十分に吟味すると共に、他の閲覧者様から、問題点を指摘された場合は、
謙虚に受け止める姿勢も持って欲しいと願います。
 よろしくご理解を下さい。>>

SAKURAさまが貼り付けてくださったこのトキさまのこの投稿文を拝見して、
あらためまして、自分は今回の誌友会で、「特定の方の名前だけを呼びかける」ということをしてしまい、
SAKURAさまを大変傷つけてしまったこと、また他の閲覧者さま方にも大変不愉快な思いをさせてしまったことを
心より反省しています。
そして、わたしのその至らなさをご指摘くださったSAKURAさまと、>>747誌友会閲覧者さまには心から感謝しています。
今後そのようなことをしないように気をつけていきたいと思っています。


さて、そのように至らないわたしですが、このweb誌友会の運営のお手伝いをさせていただいている立場から
SAKURAさまにお願いしたいことがあります。

SAKURAさまはとても個人的なご理由で、今回のweb誌友会当日はご参加されませんでした。
ですが、後夜祭になって、テキストの内容ではありますが今回のweb誌友会の指導者である
復興Gさまがweb誌友会期間中まったく触れられていない「はしがき」についてのご感想をたくさん述べられています。

一方、復興Gさまは、毎回、お忙しい中、このweb誌友会のためにたくさんの資料をご用意されて、
心こめて謹写してくださり、web誌友期間中は、時間を空けてご指導をしてくださっています。
当然ながら、3日間もの間web誌友会に集中してくださっているわけですから、
その後は、色々しなければならないお仕事も山積していらっしゃるのではないかとわたしは拝察しています。

そこでSAKURAさまにお願いしたいのですが、SAKURAさまに本当に
「web誌友会当日に参加できなくて申し訳なかった」という気持ちが少しでもおありでしたら、
復興Gさまのお忙しいお立場を考えて、投稿内容はできるだけ端的にまとめて下さいませんか?
また、できれば復興Gさまの今回のご指導内容に沿って質問したり感想を述べたりしてくださいませんか?

わたし個人としては指導者の方にそのような配慮をすることは、
web誌友会に参加する最低限のマナーなのではないかと感じていますが・・・。

SAKURAさま、このわたしの投稿を読まれて、ご気分を害されたら大変申し訳ありません。

ですが、もしSAKURAさまが今後もこのような形でご投稿をつづけられるのであれば、
わたしはSAKURAさまがご司会のweb誌友会をされることを提案させていただきます。

SAKURAさま、みなさま、いかがでしょうか?

791トキ:2013/04/28(日) 21:38:02 ID:ka8gZUjc
>>787

SAKURAさま

 ご投稿、ありがとうございました。

 あの文章を書いた段階で、SAKURAさまのことは全然、念頭にありませんでした。
 もし、SAKURAさまがご気分を害されたら、お詫びします。

 長い文章でも、全体の流れで必要性があるものは、全然、問題がないと思って
います。

 今後とも、SAKURAさまのご投稿を楽しみにしております。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

792SAKURA:2013/04/28(日) 22:35:36 ID:BEUD3XFA
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>791 「トキ様…」からの“お返事…”ありがとうございました。

【別板…】での「うのはな様…」との対話の中にあります“コトバ…”が??どの様に〜〜〜解釈しまし
たらいいのでしょうかと?随分悩みましたのです…。

■私も、此処では【長〜〜〜イ!文章…投稿組】ですから、正直【ドッキ!ドッキリ!❤】へ…

私も、変に、かん違いしてしまいました事を、深くお詫び申し上げます…。???
いろいろな方の思考があり「文章力???」と〜〜〜いった感じでしょうか??私も、
学生時代に戻りましての「過去のおさらい…」に、なりますでしょうか??【タイム・スリップ…】
この頃では、文章の感想を投稿する際には、前以上に“一つ!一つ!読み落とさない〜〜〜”ようにと、
そうしますと、意外な発見なのです。これが、今では、本当に面白いのかと思うのです〜〜〜ョネ!!

■過去の分からなかった事が、今では簡単に“理解…”が出来まして、これを、どのように〜〜〜
少しでも〜〜〜出来るだけ多くの人に〜〜〜伝えるかが!!この事が嬉し〜〜〜い!ところなのです。
従いまして……まだ!まだ!「トキ様…」のように【真理…探究】には、及びません。
此処では〜〜〜「ライティング…にての真理の勉強…文章表現」をどの様にしたら〜〜〜いいのかと?
その事を、考えながら〜〜〜楽しく!楽しく!〜〜〜投稿させて頂いております…。深く感謝申し上げます。

❤〜本当に「そそかっし〜〜〜イ!『SAKURA』 でした。…ごめんなさい!!
そして“励ましの言葉…”ありがとうございます…。  【感謝…】

                                     再合掌

PS:では「女子会…」にて「麺…おうどん?」のお店を投稿させて頂きます…。
此処は?四国に近いという立地条件からでしょうか〜〜〜麺類が好きな方〜〜〜多いようですかと。
順次…投稿を〜〜〜♫

793a hope:2013/04/28(日) 22:46:54 ID:dHQNZBQc
SAKURAさま

>>789のわたしの投稿を、見落とされているようなので再投稿させていただきます。
わたしとしましては、次回web誌友会のご相談をさせていただきたいのです。

お忙しいでしょうが、SAKURAさまのお返事お待ちしています。

よろしくお願いいたします。

794復興G:2013/04/29(月) 18:16:56 ID:AB6RqYXc

SAKURAさま

a hope様は、

>>わたしとしましては、次回web誌友会のご相談をさせていただきたいのです。<<

とおっしゃっているのです。つまり、a hope様は >>このweb誌友会の運営のお手伝いをさせていただいている立場から<< 次回の日程や、あり方について、ご相談をしたいけれども、SAKURAさまが延々とわかりにくい書き込みをされていると、それもできない。

>>もしSAKURAさまが今後もこのような形でご投稿をつづけられるのであれば、わたしはSAKURAさまがご司会のweb誌友会をされることを提案させていただきます。SAKURAさま、みなさま、いかがでしょうか? <<

とおっしゃっているのだと思います。a hope様のご提案に答えてあげて下さい。

私の思いも、>>749
>>どうぞ、あなたも司会者の気持ちになってご投稿ください。できれば、司会者をしていただきたいくらいです<<

と書いた通りです。
これは私自身への自戒でもありますが、読み手の気持ちになって、なるべく簡潔にわかりやすく書くよう努力することが愛であると思います。

795SAKURA:2013/04/29(月) 20:06:00 ID:BEUD3XFA
「復興G 様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者の皆様」へ 「a hope様」へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
>>787の私の投稿内容…「文章中一部は管理人様宛…」でしたが?及び他の投稿内容を閲覧して頂いての…

>>789>>793>> 「a hope様」の投稿から〜〜〜(遅くなりました事…申し訳ありません)

私事にて…「今回のWEB誌友会」は、残念ながら? 私事にて「参加できない…」状況にでした事は、
以前此処に投稿だいてさせていただきました。…が?此の件は「観覧者の皆様…」も閲覧していただいて
おりましたならば?周知にて御存のことと思います…。

さて、以前から「a hope様」は、私の投稿は殆ど“スル―”という事で閲覧されていないとの記載が
在りましたかと。その様な記憶が、あります。今回は、やむなく“参加…”ができない状況で下から、
それに一言…おことわり申して…【マイペ−ス…】にての“感想投稿…”とさせて、頂いております。
【WEB  誌友会 開催期間……外の投稿】という形式になりますが??

また!>>789>>「 a hope様」の投稿されましたコトバの中から〜〜〜【下記抜粋…】ですが〜〜〜

>>そこでSAKURAさまにお願いしたいのですが、SAKURAさまに本当に
「web誌友会当日に参加できなくて申し訳なかった」という気持ちが少しでもおありでしたら、
復興Gさまのお忙しいお立場を考えて、投稿内容はできるだけ端的にまとめて下さいませんか?
また、できれば復興Gさまの今回のご指導内容に沿って質問したり感想を述べたりしてください
ませんか?<<                      (一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

■【…参加…云々…】このコトバには、実に遺憾の意が在りますかと、正直思いました。
私も、「仕事」・「個人的事情」なる合間にての投稿ですから【時間的には…制約・制限】が在りますので??
従いまして、参加の時間帯が…上手く調整出来ない時もありますから〜〜〜随分!と〜〜〜どのように
“解釈…”したらいいのかと?考えました。今回の頂きました?「投稿の内容…」に関しまして…です。
…が?

■■それに!以前から『復興G様』と『a hope様』のお二人様の【ア!ウン!】という表現で恐縮ですが?
それで素晴らしい〜〜〜のではと個人的に考えに至っております…。…が??今後とも…「お二人様…」を
中心になさいましての【WEB 誌友会…】をなさられましたら宜しいのでは?その様に思うのです。
尚!私は、なるべく参加を『現総裁先生…擁護派…』として致したくはおもいます。…が?あくまでも
「仕事…上」出来ない場合もあります。(多くの賛同されての閲覧の方々も…いらっしゃいますのでは?)

その際は、あくまでも『【WEB 誌友会…期間外】としての投稿になりますから?しかもマイ・ペ−ス!と、
なってしまいます事は、致し方なく思います。それに関しての皆様方々には、ご理解を御願い申し上げます。
その事が〜〜〜【WEB 誌友会】の主旨に相反するものでしたら〜〜

◆◆『更に!此処では言論の自由・表現の自由も出来ない〜〜〜』と解釈すべきなのでしょうか??
このようにも捉えるべきなのでしょうかと…考えあぐねております…。
                                        再合掌

796SAKURA:2013/04/29(月) 20:11:25 ID:BEUD3XFA
「復興G 様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者の皆様」へ 「a hope様」へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。

先に「a hope様」から頂きました…投稿に関しての私の“お返事…”を、させて頂きました。その点は、
ご了承くださいませ…。■>>795にての投稿も、参考にして頂きまして、閲覧して頂ければと思います。

■此処で「復興G様」の頂きました言葉の中から〜〜(お返事投稿が、遅くなりました事申し訳ありません。)

>>私の思いも、>>749でどうぞ、あなたも司会者の気持ちになってご投稿ください。できれば、司会者を
していただきたいくらいです<<               (一部抜粋…言葉)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

正直申しまして、此の“言葉…”には?“ビックリ…”致しております…。
そして【 司会者の気持ち 】とは?どの様に〜〜〜捉えるべきなのでしょうかとも〜〜〜??

何故ならば、以前の「記号問題」で、【相当なタタカレ…】を致しましたので、この事は深く!心に残って
おります。それに、先日「此の記号…文章」ですが、「恵美子先生著書…」の中に「宮澤先生の奥様の文章」
にて、同じ「記号…」を使われておられた文章が在りましたので、それを拝読しまして“情感…”を感じさせ
る場合「記号を使用」かと…同じ考えなのでしょうか?判断いたし、嬉しくも思いましたのです…。
此の時の…対応を思い浮かべながら〜〜〜><

今回〜〜〜【分派…より】と以前から思っておりますところの「a hope様」の投稿を頂きまして、
閲覧しながら〜〜じっくり〜〜!更に「a hope様」からの“言葉…>>789>>793>> ”を…かみしめ…

■■しかも【WEB 誌友会…会期後!】という条件下でしたから?個人的に一応は【おことわり…】の
形式にて、投稿させて頂いておりましたが?此の事が【分派…皆様】にはお気に召さないかと…その様に
判断すべきなのでしょう…。そして、「司会…」という立場からも〜〜〜でしょうか?

個人的には?更に、順次にての投稿を「復興G様」の頂きました「テキスト資料…」の感想は、後になり
ますかと。その件も、おことわりさせて頂いております次第でした。…が?その件も、今までの投稿から、
皆様【分派…方々】に、お気に召されないようですかと、改めて判断致しました…。 それに、

■■此処【WEB 誌友会】は、【現原宿教団…雅宣先生・・・反対論】の方々を中心での【誌友会】と、
以前からの“投稿内容…”も含め、判断しておりますので〜〜〜いつも「擁護派…」としては、
【 水 と 油 】との判断です。ですから「司会?」此の事は、私一人の「擁護派・・・」ですから?
どう考えましても〜〜〜現状では〜〜〜><

【閲覧者の皆様との共有性を、第一に考えましての…「WEB 誌友会」でしたら〜〜〜不可能かと】
判断が在ります…。「観覧者の皆様」が、楽しく閲覧されます【WEB 誌友会…】を個人的なる願いですが?
それこそ【流れが〜〜〜滞る〜〜〜誌友会】になりますのでは?

最終的には、「観覧者様…」と共にと〜〜〜考えまして、それならば、あくまでも【WEB 誌友会…会 期 後!】にてですが、
「現原宿教団…擁護派」としての感想をと、思いました次第です。そして、ご多忙の中での
「復興G様」からの【WEB誌友会 テキスト】を頂きまして、勉強させて頂こうと思いました。
あくまでも〜〜〜何処までも〜何処までも〜!【生長の家…真理…御教え】の探究に邁進したいとの、
個人的な想いなのです。…が?此の事は「雅春先生…想い?」でもないのかと思うのです…。

■改めまして【分派の皆様】には、お気に召されないようですが〜〜〜
【 WEB 誌友会 …会期後 】にての感想投稿と…今後はさせていただいたら宜しいかとの“判断”に至り?

しかしながら、此処での【WEB  誌友会 自由投稿】も不可能なのでしょうか〜〜〜??
                                      再合掌

PS:私も個人的には「仕事…」との「時間調整…」をしながら参加との想いがありましたが…
大変!気分を害されましたようで、申し訳ありませんでした…。

797復興G:2013/04/29(月) 23:13:40 ID:AB6RqYXc

>>796 :SAKURA様。

web誌友会は、“教団擁護派”も“分派”もない、“神の子”の集いとして、心を空にして神様のお導きを受ける誌友会でありたいと、以前から申しています。
どうぞ、SAKURA様、>>あくまでも〜〜〜何処までも〜何処までも〜!【生長の家…真理…御教え】の探究に邁進したい<<と本気で思っていらっしゃるのなら、ひとのことを“教団擁護派”とか“分派”とか決めつけることはおやめ下さい。人をそのように差別して決めつけることが【生長の家…真理…御教え】ではないでしょう。

>>【 司会者の気持ち 】とは?どの様に〜〜〜捉えるべきなのでしょうか<<

「自分が司会者である」という気持でご参加ください、と前からお願いしております。

798神の子さん:2013/04/30(火) 00:16:20 ID:???
>>ひとのことを“教団擁護派”とか“分派”とか決めつけることはおやめ下さい。
人をそのように差別して決めつけることが【生長の家…真理…御教え】ではないでしょう。

この復興G先生のご指導に心から同意します。ずっと前からとても気にかかっていました。

また、ゾンビもおなじで、自分自身の心の想像(妄想)だと気が付かなければ、運命は改善できないと思います。
また、タタキ男と心で過去の人との呼ぶことは、進歩の大きな障害になると心配しています。
さらに、たとえ匿名の掲示板とはいえ、その場と関係ない書き込みをアチラコチラに毎日書き込むことは、信徒として
いかがなものでしょうか。

 信徒行事要目を何回も読み直して、考えていただきたいと思います。

799a hope:2013/04/30(火) 08:45:59 ID:dHQNZBQc
>>795>>796SAKURAさま

お返事ありがとうございます。
SAKURAさまのご文体は大変個性的なので、わたしはSAKURAさまのご投稿を正しく理解できたかどうかわかりませんが、

SAKURAさまの

<<それに!以前から『復興G様』と『a hope様』のお二人様の【ア!ウン!】という表現で恐縮ですが?
それで素晴らしい〜〜〜のではと個人的に考えに至っております…。…が??今後とも…「お二人様…」を
中心になさいましての【WEB 誌友会…】をなさられましたら宜しいのでは?その様に思うのです。>>

というご発言と、

<<此処【WEB 誌友会】は、【現原宿教団…雅宣先生・・・反対論】の方々を中心での【誌友会】と、
以前からの“投稿内容…”も含め、判断しておりますので〜〜〜いつも「擁護派…」としては、
【 水 と 油 】との判断です。ですから「司会?」此の事は、私一人の「擁護派・・・」ですから?
どう考えましても〜〜〜現状では〜〜〜><>>

というご発言とからSAKURAさまは次回の司会を受けて下さる気持ちは「ない」と受け取らせていただきました。
もし、わたしの理解に間違いがありましたらSAKURAさまご指摘をどうぞよろしくお願いいたします。

800a hope:2013/04/30(火) 08:58:37 ID:dHQNZBQc

復興Gさま、トキさま、みなさま

わたしは、今までは復興Gさまに司会とメインのご指導をお願いして、
トキさまにはサブのご指導をお願いするような形での誌友会が理想的なのではないかと思っていましたが、
最近では、web誌友会はの開催期間が3日間もあるにも関わらず、実際参加される方が減って来てしまっていて、
少し寂しく感じています。

その理由ですが、>>771でreiさまが  (reiさまの貴重なご意見に感謝します!)

<<今回の誌友会に何度も発言しようと思いながら、
神示の素晴らしさに圧倒されて、つまりレベルが高すぎて、
そうなのだ、そうなのだと思うばかりで、私の意見など差し挟めない
差し挟むべきでないと思っていて、時間が過ぎてしまいました。>>

とご発言されていますが、今回はわたしもレベルが高すぎてリアルタイムでの発言が難しいと感じました。


それでしたらこのweb誌友会をいっそのこと、最初から皆さんの参加を呼びかける形ではなくて、最初は復興Gさまに講話をしていただき、
その後に、講話内容に関する感想や質問をするという「勉強会」のような形式にしてしまったらどうかと思いました。

毎回のことですがweb誌友会中、何度もみなさんに参加を呼びかけても参加してくださらないと、やはりとても寂しいです。
ですがこの形ですと、講話を聴いてお勉強することがメインですからその方が皆さんも気分的に落ち着いて真理のお勉強ができませんか?

ですから、復興Gさまには、講話と質問へのお返事を担当していただき、
その後は参加されたい方が誰でも、講話の感想を述べたり、「生長の家」に関するお話をさらたらいいのではないでしょうか?

この形でしたら、復興Gさまだけにご負担がかかるということはないと思いますし、
SAKURAさまがおっしゃるように、「トキ掲示板」らしく、『言論の自由』もたもてるのではないでしょうか?

みなさま、いかがでしょうか?
ご意見をよろしくお願いいたします。
わたしはこれから、仕事ですので、また夜戻ります。

801トキ:2013/04/30(火) 09:30:15 ID:sIWSmlik
 「一白鳩会員」が以前、本部の行事に参加したときに、確か徳久先生だったと思いますが、講話をされていた
のを拝聴していると、途中から、徳久先生のお顔が谷口雅春先生のお顔に変わって見えた、という体験をしてい
ました。その体験から、どんな講師でも、そこで真理の話がされる場合は、谷口雅春先生のご名代である、とい
う意識でご講話を拝聴する必要があると思うと話していました。

 このweb誌友会でも、そこでご指導をされる講師には、やはり同じ態度で望む必要があると思います。
ですから、復興G様のご指導中には、皆様でご指導を謙虚に受け取る姿勢が大事である、と感じます。

 教団では、こういう話が最近、聞く機会が減ったので、多くの方が拝読されているみたいです。
この期間中、アクセスが増えるのは、その証拠だと感じます。ただ、読んで、勉強になった、というだけ
ではなくて、閲覧者様におかれましては、どんどんご意見を投稿していただければ、と願います。

 運営についても、ぜひ、お考えをお聞かせ下さい。

よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

802トキ:2013/04/30(火) 10:05:43 ID:sIWSmlik
SAKURA様

 いつもご投稿、ありがとうございます。

 だれでも最初ははじめてです。私も、掲示板の管理人なんてはじめてです。
今でも、慣れなくて、失敗ばかりしております。本当に申し訳ないです。が、
それ以上に勉強になる事が多いです。(それも、これも、皆様のおかげです。
感謝、感謝です)

 せっかく司会のお声がかかったのですから、一度、チャレンジをされてみ
てはどうでしょうか? 特に、講師試験も考えていると書かれていたと記憶し
ています。講師になる場合には、司会の経験は大事だと思います。

 ぜひ、ご検討下さい。

合掌 ありがとうございます

803あさひ:2013/04/30(火) 11:00:21 ID:/3nxKE2Q

復興G様

>web誌友会は、“教団擁護派”も“分派”もない、“神の子”の集いとして、
心を空にして神様のお導きを受ける誌友会でありたいと、以前から申しています。<

と書かれておられますが、私もその姿勢です。

谷口雅春先生の教えを生きたいと思います。

             合掌

804SAKURA:2013/04/30(火) 12:53:21 ID:FN7/X.Qk
「管理人 トキ様」 へ ・ 「観覧者の皆様」 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■「トキ様」からの頂きました“コトバ…”ですが……??>>802の“コトバ…”その様に思います。
しかし、今回は“流れ…”を踏まえ、大変恐縮に思います。…が?…『おことわり…』申し上げます…。

■【司 会】此の件に関しましての私の考えを此処で申し上げさせて頂きます…。
私の「考え方…」で申します。…が?〜〜〜例えば…
「政治…」で申しますと?ア〜〜ッ!あの人が「議長(司会)…」になったら“人格…”或いは“コトバ
の責任”…多々なる面で、会期運営上に進行面でも或る程度の責任ある行動を?この様なる判断での選択
肢に、なるのではと個人的な考え方です。…が?(世間一般の捉え方…)そこには
❤〜【 信 頼 と 人 望 】から生じるモノとの判断があります…。

■それにての【復興G様】・【a hope様】を中心に運営の【WEB 誌友会】発足となったモノとの経緯が
在りましたのでは? そのような記憶があります。…が?

そうしますと、丁度一年前にあたりますでしょうか?去年の春から【擁護派として“タタカレ!”】ており
ます…。その件は?第三者としての立場であります「管理人 様」から見られても、思い当たります“ふし”
が在られますのではないでしょうか…?一例を申しますと〜〜〜
❤「記号…ある事自体がオカシイ」「日本語…がオカシイ」を度々おっしゃいましたから、その上での今回の
「司会…云々…」はどう考えましても、今更ながら“オカシク…”思いますのが?『通常の理』かと。
この判断で参りますと?>>801>>803の“コトバ”ですが?『調和精神…』は既に相手側【分派…】の方々
に於きまして、その時点から、あられましたのでしょうか? それに当時【WEB 誌友会】に於きまして
一番に後押しをされました「ユタカ様」とおっしゃいます方が?全くもって「誌友会 参加」なされない事
自体も、今となりましては、不思議な現象との判断を致しております。

更に、振り返りますと?当時の私は【訊け管理人様…】を推薦させて頂いておりましたのです。…が?
何故なら?何回かの【WEB 誌友会】に、初期の頃ですが?私どもにも〜〜〜“お声”をかけて
頂きました記憶があります…。この様に、中立なる立場にての『司会…』という概念が個人的に、在ります
から、その点を踏まえますと『感情論…移入』が入らない事が【男性の皆様の特権】では?その様に思って
おります。私も女性ですので〜〜〜感情移入が〜〜〜ある面では入りますから。(微笑…)

■■この「生長の家…真理探究…」を一人でも多くの方々にお伝えしていくプロセスとしての
【WEB誌友会】の位置づけとの考えがありますから、冷静に考えましても、過去の過程を踏まえても
「道理…」が通らないモノとの個人的見解があります…。
再合掌

尚【本年度2月…のWEB 誌友会】にあたり、どなたも“参加…”なされていない様でしたので?
これでは「生長の家…雅春先生の御教え」に関し“誤解…”を抱かれたは?その考えにて、私なりの
【投稿…形式】をさせて頂きました。(時間の許す限り〜〜〜多少は仕事にも影響でしたが??)
『分派…』の皆様に於きまして…結果的には“一人…舞台”に思われてしまったようかと、そのように
思いました次第です。ですから?【誌友会…参加】は控えさせて頂きます…。
■今後は【擁護派…】の一個人として【WEB 誌友会…会期後】に、感想を投稿させて頂きます。
これは、会期後ですから?「投稿の自由」は或るモノと思う次第です。…が?
最後に、 此の件に関しましての“投稿…”を、させて頂きました次第です…。御了承下さいませ。

805志恩:2013/04/30(火) 15:53:45 ID:.QY5jUA6
トキ様

今回の誌友会は私は、復興G様から、詳密な「生命の實相」の解説とご講話を拝聴しているような気持ちで、
ずっと、勉強させて頂いておりました。大変有り難く存じております。

それに、今回の場合は、WEB誌友会の前に、私は引退宣言したばかりでしたし、閲覧者に廻っておりましたときですので、、
発言は控えておりました。

それから、WEB誌友会が、
今後も3日間もですと、復興G様やトキ様、ahopeさんに、
かなりのご負担が かかりまして、お疲れになられるかもしれません。

もしも、そうでしたら、
金曜日の夜から土曜日の夜までの2日間、とか、土曜日の夜から日曜日の夜までの2日間とかに、
短縮されても いいのではないでしょうか。

また、ahopeさんもそうですが、私は家庭の主婦ですので、土日は、結構、孫達も押し掛けて来るし、
来客が頻繁にありまして、多忙であり、

来客がある場合や家族の都合がある場合は、
どうしても、実生活の方を優先してしまいます。それゆえ、後ほど、読ませて
いただくことが多々あり、申し訳ありませんが、発言の書き込みは出来ないこともあります。

でも、この掲示板をご覧の皆様にとりましては、
復興G様のご指導は、大変大きな啓蒙になっていらっしゃると存じております。

司会の件は、私も、SAKURAさんは賢いお方で、PCも得意そうでもおられますので、SAKURAさんが司会でいいと思いましたが、

SAKURAさんが、お断りされたので、いまのところは、復興G 様の補佐役の適任者は、ahopeさんしか
いらっしゃらないように思います。

人間には、それぞれ相性というのがございますから、
お互いが、以心伝心で通じ合うお方同士でないと、誌友会は、スムースに運行出来ないと思います。

ユタカさんは、なぜ、いらっしゃらないかと推察しますと、以前のユタカさんの発言によりますと、
ユタカさんの素性が生長の家教団の仲間うちの人にばれて、やばいとか、だから、いろいろと言って来て、
まずい、、とかおっしゃってましたから、(まだ、組織におられるようで)
その後、まったく 出ていらっしゃらないのは、なにか出ると都合の悪いご事情が
発生したのかもしれません。

私の事ですが、私は、右手の人差し指、1本で打っており、打つのが なめくじの如く のろいので、司会向きではありません。

訊けさんが司会でも 私はいいと思いますが、トキ様かユタカ様かとなら訊けさんは、相性がいいでしょうけれど、
復興G様とは、相性は、合わないと思います。

ですから、いまのところは、復興G様とトキ様が、ご指導してくださり、ahopeさんが、補佐役。
という組み合わせしか、ありえないように思われます。

前にも申し上げましたが、復興G様がやめて、ahopeさんが、誌友会をやめられたときが、この誌友会がおわりのときだと、
そんな気が 致してしております。

806あさひ:2013/04/30(火) 18:14:55 ID:/3nxKE2Q

志恩様

>前にも申し上げましたが、復興G様がやめて、ahopeさんが、誌友会をやめられたときが、この誌友会がおわりのときだと、
そんな気が 致してしております。<

と書かれておりますが、私もそんな気がします。

皆様よろしくお願い申しあげます。

なにはともあれ、谷口雅春先生の教えを学びたいです。

         合掌

807山本富士子:2013/04/30(火) 20:09:34 ID:rikCYpaE
合掌 ありがとうございます。

a hope様の、家庭、お仕事の中でのご多用の中の誌友会のお手伝い
(非常に実験的な意味合いもある会の中で、誠実感が感じられ、やはり
伝わるものだなぁと思っていました。)
しかし生命の実相をテキストに高度で、三日間も元本部講師の先生が解説
してくださるぜいたくな会であるような気がして、最初から聴聞する側に
まわっていました。私は長い信仰生活の中で、講師のお話はしずかに聞いて
こころに残った幾つかのことばを鈴のように鳴らしてみたり、わからなかった
コトバがおりにふれて、ハタと解けたりで一人喜んでみたりの日々でした。
教化部でのつながりはこどもあづかりや、その他お手伝いの日々でした。
いつか、a hope様の論文を稚いと「批評」されたことがありました。
あの時もびっくりしました。私の先生は稚いということをとても大事にした方
でした。(生長の家の先生ではありませんが、ことばのプロのかたです)
ここは多方面に開かれている場所ですよね。初心者さまのような方にも
開かれています。むずかしでしょうが、なにか新しいことをなさってみよう
ということでしょう。ご盛会をいのりつつ、、、。

808a hope:2013/04/30(火) 23:26:36 ID:dHQNZBQc

みなさまこんばんは。

web誌友会に関するご意見をたくさんありがとうございます。
また、a hopeに温かいお言葉をいただきまして、本当にありがとうございます。
わたしにとってこのweb誌友会はみなさんと一緒に「生長の家の教え」が勉強できる大切な場所です。
これからも、自分にできることはありがたくさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

ところで、わたしが、今朝>>800で提案した、web誌友会の形をもう一度詳しく説明させていただきます。

第一部
復興Gさまのご講話(テキスト「生命の實相」)
ご講話内容や「生長の家の教え」に関する質問、感想等

第二部 
自由参加の誌友会


わたしとしましては今までどおり、誌友会の運営のお手伝いとして、第一部の開始前に「準備祈願」の祈りの言葉や、
聖経「真理の吟唱」の謹写等をさせていただきたいです。

第二部に関しましては、もちろん自由な発言が許されると思いましが、>>797で復興Gさまがおっしゃって、その後、神の子さま、
あさひさまなどが賛同されていますような、
<<教団擁護派”も“分派”もない、“神の子”の集いとして、心を空にして神様のお導きを受ける誌友会>>
の実現が望ましいと思っています。
そして、第二部の方の司会はどなたがされてもいいと思います。
わたし個人としましては、トキさまはもちろん、SAKURAさま、訊け管理人さまなどが適任なのではないかと思っています。

以上、わたしの提案を再び述べさせていただきました。


復興Gさま、いかがでしょうか?
このような形で、ご講話をお願いできますでしょうか?

809復興G:2013/05/01(水) 06:57:55 ID:AB6RqYXc

SAKURA様、神の子さん様、a hope様、トキ様、志恩様、あさひ様、山本富士子様、そして閲覧者の皆々さま。

このweb誌友会を見守り愛してくださいまして、ご投稿ありがとうございます。

私は、いつも申しておりますように、この誌友会の指導者は神様でありますようにと、私は己を無にして祈る気持でのぞんでいます。

私は現役地方講師でもあり、4月28日は相愛会・栄える会合同全国幹部研鑽会にも参加しました。
しかし、私は、“教団擁護派”でもなければ、“分派”でもなく、“和解派”というような、「和解」というのぼり旗を掲げて戦争を挑むような者でもありません。
ただひたすら、「自分はない」と己を無にして、「一切者の自覚」を持ち続けてそのままに生きたいと願っている者です。

相愛会の東京第一教区連合会では、≪「ワクワクするような誌友会」とは≫というテーマでブレーンストーミングをしたそうです。そしたら

「神様の天降る誌友会」

という言葉が、結論として採用され、教区内のすべての誌友会場に、地方講師で書家の方が書いた「神様の天降る誌友会」という額を掲げるよう、配られたと聞いています。
それは全国幹部研鑽会には採用されていません。が、私は、総裁のおっしゃる「対称性・非対称性」などというわけのわからない言葉より、「神様の天降る誌友会」という方がよっぽど魂にひびくと思います。

このweb誌友会は、やはり「神様の天降る誌友会」でありたいと思います。

「私が指導者」ではなく、「神様のお導きを受ける誌友会」が行われてほしいと思います。

その前提で、
>>808 :a hope様のご提案

>>第一部
復興Gさまのご講話(テキスト「生命の實相」)
ご講話内容や「生長の家の教え」に関する質問、感想等

第二部 
自由参加の誌友会<<

ということが宜しいのかどうか、一晩考えておりましたが――

もし、トキ様はじめ皆々さまがご賛同くださり、それでやってみろとおっしゃるならば、そういう形でやってみるのもよろしいかなと思っております。
皆さまのご意見をいただきたいと思います。

ありがとうございます。 合掌

810rei:2013/05/01(水) 07:42:45 ID:bo95azFI
おはようございます

808と809に賛成します。

現実の誌友会においても
続けて行くのはとても努力がいるもので、
会場主の強い意思がないと
どうしても続きません。

「愛」とは「意思の努力」であると
谷口雅春先生に教えていただきました。
トキさまと、復興Gさまと、a hopeさまに心から感謝申し上げます。

私はたくさんの気付きをこの誌友会にて頂いております。
続けて下さるようお願い致します。

合掌

811トキ:2013/05/01(水) 09:30:49 ID:VRTidxTM
復興G様、a hope様、ありがとうございます。

ご提案に賛成をいたします。

 その上で、閲覧者様の皆様にお願いをいたします。
リアルの誌友会では、講師の目の前に聴衆がいるので、反応がわかりますが、
webの誌友会ではそれがありません。

 できれば、ご講義を読み終わった後、「ありがとうございました」でも良いので
反応を示して下さると、復興G様も励みになると思います。

 よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

812志恩:2013/05/01(水) 10:17:45 ID:.QY5jUA6
a hope様のご提案のことですが、
復興G様が、それでやってみようとおっしゃってくださいましたので、

それで、GO で、私も賛成です。
復興G様、いつも ありがとうございます。

813SAKURA:2013/05/01(水) 11:44:26 ID:rqQQibm6
「トキ様 」へ   「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

【WEB 誌友会】に関しまして…【 SAKURAの投稿>>795>>796>>804 】の続きですが?

此処の「管理人 トキ様」の>>811の投稿内容からの抜粋なのですが… (下記にて抜粋)
■>>リアルの誌友会では、講師の目の前に聴衆がいるので、反応がわかりますが、
webの誌友会ではそれがありません。<<    (一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−―−−−−−−−−−−−−−−−−◆

■「反応…」という此の言葉??まず!【真理のコトバ…】を皆様にお伝えしたい?この事が「愛!」へ
繋がるモノとの判断なのです。ネット上は?致し方ない事ではないのでしょうかと思います。

■■今回思いますに…【誌友会…】に関しまして?【第一部】・【第2部】とかの?提案がありますが〜〜〜
別の“コトバ”の表現ですと?【第2部=自由誌友会】??この様な表現ですと〜〜〜?

これは?正直申しますと…『時間的に…長期』になりますし?この事は?以前から、思いますに余りにも
長すぎる感が??あります。此の件は「志恩様…」がおっしゃつていらっしゃいましたが、賛同させていた
だく内容です。【時間制約――>ケジメ???】がない様に思います…。
更に世間一般にても【議題??テ−マ】があってからこそ意義があるモノと思います…。特に?
この「WEB 誌友会」にて「雅春先生…御教え」を、一般の方々にも「真理…紹介」も含めて意義ある
モノとの考えがあります…。世間では【生長の家…お家騒動】にて誤解されている面もありますでしょうから?

更に?

■【司会…】云々に関しまし、事の発端は?唐突的に>>789「a hope様」からの?頂きました…
“内容…”から、始まっておりますかと。この提案は「復興G様 」からの最初の発言ですと?ともかく
正直申しますと?「a hope様」からの最初の発言ですら?理解しがたいモノがありました。

                                つづく

814SAKURA:2013/05/01(水) 11:48:33 ID:rqQQibm6
「トキ様 」へ   「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

【WEB 誌友会】に関しまして…【 SAKURAの投稿>>795>>796>>804>>813 】の続きですが?

【感情論…】からでしょうかと。ですから?以前からの【分派…】の皆様方の中でのお互いに“メ−ル交換”
この様な感じでの意志疎通が?あられましたのでしょうかとも。そして、女性の【a hope様】自身が?
なり上の役職なのでしょうか?
まるで〜〜まるで〜〜「ときみつる会」??の「宮沢様…???」なの〜〜〜でしょうかとも??

更には?どうも今回の>>794の投稿抜粋 “コトバ…”の中に (下記にて抜粋)

−−−「抜粋文」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−――
■>>a hope様は、
>>わたしとしましては、次回web誌友会のご相談をさせていただきたいのです。<<
とおっしゃっているのです。つまり、a hope様は >>このweb誌友会の運営のお手伝いをさせていただいている立場から<< 次回の日程や、あり方について、ご相談をしたいけれども、SAKURAさまが延々とわかりにくい書き込みをされていると、それもできない。
>>もしSAKURAさまが今後もこのような形でご投稿をつづけられるのであれば、わたしはSAKURAさまがご司会のweb誌友会をされることを提案させていただきます。SAKURAさま、みなさま、いかがでしょうか?
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

>> SAKURAさまが延々とわかりにくい書き込みをされていると、それもできない。…云々…<<
此の“コトバ”から?此処に到って【WEB誌友会 後の感想】もお気に召さないとの“断言”になります
でしょう。と云いますならば〜〜〜それなりに考えないといけませんかと。

※【WEB 誌友会】会期後の“感想〜〜〜投稿”は「別のボ−ド」にて、記載投稿でしょう…。

今回、個人的な意見はあくまでも「訊け 管理人様」を推薦させて……。それから?「うのはな様」
補佐役も宜しいのではないのでしょうかと〜〜〜個人的に「此の期間は協力体制」にての【WEB 誌友会】
は?キャラクタ−と致しまして「明るい」「新しい方々へのインパクト」も別の観点から?ありますのでは
そのように思いました次第です。それに?「新しい展開…」にての『WEB 誌友会…新しい旋風』を、
吹きこむのも宜しいのでは??その様に内心思っております。(この件に関して?去年の「志恩様」の
投稿の中に3カ月に一度とかの“ロ−テ−ション案”を記載されていらっしゃつた記憶があります。)


PS:「管理人様 トキ様」「観覧者の皆様」

■■実は?今「仕事上…」パソコンに関して?獅子奮迅バトルの状況で、【未知なる世界…チャレンジ】?
余りにも唐突「司会…」のお言葉を?頂きました事が“ビックリ…”でしたが?
お声をかけて頂きました事に、感謝申し上げます。(ちょっぴり〜〜〜嬉しく思いました。)
次回の時には?お声がかかりましたならば【司会…トライ】とさせていただきます…。

それでは?「感想…」に関しては〜〜〜考えての投稿形式を、取らせて頂きたく思う次第です。
いろいろ考えまして〜〜〜
                                          
                            再合掌

815閲覧者:2013/05/01(水) 21:53:39 ID:rqc7A2Gk
SAKURA様の、聴け様が司会、うのはな様が補佐役、三ヶ月毎のローテーションは、とても新鮮味がありそうで大賛成です。

816a hope:2013/05/01(水) 22:54:58 ID:dHQNZBQc

みなさま こんばんは

まずは、復興Gさまわたしの提案をご承諾くださりありがとうございます。
ですが、この掲示板の管理人さまであるトキさまをはじめ、reiさま、志恩さまの賛成のお返事をいただきましたが、
SAKURAさまから、第一部、第二部という形式だと、

①時間的に長すぎはしないか、
②課題、テーマがあった方がいいのではないか、

というご意見をいただきました。とても重要で、適切なご意見だと思います。
SAKURAさま、ありがとうございます。


それに関しては、わたし個人的には、

①第一部、復興Gさまのご講義(講話)質問感想等の時間配分に関しましては、講師である復興Gさまにお任せしたいです。、
それが決定次第、第二部の時間をどれくらいにするかを、みなで相談していきたいです。

★この第二部、自由参加の誌友会というのは、今までの『後夜祭』にあたる部分に該当するのかもしれません。
わたしの個人的な考えですが、今まではいつまで続くのか検討のつけにくい『後夜祭』のご司会、ご指導までを復興Gさまにお任せしていましたが、
復興Gさまのご負担を軽減していただくためにも、次回からはその部分を他の方にお願いしたいと考えています。)

②第一部、復興Gさまの講義(講話)内容に関しては、今までどおり「生命の實相」をテキストにしていただき、
テーマも〝一人ひとりの法燈継承〝ということでお願いしたいと思っています。

第二部の自由参加の誌友会に関しましても、わたし個人的には復興Gさまのご講義の内容をもとに、
同じテーマでの話を継続していくのがいいのではないかと感じていますが、ご講義の内容以外でしても、
「生長の家」に関する話題でしたらなんでもいいのではないかと感じています。

これに関しましては、SAKURAさまのご提案、そして、閲覧者さまもそれに関して>>815でご意見をくださっていますが、

<<…個人的に「此の期間は協力体制」にての【WEB 誌友会】は?
キャラクタ−と致しまして「明るい」「新しい方々へのインパクト」も別の観点から?ありますのでは
そのように思いました次第です。それに?「新しい展開…」にての『WEB 誌友会…新しい旋風』を、
吹きこむのも宜しいのでは??>>

に、わたしも賛成させていただきます。
その時、司会をされる方のオリジナリティーがでたほうが、「新しい展開」につながるような気がします。

817a hope:2013/05/01(水) 22:56:01 ID:dHQNZBQc
ところで、SAKURAさま、web誌友会に関します素晴らしいご提案には心から感謝いたしますが、

<<、女性の【a hope様】自身が?なり上の役職なのでしょうか?
まるで〜〜まるで〜〜「ときみつる会」??の「宮沢様…???」なの〜〜〜でしょうかとも??>>

というご発言は、いったいどういうことでしょか?
わたしはに関してはともかく、『ときみつる會』の宮澤先生と言えば、両先生とも「生長の家」の大先生です。
その方々と、a hopeのような新人が同一人物のはずがありません。

SAKURAさまはのそのような人を疑うような発言を時々されますが、それは人の心を大変傷つけるものだとわたしは感じています。
今回は、わたしの心が大変傷つきましたし、宮澤先生のご名誉も大変傷つけられたと思います。
SAKURAさまのお心が誰かの発言で傷ついてしまわれるように、
SAKURAさまの発言も時として、誰かをを傷つけているのではないですか?

わたしも、できる限り発言には注意していきますので、SAKURAさまもこれからは十分ご注意くださいね。

818SAKURA:2013/05/01(水) 23:25:41 ID:BEUD3XFA
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
【WEB 誌友会】に関しまして【 SAKURAの投稿>>795>>796>>804>>813>>814>> 】の続きですが?

■今!時間調整が〜〜〜取れませんので、「箇条書き…」にての投稿とさせていただきます。
まず!私の投稿…【>>814 SAKURA】 の内容を十分理解?して頂いていないかと思います。…が??

上記にても…
「 ホ−プ様」の提案の【第一部…】【第二部…】の期間提案論
【WEB 誌友会…開催期間】関しての議論は〜〜〜【第一部オンリ−…】を申し上げています次第なのです。
そして、こちらの意見としての希望は、あくまでも〜〜〜【感情移入が入り過ぎますとの考えです。】

「復興G様」…
そして司会は「訊け管理…様」補佐役としての「うのはな様」をと…記載投稿を致しておりますが?
ご理解が頂けないようですかと!その様に判断させて頂いております。
                               再合掌

819SAKURA:2013/05/01(水) 23:28:46 ID:BEUD3XFA
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
【WEB 誌友会】に関しまして【 SAKURAの投稿>>795>>796>>804>>813>>814>>818 】の続きですが?

>>817 に関してですが〜〜〜

この中の■>>注意くださいね…<<失礼ながら?私は個人的には?「a hope様」の部下でも
何でも有りません。…が?これは〜〜〜如何理解すべきでしょうか??以前も良く頂いておりました。

やはり【権力…の言葉】では??ないのでしょうかと思います。 

    再合掌

820a hope:2013/05/02(木) 00:06:27 ID:dHQNZBQc

SAKURAさま

>>816>>817の投稿を終えて、おやすみしようかと思いましたが、
SAKURAさまからのお返事を拝見して、わたしがSAKURAさまの投稿を理解していなかったようなので、
確認だけさせていただきます。

SAKURAさまは、第一部のみの、要するに復興Gさまのご講義だけをご希望なさっているのですね。
そして、その司会に訊けさま、補佐役に、うのはなさまを推薦なさっているのですね。

その件に関しては、みなさまのご意見を伺いたいと思います。

みなさま、よろしくお願いいたします。

それでは、今夜はこれでおやすみさせていただきます。
みなさま、おやすみなさい。

821SAKURA:2013/05/02(木) 02:15:56 ID:mgqwTuyc
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
【WEB 誌友会】に関しまして【 SAKURAの投稿>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819 】
の続きですが?

>>820にから…(下記一部抜粋)
>>SAKURAさまは、第一部のみの、 要するに復興Gさまのご講義だけをご希望なさっているのですね<<

此処で?投稿内容にて?思いましたコトバ…【講義だけ…】とのコトバは?
【復興G様】に対しての「質問?」及び「感想?」…「反対意見?」を述べることが出来ないとの
意味をなしているのでしょうか?
【復興G様】の「講義…」に対して「誌友会…期間中」に参加が出来まして、その間の
“賛同”また“反論…”いろいろな捉え方があれば〜〜〜質問はしてもいいのではないのでしょうか??

此処で、何度も意見投稿しますように❤「期間中…に“参加…”が出来ず、その後の“投稿…”の場合にて、
私なりの“感想…”を記載投稿だけでしたが、どうもそれがお気に入りではないようですが、その点は?
やはりオカシイ!のではないかと?首をかしげております。【期間外…WEB誌友会板…クロ−ズですかと。】

※そして「訊け管理人様」の“おおらかな性格”から【誌友会…人が集まって来るのでは〜〜〜】この
ように思いますし、更に「訊け管理人様」が暴走されますと(表現が悪いカモ?)丁度!いい具合と申しま
すか「うのはな様」が“ブレ−キ”で〜〜〜これが逆に一般の閲覧者の皆様にとりましては?これが、意外
と“いい感じ〜〜〜グ−!”と捉えられますのでは?この様に思い浮かんだのです。…が???
それに「お二人の共通項…」として、仮に「会期…2日間」と致しまして?その間の投稿は?観覧者の皆様も
周知のように「投稿…回数多いお二人」ですから?閲覧されます皆様にとりましても「時間的に幅…」が
在りますので〜〜〜その事も“楽しい〜〜〜嬉しい〜〜〜”となりまし「復興G様」のお忙しいオフ時間を
充分サポ−トして下さいますのではないかとの判断があります…。

更に「うのはな様」も時と場合によりまして〜〜〜意外と“オモシロ?オカシク?なる表現”を投稿なさい
ます感じですし、このお二人の関係は?いいのでは〜〜〜と、思ったのです。試しに?思考錯誤しながら?
トライなさては如何でしょうか??その様に…思考錯誤しながら、理想と致しますところの
【WEB 誌友会の運営完成版…ができ上がる!!】ようにも、思えますが、どうしても私も含め
“女性陣…”は、【感情…】が先に入りやすい?優先順位になりがちですから、やはり、どう考えましても
【事の発端…今回の「a hope様」からの今回の投稿が?今でも負に落ちませんのですが〜〜〜♫〜〜〜〜】

結局!!「投稿者の皆様」「閲覧者の皆様」が,お互いに共有してでの【楽しむ…WEB 誌友会…完成版 】
を、皆様で試行錯誤しながら…当に【みんなで作る…誌友会】で〜〜〜ショ!!
和気藹藹と〜〜〜楽しんで〜〜〜「真理の勉強…」するのもいいのではないでしょうかと???

最後に【司会…】は、世間一般の通念から「如何なるコトバ…」でも動じないくらいの“強さ”…
そして“感情より冷静な判断力!理解力!…”が必要かと、個人的なる考えですかと。
それにてデリケ−トな「a  hope様」ですから?逆に「投稿の自由」が出来まして「真理の勉強」も、
深まるのではないのでしょうか…?個人的に思いましたのです…。如何でしょうか…?

「管理人 トキ様」…?管理様の立場として??圧力がありますでしょうか〜〜(微笑)どのように
此の件は?お考えでしょう〜〜〜か?
ボンヤリ〜〜ボンヤリ〜〜ボンヤリ〜〜考えながら「雅春先生…御教え」を少しでも多くの人に…
                                      再合掌

822志恩:2013/05/02(木) 07:02:28 ID:.QY5jUA6
SAKURA様

ここのWEB誌友会は、別名、「生命の實相」の輪読会でありますから、

指導して頂けるお方の必須条件としましては、

「生命の實相」その他を、付け焼き刃でなく、永年、深く学んで来られた
教えについて精通されていらっしゃるベテランの人間でないと、ここの「WEB誌友会」の指導は出来ないと存じます…

ご講話だけでなく、 様々な方々の質疑応答のときには
どのような質問に対しても、的確に回答して頂けるお方でないと、
ここの「生命の實相」輪読会は、成り立たないと思うのです。

ということは、いままで、
それなりの信徒指導をされた経験者であることも大事でしょ。


なぜなら、
この掲示板でのWEB「生命の實相」輪読会は、個人宅でされるそれとは異なりまして、
われわれも含まれておりますが、われわれ掲示板の仲間うちだけの勉強会ではなく、

実は 全世界、全日本へ向けての
生長の家の大聖典である「生命の實相」の勉強会でもあるからです。
本来の生長の家の教えを 全世界へ啓蒙するための たいせつな運動の一環でもあるからです。

そうそう、ネットですから、
パソコンを速く打てることも、指導者や補佐役のお方の必須条件だと存じます。

それから、司会の件ですが、以前、司会者のなり手がなくて、困っていましたよね。

それで、このように司会者はあってもなくてもよいという指導者だけの会の運営をされるようになったのですよね。
その意味で、ahopeさんは、司会役ではなく、補佐役だと申し上げております。

復興G様は、常々『WEB誌友会の指導者は、私ではありません。指導者は「神様」です。』と、
申されておられますから、
指導者という名は、ふさわしくなく、「指導者代理人」という名の方が 本当は ふさわしいのかもしれませんけれど。


で、今のところ、この掲示板で指導して頂ける その必須条件に当てはまるお方は、見回した所、
復興G様とトキ様しか、いらっしゃらないように、私には思えるのですが、
SAKURA様は、他に思い当たるお方は、いらっしゃいますか?

それからもう1つ、SAKURAさんのアイディアを入れるとしましたら、
復興G様とトキ様に、隔月(一ヶ月おき)にご指導して頂くという方法もあると思います。

以前、トキ様は、固辞されましたが。
復興G様、トキ様、いかがご判断されますでしょうか?

それで、トキ様が、隔月なら いいですよと、言われた場合ですが、
トキ様がご指導の月は、訊けさんやSAKURAさん、どちらでも、
やってくださるお方が、司会者、補佐役をお願いしたいです。

復興G様のときの補佐役は、やはり、ahopeさんが、適任者だと思いますが、
復興G様のときも、SAKURAさんが、司会件、補佐役をされても私はいいと思っております。


復興G様のときも、トキ様のときも、SAKURAさんさえ ご都合がつけば、もしも、
SAKURAさんが引き受けてくださるなら、司会、補佐役、どちらでもOKであり、われわれも有り難いです。

SAKURAさんは、現役でお仕事をされてるようですから、お忙しそうですが、
もしも、お時間があり、されることが可能だと思われた時は、是非、前もって申し出て頂けませんか。

もう1つの件ですが、
SAKURAさんは、「司会は訊けさん、補佐はうのはなさんに」といわれましたが、
うのはなさんが、それを、いいですよ、とOKされるとは思いません。

今迄の様々なことで、わかるでしょう。
うのはなさんは、訊けさんとコンビになって、会を運営されるなんて、ありえません。


訊けさんは、
トキ様が指導者になられた場合は、トキ様となら 訊けさんは、合いますから、
訊けさんは、
トキ様のご指導のときに、司会をして頂けましたら スムースに行くのではないでしょうか。

823志恩:2013/05/02(木) 07:35:42 ID:.QY5jUA6
ahope様

誌友会、お世話様になっております。
復興G様が「WEB誌友会」でお話下さったことへのコメント数が少ないことで、
ahope様、フォローを、ありがとうございます。
私も、殆どコメントしませんから、それについては申し訳ありません。

SAKURAさんは、前回までは、私もそうでしたが、会の期間中にコメントされてました。
今回、SAKURAさんは、仕事があり、参加出来なかったという理由を書き込まれたあとに、

その上で、彼女なりの感想をあれこれと書き込んでおられましたから、
それにつきましては、誌友会が終わった後の書き込みの場合は、とりたてて、返信されなくてもいいのではと存じます。

でも、書き込みで、それは、ちがうんんじゃないの、と思ったときは、遅くなっても反論されて、かまわないと
思います。私も、九州の生長の家の人ですかと,前にSAKURAさんに問われたので、違うといいました。

私も、私で、いろんな人を00様でしょう?ということもあり、それで反論されたりしています。
掲示板は、バーチャルの世界ですから、やりとりが難しいですね。

そうじゃないと思った時は、お互いが議論しあうことも、健全であると思っております。

次回のことですが、復興G様がご講話されてるときは、
途中に質問しないほうが、いいのでしょう?

復興G様が、「なにか質問は、ありますか?」と
言われた時点から、発言すれば、いいことだと思います。

いつ、発言していいか、分るようにご指導をお願いしたいです。

でも、勝手なこと言ってすみませんが、
皆、それぞれに忙しいので、コメントなくても、気にされませんように。

でも、トキ様に注意をうけましたが「ありがとうございます。拝聴しています」という
短文でいいですから、閲覧者が、コメントしたほうが、
復興G様の励みになるといわれましたので、それは、納得させて頂きました。

今後は途中で、書き込むように,短文ですが 致します。
よろしかったら、ひと言でいいですから、皆様も そうしましょう。

824a hope:2013/05/02(木) 10:52:13 ID:dHQNZBQc

みなさま、おはようございます。

>>821SAKURAさま

<<此処で?投稿内容にて?思いましたコトバ…【講義だけ…】とのコトバは?
【復興G様】に対しての「質問?」及び「感想?」…「反対意見?」を述べることが出来ないとの
意味をなしているのでしょうか?
【復興G様】の「講義…」に対して「誌友会…期間中」に参加が出来まして、その間の
“賛同”また“反論…”いろいろな捉え方があれば〜〜〜質問はしてもいいのではないのでしょうか??>>

もちろん、講義だけではなくてご講義に対する、質問、感想なども、第一部にて受け付けていただきたいと思っています。
ただ、わたしたちは講師の先生のご講義を拝聴するマナーは守るべきだとも思っています。

たとえば、①「質問」や「感想」は、できるだけ講義内容に関するものであること。
      ② 講師の先生への「反対意見」があれば、講義終了後に述べこと。

等が、あげられると思います。

<<処で、何度も意見投稿しますように❤「期間中…に“参加…”が出来ず、その後の“投稿…”の場合にて、
私なりの“感想…”を記載投稿だけでしたが、どうもそれがお気に入りではないようですが、その点は?
やはりオカシイ!のではないかと?首をかしげております。【期間外…WEB誌友会板…クロ−ズですかと。】>>

できれば、期間中のご参加(質問・感想)が望ましいと思いますが、お仕事やいろいろなご事情で参加できない方は、
第二部(後夜祭)にご参加して、ご自由に発言されればいいのではないかと思います。
第二部は、自由参加ですから、講師の先生もご参加くだされば、質問・感想へのお返事がいただけるのではないかと思います。


その後の、司会や補佐に関するお話に関しては、引き続きみなさまのご意見をよろしくお願いいたします。


>>822>>823志恩さま

素晴らしいご意見をありがとうございます。
わたしにはすべて納得のいくご意見ですが、もう少し皆さんのご意見も伺ってみたいです。

夜またもどります。

825トキ:2013/05/02(木) 11:28:46 ID:4pIOd94.
 まず、誌友会については、基本的にご指導に当たられる講師のご希望が最優先だと思います。
しかし、参加者の御希望の声もどんどんとお願いをしたいです。

 特に、復興G様のような素晴らしい講師のご指導を受けられるこの誌友会は、たいへん貴重です
から、出来るだけ長く続くようにしたいのです。

 もちろん、教区でも谷口雅春先生にご指導を受けた講師が頑張っておられます。しかし、ご高齢の
方が多く、その数は段々と少なくなっています。私は驚いたのですが、他の教区からの転入された
講師の中に、「招神歌」がとなえられない人がいました。そこまで酷い人は珍しいですが、やはり
魅力ある講話ができない講師が多いのは認めざるを得ません。

 そういう現状を考えると、このweb誌友会の使命は大きいと思います。

 皆様の声をお待ちしています。

合掌 ありがとうございます

826:2013/05/02(木) 12:23:36 ID:YgDiHmTI
>>825

私はこれまで傍観者で、何も発言していませんでしたが、これからは感想などを書き込もうと思います。
ちょっと勇気が入りますが、何でも勇気をもって行動することが大事なのですよね。
未熟者のコメントになるかと思いますが、よろしくお願いします。

827うのはな:2013/05/02(木) 12:55:28 ID:ZAyzXxdA

 お邪魔します。最近、訊け氏が司会で、うのはなが補佐役でという案が出されてた
みたいですが、わたしは、訊け氏から開催前に出て行ってくださいなんていわれる
人間ですし、その訊け氏から誌友会版であんなことを書いたんだから復興G様に謝罪するように
いわれたりもしています。
 訊け氏のブログでも、うのはなさんのせいで常連だった人が来なくなったとか、
みんなではじめた誌友会だとか、いろいろ文句をいわれていました。

 さくらさんからは、うのさんの引用した聖典は読む気がしないともいわれています。

 ここの掲示板をご覧になってる年長の先生が、うのはなさんはトキ掲示板の人達とうまくやっていけない
はみ出した存在になるんじゃないかと心配してくれたりするような状況です。
 そんなありさまなので、誌友会参加はご遠慮させていただきます。

 拝

828SAKURA:2013/05/02(木) 13:26:32 ID:cCzHw4kU
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
【WEB 誌友会】に関しまして【SAKURAの投稿>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821】の
続きですが?
〜〜〜〜〜〜〜【その①】〜〜〜〜〜〜〜

>>822>>823 「志恩様」からの私宛のお返事……感謝申し上げます。

−−−「抜粋文 志恩様のコトバ」−−−−−−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―

>>実は 全世界、全日本へ向けての生長の家の大聖典である「生命の實相」の勉強会でもあるからです。
本来の生長の家の教えを 全世界へ啓蒙するための たいせつな運動の一環でもあるからです。(一部抜粋)

◆−−−−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―◆

上記の“コバト…”私も「志恩様」の考え方に賛同させて頂きます。本当に、「生長の家…光ある言葉」を、
皆様へ……大きく〜大きく〜広がって〜〜“あすなろの木”のように!!そのように思います。

そして、「志恩様の提案」されました、下記の“意見提案…”中にて(>>822の投稿からの抜粋)
−−−「抜粋文 志恩様のコトバ」−−−−−−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―

■>>で、今のところ、この掲示板で指導して頂ける その必須条件に当てはまるお方は、見回した所、
復興G様とトキ様しか、いらっしゃらないように、私には思えるのですが、<<(一部抜粋)

◆−−−−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―◆

此の件も賛同です…。

■■【「復興G 様」と「トキ様」の隔月(一ヶ月おき)にご指導して頂くという方法…】は賛同です。

※さて!【 司 会 】という立場の概念から申しますと〜〜〜まずは?「条件定義…」を、私なりの考え方
で投稿させて頂きました。第一条件として、今回「WEB 誌友会」という事は〜〜〜?
「志恩様」のおっしゃいます事は、ごもっともですかと!!賛同です。(下記抜粋“コトバ”)
>>【パソコンを速く打てることも、指導者や補佐役のお方の必須条件だと存じます。】<<

1)文章の理解力…それによる判断力が適正・的確である。

2)特に【WEB 誌友会−―>「生命の実相」輪読】という主旨での開催の場でありますから、感情移入は
もっての外ですし、ましてや「反対派…」「相性が合わない」だから拝読しないとか?この様な“コトバ…”
自体が?世間一般で通用しません。むしろ“恥…”と思います。此処【2チャンネル…他のボ−ド】と
異なり“ラアナンダムナ討論の場(ここでは感情はある程度その方の常識にての判断かと)”ではありま
せんとの自負をすべきかと思います。【生長の家…御教え】素晴らしさを皆様にお伝えするという使命!

3)第三者の閲覧もあります認識のもとに〜〜〜楽しんで頂く〜〜〜参加して見たくなる〜〜〜そのような
雰囲気を作る上では?「反対?賛同?」とはさておき【声をかける…】この事が、逆に閲覧されていた
抱いております方々が?逆に私も〜〜〜【参加!】という考えに到るのではないかと思います。
この様になりますと【WEB 誌友会】の価値観が大きくなって行くのではとの?思いです。
                          
つづく

829SAKURA:2013/05/02(木) 13:30:30 ID:cCzHw4kU
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
【WEB 誌友会】に関しまして【SAKURAの投稿>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828
の続きですが?

〜〜〜〜〜〜〜【その②】〜〜〜〜〜〜〜

■「司会に関しては〜〜〜「訊け管理人様」は明るい?楽しませる?これも一つの「魅力…」となりますかと。
ある面「インパクト…」が生じますから、これを踏まえた上で……
「復興G様」と「トキ 官理人様」の指導 を、【サポ−ト…】して頂けるのではないかと思います。
私が、既に投稿しております>> 821投稿中にても“多くのコメント投稿−―>訊け管理人様”に於きましては
投稿して頂いておりますから?この期間中…指導の立場の「復興G様」「トキ様」が公用でご不在の時の
その間を楽しませてくださる〜〜〜【和やかな雰囲気】を作って頂けるものと思うのです。(閲覧も楽しいかと)

■そして「補佐役…うのはな様」を、私が推薦しました経緯は〜〜〜
1)如何なる状況でも【精神的に動じない事…これは感情移入がありませんから…適正かと】
ブラック・ジョ−クもありますし〜〜〜♫ 〜〜〜

2)「訊け管理人様」が??暴走(表現が悪いカモ?)の時は〜〜〜今までのいきさつでストップ!
モウションをされる経緯にて。但しあくまでも〜〜〜「生命の実相…輪読」という事を踏まえての
協力体制を「訊け管理人様」と絶妙なるコンビネ―ションでして頂きますと幸いかと?出来るはずの方と
思っております。此の間は【休戦状態……白旗】です。(微笑)投稿も…忙しい中“多くの投稿”をして
頂いておりますので〜〜〜

3)今までの「うのはな様」のイメ−ジが?第三者的に申しますと「訊け管理人様とのおっかけ論」で
マイナスの面もありましょうかと?そうではなく素晴らしいモノを持っていらっしゃいますかと…
皆様の中には?覚えていらっしゃいますでしょうか……?【「キャベツのお話」の紹介……】この様に、
ある面では?多々の情報をお持ちですから??その意味も踏まえまして『光明面をご披露』の
機会にして頂けましたら〜〜〜「生長の家…信者」は〜〜〜この印象がますますアップ!と思うのです。

■最後に「この観点を踏まえての私の意見」です。何度も何度も〜〜〜申し上げますが?

※【開催期間…】としては〜〜〜【第一部…WEB誌友会 】期間的には2日での集中でいいのでは?
この方が?集中しての閲覧におなりますので【インパクト…】がありますでしょうかと。

※指導して頂きます「復興G様」・「トキ管理人様」に関しての「質問」「意見」に関しては?
【最後…にての質問?】これは〜〜〜或る程度の“区切り〜区切り”の場を持ってのその時間を設けて
頂けませんと??人間はタイミング…という事もある程度大切ではないかと思います。…が?
気持ちがうせる事も〜〜〜>< ありますのではとの個人的な考えです。…が

                                  再合掌

830ありがとう:2013/05/02(木) 13:35:54 ID:???
825 名前:トキ 投稿日: 2013/05/02(木) 11:28:46 ID:4pIOd94

講師の中に、「招神歌」がとなえられない人がいました


 〜〜〜〜

 そうですね。 
 しかも西洋音階の五線譜で習うから下手くそが多いです

831トキ:2013/05/02(木) 14:04:33 ID:4pIOd94.
>>826

 ご投稿、ありがとうございます。よろしくお願いします。

832復興G:2013/05/02(木) 14:57:33 ID:AB6RqYXc

皆々様。

web誌友会について、活発なご討議、感謝いたします。ありがとうございます。

>>825で トキ様は
>>誌友会については、基本的にご指導に当たられる講師のご希望が最優先だと思います。<<

と書いて下さいました。ありがとうございます。

私は無になって、神様のお導きを受ける気持で誌友会にのぞみたいと、一貫して申してまいりました。その気持に変わりはありません。

また一方、真剣に、「命がけ」の気持で――という思いもあります。

>>821でSAKURA様が
>>結局!!「投稿者の皆様」「閲覧者の皆様」が,お互いに共有してでの【楽しむ…WEB 誌友会…完成版 】を、皆様で試行錯誤しながら…当に【みんなで作る…誌友会】で〜〜〜ショ!!和気藹藹と〜〜〜楽しんで〜〜〜「真理の勉強…」するのもいいのではないでしょうかと???<<

――と書かれていました。そういうのも、いいでしょうね。
しかし、私は、それでしたら退場させて頂きます。
どうぞ、SAKURA様が司会されるなり、あるいは「訊け」様でも うのはな様でも、司会して下さるならして頂いて、お楽しみ下さい。

しかし、私には、そんな余裕がないのです。限られた人生の、貴重な時間ですから。私は、それでしたら退場します。

皆々さま。

>>774に「はしがき」を謹写引用させて頂いた
『實相と現象』(谷口雅春著作集第4巻)の本文の冒頭には、「生命の實相ということ」と題して、次のように書かれています。

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   宗教の根本目的

 宗教というものは自分の生命の本当の姿を悟らせるのが根本目的であります。禅宗のお寺でも行って修行しようと思うと、そこの老師が出て来て、「あんたは何処からいらっしゃいました?」と言って訊くのである。そうすると「私は、横浜の鶴見区の何処やらから、やって参りました」なんて言うと、けいさくでピシャリと叩かれる。

 そんなことは現象のことで、何処から来たかというのは、禅宗の問答では、そんな今住んでいる所から出て来たとか、戸籍上の生れ故郷は何処だとかいうような現象の地名ではないのであります。吾々が生れて来たその本源は何処であるか?それは久遠不滅の大生命なる神様から天降って来た存在であるということを、直接端的にこれを問答するのが禅宗の問答である訳なんです。
(中略)

   ブラジルに於ける無数の奇蹟

 ……ブラジルでは、今から三十数年前、私の書いたたった一冊の書物がブラジルへ出掛けていった。それが元になって、本を読むだけで無数の奇蹟が顕れた。僕が何も地球の裏側まで時間を費して行く必要も何もなかったんです。ただ私の書いた『生命の實相』の本を読むことによってですね、驚くべき奇蹟が諸方に起ってきたために、「そんな不思議な本を書く筆者というものは、どんな顔をしているのか、ひとつ見てやろうか」というので、わざわざブラジルから毎年三十人ぐらいは、やって来るんです。
(中略)

 この書物に書かれているところの言葉はですね。神様が皆さんの「本当の人間」を呼び出すために、言葉の力を極わめて私を通して書かしめられたのであります。読むに従って愈々益々、「本当の人間」とは如何なるものであるかが悟れるのでありますから、この『生命の實相』は、くり返し、くり返し読んで頂きたい。

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ――こう谷口雅春先生がおっしゃっている『生命の實相』の御教え――「今の教え」ではなく、「久遠の今」の教えを、命がけで学ぶ、そういう「誌友会」というよりは「学習会」あるいは「研鑽会」というようなものをやっていきたい、と私は思っています。

 私は空っぽになって、平等な愛を行じたいというのが願いですが、生身の人間ですから、欠点も多く、感情的になることもあります。そして悪かったと思ったら反省してまた前進します。

 きびしい研鑽はまっぴらだと思われるなら、別の道をお選びください。

 ありがとうございます。

833志恩:2013/05/02(木) 17:13:54 ID:.QY5jUA6
>>832:復興G様

お返事をありがとうございます。

ここのWEB誌友会は、ユタカ様が、立ち上げられまして、1回目が終わったとき、
真摯に、今後のご指導を、復興G様にお願いして下さったおかげで、

復興G様は、最初のうちは、固辞されておられましたが、
そのおかげで、断るのはオトコじゃないと復興G様が申されて、
ご指導は、復興G様が引く受けて下さり、継続が可能になったWEB誌友会です。

ですから、復興G様がご指導下さっての「生命の實相」の勉強会です。

トキ様は、以前にわれわれが依頼しましたときも、ご指導役は固辞され、今回も、1ヵ月置きなら
いいですよ…というふうに、お引き受け下さいませんでした。

ですから、大ベテランでおられる私も敬愛申し上げている 復興G様が、辞められるときが、この会のおわるときだと思っております。

先日のこと、
復興G様は「SAKURAさん、司会をやってみたらいいでしょう」というふうにSAKURAさんに
おっしゃってましたから、何事も、体験すると、大変さが 頭でなくハートで理解できますし、
何事も勉強になりますから、私は、復興G様がそう言われるので、
「SAKURAさん、補佐役をされてもOKですよ」と、SAKURAさんにお答えしました。

でも、その後のSAKURAの発言によりますと、

>>821でSAKURA様が
>>結局!!「投稿者の皆様」「閲覧者の皆様」が,お互いに共有してでの【楽しむ…WEB 誌友会…完成版 】を、
 皆様で試行錯誤しながら…当に【みんなで作る…誌友会】で〜〜〜ショ!!
和気藹藹と〜〜〜楽しんで〜〜〜「真理の勉強…」するのもいいのではないでしょうかと???<<

――と書かれました。

で、復興G様の それに対するコメントですが、

>>そういうのも、いいでしょうね。
しかし、私は、それでしたら退場させて頂きます。

どうぞ、SAKURA様が司会されるなり、あるいは「訊け」様でも うのはな様でも、司会して下さるならして頂いて、お楽しみ下さい。
 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ――こう谷口雅春先生がおっしゃっている『生命の實相』の御教え――「今の教え」ではなく、「久遠の今」の教えを、命がけで学ぶ、
 そういう「誌友会」というよりは「学習会」あるいは「研鑽会」というようなものをやっていきたい、と私は思っています。

 私は空っぽになって、平等な愛を行じたいというのが願いですが、生身の人間ですから、欠点も多く、感情的になることもあります。
 そして悪かったと思ったら反省してまた前進します。

 きびしい研鑽はまっぴらだと思われるなら、別の道をお選びください。

 ありがとうございます。 <<

ということですから、

神様の代理人でいらっしゃいます 復興G様の、このWEB誌友会に向かわれる真剣なお気持ちは、上記のお言葉でわかりました。

そして、>>825で 

トキ様は
>>誌友会については、基本的にご指導に当たられる講師のご希望が最優先だと思います。<<

と書いて下さいました。>>

私は、復興G様と トキ様のご指示に、おまかせして、今後も教えて頂き、学びたいと存じました。

皆様のご意見もお聞かせくださいませ。

834志恩:2013/05/02(木) 17:15:57 ID:.QY5jUA6
あっ、1回目を立ち上げて下さったのは、ユタカ様と訊けさんのお二人でした。

訂正します。

835志恩:2013/05/02(木) 17:30:27 ID:.QY5jUA6
復興G様

お尋ねするの、忘れました。
で、今後も、毎月、3日間して下さるのでしょうか?
お疲れになられませんか?

836ありがとう:2013/05/02(木) 18:05:26 ID:???

 谷口雅春先生の『生命の實相』は真摯な態度で学ぶべきです

837復興G:2013/05/02(木) 19:08:44 ID:AB6RqYXc

>>835 :志恩様。

>>で、今後も、毎月、3日間して下さるのでしょうか?
お疲れになられませんか? <<

ありがとうございます。

3日間というのは、長いです。それは、その間いろいろ予定があって席を離れることがある、それはご参加の皆さまも同様であろうという前提で、試行したことでした。
実際、土日は行事が多くて、席を離れることが多くありました。(4月の場合はめずらしく特別な行事がありませんでしたが)

今後、もしa hope様のご提案どおり、まず私の“講話”を一定時間内に書き込む、ということになれば、それは半日程度で十分でしょう。
そしてそれに対しての質疑など、皆さまとの対話が1日。
全部で1日半ぐらいが適当かなと思います。

日曜日は行事予定が詰まっていることが多いので、皆さまとの対話に当てるのは、特別な予定のない土曜日を選び、その前の“講話”は、金曜日の午後からにさせていただければありがたいと思います。(夜からは質疑等に入ってもよいかと思います)

以上は、トキ様はじめ皆さまのご賛同が得られた場合の、今時点での私案ですが、さらに皆さまからのご意見を頂戴したいと思います。
ありがとうございます。

838かぴばら:2013/05/02(木) 19:26:13 ID:EOnq12bc

復興G様、a hope様、トキ様、その他の皆様いつもありがとうございます。

私はこの誌友会その他で色々なことを学びました。本当に何にも知らない自分でした。

パソコンで拝読する時間がとても限られているため、とても全部はなかなか読みこなせませんし、コメントを入れれるほどの実力もありませんのでいつも遠くから見ています。

これからも復興G様の素晴らしいご講話が続けられることを切望しています。志恩様同様、無理のない程度の講話をお願いいたします。

そしてSAKURA様、

以前は無理なお願いをして申し訳ありませんでした。私としてはバッシングの気持ちは全然ありませんでした。

SAKURA様が、他の投稿者さまともっとやりとりができるようにとの思いで発言いたしましたが、そのことで深く傷つかれましたなら申し訳ないことでした。

深くお詫び申し上げます。ごめんなさい。

839志恩:2013/05/02(木) 19:30:13 ID:.QY5jUA6
復興G様

私は、今夕は 庭仕事をしていまして、只今、庭から部屋へ入り、PCを開いたところです。

質問に早速お答え下さいまして、ありがとうございます。

皆様のご意見も、お聞きしたいのですが、
私の場合は、
復興G様のお考えに、合わせさせて頂きます。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。合掌。

840志恩:2013/05/02(木) 19:34:54 ID:.QY5jUA6
かぴばら様

おひさしぶりですね。書き込み、とてもうれしかったです。
また、よろしかったら書き込んでくださいね。

そうなんです。
SAKURAさんも、生長の家のたいせつな仲間だと思っております。

841:2013/05/02(木) 20:36:15 ID:ip8PrAeo
復興G様、トキ様、そのほかの皆様

私も復興G様のご講話から多くを学び、しっかりと真理を求めていきたいと思います。
金曜日の夜くらいから質疑の時間をとっていただけるなら、土曜日に終日予定が入っても質問が可能なのでありがたいと思います。
まだ投稿に不慣れな上、今後、ご講話に対する質問を投稿するとしても内容が的を射ているのか心配ですが、少しずつ投稿させていただこうと思います。よろしくお願いします。

842草餅:2013/05/02(木) 21:02:57 ID:t3867dzQ
復興G様、トキ様、そのほかの皆様

香様のご投稿に、同じ思いでおります。
これからもご指導をよろしくお願い申し上げます。

843SAKURA:2013/05/02(木) 21:09:57 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 ヘ  「観覧者の皆様」 ヘ
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
【WEB 誌友会】に関しまして【SAKURAの投稿>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829
続きですが?

〜〜〜〜〜〜〜 その① 〜〜〜〜〜〜〜

■【 WEB 誌友会 】 一つ個人的に回想してみますと〜〜〜

“本当に〜〜〜に、実に、いろいろな考え方が???あるのです〜〜〜ネ??
「復興G様」指導のもとに【 WEB 誌友会…開催 】 をされましてから?振り返りますと、実に、時間の経過は?早い
モノです〜〜〜ネ!おおよそ?約一年となりますでしょうか??

今回、いろいろな角度で、思考錯誤して行きますと〜〜〜考え込んでしまいます。
話はブレイクしますが〜〜〜先月29日に、地下鉄に乗ってますと?隣の“御夫婦の会話…”です。…が?
「ア〜〜〜ッ!良かったネ」と言って??「今日は、東京である行事に参加しようと、思ったけれど、止めよう!体調も
好くないし?余りにも縛られるのは?キマリが多いもんだ!行くのはいいけれど、また疲れてしまうかなぁ?」……
こんな感じに “パ‐トナ−”の耳に入ってきたそうです。今の心境は、ホット!気持ち?考え方?の相違が伺えましたと。
「???失いたくない〜〜〜ネ」と、ご主人の方は相槌を打った感じでしたかと。その後、駅に着きますと、この御夫婦
は、足早に〜〜〜スタスタと、階段を上り帰りの途に〜〜〜!

もう一つは、此処「事務所…」に行く途中に、実に大きなボストンに座り込んで?東京に行く予定が〜〜〜><途中!
変更となり“パートナー”の耳には?「話が面白くない」とか? 「回りは〜〜〜年寄りばかり〜〜だしネ!」とか?……
これは?何を意味するのかと思いながら〜〜〜〜〜?
❤こうして“此の二組…”の会話を耳にしてから、私は、考えてしまいます。やはり〜〜〜「難しい!」…それは?
捉え方の問題でしょうか〜〜〜?
私から見ますと【現原宿教団】に対して【分派…の会】の皆様は…否定的?批判的?を優先し過ぎでしょうか?
■【生命の実相…輪読会】この勉強も、私自身、意外にも “フトしたキッカケ”から、理解が深まる様にななったのです。
従いまして誰しも、勿論「観覧者の皆様」〜〜〜より理解が深まるモノと思います。
                                                つづく

844SAKURA:2013/05/02(木) 21:15:27 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 ヘ  「観覧者の皆様」 ヘ
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
【WEB 誌友会】に関しまして
【SAKURAの投稿>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843】続きですが?

〜〜〜〜〜〜〜 その② 〜〜〜〜〜〜〜

個人的ですが・私は「エレベーター式の学校」でしたから、尊敬する「近所のお兄さん」は、私の通っている学校を
退学して、また受験し直し、自分が家庭教師にて教えていくから「県立…」に行きなさいと、当時!口酸っぱく言われた
のですが〜〜〜><当時の時代背景では?冷静に判断しても?あの頃の中退…?そして受験…?つまり“2年遅れ”
になりますから「亡き両親」は猛反対ですが?お兄さんの御両親は、“洞察力…”があり、逆に、これからの「人生…」を
考えてくださいまして、将来性を第一とし〜〜〜考慮の上「これからは勉学の方に…邁進することがプラスにと!」
いう感じで猛反対の「亡き両親」に勧めてくださいましたが??今新たに、当時の時代は【中退…】はとの、世間の見方
は、今とは比較にならない位、厳しいものでしょうかと。今日では?時代も変わり?世間の認識が時代と共に変化して、
【中退…】してから【受験…受け直し】に関しては?「亡き両親」も受け入れますでしょかと?その様に感じます。

当時の私自身も【受験…】に対しての不安感から、当時の私も考えの狭い力量をしていたんでしょう〜〜〜ネ!今!
思いますと【決断…】此の意志力が足りなかったように思いますし、今とは違う【人生…ロード】があったかもしれません。

さて!本題に戻りますが〜〜〜?
このように「復興G様」の投稿されております内容からの解釈です。…が?
「復興G様」の【一本技のスタイル…】は、私なりに理解をしていると思います。…が?今!現状の一般の皆様…
「観覧者の皆様」にも?【生長の家…御教え】を、更に分かりやすく〜〜〜現代社会情勢をふまえた上で〜〜〜
言葉の解釈をどのように捉えられていらっしゃるかは?個人の相違ではありますが〜〜〜
【ポジティブ…楽しく…退屈させない…】この事は?今後の普及に関しての【キーポイント】にもなりますでしょうかと…?
その面で「訊け管理人様」 そして 「うのはな様」を、個人的に推薦させて頂きました…。

■■【心 の ゆ と り】……つまり【 間…息?抜き 】

それから「復興G様…講義指導…やり方」に、入って行くのではないかなぁ〜〜と、思った次第です・…が?

※最後に……
ここ【WEB 誌友会 】は、昨年度から見ましても【分派…皆様】が、ほとんど中心での【WEB誌友会…討論 】との解釈は、
今日でも変わりが在りません。しかしながら「現総裁…擁護派」として【考え方の相違…】という私自身の考えを、
明瞭にした次第です。…が?これ以上はこの【2チャンネル・・・WEB誌友会】は〜〜〜分派の皆様中心での誌友会〜〜
【最大多数決?】にての判断でしょうから〜〜〜?
                                                        再合掌

845トキ:2013/05/02(木) 21:35:25 ID:4pIOd94.
 最近、いろいろな会員さんから、「今の組織はおかしい」と言われます。また、真理の相談をしたいと思っても、
対応できる幹部や講師が少ない、という声も多いです。そうなると、このweb誌友会の役割りは大きいと思っていま
す。

 前回も申しあげましたが、ご指導に当たる復興G様のご都合やお考えが最優先だと思っています。
ですから、復興G様のご提案に賛成いたします。

 また、これも以前、申しあげた事ですが、復興G様はご多忙の中、わざわざお越しになってご指導をして下さる訳で
す。それを考えると、やはり、感謝の気持ちは表現して欲しいと思います。ですから、「ありがとうございます」だけ
でもいいので、何かご投稿をお願いしたいと思います。

 さらには、疑問点やわからない点も、書いて欲しいのです。それは、閲覧者様の理解を促進させると思っています。

以上、よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

846さくら:2013/05/02(木) 21:40:49 ID:RmG2QftU
>>832

中心である復興G様の、そのような決意を聞けましたので、
ここでの個人的意見のコメントは差し控えますが、わたしも、一読者として、拝読させて頂きます。

ここでのコメントを差し控えますのは、
信仰の問題は、各自が、時にデリケートな心の問題もふくむことがあり、
たとえ、どんな立派な指導者がおられようとも、このように直接会ったこともない同士の、文字だけのお勉強会形式における、
自身の未熟さを知ったからです。

トキ様は、学校の学習と並べ、信仰においてネットの学びの可能性を述べておられましたが、
わたしは、果たして信仰の継承は、学校の学習と並べられるかことなのか、ということも、疑問を持ちます。

信仰の継承は、人格のふれあいや、活動、講師や先輩仲間などの愛念など…、言葉以上のものからの方が、ずっと学ぶことがあります。
このようにまだ信仰浅いわたしは、信仰や愛の深い世界を、ネットの勉強会で安易に学べるとは、決して考えたくはありません。

その上で、復興G様の決意を知り、拝読させて頂きます。

人は、それぞれのペースで、必ず生長し合うので、わたしは、人の幼さや、未熟さを問題にしていませんが、
まだ未熟な発想から、「短絡的な判断」に繋がってしまうこともあるという可能性の方を、思っています。

それは、自分自身の自戒です。
文字の世界は、そのようなことを判断されやすい、狭い限られた世界でしかないことも、実際ありますので、誰の言葉であろうと、過信は自重します。

たとえば、わたしは、復興G様の先々月だったか…「虚説を排除しましょう」という言葉には、自分の信仰姿勢においては、どうしても賛同は、できません。
これは、雅宣総裁やいまの教え云々には、総裁の考え方方針が云々という視点に、まったく関係ないことで、
信仰姿勢として、中道でありたいということが心にあります。
…以前に、復興G様が、教えてくださったことでもあったのです。
ないものは、ない。
虚説など、ない。
あるのは、久遠の今であり、み中に生きるということでした。
…自身は、体現できない未熟さがありますが、信仰の芯の想いには、この一点変わらないものがありたいとおもっています。

個人的には、真理の研鑽においては、
「私情の共感」により、信仰姿勢を変えるようなことや、
表面の明るさや、言葉だけの流暢さには、流されたくはありません。

たとえ、どんな方であろうと、表面のきれいな言葉だけを信じることなく、
祈りの導きを信じたいと思っておりますので、
祈り、謙虚に拝読はさせて頂きます。

…言葉足らずの、生意気な表現がありましたら、お許しください。

(これ以上のコメントは差し控えますので、
復興G様以外の方が、この言葉に関することで、ご指摘くださるのことは、…たいへん恐縮ですが、ご遠慮くださいますよう、お願い申し上げます。)

ありがとうございました。

847NANCY:2013/05/02(木) 22:17:01 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 ヘ  「観覧者の皆様」 ヘ
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【NANCY】です。

■■ 【WEB 誌友会】に関しまして……只今!「討論が〜〜〜」盛り上がっていますでしょうが??
今まで??経過からは【分派中心…WEB誌友会】の様に見受けられます…。私も「雅宣先生…擁護派」です。
個人的ですが〜〜〜 此処に投稿させて頂きます…。皆様も御存じでしょうかと思いますが〜〜〜昨年から?
【WEB 誌友会】という【2チャンネル…ボード板】が発足となりましたが〜〜〜><よく考えてみますと??

>>832の投稿の言葉…】 
−−−「投稿 一部抜粋」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>> また一方、真剣に、「命がけ」の気持で――という思いもあります。
しかし、私は、それでしたら退場させて頂きます。
どうぞ、SAKURA様が司会されるなり、あるいは「訊け」様でも うのはな様でも、司会して下さるならして頂いて、
お楽み下さい。
しかし、私には、そんな余裕がないのです。限られた人生の、貴重な時間ですから。私は、それでしたら退場します。
◆ー−―−−−−―−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

■どう見ましても?今までの経過過程から?「復興G様」の役職は???【分派…代表?】との推測を致します。…が?
しかしながら尚の事!【奉職者…】としての“コトバ…”ですかと〜〜〜世間一般では「個々の生活を幸福へ…」導く
この観大なる考えが在るモノと、判断するのではないのでしょうか〜〜〜?

常に「此の【2チャンネル…投稿】されている「訊け管理人様」「うのはな様」も〜〜〜別の観点から?
■【ポジティブ感=人を楽しませる…】これも、別の角度からの【生長の家…御教え】を、真剣に捉えていらっしゃいます
その様に捉えています。やはり?「ネットにての投稿」をコンスタントに記載して頂いておりますのは?それなりの
「誠意…」をと、考えるべきではないのでしょうか?

■■「コトバのやさしさ??」が〜〜〜個人的に世間は見ますのではないのでしょうか?
これにて【分派…皆様】の思考が〜〜〜垣間見る機会を頂きました事に「感謝…」申し上げます。
                                                       再合掌


【 言葉=言霊 】の意味合いを??何処まで各自の皆様が認識されていますのでしょうか?

❤「表面上〜〜〜コトバ」「感情優先〜〜〜コトバ」なのでしょうか?それとも「魂〜〜〜コトバ」なのでしょうか?

848トキ:2013/05/02(木) 22:38:11 ID:4pIOd94.
>>847

NANCY 様

>>■どう見ましても?今までの経過過程から?「復興G様」の役職は???【分派…代表?】との推測を致します。…が?

 それって、ちがうと思いますよ。だって、正真正銘の「分派」の「靖国見真会参加者」様が、「復興G」様に噛み付いて
いたのは、つい最近のことですもの。私個人は、復興G様は、「分派」には無関係である、という考えでいます。だいいち、
それ、証拠もないのに決めつけるのは、よくないと思います。

 それと、内容については、web誌友会のご指導にあたられる指導者の発言が最優先であると思います。これは、誌友会の
性質上、当然なので、ご理解下さい。

 もし、SAKURA様が、ご自分の希望するような内容の「輪読会」などを御希望なら、今、「別板」がありますか
ら、web誌友会とちがう日時に、「別板」で開催する方法はあります。その場合、私も協力をします。(もちろん、他の
方々の賛同は必要ですが)。

 ご検討下さい。

合掌 ありがとうございます

849志恩:2013/05/02(木) 22:42:28 ID:.QY5jUA6
SAKURA様

何派に関係なく「あかるく たのしい気持ち」で学ぶことは、とても大事なことだと、
私も思っておりますけれど、

勉強しているときは、「あかるく たのしく」というよりは、「真剣に真面目に」
…のちのち 魂が「あかるく たのしい気持ち」で
生きることができるようになれる…という流れが いいのかもしれません。

何派だから、ここでは少数意見だから、隅っこに追いやられて、意見が通らないとか
エスカレート式の良い学校に行ってて、苦労知らずの考え方だから、意見が取り上げられない、

とかと、いうのとは、違うと思います。
いろいろな考え方の中、
いろいろな意見を、お互い出し合いながら、
気持ちは、あかるく たのしく、学び合っていけたら、いいですね。

850トキ:2013/05/02(木) 22:45:07 ID:4pIOd94.
さくら様

>>トキ様は、学校の学習と並べ、信仰においてネットの学びの可能性を述べておられましたが、
>>わたしは、果たして信仰の継承は、学校の学習と並べられるかことなのか、ということも、疑問を持ちます。

 そうですね、ネットの可能性もありますが、限界も大きいと感じます。

 また、思案して、投稿します。

合掌 ありがとうございます

851志恩:2013/05/02(木) 22:49:20 ID:.QY5jUA6
草餅様、香様

いらしてくださって、うれしいです。
どうぞ、また、いらしてくださいね。

さくらちゃん

こんばんわ。他の方のコメントはご遠慮ください、とおっしゃられるので、
ごあいさつだけ しました。

852志恩:2013/05/02(木) 22:56:29 ID:.QY5jUA6
SAKURA様

復興G様は、トキ様がいわれるとおり、あちらとは、全く関係のないお方ですよ。

853復興G:2013/05/02(木) 23:16:16 ID:AB6RqYXc

>>846 :さくら様。

お久しぶりです。
ありがとうございます。

>>トキ様は、学校の学習と並べ、信仰においてネットの学びの可能性を述べておられましたが、わたしは、果たして信仰の継承は、学校の学習と並べられるかことなのか、ということも、疑問を持ちます。
信仰の継承は、人格のふれあいや、活動、講師や先輩仲間などの愛念など…、言葉以上のものからの方が、ずっと学ぶことがあります。
このようにまだ信仰浅いわたしは、信仰や愛の深い世界を、ネットの勉強会で安易に学べるとは、決して考えたくはありません。<<

――まったく、同感です。
私も、信仰や愛の深い世界を、ネットの勉強会で安易に学べるとは、決して思いません。

だから、SAKURAさんとかNANCYさんがおっしゃるような、≪和気藹藹と〜〜〜楽しんで〜〜〜「真理の勉強…」≫では、時間の無駄づかいになると思ったので、それだったら私は退場します、と申し上げたのでした。
うわっつらだけ見て「擁護派」だとか「分派」だとか、軽々しくいうような方と、つきあってはいられません。

≪人は、それぞれのペースで、必ず生長し合うので、わたしは、人の幼さや、未熟さを問題にしていませんが、まだ未熟な発想から、「短絡的な判断」に繋がってしまうこともあるという可能性の方を、思っています。≫
――とおっしゃること、わかります。

私も、ネットでの勉強会指導というようなことに、決して自信があるわけではありません。「伝える」ことの難しさは、私も痛く感じています。
私自身が、本当に無になって、神のお導きを受けられるかどうか、祈る気持です。私自身が、指導するというよりも、真剣に学ばせて頂きたいと願っています。

まあ、懸命にやってみます。

ありがとうございます。


>>845 :トキ様。

ご愛念、ありがとうございます。

私の気持ちは、上にさくら様宛に書いた通りです。
この掲示板を管理提供してくださるトキ様には、心から感謝しております。

ありがとうございます。

854:2013/05/02(木) 23:29:23 ID:ip8PrAeo
志恩様

いつも画面の向こうにいる傍観者でしたが、皆様方のやり取りを拝見して、
これからは少しでも、感想や意見を書き込ませていただこうと思うようになりました。
よろしくお願いいたします。

855志恩:2013/05/02(木) 23:59:47 ID:.QY5jUA6
香様

こちらこそ よろしくお願いします。

856復興G:2013/05/03(金) 00:23:43 ID:AB6RqYXc

「訊け」管理人様
うのはな様

私の、web誌友会に懸ける思いは>>832に書いた通りですが、その気持ちを理解した上で、もし、「訊け」管理人様・うのはな様が司会をしてくださるということになるなら、こんな嬉しいことはありません。

a hope様のご意見はどうでしょうか。このところ、a hope様が孤軍奮闘で、トキ様に協力しお世話してくださってました。a hope様にはもちろん、今まで以上にご協力いただきたいと思っていますが、さらに「訊け」様などの協力も得られたら、こんなうれしいことはないのではないかと思われますが――。

ありがとうございます。


SAKURA様、NANCY様。

きついことを言いましたが、決してあなた方を排斥しているわけではありません。生長の家の教えを学ぶ大切な兄弟姉妹だと思っています。
よろしくお願いします。

857SAKURA & NANCY:2013/05/03(金) 02:54:49 ID:BPL1dwyw
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
【WEB 誌友会】に関しましての【SAKURAの投稿】……
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847】続きです。

>>845 「管理人 トキ様」の投稿内容から〜〜〜♫
「現総裁雅宣先生…擁護派」としての、今回の【WEB  誌友会…運営に関して】多々なる投稿を、
この場にて記載させて頂きました。…が?正直思いますには?殆どといっていいほど〜〜〜私どもの
【投稿内容…】に関しては「閲覧」・「その主旨の理解」をいただいていないかとの判断を……下記の記載
から、改めて思いました。以前も此の件と似た事がありましたので、その時も一言申し上げましたが?
そうですネ!御多忙と思いますが?「現総裁雅宣先生…擁護派」ですから?「目をかすませる」文章投稿
なのでしょうかと〜〜〜思います。此処で?判断となりましたのは、

−−−「 抜粋投稿 」−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−――
>>もし、SAKURA様が、ご自分の希望するような内容の「輪読会」などを御希望なら、今、「別板」が
ありますから、web誌友会とちがう日時に、「別板」で開催する方法はあります。その場合、私も協力を
します。(もちろん、他の方々の賛同は必要ですが)。<<   (一部抜粋投稿)
−−−−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−――−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−

■事の発端はと私自身の投稿 >>814に或る程度の内容を、書いています。更に?補足として、
>>821>>828>>829にて投稿をさせて頂いております。此処では?【復興G様 】に関して…云々とは
申し上げておりません。…が?閲覧を充分なされていないとの判断です。それとも「分派…側」よりから
の御意見でしょうかと?思うのが先決でしょうか?最後に、簡潔なる表現で申しますと〜〜〜【司会…】!
※【司会を感情論が入りやすい女性陣…】それよりも「訊け管理人様」との考えと?そして【補佐役…】を
「うのはな様」という主旨での投稿内容でした。…が?此処での「管理人 トキ様」からの投稿から〜〜〜

■■【……云々…ご自分の希望する内容の「輪読会」などをご希望なら……(抜粋コトバ)】そうですネ!
「〜〜〜なら〜〜〜なら」この頂きました“コトバ”には?でも〜〜〜多少“心の内に”その反論・批判の
気持ちがありますように感じました。…が?(時間がございましたら…順次閲覧して頂きますと幸いです。)
※【司会…】これに関しては??〜〜〜なのでしょうか〜〜〜?この中で「志恩様」は?私の意図を、
理解してくださいましたので…その事は感謝申し上げております…。

※そして「NANCY」さんの投稿の補足を申し上げますと?>>832>>853の記載の中から〜〜〜
>>うわっつらだけ見て「擁護派」だとか「分派」だとか、軽々しくいうような方と、つきあっては
いられません。<< (一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

いくら指導的立場…?そしてお忙しい?方とはいえども?私どもも理解しております。…が?
【生長の家…雅春先生…御教え】としては「コトバ」を、私どもに【魂…】としての捉え方?考え方?
この様な私どもに導いて頂きまして、更には「心の法則…コトバで作る」この事を、認識させていただいた
のです。ですから?此のような?使い方は?その時の状況・感情がいかようとも〜〜〜?
【優しさの欠如では〜〜〜】この様な主旨かと、私も正直申しますと“ビックリ”です。

個人的には?随分と〜〜〜盛りだくさんにての「イジメ…体験」を昨年から頂いておりますから〜〜
これが【WEB 誌友会】に関しましての【事の発端…】からの私どもの意見投稿でした…。再合掌

PS: 「管理人 トキ様」へ
宜しかったです〜〜〜ネ!【>> 846のひらがなの「さくら様」】が、戻ってこられますようで…ですから?
「管理人 トキ様」の希望実現です〜〜〜ネ!此の件は?以前の投稿がありましたから?ですから?
その“投稿内容”は?キチンと閲覧されていらっしゃいますのです〜ネ!(同じ分派…よりの類の仲間かと)

■いじめ生徒母と名指され人生一変
http://news.goo.ne.jp/topstories/nation/38/26430e096c564b7994f6ec84ba5fd88f.html?fr=RSS
今回は〜〜〜仕組まれた【わな・・・】この様なモノなのでしょうか??

858復興G:2013/05/03(金) 08:16:29 ID:AB6RqYXc

SAKURA & NANCY様
皆々様

真の生長の家、すなわち実相世界、神の国には、「擁護派」とか「分派」というような相対立する「不調和」はないのですよね。「天地一切と和解する祈り」(真理の吟唱)に
「すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。現象の世界に、如何なる対立の関係があろうとも、如何なる闘争の関係があろうとも、それは妄想の顕わすところであり、妄想はやがて消えるべき運命にあるのであるから、……」
とある通りです。

私は、それを信じ、顕して行きたいと思っているのです。

>>【生長の家…雅春先生…御教え】としては「コトバ」を、私どもに【魂…】としての捉え方?考え方?この様な私どもに導いて頂きまして、更には「心の法則…コトバで作る」この事を、認識させていただいたのです。<<

>>857でSAKURA & NANCY様はおっしゃってますね。その、「心の法則…コトバで作る」ことを、SAKURA & NANCY様は、「擁護派」「分派」という言葉で、本来ない現象の世界に対立関係を作り出しておられるのです。

>>797でも私は
「web誌友会は、“教団擁護派”も“分派”もない、“神の子”の集いとして、心を空にして神様のお導きを受ける誌友会でありたいと、以前から申しています。
どうぞ、SAKURA様、>>あくまでも〜〜〜何処までも〜何処までも〜!【生長の家…真理…御教え】の探究に邁進したい<<と本気で思っていらっしゃるのなら、ひとのことを“教団擁護派”とか“分派”とか決めつけることはおやめ下さい。人をそのように差別して決めつけることが【生長の家…真理…御教え】ではないでしょう。」

と書いていますし、それは幾度も申していることです。それなのにあなたは、全然それを聞き入れておられない。相変わらず“擁護派”とか“分派”とかいうことを繰り返しておられるのです。だから私は、
>>うわっつらだけ見て「擁護派」だとか「分派」だとか、軽々しくいうような方と、つきあってはいられません。<<

と書きました。
今でも、その思いに変わりはありません。

でも、あなたも本来神の子でいらっしゃいますから、
「SAKURA様、NANCY様。
きついことを言いましたが、決してあなた方を排斥しているわけではありません。生長の家の教えを学ぶ大切な兄弟姉妹だと思っています。よろしくお願いします。」

>>856に書いたことも、矛盾するようだけれども、矛盾していない、真実の思いなのです。おわかりいただけるでしょうか? 言葉のうわっつらでなく、魂でちゃんと聴いて頂きたいと思います。

859a hope:2013/05/03(金) 08:24:09 ID:dHQNZBQc
みなさま おはようございます。

実は昨晩は、連休前ですし、家族の誕生日なんかもあったので、
みなでお食事に行き遅く帰宅しました。
投稿できす申し訳ありませんでした。

たくさんのご意見ありがとうございます。
ですが今日も、親戚が来たりして少し忙しいので、みなさんのコメントをちゃんと拝見して、
お返事できるのは夜になってしまうかもしれません。

ただ、わたしの希望はあくまでも>>808で述べさせていただいた、

−−−−−−−−−−−−

第一部
復興Gさまのご講話(テキスト「生命の實相」)
ご講話内容や「生長の家の教え」に関する質問、感想等

第二部 
自由参加の誌友会


わたしとしましては今までどおり、誌友会の運営のお手伝いとして、第一部の開始前に「準備祈願」の祈りの言葉や、
聖経「真理の吟唱」の謹写等をさせていただきたいです。

第二部に関しましては、もちろん自由な発言が許されると思いましが、>>797で復興Gさまがおっしゃって、その後、神の子さま、
あさひさまなどが賛同されていますような、
<<教団擁護派”も“分派”もない、“神の子”の集いとして、心を空にして神様のお導きを受ける誌友会>>
の実現が望ましいと思っています。
そして、第二部の方の司会はどなたがされてもいいと思います。
わたし個人としましては、トキさまはもちろん、SAKURAさま、訊け管理人さまなどが適任なのではないかと思っています。

−−−−−−−−−−−−ー


この形での、勉強会と誌友会の実現です。

第二部に関しましては、SAKURAさまのおっしゃるような「訊け」管理人さまご司会の楽しい誌友会が実現すれば、
わたしも喜んで参加させていただきたいです。

そして、SAKURAさまはどうやら、わたしが今まで前回の司会をしていると勘違いをされているのではないですか?

わたし自身は司会をしているつもりはなく、あくまでも復興Gさまのお手伝い、補佐のお仕事をしているつもりです。
そしてこれからも、そのつもりでお手伝いさせていただきます。

みなさま、引き続きお話合いをお続けください。

860トキ:2013/05/03(金) 09:42:36 ID:Y/X2RMTk
>>857

SAKURA & NANCY 様

 決して、SAKURA & NANCY様を排斥するような気持ちは全然ありません。
ご投稿者様として、感謝していますし、今後のご投稿も期待しています。

 もし、私の表現に行き届かない点があったとしたら、その点はお詫びします。

合掌 ありがとうございます

861「訊け」管理人:2013/05/03(金) 13:18:30 ID:???

>>856復興Gさま


 ご提案の方を拝読させて頂きました。ありがとうございます。以下返信を致します。結論から申せば、「私は司会にはふさわしくない」と、考えます。

 私も真剣に臨んでおります。ですが現状、この「真剣」とは、皆さんのそれとは「相容れないもの」であると考えます。詳細に述べると余計に、解りづらくなりましょう。ですから簡潔に申しますが、私の「真剣」とはたとえば、「徳久克己」先生のようなもの(=伝達手段に於て)です。

 ・・・私の場合、表現はおふざけを入れます。おふざけを入れる理由は「参入障壁の低下」であります。かみくだいて申せば「表現はおふざけ+内容は真剣なもの」と云う、スタンスです。

 無論、不完全であることは認めます。

 投稿文「内容そのもの」ですが、これは(自己採点では)65点以上は、取れているものだと思っています。(内容までふざけた事は過去、ないつもりです)ですが、あくまでも表現は「おふざけ」です。皆さんに参加して欲しいためとは申せたぶん、なかには不愉快になられる方もおられると思います。そしてたぶん、この点で、皆さんと相容れないと思っております。

 つまり、徳久克己先生のような領域には「ない」です。

 ・・・・私の場合は未だ、「おふざけ」の方が目だって仕舞い、なかなか「内容の真剣さ」までは伝わっておりません。この点は、自身のテーマでもあります。ですので現状、「誌友会の司会」と言われればたぶん、「私はふさわしくない」になろうと、思います。

 以下、話がやや逸れます。

 司会はこれ、「いろいろな方が順番にされる」のがよいと思います。なぜなら司会が一番、勉強になるからです。また、主催者側にまわることで、その苦労の方も皆さんで共有できると思います。いろんな方が当事者を経験することで、以降の誌友会も盛り上がりを見せるのでは、ないでしょうか。そんな事を考えますがいかがでありましょうか。




追伸

 さらに私が「司会にはふさわしくない」理由を追記致します。

 私はたとえば、他の参加者を中傷したり、意味不明な文を掲載する者あらば「注意喚起する」スタンスです。さらにはそれでも、自己正当化に走りながら、再度妨害する者あらば「出て行け」と述べるスタンスです。
 「表現は(一見)マジメ」なのに、「内容はおふざけ」という文があります。個人的には「表現がおふざけ+内容は真剣」なものよりも、悪質に感じます。これに対しては、毅然たる態度で臨みます(司会を拝命している場合、ですね)。

 私が考える真剣とは、相容れぬためです。

 さらには、こんなスタンス採用しつつも、「自身を和解派である」との信が揺るがぬ者でもあります。・・・・・以上が「私が司会にはふさわしくない」理由の、追記になります。

862うのはな:2013/05/03(金) 14:32:47 ID:cCKA/XmA
     復興G様、皆さまへ

 ご丁寧な内容の投稿をありがとうございました。
司会の件ですが、前に書いているような理由で、誌友会そのものに参加する意志がないので
お引き受けできるような状態ではないです。
 以前に誌友会のあとの意見交換のときなど、谷口雅春に訊けブログ内で、訊け管理人さんやほかの
コメント者たちからいろいろ言われたトラウマもあって、なるべくコメントなども控えていくつもりです。

 司会の経験や準備の苦労もしっていますが、訊け管理人さんは、講師と司会の区別もできないようで
ちょっと普通の信徒とちがうと思うし、彼が司会をするのも好ましくないと思っています。
 人数など少ない多いに関係なく、ここの誌友会はあとあとまで残っていくものだし、今迄通りで充分だと思います。



863復興G:2013/05/03(金) 16:05:08 ID:AB6RqYXc

>>861 :「訊け」管理人殿

真摯なご返信、感謝します。

>>結論から申せば、「私は司会にはふさわしくない」と、考えます。<<
ということで、「その理由」を詳細に書いていただきました。それについて、一つ一つ検証させていただきます。

1.
≪私も真剣に臨んでおります。ですが現状、この「真剣」とは、皆さんのそれとは「相容れないもの」であると考えます。……私の場合、表現はおふざけを入れます。……私の場合は未だ、「おふざけ」の方が目だって仕舞い、なかなか「内容の真剣さ」までは伝わっておりません。……ですので現状、「誌友会の司会」と言われればたぶん、「私はふさわしくない」になろうと、思います。≫

――おっしゃることは、もっともです。たしかに私は、「行き過ぎたおふざけ」と感じられる表現は好みません。おふざけが不快感をよび、かえって「参入障壁」になることもあると思っています。

2.
≪ 私はたとえば、他の参加者を中傷したり、意味不明な文を掲載する者あらば「注意喚起する」スタンスです。さらにはそれでも、自己正当化に走りながら、再度妨害する者あらば「出て行け」と述べるスタンスです。
 「表現は(一見)マジメ」なのに、「内容はおふざけ」という文があります。個人的には「表現がおふざけ+内容は真剣」なものよりも、悪質に感じます。これに対しては、毅然たる態度で臨みます(司会を拝命している場合、ですね)。私が考える真剣とは、相容れぬためです。≫

――たしかに、それはいけませんね。
「出て行け」と言われて素直に出て行く者は、まずいませんからね。

3.
司会はこれ、「いろいろな方が順番にされる」のがよいと思います。なぜなら司会が一番、勉強になるからです。

――その通りです。

――しかし、前にもそうしようということになったのに、いざとなったら誰もみんな「私はできません」と言って引いてしまったのでしたね。なかなか思うようにはならないのがこの世の中です。

さて、上記の 1. と 2. についてですが、貴殿が上記のリスクを自覚しておられるようなので、「知って犯す罪は知らずに犯す罪より軽い」とお釈迦さんも言われてますから、それはよいことでしょう。

1. の 「おふざけ」 も、度が過ぎなければ、「参入障壁の低下」に効果があるでしょう。a hope様の提案では、

≪第一部
復興Gさまのご講話(テキスト「生命の實相」)
ご講話内容や「生長の家の教え」に関する質問、感想等

第二部 
自由参加の誌友会≫

となっていて、「第一部」 は 「おふざけなし」 で復興Gの“講話”(司会兼務)をし、「第二部」 は一転、貴殿登場して 「おふざけあり」 でやれば、変化があってよいのではないでしょうか。
貴殿の“おふざけ”はおおむね、多くの閲覧者に喜ばれているようですから。

2. も、 「出て行け」 という言葉に祈りと力があって、相手も目が覚め、自他共に救われるような権威ある言葉が出せるよう、お互いに精進しましょう。

――ということで、100%完璧な司会者なんていません、人生そのものが魂の修行の場であり、ある程度リスクを承知で冒険しながら生長するのが人生でしょうから、勧められた時を「チャンス」として、やってみたらいががですか? それは、a hope様の提案されている 「第二部 自由参加の誌友会」 について、ということになりましょうが、皆さんに喜ばれると思いますが。

864復興G:2013/05/03(金) 16:17:50 ID:AB6RqYXc

>>862 :うのはな様。

丁寧な、分かりやすいお返事、ありがとうございます。

>>司会の件ですが、前に書いているような理由で、誌友会そのものに参加する意志がないのでお引き受けできるような状態ではないです。<<

わかりました。
うのはな様が司会に加わって頂けるようになったら、どんなに楽しくうれしい誌友会になることかとワクワクしますが、まだその時期が到らないのでしょう。その時が来るのを楽しみに待ちます。よろしくお願いいたします。

ありがとうございます。 合掌

865志恩:2013/05/03(金) 16:50:40 ID:.QY5jUA6
訊けさん

SAKURAさんと、ahopeさんという「麗しき女性」が、あなたを司会に!!とご推薦下さって、
それで、
復興G様が、「第2部の方で、それでは、訊けさん、やってみたら!!」と、OKを出してくださったのですから、

訊けさん、やっぱ、女性に もててるんですね…

こうなったら、薩摩の男として、引けないわね。

この際、チャンスですから、世界中の女に惚れられるように、訊けさん、世界にむかって

司会を がんばってみられたら いかがでしょうか。 応援します。

866誌友会閲覧者:2013/05/03(金) 17:08:08 ID:OVH0jAuY
生命の実相を全巻読破されている訊け様は、十分講師になられる器があると思っております。

テキストでのご講話はもちろん、音声によるご講話という、新しいことにもチャレンジしていただけたらどうかなと思うのです。

テキストにおいてはおフザケが多々あるようですが、リアルにおいてはすごく真面目な方ではないかと勝手に想像しております。

今後のweb誌友会は若い訊け様に期待しております。

867志恩:2013/05/03(金) 17:15:33 ID:.QY5jUA6
うのはなさん

「生命の實相」を世界に拡める  という大義のためです。

しかし、おふざけが、「しもねた満載」 方向のおふざけに訊けさんが、再度走る場合は、
二人で、訊けさんを 叩きましょう。

868ユタカ:2013/05/03(金) 19:27:00 ID:2DhH33vQ
ご無沙汰をお詫びします。

7転び8起き。
名前:トキ 投稿日: 2013/05/03(金) 15:35:57 ID:Y/X2RMTk
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

3日の法語 誰にでも失敗はある、失敗に悲観するな

 誰でも、どんな能力のある人でも、現象界にそれを応用する場合には、十の成功のうちには2つや3つは旨く行かぬ事柄があるものである。
どんな横綱でも百場所のうち15日間を全部を勝ちはなすことは出来ないのと同じ事である。そのような場合に「旨くいかなかった」場合だ
けを心にとめて、「自分はダメだ!」と思い込んでは劣等感を増加するばかりだと言う事になるのである。いっぺんの失敗でも、百遍心に
繰り返せば、百遍自分の心に印象されることになるのである。こうして、いっぱんの失敗は、それを思い起こすたびに、百倍、千倍、萬倍に
印象されることになる。そして、これが劣等感の原因になる。だから、劣等感を無くしようと思ったならば、失敗をしたことを嘆く事を止めて
成功した事を数える方が良いのである。


「生長の家」誌 昭和29年5月号 P3 より謹写、


御使命は受けるべき。 ただ、自己チューは慎みつつ・・・・

869ユタカ:2013/05/03(金) 19:29:03 ID:2DhH33vQ
訂正

御使命 → 御指名 ですた。久しぶりにPC触ったもんだから・・・すみません・・・

870SAKURA:2013/05/03(金) 19:38:49 ID:BEUD3XFA
「管理人 トキ様」へ  「誌友会の皆様」へ  「観覧者様」へ   
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857 】続きです

■【WEB 誌友会】に関しましての【SAKURAの投稿】…
以前から?投稿過程を閲覧しておりますと、失礼ながら「a hope様」が実質の【WEB誌友会】の
指導権を握っていらっしゃると判断に??今迄の“投稿討論…”から、判断いたしました。

■私は、『第一部…』・『第二部・…』この“誌友会…2部形式」には■『反対…意見』との考えです。
(私は、現総裁雅宣先生…擁護派ですから?此処では【部外者…】との位置づけですから…とりあえずの投稿)

■司会の立場上…【感情論…】でいいますと?「a hope 様」の今回の一連の投稿を見ますと…
失礼ながら?理解力・判断力…が?私どもにとりましては?疑問点があります。
更以前の投稿に?「新米…」とか多々なる表現が変わりますから?どの方が「本来のa hope 様」か?理解できません。
そして「復興G様」が〜〜〜「a hope 様」にこだわる…この考え方が全く理解が出来ません。
少なからずも、私は【訊け管理人様】・【うのはな様】。。。を推薦と致していました。
ご本人の「断り…投稿文」を閲覧しますと〜〜〜やはり【思った通り…本来の姿のお二人】でありました
事に…嬉しく思いました。■(但し、『分派…の中でのお二人が適任かと!』冷静な判断で推薦したのです。)      

❤〜以上…「擁護派…オンリ−ワン」として、
                                   
 再合掌

PS: 「トキ様」 ・ 「観覧者の皆様」 へ
昨日からここ福岡では「どんたく…前夜祭パ−ティ−」もあり、にぎわっておりますかと。…
私の考えは?上記の考えでありましたので…
「分派…皆様方」の誌友会を、閲覧中心にと〜〜〜させて頂きます。

871復興G:2013/05/03(金) 20:28:39 ID:AB6RqYXc

皆々様

私は明日午前中から大切な行事があり、今夜はその準備にも打ち込んでいます。

web誌友会について、活発なやりとりが行われていて、皆さまのご愛念ありがたく感謝しておりますが、明晩まで私は引っ込ませていただきます。

今月のweb誌友会は、お休みにさせていただいてもよろしいでしょうか――との思いもあります。

しばらく、沈思黙考させてください。

ありがとうございます。

872a hope:2013/05/03(金) 20:31:58 ID:dHQNZBQc

みなさま こんばんは!

今日も、たくさんの方々の書き込み、ありがとうございます。
とくに昨日は、かぴばらさま、そして今日は、ユタカさまの書き込みを拝見して、わたしはとてもうれしいです!!
かつて投稿されていた方々が、また、投稿をしてくださるということは、この掲示板を見守っていたくださっている、
ということですものね。
また、名前を連ねるのは控えますが、新しいHNの方々のうれしいご意見も拝見しました。

本当にありがたいです。


ところで、>>870SAKURAさま

<<以前から?投稿過程を閲覧しておりますと、失礼ながら「a hope様」が実質の【WEB誌友会】の
指導権を握っていらっしゃると判断に??今迄の“投稿討論…”から、判断いたしました。>>

バレてしまいましたか・・・(笑)

そうなのです。
このweb誌友会の指導権を握っているのは、何をかくそう、このa hopeなのですよ。
でも、SAKURAさまそれがどうしてかわかりますか?

わたしは、正真正銘の「生長の家」の新人(新米)です。
ですが、『「生長の家の家の教え」を真面目に真剣に学びたい!』という気持ちが、誰よりも強いからだと思います。
だから、復興Gさまがわたしの意見を優先してくださるのだと思います。


<<「分派…皆様方」の誌友会を、閲覧中心にと〜〜〜させて頂きます。 >>

そうですか、わたしはSAKURAさまにも是非ご参加してほしいですが、残念です。
ですが、気が向かれましたら、少しでもご参加くださいね。

SAKURAさま、貴重なご意見をいろいろありがとうございました。


後は、訊け管理人さまのお返事を待つだけですね。


訊け管理人さま

わたしは、訊け管理人さまが司会をされるのであれば、できる限りの協力をさせていただきたいと思います。
よいお返事をお待ちしています。

873a hope:2013/05/03(金) 21:16:37 ID:dHQNZBQc
>>872訂正
指導権→主導権です。(SAKURAさま、そうですよね?)

指導権(?)は、今までどおり復興Gさまに握っていただきたいです。

874志恩:2013/05/04(土) 07:46:04 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

お元気でいらしたのですね。
お顔、出して下さって、うれしいです。
このWEB誌友会は、ユタカ様が 企画立案された誌友会ですけれど、

あのとき、ユタカ様が、復興G様に ご指導を頼んで下さったおかげで、
このような復興G様ご指導の有意義なWEB誌友会が続いております。
また、ご都合のつくとき、いらして下さいね。

思うに、このWEBで発言する為には、頭で考えた疑問点とか、感動した「生命の實相」の
ご文章の箇所を、キーで打たなければなりません。

ですが、思ったことを文に表すという作業は、直接、口で言うのとは、異なり、
なかなか難しいものだと思います。

ですから、トキ様はWEB誌友会のとき、視聴者は 増えるとおっしゃってますから、閲覧者は
多いのでしょうけれど、実際、会に参加して、書き込む方々は、少ないのではないでしょうか。

私にしましても、「生命の實相」全巻は、数度、拝読してまいましたが、そこまでは深く拝読
してはおりませんで、気にいった巻は、ぼろぼろになるほど、読んでおりますが、あとは、
サラーと読んでましたから、

深いところまで教えて頂いて、本当に有り難いと思っております。

しかし、私は幹部では、ありませんから、賢い発言は出来ないんです。
そして、自分の発言は、蛇足じゃないかと思うことが多々ありまして、誌友会の文は、拝読してるけど、
発言は控えたいという気持ちが多いのです。

ですから、勝手なこと申し上げて、すみませんが、たとえ発言者は少なくとも、閲覧者は多いそうですから、
気にされずに、続行されて欲しいと私の場合は、思っております。

前置きが、大変長くなりましたけれど、

もしも、ユタカ様が、他でWEB誌友会をされたご経験があるのでしたら、

なにかいいアドバイスを下さいませんか? 
そのWEB誌友会は、永く続きましたか?
参加者は多くありましたか?

私は、今日は、うちへ遠方からの来客がありますので、すこししたら、席をたちます。
ですから、夜、遅くに拝見します。あしからず。

875志恩:2013/05/04(土) 07:56:33 ID:.QY5jUA6
ahope様

訊けさんは >>861で、

このように、ここの司会者には、自分は向かないと、おっしゃってますから、再度、頼んでも

お返事が ない ということは、されるおつもりは ない のでは?

ですから、ahope様が、提案され、トキ様が承諾され、

また、その後、復興G様がお考えを申されましたが…

 それらのこと、お任せしたいです。

それで、決まったことに対して、われわれが合わせますから、

どうぞ、よろしくお願いします。

876志恩:2013/05/04(土) 08:11:23 ID:.QY5jUA6
ahope様

追伸、

訊けさんは、ゴールデンウイークなので、ご家族で、旅行に出かけてるのかもしれないと
いうこともありますね。

もう少し、様子をみて…と、ahopeさんは、思っていらっしゃるのでしょう。

それも、あり得ます。

877志恩:2013/05/04(土) 08:22:30 ID:.QY5jUA6
トキ様

復興G様が、今月は、お休みにしてもよろしいでしょうかーーなんて、
おっしゃってますよ、トキ様。。。。

私は、復興G様がお休みされたい月は、休まれてもいいと思いますけれど。
どなたでも、お休みされたいとき、ありますから。
次回は、6月でも、いいと思いますけれど。。。。

トキ様、いかが思われます?
ほんとうは、
トキ様が、そういうとき、代わりに してくださるといいんですけれど。。

878a hope:2013/05/04(土) 08:41:48 ID:dHQNZBQc
>>875>>876 志恩さま

そうですね。
いつもなら、すぐに登場される訊け管理人さまがちょっと静かですね。
志恩さまのおっしゃるように、ご家族旅行中かもしれません。

訊け管理人さまにご期待している方は多いのではないかと思います。
ですので、もう少し後半部分(第二部という言い方を変更させていただきます)の司会を、
訊け管理人さまが引き受けて下さるかに関してはお待ちたいです。

ですが、前半(=第一部)の復興Gさまのご講話と質問や感想タイムに関しては、
トキさまのおっしゃるとおり、講師である復興Gさまのご都合が最優先されるべきだと思います。
特にみなさまからの反対意見がないようでしたら、


−−−−−−−−−−−−

前半(第一部)
復興Gさまのご講話(テキスト「生命の實相」)
ご講話内容や「生長の家の教え」に関する質問、感想等

後半(第二部) 
自由参加の誌友会


わたしとしましては今までどおり、誌友会の運営のお手伝いとして、前半のご講話の前に「準備祈願」の祈りの言葉や、
聖経「真理の吟唱」の謹写等をさせていただきます。

後半の自由参加の誌友会に関しましては、もちろん自由な発言が許されると思いますが、
<<教団擁護派”も“分派”もない、“神の子”の集いとして、心を空にして神様のお導きを受ける誌友会>>
の実現が望ましいと思っています。

−−−−−−−−−−−−ー
この形での誌友会をこちらで開催させていただきたいと思います。

復興Gさま
ご都合をお知らせください。


わたしも今日はこれから出かけます。
また、夜戻ります。

みなさま、わたしの住むところは今日はお天気も最高です。
素晴らしい休日をお過ごしくださいね!

879さくら:2013/05/04(土) 09:33:59 ID:nqdx2mHk
トキ管理人様
みなさま

これは書くつもりはありませんでしたが、
ここに望む復興G様の決意を読みましたので、真剣に書くのが礼儀だとおもい、書かせていただきます。

わたしは、雅宣総裁に従う気は一切ありませんし、いまの方針の間違えがあるとおもっていますが、
「虚説」などはない、という信仰姿勢に変わりはありません。
これは、ここでもずっと学んできた大切な信仰のポイントでもあったんですが、覚えておられますか?
その立場で、わたしも復興G様の発言には賛同します。

>うわっつらだけ見て「擁護派」だとか「分派」だとか、軽々しくいうような方と、つきあってはいられません。<

そして同じ観点から、
復興G様の…あえて、この厳しい言葉を借りるなら、
「うわっつらだけを見て「虚説」だ「真説」だと騒ぎ、「生長の家触れて間もない主婦が言ってると雅宣総裁に伝えてください!」などお勉強会の場で、軽々しくいうような人とは、つきあってはいられない。」とも思いました。

先にも書きましたが、わたしは、人の幼さや未熟さなど、まったく問題にしていません。
未熟さからくる、「短絡的判断」を、きちんと正す必要はあるとの考えではあります。

今回、復興G様の決意を読みまして、
SAKURAさまがご指摘されているように、感情的で軽率な発言をする方が主導権をにぎるようなweb誌友会が、復興G様の言う「命がけ」の生長の家の教えとは、どうしても思えませんでした。

わたしだけではなく、
多くの方が、生長の家に触れたのは、死ぬか生きるか…それこそ命がけで求めてきた方々が多くいます。
復興G様が「命をかける」といわれるなら、復興G様が説かれる生長の家の教えを、真摯に拝読させて頂くことを考えている読者として、
せめて、トキ様などのように、復興G様の言わんとするみ教えの真意をすこしでも正しく受け止め、他の方に心配りできる方に、全体を見守る役として「司会の補佐役」をして頂くことが、この誌友会を成功させる信仰の良心だとおもわれます。
「お勉強だけは誰より真剣にしたい」という意気込みだけではなく、
補佐役は、ある意味、司会以上に、会の方向や雰囲気、参加者を大切にできる心配りなど、重要さがあるとおもいますので、
信仰の安定した決まった方がするべきだとおもいます。
そして、トキ管理人さまは、復興G様がご多用のときも、充分会を仕切るだけの、みなさまからの信頼があります。
(つづき)

880トキ:2013/05/04(土) 09:34:22 ID:1lpvUpuM
 はい、ご指導に当たられる復興G様のご都合が最優先だと思います。
リアルの誌友会でも、講師や会場の都合で、休みになる時はあります。
長丁場ですから、それもありだと思います。

 ですから、6月はお休みでも、良いかと個人的には考えています。

 むしろ、ご多忙の中、ご指導下さる復興G様に、心からの感謝を申しあげましょう。

 それ以外の事は、皆様で相談をして、決めましょう。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

881さくら:2013/05/04(土) 09:34:32 ID:nqdx2mHk

たとえば、司会を交代制でするなら、張り切った新人が司会を受け持つ会があっても充分によいとおもいます。
祈りの手伝いなどもすばらしいです。
しかし、(SAKURAさまも、暴走をとめる…というよう趣旨を書いておられましたが、)
その時の補佐役は、やはりきちんと信仰を確立した方が望ましいとおもいます。
そうでなければ、「偏り」が必ずでます。
まだ、真理を学んで間もない方は、人に心配りできる余裕はない実際ありません。参加者として、学ぶ姿勢に徹することは、その方のためでもあります。

また、新人ならば、祈りの練習をして頂くなどの手伝いはいいとおもいますが、
なぜ、SAKURAさまのような常連さんが参加しづらくなったり、司会の指名もそうですが…毎回よく名指しで自分の思うまま誰かを指名をさたり、「わたしは誰より「真剣」にお勉強したい気持ちがあるから、復興G様が意見を優先する」など、
(ここは「私情」に流されてやり方をきめるところなのですか?)、
…指導者や、参加者のあり方にまで決められますか。

ここが、そういう趣旨のお勉強ごっこならなにもいいませんが、
復興G様の決意によると、「お遊び」でない真剣な生長の家のみおしえを学ぶ場であるようなので、
トキ様のように、生長の家で多くの方の救いの活動をされてきた方に、会を見守って頂ける「全体の補佐役」について頂けると、安心して閲覧できます。

わたしたちは、お道徳のお勉強会のような、聖人や綺麗事をいう人を作るために生長の家を歩んでいるのではありません。
それこそ、それぞれ各自が、いろいろ問題を抱えながらも、人間が神の子であることを、実際真剣に生きています。
このような掲示板で、「誰より真剣にお勉強したい」、などとアピールする方以上に、みなさまは、それぞれの課題を懸命に生きていらっしゃり、閲覧されておられると思います。

「補佐役」が毎回主導権をにぎっていて、参加者の配慮にもかけた発言も多くありますと、せっかくの真理の言葉が損なわれる可能性もあります。
また、先輩方がコメントを書いたとしても「補佐役」という名で、その場をしきり、的外れに返答されるたりする度に、残念な気持ちになることがあります。
同じ学びの位置にある同士なら、やりとりのすれ違いは、それは、仕方ありません。
しかし、その時には、司会はもちろん、この補佐役の中立性は重要になると思います。

復興G様が、理解と共感を持っている方を私情でなら、「主導権を握る補佐役」で、とお思いだとはおもいますが、
生長の家の教えに敬意があるのであれば、み教えの理解をすこしでも重ねた、そして、宗教としてもっとも大切な姿勢である「中道」をすこしでも生きる方を、お願い申し上げます。
そうでなければ、復興G様の決意のほどのみ教えが生かされず、万人の救いであるみ教えが生かされる会として、安心して閲覧できません。

こうして誌友会の形を変えるせっかくのチャンスですから、
司会は交代制などどちらにしてもいいとしても、安定して会の全体を見守る役としての司会の補佐役は、トキ管理人様に、このお役に適任とおもいますが、みなさまいかがでしょうか。

いまのように復興G様が、お出になれないときも、トキ様にその役をして頂ければ、みなさまは安心して閲覧できます。
復興G様の決意を読んだので、あえて書かせて頂きました。

そして、時々分かりにくいところはあるかもしれませんが…「誰より真剣に生長の家を学びたい」と思われる一人であるSAKURAさまもまた、
補佐役のトキ管理人様のご配慮で、これからも参加しやすいようになれば…と個人的には願っています。
万人の救いであるみ教えが語られる場です。ご配慮を願います。

わたしは、復興G様の決意をよみ、祈って書かせて頂きました。
トキ管理人様、よろしくお願い申し上げます。

ありがとうございます。

882さくら:2013/05/04(土) 09:39:45 ID:nqdx2mHk
トキ管理人様

途中で割り込むような形になりまして、失礼いたしました。



883トキ:2013/05/04(土) 10:15:05 ID:1lpvUpuM
>>882

 こちらこそ、配慮が足りないで、申し訳ありませんでした。

 貴重なご提案、ありがとうございました。
少し思案をしてから、ご返答を申しあげます。

合掌 ありがとうございます

884志恩:2013/05/04(土) 10:27:29 ID:.QY5jUA6
さくら様

さくらさんのおっしゃる今回の件は、ごもっともです。。

理想的なのは、復興G様がご指導、トキ様が 総補佐、でしょう。
その総補佐というのは、名を変えれば、進行係だと思いますが、
理想をいえば、トキ様が、もっと、全面に出られて、全てを、し切って下さるのが,理想でしょう。

しかし、補佐であるahope様は、トキ様が、もっと全面に出られて、し切って下されば、
最初と最後のお祈りの言葉を用意されたり、誌友会の連絡などで終わる 手元係で済む 楽な係ですのに、

実際は、トキ様は多忙でおられるので、途中から、ちょこっと出られることが多く、最初から最後まで
し切って下さっている時間的余裕が、おありになるようには、見受けられません。

他に 引き受けて下さるお方が,居ないので、新人のahope様が、どうしても全面に出て、がんばって
発言されなきゃならないし、復興G様だって、ご自分の気持ちを一番理解して下さる
ahope様に、今は、お願いされるしかない状況なのだと思います。

ahope様が、今は、いらっしゃらないと、このWEB誌友会は、成り立たない状況なんですよね。

で、さくら様のいわれることも、ごもっともだと 思われるところがありますが、

それでは、トキ様が、もっと全面に出て下さったら、SAKURA様、その他の方々の参加や発言が
増えるんでしょうか?

SAKURA様は、他の板に、トキ様は考え方が、偏っている!!と、たくさんの苦情の書き込みを
トキ様あてに、されてるじゃないですか、、

なのに、トキ様が、総補佐になられたら、そのことは、解決しますのでしょうか。
トキ様は、それが、全体のお世話までは、忙しくて出来ないから、仕方なくahopeさまが、全てのお世話をして下さってるんではないでしょうか。

トキ様、今後はお出来になりますか?

私は、本当のことをいえば、ユタカ様が、1回目のように、進行係を つとめて下さって、
もちろん,トキ様はお時間のゆるす限りの総補佐をされて、
誌友会のおしらせや、最初の言葉や終わりの言葉を書き込んで下さる補佐は、ahopeさまが、
今迄通り、してくださるのが、理想の形だと思うのですけれど。

そうしたら、訊けさん、さくらさん、SAKURAさんも、交代で司会を引き受けて下さると思うのですが。

ユタカさんが、月1回のWEB誌友会に、出てくださるのが、ベストの解決策だと、私は思うのですが。

ユタカさん、聞こえてますか?
復興G様は、トキ様のフォローは もちろんですが、その上、ユタカさんとahopeさんが、サポートしてくだされば、
とても安心されてご指導して下さると思うのですが、

ユタカさん、出て下さいませんか?
まだ、出られないのですか?
日数を短縮すれば、可能ではないのですか?

885志恩:2013/05/04(土) 10:33:03 ID:.QY5jUA6
私は,書き込みをしたあとに、トキ様の書き込みを拝見しました。
もしも、さくらさんがおっしゃったように、トキ様が,総補佐を
して下さいますなら、とても,有り難いです。

886SAKURA:2013/05/04(土) 13:49:48 ID:aBVg7D7w
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
【WEB 誌友会】に関しましての【SAKURAの投稿】……
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857>>870】続きです。

此処で??一言申し上げます…。誤解がありましては困りですので…。
■「復興G 様」の御指導は、私は依存ありません。「誤解の内容…」にお願い申し上げます。

そして、先に投稿したあくまでも個人の意見としての投稿を申し上げたのです…。下記にて再投稿…

◆−−−【再投稿文】−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆
「管理人 トキ様」へ  「誌友会の皆様」へ  「観覧者様」へ   
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857】続きです。

■【WEB 誌友会】に関しましての【SAKURAの投稿】…
以前から?投稿過程を閲覧しておりますと、失礼ながら「a hope様」が実質の【WEB誌友会】の
指導権を握っていらっしゃると判断に??今迄の“投稿討論…”から、判断いたしました。

■私は、『第一部…』・『第二部・…』この“誌友会…2部形式」には■『反対…意見』との考えです。
(私は、現総裁雅宣先生…擁護派ですから?此処では【部外者…】との位置づけですから…とりあえずの投稿)

■司会の立場上…【感情論…】でいいますと?「a hope 様」の今回の一連の投稿を見ますと…
失礼ながら?理解力・判断力…が?私どもにとりましては?疑問点があります。
更以前の投稿に?「新米…」とか多々なる表現が変わりますから?どの方が「本来のa hope 様」か?理解できません。
そして「復興G様」が〜〜〜「a hope 様」にこだわる…この考え方が全く理解が出来ません。
少なからずも、私は【訊け管理人様】・【うのはな様】。。。を推薦と致していました。
ご本人の「断り…投稿文」を閲覧しますと〜〜〜やはり【思った通り…本来の姿のお二人】でありました
事に…嬉しく思いました。■(但し、『分派…の中でのお二人が適任かと!』冷静な判断で推薦したのです。)      

❤〜以上…「擁護派…オンリ−ワン」として、
                                   再合掌

PS: 「トキ様」 ・ 「観覧者の皆様」 へ
昨日からここ福岡では「どんたく…前夜祭パ−ティ−」もあり、にぎわっておりますかと。…
私の考えは?上記の考えでありましたので…
「分派…皆様方」の誌友会を、閲覧中心にと〜〜〜させて頂きます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−―――

■■此処で「指導権」を間違いとかの指摘>>873もありましたが??同じ意味合いを含んでいますので…
これも?以前の【拝読…】この言葉にてのタタカレと同じでしょうかとも。(捉え方でしょうか?)
                                つづく

887トキ:2013/05/04(土) 14:00:41 ID:1lpvUpuM
 名称はともかくとして、トキは出来る限りのサポートをさせていただきます。
ご指導については、講師が二人いるのは良くないと思うので、あくまでも復興G様の
ご指導でお願いします。ただ、トキは、助手でお手伝いをさせていただきます。
(ただ、所用が入ったりして、掲示板を離れる場合もあるので、その点もご理解
をお願いします。)

 よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

888中立:2013/05/04(土) 15:08:40 ID:???
a hopeさんは皆が尻込みする中、補佐を引き受けて下さった。
感謝しています。

889かぴばら:2013/05/04(土) 15:28:25 ID:EOnq12bc
志恩様、a hope様

お声をかけていただいてありがとうございます。皆様の元気なお姿をいつも拝見してほほえましく思っております。(ときにビックリすることもありますが)

私は今までここに出てくるほどのものではないし・・・などと卑屈になってましたが、復興G様の悲願?をお聞きしてやはり、そのお声にお答えするには、なんでもよいから感想をのべることだと思いました。ほんの小さなことかもしれませんが、に感謝と同時に反響もなければ、復興G様のせっかく講義も、し甲斐がないかと思います。

どうぞ間違っていればどんどん注意していただければ、結局のところ自分が一番進歩できますもんね。

今日たまたま読んだ本のなかに小林 春恵先生という方のお話がありました。

「おきた炭火を火箸に挟んで、あっちこっちの火鉢に移してやると、その火鉢は冷たいために、おきた炭火をけすかもしらんけれども、おきた炭火をはさんでやる火箸はいつの間にか焼けてくることだけは間違いないでしょう。だから自分が値打ちがないとわかったら、値打ちを挟んで移してあるくことだよ。それだからこそ、人に値打ちを移して歩く必要がある。値打ちを移して歩いているうちに、いつの間にか挟んでいる火箸が焼けてくるように、自分の値打ちがでてくるんですよ」

私は司会やサポートは、どなたでも自分がやりましょうという方ならふさわしいのではないかと思います。

神様の開催される誌友会なら、どなたがやっても素晴らしい誌友会になると思っています。

  ありがとうございます。かぴばら拝

890さくら:2013/05/04(土) 15:35:18 ID:RmG2QftU
>>884

志恩さま

ご賛同、ありがとうございます。

あくまで中心として講話される復興G様の日程が最優先と、トキ様が書かれておられます。

復興G様と、司会サポート役のトキ管理人様がお忙しい場合は、
やる気だけで自分の主導権を主張する方に合わせるより、
いっそ、その会はおやすみにする方が全体のためであり、混乱は少ないと思います。

トキ様が書かれておられるように、中心や主導権は、何人もいるものではありません。
復興G様を中心にとのことなので、
そのサポート役の中心は、どの板も拝見されていて、投稿者の状態を把握され、
普段から管理人として「中立」を心がけておられ姿勢のトキ様お一人として、お願い申し上げたいとかんじますが、いかがでしょうか。

だれもが主導権を握るサポート役を主張したり、やる気がある人だからと復興G様がその意見を優先するなどとなれば、それこそ、中心がぶれます。
「平等な勉強会」だとおもって参加したら、
いつもここだけで張り切る方が陰で主導権を握っている状態の勉強会だった、ということになりかねません。
そういう方の安易なお声かけは、人を傷つけることにもなりかねないということは、ご配慮頂きたくおもいます。
…今回、お呼びかけを受けた、訊けさま、SAKURAさま、またうのはなさまのご意見を拝見しても、わたしは色々、感じることがありましたが。

真理の学びは、それぞれの課題を持っている個人が、様々な見方で参加する可能性に対して、細やかな心配りが、必要とされることが大きいと思います。
ここでの話し合いを見ても、学びの過程は様々であり、…ここでだれが間違いであると、安易に決められるでしょうか。

先にも書きましたが、わたしは、個人的に、ネットの真理学習会の限界を考えております。
いまは、目に見えない文字だけの世界で、愛や真理を軽々しく語り、通じ合えるということに対しても、
それほど、安易なことでは考えられない気持ちもあります。
個人的見解ですが。

ありがとうございます。

891さくら:2013/05/04(土) 15:50:20 ID:RmG2QftU
>>887
トキ様

…このような、煩雑な内容のものを、ご理解頂いてありがとうございます。

ネットの真理学習会には、あまり積極的に参加しないですが…
復興G様の決意を受けて、講話は観覧させて頂く真摯な気持ちには、うそはありません。

現実で、生長の家を真摯に学び活動されてこられた方でここに書き込まない方も多くいらっしゃるとおもいますが、
やはりこうした学びの場に対する実際活動をした心意気をすこしでも知る方なら、通じるものが違うと思います。

…ですので、ご理解頂いたことに感謝いたします。

管理人であるトキ様なら、復興G様をサポート役の中心として、なにかあったときにも、的確な配慮を、みなさまが受けやすくなると感じています。

あとは、やる気のある方がどんどん学習会の中心で意見をいえばよいと思います。

いろいろ生意気なことをいいまして、失礼もあったと思いますが…どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

ありがとうございます。拝

892a hope:2013/05/04(土) 17:17:54 ID:dHQNZBQc

さくらさま

お久しぶりです。
ものすごい量の書き込みに驚いていますが、最初に一つだけ質問させてください。

<<「うわっつらだけを見て「虚説」だ「真説」だと騒ぎ、
「生長の家触れて間もない主婦が言ってると雅宣総裁に伝えてください!」などお勉強会の場で、軽々しくいうような人…」

とは、わたしの事でしょうか…?

だとしたら、わたしは、聖典「生命の實相」を何度も拝読して、その内容をまとめて、虚説についてのレポートを作成しました。
何が虚説で、何が真説なのか、自分自身が知りたかったからです。

そして、それが、正しい理解かどうか知りたかったので、生長の家の先輩方からご指導を受けたいと思ってこの掲示板に掲示させていただきました。

決して<<うわっつらだけを見て「虚説」だ「真説」だと騒>>いでいたわけではありません。
それだけは、はっきり否定させていただきます。

わたしのレポートや発言にの間違いがあれば、今でも素直にご指導をうけるつもりでいます。

さくらさま、前にもお願いいたしましたが、わたしの言動をご指摘されるのでしたら、
わたしのHN a hope または、ホープでも構いませんので、主語を入れて下さいませんか?

そうしてくださらない場合、誰の事かはっきりわかりませんから、わたしは反論もできません。
よろしくお願いいたします。

893かぴばら:2013/05/04(土) 17:24:22 ID:EOnq12bc
さくらちゃん、いつも真剣な意見をありがとうございます。

ネットの意見は、ときとしていらぬ誤解や誤読を招くということは、よく理解できます。

トキ様もよく話されますが、相手の表情や感情が見えぬために、ほんのささいな食い違いが重大な問題になってることもよくありますよね。

ここが実際の誌友会とは違うものでも、それでも今の私にとっては、こんな素晴らしい先達に指導いただける数少ない大事な学びの場所なんで大切にしたいのよ。

そりゃトキ様がベストだろうけど、忙しそうなお方に前面お願いするのは大変心苦しいので、誰でも真摯にやってくださる決意があればよいと思います。

実際のところ、おばさんどうしで、あの人がやるなら私は参加しないとか色々言うのはよくある話だけど、(まあ、おじさんにもあるか【笑】)めんどくさ〜とか思うんだよね。

                                       
やっぱ、私引っ込んどくわ                           拝

894SAKURA:2013/05/04(土) 17:34:13 ID:GVn2S736
「管理人 トキ様」へ  「誌友会の皆様」へ  「観覧者様」へ  「かぴぱら様」 へ 
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857>>870>>886
続きです。

■■お久しぶりです…。「かぴぱら様」〜〜〜♫〜〜〜

>838>> 「 かぴぱら様 」の投稿を拝読させて頂きながら〜〜〜(一部抜粋)
−−−「投稿文」――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
…中略…  そしてSAKURA様、
以前は無理なお願いをして申し訳ありませんでした。私としてはバッシングの気持ちは全然ありませんでした。
SAKURA様が、他の投稿者さまともっとやりとりができるようにとの思いで発言いたしましたが、
そのことで深く傷つかれましたなら申し訳ないことでした。
深くお詫び申し上げます。ごめんなさい。<<                (抜粋投稿)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−――◆

こちらのほうこそ?【コトバ=文字での表現】で?ある面“誤解”したりする事も多々ですから??
それは致し方のない事です。こちらの方こそ…今後ともよろしくお願い申し上げます…。

しかしながら【コトバ=言霊】ですから??不思議なモノ〜〜〜ですネ!
文章表現頂きました「真理のコトバ…」当に心の深層部に残りまして【こころ現れるモノ】が〜〜〜
潜在意識にシッカリ残るモノです〜〜〜ネ!【勉強中…】の私です。

>>889「 かぴぱら様 」の投稿の中からです…。…が?
−−−「投稿文」−―−−−−−−−−―−−−−−−−―−−−−−−−―−−−−−−―−―−―−――
>>私は今までここに出てくるほどのものではないし・・・などと卑屈になってましたが、復興G様の悲願?
をお聞きしてやはり、そのお声にお答えするには、なんでもよいから感想をのべることだと思いました。
ほんの小さなことかもしれませんが、に感謝と同時に反響もなければ、
復興G様のせっかく講義も、し甲斐がないかと思います。<<   (一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−――◆

これに関しましては〜〜〜同じ”想い”です。 やはり、お忙しい中にての〜〜〜
【一般の信者の皆様】・【閲覧して頂いております皆様】にも楽しめる【WEB 誌友会】になります
事と思います。…そしてその方々の「捉え方!思考!」も解り〜〜〜楽しめるモノと思います。
                                 
つづく

895SAKURA:2013/05/04(土) 17:42:17 ID:GVn2S736
「管理人 トキ様」へ  「誌友会の皆様」へ  「観覧者様」へ  「さくら様」へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857>>870>>886
>>894】続き投稿です。

■「復興G様」の御指導は、異存はありません。先程も>>886にて投稿させて頂いております。

此処で?目にとまりました「投稿…文章」なのです。…が?

−−−「投稿一部」−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−―−
890 :さくら:2013/05/04(土) 15:35:18 ID:RmG2QftU
>>復興G様と、司会サポ−ト役のトキ管理人様がお忙しい場合は、
やる気だけで自分の主導権を主張する方に合わせるより、
いっそ、その会はおやすみにする方が全体のためであり、混乱は少ないと思います。<< (抜粋文)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−――◆

■■>>その会はおやすみにする方が全体のためであり、混乱は少ないと思います。<<
この「解釈…」は??どの様な解釈をしたらいいのでしょうか??

「復興G様」は前もって【日程…】を連絡してくださいます…
この事は、現状の「観覧者の皆様」も周知の事と思います。…が?それに、この言葉は「復興G様」に対し
ましても?そして「a hope様」自身も事前に連絡投稿がありますから?この表現は?オカシク感じます。                    

■■それに?個人的な感想ですが〜〜〜これだけ投稿をされています「さくら様」ですもの、
【WEB 誌友会】での「復興G様」の講義の感想・意見…etc投稿されましたならば??閲覧する皆様も
楽しいのではないのでしょうか??
                                  再合掌

896a hope:2013/05/04(土) 17:47:11 ID:dHQNZBQc

>>888中立さま

<<a hopeさんは皆が尻込みする中、補佐を引き受けて下さった。
感謝しています。 >>

ありがとうございます。
本当は、わたしは、どなたかほかに補佐役をしてくださる方がいらっしゃれば、
すぐにでも身を引いて、一学習者として、誌友会に参加させていただき、「唯神實相哲学」のお勉強に専念したいのです。


>>かぴばらさま

本当にお久しぶりです!
また、この掲示板でこうしてお話ができてとてもうれしいです。

<<どうぞ間違っていればどんどん注意していただければ、結局のところ自分が一番進歩できますもんね。>>

本当にそう思います。
その点、この掲示板は安心して発言できます。
だって、復興Gさまやトキさまはじめ数えきれないくらいの「生長の家」の先輩方が閲覧してくださっていますからね。
新人のa hopeが間違ったことを発言すれば、いつでも的確なご指導をいただけるとわたしは信じています

また、小林 春恵先生という方の素晴らしいお話をありがとうございます。
わたしも、炭火を挟む火箸のようにこの掲示板で真理の言葉をしっかりつかんで、真っ赤に燃え上がりたいと思います。

<<私は司会やサポートは、どなたでも自分がやりましょうという方ならふさわしいのではないかと思います。>>

復興Gさまにご指導受けたい一心で、サポート役をさせていただいていますが、ふさわしくないというご意見もあるようなので、
その件に関しましては、復興Gさまや、管理人のトキさまのご指示に従いたいと思います。

かぴばらさま、時々でもいいので、また書き込みしてくださいね。
かぽばらさまがいて下さると、とても心強いです。

897a hope:2013/05/04(土) 17:58:55 ID:dHQNZBQc
>>896訂正
かぽばらさま→かぴばらさま
未だに、かぴばらさまの名前を打ち間違える、a hopeをどうぞお赦しください。

898さくら:2013/05/04(土) 18:40:05 ID:RmG2QftU

a hopeさま
かびばらさま

誤解があって残念ですが、
それぞれがんばりましょう。

かぴばらさま。
…だれがやるから参加しない?笑。
そんなくだらない人生観を持ったことはわたしは、あまりありません。笑。

…かぴばらさまは、ほんと、いろいろ声をかけてくれていたし、心配もしてくれて、そのおおらかさが大好きでした。
交流もあったのに、そういう人だと思われたのは残念ですが、…たかだかネットの短い時間の世界ですから、仕方ありません。
そして誤解をうんだ、わたしが悪いんです、これはほんとうです。
…とても、悩んだから、ここに書くの。

ここの投稿するのに、わたしは「誰のため」の内容か祈りました。
信頼する人にも、ちょっと気持ちを相談したりして、、。
ここで、これ以上誤解を生んで傷つくのもこわかったので、緊張してたんで、あんな硬い文章…。
…祈っても、なお、「全体のためだ」と思えば、それをいいなさい。と言われました。
言葉はきつかったかもしれないけど、
わたしは投稿できなくても、ここの誌友会の発展を祈りました。
だれも、排除されない(毛虫さえ、)生長の家の温かいみ教えを思っていました。

だれにも、反論は特にありません。

投稿の意図は、復興G様の決意を読んで、いつも中立でバランス感覚のあるトキ様のサポートを願っただけです。
主導権のあるa hopeさまが、さみしいと言っていたし、すこしでも、参加が増えるかとおもったので。

a hopeさま主導権の誌友会や、虚説に関するレポートを、頑張ってください。

ここはわたしは相応しくないので、去りますから、大丈夫ですよ、かびばらさま。

復興G様の講話だけは、読ませて頂きますね。

ありがとうございました。

899うのはな:2013/05/04(土) 18:58:31 ID:rwbZr3p.
:志恩:2013/05/03(金) 17:15:33 ID:.QY5jUA6 うのはなさん

「生命の實相」を世界に拡める  という大義のためです。

しかし、おふざけが、「しもねた満載」 方向のおふざけに訊けさんが、再度走る場合は、
二人で、訊けさんを 叩きましょう。

900さくら:2013/05/04(土) 18:59:29 ID:RmG2QftU
トキ管理人様、

これをみて引っ込んどく人がいれば、
わたしの意図に反します。

>>879
>>881
>>890
>>891

削除ください。
トキ様に読んで、頂いただけで良かったです。

ありがとうございました。

901ありがとう:2013/05/04(土) 19:06:51 ID:???

 某ブログ管理人は先ず自分の所で練習してから

 外部のWEB誌友会に出るべきですな。。

902うのはな:2013/05/04(土) 19:10:57 ID:U6xTvqK.
899

 志恩さんへ

 私は誰が来るから参加しないという偏狭な人生観の持ち主です。
 あなたが肩入れしている「訊け君」は、前回わたしとのいざこざ以外にも
 多くの人から批判を受け、お世話係りのユタカ氏の御家族にまでネガティブな
 影響を派生しながら、司会の件は実は悪いとおもっていないと最近豪語しています。

 別のところでは、ウェブ誌友会にあんなことを書いたのだから、復興G様に謝罪するべきでは
 と私を非難しています。
 ここでもさくら様に志恩さんはふざけるな、と怒っていたと思います。
 そんなところで谷口雅春先生に訊けブログで大々的に批判中傷されているわたしが
 「大義」だから、なんて参加する意味はありません。
 教区幹部の管理下の掲示板でもこんな具合なのです。
 
 トキ様は天理教からの批判がこたえたなんて書かれていましたが、
 『生命の實相』を世界に拡める なんてきれいごとをいう前に考えることが
 あるのではないでしょうか。
 ここの誌友会自体には反対も妨害もしませんが、おひとよしの生長の家人を演じるのも
 いい加減にしてもらいたいと思います。

903志恩:2013/05/04(土) 20:01:10 ID:.QY5jUA6
うの奴ねえさん

また、うのやっこねえさんに、叱られております。
ひとこと、言い返せば、
私は、「おひとよしを演じている」のでは、ありません。
「地」(じ)なんです。

904志恩:2013/05/04(土) 20:22:03 ID:.QY5jUA6
多忙中、、後ほど,また、書き込みさせていただきます。

905SAKURA:2013/05/04(土) 20:27:03 ID:GVn2S736
「管理人 トキ様」へ  「誌友会の皆様」へ  「観覧者様」へ  「かぴぱら様」 へ 
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857>>870>>886
続き投稿です。

■■お久しぶりです…。「かぴぱら様」〜〜〜♫〜〜〜

>>838>> 「 かぴぱら様 」の投稿を拝読させて頂きながら〜〜〜(一部抜粋)
−−−「投稿文」――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

…中略…そしてSAKURA様、
以前は無理なお願いをして申し訳ありませんでした。私としてはバッシングの気持ちは全然ありませんでした。
SAKURA様が、他の投稿者さまともっとやりとりができるようにとの思いで発言いたしましたが、
そのことで深く傷つかれましたなら申し訳ないことでした。
深くお詫び申し上げます。ごめんなさい。<<                (抜粋投稿)

◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−――◆

こちらのほうこそ?【コトバ=文字での表現】で?ある面“誤解”したりする事も多々ですから??
それは致し方のない事です。こちらの方こそ…今後ともよろしくお願い申し上げます…。

しかしながら【コトバ=言霊】ですから??不思議なモノ〜〜〜ですネ!
文章表現頂きました「真理のコトバ…」当に心の深層部に残りまして【こころ現れるモノ】が〜〜〜
潜在意識にシッカリ残るモノです〜〜〜ネ!【勉強中…】の私です。

>>889「 かぴぱら様 」の投稿の中からです…。…が?
−−−「投稿文」−―−−−−−−−−―−−−−−−−―−−−−−−−―−−−−−−―−―−―−――

>>私は今までここに出てくるほどのものではないし・・・などと卑屈になってましたが、復興G様の悲願?
をお聞きしてやはり、そのお声にお答えするには、なんでもよいから感想をのべることだと思いました。
ほんの小さなことかもしれませんが、に感謝と同時に反響もなければ、
復興G様のせっかく講義も、し甲斐がないかと思います。<<   (一部抜粋)

◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−――◆

これに関しましては〜〜〜やはり、お忙しい中にての〜〜〜
【一般の信者の皆様】・【閲覧して頂いております皆様】にも楽しめる【WEB 誌友会】になります
事と思います。…そしてその方々の「捉え方!思考!」も解り〜〜〜楽しめるモノと思います。
                                  再合掌

906「訊け」管理人:2013/05/04(土) 20:37:45 ID:???

>>863復興Gさま


 ありがとうございます。それでは司会の方ですが、謹んでお受けさせて頂きます。宜しくお願い致します。




追伸

 ご批判等は大歓迎です。ただし、その際は「建設的な意見」を求めたいと考えます。たとえば、>>901ありがとう様。貴殿に申し上げますが、もう少々具体的なご指摘を賜れれば幸いであります。私は常に、「調子に乗って」おります。そしてこの、非常に抽象的なご指摘を見るたびに私は、益々自信を深めて仕舞うのです(意味はお解りでしょうか?)。

 どうそ、私が益々自信を深めることのナイ様、ご指摘は「具体的に」お願い致します。(建設的な提案があれば、さらに高評価だと思います)

907a hope:2013/05/04(土) 22:11:37 ID:edEDolt2
>>906訊け管理人さま

次回誌友会の司会を快諾してくださりありがとうございます。
心より感謝したします。

合掌。


みなさま

次回は、講師である復興Gさま、この掲示板の管理人であるトキさまが承認してくださいましたので、
わたしの提案した形での誌友会を開催させていただくことになりそうです。

さくらさまやSAKURAさまから、わたしの提案にしたweb誌友会の形式や、わたしの補佐役への反対意見もいただきましたが、
お二人とも、最終的には納得していただいたと判断させていただいています。

わたしは、宗教の真理を勉強していて、一番怖いと思うのは、自分が「真理を知った」と勘違いして、
増上慢になってしまうことだと感じています。
ですから、この掲示板でわたしに対するご批判をいただくことは、わたしにとってはその抑止力にもなりますので、
すべてのご批判は自分の心の影であると謙虚に受けたいと思っています。
ですが、自分が納得のいかないときには、反論することもまた大切だとも思っています。

わたしはSAKURAさまとのやり取りで、「主導権を握る」というような発言を確かにしましたが、
あの時は、このweb誌友会を継続していくためにはやはり誰かが主導権を握って話し合いを進めていかなければ、
このweb誌友会は立ち消えになってしまうのではないかと感じました。
そうならないために、あえて、あの場所ではあのような発言をさせていただきました。

しかし、わたしの本心としては、本当は主導権など握りたくはないのです。
はっきり言えば、自分が主導権を握らないために、今回のweb誌友会の形式を提案させていただいたようなものなのです。

前半の講話の部分では、復興Gさまが司会をされて、その後は質疑応答です。
後半の自由参加の部分では、訊け管理人さまが司会をしてくださいます。

そうなれば、わたし a hopeが必要以上に補佐に入らなくても、web誌友会は成立するのです。

わたしは、次回からは、一参加者として、みなさんと同等な立場で参加させていただきたいと思います。
ただ、お勉強する気は満々ですので、発言は多くなるかもしれませんが・・・
そして、復興Gさまやトキさま、訊け管理人さまから、何かお願いされれば快くお手伝いさせていただくつもりでいます。

最後に、もう一度わたしの提案を添付させていただきます。
復興Gさま、トキさま、訊け管理人さま、どうぞよろしくお願いいたします。

908a hope:2013/05/04(土) 22:12:45 ID:edEDolt2

−−−−−−−−−−−−

前半(第一部)
復興Gさまのご講話(テキスト「生命の實相」)
ご講話内容や「生長の家の教え」に関する質問、感想等

後半(第二部) 
自由参加の誌友会


わたしとしましては今までどおり、誌友会の運営のお手伝いとして、前半のご講話の前に「準備祈願」の祈りの言葉や、
聖経「真理の吟唱」の謹写等をさせていただきます。

後半の自由参加の誌友会に関しましては、もちろん自由な発言が許されると思いますが、
<<教団擁護派”も“分派”もない、“神の子”の集いとして、心を空にして神様のお導きを受ける誌友会>>
の実現が望ましいと思っています。

−−−−−−−−−−−−ー

909a hope:2013/05/04(土) 22:17:34 ID:edEDolt2
>>908訂正
わたしとしましては今までどおり、誌友会の運営のお手伝いとして、前半のご講話の前に「準備祈願」の祈りの言葉や、
聖経「真理の吟唱」の謹写等をさせていただきます。

この部分は、取り消させていただきます。
失礼いたしました。

910志恩:2013/05/04(土) 22:26:46 ID:.QY5jUA6
さくら様

さすが、頭がいいお方ですね。
一つのahope様の失言と、復興G様の発言を逆手にとり、
それらを最大限に有効に使われた 賢くお見事な誘導作戦で、いらっしゃいます。

さくら様の発言を読みまして,
雅宣総裁うりふたつの賢い手法でいらっしゃるなあと、感心致してしているといいますか、
おそろしいお方でいらっしゃると思いました。

(ahope様の失言とは、「主導権は、私が握っている」という、若気の至りの言葉です)

以下は、さくら様の発言
>>879
>>881
>>890
>>891

 

まず、>>879:さくら様

>>わたしは、雅宣総裁に従う気は一切ありませんし、いまの方針の間違えがあるとおもっていますが、>>

と前置きされながら、そのすぐ後に、

>>「虚説」などはない、という信仰姿勢に変わりはありません。>>

そして、復興G様に対しては、>>復興G様の発言には賛同します。<<

>うわっつらだけ見て「擁護派」だとか「分派」だとか、軽々しくいうような方と、つきあってはいられません。<

そして同じ観点から、
復興G様の…あえて、この厳しい言葉を借りるなら、
「うわっつらだけを見て「虚説」だ「真説」だと騒ぎ、「生長の家触れて間もない主婦が言ってると雅宣総裁に伝えてください!」
などお勉強会の場で、軽々しくいうような人とは、つきあってはいられない。」とも思いました。

先にも書きましたが、わたしは、人の幼さや未熟さなど、まったく問題にしていません。
未熟さからくる、「短絡的判断」を、きちんと正す必要はあるとの考えではあります。

今回、復興G様の決意を読みまして、
SAKURAさまがご指摘されているように、感情的で軽率な発言をする方が主導権をにぎるようなweb誌友会が、
復興G様の言う「命がけ」の生長の家の教えとは、どうしても思えませんでした。<<
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
という具合に、復興G様の発言を逆手にとって、
復興G様への反論も、うまい言い回しで、反論されてます。そして、
雅宣総裁への批判の手をゆるめようとされて、おられます。

私の申し上げていることは、分る人には、分ります。
分らない人には、分りません。            つづく

911さくら:2013/05/04(土) 22:35:56 ID:nqdx2mHk
a hopeさま

あなたが総裁の言葉にアレルギーがあるように、
わたしも虚説という言葉にアレルギーがあるのかもしれません。
その点は気をつけますね。
恐ろしい方で、申し訳ありませんでした。

名指しで「虚説に関するレポート」を見せて頂いた意図も、未だにわかりませんが、…特に反論などは、もうなにもありません。

…「虚説」という言葉を使うの人は、わたしにとって相当な思想的背景がある方でないと使わないとの考えでした。
雅春先生も、共産主義思想と闘うのは、命をかけられた背景があるとおもいます…。
わたしには到底ご想像もできませんし、そういう思想的な背景のある「虚説で排除」などという言葉なども、、あまりやすやすとつかえないのです。全否定ですから。
ご理解願います。

いままで、誌友会のサポート役を懸命にして維持してくださりありがとうございました。
そのおかげで、いま、訊けさまも誌友会の司会を受けてくださり、
参加者の垣根も広がるのではたいかとおもいます。

わたしも同じ一求道者同志として、限られたネットの世界ですが、
a hopeさまと学ぶことができれば、ありがたいと思っています。
そのときは、よろしくお願い申し上げます。

ありがとうございます。

912「訊け」管理人:2013/05/04(土) 22:38:44 ID:???


 ひとつ提案があります。「人への苦情・注文」等ですが、これは別板で、いかがでしょうか。

 やり取りには「論点」と云うものが、あります。

 そして現在、話し合われているのは「誌友会のありかた」です。その趣旨をやり取りしているのですから、「○○さんは、こんな人」など、そんな話は別板でよいはずです。いかがでしょうか。



追伸

 この種の初歩的ルールは、守っていきませんか。「○○さんは××な人」系ですが、それは現在無関係に思えます。その○○さんが××であれ◎◎であれそれは、「誌友会のありかた」とは無関係との意味です。

913復興G:2013/05/04(土) 22:41:27 ID:AB6RqYXc

皆様、ありがとうございます。

昨夜お断りしましたように、私は本日朝からリアル世界での行事がありまして席を外しておりました。只今帰ってまいりました。

その間、たくさんの皆様の書き込みがあったようで、このweb誌友会に対するご熱意、うれしく感謝申し上げます。

>>906 :「訊け」管理人殿

司会を引き受けてくださる由、ありがとうございました!

これで、きっとユタカ様も出て来られるだろうし、このweb誌友会は大いに活性化すると思います。

それから、
>>896>>907>>908:a hope様。

ありがとうございます。

>>さくらさまやSAKURAさまから、わたしの提案にしたweb誌友会の形式や、わたしの補佐役への反対意見もいただきましたが、お二人とも、最終的には納得していただいたと判断させていただいています。<<

その通りだと、私も思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

「中傷」ということについて。

[コトバンク――デジタル大辞泉の解説]には
【中傷】[名](スル)根拠のないことを言いふらして、他人の名誉を傷つけること。「ライバルを―して蹴(け)落とす」
とありました。

「中傷」めいたことをすると、他人の名誉を傷つける前に、自分の人格を傷つけることになると思います。
ここでは、「中傷」のようなことは決してしないよう、お互いに身を引き締めてまいりましょう。

914志恩:2013/05/04(土) 22:46:52 ID:.QY5jUA6
さくら様

トキ様が総補佐役をして下されば、理想的である事は、
トキ様は、幹部でおられるし、たくさんの方々をご指導されたり、たすけていらしたり、
人間的にも優れたお方だと私も尊敬させて頂いておりますから、

私も、そう思いますし、
さくらさんの申し出は、ごもっともと賛同しましたが、

トキ様は、中立だからといわれますと、
結局、雅宣総裁の味方だからというふうに聞こえてしまいます。

だって、本流がこれ以上,勢いづくと困るとか、トキ様は
おっしゃっておられますもの。

やっぱり、ここの掲示板は、ほんとうのところは、
あなたが し切っておられるように 思えてなりません。

ahope様が、よほど気に入らないようですが、あまり新人に
ひどいいいかたは、しないでください。

同じ言うのにも、もっと、違った いいようが、あるでしょう。

915SAKURA:2013/05/04(土) 22:55:43 ID:AmUCCJtc
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
【WEB 誌友会】に関しましての【SAKURAの投稿】……
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857>>870】続きです。

此処で??一言申し上げます…。誤解がありましては困りですので…。
■「復興G 様」の御指導は、私は依存ありません。「誤解の内容…」にお願い申し上げます。そして、先に投稿したあくまでも個人の意見としての投稿を申し上げたのです…。下記にて再投稿…

◆−−−【再投稿文】−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆
870 :SAKURA:2013/05/03(金) 19:38:49 ID:BEUD3XFA
「管理人 トキ様」へ  「誌友会の皆様」へ  「観覧者様」へ   
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857】続きです。

■【WEB 誌友会】に関しましての【SAKURAの投稿】…
以前から?投稿過程を閲覧しておりますと、失礼ながら「a hope様」が実質の【WEB誌友会】の
[指導権]を握っていらっしゃると判断に??今迄の“投稿討論…”から、判断いたしました。

■私は、『第一部…』・『第二部・…』この“誌友会…2部形式」には■『反対…意見』との考えです。
(私は、現総裁雅宣先生…擁護派ですから?此処では【部外者…】との位置づけですから…とりあえずの投稿)

■司会の立場上…【感情論…】でいいますと?「a hope 様」の今回の一連の投稿を見ますと…
失礼ながら?理解力・判断力…が?私どもにとりましては?疑問点があります。
更以前の投稿に?「新米…」とか多々なる表現が変わりますから?どの方が「本来のa hope 様」か?理解できません。
そして「復興G様」が〜〜〜「a hope 様」にこだわる…この考え方が全く理解が出来ません。
少なからずも、私は【訊け管理人様】・【うのはな様】。。。を推薦と致していました。
ご本人の「断り…投稿文」を閲覧しますと〜〜〜やはり【思った通り…本来の姿のお二人】でありました
事に…嬉しく思いました。■(但し、『分派…の中でのお二人が適任かと!』冷静な判断で推薦したのです。)      

❤〜以上…「擁護派…オンリ−ワン」として、
                                   再合掌

916志恩:2013/05/04(土) 22:57:22 ID:.QY5jUA6
訊けさんへ

司会、がんばってね。

917さくら:2013/05/04(土) 23:00:33 ID:nqdx2mHk
a hopeさま
志恩さま

ご指摘ありがとうございました。

>同じ言うのにも、もっと、違った いいようが、あるでしょう。

…その通りでした。
ずいぶん反省します。

先にも書きましたが、わたしは、「虚説アレルギー」でした、…いまわかってきました。
言葉がきつかったことは、お詫びしますね。
読みづらいことばがありましたので、…削除をお願いしたのです。

…あなたが現教団で寝込んだように、…わたしも実は、夢にまでみて、うなされるほど、「虚説」という言葉が、耐えがたかったんです。

…夢をみたんです。

雅春先生が、わたしの部屋に来ました。…あまりにびっくりして、わたしは飛び起きて正座をしてかしこまりました。

雅春先生
「…あの、生長の家に来てる人がね。「虚説」を言ってるんだけど、さくらさんが出て行ってもらうよう、言ってもらえないか」と。

さくら「…先生」
しばし、こらえる…
さくら「先生、申し訳ございません。…わたしには、どうしても、あの方が「虚説」といっるからと、排除できないのです。…申し訳ありません。…すこし待って頂けませんか?
…祈ります。考えが間違っていると気づいて頂けるよう、祈りますので…。」

雅春先生「…そうなの…。
じゃ、よろしく。」去る。

さくら…正座したまま、申し訳なさに、しばし号泣…。

完。




雅宣総裁にうり二つというのは、喜んでよい、のでしょうか…、
わたしは、雅宣総裁を否定も肯定ももはやありません。

総裁の批判の手を緩めるとは…なんのことか、ほんとうに、わからないのです。

…ここは、批判する会だったのですか?

918SAKURA:2013/05/04(土) 23:05:30 ID:AmUCCJtc
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
【WEB 誌友会】に関しましての【SAKURAの投稿】……
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857>>870>>915
投稿の続きです。

個人的に?【総裁雅宣先生…擁護派】として、気になる事がありましたので……

>>910「志恩様の投稿」から……
(ahope様の失言とは、「主導権は、私が握っている」という、若気の至りの言葉です)

873 :a hope:2013/05/03(金) 21:16:37 ID:dHQNZBQc
>>872訂正
>>指導権→主導権です。(SAKURAさま、そうですよね?)
指導権(?)は、今までどおり復興Gさまに握っていただきたいです。 << (抜粋文)
◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

※此の件ですが〜〜〜
■■此処で「指導権」を間違いとかの指摘>>873もありましたが??同じ意味合いを含んでいますので…
これも?以前の【拝読…】この言葉にてのタタカレと同じでしょうかとも。(捉え方でしょうか?)

此の件に関しては「ネット上検索」しても同意の事を含んだ事になると記載されていましたが??
                                つづく

919志恩:2013/05/04(土) 23:07:24 ID:.QY5jUA6
90%以上の方々が、うりふたつだと思ってます。^^

でも、お互い言い合ったので,この件は終わりにしましょう。

920志恩:2013/05/04(土) 23:13:20 ID:.QY5jUA6
SAKURA様

さきほども、その件は、ahopeさんの失言だ、と、私は はっきり言いました。
あれは、言ってはいけない言葉だったと思っています。

そう言ったのですし、さくらちゃんともぶつかり合いましたが、
意見の相違はありましても、人間がきらいなわけではありません。

失言は、お互いに 水に流して 生きていきましょう。

921復興G:2013/05/04(土) 23:17:37 ID:AB6RqYXc

さて、現在、話し合われているのは「誌友会のありかた」ですね。

次回は第14回web誌友会ということになりますが、その日程・時間等がまだ決まっていません。

a hope様ご提案の
−−−−−−−−−−−−
前半(第一部)
復興Gさまのご講話(テキスト「生命の實相」)
ご講話内容や「生長の家の教え」に関する質問、感想等
後半(第二部) 
自由参加の誌友会

わたしとしましては今までどおり、誌友会の運営のお手伝いとして、前半のご講話の前に「準備祈願」の祈りの言葉や、聖経「真理の吟唱」の謹写等をさせていただきます。

後半の自由参加の誌友会に関しましては、もちろん自由な発言が許されると思いますが、
<<教団擁護派”も“分派”もない、“神の子”の集いとして、心を空にして神様のお導きを受ける誌友会>>
の実現が望ましいと思っています。
−−−−−−−−−−−−
ということについては、私はそれでよろしいでしょう、それでやってみましょうと申しました。皆様もだいたいご異論はないように思われますが、具体的な程・時間等がまだ決まっていないわけです。

これは、今回司会を引き受けてくださる「訊け」管理人様のご都合・意見も聞かなくてはなりません。

私の都合・意見は、前に>>837で書きましたように、
<<“講話”は金曜日の午後からとし、夜からは質疑等に入る。日曜日は行事予定が詰まっていることが多いので避け、土曜日に後半(第二部)を行い、土曜日中に終える>>
ということでいかがかと思っていますが、「訊け」様、どうでしょうか。

もし、それでよしとなった場合、5月中に第14回web誌友会を行うとすれば、私の予定が取れるのは、24日(金)から25日(土)だけになります。

922「訊け」管理人:2013/05/04(土) 23:33:50 ID:???


>>復興Gさま

 ありがとうございます。さて、5月の予定に関してご報告致します。

 25日から私は、関西に出張です。「出張になる可能性大」と申し上げた方が、正確でありましょうか。

 そして大阪での仕事次第なのですが、出来れば時間を作って「宇治に行こうか」とも、考えているところでございます。状況報告としては、そのような感じであります。




追伸

 ただし、誌友会の方は24日からで構わないのかもしれません。

 私の担当する後夜祭は、おそらく日が経ってからでも可能だと思うためです。さらには時間を見つけて(たとえ「宇治」からでも)、ノートパソコンで参入する時間も「作れないことはない」とも思っております。ですので、あくまでも復興Gさまのご都合で誌友会(本番)を開催されるのが、よいと考えます。いかがで御座いましょうか。

923復興G:2013/05/04(土) 23:43:31 ID:AB6RqYXc

>>922 :「訊け」管理人殿。

了解。
では、5月は休んで、6月7日(金)〜8日(土)はどうでしょう。

トキ様、a hope様のご都合も聞きたいです。

924SAKURA:2013/05/05(日) 00:07:57 ID:AmUCCJtc
「管理人 トキ様」へ  「誌友会の皆様」へ  「観覧者様」へ   
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857
>>870>>915>>918>>918>> 投稿の続きです。

■今日は?休日でしたが〜〜”長〜〜い!!一日“のように思えました次第です。…が?
何故この様になりましたのでしょうか?と…振り返りながら、只今?思いにふけっております。

※どう見ましても【SAKURA】 への誤解を生じる投稿内容が…あり【経過過程…】を投稿させて…

今回の騒動は【>>788 SAKURAの追伸投稿】の中に、「管理人トキ様」宛にですが??記憶には、
確か「うのはな様」との「対話投稿」に水を差した感じのコメント投稿を、私がしました。
−−>【>>789a hope様からのコメント】が私宛に頂き?他の投稿もあり??無視をした形となりました。
そうしますと再度の私宛に投稿を頂きましたが??その間ですが〜〜〜 【>>791トキ様】からの返事を頂き、
私も【SAKURA>>792トキ様宛の返事】としてこちらも返事をした次第です。
さて「a hope様…」に、……と思っていますと、更にまた【a hope様からの>>793投稿】からですので、
>>795>>796 SAKURA投稿】を返事としてさせて頂きました。…が?

今回は?このような経過からの始まりなのですが〜〜〜??

更に「復興G様」からの「司会のお話…云々…」ですが?私宛の投稿の中に【かなり傷つくコトバ】を頂き、
もうこちらは【感情…】が先になり、冷静に物事は???と、更に、このような経過での「司会…云々」を、
引き受けることは???オカシイと思えるのです。
【まるで!当時のコトバは売り言葉に買い言葉でしょうか〜〜〜??】そして、考えすぎなのでしょうか?
何故なら【パソコンの中傷…】は、意外と心の深層部に残るのです〜〜〜ョネ!シッカリと……!
変な処で、心の葛藤が生じ?そのような現象が起きましたので、私も?その瞬間には【感情…】が……
そのような気持ちになった訳ですが、その後「a hope様」が、常日頃?私どもに対しての快い見方を
なされていない感じを文書から伺えました。そうですネ!何かにつけて“ケチ…?”をつけてくるような
投稿が多々ありましたから、いつもなら“気分を害し…沈黙”していたのですが〜〜〜?

                              つづく

925SAKURA:2013/05/05(日) 00:11:52 ID:AmUCCJtc
「管理人 トキ様」へ  「誌友会の皆様」へ  「観覧者様」へ   
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857
>>870>>915>>918>>918>>924 投稿の続きです。

>>924投稿の続きです…。
■此処との成り行き上〜〜〜まるでこちらが悪い事をしたかのような【投稿文章…コトバ】に権力観を感じま
したから、これはものすごく、私は立腹しました。が…?

■■「a hope様の内容」は〜〜〜
まず「誌友会…」後は投稿感想を書かないでほしいとの事です。今回の【13回WEB誌友会】に 私どもが、
故意に参加しなかったのでしょうかとか〜〜〜
真剣見がないとか〜〜〜多々の内容が書かれていましたから、そうしますと?今回は皆様がこれだけ投稿を
なさっていますのに〜〜〜【当時の皆様のコメンタ−の方は、参加は??】まるで、私だけに【標的…】
されたようにも思えますし、更に、内容が■【まるでこちらが〜〜〜悪モノ扱い?屈折したようにも…】
おもえるような感じになりました。これは?仕向けられた「わな」になっていく感じですョネ!!
振り返りますと…これは【元分派のお得意なワザ?】に、見えましたが???(昨年も何回も)

今回!!たったこれだけでの【内容…での発展】ですから?私は「司会者はa hope様」に向いていないとの
判断にいたったのですが?

そして投稿者の中に■【やる気のある方がすればよいとか?】これも、正直!イイカゲン!ではと思いました。。
例えば〜〜〜「アナウンサ−」つまり専門的にはなりますが??
やはり、そこを任されますには【知識豊富】が条件では、なれないでしょう!!
入社してすぐの「新米で進行」が出来るのでしょうかと思いました。…が?
やる気のある方ではなく!出来る方にお頼みするくらいの【謙虚さ…】が欲しいと思いました。
(これは世間一般の見方と、確信しております。)

今回「訊け管理様」が【司会…】を引きうけて下さる事で、初めて「航海…」が始まるのですネ!!
大海原に〜〜〜それこ“START”でしょうか??キット!「神様…」のお導きと思いますが。。。
                                    再合掌

PS:
■■よく考えますと「訊け管理人様」のお気に入りの「さくら様」ですが??
「一言…」申し上げますが〜〜〜ひらがなの「さくら 様」は、私の【コトバ…使い方】そして【クセ】を
よく取らいます様ですから【訊け管理様】が?誤解?なのでしょうが?重複される事もありますので〜〜
それだけはないように??【ダブリング…なし】でお願い申し上げます。…が?

926SAKURA:2013/05/05(日) 00:23:47 ID:AmUCCJtc
「管理人 トキ様」へ  「誌友会の皆様」へ  「観覧者様」へ   
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857
>>870>>915>>918>>918>>924 投稿の続きです。

「管理人 トキ様」 へ
>>924>>925 の内容の一部に【間違いがありましたので・・・】
お忙しい処〜〜〜申し訳ありませんが…デリ−トを、お願い申し上げます。
                             再合掌

927SAKURA:2013/05/05(日) 00:26:12 ID:AmUCCJtc
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>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857>>870
>>915>>918>>918>>投稿の続きです。

■今日は?休日でしたが〜〜”長〜〜い!!一日“のように思えました次第です。…が?
何故この様になりましたのでしょうか?と…振り返りながら、只今?思いにふけっております。

※どう見ましても【SAKURA】 への誤解を生じる投稿内容が…あり【経過過程…】を投稿させて…

今回の騒動は【>>787 SAKURAの追伸投稿】の中に、「管理人トキ様」宛にですが??記憶には、
確か「うのはな様」との「対話投稿」に水を差した感じのコメント投稿を、私がしました。
−−>【>>789a hope様からのコメント】が私宛に頂き?他の投稿もあり??無視をした形となりました。
そうしますと再度の私宛に投稿を頂きましたが??その間ですが〜〜〜 【>>791トキ様】からの返事を頂き、
私も【SAKURA>>792トキ様宛の返事】としてこちらも返事をした次第です。
さて「a hope様…」に、……と思っていますと、更にまた【a hope様からの>>793投稿】からですので、
>>795>>796 SAKURA投稿】を返事としてさせて頂きました。…が?

今回は?このような経過からの始まりなのですが〜〜〜??

更に「復興G様」からの「司会のお話…云々…」ですが?私宛の投稿の中に【かなり傷つくコトバ】を頂き、
もうこちらは【感情…】が先になり、冷静に物事は???と、更に、このような経過での「司会…云々」を、
引き受けることは???オカシイと思えるのです。
【まるで!当時のコトバは売り言葉に買い言葉でしょうか〜〜〜??】そして、考えすぎなのでしょうか?
何故なら【パソコンの中傷…】は、意外と心の深層部に残るのです〜〜〜ョネ!シッカリと……!
変な処で、心の葛藤が生じ?そのような現象が起きましたので、私も?その瞬間には【感情…】が……
そのような気持ちになった訳ですが、その後「a hope様」が、常日頃?私どもに対しての快い見方を
なされていない感じを文書から伺えました。そうですネ!何かにつけて“ケチ…?”をつけてくるような
投稿が多々ありましたから、いつもなら“気分を害し…沈黙”していたのですが〜〜〜?

                              つづく

928SAKURA:2013/05/05(日) 00:31:30 ID:AmUCCJtc
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>>870>>915>>918>>918>>927 投稿の続きです。

>>927投稿の続きです…。
■此処との成り行き上〜〜〜まるでこちらが悪い事をしたかのような【投稿文章…コトバ】に権力観を感じま
したから、これはものすごく、私は立腹しました。が…?

■■「a hope様の内容」は〜〜〜
まず「誌友会…」後は投稿感想を書かないでほしいとの事です。今回の【13回WEB誌友会】に 私どもが、
故意に参加しなかったのでしょうかとか〜〜〜
真剣見がないとか〜〜〜多々の内容が書かれていましたから、そうしますと?今回は皆様がこれだけ投稿を
なさっていますのに〜〜〜【当時の皆様のコメンタ−の方は、参加は??】まるで、私だけに【標的…】
されたようにも思えますし、更に、内容が■【まるでこちらが〜〜〜悪モノ扱い?屈折したようにも…】
おもえるような感じになりました。これは?仕向けられた「わな」になっていく感じですョネ!!
振り返りますと…これは【元分派のお得意なワザ?】に、見えましたが???(昨年も何回も)

今回!!たったこれだけでの【内容…での発展】ですから?私は「司会者はa hope様」に向いていないとの
判断にいたったのですが?

そして投稿者の中に■【やる気のある方がすればよいとか?】これも、正直!イイカゲン!ではと思いました。。
例えば〜〜〜「アナウンサ−」つまり専門的にはなりますが??
やはり、そこを任されますには【知識豊富】が条件では、なれないでしょう!!
入社してすぐの「新米で進行」が出来るのでしょうかと思いました。…が?
やる気のある方ではなく!出来る方にお頼みするくらいの【謙虚さ…】が欲しいと思いました。
(これは世間一般の見方と、確信しております。)

今回「訊け管理様」が【司会…】を引きうけて下さる事で、初めて「航海…」が始まるのですネ!!
大海原に〜〜〜それこ“START”でしょうか??キット!「神様…」のお導きと思いますが。。。
                                    再合掌

PS:
■■よく考えますと「訊け管理人様」のお気に入りの「さくら様」ですが??
「一言…」申し上げますが〜〜〜ひらがなの「さくら 様」は、私の【コトバ…使い方】そして【クセ】を
よく取らいます様ですから【訊け管理様】が?誤解?なのでしょうが?重複される事もありますので〜〜
それだけはないように??【ダブリング…なし】でお願い申し上げます。…が?

929SAKURA:2013/05/05(日) 00:50:50 ID:AmUCCJtc
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こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
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>>870>>915>>918>>918>>927>>928 投稿の続きです。

「訊け管理人様」が〜〜〜引き受けてくださる!! 「おめでとうございます。」
シャボン玉ルルル〜〜ルシャボン玉ラララ〜〜ラ
❤ロマンティクな夢〜〜〜ネ!〜〜まるい!素敵な夢〜〜ネ! 心の中ではずんでくるよ〜〜〜ネ
リズムに乗せてとんでくるよね〜〜〜誌友会〜〜♫ 誌友会〜〜♫〜〜♫
【真理のコトバ…】心の中へ〜〜〜「ネット誌友会…生長の家」

                                再合掌

PS: 更に??「志恩様」「うのはな様」もタタク役にとか〜〜〜投稿があり??楽しい!楽しい!
誌友会になりそうですネ!!

930ユタカ:2013/05/05(日) 01:14:56 ID:2DhH33vQ

トキ様、皆様、ご無沙汰しています。 ユタカです、またこちらで勉強させて頂きたく思います。

よろしくお願いします。 PCは以前壊れている状態が悪化しています。

 a hope様、教えてください。次回のテキストは何巻の何ページから何ページまででしょうか??5月は復興G様がお休みされるか、なさるのか、訊けさまと調整中なのですね。

ところで、皆さんは連休はどうお過ごしですか?

もし時間的に余裕があれば、明日のいえ今日5日の、夜9時位から次回のWEB誌友会の予習と言う形で次回の箇所を

読みませんか?  せっかく連休です、一日位、真理の勉強会しませんか?? 昼間でもいいですよ?

なんて、、、長らく顔を出さなかった人間がブシツケニ失礼ですが・・・

最低2人集まれば、やれます。予習しませんか? どなたか??

やり方は、次回のWEB誌友会のテキストを夜の21時から23時位まで、小分けに区切って読むと言う形でどうでしょう??


誰か、、、付き合ってくれる、人の良い人募集〜〜^^しま〜す!! よろしく!!


って・・・突然出てきて自己中かなぁ????  トキさん??? ごめんなさい。。。。

誰か見て感じてくれないかな? この私の熱いメッセージを!!

931トンチンカン:2013/05/05(日) 03:59:58 ID:nFgY2khg
<迷い>に迷う、トンチンカン?


*「ローストチキン」が食べたいな〜〜

・マサノブ教では「ノーミート運動」が盛んなんだよ!!

*そうかい、それじゃ「ローストチキン」は食べない方がイイのかい?

・マサノブご夫婦は「ノーミート」だとのことだよ!!

*それはないでしょ? 写真に「ローストチキン」が写っていたよ?

・あれは、ご子息用なのよ!! マサノブご夫婦は「ノーミート」だってことなの? そのうちに、「ノーミートの定義」なんて出てくるかもよ??

*でも「ローストチキン」美味しそうだな〜〜  食べようか? やめようか? ... 迷うな〜〜 

・マサノブ教では、それを <迷い> というんだよ!!

*エエ? 本当かい?

・以前に埼玉の講習会で、「レストランのメニューを見て迷いませんか?これ迷いですよね?」..とマサノブ氏が言っていたんだよ・・・

*それも、迷いなのかい?

・そう言ったんだよ、マサノブ氏が...

*そんなのは、単なる<選択>の問題じゃないのかい? これって指させば決まるじゃないですか?

・う〜ん 成る程... 自分で解決出来ないで、悶々としているのが<迷い>だね・・

・それとね、「<迷い>の裏側に<自由>がある」なんてことも言っていたんだ、どう思う?

*「<迷い>はナイ」・・と教えられたよ!! 雅春先生に・・・

・いやいやマサノブ教では、<迷い>は有るんだ、<自由>の裏側なんだ。

*だったら<迷い>を無くするためには、<自由>を無くさなければならいの?

・そこが理解できないんだよ!!

*君が理解出来ないことを、トンチンカンが分かるはずがないじゃないですか・・・

932閲覧者:2013/05/05(日) 06:00:01 ID:???
>>908
a hope様におたずねしますが、準備祈願のお祈りや真理の吟唱のお言葉は、毎回手で入力されているのでしょうか?
まさか、パソコンの中のテキストで保存してあるのをコピー&ペーストをしておられるのではないですよね?

933復興G:2013/05/05(日) 07:14:46 ID:AB6RqYXc

>>927>>928 SAKURAさん

あなたの文章は(それが「文章」と言えるかどうかも疑問なくらい)本当にわかりにくいのですよ。

ただ、「私は立腹しました」とあるので、なぜ立腹されたんだろうかと、繰り返し読んで考えてみました。すると、

>>「a hope様の内容」は〜〜〜まず「誌友会…」後は投稿感想を書かないでほしいとの事です。今回の【13回WEB誌友会】に 私どもが、故意に参加しなかったのでしょうかとか〜〜〜真剣見がないとか〜〜〜多々の内容が書かれていましたから、そうしますと?今回は皆様がこれだけ投稿をなさっていますのに〜〜〜【当時の皆様のコメンタ−の方は、参加は??】まるで、私だけに【標的…】されたようにも思えますし、更に、内容が■【まるでこちらが〜〜〜悪モノ扱い?屈折したようにも…】おもえるような感じになりました。<<

――そして――

>>これは?仕向けられた「わな」になっていく感じですョネ!!振り返りますと…これは【元分派のお得意なワザ?】に、見えましたが???(昨年も何回も)今回!!たったこれだけでの【内容…での発展】ですから?私は「司会者はa hope様」に向いていないとの判断にいたったのですが?<<

――と続いている。

それで、以前の書き込みも読み返して冷静にSAKURAさんの論理というか、心の動きを推測してみましたすると――。

>>去年の春から【擁護派として“タタカレ!”】ております…。その件は?第三者としての立場であります「管理人 様」から見られても、思い当たります“ふし”が在られますのではないでしょうか…?一例を申しますと〜〜〜❤「記号…ある事自体がオカシイ」「日本語…がオカシイ」を度々おっしゃいましたから、……<< (>>804

――なるほど。SAKURAさんは、御自分の文章表現について、多くの人から「読みづらい」「わかりにくい」と言われるのも、自分が“擁護派”だからイジメを受けているに過ぎないのだと思い込んでいらっしゃる。――のかなあ――と、推測されました。

SAKURAさん。それは、ちがいますよ。“擁護派”とか“分派”とかに関係なく、あなたの文章は明らかに読みづらく、わかりにくいのです。記号(〜〜〜, ???など)が不自然に多用されている(と感じられる)ことも、その理由の一つです。

それで「SAKURAさんの文章はわかりにくくて、読むのが苦痛だから、読み飛ばす」などと率直に感想を言おうものなら、「分派だ」「イジメだ」と決めつけ、依怙地になって反撥し自己弁護し、相手を非難される。それではたまったものではないから、嫌われる。それであなたはますます孤立してしまうのです。――というのが、私の率直な感想です。

少し、お考えください。

934復興G:2013/05/05(日) 07:38:50 ID:AB6RqYXc

>>930 :ユタカ様。

うれしいです、戻ってきてくださって。

これで、また一段とこのweb誌友会に熱がこもりますね。

>>a hope様、教えてください。次回のテキストは何巻の何ページから何ページまででしょうか??<<

と、a hope様へのお声かけですが、横から私がお答えしていいですか?

『生命の實相』第3巻は、冒頭に8つの「神示」が掲載されています。

「神示」は軽く読み飛ばすべきものではなく、大切なところであるから、少しずつじっくりと勉強しましょう、ということで、1回に2つの神示を、突っ込んで勉強することにしました。
それで、前回第13回に最初の二つの神示、『生命の實相』第3巻では名前は付けられていませんが、「神示講義」や「神示集」では「声字即実相の神示」「万教帰一の神示」と名付けられている神示です。

次回、第14回のweb誌友会では、つぎの二つ、「神示講義」や「神示集」では
「無相円相一切相の神示」
「帰幽の神示」
と名付けられている神示について勉強することになります。

さあ、張り切って、空っぽになって、しっかり学びましょう。ワクワクするような、魂の飛躍があると信じます。よろしくお願いします。

935志恩:2013/05/05(日) 07:44:35 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

ahope様あてのメールでしたが、私も返信させて頂きます。
ユタカ様が参加して下さるというお返事を拝見しまして、大変うれしく存じました。

復興G様 はじめ皆様も、大変よろこばれることでしょう。



次回のWEB誌友会開催日のことですが、
復興G様と訊けさんで、まだ、調整中のようですね。

ちなみに、

『第13回web誌友会』(4/19〜4/21)は、
≪テキスト≫
『生命の實相』第3巻はしがき〜p.3まで、 でしたから、



その続きが、次回のテキスト範囲になりますけれど、何頁までかは、
日にちが決定次第、復興G様が、決めて下さいまして、そして、ahopeさんがときおり、ここへ
掲示して下さるものと思います。

ユタカ様は、
「今夜にでも、夜9時位から次回のWEB誌友会の予習と言う形で次回の箇所を
読みませんか?  せっかく連休です、一日位、真理の勉強会しませんか?? 昼間でもいいですよ?」

と、おっしゃって下さったので、そのご熱意に圧倒されそうですが(爆笑)

まだ、テキストの範囲も決まっていませんし、どうなんでしょう。。。。
早急かもしれませんよ。。



私は、ゴールデンウイークは、昨夜も遅く迄、来客がいましたが、今日も、泊まりがけの
来客くるので、千客万来で、パソコンには、あまり入れないのです。。。すみません。

今後のWEB誌友会、「生命の實相」の世界への発信…、

ユタカ様が参加して下さるなんて、心強いです。
ありがとうございます。

936復興G:2013/05/05(日) 07:48:38 ID:AB6RqYXc

追伸です。

上記二つの神示は、聖経『天使の言葉』の冒頭に
「久遠生命の神示」と題して掲げられており、
神示講義としては、
『到彼岸の神示』にご講義が掲載されています。

937志恩:2013/05/05(日) 07:54:10 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

>>934;復興G様の書き込みを拝見しないで、返信しました。
復興G様が、早々と、テキストを決めてくださったようですね。

よかった。

それで、
ユタカ様が、今夜にでも予習をと,呼びかけて下さったので、どなたか参加されると
いいですけれど、もしも、参加者がいない場合は、ゴールデンウイーク中で、
皆様、それぞれにお忙しいからだと思って下さいませね。

938志恩:2013/05/05(日) 08:10:26 ID:.QY5jUA6
932 :閲覧者様に

逆にお尋ねしますが、

たとえ、補佐が、ahopeさまであってもなくても、用意しておく それが、なぜ、いけないんですか?


閲覧者様曰く
「準備祈願のお祈りや真理の吟唱のお言葉は、毎回手で入力されているのでしょうか?
まさか、
パソコンの中のテキストで保存してあるのをコピー&ペーストをしておられるのではないですよね? 」

ということですが、
それって、さあ、終わりの時間だぞ、と思ってから、長文の「真理の吟唱」をキーで打ち込め、と
いうことでしょうか?

そんなことしてたら、時間に、間に合わないじゃないですか!!
まるで、
大地震が起きてから、慌てて、水やカンパンや、懐中電灯を買いに走る あわてもんの人みたいです。

テキストとして保存しておくという用意周到も、プラス思考だと思います。

(私は、そういう技が使えない未熟者ですが)

939a hope:2013/05/05(日) 08:32:37 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

今朝も素晴らしい神想観をすることができました。
この、素晴らし生長の家のみ教えに出会えたことに心から感謝します。


さて、わたしは昨晩、web誌友会運営における主導権を手放させていただきましたので、
必要以上の発言は控えさせていただきます。

そして、わたしは家庭の主婦で子どもたちの世話もしなくてはいけませんし、
仕事もしていますので、とても忙しいので、この掲示板のすべての板を拝見することは不可能です。
ですが、このweb誌友会板だけはしっかり拝見させていただきます。

そして、こちらでのa hope 宛のご投稿だけにはお返事させていただきたいと思いますが、
長文の投稿が何個も続いたりして見落としてしまう場合もあるかもしれませんが、
再度お知らせくださればお返事させていただきますので、よろしくお願いいたします。


>>898>>911>>917さくらさま

<<いままで、誌友会のサポート役を懸命にして維持してくださりありがとうございました。
そのおかげで、いま、訊けさまも誌友会の司会を受けてくださり、
参加者の垣根も広がるのではたいかとおもいます。
わたしも同じ一求道者同志として、限られたネットの世界ですが、
a hopeさまと学ぶことができれば、ありがたいと思っています。
そのときは、よろしくお願い申し上げます。
ありがとうございます。 >>

温かいお言葉をありがとうございます。
わたしも、さくらさまと一緒に「生命の實相」哲学を学べるのを楽しみにしています。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。



SAKURAさまが>>918>>924>>928において、a hopeの至らなさをたくさんご指摘くださっているようですが、
こちらは、a hope宛ではないようなので、お返事することは控えさせていただきます。

ですが、>>928

<<その後「a hope様」が、常日頃?私どもに対しての快い見方を
なされていない感じを文書から伺えました。そうですネ!何かにつけて“ケチ…?”をつけてくるような
投稿が多々ありましたから、いつもなら“気分を害し…沈黙”していたのですが〜〜〜?>>

とありますご投稿文の中の、<<何かにつけて“ケチ…?”をつけてくるような投稿が多々ありました>>

これは、自分自身では全く見当がつきませんので、ご指摘いただいても反省のしようがありません。
できれば、多々あるa hopeの投稿文の中の、2〜3文でもいいので抜粋して、再投稿させていただければ幸いです。
(つづく)

940a hope:2013/05/05(日) 08:35:08 ID:edEDolt2

>>923復興Gさま

<<5月は休んで、6月7日(金)〜8日(土)はどうでしょう。トキ様、a hope様のご都合も聞きたいです。>>

お声かけありがとうございます。
6月の予定はまだはっきりしませんが、わたしは何日に決定しましても、できるだけ都合をつけて参加するようにさせていただきますので、
よろしくお願いいたします。


>>930ユタカさま

ユタカさまがおかえりなさい。
第1回、第2回誌友会では、ユタカさまにも大変お勉強させていただきました。
心から、感謝しています。
PCの調子が悪いそうですが、これからも無理のないよろしくお願いいたします。

<< a hope様、教えてください。次回のテキストは何巻の何ページから何ページまででしょうか??
5月は復興G様がお休みされるか、なさるのか、訊けさまと調整中なのですね。
ところで、皆さんは連休はどうお過ごしですか?
もし時間的に余裕があれば、明日のいえ今日5日の、夜9時位から次回のWEB誌友会の予習と言う形で次回の箇所を
読みませんか? 
 せっかく連休です、一日位、真理の勉強会しませんか?? 昼間でもいいですよ?
なんて、、、長らく顔を出さなかった人間がブシツケニ失礼ですが・・・
最低2人集まれば、やれます。予習しませんか? どなたか??
やり方は、次回のWEB誌友会のテキストを夜の21時から23時位まで、小分けに区切って読むと言う形でどうでしょう??>>

早速の素晴らしいご提案に感謝いたします。

<<次回のテキストは何巻の何ページから何ページまででしょうか??>>
これについては、復興Gさまがお答えくださいましたね。

<<夜の21時から23時位まで、小分けに区切って読むと言う形でどうでしょう??>>
いいですね!
「生命の實相」は読むだけで救われる聖典ですものね。
わたしも参加できるようなら、参加させていただきます。
ただ、遅い時間になってしまうかもしれません。



>>932閲覧者さま

>>908
<<a hope様におたずねしますが、準備祈願のお祈りや真理の吟唱のお言葉は、毎回手で入力されているのでしょうか?
まさか、パソコンの中のテキストで保存してあるのをコピー&ペーストをしておられるのではないですよね? >>

「準備祈願の祈りの言葉」に関しましては、第2回web誌友会でユタカさまが謹写されたものを、『ユタカさま復活の祈り』も込めて、
心をこめて転写させていただいておりました。
最初のころは、その旨お伝えしていましたが、最近はただ、「謹写させていただきます」と発言していたかもしれません。
わたしが正しく説明しないため、誤解がありましたらお詫びいたします。


「真理の吟唱の祈りの言葉」に関しましては、当日の朝、神想観の後にwordに謹写することが多いです。
それを、誌友会の開会前にもう一度心をこめて拝読後、転写させていただいています。

わたしには家族もおりますし、仕事もしています。
夜の9時あたりは、とても忙しく騒がしい場合もありますので、このような形での投稿とさせていただいておりました。

941a hope:2013/05/05(日) 08:42:44 ID:edEDolt2
>>939訂正
最終行

できれば、多々あるa hopeの投稿文の中の、2〜3文でもいいので抜粋して、再投稿【させていただければ】幸いです。
                ↓
できれば、多々あるa hopeの投稿文の中の、2〜3文でもいいので抜粋して、再投稿【していただければ】幸いです。

みなさま、誤字脱字打ち間違いいが多くて申し訳ありません。

942SAKURA:2013/05/05(日) 08:58:37 ID:snyNZiPs
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こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【 SAKURA 】で〜〜〜す。
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>>870>>915>>918>>918>>927>>928>>929 投稿の続きです。

管理人 トキ様

>>924>>925 の内容の一部に【間違いがありましたので・・・】
お忙しい処〜〜〜申し訳ありませんが…デリ−トを、お願い申し上げます。
                             再合掌

943SAKURA:2013/05/05(日) 09:06:35 ID:snyNZiPs
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おはようございます……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
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>>870>>915>>918>>918>>927>>928 投稿の続きです。

「訊け管理人様」が〜〜〜引き受けてくださる!! 「おめでとうございます。」
シャボン玉ルルル〜〜ルシャボン玉ラララ〜〜ラ

❤ロマンティクな夢〜〜〜ネ!〜〜まるい!素敵な夢〜〜ネ! 心の中ではずんでくるよ〜〜〜ネ
リズムに乗せてとんでくるよね〜〜〜誌友会〜〜♫ 誌友会〜〜♫〜〜♫
【真理のコトバ…】心の中へ〜〜〜「ネット誌友会…生長の家」

                                再合掌

PS: 更に??「志恩様」「うのはな様」もタタク役にとか〜〜〜投稿があり??楽しい!楽しい!
誌友会になりそうですネ!!

944かぴばら:2013/05/05(日) 09:16:28 ID:EOnq12bc
さくら様

あなたの真剣なお言葉にもかかわらず、ずいぶんと大雑把な言葉でひとくくりにしてすみませんでした。私は「虚とか真」とか言ってる意味がわからず、適当にまとめようとしてましたね。

ただ、世の中、そんなに打てばすぐ響くひとばかりではない(私もそうですが)ので、ときにはトンチンカンな人も多々あるので、それぐらいのことで、ナーバスになってもあかんかなと思って発言しました。

そこはさくらさんにとってははずせない大事なところでしたよね。

それでは、復興G様、トキ様、訊け様とa hope様は祈りの言葉の謹写ということで、万全の備えができていると思うので、私も陰ながら拝読させていただくことにいたします。ありがとうございます。

皆様、もっとも適当なよい時期がきましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

                                                    拝

945SAKURA:2013/05/05(日) 09:20:42 ID:snyNZiPs
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おはようございます…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
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>>870>>915>>918>>943>> 投稿の続きです。

■今日は?休日でしたが〜〜”長〜〜い!!一日“のように思えました次第です。…が?
何故この様になりましたのでしょうか?と…振り返りながら、只今?思いにふけっております。

※どう見ましても【SAKURA】 への誤解を生じる投稿内容が…あり【経過過程…】を投稿させて…

今回の騒動は【>>787 SAKURAの追伸投稿】の中に、「管理人トキ様」宛にですが??記憶には、
確か「うのはな様」との「対話投稿」に水を差した感じのコメント投稿を、私がしました。

−−>【>>789a hope様からのコメント】が私宛に頂き?他の投稿もあり??無視をした形となりました。

そうしますと再度の私宛に投稿を頂きましたが??その間ですが〜〜〜 【>>791トキ様】からの返事を頂き、私も【SAKURA>>792トキ様宛の返事】としてこちらも返事をした次第です。

さて「a hope様…」に、……と思っていますと、更にまた【a hope様からの>>793投稿】からですので、
>>795>>796 SAKURA投稿】を返事としてさせて頂きました。…が?

今回は?このような経過からの始まりなのですが〜〜〜??

更に「復興G様」からの「司会のお話…云々…」ですが?私宛の投稿の中に【かなり傷つくコトバ】を頂き、
もうこちらは【感情…】が先になり、冷静に物事は???と、更に、このような経過での「司会…云々」を、
引き受けることは???オカシイと思えるのです。

【まるで!当時のコトバは売り言葉に買い言葉でしょうか〜〜〜??】そして、考えすぎなのでしょうか?
何故なら【パソコンの中傷…】は、意外と心の深層部に残るのです〜〜〜ョネ!シッカリと……!
変な処で、心の葛藤が生じ?そのような現象が起きましたので、私も?その瞬間には【感情…】が……

そのような気持ちになった訳ですが、その後「a hope様」が、常日頃?私どもに対しての快い見方を
なされていない感じを文書から伺えました。そうですネ!何かにつけて“ケチ…?”をつけてくるような
投稿が多々ありましたから、いつもなら“気分を害し…沈黙”していたのですが〜〜〜?

                              つづく

946SAKURA:2013/05/05(日) 09:24:50 ID:snyNZiPs
「管理人 トキ様」へ  「誌友会の皆様」へ  「観覧者様」へ   
おはようございます…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
>>795>>796>>804>>813>>814>>818>>819>>821>>828>>829>>843>>844>>847>>857
>>870>>915>>918>>943>>945 投稿の続きです。

>>945投稿の続きです…。

■此処との成り行き上〜〜〜まるでこちらが悪い事をしたかのような【投稿文章…コトバ】に権力観を感じま
したから、これはものすごく、私は立腹しました。が…?

■■「a hope様の内容」は〜〜〜

まず「誌友会…」後は投稿感想を書かないでほしいとの事です。今回の【13回WEB誌友会】に 私どもが、
故意に参加しなかったのでしょうかとか〜〜〜真剣見がないとか〜〜〜多々の内容が書かれていましたから、

そうしますと?今回は皆様がこれだけ投稿を
なさっていますのに〜〜〜【当時の皆様のコメンタ−の方は、参加は??】まるで、私だけに【標的…】
されたようにも思えますし、更に、内容が■【まるでこちらが〜〜〜悪モノ扱い?屈折したようにも…】
おもえるような感じになりました。これは?仕向けられた「わな」になっていく感じですョネ!!
振り返りますと…これは【元分派のお得意なワザ?】に、見えましたが???(昨年も何回も)

今回!!たったこれだけでの【内容…での発展】ですから?私は「司会者はa hope様」に向いていないとの
判断にいたったのですが?

そして投稿者の中に■【やる気のある方がすればよいとか?】これも、正直!イイカゲン!ではと思いました。。
例えば〜〜〜「アナウンサ−」つまり専門的にはなりますが??
やはり、そこを任されますには【知識豊富】が条件では、なれないでしょう!!
入社してすぐの「新米で進行」が出来るのでしょうかと思いました。…が?
やる気のある方ではなく!出来る方にお頼みするくらいの【謙虚さ…】が欲しいと思いました。
(これは世間一般の見方と、確信しております。)

今回「訊け管理様」が【司会…】を引きうけて下さる事で、初めて「航海…」が始まるのですネ!!
大海原に〜〜〜それこ“START”でしょうか??キット!「神様…」のお導きと思いますが。。。
                                    再合掌

PS:
■■よく考えますと「訊け管理人様」のお気に入りの「さくら様」ですが??
「一言…」申し上げますが〜〜〜ひらがなの「さくら 様」は、私の【コトバ…使い方】そして【クセ】を
よく取らいます様ですから【訊け管理様】が?誤解?なのでしょうが?重複される事もありますので〜〜
それだけはないように??【ダブリング…なし】でお願い申し上げます。…が?

947復興G:2013/05/05(日) 10:03:48 ID:AB6RqYXc

たとえ参加者が少なくなっても、変わらぬ熱意でこのweb誌友会を守り支え続けてきてくださって今日があるのは、トキ様・a hope様のおかげです。

a hope様が支えてくださらなかったら、もうこのweb誌友会は消滅していたでしょう。

それなのに今きびしい目を向けて、“タタク”人もあるようですが、無理せず楽しく積極的に参加をつづけていただければありがたいと思います。
a hope様、あなたがweb誌友会の大切な縁の下の力持ち、支え手であることには変わりがありません。
がんばって、よろしくお願いいたします。


皆々様

web誌友会、バンザーイ!

948a hope:2013/05/05(日) 10:23:51 ID:edEDolt2
>>947復興Gさま

わたしは、大丈夫ですよ。
SAKURAさまも、大切なこの掲示板の仲間ですからね。

SAKURAさまこそ、この掲示板に書き込み者が少ない時も、書き込みを続けて下さって、
この掲示板を盛り上げてきてくださった大切な縁の下の力持ち、支え手なのです。

わたしは、SAKURAさまに、心から感謝しています。

949さくら:2013/05/05(日) 10:31:54 ID:RmG2QftU
>>944
かぴばらさま

ご理解ほんとうに感謝しています…。

わたしは、…祈り、この投稿をしましたので、この内容で、個人攻撃だとか自分勝手だと批判があり、誤解があっても仕方ないと思っています。

でも、全体のために祈った気持ちは、自分の中で、やっぱり…変わりませんし、生長の家の発展を祈った気持ちにはうそはありません。
これだけははっきり自分の中で言えるので、批判や誤解があっても甘んじて受けようと思っています。

そして、復興G様にもa hopeさまにも、いま、とても感謝しています。気づきをたくさん頂きました。

わたしもここを真摯に拝読したいとおもいます。

自分の課題を乗り越えて、万人の救いである生長の家を、一歩一歩ですが…学んでいきますね。
ネットの向こう側のかぴばらさまのことも、同じ同志だと思っています。

ありがとうございます。感謝

950さくら:2013/05/05(日) 10:33:02 ID:RmG2QftU
復興G様

わたしも、こちらでいつも貢献したa hopeさまの努力に対する考慮に欠けた、ぽっと出て、余計なことを書きすぎまして、大変失礼があり、申し訳ございませんでした。

ただ、一点、ひとは、それぞれの「真実の体験」をもち、それはなかなか理解しにくいかもしれませんが…
そのことを課題にしながら、自分を乗り越えようともがく姿が、時にはあると思うのです。
…わたしも、そうです、
時に、そのことで、人を傷つけてしまうことがあります。
それは、その人が悪いように見えますが、だれでも学びの最中だと、わたしも理解を深めたいと勉強中です。
どうか、未熟さをお赦しください。

復興G様やa hopeさまのように、だれでもはじめからは聖人にはなれないことがあります。

これからも謙虚に学ばせて頂きます。
ありがとうございます。

951ユタカ:2013/05/05(日) 13:18:09 ID:2DhH33vQ
ありがとうございます。

トキさま、皆様、 突然消えたユタカですが、ごめんなさい。 また、こちらにお邪魔して一緒に学ばせてください。よろしくお願いします。

復興G様、到彼岸の神示 の本が手元にありません。ですので、

今夜は生命の実相の神示のところを 読ませていただきます。本当に素読です。

P、何ページ読みましょう、はい、つぎのページ というやり方です。なんの力みもなく
スラスラと始まって終ろうと思います。 お祈りは貼り付けでやります。当然です。ただ、このPCが固まるから時間がかかります。

復興G様お出ましの5月のWEB誌友会には、訊けさんが自分の開会の祈りを出したくて、今言っているのでしょう。
訊けさんが素晴らしい開会のお祈りをされることに期待しています。あれは、a hopeさん潰しでなく、自分がやりたい、出たい人のサインと考えますが??

トキさん、遅くなりましたが、今夜こちらの板で生命の実相のページ数のやり取りでにぎやか??にしようさせてください。

よろしくお願いします。

a hopeさま、有難うございます。ユタカ一人だろうと思っていたので、感謝感謝です。

志恩さま、 ご無沙汰しています、訊けさんが司会にカムバック!! にぎやかになりそうで嬉しいのですが、暴走がちょっとだけ心配・・・。まぁ、熱意からくるものとは分かりますが・・・ と言う自分も突然消えました、ごめんなさい、またここで勉強させてください。よろしくお願いします。

952ユタカ:2013/05/05(日) 13:32:03 ID:2DhH33vQ
今まで、ここを覗かなかったのですが、そろそろ、また参加したいと思って覗いたら、グッドタイミング!!

司会とか、交代でしているのかと思ったら、ずーと、復興G様とa hopeさまが担当されて・・・あれあれ〜〜〜〜!!と驚きました。

なかなか、交代してくれる人がいなかったのですね。。。 

昨夜遅くまで、今までの誌友会の内容を読んでいました、みなさま、回を重ねるごとに心境が深くなっているなぁ、、と感じました、素晴らしい!!
と言うのが私の正直な感想です。

953ユタカ:2013/05/05(日) 13:42:08 ID:2DhH33vQ
ユタカのPC壊れてファイルが開けないないからここに保存しておこう!っと
(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

夜の開会の祈り、今やっておこう。 っていうか、今からやるかな〜〜。

ユタカのファイル、どこかに一緒に丸ごと送信されたらしくて開けないんだ〜〜〜・・・

954ユタカ:2013/05/05(日) 13:51:17 ID:2DhH33vQ
訂正 >951

復興G様のお出ましになる5月 → 6月 と訂正します。

955うのはな:2013/05/05(日) 16:20:23 ID:/oK1kkTI

 そして現在、話し合われているのは「誌友会のありかた」です。その趣旨をやり取りしているのですから、「○○さんは、こんな人」など、そんな話は別板でよいはずです。いかがでしょうか。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これは以前から訊け管理人さんが提案していたことで、トキさんもなにも答えられないので
わたしの意見をいわせてもらいます。
 「誌友会のありかた」が論点だといつ誰が決定したのでしょうか?
その誌友会のあり方の中に、ここの投稿者、参加者の話が出るのは自然の流れであって
いちいち、これは別版、これはどこそこと分別するほどのこともないと思います。
なぜなら、さくらさんなどが言いだしてきたことに関して誌友会ともリンクするから話してるのに、
わたしが何か言うとすぐに別版でといわれるのは不条理だと思います。
もう誌友会に出ない理由を書いたので、これ以降も出ることはないと思いますが、
訊け管理人さんが余計な気を回す、口出すことによって、これまでおかしな様相になってたんだから
少しは自重してください。



956復興G:2013/05/05(日) 19:44:32 ID:AB6RqYXc

>>950 :さくら様

ありがとうございました!


>>951
ユタカさ〜〜〜ん!

ありがとう!

今夜からでも、テキストの予習を始めたいって、すごい意気込み!

私も、じっとしていられないから、ユタカさんが持っていないと言われた神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』の、該当箇所の謹写を始めました。もう少ししたら、最初の「無相円相一切相の神示」ご講義文を、アップできると思います。乞うご期待。

957ユタカ:2013/05/05(日) 20:03:43 ID:2DhH33vQ
復興G様、

ありがとうございます。本番は6月だと思って、ユタカは何も用意していませんでした。

ただ、本を読みたいと思っただけなのに・・・・

なんと!!!  復興Gさまに火をつけてしまった?? ご無理なさいませぬよう。。。

ユタカは、ファイルが開けなくて下書き場所がありません。。。。 

ユタカの家の本の「生命の実相 第3巻」を開くと・・ 表紙をめくると「生命力」と墨で書かれて、 楠本先生のサインと印鑑がおしてありました。

聲字即実相の神示
万教帰一の神示
無相円相一切相の神示
帰幽の神示
信仰生活の神示
懺悔の神示
無病常楽の神示

その場、その場で神様と一体になれば良い、すべて有難い感謝する。
どんな現象を見ようとも自分は神の子で神の姿そのものであると思いなさい。

「私は神の子」   と本に書き込みがあったので、ここに書き写します。

958ユタカ:2013/05/05(日) 20:07:55 ID:2DhH33vQ
最後の自然流通の神示が抜けてしまいました。すみません。

これから、もう一度、先月の誌友会を見に行ってきます。

959ユタカ:2013/05/05(日) 20:22:03 ID:2DhH33vQ
9時から予習?を始めたいと思っていましたが、予習の前に復習をしたいです。

この板の661〜668をもう一度ゆっくりと読み直しましょう。

960復興G:2013/05/05(日) 20:24:23 ID:AB6RqYXc

申し遅れましたが、

志恩様!

ご声援、ご愛念、ありがとうございます!

合掌 拝


SAKURA様!

ありがとうございます!


皆々様!

ありがとうございます!

合掌 拝

961復興G:2013/05/05(日) 20:25:25 ID:AB6RqYXc

谷口雅春先生著
神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より 謹写
   (原文は正漢字・歴史的仮名遣使用。ここでは新かな・当用漢字に書き換えました。)

   無相円相一切相の神示

 吾が臨(きた)れるは物のためではない、生命のためである。肉のためではない、霊のためである。これを覚(さと)るものは少い。物の生滅(しょうめつ)に心を捉えられ、物が殖えたときに信仰を高め、物が減ったときに信仰を失い、身体が健康になったときに神を讃え、家族の誰かに病気が起ったと言っては信仰を失うが如きは、神を信じているのではなく物を信じているのである。
 物は結局移り変るものであるから、物の御利益(りやく)の上に建てられた信仰は、物の移り変りによって壊(こわ)れるのである。

 神が病気を治して見せるのは、肉体は心でどうにでも移り変らせることが出来ると言う事実を見せて、『体(たい)』は念(こころ)の影だと言う真理をさとらせるためである。

 念(こころ)の影だと言う『体(たい)』とは肉体ばかりのことではない。幽体も霊体もすべて念(こころ)の影である。

 『死は無い』と言うのは肉体のことではない。現に肉体細胞は刻々死滅し流転(るてん)している。生き通しであるのは、斯(か)くならしめている『生命』のみである。

 『生命』のみが吾れであり汝であり、そのほかに吾れも汝もないのである。
 此の『生命』をみたまと言う。みたまの形は珠のように真ん円いからみたまと言うように解するものもあれども、真ん円いのは形のことではない。神は本来形無く、円満具足して自由自在であるから仮りに称して円相と言うのである。

 自由自在なるが故に或る時は龍神(りゅうじん)の姿を現じ、或る時は衣冠束帯(いかんそくたい)の姿を現じ、或る時は天使天童の姿を現ずる。いずれの姿も権化(ごんげ)であって偽(いつわり)ではない。しかし一つの形に執(しゅう)してそれのみを吾れであると思うものは、吾が真実を知らざるものである。吾が全相を知らざるものである。

 汝ら心して真(まこと)を知れ。汝(なんじ)たちも神の子であるから我れと同じきものである。肉体は汝の一つの現れであって汝の全相ではないのである。(昭和七年四月十日神示)


〔講 義〕

「吾が臨(きた)れるは物のためではない、生命のためである。肉のためではない、霊のためである。これを覚(さと)るものは少い。物の生滅(しょうめつ)に心を捉えられ、物が殖えたときに信仰を高め、物が減ったときに信仰を失い、身体が健康になったときに神を讃え、家族の誰かに病気が起ったと言っては信仰を失うが如きは、神を信じているのではなく物を信じているのである。物は結局移り変るものであるから、物の御利益(りやく)の上に建てられた信仰は、物の移り変りによって壊(こわ)れるのである。……」

 生長の家の信仰に入られますと、今まで医者にかかっても中々治らなかった病気か治ったり、今まで家族が不調和で家庭地獄が現出していた家族が調和して家庭に天国浄土が実現したりするのであります。戦争で傷ついて不具癈疾者とならなければならなかった筈の人でもおかげを頂いて現在健康で生活している人もあるのであります。

 例えば唯今、愛媛県伊予郡松前町大字横田に住んでいられる篠崎健三さんであります。この人は、支那事変のとき近衛歩兵第二聯隊に在隊していましたが、第一線に出て国家のために尽くしたいと思い、ついに意を決して上司へ歎願書を出して、昭和十四年五月四日、東京芝浦港より戦地へ向いました。

 篠崎さんの母親は生長の家を信仰していましたので、“言葉の力”で信念を強めてくれまして「健三よ、お前には決して敵の弾丸は中(あた)らないよ」と励ましてくれまして『甘露の法雨』をお守にくれました。それによって信念を得た篠崎さんは幾度戦闘に参加しましても不思議な位弾丸の方が避けてくれるのでした。前後左右に土けむりを立てて飛んで来る弾丸が篠崎さんの前進するに従って、「さながら雨降りに傘をさして歩むが如く」避けて通ってくれるのでした。(この形容は篠崎さん御自身の形容であります)
 信念は山をも動かすと言いますが全くその通りであります。
<つづく>

962復興G:2013/05/05(日) 20:26:18 ID:AB6RqYXc

<神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より 謹写つづき>

 併し篠崎さんの信念の崩れる時が来たのです。
 それは母親が昭和十八年一月十日に死亡したことでした。
 それまでは篠崎さんの参加する戦闘には、部隊の皆なが不思議がる程負傷者がなかったのに、四月には中隊長が其の部隊で戦死しました。その戦闘には篠崎さんは残留部隊に入っていて戦闘に参加しなかったのでしたが、中隊長の戦死後、五月に「おのれ仇討(かたきう)ちだ」と決意して勇戦奮闘、最後の突撃というとき、篠崎さんは、思わず、「お母さん、私は此処で見事に戦死いたします」と心で叫んで敵陣におどり込んだのです。

 今までは「私には断じて弾丸は中(あた)らぬ」という信念があった、その間は弾丸が雨霰(あられ)と降って来ても中らなかったのに、その信念がくだけると「見事に戦死いたします」などと心に叫ぶようになったのです。
 そして「おのれ仇討ちだ」などと、害悪の精神を起すと大調和の精神が破れますから弾丸に中り易くなるのです。そう思った其の瞬間、炸裂(さくれつ)する敵の砲弾に篠崎さんは一間(いっけん)半も吹きとばされ右大腿部に幅十二センチ、長さ二十センチの大穴が開(あ)いて骨がくだけ完全に骨折したため太腿(ふともも)から先の脚部はブラブラになってしまったのでした。

 それでも死ななかったのは携帯していた『甘露の法雨』のお守のおかげだと後から顧みて篠崎さんは言われます。

 そのような重傷を受けながら、しかも直ぐに手当を施されず、四日間も戸板に乗せて搬(はこ)ばれて、やつと野戦病院へたどりついたときには、充分の手当が施されていない傷口は、古くなった鮪(まぐろ)の刺身のようにどす黒くなり既に腐敗しかけているのでした。

 野戦病院では大手術は不能であるというので、直ちに済南陸軍病院へ更送されましたが、軍医は、「此の脚は一時も早く切断せぬと生命(いのち)が無い」と言うのでしたが、篠崎さんは、さすがは親孝行な人です。
 「親から貰った大切な脚一本失ってはすみません。死ぬにしても今更隻脚になっては死にたくない」と強く強く希望をのべましたので、軍医もやっと納得して、北京陸軍病院の骨折専門の室へ更送され其処で接骨の手術を受けたが、長時間にわたって毛布を二枚敷いた上に寝かされ、絶対動いては骨が接着しないと言われ、それを耐えしのぶのは死よりもひどい苦しみでした。

 「戦死した方がよかった」と篠崎さんの心には自分の不幸を悲しむ思いが繰返し繰返し起って来るのでした。悲しみは「水」に変化するのです。やがて右肋膜に水がたまって大きな注射針のようなもので三度も水を吸い取っても、またしても溜って来るのでした。

 ついに内地送還となり、小倉病院に落著いたとき、伊予上野市にいられる生長の家の地方講師坪内正一先生が篠崎さんの叔父さんだったので、この先生が病院へ見舞に来てくれました。そのとき坪内先生がはじめて生長の家の教えを篠崎さんに聴かせてくれたのです。

 「人間は神の子であって病気や不完全はない。肉体は本来無い、それは想念の影である。傷ついて起ち上れないと思っている限りは起ち上れない。現象の不完全さを見ず、本来完全なる“実相の自分”自由に脚の動く自分を観て立ち上るようにしなさい。」

 こう坪内先生は言われて、篠崎さんの背に手を入れて
 「起きられるから起きて見なさい」
 と言われた。

 その頃篠崎さんは衰弱の極に達して骨と皮ばかりで、もうこれ以上は骨が邪魔して痩せられない状態で、脚も長期間固定させていたから筋肉は退行性萎縮で動かないのも当り前でした。篠崎さんは坪内先生に起しかけられたが、半分位起きたとき目が廻りそうになったので、直ぐ寝させて貰うより仕方がありませんでした。

 坪内先生がお婦りになった後で、篠崎さんは先生から教えられた生長の家の真理を静かに反芻して考えました。

 「今私は起ち上らなかったら生きる事は出来ない。今、私は絶体絶命の境に置かれているのだ。人間が神の子で本当に病気が無いのなら、起きられる筈だ。起きて見よう」と思った。
<つづく>

963復興G:2013/05/05(日) 20:27:02 ID:AB6RqYXc

<神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より 謹写つづき>

 「神の子で、神に生かされているのが実相なら、神に呼びかけて神に頼って起き上ってみよう」と篠崎さんは考えて、寝たまま合掌して一心に祈ったのであります。

 「神よ、御心ならば私を起たしめ給え」
 と繰返し念じていると、不思議なことに、今まで冷たかった足先が電流が通ったようにピリピリとして、急に想像もしなかった力が籠って来たような気持がして、何だか立てそうな気がして来たのです。

 「戦場で死んでいても仕方がなかった自分ではないか、もし急に起ち上って死んでも故国日本で死んだら本望ではないか!」
 こう思って篠崎さんは背水の陣を布(し)いた気持で寝台の上に起ち上ったのだ。

 眼がくらみ耳は鳴り、寝台から板の間に下りたとき本当に足がついているのかどうか解らなかった。しかし「立てた。
 本当に立った」と思うと、「ああ、ありがとうございます」と自然に感謝の念が浮んで来ました。
 一歩二歩と歩けた時の悦びは何にもたとえられぬものであって、篠崎さんは
 「有りがとうこざいます。有りがとうございます」
 と泣いてしまった。

 それから急に篠崎さんは体力を恢復し、今ではその曲らなかった脚が完全に曲げられるようになり、ちゃんと正坐して神想観ができるようになっているのであります。

 読者はこの重傷の篠崎さんの肉体が、完全に恢復されたことを大変なお蔭だとお考えになるでしょうが、肉体が恢復したのは、篠崎さんが「人間・神の子」の正しき信仰を得られ、「背水の陣を布く」という生活と禅の一致の生活態度を獲得し、更に普通の人ならば、両脚が自由に歩けても、それは「当り前」のことであって別に感謝の念が起らないのでありますが、その「当り前」のことが、有りがたくて泣けるほどに感謝できる心境になられたからです。

 宗教の御利益というのは肉体が治るよりも、このように心が一変することなのです。

 そこで此の神示に就いて考えて見て下さい。

 神様は「吾が臨(きた)れるは物のためではない、生命のためである。肉のためではない、霊のためである」とお示しになっているのであります。

 神様は肉体的にもお蔭を与えておられるけれども、それは「肉体は心の影である」という真理を知らせるための実験みたいなものに過ぎないのであります。

 イエスが二千年前に多くの奇蹟をあらわして多くの病人をいやし、ヤイロの娘やラザロを死より甦らしめられましたが、その癒された人も、甦らされた人も、結局はその肉体は死滅して今は存在しないのであります。
 肉体的方面からのみ言いますならば、「死」はイエスの奇蹟に打ち勝ったとも言えるのであります。

 併し神は、肉体を癒すのはその目的ではない、魂が真理に目覚めて向上することであります。「肉体が治った」と言ってその肉体のことだけで神に感謝しているのなら、やがて誰でも其の肉体が死ぬ時が来る。その時に感謝し得なくなるから、魂は永遠に救われたという訳には行きません。

 肉体の恢復を契機として、人間は神の子であって、霊的存在であると気付き、「永遠の生命」をさとり、現象の消長、盛衰、変遷に引っかからず、常に感謝の心境になれることこそ、神から人間に与えられた本当の救いなのであります。
<つづく>

964復興G:2013/05/05(日) 20:28:00 ID:AB6RqYXc

<神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より 謹写つづき>

 だから、此の神示には次のように続いて示されているのであります。

 「神が病気を治して見せるのは、肉体は心でどうにでも移り変らせることが出来ると云う事実を見せて、『体(たい)』は念(こころ)の影だと云う真理をさとらせるためである。念(こころ)の影だと云う『体(たい)』とは肉体ばかりのことではない。幽体も霊体もすべて念(こころ)の影である。

 『死はない』と云うのは肉体ばかりのことではない。現に肉体細胞は刻々死滅し流転している。生き通しであるのは、斯くならしめている『生命』のみである、『生命』のみが吾れであり汝であり、そのほかに吾れも汝もないのである。……」

 この神示に明示されておりますように、生長の家に入教されて病気が治るのは、必ずしも患者自身が悟りを本当にひらいて自由自在の心境に達して治るのではなく、「神が病気を治して見せ」られるのであります。

 この場合の神というのは、実相に於て既に完全に人間をつくっていられる神が既に“完全なる人間”を癒すということはあり得ないのですから、実相本源の神から使命を受けて人類光明化運動に参加していられる高級霊を爰(ここ)では「神」と称するのであります。
 仏教で言うならば「法身の阿弥陀」は尽十方に充ち満ちていられて去来がないが、その弥陀の慈悲を受けて、現象界にも救いを成就するために現象界に出現せられる観世音菩薩のような方が、此の高級霊でありまして、この神示にある「神が病気を治して見せる」という場合の「神」に当るのであります。

 このような高級霊の強力な光明霊波に照らされると、病念の具象化であった肉体の波動が、光明の波動に同化されてしまいますから、自然に肉体が健康化されてしまうのであります。

 肉体は霊魂が地上生活をいとなんで向上するための道具としての被服であります。その被服の下に、チョッキや、ワイシャツや下シャツを着ているようにエーテル体、幽体、霊体という風な用途を異にする「体(たい)」を幾重(いくえ)にも吾々は着ているのであります。これらの霊魂の体については「帰幽の神示」の解説のときに説明いたしてありますから今は説きませぬ。

 それは兎に角、『死は無い』ということは肉体が死なないということではないのであります。
 「現に肉体細胞は刻々死滅して」いるのであります。十分間前の自分の肉体の成分と、十分間後の肉体の成分とは既に異っているのであります。

 私たちに体温があるということは、私たちの肉体が常に蝋燭(ろうそく)の蝋のように燃えつづけていることであります。しかも昨日の自分と今日の自分とが同じように見えるのは、ガス栓の焔が、瞬々刻々燃えて変化するガスによって成立ちながら同じ焔のような形をつづけていると同じで、同じ形に見えているのは、かくあらしめている「精神的設計」が同じように持続しているからに過ぎないのであります。

 その精神的設計の「主体」が『生命』なのであります。物質は燃えつきて常に変るが、その精神的設計の“主体”(生命)は常に変らないので『死は無い』と言い、『人間は生き通し』と言うのであります。
<つづく>

965復興G:2013/05/05(日) 20:28:47 ID:AB6RqYXc

<神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より 謹写つづき>

 その生き通しの『生命』のみが「本当の自分」であり、諸君自身であり、肉体は単なる作業服であるにすぎないのであります。この『生命』のことを「みたま」と称するのであります。漢字を当て嵌めれば「霊」であり、英語をあてはめればSpiritであります。神示は続いて次の如く教えられています。

 「此の『生命』をみたまと云う。みたまの形は珠(たま)のように真ん円(まる)いからみたまと云うように解するものもあれども、真ん円いのは形のことではない。神は本来形無く、空(くう)のうちに円満具足して自由自在であるから仮りに称して円相と云うのである。

 自由自在なるが故に或る時は龍神(りゅうじん)の姿を現じ、或る時は衣冠束帯(いかんそくたい)の姿を現じ、或る時は天使天童の姿を現ずる。いずれの姿も権化(ごんげ)であって偽(いつわり)ではない。しかし一つの形に執(しゅう)してそれのみを吾れであると思うものは、吾が真実を知らざるものである。吾が全相を知らざるものである。

 汝ら心して真(まこと)を知れ。汝(なんじ)たちも神の子であるから我れと同じきものである。肉体は汝の一つの現れであって汝の全相ではないのである。」

 この神示は私がまだ住吉村に住んでいた頃、誌友の畑中猶三(ゆうぞう)という人が三日会という心霊現象研究の会を、毎月三のつく日に開いていたのですが、その席上で、数人の人々が同時に同じ姿の生長の家の神様の白髯(はくぜん)白髪白衣の衣冠束帯の神姿を顕したり、また龍神の姿を拝んだと言う人があったり、或は観世音菩薩の姿を拝したと言う人があったりして、神様を一定の姿をしていられるものだと考え勝ちになろうとしていた昭和七年の其頃、神は円相であって、無限相であり、決して一定の固定した姿ではないのだということを知らせるために渙発(かんぱつ)せられた神示なのであります。

 あらゆる姿を完全に全部そなえているのが神であるから、「完全に全部をそなえている」という意味での「円相」であり「みたま」であるとお示しになっているのであります。

 この神示で大切なところは「汝(なんじ)ら心して真(まこと)を知れ。汝たちも神の子であるから我れと同じきものである」というところであります。「神」と「神の子」とは一体であり、神が「みたま」であり完全円相であるが如く、人間も「みたま」であり、完全円相であると教えられているのであります。

 その神が各人の「生命」であり「真我」であり各人の“I am”なのであります。だから「『生命』のみが吾れであり、汝らであり、そのほかに吾れも汝もないのである」と示されているのであります。
 この“I am”は「私は……」(I am)「何々である」という通りに一切のものをあらわすことが出来るのであります。

 だから篠崎さんが、「私はこんなに砲弾の炸裂(さくれつ)により大腿部の大骨折を来(きた)したのだから再び起てない」と思っていた間は起ち上ることができなかったのでありますが、「私は神の子であるから病気はない、負傷もないのだ、完全だ」と思うようになったときには完全な健康体に恢復したのであります。

 しかも篠崎さんは、「身体が健康になったときに神を讃え、家族の誰かに病気が起ったと言っては信仰を失う」ようなニセモノの信仰に陥るようなことはせられませんでした。
 昨年七月四日長男雅男君が“急性マヒ”という症状で、その霊魂が昇天せられました時にも、「人間は肉体ではない、肉体は念の影であって、地上生活の期間中の皮袋にすぎないので、自分の長男は地上生活の使命を終ったのであって、肉体は死んでも長男の生命は生き通しだ」と悟られ、長男の生命保険金三万円を人類光明化運動の基金として献金せられ、八月一日からの本部の教修会にも参加し毎月自宅で誌友会をひらいて、隣人の救済につとめていられるのであります。
 篠崎さんのこの体験談は昭和三十三年十一月今治市で生長の家の講習会があったとき発表せられたものであり、その原文は資料部に保管されてあります。
<この項 完>

966トキ:2013/05/05(日) 20:40:22 ID:5zW6NmK2
 ユタカ様、復帰ありがとうございます。歓迎します。

 なかなかの情熱ですね。楽しみです。また、復興G様、ご指導をよろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

967a hope:2013/05/05(日) 20:50:43 ID:edEDolt2
ユタカさま、復興Gさま、トキさま、みなさま

ありがとうございます!

<<この板の661〜668をもう一度ゆっくりと読み直しましょう。 >>

了解しました!!

968ユタカ:2013/05/05(日) 20:59:47 ID:2DhH33vQ
復興Gさま!!!

有難うございます!!  素晴らしい速さですし御愛念の賜物です。大量投稿に圧倒されつつ感謝して喜んで使用させていただきます。誠にありがとうございます。(ハート)


ではお祈りから。始めます。 


住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


それでは、お勉強会を始めます。9時30分までは4月の誌友会 661より少し前〜668まで読見返し
何か書き込み自由として、9時30分から復興Gさまの謹写されたのを中心にして?予習をはじめましょう。

969ユタカ:2013/05/05(日) 21:12:40 ID:2DhH33vQ
>「『言葉』が実相を語らず、不調和で濁っている」というのは、人間の想念及び言語が実相の円満さをそのまま讃美し感嘆するような言葉を内容とせず、対立感情で悪口を互いに言い合っているような言葉で濁っていることなのです。

 実相の世界は、神の創造そのままでありますから、実相の世界には、生活苦や、病気や、天災や、戦争など色々の不調和なことはないのであります。それなのに現象世界にそのような不調和ばかり頻繁に起っているのは、「実相世界」の風光が現象世界に展開する過程に於て、人間の「心のレンズ」が曇っていて、実相と同調しない濁った想念(コトバ)を発しているからなのであります。

 しかし、『生命の實相』の本が出た以上は、それに書かれている言葉は、言々これ実相の言葉でありますから、「言葉の本が正されることになったのだから何事も急転直下してよくなる」と示されているのであります。
 (嘗て、鶴見の総持寺の管長で、一代の傑僧と言われた伊藤道海老師が『生命の實相』を『宇宙』誌上で評して「言々これ佛の語(ことば)」と書いたことがありました。)



コトバって重要ですね。。。

これからは実相のコトバを沢山発していきます。 神示はいろいろな事を教えてくれているので一度読んだだけでは勿体ないですね。
読んで、実行しないと意味が無いです。実相のコトバ! を語ろう!っと!

970ユタカ:2013/05/05(日) 21:15:26 ID:2DhH33vQ
a hopeさま

こんばんは! ユタカ一人誌友会かな?と思っていたので、感謝です!

ゆったりと時間をかけて楽しみましょう!! よろしくおねがいします。合掌

971トキ:2013/05/05(日) 21:29:23 ID:5zW6NmK2
>>964


>>「神が病気を治して見せるのは、肉体は心でどうにでも移り変らせることが出来ると云う事実を見せて、『体(たい)』は念(こころ)の影だと云う真理をさとらせるためである。念(こころ)の影だと云う『体(たい)』とは肉体ばかりのことではない。幽体も霊体もすべて念(こころ)の影である。

 これはリアルに何度も体験しました。真理に触れて日が浅い人が、病気が治るのは、そういうケースが多いみたいですね。
でも、不思議な事だと思います。

972ユタカ:2013/05/05(日) 21:30:49 ID:2DhH33vQ
9時30分ですが、復習書き込みがありましたら、続けて書き込んでください。

今からは復興G様のお書き下さいました文章を読みます。

973a hope:2013/05/05(日) 21:32:03 ID:edEDolt2
(a hopeメモ)

「白髪の老翁」=「宇宙根源の神」=「七つの燈台に燈を点ずるもの」=「久遠のキリスト」

 三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男=「キリスト」の応化身

 本当のキリスト=真理=仏性=ミコト

※間違ってたら、ご指導お願いします。

974ユタカ:2013/05/05(日) 21:37:11 ID:2DhH33vQ
トキさんまで!!(涙・・・)感激!です、トキさん、ご参加と見守りを有難うございます!!

あと、復習部分での話にあったので。。 歌舞伎座は現在同じ作りで図〜〜〜っ伝統を続けているので、

本部も全く同じ形の塔や建物を生長の家のシンボルとしてずーっと伝統として残すべきと思います。

975a hope:2013/05/05(日) 21:47:56 ID:edEDolt2
>>973 今、テキストちゃんと見直したら、
「キリスト」の【応化身】ではなくて、【応現身】でした。

976a hope:2013/05/05(日) 21:49:59 ID:edEDolt2
>>975【応化身】と【応現身】は同じ意味でしょうか?

977ユタカ:2013/05/05(日) 21:55:33 ID:2DhH33vQ
a hope様

読み直して出てきた質問を復興G様のご都合の良い時に回答していただきましょう。

私は、>>汝ら心して真(まこと)を知れ。汝(なんじ)たちも神の子であるから我れと同じきものである。肉体は汝の一つの現れであって汝の全相ではないのである。」

我と同じ着物? 我と同じき 者? とどっちかな?っていつも思うんですよ。。。

978ユタカ:2013/05/05(日) 22:06:08 ID:2DhH33vQ
予習って大事だなぁ〜〜!

次回のWEB誌友会までに読んで、感想や質問を予めもって参加するとさらに充実したWEB誌友会になるなぁ。

なんか、今日はやってよかったなぁ。神示講義って深いなぁ、帰幽の神示ですが、なにか、今の教団の状況にあてはめても考えられるし・・・
勉強になるな・・・ 時間をかけて良く読んで理解して、じっくり考えて自分たちの共通の悩みにあてはめて考えて見たい気もするね。。。。

979a hope:2013/05/05(日) 22:12:33 ID:edEDolt2
>>977ユタカさま

わたしは、『我と同じき 者』だと思ってましたが、
肉体は、御霊の着物ともいいますから『着物』もありえるのかな?

でも、ここ、悩むとこなのですか?(笑)

980復興G:2013/05/05(日) 22:18:25 ID:AB6RqYXc

ユタカ様、a hope様、トキ様、皆々様。

自主的な予習をされるなんて、すごい熱意ですね。
ありがとうございます。

ところで、私は明日午前中からリアルの誌友会担当があり、その準備に取りかかっています。それで、明日夕方またお目にかかります。
この予習についてのお手伝いは、神示講義のご文章アップだけでお許しください。

では、また。

ありがとうございます。

981ユタカ:2013/05/05(日) 22:25:06 ID:2DhH33vQ
a hopeさま、

ちょっと、いつもどっちかな?って・・・ 着物を自分の頭の中で肉体の事を言っているのかな?・なんて思いながら読んでいました。

今は、復興Gさまの下さったのを読みまして
>>併し神は、肉体を癒すのはその目的ではない、魂が真理に目覚めて向上することであります。「肉体が治った」と言ってその肉体のことだけで神に感謝しているのなら、やがて誰でも其の肉体が死ぬ時が来る。その時に感謝し得なくなるから、魂は永遠に救われたという訳には行きません。

 肉体の恢復を契機として、人間は神の子であって、霊的存在であると気付き、「永遠の生命」をさとり、現象の消長、盛衰、変遷に引っかからず、常に感謝の心境になれることこそ、神から人間に与えられた本当の救いなのであります。
<つづく>


の、人間は神の子であって、霊的存在であると気付き、「永遠の生命」をさとり、現象の消長、盛衰、変遷に引っかからず、常に感謝の心境になれることこそ、神から人間に与えられた本当の救いなのであります。

が印象的でした。。。

同時に現教団がどんなに 変質しても現象の盛衰に引っかからずに感謝しないといけないのかな??って思いました。
しかし、それは現象教団でなく、実相の生長の家教団に感謝だと思います。

982a hope:2013/05/05(日) 22:28:29 ID:edEDolt2
『自由自在なるが故に或る時は龍神(りゅうじん)の姿を現じ、或る時は衣冠束帯(いかんそくたい)の姿を現じ、
或る時は天使天童の姿を現ずる。いずれの姿も権化(ごんげ)であって偽(いつわり)ではない。』

ここに、権化(ごんげ)という言葉がでてきましたが、確か、【権化身】という言葉も聞いたことがあるような…。
たぶん、ここに出て来る、龍神とか、衣冠束帯の姿、天使天童も、きっと応現身なのですね。

983ユタカ:2013/05/05(日) 22:34:21 ID:2DhH33vQ
復興G様・・・

明日の神様の天降るリアル誌友会の前のお忙しい時間に・・・ 充分すぎるほどの御愛念をいただきました。有難うございました。

明日のご活躍をお祈りいたします。

984ユタカ:2013/05/05(日) 22:38:41 ID:2DhH33vQ
>982

私も応現身と』思います、そして、それらは一人神さまの。

それでは、今から、生命の実相のはしがきをゆっくり読みましょう。

985a hope:2013/05/05(日) 22:43:17 ID:edEDolt2
>>981ユタカさま

最近、「訊け」ブログで徳久先生のご講話を拝聴しるんですが、
その中で、徳久先生はお医者さんなので、あるお母さんの肉体の病気を治してあげたら、
ご家族にとても喜ばれたのだけれど、その後間もなく自殺してしまわれた…。

みたいなお話があったと思うのですが(すみません間違いだったらどなたかご指摘ください)、
肉体の病気が治っても、心が病んだままでは意味がないという事ですね。

『肉体の恢復を契機として、人間は神の子であって、霊的存在であると気付き、
「永遠の生命」をさとり、現象の消長、盛衰、変遷に引っかからず、常に感謝の心境になれることこそ、
神から人間に与えられた本当の救いなのであります。』

これを、人々に悟らせるのが本来の「生長の家」の人類光明化運動なのでしょうね。

986a hope:2013/05/05(日) 22:48:25 ID:edEDolt2
>>984ユタカさま

はい、わかりました。

987ユタカ:2013/05/05(日) 22:48:40 ID:2DhH33vQ
はしがきは復習で読みましたが、ここ重要な箇所ではないですか?

自己破壊願望について復興Gさまと話しをしたいと思いました。

人間は本来霊だから肉体を嫌うのでしょうか? では、なぜ地上に誕生したい霊魂が競争して生まれたいと望んで生誕したのでしょうか?

現象が幸福な人は自己破壊願望のない人なのかな?

988ユタカ:2013/05/05(日) 22:56:37 ID:2DhH33vQ
>985

そうなのですか・・・。 

本当に永遠の生命の真理をそのような方々に知らせてあげたいですね。。。

現在も社会は大混乱していますしね。谷口雅春先生のおっしゃる伝道の刻下の急務は現在も続けていかないと思います。

989a hope:2013/05/05(日) 23:03:00 ID:edEDolt2
>>897 ユタカさま

<<現象が幸福な人は自己破壊願望のない人なのかな? >>

幸福感を感じているときはないのではないでしょうか?
でも、現象が一変して、不幸が訪れたらわかりませんね。

ここは、わたしも、復興Gさまのご指導を是非受けたいです。

990ユタカ:2013/05/05(日) 23:05:28 ID:2DhH33vQ
a hope様、みなさま、

時間になりました、おつきあいをしてくださり有難うございました。
予習は次回のWEB誌友会をより充実させると分かりました。

最後のお祈りです。世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

終わります。ありがとうございました。合掌

991a hope:2013/05/05(日) 23:06:32 ID:edEDolt2
ユタカさま、みなさま

ありがとうございました。
そして、おやすみなさい。

992ユタカ:2013/05/05(日) 23:08:43 ID:2DhH33vQ
a hopeさま

最後まで有難うございました。書き込みの途中だといけませんので、ユタカはまだ見ています。

993a hope:2013/05/05(日) 23:11:11 ID:edEDolt2
ユタカさま

わたしの書き込みは終わりました。
もう、寝ます。

また、よろしくお願いいたします。

994ユタカ:2013/05/05(日) 23:11:13 ID:2DhH33vQ
あ、わかりました・・・

おやすみなさい。。。  復興Gさま、a hopeさま、トキさま、ありがとうございました。。。

では終わります。

995ユタカ:2013/05/05(日) 23:12:31 ID:2DhH33vQ
こちらこそ、よろしくおねがいいたします。

996トキ:2013/05/05(日) 23:12:35 ID:5zW6NmK2
おやすみなさい。

 また、復興G様、いつも見守って下さり、心から感謝申し上げます。
ユタカ様、a hope様、ありがとうございます。

皆様、ありがとうございます。

合掌 ありがとうございます

997トキ:2013/05/05(日) 23:36:55 ID:5zW6NmK2
「訊け」管理人様、司会を引き受けて下さるとの事、深く感謝申し上げます。
よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

998ユタカ:2013/05/06(月) 00:38:51 ID:2DhH33vQ
ありがとうございました。

999「訊け」管理人:2013/05/06(月) 06:12:59 ID:???

>>復興Gさま
>>誌友会参加の皆様


 おお、早速誌友会が開始されておりますね。しかも『到彼岸の神示』よりのご謹写文まで掲載されておりまして、ビックリ致しました。と云うことで以下で、感想などを少々披露させて頂きます。よろしくお願い致します。

 ・・・・さて、復興Gさまご謹写の「無相円相一切相の神示」ですが、いろいろの論点があり興味深いものです。「天地一切との和解」という切り口からも語れますし、「自壊作用」という面からも語れます。ですがここでは、敢えて以下一点に関してのみ感想を、述べてみたいと思います。いや、以下の箇所こそが私が生長の家の教えに触れて「『スゴイ』と思った」という、そんな箇所のひとつなのです。それは、


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>>964<神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より 謹写つづき>
この神示に明示されておりますように、生長の家に入教されて病気が治るのは、必ずしも患者自身が悟りを本当にひらいて自由自在の心境に達して治るのではなく、「神が病気を治して見せ」られるのであります。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 の箇所です。ここは実に、他に類書を求めることの出来ない概念だと思っております。同時に、私のような「いい加減な人間」でも救われることが分ります。私のような者はこの箇所ですが、読めば歓喜する箇所であると思っております。

 ・・・さて、雅春先生は(『生命の實相』20巻で)「心が変らなくても、救ってくださる神が欲しい」という趣旨の、慟哭にも似た感情を述べておられます。「心を支配すれば、人生が変わる。」そして、「その理屈は分る」と述べられて後、それでも「心という暴れ馬を乗りこなせない」との心情を吐露されておられました。いやこれ、大半の者が悩むテーマなのではないでしょうか。
 そして「ホレ、心を乗りこなしてみよ。そしたら救ってやるよ」なんて〝無理難題〟を吹っかける者を、果たして「神と称してよいのか」とも思えます。特に私のようないい加減な人間は・・・・(笑)。

 ・・・・ところで投稿文ですが、長文化を回避します。「聖典板」に該当する文を掲載致します。掲載するのは「榎本惠吾」先生の御文章です。この御文章を読みますとしみじみと、「實相の完全円満さ」ですが、ありがたく感じられて参ります。

∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
○榎本惠吾御文章
その1http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2252
その2http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2253
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 「生長の家に入教されて病気が治るのは、必ずしも患者自身が悟りを本当にひらいて自由自在の心境に達して治るのではなく、『神が病気を治して見せ』られるのであります。」(>>964『到彼岸の神示』より) ―― この〝事実〟の有難さをしみじみと感じえた、今回のご謹写・投稿の御文章でございました。ありがとうございました。




1000「訊け」管理人:2013/05/06(月) 06:22:41 ID:???

<訂正>

(×)○榎本惠吾御文章
(○)○榎本惠吾先生御文章


 ・・・・ところで。

 同先生の御文章から以下を紹介いたしますが、あらためて感動しております。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 ですから、實相にはこちらの力というものが要らないのです。ただただ實相のみの世界なのです。實相を現象に顕すといっても、實相が自分で顕れて来るのであり、實相だけがすべてのすべてなのです。顕れる、顕れないは現象であって、顕れても顕れなくてもどちらも無いのであって、實相だけを喜んでいればよいというのが「今を生きよ」ということなのです。實相は「今」完全であり、實相だけでよい、というのが「今」ということなのです。顕すための心や時間というものは要らないということなのです。
(榎本先生御文章その1http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2252より)

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 心と云うものを与え、そして、その心が「暴れ馬」だとしましょう。さらには、その暴れ馬を「乗りこなしてみせたら救ってやろう」などと言う者が、あるとしましょう。 ―― まあ、そんな事を言う者は「神ではない」ですよね(笑)。「改心しないままでも救ってくださる」、それこそが完全だと思います。ですのでこの、榎本惠吾先生の御文章は、しみじみと有難く感じられます。(しかし、雅春先生が発見された神とは、実に荘厳なものですね)



1001閲覧者:2013/05/06(月) 08:18:55 ID:???
>>938
雅春先生のお言葉を気軽に「コピー&ペースト」で公開してほしくないのです。
たいへんなら打ち込まなくてもいいのではないですか?
誌友会用に別の板に心をこめて打っておいて、真理の吟唱をお唱えするときに皆様はそちらを開いて、唱えればいいことなのではないでしょうか?
「したくないのに誰もする人がいないからしている」というホープさんですが、そんな気持ちで雅春先生の誌友会を開いてほしくないです。
生命の實相も長々と公開してほしくないというのも本音です。

1002ユタカ:2013/05/06(月) 08:30:57 ID:2DhH33vQ
訊けさん、こんにちは、ご無沙汰してすみません。

早速ですが、以下の文章についてはどう思われますか? 訊けさんの生長の家に入教されて「紙が病気を治してみせる」のは最初だけ。。
とどこかで書いていますし、実際の組織で人をみていると、皆さん最初は奇跡が起きて入信されていますが、最初だけのような気がします。
ただ、実相の内容を学んで、実相だけを喜んで讃嘆して生活することは神の子の生活で素晴らしいと思います。榎本先生のおっしゃることに納得します。

 

宗教の御利益というのは肉体が治るよりも、このように心が一変することなのです。

 そこで此の神示に就いて考えて見て下さい。

 神様は「吾が臨(きた)れるは物のためではない、生命のためである。肉のためではない、霊のためである」とお示しになっているのであります。

 神様は肉体的にもお蔭を与えておられるけれども、それは「肉体は心の影である」という真理を知らせるための実験みたいなものに過ぎないのであります。

 イエスが二千年前に多くの奇蹟をあらわして多くの病人をいやし、ヤイロの娘やラザロを死より甦らしめられましたが、その癒された人も、甦らされた人も、結局はその肉体は死滅して今は存在しないのであります。
 肉体的方面からのみ言いますならば、「死」はイエスの奇蹟に打ち勝ったとも言えるのであります。

 併し神は、肉体を癒すのはその目的ではない、魂が真理に目覚めて向上することであります。「肉体が治った」と言ってその肉体のことだけで神に感謝しているのなら、やがて誰でも其の肉体が死ぬ時が来る。その時に感謝し得なくなるから、魂は永遠に救われたという訳には行きません。

 肉体の恢復を契機として、人間は神の子であって、霊的存在であると気付き、「永遠の生命」をさとり、現象の消長、盛衰、変遷に引っかからず、常に感謝の心境になれることこそ、神から人間に与えられた本当の救いなのであります。
<つづく>


964 :復興G:2013/05/05(日) 20:28:00 ID:AB6RqYXc

<神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より 謹写つづき>

 だから、此の神示には次のように続いて示されているのであります。

 「神が病気を治して見せるのは、肉体は心でどうにでも移り変らせることが出来ると云う事実を見せて、『体(たい)』は念(こころ)の影だと云う真理をさとらせるためである。念(こころ)の影だと云う『体(たい)』とは肉体ばかりのことではない。幽体も霊体もすべて念(こころ)の影である。

 『死はない』と云うのは肉体ばかりのことではない。現に肉体細胞は刻々死滅し流転している。生き通しであるのは、斯くならしめている『生命』のみである、『生命』のみが吾れであり汝であり、そのほかに吾れも汝もないのである。……」

 この神示に明示されておりますように、生長の家に入教されて病気が治るのは、必ずしも患者自身が悟りを本当にひらいて自由自在の心境に達して治るのではなく、「神が病気を治して見せ」られるのであります。

 この場合の神というのは、実相に於て既に完全に人間をつくっていられる神が既に“完全なる人間”を癒すということはあり得ないのですから、実相本源の神から使命を受けて人類光明化運動に参加していられる高級霊を爰(ここ)では「神」と称するのであります。
 仏教で言うならば「法身の阿弥陀」は尽十方に充ち満ちていられて去来がないが、その弥陀の慈悲を受けて、現象界にも救いを成就するために現象界に出現せられる観世音菩薩のような方が、此の高級霊でありまして、この神示にある「神が病気を治して見せる」という場合の「神」に当るのであります。


完全なる人間を癒すのはありえない。と言う箇所が実相世界ですよね。 訊けさんは実相は自分で出てくるという榎本先生の文章を持ってきて感動して、他方で肉体を神が癒して見せるに感動していますね。結局、肉体を癒したのは内なる自分に宿る神だから感動したと言うことですか?

もう少し、訊けさんの感想文を長く書いていただければ、訊けさんの言いたい事が明確に伝わる気がしますが? 良く分からなかったので上記の文についてはどう思いますか?とお聞きしました。と言う自分も自身の言いたいことがよく分かっていないです。

1003ユタカ:2013/05/06(月) 08:33:53 ID:2DhH33vQ
訂正

紙 → 神

1004参加することに躊躇している者:2013/05/06(月) 08:41:07 ID:???

雅春先生は、最初に誌友会をどのような目的で、どういう主旨において、開催をされたのだろう…。
私なりには、真理を皆で輪読したり講話を拝聴することで、魂の喜びを、皆で分かち合う事だと思っているが、雅春先生はどのように思われていたのだろう。
真理の講話を、著名な先生から拝聴することや、輪読や誌友会も大切な勉強になるが、家庭や職場で真理を実践する生活を行っていくなかで、自ら真理の書を拝読していくことも、貴重な勉強だと感じる。
しかし、こういう場での誌友会を否定している者ではない。
ただ、雅春先生の誌友会に対する、初心の思いを知りたいと思う。

1005志恩:2013/05/06(月) 08:48:32 ID:.QY5jUA6
横スレ、すみません。

訊けさん

こちら、来客中のため、急いで書かせて頂きます。

書き込み、拝見しました。ありがとうございます。
仲良しの ユタカさんが,戻られて、よかったですね。

たしか、ユタカさんと訊けさんは、過去にどこかでWEB誌友会をされていらしたことが
あったと、記憶しておりますが、私の記憶違いかも知れません。

昨夜の予習であるWEB誌友会の模様も拝見しましたが、
さすが、ユタカさんは、この誌友会の企画立案者であるだけあって進めかたが、うまいなあと感心しました。

閲覧者の皆様にも、(私も含め)「生命の實相」が、より楽しく、分り易くなると 感じました。

それに、訊けさんが加われば、華やかさが増しますね。

それから、訊けさん

復興G様のあなた宛ての以下の質問を見落とされてますよ。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
923 :復興G:2013/05/04(土) 23:43:31 ID:AB6RqYXc

>>922 :「訊け」管理人殿。

了解。
では、5月は休んで、6月7日(金)〜8日(土)はどうでしょう。

1006a hope:2013/05/06(月) 08:58:45 ID:edEDolt2
>>1001解説者さま

この投稿文は、わたしへ a hope宛のものでしょうか?
もし、
<<「したくないのに誰もする人がいないからしている」というホープさんですが、そんな気持ちで雅春先生の誌友会を開いてほしくないです。>>

もう、わたしはweb誌友会の主導権は手放しましたから、ご依頼がなければみなさまがお望みではなければ、
「真理の吟唱」の謹写の控えます。

ですが、真理の吟唱の謹写を
<<「したくないのに誰もする人がいないからしている」>>
などと発言した覚えは一度もありません。
わたしは、毎回喜んでさせていただいています。

解説者さま、さくらさまや初心者さまにも以前お願いしましたが、わたしの発言を引用するときは、
コピー&ペーストでお願いできませんか?

解説者さまのご投稿文は毎回、要点をついていて、とても分かりやすく、そして、信仰もとても深くていらっしゃるのが良くわかります。
できれば、復興Gさまや。トキさま、訊け管理人さま、ユタカさまなどと共に、運営をお願い出来たら素晴らしいな、
と、一参加者である a hopeは、感じています。

1007解説者:2013/05/06(月) 09:07:41 ID:???

a hope様

>>1006

>>1001は私が投稿したものではございません。

1008ユタカ:2013/05/06(月) 09:10:53 ID:2DhH33vQ
a hopeさまへ

ユタカは長らく休んでいたので、この板の過去文をざっと読んだのですが・・
何かを見落としているかも知れません。。。
a hope様、ここまで、WEB誌友会を継続なさることは、自分の時間を長時間割いてその時間に自己の生活時間を合わせ、また、準備に相当な努力がいる事ですから、
それをしていない人から見たらその見えないご苦労がまったく分からないし伝わらないので、いろいろとありますが・・・ 大変だったのですよね?
有難うございました。感謝とお詫びを申し上げます。 勝手な推測ですが、a hopeさまは謹写の功徳で今まさに、自壊作用が起こってきていていろいろなことを言われておられるのでしたら・・・
ここは、観世音菩薩の示現と認めて、ひたすら感謝・感謝でまいりましょう。「ただ、ただ、合掌ありがとうございます。」で受けて何かが消えました、と同時にまたまた感謝で受けていきましょう。
ここでの勉強の実践ですね。

謹写はなさらないで、これからはWEB誌友会を楽しみましょう!!
ウインドウが小さくて自分の書き込み文、乱文誤字脱字を見直ししてないですみません。

1009ユタカ:2013/05/06(月) 09:15:35 ID:2DhH33vQ
>1006

a hopeさま 喜んで謹写されていた由、今理解しました!!

ありがとうございます!! ではこれからも、ずーーーっと仲良く楽しくゆったりと

やれたらいいですね。有難うございます! よろしくお願いします!

1010さくら:2013/05/06(月) 09:18:22 ID:nqdx2mHk
今回からは、司会でイキイキとした訊けさま、情熱的なユタカさまももどって、垣根のない、新しく生まれ変わったさわやかな誌友会板を拝見でき、うれしくなりました。

わたしは自分のつまらない、笑、信念上、投稿はしませんが、
このようなみなさまの熱意ある誌友会は、多くの方に希望を与え、学びになりますことをお祈りしております。

これからも一読者として、楽しみにしています。

復興G様、トキさま、参加者のみなさま、ありがとうございました。

感謝拝

1011ユタカ:2013/05/06(月) 09:22:23 ID:2DhH33vQ
志恩さん、

いつも、応援をありがとうございます。

実相世界の住民の志恩さんはいつも讃嘆、讃嘆ばかりで、良いことばかりが見えて、良いことばかりを口にしますね。。。

私達のお手本を有難うございます。 今回、復興G様がWEB誌友会に先立って資料を下さったのでよろしければ、本番まで時間がありますので感想などをもってご参加お待ちしております。。
いつも見守りをありがとうございます!

1012a hope:2013/05/06(月) 09:26:32 ID:edEDolt2
閲覧者さま 解説者さま

たいへん失礼いたしました。
なんか、おかしいと思いました。
以後、名前の見間違いのないよう、十分注意します。
すぐに、ご本人からご指摘いただきよかったです。

感謝 合掌。


あらためまして、閲覧者さま


この投稿文は、わたしへ a hope宛のものでしょうか?
もし、
<<「したくないのに誰もする人がいないからしている」というホープさんですが、そんな気持ちで雅春先生の誌友会を開いてほしくないです。>>

もう、わたしはweb誌友会の主導権は手放しましたから、ご依頼がなければみなさまがお望みではなければ、
「真理の吟唱」の謹写の控えます。

ですが、真理の吟唱の謹写を
<<「したくないのに誰もする人がいないからしている」>>
などと発言した覚えは一度もありません。
わたしは、毎回喜んでさせていただいています。

閲覧者さま、さくらさまや初心者さまにも以前お願いしましたが、わたしの発言を引用するときは、
コピー&ペーストでお願いできませんか?


そして解説者さま

解説者さまのご投稿文は毎回、要点をついていて、とても分かりやすく、そして、信仰もとても深くていらっしゃるのが良くわかります。
できれば、復興Gさまや。トキさま、訊け管理人さま、ユタカさまなどと共に、運営をお願い出来たら素晴らしいな、
と、一参加者である a hopeは、感じています。

1013志恩:2013/05/06(月) 09:30:10 ID:.QY5jUA6
1001:閲覧者様

>>雅春先生のお言葉を気軽に「コピー&ペースト」で公開してほしくないのです。
たいへんなら打ち込まなくてもいいのではないですか?>>

この件は、先に、私とahopeさんが、あなたにお答えしていますが、

ahopeさんのお答えは、

気軽に「コピー&ペースト」しているのではないと、書かれてましたでしょ。
当日の朝、お祈りされた後に謹写(打ち込むこと)されて、それを保存しておかれて、
使っているそうですから、何も問題ないと思いますけれど。


閲覧者様曰く
>>誌友会用に別の板に心をこめて打っておいて、真理の吟唱をお唱えするときに皆様はそちらを開いて、
唱えればいいことなのではないでしょうか?>>

これにつきましても、最初と終わりの真理の言葉は、そんなには,長文では、ありませんから、
ここのWEB誌友会板に載せる場合もありますが、
別の、かなりの長文を載せるときは、今朝の訊け様のやり方のように、ここの板ではなく、聖典板の方に,載せて、
そちらを見て下さい。という場合もあります。

それは、閲覧者がご覧になってるわけですから、閲覧者が、読み易くあればよいのではないでしょうか。
ですから、その都度、臨機応変に考えれば、いいのではないでしょうか?

と、私の場合は、考えております。

閲覧者様曰く
>>「したくないのに誰もする人がいないからしている」というホープさんですが、
そんな気持ちで雅春先生の誌友会を開いてほしくないです。>>

これにつきましては、ahopeさんが答えられていますから、ご了解下さったでしょうか?

閲覧者様曰く
>>生命の實相も長々と公開してほしくないというのも本音です。<<

なんで、生命の實相を長々と公開してほしくないのですか?

教団のおかたでしょうか?そうすると、なにか、不都合が おありなのでしょうか?
それが本音だとおっしゃった そのあなたの理由を具体的にお書き下さいませんか?

1014a hope:2013/05/06(月) 09:46:19 ID:edEDolt2
>>1008 >>1009 ユタカさま

昨晩はとても充実した時間をすごせました。
わたしは、すべての出来事に意味があり、すべては自分の魂の向上のためであると思っています。

<<ありがとうございます!! ではこれからも、ずーーーっと仲良く楽しくゆったりと
やれたらいいですね。有難うございます! よろしくお願いします!>>

本当ですね。ずーーーっとみなで仲良く楽しくゆったりとやっていきましょうね!


志恩さま

お礼がおくれてしまいましたが、わたしフォローをしてくださりありがとうございます。
いつも溌剌としている志恩さまがこの掲示板にいてくださいますと、この掲示板が活性化しますね。

いつも心から感謝しています。 合掌。

1015志恩:2013/05/06(月) 09:56:28 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

コメント、ありがとう。
「生命の實相」は、2000万部も売れたそうですから、戦前から全国のすごく多くの方々が
読まれておられたわけで、

ご家庭に蔵書として置かれてあれば、
買われたご本人だけでなく、ご家族のどなたかも読まれたはずだと思うんです。

売れたのは、2000万部ですけれど、読者数は、もっと膨大にあったはず。

ですから
隠れ、もともとの生長の家、隠れ、生命の實相ファンは、世の中にたくさんたくさん
おられると思います。

PCをやってる方々モ、増えているそうですし、、、

こういう時期に

WEB誌友会で生命の實相の輪読会を発案して下さって、復興G様に指導者の白羽の矢を
ユタカ様が、立ててくださったことは、

本来の生長の家の蘇りの一環として
なにかのお導きがあったのかもしれないと、思います。ありがとうございます。

私、来客中でして、少しだけ、急いで書かせて頂きましたが。

今後も、WEB誌友会のことももちろんですけれど、掲示板で
いろいろと教えてくださいませね。

1016ローラ:2013/05/06(月) 11:03:36 ID:???
>>1001
なんと偏狭な! 公開して欲しく無いとは
雅春先生が世界に広めたかった真理を特別な選ばれし人々
だけのものにしたいのですね

1017トキ:2013/05/06(月) 11:53:07 ID:eaw/TCPU
>>1004

 谷口雅春先生が兵庫県におられた頃は、本を読んで感激をした人が自発的に集まり
信仰の喜びを語り合った場のようです。中には、遠隔地から参加された方も多く、
そういう人が、谷口雅春先生のお許しを得て、自宅を解放して、志を同じくする
人達を集めて、信仰を語り合う場を開きました。これが、現在の誌友会の始まりです。

 戦前、青年部(当時)として活躍された本部講師(故人)から聞いた話では、
「昔は今ほど講師がいなかったので、主に神誌を輪読した会が主流だった。それが
戦争が激しくなり紙がなくなり神誌が出せなくなったので、”これからは、お話の会
が主流になります”という事になり、現在のような講話中心の形態になった。」

と言われていました。また、講師が来られての誌友会の場合、家が満杯になり、
入りきれない場合が多く、中には、ために家の床が抜けた、という話まであり
ました。

 しかし、信仰を同じくする人達が集まり、学び、意見を述べ合うという形態が
基本だと思います。

 以上は私が先達から聞いた話です。

合掌 ありがとうございます

1018「訊け」管理人:2013/05/06(月) 12:16:49 ID:???

>>1002ユタカさま


 お久しぶりです。さて、下記の件に返信致します。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
>>1002 完全なる人間を癒すのはありえない。と言う箇所が実相世界ですよね。 訊けさんは実相は自分で出てくるという榎本先生の文章を持ってきて感動して、他方で肉体を神が癒して見せるに感動していますね。結局、肉体を癒したのは内なる自分に宿る神だから感動したと言うことですか?
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 簡潔に書きますと、感動したのは「救われ済みだった」点になります。既に救われていた点、即ち「自力などまったく不要である」点、これが私が感動した点になります。こんな説明で了解頂けるでありましょうか。

 もう少し語を接いでみます。

 神が心と云うものを与えかつ、「それを乗りこなせ」と人間に命じているとすれば、それは不完全だと思うのです。もしも神がそんな事を言っておられるならば、「それは神ではない」と思いたくもなります。なぜなら心ですが、なかなか乗りこなせるものではナイからです。(あくまでも現象から見た場合です)

 ところで道を求めて読書する層ですが、「心を制御すればよい」というのは知っています。ですが、なかなか出来ません。そんな心を「乗りこなせたら救ってやる」と言われているかのような、そんな状況に置かれているのが(ある程度の)読書階級の者だと思うのです。そう云う点で雅春先生の発見された神は「偉大だ」と言わざるを得ないのです。それが、>>999>>1000投稿文の背景にあった、私の感想です。

 「自力解決に乗り出すのではナイのだ」「救われ済みだったのだ」ということです。そして、救われ済みであるからこそ、「救われるのだ」という・・・・それが感動したポイントです。



追伸

 でたぶん、話は「ご利益なしでも信仰する」云々の、そんなテーマに移るのだと予測しております。

 で、誤解を覚悟で述べますが私は、「ご利益のナイ信仰など興味がありません」になります。私は商売人であり、功徳のナイ思想・哲学には興味が持てぬのです。そして、そんな私 ―― 元無神論者+唯物論者 ―― すらも感化せしめる雅春先生は、やはり偉大だと思います。さらにそして、貴殿が書かれた「実相の内容を学んで、実相だけを喜んで讃嘆して生活することは神の子の生活で素晴らしいと思います。」ですが、返信するとするならば「そんな生き方をしているからこそ、功徳もあるのだ」となるでしょうか(意味が伝われば好いのですが・・・)。

 ・・・・まあ再度、誤解を恐れずに述べますが私の場合は、「ご利益のナイ信仰など興味がありません」になります。私は商売人であり、功徳のナイ思想・哲学には興味が持てぬのです。

1019「訊け」管理人:2013/05/06(月) 12:25:02 ID:???


>>1001閲覧者さま


 ところで、東京まで行くのに「歩いて行く人は真剣」なのでしょうか。そして、「電車を使う人は不真面目」でしょうか。まあ、どこに焦点を合わせるかによって話がかわりましょうが・・・

 さてその、「気楽にコピペして欲しくない」云々に関してです。これですが、上記の「歩きか電車か」に似ていると思います。どちらであれ、謹写・投稿されるのは雅春先生の御文章です。もう、善いのではありませんか。投稿意図が不真面目だろうがマジメだろうが・・・





追伸

 まあ、不真面目に謹写した御文章であれ、人を救うことはあると思うのです。それが「真理」であります。なにせ、「家に置いていたダケで、病が癒やされた」てな話も、普通にありますから・・・そしてこれが、雅春先生・光明思想の特徴のひとつではないでしょうか。家にポンと、(不真面目に)置かれた『生命の實相』であれ、人を癒やすのです。投稿者の心情がどうであれ、救われる方が出てくるのであれば、善いのではないでしょうか。(また、事前にコピペ文を用意しておくことなどは、誉められこそすれ、非難されることではナイと思います。主催者側は、大変なのですから)

1020トキ:2013/05/06(月) 14:15:49 ID:eaw/TCPU
>>1001

閲覧者 様

 ご投稿、ありがとうございました。

 たぶん、聖典は大事に扱って欲しい、というお気持ちかと思います。
その気持ちは尊いと思います。

 ただ、京都第二教区の長村婦美子先生は、生命の実相をバラバラにして、携帯されていた
とも聞いています。コピペでも、それで救われる人がいたら、良いかと考えています。
 個人的には、a hope様には、いつも素晴らしい御文章を投稿して下さり、感謝しています。

 ただ、これは個人的な意見ですから、ご理解下さい。

合掌 ありがとうございます

1021閲覧者:2013/05/06(月) 18:01:30 ID:5IWBubYo
>>1016
一字一字絶対間違いがないと言えるでしょうか?
改行場所は聖典そのままでしょうか?

1022ユタカ:2013/05/06(月) 18:04:56 ID:2DhH33vQ
>1018 訊け様

なるほど・・・ご利益信仰で、信仰によって稼ごうとしているわけでなく、宇宙の法則を知って繁栄していこうという意味ですよね?
栄える会には商売人が沢山いて、異業種交流もしていますよ。
これから、訊けさんはご利益が好きな人と理解して読むと納得できます。

1023閲覧者:2013/05/06(月) 18:11:22 ID:5IWBubYo
>>1019
ネットの世界です。素晴らしいご文章を他人がいとも簡単に書き換えることができます。間違った文章をそのまま生命の實相が後世に伝えられればとんでもないことになってしまいます。

1024志恩:2013/05/06(月) 18:49:15 ID:.QY5jUA6
閲覧者様

生命の實相や、他の真理の著書について、とても大切に真面目に考えておられるお方と存じます。
ここへ謹写してくださる「生命の實相」等の、ご文章は、全国の閲覧者の中には、
持っておられないお方や、
出かけ先で、ご覧の皆様にでも、参加できるようにという

復興G様,はじめ皆様の
ご愛念による謹写なのだと、うかがっております。

ですが、
われわれ掲示板の仲間や、その他の生長の家の方々は、生長の家の信徒でしたら、「生命の實相」、
全巻を持っておりますから、

われわれは、手元にある「生命の實相」「真理の吟唱」「聖光録」を、傍において、
掲示板の書き込まれたご文章と照合しながら、参加しておりますので、

あなた様の、そのご心配は、無用と存じます。

1025志恩:2013/05/06(月) 19:31:17 ID:.QY5jUA6
閲覧者様

>>1001:
の最後の行のところに、閲覧者様は

【生命の實相も 長々と公開してほしくない というのも 本音 です。】

と,書かれましたよね。

で、私は「その理由を具体的に教えて下さい」,と
あなた様にお願いしましたが、まだ、お答えを頂いておりません。

閲覧者様、そのお答えを、はやく書いて下さいませんか。

もしも、無視されますと、

変にあなた様が誤解されると思うのです。

あぁ【生命の實相も 長々と公開してほしくない というのも 本音 です。】なんていうお方は、


生命の實相を、この世から消してしまいたいと、本音では 想われてる

あのお方かしら? なんて、変な誤解が空中を とびまくりますといけませんし、

そうしますと、あのお方に、申し訳ありません。

ですから、、すぐに理由を書いたお返事を!!

1026復興G:2013/05/06(月) 20:55:44 ID:AB6RqYXc

皆様、ありがとうございます。

今日は朝からリアルの誌友会担当などがあり、今帰ってきてPCを開いているところです。

昨夜はweb誌友会の自主的な復習・予習の勉強会が活発に行われ、その後もたくさんの投稿が溢れていることに、驚きと、感銘を受けています。

そして、これからのweb誌友会の方向付け・あり方に、貴重な示唆がいっぱいあると感じます。

まずは昨夜の自主勉強会についての感想――。

ユタカ様の呼びかけにa hope様が応じられて、トキ様のご協力ご指導もいただいて行われた“予習”の自主勉強誌友会だったわけですね。ユタカ様が>>990

>>予習は次回のWEB誌友会をより充実させると分かりました。<<

と書かれているとおりで、これこそ、トキ様が>>1017で書かれているような、生長の家草創期の誌友会に近い、自然発生的な自主性をもった集まりであり、有意義なものだと思います。讃嘆感謝し、エールを送ります。

そこで出されたご質問を含む投稿文を拝読してのコメントですが――。

まず >>970 でユタカ様が

>>コトバって重要ですね。。。
これからは実相のコトバを沢山発していきます。 神示はいろいろな事を教えてくれているので一度読んだだけでは勿体ないですね。
読んで、実行しないと意味が無いです。実相のコトバ! を語ろう!っと! <<

と書かれていますが、本当にそうですね。それについて私の失敗・反省談を書かせていただきます。

最近私はあるところに招かれて体験講話をすることになり、テキストは『365章』でした。その163頁以下にこう書かれています。

   幸福の鍵は何処にあるか

 若しあなたに「どんな幸福の扉でも開く鍵があるのですが、あなたはそれを欲しくありませんか」と言われるならば屹度(きっと)あなたは、「本当にそんなものがあるならば、それを得たいものだ」と思われるでしょう。その鍵は決して金属でできているものでも、楠や檜の板で出来ているものではありません。そんな物質で出来ているものは結局はこわれるものであります。虫食い錆くさるものに幸福を求めてはならないと教えられました。

 その鍵は“霊的なもの”で出来ているのです。そして他物にそれを求めても得られるものではなく、自分自身の内にその鍵があるのです。その鍵を『生命の実相』と呼ぶのです。それは必ずしも書籍の名前ではありません。『生命の實相』の本はその鍵の在所を示した本ですからそのように名づけたのです。

 その鍵はすべての人が自己の内にもっている万人具有の鍵であります。人間の生命のうちには「無限」が宿っているのです。その無限に気がついたとき、その人はその鍵を発見したのです。自分自身の生命のうちに「無限」が宿っている、何という素晴しい事でしょう。

   「コトバの力」の正しい使い方

 自己の内に「幸福を開く鍵」が宿っていることを知っても、その鍵をどのように使えば本当に「幸福の扉」が開くか、その使い道を知らなければ、鍵はありと知りながらも、その扉を開くことが出来ないでしょう。その鍵を動かす力は“コトバの力”によるのです。その力をどちらへ回転するか、どの方向へ向けて動かすかによって、どのような大きな幸福がおとずれるか、小さな幸福しか与えられないかの相異がでて来るのである。

 時には“コトバの力”を逆回転させると、そこから不幸が飛び出して来ることもあります。“コトバの力”は両刃の剣であり、自己が間違えば自己が斬られ、敵が間違えば敵が斬られるのです。それは十字であり、×となる時は「必殺」であり、正しく構えるとき「復活」である。“コトバの力”を順に廻すということは、人を称め讃える称讃の言葉を使うことであり、自己の受けたる恩恵を感謝する言葉を使うことである。称讃と感謝の方向に鍵を廻転することが大切である。
<つづく>

1027復興G:2013/05/06(月) 20:56:15 ID:AB6RqYXc

<つづき>

「だから、こういう言葉を使いましょう」と、皆さんで以下のような言葉を朗唱する実習をしました。

○この口は神の口である。善き言葉以外のもの、美しき言葉以外のもの、讃嘆の言葉以外のものはなにも語らないのである。この口は神の口である。毎日毎日いっそうその実相の完全なる話力があらわれつつあるのである。自分の口は神の口である。人々の善さのほか、美しさのほか、完全さのほかはなにものをも語らないのである。

○今日はいい日だなあ。今日は神様の日だ。
隣の人はいい人だ。隣の人は神様だ。
前の人はいい人だ。前の人は神様だ。
後ろの人はいい人だ。後ろの人は神様だ。
みんな、みんないい人だ。みんな、みんな神様だ。
私はすばらしい神の子だ。

○私の父は良い父だ。私の父は神様だ。
私の母は良い母だ。私の母は神様だ。
私の良人(おっと)(妻)は良い人だ。
私の良人(妻)は神様だ。
私の息子(娘)は良い息子(娘)だ。
私の息子(娘)は神様だ。
我が家の嫁は良い嫁だ。我が家の嫁は神様だ。
私の孫は良い孫だ。私の孫は神様だ。
私は世界一の幸せ者だ。ありがとうございます。

○あ(わ)たし幸せ!
 あなたのおかげ!
 ありがとう!

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 そうしていい気持ちで帰宅してみたら、家族は留守で、玄関に鍵がかかっていました。

 私も玄関の鍵は持っていましたから、鍵を廻して開けようとしたのですが、その鍵がこわれて、開かないのです。

 幸福の扉を開く鍵の話をして実習までして、帰ってきたら、自分の家の玄関の扉を開く鍵がこわれて開かない。

 「なぜだろう?」

 ――「偶然はない」という教えが浮かんできました。

 「私は、誰かを締め出すようなことをした結果ではないだろうか」と思いました。

 そしたら、私は「web誌友会板で、SAKURAさんを締め出すような言葉を吐いたのではなかったか。」という思いが浮かんできました。

 「SAKURAさん、ごめんなさい」と心の中で謝り、祈りました。

 結果は、妻が帰ってきて鍵屋さんを呼んでくれて、玄関は開いたのですが、そんなことがありました。

 「人生は、学校である。そして其処での失敗は、成功よりもすぐれた教師である」と、トルストイの人生読本にも書かれていた箴言が浮かんできました。

 ここで改めて、一所懸命投稿してくださっていたSAKUARAさんに、きつい“締め出し”のような言葉を吐いてしまったことをお詫びし、気付きを与えてくださったことに感謝いたします。ありがとうございます。

1028復興G:2013/05/06(月) 21:01:43 ID:AB6RqYXc

>>1026 修正です。

テキストは『365章』でした。→テキストは『生活の智慧365章』でした。

お詫びします。

1029参加することに躊躇している者:2013/05/06(月) 21:05:34 ID:???

トキ様

ご丁寧に谷口雅春先生が御存命の頃の、誌友会の情報を教えて下さり、ありがとうございました。
その時代にタイムスリップして参加してみたい気がします。
是非、ここの誌友会が、その頃の誌友会のような会になっていくことを、願っています。

誌友会に(教団の)参加すると、純粋に真理が学べないし、行事参加の約束を取り付けられたりとか、普及誌を購読してなど
誌友会が保険の営業みたいになっていて、正直気が重いのが現実です。
普及誌も感動が殆どないから、人に勧めれるものではありません。

1030解説者:2013/05/06(月) 21:57:33 ID:???

ユタカ様

はじめまして。解説者と申します。
今後ともよろしくお願いいたします。

>>コトバって重要ですね。。。
これからは実相のコトバを沢山発していきます。 神示はいろいろな事を教えてくれているので一度読んだだけでは勿体ないですね。
読んで、実行しないと意味が無いです。実相のコトバ! を語ろう!っと! <<

本当におっしゃる通りですね。
私は最近、訊け様がブログにアップしてくださった講話の音声ファイル
をずっと拝聴させていただいていますが、同じことを思っていました。

運命はコトバによって創られますからね。
私自身も“実相のコトバ”を使っていこうと思いました。

復興G様

>>1026 >>1027

>○この口は神の口である。善き言葉以外のもの、美しき言葉以外のもの、讃嘆の言葉以外のものはなにも語らないのである。この口は神の口である。毎日毎日いっそうその実相の完全なる話力があらわれつつあるのである。自分の口は神の口である。人々の善さのほか、美しさのほか、完全さのほかはなにものをも語らないのである。

私は朝起きてから家族と顔を合わせたときにニッコリと笑うことを心がけています。
それまでは眠いし、寝ても疲れは取れないしでブスッとしていたと思うのです。
朝にニッコリと笑うことをはじめると、その日一日、何をやっても明るく楽しく
過ごすことができるのです。

復興G様がご紹介してくださった「この口は神の口である…」も併せて
実践しようと思いました。

ありがとうございました。

感謝合掌

1031復興G:2013/05/06(月) 22:04:36 ID:AB6RqYXc

web誌友会予習勉強会へのコメントのつづきです。

>>973 の a hope様の問題提起――

>>「白髪の老翁」=「宇宙根源の神」=「七つの燈台に燈を点ずるもの」=「久遠のキリスト」
 三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男=「キリスト」の応化身
 本当のキリスト=真理=仏性=ミコト
※間違ってたら、ご指導お願いします。<<

というところですが――私は、こう思います。

「白髪の老翁」は、永遠のいのちの象徴であるけれども、「宇宙根源の神」そのものではない。

「宇宙根源の神」は、時間・空間を超えて(現象界を超え、身を隠して)おられて、老翁の姿を現されることもない。姿を現された時点で、それは応現神(応化神と言ってもよい)というべきだと思います。古事記神話で言えば、「宇宙根源の神」=「天之御中主神」であって「身(みみ)を隠し給いき」であります。

「白髪の老翁」=「七つの燈台に燈を点ずるもの」=「久遠のキリスト」

だけでよろしいと思います。

それから、
>>三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男=「キリスト」の応化身<<

という言葉には、少し違和感を覚えますが、間違いとは言えないでしょうね。違和感を覚えるわけは、「三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男」という言い方には、尊敬の気持が感じられないからです。

>>976
>>【応化身】と【応現身】は同じ意味でしょうか? <<

その通り、【応化身】と【応現身】(【応化神】と【応現神】)は同じ意味だと思います。

≪観音菩薩はその身を三十三に変じて人々を済度するといいます。その変化する姿を称して「応現身(おうげんしん)」あるいは「応化身(おうげしん)」と呼びます。≫

というのがネット上にありました。


>>977
>>私は、>>汝ら心して真(まこと)を知れ。汝(なんじ)たちも神の子であるから我れと同じきものである。肉体は汝の一つの現れであって汝の全相ではないのである。」
我と同じ着物? 我と同じき 者? とどっちかな?っていつも思うんですよ。。。 <<

これには、思わず笑ってしまいました。
a hope様が
>>わたしは、『我と同じき 者』だと思ってましたが、
肉体は、御霊の着物ともいいますから『着物』もありえるのかな? でも、ここ、悩むとこなのですか?(笑) <<

と書かれてましたが、私もこれは『我と同じき 者』だと思います。
「同じき」というのは昔の文語体で今はあまり使わなくなっている語法なので、若いユタカさんは「同じ着物」かなって思われたんでしょうね。
「ふるさと」の歌の「兎追いしかの山」を、今の若い人は、漢字を見る前は「兎美味し」ととる(思う)そうですから。

<つづく>

1032復興G:2013/05/06(月) 22:32:39 ID:AB6RqYXc

web誌友会予習勉強会へのコメントのつづきです。

>>985
>>肉体の病気が治っても、心が病んだままでは意味がないという事ですね。
『肉体の恢復を契機として、人間は神の子であって、霊的存在であると気付き、「永遠の生命」をさとり、現象の消長、盛衰、変遷に引っかからず、常に感謝の心境になれることこそ、神から人間に与えられた本当の救いなのであります。』
これを、人々に悟らせるのが本来の「生長の家」の人類光明化運動なのでしょうね。 <<

――その通りだと思います。

これは、現在の運動で、環境保全「炭素排出ゼロ」にこだわりすぎて<<人間は神の子であって、霊的存在であると気付き、「永遠の生命」をさとり、現象の消長、盛衰、変遷に引っかからず、常に感謝の心境になる>>ということがおろそかになったのでは、いくら環境保全にがんばっても、やがて地球だって死滅するんですから、無意味になってしまう――とも思います。

>>987
>>はしがきは復習で読みましたが、ここ重要な箇所ではないですか? 自己破壊願望について復興Gさまと話しをしたいと思いました。
人間は本来霊だから肉体を嫌うのでしょうか? では、なぜ地上に誕生したい霊魂が競争して生まれたいと望んで生誕したのでしょうか?
現象が幸福な人は自己破壊願望のない人なのかな?<<

――この「はしがき」は、おっしゃるとおり、とても大切な根本問題です。基本中の基本でしょう。

罪の意識――自己破壊願望――について、私自身の体験を語りたいと思いますが、長くなるので、また明日以後にさせてください。

では、今日はおやすみなさい。

1033ユタカ:2013/05/06(月) 22:56:55 ID:2DhH33vQ
復興G様 ありがとうございます。お帰りなさい。

自主勉強の事前サポートと問題提起の解説を有難うございます。

コトバの鍵の使い方など詳細が素晴らしいです、ここまで谷口先生は説明してくださっているのですね。
そうすると、「生命の実相」だけでなく復興G様が紹介して下さったあらゆる本を使用することによって詳細が分かってきて、ワクワクします。

復興Gさまがお出ましになると、嬉しくて、楽しくて、ワクワクします。。これからもよろしくお願いいたします。明日がまた楽しみです。

1034志恩:2013/05/06(月) 23:18:16 ID:.QY5jUA6
復興G様

本日は,朝からお仕事で出かけられて、遅くに帰宅されましたのに、
たくさんのためになる真理のお話を,伺うことが出来まして、感謝いたしております。

教えて頂きましたこと、私も、実行させて頂きます。
ありがとうございました。

1035a hope:2013/05/07(火) 00:06:59 ID:edEDolt2
復興Gさま

>>1026>>1027の鍵のお話と復興Gさまの気づきのお話とても感動しました。
ありがとうございます。合掌。

また、お忙しい中、昨晩の予習に関してのご指導をありがとうございます。
あの、「a hopeメモ」は、復興Gさま謹写の>>662>>663の内容をまとめたものです。
どうも、「生命の實相」を拝読していると、たくさんの神さまがでてこられて、混乱してしまうので、
今回のweb誌友会内容の「万教帰一の神示」の時にしっかり理解したいと思っていました。

<<「白髪の老翁」は、永遠のいのちの象徴であるけれども、「宇宙根源の神」そのものではない。
「宇宙根源の神」は、時間・空間を超えて(現象界を超え、身を隠して)おられて、老翁の姿を現されることもない。
姿を現された時点で、それは応現神(応化神と言ってもよい)というべきだと思います。
古事記神話で言えば、「宇宙根源の神」=「天之御中主神」であって「身(みみ)を隠し給いき」であります。
「白髪の老翁」=「七つの燈台に燈を点ずるもの」=「久遠のキリスト」
だけでよろしいと思います。>>

今日、第13回web誌友会の後半にある、復興Gさまが改めて再投稿してくださった1年前のweb誌友会の内容
>>723>>732を拝読しなおしましたら、だいぶ理解が深まりました。

「宇宙根源の神」=「天之御中主神」が第一義の神で、
「白髪の老翁」=「七つの燈台に燈を点ずるもの」=「久遠のキリスト」が第二義の神、となるわけですね。

そして、第二義の神が別名、【応化身】と【応現身】(【応化神】と【応現神】)とよばれる場合があり、
住吉の大神は現れの面から言えば、応化神(第二義の神)といえるのですね。


<<それから、>>三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男=「キリスト」の応化身<<
という言葉には、少し違和感を覚えますが、間違いとは言えないでしょうね。
違和感を覚えるわけは、「三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男」という言い方には、尊敬の気持が感じられないからです。>>

につきましては、「三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男」という言葉にはわたしも違和感を覚えましたが、
今回は「メモ」でしたからテキストの言葉をそのまま引用しました。

>>633のテキストには
<<肉体のキリストは三十三歳で死んだけれども、「本当のキリスト」は、久遠不滅であらせられるのです。
『生命の實相』の中には真理と書いて、「キリスト」とフリ仮名をつけてある箇処が所々にあるのであります。
「キリスト」というと、三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男の事だと、こう思っている人もありますけれども、
あれはキリストの応現身であって、肉体的に或る時代に適するように応じて現れた姿であって、
「本当のキリスト」は「真理」そのものであり、始めなく終りなく宇宙に充ちている所の真理そのものである訳なのです。
その真理そのものは久遠不滅であるから、初めであり終りであり、永遠に不滅である、
というので白髪の老翁の長寿の姿をもって人格化して出て来られている――こういう事になっている訳であります。>>

とありました。

復興Gさま、わたし自身は、現象人間のキリストさまも『神の子』として心から尊敬させていただいていますのでご安心ください(笑)。

復興Gさまがこの掲示板でご指導してくださっているからこそ、わたしはここで安心してお勉強させていただけるのです。
これからも、復興Gさまの生活に合わせたペースでかまいませんので、今まで通りの素晴らしいご指導どうぞよろしくお願いいたします。

それでは、みなさま、おやすみなさい。

1036復興G:2013/05/07(火) 07:07:24 ID:AB6RqYXc

>>1035 :a hope様。

おはようございます。

よくわかりました。「三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男」というのも。

それは、谷口雅春先生がおっしゃった言葉だったのですね。

a hope様は、現象人間のキリストさまも『神の子』として心から尊敬していらっしゃるそうで、安心しました。

丁寧なレスをいただき、ありがとうございました。

1037復興G:2013/05/07(火) 07:21:37 ID:AB6RqYXc

あ、その前に

>>1033 :ユタカ様

>>1034 :志恩様

から、早々に、うれしい、ありがたいレスをいただいていました。感謝が遅れまして、すみません。ありがとうございました!

なおその前、
>>1029 :「参加することに躊躇している者」様

からのコメントもありましたね。どうぞ、これから躊躇することなくご参加いただけたらうれしいですね。

ありがとうございます!

1038志恩:2013/05/07(火) 14:59:37 ID:.QY5jUA6
訊けさん、以下の復興G様の質問に、まだ お答えを されてませんよ。

>>923 :復興G:2013/05/04(土) 23:43:31 ID:AB6RqYXc

>>922 :「訊け」管理人殿。


では、5月は休んで、6月7日(金)〜8日(土)はどうでしょう。 <<

1039復興G:2013/05/07(火) 15:12:46 ID:AB6RqYXc

>>999 「訊け」管理人殿

書き込みに感謝します。
貴殿登場によりユタカ様もよろこんで出て来られたと思います。

遅くなりましたが、>>999>>1000の貴殿書き込みについてのコメントです。

>>・・・さて、雅春先生は(『生命の實相』20巻で)「心が変らなくても、救ってくださる神が欲しい」という趣旨の、慟哭にも似た感情を述べておられます。「心を支配すれば、人生が変わる。」そして、「その理屈は分る」と述べられて後、それでも「心という暴れ馬を乗りこなせない」との心情を吐露されておられました。いやこれ、大半の者が悩むテーマなのではないでしょうか。
 そして「ホレ、心を乗りこなしてみよ。そしたら救ってやるよ」なんて〝無理難題〟を吹っかける者を、果たして「神と称してよいのか」とも思えます。特に私のようないい加減な人間は・・・・(笑)。<<

ということで、榎本恵吾先生のご文章を引用されました。

榎本先生は、ご自身の悟りの境地から、ユニークなすばらしいご文章を書いてくださっていますが、谷口雅春先生の『人生は心で支配せよ』というご本について、それは、ひと言で言えば、「人間の心で支配するのではなく、神の心で支配せよ」と書かれているのだ、と言われたことがあります。

『人生は心で支配せよ』(谷口雅春著作集 第10巻)の巻頭には、先生直筆の御揮毫が印刷されて掲載されており、そこには

「自ら其の鋭を挫き光を和らげ言を慎む」
と書かれています。

これは老子の
「其の鋭を挫(くじ)き、其の紛を解く。其の光を和し(和らげ)、其の塵に同ず」
 (『老子』第4章より。<道を体得した者は、まずもって己の鋭さをくじかねばならぬ。また、糸のもつれたのを解きほぐさなければならない。次にきらびやかな光をぼかさねばならぬ。そして世の俗流とその歩調をあわせて行くがよい。>―諸橋徹次 解説。ここから「和光同塵」という四字熟語が生まれている)

という言葉を採用して書かれたものと思われます。つまり、自己主張をつつしめという意味の言葉が、『人生は心で支配せよ』の巻頭に掲げられているのです。ということは、「心で支配せよ」の「心」とは自我の心ではないぞ、と示されているのだと思います。

そして『人生は心で支配せよ』の第4章49頁には、次のような詩的なご文章が書かれています。

「世界は生きている。
 神の脈搏を打っている。
 神の呼吸を息している。
 この世界を支うるものは感性を備えた心である。
 この世界のたましいは神である。
 自然現象一切は生命の発現である。
 葡萄(ぶどう)の幹を流れる樹液にも、
 穀物の中に生きている胚種にも、
 樹梢(こずえ)に芽を吹く花蕾(つぼみ)にも、
 神の生命は脈動する。」

と。そして、

「吾等はは生命の脈動が常に搏(う)っている生ける宇宙の中に生活するのである。この宇宙は、創造を司る一つの霊によって造られたのである。……」

その霊は愛であり、無限であり、完全である。吾等も神の子として神に結ばれているのだ、と書かれていて、まさに榎本先生がおっしゃるとおり、それはひと言で言えば、「人間の心で支配するのではなく、神の心で支配せよ」と書かれているのだと言えるでしょう。

それが、谷口雅春先生のお悟りだったのだ。それで、榎本先生は
≪「實相は完全であるからこちらの力は何も要らない」というふうに、喜ぶのを遠慮しないことが「實相を観ずる」とか「自覚する」とかいうことであったのです。……≫

と書かれているのだと、私は思いました。

1040復興G:2013/05/07(火) 16:05:10 ID:AB6RqYXc

さて、
>>1001 で 閲覧者 様が、
>>雅春先生のお言葉を気軽に「コピー&ペースト」で公開してほしくないのです。……生命の實相も長々と公開してほしくないというのも本音です。<<

と書かれ、

>>一字一字絶対間違いがないと言えるでしょうか? 改行場所は聖典そのままでしょうか?<<(>>1021

>>間違った文章をそのまま生命の實相が後世に伝えられればとんでもないことになってしまいます。<<

とも書かれていますね。

それについて、考えてみました。

著作権法から言っても、聖典を長々と公開するのは、違反(著作権侵害)になるかと思います。私もやってしまっていました。

他人の著作物を引用する場合は、「自分の意見が主で、引用は従でなければならない」ということが決まりであったと思います。
それで、聖典を引用する場合でも、それについての感想を述べることが主であれば、許されるのではないでしょうか。

この掲示板で聖典の勉強をする場合、
「生命の實相も長々と公開してほしくない」
とおっしゃるのは、どういう立場からおっしゃっているのか疑問の点がありますが、著作権上の問題があるとは私も考えます。

勉強のために一時公開は許されるとしても、web誌友会が終わったら、消去、削除していただいた方が宜しいのではないでしょうか。

トキ管理人様、私が謹写アップさせていただいた
>>961>>965は、誌友会終了後は削除してくださいませんか。よろしくお願い申し上げます。

さて、それで、

>>一字一字絶対間違いがないと言えるでしょうか? 改行場所は聖典そのままでしょうか?<<

ということについてですが、それは、人間の作業に完璧と言うことはあり得ません。
現に、正式に出版されている日本教文社刊の聖典にも、誤植はあります。私も、何回か気がついて編集部にお知らせし、訂正していただいたことがあります。

プロの編集者が校正しても、見落としはあり、誤植があり得ます。ましてや、素人の作業が完璧ということは難しいでしょう。
完璧でなければいけないのだったら、著作物の出版は不可能になります。

細心の注意を払って、誤植がないように気をつけて、学習に必要な聖典の箇所を引用させていただくことは許されるのではないかと、私は思ってやってきました。

もし、著作権者から、それが不当だと言われれば、やめるようにいたしましょう。

>>改行場所は聖典そのままでしょうか?<<

この掲示板にアップした場合、行間が詰まって掲示されるので、聖典のそのままでは真っ黒な団子みたいになってとても読みづらくなります。ですから私はあえて改行を増やし読みやすくしてアップさせて頂いています。

もしそれがいけないとなれば、原典通りの字数で止めては1行あける、ということを繰り返すのもひとつの方法かと思います。

以上は、私が思ったことです。

1041復興G:2013/05/07(火) 16:54:41 ID:AB6RqYXc

>>1038 :志恩様。

ご愛念、ありがとうございます。


「訊け」管理人殿。

今度のweb誌友会日程についてですが――

もう、半分終わったようになってますね。
第14回web誌友会は終わった、次は第15回――と考えてよいような気さえします。

貴殿とユタカさんとが組んで進めてもらえば、そんなに間を空けなくても、浮きに2回ぐらいできるのではないですか?

私は、「5月は休んで、6月7日(金)〜8日(土)はどうでしょう」 と前に書きましたが、ユタカさんと相談して、もっと早く、数多く開いて頂いて結構ですよ。


ユタカさん

>>987
>>はしがきは復習で読みましたが、ここ重要な箇所ではないですか? 自己破壊願望について復興Gさまと話しをしたいと思いました。
人間は本来霊だから肉体を嫌うのでしょうか? では、なぜ地上に誕生したい霊魂が競争して生まれたいと望んで生誕したのでしょうか? 現象が幸福な人は自己破壊願望のない人なのかな?<<

――とおっしゃったので、
≪(『生命の實相』第3巻の)「はしがき」は、おっしゃるとおり、とても大切な根本問題です。基本中の基本でしょう。
罪の意識――自己破壊願望――について、私自身の体験を語りたいと思いますが、長くなるので、また明日以後にさせてください。≫

と昨夜、書きましたね。

それについては、もう少しお時間をください。

第3巻の「はしがき」に
≪わたしは最近、アメリカの精神身体医学の大家カ−ル・メニンジャ−博士の『おのれに背くもの』を日本教文社発行の翻訳で読んだが、これは人間の自己破壊の矛盾的な欲望を自殺本能とし、慢性病を一種の慢性自殺としてその精神過程を分析している大変興味ある書物である。……≫

と書かれている、カ−ル・メニンジャ−博士の『おのれに背くもの』という本を、今から60年近く前の学生時代に買って読んだことがあります。しかし、今探しても見つかりません。本があまり多くなりすぎたので、引っ越しの時に一部処分したことがあるので、この本もそのとき処分してしまったのかも知れません。それで、アマゾンを通して中古本をまた買って読みなおすことにしました。

そうして私自身の体験を織り交ぜ、人類の罪意識による自己破壊願望から戦争も起こるというメニンジャ−博士の分析を、もう一度学びなおし、考えてみたいと思っています。
よろしくお願いします。

1042復興G:2013/05/07(火) 16:59:37 ID:AB6RqYXc

>>1041 訂正です。

浮きに2回ぐらい → 月に2回ぐらい

でした。

1043うのはな:2013/05/07(火) 17:46:09 ID:eKS7l5CQ
239 :「訊け」管理人:2012/11/08(木) 13:41:18

 「どしどし決め付けていけばよい」、基本線はこれです。ネガキャンの手法はこれら、手馴れた方のものをご参考に。なんの根拠もない話ですが、読み手は論拠までは求めてきませんからね(笑)ですんでどしどし決め付けて行きましょう。曰く「逃げるのは訊け」とか、「論点回避するのは訊け」等。もう、効果的です。「訊けクン返答はなしよ」と(冷静なトーンで)付記されれば、さらに完璧でしょう。弁解機会を奪いながら、どしどしヤルのがコツです。

 既述繰返しですが、どんどんやってください。ネガキャン要員の方々。

 思いっきり下品な言葉で称されるのも、効果絶大です。さらには私以外の方へのハラスメント、これも効果的です。この訊けですが、他人がイジメられていると黙っておれぬ性分です。そこを衝きましょう。手馴れた方はすでに、随分前から実行なさってますよ。私がスルーしていてもその私が、「どんなハラスメントならば参入してくるか」。よく理解しておられます。

 私は、自分へのハラスメントは平気です。ですんで、どうしても私に相手をして欲しい場合は「ブログ読者をイジメて」みましょう。そうすればこの「訊け」管理人ですが、参入してくるかもしれません。「止めろ」という感じで。

 そしてこのタイミングを、逃さぬことです。訊けが「止めろ」と申してきた際に、貴方たちはこう連呼すれば、よいのです。「攻撃された!」と。そして、「和解派のクセに、争そいが絶えない!」と・・・・作業はこれだけです。これだけで和解派を、追い込むことが出来ます。簡単でしょう?




追伸

 誌友会の司会ですが、受けられるわけがありません。

 「参加希望者へのハラスメント」ですが、これが堂々とまかり通ります。誰も注意しません。そこで司会者として制止に入れば、「和解派のクセに」です。そして後日には「前代未聞の誌友会」なんて断言され、反復掲載されます。ネガキャン要員の方々は、これを参考にされるとよいです。そうすればもっと、効果的なネガキャンになりましょう。がんばってくださいね。

1044トキ:2013/05/07(火) 18:40:14 ID:EcYhkS1g
 法律に詳しい友人に、閲覧者 様のご意見について、考えを尋ねてみました。

 例えば、刑法では、「原本」を偽造したらそれだけで犯罪になりますが、「写し」を偽造しても、それだけでは犯罪になりません。
もちろん例外はありますが、それは、ファックスやコピーのように、機械で複写をする場合に、電子的に文書を改竄して複製を作る
場合で、これは、ファックスやコピ−は、原本の内容をそのまま複製するという考え方が社会通念上、あるからだそうです。

 つまり、「写し」の場合は、内容が正確ではない、という考え方が一般に存在しているとも言えます。また、読み手もその事実を
前提に、文章を読むと考える人が多いと思います。

 例えば、図書館などが珍しい本を公開する場合は、だいたいが、PDFで公開しています。それは、研究者などが調査をする資料に
使う場合が多いので、正確さを担保する必要があるからです。

 これに対して、掲示板での聖典の引用の場合、研究、調査の対象というよりは、その本を読んで、自分の信仰を高めるという目的
があります。たいていの場合、原本は別に広く存在しますし、もし、調査研究目的の場合は、この掲示板での引用ではなく、古本屋
さんに行くか、図書館に行って「原本」を探します。

 もちろん、だからと言って、誤字脱字は、意図的な表現の改竄はタブーです。が、それ以外については、段落などの改編は問題は
ないと考えています。さらには、谷口雅春先生は、旧かなづかいを大切にされていましたが、現在、刊行されている聖典の多くは、
新仮名遣いです。それらを考えると、基本的には、内容、表現以外の部分については、投稿者様の良識に任せるべき問題かと考えて
おります。

 むしろ、聖典を紹介し、原本を見るように勧める事や、既に絶版になった本を紹介して信仰心の向上につとめる事は、それが
著作権法に抵触しない限り、大いに賞賛されるべき事かと考えます。

合掌 ありがとうございます

1045トキ:2013/05/07(火) 18:41:06 ID:EcYhkS1g
追伸

 もちろん、聖典を尊重し、大事に扱うべきで、その点は、閲覧者様の貴重なご意見に深く
感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1046トキ:2013/05/07(火) 18:46:51 ID:EcYhkS1g
>>1040

 個人的には、復興G様のご指導の内容ですから、残したいという気持ちはありますが、
御希望の通りにさせていただきます。削除する時が参りましたら、ご教示下さい。

合掌 ありがとうございます

1047復興G:2013/05/07(火) 19:01:24 ID:AB6RqYXc

>>999 「訊け」管理人殿

>>1039 の補足をさせてください。

『人生は心で支配せよ』(谷口雅春先生著)の第1章に、次のように書かれています。(抜粋)

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

       第1章 心の法則

 (前略) 生命の實相哲学が諸君に順次解明せんとすることは、宇宙の最始源には、ただ「心」即ち超物質的存在なる「霊」のみがあったと云うことである。……創造せられたる一切のものは霊を材料として造られたのだと言わざるを得ない。心は想念(コトバ)によってのみ活動することが出来る。それ故心は想念(コトバ)と呼ばれる材料をもって、見ゆる形に一切のものを創造したのである。一切のものは、想念(コトバ)によって、はじめてその形を現したのである。然らば創造とは想念(コトバ)の活動の過程を言い現したものにすぎない。想念(コトバ)は一切のものの原因であり、一切のものはその結果である。 (中略)

 吾々の哲学は、吾々は如何にすれば吾々の国家を、社会を、肉体を、環境を、すべての者の運命を支配してこれを栄えあらしめる事が出来るかを明らかにするのである。と云うのは、吾々の光明哲学は人間が小宇宙であること、大宇宙において行われた創造の過程は小宇宙においても真であること、――換言すれば想念は物に化(な)ると云うことを明らかにするからである。そして宇宙を支配する法則を暁(さと)って、これと調和するならば、人間は無限の自由を獲得し、あらゆる制約を超越して、無礙無縛(むげむばく)の状態になり得ることを明らかにするのである。 (中略)

 吾等は、吾々自身が自力で思い煩うことなくして、宇宙精神の創造力に委せ切って自分の欲する事物をほしいままに得ることが出来るのである。吾らは創造力を自分で造るのではない。大生命に委せ切って宇宙の創造力に働いて頂くのである。吾らの委せ切りの心が深まれば深まるほど、その程度に従って宇宙の自浄力(いやすちから)が吾らのために無限にはたらいてくれるのである。

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 上記のご文章を読んでも、『人生は心で支配せよ』とは、

「人間の心ではなく、神の心に支配せしめよ」

「神の心(すなわち実相)に任せよ」

という意味であることが、明らかだと思います。

榎本先生が

≪ああしてから、こうしてからは止めて、今そのまま素っ裸のままで喜ばせてくださるのが生長の家の御教えなのです。≫

 とおっしゃっている通りですね。

1048復興G:2013/05/07(火) 19:10:08 ID:AB6RqYXc

>>1044 〜1046: トキ様

お世話をかけます。ありがとうございます。

感謝 合掌

1051ユタカ:2013/05/07(火) 21:13:27 ID:2DhH33vQ
トキ様が法律の詳しい方のお話を聞かれたお答えを呼んで安心いたしました。

すみませんが、読み返しをしたいので、聖典の写しはなるべく削除なさらないで下さる事を希望いたします。

1052ユタカ:2013/05/07(火) 21:16:02 ID:2DhH33vQ
a hopeさまへ

何かの参考になればと思い貼り付けます。

>>『教義の大綱』について



 谷口雅春先生は生長の家を教化団体として貫こうとされていましたが、文部省の強く宗教結社となるように指導があり、昭和15年4月1日、それまでの教化団体から宗教結社生長の家として出発することになりました。
 生長の家が宗教結社となったため、「教義の大綱」、「奉斎主神、安置仏等の称号」が次ぎのように決められました。




教義の大綱
「国体を明徴にして皇室の尊厳を明にし、各宗の真髄を天皇信仰に帰一せしめ、尽忠報国、忠孝一本の国民精神を昂揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、処、相応の大調和を得せしめ、兼て天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す」
 

奉斎主神、
安置仏等の称号
  道場又は集会室に特に顕斎せる主神又は安置仏なし。心に幽斎する主神としては宇宙大生命(みおやのかみ)(その幽之幽なる神として天之御中主神、幽なる神として天照皇大神、現人神として天皇)を礼拝す。宇宙大生命は宏大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容するが故に、各自は祖先伝来の宗教を信じ又は自宅にて如何なる斎神又は安置仏を奉ずるも差支えなし。宇宙大生命の道を顕楊し、日本国威を発揚し、皇威を顕楊する東道(みちびき)の神として心の幽斎する副神として生長の家大神(『古事記』『日本書紀』に顕れたる住吉大神即ち後に塩椎神、仏典に顕れたる釈迦、観世音菩薩及びその応化仏、基督教の『黙示録』第一章に現れたる七つの燈台の点燈者)を礼拝す。
 宇宙大生命(みおやのかみ)は宇宙生命の根本実相にして、宗派に偏らざる哲学的表現を用うれば「生命の實相」なり。この意味にて道場又は集会室に「生命の實相」又は単に「實相」の掛軸を掲出することあり。
 



 谷口雅春先生により、ここに教義の大綱が示されています。ここには生長の家発祥の根本が説かれています。
 谷口雅春先生は一貫して「国体の明徴化」「ご皇室の尊厳の闡明化」「各宗の真髄を天皇信仰に帰一化」することを生長の家の根本使命とし、大調和、総感謝、中心帰一、永遠至福の地上天国実現の大目標ために実際運動を起すことを宣言されています。
  生長の家は根本に「天皇国日本の国体を護持」する使命を持って実際運動をしていく宗教団体でなければなりません。その上で、人時処に相応した實相世界の至福を個人個人に実現し、以って社会全体、世界全体を實相世界の映しとして、天皇陛下を中心しとした一君万民の大調和世界を実現していく使命があります。そこの根本を失った時、生長の家は生長の家でなくなります。
  そのために、今一度 『教義の大綱』 に帰って、谷口雅春先生のご意志をかみ締めたいものです

1053a hope:2013/05/07(火) 23:11:41 ID:edEDolt2
>>1052ユタカさま

すごい文章ですね。
漢字が多くて目が回りそうになりましたよ(笑)

二つ質問させてください。

これは、「生長の家」が(人類光明化のための)教化団体から宗教団体に移行するときに発表されたものなのですね。
ということは、それ以前はこのような「教義の大綱」や「奉斎主神、安置仏等の称号」はなかったということでしょうか?

最後に、<< 谷口雅春先生により、ここに教義の大綱が示されています。ここには生長の家発祥の根本が説かれています。…>>
と述べられていますが、この文章は誰が書かれたのでしょうか?

1054志恩:2013/05/08(水) 06:24:34 ID:.QY5jUA6
ahope様

ユタカ様あてのメールですが、

a hope様の次の質問…

「最後に、<< 谷口雅春先生により、ここに教義の大綱が示されています。ここには生長の家発祥の根本が説かれています。…>>
と述べられていますが、この文章は誰が書かれたのでしょうか?」

これにつきましては、復興G様、トキ様の方が、お詳しいと存じますけれど、

このような「宗教関係に関する」一切合切は、谷口雅春先生ご自身が、考えられて、書かれてましたよね。

ただ、「政治」に関する事は、雅春先生は、疎かったので、
その当時、企画局部長でいらした大狭先生に、立案の素案を作成するように、頼まれたのだと思います。

その事は、当時の神誌に、雅春先生は、正直に書いておられました。
【自分は、政治のことは、疎いので、大狭さんに…】というふうに、

雅春先生は、他人がやったことを、ご自分がされたようにして、公表されるようなお方では、
ありませんから、宗教関係のことは、ご自分でされたと思います。

話が,それますが
大狭先生の作られた生政連の企画立案の素案は、あのとき、大狭先生は、お山に提出される前に、
たしか、政治のことにも お詳しかった田中忠雄先生に、見ていただいて、それでOKが出たので、

その原稿を私が、和文タイプで打ち、輪転機で印刷し、書類にして、それを大狭先生が、お山に提出されたと記憶しております。

その後、雅春先生からOKが出て、「政治局」の部屋が新設されました。(私はそのとき、政治局には、移動していません)

政治局の局長に、田中忠雄先生。 
事務局長に大狭先生がなられました。

前に書きましたとおり、雅春先生は、他人の手柄を、ご自分の手柄にして言うようなお方では、決してありませんから、
宗教関係のことは、全て、ご自分で考えられて、(それを、心のゆるせる人に,見せたかもしれませんが)発表されて
おられたと存じます。





私は、政治連合板に、生政連の企画立案を大狭先生が、雅春先生に頼まれて作られたと,書きましたが、
それは、なぜかといいますと、雅春先生は、宗教関係にはお詳しいお方でしたが、政治 のことには、疎いので、

それで、

1055志恩:2013/05/08(水) 06:29:48 ID:.QY5jUA6
下の3行は、要らない文章が残っていました。
ここの掲示板は、削除できませんが、、、ごめんなさい。

1056「訊け」管理人:2013/05/08(水) 07:30:11 ID:???


>>復興Gさま

 ご愛念に感謝致します。さっそく以下にて、返信文を投稿させて頂きます。
 

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
上記のご文章(>>1047)を読んでも、『人生は心で支配せよ』とは、
「人間の心ではなく、神の心に支配せしめよ」
「神の心(すなわち実相)に任せよ」
という意味であることが、明らかだと思います。

榎本先生が
≪ああしてから、こうしてからは止めて、今そのまま素っ裸のままで喜ばせてくださるのが生長の家の御教えなのです。≫とおっしゃっている通りですね。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…


 本当にありがたい教えであると、思います。悪戦奮闘をしていた期間が長かった、私の様な者は特にそう感じると思います。やや余談ながら「二十五歳まで生きられぬ」と云われた戦前の日本人ですが、この方々がこの光明思想に魅了された理由も、(おぼろげながら)解ります。眩しく感じられたのでは、ないでしょうか。

 さて、この「人間の心ではなく、神の心に支配せしめよ」に関してでありますが、以下ご投稿はありがたいものでした。



・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
>>1039『人生は心で支配せよ』(谷口雅春著作集 第10巻)の巻頭には、先生直筆の御揮毫が印刷されて掲載されており、そこには

「自ら其の鋭を挫き光を和らげ言を慎む」
と書かれています。

これは老子の
「其の鋭を挫(くじ)き、其の紛を解く。其の光を和し(和らげ)、其の塵に同ず」
 (『老子』第4章より。<道を体得した者は、まずもって己の鋭さをくじかねばならぬ。また、糸のもつれたのを解きほぐさなければならない。次にきらびやかな光をぼかさねばならぬ。そして世の俗流とその歩調をあわせて行くがよい。>―諸橋徹次 解説。ここから「和光同塵」という四字熟語が生まれている)

という言葉を採用して書かれたものと思われます。つまり、自己主張をつつしめという意味の言葉が、『人生は心で支配せよ』の巻頭に掲げられているのです。ということは、「心で支配せよ」の「心」とは自我の心ではないぞ、と示されているのだと思います。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…


 自己主張即ち、「ニセモノの、肉体の自分に主導権を渡す行為」ですが、これに注意を払わねばなりません。その通りであります。なお、事業運営に於いては「現象対処」の要も眼前に、現われて参ります。どうしても現象に瞞着され、肉体人間の「鋭」を頼りにして仕舞いがちです。

 そこで自戒の意味を込めまして、以下(「智慧の言葉」)を引用致します。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

「智慧の言葉」より謹写――

○ 汝は何のために自己弁解するのか。汝がそのように弁護し、まもろうとしている自己は『汝の本物』ではないのだ。それは『汝』であると云って汝を欺き周囲を欺いている詐欺漢である。

○ 何も隠すことも蔽うこともない。汝自身が悪いのではない。ニセ物が汝の名を騙って、汝と周囲を欺いていたのである。

○ 汝のニセ物の仮面を剥げ、ニセ物の罪状をあらわにせよ。ニセ物を逐い出し、叩きいだせよ。  ――これを懺悔と云う。

○ 罪を隠しているのは、罪を実在だと思っているからである。矢張り『本物の自分』が罪を犯したのだと思っているからだ。『本物の自分』をもっと尊べ。『ニセ物の自分』を罵れ。それを叩き出し、『無』にまで粉砕せよ。

○ 『ニセ物』を其の家から逐い出すには、『ニセ物』は盗賊であり詐欺漢であるから『本物の主人』がその家に帰ってくれば、ひとりでに『ニセ物』は逃げて行く。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 よき言葉の拝読機会を賜りました。誠にありがとうございました。



追伸

 さて、『人生は心で支配せよ』の件です。これを再度拝読しようと思いたち、書棚をあさっておりました。そうしたところ、紛失していた本(経営関連の書)が出て参りました。そしてこれが、現在の私にとって非常に示唆に富む本でありました。『人生は心で支配せよ』に導かれて出てきた経営本 ―― これに救われました。図書指定の件もありがとうございました。

1057ありがとう:2013/05/08(水) 07:36:58 ID:???

 『生長の家 三拾年史』 9頁
 
  「生長の家の本尊に就いて」として
  昭和15年4月9日午後2時より名古屋公会堂に於ける講演の速記

  入手できなければ、本流掲示板及び光明掲示板で「天皇信仰」を。

1058a hope:2013/05/08(水) 09:35:33 ID:edEDolt2

みなさま おはようございます。

>>1054志恩さま

<<このような「宗教関係に関する」一切合切は、谷口雅春先生ご自身が、考えられて、書かれてましたよね。
ただ、「政治」に関する事は、雅春先生は、疎かったので、
その当時、企画局部長でいらした大狭先生に、立案の素案を作成するように、頼まれたのだと思います>>

そうなのですか・・・。
「政治」に関しては、雅春先生は疎かったのですか・・・。
「それでは、わたしと一緒ですね!」って、 a hopeと雅春先生を一緒にしたらいけませんね。
失礼いたしました。


ところで志恩さまは、当時の「生長の家」でとても重要なお仕事を任されていたのですね。
それで、志恩さまは色々な情報をご存じなのですね。

わたしは、「生長の家の教え」のうちの、「唯神實相哲学」にはとても興味をもって入信しました。
ですから、正直に言えば、「生長の家」の天皇信仰ですとか、愛国、政治運動、
さらには、現教団の推進している環境保護運動にはいまでもほとんど興味がないのです。

今回、ユタカさまが貼り付けて>>1052に貼り付けてくださった、「教義の大綱」や「奉斎主神、安置仏等の称号」を拝見した限り、
わたしには、その文章の中に、政治的なものは全く感じられませんでした。
それは「生長の家」が宗教団体として活動していくために、この現象世界での「生長の家の信仰的見解」を明確に表現された御文章のように感じました。


一方、後半のどなたが書かれたかわからない御文章、

<<谷口雅春先生により、ここに教義の大綱が示されています。ここには生長の家発祥の根本が説かれています。
 谷口雅春先生は一貫して「国体の明徴化」「ご皇室の尊厳の闡明化」「各宗の真髄を天皇信仰に帰一化」することを生長の家の根本使命とし、大調和、総感謝、中心帰一、永遠至福の地上天国実現の大目標ために実際運動を起すことを宣言されています。
  生長の家は根本に「天皇国日本の国体を護持」する使命を持って実際運動をしていく宗教団体でなければなりません。その上で、人時処に相応した實相世界の至福を個人個人に実現し、以って社会全体、世界全体を實相世界の映しとして、天皇陛下を中心しとした一君万民の大調和世界を実現していく使命があります。そこの根本を失った時、生長の家は生長の家でなくなります。
  そのために、今一度 『教義の大綱』 に帰って、谷口雅春先生のご意志をかみ締めたいものです >>

こちらには、「生長の家」は「愛国心」をもって政治的運動をしていくべきでありそれが雅春先生のご意志であるような、ニュアンスが含まれているように感じます。


これは、あくまでも雅春先生の愛国書と言われるものをほとんど拝読していない、信仰歴数年のa hopeが感じたことです。
受け取り方に間違いがある可能性も大きいです。
ですが、後半のどなたが書かれたかわからない御文章には、わたしはそのような違和感を覚えました。
わたしの正直な感想です。

ユタカさま、この全体の御文章の出典を教えてくださいませんか?




>>1052 ありがとうさま

情報提供をありがとうごさいます。
早速、光明掲示板で検索してみましたら、山ちゃん1592さまの『天皇信仰の根源と生長の家 (4204)』がヒットしました。

http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=859&amp;submitlog=859

今日はこれから仕事ですので、あとでゆっくり拝見します。

それでは、みなさま、今日も一日元気にお過ごしください!

1059志恩:2013/05/08(水) 10:18:52 ID:.QY5jUA6
ahope様

谷口雅春先生が、政治に進出されようと、決意されたのは、生長の家の教えを拡大するために、
政治を利用されようと思われたのでは、ありません。

雅春先生は、今、雅宣総裁がされてる環境問題やエコ運動のように、
雅春先生は、教えを現実面で、現象世界で活かす為に、されておられた運動がありました。

当時は、年間の中絶数が、膨大にあったときで、ですから、

「優生保護法の運動」や
「憲法改正の運動」、
 青少年不良化防止運動、
 おまわりさんに感謝す運動、等、

全国的に、生長の家の組織をあげて、
推進されてましたが、特に、優生保護法、憲法改正を、国民のために、現実化するには、
政治が、それを法制化しない限り、歌に唱ってるだけで、、絵に描いた餅のようなものだ、と
おっしゃって、
それで、本来は、苦手でいらした政治運動をされることに決めたと、伺っております。

(ですから、私は、雅宣総裁が、環境問題をされてることは、否定していません。
 おかしいと、心ある皆様(私も)が、雅宣総裁にブーイングしているのは、
 本来の、神の子人間の教えを中心に置かず、脇の運動にすべき、環境運動ばかりを中心に置いて、
 その運動に
 明け暮れておられることを、皆様で、それは、おかしいでしょうと、申し上げているのです。)

昔のこと、私は、重要なことは、していないのです。
たまたま、それらの方々の、事務的な面を言われて、やってただけなんです。

その後の政治局の、生政連のことは、わかりませんでしたが、
以前に、トキ様が、詳細に書いて下さってるところが、あります。

それは、「政治連合板」のほうへ、転載させて頂きます。
それがですね、凄く,長いんですよ。2〜16まで、ありました。

最後の16は、山ちゃん1952様のご文章です。

1060志恩:2013/05/08(水) 11:19:05 ID:.QY5jUA6
本流が 雅宣総裁に、ブーイングの嵐なのは、
1059に書きましただけの理由では、ありませんが、、

1061トキ:2013/05/08(水) 11:56:11 ID:.EGbH5eE
 たぶん、谷口雅宣先生の認識にあるのは、現代文明の閉塞感と問題点だと思います。
環境破壊やエネルギーの浪費で、このままだと人類は滅亡してしまう、という危機感があるのでしょう。
また、テロや戦争と言った問題も世界中に蔓延しています。その戦争の原因の大部分は、エネルギー問題
である以上、エネルギー問題への解決が大事である、という認識もおもちだと思います。

 今、中国では環境破壊が激しく、河川は汚染され魚もすめなくなり、空気に至っては計測機器が測定不能
である、という状態になるほど汚いとききますが、彼に脳裏にあるのは、そういう光景でしょう。

 しかし、ここまで高度に発達した社会で、今更、科学技術を否定した生き方は出来ないのも事実です。
そこで、人間の欲望を押さえる事でエネルギーの消費量を減らすと共に、科学技術を旨く使って人間と
自然との共生できる世界こそが、あるべき理想であると考えているのでしょう。

 そのためには、生長の家という組織を使って呼びかけるだけではなくて、実際に、どういう生き方を
するのが理想か、という事を社会に示すのが、現代の宗教界の使命である、と思っているのではないか
と思います。彼が「精神論の時代は終わった」と言い出したのは、つまり、生長の家という組織が手本
を見せて、世界がそれを手本にして欲しい、という発想があるのでしょう。

 「森のオフィス」なども、学者や建築家からは高い評価を得ていると聞いています。(もっとも、あれ
だけの金をかけたら、スゴいものが出来るのは当然ですが)

 賛成するか、どうかは別にして、それはそれで一つの見識だとは思います。

 ただ、問題は、そういう環境保護への過大な傾倒が、実際に組織運動に極めて悪い影響を与えている
事です。信徒は減り、部内の士気は低下し、救済力は落ちています。本部の人達はどう考えているかは
知りませんが、現場、あるいは部外の人から見たら、「ああ、“新しい文明”とやらは、結局、机上の空論
だ」と完全否定する方向になると思います。

 私は、現場の雰囲気を見ていると、大半の人が、谷口雅宣先生を支持していないので、このチャレンジは
結局、失敗すると感じています。また、これは私の縁者の「一白鳩会員」が言っている事ですが、総本山
から「鎮護国家」を外した事で、谷口雅宣先生の運命は決まったと話しています。まあ、これは、「一白鳩
会員」の勝手な霊感ですから、信用できるかどうかは別ですが。

 そこで、考えるのですが、現場から猛烈な反発が出ているのは、谷口雅宣先生が社会通念上、考えられない
ほどのトップダウンの常習者で、しかも、そのことごとくが失敗しているからです。(ただ、私は、そういう
認識でいますが、もし、異論がある方はご投稿をお願いします。)。しかし、やり方さえ違えば、成功した
事例は多数あると感じています。

 もともと、環境保護路線というのは、谷口雅春先生も御教示されていた部分はあります。ですから、手順を
踏んで、かつ、バランスを考えて運動へ取り入れたら、現在の本流復活派でも賛成できる部分があるのです。
 それを強引な手法で強行し、かつ、救済を無視した以上な環境保護への傾倒が、多くの信徒の反発をかった
ものだと思います。

 吉田國太郎先生が、二階にいる人が外に出る時に、階段を使えば怪我もなしにいけるのを、二階の窓から
飛び降りるから怪我をするのだ、と「常楽への道」で書かれていました。現在の総裁のやり方もそれと似ている
と思います。

 その意味では、谷口雅宣先生の指導については、惜しまれてならないと感じます。

1062神の子さん:2013/05/08(水) 13:34:00 ID:ffNG7FhM
トキ様

雅宣さんの方針は、環境保護団体であれば、全く問題がないと思います。雅宣さんの考えで、雅宣さんの方針の環境保護団体としてあるならば、良いのではないでしょうか。
その上で、雅宣さんは生長の家と別に環境保護団体を主宰になられたら、宗教法人生長の家と、兄弟関係を築いていく道もあると思います。
雅宣さんを排除するのでなく、雅宣さんの使命を生かす一番の道のようにも思います。
久々投稿させてもらいました。では、仕事入ります。

1063トキ:2013/05/08(水) 14:00:27 ID:.EGbH5eE
>>1062

 ご投稿、ありがとうございます。実は、投稿する場所を間違えたのですが、皆様にお詫びします。
確かに、そういう考え方もあると思います。教団としてではなくて、関連団体がそういう運動を
するのは、問題はないと考えます。

合掌 ありがとうございます

1064復興G:2013/05/08(水) 14:08:56 ID:AB6RqYXc

>>1052 で、ユタカ様が
「a hopeさまへ 何かの参考になればと思い貼り付けます」として、<『教義の大綱』について>というのを投稿されました。

それについて――

前記の<『教義の大綱』について>だけを読むと、たとえば<日本国威を発揚し、皇威を顕楊する東道(みちびき)の神として心の幽斎する副神として生長の家大神……>というような言葉がありますから、生長の家は時代錯誤の超右翼、超国家主義団体か、というよな印象を持たれるかも知れません。

しかし、生長の家は右翼でも左翼でもありません。右翼と左翼の中間というような意味での中道でもありません。そんな現象を超えた、根源的な意味での「中道」でありますね。

前記<『教義の大綱』について>というのは、ユタカ様も書いておられるように、昭和15年(大東亜戦争勃発の前年)に、文部省から宗教結社として届け出るようにと強い指導を受け、作られたものですが、その経緯などについては、『生長の家三拾年史』に「生長の家の本尊に就いて」と題して詳しく書かれています。そして『神の真義とその理解』という本にも、その一部「昭和十五年四月九日午後一時より名古屋公會堂に於ける講演の速記」というのが収録掲載されています。

ユタカ様がアップされたのは、昭和15年に文部省に宗教結社として届け出られた「生長の家の概略」なるものの一部ですが、まずは『生長の家三拾年史』に掲載されている全文を原文のまま(漢字・仮名遣もそのまま)謹写させて頂きましょう。

     ***********************

     生長の家の本尊に就いて

               谷口雅春

 本尊たる生長の家大神についての解説は「宗團法による宗教結社届解説(『生長の家』誌第十一輯第十一號<注・昭和15年11月号>所載)」には次の如く示されてをります。

宗教團體法第三十六條に依リ宗教結社として届出の生長の家の概略左の如し。

一、名称 教化團體 生長の家

教義ノ大要

 『國體ヲ明徴ニシテ皇室ノ尊嚴ヲ明ニシ、各宗ノ神髄ヲ天皇信仰ニ歸一セシメ、盡忠報國、忠孝一本ノ國民精神ヲ昂揚シ、悪平等ヲ排シテ一切ノモノニ人、時、處、相應ノ大調和ヲ得セシメ、兼テ天地一切ノモノニ総感謝ノ實ヲ擧ゲ、中心歸一、永遠至福ノ世界實現ノ大目的ヲ達成センコトヲ期ス』

 ソノ實行目標トシテ次ノ『七つの光明宣言』アリ。

   七つの光明宣言

 ▽吾等は宗派を超越し生命を禮拝し生命の法則に随順して生活せんことを期す。
 ▽吾等は生命顯現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。
 ▽吾等は人類が無限生長の眞道を歩まんが爲に生命の創化の法則を研究發表す。
 ▽吾等は生命の糧は愛にして祈りと愛語と讃歎とは愛を實現する言葉の創化力なりと信ず。
 ▽吾等は神の子として無限の可能性を内に包有し、言葉の創化力を駆使して大自在の境に達し得ることを信ず。
 ▽吾等は善き言葉の創化力にて人類の運命を改善せんがために、善き言葉の雑誌『生長の家』及び聖典を結集して發行す。
 ▽吾等は正しき人生観と正しき生活法と正しき教育法とにより病苦その他一切の人生苦を克服し、相愛協力の天國を地上に建設せんが爲に實際運動を起す。

儀式及ビ行事ニ關スル事頂

 冠婚葬祭等――ニ『生長の家』特殊ノ儀式ナク、誌友ハ祖先崇拝ノ美風ヲ顯揚スルタメ各自ノ祖先傳來ノ儀禮ニ則ルモノトス。但シ、祖先ガ無信仰等ニシテ傳來セル宗教ナキ場合ニハ臨終ニ際シテ慰靈スルタメノ引導文アリ。『久遠いのちの歌』アリ。又顯幽ヲ問ハズ、人ノ靈魂ノ開悟ノタメニ聖経『甘露の法雨』『天使の言葉』等ヲ讀誦スルコトアリ。
<つづく>

1065復興G:2013/05/08(水) 14:09:38 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 観行――座禅観法ト祈リトヲ合併セル如キ精神統一的行事ニ神想観アリ。(『生命の實相』観行篇詳細説明参照)

 左ノ四種ノ招神歌ヲ誦シテ後、宇宙大生命の生命自己ニ流レ入ルト観ジテ精神統一ニ入ルモノトス。

招神歌
 生きとし生けるものを生かし給へる御祖神元津靈ゆ幸へ給へ
 吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
 吾が業は吾が爲すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
 天地の祖神の道を傳へんと顯れましし生長の家の大神守りませ

奉齋主神、安置佛等ノ稱號

 道場又ハ集會室ニ特ニ顯齋セル主齋神又ハ安置佛ナシ。心ニ幽齋スル主神トシテハ宇宙大生命(ミオヤノカミ)(ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇大神、現人神トシテ天皇)ヲ禮拝ス。宇宙大生命ハ宏大無邊ニシテソノ仁徳一切ニ及ビ一切ヲ包容スルガ故ニ、各自ハ祖先傳來ノ宗教ヲ信ジ又ハ自宅ニテ如何ナル齋神又ハ安置佛ヲ奉ズルモ差支ナシ。宇宙大生命ノ道ヲ顯揚シ、日本國威ヲ發揚シ、皇威ヲ顯揚スル東道ノ神トシテ心ニ幽齋スル副神トシテ生長の家大神(古事記日本書紀ニ顯レタル住吉大神即チ後ニ盬椎神、佛典ニ顯レタル釋迦、観世音菩薩及ビソノ應化佛、基督教ノ黙示録第一章ニ顯レタル七つノ燈臺ノ點燈者)ヲ禮拜ス。

 宇宙大生命(ミオヤノカミ)ハ宇宙生命ノ根本實相ニシテ、宗派ニ偏ラザル哲學的表現ヲ用フレバ『生命の實相』ナリ。コノ意味ニテ道場又ハ集會室ニ『生命の實相』又ハ單ニ『實相』ノ掛軸ヲ掲出スルコトアリ。

教典、其ノ衍議等

 谷口雅春氏著『生命の實相』並ニ光明思想普及會發行ノ書籍雑誌等。

 ソノ内容ハ、
 古今東西ノ哲學、宗教等ノ原典ヲ引用解釋シ、比較宗教哲學的ニソノ中心眞理ト認ムベキモノヲ整理シテ、日本學的ニ體系ヅケラレツツアルノガ谷口雅春氏著『生命の實相』哲學ニシテ、今尚續々執筆サレツツアリ。

 毎月個人雑誌『生長の家』『行』『白鳩』『光の泉』等ニ發表サレ、ソレヲ結集シテ『生命の實相』全集トナス。

 サレバ其ノ哲學ハ一言ニテ盡シ難キモ概言スレバ神國日本、天皇ノ絶對尊嚴性ヲ宣揚シ臣民ノ道ノ中心(スメロギ)ニ歸一シ奉ルベキニアルヲ明ニシ、同時ニ生命ナルモノノ本來性(實相)ヲ究明セルモノナリ。即チ人間ノ本來性ハ肉體ニ非ズシテ、神(佛)ヨリ割(サ)キ生エラレタルモノ、神(佛)ヨリ恵マレ出デタル生命ナレバ本來神性(佛性)ナルモノニシテ神ノ絶對完全圓滿、久遠不滅性ヲ備フルモノナリトシテ、可壊無常ノ肉體ソノママニ金剛不壊ノ生命ヲ把握セシム。

 而シテ更ニ遡リテ生命ノ本源ナル、神ナル宇宙大生命ノ親様ガソノママニ顯現マシマセル方コソ天皇ナリト仰ギ奉リ、我等人類各々ヲ天皇ノ赤子即チ『神ノ子』ト稱シ、アラユル世界ノ宗教ヲ天皇信仰ニ歸一セシメ、一君萬民中心歸一ノ世界コソ生命界ノ實相ナリト説ク。

     ***********************

 以上が、昭和15年4月1日付けで文部省に届け出られた文章の原文(『生長の家三拾年史』より)であります。

 こういう届け出が出されるようになった経緯については、「昭和十五年四月九日午後一時より名古屋公會堂に於ける講演の速記」というのが『生長の家三拾年史』に続けて掲載されていて、それを読むとよくわかります。

 これは41頁にわたる長文のものですが、この「教義の大要」等の届出文の神意を理解するためにはとても重要なものだと思いますので、「三拾年史」の記録を新かなで掲載されている『神の真義とその理解』から、謹写掲示させて頂きたいと思いますが、長文なので、ちょっと時間がかかります。お待ち頂きたく思います。

1066復興G:2013/05/08(水) 14:13:36 ID:AB6RqYXc

誤記訂正です。

「昭和十五年四月九日午後一時より」 → 「昭和十五年四月九日午後二時より」

でした。お詫びします。

1067神の子さん:2013/05/08(水) 14:41:47 ID:???
ありがたいです
ありがた過ぎます
お願いです。消さないで下さい。
谷口雅春先生のお言葉を消さないで下さい。

1068うのはな:2013/05/08(水) 15:32:12 ID:oUf8A.sw
 訊け管理人さんは、別版での試合に忙しいようで、
 大調和の神示に基づいた司会はむずかしいのではないでしょうか?


833 名前:「訊け」管理人 投稿日: 2013/05/08(水) 15:29:27

 で中学生よ。

 『生命の實相』27巻じゃが、あれはどうなった?(笑)

 オマエが進めてきたんだが、分っているかこの状況?(笑)



1069トキ:2013/05/08(水) 15:37:25 ID:.EGbH5eE
>>1068

 ご意見、ありがとうございます。
ただ、復興G様がせっかく谷口雅春先生の御文章を書いて下さった後ですから、
できれば、今後は他の板へ書いて下さったほうが嬉しいです。

合掌 ありがとうございます

1070うのはな:2013/05/08(水) 15:46:04 ID:oUf8A.sw

 他の版で訊けがやいやいいってることに説明してからにしてください。

1071うのはな:2013/05/08(水) 16:38:36 ID:54mpDrwo
384 :「訊け」管理人:2012/08/06(月) 18:17:59
>だからもう、神の子さんもキケ氏もこんなことばかりいうのなら話しかけな
>いで下さい。

 はい、そうします。

 さようなら、女神さま





1072ユタカ:2013/05/08(水) 17:14:58 ID:2DhH33vQ
a hope様

実際運動を起こすとは七つの光明宣言に出ている言葉をしようしたと思いますが、どうでしょう?

これは、「光の進軍」からの引用です。 今は復興G様がご解説くださるようで、有難く、楽しみに待っているところです。


志恩さま、 創始者先生と同じ時代にご奉仕できていたこと、素晴らしい!!ですね。。感激しました。当時の様子やさまざまな思い出をぜひぜひ、沢山ご公開くださいませ。

1073ユタカ:2013/05/08(水) 18:04:13 ID:2DhH33vQ
解説者さま、こちらこそよろしくお願いします。 前に訊けさんの分身?では?疑惑のあった方ですか?

>1061 トキ様、本当に全く同感です。時間をかけて当時の幹部と調和しながら進む方法もあったはずだと思うと残念でなりません。本部練成道場は特別な行事以外の一般練成中は練成参加者が少なく環境に配慮しすぎて暗くて怖い雰囲気です。
    総裁が現状を理解できる力を持ちますように・・と祈るばかりです。

1074志恩:2013/05/08(水) 19:09:21 ID:.QY5jUA6
復興G様

生長の家の貴重な、過去の著書から資料から、よく蔵書として、大事に保存されておられるのですね。

こういう現象的には、生長の家が、混沌とした時代に、
復興G様がお元気でいらして、
しかも、PCを自由にこなせるという稀にみる能力をお持ちでいらしゃる。

それで貴重な,われわれが知らなかった数々の 雅春先生の過去のご文章を、ご披露頂けまして、
本当に,有り難く幸せに思っております。

山ちゃん1952様が「歴史に学ぶことが大切だ」というお話を、度々されていらっしゃいますが、
おかげさまで、歴史に学ぶことが出来ます。

私は、たまたま雅春先生が、総裁でいらした時代に、本部にいて、、
裏方で、まごころこめて、日々奉職させて頂いた者ですが、、それが澄んだ空気のように、
当たり前になっておりました。

しかし、
当たり前に感じていた澄んだ空気が、希薄になり、心が窒息しそうになりまして、
澄んだ空気のありがたみが、身に沁みて感じられる
今日この頃でございます。(笑)

ユタカ様やahope様が、いい質問をされるので、その質問に答えるために
復興G様がちょくちょく出て下さるので、ラッキー♡と思っております。

1075解説者:2013/05/08(水) 19:11:30 ID:???

ユタカ様

>前に訊けさんの分身?では?疑惑のあった方ですか?

いまだにそう思ってらっしゃる方も多いと思いますが、
まーったくの別人です(笑)。笑いのツボは似てますが(笑)。

先日、訊けさんとはリアルにお会いしました。

イケメンかどうかはノーコメントとさせていただきますが、
キャラはそのまんまでしたよ。

彼は自作自演や身内贔屓など野暮なことはしませんから、
誌友会の司会は適任だと思います。

私も誌友会を楽しみにしています。



1076トキ:2013/05/08(水) 19:29:52 ID:.EGbH5eE
>>1074

 私も同じ意見です。復興G様のような素晴らしい講師が、パソコンを使えるのは、私達、後輩から
見たら、本当に僥倖です。心から感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1077志恩:2013/05/08(水) 19:57:08 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

ユタカ様が、

「解説者さま、こちらこそよろしくお願いします。 前に訊けさんの分身?では?疑惑のあった方ですか?」

と言われたので、おかしくて、笑っちゃいました。

訊け様と、解説者様って、ご性格とか、相手の話への からみ かたとか、
双子みたいに似ていると、いまでも 私は感じています。
疑惑だけなのかもしれませんが、世の中には、そっくりさんて、おられるものですね。

SAKURA様とahope様が、訊け様を次回の司会に推薦されたので、そのおかげで、
待望のユタカ様が、出て来て下さり、
復興G様からトキ様から、大変よろこんでおられるのが、よくわかります。

掲示板での発言は、
言う事が伝わりにくく、時折、発言が虚しく、無駄なように 思われ、もう、出るの、やめようかと思われる事も、
正直、あると思いますが、

そういうときは、無理をされず、少し休まれて、気が向かれた時に、再度 出て下されば、活気が出ますので,有り難いです。

特に、WEB誌友会のときは、私も、拝聴する方がすきですし、その他の方々も、あまり発言がありませんので、
応援にいらして下さると、復興G様も心強いと存じます。

私の本部時代のことは、あまり語りますと、まるで、自慢しているように、聞こえますから、
程々にと…、そう思いいながら、結構、しゃべってますけれどね。(笑)

1079志恩:2013/05/08(水) 22:08:29 ID:.QY5jUA6
べつに、自作自演は、悪い事とは思っていません。
皆様をたのしませるエンターテーメントとして、それも、いいと思っています。

1080志恩:2013/05/08(水) 22:11:22 ID:.QY5jUA6
私も やりたんですけれど、IDを替える技術がないもんで、本島では出来ないんです。

1081復興G:2013/05/08(水) 23:23:49 ID:AB6RqYXc

>>1052 で、ユタカ様が<『教義の大綱』について>というのを投稿されたのについて――

≪前記の<『教義の大綱』について>だけを読むと、たとえば<日本国威を発揚し、皇威を顕楊する東道(みちびき)の神として心の幽斎する副神として生長の家大神……>というような言葉がありますから、生長の家は時代錯誤の超右翼、超国粋主義団体か、というような印象を持たれるかも知れません。

しかし、生長の家は右翼でも左翼でもありません。右翼と左翼の中間というような意味での中道でもありません。そんな現象を超えた、根源的な意味での「中道」、万教帰一の道でありますね。

前記<『教義の大綱』について>というのは、昭和15年(大東亜戦争勃発の前年)に、文部省から宗教結社として届け出るようにと強い指導を受け、作られたものですが、その経緯などについては、『生長の家三拾年史』に「生長の家の本尊に就いて」と題して詳しく書かれています。そして『神の真義とその理解』という本にも、その一部「昭和十五年四月九日午後二時より名古屋公會堂に於ける講演の速記」というのが収録掲載されています。これは41頁にわたる長文のものですが、この「教義の大要」等の届出文の真意を理解するためにはとても重要なものだと思いますので、謹写掲示させて頂きましょう≫

とお約束していました。それを、長文ですから以下十回以上に分けて掲示させて頂きます。

生長の家は、昭和14年に成立した「宗教団体法」によって、宗教であると認められて文部省の管轄に入ることになり、文部省に届け出をしなければならなくなった。それで当時生長の家本部の副理事長だった秋田重季氏・中神学氏らが文部省の稲田宗務課長らと色々交渉して、昭和15年、文部省に届け出られた<『教義の大綱』について>という文章は作られたが、文部省の稲田氏らが『生命の實相』などをよく読んでいて生長の家に好意的で、届けはこう書いたらいいと具体的に提案され作られたものだということがわかります。
(その前には大本教が不敬事件で弾圧されたこともあった、そういう時代だった)

 以下のご講演記録をご覧ください。『三拾年史』は正漢字旧かな使用ですが、『神の真義とその理解』に、新かなにして掲載されているものを原本にします。その方が読みやすいと思いますので。

 原本の1行ごとに、間を1行空けて表示させて頂きます。ふりがなは(  )内に入れて表示しますから、その分、末尾は不揃いになります。

1082復興G:2013/05/08(水) 23:24:56 ID:AB6RqYXc

     第一章 生長の家の本尊

                   昭和十五年四月九日午後二時より
                   名古屋公会堂に於ける講演の速記

 宗教団体としての出発

 昨年議会を通過しました宗教団体法がこの四月一日から実施されることになりまして、生長の家は

この宗教団体法によって、宗教であると認められて文部省の管轄に入ることになったのであります。

 実は、生長の家は「教化団体生長の家」と云う名前によりまして、もう一年半ばかり前から届書を

拵えて当局の方へ出してあったのであります。東京府を通過いたしまして、文部省へ参りましてから、

文部省の見解では、生長の家は教化団体と云うよりも宗教の団体である、左様に見る、と云うような

見解がございまして、そこで暫くその届書が文部省で滞っておったのであります。

 生長の家本部の副理事長の秋田子爵、それから係の中神学と云う人達が文部省へ参りまして、稲田

宗務課長その他の係の人たちと色々交渉したのであります。

 宗教団体法によりますと、宗教と云うものには一定の「教義」がなければならない、それから「儀

礼」を行うものでなければならない、それから「本尊」がなければならない、本尊として奉斎する神

様、又は安置するところの仏がなければならない、そう云うものがなければ宗教でないと云うように

なっておりまして、宗教団体法によるところの届書には、教義と、儀礼と、奉斎神又は安置仏と云う

ものを書くべき各欄が設けてあるのであります。

 ところが生長の家は、教義と云っても生長の家独特の教義がないのであります。ないと言うとおか

しいけれども、生長の家は仏教の話もする、お釈迦様は斯う云うように被仰ったと言って、仏教は斯

う云うものであると言って話もする。またキリスト教は斯う云うものである、耶蘇はこう被仰ったと

言って話もする。また金光教の教祖は斯う言われた、天理教祖は斯う言われた、日本の『古事記』に

は斯う書いてある、老子には斯う云う事が書いてある、孔子は斯う被仰ったと云う風に、色々の教を

一つにして説いて、相手に随って自由無礙に方便自在の説教をしているのでありますから、一定の生

長の家の教と云い教義と云うたらどんなものだと言われると困るのでありまして、生長の家独特の教

義と云うようなものがないのであります。

 それから儀礼と云っても、宗教的儀礼と云うような、葬式の時には斯う云うお経を唱えて斯う云う

儀式をする、そんなものはないのです。今までの所謂る「宗教」でやっておったところの、宗教とは

葬式をすることだとさえ思われていたような、そう云う形式的なものが一つもないのであります。

 このように生長の家は儀礼もない、それから本尊と云っても、どこにもそんなものは祀ってない。

――生長の家道場へお出になると、そこには何もお祀りしてない、賽銭箱も置いてない、礼拝の像も

置いてない、神様もお祀りしてない、だから奉斎神もなければ、安置仏もない、本尊もない、何にも

ない、斯う云うのが生長の家であります。

<つづく>

1083復興G:2013/05/08(水) 23:25:41 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 2>

 教化団体との相違

 だから生長の家は宗教団体の中へ入らない、宗教ではないのだ、一定の教義を持たず、儀礼を行わ

ず、本尊がない、そうしてみんなの心を教化し修養せしむるのが生長の家だから教化団体である、斯

う云う風に申上げたのでありますが、稲田宗務課長は秋田子爵に向って「いや谷口先生は一定の終始

一貫した教を説いておられる」斯う云う風に言われたそうであります。文部省の係の人は『生命の實

相』を、大分確かりと読んでおられるらしいのであります。『生命の實相』を読んでみると、色々の

教祖の教を引用してあるけれども、併し乍ら終始一貫したところの教義を説いているのであって、人

を信仰的に引摺って行く力が強い。その人を信仰的に引摺って行く力は教化団体とか修養団体とか云

うような力の弱いものではない。今迄修養団体などと云うと、どうもバラバラのものであって、表面

親孝行せよ、兄弟仲好くせよ、仕事を勉強をせよ位の事を説くのであって、それが信念的信仰的に肚に

入らないで所謂る修養の程度に止まっていて、生長の家みたいに信念で引摺って行く力がなかった。

だからあの種のものは教化団体だけれども、生長の家は信念に迄人を強く引摺って行く。文章の力に

よって人の信念を強く一つに信仰的に人心を集中する力があるから宗教的運動とみとめる、そう云う

訳で兎も角、この教化団体としての届は東京府の方へ返しておくから、やがて四月一日になったなら

ば宗教団体法が実施されるから、それに間に合うように宗教団体としての届をするようにと云うよう

な話であったのであります。


 ナイナイづくしの生長の家

 こちらは教化団体だと主張するのですけれども、信念を喚起する力が強いから宗教と認めると言わ

れては仕方がないものですから、今迄教化団体として出しておりましたところの、その届を東京府庁

から返していただきまして、それを書直すことにしたのでありますが、それに就いては、文部省の係の

人に色々照会いたしまして、届けるところの書き方をずっと教えていただきまして、そうしてそれに

適(はま)るように書くことになったのであります。ところが教義、儀礼及び行事、奉斎主神又は安置仏本尊

――と云う項目へ書き入れなければならぬことになりましたけれども、やはり生長の家は万教を説い

て、一宗一派に偏らないのが事実でありますから、生長の家の教義と云って特に摘記することは出来

ない、キリストは斯う言った、釈迦は斯う言った、何々教祖は斯う言った……それらを比較宗教学的

に説くので、生長の家独特と云う教義はありはしない、と云うわけで「教義、無し」と書いたのであ

ります。それから儀礼と云っても葬式もしないし、行事もない。こんなに演説は致しますが、演説は

行事かも知れませぬが、演説することが宗教の行事だと言ったら、政治の演説も、学校の講義も宗教

になってしまいまして、学校の先生は宗教の教師になって了うと云うことになるのであります。修養

団などには、生長の家には無い厳めしい祝詞があり、儀式なども行いますし、体操のような身禊のよ

うな行事もある。ところが生長の家にはそんな行事も儀礼もないと云うので、儀式及び行事の項も

「無し」と書いたのであります。それから奉斎神又は安置仏と云うところも、実際ないのであるから

「無し」と書いたのです。ところがその届書を文部省の係の人に持って行って「これで宜しいか」と

言って相談すると「どうも『無し』じゃ困る」と言われたそうであります。

<つづく>

1084復興G:2013/05/08(水) 23:26:39 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 3>

 実は御存知の通り生長の家は何も無しであります。一宗一派の教義がないから、皆さんでもこんな

に沢山公会堂に六千人七千人とお集りになるのであります。若しこれが一宗一派の教義を説くのだっ

たら、他宗の人は集って参りませぬ。老子には「天地の間は、其れ猶お槖籥(たくやく)のごとき乎。虚にして屈

せず、動きて愈々出ず」と言ってあります。私は只今『生長の家』東亜同和版で、毎号「老子の研

究」を載せておりますが、これも生長の家が、一宗一派を説かない、本来教義なしで、空っぽである

証拠でありますが、老子に「槖籥(たくやく)の如き乎」と書いてある、槖籥とは鞴(ふいご)の事であります。鞴は申が空

っぽであるから、幾らハンドルで衝いても中が折れないし、動く度に空気が出て赫々(かっかく)と他を燃やすの

であります。この事が「虚にして屈せず、動いて愈々出ず」であります。生長の家は鞴のように中が

空っぽであって「自分のもの」と云うものがない。だから押しても引いても動くたびに風が出る、風

が出て皆さんを赫々と宗教的信念に燃やすのであります。斯うして喋っているのは「風が出ている」

のであります。すると皆さんが宗教的信念に満たされる。だから「教義、無し」と宗教団体法に依る

届に書いたのは正しいのでありますが、それでは宗教団体法の中にある「宗教」という定義に当て嵌(はま)

らない。当て嵌らなかったら「宗教」として取扱わなくとも好さそうなものですが、強烈な宗教的信

念にまで大衆を引摺って行く力があるので、宗教団体法で取締るほかに管轄すべき官省がない。


 教義の発生

 そこで「教義」と云う欄には谷口雅春著『生命の實相』と書いて置いても宜しい、それから「七つ

の光明宣言」と云うのがあるが、あれを「教義」の項に書いて置いたらいいじゃないか、と云うこと

を文部省で指示されたのであります。その七つの光明宣言の第一条には、御存知の通り、

一.、吾等は宗派を超越し、生命を礼拝し、生命の法則に随順して生活せんことを期す。

 こう書いてありますが、宗派を超越していると云うのですから、一宗一派ではないのであります。

皆さんの中には宗教と認定せられたことを、宗教臭くなったと思って残念に思われる人があるかもし

れませんが、「生長の家は一宗一派に非ず」と云うことが生長の家の教義の第一条に明記されて、宗

教として認められたのであります。而もその教典としての『生命の實相』は「尚続々執筆せられつつ

あり」と附言されているのでありますから、固定した教義を有(も)っていないままで、信仰に人を導く力

が強すぎるとして、単なる文化運動以上にあるものとして、宗教として認定せられたのであります。

<つづく>

1085復興G:2013/05/08(水) 23:27:29 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 4>

 儀式の発生

 その次に儀式であるとか行事であるとか云うのも、最初の届書には「無し」と書いたのであります

が、「無し」と云うのでは宗教団体法の中に入る宗教と認められないので、「やっぱりあると云うこ

とに書いて貰いたい。神想観と云うのがあるじゃないか、あれを書いて置いたら好い。引導文と云う

のもあったじゃないか」と斯う云うように言われるのであります。中々詳しく調べていられるのであ

ります。嘗て『行』誌の前身『生命の藝術』と云う雑誌に、若し今迄祖先から信じている宗教が無い

ところの孤児の生長したような人が誌友になって、自分の宗教としては、「生長の家」のほかに何も

ないから生長の家式に葬送の行事をやってほしいと云う場合に、斯う云う風にやれば好いと言って、

その行事の次第を書いて発表したことがあるのでありますが、そんな古いものまで文部省の係の人は

よく眼を通していられるのに感心したのであります。それから神想観は宗教的行事と認めれば認めら

れぬこともないかも知れませんけども、修養団なんかでも合掌して其の合掌を上下に振動せしむる精

神統一の行事などがあるのに、あれは修養団体と認められ、生長の家は宗教結社と認められたのは、

宗教的信念に導いて行く強さによって区別されたのでありまして、これは生長の家の人類教化力の強

烈さから来たためであって、これは止むを得ないのであります。

 元来、生長の家には、冠婚葬祭その他、色々の人生に於ける儀式には生長の家式と云う型がないの

であります。それは生長の家が空っぽであり、能くものを容るる所以であり、各人の祖先を崇拝、祖

先の宗教遺風を顕彰するのが生長の家の教でありますから、祖先の遺風を捨てせしめず、生長の家独

特のものを主張しないところに特色があるのであります。祖先崇拝の遺風を顕彰せんが為に、生長の

家誌友たるものは、祖先の信じておった宗教の儀礼に随って、冠婚葬祭等は行うべしとしたのであり

ます。これは「教義なき教義」と等しく、「儀式なき儀式」に当るのでありますが、併し、祖先と云

うものがない人が中にはある。先刻申しました様に、孤児とか捨子とかで自分の親が何の宗派であっ

たか知らぬ、自分には在来の宗教がないし、自分は生長の家に入って救われたのだから、死んだ時に

も生長の家で葬式して欲しいと云う人もなきにしもあらずですから、そういう人の為には嘗て『生命

の藝術』と云う雑誌に発表された事もあり、霊を悟りに導く「久遠いのちの歌」と云うのもあり、

聖経『甘露の法雨』『天使の言葉』等と云う詩もありますから、文部省の係官の希望によって、それ

を書いたのです。「今届書に『儀式及び行事』の項にそれを書いて置いたら、お経の読誦や葬祭等の

宗教的行事をやっても構わぬと云うことになるが、教化団体や修養団体で頑張っていたら、若し宗教

的行事をやった場合に当局から文句を言われる惧れがある、そう云う点からも儀式及び行事と云うの

は、今やっている実際と、是から時に応じてやるかも知れないものも書いて置いたら、それはその儘

既得のものとして認められることになるから都合が好いではないか」と、中々深切に言って下さいま

すので、特に生長の家で儀礼を行いたいと云う希望者のためには、生長の家式に『甘露の法雨』とか

「久遠いのちの歌」と云うものを誦(よ)むことがあること、而も生長の家では、霊魂は生き通しであっ

て、肉体は生きていても死んでいても、人間は永遠存続であるから、死後の霊魂を悟らせるために

『甘露の法雨』を誦み聞かせることもあれば生きている人を悟らせるために誦んで聞かせることもあ

ると、その行事の処へ書くことにしたのであります。病人に対して誦んで聞かせる場合は、生きてい

る人の心が悟りを開くように誦んで聞かせるのであって、その病人が開悟の結果、心境頓(とみ)に明朗とな

り病気が治る事実が続々あるのは、これは療術行為ではなく「悟り」が肉体に及ぼす力であります。

<つづく>

1086復興G:2013/05/08(水) 23:28:12 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 5>

 本尊の規定

 それから礼拝の本尊たるべき「奉斎主神又は安置仏の称号」と云う項には御覧の通り、実際何も祭

っていないのであります。けれどもそれは形の方でありまして、心の中に奉斎している主神と云うこ

とになるとまた相異して来るのであります。併し心の中に祭る――即ち信仰――と云うことは宗団法

の取締の範囲ではなく、信仰の自由は憲法に保証されているのでありますが、団体の動きとして取締

の参考にどんな本尊を心に描いているかを知りたいのが、宗団法で取締らるる係の方の関心であると

思いますので、心に祭る神を仮に本尊として書かせて頂いたのであります。奉斎には、顕斎と幽斎と

があります。顕斎と云うのは、形に顕われた斎(まつ)りで、お宮を祭ったりするとか、仏像を安置して拝む

とかするのであります。又幽斎と云うのは形を顕わさないで心でお斎りするのであります。生長の家

では別に道場又は集会室に顕斎せる主斎神又は安置仏がないのであります。従って賽銭箱もないので

あります。自宅で如何なる斎神又は仏像をお祭りになりましても差支ありませぬが、道場又は集会所

にお祭りになり、それを大衆に拝ませると云うことにしますと、必ず賽銭を供える人が出来る。即ち

賽銭を強要しないまでも、何か出さぬと可(い)かぬような気がする。今までの宗教団体はそれで生活して

おったのであります。宗教団体法に於ても、宗教団体ではそれを認めておりまして、檀徒の寄進に俟(ま)

つような会計のやり方も公認され、檀徒又は信徒総代は誰それがなるとか色々面倒な事があるのです

が、こう云う寄附合力で立っている組織の整然と備(そなわ)ったものを、宗団法では「宗教団体」と認めるの

でありまして、仏教、基督教、神道諸派でもそう云う組織の備っていない末寺、分教会等は皆「宗教

結社」であります。遺憾ながら吾々の団体にはそう云う賽銭組織の整然たるものがないので、「宗教

団体」の中には入らず、「宗教結社」の中に入ったのであります。文部当局の被仰るところでは「宗

教団体」には色々の取締法規があって自由活動に不便であるが、「宗教結社」には安寧秩序を紊(みだ)さな

い限り、どんな自由活動でも許されているのであります。

<つづく>

1087復興G:2013/05/08(水) 23:28:58 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 6>

 生長の家の主斎神

 さて吾々生長の家の団体では、心に宇宙大生命(みおやのかみ)を祭るのであります。その宇宙大生命と云う文字の

下に括弧して、「(ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇(アマテラススメラ)大神、現人神(アラヒトガミ)トシ

テ天皇)ヲ礼拝ス」と書いてありますが、「幽」とは「幽玄」の意味であって、現象の幽(おく)の幽にまし

ますところの大実在として、日本の称名を以てすれば天之御中主神と申上げる大神であります。

 『古事記』に、「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神」とこう書かれてあ

るところの宇宙の大神であらせられます。天之御中主大神は斯くの如く、幽の幽の大実在であられま

すが、この宇宙の大神が、依然として幽玄にましまして、吾等の思慮の及ぶところではございません

が、幽之幽なる天之御中主大神よりも一段ハッキリと、『日本書紀』に録されたる通りの「光華明彩(ひかりうるわしく)

六合(りくごう)に照徹(てりとお)れる」神として顕現あそばされたのが天照大御神であらせられ、更にその天照大御神様が

御肉体を以て現人神として現われていらせられる神様として天皇を礼拝する――これが生長の家誌友

が心に主斎する神様でございまして、御宮のような眼に見える形で御祭りするのではありませんから

幽斎すると申すのであります。即ち吾々は天皇様を宇宙大生命の全徳の御顕現としてそのまま現人神

として拝し奉るのであります。歴代の皇霊に対して尊崇を捧げるのも同じ意味であります。

 さて此の宇宙大生命(みおやのかみ)は宏大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容していらっしゃいますから、

あれは嫌い、これは嫌いと云う様に、心が偏狭であらせられる事はないのであります。そして又祖先

を尊ぶのが日本の国風でありますから、各自祖先伝来の宗教を信じておって好いのであります。此処

にも生長の家は一宗一派の宗教ではないと云うことがハッキリしているのであります。ただ文部省が

生長の家を宗教と認めたのは、その教化力が魂の奥底の救済にまで及んで、非常に人心を引摺って行

く力が強いから、その教化活動が修養の境地を越えて宗教的境地にまで及んでいると云う意味であっ

て、決して一宗一派であると認めたのではありません。だから教義の中に「宗派を超越し」と云う無

教義の教義を標榜した届書を出して可(よ)しと云うことになったのであります。

<つづく>

1088復興G:2013/05/08(水) 23:29:40 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 7>

 生長の家の副斎神

 次に宇宙大生命(みおやのかみ)即ち宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明徴にするところの導き

の神様として心に幽斎する副斎神として生長の家大神を礼拝すると云うことをハッキリ本尊の項目に

あらわして置きました。

 この生長の家大神とは誰方(どなた)であるか、生長の家大神と云う文字の下に括弧をしまして、(『古事記』、

『日本書紀』に現われたる住吉(すみのえの)大神)と申しました。これは阪神間の本住吉神社にお祭りしてあると

ころの神様でありまして、『古事記』に天照大御神様がお生れになるに先立って、此の大宇宙浄めの神

として、水と塩とを以て浄めるところの海の神様として現われられたところの上筒之男(うわつつのおの)神、中筒之男(なかつつのおの)

神、底筒之男(そこつつのおの)神と云われる三柱の神様で住吉大神(俗称すみよしの大神)と申しているのであります。

 生長の家が発祥致しましたのは今から満十年と三ヵ月程前でありますが、その前後に私が住吉村に

住んでおりまして、毎日その本住吉神社へお参りしたものでありまして、その当時に霊感に啓示され

て此の生長の家の教と云うものが現われて来たのであります。爾来一切の宗教は一つである、真理は

一つであるとの啓示に導かれて、古今東西の宗教を比較宗教学的に研究し、いずれも唯一つの真理を

説くのが宗教であるから何の宗教も互いに分立せずに手を繋(つな)げと云うことを説いて来ているのであり

ます。

<つづく>

1089復興G:2013/05/08(水) 23:30:37 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 8>

 神話における生長の家大神

 『古事記』にあらわれたる住吉大神は其の後同書に塩椎(しおつちの)神と現われていらっしゃるのであります。塩

椎神は潮筒之男(しおつつのおの)神であらせられまして、その潮を上潮、中潮、底潮と分けまして、上筒之男神、中筒之

男神、底筒之男神の三柱に顕われていられるのでありますが、総じて塩筒之男神様であります。此の

神様は東道(みちびき)の神様であらせられます。先ず住吉大神は伊邪那岐(いざなぎの)神の宇宙浄化の御禊祓の最後の浄化作

用としてウミの神としてお生れになり、やがて伊邪那岐大神の左の御眼より天照大御神のお生れにな

る下準備を完成して、天照大御神の御降誕を導き出して来たのであります。此の住吉大神即ち潮筒之

男神――塩椎神様――は、既に講習をお受けになった方は御存知でありますし、又『驀進日本の心と

力』(編集部註・本旨は、現在『限りなく日本を愛す』『古事記と現代の預言』に収録)と云う私の著書にも精(くわ)

しく書いておきましだが、日子穂々手見命(ひこほほでみのみこと)と仰せられます日本御皇室の御先祖の大神が、その兄君の

火照命(ほでりのみこと)さまと猟と漁とを換えられた――すなわち火照命様は海で漁をしていらっしゃいましたが、日

子穂々手見命は山で猟をしていらせられましたが、或る日のこと、その幸(さち)を代えよう、獲物を代えよう

と云うので、日子穂々手見命は鉤(つりばり)を兄命(あにみこと)からお貰いして浜辺へ釣にお出になり、兄命は山の猟の道

具を借りてそうして山へお出でになったのであります。ところが、どうしたことか日子穂々手見命様

は海へお出になって鉤をお垂れになりましたが魚は一匹も釣れずに剰(あまつさ)え鉤を失ってしまわれた。

そうして鉤を如何にして探しても魚が食って逃げたのですから捕える訳に行かない。そこでその償い

に自分の太刀を打代えて五百本の鉤を拵えお返しになりましたが、兄命は御承知下さらない。そこで

更に千本の鉤を造って償われましたけれども、『古事記』によりますと、火照命は受けたまわずて猶

「正本(もと)の鉤を得ん」と仰せられたと云うことになっております。日子穂々手見命は正本の鉤を得よう

と思われましても、鉤を持去ったのは魚のことであり、海の広さは広く、深さは深いのでありますか

ら困ったことだと思われまして、「海辺に泣き患いています時に塩椎神来て問いけらく」と『古事記』

に書かれております。この神は『日本書紀』には塩椎翁(しおつちのおきな)とありますから、恐らく白髪の老翁の神様で

あられましたでしょう。此の白髪の老翁の神様が現われて来られまして、「天津日嗣(あまつひつぎ)の命(みこと)様には如何

なるお悩みで泣いていらせられるのでございますか」とお尋ね申上げられましたところ、これこれし

かじかの理由で泣いているのである、とお答えになりますと、爾(ここ)に塩椎神「我汝が命の為に善き議(ことはかり)

せん」と仰せられて、此の船に乗ってお出でなきいませとして、無間勝間之小船(めなしかつまのおぶね)という漏れる孔が一

寸(ちょっと)も空いていないで、ぴったりと密に目がつまって堅い金剛不壊(ふえ)の船をお差上げになって、それに載

せ奉って龍宮界即ち「綿津見(わだつみの)神の宮へと道案内をせられた」と書いてあります。この道案内の神様、

即ち大君を御案内申上げて歎(なげ)き憂いなき世界へお導き申上げた道案内の神様として現われていられる

のが塩椎神であらせられます。

<つづく>

1090復興G:2013/05/08(水) 23:31:24 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 9>

 それから邇々芸能命(ににぎのみこと)様が天降りましまして日向の笠沙(かささ)の御前(みさき)にお出であそばした時に、事勝国勝(ことかつくにかつの)神

と現われて道案内を遊ばしておられるのが塩椎神であります。『日本書紀』には「時に彼処(そこ)に一(ひとりの)神

あり、名を事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)と曰(い)う。故(か)れ天孫(すめみま)其の神に問いて曰(のたまわ)く、国在りや。対(こた)えて曰く。在り。因(よ)

りて曰く、勅(みことのり)のまにまに奉らん。故れ天孫彼処(そこ)に留住(とどま)り給う。其の事勝国勝神は是れ伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の

子(みこ)なり。亦の名は塩土翁(しおつちのおじ)」となっております。邇々芸能命様、即ち日本皇室の御祖先の御案内を申上

げ「此処に国あり」とお導き申し上げた神様がこれが事勝国勝神であってすべての事に打勝ち、国が

打勝つところの働きをなさる神様これが塩椎翁であります。

 それから後に神武天皇様が日向の高千穂の国にいまして、これより何処に都を作れば八紘一宇の世

界を建設するに都合がよいかと考えていらせられた時に、白髪の塩土翁と云うところの老翁の神が現

われて、「東(ひんがし)の方(かた)に美(うま)し国あり、かしこへ行きて都を造りたまうたならば必ず世界を統一することが

出来まする」こう申し上げ奉って道案内申上げた。此の東道(みちびき)の神様が塩椎神であります。

 更に後には仲哀天皇の御崩御あそばされた後、神功皇后様に神懸りになって、三韓征伐をせよとお

示しになった神様、天照大御神様の荒魂であらせられる撞賢木厳之御魂(つきさかきいずのみたま)天疎向津媛命(あまさかるむかつひめのみこと)と仰せられる

神様がお懸りになり、つづいて上筒之男(うわつつのおの)神、中筒之男神、底筒之男神なる住吉大神がお懸りになりま

して、神功皇后様の三韓征伐の道案内をしておられるのであります。此等の筒之男神は海の神様であ

りますから、海の魚に命じて、神功皇后様の率い給う軍艦を艦(ふね)の両側から抱き上げるようにして、魚

自身の鰭で泳いで、「櫨揖(かいかじ)を労(わずらわ)さず新羅(しらぎ)に到る」と『日本書紀』に書いてあります。その時に住吉大神

は潮満珠(しおみつのたま)の力によって海の水の水平をずっと満潮以上に高め上げられました。すると、海水は津波の

ようにふくらみあがって、滔々乎として新羅の都は水浸しになりました。すると新羅の王は懼(お)じ恐れ

て、最早我が天運はこれで尽きたのであるか、新羅国が始って以来、未だ曾(かつ)てこんな不思議な天変地

変は起ったことはない、これでこの新羅国も滅びるのかと恐れています時に、神功皇后様の海軍がず

っとそのまま新羅の都へ横づけになり、軍の意気を鼓舞する陣大鼓や笛の音が轟き渡った。これは歴

史にあらわれている敵前上陸の最初の記録であると思うのであります。

 新羅王は益々恐れて「吾れ聞く東に神国有り、日本(やまと)と謂う。亦聖王あり天皇(すめらみこと)と謂う。必ず

其の国の神兵(みいくさ)ならん」こう云って白旗を掲げて降参したとあります。『日本書紀』にあるこの一節は

「日本(やまと)」と云う国号が「日本」と云う漢字を当て嵌めて書いてある最初の記録でもあり、戦争に降服

するときに白旗を掲げると云う習慣があったと云う最初の記録でもあると思います。それは兎に角、こ

の住吉大神は海の神であらせられ、潮の満干を司っていられ、或は三韓征伐と云うような、或は神武

天皇の御東征と云うような、或は日子穂々手見命の龍宮海御進出と云うような、或は邇々芸能命の天

孫降臨の時と云うような、更に遡れば天照大御神が愈々六合に照徹する光を全宇宙にお顕わしになる

と云うような国威発揚の前提として出現あそばされて、その導きをなし給う神であって、別名を塩椎

神と申上げることが明かになったと思うのであります。

<つづく>

1091復興G:2013/05/08(水) 23:32:12 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 10>

 本住吉神社と住吉大社

 本来お祭りしてあるところは阪神間の本住吉神社でありまして、これは神功皇后様が三韓征伐の途

上、霊感に由り、瀬戸内海北岸の墨江(すみのえ)の地に御上陸、仮斎殿をお造りあそばされ、住吉神社として上

筒之男神、中筒之男神、底筒之男神の三神を祭祀せられ戦勝の祈願をなし給うた。その時、住吉大神

より潮満珠及び潮乾珠(しおひるのたま)を授けられ、以上の如き奇蹟的勝利を得られたので、凱旋後、三神の御功蹟を

お讃えになり、住吉大神として御親斎遊ばされたのだと承っております。今は住吉神社には神功皇后

様を最も上座にしてこれら三柱の海の神をお祭りせられております。此れが本住吉神社、本すみのえ

神社であります。私が申学時代に参拝した大阪の茨(いばら)住吉神社と云うのは後世そこからお遷宮申上げ

お祭り申上げたのだと云うことであります。


 御祖神と生長の家大神

 招神歌の第一首の歌には「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)元津霊ゆ幸え給え」とありま

すが、あの「生きとし生けるものを生かし給える御祖神」と申上げるのは、これは宇宙大生命であり

ます。『古事記』に書かれているところでは天之御中主神であり、光華明彩(ひかりうるわしく)、六合(りくごう)の内に照り徹らせ

る大神として顕現ましましたのが天照大御神であらせられ、人体を備え給いて現人神としてお現われ

遊ばした神様は天皇様であらせられます。この天之御中主神、天照大御神のお二方は一体であって、

吾々の否生きとし生ける者の御祖神であらせられる。万教帰一的にこれを解けば、仏教では毘盧遮那(びるしゃな)

如来であり、大日如来であり、旧約聖書の「創世記」にある創造の神エロヒムの神であり、イスラム

教で謂えばアラーの神であります。「招神歌」の第四首に「天地の祖神の道を伝えんと顕れましし生

長の家の大神守りませ」と云う歌があるのでありますが、天地の御祖神の道、宇宙大生命の道を伝え

導いて東道(みちびき)の役目を果す神が生長の家の大神であると云うことが、この第四首目の歌に現われている

のであります。

 そういう風に生長の家の神様は御祖神様のお道を明かにし、道案内をし、日本国の使命を明徴なら

しめ、人類全体を光明化して住吉世界(極楽浄土)となすために出現せられた神様であらせられ、そ

の神様が第二次世界大戦に先立って現われいでたと云うことは、日本国が丁度、神武天皇様の御東征

時代とか、神功皇后様の三韓征伐時代とか云うのに匹敵する国際的大事変に際会していたからだと思

われるのであります。

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

――まだ、ご講演記録は半分以上残っていますが、今日はここまでにさせて頂きます。
私は他にもたくさん課題、仕事を抱えていますので、しばらくお休みします。あとは1週間後ぐらいになるかも知れません。
お待ちください。
ありがとうございます。

1092志恩:2013/05/09(木) 07:10:34 ID:.QY5jUA6
復興G様

かなりの長文ですね。
謹写して下さいましたご愛念に,心から感謝申し上げます。
1行づつ行間をあけて くださったので、読み易いです。

拝読していると,雅春先生の朗々としたお声になって、響いて参りました。


ご講演記録は、まだ半分以上,残っているそうですけれど、
1週間ほど休まれたら、また出て下さるということで、つづきを楽しみにしています。

ありがとうございます。

(私も、5月は、庭の仕事も、他の事も、やることがたくさんありますので、
今後は、あまり入れませんけれど、閲覧は させて頂いております。。)

1093「訊け」管理人:2013/05/09(木) 07:55:31 ID:???


>>復興Gさま


 「第一章 生長の家の本尊」に関する謹写・ご投稿ですが、ありがたく拝読しております。ですが、この「名古屋公会堂に於ける講演の速記」は、手作業ですとかなり膨大な仕事量ともなりましょう。そこで(差し出がましいですが)以下の提案を致したいと思います。

 私はこの御文章のPDFを有しております。(※)それをWEB公開すると云う事も出来ますが、いかがで御座いましょうか。

 いや無論、差し出がましい提案であることは承知です。承知ではありますがあまりにも、貴殿にこの種の労を求めるのは「いかがなものか」とも、観ずるからです。

 



<註>

※ 私はこの御文章のPDFを有しております。

 絶版書の保存が、主な意図であります。他意は御座いません。無論「著作権云々」の障碍は悩ましいものですが。私は「合法」よりは「合徳を優先」したいとの考えを持つに到りました。本提案の背景には、その様な考えがあります。また、「ブログアクセス数を、増やしたいだけだ」や「自己顕示欲だ」などと言われることもあります。ですが主眼は、「絶版(重版保留)書の保存」に置いている次第であります。

1094a hope:2013/05/09(木) 09:48:01 ID:edEDolt2

>>1072ユタカさま

<<実際運動を起こすとは七つの光明宣言に出ている言葉をしようしたと思いますが、どうでしょう?>>

そうですね。
実際運動がユタカさまのおっしゃるように「七つの光明宣言」のだったら、わたしはまったく違和感を感じません。

でも、「光の進軍」をあらためて拝見してきましたが、そこに七つの光明宣言は紹介されていませんでした。


もう一度あの文章を添付させていただきます。

『谷口雅春先生は一貫して「国体の明徴化」「ご皇室の尊厳の闡明化」「各宗の真髄を天皇信仰に帰一化」することを生長の家の根本使命とし、
大調和、総感謝、中心帰一、永遠至福の地上天国実現の大目標ために実際運動を起すことを宣言されています。
  生長の家は根本に「天皇国日本の国体を護持」する使命を持って実際運動をしていく宗教団体でなければなりません。
その上で、人時処に相応した實相世界の至福を個人個人に実現し、以って社会全体、世界全体を實相世界の映しとして、
天皇陛下を中心しとした一君万民の大調和世界を実現していく使命があります。そこの根本を失った時、生長の家は生長の家でなくなります。
  そのために、今一度 『教義の大綱』 に帰って、谷口雅春先生のご意志をかみ締めたいものです』


「生長の家」の根本使命って「国体の明徴化」「ご皇室の尊厳の闡明化」「各宗の真髄を天皇信仰に帰一化」だったのですか?
わたしは、人間神の子=「唯神實相」の真理を世に広め、魂の救済をするのが「生長の家」の根本使命なのだと思っていました。


それに、<<生長の家は根本に「天皇国日本の国体を護持」する使命を持って実際運動をしていく【宗教団体でなければなりません。】>>
とありますが、わたしは『「ねばならない」がない』のが「生長の家の教え」で、『そのままで完全なのが「生長の家」』なのだと思っていましたし・・・。


わたしは、そんなことに違和感を感じています。それが、今感じている新入生 a hopeの率直な感想です。


昨日、志恩さまが生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2に再掲載してくだったトキさまの御文章や、復興Gさまが、今謹写してくださっている
「昭和十五年四月九日午後二時より名古屋公会堂に於ける講演の速記」などをじっくり拝見して、自分なりに納得がいくこ答えを見つけたいは思いますが、
内容が深いので、時間がかかりそうです。



復興Gさま

お忙しい中、時間を割いて貴重な文献を謹写してくださり、心から感謝いたします。
まだ、さっと目を通しただけですが、とても重要なことが書かれているような気がします。
谷口雅春先生の、本当のご意志がなんだったのか、こちらを拝見して自分なりに考えてみたいと思います。

感謝 合掌。

1095山本富士子:2013/05/09(木) 09:57:07 ID:rikCYpaE
復興G様(先生)
(私は数度、復興G先生のご講話を拝聴したことがあります。それで
ブログのマナーでは、ないかもしれませんが、先生とよばせて頂きます)

本当に貴重な雅春先生のご講演記録をありがとうございます。
学生運動が盛んだったころ、理想世界誌に導かれ、楠本先生
の練成を受けました。楠本先生から生長の家は天皇信仰と教えられた
時はショックでした。むずかしいことはなにもわかりませんでしたが
もしかしたら、この生長の家の教えは日本の今(当時)と未来にとって、とても大切な
ことかも知れないとおもいました。帰宅後学内で理想世界誌を配ってあるきました。
当時の私はかわいらしい(笑)女の子だったのですが、屈強の男子学生数人に
取り囲まれ「右翼!帰れ」と叫ばれたことがありました。
ずーっと生長の家をやりたいなら、なにか武道を身につけようと、空手をならいました。
若き日の思い出です。男子の中で練習する私を付属の幼稚園生が集団で、「そんなこと
していたら嫁に行けないぞーと囃されたのもなつかしいことです。

今は家族はじめ、皆々さまから大事にされて過ごす日々です。
私はむずかしい話は今もわからないのでなにかコメントすることは
できませんが、復興G先生のお話や、なさってくださっている事がとても
大切な事だとはわかりますので、感謝でいっぱいです。

ありがとうございます。合掌

1096a hope:2013/05/09(木) 11:13:35 ID:edEDolt2

みなさま 

わたしは、先ほど>>1094で、ユタカさま宛に、自分の率直な意見を述べさせていただきました。
ですが、今 >>1095の山本富士子さまのご投稿を拝見して感じたことがあったのでもう少し発言させていただきます。

>>1094にも添付させていただいたwebサイト「光の進軍」の中にある御文章の最後に、 

<<その上で、人時処に相応した實相世界の至福を個人個人に実現し、以って社会全体、世界全体を實相世界の映しとして、
天皇陛下を中心しとした一君万民の大調和世界を実現していく使命があります。>>

わたしは、この文章には共感させていただけるのですが、
『その上で、』という前置きの後に『人時処に相応した實相世界の至福を個人個人に実現し』と
個人の魂の救済に関するであろう内容らしきものがやっと述べられているというのが気になります。
これでは、個人救済は、あくまでも、天皇陛下を中心しとした一君万民の大調和世界を実現していく使命の一環であるかのようです。

わたしは、考え方がまったく逆なのではないかと感じました。
わたしたち日本人一人ひとりに神の子の自覚が生まれるからこそ、本来の神(親)である天皇に中心帰一していくのではないでしょうか?
そして、そういう形での中心帰一でないと本物ではないと思います。

ですから、わたしは山本富士子さまが楠本加美の先生から聞いたという生長の家の「天皇信仰」というのは、
そういうことなのではないかと今感じましたが…。

みなさまの、ご指導、ご意見をよろしくお願いいたします。

夜、戻ります。

1097志恩:2013/05/09(木) 14:42:39 ID:.QY5jUA6
訊けさんへ

〜次回のWEB誌友会の開催日について〜

復興G様が、次回のWEB誌友会の開催日を決めようとされて、以下に貼付しましたように、
次回の司会者を受けて下さったあなたと会話をされてますが、

訊けさんは、復興G様の>>923で、あなたに投げかけられた質問に、此処のWEB誌友会板で、
まだ、正式な答えを書かれておられません。

依って、次回のWEB誌友会の開催日が、未定状態になっております。
訊けさんは、別の板で、なんかはっきりしない回答を書かれてますが、

WEB誌友会のことで、それの開催日の件で、この板で質問されたのですから、
ここの板で、答えて欲しいです。

復興G様は、多忙でいらして、今日から1週間、お休みと言われました。
来週の水曜日(15日)には、出て下さると思いますので、

それまでに、ここのWEB誌友会板に
復興G様宛てに、お答えくださいませ。


>>921:復興G様 から訊け様を含む皆様へ
>>922:訊け様 から 復興G様へ
>>923:復興G から 訊け様へ

1098「訊け」管理人:2013/05/09(木) 14:53:51 ID:???

――――――――――――――
923 :復興G:2013/05/04(土) 23:43:31 ID:AB6RqYXc

>>922 :「訊け」管理人殿。

了解。
では、5月は休んで、6月7日(金)〜8日(土)はどうでしょう。

トキ様、a hope様のご都合も聞きたいです。
――――――――――――――


 了解致しました。その日は(現在)大丈夫です。

 なお、急用の際は事前にお知らせ致します。



1099志恩:2013/05/09(木) 14:54:23 ID:.QY5jUA6
山本富士子様

WEB誌友会板に、ご投稿を感謝します。

訊け様宛てにも書きましたけれど、今日から1週間、復興G様は、お仕事のため、お休み
されるそうですので、

復興G様からのお返事は、1週間後に戴けると存じます。

それにしても、まあ、
 「おどろき、もものき、さんしょのき」!!(久々に使いました)

お若いころの富士子様は、空手もされてらした熱血少女でいらしたとは!!

かっこよくて、おい、おい、おい、って、感じです。

だとすると、
【富士子様より、「あねご」って、お呼びした方が、いいかもしれません】

私は、娘時代から、よわっちい人間でして、おはずかしい限りです。

では、また。

1100山本富士子:2013/05/09(木) 16:16:10 ID:rikCYpaE
志恩様

とんだおてんばぶりがばれました。
ちなみに流派は剛柔流。はるかむかしのことになります。

志恩さまの快刀乱麻の小気味のいい投稿文に
いつもはげまされております。
皆様のためにもいつまでもお元気をいらっしゃることを
いのります。

1101神の子さん:2013/05/09(木) 21:31:58 ID:???
>>1080

志恩 様
訊け様のように、E-mail(省略可):のところに適当な文字をいればIDは出なくなりますよ

1102ユタカ:2013/05/09(木) 23:34:10 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

>1096 でのご意見読みました、「古事記」をご存知ですか?光明思想社様で2冊でていますからお読みになると参考になります。
それから真理7巻P、269に日本国家の生命的把握という見出し前後も読まれて見てください。人間の生まれる前にまず、「国」があるのです。まず国家の理念があってその理念が具象化して二二ギの命(ミコト)なる姿になって天降ってきて、その理念が天降りてきて沢山の人間という細胞を生み出した。
p、272 国家の理念が現象の国家に先立って存在しそれが具象化したのが日本の国家であると考えるのです。

大日本神国観にも「御心の天になる世界すでに地に成就せり」と祈りますね。

簡単に言うと、日本は最初から神様の国で天皇様を中心に人々が(神の子が)すでに拝みあっている世界ですので、それを地上で表していきましょうと言うことだと思います。

違ったら、これを見たどなたかが訂正されると思います。 私はこれくらいしかわかりません。。。

1103みすはなまる:2013/05/09(木) 23:49:59 ID:mSZPAPcw

>>1094 a hopeさま

大変ご無沙汰しています。
横レスで大変申し訳ないのですが、参考になるかもしれない御文章がございますので、
紹介させていただきますね。

>>1094において、a hopeさまが

>>「生長の家」の根本使命って「国体の明徴化」「ご皇室の尊厳の闡明化」「各宗の真髄を天皇信仰に帰一化」だったのですか?
わたしは、人間神の子=「唯神實相」の真理を世に広め、魂の救済をするのが「生長の家」の根本使命なのだと思っていました。


それに、<<生長の家は根本に「天皇国日本の国体を護持」する使命を持って実際運動をしていく【宗教団体でなければなりません。】>>
とありますが、わたしは『「ねばならない」がない』のが「生長の家の教え」で、『そのままで完全なのが「生長の家」』なのだと思っていましたし・・・。


わたしは、そんなことに違和感を感じています。それが、今感じている新入生 a hopeの率直な感想です。>>

と御発言されていらっしゃいます。参考になるかどうか解りませんが・・・
谷口雅春先生御著書「真理入門25章」P228の最期から6行目のところに


『要するに生命を内にもつ組織体は、植物でも動物でも人間でも一つの変らざる“動きの中心”があるのが“宇宙の法則”であり“真理”であります。その“宇宙の法則”即ち“真理”は言い換えると“神の御心”えあります。そして国家のうちでは、日本の国だけが、建国以来、いつも常にかわらぬ万系一世の“天皇”とういう“動きの中心”(支えの中心)をもっているので、われわれは、この日本の国を唯一の尊い「真理国家」だというのであります。わたしたちは世界に唯一つの真理国家に生まれて来たことを尊く思い感謝しなければなりません。』

と、雅春先生はお説き下さっています。

そして古事記と現代の預言にもございますが、“生長の家”というのは、「時間空間とが十字交叉して球状の家をなしている大宇宙」という意味です。
その実相の大宇宙を「高天原」というのであると、雅春先生はお説き下さっています。

生長の家は、大宇宙の真理を説かれており、日本が真理国家である以上、生長の家は根本に「天皇国日本の国体を護持」する使命を持って実際運動をしていく宗教団体でなければならないのであり、生長の家はその使命のために誕生したのであると私は思います。

1104志恩:2013/05/10(金) 06:45:22 ID:???
ブルーの神の子様

IDが出ない方法を教えて下さいまして、ありがとうございました。
実験してみます。

1105志恩:2013/05/10(金) 06:48:51 ID:???
ほんとうですね。こんな簡単な方法で、IDを出さなくて済むとは!!驚きました。感謝。

1106志恩:2013/05/10(金) 08:13:42 ID:???
ahope様が、
いい質問をされました。
その答は、復興G様が謹写して下さいました>>1091:にも書かれていると思いますし、

ユタカ様やみすはなまる様の書かれた事も、多少の表現の差こそあれ、合ってるように思いますが、
復興G様やトキ様にも、教わりたいですね。

他の、生長の家関係の本もみましたが、どれを拝読しましても、むづかしい神様の名がいっぱい出て来るので、私は、わかりづらいです。
中学生でも分る様な、表現で教えて頂けると、いいんですけれどね。

     〜生長の家は、なぜ、天皇信仰なのか〜

 【御祖神(みおやがみ。生きとし生けるものの、みおやがみ)と生長の家大神】(>>1091より、簡略)

 招神歌の第一首の歌に、「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)・・」とあるが、

 この御祖神とは、宇宙大生命であり、天之御中主神であり、天照大御神である。(天之御中主神、天照大御神のお二方は一体)。

「招神歌」の第四首に「天地の祖神の道を 伝えんと顕れましし 生長の家の大神守りませ」という歌があるが、

 生長の家の大神とは、天地の御祖神の道、宇宙大生命の道を伝え、みちびきの役目を果す神である。

生長の家の大神は、御祖神様のお道を明かにし、道案内をし、日本国の使命を明徴ならしめ、人類全体を光明化して住吉世界(極楽浄土)となすためのお役目があり、
そのために、出現された神である。


みおや神が、人体を備え給いて現人神として、現われたのが、、、、【天皇陛下】であられる。   

天皇陛下は、みおや神の御心、無私の御心で、日々、神前で四方拝をされて、全国民、万人の安泰と繁栄、それに鎮護国家、並びに 世界平和を祈られておられる。

「御中(みなか)の心」が、生長の家の根本の精神と、山ちゃん1952様が、教えて下さってますが、

そのような尊い天皇陛下の御心に中心帰一して、天皇陛下の御心を、中心に奉り、わが心として、その御心に学びながら、共に生きて行きましょう。
というのが、生長の家の天皇信仰だと、私は、思っていますが、まだまだ、内容も言葉も足らないと存じます。

その御心を生きる1つは、
(古事道で学んだこと)

名利を 相手にせず、自分の内なる神である 本心を 相手にせよ。  自分の本心なる 真実を生きる「今を」「たのしみ 味合う」べし。

現象を見ると 誰でも自信がない。まず、 現象を死ぬ覚悟 あるべし。 その関門は、恥をかく決心ができるかどうか。
現象の自分を、本質と錯覚したままのプライドを捨てられるかどうか。

「忍び待つ心」と「我慢の心」、 「相手を認めて従う心」と「言いなりになる心」は、正反対である。

1107志恩:2013/05/10(金) 08:28:49 ID:???
ネットブログより

天皇陛下の御稜威(みいつ)を発現せしめて、日本の国を救い、世界を救うと云うところに、
生長の家出現の本当の意義がある。

*御稜威(みつい)= 天皇の威徳、天皇の御心、威光。

“人間神の子”を説く宗教は他にもある。
 “肉体も環境も心の影”と説く宗教もある。万教帰一だから根本は同じである。

 だがそれでは、特に何故生長の家が出現したのか、生長の家の神は住吉大神である。
 その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土にこの時期に顕れ給うたのか。

 そこが非常に大切なところである。『古事記』に示される如く、住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に顕われられた。
  最後の宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神と顕われ給うたのである。

 天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。
 日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となると云うことである。

 この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに顕われ給うたという、
 ここに生長の家出現の真意があるのである。

 ただ単に、人間は神の子であり、物質ではない。肉体は無い。
 病気は治ると云う、それだけの事ではないのであって、
 天照大御神の光が宇宙に天照らすべく、

天皇陛下の御稜威(みいつ)を発現せしめて、日本の国を救い、世界を救うと云うところに、
生長の家出現の本当の意義がある。

 従って単に、個人の救いにとどまらず、
宗教的自覚をおし進めて、国家の成仏、人類全体の成仏、宇宙の成仏と云うところまで行かなければならないのであって、
その一つが政治活動なのである。・・・

1108ありがとう:2013/05/10(金) 09:07:04 ID:???

   
   宗教なき政治は利益と権力の争奪の場であり、
   政治を動かすことのできない宗教は机上の空論で、
   人間を具体的に救うことはできない

       『聖胎長養のため宗教に専念せん』より

1109a hope:2013/05/10(金) 10:04:30 ID:edEDolt2

>>1098「訊け」管理人さま

第14回 web誌友会 楽しみにしています。
また、ユタカさま主催の予習会等がありましたら、
時間が許すかぎり、参加して、「生長の家の教え」の理解を深めていきたいです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。


>>1102 ユタカさま

<<大日本神国観にも「御心の天になる世界すでに地に成就せり」と祈りますね。
簡単に言うと、日本は最初から神様の国で天皇様を中心に人々が(神の子が)すでに拝みあっている世界ですので、
それを地上で表していきましょうと言うことだと思います。>>

>>1103 みすはなまるさま 
(本当に、お久しぶりです!わたしに「唯神實相哲学」という言葉を、わたしに教えてくださったのは、みすはなまるさまです。
みすはなまるさまも、この掲示板、見守ってくださっていたのですね!うれしいです。)

<<生長の家は、大宇宙の真理を説かれており、日本が真理国家である以上、生長の家は根本に「天皇国日本の国体を護持」する使命を持って
実際運動をしていく宗教団体でなければならないのであり、生長の家はその使命のために誕生したのであると私は思います。>>


ユタカさま、みすはなまるさま、お返事ありがとうございます。

わたしは、聖典「生命の實相」から、「生長の家の教え」を勉強しました。
そして、「生命の實相」こそ、「生長の家の教え」だと思っています。
言い換えれば、「生命の實相」=「谷口雅春先生を通して伝えられた、生長の家の大神さまの御心」なんだと思っています。

そして、わたしが今まで「生命の實相」を拝読したかぎり、やはり、生長の家の根本使命は、
『人間神の子=「唯神實相」の真理を世に広め、魂の救済をすること』なのではないかと思うのです。


「生長の家」ってもうすでにそのままで、ユタカさまがおっしゃるように「御心の天になる世界」で、
みすはなまるさまのおっしゃるような「時間空間とが十字交叉して球状の家をなしている大宇宙」なわけで、
そして、それが唯一の実在なんですよね?
そうだとすると、「生長の家」自体に使命なんてないのかもしれません。

すでにある世界なのに、それが、現象世界に顕現していないのが問題なのだと思います。


わたしは、それは、わたしたち人間の目が曇っているからではないかと思うのです。
わたしたち人間が、神の子の自覚を忘れ、実相を見ないで、不完全な現象世界ばかり見ているから、
その結果「生長の家」が雲隠れしてしまっているのだと思うのです。

だから、そのうっとおしい雲を払って、『人間神の子=「唯神實相」の真理を世に広めていくこと』が、
やっぱり、わたしたち生長の家の信徒の使命、ということになるような気がします。

それが、もしかしたら住吉の大神の「宇宙浄め」の働きと同じ意味なのではないかと、今朝の神想観のときに感じました。
そうだとすると、わたしたちがそれをしない限り、「天照大御神」はお出ましにならず、よって日本国の実相も顕現しないのではないでしょうか?


わたしは『人間神の子=「唯神實相」の真理を世に広め、魂の救済をすること』が目的の政治活動であればしてもかまわないのではないかと思いますし、
志恩さまが>>1059や1107で、述べられている雅春先生の行った政治活動というのものその目的あってのものだったのではないのでしょうか?


今感じていることを、素直に述べてみました。


ユタカさまやみすはなまるさまが紹介してくださった、光明思想社さまの「古事記」や「真理」「真理入門25章」は手元にありませんが、
とりあえず、志恩さまがご指導くださっているように、まずは復興Gさま謹写の御文章をしっかり拝読してみます。


ただ、平日は家事・仕事等でいそがいいのでなかなかお勉強する時間がとれません。
今週末は、ありがたいことに、特に用事が入っていないので、お弁当をもって子どもたちと図書館に行き、じっくりお勉強したいです。

それでは、みなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!

1110トキ:2013/05/10(金) 14:39:16 ID:FwaClEcE
すみません、web誌友会に関連して、ご提案を頂戴しました。

web誌友会板について、誌友会と関係のない投稿については、別の板へ管理人権限で移す、という
内容です。それは、良い提案だと思うのですが、皆様のご意見をお願いします。


合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1111「訊け」管理人:2013/05/10(金) 14:51:13 ID:???

 大賛成です。

 なお、本掲示板全体でもその処置、ご考慮願います。(天理板の件もありますし)




1112トキ:2013/05/10(金) 15:26:36 ID:FwaClEcE
>>1111

ご投稿、ありがとうございました。

 「削除」というのは、確かに、この板の趣旨に反しますし、投稿者様に失礼だと思います。
ただ、あまりに板の趣旨と違う場合は、申し訳ありませんが、本板へ移す、という事は考えます。

 他の方々のご意見もお願いします。

合掌 ありがとうございます

1113トキ:2013/05/10(金) 15:33:05 ID:FwaClEcE
>>1112

 失礼、「本板」ではなく、「別板」へ移す、でした。ごめんなさい。

1115ローラ:2013/05/10(金) 17:32:13 ID:???
賛成です
でも移動の手間が増えて管理人様は大変になられるでしょうね

1116志恩:2013/05/10(金) 18:02:33 ID:.QY5jUA6
トキ様

いつもお世話様です。
トキ様は、ここの掲示板の管理人でいらっしゃいます。
お任せします。

IDの件のやり取りも、、、、移されて、下さいませ。

1117うのはな:2013/05/10(金) 18:13:32 ID:h2WwG7SM
あちこちに移す手間がふえると、管理人さんの言い逃れに便利ですね。

1118志恩:2013/05/10(金) 18:15:30 ID:.QY5jUA6
その他、>>1078:志恩の投稿文なども、移してください。
他に、これもと思われたものがございましたら、遠慮なく移してくださいませ。

お手数をおかけします。

1119ユタカ:2013/05/10(金) 21:48:48 ID:R1D4Jmeg
前略
その宇宙の真理、実相世界の姿というものの根本が、天照大神の霊統をつぎ給う天皇を中心とする『日本国の実相』であるわけです。
それだから吾々の運動には自然に、愛国運動とか明治憲法復元運動というものが起こってくるのであって、決して、谷口雅春が勝手にそんな教えをしたら皆が関心するだろうと思って人間知恵で工夫してこしらえたという教えではないのであって・・・略

(運動指針P12)

1120志恩:2013/05/11(土) 02:29:35 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

>>1119:ユタカ様

>>その宇宙の真理、実相世界の姿というものの根本が、その宇宙の真理、実相世界の姿というものの根本が、天照大神の霊統をつぎ給う天皇を中心とする『日本国の実相』であるわけです。
それだから吾々の運動には自然に、愛国運動とか明治憲法復元運動というものが起こってくるのであって、決して、谷口雅春が勝手にそんな教えをしたら皆が関心するだろうと思って人間知恵で工夫してこしらえたという教えではないのであって・・・略

(運動指針P12)
それだから 吾々の運動には自然に、愛国運動とか 明治憲法復元運動というものが起こってくるのであって、

決して、谷口雅春が勝手にそんな教えをしたら、皆が関心するだろうと思って人間知恵で工夫してこしらえたという教えではないのであって・・・略

(運動指針P12)>>


ユタカ様が、謹写して下さいましたこの箇所は、生長の家の 根本中の根本 だと存じました。

・・・感動です。

ここを、見逃しちゃ、いけませんよね。教えて下さってありがとうございます。


それから、【谷口雅春先生を学ぶ会】誌にも、生長の家の出現の意義が、載っています。

http://manabukai.org/_userdata/chingo.pdf#search='%E7%94%9F%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%AE%B6%E3%81%AE%E4%BD%BF%E5%91%BD'

1121ユタカ:2013/05/11(土) 07:50:45 ID:R1D4Jmeg
志恩さま

学ぶ会のホームページの貼り付けを有難うございます。何度も読みました。
本当に日本国は格調高い国柄で素晴らしい事この上ありません。

訊け氏、a hopeさんにも読んで魂に響いたらいいなぁと思います。

それとレスのたとえば>>1119 をすぐウインドウを開けたりホームページを開ける操作の仕方を教えてください。

>>1119を打ち込んで無変換→スペースではユタカのPCでは出来ないのですが、みなさんはどうしていますか?

1122さくら:2013/05/11(土) 09:14:35 ID:crMFIvyU
★トキ誌友会管理人様★
一つの提案です。

(…一週間ほど見ないと、もう読みきれなくなりますね。)


提案なのですが、復興Gさまの講話や他の重要なご文章の謹写は、別版などにしていただくことは出来ませんか?
それだけをまとめる板というか…。(聖典板でもよいのでしょうか?でも、他の投稿者さまも謹写されたい場合、誌友会専用には使えませんよね。)
…そうすれば、関係ない話題の方を移す手間の方が省けると思のですが…?

わたしもそうですが、時間のない方や他は見る必要を感じない方もいらっしゃっるかもしれませんし、貴重な板になるとおもいますが、どうでしょう…。
(もちろん、参加者の方には学びの場なので、この板ではたいへん大切なものですし、他の意見や質問を読むだけでも学びになります。)

ただ、それぞれの質問課題が違うので、簡潔な質問ならよいですが、それぞれの意見や視点での展開が入るので、交錯もありますね。
それはもちろん、参加者様には、とても素晴らしい学びだとはおもいますが、
…せっかくの謹写が上に行ってしまってもったいなく思のですが、いかがでしょうか?

ただ、そうすることで、参加者の方が学びづらくなるようなら、却下してください。
あくまで、読者としての希望です。

よろしくお願い申し上げます。



1123志恩:2013/05/11(土) 09:15:41 ID:.QY5jUA6
どなたか、PCにお詳しい方(かた)、
以下のユタカ様の質問に答えて差し上げてくださいませんか。お願いします。


ユタカ様の質問

>>それとレスのたとえば>>1119 をすぐウインドウを開けたりホームページを開ける操作の仕方を教えてください。

>>1119を打ち込んで無変換→スペースではユタカのPCでは出来ないのですが、みなさんはどうしていますか?<<

1124志恩:2013/05/11(土) 09:28:22 ID:.QY5jUA6
ユタカ様のPCの事で、回答して下さるお方は、どこでもいいですから、別板のほうでお願いします。

1125神の子さん:2013/05/11(土) 12:02:57 ID:???
>>

1126ユタカ:2013/05/11(土) 14:19:17 ID:R1D4Jmeg
訊けさ〜〜〜〜ん!!

今晩、また、何か読みませんか〜〜〜? 1時間でもどうよ??

なんかやりませんか??

1127ユタカ:2013/05/11(土) 16:18:04 ID:R1D4Jmeg
訊けさんは来ない様子ですね。

明日は母の日で皆さん忙しいでしょうか? じゃ、また今度〜〜〜〜〜だねw

1128a hope:2013/05/11(土) 16:35:40 ID:edEDolt2
>>1119ユタカさま

ユタカさまご紹介の『運動指針』というものをわたしは持っていないのですが、
わたしの新編「聖光録」の中に、『人類光明化運動指針』 (生長の家各員の運動心得十三ヵ条)というのがあります。
まだ、さっと目を通しただけですがこれもまたとても重要なことが書かれていると思いました。
※この文章は、(注)として、昭和三十三年二月十四日第二次三か年計画の頭初に発表されたものであり・・・とありました。

その中には、ユタカさまのご投稿部分、

<<前略
その宇宙の真理、実相世界の姿というものの根本が、天照大神の霊統をつぎ給う天皇を中心とする『日本国の実相』であるわけです。
それだから吾々の運動には自然に、愛国運動とか明治憲法復元運動というものが起こってくるのであって、決して、谷口雅春が勝手にそんな教えをしたら皆が関心するだろうと思って人間知恵で工夫してこしらえたという教えではないのであって・・・略
(運動指針P12)>>

の文章が見つかりませんでしたが・・・
これとは、別のものなのでしょうか?

1129あさひ:2013/05/11(土) 17:21:17 ID:/3nxKE2Q

復興G様

 昭和十五年四月九日午後二時より
                   名古屋公会堂に於ける講演の速記

UPして頂き大感謝です。雅春先生のお声が聞こえるような感じです。

今後ともよろしくお願い申し上げます。 大感謝

1130ユタカ:2013/05/11(土) 17:30:48 ID:R1D4Jmeg
>1128

a hope様、これは地方講師運動指針と言う本の中からです。あまり追求しないでください・・・・できますれば・・・・

1131ユタカ:2013/05/11(土) 17:34:22 ID:R1D4Jmeg
>1128
教団で試験を受けて合格すると渡される本だそうです。

1132ユタカ:2013/05/11(土) 17:37:43 ID:R1D4Jmeg
>>1131 a hopeさまへ

1133a hope:2013/05/11(土) 18:00:17 ID:edEDolt2
>>1130 ユタカさま

そうなのですか・・・。
<<あまり追求しないでください・・・・できますれば・・・・>>
わかりました。

でも、この内容、どう考えても現教団の講師向けではありませんね(笑)

今夜は、予習会されるのですか?
ユタカさまの予習会はとてもお勉強になるので、やられるのなら参加しますよ。
明日は、家族でお食事にでかけますから無理ですが、今夜なら9時半くらいなら、なんとかパソコンに向かえそうです。

1134トキ:2013/05/11(土) 18:15:51 ID:laSoKZN6
>>1115

ローラ様

 ご投稿、ありがとうございました。また、ご参加を心から感謝申し上げます。

 組織に属したご経験がないとの事ですが、そういう方も大歓迎です。
谷口雅春先生が遺された教えは、深く、楽しい教えです。一緒に勉強して参りましょう。

 御質問や疑問がある場合は、お気軽にお尋ね下さい。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1135ユタカ:2013/05/11(土) 19:37:36 ID:R1D4Jmeg
>>1133 a hopeさま

今日もまた、勉強会をしましょうか・・・9時半からですね。OKです。よろしく。

テキスト第3巻をお持ちですか?大丈夫ですか?

1136ユタカ:2013/05/11(土) 19:38:41 ID:R1D4Jmeg
トキ様、今日も、WEB誌友会板を使用させていただいてもいいですか?

よろしくお願いします。

1137ユタカ:2013/05/11(土) 19:42:14 ID:R1D4Jmeg
準備してと・・

ではお祈りから。始めます。 


住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

1138a hope:2013/05/11(土) 20:09:59 ID:edEDolt2
>>1135ユタカさま
第3巻、もちろん持ってます!
今夜もよろしくお願いいたします。

感謝 合掌

1139トキ:2013/05/11(土) 20:34:03 ID:laSoKZN6
>>1136

 ご投稿、ありがとうございました。

 私は異論ありません。本日は所用で参加できませんが、ご成功をお祈りしています。

合掌 ありがとうございます

1140ユタカ:2013/05/11(土) 20:49:00 ID:R1D4Jmeg
トキさま、ご許可をありがとうございます。

成功とかは関係ないただの自習ですので。。。ご心配なく。。

本番は、復興G様と訊け様の日ですから。。。 今日は自習です。誰も見ていなくてOKな日です。

1141ユタカ:2013/05/11(土) 21:00:57 ID:R1D4Jmeg
自習を始めます。

ではお祈りから。始めます。 


住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

1142ローラ:2013/05/11(土) 21:01:11 ID:???
見てます!

1143ユタカ:2013/05/11(土) 21:08:32 ID:R1D4Jmeg
今日は、まず、自分の良いところを(実相を)3個書こう。

1、自分は明るい。2、自分はまじめ 3自分は健康

明日は母の日だから、母に感謝の言葉を3個書こう。

1、お母さん、生んでくれて有難う。 2おかあさん、育ててくれて有難う。 3おかあさん、いつも優しくしてくれて有難う!!大好きだよ。

みんなは何を書いた?

1144ユタカ:2013/05/11(土) 21:09:59 ID:R1D4Jmeg
ローラさま、有難うございます。

ローラさまの良いところと お母さんに感謝の言葉を3個かいてください。よければ・・・です。

1145神の子さん:2013/05/11(土) 21:15:40 ID:???
えっ
あー
無いです〜
好奇心が強いって長所かな

お母さんは恐くて厳しいし
でも、育ててくれてありがとう
名前をつけてくれてありがとう
くらいです
お礼なんて言った事ないです
これが限界

1146ユタカ:2013/05/11(土) 21:26:39 ID:R1D4Jmeg
神の子さん、いらっしゃいませ。

実相が自分だから、沢山ほめていいのですよ〜〜。
自分を理想化してどんどん褒めよう!!
神の子さんさんは、今勉強会に参加している、素晴らしいなぁ〜。
だから、まじめだな。 コメントしていて積極的だな〜。とか・・・一杯ありますね。

明日は母の日だから、書いた言葉をプレゼントしましょう。

1147ユタカ:2013/05/11(土) 21:32:37 ID:R1D4Jmeg
あ、それから・・・・

前にこう聞きました。隣の家の子がどんなに悪い事しても怒らないのは、特に愛していないからと、、、
愛しているから、神の子さんに怖くて厳しかったのでしょうから、出来れば・・・「自分のために厳しくしてくれて有難う」と感謝しましょうよ。。。

勉強会で学んで、自分の生活で実践できたらいいですね。

1148a hope:2013/05/11(土) 21:32:42 ID:edEDolt2
自分のよいところ

1、自分は向上心がある 2、自分は人間(特に子供)がすき、3、自分は明るい

お母さんへの感謝の言葉

1、お母さん生意気たくさん言っても、反抗してもいつも赦してくれてありがとう、2、お母さん、いつもおいしいものを送ってくれてありがとう。3、お母さん、いつもお父さんのお世話をしてくれてありがとう。

1149ローラ:2013/05/11(土) 21:35:48 ID:???
見て勉強しています!

1150ユタカ:2013/05/11(土) 21:36:05 ID:R1D4Jmeg
9時半になったので、せっかくだから961〜965をもう一度読んでから

生命の実相を読みましょう。 新しく参加される方は自分を3個ほめて、母に感謝を3個のべてからお入りください。

では復習開始しましょう。96〜965を読んでください。

1151a hope:2013/05/11(土) 21:37:03 ID:edEDolt2
>>1145神の子さん

好奇心が強いのって、わたしはすごい長所だと思います。
って、いう、わたしも、めちゃくちゃ好奇心強いですが・・・(笑)

1152ユタカ:2013/05/11(土) 21:38:50 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま、ありがとうございます。いらっしゃいませ。

せっかく復興Gさまが謹写してくださったので、また、感謝をこめて読みましょう。

961からです。

1153a hope:2013/05/11(土) 21:42:37 ID:edEDolt2
ユタカさま、>>961〜ですね。

わかりました。

1154ユタカ:2013/05/11(土) 21:42:38 ID:R1D4Jmeg
>>1151

沢山書いてOKです。

1155ユタカ:2013/05/11(土) 21:53:22 ID:R1D4Jmeg
次は生命の実相を読みましょう。

神示は復興Gさまがされるので、七つの光明宣言と第1章p、18までそれぞれ自分で読んで、ここは大切とラインマーカーを引いて、引いた箇所のページと何行目と行数を書いてください。

人によって気づく箇所が違うと想うので発表しあいましょう。

1156a hope:2013/05/11(土) 21:57:46 ID:edEDolt2
生長の家の体験談は、本当にありえないことが現実に起こるのですね。

わたしも、子どもが旅行前とかに熱を出したりすると、自分の信念と、言葉の力で下げてしまいます。
子どもには、「こんなにお熱が出たから、もう大丈夫、明日はすご〜く元気になるよ!」って言ってます。
インフルエンザなんかの伝染病の場合は、そう簡単にはいかないのでそういう言葉がけはしませんが、
ちょっとした発熱なら、それですぐに治ってしまっています。

言葉の力はすごいと思います。

1157ユタカ:2013/05/11(土) 21:59:50 ID:R1D4Jmeg
七つの光明宣言には「言葉の創化力」と沢山でてきますね、

言葉には創る力、人類の運命まで改善するほどの力があるのですね〜〜。

いい言葉を、プラスの言葉を使わないと!と勉強会のたびに反省します。

1158ユタカ:2013/05/11(土) 22:08:37 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま、
>、「こんなにお熱が出たから、もう大丈夫、明日はすご〜く元気になるよ!」って言ってます。

素晴らしい!! ついでに「神の子だから大丈夫!」もよろしく〜〜。

p、18の最後から3行目から最後までラインを引きました。「頭という力」でなしに全体をもって生命を知らなければならない。と言うと子らでした。

1159a hope:2013/05/11(土) 22:08:55 ID:edEDolt2
>>1155 ユタカさま

p17 9行目

宗教というものは「死」を取り扱うものではない、「生」を取り扱うものだということをハッキリいっていられるのです。

わたしは、ここに、赤線がひいてありました。

1160ユタカ:2013/05/11(土) 22:15:13 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます、私もひいてありました。。次行っていいでしょうか?

次はp、19、20を読んで、ラインの場所を書きましょう。

1161a hope:2013/05/11(土) 22:16:21 ID:edEDolt2
ユタカさま、

そうでした、<<ついでに「神の子だから大丈夫!」もよろしく〜〜。>>

本当は、この「神の子」という言葉が大切なんですよね。
でもね、正直に言いますと、わたし自身が「神の子」って発言にまだ、照れくささがあって、
子どもにもなかなか言えないんですよね〜。
上の子は、わたしが(生長の家=宗教)にはまっているのがわかっているので余計いいづらいです。
反抗期でもありますしね(;'∀')

1162ユタカ:2013/05/11(土) 22:24:38 ID:R1D4Jmeg
p20、2行目から6行目の最後までラインを引いて、さらに7,8行目に引きました。

ここのキーワードは「影」かな?と想いました。

肉体や種の構造というものは、生命そのものではなくて、生命そのものが顕した影なのであります。

という箇所に改めて目に見えるものは影と自分に言い聞かせました。普段、つい肉体が自分だと想います、だから、定期的に強制的にこの勉強をすると、「はっ!!」と気づかせてもらえて有難いです。

ところで、今、勉強会の進み方はどうでしょうか? はやいですか?遅いですか?

1163a hope:2013/05/11(土) 22:28:59 ID:edEDolt2

P 21になってしまいますが、1行目のところから、

目に見える物はすべて、目に見えない力(すなわち生命)があらわした影なのであります。


ここに、線が引いてありました。

朝顔の種の例は、雅春先生はよくされたのでしょうか?
頭注版「生命の實相」の布表紙の絵も太陽の光を浴びて発芽する植物の種の絵ですよね。

1164ユタカ:2013/05/11(土) 22:32:24 ID:R1D4Jmeg
>>1161

反抗期ですか・・・ そういえば、私は小さいときに母に「神の子」と言われると

「私は亀の子、たわしの子」とワザと返事していたことを思い出しました。

でも、言われ続けると、知らないうちに、自分自身で「自分は神の子だから大丈夫」という自分がいました。。

余談でした。

1165ユタカ:2013/05/11(土) 22:37:20 ID:R1D4Jmeg
>頭注版「生命の實相」の布表紙の絵も太陽の光を浴びて発芽する植物の種の絵ですよね。

あの絵、いいですよね。何か力をもらえます、たしか学ぶ誌にその画家のプロフィールが掲載されていました。

読んだ箇所のラインのあるところをドンドン書いてください。あとで、復興G様がコメントを下さると思うので。。

1166a hope:2013/05/11(土) 22:37:59 ID:edEDolt2
>>1162 ユタカさま

わたしは、ちょうどいいです。
でも、前もって範囲がわかっていた方がもう少し落ち着いて読めたかもしれません。

1167a hope:2013/05/11(土) 22:39:18 ID:edEDolt2
「私は亀の子、たわしの子」
おもしろい!

1168a hope:2013/05/11(土) 22:45:36 ID:edEDolt2
亀の子と神の子って、ホントに一字違いなんですね。

「か ”み”」を強調しないと、うちの子は、自分が亀の子だと勘違いするかもしれません。
だいたい、神さまが何なのかしらないと思いますが、亀なら絶対知ってますからね。

<<言われ続けると、知らないうちに、自分自身で「自分は神の子だから大丈夫」という自分がいました。。>>
わたしは、ここが、大切なポイントのように思います。

1169ユタカ:2013/05/11(土) 22:48:48 ID:R1D4Jmeg
p21は2行目

目に見えるものはすべて目に見えない力(すなわち生命)があらわした影なのであります。

p、21、22ってスゴイことが書かれていますね!!感動!!

形の世界にある一切のものを焼き尽くしても、またこの世界にいろいろの生物が生まれ出てくるのいであります。

これってスゴイ!ことですよね、やっぱり命の本源が目に見えないところにあるって証拠ですよね。

p、22最後 生命はどんな状態にあろうとも生きているものだということがわかるのであります。

なにか、恐怖心が消えていきます、今晩は良かったなぁ。。。

1170ユタカ:2013/05/11(土) 22:53:22 ID:R1D4Jmeg
>だいたい、神さまが何なのかしらないと思いますが、亀なら絶対知ってますからね。

大丈夫ですよ! 押さない子のほうが、なんとなくサンタクロースの仲間みたいな感じで直感で分かっているようなきがします。

神様ってどんな人??って質問すると、子供はいい人! 何でも出来る人! 願いをかなえてくれる人!とかいろいろと答えが返ってくるんじゃないですか?

一度訊いてみてください、おもしろそうです。

1171ユタカ:2013/05/11(土) 22:55:36 ID:R1D4Jmeg
訂正

押さない子 → 幼い子 です。

子供さん、幼くなかったらすみません。。想像で話しております。

終わりの時間に近づきました。

1172a hope:2013/05/11(土) 22:56:28 ID:edEDolt2
>>1169ユタカさま

<<p、22最後 生命はどんな状態にあろうとも生きているものだということがわかるのであります。>>

わたしも、ちょうど今、p2122を読み終えて、この行に赤線を引いたところでした。

なんか、不思議な気がします・・・。

1173ユタカ:2013/05/11(土) 22:58:13 ID:R1D4Jmeg
少ししか進めませんでしたが、私にとって何か恐怖心が少しとれた良い勉強会でした。

というのが感想です。

1174ユタカ:2013/05/11(土) 23:00:15 ID:/B6zFSOc
そろそろ、閉めます。感想はお祈りの後でお願いします。

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


a hopeさま、皆様有難うございました。

1175a hope:2013/05/11(土) 23:00:43 ID:edEDolt2
>>1171
子ども、幼い子もいますよ!
早速、聞いてみます。
聞いてみた見たことなかったから、たのしみだな・・・

1176a hope:2013/05/11(土) 23:02:01 ID:edEDolt2
ユタカさま、みなさま、ありがとうございました!

感謝 合掌

1177ユタカ:2013/05/11(土) 23:06:56 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございました!

明日は母の日です。お母さんに沢山の感謝と讃嘆の花束をプレゼントしよう!!

おやすみなさい!! 有難うございました。 良い夢を!

1178志恩:2013/05/13(月) 00:17:31 ID:.QY5jUA6
ユタカ様、ahope様、ローラ様、

昨日のWEB誌友会自習の勉強会の様子、後のなって、拝見しましたけれど、
すごい楽しそうで、私も,教えられました。

ユタカさんは、お母さんのいいとこ、3つ、言ってみて下さい、とか、
ご自分のいいとこ、3つ、言ってみて下さい。とか、参加者1人1人に
呼びかけられるので、具体性がありますね。

ahopeさんは、真理をよく勉強されてますよね。

ローラさんも、掲示板にいらして下さって、とてもうれしいです。
これからも、いらしてくださいね。

私は、母(実母。義母は、亡くなりました)のいいとこ、3つあげよ、と言われましたら、

①向上心があり、気高さがあること
②よろこび上手で、いつも「ありがと、ありがと」って、言ってくれる事。
③愛が深く、性格がよく、とても かわいらしいこと、、かな。。

母は、私の母であり、私の師であり 私などより数倍熱心な生長の家の信徒なんです。

私、明日から少しだけ休憩して、また出させて頂きます。
おやすみなさい。

1179a hope:2013/05/13(月) 11:57:16 ID:edEDolt2
>>1178志恩さま

<<私は、母(実母。義母は、亡くなりました)のいいとこ、3つあげよ、と言われましたら、
①向上心があり、気高さがあること
②よろこび上手で、いつも「ありがと、ありがと」って、言ってくれる事。
③愛が深く、性格がよく、とても かわいらしいこと、、かな。。
母は、私の母であり、私の師であり 私などより数倍熱心な生長の家の信徒なんです。>>

素晴らしいお母さまですね!

わたしの母方の祖母もちょうどそんな感じです。
祖母は、90歳を超えましたが、未だに好奇心が旺盛です。
わたしが、ちょっと変わった料理(たとえば、ラザニアとか…)を作ると、必ず作り方や食材を聞いてきます。
そして、「おいしい、おいしい」って食べてくれます。
わたしは、それは祖母の愛深さからくるものじゃないかな?っていつも感じています。


<<私、明日から少しだけ休憩して、また出させて頂きます。おやすみなさい。 >>

志恩さま、いつもご指導ありがとうございます。
また、すぐに登場してくださいね!

1180あさひ:2013/05/13(月) 16:43:49 ID:/3nxKE2Q
母のいいとこ3つ
① 私の才能を伸ばそうと努力してくれた
② 生長の家を伝えてくれた
③ 孫を育ててくれた

夫の母ののいいとこ3つ
① がみがみ言わない
② 夫を優良児に育ててくれた
③ 我々を信頼してくれた

こうして書き出してみるとよいものですね。

1181ユタカ:2013/05/16(木) 11:21:19 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。
トキさま、楽しい嬉しい、有難いWEB誌友会をさせて頂いて有難うございます。地味な自主勉強をこれからも継続させて下さい。よろしくお願いします。

a hopeさま、 毎回大変、お世話になりました、そして今回もお付き合いを頂いて有難うございます。 自主勉強会を地味に地道にこれからも継続していきたいです、出来ましたら、これからもご協力をよろしくお願いいたします。継続は力なり!!ですので、がんばりましょう!! 内なる光を常に継続して磨いていきましょう!! 自分の内なる実相は美しいーー!ピッカピカだー!!(軽いですか?ごめんなさい)よろしくお願いします。

志恩さま、 いつもの見守りご参加に心より感謝申し上げます。これからも、暖かいご支援、ご指導を賜りますようお願い申し上げます。志恩さんの3つの感謝は深くて勉強になります。また、いろいろなことを沢山教わるのが楽しみになりました。 よろしくお願いいたします。

あさひさま、はじめまして、よろしくお願いします。 3つの素晴らしい感謝を2つも書き出してくれて有難うございます!! 書き出すと、感謝したい事が自分の周りに沢山あることに気づきますね。有難いですね。これからもよろしくお願いいたします。

1182ユタカ:2013/05/16(木) 11:37:29 ID:R1D4Jmeg
トキさまへ
ユタカが自主勉強をこれからも(本番中は休止)続けますので、先日の許可の下、継続させて下さい。よろしくお願いします。
これから、通読型の自主勉強をします、本の内容はアップしないで、本の巻数とページで勉強して行く形です。よろしくお願いいたします。

通読自主勉強会にご参加される方は、第3巻の第2章を26日までに自分で読みましょう。時間を合わせてWEB上で読み会はしません。
次は第3巻の3・4章を6月1日までに読みましょう。その間、感想や質問などを書いてみるのも良いかも知れません。 範囲の大小も実践の後どんどん変化させていきましょう。
これで取り合えず、出発してみよう。。。。

1183ユタカ:2013/05/16(木) 12:04:59 ID:R1D4Jmeg
訂正 あわてて日にちを間違えました。

26日 → 18日 と 6月1日 → 5月25日に訂正します。 

通読自主勉強会にご参加される方は、第3巻の第2章を5月18日までに自分で読みましょう。今回は、時間を合わせてWEB上で読み会はしません。
次は第3巻の3・4章を5月25日までに読みましょう。その間、感想や質問などを書いてみるのも良いかも知れません。 範囲の大小も進め方も実践後に、より良い方向にどんどん変化させていきましょう。
これで取り合えず、出発してみよう。。。。

1186トキ:2013/05/16(木) 17:25:53 ID:.SImQOXw
>>1182

 ご投稿、ありがとうございました。よい事だと思うので、私個人は賛成です。
 ただ、他の方のご意見も拝聴したいと思います。

合掌 ありがとうございます

1187復興G:2013/05/16(木) 17:51:12 ID:AB6RqYXc

ユタカさま、皆さま

web自主勉強会にエールを送ります。

私は今夜もこれからリアルの行事があり出かけます。
今夜のためにずっと準備の仕事をしてきたのです。
明日は朝一番の飛行機で少し遠くへ旅立ちます。5時には家を出なければなりませんから、忙しいです。
帰ってきたらすぐ、19日(日)にもリアル誌友会です。
……という状態なので、お約束の聖典謹写も、まだ数日遅れます。
聖典謹写は、写経のつもりで心をこめてさせていただこうと思っていますから、>>1093「訊け」管理人殿のお申し出には、
「No; thank you.」です。

では、「神様の天降るweb誌友会、自主勉強会」になりますように、祈りつつ。
(私は、自主勉強会に参加は難しいと思います)

合掌

1188志恩:2013/05/16(木) 18:18:24 ID:.QY5jUA6
私も、トキ様、復興G様同様、
ユタカ様のWEB自主勉強会に大賛成です。
世界、日本全国の 閲覧者の皆様も、啓蒙されていらっしゃると存じます。
ユタカ様は、WEBの会の 運びも 慣れていらっしゃってうまいし、
楽しいし、教えられることばかりです。

1189トキ:2013/05/16(木) 19:12:21 ID:.SImQOXw
 他の方も特にご異論はないみたいですから、頑張って下さい。
応援しています。可能な限り、参加します。

合掌 ありがとうございます

1190a hope:2013/05/16(木) 21:31:35 ID:edEDolt2
>>1181 ユタカさま

<<自主勉強会を地味に地道にこれからも継続していきたいです、出来ましたら、これからもご協力をよろしくお願いいたします。
継続は力なり!!ですので、がんばりましょう!! 内なる光を常に継続して磨いていきましょう!! 
自分の内なる実相は美しいーー!ピッカピカだー!!(軽いですか?ごめんなさい)よろしくお願いします。>>

わたし、ユタカさんの「軽い乗り」大好きですよ。でも、内容はとてもまじめですからね。
ちょっと見、難しく感じられる「生命の實相」もその乗りなら若い人にも興味をもってもらえるかもしれませんね!

レベルの高い復興Gさまのご講話と、(おそらく)とてもユニークな訊け管理人さまの誌友会と、軽い乗りのユタカさまの自主勉強会と、
なんだかこの誌友会板すごいですね! ワクワクしてきました。

わたしも、の自主勉強会に自分のペースで参加させていただきます。

まずは、<<第3巻の第2章を5月18日までに自分で読みましょう。>>ということですね。
了解しました!
とてもありがたいです。

また、赤線引いたところや感想などを、紹介させていただきます。

感謝、合掌。

1191a hope:2013/05/17(金) 19:07:58 ID:edEDolt2
<< a hopeの自主勉強その1>>

第二章のタイトルは『「生長の家」は大和精神の源泉』となっています。
わたしは、この「大和精神」という言葉がとても気になりました。

わたしは、「大和精神」もしくは「大和魂」と聞くと、日本国のために自分の命を顧みず、敵陣に体当たりして突っ込んでいった、
特攻隊の精神をイメージしてしまうからです。
そういう、日本国を守るためには自分の命をも惜しまない真っ直ぐな忠誠心が大和精神なのかと今まで思っていました。

ところが、「生命の實相」の頭注には、

『大和精神 すべての人・物・事は常に調和の中にあり、互にあらそったりしない世界である。という日本古来の精神。
日本の建国は、この精神によっている。大和魂(やまとだましい)』

とあります。
そして、第二章のタイトルには『「生長の家」は大和精神の源泉』とあります。

このわたしの「大和精神とは、日本国を守るために自分の命をも惜しまない真っ直ぐな国への忠誠心」という認識は、
間違っていたのでしょうか?
どなたか、ご指導をしていただけないでしょうか?

1192トキ:2013/05/17(金) 20:14:12 ID:gLnHKbBE
>>1191

 戦争中よく歌われた軍歌に「海ゆかば」という曲があります。「大和魂」を
象徴した歌ともいえます。

http://www.youtube.com/watch?v=FpUd4Wdo9uA

 きれいなメロディーなので、戦争中は好んで歌われたものです。しかし、
谷口雅春先生は、「死ぬ事を賛美する歌です」「こんな歌を歌っていると
言葉の力で負けます」と言われていました。そうすると、生長の家で言う
「大和魂」と、世間で言われている「大和魂」とは、少し違うと思います。

 それで思い出したのが、生長の家の先達で従軍をした先達がよく言われて
いたのが、軍隊勤務だったのに、戦闘をした事があまりなかった、と
いう話です。中には、最前線にいたのに、自分がいる間は戦闘がなく、ために
実戦では1発も弾を撃っていないという人もいました。つまり、自分も撃たれて
いないし、反対に誰も敵兵を殺していないのです。しかも、勇敢な人で、
偵察任務なども志願してしたような人ですから、これは不思議な事です。

 これ、即ち、大調和の世界に入ると、戦争中ですら、人を殺したり、自分
が殺されるような事がない本来の実相の姿が現れるという事でしょう。

 「無私」という点では、共通する部分はありますが、やはり、生長の家の
「大和魂」は、現象界の事をさすのではなくて、実相の大調和の世界をとく
点に違いがあるのかと思います。

合掌 ありがとうございます

1193a hope:2013/05/17(金) 23:18:16 ID:edEDolt2
>>1192トキさま

ご指導をありがとうございます。
その「海ゆかば」のお話は、以前も聞いたことがあります。
結局、日本は、そのことばどおり、たくさんの戦死者をだして戦争に負けてしまったのですから、
やはり、言葉の力というのは確実に働いてしまうのですね。
本当にわたしたちは、良い言葉を使っていかなければいけませんね。


ところでそうなると、、

<<これ、即ち、大調和の世界に入ると、戦争中ですら、人を殺したり、自分
が殺されるような事がない本来の実相の姿が現れるという事でしょう。>>

とトキさまがおっしゃるように「生長の家」でいう大和精神というのは「大調和の精神」ということなのですよね。
それは、『武装したり、攻撃したりする』ことではなく、
『戦争反対運動や平和運動をする』とかの現象に働きかける運動をすることではありませんよね?
それは、自分の心の中を大調和さることなのでしょう?
そうすることで、現象がどんなに悲惨な状態であっても、完全円満な自己の「生命」の実相が顕現されて、自分が守られたり、
また、相手とも大調和して、周りも守られていくということなのではないですか?

テキストp38後ろから4行目には、
<<われわれの「本質」は無限の愛であり、無限の生命であっていろいろ多方面のハタラキをするものであって、
その完全な発現を大和精神(やまとだましい)というのであります。
完全にわれわれが自己「生命」の実相(ほんとのすがた)を自覚し、大和精神(だいわせいしん)が発揮されますと、
いろいろ多方面において自分の生活が自由自在になってくるのであります。
病気が治るのはむろんのこと、経済的にも不如意が如意になってきます。
子どもがなくて子供が欲しい人には子供が授かります。
砲弾弾雨の下にいても妙に弾丸がそれて当たらなくなります。
相手に大調和するからであります。>>

それでは雅春先生は、この大和精神を一体どのような形で、
「生長の家」の日本国実相顕現運動や愛国運動につなげられたのでしょうか?

質問ばかりして申し訳ありませんが、わたしには生長の家のこの二つの運動が、どうしても理解できないのです。
どうぞよろしくお願いいたします。

1195「訊け」管理人:2013/05/18(土) 09:44:28 ID:???

 

>>a hopeさん

――――――――――――――
>>1193
それでは雅春先生は、この大和精神を一体どのような形で、
「生長の家」の日本国実相顕現運動や愛国運動につなげられたのでしょうか?

質問ばかりして申し訳ありませんが、わたしには生長の家のこの二つの運動が、どうしても理解できないのです。
どうぞよろしくお願いいたします。
――――――――――――――


 ここは我々部外者は、疑問を感じますよね。なんで「現象無しの生長の家」が、なんで「現象に『悪』を見て、運動をしたんですか?」という疑問、当然ながら湧いてくるワケです。

 ところで榎本惠吾先生も、同様の設問に挑まれておられたご様子です。愛国運動の思想的背景ですが、やはり当時も曖昧だったのかもしれません。榎本先生も相当に悩まれて(大学を休んで仕舞う程)、多々文を寄稿されてますね。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

『試論・波状光明化への道』342頁より謹写――

概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。

吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。
(つづき全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65587714.html

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 これはよほど、重要な設問だと思います。おもしろいやり取りに発展しそうで、期待大です。




追伸

 さて、「大和魂」に関しても私見を。

 結論から申せば、かつ、簡潔に申すならば「大喜びすること=大和魂」だと、思います。

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 この「然して後に」の語には千鈞(せんきん)の重みがあるのである。こういう八紘為宇の本当の神武精神がわかっていたならば、戦争も起らなかったにちがいないのであるが、それを軍閥が曲解したために、あの戦争は起ったと言い得るのである。(『私の日本国憲法論』91頁より――)
(全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65717053.html

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 記事ご確認願いたいのですが、この千鈞(せんきん)の重みがあると雅春先生が申された語ですが、要約すれば「喜ぶこと」になります。「喜んで」のちに、實相が顕れるとハッキリ、雅春先生は書かれておられます。そしてこれぞ、「正統の大和魂」だと思う次第です。

1196ユタカ:2013/05/18(土) 17:32:55 ID:???
 結論から申せば、かつ、簡潔に申すならば「大喜びすること=大和魂」だと、思います。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 この「然して後に」の語には千鈞(せんきん)の重みがあるのである。こういう八紘為宇の本当の神武精神がわかっていたならば、戦争も起らなかったにちがいないのであるが、それを軍閥が曲解したために、あの戦争は起ったと言い得るのである。(『私の日本国憲法論』91頁より――)
(全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65717053.html

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訊けさんのブログを見に行ったけど、真っ黒で画面が表示出来なかった。

訊けさん、ユタカを画面アク禁にしただんだろ??

見えねぇ〜〜〜〜。。。。

1197トキ:2013/05/18(土) 18:06:28 ID:sWbuwuBA
山ちゃん1952様が、a hope様のご投稿に関して、ご意見を述べられています。


http://plaza.rakuten.co.jp/tecnopla/diary/201305180004/

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自ずから勤勉意欲なしでは大和精神はわからない
カテゴリ:カテゴリ未分類
1191 :a hope:2013/05/17(金) 19:07:58 ID:edEDolt2
<< a hopeの自主勉強その1>>

第二章のタイトルは『「生長の家」は大和精神の源泉』となっています。
わたしは、この「大和精神」という言葉がとても気になりました。

わたしは、「大和精神」もしくは「大和魂」と聞くと、日本国のために自分の命を顧みず、敵陣に体当たりして突っ込んでいった、
特攻隊の精神をイメージしてしまうからです。
そういう、日本国を守るためには自分の命をも惜しまない真っ直ぐな忠誠心が大和精神なのかと今まで思っていました。

ところが、「生命の實相」の頭注には、

『大和精神 すべての人・物・事は常に調和の中にあり、互にあらそったりしない世界である。という日本古来の精神。
日本の建国は、この精神によっている。大和魂(やまとだましい)』

とあります。
そして、第二章のタイトルには『「生長の家」は大和精神の源泉』とあります。

このわたしの「大和精神とは、日本国を守るために自分の命をも惜しまない真っ直ぐな国への忠誠心」という認識は、
間違っていたのでしょうか?
どなたか、ご指導をしていただけないでしょうか?<
こういう質問がある場合は回答する側は雅春先生や諸先輩の言葉を引用するのはまだ「大和精神」がわかっていない証拠でもある。

山口悌治先生はそうした精神の把握のために「万葉集」を自ら勉強され「中(みなか)の精神」を把握された。

それは言葉で顕そうとしても表現出来ないものなんです。

大和精神といってもなかなかわからない。私が天皇陵や皇族関連の御陵に参拝するのは何故か?それは天皇信仰を知りたいためだけなのです。

それで何がわかるのかというと「縦の精神」というか「歴史の流れ」なのです。その歴史の流れが「大和精神」なのです。

仮に「吉田松陰」の人物像を知りたいと思えばどうされますか?

松下村塾などに行きますね。そしてその雰囲気を知る為にその地域の空気に触れるでしょう。それは非常に大切なのであります。

次にそうした松陰の本やその書かれた書物を読みますね。それにより人物像を知りますね。

それでもなかなか日本精神とまでいきません。そこから松陰の「和歌」を勉強します。

次には松下村塾で読まれた書物を読みます。時代背景や交流した人物像を探ります。

そうして「吉田松陰」の辞世の句である”身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂”

そこに何故 大和魂があるかを研究すれば自然とわかります。

それが日本精神なのです。自分からわかろうとしないで、日本精神を教えてくださいといってもわかりません。

自分から勉強していかなければ到底知ることは出来ません。

私は日本国の為なら死んでもいいという考えは常に持っております。それが大和魂でも精神でもすべてではありません。だがそうした気持ちの大切さを教えられて生活しております。

一旦緩急あらばの精神でおります。

1198ユタカ:2013/05/18(土) 18:20:25 ID:???
a hopeさん

>>1193
それでは雅春先生は、この大和精神を一体どのような形で、
「生長の家」の日本国実相顕現運動や愛国運動につなげられたのでしょうか?

質問ばかりして申し訳ありませんが、わたしには生長の家のこの二つの運動が、どうしても理解できないのです。
どうぞよろしくお願いいたします。

a hopeさま

大和の精神と天皇国日本実相顕現運動を対立して見ていると思うので、そういう質問で、分からないのだと思います。

え〜と・・まず、神様が人として現れていらっしゃるのが、現人神の天皇様です。
これは、志恩さんが前にも説明してくれています。 a hopeさまは天皇=軍国主義(特攻隊の事をおっしゃていたので)と考えているのでは??

そうすると、分からないのかも知れません。でも、WEB誌友会を続けていって、神様の内容を分かってくると、だんだんと理解できて来ると思いますので、ゆっくり勉強していきましょう!!

そして、ここで、今、「生命の実相」の御本で勉強中ですから、生命の実相の御本の範囲内で答えると・・・

第3巻の第2章では、大和の精神とは・・P、38の後ろから4行目 われわれの「本質」は無限の知恵であり、無限の愛であり、無限の生命であっていろいろ多方面のハタラキをするものであって、

その完全な発現を 大 和 精 神(やまとだましい) というのであります。

と書かれてあります。 神の子人間の無限の知恵、愛生命の発現を大和精神ならば、日本国の実相顕現と一致する。と言うことですよね。

1199ユタカ:2013/05/18(土) 18:34:30 ID:???
a hopeさま

いろいろなことを知ろうとして、意欲的に質問している姿が素晴らしい!!

応援します!!  一緒に勉強を続けていきましょう!! 

どんどんいろいろな事を積極的に質問したり、意見を書き込もう!! それによって、いろいろな意見が出て、周囲の方も皆さんも共に、とても勉強になるからです!!

よろしくお願いします!

1200a hope:2013/05/18(土) 19:20:16 ID:edEDolt2

>>1195訊け管理人さま

わたしの言わんとするところを、わかりやすく言い換えてくださりありがとうございます。

やはり、訊け管理人さまも、聖典「生命の實相」に感動されて、「生長の家の教え」に興味を持たれたわけですから、
わたしと同じような疑問を持たれているのですよね。

せっかく、生長の家の大真理「人間神の子 唯神實相」に触れて、魂を震わせての感動している新人に、
愛国・政治運動や環境保護運動なんかをするように言われたら ???になって、本当に混乱してしまいますよね。

また、榎本恵吾先生の記事もご紹介くださりありがとうございます。
これは、2011.9.13となっていますから、今から2年くらい前の訊けブログの記事ですね。
わたしも拝読したのでしょうが、その当時は、ほとんど理解できていませんでしたね(笑)。

ここで榎本恵吾先生も、「実相しかない」と考える『実相一元論』に対して、
「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と考える
『実相現象二元論』について説明くださり、「生長の家」は、『実相一元論』でいかなければ迷ってしまう。
とおっしゃっていますよね。

また、生命の實相のどこかで、『二元論=「現象ありの考え」は「虚説」である』
と雅春先生もはっきりおっしゃっておられますよね。

ただ、そういう雅春先生自身も、現象問題を扱われているのですよね。
わたしは、まだまだお勉強不足なので、それがなぜなのかの正しい理解まで進んでいませんが、
今、なんとなく思うことを述べさせていただきます。

( a hope の個人的見解)

雅春先生が現象問題を扱われたのは、「人間神の子・唯神實相」の真理を世の中に広めるための方便であった。
そして、その方便を時代によって変えていくようにと、雅春先生はおっしゃていらっしゃる。

だから、この「人間神の子・唯神實相」の真理を広めることのみが「生長の家」の使命である。

なせなら、その真理さえ広まれば、自然に日本国の実相も顕現するし、それが世界平和にもつながるし、
人間と自然との調和もすべてが無理のない形で実現していくからである。

そして、それをする使命を住吉の大神さまから与えられたのが、わたしたち生長の家の信徒である。

以上。



これはあくまでも、現在のa hopeの個人的見解です。
ご意見、ご指導をお待ちしています。
特に、「靖国見真会」参加者さまなどの本流の先輩方のご指導をお願い出来ればありがたいです。


そして、まだ、>>1196以降のユタカさま、トキさま(山ちゃん1952さま)等のご意見ご指導はしっかり拝見していません。
これから拝見させていただきます。

感謝 合掌。

1201SAKURA:2013/05/18(土) 19:27:45 ID:BEUD3XFA
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ  「WEB 誌友会の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

横スレにて…失礼ながら? 昨日・本日の“投稿内容…”を、閲覧しながら〜〜〜
■■【 大和魂 】に関しましては〜〜〜下記にて投稿させて頂いております。−−>【部室 板/ 4】にての投稿です。

目にとまりましたので…“投稿…”させて頂きました。「部外者なのですが〜〜〜」

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1356688903/972
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1356688903/973

                              
                           再合掌

1202トキ:2013/05/18(土) 19:45:44 ID:sWbuwuBA
>>1201

SAKURA様は部外者ではないので、どんどん投稿をお願いします。

丁度、返事を書こうと思っていたのですが、こちらへ書きます。

生長の家高校生連盟の歌ですか。懐かしいですね。あの歌を武道館の前で歌うと、
盛り上がったのです。

 さて、有名な本居宣長の歌に

 「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂ふ 山桜花」


 というのがあります。ちなみに、神風特別攻撃隊が始まった時に、
「敷島隊」「朝日隊」等、この歌から隊名がとられたのです。

 しかし、この神風特別攻撃隊ですが、最近の研究で、発案者の大西滝治郎中将の真意は、なんとか
これで戦争を終結させたい、というものであったと言われます。そうすると、大西滝治郎中将が
この歌を選んだ意味には、SAKURA様の意図する点もあったとは感じます。

1203SAKURA:2013/05/18(土) 20:54:57 ID:BEUD3XFA
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ  「WEB 誌友会の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1202 「管理人 トキ様」 の 投稿内容 から思いました事なのですが〜〜〜
(少しだけ“おじゃま”させて頂きます…。でも?何かありましたら投稿させて頂きます。…が?)

❤〜素敵な!素敵な! 「本居宣長 名言」ありがとうございました。

■ >> 有名な本居宣長の歌に <<
 
「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂ふ 山桜花」
.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:

個人的に?勉強不足にて、知りませんでしたのです。…が?(更に「神風特別攻撃隊」の名前も、
此の「和歌…」から由来とか。教えて頂きました事に、感謝申し上げます。)

そして、日本人の「山桜…サクラ」に対しての心情……【 永遠に日本人−−> サクラ(さくら) 】
当に!日本人の心情を現わしていますのでしょうかと。このような“イメージ感”でしょうか?ボンヤリ!ボンヤリ!……

「管理人 トキ様」へ……
思い出しましたが〜〜〜此の事から来るのでしょうか?「特攻隊の歌ですかと」?

■ 〜♫  貴様とおれとは 同期の桜 〜♫  此処でも“ サクラ ”なのですかしら〜〜〜ン?

1204a hope:2013/05/18(土) 20:57:06 ID:edEDolt2
>>1197山ちゃん1952さま >>1198ユタカさま

わたしは自分自身の、愛国・天皇信仰に関する勉強不足は自覚しています。

ですが、そのことに関しては復興Gさまのこのweb誌友会でのご指導により、以前よりもはるかに知識としては入っています。
ですから、ユタカさまが

<<え〜と・・まず、神様が人として現れていらっしゃるのが、現人神の天皇様です。
これは、志恩さんが前にも説明してくれています。 a hopeさまは天皇=軍国主義(特攻隊の事をおっしゃていたので)と考えているのでは??>>

と問いかけて下さっていますが、わたしは、天皇=軍国主義だとは、けっして思っていません。
実相の天皇さまがわたしたち神の子がが中心帰一すべき御親さま(神さま)であることは、十分理解しています。

わたしは、その信仰のあり方が、現象的な運動となってしまうことに疑問をもっているのです。

復興Gさま謹写の「名古屋公会堂に於ける講演の速記」を拝読すると、

>>1087<<「生長の家」の団体では、心に宇宙大生命(おおみやのかみ)を祭るのであります。>>
>>1088<<次に宇宙大生命(みおやのかみ)即ち宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明徴にするところの導き
の神様として心に幽斎する副斎神として生長の家大神を礼拝すると云うことをハッキリ本尊の項目にあらわして置きました。>>

という、『心に祭る』とか、『心に幽斎する』という表現がたくさんでてきます。
でしたら、その現神人である天皇さまも、同じで、心に幽斎させていただくのが、
本来の生長の家の信仰のあり方なのではないのでしょうか?


そんなことを、わたしは今、思っています。

ユタカさまがおっしゃるように、このweb誌友会や、雅春先生の愛国書なども拝読したりして、
天皇信仰や愛国心に関しても、わたしはさらに理解を深めてまいりますので、
みなさま、これからもご指導どうぞよろしくお願いいたします。

1206さくら:2013/05/18(土) 21:29:28 ID:9XrtgGgA
それから、度々おじゃましてすみませんが、
>>1193
訊けさま

わたしは、実際、生長の家の活動の「現象処理」的なことに、色々疑問や自分の引っ掛かりが、過去にもずいぶんありましたが、
ご文章を拝読しまして、改めて、生長の家の人類光明化運動は、現象をみて対処する運動でなく、
神の子を喜ぶ、すでにある実相を喜ぶ運動だということを、自分の中で、矛盾なく受け取れました。

また、現象ありの考えは、「自分の中からこそ」、排除すべき考えだということも、確認できそのことを心したいと思います。

以下のご文章感動しました。

ありがとうございます。


>「生長の家人類光明化運動」とは、實相がそのまま、今此処に自性を没せず、自発的に顕われることでなければならないのである。實相独在なるいのちが立つところに、真の創造ということが生れる。このときにこそ、大いなる情熱は湧き上がるのである。實相と現象とが先づあって、その相対二元の世界にあって、心を媒介として、心に扶けられて投影して来るという意味での實相顕現では、正しくは、それは實相が顕現したのではなく、心のレンズを媒介として現われたところの心の影なのであり、現象が現われたにすぎないのである。
 實相は実在なのであり、實相は心や現象とは関係の無いものであり、それ自身で独在する。實相が顕現するとは、實相が裸のまま、そのまま実在の顔を出すと云うことなのである。<

>實相のみが独在なのであるから、運動という運動も實相の運動のほかはあり得ないのである。あくまでも、他物、(即ち、實相がその顕現にあたって現象の力を借りなければならないと云う迷いの考え)が混ってはならない。純粋に實相が實相する姿でなければならない。純一無雑である。これが自発と云うことに価値の認められる唯一の根拠である。それは實相独在の光明が純粋に持続されているのである。これが生命が生命するはたらきである。<

>「生長の家人類光明化運動」は現象の運動ではなく、また、實相と現象との関係裡に存在の意義を保つ中有的な存在でもなく、実在そのものであり、實相そのものである。それは生命の純粋持続としての永遠の価値創造そのものである。それは絶対自由の絶対主体たる實相自ら発する自発的創造である。
「生長の家人類光明化運動」が実在そのものの運動であり、純一無雑に『實相独在』『唯神實相』を生きており、従って神そのものの動く姿であってこそ、はじめて私達は『最早や、吾れ生くるに非ず、神のいのちここにありて生くるなり』という最初にして最後最大の命題に到達するのである。<

1207志恩:2013/05/18(土) 22:46:34 ID:.QY5jUA6
遅くなりました。今日は、ユタカ様がスタートして下さった自主勉強会に、大勢の方々が参加されて、
私も、わくわくしながら皆様の投稿文を、拝見しました。

生高連の懐かしい歌を、SAKURA様、載せて下さって、ありがとうございました。

山ちゃん1952様、トキ様、SAKURA 様、皆様、
過去に生高連にも関わっていらした方々でいらっしゃるのですよね。

私は、大昔のことになりますが、生高連は、私は
昭和35年(1960年)にスタートした東京都生高連の初代・副委員長を拝命してましたが、、

「愛国運動」を、青年会活動とともに青年会の皆様と手をとりあって、
やっていた時代でした。でも、今思えば、そのころの私は、まだ心が幼くて、

なぜ、生長の家は、愛国運動をするのか、ということは、私は、幹部ではなかったし、、自然体で、やるもんだ、と
思って やっていましたので、はずかしながら、当時は、そんなに深くは考えていなかったかもしれません。

で、このたびは、
ahope様が、また、いい質問をして下さいましたので、皆様とご一緒に、あらためて、
愛国運動、大和精神のことを、勉強する機会が与えられ、有り難いです。

振り返りますと、
当時の、昭和35年(1960年)という年は、丁度、その年の10月に、日比谷公会堂に於いて、立ち会い演説中だった
社会党委員長・浅沼稲次郎が、17歳の右翼の山口ニ矢少年に、腹部を刃物で刺され、非業の死を
とげた年でもありました。

というような、恐ろしい事件が起きたということは、それほど、
共産党、社会党などの、左翼思想が、日本全国を またにかけ 幅をきかせ、寒々とした嵐が
全国中に吹き荒れていた時代だったのです。

山口少年は、谷口雅春先生の本を読んだことがあるということで、マスコミが、生長の家を疑いましたが、
生長の家は、関係ないことは、はっきりと、判明され、それも報道されて、ほっとしました。

だって、刺された浅沼稲次郎も、実は、谷口先生の本を読んでおり、谷口先生を支持していたそうですから、
分らないものです。

浅沼は、生前、「谷口雅春氏は、社会党に反対でもなく、自民党に賛同もしていないと言ってた」
ということが、ネットにも載っています。

                    (これは、長い前置きです… 笑)つづく

1208志恩:2013/05/18(土) 22:49:16 ID:.QY5jUA6
皆様、遅くなりましたから、お先に寝て下さいね、私、打つの、遅いですから、
つづきは、明日、読んで下さいね (笑)

1209志恩:2013/05/18(土) 22:53:55 ID:.QY5jUA6
>>浅沼は、生前、「谷口雅春氏は、社会党に反対でもなく、自民党に賛同もしていないと言ってた」
<<という情報は、間違っています。そんなこと雅春先生は、一度もおっしゃった事、ありませんから。

1210ユタカ:2013/05/18(土) 22:58:48 ID:???
志恩さま、ありがとうございます。

夜遅いので、お体を大切に! 次号?楽しみにしていますーーーーー!!

ユタカは、生高連に縁が無かったので、ワクワク!! 先輩たちから沢山学べてありがたーーーーい!!

1211志恩:2013/05/18(土) 23:40:36 ID:.QY5jUA6
なぜ、谷口雅春先生が、愛国運動、そして、山ちゃん1952様がいつも言われますように
生長の家の教えの中心が「御中の心(精神)」であるのかを
辿るには、
やはり、人間というものは、本の処女作に、自分の想いの固まりのようなものを記すものだと、どこかで読んだ気がしまして、
私は私なりに、調べさせて頂きました。。

山ちゃん1952様のブログをです。

処女作は、「皇道霊学講話」(332頁)でした。

これは、谷口雅春先生が、なんと、驚くなかれ、【27歳】のとき書かれた本でした。。(旧姓・谷口正治氏の時)

雅春先生は、1893年生まれ、この本は、1920年(大正9年)出版。
http://plaza.rakuten.co.jp/tecnopla/diary/201110120000/

もう1つ、調べたところは、
アクエリアン様の2008年6月のブログ。

そこには、「愛国運動と人類光明化運動」をテーマとした書き込みがあり、「皇道霊学講話」はじめ、
貴重な情報が,いろいろと載っていました。雅春先生が、
生長の家をスタートさせるにあたり、礎にされた思想が、垣間見えます。

(私等が、調べるより、幹部でおられる、復興G様、トキ様にお伺いしたほうが、
 早いのですが、一応、自主勉強会ですので、出しゃばって、しゃべっています。
 先輩の皆様、おゆるしください。そして、間違っていたら、教えてください)


「皇道霊学講話」について〜

「それは宗教と科学を霊学を基軸として統合しようとするじつに野心的な著作であり、
この時代の霊学概論として、のちに記す友清歓真の「霊学せん蹄」とならんでもっともまとまった内容のものであろう。」
(鎌田東二著「神界のフィールドワーク」青弓社より)

ここに述べられている、「宗教と科学を霊学を基軸として統合しようとする」という箇所は、その後の「生命の実相」を予感させますね。

この「神界のフィールドワーク」という本は、霊学とはどのようなものであったのかを詳述しているなかなか勉強になる本ですが、
その中に、この時代の霊学の特徴として、

「日本が太古からの霊「日本が太古からの霊性を純粋に保持し継承してきたとする「霊的根源としての日本」という考え方がある点でも共通している」

という考え方がある。
…谷口先生もこの時代の霊学の影響を大きく受けておられた。

だから当然、愛国運動としての日本国実相顕現運動も出てくる。   つづく

1212志恩:2013/05/18(土) 23:51:06 ID:.QY5jUA6
〜 人類=愛国であった〜

>>それは雅春先生が生きられた歴史が物語っています。
中学時代から古事記を読み『維摩経』を読まれる天才である。
だから身土不二など理解されていたに違いありません。

そういう観点から見ると人類すなわち愛国運動でもあった。処女版である『皇道霊学講話』を読むと理解できます。

ある面では光明化運動を目指して運動されたことも間違いありません。
だからといって愛国運動で なかったのではありません。<<

1213志恩:2013/05/18(土) 23:56:28 ID:.QY5jUA6
その根拠

「明窓浄机」昭和12年p257

○ 私は『生長の家』と云ふ大いなる団体を作って、その主宰者となり、自分の団体の勢力を拡大したいとは思っていない。
唯私の心の中には国家あるのみであり、人類あるのみである。

ここに私は『国家』と『人類』との二つを同格に平列せしめて語ったが、私にとっては『日本国家』と『人類』とは同格なのである。

日本国家が栄えることによってのみ、人類は栄えるのである。

『生長の家』で説く『実相』は既往の仏教者の大多数が誤って『実相即ち空なり』と説いたような『空』ではない。

『実相』とは空気のような、エ−テルのような空しき無常の存在ではない。実相とは無限荘厳の組織体である。

だから実相が顕現するとは、無限荘厳の組織体がこの世界に顕現しなければならない。

そしてヘ−ゲルも云ったように『国家は最高の組織体である』が故に、完全なる国家の顕現が、実相の顕現であるのである。

而して世界にありとあらゆる国家組織体のうち、日本国家のみが最高完全の組織体である(その理由はその中心(すめろぎ)が万古不易永遠に続いているからである。

外国の国家のように中心に定まらず、時々交代するようでは最高完全の組織体とは云い難い)。

それ故『日本国家』は神の理念の最高顕現であり、無限荘厳の実相の顕現であるのである。而して『日本国家』が拡がり行くこととなる。

『日本国家』のために尽くすことは『人類』のために尽くすことになる。

人動(ひとやや)もすれば『国家』的立場は一つの民族的執着」の立場であり、人類的立場は人類的立場と完全に一致するのである。

国家的立場と人類的立場と、家族的立場と、個人的立場とは悉く『まこと』(実相)の一つに於て一致する、これが生長の家の光明思想である。

------------------

谷口雅春先生は、
明確に愛国運動と人類光明化運動とは、同一の立場であり完全に一致するのであると表明されています。

1214ありがとう:2013/05/19(日) 00:19:39 ID:???

 『日韓条約締結祝賀会』における挨拶 
            昭和40年12月21日 (於:東京ヒルトン・ホテル)


 まず私は今回日韓条約の批准に当りまして、これによりまして日本の新しい歴史がここに始まろうとすることを心より御祝い申上げます。


 私、大体生長の家が自民党に応援しているのは、決して自民党の一つ一つの政策に賛成してやっているのではないのであります。 いま日本の政党のうちで、天皇制を護持しようとしているところの政党は自民党しかないのでありますので、自民党それ自身に欠陥もあり、汚職もあるけれども、われわれは自民党を応援しなければならないという、こういうふうに私は考えているのであります。・・・・(略)・・・

1215志恩:2013/05/19(日) 00:28:07 ID:.QY5jUA6
雅春先生時代は、このように
「愛国運動=人類光明化運動」を推進されてましたが、
今は、
生長の家は、「愛国運動」は、一切やめてます。

なぜかというと、昔の時代のような共産主義、社会主義の時代は、終焉し、
「愛国運動」をやったら「右翼」と間違えられるから、というような、なんか、こう、
勘違いされた、それこそ自虐的な考え方をされてるからでは、ないでしょうか?

日教組により、そのような考え方に、どっぷり浸かって洗脳されてきた日本人。
じわじわ じわじわと自虐思想にまみれた日本人。

ですが、だんだん、日本国の使命や素晴らしさ、大和精神の世界に類をみない素晴らしさを
見直す運動が、日本の若者の間で見直され、あちらこちらで、わき起っているというニュースも
耳にしています。

生長の家は、その点、今では、世の中に遅れをとっていると思います。

「愛国運動」という名がきらいなら「日本を見直す運動」でもいいですのに。
その運動をやめたら、
生長の家は、栄えたでしょうか。

かえって、ほろびるばかりじゃありませんか?

国を愛するという人間としての自然な精神である基礎を抜いてしまったからだと思います。

1216志恩:2013/05/19(日) 00:41:20 ID:.QY5jUA6
そうでした。そうでした。

今、生長の家は、愛国運動だけでなく、人類光明化運動という「個人救済」もやめたわ!!

今の生長の家教団は、「自然を愛する運動」と「肉は食べない運動」だけに、なりました。

1217志恩:2013/05/19(日) 00:44:47 ID:.QY5jUA6
1210:ユタカ様

いたわりのお言葉、感謝致します。
長くなりますので、このこの辺で、、、。

1218ユタカ:2013/05/19(日) 00:54:18 ID:???
>>1215

同感です。日本の若者は日本のルーツを知ろうとしていませんか?

伊勢女、出雲ガールなどやパワースポットなどと言って、また今年は、式年遷宮で伊勢参りは特に若い女性に人気がでているようです。

竹田恒泰先生の頻繁なテレビ出演での影響もかなりの効果と思います。

1219志恩:2013/05/19(日) 01:19:23 ID:.QY5jUA6
「愛国運動」とは、具体的に何をしていたか、を書き忘れました。
私達は、高校生でしたから、全学連と戦ったり、論戦を繰り広げたりはしていません。

日の丸の小旗を手にもって、歩いたのは、正月の皇居参拝のときと、2月の紀元節のときと、
天皇誕生日のとき、くらいで、あとは、青年会の集会があるたびに、

古事記や雅春先生の愛国書をテキストにして、日本国や天皇陛下の、いいお話を聞いたり、
話し合ったりしたことぐらいです。そんなに変わったことはしていないのです。

もう、ネットの時代ですから、小旗を手にして歩く必要はないと思いますが、
自国のいいところを伝え合うことは、たいせつだと思います。

自国を、批判するのも、自国に関心を持つことで、いいことであると思います。

1220rei:2013/05/19(日) 08:24:06 ID:S8XW4Pco
志恩さま
貴重なお話をありがとうございます。
とても参考になりました。

1222志恩:2013/05/19(日) 09:52:53 ID:.QY5jUA6
rei様

コメント、ありがとうございます。
生長の家の教えは、昔は、個人のみならず、日本国だけでなく、外国をも救う原動力の教えであったことが、
様々な事を、調べれば調べる程、
星屑の星のかけらのように、あまねく散らばり ひろがっていることを再認識しているところです。
誠に、貴いことです。

しかし、「愛国運動」「世界平和運動」ということも大事ですけれど、

訊け様や、さくら様が、おっしゃいますように、
個人の生活において、極身近な人達に、愛を行じたり、
よろんでよろこんで生活する事は、

信仰者としての基本中の基本である重要な生き方ですから、
私も日々、実践中です。

私は、口だけは、生意気なので、立派そうなことを言ってますが、
結構、そそっかしいところが、ありますし、

年下の、口達者な男の子?には、泣かされるし、

そして、
失敗もたくさんあるんですよ。
生涯が、学びの場ですよね。(笑)

また、いらしてくださいね。

1223復興G:2013/05/19(日) 10:12:33 ID:AB6RqYXc

 皆様、おはようございます。しばらくでした。

 私は一昨日、羽田発朝一番の飛行機で1時間半あまりのところへ飛び、傘寿(80歳)記念の高校同期生会に出てきました。115人集まりました! その年齢を合計すると1万歳になんなんとするすごい同期会。(同じ一つの高校の卒業生ですよ。)

 盛大な同期会でしたが、その司会をしたのは同期会メンバーで、ラジオ局のアナウンサーをしていた、芯は強くてしゃべるのが大好きな男。
 彼が、司会者権限で、こんな話をしました。

 同期生の一人、I君の話――

 I君の父は当地42連隊の兵士として中国大陸に派遣され、山東省徐州の南 臨沂(りんい)市で中国軍と激戦を展開、壮烈な戦士を遂げた。それはI君が小学校就学前のことで、I君は母親の手一つで育てられたのである。

 十数年前、会社を定年退職したI君は、その父の戦場をたしかめ、慰霊の香煙を手向けるべく中国へ渡る。
臨沂(りんい)での激戦ではわが42連隊も多くの戦死者を出したが、中国軍の死傷者は更に甚大であったときく。
現地を訪問したI君に対し、中国人の眼は冷たく光っていた。
 父が戦死したと思われる場所には、学校らしき建物の骨組が建設途中のまま放置されていた。とりたてて産業のないこの地、金がないとの話。

 帰国したI君は、その光景を思い浮かべ、ひとつの決意を固めた。自家用車を更新しようと準備していた200万円で、なんとか学校が完成しないものか――と、彼は「迷うことなく」中国に送金した。

 まもなく学校の校舎が完成したと、竣工式の日取りを添えて現地から知らせが届いた。
 I君の姿を見た現地の人々は歓声と大きな拍手で迎えた。あの冷たい眼は、そこには一つもなかった。

 ――よかった! I君は今も新車は買わず中古車から中古車に乗りかえながら、同期会に明るい顔を見せ、得意のハーモニカで校歌や応援歌を演奏してくれている。

 (われわれ同期生は中学入学の時は県立の旧制中学であった。それが後に高校となる)
 中学の時の教科書に、以下のような心を打たれた一文があった。そのタイトルは仮に「本当の日本人」としておく。フランスはパリでの話。その書き出しは

 「何だ何だ、どうしたんだ」――口々に叫びながら人々はバスティーユ広場へ駆けだした。
 見ると一頭の馬が倒れ、口から泡を吹き出している。馭者は手綱をとってなんとか馬を起こそうとするが、石畳にすべって馬はもがくばかりだ――。
 そのとき、一人の背の低い紳士が馬のところへ出てきた。日本人である。紳士は自分の上着を脱ぎ、それを丸めて馬の蹄鉄をくるんだ。彼は手綱をとると、「ハイヨーッ」と日本語で馬に声をかけた。馬が立ち上がった。鼻から息を吐き、ヒヒヒーンと啼いた。みんなが拍手した。口笛が鳴る。馭者は「メルシー(ありがとう)、メルシー」と涙を流さんばかりに礼を述べた。だが紳士は「ノン、ノン」と上着をとり、よごれを払って人の中へ消えていった。

 大使でもない、公使でもない 一人の日本人。
 こういう人こそが、本当の日本人である。

 心からの一人の善意が積み重なって、大きな平和への力となる。

 国際交流、政府援助も地位も名誉もかかわりない一人の男、I君。 こういう日本人が同期生わが○○高校に席を並べていたという事実に、大きな誇りを抱くのである。I君こそ真の民間大使と思う。ありがとうI君。I君に盛大な拍手を送ろう!

 ――と司会者のS君はいうのでした。
<つづく>

1224復興G:2013/05/19(日) 10:13:24 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 私はS君の話に共感、感銘を受け、
 「こういう話を後世に、子孫にちゃんと伝えるのが吾々の役目ではないか。原稿があったらコピーさせてほしい」
 と頼んで、コピーをもらってきました。それをキーボードで打ち込んだのが上記です。

 大和魂(やまとだましい)、日本のこころとは、本来、前記のような大和(だいわ)の心である。一旦緩急あれば(国家非常の時が来れば)特攻隊精神となることもあるかも知れないけれども、本来そんな自爆精神が大和魂ではない。

 明治天皇の御製に

あさみどり すみわたりたる 大空の
  広きをおのが 心ともがな

 (「あさみどり澄みわたりたる」は、清浄、正直の心を表し、大空の広さは度量の大きさ、睦び和む精神に当たる)

さしのぼる 朝日の如く さわやかに
  もたまほしきは 心なりけり

 (赤々と一直線に昇ってくる朝日のように、さわやかな心を常に持ちたいものである)

 と歌われた大御心にこそ、大和魂はいかんなく現れているような気がします。

 『光明道中記』(新選谷口雅春法話集5)の、「一月二十二日〜一月三十一日」のところに、生長の家出現の使命・日本の使命について、端的に書かれたすばらしいご文章がありますので、謹写掲示させていただきます。

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 (谷口雅春先生著『光明道中記』より)

 一月二十二日 九族生天踊躍(しょうてんゆやく)の日

  吾らは初めから如来であり、成仏している。(『生命の實相』第一巻)

 金の純分のみが金となるのであって瓦を磨いて金とするのではない。凡夫が仏になるのではなく、凡夫が消えて仏があらわれるのである。凡夫のはからいが「雑行雑修」と言って真宗で排斥せられるのも、凡夫が如来になるのではない証拠である。仏と仏とに伝えてよこしまなることなきが禅であると道元は『正法眼蔵』で喝破している。たとい吾等が汚れたように見えようとも、人間は本来汚れているものではあり得ないのである。

 発止として自覚の灼熱状態に於て打たれるとき、人間はその仏なる実相を露呈する。

 そのままが仏であり、打っても打たなくとも仏であるが、打てばそれがあらわれる。

 打つのに色々な打ち方がある。

 昔は「お前は悪い奴じゃ。もっと修行せよ」と言って打った。

 生長の家は「お前は善い本性を無尽蔵に有っている。励めば励むほど、出せば出すほど力が出る」と言って打つ。どちらが効果があるかは既に実証済である。
<つづく>

1225復興G:2013/05/19(日) 10:14:16 ID:AB6RqYXc

<谷口雅春先生著『光明道中記』より つづき>

     ○

 一月二十三日 寒菊競(きそ)い開く日

  十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするが日本の使命である。(『秘められたる神示―神示講義〈秘の巻〉』「久遠天上理想国実現の神示」)

 全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇(はっこういう)の建国の理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。

 理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。何故そう云う名称を附したかと言えば、生は縦に無限に生(の)びることを現し、長は横に長(の)びることを現すからである。縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇の御天職である。此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。

 全世界は天皇に於て一宇(ひとつのいえ)である。万国の民にそれを告げ知らせる東道(みちしるべ)の役目を以て出現したのが吾々の団体である。病気が治り運命がよくなり、万事に成功すると云うが如きはただ副作用に過ぎない。天地の真理、すべてが生長する真理に随順して生きる時、真理の中には病気不幸は存在しないが故に、病気不幸が消えるのは当然のことである。病気不幸が起るには何か真理に離れたことがある。省みて真理に載(の)るものは幸である。

     ○

 一月二十四日 妙音囀(てん)ずる日

  「汝(な)と我(あ)と天(あめ)の御柱(みはしら)を行きめぐりて国生みなさんと思うは如何に?」と如何にも天地のいのちの交流の厳かさが見えるようではありませんか。これを誰も卑猥に感ずる者はない。(『生命の實相』第二十巻)

 鶯(うぐいす)が啼(な)いている。実に澄んだ声で啼いている。玲朧(れいろう)たる声だ。どこにも汚れの感じられない声である。それは雌雄呼び交す声であるのに何の卑猥も感じない。天地そのものの讃歌のように聞えるのは何故であろう。それは鶯には我が無いからだ。天地の生命と一枚になっているからだ。

 梅の花が香っている。清浄そのものの匂いよ! その一輪一輪の浄潔とでも、浄厳とでも言いたいような花びら、雌蕊雄蕊(めしべおしべ)の美しきには何らの卑猥の影もとどめない。

 それだのに植物学者はその花はやはり雌雄呼び交すための装(よそおい)でしかないと教える。

 人間ひとり、男女呼び交すことを卑猥に感ずると云うのは、人間には我があって、天地の生命と一枚にならないからである。エデンの楽園を追放せられたのは、アダムとイヴとが智慧の樹の果を食べたからだと云う。

 天地の生命と一枚になり切らないで、色々と人間の理窟で考える、打算で考える、欲で考える。そこに純潔であるべき筈の恋愛が不浄なものとして感じられて来る。
<つづく>

1226復興G:2013/05/19(日) 10:15:23 ID:AB6RqYXc

<谷口雅春先生著『光明道中記』より つづき>

     ○

 一月二十五日 光明充満する日

  自分の利益のために楽しもうと思って性欲を扱いますと、性欲が汚れたものに見えて来るのです。(『生命の實相』第二十巻)

 「高天原(たかあまはら)に神詰ります」と実に朗々とした声で祝詞が響いて来る。朝の空気を動かし、霧を動かし、「高天原なる大宇宙に神が充満している」と云う観念が天地を動かす、実に荘厳だ。それを古代日本人は知っていた。常に古代日本人は「大宇宙に神遍在す」と誦(とな)え念じ、邪気を祓(はら)っていたのである。

 神が充満しているから、悪の存在はあり得ない。尽天尽地ただ神のみである。神光遍満、邪気不在である。その大宇宙を「家」と見たのが古代日本人である。吾々はそれを生長の家と名附けた。「生」の縦に生びる神漏伎(かむロギー)と、「長」の横に長びる神漏美(かむロミー)と、一つの中心普遍的神漏皇(かむロゴス)が陽陰の対偶と分化しあらわれて、陽陰の偉大な素晴しき交流となった家が「生長の家」である。

 私の家が生長の家ではない。大宇宙が「家」であり、生長の家の理で充たされている。生長の家の理を隠蔽することなく生きた時に、其の人が生長の人となり、其の人の家が生長の家となり、国家が生長の国家(いえ)となる。組合(クミ)と云う意味での国々は世界到るところにあるが、国家すなわち国がそのまま家族であるのは日本のみである。全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。

     ○

 一月二十六日 万事和する日

  生長の家とは建物の名ではない、「和」の名であり、「愛」の名である。(『一流の人・妻・子を作るには』)

 生長の家は、「生長の人」と称さなかったところに深い意味が蔵されているのである。生長の家は個人主義ではないのである。「肉体本来無し」との宣言(よびかけ)は徹底的に個人主義を粉砕する。肉体のないところに個人はあり得ないからである。

 個人は無いが全体は有る! 今までの医学は個人医学であったゆえに此の世界から病人を少くすることが出来なかったのである。過去の政治は個人を目標とする政治、又は対立国家を目標とする政治であったが故に全世界を永久平和に置くことが出来なかったのである。今迄の経済は個人経済又は一国の経済を基礎としていたが故に循環流通無限供給と云うことが不可能だったのである。

 肉体無の真理を知り、ただ全体のみの存在する真理を知り、その全体とは神に在(ま)しますことを知り、その神の全徳の御表現が天皇(すめらみこと)に在らせられ吾らがその股肱(ここう)にして赤子(せきし)であると知る。一君万民、全世界の人類がただ上御一人(かみごいちにん)を大御親(おおみおや)として仰ぎまつるには、肉体を見、肉体の差別を見、皮膚の色、眼の色などを見ていないで、生命のひとつ流れを把握すべきである。
<つづく>

1227復興G:2013/05/19(日) 10:16:06 ID:AB6RqYXc

<谷口雅春先生著『光明道中記』より つづき>

     ○

 一月二十七日 久遠皇位を胆(きも)に銘ずる日

  火にも焼けざる皇位の久遠無窮性を立証せんが為に、火を着けて皇子をお生みになったのです。(『驀進日本の心と力』)

 生命(いのち)のひとつ流れの実相を把握するとき、眼の色は異り、皮膚の色は異るとも、八紘は一宇であり、一家庭であり、すべての人種ことごとく天皇の徳に帰一し奉ることが出来るのである。

 ナチスの血の哲学、民族の哲学はゲルマン民族の栄えのために把握されたる哲学であった。日本の哲学はそんな狭い精神でないのである。東洋民族よ聯合せよ! と云う東洋民族の哲学でもないのである。それはまだ血を見ている。血を見るのは皮膚の色を見ることであり、骨格を見ることであり、人種の差別を見ることである。人と人とを分割することである。

 外国の哲学はどんなに優れていても結局は分割に落着く。日本の哲学は包容帰一である。ヒトとは霊止(ひと)であり「理念止まる」である。全世界が一家庭たる理念降下し、義に於て君臣、理念に於て陛下の赤子である実相を知るとき、何人種と言えども既に日本人である。「日本を守る会」は他国と対立して、小さい現象日本国を守るのではない。天皇を中心に全世界が一家庭となる包容帰一の日本の理想を守る有志の懇談会である。

     ○

 一月二十八日 一切人間を礼拝する日

  既に善があってそれが出て来る。その善と云うものが存在の本体であり、自分の本体なんです。(『驀進日本の心と力』)

 善とは外から縛る囹圄(れいご)ではない。吾々の生命の本性が善なのである。吾々の生命の本性が善であるが故に、善は内から一種の否定すべからざる圧力を以て迫って来、吾々をして善を為すように強制する。この力を倫理学者は当為(Sollen)と名附けた。若し善の内圧を拒むならば、吾々の生命は苦痛を感じ、苦悩を感じ、その苦痛苦悩を表面にあらわして、それは吾々の肉体に色々の具体的病気として表れる。

 病気は抑圧されたる「善」への衝動の悩み苦しむ有様だとも、「善」が実現せんとしてまだ空虚の状態であるとも言い得る。従って、「善」を為すように勧めることによって病気が治った実例は沢山ある。生長の家へ相談に来て病気が治って帰る人々の殆ど全ては善を為すように勧められ、善を為さんと決心し、抑制せられていた「善」への衝動が解放される故に治るのである。

 すべての善のうち最も大なるものは中心に帰一する心をもつことである。子は親に対して、妻は夫に対して素直に随順感謝するとき病気が不思議に治るのである。

     ○

 一月二十九日 心朗かなる日

  病気は自己を顧る好機会だ。顧みて迷を去るものは幸いなるかな。(『生命の實相』第五巻)

 心朗かなれば病はない。他を憎まなければ病はない。悲しまなければ病はない。物思いに沈むことなければ病はない。怒ることなければ病はない。気づつないこと、見栄を飾ることなければ病はない。不平に思うことなければ病はない。呟くことなければ病はない。ひとから同情して貰おうと思うことなければ病はない。病気になって都合よしと思うことなければ病はない。家に争いなければ病はない。仕事を嫌うことなければ病はない。隠す心なければ病はない。羨(うらや)ましく妬(ねた)ましく思うことなければ病はない。

 心暗ければ病生ず。陰気が強くなるはすべての悪の中の悪である。心明るき悪人は、心暗き善人に打ち勝つものである。心暗ければ本当に善の資格はないのである。人を愛すれば病はない。すべての事物を愛すれば病はない。愛するとは深切丁寧に心掛けることであって、執着してその人または事物に巻き込まれて心が顛倒することではない。

 心顛倒するは智慧が欠けているのである。智慧欠けるは深切丁寧が欠けているのである。
<つづく>

1228復興G:2013/05/19(日) 10:16:58 ID:AB6RqYXc

<谷口雅春先生著『光明道中記』より つづき>

     ○

 一月三十日 美点を見る日

  憂欝になって来た時哄笑(こうしょう)を爆発させよ、之(これ)が健康と若さを保つ秘法である。(『生命の實相』第十一巻)

 心朗かになる道は、世の中に悪と云うものが決して存在せぬことを根本に知ることである。一局部だけを見ずに大局を見る。短かい眼を以て見ずに長い眼を以て見ることである。冬のうちに春の兆していることを知ることである。陰極は必ず陽転することを知ることである。

 心朗かになる道はすべての人を赦すことである。憎しみを放ち去ること、憤りを含まぬこと。すべての人の美点を見ること。相手の立場に自分を置いて考えること。気にくわぬことは忘れること。呟(つぶや)かぬこと。罵(ののし)らぬこと。みずから立ちて我れに無限力ありと思い返すこと。他と協力するのは好いが、こちらが弱者的角度から同情を請わぬこと。

 人生の戦いはその人の執る生活の角度で最初にきまるのである。負ける人は常に負ける角度から出発し、既に負けているかの如く呟き、既に負けているかの如く左顧右眄(さこ うべん)し、既に負けているかの如く人に依頼し、依頼心を裏切られたと言って嘆き悲しみ呪い呟く。呟くひまに、呪うひまに、悲しむひまに、嘆くひまに、日に日に進歩する者はついに勝利するものである。

     ○

 一月三十一日 絶対善を悟る日

  善くしてやろうと云う想念は相手を害し、既に善いとの想念は相手をよくする。(『生命の實相』第七巻)

 すべての魂の不安を去る信念は神の創造の世界に悪はないとの信念である。神の造り給うた人間の子に悪はない。病気も無く、不成績もない。病気があるかの如く見え、不成績があるかの如く見えるのはそれは五官が見るのであり、五官は吾が信念の賦彩(ふさい)によって真相が歪められたる相(すがた)を見るに過ぎない。
 されば如何に五官に見える相が悪しかろうとも吾々はその五官の惑(まどわ)しに心を顛倒せしめて了ってはならない。

 吾が親または子を信ずること。吾が夫または妻を信ずること。兄弟姉妹の美しさを信ずること。すべて人の善さを信ずること。形の上で縛ろうとするとき、生命は自由を欲するものであるから、反動的に反対の方向へ動いて行こうとするものである。信じて善念を送りさえしたら其の人は必ずよく成る。「信じていたのに騙(だま)されました」と言う人があるものだが、その人は信じてはいたけれども、屹度(きっと)善念を送らなかった人に違いない。

 阿弥陀仏を信ずるとは「南無阿弥陀仏」と称えることである。子を信ずるとは放って置くことではない。「善い子だ、有りがとう」と念じ称え、感謝の念を送ることである。

<以上で『光明道中記』より謹写おわり>

1229復興G:2013/05/19(日) 10:28:34 ID:AB6RqYXc

今日は午後からリアルの誌友会がありますので、その準備にかかります。また夜以後にお目にかかります。
ありがとうございます。

1230志恩:2013/05/19(日) 10:37:18 ID:.QY5jUA6
復興G様

おかえりなさいませ〜〜え。
ご指導、感謝致します。

只今、来客がありまして、のちほど、ゆっくり拝読させて頂きます。

合掌

1231ユタカ:2013/05/19(日) 11:33:54 ID:???
復興Gさま、お帰りなさい〜〜!! 体験談と沢山の文章をありがとうございます!!ゆっくり、じっくり読ませていただきます。同窓会帰宅後すぐにこのような文章をアップして下さったり、精力的にリアル誌友会と使命邁進される復興G様に励まされ頭が下がります、有難うございます。

a hopeさま、みなさま、 a hopeさまのおかげで、トキ様始め、みなさまの貴重なご意見を頂き、また、訊け様の榎本先生の御文章を読ませていただきながら話が広がったり、体験談ありのにぎやかなところに、復興Gさまに上記のように格調高いお話を頂きました。ここを見ているすべての皆様に神様の祝福が天降りました事を感謝いたします。有難うございます。合掌。

1232a hope:2013/05/19(日) 12:00:13 ID:edEDolt2

みなさま、ありがとうございます。合掌。
そして、復興Gさま、おかえりなさい。


>>1231ユタカさま

わたしは、その時に感じたことをあまり深く考えずに率直に発言してしまうので、後で反省することもありますが、
でもそうすることで、このように、先輩のみなさまから、貴重な体験談を聞かせていただけたり、
ご指導をしていただけるので、本当はわたしが一番の幸せ者なのです。

このような、自主勉強会をという場を提案してくださった、ユタカさま、そしてこの掲示板の管理人さまのトキさま、
そして、すべての投稿者さまに心より感謝しています。

わたしもこれから、みなさまのご投稿をじっくり拝見して、お勉強させていただきます。

1233ユタカ:2013/05/19(日) 12:48:50 ID:???
ありがとうございます。

私もじっくり読み返ししています。2度3度と考えながら読み返ししたりすると、間違えて読み取っていたり、読み落としに気付いたり新しい発見があったりで、WEB誌友会板一番スキです。
また、深夜の書き込みは見落としがちなので、全体を見ることが確認になるので、非常に大切になりますね。志恩さんが謹写下さいました、谷口雅春先生の明窓浄机など、とても分かりやすく、内容も濃く素晴らしかったです、ありがとうございました。

1234NANCY:2013/05/19(日) 14:27:33 ID:7GELNOHk
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ  「WEB 誌友会の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

■■ 【大 和 魂】 この“問い掛け…論”にて、個人的なのですが??〜〜〜

―――「 昨日の【SAKURA】 様の投稿内容 再投稿文 」――――――――――――――――――――――
1201  :SAKURA:2013/05/18(土) 19:27:45 ID:BEUD3XFA  
 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1356688903/972
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1356688903/973          (一部抜粋)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■昨日の素晴らしい投稿でしたので「観覧者の皆様」の中で、まだ閲覧されていらっしゃらない方も
いらっしゃるのではと思いましたで…【 サイド 投稿 】の形式を上記にて、取らせて頂きました…。

                              つづく

1235NANCY:2013/05/19(日) 14:30:02 ID:7GELNOHk
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ  「WEB 誌友会の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

>>1234 投稿の続きですので…。
■ 「 SAKURA 」さん へ    私が感じました事を……

【生高連の歌〜♫】
この“歌詞…”の投稿を閲覧しました時…「大和の時代からの“日本語の言葉”の美しさに〜【感銘…】です。
特に!その中の……「第一番目の歌詞」そして最後の「第七番目の歌詞」の処に心に響き打つ“言霊…”が〜〜
これなのですネ!そうのように感じ…正直“涙…”が出てしまいました。

■当に創立者「谷口雅春先生」の“コトバ”は【 真理の一剣 】として心に残りますかと……。そして、
【 日本の精神=神武建国以来の平和論 】この考えが〜〜〜古代からの人々の願いとして今!私どもの
「使命…」として認識を頂きましたのです。
当に【 八紘=世界平和論 】此れを古代からの願いとして抱いていた“日本民族”としての自覚に誇りと
それに必要な“知識・智慧”を、学んでいくべきかと…それが【真理の一剣】なのでしょうかと。

(一、)
日出ずるくに  たぐいなき 
六合を兼ね  連邦の
みやこをひらき  八紘は
兄弟なりと  宣言し
神武建国  三千年

(七、)
こころあかるく  身を清く
悦びを宣べ  世を照らし
光輪卍字(まんじ) 十字架の
万教帰一の  旗のもと
平和の真理を  宣ベンかな
平和の真理を  宣ベンかな
                  ❤ 何と!〜〜〜〜〜〜素晴らしき“コトバ”でしょうか?

1236ユタカ:2013/05/19(日) 15:05:47 ID:???
復興Gさまへ

次回のWEB誌友会までに、謹写などのお手伝いはありませんか? 自分勝手に動きますと、ダブルブッキングになりそうで無駄を避けたく御伺いいたします。

手は遅いですが・・・・ まだ、時間がありそうなので・・・

1237ユタカ:2013/05/19(日) 15:10:03 ID:???
NABCYさんもSAKURAさんも頭が良くて、難しいことを沢山書かれていて、その時代の読者さんたちは、懐かしく読まれていらしゃることでしょうね。。。

生高連の歌を聴いてみたいです。。。

1238SAKURA:2013/05/20(月) 12:33:10 ID:54xnnPoI
「ユタカ 様」 へ
こんにちは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。 

>>1237 の「ユタカ様」の投稿から〜〜〜閲覧させて頂きまして…

はじめまして〜〜〜 実は?お返事を〜〜〜と思いながらも、躊躇しましたのです。

「生高連の歌 〜♫」なのですが……随分と悩みながら ><
私事ですが“オンチ ><”そのものなのです…。それでもめげずにハミング〜♫〜の私です。
但し……「歌詞…その“コトバ…”」が、最大級に好きなのです。…が?「ユタカ様」は如何でしょうかと。

【生高連の歌〜♫】が“懐メロ…”と?なるのでしょうか???エッ〜〜〜!知らなかったワ〜〜〜!処で、
この歌を“ロック調のリズム”に致しますと〜〜〜どのような感じになるのかしらンと、いつも思うのです。
…が?

そういえば「君が代の歌〜♫」を、ロック調で歌われたシンガ−の方がいましたです〜〜〜ョネ??
ご存知ですか〜〜〜?それは「サザンのボ−カル…」もう一人は「亡き清志郎…」でしたかと。?
この二人には、失礼ですが…
やはり【神聖な“コトバ…”】には〜〜〜厳かなる“リズム”が〜〜〜マッチするのかと思ってしまいます。
その後?此のお二人には〜〜〜“不運…”と申しますか?−―>“タタリ”

思うのです〜〜〜ョネ!この「君が代…の歌」も、そして「生高連の歌…」も“奥深いモノ”を感じます。
「日本人…」として生まれた私達は、宇宙の遥かかなたの遠い古から〜〜〜そうですネ!
「日本人の英霊…」が、私達を導いて下さっているかのように、感じてしまうのです…。…が?
そして…【日本の歴史…】を〜〜〜その【歴史のロマン】を〜〜〜!!

それから?頭がいい!この“言葉…”は?【実相の私】として頂きました。今の私ども…NANCYさん共々
【中間因…】としては〜〜〜平均並み?それとも平均以下?と〜〜〜><
モット!皆様の投稿を閲覧させて、頂きまして「真理の勉強を…」この様に思っていま〜〜〜す。

「ユタカ様」の投稿を閲覧しますと……“イキイキ感”を〜〜〜文章から感じております。
今後の…投稿閲覧を、楽しみにさせて頂きま〜〜〜す。宜しくお願い申し上げます…。
                                
再合掌

1239ユタカ:2013/05/20(月) 13:37:09 ID:???
SAKURA様、ありがとうございます。 行間があいて読みやすかったので感謝します。

生高連の歌詞は本当に素晴らしいと思います。そして、昔の昔の高校生はこれを理解できた!と言うことがスゴイ!!事なのです!!

今の高校生では意味が絶対通じないと思います、近所の高校生では、総理大臣の名前が分からない、安倍?誰?誰それ? え?日本って?アメリカと戦争したの?日本て戦争しない国でしょ?まじ?いつ話?ってレベルですよ・・・

育てている親が何も知らないから・・・本当に今自分たちで日本を学ばないと・・・日本が滅んでしまうと危機感をおぼえます。。。

ありがとうございます。。

1240「訊け」管理人:2013/05/20(月) 15:35:10 ID:???


>>1223復興Gさま


 素晴しいお話を頂戴致しました。誠にありがとうございます。戦死された父、その父が戦死した地に学校を建設する ―― 道徳の教科書に載せたいくらいのエピソードですね。

 知り合いの小説家にもこのエピソードを知らせました。本文内で類似のエピソードとして挿入されるやもしれません。いや本当に、「大和魂」とは、こういう行為を指すものと思う次第です。感動致しました。





追伸

 フィリピン戦線では「将兵ひとりひとりが宣撫班たれ」なる下知が、なされた模様です。(祖父談)そして現在も、我々ひとりひとりは宣撫班なのだと思います。ところで昨今、日本に来た支那人のほとんどが「反日になって」帰国する現象があります。これはやはり、もったいないことです。

 話は逸れますが、我が家周辺の話です。ここは田園地帯でありまして、なかには農業法人がありますがそこには、15,6歳の支那女性が働いております。彼女たちはひとりあたり100万円を貯金して国に帰るのですけれども、非常に礼儀正しいです。私も片言の中国語で彼女たちに話しかけるのですが、笑顔が実に素晴しい・・・・話が逸れてますので元に戻しますが、私の役目としては「彼女たちを全員、親日家として帰国させること」に、なろうかと・・・・我々ひとりひとりは、日本国家の宣撫班なのだと思います。貴殿同級生Iさんのお話を聞き、思いを新たに致しました。

1241神の子さん:2013/05/20(月) 15:48:03 ID:R1D4Jmeg
>1240

中国人に!! ニッポンをスキになってもらう!! スゴイなぁ〜!
でも、九州人はみな素直で暖かく心豊かで人情厚いから、もうすでにスキだと思うよ。皇室の事もよろしくーーー。

1242復興G:2013/05/20(月) 15:52:28 ID:AB6RqYXc

SAKURAさま

「生高連の歌」がパッと出てくるSAKURAさんは、すばらしい。
「生高連の歌」は本当の「大和魂」、そして生長の家の使命を、ずばり表現された素晴らしい歌であると思い、私も昨年、「トーキングスティック板」1896
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/1896
にアップしていたのでした。

SAKURAさん、私の>>1027投稿文、読んで下さいましたか? 前のことは、ゆるしてくださいね。

「生高連の歌」の歌詞のように、みんな、擁護派も分派もない、
「兄弟なりと 宣言し」
「みことの自覚を 祖神(みおや)より
  承け嗣ぎ来りし 悦びを
  宣(の)べ伝うべき 選士たち」
として、仲よく手をつないで行きましょうよ。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


ユタカさま、>>1231>>1236 ありがとうございます。

がんばります。

聖典謹写は、お約束の『神の真義とその理解』については、ユタカさんの手許にはないのではないかと思いますし、これは自分でやりましょう。そのほか、今のところお願いしたいものはないので、また何かあったら改めてお願いします。


皆々様、ありがとうございます。

『神の真義とその理解』から、谷口雅春先生ご講演記録の謹写は、これから心をこめてさせていただき、全文謹写を終えてからアップさせていただきます。

「本流対策室/5 板」「部室 /4板」なども見ています。

「大和精神(日本の心)」については、志恩様が紹介してくださった総統閣下の「語り」も、ヒントになりますね。

それから、「こんにちは」様が「本流対策室/5 板」に書かれている投稿文は、説得力があり、私が生長の家の現状について、これは「生長の家教団80年(特に戦後の60年)の運動における業の結果だと考えられる」と書いていたことを、具体的に教えてくださっているようで、考えさせられています。

「こんにちは」様は、「生長の家は一つの役割を終えたと思う」というように書かれていて、その通りだと思いますが、すべての役割を終えたわけではない。

 「こころあかるく 身を清く
  悦びを宣べ 世を照らし
  光輪卍字(こうりんまんじ) 十字架の
  万教帰一の 旗のもと
  平和の真理を 宣べんかな」

という大切な使命の実現は、まだまだこれからだと思います。
それについて、このweb誌友会で一層深く聖典を学び、皆様とともに考えてまいりたいと思います。

よろしくお願いします。
合掌

1243トキ:2013/05/20(月) 16:20:39 ID:KVAgk9YU
復興G様、素晴らしいご指導をありがとうございました。

実に感激しました。本当に、心から感謝もうしあげます。

合掌 ありがとうございます

1244復興G:2013/05/20(月) 18:42:22 ID:AB6RqYXc

>>1240 :「訊け」管理人殿

>>1223に対して初めての具体的なうれしいレス、多謝。

同期会当日、司会をしたS君は、「尖閣とか日中関係の問題でも、一方的に中国が悪いと責めるだけじゃなくて、こっちに非はなかったか反省することも必要じゃないか」と言うんです。ふり返ってみれば、戦争当時われわれは小学生だったが、支那人のことを「チャンコロ」と言って、犬ころのように侮蔑していた――そんな雰囲気があったことが思い出される。日本人だけが優れた民族だと優越感をもって他民族を差別していた。それは本当の日本人の心、大和魂から外れていた。そのような時代があったから、中国人は日本人を嫌い、憎んでいるところがある。
南京大虐殺事件というのはなかったと言う人もあるが、当時現地に行っていて、日本兵が中国女性を強姦し、それを告げられないように殺したりするのを見たという知人がいると、S君はいう。戦争となればそのようなことが避けがたい。自国の行為を正当化するだけでなく、反省すべきことは心から反省し詫びて出直すことが必要だと、彼S君は言うのでした。

反省は小懺悔であり、そこにとどまってお詫びを繰り返すだけではいけない。「本来の大和精神はそうではなかった」とミコトなる本物を顕す、大懺悔に立ち還ることが大切ですが、まずは小懺悔も必要なわけですね。

「国民総宣撫班」ね。「国民総民間大使」と言ってもいいでしょう。みんながそんな気持になって大和精神・大和魂があらわれれば、日本の国威は発揚し、同時に世界が平和になっていくんでしょうね。

1245復興G:2013/05/20(月) 18:47:25 ID:AB6RqYXc

>>1243 :トキ様

ありがとうございます。合掌

1246SAKURA:2013/05/20(月) 20:49:05 ID:BEUD3XFA
「復興G 様」 ヘ 「トキ様」 ヘ  「観覧者の皆様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■□ >>1242 「復興G 様」へ
大変と無沙汰しております…。投稿を閲覧させて頂きながら〜〜〜(遅くなりましたのですが?)
先程…「ト−キング・ボ−ド」での「復興G様」の投稿を〜〜〜さかのぼって閲覧させて頂きました。感激!
「復興G様」も「生高連〜♫」活動をなされていらっしゃいましたのでしょうと……思いつつ

■   「高 校 生 同 期 会」……

いつまでも!どこまでも!“友…”との語らい!!出来ます“すばらしい人間関係”であります事に、
“良いです〜〜〜ネ!”とNANCYさんと二人で、語らいし合っています。私どもも、いつまでも…
その様な“人間関係…”を作っていきたいと…その様に思いました次第です…。素晴らしい!讃嘆そのものです!そして……

■   【 日 本 の 国 家 観 ?】

個人的ですが?日本は「霊的文化」と申しますか? やはり私の年代でも「イザナギ文化」と言う事で
「神の生命が我が魂にも宿っている〜〜〜」この様に、この頃では、“目覚めの自覚…遅い?”私ですが?

■□ >>1225 「復興G様」の投稿されました中から〜〜〜

−−−−−【 一月二十三日 寒菊競(きそ)い開く日 】−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇(はっこういう)の建国の理想は決して侵略精神ではない。
八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。

理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。何故そう云う名称を附したかと言えば、生は縦に
無限に生(の)びることを現し、長は横に長(の)びることを現すからである。縦の無限連続は時間であり、
横の無限連続が空間であり、縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を
蔵する無字であり、一切を統一する天皇の御天職である。此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に
相争うのである。   (一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

本当に「復興G様」が抜粋して頂きました「雅春先生のコトバ」から、改めて
「日本人ならば〜〜〜」と言う意識感強く目覚めまして、「雅春先生」も御指導されています「御教え・・・」の中に、イザナギ文化…とは?

−−−「一部抜粋 谷口 雅春 著」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

イザナギ文化は……中略……
それは宗教文化であり、宗教は人間の霊性がすべて一つの神に貫かれてあることを観て、万人同根の
自覚を通して、安定の人間関係をつくり、国際的には平和の基礎原理となるのである。…中略…(一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

痛切に、此処最近の我が国を取り巻くアジア圏での国家間の政治動向を見ながら〜〜〜特に、私事ですが?
如何しても、九州という位置からでしょうか【北朝鮮問題…】に関しましては、その動向に目が離せない
状況です。以前、「恩師のコトバ」の中に〜〜〜【今度〜〜〜世界第三次大戦〜〜〜が起きるとしたら】
それは「地球の存在すら…云々…」とおっしゃいました“コトバ…”が、脳裏をかすめてしまいます。
やはり「地球も一つの生命体」として、その存在形態そのものを“次世代…”に残す使命感を「復興G様」の
“テキストとして抜粋投稿”して頂きました文章から?感じました。今後とも、よろしくお願い申し上げます…。

そして……
❤〜今回も…この“気づき…”に感謝申し上げます…。                               
                                  再合掌

1247トキ:2013/05/20(月) 20:54:40 ID:KVAgk9YU
 生命の実相第2巻に、浅野和三郎先生の次男様の霊界通信が紹介されています。生命の実相に
紹介されていない部分ですが、乃木希典将軍が、霊界で言われた言葉に、「日本は戦争に勝って
きたので、負けた国からは恨みをかっていて、その念がたまっている」という意味の言葉があり
ました。霊界通信がなされた時には、まだ、満州事変以前で、戦争など誰も考えていない時期な
ので、不思議な内容だと思います。

 すると、戦争というのは、負けても悲惨ですが、勝っても、相手から恨みをかうので、これは
これで困ったものかと思います。もちろん、軍備には抑止力がありますから、自衛のための戦力
は必要だと思いますが、本当の日本精神はそういうものではないと思います。

 開戦時の在ワシントン 日本大使館で海軍の駐在武官をしていた横山一朗少将は、戦後、
「海にかえる」という回顧録を書き、これは専門家から高い評価を得ています。

その中で、「戦争から学んだ事」として、

*日本は海洋国であるから、海洋国と手を結ぶべきであり、大陸国と手を結ぶべきではない。

*武力進出は覇道である。武力で制圧したら、負けた民族は恨む。皇道は、共存共栄である。

*軍備制限は、弱者立国の道である。

 など、多数の教訓を書いています。

(戦後、横山さんは、クリスチャンで、戦後、聖職者になっています。)

 やはり、谷口雅春先生の言われる大和魂とは、大調和の精神かと思う次第であります。

1248SAKURA:2013/05/20(月) 21:23:24 ID:BEUD3XFA
「復興G 様」 ヘ 「トキ様」 ヘ  「観覧者の皆様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1246 の投稿の続きです。…が?

■□ >>1223 の「復興G様」の投稿されています“投稿内容の中”から……なのですが?

−−−「一部抜粋 復興G様の投稿から 」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
…中略…
>> 国際交流、政府援助も地位も名誉もかかわりない一人の男、I君。こういう日本人が同期生わが
○○高校に席を並べていたという事実に、大きな誇りを抱くのである。I君こそ真の民間大使と思う。
ありがとうI君。I君に盛大な拍手を送ろう!<<  (一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

この頃? 個人的なのですが〜〜〜「国際交流??」此の事に関しましてつまり「国際化…」に関しての
「復興G様」のお考えをいつか?お聞き出来ます機会を〜〜〜その様に思いました次第です。…が?

例えば?
【自然体での国際交流…】ならば〜〜〜理解できますが?お膳立てした【国際交流??】に関しては、
少しこの頃「疑問視?」する事が、多々なのです。…が?例えばなのですが〜〜〜

私の記憶の中では?「雅春先生」が「ジェ−ムスが来日」の際に、その宿泊…云々…に関し、あの有名な
【ヤオハン…「和田一夫氏」】に任されまして、それに対して「そのような高級な宿泊施設は〜〜必要ない!」
このような事を「和田一夫氏」におっしゃつていらつしゃいましたとか…?その記憶があるのです…。
かなり“怒られたとの事”を……その記憶があります。…が?(参考までに?確か“大統領…なみ”の扱い方?
このような事の記憶があります。それで「雅春先生」が、普通でいいのです。このような事を〜〜〜その本を
探しているのです。…が?どこかに?埋もれているのカモ…と思います。)

※( 個人的な質問をさせて頂きました事…申し訳ありません。 )        再合掌

PS:「復興G様」・「トキ様」・「観覧者の皆様」 へ

上記の件に関しまして〜〜〜この頃“日常生活面…”で?困ったことが?多々目に付くようになり、
質問をさせていただいた次第です。(申し訳ございません。)

此処最近ですが【FUK空港…】航空路線として“国際便…路線”が、多々開設されています…。
今では?「大阪」「成田」経由ではなく〜〜〜当然ながら「アジア圏」は言うまでもなく、
「ヨ−ロッパ(先日はオランダ線…)…云々…」又「アメリカ路線(ハワイ)」「オ−ストラリア」本当に、
私自身、時代について行ってないのかしら〜〜〜ンと〜〜〜自覚しながらも〜〜〜><
「日本人として〜〜〜その民族性として〜〜〜」考えさせられてしまいます此処昨今の社会情勢なのです。
…が?(具体的には??投稿をしようと思います。)

                                 再合掌

1249ユタカ:2013/05/20(月) 21:43:14 ID:R1D4Jmeg
う〜〜〜ん、訊け様、始め皆様のコメント素晴らしいなぁ〜。これからも続々と出てくるでしょう、皆様レスよろしくです。

ユタカはちょっと違う視線です、200万円!! 最近は詐欺が多いから本当に中国に送金されるかな?と思うので、今回の復興Gさまの同窓会お話では騙されなくて良かったなぁ〜〜〜。と言うのが初一念でした。
あと、最近の中国人の秋葉原での買い物の仕方を見ると・・・・金持ちが多いので、自力で自国を何とかできないものか?といろいろと考えました。

戦争は当の昔に終わっていますから、態度をハッキリすることが大事だと思います。 日本の政治家もはっきりと戦争は今は『無い』と態度を明確にしてほしいと思います。戦争を始めた人はすでに責任をとって亡くなって、賠償も終わっているから、あとは、精神で負け続けている日本を何とかしたい・・・・

ユタカはそのように思って、皆さんの意見を聞いて勉強中。

1250ユタカ:2013/05/20(月) 22:09:42 ID:R1D4Jmeg
セキュリティダイアモンド構想〜安倍首相の外交戦略 (5853)

光明掲示板 素晴らしいです!!

1251復興G:2013/05/20(月) 22:20:23 ID:AB6RqYXc

>>1248 :SAKURA様

私にご質問ですか?

ご質問の趣旨がよくわからないのですが、端的に、具体的にわかりやすくおっしゃっていただけませんか?

1252SAKURA:2013/05/20(月) 23:24:06 ID:BEUD3XFA
「復興G 様」 へ 「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1246>>1248 の投稿の続きです。…が?

■□ >>1251 「復興 G様」の頂きました…投稿からですが〜〜〜♫

実は?【国際化……】あるいは【国際交流……】漠然とした私の質問に捉えられましたかと思います。
大変失礼しました。私事の推測ですが〜〜〜
「復興G様」のお立場でしたら…海外へもよく行かれまして【真理の伝導】をなされていらっしゃいます
のではないのでしょうか〜〜〜と思う次第です。…が?

■□【国際化…】・【国際交流そのもの…】どのような観点で御覧になっていらっしゃいますのでしょうか?
全体的な観点からでも〜〜〜宜しいのですが?

例えば…私の場合は、女性の視点からの捉え方ですので…多少は異なりますでしょうとおもいます。
…が?此処で、一例を申し上げますが……

■「治療」と「癒し」の違いとは   
足つぼやリフレはマッサージではない?  その違いは
http://news.goo.ne.jp/topstories/life/334/3b13c1294373c8aaab8b2e61d0082af6.html

ご存じのように、ここ数年前から?特に「香港返還…前後」からでしょうか?何時しか〜〜〜
よく街角?商店街?などで【マッサ−ジ】が、若い男女も含めてその関連業者が増えております。
ところが、私の年代と申しますか〜〜〜個人的によく“ボランティア”の関連になりますのです。…が?
この【マッサ−ジ】から連想してしまいますのが、一個人の連想なのですが「目の悪い方…職種」として、
その生計が成り立つという“イメ−ジ感”が従来の私・パ−トナ−に在りました。そして、その現状を見
て来ておりますのも、事実なのです。本当に、お気の毒な“ハンディ−”ですから…仕事の職種は、制限
されてしまいます。(私も含め…)

現在の【国際交流…】として「マッサ−ジ関連」は、今では〜〜〜社会通念として
「キチンとした場所…」でのある程度の設備投資の場所にて…健常者のイメ−ジが出来つつありますで
しょうかと。?しかも?色々な海外の方々も…似たような【アロマ…マッサ−ジ】とか?【足つぼ…】とか?
更には〜〜〜【リラクゼ−ション店】……多々なるモノが出来ましたでしょうか?
ストレスから体調を崩した方々に取りましては?気楽に治療出来る!このメリットも考えますが〜〜〜?

この方々を、第三者的に見ておりますと、どうしてもある時は、同じ民族…を中心に雇用とか?その様な感じ
も見受けられます。…が?それでは?【日本人の…雇用問題は?】この様に考えてしまいます。
更に、ハンディ−のある人に取りましては、益々とその雇用問題は、厳しいものがありますかと。

この様に「復興G様」は、その付き合い関連された方々が…ある一定の人々でしたならば、この様に
≪職種…≫を奪われたりと云うと…語弊になりますでしょうが〜〜〜「お客様」も制限されまして、しかも
行動範囲も如何しても制限さますのが現状でしたが??

話は少し“ズレ”ますかと〜〜〜
私の記憶では〜〜〜【フランス…】の対策として…一時海外からの色々な民族の方々を受け入れ体制…!
最終的には?雇用問題(その多々なる民族の方々もフランスで成功され…会社を設立…それにて、自然に
雇用するとなると…同じ民族を雇う事に……それは?ある面では当然の流れかとは思います。…が?)

その後、「当のフランス国民…雇用問題」になり、確か?フランス人をその○○%雇用するような政策を…
取られた記憶があります。…が?
この様に私の周辺部では「雇用…」一つにしても〜〜〜疑問が生じております。これは?あく目でも、
一例として…投稿させて頂きました。(途中にての投稿で…申し訳ありませんが…)

従いまして…【アバウト的でも…仮に国際化・国際交流…】どのようなお考えをお持ちでしょういかと…
その様に思った次第です。…が?
                                再合掌
PS:
日本人の場合いは『中産階級…意識』…というものがありますでしょか?どうしても…私共の
見方とした場合…この「中流前後階級〜〜??」に関しての【公的機関も含め…視点】が〜〜〜余り
なされていない感が致します。この事は?失礼ながら「宗教内での救済」にもある面では?言えますのでは?
この様に客観的に見ております。

1253ユタカ:2013/05/21(火) 05:56:03 ID:R1D4Jmeg
過去の日本の貢献も正しく認識してほしい 2013/5/9(木) 午前 8:54世の中を考えるアジア情勢 案の定というか、常識知らずと言うべきか、渡米中の韓国の朴大統領がオバマ大統領との会談でも、さらに米国議会でも日本の歴史認識を取り上げ、日本を非難しました。まがりなりにも友好国をこんな形で批判するのは異例であり、無礼です。

過去の日本の貢献も正しく認識してほしい
 韓国は、1965年に日本と日韓基本条約を結んだことにより、無償金3億ドル・有償金2億ドル・民間借款3億ドル以上の日本からの資金供与及び貸付けを受け、「漢江の奇跡」とも言われる高度経済成長を遂げました。京釜高速道路をはじめとした各種インフラの開発や浦項総合製鉄をはじめ、日本の企業の投資による成長が政府援助と併せて、韓国の成長や国民生活向上に大きく寄与した事実は、一般には知らされていないため、多くの韓国人は自国が独力で経済成長を達成したと思っているのが現状です。

 中国についても同様です。1991年から94年まで北京の地下鉄開発や、93年から96年にかけての北京首都空港整備計画、97年の上海国際空港事業計画など、大都市の航空開発、橋梁などの整備に、日本からの多額のODA(政府開発援助)が使われました。また、98年度、99年度の有償資金協力で最大の援助となっているのは高速道路建設でした。しかし、日本の多大な貢献に対して返ってきた答は尖閣への侵略的行為であり、反日暴動であり、昨今の「沖縄統治権は日本が奪ったもの」という厚顔無恥な主張です。

他のアジア諸国は日本の貢献を評価している
今年の日本・ベトナム外交樹立40周年を記念するデザイン列車「日越友好列車」が、北部のハノイと南部のホーチミンまで約1600キロを片道30時間かけ、9月まで約30往復するそうで、ベトナムではこのような企画は過去になかったとか。
 ベトナムの南北鉄道は、南北ベトナム統一の象徴とされ、日本のODAでメンテナンスなどを行ってきたことから、日越友好のシンボル的存在です。ベトナムでは鉄道の他に、道路や空港の整備も日本の貢献で実施されてきました。
 
ベトナム以外にも、たとえばASEAN諸国を結ぶ道路網の整備が現在進行中ですし、フィリピンやインドネシアなどにも海保の巡視船供与がされつつあります。このように、インドなどの南アジアへの支援や東南アジアへの日本の貢献は、高く評価されているのです。記憶されている方も多いでしょうが、カンボジア内戦後の支援では2名の警察官殉職者も出ています。

正しい歴史認識と何だろうか?
私は元社会科教師ですので、理由はあったとは言え過去の日本の戦争を全面的に肯定する気は毛頭ありません。少なくとも日本という外国に占領された地域が幸せだったという強弁に与する気はありません。しかし、「功罪」の「罪」のみを強調し日本を卑しめる行為や、歴史的検証も定かではない行為を声高に叫んで日本を貶める行為などには強い反発を感じます。また、日本国内にある自虐的過ぎる論調にも同意できません。
韓国や中国への反論として、科学的歴史的根拠や、戦後の日本が果たしてきた国債貢献を正しく世界に知ってもらう努力が必要です。正しい歴史認識とは、世界がそれを知ってなお日本に求める反省点があるとしたら、真摯に受け止めるものではないでしょうか。

上記は生長の家信徒で無い人のブログから抜書きです。
日本は中国に充分すぎるほどの事はやっていると思う、中国は自立せず、過去の戦争をいつまでも恨んでさえいれば、日本から何かを頂けるという中国の姿勢を感じて・・・いやだな、やっぱり。。。

わが国は、大戦で原爆を2発も落とされたのに、見事に立ち上がり世界に貢献している素晴らしい国だな。これらは戦前の教育を受けた人たちがリードして成し遂げたことなんじゃないのか??
今は、ニートが多いし、夢を持っていないのが多いね。早く国内の教育を正していかないと、もうこの先に世界への貢献なんて無理かも・・・
今、日本の教育を捨ててインド人学校へ入学させている親もいると報道していたし・・・ 地球が滅びる前に日本が中国になって森のオフィスも中国人に盗られたらどうするんだ??

すみません・・・暗黒思想ですか???

1254復興G:2013/05/21(火) 06:16:48 ID:AB6RqYXc

>>1252 :SAKURAさん

>>私事の推測ですが〜〜〜「復興G様」のお立場でしたら…海外へもよく行かれまして【真理の伝導】をなされていらっしゃいますのではないのでしょうか〜〜〜と思う次第です。…が?<<

 ――私は、生長の家本部から派遣されて海外へ伝道に行ったことはありません。

 インドで生長の家をひろめたいから、指導に来てほしいとインド人の方から頼まれ、有志の同志と一緒に自費でインドへ行ったことはあります。

 そのときは、インド(ムンバイから北へ数十キロの郊外の町)に1週間ほどの滞在で、一度もホテルには泊まらず、ホームステイだけでした。その家は、インドでは中流の上ぐらいの家だったかと思いますが、近くにはいわゆるスラム街とか、悪臭が鼻を突くようなどぶ川があり、息を止めずには渡れないような橋を渡って行けば、大雨洪水が来たらたちまち流されてしまうような、木の葉で屋根を葺いた、家とも言えないようなぼろ小屋に住んでいる人たちの集落もある。でも、そんな人たちも意外に明るい顔をしていました。

 そんなところで神想観、笑いの練習、実相円満誦行なんかやって、現地の人たちと約1週間、親しく交流しました。一般の通用語はヒンズー語ですが、公用語は英語になっていて、学歴のある人には英語が通じるという状況なんです。

 マザー・テレサが設立した貧民のための病院なども訪問して、礼拝堂の十字架の前で招神歌を唱え、神想観をしました。入院患者の手を握り、励ましました。祈りが通じたのか、涙を流さんばかりに喜んでくれました。

 いろんなハプニングがありましたが、忘れられない体験で、またそのインドを訪問したい気持ちがあります。

 私たちを招いてくれたインド人のKさんは、以前数年前に日本を訪れたとき、成田空港に着いたとたんに、「この国は神様の国だ」と感じたそうです。そして数年間日本で働き、そのとき生長の家に触れて感動し入信した。帰国してから私たちを招んでくれ、その後もインドで英文生長の家誌“Truth of Life”を縁のある人たちに配ったりして、生長の家の教えを伝える活動をしているそうですよ。

 国際交流は、中産階級だけを対象にした上っ面だけの交流、公的機関や経済活動のための交流だけでなく、インドならマザー・テレサのようにその地に文字通り骨を埋めるような愛行活動こそが真の力になると思います。

>>1227に謹写させていただいた、『光明道中記』の

≪日本の哲学は包容帰一である。ヒトとは霊止(ひと)であり「理念止まる」である。全世界が一家庭たる理念降下し、義に於て君臣、理念に於て陛下の赤子である実相を知るとき、何人種と言えども既に日本人である。「日本を守る会」は他国と対立して、小さい現象日本国を守るのではない。天皇を中心に全世界が一家庭となる包容帰一の日本の理想を守る有志の懇談会である。≫

というお言葉を肝に銘じながら、本当に地上天国・神の国を建設するには、マザー・テレサのような、己を捨てての愛行が必要だと思います。

1255復興G:2013/05/21(火) 07:08:44 ID:AB6RqYXc

>>1253 :ユタカさん

あなたは本当にすばらしい、大和魂を持った愛国者ですね。

>>地球が滅びる前に日本が中国になって森のオフィスも中国人に盗られたらどうするんだ??<<

――ご心配は、もっともです。

日本は、世界平和の鍵を握る神の国です。

>>正しい歴史認識と何だろうか?
私は元社会科教師ですので、理由はあったとは言え過去の日本の戦争を全面的に肯定する気は毛頭ありません。少なくとも日本という外国に占領された地域が幸せだったという強弁に与する気はありません。しかし、「功罪」の「罪」のみを強調し日本を卑しめる行為や、歴史的検証も定かではない行為を声高に叫んで日本を貶める行為などには強い反発を感じます。また、日本国内にある自虐的過ぎる論調にも同意できません。<<

という「生長の家信徒でない人のブログ」引用のお言葉も、全くその通りだと思います。

正しい日本人として国の誇りを失ってはならない。
そして、それは同時に>>1223で書きました、「本当の日本人」の精神を高揚することと相伴って行くことが大切ではないかと、私は思いますが、いかがですか。

>>1218を読んでも、あなたは日本男児の魂を持った痛快な女性ですね。共感していますよ。

「生高連の歌」を高らかに歌って(口ずさんで)元気に行きましょう!

1256志恩:2013/05/21(火) 07:51:33 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様の高校の同期生の一人、I君のお話、すごくいいお話で、感動しました。
これは、なかなか出来ない事ですよね。

いいお話をありがとうございました。
訊けさんの地元のお話も、心温まるいいお話ですね。

個人としての在日中国人も、いいひとたちは、居ると思いますが、いざ、国対国となりますと、国民性がもろに出て、
中国人も韓国人も、ひどい野蛮人になります。

知り合いの中国人と韓国人とは、仲良く、そして、国対国の外交は、相手は、したたかですから、
騙されないように、毅然とした態度で、のぞまないと、いけないと思います。

-----------------------------------------

>>1223:復興G様の、高校の同級生の一人、I 君の話

 >>I君の父は当地42連隊の兵士として中国大陸に派遣され、山東省徐州の南 臨沂(りんい)市で中国軍と激戦を展開、壮烈な戦士を遂げた。それはI君が小学校就学前のことで、I君は母親の手一つで育てられたのである。

 十数年前、会社を定年退職したI君は、その父の戦場をたしかめ、慰霊の香煙を手向けるべく中国へ渡る。
臨沂(りんい)での激戦ではわが42連隊も多くの戦死者を出したが、中国軍の死傷者は更に甚大であったときく。
現地を訪問したI君に対し、中国人の眼は冷たく光っていた。
 父が戦死したと思われる場所には、学校らしき建物の骨組が建設途中のまま放置されていた。とりたてて産業のないこの地、金がないとの話。

 帰国したI君は、その光景を思い浮かべ、ひとつの決意を固めた。自家用車を更新しようと準備していた200万円で、なんとか学校が完成しないものか――と、彼は「迷うことなく」中国に送金した。

 まもなく学校の校舎が完成したと、竣工式の日取りを添えて現地から知らせが届いた。
 I君の姿を見た現地の人々は歓声と大きな拍手で迎えた。あの冷たい眼は、そこには一つもなかった。

 ――よかった! I君は今も新車は買わず中古車から中古車に乗りかえながら、
同期会に明るい顔を見せ、得意のハーモニカで校歌や応援歌を演奏してくれている。<<

1259復興G:2013/05/21(火) 09:48:56 ID:AB6RqYXc

>>1246
SAKURAさま

>>「復興G様」も「生高連〜♫」活動をなされていらっしゃいましたのでしょうと……思いつつ<<

私の高校時代は、生高連(生長の家高校生連盟)ができる十年ほど前のことで、生高連が結成された昭和35年には、それを育成する青年会幹部になっていました。

日本に共産革命の嵐が吹き荒れ、日本丸は沈没しそうな大変な時代でした。

1260復興G:2013/05/21(火) 10:00:04 ID:AB6RqYXc

>>1256 :志恩さま

あたたかいレス、ありがとうございます。

>>国対国の外交は、相手は、したたかですから、
騙されないように、毅然とした態度で、のぞまないと、いけないと思います。<<

それはその通りだと思います。
合掌

1262志恩:2013/05/21(火) 10:29:43 ID:.QY5jUA6
復興G様

それから>>1244:で、復興G様は、昔なつかしい「チャンコロ」という支那人に対する侮蔑用語を
使っておられましたが、その言葉は、じつは、私の実家の父も昔、使っていました。

で、チャンコロなんて、いつから言うようになったのかしらと、調べてみましたら、
「ねずさんのひとりごと」に載っていました。

あの言葉は、実際は、侮辱する言葉でないそうなんです。
-------------------------------------------------------------

〜 チャンコロについて〜

真の近代史観」を書かれたOさんから、たいへん面白いメールをいただきました。
「支那」も「チャンコロ」も、蔑称などではなく、彼ら自身の言葉にすぎないというものです。

おもしろいのは「チャンコロ」です。
これは支那人の支那語発音が「チャンゴレン」であることからきている、という点です。
 (中略)
戦前、多くの日本人が支那に渡り、そこでえ生活しましたが、やってくる支那人たち自身が、自分たちのことを「チャンコロ(=中国人)」と自称するので、チャンコロと呼んだのです。
蔑称でもなんでもない。
「チャンコロ」は、単に支那人自身の現地発音にすぎないのです。

ではなぜ支那人が「チャンコロ」を蔑称と決めつけるようになったのか。
これまた理由は明快です。

支那人が通州大虐殺など、日本に悪いことばかりしたからです。
その結果、イメージの悪い言葉になったのです。
これを日本語で、「自業自得」といいます。

私たちは、もう「中国」と呼ぶのは止めましょう。
万国共通「支那」でいいのです。

そして「支那人」には、丁寧に「チャンコロ」と呼んであげましょう。

なぜならそれが彼ら自身に通じる、丁寧なことばだからです。

英語圏の人が、日本人をジャパニーズと呼ばず、「ニホンジン」と呼んでくれるのと同じです。

 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1475.html

--------------------------------------------------------------------
私の感想ですが、ねずさんは、そう言われてますけれど、
復興G様がおっしゃるように「チャンコロ」という言葉の響きは、

やはり、相手を侮蔑している響きが、ありますから、先方が、差別用語だと思って
いやがってる言葉なのですから、そういう場合は、

どんなに間違っていなくとも、この言葉は、相手に使ってはいけない言葉だと思います。

1263志恩:2013/05/21(火) 11:09:25 ID:.QY5jUA6
復興G様

ものすごく古い時代のことなので、私の記憶も定かではありませんが、
あのとき、生高連の練成会を
企画して下さったのは、東京都連ではなかったと思います。
東京都で、青年会光明実践委員をされてた堀江敬八さんというお方が、企画された練成会だったと思います。
その練成会の写真,残っています。

堀江さんのこと、ご記憶でしょうか?

1264ユタカ:2013/05/21(火) 11:18:40 ID:R1D4Jmeg
復興G様、ありがとうございます。
復興Gさまの戦略的書き込みでおかげさまで、最初にビックリしたので、大切なことを集中して読めました。理想世界そのものの世界で、なかなか普通の人には体験できませんようなことでしたが。。。
最初は、同期生のお父様の供養の話で、中国の学校を建設する費用の寄付の話でした。私は「反日教育」させるためになってしまうのだから、なんで?? とコメントも書けずにいて、意味が分かりませんでした。なので、復興G様の文章を集中力を高めて読んでいました。

あとから、SAKURA様との会話の中で、インドご訪問での御愛行を読ませていただいて私も共感、感動、安心しました、>国際交流は、中産階級だけを対象にした上っ面だけの交流、公的機関や経済活動のための交流だけでなく、インドならマザー・テレサのようにその地に文字通り骨を埋めるような愛行活動こそが真の力になると思います。 と言うところを読みまして

ホッと安心しました。モノ、金でなく、宗教家の真の愛行は失意の人を励まし、自らの力で再び立ち上がろうと勇気を与える素晴らしい生きた神力がありますね。それがモノやお金を与えただけのものと全然違う価値のある行為ですし、その行動のたゆまぬ努力の継続が地上天国建設につながっていくということなのですね、口でいうのは簡単ですが、使命のある方は復興Gさまの体験談やマザーテレサさまのように実際には血のにじむ想像も出来ないような苦労があると思います。私達はその場その場でもっと深く愛行を!!と考える機会を頂きました。有難うございます、素晴らしい素晴らしい御愛行を自ら進んでなさる立派な復興G様。本当に通常ではなかなか縁もなく、出来ない体験談と共に、WEB誌友会に相応しい素晴らしいお話になりました事と、復興Gさまの真意が良く分かりましたこと、有難うございました。

誤字脱字、意味不明な漢字の使い方など、お詫びいたします。

1265ユタカ:2013/05/21(火) 11:20:42 ID:R1D4Jmeg
志恩さま、

横切ってしまったようです!!すみません!!!

1267志恩:2013/05/21(火) 11:25:20 ID:.QY5jUA6
ユタカ様が、復興G様が、インドへご訪問されて、愛行されたことのお話を改めて
書いて下さいましたので、よかったです。

私も、復興G様へのますますの尊敬の念を深めました。

それから、
復興G様に昔の事で、いろいろと質問させて頂いていますが、
個人的な事柄ですので、お返事くださらなくても、大丈夫です。

私は、今から、ちょっと 出かけます…。

1269志恩:2013/05/21(火) 11:43:09 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

いえいえ、とんでもありません。
昭和35 年(1960年)は、今から 53年前のことになります。
当時は私は、まだ日記をつけていなかったので、
記憶がごっちゃになってるところがあり、今後は、
間違えるといけませんので、あまり詳細については、
しゃべらないことにします。(汗)

どうも、すみません。

1270志恩:2013/05/21(火) 11:54:56 ID:.QY5jUA6
生高連の練成会のことは、アルバムに写真がありますので、
間違いではないと思います。
東山半之助先生も、われわれとご一緒に写真に写っておられますので。

1271復興G:2013/05/21(火) 11:57:16 ID:AB6RqYXc

ユタカ様 はじめ、皆々様。
ありがとうございます。

>>1091
<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演>
のつづき(『神の真義とその理解』より)、全文謹写が終わりましたので、アップロードさせていただこうと思います。

これは、>>1052で ユタカ様が 「a hopeさまへ」 として貼付された生長の家の『教義の大綱について』という文章――昭和15年、当時の文部省当局から強い指導があり、昭和15年4月1日、それまでの教化団体から宗教結社生長の家として出発することになった時の届出文の一部――に関して、

これが作られたときの経緯、谷口雅春先生の真意が明らかにわかる貴重な資料として、表記の<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演>速記録というのが、

『生長の家三拾年史』に掲載されており、それは正漢字・旧仮名遣いで表記されていましたが、『神の真義とその理解』にはそれが新かな・新漢字にして収録されているので、後者を底本にして謹写させていただいたものです。

これを拝読しますと、谷口雅春先生は「万教帰一の真理」によって究極の世界平和 ―― 一君万民・中心歸一の地上天国、神の国を実現するのが日本の使命であり生長の家出現の目的であること、その神意実現の使命感に燃えていらっしゃったことがよくわかります。

私はこれを「写経」のつもりで心をこめて謹写したい、だから「訊け」様がPDFファイルにしたのを公開しようかとの申し出をお断りしました。

「写経」については、かつて谷口輝子先生が随想に書かれたご文章が思い出されます。資料は今手許にありませんが……

かつて日本国中に疫病が流行って死屍累々と多くの国民が亡くなっていったときに、時の天皇様が鎮静平癒を熱烈祈願され、身を浄め心を浄め一字書く毎に三拜して写経奉納を続けられたところ、疫病の流行はおさまり国民は安堵したというようなお話であったと思います。

スキャナーでPDFファイルにしたものをリンクで公開するのは効率的かも知れないが、効率優先でなく、面倒くさいことを心をこめて実践することに意義があると私は思いますので、皆様、どうぞ心してご拝読ください。

長文なので、十数回にわけてのアップロードになります。

しばらくお待ち下さい。

1272復興G:2013/05/21(火) 12:30:27 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 11>
 (>>1091のつづき。『神の真義とその理解』より)

 生長の家大神様のお姿

 嘗て私の『法悦の力』と云う本が出ました時、あの第三篇のところに「法悦の実証」と題して、法

の悦び即ち真理を悟った悦びで、飲酒癖が廃(や)んだとか、喫煙癖が無くなったとかいう実例が無数に載

っておりますが、あの最初の体験談に載っている海野(うんの)こうじさんという人の体験をお読みになっただ

ろうと存じます。――或る時尾谷さんと云われる和歌山の或る小学校の先生の家では何時(いつ)も子供の病

気が絶えないので、栄養剤や強壮剤を沢山買って並べておられた。それも一本や二本買ったのでは高

価につくからと云うので、ビタミンAを一ダース買ったり、或はポリタミンを一ダース買ったり、わ

かもとを一ダース買ったりしてまるで家を薬局の様な状態にしておられた。併し始終病気しておって

健康にならない。その時にこの海野こうじさんという人が尾谷先生にこの『生命の實相』を読みなさ

いと云ってお貸ししたのでありますが、まだその本を貸して貰った事を少しも知らない尾谷先生の奥

様が、朝御飯をお櫃(ひつ)に移しておられた、御飯をお櫃に移して、見るともなしに其のお櫃から立ち騰(のぼ)る

湯気を見ておられると、その湯気の中に、一尺位の大きさでもありましょうか、白髪白髯(はくはつはくぜん)のお爺さん

で、裾まで垂れたる白い衣を着た方の立姿があらわれて、威厳と慈愛とに満ちた眼をしてじっと尾谷

さんの奥さんの顔を見詰めている。変なことがあるものだな、こう思って見ていると、すっと消えて

しまった。それからその晩に夫の尾谷先生が小学校から帰って来られて「お前にいいものを借りてき

てやった」こう言って見せられた。「何ですか」と言ってハトロン紙を開いてみると、『生命の實相』

と云う本である。それからその本をパラパラと披(ひら)いて、まぐれ当りに開けたところを一頁読んで見る

と、そこに、生長の家の神様はこういう風なお姿に現われられるということがある。こう書いてある

のです。白髪白髯のお姿で裾まで白い衣を垂れたところの姿で現われられる、と云うことが書いてある。

「ああこれである、私が今朝あの御飯を移した際、御飯から立騰る湯気の中から現われてぐっと私を

慈愛深い眼で見詰めていらっしゃった神様が、あの方が生長の家の神様だったのか」こういう風にわ

かったと云うことが書いてあるのです。この尾谷先生の奥様は現に誌友で生きていられるのでウソは

ないのであります。生長の家の神様のお姿は斯う云うお姿だと先に読んで置いて、それから後に湯気

の中で神様の幻を見たのだったら、読んだ印象が頭に残っておって、湯気のことだから、ぼんやりと

してどんな形にも見えるからいい加減にそういう風な姿を勝手に幻覚として見ることになったかも知

れませんけれども、その『生命の實相』を読まない前に、御飯から立騰る湯気の中に立っていられる

白髪白髯の神様をごらんになって、あとから「生長の家の神様は、こういう風な姿である」と云う説

明が出て来たのですから、まことに神秘的であります。このように生長の家の神様は、お姿の上から

云っても塩椎神様の白髪白髯のお姿で現われ給うのであります。
<つづく>

1273復興G:2013/05/21(火) 12:31:38 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 12>

 此の白髪白髯の神様のお姿は、一番最初に私の家内が見たのであります。『生命の實相』の中の一篇

に「生長の家の歌」と題する部分があります。『甘露の法雨』も其の一篇でありますが、その中に

「光明の国」と云う題の詩があります。此の「光明の国」の詩の校正刷が来た時に、それを校正をし

ておりました時に、空中にそういう白髪の裾まで神々(こうごう)しい衣を垂れたところの神様が出て来られたの

であります。この時私はこの神様と問答したのでありますが、この神様は「橘の小門(おど)の盡十方無礙

光、光明遍照の実相世界にいる神」と仰せられました。橘の小門の実相世界で伊邪那岐命が禊(みそぎ)せられ

たときにお生れになったのが住吉大神であります。

 一人だけで見たのでは、幻覚だか、白日夢だか判りませぬから、これだけでは価値がありませぬ。

ところがその次に、その同じ白髪白髯の神様のお姿を私の家内の同窓で高岡高等女学校出身ですが、

家内よりはずっと後に卒業した人で、当時、尼崎にいらっしゃいました長尾初枝さんと云われる人

が、昭和五年『生長の家』の発刊当時非常に熱心な誌友でありまして、頻々と私の宅へいらっしゃい

ましたのであります。ある日、私と対坐して神想観をいたしましょうと言って、対坐して瞑目合掌、

招神歌を歌ったのであります。ところが、その長尾初枝さんと云われる御婦人は、霊視の出来る人

で、肉眼には見えないところの霊魂の姿とか神様のお姿とかを見ることが出来るのでありましたが、

その時一緒に合掌対坐して神想観いたしますと、神想観を終ってから、長尾初枝さんが「先生の後の

ところにこんなお姿の神様がいらっしゃいました」と言われるのであります。その時家内は丁度階下

におりましたが、二階へ上ってきて、その話を聞いて、「その神様はこんなお姿の神様と違いますか。

私の拝したのは斯う斯う云うお姿でした」こう家内が言うと、「ああそれです。此処の顔の恰好はこ

うで、着物の素地(きじ)、恰好はこうで、こういう風な年齢で、髯(ひげ)はこうでした」と両方から互いに言い合

って見ると、別のところで、別の時間に、別の人が見たのですけれども、それが両人(ふたり)の見た姿が同じ

にピタリと符合するのであります。若しもそれが、あちらで見たお姿とこちらで見たお姿とが別のお

姿だったらそれは別の神様かも知れませんし、或は出鱈目(でたらめ)かも知れませんけれども、併し別の時に別

別の人が見たのを互いに言い合って見ると同じ相(すがた)だと云うのですから、それはやはり同じ神様だった

と云う事に断定して好いと思うのであります。
<つづく>

1274復興G:2013/05/21(火) 12:34:07 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 13>

 幻覚でない神姿

 心理学では斯う云うのを「事実に符合する幻覚」と言っております。併し事実に符合したら既に幻

覚ではありません。それから、昭和五年八月、或る誌友が大阪の寺町に大善寺という寺があるのです

が、その寺に集まって心霊学の実験をやっていたのです。此のグループの人は心霊研究にいずれも熱

心で、精神統一を熱心に修行した人で、霊視能力が発達して、霊魂とか神様の姿が見える人たちが多

かったのでありますが、その時に、そのうちの生長の家誌友が「今日は生長の家で神想観を習って来

たから、皆と一緒にやってみよう」と言って、教えられたホヤホヤの神想観を此のグループで実修な

さったのであります。そうすると、その時、空中に白髪白髯で裾まで白い衣を垂れたところのその神

様が現われられまして、その時五、六人の霊視能力ある人が同時に同じお姿の白髪の老翁の神姿を拝

したのであります。「今日は、荘厳な今まで此の会に来られたことのない神様の相(すがた)が見えた」と言っ

てその五、六人の方が互いに話し合ったのであります。これは、当時その席に列した誌友から聞いた

のであります。これは「多人数同時に見る幻視」と云って確実なものとされているのであります。そ

の他たびたび別の時に生長の家の講演会とか、神想観中にそう云う風な白髪の老翁の姿を見たと云う

人はあるのでありまして、それは当時携帯版で出ました『弁道聴き書』の中にもその事実が沢山載っ

ております。こうなるとこの神姿は単なる幻ではないのであって、あちらにも見た、こちらにも見

た、別の処でも見た、別の人が見た、併しそれは同じお姿であったと云うことになると神様のお姿に

一定の客観性を認めねばならないのであります。

 こんな訳で生長の家を機縁として各人各人に顕われられた生長の家の神様は架空の神様ではなく実

在性のある神様であり、お働きお役目の上から『古事記』にある塩椎神、『日本書紀』に書いてある

塩椎翁(しおつちのおじ)であるということがわかるのでありますが、此の生長の家の教に入ると、大抵の誌友が無痛分

娩であると云う点からも、この生長の家の神様が塩椎神であることが判るのであります。


 塩釜神社の御神徳と生長の家

 住吉大神は泉州堺にもお祀りされており、塩椎神は塩釜神社として和歌山にもお祀りしてあります

が、有名なのは陸前の塩釜神社であります。塩釜神社には塩椎神、経津主神(ふつぬしのかみ)、建御雷神(たけみかづちのかみ)、三柱が一緒

にお祀りしてあるのであります。いずれも軍神であられますが、塩椎神も、宇宙浄化の神であると共

に東道(みちびき)の神であり、同時に神功皇后様の三韓征伐の時には軍神として軍の先頭に立ってお出でになり

ましたことは既に申上げた通りであります。ところが普通塩釜様と云うとお産の神様とせられており

ます。一つには住吉大神は天照大御神様のお生れたまう前に宇宙を浄めてその準備をなさいましたか

らでもあり、神功皇后様の三韓征伐の際には皇子を御懐妊遊ばされてい給うたのを住吉大神が御守護

せられましたからでもありますが、海の神と云うことは産(うみ)の神と語源を同じゅうし、潮の満干にお産

は関係しておりますので、海の神は潮の満干を司るからお産をも司る訳で、塩釜様と云うとお産の

神様と云うことになったのであります。
<つづく>

1275復興G:2013/05/21(火) 12:35:35 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 14>

 皆様の中にも沢山体験があると思いますが、生長の家の神様を信じると実に素晴しい無痛分娩が所

所方々で行われておるのです。このあいだも生長の家本部で、こんな体験談を被仰(おっしゃ)った人がありまし

た。――双生児(ふたご)の無痛分娩の話であります。双生児が一方の胎児はまともに、もう一方の胎児は逆様

を向いて足を骨盤に突っこんでいる。こんなのはどうも医学上からは自然分娩は頗る難しいとせられ

ています。一方の胎児はまともで他方はあべこべであります。グルリと一回転させると逆児の方はま

ともになる代りに、まともの方が逆児になる。どうも不便であります。普通は帝王切開をして腹部か

ら子宮を切って出さなければならない。医学上からはそう診断されておったのですが、その良人は誌

友であり「神様のなさることに間違いはない」と云う固い信念を有(も)っていられて、「人間には出来なく

とも、神様ならどうしてでも出せるのだ」と信じて神想観をなさいましたら、その生れる前に、逆児

の方だけがくるりと一回転したのであります。全体が一緒に回転したら、一方の胎児はまともになる

代りに、他方の胎児が又逆さになって了うのだったのですけれども、その逆児の方だけが回転してま

ともを向いてしまったそうであります。しかも最初の胎児が生れてから、何でも十分間以内の中(うち)にそ

の次の胎児が出てしまったのであります。まことに素晴しい安産で、「国策の線に副(そ)うて一遍に二人

も産んだ」と喜ばれましたが、而も、これが無痛分娩だったそうです。このような顕著な例からも、

生長の家の神様は塩釜大神でお産の神様だと云う傍証が得られるのであります。


 龍宮の大神の御威徳

 併し、お産と云えば誰でも子供を産むだけのことをお考えになり易いのでありますけれども、「新

しき生命」を産み出し、導き出すのが塩椎大神のお役目で、国運を賭して国家の新しき運命を生み出

す時に塩椎大神が出現しているのは前述の通り『古事記』、『日本書紀』の示すところであります。ウ

ミの神は龍宮の大神であり、すべての資生産業(たから)を産出す働きであります。ですから、生長の家の神の

啓示通り人生を生きて行けば産業も盛んになる、生長の家の人は商売繁昌して何をやってもよく栄え

るという実例も時々聞くことがありますが、それもやはり塩釜大神の御威徳であると考える事も出来

るのでありまして、塩椎の「シ」と云うのは「水」であります。「ホ」と云うのは「火」であります。

「シ」が水であると云うのはおしっこさせる時に「シー」と云う、そうするとおしっこがシーと出

る。「シー」の言霊(ことだま)は「水滴(したた)る」作用であります。搾(しぼ)る、したたる、汁、湿る、時化(しけ)などみな水に連

関している言葉に「シ」が附いておりますのは、「シ」の言霊は「水」であるからであります。「ホ」

と云う言霊は上へ燃え上る相(すがた)です。焔(ほのお)、或は蒲(がま)の「穂」、稲の「穂」なども上へ萌え上る相、焔と云

うのも火(ほ)の火(ほ)であって火の縦に燃え上る相であります。火は縦であります。水は横に水平になるので

あります。横と縦と、水と火とが結び合されているのが水火津霊(しほつち)又は水火土(しほつち)であります。「土」と云

うのはその水と火とが結び合って固成したものであります。
<つづく>

1276復興G:2013/05/21(火) 12:36:30 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 15>

 宇宙一切のものは、水の御恩と火の御恩、土の御恩、即ち水火土(シホツチ)で出来ているのであります。皆さ

ん御飯をお喫(あが)りになる事が出来るのも太陽(おひさま)の温めて下さる働き、お水の潤おして下きる働き、そして

お土の固成(かた)めて下さる働きと云うものが働いてお米が醸成したからであります。そうしてその水火土

と云うものは隠れているのです。「私がこんなに功徳を現わしたぞ」と言って別に太陽も水も土も威

張っては被仰らないのであって、黙々として皆なを生かして下さっているのであります。皆さんを生

かしているのは、皆な水火土の御恩であります。水火土は縁の下の力持をして、そうして皆を生かし

ていらっしゃる――この神様が塩椎神様であって、塩釜大神、住吉大神なのであります。生長の家の

近畿綜轄教化部の棟上(むねあげ)式には態々(わざわざ)本住吉神社の宮司に来て戴き、式を挙行して頂いたのであります。

生長の家は空っぽであって他を顕わそうとしていると云うのは此の縁の下の力持の働きであります。


 キリスト教における生長の家大神

 次にキリスト教の方では、生長の家の神様はどう顕われているかと云いますと、「黙示録」と云う

のが、『新約聖書』の一番終のところに附いておりますが、その第一章に、「七つの燈台の間を歩む

人の子の如きもの」と云う白髪白髯の神様があらわれていられますが、それであります。『生命の實

相』全集の第一巻をお開きになると一番最初に何が書いてあるかと云うと、「黙示録」の第一章のう

ちの「白い衣を裾まで垂れたところの白い髯の神様がこの七つの燈台の間を歩いている」と云うとこ

ろが、引用して載せてある章(ところ)であります。併してその直後に「七つの燈台の点燈者の神示」と題して、

「汝ら天地一切のものと和解せよ。……皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ、汝の夫又は妻に感謝

せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使に感謝せよ。一切の人々に感謝せよ。天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ」

と云う神示が載っております。あの神示は誰方(どなた)から啓示されたかと申しますと「七つの燈台の点燈

者」であります。「七つの燈台の点燈者」と云うのみで神名は示されておりませぬ。この神様はみず

から顕われるのではなくて隠れたる働きであります。自分が光るのではなく、凡ての者に燈(ひかり)を点ずる

役目をすると仰せられているのであります。

 而(しか)してこの白髪老翁の神が、「黙示録」の第十九章十一節から二十一節迄「王の王」が世界を統一

遊ばされると云うことをお示しになっているのであります。「黙示録」というのはキリストの弟子の

ヨハネと云う人が、その当時キリストが死んでから迫害されてそうして小アジアのパトモスというと

ころへ流されていらっしゃいました時に、霊能力が開いて、白髪の老翁の神姿を見た。白髪の老翁が

仰せられるのに、これから後速(すみや)かに起るべきことを汝に黙示し、汝の霊眼に見せるからそれを書き誌(しる)

して置け、このことは必ず起るのである、もう既に起り済みである、「事既に畢(おわ)れり」とこう仰せら

れまして、見せられた黙示の中に斯(こ)う書かれているのであります。
<つづく>

1277復興G:2013/05/21(火) 12:37:36 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 16>

 「われまた天の開けたるを見しに、視(み)よ白き馬あり、之に乗りたまう者は『王の王、主の主』であっ

て、その方がこの地上をさばき給う。その時血なまぐさい戦いが起って、そうして到頭(とうとう)世界は一君に

統一せられる。その時旧(ふる)き天と地は過ぎ去って、新しき天と地とが現われて来る。新しき神都(かみのみやこ)が、

夫のために飾りたる新婦(はなよめ)の如き準備(そなえ)して地上に、この地上に天降って来る。即ち地上に天国浄土が実

現しまして、神人と偕(とも)に住み、人、神の民となり、神みずから人と偕に在(いま)して、かれらの目の涙をこ

とごとく拭い去りたまう。そうして今より後は一切の悲しみも、苦しみも、歎きもなくなって了う」

 と云うように書かれておりますが、これこそ、生長の家の善一元の人類光明化運動が全世界に滲透

する最後の段階であるのであります。この事実を指し示し給うた神様が白髪の老翁であります。是(これ)こ

そ日子穂々手見命(ひこほほでみのみこと)様に龍宮界を指し示し、神武天皇様に大和の国に都つくるべきことを指し示したま

うたと同じお働きでありまして、お働きの上から云いましても、聖書にあらわれたる「七つの燈台の

点燈者」なる老翁の神様と、『古事記』及び『日本書紀』にあらわれたる塩椎神又は塩土翁とはその

御役目に於て一致するのであります。


 天皇信仰に帰一せしめる生長の家

 更に生長の家の神様とは「仏典に顕われたる釈迦観世音菩薩及びその応化仏」として届書に書いて

あるのですが、何故そう書いたのであるか、その根拠は何処にあるかと申しますと、先ず釈迦牟尼

仏が生長の家大神と同体の神であると云うことは、一仏一切仏の原理の方からも判るのであります

が、ここには現に生きている人の体験談を根拠にして申し上げたいと思うのであります。どうも仏教

の方は「神」という語をお嫌いになります。普通仏教学者に言わせますと、「仏」と云うのは「衆生」

という迷っている凡夫が修養向上して悟を開いたものであって神とは違う、神というのは、天地を御

創造になったのであるが、仏は未だ嘗(かつ)て天地を創造(つく)ったことはないという風に被仰るのであります。

斯う云っている限りは、どうしても仏教を信じている人と日本の神道を信じている人と、或はキリス

ト教を信じている人とは、日本人同士でありながらその宗派的異教的立場に於てなかなか仲が好(よ)くな

れないのであります。

 今や日本は本来の実相を顕現して世界連邦の柱とならねばなりません。世界連邦は神武建国の「八

紘一宇」の理念に他ならないのです。先ず手近のところで全亜細亜(アジア)民族と心の世界に於て和解しなけ

ればならない。それには宗教的異教の立場を捨てて、仏教も、キリスト教も、その他の宗教も、本来

日本神道と一つのものであると云う真理を知らせて、信仰的に東亜民族が手をつながなければならな

いのであります。それだのに仏教の仏と、日本の神とは別々じゃと日本人同士の中でも、互いに異教

徒扱いして争っているようでは、どうして異宗教の他民族を包容して、神武建国の理想に合致せしめ

ることが出来ましょう。吾々は他宗教の神仏と雖も、真理は一つであるから宇宙の真理の具体的顕現

である全人類一家族となる世界連邦の理想・八紘一宇の理念の成就をこそ庶幾(こいねが)うべきものだと説いて

いるのである。この「八紘一宇」の真理を成就し給うべく出御せられたのが塩椎大神即ち住吉大神で

あります。
<つづく>

1278復興G:2013/05/21(火) 12:38:38 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 17>

 日本主義は結構でありますが、本当の日本主義は「八紘一宇」主義ですから、一切を包容する精神

でなければなりません。狭く凝り固まった日本主義の人達の中には、天照大御神様を日本特有の神様

であって外国の宗教の神仏と一緒にしてはならない、それは天照大御神の尊厳の冒瀆になるとお考え

になっている方もあるらしいのであります。特有とか特別とか申しますと何だか豪(えら)そうですけれども

普遍性がないと云う事であり、地方的だと云う事であり、どの民族からも共通的に礼拝せられる宇宙

的本尊とはなれないと云う事になり、神武天皇様の八紘一宇の理想から遠いと云う事になるのであり

ます。八紘が「一宇」となったら、「日本特有」などと云うものはありませぬ。だから「日本特有」

等と云う言葉を私は取除きたいのであります。天照大御神様はそんな小さい神でなしに、宇宙の大神

であられる。他の宗教の神はことごとく、宇宙の大神の垂迹(すいじゃく)あそばされたものであるから、一切宗教

の本当の本尊を拝むには天照大御神を礼拝すべきであると私たちは信じているのであります。そうす

ると、仏というもの、キリストと云うものも日本の神と同体の神であらせられるということになるの

であります。

 名古屋、北陸、広島地方は真宗の盛んなところでありますが真宗の人の中には、日本国に生れながら

日本の神様をお嫌いな人が多いようであります。そうして「私は阿弥陀仏一仏を信ずるのである、阿

弥陀仏さえ拝んだら好い、他の神様を拝んだら罰が当る」斯う云って、中には天照大御神様の御璽(みしるし)さ

えもお祭りにならない方もあります。日本神国に生れながら、お釈迦さんが印度で説いた阿弥陀仏だ

けが本当であって、日本の神は特別のものであるから信ぜられないと云っているようでは誠に寒心す

べきであって、日本一国でさえも、信仰的に一つにまとまらないことになると思うのであります。茲(ここ)

に宗教的にも他民族の神様さえも一つに包容して八紘一宇即ち“人類皆同胞”の理想に帰一せしめな

ければならないのであります。その働きを以て出現あそばされた神が塩椎神であり、「生長の家」な

る教化運動出現の使命も其処にあるのであります。ですから日本の神様も特別扱いしないで、普遍性、

八紘一宇性を以て大きく解釈しなければならないのでありまして、日本主義の方も、仏教の方々も、

仏様と神様とは異るなどと云う宗教的批判に捉われないで、神の実相、仏の実相を見て、「神々はみ

んな御一体」と八紘一宇的度量を以て解釈して頂きたいのであります。


 釈迦牟尼仏と生長の家

 『生命の實相』の何処かに説いてあるから皆さんは知っていらっしゃるかも知れませんが、富山県の

砺波(となみ)郡と云うところに梶喜一郎という人があった。その人は元来真宗の熱心な信者であります。三十

年程前、安吉先生といって真宗の偉い坊さんが富山県にあったそうであります。非常な傑僧で「念仏

一道」を説いていられた。附近の町村民は甚だしくこの安吉先生を随喜渇仰してその先生のお寺へ行

ったものだそうであります。特に御婦人の方々のうちには随喜渇仰して家を空けて夫のことさえ忘れ

て寺へ籠って法悦に浸っていると云うような狂信状態さえ惹起し、家庭争議が到る処に起ったと云う

程に魅力のある坊さんだったそうであります。ところがそのお坊さんがお亡くなりになる時に、自分

が死んでから長きのちに、自分の教と同じ教をする人が出て来ると被仰ったそうであります。その

「自分が死んでから長き後」と云えば何年後のことか知りませんけれども、梶喜一郎さんはその安吉

先生の信者だったそうです。
<つづく>

1279復興G:2013/05/21(火) 12:39:33 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 18>

 それで安吉先生の亡くなったことを歎いて、後にそういう人が出て来て教を説くのを心待ちにして

おられたのでありますが、或る時、『生命の實相』を求めてお読みになったのであります。すると

『生命の實相』の教が真宗の安吉先生の言われた教と同じように書いてあるのであります。而もそれ

が一層詳しく『生命の實相』に理論的に書いてあります。ああこれで真宗の教が本当によくわかっ

た、こう思ってその梶喜一郎さんは大変お悦びになりましたが、ただ一つ気にかかるのは何であるか

と云うと、それは『生命の實相』には「神」と云う語が諸方に使ってあると云うことであります。ど

うも自分は阿弥陀さんを信じている、それだのに『生命の實相』を読んだら、神という字が到る処に

書いてあって、自然に天照大御神を信仰する様になる様に書いてある。併し自分は今迄神様と仏さん

と別のものだと思っていた。「此の生長の家の教に随(したが)ったら阿弥陀さんに叱られやしないか」こう考

えて何となしに恐しいような矛盾を感ずるのであったそうです。そこで一度上京の機会があったら

「生長の家本部」へ行って親しく私に会って、話を聴いて見たい――こう思っていられたそうであり

ます。そして或る日、富山県からやって来られて東京渋谷穏田の「お山」と云われているところへ来

られた。此処は少々小高い山の坂道を上って行くので、宮崎さんの祖父(おじい)さんの代から「山の家」と云

われていたので、「お山」と云い出したのであります。この「お山」の私の家に梶さんは午後六時頃

にやって来られたのであります。

 その日丁度午後六時から講演会が九段の軍人会館で始まっておったので私は留守であったのであり

ます。留守居の人が梶喜一郎さんに「先生はいま軍人会館へお出でになって御講演中であるからあ

そこへ行って聴きなきい」と言われましたので、梶さんは追っかけて行って九段の軍人会館へ行った

ら、もう軍人会館内は聴衆で一杯に充満しているのです。やっと後ろの方に一つ席があったので、そ

こへ掛けて聴いておられたのであります。その時は何事もなかったのであります。翌日、梶さんは私

の宅へ訪問して来られました。その時分は私の宅は三間ぶっ通しにして二十一畳位敷ける、そこに廊

下が二方に附いているので廊下共で三十畳位になりますが、そこに五、六十人の誌友が並んで私の話

を聴いておられた。そうすると私の坐るところがないのです。私は座敷の縁側の方へ押し出されてい

ましたが、縁側に坐り込んでは後ろの人に顔が見えないから、私は縁側の上に椅子を置いて腰掛けて

そうして皆さんの顔の見える位の高さになって話しておったのであります。その時、私の座から三番

目位のところに梶喜一郎さんがいらっしゃいました。私は縁側で腰掛けていたのですが、縁になっ

ている板の間と畳との間に敷居がある、その敷居の上には鴨居がある、その鴨居の上に釈迦の石仏の

写真が掛っていました。これは何でも支那事変のとき「大同の石仏」と云って日本軍が占領して石仏

を保護しているとか新聞に出ていましたあの「大同の石仏」の中で一番相(すがた)の良い釈迦牟尼仏像を、当

時、青山五丁目、その後吉祥寺に開業していらした写真師山本明さんが写真に撮って来られて其の原

版を持っていられた。この山本明さんが生長の家の誌友で、或る日「お山」にやって来られましたら、

私は家にはその頃壁間に、ラファエルのマドンナ像――キリストを抱いている絵とか、「黙示録」に

現われている太陽を頭に戴いて三日月を足で踏んでいる女神の像など西洋の基督教関係の名画の複製

が掲げてあったのであります。山本明さんが思われるのに「生長の家は万教帰一だのに、こんなにキ

リスト教関係の絵ばかり壁間に掲げて置いたら、生長の家はキリスト教の一派だと思って来訪者が誤

解すると可(い)かんから私が仏教関係の写真を持って来て調和させて上げましょう」と言って、先刻(さっき)言い

出しました大同の石仏の中で一番端麗(たんれい)な顔の釈迦牟尼仏像を引伸して持って来て下さった。――尤も

その現物の釈迦牟尼仏像は今はもう砕けてないのだそうですが――それを引伸して来られまして、額

にまで入れて、丁度私が腰掛ける椅子の前に当る鴨居の上に掛けて下さったのであります。
<つづく>

1280復興G:2013/05/21(火) 12:40:30 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 19>

 梶喜一郎さんは、その鴨居に掛っている釈迦牟尼仏像の写真を見ては私の顔を見、左見右見(とみこうみ)してお

られますので、私は「この人は一体何をしているのだろう」と思っていますと、梶喜一郎さんは、鴨

居の額を指して「これは何方(どなた)の写真ですか?」と言われたのです。そこで私は「これはこうこういう

訳で、山本明さんと云う写真屋さんが、大同から石仏を写して来た釈迦牟尼仏の像ですよ」こう言っ

たら、それを又見詰めていた梶さんは「ああわかりました」と言われるのです。何がわかったのかと

思っていますと、「実は今まで私は『生命の實相』を読んで真宗の教が本当によくわかったと思って

悦んでいたのですけれども、唯一つ心に閊(つか)えることがある。それは惜しい哉『生命の實相』に神とい

う字が書いてあるので、どうしてもその神と仏とは別である。やっぱり真宗と生長の家とは此の点で

異(ちが)うから生長の家を信じたら阿弥陀さんに叱られるような気がしておりましたが、昨日軍人会館へ行

って先生の御講演を聴きましたら、その演壇には此処に掲げてあるこの写真の人が講演しておりまし

た。今の肉体の谷口先生の顔とはすっかり異うのです。ですから昨日講演していたこの写真の人は誰

か知らと思って訊きましたのです。

 ところが、いま、これはお釈迦様の像であると言われたので、生長の家の説教をせられるのはお釈

迦様が説いておられるのだ、決して肉体の谷口と云う方が説いているのじゃない。お釈迦様が説いて

おられるのが、これが生長の家であるから生長の家は仏教だと知って私も安心致しまして、生長の家

と真宗とを一緒に信ずることが出来ます。有難うございます」と言われました。あとで承りますと、

梶喜一郎さんはその講演を聴くまでは、左の耳が難聴で電話を左の耳で聴いて、右の手で数字などを

書きとめる時、左耳に受話器を当てても聴えないので弱っていたのですが、講演を聴いて心境とみに

開けた結果左の耳がよく聞えるようになったそうであります。

 生長の家で説教しておられたのが、仏典に現われた釈迦牟尼仏だと云うことになりますと、生長の

家の大神とは釈迦牟尼仏だと云う事にもなるわけであります。併し私が釈迦牟尼仏ではないのであり

ます。私の説くところが釈迦の説かれる真理でありますから、波長が合うところにテレビジョンのよ

うに釈迦の姿が現われたのであります。

 さて奈良の東大寺には大仏像が安置せられておりますが、大仏さんと云うのは、この千葉(せんよう)の蓮華(れんげ)

(千の花弁の附いている蓮華)の真中に毘盧遮那(びるしゃな)と云うところの仏さんがいらっしゃる姿を像にした

ものであります。毘盧遮那というのは、訳すると「光明遍照」という意味であります。「毘盧遮那仏」

と語尾に「仏」と云う字を附けたのは、人格化して「ビルシャナ」を取扱ったので「ビルシャナ」の

本来の意昧は光明遍照と云うことで「光華明彩(ひかりうるわ)しく六合(りくごう)に照り徹(とお)り」と云う意味でありまして、『日

本書紀』にある天照大御神のお姿その儘(まま)であります。それを古代印度の人は古代印度語で言うより仕

方がないから「ビルシャナ」と言ったのです。それを更に重訳する場合には、訳者の心持や時代の宗

教に従って、仏教的な用語を使って、大日如来とか毘盧遮那仏とか言ったのでありまして、「ビルシ

ャナ」そのものには「仏」と云う意味はなく、唯「光明遍照」の中心体という意味があるだけであり

ます。兎も角この「光明遍照」の中心体が宇宙の真中に坐(ましま)すことを、蓮華蔵世界の中心座たる蓮華王

座に「ビルシャナ」坐すと云うのであります。
<つづく>

1281復興G:2013/05/21(火) 12:41:27 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 20>

 この宇宙を蓮華蔵世界だと云いますことは、蓮華の中心には「皇(ス)」があるからであります。そして

奈良の大仏像の台座の近くへ寄って御覧になれば判りますが、その蓮華の千葉の花弁一つ一つにみん

な仏の国土があって、そこに釈迦がおられる。千葉の花弁の一枚一枚に釈迦がおられて、その千釈迦

が中心座のビルシャナ(即ち「光明遍照」の中心法体)の御徳を顕揚しているのでありまして、『梵

網(ぼんもう)経』や『華厳(けごん)経』にこの事が書いてあります。即ち釈迦は大宇宙の光明遍照の真理の御顕現にまし

ます天照大御神の御徳を顕揚するために出現せられました生長の家大神の化身化仏でありますから、

生長の家では、心に幽斎安置する仏様として釈迦を尊んでいるのであります。


 観世音菩薩と生長の家

 それから又生長の家の神様は仏教では観世音菩薩とも現われていらっしゃるのであります。これは

大阪の生長の家誌友連合会の会長をしていらっしゃいまして、今は既に故人となられましたが、門脇(かどわき)

観次郎と云う人がありました。この人は神戸高等商船学校の教授をしていらっしゃいましたが、停年

でお辞(や)めになり、函館市長の選挙に候補者になったりしていらっしゃいましたが、その時分に生長の

家にお触れになったのであります。そうして「貴方はそんな政界へ出て活躍しようなどと考えないで

自分の今持っている能力を活かして社会に献げるのが、生長の家の生き方ではないか」と私が申しま

したら政界に活躍する事を断念せられまして、自分は高等商船学校の教授であったのだから、海事に

は精通しているからというので、海事審判の弁護士を開業せられたのであります。そうして生長の家

にお入りになってから、慢性中耳炎、慢性胃病、神経痛がお治りになり、大変喜んでいらっしゃいま

したが、この門脇さんは前々から田中智学氏に就いて日蓮主義を学び、熱烈な『法華経』の信仰を持

っていらっしゃったのでありますが、その『法華経』の意味が『生命の實相』で一層精(くわ)しく判ったと

云ってお悦びになったのであります。『法華経』の中に、皆さん御存知の普門品(ふもんぼん)第二十五と云う処

に、観世音菩薩の功徳が詳しく書いてあります。従ってまた観音信仰であって、自宅に観世音菩薩を

祀っていられたのであります。

 生長の家に入ると共に『法華経』の意味愈々明らかになり不退転の堅信を得られましたので或る日

合掌神想観して「生長の家の神様の相(すがた)を拝まして下さい」と言って熱心に精神統一をしていらっしゃ

ったのであります。すると空中に観世音菩薩像がポッカリと現われました。「ほう生長の家の神様と

云うたら観世音菩薩か知ら?」と思われましたけれども、自分の妄想が描いた幻かも知れない。或は

自分は日蓮主義で、そうして『法華経』を信仰した観世音菩薩を邸内に祀っているのであるから、今

祀ってある観世音が出て来られたのかも知れぬ。それとも或は本当の生長の家の神様かも知れぬ。こ

の三つの解釈の仕方があるので、その頃阪神間の住吉村におりました私を訪ねて、「一体これは本当

に生長の家の神様でしょうか。この三つの解釈の何れが正しいのでしょう」と被仰いまして、私の意

見を求められたのでありますが、私は「生長の家の神様の神示にはどう書いてあるかと云うと、神は

姿形なきものである、とこう書いてありますから、本来は姿形なきものであるけれども、相手を済度

する為に相手に随って色々に現われられるのであります。だから貴方は妙法蓮華経を信じてそうして

観世音菩薩を祀っていられるから、此の人には観世音菩薩の相を以て現われれば信仰が深まって救わ

れるであろうと観音様の姿を現わされたのでしょう。観世音菩薩と云っても本来姿はなく、世の中の

音を観じてその音の姿に応じて三十三身に身を変じて救われるのですから、生長の家の神様が姿形が

ないと云われるのと同じでしょう」とそんな御返事をしておいたのであります。
<つづく>

1282復興G:2013/05/21(火) 12:42:30 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 21>

 それから私が東京へ移転しまして、門脇さんがその観世音菩薩のお姿を見てから三年程後に現行の

生長の家の徽章(きしょう)が出来上ったのであります。日本“神ながらの道”を現わす太陽が一番外側にあり、

次に仏教の卍(まんじ)があり、その真中に緑の星形の十字がある。これはキリスト教と、仏教と、日本神道と

一つに結び合って融け合っている象徴となるようなマークを作りたいと云って、当時帝展の審査員で

いらっしゃいました山根八春(やつはる)先生にお願い申上げて図案して貰ったのであります。七種類の図案を拵(こしら)

えて下さいましたが、「ここは、もう少しこうして下さい」と言って私からも助言して、少し直して出

来上つたのが、今の生長の家の徽章でありますが、銀製七宝琺瑯(ほうろう)焼付けのその徽章のメダルが出来上

りまして、それが大阪に到着しましたとき、生長の家大阪誌友連合会長の門脇さんがそれを御覧にな

りまして、「はあ不思議だ。このマークは見たことがある、何処かで見たことがある。ああ思い出し

た、これは三年程前に、生長の家の神様のお姿を拝まして下さいと言って念じた時に、瞑(つむ)っている目

の前にすっと現われられたところの観音様の宝冠の真中にこのマークが附いておった」と申されたの

であります。「ああこれでわかった、わかった、観音様は生長の家の神様であった」と門脇観次郎さ

んは大変お喜びになったのです。

 若しこの生長の家の徽章が前に拵えてあって、それからそんな観音様を見たのでありましたら値打

はないのです。何故かと云うと最初から徽章の形を知っているのなら、その知っている形が幻に混入

されて観音様の冠へそれが織込まれて、そんな幻を見たとも解釈できるのでありますけれども、三年

前に観音様の冠に生長の家のマークがちゃんと附いておったのを見て、それを忘れた頃に、人間界で

工夫して拵えた徽章が、三年前に見たのとソックリであり、それが観音様の宝冠に附いていたと云う

ところに価値があるのであります。

 生長の家の現象学の学説によりますと、現象界へ現われるよりも前に何事でも先ず現象以前の世界

で創造(つく)られる、それがやがて或る時間的空間的展開をなして現われて来るのだと云うのですが、この

現象はこの理論を実証しているのであります。このように三年前に観世音菩薩が示された通りに三年

後に生長の家の徽章が出来、しかも「生長の家の神様を拝まして下さい」と念ずると観世音菩薩が現

われられたと云うのですから、生長の家の神様は、仏教では観世音菩薩として現われられると云って

も間違はないと思うのであります。『般若心経』には観世音菩薩の行ぜられた深般若波羅蜜多行(じんはんにゃはらみたぎょう)と云

うのがありますが、これが神想観でありまして、後に発行された『詳説・神想観』に詳しく説明され

ている通りであります。尚、生長の家の神様が観世音菩薩と現われて示し給うた幾多の霊験功徳は余

りに多くて、唯今皆きまにお話し申上げることは出来ませんので、「観音霊験記」と云う一章を設け

て七月十日頃出版されます『おはなし読本』(編集部註・現在谷口雅春童話集5『幸福ものはだれ』)の中

に輯録(しゅうろく)することになりました。「おはなし」と云っても、その奇蹟が余り奇々怪々であるので一纒(まと)め

にすると面白いので『おはなし読本』としたのでありますが、すべて実際にあった物語なのでありま

すから信仰を高むる上にお読みになると必ず得るところがあります。
<つづく>

1283復興G:2013/05/21(火) 12:43:23 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 22>

 『法華経』の普門品を調えて功徳があるのも観世音の霊験に対する信が高まるからであります。兎(と)も

角(かく)今は釈迦如来の預言されたところの末法の世で、仏説の論議のみあって実際なき時代であります

が、その末法の世に教・行・信・証の四つながら揃ったところの、而も一宗一派に偏らず、他宗の冠

婚葬祭の儀式へ進出せず、内面的自覚によって功徳を得る教化運動として出現して末法の世を終末せ

しめ、新天新地を招来せしめ、地上に天国浄土を建設するための教化運動として出現したのが生長の

家であります。既に生長の家の教による功徳は、各自の祖先の宗教をそのまま信じながら起っている

のであって、これは、皆さん自分自身の生活に実現していられて夙(つと)に御承知のことであると存じま

す。まだ実現していられないとしましたら、それは皆さんが信仰を血となり肉となるように行じてお

られないからであります。「行ずる」と云うことは御飯を食べるのと同じことであります。皆さんが

お米の説明書を読んでも、いくらお米について知っても決して腹がふくれないのであります。これは

行じないからであります。お米の説明を聞いても、ビタミンBがいくらあると聞いても腹はふくれな

い。これは食べるという行事によって初めて吾々の血となり肉となるのであります。

 皆さんもこの生長の家の教を血となし肉となして、家庭生活の中に大調和を、隣人に対する愛を、

深切を、行じて行かれる時に、理窟は知らなくとも、一文不知の俗人でありましょうとも、皆さんの

生活に功徳と云うものが現われて来ることは、御飯をお喫(あが)りになって腹がふくれるほどに至極当り前

のことなのであります。本日の昼の講演はこれだけに致しておきます。

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 以上で、<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 速記録> (『神の真義とその理解』より) は終わりです。

 ご拝読、ありがとうございました。
 感謝 合掌

1284トキ:2013/05/21(火) 17:51:32 ID:r4B.BR0c
 復興G様、貴重な御文章をご呈示下さり、深く感謝申しあげます。

 拝読してまず感じたのが、昭和15年に行われたご講演なのに、ぜんぜん古さを感じないのです。
平成の御代でも、十分に通用し、また今後も通用する話だと感じたのです。また、たいへん重要な
意味を含むものだと感じます。

 実は、私が青年会に居た頃、お坊さんが何人か青年会の行事に参加された事を記憶しております。
 
 仏教に憧れ、僧侶になりたいと仏教系の大学を卒業し僧侶になった人は今でもいます。しかし、
僧侶の世界は世襲制に近く、親や親戚が僧侶で高い地位にいる人が優遇され、在家出身の僧侶は
「行事で座る場所すら差別される」という冷遇をされます。それ以上に、仏教の勉強ができると
思っても、僧侶の生活では儀式に終始し、本当の悟りを得る事ができない、と嘆いています。そ
ういう人が、谷口雅春先生のご本を拝読され、「本当の仏教が解った!」と感激されているのを
何回も見ています。

 たいへん素晴らしいご指導を賜り、深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1285ユタカ:2013/05/21(火) 17:52:51 ID:R1D4Jmeg
復興G様、今最初から全部読み終わりました。

大変な作業をご愛行下さいまして、誠にありがとうございました。。
大変勉強になりましたが、分からないところも多々ありますので、繰り返し繰り返し読ませていただきます。

しかし、今、教文社様に問い合わせた所、このご本は品切れだそうです、このような大切で、生長の家の信仰を持つ上で重要なことがこのように沢山書かれているのに、このテキストを使用して信徒になぜ勉強させないのかが不思議です。
20年も前から、品切れとなって、信徒の目に触れていないそうです。 

このような大切な事を勉強しなかったら、ただのご利益信仰や、現況のように、絵手紙を書いて満足して、又、エコやって自己満足の世界に入って、本来の使命を忘れてしまう、重大事件でしょう。。 ヤバイです。

教化部長は緊急にこの本で講話をすべし!! と思います。

復興G様、このような、素晴らしい本の紹介と謹写を有難うございます。 神様、有難うございます。

これからも生長の家を正しく学べます事を感謝いたします、そして、血となり肉となり次世代へつなぐ勇気と力とを与え給え。有難うございます。 合掌。

1286ユタカ:2013/05/21(火) 17:57:48 ID:R1D4Jmeg
大事なものは希少価値にして、その大切さを教えるために世に出さない神様の摂理なのですね。今、渇仰しながら皆さんと勉強するというこの事が大切なのでしょうね。。。

1287志恩:2013/05/21(火) 19:13:50 ID:.QY5jUA6
復興G様

谷口雅春先生が、昭和15年(1940年)4月9日に講演された
 〜「神の真義とその理解」〜

私も最初から最後まで、拝読させて頂きました。復興G様は、このような長文を、スキャナーでなく、
全部、謹写されましたそうで、
いつもながらの深いご愛念を、感謝致します。

これは、すごい内容でした。

雅春先生のお姿は、霊眼の開けたお方から見ると、(神、仏は、本来は姿形なきものであるけれども、)相手を済度
する為に相手に随って、色々な神様、仏様、観世音菩薩様そして、キリストのお姿の相を以て現われておられるのでした。

生長の家の徽章の意味も、語っておられますし、

雅春先生のお言葉ー

「むづかしい理屈は、分らなくとも、知らなくとも、どなたでも救われる。

生長の家の教を血となし肉となして、家庭生活の中に大調和を、隣人に対する愛を、

深切を、行じて行かれる時に、一文不知の俗人でありましょうとも、皆さんの

生活に功徳と云うものが現われて来ることは、御飯をお喫(あが)りになって腹がふくれるほどに 至極当り前に

・・・」、、とお説き下さってます。

このような貴重な著書が、
われわれ信徒の手に入らないとは・・・。

トキ様がおっしゃっておられますが、今、拝読しましても、全然古さを感じません。

ユタカ様が、おっしゃるように、
復興G 様に本のご紹介をして頂き、学べます事、大変、ありがたいことです。

そして、
ユタカ様曰く

「大事なものは希少価値にして、その大切さを教えるために世に出さない神様の摂理なのですね。
今、渇仰しながら皆さんと勉強するというこの事が大切なのでしょうね。。。」

そう来ましたか。^^

1288志恩:2013/05/21(火) 19:22:01 ID:.QY5jUA6
雅春先生は、1893,11,22生まれでおられますから、
上記、(昭和15年)1940,4,9は、
11月より前なので、【 46歳 】。

1289SAKURA:2013/05/21(火) 20:38:57 ID:BEUD3XFA
「復興G 様」へ  「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ  「誌友会の皆様」 ヘ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1246>>1248>>1252 の投稿の続きです。…が?
遅くなりまして申し訳御座いません…。今!“パソコン”の前に〜〜〜

話題が〜〜〜“ズレ”ますでしょうが? 
>>1259 「復興G 様 」から頂きました投稿から〜〜〜(本日の午前中の内容から)
当時の“時代…”を、垣間見る機会を頂き、感謝申し上げます…。

−−−「抜粋文」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>>私の高校時代は、生高連(生長の家高校生連盟)ができる十年ほど前のことで、生高連が結成された
昭和35年には、それを育成する青年会幹部になっていました。
日本に共産革命の嵐が吹き荒れ、日本丸は沈没しそうな大変な時代でした。<< (抜粋投稿)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

■【 昭和35年…… 】投稿の中の“コトバ…”に
「共産党の嵐が吹き荒れ…日本丸は沈没??しそうな時代」……この頃は、私は〜〜〜まだまだ!
幼少時代でしょうか〜〜〜?ですから〜〜〜?

当時を回想しますと、この頃は「亡き両親」にとりましては、当に!仕事上での…成長時代でしたかと。
それには〜〜〜
創立者「雅春先生…」の【生長の家…御教え】にふれました事が、当に【心の灯…】を。。。得る事となり、
如何に精神面での【羅針盤…】となりました事は、過言ではないと思いました。【この出会いに感謝!!】

■  【日本丸…沈没しそうな… ><】

此処頃は「安保改定阻止…闘争」・「全学連…(多々なる闘争運動)」此処九州では、特に「三池炭鉱問題」
もあり…そして「夕張炭鉱…問題」…etc… 【暗いネガチブ感情の多いイメ−ジ感】でしょうか?
尚!その頃の私は“幼少…”でしたが?それでも、個人的には【闘争!闘争!…このイメ−ジ】が、
確かに、脳裏にはシッカリと残っています…かと。

❤逆に、この【逆境…】が一つの“タ−ニングポイント”となり、
無限の力−−>エネルギ−を引き出し、人々の“心…”がさざれ石となり【経済復興…】に繋がっていく
のではないのでしょうかと?このようにも考えられますかと…。

                                     再合掌

Ps:「復興G様」へ 「トキ様」へ 「観覧者の皆様」へ 「誌友会の皆様」 へ

>>1252 「復興G 様 」から頂きました投稿…閲覧させて頂きまして…
その頃の「国際交流…」という表現になりますでしょうか〜〜〜?逆に、色々な体験により、
その人の「インド…(相手国)へのイメ−ジ」が、多々なる捉え方になりますかと。そのように感じました。
そして、当時の“和やかな思い出”を〜〜〜文章から感じる事となり感謝申し上げます。

ところで、此の事に付随しまして、私の知り合いの方が…やはり「日本国内へ来られたインド人の方」から受けました当時の“コトバ”を、フト!思い出しました…。(あまり時代としては〜〜〜変わらないのカモ?)
後程…投稿をさせて頂きたく思います。私自身は、あくまでも別の観点からの見方となりますでしょうかと?
そのように感じました…。(仕事の合間に〜合い間にて、投稿させて頂きたく思います。)

1290復興G:2013/05/21(火) 20:52:43 ID:AB6RqYXc

>>1284 :トキ様
>>1285>>1286 :ユタカ様
そして 皆々様

ありがとうございます。真剣に拝読、心読・霊読してくださいましたことに心から感謝します。ありがとうございます。

前記 <昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演の速記録> (『神の真義とその理解』より)を謹写掲示させて頂いたのは、
>>1052で 生長の家の「『教義の大綱』について」 という昭和15年に文部省に届け出られた文章をユタカ様がアップされ、

>>谷口雅春先生により、ここに教義の大綱が示されています。ここには生長の家発祥の根本が説かれています。
(中略) 生長の家は根本に「天皇国日本の国体を護持」する使命を持って実際運動をしていく宗教団体でなければなりません。その上で、人時処に相応した實相世界の至福を個人個人に実現し、以って社会全体、世界全体を實相世界の映しとして、天皇陛下を中心しとした一君万民の大調和世界を実現していく使命があります。そこの根本を失った時、生長の家は生長の家でなくなります。 そのために、今一度 『教義の大綱』 に帰って、谷口雅春先生のご意志をかみ締めたいものです。<<

と書かれた。それに対して a hope様が、
>>①これは、「生長の家」が(人類光明化のための)教化団体から宗教団体に移行するときに発表されたものなのですね。ということは、それ以前はこのような「教義の大綱」や「奉斎主神、安置仏等の称号」はなかったということでしょうか?
②「谷口雅春先生により、ここに教義の大綱が示されています。ここには生長の家発祥の根本が説かれています。…」と述べられていますが、この文章は誰が書かれたのでしょうか? << (>>1053

と質問された。
それに対して志恩様が
>>これにつきましては、復興G様、トキ様の方が、お詳しいと存じますけれど、このような「宗教関係に関する」一切合切は、谷口雅春先生ご自身が、考えられて、書かれてましたよね。<< (>>1054

と答えられていた。

それについて、正しく全相を知り、先生の本当のご意志をかみ締める機会であると思い、まず>>1064>>1065で届出文の全文を『生長の家三拾年史』から転載、次に>>1081>>1091で10回にわたり「昭和15年4月9日名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演の速記録」前半を謹写掲示させていただきました。

この前半のご講演速記録では、『教義の大綱』届出文は文部省の強い指導で作られたという経緯が詳細に明かされながら、生長の家の本尊主斎神宇宙大生命・副斎神生長の家大神=日本神話における住吉大神、別名塩椎神ということについて詳しく述べられています。
<つづく>

1291復興G:2013/05/21(火) 20:53:17 ID:AB6RqYXc

<つづき>
そして今日アップさせていただいた
>>1271>>1283では、生長の家大神がたびたび複数の人に同一神姿をあらわされたお話もありましたが、私が特に深い感銘を覚えたのは、

>>1278
>> 日本主義は結構でありますが、本当の日本主義は「八紘一宇」主義ですから、一切を包容する精神でなければなりません。狭く凝り固まった日本主義の人達の中には、天照大御神様を日本特有の神様であって外国の宗教の神仏と一緒にしてはならない、それは天照大御神の尊厳の冒涜になるとお考えになっている方もあるらしいのであります。特有とか特別とか申しますと何だか豪(えら)そうですけれども普遍性がないと云う事であり、地方的だと云う事であり、どの民族からも共通的に礼拝せられる宇宙的本尊とはなれないと云う事になり、神武天皇様の八紘一宇の理想から遠いと云う事になるのであります。八紘が「一宇」となったら、「日本特有」などと云うものはありませぬ。だから「日本特有」等と云う言葉を私は取除きたいのであります。天照大御神様はそんな小さい神でなしに、宇宙の大神であられる。他の宗教の神はことごとく、宇宙の大神の垂迹(すいじゃく)あそばされたものであるから、一切宗教の本当の本尊を拝むには天照大御神を礼拝すべきであると私たちは信じているのであります。そうすると、仏というもの、キリストと云うものも日本の神と同体の神であらせられるということになるのであります。<<

というところで、生長の家は、そして日本は、「万教帰一」で「八紘一宇」というところが大切な中心真理だと思いました。それが、>>1227『光明道中記』では

≪日本の哲学は包容帰一である。ヒトとは霊止(ひと)であり「理念止まる」である。全世界が一家庭たる理念降下し、義に於て君臣、理念に於て陛下の赤子である実相を知るとき、何人種と言えども既に日本人である。「日本を守る会」は他国と対立して、小さい現象日本国を守るのではない。天皇を中心に全世界が一家庭となる包容帰一の日本の理想を守る有志の懇談会である。≫

というご文章にもなっている。
その「万教帰一」は机上の空論でなく、実際に神姿あるいは釈迦仏、観世音菩薩のお姿として現れ、救いをもたらされるという現証を示してお話しされていて、締めくくりは
 ≪皆さんもこの生長の家の教を血となし肉となして、家庭生活の中に大調和を、隣人に対する愛を、深切を、行じて行かれる時に、理窟は知らなくとも、一文不知の俗人でありましょうとも、皆さんの生活に功徳と云うものが現われて来ることは、御飯をお喫(あが)りになって腹がふくれるほどに至極当り前のことなのであります。≫

と結ばれている。これを繰り返し拝読しわがものとして、生長の家出現の使命、地上天国実現の使命を果たして行きたいと思います。

1292復興G:2013/05/21(火) 21:07:05 ID:AB6RqYXc

前記 >>1290

志恩様・SAKURA様が抜けていました。拝読する前に打ち込んでいたものですから。ごめんなさい。

志恩様には、前に投稿されたご文章の削除をお願いしたりして、大変失礼しました。ごめんなさい。

それにも拘わらずご丁重なレス、ありがとうございました。

SAKURA様、つづきのご投稿をたのしみにしています。

1293a hope:2013/05/21(火) 23:22:46 ID:edEDolt2
みなさま、こんばんは。

こちらに何かコメントしようと思うのですが、次から次に、とても深い内容の投稿が続き、
わたしののペースでは、お話についていけなくてなかなかコメントできずにいます(汗)
復興Gさまの謹写してくださった、御文章は、プリントアウトして何度も拝読したいです。


大和精神(魂)につきましては、復興Gさまのお話や、みなさまのご投稿などを拝見して感じたのですが、
やはり本来の「大和魂」の意味は、『どんな状態にあっても心を乱すことなく相手の立場になって考えられる我のない心』、
また、『争いや混乱を好まずその場を調和させようとする心』、そんなことなのかな〜なんて思いました。

そして、今朝の神想観の時に、東日本大震災後の東北の方々のとられた行動を思い出していました。
自分が生きるか死ぬかわからないような混乱時であっても、略奪や犯罪行為がほとんどなく、
少ない食べものを分け合けあいながら、けっして思いやりの心を忘れなかった東北方々の姿は、
世界中の方々から賞賛され、尊敬されていましたよね。

わたしは、あの東北の方々のとった行動こそ、「大和魂」だったのではないかと思います。
そしてそれは、わたしたち人間が誰でも持っている「実相」のことなのではないかと思ったのです。

なぜなら、世界中の人が、東北の人々のその行動の報道を見て、感動して、賞賛して日本人を尊敬してくれたからです。
「日本人はあんな非常時にも、列を守って食べ物を奪わないなんて、なんて愚かな人種なんだ!」なんて声は上がりませんでしたよね?

わたしは、「大和魂」を持っているのは、けっして日本人だけではないと思っています。
実相が顕現してくれば、中国人だって、韓国人だって、ロシア人だって、世界中のどこの国の人だって、
「大和魂」で行動するのだと思います。

それを、実現させるのが「生長の家」の使命であり、住吉の大神のお働きなのではないのでしょうか?

わたしは、まだ、復興Gさまが謹写してくださった御文章の後半部分はしっかりと拝読していませんが、
その前半部分を拝読しても、生命の實相を拝読しても、谷口雅春先生はそういうことをおっしゃっているようにしか思えません。

ところで、また質問をさせていただきますが、本流の方々がおっしゃっている、
「天皇国日本の實相顕現運動」とは、具体的にはどのようなことをされているのでしょうか?

「日本国の実相」が顕現すれば、確かに世界平和にもつながるかもしれません。
ですが、「生長の家の教え」から外れた心で運動をしていても、それが実現するとはわたしは思いません。

「生長の家の教え」の基本は「大調和」ですよね。
「生長の家」自体が大調和もしてないのに、どうして「日本国の實相顕現」を実現できるのでしょう?
どうして、「自然との大調和」が実現できるのでしょう?

そんなことは、「大調和」した後のお話なのではないかとわたしは思います。

1294志恩:2013/05/22(水) 09:17:45 ID:.QY5jUA6
a hope様

ahope様の質問ー
>>ところで、また質問をさせていただきますが、本流の方々がおっしゃっている、
「天皇国日本の實相顕現運動」とは、具体的にはどのようなことをされているのでしょうか?

「日本国の実相」が顕現すれば、確かに世界平和にもつながるかもしれません。
ですが、「生長の家の教え」から外れた心で運動をしていても、それが実現するとはわたしは思いません。

「生長の家の教え」の基本は「大調和」ですよね。
「生長の家」自体が大調和もしてないのに、どうして「日本国の實相顕現」を実現できるのでしょう?
どうして、「自然との大調和」が実現できるのでしょう?

そんなことは、「大調和」した後のお話なのではないかとわたしは思います。 <<

と、また次なる いい質問 をされてますが、
これは、次回(5/25)の、ユタカ様の自主勉強会の折りの【宿題】にされたらいかがかしら。

私は、大幹部じゃなかったし、漠然とは分っていたのですが、改めて、理論的にここで説明せよ、ということに
なりますと、ここをご覧の皆様に、納得していただけるようには、正しくは、話せないのです。

また、復興G様、トキ様、ユタカ様はじめ皆様に教えて 頂きたい側です。

1295復興G:2013/05/22(水) 09:21:13 ID:AB6RqYXc

>>1293 :a hope様。

a hope様らしいレスが出てきましたね。

皆様からの反応、ご感想も待ちたいと思います。

ありがとうございます。

1296志恩:2013/05/22(水) 09:38:19 ID:.QY5jUA6
復興G様

今日は、ご在宅でしたか。よかった。^^
もしも、お時間がおありでしたら、a hope様の質問、、教えてくださいませ。

私は、分らないときは、復興G様の胸を借りて、遠慮なく反論させて頂くこともございますし、
間違った答も言う場合もありますが、大目に見て下さい。

ネットで、山ちゃん1952様とアクエリアン様が「日本国実相顕現」について、
(大部前の日付け)語りあっておられましたので、貼付させて頂きます。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9792/1233840446/l50

そういう私は、
今日は、これから、行くところもありますし、多忙のため、昼は,入れないと思います。
夜、拝見します。合掌

1297ユタカ:2013/05/22(水) 11:30:34 ID:R1D4Jmeg
こんにちは、

皆様、ユタカも今週は23〜25日夜まで多忙なので、26日にまた出てきます。

生命の実相の範囲は各自で読んで、素晴らしいと思ったところのページと行を書いても謹写でも自由にやりましょう。

a hopeさまの天皇国日本実相顕現運動とは何か??の討論も自由にやっていきましょう。私にとっての「日本国実相顕現運動はこうであった」など・・・体験談など、青年会で100万運動された方の体験談など、募集します!!
いろいろな事を書き込んで、皆さんで楽しくやりましょう。。。
ユタカも、時間をみて短文でチョコチョコ出て来れればいいですが。

日本実相顕現運動にこだわらないで、見た、生長の家の運動と言うことでもいいですね
普段、誌友会に参加されていない方でも、どなたでもOKです、どんどん書き込んでみてください。

また、復興G様の「神の真義とその理解」を読んでの感想やそれぞれ地元であったエピソードなども書いてください。よろしくお願いします。

トキ様、復興G様、志恩様、皆様、上記のように開門しましたが、、、どうでしょうか?? ご意見、修正がありましたらお願いいたします。

1298ユタカ:2013/05/22(水) 11:33:51 ID:R1D4Jmeg
a hopeさまが 具体的な運動とおっしゃっているので、皆様が地元でどんな動きをしていたかを書いたら分かりやすいと思ったのです。

ユタカも時間をみつけて、チョコチョコ書きます。26日まで忙しいので、すみません。。。

1299a hope:2013/05/22(水) 11:36:48 ID:edEDolt2
みなさま こんにちは。

志恩さま、復興Gさま ユタカさま、コメントありがとうございます。

わたしのこの>>1293の質問には、まずは、是非、本流の先輩方やからのお返事がいただきたいです。
「靖国見真会」参加者さまや、元本部職員Dさまいかがでしょうか?
もちろん、その他の本流の先輩方でも大歓迎です。

またアクエリアンさま、山ちゃんさまなどのご意見も是非伺いたいです。
(名前の呼びかけをして申し訳ありません。今回だけはお許しください)

「学ぶ会」さまや「ときみつる會」さまは、「天皇国實相顕現」のために現在どのような運動をされているのですか?
また、教団から信徒がそちらに流れて、そちらの「会」が大きくなられたら、その運動をどのように展開されるおつもりなのですか?
「生長の家の教え」を真剣に学びたいと思っている新人のわたしにもわかるように、具体的にご指導くださいませんか?

本当に、質問ばかりして申し訳ありませんが、わたしは本当によくわからないのです。
聖典「生命の實相」や他の雅春先生のご著書を拝読してお勉強すればするほど本流にしても教団にしても今の「生長の家」の現状が、
矛盾だらけのような気がしてしまうのです。

こちらで、本流の先輩方かたのお返事がいただけないのであれば、後ほど、わたしは自分のこの質問を、
光明掲示板に掲載させていただくつもりでいます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

今日はこれから仕事ですので、わたしも夜戻ります。

1300ユタカ:2013/05/22(水) 12:18:54 ID:R1D4Jmeg
みなさま、ありがとうございます。

すみません、ユタカが体験談の募集をしてしまいました。現在個人的に静かに運動しておられる方や各団体にご迷惑をかけるといけませんので、体験談募集はやめます。
先日も、誌恩さまのちょっとした体験談も復興G様から削除要請ありました例もありますので。また、身バレして各方面からのいたずら電話などを回避するため>1297・1298は取りやめにします。
a hopeさま、具体的な運動を知りたいようなので、すみませんが、個人的に山ちゃんさんのブログに行ったり、本流青年会のところに童子さんが当時の生長の家の講演会の録音筆写がアップされていますのでそれを読んでみたり、
アクエリアン様のブログにも沢山かかれておられます。充分に資料は巷にあるので、ご自分であちこちにいって勉強してきてください。

それか、トキさまに直接メールで運動の内容を訊いてみては?また、谷口雅春先生を学ぶ会 副代表 前原先生 03−5829−6410 です。 とても親切に教えてくださいます。 

あとは、生長の家の総裁谷口純子先生も青年会運動されていたそうですし、また、本部の先生にそういう方を見つけてメールで直接当時の方からお聞きください、WEBでは乗せられない事も話してくれるかも???

ときみつる会の連絡先は、自力でお探しください。

あと、生長の家の教えは、今、復興G様、が全力でここでご講義して下さっていますから、再度繰り返し読んでください。
これからも、続きますし・・・

では、よろしくお願いします。

1301神の子さん:2013/05/22(水) 12:31:53 ID:O5Zq8uUA

>>1299

この掲示板で論を交わし、意見等を尋ねることが、いけないとは言わないが、学ぶ会やときみつる会が日本国實相顕現のためにどのような運動をしているか、どのようなスタンスで活動を行っているか、掲示板で人に頼るばかりでなく、いい加減自分の足で動いて、電話かけるなり、学ぶ会本部に出向いていくなり、学ぶ会やときみつる会の誌友になって、自分の眼で確かめたらどうですか?
わからないから、掲示板で人に尋ねる頼るばかりでは、自分の生長になりませんよ。

その道の先輩に尋ねて学ぶことはあるでしょうが、いい加減自分の足で動いたらいかがですか?

私もあなたと同じように矛盾感じて何にもわからなかった、
だから、学ぶ会にもときみつる会にも入会し、勉強しわからないことは、電話で直接先生に教わりました。

あなたはいつまでも、「生長の家新人の私にも」と書いていらっしゃるが、生長の家新人という言葉に甘えないで欲しい。
光明掲示板は、ときみつる会や学ぶ会専属掲示板ではない。

あなたが自分の眼で確かめ、自分の足で動いて学ばれることを望みます。

1302トキ:2013/05/22(水) 14:56:57 ID:YstzgC7U
>.1301

 ご投稿ありがとうございます。

 貴重なご意見を賜り、深く感謝申し上げます。

 ただ、掲示板の管理人という立場では、 a hope様のご投稿は、議論の端緒になるので、
有難く感じています。また、ベテランと言われる人から見たら当たり前と思える点も
新人さんの視点で指摘されると、新しい発見になる事もあります。

 また、a hope様がそういう疑問を感じる、という事は、同じような疑問を持つ人が
多数背後におられる、という事ですから、その返答を書くのは、多くの人に役に立つか
と思います。

 個人的には、質問を受けるので、考え、調べ、勉強するというインセンティブになる
ので、その意味では、a hope様のご質問は、個人的には、これからも歓迎したいと思っています。

合掌 ありがとうございます

1303神の子さん:2013/05/22(水) 15:17:42 ID:ZTt15T/6
>>1302

誰も、a hopeさんがこの掲示板で質問したり意見するなと言っておりません。
閲覧していて、あまりに依頼心の強い傾向を感じるまでです。
自ら動いて、直接に学ぶ会などに聞こう尋ねようという姿が見られません。
学ぶ会やときみつる会に尋ねて、こうであったと…その上で皆さんに情報提供したり、学ぶ会やときみつる会に直接に尋ねて聞いて、こんな学びがありましたよという報告や、前向きな話があればまた、違ってくるのではありませんか?

1305解説者:2013/05/22(水) 15:32:19 ID:YstzgC7U
>>1293
>>1299

a hope様

 生長の家の運動、「人類光明化運動」は、人類が暗いから明るくするために行うというものではないと思います。まず、すでにアル世界、すなわち「實相世界」を認め、祈り、伝えていくものだと思い、活動していきました。私は100万部運動はリアルタイムで経験してはいませんが、谷口清超先生の時代に活動をしていました。

「日本国實相顕現」については、本流対策室/5の988にて「靖国見真会」参加者様とのやりとりの中で、谷口清超先生御講話「無限供給を実現する」の一部を紹介させていただきました。以下に転載させていただきます。

「(前略)天皇陛下は満州事変のときから、『満州事変を拡大してはいけない』と。大東亜戦争なんかも賛成しておられないですね。『アメリカとはもっと和平交渉をずっと続けなさい』というようなことを常に仰有っておられた。天皇陛下というのは、“権益主義”じゃないんです。“神様第一主義”です。主義という言葉を使うとすれば。神様のことを祈られているのが天皇家のお役目でございましてね、今でもそうですが政治的な、その当時は中心者でもあらせられたけども、名目はそうでも実際は政治は結局政治家がやったんです。それに委ねられて、そしてそういう人々の結論をご承認なさるというような政治を執られたんですね。それで結局国の政治家や軍人は皆、権益を第一にしたんですよ。神 様の御心を第一にというのはね、なかったんですなぁ。愛国心に燃えたことは燃えたけども、神様の御心を第一にしてるんじゃない。満州は絶対に護ると。それから、今までの支那大陸に布陣した戦力は絶対に引かないと。撤退するなんてもってのほかであると。その権益を認めろと。特殊権益とか、今でも既成事実を認めろと。そういう行き方で交渉が破裂しまして、そして大東亜戦争に…。そして、そりゃもう最初からだめな見通しがだいぶあったから、だからもうだめになる。それでいざという時になって、これ以上戦争をしても本土決戦になるばかりというときになって初めて天皇様にどうしたらよろしゅうございますかって聞いて、お伺いを立てる状態になった。自分たちはどうすることももうできません 。それで天皇陛下は『どうあっても戦争は止める』ということを仰有ったわけですよ。最初から戦争に反対でらっしゃたのに。だから愛国心は非常に皆、持っておったんだけども、ただ単なる愛国心だけではだめだというのはそういうことなんです。つまり、その神様の御心に基づく、国を愛する心ならよろしいわけですね。だから戦後はね、その天皇様の御心を直接聞いて政治をするような状態になっていませんから、国民の大部分が神様の御心を祈る。神想観をする。そういうことのできる状態へ、できるだけ沢山の方がそうできるように、宗教心が拡がっていくことが必要なんですね。(後略)」

神意を第一とする生き方=天皇陛下の大御心を生きる人々を増やすことが「日本国實相顕現」につながるのだと思います。

感謝合掌

1306トキ:2013/05/22(水) 15:33:48 ID:YstzgC7U
>>1305

 解説者様が、掲示板のシステム上の理由で投稿できなかったので、ご依頼により、トキが代理で投稿しました。

ご理解下さい。

合掌 ありがとうございます

1307「訊け」管理人:2013/05/22(水) 15:39:19 ID:???


>>1303


 ところで掲示板での問い合わせが依頼心ならば、「各種会」への問い合わせは依頼心にならぬのですか?

 実に不思議な話です。




追伸

 すみません。いやこのご意見ですが、一見正解のようで実は「勘違い」があると思われます。a hopeさんの設問は、「よほど自分で考えていないとたどりつけない種類」の、そんなものと確信致します。つまり、「依頼心故の設問」とは、とても思えないものです。

 一例だけにしますが、「日本国の實相顕現」って、たぶん貴女も定義できては、おられないと察します。違いますか?たとえば、衆生(国民)を迷っていると見て救済に乗り出す運動であれば、それは、「少なくとも〝生長の家〟で言うところの神はイナイ」運動になります。さりとて衆生を完全と観るのであれば、「運動なんて不要では?」になるはずなのです。そうではありませんか。

 ですので、a hopeさんの設問は、余程重要なものです。同時に「よほど自分で考えていないとたどりつけない種類」の、そんなものと確信致します。

1308神の子さん:2013/05/22(水) 16:12:05 ID:mxq.SRLE
>>1307

わからないなら、実際に自ら行動に移すということが申し上げたかったのです。
ここでahopeさんが、発言し尋ねたら、同じ悩みを持つ人は勉強にはなるでしょう。しかし、そこまでの話です。
私は、ahopeさんのために発言しました。
貴方に発言したわけではありません。
学ぶ会やときみつる会が、どのように日本国の実相顕現を思っているかは、直接に問い合わせれば済む話です。
貴方に、私が日本国の実相顕現を理解できているかどうかは、余計な世話です。

1309トキ:2013/05/22(水) 16:12:59 ID:YstzgC7U
 活動、とくに青年会の活動はやって良かったと思います。仕事や学業での経験よりも、幅の広い経験ができましたし、その
意味では、こういう貴重な経験をさせていただいた事を感謝しています。ただ、ある程度、活動をしていると、悩む事も多々
あり、中には他の仲間に尋ねにくい質問もありました。

 こういう匿名掲示板の場合、そういう質問もできるので、その意味では役に立つかは思っています。

今、時間がないので、短い内容でごめんなさい。

合掌 ありがとうございます

1310神の子さん:2013/05/22(水) 16:23:37 ID:???
>>130の神の子様

学ぶ会とときみつる会に両方入会される意味はなんでしょうか?入ってみてわかったことはございますか?感想をお聞かせ願いたいですが?

よろしくお願いいたします。

1311神の子さん:2013/05/22(水) 16:27:31 ID:SLik4wD2
>>1310

いまから夜勤しなければなりませんので、休憩時間に書き込めたら書き込みます。

1312ユタカ:2013/05/22(水) 16:31:25 ID:R1D4Jmeg
a hopeさまは具体的な運動を知りたいとおっしゃっておられます。

私は、どんな本をどんな数値目標を出して、どこで配布して、それによってどんな効果がでて、それからどうなっていったか??

と、当時はどんな風に、白鳩や青年会、相愛会が運動していたかを聞きたいと受け取ったのですが・・・?

違いますか??

トキ様が良いとおっしゃるので、どなたか、差し支えない程度で、当時にどんな動きをされたのか・・・書かれて下さい。

たとえば、仕事をおえてから本部の印刷室を借りてチラシを創ったり、それを駅で配布した・・・とか具体的な運動をかける方がいたら・・・

でも、書いたら、身バレしますよね・・・・

1313ユタカ:2013/05/22(水) 16:45:39 ID:R1D4Jmeg
トキさまへ
>>1308
>学ぶ会やときみつる会が、どのように日本国の実相顕現を思っているかは、直接に問い合わせれば済む話です。

すみませんが、私も>>1308の神の子様の意見に賛成します。
学ぶ会様やときみつる会様の運動方針に関しましては、ここで間違ったことを語っては、ご迷惑をかけることになりかねませんので。
そういう質問は直接、学ぶ会様、ときみつる会様へお問い合わせください。 と思います。

問い合わせて、感じたことをここで発表することは、私達の勉強になります。
ですので、確実な運動目標などは直接団体に問い合わせして頂きたいです。

1314「訊け」管理人:2013/05/22(水) 16:47:21 ID:???


 a hopeさんの設問は、言い換えればこんなものだと思います。

 「日本国の實相顕現運動」ですが、いったいどんなものなんですか?いやだって、

○衆生(国民)も「迷うもの」として救済に乗り出しては、それは生長の家の神では「ない」ですよね?
○(かと云って)「衆生は既に完全である」そう観るのであれば、運動って不要ですよね?

 こんなものです。少なくとも、彼女の設問背景を類推するに・・・・・いやこれって、よほど重要な問題だと思います。




1315ユタカ:2013/05/22(水) 16:49:56 ID:R1D4Jmeg
トキさま、
>>1309 どんな運動をしているときに、何をして、悩みにぶつかって、どう解決されたのでしょうか?

差し支えなければ教えてください。

それが、具体的な運動の内容になると思うのですが??

1316ユタカ:2013/05/22(水) 17:03:57 ID:R1D4Jmeg
神意を実現する人類光明化運動、実相顕現運動ですよ。
御教えを伝道すると言う事が具体的な運動だと思ってそれを根底に私はずーっと話していました。
間違えていたらどなたか訂正ください。

>○衆生(国民)も「迷うもの」として救済に乗り出しては、それは生長の家の神では「ない」ですよね?
迷っている人と思って救済するのではなく「神の子」として祝福しに街へ伝道しに行くのです。以前に楠本先生の伝道物語を紹介しました。


>○(かと云って)「衆生は既に完全である」そう観るのであれば、運動って不要ですよね?

完全円満な神の子だから、街にでて、当時の神誌をもって、すでに完全である衆生の神の子さんを「祝福し、讃嘆し」にいくのが生長の家の伝道でありまして、そのことや、講演会、ラジオ放送など全部含めて人類光明化運動、日本実相顕現運動と言うのだと思います。

間違えていたら、諸先輩方のご指導をお願いいたします。

1317「訊け」管理人:2013/05/22(水) 17:09:58 ID:???


>>1314補足


 この>>1314の他にも、以下が「日本国の實相顕現運動」に関連して語られております。ところで復興Gさまご謹写文『神の真義とその理解』ですが、同書より判断するに、以下のことが言えるのではないでしょうか。それは、

○ 「天皇信仰こそが生長の家である」これは正解でしょう。
○ (同時にこうも言えましょう。)「天皇を語らないのは、生長の家に〝非ず〟」とは、暴論である。(※)

 上記二点も整理したうえで>>1314設問に移れば、議論が錯綜せぬものと思います。現時点。あくまでも私見ですがa hopeさんの設問は、>>1314の如くだと思います。(間違っていたら、ご指摘ください)


<註>

※ 「天皇を語らないのは、生長の家に〝非ず〟」とは、暴論である。

 『神の真義とその理解』の他頁も拝読致しました。ここでは雅春先生ですが恰も、「天皇だけが生長の家では〝ない〟のだよ」ということを、多々述べられておられる印象を持ちました。たとえば「観世音菩薩と生長の家」「釋迦牟尼仏と生長の家」「イエスと生長の家」や「阿弥陀仏と住吉大神のご関係」等々、いろいろな切り口(真理の方便)があることを、我々にお示しくださっておられます。恰も「誤解なきように」と云われんばかりの、そんな詳説さでもありました。

 さて天皇信仰ですが確かに、当局への届出にはそう記入されたでしょう。(不敬事件で弾圧された「大本教の余波」もあったでしょう)でも、「それだけではないのですよ」と雅春先生は、我々に語っておられる気が致します。まとめますが、「生長の家は天皇信仰です」が、同時にこうも言えます。「天皇以外にも、真理を語る切り口はある」と。(ですのでもしも、「天皇を語らないのは、生長の家に〝非ず〟」と云う方あらば、それは間違いの可能性大だと思います)

1318トキ:2013/05/22(水) 17:19:19 ID:YstzgC7U
>>1315

 私が青年会時代は、まだ、谷口雅春先生の直弟子の方々がご健在でした。私のような
若造が尋ねると、親切にいろいろと教えて下さりました。

 そういう方々の中には、こっそりと、行き過ぎた運動は良くない、とか、谷口雅春先生の
ご真意はこうだよ、と教えて下さった方がおられました。

 また、そういう先達の指導は理屈にもかなっており、無理も無駄もなく、長期的な視野に
たったものでした。

 ただ、これは私の場合はそうだった、という事でして、この経験を一般論化するつもりは
ありません。

1319ユタカ:2013/05/22(水) 17:19:46 ID:R1D4Jmeg
時間がなくての書き込みですみません。

伝道の礼拝>1316に 礼拝し祝福し讃嘆しに、街に出て行く、と、「礼拝」を付け加えます。すみません。

1320SAKURA:2013/05/22(水) 20:56:17 ID:BEUD3XFA
「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ  「誌友会の皆様」 ヘ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■□ 今日の投稿…討論から〜〜失礼ながら【現総裁雅宣先生…擁護派】として…「一言…」投稿させて頂きます。

■「a hope 様」の“投稿内容…”から?気になりましたので投稿させて頂きます…。
以前から「a hope 様」自身より頂きました“コトバ…”に、この方自身は、私の文章を全く読む事も?又…理解出来
ないという主旨の“コトバ…”を頂いておりますので…今回の“投稿内容…”からも、その様に感じられましたでしょうかと。
きっと〜〜〜読まれていないのでしょう。…その判断で、投稿をすすめさせて頂きます。…が?

さて!以前より、私の“投稿文章…”は、或る程度の義務教育…日本人でしたら、誰しもが?おおかたの方は、
或る面、多少なりとも理解出来るはずなのですが〜〜?それに…正直申しますと?「理解力…」も左右しますでしょうか?
相手の全てを理解する事は?正直! その“コトバの一言一句…”を〜〜〜難しい点でもありますかと。
しかしながら?其処に「相手へ…此の人には伝えたい」という感情があれば?其処にそれなりの“行動…伝達文”を、

■そうしますと〜〜〜「海外の皆様方…」は〜〜〜?特に、同じ「アジア圏…東南アジアの方」に於きましては、
私の“投稿文章”は、理解できないのではとも思います。また、その様にも、思えるのですが〜〜〜???
過去の歴史観からの〜〜〜「日本国」に対して思いは?その深層部に於きましては?その様に考えさせられます。

余談ですが?それは、ある時の出来事です。「ネット…」で検索しておりまして【香水…】を〜〜〜超安値!!(微笑)
すぐさま“注文…”しましたのです。もっと詳しく言いますと【ネット・オークション販売…】でした。…が?そこの「販売
ショップの担当者」から、私の“文章投稿”が解らず?読めないと言います。と言いますのは?私自身がそのショップ相手への質問…
メールで、数回!メール送信を致しましたのです。

ところが…やっと「返信メール」が来たのは良いのですが〜〜〜【おばけ文字…】のようにみえて、理解出来ないと…
このような主旨の“メール”を頂く事になりました。そこで…私の「日本語の使い方」のどの点が理解しずらいのでしょう
〜〜〜かと?疑問が生じまして、NANCYさんが、相手のショップへ電話をしますと〜〜〜電話口の向こうからの
相手の話し方で、“話し方が〜〜〜?”どうも、向こうの方のようです。それにて判断致し、「日本語の理解度…」が
文章表現となりますと“簡単用語の日本語”でしたら〜〜〜、しかも、こみいった“表現…”になりますと、理解度は?
??でしたから、しかも「記号の使い方」が理解出来ないとか?言われましたのです。…が?

                                           つづく

1321SAKURA:2013/05/22(水) 20:59:16 ID:BEUD3XFA
「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ  「誌友会の皆様」 ヘ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1320 続き投稿です…。

■此の事は?逆に言いますと【英語…】に関しても??考えさせられる事となりますのです。…が?

逆に!白人の「知人…」に聴きますと、この方は、ブラジルの方です。…が?「日本語!更に…記号の使い方?or
その使用タイミング的?には理解出来ると言っています。ですから、どこまでの“理解力…” 人によりけりなのかと、
疑問になってきます。…が???逆に、ドイツの知人は、“日本語…”は達者で、さらに“日本語を正統的に勉強”され
ていますから、こちらの方が逆に、知らない事があり…私にとりまして、“ためになる事”を、教えてくれる位ですが??
実に〜〜〜恥ずかしい“お話…”ですが?
(捉え方の観点が〜〜〜オモシロイ!と申しましょうか〜〜〜?)
さて!このように「 a hope様 」から、常日頃と言いましょうか?読み切れないという捉え方をされていますし、
どうかしますと〜〜〜“インテンショナリ?かと?”思う点もありますのです〜〜〜が???
                                                
さて!本題に戻りますが〜〜〜

■ 【大和魂…】は、個人的に、前回流しましたが、やはり「生長の家の生高連の歌…」に、創立者であります
「谷口雅春先生」が、その“こころ…”を、全て“コトバ…”として、私ども「団魂・断崖世代」に託された表現であるかと…。
尚!「復興G 様」も…「生学連の歌…歌詞」を、昨年…“投稿…”されておられました。…が?

実に!【日本人としての大和魂】この真髄の全てが入っていますから、まず!この歌…「生高連の歌」の歌詞を、
よく理解していましたら??或いは?理解しようという“こころ…”がありましたならば…果たして…
こような…“表現投稿”になりますのかと〜〜〜疑問を、抱いてしまいました…。どう考えましても??
このような“表現コメント…”は、まず!ないモノとおもうハズですが???

もう一度…この“歌の中身…”を、“コトバ…一言一句の意味をかみしめながら…閲覧されましての”中身の討論…“を
されたらいいのではないでしょうかと??

■本当に 【 生 長 の 家 の 真 理 】を学ぼう〜〜〜という “その想い??”が何処までなのでしょうかと? 
いろいろ考えながら〜〜〜                                               

つづく

1322ユタカ:2013/05/22(水) 21:01:15 ID:R1D4Jmeg
>>1314 1317 は>>1316で回答しました。 間違えていたら諸先輩方、訂正をお願いいたします。

>>1318 トキさま、ありがとうございます。 良い先輩にご指導を受けられて良かったですね。
当時の運動の無理とはどのような無理があったのですか?
夜に時間をとられるとか?神誌の部数が過度に多いとかですか?

1323SAKURA:2013/05/22(水) 21:04:54 ID:BEUD3XFA

「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ  「誌友会の皆様」 ヘ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1320>>1321続き投稿です…。続き投稿です…。

■では〜〜〜もう一度流します。これにて、本当に【日本国…日本人…としての大和魂】の重みを、かみしめながら
創立者「雅春先生のこころ…願い」を、私ども…【断魂・断崖…世代へ託されました願い…】を、理解してほしいのですが???

>>1259 「復興G 様 」の投稿内容を閲覧させて頂きながら〜〜〜
「昭和35年…云々…」そうなのです〜〜〜ョネ!【安保闘争…日本丸沈没…】この“コトバ”には…嬉しく思いました。
と言いますのは…これこそ【日本人の自覚…日本国の自覚】…感じた次第です。余談ですが???「ユタカ様」の
投稿の中に“気をそそる…”投稿文章が在りましたが〜〜〜後程…投稿したく思ったのです。…が?

■□ 「生高連の歌…」
一、
日出ずるくに  たぐいなき
六合を兼ね  連邦の
みやこをひらき  八紘は
兄弟なりと  宣言し
神武建国  三千年


この国日本  高ひかる
やまとの国に  生を享け
大和の理想の 実現に
精進せんと 溌溂の
わかきいのちの  高校生


正大の気を   神に享け
大和の理想を  国に享け
愛国の情   父に享け
人類愛を   母に享け
光明思想を   師にまなび


われら青年  けがれざる
わかきいのちを  純粋に
民族の使命  実現に
邁進せんと  集まれる
聖愛の使途  高校生


われら日本に  うまれたる
民族の使命  わすれずに
正をやしない  皇国(すめくに)に
身を献(ささ)げんと  ちかいたる
愛国の使途  高校生

六、 
おお日のもとに  生を享け
みことの自覚を  祖神(みおや)より
承け嗣ぎ来りし  悦びを
宣べ伝うべき  選士たち
真理の御子われ  高校生

七、 
こころあかるく  身を清く
悦びを宣べ  世を照らし
光輪卍字(まんじ) 十字架の
万教帰一の  旗のもと
平和の真理を  宣ベンかな
平和の真理を  宣ベンかな
                   
ps:
「復興G 様」から頂いております…【貴重なテキスト…】に関して…後程…折々“感じました事…”・“質問…”…etc
 させて頂きたく思いました。

1324SAKURA:2013/05/22(水) 21:09:01 ID:BEUD3XFA
「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ  「誌友会の皆様」 ヘ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1320>>1321>>1323続き投稿です…。

ーーー「投稿 抜粋」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>>わたしは、「大和魂」を持っているのは、けっして日本人だけではないと思っています。
実相が顕現してくれば、中国人だって、韓国人だって、ロシア人だって、世界中のどこの国の人だって、
「大和魂」で行動するのだと思います。<<

>>大和精神(魂)につきましては、復興Gさまのお話や、みなさまのご投稿などを拝見して感じたのですが、
やはり本来の「大和魂」の意味は、『どんな状態にあっても心を乱すことなく相手の立場になって考えられる我のない心』、また、『争いや混乱を好まずその場を調和させようとする心』、そんなことなのかな〜なんて思いました。>>(抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

■「 a hope様 」の上記の文章から、本当に〜〜〜????なのでしょうか〜〜〜??

最初に〜〜〜
創立者「雅春先生」は【日本国…】この【国…】をこよなく愛されまして…更に、現総裁雅宣先生も〜〜〜しかりかと。
【機関誌 6月】に記載投稿されています “文章…”があります。
「復興G様」もおっしゃつていらっしゃいましたように【昭和35年前後…】この頃は〜〜〜

安保闘争…!全学連…!そして三池炭鉱闘争…炭坑の方々の闘争の時代です。…が?逆に!
「愛国精神…」と言いますか、当に「政治混乱の時期」でもあり…【日本国…】の認識は〜〜“万人”の心に、
それぞれの“かなりの想い…”が在りましたかと…そのように、思いますかと。

−ーー「現総裁雅宣先生 一部抜粋文」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 
>>…中略…
【国としてどう対応すべきかの方策を論理的に説かれたのが谷口雅春先生だった。また、
日本の文化・伝統が西洋に比較しても劣ることものではない…むしろ優れた点を多く持っている事を説かれ…云々
当時の“右側”の人々に自信と勇気を与えられ…
その意味では、生政連や当時の政治運動は臨機の対応としては必要だったのである。】<< (一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

上記のように、或る面は認められています…。

従いまして……【日本国…日本人…大和魂とは〜〜〜平和の願い(平和のシンボルとしての鳩!!)】でしょうか?
今また…個人的には【日本丸…沈没】に成りかねない???陰りが〜〜〜><少しづつ押し寄せてきていますのでは?
その様に思う点があります…。
                                      つづく

1325トキ:2013/05/22(水) 21:21:21 ID:YstzgC7U
>>1322

 これは自分の主観的な意見で、一般論にするのは不適当であるのは最初にお断りします。

 運動目標が厳しかったですね。特に、講習会と神誌の数には組織は厳しかったです。

 例えば、大きな悩みを持っている人を時間をかけて救うよりも、手短かに数を集めるほうが
評価されるきらいはありました。これが行き過ぎると、例えば、講習会にピザの宅配を頼んで
その配達の人に名前と住所を書いてもらうとか、神誌などは購読したはいいが、読まれないと
いう事態もあったようです。さすがに、私の教区は、そこまではした経験はないですが、そう
いう噂は他の教区の人からはよく聞きました。

 谷口雅春先生の直弟子の先生方は、こういう「悪弊」には、はっきりと「間違っている」と
言われていました。

 熱意が行き過ぎたためかと思いますが、やはり、こういう小さな逸脱が重なって、今日の
騒動に至ったのではないか、と思っています。

1326トキ:2013/05/22(水) 21:22:05 ID:YstzgC7U
SAKURA様、横切ってすみませんでした。
また、ご参加を歓迎します。

1327志恩:2013/05/22(水) 21:43:09 ID:.QY5jUA6
SAKURA様

SAKURA様がご紹介下さった雅宣総裁のご文章
ーー「現総裁雅宣先生 一部抜粋文」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 
>>…中略…
【国としてどう対応すべきかの方策を論理的に説かれたのが谷口雅春先生だった。また、
日本の文化・伝統が西洋に比較しても劣ることものではない…むしろ優れた点を多く持っている事を説かれ…云々
当時の“右側”の人々に自信と勇気を与えられ…
その意味では、生政連や当時の政治運動は臨機の対応としては必要だったのである。】<< (一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

上記の文も、そうですが、雅宣総裁のご文章には、いつもながら、天皇陛下についての記載は、ありません。

谷口雅春先生の大理想とは、

「私たちは、もっと人間の実相の素晴らしさ、日本国の実相の素晴らしさ、天皇陛下の実相そのものを、

【頭でなく、全身全霊で学び、そして、それに気づいて】

そのような生長の家の根本的な教えを広め
我々は日本の国の実相を明るい積極的な言葉の力によって輝き出し、


それを、日本人として、若い人にそして子々孫々に伝えていく責任があるのであるから、
教団幹部の人も一般信徒も勇気を持ってそれを叫んでほしい。」

ということだと、私は、思います。     つづく

1328SAKURA:2013/05/22(水) 22:14:07 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1320>>1321>>1323>>1324 の続き投稿です…。

■【WEB 誌友会】での話から、「生学連…」の当時の“活動状態…”を、見ていました。ボンヤリ〜♫
実は〜〜〜【聖典の投稿文…】と、思った矢先に…同じ名前…のこの人物像…【 荒木 栄 氏 】
たまたま【 荒木栄日系人の活動… 】が、知りたく【検索…】しますと、不思議なのです〜〜〜ョネ!

■この方が…【三池炭鉱…闘争に関与】していらっしゃる〜〜〜“ビックリ“です。

【同姓同名…の名前】が、しかも〜〜〜なんとこの方は【共産党に途中で入会!!】したようですかと。
更に【Tub…での画像】を見ていきますと、複雑なる想いが致しました…。失礼ながら〜〜〜個人的には、
当時の「生学連の活動」は、如何しても【憲法改正運動…】ですかと。このインパクト感が強いのです。

さて!!もう一人の【同姓同名…の名前】であります「荒木さん…」は〜〜〜!!

■□「復興G様」も【昭和35年……】当時の事を…私に ”お返事投稿“ いただきました中から〜〜〜
>> 共産党の嵐の吹き荒れる…云々…「 日本は沈没 」にちかい …云々 << 
【 三池炭鉱の当時の闘争が〜〜〜すごく!! 】その時、この方々は、“歌〜♫〜”にたくしながら〜〜〜
「闘う姿勢…」それは思いますに、当時の第一次産業…当に経済復興の基盤といえます「炭鉱の仕事の誇り」を
持っている【三池の従業員の使命…】から、そこから〜〜〜彼らは【企業側の三井の汚い政策(労働条件…etc)に
対して闘う事】だったのでしょうか??そこには?❤【日々の生活面での幸福論たる願い】が〜〜〜それは
人間としての…日本国民としての基本的人権問題も含め…当前なる“願い…”かと思います…。

■更に!思い出したのです。…が?確か〜「三井…」が関連していたとの〜〜〜“記憶”があるのです。
…が?それは〜〜〜
【満州事変…】これに関し?その“戦争勃発のきっかけ…”を作った事…それは?ある朝鮮人の方が…
この事に関連していましたとの“記事内容…”を、東京在住の時、知ったのですが??この事は有名ですョネ?

さて!ここ彼らは【国の誇り…】もあり、しかも、当時「三池炭鉱」の方々は、確か?そこは【天皇崇拝者…】が
多かったようです。…が?実際に、戦後すぐ…日本復興にて…「昭和天皇」も「三池炭鉱…」にも立ち寄られましたかと…。
【 何故!!如何して!!次第に〜〜〜「共産党より…><」に入って行く事に???成りましたのでしょうか?】

この事は「復興G様」も…【共産党の嵐…がふきあれ】この事を…【昭和35年…前後】の時代背景を…教えて
いただく事となりましたのです…。 この事も…踏まえまして…考えて参りますと〜〜〜

                             つづく

1329志恩:2013/05/22(水) 22:22:51 ID:.QY5jUA6
つづき〜

「『生長の家』がこの地上に顕現し、
「神の子・人間」『実相国・日本』の真理が宣布されたのは、

 単に個人の肉体の病気治しや金儲けのためではなく、 国家の救済と全世界の浄化をするお役目があるからである。」と教わりました。

また、   
「宇宙の浄化の原理ともいうべき神様が住吉大神で、

住吉大神が、 伊邪那岐神様、宇宙創造の神様、宇宙浄化の 禊ぎ祓いの 最後の浄化の神様 として出て来られた。

上、中、下と、みずから秩序ある相に分かれて、

人類はみな、神の生命”の顕現で一体であるけれども、みな個性があって、

日本民族は日本民族として、他の国に並びのない天皇国家というそういう理念を持っていて、

他国に類例のない素晴らしい美しい中心帰一の国家を創った。

そういう個性あるアイディアを実現する使命を持って生まれたのが日本民族。

日本は、中心帰一の『神の国の構図』を現しており、

天皇陛下を中心に戴く日本の実相を正しく把握するとともに、東西文化の融合を図り、
世界平和に貢献する。大和の国”としての役割を果たしていく極めて重要な使命がある。」

とも、教えられて参りました。

「日本実相顕現運動」とは、
戦後、日教組により、反日本的、天皇排撃的な教育をうけたきた日本人に対して、
歴史的霊的意義を携えられて、神意を生きておられる日本国の天皇陛下の実相や

日本民族の優秀性を説く事により、この世の暗黒を消し、光をあらわし、この世界を住吉の世界に変える運動をいうのだと私は思います。

「神の子・人間」という真理と合わせて、「実相国・日本」を把握することにより

日本人を、自虐思想という眠れる魂から目覚めさせる、魂の啓蒙運動を 日本人類に宣布し広めることを

「日本国実相顕現運動」というのだと思っております。

1330志恩:2013/05/22(水) 22:27:54 ID:.QY5jUA6
世界平和への道は、

民心の崩壊、伝統の崩壊・・・と、

日本が滅んでは世界の平和もありません。

「生長の家」の我々は、そのことを自覚しなければならないときでは、ないでしょうか・・

1331志恩:2013/05/22(水) 22:36:25 ID:.QY5jUA6
トキ様、SAKURA様の投稿文、拝見しました。

SAKURA様は、頭もいいし、本当に勉強家ですね。
誌友会に参加されて、うれしいです。

トキ様
いくら、使命の大きい運動でも、無理と、やりすぎは、いけませんよね。

すべてを教訓に!!

1332SAKURA:2013/05/22(水) 22:44:50 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1320>>1321>>1323>>1324>>1328 の続き投稿です…。

■長編音楽ドキュメンタリー「荒木栄の歌が聞こえる」予告編
http://www.youtube.com/watch?v=_V7HKeD3ho0 
http://www.youtube.com/watch?v=n-D09b2myPQ 地底の歌

此処から、更に〜〜〜“疑問…”が、生じました。
当時の【福岡…での大牟田!筑豊!方面での道場……】は、かなり“立派なる建物“との記憶があります…。

■□「生長の家の活動体制…生学連」 VS 「三池炭鉱…従業員」の関連性は〜〜〜??と…
私自身の考えが〜〜〜このようになっていくのです。

そして、不思議に思う次第なのです。…が?本当に【大牟田の生長の家の道場…】もあり、そして
さらには【久留米にも生長の家の道場…】が在りましたのです。当然ながら“信者の方々…”も多く
本当に今思い出しましても〜〜〜実に【おおきな建物…】でしたのです。…が?

「生長の家の教え…」が先程の【三池炭鉱…闘争】の【Tub…】を閲覧して頂きますと…【 信者の救済…】より
余りにも【憲法改正…運動】に入って行く−−>政治運動…活動体制に入り過ぎたこの【ひずみ…】が、
ある面では【マイナス要素…】になりましたのではないのでしょうか?確かに【 憲法改正 は、大事です!】
…が?当時の彼らは、まず!【生活面での幸福論が重大な問題…】でしたから〜〜〜当然ですョネ!!
ここから『真理…を学ぶ…導く…』事がある面では?優先すべき問題でもありましたでしょうか〜〜〜
「信者…」を顧みずにの【運動展開論…】が、余りにも急激なる【憲法改正運動…】に思えてなりません…。

■ 参考に…【 同姓同名の荒木 栄 様の歌〜♫ 】の当時の闘争…三池炭鉱時代が見えてきます…。
これも「現象の展開…」ですが〜〜〜やはり当時の彼らの【切なる願い…】とは??と思うのです。…が???

                                       再合掌

PS:「トキ様」の今日の【聖典投稿…】により、やはり“ストライキは金持ちにはなれな〜〜い???”
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2306 トキ様投稿文より
まさに当たっていますかと…思った次第です。
そして【 【Tub…での画像】にて…【学ぶ会…】の文字が〜〜〜

PPS:  続き投稿〜〜”を…明日…にと…

1333a hope:2013/05/22(水) 23:01:40 ID:edEDolt2
>>1300ユタカさま

<<a hopeさま、具体的な運動を知りたいようなので、すみませんが、個人的に山ちゃんさんのブログに行ったり、本流青年会のところに童子さんが当時の生長の家の講演会の録音筆写がアップされていますのでそれを読んでみたり、
アクエリアン様のブログにも沢山かかれておられます。充分に資料は巷にあるので、ご自分であちこちにいって勉強してきてください。>>

わたしは、過去の生長の家の運動を知りたいのではないのです。

>>1299でも書きましたが
<<「学ぶ会」さまや「ときみつる會」さまは、「天皇国實相顕現」のために現在どのような運動をされているのですか?
また、教団から信徒がそちらに流れて、そちらの「会」が大きくなられたら、その運動をどのように展開されるおつもりなのですか?>>

ということが知りたいのです。


それに、>>1301>>1303神の子さんも、わたしが直接学ぶ会やときみつる會に質問するように、ご指摘くださってるようですが、
でも、もしわたしが本当に学ぶ会さまやときみつる會さまに直接連絡して、
この掲示板でした内容と同じ内容のの質問をしたら、わたしが身バレしてしまうではないですか・・・。

それに、わたしは数年前まで、大の宗教団体(特に新興宗教)嫌いで、そう簡単に宗教団体に直接連絡する気にはなれないのです。
元に、「生命の實相」に魂を震わせて、「生長の家」だったら間違いないと確信して現教団に入信したのに、
実際の教えは、「今の教え」で大変な目にあった経験がありますので・・・。


わたしは、このトキ掲示板で「生長の家」のお勉強させていただいているうちに、一連の疑問がわいてきたのです。
>>1302でこの掲示板のトキさまがわたしのこのような投稿は、「有難い」とおっしゃってくだっているので、
これからも、疑問に思うことはどんどん質問させていただきます。



>>1305解説者さま

解説者さまのご意見には、毎回、同意・賛同させていただくことが本当に多いです。
今回は、また清超先生の素晴らしい御文章を紹介してくださりありがとうございます。

<<神意を第一とする生き方=天皇陛下の大御心を生きる人々を増やすことが「日本国實相顕現」につながるのだと思います。>>
わたしも、そのように感じています。
わたしたち日本人が「生長の家」の「人間神の子・唯神実相」の真理に目覚め、神意を第一と考えるようになれば、
しぜんに本来神である天皇に中心帰一し、そしてそれが「日本国實相顕現」につながって行くのだとわたしは思っています。

1334a hope:2013/05/22(水) 23:03:45 ID:edEDolt2
>>1314>>1317訊け管理人さま

<<a hopeさんの設問は、言い換えればこんなものだと思います。
「日本国の實相顕現運動」ですが、いったいどんなものなんですか?
○衆生(国民)も「迷うもの」として救済に乗り出しては、それは生長の家の神では「ない」ですよね?
○(かと云って)「衆生は既に完全である」そう観るのであれば、運動って不要ですよね?>>

その通りです。ありがとうございます。合掌。
「生長の家の教え」で人々が救われるのは、「人間神の子・唯神実相」の大真理を自覚するからだとわたしは思っています。


ですから、>>1316でユタカさまがおっしゃっているように「天皇国日本の實相顕現運動」というのが、

<<完全円満な神の子だから、街にでて、当時の神誌をもって、すでに完全である衆生の神の子さんを「祝福し、讃嘆し」にいくのが生長の家の伝道でありまして、
そのことや、講演会、ラジオ放送など全部含めて人類光明化運動、日本実相顕現運動と言うのだと思います。>>

というようなものでしたらわたしも理解できます。
ですが、なんか、本流の方々がおっしゃっているのはちょっと違うような気がしてしまうのですよ。
「七つの光明宣言」を実行すべく人類光明化運動と日本実相顕現運動が、別々に存在するような違和感を感じてしまうのです。

そして、>>1317の訊け管理人さまのご意見には、すべて賛同させていただきます。
「生長の家の教え」は世界中の人々に信仰されてきたのですから、天皇信仰だけをかたていてはそれはありえなかったと思います。

やっぱり、「万教帰一」が「生長の家の教え」の神髄ですよね!


SAKURAさま

a hopeへのご忠告、ご意見、をありがとうございます。
以前も言いましたが、わたしは、家庭もありますし、仕事もしていて、この掲示板のすべての方々のご投稿を拝見するのは不可能です。
ですが、a hope宛のご投稿には、必ずお返事させていただきます。

今回のSAKURAさまのご投稿内容は、特に a hope宛というわけでもないようなので、
内容へのお返事は控えさせていただきますね。

このweb誌友会板のSAKURAさまのご投稿は、すべて拝見してお勉強させていただいています。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

1335志恩:2013/05/22(水) 23:19:59 ID:.QY5jUA6
 A HOPE 様

私は、「学ぶ会」誌と、「心のかけはし」誌(ときみつる会)の 二つの誌友です。
「学ぶ会」と「ときみつる会」に入って(誌友でも、入ったことになるの?)

どこがよかったかと、どなたかが質問されてましたが、とにかく、内容が深くて濃くてジューシー、
フレッシュなところが、いいところです。

「日本国実相顕現・鎮護国家・・」の特集が、「学ぶ会」誌、今年の2月号に掲載されてました。
(今回は、そこからは、引用していませんけれど)

「心のかけはし」にも、元々の教えや、様々ないいお話が、満載です。

ですから、あちらとしては、すでに教えているのに、教えてくれとは、どういうこと?
と、思われるでしょう。

ですから、ここの掲示板に来て、教えてください。というのは、どうでしょうね。
または、光明掲示板に貼ったとしましょう。
答えは。「学ぶ」誌にありますよ、と言われますよ。

神の子様が、いわれてましたが、教えて下さいと、呼び寄せるのは私も、それは、ちょっと失礼に当たるかな、と思いました。

なぜなら、ネットで調べただけでも、
本流関係の方々は、いままで、全力をあげて、それらについての教えを、しんせつに 膨大な量を、
教えて下さって、書いておられるからです。

ですから、ユタカさまも、おっしゃってますが、
わからない点は、まず、最初に、ここの掲示板で大先輩でおられる復興G様にお尋ねし、まだ知りたい場合は、

「学ぶ会」誌、「心のかけはし」を、私のように、購読して自ら学ばれたり、
或は、ネットでしらべてみたりされたほうが、いいと思いました。

それでもって、まだわからなかったら、それからのちに、聞いてみればいいと思います。

そうでないと、折角、教えて下さってる大先輩の復興G様に対しても、大変失礼ではないでしょうか。
なんか、復興G様じゃ、力不足よ!と言ってるみたいで。

あちらのお方が、自主的にいらして下さるならいざしらず、という感じが、私はしました。

話、戻しますが、
昔の本流掲示板を、調べただけでも、

「天皇信仰・日本国実相顕現」特集が,掲載されてます。

これは、初代、掲示板に載っていたのを集約して載せたとありますから、
初代に投稿されてた訊けさんの、訊けさんでないような別人みたいな文も載ってました。

なんと、訊けさんが、まるで、本流の人みたいな まじめ〜な書き込みをされていて、
興味津々で読みました。(笑)

もちろん、山ちゃん様はじめ多くの方々の書き込みも…。

以下、本流掲示板を貼らせて頂きます。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
天皇信仰・日本国実相顕現 (244)

日時:2011年03月29日 (火) 18時04分
名前:伝統
先々代の”生長の家本流復活宣言掲示板1”に掲示されていた天皇信仰に関する情報を、このスレッドに集約し、掲示しておきます。

http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=71

1336志恩:2013/05/22(水) 23:26:13 ID:.QY5jUA6
AHOPE様

今、「学ぶ会」や「ときみつる会」では、どのような運動をしているかということですが、
伊勢練成会や講演会でそのことを宣布したり、雑誌に毎号かいて、啓蒙運動をされてるでは、
ありませんか。多くの方々に、全身全霊で気づいて頂くための、

そのような運動をされてますよ。

なにも運動とは、個別訪問したり、小旗を手に持って、昔のように行進することでは、ありませんから。

1337志恩:2013/05/22(水) 23:34:45 ID:.QY5jUA6
まだ,スタートして間もないですが、支部も全国に広がっており、白鳩会、青年会も
スタートしました。

そこで、学び合いながら、地道に宣布されるのだと思います。

日本だけでなく、ブラジル、他にもひろがりつつあります。

ブラジルでは【谷口雅春先生教会】という建物も建設する予定だと、
ブラジルから全国大会に参加されておられたムラハラ氏が、壇上で話されました。

1338元本部職員D:2013/05/22(水) 23:44:48 ID:YmdVLAi.
>>ところで、また質問をさせていただきますが、本流の方々がおっしゃっている、
「天皇国日本の實相顕現運動」とは、具体的にはどのようなことをされているのでしょうか?

この質問を読んで考え込んでしまいました。「天皇国日本の實相顕現運動」という言葉は
あまり聞いたことがないからです。日本国の実相が顕現した姿が「天皇国日本」であると私は信じてきたので
それを繋げた言葉に誰がおっしゃったのか首をかしげました。たぶん誤植だとは思いますが・・・

 さて、私がこの設問を発見した時すぐに浮かんできたのが「大日本神国観」の念ずるコトバでした。
実際に運動を起こす中心となる祈りが、ここに凝縮して現れていると感じます。と・・・書いても最近の信徒さんは
「大日本神国観」をご存じない(総本山ですら最近実修が止められたとか)かもしれませんので念ずるコトバを書きます。
瞑目合掌すると読めませんので目を見開いて認識ください(笑)

「吾れ今五官の世界を去って実相の世界に入る」
「遥々と目路の限りに眺むるに十方世界悉く神なり、吾十方世界を礼拝す」
「天よありがとう、地よありがとう、空気よありがとう火よ水よ冷たさよ天地一切のもの神の顕れであります、ありがとうございます」

「中央にすめらみことの御座(ぎょざ)あり、すめらみこと高御座に座し給う。皇祖皇祖の御神霊ともなり。」
「これをめぐりて百官もろもろの司あり、すめらみことに向いて礼拝し奉行し奉る」
「十方に八百万の神々あり護国の英霊あり、十方の諸仏あり、諸天あり、すめらみこと向かい手礼拝し守護し奉る。」
「すめらみことの御座より御光さし出てあまねく六合に照り徹らせり。」
「六合照徹光明遍照六合照徹光明遍照すべての生きとしいけるものすべての青人草すめらみことを仰ぎ見て礼拝し讃嘆し
感謝し奉る。」
「天皇陛下ありがとうございます 皇祖皇宗の御神霊ありがとうございます 百官もろもろの司様ありがとうございます 十方、八百万の神々様、護国の英霊様ありがとうございますありがとうございます
ありがとうございます十方の諸仏・諸天様ありがとうございます
すでに大宇宙の救済は成就せり。
實相・現象渾然一体、實相・現象渾然一体・・・(繰返す)
みこころの天に成る世界既に地に成就せり、ありがとうございますありがとうございます。」   世界平和の祈りへ続く・・・

金波羅華實相の完全円満の姿、地上に隈なく反映し実現して中心帰一、万物調和の永久平和の世界今現ず。
一切の生物ところわ得て争う者なく相食むものなく、病むものなく苦しむものなく乏しきものなし。・・・の世界実現のために、この日の本に金波羅華實相をすなわち「天皇国日本」を現わすことが
日本国実相顕現運動であるということです。すめらみくにを現わす運動でありますから、当然それを阻害する占領憲法を正統な憲法にしていかなければならず、それを無視したりましてや護憲派
の多くいる民主党を応援したり、鎮護国家を誓願から外し、ここにある神想観・「大日本神国観」を信徒の前から消そうとする現在の教団の方向性は間違っているのです。
本流を目指している諸団体は、これらを護り抜くための運動とも言えます。
具体的な運動として何をするのかはそれぞれの団体にお尋ねください。

1339a hope:2013/05/22(水) 23:47:35 ID:edEDolt2
志恩さま

志恩さまの>>1327>>1329>>1330のご投稿を拝見せず、>>1333>>1334の内容を投稿しました。
今夜はもう遅いので、そのあとのわたし宛のご投稿などへのお返事は、明日以降にさせていただきます。

本当に、色々ご指導いただきありがとうございます。

感謝 合掌。

1340志恩:2013/05/23(木) 00:02:41 ID:.QY5jUA6
A HOPE様(小文字がどういうわけが、今夜はでないのです。)

元本部職員D様が、お越し下さいましたよ。よかったですね。

A HOPE様の熱意が届いたのでしょう。^^

「大日本神国観」を教えて下さいましたね。

運動して、実相を作り出すのではなく、すでにある「実相国・日本」に
頭だけでなく、全身全霊で、気づくことですから、この祈りは、短いし、簡潔でいいです。
私も、祈っている祈りです。
以前、トキ様も毎朝、これを読誦されてると、おっしゃってました。

それから、
上に貼らせていただいた
本流掲示板に、復興G様も多く、書き込んで下さってますよ。

おやすみなさい。いい夢を!!

1341志恩:2013/05/23(木) 00:08:12 ID:.QY5jUA6
本流掲示板に謹写されてる
コスモス様の、途中7897からの
雅春先生・「大和理念としての日本国」も、
勉強になります。ご一読を。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=953

1342志恩:2013/05/23(木) 00:22:11 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生の教えは、神の御心が最も完全にあらわれた「神の子・人間」と合わせて

「実相国・日本」を護持せよ、という教えでありました。

しかし、

雅宣総裁は「谷口雅春先生の言葉は真理そのものではない」(不立文字)、

「谷口雅春先生の、真理そのものではない言葉を文字通りに信じて実践すると原理主義に陥る危険性がある」(原理主義の危険性)

という〝今の教え〟を説き、かつ、谷口雅春先生の愛国の聖典を絶版処分にしてしまいました。


そもそも生長の家の原点は〝真理の言葉〟によって世界人類を光明化する運動でありました。

それにもかかわらず

生長の家創始者である谷口雅春先生の〝真理の言葉〟に対して「不立文字」「(雅春)原理主義の危険性」を説き、

かつ、谷口雅春先生の愛国聖典を、ほとんど絶版処分にしてしまうことは、生長の家それ自体の自殺をもたらしかねないと

心ある信徒達は、案じまして、立ち上がったのです。

1343元本部職員D:2013/05/23(木) 00:51:21 ID:YmdVLAi.
こ参考

天皇中心理念の顕現としての日本国家 谷口雅春


 外国の国家のうちには、人民が集って協議して、自己防衛のための団体をつくり、その人民群の福利のための信託組合のような形で、国家が形成されたのがずいぶんあるようであります。

 しかしそのような国家形成の原理を、日本民族国家の形成にまで当てはめて考えることは間違いなのであります。

 この間違いの原理を、国家形成の「普遍の原理」だなどと称して、日本に押しつけたのが、現行の占領憲法であります。

 日本国家の形成は、天照大御神の天孫降臨の神勅(みことのり)にある如く、天照大御神がその大御心の中に、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は世々わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」という

 日本国家形成の個性ある根本原型が設計せられ、その精神的原型(すなわち理念)が天降って、その理念の具象化として、神武天皇の建国となり、

 爾来、二千六百三十年にわたって、日本にのみ存在するこの個性ある天皇中心国家が、連綿として継続して来たことは、

 それが人類普遍の個性なき国家形成の原理に従って、機械的に形成された国家でないからこそであり、それが天授の国家理念の具体化であればこそ、

 このように天皇中心制度が二千六百三十年にもわたって継続し得たのであります。これは他国に比類なきことであります。

1344kaminoko:2013/05/23(木) 07:24:10 ID:LgxbmUx2
>>1340
志恩 さまー

CapsLockを押されたからでは?
もう一度押して試してみて下さい。

1345神の子さん:2013/05/23(木) 07:52:36 ID:VacxY56A
時間が少し出来たので書き込みます。
昨日夕刻、どなたかが、学ぶ会とときみつる会両方に入る意味は何かという類いの質問がありました。

生長の家に不信を思ったからです。生命の實相を学びたいから、とにかく調べたのです。それで、この眼で確かめようと両方に入りました。
学ぶ会誌友と学ぶ会会員とときみつる会でこころのかけはし誌をとっています。
両誌とも内容が濃いです。ときみつる誌は、雅春師の昔の昔の神誌から、掲載されている内容が多いです。
学ぶ誌は、聞きたい話がここにあるという感じです。

私はこういう掲示板の存在を否定しません。
実際にわからないなら、直接に問い合わせよう…そして問い合わせ学んだことを、ここで報告し参加の皆さんと話せば、より参加者の成長につながります。
この掲示板でいるかいないか知りませんが、中には真理を利用して個人的な持論を展開し、真理からかけ離れた説明をする者もいます。
わからない内容に対する、雅春師のご文章だけでいいのです。
わからない内容の質問者に対応する、雅春師のご文章でいいのです。
真理を利用した、個人的な持論が、質問した者にとって「真理だ」と勘違いしてはなりません。
「ここに雅春師のこういう言葉がありますよ」と。それだけでいいではないですか。
何もかも、指導してもらい教えてもらうだけじゃ、ボケてしまいますよ。
しかし、ここには指導をされている優秀な講師の先生がおられるようですから、この板で学ぶ以上、まずは先にその先生に質問することが、筋ではないかと思いますがね…。

他の意見を読まず書き込みました。

1346志恩:2013/05/23(木) 08:07:45 ID:.QY5jUA6
kaminoko 様、ありがとうございます。今朝は直ってます。今度そうなったとき、それでやってみます。

1347神の子さん:2013/05/23(木) 09:27:04 ID:???
>>1306
事後報告ですか…

1348ユタカ:2013/05/23(木) 09:31:55 ID:R1D4Jmeg
元本部職員D様、はじめまして、ユタカと申します。よろしくお願いいたします。

元本部職員D様がおっしゃっていた、天皇国日本実相顕現などと書き込んだのは、多分、ユタカだと思います。
他にも、間違っていたらすみません。 今回はグッドタイミングにご登場を有難うございます。

私は、人類光明化運動・日本国実相顕現運動を「伝道」の事とばかり思っていました、青年会の100万部運動とかが、そうなのだ!と思い込んでいました。。。
憲法改正運動も聞いたことがあったのですが、それと、これは別々にあるものだとして、全然結びついていなかったので、元本部職員D様のおかげで、「点」が「線」になってハッキリすっきり理解できました。ありがとうございました。

そう、分かって来ると、生長の家はなぜ、政治から手を引いたのかなぁ? 政治連合をやめてはいけないのではないですか?
日本の実相顕現をするために、憲法を改正するなら政治からですよね? 生政連が取りやめになるころから、もうすでに、生長の家は考えがおかしくなって、雅宣総裁の出現でハッキリと生長の家の教団の火が消えた事が明らかになって、それで学ぶ会、諸団体が出現してきたのですね。

全部クリアーになってすっきりしたーーー、ありがとうございます。

a hopeさま、ユタカが間違えた事を書いてすみませんでした。。

1349a hope:2013/05/23(木) 09:59:19 ID:edEDolt2
志恩さま

>>1327>>1329の御投稿は、SAKURAさま宛のもののようですが、拝見してとても分かりやすく端的に、
まとめて説明してくださっていてありがたいです。
わたしは、「生長の家」の愛国、天皇信仰、古事記等、には、今とても興味があって、お勉強の最中です。
ですから、志恩さまのおっしゃっていることは、すべてではありませんが、理解させていただいているつもりです。
特に
<<「日本実相顕現運動」とは、
戦後、日教組により、反日本的、天皇排撃的な教育をうけたきた日本人に対して、
歴史的霊的意義を携えられて、神意を生きておられる日本国の天皇陛下の実相や
日本民族の優秀性を説く事により、この世の暗黒を消し、光をあらわし、
この世界を住吉の世界に変える運動をいうのだと私は思います。
「神の子・人間」という真理と合わせて、「実相国・日本」を把握することにより
日本人を、自虐思想という眠れる魂から目覚めさせる、魂の啓蒙運動を 日本人類に宣布し広めることを
「日本国実相顕現運動」というのだと思っております。 >>

この部分は、本流の方々の本意であると理解させていただきました。

そして、>>1336で志恩さまは、
<<今、「学ぶ会」や「ときみつる会」では、どのような運動をしているかということですが、
伊勢練成会や講演会でそのことを宣布したり、雑誌に毎号かいて、啓蒙運動をされてるでは、
ありませんか。多くの方々に、全身全霊で気づいて頂くための、そのような運動をされてますよ。
なにも運動とは、個別訪問したり、小旗を手に持って、昔のように行進することでは、ありませんから。 >>

と、お答えしてくださっています。
ご丁寧にご指導いただき、ありがとうございます。 合掌。

1350a hope:2013/05/23(木) 10:00:53 ID:edEDolt2
>>1338 >>1343元本部職員Dさま

お返事を、ありがとうございます。

まず、「天皇国日本の實相顕現運動」という言葉に関してですが、
学ぶ会さま運営の「光の進軍」サイトの中にあったので、そのまま、使用させていただきました。
以下、転載させていただきます。

ーーーーーーーーーーーー
「谷口雅春先生を学ぶ会」の理念

尊師谷口雅春先生のみ教えを忠実に学び継承し、
広く普及伝達する。
立教の原点に立って光明化運動を推進展開し、
「本流復活・天皇国日本の實相顕現」を目指す。
ーーーーーーーーーーー
http://hikarinoshingun.giri.jp/00-toppage/0005kai-rinen/manabu-kai-rinen.htm



素晴らしい「大日本神国観」の念ずるコトバをご謹写くださりありがとうございます。
「すめらみこと」とは、とても美し響の言葉ですね。
辞書検索をすると
『天皇(てんのう)を敬い尊んでいう語。すべらみこと。』
とありました。
わたしは、最近、聖経「続真理の吟唱」を購入し、拝読し始めました。

今、ちょうどこの掲示板でもお勉強させている生長の家の神さま【住吉大神】を讃える祈りが序編にあり、
それを拝読せせていただくと、その祈りの言葉の美しさと力強さに、毎朝感動して魂を震わせています。
わたしにも、「天皇国日本」の素晴らしさがわからないわけではないのです。

そして、
<<金波羅華實相の完全円満の姿、地上に隈なく反映し実現して中心帰一、万物調和の永久平和の世界今現ず。
一切の生物ところわ得て争う者なく相食むものなく、病むものなく苦しむものなく乏しきものなし。
・・・の世界実現のために、この日の本に金波羅華實相をすなわち「天皇国日本」を現わすことが日本国実相顕現運動であるということです。
すめらみくにを現わす運動でありますから、当然それを阻害する占領憲法を正統な憲法にしていかなければならず、それを無視したりましてや護憲派
の多くいる民主党を応援したり、鎮護国家を誓願から外し、ここにある神想観・「大日本神国観」を信徒の前から消そうとする現在の教団の方向性は間違っているのです。
本流を目指している諸団体は、これらを護り抜くための運動とも言えます。
具体的な運動として何をするのかはそれぞれの団体にお尋ねください。 >>

この部分が、わたしの質問へのお答えですね。
>>1343の「天皇中心理念の顕現としての日本国家」の雅春先生の御文章なども参考にさせていただきました。
そして、本流の先輩方のお気持ちは、だいたい理解させていただくことが出来たと思います。
心のこもったお返事いただきまして心より感謝いたします。合掌。

1351a hope:2013/05/23(木) 10:23:31 ID:edEDolt2
みなさま たくさんのご意見、ご指導をありがとうございます。
とてもお勉強になります。

学ぶ会さまや、ときみつる會さまが、具体的にどのような運動をされているのかというわたしの質問ですが、
わたしが、直接各団体さまに、電話をかけたりして問い合わせるのは、もう少し、「生長の家」の歴史や、愛国心、天皇信仰等を、
しっかりお勉強してからにしたいと思います。

志恩さまや、神の子さまもおっしゃっていらっしゃいますが、
本当にありがたいことにこの掲示板には復興Gさまがおられるのですものね!

わたしは、本当に幸せ者です。

復興Gさまのご指導を待ちたいと思います。

夜、また戻ります。

1352復興G:2013/05/23(木) 10:28:25 ID:AB6RqYXc

皆様、ありがとうございます。

>>1293 a hope様の投稿、問題提起から、多くの方々の活発なご投稿がつづき、深い勉強ができて、ありがたいことだと思います。

私も、思うところを書かせて頂きます。

まず、生長の家人類光明化運動の出発点は、神想観でなければならない。それは、
「わが業はわが為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能」(招神歌)
というところからの出発であり、不完全な現象からの出発ではなく、完全なる「神の国」からの出発であるということです。

それで、>>1338 :元本部職員D様が投稿して下さった「大日本神国観」は私も大好きな神想観でありますが、その最後のところ、

「既に大宇宙の救済は成就せり。金波羅華(こんぱらげ)実相の完全円満の相(すがた)、地上に隈(くま)なく反映し実現して 中心歸一、万物調和の永久平和の世界 今現ず。
一切の生物ところを得て争う者なく、相食(は)むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし。
実相・現象 渾然(こんぜん)一体、実相・現象 渾然一体……(繰り返す)
みこころの天に成る世界、既に地に成就せり。ありがとうございます。ありがとうございます。」

という祈りの言葉で、深い安心の境地にいたります。
「みこころの天に成る世界」とは、「みこころの天に成るがごとく地にも成らせ給え」と祈れと教えたイエスの言葉であります。だからこの「大日本神国観」は、他国と対立する現象の小日本国を護持するような神想観ではない。スメラミコトを中心に全世界が大調和の一家庭となる実相顕現の神想観であると思います。

それで思い出すのは、今、福井教区の教化部長をなさっているT先生のことです。

T先生は、北米駐在本部講師として活躍されていたことがあった。そのとき、「大日本神国観」を英語で、米人にも教え伝えていたとおっしゃるのです。「えっ、英語で、アメリカ人に? “スメラミコト”というのはどう訳されたんですか?」と訊いたら、それは“Eternal Christ”(永遠のキリスト)と訳していた、ということでした。

“スメラミコト” = “Eternal Christ”

“スメラミコト” は “Japanese Emperor”ではなくて、“Eternal Christ” なんですね。すばらしい実相直視の霊的翻訳であると思いました。

1353復興G:2013/05/23(木) 10:59:43 ID:AB6RqYXc

>>1314>>1317:「訊け」管理人殿

貴殿の投稿文に関して資料補足的な感想を述べますと――

貴殿が「生長の家は天皇信仰です」と書いておられるのは、>>1277謹写文に「天皇信仰に歸一せしめる生長の家」という小見出しがあったからだと思います。

しかし、この小見出しは、元の『生長の家三拾年史』にはついていません。『神の真義とその理解』という本の外箱タイトルの頭には[類纂]と印刷されていて、「生長の家本部編」となっていますから、この本の内容は、それまでに谷口雅春先生が他の本に書かれたご文章の中から、「神の真義とその理解」のために必要と編者が判断したものを纂(あつ)めて分類編纂したものですね。その編者がつけた小見出しであって、谷口雅春先生が付けられた見出しではないと思います。

さらに、『生長の家三拾年史』に掲載された原文<昭和15年四月9日午後2時より名古屋公会堂に於ける講演の速記>の後ろに続けて(同じ囲みの中に)次のように記されています。
<つづく>

1354復興G:2013/05/23(木) 11:01:10 ID:AB6RqYXc

≪『生長の家三拾年史』に掲載された<昭和15年四月9日午後2時より名古屋公会堂に於ける講演の速記>の後ろに続けて(同じ囲みの中に)記されている文。≫

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 また『生命の實相』第十九巻には次の如く示されてをります。

 その頃鹽土老翁(しほつつのをぢ)なる老翁(をきな)來りて藭武天皇に『東(ひむがし)に美地(うましくに)有り』と御奏上申上げたと云ふことが同じく日本書紀に書かれてゐる。東方より『大和』の理念が生れて來ると云ふ象徴物語である。

 此の鹽土老翁は古事記では鹽槌(しほつちの)藭とて目無勝間(めなしかつま)の小船を作り彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)を乗せまつつて金銀(こがねしろがね)饒(さは)なる龍宮海に導き奉つたと出てゐる。

 龍宮海とはウミの底である。『創造(うみ)の根底』にある世界とは現象のよつて以てあらはれる根元の世界である。換言すれば實相の淨土である。目無勝間の小船とは、時間の目盛無く空間無く堅くつまりたる小なる一點である。換言すれば、無時間、無空間の世界、時空を超越し、そこより時空生るる一點(久遠の今此處)に乗るとき衆寶(しゅうほう)あまねく充つる龍宮海に入ることが出來るのである。『無字透關(むじとうくわん)』である。『無』を超えて更に實相地に透關するとき其處に龍宮海即ち、無限供給の極樂淨土を實現することが出來るのである。この無限供給の極樂世界に入る方法を教へたまふ藭が鹽槌藭(しほつちのかみ)である。そして龍宮海は極樂にして住み吉(よ)きが故に住吉世界とも云ひ、住吉世界の本尊を住吉大神と申上げるのである。

 龍宮海は、時間空間を超えた世界であるから、浦島太郎は其處にあるとき永遠に年老いず、この事を佛教では無量壽世界に入るとき無量壽佛と同じ悟りに入ると云ふのである。老病死の三奸を征伐せられてから住吉大藭は茅渟(ちぬ)の海に面して長湾をなせる山峡(やまかひ)に鎭め祀られたのである。今は神戸市東灘区住吉に本住吉藭社があり、藭功皇后を主藭とし、脇藭として筒男(つつのを)の三藭をお祭りしてある。後に泉州堺に御遷座申上げたるにより、ここを本住吉藭社と云ふと承つてゐる。

 三韓征伐とは、老病死の三奸の克服の象徴物語である。住吉大神が龍宮の大藭であり、無量壽佛のあらはれである以上、老病死の三奸を克服せられたことは當然のことでなければならない。

 (二月十二日) 私は御影町及び住吉村に住んでゐたとき、たびたび住吉藭社に参拜して人類光明化のために所願をつづけたものである。その頃から私は雑誌『生長の家』を書き始めたのである。

 その後、生長の家の藭と申し上げるは鹽土老翁(しほつつのをぢ)、筒男藭(つつのをのかみ)であらせられると知らされ、ハッとしてその端倪(たんげい)すべからぎる因縁に驚いたのである。

 鹽槌藭とは水火津霊(シホツチ)の藭である。水の霊(陰の原理)と火の霊(陽の原理)とを津(つ)なぎ結びて、一切を生出す『生みの藭』である。だから鹽槌藭(住吉藭社・鹽釜藭社に奉齋)は古來安産の藭として稱せられ、エホバ藭の『懐妊(はらみ)の劬勞(くるしみ)を増すべし、汝は苦しみて子を産まん』と云ふ宣言を覆して、子を産むのに無痛分娩なることを實証したのである。生長の家の教を聞いてその通りに守るものは無痛分娩であるのはそのためである。鹽釜大藭(しほがまのおほかみ)とは水火釀藭(しほかみのかみ)として陰陽交叉(かみあ)ひて産み出す藭と云ふ意味である。

 生長の家の藭を拜みたければ住吉藭社に参るが好し、鹽釜(しほがま)藭社に参拜するのも好い。吾々の團體は無宗派の萬教歸一を説く團體であるから、拜殿もなければ御祈祷をすると云ふこともない。ただ書籍、講演、放送、直接指導等によつて老病死を克服する教化團體である。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 以上のように、『生長の家三拾年史』には記されています。(上記は、頭注版では第37巻に収録されているご文章です)
 これは補足資料でした。

 「天皇信仰に歸一せしめる生長の家」というタイトルは、時代錯誤の、偏狭な国粋主義を思わせますが、生長の家は、そんな偏狭なものではない。普遍的な宇宙の大真理であり、「八紘一宇」すなわちUniversal Brotherhood の平和の真理を宣べ伝えるものでありますね。
<つづきます>

1355復興G:2013/05/23(木) 11:26:44 ID:AB6RqYXc
<つづき>

 「天皇信仰」という言葉は、『無門關解釋』(谷口雅春先生)の「はしがき」に書かれている言葉です。

 この書は、戦時中に『無門關の日本的解釋』と題して発行されていたものを、戦後に覆刻の要請があって昭和39年に再出版されたのですが、その「はしがき」に、次のように記されています。(抜萃)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

    は し が き

 この書は太平洋戦争中に書きおろしたものである。そして長い間絶版になってゐた。併し近頃になって、しきりに覆刻して欲しいといふ要請が各所からあるのである。その意味は本書には永遠に價値ある真理が脱かれてゐるといふ意味らしい。今度加筆しようと思って読み直してみて、自分ながら深い真理が興味ある姿で表現されてゐるので驚いた。真理の例話として挿入された事件が戦争中のもので現時の読者には興味がなささうなのを加筆するほかには殆ど書き換へる必要がなかった。

 真理は戦前も戦中も戦後も変るものではない。今も私は天皇信仰を持ちつづけてゐるのであるが、天皇を仰慕仰敬するやうな言葉を述べると笑ふやうな人たちが多い中で、やっぱりこの本を出版する勇気があるかとたづねると、やはり出版したいといはれる。その戦中に書いた“はしがき”には次のやうな事が書いてある。真(まこと)に興味があるから読んでほしい。


 「天皇への帰一の道すなはち忠なり。忠は天皇より出でて天皇に帰るなり。天皇は一なり。ハジメなり。一切のもの天皇より流れ出で天皇に帰るなり。わが『忠』、わたくしの『忠』、我輩の『忠』などと云ひて、『我』を鼻に掛ける『忠』はニセモノなり。私なきが『忠』なり。

 「天皇は天照大御神と一体なり。天照大御神は天之御中主神と一体なり。斯くして天皇はすべての渾てにまします。『忠』の本源は天之御中主神の『御中』の理念より発して再び天之御中主神に復帰するなり。天皇を仰ぎ、天皇に帰一し、私なきが『忠』なり。わが『忠』と誇るとき、もうそれは『忠』にあらず、『我』となるなり。

 「すべての宗教は、天皇に帰一するための前提として存在の意義があるなり。すべての宗教が、『我』を捨つるを説き、『無我』を説き、富を捨つるを説き、『無所有』を説くは、『この世は何にも無いものだから諦めよ』と云ふ意味に非ず。すべてのものは、天皇の一元より発現することを教へたるなり。すべての森羅萬象天皇の大御いのちの顕現ならざるはなきなり。天皇を説かず、仰がず、『無』のみを説く宗教は準備時代の宗教に過ぎず。

 「わたくしの『生命』を愛護すること勿れ。『生命』が尊きは天皇の大御いのちの流れであり、岐れであるが故に尊きなり。寸時も、『天皇のみたまのふゆ』なることを忘るべからず。『天皇のみたまのふゆ』なることを忘れるとき、人は悪逆無道の迷妄の徒となるなり。(中略)

 「無道とは、『道』の無きことなり。道は宇宙にミチてあれども、『我』のあるところには、道は遮られてあらはれぬなり。大海原に海水は満ちたれども岩石の固まりたるところには海水は満ちをること能はざるが如きなり。『我』がなくなりて、はじめて『道』は生きるなり。私の『善』、私の『道』、私の『宗教』などと云ふものあるべからざることなり。

 「すべて宗教は天皇より発するなり。大日如来も、釈迦牟尼佛も、イエスキリストも、天皇より発する也。ただ一つの光源より七色の虹が発する如きなり。各宗の本尊のみを礼拝して、天皇を礼拝せざるは、虹のみを礼拝して、太陽を知らざる徒なり。すべてのもの太陽にて生くるが如く、すべてのもの、天皇の大御いのちにて生くるなり。

 「生長の家が、一宗一派を樹てざるは、宗派と云ひて党を樹て、閥に籠りて、相争ふことが『忠』に非ることを知る故なり。特に『一宗一派に非ず』と云ふことを教義の『七つの光明宣言』に記入して、宗教であることを許されしは、文部当局の賢明なる處置なり。文部当局が一宗一派にあらざる宗教をみとめたるなり。宗教が正しくなりたるなり。すべての宗教は私のものにあらざるなり。すべてを天皇に帰一し、天皇に奉還し奉る宗教なり。
<つづく>

1356復興G:2013/05/23(木) 11:27:28 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 「宗はオホモトなり。天皇なり。すべての教も則も範も矩も規も法も、悉くスメラミコトより発するなり。宗教が宗派と云ふものに立ち籠りて、宗祖と云ふ一人の國民に過ぎざる人間を尊崇するは邪道なり。されば我は夙に喇叭に過ぎずと云ひたるなり。すべての宗祖は喇叭に過ぎざるなり。宇宙の大教祖は、天皇にてあらせられるなり。ミチとノリとは悉く、スメラミコトより出づればなり。

 「釈迦在世のとき、金波羅華を拈じて衆に示すに、迦葉のみ徴笑す。金波羅華は『空』の象徴に非ず、宇宙がコスモスであり、中心帰一である象徴なり。日本国体の象徴也。迦葉のみ徴笑す、とは悲しいかな。ほかの大弟子皆解せざる也。今の仏教者はいかほど金波羅華の秘密を解せりや。仏教を以て『空』を説くとなす者、百尺竿頭に坐する底の者なり。百尺竿頭に達せざる者よりは優れり。されど『空』の百尺竿頭より進一歩して、中心帰一世界を見ざるものは、外道の仏教にして、日本仏教にあらざるなり。

 「東大寺の大佛は、中心帰一の蓮華蔵世界を彫刻にあらはせるなり。中心座にましますは、光明遍照者にましまして、それを守護し奉るために、千葉の蓮華その御足の下にありて、各々の蓮華に、悉く釈迦牟尼佛ゐまして、光明遍照者の御徳を讃ふるなり。ヴェーローシャナと云ふ梵語をば、大日如来などと、仏教が如来の如く訳したるは誤謬にはあらざれども、人をして外國の佛様の如く誤解せしめたるや久し。

 「ヴェーローシャナとは、単に『光明遍照』の意なり。宇宙の中心座に在す『光明遍照』なり。畏くも天照大御神にましますなり。天皇は天照大御神と一身にましますが故に、釈迦は、天皇信仰を教へたるなり。それを知らずして、迦葉のみ徴笑す。善い哉。迦葉徴笑せり。今は日本人悉くが徴笑ぜざるべからざる時なり。天皇信仰を知らざるべからざる時なり。今はすべての宗教が、天照大御神を礼拝すべき時なり。そのほかに宗教ある筈はなきなり。」


 派閥や党派で到る處に争ひが見られる現代に、この戦中に書いた序文は頂門の一針のやうな気がするのである。みんな野郎自大、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。

 しかし「真理」と称する抽象的なものに帰一しようとすると、真理は肉眼には見えないから、自分の主観で勝手な主義を樹て理想を描き、相衝突してまた停止するところを知らない。そこで現実世界に宇宙の真理・実相が地上に天降つて顕現する必要があるのである。

 それがキリストの説いた「御意の天に成るが如く地に成る」ことである。その時その無私絶対愛の宇宙の中心真理の人格的顕現が地上に顕現しなければならぬのである。そのやうな人格者を地上に求めるとき、キリスト教ではキリストの再臨といふ形でそれを表現しようとしてゐるし、佛教では弥勒下生といふ形でそれを表現しようとする。

 しかし即今キリスト何處にありや、弥勒いづこにありや、ただ理想として心に描くだけでは抽象概念に過ぎないのである。私は無私絶対愛の宇宙の中心真理の人格的表現を抽象概念ではなく具体的に生ける人格として天皇に於て見出さんとするものである。それが真実であることは終戦時の天皇の絶対無私の愛の行蹟がこの世界を戦火の地獄から救ひ出した事実によつてテスティファイせられてゐるのである。

   昭和三十九年十一月一日
          谷 口 雅 春 識(しるす)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 以上は、谷口雅春先生著『無門關解釋』の「はしがき」(抜萃)でした。

1357復興G:2013/05/23(木) 11:39:28 ID:AB6RqYXc

 私は上記『無門關解釋』の「はしがき」を拝読して、特に次のお言葉が痛く胸にしみます。

≪みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。≫

 ああ! このお言葉は、私たち自身に投げかけられてりお言葉ではないのか!

 悲しい! と思います。

1358復興G:2013/05/23(木) 11:43:09 ID:AB6RqYXc

訂正です。

× 私たち自身に投げかけられてりお言葉

○ 私たち自身に投げかけられているお言葉

1359元本部職員D:2013/05/23(木) 12:02:52 ID:???
ユタカさまありがとうございます。

>>私は、人類光明化運動・日本国実相顕現運動を「伝道」の事とばかり思っていました、青年会の100万部運動とかが、そうなのだ!と思い込んでいました。。。

これは別に間違えだとは思いません。まづ伝道は基本であると思います。昔は「神誌」による伝道でしたから谷口雅春先生の教えを中心に国家論も含めて伝道できましたので
今の普及誌のように生ぬるい炭酸の抜けたコーラのような内容ではなかったのですから日本国実相顕現運動と伝道は繋がっていました。そのほか『聖使命』新聞も当時は中身が
充実し、政治の問題に対しても明確な生長の家の方向性が示されていました。今の新聞は社会性のない雅宣総裁を宣伝する環境新聞にすぎません。
何をもって「伝道」するのかという事が大きく変化したのですから、今は伝道しても日本国実相顕現運動には結び付きません。

 教えを文字で知った次に必要なのは、誌友会や練成会によって繰返し学習して「信」となすために神想観の実修を学びます。
最近は誌友会では絵手紙などの娯楽要素が強くなり「信」に至ることは困難になっているようです。また練成会に対する重点が以前より大きく後退して来ているようで
テキストにも雅春先生の本が少なくなり変わってノーミートレシピ本が採用されるなど恐るべき劣化現象が起きています。大変なことだと思います。結果として参加者減少に歯止めがかかりません。

 この「信」によって人に伝えたくて仕方がなくなる愛を起こすことが「行」となるのが理想です。それが伝道に通じます。
ですから嘗ては伝道と人類光明化運動・日本国実相顕現運動は一つであったわけですから間違えではありません。しかし、現在の教団のありさまを見ると
それがつながりを持っているとは思えません。むしろ違う運動すなわち世界平和という誰もが否定できないが漠然としたものになっていて私たち日本人の使命なるものが
希薄になり具体的な目標が定まらない運動とはいいがたいものとなっていると感じます。

 それらを本来の運動に戻したいという願いは多くの本流を目指す人たちが持っているものであると思います。

生政連の問題は、今度時間のある時に投稿します。生政連が活動の一時凍結から停止になる経緯や、停止から解散になる経緯は
大変複雑であります。しばらく時間をください。ありがとうございます。

1361神の子さん:2013/05/23(木) 17:45:25 ID:???

トキ様すみません
<<1360はやはり削除してください。

<<1345の神の子様ありがとうございました。日々の行いについては、あとは自分で考えます。

1362神の子さん:2013/05/23(木) 19:01:36 ID:BUfrVyJk
>>1361

神の子さん、私も毎日模索し考えています。
まずは家庭という小宇宙を、確実に大切にしております。
ありがとうございます。

1363ユタカ:2013/05/23(木) 20:25:45 ID:R1D4Jmeg
みなさま、

ユタカは都合で25日はWEB誌友会の時間を合わせて読み合わせ会は出来ません。

となたか、自主的にされたい方は、どうぞご自由に開会してください。

よろしくお願いいたします。

元職員Dさま、ありがとうございます、あとで拝読させていただきます。今は時間が取れませんので、すみません。

1364ユタカ:2013/05/23(木) 23:07:25 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。

元本部職員様、運動のいろいろな詳細をありがとうございます。気の抜けたコーラ(笑)は同感です、なるほど上手な表現ですね。。

以前の神誌は教えと共に国家論も一緒に載っていたのですね、私の知る頃は国家論はなくて、病苦の癒されたと言う体験談が多く、『神の子完全円満」しか教えてもらえませんでした、そんな時代を普通に過ごしていたときに、生長の家の総裁先生の講習会でいろいろな変な言葉を聴いたり、震災のときの雅宣総裁の悲しくなるような旅人の被災なるブログや裁判などが始まり、その間に、古参の信徒さんたちがネットで生長の家の日本実相顕現運動の話を書いていたのでそれで分かったことでした。
ここでも、a hopeさんがネットでそれを知ったのだと思います。生政連の運動もやはり票があるので、伝道はやはりその運動と連動しているから100万運動をするようになったのでしょうか?
すみません、途中ですが、ここで、PCを離れないといけないので、日曜日くらいにレスさせてください。すみません、ありがとうございます

1365a hope:2013/05/23(木) 23:50:38 ID:edEDolt2
復興Gさま

天皇信仰についてのご指導をありがとうございます。
「生長の家」が日本国實相顕現や天皇信仰を説くのは、どうしてなのか、
そして、その真意はなんなのか、だんだんわかって来るようなきがします。

ですが、復興Gさまが謹写くださる御文章は、どれもとてもハイレベル難しいので、
プリントアウトしたものを繰り返し拝読し、お勉強させていただきます。

もう少し時間をください。


ユタカさま

<<第3巻の3・4章を5月25日までに読みましょう。その間、感想や質問などを書いてみるのも良いかも知れません。 >>
ということでしたよね。

わたしはこちらは、こちらで予定通り進めていきますよ。
ユタカさまが声掛けしてくださるだけで、本当にお勉強する気持ちがグーンと湧いてくるので不思議です。
一緒にお勉強する仲間がいるって幸せですね。

ユタカさんは、今週末とてもお忙しいようですが、わたしも少し忙しくて、特に26日は1日出かけます。
ですが生命の實相の拝読は続けますので、また、感想・質問等ありましたら、こちらに投稿しますね。

ユタカさま、いつもありがとうございます。合掌。

1366志恩:2013/05/24(金) 05:07:45 ID:.QY5jUA6
復興G様、本部職員D様
  より深くご教授、感謝致します。


ユタカ様
 私も、最近、多忙です。ユタカ様は26日に出て下さるそうで、楽しみに。

ahope様、
  いつも 向上心、厚いですね。

1367「訊け」管理人:2013/05/24(金) 08:39:24 ID:???


>>復興Gさま


 ご教授誠に感謝致します。以下の点は確かにそうです。私が「生長の家=天皇信仰」と判断するに到った論拠は、>>1277謹写文に「天皇信仰に歸一せしめる生長の家」という小見出しがあったからです。ですが、なにか表現できない違和感もあったのでありました。(それで、「生長の家≠天皇に〝非ず〟は『暴論』」と補足的に書いた次第でありました。)

――――――――――――――
しかし、この小見出しは、元の『生長の家三拾年史』にはついていません。
「神の真義とその理解」のために必要と編者が判断したものを纂(あつ)めて分類編纂したものですね。その編者がつけた小見出しであって、谷口雅春先生が付けられた見出しではないと思います。
――――――――――――――

 上記の点、正しく了解致しました。私は『生長の家三拾年史』を有しておりません。『神の真義〜』は蔵書しておりますが、「谷口雅春先生が付けられた見出しではない」という点は、気づけませんでした。ご指摘の方、どうもありがとうございました。

 ところで、やや話が飛びますが(それでも関連しておりますけれども)>>1352のご投稿文は、非常に重要だと思いました。このご投稿文には生長の家が天皇信仰を、「いかに解釈しているか」という面が正しく顕れていると感じた次第です。以下貴殿ご文章を引用致しますが、


――――――――――――――
>>1352 “スメラミコト” は “Japanese Emperor”ではなくて、“Eternal Christ” なんですね。すばらしい実相直視の霊的翻訳であると思いました。
――――――――――――――


 まさにそう!私もそう思います。雅春先生の各種ご著書を拝読しての感想ですが、ここでの〝スメラミコト〟とは“Eternal Christ”になると思います。(または、“something great”も適訳になりましょうか)決してここは、“Japanese Emperor”と訳しては、ならぬ箇所だと思いました。

 ・・・・このやり取りで「天皇」というものが ―― 少なくとも雅春先生の説かれるところの天皇ですが ―― 大幅に確認できた次第です。ありがとうございました。





追伸

 さて、>>1355並びに>>1356のご謹写もこれ、よほど重要なご文章だと察します。ありがとうございます。

1368「訊け」管理人:2013/05/24(金) 08:42:04 ID:???

<補足>

>>1367・3行目(それで、「生長の家≠天皇に〝非ず〟は『暴論』」と補足的に書いた次第でありました。)


 「天皇から真理を語らない者は、生長の家に非ず」・・・・・この様な意見をもしも、申される方あらばそれは、「暴論だと思う」の意

1369復興G:2013/05/24(金) 13:48:19 ID:AB6RqYXc

皆々様

ありがとうございます。

>>1293の a hope様の質問は、

>>「日本国の実相」が顕現すれば、確かに世界平和にもつながるかもしれません。
ですが、「生長の家の教え」から外れた心で運動をしていても、それが実現するとはわたしは思いません。
「生長の家の教え」の基本は「大調和」ですよね。
「生長の家」自体が大調和もしてないのに、どうして「日本国の實相顕現」を実現できるのでしょう?
どうして、「自然との大調和」が実現できるのでしょう?
そんなことは、「大調和」した後のお話なのではないかとわたしは思います。<<

ということでした。

このご質問というか、問題提起に対して、まだ誰もまともに答えていませんね。

≪「生長の家の教え」の基本は「大調和」ですよね。
「生長の家」自体が大調和もしてないのに、どうして「日本国の實相顕現」を実現できるのでしょう?
どうして、「自然との大調和」が実現できるのでしょう?
そんなことは、「大調和」した後のお話なのではないかとわたしは思います。≫

――本当にこれは痛いところを衝かれたと思います。

返す言葉がありません。

「大調和」するには、「自我を死に切る」しかない。

相手の非を指摘して、「大調和」ができるものではない。

≪すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。現象の世界に、如何なる対立の関係があろうとも、如何なる闘争の関係があろうとも、それは妄想の顕わすところであり、妄想はやがて消えるべき運命にあるのであるから、私はそれを恐れることもないし、それに愕(おどろ)くこともないのである。妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空(あおぞら)があるのと同じように、如何に暗澹たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずることがないから、最も適切なる智慧が泉の如く湧き出でて暗を消してしまう処置ができるのである。≫ (「天地一切と和解する祈り)

――現在の生長の家の、現象的に「妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆う」ような状態も、やがて雨・嵐というような自壊作用の後には必ず本来の蒼空(あおぞら)が現れてくる。
それを信じ祈りつつ、自我を死に切って、「大調和」が一刻も早く実現しますように、神の導きを受け、使命のままに手を打ってまいりたいと思います。

「本流対策室/5」1263・1264に「こんにちは」様が書かれたように、
>>日本の共産化という危機を、生長の家は救いました。それはしかし、あまりに大きな代償を必要としました。マルクス主義という大きな敵を切り捨てるために、自身も大きな傷を負ったのです。これは、「切る者は切られる」という真理ゆえです。<<

という結果が、現状なのかも知れません。
>>1254
>>いつの世でも、本物は必ず広がりますから、何も心配はいりません。ニセモノは長く続かず、本物は栄えるのです。それが真理でしょう。<<

と「こんにちは」様がおっしゃってる通り、私たちは決して絶望することなく、生長の家本来の「大調和」の心、大和魂を発揚させて、

 「こころあかるく 身を清く
  悦びを宣べ 世を照らし
  光輪卍字(こうりんまんじ) 十字架の
  万教帰一の 旗のもと
  平和の真理を 宣べんかな」

を実践してまいりたいと思います。

1370復興G:2013/05/24(金) 13:54:13 ID:AB6RqYXc

前記 >1254 というのは「本流対策室/5」板の#1254でした。

1371a hope:2013/05/25(土) 09:27:34 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

昨晩、過去に金木犀さまや復興Gさまから現憲法がどうして悪憲法なのかや天皇信仰や愛国について、
ご指導をいただいていたのを思い出しました。

その時にわたしは、「菩薩は何を為すべきか」谷口雅春・谷口清超先生共著 を全部拝読して、
そこに、「生長の家」の信徒がなすべきことが、すべて書いてあると確信したのでした。

ですが、現教団の状態(もちろん谷口雅宣総裁・純子副総裁の言動を含む)を拝見していまして、
どう考えても、その「菩薩を何を為すべきか」の内容を実行されているようには思えませんでした。

一方、今回、わたしが、本流と言われる団体さま(学ぶ会さまやときみつる會さま)に、
「日本国実相顕現運動」の具体的な運動内容をお聞きしたは、そこのところを確認させていただきたかったからなのだと、
自分自身で気づきました。


その時にとても、納得のいく文章を「菩薩は何を為すべきか」の中に見つけさせていただきましたので、再掲載させていただきます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/356 より再掲載)

ーーーーーーーーーー

以下、新版P14〜15より抜粋

>>「愛国運動」というと国だけを愛すると云う意味にもとれますし、しかも「愛国」と云う文字は、
日本国民が「愛国」という場合には、一種の国粋主義として日本の国だけを愛するという意味になって、
世界の人類を愛すると云うところまで広くその光明化の意味が徹底しないということになるのでありますから、
直ちに唯物論者や左翼思想の人などはついて来ると云うことにならないという欠点があえます。

ところが人類を救うと云うことになれば、唯物論の人でも左翼の人でも、いやしくも人類を愛する人ならば、
どんな人でも皆ついて来られるのでありますから、やはり吾々の運動は人類光明化運動でなければならないのであります。

その立教の使命である人類光明化運動とは第一に何を為さんかとする運動であるかといいますと
「それは神の子としての人間なるものの本当の相(すがた)をすべての人々のうちに開顕(かいけん)し」と書かれているのであります。
ここにもこの光明化運動が決して日本人だけを対象とするものではないことが、明記されているのであります。

この運動は、すべての人々の中にですね、その実相が神の子であると云うことを開顕(かいけん)するところの運動であり、
それを確立するところの運動であるわけであります。・・・(中略)
この全ての人間の実相を神であるとして拝むことによって、その実相の完全さを顕し、その完全さを確立する運動が、
生長の家の人類光明化運動で、その実践が聖使命菩薩であります・・・<<

ーーーーーーーーーーー


復興Gさま謹写の内容に合わせて、第3回web誌友会の内容や、「菩薩は何を為すべきか」も、もう一度拝読しなおしてみたいと思っています。
「菩薩は何を為すべきか」にこそ、わたしたち「生長の家」人が今すべき運動の内容が、わかりやすく、細かく記載されているように思うのですが・・・。

本流も、教団も、まずは「教え」の基本に戻らないと、今されているすべての運動は意味がないばかりでなく、
「生長の家の運動」であるとはいえないのではないでしょうか?

本流関係のみなさまは、上の「菩薩は何を為すべきか」からの抜粋文章を読まれて、その内容をどう理解されているのでしょうか?
是非、ご意見を伺いたいです。

夜、戻ります。

1372a hope:2013/05/25(土) 09:44:34 ID:edEDolt2
さらに、その後の数行もとても重要だと思うので謹写させていただきます。

P15〜16

>>「神の子」と云い、「仏」と云っても万教帰一的立場から謂いますと同じ事でありますが、
まず人間の実相と云うものは、「神の子」であり「仏」であると云うことを確立しないでおって、
「自由」と云い平等と云い民主主義と云い、世界平和と云い政治と云い、社会と云い教育と云っても」
その根本が確立されておらなかったら、目的の方向へ行くつもりで却って反対の方へ向いて行くと云うことになるのであります。<<


「生長の家」は中道を行く教えなのですよね?

それなのに、教団は左側に向かい、本流は右側に向かっていってしまっているように見えるのは、わたしだけでしょうか?

1373志恩:2013/05/25(土) 10:25:23 ID:.QY5jUA6
>1372:ahopeさま

質問です。

ahope様曰く
>>「生長の家」は中道を行く教えなのですよね?
それなのに、教団は左側に向かい、本流は右側に向かっていってしまっているように見えるのは、
わたしだけでしょうか?<<

ということですが、そして、その理由として、

>>「神の子」と云い、「仏」と云っても万教帰一的立場から謂いますと同じ事でありますが、
まず人間の実相と云うものは、「神の子」であり「仏」であると云うことを確立しないでおって、
「自由」と云い平等と云い民主主義と云い、世界平和と云い政治と云い、社会と云い教育と云っても」
その根本が確立されておらなかったら、
目的の方向へ行くつもりで却って反対の方へ向いて行くと云うことになるのであります。<<

というご文章を、「菩薩は何を為すべきか」から、引用されてますけれど、

で、私は、
①教団は左側に向かい…
につきましては、
世間でも、すでにはっきりと認められておりますので、異議は、ありませんが、

②本流は、右へ向かって行っている…
と、捉えられたahope 様の根拠が、わかりません。

その根拠を、書いて下さいませんか?

1374志恩:2013/05/25(土) 10:37:52 ID:.QY5jUA6
a hope様

つまり、本流は
教団や雅宣総裁を「神の子」と拝んでいないで、、、という意味ですか?

雅宣総裁が、今迄、なにをなさってこられたか、ご存知ですよね。

そして、なぜ、本流として、本流の皆様が、思いあまって立ち上がったかも、ご存知ですよね。

本流が、教団の行ないや雅宣総裁の行ないを、
批判している事を、「神の子」「仏」であるということを、確立していない、と
あなたは、断定されておられるのですか。
そして、
そのような所に、本流は、いるのに、大調和してもいないのに、
「日本実相顕現運動」など、出来る訳が無い、と
おっしゃりたいのですか?

1375志恩:2013/05/25(土) 10:57:28 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様にも、お尋ねします。
>>1369:復興G様のご投稿文のことですが、ここで、復興G様は、
>>1293の a hope様の質問に、答えられています。

---------------------------------------------------
>>この(a hope様の)ご質問というか、問題提起に対して、まだ誰もまともに答えていませんね。

≪「生長の家の教え」の基本は「大調和」ですよね。
「生長の家」自体が大調和もしてないのに、どうして「日本国の實相顕現」を実現できるのでしょう?
どうして、「自然との大調和」が実現できるのでしょう?
そんなことは、「大調和」した後のお話なのではないかとわたしは思います。≫

――本当にこれは痛いところを衝かれたと思います。

返す言葉がありません。

   ①「大調和」するには、「自我を死に切る」しかない。

   ② 相手の非を指摘して、「大調和」ができるものではない。

≪すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。
現象の世界に、如何なる対立の関係があろうとも、如何なる闘争の関係があろうとも、
それは妄想の顕わすところであり、妄想はやがて消えるべき運命にあるのであるから、私はそれを恐れることもないし、それに愕(おどろ)くこともないのである。
妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空(あおぞら)があるのと同じように、如何に暗澹たる状態が現象的にあらわれてこようとも、
その状態に対して心を動ずることはないのである。心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずることがないから、最も適切なる
智慧が泉の如く湧き出でて暗を消してしまう処置ができるのである。≫ (「天地一切と和解する祈り」)<<
-------------------------------------------------------------------

と、このように「天地一切と和解する祈り」を引用されて、お諭し下さってますけれど、

教団 (雅宣総裁も含めて)も、本流も、
上記、復興G様がご指摘された①も②も、
出来ていないから、大調和が出来ていないから「日本国の實相顕現」も、実現できるわけないし、
「自然との大調和」が実現できるわけがないですよね。―本当にこれは痛いところを衝かれたと思います。
a hope,さんに、返す言葉がありません。

と申されたのでしょうか?

つまり、雅宣総裁だけでなく、
本流の皆様も、  ①自我を死にきらず、我で、運動されてるし、
         ②相手の非ばかり指摘して、雅宣総裁の実相と和解していない。

そこを、ahopeさんにつかれて、返す言葉も無い、、とおっしゃったのでしょうか?

1376志恩:2013/05/25(土) 11:04:36 ID:.QY5jUA6
つづき

>>1357 で:復興G様は、こうもおっしゃっておられます。

 >>私は上記『無門關解釋』の「はしがき」を拝読して、特に次のお言葉が痛く胸にしみます。

≪みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、
その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。≫

 ああ! このお言葉は、私たち自身に投げかけられてりお言葉ではないのか!
 悲しい! と思います。>>

という事は
本流の皆様も、野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争っているのだ、、とおっしゃっておられるのですか?

それは、違うと,私は、思いますけれど。

1377「靖国見真会」参加者:2013/05/25(土) 12:19:14 ID:0PL7dBUs

「a hope」様へ

私も聞きたいことがあります。

》それなのに、教団は左側に向かい、本流は右側に向かっていってしまっているように見えるのは、わたしだけでしょうか?

「谷口雅春先生を学ぶ会」は「谷口雅春先生を学ぶ」誌を発刊しています。

それを読まれているのでしょうか?

「ユーチューブ動画」でも、「靖国見真会」や「愛国練成会」そして「全国大会」も配信もしています。

それをご覧なった上での見解でしょうか?

ぜひ、お答えいただけたら有り難いです。

1378復興G:2013/05/25(土) 13:46:29 ID:AB6RqYXc

>>1375>>1376 :志恩様。

>>……つまり、雅宣総裁だけでなく、本流の皆様も、
①自我を死にきらず、我で、運動されてるし、
②相手の非ばかり指摘して、雅宣総裁の実相と和解していない。
そこを、a hopeさんにつかれて、返す言葉も無い、とおっしゃったのでしょうか? <<

>>>>私は上記『無門關解釋』の「はしがき」を拝読して、特に次のお言葉が痛く胸にしみます。
≪みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。≫
 ああ! このお言葉は、私たち自身に投げかけられているお言葉ではないのか! 悲しい! と思います。>>
という事は
本流の皆様も、野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争っているのだ、、とおっしゃっておられるのですか? <<

――そのように受けとっていただいて結構だと思います。

私は、“本流”様を責める気持はありません。

“本流”様には、“本流”様の使命があって、使命感に基づいて出現されているのだと思っています。
だから、ご奮闘には感謝し、教えられているところもあります。

しかし、過去には、
『「谷口雅春先生を学ぶ会」というのは名前だけで、その実は「谷口雅春先生を学ばない会」になっているのではないか。そのような似而非なる“学ぶ会”に、私が入るなどということは決してあり得ない』と、痛烈に批判したこともあります。

今は、そのような過去の状態から、「真剣に谷口雅春先生の教えを学び、谷口雅春先生のごとくに生きよう」という姿勢に変わって来ておられることを信じ、そのように祈っております。

>>いつの世でも、本物は必ず広がりますから、何も心配はいりません。ニセモノは長く続かず、本物は栄えるのです。それが真理でしょう。<<

と「こんにちは」様がおっしゃってる通り、“本流”様が本物を顕して行かれれば、ニセモノは長く続かず、本物は栄えるという法則の通りに、真理が実現して行くと信じ、真理に則ったご健闘を祈っています。

>> ≪みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。≫
 ああ! このお言葉は、私たち自身に投げかけられているお言葉ではないのか!<<

と書きました通り、それは私自身への戒めのお言葉であると思っています。

ありがとうございます。

1379志恩:2013/05/25(土) 15:04:29 ID:.QY5jUA6
復興G様


----------------------------------------------------------------------
私の質問〜
>>>>……つまり、雅宣総裁だけでなく、本流の皆様も、
�自我を死にきらず、我で、運動されてるし、
�相手の非ばかり指摘して、雅宣総裁の実相と和解していない。
そこを、a hopeさんにつかれて、返す言葉も無い、とおっしゃったのでしょうか? <<

>>>>私は上記『無門關解釋』の「はしがき」を拝読して、特に次のお言葉が痛く胸にしみます。
≪みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。≫
 ああ! このお言葉は、私たち自身に投げかけられているお言葉ではないのか! 悲しい! と思います。>>
という事は
本流の皆様も、野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争っているのだ、、とおっしゃっておられるのですか? <<
------------------------------------------------------------------------------------------------
復興G様のお答え〜

――そのように受けとっていただいて結構だと思います。
(中略)
過去には、
『「谷口雅春先生を学ぶ会」というのは名前だけで、その実は「谷口雅春先生を学ばない会」になっているのではないか。
そのような似而非なる“学ぶ会”に、私が入るなどということは決してあり得ない』と、痛烈に批判したこともあります。

今は、そのような過去の状態から、
「真剣に谷口雅春先生の教えを学び、谷口雅春先生のごとくに生きよう」という姿勢に変わって来ておられることを信じ、
そのように祈っております。

>>いつの世でも、本物は必ず広がりますから、何も心配はいりません。
ニセモノは長く続かず、本物は栄えるのです。それが真理でしょう。<<

と「こんにちは」様がおっしゃってる通り、
“本流”様が本物を顕して行かれれば、ニセモノは長く続かず、本物は栄えるという法則の通りに、
真理が実現して行くと信じ、真理に則ったご健闘を祈っています。(後略)<<
-----------------------------------------------------------------------------
という復興G様からのコメントを頂きました。早速のお返事をありがとうございます。

本流掲示板に書き込んでおられる方々は、全員が「学ぶ会」のお方ではないと伺っておりますし、

様々な、元々の教えに戻ってほしいと切望されている方々が書かれておられるそうです。

ですから、本流掲示板で書いていらっしゃる方々を総じて、

>>みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。

 >>

と、おっしゃるのは、私は、言い過ぎではないかと思います。

このたび、「学ぶ会の全国大会」へ参加しましたが、雅宣総裁や教団を批判する言葉は、どこにもありませんでした。

全国大会のユーチュ―ブを、全部、ご覧になられましたか?ご覧になられたら、理解して頂けると存じます。

でも、『学ぶ会』は、過去、批判を多くしていましたので、「学ぶ会」は、悪口ばかり言ってるという人達もおられるようですから、最近は、
方針を変えられたそうですし、
復興G様が、おっしゃておられる方向に、向かうのではないでしょうか。

私も、我が出ていないか、内なる神様の声を拝聴し、今後一層、内省しながら、発言させて頂きます。

1380a hope:2013/05/25(土) 18:46:04 ID:edEDolt2
>>1377「靖国見真会」参加者さま

わたしは、>>1299で、「靖国見真会」参加者さまのお名前を挙げさせていただいいて、

<<「学ぶ会」さまや「ときみつる會」さまは、「天皇国實相顕現」のために現在どのような運動をされているのですか?
また、教団から信徒がそちらに流れて、そちらの「会」が大きくなられたら、その運動をどのように展開されるおつもりなのですか?>>

という質問をさせていただきました。
元本部職員Dさまからは、愛国心溢れる心のこもったお返事をいただきましたが、「靖国見真会」参加者さまからは、
何のお返事もいただいておりません。

それなのに、どうしてわたしが「靖国見真会」参加者さまの質問にお答えする必要があるのでしょうか?


みなさま、わたしは、今仕事から帰ってきました。
お腹のすかせた家族もおりますし、明日は早朝から出かける用事があり、準備があります。

ですから、志恩さまなどの質問には明日以降、お答えさせていただきたいと思います。
勝手を言いまして申し訳ありません。

1381志恩:2013/05/25(土) 19:38:39 ID:.QY5jUA6
「靖国見真会」参加者様
こちらの掲示板からで、失礼致します。
-----------------------------------------------------------------
>>1380:a hope様のコメントによりますと

>>:a hope様が、「靖国見真会」参加者様宛ての質問をしたのに、
「靖国見真会」参加者様は、それに対する回答を、まだされていない。
なのに、なぜ、私(a hope様)が、今回の「靖国見真会」参加者様からの私(a hope様)への
質問に答えなければ、いけないのか。

そのa hope様の質問とは、

<<「学ぶ会」さまや「ときみつる會」さまは、「天皇国實相顕現」のために現在どのような運動をされているのですか?
また、教団から信徒がそちらに流れて、そちらの「会」が大きくなられたら、その運動をどのように展開されるおつもりなのですか?>>

というものでした。そして、a hope様は、つづけて、
>>元本部職員Dさまからは、愛国心溢れる心のこもったお返事をいただきましたが、「靖国見真会」参加者さまからは、
何のお返事もいただいておりません。<<
---------------------------------------------------------------------------
と、申されてます。
実は、私は、それにつきましては、「靖国見真会」参加者様の代理で、
下記のようにa hope様にお答えしてございますが、
やはり、質問されたご本人様が、お答えくだされば、ありがたいと存じます。

よろしくお願い申し上げます。

そうすれば、a hope様が、そのあとに、「靖国見真会」参加者様からの>>1377のご質問に答ると言われております。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

1336 :志恩:2013/05/22(水) 23:26:13 ID:.QY5jUA6
a hope様

今、「学ぶ会」や「ときみつる会」では、どのような運動をしているかということですが、
伊勢練成会や講演会でそのことを宣布したり、雑誌に毎号かいて、啓蒙運動をされてるでは、
ありませんか。多くの方々に、全身全霊で気づいて頂くための、

そのような運動をされてますよ。

なにも運動とは、個別訪問したり、小旗を手に持って、昔のように行進することでは、ありませんから。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------

1382志恩:2013/05/25(土) 19:40:47 ID:.QY5jUA6
再掲させていただきます。

1377 :「靖国見真会」参加者:2013/05/25(土) 12:19:14 ID:0PL7dBUs

「a hope」様へ

私も聞きたいことがあります。

》それなのに、教団は左側に向かい、本流は右側に向かっていってしまっているように見えるのは、わたしだけでしょうか?

「谷口雅春先生を学ぶ会」は「谷口雅春先生を学ぶ」誌を発刊しています。

それを読まれているのでしょうか?

「ユーチューブ動画」でも、「靖国見真会」や「愛国練成会」そして「全国大会」も配信もしています。

それをご覧なった上での見解でしょうか?

ぜひ、お答えいただけたら有り難いです。

1383復興G:2013/05/25(土) 19:44:56 ID:AB6RqYXc

>>1379 :志恩様。

丁重なお返事、ありがとうございます。

私が
>>――そのように受けとっていただいて結構だと思います。<<

と書いたのは、
≪みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。≫
というお言葉は
>>私たち自身に投げかけられているお言葉ではないのか!<<

と、まず私自身に投げかけられているお言葉であると受け取り、そして他の信徒皆様の中にもそのように受けとって自戒して下さる方があればなおうれしい、というような気持を表現したのでした。

なにも
>>本流掲示板で書いていらっしゃる方々を総じて、
>>みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。>>
と、決めつけているわけではありません。

本流掲示板で書いていらっしゃる方々にも、たとえば伝統様のように、真摯に、謙虚に谷口雅春先生の御教えを学ぼうとしていらっしゃる方があることは存じており、ご尊敬も申し上げております。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

1384志恩:2013/05/25(土) 20:41:47 ID:.QY5jUA6
復興G様

重ねて御丁寧なご返信を下さいまして、ありがとうございました。

合掌 礼拝

1385神の子さん:2013/05/25(土) 21:29:57 ID:zcruWQj2

>>1380

ahopeさん、「本部職員D様は自分の質問に答えたが、靖国見真会参加者様は自分の質問に答えてくれてないのに、なぜ私が靖国見真会参加者様の質問に答えなければならないのか」

という言い方は、酷すぎませんか?

あなたの素晴らしい神性に対し申し上げます。靖国見真会参加者様は、いつもこの掲示板を隅から隅まで読んでいらっしゃるとは限りませんよ。大変にお忙しい方だと拝察申し上げております。
ahopeさんが、掲げた質問をご存知ない可能性も、あるのではありませんか?

私もこの掲示板の全てを読んでいるわけではありませんが、あまりにahopeさんの発言に幼さを感じ、申し上げさせて頂きます。

1386神の子さん:2013/05/25(土) 21:56:35 ID:???
>>1380
学ぶ誌を読んでおられるか?
全国大会のYouTubeを見られたか?
その返事次第で靖国様のホープ様への返答があるのではないでしょうか?

1387a hope:2013/05/25(土) 22:05:51 ID:edEDolt2
>>1385 神の子さま

もし、神の子さまがおっしゃるように、「靖国見真会」参加者さまが、
このweb誌友会で話し合われていた、それまでの話の内容をまったく確認なさらずに、
わたしの今朝の>>1371 の発言だけをご覧になって質問されたのであったら、
自分の幼さを心からお詫び申し上げます。
神の子さまのご指摘に、心より感謝いたします。

ですが、>>1381>>1382で志恩さまがわたしの質問内容を再掲載してくださっていますから、
きっと「靖国見真会」参加者さまからのお返事をいただけるのではないかと期待しています。

「靖国見真会」参加者さま

お忙しくて申し訳ありませんが、もしお返事いただける時は、>>1293からのわたしの投稿内容を
確認してくださってからお返事いただけるとありがたいです。

生意気を言いまして申し訳ありませんが、わたしもとても忙しいのです。
今日、明日は、もうこれ以上の発言は控えさせていただきますが、お返事は後日必ずさせていただきます。

それでは、みなさま、おやすみなさい。

1388神の子さん:2013/05/25(土) 22:39:50 ID:nYL5yFzs
>>1387

きっと、また靖国見真会参加者様もご覧下さるでしょう。
>>1386の神の子さんも、言われてますが、私もそのようにも思います。
もし、ahopeさんが、学ぶ会のyoutubeをご覧なられていなかったら、(おそらくご覧だと思いますが)お時間あるときに、ゆっくりご覧になってみてくださいね。

1389志恩:2013/05/26(日) 08:07:16 ID:.QY5jUA6


a hope様

あなたが、
「ご自分が学ぶ会は【日本国実相顕現運動】をどのように、やってるのか、そして、今後…、どのように
【日本国実相顕現運動】をやっていかれるのか。「靖国見真会」参加者さま、答えてください」
と質問されたことに対しまして、私も、うっかり、同調しましたが、

先に、私が、ahope様にお答えさせて頂いておりますが、
【学ぶ会】も「靖国見真会」参加者様も

前々から、掲示板やネット上で、
その事については、膨大な発言を、すでに発信済です。

ですから、それらの発信済みである、すでに回答済みである【事柄について】

ahope様は、まえもって、ご自分では学びもせず。相手を、呼びつけて、答えて下さいというのは、

大変横柄な態度であると、私は思い直しているところです。
--------------------------------------------------------------------------------------------
>>1335 :志恩 (簡略化して、再掲)
 ahope様

私は、「学ぶ会」・「心のかけはし」誌(ときみつる会)の誌友です。
「学ぶ会」と「ときみつる会」の誌友になってよかったことは、
もともとの生長の家の教えが、学べることです。

「日本国実相顕現・鎮護国家」についての特集が「学ぶ会」誌、今年の2月号に掲載されてました。
(今回は、そこからは 引用していませんけれど)

「心のかけはし」にも、元々の教えや、様々ないいお話が、満載です。

ahope様が、
なのに、ここの掲示板に来て教えてください。というのはどうでしょうね。
または、光明掲示板に貼ったとしましょう。
答えは。「学ぶ」誌にありますよ、と言われますよ。

神の子様が、いわれてましたが、教えて下さいと、呼び寄せるのは私も、
それは、ちょっと失礼に当たるかな、と思いました。

なぜなら、ネットで調べただけでも、靖国見真会参加者様はじめ
本流関係の方々は、今まで全力をあげて、掲示板などで、それらについての教えを
教えて下さっておられるからです。

ahope様は、「学ぶ会」誌、「心のかけはし」を購読して自ら学ばれたり、
ネットで調べて学ばれる事のほうが、相手に質問されることよりも先にされることだと思います。
----------------------------------------------------------------------
「学ぶ会」HP
http://manabukai.org/ここを、ご覧になれば、どのような運動をされてるか、おわかりになります。
「日本国実相顕現」運動のことも書いてあります。
---------------------------------------------------------------------------
上記にプラスしますが、私が、別の投稿文で書かせて頂きましたように、

>>今、「学ぶ会」や「ときみつる会」では、どのような運動をしているか、ですが、<<

講演会、練成会、雑誌、掲示板で、それを発信する事が、その運動を展開しているということに
なると思います。

「日本国実相顕現運動」とは、自分自身が、小宇宙であり、日本人である
「神の子・人間」「実相・日本」「実相・天皇」の真髄を、

頭だけでなく、全身全霊で気づいていただくこと、、
それを広く啓蒙する運動が、「日本国実相顕現運動」なのですから。


【学ぶ会】、また、【ときみつる会】も、されてます。

伊勢練成会や各種講演会で宣布したり、雑誌に毎号書いて啓蒙運動をされてるでは、
ありませんか。多くの方々に全身全霊で気づいて頂くための「日本国実相顕現運動」
を、このように熱心にされてます。

1390志恩:2013/05/26(日) 08:12:44 ID:.QY5jUA6
「学ぶ会」HPより

日本国実相顕現・鎮護国家・地上天国実現こそ生長の家の使命

『谷口雅春先生を学ぶ』平成25年2月号より転載
生長の家大神=住吉大神の使命を問い直す
http://manabukai.org/_userdata/chingo.pdf

1391「訊け」管理人:2013/05/26(日) 08:29:29 ID:???

>>1390

 この論文ですが、一知半解と表するのが適当かと思います。恰も「世界平和」なる総裁用語を、なにか左翼
共産党のそれと同等に解釈しての、そんな論の進めかたがなされてあります。(初歩的読解ミスに該当)

 その他にも多々、疑問点があります。なお、必要ならば後日論拠を示します。



1392志恩:2013/05/26(日) 08:31:49 ID:.QY5jUA6
元大幹部でいたした
元本部職員D様が
>>1343:に、

元大幹部でいらして現在も現役の地方講師としてご活躍中の
復興G様が、
<<1352 ~ >>1356に、深く書いて下さってますので、
こちらの方も再度、お読みくださいませ。

では、なぜ、それらを全身全霊で気づくことが、必要かというならば、
気づいた人と、そうでない人との考え方の立ち位置が根本的に違いますから、

子どもの教育にしても、自分の生き方やものの見方が、
より良い方向へ、大転換されるということです。

1393志恩:2013/05/26(日) 08:50:28 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

私は、きついこと言うところがありますが、憎らしくて言うことは一切ありませんので
気にされないでくださいね。

a hope様の向上心の厚さには、教えられております。

私は、今、末端信徒の1人で、一誌友でしかありませんので、
私が、お願いしても、ahope様がお願いされても立場は同じなのです。
そこのところも、分ってくださいね。(笑)

お返事があったときは、それでいいし、なかったら、それでもいいし、と
気楽に まいりましょうよ。

1394志恩:2013/05/26(日) 10:33:06 ID:.QY5jUA6

みなさまへ

「鎮護国家」を「世界平和」にしてしまったことについて、どちらも同じだと言い張る人と議論しても
お互いに、平行線で、ストレス溜まるだけだと思います。

「世界平和」などというキャッチフレーズは、福島瑞穂も言ってます。

 他の様々な、宗教団体も、口を揃えて言ってます。

生長の家もまねして「世界平和」にしたので、生長の家教団は、独自性のない、骨抜きのクラゲみたいになって ぶにょ ぶにょの
教団になってしまいました。
--------------------------------------------------------------------------
ちえ袋より

「世界平和」って何? 平和平和って、うるさい日本人ってどうかと思います。「世界平和」...
matsukeihendrixさん

「世界平和」って何? 平和平和うるさい日本人ってどうかと思います。
口先だけで平和だの平等だの意味言う人に呆れます。



ベストアンサーに選ばれた回答
nao23_beck7さん

理想として「平和」を掲げるのも構わないと思いますが
日本人は「平和」の意味を取り違えてないでしょうか…「闘わない」=「平和」じゃないんです!!

それを勘違いし「平和」と声高に言うからおかしな話になる…他国に守ってもらう「平和」って何ですか?
自国の国土や国益や国民を自国で防衛できずして何が「平和」ですか?

先の大戦後にアメリカによってされた戦後教育で日本は骨抜きにされ大和民族の誇りを失いつつあります

…先の大戦で「日本が悪の帝國だった」「他国で虐殺」をしたとアメリカに洗脳され自虐的な歴史感を持ち親米ポチになり「平和」を叫ぶ…
それなのにアメリカが今現在でも他国と戦争する時は「あれは聖戦」といい「平和」という「理念」を捨てる…
そういう輩は「平和」=「闘わないこと」だと思っているんです…愚かですね…

…ソコには大和民族としての誇りなどありません…民族の誇りがないわけだから日本はもはや「亡国」です

------------------------------------------------------------------------------------
このちえ袋に書かれているように、
おかしいことを、おかしいと言う人が大調和の教えに反していると断じる事は、もしも、襲いかかられても、闘わない日本を平和と言ってるのと、同じです。

1395うのはな:2013/05/26(日) 17:09:57 ID:IMO2Sxqo
財団法人 世界聖典普及協会の著作権侵害に対する訴訟の経緯

    http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533

1396うのはな:2013/05/26(日) 17:11:03 ID:IMO2Sxqo
>1395,1396
 すみません、場所を間違いました。削除お願いします。

1397ユタカ:2013/05/27(月) 00:10:43 ID:R1D4Jmeg
こんばんわ。遅くなってしまいました〜〜〜。

生命の実相第3巻 3章4章を読みました、ざっと読んで、第3章は戦時中の体験談からの実証なんだけど・・・内容がよく読み取れません。
第4章はどこを読んでも感動です。繰り返し読みたい、現況の教団の事も、この生命の実相を読んでいれば、いかなる混乱の中にあっても、地上の天国建設途上の人生の敵弾に倒された犠牲者とはならないのであります。(P,95最後の行)
と言うところが、現教団の犠牲にならない秘訣になるのかな??って思いながら読みました。
この4章はみなさん、どこをよまれても、心が安心する光明真理満載です。

今週はみんなで第4章を読みませんか?? どこを読んでも励まされますし、私は戦争の言葉を裁判と変えて読んだら、安心しました。感想を書きたいです。
拝読後、感想を書こう!!

余談ですが・・
>>1317のトンチンカン』さんの中の光明の塔とご神像の画像には驚いた。

塔の扉についている生長の家の徽章(?)が半分から割れて2つに分断されている。教団の現在を象徴していると思ってしまった。
そして、ご神像様の顔もまつ毛が長く眉毛にまで届いて、まるで・・・ピエロ顔のようで滑稽な顔に見えるのは、私がオカシイのでしょうか???

ですが・・・どうしても・・・ご神像様がピエロ顔に見えてしまう・・・(ご神像さま、ごめんなさい。多分映像の関係で私にはそう見えてしまうのです。。。)

1398ユタカ:2013/05/27(月) 00:14:43 ID:R1D4Jmeg
上記の>>1317でなく
 
本流対策室の>>1317です。

1399ユタカ:2013/05/27(月) 00:18:18 ID:R1D4Jmeg
訂正

本流対策室板の>>1316 でした。 失礼いたしました。

トキさま、上記 NO.1398 の削除をお願いします。

1400ユタカ:2013/05/27(月) 00:19:47 ID:R1D4Jmeg
>>1316 出るか??

1401ユタカ:2013/05/27(月) 00:22:14 ID:R1D4Jmeg
別の板は表示されないんだ!!

ごめんなさい!!

1402ユタカ:2013/05/27(月) 00:23:47 ID:R1D4Jmeg

生長の家本部会館「光明の塔」とご神像 SEICHO-NO-IE
http://www.youtube.com/watch?v=YObgceIiMuU

1403志恩:2013/05/27(月) 08:30:04 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

生命の実相第3巻(P,95最後の行)、拝読してみました。第4章は、最初の方だけ拝読しました。
ユタカ様のいわれるように、心が安心する光明真理満載ですね。

>>1397:ユタカ様―「第4章はどこを読んでも感動です。繰り返し読みたい、
現況の教団の事も、この生命の実相を読んでいれば、いかなる混乱の中にあっても、
地上の天国建設途上の人生の敵弾に倒された犠牲者とはならないのであります。(P,95最後の行)

と言うところが、現教団の犠牲にならない秘訣になるのかな??って思いながら読みました。
この4章はみなさん、どこをよまれても、心が安心する光明真理満載です。」

ユタカ様、
ご神像の顔がピエロに見えるのは、この映像を写したときの「光線の加減」です。

私は先日「学ぶ会全国大会」の帰途、あのお懐かしいご神像の真下まで行ってお参りしてまいりました。
しみじみとした気持ちで、しばらくたたずみ、合掌礼拝し ご神像の聖霊に感謝の祈りを捧げてまいりました…。

このたびは、光明掲示板の方にも、こちらにも皆様、ご神像のことで、たくさんの書き込みがございますが、
私は、脱力感で、ことばが みあたりません。

それから、
ご神像の、眼の上、、まつげに見えるものは、「おでこ+まゆげ」から落ちてきたホコリではないでしょうか。
まるで、長いまつげに見えますが、あのようなものは、もともとはなかったと思います。

下に貼付した映像をご覧になると、わかりますが、向かって右側の髪の毛の下の部分にも、まつげみたいな ホコリが 
何本も つららのように、首のところに、垂れています。

ドアのところの生長の家の徽章が、まっぷたつに 割れている  というのは、見慣れていた場所でしたが、
まったく 気がつきませんでしたよ。ほんとですね…。

まるで、今を予言してるみたい!!
   http://www.youtube.com/watch?v=olnuCwtQYSw

勉強会されるのですか?
私は、出られるかどうか、今、あれこれと多忙ですので、わかりませんけれど、
閲覧だけかもしれませんけれど、学ばさせて頂きます。ありがとうございます。

1404a hope:2013/05/27(月) 08:58:36 ID:edEDolt2
>>1373 志恩さま


以下引用
ーーーーーーーーーーー
①教団は左側に向かい…
につきましては、
世間でも、すでにはっきりと認められておりますので、異議は、ありませんが、

②本流は、右へ向かって行っている…
と、捉えられたahope 様の根拠が、わかりません。

その根拠を、書いて下さいませんか?

ーーーーーーーーーーー

・右は、もともとの考え方を大切にする(保守)
・左は、新しい考え方を推進する考え方(改革)
・中道は、神の御心を生きようとする考え方(大和精神)


わたしは、このように、右・左・中道を理解しています。
ですからわたしはけっして教団のことも、学ぶ会さまやときみつる會さまのことも、
左翼団体であるとか、右翼団体であるとか思っていません。

ただ、どちらの団体さまも、実相よりも現象を多く見つめて運動をされているように感じています。
ですから、現象的に見てしまうと、わたしにはどうしても右寄りに見えてしまったり、左寄りに見えてしまったりするのです。
それが、根拠といえるかもしれません。

現象生活をしていく上では、各人の思想や考え方が保守的であったり、改革的であったりするの個性ですからしかたないと思いますし、
それを認めあっていくことが、本当の意味での多様性を認めるということなのではないかとも思っています。

たとえば、雅春先生も、戦後、現象を扱った運動をされたようですが、
それは「日本国のためなら生長の家教団がつぶれてもいい」というご覚悟の上にされたのですよね?
それは日本人としての雅春先生ご自身の愛国心からされたことだったのではないでしょうか?

雅春先生は現象人間としてもとても偉大なお方だと思いますし、神に選ばれた魂のレベルのとても高いお方だと思い心から尊敬していまが、
雅春先生ご自身が現象世界に真理を伝える方便は、時代によって変えていかなければいけないとおっしゃているのではないですか?
現象人間の雅春先生が、現象に働きかけてしてきた運動と言うものは、時代背景が変われば変えていかなければいけないのだと思います。


ですが、「生長の家の真理」は不変ですから、雅春先生がいらっしゃらない今は、
わたしたち信徒は、本来の人類光明化運動を促進して、「人間神の子」「唯神実相」真理を人々に伝えるのはもちろんですが、
わたしたち信徒自身が「教えの基本」である「大調和の神示」の教え実行していかなければ、
「生長の家」とは言えないのではないでしょうか?


みなさま

わたしの発言に対する、間違いのご指摘、ご批判は喜んでお受けいたします。
どうぞよろしくお願いいたします。

1405ユタカ:2013/05/27(月) 09:35:40 ID:R1D4Jmeg
志恩さま

勉強会は自主的にして感想を一人で書いています、ア ホープさまはまだ疑問の追求の最中のようですので。

ご神像ですが、本部が大切にしていないから、持ち主の心を象徴しているようにも見えます。昔のご神像は白くて威厳のようなものを感じましたが、

今は、ないがしろにされているのでしょう・・・鼻先も真っ黒・・・ もっと大切にメンテナンスして維持すべきです。何よりも大切なご神像なのですから・・・・

1406a hope:2013/05/27(月) 09:46:20 ID:edEDolt2

あ、ユタカさま

ごめんなさい。

御神像、たしかにピエロに見えます。
わたしは、あのBGMのせいでもあるような気がします。

なんか、あの曲、サーカスのピエロ登場の時に流れてる音楽みたいな感じですよね。

1407ユタカ:2013/05/27(月) 09:54:42 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま、お帰り!

がんばって勉強していますね! 日本国実相顕現運動のことは分かりましたか?

>1404現象の事を沢山かいておられるようですが・・・いつまでも「無い」ものを相手に答えを出そうとしても無駄だとユタカは思います。a hopeさまの観の転換がひとまず必要でしょうが、自分で気がつかなければいけませんですね。
そして、そのない現象に丁寧に繰り返し、復興G様は何度も過去に回答を下さっているので私は感謝しています。

暗にスポットをあてているより光明をどんどん入れて、すっきりいろんなことが氷解した、ユタカです。

1408ユタカ:2013/05/27(月) 09:57:21 ID:R1D4Jmeg
>1406(笑)

返信ありがとうございます。

私も音楽が・・・サーカスがさびれた遊園地のように思いました。今日も私はあまり書き込めません・・ごめんなさい!!

1409a hope:2013/05/27(月) 10:06:57 ID:edEDolt2
>>1407ユタカさま

日本国実相顕現運動=人類光明化運動(七つの光明宣言の実行)とわたしは理解しています。
っていうか、それ以外考えられません。

現象はないのだから、相手や日本国の実相を見る「観の転換」そうですね!

日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、
現象の運動をする必要なんてないんですよね!
ユタカさま、素晴らしいご指導をありがとうございます。

感謝 合掌

1410志恩:2013/05/27(月) 11:46:28 ID:.QY5jUA6
ahope様

若さというのは、いいものですね。
分っているつもりでいた漠然としたことも、質問されますと、考え直す機会があたえられ、
それを具体的に表現(発言)するにはどうしたらよいか、試行錯誤することが、できますから。

私も、昼は多忙なので、じっくりとは書き込み出来ませんけれど、、

>>1409:a hope様〜

「日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、
現象の運動をする必要なんてないんですよね!」

ということは、ちがうのではないでしょうか。

例えば、「人間の実相は、肉体ではなく、物質でもないのですから、ご飯など必要なんて
ないんですよね!」という捉え方と、同意語だと思います。

別の例を挙げれば

北朝鮮が日本に向けて、ミサイルを撃ってきても、中国が尖閣諸島を略奪しても、
実相の日本は、
完全円満で、実相は、なにも犯されず、何も奪われず、日本人はだれ1人、実相では傷つくことは
ないのですから、現象の運動や防備など、何もする必要なんてないんですよね!」

ということと、同じだと思うのです。

われわれは、実相を表現する舞台として、この現象世界を与えられております。
だから、現象世界は、表現の場なのです。

われわれは、この現象世界という舞台に於いて、おのおのが主人公を演じ生きているのですから、
人生が よりよく健全の方向へむかうように、

現象の「善」「悪」を、しっかりと見極め、的確な判断を下し、日本国も民心も崩壊しないよう、
護るべきものは、互いに力を合わせて護り、心ある方々と共に啓蒙運動をすすめる事……

これは、動けない人は、、たとえ、掲示板上の発言でもいいですから、
拡散していかなければならないことだと思っております。

1411ユタカ:2013/05/27(月) 11:57:46 ID:R1D4Jmeg

日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、
現象の運動をする必要なんてないんですよね!<

なんでそうなるの?(笑)  いつも極端から極端に飛んで行きますね(笑}

1412ユタカ:2013/05/27(月) 11:59:37 ID:R1D4Jmeg
あ、志恩さま、ご登場ありがとうございます。

あとで、じっくり読ませていただきまーーーす!!!

1413志恩:2013/05/27(月) 11:59:44 ID:.QY5jUA6
ahope様

1404:につきましては、私は昼は多忙で、これ以上,書けません。
夜にお返事を、と思っております。

この中のahope様のコメントの1つ〜

「雅春先生ご自身が現象世界に真理を伝える方便は、時代によって変えていかなければいけないとおっしゃているのではないですか?
現象人間の雅春先生が、現象に働きかけてしてきた運動と言うものは、時代背景が変われば変えていかなければいけないのだと思います。」

これにつきまして、ユタカ様なら、どのようにお答えになられるかしら。

雅宣総裁は、雅春先生が説かれた教えを、現代風にアレンジして、説いておられると思われますか。

また、生長の家の教えが【大調和】だから、、、とおっしゃることも、まえまえから、このことを論じられてまいりましたが、

どなたか、お答え下さるお方がいらっしゃいましたら、よろしくおねがいします。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/1404

1414髪の子様:2013/05/27(月) 12:28:59 ID:H8pVL9Ic
ahopeさん、私が知らないことが、ありましたので教えて下さい。
雅春先生が、「真理を伝える方便を時代背景の変化とともに、変えなければいけない」と書かれているご著書を、教えていただけますか?

それと「靖国見真会」参加者様が言われてますが、学ぶ会のyoutubeをご覧になったり、学ぶ誌を読まれてますか?

1415髪の子様:2013/05/27(月) 12:46:29 ID:bAijypnk

>>日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、 現象の運動をする必要なんてないんですよね!>>

は、私も違うように思います。理由は、志恩様が述べていらっしゃることと同じ意見です。

>>1404

>>たとえば、雅春先生も、戦後、現象を扱った運動をされたようですが、 それは「日本国のためなら生長の家教団がつぶれてもいい」というご覚悟の上にされたのですよね? それは日本人としての雅春先生ご自身の愛国心からされたことだったのではないでしょうか?>>

雅春先生ご自身の個人的な感情で、愛国運動をなされたのではないと、私は考えます。
ある古いパンフレットのなかに、生政連での政治運動におけるパンフレットですが、雅春先生は「この運動は住吉大神のお働きである」と、記されたお言葉がございます。パンフレットがいま、手元にないので、すみません。

1416ユタカ:2013/05/27(月) 17:54:14 ID:R1D4Jmeg
>>1413 志恩さま

>「雅春先生ご自身が現象世界に真理を伝える方便は、時代によって変えていかなければいけないとおっしゃているのではないですか?
現象人間の雅春先生が、現象に働きかけてしてきた運動と言うものは、時代背景が変われば変えていかなければいけないのだと思います。」

上記のご文章はどの本に書かれていますか? 谷口雅春先生の沢山ある本の中からユタカが抜粋するなら・・・

わたしはかって『神 真理を告げ給う』と題する本を著した。それは私の名を冠してはあるが、決して私のほんではなかった。
それは神が私の2度目の海外巡錫の講話の内容につき暁方の夢うつつの如き心境において”真理をかく語れ”と導き給うた内容であった。私はそれを筆記したのではない。ただ、神が繰り返し告げ給うた言葉を記憶によって再現して文章に表現したのであった。
従って、文中にある”わたし”は”神”御自身のことであり、私谷口のことではない。
神が谷口を通して告げ給う真理の精髄をひたすら中實に文章に再現したものである。ーー略ーー
(実相と現象はしがき)より

@生命の実相第1巻やあちらこちらに、谷口開祖先生が神様のラッパとなって『神様の言葉』を取り次いで下さっていらっしゃることが書かれています。

そこで、a hopeさまの冒頭の言葉で「雅春先生ご自身が・・・・」と始まったとこらから、もう「違う」ように思いました。

そして、最初に学んだ、七つの灯台の点灯者が住吉大神、生長の家の神様と言うことなので、同じ神様が、昔も今もずーーーーーと人類を捨てずにずーーーと傍にいて、真理を語ってくれている事が、WEB誌友会の最初の時の勉強でしたから、
神様はその時代、土地に合わせた言語で自由自在に、人智を遥かに超えた偉大なる神様の御業によって時代時代に宗教教祖や碩学や大哲の中に宿って衆生を導いて下さるために書いたり解いたりをこれからも今までと同じようになさることだと、私はそのように感じ取りましたし、この本ご本の中にもそのように書かれておりますゆえ、続きはお読みください。

もっと具体的にせよ と言うことであれば、あとで謹写いたします。

1417髪の子様:2013/05/27(月) 18:12:11 ID:M8Og9jzQ
>>1416

ユタカさんのご説明、ありがとうございました。
よくわかりました。聖典を拝読します。

1418ユタカ:2013/05/27(月) 19:13:07 ID:R1D4Jmeg
実相と現象 はしがき  の続き

昭和四十七年春のアメリカ、カナダ、メキシコの講習旅行の折であった。
『生命の実相』が五十年前に刊行されたとき、聖書型の黒革の表紙には、「生長の家聖典」とのみ記して、著書名はださなかった。表紙の平(ひら)とか扉には、いつの頃からか名が出るようになったが、携帯版の前まで、背文字は一貫して「生長の家聖典」であった。神が私をパイプとして書かしめた聖なる典籍との畏れ(おそ)慎みであった。
『神 真理を告げ給う』の冒頭には、次のごとくに述べられている。
「”わたし”は今まで多くの教祖や哲人を通して人生の意義を説いてきた。君たちのうちには熱心に真理を求めて色々の書物を読み、色々の学者の説を読み、それに基づいて思案をし、既に人生の意義を知ることがが出来た人もある。しかしそんな人は非常に稀であって、大抵は、自分の偏見や既成概念の中を迂路(うろ)チョロしていて、悟ったつもりで実際は悟っていないか、真理なんて求めても到底得られるものではないのだという絶望感で、”聖なる求め”を放棄している人もある。そのような人たちに”私は”今ふたたび真理を知らせてあげたい愛念によって、今此処に谷口雅春を通して真理を説こう」とおもうのである。
更に次の節には、
「・・・・・・それらの宗教教祖や碩学や大哲の中に”わたし”は宿って、人々を導くために”わたし”は書いたり、説いたりしてきたのである。
真理は人間の肉体から生まれて来るものでも、人間の脳髄細胞から生産されて来るものでもなく、實にそれらの人々に宿っている”わたし”がそれを説いているのである・・・・。」

「しかし”本当の教祖”と言うべき”真理の啓示者”は””実相世界”にある”神”のみである。イエスキリストも『師というべきものは、唯、ひとり天の父のみである』といっているし、谷口雅春も、”自分は教祖ではない。實相世界に生長の家本部はある”といっているのである。

この ”わたし” は勿論いうまでもなく神である。

このような文章ーーー神の言(ことば)に接する毎に、私は畏れ平伏すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに谷口は十二分にお応えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些か(いささ)の悔いることなく儘し得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。  そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、唯々感謝合掌、悦びが悦びの波紋が見渡す限り広がる様を、心眼に拝するのである。

本著作集も第4巻となり、いよいよ佳境に入った感がある。生命の實相哲学の骨格をなす唯神實相論の霊々妙々の極意を、極めて平明に、話言葉を以て表現してある。先の海外巡錫の時よりも若い時代の著述が多いが、もとより谷口の脳髄智、谷口の力(にんべんに両)で構えて説いたものではない。

いずれもその折々に 最も相応しい神々の指導助言の賜物である。 万般の奇跡が続出するのも、故なしとしない。

諸賢が本書に親しまれることにより、”聖なる求め”を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代わり切に切に望むものである。 

    以上 實相と現象 はしがきより 謹写


時代、時代に 現れて来られるのは、神様のご意思であって、谷口先生を通して書いたり説いたりして下さっておられるので、新しい時代には、また神様がそのようになさる事と想像できませんか?

運動に関しても、生著の家は神意を実現し宇宙を救済する運動で(小は一木一草から国家救済を経て全人類を救済する)あるから、その真髄が「相互礼拝」であるとしたらそれに向かって階段を上っていくと景色が自然に変わるというように目的は変わらないが状況は変化しそれに対応するための変化はあると思う。目的は変わらずの前提である。



以上、ここまで、志恩さま、 間違えていたら教えてください。

1419ユタカ:2013/05/27(月) 20:12:24 ID:R1D4Jmeg
【大調和】については、<実相>は円満完全なので、実相円満完全の立場に自分が立って、実相円満完全な観方をして、生長の家の全体を観れたなら、

すでに大調和している!と思えると思います。心の眼で大調和と観るには信仰の深さが必要なので、吾々に真剣さを要求している神様が、神の子様たちに、「面」をかぶせていろいろな役割りを演じさせておられるだけかも?? 

それだから、復興G様が総裁は吾々の信仰を本物にするための観世音菩薩さまであります。と教えてくださっておられると思いますが・・・・

1420a hope:2013/05/27(月) 21:38:32 ID:edEDolt2
みなさま ありがとうございます。 合掌

>>1410志恩さま 

<<「日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、
現象の運動をする必要なんてないんですよね!」
ということは、ちがうのではないでしょうか。>>

わたしは、生長の家の『実相独在』とは、そういう事だと思っています。

真に『実相独在』を信じ切れば、ご飯を食べなくても生きられるだろうし、ミサイルもそれると思います。
だって、そういう奇蹟の数々のお話が「生命の實相」に山ほど紹介されていますし、それが、真の「生長の家の教え」なんだと思います。

それに、現象に現れた「悪」と見えることも、見方を変えればすべて「善」である、とわたしはここでお勉強させていただきました。


>>1411ユタカさま

<<なんでそうなるの?(笑)  いつも極端から極端に飛んで行きますね(笑} >>

わたしって、いつも極端から極端に飛んでいますか?
「おねえちゃん、ぶっ飛んでるね〜!」みたいなこと、独身時代はよく言われてましたが・・・やっぱりですか・・・(笑)。
でも、本来の生長の家の『実相独在』って、すっごくぶっ飛んだ、極端な真理だとわたしは思ってます。

1421a hope:2013/05/27(月) 21:40:06 ID:edEDolt2

>>1411髪の子さん

わたしは、実はそこのところははっきりしていないので、
<<雅春先生ご自身が現象世界に真理を伝える方便は、時代によって変えていかなければいけないとおっしゃているのではないですか?>>
という質問形式にさせていただきました。
どこかで、そのような文章を拝読したよう気がしていますが、自分で勝手にそう思い込んでいる可能性も大です。
ですが、ユタカさまも謹写してくださっていますが、雅春先生が、「自分は神の言葉を伝えるラッパである」」とおっしゃっていることは確かですよね。

わたしがそれらしい文章で手元にあるのは、「菩薩は何を為すべきか」P662行目から謹写させていただきます。

『・・・だから、「生長の家大神――総裁・副総裁――御教」と云う教えの通過する系列のうち、その総裁でも、
現在の総裁たる私が死んだら生長の家がダメになるであろうと考えるのは間違いであります。
私が死んでも、私は一種のパイプでありスピーカーに過ぎないから、又次ぎに私に嗣いでスピーカーとなる総裁と云うのが出来まして、
その人が私と同じような役目につき、一層新型の素晴らしい良質のスピーカーになって、私よりも上手に教えを宣べつたえ教化の体制を整備すると云うことになるのでありますから、
そのことについては心配はいらないのであります。
既に清超先生が私に劣らず教化の力を発揮しておられまして、今後ついに私を凌駕するよおうになることは必然であります。』です。

<<それと「靖国見真会」参加者様が言われてますが、学ぶ会のyoutubeをご覧になったり、学ぶ誌を読まれてますか?>>

この質問には、お答えする必要はないと思っています。
教団、本流に関する、左・右・中道に関するわたしの見解は既に、>>1404でお答えしました。


>>1415髪の子さん 

>>たとえば、雅春先生も、戦後、現象を扱った運動をされたようですが、 それは「日本国のためなら生長の家教団がつぶれてもいい」というご覚悟の上にされたのですよね?
それは日本人としての雅春先生ご自身の愛国心からされたことだったのではないでしょうか?>>

どうしてわたしが、そう思ったかというと、雅春先生の代表的な愛国書である「私の日本憲法論」のタイトルが、「私の・・・」となっていて、
そらには、「生長の家の真理」はたくさん書かれているとは思いますが、その内容を論じているのは、現象人間の雅春先生のような気がするからです。
だって、わざわざタイトルに「私の・・・」ってつけてあるますしね。
だから、それらの愛国書と云われるものは、雅春先生が神さまのラッパになって書かれたものではなくて、
戦後の日本や日本人をを守るための雅春先生ご自身の愛国心と、その時代に「生長の家の教え(真理)」を守るためにあえて現象を見て書かれた御文章なのではないかと思うのです。
だからわたしは、それは素晴らしい愛国書だと思いますが、神さまのお言葉を伝えた聖典であるとは思っていません。
同じく、雅春先生がされた愛国運動も、それは神さまの御心の運動ではなくて、戦後の日本や日本人を唯物論の左翼思想から守るため、
そして「生長の家の真理」を貫くためにされた運動だったのではないかと思います。
ですが、そこに、「住吉大神」の神意が働いていたかといわれればそれはそうなのだと思います。

以上は、すべて、わたしの個人的見解ですが・・・。

1422a hope:2013/05/27(月) 21:41:09 ID:edEDolt2
>>1416ユタカさま

誤解があったようなので、訂正させていただきます。

「雅春先生ご自身が現象世界に真理を伝える方便は、時代によって変えていかなければいけない」とおっしゃているのではないですか?
現象人間の雅春先生が、現象に働きかけてしてきた運動と言うものは、時代背景が変われば変えていかなければいけないのだと思います。」
  ↓
「雅春先生ご自身が、「神さまからの真理の言葉をを伝える方便は、時代によって変えていかなければいけないとおっしゃているのではないですか?
現象人間の雅春先生が、現象に働きかけてしてきた運動と言うものは、時代背景が変われば変えていかなければいけないのだと思います。」

という意味です。言葉が足りず申し訳ありませんでした。

<<谷口開祖先生が神様のラッパとなって『神様の言葉』を取り次いで下さっていらっしゃることが書かれています。>>

そのことは、わたしは十分理解しているつもりです。
ですが、これからユタカさまの謹写してくださった御文章をゆっくり拝読して、今一度考えます。

感謝 合掌。

1423a hope:2013/05/27(月) 22:27:55 ID:edEDolt2
>>1421の住吉大神の神意の「神意」の意味は、計らい、計画という意味です。
神のコトバ(御心)とは、違う意味です。

1424:2013/05/27(月) 22:47:02 ID:LehQ563U

 ahope様

 >>1421

 謹写をありがとうございました。

 「生長の家大神――総裁・副総裁――御教」に関してですが、私が勉強させて戴いていたご文章が、「本流宣言掲示板」にございます。

 ときみつる会の宮澤先生が、こころのかけはし誌に書かれたご文章を掲載をしてくださっておられる方がおられますので、参考までに次に、本流掲示板より転載させていただきます。

 ご参考になさってください。

1425髪の子:2013/05/27(月) 22:52:02 ID:LehQ563U

 < 「ときみつる会」宮澤潔先生の講演の抜粋 >

(「心のかけはし」第100号記念誌より (10328)
日時:2012年06月16日 (土) 17時19分
名前:さにわ


 「こころの旅路」という御本をテキストにいたします。
 御存じのように、雅春先生はいつも1ヶ月のうちの半分以上とかを地方御巡錫で、長途の旅をなさって御講演されていたわけです。この御本は、その旅先から御自宅の谷口輝子先生、ならびに恵美子先生に宛てて書かれた手紙と、逆におうちから雅春先生に宛てた手紙の中から、恵美子先生が抜粋・編集されたものです。
..........

<<私の姿が、白髪の老翁の姿に見えたとか、キリストの姿に見えたとか、云ふ人が度々あるけれども、その話は誌友会の席で私自身もすることがあるけれども、私自身それを宗教的幻覚として話しているだけで、自分自身が塩椎神様で、自分自身がキリスト自身であるとは自分にも信じないアルモノがあったのです。>>
..........

<<この大なる不覚は、自己の自覚がまだ三百六十度回転し得ず、人には「人間肉体にあらず」と説きながら、依然として「人間は肉体なり」と思ってゐる要素があった。>>
..........

<<百尺竿頭進一歩して、われ塩椎の神なり、世を救ふために出でたるなりの自覚が、自分自身にも乏しきが故に自己礼拝が出来なかった。>>
..........

<<従って自己さへも拝めないが故に、自分の妻を真の意味に於て拝むことが出来なかった。>>

<<私は素直に自分の妻が、貴女が、観世音菩薩であることを信じねばならないのである。>>

<<それは、本質に於て仏性に於て―と云ふやうな抽象的な意味や、哲学的意味に於てではなく、もっと具体的な意味に於て、我が妻は観世音菩薩が世を救はんがために肉身を仮に示現してあらはれてゐ給ふのである。>>

<<そして私は塩椎神そのものが世を救はんがために仮に肉身を示現してゐるのである。>>


と書かれたのですね。塩椎神というのは住吉大神と一緒ですから、御自分は塩椎神すなわち住吉大神、すなわち生長の家の神様そのものが、世を救わんがために、仮に肉体の身体を現しているのであるとの御自覚が書かれてあるのです。 これが、先生が人には仰らなかったところの、本当の奥深い、先生のお考えではないかと私は思うのです。


 「ときみつる会」では「神―開祖―御教え」を三位一体といいますが、私たちは、「開祖」であるところの谷口雅春先生は、神様のお言葉を受けた人間、神様のようなお方ではあっても、神様そのものではなくて、神様に近い優れたお人だと思っている面もありました。ところがこのお手紙には この「開祖」というのはすなわち塩椎神様であるという真義が書かれているのです。ここにおいて「神―開祖―御教え」が、三位一体であるということの、正しい意味がはっきりするのです。

(つづく)

1426髪の子:2013/05/27(月) 22:54:10 ID:LehQ563U

 先生はこれが人に読まれるなどその時は思いもされなかったでしょうから、宣伝するためでもない、自分を偉く見せるためでもない、御本心なのですね。先生が生前にこれを仰りたければ、幾らでも御自分の御本の中で示されたはずです。しかし仰っていない。だから、公には仰りたくないけれども、御自身ではそう本当に感じられたのですね。このことは、先生がもはや肉体をお持ちにならなくなってから後の世において、大変大事なことと思います。
..........

 宇宙の大神の真理を地上の人間に伝えるためには、その中間に人格的な面を備えられた神様が必要であり、それが生長の家大神であるわけですね。そして生長の家大神とはすなわち住吉大神であり塩椎神であるわけです。 しかしその生長の家大神、住吉大神、塩椎神といえども、直接に人間の言葉を語られたり書かれたりはなさいません。そこで、神のお言葉を人に伝えるためには、その神様が仮に人間の姿を現すことが必要であり、それを神様の化身というのです。


その化身として現れられたのが開祖・谷口雅春先生であるのです。つまり、開祖が人間の姿形をしてこの地上に肉体を現しておられたのは、ほんの仮の姿にすぎなかったのであって、開祖の御本質、御本体は生長の家の大神、住吉大神、塩椎神であるということです。 これから開祖の御教えが、何百年あるいは何千年経とうとまっすぐ伝わっていくためには、この深遠にして神聖なる「神―開祖―御教え」という三位一体を深く理解し、この三位一体に帰依するという純粋な信仰の姿勢が、極めて重要なのです。


なぜなら、この三位一体への正しい信仰が確立されていれば、「神―総裁・副総裁―御教え」などという、宗教的にあり得ない奇妙な、方向の間違った「中心帰一強制論」などに惑わされることはありません。あるいは、もしいつの世にか野心家が出てきて「開祖は昔の人でもう古い。これからは私がその代わりを務める」などと言うことがあっても、そんなことは妄言にすぎない、とすぐ分かりますから、迷いの森へさまよい行く虞(おそれ)はないでしょう。開祖・谷口雅春先生は塩椎神の化身でいらっしゃるのだから他のどんな人間もその位置に置き換ることなど絶対にできないのです。
..........

<<今や乾坤は一転する。>>

<<天地は新たに生まれ、自己は新たに生まれたのである。自己の眼の鱗は落ち、天の岩戸は開かれたのである。我が妻は光定君そのほかが、その霊覚で見たるが如くそのままに観世音菩薩なのである。そして私自身は多くの誌友が見たるが如く塩椎神そのものである。>>

(転載終り)

  さにわ様、無断にて転載させて戴きました。お許しを願います。
  合掌。

1427復興G:2013/05/27(月) 23:28:25 ID:AB6RqYXc

 ユタカさん、活発な、熱心なお勉強、ありがとうございます。
 私も、よいお勉強をさせて頂いています。

 それで、私も、ちょっと書かせてもらいたいと思います。

 ユタカ様が >>1416>>1418 に掲示してくださった『實相と現象』の「はしがき」に

>>神の言(ことば)に接する毎に、私は畏れ平伏(ひれふ)すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに谷口は十二分にお応えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些か(いささ)の悔いることなく尽し得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。……<<

とあるようなお言葉を拝読しますと、谷口雅春先生は、常に己を無にして神の御心をあらわしたいと、ある意味では壮絶な戦いをなさって来られたと拝察されます。

ですから a hope 様が、髪の子さんにおっしゃっている 

≪雅春先生がされた愛国運動も、それは神さまの御心の運動ではなくて、戦後の日本や日本人を唯物論の左翼思想から守るため、そして「生長の家の真理」を貫くためにされた運動だったのではないかと思います。≫

という投稿文には、ちょっとびっくりしました。

>>「雅春先生ご自身が現象世界に真理を伝える方便は、時代によって変えていかなければいけない」とおっしゃているのではないですか?<<

 ということについては、『叡智の断片』に、次のようなお言葉があります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     宗教家の現代的使命
 宗教が一切衆生を救済し得るためには時代応現の姿がなければならないのである。
(『新版 叡智の断片』p.84)
       ○
 終戦前とその後とで、説き方が変って来なければならないのはそれは現象的合理の方面であって「真理」そのものは終戦前も後も同じことである。

 現象を取り扱った言論や人間の頭脳的思索は、やがて時代に適合しなくなるものが出来るのは当然である。しかし神の啓示によるところの真理は超時代的なものである。雨がふるときに傘をさせと教えても、天気になったら、傘をさすなと教えるのは当然である。現象を取り扱うときには、時代を超えることは出来ないし、環境を超えることは出来ない。時処相応のことを説くのである。時代に即して変りながら終始一貫した真理を説くのが本当である。
       ○
 「あの時は、傘をさせと教え、今は傘をさすなと教えるのは、前後矛盾である。先生は矛盾している」と言うのは間違いである。
(『新版 叡智の断片』p.199〜p.200)

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――上記のご文章で、
「時代に即して変りながら終始一貫した真理を説くのが本当である。」
というところが、骨子であると思います。
その「終始一貫した真理」、「神の御心」とは何か。――
<つづく>

1428復興G:2013/05/27(月) 23:29:08 ID:AB6RqYXc

<つづき>
「終始一貫した真理」、「神の御心」とは何か。――それは、

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『日本国家の理想とは何であるか。それは「宇宙の理想」と一つのものである。
「宇宙の理想」とは釈尊の説く金波羅華(こんぱらげ)の世界であり、
キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。
(『聖なる理想・国家・国民』15頁)と書かれています。

この「日本国」とは、現象の日本ではなく、大和の理念なる実相の日本国であり、
「大和の国の神示」においては「大日本世界国(ひかりあまねきせかいのくに)」
と表現されているものであります。

そして『叡智の断片』においては

『「敗戦前、真の日本なし。敗戦後、真の日本なし。現象裡、真の日本なし」
前後際断の「今即久遠」にのみ真の日本あり。真の日本を知らざる者は日本人に非ず。』

と書かれているところの「真の日本」であります。

そして「久遠天上理想国実現の神示」に

「イエス・キリストも『み心の天に成るが如く地にも成らせ給え』と祈ったが、
実相世界では既にひとつの極身(きみ)に統一せられて、常楽の浄土となっているのである。

……形の世界が心の世界の影であることが解り、実相世界が久遠常住の世界であると言うことが判れば久遠皇統連綿と言うことは実相世界の久遠常住性が最も迷いの念なしに形に顕れたのが日本国だと言うことが解るのである。

……生滅常なき現実世界が変じて久遠実相世界の常住性を顕現するには、常住性ある国がひろがりて常住性なき国を包みて、十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界としなければならぬのである。……」

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 上記最後のご文章は「神示」であって、「谷口雅春先生個人のお考え」ではありません。ですから、
≪雅春先生がされた愛国運動も、それは神さまの御心の運動ではなくて、戦後の日本や日本人を唯物論の左翼思想から守るため、そして「生長の家の真理」を貫くためにされた運動だったのではないかと思います。≫

と a hope様が書かれたのを読みますと、愛国運動はすべて神さまの御心の運動ではなかったというようにもとれるので、それは違うと、私は思います。具体的な現象運動においては神の御心を外れた行き過ぎなどもあったかも知れませんが……。
「生長の家の真理」は「宇宙の真理」であると、私は思っています。
<つづく>

1429ユタカ:2013/05/27(月) 23:53:44 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

a hopeさまは、志恩様や復興G様や皆さんのおっしゃていることをもう少し良く読んでから自論を展開ください。

実相独在とは、ミサイル・・ご飯・・・←こういう書き方が誤解させるのでは?

実相は大生命の世界で物質の世界の事を言っていないからそれで正解だと思いますが・・・・
やはり、実相と現象が混同しているみたいです。

話は変わって・・・
>時代によって「神様のスピーカー」が一層新型の良質の素晴らしいスピーカーに・・・・

と言うところですが、現在の雅宣総裁は神様のスピーカーにはなっていません。これは本人が自分の書いたものを聖典と呼ぶなとおっしゃっています。

繰り返しになりますが、神様が時代の宗教家・大哲と現れて法を説くと書かれてあるのですから、

現在の雅宣総裁がスピーカーとして機能していないということは、開祖先生の教えがまだ新型スピーカーによって放送されていないどころか、放送を止めてしまわれたので、各種団体が原宿教団にかわって放送しているのですから、

今現在の新しいスピーカーは学ぶ会・ときみつる会の講話、また、雅春先生の教えを忠実に説く諸先生方といえましょう。

1430ユタカ:2013/05/28(火) 00:15:02 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
>上記最後のご文章は「神示」であって、「谷口雅春先生個人のお考え」ではありません。ですから、
≪雅春先生がされた愛国運動も、それは神さまの御心の運動ではなくて、戦後の日本や日本人を唯物論の左翼思想から守るため、そして「生長の家の真理」を貫くためにされた運動だったのではないかと思います。≫

と a hope様が書かれたのを読みますと、愛国運動はすべて神さまの御心の運動ではなかったというようにもとれるので、それは違うと、私は思います。具体的な現象運動においては神の御心を外れた行き過ぎなどもあったかも知れませんが……。
「生長の家の真理」は「宇宙の真理」であると、私は思っています。
<つづく>


これと、その上の文章もとても明確で分かりやすくて、読んでいてますますスッキリハッキリしてきて嬉しくなってしまいました!!
ありがとうございます、感謝します。

1431髪の子様:2013/05/28(火) 00:21:56 ID:8l/CYASM
ahopeさんへ。

「私の日本憲法論」お持ちなのですね。私は、手元になくて、光明掲示板でコスモス様のご愛念の謹写を拝読させて貰っています。
「私の日本憲法論」の一番最初の、雅春先生のご文章の序文のところに、この御本がどういう御本であるか、雅春先生がお書き下さっておられます。

1432復興G:2013/05/28(火) 00:29:50 ID:AB6RqYXc

a hope様。

>>本来の生長の家の『実相独在』って、すっごくぶっ飛んだ、極端な真理だとわたしは思ってます。<<
>>1420

そうですね。

ユタカさんの呼びかけで今回の自主勉強会のテキストになっている『生命の實相』第3巻第4章、私も拝読精読しなおしています。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 われわれの想念が、神の創造し給えるそのままの状態を念じますことを「正念(しょうねん)」といいまして、その正念の影が映れば現実世界は完全な病気も災難もない状態を現出するのであります。つまり「正念」とはあらゆる事物を神の造り給えるままの状態そのままに念ずることで、そういう正念をもって生活することを神に結ばれた生活というのであります。

 「正念」の反対に神の造り給わない事物――病気、災難等、一切の不完全を、完全なる愛の神はけっして造り給わないのでありますが、このような神の造り給わない事物をわれわれが念(おも)うことは、神の真創造を「離れて」空想をありもしない事物に自由に飛ばすことでありますからそういう念を「妄念(もうねん)」とか転倒(てんどう)の念とかいい、そのような「転倒(さかさま)の念」をもって生活することを神から離れて生活すると仮にいうのであります。

 現実世界はわれわれの「念」の合作によって成る一大化城(幻の世界)であって、「念」というものを活動写真のフィルムにたとえますと、現実世界はスクリーンに映っている映画の世界であります。ふつうの人は、この現実世界を影絵の世界であるとは思わず、実在の世界に不幸や病気が起こってくると思い、影絵に膏薬を当てるような治療をしたり、改造したり、不幸から逃げ出したりしようとするのでありますが、これは本末を転倒した話なのであります。(テキストp.75〜76)

 本当の神はその人が実相世界の造り主なる「本当の神」を知り、つくられたるままの実相の「本当の自分」を知り、「本当の神」と「本当の自分」との間が完全な愛と知恵とによって結ばれていることを悟りえた時にのみ、「内から」催してくる英知となり、「内から」催してくる慈愛深き保護となってあらわれ給うのであります。それは実に、的と鉄砲とを正しくねらい合わすごとく、本当の神と、自分の心とを正しく照準するときに自然に「内から」さし込んでくる神の英知の光であります。この光が正しくさし込めぱそれが神の導きでありまして、現象世界は「映(うつ)し世」であり「影の世界」でありますから、自然に現象世界のわれわれの一挙手一投足に調和ある状態が現ずる、これを一挙手一投足日常生活ことごとくが神に導かれるというのであります。(テキストp.87)

 (テキストp.93〜より) 同志よ、同志を作れ、そしてこの人類光明化運動を燎原の火のごとく野火のごとく広がらしめよ。社会は、日本は、いま、一歩一歩絶大の危機を孕みつつ墜落して行く。社会はどこまで墜落して行くか、日本はどこまで墜落するか。(注・これは昭和六年頃の文章である)盲目的に墜落するも改造するも危険である! ここに神の摂理として人生の燈台が出現した! それが生長の家であります。
 平和の中で病気に罹らず、戦乱の巷にいて砲弾に当たらず、かくしてみずから傷つかず同時に周囲を光明化する道を生長の家は指示しているのであります。

 現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。
<つづく>

1433復興G:2013/05/28(火) 00:30:37 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 では世界の改造運動に内より燈(ひ)を照らすものは生長の家でなければならない、だから世界の改造家がもし切実に人類を愛し、本当に地上天国をこの世に招来しようと思うならば、まず生長の家に来り地上天国の雛型たるべき各自の生命の実相を「見真」しなければならないのであります。神の造りたまえる存在の実相に透徹し、その実相を雛型としてそれを現実世界に現わしてのみこの世界は本当に地上天国となるのであります。

 我欲や見当違いで改造改造と力んでみても、各自の心に神の子としての生命の実相が見真されていなければ、盲人の手引きで、多数の盲人を河中へ突き落とすようにエッサエッサと改造の掛け声を掛けながら、現在の人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります。

 心が形の雛型となる! ではまず心に自己の生命の円相を自証せよ、組織は自然に浄まるであろう。組織が浄まらなければ、心が浄まらないというのは、「戦場にあって砲弾にあたらないことはむずかしい」というに等しい。それは実例でも解るとおり、むずかしいと思う者にだけむずかしいのである。心を浄めて地上天国の根本基礎を築きなおし、そこからこそ社会改造にも出発しなければ、いたずらに犠牲者ばかり多くして効果は少ないのであります。

 戦場に出ても弾丸にあたらないで敵を克服しえて、根本平和を招来しうるにこしたことはない。地上天国の建設にもできるだけ敵弾の犠牲者にならない方がよいのであります。そのためにまず、神の子たる自己の心の力を信ずる――そしてこれを実証しつつあるのが「生長の家」であります。すでに病気を征服し、戦争には砲弾雨注の間にあってあたらぬことを実証し、経済組織の欠陥の真っただ中にあっても、その欠陥の弾丸をくぐりぬけうることを立証した。すべての人間がこの生長の家の説く真理を悟るとき、人生には、たれも人生の弾丸にあたる者がなくなる、すなわち少しも犠牲なしに地上天国になるのであります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――上記のテキスト謹写文で、

≪現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。≫

≪世界の改造家がもし切実に人類を愛し、本当に地上天国をこの世に招来しようと思うならば、まず生長の家に来り地上天国の雛型たるべき各自の生命の実相を「見真」しなければならないのであります。神の造りたまえる存在の実相に透徹し、その実相を雛型としてそれを現実世界に現わしてのみこの世界は本当に地上天国となるのであります。≫

≪神の造りたまえる存在の実相に透徹し、その実相を雛型としてそれを現実世界に現わしてのみこの世界は本当に地上天国となるのであります。我欲や見当違いで改造改造と力んでみても、各自の心に神の子としての生命の実相が見真されていなければ、盲人の手引きで、多数の盲人を河中へ突き落とすようにエッサエッサと改造の掛け声を掛けながら、現在の人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります。心が形の雛型となる! ではまず心に自己の生命の円相を自証せよ、組織は自然に浄まるであろう。≫

 ――といったところは、これからの私たちのあり方をはっきりと指し示されていると思います。
 人間が生命の実相を悟らなければ、いくら組織が変わっても、「人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります」と書かれているのであります。

 皆様! ここが大切なところだと、私は思います。
<つづく>

1434復興G:2013/05/28(火) 00:31:18 ID:AB6RqYXc

<つづき>

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「念仏称えはじめれば人を審判(さば)きはじめ」、宗団に内紛絶えず、分裂反噬(はんぜい)これ事とするはすべてみずからのみを尊んで神の子すべてを尊ばぬからである。まず、教団の内紛をやめよ。また宗教家よ、他の宗派と対立して争うな。宗教は和である。「剣(つるぎ)をとるものは剣によって亡びる」のである。「人を審判(さば)くものは、またみずからも審判かれん。」審判く者の満つる世界を地獄という。地獄には閻魔王(えんまおう)と鬼ばかりがいるのである。赦すものの満つる世界を極楽という。極楽には阿弥陀如来や観世音菩薩のみが住んでいるのである。

 されば「人間は神の子なり」と悟ることは、自分のみが「神の子」であると悟ることではない。「人々ことごとく神の子である」と悟り、協心同和して神様の顕現にましますあらゆる人間を礼拝することである。世界大平和は、帰一と協和と包容とより生ずるのである。楽園復活は帰一と協和と包容とのないところには生まれない。

近来「日本的」なる語がおびただしく用いられるに到って、「日本的ならざる」いっさいのものを排斥せんとするがごとき主張が所々方々に聞こえるけれども、これほど日本的ならざることはないのである。日本的とは、大和的であることである。いっさいと調和していっさいを包容することこそ本当に日本的なのである。われらは在来の小島的観念にたてこもる我執を放たなければならない。仏教よし、キリスト教よし、回教よし、すべてその教えの神髄にさかのぼるときすべて真理は「一つ」なのである。宗教は「一つ」であり、人間は一つである。すべての人間は神の子であるのである。
(『生命の實相』第33巻41〜42頁より謹写)

 合掌 ありがとうございます。

1435志恩:2013/05/28(火) 00:39:01 ID:.QY5jUA6
大変遅くなりました。ahope様の質問に対して、
ユタカ様、髪の子様、適切なご回答をして下さって、ありがとうございます。私も教えて頂いております。

>>1429:ユタカ様がおっしゃって下さった通りを,私もahope様の発言に、同じ様な感じて抱いております。

ahope様は、書いても よく読んで下さっていません。ですから、私は、書く気力が持てなくなっております。

ユタカ様がご指摘のahope様のお言葉

>>真に『実相独在』を信じ切れば、ご飯を食べなくても生きられるだろうし、ミサイルもそれると思います。
だって、そういう奇蹟の数々のお話が「生命の實相」に山ほど紹介されていますし、それが、真の「生長の家の教え」なんだと思います。<<

ということですが、いくら「実相独在」を信じ切っていても、
生まれてから死ぬまで、例えば100年間、いっさい飲まず食わずで生きられるとは、到底思えません。
a hope様、出来ると思われたら、今後、是非、実行されてみてください。

ミサイルのことも同様です。悪はないとは、実相のことで、中国や北朝鮮のように、腹黒い国家は実在しているのですから、国防は大事です。
a hope様の考え方ですと、自衛隊も警察も要らないことになります。

もともとの教えを時代の変化により、変えていいというのは、教えの神随の部分ではなく、例え話を現代風にアレンジして話すのは、変えてもいいでしょう。
しかし、
雅宣総裁は、森のオフィスの落慶式(7/7)では、「甘露の法雨」の読誦をやめて、ご自分のお経を読むということが、光明掲示板に載っているでは、ありませんか!

時代に合わせて変化するというのは、もともとのお経や、雅春先生の著書を亡きものに、することではありません。
「調和する」とは、そのような暴挙に対して、こびへつらうことでも、ありません。

なんでもかんでも、自分の色を相手のいいなりの色に変えて、どうするんですか。それは、調和とは、いいません。

実相は礼拝するけれど、やってはいけないことをされた場合は、毅然として、ノーと言い、拒否しなければいけないと思います。

元々の生長の家の教えは、国家の実相顕現もそうですが、一人ひとりの救済を基本としていました。
それが、今は、一人ひとりの救済運動はなくなり、自然を愛する運動に変わってしまいました。

生長の家の真理の言葉によって、心が救われる方が大勢いらっしゃいました。
その内面の救いが、具体的な人生をも幸福に導いてきました。

宗教には、内面的な救済のみを目指すものもありますが、生長の家は、内面的にも 人生上にも 救いをもたらしてきました。
病める者は健康となり、貧しき者は富める者となり、家庭不和は解消されました。
もともとの生長の家の真理の言葉には、これだけの救いの力があるのです。

真理の言葉は、一人ひとりの心の内に、人生の上に、天国を実現します。
それを多くの人に広げていきましょう!というのが、昔の布教活動だったのです。


生長の家は、人類救済の教えとして誕生しました。
ですから、その根幹には人類への深い愛情、慈悲心が流れています。

三代目の雅宣総裁は、四無量心を説かれて、自然を愛することだと言われますが、
雅春先生は、人類や国家を、そして世界を、愛されたのです。
人間神の子とは、単なる真理ではなく、人類救済の真理なのです。
人類の不幸への同悲の心なしには、人間神の子の教えはありえません。

「人間は素晴らしい神の子である!」という喜びも、人類への同悲の心も、人類への深い愛情ゆえなのでした。

1436志恩:2013/05/28(火) 00:42:37 ID:.QY5jUA6
復興G様の書き込みを拝見しないで、1435を書き込みました。
復興G様、ご指導、ありがとうございます。

1437ユタカ:2013/05/28(火) 00:51:43 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

素晴らしいまとめの御言葉を頂きまして、誠に有難うございました。勉強会とa hopeさまへの回答をまとめてくださいましたことで、改めて、生長の家の御教えに忠実に心の照準をあわせて生きていくことが地上天国を建設することということを学びました。

神様の御心が現れた素晴らしい実りある勉強会の締めとなりましたことを感謝いたします。

1438髪の子様:2013/05/28(火) 01:08:54 ID:GpLjp1XI
飛び入りで発言をさせてもらいましたが、復興G先生のご指導や、皆様のご指導に勉強になりました。
ありがとうございました。

1439志恩:2013/05/28(火) 01:13:40 ID:.QY5jUA6
復興G様

>>1434:
>>「念仏称えはじめれば人を審判(さば)きはじめ」、宗団に内紛絶えず、分裂反噬(はんぜい)これ事とするはすべてみずからのみを尊んで神の子すべてを尊ばぬからである。
まず、教団の内紛をやめよ。また宗教家よ、他の宗派と対立して争うな。宗教は和である。「剣(つるぎ)をとるものは剣によって亡びる」のである。「人を審判(さば)くものは、またみずからも審判かれん。」
審判く者の満つる世界を地獄という。地獄には閻魔王(えんまおう)と鬼ばかりがいるのである。赦すものの満つる世界を極楽という。極楽には阿弥陀如来や観世音菩薩のみが住んでいるのである。>>

ここだけ拝読しますと、
雅宣総裁を批判する人を、復興G様がおっしゃるように、人をさばいている人というふうに、受け取れますが、
他の、ところでは、虚説にとは、和解は出来ぬ。妥協と和解とは、別物であると、虚説と和解してはならぬと、説かれていますが。。。

1440ユタカ:2013/05/28(火) 01:16:12 ID:R1D4Jmeg
すみません、終了のような書き方をしてしまいました。

続けて書かれるかたはどうぞ!!

1441志恩:2013/05/28(火) 01:21:47 ID:.QY5jUA6
行動も言葉だと思うのです。
「甘露の法雨」をはずされても、なにをしても、おかしいと言うなと、おっしゃるのでしょうか?

雅宣さんは、言葉では、さばきませんが、行動で、さばきを表現されていると思います。

それらも、全部、おかしいと言うことは、いけないことなのでしょうか?

1442志恩:2013/05/28(火) 01:26:06 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

夜、遅いので、復興G様はお休みになられたと思います。
明日、お返事下さるでしょう。

いろいろ、ありがとうございます。
おやすみなさい。

1443rei:2013/05/28(火) 07:52:39 ID:S8XW4Pco
合掌
ありがとうございます。
復興Gさま
素晴らしいご指導に感謝もうしあげます。
末端信徒の現実を知って頂きたく書き込みを致します。
私は平成4年入信の者です。
幸せな家庭生活を目指して入信した者ですが熱心に活動もしてきました。
愛国運動については、a hopeさまと全く同じ思いを持っていました。
愛国書の数々は古参信徒の方から頂いていたのにもかかわらず読んでいませんでした。
現在、教団に残っているご本でも、愛国に関しての部分は読んでいるのに心に届いていませんでした。
なぜかと言われれば、現教団が重版保留にしているのには理由があるのだろうと漠然と思っておりました。
今は読まない方がいいのだろうと自分で判断してしまっていました。
「日本国の実相顕現ってなにそれ?」
と、本当に思っておりました。
現総裁への中心帰一をブロック研修会で毎年言われ続けられました。
人につくのではいけない、総裁副総裁を通じてあらわれる生長の家の大神についていきなさいと、
教区の白鳩会では言われ続けられました。
マインドコントロールされていたのだと思います。
私にとって、これまでの時間は必要だったのかどうかわかりませんが、今、目が覚めて行くのを感じています。
a hopeさま、志恩さま、ユタカさま。
そして復興Gさま。
心より感謝申し上げます。
再拝

1444トキ:2013/05/28(火) 10:01:23 ID:4MLkYzvs
 復興G様、素晴らしいご指導をありがとうございます。

 確かに現象を相手にする限り、時代に応じて運動を変えるのは当然です。
ただ、現役の会員は、どうしても運動に走り過ぎて、真理についての研鑽が疎かになる傾向があります。
(これは、自分の反省です)

 その意味で、復興G様のご指導は、多くの現役の会員さんに有益だと信じます。

 深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1445志恩:2013/05/28(火) 10:15:09 ID:.QY5jUA6
rei様

ご投稿、大変うれしく思いました。

生長の家は、三代目になってから、すっかり様変わりしてしまいました。

7/7の森のオフィスの落慶式には、「甘露の法雨」読誦は、されません。削除されました。
その聖経は、除け者にされ、代わりに三代目が、頭脳を絞ってつくった、例の2つのお経が読誦されるそうです。

この手法で、もともとのお経も、聖典も、狡猾なやり方で、闇に消されて行っているのが、現実です。

われわれ信徒は、「悪を見るな」「観の転換をせよ」「実相独在」だ、、という教えを教えて頂きまして、行じてきましたから、
おかしいことを、おかしいということは、よほど、教えと人類への「愛」がないと、発言できないことなのです。

三代目の眼にあまる行状に、こころを痛め、全国のこころある皆様が、立ち上がられ、おかしいことをおかしいと言い続けている。

本来の生長の家の教えを、この世から消してはならないからです。

過去のことだけでしたら、本流だって、このように言い続けなくて済むわけです。

しかし、実際は、あり得ない様な、ひどいことを教団は、今もなお、つぎつぎと、やり続けているのですから、
本流側も、それらにつきましても、
おかしいことは、おかしいと、言いたく無くても、言いつづけ、今もなお言わざるを得ないのです。

それをですよ。ひどい行状をやり続けているほうが、とんでもない人達なのに、それについて、批判している人達を、
人をさばいている、とか、大調和の教えに反しているとか、おっしゃる方々もおられて、
私は、「なにそれ!!」「事なかれ主義じゃん」と、愕然とした気持ちに襲われるのです。

1446志恩:2013/05/28(火) 10:22:28 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生をお慕いする掲示板より転載
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[83] なぜ、昔の生長の家は、あのように輝く存在だったか。

志恩 - 2013年01月16日 (水) 05時37分

管理人様

凋落した大企業の会社について調べてみました。

アップルは、ジョブズ氏が再建しました。

日産は、ゴーン氏が再建しました。

JALは、稲盛氏が再建しました。

彼らは、どのように凋落した会社を、V字回復させたのでしょうか?

凋落した大企業の特徴は、
決まって、「事なかれ主義」が、蔓延していたそうなのです。

その

「事なかれ主義を排し、原理原則に戻し」

彼らは、凋落した どの大企業も、再建したことを知りました。
未だ凋落中の、ソニーもそのようですが、

生長の家教団全体も「事なかれ主義」が横行しています。
教団は、上から下まで、唯々諾々と従っています。

なぜ、昔の生長の家は、あのように輝く存在だったのでしょう。

それは、
創始者・谷口雅春先生の説かれた教えの(真理)理念がすばらしかったこと。
そして、その(真理)理念を創始者ご自身が
一介の信徒の志を持ち、謙虚に生涯、実践されたことに尽きると思います。

生長の家本来の、生長の家スピリットは、時代を問わず,今でも通用すると,私は
強く感じております。

生長の家も凋落しました。
生長の家再建を可能にするには、本来の教えに、原点回帰することが、必須なことだということが、
皆様の間で、わかってまいりました。

その時代に合ったニーズが必要だという声もありますが、
それは、人間一人一人を考えれば、昔と同じ、ニーズではないでしょうか。
つまり、人間が、
宗教に求めていることとは、個人救済と、我が国に誇りを持てる人間になりたいということ。
これが、基本だと思います。

生長の家には、幸いにも、他宗教にはない、世界最高の教えが説かれているのです。

この本来の教えを、個人個人が生きるための支えとし、心の柱とすれば、

生長の家の再建は、日本国の再建,世界の再建に貢献し、それこそ
世界平和に繋がると確信しております。

教えのことだけでなく、組織のことを考えても、「今の教え」には、自由闊達さも愉快な気風も凋落しています。

「自由闊達さが失われた、正義が通用しない組織になった場合は、
 日本社会に於ける世間の一般常識では、 組織の長の撤退が 最良の選択肢」だといわれています。

しかし、
今の生長の家教団は、それが通用しません。というか、通用しないように、
雅宣総裁が、ご自分の総裁の座を守るために、辞めさせられないような組織に、規約を強引に改悪したそうです。

誠にも,恐ろしい事です。

雅宣総裁擁護派のかたがたは、生長の家の教えを、
すぐに 個人 対 個人 の問題解決法に
結びつけて、こう言われます。

「全ての問題解決の鍵は、「天地一切のものに感謝する」これしかないのである。
「すべて自分に責任があり、己の魂を磨かんとするためですから、感謝しかないのである」

ゆえに、雅宣総裁が、言行不一致をしようが、あこぎなことを続けようが、彼を批判するな、
ただただ、彼に、感謝しかないのである…というぐあいに、持って行くのが常です。

この教えの捉え方は、感謝とは、
最初に持つべき、心構えであり、そこからが、行動のスタートであるべきですのに。

そこのところで、自己満足してしまって、自他にブレーキをかけ、終わってしまうから、
生長の家教団全体に、「事なかれ主義」が蔓延してしまい、凋落が止まらないのだと思います。

それは、美味しい料理のレシピを知ったら、その時点で満足してしまい、
実際にレシピ通り、
料理を作らない人と同じです。 つづく

1447志恩:2013/05/28(火) 10:24:42 ID:.QY5jUA6
つづき〜

大企業のソニーの会社も、何代目かに取締役が代わってから凋落中ですが、
ソニー関係の本を読みますと
ソニーの会社でも、取締役と、その取り巻きだけは、今でも破格の役員報酬を
得ているそうです。

赤字を出し続けていて、リストラも続けているのに。
技術革新もガラパゴス化しているのに。

そして、優秀な人材が、会社を辞めてしまったので、頼りになる人材が居ないため、外部のコンサルタントの意見ばかりを
頼りにしているということも、凋落に歯止めがかからない理由の1つにあげられています。

それでは、社員は、やる気をなくすでしょう。
社員は、上の人の命令に唯々諾々と従っているだけだそうです。

今の生長の家教団に、似ていませんか?

そういうソニーの場合でも、
和解派、並びに 雅宣総裁擁護派の皆様の 口ぐせ のように

ソニーの社員は、ソニーの社長に、唯々諾々と従い

ソニーの会社が、凋落したのは、
社員である己の責任だと思い、ただ ただ 社長 に感謝していれば、ソニーは 再建できるでしょうか。

いいえ、

[ 再建は、心で感謝しているだけでは、足りません。]

[ それと共に、神に導かれた知恵ある 行動 が大切なんです。]


発言も行動の1つです。
どうぞ、いままで沈黙されていらしたお方、

あなたさまも発言に、是非参加してくださいませんか。
よろしくお願いします。

今,心ある人達が、立ち上がらなければならない時だと思います。

1448志恩:2013/05/28(火) 10:31:34 ID:.QY5jUA6
トキ様

私は、大幹部でいらっしゃる
復興G様、トキ様が、ご指導下さってますことに、心から有り難く感謝申し上げております。

私は復興G様、トキ様を敬愛させて頂いております。

しかし、納得いかないところや、疑問に思うところがありました場合は、
その点のみを、正直に発言させて頂いております。

閲覧者の皆様の多くも、疑問に思われる点だと存じますので、
よろしかったら、私の疑問について、
トキ様、教えてくださいませ。

1449志恩:2013/05/28(火) 10:37:44 ID:.QY5jUA6
>>1444:トキ様

「確かに現象を相手にする限り、時代に応じて運動を変えるのは当然です。」

ということは、

一人ひとりの救済運動その他はやめて、大自然を愛する運動、環境問題運動専門に
変えたことへの

トキ様の評価だと、閲覧者の皆様は、受け取られると思います。

1450神の子さん:2013/05/28(火) 12:16:06 ID:xpQcypaw

トキさんの
「確かに現象を相手にする限り、時代に応じて運動を変えるのは当然です。」のご発言。
何年か前の、雅宣総裁のご指導の講習会で、雅宣総裁から直接同じ言葉を聞きました。

1451トキ:2013/05/28(火) 12:30:43 ID:4MLkYzvs
>>1449

 先ず、私は、大幹部ではなくて、ヒラの会員です。(苦笑)

 現象に応じて運動を変えるのは必要ですが、結果がともわない場合、当然、正しい方針ではないという
事ですから、再度、検討する必要があります。

 ですから、私は、再度、検討する必要があると思っています。

合掌 ありがとうございます

1452こんにちは:2013/05/28(火) 14:49:13 ID:iDTg5M7c
>>1451 トキ様

私は、教団とも学ぶ会とも距離をとって独自の活動を続ける「ときみつる会」が、最良の選択をしていると考えています。
トキ様は、どうお考えなのでしょうか?
「ときみつる会」のような道でも、トキ様とは相容れないのでしょうか?

1453トキ:2013/05/28(火) 17:05:20 ID:4MLkYzvs
>>1452

 「ときみつる会」の宮澤潔先生ご夫妻は立派な方だと聞いています。主張には政治的な部分もあるような
印象はありますが、独自のお立場で頑張っておられるのも素晴らしいと思います。

 私自身は教団に残っているので、お立場は違いますが、個人的には頑張って欲しいと思います。

合掌 ありがとうございます

1454復興G:2013/05/28(火) 20:33:31 ID:AB6RqYXc

皆々様。
昨夜までのweb誌友会自主勉強会をもう一度ふりかえって思うこと、補足資料などを書かせて頂きます。

「現象は、ない」。「実相独在」。――実在するのは完全円満なる神のみ。だから、ただ喜び、感謝あるのみ。
喜び、感謝すれば、喜び、感謝すべきものがますます大きく現れてくる――というのが生長の家の教えでありますね。

<生命の実相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば、大生命の癒力(なおすちから)が働いて神癒(メタフィジカル・ヒーリング)となります――『生命の實相』第1巻>

それで、>>1420でa hope様が
<<「日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、現象の運動をする必要なんてないんですよね!」
わたしは、生長の家の『実相独在』とは、そういう事だと思っています。
真に『実相独在』を信じ切れば、ご飯を食べなくても生きられるだろうし、ミサイルもそれると思います。
だって、そういう奇蹟の数々のお話が「生命の實相」に山ほど紹介されていますし、それが、真の「生長の家の教え」なんだと思います。>>

と書かれていました。
それで、浮かんできたのは、『新版 真理』第3巻第20章の、沢庵禅師と柳生但馬守の話です。以下に、その前の頁から謹写掲示させて頂きます。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(『新版 真理』第3巻 p.262)
 ……絶対善の生活をしようと思ったならば、すべての「立場」を捨てなければならない。「善」という立場すらも捨てて、「そのまま」にならなければならない。この「そのまま」は、もう善悪の立場を超えて、絶対と「一つ」になっているのであります。だから慧能(えのう)は、明上座(みょうじょうざ)に真理を教えて下さいと云われたときに、

「善をも思わず、悪をも思わず、ギリギリの正念場に立った時、もう人間知恵でどうすることも出来ぬとき、その時、人間考えを完全に捨てる一刹那が来ることがある。その時だ、その時だ、お前の本来の面目――人間知恵を超えたそのままの人間の本当のすがたがわかる!」

 と云ったのであります。道元禅師も「正法眼蔵、生死巻(しょうじのまき)」に「ただ我身をも心をも放ち忘れて仏の家になげいれて、仏の方よりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをも入れず、こころをもついやさずして生死(しょうじ)をはなれ仏となる」と教えられているのであります。

「善をも思わず、悪をも思わず」とは、要するに我(が)の立場――「自分」と云う片寄った物の考え方――がなくなって、「仏の方(かた)からおこなわれる」から、生活が仏ばかりになるのであります。生活が仏ばかりの生き方になれば、融通自在行きづまることがない、これが禅の生活であります。(p.262)
<つづく>

1455復興G:2013/05/28(火) 20:34:17 ID:AB6RqYXc

<『新版 真理』第3巻より つづき>

   第二十章 当り前が当り前の生活

     沢庵禅師と柳生但馬守

 あるとき沢庵(たくあん)禅師と柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ)とが禅の極意、剣の極意について談合(はなしあ)っていました。折柄(おりから)はげしく驟雨(にわかあめ)が降って来ました。

 沢庵禅師はそのとき柳生但馬守にむかって、
「そなたの剣の極意をもって、この篠(しの)つくような雨にも少しも濡れないでこの庭を歩くことが出来ますか。」と云いました。
「できると思います。」

 但馬守は立上ると、袴(はかま)の股立(ももだち)高くからげ、刀のさげ緒をもって甲斐甲斐しく襷(たすき)を十字にかけ、剣をぬいて篠つく雨の中におどり出ました。

 雨がざんざと降りしきる中を但馬守は丁々発止と、その雨を斬り払い、撥(は)ねとばして広いお庭をひとまわり廻りましたが、さすがに少しも濡れないのであります。

「いかがでござる。この通り剣の極意はこの降りしきる雨さえも、このように斬り払うことが出来るのです」と但馬守は座敷に帰って来ると、その濡れていない自分の着物などを振り返りながら、自慢そうに云いました。

 すると、沢庵禅師は、但馬守の着物を上から下へ、下から上ヘズッと眺め渡しておりましたが、袂(たもと)の裾に一滴、雨の雫(しずく)がかかっているのを見つけまして、

「但馬守どの、此処が濡れておりまするぞ。」と云いました。そして、

「拙衲(それがし)が、ひとつ雨に濡れないで此の庭へ出てみましょう。」

 こう云って沢庵禅師は外に出ますと、雨はいよいよざんざ降りしきります。禅師は大きな庭石の上に静かに坐って、坐禅しまして実にやすらかな表情(かおつき)で眼をつぶっていました。雨が降るのも、心の眼には見えないと云うような様子です。

 しばらく其処に坐っておりましたが、やがて沢庵禅師は立上って座敷へ帰ってまいりました。見れば全身濡れ鼠になって、着物からはぽたぽた雫が垂れております。それなのに沢庵禅師は悠然として、

「どうじゃ、少しも濡れていまいがな。」と申しました。

 何だか狐につままれたような話ではありませんか。しかし、沢庵禅師が「どうじゃ、濡れていまいがな」と云われたのは、「実相」のことなのであります。人間の「実相」は水に沈んでも溺れず、火に投ぜられても焼けず、金剛不壊(こんごうふえ)のものだと云うのであります。びしょびしょに濡れて、ぽたぽた雫が落ちているのは、「現象」のことなのであります。

     「実相」とは何? 「現象」とは何?

 ここで実相と現象との話をしなければ、はじめての方には一寸(ちょっと)わかりにくいかと思われるのであります。

 「人間は永遠に死なない」と云います。これは、実相すなわち実の相(すがた)のことを云うのでありまして、肉眼に見える「肉体」は死ぬのであります。この肉眼に現れて見える象(かたち)を「現象」と云うのであります。

 みなさんが三日月を見て、それを美人の眉のように「細い」と云います。しかし細く三日月に見える時にもお月様は「まんまるい」のであります。肉眼に見える方は、「現象」でありまして、常に変らず「まんまるい」と云う本当の相の方を「実相」と云うのであります。

 お月様は十五夜のときに一等まんまるく見え、その翌日から少しずつ欠けて来まして、しまいには全然見えなくなります。そのだんだん欠けたように現れて見える姿が現象でありますが、本当は、お月様は決して茶碗がかけるようには欠けるものではありません。どんなに欠けたように見えているときも、実は欠けないで「まんまるい」のです。この「まんまるい」のがお月様の実在の相(すがた)であって「実相」なのです。
<つづく>

1456復興G:2013/05/28(火) 20:35:18 ID:AB6RqYXc

<『新版 真理』第3巻より つづき>

 お月様が全然見えなくなって真の闇になりましても、お月様は死んで此の世にいなくなったのではなく、いつまでも、やはり同じまるい相(すがた)で此の世にいるのです。いつまでも続いて消えないそのものの本当の相(すがた)――実の相――を「実相」と云うのです。

 人間にも現象の相と、実相とがあります。人間の現象の相は、雨が降れば濡れ、斬れば血が出、年がゆけば皺がより、力がなくなり、老いぼれて死んでしまうのです。しかし「実相の人間」は老いず、病まず、死せず、「永遠の存在」なのであります。禅宗の坊さんたちが坐禅を組んでじっと心の眼でみつめるのは、この永遠に死なない、永遠に完全な人間の「実相」(即ち本当の相)を心で見つめるのです。

 沢庵禅師は雨が篠つくように降る中に庭園の大石の上に坐って、人間の実相をじっと見つめておられましたら、どんなにざんざ降る雨で着物や肉体がぬれていましても、「本当の相」の人間は濡れていないことを見られたのです。水に濡れず火に焼けないのが人間の実相だからであります。沢庵禅師の、「どうじゃ、濡れていまいがの」とおっしゃったのも、こう云う意味から云うと間違ではありません。

     日常生活と禅の生活

 一応、禅の問答ではそれでよいとしましても、日常生活の上では、「雨に濡れないで歩いて見よ」と云われて、雨に着物や肉体が現に濡れていながら、「濡れないでいる」と頑張ることは無理で、これでは、吾々の日常生活が成立ちません。「濡れないで歩いて見よ」と云われたら、実際に、現実にも濡れないで歩けなければなりません。ここに日常生活を裏附ける宗教と云うものが必要となるのであります。禅の生(なま)悟りではいけないと云うことになるのであります。「実相人間は病まないものだ」とわかりましても、現に肉体に病気をあらわしておりましたら、その悟りは、生悟りでありまして、「人間は病まない」と云う自覚が、形にあらわれるほど強く深くなっていないと云うことになります。

     雨が降ったら傘を縕(さ)す

 「それでは、この雨の降る庭園を濡れないで歩いて見よと、お前自身が人から云われたらお前はどうするか」とわたしにたずねる人がありましたら、私はどうするかと云いますと「すみませんが、一寸(ちょっと)傘をお貸し下さい」と云って傘を借りて、それを縕(さ)して庭園をあるいて来て、

「どうじゃ、この通り濡れていないじゃろう。」と云います。

「なんじゃ、そんなことなら誰でもする。そんなことは当り前じゃ。そんなことが生長の家か」

 と皆さんはお笑いになるかも知れません。

 そうです。「生長の家の生活」と云うのは当り前の生活を当り前にすることなのであります。

 禅宗の『無門関』と云う本の第十九則に「平常心是れ道(どう)」と云うのがあります。「平常心」と云うのは「平生(へいぜい)の心」です。平生の生活そのままの心が道にかなうと云う意味であります。当り前が当り前の生活がすらすらと行われるのが本当の「禅の生活」だと云う意味であります。

 傘があるのに、剣を揮(ふる)って雨を斬りはらって濡れないとか、実際、雨に濡れていながら、「実相の人間は濡れていないのじゃ」と頑張って見たりするのが、「禅の生活」ではないのであります。「禅」と云うものが、実際生活の中に入り込んで来ますと、実際生活が何の矛盾も摩擦もなく、構える心なしにスラスラと何事も運ぶようになるのであります。
<つづく>

1457ユタカ:2013/05/28(火) 20:35:51 ID:R1D4Jmeg
トキさま

トキ様は。現在の運動方針の再検討をして欲しいと思っていらっしゃるのですね。

トキ様が教団に残る理由をぜひ聞かせてください。 真理の講話などは教団で出来るのですか?

1458復興G:2013/05/28(火) 20:36:17 ID:AB6RqYXc

<『新版 真理』第3巻より つづき>

     平常の心が其のまま「道」である

 この『無門関』第十九則の「平常心是れ道」と云う公案のところにこんな事が書いてあります。趙州(じょうしゅう)と云う坊さんが、師の南泉(なんぜん)と云う和尚さんに、

「如何なるか是れ道(どう)」と問うたと云うことが書いてあります。「道」と云うのは人間の踏み行なうべき道徳――人間の当然心掛けねばならぬ、根本の心構えのもとになるものです。「何が人間に最も大切な根本の心構えか」ときいたのです。

 そうすると、南泉和尚が、

 「平常心是れ道」と答えたのです。「あたり前の心をもつことが、そのままで是れが道じゃ、これが根本の心掛けじゃ。」と云うような意味であります。

「では振反(ふりかえ)って、その当り前の心を持つように趣向(しゅこう)しなければなりませんか。」と趙州はたずねました。

「いやいや、趣向しようと思って、心を構えると反って逆効果になる。」

 と南泉和尚は答えたのであります。

 「趣向する」と云うのは、「趣向をこらす」などと使われる語でありまして、ある目的に向かって心を趣かせて、色々工夫することであります。「今日はお客様が来るから、ひとつ趣向をこらして御馳走をしようじゃないか」と一所懸命御馳走をしてお客様に差出すと、生憎、お客様はお茶漬が欲しかったのに――と云うようなことがあります。これが「向かわんと擬(ぎ)すれば即ち乖(そむ)く」で、逆効果になるのであります。

 「擬す」と云うのは、カマキリと云う虫がありますね、あれの眼の前に指でももって行くと、たちまち、その鎌のようになった手で、身構えします。これが「擬す」であります。身構えするから面白いと云うわけで、子供が捉えて見世物にし、いたずらをし、ついに弄(なぶ)り殺しにしてしまうと云う事にもなります。趣向するから可(い)けないのです。

     細川侯と宮本武蔵

 宮本武蔵が嘗(かつ)て、細川侯の客分となっていたとき、細川の殿様が、宮本武蔵に、

「わしの前でひとつ絵をかいて見せてくれ。お前は絵もなかなか上手じゃと云うことじゃ。」と仰せられました。

 そこで宮本武蔵は、殿様の前で毛筆を揮(ふる)って絵を描いて見せたのですが、上手に書こうと思うほど旨(うま)くかけないので、さすがの宮本武蔵も、身体中(からだじゅう)に冷汗が流れたと云います。

 宮本武蔵は自分の邸に帰って来て、夜眠ろうと思って寝床に入りましたが、昼のうちに細川の殿様の前で上手に絵がかけなかったことを思出すと、口惜しくてどうしても眠れません。

 「自分は剣をとったら、天下無敵であるのに、どうして剣よりも軽い筆をもって、その筆が自由自在に動かないのであろうか」
 と、夜っぴて考えたのであります。そして夜明前になって武蔵は、

 「上手に書こうと、構える心を起したから却って逆効果になったのである」と気がついたのであります。こうして宮本武蔵は「無構えの構え」と云う彼一流の剣法を案出したのであります。
<つづく>

1459復興G:2013/05/28(火) 20:37:07 ID:AB6RqYXc

<『新版 真理』第3巻より つづき>

     「構える心」は「対立の心」である

 ところで、「上手に書こう」と思うと、どうして上手に書けないかと云いますと、「構える心」を起すからでありますが、「構える心」を起しますと、何故上手に書けないかと云うと心の中に対立が出来るからであります。

 対立と云うと、「向き合って立つ」と云う意味でありまして、無心に全体が「一つ」に融合(とけあ)って、「自然そのままの動き」で動かないからであります。「細川侯が見ているから上手に書こう」と思う事は、「見られている者」と「見るもの」とが分かれていますし、「描く自分」と「描かれる絵」とが分かれていて一体になっていないのであります。

 禅と云うものは、「全」であり、「全一」であって、全体が分裂せずに、「一つ」になって円融自在に動くのでなければならないのであります。

 昔から馬に乗るのに上手な有様を形容しまして、「鞍上(あんじょう)人なく、鞍下(あんか)馬なく」と云いますが、鞍(くら)の上に人が乗っていながら馬と人とがわかれていないので一体になっているから人がないのも同じであり、鞍の下に馬がおりながらでも、人と馬とが一体になっているから、馬がまるで無いようだと云う意味であります。こんな状態こそ「禅」が「生活」に実現したときの相(すがた)だと云い得られるのであります。

 そこで、沢庵禅師が庭石の上に正坐して、ざんざと降る雨に濡れながら「どうじゃ、濡れていまいがな」と云われたのは、「雨」を「坐禅」の力で濡れないで見せようと構える心を起しているから、現実には雨に濡れたのであります。

 それは、そういう「雨を坐禅で濡れないで見せよう」というような問題を出すところに、その問題の出し方に、既に、「雨」と「坐禅」との対立があり、「坐禅」と云うものに心が引っかかってしまって、それ以外の方法に、いくらも雨に濡れないでいられる方法がありながら、それ以外の方法をとることが出来ない。自分が自分でつくった自分の条件にしばられて「自由自在」を失ったのであります。だからそれは「禅」(全)ではない、全力が出ていないのであります。だから「人間の実相は水に濡れず、火に焼けず」と云ってもやはり現象的には濡れているのであります。

 それと同じく、柳生但馬守が、剣で雨を斬り払ったその熟練は素晴しいのでありますが、熟練と云うものは「術」であって、「道」ではないのであります。「術」と云うのは相手に相対して如何に工夫すべきかと趣向して得た熟練でありますが、「剣術」が「剣道」となり、「術」が「道」になりますと、もう対立がなくなるのであります。

 対立が無くなると「全一(ぜんいつ)」になります。そして、全体一つの円滑な働きがあらわれてまいります。雨が降っているのを剣で斬り払う必要はない。必要に応じて、「全体一つ」の中から、その目的にとって一番必要なものが出て来、一番必要な働きが出て来るのであります。

 これを円融無礙(えんゆうむげ)と云います。剣者は剣にとらわれるから、雨を払うにも剣でなければならぬと、自分の自由自在性を縛ってしまうのであります。そこで私なら傘を貸して貰って傘を縕(さ)して雨に濡れないようにすると云ったのは、「心」が何ものにも捉われなかったら「剣」にとらわれず、「坐禅」にとらわれず、ありとあらゆる「全体一つ」のなかから最も適当なものを自由自在に選び出して来て、それを使うと云うことを云ったのであります。決して「傘」ばかりに捉われて云ったのではないのであります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――以上は、『新版 真理』第3巻第20章の謹写文でありました。
<つづく>

1460a hope:2013/05/28(火) 21:40:25 ID:edEDolt2
>>1424 >>1425 >>1426 >>1431 髪さま 髪の子さま

ときみつる會の宮澤先生が、「こころのかけはし誌」に書かれたご文章を紹介してくださりありがとうございます。
紹介してくだった、雅春先生のお話を拝見しましても、間違いなく雅春先生は住吉大神の化身、つまり現人神であられたのだろうと思います。


ですが、わたしは宇宙創造の神(第一義の神)の御心は人類光明化でありその御心の表れが、
「人間神の子・唯神実相」の真理を人々に知らしめる人類光明化運動であり、数々の聖典なのだと思っています。

ですから、愛国運動であっても天皇国日本の実相の素晴らしさや日本建国のお話(古事記)等を口頭や文章で人々に知らしめるような形の運動でしたら、、
それは日本人一人ひとりの神の子の自覚に直接つながるので、人類光明化運動とイコールになるのではないかと思います。

ですが、それが、現象を扱う運動(たとえば、政治運動、現憲法の反対運動等・・・)になってしまうと、
そのことによっては人々の心には神の子の自覚が生まれませんから、人類光明化運動とは言えないのではないかと思います。

(これは同じく、それは環境保護運動についても言えると思います。
人間と自然の調和した実相世界の素晴らしさを人々に伝えるような運動であったら人類光明化につながるでしょうが、
原発反対等の現象の運動になってしまうと、そのことによっては人々の心に神の子の自覚は生まれませんから、
人類光明化運動とは言えないのではないかと思います。)


そこで、わたしが疑問に思うのは、「現象や悪を認める」のは、虚説であるとハッキリおっしゃっている雅春先生が、
戦後の混乱期にどうして現象を見て、現象の悪に対応された運動をされたのだろうかということです。


同じく、現人神であったキリストは、最後まで現象の悪を認めず、「肉体なし」「生き通しの生命」の真理を証明するために、
自らの意志で十字架にかけられたのに、どうして雅春先生は現象の悪を認め、それにに抗議するような運動をされたのでしょか・・・?

雅春先生は、「生長の家の教え」から外れることをしてまで、その愛国心から日本と日本人を守ろうとされた。
もしかしたら、それが、住吉大神の宇宙浄化お働きでもあったのかなあ・・・と、今漠然と感じています。

―――――――――――

「私の日本憲法論」序文

生長の家総裁 谷口雅春


この『私の憲法論』は、敗戦による占領憲法の出現以来、将来の日本及び日本人の運命を思って深憂に堪えず、如何なる立場に立ってこの憲法を批判し、
民族本来の正しい憲法を創出すべきかを三十有余年に亘って叫びつづけた戦いの記録(ドキュメント)である。
私が時に応じ折にふれて諸種の雑誌や単行本に書き綴って訴えて来た論文や随想等を我らの同志同憂の諸君が時間をかけて精読し、
これを分類して秩序をととのえ、周到に採録編纂されたものである。
このような同志があってこそ本書が完璧なものとなり得たわけで、その熱意と深切と精力とが本書の完成となったものである。
読者はこれらの同志愛と深甚の感謝を表すために編纂者の序文を併載させて頂くことにした。
その熱誠な同志諸賢の姓名は編纂者の序文の中に書いていただく筈である。

昭和五十五年 三月一日

――――――――――

以上、謹写さていただきました。 合掌。

1461a hope:2013/05/28(火) 21:41:09 ID:edEDolt2
みなさま 

昨晩遅くから、今まで、復興Gさま、ユタカさま、志恩さま、reiさま、トキさま、こんにちはさま等のたくさんの書き込みがあり、
その中には、わたしの投稿文に関してのご指導であったり、わたし宛のものもありますのでお返事させていただきたいのですが、
今夜は、髪の子さまへのお返事だけで精一杯です。

失礼のないように、みなさまの投稿を精読させていただいた後、私宛のものには、後日お返事させていただきます。

みなさまのご指導に、心より感謝しています。合掌。

1462髪の子様:2013/05/28(火) 22:42:29 ID:nYL5yFzs

>>1460

ahope様、お忙しい中お返事をありがとうございます。
思うところ多々ございますが、私がahopeさんのご発言に、コメントさせてもらうと、ahopeさんが他の方へなかなかお返事出来ません。ahopeさんもお忙しいでしょうから、1点のみ私の思いを述べます。

>>ですが、それが、現象を扱う運動(たとえば、政治運動、現憲法の反対運動等・・・)になってしまう と、 そのことによっては人々の心には神の子の自覚が生まれませんから、人類光明化運動とは言えないのでは ないかと思います。>>

に関してですが、いま現在の日本は第二次世界大戦が終了されておらず、日本は占領憲法のままであることを念頭においていただきたいと思います。

天皇国日本を取り戻す為の運動であるわけです。
天皇国日本を取り戻す為の運動ということは、日本人と日本の領土を護る現象の運動ではありません。宇宙の真理、宇宙の秩序をなくさない為の運動であると思うのです。

人類光明化運動は、日本国実相顕現運動です。
雅春先生は、現象の悪に対応する運動をされていたのでは決してないと思います。
世界人類の神の子の實相顕現運動であったと思います。
日本国が占領憲法下にあるということは、日本国の實相のみならず、世界各国の實相が顕現されていないということだと、個人的に思います。

1463復興G:2013/05/28(火) 23:19:57 ID:AB6RqYXc

a hope 様。

>>1460 髪の子さまへのレスとして書かれたご文章で、
>>わたしが疑問に思うのは、「現象や悪を認める」のは、虚説であるとハッキリおっしゃっている雅春先生が、戦後の混乱期にどうして現象を見て、現象の悪に対応された運動をされたのだろうかということです。
同じく、現人神であったキリストは、最後まで現象の悪を認めず、「肉体なし」「生き通しの生命」の真理を証明するために、自らの意志で十字架にかけられたのに、どうして雅春先生は現象の悪を認め、それにに抗議するような運動をされたのでしょか・・・?
雅春先生は、「生長の家の教え」から外れることをしてまで、その愛国心から日本と日本人を守ろうとされた。<<

というところですが、それに対するヒントが、>>1456
「雨が降ったら傘を縕(さ)す」というご文章にあると思います。

また、『私の日本憲法論』ではp.317〜319に

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

>>宗教的立場から云えば軍備は不要

 こう言う純粋な宗教的立場から申しますと、敵を予想しての軍備と言うものも不要である。況んや一国だけの軍備では足らぬからアメリカと共同防衛するための「安保条約」も「安保条約の改定」も不要だと言うことになるのであります。

 心によって敵が敵でなくなるのだから数百数千億円をかけてロッキード飛行機を二百機とか三百機とか防衛のために常備しておかなければならないなどと考えるのは凡そ不要なものに国民の租税をつぎ込んで浪費すると言う譏(そし)りをまぬかれないのであります。

 私は宗教家でありますから、そんな軍用飛行機も要らぬ、安保条約も要らぬ、心を調えることによって無敵平和の状態を現出することができると言いたいのであります。

 そうです、「心」さえ本当に整えることができれば、身辺に起るところの事件は、自分の「心」の投影でありますから、自分の周囲に平和が実現するのであります。

 しかし一国の運命はその国民大多数の心の反映でありますから、一人や二人や百人や千人や……或いは生長の家の信徒だけが平和の心になっていましても、日本国民の精神の大多数が「闘争精神」に満たされていたのでは、その国民全体の身辺に闘争を引寄せることになるのであります。

 遠藤義雄さんもただひたすら南支の死刑囚獄舎で心を清め、もっぱら神想観三昧でいたときには蚊も南京虫も食わなかったけれども、日本へ帰って来て、闘争精神の満ちた世界で浮世の仕事をするようになったら現在は蚊にくわれるともその著書に書いておられます。宗教的理想論から言いますと、実相の世界――実在の世界――には闘争もない、戦争もない、微生物との闘いもないから病気もない。だから唯、その実相完全な世界のみを見つめておればよいと言う訳でありますけれども、国民全体がそのような心境にならない限り国家の運命もそのように平和にはならない。

 外界を平和にするには内界を平和にしなければならない。ユネスコでも「戦争は先ず心の中に起る」と言っています。ところが現に日本国民は議会でも闘争闘争で明け暮れている。最近では暴徒が議会に乱入したような不祥事件を発生しております。

 産業会社が労使双方に分裂して闘争精神を燃やしていない会社は稀だと言うことになってまいっています。人間の心はラジオ受信機のようなものでありまして、闘争の精神波動を起せば「闘争」を引寄せて具象化することになるのであります。

 (中略)闘争精神がある中で、平和を得るにはどうすればよいかといいますと、力のバランスによるより仕方がないのでありまして……<<
 (『私の日本憲法論』p.317〜319より)

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――というわけで、「雨が降ったら傘を縕(さ)す」ように、闘争精神がある中で平和を得るには、「力のバランス」という傘をさす。

≪「心」が何ものにも捉われなかったら「剣」にとらわれず、「坐禅」にとらわれず、ありとあらゆる「全体一つ」のなかから最も適当なものを自由自在に選び出して来て、それを使う≫

と云うことをすることが、
>>雅春先生は、現象の悪を認め、「生長の家の教え」から外れることをされた<<
ということにはならないのではないかと、私は思いますが、いかがでしょうか。

 まだまだ書きたいことはありますが、今夜はここまでにさせて頂きます。

 おやすみなさい。

1464あさひ:2013/05/29(水) 00:19:56 ID:/3nxKE2Q

復興G様

生長の家の生き字引的存在の復興G様ですね。

>――というわけで、「雨が降ったら傘を縕(さ)す」ように、闘争精神がある中で平和を得るには、「力のバランス」という傘をさす。

≪「心」が何ものにも捉われなかったら「剣」にとらわれず、「坐禅」にとらわれず、ありとあらゆる「全体一つ」のなかから最も適当なものを自由自在に選び出して来て、それを使う≫<

本当に同感させられます。

生き字引的存在として、よろしくご指導ください。

                合掌

1465髪の子:2013/05/29(水) 06:44:39 ID:KOSU3uSo
復興G先生
素晴らしいご指導ありがとうございます。
まだまだ、私は聖典拝読足りません。

ahopeさん、私の>>1462は個人の感想に過ぎませんから、私へのレスは不要です。それより、あなたの疑問を復興G先生に尋ねられたり、他の方への発言にお使い下さい。

1466a hope:2013/05/29(水) 09:32:58 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

髪の子さま 復興Gさまお返事、ご指導をありがとうございます。

わたしも、生長の家の愛国心や過去の歴史については、つい最近興味をもってお勉強し始めたばかりですから、
わたしの疑問や発言は、それらを熟知されている先輩方にはさぞ、未熟に感じられご不満もたくさんあられると拝察しています。。

ですが、>>1443でわたしの先輩であるreiさまも、<<愛国運動については、a hopeさまと全く同じ思いを持っていました。>>と発言してくださっています。

教団でも本流でも、わたしたちのような末端信徒(reiさまの発言より引用させていただきます)の感じている疑問に、
しっかりと対応してくださらないと、信徒みなさんの不審は募るばかりだと思います。

毎回のことながら、復興Gさまはわたしの生意気な質問にも誠心誠意こめてお答えしてくださって、本当にうれしく、心より感謝しています。
そして、その復興Gさまのお気持ちに答えるために、これからも自分の気持ちに正直に感じたことを発言させていただきたいと思います。

感謝 合掌。

1467神の子さん:2013/05/29(水) 11:42:20 ID:???
生長の家の人類主義は、普遍なる神性が、特殊なる日本国土に、特殊なる日本民族として顕現したことに、 『天』 の御意志をみとめ、普遍的神性による人類兄弟観を失わざると共に、普遍者の特殊的顕現として吾らが日本国土に日本人として生れたる光栄と使命とを充分に自覚し、日本人としてこの国土に誕生したることを悦び、日本民族の特殊性と、二千六百年来吾らの祖先が築き上げて来たる日本民族及び国家の伝統を尊び、その特殊性と深遠宏大なる伝統を護持し、 『特殊』 を抹殺することなくして普遍を生き、日本国家と日本民族のその特殊性ある発達を遂げることこそが、同時に人類社会に新たなる価値を加えるものであることを信じ、 『天地八紘は人類兄弟の家庭なり』 との世界国家モデルとしての神武建国の理想を宣揚実現するために尽すことが日本民族としての使命であると信ずるのである。


 生長の家人はこの方向にむかって地上天国建設のために実際運動を起すべきであって、決して、自分一個の病気が治ったらそれでよいとか、家庭が調和して経済状態が楽になったからそれでよいとかいう風に、個人だけの福祉の上に晏如(あんじょ)してあぐらをかいていてはならないである。

 実際生長の家の真理を悟れば、病気は治る、家庭も調和する、経済状態も豊かになる、台風にも洪水にも‘めげぬ’不死身無限の内在の神性を自覚し得る。 しかしながら、その自覚を他に及ぼすことがなければ、折角生長の家で受けた恩沢(おかげ)もただ利己主義満足の道具になったに過ぎないのである。


 今や、地球一周期の終りが近づき、遊星人がどの人を救うべきか監視している時代だと言われている時代である。 それゆえに私たちは、この生長の家の説く真理をただ利己心満足の資料にするだけであってはならないのである。 講演会、座談会、街頭宣伝、民族意識を通しての人類光明化運動としての国旗掲揚運動、日の丸行進、気の毒な人たちのため及び光明化運動のための慰問及び募金、天災救援及び光明拠点建設のための作業奉仕活動、マスコミの左右いずれへもの偏向を是正するための批判活動及び投書活動等々 ・・・・・ 私たちの為すべき仕事は山積みしているのである。


               谷口雅春師  『生長の家』誌 35年1月号より

1468ユタカ:2013/05/29(水) 13:43:45 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。
みなさん、本当にご親切な神の子様ばかりです。

真理のお導きの講話と多種類の貴重な資料やご意見を書き込んでくださいまして有難うございます。

すべての皆様が神の子さまであって、特に、新人さんは皆さんの愛を引き出し、読者すべての皆さんの信仰の深化を導く観世音菩薩様のように思います。ありがとうございます。

また、新人さんも、教えの先達の皆様にはいろいろの信仰の段階の方が沢山の意見を自由に述べますので、たとえば、それが生長の家創始者谷口雅春先生のお説き下さる真理と違う事であれば、大先達が訂正なさいますから、それもとても大切な勉強の一つになりますから、ゆっくり、じっくり、焦らず、また様々なご発言をして下さる方のご愛念にさらに、さらに感謝して、お勉強してゆきましょう。

よろしくお願いいたします。

1469こんにちは:2013/05/29(水) 16:26:31 ID:BhT8NxPg
>>1463 復興G様

谷口雅春先生のご文章の抜粋ありがとうございます。

しかしこのご文章は、谷口雅春先生自らが、「純粋な宗教的立場」だけではどうにもならないことがある、と言っているように思います。
純粋な宗教的立場とは、もちろん、実相独在に立つということでしょう。
ですから、谷口雅春先生は実相独在に立つばかりでは解決しないことがある、とおっしゃっているように解釈できます。
その意味で、a hope様のおっしゃることは、あながち間違いであるとばかりは言えないのではないでしょうか?

生長の家教団が、政治運動によって傷ついたのは、間違いのない事実です。
お金のことや倫理的なことなど、政治に関わることによって様々な問題が生じたことは、私などよりも復興G様の方がよくご存知でしょう。
これは、単なる現象上の問題として片付けることは、できないと思います。
なぜなら、純粋な宗教運動に徹していれば、このような問題は生じなかったからです。

純粋な宗教運動であれば、実相独在に立った運動がしやすい。
しかし政治運動すると、実相独在に立たない運動にならざるを得ない。
それゆえ、生長の家教団は、政治運動によって傷ついたのではないでしょうか?

抜粋されたご文章は、そのことを谷口雅春先生ご自身が認めていらっしゃるように思うのです。

言い換えれば、国家的問題への取り組みは、「現象処理」という色彩を強く持たざるを得ない、ということです。
実相独在とは別の立場による運動になる、ということです。
違いますでしょうか?

1471復興G:2013/05/29(水) 21:43:51 ID:AB6RqYXc

>>1469 :こんにちは様。

ありがとうございます。

>>純粋な宗教運動であれば、実相独在に立った運動がしやすい。しかし政治運動すると、実相独在に立たない運動にならざるを得ない。それゆえ、生長の家教団は、政治運動によって傷ついたのではないでしょうか? <<

――そう言えるかも知れませんね。

しかしそれは、「このままでは日本が滅びる。日本が滅んだら、地上に神の国をもたらすべき日本の使命が果たせない」という大変な危機感・使命感から、谷口雅春先生はそうせざるを得なかったのではないでしょうか。

そして、もし日本が当時、毛沢東中共や金日成北朝鮮を理想郷としていた“進歩的文化人”たちの煽動に踊らされ国家破壊勢力による共産革命が成就していたら、どうなっていたでしょうか。日本はソ連の衛星国、属国のようになり、東西両陣営の均衡でかろうじて避けられていた核戦争が勃発し人類は破滅の大混乱が起きたかも知れない。歴史に“if”(もし…)はないと言いますが……

もしそうなったら、当然、生長の家もなにもあったものではないでしょう。

戦後日本の左翼革命勢力の嵐がいかに圧倒的なものであったかを知らない、経験したことのない若い人たちには、それが実感できないかも知れません。

私は、サンフランシスコ講和条約が締結され日本がやっと独立を回復した昭和27年に高校を卒業して上京。その頃は日本共産党が暴力革命をめざして各地で暴虐行動をしており、学生運動は左翼革命勢力一色で猛烈激しかったし、知識人、大学教授なども“進歩的文化人”と称される左寄りの人たちが圧倒的で左翼運動を支援し、マスコミもほとんど左寄りで世論をミスリードしていた。このままでは日本はやがて革命は必至と思われるような状況だったのです。私はそれを身をもって肌で感じ経験してきました。

谷口雅春先生は、そのような中で、日本を唯物主義の革命から護るために、壮絶な戦いをなさった。それは、「唯神実相の宗教運動」からは外れたものだったと言えるかも知れません。しかし、真理宣布・人類救済、神の国実現のために、どうしてもやむを得ない、必要なことだったと、私は思います。

そのために左翼を斬ったので、「斬る者は斬られる」という法則により、生長の家が斬られているとしても、それはイエスが十字架にかけられたようなものかも知れません――と、私は思います。

1472復興G:2013/05/29(水) 22:44:55 ID:AB6RqYXc

皆様、ありがとうございます。

髪の子様が>>1426に「心のかけはし」誌から転載してくださったご文章を拝読して感じたことを書かせて頂きます。

<<今や乾坤は一転する。……我が妻は光定君その他が、その霊覚で見たるが如くそのままに観世音菩薩なのである。そして私自身は多くの誌友が見たるが如く塩椎神そのものである。>>(谷口雅春先生のお手紙、『こころの旅路』<谷口恵美子編著>より)

私はこのご本を書庫から出してきて拝読しなおし、谷口雅春先生を雲の彼方にいらっしゃる遠い存在ではなく、身近なお方として敬愛の念を深めました。

 上記は、昭和十七年一月三十日付けで、谷口雅春先生がご巡講先の長崎から東京にいらっしゃる輝子奥様へ送られたお手紙なのですね。その、上掲のご文章の続きには、次のように書かれています。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 白鳩大会が終つてから、白鳩の幹部婦人達十五名ばかりが挨拶に来た。癩病を二人治したと云ふ飯塚さんの話をきく。どうして治したかと云ふと

『癩病なんて無いんですよ。心の悩みも無いんですよ。既にもう無いのですよ。無いものをアルと思つてゐるだけですよ。明日はもうスベスベの顔になつてゐますよ。』

――ただそれだけである。驚くべき信念ではないか。

 私の説いた其の儘をそのままに信じて治るのは、馬場久さんでも三浦くにさんでも、この飯塚さんでも、まつたく同じことなのである。『自分を捨てなければならない』とか『まだ悟れない自分がある』とか、反対に『迷』の方をつかんでそれを浄化して『行かなければならない』とか、まるで『悪』や『不浄』をアルかの如く取り扱つたところに大なる自己不認識があつたのです。

 自分は観世音菩薩なのだ。反省すべき欠陥も既に無いのだ。浄むべき欠陥も既に無いのだ。そんなものははじめから神がつくらないから無いのだ。飯塚さんが癩病を治したやうに、眼に見える世界に、癩病のやうなクズレが見えてゐようとも、また誰かに悪の欠点が見えてゐようとも

 『そんなものは無いのだ、既に無いのですよ。本来好い人なのですよ』

 かう云ひ切りたい。そこに癩病が消えたやうに一切の悪が消滅する。

 それは自己礼拝が本当に完成しなければ他人礼拝も出来ない。他人は自身の反影であるからだ。

 わが妻よ、わが観世音菩薩よ。私は今貴女を観世音菩薩として拝むためにこの手紙を書くのである。今まで私が貴女を人間として、尚欠点あるものとして観て来たからこそ貴女に欠点も出て来たのである。すべてそれは私の自己迷妄の影であつた。あなたは観世音菩薩であり、私は塩椎の神なのである。そして一体なのである。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――ああ、谷口雅春先生も、奥様に対して

「今まで私が貴女を人間として、尚欠点あるものとして観て来たからこそ貴女に欠点も出て来たのである。すべてそれは私の自己迷妄の影であつた。」

と反省懺悔され、そして乾坤一擲、

「あなたは観世音菩薩であり、私は塩椎の神なのである。そして一体なのである。」

という境地に立たれたのである。

――そのことに、私はとても親近感、と言ってはたいへん失礼ですが、先生も、われわれ凡人と、まったくかけ離れた特別な神様というわけではないのだ、と思いました。
<つづく>

1473復興G:2013/05/29(水) 22:45:59 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 谷口雅春先生は、塩槌神の化身である。

 だから、われわれは谷口雅春先生を唯一絶対の神として拝み、谷口雅春先生を通さなければ救われない――ともし考えておられる方があったとしたら、谷口雅春先生はお嘆きになるでしょう。

 『生命の實相』第13巻「倫理篇」《第2章 第一の神性隠蔽》の中に、次のように記されています。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     宗教争いは偶像崇拝より起こる

 (前略) 人間を和合させる働きをせねばならぬ宗教でさえも、肉体キリストという物質的顕現に捉えられていましては、顕現せられましたそれぞれの応身または報身は異なりますから、互いに信者争い、領分争いをしなければならぬようになってくるのは当然であります。

……つまり、すべての争いの第一の萌芽は、物質的な形あるものを崇拝すること――すなわち偶像崇拝――よりくるのであります。すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますならば、「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのであります。

 キリストでもこれを肉体イエスという「物質的形体」に見いださず、「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在り」といわれた「永遠神性」にこれを見いだし、仏でもこれを肉体釈迦に見いださず、「過去の諸仏は皆わが弟子なり」と阿難に答えた「久遠の釈迦」に見いだし、「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず「すべての教えわれに流れ入りて生命を得ん」と示された「久遠実在の生長の家」に見いだすとき、すべての教えは、ここからあすこまでは自分の領分だなどという縄張り争いをする必要がなくなるのであります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 谷口雅春先生は、「皆さんが谷口雅春である。皆さんが住吉大神の全心全霊である」とおっしゃいました。

 そして「至上者の自覚の神示」には、

≪本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性に自覚しないものは、いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈にすぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。≫

とありますから、谷口雅春先生が

「皆さんが谷口雅春である。皆さんが住吉大神の全心全霊である」

とおっしゃったら、

「ハイ、ありがとうございます。」

というのが謙遜なすがたであり、

「そんなことはありません。私はまだまだ修行中の身で、谷口雅春先生とは月とすっぽん、天地の差があります」

などと言ったら傲慢ということになります。

また、『実相と現象』には

≪マタイ伝の二十二章で、イエスは
 「『なんじ心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なる汝の神を愛すべし』これは大にして第一の誡命(いましめ)なり」といっているのであります。それでここに「主なる神」とありますから、人間の方は僕で、主人であるところの神様を愛するのであるかというと、そういう意味ではないのです。「汝、イエスの神を愛すべし。」とはいっておられないのです。すべての人間には、自己の内に神が宿っているということをイエスは認めて、「汝の内に宿っている汝の主なる神を愛すべし。」と、このように言っておられるのです。≫(抜粋)

と、書かれているのです。

同書「はしがき」の結びには

≪諸賢が本著に親しまれることにより、“聖なる求め”を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代り切に切に望むものである。≫

 と書かれています。それを実行する者が、谷口雅春先生の真の弟子ということになるでしょう。

1474ユタカ:2013/05/29(水) 23:03:58 ID:R1D4Jmeg
復興G様
いつも沢山の謹写をありがとうございます。

>(中略)闘争精神がある中で、平和を得るにはどうすればよいかといいますと、力のバランスによるより仕方がないのでありまして……<<
 (『私の日本憲法論』p.317〜319より)

復興Gさま、申し訳ありませんが、
上記の(中略)の所の文章はどんなことが書いてあるのか知りたいので、中略 の内容を再度謹写をお願い出来ませんでしょうか?

というのは、力のバランスをどのようにしたら平和が保てるのかが抜けているように思い、私には理解が出来ません。どうか、ご指導をよろしくお願いいたします。

1475ユタカ:2013/05/29(水) 23:20:51 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

>>1469 :こんにちは:2013/05/29(水) 16:26:31 ID:BhT8NxPg
>>1463 復興G様

谷口雅春先生のご文章の抜粋ありがとうございます。

しかしこのご文章は、谷口雅春先生自らが、「純粋な宗教的立場」だけではどうにもならないことがある、と言っているように思います。
純粋な宗教的立場とは、もちろん、実相独在に立つということでしょう。
ですから、谷口雅春先生は実相独在に立つばかりでは解決しないことがある、とおっしゃっているように解釈できます。

>谷口雅春先生は実相独在に立つばかりでは解決しないことがある、とおっしゃっているように解釈できます。

>>1463復興G様の謹写文には こんにちはさまの 上記にあたる文章はない と思えるのですが・・・

谷口雅春先生は、平和の心を持てば大丈夫ですが、大多数は闘争の心を持っているから 宗教によって平和な心をもった人が多くなれば、戦争などがなくなるといった意味の「数の力のバランス」と言うお言葉ををおっしゃっていると思うので、

こんにちはさまの 上記のご発言は全く当てはまらないことのように思いましたがいかがでしょうか??

1476こんにちは:2013/05/29(水) 23:44:09 ID:U01sy9Ns
>>1471 復興G様

お答えありがとうございました。
復興G様のおっしゃるとおりだと思います。
当時の谷口雅春先生の運動には、キリストのはりつけにも似た犠牲的な愛を感じます。
痛々しくも切実な、あまりに切実な愛であると思います。

1477復興G:2013/05/30(木) 00:48:13 ID:AB6RqYXc

>>1474 :ユタカ様。

ご要望により、(『私の日本憲法論』p.317〜319より)の(中略)部分およびその後のご文章を謹写掲示させて頂きます。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ラジオ・セットは60ワット位の電力で動くから60ワット位しかその番組に出て来ないかと言いますと、そうではなくてラジオ・セット自身は60ワットでも、それに波長の合う番組であったら、次から次へと無限に番組がラジオ・セットに実現して来るのであります。

 そのように、国内での国民の闘争精神の規模は、国家全体の規模ではなく、炭労とか日教組とか国鉄労組とかいう風に限られた規模のものでありましても、それら闘争精神の波長は「人間ラジオ・セット」となって、世界あらゆるところの闘争の波長を引寄せることになるのでありますから、吾々一部のものが平和の精神波動を起していましても、吾々一部のものの周囲には平和が実現するでしょうけれども、日本国全体としてはやはり戦争の起る可能性が現実としてはあるということになるのであります。

 闘争精神がある中で、平和を得るにはどうすればよいかといいますと、力のバランスによるより致し方がないのでありまして、それは心の力によって害虫を撃退しうる心境に達していない限りは、噴霧器と消毒薬とによって自己防衛する体制を整えて置かなければ、害虫が侵入し蔓延してからは、もう手遅れになるのであります。

 つまり平和な心の力を駆使し得ないで、闘争闘争で、常に心を闘争精神で満たしている限りは、力によって侵入者の力とバランスをとって置いてはじめて侵略を未然に防ぐことが出来るのであります。

     鏡子ちゃん事件

 嘗(かつ)て鏡子(きょうこ)ちゃん事件というのがありまして、鏡子ちゃんという小学校の女生徒が授業中便意を催して便所へ行って用便していたが扉をしめるのを忘れていた。其処へ或る青年がこれも用便を催して小学校の便所を借りるために来合せた。すると女の子の用便の姿を見て変な気を起して猥褻行為をしようとしたら鏡子ちゃんが声を立てようとしたので、声を立てきせまいとして咽喉部を押えてついに扼殺してしまったというのであります。ただ一枚の扉でも閉めてあれば、侵入の誘惑を感じないのであります。

 嘗て「原水爆時代に日本の再軍備なんか何の役にも立たない」と言って再軍備反対論がありましたが、日本の再軍備はこの便所一枚の扉に当るのでありまして、それを外から開いて侵入することは何でもありませんが、扉一枚あるがために侵入凌辱しようとする誘惑にかかる心を起させないこともできるのであります。

 その点で日本の再軍備は必要であります。この点に於いて日本が自衛隊と言う名に於いて再軍備しつつあるのは適当な処置だと思うのであります。

 しかし現行の日本国憲法そのままで名称だけ自衛隊で、再軍備をしつつあるのは、政府みずから、法秩序を破って、多数党の圧力で、強行している感があります。政府が法秩序を破って強行するなら国民も法秩序を破ってもよいではないか。力の対決だと言うことになり、最近のような、暴徒の国会乱入のような不祥事が起るのであります。

 その点から考えても、法秩序の維持の上からも、その成立根拠が法秩序によらない現行憲法を廃して明治憲法に復元すべきものと考えるのであります。

     一枚の扉に電流を通すのが安保条約

 しかし自衛隊という一枚の扉しかないのだと、奥を透かして見られてしまったのでは、その一枚の扉も殆ど何の効果も奏しないことになります。その一枚の扉の裏には電流が通じていて、それを無断で開いて侵入しようとすると電流に触れて感電死する恐れがあると言うことになると、そしてその事がハッキリ示されていますと、どんな暴漢でも便所の中へ侵入して少女を凌辱しようとは思わなくなります。少女を守るその便所のたった一枚の扉に当るのが日本のささやかな軍備であるとしますと、安保条約を改定してハッキリとアメリカに日本防衛の義務を負わせることにするのはその扉に電流を通じておいて無断侵入して日本と言う美しい少女を凌辱しようとしたらアメリカ軍という電流に感電して死の惧れがあるぞと言うことを公示するようなものであります。
<つづく>

1478復興G:2013/05/30(木) 00:48:52 ID:AB6RqYXc

<つづき>

     日本は戦略的枢要の地位にある

 スイスやスウェーデンは中立であっても何処からも侵入されないではないかという反論もありますが、不幸にして、日本はスイスやスウェーデンと異って、戦略的に重要地点を占めております。そしてその重工業方面の発達と国民の工業生産能力とは、これを自分の陣営につけて自国の兵器廠としたら非常に自国の軍事力の増大ともなります。

 そういう点で日本は垂涎おく能わざる「美女」とも言う訳でありますから、戦略上たいして価値のないところの「スイスやスウェーデンが中立であってもソ連圏から侵略を受けないではないか」と言う反論は成立たぬと思うのであります。

 そのような点の専門的に詳しいことは次の先生方が話して下さると思うのでありますから私はここに述べないことに致しますが、平和をモットーとしなければならぬ宗教家が何故日米安保条約に賛成するかと言いますと、現在の日本人の最大公約数的精神は、平和精神ではなく、闘争精神でありますから、仏教的三界唯心の原理によりまして、その闘争精神は必ず、同波長によって戦争を引寄せる可能性がある。

 だから、そのように「心」によって戦争を起させないようにすることができない場合には、第二善として「力のバランス」によって、日本を侵略不可能ならしめなければなりませぬ。軍備も安保も不要だと云う論は理想論であって、現実には調和しないのであります。

 生長の家では人時処の三相応がなければ、どんな「善」も善にならないと申しております。軍備不要も安保不要も、現代と云う「時」に於いて、米ソ間対立の中間にある日本の戦略的重要地点であると云う「処」に於いて、まだ弱国に対する侵略を止めそうにないソ連や中共と云う隣国を控えている現在に於いては、どうしても日本はアメリカと手をつないで自国を衛るより仕方がないと私は考えるのであります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 以上で謹写は終わります。

 これをお読みになれば、

>>谷口雅春先生は、平和の心を持てば大丈夫ですが、大多数は闘争の心を持っているから 宗教によって平和な心をもった人が多くなれば、戦争などがなくなるといった意味の「数の力のバランス」と言うお言葉ををおっしゃっていると思う……<<

と書かれましたが、必ずしもそうではなく、谷口雅春先生は、憲法復・再軍備・安保条約等による「力のバランス」も必要、とおっしゃっているのですね。

ありがとうございます。

1479復興G:2013/05/30(木) 00:50:27 ID:AB6RqYXc

>>1476 :こんにちは様。

ありがとうございました。

合掌 拝

1480復興G:2013/05/30(木) 01:05:06 ID:AB6RqYXc

>>1478 訂正です。

× 憲法復・再軍備・安保条約等による「力のバランス」
      ↓
○ 憲法復元・再軍備・安保条約等による「力のバランス」

1481ユタカ:2013/05/30(木) 01:26:32 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま・・・

ありがとうございます。。。 申し訳ございませんでした。。。

じっくり読ませていただきます。。。。

1482ありがとう:2013/05/30(木) 01:29:19 ID:???
  
     『生長の家』誌 昭和20年11月号


 『汝等天地一切のものと和解せよ』 との信条に生活せる吾等が戦争を未然に防ぐことを得ざりしは

 吾等が単なる宗教活動に終始して政治力にまで発展せしめざりがたしためなり。


 是れ実に吾等の罪也。 吾等の罪は断じて贖わざるべからず。 

 その贖のために起って宗教的信念を政治運動に発展して救国のために新党を結成せんとす。

1483ありがとう:2013/05/30(木) 01:37:43 ID:???

 従来我等が主として採りたりし教化方針は、個別的個人個人に対して魂の救済、

 病気の神癒、苦難の解消等であったのであります。

 これ即ち 『単なる宗教運動に終始して其精神を政治力にまで発展せしめざりし』 原因にして

 かくして獲得されたる個別的個人個人誌友はやがて自己満足に到達して

 『宗教』と云う静的精神面に安眠を貪るに至り、生長の家をして国家全体を救い得ず、

 戦争惹起を防止し得なかったのであります。

1484ユタカ:2013/05/30(木) 01:42:06 ID:R1D4Jmeg
復興G様、ありがとうございました。 読ませていただいてハッキリスッキリ理解できました。

私が間違っていました、1480のそういう意味での「力のバランス」と言う意味でした。 と言う内容が明確にわかりました。

ご面倒をおかけして申し訳ありませんでした。ありがとうございました。

1485こんにちは:2013/05/30(木) 01:42:58 ID:U01sy9Ns
>>1475 ユタカ様

そうですね。どうも早とちりしていたようです。

谷口雅春先生は、あくまで「心の法則」を述べていらっしゃいますね。
平和も混乱も心の現れであると。
そして、国家の平和や混乱は国民全員の心で決まるのだと。
これは実相のお話とは別次元ですね。

実相独在は永遠の真理ですが、現実の世界は心によって変わる、ということですね。
つまり、現象世界の話ですね。この谷口雅春先生のお話は。
まことに失礼いたしました。

とすると、国家救済のための政治運動は、あくまで現象上のことである、と受け取れます。
日本国内に悪を見て徹底批判していた谷口雅春先生もまた、現象上のことであると。
もちろんこの行動は深い愛ゆえですが、これは実相の話ではないのですね。

実相はどこまでもどこまでも澄み切っていて、日本の共産化の危機の真っ只中にあっても、平和そのものである。
日本の危機を叫ぶ谷口雅春先生は、どこにもいなかったのである。
ありがとうございます。

1486ありがとう:2013/05/30(木) 01:45:10 ID:???

 故にかくの如き旧態を打破して、真に政教一致、

 世界救済の悲願に出発せる生長の家立教の使命を成就せんが為には、

 従来の如き個別的個人誌友の獲得増加の方針よりも、

 団体的な一般民心の吸収、即ち社会輿論の獲得指導へ強力なる飛躍を決行すべきであります。

 これ即ち生長の家運動が直面せる時処相応の必至的展開でありまして、

 如何なる方途をも自由自在に駆使して世界救済の悲願を達成しなければならぬと確信するのであります。

1487ユタカ:2013/05/30(木) 01:48:37 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、

これで、こんにちはさまの仰っておられることも理解できました。

すべて、私の理解不足の発言でした と言うことが分かりました。 有難うございました。

1488こんにちは:2013/05/30(木) 01:52:44 ID:U01sy9Ns
>>1477
>>1478 復興G様

大変勉強になりました。
ありがとうございます。

1489ユタカ:2013/05/30(木) 01:54:10 ID:R1D4Jmeg
>>1485 こんにちはさま

すみません、中略の内容を復興G様が謹写して下さいまして、、、ようやっと、内容が理解できました。私の間違いでした。ごめんなさい。

こんにちはさまのご発言はそのままの内容をおっしゃっていました。きっと。「私の日本憲法論」を読まれたことがあるのでしょう・・・

私の早とちりです、すみませんでした。。。。

1490こんにちは:2013/05/30(木) 02:11:24 ID:U01sy9Ns
思うに、谷口雅春先生は、現象上のアレコレにとらわれていなかったのでしょうね。
だから、思いっきり日本の危機を叫ぶことができたんだと思います。
どんなに悪と対峙しているように見えようとも、実相は円満完全である。
そして、現象はない。
それがハッキリ分かっていらっしゃったから、「日本の悪と対峙するのは迷いではないか?」というツマラヌこだわりから解放されていたのでしょうね。
今の私は、実相を悟ったがゆえの自由さを、伸びやかさを、政治運動する谷口雅春先生から感じます。
皆様、ありがとうございました。

1491復興G:2013/05/30(木) 02:18:20 ID:AB6RqYXc

さて、谷口雅春先生は、「雨が降ったら傘を縕(さ)す」
>>1456
ということで、戦後左翼革命の嵐のときには憲法復元・再軍備・安保条約等の傘も縕(さ)せとおっしゃり、唯物思想の左翼革命勢力を斬る壮絶な闘いをなさった。

その結果、革命の嵐は去ったのです。天皇国日本は守られたと言ってよいでしょう。

ベルリンの壁が崩壊し東西の冷戦時代は終わり、人類は新しいサイクルに入った。

谷口先生は、雨が降ったら傘を縕(さ)すが、「傘」ばかりに捉らわれるのではない、とおっしゃっています(>>1459)。
「時代に即して変わりながら終始一貫した真理を説くのが本当である」 と。(>>1427

その「終始一貫した真理」は、「すべての人間は神の子だ、神だ!」ということでしょう。

だから、ただ喜び、ただ拝み合って大調和の大和魂を発揚する。でなければ、日本の実相顕現も世界平和もあり得ないのではないか、というのがa hope様の問題提起ではなかったでしょうか。

1492復興G:2013/05/30(木) 02:21:21 ID:AB6RqYXc

>>1490 :こんにちは様

まったくその通りだと私も思います。

ありがとうございました。


ユタカ様、ありがとう様、皆々様

ありがとうございました。

おやすみなさい。

1493a hope:2013/05/30(木) 10:06:51 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

昨晩わたしは、こちらでの皆様のご投稿を拝見しなにかお返事を投稿しようかと思いましたが、
なぜか、思いとどまりました。

そして、今、この板でのみなさまのやり取りを拝見して、その素晴らしい内容に、魂を震わせています。
それまでの、内容と合わせて、引き続きじっくりお勉強させていただきます。


余談になるかもしれませんが、わたしが今感じていることは、
「現在の日本の若者には、昔のような闘争心はほとんどないよな〜」ということです。
山歩きがはやったり、神社等のパワースポット尋ねたりして、彼らはただひたすら心の平和を求めているように思えます。
もしかしたら、日本の若者の心の中に、

『大和精神 すべての人・物・事は常に調和の中にあり、互にあらそったりしない世界である。という日本古来の精神。
日本の建国は、この精神によっている。大和魂(やまとだましい)』

この精神が発露(顕現)してきているのではないかとも思われます。


ですから、今こそ「生長の家の教え」の基本、『大調和の心=大和精神』を若者たちに伝道する時なのではないのかとわたしは思うのです。

でも、それにはやっぱり「生長の家」の大調和は不可欠なような気がします。
だって、今の若者は生意気ですから、必ず反論されると思いますよ。

「大調和? 大和精神? えっ? 何それ意味わかんないし・・・。
それで生長の家のおじさんとかおばさんは、それ、実行してるわけ?
自分ができないこと、人に押し付けないでよね。」

って、これ確かです。

1494a hope:2013/05/30(木) 10:10:43 ID:edEDolt2
>>1493訂正 
神社等のパワースポット尋ねたりして→神社等のパワースポット訪ねたりして

1495志恩:2013/05/30(木) 10:57:16 ID:.QY5jUA6
皆様の、大変深いお話に感動しています。
皆様、ありがとうございます。

今の日本は、大人も、青年たちも揃って「平和ボケ」してる人が多いと言われています。

上司や他人が、ひどいことをしたり、言ったりしても

「あらそったりしないことが、平和なのだ」と勘違いして、
それが【調和】なのだと勘違いして、

見ない、聞かない、反論しない、、そして、心を無にして、現象の悪に、唯々諾々と従う。

このような日本人が多数だと聞いています。

これは、調和でも、大和精神でもありません。

平和ボケして、
日本国全体に事なかれ主義が万延している姿なのです。これは、由々しきことです。

私の子供たちも、親戚のこどもたちも、今は、年令が、青年になっていますが、
生長の家の思想で育ったので、大和精神とは何なのか。
調和と妥協とは、正反対のことなのだ、、という事実なども、はっきりと認識している人間ばかりです。

いまの生長の家は、そのようなことは、教えなくなったので、
日本人の精神も、だんだん衰退していっているのではないでしょうか。

別の角度から言えば、
欧米諸国の教育は、幼い頃より、自分の考えをはっきりと相手に伝えたり、相手の
考えと自分の考えが異なる場合は、正々堂々と、激しく議論し合ったりしていますよね。

これは、一見
争っているようにみえますが、そうではないのです。互いの考えを、よりよく理解するための
健全な、プラス思考の行為なのです。

ですから、本流のみなさまがいろいろと、ご指摘され発言される行為を「調和に反する」と決めつけるのは
それこそ、時代遅れの考え方だと,私は思っております。

雅宣総裁も、教団も、自分たちだけで、決めたことを、有無も言わせず、断行されていますが、
これは、民主主義にも反しており、宗教道にも人間道にも反する横暴な行為だと思います。

裁判の結果が出たのですから、
私も、雅宣総裁の辞任と、上の参議、理事達の総辞任をして頂きたいと,信徒として強く
思っております。

そして、「神の子・人間」「日本国・実相顕現」とはなにかを

説かれ、宣布される様な 本来の教えを取り戻して頂きたいです.

若者にも、調和とは、みてみぬふりをすることではない、妥協することではない。
そして、大和精神とは、こういう素晴らしい精神なのだと、日本人としての誇りを
とりもどせるような、もともとの生長の家の教えが、蘇ったらいいなと,切望しているところです。

1496志恩:2013/05/30(木) 11:02:10 ID:.QY5jUA6
こんにちわ様が1490で、言われましたような、心で、発言できるよう
神様に祈りながら、今後も発言させて頂きます。
-----------------------------------------------------
1490 :こんにちは様:2013/05/30(木) 02:11:24 ID:U01sy9Ns

思うに、谷口雅春先生は、現象上のアレコレにとらわれていなかったのでしょうね。

だから、思いっきり日本の危機を叫ぶことができたんだと思います。

どんなに悪と対峙しているように見えようとも、実相は円満完全である。
そして、現象はない。

それがハッキリ分かっていらっしゃったから、「日本の悪と対峙するのは迷いではないか?」というツマラヌこだわりから解放されていたのでしょうね。

今の私は、実相を悟ったがゆえの自由さを、伸びやかさを、政治運動する谷口雅春先生から感じます。

皆様、ありがとうございました。

1497志恩:2013/05/30(木) 11:08:57 ID:.QY5jUA6
ahopeさまがいわれますように、
反面、パワースポットに行ったりするような、精神面に興味を抱く
若者が増えていることも事実ですよね。

1498a hope:2013/05/30(木) 11:17:17 ID:edEDolt2
>>1495>>1496志恩さま

<<皆様の、大変深いお話に感動しています。
皆様、ありがとうございます。>>

志恩さま、わたしも復興Gさまやこんにちはさまのご投稿内容には心から感動しています。
ところで志恩さまは指導者であられる復興Gさまのご投稿内容のどの部分に感動されましたか?
是非、具体的なご感想をお聞きしたいです。

わたしは、これから仕事に行きますが、夜、志恩さまのご感想を拝見するのを、
楽しみにしています。

1499志恩:2013/05/30(木) 12:08:32 ID:.QY5jUA6
a hope様

1つは、>>1463:復興様のa hope様宛てのご文章です。

その中で、
-------------------------------------------------------
☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――というわけで、「雨が降ったら傘を(さ)す」ように、闘争精神がある中で平和を得るには、「力のバランス」という傘をさす。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
≪「心」が何ものにも捉われなかったら「剣」にとらわれず、
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「坐禅」にとらわれず、ありとあらゆる「全体一つ」のなかから最も適当なものを自由自在に選び出して来て、それを使う≫
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

と云うことをすることが、
>>雅春先生は、現象の悪を認め、「生長の家の教え」から外れることをされた<<
ということにはならないのではないかと、私は思いますが、、、、、

-----------------------------------------------------------

ここが、感動したところです。

1500志恩:2013/05/30(木) 12:19:03 ID:.QY5jUA6
つぎは、>>1471 :復興G様のご文章の全体〜
雅春先生が、大変な危機感と使命感により、政治運動に踏み込まれた
お気持ちを、復興G様が分り易く語って下さってますので、私はとても感動しました。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

1471:復興G
>>1469 :こんにちは様。

ありがとうございます。

>>純粋な宗教運動であれば、実相独在に立った運動がしやすい。
しかし政治運動すると、実相独在に立たない運動にならざるを得ない。
それゆえ、生長の家教団は、政治運動によって傷ついたのではないでしょうか? <<

――そう言えるかも知れませんね。

しかしそれは、「このままでは日本が滅びる。日本が滅んだら、地上に神の国をもたらすべき日本の使命が果たせない」という大変な危機感・使命感から、谷口雅春先生はそうせざるを得なかったのではないでしょうか。

そして、もし日本が当時、毛沢東中共や金日成北朝鮮を理想郷としていた“進歩的文化人”たちの煽動に踊らされ国家破壊勢力による共産革命が成就していたら、どうなっていたでしょうか。日本はソ連の衛星国、属国のようになり、東西両陣営の均衡でかろうじて避けられていた核戦争が勃発し人類は破滅の大混乱が起きたかも知れない。歴史に“if”(もし…)はないと言いますが……

もしそうなったら、当然、生長の家もなにもあったものではないでしょう。

戦後日本の左翼革命勢力の嵐がいかに圧倒的なものであったかを知らない、経験したことのない若い人たちには、それが実感できないかも知れません。

私は、サンフランシスコ講和条約が締結され日本がやっと独立を回復した昭和27年に高校を卒業して上京。その頃は日本共産党が暴力革命をめざして各地で暴虐行動をしており、学生運動は左翼革命勢力一色で猛烈激しかったし、知識人、大学教授なども“進歩的文化人”と称される左寄りの人たちが圧倒的で左翼運動を支援し、マスコミもほとんど左寄りで世論をミスリードしていた。このままでは日本はやがて革命は必至と思われるような状況だったのです。私はそれを身をもって肌で感じ経験してきました。

谷口雅春先生は、そのような中で、日本を唯物主義の革命から護るために、壮絶な戦いをなさった。それは、「唯神実相の宗教運動」からは外れたものだったと言えるかも知れません。しかし、真理宣布・人類救済、神の国実現のために、どうしてもやむを得ない、必要なことだったと、私は思います。

そのために左翼を斬ったので、「斬る者は斬られる」という法則により、生長の家が斬られているとしても、それはイエスが十字架にかけられたようなものかも知れません――と、私は思います。

1501志恩:2013/05/30(木) 12:35:25 ID:.QY5jUA6
その次は、1474:ユタカ様が、復興G様にお願いされた

>(中略)闘争精神がある中で、平和を得るにはどうすればよいかといいますと、
力のバランスによるより仕方がないのでありまして……<<
 (『私の日本憲法論』p.317〜319より)

上記の(中略)の所の文章はどんなことが書いてあるのか知りたいので、
中略 の内容を再度謹写をお願い出来ませんでしょうか?

というのは、力のバランスをどのようにしたら平和が保てるのかが抜けているように思い、
私には理解が出来ません。どうか、ご指導をよろしくお願いいたします。
------------------------------------------------------
について、

お答え下さいまして、
復興G様が謹写して下さいましたご文章と、復興G様のコメントに、感動しました。

>>1477;
>>1488;

長文なので全文の再掲は控えますが、最後のところだけ再掲させていただきます。
------------------------------------------
 生長の家では人時処の三相応がなければ、どんな「善」も善にならないと申しております。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
軍備不要も安保不要も、現代と云う「時」に於いて、
米ソ間対立の中間にある日本の戦略的重要地点であると云う「処」に於いて、
まだ弱国に対する侵略を止めそうにないソ連や中共と云う隣国を控えている現在に於いては、
どうしても日本はアメリカと手をつないで自国を衛るより仕方がないと私は考えるのであります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

復興G様コメント

 これをお読みになれば、

>>谷口雅春先生は、平和の心を持てば大丈夫ですが、大多数は闘争の心を持っているから 
宗教によって平和な心をもった人が多くなれば、戦争などがなくなるといった意味の
「数の力のバランス」と言うお言葉ををおっしゃっていると思う……<<

と書かれましたが、必ずしもそうではなく、
谷口雅春先生は、憲法復・再軍備・安保条約等による「力のバランス」も必要、
とおっしゃっているのですね。

1502志恩:2013/05/30(木) 12:39:46 ID:.QY5jUA6
a hope様

最近のだけの感動したところをピックアップさせて頂きましたが、
復興G様がご指導下さる真理は、どれも教えて頂くばかりです。

その中で、わからない点や、納得いかない点は、質問させて頂いているのです。

1503志恩:2013/05/30(木) 12:49:28 ID:.QY5jUA6
1501:志恩、訂正あり

復興G様のご文章は、
>>1477
>>1478  でした。

1504志恩:2013/05/30(木) 15:45:31 ID:.QY5jUA6
どんなふうに感動したかと言えば、
「実相」は直視しつつも、
この世で、人時処の三相応の生き方、考え方をして、
祈りながら、行動することが大事。

そうでなければ、空念仏となり、
どんな「善」も善にならないと教えて頂いた事。

1505志恩:2013/05/30(木) 15:49:14 ID:.QY5jUA6
ahopeさまは、

復興Gさま、こんにちわ様、元本部職員D様、髪の子様、
ユタカ様、その他の皆様の書き込みの中で、どれに感動されましたか?

1506ユタカ:2013/05/30(木) 15:56:53 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

復興G様 復興G様の大量投稿を有難うございます。むずかしくて・・・分からない箇所が多くてすみませんが質問させてください。
>私の説いた其の儘をそのままに信じて治るのは、馬場久さんでも三浦くにさんでも、この飯塚さんでも、まつたく同じことなのである。『自分を捨てなければならない』とか『まだ悟れない自分がある』とか、反対に『迷』の方をつかんでそれを浄化して『行かなければならない』とか、まるで『悪』や『不浄』をアルかの如く取り扱つたところに大なる自己不認識があつたのです。

 自分は観世音菩薩なのだ。反省すべき欠陥も既に無いのだ。浄むべき欠陥も既に無いのだ。そんなものははじめから神がつくらないから無いのだ。飯塚さんが癩病を治したやうに、眼に見える世界に、癩病のやうなクズレが見えてゐようとも、また誰かに悪の欠点が見えてゐようとも

 『そんなものは無いのだ、既に無いのですよ。本来好い人なのですよ』

 かう云ひ切りたい。そこに癩病が消えたやうに一切の悪が消滅する。

 それは自己礼拝が本当に完成しなければ他人礼拝も出来ない。他人は自身の反影であるからだ。

 わが妻よ、わが観世音菩薩よ。私は今貴女を観世音菩薩として拝むためにこの手紙を書くのである。今まで私が貴女を人間として、尚欠点あるものとして観て来たからこそ貴女に欠点も出て来たのである。すべてそれは私の自己迷妄の影であつた。あなたは観世音菩薩であり、私は塩椎の神なのである。そして一体なのである。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――ああ、谷口雅春先生も、奥様に対して

「今まで私が貴女を人間として、尚欠点あるものとして観て来たからこそ貴女に欠点も出て来たのである。すべてそれは私の自己迷妄の影であつた。」

と反省懺悔され、そして乾坤一擲、

「あなたは観世音菩薩であり、私は塩椎の神なのである。そして一体なのである。」

という境地に立たれたのである。
ーーーーーーーーーーーーー

上記の観世音菩薩のことです、観世音菩薩さまは、私は衆生の心の姿になって衆生を済度すると教えて戴いたので、 自分の心が歪んでいると、その心を見せてくれるために、観世音菩薩様がわざと歪んで出てきて、『あなたはこんな姿ですよ、』と現れると教えていただいて、それに気づいて私の心の姿を現してくれてありがとうございます。と感謝して心を真釣り合わせていたのですが、
復興G様のこの文章の観世音菩薩様は完全円満な観世音菩薩様のようですが、これは、どういう意味なのか、分かりません。
完全円満なら観世音菩薩さまではないのでは??と思いながら、谷口先生が仰っているから、間違いないと思うのですが、なぜ?そうなるのか教えていただけませんでしょうか??

観世音菩薩さまは33身に身を変じて衆生を済度する菩薩さまと完全円満な観世音菩薩さまと2種類の神様になるのでしょうか??

分からないことだらけになりました。。。。。

1507ユタカ:2013/05/30(木) 15:59:55 ID:R1D4Jmeg
志恩さま、

私は、今分からないことだらけに陥ってしまい、復興Gさまにお聞きしたいことばかりです。。。

感想を言える状態ではありませんのです・・・・ 生長の家って難しいのですね。。。

1508ユタカ:2013/05/30(木) 16:11:42 ID:R1D4Jmeg
私は久しぶりにトキさん板に来て、WEB誌友会板でお勉強を始めたのですが・・・・

相変わらず、、、スゴイ活況で、皆様が元気に積極的にご発言されて・・・圧倒されてしまいました。

皆さん、理解が早くて投稿量もメッチャ多くて早い!!  ユタカは全然ですよ==、皆さんより大幅に遅れてついていきますよーーー、よろしくお願いします。

1509復興G:2013/05/30(木) 17:41:58 ID:AB6RqYXc

>>1506 :ユタカ様。

ありがとうございます。

今夜は出かけなければならない予定行事があって、その準備もしなければならないので今詳しいことは書けませんが――

観世音菩薩は、「阿弥陀三尊」では阿弥陀如来(無量寿如来、尽十方無礙光如来とも称される)の「慈悲」をあらわす化身とされ、左脇侍として安置されている菩薩様。

「般若心経」の冒頭には「観自在菩薩」という名で出てくる。

『法華経』の中の「観世音菩薩普門品」(「観音経」といわれる)には、衆生がどんな危難に出遭っても観音(観世音菩薩)の力を念ずれば安全に護り救って下さると書かれています。

そういう菩薩様ですから、当然、完全円満な大慈悲そのものでいらっしゃるのが本来のお姿でしょう。

それが、やはり観音経に「三十三身に身を変じて衆生を済度される」ということも書かれています。

谷口雅春先生は、『あなたは自分で治せる』の第13章「『般若心経』講義」(『真仏教の把握』にも収録)に、

「観世音菩薩というのも、内部的意義からいうと、仏像ではなく、皆さん御自身が観世音菩薩であります。相手の心の姿にしたがって三十三身に身を変ずる、ありとあらゆるどんな姿にでも顕れて衆生を済度なさる、これが観世音菩薩であります」(大意)と書かれています。

だから、観世音菩薩は本来完全円満ななのだけれども、自由自在にどんな姿にも顕れて衆生を済度される、と考えればよろしいのではないでしょうか。

あとは、また夜遅くか、明日に。

ありがとうございます。

1510復興G:2013/05/30(木) 17:50:57 ID:AB6RqYXc

あ、ひと言追加します。

≪衆生の中には「自分自身」も含まれていまして、自分の前にあらわれる人々の姿を自分の心の姿だと観ずると自分が済度されるのであります。≫

と、谷口雅春先生は「般若心経講義」に書かれていました。

1511志恩:2013/05/30(木) 18:08:53 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

ユタカ様がいらして下さったおかげで、復興G様も、このように多く出て下さるように
なりました。すごくうれしく思っています。

そして、WEB誌友会前に、ユタカ様が、たびたび自主勉強会を開いて下さるので、
若手のahopeさんの発言も多くなり、いろいろな方々も参加されるようになり、ありがたく
思っております。

次回の 6/7(金)~6/8(土)開催のWEB誌友会は、
復興G様、トキ様、ご指導のもと、
ユタカ様 の相棒の、人気ものの 訊け管理人様 が司会をお引き受け下さいましたので、ますます皆様の
注目が集まりますでしょう。

裁判の結果も出ましたので、
大物の元本部職員様や,その他の大物らしき方々や珍しい方々も、いらしてくださって、発言して下さいますので、
すごいことになっております。

閲覧されている全国の皆様のよき啓蒙運動になっていると存じます。

ユタカ様が、復興G様に ポイントついた質問をしてくださるので、気がつかなかったことも
気がつかせていただけて、ラッキーです。ありがとうございます。

1512志恩:2013/05/30(木) 18:23:22 ID:.QY5jUA6
元本部職員様→元本部職員D様

1513志恩:2013/05/30(木) 18:40:04 ID:.QY5jUA6
 1510:復興G様ご指導の

>>≪衆生の中には「自分自身」も含まれていまして、自分の前にあらわれる人々の姿を自分の心の姿だと観ずると
自分が済度されるのであります。≫

と、谷口雅春先生は「般若心経講義」に書かれていました。>>

というところですが、

私の場合は、この真理が、わかりません。

以前に、復興G様に、私は、
それでは、北朝鮮の将軍さまのやることなすことも、拉致したことも私の責任で、
私の合わせ鏡なんでしょうか?
とお聞きしたことが、ございましたが、復興G様のお答えは、「そうだと思います。」だったと存じます。

ある政治家が、ワイロをもらって、悪い事をしたことも、私の責任でしょうか、私の合わせ鏡でしょうか、と
お聞きしたときも、「そうだと思います」と
おっしゃったような記憶がございますが、ここのところは、私は、納得がいかないところです。

私は、
すぐ目の前にいる家族のことは、自分の合わせ鏡だと,納得いきますが、世界中の人間のやることなすこと、
全て、自分の責任であり、合わせ鏡だとは、思えないのです。

1514志恩:2013/05/30(木) 19:08:33 ID:.QY5jUA6
つまり、あれでございましょうか。
復興G様は、雅宣総裁の姿は自分の姿だから、、、とおっしゃりたいのでしょうか?

1515志恩:2013/05/30(木) 19:12:00 ID:.QY5jUA6
自分の姿というより、われわれ一人ひとりの姿。
で、
雅宣総裁のすることなすことは、われわれの責任であるということを、
おっしゃりたいので、ございましょうか。

1516ユタカ:2013/05/30(木) 20:10:54 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

>「観世音菩薩というのも、内部的意義からいうと、仏像ではなく、皆さん御自身が観世音菩薩であります。相手の心の姿にしたがって三十三身に身を変ずる、ありとあらゆるどんな姿にでも顕れて衆生を済度なさる、これが観世音菩薩であります」(大意)と書かれています。

だから、観世音菩薩は本来完全円満ななのだけれども、自由自在にどんな姿にも顕れて衆生を済度される、と考えればよろしいのではないでしょうか。

========
復興G様、ありがとうございます。

急に蓮華日宝王地観がひらめき、聖光録を呼んでみました。
吾れ、今、五官の世界を去って、普く吾が全身を観ずるに、この身このまま観世音菩薩なり。
(と、心に誦え、自己を観世音菩薩だと見立てて神想観をするのであります。自己を観世音菩薩と何故観じても好いかと言うと、観世音菩薩は一定の形ある菩薩ではない。世の中の音を観じてその音の通りn現れ給う観自在の原理でありその観自在の原理は各人の腹中に各々豊かに備わっているからである。)
それから蓮華に乗る菩薩と観じていくので、やっぱり、完全円満な菩薩様でその菩薩様が33身に変じるのですね。。。

急に、迷ってしまいました。。。 分かりました、有難うございました。

1517ユタカ:2013/05/30(木) 20:24:08 ID:R1D4Jmeg
志恩さま

応援を有難うございます。

観世音菩薩の北の将軍の事ですが、教義上はそうなるのではないですか・・・。

一応、何かを教えてくれているのではないでしょうか? それは、志恩さん個人だけでなく、政府や全国民と広い何か共通範囲ではないかな?と私は思いますが?ですが、どこかの大宗教家ならそういう大自覚があっても良いけど、主婦の志恩さんがそこまで思わなくても大丈夫ではないのですか?そこまで反省に至らなくても・・・・
と私は思います。。。

1518志恩:2013/05/30(木) 20:45:19 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

お言葉、ありがとうございます。
雅春先生や復興G様でいらっしゃると、そのぐらいの高尚な宗教的ご自覚があられるのでしょうけれど、

私は、どうしても、北朝鮮の将軍様の合わせ鏡には、なりたくないのです。
ワイロももらっている悪い政治家の合わせ鏡にもなりたくありません。

別の例をあげれば
例えば、どこかのイトーヨーカー堂へ買物いったとしましたら、ふと、みると、
どこかのおばさんが、万引きしている。見たくない現場を目撃してしまった。

そういう場合、それは、私の責任だとは、私には、
どうしても思えないのです。

それは、そのおばさんの、個人の責任であり、
そのおばさん個人の、あってはならない できごごろ じゃないでしょうか。

その様な,世界中の ことごとくの 他人の悪事まで、
いちいち私の責任にされましたら、私は身がいくつあっても足りない様な、重い気分に
なるのです。

私は,その意味では、全然、悟っていない人間だと思います。

1519ユタカ:2013/05/30(木) 21:32:35 ID:R1D4Jmeg
目撃して、通報をしなかったら、志恩さんは責任を感じてもいいかも知れませんが、その場合通報をしてあげるとまた運命が変わるのではないでしょうか?

思わず、雨が降ったら傘をさすって頭に浮かびました・・・

1520goro:2013/05/30(木) 23:46:09 ID:8BFF/5aQ

志恩様

御無沙汰していました。
もう二度と醜い争いを引き起こしたくないと思い、書き込みを自粛していましたが、
本日8時前に本部へ参り、最後の御神像を目に焼き付けようと
見て参りましたので報告しようと思い、出て参りました。

学ぶ会の方々でしょうか、40人ほどの人たちが8時前から聖経読誦されていました。
足場が組まれ、黄色の毛布らしきものに、御顔、光背、左腕、胸部と包まれました。
この間5時間くらいでしたが、残念ながら所用のため午後1時頃帰途につきました。
クレ−ン車に吊り下げられトラックに積み込まれる様子は「光明掲示板」に詳しく出ています。
本部に依る御神像動座の儀式は何もなく、イキナリ作業が始まって本当に痛ましい光景でした。

復興G様のお説の通り全ての出来事は自分の心の顕れであるという事は正論でしょうが、
凄まじい「覚悟」と完全なる「一切者の自覚」が必要でありますから、簡単に言える言葉ではないような気がします。

 落語家「4代目 柳亭痴楽」の、
「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、彼女の鼻が低いのも、み〜んな痴楽が悪いのよ」で、
笑い飛ばせるような気楽な話ではありませんので、口に出すことは恐ろしいです。

 最近「シルバーバーチの霊言」を読んでいますが、以下紹介します。

 知識は本来人間を尊大にするものではなく謙虚にするものです。
 知れば知るほどまだまだその先に知るべきものがあることを自覚させるからです。
 尊大にさせるのはむしろ無知の方です。知らないから生意気が言えるのです。
 最高の知識人はみな謙虚でした。知れば知るほど、知らないことが多いことを思い知らされるからです。

 わたしたちへ向けて軽蔑と嘲笑の指をさす人たちは、頭の中に何もない、無知で身を固めた人たちです。
 知識を求め、新しい真理をよろこんで受け入れる素直な魂には、霊の力が感動を及ぼすことができます。
 そういう素地ができているからです。大霊の使徒として、その知識と叡智と力と意志とを地上に
 もたらすことに心を砕いているわたしたちにとっては、そういう人こそ役に立つ人材なのです。

志恩さまは正直で裏表のない真っ直ぐな人ですから、応援しています。
書き込みはしなくても時々掲示板を覗き志恩さまの意見を見ては心底納得しています。

1521ユタカ:2013/05/31(金) 00:45:00 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま みなさま

>>1454 a hopeさまの質問で沢庵和尚とのつながりがよく分かりません。

この沢庵和尚で復興G様が何を伝えたかったのかが、分かりません。。。

みなさま、復興Gさまが忙しそうなので、分かる方がいらっしゃいましたら、ユタカにご教授ください。。。。

志恩さま、横切ってすみません。。。。。

1522ユタカ:2013/05/31(金) 01:00:50 ID:R1D4Jmeg
何度読んでも、むずかしい。 禅問答と實生活は別であるが、生活に禅が入ってくると實生活がつらつら上手くいく??

ってもーーーーどうしたらいいのだろうか?? 読み方が間違えているのかな???

1523神の子さん:2013/05/31(金) 01:19:53 ID:nYL5yFzs

昔、私はスマートだから、雨と雨の間を歩けるのよと、意気込んでいました。
沢庵禅師は、ずぶ濡れの中、神想観をされていたのですね。
「禅」を「神」、「禅の生活」を「神の子の生活」と置き換えて読んでみました。

1524神の子さん:2013/05/31(金) 01:35:57 ID:SgzkpbKc

「お腹がすけば、ご飯を食べなさい。ミサイルがどこやらから、飛んで来るならば、適切に対処できる手段や情報を仕入れなさい。その実際生活の中で、神を観じ神の子の生活を生きる時に、自ずから光輝く神の世界が展開する」

ということかと、勝手に個人的な解釈をしていました。

1525神の子さん:2013/05/31(金) 02:15:21 ID:VYVSpdT.

>>1459のご文章を拝読して思うのは

「お腹がすいた」しかし「実相独在だから食べずに生きられる」は、対立であり、実相独在という言葉に引っ掛かって、いくらでも腹を空かせずにいる方法はあるのに、「実相独在」という言葉に引っ掛かって、自由自在を失ってしまった…そこに、実相独在なる展開はない。実相独在とはいえ、腹がすいてしまうんだ

「お腹がすいた」ならば「適切にご飯を食べよう」は調和であるということではないかと、思いました。
復興G様の、>>1459も大変勉強になりました。

1526髪の子:2013/05/31(金) 02:35:42 ID:xOsRIjpM
すみません。上の3つは髪の子です。
現象処理の中に、神の御心の展開あるのですね。現象はない。しかし
この現象生活の中で、神を観じることで、魂=霊が磨かれて、神=善=禅=全が展開し、実相顕現していきますものね。

1527こんにちは:2013/05/31(金) 05:09:59 ID:WncVVViE
>>1521
>>1522 ユタカ様
復興G様がお答えになるのが一番間違いないと思いますが、私なりに解釈いたしました。

>>1420でのa hope様のお話
<<「日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、現象の運動をする必要なんてないんですよね!」
わたしは、生長の家の『実相独在』とは、そういう事だと思っています。
真に『実相独在』を信じ切れば、ご飯を食べなくても生きられるだろうし、ミサイルもそれると思います。
だって、そういう奇蹟の数々のお話が「生命の實相」に山ほど紹介されていますし、それが、真の「生長の家の教え」なんだと思います。>>

これは、実相独在を生活に生きるという立場からのご発言であります。言い換えれば、絶対善の生活であります。
しかし、このご発言には「立場」へのこだわりがあります。

これについて、谷口雅春先生は、
「……絶対善の生活をしようと思ったならば、すべての「立場」を捨てなければならない。「善」という立場すらも捨てて、「そのまま」にならなければならない。」
(『新版 真理』第3巻 p.262)
と、復興Gさまは引用してご指導くださいました。

谷口雅春先生はその具体的なお話として、「沢庵禅師と柳生但馬守」のエピソードを用いて説明しています。

>>1455「・・・雨にも少しも濡れないでこの庭を歩くことが出来ますか」

この沢庵禅師の問答に対して、
1. 柳生但馬守は、剣の技術で雨に濡れず歩こうとした。
2. 沢庵禅師は、実相独在の立場から雨に濡れていないことを示した。
3. 谷口雅春先生は、構える心なしにスラスラと何事も運ぶ「当り前の生活」を示された。

谷口雅春先生は、沢庵禅師の答えについてこう述べています。
「一応、禅の問答ではそれでよいとしましても、日常生活の上では、「雨に濡れないで歩いて見よ」と云われて、雨に着物や肉体が現に濡れていながら、「濡れないでいる」と頑張ることは無理で、これでは、吾々の日常生活が成立ちません。」
(『新版 真理』第3巻)

そしてさらに、こう喝破されています。
「実相人間は病まないものだ」とわかりましても、現に肉体に病気をあらわしておりましたら、その悟りは、生悟りでありまして、「人間は病まない」と云う自覚が、形にあらわれるほど強く深くなっていないと云うことになります。」
(同書。以下の引用も同じ)

沢庵禅師のお話は、実相が生活に生きていない生悟りだということですね。
それでは、実相が生活に生きるとはどういうことか?
谷口雅春先生曰く
「雨が降ったら傘を縕(さ)す」

奇跡でも何でもない。当たり前です。
「弾丸の雨の中に立っていても平気だ」ということが、実相の生活ということではない。
沢庵禅師のように実相(永遠に弾に当たらぬ私)にこだわると、実際には弾丸に当たって死ぬことになるでしょう。
(つづく)

1528こんにちは:2013/05/31(金) 05:11:02 ID:WncVVViE
(つづき)
これを、谷口雅春先生はこう説明されています。
『「生長の家の生活」と云うのは当り前の生活を当り前にすることなのであります。』
『雨に濡れていながら、「実相の人間は濡れていないのじゃ」と頑張って見たりするのが、「禅の生活」ではないのであります。』
禅の生活とは、実相独在を生きることでしょう。

『「禅」と云うものが、実際生活の中に入り込んで来ますと、実際生活が何の矛盾も摩擦もなく、構える心なしにスラスラと何事も運ぶようになるのであります。』
つまり、構える心がなくなる。
『「善」という立場すらも捨てて、「そのまま」になる』ということでしょう。
実相という立場をも捨てよ、と。

谷口雅春先生は、
『「そのまま」は、もう善悪の立場を超えて、絶対と「一つ」になっているのであります。』とおっしゃいます。
本当に実相独在に立てば、実相と自分が完全にひとつだから、もはや実相はどこにもない。
自分のそのままの生活が、何でもない暮らしが、そのまま実相なのであります。
「これが実相、これが実相」と握り締めることが無くなり、自然体になる、ということでしょう。

これを、>>1458『平常の心が其のまま「道」である』と説明されています。

さらに、>>1459『「構える心」は「対立の心」である』として、実相独在にこだわる心と、あらゆる立場を捨て去った心について説明されています。
立場を捨て去った心のことを、「これを円融無礙(えんゆうむげ)と云います。」とも説明されています。

これらの説明をふまえて、
>>1463『というわけで、「雨が降ったら傘を縕(さ)す」ように、闘争精神がある中で平和を得るには、「力のバランス」という傘をさす。』
『雅春先生は、現象の悪を認め、「生長の家の教え」から外れることをされた、ということにはならないのではないかと、私は思います』
という復興G様のご指導につながるのだと思います。

要は、「当たり前の判断をして生活しなさい、それが実相を生きることですよ」ということですね。
腹が減ったら飯を食う。
眠くなったら布団に入る。
盗人がウロウロしていれば鍵をかける。
それが禅の生活である。

思うに、感謝も、愛も、礼拝も、無限力も、生かし合いも、健康も、人間の当たり前の姿の一面相です。
しかし、一面相にこだわると、それはもう実相じゃない。
実相は、どんな姿も立場も超えて自由自在である。
それは当たり前を生きることである。
そういうことなのではないでしょうか?

余談ですが、これは「総裁への中心帰一とは何か」にも通じるお話ですね。

私自身、自分でじっくりと解釈してみて、初めて理解できました。ユタカ様のおかげです。
ありがとうございました。
復興G様のご指導は素晴らしいですね。

1529志恩:2013/05/31(金) 06:07:03 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

>>1519 :ユタカ:2013/05/30(木) 21:32:35
目撃して、通報をしなかったら、志恩さんは責任を感じてもいいかも知れませんが、
その場合通報をしてあげるとまた運命が変わるのではないでしょうか?
思わず、雨が降ったら傘をさすって頭に浮かびました・・・ <<

それは大部前のことでした。忘れもしません
実際に私が体験したことなんです。
隣町にあるイトーヨーカ堂の2階の服売り場での出来事。
その日は、2階売り場は がら空きで 客が4、5人しか居なかった。

そのとき、私が店内を歩いて行くと、あるところで、どこかのおばさんが、
ご自分の大きな手提げ布袋に、
何着も服を詰め込んでいる現場を目撃しました。
それが、手慣れた感じで平気な顔してやってるの。きっと常習犯だったのかもしれません。

辺りを見回すと店員は、そこの位置から かなり離れたキャシュコーナーに
若い店員でしたが、2人居ました。
もちろん、私は、急いでそこへ行き「あのおばさんが…いま…」と、通報しました。

ところが、驚いたことに、その2人の店員は、私が通報したのにもかかわらず、
(その犯人のおばさんが、まだ2階の店内に居るにもかかわらず、)
聞かなかったふりをして、なにもしなかったのです。
そんな煩わしい事に、自分達は関わりたくない という感じでした。

私は、どちらかというと正義感の強い人間なものですから、
万引きの現場を目撃したことよりも、
店員が2人揃って、私の通報を 無視して聞かなかったことにした、
その信じられない態度の方が、一層 ショックを感じまして、
いまだに鮮明にそのときのことを覚えているのです。

いうまでもありませんが、私はたえず神様と共にあり、私は万引き、大嫌いな人間なので、
万引きは一度も したことはありません。

1530志恩:2013/05/31(金) 06:45:31 ID:.QY5jUA6
goro様

最近、お見えにならないので、どうしておられるかしら…と、
時折、思い出しておりました。

まあ!!goroさま、
昨日は、ご神像のところまで、わざわざいらして下さったのですね。
ありがとうございました。よく、いらして下さいました。
ご報告、心から感謝申し上げます。光明掲示板の方も閲覧させて頂きました。

goro様のコメント〜

>>本日(注:昨日になる)8時前に本部へ参り、最後の御神像を目に焼き付けようと
見て参りましたので報告しようと思い、出て参りました。

学ぶ会の方々でしょうか、40人ほどの人たちが8時前から聖経読誦されていました。
足場が組まれ、黄色の毛布らしきものに、御顔、光背、左腕、胸部と包まれました。
この間5時間くらいでしたが、残念ながら所用のため午後1時頃帰途につきました。
クレ−ン車に吊り下げられトラックに積み込まれる様子は「光明掲示板」に詳しく出ています。
本部に依る御神像動座の儀式は何もなく、イキナリ作業が始まって本当に痛ましい光景でした。<<

私は、本部のご神像は、昔、本部に奉職していたこともありますので、
特別に思い入れが深いので、脱力感でいまはなにも言いたくないのですけれど、
学ぶ会の方々ですか、40人も集まられて、聖経読誦されたということは、唯一の救いのような有り難い
気持ちにさせて頂いております。合掌

つづけて〜
>>復興G様のお説の通り全ての出来事は自分の心の顕れであるという事は正論でしょうが、
凄まじい「覚悟」と完全なる「一切者の自覚」が必要でありますから、簡単に言える言葉ではないような気がします。

 落語家「4代目 柳亭痴楽」の、
「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、彼女の鼻が低いのも、み〜んな痴楽が悪いのよ」で、
笑い飛ばせるような気楽な話ではありませんので、口に出すことは恐ろしいです。」<<

そして、goro様は、 最近「シルバーバーチの霊言」を読んでいらっしゃるそうで、
内容 のご紹介もありがとうございます。

シルバーバーチの著書は、私もだいすきなので、読んでおりますが、
フレッシュな気持ちになれますね。

 goro様が引用されたシルバーバーチの言葉〜

 >>知識は本来人間を尊大にするものではなく謙虚にするものです。
 知れば知るほどまだまだその先に知るべきものがあることを自覚させるからです。
 尊大にさせるのはむしろ無知の方です。知らないから生意気が言えるのです。
 最高の知識人はみな謙虚でした。知れば知るほど、知らないことが多いことを思い知らされるからです。

 わたしたちへ向けて軽蔑と嘲笑の指をさす人たちは、頭の中に何もない、無知で身を固めた人たちです。
 知識を求め、新しい真理をよろこんで受け入れる素直な魂には、霊の力が感動を及ぼすことができます。
 そういう素地ができているからです。大霊の使徒として、その知識と叡智と力と意志とを地上に
 もたらすことに心を砕いているわたしたちにとっては、そういう人こそ役に立つ人材なのです。<<

私へのあたたかなお言葉も感謝いたします。
ここへ出られれば,意見の食い違いで論議することもありますけれど、
懲りずに また、是非、書き込んで下さいませね。

1531ユタカ:2013/05/31(金) 06:54:03 ID:R1D4Jmeg
こんにちはさま、ありがとうございます、おはようございます。

ありがとうございます、長いため息が出て、ホーーーっと脱力して、大安心の心境になったのと同時にもっと真理を知りたいとも意欲もでました!!

私は今まで、実相は『善』と絶対の善と固定して考え、そこから離れずにいようと自力で力んでいました、神想観後など、実際自分の行動が神と一体になっているのかすごく不安があり、神想観の時は神の子、眼を開けたら神の子ではない自分もいるかも・・・の不安の世界でしたが、こんにちはさまの復興Gさまのご指導のご解説によって

そのままでいいのだ!!! と分かったら、今までの自分はなんだったのか?? 実相も捨てよ!!! でいいんだ!!! わぁ〜〜〜〜〜楽になったぁ〜〜〜!!! 有難うございます!!! と嬉しくなり、安心できたのでとても楽になりました!! 感謝、感謝、感激でありがとうございます。

復興Gさまの伝えたい大事なことが良く分かって、これから、安心して生活できそうです。

もう一度、原文とこんにちはさまのご解説をじっくり読んで、済度勉強します。

こんにちはさま、私は、とても安心できましたし、眼が開けた気分です。 本当にありがとうございました。

そして、深く深く先へ先へとお導き下さる復興Gさま、本当にありがとうございました。 トキ様のおかげです、本当にありがとうございます。

みなさま、本当にありがとうございます。。。 感謝、合掌 これからもよろしくおねがいします。

今日から、私は本当の神の子だ!!

1532志恩:2013/05/31(金) 07:13:15 ID:.QY5jUA6
ユタカ様がおっしゃるように、
私もこんにちわ様が,復興G様のご文章を分り易く解説して下さったので、
「そのままでいいのだ!」という事を,分らせて頂きまして、
心にやすらぎがひろがり、楽な気持ちになれました。

復興G様、こんにちわ様、ユタカ様、ありがとうございます。

1533神の子さん:2013/05/31(金) 09:34:29 ID:R1D4Jmeg
最近は、裁判のことで、皆様のご発言が活発になり、それで、公案のようなみんなで考えて意見をいうのもよさそうなご意見の文章を転載します。
みなさまで、今話し合うのにちょうど、良いような気がしますが、如何でしょうか??

>>本流対策室/5
1417 :髪の子:2013/05/31(金) 03:11:32 ID:mFi83bdA
Web誌友会板では、ユタカ様のご発言や皆さまのご発言に勉強させて貰ってありがとうございます。
Web誌友会板に続いて投稿すると、話がそれますので、こちらに以下投稿させてもらいます。

Web誌友会板で聖典を拝読させてもらいながら、一連の教団と社会事業団の裁判のことが、頭を横切りました。

社会事業団は、著作権料を支払われなかった為に、適切な手段で教団や教文社サイドに交渉してきました。このことは、対立ではなく調和の行動だと思います。

しかし教団サイドはその交渉に対し、満足な対処がなく、裁判となったわけです。

「実相完全円満だから争いはいけない」という言葉や、「和解だ」という感情に引っ掛かかり、調和なる裁判という手段を選ばなかったならば、対立感情剥き出し状態で、何一つ進展しなかったのではないでしょうか。
「実相独在だから、ただ祈っていればいいんだ。相手は自分の鏡だ」は、実相独在の言葉にとらわれ引っ掛かった、対立感情ではないでしょうか。

もちろん祈りも大切です。しかしそこに調和なる行動が伴わない祈りは、虚しいものと化します。

今回の社会事業団勝訴の結果は、現象において裁判という調和なる手段をとり、常に神の御心を観じ展開なされた結果でもあるな〜と思いました。

裁判=争い=対立と勘違いする方もいらっしゃるでしょうが、裁判=調和の手段であることを、復興G様の謹写のご文章の中に感じました。


と、あります。。  私、ユタカはそのままでいい!!とこんにちは様から先ほど教えていただいてすっきりしていたのが、また、分からなくなりかけました。

皆さんは、『そのままでいい』をどのように考えますか?? よろしければ、ご発言を自由になさってください。

ただし、私は初心者なので、みなさんのご意見をまとめる能力はありませんがよろしくおねがいいたします。

1534a hope:2013/05/31(金) 09:49:15 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

ものすごい勢いで真理のお勉強が続いていて、みなさまのご投稿内容の一つ一つがとても深い内容なので、
あまり焦らずに自分の中ですぐに答えを出してしまわないように、しっかり精読していこうと思っています。


今朝、まだベッドの中でウトウトしているときに、自分が中学生の時に歌った歌を思い出していました。
それは、「勇気ひとつを友にして」という歌で、それはギリシャ神話に出てくるイカロスという青年が、
閉じ込められた塔から脱出するために鳥の羽を蝋でつなぎ固め、脱出に成功するのですが、父親のアドバイスを忘れ(聞かず?)、
高く飛び過ぎてしまったため、結局は、墜落死してしまったという内容の神話を歌にしたものです。

http://www.youtube.com/watch?v=Mcb4lK8RGLs

最後の歌詞は「僕らは強く生きていく、勇気ひとつを友にして」で終わっていて、その愚かなイカロスの行為を讃えているようにも感じます。
ですが、わたしは、当時その歌を歌ったり聴いたりするたびに、とても切なくむなしい気持ちになっていました。

偽物の翼では本当に飛べたことにはならないのに、イカロスは自分が本当に飛べるようになったと錯覚したのだと思います。
だから、墜落してしまった。

もしかしたら「実相の悟りというのも、そういうものなのではないのかかな〜」なんて感じました。
谷口雅春先生は、「真にに実相独在を悟られていた」だから、何物にもこだわらず、神の御心と一つになることができたのではないか・・・。

そんなことを、ウトウトと考えていました。

引き続き、web誌友会の内容をお勉強していきます。
みなさまの、素晴らしい投稿内容に感動しています。

感謝 合掌

1535ユタカ:2013/05/31(金) 09:53:14 ID:R1D4Jmeg
1533はユタカです。

髪の子さん、勉強の材料になりそうなので、勝手にご文章を転載いたしましたがどうか、ご許可ください。

神様からの公案のような気がして・・・・

1536復興G:2013/05/31(金) 14:05:14 ID:AB6RqYXc

皆様

ありがとうございます。

私は昨夜は出かけておりまして、帰って来たらもう眠くなってどうしようもなく、寝てしまいました。

今日、PCを開いて見たら、何と素晴らしい!

ユタカ様の素直な真剣なご質問に、こんにちは様が誠心誠意、的確なお答えをしてくださっており、goro様、志恩様、神の子(髪の子)様などの活発なご投稿もあったりして充実した研鑽がなされていることに、とても感動しております。

ユタカ様、こんにちは様、皆々様、本当にありがとうございます。ただ感謝でいっぱいであります。

>>1516 :ユタカ様。

「自分が観世音菩薩である」ということから「蓮華日宝王地観」がひらめいたというのは、すばらしい!

私も、蓮華日宝王地観が大好きで、毎日もっぱらこの神想観をしていた時がありました。それを思い出して、今朝は「蓮華日宝王地観」の神想観をしました。

そして、「われ観世音菩薩」と念ずるときに、「われ」とは、肉体の自分はないのだから、この掲示板上に投稿してくださっている皆様はみな自分であると思い、皆様が観世音菩薩であり、皆様に大日輪の霊気が、大日輪の智慧が、愛が、生命が流れ入る、流れ入る……と念じさせて頂きました。

谷口雅春先生は『詳説神想観』で、次のようにご教示くださっています。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     蓮華日宝王地観

 蓮華日宝王地(れんげにっぽうおうち)とは、これは「華厳経(けごんぎょう)」に書いてある言葉でありまして、釈尊の仰せられるには、この世界すなわち宇宙は蓮華蔵(れんげぞう)世界であって、内に蓮華の理念を蔵し、それが展開する世界だというのであります。

 蓮華の花を御覧になりますと、花弁があらゆる方角に展開し、その中心座に、ハチスといって蜂の「巣」のような子房(しぼう)があるのであります。これは中心座に巣(統、スの言葉――五十音を統一すればスの一音となる)があって、そこから現象のハナビラが八方に展開していることを象徴している。

 その中心になるスの世界は金剛(こんごう)の日の宝地(ほうち)であって、破壊し得ないという意味が「蓮華日宝王地」であります。これが実相の世界であります。
 その実相世界を観ずるのが「蓮華日宝王地観」であります。

 まず瞑目合掌して、「吾れ今五官の世界を去って、吾が身を観ずるに、吾が身はこのまま観世音菩薩なり、吾れ観世音菩薩、五蘊皆空(ごうんかいくう)と照見(しょうけん=智慧の光で照らして見る)す。」こういうふうに唱えて、そして、自分自身が観世音菩薩であって、その自分が深般若波羅蜜多(じんはんにゃはらみた)(=神想観)を行ずるつもりになり、

 五蘊皆空(五蘊――「蘊(うん)」というのは“かさなる”という意味の字。“波動”という意味もあります。五蘊というのは、この「波動」が重なって色(しき)、受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)のモヤモヤのかさなりができているのを言うのであります。「色」とは波によって現われている形象、つまり物質。「受」はこれを感受する五官、「想」は心の想い、「行」は意志によって行ずる働き、「識」はこれらの心の働きを統一する統一意識です。)――物質も心も、ありとあらゆるものが無いと観ずるのであります。

 それには「吾れ観世音菩薩、五蘊皆空と照見す、物質はない、物質はない、物質はない、肉体はない、肉体はない」と、心に繰返し唱えまして、その次には「心もない、心もない、心もない」とずーっと念ずるのです。そして、物質も肉体も心もなんにもなくなった実感を喚(よ)び起して、その次に虚空(こくう)中に「宇宙大の大日輪(だいにちりん)」が浮んでいる光景をじっと心に思い浮べるのです。
<つづく>

1537復興G:2013/05/31(金) 14:06:13 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 「宇宙大の大日輪」――日輪というのは太陽ですが、肉眼で見る太陽は現象でありますが、太陽の実相は虚空に満ちている「大生命体」であります。それを観ずるのであります。目の裡(うち)に、宇宙大の大日輪が充ち満ちておる光景を心に描き、その中央部に千葉(せんよう=千の花びら)の蓮(はちす)の花が浮んでおり、それが蓮華(れんげ)の台座となって、その上に観世音菩薩が坐っている光景を心に描いてじっと観ずるのであります。

 蓮華の台座の上に坐したまう観世音菩薩を心の眼に思い浮べて、そしてじっとそれをみつめまして、その観世音菩薩が、自分にじっと近接(ちかづ)いてきて、自分と一体になった感じを起すのです。そして我れ観世音菩薩なり、とこう観ずるわけであります。

 これを観ずる場合に、以上のような光景の観世音菩薩像を一間半ばかり距(はな)れた位置に掛けてそれを眼を半眼にひらいて見詰めながら精神統一に入り、やがて眼をとじてその観世音菩薩と一体になった感じを起されるのもよろしいのです。
 宇治市の生長の家練成道場の「祈りの間」には、有留弘泰(ありとめひろやす)氏の筆になる、大日輪中の蓮華の台座に坐したまう観世音菩薩像が掛けてありますが、あの前に正坐して、しばらくジッと観世音菩薩像を眺め、じっとみつめながら、その観世音菩薩は自分であって、自分自身が観世音菩薩であると観ずるのです。

 大日輪の霊気が自分に流れ入って、自分を生かしつつあるのであるとこう観じまして、静かに息を吸いながら「大日輪に生かされている、生かされている」と繰返して、

 「我れ大日輪の智慧なり、我れ大日輪の愛なり、我れ大日輪の生命なり、一切のもの我れに備わり、意(こころ)に従って集り来たり、用足りて自(おのず)から去る」と念ずるのであります。これは「般若心経」の観世音菩薩が深般若波羅蜜多の行法において、五蘊皆空と観ぜられたやり方を、近代化して、「蓮華日宝王地観」という神想観としてここに説明してあるのであります。

 次の如くお念じ下さい。

 『吾れ、今、五官の世界を去って、普(あまね)く吾が全身を観ずるに、この身このまま観世音菩薩なり。』

 こう念じて自分の全身が観世音菩薩であると観じます。

 自分を観世音菩薩と何故観じてもよいかと言うと、観世音は一定の形ある菩薩ではない。世の中の音を観じてその音の通りに現われ給う観自在の原理であり、その観自在の原理は各人におのおの豊かに備わっているからであります。

  『吾れ観世音菩薩、五蘊皆空と照見し、一切の苦厄を度す。
  物質はない、物質はない、物質はない……
  肉体はない、肉体はない、肉体はない……
  心もない、心もない、心もない……』

 じっとこう何回でも繰返して五蘊上に浮ぶ迷妄世界をすべて否定し去ります。物質も、肉体も、心も、そしてかく観ずる心も、ことごとく空(くう)じ去った世界に入ってしまって、

 『虚空中に宇宙大の大日輪浮ぶ。光明遍照実相世界ここなり』

 と念じて、見渡すかぎり明るい大日輪が宇宙一杯に充満している有様を観じ、そしてその大日輪中に千葉(せんよう)の蓮華が開いて浮んでいる有様をじっと観じて、

 『ここ蓮華蔵世界なり』

 と念じてその蓮華の台座の上に観世音菩薩坐し給う有様を見詰めて、

 『この菩薩は自分自身なり』

 と観じ、静かなる呼吸と共に、

 『大日輪の智慧吾れに流れ入る、流れ入る……
  大日輪の愛吾れに流れ入る、流れ入る……
  大日輪の生命吾れに流れ入る、流れ入る……
  吾れ大日輪の智慧なり。吾れ大日輪の愛なり。吾れ大日輪の生命なり。
  一切のもの吾れに備わり、意(こころ)に随(したが)って集り来たり、用足りて自から去る』

 と繰返し念じつつ自分が観世音菩薩で大日輪中に浮んでおり、大日輪の智慧、愛、生命が自分に流れ入る様を観ずるのであります。
<つづく>

1538復興G:2013/05/31(金) 14:07:10 ID:AB6RqYXc

<つづき>
       ○

「吾れ観世音菩薩、五蘊皆空と照見し一切の苦厄を度す。
物質はない、物質はない、物質はない……
肉体はない、肉体はない、肉体はない……
心もない、心もない、心もない……」

 と念ずる意味について、谷口雅春先生は『真佛教の把握』というご著書の「『般若心経』講義」の中で、次のようにご教示くださっています。

 ≪五蘊皆空と照見すれば「一切の苦厄を度(ど)す」ことができるのです。一切即ちすべての苦しみや災難をみな度(たす)けることができるというわけであります。

 そんなことで何故救かるかというと、「物質がある」と思ったり「心がある」と思って居ったならば、我々はそれにひっかかって、一切の苦厄からまぬがれることが出来ないからであります。「物質はない、肉体はない」という大真理を直観の智慧によって照らして見た時に、はじめて、一切の苦しみ悩みというものが、根拠のない妄想の上に築かれたものに過ぎないということがわかって、それから解放され、救われると、こういうことになるのであります。≫

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 さて、私は昨夜どこへ行っていたかというと、私の住んでいる地域の合唱団の練習に行っていたんです。

 そこで歌ってきた合唱曲の一つに、「ひとつの朝」というのがありました。この歌のことは、以前にも書いたことがあると思って調べてみましたら、ありました。昨年11月に、web誌友会板(1)の #1611〜に書いていました。

 大分前のことなので、もう一度その歌詞を貼付けさせていただきましょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     「ひ と つ の 朝」

            片岡 輝 作詞
            平吉 毅州 作曲

  今 目の前に ひとつの朝
  まぶしい光の 洪水に
  世界が 世界が しずまないうちに
  さあ 方舟(はこぶね)に乗って 旅立とう
  あのノア達のように 旅立とう

  たとえば 涙に 別れること
  たとえば 勇気と 知り合うこと
  たとえば 愛を 語ること
  時には 孤独と 向き合うこと
  旅立ちは 旅立ちは 旅立ちは いくつもの出会い

  今 目の前に ひとつの海
  逆巻く怒濤の 洪水に
  船が 船が くだけないうちに
  さあ 両腕をつばさに 飛び立とう
  あの鳥達のように 飛び立とう

  はばたけ 明日(あした)へ まだ見ぬ 大地へ
  新しい大地へ まだ見ぬ 新しい大地へ
  生きる喜びを 生きる喜びを
  広がる 自由を求めて
  広がる 自由を求めて

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

上記の歌の中に、「(ノアの)方舟(はこぶね)に乗って旅立とう」という詞が出てきますが、ノアの方舟のことは『生命の實相』第11巻万教帰一篇のp.117〜119に、次のように書かれています。

≪ノアの方舟(はこぶね)とは神の教えの船ということである。仏教でも、これを船にたとえて如来の願船とか大乗とか小乗とかいいます。ノアというのはNO・Aであります。「NO」は空であり「A」は阿字であり大日如来の本体であります。諸法は空である。「空」であるといっても、何もないということではない。諸法は空(NO)であって、同時にその空の背後に無量光、無量寿の大日如来(A――阿字)が在まして、この大日如来のみが実在である。われわれの生命は大日如来より出で、大日如来の内にあり、大日如来と一体である。この真理の真教えが「ノアの方舟」であります。すなわち「生長の家」の教えはちょうどこの「ノアの方舟」に当たるのであります。≫

と。
<つづく>

1539復興G:2013/05/31(金) 14:07:51 ID:AB6RqYXc

<つづき>
だから、

「さあ 方舟(はこぶね)に乗って 旅立とう あのノアたちのように 旅立とう」

というのは、生長の家の説く大乗の真理の教えの船に乗って、大調和の世界へ旅立とう、ということなんだと思い、嬉しくなって、腹の底から湧き出る声で歌って来たのでありました。

「今、 目の前に ひとつの朝」 が来ている。

「物質はない。肉体はない。現象に引っかかって悩む心もない。ただあるのは神のみこころのみ。」

として、

  はばたけ 明日(あした)へ まだ見ぬ 大地へ
  ……
  広がる 自由を求めて
  広がる 自由を求めて!

その「自由」とは、時空を超えた真の自由、「神の子」の自由である。

「汝は真理を知らざるべからず。真理は汝に自由を得さすべし」

とイエスが言った自由。

「縛られていても自由自在」と「智慧の言葉」にある自由。

円融無礙(えんゆうむげ)、雨が降ったら傘を縕(さ)す。「剣」にとらわれず、「坐禅」にとらわれず、ありとあらゆる「全体一つ」のなかから最も適当なものを自由自在に選び出して来て、それを使う自由。

「妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空(あおぞら)があるのと同じように、如何に暗澹たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。

 心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずることがないから、最も適切なる智慧が泉の如く湧き出でて暗を消してしまう処置ができる」
 (真理の吟唱「天地一切と和解する祈り」)

広がる自由を求め、真の自由を駆使して、

新しい大地へ、
はばたけ 明日(あした)へ!

ありがとうございます。

1540復興G:2013/05/31(金) 14:33:58 ID:AB6RqYXc

>>1533>>1535 :ユタカ様。

ありがとうございます。

また、時宜に適った、よき問題提起をしてくださって、本当にありがとうございます。

私の>>1536>>1539 投稿は、ユタカさんの上記問題提起文を見ないで書いていました。

これからじっくり拝読して、お答えしたいと思います。

まだ昼食も食べていないので、しばらくお時間をください。

1541復興G:2013/05/31(金) 14:51:07 ID:AB6RqYXc

>>1534 :a hope 様

イカロスの歌、まるで私のために歌われているようですね。

(YouTube 見ました(聴きました))

1542復興G:2013/05/31(金) 16:27:51 ID:AB6RqYXc

>>1533>>1535 :ユタカ様。

ありがとうございます。

>>私、ユタカはそのままでいい!!とこんにちは様から先ほど教えていただいてすっきりしていたのが、また、分からなくなりかけました。 皆さんは、『そのままでいい』をどのように考えますか??<<

よい質問を出して下さいましたね。

私がお答えするよりも、まずは広く皆様のお考えをお聞きする方がよろしいかと思いますが、ちょっとユタカ様に質問します。

「そのままでいい!!とこんにちは様から先ほど教えていただいて……」

というのは、>>1490でこんにちは様が

>>思うに、谷口雅春先生は、現象上のアレコレにとらわれていなかったのでしょうね。だから、思いっきり日本の危機を叫ぶことができたんだと思います。どんなに悪と対峙しているように見えようとも、実相は円満完全である。そして、現象はない。それがハッキリ分かっていらっしゃったから、「日本の悪と対峙するのは迷いではないか?」というツマラヌこだわりから解放されていたのでしょうね。
今の私は、実相を悟ったがゆえの自由さを、伸びやかさを、政治運動する谷口雅春先生から感じます。<<

と書かれたところを、ユタカ様は
>> そのままでいい!! とこんにちは様から教えていただいた <<

と受けとられたのでしょうと思いましたが、それで間違いないでしょうか? ユタカ様。

1543ユタカ:2013/05/31(金) 16:43:10 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま おかえりなさい。 みなさんにいろいろ教えていただいていました。

私のそのままでいいとわかったのは1490にもつうじるのですね。。。よく分かりました。
あと、分からないのは、総裁の中心帰一に通じるとあったことです。 どうして総裁への中心帰一に通じるのでしょうか?
もしかして、、、ユタカは分かっていないのかも・・・・ と思いました。下記に、こんにちはさまから教えていただいた『そのままでよい』の内容はここだ!!と思ったところを貼り付けます。

>つまり、構える心がなくなる。
『「善」という立場すらも捨てて、「そのまま」になる』ということでしょう。
実相という立場をも捨てよ、と。

谷口雅春先生は、
『「そのまま」は、もう善悪の立場を超えて、絶対と「一つ」になっているのであります。』とおっしゃいます。
本当に実相独在に立てば、実相と自分が完全にひとつだから、もはや実相はどこにもない。
自分のそのままの生活が、何でもない暮らしが、そのまま実相なのであります。
「これが実相、これが実相」と握り締めることが無くなり、自然体になる、ということでしょう。

これを、>>1458『平常の心が其のまま「道」である』と説明されています。

さらに、>>1459『「構える心」は「対立の心」である』として、実相独在にこだわる心と、あらゆる立場を捨て去った心について説明されています。
立場を捨て去った心のことを、「これを円融無礙(えんゆうむげ)と云います。」とも説明されています。

これらの説明をふまえて、
>>1463『というわけで、「雨が降ったら傘を縕(さ)す」ように、闘争精神がある中で平和を得るには、「力のバランス」という傘をさす。』
『雅春先生は、現象の悪を認め、「生長の家の教え」から外れることをされた、ということにはならないのではないかと、私は思います』
という復興G様のご指導につながるのだと思います。

要は、「当たり前の判断をして生活しなさい、それが実相を生きることですよ」ということですね。
腹が減ったら飯を食う。
眠くなったら布団に入る。
盗人がウロウロしていれば鍵をかける。
それが禅の生活である。

思うに、感謝も、愛も、礼拝も、無限力も、生かし合いも、健康も、人間の当たり前の姿の一面相です。
しかし、一面相にこだわると、それはもう実相じゃない。
実相は、どんな姿も立場も超えて自由自在である。
それは当たり前を生きることである。

なので>>1542のそのままでよい と分かったと 復興G様に言われて今理解しました。(ジャンジャン)はい、眼覚めました!という心境です。

1544ユタカ:2013/05/31(金) 16:46:17 ID:R1D4Jmeg
総裁への中心帰一は全く分かりません。

そのままでいわれたことを受けて実行せよ。ということですか???

1545ユタカ:2013/05/31(金) 16:56:10 ID:R1D4Jmeg
遅くなりましたが、復興G様、観世音菩薩様の御解説を有難うございました。

夜中にゆっくり読ませていただきます、詳説なところがうれしいです。ありがとうございました。

1546髪の子:2013/05/31(金) 17:14:07 ID:tfaOOElA
>>1535ユタカ様
お気になさらないで下さい。転載くださりありがとうございます。私の投稿により、皆様の学びが深まるならば、嬉しく思います。
皆様のおかげで、大変勉強になっております。
いま時間ございませんから、また参ります。

1547ユタカ:2013/05/31(金) 17:57:06 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

復興Gさまは沢庵和尚のお話が(つづき)となっていたので、まだ、伝えたいことあるのではないかと思いますので、そのようでしたらお願いいたします。
そのままのこころ のつづきで 髪の子さまの解説も兼ねるのでは?と想像いたしました。

あ、それから、復興Gさまがお帰りになったので そのままがわかった! というのは、復興Gさまの掲載の文の内容が少しだけ分かった!に訂正いたします。全部分かっていないことに分かったからです。。。

1548ユタカ:2013/05/31(金) 18:12:22 ID:R1D4Jmeg
髪の子さま

お許しをありがとうございます。ここでは真理の勉強が出来てありがたいです。

髪の子さんのご発言、おもしろいですねーー。髪の子さんの「そのままの心」と谷口雅春先生の「そのままのこころ」と一致するのかな?どうかな?と思って転載してみて、みんなで話ができたらおもしろいかなと思いました。

1549ユタカ:2013/05/31(金) 18:14:42 ID:R1D4Jmeg
トキ様。

トキ様の大事なWEB板をユタカがかき混ぜてすみません。。グチャグチャだから、復興G様の言葉を保存したかったのですよね、すみません。。。。

1550トキ:2013/05/31(金) 18:49:54 ID:2/B5w8I6
>>1549

ユタカ様

 いつも素晴らしいご投稿、ありがとうございます。

 いえいえ、ここは信徒みんなの場所ですから、気にされないで下さい。神様も御照覧でしょう。
トキは単なる管理人に過ぎませんし、どんどんご利用下さい。

 それよりも、信仰の根幹にかかわる貴重なご投稿をして下さり、
心から感謝申し上げます。復興G様もおよろこびのご様子ですし、その調子で頑張って下さい。
 
 応援しています。

合掌 ありがとうございます

1551復興G:2013/05/31(金) 20:26:50 ID:AB6RqYXc

ユタカ様

質問を発しておいて、しばらくパソコンから離れ、別の仕事に没頭していました。ごめんなさい。

ユタカさんが
>>こんにちはさまから教えていただいた『そのままでよい』の内容はここだ!!と思ったところ<<

は、>>1528だったのですね。

わかりました。

出所の番号を教えて頂ければ、ああ、そうだったかとすぐにわかります。

「本当に実相独在に立てば……」と こんには 様がおっしゃるのは、
「現象はない、実相においてはすべてが一体で、すべてが自分自身なのだから、自由自在に、なんにも引っかかることなく、平常の心で、内からわき起こる思いのままが“そのまま”の心、実相の心なのだ」

だから「そのままでよい」ということになるのかなと、私は受けとっていました。

ところで、その >>1528の後の方に、

>>余談ですが、これは「総裁への中心帰一とは何か」にも通じるお話ですね。
私自身、自分でじっくりと解釈してみて、初めて理解できました。<<

と、こんにちは 様は書かれている。ユタカさんは、ここが

>>全く分かりません。<< ( >>1544

なのですね。

こんにちは 様がそう思われたのはなぜか、くわしい経緯は私にもよくわかりませんが、ただ私は、一般的に、上記のように

「現象はない、実相においてはすべてが一体で、すべてが自分自身なのだから、自由自在に、なんにも引っかかることなく、平常の心で、内からわき起こる思いのままが“そのまま”の心、実相の心なのだ。」

というところに立って行動すればよいので、必ずしも
「総裁には無条件にハイと中心歸一しなければならない」
と縛られるようなことではない。

かと言って、「そのままの心」は、すべてを本来神として拝む心だと思いますから、
「雅宣総裁は大悪人である」などとと決めつけて、融通がきかなくなってしまうことでもない。

まさに、「そのままの心」は「そのままの心」で、自由自在な自発の心である、と私は思っています。

こんにちは 様が、

>>思うに、感謝も、愛も、礼拝も、無限力も、生かし合いも、健康も、人間の当たり前の姿の一面相です。
しかし、一面相にこだわると、それはもう実相じゃない。
実相は、どんな姿も立場も超えて自由自在である。
それは当たり前を生きることである。
そういうことなのではないでしょうか?<<

>>1528でおっしゃっている通りですね。

いかがでしょうか。
ありがとうございます。

1552志恩:2013/05/31(金) 20:55:26 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、いつもご指導を有り難く存じております。

そのままについてですけれど、
私は、実相は、大悪人ではなくても、やることが、大悪人の行為をした場合は、
その行為について、「悪いことをしましたね」と素直にいうことが、そのままの心を生きる
ことだと思います。

ahope様が、谷口雅春先生著「人生読本」の謹写をして下さってますが、

本日、私、「人生読本」を繰っていましたら77頁~78頁にかけて

「気取るな、そのままが一番よい」

という題のご文章が載っていました。以下,ご紹介させて頂きます。
---------------------------------------------------
【 気どるな、そのままが一番よい】

「無邪気といったら、どんなことだといいますと、気どらぬことです。

自分の そのまま を出すことです。

写真によく映りたいと思って固くなると、変な顔に映るでしょう。

知らぬ間にパッと写されると、かえって柔らかい優しい顔に映っているでしょう。

あの固くなるのが、素直でないのです。固くならない そのままが、無邪気でで素直なのです。

人間は「神の子」ですから、そのまま が一等よいのです。

無邪気で素直であれば、目の色から顔のかたち、動作、技芸、ものおぼえまでよくなるのです。

 そのままを、なんのこだわりもなく出すとき、

われわれの「内にある最も佳(よ)きもの」が、すらすら出るのです。

皆さん、そのままになりましょうね。

素直になりましょうね。

こだわりの無い心になりましょうね。

-----------------------------------------------------------

1555神の子さん:2013/05/31(金) 21:03:06 ID:???
山ちゃん1952様ブログより

2013年05月30日

自覚と決意がないものは言えない。

≪衆生の中には「自分自身」も含まれていまして、自分の前にあらわれる人々の姿を自分の心の姿だと観ずると自分が済度されるのであります。≫

この言葉は大変重い言葉です。そう軽々と人に諭すように言う言葉ではありません。

余程の自覚ができない限り難しいです。

こういうことを「大見得切って」いう人がいますが、それならばそれを貴方はどのようにして自覚し、行動されていますか?

そういうふうに返答された場合、答えられますか?

一切責任は我にアリなどというが、そういうこと言う人ほど「何もしない人」が多い。

それは実行が伴わないからである。私など自慢じゃないが、物欲あり、食欲あり、欲の塊である。そんな人が言っても、誰も信用してもらえない。(笑)

「嗚呼、こんな日本になって、申し訳ない」と自覚しているが、何も行動も伴わない。なにもしない。それならば、誰も思うことが出来ます。

そういうのは一切が自分の責任だと自覚できていない証拠であります。

「谷口雅宣」先生がこうなったのも「私の責任」だ。なんて「ちゃんちゃら」可笑しい。

それならば、「生長の家」の正常化まで親身を投げ出して、たとえ生長の家を辞任しても、学ぶ会に入信して、その間違いに生涯をかけられますか?

そんなこと出来ないで、常に自分を安定した椅子に座り、「私も一度は言った」んだが。

たった一度のことを鼻にかけてしゃべっているに過ぎないのです。それで「私の責任」などとよく言えたものである。

そんな「軽い」一切は我の責任などと言えない。

≪衆生の中には「自分自身」も含まれていまして、自分の前にあらわれる人々の姿を自分の心の姿だと観ずると自分が済度されるのであります。≫とは

覚悟というのが必要なのであります。

そうした覚悟のない済度は佛も応えてもらえないです。それほどに強い自覚が必要であります。

1556復興G:2013/05/31(金) 21:03:36 ID:AB6RqYXc

>>1551の追伸です。

私は、
「総裁が変わらなければ幸せになれない」

と思い込むのは、総裁の奴隷になることだと思います。

テキスト『生命の實相』第3巻第4章94頁に

≪ 現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。≫

とありますが、この「経済組織」というのを「生長の家の教団組織」と置き換えても同じことではないかと思いますが、いかがでしょうか。

≪心を浄めて地上天国の根本基礎を築きなおし、そこからこそ社会改造にも出発しなければ、いたずらに犠牲者ばかり多くして効果は少ないのであります≫
(同書94〜95頁)

とも書かれています。

今こそ正念場であります。

「正念場」とは、
≪神の創造し給えるそのままの状態を念じますことを「正念(しょうねん)」といいまして、その正念の影が映れば現実世界は完全な病気も災難もない状態を現出するのであります。つまり「正念」とはあらゆる事物を神の造り給えるままの状態そのままに念ずることで、そういう正念をもって生活することを神に結ばれた生活というのであります。≫
 (同上書76頁)

≪“正念”というのは、「ここは正念場だ」などというでしょう。「ここが正念場だ」というのは、正念を出して来なければならないギリギリの場だ、という意味であります。≫
 (『真佛教の把握』50頁)

――こういう谷口雅春先生の御教えを真剣に学び、生活に実行するのが、本当に「谷口雅春先生を学ぶ」ということではないでしょうか。

ありがとうございます。

1557ユタカ:2013/05/31(金) 21:08:25 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

まだ、ゆっくり読めていませんが、こんにちはさまの出所は>>1527 >>1528です。

また、のちほど・・・

1558神の子さん:2013/05/31(金) 21:24:10 ID:???
>>1556で復興G様のおっしゃるとおりだと存じます。
「総裁が変わらなければ幸せにならない」と思い込むのは,総裁の奴隷になります。
ていうか、
総裁は、変わらないと思いますので、
復興G様はじめ、昔の大物の方々に、もともとの教えを、われわれは学び直して、
本来の生長の家の灯を灯し続ける使命があるのではないかと存じております。

ここは、全国の方々閲覧されてますので、共に学ばさせていただきます。
いつも、ありがとうございます。
================================
以下、
ひとりごと板にWEB誌友会板関係の書き込みがございましたので、転載させて頂きます。

【ひとりごと板】

3679 :rei:2013/05/30(木) 07:56:52

トキさま
おはようございます。

悲しみと喜びが一気に押し寄せて複雑な今日この頃です。
裁判結果、予期していても、信徒にとってこれほど悲しいことはありませんね。
ネットに流れていたことが本当だったのだと、確認出来てしまう一日でした。

web誌友会の可能性の素晴らしさは特筆すべきではありませんか?
講師も自宅にいらっしゃるので自分の書庫から好きな本を引っ張り出して来て
自由自在に誰の制約も受けずに講義出来る。
人目を気にせずに質問も出来る。
全国の知恵、情報が集まって来て、真面目に答えて下さる方がおられる。

独立してもいいのでは、と思えるほど素晴らしいです。
掲示板を運営して下さってるトキさまに心から感謝しております。

合掌
==============================

3683 :トキ:2013/05/31(金) 21:08:20
>>3679

rei様

 今は大変ですが、これで良くなるしかないと本気で思っています。

 私も在籍年数は長いですが、活動をしている私自身、教団の運営のあり方には疑問を感じる事が
多々ありました。これは、今の総裁が就任する前からそうでした。

 が、一度、こういう事があったら、みんな、本気で反省をすると思います。

 ミクロの視点では、こういう騒動は恥ずかしい事ですが、マクロの視点では、良い事だと
思っています。

合掌 ありがとうございます

1559トキ:2013/05/31(金) 21:25:09 ID:2/B5w8I6
>>1555

 どうも山ちゃん1952様の御文章は私はよく趣旨が理解ができないのですが、あえて、私見を申しあげます。

 吉田松陰先生は、松下村塾を開き、29歳で亡くなるまで後進のご指導に当たられました。吉田先生のお考えは
当時の幕府からしたら大変な危険思想ですが、先生御自身は温厚で、親切丁寧に若い人達の指導に当たられたよう
です。(まあ、このあたりは、山ちゃん1952様の得意分野ですが)

 吉田先生は、倒幕の計画は立てられましたが、実行の以前に捕らえられ未遂に終わっています。ですから、実行
という面では結果は遺されませんでした。それよりも、多数の若い人を指導され、その薫陶を受けた若者が後年、
明治維新をなした事を考えると、松下村塾でのご指導こそが、吉田松陰先生の最大の功績かと思います。

 一部の人達が総裁の打倒を唱えたり、裁判をする事については、私はコメントを避けますが、こういう混迷の
時期に、復興G様などの先達の方々が、正しい谷口雅春先生の教えを吾々後輩にご指導をされることは、私は
松下村塾でのご指導に匹敵する偉大なご功績であると、考えております。

 以上はトキの感想です。

合掌 ありがとうございます

1560志恩:2013/05/31(金) 21:28:12 ID:.QY5jUA6
1558:志恩です。

1561志恩:2013/05/31(金) 21:41:07 ID:.QY5jUA6
トキ様

教えていただきながら、
人それぞれの考え方が、ございますから、意見を発表し合って、
また、それにご意見や反論がありましたら、発表し合うので、
切磋琢磨して、魂の進化が得られるのだと存じます。

私は、未熟者ですので、わからないことや、そうとは思えないことは、
復興G様やトキ様の胸をお借りして、正直に書き込ませて頂いております。

不愉快に思われた場合は、遠慮なくお叱りください。

1562復興G:2013/05/31(金) 22:33:32 ID:AB6RqYXc

皆様、ありがとうございます。

今回ユタカ様の提唱で自主勉強会をされたテキストの終わりの方を、もう一度おさらいしましょう。

≪……世界の改造家がもし切実に人類を愛し、本当に地上天国をこの世に招来しようと思うならば、まず生長の家に来り地上天国の雛型たるべき各自の生命の実相を「見真」しなければならないのであります。

神の造りたまえる存在の実相に透徹し、その実相を雛型としてそれを現実世界に現わして[のみ]この世界は本当に地上天国となるのであります。

我欲や見当違いで改造改造と力んでみても、各自の心に神の子としての生命の実相が見真されていなければ、盲人の手引きで、多数の盲人を河中へ突き落とすようにエッサエッサと改造の掛け声を掛けながら、現在の人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります。

心が形の雛型となる! ではまず心に自己の生命の円相を自証せよ、組織は自然に浄まるであろう。≫

  (『生命の實相』第3巻 94頁より)

ありがとうございます。

1563トキ:2013/05/31(金) 22:35:40 ID:2/B5w8I6
復興G様、素晴らしいご指導をありがとうございます。

この誌友会は多くの信徒さんにとって、貴重な学びの場です。
個人としても、信徒の一人としても、深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1564トキ:2013/05/31(金) 22:36:22 ID:2/B5w8I6
志恩 様

 私もまだまだ未熟です。だから、素晴らしいと勝手に思っています。
こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1565復興G:2013/05/31(金) 23:03:47 ID:AB6RqYXc

合掌 ありがとうございます。

トキ様が、組織板<1477>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/1477

に書かれた「生長の家教団の理事、参議の先生方へ」という訴えのご文章に、

心からの賛意を表します。

ありがとうございます。

1566志恩:2013/05/31(金) 23:32:17 ID:.QY5jUA6
トキ様

私も復興G様のご指導に感謝致しております。

復興G様 謹写〜
>>神の造りたまえる存在の実相に透徹し、その実相を雛型としてそれを現実世界に現わして[のみ]この世界は本当に地上天国となるのであります。
我欲や見当違いで改造改造と力んでみても、各自の心に神の子としての生命の実相が見真されていなければ、盲人の手引きで、
多数の盲人を河中へ突き落とすようにエッサエッサと改造の掛け声を掛けながら、現在の人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります。
心が形の雛型となる! ではまず心に自己の生命の円相を自証せよ、組織は自然に浄まるであろう。≫

  (『生命の實相』第3巻 94頁より)<<

この謹写につきましてのことですが、
これは、教団も、本流も、…われわれも、この精神で、、ということだと存じます。

しかし、もしも、これが、
我欲や見当違いで、、ということが、本流のみを批判されるものでありましたら、
それは、それこそ、見当違いだと、私は思います。

1567期待!!:2013/05/31(金) 23:39:03 ID:kMrMC83s
ホームページ作成
有り難うございました。
たいへん当店に感謝します
以上 宜しくお願い致します。(^0^)
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1568志恩:2013/05/31(金) 23:42:26 ID:.QY5jUA6
トキ様の組織板>>1477:のご文章、拝見しました。
大変すばらしいご文章だと、私も賛同させて頂きました。

1569こんにちは:2013/06/01(土) 00:07:07 ID:ZOvWhJ3.
ユタカ様

お返事が遅くなり申し訳ありません。

総裁への中心帰一に通じるという私の発言の主旨は、復興G様のおっしゃる通りです。
昨今、中心帰一に対する硬直した発言が見受けられますので、自由自在なる心からの発露が本当の中心帰一であると申し上げたかったのです。

なお、谷口雅春先生のおっしゃる「そのまま」「当たり前」は、究極的なお話であると思います。
ですから、ある意味では簡単なことではないかもしれません。
しかし、真理を研鑽する中で無限に生長しつつあることを素直によろこぶ心は「そのまま」であると思います。

1572こんにちは:2013/06/01(土) 00:35:14 ID:ZOvWhJ3.
>>1534 a hope様

イカロスの歌、聴かせていただきました。
私なりの解釈で申し上げれば、沢庵禅師のような態度こそがイカロスであると思います。
生活化しない生悟り(=ニセの翼)で舞い上がったが、ずぶ濡れになってしまったということです。

谷口雅春先生のおっしゃる「そのまま」「当たり前」は、ある意味ではとても遠い彼方にあるように思えます。
しかし、実相の分からない者が素直に「分かりません」と言うこともまた、「そのまま」「当たり前」であると思うんです。
実相を生きることは、ある意味では遠い彼方にありますが、ある意味ではすぐそばにあるとも言えるのではないでしょうか?

私は、谷口雅春先生のお話を解釈しながら、「自分の偽らざる本心こそが実相なんだな」と思いました。
一見、実相のように見えなくても、本当は実相からの発露であるというか、そんな感じです。
あまり頓着せずに、自分の思う道を思いっきり生きるのがいいんじゃないかなあ、と。

でも、これは私の個人的意見です。
谷口雅春先生なら、どうおっしゃるのかなあ?

1573ユタカ:2013/06/01(土) 07:40:40 ID:R1D4Jmeg
みなさま、ありがとうございます。

ゆっくり考えながら読ませていただきます。 しばし沈黙します・・・

1574a hope:2013/06/01(土) 07:57:56 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

みなさまのペースに、だいぶ遅れてついて行っている a hopeですから、話がずれていたり、
すでにご指導してくださっている内容だったら、ごめんなさい。

>>153で3ユタカさまが、
<<皆さんは、『そのままでいい』をどのように考えますか??>>
と質問してくださっています。
自分なりに考えてみました。


(『そのままのでいい』 a hopeの見解)

実相は完全円満で傷つくことはないのだから、現象生活では自分の思うままに、何を言っても何をしてもいいというのは、
「我の心」であって、「そのままの心」ではなく、『そのままでいい』ということにはならないように思います。
『そのままでいい』というのは、『神の心のままでいい』ということなのだと思うのです。


神の子として神の御心に近づこうとする心、神の子の自覚を悟ろうとする誰もが本来持っている信仰心(向上心)ではないかと思います。

神の心=大和精神=愛

生長の家の「愛」は「自他一体の自覚」であるとここで教わりました。
目の前に現れた相手の姿は、自分の心を映した観世音菩薩さまであると思って、礼拝しそこから学ぼうとする心。

そんな心かな〜なんて思います。

わたしは、相手を「神の子」として尊重する気持ち(思いやりの心)が少しもないまま、
自分の我の心を出して何かを言ったり行動したりすることが、『そのままでいい』ということにはならないと思います。


志恩さまが、>>1410で、
<<われわれは、実相を表現する舞台として、この現象世界を与えられております。
だから、現象世界は、表現の場なのです。>>
と、ご指導してくださっています。

わたしも、まさにこの現象世界は、「神の心」を表現させるために、御親である神さまが、
わたしたち神の子に与えて下さった「最高の舞台」なんだと思います。


『そのままでいい』=『神の心のままでいい』ということになると思います。

わたしたち生長の家信徒は、その心に近づくために、聖典・聖経を拝読したり、神想観をしたり、愛行をするのだと思っていましたが、
違うのでしょうか?

1575a hope:2013/06/01(土) 07:58:48 ID:edEDolt2
>>1572こんにちはさま

ご指導ありがとうございます。
<<沢庵禅師のような態度こそがイカロスであると思います。>>
わたしも、「イカロスの翼」のことは、沢庵禅師のことを考えていて浮かんできました。

<<谷口雅春先生のおっしゃる「そのまま」「当たり前」は、ある意味ではとても遠い彼方にあるように思えます。
しかし、実相の分からない者が素直に「分かりません」と言うこともまた、「そのまま」「当たり前」であると思うんです。>>

わたしは、困ったことに、この性格上、「分かりません」のままで済ませられないのです(笑)

でも、すべての答えは、聖典「生命の實相」に書いてあると確信しています。
それに、このトキ掲示板で、復興Gさまや始め、トキさま、こんにちはさまなどの大先輩からご指導が受けられるのですから、
今は大安心の心境です。
わたしは、本当に幸せです。

みなさま、ありがとうございます。 合掌。

1576髪の子:2013/06/01(土) 08:16:40 ID:0ZjosHJM

皆様ありがとうございます。
皆様の意見を聞かせてもらいながら、大変勉強になります。
感想を述べさせてもらいます。

生長の家は「ねばならない」をとく教えだと言われます。
確か、雅春先生はどこかのご著書で、真理にさえもひっかかるなというお言葉を拝見した記憶ございます。

「ねばならない」は「生きるぞ」と力み込んでいるように思います。
「ねばならない」の気持ちから解放される時「生かされている」の心境に思います。しかし雅春先生は「真理」としてお説き下さったときには、ねばならないの表現はあった気もします。

「宇宙の大生命の生きる力に任せて生かされよう…。朝が来たらご飯を食べよう。人前でおならをしたら、謝ろう。人間死なしというけど、やはり亡くなってその人に会えないのは寂しいよ」など、そういう自然に発する思いや、自らの行動も、そのままの心なのかな…。
もし、そこで間違いというか、秩序に反する事があれば、必ず修正の機会が来るようにも思います。

1577髪の子:2013/06/01(土) 08:33:48 ID:ZTt15T/6

参考までにお伝えします。
光明掲示板で「そのままの心」と入力検索してみてください。
童子様、マリーゴールド様、コスモス様が雅春先生のご著書を謹写されている「そのままの心」に関するご文章が出て参ります。

1578志恩:2013/06/01(土) 13:42:34 ID:.QY5jUA6
>>1577:髪の子様、

早速、光明掲示板の方で、「そのままの心」、検索してみましたら、載っていました。感謝。
只今、このWEB誌友会板では、【そのままの心】とは、についてでディスカッションの最中ですので、
そのところを重点的に、転載させて頂くことに致しました。
-------------------------------------------------------------

  ☆ そのままの心 ☆ について〜

光明掲示板より

十月十日 【そのままの心に成る日】 (本日午後一時より小倉市堺町国民学校にて白鳩会) (2280)

日時:2012年10月07日 (日)

名前:童子

 ‘そのまま’の心とは、天地は本体『一』であるから、天地一切と調和ちたる心である。

人は生れたるままの心 ―― 即ち『實相の心』 ―― になることが必要である。

      ‘そのまま’が天衣無縫である。どこにも隙がないのである。

      天衣無縫が無敵であり、うまれたる侭さながらである。

『無敵の用(はたらき)は生れながらにして其形像幼童の如し』ともあり、『平法は温和にして心広し。故に無敵にして其体豊か也』とも『無敵の体は広大也。
 天地の万物を包括せるが如し』ともある。

 ひろびろと‘そのまま’の心になる時、天地は‘わがもの’。‘わがもの’となる時、もう何処にも敵がないのである。


 『敵と成る者山河を動かすとも、我が心体の裏にして、何ぞ外に向って敵として戦ふべきか』と云う山内翁の語(ことば)に至っては、
 実に、天地は‘わがもの’ ―― の自覚あってのみ云い得ることである。

 この点、宮本武蔵の『五輪書』などに、敵に対する技巧について細々と書いてあるのに比較して、山内蓮心翁の『平法』の方が偉大であるとも云える。

 宮本武蔵は敵に勝つことに心逸った趣があったが、山内蓮心は敵無きことをその極致としたのである。
敵は外部にあらわれて『山河大地を動かす』とも、その姿は外にあらずしてわが心内の姿の映像とせるところ、

また先ず内の敵を斬ることを先にして、『何ぞ外に向って敵として戦ふべけんや』を後にせる素晴らしい心境である。

1579志恩:2013/06/01(土) 13:46:47 ID:.QY5jUA6
光明掲示板より ☆そのままの心☆ について

日時:2013年05月24日 (金) 08時57分
名前:童子

    生長の家信徒行持要目

 (前略)

 ニ. そのままの心を大切にすべし。

  そのままは零なり、一切なり、
○(まる)なり、円満なり、無礙なり、無限供給なり、調和なり、病なきなり、
一切の不幸、災厄、病難は‘そのまま’を外したるときあらわれるなり、

 顧みてそのままの心に復(かえ)るとき、一切の不幸は滅す。

 (後略)

1580志恩:2013/06/01(土) 13:53:21 ID:.QY5jUA6
そのほか、
マリーゴールド様、コスモス様も 
☆ そのままの心 ☆ についての謹写を
されておられますが、長文ですので、以下のスレッドをご覧下さいませ。

光明掲示板より
「そのままの心」に関する投稿文が 多く掲載されているスレッド
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou

1581志恩:2013/06/01(土) 14:06:13 ID:.QY5jUA6
1580に、【そのままの心】スレッドは、載せられませんでした。
で、つづきは、
長文ですので、聖典引用板のほうへ、載せさせていただきます。

1582志恩:2013/06/01(土) 14:33:23 ID:.QY5jUA6
ahopeさま
1574:『そのままのでいい』 a hopeさまの見解


>>神の心=大和精神=愛
『そのままでいい』=『神の心のままでいい』ということになると思います。<<

簡潔に平易な言い方をすれば、これでしょうけれど、
そのまま=神の心のまま

が、自分では 神の心のまま のつもりが、我の心になってみたり……
人間は、日々、学びながら生きているのですよね。

1583髪の子:2013/06/01(土) 19:18:52 ID:ZAz7ASpg

志恩様、「そのままの心」に関する聖典の転載くださりありがとうございました。

第二青年の書P163の「人生の目的と、神の愛を生きるには」の項にも、''そのままの心''に関するご文章がございます。
御本をお持ちでない方は、「生長の家本流復活青年掲示板」に、さくらふぶき様が、謹写されてくださっています。第十三章にございます。

その後、同書P194の第十五章を拝読戴けましたら、「そのままの心」は日本精神であることに悦び溢れることと思います。
そのままの心について語りあえることは、私たちの日本人としての遺伝子にあるから、だからこそなのですね。

ahope様が>>1574で最後にお尋ねなられてますが、私的には、そのままの心に近づく為でなく、既にある、そのままの精神を自覚すると申しますか、顕現する為に、神想観や聖典拝読を行っていくのだと思いました。

1584髪の子:2013/06/01(土) 19:48:13 ID:dwuUzalc

生長の家本流復活青年掲示板

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=seinen&amp;mode=res&amp;log=61

1585ユタカ:2013/06/01(土) 22:21:56 ID:R1D4Jmeg
みなさま、ありがとうございます。
ゆっくり読み返しさせていただきました。皆様が真理の研鑽をされている中に私は感想になってしまうかもしれません、それなのに、すみません・・・発言させて下さい。

外では裁判で、なんやかやと大騒ぎしている中で、このWEB誌友会板で皆さまが真面目に真理に向き合いながらその一つ一つに真剣な気持ちがこめられていることが伝わって来て、非常に感動し、涙が出そうになるのを我慢しました。
こういう時期に、皆様が「谷口雅春先生の御教えの生長の家」を愛し、仲良く研鑽されているお姿が尊くて神様に見えました、その感動に『そのままの心』を実感した気になりました。

そして、私自身も皆様と同じ一つの生命の中にいて生かされている一体感でいっぱいになり、「そのままのこころ」とは、
神様の御心、 神はすべてのすべて 神のほかにあるものなし との言葉が心に浮かんで自分の中でそのように感動しながら納得しました。

ここにいらっしゃるすべての皆様の真理を研鑽なさる尊いお姿が、神様そのものに見えて・・・
皆様の存在自身が『そのままの心』と思いました。

そのままのこころ=神さま=すべてのすべて とユタカはこのようになりました。


以上が今の感動を速報する素直なそのままの感想です。

そして、信徒同志は神の子を磨くために手に手をとり仲良く向上していくことが生長の家の信徒となり、自分が変われば世界が変わる。信徒同志が仲良くして生長の家を勉強しそれを生き抜くときそこに道が出来てゆくことを信じます。

1586ユタカ:2013/06/01(土) 22:50:18 ID:R1D4Jmeg
そして、「そのままの心」は血液の中に白血球を創り、本来はない病菌が迷いによって仮の姿を現したとしても対応できるように準備している偉大なる神様の御計らいを考えると、

実相世界に戦争はありませんが、人類全体の映しこの世で、尖閣諸島問題や著作権問題などは「そのままのこころ」で適当な対応が必要です、とこう思います。

1587人気店:2013/06/01(土) 22:54:22 ID:kMrMC83s
人気店
商品は長期にわたり更新します
新型は途切れません
多く見学してか下さい
入ります:
◆★担当者:川古琴心
◆★連絡先:brandvbag@gmail.com
◆★当社URL:http://www.brand-vbag.com
http://www.bag-better.com
http://www.brand-cuco.com

1588志恩:2013/06/02(日) 00:22:11 ID:.QY5jUA6
髪の子様

あれこれと家事に忙しく、PC の前になかなか座れずにおりまして
お礼の言葉が遅くなりましたが、
さくらふぶき様が謹写されました「そのままのこころ」に関するスレッドを
ご紹介下さって、ありがとうございました。

聖典板の方へ掲載させて頂きました。

この生長の家本流復活青年掲示板に、「第二青年の書」をまるまる1冊分を謹写された 
さくらふぶき様も
たしか、髪の子様なのでしたよね。ほんとうに、あなたさまは、貴いことをされ続けていらして、
頭がさがります。心から尊敬いたしております。ありがとうございます。

1589ユタカ:2013/06/02(日) 00:32:05 ID:R1D4Jmeg
トキ様 復興G様 元本部職員D様 訊け様 志恩様 こんにちは様 a hope様 髪の子様 goro様 神の子様 解説者様
あさひ様 ありがとう様 SAKURA様 さくら様 皆々様(WEB板でユタカが帰ってきてから話した方々です、その前やもれてしまい書いていなかった方がいたらごめんなさい!)

読み返すとまた感動して、今は近くに人がいないので泣いてしまいます。皆々さま、本当にお世話になります、合掌、有難うございます。

>>「現象はない、実相においてはすべてが一体で、すべてが自分自身なのだから、自由自在に、なんにも引っかかることなく、平常の心で、内からわき起こる思いのままが“そのまま”の心、実相の心なのだ。

まさに、「そのままの心」は「そのままの心」で、自由自在な自発の心である、と私は思っています。


復興G様、いつもいつも正しく深く的確な素晴らしいご指導をありがとうございます。こんにちはさま、ご解説をありがとうございます。「そのままのこころ」のところより前にいらした元本部職員D様、分かりやすく、丁寧に教えてくださいました、ありがとうございます。
志恩様、資料をあちらこちらから集めてたり、活発なご意見を沢山下さったり、お世話くださり有難うございます。 a hope様いつも話題の提供と勉強会のおつきあいをありがとうございます、ご回答にも勉強させていただいております。 髪の子様 活発で親切で自由自在なご発言に感謝しています、ありがとうございます。あさひさま、ありがとうございます。神の子さまありがとうございます。ありがとうさまありがとうございます。SAKURAさまありがとうございます。さくらさまありがとうございます。
最後になりましたが、トキさま、心から感謝します、ありがとうございます。。。

WEB板の皆々様、これまで、返信しないで、すごいスピードで前進して失礼の段、お詫びいたします。申し訳ございませんでした。
これからも、よろしくお願いいたします。 また、もれていらっしゃるかたがいましたら、再度お詫びいたします。

1590ユタカ:2013/06/02(日) 01:05:45 ID:R1D4Jmeg
感動したので、ここにも転載させて下さい。 ルール違反?

>2336 :志恩:2013/06/01(土) 21:51:08 ID:.QY5jUA6
本流青年掲示板より
 「そのままの心」について〜

第十三章  青年と真理を語る  (2) (394)
日時:2011年08月14日 (日) 21時28分
名前:さくらふぶき

 人生の目的と、神の愛を生きるには

 岩間 人生の目的というのがよくわからないんでお訊きしたいんです。

 愛行そのものを人生の目的として愛念を実行すること、それから神様と一体となる、そういうような実感を得るのを人生の目的とするかということ、
 そういうことでいろいろ悩んでいるんですけど。
 それでどうも生活がちぐはぐになっていくのを引きしめるために、どういうふうにして目的をたてていくかということをお聞きしたいのです。

 谷口 人生の目的という問題は、いつも講習会で一日の講義の課題になっておるのでありまして、それを唯今の短時間で全部話すということは、
ちょっと難しいんでありますけれども、
大体もう予備知識もある方だと思いますから簡単にいいますと、人間は神様の自己実現であり、
しかも最高の自己実現として、万物の霊長として現れているのであります。

 そこでその神というのはいかなるものかというと、「神は愛なり」とキリスト教ではいいますし、仏教では仏心とは大慈悲心だともいいます。
 その大慈悲心そのものの顕れが観世音菩薩であるといわれているのであります。
 だからキリスト教でも仏教でも慈悲とか愛とかいわれるのが仏様や神様の内容を為しておると見ていい訳であります。

 それで神の愛を人間が実現するということは、人間が地上に顕れたところの究極の目的であるといえます。
 愛を本当に実現し得た時に、人間は本当に深い喜びを感ずることが出来るのはそのためであります。

 そこで愛を実現するには、どうしたらいいかということになるのでありますが、
 これは趙州和尚が「平常心是道」と言ったように、先ず第一、平常の心――そのままの心――を大切にすべしというのが、

 あの生長の家の信徒行持要目に書いてありますが、「そのままの心」というのになることです。
「そのままの心」です。「そのままの心」というのは〇(ゼロ)の心であって、〇(ゼロ)っていうのは一体何かというと、我というものが無い心です。

 我というものは一種の個人主義を持っています。そして肉体的な性格を持っているのであってその自己中心的な性格を一遍精算してしまって、
 これから必ず人の為にだけなることを実行致しましょうというように大決心をすることです。

 その大決心によって「自己中心的」な自分というものを自己抛棄し、捨て去って、そこから自然に動き出してくるのが「
 本当の平常心」「そのままの心」ですね。

 自己愛や利己心もそのままにあるのが、「そのままでいいんだ」と、

 そういう「そのままの心」じゃなくって一遍「ニセモノの自分」を捨ててホンモノの「そのままの心」ですね。

 そのまま自我の我というものがなくなって、〇(ゼロ)になったときの「そのままの心」です。

 無我になると、そうすると物事がなんでもスラスラといくようになるのです。
 なんでも我というものがあるとスラスラといかない。
 自分の「我」の形に引っかかるわけです。

 そして周囲が「我」の形にぴったりと添うてくれなかったら、摩擦がおこってうまくいかない、
 つまりチグハグになるのだから自分というものをまず〇(ゼロ)にするんですね。       つづく

1591ユタカ:2013/06/02(日) 01:07:59 ID:R1D4Jmeg
続き

>2337 :志恩:2013/06/01(土) 21:55:49 ID:.QY5jUA6
 (つづき)

   大体人間が神の自己実現として、神をこの世の中に実現するには、二つの方法がある。

 一つは、自分が〇(ゼロ)になって神様に全部無条件降伏をすることなんです。
 そうすると、その自分の我が無条件降伏したら、自分というものがなくなって、神様がそこに顕れて、

 神様が「本当の自分」だから、それで「自分がやること」が即ち「神のやること」であるということになるのです。


 もうひとつのやり方は、自分というものをできるだけ拡大すること。
 「自己拡大」を徹底的にやるのであって、それは自分は「神の子」であるということを一心に念じて、

 常に「自分はここに神が生きているのである」という念を、ふだんも常に念々持続して絶やさないように精進努力をして、
 そして神想観を一所懸命に励んで、そして自分の努力によって、自己の自覚を拡大してゆく、今日は昨日よりも拡大し、

 明日は今日より、あさっては明日よりも拡大してですね。
 毎日毎日神想観を励んで、われ神の子なりの自覚を一層深めていくというその修業によって、自分が拡大されて、

 ついに神と同じような偉大な生活に入っていくというわけで、その自分で努力して一所懸命にやっていくのが、
 いわゆる自力門とか聖道門とかいわれるのであって、よほどの大努力を要するわけなんです。

 もっとも第一の「自己抛棄」の方も「抛棄する努力」はいるけでども、
 とも角それは現象の自分の現在というものがほんとうに見苦しいものだ、こんなにきたない、無力なものであると気がついて、

 自分では努力しても甲斐がないというので、へりくだりの心を起してすっかり自分の「我」というようなものを捨てて、
 “神様どうでもして下さい、神様のせよとおっしゃることを、なんでも素直に致します”というので、それに無条件降伏するんです。

 即ち、神のとりこになる。神の捕虜になってしまうのです。
 神の捕虜になったら反抗するわけにはいかんのであって、神様がするとおりにさせられるということになって、
 ここにはじめて「自分の置換」というものが他動的に行われるということになるんです。

 まあその二つの他力的方法か、自力的方法か、
 どちらかによって自分というものを自己抛棄して他力的に乗托して自分というものをおきかえるか、

 自己拡大してついに神に達するかによって、
 自分というものが「ここに神が生きておる」という大自覚のところへ入っていくのでありますね。

 他力的方法も自力的方法も、いずれも兎も角、現在の不完全な自分は否定しなければならぬ。

 そして「神が自分に生きている。神は愛である」ということがわかってくると、
 それが実際に生活に実現してくるのでありまして、それがなお、いろいろと摩擦があったり、さわりがあったりするのは、
 まだその自覚に到達しないのであるから、そこのところをよく反省して、自分を捨てるか、

 それとも自己拡大するか、まあ自分の生まれつきの性格に従って、どちらでも選んで、そして精進努力して行かれれば、
 やがて、本当に神を自己の内に自覚せられる時が来るにちがいありません。

1592志恩:2013/06/02(日) 01:21:25 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

「そのままの心」についての感想を書いて下さいまして,ありがとうございます。

>>そして、私自身も皆様と同じ一つの生命の中にいて生かされている一体感でいっぱいになり、「そのままのこころ」とは、
神様の御心、 神はすべてのすべて 神のほかにあるものなし との言葉が心に浮かんで自分の中でそのように感動しながら納得しました。

ここにいらっしゃるすべての皆様の真理を研鑽なさる尊いお姿が、神様そのものに見えて・・・
皆様の存在自身が『そのままの心』と思いました。

そのままのこころ=神さま=すべてのすべて とユタカはこのようになりました。

そして、「そのままの心」は血液の中に白血球を創り、
本来はない病菌が迷いによって仮の姿を現したとしても対応できるように準備している偉大なる神様の御計らいを考えると、

実相世界に戦争はありませんが、人類全体の映しこの世で、尖閣諸島問題や著作権問題などは「そのままのこころ」で適当な対応が必要です、
とこう思います。>>

ユタカ様は、私達1人ひとりを、いつも神の子と礼拝して下さって、元気を頂ける言葉で励まして下さるので、大変、ありがたく
幸せな気持ちにならせて頂けます。

私は「そのままの心」で心に浮かぶのは、義母と実母のふたりのことなんです。
ふたりとも、毎朝、甘露の法雨読誦と神想観を欠かしたことはないのですが、それだけでなく、24時間、神想観…

口を開けば「かみさま、かみさま」が口ぐせで、肉じゃが1つこしらえる時でさえ、「かみさま〜っ、美味しくできますようにぃ〜♫」
と言ってました。(義母は亡くなり,実母は生存中)

私も、それは見習って、生きております。

1593復興G:2013/06/02(日) 05:14:35 ID:AB6RqYXc

合掌 ありがとうございます。

ユタカさんの素直な清らかな心に感動しています。

「そのまま」の「そ」は「素」であり「もと」であり「一」であり、神である。

だから、「そのまま」は「神のまま」であり、構えない、対立しない、空っぽの心である。
それが大和精神であり、愛の心、大調和のこころである。

そう思いました。ありがとうございます。

1594髪の子:2013/06/02(日) 12:23:15 ID:GpLjp1XI

>>1588

志恩様、聖典板にも、さくらふぶき様の謹写の転載をありがとうございます。そして、さくらふぶき様のご愛念に感謝申し上げます。

私は、さくらふぶき様ではございません。
谷口雅春先生を心から感謝尊敬申し上げ、様々な掲示板を閲覧勉強させて貰っている1信徒です。昨日、第二青年の書を拝読しておりましたら、「そのままの心」に関するご文章を目にしまして、こちらの掲示板でお伝えしたいと思った次第です。

志恩様、いつもありがとうございます。

ユタカ様、ユタカ様のお優しい気持ちに感謝申し上げます。
皆々様、ありがとうございます。

1595志恩:2013/06/02(日) 12:42:08 ID:.QY5jUA6
髪の子様

そうですか。髪の子様は、さくらふぶき様ではいらっしゃらないのですか。
それは、失礼しました。

以前に、みすはなまる様というお方がいらして、他にも、みすまる様というお方が、いらして、
どちらのお方だったか、
マリーゴールド様、さくらふぶき様 つながりのことを話して下さったことがあるのですが、

似た様なお名前の方々が多々ありましたので、混ざっているのだと思います。
それでなくとも、私は、そそっかしい性格のところが、ありまして、、

これは、いいわけですけれど…(笑)間違えてすみません。

それにしましても、
髪の子様は、ものすごく記憶力がいいお方でいらっしゃいますねぇ。

どこに書いてあったのか、ピンポイントで探し出せるのですから、おどろきですよ。
また、いろいろと、教えてくださいますように、ありがとうございます。
今後も よろしくお願いします。

1596ユタカ:2013/06/02(日) 17:36:01 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、みなさま、
昨日は突然、感謝の心で一杯になってしまいました。。失礼しました。

>「そのまま」の「そ」は「素」であり「もと」であり「一」であり、神である。

だから、「そのまま」は「神のまま」であり、構えない、対立しない、空っぽの心である。
それが大和精神であり、愛の心、大調和のこころである。


復興Gさま、逸脱したので軌道修正をありがとうございました。
復興Gさまのお書き下さいました沢山の資料からの御愛念が放出されていて・・・涙が出てしまいました。

さてと・・・今週は待ちに待った、復興G様のWEB誌友会があります。

復興Gさま、予習箇所、本などありましたら、お書きください。各自で予習出来ればありがたいです。

1597a hope:2013/06/02(日) 19:00:56 ID:edEDolt2

みなさま、ありがとうございます。合掌。

わたしは、>>1598のユタカさまのコメント中の「有難うございます」「ありがとうございます」という言葉から、
ユタカさまの真(まこと)の心=神の心を感じさせていただきました。

「生長の家」では、相手に合掌して「有難うございます」というのが挨拶がわりに言われてていますが、
わたしは、教団の信徒だったころは、自分の気持ちに、相手に対する感謝の気持ちが少しもないのに、
簡単に「ありがとうございます」ということにとても抵抗がありました。

ですが今は違います。
ここで、たくさんの素晴らしい出会いをさせていただき、このような素晴らしい「真理」のお勉強をさせていただけることは、
本当に『有難い』(奇蹟のような出来事)なんですよね。
そう思うと、わたしもユタカさまのように、みなさまに、そして神さまに「有難うございます」「ありがとうございます」と
何度でも言いたくなります。

いつだったか、どなたかが(うのはなさま?)、『日本語の「ありがとう」意味、は英語の「Thank you」とは違う…』
というような文章を紹介してくださっていましたが、その本当の意味が今、やっとわかりました。

a hopeは、みなさまのペースにはついていけませんが、自分のペースで、しっかり勉強させていただいています。


今週末は、いよいよ、復興Gさまのご講話と、訊け管理人さまご司会のweb誌友会が開催されるのですね!


復興Gさま、訊けさま、トキさま、ユタカさま、

きっと、たくさんの閲覧者の方々が、心待ちにされていると思います。
わたしにも、何かお手伝いできることがありましたら、喜んでお手伝いさせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

感謝 合掌。

1598ユタカ:2013/06/03(月) 09:31:34 ID:R1D4Jmeg
a hope様 ありがとうございます。次回の誌友会の意気込みに、熱いものが伝わってきます!嬉しいです。 ありがとうございます。

今週は復興G様が担当されて、司会が訊け様だから、訊け氏と相談してお手伝いなさってください。(訊け氏が暴走したら止めると言うのもお仕事のうちでないですか?、だけど、訊け氏は絶対に人のいう事聞きません。。。薩摩男の代表です。暴走とは・・・野球で例えるなら、自分でプレイボール!と宣言して、すぐさまピッチャーやって、即バッター席に立ちヒットをとばして、あっという間にホームベースに帰ってくる人。ある意味スゴくてのびっくり仰天です。で、部外者と言いながら人3倍しっかり』勉強しているから、自分の大好きな先生の大量投稿で持論を述べるのを少量で勘弁してもらえるようにお願いすることもお手伝いのうちかも?周りが圧倒されて、読みこなすのが・・・。訊け様のおしゃべりは本当に上手でおもしろくて、素晴らしいのですが、講義は復興Gさまを中心に振って欲しいです。次回はよろしくお願いします。)
ユタカの場合は今まで自主勉強ですから次回は参加者になります。自主勉強の時は、大勢の人が助けてくれて、感謝、感激してます。ありがとうございます。
あと、a hopeさま、ユタカは40巻通読を目指しているので、週に2章は読みたいと思っています。ここで、いろいろ話題が出ていても、見えないところで読み進んでいきませんか?ってユタカは2章づつ読み進んでいます。
先週の土曜日まで 第3巻の 生命編生命の円相の真理(上) 第1章2章までを読んで、今週はWEB誌友会があるので生命編生命円相の真理(上)第3章だけを読みましょう。
次の週 6月10〜15日 の週は 第4章・第5章を読んで、次は第4巻をご用意ください。
通読していきましょう。 分からない箇所があれば、復興G様にご質問させていただけるチャンスがあるので、とてもラッキーですから、このチャンスを生かさないと勿体ないです!!

他では教えてもらえないので、まさに、ビックチャンスです!! 本当に有難い奇跡のような勿体ないことです。
とにかく、読み進んで、G様に、教えていただきましょう! 感謝、感謝。

復興G様、どうぞよろしくお願いします。。。ありがとうございます。合掌。

1599a hope:2013/06/03(月) 11:19:32 ID:edEDolt2
>>1598ユタカさま

ユタカさまって、ホント中性的な魅力のある素敵な方ですね。

ところでわたしも今回より、web誌友会の主導権を手放させていただき一参加者として参加させていただくつもりですが、
新しい形でのweb誌友会を提案させていただいたので、もう一度わたしの提案した形のweb誌友会を紹介させていただきながら、
第14回web誌友会の「予告」をさせていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

《第14回 web誌友会予告》

・前半 (司会 復興Gさま)
日時:6月7日(金)
内容:復興Gさまのご講話 質疑等


・後半 (司会 訊け管理人さま)
日時:6月8日(土)
内容:自由参加の誌友会

☆ ☆ ☆ ☆ ☆



前半の司会は復興Gさま 後半の司会は訊け管理人さまですから、
時間配分や内容等に関しましては各司会者さまにお任せする形でいいのではないかと思います。
ですから、具体的な時間や内容は、復興Gさまや訊け管理人さまが、加筆くださるとありがたいです。


お手伝いに関してのユタカさまの提案ですが、

<<訊け氏が暴走したら止めると言うのもお仕事のうちでないですか>>
<<自分の大好きな先生の大量投稿で持論を述べるのを少量で勘弁してもらえるようにお願いすることもお手伝いのうちかも?
周りが圧倒されて、読みこなすのが・・・。訊け様のおしゃべりは本当に上手でおもしろくて、素晴らしいのですが、
講義は復興Gさまを中心に振って欲しいです。次回はよろしくお願いします。>>

こちらのお手伝いに関してですが、了解しました!
今回は、講義(講話)と誌友会が前半・後半と別れていますから、講義は復興Gさまが中心でしてくださいます。
後半の誌友会に関しましてはわたし個人的には、閲覧者のみなさまが余裕をもってついていけて、
出来るだけたくさんの方が参加しやすいような話題を提供していただけるといいな〜と思っています。
訊け管理人さまは、とても頭よい方なので、きっと上手に司会をしてくださると信じています。


<<あと、a hopeさま、ユタカは40巻通読を目指しているので、週に2章は読みたいと思っています。ここで、いろいろ話題が出ていても、見えないところで読み進んでいきませんか?ってユタカは2章づつ読み進んでいます。
先週の土曜日まで 第3巻の 生命編生命の円相の真理(上) 第1章2章までを読んで、今週はWEB誌友会があるので生命編生命円相の真理(上)第3章だけを読みましょう。
次の週 6月10〜15日 の週は 第4章・第5章を読んで、次は第4巻をご用意ください。
通読していきましょう。 分からない箇所があれば、復興G様にご質問させていただけるチャンスがあるので、とてもラッキーですから、このチャンスを生かさないと勿体ないです!!>>


本当ですね!わたしも、ユタカさまのペースに合わせて、自主勉強を続けていきます。
ユタカさま、色々ありがとうございます。

これから、仕事です。
夜、また、戻りましたら、自主勉強の方の範囲の再確認させていただきます。

それでは、みなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!

1600トキ:2013/06/03(月) 12:32:01 ID:sx0OB4XI
 誌友会、とても楽しみにしております。
復興G様、その他の皆様、よろしくお願い申し上げます。

1601ユタカ:2013/06/03(月) 12:33:43 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

はい、わかりました。 ahopeさまの提案素晴らしいですね、すでにそのように決定していたのに、余計なことを心配しすぎてすみませんでした。そして、人のこと言えないですね、ユタカが大暴走しちゃて・・・・ははは(笑)すみません・・・
そして、ありがとうございます。 新しいWEB誌友会をとても楽しみにしています。

よろしくお願いします。

1602復興G:2013/06/03(月) 18:50:57 ID:AB6RqYXc

ユタカ様、a hope様、トキ様、皆々様。

熱烈な 真理を求めるお心、ご愛念――すごいなと、感謝、感動措く能わずであります。

お返事おそくなって、たいへん失礼しました。

土日は私、リアルでの各種学習会や、人との面談などが次々にあり、そのことからまた新たに急いで行いたい仕事ができて、それに専念し失礼していました。

ユタカ様発議のWEB誌友会自主勉強会は、今まで数ヶ月なんとかやってたWEB誌友会とは見違えるように活発な勉強会で、私もたいへん啓発されました。

このまま、そういうのを続けられたらいいのではないか。
「訊け」どんが司会を引き受けてくれもうしたことでもあるし――あとはユタカさんと訊けどんに、やり方をお任せすればよいのではないか、という気もしていました。

しかし、a hope様が>>1599で書かれているように、

☆ ☆ ☆ ☆ ☆
《第14回 web誌友会》
・前半 
日時:6月7日(金)
内容:復興Gの講話 質疑等(司会も復興G)
・後半 (司会 訊け管理人さま)
日時:6月8日(土)
内容:自由参加の誌友会
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

という提案があって、私がそれに同意していたということがありましたから、それはそれで実行すべきかと考えなおしてもいます。

その場合、テキストの範囲は、もう「神示」を2つずつというのではなく、神示のすべてと、第3巻「光明篇」全部(第1章〜第4章)にしたらよいと思います。
それですでに自主勉強会で予備学習済みですから、その蒸し返しではなく、新たな視点から、さらに生活・伝道に生かす研鑽をしたい。

今、『生命の實相』出版権をめぐる裁判に決着がついたので、そのことも無関係ではあり得ないでしょう。

「今こそ正念場」と私は>>1556に書いていましたが、この「正念場」において、観念論ではなく、どのように「正念」を顕して行くか。「今、起て!」と神は宣り給う。どのように起つか。

一人ひとりにその課題が突きつけられていると思います。
それを研鑽してまいりたいと思う次第です。

皆様、どうぞ第3巻95頁までをもう一度拝読しなおして、それをより具体的に、「そのままの心」をあらわにして真剣に語り合ってまいりましょう。

――と、ここまで書きましたら、それならもう「前半」の「復興Gの講話」は要らないのではないか。いきなり訊けさんの司会で「自由参加の誌友会」に入ったらいいのではないか、という内なる声が聞こえてまいりました。

どうしましょう。

1603復興G:2013/06/03(月) 19:24:14 ID:AB6RqYXc

>>1596でユタカ様が
>>さてと・・・今週は待ちに待った、復興G様のWEB誌友会があります。
復興Gさま、予習箇所、本などありましたら、お書きください。各自で予習出来ればありがたいです。<<

と書き込まれていました。

その予習箇所は、新たな箇所ではなく、自主勉強会の内容の総括を、みなさん各自でなさってみたらいかがでしょうか。

膨大な量の貴重な書き込みがあったわけですが、まだ不消化なところもありましょうから、いまいちど読み返して
(できればプリントアウトして重要と思われるところには赤線を引くなどして)
それに対する自分の考えを確立しておく。

私もこれから、それを行います。

そうして、それぞれの「総括」をぶつけ合えば、また何か
すごいものが生まれてくる可能性があるように思います。

1604a hope:2013/06/03(月) 23:27:44 ID:edEDolt2
ユタカさま

改めまして、>>1598のユタカさまの自主勉強会のご提案、大賛成です!

勝手にまとめさせていただきますと、

《ユタカさまの自主勉強の予定範囲》
6月3日(月)〜8日(土)第3巻の 生命編生命の円相の真理(上)第3章
6月10日(月)〜15日(土)第3巻の 生命編生命の円相の真理(上)第4章、5章
6月17日(月)〜22日(土)第4巻〜

このようになりますね!

わたしは、「生命の實相」は頭注版を40巻まで揃えてあります。
ですが、他にも、読んでいる本がたくさんあるので、今、「生命の實相」は第24巻で足踏み状態です。
わたしもいずれは全巻通読を目標にしてはいますが、「生命の實相」は、
ただ全巻読破すればいいというものではないと感じています。

昔は、第1巻を読むだけで、病気が治ってしまったり、人生が好転した人が続出したのですから、
その拝読の仕方や、心の持ち方に重要なポイントがあるのではないかと感じています。

先週の範囲からですが、わたしが赤線を引いた所を一部紹介させていただきます。
第3巻 生命編生命の円相の真理(上)第1章 p126 5行目〜

『聖典『生命の實相』や、月刊『生長の家』や諸種の小冊子を読んで、
それに書いてある真理を心のうちに飲んだ患者は、
物質的医学で治らなかった難病が、断然物質的治療法を無視して治っているのであります。
そしてまた、それに書いてある真理をよく理解した人が他の人に伝えてあげれば、
それだけで、物質的医学のもてあました病気が治っているのであります。…』

ここに、『真理を心のうちに飲んだ』や、『真理をよく理解した』という表現がありますが、
わたしは、そのような拝読の仕方を心がけていきたいと思っています。

1605a hope:2013/06/03(月) 23:30:00 ID:edEDolt2
>>1602 1603復興Gさま

<<その場合、テキストの範囲は、もう「神示」を2つずつというのではなく、神示のすべてと、第3巻「光明篇」全部(第1章〜第4章)にしたらよいと思います。
それですでに自主勉強会で予備学習済みですから、その蒸し返しではなく、新たな視点から、さらに生活・伝道に生かす研鑽をしたい。>>
<<皆様、どうぞ第3巻95頁までをもう一度拝読しなおして、それをより具体的に、「そのままの心」をあらわにして真剣に語り合ってまいりましょう。>>
<<その予習箇所は、新たな箇所ではなく、自主勉強会の内容の総括を、みなさん各自でなさってみたらいかがでしょうか。
膨大な量の貴重な書き込みがあったわけですが、まだ不消化なところもありましょうから、いまいちど読み返して
(できればプリントアウトして重要と思われるところには赤線を引くなどして)
それに対する自分の考えを確立しておく。>>

こちらの、復興Gさまのお言葉を a hope が要約させていただくと、

予習範囲:
①第3巻「光明篇」全部(第1章〜第4章)p95までを拝読しなおす。
②自主勉強会の内容の復習 
*このweb誌友会板の>>961から、自主勉強会用の参考資料として復興Gさまによる
「谷口雅春先生著 神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より」の謹写が始まり、
その後、ユタカさまによる最初の自主勉強会が始まっています。

復興Gさまもおっしゃていますが、>>961からですと本当に膨大な量の書き込みの量になるかと思います。
復興Gさま、もしできましたら復興Gさまのご講話の「テーマ」や「内容」等をだいたいでいいので決めていただくと、
閲覧者の皆さまも予習がしやすいのではないかと思いますが、いかがでしょうか?

たとえば、復興Gさまの>>1556のご投稿内容からのテーマでしたら、「組織と信仰」みたいな感じで決めていただいてあると、
そのことについて、より深く個人個人が考えてweb誌友会に参加できるのではないかと思うのですが・・・。

わたしが、あまり発言してしまうとまた主導権を握ってしまうことになりそうなので、発言はこれくらいにさせていただきますが、
個人的には、復興Gさまのご講話は、訊け管理人さま司会の誌友会とともにとても楽しみにしています。
おそらく、他にもたくさんの方々が心待ちにされていると思われます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

1606復興G:2013/06/04(火) 09:48:01 ID:AB6RqYXc

>>1605 :a hope様。

>>予習範囲:
①第3巻「光明篇」全部(第1章〜第4章)p95までを拝読しなおす。
②自主勉強会の内容の復習 
復興Gさま、もしできましたら復興Gさまのご講話の「テーマ」や「内容」等をだいたいでいいので決めていただくと、閲覧者の皆さまも予習がしやすいのではないかと思いますが、いかがでしょうか?

たとえば、復興Gさまの>>1556のご投稿内容からのテーマでしたら、「組織と信仰」みたいな感じで決めていただいてあると、そのことについて、より深く個人個人が考えてweb誌友会に参加できるのではないかと思うのですが・・・。<<

――それは、いいですね。

「組織と信仰」――実は、私も「組織」というのが苦手で、今までやってきました。果たして「組織」と「信仰」は両立するのか? という疑問を感じながらやってきました。

しかし、「信仰」は個人のものでありながら同時に個人のものではない。
内面的には個人のものであるけれども、実際生活に於いては、『生命の實相』第3巻の巻頭にありましたように、

≪一人の生命が全体の生命のために生命を投げ出したとき、その生命は、全体の生命と一つになる。ひとりの生命がはなれ離れに動き出そうとするときには、いろいろの衝突や摩擦が起こるが、全体の生命とひとつになって、宇宙といっしょに動き出すならどこにもわれわれの活動に無理はおこらない。

 われわれが各個人(ひとりひとり)離ればなれに動き出すのは、たとえば、時計の針が針の力ばかりで動き出そうとするにもひとしい。そこには無理があり摩擦があり、ひょっとすればその時計の針が折れるかもしれないのである。

 しかし時計が全体の力で動いているときは実に小さなバネの力で長時間なめらかにそれは運転をつづけるのである。全体といっしょに動く生活、全体の力で生きる生活、自分だけの力で生きない生活、「我」で生きない生活、捨てたときおのずから生きてくる生活、これならいつまでたっても行きつまる気づかいはない。これが「生長の家」の生活である。≫

――そういう意味では、信仰生活は個人のものではない。全体の生命とひとつになって、全体とともに生きる生活でなければならない。

「個即全」というのが神の国のすがたであり、それを現実の国のすがた――国体として顕してきたのが日本ではなかったのか。

今、「組織と信仰」と言えば、教団に属している人は教団の組織運動と生活、ということを思い浮かべるでしょう。
しかし、その教団が本来の「一」なる神から離れておかしくなっているのではないかというので、“こちらこそ本流”と名乗る別派が幾つも生まれているのが現状です。

ですから、「組織と信仰」と言っても、人によって感じ方は様々であると思います。

「組織運動と信仰生活」と言えば、ややテーマが具体的に受けとりやすくなるかな――とも思いますが。

神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。

その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。

では、信仰者として、われわれは今、何を為すべきか。

――そういう意味を含んだ「組織運動と信仰生活」というのをテーマにしたらいかがでしょうか。とても、とても大きな課題になると思いますが――。

1607志恩:2013/06/04(火) 11:07:25 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様は、以前より、好き嫌いがはっきりされてるお方でいらして、
前々から、本流の方々が、だいきらいでいらっしゃることが、
復興G様のお言葉の端はしで、感じてまいりましたが、

このたびも、1606:で、元々の教えに回帰運動されてることについて、
分裂抗争しているのでは、話にならないと、本流の運動をされている方々を、酷評されてますが、

分裂しててでも、教えを護らなければ、と思われて運動されておられる方々に対する、
それは、復興G 様の するどい批判のお言葉に、私には聞こえます。

だれだって、したくてやってるわけでは、ないですよ。
しなかったら、どうなるか。。という想いで,皆様されておられるのです。

それでは、復興G様は、
雅宣総裁が、どのようなひどい行為をされても、すべては自分の心の鏡だ、合わせ鏡だと
とらえて、雅宣総裁の行為である現象はいっさい見ずに、おかしいことは、おかしいと思わないように、思わないように、
自分の心を諌めながら、雅宣総裁の実相を拝み、みずからは、神想観、聖経読誦、聖典拝読、

そして、愛行を、ひたすら実行して生きているのが、生長の家の信徒の、本当の生きかたであると
お示し下さっておられるのでしょうか?


雅宣総裁が、目にあまるようなあこぎな行いを、過去のみならず、現在進行形であるのに、
それらも、自分の責任だからと受け止めて、批判せず、分裂なんて言わず、ひつじのように、おとなしく生きていけと、おっしゃるのでしょうか?

私は、その考え方は、納得いきません。

合わなければ、分かれればいいでしょう。

雅春先生は、前の女性と別かれて、輝子先生と結婚されました。
恵美子先生も,前の夫と別れて、清超先生と結婚されました。
佳世子様も、前の夫と別れて、再婚されました。

合わなければ、別れておられるじゃないですか。

そして,その後、お幸せにお暮らしです。

無理矢理、トップの理不尽な考え方や,トップのあこぎな命令に合わせるのが、この教えの真理の生き方だとは、思えません.

根本の教えと違った方向へ行ってしまった。

いけないことは、いけないことなのですから。
人類にとっての、幸不幸を一番大切に考えて、真摯に生きてこそ、本来の生長の家の信徒の生き方ではないかと、
私は思います。


復興G様のお言葉〜

>>「組織運動と信仰生活」と言えば、ややテーマが具体的に受けとりやすくなるかな――とも思いますが。
神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。

その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。<<

1608志恩:2013/06/04(火) 11:09:39 ID:.QY5jUA6
このような一見、分裂抗争があるから、
結果的には、将来、大調和という いい方向へ行くのではないでしょうか。

1609復興G:2013/06/04(火) 14:43:25 ID:AB6RqYXc

>>1608 :志恩様。

その通りだと思います。

私は、志恩様が >>1607で引用されたように、

>>「組織運動と信仰生活」と言えば、ややテーマが具体的に受けとりやすくなるかな――とも思いますが。
神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。<<

と申し上げただけであって、それ以外に何も言っておりません。

>>1556で志恩様が

>>復興G様 謹写〜
>>神の造りたまえる存在の実相に透徹し、その実相を雛型としてそれを現実世界に現わして[のみ]この世界は本当に地上天国となるのであります。我欲や見当違いで改造改造と力んでみても、各自の心に神の子としての生命の実相が見真されていなければ、盲人の手引きで、多数の盲人を河中へ突き落とすようにエッサエッサと改造の掛け声を掛けながら、現在の人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります。
心が形の雛型となる! ではまず心に自己の生命の円相を自証せよ、組織は自然に浄まるであろう。
  (『生命の實相』第3巻 94頁より)<<
この謹写につきましてのことですが、これは、教団も、本流も、…われわれも、この精神で、、ということだと存じます。
しかし、もしも、これが、我欲や見当違いで、、ということが、本流のみを批判されるものでありましたら、それは、それこそ、見当違いだと、私は思います。<<

と書かれましたことは、その通りであると思っております。

>>1606で書いたことも、同じことです。
(本流のみを批判したわけではなく、これは、教団も、本流も、…われわれも、、、ということ。)

ありがとうございます。

1610復興G:2013/06/04(火) 14:46:24 ID:AB6RqYXc

間違えました。

上記の >>1556 は、 >>1566の間違いでした。

お詫びします。

1611志恩:2013/06/04(火) 14:56:25 ID:.QY5jUA6
復興G様

早速に、お返事をありがとうございます。
納得させて頂きました。

合掌 礼拝

1612ユタカ:2013/06/04(火) 17:24:11 ID:R1D4Jmeg
>>1605 a hope様 復興G様

>復興G様のを要約すると・・・・

と書かれてありましたが・・・ 復興G様が素晴らしい具体的な内容を提案なさっておられるのが書かれていらっしゃいませんので掲載させていただきます。

>>1602 今、『生命の實相』出版権をめぐる裁判に決着がついたので、そのことも無関係ではあり得ないでしょう。

「今こそ正念場」と私は>>1556に書いていましたが、この「正念場」において、観念論ではなく、どのように「正念」を顕して行くか。「今、起て!」と神は宣り給う。どのように起つか。

一人ひとりにその課題が突きつけられていると思います。
それを研鑽してまいりたいと思う次第です。

上記は非常に重要な見落とせない内容であると思われます。 吾々はこのような事態でどのように考え、行動していったらよいのか!!

今の状況にあった内容ですし、すぐには、答えがみつからないかも知れませんが、大いに発言できる内容だと思います。

今回はぜひ、吾々の「今を起つ」をどうしたら、どのように との内容で進行してまいりましょう。

よろしくお願いいたします。

1613ユタカ:2013/06/04(火) 17:27:15 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

再掲すると・・・

>>「今こそ正念場」と私は>>1556に書いていましたが、この「正念場」において、観念論ではなく、どのように「正念」を顕して行くか。「今、起て!」と神は宣り給う。どのように起つか。

一人ひとりにその課題が突きつけられていると思います。
それを研鑽してまいりたいと思う次第です。

==========
上記のように、復興G様のご提案で進行をさせてください。

どうか、よろしくお願いいたします。

1614a hope:2013/06/04(火) 20:20:38 ID:edEDolt2
>>1606復興Gさま

<<神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。
その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。
その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。
では、信仰者として、われわれは今、何を為すべきか。
――そういう意味を含んだ「組織運動と信仰生活」というのをテーマにしたらいかがでしょうか。
とても、とても大きな課題になると思いますが――。 >>


「生長の家」の教えを信仰する組織は、具体的にはどのような運動をしていくことが生長の家の大神の御心に沿うことになるのか?
そしてそれは、信徒個人の信仰生活とどう結びついていくのか?

わたしは、そういう復興Gさまのご講話が聴けて、さらに今回のweb誌友会で皆で話し合うことができたら素晴らしいと思います。
これは、教団側、本流(分派)側では、意見が大きく分かれるのではないかとも予想されます。

わたしは、「組織運動と信仰生活」というテーマでお勉強させていただきたいです。

1615a hope:2013/06/04(火) 20:21:29 ID:edEDolt2
>>1612 >>1613 ユタカさま

そうですね。
わたしは、一参加者としてweb誌友会に参加させていただく上で、どのような予習をしていったらいいのかと考えて、
そこに関する所だけを復興Gさまのご投稿からピックアップさせていただき要約させていただきました。

<<「今こそ正念場」と私は>>1556に書いていましたが、この「正念場」において、観念論ではなく、
どのように「正念」を顕して行くか。「今、起て!」と神は宣り給う。どのように起つか。
一人ひとりにその課題が突きつけられていると思います。
それを研鑽してまいりたいと思う次第です。>>

こちらの復興Gさまのご提案に関しましては、後半の誌友会の司会者である。
訊け管理人さま、ユタカさま、トキさまなど運営にかかわるか方々でお話を進めて行って下さったらうれしいです。

ですが、このことは「組織運動と信仰生活」というテーマとも、密接につながってくることだとも思います。
ですから、もちろん、わたしには異論はありません。

1616a hope:2013/06/04(火) 20:22:30 ID:edEDolt2
訊け管理人さま

復興Gさまが、ご講話のテーマを提案してくださっています。
後半の誌友会は、どのように進行されますか?
わたしは、訊け管理人司会の誌友会も、心から楽しみにしています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

1617a hope:2013/06/04(火) 20:28:24 ID:edEDolt2
>>1616
本文中の「訊け管理人」さまの名前に敬称が抜けました。
申し訳ありませんでした。

1618ユタカ:2013/06/04(火) 22:05:31 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

よく読んでおりませんでした。結局一緒ですね、そのようで結構です。

よろしくお願いいたします。 楽しみにしています。

1619復興G:2013/06/05(水) 05:33:31 ID:AB6RqYXc

皆様、おはようございます。

ユタカ様、a hope様、志恩様、「訊け」管理人様、トキ様、皆々様。

ありがとうございます。

第14回web誌友会は、「まさに正念場」。
とても重要な意味のある誌友会になりそうです。

日程等の確認をしたいと思います。

日程は、a hope様が>>1599で書かれた通り、

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

《第14回 web誌友会予告》

・前半 (司会 復興G)
日時:6月7日(金)
内容:復興Gの講話 質疑等

・後半 (司会 「訊け」管理人さま)
日時:6月8日(土)
内容:自由参加の誌友会

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

とさせてください。

>>1602で、
>>もう「前半」の「復興Gの講話」は要らないのではないか<<
と書いたのは、撤回します。

そして、

>>前半の司会は復興Gさま、後半の司会は「訊け」管理人さまですから、時間配分や内容等に関しましては各司会者さまにお任せする形でいいのではないかと思います。
ですから、具体的な時間や内容は、復興Gさまや訊け管理人さまが、加筆くださるとありがたいです。<<

ということでした。で、前半については私が決めます。

前半の「講話」は、6月7日(金)午後8時(19時)までに終えるようにします。

講話が一応終わったら、質疑に入ります。

テーマは、昨夜ユタカさまが、(>>1618
「(表現は違っても)結局一緒ですね、そのようで結構です。」
と言ってくださった通りでまいりましょう。

「組織運動と信仰生活」とし、内容は ユタカ様が>>1612>>1613に書かれたとおですが――

具体的には、これまでに書いてきたこととは別の視点から――2.26事件の背景を今までに聞いたことのない切り口で語られる 橋本徹馬氏の自叙伝資料などを提示しつつ、歴史に何を学ぶか、大局的な新たな視点から、今のことを考えてみることも致します。


前半の6月7日(金)についてはそうしたいと思いますが、
後半の6月8日(土) 具体的な開始・終了時間などについては、司会の「訊け」さま、お世話役のユタカ様などで相談して決めて下さい。
よろしくお願いします。

ありがとうございます。

1620復興G:2013/06/05(水) 06:28:07 ID:AB6RqYXc

>>1619 訂正です。

× 書かれたとおですが――

○ 書かれたとおりですが――

1621「訊け」管理人:2013/06/05(水) 09:04:11 ID:???

>>1619復興Gさま


 ありがとうございます。「組織運動と信仰生活」をテーマにやり取りをする今回ですが、橋本徹馬氏の自叙伝資料など、興味深い誌友会になりそうです。ですので個人的にも、今から楽しみであります。

 さて、誌友会後半に関して以下ご提案致します。
 この誌友会「後半」ですが、開始するのは「質疑応答の終了後」頃を考えております。さらには内容ですが、「前半の話の流れ次第」ということに、決定しようと思っております。いやいったい、どんな話になっていくのかが現時点、全く読めぬためであります。ですので仮決定になりますが、誌友会後半は現時点、

○ 開始時期は、誌友会前半部の「質疑応答の終了後」頃
○ 内容は、「前半部の流れ次第」

 という感じを、考えております。状況次第で軌道修正を行いますが、基本線はこれで行こうと考えております。

 以上なにかご提案等あらば、賜れましたら幸いであります。宜しくお願い致します。



1622復興G:2013/06/05(水) 16:21:25 ID:AB6RqYXc

>>1621 :「訊け」管理人殿

今日は日中、他の仕事に入っておりましたので、お返事が遅くなり、失礼しました。

ええと、web誌友会前半は7日(金)、後半は8日(土)という予定になっていたんですが、何も日を変える必要はなかったんですね。

それなら、7日の質疑応答から、もう貴殿の司会で進めて頂いてもよいと思います。

それでよろしいでしょうか?

1625「訊け」管理人:2013/06/05(水) 16:46:33 ID:???

>>復興Gさま


 以下の件ですが、了解致しました。

>>それなら、7日の質疑応答から、もう貴殿の司会で進めて頂いてもよいと思います。<<

 ただし、以下二点をお知らせ致します。目下この様な状況でありますので、貴殿より「それでも宜しい」とのご快諾を頂戴できれば、当方は上記の件受けることは可能であります。その、目下の状況とは、

○ 7日(金)19:00直後くらいは、PCの前にいられるかどうか不明である事。
○ なお司会ですが、「論点整理の役目である」と云う認識を当方は持っている事。

 です。

 補足致しますが一点目に関しましては、現誌友会システムでは「ある程度、時間の融通は効く」との認識であります。19:00直後くらいに参加出来ずとも、皆さんへの迷惑は回避されましょうか。もしもご返答が「その通り。迷惑にはならぬ」で御座いましたら、当方は7日の質疑応答から司会が出来ると思います。

 さらに二点目ですが、「あくまでも論点整理をする役目」との認識であります。いろいろな質問が寄せられましょうから、当方では「それはこういう意味でしょうか」等の、なんと言うのか、「質問明確化の役目」との認識でおります。これについても、貴殿ご返答が「その通り」と云うことであらば、当方は7日の質疑応答から司会が出来ると思います。

 まとめますが、

○ 7日(金)19:00直後くらいは、PCの前にいられるかどうか不明。されど、8日(土)午前零時以降であれば、「参加可能か?」と云う状況です。
○これでご迷惑にならぬのならば、司会をすることは可能です。
○あくまでも「論点整理」が、メインとの認識です。(司会について)そうであれば質疑応答からの司会も、可能だと思っております。

 となります。

 以上、今回誌友会に関する、当方の状況報告で御座いました。



1626復興G:2013/06/05(水) 17:40:04 ID:AB6RqYXc

>>1625 :「訊け」管理人殿

ええと、私は第13回web誌友会までの のんびりしたペースを考えていました。

つまり、50時間、3日間にわたる、のんびりした誌友会のペースです。

それをいっぺんリセットして、ユタカさん主導の自主勉強会のペースに切り替えて考えなくてはいけなかったのですね。

前半・後半に分けるという案は、最初>>800でa hopeさんが提案され、>>837で私が、
「前半の講話に厄半日」
「後半の自由会話が1日」
で合計1日半ぐらいかけて、という提案をしていました。

私の考えでは、夜は11時頃に終えて寝(やす)み、
翌日また夜に後半を始める、ということを思っていました。

しかし、「訊け」殿のお考えは、夜から午前様になっても寝まず続けるということのようですね。

熱意はすごいなと思いますが、あまり無理せずに夜は寝て、翌日適当な時間に再開でもよろしいのではないかと、私は年のせいもあって、そう思っていたのですが……

いかがでしょうか。

1627初見者:2013/06/05(水) 18:06:00 ID:NqKwCCw6

複雑な誌友会ですねー。生長の家の誌友会ってこんなにややこしいものですか?

1628復興G:2013/06/05(水) 18:16:41 ID:AB6RqYXc

では、7日(金)は夜11時で一応お開きにします。
それまでは、皆さんのお助けをいただきながら、私がなんとか司会兼務の覚悟でさせていただきましょう。

11時以後は、書き込みしたい人は自由に書き込みをする。
それは、今までの「後夜祭」に当たりますが、同時に今度は次の自由会話誌友会の始まりになる――ということで、あとは貴殿がユタカさんなどとも相談して決めていただいたらありがたいと思います。

1630トキ:2013/06/05(水) 18:31:48 ID:7x7v50rs
>>1627

 リアルの誌友会でも、時間の制限はあります。ネット上の場合、ネット独特の制限は必要だと
思います。

合掌 ありがとうございます

1632トキ:2013/06/05(水) 21:47:13 ID:7x7v50rs
>>1629の御発言は、誌友会開催の関係から、別板の浄心行板へうつしました。
投稿者様には申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1633復興G:2013/06/05(水) 22:35:04 ID:AB6RqYXc

トキ様、お心遣いありがとうございます。

合掌

1634トキ:2013/06/05(水) 22:44:56 ID:7x7v50rs
>>1633

復興G様

 こちらこそ、行き届かないで、申し訳ありません。

 これは「暴論」かもしれませんが、誌友会開催中、不規則発言は、講師と司会の方がご意見が一致
したら、管理人の意見に関係なく、別板へうつす、という約束もあり得ると個人的には思います。

 実際には少しタイムラグはありますが、不規則発言の抑止にはなると思います。

1635ユタカ:2013/06/05(水) 22:51:19 ID:R1D4Jmeg
復興G様 ありがとうございます。

7日の開始時刻は何時でしょうか? すみません、長いことお休みしていてわからないのです、教えてください。(a hope様、ご存知でしたら教えてください。) 訊け様の8日の午前0時継続の提案ですが・・・訊けさんの体力とやる気は本当に素晴らしいですね。 ですが、復興G様は、お身体にさわるといけませんので仰いますように、その日は終了時間になりましたら、それ以降は早い時間から準備されていらっしゃいますでしょうし、一旦終了してお休み下さい。ご回答なさる明日以降〜に備えて一旦、ご退場・・・なされてくださいませ。  私も一旦終了して頂いてあとは自由ですと有難いです。


訊け様、

ありがとうございます。 WEB誌友会創始者の訊け管理人様のご登場を心から嬉しく有難く思います!!
お世話になります。再びの名司会を楽しみにしています、そのままの心を大切に!と言うことですから、蝶ネクタイ(かな?今回は別のサプラズかな?)の訊けさまで颯爽と??頑張ってください。司会のみは訊けさまで、ご講義・解説は復興G様で、生長の家の真理を<正しく学べる>と言うのが嬉しいひと時です。。。 私は参加者ですが、今の考えを発言させてください。7日は<夜通し>ですと、皆さんも大変ではないでしょうか?。訊け様も、どうぞお休みなってください、と思いますが、それは訊け様の自由です。私は参加者ですので睡眠とります。。で、その日の終了時間からは、遅い時間からの参加者様もおられるでしょうし、自由に書きたい皆様がいらしたら自由に書いていただいて、
次の日に<訊け様が要点の整理>をなさって、夜に再び登場されて復興Gさまのご都合にあわせて<御回答を復興G様に頂くよう>になさったらいかがでしょうか? 8日の土曜の昼間は皆さんそれぞれいそがしいでしょうから、夜からスタートしていただければ有難いのではないでしょうか。 復興G様もそのように仰っていますし・・・如何でしょう?

あと・・・志恩様を、どうかおとりなしくださいますようよろしくお願いいたします。

1636復興G:2013/06/06(木) 05:20:16 ID:AB6RqYXc

>>1635 :ユタカさん

ユタカさんの参加があれば、もうweb誌友会は活性化すること間違いなし! うれしいです。

ありがとうございます。

7日、と言えば明日ですね。
開始時間について――まだ決めていませんでした。

やはり開会の祈りをして、神様の天降る誌友会にしたいと思いますから、その時間を決めましょう。

いつものように、21時(夜9時)以後がよろしいのでしょうね。21時に開会の祈りでよろしいでしょうか。
祈りの言葉は、どなたか書き込んでいただけますか?

(a hope様も、“お役に立てることがあればお手伝いしたい”と言ってくださっていましたね。)

しかしその前に、午後の早い時間にでも、“2.26事件に光を当てる” “歴史から「今」を学ぶ” というような復興Gの講話といいますか、論文の投稿をしておきます。

それを読んで頂いて、ご意見あるいは質問の発表を用意して頂き、実際の質疑開始は原則として開会の祈りのあとから、ということにして頂けたら……と思います。

いかがでしょうか。

1637復興G:2013/06/06(木) 05:33:30 ID:AB6RqYXc

なぜ、生長の家の誌友会に2.26事件の話など持ち込むのか? 

「現象は、ナイ」と言われるが、歴史とは何なのか?――

≪歴史というものは、実在の生命が『無』の世界を征服して進軍する結果として現象界に現れる作用すなわち生命は如何なる階調序列をもって其の現れ方をなすか、更に『生命』が、『無』を征服する際に起こる反作用すなわち其処に如何なる自壊作用を起こすかという事の跡を辿って行くことによって、ちょっと考えると過去の出来事であって今の事とは何の関係もないように見えている過去の記録の中に、生命の『今』、生活の『今』が現れている。

過去の記録と見えるものの中に現在があり、今があり、久遠の相(すがた)があり、その久遠の相が過去に於いても現実に現れて来たし、今もこれからも現実に現れて来るのであるから、その歴史を把(つか)むことによって、『今』を知り、そうして『久遠』を知り、未来を知るということが出来るのであります。≫

――と、谷口雅春先生は『限りなく日本を愛す』の135〜136頁に書かれています。

そういうわけで、過去の歴史を調べて『今』の私たちの生き方を考えてみるのは有意義なことであると思うのであります。どうぞよろしくお願いいたします。

1638ユタカ:2013/06/06(木) 08:02:04 ID:R1D4Jmeg
復興G様

21時開始ですね。有難うございます。よろしくお願いいたします。
お祈りは今まで通りa hope様がなさると思います。

復興G様構想の歴史から紐解いた今を起つ信仰と組織との誌友会は、内容が重厚で盛り沢山で皆さんも喜ばれると思います。
住吉大神様の聖霊天降る素晴らしいWEB誌友会にご尽力くださいまして有難うございます。

1639a hope:2013/06/06(木) 08:54:47 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

第14回web誌友会に関しまして、復興Gさま、訊け管理人さま、トキさま、ユタカさまなどで、
お話し合いを進めて下さっているようでありがとうございます。

>>1636で、復興Gさまが、

<<やはり開会の祈りをして、神様の天降る誌友会にしたいと思いますから、その時間を決めましょう。
いつものように、21時(夜9時)以後がよろしいのでしょうね。21時に開会の祈りでよろしいでしょうか。
祈りの言葉は、どなたか書き込んでいただけますか?
(a hope様も、“お役に立てることがあればお手伝いしたい”と言ってくださっていましたね。)>>

と、おっしゃってくださっています。
そして>>1638でユタカさまも、

<<21時開始ですね。有難うございます。よろしくお願いいたします。
お祈りは今まで通りa hope様がなさると思います。>>

とおっしゃってくださっています。
ありがとうございます。


今まではa hopeが、第2回web誌友会でユタカさまが用意してくださった『準備祈願』を、ユタカさまの代わりに再掲載させていただだいたあと、
聖経「真理の吟唱」より祈りの言葉を謹写させていただいておりました。

ですが、今回はユタカさまも登場されていますし、すでに午後から復興Gさまがご講話を始められるご予定のようですし、
わたし自身明日の日中は仕事で参加できませんので、今回は開会の「祈りの言葉」のみを担当させていただきたいと思います。
(ですが、開会の「祈りの言葉」はいくつあってもいいと思いますので、他にも「祈りの言葉」を謹写されたい方があったら遠慮してくださいね!)

a hopeの予定としましては、明日の21時(夜9時)になりましたら、「招神歌」のあと、聖経「続真理の吟唱」より『住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り』、
そして、「みすまるの歌」を謹写させていただきたいと思っております。
(リアルタイムでの謹写は不可能ですので、明朝の神想観で心を浄めた後謹写させていただき、
開会直前にもう一度お祈りした後、心をこめて掲載させていただく予定でいます。
みなさま、ご理解いただけますようお願い申し上げます。合掌。)

1640a hope:2013/06/06(木) 08:58:55 ID:edEDolt2
>>1639訂正
遠慮してくださいね!→遠慮なくなさってくださいね!

みなさま、どうぞ、このようにアホなアホープに遠慮なさらず、どんどんご参加ください。(;'∀')

1641ユタカ:2013/06/06(木) 09:05:16 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま ありがとうございます。

続吟のお祈り! 最高だと思います! 何か、今回の誌友会にピッタリと思いました。 神業ですね。

真心こもったご愛行を有難うございます、お世話になります。 よろしくお願いいたします。

1642「訊け」管理人:2013/06/06(木) 10:43:25 ID:???

>>誌友会関係者各位


 皆さん、ありがとうございます。さて、現時点での感想を述べますと、「よく分らない」ということになりましょうか・・・・いや、今後の展開が「読めない」上に7日(金)ですが、未だ予定がつかないのです。(申し訳ありません・・・)無論、19:00頃から参加出来るかもしれませんが、あくまでも「かも」なのです。確定が出来ぬため復興Gさまには、ご迷惑をおかけ致します。

 まあそれでも、後半は「流れで」行いたいと思います。

 流れで行くとは一見、いい加減に映りましょうけれども、さにあらずです。前半の誌友会で問題に上がった点など「どこを膨らませるか」とか、「どこに関して補足資料を挙げるか」とか、現時点でまったく読めぬのです・・・・ですので「流れ」で行きたい、後半部です。

 なお、8日(土)も個人的には、「午前中から開始する」方向で調整しておりました。ところが拝読する限り、なにか違っていたみたいですねえ・・・・まあ、余りご迷惑をおかけせぬ方向で調整します。いやなにせ、現時点では「まったく読めぬ」のです。こんな返答で、誠に申し訳ありません・・・・




1643ユタカ:2013/06/06(木) 13:40:15 ID:R1D4Jmeg
訊け様

すみません、訊け様のやりやすいように土曜日はなさってくださいませ。。。
ご発言が沢山出ていたりしたら、時間があるようでしたら、どうぞ、そのようになさってくださいませ。。 よろしくお願いいたします。

あと・・・・<補足資料 >って??  どういう場合に補足がいるのでしょうか?
補足でなくて、いつもの例題のような<紹介文>という資料のことなのですよね? 

あまり先を心配せずに力を抜いて、皆さんと一緒に勉強するつもりでいつもの「そのままの」訊け様で充分にOKでないですか?『流れ』で充分だと思います、有難いです。皆さんが一杯ご発言できるように導いて下さいませ。
楽しみにしています、どうぞよろしくお願いいたします。

住吉大神様の聖霊天降るWEB誌友会ですから、神様の流れに乗らせていただいて、明るく楽しくされど勉強は真剣にやりましょう〜。^^ありがとうございます。

1644復興G:2013/06/06(木) 15:22:01 ID:AB6RqYXc

>>1639 :a hope様

7日 開会の祈りなど、どうぞよろしくお願いします。

「訊け」様

>>1643 :でユタカさんのおっしゃってるように、『流れ』で充分・・・・・・土曜日午前中からでも、やりやすいようにやってください。

皆様、よろしくお願い申し上げます。

礼拝

1645復興G:2013/06/07(金) 16:47:14 ID:AB6RqYXc

合掌 
皆様、ありがとうございます。

只今より、第14回web誌友会の「第1部」(前半)、
基調講話のようなものの投稿を始めさせて頂きます。

生きとし生けるものを生かし給える御祖神
元津みたまゆ幸はえ給え
わが生くるはわが力ならず 天地を貫きて生くる祖神のいのち
わが業はわが為すにあらず 天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし 生長の家の大神守りませ


ありがとうございます。ありがとうございます。

生長の家大神様
只今より 第14回web誌友会の基調となる講話を始めさせて頂きます。
われ心を空しくして大神の御導きにしたがい奉る。
この投稿文が大神の御導きのままに正しい真理を現すことが出来ますことを感謝申し上げます。

このweb誌友会にご参加あるいは閲覧くださいますすべての方々の神性仏性、神の子の魂にひびく書き込みが出来、すべての人・物・事を生かすことができますように。


大神様、ありがとうございます。ありがとうございます。
大神の大いなる御導きに感謝申し上げます。
ありがとうございます。ありがとうございます。


天照らす祖神の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり
天照らす祖神の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり

1646復興G:2013/06/07(金) 16:48:07 ID:AB6RqYXc

皆様、ありがとうございます。

今回 第14回web誌友会のテキストは、『生命の實相』 第3巻 巻頭に掲げられた神示から 第4章の終わり 95頁まででございます。

既に2回にわたって自主勉強会が行われています。
まずは、そこで学んだことを 「今」、実生活、信仰生活にどう生かすべきか。

「組織運動と信仰生活」

をテーマとして、おさらい、まとめをさせて頂きたいと思います。

まずは、テキストから「ここぞ」と思われるところを抜粋させて頂きます。( )内の頁数で、書名が書き入れてないものはすべてテキスト『生命の實相』第3巻です。

       ○

○ 「言葉の宇宙」が先ず出来て、「形の宇宙」がその映像(かげ)としてあらわれるのである。(p.1)

○ 『生命の實相』が展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。(p.2)

○ 精神界が先きで現実界はその影である。(p.3)

○ 形あるものはすべて、「生命」そのものが表わした影であります。(p.20)

○ 元来、人間は行をしなければ、水で身体(からだ)を洗わなければ、浄まらないというふうな窮屈な不完全なものに作られていないのであります。また人間は神様がお造りになったものでありますから、病気になるように不完全には造られていないのであります。それから神は人間を罪を犯すように造っておき、その人間を罰するというような矛盾はされないのであります。神さまのお造りになったこの世界には罪もなければ、病気もない。そういう不完全な人間を神さまがお造りになっていると思うのが迷いであったということがわかってきて、今までの信仰に革命ができ、この新しい信仰を発表するために生まれましたのが、「生長の家」であります。(p.26)

○ 「生長の家」の発見しました縦を貫く真理は、「人間は神の子である、神そのものである」という真理である。(p.28)

○ 「生長の家」の真理を体得するには、神想観や『生長の家』の読誦などという静的の工夫のほかに、動的の工夫が要るのであります。真理は生命そのものでありますから、そして生命は「動」が本態でありますから、動的の工夫に移って、真理というものは、はじめてその潜在していた生命の正体――生かす力の正体をあらわすのであります。(p.33)

○ 「できたら、しよう」というのではなく、意を決してすればできるのであります。「余裕があったら、しよう」というのではなく、断じて行なえば、必ず余裕ができてくるのであります。(p.35)

○ われわれあの「本質」は無限の智慧であり、無限の愛であり、無限の生命であっていろいろ多方面のハタラキをするものであって、その完全な発現を大和精神(やまとだましい)というのであります。完全にわれわれが自己「生命」の実相(ほんとのすがた)を自覚し、大和精神が発揮されますと、いろいろ多方面において自分の生活が自由自在になってくるのであります。(p.38)

○ 一人が真理を知ればその人一人が光明に照り輝くばかりでなく周囲までもその光明に化せられる。光明は感染する。ではではできるだけこの光明を人に伝えようではありませんか。……時は今、常に時は今である。(p.50)

○ 「生長の家」所説の真理は、神が、至上の愛が、万物を生かすところの真理を人間に吹き込んで、その人間の筆により仮に書かせたものであります。だからこの真理によって生かされないものは何物もないのであります。読んで病気が治るばかりでなく、家が「生長の家」となり、国が「生長の国」となります。(p.51)
<つづく>

1647復興G:2013/06/07(金) 16:48:50 ID:AB6RqYXc

<つづき>
○ われわれはいかにしても本当に実在せる世界、すなわち「実相世界」においては神から離れることはできないのであります。(p.75)

○ 神の創造し給えるそのままの状態を念じますことを「正念(しょうねん)」といいまして、その正念の影が映れば現実世界は完全な病気も災難もない状態を現出するのであります。つまり「正念」とはあらゆる事物を神の造り給えるままの状態そのままに念ずることで、そういう正念をもって生活することを神に結ばれた生活というのであります。(p.76)

○ “正念”というのは、「ここは正念場だ」などというでしょう。「ここが正念場だ」というのは、正念を出して来なければならないギリギリの場だ、という意味であります。(『真佛教の把握』50頁)

○ 本当の神というものはただ一つ――それは力が足りないこともない、愛が足りないこともない、われわれが悪いからとて神罰をあてるということもない、といってわれわれを悪いようにも造ってい給わない(われわれが罪を犯すように見えるのは本当の相ではないのであって、念の仮作せる影であります)。無限の力で、われわれとこの世界とを実に円満完全に神そのままの相(すがた)に造ってくださった神が本当の神であります。(p.77)

○ 生長の家の神というのも固有名詞ではないのでありまして、生長の家において顧わされた宇宙神であります。しかし今まで、神はいろいろの相をもって顕われ給うたのであります。時にはいろいろの名称をもって呼び奉る日本の神々として、時には旧約のエホバ神のように怒りの神、嫉みの神の相(すがた)をもって、時にはまた、いったん万人の罪の実在を肯定しておいて、万人の罪にかわって十字架にかかるというような愛の相において、時には阿弥陀如来のように肉体死後の世界において霊魂をお浄土に救いとってくださるというような相(はたらき)において、しかし、今、神は生長の家において万教の本尊は「一」であるというその全相が実に円満完全なそのままの相で顕われ給うたのであります。(p.77〜78)

○ あなたは万事万般、どんな些細なことでも自己の内からの催しで導いてくださる本当の神にお頼りになりたくはありませんか。(p.86)

○ 神からの十全の神徳を真っ直ぐに射し込ましていただくに必要な条件であるところの、神を完全の相(すがた)において理解した上で神を信ずるというのが「生長の家」の信仰なのであります。ただ、なんでも彼(か)でも怪力だから信ずる、御利益(りやく)があるから信ずる、霊力があるから信ずるというのでは生長の家の信仰ではないのであります。(p.88)

○ 神をその十全の神徳において理解し、同時に神の創造(つく)り給える「実在世界」の実相を理解して、本当のおかげを得ていただくために、わたしは聖典『生命の實相』を世に贈り出したのであり、また毎月の『生長の家』誌を書いているのであります。(p.88)

○ 同志よ、同志を作れ、そしてこの人類光明化運動を燎原の火のごとく野火のごとく広がらしめよ。(p.93)

○ 現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。(p.94)

○ では世界の改造運動に内より燈(ひ)を照らすものは生長の家でなければならない、だから世界の改造家がもし切実に人類を愛し、本当に地上天国をこの世に招来しようと思うならば、まず生長の家に来り地上天国の雛型たるべき各自の生命の実相を「見真」しなければならないのであります。(p.94)
<つづく>

1648復興G:2013/06/07(金) 18:39:45 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 勉強のテーマは、「組織運動と信仰生活」でありました。

 さて、「組織」 は 「生命体」 であります。

 動植物あるいは人間の肉体組織も生命体であり、社会組織も生命体であります。

 個生命は、組織の中で役割を果たすことによって生かされます。

 服部仁郎先生の『今を生きる』という本の中に面白いご講演記録がありました。その一部を謹写させていただきます。

       ○

    「自他一体」を生きる

 「今を生きる」というのは具体的にどういうことかと申しますと、生命が生命の目的を生きることなんですよ。それは、皆さん、夫婦喧嘩の目的はと申しますと、喧嘩の目的は勝つこととすぐに思いますけれども、夫婦喧嘩の目的が勝つことにあるとしますと、それは理屈が正しいか、力が強い方が勝ちますよ。勝ったら勝った方はよろしいが、負けた方はくやしいな。一方の目的がかなえば一方の目的はかなわん。自他一体なら、両方の目的がかなわなければいかん。

 そうすると、喧嘩の目的はというと、勝つことは過程であって日的はちがうんです。目的はいったい奈辺にあるかというと、それは結婚生活の陶冶にあり、仲のいい幸福な家庭を作ろうということにあるでしょう。それを一方はすんだ過去のことを言っているんだ。そうすると一方は、そんなすんだことを言っては困るといって未来のことを言っているんだ。過去と未来のチャンバラが喧嘩なんですな。

 しかし目的は、仲よくすることにある。仲よくなったらもう、喧嘩はありませんわな。目的を観じ目的をすぐ生活するんですな。それが宗教です。

 谷口先生がお説き下さっている宗教は、即生活です。そこで私たちはその生活をいかにすべきか――それは、宇宙普遍の法則にのっとった生活、自と他が一体であるという自覚を深めないといけない。自と他が一体であるという自覚が深まると、最も合理的な生活ができる。自分が一人の生活をするように、矛盾なく自と他が一体の生活の合理化ということができる。

 この生活の合理化が科学となり、教育となり、哲学となる。そしてそれが実生活に行われる時に、政治になり、あるいは経済になり、自然科学、医学等にもなる。科学の目的も人類が幸福で平和な生活をするためにあるんですね。宗教というのは、自と他が一体であるという自覚のもとに高度の生活をすることであるわけです。

 神社の前で合掌する、あれは宗教の行事です。信仰というのは一人一宗であります。一軒の家にキリスト教の人がいらっしゃってもいいし、天理教の人がいらっしゃってもいいし、あるいは日蓮宗の人がいてもいいでしょう。キリスト教では「天にましますわれらの父よ」と言って、偶像崇拝を排斥しますが、お宮をそこに置いたから偶像というのではなく、「天にまします神」というのが偶像のような信仰だったら、これも同じことだと私は思いますよ。

 ともかく神仏の前で皆さんが合掌する。こうして合掌して、まさか「バカヤロウ」「コンチクショウ」はないはずです。

 争っていた人が仲なおりするのに、仲裁にはいった人が「手打ち」をしますね。手は右と左は反対ですな。反対だからってこれがお互い自分の立場を主張してゆずらなかったら、永遠にこの手は合わん。それを合せるのです。神仏の前で合掌すると、どんな場合でもスカッとやましい心が消えてしまう。今の自民党も社会党も、ひとつこうやって合掌してやってほしいですな。
<つづく>

1649復興G:2013/06/07(金) 18:40:34 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 生長の家の信徒行持要目で、「そのままの心を大切にすべし」と唱えますが、私たちは合掌して美しい心でそのまま生活する、それが宗教です。それが本当にできますと、病気や不幸というものがなくなる、というよりは、はじめから存在しないということです。

 それでは「自他一体」の証明をしてみい、といって一体できるかなあということですなあ。私たちは、親子は一体だ、夫婦は一体だというが、いまだかつてその一体であるというのを証明してくれと言った人はないはずです。これはとうてい証明しようったってできない。そこでそのまま私たちは鵜含みにしているのね。自覚というのはね、証明を用いずして了知する、というのが自覚ですな。

 八紘一宇、四海同胞というのもこの自覚です。

 かりに私という一個の人間の各部について「自他一体」を説明しますと、「ごちそうができたよ」ということを聞きますね。そうしますと、私の足は疲れていても体全体をそのごちそうの場へ運んで行く。眼がそれを見ると、「えらいごちそうだ。私はごちそうをいつも見るだけでいっぺんも食ったことない。口ばっかり食べて損だなあ」という。鼻は、「私はちょっとにおいを嗅いだだけで、私の前はいつも素通りだ。」手は、「私はいつもごちそうを口まで運んでやって、いまだかつて一粒のごはんもごちそうになったことない。」耳は「私は、ごちそう、ごちそうって聞いてるけど見たことない。」

 ――みなさん、足はどうでしょう。足はいまだかつてごちそうだって見たことない、においをかいだこともない。それでお腹がすいたときには体全体をそこへ運んで行く。何も楽しむことはなく、献身的に尽しているけれども、いっぺんも足を上位に置いたということがない。いつも尻の下に敷かれている。それでも足は「これほど皆さんに協力したけど、いつも尻の下にしかれて」なんて文句を言わない。しかし、足が動かん限り、全体があっちこっちに行けないとするなら、足はすべての支配者にもなっているということではないかと思うね。

 その場合に、それぞれが意見を出して、「口ばっかりごちそうを食べて」と言って口を排斥するようになれば、おそらく口は言うでしょう、「それでは、私はもう食べない。これからストをやろう。そら、耳よ食え、鼻よ食え、眼よ食え」と言いだしたら、たいへんだと思いますね。

 私たちの体のどこ一つも切って捨てることはできない、そのように私たち三十億の人類のだれ一人も切って捨てることはできないのだということを知らなければなりません。宗教は自他一体の教えであります。
<つづく>

1650復興G:2013/06/07(金) 18:41:34 ID:AB6RqYXc

<つづき>

    宗教の極意はここにある

 皆さん、生長の家の極意は、『甘露の法雨』の最初に書かれていますね、「七つの燈台の点燈者の神示」の中にね。「汝ら天地一切のものと和解せよ」という和解の神示。その「和解する」ということは「感謝する」ということだと書いてある、それが極意ですな。本当に感謝ができるようになれば、価値ある生活ができるようになる。

 昔から、「猫に小判」という諺がある。猫は、どれほど小判を積んでやりましても、それは感謝がないから値打がなく、一文にもつかない。感謝をすると、そのものの値打が出る。その値打のもとはいったい何か――金とか物とか、それは私たちが払った生命に対する裏づけですな。その値打を知るものはやっぱり感謝です。

 だれかが紙を一枚くれたとき、「なんだ、紙一枚くらい」という場合にはなんらそこに値打がない。その紙一枚でも「ありがたい」と思ったときに、千枚、万枚とおなじ値打が出てくる。値打を知ることができたら、値打のあるように生かされる。感謝というのは、絶対価値の認識である。宗教は、感謝に始って感謝に終るわけですね。

 ところがその「心」の問題であります。宗教は即生活。お釈迦さんは「天上天下唯我独尊」自分の立ったところが宇宙の中心である、東西南北本来なしと言われた。

 せんだって私の家内の妹が、「兄さん、わたし家を買うので、お忙しいでしょうけどちょっと見てくれませんか」というので、見に行ったところが、つまらん家なんです。
 「こんな家、買ったってしょうがないじゃないか。こんなんだったら、ぼくの方にもっといい家があるよ」
 「ところが兄さん、わたし易者に見てもらったら、方角が、ともかくこっちの方がいいんだって」
 「こっちって、どちらだ」
 「私は西の西の西の、西へ行くほど今いちばんいいんだそうです」
 「そうか。それだったら、ぼくの方に来ないか」
 「だって、兄さんとこは東……」
 「西がいいんだろう。だったらぼくのところへ来なさい。地球は丸いんだから、西の西の西の、いちばん西じゃないか」
 と言ったんですがね。

 東西南北はもともとないもの、自分が立ったところに東西南北を立てているんですね。

 ではその自分とは、この肉体が自分かということ。神様につくられた自分とはいったい何か。神様につくられた自分とは、心でありますね。

 神様は宇宙の一切をお持ちになっていらっしゃるので、私たち人類三十億の一人一人に宇宙の一切を満ちそなえて生命の生みなしをされたのであります。一切(いっさい)であって、一切(ひとき)れではありませんよ。すべて、無限ですね。

 私たちは宇宙の一切をもっているから、各自が男であり女でありながら、そのまま自由自在で、平等であるということです。各自が宇宙をそっくり持っている。この辺からこの辺までという限りあるものではありません。

 いま、私が何千億円のお金を銀行に預けていて、その通帳を持っているとします。私はこの通帳に関しては、いくら引き出そうと意志の自由をもっていますね。かりに私が百円と書いて出せば、百円出してくれる。それでもあんたは何千億円あるんだから、まあ一千万円出してやろうとか、あるいは百万円やろうということはないね。こっちが書いて持って行っただけしか、払い戻してくれない。これが宇宙の法則ですね。

 神さまは、宇宙をそっくり持っていらっしゃるんでしょう。そっくり持っていらっしゃる神さまが、一人一人にそっくりくれると、鉢合せしはしないかと御心配の方もいらっしゃるでしょうけどね、けっして鉢合せしない。それは、太陽系統が何万年運行していてもけっして鉢合せしない、その通りです。
<つづく>

1651復興G:2013/06/07(金) 18:42:21 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 神さまは宇宙をそっくりくれるというのは、どういうようにしてくれるかというと、私たちは、持っとると自由だと思うけれども、これは思いちがいですね。

 私は、だれにも「服部、お前白墨を持って説明せい」といわれておらん。それをただ私が「白墨を持って皆さんに説明する」というので右の手に白墨を持っている。だれが私を制約したか、私が制約したんですね、皆さん。すると、私はもっとたくさん持てる力があるのに、これだけしか持てん。

 そこで皆さん、持たないということがいちばんいいのであります。それを私たちは、この現象の世界では自分で自分の自己制約をしているんでしょう。そして、なんの自由自在平等があるかということです。

 五尺何寸という肉体の制約、そして私は男だ、私は女だということも自分で自己制約しているんです。それはそれだけに制約しているから、それだけの自由がある。

 神様は宇宙をそっくりくれて、けっして私たちの自由を束縛しない。そっくり預ってくれているんですね。

 銀行に金を預けますと通帳をくれますが、神様はそっくりくれてそっくり預って、どういう通帳をくれたかというと、「心」という通帳であります。

 この「心」という通帳には、男もなければ女もない。『生命の實相』に、人間は死んで霊になったら、男も女もないと書いてある。神様の通帳にも男も女もないんですよ。

 そしてこの通帳は、自他一体のただ一つの通帳であります。
 この一つの通帳から、私は彫刻家だという自分の使命感をもって、彫刻を引き出す。ところが私がいくら彫刻を作っても作っても、これは減りはしない。作るほどふえているんですね。みんなそれぞれがそれぞれの与えられた職場で、力いっぱい生産をして行くならば、どこも減りはしない。

 これが本当にわかったら、およそこの世の中に、搾取するとか、搾取されるということはないということを知らなければなりません。

 神様はそっくりくれて、そっくり預ってくれている。この通帳はですよ、戦災で全国各地の都市が焼けたって、このように復興してきたのは、この通帳が焼けなかったからです。

 災禍にあって無一物になって、この通帳をいっぺんもひろげてみない人がある。そっくりしまいこんで、「もうだめだ」というような人もある。今からでも遅くはない、もしそういう人がいらっしゃったら、その通帳からいくら出しても減らないんですよ。神様のつくった世界は、けっして出したら減るということはない。

 この通帳は自他一体のものですね。自と他が一体であるという自覚を深めて行きますと、自分というものの使命を感ずる。
 そして、人間のからだで言えば、眼は眼の役をするため、鼻は鼻の役をするため、口は口の役をするため、私たちは合理的な生活をする。現象世界は有限の世界ですね。有限の世界で、無限の自由を求めるというのはおかしい。これは自己制約をしているのであります。

 お釈迦さんはこの世界について、「三界は唯心の所現である」と言われた。生長の家ではこれを「心の法則」と言いますね。既成宗教家にお説法をきくと、因果律ということを言います。因縁因果ですね。私はどういう因縁か、とか、どうして私はこういう因果でしょう、どうして私はこんなに業(ごう)が深いんでしょう、などという。

 この因果の法則というのは、昧(くらま)すことはできない。皆さん、よくいうように「蒔かぬ種は生えない。」だれも知らんだろうと思ってやったことが、自と他は一体ですから必ずだれかに知れる。「悪事千里」とも言いますな、皆さん。かくそうたって、かくせない。お米を蒔けばお米が生える。そのお米は、食べればなくなる。そういうようにして、現象というのはまた、なくなって行きよる世界ですね。
<つづく>

1652復興G:2013/06/07(金) 18:42:56 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 この世界は、仏教では、業の流転(るてん)の世界という。業は業のもつ因果の法則によって、業自身が流転して本来の無に帰って行く。それはそれにまかせることです。

 すべての争いをやめて、自と他が一体だということがわかったら、心というのはさっき申しましたように、男もなければ女もない、神様の通帳は一つなんです。

 お互いが無限を持っている、そこにお互いが自分を振向ける。これを廻向(えこう)と申します。これが即身成仏――この身このまま仏ですね。私たちは五尺何寸というようなチッポケなものじゃないですよ、皆さん。宇宙いっぱいに遍在する、その自分を男にし、女にし、そうやって縛っていた。その縛りを解きまして、もうひとつこっちへもってきて、この「有限」というのを見なおす。私は男だ、私は女だ、親は親であるし、子は子、夫は夫、妻は妻と、そこにはおのずから秩序がある。その秩序に従った生活が、自と他が一体で、「差等ある平等」の生活となる。そうしますと、現象と実相が別々でなく、現象即実相となる。これが生長の家の生活です。

 ところが、私たちの病気や不幸は一体どこから出てくるか。私たちは自己制約している肉体の自分をもって、自由自在平等をあこがれ、あれもこれもたくさん自分が持ちたいと思い、物に対する執着が出てくるからであります。体に執着をいたしますと、体は病気になる。現象を実在だと思う思いちがいからそういう不調和な世界ができる。

 つねに生活を、正念(しょうねん)をもってすることですね。すると妄念(もうねん)がなくなって、執着がなくなる。

 私たちは宗教生活がそのまま目的です。病気治しが目的でもなんでもないんですよ。結局私たちは、本当の生活ができたら、病気がなくなって、不幸がなくなる。病気や不幸はだれがつくったかというと、だれもつくらない。それは思いちがいなんですね。
<つづく>

1653復興G:2013/06/07(金) 19:36:11 ID:AB6RqYXc

<つづき>

『幸福を招く365章』の117頁〜には、次のようなご教示がありました。

         ○

    既に天国の饗宴に招かれている

 吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。

 地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要るのであって、シテもワキも、二枚目も三枚目も馬の脚も要る訳である。吾々は此等の舞台上の役者と議論を戦わす必要はないのである。唯、各々がその役目を最も完全に実現してくれるように祈っていれば好いのである。

 尤(もっと)も自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだけれども。

 吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。

         ○

 さて、私は “2.26事件に光を当てる” というような資料――私たちが 「今」 どう起ち上がるべきかを考える資料を提示して、“歴史から「今」を学ぶ” よすがにしたいと、予告申し上げていました。

 遅くなりましたが、あと制限時間が2時間以内に迫りましたので、できる範囲でそれをこれから書き込ませて頂きます。

 2.26事件というのは、昭和11年2月26日、陸軍の青年将校らが「昭和維新」を掲げて1400人以上の兵を動かし、岡田啓介首相、高橋是清蔵相、斎藤実内相、渡辺錠太郎教育総監らを「君側の奸」として襲撃したクーデター未遂事件。昭和天皇がこれを断固として鎮圧を命じられたことはご承知のとおり。

 それについて、最近私は、友人から 「2.26事件とその背景」 という橋本徹馬氏の自叙伝によるユニークな資料をもらいました。氏独自の人脈による資料提示と見方があって興味深く、現在の生長の家教団の有様についても考えさせられましたので、皆様にもご披露したいと思います。

<橋本徹馬(はしもと てつま。1890-1990)氏は政治評論家、紫雲荘初代主幹、紫雲山地蔵寺初代住職 (開山者)。
明治23年(1890)2月4日、愛媛県西条市に生まれる。
早稲田大学在学中、大隈重信に寵愛され、また原敬首相との交誼もあった。在学中政治団体青年党を結社、政治家を目指すも、政治裏面の醜悪に嫌気がさし、のち激しい修行と共に、政治評論家として活躍。戦前毎月、東京、大阪の新聞紙上に、約半頁大の声明文を発表し続けた。佐藤栄作元首相の精神的指導者としても知られ、佐藤首相に為政者の心構えとして「般若心経」の写経を勧めたのも橋本氏である。佐藤首相の雅量は、橋本氏の影響もあるといわれる。平成2年(1990)5月19日、満百で逝去。葬儀委員長は福田赳夫元首相であった。
橋本氏はかつて生長の家の誌友でもあったと聞いています。>

さて、歴史とは何か。

「歴史というものは、実在の生命が『無』の世界を征服して進軍する結果として現象界に現れる作用すなわち生命は如何なる階調序列をもって其の現れ方をなすか、更に『生命』が、『無』を征服する際に起こる反作用すなわち其処に如何なる自壊作用を起こすかという事の跡を辿って行くことによって、ちょっと考えると過去の出来事であって今の事とは何の関係もないように見えている過去の記録の中に、生命の『今』、生活の『今』が現れている。

過去の記録と見えるものの中に現在があり、今があり、久遠の相(すがた)があり、その久遠の相が過去に於いても現実に現れて来たし、今もこれからも現実に現れて来るのであるから、その歴史を把(つか)むことによって、『今』を知り、そうして『久遠』を知り、未来を知るということが出来るのであります。」

と、谷口雅春先生は『限りなく日本を愛す』の135〜136頁に書かれています。

そういうわけで、過去の歴史を調べて『今』の私たちの生き方を考えてみるのは有意義なことであると思うのであります。
<つづく>

1654復興G:2013/06/07(金) 21:04:43 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 橋本徹馬氏は当時50歳弱、政治評論家として国を揺るがす朝野の政治家、軍人との頻繁な交流もあった。

 同氏『自叙伝』(「私の昭和史」)によると、当時の青年将校たちは北一輝(きた・いっき)の感化を受けつつあり、純真にして無垢の将校を思うにつけ、その危険性を第一師団長柳川将軍と語ったことがあるという。

≪北 一輝(きた いっき1883-1937)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。
明治維新の本義は民主主義にあると主張し、明治憲法における天皇制を激しく批判した。 すなわち、天皇の国民ではなく、国民の天皇であるとした。国家体制は、基本的人権が尊重され、言論の自由が保証され、華族や貴族院に見られる階級制度は本来存在せず、また、男女平等社会、男女共同政治参画社会など、これらが明治維新の本質ではなかったのかとして、再度、この達成に向け『維新革命』『国家改造』が必要であると自著で主張した。当時の内務省は、北の考えを”危険思想”とした。後に、北に直接の関与はないが、この主張等に感化された若手将校たちによる2.26事件で、理論的指導者の内の一人として死刑判決を受け、銃殺刑に処された。
よって、北が、生前にその『維新革命』『国家改造』の実現を見ることはなかったが、8年後、連合国軍が、軍国主義を突き進む日本を武力で倒し、北の主張の多くは、占領政策を実施したGHQ主導による日本の戦後改革で実現されることとなった、とも言われる。≫

 そもそも2.26事件の事件の背景としては、陸軍部内に 「皇道派」 と 「統制派」 と呼ばれる二つの派閥の激しい相克があった。

 「皇道派」は、北一輝らの影響を受けて、天皇親政の下での国家改造(昭和維新)を目指し、対外的にはソビエト連邦との対決を志向した。「統制派」は皇道派青年将校と異なり、陸軍大臣を通じて政治上の要望を実現するという合法的な形で、列強に対抗し得る「高度国防国家」の建設を目指した。陸大出身者がほとんどいなかった皇道派に対し、陸大出身者が主体で軍内の規律統制の尊重という意味から統制派と呼ばれる。皇道派の中心人物である荒木貞夫が陸相に就任した犬養内閣時に断行された露骨な皇道派優遇人事に反発した陸軍中堅層が結集した派閥とされるが、皇道派のような明確なリーダーや指導者は居らず、初期の中心人物と目される永田鉄山も軍内での派閥行動には否定的な考えをもっており、「非皇道派=統制派」とする考え方もある。

 この二つの派閥に分かれて険悪な雰囲気があった。
 そうした中で、

 1.浜口内閣の不景気対策以来の国政宜しくないため、入営兵士の中、家庭が窮乏する兵士も多く、甚だしきは日曜日に紙屑拾いまでして郷里の家計を助けている兵士たちさえあるという有様であった。こういう事情が上官である青年将校たちを刺戟したこと。

 2.「国体明徴運動」に対する当時の政府、元老、重臣等の態度を許し難いと思ったこと。

 (「国体明徴運動」とは、幕末以来、記紀神話を基礎としながら、日本国の特色は万世一系の天皇をいただく神国である点にあると主張する国体論が起こってきたが、それをうけた明治以後の国体論は二つの方向で展開された。第1は,1890年の教育勅語が、忠孝の道を〈国体の精華〉としたように、天皇崇拝を国民道徳の根幹にすえようとする方向であり、第2は、国体を統治権の所在によって分類し、大日本帝国憲法は天皇を絶対とし統治の全権が天皇にあると規定している、という憲法解釈を軸とするものであった。)


 3.陸軍部内の統制派が国体明徴運動について、時の政府や元老重臣等と妥協しつつあったこと。さらには皇道派を抑えようとしたことにも憤激していたこと。

 4.昭和8年3月、日本の国際連盟脱退後、日本の国際的立場が憂えられ、大戦争に至るやもしれない、時局対処上、危険至極であると考えたこと……等である。
<つづく>

1655復興G:2013/06/07(金) 21:05:30 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 2.26事件で決起した青年将校たちは、自分たちは「君側の奸」を斬って天皇をお守りするために決起したので、天皇にお喜びいただけるものと信じていた。

軍事参議官によって宮中で非公式の会議が開かれ、穏便に事態を収拾させることを目論んで26日午後に川島陸相名で告示が出された。

一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ
二、諸子ノ真意ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、国体ノ真姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘズ
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ
五、之以外ハ一ツニ大御心ニ俟ツ

この告示は、二、の「真意」というところが「行動」に差し替えられて伝わり、決起将校たちは自分たちが認められたと思って喜んだが、豈計らんや、この事件に対する陛下の憤りは深く、特にその後、二ヶ月余を経た同年5月1日に至ってもなお、

 「今次東京に起これる事件は、朕の憾(うら)みとするところなり」

 という激しい勅語が下されたほどであるから、自分たちの忠誠を信じて疑わなかった叛乱将校たちは、全く夢想だにもしなかった逆徒の汚名を着せられ。秘密裁判の結果、その心事を国民に訴える機会も与えられぬままに、銃殺されてしまったのである。

 以下、橋本徹馬氏の自叙伝より、抜粋転記させて頂きます。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  湯浅内大臣と筆者との争点(自叙伝より)

 かくして叛乱将校たちに対する、秘密裁判(後段紹介)が進行中の或る日(昭和11年5月のこと)、私は湯浅内大臣に面会して

「今回賜った、朕の憾(うら)みとする処という勅語の奏請者は誰であるか」
と問うと、「それは広田内閣が奏請したので、私の与からぬ処であるが……あの勅語に対してあなたに意見があるなら、試みに私が承りましょう」といわれたので、私は詔勅を論議することの不敬を謝した上にて「ああいう勅語を奏請するのは間違いであって、非常に悪い影響を及ぼす」意味のことを述べると、湯浅内大臣は、「憾みとする処とは、遺憾に思うというところである。あなたはああいう事件が起こったのを遺憾に思わぬのか」といわれた。私はいった。

 「遺憾なことは相違ないが、詔勅はその影響する処を考えて奏請すべきものである。あれでは叛乱将校たちに対して、陛下の深い御憎しみがかかっていることが観取されるから、所謂皇道派と統制派との争いが一層ヒドクなる。それが下に至るほど鋏状に甚だしくなってゆくことを、お考えになりませんでしたか」(中略)

「それではどういうお言葉ならよいのか。あなたの考えをいってごらんなさい」と湯浅内大臣がいうから、私は御免を蒙っていった。
「国家に不祥事が起こった時には、如何なる場合にも陛下は、

『朕の不徳による』
と仰せられるようでありたい。今回のことでもあの詔勅によって軍部内の二派の争いが一層ヒドクなるが、あれが若し『朕の不徳による』というお言葉であったならば、皇道派も統制派も共に恐れ入り、理非は何れにあるにしても速やかに相克をやめねば、陛下に申し訳ないという考えになるでしょう」

 湯浅内大臣はそれでもなお「遺憾に思うというのがなぜ悪いか」と口の中でつぶやいていた。
<つづく>

1656復興G:2013/06/07(金) 21:06:06 ID:AB6RqYXc

<つづき>

  各将軍たちの感想

 右の如き勅語問答を、その頃問題の人であった眞崎、柳川両将軍にお話ししたら(二人は叛乱将校たちの与望を負っていたから、統制派から憎まれていた)、二人の将軍は眼に涙を浮かべて何も言わなかった。事件当時の陸相であった川島大将に話をすると、同じく涙ぐまれて、

「ああ若(も)しそういうお言葉であったらなァ……」
といわれた。さらに皇道派の間に立って、散々苦労をせられた林陸相は
「そういう勅語を賜ったのならば、これほど有り難いことはなかった。そうすれば万事よくいったのだが……残念であった」といわれ、これも涙をおさえられた。

 私は今でもああいう勅語を奏請した広田首相等及び、それをそのまま看過した湯浅内大臣は、非常な誤りを犯したものだと考えている。

  筆者と内大臣の第二の問題

 今一つ、私が湯浅内大臣に進言したいことは、「叛乱将校たちが勝手に兵を動かし、そのうえ重臣たちを殺傷した罪は万死に値いする。それゆえ彼等が如何なる極刑に処せられても、私に異論はないが、ただあの人たちは全く純真に国を思い、陛下の御為と思って事を起こしたのであるから、陛下に対する叛逆の罪名だけは、彼等が処刑される以前に取消して戴きたい……そうしないと彼等は浮かばれないです」ということであった。

 湯浅内大臣は一向平気な顔をしているので、私はさらにいった「若し彼等を叛逆者として処刑したならば必ず今後にたたりをなすでしょう」

  栗原中尉は幽鬼となった

 さらに栗原安秀中尉は、銃殺の刑と聞いた時、どうしてもそれが信じられない。

 「わしが銃殺されるなどという事があるものか」と言いはった。つまり彼はこの純真に天皇の御ために起った自分が、如何に間違っても銃殺などされるはずはない」と信じて疑わなかったのである。その愚かさを笑う者は笑え、私にはどうにも笑えないのである。栗原中尉の遺書にいう。

 「……余万魁の憾みを呑み、怒りをふくんで斃れたり。我が魂魄、この地に止まり、悪鬼羅刹となり、余は断じて成仏せざるなり、断じて刑に服せしに非ざるなり。余は虐殺せられたり、余は斬首せられたり(中略)」

 「余輩国家の非常時を座視するに忍びず、可憐なる妻を捨て故旧と別れ、挺身ここに至れり。而もその遇せられるこの状なり。何んぞ何んぞ安心立命する能わんや」
 死体下げ渡しの報に接して駆けつけた栗原中尉の父親は、棺を開けて見ると栗原中尉の顔は無念の形相凄まじく、到底二た目と見るに忍びなかったという。父親はたまりかねて、

 「安秀、よくやった。お父さんはお前のやったことに満足しているぞ」

 といわずに居られなかったという。


  嗚呼皇軍この日に滅ぶ

 拙著『天皇と叛乱将校』には、この事件の結論を下記の如くに書いてある。率直にいえば、叛乱将校達を反逆者として処刑した時、大元帥陛下の率い給う皇軍すなわち天皇の軍隊は滅んだのである。

 彼等を銃殺のために撃った銃声は、実は皇軍精神の崩壊を知らしめる響きであったのである。しかもその銃には菊の御紋章の入っている銃で、刑死の瞬間まで尊王絶対を信念とした人々を、極度の憎しみで射殺したのである。この深刻な不祥事の国運に及ぼす悪影響を思うと、戦慄せざる者は神経の麻痺者であろう」

 かくして忠君や尊王をいう者が馬鹿者扱いされる時代が始まったのである。私のこれらの言葉を誇張であると思う者は、その恐るべき我が国運の推移を見るがよい。
<つづく>

1657復興G:2013/06/07(金) 21:06:38 ID:AB6RqYXc

<つづき>

  前門の虎を防ぎ後門には

 国体明徴派を嫌い抜いた人たちは、これで狂信的愛国者の、根を絶つことが出来たと考えたであろう。何んぞ知らん、それは前門の虎を防ぐことに急であったため、後門に狼を招きよせたことに、気づかなかったのである。

 もっと明白にいえば、うるさいと思う皇道派を徹底的に叩きつけたことは、軍隊の指導権を皇道の何んたるかを知らぬ統制派に渡したことである。やがてその者等は大元帥陛下の御命令をも奉じなくなって「兵馬の権」は統制派の手に帰し、「また中世以降の失態」を招くに至ったのである。

 そうして「兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざる可からず」という兵法第一の戒めさえ弁えぬ者たちが、妄りに功を急ぎ事を構えて、遂に陛下の御心にもなき戦争に突入し、敵味方も多くの生霊を殺して、無数の寡婦孤児を造ったのちの、敗戦降伏までに至ったのである。


  争民なくんばその国危し

 それにしても、あれほどの事件から――いわば叛乱将校たちに死の直観から、何の教訓も学び得なかった、元重臣たちの失態は最も大きい。

 若し諸君も尊王の大義に徹し、その奉公において欠ける処のない人であるならば、手段を誤ったとはいえ、先の相沢中佐や(昭和10年8月、永田軍務局長を斬殺した人)今回の叛乱将校たちに対して、深刻悲痛な同情心を持つべきはずである。又その間にしばしば陛下に御進言すべき事もあったはずである。

 明治天皇にお仕えした山崎侍従や、藤波主馬ノ頭の如きは、陛下の好ましからぬ御嗜好をお諫めするためにさえ、一身を賭している。況や国家の非常重大事においておやである。国に争民なくんばその国危うしという、古人の金言も思い合わせられて残念至極である。

 若し日本国が私の先にしばしばいうが如く「各国間に大調和あらしめて、等しく万人の栄える時代の招来」を国是として、実際その如くに行動をしているならば、その国が止むに止まれずして起った時、天佑が伴うのは当然である。然らざる場合には天佑が伴わぬことも当然である。

 戦争は好む処ではないが、既に戦争に臨む以上は、「正しい国の戦争には必ず天佑が伴うのである」ことを示すのも、日本が人類文明史上に貢献する一つの道であるが、過般の戦争は日本の歴史上それとは全く逆の汚点を残した。

  嗚呼天佑なき戦争よ

 下記に掲げるのは広島県江田島の旧海軍兵学校に保存されている、特攻隊勇士の遺書の一つである。広島市山仲一二氏より送られたものである。

     ○

お父さんお母さん
この世に生まれて死を厭うことは、今昔ともに変わりありません。故に万人が長寿を願った昔話が今も残っています……けれども若干二十五歳で戦死しても決して驚いてはなりません。悲しんではなりません。
たとえ私が敵艦とともに砕けなくとも、私の運命はその時に止まっているのです。父上にはそのことが十分解っていただけるとは思うのですが、お母さん!やさしいお母さんでした。ある時は私の寝顔に、夜具をかけて下さいました。久喜(本人の名であろう)は、あれほど可愛がられ、何の報いもせずに散るのが、母上にすまないと思います。
然し私の胸の奥底には、大きな願いがあるのです。それは大義に生きることです。お母さん、決して悲しんで下さるな……その悲しみに打ち耐えて、強く生きる一億の母がいることを思い起こしてください。(下略)

     ○

 遺書の残っていない他の特攻隊の勇士の感想もこれに似たものが多いであろう。天佑なき戦争でかかる純真可憐な青年を殺して、申しわけがたつであろうか。戦時中に生きた私たちは、深く深く責任を感じて、天佑なき戦争は、将来絶対にしないことを誓わねばならぬ。その反面に、戦う時は必ず天佑のあるようにこの国政を運用すべきである。
<つづく>

1658復興G:2013/06/07(金) 21:07:14 ID:AB6RqYXc

<つづき>


  英霊は死なぬ、生きている

 あの事件で刑死した諸君は、最早成仏したであろうか。いや私は成仏していないと思う。

尊皇愛国を口にする者は、馬鹿者扱いされ、或いは不逞の徒扱いされるこの国で、あの諸君が成仏出来るはずがない。

 過去において、国家のために命を捨てた人たちを祀る、靖国神社の祭典さえ、公式にすることも出来ぬ年月が続いているではないか。

 ああ早く日本をあの諸君の安らかに眠り得る時代にしたいものである。


    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 以上で、橋本徹馬氏の自叙伝からの転記を終わります。

 皆様は、これを読んでどうお考えになりますか。

1659a hope:2013/06/07(金) 21:11:31 ID:edEDolt2
復興Gさま、ご講話をありがとうございます。
これから、最後までじっくり拝見させていただきます 。合掌。

それでは、みなさま
これから、みなさまどなたでもご参加いただける、第14回web誌友会の開会となります。
開会の前に、 a hopeが、今朝謹写しました「祈りの言葉」を謹んで転写させていただきます。

1660a hope:2013/06/07(金) 21:12:55 ID:edEDolt2
聖経「続真理の吟唱」より
〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉

生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給え。
吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の機能。
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし生長の家の大神守りませ。

(招神歌四首朗誦の後、次の如く祈る)

龍宮実相世界の本宮にまします住吉大神の御前に谷口雅春(ここへ各人の姓名をとなえる)畏みかしこみ祈り奉る。

大神よ、龍宮の本宮より出御(しゅつぎょ)ましまして、大神の稜威(みいつ)をあらわし給いて、
現(うつ)し此の世の迷いの雲を祓い給いて、宇宙いよいよ清まりて、日本国の聖なる実相を顕現せしめ給え。
天照大御神の大御光(おおみひかり)を岩戸の彼方に幽閉することなく、その大御光をあまねく六合(りくごう)に照り徹(とお)らしめ給え。
すめらみことの身に恙(つつが)なく、憂えなく、その御徳(おんとく)いよいよ冴え輝きて、
此の世の人々悉くその光を仰ぐことを得せしめ給え。

凡そ〝悪〝と見ゆることは、実は〝悪〝が存在するにはあらずして、
天照大御神の御光がいまだ其処にあらわれざるという消極的な姿にてあれば、
天照大御神、天之岩戸より姿をあらわし給うならば、光が必ず闇を消すごとく、
此の世のすべての暗雲と不浄と争いと戦いと混乱と騒擾(そうじょう)とは消え去りて、
あとかたも無く、光あまねく人生の隅々までも射貫ぬきて、
一切の禍と不幸とは此世よりその姿を消し去ること必定なり。
今より後、人類に悲しみなく、嘆きなく、苦しみなく、ただ喜びのみに満たされて、
人生の不幸ことごとく消え失せん。

住吉大神、龍宮実相の本宮より出でまして、尽十方(つくし)の光明遍照(ひむか)の、
竪端(たちばな)の音霊(おと)のひびきにて宇宙を浄化したまう時熟しぬ。

堅端の音のアハギが原とは、〝今此処〝の祓いの事であるのである。
即ち迷いをハギ取り実相の完全さを開顕するための言霊五十音配列の竪(たて)の端(はな)にある
〝アオウエイ!!〝の母音が唱えられる場所のことであるのである。
発声の語尾にアオウエイの音霊(おんれい)をつづけるとき、
宇宙すべての言葉は浄まりて、
一切の災いも、病いも、悲しみも、悩みも悉く雲散霧消(うさんむしょう)して、
住吉大神の御光あらわれ、
一切の〝悪〝と見えるものは消え去り、
すべての妖雲はその姿を消し、
今まで覆われていましたる天照大御神の大御光は白日となって六合(りくごう)に照り渡り、
万物・万生ことごとく、その光を受けて、
暗黒は消え、禍は滅し、病いは癒え、争いはなくなり、
まことに天国浄土を今此処に顕現するのである。

そのゆえに我れ今〝竪端の音霊(おと)〝を大神の光を迎え奉るコトバの力として恭(うやうや)しく唱え奉る。

(朗らかに高音にて次の如く朗吟する)

アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!(三回)

(かくて宇宙浄まりて天照大御神輝くことを心に瞑視しながら、〝みすまるの歌〝を次の如く朗誦すること二回)

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。
天照す御神の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。

1661a hope:2013/06/07(金) 21:14:04 ID:edEDolt2
 聖経「続真理の吟唱」より
〈如意宝珠を神より授かる祈り〉

わたしは〝神の子〝であると言うとき、それは神なる無限力がわたしに於いて具象化し、
現象的姿をもって顕われていることを意味するのである。

〝神の子〝は要するに〝神〝以外の何物でもないのである。
〝人間の子〝と言うとき、それは人間以上の何者でもないのと同じなのである。
それゆえに、〝神の子〝は神が応変自在、神通無礙(むげ)であるのと同様に、
人間も〝神の子〝を自覚すれば、妙智自在、事に応じ、物に応じ、人に応じ、
場所に応じて、迅速無礙に最も適当なる処置がとれるのである。

〝神の子〝は神の有(も)ち給えるあらゆる善き性質を承(う)け継(つ)いでいるのである。
神は愛であるから、わたしは神の愛を完全に承けついで、充分に愛深い人間なのである。
神の愛は偏りがなく、平等の愛であるから、わたしの愛も平等の愛であって、
決してある人を偏愛し、ある人には冷淡だということはないのである。

神は無限に完全であり給う。
それ故に実相に於いて、わたしたちは〝神の子〝として無限に完全なのである。
従ってわたしたちは実相に於いて病気に苦しんだり貧乏に悩んだり、色々の不調和に煩労することはないのである。

凡そ、〝神の子〝たる人間が病気するということは、実相に於いては無いのであるから、
もし病気がわたしたちの身体にあらわれるならば、それは夢を見ているのである。

凡そ、〝神の子〝たる人間は龍宮無限の富を自己の内に包有しているのであるから、
実相に於いてはわたし達は無限の富者(ふうじゃ)であり、貧乏に苦しむなどということはないのである。
それゆえにもし貧乏に苦しむようなことがあれば、それは実際ではなく、夢中に貧乏を見ているに過ぎないのである。
凡そ一切の不調和は、神のつくりたまえる実際の世界には存在しないのであるから、
その不調和は単なる夢に過ぎないのである。

わたしたちは、わたしたちの眼耳鼻舌身(げんにびぜつしん)の感覚にて知覚せられる一切の不調和を「有り」と観じてはならないのである。
それは五官の眼には「有る」かの如く見ゆれども、真実に於いて「実在」しないのであると積極的想念を思念する事によって否定しなければならないのである。
その思念による否定が強力であるならば、現象の不調和は一瞬にして消えはじめ、
ついに完全に、その不調和な姿は、本来の〝無〝の世界に没し去るのである。

わたしは今、積極的想念により、唯〝善〝のみ実在する世界を肯定し、
唯、調和のみ実在する世界を肯定し、一切の悪と不調和とを完全に否定し去るのである。
〝善〝の実在のみを肯定する想念を潮満珠(しおみつのたま)と謂い、悪の存在を完全に否定する想念を汐干珠(しおひるのたま)と称するのである。
われ今、住吉大神より潮満珠と汐干珠との陰陽二つの如意宝珠を授かり、
これを自由自在に駆使して神通自在に国を護り、世界を護り、家族を護り、自己を護り、
この地上に龍宮海そのままの住吉世界を実現するのである。
今われら大神の神護無限に感謝し奉り、大神の御心に副(そ)い奉らんことを契(ちか)い奉る。
ありがとうございます。

1662a hope:2013/06/07(金) 21:16:20 ID:edEDolt2
それでは復興Gさま、ご司会、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。合掌。
>>1646から復興Gさまのご講話が始まっています。

みなさまのたくさんのご参加よろしくお願いいたします。

1663復興G:2013/06/07(金) 21:22:57 ID:AB6RqYXc

a hopeさま

すばらしい

聖経「続真理の吟唱」より
〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉

と、

聖経「続真理の吟唱」より
〈如意宝珠を神より授かる祈り〉

のお書き込みをありがとうございました。

感動です。

皆様、どうぞ 上述の資料をごらんになって、ご意見、ご感想やご質問など、ご自由にお書き込みください。

ありがとうございます。

1664ユタカ:2013/06/07(金) 21:28:21 ID:R1D4Jmeg
復興G様、a hope様有難うございます、まず、読ませていただきますが、時間内に投稿できないかもしれません。

では、続けて、読んでまいります。。。

1665髪の子:2013/06/07(金) 21:34:57 ID:zcruWQj2
復興G先生、ありがとうございます。
ご講話、ゆっくり拝聴させて戴きます。
ありがとうございます。

1666ユタカ:2013/06/07(金) 21:39:47 ID:R1D4Jmeg
今、自分が宇宙をそっくり持っている、と言うところを読んでいます。

自分ってなんて素晴らしいのだろう!!! と嬉しくなっています。。。

また、続けて読んできます。

1667復興G:2013/06/07(金) 21:43:09 ID:AB6RqYXc

ユタカさま、髪の子さま、皆々さま。

私の投稿文の量が多いので、どうぞごゆっくりお読みくださって、時間外になっても・・・・・・明日になってでも、ご意見など出して頂けたらありがたく思います。

そのときは、「訊け」管理人さま、司会をよろしくお願いいたします。

合掌

1668a hope:2013/06/07(金) 22:06:07 ID:edEDolt2
復興Gさま

わたしは、今まで、2.26事件に関してほとんど無関心でしたので、今拝読し終わって衝撃を受けています。
個人的な感想もありますが、内容がとても深いので、プリントアウトしてもう一度しっかり心読してから発言します。

わたしもユタカさま同様、時間内の投稿はできないかもしれません。

明日は、早朝から仕事ですが午後は戻ります。
訊け管理人さま、ご司会のweb誌友会(後半)には参加させていただく予定でいます。

それでは、もう一度、ゆっくり拝読します。

1669:2013/06/07(金) 22:13:29 ID:ip8PrAeo
復興Gさま、ご指導ありがとうございました。
まだ、十分に読み込めていないところもありますが、まずは最初の部分の感想から。

復興Gさまがご紹介して下さいましたご文章

○ 本当の神というものはただ一つ――それは力が足りないこともない、愛が足りないこともない、われわれが悪いからとて神罰をあてるということもない、といってわれわれを悪いようにも造ってい給わない(われわれが罪を犯すように見えるのは本当の相ではないのであって、念の仮作せる影であります)。無限の力で、われわれとこの世界とを実に円満完全に神そのままの相(すがた)に造ってくださった神が本当の神であります。(p.77)

上記のご文章を読んで、改めて、感動いたしました。
不完全な、未熟な自分を心の法則で責めたりしていた時、この生命の実相の教えによって、心が解放されました。
神様の大いなる愛に包まれていることを知って、はじめて、生きている喜びを感じるようになりました。
その喜びは、魂の奥底から湧き出てくる喜びでした。

本日のWeb誌友会で、感動を新たにしたところです。
ありがとうございます。

1670復興G:2013/06/07(金) 22:39:04 ID:AB6RqYXc

>>1668 :a hopeさま

どうぞゆっくりレスしてください。衝撃的な、むつかしい投稿をして、すみません。


>>1669 :香さま

ご投稿ありがとうございます。

>>この生命の実相の教えによって、心が解放されました。<<

よかったですね。

私も解放された気持で、うれしいです。

ありがとうございます。

1671ユタカ:2013/06/07(金) 22:41:00 ID:R1D4Jmeg
復興G様、 今1656を読んでいる途中ですが、まず、漢字の読み方が分からないのが多々あります。

明日は辞書を持ちながら読み直しします。。。 あ〜〜〜、難解、、、誰か日本語にして! と言いたい位難解・・・

コメントどころか<読めない・・・> です。   皆さん、先にドンドンコメントして下さい。 それを読んだら、意味がよく分かりそうな気がします・・・・

1672復興G:2013/06/07(金) 22:44:41 ID:AB6RqYXc

>>1666 :ユタカさま

>>今、自分が宇宙をそっくり持っている、と言うところを読んで 自分ってなんて素晴らしいのだろう!!! と嬉しくなっています。。<<

服部先生のご講演は、ほんとに深くて説得力があって、楽しくて、すばらしいですね。

1673復興G:2013/06/07(金) 22:53:44 ID:AB6RqYXc

>>1671 :ユタカさま

行き届かず、すみませんでした。

読み方を(  )で入れようかとも思いましたが、あまりそれが多くなるとかえって読みにくくなるかと思い、また漢字を見ればだいたい意味はつかめると思って、そのまま転記していました。

生長の家の現在の分裂状態も、なにかこの2.26事件の時と似ている点もあるのではないかという気がして、転記させていただきました。

1674復興G:2013/06/07(金) 23:06:52 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

では、予定時刻になりましたので、今夜は一応お開きにさせていただきます。

どうぞ、このあとも、また明日にでも、ご自由にご意見などをご投稿ください。

そのときは、「訊け」管理人さま、自然体で、司会をよろしくお願いいたします。

では、皆さま おやすみなさい。

ありがとうございました。

1675ユタカ:2013/06/07(金) 23:11:19 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、皆様、有難うございました。

天照らす祖神の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり
天照らす祖神の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり

おやすみなさいませ。

1679復興G:2013/06/08(土) 03:00:35 ID:AB6RqYXc

ちょっと目が覚めて、デジタル表示の時計を見たら、2:26と出ていました。

不思議に思って、起きてPCを開きました。

そしてちょっと書き込みを読み返しましたら、誤植と思われるところを発見しました。

>>1657

× それにしても、あれほどの事件から――いわば叛乱将校たちに死の [直観] から、何の教訓も学び得なかった、元重臣たちの失態は最も大きい。

○ それにしても、あれほどの事件から――いわば叛乱将校たちに死の [直諫] から、何の教訓も学び得なかった、元重臣たちの失態は最も大きい。

(友人からもらった資料は「直観」となっていましたが、「直諫」の誤植(変換ミス)であると思います。

1680復興G:2013/06/08(土) 03:02:44 ID:AB6RqYXc

トキ様

>>1678は web誌友会と無関係だと思いますので、善処(削除)お願いします。

1681復興G:2013/06/08(土) 04:00:52 ID:AB6RqYXc

>>1656 の後ろの方に、

≪嗚呼(ああ)皇軍この日に滅ぶ≫

とありますが、それについて補足資料を提示して説明します。

(昭和14年12月10日・大阪朝日新聞に掲載された橋本徹馬氏の声明文より)

         ○

  「日本国民に告ぐ」
    人類史上より功利主義の戦争を絶滅せしめよ

 一体何がこの頃の国際政局をして、複雑怪奇を極むるに至らしめて居るのであるかといえば、そは前回吾等が「米国大使に答う」の文中に於いて述べたる如く、世界の各大国の指導者諸君が「他国を犠牲にするにあらざれば、自国の繁栄を期することが出来ぬものと考える」錯覚よりして、相互に対立闘争を為し、そこにあらゆる狡知と奸才とを競うに至るが故である。

 (中略)何れも列国が、相互に他国を犠牲にする事によって、独り自ら栄えんとすれば却ってその禍いを受け、逆に相互に協力してその共栄を計るならば、幾多の困難を克服して、共にその生を全うし得る事を示せるものであるが、欧州中にても最も文明国を以って任ずる英仏独等の諸国が、先の大戦の苦き経験を以ってするも、なおこれ程の事を悟らずして再び大戦争を開始し。以ってノアの洪水ならざる対立闘争激化の坩堝(るつぼ)の中にて、自他共に焼き尽くされようとしつつあるのは何事であろうか。

 想うに人類が今日の如く対立闘争の激化に苦しむに至った由来をたずぬれば、そは一に人類そのものの錯覚……即ち顛到妄想によるのであって、他の何者のなさしめる業でもない(中略)。

 吾らは予てわが皇軍の兵士の用うる銃器に、菊(皇室)の御紋章の刻せられてある事を最も尊く想って居る。

 兵士は皆「銃はなぜ尊いか」と問われれば、

 「菊の御紋章が入って居るからであります」

 と答えるのであるが、若しこの答えに対して更に解釈を許されるならば、元来この銃器は、この地上に一人の処を得ざる者をも無からしめんことを期し給う……無私無限の大愛の体現者であらせらるる天皇の軍に授け給う処なるが故に、我が八紘一宇の使命達成のためにこそこの銃器は使用すべく

 「絶対に日本の功利主義のために、この銃器を使用することなし」

 と解する意味において尊いのであると信ずる。

 吾等はやがて全世界の各国が、皆我が今回の事変処理の態度、並びに銃器に刻せられたる菊の御紋賞に学ぶ処があって、そのあらゆる兵器……殊に続々発明される一切の新兵器に悉く 「この兵器は絶対に功利主義の戦いに使用する事なし」 との意味を刻して、その文字通りにすべての兵器が、取り扱わるる時代を見ん事を希うものである。

 その時に至らば、今事変のために尊き生命を失った我が幾万の英霊も、その犠牲が歴史的に極めて十台なる意義のあった事を知り、喜んで瞑目さるる事と信ずる。

 熟々思えば、今日は実は我が国土の上より、一切の功利主義と対立意識と、これに伴う狡知と奸才とを、微塵も残さず吹き払う神風の欲しき時である。そは若くして払ひ潔められたる日本国が、真にその本来の面目に立ちて聖戦の意義に鑑み、支那事変の処理を起点として、敢然世界平和への転機をつかんで起つならば、

 その日本の姿はそのまま既にこの大宇宙に画かれたる、金剛不壊の神国なのであるから、その神国日本の叡智と大愛とが、必ず八紘に通じ全人類を感応せしめて、
現代日本国民の双肩に負える、人類史上の大使命が必ず達成される事は、毫も疑うの余地もないからである。

    昭和十四年十二月  紫雲荘(橋本徹馬)

         ○

 ――上記、

「無私無限の大愛の体現者であらせらるる天皇の軍に授け給う処なるが故に、我が八紘一宇の使命達成のためにこそこの銃器は使用すべく」

あったはずの「菊のご紋章入り」の銃器を、国のためを思って決起した青年将校を銃殺刑にするのに使ったことは、皇軍の精神が滅びたことを意味すると橋本徹馬氏はいうのであります。

1682復興G:2013/06/08(土) 04:04:31 ID:AB6RqYXc

上記の誤字訂正です。

× 十台なる意義

○ 重大なる意義

失礼しました。

1683「訊け」管理人:2013/06/08(土) 05:56:50 ID:???

>>WEB誌友会参加各位


 ありがとうございます。さて、復興Gさまより素晴しい資料のご提示が御座いました。しかも、量・質共に圧倒的なものです。誠に感謝であります。

 ところで今回誌友会テーマですが、それは「組織運動と信仰生活」であります。今後の議論がどの様な方向に進むのか、全く不明の現在ですが、以下に於いて当方は、先ず、同氏ご謹写文を〝索引化〟致したいと思います。以下、今後の議論をされる際の補助資料としてお使い頂きましたら、幸いです。

 ・・・・なお、大枠でくくりますが今回ご謹写文は、以下趣旨のものに二分類できましょうか。少なくとも当方は司会者として、以下のように分類可能だと解釈、致しました。それは、「メインテーマ」「補助」のための資料という、二分類です。

<< メインテーマの資料 >>

橋本徹馬『自叙伝』(「私の昭和史」)

>>1653 橋本徹馬先生略歴等
>>1654 226事件当時の我が国の現状
>>1655 事件の展開・橋本徹馬先生のご主張等
>>1657         〃
>>1658         〃


<< 補助資料 >>

○ 「〝自他一体〟が解らない方」向けの資料(>>1648>>1649
○ 「生長の家に於る〝感謝〟の意味」を、再確認するための資料(>>1650
○ 「正念の意味の再確認用資料」(>>1647
○ 「全托の意味の再確認様資料」(>>1650>>1651>>1652

 と(仮に)致しました。

(つづく)

1684志恩:2013/06/08(土) 05:58:00 ID:.QY5jUA6
復興G 様

復興G様、ご指導、感謝致します。

このたび私は、閲覧者側に居させて頂きます、と申し上げましたが、閲覧していて、心の底から疑問が湧いて
まいりまして、どうしても復興G様におたずねしたいので、やはり、出させて頂き、質問させて頂きたいと思いました。

復興G様が二、二六事件のことをお話下さいました後に

>>1671 :で、

>>生長の家の現在の分裂状態も、なにかこの2.26事件の時と似ている点もあるのではないかという気がして、転記させていただきました。<<

とおっしゃいましたよね。
そのお言葉ですけれど、私は、現在の生長の家の分裂状態と、2.26事件のどこが似ているのか、いくら考えてもさっぱり分らないのです。

私も、このたび、2.26事件について、あれこれ参考資料を読みましたが、
生長の家のこのたび、起こっている本流回帰の運動と、2.26事件のどこが共通性があるのか、私には、結びつきを考えているのですが、まだ分らないでおります。

あの、2.26事件の、2つの分かれた戦い、皇軍の名を借りて、数人の偉い方達を襲い、惨殺した将校達、そして、その後 事件を指揮した者たちの多くが、銃殺の刑に
処せられましたが、その皇軍派が、本流の運動だと、お示し下さったのでしょうか?

そして、敵を殺したものは、あのように処罰を受けるのだ、と教えて下さっておられるのですか?

1685誌友会資料【索引】:2013/06/08(土) 05:58:14 ID:???

<< メインテーマの資料 >>

 さてこの、今回のメインテーマと云うべき資料ですが、皆さんはどのようなご感想を、お持ちになられましたでしょうか。この御文章を拝読するに、様々な論点でのやり取りが、展開可能だと思います。立場に拠っては「総裁は『自身の不徳を恥じよ!』」「分派のせいにするな!」な主張も、可能でしょう。さらには別の立場からは「雅春先生は神界で『自身の不徳』と仰っておられないか」「教団も分派も今すぐ、争いをやめよ」という議論も、可能でしょう。

 ・・・他にもいろいろな議論(論点)が、成立しましょう。そしてこれは同時に、「議論の錯綜が多々発生するであろう」、そんな予感も致します。

 さて、その様な際ですが以下の(私が仮に)〝補助資料〟と名づけたご謹写箇所を、ご拝読ください。議論錯綜を防止するためにも最低限の語義確認を、されてからの投稿を希望致します。(※たとえば展開によっては、「全托だけじゃ、甘い!」という意見を投稿したくなる、そんな場面も出て参りましょう。ですが、その際はせめて、その「全托の意味はいったい、どんなものか」をご確認いただけますと、幸いです。そして、以下補助資料は議論の錯綜を、最小のものとすることでありましょう)


<< 補助資料 >>

<「〝自他一体〟が解らない方」向けの資料>

>>1648
>>1649

 今後のやり取りに於いてですが、展開によってはこの、「自他一体の自覚」 ―― 重要なキーワードとして浮上すると思います。さて、その際ですが「〝自他一体〟が解らない」という方は、同文ご拝読をお勧め致します。この御文章をご確認の上で質問等あらば、「質問文を寄稿する」ということと致します。

 さて、ところでこの「自他一体」ですが、難解な概念のひとつです。なかには「軽々しく言うな」と主張される方も、おられます。ですが難解とは申せこの、服部仁郎先生の御文章は、非常に説得力のあるものだと確信致します。もしもこの、「〝自他一体〟が解らない」という(私の様な)方がおられましたら、復興Gさまご謹写の>>1648>>1649文ご拝読を、お勧め致します。今後のやり取りに於いて展開次第ではこの、「自他一体の自覚」 ―― 重要なキーワードとして、浮上する可能性を観ます。


<「生長の家に於る〝感謝〟」の意味の、再確認資料>

>>1650

 これまた展開次第ですが、「生長の家に於ける〝感謝〟」が、重要なキーワードになりそうです。たとえば、「安易な感謝で事態解決だが、これが見込めると思うのか?」「甘いのではないか」と言った疑問ですが、「これが提出される場面があるかも」という意味です。
 ・・・・さて、誌友会ではいろいろな方が語られることとなると思いますがその際、「感謝」がキーワードとなる場面も、出てくると思うのです。その際は是非、「その感謝とはいったい、どんな意味でこの投稿者は使っているか」をご確認くだされば、幸いです。(議論錯綜が防げましょう)。それは「生長の家に於ける感謝か?」「たんなる思考停止ではないのか?」と言った視点ですが、「これを持って頂きたい」という意味になります。・・・・・・・・>>1650ご謹写文はその意味で、議論錯綜を防止致しましょう。

 
<復興Gさまご使用「正念」の意味、再確認資料>

>>1647>>1646>>1652も)

 この「正念」と云う言葉も、意味の再確認を要しましょう。少なくとも現在、司会者としてその様に感じた次第であり特にこの項を設けました。正念とは「完全無欠のもの」「金剛不壊のもの」「自動的に顕れてくるもの」 ―― そう云った〝久遠の今〟の展開に徹するという意味での「正念」場。同氏のご主張を確認される際はこの、>>1647>>1646>>1652も)をご拝読ください。


<「全托」の意味の再確認様資料>

>>1650
>>1651
>>1652

 服部仁郎先生御文章をここでは、「全托の意味の確認」資料としました。(私の解釈ですが・・・)さて、この全托ですが、なかなか出来るものでは、ありません。どうしても現象を見てそして、「不足感」などに苛まれます。さらには不足感に苛まれれば、「神の不完全を人間知恵で補おう」と云う考えが、頭をよぎります・・・・・・・世間では誉められた行動でしょうが生長の家、ここでは少なくとも、これは誉められた行動とは、「なりません」

 ・・・この意味をここでご確認の上ご投稿など、されることをお勧め致します。


<了>

1686志恩:2013/06/08(土) 06:02:19 ID:.QY5jUA6
訊けさん、ごめんなさい。
1683を拝見しないで、1684を書きました。
もう少しだけ、2、26事件のことで、調べた事がありますので、発言させて下さいね.

1687志恩:2013/06/08(土) 06:28:15 ID:.QY5jUA6
前置きですが、
私は,以前、カトリックの修道女であり、岡山県ノートルダム清心学園理事長を務めていらっしゃる
「渡辺和子さん」というお方の、宗教講話の動画を貼らせて頂いたことがございました。
題は「置かれた場所で咲きなさい」。

その渡辺和子さんのお父上が、この2、26事件で将校たちに殺された陸軍大将の
渡辺錠太郎氏です。

和子さんは、錠太郎氏の次女です。
9歳のとき、彼女は座卓の下にもぐり、伏せていたので、見つからず、命は取り留めたそうですが、
同じ部屋にいた彼女の目の前で、お父上は、43発の銃弾を受けて、殺害されたのでした。
http://ameblo.jp/1tubunomugi100tubu/entry-10704589367.html

====================================

1688ユタカ:2013/06/08(土) 06:33:10 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま みなさま ありがとうございます。

私も226事件ということでウィキぺディアに言ったり、いろいろと読んできましたが、生長の家の「今の状態」とどこが似ていて共通するところがあるのかさっぱりわかりません。。。

総裁が天皇で内閣が色々な板で名が上がる磯部、大塚、菅原の参議理事たちで、将校が学ぶ会? というように読むように書かれたのでしょうか???

(参議理事の名前が間違えていたらすみません。 訂正をおねがいします) 戦争に例えられると、殺しなどの場面が出てきてちょっと怖いです。 

それか、天皇さまはそのままで、内閣が生長の家で将校が学ぶ会で、結局お互いに『争っていて』いても何の意味もない、と言う意味でしょうか? それにしても、最後に敗戦によって日本が左傾化してしまう結果なんかはどう読みとっていいのかさっぱり分からないのです。

何か、悲しい気分です。。。

1689ユタカ:2013/06/08(土) 06:43:00 ID:R1D4Jmeg
訊けさま、

沢山の補助資料を有難うございました。。

安易な感謝ですか・・・・・ すごく重く受け止めました。 思考の軽い私は軽い感謝だったのかな?と自己処罰もしてます、思考停止状態でなので、あとは皆さんの書き込みを読んで勉強します。。。。

何か、モヤモヤする・・・

1690志恩:2013/06/08(土) 06:51:08 ID:.QY5jUA6
復興G様が2、26事件についてお話して下さるとおっしゃってましたので、
私も、予習のつもりで、いくつも資料を読んでいました。

その中で、興味を持ちましたうちの1つは、
「ねずさんのひとりごと」に書かれてございました「ニ、ニ六事件」です。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
二・二六事件の背景については、

松本清張 著「 昭和史発掘(8)」よりの紹介で、次の如く載っていました。

〜事件の真相〜

《昨今、過去の歴史について、いろいろ脚色がなされ、なにやら二・二六事件の若手青年将校たちは右翼であったかの如くに言われている節があります。

しかし、当時若手に流行していた考え方は、ご皇室尊崇ではなく、マルクス・レーニン主義による階級闘争主義です。

つまり、軍の内部にさえ、コミュニスト(共産主義者)的思想がまん延していた。

資本主義者が貧民を作っているのだから、貧民は決起し、資本主義者を殺してもよい。

敵対する者、自分たちと異なる階級(上とか下)の者に対してなら、なにをしても許されるというのが、共産主義です。

共産主義革命の実現のためには、対抗勢力は抹殺せよ・・・これが階級闘争主義です。》


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜なぜ、事件に至ったか〜

《農村の疲弊は、慢性的に続いていた農業恐慌の上に、更に昭和6年と昭和9年に大凶作があって深刻化した。

農家は蓄えの米を食い尽くし、欠食児童が増加し、娘の身売りがあいついだ。

農村出身の兵と接触する青年将校が、兵の家庭の貧窮や村の飢饉を知るに及んで軍隊の危機を感じたというのはこれまでくどいくらい書いてきた。

そして青年将校らは考えた。
結局独占資本的な財閥が私利私欲を追求するために、こうした社会的な欠陥を招いたとし、それは政党がこれらの財閥の援助をうけて庇護し、日本の国防を危うくする政策を行っているからだとの結論に達した。》
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

事件を起こした青年将校達は、陛下の大御心は、血なまぐさいクーデーターは望んでおられなかったので、
その直後、事件を起こした青年将校たちは、揃って銃殺刑に処せられたのでした。

つまり、皇軍派とは、名ばかりの その名を借りた【共産主義 革命 尊奉者】たちが、策略 煽動した首謀者だったことが、暴露されて載っているのでした。

1691「訊け」管理人:2013/06/08(土) 06:53:57 ID:???


 さて、今回ご提示の「橋本徹馬『自叙伝』(「私の昭和史」)」ですが、いろいろな読み方が可能だと思います。復興Gさまのご真意の確認を待つ間、その「いろいろな読み方」を投稿致したいと思います。

 さて、「皇道派」「統制派」ですが、これは立場に拠って「教団」「分派」のいずれにも見えてくると思います。

 裁判判決を「御勅」として見るならば、〝朕の憾(うら)みとする処〟と云われた相手(つまり「皇道派」)は、「教団」になります。そして〝勝った〟統制派とは、「分派」側となりましょうか。しかしもしも・・・・・・以下は個人的所感になりますけれども、たとえば「神界の雅春先生」を基準にすれば、話は変わってくるとも思えます。

 語を接ぎます。もしも(さらにたとえば)神界の雅春先生が今回の騒動ですが、それを全て「自分(雅春先生)の不徳による」と言われているとすれば、どうでしょうか。・・・・とまあ、今回の「橋本徹馬『自叙伝』(「私の昭和史」)」ですが、いろいろな読み方が可能だと思います。復興Gさまのご真意の確認を待つ間、その「いろいろな読み方」を投稿されては、いかがでしょう。「私はこう読んだ」という方向で、先ずは開始するのはいかがでしょう。




追伸

 この後9:00〜11:00まで急遽、少年野球のコーチを頼まれました。(ノッカーが怪我した模様で)その間は抜けますが、午後より再度現われます。よろしくお願い致します。

1692志恩:2013/06/08(土) 07:19:24 ID:.QY5jUA6
この昭和10年(1935年)7月の、2、26事件のクーデータが起きる動機となるものには、
昭和6年と昭和9年の大凶作の深刻化が 指摘されております。この大凶作は、現在の飽食の時代に生きるわれわれには、想定外の想像を絶する深刻な問題だったようです。

私が,先日読みました浅田次郎著「壬生義士伝」には、慶応時代の、特に東北地方、岩手県の庶民の暮らしが表現されてましたが、やはり大凶作があり、食べ物を得るための、
わずかな金銭を得るために、人を斬ることが、日常茶飯事のように行われていた 信じられないような 恐ろしい時代でした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

注:)1
青年将校たちの決起の背景を松本清張は 「 昭和史発掘( 8 )」の中で次のように書いています。

農村の疲弊は、慢性的に続いていた農業恐慌の上に、更に昭和 6 年と昭和 9 年に大凶作があって深刻化した。農家は蓄えの米 を食い尽くし、欠食児童が増加し、娘の身売りがあいついだ。
農村出身の兵と接触する青年将校が、兵の家庭の貧窮や村の 飢饉を知るに及んで軍隊の危機を感じたというのはこれまでくどいくらい書いてきた。

そして青年将校らは考えた。結局独占資本的な財閥が私利私欲を追求するために、こうした社会的な欠陥を招いたとし、 それは政党がこれらの財閥の援助をうけて庇護し、日本の国防を危うくする政策を行っているからだとの結論に達した。

注:2)
反乱部隊の幹部( 将校 )について父親の職業を調べた資料がありますが、それによれば調査可能な 14 名のうち 11 名までが武官であり 、長年軍務に服した後はその多くが退役少将として、恩給で十分な生活を保証されていた恵まれた地位にありました。( 軍事史、藤原彰 )

注:3)

[ 東北地方の惨状 ]

岩手県では農家 7 万 7千戸( 県人口の約 40 パーセント )が、生活救済 ( 支援、保護 )を必要となりました。

昭和 9年( 1934年 )10月12日から11月1日まで報道された東京朝日新聞の連続記事 「 東北の凶作地を見る 」 によれば

凶作の最激甚地、岩手県の 九戸 ( くのへ )郡や 二戸 ( にのへ )郡の山村では、
稗( ひえ )、粟( あわ )さえも尽きようとし、楢の実( ドングリ )が常食となり、上閉伊( かみへい )郡では 7千5百戸のうち、6千戸 が救済を求め、

附馬牛 ( つけまうし )村では農民が鶏の エサ であるふすま( 小麦の皮 )や 稗( ひえ )のぬかを買い、練り物にして食べていた。県下の10月現在の欠食児童は 2 万 4千名 を数え、12月には 5 万名 を超えるものと予想された。

注:4 )
写真は女衒 ( ぜげん、人買い )に連れられ売春宿に身売りされた気の毒な少女や娘達ですが、当時の農村の貧困、疲弊を示す具体的数値として山形県警察本部保安課による調査資料があります。それに依れば、
昭和 9 年1 月から11 月までの間に、県内での娘身売りの数は 3,298 名で、 内訳は芸妓 249 名 、娼婦 1,420 名 、酌婦 ( 公娼に対して私娼のこと ) 1,629 名 でした。

同じ年( 昭和 9 年、1934 年 )の10月10日現在の青森県の資料によれば、身売りしたもの、芸妓 405 名 、 娼婦 850 名 、酌婦 1,024 名 で、
これ以外に離村した女子は女給として 945 名、女工 1,427 名、女中その他の 2,432 名があり、合計では 7,083 名 でした。 ( 中央公論、昭和 9 年、1934年 12 月号による )



農家は凶作がもたらした飢餓と貧困にさいなまれ、青田を売り、娘を売り、しかも子は飢えに泣く状態でした。

掲示にある伊佐沢村とは、現在では山形県 長井市 上 ( 下 )伊佐沢に属します。

注:5)
青田売りとは経済的に困った農民が未だ稲が青い時期に、生活資金欲しさから米の収穫を見越して先売りすることで、相手から安く買い叩かれるのが普通でした。

その当時、社会主義者の山川均 ( ひとし、1880〜1958年 ) は雑誌 「 改造 」 に、「 ふとんのある農家は 一軒も無いといっ てもいいだろう 」、と農村の窮状を発表しました。

1693志恩:2013/06/08(土) 07:31:26 ID:.QY5jUA6
復興G様

それで、私は、

復興G様が、2、26事件と、今の生長の家で起きている分裂運動と
似ているとおっしゃいましたが、正直いって、どこが似ているのか、どうしてもわかりませんので、

どこが似ているのか、

具体的に、復興G様のお言葉で教えて頂ければ、有り難いと存じております。

1694志恩:2013/06/08(土) 07:39:00 ID:.QY5jUA6
私も、今日は、午前中、これから出かける用事がありまして、拝見できません。

夕方には、拝見させて頂きますので、よろしくご指導のほど、
お願い致します。

1695志恩:2013/06/08(土) 08:26:42 ID:.QY5jUA6
本流派の方達がおっしゃってるのは

「雅宣総裁、教団の参議、理事の皆様・・、いままでの責任をとって、辞任して下さい」と
言ってるだけで、
「銃殺するとも、殺すとも言っている訳ではないと思いますけれど」

彼らの今迄のされてきたことを、振り返れば、当然のことを申し上げているだけではないでしょうか。

普通の企業のトップや重役でしたら、当然、どこの企業でも、潔く責任をとって、辞任されることです。

それを、まるで、2、26事件の皇軍派か、統制派に似てるということは、

そのように分かれてたたかうと、ろくなことにならないと、お教え下さっておられるのですか?

私は、そのような共産主義が起こした運動と、生長の家のこのたび起きている運動とは、似ているとは

思えないのですけれど、、全く別種のものであると、思えるのですけれど、

私の受け取り方が、間違っているのでしょうか?

よく,言われる事ですが、このように争いごとにみえることをやっていると、

天国の雅春先生は,悲しんでおられると、、これにつきましも、私は、そうとは、思えません。

争いごとが起きている事よりも、争い事が起きて しかるべきなことを され続けている

孫である雅宣さんの諸行のほうが、よほど悲しんでおられると思います。

だって、生長の家の教えは、雅春先生の頭で考えられたものではなく、国家、人類救済のための

教えは、雅春先生が天から啓示を受けられた神様からのお預りものだからです。

神様のお預りものの教えを、つぎつぎに踏みにじる孫の諸行のほうが、よほど悲しく思われてる

に違いないと,私には思えるのです。

1696志恩:2013/06/08(土) 08:36:09 ID:.QY5jUA6
司会者の訊けさんに、ひと言もうしあげますが、
私は、将軍と揶揄される程の、悪の大物ではありません。一介の小物の末端信徒にすぎませんので、
お手柔らかにお願いします。

1697トキ:2013/06/08(土) 09:53:32 ID:tRbdVDEA
 橋本徹馬先生のご文章は始めて拝見しましたが、二・二六事件の青年将校が成仏をしていない、という話はありえ
ると思います。

 美輪明宏さんが、三島由紀夫先生とお目にかかったときに、三島先生の背後に、青年将校がいた、という話を書いて
います。手許に資料がありませんが、磯部 浅一などは、遺書に「成仏しない」と言い切っているので、あり得る話
かと思います。

 当時、関西方面で青年将校運動をしていた常岡瀧雄大尉や、軍神で有名な杉本五郎中佐は、北一輝や西田税などの
影響について心配し、関西以西で運動をしていた青年将校を集めて大阪湾の上に船を出し、議論をつくします。結果、
北一輝や西田税との関係を絶ち、また軍隊を使っての蹶起にも反対していたようです。事件の直前には、北一輝を
治安維持法違反で検察に告発までしています。常岡さんの言い分では、当時の状況を考えると、青年将校の怒りは
当然だが、手段は間違っているという事でした。(中央公論 「歴史と人物」(特集 証言 二・二六事件)

 ただ、橋本先生の言われる通り、あの事件についての汚点は、事件のあとの処理であったと思います。
青年将校は、事件のあと、自決をするか、裁判をするか、という選択があったときに、裁判をえらびます。つまり、裁判を
通じて自分達の主義主張を述べたかったという意志が強かったのだと思います。ところが、実際には、弁護士もつかず、
裁判も非公開という超暗黒裁判でした。今、226事件の裁判記録は残っていますが、これは、警護の任務についていた金子
さんとう憲兵伍長が、裁判の警護をしながら、自分が見聞した裁判の様子を書き残したもので、これがなければ、資料は
残らなかったみたいです。

 つまり、軍上層部の人達は、事件後、弾圧一辺倒で事件の処理をし、またこの事件を利用して、軍部の権限を強める
動きに出ます。その意味では、この事件の処理はたいへん問題があったし、結果、弊害が大きかったと言えると思い
ます。

 また、こういう無理な裁判をしたため、ご本人達も憤激し、橋本先生の言われるような心境になったと思います。

 なお、昭和天皇は、事件の第一報を聞かれると、「とうとうやったか、私の不徳の致す所だ」と涙を浮かべられた
とうかがっています。つまり、当時の軍や政府の上層部は、陛下の真意をくまなかったと考えるものです。

 ただ、これは個人的な意見ですので、ご理解下さい。

1698トキ:2013/06/08(土) 09:56:08 ID:tRbdVDEA
少し余談ですが、この事件のときに、岡田啓介総理が、警護官や女中のとっさの機転で押し入れに隠れて、危機
を逃れたのは有名な話です。

 この押し入れに隠れているときに、反乱軍の兵隊さんが総理を見つけてしまいます。しかし、この兵隊さんは、
これを見逃します。この事実は、岡田啓介回顧録や他の本にも書かれていますが、兵隊さんの名前は記録に残されて
いません。岡田総理の無事を陛下はたいへん喜ばれたそうです。

 しかし、昔、神誌を拝読していると、ある地方講師の方が、「自分は反乱軍の兵隊で、押し入れに隠れている
岡田啓介総理を見つけてしまったが、総理の堂々たる態度にうたれて、みのがした」という話を、別の講師に
話した、という記事を見つけました。今、その記事を探しているのですが、見当たりません。

 その時に、京都の石川貞子先生(地方講師、小木虎次郎先生のお嬢様)が、偶然、谷口雅春先生のお宅を訪問
すると、先生ご夫妻は並んで神想観をしておられ、最後に、「みすまろの歌」をとなえられます。これが、確か
「みすまろの歌」のはじめだと聞いていました。でも、以上は全部、うろ覚えなので、間違いがあったら、ご
訂正をお願いします。

1699復興G:2013/06/08(土) 11:10:44 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

合掌 ありがとうございます。

訊け様、司会者としてたいへんなご尽力――私の提示させて頂いた資料の整理などに すごい労力をかけてくださって、ありがとうございます。

これで、交通整理ができて、この誌友会がいっそう充実した実のあるものになると思います。

ただ、このweb誌友会は『生命の實相』をテキストにして生長の家の真理を学ぶ誌友会ですから、その基本から外れてはいけない。
そういう意味から言うと、貴殿が << 補助資料 >> とされたものの方をメインの資料とし、 << メインテーマの資料 >> とされた2.26事件に関する資料の方を << 補助資料 >> と考えた方がよいかも知れません。

それにしても、貴殿の献身的ご努力は多とします。

そして貴殿>>1691

>>今回ご提示の「橋本徹馬『自叙伝』(「私の昭和史」)」ですが、いろいろな読み方が可能だと思います。……
「皇道派」「統制派」ですが、これは立場に拠って「教団」「分派」のいずれにも見えてくると思います。
……とまあ、今回の「橋本徹馬『自叙伝』(「私の昭和史」)」ですが、いろいろな読み方が可能だと思います。復興Gさまのご真意の確認を待つ間、その「いろいろな読み方」を投稿されては、いかがでしょう。「私はこう読んだ」という方向で、先ずは開始するのはいかがでしょう。<<

とおっしゃるとおり、私もその通りだと思っています。


志恩様が>>1684でおっしゃってるように、私は>>1671 で、
>>生長の家の現在の分裂状態も、なにかこの2.26事件の時と似ている点もあるのではないかという気がして、転記させていただきました。<<

と書きました。
これは、まさに

>>生長の家の現在の分裂状態も、なにかこの2.26事件の時と似ている点もあるのではないかという気がした<<

ということです。

生長の家の現在の状態が、“2.26事件の時とそっくりだ” とは言ってもいないし、そんなことは思っていません。
が、“似ている点もあるのではないか”という気がしたことは事実です。

当時の日本陸軍が、難局を打開して日本と世界を救いたいという共通の目標はありながら、「皇道派」と「統制派」と称される二つの派閥に分かれてきびしく対立抗争していた。これは、現在生長の家が人類光明化、地上天国実現を共通の目標としながら、総裁擁護の「教団側」と「本流(分派)」側とに分かれて対立抗争している点に、何か“似ている点もあるのではないか”という気がしました。

現在の生長の家の状況について、どちらが皇道派にあたり、どちらが統制派にあたるか、というようなことは、いろいろな受け取り方、感じ方考え方があるでしょう。
私は今、「これはこう考えるべきだ」と決めつけるようなことをする気はありません。皆さまがそれぞれの思いを発表していただきたいと思います。私は空っぽになって、皆さまの声を神さまの声としてお聞きしたいと思います。

ただ、基本の本来の目的――「夫婦喧嘩の目的は勝つことではなく、仲よく幸福な家庭をつくること」という服部仁郎先生の講演のお言葉(>>1648)は、面白いと思いましたが、いかがでしょうか。皆さま、どう思われますか、志恩様にも伺いたいです。


トキ様

トキ様は歴史にもたいへんお詳しいのですね。

2.26事件の詳細について、いろいろご教示ありがとうございます。
岡田総理が難を逃れたときの話は私も聞いたことがあります。
また、「みすまるの歌」のことは、谷口雅春先生がどこかに書かれていました。2.26事件のとき神想観をして皇国の平安無事を祈られたときに、はじめて出てきたものだと。

歴史のことは、私はまだまだ不勉強です。トキさんは博学なので、いろいろ教えて頂きたいと思います。

ありがとうございます。

1700【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/08(土) 12:12:59 ID:???

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
<復興Gさまよりの、志恩さまへの問いかけ>

>>1699より)ただ、基本の本来の目的――「夫婦喧嘩の目的は勝つことではなく、仲よく幸福な家庭をつくること」という服部仁郎先生の講演のお言葉(>>1648)は、面白いと思いましたが、いかがでしょうか。皆さま、どう思われますか、志恩様にも伺いたいです。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…


・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
<復興Gさまよりの、皆さまへの問いかけ>
>>1699より)現在の生長の家の状況について、どちらが皇道派にあたり、どちらが統制派にあたるか、というようなことは、いろいろな受け取り方、感じ方考え方があるでしょう。
私は今、「これはこう考えるべきだ」と決めつけるようなことをする気はありません。皆さまがそれぞれの思いを発表していただきたいと思います。私は空っぽになって、皆さまの声を神さまの声としてお聞きしたいと思います。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…


<司会より提案>

 ・・・・復興Gさまからの問いが発せられた、「皆さま」に対して一言。

 今回の橋本先生御文章を拝読されて、どんどんお考えを発表されてください。なお、「教団派×本流派」という視点以外のものを以下、発表してみようと思います。以下の視点なども考慮されれば、お考えがまとまるのかもしれません。さてその、「教団派×本流派」以外の視点とはたとえば、

○ 「神全托派 × 自力作善派」
(教団内にも、そして別派側にも、この両派が存在すると観ます)

○ 「聖典熟読派 × 運動重視派」
(   〃   )


 と云うものに、なりましょうか。思考の補助線として、お使いください。まあ、「教団派×本流派」という視点以外のもの考慮されれば、話が弾むのかもしれません。

 どんどんご投稿を、されてください。



1701復興G:2013/06/08(土) 12:30:01 ID:AB6RqYXc

志恩様の >>1690ご投稿

>>資本主義者が貧民を作っているのだから、貧民は決起し、資本主義者を殺してもよい。敵対する者、自分たちと異なる階級(上とか下)の者に対してなら、なにをしても許されるというのが、共産主義です。共産主義革命の実現のためには、対抗勢力は抹殺せよ・・・これが階級闘争主義です。<<

そして トキ様の >>1697ご投稿

>>当時の状況を考えると、青年将校の怒りは当然だが、手段は間違っている<<

というお説から学ぶことは――

「目的のためには、手段を選ばず」 というやり方は、自滅への道となる。

ということだと思いました。


トキ様のご投稿には、

>>昭和天皇は、事件の第一報を聞かれると、「とうとうやったか、私の不徳の致す所だ」と涙を浮かべられたとうかがっています。……<<

とありましたが、これは本当にありがたいことだと思いました。それが大御心だと、感動します。


志恩様の >>1695

>>本流派の方達がおっしゃってるのは 「雅宣総裁、教団の参議、理事の皆様・・、いままでの責任をとって、辞任して下さい」と言ってるだけで、「銃殺するとも、殺すとも言っている訳ではないと思いますけれど」<<

――は、その通りですね。

しかし、「生死の教え」という神示には、

≪ 生死はままならぬと言えども生死は心のままである。兄弟を生かす心の者は生き、兄弟を殺す心の者は死す。殺すと言うても刀で斬ることではない。兄弟を生かす心のないものは殺しているのである。周囲の人々の思わくを生かしてやるのは 『兄弟を生かす』 の最も大なるものである。自己の好まざる所を他に転嫁するは『兄弟を殺す』の最も大なるものである。周囲に痰を吐き散らすな、紙屑を投げ捨てるな。これは物質のことでもあれど、物質のことだけではない。口角沫を飛ばして兄弟を非難する者は兄弟の心に唾を吐きかける者である。腹立ちを手紙に書いて送る者は兄弟の心に紙屑を投げる者である。かれは兄弟の心を言葉で殺し文字で殺す者である。兄弟の心を殺すよりも尚大なる殺しがある。汝の両親の思いやりを殺し、汝の主君の思いやりを殺す者である。本当に汝が、心の殺人を止めて感謝の心に充たされるようになるまでは、心の波長が違うから神の救いの霊波は受けられぬ。(昭和六年九月五日神示)≫

とあります。心したいと思います。

1702ありがとう:2013/06/08(土) 12:31:17 ID:???

[146] 2・26事件と生長の家

これですね。

1703【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/08(土) 12:39:20 ID:???

>>1702ありがとう殿
>>靖国殿

 ありがとう殿、誠に「ありがとう」ございます。さて貴殿に問いかけを致しますが、以下の点を貴殿は、いかがお考えになられますか?ぜひ、ご自説の開陳を期待致します。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
<復興Gさまよりの、皆さまへの問いかけ>
>>1699より)現在の生長の家の状況について、どちらが皇道派にあたり、どちらが統制派にあたるか、というようなことは、いろいろな受け取り方、感じ方考え方があるでしょう。
私は今、「これはこう考えるべきだ」と決めつけるようなことをする気はありません。皆さまがそれぞれの思いを発表していただきたいと思います。私は空っぽになって、皆さまの声を神さまの声としてお聞きしたいと思います。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

 また、せっかくですので「靖国殿」のご意見も、求めたいと思います。だめですか?・・・・・(笑)。




追伸


 ・・・・司会してて、つらいこと。それは、「自分の意見が披露できない」こと(笑)。

 ああ、語りたい語りたい(笑)。

 ・・・でもあまり、(田原総一郎みたく)司会者が「私見を述べる」と、他の方が語りにくくなります。ですんで現段階、私見の披露は避けております。

1704髪の子:2013/06/08(土) 13:06:45 ID:H8pVL9Ic
>>1700
ゆっくり拝読進めていますが、まだまだ時間かかりそうです。
で、例えばその、ナントカ派とか、派閥!?路線の視点で発言しなきゃならないのですか?
参考の補助線にお使い下さいと、あるのですが、私は何事もそういう感覚で考えず、真理を柱にいつも感じたり、考えたりしてたのですが。

1705【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/08(土) 13:18:12 ID:???

>>1704髪の子さま

 あ、勿論いろいろな語り口はあると考えます。この、復興Gさまからの問いかけ(>>1699)ですが、この論点さえ外さなければ如何様にも、語られて構いません。どうぞ、よろしくお願い致します。私の投稿意図は「どうしても考えがまとまらない方」への、ちょっとした視点変更の提案でした。「最重要」の視点では、ございませんので、ご安心ください。




1706【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/08(土) 13:23:08 ID:???

<補足>

 また、「論点なんて云われると、構えちゃうのよ」な方にも一言。

 ・・・・・・まあ、あまり外れては困りますけれども、ツラツラと箇条書きにされることも、お勧め致します。私の方で「こんな意味なんですかね?」という風に、整理致します。(議論錯綜した際ですが)ですので、まあ、「論点なんて云われると、構えちゃう」な方でもどしどしと、投稿されてください。そして、箇条書きなどされると案外、考えがまとまるとも思います。

 まあ、「あんまりな(大外しな)話」は困りますが、ある程度の思考混乱は気にされず、どしどしお願い致します。(やはり今回の誌友会は、ハイレベルだと思います。文章力と共に、かなりの「読解力」が要求されておりますので・・・・・)



1707髪の子:2013/06/08(土) 13:28:04 ID:9XBCB86g
訊け司会者さん、わかりました。あまりにハイレベルで、時間を要します。ありがとうございました。

1708復興G:2013/06/08(土) 14:21:26 ID:AB6RqYXc

>>1703 :【司会者】「訊け」殿

>>・・・・司会してて、つらいこと。それは、「自分の意見が披露できない」こと(笑)。ああ、語りたい語りたい(笑)。
 ・・・でもあまり、(田原総一郎みたく)司会者が「私見を述べる」と、他の方が語りにくくなります。ですんで現段階、私見の披露は避けております。

――あまり「司会者は自分の意見を述べてはいけない」ということに捉われすぎてもよくないのではないでしょうか。
ある程度自己抑制しながらも、自然体で語られたら、かえって皆さんが語りやすくなるかも……と思いますが……

1709こんにちは:2013/06/08(土) 14:24:11 ID:nSg7g3W2
皆様、お久しぶりです。
熱のこもったコメントの数々、本当に素晴らしいです。

226事件についての橋本徹馬の言葉
>>1658「あの事件で刑死した諸君は、最早成仏したであろうか。いや私は成仏していないと思う。」
については、語弊を恐れずに感想を述べると、「学ぶ会」側の方々を連想させます。

現在の教団の方針では、このままあの世に旅立っても「成仏できない」不満を持つ信徒方が大勢いらっしゃるのではないでしょうか?
すでに亡くなった信徒方にも、そのような方がいらっしゃるはずです。
もちろん、信徒として十分に教えを実践していれば、必ず成仏するでしょう。
しかし、それは教団に責任がないという理由にはなりません。

責任追求ばかりしているのは信徒として失格であるかもしれません。
しかし、心情的には対立するのも無理もないと思うのです。

思うに、こうした問題は大組織を形成すれば、どんな組織集団でも必ず出てきます。
ですから、トキ様が何度もおっしゃるように、これは自分自身の信仰態度へと脚下照顧すべきことだと思うのです。

脚下照顧しない雅宣総裁や学ぶ会が問題だと言っているのではありません。
おのれ自身が問題だと言っているのでもありません。
「信仰に徹しようとすること以上の解決策が、いったいどこにあるのだろうか?」と言っているのです。
努力してこられた信徒方の成仏を手助けする道は、それ以外にはおそらくないでしょう。

その意味でも、こうしたWEB誌友会は、大変価値のあるものだと思います。

1710ユタカ:2013/06/08(土) 14:37:41 ID:R1D4Jmeg
乱打かも知れませんが、投稿します。
>「国家に不祥事が起こった時には、如何なる場合にも陛下は、

『朕の不徳による』
と仰せられるようでありたい。今回のことでもあの詔勅によって軍部内の二派の争いが一層ヒドクなるが、あれが若し『朕の不徳による』というお言葉であったならば、皇道派も統制派も共に恐れ入り、理非は何れにあるにしても速やかに相克をやめねば、陛下に申し訳ないという考えになるでしょう」
========

「生長の家に不祥事が起こった時には、如何なる場合にも責任者である生長の家総裁は、

『生長の家総裁である私、谷口雅宣の不徳による』
と仰せられるようでありたい。今回のことでもあの<裁判>によって生長の家関係内の二派の争いが一層ヒドクなるが、あれが若し『谷口雅宣の不徳による』というお言葉であったならば、教団派も学ぶ会、ときみつる会等、諸団体派も共に恐れ入り、理非は何れにあるにしても速やかに相克をやめねば、谷口総裁に申し訳ないという考えになるでしょう」


と、こういって、退陣する決意で社会事業団と話し合って欲しい。

1711ユタカ:2013/06/08(土) 14:41:57 ID:R1D4Jmeg
訊け様

復興G様もそう仰いますし、語ってください。 今回はちょっと難しい・・・

1712ユタカ:2013/06/08(土) 14:58:24 ID:R1D4Jmeg
どのような争いも、いかなる理由があろうとも、

その争いを止めるのは、やはり常に祈り神の御心に合致した公平無私で人類から心から信頼され慕われるという中心者の存在が必要と感じた。

だけど、今回の裁判の事などは、ユタカは、今の総裁が清超先生のように忠実にあとを継いでくれたら、それこそ、1000年先には、自然に、緩やかに「生命の実相」が自滅してしまうと思われるので、今、現象的には争いをしていますが、それが、この「生命の実相」のこの世の後への価値を高める為の争いとしか思えないので、

私は、2・26事件事態がよく読めていないせいか、まだ、良く分かりません。。。 でも、繰り返し読んでいて、昨日よりは進歩。

1713トキ:2013/06/08(土) 16:18:39 ID:tRbdVDEA
 さきほど、紹介した「証言 二・二六事件」という雑誌ですが、処刑された青年将校の遺族の集まりである
「仏心会」の会長の河野司さんが「処刑された人々の怨念」という文章を書いています。河野さんは、弟さんが
事件に参加し自決しているので、この事件の調査に半生をかけられましたが、まだ、謎が多いと書いています。

 また、この雑誌には死刑を免れた青年将校が当時の様子を証言していますが、その人達もよく事情を知らな
かったと話しています。つまり、青年将校の中にも、事情を把握していない人がいたみたいです。
 
 少し誌友会とは離れますが、この本には、二・二六事件の特設軍法会議で警護官を勤めた金子桂憲兵大尉の
証言がのっており、ここで、事件の首謀者の磯部浅一が、死刑の判決を受けたあと、法廷で

 「吾々の忠誠無二の今回の事件を、このような裁判で、われわれの真意を理解せず、このような無茶な判決を
下すことは、現在の陸軍中枢部首脳は謀略をもってわれわれを抹殺するばかりか、たいへんな誤りを犯している。
軍首脳が誤りを反省せず、今回の事件を逆用して戦争を起こすような事があれば、必ず滅びる。日本帝国は必ず
滅びる。諸君、陸軍当局を信頼してはならない。軍の言う事は聞くな。よく陸軍当局の動きをみていてくれ!」

と叫んだとあります。この部分は橋本先生の主張と似た部分があると思います。反面、当時、青年将校の襲撃
を受け、頭を撃たれ乍ら奇跡的に生存した片倉衷少佐は、「手段が間違っているという点で、同情はできない」
と言っています。

 ただ、この事件について、戦後、調査をした原 秀男弁護士(元陸軍法務官、中央大学理事、故人)は、この
事件の前にも、後にも、陸軍がクーデターや反乱を起こした事があった。しかし、この事件の最大の問題点は
事件そのものよりも、事件の処理がたいへんマズかった点にある、と書いています。終戦時の近衛師団の反乱
が、当時の東部軍司令官の田中静壱大将の機敏で正確な処置で大事に至らなかった事と比較して、当時の上層部
の処置の間違いが、後年、国を滅ぼした、と書いています。と、同時に、田中大将の処置を高く評価しています。

 この原さんの意見は考えさせられます。

1714復興G:2013/06/08(土) 16:22:04 ID:AB6RqYXc

>>1709 :こんにちは様。

こんにちは様のコメントは、まことに当を得たものだと思います。「善のみ実在」の信仰ですね。ありがとうございます。


>>1710 :ユタカ様

ユタカさんのコメントも、当たっていると思います。

>>今、現象的には争いをしていますが、それが、この「生命の実相」のこの世の後への価値を高める為の争いとしか思えないので……<<

そう考えると、「必ずもっとよいことが出てくる」と思えて安心でき、希望が持てますね。ありがとうございます。

1715復興G:2013/06/08(土) 16:28:08 ID:AB6RqYXc


>>1713 :トキ様

貴重な情報を、ありがとうございました。

真実が、だんだん明らかになってきます。

考えさせられますね。

1716a hope:2013/06/08(土) 17:42:54 ID:edEDolt2
訊け管理人さま、すばらし司会をありがとうございます。合掌。

そして、ご参加のみなさまもたくさんの素晴らしいご意見をありがとうございます。
とてもお勉強になります。


わたしは、この事件を「肉体なし、現象なし、罪なし、悪なし、死なし」という生長の家の真理の立場から考えてみました。
そう考えると、ここで重要になってくるのは、登場人物各人の心なのではないかと思いました。

復興Gさまご講話の「橋本徹馬『自叙伝』(「私の昭和史」)」からも、
>>1692の志恩さまご掲示の浅田次郎著「壬生義士伝」からも、
当時の日本が、大凶作の深刻化してどれだけ危機的な状態にあったかがわかります。
そんな中で、「皇道派」の青年将校たち自身の家庭はそれほど貧しくなかった点を考えても、
彼らが我欲からではなく、真面目に日本国の危機を憂い、日本人を救い、天皇を守ろうとしていたことがわかります。
その純粋な愛国心が間違った方向に動いて起こってしまった事件が、2.26事件だったのではないかとわたしは理解しました。

しかし、結果的にはその純粋な愛国心を認めてもらえないばかりではなく、逆徒の汚名を着せられ、
さらには、喜んでもらえると信じて疑わなかった天皇陛下も、「今次東京に起これる事件は、朕の憾(うら)みとするところなり」
という自分たちの愛国心を完全に否定する発言をされて、大変憤っていらっしゃるという。

青年将校たちのした、行為=殺人は、現象世界では決して許される罪ではないかもしれない。
でもその、心を考えると、とても切ない、悲しい事件だと思いました。

せめて、青年将校たちの耳に届いた天皇陛下のお言葉が、天皇の真の「一切者の自覚」からくる『朕の不徳による』というものであったら、
たとえ、どんな形で処刑されようが、彼らは自分たちの犯した過ちを素直に認めて、安らかに現象生活を終わることが出来たのではないかと感じました。

現在の「生長の家」の問題を、各人の心の面から考えてみると、
本流の先輩たちの雅春先生への想いや、天皇への忠誠心、日本国への愛国心を、
次々に踏みにじるようなことをされてきている教団側(雅宣総裁)の態度は、
>>1655の中に出て来る、天皇の『朕の憾(うら)みとするところなり』という勅語の奏請者である広田内閣や、
「遺憾に思うというのがなぜ悪いか」と最後までつぶやいていたという湯浅内大臣の態度ととても似ているような気がします。

ですが、もちろん、天界の雅春先生は、「一切者の自覚」を悟れているはずですから、「生長の家」のこの大不調和をご覧になり、
『すべてわたしの不徳による』と心を痛めておられるのではないかと思います。

なんか、うまくまとまっていないかもしれませんが、これが、今のわたしの率直な感想です。

1717志恩:2013/06/08(土) 18:01:13 ID:.QY5jUA6
復興G様、お返事、ありがとうございます。
只今、帰宅したところです。急いで拝見しました。

復興G様はじめ、みなさまの投稿文を拝見しました。

私は、これから、夕食の支度がありますので、夫もお腹を空かして待っておりますので、
今、書き込みは、できません。

後ほど、ゆっくり、また拝読させて頂きます。

ありがとうございました。

1718ありがとう:2013/06/08(土) 18:34:46 ID:???

 『昭和維新のうた』 だれかアップ願います

1719女神の部屋:2013/06/08(土) 18:53:38 ID:DtyaxJbM

 昭和維新の歌 映画『2・26』より
  http://www.youtube.com/watch?v=xtQNFqmGucM

1720トキ:2013/06/08(土) 19:53:01 ID:tRbdVDEA
>>1715

 どうも、思いつくまま書きまして、すみません。

 さきほど、紹介した常岡瀧雄大尉の文章を読むと、当時の政党政治の腐敗に憤激した憂国の人達がいろいろと
動いていた事がわかります。しかし、その中で、磯部浅一や栗原安秀のように過激な考え方を主張する人がでて
きて、残念な事に皇軍を利用して、クーデターへの動きが一気に高まり、ついに陛下の軍隊を使って反乱をする
までに至ったようです。その動機においては理解できる部分があっても、手段において間違っていたために、結果
は自分達とは正反対の方向になってしまった。そして、常岡さんのように、法律に触れない形での国家改造を考えて
いた人達も、事件の結果、何もできなくなり、ついには戦争になってしまった、ということらしいです。

 ただ、この事件の経過を見ると、青年将校を軍部の上層部が押さえつけ、無理難題を言ったので、義憤にかられ
た青年将校が蹶起した、という部分もあるみたいです。ですから、軍の指導部にも問題があった、という事は
言えるかもしれません。この点は、橋本先生の言われる通りだと思います。

 ここで、私は、谷口雅春先生が事件のときに、ご夫婦で祈っておられた、という証言と、さらに、兵隊さんが
岡田啓介総理を見つけながら、上官に報告をしなかった、という事実(しかも、それが生長の家とご縁のある方
だったみたいです)を考えると、国家非常のときに、先ず、何をなすべきか、という点を教えられる気持ちでお
ります。

1721復興G:2013/06/08(土) 20:00:13 ID:AB6RqYXc

>>1720 :トキ様

ありがとうございます。

やはり、
>>動機においては理解できる部分があっても、手段において間違っていたために、結果
は自分達とは正反対の方向になってしまった<<
ということですね。

1722復興G:2013/06/08(土) 20:41:05 ID:AB6RqYXc

>>1716 :a hope様。

>>天界の雅春先生は、「一切者の自覚」を悟れているはずですから、「生長の家」のこの大不調和をご覧になり、『すべてわたしの不徳による』と心を痛めておられるのではないかと思います。<<

――谷口雅春先生は愛国者でしたが、昭和20年8月15日、ポツダム宣言受諾の玉音放送で日本敗戦を知られたとき、嘆くことなく
「これで日本はよくなる」
と思われたそうですから、生長の家も「これでよくなる」と思っておられるかも知れませんよ。

≪吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。……吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。≫ (>>1653

と書かれていますからね。

1723ユタカ:2013/06/08(土) 21:11:45 ID:R1D4Jmeg
訊け様はどうですか・? ご発言なさって下さい。

1724SAKURA:2013/06/08(土) 21:25:09 ID:bGw2IpeM
「復興G様」へ 「トキ様」へ 「観覧者の皆様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
横スレにて〜〜〜失礼します…。  部外者ですが〜〜〜m(..)m

■□【2・26事件…】は、私の記憶なのですが?当時!中野に在中の頃の事です。
忘れもしません。深夜に…“パ−トナ−”と仕事をしていました時の事です。いつものように、
“休憩タイム…”します時にいつもの「テレビ…チャンネル」を何気なく〜〜〜
急に、画面が乱れたかと思う瞬間!現れてきた【白黒の映像されたモノ…】が〜〜〜
これが【2・26事件…】の映像です。確か〜〜〜記憶では〜〜〜“中野の?放送?”かと。
更に〜〜他のチャンネルに変えても?こればかりの映像しか映らないのです。

■ 今にして思いますと【 霊界通信でしょうか??〜〜〜“2・26事件の内容” 】

さて!その内容が〜〜〜【 2・26事件の内容 】でした。此処で?アバウト的に申しますと?
当時!何故!この事件が起きたのか〜〜〜学生時代の歴史感とは〜〜〜うんでんの開き!
おおまかに申しますと…それは若かりし「北一輝」が〜〜〜若者に指導していく過程で〜〜〜
そして、貧しい青年将校達が〜〜〜行動へ??

その頃、当時の日本の時代背景は〜〜〜皆様もご存知かと思います。…が?【かなりの貧乏国!!】

更に【階級社会が成り立ち】属に云います?現在の日本の社会情勢がなりつつあるのかと懸念します
【 貧富の差 】が当に、如実に表れていこうしている最中〜〜〜確か?「生命の実相」にも〜〜〜

当時は【 人身売買い 】が多く、特に!東北の農村部では日常茶飯事の現状でしたかと。
【日蓮宗の信者…】でもありました?当時の若者の一人が?その矛盾性を感じられましたのでしょうか?
その頃の時代に…関連して、それも【 2・26事件…勃発 】に入っている事になるのです。

従いまして…私が?この【 2・26事件…討論 】の話を進めていく過程では、一番肝心な!
避けて通れないのではと思いまして、大変失礼ながら…投稿させて頂きました…。

■□そして【 2・26事件…日蓮宗 】との思想的関連性も多少はありますでしょうか?その後、
首謀者である青年将校の村中孝次、磯部浅一、栗原安秀、中橋基明らに影響を与えたと言われ
ている次第です。そして、この事は?「創価学会…」では、良く「当時の戦争勃発…歴史観」を教える
際には?信者に対して使われるような感じでしたでしょうかと。???

此処で思いますに…「初代の牧口氏」 ・ 「2代目…戸田氏」…この【日蓮宗…】という事で???
思想的な根底の【宗教=日蓮宗】という事で〜〜〜“投獄される事”に繋がるのではないかと断言出
来ますかと。
それで…特に「2代目…戸田氏」のその頃の【生長の家…】が原因での【恩師…牧口氏投獄】という
“恨み?”がありますのでは?又「2代目…戸田氏」も投獄されまして…
確かその刑務所に「生命の実相」が置かれてあり…それをかなり熱心に読まれ【生命は永遠〜】この
思いに…到達されましたかと〜〜〜この様に「生命の実相」は、学会でも、一部の幹部職の皆様は
その重大性は御存じではないのでしょうか??

〜♫  ボンヤリ〜ボンヤリ〜考えています…。                        再合掌

1725SAKURA:2013/06/08(土) 21:33:08 ID:bGw2IpeM
「復興G様」へ 「トキ様」へ 「観覧者の皆様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
横スレにて〜〜〜失礼します…。  部外者ですが〜〜〜m(..)m
>>1724 投稿の続きです…。

■□■――――「 お知らせ 」――――――――――――――――――――――――――――――――――
下記は?ある“ブログ…”の方の文章を…投稿させて頂きました…。申し訳ありません・・・。

■力がなければ、“悪とは戦えない”ように思います。  椿   その①
【 2・26事件は、本当に悲しい事件ですね。 】

しかし…父母兄弟とのかかわりを大切にしたからこそ、“止むに止まれぬクーデター”であったのでは
ないでしょうか? 日本国民が、愛しい娘を売らなければ、家族が生き残れないほど、困窮しているにも
拘らず、国庫を赤字にしてまでも朝鮮・満州・台湾という外地へ投資する。

「何ゆえに、国民に人身売買をさせてまで、そこまで外地に入れあげなければならないのか?!」と憤る
った彼らの感情は、人として“普通の感情”のように思います。 そして当時の日本人ならば、誰だって
…カミのように尊崇する陛下を悲しませる「国賊」になぞ、なりたくはなかったと思います。

>自分たちより力のある者に対してなら、なにをしても許されるというのが、共産主義です<

これは逆のような気がします。『自分達より弱い者に対しては、何をしても許されていた』のが、西洋の
帝国主義であり、革命に決起した民衆は、生きるか死ぬかの瀬戸際にたたされ、“人間としての存亡をか
けた戦い=革命”をせざる負えなかったのではないでしょうか?

西洋帝国主義者達の情け容赦ない、“弱者に対する残酷な仕打ち”や“惨い搾取”に対抗する為には、
「革命」というものも、弱者にとっては、止むに止まれぬ行動だった様に思います

日本は天皇陛下を中心とした、世界でも稀な平和国家でありましたが、日本が植民地にされない為に
西洋の資本主義や技術の導入・文化を受け入れていくうちに、自ずと「酷薄な帝国主義」の側面も受け入れ、
その“弊害が出てきた”のではないか?と私は思っています。

明治維新以降、西洋の資本主義を取り入れた日本は、かっての江戸時代には見られなかった、年貢への酷薄
な搾取や、金儲け主義で我利我利亡者の経営者達がはびこったと聞いています。

                                つづく

1726SAKURA:2013/06/08(土) 21:35:31 ID:bGw2IpeM
「復興G様」へ 「トキ様」へ 「観覧者の皆様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
横スレにて〜〜〜失礼します…。  部外者ですが〜〜〜m(..)m
>>1724>>1725  投稿の続きです…。

■力がなければ、“悪とは戦えない”ように思います。  椿   その②
【 2・26事件は、本当に悲しい事件ですね。 】

それは紛れもなく、あのフランスやロシアの民衆の怒りに火をつけ、革命をもたらした、
「西洋資本主義の姿」と同じでだったのではないでしょうか?
実際、日本は外地(朝鮮・満州・台湾)へ必要以上に、投資をしていたように思います。

そして、あれほど、朝鮮・シナを豊かにするお金があれば、いくらでも敵を迎え撃つ「連合艦隊」を作れ
たはずですし、貧しい東北農家のインフラ整備を整え、もっと彼らに豊かな暮らしを与えてやることが出
来たはずです。

日本は外地を豊かにし過ぎて、国庫を赤字にし、困窮しているところを欧米に狙われ、ABCD包撃網で、
一気に叩かれたのでは?と私は思っています。

それに・・・お父様を暗殺された和子さんが、「男なら男らしく勝負をなさったらどうか」と仰ってい
ますが、本当に、「一対一で勝負しよう!」という“公平な決闘”が、当時の日本社会で、十分可能な
状況だったのでしょうか?私は甚だ疑問に思うのですが・・・。

それに、「あまりに残忍…礼儀知らず・・・」と仰っていますが、彼女のお父様は、彼ら青年将校達にと
っては、自分達の恋人・姉・妹・娘を「女郎」という苦界に貶めた張本人だったのではないでしょうか?

暗殺に加わった青年将校達のほとんどが、【“貧しい東北農家の出身”】だったと聞いています。

名もなく、地位もなく、貧しいだけの彼らが、「国賊呼ばわり」されても、自分達の恋人・娘・姉・妹達
の被った悲惨な被害を、『二度と繰り返させまい!』と、“止むに止まれぬクーデター”を実行したのでは
ないか?と私は思うのです。

力弱きものは、強き者に簡単に踏みにじられてしまう。それは、古今東西少しも変わっていないように思
います。ただただ、正直で誠実で勤勉なのも、良いことには違いないのですが、

厳しい現実世界に目を向ければ、その優しさの後ろ(バックボーン)に、“強靭な鋼のような強さ(力)”
が無ければ、 現実的に、愛しき人達を守ることは出来ないし、本当の“正義”や“誠”を貫き通す事は
出来ないと思います。.
                                              
                      ????プログより…抜粋投稿(参考…)
SAKURA & NANCY 合掌

1727rei:2013/06/08(土) 21:51:00 ID:S8XW4Pco
その時には正しいと思える行動をしても
それが本当に良いことかどうかは分からないということの喩えでしょうか?

その時には正しくない行動をしているように見えても
時代を過ぎてみれば、あれはあれでそうせざるを得なかったという結論になる
のではないかということでしょうか?

結果は正反対になるとは、もしかしたら「学ぶ会」が谷口雅春先生の
「生命の実相」を残そうとして運動しているにかかわらず、
そうでない結果になるかもしれないということですね。

1728SAKURA:2013/06/08(土) 22:11:23 ID:bGw2IpeM
「復興G様」へ 「トキ様」へ 「観覧者の皆様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
横スレにて〜〜〜失礼します…。  部外者ですが〜〜〜m(..)m
>>1724>>1725>>1726 投稿の続きです…。

■□【2・26事件…】は、私の記憶なのですが?これを語るには、必ず!必要な“登場人物…”
なのです。…が?  参考までに

■□ 【 北 一 輝 】〜〜〜参考までに“投稿…”させて頂きます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%B8%80%E8%BC%9D 

■2.26事件≪背後で操ったのは?≫(二) | _〜山のあなたの空遠く幸い ...
http://blue.ap.teacup.com/97096856/3819.html

再合掌

1729トキ:2013/06/08(土) 22:23:02 ID:tRbdVDEA
 話が脱線しますが、安重根は、韓国では英雄の扱いをされています。

 しかし、実際には、伊藤博文は、韓国の植民地化には反対で、韓国の独立は守った上での
近代化を望んでいました。しかし、伊藤が暗殺された事で、かえって韓国の植民地化が進んだ
という話があります。このあたりは司馬遼太郎さんがかいています。

 テロとかクーデターというのは、だいたい、こういう結末になるみたいです。

1730復興G:2013/06/08(土) 23:35:41 ID:AB6RqYXc

>>1728 SAKURA様

■2.26事件≪背後で操ったのは?≫(二) | _〜山のあなたの空遠く幸い ...

拝見しました。

これをどこまで信頼していいのかは疑問もありますが、とても考えさせられました。



1731復興G:2013/06/08(土) 23:45:07 ID:AB6RqYXc

「訊け」さんはどうしたのでしょうか。

心配ですね。

1732復興G:2013/06/08(土) 23:50:46 ID:AB6RqYXc

皆さまの平安を祈り、私はやすませて頂きます。

ありがとうございました。

1733こんにちは:2013/06/09(日) 00:14:38 ID:nSg7g3W2
>>1729 トキ様

おそらく、226事件の青年将校たちは、見方によってはクーデターとも言える明治維新を頭に描いていたのではないでしょうか?
フランス革命も市民によるクーデターとも言えますし、物騒な言い方になりますが、必ずしもクーデターが事態を悪化させるとは限らないと思います。
織田信長もクーデターを起こして室町幕府を滅亡させ、日本を変えました。
ロシア革命や中共革命も、良し悪しは別として成功しましたしね。

時代のどうしようもない流れというものがあり、その流れに沿ったクーデターか逆流するクーデターか?ということが、その後を決定づけるような気がします。
もちろん、その当時に「時代の流れ」なんて分からないんですけどね。

私の尊敬するマハトマ・ガンジーも、ある意味ではクーデターの首謀者です。
比較的平和な形で成功しましたが、それでも多くの人命が失われています。

226事件に賛成だとは言い難いですが、手段の良し悪しが問題の全てでもないように思います。

1734ユタカ:2013/06/09(日) 00:25:19 ID:R1D4Jmeg
訊けさんは、皆を喜ばそうと、今、必死で論文を書いているのでは?

生長の家の本部組織のことですが、あれだけの集金能力がありながら・・・なにを社会に貢献したか?と振り返ると・・・私には分かりません・・・・

後から出てきた、幸福の科学などはアッという間に学校も建設してしまった。
それを思うと、生長の家の上層幹部の組織運営に「甘え」があったに違いないと思う。政治の世界に進出を止めたなら、せめて教育に力をいれるとか・・結局、集金運動になって金の持ち腐れが起きていたのではないだろうか?信仰が何か形骸化されていた所に、雅宣総裁の登場で組織の膿が破れ、生ぬるい上辺の生長の家の信仰者であると思う間違いを是正されているいい時期で、自覚した者から生命の実相の再勉強をスタートし、ある意味生長の家の信仰と組織の再建の良い時期であろう。それにしても生長の家は教えは一流だけど、運営では谷口雅春先生が陣頭指揮をとった総本山を最後に後の幹部は学校も建設できない、何もしない、貯蓄に励み社会貢献をしていない様子でがっかりです、改めて。そんなデレ助野郎の集団であったのか? そんな組織だったから今がクーデターがおきているとも言えるのであろうか??・
なにか、悪口になってしまった。すみません。

生長の家全体を見る組織と教区末端組織では全然景色が違いますね。

1735SAKURA:2013/06/09(日) 00:57:14 ID:CgQS862E
「トキ様」へ 「観覧者の皆様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
>>1724>>1725>>1726>>1728 投稿の続きです…。

■□ 今回流しましたのは、ほとんど事実です。…が? 【中央公論新社…参考資料も含み】

■□紹介します書籍本…『二十世紀を読む』(丸谷才一、山崎正和、中央公論新社)の中の
【 近代日本と日蓮主義 】である。
丸谷才一氏の批評を読むと、批評で取り上げられた本を読みたくなる。

>>この本を読むと、昭和史の前半は熱烈な日蓮宗徒たちによって動かされた、ということがわかる。
まったく知らなかった事実で、これには唖然とした。<<

>>北一輝、西田税、井上日召、石原莞爾、5・15事件、2・26事件の将校達、いずれも熱烈な日蓮宗徒である。<<

◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

軍国主義という言葉で括られていた昭和前半史の背後を知ることが歴史を反省するうえで欠かせない。
日蓮主義者は一人一人の折伏ではなく、国家を丸ごと日蓮宗に改造してしまうという教義から、国家と結びついて
【 八紘一宇 】(アジア侵略)の夢を果たそうとした。国民的人気作家の宮沢賢治も熱烈な日蓮宗徒であったことは
昭和史を考えるうえで感慨深い。日本の精神史(政治と宗教)を考察する上でまたとない好著である。

                                   再合掌

PS : トキ様 へ   観覧者の皆様 へ

上記は?参考までに…投稿しました…。尚!これから関連します処の…
>>1729 「トキ様 の投稿」の満州事変…云々…にも関連していきますかと。
そして「司馬遼太郎さん…歴史観」の捉え方…「歴史の真実…」が垣間見る事が出来ますでしょうか?
この件は「伊藤博文…暗殺事件」も含めて…投稿「独りごと?」したく思いますかと…!
【隠された真実】…… 日本の歴史…?????

1736山本富士子:2013/06/09(日) 02:38:51 ID:RgtAnGTI
合掌 ありがとうございます。
わかりません。なぜあのような血なまぐさい事件が生長の家の今を考えること
の材料に選ばれたのでしょうか。、、、。確かにあの時代の東北の貧しさの
中から、日本初の学校給食が始まり、日本初の国民健康保険がはじまりました。
そして今ではすべてのこども達に質の高い給食が保障され、山形の片田舎の役場の
庭に相互扶助の碑がたっています。

時々この掲示板を拝見するかぎり、とても知的な方もたくさんいらっしゃるんだなぁと
思いますし、お若くまじめに信仰に取り組んでいられる方も多いように
おもわれます。そして俗に別派と言われたりしても、そのお立場でせい一杯
生長の家を行じていらっしゃるんだなと掲示板を読んで感じていました。
「棲み分け」ということばで、より生長の家の裾野を広げようと提案されても
いますが、、、あの「事件」とは、、、私には結びつきません、、、。
ただ昔、ある兵士の方の手記を読んだことがあったような気がします。その方は
兵士で上官に命令されあちこち、あわただしかった数日の思い出に冬の朝の
静けさを(後に有名な事件と知った)書いていました。そうですね、私も
いつの日にか「今」をおもいだすと静かな朝となるのでしょうね。

>>生長の家全体を見る組織と教区末端組織では全然景色が違いますね<<

講話は本部関係者にむけて説かれたものでしょうか・・・。

1737【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/09(日) 06:24:55 ID:???


 なかなかPCの前に座れません。スミマセン・・・・・

 さて本日も、PCの前に何時座れるか不明です。誠に申し訳ありません・・・

 ・・・・・・そして未だ、皆さんの御文章を拝読しておりません。ご迷惑をおかけします。



追伸

 トキ理事長。

 明日までですが書き込み、難しい状況です。議論錯綜の際は、よろしくお願いできませんか?
(また難解なテーマですので、皆さまに対しまして「会期延長」を具申致したく思います。いかがでしょうか)

1738志恩:2013/06/09(日) 07:28:36 ID:.QY5jUA6
山本富士子様が,

「なぜあのような血なまぐさい事件が生長の家の今を考えることの材料に選ばれたのでしょうか。
 わかりません。」

と言われましたが、私も
復興G様が、今、生長の家で起きている 2つに分裂して争っている運動を、
 2つに分かれているからとはいえ、なぜ、2.26事件と
似ていると思われているのか、まだ よくは 分っておりませんけれど、

もしも、仮に2つを 重ねて見るとしました場合、
復興G様が、「似ていると言ったが、そっくりだとは言ってない」とおっしゃった意味は

そっくりではない点とは、
2.26事件が、「有血クーデター」であったのに対し、
本流のやっているクーデターは「無血クーデター」であるから

ということになるのかな、と思いました。

鈴木邦男さんが5/30に『終わらないオウム』(鹿砦社・1500円)という
上祐史浩さん、徐裕行さん、鈴木邦男さんが対談されて、田原総一朗さんが司会という
著書を出されましたが

〈18年前のあの時、本当に殺そうとしたのは上祐さんだった
という、オーム真理教の大幹部村井秀夫さんを 刺殺した徐さんの言葉が書かれています。

生長の家は、このようなオーム真理教のような低次元なこととは、全く次元が、異なりますけれど、

本流回帰の運動も、当分『終わらない』のかなあと、考えているところです。

なぜって、靖国見真会参加者様のご発言によりますと、
雅宣さんは、森のオフィスに於いて、今後、1年毎に七つの燈を1燈づつ、建立していくと言っているので、
少なくともあと7年は、総裁の座を降りる事はない。。と断言されておられますからです。

ですから、当分、雅宣さんが、総裁を辞めないのですから、
もともとの生長の家の教えを護るには

別途に、教団とは分かれて、「学ぶ会」のように、本来の生長の家の教え説いたり、または、新掲示板のように
生命の實相の輪読会を
各々が独自でやっていく方法しか、ないのではないでしょうか。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa.html

復興G様は「目的が正しくとも、手段が正しくないと」と、繰り返しおっしゃってるところをみますと、
復興G様は、本流がやってる事は、「手段が正しくない」と思われておられるのでしょう。

しかし、私には、正しくないと思われている手段とは、なにを指しておられるのか、分っておりません。

1739髪の子:2013/06/09(日) 07:43:14 ID:VacxY56A
私は、2.26事件と生長の家の現在の状況で、似ている点があるというのが、どうしても解りません。

1740髪の子:2013/06/09(日) 07:54:44 ID:deUT8VKE

それと、私は今回の一連の裁判にしても
争いだと解釈することが出来ません。
もし双方が、相手をおとしめて
自分の利益にしてやろうと
思っているのなら、「争い」と言えるでしょう。

しかし、私の知る範囲においては
社会事業団サイドは
裁判となるまでに教団と
話し合いの交渉を重ねていますし
社会事業団サイドはただ、法を護り
生命の実相を護りたい思いだと思います。

1741志恩:2013/06/09(日) 08:52:07 ID:.QY5jUA6
髪の子様も言われてますけれど、私も、2.26事件が、生長の家で起きている現在の状況に
似ているとは、いまだに 思えないでおります。

話変わりますが、

私は、ここの掲示板をトキ様が立ち上げられた当初のときから、ここに出させて頂いております。
ですから、謎の人物でおられる 初心者様も、皆様同様 ここの掲示板のお仲間のお一人です。

私の場合は、ずっと、本流派を支持する発言をしてまいりましたけれど、
片や、
内心では、和解派のトキ様はじめ、トキ様と同じ主張をされる皆様のお気持ちにも 密かに添って参りました。

あの当初のときから、2年以上経ちますが、

和解念仏和尚様のトキ様の抱いてこられた「和解」への夢は「幻想」であったと、諦めざるを得ないのでは、、と、

最近は、特に実感するようになりました。

例えば、

トキ様が組織板で、生長の家本部宛に呼びかけられたご文章、この1つとっても感じます。

>>7月号の機関誌を拝見しました。驚いた事に、最初から最後まで、谷口雅春先生
のご文章がどこにもありません。全国幹部研鑽会の話とか、青年会の大平さんの文章
とか、信徒の体験談です。

 これは、いくら何でも酷いと思います。これでは、分派が言う「谷口雅春先生の排除」
が本当の事になっています。いくら、今の機関誌が評判が悪くて、封も切らずに捨てて
いる人が多いと言っても、中には読んでいる人もいるのですから、こういうふざけたマネ
は止めていただきたいです。私の知人には、これを見て憤激し、「もう、こんな組織は
止める」と言って来た人がいます。

 こういう事は現場の編集部の判断できないと思います。それなりのレベルの人間の判断
でなければ、企画は通らないはずです。<<
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/1537

---------------------------------------------

生長の家の機関誌から、
雅春先生を消してしまったら、

これから 生長の家に入信する方達にとりましては、
創始者・雅春先生のことは、知るよし もなくなるわけです。

生長の家教団は、雅春先生を、抹殺したと言われても仕方のない事を、
ただ今も、現に実行されているわけです。
-----------------------------------------------

ですから、
「学ぶ会」が、あのように、ひどく叩かれながらも、がんばってこられたことは、
本来の教えを、消さないように護って下さっておられた貴いご行為であると思っており、

「分派」が、どうの と悪口言う人の気がしれません。

1742志恩:2013/06/09(日) 09:10:17 ID:.QY5jUA6
2.26事件は、クーデターと言われています。

それで、クーデターという意味を調べてみました。

「既存の支配勢力の一部が、非合法的な武力行使によって政権を奪うこと。支配階級内部での権力移動をするための。」

とありました。

本流派は、非合法的な武力行使は、していませんから、クーデターとは、違うと思いますけれど。

1743髪の子:2013/06/09(日) 09:38:10 ID:c9C6QREU
2.26事件の参考になるかもしれませんので、添付します。
トキさん、もし、ここの板に合わないなら削除下さい。
その際は、慎んでお詫び申し上げます。

http://hikarinoshingun.giri.jp/01-donna-oshieka/0101dno-sendou-ronbun/64jitaittai-no-shinji.htm

1744ユタカ:2013/06/09(日) 11:08:22 ID:R1D4Jmeg

ここで、真理の話題以外、ここでいう226事件とかの検証から現在の組織を考えていても、全く光が当たらないどころか、ユタカは、本当に腹が立ってくる、そして、

教団もバカ! 本流もバカ! 責任問題になるなら、谷口清超前総裁になるまさかのぼるとなると、考えてしまうと、やる気なくなるね〜〜。

今回の226事件と生長の家の今を考えるのテーマは 底深く暗い感じもします。 ユタカはもう悪口になるから書きおわりました。というか、これ以上考えたくない。以上終わり。

あとは、復興G様のまとめの言葉で自分に光を当てたい。 今は心が真っ黒!

1745ユタカ:2013/06/09(日) 11:13:46 ID:R1D4Jmeg
谷口清超前総裁まで、さかのぼる に訂正。

その上まで、さかのぼる なんてなると、もう嫌になるね。。。

ここでおしまい。 今回の戦争から光をあてる ということは難しいね。

谷口大聖師様は戦後どんな講話をなさったのだろう??

どんな本に書かれているのでしょうか? そういう本も読んでみたいと思いました。

1746a hope:2013/06/09(日) 11:26:01 ID:edEDolt2
わたしは、この2.26事件の経過と「生長の家」の問題は、>>1656 >>1657>>1658のあたりがとてもよく似ていると思います。

特に、>>1657
<<国体明徴派を嫌い抜いた人たちは、これで狂信的愛国者の、根を絶つことが出来たと考えたであろう。
何んぞ知らん、それは前門の虎を防ぐことに急であったため、後門に狼を招きよせたことに、気づかなかったのである。
もっと明白にいえば、うるさいと思う【皇道派】を徹底的に叩きつけたことは、
軍隊の指導権を【皇道】の何んたるかを知らぬ【統制派】に渡したことである。
やがてその者等は大元帥陛下の御命令をも奉じなくなって【「兵馬の権」】は【統制派】の手に帰し、
「また中世以降の失態」を招くに至ったのである。>>

【皇道派】=【本流関係者】 
【皇道】=【中心帰一】
【統制派】=【雅宣総裁率いる原宿本部】
【大元帥陛下】=【生長の家の大御神】
【「兵馬の権」】=【教えの主導権】

と考えて読んでみるとわたしは妙に納得しましたが・・・

<<国体明徴派を嫌い抜いた人たちは、これで狂信的愛国者の、根を絶つことが出来たと考えたであろう。
何んぞ知らん、それは前門の虎を防ぐことに急であったため、後門に狼を招きよせたことに、気づかなかったのである。
もっと明白にいえば、うるさいと思う【本流関係者】を徹底的に叩きつけたことは、
指導権を『中心帰一】の何んたるかを知らぬ【雅宣総裁率いる原宿本部】に渡したことである。
やがてその者等は【生長の家の大御神】の御命令をも奉じなくなって【「教え」の主導権】は【雅宣総裁率いる原宿本部】の手に帰し、
「また中世以降の失態」を招くに至ったのである。>>

そしてその後に続く文章、

<<そうして「兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざる可からず」という兵法第一の戒めさえ弁えぬ者たちが、
妄りに功を急ぎ事を構えて【陛下の御心にもなき戦争】に突入し、
敵味方も多くの【生霊】を殺して、無数の【寡婦孤児】を造ったのちの、敗戦降伏までに至ったのである。>>

遂に古い格言?がありわかりにくいですが、

【陛下の御心にもなき戦争】=【大神の御心にもなき争い】
【生霊】=【信徒の信仰心】
【寡婦孤児】=【信仰孤児】

とあえて言い換えてみると、

<<<<そうして「兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざる可からず」という兵法第一の戒めさえ弁えぬ者たちが、
妄りに功を急ぎ事を構えて【大神の御心にもなき争い】に突入し、
敵味方も多くの【信徒の信仰心】を殺して、無数の【信仰孤児】を造ったのちの、敗戦降伏までに至ったのである。>>

となります。
わたし自身は、この自分の解釈に妙に納得していますが、皆さんはいかがですか?

ですから、このままいけば、現象の日本国が「天皇の御心」ではなかった戦争に敗戦したように、
現象の「生長の家」教団も「大御神の御心」でない争いに敗北する運命なのだと思います。
(つづく)

1747a hope:2013/06/09(日) 11:27:07 ID:edEDolt2
復興Gさまのご講話の最後に、特攻隊勇士の遺書 が紹介されています。

<<お父さんお母さん
この世に生まれて死を厭うことは、今昔ともに変わりありません。故に万人が長寿を願った昔話が今も残っています……けれども若干二十五歳で戦死しても決して驚いてはなりません。悲しんではなりません。
たとえ私が敵艦とともに砕けなくとも、私の運命はその時に止まっているのです。父上にはそのことが十分解っていただけるとは思うのですが、お母さん!やさしいお母さんでした。ある時は私の寝顔に、夜具をかけて下さいました。久喜(本人の名であろう)は、あれほど可愛がられ、何の報いもせずに散るのが、母上にすまないと思います。
然し私の胸の奥底には、大きな願いがあるのです。それは大義に生きることです。お母さん、決して悲しんで下さるな……その悲しみに打ち耐えて、強く生きる一億の母がいることを思い起こしてください。(下略)

     ○

 遺書の残っていない他の特攻隊の勇士の感想もこれに似たものが多いであろう。天佑なき戦争でかかる純真可憐な青年を殺して、申しわけがたつであろうか。戦時中に生きた私たちは、深く深く責任を感じて、天佑なき戦争は、将来絶対にしないことを誓わねばならぬ。その反面に、戦う時は必ず天佑のあるようにこの国政を運用すべきである。>>



いったい「大義に生きる」とは、どういう意味でしょうか?
この生長の家の争いには、天佑があるのでしょうか?



「生長の家」総裁、谷口雅宣先生 および、原宿本部関係者のみなさま


>>1658の御文章

<<英霊は死なぬ、生きている
あの事件で刑死した諸君は、最早成仏したであろうか。いや私は成仏していないと思う。
尊皇愛国を口にする者は、馬鹿者扱いされ、或いは不逞の徒扱いされるこの国で、あの諸君が成仏出来るはずがない。
過去において、国家のために命を捨てた人たちを祀る、靖国神社の祭典さえ、公式にすることも出来ぬ年月が続いているではないか。
ああ早く日本をあの諸君の安らかに眠り得る時代にしたいものである。>>


これをお読みになってどう感じられますか?

あの戦争はもしかしたら雅宣総裁のおっしゃる通り、「侵略戦争」だったのかもしれません。
でも、多くの純粋な兵士たちは、「大義に生きる」ために、すべてをすてて、勇気を振り絞って戦ったのです。

その「心」を思いやることも出来ないのは、「生長の家の総裁」のお立場としてはいかがなものでしょうか?

もうこれ以上、「生長の家」の信仰孤児を増やさないように、適切なご決断をお願いいたします。

合掌。

1748a hope:2013/06/09(日) 11:33:19 ID:edEDolt2
>>1746訂正
遂に古い格言?がありわかりにくいですが、→ 文章中に古い格言(?)がありわかりにくいですが、

1749rei:2013/06/09(日) 11:45:10 ID:S8XW4Pco
a hopeさま
ありがとうございます。私もそのように思いました。
パソコンを上手に打たれるあなた様を尊敬します。

1750SAKURA:2013/06/09(日) 11:49:44 ID:ndMIxCBA
「トキ様」へ 「観覧者の皆様」へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
>>1724>>1725>>1726>>1728 投稿の続きです…。

■□ 今回流しましたのは、ほとんど事実です。…が? 【中央公論新社…参考資料も含み】

■□紹介します書籍本…『二十世紀を読む』(丸谷才一、山崎正和、中央公論新社)の中の
【 近代日本と日蓮主義 】である。
丸谷才一氏の批評を読むと、批評で取り上げられた本を読みたくなる。

>>この本を読むと、昭和史の前半は熱烈な日蓮宗徒たちによって動かされた、ということがわかる。まったく知らなかった事実で、これには唖然とした。<<

>>北一輝、西田税、井上日召、石原莞爾、5・15事件、2・26事件の将校達、いずれも熱烈な日蓮宗徒である。<<
◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

軍国主義という言葉で括られていた昭和前半史の背後を知ることが歴史を反省するうえで欠かせない。
日蓮主義者は一人一人の折伏ではなく、国家を丸ごと日蓮宗に改造してしまうという教義から、国家と結びついて
【 八紘一宇 】(アジア侵略)の夢を果たそうとした。国民的人気作家の宮沢賢治も熱烈な日蓮宗徒であったことは
昭和史を考えるうえで感慨深い。日本の精神史(政治と宗教)を考察する上でまたとない好著である。

                                   再合掌
PS: 上記は?参考までに…投稿しました…。尚!これから関連します処の…
>>1729 「トキ様 の投稿」の満州事変…云々…にも関連していきますかと。
そして「司馬遼太郎さん…歴史観」の捉え方…「歴史の真実…」が垣間見る事が出来ますでしょうか?
この件は「伊藤博文…暗殺事件」も含めて…投稿「独りごと?」したく思いますかと…!
【隠された真実】…… 日本の歴史…?????

1751復興G:2013/06/09(日) 11:57:27 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

>>1736 で山本富士子様が

>>なぜ、なぜあのような血なまぐさい事件(2.26事件)が生長の家の今を考えることの材料に選ばれたのでしょうか。<<

と疑問を投げかけられていますが、それは、神――といっても本源の神ではなく、私の指導霊だと思います――が選ばれたのかなあという気がします。

このweb誌友会の1週間前に、「2.26事件とその背景」という橋本徹馬氏の自叙伝による資料を、興味深いから読んでみないかと、渡されました。それを読み始めたら、まだ全部読み終わらないうちに、これを、web誌友会で生長の家の「今」を考えることの材料に使ったらよい、とひらめいたのです。それで、第14回web誌友会の勉強のテーマは「組織運動と信仰生活」にしようということになったとき、すでに自主勉強会でしっかり使われてきた『生命の實相』だけでなく、2.26事件の資料を使いましょうと予告したのでした。

これは神の導きによるものだったという気がします。

いま現象界では、『生命の實相』の著作権・出版権をめぐる裁判に決着がつき、教団側の敗訴が確定した。

学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びかけておられるように思います。

しかし私は、今回のテキスト『生命の實相』第3巻の御教えを かみ締めながら2.26事件のことを教訓として学び、はっきりと自覚いたしました。

このような混乱の時こそ、「正念場」である。
≪ 「神は完全であって、神の造り給うた世界には、混乱はナイ」 という実相を観ずる 「正念」 をもって、しっかりと起たなければならない時である≫
と。

2.26事件からその教訓を学びましょう。――

昭和11年当時日本は貧富の差が大きく、特に東北地方の農民の惨状などはひどいものだった。こういう社会に矛盾を感じ、北一輝は『日本改造法案大綱』という革命的な国家改造計画を著した。これに共鳴した「皇道派」の青年将校たちが、2.26の決起行動を起こした。

SAKURA様が掲示してくださった資料、特に>>1728

■2.26事件≪背後で操ったのは?≫(二)
http://blue.ap.teacup.com/97096856/3819.html

は、わかりやすくまとめられていると思いました。
「これをどこまで信頼していいのかは疑問もありますが」と私が>>1730で書いたのは、上記の終わりの方で

>>「昭和の動乱」とは、一種の「狂言」であり、その裏側に真の目的が隠されていました。それは当時の権力機構に衝撃を与えて、それをお互いに戦わせて内乱に導き、同時に軍部の暴発を誘い、日本と中国を戦わせ、やがて日米開戦に引きずり込むと言うシナリオに他なりませんでした。
日本を滅ぼしたのは、陸軍統制派と海軍でしたが、彼等を操ったのは、西園寺公望を筆頭とするフリーメーソンらであり、また、一部の非愛国的右翼だったのです。<<

とあるあたりについてです。

それ以外の大部分のことについては、他の記録資料ともだいたい合致していて、ほとんど疑問はありません。

>>彼等(統制派)にとって、2.26事件は自分達が政治的な主導権を握る為の絶好のチャンスとなり、彼等はこの事件をうまく捕らえたのでした。
 2.26事件を決起した、青年将校達が救おうとしていた農民や底辺の一般庶民は、やがて迫り来る米英(=国際金融ユダヤ資本家たち)の脅威に、微生物の如く弄ばれ、自らの生命を軽々しく扱われて、戦争遂行の捨て石にされて無慙に散っていったのです。<<

ということになるわけですね。
<つづく>

1752復興G:2013/06/09(日) 11:58:48 ID:AB6RqYXc

<つづき>

>>2.26事件以降、予備役に退いた皇道派の将軍の復活を阻止しようと考えた統制派の軍閥が「軍部大臣現役武官制」を復活させ、これを徹底的に悪用して、軍部独裁を図り、日米開戦に突入していったのは周知の通り。

 陸軍上層部の狙いは、自分達の気に入らない組閣は一切認めないという事であり、組閣に不満がある場合、現役軍人から陸軍大臣を出さないと言う形で妨害した。<<

この間、昭和11年5月18日に、突如、阿部定事件」という猟奇事件が起こったが、その報道に目を奪わるように仕向けておいて、目立たないように前記「軍部大臣現役武官制」を官報に告示するという悪辣な手も使われた、というのは驚きでした。

 それから軍部(統制派)の暴走を誰も止めることができなくなり、やがて日米開戦にいたる土台となったものが「軍部大臣現役武官制」だったのですね。


 「皇道派」の決起将校たちは、当時の貧しい農民や底辺の一般庶民を救うために、「混濁の世に我れ立てば 義憤に燃えて血潮湧く」(昭和維新の歌)と起ち上がったけれども、結果は逆になってしまった。

「目的のためには手段を選ばず」行ったことは、失敗した。

しかし、大東亜戦争敗戦という大自壊作用の後に、ある意味で目的は達成されたので、決起は無駄ではなかったとも言い得ます。

「統制派」も手段を選ばず、天皇陛下の御心をも踏みにじって暴走し、結果は悲惨な敗戦となり、2.26事件を裁いた軍法会議と同様の暗黒裁判(東京裁判)で裁かれ処刑されるようなことにもなった。与えたものが与え返されるという法則通りになったとも言えるでしょう。

2.26事件は、そうした昭和の歴史の分水嶺とも言える出来事でした。


 さて、2.26事件のどこが現在の生長の家の状態に似ているか。

 2.26事件から、「今」 何を学ぶか。

 私は今日午後からリアルの誌友会に出かけなければならず、出発準備にかかる時間になりましたので、あとはまた夜に。

 ありがとうございます。

1753髪の子:2013/06/09(日) 12:15:03 ID:9ENzEOw.

>>1751
>>学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁 を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びか けておられるように思います。>>

正直悲しいですね。
私はそのようなこと、全く思っていませんでした。
そういうお考えを、念頭に置かれた先生のご指導に、どう感想を述べてよいかわかりません。
悲しいです。

1754志恩:2013/06/09(日) 12:21:33 ID:.QY5jUA6
ahope様

賢いお方ですね。要点をうまく纏めて下さったと感心しています。
ありがとうございます。

SAKURA様

頭のいいお方ね、勉強家で、とても博学でいらっしゃいます。


2.26事件は、復興G様がお話して下さいましたおかげで、
天皇の大御心や、クーデーターを起こした青年将校達の純真な精神や、事件の背景や、
そして、
その事件の直後に 銃殺処刑されてしまった 浮かばれない青年将校の悔しい気持ちも、
事件のことと共に、
同じ日本人として、振り返って考えさせて頂く機会を与えられましたことに感謝致します。

ahope様とSAKURA様が、うまく纏めて下さったので、

2.26事件の件は、

ユタカ様もおっしゃっておられますように、この辺で終わりにしませんか。

私も、この事件のことについては、もう 心から放ちたいです。

=================================

明日の10日(月)〜15日(土)は、

先日、ユタカ様がおっしゃっておられましたが
ユタカ様が「生命の實相」の自主勉強会を、再開されるそうです。

10 日〜15日までのテキストは、
「生命の實相」第3巻の第4章、第5章。

ーーーーーーーーーーーーーー
楽しみに、学ばせて頂きます。

皆様、ありがとうございました。

1755rei:2013/06/09(日) 12:35:22 ID:S8XW4Pco
これから書く事はこの版にふさわしくないと思ったらすみませんがトキ様移動して下さい。

うろ覚えなのですが、
以前どこかで、「生命の実相」の頭注版の出版権は日本教文社にあるという
のを読んだような記憶があるのですが、
だから、
著作権のみでは、「生命の実相」の頭注版は世に出せないのではないでしょうか?
だから、
著作権のある生長の家社会事業団と
出版権のある日本教文社との
和解がない限り、以前のままのご本は出せないということではないかと思うのです。


裁判に訴えて、相手のミスを指摘したところまではよかったでしょうが、
日本教文社に出版させなくしたところはいけなかったように思います。

そこまでしなくては、多くの信徒の目を覚まさせることは出来なかったでしょうか?
でも、その結果、「生命の実相」頭注版は、信徒の前から消えつつあるのです。

新編「生命の実相」を5巻まで出してしまった生長の家社会事業団は、それを全うしたいと思うでしょう。

「人類の苦悩を救いたい」という趣旨とは、ほんの少しずつずれていくのでは
ないかと、危惧しています。

後門の狼とは、生長の家の教団からも本流派からも離れていってしまう人たちを
指しているように思います。

合掌

トキ様
合わないと思ったら移動をお願い致します。

1756SAKURA:2013/06/09(日) 12:38:38 ID:ndMIxCBA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ 
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>>>1724>>1725>>1726>>1728>>1750 投稿の続きです…。

■□  ユタカ 様 へ >>1744>>1745 の投稿から〜〜〜

大変!お久しぶりです…。私事の「亡き母」の資料を整頓しておりますと…
本当に創立者「谷口雅春先生 時代」は、時代背景もあり【日本経済復興…】というスロ−ガンのもとで、
国民一人一人が、前向きな“想念感情…”にて、精力的に行動していた跡が…見受けられます。
【WEB 誌友会】の「ユタカ 様」の投稿を閲覧させて頂きながら…私も同感です…。そして何よりも?
【献金斜陽族…】として物哀しさを感じております…。

■□【生長の家…お家騒動】が【2・26事件…】と同格では〜〜〜?と、みる方もこの投稿者の中に
何人かは、いらっしゃるようですが?そうではありません。…【この様に“断言”できます。…】

尚【2・26事件】を討論としておっしゃいますならば…これは「明治維新…」から入っていくかと。
そして大政奉還前後――>その後、議会制度設立の際の10年間が〜〜〜疑問点が多分にありますのです。
そして【満州事変…】になりますと?今の御三家…【三井財閥…】此処が絡んできますかと。更に〜〜〜

■そして、既に…1988年?1990年?頃にも、既に「青年会…」?(後程、ある資料提出させて頂きます。…が?)
本当に“ビックリ…”です。…が?

>>「ユタカ 様」へ  !!
大変失礼ながら… 私も「バカ!」の一人です…。
今回〜〜〜少し【 「生長の家…」の衰退原因の氷山の一角… 】が、発覚した事は〜〜〜
前へ〜〜〜前へ〜〜〜前進できる“キッカケ…”を頂いた事にはなりませんか?私はそのように思います。
(認める事から…始まるのですかと。…) 

                                 再合掌
ps:
此処で「司馬遼太郎氏…」の多々なる歴史資料から…此処では公言出来ません。…が?〜〜〜><
【歴史の真実…】を垣間見る事が…その件は?私も…パートナーも…多々なる“語り部…”から、
【真実…】と思われる点が多々あります。

1757rei:2013/06/09(日) 12:52:52 ID:S8XW4Pco
私は、
この2,26事件のことはよく知らなかったけれど、
とても大切なことだと思います。
継続をお願いしたいです。

1758トキ:2013/06/09(日) 13:09:13 ID:hol03mh2
 二・二六事件は、現在でも謎が多い事件です。

 例えば、磯部浅一は、遺書で、事件の朝、真崎甚一郎大将が青年将校に面会し、

「よくやった」

と褒めたと証言をしています。しかし、当時、その場に居合わせた憲兵は、
真崎大将が、

 「バカもの、何という事をしたのだ!」

と青年将校を叱りつけたと証言をしています。真崎大将は事件の黒幕と言われる人物です。

 現に、事件の被害者である片倉衷少佐は、「黒幕は真崎だ」と断言をしています。が、
この証言のどちらを採用するかで評価は変わってきます。

 ただ、この事件は、昭和天皇の態度がご立派だったので、無事、終息したという評価が
多いのも事実です。

1759志恩:2013/06/09(日) 13:09:44 ID:.QY5jUA6
復興G様の
1751,
1752,
を拝見しないで、1754,を拝見しました。

だけれど
復興G様が、>>学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁 を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びか けておられるように思います。>>

とおっしゃったことは、極めて ショック です。


雅宣総裁を辞任に追い込め!!というのではなく、

雅宣総裁は、辞任して、当然の結果が、裁判の結果で このたびの 最高裁での判決がくだされただけでなく、
今迄の総裁がやることなすこと 総合的に考えて,失敗だったという結果が 出ているのですから、

① そういう場合は、常識的に考え、「自ら潔く辞任なさる」か、

② 生長の家総裁として、社会事業団に謝罪と和解を申し入れて、「社会事業団から、生命の實相、聖経を買う」か、

③ 社会事業団に,自ら和解して、お金をはらって、日本教文社から「頭注版、生命の實相」を出版する努力をされるか、

これらのことを 生長の家総裁として、自ら  即実行しなければ、ならないことは、当然のことではありませんか。


「自ら辞任すること」は、当然なことですのに、それについて、言ってる人達の方が、まるで、とんでもないやつらみたいな
言い方をされるなんて、私は、大変驚いております。

上記の、①、②については、このたびは、本流派だけでなく、

和解派であるトキ様も、訊け様も、異口同音に、おっしゃっておられることです。

なにしても かにしても、やりたい放題やっておいて、失敗しても、まったく責任をとらないトップなんて、この世に、めったと居ないと思います。

1760トキ:2013/06/09(日) 13:23:51 ID:hol03mh2
 田中角栄とニクソン大統領は、同時期にいた政治家ですが、運命はかなり違います。

 金権政治で批判をあべて総理を辞任しましたが、その後も政治家としては影響力を持ち続けた
のが田中さんです。ロッキード事件で逮捕されたあと高裁で有罪判決を受けても、その威光には
変化はありませんでした。

 ニクソン大統領はウオーターゲート事件で辞任。ただし、実際は、辞任をしようとしなかった
ので、不訴追を条件に辞任という選択を突きつけられたようです。その後は政界から引退し、
慈善活動や世界平和の活動に尽力し、亡くなる前には、その努力にあらためて尊敬を集める
ようになっていました。

  アメリカの場合、そのまま訴追をすれば、ニクソンは権力に固守し、逆に国のためにならな
い、という判断が周囲に働いたみたいです。

 指導部の責任を追求する場合、どうあるべきかは難しいですね。責任の追求と、それにともな
う混乱とのバランスを考える事は必要でしょう。

 これは、生長の家とは関係ない話です。ごめんなさい。

1761志恩:2013/06/09(日) 13:24:28 ID:.QY5jUA6
rei様

>>著作権のある生長の家社会事業団と
出版権のある日本教文社との
和解がない限り、以前のままのご本は出せないということではないかと思うのです。


裁判に訴えて、相手のミスを指摘したところまではよかったでしょうが、
日本教文社に出版させなくしたところはいけなかったように思います。

そこまでしなくては、多くの信徒の目を覚まさせることは出来なかったでしょうか?
でも、その結果、「生命の実相」頭注版は、信徒の前から消えつつあるのです。<<

rei様


信徒の浄財、5億円も使って、最高裁にまで上告して、何度も何度も裁判をやったのは、教団のほうです。

それに、社会事業団がミスをついたくらいで、何度も何度も裁判所が、教団側に、敗訴の決定を出すと
思いますか?

法的に、教団側が、悪いという判決がでたのですから、500億円も教団は遺産があるのです。
今後、著作権の使用料さえ,社会事業団に教団が払えば、いくらでも、出版出来るのではないでしょうか。

1762志恩:2013/06/09(日) 14:06:44 ID:.QY5jUA6
1757 :reiで、

>>私は、
この2,26事件のことはよく知らなかったけれど、
とても大切なことだと思います。
継続をお願いしたいです。 <<

と、おっしゃっておられますので、
2.26事件の詳細が、ユーチューブに載っていますので、こちらをご覧下されば、
2,26事件のことが、詳しくお分りになると存じますので、資料を貼付させて頂きます。

題は、「昭和11年のクーデター」です。①〜④までございます。
他にもお調べになれば、いろいろとネットに載っておりますので、多角的に知ることが可能です。

 ①http://www.youtube.com/watch?v=cNAYx0N9wwE

 ②http://www.youtube.com/watch?v=YzhOICI6h2o

 ③http://www.youtube.com/watch?v=9H4QPKsMLi0

 ④http://www.youtube.com/watch?v=_agmgAZjJpU

 rei様が、学ばれて、また2,26事件について教えてくだされば、われわれも、勉強になりますので、
大変ありがたく存じます。
----------------------------------------------------

ユタカ様は、この辺で、一応、2,26事件のことは、終わりにして欲しいと、さきほど申されました。

雅春先生の教えの方を勉強したいと、申されました。

私も、ユタカ様と おなじく、今回は、今日中で、2,26,事件の話は、終わって欲しいと希望します。

しかし、明日からも、語られたいお方は、ここは、「生命の實相」を輪読を主にする部屋ですから、
今後の、2.26事件の続きは、別の板の方で、していただきたいと、私、個人の希望を述べさせて頂きます。

訊けさん、司会の訊けさん、出て来て下さい。
訊けさんが司会なのですから、あなたのおっしゃることに、われわれは、従います。

ここの部屋で、、と、あなたがおっしゃるのなら、それに従います。

----------------------------------------------------------------

尚、明日の月曜日からは、
前に、ユタカ様が申し出て下さっておられた通り、

「生命の實相」の自主勉強会がございます。先ほど、書きましたが、
テキストは、第3巻、第4章、第5章 だと伺っております。

私は、閲覧の方が多いのですけれど、若手のahope様が、勉強家なので、
出席されてます。私は、教えていただくばかりです。

rei様は、いままでのお話をうかがっていますと、宇治別格本山の人を指導されるお立場のお方でしょうか。
輪読会にも、よろしかったら、いらしてくださいませね。そして、また、教えて下さい。

1763志恩:2013/06/09(日) 14:17:15 ID:.QY5jUA6
1762:で、
rei様の敬称が、落ちていました。すみません。

1764「訊け」管理人:2013/06/09(日) 14:36:06 ID:???


 うーん「やはり」と言いますか」この議論ですが、錯綜して参りましたね・・・・まあ、司会者がキチンとしていないのが、要因なんですが。(申し訳ありません)さて、ここで「大胆な提案」を致します。

 さて、いろいろな論点が出現し、やや、錯綜の様相を呈する現在です。しかしながらこの誌友会としましては、以下の話を今後「扱っていくことこそふさわしい」と、私は思います。多数の方が語って頂いているにもかかわらず、以下の提案は誠に恐縮とは申せ、この話に関して各自、いかにお考えかをお述べ頂けましたら幸いです。申し訳ありませんが、その論点とは、

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

>>1751 復興Gさまご発言
いま現象界では、『生命の實相』の著作権・出版権をめぐる裁判に決着がつき、教団側の敗訴が確定した。
学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びかけておられるように思います。
しかし私は、今回のテキスト『生命の實相』第3巻の御教えを かみ締めながら2.26事件のことを教訓として学び、はっきりと自覚いたしました。

このような混乱の時こそ、「正念場」である。
≪ 「神は完全であって、神の造り給うた世界には、混乱はナイ」 という実相を観ずる 「正念」 をもって、しっかりと起たなければならない時である≫
と。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

 になります。この論点こそ現在、扱う上で良質の方向となると考えます。そして同時に、この「正念」の意味を各自再確認されるのは、いかがでしょうか。そんな事を司会者からの提案と致します。

 ・・・ちなみにこの、「正念」ですがその意味は、

 >>1647>>1646>>1652も)

 にてご確認頂けます。現象がどうあれ、生長の家では「和解以外にない」と思います。実際これ以外の選択肢ですが、聖典のどこにも記述がございません(※)。今後「組織運動と信仰生活」に関し、いかに行動するのが「雅春先生の教えに適った行動となる」のでありましょうか?みなさんのご意見を、お願いしたいと思うのですが・・・・



<註>

※ 「和解以外にない」と思います。実際これ以外の選択肢ですが、聖典のどこにも記述がございません

 むろん「ここにある」という方おられましたら、ご紹介ください。現象がどうであれ、その悪に抗する事は×な行動になるのでは、なかったでしょうか。

1765SAKURA:2013/06/09(日) 14:44:34 ID:ndMIxCBA
「トキ様」へ 「観覧者の皆様」へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
>>1724>>1725>>1726>>1728>>1750>>1756 投稿の続きです…。

■【 2・26事件 】 関連につきまして…
これを討論する上では【5・15事件…】から入っていくべきモノと思います。…が?更には〜〜それ以前も?

此処で皆様の投稿の中に「 映画 」紹介されていました。…が?
失礼ながら〜〜〜【 映 画 】はある面では??〜〜〜“架空性”で?あります…。(一般的見解…かと)

■日本の現状…「歴史学者…」もそうですが?
日本の現状では?【言論の自由…】は何処まででしょうか??全ての“真実…”は?〜〜〜
【公 言】出来ないのが〜〜〜残念ながらの現状です…ネ。
                                 再合掌
PS: 「トキ様」  「観覧者の皆様」 へ
■□ 【2・26事件…】に関しまして〜〜〜
「現総裁雅宣先生」が、現在トップであられます「生長の家…」の関連性を討論する上で?
取り上げられたと致しますならば…それは大間違いです…。逆に【侵略戦争…】と認めるべき時代背景が
浮上して来るモノと…

1766志恩:2013/06/09(日) 14:49:14 ID:.QY5jUA6
訊けさん

「和解」しかない。というのは、トキ様、訊け様の昔からの持論ですけれど、
では、具体的に、どのようにすることが、「和解」だと思われますか?

例えば、機関誌1つ取っても、

教団側は、機関誌の7月号には、雅春先生のご文章は、いっさい載せていない。

これについて、トキ様は、本部に苦言を呈されました。本部は、雅春先生抹殺の動きをされてます。

で、8月号から、改善するでしょうか?今迄は、そのような苦言では、改善されてません。

これ1つ、とっても、様子をみていましょう、ということでしょうか?

具体的に「和解」は、総裁が、その気があるとも思えないのに、「和解」するしかないとは、

どのようにすることが、和解なのでしょうか?

1767SAKURA:2013/06/09(日) 14:51:19 ID:ndMIxCBA
「トキ様」へ 「観覧者の皆様」へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
>>1724>>1725>>1726>>1728>>1750>>1756>>1765 投稿の続きです…。

先程…投稿しました。…が?“再投稿 形式”を取らせて頂きます…。

■「 2・26事件…」 についての私の意見
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/1724 

■「或る人のプルグから2.26事件…」  について その一
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/1725 

■「或る人のプログから2.26事件…」  について その二
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/1726 

■「北一輝… 2.26事件の観連人物」  それに関してのプログですが
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/1728 

■「書籍本…『二十世紀を読む』(丸谷才一、山崎正和、中央公論新社)の中の【 近代日本と日蓮主義 】
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/1735  「2・26事件 関連資料」

私の「映像…」を投稿しましたのは、一応!当時の中身に近い感じが致します。
「真実性…」多分にありましょうかと??此の【歴史の事実…】は、歴史学者?認められた方が多いと
思います。一応!!先程の流しましたのが「奥殿入り…」になりましたので、「WEB誌友会」ですので、
また!再投稿させて頂きました次第です。

この【2・26事件…】は当然その前の【5・15事件】と切り離さずにはおけないモノであり〜〜〜
【生長の家…の討議の中の「侵略戦争」か?そうではない?】この問題の討議する上では〜〜〜
【侵略戦争…】という認識を抱かずにはおけない状況になるモノと…

但し?その前に歴史上の【明治維新…大政奉還】此処から入っていくモノと…思います。…が?

再合掌

1768志恩:2013/06/09(日) 14:52:59 ID:.QY5jUA6
SAKURA様

2.26事件の映画を,今回,ご紹介しましたが、その文には、他にもお調べになれば、多角的に
載っています。と付け加えておりますので、よろしく。

1769「訊け」管理人:2013/06/09(日) 14:55:40 ID:???

>>靖国殿
>>ありがとう殿


 貴殿等はいかにお考えになられますか?いやこの、復興Gさまご投稿の、>>1751文でありますが。(それ以降も含みますが)非常に興味があります。できましたらご自説の開陳を、お待ちしたいところです。正念場の「正念」の意味を再度ご確認され、ぜひ、ご投稿ください。
 さて、「教団も嫌だが別派も嫌」、そんな者が大半の情勢です。そして、その、信徒の迷いの一端はこの、「正念の解釈の違いに帰結する」とまで思えて、なりません。(個人的所見でしょうか)



1770「訊け」管理人:2013/06/09(日) 14:57:41 ID:???

>>1766

 過去に再三申し上げた点です。ところで貴女さまは私の意見を、どのように解釈されておられるのでしょうか。

 その点をお述べください。私が申す「和解」とは、雅春先生のそれとイコールのものです。どこが違うのかを貴女様から、
ご指摘賜れば終わる話です。




1771「訊け」管理人:2013/06/09(日) 14:59:29 ID:???

>>1766


 一点だけ申せば「悪に抗しないこと」です。これが、「和解」です。

 さらには棲み分けを言われるならば、「別れた女のことをいつまでも、クドクド言わない」こと。これが「和解」です。



1772「訊け」管理人:2013/06/09(日) 15:04:59 ID:???

 なお志恩さまには、復興Gさまからの質問がございます。

 >>1700をご確認ください。ご返信をお願い致します。



1773ありがとう:2013/06/09(日) 15:15:35 ID:???

さらには嫁には生長の家のこと、伏せております

〜〜・・〜〜

  先ずはこの状態から脱出してくだっせ

  それからです。

1774志恩:2013/06/09(日) 15:18:03 ID:.QY5jUA6
雅春先生の教えは、訊けさんのおっしゃる通り「和解」を第一に挙げてます。

では、あなたが主張される和解を

本気で心から望むのであれば、その矛先は、当然、〝原理主義〟という名で意図的に信徒の分断工作をはかった谷口雅宣総裁に向けられなければおかしいと思います。

谷口雅春先生は、常に信徒を拝まれておられました。方や、谷口雅宣総裁は、心ある信徒を“原理主義者”というレッテル貼りにして排除にかかりました。

この違いにこそ、今日の教団が崩壊し、分裂してきた、悲しいまでの実態があるのではないでしょうか。



「生長の家は和解の教えである」のですから、総裁や教団が、帰りさえすればいいのです。

しかし、谷口雅宣総裁がそれを容認しない以上、自分の教えが生長の家の教えであると考えている以上、和解の道は閉ざされていると申し上げるほかはありません。

1775「訊け」管理人:2013/06/09(日) 15:20:17 ID:???

>>1773

 ・・・・・・あまり関係ないと思います。いかがでありましょうか。

 私の状態がどうであれ、ここはWEBです。後で確認してコメントを返す、そんなことが可能なのですからね。

 ・・・・オフザケではないことを祈りながら、この文を投稿致します。ぜひ、ご回答くださいませ。




1776「訊け」管理人:2013/06/09(日) 15:22:41 ID:???

>>1774

 和解とは「相手がどんな状態にあるか」が、最重要という意味でしょうか?

 さらには、和解とは、相手が和解する状態になくば「しなくとも構わない」という意味でしょうか?

 その点をまず、ご返答ください。よろしくお願い致します。



追伸

 また、>>1772もご確認後、復興Gさまへご返信くださいませ。

1777SAKURA:2013/06/09(日) 15:23:24 ID:ndMIxCBA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ 
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1724>>1725>>1726>>1728>>1750>>1756>>1765>>1767 投稿の続きです…。

■□■―――【 ア−ノルド・ベネット 】―――――――――――――――――――――――――――■□

時は言葉で言い尽くせぬほど素晴らしい万物の素材である。時があればすべては可能である。
なければ何物も不可能だ。時が毎日毎日我々に供給されるさまは、よく考えてみれば、
まさに目を見張るような奇跡だ。
…云々…

この今、手にしている「時」以外には、「時」は決して手にできない。今も、そしてこれまでも、
我々は現在手にしている「時」しか持たないし、また持たなかったののだ。( ア−ノルド・ベネット )

■―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――■

■□「生長の家…」当に!今から始まったばかりだと…確信しております。【 翌檜の樹…ように 】

そして「日本教文社…発行の「生命の実相」は〜〜〜
おそらくは「現総裁先生…」は?或る一定期間…ねかせて【再発行…】とされますのではないでしょうか?

何故ならば〜〜〜「創価学会…」が関与しているフシも〜〜〜個人的には?考え得られますし〜〜〜
今回の「裁判判決…」これは、逆に云いますと【云い事の始まり〜】と思っております次第です。

         再合掌

1778志恩:2013/06/09(日) 15:27:29 ID:.QY5jUA6
雅宣さんは、

谷口雅春先生を心から慕う人、『生命の實相』を何よりも大事だと思う人

…そういう人は悉く〝原理主義者〟として白眼視されていったのです。

そういう人、原理主義者と名付けた

身近にいた方々を、悉く、雅宣さんが、追放してきたのは、事実では、ありませんか。

そして、そのつぎは更に〝雅春派〟という名まで用いられるようになりました。何が恐ろしいと言って〝雅春派〟という呼び方です。

そこには、「先生」という尊称が抜けているんです。

そういう雅宣さんに、イエスマンとして、すりより続けている方々が、

今や、参議、理事にまで登り詰めて、雅宣総裁の取り巻きになっているのです。

そういう人達、、、、雅春派とわれわれを、見下しつづけている雅宣さんや、その取り巻きの人達と、

われわれに、和解を迫るあなたって、どういう神経をされてるのか理解できません。

1779「訊け」管理人:2013/06/09(日) 15:30:56 ID:???

>>1778


 それは、間違いです。総裁先生はそのように「原理主義者」を定義、されておられません。(必要ならば詳細に論拠を挙げましょう)

 さて、ここでの問題は「じゃ、悪ならば」ということです。現在の論点は、そこになります。

 じゃ、志恩さんは「悪者とは和解しない」のでございましょうか。赤痢菌と和解して赤痢菌がなくなった楠本先生の例などを過去、挙げましたが
そういった行動こそが、生長の家で言うところの「和解」では、なかったでしょうか。

 で、和解できぬ相手であれば、志恩さんはいったい、どんな行動を採用なさいますのでしょうか。



1780「訊け」管理人:2013/06/09(日) 15:35:27 ID:???
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
<志恩流>
○ 和解が不能の相手とは、和解しなくてもよい。
○ 和解不能の相手には、その悪を指摘すべきである。(つまり「悪に抗するべき」である)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓


 さて、和解を軸にした場合ですが貴女のご意見。私は上記のごとく解釈しております。この、私のまとめ方に間違いあらば、この時点でご指摘ください。以降の議論の錯綜を、最小限のものとしたいと思います。



1781志恩:2013/06/09(日) 15:42:43 ID:.QY5jUA6
私は、何も“和解”があり得ないと言っているのではありません。

「生長の家は谷口雅春先生の教えである」

これに帰りさえすればいいのです。

しかし、谷口雅宣総裁がそれを容認しない以上、自分の教えが生長の家の教えであると考えている以上、“和解”の道は閉ざされていると申し上げるほかはない、ということです。


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「生長の家は谷口雅春先生の教えである」 (6110)
日時:2013年01月31日 (木) 11時30分
名前:全く同感


「靖国見真会」参加者 様は

訊けさんのお言葉
>>①和解とは「相手がどんな状態にあるか」が、最重要という意味でしょうか?

  ②さらには、和解とは、相手が和解する状態になくば「しなくとも構わない」という意味でしょうか?

①については、そのとおりです。「相手がどんな状態にあるか」が、最重要です。
②これは、雅春先生の教えの、悪用です。
実相と現象を混同されてます。

中国と北朝鮮とも和解すべし、というのは、相手の実相を拝んだ場合の教えです。
しかし、、現象界に生きている以上、相手の行為を見て、この人の現象(発言、行為)とは、和解してはならないというのが、
雅春先生の教えです。

なんでもかんでも、相手に妥協することと、和解することとは、正反対のことです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
“和解”があり得ないと言っているのではありません。

「雅宣さんが、谷口雅春先生の教えに帰られれば、いいだけです」


雅春先生が創始された「もともとの生長の家は、谷口雅春先生の教えである」のですから。

にもかかわらず、重要な数々の、雅春先生の書物を読めなくするなんて言語道断です。

その他、いちいち,書ききれませんが,,

その現実を直視すると、現在の現象的な彼とは、和解はできません。

1782「訊け」管理人:2013/06/09(日) 15:43:59 ID:???
<余談・補足>

>>1778 われわれに、和解を迫るあなたって、どういう神経をされてるのか理解できません。 <<

 それは、生長の家を知らない「一般人のそれ」と同等にも思えます。むろん、世間一般の方は、そうでしょう。和解を迫れば「どういう神経をされてるのか理解できません。」に、なることでしょう。(教えが入る前の)かつての私ならば、貴女に同意することでしょう。

 ・・・・でも、生長の家では、どんな行動をするのでしたでしょうか。

 たとえば「酒乱の夫」がいた場合、生長の家では、どんな行動を採用するのでしたでしょうか。「その夫の悪を指摘」して改善策を模索、するのですか。



追伸

 藤原先生曰く、「キチガイになんなさいな(笑)」・・・・和解できぬ相手とは「和解せぬ」、うん、これはまともな意見でしょう。でも、キチガイを勧める藤原先生ならばいったい、どの様な評価をお下しになられるので、ありましょう。

○ 藤原先生ご講話(動画)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65728624.html

1783「訊け」管理人:2013/06/09(日) 15:48:38 ID:???

>>1781

 ならば志恩さんのご主張は、雅春先生のそれには「まったく適っていない」と判断できます。それゆえにいつも、議論が錯綜するのだと、思います。



追伸

 必要ならば論拠を挙げましょう。なお、復興Gさまからのご質問が、ございます。そちらへの回答をまずは、なさってくださいませ。

1784「訊け」管理人:2013/06/09(日) 15:52:53 ID:???

<補足>

>>1781しかし、、現象界に生きている以上、相手の行為を見て、この人の現象(発言、行為)とは、和解してはならないというのが、
雅春先生の教えです。<<


 完全な、間違った認識であると断言致します。



1785志恩:2013/06/09(日) 16:00:49 ID:.QY5jUA6
酒乱の父と和解したのは、私もそうですが、
酒乱の父と和解したとからって、私は、父の言いなりになってたわけでは、ありません。

違うと思った時は、はっきりと言い、激しく論戦を繰り返していました。
でも、実相は、神の子だと教えて頂いておりましたので、
朝夕の神想観のおりには、父の実相を拝み、

現実生活では、意見の相違があった時は、喧嘩もしました。

それで、我が家の場合は、私の勉強机のうえに、何気なくおいてあった

私の読みかけの「光の泉」を、父が、あるとき、読みまして、心に凄く響くところがあり、

夕方、私が学校から家へ帰りましたら、父が、私に手をついて、なみだながらに謝ったのです。

「私が、自分のお小遣いを貯めて買った生命の實相、全巻を庭でもやしてしまったことを。

そのご、父は、生長の家に熱心になり、自宅で、誌友会をひらいてくれるようになりました。

(私は、神誌は、全部、とっていました)

私にも そういう体験は、ありますが、

師の著書を絶版にしたり、生長の家の機関誌に,雅春先生のご文章を一切載せない、

そのような愚かな男と、和解するのは、まっぴらごめんです。

1786「訊け」管理人:2013/06/09(日) 16:08:18 ID:???


 「総裁との和解はまっぴらごめんです」、これがご主張ということですか。ならば、少なくとも雅春先生のご主張とは「違うもの」だと思います。



追伸

 生長の家信徒は、「にもかかわらず和解されてこられた」方々だと、思います。たとえば私ならば今は、銀行の悪口を言うことよりも、優先すべきものがあります。でも、志恩さんの言うことに従うならば、たぶん、「銀行の悪を毎日、指摘する方法」を、勧められることとなりましょう。(そうなります)

 ・・・にもかかわらず和解する、そんな方々の歴史が、生長の家の歴史だったのでは、ありませんか。少なくとも私は、そう解釈しておりますが。

1787志恩:2013/06/09(日) 16:10:24 ID:.QY5jUA6
訊けさんに質問です.

そのようなことを言われるなら,

本家本元の雅宣さんは、ご親族となぜ、和解されてないのですか。喧嘩わかれしたままじゃないですか。

「社会事業団」や「学ぶ会」とも、何故,彼だけではなく、訊けさんもですが、和解されないんですか?

自分ができてないのに、人にせよとは、とんでもない了見です。


ぜひぜひ、「人間同士の和解」について、「生長の家総裁」が、どのようにお示しくださり、ご自分でどのように実践されたか。

また、どうしたら、「和解」できるのか、その秘訣を説いて、教えて欲しいものです。

1788「訊け」管理人:2013/06/09(日) 16:14:46 ID:???

>>また、どうしたら、「和解」できるのか、その秘訣を説いて、教えて欲しいものです。<<


 ・・・・聖典に多々、書かれてあるではありませんか。




追伸

 
>>自分ができてないのに、人にせよとは、とんでもない了見です。<<


 なお、この種の「訊けはどうか」と言った話は論点違いです。(他板でどうぞ)

 ・・・・また、和解は私が言っているのではなく、雅春先生のご主張である点、再度ご確認ください。

1789志恩:2013/06/09(日) 16:16:38 ID:.QY5jUA6
復興G様は、

昔から「実相独在」1本で生きて来られた先生ですから、
私が,あらためて先生に、お答えしましても、しかたがございません。

私の考えは、いつも遠慮なく、復興G様の胸を借りて、申し上げてまいりました。

考え方は、ひとそれぞれですから、全部、相手に合わせる必要もないと思います。

1790「訊け」管理人:2013/06/09(日) 16:18:14 ID:???

 >>1780のまとめ方で概ね、貴女さまのご主張としては間違っておりませんか。

 また、>>1772もご確認後、復興Gさまへご返信くださいませ。よろしくお願い致します。



1791志恩:2013/06/09(日) 16:20:34 ID:.QY5jUA6
雅春先生が書かれていると
訊けさんが、いわれている。

しかし、本家本元の 自称 継承者の雅宣さんは、まったく実行されておられない。
その件は、どう、あなたは思われますか?

1792「訊け」管理人:2013/06/09(日) 16:21:30 ID:???

>>考え方は、ひとそれぞれですから、全部、相手に合わせる必要もないと思います。<<


 むろん人それぞれでしょう。けども、「雅春先生のそれ」から外れておられては、いかがでしょう。

 その際には「修正なさる」のでありましょうか。それとも修正せずに、そのままなのでありますか。

 人それぞれでしょうが少なくともここ(生長の家関連掲示板)では、「雅春先生の教えを軸に」語ることはお許しください。
「和解せぬ」はよいでしょうがそれは、少なくとも御教えからは逸脱した行為になります。そうでは、ありませんか。



1793「訊け」管理人:2013/06/09(日) 16:24:17 ID:???

>>1791

 その点は現在、重要なのでしょうか?

 そして仮に、総裁が逸脱しているとしましょう。それでも「和解以外に選択肢」ですが、ありますか?

 ・・・・。




追伸


 「和解」の意味を再度、ご確認ください。貴女はあたかも、私が「妥協せよ」と主張しているように解釈、されて
おられませんか。

1794志恩:2013/06/09(日) 16:28:08 ID:.QY5jUA6
ここをご覧のみなさまへ

訊けさんは、現象と実相を混合しています。
私が、それにつきましては、他の投稿文で、コメントしましたが、その私の真意は載せていません。
そして、教えを悪用して、以下の考えが、志恩の考えだとして、
私を、貶めようとしている男です。

皆様も、重々、人を貶める,訊けさんの巧妙な手口には、ご用心くださいませ。
----------------------------------------
以下、訊け氏の貶め方

<志恩流>
○ 和解が不能の相手とは、和解しなくてもよい。
○ 和解不能の相手には、その悪を指摘すべきである。(つまり「悪に抗するべき」である)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓


 さて、和解を軸にした場合ですが貴女のご意見。私は上記のごとく解釈しております。
この、私のまとめ方に間違いあらば、この時点でご指摘ください。以降の議論の錯綜を、最小限のものとしたいと思います。

1795「訊け」管理人:2013/06/09(日) 16:32:59 ID:???

 志恩さまは先ず、復興Gさまご謹文のご拝読を行ってくださいませんか。復興Gさまは議論の錯綜を極力抑えるとの目的で、あの長文を、ご投稿してくださいました。まず、質問を寄せる際の語義ですが、ここからの整理をお勧め致します。

 そして、語義を、同氏さまご謹文で確認されてからのご投稿を、お願いしたいと思います。さもなくばせっかくのご愛念が、無に帰するような感じが致します。

○ 復興Gさまご謹文の索引>>1685



1796「訊け」管理人:2013/06/09(日) 16:35:11 ID:???

>>1794

 「貶め」ではありません。真意の確認です。

 異論あらばどうどうと、反論なさってください。





追伸

 また論点がずれておられます。「訊けは貶めているか、否か」といったものでしたら、どうぞ別板でお願い致します。
 そんな話を現在、執り行っているのでは「ない」のです。

1797志恩:2013/06/09(日) 16:35:37 ID:.QY5jUA6
私は、神想観、聖経読誦、聖典読誦して、
自分の考え方は、日々、脚下照顧しています。

私の生長の家の教えの捉え方と,訊けさんの教えの捉え方は、
2年以上まえから、ずっと平行線です。

あなたが,私を教えとはずれていると断言されても、私は、内なる神さまの
承諾を得ながら,発言しておりますので、

あなたが、どう、私を見下そうと、なんとも思いません.

あとは、閲覧者の皆様のご判断にお委ねしたいと存じております。

1798「訊け」管理人:2013/06/09(日) 16:37:04 ID:???

>>1797

 それでは、復興Gさまからのご質問にぜひ、お答えください。

 よろしくお願い致します。



1799通りすがりの第三者:2013/06/09(日) 16:39:10 ID:jb8imO5c
全くもって訊けさんへの具体的な回答がありません。回答者の真意がわかりませんね。
あくまでも第三者の意見です。

1800志恩:2013/06/09(日) 16:39:20 ID:.QY5jUA6
復興G様の書き込み、再読させていただきました。

「感謝」と「全宅」ですね。

それは、実相を相手にするべき行だと存じます。

1801「訊け」管理人:2013/06/09(日) 16:39:22 ID:???

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

<復興Gさまよりの、志恩さまへの問いかけ>

>>1699より)ただ、基本の本来の目的――「夫婦喧嘩の目的は勝つことではなく、仲よく幸福な家庭をつくること」という服部仁郎先生の講演のお言葉(>>1648)は、面白いと思いましたが、いかがでしょうか。皆さま、どう思われますか、志恩様にも伺いたいです。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

1802志恩:2013/06/09(日) 16:43:22 ID:.QY5jUA6
夫婦喧嘩の目的は、勝つ事ではなく,仲良く幸福な家庭をつくること。
それは、家庭生活では,当たり前の真理です。

それで、おっしゃりたいのは、ほんとうのところは、
雅宣さんとも,仲良くして行きましょうという事ですか。

あちらが、その気がないのに!!

 片思いでおわります。

1803SAKURA:2013/06/09(日) 16:45:46 ID:ndMIxCBA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ 
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1724>>1725>>1726>>1728>>1750>>1756>>1765>>1767>>1777 投稿の続きです…。

■□>>1785 から志恩さまの投稿より????
「志恩様の投稿文章…」から〜〜〜♫〜〜〜思いますに〜〜〜?

まるで!まるで!原宿本部の〜〜〜
■□ 【本部講師……小○○先生(M・K先生)の体験談】に〜〜〜“ソックリ”なのですネ??
この先生は【 現総裁雅宣先生 …総裁派 】なのです〜〜〜ョネ!本当に【類似!体験文章…】ですネ??

思いますに?いつも!いつも!「文章の体験内容の変化が飛んでる〜〜〜」処の多い「志恩様」には、
今回!は、いささか〜〜〜かなり「疑問…」となりましたのですが??「何人の志恩様…」でしょうか?

確か!【本部講師……小○先生(M・K先生)の体験談】は【普及誌…】に体験談投稿???が、書かれた
記憶がありまして!ソックリ〜ソックリ〜で?尚の事“ビックリ…”なのです。…が???変〜〜変〜〜!!

※【 生長の家「原宿本部…」にて? 】尋ねてみようかしらン???「普及誌…」も?探してみましょうかと。

                                    再合掌

1804志恩:2013/06/09(日) 16:49:11 ID:.QY5jUA6
訊けさんとも

 片思いで終わったのに、

あのお方と,仲良くとは、無理!!

 なおのこと、私が、大きくふられて終わります。

私は、幸か不幸か、わかりませんが、江戸っ子なので、未練たらしく生きられないのです。

1805「訊け」管理人:2013/06/09(日) 16:50:00 ID:???

>>1802

 和解は相手の事情次第・・・ならば楠本加美野先生は、御教えを「かなり歪曲されておられる」ので、ありましょうか。

○黴菌と言えども神の使い(楠本加美野先生)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65704064.html
○前科七犯氏との和解(楠本加美野先生)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65704629.html

 ・・・・和解は相手の事情次第で「しなくともよい」のでしょうか。間違いないですか、志恩さま。



1806ユタカ:2013/06/09(日) 16:52:20 ID:R1D4Jmeg
>>1751 :復興G:2013/06/09(日) 11:57:27 ID:AB6RqYXc
>>1736 で山本富士子様が

>>なぜ、なぜあのような血なまぐさい事件(2.26事件)が生長の家の今を考えることの材料に選ばれたのでしょうか。<<

と疑問を投げかけられていますが、それは、神――といっても本源の神ではなく、私の指導霊だと思います――が選ばれたのかなあという気がします。

このweb誌友会の1週間前に、「2.26事件とその背景」という橋本徹馬氏の自叙伝による資料を、興味深いから読んでみないかと、渡されました。それを読み始めたら、まだ全部読み終わらないうちに、これを、web誌友会で生長の家の「今」を考えることの材料に使ったらよい、とひらめいたのです。それで、第14回web誌友会の勉強のテーマは「組織運動と信仰生活」にしようということになったとき、すでに自主勉強会でしっかり使われてきた『生命の實相』だけでなく、2.26事件の資料を使いましょうと予告したのでした。

これは神の導きによるものだったという気がします。

いま現象界では、『生命の實相』の著作権・出版権をめぐる裁判に決着がつき、教団側の敗訴が確定した。

学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びかけておられるように思います。

しかし私は、今回のテキスト『生命の實相』第3巻の御教えを かみ締めながら2.26事件のことを教訓として学び、はっきりと自覚いたしました。

このような混乱の時こそ、「正念場」である。
≪ 「神は完全であって、神の造り給うた世界には、混乱はナイ」 という実相を観ずる 「正念」 をもって、しっかりと起たなければならない時である≫
と。

2.26事件からその教訓を学びましょう。――

 さて、2.26事件のどこが現在の生長の家の状態に似ているか。

 2.26事件から、「今」 何を学ぶか。

 私は今日午後からリアルの誌友会に出かけなければならず、出発準備にかかる時間になりましたので、あとはまた夜に。
=======

復興G様、ありがとうございます。

復興Gさま、このWEB誌友会の御題を神様から頂いた御題と書かれていらっしゃいました、私も同様に思います。
ただ、現在の生長の家とどこが似ているのかは「無い」という声が自分の中で聞こえて、現象を見ようとしない自分がいます。現象の中を検証をしようとすると、拒絶反応をするのです。ですから、自分の中では、「争い」とひとくくりにして考えています。

226事件に光をあてる方を重視しています。
この御題を頂いたのは金曜日です、土曜、日曜と多忙な方もおられると思います、ユタカも時間が取れませんでした。
そこで、復興G様、皆様、もう少し時間を頂いて、じっくり、読んだり考えたりする時間を頂きたいと思います。
いかがでしょうか? あと、一週間位いただけませんか? 二、三日でも・・・・

会期延長をお願いいたします。 (今、書いているのが間に合いそうにもありません。)

1807「訊け」管理人:2013/06/09(日) 16:54:22 ID:???

>>1806

 私も開期延長に賛成致します。




1808志恩:2013/06/09(日) 16:57:12 ID:.QY5jUA6
SAKURA様

この私の体験談は、だいぶまえからこの掲示板で、何度も同じことを
書いています。同じように書いています。

ですから、ご存知のお方も多いと思いますよ。
その都度、ちがって書いてる?
私は、なんども、同じ体験談をここで書いて来ました.

本部講師の先生と同じ体験なんですか?
私は、その先生の体験談を読んだ事は、ありません。


こんど、私の過去の文を探し出して、載せましょうか?

1809ユタカ:2013/06/09(日) 16:59:38 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、 訊け管理人司会者さま、 トキさま 皆様へ

すみません、 先ほど復興Gさまがお出ましで、また夜にでも・・・とおっしゃっていました。

ですが、この 226事件と生長の家の現状の御題を頂いたのは金曜日です。 皆様、申し訳ありませんが、もう少し時間をいただけませんでしょうか?

会期延長願いを提出いたします。 時間がとれず、良く読めませんし、発言も短文になり、謹写も短時間なので不可能です。

あと、一週間位、さまざまな事を考える時間をとりませんか?

これからは、226事件に光をあてる! という事でユタカは考えて発言したいし、謹写したいからです。いかがでしょうか?

よろしくお願いいたします。

1810【再掲載】「訊け」:2013/06/09(日) 17:01:11 ID:???

 うーん「やはり」と言いますか」この議論ですが、錯綜して参りましたね・・・・まあ、司会者がキチンとしていないのが、要因なんですが。(申し訳ありません)さて、ここで「大胆な提案」を致します。

 さて、いろいろな論点が出現し、やや、錯綜の様相を呈する現在です。しかしながらこの誌友会としましては、以下の話を今後「扱っていくことこそふさわしい」と、私は思います。多数の方が語って頂いているにもかかわらず、以下の提案は誠に恐縮とは申せ、この話に関して各自、いかにお考えかをお述べ頂けましたら幸いです。申し訳ありませんが、その論点とは、

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

>>1751 復興Gさまご発言
いま現象界では、『生命の實相』の著作権・出版権をめぐる裁判に決着がつき、教団側の敗訴が確定した。
学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びかけておられるように思います。
しかし私は、今回のテキスト『生命の實相』第3巻の御教えを かみ締めながら2.26事件のことを教訓として学び、はっきりと自覚いたしました。

このような混乱の時こそ、「正念場」である。
≪ 「神は完全であって、神の造り給うた世界には、混乱はナイ」 という実相を観ずる 「正念」 をもって、しっかりと起たなければならない時である≫
と。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

 になります。この論点こそ現在、扱う上で良質の方向となると考えます。そして同時に、この「正念」の意味を各自再確認されるのは、いかがでしょうか。そんな事を司会者からの提案と致します。

 ・・・ちなみにこの、「正念」ですがその意味は、

 >>1647>>1646>>1652も)

 にてご確認頂けます。現象がどうあれ、生長の家では「和解以外にない」と思います。実際これ以外の選択肢ですが、聖典のどこにも記述がございません(※)。今後「組織運動と信仰生活」に関し、いかに行動するのが「雅春先生の教えに適った行動となる」のでありましょうか?みなさんのご意見を、お願いしたいと思うのですが・・・・



<註>

※ 「和解以外にない」と思います。実際これ以外の選択肢ですが、聖典のどこにも記述がございません

 むろん「ここにある」という方おられましたら、ご紹介ください。現象がどうであれ、その悪に抗する事は×な行動になるのでは、なかったでしょうか。

1811志恩:2013/06/09(日) 17:02:19 ID:.QY5jUA6
SAKURA様

私の過去の体験談を1つ、みつけましたので、部屋板のほうへ再掲しました。

1812ユタカ:2013/06/09(日) 17:03:28 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、

光をあてる方のまとめは少し待っていっていただけませんか?

訊け様、みなさんがよろしければ、延期をお願いいたします。 私は発言したいことが夜までにはとても、」とても間に合いません。

皆様も、これから、光をあてる と言うところを考えていきませんか??  かって申し訳ありません。。。。

1813【再掲載】「訊け」:2013/06/09(日) 17:03:58 ID:???

>>1803SAKURAさま

 申し訳ありませんが、論点を異にするご投稿であろうと、思います。

 たとえば「誰々がだれ」といった趣旨のお話しでしたら、どうぞ別板でご投稿ください。

 よろしくお願い致します。



1814志恩:2013/06/09(日) 17:04:45 ID:.QY5jUA6
2、26事件の会期延長について、
司会の訊けさんとユタカ様が,決められましたので、賛成します。

1815ユタカ:2013/06/09(日) 17:05:38 ID:R1D4Jmeg
訊けさま、訊け様の投稿文や志恩さまの文を読まずに投稿しました、これから読みます。

1816【再掲載】「訊け」:2013/06/09(日) 17:07:20 ID:???

>>1812

 再度表明致しますが、開期延長に賛成です。

 今回の復興Gさまご提題は、よほど重要なものと思う次第です。さらには、時間をかける価値のある、そんなテーマだと
個人的には思います。

 むろん、参加者が少なくとも我々だけで延期、することもよいと思います。

 復興Gさまのご提出くださったテーマこそ目下、公論に値いするものと思うのです。大人が時間を割く価値ですが、「ある」
と思えてなりません。他の方の意見もお待ち致しますが、個人的には継続したいと考えております。



1817ユタカ:2013/06/09(日) 17:14:03 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、

いかがでしょうか? まとめのご講話を少しお待ち願いと思います。

もう少し時間をかけさせてください。 どうかよろしくお願いいたします。。。

1818SAKURA:2013/06/09(日) 17:24:37 ID:ndMIxCBA
「トキ様」 ・ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1724>>1725>>1726>>1728>>1750>>1756>>1765>>1767>>1777>>1803 投稿の続きです…。
投稿の続きです…。

>>1813 名前:【再掲載】「訊け」 投稿日: 2013/06/09(日) 17:03:58 ID:??? の投稿に関しまして〜〜

■この件は〜〜〜疑問が生じます…。投稿を閲覧しての感想であり〜〜〜
そうおっしゃいますならば…全てに関して「不思議な現象…」があります。…が?

昨日の【2・26事件…】折角“オモシロク…”皆様の討論を見ていますと?スグサマ〜〜〜
【 身内びいき…】の投稿論場会場でしょうか?今度は〜〜〜【 再討論延期…論 】ですか?

■【臭い物には蓋】ということでしょうネ!  此処は【分派…のみの討論会場!】でしょうか?
                    
 再合掌

1819ユタカ:2013/06/09(日) 17:25:08 ID:R1D4Jmeg
訊けさま、志恩さま、 ご協力をありがとうございます。

私はいつも悲惨な事件を見たくないと心が拒絶してしまい、今回は特に補足資料の貧しい農村の身売りなどを読むと可哀相過ぎて、現代ではありえない事のようで頭がクラクラして気分が悪くなって嘔吐しそうになってしまった。しかも、どこかで検索して写真つきを見てしまった。

次の段階の現状に光をあてる と言う方向で元気が出てきます。 よろしくお願いします。

1820ユタカ:2013/06/09(日) 17:28:26 ID:R1D4Jmeg

臭い物に蓋でなく、 (臭い物と表現するには、あまりにも気の毒)

暗に光を充てる と言う表現ではいかがでしょうか??

1821ユタカ:2013/06/09(日) 17:33:19 ID:R1D4Jmeg

ユタカはこれから、仕事です。 明日以降に帰宅です。 

もし、まとめが終わっていても、後だし投稿しますんで、よろしくお願いいたします。

ここは皆が【生長の家家族・皆が身内】ですよ・・・・

1822復興G:2013/06/09(日) 18:08:14 ID:AB6RqYXc

復興G、只今帰ってまいりました。

皆さまのご投稿を、これからじっくりと拝読させていただきますが、>>1816 会期延長については、賛成です。

合掌 ありがとうございます。

1823復興G:2013/06/09(日) 18:18:11 ID:AB6RqYXc

>>1817 :ユタカ様

皆々様

“まとめの講話” は、ユタカ様のご要望もありますし、私もその方がありがたいですので、しばらく延期させて頂きます。ありがとうございます。

1824復興G:2013/06/09(日) 20:27:19 ID:AB6RqYXc

志恩様に、一つお伺いしたいことがあります。

私は、>>1556 に、次のように書いていました。

         ○

>>「総裁が変わらなければ幸せになれない」

と思い込むのは、総裁の奴隷になることだと思います。

テキスト『生命の實相』第3巻第4章94頁に

≪ 現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。≫

とありますが、この「経済組織」というのを「生長の家の教団組織」と置き換えても同じことではないかと思いますが、いかがでしょうか。

≪心を浄めて地上天国の根本基礎を築きなおし、そこからこそ社会改造にも出発しなければ、いたずらに犠牲者ばかり多くして効果は少ないのであります≫
(同書94〜95頁) とも書かれています。

今こそ正念場であります。「正念場」とは、
≪神の創造し給えるそのままの状態を念じますことを「正念(しょうねん)」といいまして、その正念の影が映れば現実世界は完全な病気も災難もない状態を現出するのであります。つまり「正念」とはあらゆる事物を神の造り給えるままの状態そのままに念ずることで、そういう正念をもって生活することを神に結ばれた生活というのであります。≫ (同上書76頁)

≪“正念”というのは、「ここは正念場だ」などというでしょう。「ここが正念場だ」というのは、正念を出して来なければならないギリギリの場だ、という意味であります。≫
 (『真佛教の把握』50頁)

――こういう谷口雅春先生の御教えを真剣に学び、生活に実行するのが、本当に「谷口雅春先生を学ぶ」ということではないでしょうか。ありがとうございます。 <<

         ○

と。それに対して、志恩様から

(志恩様)>>1558
>>1556で復興G様のおっしゃるとおりだと存じます。
「総裁が変わらなければ幸せにならない」と思い込むのは,総裁の奴隷になります。

ていうか、総裁は、変わらないと思いますので、復興G様はじめ、昔の大物の方々に、もともとの教えを、われわれは学び直して、本来の生長の家の灯を灯し続ける使命があるのではないかと存じております。

ここは、全国の方々閲覧されてますので、共に学ばさせていただきます。いつも、ありがとうございます。<<

         ○

と、ご丁重なレスを頂戴していました。本当にありがとうございました。

そのことと、今回、志恩様が>>1774

>>谷口雅春先生は、常に信徒を拝まれておられました。片や、谷口雅宣総裁は、心ある信徒を“原理主義者”というレッテル貼りにして排除にかかりました。
この違いにこそ、今日の教団が崩壊し、分裂してきた、悲しいまでの実態があるのではないでしょうか。

「生長の家は和解の教えである」のですから、総裁や教団が、帰りさえすればいいのです。
しかし、谷口雅宣総裁がそれを容認しない以上、自分の教えが生長の家の教えであると考えている以上、和解の道は閉ざされていると申し上げるほかはありません。<<

と書かれたこととは、矛盾しないでしょうか?

1825志恩:2013/06/09(日) 20:43:35 ID:.QY5jUA6
復興G様

最初の方の私のコメント〜
(志恩様)>>1558
>>1556で復興G様のおっしゃるとおりだと存じます。
「総裁が変わらなければ幸せにならない」と思い込むのは,総裁の奴隷になります。

ていうか、総裁は、変わらないと思いますので、復興G様はじめ、昔の大物の方々に、もともとの教えを、われわれは学び直して、本来の生長の家の灯を灯し続ける使命があるのではないかと存じております。

ここは、全国の方々閲覧されてますので、共に学ばさせていただきます。いつも、ありがとうございます。<<

前文のこの私のコメントは、

1人の信徒、志恩 : 雅宣先生 ・・ への私の想いでございます。


後者の「和解については」のコメントは、

雅宣総裁先生 : 社会事業団を始めとする本流の方々との、今後の和解についての私の想いを申し上げました。

後者の方は、総裁が、和解をしようと決断されて、自ら 実践されなければ、和解は可能とはならないと考えたからです.

1826復興G:2013/06/09(日) 21:24:21 ID:AB6RqYXc

>>1825 :志恩様。

速やかなレス、ありがとうございました。

拝読しまして、おっしゃることはその通りだと思いますが、その前文でおっしゃったことと、後文でおっしゃっていることとは、矛盾しないでしょうか? それについては、どうお考えでしょうか。

1827復興G:2013/06/09(日) 21:32:28 ID:AB6RqYXc


志恩様。

「総裁が、和解をしようと決断されて、自ら実践されなければ、和解は可能とはならない。」

――それは、「総裁の奴隷」ということになりませんか?

「自分が変われば世界が変わる」 というのが生長の家の御教えではなかったのですか?

1828復興G:2013/06/09(日) 21:43:47 ID:AB6RqYXc

各人が皆それぞれ宇宙の中心であり、「縛られていても自由自在」な霊である。
「真理は汝を自由ならしめん」とイエスも言ったように、「われ神なり。主人公なり」の自覚を持ってどんな環境にも支配されず、環境を支配するのが神の子である。環境に支配されて、「環境が変わらなければ、外の世界が、他人が変わらなければ……」というのは、環境の奴隷だと私は思いますが、いかがでしょうか。

1830復興G:2013/06/09(日) 22:13:28 ID:AB6RqYXc


2.26事件も、過去の他人事ではない。「今」の「自分」のことであると捉えるのが、正しい神の子の自覚であると思います。

2.26事件の精神的指導者であった北一輝も、

>>現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。<<(『生命の實相』第3巻p.94)

この自覚を持たず、心を変えないまま暴力的に国家の改造をしなければ農民などが救われないと思って、日本改造計画を考えたが、その根本自覚に間違いがあったので、誤った道に青年将校たちを行かしめたと考えられます。

いかがでしょうか。

1831こんにちは:2013/06/09(日) 22:18:06 ID:nSg7g3W2
>>1828 復興G様

これは志恩様への質問ですが、私なりに思うところがあります。
谷口雅春先生は、困難山積の社会状況の中で、積極的に社会を変えようと行動されました。
つまり、常に主体者でした。
ただ文句を言って非難しているのか、それとも主体的に変革への行動をとるのか?
ここが分かれ目なのだと思います。

その意味では、手段の是非はともかく、学ぶ会や社会事業団の方々は、主体的に行動されているという点が素晴らしいです。
雅宣総裁も、賛否はあれど、自分なりに総裁として主体的に生きている方です。その点は素晴らしいと思います。

となると、次の問題は、どう行動すべきか?になりますね。

1832トキ:2013/06/09(日) 22:21:33 ID:Y.1nBCFA
 教化部で会議があり、行って参りました。

 会議のあと、教区の大幹部と信徒さんが、本部や総裁に中心帰一で頑張っている人たちが教化部の事務室で会話をしているのです。

 「裁判で負けたから、甘露の法雨や聖典がないけど、どうしよう。」

とある信徒さんが言ったら、大幹部が、

 「分派が出しているのでしょう? なら、分派の聖経を使えばいいだけの話じゃないの。」

とことなげに言ったのに驚きました。教区の大幹部も、もう、争いは止めて欲しいというのが最大の願いみたいです。
しかも、それを、普段、本部万歳、総裁万歳の大幹部が話していたのに驚きました。

 こういう風潮がだんだんと広まるような雰囲気を感じます。

閑話休題

 これは、確か鈴木邦男さんが言っていた事だと思いますが、北一輝の日本改造法案の内容は、日本国憲法の内容と似ている
らしいです。すると、うがった見方をすると、青年将校たちがクーデータで出来なかった事を、戦争の結果、実現した、と
言う事になるかもしれません。ただ、私は、この問題を専門に考えた訳ではないので、そういう意見があった、という程度
にとどめます。

1833復興G:2013/06/09(日) 23:06:16 ID:AB6RqYXc

>>1831 :こんにちは様

コメント、ありがとうございます。

>>ただ文句を言って非難しているのか、それとも主体的に変革への行動をとるのか? ここが分かれ目なのだと思います。
その意味では、手段の是非はともかく、学ぶ会や社会事業団の方々は、主体的に行動されているという点が素晴らしいです。
雅宣総裁も、賛否はあれど、自分なりに総裁として主体的に生きている方です。その点は素晴らしいと思います。
となると、次の問題は、どう行動すべきか?になりますね。<<

そうですね。

主体的な行動は、いつの日にか必ず実を結ぶと思います。北一輝の日本改造法案も、敗戦後に実を結んだという見方もありますからね。↓

>>1832 :トキ様

>>北一輝の日本改造法案の内容は、日本国憲法の内容と似ているらしいです。すると、うがった見方をすると、青年将校たちがクーデータで出来なかった事を、戦争の結果、実現した、と言う事になるかもしれません。<<

そうですね。それは>>1654で私も

>>北が生前にその『維新革命』『国家改造』の実現を見ることはなかったが、(没後)8年後、連合国軍が、軍国主義を突き進む日本を武力で倒し、北の主張の多くは、占領政策を実施したGHQ主導による日本の戦後改革で実現されることとなった、とも言われる。<<

と書いていました。

1834復興G:2013/06/09(日) 23:33:25 ID:AB6RqYXc

>>1746>>1747 a hope 様。

2.26事件と今の 「生長の家」の問題で似ている点について、率直な鋭いご発言、ありがとうございました。

コメントが遅くなりましたが、これについては私の思うところを、いずれ詳しく書かせていただくつもりです。

合掌

1835トキ:2013/06/09(日) 23:43:33 ID:Y.1nBCFA
 復興G様

 まったくおっしゃる通だと思います。どうも失礼をしました。すみません。

なお、常岡瀧雄大尉は、先の文章の中で、北一輝が奥さんを霊媒として、ある種の霊と交信して
お告げを聞き、それを青年将校に伝えていた事にふれ、

 「北(一輝)は早くから、妻女を使って霊告と称して青年将校を盲信せしめてきた。」

と指摘し、多数の例をあげています。事件の途中にも、青年将校は北一輝から霊告を聞いて、
方針を決めたりしていたようです。

 そして、「世間には霊告と称して人を騙すものがおるが、だますことは罪なことであるとともに、
騙されるほうもどんなものか。いずれにしても、この霊告なるものはことごとく当たらなかった」

とも常岡さんは書いています。

1836志恩:2013/06/09(日) 23:45:02 ID:.QY5jUA6
復興G様

>>「「総裁が、和解をしようと決断されて、自ら実践されなければ、和解は可能とはならない。」
――それは、「総裁の奴隷」ということになりませんか?
「自分が変われば世界が変わる」 というのが生長の家の御教えではなかったのですか?>>


「総裁が、和解をしようと決断され、自ら実践されなければ、和解は可能とはならない。」

というのは、人の道、宗教的な道として、当たり前の道理を申し上げているのです。

このことは、言葉が通じる人には、当然の如く通じるように思っていました。
この考え方の、どこが、「総裁の奴隷」になるのか、私には,理解できません。

自分が変われば,世界が変わると言って、それは、そうですが、祈りだけでは,中国や北朝鮮が、かならずや変わるというものではないでしょう。
やはり、現実の世界に生きている以上、実相を祈りながらも、現実は,どう動けばよいか、考えて、行動しなければ、物事は前にすすみません。

ここの掲示板は、雅宣総裁も教団の幹部も見ていると聞いています。
ですから、おなじ命の兄弟へ、自分に呼びかけているように、精一杯、総裁に、上記のことを発言して、呼びかけているのです。


勿論私も、神想観し、聖経読誦し、雅春先生にもお力添えをおねがいした上で、私なりに、ここで発言させて頂いているのです。。

復興G様は、
過去の歴史も、今、世界中で起こっていることも、全て、自分の合わせ鏡であるというお考えのおかたですが、

わたしは、復興G様のようには、魂が進化しておりませんので、
2.26事件も、他人事でない、我が事だ、とは、到底思えないですし、

世界中で起きている ありとあらゆることが、全て自分の合わせ鏡だとも、どうしても思えないのです。

私は、個人としての雅宣さんに対する思いと、

生長の家の教えや 教団や本流が、どうなるかということで,雅宣総裁を思う事とは、別に考えているのです。


ですから、復興G様が、私の考え方が、理解できないように、
私も、復興G様のお考えが、理解できることと、理解できないことが、あるのです。

復興G様は、指導霊のテレパシーを受けられるほどの宗教的感性の持ち主でいらっしゃいます。
私は、霊感はないのですが、なんて説明してよいやらわかりませんが、理屈でないのです。

どちらかというと、他人の気持ちを優先するようにこころがけながら、
自然体で現実的解決を優先して、物事を考える性格だからだと思います。

私の場合は、そのような生き方をしてきて、いままでに
失敗したことって、あまりなかったような 気がしているのです。

自分では、信じられない程、いつもだれかが たすけてくれて 幸運が向こうから来てくれるのが常なものですから。

自分の環境も、そんなに祈らなくとも,がんばらなくとも、周りが良くしてくれて、
良くなっているので、、私の場合は、頭が賢くないものですから、

むづかしいことは、いえないのですが、見栄はって、いいことをいってるわけでもなく、
自然体で、すべて運良く生きて来ているので、、

自分なりの生長の家の生き方で生きていて、まわりじゅうのひとも
しあわせになつてます。

でも、掲示板では、きびしいことでも、言わなければならないと思う性格でもありますので、
生意気なこともいいますから、不愉快に感じられるおかたもあると存じます。

その点、不愉快にかんじられましたら、お詫びします。

お答えになってないかも知れません。
これからおふろです。ごめんなさい。

1837髪の子:2013/06/10(月) 00:58:03 ID:GTz2rrkY

私は我が子が自分が、真底進みたい道があるなら、応援したいと思います。
神様に、つねに委ねながら。
だから、総裁が環境問題やノーミートに力入れるのなら、応援したいし、総裁には喜んで歩んで欲しいなと思います。
応援させて戴きたいと思います。
ただ、それを生長の家で実戦されるのは、違うな〜と思うのです。
雅春先生のお孫様ですからね。
だから、復興G先生に、本流が総裁を退職させようと思っていると言われた時は、本当にショックでした。
ただ、伝えたいのは、総裁はご自分のされたいこと、応援しています。ただ、それを生長の家でするのは違うでしょう…。

1838ももんが(休み):2013/06/10(月) 01:12:15 ID:XXCuaQns
トキ様
復興G様


合掌、トキ様、復興G様、ありがとうございます。


そして、御疲れ様です。


“226事件の記事”が、出でいたので、興味深く、拝読させて貰いました。


以前、趣味で、昭和史を調べている時に、226事件の資料も、読みました。


その中に、226事件関係者は、『国柱会』の信者が、多いく、『国柱会』の思想の元に、国造りをしょうとしていたと、ある資料で、読みました。


それと、うる覚えなので、正確ではないのですが、子孫の方が、戦後、連合赤軍か日本赤軍のメンバーに成ったと言う、事も、資料で読んだように思います。


先祖の因果と言うか、深層心が、子孫にまで、影響するのだなと、実感した、覚えがあります。


詰まらない、お話をして、復興G様や、トキ様の、お話を濁して、しまいまして、申しわけありませんでした。


また、時間の有る時、寄らせて貰います。

”誌友会“多いに、盛り上げて、頑張って下さい!陰ながら、御祈りしております。

ありがとうございます。

合掌、拝。

1839【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/10(月) 07:43:48 ID:???

>>復興Gさま
>>志恩さま
>>誌友会参加各位


 本来は貴投稿文を転写して理由を述べるべきでしょうが、簡潔に書こうと思います。

 ところで先ず、ある御文章をご紹介させて頂きます。以下は榎本惠吾先生の『試論・波状光明化への道』ですが此処に、この様な御文章がございます。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

『試論・波状光明化への道』(榎本惠吾先生著)342頁より謹写――

概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…


 ・・・・・さて、志恩さまのご発言を俯瞰するに、同氏御主張(※)は榎本先生云われるところの(一)に、該当すると思います。そして、復興Gさまの御主張は(二)に該当するものと思っております。

 両氏やり取りを御覧になる際の参考に、この文を投稿致しました。



追伸

 むろん、『試論・波状〜』の中で榎本惠吾先生は、「(二)で行くべきである。それが、生長の家である」と御主張あそばされて、おられます。吉田國太郎先生も勿論、このご意見には賛同なさると思われます。





<註>

※ 志恩さまのご発言を俯瞰するに、同氏御主張は(一)

――――――――――――――
>>1836より:「総裁が、和解をしようと決断され、自ら実践されなければ、和解は可能とはならない。」
というのは、人の道、宗教的な道として、当たり前の道理を申し上げているのです。
このことは、言葉が通じる人には、当然の如く通じるように思っていました。
この考え方の、どこが、「総裁の奴隷」になるのか、私には,理解できません。
――――――――――――――

 「人の道、宗教的な道として、当たり前の道理」として志恩さまがご紹介くださった考えですが、これは少なくとも雅春先生の御主張では「ない」と判断致します。いかがでしょうか。ところでもしも、「いや、この主張に論拠はある」がご返答でしたらば、ご紹介ください。「聖典何巻の何頁」と申し付けてくだされば当方で、謹写・投稿致します。

1840【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/10(月) 08:12:29 ID:???


>>1831こんにちはさま

 ご参加、誠にありがとうございます。以前より貴殿ご発言には、注目していた者です。どうぞ、積極的なご発言の方を、よろしくお願い申し上げます。

 さて、以下の点に関して私見を披露させて頂きます。


――――――――――――――
となると、次の問題は、どう行動すべきか?になりますね。
――――――――――――――

 ・・・・・この点ですが、この誌友会の流れ次第で後半に、紹介しようと思っていた御文章があります。「これぞ、光明思想に於けるところの〝行動である〟」と思える御文章であり、出典は『古事記と現代の預言』になる御文章です。あくまでも〝光明思想に於ける〟行動というものですが、以下御文章はその「ダイジェスト版」と表しても差し障りはないでしょう。

 ・・・・さて、雅春先生は以下の様な御文章を、我々にお示しになられておられます。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

   一、常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)を啼かす。
      (常住不変の實相世界の真理を宣布する)

   二、鏡を作りて中枝(なかつえ)に繋(か)ける。
      (現象的あらわれを心の鏡として、自己反省して心を改める)

   三、弥栄(やさか)の眞輝珠(まがたま)を作りて、それを上枝(ほつえ)に繋ける。
      (實相世界はすべての魂が真に輝いていて美しく、各々の魂は孤立分離して
       いないで、一つの玉の緒によって統一された大調和の世界であることを観ずる)

   四、實相世界の眞栄木(まさかき)を根こじにこじて現象界に移植する。
      (現象が如何に暗黒に見えていても其の暗黒を見ないで、實相の根元世界の
       光明遍照の有様をジッと観ずる)

   五、白和幣(しろにぎて)、青和幣(あおにぎて)を作って下枝(しずえ)につける。
       (人に接するに、必ず和顔愛語の布をもって柔らかく包んで接する)

   六、太御幣(ふとみてぐら)を奉祀して祝詞をあげる。
      (〝大生命〟及び祖先の生命をお祀りして聖経又は祝福の祭文を読誦する)

   七、天手力男神(あめのたぢらおのかみ)をして待ちもうけさせる。
      (機会をはずさず断行の決意をする)

   八、天之日影(あめのひかげ)を手次(たすき)にかけ、天之眞拆(あめのまさき)を
     鬘(かずら)として……云々。
      (心を空しく、雑念妄想を無くして、心が裸になって、神のお導きを待つ)

   九、踏みとどろかし、神懸(かんがか)りする。
      (いよいよ、神霊来臨したまい、何を為すべきかを指示し給う。
       その指示のまにまに、自然に行動する)

   十、八百萬(やおよろず)の神共に咲(わら)いき。
      (暗い表情を棄てて、既にあたかも光明が輝き出たのを悦ぶ如く、
       明るい笑顔をもって行動する)

(『古事記と現代の預言』第十一章より謹写)
全文はhttp://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65717053.html

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…


 ・・・・・私個人はこのご説明で、非常にすっきりした記憶がございます。

 よろしかったら、のお話しですが是非、貴殿のご感想なども賜りたく思う次第です。どうぞ、よろしくお願い致します。・・・・・まあ既述ですがこの点は、この誌友会の流れ次第で後半にでも紹介、しようと思っていた御文章です。




1841志恩:2013/06/10(月) 08:36:45 ID:.QY5jUA6
生長の家の教えは、『実践哲学である』ということも、私は,昔、学びました。

(一)を生きる方が あれば、それもよし。
(ニ)を生きる方が あれば、それもよし。

だと存じます。

あじさいの花の生き方が 好みの方があれば、あじさいの花の生き方で、
夾竹桃(きょうちくとう)の花の生き方が、自分には合ってると思うお方があれば、夾竹桃の花の生き方で…
それぞれに、それぞれが、自分に合っているという生長の家の教えを生きてゆけばいいと、私は思っております。

-----------------------------------------------

谷口雅春先生著「真理8巻」5頁より


>>「作法 これ 宗旨(教えの主体・中心)

   得道 これ 作法 (実践すること)」


 教えの本体が そのまま日々の 動作 となり

 得道と言うものが そのまま作法として 日常生活に 現れなければならない。

 生活と教えとが はなればなれに、遊離しては ならないのであります。

 生活がそのまま教えとなり、生活が そのまま説法と成るのでなければ、本当に生長の家の信徒とは言えないのであります。<<

1842志恩:2013/06/10(月) 08:48:36 ID:.QY5jUA6
〜「調和」と「妥協」とを混同してはならない〜について


  新講『甘露の法雨』解釈 84~87頁より


<< 「法華経」にある常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)のように「あなたは決して悪い人じゃないのです。
   あなたは本来、仏になる実相をおもちなのです」と、その実相を拝むんですね。

 「悪」は絶対無いのであって、その奥にある実相の「善」のみが独在することを深く信じて、
 その実相を礼拝するのが、本当に「実相を拝む」ということであり、天地一切の実在に和解することであります。


 悪なる現象の“実在性”を信じ、その存在を許すことは「和解」ではなくて「妥協」であります。


 吾々は「和解」しなければならないが、妥協してはならないのであります。


 (中略)

 <殺虫剤や軍備は不必要か>

 しかし実際の場合として、皆さんが凡ゆる場合に虫類の実相の完全さを拝んだら害虫が全部消えるか否かは皆さんの悟りの力量如何にあるのです。

 肉眼には「悪」の姿が見えるのに、実際に「善」のみあると、その実相を拝み切れるかどうかという事です。


 <軍備は本当に不必要か?>

 この事は日本の再軍備の問題でも同じ事であります。

 だから実相世界の「一切の生物処を得て争うものなき」状態があらわれたなら、そんなものは要らん筈だと言えるのであります。
 しかし、現代の日本人が果たしてそれだけの精神的力量叉は高い心境に達しているかという事が問題なのです。

 即ち「凡(およ)そ此の世界は神の世界であって敵は無いのである」という事を、日本人の大多数が深く信じそれを実践する事が出来るかどうかというと、
 まだまだ遠しと言はねばなりません。>>

1843【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/10(月) 08:54:57 ID:???

>>1842

 ご謹写ありがとうございます。ですが先ず、その前にご指摘賜りたい点がございます。

 それでは当方の意見のどこが、「和解ではなく妥協となる」のでしょうか。その点をご指摘くださいませんと、
私のみならず他の方も、この文の意味を解しかねると思います。


 どうぞよろしくお願い致します。「訊けさん(や復興Gさまも)のご意見のここは、和解ではなく妥協である」と先ず、
ご指摘ください。話が横に逸れて行きかねませんので、この点はよろしくお願い致します。




1844【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/10(月) 09:42:12 ID:???


>>WEB誌友会ご参加の各位


 積極的なご発言を期待致します。なおご発言は、志恩さんへのコメントでも構いませんがいったん、現時点での論点も再掲載致します。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

>>1751 復興Gさまご発言
いま現象界では、『生命の實相』の著作権・出版権をめぐる裁判に決着がつき、教団側の敗訴が確定した。
学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びかけておられるように思います。
しかし私は、今回のテキスト『生命の實相』第3巻の御教えを かみ締めながら2.26事件のことを教訓として学び、はっきりと自覚いたしました。

このような混乱の時こそ、「正念場」である。
≪ 「神は完全であって、神の造り給うた世界には、混乱はナイ」 という実相を観ずる 「正念」 をもって、しっかりと起たなければならない時である≫
と。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

 ・・・・・まあ、基本的にはフリートークとは申せ、今回の御題は非常に重いものだと思います。またこの掲示板は「別派、教団関係がない」という、完全中立の掲示板でもあります。いきなり「書き込み禁止」等になることは、ありません。

 どの様な立場からでも投稿可能ですので、積極的なご発言に期待致します。



追伸

 なお、司会者は仕事中です(笑)。皆さんと私とでPC前にいる時間が、ズレてしまいましょう。さらにはそのタイムラグが、議論の錯綜を誘発するかもしれません。

 その際はどなた様か気づかれた方が、議論の修正をされることもお願いします。どうぞ、宜しくお願い致します。

1845【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/10(月) 10:36:49 ID:???

>>靖国殿

 ご発言ならば、こちらでお願い致します。




1846復興G:2013/06/10(月) 11:10:58 ID:AB6RqYXc

【司会者】「訊け」様、仕事中にもこの大役、ご苦労さまです。感謝します。

志恩様、真心こもるご投稿、ありがとうございます。

横切りますが――

>>1838 :ももんが(休み)様

お久しぶりです。

>>以前、趣味で、昭和史を調べている時に、226事件の資料も、読みました。
その中に、226事件関係者は、『国柱会』の信者が、多いく、『国柱会』の思想の元に、国造りをしょうとしていたと、ある資料で、読みました。<<

『国柱会』というのは、以前(戦後)生長の家とも協力団体として愛国運動をしていたと名前は聞いていましたが、詳しいことは知りませんでしたので、このたびウィキなどで調べました。

設立者は田中智学、「八紘一宇」を最初に標榜したのは国柱会であったとか、著名な会員に宮澤賢治、北原白秋夫人菊子、高山樗牛のような文人や、武見太郎、神崎武雄などの名前も上がっており、関連人物としては坪内逍遙、近衛文麿、東条英機、板垣征四郎、中里介山などの名前があることに少しおどろき、興味を持ちました。

SAKURA様が>>1750で、
>>軍国主義という言葉で括られていた昭和前半史の背後を知ることが歴史を反省するうえで欠かせない。日蓮主義者は一人一人の折伏ではなく、国家を丸ごと日蓮宗に改造してしまうという教義から、国家と結びついて
【 八紘一宇 】(アジア侵略)の夢を果たそうとした。国民的人気作家の宮沢賢治も熱烈な日蓮宗徒であったことは昭和史を考えるうえで感慨深い。日本の精神史(政治と宗教)を考察する上でまたとない好著である。『二十世紀を読む』(丸谷才一、山崎正和、中央公論新社)<<

と紹介されたことと合わせ、日本の精神史について、勉強になります。

SAKURA様の投稿の中では、
>>【 八紘一宇 】(アジア侵略)の夢を果たそうとした<<
という言葉が、気になりました。

【 八紘一宇 】 は、アジア侵略の夢ではなく、「人類は皆兄弟、世界は一家庭」――“Universal Brotherhood”(清瀬一郎)という理想だと聞いてきましたが、「八紘一宇」を最初に標榜した国柱会の田中智学氏の考えはどうだったのか、これから学びたいと思いました。

ありがとうございます。

1847復興G:2013/06/10(月) 11:33:27 ID:AB6RqYXc

>>1846 のつづきです。
ウィキで「八紘一宇」を引くと、

≪……「下則弘皇孫養正之心。然後」(正を養うの心を弘め、然る後)という神武天皇の宣言に着眼して「養正の恢弘」という文化的行動が日本国民の使命であると解釈、その結果である「掩八紘而為宇」から「八紘一宇」を道徳価値の表現として造語したとされる。

 ……この用語に最初に着目した行政機関は軍部であり、昭和11年(1936年)に発生した二・二六事件では、反乱部隊が認(したた)めた「蹶起趣意書」に、「謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり」とある。

 この事件に参加した皇道派は粛清されたが、日露戦争以降の興亜論から発展したアジア・モンロー主義を推し進める当時の日本政府の政策標語として頻繁に使用されるようになった。

 ……その後の日中戦争から第二次世界大戦にかけても大日本帝国の政策標語としてしばしば言及され、日本国内各所で東アジアにおける東亜新秩序実現の為のスローガンのひとつとして使われ……現在における日本の代表的な国語辞典では、「第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」と説明している。(抜粋)≫

とありました。

「八紘一宇」を、
≪……「下則弘皇孫養正之心。然後」(正を養うの心を弘め、然る後)という神武天皇の宣言に着眼して「養正の恢弘」という文化的行動が日本国民の使命であると解釈、その結果である「掩八紘而為宇」から「八紘一宇」を道徳価値の表現として造語した≫
とされる本来の意味に戻して、ひろめたいと思います。

1848「靖国見真会」参加者:2013/06/10(月) 12:05:40 ID:0PL7dBUs
「訊け」さんへ①

呼ばれたので出張ってきましたが、ここには関わりたくないのが正直な気持ちです。

ただ、これだけは言っておかなくてはならないと思ったので、あえてこちらでもいいますが、「谷口雅春先生を学ぶ会」はもはや「総裁辞任追求」には与しません。

勿論、会員の中には、それを願い、そのために心を砕いている方がいるのは承知しております。

しかし、それはもはや「谷口雅春先生を学ぶ会」の大勢ではありません。

実は、その宣言こそが、先の「全国大会」であったのです。

なぜ、「谷口雅春先生を学ぶ会」が「総裁辞任論」に与しないか!

別の掲示板にあった、以下の指摘がその論拠になると思っています。

》1 総裁に対し責任を追及できる者が皆無
2 教勢の減少は責任問題になっていない 
3 幹部たちが総裁の方針に意見が全く出せない
4 会員の多数を占める白鳩会が現状を深刻に考えていない 考えないようにしてる《

これが客観的な状況認識ではないでしょうか?

「八ヶ岳教団」の運命は、白鳩会が握っているのです。

そこが、イデオロギーとしての「中心帰一論」に“洗脳”され、谷口雅宣総裁親衛隊の如き存在と化しています。

だから、どんなに総裁にヤメロと言い募っても、谷口雅宣総裁親衛隊が機能している限り、その可能性はゼロに等しいというのが私の認識なのです。

それより、「谷口雅春先生を学ぶ会」はなさなければならないことがある、それは人を救う、これなのです!

今、有り難いことに、「全国大会」を終えて、どんどん会員が増えております。

拠点も増えています。

その地道な運動の中で、今、「谷口雅春先生を学ぶ会」が最も願い、やろうとしていることは「神性開発練成会」なのです!

「八ヶ岳教団」は人を救うという宗教本来の根本使命を置き去りにしてしまいました。

それを象徴するかのように、「森のオフィス」では、神癒祈願をしませんし、個人指導もしません!

もとより、それを批判することは簡単ですが、しかし批判だけすればいいという段階はとうに過ぎました。

「八ヶ岳教団」がしないのならば、「谷口雅春先生を学ぶ会」がそれをやる!

そういう思いで、必ずや練成会をやりとげたいと思っております。

そういうことを目指しているのに、「谷口雅春先生を学ぶ会」をまるで、総裁の首をとることだけを目指す、決起将校のような言われ方をされたことに、得も言えぬ悔しい思いをしたということです!

1849「靖国見真会」参加者:2013/06/10(月) 12:07:14 ID:0PL7dBUs
「訊け」さんへ②

折角、こちらにきましたので、私の心を今、最も突き動かしている、いわば私の原動力ともなっている、「ブラジル2世」の方の投稿をここに掲載させていただきます。

》私はブラジルに住む者ですがネットでご神像様が撤去される写真を見ました。これでもまだ黙って雅宣総裁を信じている今の日本の白鳩会員の皆様のおかしな気持ちが分りません。何故、ここで怒られないのでしょう。ブラジルの伝道本部の上に立っていらっしゃるご神像様を日本と同じように粗末な扱いをして撤去したなら絶対に黙ってはいませんし多勢で集まってスクラム組んで猛烈に反対しますよ。又、ブラジル人はこんなにも人としての気持ちを持たない残酷なやり方はしません。何故、今の日本の皆様はそれが分らないのでしょうか?自国を愛する愛国心は何処に行ったのですか?それでも日本人ですか?私達、ブラジルの日系の方が、そして、谷口雅春先生の教えを受けた、ブラジル人の方が遥かに自国を愛する精神、日本精神を持っていると今回、はっきり分りました。日本精神こそが、自分を尊び、自国を尊び、天皇様を尊び、それこそが、世界の皆様を尊ぶ精神です。これを教えて下さったのが、谷口雅春尊師です。この精神無くして、いくら世界平和運動と叫んでもそれはからっぽです。現白鳩会員の皆様、目を覚まして下さい。中心帰一は、雅宣総裁という人間にするものではないと思っています。谷口雅春先生は私という一人の人間に中心帰一しなさいとは何処にもおっしゃっていません。皆さん、何故、ここが分らないのですか?遠いブラジルでこの写真を見て涙が流れました。ご神像様と、こんな事を許した皆さんの心の残酷さに唯々、唖然としています。何度でも声を大にして言います。これが人間のすることですか?動物でももっと、愛のある扱いをすると思います。《


「ご神像」の撤去を見守るしかなかった自らの不甲斐なさ、ここに集う皆さんには、分かってはもらえないでしょうね?

そう思うからこそ、こちらに来たいとは思わなくなったということです。

「ブラジル2世」の方の投稿には、自らのこれからの人生をもって応えるしかないと思っております。

しかし、決して悲観ばかりしているわけではありません。

だって、今回、素晴らしい掲示板が誕生しましたからね。

★人類光明化運動<光明真成會>読書会世界本部★
「生命の實相」の輪読会・拝読を推進しましょう!!

「光明掲示板」と「光明真成會掲示板」、ここがこれからの大きな流れをつくると私は確信しております。

なお、「光明真成會掲示板」では、「訊け」さんのブログも紹介してくれていますよ。

「訊け」さんは、一貫して、谷口雅春先生のご文章やその高弟の方の素晴らしいご指導を紹介してくれています。

それが、のちのち大きな実をもたらす、そうなるよう、私は私の立場で前進あるのみです!

1850【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/10(月) 15:02:21 ID:???


>>復興Gさま

 素晴しい御文章を紹介くださり、誠にありがとうございます。

――――――――――――――

>>1847復興Gさま文より)≪……「下則弘皇孫養正之心。然後」(正を養うの心を弘め、然る後)という神武天皇の宣言に着眼して「養正の恢弘」という文化的行動が日本国民の使命であると解釈、その結果である「掩八紘而為宇」から「八紘一宇」を道徳価値の表現として造語した≫とされる本来の意味に戻して、ひろめたいと思います。

――――――――――――――


 ああこの「然る後」(しかるのち)ですが、どこかで聞いた記憶がありました。「そう云えば」と思いついたのが、>>1840投稿文です。

○「慶びを積みて後に」 ―― 八紘為宇の本当の神武精神
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65717053.html


 以下が、八紘為宇に関する雅春先生御主張の、ダイジェスト版になります。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

『私の日本憲法論』」91頁より謹写――

 この「然して後に」の語には千鈞(せんきん)の重みがあるのである。こういう八紘為宇の本当の神武精神がわかっていたならば、戦争も起らなかったにちがいないのであるが、それを軍閥が曲解したために、あの戦争は起ったと言い得るのである。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

 さて、「然して後に」とは、どんな後にか・・・・・・それは、「慶びを積みて後に」とありました。「正を養うの心を弘め、」とは生長の家では、「慶んでから後に」と解釈、可能と思いました。




>>靖国殿


 ご来場、誠に感謝・歓迎致します。そして、「もはや(学ぶ会は)総裁辞任追求には与しません。」との言を聴き、再度安心致しました。ありがとうございました。


――――――――――――――

ただ、これだけは言っておかなくてはならないと思ったので、あえてこちらでもいいますが、「谷口雅春先生を学ぶ会」はもはや「総裁辞任追求」には与しません。
勿論、会員の中には、それを願い、そのために心を砕いている方がいるのは承知しております。
しかし、それはもはや「谷口雅春先生を学ぶ会」の大勢ではありません。
実は、その宣言こそが、先の「全国大会」であったのです。

――――――――――――――


 ところで、そんな事を言っていると「総裁擁護派」など、(言われ無き)中傷に晒されましょう(笑)。ですが、その方針を堅持してもらいたいと、思います。「生ぬるい!」なんてことを仰る方あらば、「カルトを喜ばす気か!?」と反論願いたいとも、思います。



――――――――――――――

その地道な運動の中で、今、「谷口雅春先生を学ぶ会」が最も願い、やろうとしていることは「神性開発練成会」なのです!
「八ヶ岳教団」は人を救うという宗教本来の根本使命を置き去りにしてしまいました。
それを象徴するかのように、「森のオフィス」では、神癒祈願をしませんし、個人指導もしません!
もとより、それを批判することは簡単ですが、しかし批判だけすればいいという段階はとうに過ぎました。
「八ヶ岳教団」がしないのならば、「谷口雅春先生を学ぶ会」がそれをやる!
そういう思いで、必ずや練成会をやりとげたいと思っております。

――――――――――――――


 “0”を一個おまけしまして、500兆チェストです。その方針こそが貴殿等が、邁進すべき道だと思います。そして、迷える信徒が求めていることにも、なりましょう。貴殿等がそうであってこそ初めて、教団もホンキになると云うものでしょう。私はそう、確信致します。

 素晴しいご投稿を、誠にありがとうございました。また、これからの論点も、非常におもしろいものになりましょう。ぜひ、ご投稿ください。「騒動はもう結構!」「それよりも我々には、ヤルべきことがあるのでは!?」・・・・そんな感じでお願い致します。




1851復興G:2013/06/10(月) 15:39:14 ID:AB6RqYXc

「靖国見真会」参加者様へ

ご登場ありがとうございます。

ご投稿文は「訊け」さんへとなっておりますが、「訊け」さんが>>1845で、
>>靖国殿
 ご発言ならば、こちらでお願い致します。<<

と書かれたのを見て、どこか別のところに何かこちらに関することを書かれているのかなあと、「光明掲示板」を見ましたら、ありました。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1734

ですね。そこに書かれている

>>教団をやめる覚悟のない人は、「谷口雅春先生を学ぶ会」を批判することでその免罪符を得ようとしてるのでは?!<<

などいうことが見当違いであることは、このweb誌友会板を読んで頂ければ分かることですが、靖国さんが

>>その「お方」(復興G)がどうして「谷口雅春先生を学ぶ会」をして、谷口雅宣総裁に辞任を迫る“決起将校”の如く見立てているのか、不思議でならないのです。
「谷口雅春先生を学ぶ会」が目指しているのは、先の全国大会を見ていただれば自ずとわかる筈です。
その「お方」は、きっと見てはいないのでしょう?<<

とも書かれていました。その通り、私は全国大会のYouTubeというのは最初にアップされたダイジェスト版を見ただけで、ノーカット版は見ていません。で、私も多忙な身ではありますが、時間を割いて見ることにしまして、今見始めているところです。

長いので、全部見るには時間がかかります。
見終わったら、コメントを書かせて頂きましょう。

1853トキ:2013/06/10(月) 18:35:16 ID:9HdRqq2M
「靖国見真会」参加者 様

 現在、教団に残っている職員や幹部のなかには、たしかに総裁へ「こび、へつらい」と思われる言動をする人はいます。

 しかし、復興G様が、この掲示板に登場され、後進の指導に当たられる事は、ご本人には、損はあれ、得になる事はあり
ません。上手く行ってスルーですが、下手をしたら、教団から処分を受けます。そういう事をご承知の上で、あえてこの
web誌友会にお越しになり、後進の指導をされる事は、どうみても一身の利益を度外視した行為であり、後進から見て、
感謝の気持ちしかありません。この掲示板も、web誌友会が始まると閲覧者様が増えるのは、やはり信徒が復興G様のご指導
を高く評価している証拠だと思います。

 例えば、理事長をされた某氏が、裁判で証人として出廷し、「谷口雅春先生も間違いをした」と証言をしたと某掲示板に
ありました。また、昨年の相愛会の幹部研鑽会で、理事だったy先生が、終始、総裁をヨイショするスピーチをし、出席者
から、、「あれはないだろう」という感想があがった事もありました。そういう人達の事は、確かに「靖国見真会」参加者 様
の批判の対象になりえるかもしれません。しかし、復興G様の行動は、信念に基づいた素晴らしい行動と言えます。

 「靖国見真会」参加者様は批判をする相手を間違っている、というのが私の感想であります。

1854「靖国見真会」参加者:2013/06/10(月) 19:05:49 ID:0PL7dBUs
「トキ」さんへ

》復興G様の行動は、信念に基づいた素晴らしい行動と言えます。
 もし、「靖国見真会」参加者様は批判をする相手を間違っている、というのが私の感想であります。《

ご忠告、ありがとうございました。

私は、「復興G様」がどうして、「谷口雅春先生を学ぶ会」に対して、あのような捉え方をしたのか、それが不思議でならないと申し上げているのです。

こちらで、「復興G様」が、誌友会の指導されていることについては、私なりに敬意を表しております。

それだけに徹していたらいいのに、なぜ、わざわざ「谷口雅春先生を学ぶ会」について、決起将校まで持ち出して言われなければならないのか、その必然性が少しもわからない、それがとても得心がいかないから、それは「志恩」さんと同じ気持ちだから、それを紹介して言わせてもらったったまでです。

》「靖国見真会」参加者様は批判をする相手を間違っている

そっくり、その言葉は、こう言わせていただきます。

》「復興G様」は批判をする相手を間違っている

「谷口雅春先生を学ぶ会」がなかったら、「ご神像」の撤去、だれが見送ったというのですか!

私は、それだけでも「谷口雅春先生を学ぶ会」があって良かったと思っている一人です。

あの場に、「復興G様」は来ていませんでした。

残念でした。

「ご神像」を見送りたい、どんな撤去のされ方をするのだろうか、とても気になる。

そういう人であって欲しかったと思っています。

しかし、それはこちらの勝手な思い込みですから、またいろんな事情がありますでしょうから、仕方ないと言えば仕方ありません。

それならそれで、「ご神像」を少なくとも見送った「谷口雅春先生を学ぶ会」に対して、あんな言われ方はないだろうと思うのです。

私の方がおかしいですか?!

この際ですから、はっきりと言わせていただきます。

「復興G様」は、谷口雅宣総裁の長年の指導をどう思っているのですか…?!

直に、それを目の当たりにしてきているんですから、韜晦趣味に逃げず、堂々と言って欲しいと思います。

民主党支持の発言。

「鎮護国家」外し。

「聖経」を“補強”してつくった新しい「経本」。

答えるべきことがいっぱいあるではありませんか?!

もう一度、いいます。

韜晦趣味に逃げず、ホンネをさらけ出してください!

それがない限り、わたしは「トキ」さんの言うように

》信念に基づいた素晴らしい行動

とは思い得ないということです。

しかし、そうは言っても、「復興G様」には、無理にホンネをさらけ出さなくていいとも思っているのです。

「立場」は大事ですから。

谷口雅春先生の教えを深く学んできた「復興G様」が、谷口雅宣総裁の説いていること、やろうとしていることを「おかしい」と思っていない筈がないのです!

だから、私は、誌友会の指導に徹して、教えの素晴らしさを説くことのみに専念していただきたいと思っています。

私どもはそれなりの決意と覚悟で、「正統・生長の家」の復興のために全力をつくすのみ、「復興G様」には、それをただご覧になっていただければいい、そう思っています。

1855トキ:2013/06/10(月) 19:54:09 ID:9HdRqq2M
「靖国見真会」参加者様

 ご丁寧なお返事、ありがとうございました。誌友会の最中なので、簡単に感想を申しあげる程度でお許し下さい。

 既に生長の家教団を離れて独自の立場で活動をされている方と、現在の教団に在籍している人とでは、行動が異なるのは当然かと思います。

>.決起将校まで持ち出して言われなければならないのか、その必然性が少しもわからない

 この点については、誌友会が終わる頃には、明らかになると思います。

ご期待下されば幸いです。

1856復興G:2013/06/10(月) 21:01:05 ID:AB6RqYXc

「靖国見真会」参加者様。

谷口雅春先生を学ぶ会第1回全国大会記録ビデオのYouTube、見ました。

「光明掲示板」で
「「本流復活」を願う“言論展開路線”から「正統生長の家」樹立に向けた“真理護持拡大路線”へ… (8102)
日時:2013年05月02日 (木) 10時06分
名前:「靖国見真会」参加者
……
などのご文章も拝見しました。

それで、今、「学ぶ会」は過去の教団攻撃言論活動から「正統生長の家」樹立に向けた“真理護持拡大路線”へと方向転換し、本気で本当に「谷口雅春先生を学び実践する」 運動に 「いのちをかけて」 頑張っておられるということが、わかりました。

過去に於いては、生長の家らしからぬ悪口罵詈雑言を投げつけるような方も多く見受けられたので、私は
「谷口雅春先生を学ぶ会」というのは名ばかりで、実は「学ばない会」ではないか、と批判したこともありましたが、それは今も名残りは完全に払拭されたわけではないかもしれないけれども、方向転換すべく懸命の努力をされていることを認めます。専従員は5人だけで、1年間の運動で全国大会にあれだけの人数を集め、熱気溢れる大会を成功させられたのは、常識を超えた命がけの奮闘努力があったことと察せられ、「学ぶ会」の躍進に声援を送ります。

私が
>>学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びかけておられるように思います。<<

と書きましたのは、そういう呼びかけをなさっている方も見受けられるのでそう書きましたが、「学ぶ会」の方針はそうではないということが確認できましたので、前文は撤回し、お詫びします。

しかしながら、生長の家の運動は谷口雅春が始めたのではなく神が始められたのだと、谷口雅春先生はおっしゃっています。神さまの運動であって、人間の運動であってはならない。その点、前原副代表は全国大会で、「神想観に徹して神様をあらわそう」とおっしゃっています。問題は、いかにそれが実行されるかです。

自我を死に切って、すべての宗教が神髄において一つであることを観じ礼拝し手をつなぐことによって「万教帰一」の地上天国が実現する。それが生長の家出現の使命でしょう。生長の家が分裂したままで、その使命が達成できるとは、私には思えないのです。

どんなに困難があろうとも、神に解決できない問題はない。神に不可能はない。そう(大意ですが)前原副代表は語っておられましたよね。

それで、学ぶ会は雅宣総裁と八ヶ岳教団を見限って、「谷口雅春先生を学ぶ会」として谷口雅春先生のお説きくださった真理を、神さまをあらわす天皇国日本の実相顕現運動、人類救済の運動をなさるという、それも現段階に於いては、途中の過程としては一つの行き方かも知れません。

しかし、学ぶ会の長期展望はどうなのですか?

神様の運動なら、宗教でしょう。宗教は、人間の自我で作られるものではないと思います。生長の家総裁の更迭ができないなら新しい宗教法人を樹立されるのですか?

生長の家が分裂していて「万教帰一」の実現など、あり得ないと思います。ということは、生長の家出現の使命は実現できないということである。

その責任は一にかかって雅宣総裁にあり、われわれはそれを言い続けるのが使命であると志恩さんなどはおっしゃっているように思えるのですが、私はそうは思いません。

今こそ、本来の神の国の「一」から出発しなければならない、そして本来の「一」にこそ生長の家の使命があるのだから、どんなに不可能と見えるような状態があろうとも、「神なら解決できる」のだから、ドンキホーテといわれようと何と言われようとも、神を信じて起つということは、其処に起つのでなければならないと私は思っています。

1857トキ:2013/06/10(月) 22:25:11 ID:9HdRqq2M
 昨日、行事があり、地元の教化部へ行きました。会議のあと、幹部や職員の方々と話しました。さすがに裁判の事はみんな
知っていました。さらに、これは言いにくい事ですが、ここまで来ると、さすがに本部や総裁が間違っている、という発言が
出てきました。もちろん、裁判の事もありますが、今までの本部や総裁のご指導が、理論偏重で、実際には使い物にならない
机上の空論であるのは、幹部はだんだんと分かって来ています。これは、相愛会の連合会長からきいたはなしですが、全国の
相愛会連合会長を集めての研修会の時に、ある教区の連合会長が、

 「本部の言う事は、全然、見当違いのことばかりだ。一度、うちの教区に総裁が来て、現状がどんな悲惨かをみていただきたい」

と言ったという話もききました。

 しかし、それでも教区で頑張っているのは、やはり信徒さんがおられるからです。また、谷口雅春先生への愛情からです。
現実の話、総裁の言う事を本気で信じている人は、幹部のなかでも急激に減っています。それでも、この悲惨な状況下で、地道にお世話
活動をされ、伝道をし、誌友会を開催されている第一線の幹部は多数います。その真摯な姿は本当に頭が下がります。そういう
姿を教団も本流も知って頂きたいと、思わずにはいられません。

1858トキ:2013/06/10(月) 23:06:31 ID:9HdRqq2M
 余談ですが、いわゆる安保紛争のときに、サヨクのリーダーをしていた秋田正大という人がいます。

 後年、鈴木邦男さんが、この”旧敵”の秋田さんと会った時に、秋田さんは、こう言っていたそうです。

 「安保はよかった。安保条約ができて良かった。でも、半安保運動も良かった」

と。将来、ひょっとしたら、生長の家でも、似たような事を言われるのでしょうか。

1859ユタカ:2013/06/10(月) 23:52:57 ID:R1D4Jmeg
ご神像のお見送りはそれは信仰の発露で好かったと思います。 プラカードもOKでした。

ただ、原宿本部の依頼した運送屋さんのぞんざいな引越し作業を、どんなに手落ちがあろうとも、ネットを通して全世界にご披露してしまう、というそういう言動に復興G様は苦言を呈しておられると傍から見てそのように思えます。

ご神像という大掛かりで初めての移動で手配の仕方が悪かったのかも知れませんし、本部のご神像引越し担当方もあのように酷い引越しになるとは分からなかったのかも知れませんよ。本流の掲示板で恐怖体制をしくと言う総裁が、(例え今回のような下手な引越しでも)静かに終わるはずの引越しがこのご披露目で、その引越し担当者の方の首をどうなさるのでしょうか?その人の家族は大丈夫なのでしょうか? 

皆さんはどう思いますか?

1860ユタカ:2013/06/11(火) 00:05:42 ID:R1D4Jmeg
すみません、皆さんに問いかけしてしまいました、WEB誌友会を脱線していますよね?>1859はスルーして下さい。
私は良く分からなくなったので、これ以上の発言はありませんので会期延期願いは撤回します、あとは復興G様のお話で勉強するのみです。

訊けさまはありましたらどうぞ。

1861ユタカ:2013/06/11(火) 00:34:51 ID:R1D4Jmeg
もう一言だけ、すみません。

このユーチューブや写真を取られた方と学ぶ会の代表や副代表はこのことを直接に生長の家総裁又は本部にぞんざいな引越し作業の意見をされに行かれたのですか? 直接本部に申し入れをされてあちらの見解を聞いて、どうしてあのような作業になったのかが分かればもっと良いと思いました。

そうされて、門前払いをされたりしてそうなさったのでしょうか? 


原宿本部さんが静観されている様子は立派だと思います。

1862ユタカ:2013/06/11(火) 00:40:26 ID:R1D4Jmeg
訂正 そうされて、門前払いをされたりして<メッセージを原宿本部に伝えるためにやむを得ず>そうなさったのでしょうか? 


原宿本部さんがネットのアップなどを静観されている様子は立派だと思います。



に訂正。

1863ユタカ:2013/06/11(火) 01:27:04 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

梅の花の神示を謹写し、無明の自壊がなければ光明が現れない等の発言しようと思っていましたが中止しました。

私は以上で発言終わりです、上記のご神像のやり取りは別板かな?  訊けさんも会期延長希望だったから、ドンドンと遠慮ない発言を頑張って下さい!!

1864こんにちは:2013/06/11(火) 05:28:09 ID:nSg7g3W2
>>1840 「訊け」様
「古事記と現代の預言」懐かしいですね。
昔はよく読みました。

具体的行動を考えるとき、この10項目で私の心に残るのは、
「人と接するに和顔愛語」
「断行の決意」
「明るい笑顔で行動」
です。この3つの実践だけで、光明生活が実現しますね。

ただ、教団にかかわる行動となると、なかなか難しい。
「心を空しく、雑念妄想を無くして、心が裸になって、神のお導きを待つ」
という心境になるまで、徹底的に神に祈る必要がありますね。

1865【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/11(火) 07:54:59 ID:???


>>靖国殿


 重ねてのご投稿、誠に感謝致します。さらには、「大歓迎」の意を司会者として表明させて頂きます。ありがとうございます。さて、ところで余談から入りますが「復興G」さまのお立場・ご投稿のスタンスに関しましては、トキさま(>>1853)ご投稿で間違いありません。私も同氏に対しましては、トキさま同様の見解を持っております。(私は案外?生意気ですw先輩だろうが容赦なく、疑問を呈する性質です。ですが、復興Gさまに関しましては過去、疑問が余り生じません。なぜならば同氏ご発言は100%、『生命の實相』を論拠にされるからだと思います。)

 ・・・・さて、余談を終えて本題へ移らせて頂きます。

 この、復興Gさまから貴殿へ発せられたご発言ですが、これが大切な点だと思っております。

 なおこの誌友会では、キーワードのひとつに「正念」が挙がっております。これは、「一」と言い変えてもよいものです。それでは、以下の御文章をご拝読ください。

――――――――――――――――――――――――――――
>>1856復興G様ご発言より)
生長の家が分裂していて「万教帰一」の実現など、あり得ないと思います。ということは、生長の家出現の使命は実現できないということである。

その責任は一にかかって雅宣総裁にあり、われわれはそれを言い続けるのが使命であると志恩さんなどはおっしゃっているように思えるのですが、私はそうは思いません。

今こそ、本来の神の国の「一」から出発しなければならない、そして本来の「一」にこそ生長の家の使命があるのだから、どんなに不可能と見えるような状態があろうとも、「神なら解決できる」のだから、ドンキホーテといわれようと何と言われようとも、神を信じて起つということは、其処に起つのでなければならないと私は思っています。
――――――――――――――――――――――――――――


 ・・・・・この、「一」から出発すること ―― ここの解釈が議論錯綜の要因になっていると思うのです。(現在の「学ぶ会」は違うのでありましょうが)一部の方からトキさんや、その他の方への批判が殺到しますけれども、その要因はこの、「一」から出発することの解釈の違いだと思っております。

 さて、貴殿はこの、復興Gさまのお問いかけに関して現在、どのような意見をお持ちでしょうか。

 私のみならず多数の方は、この点に関心があると思います。お時間ございます時にご返信、頂戴できますれば幸いです。どうぞ、宜しくお願い致します。




追伸

 なお、「新経本」の件等ですが復興Gさまは、過去、ご発言なさっておられます。現在場所が不明で見つけられませんが、必要ならば再度掲載致します。ですのでおそらく「>>1854韜晦趣味に逃げず、ホンネをさらけ出してください!」は、誤解であろうと察する次第です。

1866【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/11(火) 07:58:58 ID:???


>>1864  こんにちは様


 ありがとうございます。あの十か条は、大切ですよね。それでも貴殿同様、私もなかなか難しいです。

 私の場合は、「竹中平蔵」が問題です(笑)。「コイツに多々、仲間の経営者を殺された!」てな感が強く、なかなかコヤツが絡んでくる問題に関しては、実行できずにおります。その点は貴殿が「なかなか教団に対しては」と仰っておられる点と、同様でしょうか。

 ・・・・・しかし、御教えって、峻厳ですよね。それでも「和解以外にない」わけです。実に私のような〝我〟の強い人間には、たいへんな点です。復興Gさまからも過去、何回も叱られましたが、精進して参ろうと思っております。



1867「靖国見真会」参加者:2013/06/11(火) 07:59:19 ID:0PL7dBUs
「復興G」様へ

投稿、ありがとうございました。

〉今こそ、本来の神の国の「一」から出発しなければならない、そして本来の「一」にこそ生長の家の使命があるのだから、どんなに不可能と見えるような状態があろうとも、「神なら解決できる」のだから、ドンキホーテといわれようと何と言われようとも、神を信じて起つということは、其処に起つのでなければならないと私は思っています。

「復興G」様、お言葉を返すようですが、「ドンキホーテといわれようと何と言われようとも」と書いておられますが、いったい、それは何を指しているのでしょうか?

具体的にどう起っておられるのか、それが皆目、判然としないのですが?

いろんなところに出講している、あるいはこちらで誌友会を開催している…。

それをもって、「ドンキホーテ」と称されるのですか?

口幅ったいようですが、「ドンキホーテ」というのであれば、よほど私どもの方がそうですよ。

金もない、人もいない、なにもない、ないないづくしの中で、ただ「思い」のみで、谷口雅春先生の「教え」の灯を消してはならないととの「思い」のみで、職を辞して、「谷口雅春先生を学ぶ会」に飛び込み、一千億の資産を有する「八ヶ岳教団」にぶつかろうとしているんですからね。

それも、単に、総裁の首をとろうというのではない、会員を増やし、拠点をつくって、地道に組織力をつけようという道を歩もうとしているのですからね。

展望ですか?

そういう確たる将来が、展望が見えていて、勝算があると思ったから、飛び込んだのではないのですよ!

『海賊とよばれた男』の出光佐三ではありませんが、すべてを失っても構わない。

とにかく、このままではいけない。

その思い一筋で、決意したことなのです。

そういう思いで、必死の思いでやっていれば、自ずと理解し、協力してくださる人が現れる、それのみを信じてやっていることなのです。

それが見事に「全国大会」で花開いたと実感できたから、本当に嬉しかったわけです。

これで、どうにか、将来への展望が少しは開けたかなとは思っております。

しかし、そんなものは油断したら、すぐにでも消えてしまう、儚いものでもあるのです。

何せ、相手は「八ヶ岳教団」です。

つぶしにかかろうとするなら、どんな手を使ってでもつぶしにかかります。

それぐらいの覚悟はしています。

一連の裁判を見ていて、それを痛感しました。

金にあかせて、どんどん訴訟を起こし、こちらを兵糧攻めにしようとしているのですからね。

「ドンキホーテ」というのであれば、まさしく私どもの方だといいたくなるのもおわかりいただけるのではないでしょうか?

向こうが金でくるなら、こちらの武器は、ただ「一」つ、谷口雅春先生へのご恩報じ、それのみです!

そういう思いでやっているのに、よく知りもせず、かつての先入観、思い込みのみで、誹謗とも受ける書き込みをされたから、これはたとえ「復興G」様と言えども、黙ってはおれぬと思って投稿したという次第です。

更に、失礼を顧みず、「組織」から抜けた者として、敢えて言わせていただけば、「組織」に残っている身で、「ドンキホーテ」はないだろうというのが私の正直な感想です。

「組織」に残っている身で「ドンキホーテ」を名乗る資格があるとすれば、それは「一」にかかって、谷口雅春先生の教えをもって、谷口雅宣総裁の間違いを鋭く剔抉する行動を起こす場合のみである、というのが私の見解であります。

それを行動に移す、覚悟ありや否や?

私にとっての「ドンキホーテ」とはそういうことであります。

大先輩に失礼な物言いをしているとは思いますが、先入観をもってあれこれ言われたわけですから、これぐらいの発言は赦されるであろうと思ったという次第です。

1868志恩:2013/06/11(火) 08:18:19 ID:.QY5jUA6
ご神像の、撤去問題・「運搬」の際に関しての感想を申し上げます。

あのご神像は、
元本部講師で彫刻家でいらした服部仁郎先生が、彫刻されました。
服部仁郎先生は、当時、霊夢を見られて、その霊夢にあらわれた神様を
ご神像として彫られたのだということを、昔、服部先生の奥様に伺いました。

ですから、霊夢にあらわれた神様を表現された あのご神像は、
単なる彫刻という物体ではなく、

「精霊が宿るご神体である」のです。

ご神像は、本部会館の七つの燈の所の高い位置で、生長の家の神様の象徴として
われわれを、ご守護下さりながら、

約60年間という永き歳月に亘り、あの高い位置で、ず〜〜〜っと、立ち尽くしていて下さいました。

ですから、ご神像へ、そのお礼と感謝の気持ちをこめまして、恭しく誠の「祭祀」を行ない,
その後に

聖なるものを包むのは、昔から「白布」と決まっているのですから、
それらの事も,教団側は、配慮されて、

撤去、運搬を行うことが、
永年お護り下さった お世話になった 

ご神像への礼儀であり、感謝であったと思います。

その上、古い信徒達にとりましては、あのご神像に対してましては、特別な思い入れも
ございますから、

教団は、今回、するべき 祭祀 をしなかったことと、
運搬するときの配慮のなさ

この2つの点で、心ある信徒が悲しんだことを、ご認識下さい。

ご神像を、ただの物体扱いで、
どんなものでも梱包する汚い黄色い布で包んで、しかも、土足で 登ったりさせて、
運搬業者に、そのようなことをしないようにと、前もってお願いもせず
粗末な感じで、運び出させた件は、非常に教団側に 配慮が欠けていたと思います。

これは、教団を批判するなという問題ではなく、教団側は、批判されて当然のことだと思います。

もしも、雅春先生が総裁でいらした場合でしたら、
あのような粗末な扱いは、決して、されなかったと存じます。
そして、
ご神像への永年の感謝の気持ちも 込めて、きちんと祭祀も行われたことでしょうし、

先に言いましたように
仏像などもそうですが、ご神体などの聖なるものを包む布や紙は
昔から「白」と決まっているのですから、

教団側が、運搬業者に依頼する際、その旨を伝え、
運搬業者が、「白」を用意出来ないと言った場合は,

前もって、教団側が、「白い布」を用意しておき、運搬業者にお願いして、
最初に包む布は、「白」。

そして、それだけでは、運搬の際に、破損の恐れがあるのなら、
「白い布」の上から、あの汚い黄色い梱包用布で、包むのが、
まっとうな考え方だと存じました.


結局、一事が万事です。内なる「精霊」を見ずに「物体」という彫刻としか、見ていなかったのでしょう、教団は。


ご神像が、本部から取り払われるということは、
信徒なら、どなたでも、その状況を知りたいものです。

本当は、あの映像記録は、
教団側が写して、こういうネット時代なのですから、信徒に情報公開すべきことです。

ですから、それを、なにもしなかった教団に代わって、
このたびは、「学ぶ会」の有志の方々が、いらして、小雨降る中 傘もささずに、
聖経「甘露の法雨」を読誦して下さったことは、1つの救いでありましたし、

ご神像が運び出される様子も、「学ぶ会」の有志のお方が写して、映像を流してくださいましたので、
信徒達は、そのおかげで
その様子を、拝見出来ました事は、大変有り難く感謝致しているところです。

1869【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/11(火) 08:25:18 ID:???



 いやーこれは、「盛り上がる誌友会」になりました。靖国殿の登場に重ねて感謝の意を表明致します。さらになお、他の方(光明掲示板の方)も大歓迎です。どしどしご投稿ください。普段はウルサイ訊けですが、現在は「司会者」です。ご発言の邪魔はしませんので、どうぞご安心ください。(論点の整理くらいはさせて、頂きますが)

 さて、靖国殿に資料を提示致します。この、「一」なる用語ですけどもおそらく、復興Gさまは下動画の意味でお使いだと思います。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
○「久遠の今」
前編http://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8
後編http://www.youtube.com/watch?v=lDSwsxbLfes
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

 復興Gさまのご投稿をお待ちの間、ご視聴されることをお勧め致します。用語の語義確認をされれば、錯綜を最小のものにできましょう。なお、同動画は全部で15分程度です。

 他の方も上動画ですが、ご視聴をお勧め致します。復興Gさま用語の「正念」「正念場」あるいは「一」の意味ですが、再度確認しようではありませんか。ところで議論での、ほとんどの誤解の要因は「語義の不一致」です。動画視聴後であれば、やり取りが良質なものとなりましょう。




1870「靖国見真会」参加者:2013/06/11(火) 08:28:56 ID:0PL7dBUs
「訊け」さんへ

多用につき、用件のみにて失礼します。

〉この、「一」から出発すること ―― ここの解釈が議論錯綜の要因になっていると思うのです。(現在の「学ぶ会」は違うのでありましょうが)一部の方からトキさんや、その他の方への批判が殺到しますけれども、その要因はこの、「一」から出発することの解釈の違いだと思っております。〈


「一即多」でいいと思っています。

谷口雅宣総裁のヒドサを見たら、こんなところに谷口雅春先生がいるわけがない、そう思って当然であります。

「皆さん、一人ひとりが谷口雅春である」

谷口雅春先生は、そう仰ったのですから、谷口雅宣総裁についていけないと思う人は、それぞれの場で立てばいいのです!

「八ヶ岳教団」は組織集団であって、生長の家の「信仰」とは切り離して考えるべきであって、「八ヶ岳教団」をやめること、それが生長の家の信仰をやめることとは全然、意味が違います!

その混同こそが問題だと思っています。

今、どんどん「独立誌友会」が増えています。

私が、かねてより、望んでいたことです。

とにかく、「八ヶ岳教団」離れを起こすこと、そして、いろんな「多」がうまれること、それを心から望みます。

そして、「多即一」、いずれ、本物のところに「一」するでありましょう。

それでいいのではありませんか?

1871志恩:2013/06/11(火) 08:43:12 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様、私は疑問に思う事がございます。
以前、復興G様は、雅宣総裁お一人の責任ではない、われわれ信徒全員の責任だ、
総裁とわれわれは、合わせ鏡なのだからだと,申されましたが、

あの雅春先生の絶版にされている、信徒が読めなくなっている30冊以上の
雅春先生の著書の出版に関しましても、われわれ信徒の責任として、

出版しようではないかと、皆さんで発言を大にしていかなければ、いけないのではないでしょうか。
今回、知りました。教団には遺産が、500億円どころか、1000億円もある優良企業なのだということを。

こんなに,財産があるのでしたら、
いくらでも、雅春先生の著書を出版できるでは、ありませんか。

それに、法的に裁判の結果が下りて、著作権問題は決着したのですから、
教団は、社会事業団と和解して、著作権料を払えば、いくらでもいままで通り「頭注版、生命の實相」は、
日本教文社から出版できるということも知りました。

ですから、総裁とわれわれが,合わせ鏡だといわれるなら、われわれは、自己責任に於きましても、
「雅春先生の著書を信徒が公平に読めるように、しよう。生命の實相も、読めるように、しよう、」という

動きを闊達にしなければ、いけないのではないでしょうか。

でも、本部の動きは、われわれの希望とは、うらはらに、機関誌には、雅春先生のご文章をいっさい載せていないという
ことです。

私は、雅宣総裁が、トップなのですから、それらの事は、彼の考え1つで、方向がきまると思うのです。
特に、宗教団体のトップとは、そういうものでしょう?

ですから,私は雅宣総裁の責任だと申し上げているのです。

1872【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/11(火) 09:06:56 ID:???

>>1871志恩さま

 ご投稿をありがとうございます。さて・・・・

 ところでこの点(>>1871)は過去、復興Gさまに再三質問された件ではなかったでしょうか。「もう、そんな質問はするな」とは申しませんが、せめて、以下の様式での投稿をお願い出来ませんでしょうか。それは、

――――――――――――――

1、過去の復興Gさまご説明を、先ずは引用されてください。
2、そして、「この部分は、こう思う」と云う方向で、ご投稿ください。
3、さらには、ご主張にはせめて、「雅春先生の御文章」等を挙げられてください。(論拠の提示です)


――――――――――――――

 いやたぶん、せめて上記三点くらいを踏まえて頂かないことには、復興Gさまにも失礼だと思います。さらには現在、靖国殿もご参加くださった誌友会ですので余計、復興Gさまは時間配分に苦慮されることと察します。ですので、貴女様に於かれましてはせめて、上記三点を踏まえられてのご投稿をお願いする次第です。よろしくお願い申し上げます。




追伸


 上記三点を踏まえられた上で、さらなる希望を掲載します。

 希望を申せば、貴女様の解釈(「一即他」等に関する)を掲載頂きたいのです。貴女さまが雅春先生の御文章をどう解釈されたのか、これが不明の状況です。これでは返信する側は、返答に苦慮するのです。「どこを強調して書けばよいのか」が、返信側にすれば、さっぱり不明になるのです。よろしくお願い申し上げます。

1873【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/11(火) 09:17:19 ID:???

(×)一即他
(○)一即多




1874ユタカ:2013/06/11(火) 09:23:53 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
WEB誌友会で勉強した>>714>>715>>716をユタカはしっかり受け止めました。

714 :復興G:2013/04/20(土) 20:57:30 ID:AB6RqYXc

さて、テキストに帰りましょう。

テキスト『生命の實相』第3巻で、2番目に掲載されているのは、「万教帰一の神示」と称されている神示です。
この神示の冒頭に、次のように記されています。

≪ われに姿かたちがあるように云うものあれどわれは姿なきものである。われは道(ことば)である。われは霊性である、知恵である、愛である、生命である、われは如来である、われは一つにして多である。

 信仰深き諸方の霊覚者にわが神姿を示したることあれども、そはわが真の姿に非ず、見えたる神姿は霊覚者の心識の所現にも非ず。そは、われ神通力によって、疑う者の蒙を啓(ひら)かんがために、異る場所と異る人とに同じき一定の神姿を示して、神の客観的存在を実証したに過ぎない。

 されど、本来われに一定の神姿はない。如何なる姿も欲(おも)いのままに現ずることが自由である。されば、嘗てわれ汝に告げたのである「われに神殿は不要である」と。われは神殿がないとて身の入れ場所に困るような神ではない。供え物も要らぬ。わが姿を見んと欲(ねが)うものは『生長の家』を読め。われは言葉である。わが言葉を盛る雑誌こそわが神殿である。この雑誌がひろがるのこそわが神殿の大きくなることである。≫

 と書かれており、『神ひとに語り給ふ』の中のご講義では、

≪「われに姿かたちあるように言うものあれどわれは姿なきものである」と、神示にありますが、これは神様とは如何なるものであるかということを示しているのであります。「われ」というのは神様御自身を指されたのであります。時々神の姿を見たと言う方がありますが、本源の神様には姿がないのであります。それを無相と謂(い)います。無相だからどんな相(すがた)もないのかと思うと、無相であるからどんな相でも現ずることが自由であるのであります。だから、神は無相にして無限相であるというのであります。

 現象界の相(すがた)のあるものはそういうように自由に姿を変ずるわけにはゆかんのであります。姿がないからこそ何にもさわりになるものはない、姿が限定されません。姿が限定されませんからどんな姿にも現れられるのであります。≫

と書かれていますから、今原宿の本部会館に鎮座されていて、まもなく山梨の方へ移転することになっている御神像は、「これこそが生長の家大神のお姿」というわけではない。「その一つの現れ」であるということですね。

 ですから、御神像が生長の家の本尊というわけではない。もしそうだったら、偶像崇拝になってしまいます。生長の家の本尊は人間の内に宿る、目には見えない宇宙大生命であるわけです。

 ならば、「御神像」にあまりこだわる必要はないわけですが――やはり一つの象徴として、造られたものはその心を大切に保存したい、ということでしょうね。



間違えて違う所に貼ってしまったなぁ〜〜。ここだった。。。

1875復興G:2013/06/11(火) 09:32:32 ID:AB6RqYXc

 ユタカさん、あなたはすばらしいヒントを与えてくださいました。ありがとうございます。

>>1859

>>ご神像のお見送りはそれは信仰の発露で好かったと思います。プラカードもOKでした。
ただ、原宿本部の依頼した運送屋さんのぞんざいな引越し作業を、どんなに手落ちがあろうとも、ネットを通して全世界にご披露してしまう、というそういう言動に復興G様は苦言を呈しておられると傍から見てそのように思えます。<<

 その通りですね。御神像は「撤去」ではなく、「移転」(山梨へ)です。

 「梅の花の神示」も、よいヒントでした。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   梅の花の神示

 梅の花の開く時節が来たのである。去年の春に聖典『生命の實相』の一部を或る人に読ませて、読むに従って、一頁毎に、まだ時期来らぬ固き白梅の蕾を一輪ずつ開かせて、その開く毎にポンと音を立てさせてあったのは、弥々(いよいよ)ひらく年の型を見せてあったのである。

 今年が弥々開く年である。昭和八年は弥(や)の年、弥々(いよいよ)の年、八の年、ハナの年、ハリ伸びる年、ハジメに開く年である。ハは開き伸びるという意味であって、春、原、脹、晴、遥等 皆この語源から来るのである。コトバの『ハ』も開くという意味から来たのである。スメラミコト(命―神)が開き展(の)びるとき音をたてるのであるから、固き梅の蕾の花を開かせてその一輪毎にポンポンと音をたてさせて型が示してあったのである。『万ずのもの言葉にて生み出される』と言うことが象徴化して示してあったのである。

 梅の花とは、生みの花――創造(うみ)の始動(はな)のことである。『生みの花』はまた『海の原』のことである。『梅の花』の五弁は五大洋に象(かた)どる。五大洋にスメラミコトの花が開く始まりが今年である。一つ開く毎にポンと音がさせてあるのは何の象徴であるか考えれば判るであろう。

 何事もなしにはスメラミコトの花は開かぬのである。一つ一つ開く毎にポンポンと音を立ててついに五大洋に梅の花がひろがるのである。開くまでには厳寒の冷たい日が続くが、厳寒の冷たい日があるので一陽来復の日が来るのである。無明(まよい)の自壊作用がないのに光明遍照の楽土が来るなどと甘いことを思うな。昨年十二月十一日にも『戦いの時は来たのだ』と知らせてある。ヒノモトの軍が厳かに進むのは、無明の世界を照らす唯一の光が進むのである。甘い平和論に耳を傾ける勿(な)。膏薬貼りで此の世が幸福になるなどと思うな。

 世界には唯一の光しかないのだ。唯一の光であるからヒノモトと呼ぶのである。ほかの光は皆偽の光ばかりである。梅の花には中心が一つしかないではないか。

 世界に中心が幾つもあって争っていて人類が幸福になれるなどと思うな。太陽系にも中心が一つであり、電子群にも中心が一つであり、人間にも頭が一つであり、樹木にも中心の幹は一つである。極微のものから極大のものまで皆中心は一つである。この事実を見て宇宙の意志を窺えよ。地上の国々だけが中心が幾つもあって好いと思うな。複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。一つの中心が太陽系に成るが如く地上にも成る日が近づいたのである。

 現在無中心主義を標榜する者は皆現在の中心を貶黜(へんちゅつ)して自分が中心を僭称(せんしょう)したいからである。スターリンなど、無明の塊の人物を中心として世界が幸福になれると思うものは愚か者である。

 世界を一つに統一する運動に二つある。一つは露西亜(ロシア)から始まっている運動で、世界を物で支配する運動である。もう一つは霊(ひ)の本(もと)から始まっている運動で、世界を霊で支配し、一つの光明に統一する運動である。この二つの運動の衝突は避けられぬ。時機は迫っているのに、まだヒノモトの使命を知らぬ者があるのは歯痒(はがゆ)い。本当の愛は甘えかす愛ではない。戦いの愛である。(昭和八年一月六日神示)

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

<つづく>

1876復興G:2013/06/11(火) 09:33:11 ID:AB6RqYXc

<つづき>

「歴史は繰り返す」といわれますから、上記 「梅の花の神示」 は 過去のことであって、同時に「今」 においても何かを暗示されていると思いますが――

>>今年が弥々開く年である。昭和八年は弥(や)の年、弥々(いよいよ)の年、八の年、ハナの年、ハリ伸びる年、ハジメに開く年である。<<

というのは、おそらく、雅宣総裁率いる教団側では、「森の中のオフィス」に移転して新しい「創造(うみ)の始動(はな)」が始まるのだ、ととられるでしょう。

一方、学ぶ会では、第1回全国大会が大成功裡に行われ新しい路線、「正統生長の家」の樹立をめざす“真理護持拡大路線”の運動が始まった「創造(うみ)の始動(はな)」の年である、と解釈されるでしょう。

しかし、神示には
>>世界に中心が幾つもあって争っていて人類が幸福になれるなどと思うな。太陽系にも中心が一つであり、電子群にも中心が一つであり、人間にも頭が一つであり、樹木にも中心の幹は一つである。極微のものから極大のものまで皆中心は一つである。この事実を見て宇宙の意志を窺えよ。地上の国々だけが中心が幾つもあって好いと思うな。複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。<<

とあります。

>>世界を一つに統一する運動に二つある。一つは露西亜(ロシア)から始まっている運動で、世界を物で支配する運動である。もう一つは霊(ひ)の本(もと)から始まっている運動で、世界を霊で支配し、一つの光明に統一する運動である。この二つの運動の衝突は避けられぬ。時機は迫っているのに、まだヒノモトの使命を知らぬ者があるのは歯痒(はがゆ)い。本当の愛は甘えかす愛ではない。戦いの愛である。<<

と結ばれていますが、
「霊(ひ)の本(もと)から始まっている運動」が「世界を霊で支配し、一つの光明に統一する運動である」ということになるのだと思います。

それは、口先だけでなく、本当に自我を滅して「一」なる神、完全円満なる神を信じ、その神意に中心帰一した運動を展開したところが現実世界の中心となる、と解釈できるのではないでしょうか。

>>複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。<<

とありますから、「棲み分け」でよい ということにはなりません。

そうして、
>>本当の愛は甘えかす愛ではない。戦いの愛である。<<

とありますが、これは、自我を死に切ったとき「すべては自分」なのであり、一人一人が己の「自我を死に切る」戦いをしなければならないのだ、と私は解釈いたします。

今回のテキスト『生命の實相』第3巻を復習しますと――

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

○ 「言葉の宇宙」が先ず出来て、「形の宇宙」がその映像(かげ)としてあらわれるのである。(p.1)

○ 『生命の實相』が展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。今は過渡時代であるから、仮相の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦いはその序幕である。神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏(う)って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起こるであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。(p.2)

○ 精神界が先きで現実界はその影である。元乱れて影完(まっ)たからず、宗教家よ、宗派争いをしている時ではない。(p.3)

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 と教えられているのであります。
<つづく>

1877志恩:2013/06/11(火) 09:53:13 ID:.QY5jUA6
訊けさんへ

私は、復興G様へ ご神像のことで、質問したことは、なかったと存じます。

1878「訊け」管理人:2013/06/11(火) 10:02:24 ID:???

>>1877

 貴テーマは「一即多」であり、題材はご神像だと判断しております。その点が>>1872
の意図です。

 「総裁の責任だ」と云う過去のご発言や「合わせ鏡」の件など、既に復興Gさまがご説明されて
おられます。その、ご説明に沿ったかたちでの再投稿を、お勧め致します。「復興Gさまご説明では
〜です」「でも、今回のご神像問題は〜です」という感じの投稿文に、なるのでしょうか。

 テーマと題材は、違います。が、テーマが同一ならば題材は何であれ、過去と同じものになります。



1879ユタカ:2013/06/11(火) 10:20:38 ID:R1D4Jmeg
誌恩さまへ  復興G様は下記の神示の内容を仰っていらしゃると思います。

君民同治の神示

国は人間生命の外延である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。 人間生命が神より生まれたる神聖鳴るものであるといふ自覚が、その外延であるところの国をも神より生まれたる国であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主催者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於いて持つこと要請するのである。

観られる世界は観る人の心の世界であるからである。 身体(しんたい)も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客観かくたい)である。観る心の要請が身体(しんたい)に於いては脳髄の存在となり、  国に於いては永遠の元首なる、 無にして絶対であり、一切の主であるところの 天皇の存在を要請するのである。

天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。

即ち 観る主体(民)が神聖であるから、 観らるる客体である天皇が神聖なのである。

観る主体(民)の神聖性が包まれ蔽(おほ)はれて混濁するとき、 天皇の神聖性は蔽はれて発現しなくなるのは其のためである。

今の状態がそれである。

人間は自己自身の神聖性のゆえに神造の国家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなはち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にはかならない。

かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。 されば民が主であり君は客である。

是を主客合一の立場に於いて把握すれば主客一体であり、君民一体であり民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝みたまふ治は君を拝むところの事と一体である。治事一体であり、治めると事(つか)へるとは一体であり、君民同治である。

天皇は絶対者にましますとは、観る主体たる人間(民)の絶対性より来る。

民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。

打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが国家大権、天皇大権の一時中断の形をもって現れたのである。(十二・二十八 午後十二時)

1880ユタカ:2013/06/11(火) 10:25:39 ID:R1D4Jmeg
君民同治の神示

の内容を読みますと今の生長の家の現状は雅宣総裁一人の責任ではないと言えると思います。

それだから今は、さまざまな団体が出来て来て、みなさん急激に真理を学んで浄化されていますね。

1881志恩:2013/06/11(火) 10:31:15 ID:.QY5jUA6
ユタカさまが、貼って下さいました復興G様の以下のお言葉ですが

>>今原宿の本部会館に鎮座されていて、まもなく山梨の方へ移転することになっている御神像は、
「これこそが生長の家大神のお姿」というわけではない。「その一つの現れ」であるということですね。

 ですから、御神像が生長の家の本尊というわけではない。もしそうだったら、偶像崇拝になってしまいます。
生長の家の本尊は人間の内に宿る、目には見えない宇宙大生命であるわけです。

ならば、「御神像」にあまりこだわる必要はないわけですが――やはり一つの象徴として、造られたものはその心を大切に保存したい、
ということでしょうね。 <<

このように、復興G様がおっしゃっておられる通り、勿論、ご神像は、生長の家のご本尊ではありません。
生長の家の神様の象徴として、彫られたものです。偶像崇拝ということでもありません。

しかし,永年、特に古い信徒にとりましては、あのご神像は、
どのようなことで、生まれたか、、聖霊が宿っているご神像ということで、
生長の家の神様の1つの象徴として、本部に参りますと、

大道場の実相を礼拝するのと同じ気持ちで、あのご神像の真下へ行き、ご神像に宿る聖霊に、合掌礼拝してきたものです。

ですから、多くの信徒の方々は、ただの彫刻だとは、思っていないのです。生長の家の神様の1つの象徴として、
とても大切に考えてきたのです。


やはり、何十年もご神像として、あの高い位置にあり、聖霊が宿っていると聞いていたご神像なのですから、
そして、こういうネットの情報社会ですから、大々しい祭祀でなくともいいのですから、

それなりの、ご神像へのお礼と感謝の気持ちを,教団は、全信徒を代表して、ささやかなものでもいいですから、心を込めてあらわし、
運搬のときにも、配慮すべきだったと思いました。

私は、ご神像が、八ヶ岳へ移動したことは、「学ぶ会」のみなさの感想とは、異なるところがございまして、
つぎの時点で、たいせつにされれば、いいことだと考えております。

なぜなら、本部会館の旧館は、すでに築60年経っているので、あれはコンクリート製なので、補修は効かないと思うからです。
ですから、ご神像が旧館とともに、壊されないで済み、保存されたことは、
私としましては、さびしいですが、その反面、ほっとしているところです。

木造住宅なら、木の柱を鉄製のもので補強できますが。コンクリートのビルの補強は、調べましたが,出来ないようです。

あの本部会館は、昔の、あまり進歩していない頃の建築技術で建てられたビルですから。
…なので、旧館の方は、新たに建て直しということになりますが、

雅宣総裁は、原宿での建て直しは考えず、八ヶ岳でと、考えられたわけですよね。

それが よかったのかどうかは、10年経てば、分るのではないでしょうか。

1882志恩:2013/06/11(火) 10:58:36 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

君民同治の神示とは、天皇と国民についての神示です。
雅宣総裁と信徒のことを言っているのでは、ありません。

以前、金木犀様が、これについて、投稿され、コメントもされてましたので、貼付します。
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711:金木犀 2012/05/23(水) 06:42:30ID:L0Ei6.zw
『秘められたる神示』 谷口雅春先生

 君民同治の神示講義(7)

しかし、そのような天皇の神聖性は、人民自身が「無」になって謙虚に天皇に対して回帰しない限りはあらわれない。傲慢に天皇を批判している者にとって、天皇の神聖性が理解されないのは当然のことである。
だから、「観る主體(民)の神聖性が包まれて蔽はれて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽はれて撥現しなくなるのは其のためである。

今の状態がそれである」と示されているのである。紅緑色盲に於いては、紅や緑の色彩が実際そこにあっても、自己自身に内在する紅緑の感覚が目覚めていないために、其処に紅緑の色彩をみとめることが出来ない。
それと同じく自己に内在する「神聖性」が包まれ蔽われて混濁している場合には、天皇の神聖性は蔽われて発現しない。

それ故に、「天皇の皇位を剥奪し、皇室費を停止して、天皇を唯のサラリーマン又は文教労働者となすべし」というような唯物論者の議論も生じて来るのであります。
唯物論者にとっては、人間はただの“物質の塊”以上のものではないから、その価値や尊さを、その能率的エネルギーの量に一般化して、それを平等に取り扱おうとするのは無理もないことであるけれども、

自己の内に「神聖性」が発現し、その「神聖性」を観る眼をもって、国家を観、天皇を観るとき、其処に、自己の神聖自覚の投影としての、神聖国家及び神聖天皇を観ることができるのであります。

だからこの神示には、
「人間は自己自身の神聖性のゆゑに神造の國家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなはち民自身が、天孫であり、神の子である自覺の反映にほかならない。

かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である」と時代に適応したところの民主主義に背反することなき、天皇神聖論をお諭しになっていられるのであります。

しかし、「民が主であり、君は客である」という表現をつかうと誤解を招くおそれがあり、「人民のほうが君主より偉いんだぞ、天皇は吾々の得た月給から納めた税金で養っているんだぞ」などというような間違った考えを懐くものも出て来る恐れがあるから、

神示は更にこれを綜合的立場から説明を加えて、「是を主客合一の立場に於いて把握すれば主客一體であり、君民一體であり、民は君を拝み、君は民を拝む」と説かれ、天皇の「治」を民を拝みたまう行事として、次のように示されているのである。

「民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝みたまふ“治”は君を拝むところの“事”と一體である。治事一體であり、治めると事(つか)へるとは一體であり、君民同治である。……」

このように神示によれば、政治とは権力階級が非権力階級を圧えつつ治めることではなく、

「民は君を拝み、君は民を拝む」――すなわち「君と民との拝み合い」ひいては「政府と国民との拝み合い」が本当の政治なのであります。近頃の政治を観ると、政府と国民とは「拝み合い」どころか、

「憎み合い」又は「争い合い」の様相を呈しているので、このような政府の要員や国民の代表にとってはこの神示は誠に好箇の反省資料だと思われるのであります。

併し現在の日本の状態は、天皇の神聖性などを観ることが出来る者は残念ながらきわめて少ないのであります。それは人民自身が自己の神聖性をみとめないで、自己をただの「物質なる肉塊だ」と観じている。

そしてこの肉体なる化学物質の反応の如き本能満足の要求を「基本人権」だなどと信じているのですから、「人民自身の絕對性の把握」など殆どない。

そして、“観られる世界”は“観る心”の反映であるから、天皇の絶対性など観得る人も殆ど無いのであります。そのことを此の神示には、
「天皇は絕對者にましますとは、観る主體たる人間(民)の絕對性より來る。民が自身の絕對性の把握が破れるとき、

その反映として國の絕對性と天皇の絕對性とは破れるのである。打ち續く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覺が破れたのが國家大權、天皇大權の一時中斷の形をもって現れたのである」という風に諭されているのであります。(完)

1884志恩:2013/06/11(火) 11:08:28 ID:.QY5jUA6
そして、この「君民同治の神示」は、
雅宣総裁が、 
2012,11,22
総本山に於ける

 「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」スピーチ に、うまいこと、引用され、自分流の解釈を述べ、

  =日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。

つまり、「鎮護国家」を引っこ抜く、材料に使われた神示でもあるのです。

1885志恩:2013/06/11(火) 11:11:57 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生の「生命の實相」を学ぶより
http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/20492761.html

1886ユタカ:2013/06/11(火) 11:13:50 ID:R1D4Jmeg
志恩さま
>治事一體であり、治めると事(つか)へるとは一體であり、君民同治である。……」

このように神示によれば、政治とは権力階級が非権力階級を圧えつつ治めることではなく、

「民は君を拝み、君は民を拝む」――すなわち「君と民との拝み合い」ひいては「政府と国民との拝み合い」が本当の政治なのであります。近頃の政治を観ると、政府と国民とは「拝み合い」どころか、

「憎み合い」又は「争い合い」の様相を呈しているので、このような政府の要員や国民の代表にとってはこの神示は誠に好箇の反省資料だと思われるのであります。


ここでは、上記のように、天皇と国民とばかりではなく、【 政府 と 国民 】と例をだされて言うように一くくりにされていらしゃいます。
ですから、権力者(総裁)と非権力者(信徒)とも、読み取れるような気がしてなりません。

ですから、こういう意味で、復興G様はおっしゃったと思います。

1887ユタカ:2013/06/11(火) 11:21:18 ID:R1D4Jmeg
志恩さまへ

どうしても、雅宣総裁の文章を読まないとダメですか??

私は、雅宣総裁の文章を読むと、気分が悪くなって、悪寒が走り、嘔吐して通常の仕事が出来なくなります。

志恩さまが仰るので読みますが、その代わり、私は2〜3日ここをお休みします。 なぜなら、気分が悪くなり、頭痛とメマイで寝込んでしまう事が予想されるからです。

申し訳ありません。。。。。

1888復興G:2013/06/11(火) 11:32:39 ID:AB6RqYXc

 御神像に関することで、聖典の資料を提示して申し上げます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

<『生命の實相』第13巻 倫理篇上 第2章「第一の神性隠蔽」より(p.82〜83)>

   宗教争いは偶像崇拝よリ起こる

 物質的な形あるものを礼拝の的にするようになりますと、物質的な形あるものは有限でありますから、ここまでは自分の領分であって、お前の領分でないというような争いができてくるのであります。

 人間を和合させる働きをせねばならぬ宗教でさえも、肉体キリストという物質的顕現に捉えられていましては、顕現せられましたそれぞれの応身または報身は異なりますから、互いに信者争い、領分争いをしなければならぬようになってくるのは当然であります。
 その宗教が偶像崇拝教である程度は他教を排斥する程度でわかるのであります。

 つまり、すべての争いの第一の萌芽(めばえ)は、物質的な形あるものを崇拝すること――すなわち偶像崇拝――よりくるのであります。

 すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますならば、「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのであります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

>>716 :復興G

 現象界のすべてのものは、時間と空間というスクリーン上に映し出された映像(かげ)であって、本来無である。

 地上のすべての宗教というのも、現れたすがたは映像(かげ)であって、無でありますね。

 しかしながら、

「宇宙の中に神様が生れたのではなく、神様の生命そのものの広がりが宇宙であります。」(神示ご講義)

という、時間・空間をも生み出された本源の神は、映像(かげ)ではない。影を映し出している第一原因者であって、現象界の一切の対立を超えている。それを「絶対者」という。

すべての宗教は、この「絶対者」なる神(仏)において本来「一」であるから、「万教帰一」となる。

映像(かげ)にすぎない現象のコトバを比較して共通点を見出し「万教帰一」を見出そうとしても、それは不可能であって、「時間・空間がまだ現れない、その元のところ」すなわち「久遠の今」に立ち、「久遠の今」にこそ「アブラハムの生まれぬ前(さき)より吾はあるなり」と言い、黙示録では「我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、活ける者なり、我れ曾(かつ)て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く」と言った「永遠のキリスト」の命があり、「天上天下唯我独尊」と言った釈尊の命があり、「自分もまた、明治二十六年十一月二十二日に母の肉体より誕生したのではなかった。そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始めから仏であった自分であったのだ」(自伝篇)とおっしゃっている谷口雅春先生の御命があり、自分もまたその永遠の生命がわが本体であると知るとき、はじめて「万教帰一」が成り立つのだと思います。

 しかし私は、御神像を偶像崇拝するのは間違いだから、粗末に扱ってもよいとは思いません。原宿本部会館(御神像を含む)について、私は次のように皆さまにお呼びかけしました。
<つづく>

1889復興G:2013/06/11(火) 11:33:10 ID:AB6RqYXc

<つづき>
>>654 :復興G:2013/04/18(木)
(前略)
今、生長の家本部が東京の原宿から山梨県の八ヶ岳南麓に移転することになって、原宿本部に鎮座されていた、七つの燈台の点燈者なる「御神像」も山梨へ移転されるということで、そのことについての総裁のブログ記事(唐松模様)を読んだり、いろいろな人の意見を聞いて学び、考えたりしています。(中略)

皆々さま。
ある方が、昭和29年に原宿本部会館ができたときの谷口雅春先生・輝子先生の御文章を謹写して、次のようなアピールの文章を送ってくださいました。それを、次に転載させて頂きましょう。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

≪本部会館を創建当時に復原、保存を!≫という、ある友人のアピール

 いよいよ今年の10月には、生長の家本部が“森の中のオフィス”(山梨県北杜市)に移転されます。すると東京原宿の現本部会館はどうなるのか、いろいろな情報が飛びかっていますが、尊師・谷口雅春先生や、海外を含め全国の先輩信徒の思いがこもった、貴重な歴史的文化遺産でもあり、くれぐれも取り壊すこともなく、是非とも創建当時に復原し、永久保存をしていただきたいと思う。

 昭和29年(1954)3月1日、立教25周年を迎えたよき日に、百三十万信徒の真心の結晶として、足かけ4年の歳月を費やして原宿の本部会館は落慶した。ここに雅春先生の当時の御文章と、当時を回想された輝子先生の御文章を掲載させていただきます。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   百萬信徒の「まごころ」の結集  谷口雅春

 光明の塔部の最上層の室は、「栄光の間」と名付けられ、その下の塔部の室は「祈りの間」である。「栄光の間」は、維摩の居室が「空っぽ」であったと同じく「空」であって何の置き物もない。「空」にして無礙光であるのが神であるからである。栄光の間にて拍手して礼拝すれば、四壁にその拍手の響がこもって天地に感応するような感じがするのである。
 教主(※)室、総持室、理事室はあるけれども、教祖の室はこしらえてないのである。これには深い意味があるのである。教祖は過ぎ行くが、教主も理事も永遠につづいて行くであろう、と云う意味はこの本部の建物は「私のもの」でないと云うことである。
 私が本部の建物を建設するために、「特信」の手紙を書いたり、礼状やお願い状を書いたりしているのは、私の室をつくるためでもなければ、私の機関をつくるためでもないのである。この建物は神に捧げられたる建物である。建物はただの物質であるけれども、それは百萬信徒の「まごころ」の結集である。

 「まごころ」と云うものは肉眼に見えないから、肉眼で見ると、ただの実業のビルディングでもこう云う聖堂でもただの「形」である。けれども「まごころ」が結集してこれだけの建物が建つと云うことは「容易ならぬこと」である。それは太陽の光を凸レンズで結集すると紙を焼くことが出来るように、「まごころ」が結集してこれだけのものが建つとき、人類の魂に一層容易に火をつけることが出来るのである。これから人類光明化の力が一層早くなるであろう。
  (『明窓浄机』「近頃思うこと」 『生長の家』昭和29年4月号より)
    ※教主=当時、雅春先生を教祖先生、清超先生を教主先生と呼んでいた。
<つづく>

1890復興G:2013/06/11(火) 11:33:55 ID:AB6RqYXc

<つづき>

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   雅春先生、信徒たちの献身で  谷口輝子

 ――現在、東京の原宿に在る生長の家本部の建物は、昭和二十九年に落慶した。昭和二十年八月に終戦となったが、それから後、何年も何年も、日本中は貧しかった。生長の家本部も貧しかったが、教えの伝道のためには、どうしても教団の中心であり本拠となるべき建物が必要であった。

 原宿の生長の家学生寮の焼跡に、隣地の東郷神社の敷地の一部を購入して、そこに教団の本部を建てることになった。

 一流の建築会社である清水建設の当時の社長清水釘吉氏は、生長の家に非常に厚意をもって居られたので、建築費を一時払でなくとも建てて下さることになり、月賦払で何年もかかって支払ったことであった。その月賦の支払についての谷口総裁の苦労は非常なものであった。

 一万円の教団債を発行して全国の信徒に協力を願ったところ、各地より続々と応募して下さったので、それで清水組への支払いを月々つづけたり、三千円以上を本部へ奉納した人に、半折の揮毫を送ったりもされた。また全国へ講習に出かけ、その受講奉納金は大部分清水組への支払に提供された。自らの身を、ローソクの火のように灯して、総裁は清水組へ支払い、そして信徒たちへの教団債を返すことに努力をつづけて居られた。

 半折に揮毫しつづけられる総裁のために、我が家の家族と本部員の二、三人は墨をすり、私は朱印を押して、指を痛くしていた。

 総裁は地方巡講から帰京して、雨の日は原稿を書き、晴れた日は半折の画箋紙に大筆をふるって居られた。痩せ形の身を前屈みにして、大筆は長時間、画箋紙の上を走りつづけていた。その部屋も、次の部屋も、廊下にも、墨痕あざやかに墨の香りが満ちていた。六十歳を過ぎた人には重労働のように思えた。来る日も来る日も働きつづけて居られた。あの生長の家本部会館の建築費のために。私は夫の後姿を見て「御苦労さま、御苦労さま」と合掌した。

 誰のために建てる本部会館であろうか。谷口雅春の住むための家ではない。信徒みんなの集る家なのであった。信徒みんなとの、いろいろのことを連絡する事務の家でもあった。みんなのための家であった。

 建築中は、東郷神社境内の隅っこを借りて、清水組は飯場を建てていた。その飯場には百人ばかりの職人が出入りしていたと聞いた。百人の中に、生長の家の信徒が四、五人いた。赤見元二郎君はその一人であった。
 赤見君は毎朝五時に起きて飯場を出てその四、五人の友と建築現場に立った。瞑目合掌したそれらの人たちは、ひたすらに、その建築がスムーズに進行し、一人の怪我人もなくて完成に到りますようにと祈りつづけて居られた。あれほどの大建築中に、一人の死者も怪我人もなかったことは珍らしいことだったと私は聞かされた。わずか四、五人の人の祈りでも、真心からの純真な祈りは諾かれるものだと信じた。

 総裁の無欲恬淡な献身と信徒たちの純粋な献身とによって、生長の家の本部会館は、原宿の一角に美しく凛然と落成の日を迎えた。

 落慶式の日は、全国各地より信徒の幹部が集ったばかりでなく、教団外の団体の代表者なども来会されて、温い祝辞を述べて下さった。誰も彼も、明るい喜び溢れる顔をして、新築の美しい建物の中を右往左往して動いていた。信徒たちは、私の顔を見ると「お芽出とうございます。有難うございます」の喜びの声を浴びせかけた。私はうれしくて浮々としていた。(以下、略)
  (「人それぞれ」『理想世界』昭和56年6月号より)

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

※ この本部会館は「落成式典」ではなく、生長の家の大神に対して、この会館を捧げるという「捧堂式典」として挙行されている。神様に捧げたものを勝手に壊すのはいかがなものか。
<つづく>

1891志恩:2013/06/11(火) 11:34:16 ID:.QY5jUA6
総裁が、信徒を拝む宗教はありますが、
信徒が総裁を拝む宗教は、生長の家だけです。
----------------------------------------------------------------

つぎつぎと、雅春先生の影を消して行く、雅宣総裁の行為は、いかないことは、いけないと、いわなければ、
ほんとうに、本来の生長の家は、消えて行ってしまうと思います。

本流は、いけないことはいけないということは、少なくして、
本来の生長の家の教えを広めて行く方針のようですね。

でも、宗教というものは、批判するものを「悪」にして、
しまうところがありますから、むづかしいですね。

それに、1000億も資産があるとなれば、彼が、どのようなことをされても、とめる人もいないのですから
彼の行為は、やりたい放題が通って行くのでしょう。

それに、にんげん、 地位とお金には、弱いですから、幹部の人や,組織の人も ついて行くのでしょう。

----------------------------------------------

>>1842:志恩
〜「調和」と「妥協」とを混同してはならない〜について

  新講『甘露の法雨』解釈 84~87頁より


<< 「法華経」にある常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)のように「あなたは決して悪い人じゃないのです。
   あなたは本来、仏になる実相をおもちなのです」と、その実相を拝むんですね。

 「悪」は絶対無いのであって、その奥にある実相の「善」のみが独在することを深く信じて、
 その実相を礼拝するのが、本当に「実相を拝む」ということであり、天地一切の実在に和解することであります。


 悪なる現象の“実在性”を信じ、その存在を許すことは「和解」ではなくて「妥協」であります。


 吾々は「和解」しなければならないが、妥協してはならないのであります。


 (中略)

 <殺虫剤や軍備は不必要か>

 しかし実際の場合として、皆さんが凡ゆる場合に虫類の実相の完全さを拝んだら害虫が全部消えるか否かは皆さんの悟りの力量如何にあるのです。

 肉眼には「悪」の姿が見えるのに、実際に「善」のみあると、その実相を拝み切れるかどうかという事です。


 <軍備は本当に不必要か?>

 この事は日本の再軍備の問題でも同じ事であります。

 だから実相世界の「一切の生物処を得て争うものなき」状態があらわれたなら、そんなものは要らん筈だと言えるのであります。
 しかし、現代の日本人が果たしてそれだけの精神的力量叉は高い心境に達しているかという事が問題なのです。

1892復興G:2013/06/11(火) 11:35:09 ID:AB6RqYXc

>>1980のつづき>

 ――以上は、ある友人から送られて来たアピールの文章を転写させていただいたものです。

 原宿の本部会館が建設された頃の日本は、敗戦占領下から独立回復後まもなくで、唯物主義の左翼革命運動に国家が転覆しそうな危機的状況にありました。そのとき、ここで青年大会が開催され、ここから「日の丸行進」が行われたりして、世界平和の礎となるべき日本の国を護る運動の拠点ともなりました。

 前記「本部会館を創建当時に復原、保存を!」という友人のアピールの結びに、

 ≪この本部会館は「落成式典」ではなく、生長の家の大神に対して、この会館を捧げるという「捧堂式典」として挙行されている。神様に捧げたものを勝手に壊すのはいかがなものか。≫

 とある言葉に、私も魂が震えました。
 上記のアピールが届いてまもなく、4月8日の日本経済新聞夕刊に載った次の記事が目にとまりました。

       ○

  SL「デゴイチ」引き取り先求む
    静岡市、解体中止し公募

 35年にわたって静岡市内で展示された蒸気機関車(SL)D51形の引き取り先を市が探している。老朽化を理由にいったん解体を決めたが、鉄道ファンから反対の声が相次いだため方針を転換し、保存の道を探ることになった。

 このD51形は1938年に製造され、75年まで北海道で運行。引退にあわせて市がJRから借り受け、葵区の駿府城公園にあった児童会館や、城北公園で展示してきた。

 ここ数年はさびや腐食が目立つように。「無人の公園で展示を続けるのは危険」と判断した市とJRが、いったんは解体撤去を決定した。その後、「壊さないで」という電話やメールが30件以上、寄せられた。市は直前に解体工事を中止。4月中にも引き取り先の公募を始める。
   (2013.4.8 日本経済新聞夕刊)

       ○

 ――SL「デゴイチ」だって、上記のように、いったん解体を決めたものでも、「壊さないで」という電話やメールが30件ばかり届いたら、解体工事を中止したのです。

 原宿の本部会館は、生長の家人類光明化運動の記念建築物として遺されるとも聞いていましたが、御神像が山梨県の「森のオフィス」に移されることに決まったそうですから、御神像のない本部の「光明の塔」を遺してもあまり意味はなくなるので、取り壊されることになるのではないかと思われます。それは、取り返しのつかない、残念なことになるのではないでしょうか。

 「天地は過ぎゆかん。されどわが言(ことば)は過ぎゆくことなし」

 とイエスが言われた、「わが言(ことば)」すなわち神の言(ことば)である「まごころ」のあらわれとして歴史的建物を保存することであり、そのために費用がかかるならば、信徒の「まごころ」による献資を募っても、保存活動をしたら――と思いますが、皆さまはどう思われますか。

       ○

――と、上記のようなお呼び賭けをしたのでした。

 しかし、あまり積極的な反応はありませんでした。

 そうして御神像は山梨県の方へ運ばれて行ったのですが、これは「移転」であります。「撤去」と言えば、そのまま廃棄されるかのように聞こえますが、そうではありません。

 学ぶ会の方たちは、御神像が「撤去」されたとして、その映像をネットを通じて世界に発信された、その意図はいったい何なのでしょう。「“雅宣教団”はこのような神を懼れぬひどいことをした」と宣伝して、自分たちの正当性を主張し、相手をおとしめるための「悪意」が感じられる行動だと言わざるを得ません。

 残念ながら、このようなことを続けられるならば、それは橋本徹馬氏の言われる「天佑」が得られる戦いとはならないでしょう。

>>1657
「各国間に大調和あらしめて、等しく万人の栄える時代の招来」を国是として、実際その如くに行動をしているならば、その国が止むに止まれずして起った時、天佑が伴うのは当然である。然らざる場合には天佑が伴わぬことも当然である。

 戦争は好む処ではないが、既に戦争に臨む以上は、「正しい国の戦争には必ず天佑が伴うのである」ことを示すのも、日本が人類文明史上に貢献する一つの道であるが、過般の戦争は日本の歴史上それとは全く逆の汚点を残した。)

1893復興G:2013/06/11(火) 11:41:41 ID:AB6RqYXc

上記は>>1890の続きでした。

1894志恩:2013/06/11(火) 11:45:24 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

雅宣総裁のご文章、読まなくていいですよ。(笑)

以下、1部のみ、雅宣さんの、そのときの言葉を載せさせて頂きますので.
=====================================================================================
⑨  「君民一体」という言葉・・・それは必ずしも「天皇と国民」だけを指しているのではなく、天皇が存在しない国もあるのですから、
一般に「支配者と国民」 の関係を述べていると思われます。

その場合、支配者と国民の間に「意思の齟齬がない」こと、さらには「感情的な対立もない」ということが「一体」の意味で すから、それが“神意”であるということです。

⑩ 「神の御心が十分に反映した平和な世界」「神−自然−人間が大調和した世界」の実現に、さらなる熱意と信仰をもって取り組んでくださることを念願いたします。 谷口 雅宣
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------


このようにして、雅宣さんは、「鎮護国家」を抜き捨て、「世界平和」に置き換えました。

1895神の子さん:2013/06/11(火) 13:06:16 ID:8BFF/5aQ
私の父は戦前から本部の職員として奉職していましたが、召集令状によって陸軍へ入隊
戦争中は支那大陸を転戦、戦闘中に胸に銃弾を受けたが、胸のポケットのお守りの聖経甘露の法雨に命中
弾が肋骨の間に食い込み、その衝撃で気絶したのを死んだものとして扱われ、死体の山に放り込まれたものの
たまたま通りかかった軍医に発見され助かったそうです。

終戦・復員後、尊師より復職してはどうかと奨められるも、敗戦による混乱の中、こういう時だからこそ
生まれ育った故郷で光明化運動に専念させてくださいと願い出て許可をいただき、それ以後無給で講演や個人指導で
家にいるのは月の内4〜5日くらいでした。

復興G様や志恩さまが書いておられるように本部会館建設の為の尊師の熱き思いに応えようと決意した父は
戦後の混乱の中で聖使命会費を祓うことが困難で数十万円溜まっていた連合会の未納金を一括で奉納するため
家屋敷、田畑を売却しました。私が10歳の時です。その後の生活は「火を灯す爪」もないくらいの極貧生活でした。

それから10年後父は尊師より本部へ奉職するようにと御手紙を下さって、家族みんなが上京しました。
私は既に東京にいましたので、家族が上京してきた時本部まで行き尊師・輝子奥様に御挨拶させて頂きました。

私にとって原宿本部は父母の思いが詰まったとても大切な大切な宝物でした。
特に御神像は父母の思いの象徴として仰ぎ見て参りました。

撤去されると聞き、父母の目になって本部会館最後の御神像、その御姿を目に焼き付けておこうと思い
撤去当日、学ぶ会の方々から少し離れた場所で光明の塔から剥がされていく御神像を瞬きもせず観ていました。

撤去ではないという人もいますが、原宿本部会館にお鎮まりあってこその御神像です。
山梨の山の中に置かれる御神像はただの置物にしか過ぎません。置く人がそのように思っているのですから。

1896こんにちは:2013/06/11(火) 13:20:01 ID:nSg7g3W2
トキ様

>>1883 この文章やリンクは、私が書き込んだものではありません。
この掲示板とも関係ないですし、削除をお願いします。

1897志恩:2013/06/11(火) 13:23:45 ID:.QY5jUA6
復興G様

「デコイチ」走る
http://www.youtube.com/watch?v=HFmgZBQT3qQ

復興G様

「デコイチ」は、機関車ですから、保存できるでしょうけれど、築60年の鉄筋コンクリートの、あれほどの
とても大きいビルである
本部会館が、保存出来るかどうかは、

いちばんいいのは、大手の建設会社に査定してもらうとわかりますから、直に、聞いてみたいですね。

小さいビルなら可能のようですけれど、あのように大きいビルは、保存は、どうなんでしょう。

むしろ、保存というのなら、
同じ設計で、新しく建て替えた方が、耐震構造も加わえて建て替えられますので、地震が 来ても安心じゃないでしょうか?

雅宣さんは、それを望まなかったのでしょうけれど。

それにしても、最近の、補修耐震技術は、どのくらい進化しているのでしょう。

つぎのように、銀座で、築80年のビルを保存改修した例もありました。(本部会館みたいに大きいと、わかりません)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130521-00000038-minkei-l13

1898志恩:2013/06/11(火) 13:44:22 ID:.QY5jUA6
>>1895:
神の子様

これはこれは、貴重なお話を、感動しました。
ありがとうございます。

お父様のすごい体験とともに、
本部会館建設の折りには、お父様は、
家屋敷、田畑を売却されて奉納金をつくられたそうで。。。あなたさまが10歳の時。
その後の生活は「火を灯す爪」もないくらいの極貧生活でした。

ということでございましたか。

私は,其の頃は、まだ入信して、数年後のときでしたから、寄付はしていないのでした。

しかし、北陸に住んでおりました。亡き義母は、本部会館建設のときも、相当奉納したと申していました。
義母の家は商家で、当時は、かなり裕福でしたので、
生長の家には、家が数軒建つほど、寄付して来たと、言っておりました。
でも、ご自分の住んでいた屋敷までは、売っておりませんもの。。

あなたさまのお父様には、とてもとても かないません。
御自分が住んでいらした家屋敷、そして田畑まで売って、奉納したとは。

このような方々にご神像を尊ぶお気持ちを、偶像崇拝だなんて、いうのは、
とても申し訳ないことと存じました。

あの小雨降る日、
神の子様もいらして下さっていたお方なのですね。


ご神像への思いは、私等より遥かに強く深くてらっしゃいます。
あなたさまの文を拝見しまして、
胸が熱くなり、涙が溢れて参りました。


のちほど、また、ゆっくり、再読させて頂きます。

1899「訊け」管理人:2013/06/11(火) 13:45:17 ID:???

>>志恩さん

 貴女さまに質問致します。

 現在の論点はいったい、何でございましょうか。




1900志恩:2013/06/11(火) 13:48:58 ID:.QY5jUA6
そうだわ、ももんが様なら おわかりになるかも。

ももんがさま、ももんがさまは いらっしゃいますか。
ももんがさまにお尋ねします。

「本部会館は、やろうと思えば、保存改修可能でしょうか?」

1901志恩:2013/06/11(火) 13:53:20 ID:.QY5jUA6
訊けさん

なんでしたっけ? 
復興G様と本部会館の保存のお話をしていたのですが。
そのあと,神の子様がご神像のことで、参加されました。

1902復興G:2013/06/11(火) 14:02:30 ID:AB6RqYXc

>>1884>>1894 :志恩様。

>>「君民同治の神示」は、雅宣総裁が、2012,11,22総本山に於ける「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」スピーチ に、うまいこと、引用され、自分流の解釈を述べ、日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。つまり、「鎮護国家」を引っこ抜く、材料に使われた神示でもあるのです。

>>このようにして、雅宣さんは、「鎮護国家」を抜き捨て、「世界平和」に置き換えました。 <<

上記、雅宣総裁が2012.11.22総本山に於ける「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」挨拶の原稿というのが「唐松模様」で発表されており、私も原文を読みました。「総裁の文章は気分が悪くなるから、読まない」とも言ってられませんからね。

その中で、
>>「君民一体」という言葉を重視すれば、それは必ずしも「天皇と国民」だけを指しているのではなく、天皇が存在しない国もあるのですから、一般に「支配者と国民」の関係を述べていると思われます。その場合、支配者と国民の間に「意思の齟齬がない」こと、さらには「感情的な対立もない」ということが「一体」の意味ですから、それが“神意”であるということです。<<

というところなどを読むと、総裁は、「梅の花の神示」にある

>> 世界には唯一の光しかないのだ。唯一の光であるからヒノモトと呼ぶのである。ほかの光は皆偽の光ばかりである。梅の花には中心が一つしかないではないか。

 世界に中心が幾つもあって争っていて人類が幸福になれるなどと思うな。太陽系にも中心が一つであり、電子群にも中心が一つであり、人間にも頭が一つであり、樹木にも中心の幹は一つである。極微のものから極大のものまで皆中心は一つである。この事実を見て宇宙の意志を窺えよ。地上の国々だけが中心が幾つもあって好いと思うな。複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。一つの中心が太陽系に成るが如く地上にも成る日が近づいたのである。<<

とある「宇宙の実相」を自覚しておられないのかと、何だか情けなくなります。だから私は、

「鎮護国家なくして究極の世界平和はあり得ない」と主張してきました。

しかし、
上記、『雅宣総裁が2012.11.22総本山に於ける「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」挨拶』で、総裁は

>>日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。<<

というのは、ちょっと違うのではないでしょうか。

そのようなことは言っておられないと思います。

もし、言っておられるとしたら、どこで言っておられるか、教えて頂きたいと思います。

式典での挨拶文にはそういう文言はありませんし、11月20日総本山での「教化部長懇談会資料」のコピーというのを入手しましたが、その中に

≪生長の家総本山の祭司の重点を「鎮護国家」から「世界平和」へ移す≫

とあるだけで、≪「鎮護国家」をはずす≫とは書いてありませんでした。

だから私は、「鎮護国家」は「重点」からははずされても、まだ完全に外されたわけではなく、まだ復活の可能性があると思っています。

それを、強引に

『日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。』

と不正確な宣伝をされるのは、どういうことでしょう。「言葉は神」ではありませんか。言葉の力でそれを実現したいのですか、と問いたくなります。

こうして「教団派」 と 「本流派」 が対立を激化して、本当に日本の実相顕現ができるのでしょうか?

1903志恩:2013/06/11(火) 14:20:03 ID:.QY5jUA6
復興G様

>>≪生長の家総本山の祭司の重点を「鎮護国家」から「世界平和」へ移す≫
とあるだけで、≪「鎮護国家」をはずす≫とは書いてありませんでした。
だから私は、「鎮護国家」は「重点」からははずされても、まだ完全に外されたわけではなく、まだ復活の可能性があると思っています。>>


祭司の重点を鎮護国家から世界平和に移したということは、鎮護国家をやめて(ひっこぬいて)世界平和へ変えたと、浮けとれましたが、

復興G様のお話に寄りますと、鎮護国家は、重点からはずされても、完全にはずされたわけではなく、まだ復活の可能性があると思っています。

ということで、ございますが、

それは、本流が「外したこと」を、おかしい、おかしいと厳しく批判なければ、本部は、いいわいいいわで、惰性に流れて、そのまま世界平和で
終わってしまうのではないかと,思います。

復興G様は、本流派がだいきらいなのは、わかりますが、観世音菩薩さまも、不動明王さまも,両方あってこそ、両方の働きがあってこそ、
この世界は、真の救いがあるように私は,思っております。

1904「訊け」管理人:2013/06/11(火) 14:39:05 ID:???

>>1903志恩さま

 一点だけ申し上げます。

 ホンリュウ派が嫌いだから、何々を語る ・・・・そんな行動は(Gさまは)採られておりません。

 そして現在、貴女さまが返答すべき質問のひとつは、以下、

----------------------------------------------------------------

『日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。』

と不正確な宣伝をされるのは、どういうことでしょう。「言葉は神」ではありませんか。言葉の力でそれを実現したいのですか、と問いたくなります。
こうして「教団派」 と 「本流派」 が対立を激化して、本当に日本の実相顕現ができるのでしょうか?
----------------------------------------------------------------


 になるものと、思われます。

 どうぞこの点へのご返答を、お願い致します。




追伸

 もう一点加えれば「虚報が多くないか」になります。

 総裁へ疑問を呈するのは当然、背教ではありません。ですのでどんどん、されるべきです。(「反論」と「文句」の区別は必要ですが)

 でも、その不動明王の働きの中には「デマの流布」は含まれてはおらぬと思います。

 先の「侵略発言」も単なるカラ騒ぎでした。今回の「天皇否定」に関しても私には、根拠はナイと思っております(あくまでも現時点では。私もその様な主張を拝読したことがありませんので)

1905復興G:2013/06/11(火) 14:49:05 ID:AB6RqYXc

志恩様

>>1904 :「訊け」管理人様のおっしゃるとおりであります。よろしくお願いいたします。

1906「訊け」管理人:2013/06/11(火) 14:51:40 ID:???

>>WEB誌友会ご参加各位

 ・・・・以下は司会者からの希望です。無視して進めてくださっても結構です。ですが、一応議論の流れを整理するうえで以下を提案、してみます。提案内容とは、

○ 総裁の悪指摘は、いったん止めにしないか

 というものです。ここで総裁の悪部分ですが、ひとつひとつ検証して行くのも骨が折れましょう。

 ですが、ホンリュ派の皆さんはご安心ください。以降の誌友会ですが、「総裁は悪」の前提で、お進めください。ひとつひとつの検証はセヌ方向にして(時間がかかり過ぎますため)そして、以下を論点にやり取りを行いたいと思うのです。それは、

----------------------------------------------

○ 総裁は悪である。ならば、我々はいかに行動すべきか

----------------------------------------------

 ・・・これです。こんなテーマでやり取りするのは、いかがでしょうか。

 せっかくの誌友会です。検証に時間を割くよりは、「総裁=悪ならば」の仮前提で話を進めるのです。いかがでしょうか。今回誌友会のテーマは「組織運動と信仰生活」であります。ここは大胆にも「総裁=悪」を前提として(くどいが「検証には時間を割かず」に)、このテーマでやり取りするのはいかがでしょうか。再掲示しますが、

 ○ 総裁は悪である。ならば、我々はいかに行動すべきか

 こんなテーマをいろいろと、扱うのはいかがでしょう。なお冒頭で申しました通り、これは司会者からの希望です。無視して進めてくださっても結構です。ですが、一応「組織運動と信仰生活」という誌友会テーマからは、外れていないつもりでもあります。ご一考賜れましたら幸いであります。



1907NANCY:2013/06/11(火) 14:59:33 ID:HzCpoNio
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」へ
こんにちは……   ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

【WEB 誌友会】を閲覧しておりますと〜〜〜 下記の“コトバ…”に?目が〜〜〜

■> つぎつぎと、雅春先生の影を消して行く、雅宣総裁の行為は、いかないことは、いけないと、いわな
ければ、ほんとうに、本来の生長の家は、消えて行ってしまうと思います<< 【 >>1891一部抜粋のコトバ…】
◆―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

■□―――【目もとには?専用のケア……❤】−―― 随分考えこんでしまいましたが〜〜〜??

【目=こころ】といいますぐらいに〜〜〜その人の“こころ…模様”が現れますかと。
目もと〜〜〜とても“敏感…”つまり“こころ…模様”が、何よりもすぐさま現れます〜〜〜ョネ!

ネガティブ感情を抱きやすい人=常日頃から“避難…中傷…”します言動行為の人は?
いつまでも〜いつまでも〜固定観念による“中傷論…”は?如何かと思います。
当時の創立者「雅春先生」も海外の多々なる哲学書をベ−スになされて、今日の「生命の実相」という
素晴らしい、日本の土壌に適した【バイブル…】を私ども信者に残して下さいましたかと思うのです。…が?

時代は〜〜〜あれから〜〜〜変化しております。それは環境面でも云える事と思うのです。

今回の「現総裁雅宣先生」の言動力は?創立者「雅春先生」の当時の言動行為と同じ事を、今の時代背景を敏感に
察知致されての行動と思います。そうしますと?〜〜〜
過去にさかのぼりまして、自分自身の言動行為をごまかしたとしても?たとえそれを隠そう!隠そう!と
致しても〜〜〜〜〜必ずや!敏感に現れて来ますネ!【神様の御心に反するからですネ…】
(もしかしますと…目もとのシワ?この繰り返し〜繰り返し〜で…現れて来ますのでしょうか〜〜〜??)

■□ では?その際はどうしたらいいのでしょうか〜〜〜?

それは簡単な事?日々の【祈り…神に心を振り向ける事!!!】
丁度!一枚のコットンで…要するに“祈り=真理”にてたっぷりと「心の汚れ…」をふき取る事ですネ!
サァ〜〜〜【神様に私の“こころ”振り向けて…祈りましょう〜♫〜】

                                       再合掌

1908SAKURA & NANCY:2013/06/11(火) 15:03:07 ID:HzCpoNio
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは…   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】です。

■横スレにて〜〜〜”疑問点(感想)…“があります。

>>戦後の混乱の中で聖使命会費を祓うことが困難で数十万円溜まっていた連合会の未納金を一括で
奉納するため家屋敷、田畑を売却しました。<< 【 >>1895一部抜粋のコトバ…】
◆―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

■□戦後の混乱期??これは当然ながら「貨幣価値…」如何でしたでしょうか?

此処で?ブレイクしますが〜〜〜?
【戦後の混乱期は?……】当時【富裕族…】は、「マッカ−サ−の方針案…」から?無理やりに余儀なく
所有していました“田畑・屋敷”を取られてしまい…一夜にして【貧乏…】となってしまったと…
知人が?云っておりました。…が?(赤坂かいわい??)その後…の事は?皆様もご存知かと?

ですから…【献金…】この問題も含め…後に随時投稿させて頂きます次第ですが??その様な状態の中?
変ですネ!!当時の【献金…】は〜〜〜?
【或る程度…富裕族】もしくは?本当に【光明化…の心のきれいな方】この二者なのでしょうか〜〜〜?
但し?その様な方は〜〜〜当時の「田畑・屋敷…?貨幣価値は連合会の未納金???」この言葉には?
引っかかりがありますネ!

※この件は「法貴先生…」の「過去の文章」にも記載がありましたかと…その記憶があります。

                                        再合掌
PS:追伸
■□【耐震構造…原宿本部開館?】立て替え…云々…

この件は?「2代目…清超先生」でも?今は【分派…いかれました方々でしょうか?】公の“催事”にて、
私どもの面前で〜〜〜【理事会が?〜〜〜】この様な含んだ云い方をなさいました。つまり、既にこの頃から、
「2代目 清超先生」の指示を無視して行動をしていたモノと考えられます。…が?
私の【「亡き母」の手紙のやりとり……】にて〜〜〜当時の「雅春先生時代の“お金…の使い方”は〜〜〜

そして、「恵美子先生」も【全国大会…での“お話…”】にて、「私はこの講習会のお金はいっぺんも頂いて
おりません。」この様な表現の“コトバ…”を、当時〜〜〜そうですネ!平成??年でしたか?
シッカリとして記憶があります。

尚!この頃から「長崎総本山…」の補修工事は?ごく最近まで、全くなされていませんでしたし?
ここ最近?「トイレのドア…」が多少綺麗になった感じでしょうかと?(4年位前…?)更には、
今の「飛田給練成道場…補修工事」はここ最近でしたか??そうですネ!平成5〜6年頃…【奉仕…】に、
飛田給道場に参りましたが〜〜〜その時の【建物…特に「畳…」・「寝具置き場…」に関しては〜〜〜】
あきれるばかりでしたが??この事は?後程ですが〜〜〜投稿形式をと!思う次第ですが〜〜〜?

■□ 此処は?ある面スレしての投稿ですから〜〜〜【 つじつまの合わない投稿が〜〜〜変!】
これは「シャロック・ホ−ムズ先生」に聞いて見ましょうかと…。

1909志恩:2013/06/11(火) 15:14:22 ID:.QY5jUA6
SAKURAさま

目元のしわのことまで、、、ご心配して下さって恐縮です。
こうみても私って、自分で言うのもへんですけれど、年より若いし、人相がすばらしいと、
いつも、皆様にほめられておりますの。どこも、悪いとこないし、ぴんぴんしております。

1910「訊け」管理人:2013/06/11(火) 15:20:14 ID:???

 いや、だ か ら (笑)。

 ・・・・>>1904にご返信ください。

 ここは「演説の場」ではなく、あくまでも「やり取りをする場」です。


 この点ご考慮の上での参加を、どうぞ、宜しくお願い致します。



1911志恩:2013/06/11(火) 15:36:29 ID:.QY5jUA6
>>『①日本国の否定、②天皇制の放棄、③住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。』

と不正確な宣伝をされるのは、どういうことでしょう。「言葉は神」ではありませんか。言葉の力でそれを実現したいのですか、と問いたくなります。
こうして「教団派」 と 「本流派」 が対立を激化して、本当に日本の実相顕現ができますか。<<


それでは、上記の3つとも、雅宣さんは、されてないとおっしゃるのですか?

①日本国の否定

生長の家の神様は、住吉大神様です。
日本国家の危機の時に,働く神様と教えられて参りました。

その祭司である「鎮護国家」を「世界平和」に変えたという事は、

日本国という独自の国家を否定したととられるのではないでしょうか?
ご神体の「護国の神剣」は、日本国の
“護国”なんですから…。

それを、変えてしまったじゃないですか。

②天皇制の否定

生長の家はご存知のように「天皇信仰」です。
谷口雅春先生から教えていただいたことは、「天皇国・日本」の国体護持の大切さです。

そして、それは、文字通り、“万世一系の霊統”を護ることから生まれるわけです。
ところが、それを根底から覆すような、「女系天皇容認」に、谷口雅宣先生は与しているわけですから、
これは「天皇信仰」を捨てたと見られても仕方ないことだと思います。

③鎮護国家祭祀の放棄

これは、鎮護国家を世界平和に変えてしまったので、行われないでしょう。

本流と、教団が、このようになった原因は、原因があるから、こうなってるわけで。
運動は、はげしくなりつつありますが、よくなるための過程だと,私は,思っております。

本当の日本の実相顕現は、例えば、雅宣さんは、自然のことと、エコ運動のことしか話されませんに、
愛国の話もゼロですのに、
雅宣さんのやることに批判しなければ,日本の実相顕現は、可能だとお思いなんですか?

1912志恩:2013/06/11(火) 15:40:55 ID:.QY5jUA6
今、ちょっと夕食の材料の買いにいきますので、席をはずします。

東大卒の人と早稲田大学卒の人と、
二人の秀才相手に

幹部でもない私が論議しても、
勝てないとおもいますので、どなたか、代わってやってくださるおかた、いらっしゃいませんか。

1913こんにちは:2013/06/11(火) 15:52:39 ID:nSg7g3W2
>>1902 復興G様

ちょっと疑問があります。
以下、復興G様の書き込みを引用します。

「「>>「君民一体」という言葉を重視すれば、それは必ずしも「天皇と国民」だけを指しているのではなく、天皇が存在しない国もあるのですから、一般に「支配者と国民」の関係を述べていると思われます。その場合、支配者と国民の間に「意思の齟齬がない」こと、さらには「感情的な対立もない」ということが「一体」の意味ですから、それが“神意”であるということです。<<

というところなどを読むと、総裁は、「梅の花の神示」にある

>> 世界には唯一の光しかないのだ。唯一の光であるからヒノモトと呼ぶのである。ほかの光は皆偽の光ばかりである。梅の花には中心が一つしかないではないか。

 世界に中心が幾つもあって争っていて人類が幸福になれるなどと思うな。太陽系にも中心が一つであり、電子群にも中心が一つであり、人間にも頭が一つであり、樹木にも中心の幹は一つである。極微のものから極大のものまで皆中心は一つである。この事実を見て宇宙の意志を窺えよ。地上の国々だけが中心が幾つもあって好いと思うな。複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。一つの中心が太陽系に成るが如く地上にも成る日が近づいたのである。<<

とある「宇宙の実相」を自覚しておられないのかと、何だか情けなくなります。だから私は、

「鎮護国家なくして究極の世界平和はあり得ない」と主張してきました。」」

という復興G様のお話ですが、これはちょっと勘違いなさっているのではないでしょうか?

上記の雅宣総裁の言葉は、「君民一体地上天国成就燈」についての説明を語ったものです。
私はこの総裁のお話が正しいとは思いませんが、総裁がこの「君民一体」を、世界各国の「君民」と解釈しているのは間違いではないと思います。

たとえば「久遠天上理想国実現の神示」には、こうあります。

<<今の国々は皆形がクミ合っているだけで、中心の生命(息)が一つに統していぬから、国即家の実が挙がっていぬのである。一つの中心にすべてが統一せられて、万民その天分に応じて其の堵に安んじ、需給の関係でも一つの人体の血液が栄養を運ぶように、全体の細胞へ各々適当な資料を適当な分量だけ過不及なく与えるようになったとき、国は即ち家となり始めて本当の国家となるのである。かくの如き国家においては凡てのものが瑞々しくひいで、その国家は「瑞穂の国」であると同時に「生長の家」であり、久遠実相の生長の家(たかあまはら)の地上的顕現であるから、高天原と、瑞穂の国と、生長の家とは三位にして一体であると言うのである。>>

<<全世界が「生長の家」になったら各人の家系もまた連綿と無窮につづくようになるのである。家が途中で絶えるのはその家が迷いに捉われて「生長の家」になっていないからである。>>
(※旧漢字は新漢字に改めました)

つまり、「君民一体地上天国成就燈」とは、世界各国が「君民一体」となって地上天国が成就することを祈願した燈台であるという解釈が成り立ちます。
この燈台より上位に「地上天国世界連邦成就燈」という燈台がありますが、これは、世界全体の国々が一体となることを祈願しています。
ですから、最下位に位置する「君民一体地上天国成就燈」は、世界各国の実相が成就することを指すと見て間違いではないと思います。
世界万民が実相天皇を君として仰ぐとともに、各国それぞれも君と民が一体となる、という意味ではないでしょうか?

私が雅宣総裁の解釈に疑問があるのは、「君民」を「支配者と国民」としていることです。
これでは、アメリカ大統領や中国共産党国家主席が君になってしまいます。
そうではなく、各国本来の「君」となるべき方が玉座に就き、その家系が連綿とつづき、世界各国が君民拝み合いの国家となることを祈願して建立されたのが、「君民一体地上天国成就燈」ではないかと思うのです。
世界連邦ですから、日本以外の国々が滅ぶわけではありません。ですから、こう解釈するのが自然だと思われます。

いかがでしょうか?

1914「訊け」管理人:2013/06/11(火) 16:15:36 ID:???


>>1913こんにちは様


 ご投稿をありがとうございます。さて、貴殿ご主張(骨子)は、以下で間違いナイでありましょうか。ご確認ください。ご主張内容は大きく2点ございますね?

1、復興Gさまご解釈への疑問
2、(こんにちは様の考える)総裁ご主張の間違い

<1に関する貴殿ご主張>

 「鎮護国家なくして究極の世界平和はあり得ない」と主張してきました。」という復興G様のお話ですが、ここにはちょっと勘違があるのではないか。

<根拠>

○ 総裁がこの「君民一体」を、世界各国の「君民」と解釈しているのは間違いではないと思うため。

○ 「君民一体地上天国成就燈」は、世界各国の実相が成就することを指すと見て間違いではないと思うため。

○ (総裁ご主張も)世界万民が実相天皇を君として仰ぐとともに、各国それぞれも君と民が一体となる、という意味と解釈できるため。



<2、に関する貴殿ご主張>

●雅宣総裁の解釈に疑問がある点

 「君民」を「支配者と国民」としていることです。これでは、アメリカ大統領や中国共産党国家主席が君になってしまいます。そうではなく、各国本来の「君」となるべき方が玉座に就き、その家系が連綿とつづき、世界各国が君民拝み合いの国家となることを祈願して建立されたのが、「君民一体地上天国成就燈」ではないかと思うのです。
 世界連邦ですから、日本以外の国々が滅ぶわけではありません。ですから、こう解釈するのが自然だと思われます。




1915こんにちは:2013/06/11(火) 17:41:59 ID:nSg7g3W2
>>1914 「訊け」様

私は、復興G様が「世界には唯一の光しかない」という意味を狭くとらえていると思ったのです。
太陽系にしましても、太陽ばかりが中心ではなく、地球も月にとっては中心です。
ですから、雅宣総裁が日本天皇ばかりでなく世界各国のことを述べていること自体が、間違いではない、と言いたかったのです。

「訊け」様のまとめは、私の主旨どおりです。
ただ、「実相天皇」の具体的な意味が問題ですね。
雅宣総裁は、日本天皇を世界の中心者と観じていないですから、谷口雅春先生とは違っていますね。

1916こんにちは:2013/06/11(火) 18:04:46 ID:nSg7g3W2
◎志恩様と、復興G様および「訊け」様とのやり取りについて。

少し志恩様の肩を持ちますと、総裁は言葉の上では日本や天皇を否定しているわけではないものの、谷口雅春先生と比べて著しく軽視しているということは言えるでしょう。
谷口雅春先生や松田巳代志先生の頃は、ブラジル国内でも「天皇」の文字が高々と掲げられていたのですから。

私が一番に思いますのは、総裁には天皇への愛情が感じられない、ということです。
本当に大切にしたいと思っているのか??という気持ちになってしまいます。
一部の本流派の方が無用な争いを作っている感は否めませんが、雅宣総裁に問題ありと言わざるを得ないのは確かでしょう。

私は、以前からの諸々の雅宣総裁の問題の核心は、「冷淡さ」にあると思っています。
国であれ、天皇であれ、一般信徒であれ、家族であれ、雅宣総裁の態度はあまりに冷淡で残酷です。
ここが治らない限り、本流派などからの罵倒は無くならないでしょう。

総裁は、言葉の上では天皇を否定していませんが、本当の本音の部分では否定しているのだと思います。
これは総裁自身も自覚していないかもしれませんが、私は「自己欺瞞」を総裁から感じるのです。
肯定できないはずのものを、どうにか誤魔化しているのです。信徒だけではなく、ご自分に対しても。

こうした冷淡さや自己矛盾の根本原因は、総裁が「合理主義者」の権化であるところにある、と思います。
元来、合理主義者は天皇も信仰も理解できません。
なぜなら、天皇や信仰は元来、不合理な存在だからです。
人間の心というものは元来不合理であり、知的な合理主義ではどうにもなりません。
天皇や信仰は、そうした不合理な人間の心に立脚した存在です。
元来、合理主義的な人間の頭脳というものは、利己的に出来ています。心が欠落しているからです。
ですから、人間の頭は、天皇をお守りすることを「損だ」と思います。
しかし、心はそうではありません。
自分にとって損でしかなくても、「お守りしたい!!」と思うのです。
それは、心の本性が「愛」だからです。

つまり、合理主義者には根本的に、「愛」が欠落しています。
一時期、日本を騒がせたホリエモンや村上ファンドは、その象徴的な存在です。
雅宣総裁が兄弟と分裂するのも、これが原因です。
雅宣総裁の、東日本大震災についての祈りの言葉が冷淡であるのも、これが原因です。
雅宣総裁の信仰の言葉に真実味がないのも、これが原因です。
雅宣総裁が言葉でどう取り繕うとも、天皇護持への真実味を感じないのも、これが原因です。

私は断言します。
教団が滅亡するか否か?という危機に陥ったとき、総裁は逃げます。
総裁は、自己保身に走ります。
自分の人生のすべてを投げ出して、信徒を守ろうとはしません。
なぜなら、彼は合理主義者だからです。
それは、今までの彼の言動からも、あまりに明らかです。
彼は、自分を犠牲にすることは、出来ないのです。

もちろん、これは現象の話です。
しかし、現象は現象として、シビアに見つめる眼も必要です。

志恩様の非を責める前に、志恩様がそう言わざるを得ない心情とその背景を理解しなければ、話は進まないのではないでしょうか?

1917復興G:2013/06/11(火) 18:06:28 ID:AB6RqYXc

>>1913 :こんにちは様。

まことに深いご洞察、ご高見、ありがとうございます。このような深い研鑽ができることは、とても幸せに思います。

私は、

>>「梅の花の神示」にある
>>世界には唯一の光しかないのだ。唯一の光であるからヒノモトと呼ぶのである。ほかの光は皆偽の光ばかりである。梅の花には中心が一つしかないではないか。……とある「宇宙の実相」を自覚しておられないのかと……<<

と、(たいへん失礼なことを)書いていました。

>>「君民一体地上天国成就燈」とは、世界各国が「君民一体」となって地上天国が成就することを祈願した燈台であるという解釈が成り立ちます。
この燈台より上位に「地上天国世界連邦成就燈」という燈台がありますが、これは、世界全体の国々が一体となることを祈願しています。
ですから、最下位に位置する「君民一体地上天国成就燈」は、世界各国の実相が成就することを指すと見て間違いではないと思います。
世界万民が実相天皇を君として仰ぐとともに、各国それぞれも君と民が一体となる、という意味ではないでしょうか?<<

とおっしゃるこんにちは様のご解釈は、全くその通りであると思います。

ただ、とても気になったのは、こんにちは様も書いていらっしゃるように、「君民」を「支配者と国民」とされていることです。

日本の天皇と国民との関係も「支配者と国民」というようにしか見ておられないのかと、これはとても残念なことだと思いました。

日本の天皇と国民との関係は、歴史的に見ても、決して「支配者と国民」というようなものではなかった、というのが私の認識です。

そして、
>>世界連邦ですから、日本以外の国々が滅ぶわけではありません。<<

もその通りですが、

>>各国本来の「君」となるべき方が玉座に就き、その家系が連綿とつづき、世界各国が君民拝み合いの国家となることを祈願して建立されたのが、「君民一体地上天国成就燈」ではないかと思うのです。<<

というのは、ちょっと 「 ? 」 です。

「君」とは、「支配者」ではなく、「君民一体」なる中心者ということでしょうが、それぞれの国にはそれぞれの個性があってしかるべきなのではないか。アメリカ大統領や中国共産党国家主席が「君」であり得るか。――アメリカは民主主義の国でよし、中国は中国の個性があってよし。

日本には日本の独特の個性、使命がある。それが「中心歸一・君民一体」という神の構図なのではないか。そしてその「八紘一宇」の神の構図が全世界に顕現するとき、「君民一体の地上天国」が成就するのではないか。だから、この日を守らなければ、世界に神の構図をあらわす、真の世界平和は達成できないのではないか――私は、そのように信じてきたし、今もそう信じています。そして、それが「神示」による谷口雅春先生の教えであったと、私は思うのですが、いががでしょうか。

1918志恩:2013/06/11(火) 18:26:04 ID:.QY5jUA6
>>1898:で私が、本部会館が完成したのは、私が入信して数年後、、
と書きましたが、あれは、私の勘違いでした。訂正します。

本部会館が、落慶したのは、昭和29年3月1日ですから、
私は、その年には まだ入信していません。
私の年を数えてみましたら、私は本部が落慶した数年後に、入信したのでした。
そそっかしくて、すみません。

そして、
本部会館が建って10年も経たないうちに,私は本部へ奉職していたのでした。

亡き義母が入信したのは、昭和10何年だったか、昔、聞いた事ありましたが、確かな数字は、
うろ覚えです。
義母は、私が、生まれた年よりも ずっと前からの信徒です。
親戚の人に聞けば,正しい入信の年は、分ります…。

1919復興G:2013/06/11(火) 18:31:59 ID:AB6RqYXc

>>1916 :こんにちは様のご投稿文、
>>◎志恩様と、復興G様および「訊け」様とのやり取りについて<<

は、まことに当を得たご指摘だと思います。

私も志恩様宛にお返事をしようと書きかけていた文章があります。

       ○

>>雅宣さんは、自然のことと、エコ運動のことしか話されませんに、愛国の話もゼロですのに、……<<

 ――それは私も残念な思いをもっています。
 しかし、総裁のご著書『信仰による平和の道』p.52~53には

≪今日の運動において、「愛国」が強調されていないのは……「ナショナリズムは不要だ」と言っているのではないということです。それは、必要です。人体に免疫系があるのと同じように、それは必要です。しかし今日、それを強調していくことが、人類全体にとって、あるいは地球の生命全体にとって、本当に喫緊の課題なのかということです≫

と書かれていて、日本国を、愛国心を否定されているわけではない。どこかに、「私は日本国を否定する」とか「愛国心はいけない」とか書かれているものがあったら、教えて頂きたいと思います。

       ○

 ――というように書きかけていましたが、こんにちは様が>>1916 に書かれているように、

>>私が一番に思いますのは、総裁には天皇への愛情が感じられない、ということです。本当に大切にしたいと思っているのか??という気持ちになってしまいます。

一部の本流派の方が無用な争いを作っている感は否めませんが、雅宣総裁に問題ありと言わざるを得ないのは確かでしょう。

私は、以前からの諸々の雅宣総裁の問題の核心は、「冷淡さ」にあると思っています。
国であれ、天皇であれ、一般信徒であれ、家族であれ、雅宣総裁の態度はあまりに冷淡で残酷です。ここが治らない限り、本流派などからの罵倒は無くならないでしょう。

総裁は、言葉の上では天皇を否定していませんが、本当の本音の部分では否定しているのだと思います。
これは総裁自身も自覚していないかもしれませんが、私は「自己欺瞞」を総裁から感じるのです。<<

というのは、同感です。

しかし、だからといって、ただ感情的に、不正確な情報で総裁を攻撃するばかりでは、ますますマイナスの結果になるのではないかと残念に思われます。

志恩様、いかがでしょうか。

1920復興G:2013/06/11(火) 18:34:58 ID:AB6RqYXc

>>1917 訂正です。

× この日を守らなければ、
      ↓
○ この日本を守らなければ、

1921復興G:2013/06/11(火) 19:27:03 ID:AB6RqYXc

>>1898 :志恩様

>>1895:神の子様

>>私にとって原宿本部は父母の思いが詰まったとても大切な大切な宝物でした。特に御神像は父母の思いの象徴として仰ぎ見て参りました。
撤去されると聞き、父母の目になって本部会館最後の御神像、その御姿を目に焼き付けておこうと思い、撤去当日、学ぶ会の方々から少し離れた場所で光明の塔から剥がされていく御神像を瞬きもせず観ていました。
撤去ではないという人もいますが、原宿本部会館にお鎮まりあってこその御神像です。
山梨の山の中に置かれる御神像はただの置物にしか過ぎません。置く人がそのように思っているのですから。<<

私も、上記 神の子様のご投稿を読んで、胸が痛みました。

私は昭和28年、貧乏学生時代に青年会に入会し、昭和29年、原宿の本部会館落慶奉堂式のときには、御神像のある「光明の塔」の前にテントを張った受付でご奉仕をしました。
それから約60年たったのですね。

その本部会館と御神像が単なる「物」扱いされ撤去されることには、何とも言えない空しさを感じて、悲しいです。

1922志恩:2013/06/11(火) 19:27:40 ID:.QY5jUA6
復興G様

はい。おかげさまで、
こんにちは様が、復興G様、訊け様、私の間に入って、解説して下さったご文章の内容は、

大変分り易くて 私にでも 理解できて、うれしく存じました。

復興G様、こんにちは様、

ごしんせつに 丁寧にお答え下さいまして、ありがとうございました。

それから
総裁のご著書『信仰による平和の道』からの引用文ですが、

そういっちゃ、悪いですけれど

雅宣総裁の言い回しは、やはり すご〜く わかりずらいと思いました。

それこそ、彼の言いたい事は

1,000人のうち、5人ぐらいが、理解出来るか どうかだ と感じました。

1923志恩:2013/06/11(火) 19:43:16 ID:.QY5jUA6
高学歴のおふたりさんと、雅宣さんびいきのSAKURAさんには、理解出来るのでしょうけれど。

1924志恩:2013/06/11(火) 19:55:57 ID:.QY5jUA6
>>1921:復興G様

復興G様は、本部会館の落慶式の前年に入信されて、青年会に入会されていて、
落慶式の日は、受付の奉仕をされてたのですか。

そのときから、60年も経ったのですね。


>>1895:神の子様のご文章、感動的なコメントなので再々掲させて頂きます。

>>私にとって原宿本部は父母の思いが詰まったとても大切な大切な宝物でした。特に御神像は父母の思いの象徴として仰ぎ見て参りました。
撤去されると聞き、父母の目になって本部会館最後の御神像、その御姿を目に焼き付けておこうと思い、撤去当日、学ぶ会の方々から少し離れた場所で光明の塔から剥がされていく御神像を瞬きもせず観ていました。
撤去ではないという人もいますが、原宿本部会館にお鎮まりあってこその御神像です。

山梨の山の中に置かれる御神像はただの置物にしか過ぎません。置く人がそのように思っているのですから。<<


この神の子様のコメントに対しまして、
>>1921:復興G様のお言葉〜

>>私も、上記 神の子様のご投稿を読んで、胸が痛みました。

私は昭和28年、貧乏学生時代に青年会に入会し、昭和29年、原宿の本部会館落慶奉堂式のときには、御神像のある「光明の塔」の前にテントを張った受付でご奉仕をしました。
それから約60年たったのですね。

その本部会館と御神像が単なる「物」扱いされ撤去されることには、何とも言えない空しさを感じて、悲しいです。<<

と、おっしゃって下さったので、有り難かったです。

1925復興G:2013/06/11(火) 20:00:32 ID:AB6RqYXc

志恩様。

>>1903

>>復興G様は、本流派がだいきらいなのは、わかりますが、……<<

――そう決めつけないでください。

たしかに私は、本流派に嫌悪感すら抱いたことはありましたが、先日全国大会のユーチューブを見ましたら、最初に体験談発表をした福島県いわき市の長谷川弓子さんは私もよく知っている人ですし、ほかにもなつかしい人たちが各地で学ぶ会に救われ、活躍して大会に参加しておられるのを見て、心で声援を送りました。

1926志恩:2013/06/11(火) 21:28:47 ID:.QY5jUA6

復興G様
『第1回・学ぶ会の全国大会』のユーチューブを見て下さったそうで、めちゃうれしいです。

体験談発表者の長谷川弓子さんは、復興G様はよくご存知のお方だったのですね。長谷川さんは、
品のいいきれいな女性のお方でした。ほかにもなつかしい人達が……。

そうでしたか。それはそれは…

私は、当日の会場でですが、、あの人、知ってる気がするけれど、どなただったかな…と思いながら、お名前が出てこないお方が 何人もおられました。
参加された皆様のお顔が、ものすごく輝いていて、皆様、拍手されながら、うれし泣きされてらして
会場全体が喜びが充満していて、私も、なんどもうれし泣きしていました。

まさに、みなさま、「雅春先生 お目にかかりに まいりました。という
 

復興G様〜
>>たしかに私は、本流派に嫌悪感すら抱いたことはありましたが、先日全国大会のユーチューブを見ましたら、
最初に体験談発表をした福島県いわき市の長谷川弓子さんは私もよく知っている人ですし、ほかにもなつかしい人たちが各地で学ぶ会に救われ、
活躍して大会に参加しておられるのを見て、心で声援を送りました。<<

とコメントくださったので、
靖国見真会参加者様もお喜びされることでしょう。

1927復興G:2013/06/11(火) 21:29:41 ID:AB6RqYXc

>>1867 :「靖国見真会」参加者様。

お返事が遅くなりました。

私にとっての「ドンキホーテ」について、ちょっとだけ書かせて頂きます。

私は、教団派からも、本流派からもひどく攻撃されたり、嘲笑されたりしながら、相変わらず「大調和」の「和解」だけを信じて、突っ走っているドンキホーテなのであります。

「訊け」さんのように、「和解せよ」「和解せよ」「和解以外に何があるか」と口では言いませんが、「すでに和解している」実相だけを信じて、それ以外に生きる道はないと、馬鹿の一つ覚えのように思い続けて、やってきました。

双方から、

「そんなの、現実を知らぬ空想だ。」

「学ぶ会」などの恩知らず奴(め)と、和解なんかできるはずないだろ。あなたは何もわかっていないんだ」

「雅宣と和解なんて、あんなあくどい、ひどい大悪人とどうして和解ができるの? 向こうがその気がないのに、なんでそんなことできるの」

などと罵声をあびせられながら。

――それが、現実です。

現に、貴殿からもそのように言われているように感じますが・・・・・・

でも、私にとって、「大調和」「和解」を信じて進むほかに道はないと思っているのです。

まあ、今のところ、これ以上書いても無駄だと思いますので、書きませんが……

梃子でも動きませんので、あきらめてください。

合掌

1928トキ:2013/06/11(火) 21:42:11 ID:44e3/ICg
  web誌友会の趣旨から外れていたら、ごめんなさい。

 「学ぶ会」など、本流復活派については、10年前と今では、状況はかなり変化したと思います。

 10年前なら、こういう運動は、「一部の不平分子の策動」でバッサリだったと思います。しかし、
今の本流復活派は、質という点でも、量という点でも、無視できない存在になっています。特に、
今年の4月29日の大会と、最高裁判所の判決が出てからは、攻守ところをかえた、という印象すら
あります。

 ただ、こうなった以上、本流復活派の皆様にも、それなりの権利と義務の存在がある、という事を
認めるべきかと思います。影響力の大きさを考え、本流復活派にも責任ある言動を要求すべきかと
思います。また、米国の諺に、「倒せぬ敵とは仲良くせよ」というのがあるらしいです。しかし、
総裁以下、本部の指導部の皆様は、まだ、10年前の分派のイメージでこの問題に対応していると
感じます。

 総裁以下、指導部がアタマにきているのは想像にかたくないですが、残念ですが、これ以上、争って
も、悪くなる事はあっても、良くなる事は皆無です。谷口雅春先生への責任という観点から、これ
以上の争いは止めて欲しいと願っています。

1929SAKURA:2013/06/11(火) 22:30:59 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■□「管理人 トキ様」 へ   >>1928 の投稿内容から〜〜〜【気になる文章ですので〜〜〜】

>>10年前なら、こういう運動は、「一部の不平分子の策動」でバッサリだったと思います。しかし、
今の本流復活派は、質という点でも、量という点でも、無視できない存在になっています。特に、
今年の4月29日の大会と、最高裁判所の判決が出てからは、攻守ところをかえた、という印象すら
あります。<< (一部抜粋…)
◆―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

この“コトバ…”には?【 異 論 !!】があります…。横スレにて……
「分派の投稿表現である言語…」には、此処昨今までは、実に!すごい“コトバ…洪水”の表現ですが?
こちらから見ますと、とても気分のすぐれぬ【 悪い表現…】でしょうかと。??

そして【金銭問題…】もあり、その「使い方??」には、現在の私にとり益々と【不信感…】になります。
今!今!私は「分派の方々……金銭問題」に【疑問…】を??感じます。
“コトバの責任感???”毎日毎日〜〜〜変化!しているような感じでしょうか〜〜〜??
                          再合掌

1930こんにちは:2013/06/11(火) 22:31:06 ID:nSg7g3W2
>>1917 復興G様
<<日本の天皇と国民との関係も「支配者と国民」というようにしか見ておられないのかと、これはとても残念なことだと思いました。
日本の天皇と国民との関係は、歴史的に見ても、決して「支配者と国民」というようなものではなかった、というのが私の認識です。>>

本当にそうですね。私も同じ思いです。

<<「君」とは、「支配者」ではなく、「君民一体」なる中心者ということでしょうが、それぞれの国にはそれぞれの個性があってしかるべきなのではないか。アメリカ大統領や中国共産党国家主席が「君」であり得るか。――アメリカは民主主義の国でよし、中国は中国の個性があってよし。>>

たしか、これに似た話は谷口雅春先生もされていたと記憶しています。
しかし私は、これは現状を鑑みた方便的な説明であると思っています。
なぜなら、アメリカ大統領や中国国家主席が、「君」という言葉に相応しいとは思えないからです。
こうした各国首脳を絶対肯定すれば、「君民一体」についての雅宣総裁の説明は正しい、ということになってしまいます。(天皇を支配者とみなす話は別にして)
ですから、私は『各国本来の「君」となるべき方が玉座に就き、その家系が連綿とつづき、世界各国が君民拝み合いの国家となることを祈願して建立されたのが、「君民一体地上天国成就燈」ではないかと思うのです。』
と言ったのです。
でもこれは、まったくの私個人の意見ですので、谷口雅春先生がどう思われていたのかは分かりません。
大調和したアメリカ大統領というのもありうるのかな??(ちょっと無いような気がしますが)

>>1919 
<<ただ感情的に、不正確な情報で総裁を攻撃するばかりでは、ますますマイナスの結果になるのではないかと残念に思われます。>>

たしかに、こうしたお話をいくらされても、賛同される方が少数に限られることは間違いありません。
ただ、(少なくとも)志恩様はプラスマイナスを度外視して本音を語っていらっしゃるのだと思います。
でも、復興G様が残念に思うお気持ちはよく分かります。

>>1922 志恩様
でしゃばってしまって申し訳ないです。
少しでもお役に立てたなら、幸いです。

>>1926 学ぶ会が多くの方に必要とされていることがよく分かるお話でした。
     私の心にも染みてまいりました。

1931ももんが:2013/06/11(火) 22:38:11 ID:XXCuaQns
>>1900
志恩様

合掌 誌友会の皆様、ありがとうございます。

そして、こんばわ。

志恩様の呼び掛けに、堀部安兵衛が、八丁堀から、高田馬場を、走りぬいたように、息を切らせて、心臓爆発寸前になるくらいに、仕事を急ピッチで、終わらせて、帰宅いたしました!

あー、死ぬかと思った。(ハー、ハー)


志恩様からの、御質問の事でございますが、本当の事は、工事に関係してないので解りませんと、前置きさせ頂きます。

だだ、保存改修するだけなら、可能かもしれませんが、最近は、耐震や耐火等の基準が、昔の物では通用しなくなり、行政機関の指導が、厳しくなってきています。そういう点からの、工事かも、しれません。これは、私の個人的見解ですから、甘利参考にならないかもしれません。

しかし、私が、以前関わった、新宿辺りの有名なビルでも、行政機関から警告を受けていた物件もありまたから、その傾向もあるかなと思います。


ほら、例の東京駅前の郵便局も壊しましたよね。あれも、そうかなと、予想します。

何とも言えません。お役に立たず、すいません。志恩様。

しかし、志恩様も、やっぱり、生長の家の先生ですね。
だって、『やれば出来る!』式で、呼び掛けされるんですもの(笑い)


あー、疲れました。

志恩様、明日も、早いので、今夜は、お休みします。
また、出来る限り、頑張ります!

おやすみなさい。

誌友会の皆様、志恩様、ありがとうございました。

実相円満完全!

合掌 拝。

1932復興G:2013/06/11(火) 23:24:11 ID:AB6RqYXc

今回のweb誌友会 テーマは「組織運動と信仰生活」

テキストは『生命の實相』第3巻の「光明篇」第4章まで

補助資料として「2.26事件とその背景――橋本徹馬氏自叙伝より」というのを使う(2.26事件の時と現在の生長の家における分裂抗争状態には似ているところがあると思われるので、この歴史上の事件から「今」われらはどうすべきかを学び、考えよう)

ということで、6月7日(金)から始まって、まもなく1週間になります。これは「誌友会」の頭に「長期」と付けたいくらいですね。

2.26事件という血なまぐさく複雑な背景をもつ問題を取り上げたため、随分多方面に話題が広がり、発言も錯綜しましたが、とてもよい勉強ができたと思います。
名司会者「訊け」管理人殿、ありがとうございました。
そろそろ、明日からは元に還って、まとめの方向に向かいましょうね。

私は明日、予定行事があるために、夜にならないと書き込みはできないと思いますが――

司会者「訊け」管理人殿、そういう方向でよろしいでしょうか。

1933復興G:2013/06/11(火) 23:50:41 ID:AB6RqYXc

>>1930 :こんにちは様

ありがとうございます。

>>私は『各国本来の「君」となるべき方が玉座に就き、その家系が連綿とつづき、世界各国が君民拝み合いの国家となることを祈願して建立されたのが、「君民一体地上天国成就燈」ではないかと思うのです。』<<

の意味がなかなかよくわからなかったのですが、やっとわかりました。

>>なぜなら、アメリカ大統領や中国国家主席が、「君」という言葉に相応しいとは思えないからです。<<

なるほど。

私は、選挙で選ばれた大統領でも、あるいは中国国家主席でも、有徳の人が選ばれれば、「君民一体」のような調和した政治が行われるかなあと漠然と思っていましたが、こんにちは様のような考え方もあるでしょうね。

ありがとうございました。

1934こんにちは:2013/06/12(水) 00:50:46 ID:nSg7g3W2
>>1933 復興G様

こちらこそ、ありがとうございました。
不勉強な私ですが、今後もよろしくお願いいたします。
合掌

1935志恩:2013/06/12(水) 03:18:04 ID:.QY5jUA6
こんにちは様

大変強力なフォローをありがとうございます。
こんにちは様の 雅宣総裁の本質を見抜かれていらっしゃる深い洞察力には、驚きました。

それをまた非常にわかりやすい言葉で表現される能力のお持ちのお方で、
こんにちは様が、どなたかは存じませんけれど、いろいろと教えていただいて、大変勉強になりました。
心から感謝申し上げます。

-----------------------------------------------------------------------------
>>1916 :こんにちは様
◎(前略)
総裁は言葉の上では日本や天皇を否定しているわけではないものの、谷口雅春先生と比べて著しく軽視しているということは言えるでしょう。
谷口雅春先生や松田巳代志先生の頃は、ブラジル国内でも「天皇」の文字が高々と掲げられていたのですから。

私が一番に思いますのは、総裁には天皇への愛情が感じられない、ということです。
本当に大切にしたいと思っているのか??という気持ちになってしまいます。
一部の本流派の方が無用な争いを作っている感は否めませんが、雅宣総裁に問題ありと言わざるを得ないのは確かでしょう。

私は、以前からの諸々の雅宣総裁の問題の核心は、「冷淡さ」にあると思っています。
国であれ、天皇であれ、一般信徒であれ、家族であれ、雅宣総裁の態度はあまりに冷淡で残酷です。
ここが治らない限り、本流派などからの罵倒は無くならないでしょう。

総裁は、言葉の上では天皇を否定していませんが、本当の本音の部分では否定しているのだと思います。
これは総裁自身も自覚していないかもしれませんが、私は「自己欺瞞」を総裁から感じるのです。
肯定できないはずのものを、どうにか誤魔化しているのです。信徒だけではなく、ご自分に対しても。

こうした冷淡さや自己矛盾の根本原因は、総裁が「合理主義者」の権化であるところにある、と思います。
元来、合理主義者は天皇も信仰も理解できません。
なぜなら、天皇や信仰は元来、不合理な存在だからです。
人間の心というものは元来不合理であり、知的な合理主義ではどうにもなりません。
天皇や信仰は、そうした不合理な人間の心に立脚した存在です。
元来、合理主義的な人間の頭脳というものは、利己的に出来ています。心が欠落しているからです。
ですから、人間の頭は、天皇をお守りすることを「損だ」と思います。
しかし、心はそうではありません。
自分にとって損でしかなくても、「お守りしたい!!」と思うのです。
それは、心の本性が「愛」だからです。

つまり、合理主義者には根本的に、「愛」が欠落しています。
一時期、日本を騒がせたホリエモンや村上ファンドは、その象徴的な存在です。
雅宣総裁が兄弟と分裂するのも、これが原因です。
雅宣総裁の、東日本大震災についての祈りの言葉が冷淡であるのも、これが原因です。
雅宣総裁の信仰の言葉に真実味がないのも、これが原因です。
雅宣総裁が言葉でどう取り繕うとも、天皇護持への真実味を感じないのも、これが原因です。

私は断言します。
教団が滅亡するか否か?という危機に陥ったとき、総裁は逃げます。
総裁は、自己保身に走ります。
自分の人生のすべてを投げ出して、信徒を守ろうとはしません。
なぜなら、彼は合理主義者だからです。
それは、今までの彼の言動からも、あまりに明らかです。
彼は、自分を犠牲にすることは、出来ないのです。

もちろん、これは現象の話です。
しかし、現象は現象として、シビアに見つめる眼も必要です。

志恩様の非を責める前に、志恩様がそう言わざるを得ない心情とその背景を(略)

1936志恩:2013/06/12(水) 03:43:35 ID:.QY5jUA6
>>1931 :ももんが様

おかえりなさ〜〜い。(^^)

>>1900 での 私の呼びかけに お答え下さって、ありがとうございます。


ももんが様におかれましては
ひねもす遅くまで…「妄想竹」の植林のお仕事に 精を出されていらして、お疲れさまでございます。


ももんが様からのお返事〜

>>本当の事は、工事に関係してないので解りませんと、前置きさせ頂きます。

だだ、保存改修するだけなら、可能かもしれませんが、最近は、耐震や耐火等の基準が、昔の物では通用しなくなり、行政機関の指導が、厳しくなってきています。
そういう点からの、工事かも、しれません。これは、私の個人的見解ですから、甘利参考にならないかもしれません。

しかし、私が、以前関わった、新宿辺りの有名なビルでも、行政機関から警告を受けていた物件もありまたから、その傾向もあるかなと思います。
ほら、例の東京駅前の郵便局も壊しましたよね。あれも、そうかなと、予想します。

何とも言えません。(略)>>


ということでございますね。
そうですよね。本部会館は、今から60年前の耐火や耐震などの基準で建てられたものですから、今回の取り壊しは、それに関係なきにしもあらず…
ということは、考えられますよね。

教えて下さったので、お礼に ももんが様の好物の マグロの赤身のお刺身 をプレゼントさせて頂きます。
ありがとうございました。

神の子・ももんが様 おやすみなさい。

1937志恩:2013/06/12(水) 04:52:44 ID:.QY5jUA6
みなさま

今日は,朝から出かけますので、入れません。
よろしくお願いします。

1938「訊け」管理人:2013/06/12(水) 05:05:21 ID:???


――――――――――――――
>>1932
そろそろ、明日からは元に還って、まとめの方向に向かいましょうね。

私は明日、予定行事があるために、夜にならないと書き込みはできないと思いますが――

司会者「訊け」管理人殿、そういう方向でよろしいでしょうか。
――――――――――――――

 了解致しました。それでは「まとめ」に向かおうと思います。と云うことで「まとめ」を行っていくうえで以下、〝現在地の確認〟を致したいと思います。

 ところで現在、いろいろなテーマが挙がっておりますが、(誌友会テーマと照らせば)以下の様な分類がなされましょう。やや独断偏見気味とは申せ、以下の様なまとめ方にて現在地を、確認致したいと思います。現在のメインテーマは「争っていても、なにも解決しないのではないか」と云うものでして、それに関連する材料は「鎮護国家」「ご神像問題」等になっております。さらには、その他「神示に関する考察」等の御文章も投稿、されております。

 ざっと一覧表に致します。


――――――――――――――――――――――――――――
◆ 現時点の主要テーマ: 「争っていても、なにも解決しないのではないか」
――――――――――――――――――――――――――――

<詳細>

◇ 「鎮護国家」に関しての問題整理

・ 「総裁は天皇を否定してはいない」(復興Gさまご発言) >>1902
・ 志恩さま反論 >>1911
・ こんにちは様ご発言 >>1916

◇ 総裁の「冷淡さ」

・ 総裁の「冷淡さ」(こん様) >>1916
・ 復興Gさまご発言 >>1919
・ 志恩さま見解 >>1922

◇ 靖国殿へのご返信(復興Gさま)

・ 「ドンキホーテ」の意味 >>1927
・ 「学ぶ会を嫌っているわけではない」件 >>1925

◇ 本部建物・ご神像の件

・ ご神像に関する御文章 >>1888 >>1889 >>1890
・ 復興Gさまご友人アピール文 >>1892(「学ぶ会」配信動画への疑問含む)
・ 本部建物に対する思い出(神の子様) >>1895

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<上記関連話題>

◇ 「鎮護国家」や関連神示等に関する考察

・ 復興Gさまご発言 >>1902
・ こんにちは様ご発言・質問 >>1913
・ 訊け論点整理>>1914 こん様ご回答 >>1915
・ 復興Gさまご見解 >>1917
・ こん様ご回答 >>1930
・ 復興Gさまご見解 >>1933


<了>

1939復興G:2013/06/12(水) 10:08:05 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

私は今日、予定行事があって昼には出かけなければなりませんが、これから今回のweb誌友会をまとめの方向に向かうにあたり、私がなすべき課題と思うことを、思いつくままに箇条書きにしてあげておきたいと思います。


■ ① >>1906で、司会者「訊け」管理人様が
   ----------------------------------------------
○総裁は悪である。ならば、我々はいかに行動すべきか
   ----------------------------------------------
 ・・・こんなテーマでやり取りするのは、いかがでしょうか。<<
と提案されたことについて、答えを明示する。

■ ② >>1746 a hope様ご発言について、「のちほど詳しくコメントします」と約束していたことを実行し、2.26事件に関して「天佑なき戦いをしてはならぬ」と言われる橋本徹馬氏の自叙伝の言葉をかみしめて、「今」われらはどうあるべきかを考える。これは、① の答えにもつながってくる。

■ ③ >>1876 「梅の花の神示」に関しての補遺

■ ④ 御神像・本部会館問題についての補遺

――などです。

それを、私は今夜投稿したいと思いますが、皆さまにもどうぞ思われるところがありましたら、ご遠慮なくご投稿いただきたいと思います。

① ・ ② ・ ③ がメインの課題ですが、私は先に ④ についてちょっと書きたいと思っています。

よろしくお願い申し上げます。

合掌

1940a hope:2013/06/12(水) 11:41:15 ID:edEDolt2
復興Gさま、訊け管理人さま、みなさま

こんにちは。
なかなか発言できませんが、
みなさまの投稿を拝見してとてもお勉強させていたいております。
ありがとうございます。合掌。

>>1939 復興Gさま

>>1746は、思いつくままに発言しました。
ご指導を、どうぞよろしくお願いいたします。

1941ユタカ:2013/06/12(水) 13:18:39 ID:R1D4Jmeg
こんにちは

志恩さま、総裁の文章の要点を整理して投稿してくださって有難うございました、おかげで読まないでもみなさんが解説して下さり助かりました。雅宣総裁は最初の読み出しから「君民」が「支配者と国民」と突然異質のものに置き換わってしまう訳の分からない超一流のトンチンカンさは本当に読むにたえません(これは信徒を小バカにした破滅的誘導作戦ですね、多々そういう場面を見受けます・・・・)
誤植か? とも思わせるような狂った内容に変化し、それは結局、自分の気ままな都合に合わせ「真実を捻じ曲げる」と言う、背筋も凍る恐ろしい恐ろしい、天に唾を吐くような自己破壊的行動です、頂点が破壊的思想ですから下層はよほどの信仰信念を持って行動しない限りは、信仰の場にいながら、実り少ない人生となりましょう。

復興Gさま、いつも有難うございます、すべてうなずきながら納得出来て嬉しくなってしまいます、特に、「私はてこでも動かない」とおっしゃいます所こそ は、復興Gさまらしい、信仰の信念を得た素晴らしい行動だと思います。

こんにちはさまの深い洞察力で明るくバッサリブッタ切りはとても小気味よくて痛快!同感で大笑いしてしまいました!(笑) ありがとうございます。

a hopeさま、要点整理が上手ですね、完璧でしたよ、皆さんが積極区的に発言されるので、大量に読むのが大変ですが、勉強になって嬉しい、楽しいですね、私も皆さまの投稿を読ませていただいて勉強しています、ありがとうございます、

訊けさま、話の軌道修正や要点整理は最高です。さすがは訊けさん!でも、ご苦労かけますね、ありがとうございます。訊けさんも、司会に徹するのはカッコいいけど、訊けさんの意見も聞いてみたいな。。。いつも、熱く行動していそうですから!

SUKURAさま、ももんがさまも、よろしければ休日には出て来てください。

みなさま、これからわれらはいかに行動すべきかは、すぐに実際に行動できえるような答えやヒントが沢山でそうで、ワクワクドキドキで楽しみです。よろしくおねがいします。

1942ユタカ:2013/06/12(水) 13:59:23 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、
すみません、蒸し返しになりますが、
>このように、戦後雅春先生に下された2つの神示で説かれている「天孫降臨」の意味を正しく理解すれば、雅春先生がこの生長の家総本山を建立され、そこに“七つの燈台”を建てられ、その第1番目の燈台に「天孫降臨皇御国成就燈」という名前を付けられたことの意味は、明確になると思います。先生が私たちに託された願いは、「天の下ことごとくに神の御心が満ちひろがる世界が来ること」です。「日本に天皇制国家を樹立する」などと解釈することは、全くの誤りであります。だから、私たちは世界各地に“神意”が拡大していくことを目指さねばなりません。


この『全くの誤り』 と言うところが 日本の否定につながると志恩さんはおっしゃっていられると思います。

すみません、私も、忙しく、ここで一旦閉じます。 mた、よる出てきます。

1943復興G:2013/06/12(水) 18:53:46 ID:AB6RqYXc

ありがとうございます。

■ 課題 ④ 御神像・本部会館問題についての補遺

・ ご神像について。

>>1868で志恩様は
>>あのご神像は、元本部講師で彫刻家でいらした服部仁郎先生が、彫刻されました。服部仁郎先生は、当時、霊夢を見られて、その霊夢にあらわれた神様をご神像として彫られたのだということを、昔、服部先生の奥様に伺いました。ですから、霊夢にあらわれた神様を表現された あのご神像は、単なる彫刻という物体ではなく、
「精霊が宿るご神体である」のです。<<

と書かれました。

しかし、私がいままでに聞いてきたことは、上記と違っていました。
>>あのご神像は、元本部講師で彫刻家でいらした服部仁郎先生が、彫刻されました。<<
というところは、その通りです。が、そのあとが、違っています。

生長の家大神の神姿を霊視したという方がたくさん現れたことは、>>1272>>1273>>1274に謹写しました<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演の速記録>に発表されている通りです。

<此の白髪白髯の神様のお姿は、一番最初に私の家内が見たのであります。>(>>1273

とありますが、しかし谷口雅春先生ご自身は生長の家大神の神姿を見られたことはなかった。服部仁郎先生も、ご自身では大神の神姿を霊夢で見るようなご体験はなかったと聞いています。

原宿に生長の家本部会館を建設するにあたり、谷口雅春先生からご神像の彫刻制作を依頼された服部先生は、ご自身では神姿を霊眼で見たとか霊夢に神様のお姿が現れたとかいう体験がないので、体験のあられる輝子先生や、そのほか霊視体験者の方たちにいろいろ聞いて、苦心して制作されたと伺いました。

ご神像は、長期にわたり風雨にさらされることにもなるので、石膏の彫刻などではもたない。ですから本物は真鍮で鋳造された本体の上に仕上げ加工をされることになるのですが、その前にまず石膏で実物大原型の作品をつくられる。その段階で何度か、谷口雅春先生・輝子先生に見て頂いて、「これでよろしいでしょうか」とお伺いをする。

すると谷口雅春先生は、「これは僕の顔に似過ぎているよ」と修正を求められたりしたとも伺いました。
最終段階で、谷口雅春先生は彫刻用のへらを貸してほしいとと言われ、それを持ってご神像のお顔の部分に手を入れられた。

――ふつう、芸術家というものは、自分の作品に他人が手を入れるなどということを許すものではない。しかし服部先生は、彫刻について全く素人の谷口先生が手を入れられると、たちまち作品の表情が引き締まった神々しいものに変わったことに驚き、ただ平伏した。

――そのようなことがあったと、伺ったことがあります。それは服部仁郎先生から直接うかがったのではなく、間接的に聞いたことですが、どなたから聞いたことであったか、記憶がさだかではありません。別々の方から数回にわたって聞いたことであったかも知れません。

間違っていれば、正確なことをご存じの方、ご教示くださればありがたく存じます。

なお、本部会館旧館について。復元再建ということは可能であろうと思います。貴重な歴史的建築物ですから、将来、そういう日が来ることを期待します。

>>1939で予告しました 課題 ① ・ ② ・ ③ については、後ほど投稿させて頂きます。合掌

1944「訊け」管理人:2013/06/12(水) 18:53:56 ID:???

>>1942ユタカさま

 横切りレスになりますが、お許しを。さて、その>>1942の件です。もしも、志恩さんがそのような意味で「天皇否定と解釈」されたのであれば、その天皇否定論者はもうひとかたいらっしゃると思います。

 その方の御文章を以下で紹介、させて頂きます。


・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

・・・・日本民族が世界を治めるのでなく、『天孫』すなはち『天の父のみこころ』が全世界を治める時期が到ることである。これがイエスの『主の祈り』にある御心が既に成る世界の意味である。それが真の大日本世界國(ひかりあまねきせかいのくに)である。大日本世界國と云ふことを狭い意味に解して、日本民族の國だなどと考へるから誤解を生ずるのである。そんなものは、小日本であり、本當の大日本國ではない。
(全文「大和の國の神示」http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65710949.html

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…


 ・・・・・特に以下の箇所にご注目ください。それは、「大日本世界國と云ふことを狭い意味に解して、日本民族の國だなどと考へるから誤解を生ずるのである。」「そんなものは、小日本であり、本當の大日本國ではない。」の箇所になりますが、これは雅宣総裁の解釈と一致します。

 ですのでもしも、そのような意味で「天皇否定」を仰っておられるのであれば、「雅春先生も天皇否定論者」となると思います。以上、横槍り気味なレスでした。




追伸

 なお、総裁ご発言の「『日本に天皇制国家を樹立する』などと解釈することは、全くの誤りであります。」の箇所ですが、この箇所に関しては、なにかおかしいです。どこがおかしいかと言いますと、樹立するもなにも天皇制国家ですが、既に〝樹立されている〟からです。そんな(言うまでもナイ)件に触れた意図が不明で、私には「おかしい」と思えてきます。
 ・・・・ですが「オカシイ」とは申せ、それを即、「天皇否定」と解釈するのには、少々ムリがあろうかと思います。

1945「訊け」管理人:2013/06/12(水) 19:15:56 ID:???

>>WEB誌友会ご参加各位


 ありがとうございます。さて、終了の時刻が迫って参りました。
 皆さまに於かれましては、>>1939の復興Gさまご投稿文をご拝読の上、どしどしご投稿の方を
お願い申し上げます。

 よろしくお願い致します。



1946復興G:2013/06/12(水) 20:33:56 ID:AB6RqYXc

■ 課題 ① >>1906で、司会者「訊け」管理人様が
   ----------------------------------------------
○総裁は悪である。ならば、我々はいかに行動すべきか
   ----------------------------------------------
 ・・・こんなテーマでやり取りするのは、いかがでしょうか。<<
と提案されたことについて。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

生長の家は、和解、大調和の教えである。

しかし、和解と妥協とは違うのである。

現象の悪と妥協してはならないのである。

妥協でない「和解」は如何にすれば可能か。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

現象は如何にあろうとも、実相は永遠に光り輝いている。
現象に如何なる対立の関係があるように見えようとも、そんなものは、ナイのである。

それは、教団派も、本流派も、共に本来の「一」に立てばよいのである。
「無」に立てばよいのである。
「中(みなか)」に帰ればよいのである。

 そのためには、『生命の實相』に還ればよいのである。
のである。

 真に、谷口雅春先生を学べばよいのである。

 其処は、既に一切が大調和している世界である。

 「一」なる世界である。

 神こそ渾ての渾て。現象はない。実相独在である。生長の家は、唯神実相を信ずるのである。

 真の中心帰一とは、「中(みなか)」より出でて「中」に帰ることである。

 生長の家の信仰は、実相独在・善一元の信仰である。すべては絶対無なる「中」のいのちから咲き出でた花である。

    「中(みなか)」への還元

《谷口雅春先生。昭和40年、『理想世界』誌5月号より》

 幕末の歌人、八田知紀(はった・とものり)は、この日本国が「中(みなか)」の本源に還元するとき、どんなに一時濁っているかのように見えていても、本来の姿に澄みかえることを次の如く歌っている。

   いくそたびかき濁すとも澄みかえる 水や皇国の(すめくに)姿なるらん

 現象を追いまわす知識や、従来の現象から蒐集した先入観念で、事件を処置していると必ず行きすぎや、やりそこないが起こってきて混乱状態に陥るときがくるのである。それは常に「現在」には「過去」になかった要素を含んでいるからである。

 その混乱がきたとき、イザナギの神が「天津神(あまつかみ)」のところへ詣昇(まいのぼ)りて、「天津神」のみ心を聴きたもうたようにすれば、そこから実相本来の知恵がでてきて、混乱が収拾され、混乱と見えたものが、新たなる発展の契機となって、混乱以前の状態よりも、尚一層よい状態に移行することになるのである。(中略)

 「天津神」とは宇宙本源の太極であり、絶対無であり、一切現象の未だ出現せざる以前の「中(みなか)」であり、そこに還元することによって現象界の乱れや歪(ゆが)みが去るのである。

 その絶対無なる「中(みなか)」への還元の修業が、茶道といい、華道といい書道といい、剣道といい、武道といい、歌道といい、神想観というのである。

 すべての日本的芸術または作法が「道」になったのも、左右分化的な分裂病的籠手先(こてさき)の巧者を越えて絶対無の「中」への還元が日本的精神の姿であるからである。(中略)

 日本国は一時的にどんなに混乱することがあり、歪められることがあっても、「中(みなか)」に還元することによって本来の美しい実相があらわれるのである。

1947復興G:2013/06/12(水) 20:34:37 ID:AB6RqYXc

 さて、今「大調和」を説く生長の家がお家騒動、分裂状態で争いあっていると、世間では言われているようです。どうしてこうなったのでしょう。それは、雅宣総裁が悪いからですか? 分派が悪いのですか?

 とえも、よいヒントになる文章が、榎本恵吾先生の『研修のヒント』というプリントの“はしがき”にありました。
 再録させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

  「研修のヒント」“はしがき”にかえて

 これから諸君の前に、あの練成道場がよいのか、この練成道場がよいのか。あるいはまた、あの修行がよいのか、この修行がよいのか。厳しいのが良いのか、易しいのがよいのか。いろいろな人達に逢って、色々な意見を聴かされて、その判断に迫られる時があるかも知れない。これらのことは、今昔を問わず、常に偉大で真剣な先人たち、宗教家と言われる人々が直面して来た、重大で、最もいのちがけで当らなければならなかった問題であったのであり、今でもそれは少しも変ることはありません。
 老婆心ながら私の信とするところをしたためますから、参考にして下さい。

 どちらの道を選ぶかは全くのその人その人の自由でありますが、次のことだけは判然としています。
 すなわち、
 人間は修行の積み重ねによって救われるのではない。修行が出来たか出来ないかということと、救われるか否かは全く関係のないこと。このまま自分もひとも生かされていることを喜び感謝するのが神の子の生活であります。

 修行。例えば、練成を受けること。研修を受けること。神想観をすること。聖典を読むこと。愛行をすること等……は、すべて現象であって無であること。

 それらがすべて無であることが真理でなければ、「どうして全能なる神が、釈迦、キリストのように修行の出来ている人々と、修行の出来ないものとをつくったのか。どうして不完全なもの、すなわち修行をしなければ救われないものをつくったか」という疑問を解くことが出来ない。神は完全であるということは、修行の成績は無であって、本来このままで救われ切っている完全なるものだけがあるということであります。

 しかし、「このことを自覚しなかったら無いのと同じで、その自覚することに当るのが、いわゆる修行である。」と従来までの宗教では説かれていたのであります。ところが尊師谷口雅春先生は、それは方便としては一応は認めておられますが、本当は人間は神の子であって、そのままで自性円満であることを発見されたのであります。それは“自覚する”という人間の修行、努力の助けを借りずとも人間をそのまま完全に生み給うた神の発見だったのであります。

 自覚する、自覚しないは現象のことであって、本来“無”であります。

 自覚するというのは、おのずから覚めているということであって、「……の教えによって」とか「……の修行によって」となるとそれは自覚ではないのであって、他によって覚めさせられた他覚であります。自覚とは自ずから覚めていること。私たちは自ずから覚めている生命であるからこそ、この生長の家の真理にふれることが出来たのです。

 自覚しなければ無いのと同じであるというのは、それはお金などのような物質の場合の話であって、生命は自覚しない方が、伸び伸びと活動するのであります。心臓などは全くあることが解らないときが一番よく働いているときなのであります。これを「吾が生くるはわが力ならず」とも「吾がわざはわが為すにあらず」とも教えられているのであります。

 もしも神は、修行した人だけしかよう救わないというのであれば、殆んどの人類を救うことが出来ない力不足の神を認めることになって、“修行しなければ”というのは神を尊敬するのではなく、神を軽蔑することになります。

 そして、最も重大な問題は、
「修行しなければ……」という立場に立つと、修行の出来ていないと思う人を審かざるを得ないのであります。「あの人も出来ていない」「この人も出来ていない」そして「自分も出来ていない」ということになって「天地一切を拝む」のではなくて、「天地一切を審く」という罪を犯すことになるということであります。

 そして、「あの道場は……」「この道場は……」と道場同志が審き合うということが始るのであります。これが多くの宗派が派閥に別れた原因の一つとなっているとも考えられるのであります。
<つづく>

1948復興G:2013/06/12(水) 20:35:30 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 無条件にある光り。世界に比類のないみ教えにふれている私たちが、世界に比類のない調和と、拝みと、感謝の、崇高な、安らかさに満ちた毎日毎日を与えられていることに感謝を捧げる、ただ一筋の道がここにあります。

 この心に満ちて生きているとき、私たちは神への全托の道を生きているのです。神への全托の輝きに満ちている研修生をひたすら礼拝させていただくのみであります。われらの道は“審かない道”“拝む道”であり、自分を拝みひとを拝む道であります。

 私は“修行をするな”というのではないのです。“修行をしなければ救われない”というのはもうすでに生長の家のみ教えではないということであります。むしろ、無条件に生かされていること、この身このまま光りであることを知れば研修が楽しくなるのであります。「研修のヒント」とは「楽しさへのヒント」ということであります。

 とにもかくにも、私達は先ず光りであり、すべては完全である神なる光りがするのであつて、「光りになるために」ではないということであります。

 どの師を選び、どの練成道場を選ぶかは全くの自由でありますが、どこに行くにしても、それは“光り”がそこを輝かせに行くのであること。“救われているもの”が行くのであって、“救われるため”に行くのではないということであります。

 ますます自己祝福と自己礼拝を歩まれんことを。研修生に栄えあれ!

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

今回のテキスト『生命の實相』第3巻を復習しますと――

○ 元来、人間は行をしなければ、水で身体(からだ)を洗わなければ、浄まらないというふうな窮屈な不完全なものに作られていないのであります。また人間は神様がお造りになったものでありますから、病気になるように不完全には造られていないのであります。それから神は人間を罪を犯すように造っておき、その人間を罰するというような矛盾はされないのであります。

 神さまのお造りになったこの世界には罪もなければ、病気もない。そういう不完全な人間を神さまがお造りになっていると思うのが迷いであったということがわかってきて、今までの信仰に革命ができ、この新しい信仰を発表するために生まれましたのが、「生長の家」であります。(p.26)

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 これが生長の家の御教えだったのであります。

1949復興G:2013/06/12(水) 20:40:14 ID:AB6RqYXc

この、「中(みなか)」なる御教えに還ればよかったのであります。

1950トキ:2013/06/12(水) 21:12:01 ID:HM4G/29Y
>>1947

復興G様

 榎本恵吾先生の『研修のヒント』は、「活動のヒント」でもありますね。なるほどなあ、と痛感します。

 実にタイムリーなご文章をご提示下さり、ありがとうございます。

1951:2013/06/12(水) 21:16:04 ID:ip8PrAeo
復興Gさま、ご指導ありがとうございます。

課題①についての復興Gさまのお話を伺って、救われた思いがします。

2.26事件のお話とかを読んだり、最近の生長の家のさまざまな問題を考えると、
だんだん心が重くなって、発言出来なくなっていました。すみませんでした。

でも、復興Gさまが>>1946で引用してくださった榎本恵吾先生のご文章にある

「世界に比類のないみ教えにふれている私たちが、世界に比類のない調和と、拝みと、感謝の、崇高な、安らかさに満ちた毎日毎日を与えられていることに感謝を捧げる、ただ一筋の道がここにあります。
 この心に満ちて生きているとき、私たちは神への全托の道を生きているのです。神への全托の輝きに満ちている研修生をひたすら礼拝させていただくのみであります。われらの道は“審かない道”“拝む道”であり、自分を拝みひとを拝む道であります。」

の部分。とても感動しました。

「自分を拝みひとを拝む」ことに徹底して生きようと思いました。
その中に、争いはないことが分かりました。

心がスッキリ晴れ渡った思いです。ありがとうございました。

1952山本富士子:2013/06/12(水) 21:35:55 ID:RgtAnGTI
合掌 ありがとうございます。
復興G様
長時間にわたるご指導ありがとうございました。わたし自身の体力的な問題
、家業などでじっくり拝聴できては、いない段階ですが、あとあと読み返し
なにかこころにしみる一行、一言を必ず見つけるつもりです。
ありがとうございました。
神の子様
お父様の尊いお話をご紹介くださり、ありがとうございました。
ご本部会館の光のしずくを確かに頂きました。
合掌

1953ユタカ:2013/06/12(水) 21:52:07 ID:R1D4Jmeg
>>1944  訊けさま
 ・・・・・特に以下の箇所にご注目ください。それは、「大日本世界國と云ふことを狭い意味に解して、日本民族の國だなどと考へるから誤解を生ずるのである。」「そんなものは、小日本であり、本當の大日本國ではない。」の箇所になりますが、これは雅宣総裁の解釈と一致します。

 ですのでもしも、そのような意味で「天皇否定」を仰っておられるのであれば、「雅春先生も天皇否定論者」となると思います。以上、横槍り気味なレスでした。

訊け様、谷口雅春先生は終始一貫して宇宙の真理、実相の姿というものの根本が天照大神の霊統をつぐ天皇を中心とする「日本国の実相」を明らかにおっしゃっています。

谷口雅春先生が天皇否定論者(笑)などと、誤読でしょう。大和の国の神示をスラスラと読んだだけでも、>現象の日本民族でなく、実相の『天孫』に御奉還申すべき時期がくる<
『天孫』とは肉体のことではないと書かれて次に「大日本天津日嗣天皇」の真の意味を語っています。

天之御中主神の御霊を嗣ぎ給うスメラミコトのしろしめし給う世界が、これが本当の大和の国であり、それは「肉体」のことではない」のであります。 とのことですから、どこも天皇否定などしていませんが・・???

この神示は戦後直後の極東軍事裁判において天皇を戦争犯罪人として出廷しようとする強い動きのある中での啓示なので、占領軍の天皇様への風当たりをさけるためにその表現にはかなりの配慮がされていることも合わせてここに書かせていただきますね。

谷口雅春先生は大和の国の神示でも、天皇を否定していませんよ。 正確に読み直してください。

1954復興G:2013/06/12(水) 21:53:26 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

■ 課題 ② 2.26事件に光を当てる ・ 歴史から「今」を学ぶ について

>>1746>>1747:a hope様の、よくよくお考えになっての、率直ですばらしいご投稿に、心から感謝いたします。

ご投稿に、詳しいレスを差し上げるとお約束していましたが、申し訳ありませんが、“詳しいレス”はパスさせてください。

>>1751で私は、

>>いま現象界では、『生命の實相』の著作権・出版権をめぐる裁判に決着がつき、教団側の敗訴が確定した。
学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びかけておられるように思います。
しかし私は、今回のテキスト『生命の實相』第3巻の御教えを かみ締めながら2.26事件のことを教訓として学び、はっきりと自覚いたしました。
このような混乱の時こそ、「正念場」である。
≪ 「神は完全であって、神の造り給うた世界には、混乱はナイ」 という実相を観ずる 「正念」 をもって、しっかりと起たなければならない時である≫と。

2.26事件からその教訓を学びましょう。――<<

と書いていました。

これについて、
<学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びかけておられるように思います。>
というところは、撤回させて頂きます。
「学ぶ会」では、上記のような路線は変えておられるようですので。

しかし、一般論として、2.26事件の決起将校たちのような、動機は「貧しい農民を救うため」「天皇陛下の御為」と思ってのことであっても、殺人というような手段を使っての決起は、目的とは逆の結果をもたらす、という教訓を与えていると考えられるでしょう。

しかし、「光」を当てて見れば、結局は日本敗戦という結果の後に、目的は達せられたと言える。だから、何事も無駄ではない。すべて、

         ○

    既に天国の饗宴に招かれている

 吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。

 地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要るのであって、シテもワキも、二枚目も三枚目も馬の脚も要る訳である。吾々は此等の舞台上の役者と議論を戦わす必要はないのである。唯、各々がその役目を最も完全に実現してくれるように祈っていれば好いのである。

 尤(もっと)も自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだけれども。

 吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。(『幸福を招く365章』の117頁〜)

         ○

 ということになるのだと思われます。


さて、
≪天佑なき戦争は、将来絶対にしないことを誓わねばならぬ。その反面に、戦う時は必ず天佑のあるようにこの国政を運用すべきである。≫

と言われる橋本徹馬氏の自叙伝の言葉から――。

「天佑(てんゆう)」は、「天佑神助」とつづけて使われることも多い言葉で、天=神、 佑=助け ですから、どちらも「神の助け」ということですね。

神の御心に一致し、神の波長に同調する行動、即ち無我の愛の心をもって、真に人を生かす行動をすれば、天の助けが得られるということでしょう。

1955トキ:2013/06/12(水) 22:12:13 ID:HM4G/29Y
復興G様

 すばらしいご指導をありがとうございました。

 難しいテーマでしたが、見事にご指導をされたので、さすがに卓越した指導者だと
感激しました。

 熟読の上、のちほど、感想など申しあげます。

ご多忙の中、貴重なお時間を賜り、ご指導を賜った事を深く感謝いたします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1956復興G:2013/06/12(水) 22:55:46 ID:AB6RqYXc

■ 課題 ③ >>1876 「梅の花の神示」に関しての補遺(「梅の花の神示」は>>1875にあります)

まずは、>>1876投稿文の一部を再掲載させて頂きます。

     ***********************

「歴史は繰り返す」といわれますから、「梅の花の神示」 は 過去のことであって、同時に「今」 においても何かを暗示されていると思いますが――

>>今年が弥々(いよいよ)開く年である。昭和八年は弥(や)の年、弥々(いよいよ)の年、八の年、ハナの年、ハリ伸びる年、ハジメに開く年である。<<

というのは、おそらく、雅宣総裁率いる教団側では、「森の中のオフィス」に移転して新しい「創造(うみ)の始動(はな)」が始まるのだ、ととられるでしょう。

一方、学ぶ会では、第1回全国大会が大成功裡に行われ新しい路線、「正統生長の家」の樹立をめざす“真理護持拡大路線”の運動が始まった「創造(うみ)の始動(はな)」の年である、と解釈されるでしょう。

しかし、神示には
>>世界に中心が幾つもあって争っていて人類が幸福になれるなどと思うな。太陽系にも中心が一つであり、電子群にも中心が一つであり、人間にも頭が一つであり、樹木にも中心の幹は一つである。極微のものから極大のものまで皆中心は一つである。この事実を見て宇宙の意志を窺えよ。地上の国々だけが中心が幾つもあって好いと思うな。複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。<<

とあります。

>>世界を一つに統一する運動に二つある。一つは露西亜(ロシア)から始まっている運動で、世界を物で支配する運動である。もう一つは霊(ひ)の本(もと)から始まっている運動で、世界を霊で支配し、一つの光明に統一する運動である。この二つの運動の衝突は避けられぬ。時機は迫っているのに、まだヒノモトの使命を知らぬ者があるのは歯痒(はがゆ)い。本当の愛は甘えかす愛ではない。戦いの愛である。<<

と結ばれていますが、
「霊(ひ)の本(もと)から始まっている運動」が「世界を霊で支配し、一つの光明に統一する運動である」ということになるのだと思います。

それは、口先だけでなく、本当に自我を滅して「一」なる神、完全円満なる神を信じ、その神意に中心帰一した運動を展開したところが現実世界の中心となる、と解釈できるのではないでしょうか。

>>複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。<<

とありますから、「棲み分け」でよい ということにはなりません。

そうして、
>>本当の愛は甘えかす愛ではない。戦いの愛である。<<

とありますが、これは、自我を死に切ったとき「すべては自分」なのであり、一人一人が己の「自我を死に切る」戦いをしなければならないのだ、と私は解釈いたします。

        ○

さて、私自身は昭和八年の生まれです。
そして今年は満八十歳になります。

八十は、八 +(プラス) です。

だから、「今年は弥々(いよいよ)開く年である。昭和八年は弥(や)の年、弥々(いよいよ)の年、八の年、ハナの年、ハリ伸びる年、ハジメに開く年」 それに +(プラス)のつく年であると自覚いたしました。

私は、これからの人生を、「余生」だとは思っておりません。

本当の光の人生が、これから始まるのだと思っております。

「創造(うみ)の始動(はな)」が、これから始まるのだ、と思っています。

「今、起て!!」 であります。

感謝と喜びで、いっぱいであります。

ありがとうございます!!

1957ユタカ:2013/06/12(水) 23:07:02 ID:R1D4Jmeg
訊け様

>雅宣総裁松模様2012年11月22日より >「天孫降臨皇御国」というのは日本国のことではなく、神の御心が十分に反映した平和な世界のことだと書いてあります。「天孫降臨皇御国」とは、現象的な日本国家のことではなく、世界平和が実現したさいの地球世界ということ、さらには地球を含んだ宇宙をも意味していると考えられます。

上記が現象の日本国のことではなくと言いながら、後半部分に自分の好きな「世界平和を持ち出して」持論の「世界の平和が実現したさいの地球世界」とハッキリ地球と現象世界を示している。現象の世界平和の話をしている。

これでは、谷口雅春先生と同じ思想とは言えない。 全く異質な独自の解釈と言える。

1958ユタカ:2013/06/12(水) 23:21:20 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま ありがとうございます。

>>1956 元気一杯悦び一杯!! その場その場を喜んで今を生かして神の子を生きていこう!!

その事が、それぞれの組織活動を生かし、信仰生活の極意なのですね! と私は思わせていただきました。

復興G様の 若々しく力にあふれた言葉に元気をいただきました、有難うございます!!^^(合掌)

これからは、復興 若 様と呼ばせていただきましょうか?? とても嬉しくなってしまいました!!

1959ユタカ:2013/06/12(水) 23:29:34 ID:R1D4Jmeg
復興G(若)さま

質問させていただきます、組織の中心者が神の御心から外れていた場合の運動の中で、その組織の末端の者が自我を滅して神の御心を祈り神に直結する時、その所属する組織と衝突などは起こってきませんか??

いかがでしょうか? 質問がおかしいでしょうか?

1960復興G:2013/06/12(水) 23:32:19 ID:AB6RqYXc

「今、起て!!」 について。

榎本恵吾先生は、『「発進宣言」拝誦』というご文章の中で、次のように書かれています。

         ○

<『生長の家』 創刊号 巻頭の言葉>

≪ 自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。起たざるを得なくなつたのである。

 友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。人類は今危機に頻してゐる。生活苦が色々の形で押し寄せて人類は将に波にさらはれて覆没しやうとしてゐる小舟の如き観はないか。

 自分は幾度も躊躇した。起つことを躊躇した。自分は中心者として増上慢のそしりを受けることを恐れてゐたのだつた。一求道者としていつまでも謙遜でゐたかつた。併し今は謙遜でありたいと云ふことが自分にとつては安易を貪る一つの誘惑と感じられる。自分はこの誘惑に打ち克って人類を救はねばならない。自分の有つてゐる限りの火で人類を救はねばならない。

 自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照さずにはおかないだらう。此の火は天上から天降つた生長の火である。火だ! 自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を点ずる。生長の火を彼に移す。自分は今覚悟して起ち上つた。見よ! 自分の身体が燃え尽すまで、蝋燭のやうにみづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。(後略)≫

 尊師は、この文章のはじまる前のページのとびらともいうべきページに次ぎのように書いておられる。すなわち、

   吾れを伸ばすものは、
   絶えず与へてゐると云ふ感じ、
   絶えず人から喜ばれてゐると云ふ感じ、
   与へる歓びは自己拡大の感じ、
   自己の愛が次第に拡がる感じ、
   この感じのうちに生命は伸びて行く。

 と。ここに尊師が“自分は幾度も躊躇した”と言われることの意味があるのである。つまり、光を受けるものから、光りを与えるものへの位置の転換ということである。照らされる自分から、照らす自分への転換であり、幽斎から顕斎への転換である。この度の住吉本宮の顕斎は、全信徒の“照らされる者から、照らす者へ”の自覚の転換である。信徒全員が“発進宣言”のいのちにたち還り、生長の火となって万物の前に起ったことを意味しているのである。

 此の火は“天上から天降った生長の火”であって、人間の修業や過去の成績を因として因縁の流れによって生み出されるものではないのである。“自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ”といわれる。その「今」は「久遠の今」である。吾れといまと此処がピタリと一つになってしまっている、実相の火である。自分と今と生長の火がピタリと一つになっているところに忽然とわが内から放射する火なのである。それ故繰り返せば“自分はいま生長の火をかざして”とは自分と今と生長がひとつになった久遠の火ということである。これは絶対の生長、自からある生長である。

 それ故、この火は久遠不滅の火なのである。“自分の身体が燃え尽すまで”とは、完全に実相の火のかがやきによって、肉体的存在(全現象界)を否定しつくすことを意味しているのである。却ってここに久遠の実相の火の顕斎がある。光明一元の世界。神が“光りあれ”といいたもうた光りとしての火一元・生長一元の世界が意味されているのである。(中略)

 尊師がある書物で説かれているように“肉体なし”とは肉体から逃げるにあらず十方世界は吾が肉体なりと知ることである。ろうそくが燃えつきるとは、全宇宙が火であり、ろうそくであると知ることなのである。

 ここで“起つ”と言われるのは、久遠の今なるいのちが起つこと、おのずから起つことを意味しているのである。
<つづく>

1961復興G:2013/06/12(水) 23:32:54 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 “今、起て!”との宣言は尊師には“「今」なる汝よ、起て!”ということであった。その天徠のコトバが自分のうちに復活して、尊師は起たれたのであった。それ故、その「今」にかえったとき、内から無限創造のいのちが動きだして起たざるを得なくなったのである。(中略)

――“友よ助けよ”――この場合、久遠の火なる尊師に呼びかけられる「友」なるものは、やはり「久遠の火」である。久遠のいのちが久遠のいのちに呼びかけているのである。観世音菩薩が観世音菩薩に呼びかけているのである。光明が光明に呼びかけている。光明の純粋持続である。尊師と吾れとの関係は光と光りの関係である。

――“人類は今危機に頻している。”――何故人類は危機に頻しているのであるか。それは“自分”が、全人類が久遠の如来そのものであり、このまま此処が天国であることを忘却しているからである。それでは、何故、さらに光明化運動を発進するか。矛盾ではないのか。ここが一番重要な問題となって来るのである。

 何故、運動が必要であるのか。何故、立たざるを得なくなるのか。また、運動は如何にして可能であるのか。何者が運動をするのであるか。これらのことが常に重大な問題となるのである。

“中心者として立つ”ということは、頂点として起つということとは異っている。中心者とは宇宙の中心として起つことを意味しているのであって、神として起つこと、光りとして起っていることを意味しているのである。

 ここに、謙遜と増上慢とを超えた一つの道、中心を生きる道がある。上と下とを超えたところの中心なるものの生きる道である。中心を生きるに非ず、中心なるものが生きるのである。(中略)

 実相世界はわがいのちの展開である。神はわがいのちの展開である。如来はわがいのちより生れ出づるのである。すべての実在はわがいのちの展開なるが故に、われと実在との間には如何なるすき間もないのである。

 そして実在の創造は忽然なるが故に時間もないのである。これを日無堅間の小舟に乗るというのである。自分が目無堅間なのである。自分のいのちの展開として目無堅間の小舟がある故に、小舟と自分との間には如何なるすき間も存在しないのである。

 釈迦の拈華微笑。一つの蓮華をひねって迦葉につたえたいのちは、実にこの中心者としてのいのちの消息であり、わがいのちの消息であり、そのいのちの展開としての実在自己の展開した姿をつたえたのである。吾らは目無堅間の小舟に乗ってこの世に鳴り出でるのである。

 これは、天皇の絶対性と自己の絶対性の同時成道の道である。それは、時間空間、上下左右、謙遜と増上慢を超えて中心に帰った道である。中心帰一とは中心に帰って中心と一つになることであり、自分のいのちが中心者として起つことなのである。

 それは中心に帰る途中のプロセスを意味しているのではないのである。尊師が、中心者として起たれたのは、プロセスとしての中心帰一ではなく中心帰一の完成、完成の中心帰一、として完成者として起っておられることを意味するのである。

 万教帰一というのも、すべてのものが一つの中心に帰るという永遠のプロセスを意味するのではないのである。いのちはすべてすでに帰一しているのである。帰一し、その中心から発しているものをいのちというのである。(中略)

 これが“今”を生きるということである。これが幽斎から顕斎への転換である。住吉大神の全身全霊を生きるということである。この住吉大神の全身全霊なるいのちの輝きを生きるのが、祝福するのが神の子の自覚に点睛することである。火を点ずることである。

 釈尊がお悟りになったときには山川草木国土悉皆成仏、有情非情同時成道と万物を拝まれたのである。尊師が大啓示をお受けになられた後、庭の木の若葉にいのちの光が輝き、枝から枝に飛びうつる雀が金色に輝いて見えたといわれる。この万物が輝いているのを拝せられたのである。

 それを“天地一切のものと和解せよ”のお言葉で歌われたのが大調和の神示である。

 それは、自分のいのちが天地一切のものに和解するというよりも、むしろ、自分のいのちが天地万物から拝まれ感謝され、めでられていること、生かされていることの発見であったのではなかろうか。そのことを“わが生くるはわが力ならず、天地を貫きて生くる祖神の力”と歌われているのである。そして、その喜びの極に歌い出されたのが「大調和の神示」であったのである。

1962復興G:2013/06/12(水) 23:46:33 ID:AB6RqYXc

>>1959 :ユタカ様

>>質問させていただきます、組織の中心者が神の御心から外れていた場合の運動の中で、その組織の末端の者が自我を滅して神の御心を祈り神に直結する時、その所属する組織と衝突などは起こってきませんか??
いかがでしょうか? <<

現象的には、「組織と衝突」のようなことが起こってくることは、ありますね。私も、経験があります。

しかし、私の場合は、不思議に、いつもなぜか「決定的な衝突」にはならず、私など、とっくに除名処分にされてもおかしくないようなことを言っていても、除名にもならず、元気に生き残っています。大丈夫です、神さまが守ってくれていますから。

ありがとうございます。

1963ユタカ:2013/06/12(水) 23:49:07 ID:R1D4Jmeg
霊的理念の事を説明しているのを、「地球が平和になった状態」と現象に結び付けて話していると思います。


追加します。

1964復興G:2013/06/13(木) 00:05:12 ID:AB6RqYXc

トキ様。

トキ様のおかげで、意義あるweb誌友会ができました。
心から感謝いたします。
過分なお褒めのコメント、ありがとうございます。


「訊け」様、力を傾注しての司会、ありがとうございました。

香様
山本富士子様
うれしいコメント、本当にありがとうございました。

皆々様、ありがとうございました。

今夜は、安らかにおやすみください。

1965ユタカ:2013/06/13(木) 00:05:26 ID:R1D4Jmeg
訊け様

天皇制の樹立の件、笑ってしまいました。なるほど、そうですね。。。

雅宣総裁の文章を読むと疲れてしまい、復興Gさまで元気がでたり、また読み直して疲れたりと

ここの掲示板は本当に忙しい。

1966志恩:2013/06/13(木) 07:24:28 ID:.QY5jUA6
復興G様 はじめ、みなさまのご投稿文を拝見させて頂きまして、
ますますこの み教えの意義深さを感じました。
誠に ありがとうございました。

1967「訊け」管理人:2013/06/13(木) 07:50:48 ID:???


>>1946復興Gさま


 ありがとうございます。長時間に渡ってのご指導を、今回も賜りました。篤く御礼申し上げます。やはり、この誌友会に参加しますと御教えの偉大さを実感致します。「さて、ところで」なんですが冒頭にて、やや余談めいた話を掲載致します。・・・昨日はお客さんを訪問後、近くの「天岩戸神社」(宮崎県高千穂町)へ行って参りました。言うまでもなく此処は、あの、天照大御神が篭られたと伝えられる、あの天岩戸を祭った神社です。・・・・・長い話を割愛しますが、ここを参拝してから「ハッ!」と気づいた(もしくは「自覚できた」)件があります。あの聖域を拝みながら思ったことは、「やはり吾々は、天照大御神の御徳に拠って生かされているのだ」と云う、事でした。これがスーッと自覚出来ました。(上手く書けませんが、自覚できたのでした。あの聖域に足を踏み入れますと、私の様なトンデモナイ男でもそんな自覚に、到ることが出来ます。w余談終了)


 さて、本題に移ります。

 と申しましても、簡潔なものです。

 この、貴ご投稿>>1946に同意致します。個人的に重要だと思われるため、以下、再度掲載させて頂きます。ちなみに以下御文章は、次の疑問文への回答として、復興Gさまがご投稿されたものです。そしてその疑問文とは、「総裁が悪だとしよう。ならば我々は、いかに行動すべきや」というものです。

 皆さんで以下、拝読致したく再掲載致します。

 
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

生長の家は、和解、大調和の教えである。

しかし、和解と妥協とは違うのである。

現象の悪と妥協してはならないのである。

妥協でない「和解」は如何にすれば可能か。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

現象は如何にあろうとも、実相は永遠に光り輝いている。
現象に如何なる対立の関係があるように見えようとも、そんなものは、ナイのである。

それは、教団派も、本流派も、共に本来の「一」に立てばよいのである。
「無」に立てばよいのである。
「中(みなか)」に帰ればよいのである。

 そのためには、『生命の實相』に還ればよいのである。
のである。

 真に、谷口雅春先生を学べばよいのである。

 其処は、既に一切が大調和している世界である。

 「一」なる世界である。

 神こそ渾ての渾て。現象はない。実相独在である。生長の家は、唯神実相を信ずるのである。

 真の中心帰一とは、「中(みなか)」より出でて「中」に帰ることである。

 生長の家の信仰は、実相独在・善一元の信仰である。すべては絶対無なる「中」のいのちから咲き出でた花である。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…


 重ねてでは御座いますが今回も、長時間に渡ってのご指導を賜りました。篤く御礼申し上げます。




追伸

 榎本惠吾先生の御文章も此処に、再度掲載致します。

○ 「どこの道場がよいのか?迷った際はどうするか?」(「研修のヒント」“はしがき”) >>1947>>1948
○ 「今起て!」に関する、榎本先生ご解釈 >>1960>>1961

 また、教団関連問題に関する復興Gさまご見解は、

○ >>1954 
○ >>1956

1968「訊け」管理人:2013/06/13(木) 07:51:29 ID:???

>>ユタカさま

 >>1944投稿文は、その様な意味ではありません。雅春先生が天皇を否定している、そんな事を述べたのでは、ないのです。

 主張は以下です。

 雅宣総裁の御主張が一致(雅春先生と)する以上、その考えを「日本否定・天皇否定」とするのは無理がある、という事です。

 この点を了解して頂ければ、以下の意味もお解りになるかもしれません。私は、「もしも雅宣総裁が〝反天皇〟ならば、雅春先生だって反天皇論者」という趣旨の文を投稿しましたが、意味するところは「一致している以上、雅宣総裁思想を〝反天皇〟とするのはオカシイ」と言うものです。

 なお、参考までに以下の御文章も掲載しておきます。以下は言うまでもなく、現総裁の御文章です。ご確認されてみてください。


・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

『歴史から何を学ぶのか』62頁(『信仰による平和の道』210頁)より謹写――

(註:清超先生の御文章につづいて)ここには、どうやって神の国に近づいた国家をつくるかという方法論が書かれてあるのです。つまり「天皇国・日本」というのは、天皇のご生活 ―― これは、我々はいろいろな所で教わっていますが ―― 神意を第一として物事を行っていかれるという天皇の生き方、神意が中心となる生き方が、我々個人のレベルにもどんどん弘まっていくことによって、それが民主主義の国だったら、結果として、そういう神意を重んじる政治家が多く選ばれるようになるであろうし・・・(中略)・・・こういう文脈の中で、「天皇国・日本」は説かれているのです。

 ですから、生長の家でいう「天皇国・日本」とは、大変深い意味での〝理想国家〟を指しているのです・・・(中略)・・・天皇の生き方を模範とし、神意を第一とする生き方が一人一人の国民の間に弘まっていき、外国においても、キリスト教の国ならば〝神の国〟や〝神の国の義〟を第一にする人々の数が増えていけば、そこには神意が現成した素晴らしい国家が建設されるだろうという意味であります。(後略:なお全文は上記ご著書でご確認ください)

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…




1969復興G:2013/06/13(木) 08:11:17 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

昨夜 謹掲させて頂きました榎本先生の『「発進宣言」拝誦』に出てきます「久遠の今」について。

これは、司会者「訊け」管理人様が>>1869で紹介してくださった
     ・‥…━…‥・‥…━…‥・
○「久遠の今」
前編http://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8
後編http://www.youtube.com/watch?v=lDSwsxbLfes
     ・‥…━…‥・‥…━…‥・
をご覧いただくと、わかりやすいと思います。

「今、起て!!」 の 「今」 は、この 「久遠の今」 でなければならない、ということであります。

なお、榎本恵吾先生の『「発進宣言」拝誦』は素晴らしいので、全文をご覧になりたい方は、「榎本恵吾記念館」サイト
http://homepage2.nifty.com/hanabira/

の 「文書館 5」 にアップされています。

昨夜の続きを、もう少し転写掲示させていただきましょう。

          ○

 尊師はなぜ“われは起たざるを得なくなったのである”と言わざるを得なかったのであるか。これは“神はなぜ「光りあれ」と言わざるを得なくなったのであるか”ということと同じことである。それは神は光であるからである。光がみずから光りを表現したくなったのである。それは神以外の外部的状況によって “光あれ” と言わされたもうたのではないのである。神以外には神のわざを規定づけるなにものも存在しないのである。

 また尊師がなぜ、“天地一切のものと和解せよ”と発せざるを得なくなったのであるか。

 木の葉の一つ一つがかがやき、そこに雀がとびうつる。その雀も光りである。その金色の雀が「発進宣言」で“友よ、助けよ”と言われる友なのである。輝く木の葉が尊師の発せられる「聖典」の言葉なのである。

 歴史に発展が無いごとく光明化には発展、進歩は無い。完全の持続があるのみなのである。

 愛するのではなくどっぷりと愛の海につかり切って生かされ、あまえ切っているということである。こらえ我慢し合ったりするのではない。なんともいえない、ゆたかなよろこび、勝利の喜びのひびきが鳴りだしたのだ。尊師は、 “私は神に愛されつづけて来た” と言われたとのことである。このいぶきが光明化の運動方針となって輝くとき悩みや病をも癒すものとなるのである。それは山も川も木もうたいだす秘密である。

“友よたすけよ”の友の中には、あらゆる神々が入っているのである。だから、誰が来ても尊師は神として拝まれるのである。友よ、光なるものよ!。友は釈迦が言った成仏裡の存在なのである。(中略)
<つづく>

1970復興G:2013/06/13(木) 08:12:02 ID:AB6RqYXc

<つづき>

“わが光りにふれよ”とは、『七つの燈台の点燈者の神示』の中の“疑わずにわが光を受けよ”ということにあたるのである。

 そして、尊師の立たれたのと同じ“光”として立つことが、神の子の一人一人に出来るのであるということを宣言されたのが同じ神示の中の“今、すべての病人は立つことが出来るのである”という宣言となっているのである。

 すべての病人である。神想観が足りないという病人も、愛行が足りないという病人も、「聖典」を読むことが足りないという病人もすべてのすべての病人が立つことが出来るのである。そのままで人類の“光”として立っているのであるということへの尊師の祝福のコトバなのである。

 尊師が光りを点ずるとは、この人類の本当の姿を礼拝し祝福することにほかならないのである。たしか『美しき生活』の中で尊師は、“人間はそのまま現象をこえて神の子である”と『生命の實相』によってすべての人々を拝んだ、すると気がついてみると自分もすべての人々から拝まれていたのであるということをお書きになっている。

“ 神の子人間”の神とは何かにおいて、尊師は光のみの世界を発見されているのである。あとは、光りへの拝みと祝福あるのみなのである。

 われわれは、宗教によって罪と病と死との三暗黒を消してから、光りとなるのではないのである。我というものを消してから光となるのではないのである。そんなものははじめから無いのである。そんなものを放っておいて、そのまま“神の子です”と光の中に飛び込んだときに、そのあとで、罪と病と死との三暗黒は消えるのである。

 光りが近づくとき“罪と病と死”の三暗黒が消えるというときの、この光は、これから光となるべき、可能性をもつわれわれ人間を照して罪を浄めてそれからやっと自分が光となるというような意味での不完全な自分を照している光ではないのである。先ずわれわれが光の中に飛び込んだとき、“光”は自分と神との一体性から輝くところの自分の光りとなっているのである。先ず、自ら光りであると宣言し光として立つことからすべてがはじまるのである。

 「人類光明化運動発進の宣言」の輝きを受ける全ての人々のために書かれているのが『七つの燈台の点燈者の神示』の中の “疑わずにわが光を受けよ” なのである。

 そして今、人類光明化運動はやっと産ぶ声をあげたばかりである。宇宙にしてからが、いまやっと産ぶ声をあげたばかりなのである。(中略)

 『ああ、人生は何という喜ばしさだ! 私は諸君と共に手をたずさえて、この善き事業が大きくひろがる日のために尽したいとの念願で一杯です。』(『生命の實相』第一巻39頁)

 という言葉で『生命の實相』の中での「七つの光明宣言」の解説は結ばれている。この喜びはどこから出て来ているのか。この喜びはどこからも出で来たらず。或る日、忽然として、久遠の今、今、ここに自分のいのちの中から出で来たるのである。光明化をやってからという、ある時間の後、ある空間的条件をととのえたときにという外の条件によらず、自ずから立っている喜びである。常立ちの、自ずから立っている喜びが火の正体なのである。喜びを得るために発進するのではなく、“喜び”なる主体が発進するのが光明化運動の発進である。

 何故に天国を建設し得るのか。それは天国なるものが動くからである。天国が天国するのが天国建設の運動である。中心が中心するのが中心帰一であると言うのも同じ意味である。

 ここには天国建設の途上における犠牲ということのない道が開かれている。『生命の實相』第三巻には次のように宣言されている。

 すべての人間がこの生長の家の説く真理を悟るとき、人生には、誰も人生の弾丸(たま)にあたる者がなくなる、すなわち少しも犠牲なしに地上天国になるのであります。……如何なる混乱の巷にあつても、地上天国建設途上の人生の敵弾に倒された犠牲者とはならないのであります。(『生命の實相』第三巻95頁)

 ここには尊師が犠牲的立場に立って人類光明化運動を発進せしめられたのではないことを説いておられるのである。神には対立者がなく犠牲がないからである。尊師の発見された神の光明というものをそのままに輝やかせているのが人類光明化運動であるからである。何故、犠牲ということが起らないのか、ということを明らめることは、尊師の発見された神というもの、生長の家というもの、そしてかかげられる真理というもの、そして何者が発進するのかということを明らめることと直通しているのである。
<つづく>

1971復興G:2013/06/13(木) 08:12:49 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 絶対不敗の光明の進軍である。

 幽の幽なる吾れ。光明化運動は何ものがやるかの問題である。“発心(ほつしん)(発進)正しからざれば万行むなしく施す”という道元のコトバがある。

 状況の上に立って運動を展開すると、光明一元論を全力的にうち揮(ふる)えなくなる。“いくら光明一元でもそれを知る人の数がこれだけという状況では”ということになって、力を抜かれ、きばを抜かれてしまうのである。情熱が出なくなる。それはまた、尊師への堅信の喪失でもある。

 中心帰一とは中心が一(はじめ)に帰ることなり。神想観とは神が想い観るなり。神想観をして神になるに非ず。仏行とは仏が行くことである。行をやって仏となるのではない。仏となるために行をするのではない。愛行とは愛が行くのである。行をやって愛となるのではないのである。愛(神)となるために行をするのではない。「われいま生長の火」とは神想観の“われ今”である。神想観の最初のわれ、今、ここである。五官の世界を去ってから久遠の今になるに非ず。われなる今なる自分が五官の世界を去るのである。五官の世界を吹き去るのである。(中略)

 『今、たて!』とのコトバによって、尊師は仏として、光として、たたれたのである。しかし、この光りは暗を知らない光なのである。暗と相対するところの光ではないのである。“光は暗黒(くらき)に照る。しかして、暗黒(くらき)はこれを悟らざりき”である。そして、“光りもまた暗黒を知らざりき”である。光明一元である。

 『甘露の法雨』に“暗(やみ)に対しては光りをもって相対せよ”とある。この光りは決して暗を知らない光りなのである。

 尊師が大啓示をお受けになったあとのおそらくはじめてのおコトバであると思われるのが例の詩である。「天使の声」である。

“わたしの魂は虚空に透きとおって真理そのものと一つになった。”
“「お前は実在そのものだ!」”

 というおコトバを書かれたときが、そもそもの光明化のはじまりである。これが生長の火が立ったときであったのである。これこそが初発の「発進宣言」であった。

 人間を見抜くという。本当に人間を見抜いたならば神の子が見えるのである。世界を本当に見抜いたら極楽が見える。尊師が宇宙を見抜かれたとき、天地一切は大調和であったのである。

 暗はないとは、そこにそのまま光が充満していることである。現象なしとは、光明遍照光明充満ということである。

 「世界に非道が充ちてゐると云ふことは、歴史と同じやうにそれよりも更に古い文學さへも同じやうに、否あらゆる文學中の最も古きものなる祭司の宗教と同じやうに古い嘆(なげき)である」とカントは言つてゐる。けれども生長の家は世界には何ら非道なことは存在しないと言ふのである。それは存在するものは「道」ばかりであるから、それが少くとも存在する限りはそれは「善」であり、それが「善」でない限りに於て、それは如何に存在するやうに見えようとも、それは、「非道」即ち「道の欠乏」「道の無」をあらはしてゐるに過ぎないとするのである。(…中略…)

 凡て心の眼を開いて見れば「悪」なるものは存在しない。これ第一にして最後の真理である。
(『光明道中記』244頁)
<つづく>

1972「訊け」管理人:2013/06/13(木) 08:13:26 ID:???


>>1966志恩さま

 ありがとうございます。貴女様曰く「ますますこの み教えの意義深さを感じました」とのことですが、他ご参加各位も同じ感想でありましょう。同意致します。

 さて、ところで復興Gさまご投稿>>1946文ですが、どの様な感想をお持ちになられましたでしょうか。おそらくたぶん、復興Gさまもこの点に関し、貴女さまのご返信に期待しておられるものと察します。ですのでどうぞ、「み教えの意義深さを感じました」という現在のお気持ちから>>1946文、拝読されての感想を寄せられてください。宜しくお願い致します。



1973復興G:2013/06/13(木) 08:13:29 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 説似一物即不中ということばがある。これが神であると一物を示せば即ちそれてしまっているのである。

 これが光明化運動であると一行動をとらえて示せば、即ち中っていないのである。光明の光明たるいのちは観えなくなるのである。

 自分が光明一元のいのちに帰ったときに存在するものすべてが光明化運動なのである。しかも、その光明一元の世界とは形ではないのである。

 尊師が、「久遠いのちの歌」において、前半の部分で、「此の身は虹の如し……」と現象のはかなさを歌っていられるようであるが、なるほど、文字はその通りであるが、ここには悲しみが表現されているのではなく、現象を超えて久遠のいのちに還った神の子が大勝利の歓喜を輝かせておどっているのである。その意味において、全面、久遠いのちの歓喜の歌なのである。

 尊師が一見、現象の危機をとらえていられるかのように見えるのは、それは、現象の不完全性を、無常性を即ち非道を、即ちそこには“何も無い”“あるのは神のみ、光明のみ”の世界を指し示されているのである。(中略)

 尊師の開かれ給うた世界には、光明しかないのである。すべてのものの仏なる姿を祝福されて、お拝みになり給うて、その拝みの合掌のかがやきの姿としてここに『生命の實相』は輝やいているのである。それだからこそこの『生命の實相』は、「あなたはこれを読まなければ救われませんよ。神の子になれませんよ。生長の家になれませんよ。」という姿をしていないのである。却って、

「私は、すべてのものが、はじめのはじめから、如来であることを発見したのです。この本の一行さえも、何ものをもつけくわえる必要のないいのちであることを私は発見したのです。こうして私はこの本ですべての人々を拝んでいるのです!!」

 と鳴り響いているのである。ここに、“火を点ずる”ということのその“点ずる”消息があるのである。

 “み心のごとくならせ給え”という祈りにおいて、“み心のごとく”とは“神の心と同じように”ということであり、神の心と自分の心とが一つであること、神と同じ光を発する主体に立つことである。神とともに天地創造のつづきを生きることである。“み心のごとくならせ給え”とは“神と同じ心とならせ給え”ということであったのである。

 “信”ということは“人が言う”と書く。これは神と同じ心にかえった人が言葉を発すること。神と同じ光源に還った神の子は常に、今、此処において“光あれ”との言葉を発しているのである。“信”とは何らかの意味において自分以外のものにこちらのいのちを合わせてゆくことではない。

 “信”とは却って外界の否定である。否定といえども、 それはそのまま光明が言葉によって十方世界を満たすことである。“信”は自らここに立って、自ら光りのコトバを営むことである。外なるものを全く必要としない自発のものなのである。

 “われはいま生長の火をかざして立つ”というときの、生長の火とはこの“信”の誕生を意味しているのである。
<榎本恵吾先生 『「発進宣言」拝誦』 完>

1974a hope:2013/06/13(木) 08:40:34 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

復興Gさま、すばらしご指導をありがとうございます。
トキさま、お忙しい中、この掲示板を管理してくださりありがとうございます。
訊け管理人さま、内容をお勉強しやすくまとめてくださりありがとうございます。
ユタカさま、いつも思いやりのある温かいお言葉をわたし達投稿者にかけて下さりありがとうございます。
そしてすべての投稿者のみなさま、「生長の家」を思う、情熱あるたくさんの投稿をありがとうございます。

今回復興Gさまがweb誌友会の教材として取り上げられた「2.26事件」など歴史の出来事に関しては、、
わたしは今まで、完全に目を背けてきた内容でした。
ですが、今回のweb誌友会で、このことを学んで本当によかったと感じています。

それは、日本人として生まれてきたことに初めて感謝ができたからです。

「天皇制」に関しても、今までは、あってもなくてもどちらでもいいようなものくらいにしか思ってませんでした。
『「生長の家の教え」は「人間は神の子である」の「唯神実相」だけでいいんじゃないの?』と思っていたのです。

ですが、その『「神の子」「唯神実相」の自覚が、そのまま顕されて国家となったのが、
「天皇国日本」であったのだ!』ということが今回勉強させていただき、はっきりと理解できました。

わたしたち日本人には、初めの初めから、「人間は神の子である」との自覚があったからこそ、
その「心」が、現象にそのまま真っ直ぐにあらわれて、「国民―天皇―天照大神(宇宙創造の神)」という
完全なる中心帰一の形ができたのだという、素晴らしい真理が今回実感としてわかった気がするのです。

でも、まだまだ、わたしは勉強不足です。
今までのweb誌友会の内容をもう一度しっかり勉強しなおしたり、
雅春先生の愛国書といわれるものも、少しずつでも拝読していきながら理解を深めていきたいです。


実は今週に入ってから、仕事が急に忙しくなったり、子ども関係のことで時間を取られたりすることが多くなりました。
ですから、思うように、web誌友会の勉強に集中できない状態が続いています。
勉強時間を増やすためと、自分自身の心をととのえるために、1週間ほど書き込みをお休みをさせていただきます。

ですが、ユタカさまの提案された、自主勉強は続けたいと思っています。
また、1週間後くらいにはこちらの勉強会に戻らせていただくつもりでいます。

みなさま、今回も素晴らしい学びをありがとうございました。

感謝 合掌。

1975「訊け」管理人:2013/06/13(木) 08:55:59 ID:???

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

 病なし、迷いなし、罪なし、これが生長の家の根本真理であります。それでは神様、ただ今より眠らせていただきます。


6月13日(朝)3時30分 
谷口雅春先生 最後のお言葉

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

○【動画】「永遠不滅の生命」 谷口雅春 Masaharu Taniguchi
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&amp;v=CxwERhp344s





1976志恩:2013/06/13(木) 09:54:04 ID:.QY5jUA6
>>1946:より

生長の家は、和解、大調和の教えである。
しかし、和解と妥協とは違うのである。

現象の悪と妥協してはならないのである。
妥協でない「和解」は如何にすれば可能か。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

現象は如何にあろうとも、実相は永遠に光り輝いている。
現象に如何なる対立の関係があるように見えようとも、そんなものは、ナイのである。

それは、教団派も、本流派も、共に本来の「一」に立てばよいのである。
「無」に立てばよいのである。
「中(みなか)」に帰ればよいのである。

 そのためには、『生命の實相』に還ればよいのである。
のである。

 真に、谷口雅春先生を学べばよいのである。

 其処は、既に一切が大調和している世界である。

 「一」なる世界である。

 神こそ渾ての渾て。現象はない。実相独在である。生長の家は、唯神実相を信ずるのである。

 真の中心帰一とは、「中(みなか)」より出でて「中」に帰ることである。

 生長の家の信仰は、実相独在・善一元の信仰である。すべては絶対無なる「中」のいのちから咲き出でた花である。

    「中(みなか)」への還元

《谷口雅春先生。昭和40年、『理想世界』誌5月号より》
----------------------------------------------------

ということで、「中に還ればいい」ということを分らせて頂きました。

雅春先生は、様々な角度から 教えを説かれておられます。

先に>>1842に、謹写させて頂きました雅春先生の説「妥協と和解のちがいについて」も

雅春先生のお言葉です。

実相独在、善一元の信仰とは、実相に対しての信仰であります。

復興G様、トキ様、訊け様は、和解派でいらして、

「既に一切が大調和している世界である。

 「一」なる世界である。

 神こそ渾ての渾て。現象はない。実相独在である。生長の家は、唯神実相を信ずるのである。」

だから…、一つになるのが、本来の姿であるというわけですが、妥協せずに、神様に和解するということは、

どう考えることか、どうなることなのか…雅宣総裁は、雅宣総裁のお考えがおありになり、そのように行動されてますし、

本流は本流で、そのように考えられて実践中ですし、

復興G様は復興G様で、ご自分の信念のもとに実践中でいらっしゃるし、私も しかりです。

ゆえに、生長の家のおしえは、意義深いと申し上げました。

1977志恩:2013/06/13(木) 09:56:41 ID:.QY5jUA6
私は,今日も,これから 出かけますので、失礼させて頂きます。

1978復興G:2013/06/13(木) 10:53:12 ID:AB6RqYXc

>>1976 :志恩様。

ご投稿、ありがとうございます。

志恩様ご謹写の>>1842

>>実際の場合として、皆さんが凡ゆる場合に虫類の実相の完全さを拝んだら害虫が全部消えるか否かは皆さんの悟りの力量如何にあるのです。<<

この「悟りの力量」すなわち「実相を観る力量」が生長の家の真の「実力」でありますね。

この「実力」向上のために精進することこそ、信仰者としての第一義であり、

>>しかし、現代の日本人が果たしてそれだけの精神的力量又は高い心境に達しているかという事が問題なのです。
 即ち「凡(およ)そ此の世界は神の世界であって敵は無いのである」という事を、日本人の大多数が深く信じそれを実践する事が出来るかどうかというと、まだまだ遠しと言はねばなりません。<<

だから現実には再軍備も必要であると説かれていますが、それは第二義のことだと思います。先生は最後の絶筆と思われる『實相と現象』の「はしがき」にも

>>“聖なる求め”を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代り切に切に望むものである。<<
り)
とおっしゃっています。

第一義を軽んじて第二義のことばかりに力を入れているのでは、生長の家出現の意味はないのではないでしょうか。それは、雅宣総裁率いる教団の運動でも同じことですが。

だから、私は 「今こそ正念場」 「今、起て!!」 は、「久遠の今」 「中(みなか)」 なる 「一」 なる 「既に大調和している」 「神」 なる 「光」 なる 今、起て!! だと、榎本先生の 『「発進宣言」拝誦』 をかしめて、決意を新たにしています。

それが、本当に「谷口雅春先生を学ぶ」ことだと思っているのです。

ありがとうございます。

1979復興G:2013/06/13(木) 11:19:31 ID:AB6RqYXc

「久遠の今」とは何か。

それは、
     ・‥…━…‥・‥…━…‥・
○「久遠の今」
前編http://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8
後編http://www.youtube.com/watch?v=lDSwsxbLfes
     ・‥…━…‥・‥…━…‥・
を、どうぞ繰り返しご覧になることをお勧めします。

1980ユタカ:2013/06/13(木) 13:36:13 ID:R1D4Jmeg
訊けさま

平和への道の紹介をありがとうございます。 そうなのですね、初めて知りました。雅宣総裁がそのように思っているなんてちょっと安心しました

もっといろいろ教えてください。

1981ももんが(昼休み):2013/06/13(木) 13:38:55 ID:XXCuaQns
>>1936
合掌、拝。“誌友会の皆様”ありがとうございます。


チョト、昼休みなので、立ち寄りました。


復興G様や、志恩様の、昔のお話が、特に、今私が活動してる中でも、大変勉強に成っています。

トキ様や、『訊け』さんの、お話も、楽しく読ませ頂いております。


勿論、他の皆様のお話もです。


先日、志恩様から“神想観”で、“遠隔操作“で、送られ、『マグロの刺身』は、“脳ミソの中”に現れましたが、“現象化”しませんでした。

志恩様!悲しかったです。
(井上先生のコンセントの入るてない扇風機の話みたい)

でも、”喜びで一杯になりましたよ“ありがとう!志恩様。

それから、今回の話題の参考に為らないかも、しれませんが、

関東にも、”高天ヶ原“が、有るですね。


茨城県=常陸國(ヒタチノクニ)と呼びますが、此は、

太平洋から、日が昇るので、“日立”と言うそうですね。

それで、鹿島神宮の少しの先に、“高天ヶ原”と呼ばれる土地が、有るそうです。

私は、詳しくは調べないのですが、復興G様もし、誌友会の本題の邪魔にならないようで御存じであれば、御教授くださいませ。

すいません。チョト、皆様のお話を濁すようになりましたことは、お許しください。


では、掲示板、誌友会の神の子皆様、ありがとうございます!


合掌、拝。

1982ユタカ:2013/06/13(木) 14:35:25 ID:R1D4Jmeg
心の法則と平和への道

訊け様 有難うございます、平和への道が良いヒントとなりました。(雅宣総裁の本は読んでみようと思いませんので、購入はしません、拒絶反応がマックスでゲロゲロですから一部だけは生長の家真理ですが すぐに独自の言葉とすり変える手法はお手の物で有名ですからね)

復興Gさま>1978を読ませていただいて思ったことは、 心の法則と平和への道の神示 です。

その中の言葉で 「生長の家の生き方は乱にいて治を忘れず」 という事でした、現在教団に属している人にはこの神示をお勧め
かもしれません。 そして、裁判など心が乱れ怒っている人には神想観の実習三昧を!と言うように思いました。

教団の会員ーーー神想観実習三昧  学ぶ会も更に更に真理を奥深く学ぶ。

今、日本で一番に伝道で活躍してる人は訊け管理人だなぁ〜。いろいろな動画のアップなど、スゴイや!しかも、奥さんに内緒、内緒、バレナイようにやっている。こっそりスゴイことやっている。

材料を見つけて集めて皆に供給してくれてありがとうございます。 こころから感謝します。

復興Gさまの大量投稿 >< ・・・・ 休みの日に頑張ってよもう!っと。><

1983こんにちは:2013/06/13(木) 16:40:23 ID:nSg7g3W2
>>1968 「訊け」管理人様
雅宣総裁のご文章についてですが、私はこの総裁の言葉を素直に受け取ることが出来ません。

本当に総裁が、「生長の家でいう『天皇国・日本』とは、大変深い意味での”理想国家”を指しているのです。(中略)・・・天皇の生き方を模範とし、神意を第一とする生き方が一人一人の国民の間に弘まっていき、外国においても、キリスト教の国ならば”神の国”や”神の国の義”を第一にする人々の数が増えていけば、そこに神意が現成した素晴らしい国が建設されるだろうという意味であります」
(谷口雅宣著「信仰による平和の道」211ページ)
と、このように考えていらっしゃるならば、どうして天皇陛下の信仰生活を、積極的にお伝えしようとなさらないのか?という疑問がぬぐえません。

総裁は、国際化社会の現代では、天皇を前面に出すことは誤解を招きやすいので得策でない、と考えていらっしゃることはよく分かっています。
旧来の民族派団体と混同されやすい、と思っていらっしゃることも私は理解しています。

しかし、それならばなおのこと、天皇陛下のご生活をお伝えしなければならないはずです。
積極的に発信して、日本人や一部のアジアの国に誤解されている「天皇」の正しい姿をお伝えしなければならないはずです。
否、「お伝えしなければ!!」という思いに駆られるはずなのです。
本当に天皇陛下を愛していらっしゃるならば!!

それは、日本人に向かって神意を生きることを布教することでもありますし、一部の外国の誤解を解くことでもあります。
天皇陛下の本当の姿を理解した日本人は自国に誇りを持つでしょうし、理解した外国人は日本を尊敬するでしょう。
それなのに、天皇について積極的に発信しようとなさらない。

ですから、私は雅宣総裁が「冷淡」で「愛が欠如している」というのです。
総裁は、本当の愛国者ではない、と思っているのです。

雅宣総裁は、言葉の上では一見、天皇陛下を尊んでいるかのような発言をされます。
しかし、総裁の判断と行動を見てみれば、総裁の本当の気持ちというものが透けて見えてしまうのです。

総裁は合理主義者です。
現在の日本の情勢や世界情勢を計算して、得策である道を歩もうとされます。
しかし、谷口雅春先生はそうではありませんでした。
生長の家がたとえ、時代の主流からはずれて糾弾されることがあろうとも、「本当の道」を進んでいかれたのです。
これが、信仰を生きる者の姿です。
損得勘定抜きに、純粋な己れの信仰を貫いていらっしゃったのです。
ですから、多くの信徒が心から感動し、谷口雅春先生についていったのです。

これは、たとえばイエス・キリストの生き方も同じです。
神の義に忠実たらんとしたイエスは、世間はおろか弟子にすら見放されて、はりつけになりました。
しかし、この純粋な信仰姿勢が、のちのキリスト教の発展を生んだのです。

信仰とは、そういうものです。
合理主義者には、信仰は理解できないのです。
雅宣総裁が合理主義者である限り、彼は信仰者ではないのです。
天皇を敬愛する者でも愛国者でもないのです。

「本当のことをお伝えする」
それが信仰者であり愛国者です。

私自身も反省しなければならないお話ではありますが・・・。

1984復興G:2013/06/13(木) 17:18:35 ID:AB6RqYXc

>>1983 : こんにちは様のおっしゃることは、当たっていると思います。残念ながら。

そういう率直な感想を、素直に申し上げることは大切なこと、よいことだと思います。
おそらく総裁は、この掲示板をごらんになって、何かを感じていらっしゃることと信じます。
愛をもって直諌申し上げれば、聞いてくださるでしょう。
ただ攻撃的に非難するような言葉は受け入れられず、逆効果になることのほうが多いと思いますが。

ありがとうございます。

1985復興G:2013/06/13(木) 18:12:53 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

今回の誌友会テーマは、
「組織運動と信仰生活」ということでした。

このテーマの結びとして用意されていたように思われる榎本恵吾先生の論文があり、アップさせていただきたいと準備中ですが、私はこれから予定行事があり、出かけなければなりません。

戻りは10時(22時)になります。
それまでPCから離れますが、よろしくお願い申し上げます。

1986こんにちは:2013/06/13(木) 20:18:50 ID:nSg7g3W2
>>1984 復興G様
ちょっと言いすぎたかもしれません。
でも、私はもう、雅宣総裁は見限っているのです。
彼は変わらないと思います。
よほどの人物と出会うか、よほどの衝撃的な出来事に遭遇しない限り、人は根っこから変わることは出来ないものです。

雅宣総裁には、今世における彼なりの運命があり修行があるのでしょう。
私は私なりの道を歩むばかりです。
教団信徒が気の毒ですが、冷たい言い方をすれば、困難の中で魂が生長するということもまた、現象世界における真実でしょう。

ただ、私はこの掲示板で、不必要に多くを語りすぎたのかもしれません。

1987復興G:2013/06/13(木) 22:31:03 ID:AB6RqYXc

1986 :こんにちは様

――そうですか。

しかし、おっしゃるように

≪神の愛は近視眼的愛ではなくて遙かに前途を見越して、有終の美を飾る如き結果をわれらに与えたまうのであるから、現在の状態がたとい如何なる状態であっても私たちは神に対する信頼を失うということは絶対にないのである。≫(『真理の吟唱』より「人生の苦難を克服して伸びる祈り」)

≪宇宙の一切のものは、神の無限の内容が、時間空間の枠を通して逐次に展開し行く姿であるのである。それゆえに今日は昨日よりも一層よく、明日は今日よりも一層よくなることは間違いないのである。たとい一時、暗黒の状態があらわれようとも私は決してそれについて悲観することをしないのである。暗黒と見える時にも生命の生長の営みは行われているのであって、植物は、夜のうちに一層伸びるということである。われわれの魂も、境遇が苛辣であり、周囲の一切のものがただ暗黒に閉ざされていると見える時には、かえっていろいろの反省や努力が行われて、明るい幸運にめぐまれている時には、ないがしろにせられていた魂の部分が一層伸び且つ向上し進化するのである。肉眼には明暗の二相があるかのように見えているけれども、魂にとっては、明暗ともに、生長と進歩との機会なのである。悪しきものは宇宙のどこにも存在しないのである。(『真理の吟唱』より「困難を克服して伸びる祈り」)≫

と教えられていますので、「今が魂の生長のチャンス」ととらえ、明るく最善を尽くしてまいりましょう。

1988復興G:2013/06/13(木) 22:32:13 ID:AB6RqYXc

 さて、>>1979「久遠の今」のご講義(後編)の後の方で、谷口雅春先生は、徳久克己先生の体験をとりあげられ、「今」を未来の目的のための「手段」にしてはならない。心眼を開いて見れば、今、此処が極楽浄土であるとわかるのである、ということを説かれています。

 この誌友会のテーマは、

 「組織運動と信仰生活」 ということでしたね。

 その「運動」とは何か。目標を決めて、その目標達成のために「今」を手段にするようなのが運動であるとしていたら、鼻先ににんじんをぶら下げられて走る馬のようなもので、それは「今を生きる」信仰生活、幸福生活と両立しないでしょう。

 「未来世代の幸福のために」今を手段として犠牲にする運動というのも、生長の家とは違うと思います。

 「組織運動と信仰生活」というテーマによる研鑽の結びとして、このために用意されていたとすら思われる、榎本恵吾先生のすばらしい論文があり増したので、アップさせていただきたいと思います。

 榎本恵吾先生のご著書 『光のある内に』の中の

  <<天地(あめつち)の初発(はじめ)に立ちて
    ――人類光明化運動の楽的展開論――>>

 という論文です。

 その「序曲」という章に、次のように書かれています。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   天地(あめつち)の初発(はじめ)に立ちて
    ――人類光明化運動の楽的展開論――

      序  曲

 もう二十年も前のことだが、私は大学の哲学科に通っていた時、どうしても心が明るくなれず、『生命の實相』ばかりに読みふけり、二十日も授業を受けに出ず四畳半の間借部屋で懊悩していた。

 ある人は花の散るすがたにこの世の無常を観て出家した。私はそのころ、青年会の運動がどうしてこのように無常なのか――会員が集っては散って行く、その度に一喜一憂する――と、はじめてこの世に「常恒なるもの」を求めはじめたのであった。

 この一喜一憂を越えて常恒なる平安に達するには、現象的な運動を“無”と否定して、それへの執着を断たなければならなかった。――そこにこそ霊の選士同士の嫉妬も消えるのである。“ある”と思うからこそ執着するのであるから、“無し”と否定すれば執着が消えるのである――という声が自分の中でした。

 しかし、実際、それは出来得ることであろうか。青年会を否定することは人類光明化運動を否定することである。――ここで私は難問にぶつかった。その否定しようとする内なる声に対して「しかし、今自分がこのように“無常”と否定すること、現象の無いことを生長の家で教えられた――具体的には『生長の家』誌から、『生命の實相』から、尊師の講話から教えられたのである。もしもこのことがなかったならば、今の私はないであろう。それが現実であり、事実ではないか。これはまさに人類光明化運動のお蔭である。どうしてこれを否定することが出来ようか。それに、否定することは大なる忘恩である。信徒たるべきものの道に反することではないか」という声がしたのである。(中略)

 どうにもならない心のままに、ある日私は便所を掃除していた。その時、自分の心の中に「アブラハムの生れぬさきよりわれは在るなり」というキリストの言葉がポッカリと出て来た。つづいて私は釈迦の「吾れは成仏してよりこのかた、百千万億那由他阿僧祇劫なり」というあの『生命の實相』の中で読んだ言葉を思い出し、そしてそこに書かれていた尊師の「吾れはキリスト以前よりあり、釈迦以前よりある、天照大御神と一体の生命である」というお言葉を思い出した。

 キリストは自分を生んでくれた先祖のアブラハムを否定して自分自身に真理を体現し、釈迦は現象的時間と自己の修行を否定して真理なる自己を体証した。そして尊師はさらにその真理なるキリスト・釈迦をも越えて絶対の自己を現成されたのである。ここにはもはや相対的に救うものもなければ救われるものもない。唯、あるのは無原因にして自ら立つ自己があるのみ。(中略)

 ――私はようやくにして、立つべきところと向うべき道を得ようとしていた――。
<つづく>

1989復興G:2013/06/13(木) 22:33:32 ID:AB6RqYXc

<榎本恵吾先生著 『光のある内に』 より つづき>

 宇宙は何故発展と秩序を感じさせるか。それは宇宙の出発において神が間違わなかったからである。

 また、宇宙は何故、永遠の持続を感じさせるか。それは神が喜びであるからである。

 太陽は常にわれわれの上に輝く。それを見ている人間に、無理をしている感じを与えないのは、太陽は喜んで照っていることをわれわれの魂は知っているからなのである。太陽にはどこにも無理がないことを知っているからである。

 この世の中で何が一番長つづきするか。それは喜びである。喜びだけはどんなに長くつづいてもつづきすぎるということはない。人間が長つづきしてほしいと一番のぞんでいるのが、喜びということであるからだ。この内部要求の永遠の軌道に乗った生活であれば、どこまでいっても退屈したり、やめてしまうということはないのである。

 私はここに永遠につづく「生長の家人類光明化運動の楽的展開論」を試みようと思う。人類光明化運動に真剣にとり組み、一生をこの運動に捧げようとする者は、常にその運動の根本を、本源をつかもうとする。そこから運動への真に永続的な情熱と力と未来への展望が生れるからである。
<つづく>

1990復興G:2013/06/13(木) 22:34:34 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 かつて東京第一教区で白鳩会教区連合会長を3期つとめて大活躍され、平成4年「布教抜群功労者総裁賞」を受賞された二葉美代さん(故人)は、この『光のある内に』の論文を読んでの感想・体験を、榎本先生の追悼文集に、次のように書いておられます。

          ○

   「『光のある内に』三冊ボロボロに…」  
         東京都葛飾区  二葉 美代

 榎本恵吾先生とのご縁は、昭和54年、『光のある内に』のご本を戴いたころからと思います。

 「天地の初発(あめつちのはじめ)に立ちて―人類光明化運動の楽的展開論」

 この表題を見た時、私は飛び上がらんばかりに喜びました。

 当時、白鳩会教区連合会長を拝命していた私は、本部目標を達成することが出来ず、悩んでおりました。

 「これだ、これだ! これさえ学べばよくなる!! 」と。

 しかし、読んでみると、「楽的展開」どころか、とてもむづかしいのです。

 「久遠の今」「未発の中」「真空妙有」「久遠天上理想国実現の神示」等々……その当時の私には、むつかしいことばかり。

 「自分の中に『生長の家』を発見し、話す相手さえも自分の生命の中に発見するのでなければ、ついに『生長の家』もよそごととなり、単なる遠くのものを指し示す説明に終ってしまう。」

 「絶対の自由を得ていなければ、真の光明化運動は不可能である。」

 「『教えは教え、運動は運動。そこには多少の矛盾不一致があってもいい』などということは許されない。」

 「実相の展開そのものとしての運動に参加しなければならない。」

 等々、むづかしいことばかり……。

 ひたすら夢中で『光のある内に』のご本を、読んで、読んで、読み続けました。

 ついにこの『光のある内に』のご本が3冊ボロボロになりました。

 今、拝読してみると、とてもよくわかるのですが、当時の私は、若くて現象観のかたまりでした。今、思いますと、どうしてあんなに解らなかったのだろうと、不思議な気がいたします。

 私は今、しみじみと、この『光のある内に』のご本に育てられたのだと、まことに有り難く思いまして、心より感謝申し上げております。

 今や世界が 唯物論の極に来て、その終焉を迎えようとしており、新時代の生命の胎動が、粛々として起こりつつあることを感じます。今や世界は、谷口雅春大聖師のお示しいただいた「實相独在」の真理、神意に一大方向転換すべき機を迎えているのではないでしょうか。

 私も、尊師の教えを受けた者として、『光のある内に』のご本でまいて頂いた種子を大切に育て、花咲かせ、実を結ばせて、「みこころの天に成る世界」を地に成らせる創造の光明化運動に、いのちをかけたいと念願いたしております。

          ○

 こうしてこの『光のある内に』のご本から大きな力を得て、昼夜を分かたぬ大活躍をされ、白鳩会の大躍進に貢献されたた二葉美代さんは、平成4年に「布教抜群功労者総裁賞」を受賞されました。

 その報道記事が載った『聖使命』紙が出てきたのですが、インタビュー記事にこう書いてあります。

<……身を縮めながら謙虚に語る。が、行動力は抜群。モットーは「何事にも全力を尽くす」。
 教区連合会長時代は、休みもとらず運動に励み、終電で帰宅することも珍しくなかった。
「楽しいばかりで、辛いと思ったことはありません。伸びるほかないのが光明化運動ですから」と、サラリ。>

 二葉さんはこう言っていらっしゃいます。その原動力になった榎本先生のご文章です。

 長文の投稿が続き、お忙しい皆さまには読む時間もないかも知れませんが、斜め読みでもして頂いて、目にとまるところがありましたらプリントアウトしてご熟読も・・・・きっと大きな収穫のある、価値あるご文章だと思います。
<つづく>

1991復興G:2013/06/13(木) 22:35:27 ID:AB6RqYXc

<榎本恵吾先生著 『光のある内に』 より つづき>

     一、『生長の家』とは何か

 『生長の家』とは何か。それは自分のいのちのことである。「久遠の今」(Eternal Now)において、万物はこの一点におさまっているのである。そして、自分のいのちが「今」「此処」にあれば、『生長の家』も「今」「此処」にあるのである。

 「久遠の今」に立ったとき、すべてのことは自分のいのちの中に発見され、常に自分のこととして問題とすることが出来る。

 この「久遠の今」の中に自分を発見し、『生長の家』を発見しなかったら、『生長の家』は自分からはなれたよそごととして、ついに終る。

     二、「尊師」とは

 尊師谷口雅春先生は明治26年11月22日にお生れになった。厳しい求道の末に遂に神を発見され、生長の家人類光明化運動を起されて50年。そして今年(昭和54年)満86歳になられる。

 しかし、尊師は時間空間中の現象を超えた真の自己、実相の、実在の谷口雅春先生を発見された時に、肉体としての谷口雅春は本来なかったのであると自ら否定してしまわれたのである。それ故、私達が「尊師」とおよびする時、その尊師は実在としての尊師、いま私達の目前に手をふれられる姿でありながら、そのまま永遠の、久遠を流るるいのちとしての尊師なのである。(中略)

 尊師が神の啓示を受けられた時、神の声は最後に次の如く語った。

 「そうだ。肉体イエスを抹殺した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前から生き通しの久遠のキリストが生きてくるのだ。イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である! 今、ここに、久遠生き通しの生命が復活する。今だ、今だ! 久遠の今だ! 今が復活だ! 今を活きよ。」          (『生命の實相』頭注版第20巻136頁)

 さて、この「久遠の今」というのは時間、空間を超越した、万物発生の枢機を握る一点なのであるから、尊師が「久遠の今」をお悟りになったということは尊師が「久遠の今」そのものであるということである。この一切万物発生の枢機を握る一点に立たれた時、キリストも釈迦も古事記も一つの同じ真理を説いていることが解って来たのであった。

 万物は「久遠の今」という中心から発したのであるから当然、真の宗教である限りに於いてすべて宗教は一つに帰るという真の相を発見されたのであった。ここに万教帰一の教えが生れる根拠がある。

 帰一とは「久遠の今」「万物発生の枢機を握る中心」従って「絶対」に帰るということであり、宗教だけではなく一切万有が「絶対」に帰ることを意味する。尊師は「久遠の今」に立たれた故に肉体を超え、現象を超えたいのちとしてのキリストや釈迦を発見されたのであった。

 こうして真理に到達された尊師は、この真理を述べ伝えようとされた。これが地上に「生長の家人類光明化運動」が開かれた誕生の時であったのである。尊師はその時、「今、起て」という神のコトバを聴かれたのであった。地上の「生長の家人類光明化運動」はここから始まったのであった。

 この「今、起て」の「今」とは「久遠の今」のことである。実相に於て、「吾れ」と「今」と「此処」とが一つであるから、「今、起て」とは「久遠の今なる汝よ、起て」ということなのであった。そして「久遠の今」なる尊師が起たれることによって「生長の家人類光明化運動」は始ったのである。「久遠の今」とは光明一元、実相独在のことである。げに「生長の家人類光明化運動」のいのちは「実相独在・光明一元」ということである。

 これが「生長の家人類光明化運動」の始ったお姿であった。現象を完全に否定し、光明一元、実相独在にたちかえられて「光明一元」の生命そのものであられるのが、吾らの拝する尊師なのである。
<つづく>

1992復興G:2013/06/13(木) 22:36:14 ID:AB6RqYXc

<榎本恵吾先生著 『光のある内に』 より つづき>

     三、「人類」とは

 生長の家は「人類」を如何に見るのであろうか。「生長の家人類光明化運動」は「実相顕現運動」であり、既に成れる実在の世界をこの世に持ち来たすという意味では「地上天国実現運動」である。「人類」というコトバは「地上」というコトバに相当する。

 「人間神の子、三界は唯心の所現」という真理において、「人間」は、「全世界」と「一個の人間」との一致点に見出されている。自己と全外界との分裂なき一致点に、その中心に立っていると観じられている。このことは「自分が変れば世界が変る」(「智慧の言葉」)ということを言い表わしているのである。それは「世界を変えるためには自分が変るだけでよい」ということでなければならない。『叡智の断片』の中では、次のように書かれている。

 自分ひとりが浄まったなら、世界は浄まるのである。自分の心がきよまらざる故に世界はきよまらないのだ。自分の心をきよめることによって、全世界を浄めることが出来るのである。 (127頁)

 ここで言われている「浄まる」「浄める」ということは、即ち「救われる」「救う」ということである。「人類」といい、「世界」といい、「全地上」というも、つまりはこのような意味での自分との関係に於ける「人類」ということであり「地上」ということである。あくまでも自分との関係において観ずることをしなければ、遂に自己と外界とが分裂してしまうのである。そして「人類」のことも「世界」のこともよそごとに終らざるを得ないのである。

 われわれは「求道と伝道」、「自分が先か、他が先か」というような問題にぶつかったりして、光明化運動に行き悩みを感じたりするのは、先ず「生長の家」は「人類」を如何に観るか、「地上」というものを如何に観るか、ということを判然としておかなかったからなのである。神とは絶対者であり実相独在の中にのみ存在し給うのであり、そこに分裂というものはない。問題の解決とは、完全なる神がそこに顕現されることであり、その他には問題の解決ということはあり得ないのである。

 「救われる」ためには先ず第一に「生れかわること」「目覚めること」が必要であると教えられている。「生れかわる」とは自己が変ると同時に全世界も変るということを象徴的に表現しているのであり、自己と世界との一如性を知ることを意味しているのである。自己と世界とに分裂なきこと、その位置に立つことによってのみ救われるということが成立することを表現しているのである。(中略)

 光明一元、完全にしていよいよ真の創造活動は大いに進むのである。吾々の創造は実在の創造なのである。ここに立たなかったならば「いつになったら地上天国は実現するのだろう」などと弱音をはき、遂には運動からはなれてしまうのである。「生長の家人類光明化運動」は光明の世界に光明として、神と偕に生きる生活なのである。ここにおいて我々の運動は永遠に続くのである。

        *    *    *

「生長の家人類光明化運動」は菩薩行であり、迷える衆生を救わんとするものである。ここに言われる衆生とは人類のことである。

 しかし、吾々が救わなければならないような不完全な衆生を、神はその創造において存在せしめたのであろうか。そのような不完全なるものを此の世に残している神は、はたして絶対者と言えるのか。その迷える衆生を救うという我らの「人類光明化運動」も、絶対なる神の運動であると言えるのか。ここのところを吟味してみたいと思う。

 衆生を迷うと見れば、神は不完全であることになり我らの運動は絶対なる神の運動ではない。もし衆生が完全であれば、今さら人類救済の運動は必要ではない、ということになる。
<つづく>

1993復興G:2013/06/13(木) 22:37:50 ID:AB6RqYXc

<榎本恵吾先生著 『光のある内に』 より つづき>

 『生命の實相』常楽篇「久遠を流るるいのち」において尊師は次の如く述べられている。

 「衆生本来仏にして、仏は未だかつて迷わず」と断定してしまったのである。かくて「いっさいの人間は仏にして未だかつて迷いしことなし! 迷えると見える五官の我は本来無いのだ!」まことにも、釈迦が悟りを開いたとき「有情非情同時成仏、草木山川国土一切成道」と知ったのもそういう心境ではなかったかと、類推できるのである。
(『生命の實相』頭注版第27巻175〜176頁)

 尊師の観られる衆生とは斯くの如きものである。このことをはずせば、最早や我々の運動は神より始った光明化の運動ということは出来なくなるのである。

 さて、「もし衆生が完全であれば、衆生を救済するための運動の必要はなくなる」と書いたが、しかし、完全であることは静止を意味するであろうか。静止ということは我々に一種の不満を感じさせずにはいない。不満を感じさせるものは、本来完全であることは出来ない。真の完全とは静にして動、一であって多であり、これらが同時に満足されるものでなければならない。

 ここに尊師のお説き下さった「生命の純粋持続」ということを想起しなければならない。これは生命(完全、実相)が自性を失わず、永遠に創造をつづけて行くことである。これは完全が完全し、光明が光明し、生命が生命するという世界である。ここに神は絶対者、完全者でありながら、今に至るもはたらき給うといわれる所以がある。この生命の消息がわれわれの光明化運動の意義であり、根拠である。論文『聖道へ』の中で、

 「完全なるもの」は完全であるがゆえに何も欠乏しない。何も欠乏しないから何も意欲しない。何も意欲しないから何もつくらない、つくらないからつくり主ではない。何か意欲するということは、完全でないしるしである。不完全で足りないから意欲するのである。意欲は欠乏の感じである。完全なるものは意欲しない。したがって「完全なるもの」(真如、神)は何も造らない。『大乗起信論』に「心性は常に無念なり」とは、この宇宙の本質であるところの精神(宇宙精神)の「完全」さを言い現わしたものであろう。
(『聖道へ』271頁。『生命の實相』頭注版第20巻44〜45頁)

 こう言って「神は創造者でない」と否定して了われた尊師が、再び神を宇宙の創造者として認めるに至られたのは、実に「生命の純粋持続」としての神の創造を発見されたからではないか。我等も又、人類を斯くの如く観じ、運動の意義を斯く観ずることによって「生長の家人類光明化運動」を神の動く姿とし、神の永遠の創造の延長とすることが出来るのである。

 戦前版『生命の實相』信の巻(神道篇)に曰く――

 金剛不壊でありながら無限創造の働をする。無限創造と言ひますと、いくらでも造つて行くから今はまだ完成してゐないのだ、不完全な世界だとかういふ風に考へられる方もあるのであります。ところが決してさうではないのでありまして、無限創造といふことを音楽に喩へて考へて見ますとよくわかるのであります。音楽でも無論、下手な音楽と上手な音楽とがありますけれども、仮りに上手なピアノの曲の一小節だけを聴いて見るとしますと、そこに美しい響きといふものがあり、その暫くの継続だけでもそれが完全である、完全であるから美しく感ずるのでありますが、完全であるから次がないかといひますと、決してさうではないのであつて、完全であっても亦その次がある。無限に完全が常に続いて行つてをる、これが無限創造の世界なのであります。

             ○

 ですから實相の生活と言ふものは、『今』の瞬間が一瞬々々完成してゐるのであります。従って吾々が此の世に生きてゐる生活も今の一瞬々々に完成してゐない所の、例へば準備教育を受けて上の學校へ入学する為に『今』の生活を送ってゐると言ふやうな、手段としての生活をしてゐるやうなことでは妄(うそ)なのであります。今この瞬間無限を生きてゐる、完全な生活を生きてゐる、その完全の連続が常に自分の生活でなくてはならないのであります。斯う言ふ生活であつてこそ『朝(あした)に道を聴かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり』の生活だと言ふことが出来るのである。
<つづく>

1994復興G:2013/06/13(木) 22:38:40 ID:AB6RqYXc

<榎本恵吾先生著 『光のある内に』 より つづき>

             ○

 一瞬々々それ自身で完全な生活と申しますと、その生活は自主の生活であり、因縁所生の生活でありませんから、従つて金剛不壊の生活に一致するのであります。因縁所生の生活は金剛不壊ではない、それは相互依存の生活であつて、直に壊れて了ふのであります。この世に因縁所生でない、相互依存の生活でないそんな生活があるかと申しますと、現象世界の生活は凡て因縁所生、相互依存の生活でありますけれども、その因縁所生の生活を送りながらも、その一瞬々々の生活が『久遠の我』を自覚した生活ならば金剛不壊の生活であります。何故ならば『久遠の我』は金剛不壊で壊けやうがないからであります。
(『生命の實相』信の巻・神道篇510頁〜518頁より)


     四、「光明」とは(略)

     五、「光明化運動」とは

 「生長の家人類光明化運動」の「化」という言葉は「実相顕現」の「顕現」という言葉に相当する。「化」という言葉は、対象物をこちらの思うようにだんだんに変化せしめ、働きかける主体の活動を意味する言葉として使われているようである。その意味では、「光明化」とは光明でないものを光明にして行くことになるであろう。しかし、本来光明でないものを光明にして行くということは、「光明一元論」「唯神実相論」に反するものであると言わなければならない。

 ここでいう「光明化されるもの」は当然衆生であるが、衆生は本来仏であり、決して迷ったことのないものであり、この世には迷える衆生もなければ悪しき世界も本来神はつくらないのであるから、衆生を光明化することは成り立たないのである。「唯神実相論」では神のみが唯一の実在であり、人間も神によって創造せられたものであるから、本来光明そのものである他はないからである。
 したがって、「光明化」という言葉は、「本来光明でないものを光明にして行く」という意味ではなく、もっと異った意味に受けとらなければならないことになる。
 尊師は『生命の實相』の中で次の如く書かれている。

 仏のなすべきことは何であるかというと、説法ということであります。そう言うとおかしく聞こえますけれども、「すべてのもの言によってつくらる、言葉は神なり」というキリスト教的立場からしましてもそうなのであります。仏教でも釈迦は『大無量寿経』の説法を終わると、「如来の応に作すべき所の者は皆已に之を作せり」と言われました。成仏するという場合の、「成る」という字は「化る」ではありません。「仏に化る」のでしたら仏でないものが仏に化るということになるのでありますけれども、成仏するというと仏が鳴り出すことなのです。始めからわれわれは仏なのですけれども黙っている。黙っているのは成仏ではないのであります。成仏とは仏が鳴り出すことなのでありまして、天之御中主神が鳴り出してきたらこの蓮華蔵世界が現われたのであります。われわれは始めから仏である。しかし黙っているとまだ成仏していない、仏が鳴り出していないのであります。
(『生命の實相』佛教篇――頭注版第39巻148〜149頁)

 このことは「光明化」という場合に、「化」を「だんだんに変って行く」という意味に解してはならないことを意味している。

 さて、『字源』には、「化」の意味として、「これからだんだんにかわって行く」という意味のほかに、「既にかわりきりたること」と出ている。「生長の家人類光明化運動」に関する限りはこの後者の意味をとらなければならない。即ち、『生長の家』(光明)に光明化され切りたる意味、光明になり切りたる人類という意味である。『生長の家』に光明化されたのならば、それ以前は人間は光明(神の子)ではなかったのであるかという疑問が生ずるかもしれないが、最初に述べたように『生長の家』とは「久遠の今」の別名であり、「久遠の今」は現象の時間空間を超越せるものであるから、光明になり切ったといえども、時間的な経過や空間的へだたりは、人類と『生長の家』との間にはあり得ないのである。
<つづく>

1995復興G:2013/06/13(木) 22:39:47 ID:AB6RqYXc

<榎本恵吾先生著 『光のある内に』 より つづき>

 「久遠の今」は宇宙万物発生の枢機を握る一点なのであり、すべてはここから発し、ここに帰り、一点に巻きおさまっているのであるから、『生長の家』と「人類」とは同時同所、一時一切時、一所一切所、一仏一切仏の消息裡に、ここに今存在するのである。

 それ故、「光明化運動」とは『生長の家』に於いて、久遠の昔から光明になり切っている人類の行うところの運動ということになるのである。「生長の家人類光明化運動」とはまさに「成仏」(仏が鳴り出す)ということに相当するものであったのである。あくまでも光明一元論、唯神実相論上に、光明になり切った絶対自由の絶対主体たる神の子の生命の純粋持続として行われる運動であるのである。このことが神の永遠の構図に於ける創造の延長そのものであるということである。

 ここに於いてすべての人間は光明化運動に於ける絶対の主体者にかえったのである。この主体に還らず、「人類光明化運動」を迷える人間を光明化するのであると思っている以上、それは明暗混淆の二元論であり、迷いである。このような状態ではいよいよ運動熱心にしていよいよ迷いが深くなるようなことになるのである。


     終  曲

 この広大無辺なる宇宙の一点に立って、真の一足を投じてあやまたざる、真の自信ある生活をおくることの出来る者は誰か。それは神の子である。神の子とは「個即全」「今即久遠」をいのちとして生きているものに他ならない。

 創造とは何か。創造とは「久遠の今」の一点が進むことである。これが、尊師の教え給う「生命の純粋持続」ということである。この生命を「光」という。このほかに「光」はなく、創造はない。創造とはそこに価値を産むことである。価値があるとは実在があるということである。実在があるということは神があるということである。

 神は絶対であり、絶対には分裂がない。分裂がないのが「久遠の今」なのである。今と久遠が分裂せず、自己と世界が分裂せず、目的と手段とが分裂せず、今此処に自己と世界が一点に生きて完全であり、しかも無限に創造がなされてゆく。ここに真の「光」の創造的進軍がある。

 「生長の家人類光明化運動にいのちをかける」とは如何なることか。この「今」にいのちを懸けることである。「今」の一点には全宇宙即「生長の家」があるのである。ここにいのちを懸ける道が開かれているのである。それは全宇宙にいのちを懸けることである。

 「御教えの本に還れ」とよく言われるのであるが、実に、生長の家の御教えの本に還り、尊師のいのちに帰るとはこの「久遠の今」に還ることにほかならない。この「久遠の今」の中に日本があり、天照大御神がいまし、天皇がおわしまし、生長の家があり、尊師がおわしますのである。

 尊師がこの世に、『生長の家』誌を出される決心をされたときに聴かれた声は、「今、起て!」という大いなる天徠の声であった。尊師は万物発生の枢機を握る一点において「吾れ」と「今」と「此処」とは一つであるとお説きになられる。即ち、「今」とは「尊師」のことなのである。

 「今、起て!」のことばは万物発生の枢機を握る一点において「吾れ」と「今」と「此処」とが実相全機の現成として響いたのである。そして、実相の世界に於いては永遠に常に「今、起て!」というコトバが全機の働きとして鳴り響いているのである。

 常に、実相の大地に降り立ち、尊師のいのちに参ずるものはこの声を聴くことが出来るであろう。そこにこそ運動の中において一人一人の一挙手一投足に本当の尊師のいのちへの回帰があり、帰命がある。此処においてはじめて本当の意味における尊師のいのち――生長の家人類光明化運動への情熱が吾々各個の中に生まれるのである。
<つづく>

1996復興G:2013/06/13(木) 22:41:07 ID:AB6RqYXc


<榎本恵吾先生著 『光のある内に』 より つづき>

 我々は「唯神実相論」をそのまま信じることを忘れ、現象への妥協や曇った迷いの上に立つとき、『生長の家』に生命を捧げる情熱は湧くものではないのである。それはついに気合か、掛け声に終るのである。あくまでも純一に「実相独在論」への帰命がなければならない。それはあくまでも犯されざる処女が純潔をまもるためにいのちを捨てるがごとくであらねばならぬ。少しでも曇ればたちまちに情熱は失われてしまうのである。

 ここのところを徹底しておかなかったなら、ひとたび縁あって御教えにふれこの組織に参じたものも、尊師のいのちのいのちにまでは、つながらなくなってしまうのである。したがって「実相独在」の「光」を失えば、真の光明化運動はついに終ったことになる。運動が進めば進むほど、「実相独在」の哲理を忘却してはならないのである。

 我々の運動の根拠となるもの、それは生命、実在だけであり、一瞬一瞬に久遠と無限を生きることである。今此処の一点に、宇宙と天皇と日本と世界と久遠とを生きることである。それはどの点においても、そこに完全が、天国がもちつづけられる道である。

 ここにおいてはじめて我々の運動は、地上天国という未来の目的のための手段の生活ではなく、一人一人が今此処に感謝と満足と幸福とを得ながら、更にその幸福を増していく生活がある。増していくといえども、次の瞬間よりも今の瞬間の方が不完全であるということではない。完全がもち続けられているのが「生命の純粋持続」であり、それが神の子の生活である。

 人が生きるとは、絶対が生きることであり、絶対が生きるとは実相独在を生きるということであり、実相独在をもち続けることが生命の純粋持続ということである。この他には、光明というものはなく、光明化運動というものはなく、創造というものはない。けだし、実在以外は「無」であるからである。

 生長の家のみ教えは最高最大でありながら、そのみ教えをいただく我々の人類光明化運動に真そこからの情熱がわいて来ないことがあるというのは、我らの運動が、み教えの骨髄、尊師のいのちのいのちである「実相独在」「唯神実相」そのままの展開として、尊師のいのちのさきはえとして自覚されていず、尊師と我々との間にいのちの断層があったからではないか。この意味でいのちの一元化された組織体系、運動体系が出来ていなかったからなのではないか。今こそ、「実相独在」の尊師のいのちをそのままに運動の骨髄としたいのちの組織、いのちの運動を展開するのだ。

 一切万物発生の枢機を握るこの一点、「久遠の今」から一切は発したのである。それ故全宇宙が此処にあり、一切の学問も運動も文化も、歴史も、個人一個の呼吸もここから生れ出て来たのである。ここに創造の本源があり、永遠なる光明化運動の基点がある。ここに生命体系、実在体系としての文化体系の発する根拠がある。ここに立って動くとき、それがそのまま体系者としての道を歩んでいるのである。

 私達一人一人が実在そのものであり、神そのものである。このことを教えられている私達にはもはや後退ということはあり得ない。金剛不壊の実在の巨歩があるのみである。私達が実相であり、金剛不壊であり、巨歩そのものであるから。そして、祈りそのもの、神想観そのものの生きて歩む姿としての人類光明化運動が今、此処に立っているのである。それが、今ここに「住吉大神の全身全霊として生きる」ということなのである。

<榎本恵吾先生著 『光のある内に』 より 完>

1997復興G:2013/06/13(木) 22:53:15 ID:AB6RqYXc

たいへん長文の投稿になってしまいました。

最後までお読みくださいました皆さま、本当にありがとうございました。

谷口雅春先生の「久遠の今」ご講義のYouTubeと、この『光のある内に』を合わせて繰り返しご覧・お読み頂くと、きっと新境地が開けてくることを信じ、皆さまの魂の飛躍と、限りない喜びの生活、ご多幸をお祈りいたします。

ありがとうございます。

1998「訊け」管理人:2013/06/14(金) 08:21:42 ID:???


 復興Gさまご投稿文を、拝読しております。素晴しい御文章でありますので、皆さんにも精読をお勧め致します。いや、この箇所を拝読くださる方が増えれば、無用な争いなどもなくなりましょう。さらには、この榎本先生の御文章こそが、「雅春先生のご遺志を継ぐこと」とも、なりましょう。さて、もうすぐ6月17日が参りますが、この資料をここで以下の様に、まとめてみたいと思います。




>>1970より

○ すべての病人である。神想観が足りないという病人も、愛行が足りないという病人も、「聖典」を読むことが足りないという病人もすべてのすべての病人が立つことが出来るのである。
○ われわれは、宗教によって罪と病と死との三暗黒を消してから、光りとなるのではないのである。我というものを消してから光となるのではないのである。そんなものははじめから無いのである。
○ そんなものを放っておいて、そのまま“神の子です”と光の中に飛び込んだときに、そのあとで、罪と病と死との三暗黒は消えるのである。
○ この喜びはどこから出て来ているのか。この喜びはどこからも出で来たらず。或る日、忽然として、久遠の今、今、ここに自分のいのちの中から出で来たるのである。
○ 光明化をやってからという、ある時間の後、ある空間的条件をととのえたときにという外の条件によらず、自ずから立っている喜びである。常立ちの、自ずから立っている喜びが火の正体なのである。


>>1971より

○ 状況の上に立って運動を展開すると、光明一元論を全力的にうち揮(ふる)えなくなる。
○ “いくら光明一元でもそれを知る人の数がこれだけという状況では”ということになって、力を抜かれ、きばを抜かれてしまうのである。情熱が出なくなる。
○ それはまた、尊師への堅信の喪失でもある。
○ 人間を見抜くという。本当に人間を見抜いたならば神の子が見えるのである。世界を本当に見抜いたら極楽が見える。
○ 尊師が宇宙を見抜かれたとき、天地一切は大調和であったのである。

>>1973より

○ 尊師が一見、現象の危機をとらえていられるかのように見えるのは、それは、現象の不完全性を、無常性を即ち非道を、即ちそこには“何も無い”“あるのは神のみ、光明のみ”の世界を指し示されているのである。
○ 尊師の開かれ給うた世界には、光明しかないのである。すべてのものの仏なる姿を祝福されて、お拝みになり給うて、その拝みの合掌のかがやきの姿としてここに『生命の實相』は輝やいているのである。
○ それだからこそこの『生命の實相』は、「あなたはこれを読まなければ救われませんよ。神の子になれませんよ。」という姿をしていないのである。

(つづく)

1999「訊け」管理人:2013/06/14(金) 08:22:27 ID:???

(つづき)

>>1988より

○ (榎本惠吾先生は)どうしても心が明るくなれず、『生命の實相』ばかりに読みふけり、二十日も授業を受けに出ず四畳半の間借部屋で懊悩していた。
○ 私はそのころ、青年会の運動がどうしてこのように無常なのか――会員が集っては散って行く、その度に一喜一憂する――と、はじめてこの世に「常恒なるもの」を求めはじめたのであった。
○ この一喜一憂を越えて常恒なる平安に達するには、現象的な運動を“無”と否定して、それへの執着を断たなければならなかった。――そこにこそ霊の選士同士の嫉妬も消えるのである。“ある”と思うからこそ執着するのであるから、“無し”と否定すれば執着が消えるのである――という声が自分の中でした。



>>1989>>1990より

○ 私はここに永遠につづく「生長の家人類光明化運動の楽的展開論」を試みようと思う。人類光明化運動に真剣にとり組み、一生をこの運動に捧げようとする者は、常にその運動の根本を、本源をつかもうとする。そこから運動への真に永続的な情熱と力と未来への展望が生れるからである。(>>1990につづく)
○ (白鳩会教区連合会長談)「天地の初発(あめつちのはじめ)に立ちて―人類光明化運動の楽的展開論」この表題を見た時、私は飛び上がらんばかりに喜びました。


>>1991>>1992より

○ 『生長の家』とは何か。それは自分のいのちのことである。「久遠の今」(Eternal Now)において、万物はこの一点におさまっているのである。そして、自分のいのちが「今」「此処」にあれば、『生長の家』も「今」「此処」にあるのである。
○ 「尊師」とは何か。久遠を流るるいのちとしての尊師なのである。
○ 「人類」とは何か。(長文のため>>1992ご参照)
○ しかし、吾々が救わなければならないような不完全な衆生を、神はその創造において存在せしめたのであろうか。そのような不完全なるものを此の世に残している神は、はたして絶対者と言えるのか。その迷える衆生を救うという我らの「人類光明化運動」も、絶対なる神の運動であると言えるのか。ここのところを吟味してみたいと思う。(>>1993へつづく)


>>1993より

○ 尊師の観られる衆生とは斯くの如きものである。このことをはずせば、最早や我々の運動は神より始った光明化の運動ということは出来なくなるのである。
○ 「もし衆生が完全であれば、衆生を救済するための運動の必要はなくなる」と書いたが、しかし、完全であることは静止を意味するであろうか。静止ということは我々に一種の不満を感じさせずにはいない。不満を感じさせるものは、本来完全であることは出来ない。真の完全とは静にして動、一であって多であり、これらが同時に満足されるものでなければならない。


>>1994より

○ 「光明化運動」とは
○ 「生長の家人類光明化運動」の「化」という言葉は「実相顕現」の「顕現」という言葉に相当する。「化」という言葉は、対象物をこちらの思うようにだんだんに変化せしめ、働きかける主体の活動を意味する言葉として使われているようである。その意味では、「光明化」とは光明でないものを光明にして行くことになるであろう。しかし、本来光明でないものを光明にして行くということは、「光明一元論」「唯神実相論」に反するものであると言わなければならない。


>>1995>>1996より

○ 「人類光明化運動」を迷える人間を光明化するのであると思っている以上、それは明暗混淆の二元論であり、迷いである。このような状態ではいよいよ運動熱心にしていよいよ迷いが深くなるようなことになるのである。
○ この広大無辺なる宇宙の一点に立って、真の一足を投じてあやまたざる、真の自信ある生活をおくることの出来る者は誰か。それは神の子である。神の子とは「個即全」「今即久遠」をいのちとして生きているものに他ならない。
○ 「御教えの本に還れ」とよく言われるのであるが、実に、生長の家の御教えの本に還り、尊師のいのちに帰るとはこの「久遠の今」に還ることにほかならない。この「久遠の今」の中に日本があり、天照大御神がいまし、天皇がおわしまし、生長の家があり、尊師がおわしますのである。
○ 我々は「唯神実相論」をそのまま信じることを忘れ、現象への妥協や曇った迷いの上に立つとき、『生長の家』に生命を捧げる情熱は湧くものではないのである。それはついに気合か、掛け声に終るのである。
○ 人が生きるとは、絶対が生きることであり、絶対が生きるとは実相独在を生きるということであり、実相独在をもち続けることが生命の純粋持続ということである。この他には、光明というものはなく、光明化運動というものはなく、創造というものはない。


<了>

2000「訊け」管理人:2013/06/14(金) 08:31:34 ID:???

 ・・・・今回の誌友会ですが、大胆にまとめますとこんな感じです。皆さんの意見をお願い致します。

――――――――――――――

<司会者まとめ>


○  起つとは、「久遠の今に起つこと」である。

○ 第一義(「久遠の今」)を軽んじて第二義(現象面の争い)のことばかりに力を入れているのでは、生長の家出現の意味はない

――――――――――――――

 そして、「聖典を拝読すること」が最も大切なことだと、思いました。




2001復興G:2013/06/14(金) 09:45:30 ID:AB6RqYXc

「訊け」管理人様。

榎本恵吾先生のご文章を箇条書きにして読みやすく掲示してくださり、感謝します。

榎本先生がこの文章を書かれたのは、『理想世界』百万運動などで、「生長の家」の運動にいのちを懸けよう!と激しい運動が行われていたときでしたが、そのときに

 「生長の家人類光明化運動にいのちをかける」とは如何なることか。この「今」にいのちを懸けることである。「今」の一点には全宇宙即「生長の家」があるのである。ここにいのちを懸ける道が開かれているのである。それは全宇宙にいのちを懸けることである。

と、叫び、歌っておられたのでした。

合掌

2002「靖国見真会」参加者:2013/06/14(金) 13:23:27 ID:0PL7dBUs
「復興G」様へ

》1927 :復興G:2013/06/11(火)に対して

こちらこそ、返事が遅くなりました。

「復興G」様の投稿を読みましたが、それでも私は「ドンキホーテ」との引き方に違和感を覚えるものであります。

だって、「ドンキホーテ」とは、風車に突進するのでしょ?

突進する、これは行動ですよね。

「復興G」様は、どんな行動をとったというのでしょうか?

》私にとっての「ドンキホーテ」について、ちょっとだけ書かせて頂きます。
私は、教団派からも、本流派からもひどく攻撃されたり、嘲笑されたりしながら、相変わらず「大調和」の「和解」だけを信じて、突っ走っているドンキホーテなのであります。《

いつも不思議でならないのは、「和解」派は、教団からどんな仕打ち、憂き目にあっているのか、それがさっぱりわからない、ということであります。

「谷口雅春先生を学ぶ会」に入ったら、「八ヶ岳教団」の対応は全然、違いますよ。

地方講師は辞めさせられるは、永代供養の資格すら剥奪されます!

最近は、皆さん、それを重々、承知の上で、覚悟の上で入会されています。

「復興G」様は、どんな犠牲を払っていると言うのですか?

》教団派からも、本流派からもひどく攻撃されたり、嘲笑されたりしながら、

そう書いていますが、具体的に、「復興G」様が教団派からどんな攻撃を受けているのか、まず、それをぜひ、教えてください。

出講ができなくなっていますか?

教化部から呼び出されて、口頭試問でも受けたことがあるのですか?

それがあってのことであれば、「ドンキホーテ」という言い方にも、私なりの了解はいたします。

しかし、「復興G」様はこうも言っていますよね。

》「訊け」さんのように、「和解せよ」「和解せよ」「和解以外に何があるか」と口では言いませんが、「すでに和解している」実相だけを信じて、それ以外に生きる道はないと、馬鹿の一つ覚えのように思い続けて、やってきました。《

口で言わず、思い続けている…?

それのどこに「ドンキホーテ」を名乗るだけの〝行動〟があるというのですか?!

何を申し上げたいか。

「復興G」様の生き方と「ドンキホーテ」のそれとは違う、そう言いたいということです。

2003復興G:2013/06/14(金) 14:05:50 ID:AB6RqYXc

>>2002 :「靖国見真会」参加者様。

そうかも知れませんね。

私はドンキホーテというよりは、古代ギリシャの哲学者ターレスかも知れませんね。

ターレスは、いつも天を仰いで星の秘密を探ろうとしていたが、足下の穴に気づかず、穴に落ち込んでしまった。これを見ていたトラキアの娘が大いに嘲笑したという伝説があるということですが、こういう大馬鹿なターレスみたいなものかも知れません。

それはともかく、「靖国見真会」参加者さんは、私の>>1988>>1996の投稿文を読んで頂いて、どう思われるか、そういうことを伺いたいです。

合掌

2004「訊け」管理人:2013/06/14(金) 14:24:37 ID:???


>>2002靖国殿


 ご投稿大歓迎です。

 さて、復興Gさまご登場をお待ちする間に、〝普段は温厚な〟貴殿に質問をさせて頂きます。質問と申しましても之は、以降の復興Gさまとのやり取りに、関連するものであります。で、その質問とは他でもない、「行動」なる用語に関してです。

 これは一度、定義された方が良いと思われます。

 いや、一見すると貴殿のそれ(「行動」の用語)は、〝生長の家で申されるトコロの〟行動とは、別概念のような気がするのです。ですので、議論錯綜の予感を覚えます。そこで以下、問いかけます。当方に誤読箇所あらばご指摘賜りたく思いますが、貴殿の〝行動〟とは(要するに)「リスクを取れよ」と云う、そんな話なんでしょうか。そして、「辞めた人間はリスクを取っている」など、そんな話が御主張なのでしょうか。


 ・・・・・・ところで以下、雅春先生の御文章を引用致します。以下は光明思想社という会社から出版された、『古事記と日本国の世界的使命』という本からの御文章です。そこには、こうあります。



∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

『古事記と日本国の世界的使命』159頁より謹写――

 吾等は新日本の前途に就いて毫(ごう)も不安を感じることは要らないのであります。若し憂慮すべしとするならば、三界は唯心所現でありますから、この新日本の実相を信じないで、我国の前途に就て、不安憂慮の声を洩らし、国民の意気を沮喪(そそう)せしめ、国論の団結を破壊してしまう種類の人であって、かかる人は『憂国の人』のように見えましょうとも国民の一致団結を破り、日本の実相の顕現の日を遅らせる働(はたらき)をする人ですから注意せねばなりません。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


 さて貴殿に問いますが、この箇所 ―― くどいが、光明思想社という会社から出版された、『古事記と日本国の世界的使命』という本からの御文章 ―― ですけれども、この点はご同意されますか。この、雅春先生の御主張ですけれども、この点にはどの様な感想をお持ちでございますか。(むろん上記御文章の「日本」を「教団」と置き換えられてもよいと思いますので)・・・たぶん、ここの点などに触れられてその、貴殿ご使用の「行動」なる用語ですが、明確にして下さると助かります。議論錯綜の幅を、「最小限にするでしょう」と云う、まあ、そんな意味になります。



追伸

 また、生長の家で云うところの「行動」とは、一例を挙げれば>>1840になると思います。雅春先生は行動に関して、既に『古事記と現代の預言』の中で、かくおまとめになられておられます。今後の復興Gさまとのやり取りの際のご参考に、掲載致しました。

 またさらに、もう一点。貴殿から復興Gさまに発せられた「Gさまはどんな行動をされた?」ですが、これに関して。・・・・・トキさんもそうですが、教団に残られた方って「それはそれは個人救済に特化され」て、おられますよ。(私が知る限りの方は)で、「どんな行動したの?」と問われれば、その、救済した例を提示すれば話しは、終了すると思います。ですが、そんなことはWEB上では「できない」ですよね。(身バレ防止のため)ですんでこの、「どんな行動をされた?」という質問は、やや返答が難しくなるものかも、しれませんね。

2005復興G:2013/06/14(金) 15:29:49 ID:AB6RqYXc

>>2004 :「訊け」殿。

私は、「ドンキホーテ」でないことは、認めました。

「大馬鹿なターレス」で行きますので、穴に落ちた時は、助けてください。

合掌

2006「靖国見真会」参加者:2013/06/14(金) 15:40:42 ID:0PL7dBUs
「復興G」様、「訊け」さんへ/その1

私は、『解放への二つの道』にある「信仰の行動化による人類・国家の救済」(『信仰の活人剣』73〜77頁所収)が、とても大事だと感じている一人です。

その締め括りの言葉はこれです。

》人類救済は論議の時代ではなく運動の時代に入っているのであります。

何で、ここを引用したのか、分かる人には分かるでしょう。

「論議」したい人は、いくらでもしたらいい。

しかし、私は「運動」をしたいのです。

そのための場として私が選んだのが「谷口雅春先生を学ぶ会」であったということです。

私は、教団を離れて、日本国実相顕現運動・人類光明化運動を「谷口雅春先生を学ぶ会」という場で展開することこそが、最も谷口雅春先生のご遺志に叶うものだと判断して、ここに身を投ずる覚悟をいたしました。

その判断と行動とが、本当に尊師のご遺志に添うものであるかどうかは、すべて、今後の自らの生き方で決まると思っております。

それこそ自己責任の世界だと思っております。

誰かが、その道で一点突破をはかれば、きっとその道を継いでくれる人もあるでしょう。

「あとに続く者あるを信ず」

三島由紀夫の言葉が大好きです。

そういう私から見れば、「復興G」様とは生き方が全然、違う。

それを言いたかっただけです。

何もリスクを伴う行動しか行動とは認めない、そう言っているのではありません。

谷口雅春先生の教えをどう護るか、その状況認識から、危機感、運動の方法論まで、全然、違うということを申し上げたかったわけです。

2007「靖国見真会」参加者:2013/06/14(金) 15:43:19 ID:0PL7dBUs
○「復興G」様、「訊け」さんへ/その2

因みに、『古事記と現代の預言』第十一章については、以前、「解説者」さんとのやりとりで書いたことがありますので、それを再録することにいたします。

》1010 :「靖国見真会」参加者:2013/04/18(木)

〈「解説者」さんへ①〉

回答、ありがとうございました。

折角、書いていただきましたが、残念ながら、私に言わせれば、貴兄の述べたことは“空論”でしかありませんね。

よろしいですか。

貴兄が安東先生の名前を出したから、それで言いますが、安東先生が「真理を生きる」4月号の《編集後記》でこう書いておられます。

》谷口雅春先生が天皇国日本の護持の爲、ご建立になったのが龍宮住吉本宮。
 その大祭の時、信徒が誓う『誓願券』は最初、次の言葉でした。

『私は鎮護国家・日本国実相顕現を誓願し人類光明化運動に邁進致します』

 それが尊師昇天後、変えられました。

『私は宇宙浄化・鎮護国家を誓願し世界平和実現のために邁進致します』

 そして4月より又変えられました。

『私は神・自然・人間の大調和による宇宙浄化・世界平和を誓願致します』

 ここには「鎮護国家」も「日本国実相顕現」も「人類光明化運動」もありません。
 単なる環境・平和の誓願券です。
 ああ!!尊師の御教えはどこに行ったのでしょう。《

この教団の現実に対して、どうするのですか…?

それが最も重要なポイントなのです。

少なくとも、私の言動のすべての原点は、ここにあります。

谷口雅春先生の教えをここまで変えてしまった谷口雅宣総裁に、唯々諾々と従うことは、私の「信仰」が赦さないのです。

はっきり言って、貴兄の論は、甚だ失礼ながら、外野席でヤジっているのと何の変わりもありはしません。

実際に、グラウンドでプレーすべきだし、やってみるべきなのです。

2008「靖国見真会」参加者:2013/06/14(金) 15:46:12 ID:0PL7dBUs
「復興G」様、「訊け」さんへ/その3

》〈「解説者」さんへ②〉

具体的にいいましょう。

折角、貴兄が引用してくれたから、それにもとずいて、書くことにしますね。

〉一、常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)を啼かす。
 (常住不変の實相世界の真理を宣布する)

…谷口雅宣総裁が、古事記をはじめとして、「天皇信仰」を学ぶ機会を奪い去ったので、『古事記と日本の世界的使命』を発刊し、また『新編生命の實相』、「聖経」を出版し、真理宣布に務めています。具体的に教団に対峙して戦っています!

〉二、鏡を作りて中枝(なかつえ)に繋(か)ける。
 (現象的あらわれを心の鏡として、自己反省して心を改める)

…「谷口雅春先生を学ぶ会」への様々なご意見、ご要望等を謙虚に反省し、それを随時、「谷口雅春先生を学ぶ」誌に反映させてきました。タイトルも、教団批判書というこれまでのイメージを刷新し、コンセプトを「神癒と悦びあふれる月刊誌」として編集しています。日々、精進。日々、成長。無限向上の道を歩もうとしています!

〉三、弥栄(やさか)の眞輝珠(まがたま)を作りて、それを上枝(ほつえ)に繋ける。
 (實相世界はすべての魂が真に輝いていて美しく、各々の魂は孤立分離していないで、一つの玉の緒によって統一された大調和の世界であることを観ずる)

…谷口雅春先生は、一代であれほどの組織をつくられました。尊師に学んで「谷口雅春先生を学ぶ会」も、大きな組織力をつけていきたいと思っています。そのために、今、支部拡大、拠点拡大に尽力しています。点を線に、線を面にして、谷口雅春先生の教えでつながるネットワークをつくろうとしています。おかげさまで、ブラジルにまでその火が燃え広がっています!

〉四、實相世界の眞栄木(まさかき)を根こじにこじて現象界に移植する。
 (現象が如何に暗黒に見えていても其の暗黒を見ないで、實相の根元世界の光明遍照の有様をジッと観ずる)

…「日本橋道場」では、毎朝、6時30分から、「早朝行事」を実修しています。信仰団体が、朝の行をしなくなったら終わりです。今の教団がダメなのは、早朝行事をしなくなったからだとすら思っています。実相を常に観ずる、宗教行の実践なくしては、“神意”など聞こえよう筈がありませんから!

〉五、白和幣(しろにぎて)、青和幣(あおにぎて)を作って下枝(しずえ)につける。
 (人に接するに、必ず和顔愛語の布をもって柔らかく包んで接する)

…「谷口雅春先生を学ぶ会」では、神癒祝福祈願に個人指導を行っています。教団が「救う」ことを放棄している今、それを批判するだけではいけない、それだったら自らそれをやらなくてはならない、そう思っているからです。口先だけの批判では、人はついてはきませんから!

2009「靖国見真会」参加者:2013/06/14(金) 15:47:00 ID:0PL7dBUs
「復興G」様、「訊け」さんへ/その4

〉六、太御幣(ふとみてぐら)を奉祀して祝詞をあげる。
 (〝大生命〟及び祖先の生命をお祀りして聖経又は祝福の祭文を読誦する)

…「谷口雅春先生を学ぶ会」では、「聖使命菩薩会」という制度を設け、毎月一日、感謝祝福祈願祭を執り行っています。また、先祖供養も実修するようになりました。変な「経本」なんかで供養されたらたまらないということで、教団にいる信徒の皆さまもどんどんこちらに霊牌を送って下さっています。有り難いことです!

〉七、天手力男神(あめのたぢらおのかみ)をして待ちもうけさせる。
 (機会をはずさず断行の決意をする)

…谷口雅春先生は、宗教が政治に関わることのデメリットを承知しつつ、敢えて、政治に関わる道を選ばれました。生長の家は、生活の全面を光明化する教えです。「全面」というわけですから、政治の世界だって光明化されなければならないのです。そして、政治を通して、人のいのち、国のいのちを救うべく起ち上がっていかれました。その尊師の御心を思うならば、当然、政治に関わらなくてはならない筈です。だって、正統憲法実現、優生保護法改正は谷口雅春先生のご悲願だったのですから!

〉八、天之日影(あめのひかげ)を手次(たすき)にかけ、天之眞拆(あめのまさき)を鬘(かずら)として……云々。
 (心を空しく、雑念妄想を無くして、心が裸になって、神のお導きを待つ)

…「谷口雅春先生を学ぶ会」が組織力をつけて、政治をも変えていくだけの力をもつには、常に、神様の御心を聞く姿勢が何より、求められます。「政治」の怖さを知らない、政治に手を染めるな、そういう声があるのも充分に承知の上です。しかし、それでもやらなくてはならないのです。谷口雅春先生のお志しを実現する、そのために私どもは「谷口雅春先生を学ぶ会」に集まっているのですから!

〉九、踏みとどろかし、神懸(かんがか)りする。
(いよいよ、神霊来臨したまい、何を為すべきかを指示し給う。その指示のまにまに、自然に行動する)

…民主党政権によって、日本は隣国から本当に舐められてしまいました。国家主権がこれほど冒瀆されたことはありませんでした。その根っこにあるのが占領憲法なのです。そもそも占領憲法そのものが国家主権が著しく縛られた占領期間中に「押しつけられた」ものなのですから、当然といえば当然のことなのです。その「占領憲法」に一矢報いる、またとないチャンスが安倍政権でやってきたわけです。安倍政権に対して、とやかく言う人に逆に問いたい。安倍政権以外で、真っ向に憲法を問う人がどこにいるのか、と。つまり、安倍政権に難癖つけたがる人は、谷口雅春先生がどれほど占領憲法を批判なさったか、その尊師の悲しみがわからない人なのだと私は思っております!

〉十、八百萬(やおよろず)の神共に咲(わら)いき。
(暗い表情を棄てて、既にあたかも光明が輝き出たのを悦ぶ如く、明るい笑顔をもって行動する)

…それだからと言って、決して悲愴感にくれていてはいけません。生長の家は徹底した、光明思想であります。「谷口雅春先生を学ぶ会」の行事は、いつも笑いが溢れています。希望に輝いています。それが何よりの特長であるとすら自負しています。だから、どんどん会員が増えていっているのだろうと思ってもおります。明るくなければ「谷口雅春先生を学ぶ会」ではありません。そんな思いでやっております!

以上、具体的にプレーしている側から申し述べさせていただきました。

2010復興G:2013/06/14(金) 23:05:49 ID:AB6RqYXc

>>2006:「靖国見真会」参加者 様

>>私は「運動」をしたいのです。
そのための場として私が選んだのが「谷口雅春先生を学ぶ会」であったということです。
私は、教団を離れて、日本国実相顕現運動・人類光明化運動を「谷口雅春先生を学ぶ会」という場で展開することこそが、最も谷口雅春先生のご遺志に叶うものだと判断して、ここに身を投ずる覚悟をいたしました。
その判断と行動とが、本当に尊師のご遺志に添うものであるかどうかは、すべて、今後の自らの生き方で決まると思っております。
それこそ自己責任の世界だと思っております。<<

――お気持ちは、わかりました。

ところで、私の立ち位置、私の思いをもう少しわかっていただきたく、書かせて頂きます。

>>1990で書かせて頂いた東京の二葉美代さんは、教区連合会長退任後も「みすまる道場」というのをつくって、平成20年9月に90歳で倒れられるまで毎朝の早朝神想観、毎月1回熱気に満ちた「古事記」講義の勉強会、母親教室、生命学園などを続けられ、20年12月に天寿を全うして昇天されましたが、同年10月に次のような(古事記講義)終講のことばというのを勉強会参加者の人たちに送られました。

          ○

   終講のことば         二葉 美代

 合掌 ありがとうございます。
 皆様には毎月近くから遠くから愛深くご参集下さいまして 勉強会を盛り上げて頂き 誠にありがとうございました。お蔭様で長いことうれしい たのしい会が続けられましたことを心から感謝申し上げます。

 ご存知の通り 九月二十六日のみすまる勉強会の日 どうしたことかピタリと声が出なくなり 勉強会を続けることができなくなりました。まことに申し訳御座いませんでした。
 どうぞお許し下さいませ。本当に長い間 ありがとうございました。

 さてこの勉強会は、戦後の乱れた日本を何とかして昔の愛国一本に澄み切った心の国にもどしたいと 谷口雅春先生の燃える様な愛国の書 『古事記と現代の預言』・『限りなく日本を愛す』・『国のいのち人のいのち』・『美しき日本の再建』等々をテキストに致しまして 世界の光明化 日本国実相顕現を標榜して始めたものでございます。

 世界に比類なき真理国家日本を本当に知ること これが大切と 天地初発の真理より しっかりと学んで参りました。

 しかし、このたび『限りなく日本を愛す』のご本のなかに

 新しい人生を作り出す基礎は 過去を捨てる諸君の能力にある。
 敗戦の日本なし、実相の日本のみ独在す、真の愛国心は、この実相日本を礼拝する心にほかならないのである。実相のみを愛し 実相のみを観てゆけばよいのである。人類光明化運動も 愛国運動も 暗黒を認めた上でそれを消すための運動ではないのである。
 暗は、本来ない 現象は本来ない、唯光明があるだけ
 現象の日本なし 実相の日本のみ実在す 真の愛国心とは、この実相日本を礼拝する心にほかならないのである。

……とございました。

 ダメになった日本を良くしようと始まった私たちは間違っていました。それをしっかり観じられる私たちでなければなりません。

 でも 私一人が観じても どうなるものでもないと仰いますますか?

 谷口雅春先生は、一人が悟れば世界が悟ると仰せになっていらっしやいます。

 世界は、一つ生命の展開です。自分が宇宙の中心であり そして全てなのですね。

 まだまだ学ばねばならぬことが山ほどありますが 残念です。

 どうぞ皆様 今後ともしっかりと実相独在の日本を観じ続けて下さいませ。       合掌

  日の本の天壌無窮の弥栄を
    いのちをかけて護れ継ぐ人

<つづく>

2011復興G:2013/06/14(金) 23:06:24 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 平成23年12月、「故 二葉美代先生 三年祭」というのが有志発起人の呼びかけで金町の大きな会場で行われ、教区白鳩会の現あるいは元連合会長をはじめ錚々たる役員の方たちはもちろん、近隣教区の方も含め、二葉先生を慕うたくさんの人たちが集う熱気溢れる三年祭になりました。「二葉先生、大好きです!」と御霊前で叫ぶ人もいて、いかに二葉さんがたくさんの人たちから慕われていたかがわかりました。

 このときに、前記の「終講のことば」というのも、プリントして参加者に配られたのでした。


 ≪ダメになった日本を良くしようと始まった私たちは間違っていました。それをしっかり観じられる私たちでなければなりません。

 でも 私一人が観じても どうなるものでもないと仰いますますか?

 谷口雅春先生は、一人が悟れば世界が悟ると仰せになっていらっしやいます。

 世界は、一つ生命の展開です。自分が宇宙の中心であり そして全てなのですね。≫

 これは、とても思い言葉であると、私は思います。

 谷口雅春先生は、昭和43年の参議院選挙のあと、生政連活動の凍結を決断され、
「聖胎長養のため宗教に専念せん」と『明窓浄机』にお書きになりました。

 この「聖胎(しょうたい)長養」とは何か。

 「聖胎」は仏の種子、仏となり得る種を宿すことをいう。
 禅宗においては、見性(けんしょう=悟り)を得た心身をさらに長く養い、悟りを育てる悟後の修行を「聖胎長養」という。

 白隠はその法語で、永遠の「悟後の修行「を」勧め、たとえ悟りを得ても菩提心がなければ魔道に堕(お)つと説く。菩提心とは上求菩提(座禅・公案の修行)と下化衆生(人を助ける法施)の実践、それが菩提心であると説いた。

 谷口雅春先生は、

   ◆『選挙戦を終りて 更に聖胎長養のため
   宗教に専念せん』◆

 と題して

≪ 政治の一面は権力争闘であるから、そして権力は数の獲得によって得られる。従って政治に重点をおくとき、そうなるのは無理もないことなのである。鳩山一郎氏が生長の家に熱心で、総理大臣であった頃、私は立候補を思い立ったことがあったが、鳩山薫夫人が「先生のような宗教家はいつまでも清らかでおってほしい。政界へ出てはいけない。政界ほど複雑できたない処はないから」といって止めて下さった。それで私は政界へ出ることをそのとき思い止まったのであった。

 今、私は今度の参院戦で勝利を得て、勝に乗じて尚進んで政治戦に盡くすべきか、暫く退いて宗教の純粋圏に止まるべきかについて考えをめぐらすとき、“今暫く退いて宗教の純粋圏のサークルをもっと大きくすることに力を盡くすべきだ”と思わずにはいられないのである。≫

 と、昭和43年10月号の『明窓浄机』にお書きになっているのであります。

 私は、今、この「聖胎長養」に専念する時であると考えます。
<つづく>

2012復興G:2013/06/14(金) 23:07:30 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 それは、榎本恵吾先生が、

   天地(あめつち)の初発(はじめ)に立ちて
    ――人類光明化運動の楽的展開論――

として、

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

○ 神は絶対であり、絶対には分裂がない。分裂がないのが「久遠の今」なのである。今と久遠が分裂せず、自己と世界が分裂せず、目的と手段とが分裂せず、今此処に自己と世界が一点に生きて完全であり、しかも無限に創造がなされてゆく。ここに真の「光」の創造的進軍がある。

○ 「生長の家人類光明化運動にいのちをかける」とは如何なることか。この「今」にいのちを懸けることである。「今」の一点には全宇宙即「生長の家」があるのである。ここにいのちを懸ける道が開かれているのである。それは全宇宙にいのちを懸けることである。

○ 「御教えの本に還れ」とよく言われるのであるが、実に、生長の家の御教えの本に還り、尊師のいのちに帰るとはこの「久遠の今」に還ることにほかならない。この「久遠の今」の中に日本があり、天照大御神がいまし、天皇がおわしまし、生長の家があり、尊師がおわしますのである。

○ 我々は「唯神実相論」をそのまま信じることを忘れ、現象への妥協や曇った迷いの上に立つとき、『生長の家』に生命を捧げる情熱は湧くものではないのである。それはついに気合か、掛け声に終るのである。

○ 人が生きるとは、絶対が生きることであり、絶対が生きるとは実相独在を生きるということであり、実相独在をもち続けることが生命の純粋持続ということである。この他には、光明というものはなく、光明化運動というものはなく、創造というものはない。

○ 尊師がこの世に、『生長の家』誌を出される決心をされたときに聴かれた声は、「今、起て!」という大いなる天徠の声であった。尊師は万物発生の枢機を握る一点において「吾れ」と「今」と「此処」とは一つであるとお説きになられる。即ち、「今」とは「尊師」のことなのである。

○ 「今、起て!」のことばは万物発生の枢機を握る一点において「吾れ」と「今」と「此処」とが実相全機の現成として響いたのである。そして、実相の世界に於いては永遠に常に「今、起て!」というコトバが全機の働きとして鳴り響いているのである。

○ 常に、実相の大地に降り立ち、尊師のいのちに参ずるものはこの声を聴くことが出来るであろう。そこにこそ運動の中において一人一人の一挙手一投足に本当の尊師のいのちへの回帰があり、帰命がある。此処においてはじめて本当の意味における尊師のいのち――生長の家人類光明化運動への情熱が吾々各個の中に生まれるのである。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

――と書かれている、その道一筋に突き進むことであると信じているのであります。

2013復興G:2013/06/15(土) 07:10:09 ID:AB6RqYXc

「靖国見真会」参加者 様

靖国様も、私も、めざすとことろはおそらく同じなのだと思います。

ただ、現在の行動・運動の出発点を 「實相独在」 なる 「久遠の今」 とするか、それとも現状の 「危機感」 からの出発とするか、その違いがあるだけで、

めざすところは谷口雅春先生のお説きくださった中心帰一の神の国の実現、日本の実相顕現ということでしょう。

今いるところはどこであっても、私たちは神においてもともと一つであること、その意味では分かちがたく一体であることは間違いありません。

「靖国見真会」参加者様と、「谷口雅春先生を学ぶ会」の上に、大いなる神様の祝福と御導きが天降り、光の進軍をされますことを祈ります。

合掌

2014復興G:2013/06/15(土) 07:17:05 ID:AB6RqYXc

>>2011 誤記訂正です。

× 白隠はその法語で、永遠の「悟後の修行「を」勧め、……

○ 白隠はその法語で、永遠の「悟後の修行」を勧め、……

でした。失礼しました。

2015「訊け」管理人:2013/06/15(土) 08:09:10 ID:???

>>復興Gさま
>>靖国さま

 ありがとうございます。なお>>2013ご投稿の件は、私も靖国殿に伺ってみたい点でありました。同氏からの回答が楽しみです。

 さて、やや余談の様なお話です。テーマは「学ぶ会の長期展望」というものに、なりましょうか。いやその、二葉さんのお話を拝読しながらフッと思った件です。以下その「フッ」と思った点を靖国殿へ、問いかけてみようと思います。

 問いかけの点は、「愛国書の著作権」です。

 日本国の實相顕現(?)を目指される方々、それが「学ぶ会」だと伺っております。ですが、肝心の著作権は愛国書に関しては、「有しておられない」わけです。(この点重要)

 さて、この現実を踏まえられて今後の長期的展望ですが、いったいどの様なものになるのでしょう。ここが、一部外者から観ておりますと、興味深い点です。さらには、(『生命の實相』等は得たとは申せ)愛国書の著作権ですが、使用しようと思われれば教団との良好な関係なども、必須案件とはならないのでしょうか。この点が、疑問です。

 ・・・・・今回裁判では、愛国書の著作権までは「得ることは出来なかった」分派側です。でも、目指される場所は、〝日本国の實相顕現〟との事です。長期的に見た場合、「ずいぶんムリが出てくるのでは」という懸念は、当然浮上すると思いますがいかがでしょうか・・・・・(やや、誌友会テーマからハズレますが)



2016復興G:2013/06/15(土) 08:25:07 ID:AB6RqYXc

>>2015 :「訊け」さん

それはちょっと誌友会テーマから外れすぎではありませんか? 元に戻しましょう。

2017復興G:2013/06/15(土) 08:57:06 ID:AB6RqYXc

私は、この誌友会の目的は、『生命の實相』をテキストとして真理――宗教的真理にうがち入ろうということだと思っています。

ここで「組織運動と信仰生活」というのは、外面的な手段・方法論ではなく、内面的な魂の問題として捉え、考えるべきテーマだと思っています。

『生命の實相』第6巻の冒頭に、

≪「生長の家」が人類に告げんとするところは、人間の実相のなかにすでにすべてのものが備わっている、外に求むるよりも内に求めよということであります。≫

今朝の新聞に、幻冬舎の本の広告で

「神様にほめられる行き方」―上へ上へと伸びるより、奥へ奥へと歩みなさい―

というのが目にとまりました。

外なるものは内なるものの展開ですから、まず「外」より「内」に向かうのが信仰姿勢でしょう。特に、このweb誌友会板では。

日本の実相顕現は、外なる愛国書の著作権など、あまり関係ないと思います。

その気になれば、いくらでも谷口雅春先生の愛国書を読むことは可能です。

著作権問題などについては、別の板でやってほしいと思います。

2018復興G:2013/06/15(土) 09:31:46 ID:AB6RqYXc

 私が「聖胎長養」という言葉に注目したのは、ある日の日経新聞「交遊抄」欄を読んで、でした。

 東京高裁長官の吉戒修一氏が、「交遊抄」で、四天王寺大学客員教授の中島尚志から聞いた言葉として、

≪「聖胎(しょうたい)長養」。こんな言葉を、会合の席で中島さんから教わった。悟りを得た後も修行に努め、さらに悟りを育てるという意味だそうだ。人は誰でも自分の中に良い物を持っている。軸をぶらさず、それを大切に育てることが大事なのだと、自分なりに納得している≫

と書いておられました。

その「良い物」とは、深く宗教的に言えば、「久遠の今」なる神であり仏である。――そう思います。

それをぶらさず、大切に育てることが大事だと、あらためて不退転の決意を固めました。

ありがとうございます。

2019復興G:2013/06/15(土) 09:44:55 ID:AB6RqYXc

司会者「訊け」管理人殿。

このweb誌友会、いつまでも際限なくだらだらと続けるのではなく、期限を切って一旦終了することにしたらいかがでしょうか。

2020復興G:2013/06/15(土) 12:52:03 ID:AB6RqYXc

 >>2013 で私は何も靖国殿からの回答をもとめてはいません。

 ただ<「靖国見真会」参加者様と、「谷口雅春先生を学ぶ会」の上に、大いなる神様の祝福と御導きが天降り、光の進軍をされますことを祈ります。>

と言っているだけであります。ありがとうございます。

2021「訊け」管理人:2013/06/15(土) 15:08:48 ID:???

>>復興Gさま
>>誌友会ご参加各位


 了解致しました。それでは、>>2000につづきまして再度、誌友会の「終了」をここに宣言致します。誠にありがとうございました。

 なお真摯な求道者の方は、ぜひ、いろいろなご投稿をお寄せくださいませ。会は終了致しましたが、今回のテーマは相当に重いもので、ありました。後日いろいろな意見が登場することは、有り得ましょう。その際は、会終了に関わりなくご投稿の方を、宜しくお願い致します。

 それでは、特に長時間のご指導を賜りました復興Gさまに対しまして、感謝の意を再度表明致します。次回もぜひ、宜しくお願い致します。ありがとうございました。



2022「訊け」管理人:2013/06/15(土) 16:05:17 ID:???

※ >>2000にて会の終了ですが、宣言しておりませんでした。ご参加各位には大変ご迷惑をおかけ致しました。
 ワードで作成した際、後半部分を転写忘れを起して仕舞ったと思われます。申し訳ありませんでした。




2023トキ:2013/06/15(土) 16:43:51 ID:s/IUt0Nk
 復興G様、ご多忙の中、貴重な御時間を誌友会のために提供して下さり、後進の指導に当たられた事に
深く感謝申し上げます。多くの信徒にとって、励みと指針になったと確信します。

 司会を努めて下さった「訊け」管理人 様、お忙しい中、司会をして下さり、深く感謝申し上げます。
たいへん盛り上がった会になりました。

 投稿して下さった参加者の皆様、心から感謝申し上げます。皆様のおかげで、実りのある内容になりました。
厚く御礼を申しあげます。

 閲覧者様、ご覧下さり、ありがとうございました。心から御礼を申しあげます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2024復興G:2013/06/15(土) 16:50:21 ID:AB6RqYXc

>>2021>>2022:「訊け」管理人様

いやあ、本当に長時間にわたり、司会ごくろうさまでした。

>>2000で、簡潔にして完璧なまとめをしていただき、ありがとうございました。

そこで回の終了宣言をされてなかったのは、転写忘れのミスだったのですね。了解しました。

ありがとうございました。

なお、「後夜祭」は自由に、ということになりますね。

しかし、長文の重い文章がたくさん掲示されたので、皆さま、消化に時間をかけて頂いた方がよろしいでしょう。

一休さんじゃないけれど、「一休み一休み」ですね。

ありがとうございました。

>>2015 訊けさんの投稿は、後夜祭での投稿なら、別に問題はないと思います。失礼しました。

2025復興G:2013/06/15(土) 16:59:26 ID:AB6RqYXc

トキ様

ユタカ様

ご参加下さいました皆々様

閲覧下さいました皆々様

本当に、本当にありがとうございました。

私が一番勉強させて頂いたと、心から感謝申し上げます。

さあ、これからが新しい出発です。

「光明一元」の実相地に立って、永遠の喜びの前進をいたしましょう!

皆々様の上に、神の無限の祝福――無限の智慧、愛、生命のさきはえを受けて、

限りない光の前進がなされますように、神様の大いなるお導きをお祈りいたします。

ありがとうございました。

合掌

2026復興G:2013/06/16(日) 00:38:02 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

第14回web誌友会は、6月7日(金)に、a hope様が開会の祈りの言葉として、聖経「続真理の吟唱」より
〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉
と、それから
聖経「続真理の吟唱」より 〈如意宝珠を神より授かる祈り〉
を謹写掲示してくださって始まったのでした。

先ほど、司会者「訊け」管理人様から「終了宣言」はしていただきましたが、「閉会の祈り」をしていませんでした。

誌友会は必ず祈りに始まって祈りに終わることになっていますので、これから閉会の祈りの言葉を掲示させて頂きます。

          ○

生きとし生けるものを生かし給える御祖神 元津霊ゆ幸へ給え。
吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の機能。
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし 生長の家の大神守りませ。


生長の家の大神様 ありがとうございます。ありがとうございます。

第14回web誌友会を、大神様の御導きにより、最高の真理の奥殿に導かれ終了することができましたことを感謝申し上げます。ありがとうございます。ありがとうございます。

 私たちは、大神様のお導きにより、次のことをはっきりと自覚させていただきました。

 ≪我々の運動の根拠となるもの、それは生命、実在だけであり、一瞬一瞬に久遠と無限を生きることである。

 今此処の一点に、宇宙と天皇と日本と世界と久遠とを生きることである。

 人が生きるとは、絶対が生きることであり、絶対が生きるとは実相独在を生きるということであり、実相独在をもち続けることが生命の純粋持続ということである。この他には、光明というものはなく、光明化運動というものはなく、創造というものはない。けだし、実在以外は「無」であるからである。

 私達一人一人が実在そのものであり、神そのものである。このことを教えられている私達にはもはや後退ということはあり得ない。金剛不壊の実在の巨歩があるのみである。私達が実相であり、金剛不壊であり、巨歩そのものであるから。そして、祈りそのもの、神想観そのものの生きて歩む姿としての人類光明化運動が今、此処に立っているのである。それが、今ここに「住吉大神の全身全霊として生きる」ということなのである。≫

           ○

 新たに生まれるための祈り

 われ今、合掌、天地四方を礼拝して、天地一切のものに感謝し奉る。古き天と地と四方一切のものは過ぎ去り、役目を果たし終りぬ。
 ここにわれ住吉大神に導かれて龍官海に入り、龍宮城の“神癒の社(やしろ)”に入り、大神の御前に坐して大神を礼拝し奉る。大神、右の手をあげてその掌もてわが全身を撫下(ぶか)し給いて霊をもって我を浄め給う。

 古き現象界の人類意識の妄想ことごとく浄められて、わが実相完全のすがたここに顕われたり。
 今より後、一切の悩みあることなく、苦しみあることなく、病いあることなく、老衰あることなく、貧しさあることなく、悲しみあることなく、憂いあることなし。
 久遠不滅の生命われに宿れり、常住健康、歓喜無限の生命なり。

 われ住吉大神の御禊(みそぎ)を受けて霊によって潔められ、霊によって復活のいのちを受けしことを、大神に感謝し奉る。
 今後、われ現象界に帰還したる後も、永遠にこの自覚をもちて生活せんことを大神に誓い奉る。ありがとうございます。
   (『如意自在の生活365章』21〜22頁より)

 住吉大神様 web誌友会を正しく導き給い、参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給いしことを感謝申し上げます。ありがとうございます。ありがとうございます。

2027復興G:2013/06/16(日) 00:39:23 ID:AB6RqYXc

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

ありがとうございます。ありがとうございます。

2028ユタカ:2013/06/16(日) 01:15:44 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

心配しておりました、お祈りを有難うございました。

まだ、全部は読んでいませんが、「久遠の今を生きる」修行を究極まで行った場合はそれは、動的信仰へと移行していくのでは?と思います。

その動的運動が諸団体の動きに繋がっていくと思うのですが・・・ 教団で「久遠の今」を自覚して自分を喜べたら次にどういう行動をしますか? 総裁の独演講習会以外は30人以上の会合がもてなくて憂国の戦いが出来ますか・?

静的工夫ができたら、次は動的工夫に移ると第8巻の観行編に書かれてあります。

あと、次に童子さんのブログから転載したものを貼り付けます。 現状の日本を憂いて心ある政治家を応援しているのは、学ぶ会などの諸団体です。
雅宣総裁は民主党を育てたいとブログに書かれていましたが、訊け氏はなぜか創始者谷口雅春先生と思想は一致するとおしゃるので分かりません。

2029ユタカ:2013/06/16(日) 01:18:29 ID:R1D4Jmeg
>>童子さんのブログから
>>肉体民主主義

谷口雅春先生に率いられる 『人類光明化』 運動は、発祥の当初から、この岩波文化人的類型とは決定的な質と次元の相異があり、民族の伝統をふまえて全人類的普遍性・世界性を目指したのである。

 それは昭和6年の 『大調和の神示』 にある 『皇恩に感謝せよ』 の一語に端的に示されている。 谷口先生において、皇室への忠誠は人為の所産でなく、じつに神の道であり、建国以来の国民の中心たる精神であった。 国民はこの独自性を奉じてのみ全人類的な永遠と普遍につながり得るとされるのである。


 政治結社 生政連の成立に先立つ一年近く前、すなわち昭和38年頃だった。 東京飛田給練成道場で研修会があり、私は一時間ほど前座を勤めることになっていた。 いつもの総裁の御部屋でお茶をいただきながら、時間のくるまで御話を伺った。

 そのとき、私は初めて先生の直接の御話の中に 『肉体民主主義』 という言葉を聞いた。 いままで誰も言ったことのない、誰も聞いたことのない言葉なので、私は異常な緊張を覚えた。

 『民主』 というときの 『民』 が、煎じ詰めると肉体人間にすぎない。肉体的要求を言い張ることが個人の自由であり権利だという思想をそのままにして民主主義を金科玉条にする今の日本の病根の最深部にメスを入れての御発想であった。


 欲望の塊りは、断じて個性であることはできない。 『個性というものは、いわばシンフォニーにおける演奏者のようなものだ。 バイオリンはバイオリン独自の音色、ピアノはピアノ独自の音色、クラリネットはクラリネット独自の音色を十全に発揮して、それらの個性が一大調和を成すのであって、全てがひとしく同じ欲望の対立的騒音を出すのでは、オーケストラの調和は成立しない』  『各自が勝手次第な要求を言い張って、ただ不協和な騒音を立てているだけで。 こんな情況をつづけていたら、日本はやがて共産化する。 コンダクターという中心がどこにもないからだ』


 こう言って先生は、しばらく憮然として沈黙された。 私はそのときの先生の沈黙を忘れることができない。

 ややあって、 『田中君、やはり政治結社を作ろう。 作って運動を開始しないと、間に合わなくなる』


 政治結社のことは、それより二年も前から出ていたが、まだ踏み切れない状態だった。 現憲法が憲法の名に価しないこと、優生保護法の不条理なことについての烈々たる先生の御批判もつづいているときであった。

 ただ、私においては、あの飛田給での先生の憂国の御言葉を聞いたとき、自分は先生の悲願である日本の政治姿勢を正すためには、やりかけた自分の学問的な仕事などは中断しても、粉骨砕身して悔ゆることなし、と腹をきめたのであった。


                    田中忠雄 著 『雄峯一膳飯』 より

2030ユタカ:2013/06/16(日) 01:26:11 ID:R1D4Jmeg
谷口雅春先生が昭和38年にすでに 「もう間に合わなくなる」 とおっしゃって・・・

今、昭和が終わって何年たったの?  それで、裁判だなんだのとスッタモンダして・・・

そんなことやってる場合か???  日本人性根の腐れ具合を見よ! 私も骨抜きにされているワイ!!

2031ユタカ:2013/06/16(日) 01:28:51 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま・・・

あくまでも、私はまだ、全文読んでいないまま発言しています・・・

2032ユタカ:2013/06/16(日) 07:21:10 ID:R1D4Jmeg
>>◆『選挙戦を終りて 更に聖胎長養のため
   宗教に専念せん』◆

 と題して

≪ 政治の一面は権力争闘であるから、そして権力は数の獲得によって得られる。従って政治に重点をおくとき、そうなるのは無理もないことなのである。鳩山一郎氏が生長の家に熱心で、総理大臣であった頃、私は立候補を思い立ったことがあったが、鳩山薫夫人が「先生のような宗教家はいつまでも清らかでおってほしい。政界へ出てはいけない。政界ほど複雑できたない処はないから」といって止めて下さった。それで私は政界へ出ることをそのとき思い止まったのであった。

 今、私は今度の参院戦で勝利を得て、勝に乗じて尚進んで政治戦に盡くすべきか、暫く退いて宗教の純粋圏に止まるべきかについて考えをめぐらすとき、“今暫く退いて宗教の純粋圏のサークルをもっと大きくすることに力を盡くすべきだ”と思わずにはいられないのである。≫

 と、昭和43年10月号の『明窓浄机』にお書きになっているのであります。

 私は、今、この「聖胎長養」に専念する時であると考えます。

<つづく>


この場合は【 参議院 で 勝利した 】後の、< 目的を持った > さらに次に 躍進、進軍するための聖体長養でしょう・・・・どう考えても・・・・

現在、生政連もなく、勝利した参議院議員もない今に、「聖体長養」の言葉に甘えて巨体がひっくり返って起き上がれないように思います。

また、尊師の言葉を都合のいいように利用して、
生長の家に「学校」が立たない、光明化運動が「進まない」訳がこういうような所に見えてきた気がします。

尊師の晩年には尊師は親しい人にはこうもらしていたそうです。

生長の家の運動が消極的になってしまったことを憂い、尊師に当時の運動が生長の家をダメにすると危機感を抱いた大者信徒が公邸に参上して訴えましたところ、

「今は組織が大きくなって色々な決定は理事会で決定しているから、もう、僕の意思は通らないんだよう。。」

と嘆いていたと、その方の娘さんから、直接聞きました。復興Gさま、私は現況の教団に榎本先生の

お話は合わないと思いますし、今頃「聖体長養」を持ち出す時期と違うと思いますが、いかがでしょうか? 


また、二葉美代様の辞世の手紙はありとあらゆる運動、特に、、、平成何年だったか、当時の白鳩誌12月号の純子総裁のご皇室に対する発言に対しては、烈火のごとくにお怒りになり、その月の「普及誌は配布しないでよい」と、ご指導なさり、純子総裁には、「もっと、勉強なさってください!」と内容の濃い手紙を送られました。 返事は全く来なかったようです。

二葉先生は実相世界に常に波長を合わせ、ご愛行も沢山して、現象界をしっかり見すえて、地に足をつけたしっかりとした運動をされつくしましたように思いました。

そのような現象の運動をやりきった後の、亡くなる寸前にベッドの上で書かれた、運動をある意味で成し遂げた先生のお手紙でしょう。

最後の 【 天壌無窮の弥栄を 生命をかけて 護れ継ぐ人 】 と言う二葉美代先生の辞世の句に先生の気持ちが溢れていると懐かしく思います。

本部の秋の功労者慰霊祭の際、息子さんが遺族代表で壇上でご挨拶をなさった際に、この美代先生の 辞世の句 を同じ壇上にいた雅宣総裁の方へ、クルっと向いて読み上げたそうです。

ちなみに、功労者の遺族を大勢本部が招待してわざわざ来てもらっているにもかかわらず、 終了してのお帰り頂く際に、玄関の門は閉められ、通用口から出されて帰らされた事もあわせて言わせて頂きます。

光明で完全円満なはずの、本部のこのような不行届き はどこから 来るのでしょうか??? 実相がそこにあることを本当に自覚して喜ぶということは容易な事ではないような気がします。

2033ユタカ:2013/06/16(日) 07:32:54 ID:R1D4Jmeg
自己主張のための再投稿

>この場合は【 参議院 で 勝利した 】後の、< 目的を持った > さらに次に 躍進、進軍するための聖体長養でしょう・・・・どう考えても・・・・

現在、生政連もなく、勝利した参議院議員もない今に、「聖体長養」の言葉に甘えて巨体がひっくり返って起き上がれないように思います。

また、尊師の言葉を都合のいいように利用して、
生長の家に「学校」が立たない、光明化運動が「進まない」訳がこういうような所に見えてきた気がします。

尊師の晩年には尊師は親しい人にはこうもらしていたそうです。

生長の家の運動が消極的になってしまったことを憂い、尊師に当時の運動が生長の家をダメにすると危機感を抱いた大者信徒が公邸に参上して訴えましたところ、

「今は組織が大きくなって色々な決定は理事会で決定しているから、もう、僕の意思は通らないんだよう。。」

と嘆いていたと、その方の娘さんから、直接聞きました。復興Gさま、私は現況の教団に榎本先生の

お話は合わないと思いますし、今頃「聖体長養」を持ち出す時期と違うと思いますが、いかがでしょうか? 


また、二葉美代様の辞世の手紙はありとあらゆる運動、特に、、、平成何年だったか、当時の白鳩誌12月号の純子総裁のご皇室に対する発言に対しては、烈火のごとくにお怒りになり、その月の「普及誌は配布しないでよい」と、ご指導なさり、純子総裁には、「もっと、勉強なさってください!」と内容の濃い手紙を送られました。 返事は全く来なかったようです。

二葉先生は実相世界に常に波長を合わせ、ご愛行も沢山して、現象界をしっかり見すえて、地に足をつけたしっかりとした運動をされつくしましたように思いました。

そのような現象の運動をやりきった後の、亡くなる寸前にベッドの上で書かれた、運動をある意味で成し遂げた先生のお手紙でしょう。

最後の 【 天壌無窮の弥栄を 生命をかけて 護れ継ぐ人 】 と言う二葉美代先生の辞世の句に先生の気持ちが溢れていると懐かしく思います。

本部の秋の功労者慰霊祭の際、息子さんが遺族代表で壇上でご挨拶をなさった際に、この美代先生の 辞世の句 を同じ壇上にいた雅宣総裁の方へ、クルっと向いて読み上げたそうです。

ちなみに、功労者の遺族を大勢本部が招待してわざわざ来てもらっているにもかかわらず、 終了してのお帰り頂く際に、玄関の門は閉められ、通用口から出されて帰らされた事もあわせて言わせて頂きます。

光明で完全円満なはずの、本部のこのような不行届き はどこから 来るのでしょうか??? 実相がそこにあることを本当に自覚して喜ぶということは容易な事ではないような気がします。

2034復興G:2013/06/16(日) 20:32:23 ID:AB6RqYXc

ユタカ様

投稿、ありがとうございました。

今日はリアルの誌友会がありました。
午後からだったんですが、午前中はその準備作業に没頭していて、ここを見る余裕はありませんでした。
帰ってきて食事をして、今、見ています。

さて、ユタカさんは、「久遠の今」というのがまったくわかっておられないようですね。

>>2028に、
>>「久遠の今を生きる」修行を究極まで行った場合はそれは、動的信仰へと移行していくのでは?と思います。<<

と書かれていますが、<「久遠の今を生きる」修行を究極まで行ってから動的信仰へと移行していく>なんて、とんでもない、全然違います。

「久遠の今を生きる」のは「上求菩提」の修行ではなく、「下化衆生」の菩提心を行ずるときの出発点と言えましょうか。

>>静的工夫ができたら、次は動的工夫に移ると第8巻の観行編に書かれてあります。<<

――違うでしょう、逆ではありませんか。第8巻の「はしがき」には、次のように書かれています。

≪すなわち「生活篇」においては、人間の円満完全なる実相を生活上の実践において、動的工夫の内にそれを実現する道を説いたのであった。しかし単に動的工夫だけでは、ともすれば浮き世の現象的同様に左右されて、深く“実相”の内部に沈潜することができないうらみがある。こにさらに静的工夫によって、あたかも潜水夫が海の底ふかく沈んで貴い真珠を採取して帰るように、深く人間の“実相”に沈潜して、人間の貴い内部にある“実相”――すなわち本来円満完全にして無限知・無限愛・無限力量なるものを現実にまで獲得してこなければならない理由があるのである。≫

と。

「生活篇」の動的工夫は誰にもわかりやすく、やさしいのです。しかし、その基礎に実相の自覚がない「動的工夫」では、まちがうおそれがあるのです。

神――実相を出発点にしないで、現象から出発した動的信仰では、

≪各自の心に神の子としての生命の実相が見真されていなければ、盲人の手引きで、多数の盲人を河中へ突き落とすようにエッサエッサと改造の掛け声を掛けながら、現在の人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります。≫

と、このたびのテキスト『生命の實相』第3巻にも(p.94)あったではありませんか。

>>2030
>>谷口雅春先生が昭和38年にすでに 「もう間に合わなくなる」 とおっしゃって・・・
今、昭和が終わって何年たったの?<<

――昭和38年当時は、天皇崇拝の愛国者などというのは極めて少数で、暴力革命を志向する左翼勢力が圧倒的だった。だから今立たなければ「もう間に合わなくなる」とという状況だったのです。しかし今は、状況は全く一変しています。

>>今、昭和が終わって何年たったの?<<
というのは、こちらがユタカさんに申し上げたい言葉です。


>>2032
>>復興Gさま、私は現況の教団に榎本先生のお話は合わないと思いますし、今頃「聖体長養」を持ち出す時期と違うと思いますが、いかがでしょうか? <<

――私は、今こそ現況の教団に榎本先生のお話は、この時のために用意されていたのかと思われるほど、ぴったりのお話だと感じています。

「聖体長養」ではありません、「聖“胎”長養」です。
ユタカさんは、「聖胎(しょうたい)長養」がどういう意味を持っているのか、わかっていますか?

わかっていれば、今こそ「聖胎長養の時」だということがわかると思いますが。

私は、「聖胎長養」を本気でやらなかったから、

>>(生長の家教団の)巨体がひっくり返って起き上がれないように思います。また、生長の家に「学校」が立たない、光明化運動が「進まない」訳がこういうような所に見えてきた気がします。<<

と、申し上げたいです。

2035復興G:2013/06/16(日) 20:37:21 ID:AB6RqYXc

>>2034 誤字訂正です。

× 浮き世の現象的[同様]に左右されて
              ↓
○ 浮き世の現象的[動揺]に左右されて

2036ユタカ:2013/06/16(日) 21:01:50 ID:R1D4Jmeg
復興G様

聖胎長養 とは、胎とはお腹の胎児の胎だから、内にこもって、長い時間聖なるものを修行すると思います。

間違えていたら、教えてください。

復興Gさまの返信がどうしてそうなるかわかりません。 学校が建たない理由を特に知りたいです。

2037復興G:2013/06/16(日) 21:17:05 ID:AB6RqYXc

>>2036 :ユタカ様

>>2011の中ほどの所と、>>2018を、まずごらんください。

私は、「久遠の今」に立って、ぶれることなく、無限力を発揮して「下化衆生」の菩提心を行ずることだと思っています。

ありがとうございます。合掌

2038トキ:2013/06/16(日) 22:24:05 ID:5sD5Sd62
ユタカ 様

 谷口雅春先生がある不動産業者から別荘地用の土地を寄付され、学校の建設を企画されたが、
いろいろな事情で断念し、土地も元の所有者に返還されたことがあったようです。昔の神誌に、
その経過を書かれたご文章があったと記憶しています。探してみて、見つかったら掲載します。

2039ユタカ:2013/06/16(日) 22:26:02 ID:R1D4Jmeg
聖胎長養とは、

禅宗においては、見性を得た身心をさらに長く養い、悟りを育てる悟後の修行を「聖胎長養」という。修行が済み、ある境地を得たといっても、それを真に無碍自在に活用できるようになるがために、容易に世に出ずに、さらに心境を錬ること。人は一度悟ったとしても、慢心しているとすぐ迷妄に陥るからとする。

2040復興G:2013/06/16(日) 22:35:32 ID:AB6RqYXc

なお言えば、『實相と現象』の「はしがき」(谷口雅春先生最後の絶筆と思われる)に

≪諸賢が本著に親しまれることにより、“聖なる求め”を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代り切に切に望むものである。
    昭和六十年五月二十八日≫

 これにお応えするのが「聖胎長養」であると思います。

 その「聖胎長養」を、本気で実行していなかったから、現状のような分裂さわぎを引き起こすようなことになった。
 それを、教団側は別派が悪いと言い、「本流」は雅宣総裁とその取り巻きが悪いと、お互いに責任をなすりつけ攻撃し合っているような状況だから、

>>(生長の家教団の)巨体がひっくり返って起き上がれないように思います。また、生長の家に「学校」が立たない、光明化運動が「進まない」<<

 ということになっているのではないでしょうか。

 それは、だれの責任ということではなく、おそらく
「迷いと迷いと相搏(う)って自壊する」 過程で、これから神の国運動の新しい夜明けが始まるのだ、新天新地が開けるのだと私は信じています。

≪まだまだ烈しいことが今後起こるであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。(声字即実相の神示)≫

と。だから、≪生命の実相をしっかり握って神に委せ≫ることが、今最も大切なことなのではないでしょうか。

 だから、今こそ「中(みなか)」に還って浄まる時であり、「久遠の今」に起つ時であり、「聖胎を長養する」時だ、と思います。


「新天新地の神示」を謹写掲示させて頂きましょう。

          ○

   新天新地の神示

 見よ、われ既に天地を新たならしめたのである。人々よ、眼の蔽いをとれ、われは新しき智慧である。新しき生命である。新しき宇宙である。新しき光明である。

 われ臨(きた)って此の世界は既に変貌したのである。既に信ずる者の暗黒は消え、醜悪(しゅうお)は滅し、病いは癒え、悲しみは慰められ、苦しみは柔らげられた。

 神秘を見て人々よ、目覚めよ、覚めてわが新しき光に照らして存在の真実を見よ。われは存在の実相を照らし出す完成(ななつ)の燈台に燈(ひ)を点ずるものである。

 悲しみに泣き濡れた人々よ。いま眼を上げて吾が光を受けよ。汝の悲しみは喜びに変るであろう。病める者よ、いま病の床より起ちて、わが生命を受けよ。われを拒むな。われを信ぜざる者は已(や)むを得ぬ。われを信ずる者は黙坐してわれを念じ、われに依り頼れ。われ汝等に『神想観』と言う観行を教えたればそれを為せ。われに汲むものは常に新しき力に涸(か)れないであろう。

 吾を呼ぶ者のもとに吾れは常にありて、汝らのために汝らの重きくびきを軽からしめる。なんじ一人ならば吾れを念じて吾れとともに二人なりと思え。なじら二人ならば、吾れを念じて吾れと倶(とも)に三人なりと思え。悩める者よ、わが言葉を読めば苦しめる魂も軽くなり、悲しめる魂も慰めを得ん。そはわれは限りなき大愛であるからである。

 汝ら事にのぞんでわれを呼べば、自己の知らざる智慧の湧き出ずるに驚くであろう。信ぜぬ者、呼ばぬ者は、不憫であるが助けようがないのである。汝の心の疑いがわが心の波長に合わないからである。

 遠くにいて救われている者もあるが、近くにいても救われぬ人もある。仕方のないことであるが不憫である。もっと兄弟たちに、『生長の家』を伝えよ。神の愛は貰い切りではならぬ。頂いたお蔭を『私』しないで、神の人類光明化運動に協力せよ。『生長の家の神』と仮に呼ばしてあるが、『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好い。七つの教えとイスラエルの十二の分派(わかれ)がわが教えで新しき生命を得るのだ。わが教えはどんな教えをも排斥するような狭い宗教ではない。教えの太宗であるから宗教と言うのである。
  (昭和六年五月六日神示)

 ありがとうございます。

2041ありがとう:2013/06/16(日) 23:06:56 ID:???

『聖胎長養』を発表されて すぐに
 
 『憲法の正しい理解』『占領憲法下の日本』及び『生長の家』誌臨時増刊号を出され

 《一大頒布運動せよ》の大号令を発せられております。

 そのあたりが無視されているのが反本流です

2042ユタカ:2013/06/16(日) 23:57:38 ID:R1D4Jmeg
復興G様、トキ様、みなさま、

父が木曜日に入院して金曜日に手術したのに、明日退院ということなので、母と迎えに行きますので、しばらく失礼しますが、落ち着いたらまた出てきます。

有難うございます。

2043「訊け」管理人:2013/06/17(月) 06:11:13 ID:???

>>2042

 たいへんな時期のご投稿だったのですね。ありがとうございました。

 また、御尊父の快癒を祈念致します。ご安心ください。




2044復興G:2013/06/17(月) 07:04:50 ID:AB6RqYXc

>>2042 :ユタカ様

合掌。楽しみに待っています。神様の祝福が天降り、ご一家皆さまの完全ご健康とよろこびに満ちたご繁栄を祈念しています。

祈りながらも、私の気持はもう少し書かせて頂くつもりです。ありがとうございます。

2045復興G:2013/06/17(月) 07:16:33 ID:AB6RqYXc

“発心(ほっしん)正しからざれば万行むなしく施す”という道元のコトバがあります。

私は、出発点を 「久遠の今」 とし、対立がない 「絶対無」 から出発して、「聖胎(しょうたい)長養」 に励みます。

「聖胎」 の意味は――すべての人の内なる神、 「久遠の今」 なる実相地にある 神の構図であると考えています。

その「実相」が「独在」であることを信じて、軸をぶらすことなく、自分を拝み人を拝むみ、永遠なる「上求菩提・下化衆生」の菩提心を行じます。

それが私の、永遠に続く「運動」であります。

 谷口雅春先生は、『国のいのち 人のいのち』というご著書の中で、「3 唯物論か唯神実相論か――真理国家建設の原点」と題して、次のようにお書きになっています。
          ○
≪   “言葉の原点” について
 大学生の夏期練成会に、講義ぜんたいの編成の順序の上からわたしに「唯物論か唯神実相論か」という題と、「真理国家建設の原点」という題を与えられた。(中略)

 「原点」という語の“点”とは何であろうか、点は長さも広さも厚みもないただ位置を示す語である。しかし、そこに「何か」がなければ、その“位置”に据わる何ものもないから、“位置”そのものもないし、従って“点”もない訳である。“点”というからには、其処に何かがなければならない。点は長さも広さも厚みもないから、其処に位置する何かがあるとすれば、それは長さも広さも厚みもないいわゆる“三次元的存在”ではない。“超次元的な存在”があるということを、“原点”と書いた人も、それを読む人も共に、潜在意識が知っていて、互いの諒解の上に“原点”という文字が書かれ、また読まれているのである。≫

          ○

 ――先生は、「真理国家建設の原点」は、超次元的なところにある、とご教示くださっているのであります。それは、時空を超えた 「久遠の今」 にあると、そう申し上げる根拠は、他にもあります。いずれ、それを提示させていただくつもりです。ありがとうございます。

靖国様は、>>2007
>> ああ!!尊師の御教えはどこに行ったのでしょう。《
この教団の現実に対して、どうするのですか…?
それが最も重要なポイントなのです。少なくとも、私の言動のすべての原点は、ここにあります。<<

 とおっしゃっていて、運動の原点、出発点とするところが全くちがうのであります。私の出発点は実相地であり、靖国様の出発点(原点)は現象地なのであります。

2046「靖国見真会」参加者:2013/06/17(月) 15:44:41 ID:0PL7dBUs

「復興G」様へ

》私の出発点は実相地であり、靖国様の出発点(原点)は現象地なのであります。

立ち位置の違いを明らかにしていただき、感謝申し上げます。

しかし、その違いは違いとして、私が危惧するのは、次の一点であります。

》私の出発点は実相地であり

という人が、往々にして、「八ヶ岳教団」の現実に、頬被りしてしまうことであります。

現に、私どもが「八ヶ岳教団」の実態について何かを言うと、「現象なし、実相を直視していればいい」という答えが返ってきます。

「現象なし」という教えが、現実を見ないでいいということに悪用されてはいないか、それを恐れるのです。

「現象なし」でやり過ごしているうちに、谷口雅春先生の『聖典』は絶版になり、新しい「経本」の読誦は強要され、「ご神像」は踏みにじられ、本部会館は破壊されてしまいます。

「復興G」様も、かかる「八ヶ岳教団」の実態には心を痛めていられると伺っていますが、ただ心を痛めるだけでいいのですか?

「実相地」に立つということは、心を痛めるというだけでいいということなのでしょうか?

心痛む「現象」について、何も働きかけないでいいということなのでしょうか?

「実相地」に立つということと、「八ヶ岳教団」の実態に対してどうするのか、ということとはどういう関係になるのでしょうか?

そこが今一つ判然としません。

「実相地」に立つということは、「八ヶ岳教団」のこの実態の中で、どう生きることなのか、それを具体的にご教示願えれば幸いに存じます。

2047こんにちは:2013/06/17(月) 21:59:35 ID:ePHqkVHw
復興G様は、その問いにはすでに答えていらっしゃいますよね。何度も何度も。

2048こんにちは:2013/06/17(月) 22:08:54 ID:ePHqkVHw
この論争は、単純な相違が原因でしょう。
実相独在を絶対的に信頼するのか?
それとも、その立場にこだわらず現実的に対処しようとするのか?
この信念、信条の対立ですから、永遠に分かり合えないと思います。
自分の立場に執着する限りは。

2049ユタカ:2013/06/17(月) 23:30:02 ID:R1D4Jmeg
こんばんは

退院が延びましたあと、2,3日でするでしょう。(だいたい、早すぎると思った!!) ゆっくり読めていませんが、ざっくりとは読ませていただいています。

復興Gさま、お祈りを有難うございます。 復興Gさまは愛の信仰を生活されていらっしゃいます! 感謝、感激です。ありがとうございます。

復興Gさま、ドンドン書いてください、勉強になりますから。。。 そして、ユタカがまじめに、間違った事を大いばりで返信しますよ。

よろしくお願いします。

2050ユタカ:2013/06/17(月) 23:31:12 ID:R1D4Jmeg
訊けさんもお祈りを有難うございます。 心より有難うございます。感謝いたします。

2051ユタカ:2013/06/17(月) 23:33:39 ID:R1D4Jmeg
>「上求菩提・下化衆生」

復興Gさま、上記内容はどこで勉強したらいいですか?

2052ユタカ:2013/06/18(火) 00:01:27 ID:R1D4Jmeg
あ、っと。。。。

復興Gさま、、、美代先生は常々、『私達は「現象なし」の教えを頂いているのですから、現在の教団でも大丈夫ですね。』

とおっしゃっていました。このことを書き込むのを忘れていました。 今も少ししかかけなくてごめんなさい。 書き方が悪くて意味が通じないかも知れません、また、今度書きます。

2053復興G:2013/06/18(火) 01:41:34 ID:AB6RqYXc

>>2046 :「靖国見真会」参加者様。

ご投稿、ありがとうございました。

>>「実相地」に立つということは、「八ヶ岳教団」のこの実態の中で、どう生きることなのか、それを具体的にご教示願えれば幸いに存じます。 <<

――このご質問に「具体的に」お答えしたいと思いますが、これは難問なので、すこし周辺のことからアプローチしたいと思います。

私のところに今し方、amazonに今朝「お急ぎ便」で注文した一冊の本が、夜9時ちかくになって届きました。

『国家の命運 安倍政権奇跡のドキュメント』(小川榮太觔著)という本です。

この本のオビに、次のように書いてあります。

≪悪化するデフレ、中国・韓国による領土侵犯、迫り来る国難の数々。
安部政権はぎりぎりで間に合った 奇跡の政権である。

 もし民主党政権が続いていたらどうなっていたことか。デフレの膠着と消費増税のダブルパンチによる失業と自殺の急増、国富の海外流出と産業空洞化の更なる進行、国民の完全な自信喪失、そして、尖閣諸島の実効支配を中国に奪われ、アジア太平洋地域の安全保障環境は激変し、日本は、完全に中国の属国となっていたであろう。

 安倍政権が大車輪で行ったのは、まず、経済と外交・安全保障という日本の外壁の補修だった。だが、これは「日本及び日本人」の大きな物語を取り戻すための、序章に過ぎない。明日にも始まろうという「国家の命運」を賭けた本当の戦いに備えるための、緊急の現場報告として読んでいただければ幸いだ。(本文より)≫

 と。

 この本の中身はこれから読むので、まだ読んでいませんが、この「オビ」の文章を読んで、思ったことがあります。
 それは、「生長の家の命運」についても、似たようなことがあるのではないか、ということです。

 日本は神の国である。もちろん、世界のすべての国は神の国に違いありませんが、特に日本は天之御中主神から始まり「豊葦原の瑞穂の国は是れ吾が子孫の王たるべき地なり」という天壌無窮の御神勅から始まっている国であり、神の構図、中心帰一のすがたを最もよく体現し、皇祖皇宗・護国の神霊、住吉大神が護り導き給う国でありますから、どんな国難に出遭っても奇蹟的にも乗りこえて、八紘一宇の真の世界平和、神の国を地上に実現する核となるべき使命を果たすようになっているのだと、私は信じます。それは、無我無私の天皇陛下が中心にましますからでもあります。

それと同じく、生長の家は神が始められた神の国運動でありますから、現象的にはどのように危機的な状況があらわれようとも、神の護り、高級霊の護りと御導きがあって、必ずその使命は果たされると信じています。

で、今は現象的には教団が分裂状態で、危機的状況にあると見えます。「靖国見真会」参加者様は、

>>「復興G」様も、かかる「八ヶ岳教団」の実態には心を痛めていられると伺っていますが、ただ心を痛めるだけでいいのですか?
「実相地」に立つということは、心を痛めるというだけでいいということなのでしょうか?<<

とおっしゃっていますが、私は決して「ただ心を痛めるだけ」などということはありません。

私は、この日のために、ちゃんと神は榎本恵吾という人に使命を与え、「實相独在」に徹しながら生長の家を混乱から救い、本来の大調和のすがたに還らせる道を用意しておかれたような気がします。
<つづく>

2054復興G:2013/06/18(火) 01:42:16 ID:AB6RqYXc

<つづき>
榎本恵吾氏自身、『波状光明化への道─内なる神に捧ぐるレポート─』という著書(未公開)のはしがきに、

 ≪何か時の萌(きざ)しというものを感ずることがある。何か偉大なる時の近づこうとしつつあることを感ずる。それは何であり、どのようなことかは知らない。この“時”と云うものは自我を死に切っている生命には聴くことが出来るのであろう。

 この書はその“時”のために必ず必要とされるべきものである。そのときのために自然と準備したくなったのも、既に、その“時”と云うものに導かれていると云うことが出来るかも知れない。このような時のためには色々なものが動き出しており、それは天界、霊界、現界においてそれは起っているであろう。その意味で、もっともっと善きものが現われて、この書が必要でないと云うことが興れば、それは幸いなことである。しかし、必ず時は来たる。≫

と書いておられます。

 榎本恵吾氏は、未公開の膨大な文書を遺しておられますが、その一つに 『神癒の展開としての人類光明化運動―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―』 というのがあります。これは、53字×19行×1000頁 すなわち約100万字にもなる膨大な論文ですが、その一部をご披露させていただきます。

          ○

 「神癒」とは如何なるものであるか。「生命の實相の自性円満」を自覚したときに起こるところの「よろこばしき何か」であることを再びここで確認しておきたいのである。

 「生長の家人類光明化運動」は、神がおはじめになり、神が為し給うている運動である。完全なる癒しのみがあり、絶対の癒し、すべてのすべてなる癒しなるものそのもの即ち神が運動をおはじめになりて、癒しそのものが運動をしているのである。それ故、この運動は永遠久遠の運動なのである。永遠久遠なるものがおはじめになり、永遠久遠なるものが為し給うているのである。

 「生長の家人類光明化運動」のどこにも人間力は要らないのである。

 しかも「生長の家人類光明化運動」自体が「私は無いのです」との消え切りの澄み切りなのである。「魚行きて水濁らず」なのである。

 「便所に宿る神」ではなく「便所が神なのである」と大聖師のお言葉があった。

 「生長の家人類光明化運動」は神が導き給うのではないのである。「生長の家人類光明化運動」が神なのである。

 自分というものはどこにも存在しないのである。自分はどこにも要らないのである。自分の要らない運動を聖なる運動といい、神なる運動というのである。

 『般苦心経』において、先ずはじめに、観自在菩薩が光明燦然たるお相(すがた)で登場され「五蘊皆空(ごうんかいくう)」と照見され給うのである。照見とは照らし見るということであるから、「五蘊皆空」「現象無し」というこの文字は、観自在菩薩の光りのひろがり、展開としてあるのであって、何もない空々漠々たることではなく、光りなる内実のひろがりなのである。また「現象は無かったのだ!!」というよろこびの輝きのひろがりであると見ることも出来るのである。

 「生長の家人類光明化運動」も「私は無いのです」とのみずからの消え切りの、澄み切りの、よろこびなる天照大御神の輝きそのものである、聖の聖なる照り渡りそのものであることを感謝したのである。

 それは世界的状況という、現象の必要性、肉の状況にさそわれて出発した運動ではなかったのである。

          ○

<つづく>

2055復興G:2013/06/18(火) 01:43:15 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 ――私は、このように榎本恵吾氏のおっしゃるような運動が本当の人類光明化運動であると思っています。私たちが「自分というものはなかったのだ」と悟り、「現象なし。ただ神のみあり、実相独在、神の運動のみあり」として無我の歓喜の運動を自由自在に展開して行けば良いのである。それ以外に真に生きる道はない、と信ずるのです。

私は、そう信じて、リアルの誌友会でも、web誌友会と同様の発言をしています。テキストは『生命の實相』が中心です。『古事記と現代の預言』などを使うこともあります。

相愛会東京第一教区連合会の運動方針書には、

・ 「神様の天降る誌友会」の開催。
・ 『生命の實相』の全巻読破をめざす。

ということが明記されています。

私は、『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』などは読みません、と言って、まだ読誦したことがありません。

「鎮護国家」=「真の世界平和への道「である。「鎮護国家」なくして究極の世界平和はあり得ない、と叫んでいます。当然、「クビ」を覚悟です。
しかし、不思議なことに、まだクビになっていません。

「靖国見真会」参加者様は、

>>「現象なし」でやり過ごしているうちに、谷口雅春先生の『聖典』は絶版になり、新しい「経本」の読誦は強要され、「ご神像」は踏みにじられ、本部会館は破壊されてしまいます。<<

と書かれましたが、かなり事実誤認があると思いますね。
「谷口雅春先生の『聖典』は絶版になり」は誇張宣伝です。一部の聖典が重版保留になっていまして、解除を願っていますが、それは「絶版」ではないと言われているから解除を願っているのです。
「ご神像」は、何も踏みにじられてはいません。山梨へ移転はされましたけど。
新しい「経本」の読誦は、強要されているとは思いません。私は誦まなくてもすんでいます。

「靖国見真会」参加者様。

谷口雅春先生は、「現象なし。ただ神のみ実在する」とのご自覚のもとに、たとえば日教組を遠慮なく口撃されることもありました。現象は影に過ぎず、「ナイ」から無いものを攻撃されることもあったけれども、常に「絶対無」の境地に立っていらっしゃったと思います。

 「現象は、ない。」 「自分は、ない。」 に徹したとき、「神しかない」 のだ から、「自分は神だ」 となる。

 「“自分”というものはどこにも存在しないのである。“自分”はどこにも要らないのである。“自分”の要らない運動を、聖なる運動といい、神なる運動というのである。」

「妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空(あおぞら)があるのと同じように、如何に暗澹たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずることがないから、最も適切なる智慧が泉の如く湧き出でて暗を消してしまう処置ができるのである。」(天地一切と和解する祈り)

――この道一筋に進んでいきます。

2056復興G:2013/06/18(火) 02:39:35 ID:AB6RqYXc

>>2047>>2048:こんにちは様。

応援、ありがとうございます。

こんにちは様のご投稿を見ないで、靖国様にお返事を書いていました。

>>この論争は、単純な相違が原因でしょう。
実相独在を絶対的に信頼するのか?
それとも、その立場にこだわらず現実的に対処しようとするのか?
この信念、信条の対立ですから、永遠に分かり合えないと思います。自分の立場に執着する限りは。 <<

――簡単にはわかり合えないでしょうが、「永遠に」ではないと思っています。

ありがとうございます。

2057復興G:2013/06/18(火) 02:40:35 ID:AB6RqYXc

>>2049>>2051:ユタカ様。

投稿、ありがとうございました。
>>退院が延びました あと、2,3日<<

そうでしたか。ゆっくり休まれて、よく快復されるでしょう。

ユタカさんは何でも気取らず素直に書いてくださるから、うれしく楽しくなります。

>「上求菩提・下化衆生」
復興Gさま、上記内容はどこで勉強したらいいですか? <

上求菩提(じょうぐぼだい)は仏教で悟りを得るため(聖なる求めのため)に修行すること、下化衆生(げけしゅじょう)はすべての人(衆生)に真理を伝え救いを与えること。上求菩提と下化衆生は表裏一体で精進向上の車の両輪のようなもの、とされます。昔、このテーマ(「上求菩提と下化衆生」)で実相研鑽会が行われたことがありました。そのときの谷口雅春先生の御結語がカセットテープになって販売されたのを持っていますが、『實相研鑽』の本には載っていないようですね。

『生命の實相』では第35巻に「下化衆生篇」というのがありますが、これは「哲学の実践」となっていて哲学史が書かれておりちょっと難しく、「下化衆生」の意味については特に書かれていません。

そのうち、「上求菩提と下化衆生」についての谷口雅春先生御結語を、テープ筆写してお伝えできればと思っています。ありがとうございます。

ユタカさんは、二葉美代先生のところで学ばれてたんですね。幸せでしたね。

2058「靖国見真会」参加者:2013/06/18(火) 13:11:43 ID:0PL7dBUs
「復興G」様へ

私の質問に対して、丁寧に回答いただき、心から感謝申し上げます。

とりわけ、ここには感激いたしました。

》私は、『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』などは読みません、と言って、まだ読誦したことがありません。

「鎮護国家」=「真の世界平和への道「である。「鎮護国家」なくして究極の世界平和はあり得ない、と叫んでいます。当然、「クビ」を覚悟です。
しかし、不思議なことに、まだクビになっていません。《

クビ覚悟で、信念を貫かれていることに心から敬意を表するものであります。

ただし、この一点だけは、承伏しかねます。

》「靖国見真会」参加者様は、

>>「現象なし」でやり過ごしているうちに、谷口雅春先生の『聖典』は絶版になり、新しい「経本」の読誦は強要され、「ご神像」は踏みにじられ、本部会館は破壊されてしまいます。<<

と書かれましたが、かなり事実誤認があると思いますね。
「谷口雅春先生の『聖典』は絶版になり」は誇張宣伝です。一部の聖典が重版保留になっていまして、解除を願っていますが、それは「絶版」ではないと言われているから解除を願っているのです。
「ご神像」は、何も踏みにじられてはいません。山梨へ移転はされましたけど。
新しい「経本」の読誦は、強要されているとは思いません。私は誦まなくてもすんでいます。《


「復興G」様との認識の違いをとやかく言うことは控えますが、新しい「経本」を読誦しなくてはならないようにどんどん現場の信徒は追い込まれていることについては、知っていただきたく思います。

自分一人、その読誦から免れているからと言って、それですむ話しではないと思うのです。

教区の行事に参加したら、プログラムに新しい「経本」の読誦が入っているという現実があるわけです。

それがどうしても嫌だという信徒が一方にはいるのです。

私は、「八ヶ岳教団」のやり方に納得いかない信徒のために、自らの信念に基づいて行動していきたいと思っております。

「復興G」様におかれましては、ますますのご活躍を心から祈念申しあげます。

失礼な物言いの数々、ご寛恕願えれば幸甚です。

2059復興G:2013/06/18(火) 15:51:24 ID:AB6RqYXc

>>2058 :「靖国見真会」参加者様。

ご丁寧な回答、ありがとうございました。

おっしゃることは、わかりました。

それぞれの場で、祈りつつがんばりましょう。

合掌

2061ユタカ:2013/06/19(水) 11:08:36 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、2060ですが、まずい表現がありましたら、削除なさってください。

2062復興G:2013/06/19(水) 14:03:46 ID:AB6RqYXc

>>2060 :ユタカ様

ありがとうございます!!

2063志恩:2013/06/19(水) 15:30:33 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

復興G様の、貴重な新情報、感謝申し上げます。 (๑ˇˇ๑)•*¨*•.¸¸♪

2064ユタカ:2013/06/19(水) 18:05:35 ID:R1D4Jmeg
志恩さま、 総裁や本部に『物申す!』為の最重要な資格とは、やっぱり、会員であること なのではないでしょうか? 外部にいては、もう何も言えないと思うのですが・・・

トキ様 >2060 を削除してください。余計なこと書いている気がします。

2065トキ:2013/06/19(水) 18:12:43 ID:Mh/E.L56
 別に問題はないと思うのですが、どうしても御希望なら削除します。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2066志恩:2013/06/19(水) 20:07:20 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

>>2064:ユタカ様は、
 [総裁や本部に『物申す!』為の最重要な資格とは、やっぱり、会員であること なのではないでしょうか?
 外部にいては、もう何も言えないと思うのですが・・・]

とおっしゃいますが、私は、そうは思いません。

生長の家を辞めて、他宗教の会員になった場合は,生長の家の人間ではなくなったので、
その場合は、生長の家の総裁や教団に、もの申すことの資格は,喪失すると思いますが、

生長の家の教え自体は、辞めてなくて、ゆえあって、聖使命会員や誌友を辞めている人は、もの申す資格があると存じます。

例えば、私は、実家から独立して、結婚し、実家の人間ではなくなり、名前も変わりましたが、
実家とは、心は永遠に繋がっているからです。。、実家のことは、いまでも我が事で、あるからです。

生長の家教団もそうです。
生長の家は、われわれ信徒にとりましては、魂の実家だと思っているのです。

ですから、生長の家の聖使命会員や誌友だった人が、思う所があり、会員や誌友をやめたあとであっても、
実家(生長の家は、魂の実家です)が、とんでもない状態になっていましたら、他人事として、放っては置けないものなんです。

それは、中には、放っておける人もいます。なので、人によりけりですが、、

例えば、教団の会員や誌友をやめて、本流の誌友になっても、
どちらも、同じ生長の家であるのです。

われわれは、本部や教団や、総裁が、、元々の教えと、外れた道にどんどん行ってしまった場合は、立ち返って欲しい旨や、
間違ったことをしている場合は、それは,間違っていると、信徒として、勇気を持って言わなければ、ならないと思っています。

もともとの教えは、個人の問題のみならず、国家の問題も大幅に含んでおりますからね.

ちなみに、私のことを言えば、結論を言えば、私は、まだ聖使命会員です。私は、母がやってくれてた分と自分がやってた分と合わせれば、
50年以上の会員でした。

でした。というのは、私は、雅宣総裁が総裁になってから、聖使命会費
(自分と家族の分)を払うのは、思うところがありまして、やめているからです。

ところが、そのことを、北陸に住む、生長の家に熱心である義兄に言いましたら(これは、前にも言いましたけれど)
それは、まずいと義兄にいわれ。。しかし、私は、今ははらいたくないと理由もいいましたら、それからは、

私の夫と私の分の聖使命会費を、ズ〜〜ッと,義兄が、われわれの代わりに
払い続けてくれているのです。いまでも、そうです。
私は,今の状況では,裁判に使われるので、払うのは,やめて欲しいと義兄に頼んだのですが、聞き入れてもらえませんでした。
義兄は、やはり、払い続けて下さってるそうです。
ですから、私は、義兄のおかげで、いまでも聖使命会員なんです。

2068復興G:2013/06/19(水) 20:54:49 ID:AB6RqYXc

ユタカ様、志恩様

ご愛念に感謝いたします。

私は、ユタカ様のご希望どおり、削除していただいた方がよろしいと思います。

トキ様、よろしくお願い申し上げます。

合掌

2069トキ:2013/06/19(水) 20:59:36 ID:Mh/E.L56
 ただいま、削除いたしました。遅れてすみませんでした。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2070ユタカ:2013/06/19(水) 21:13:46 ID:R1D4Jmeg
>義兄は、やはり、払い続けて下さってるそうです。
ですから、私は、義兄のおかげで、いまでも聖使命会員なんです。

なんだか、面倒味の良いお兄さんで良かったですね。 私は総裁に現在の時点で個人で【 総裁や本部 】 に色々な意見を直接言える権利があるのは、<会員>限定と思います。 勿論、例えば自分のブログ、掲示板などでもご自由ですが・・・ 返事をもらえる可能性の高いのは前者の方でしょう。ですが、返事がもらえなくても、外部からの相当な人数の意見があれば、何かが動く可能性も有るかも知れませんね。 元気な志恩さんはおっしゃりたいのですね。。。
私は、何だか復興G様とお勉強をさせて頂いて、少しづつ心が変わってきました。今は復興G様と勉強を続けさせて頂いて、神様と直結したいです。


トキ様 >2060の事は、志恩さんのあとおしで、そのままで・・・お願いします。 復興Gさまは神様に直結していらっしゃるから。と思います。

2071ユタカ:2013/06/19(水) 21:15:01 ID:R1D4Jmeg
あ、すみません。削除してくださっていてました。すみません。。。。

2073トキ:2013/06/19(水) 21:57:50 ID:Mh/E.L56
>>2072

 猥褻な表現があったので、削除しました。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2074ユタカ:2013/06/20(木) 06:39:35 ID:R1D4Jmeg
>2072はユタカではありません。

2060の書き込みは自分にしか分からない内容なので削除していただきました、あれは一度復興G先生がきてくれた後の話ですから。。。

2076志恩:2013/06/20(木) 07:46:18 ID:.QY5jUA6
ユタカ様、

会員のみが、「総裁、本部」に言える権利があるとおっしゃいますが、
その会員とは、組織に属している人、、という意味でしょうけれど、

トキ様もおっしゃってますが、会員に続している人の発言は、極々少数なんです。

総裁や本部に対して、ここがおかしいとか、会員が、言いますと、大方の場合は、書いたご本人に対して、

厳しい締め付けや、出講停止処分や、自らが辞めざるを得なくなることや、
様々なお仕置きが、あちこちで実際あるし、起こっているのだと、いうことをトキ様も、書かれておられます。

ですから、言いたくても、言うに言えない会員さんも 多くおられると存じます。

会員しか言う権利がないとすれば、総裁や本部は、もっともっと、やりたい放題に
なると、思いませんか?会員は、反対意見があるなら、組織を離れろと上から言われるので、
反対意見は、言えないのですから。

会員がいえるのは、ほとんどが、雅宣総裁への中心帰一の言葉だけでしょう。

これですと、教団本部や総裁は、巧妙なやりかたで、巧妙な言い回しで、会員に伝えますので、
雅春先生の愛国書を絶版にしたことや、鎮護国家をはずしたことや、まままた裁判をはじめることに
なったことも、その他のあらゆるあこぎな事実が、闇から闇へ葬られていくだけではありませんか。

ここで、いくらいってみても、総裁や本部は、ぬかに釘だとお思いでしょうが、

ここの掲示板の役割は、総裁や本部に訴えているだけではないのです。

世界中の生長の家の信徒の閲覧者の皆様あてに、情報を提供して、いるのです。

本流の掲示板で、それらの事実を、発表して下さるので、初めて、会員や信徒が
真実を知る事が、出来ていますし,おかしいことは、おかしいと思い、

本来の教えを護ろうという運動も、出て来ているのではないでしょうか.

つまり、もともとの生長の家の教えは、「個人だけで、勉強しておればいい」それは、
大変大事なことでありますが、その状態だけでは、いつのまにか
雅春先生の教えが、この世から消しさられていても、気がつかないのでは、ないでしょうか?

復興G様の昔の一面をユタカ様が、書いて下さいましたので、うれしく存じましたが、
復興G様は、昔は、総裁に手紙を出されたこともあるほど、積極的に行動され、ご老公のような

貴いお役目も、されておられましたのに、今は、そのようなお役目をされている本流を、
厳しく批判されてると捉えられる発言の数々をされていらっしゃる。。。ということは、

きっと、なにか心境の変化がおありになったのかな、、、と、不思議に思っております。

2077志恩:2013/06/20(木) 07:56:11 ID:.QY5jUA6
発言も、行動の1つだと思っています。

2078志恩:2013/06/20(木) 08:19:19 ID:.QY5jUA6
ユタカ様は、二葉美代先生をよくご存知のお方でいらしたのですか。
それは、幸運なお方でいらっしゃいますね。

二葉美代先生は、とてもすばらしいお方だということは、昔から有名でしたので、
私も、昔からお名前だけは、存じ上げておりました。

昔からご活躍されておられて、当時も白鳩の努力賞か、功労賞も受けられていたような
うっすらとした記憶がございます。

多分、昔、本部でもお目にかかったことがあるのでしょうけれど、記憶がぼやけていて
思い出せません。

榎本恵吾先生の追悼文集の「はじめなく おわりなく」の中で、

二葉美代先生は、【光のある内に】3冊ボロボロに・・・と題されて、追悼文を
寄稿されておられます。
復興G様も、寄稿されておられます。

お二人とも、榎本恵吾先生とは、かなり親交のおありになった間柄でいらしたのでした。

そうでした、そうでした
榎本恵吾記念館も・・・、これ以上、申し上げるのは、控えさせて頂きます。^^

2079志恩:2013/06/20(木) 10:34:06 ID:.QY5jUA6

>>2078: で、 [二葉美代先生は、【光のある内に】3冊ボロボロに・・・と題されて、追悼文を,,,,,,]と書きましたが,

その【光のある内に】という著書とは、先日、復興G様が謹写して下さいましたが、私も、その著書は、持っております。

『光のある内に』は、岡正章先生/榎本恵吾先生著です。とても美しく表現されている深い真理の書です。


>>人々は、なぜ、ハーモニーを愛さずにいられないのであるか。それは、自分自身がハーモニーであるからなのである。

音を組み合わせてハーモニーをつくるという以前に、その一つ一つの音は、すでに本源世界の大調和(大ハーモニー)の世界から発せられて来ているのである。

その本源のいのちが神の子のいのちである。”神の子”とは”ハーモニーの子”ということであったのである。

その本源世界に立って、大宇宙という一大ハーモニーを産み出し、指揮しているのが神の子であったのである。

何という美しいいのちの喜びの体験であろう。

この喜びを語る人の何と美しく輝いていたことか。私はこのような体験を聴きつつ自分のいのちが新しく甦って来るのを憶えるのである。<<

                       と

2080復興G:2013/06/20(木) 11:00:30 ID:AB6RqYXc

>>2079 :志恩様。

>>人々は、なぜ、ハーモニーを愛さずにいられないのであるか。それは、自分自身がハーモニーであるからなのである。

音を組み合わせてハーモニーをつくるという以前に、その一つ一つの音は、すでに本源世界の大調和(大ハーモニー)の世界から発せられて来ているのである。

その本源のいのちが神の子のいのちである。”神の子”とは”ハーモニーの子”ということであったのである。

その本源世界に立って、大宇宙という一大ハーモニーを産み出し、指揮しているのが神の子であったのである。

何という美しいいのちの喜びの体験であろう。

この喜びを語る人の何と美しく輝いていたことか。私はこのような体験を聴きつつ自分のいのちが新しく甦って来るのを憶えるのである。<<

よく、すばらしい榎本先生のご文章を謹写してくださいました。

そうです、すべての人は本来神の子、ハーモニーの子であるから、ハーモニーを愛さずにはいられないのですね。

私は、上記のご文章を読んで、本当に魂が打ち震えるようなよろこびを感じます。

そして、今、そのよろこびを、この地上にもっともっと拡げていきたいと、切に切に願い、実践して行こうと決意を新たにしています。

ありがとうございます。

2081ユタカ:2013/06/20(木) 12:14:01 ID:R1D4Jmeg
志恩さま

>会員しか言う権利がないとすれば、総裁や本部は、もっともっと、やりたい放題に
なると、思いませんか?会員は、反対意見があるなら、組織を離れろと上から言われるので、
反対意見は、言えないのですから。

会員がいえるのは、ほとんどが、雅宣総裁への中心帰一の言葉だけでしょう。
=====

総裁や本部に<直接>物が言えるのは会員だけです。 家族でも同じだと思います、家の中ことは家族しか言える権利がないです志恩さんのところは、家の中のルールに対して隣の家の人がアーダコーダ言って来るとして相手にしますか?
それを言いたいのです。 言いたければ、まず、志恩家の家族になってルールに従わなければいけないと思います。そこで、初めて物が言えると思いますよ。 
物が言えない時は志恩家を飛び出て独立する。 そういう事だと思います。

志恩家がいくら道を間違えて、近隣から悪口を言われようとも「余計な世話だ!」と突っぱねているのが現教団でしょう。

会員への締め付けはあります。 現に、講習会推進中に、あと3ヶ月で講習会だと言うのに、本部で数のこと言われて頭にきた連合会長があっさりとさっさと辞めたと訊いたことがあります。

私は、無理をして本部の締め付けに従うよりずっと、自分の意見を言ってさっさと生長の家の組織を捨ててしまった方をカッコイイと思います。いわゆる、見切った方です。
そして、次の人材も同じ用に本部の実態が分かるのでしょう。 愛国の事は現教団にはもうほとんど残っていないのが現実で今はエコの時代、青年は肉を食べない、電気代がどうの・・・

青年会は活気もやる気も感じない。これが教団のあとつぎ。。。

志恩さま、トキ様、も 復興G様も 教えの基本が天地一切のものと和解せよ。 という教えですから、神を現すために純粋に取り組んでいらっしゃると、私は尊敬してみていますし、応援しています。
私は、見えるものが現実だと、実相がまだ見えない段階だから、いろいろと善悪をつけた書き込みをしていますが、

復興Gさまは、久遠の今 の立場で一貫して発現なさって、私は少しづつ、生長の家をどう生きるかが見えて来た気がしています。
トキさまに感謝しながら、こちらで勉強会をさらに続けていきたいです、復興Gさまはじめa hopeさま 皆さんのお世話になりながら・・・ です。いかがでしょうか?

2082ユタカ:2013/06/20(木) 12:20:10 ID:R1D4Jmeg
>志恩家がいくら道を間違えて、近隣から悪口を言われようとも「余計な世話だ!」と突っぱねているのが現教団でしょう。

変な書き方ですね、例え話と現実がゴチャゴチャです。

志恩家がいくら道を間違えて、近隣から悪口を言われようとも「余計な世話だ!」と志恩家は突っぱねるでしょう。そういうことを現教団は行っていると思います。

2083ユタカ:2013/06/20(木) 12:30:38 ID:R1D4Jmeg
ユタカはハーモニーなど音楽のなどの高尚なことは分かりません。嫌いでないですが、積極的に歌いたいとは思いません。

ただ、素晴らしい音楽から感情は読み取れて、様々な思いは受け取れますが・・・。それだけです。 志恩さまはどうなのですか?

復興G様は、歌っていらっしゃる様子ですね。。。

2084復興G:2013/06/20(木) 14:22:48 ID:AB6RqYXc

私は、>>2054で、

≪『神癒の展開としての人類光明化運動―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―』 というのがあります。これは、53字×19行×1000頁 すなわち約100万字にもなる膨大な論文です≫

という榎本恵吾先生の論文について触れさせて頂きました。

これは、榎本先生が宇治別格本山の神癒祈願部長をされていたとき、平成10年から11年(1998.7.1〜1999.11.29)に、毎日「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」で神想観・神癒祈願をされたあと、この論文を書かれたのだそうです。論文といっても頭で考えた論文ではなく、祈りからほとばしり出た、内なる神の声と言ってもよいものでしょう。これは、大晦日の12月31日にも、元日の1月1日にも、1日も休みなく書かれております。

榎本先生はパソコンは使われず手書きで書かれる。それを職員がパソコンで打ち込み、プリントアウトしたものを、当時本部に設けられていた「光明化運動・21世紀を考える検討委員会」宛に送っておられたようです。

検討委員会では、教化部長・本部役職者・本部講師の人たちから「提言書」を募集していたのですが、「優秀提言の選考と褒賞」の対象としては平成10年6月末で締め切ったので、7月以降に提出された榎本先生の論文は選考の対象とはならなかったようですが、これを読んだ担当者は、非常な感銘を受けたと漏れ承っています。

今、私はそれを保存されていたのをいただき読み返してみて、実に「今」――行き詰まり・分裂状態を呈している(と思われる)生長の家の運動を根本から考え直すために、用意されていた光明化運動論ではないかと、深い感銘を覚えます。

このweb誌友会板は、『生命の實相』をテキストとして生長の家の真理を深く学ぶことを目的にしていますが、この榎本先生のご文章は、『生命の實相』の神髄を理会するためにも、読めば非常に助けとなるものだと思いますので、これから毎日、榎本先生が書かれた1日分ずつをここに謹写掲載させて頂きたいと思います。

よろしいでしょうか。

ありがとうございます。

2085復興G:2013/06/20(木) 15:00:26 ID:AB6RqYXc

では、最初の第1回分を 謹写掲示させて頂きます。

  『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

          一

 生長の家の根本聖典である『生命の實相』には、あの「人類光明化運動発進の宣言」が載せられていないのは何故であるか、ということは、まことに厳かな意味で一考を要することではなかろうか。

 さて、そのことはひと先ず別にするとして、『生命の實相』第一巻、本論の冒頭には、高らかに、

   生命の實相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。

とうたい上げられているのである。

 生長の家人類光明化運動の根本聖典の冒頭において「神癒」について書かれているということは、生長の家人類光明化運動が神癒の展開として発進していることを意味すると同時に、ここには、その神癒とは何であり、如何にしてそれが起こり得るのか、ということが示されていると拝察させて頂くのである。

 神癒(メタフィジカル・ヒーリング)とは、生命の實相の自性円満を自覚した時に起こるところの、よろこばしき、明るきなにものか、であるということである。

 さて、神癒祈願部というのは尊師によって純粋宗教部門として出発しているのであるが、純粋とは何であろうか。純乎として純なるものとは、神であり、完全なる實在の相であると言わなければならないのである。このことは、神癒の展開としての生長の家人類光明化運動においては、この世界及び人間について、純一に、自性円満なる實相として観じられていなければならないことを意味するのであって、現象処理が大切であるという名のもとに、いくらかでも、實相独在をはなれて、現象を認めた上での人類光明化運動であってはならないことを意味しているのである。

 この運動は「今起て!」という啓示によって起った光明化運動であるが、その天の声は、

「無いものは無いのだ。知れ! 實相のみがあるのだ!」という極まった唯神實相の自覚がそこに現成した、そのところが「今」であり、そこに出発が成り立ったのであり、いささかも現象への妥協によってではなかったのであることをはっきりと確認しておかなければならないのである。そのことは唯神實相、實相独在、光明一元であり、救われていないものは一人もいないということであればこそ始まったところの運動であることを意味するのである。

 ひるがえって想えば、「人類光明化運動発進の宣言」は、現象世界の状況を認めた上での方便的宣言であると言わなければならないのではないか。こちらの方は、世界が不完全であればこそはじまった運動であるというところに方便的要素があると言うことである。これはつまり状況論であると言わなければならないのである。

 一方、『生命の實相』の方は、たとえ、そのような状況が無くなったとしても、それを超えて、神がこの天地を必要性や状況への対処のために創造され給うたのではなく、神はすべてのすべてであり、完全であればこそ、その完全なる相の自己展開として天地創造が行われ、神は今に至るも創造され、生長されつづけているという、その創造としての、久遠の創造のすがたとしての人類光明化運動であることがそこに顕われているといわなければならないのである。

 それ故、「人類光明化運動発進の宣言」の方は、苦しみ悲しみがあればこそ起たざるを得なかったという方便的表現であり、『生命の實相』の方は、うれしいからこそ起たざるを得なかった、ということになっているのである。

 このことは、世紀を超え、状況を超えた運動のあり様が謳われているということなのである。そこに『生命の實相』が根本聖典であるゆえんがあると拝察されるのである。ここに尊師谷口雅春先生が『生命の實相』に、「発進宣言」を載せられなかったゆえんの一つがあるのではなかろうか、という想いに至らざるを得ないのである。(1998.7.1)

2086志恩:2013/06/20(木) 21:57:08 ID:.QY5jUA6
>>2081:ユタカ様

ユタカ様は、教団を「あかの他人の燐家」に例えられたところをみますと、
きっぱりと、教団に見切りを つけられたのですね。

私は、まだ「実家」に例えており、なんとかならないものかと、無意識に考えていたところがございました。
それは、未練が、心の隅に 残っていたのだと ユタカ様のおかげで気づくことが出来ました。

ユタカ様は、雅宣総裁の文章を、うかつに読んだりされたら、体調を崩して、2〜3日、寝込まれるそうで、、

私も、随分前、雅宣総裁の講習会に参加した後、ひどく気分が落ち込み、帰宅後、急性胃炎になり夜中に吐き、
体調を崩しましたので、凝りまして、その時以来、2度と雅宣総裁の講習会へは 行っておりません。

でも、雅宣総裁崇拝者の書き込みを見ますと、心が楽になった人もいて、失礼な言い方をしますが、
だて食う虫も好きずきとは、このことを言うんじゃないかと思ってしまいます。

生長の家は、病気が治るところなのに、元気な人が病気になる「今の教え」って、いったい
なんなんでしょう。

雅春先生の著書を拝読しますと、心がやすらかになり、癒されて ほっとします。
ありがとうございます。

2087復興G:2013/06/21(金) 10:47:18 ID:AB6RqYXc

  『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

          二

 二十一世紀を目前にして想うことは、二十二世紀を想うことである。

 当面の目前に迫った二十一世紀のことを考えることと並行して、百年をかけて二十二世紀を考えて行くこと、二十二世紀を迎えるための百年として、さまざまな実験的なことを行う百年と考えては如何なものであろうか。

 例えば、カトリックの世界公会議では、百年分の方針を決めるのである。百年単位で決定するのである。百年変更しないのである。そのために、たしか、十数年間くらい会議がつづけられるというようなことを読んだことがある。

 おそらく、百年かけて次の百年分を考えて行くということになっているのではないだろうか。

 さて、人類の歴史は、天動説を経て、地動説となっているが、やがてそれは心動説へと移って行くと想われて来るのであって、歴史の区分も、天動説時代、地動説時代、心動説時代という区分のしかたとなって行くと想われるのである。

 宇宙の動きの原因が天から地へとうつり、さらに心の中に近づくにしたがって、人類は遠くに到達するということになって来ているのであって、これは、心の内に宇宙を把握することの反影であると想われるのである。心の中にすべてがあることの反影であると観ることが出来ないであろうか。

 さて、吾々は時代を先取りするという観点からすれば次のようなことも浮かび上がって来るのではないか。

 つまり、医学が発達するということは如何に簡単に治し得るかということに帰するのであろう。そのことから考えると、神癒祈願に受付で申し込んだだけで治るということがあり、あるいは代理が申し込みに来て、受付で書類を書いて申し込みをするだけで、病気が消えてしまうというようなことが頻々と起きているというようなことになると、医学が如何に発達しても、受付で申し込むだけで治るというような時代は、果たして何百年後のことであるのだろうか。予想もつかないほどのはるか彼方の遠い先のことではないだろうか。そのはるか彼方を先取りしているのが生長の家であるということが出来るのではないかと想われるのであって、それを科学のレベルにおいて如何に説明し得るかということが重要な問題となって来るのである。

 さて、生長の家を如何にして新しい人に知らせるかということが根幹のテーマとなって来るのである。ここに「伝わり方の研究」ということが私のテーマとなって来ているのである。

 例えば、あの教えは“深い”とか、“崇い”とかというコトバはどのような時に、聴く人、あるいは読む人から、何を、どう受けとめたときに、自然と発せざるを得ないのであるか。

 あるいはまた、「ある時から、み教えが自分の心の内に入って来るようになった」というコトバを発する人は、それは如何なる時にその言葉を発せざるを得ないのであるか。どのような時に、入って来るということが起きるのであろうか……等である。

 しかし、先ず心におくべきことは、『生命の實相』の奇蹟的説法を永遠に古くなることのなきものとして参考にしなければならないことは、はっきりしているのである。何故ならば、生長の家は谷口雅春先生だけで他の全人類がすべて新しい人であった時に、感動を与え、病気さえ消えてしまうほど深く新しい人々に解せられることのできたすがたが、ここにあるからである。(1998.7.2)

2089復興G:2013/06/22(土) 07:31:24 ID:AB6RqYXc

  『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

          三 (1日1文ずつ謹写掲示。cf.>>2084

 来たる世紀は「心の時代」であるとか、「宗教の時代」であるとか言われて久しいが、その心で悩み抜いたのが谷口雅春先生であり、その心を超えたのが尊師であり、生長の家なのである。宗教も心によってあるのであるから、心を超えたということは宗教をも超えたと言えるのである。すべてを超えたのが生長の家なのである。すべてを超えて、はじめのはじめの一つなるものに還ったのが万教帰一ということなのである。万教帰一とは万物帰一ということなのである。一つであることがすべてのすべてであることなのである。

 「国際平和信仰運動」ということにおいても、世界が一つである實相なるものの上に立ってのことであり、バラバラなるものを一つにするというのではなく、一つなるもののあらわれ又は展開としての世界平和あるいは世界調和ということであって、明るさと平安なるよろこびがその運動には満ち満ちているのである。

 それははじめのはじめが今ここに生きている明るさなのである。

 聖書の「ヨハネ伝」の冒頭に「はじめに言葉あり」と書かれているが、「はじめ」とは英語で「Very Beginning」と書かれているのであり、これは「はじめのはじめ」ということであり、一つであることを意味しているのである。

 神癒祈願の申込書を前にして祈っていて、この「五千名」の人々の苦しみをいっぺんで消せないものだろうか、いや一度の祈りで全宇宙の苦しみを消せないものだろうか……、と想った時、谷口雅春先生がニコニコとした表情で神想観の中に観じられて、

「それをやったのが私だよ」

「それをやったのが生長の家だよ」

という言葉をたしかに私は聴いたのである。これこそが、はじめにあるコトバであり、はじめに帰ったすがたであると拝察されたのである。そのよろこびに満たされて出発したのが、生長の家人類光明化運動であり、国際平和信仰運動なのである。一つなるもの、完全なるもの、光明なるものとは、このはじめのはじめの意味するものなのである。即ち實相ということである。

 谷口雅春先生と縁のある人々は、本によってであろうと、同時代に生まれたというだけでも、縁を得たという魂はすでに、「それをやったのが私だよ。それをやったのが生長の家だよ」ということを知っているのであると想われるのである。このお言葉を私はどれだけ受けとめ得たかということは別として、なぜ私たちは生長の家でなければならなかったのか、ということの根本に、このお言葉の中身をその魂が知っているからなのだ、ということだけは、はっきりとしたことであるのである。生長の家にご縁をいただいているすべての魂に無限の敬意をもって接せずにはいられないのである。

 『生命の實相』は永遠のベストセラーであると仰がれるゆえんは、bestなる世界において、bestなる著者が、なベストる読者を拝んで書かれたものであるからなのであって、一冊でもbest sellerベストセラーなのである。

 『生命の實相』の本論が「生命の實相の自性円満……」ということからはじまっているということは、「これから生涯にわたって私の書くすべての説法は救うための本ではありません。ただただ祝福礼拝のための本であります」ということの偉大にして荘厳きわまりなき宣言であると言わなければならないのである。bestとbestであればこそ通い合い、通じ合うということが現成しているのである。(伝わり方の研究) (1998.7.3)

2090復興G:2013/06/22(土) 07:37:10 ID:AB6RqYXc

>>2089 誤記 おわび訂正です。(終わりから2番目の段落)

× なベストる読者を拝んで

○ best なる読者を拝んで

2091a hope:2013/06/22(土) 10:27:40 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

ここのところ、忙しくて、なかなか掲示板に向かう時間が取れませんでした。
ご無沙汰している間に、このweb誌友会板にたくさんの書き込みがあり驚いています。
1週間前くらいの記事から、プリントアウトして拝読しています。
素晴らしい真理のお勉強ができることに心から感謝します。

また、ユタカさまご提案の「生命の實相」第4巻も自主勉強も続けています。
また、質問や赤線を引いた所などを紹介させていただくかもしれません。

みなさまどうぞよろしくお願いいたします。

2092神の子さん:2013/06/22(土) 10:40:30 ID:L3wOjSWM
>>2089

ご自分のホームページを紹介するほうが簡単ではございませぬか?
いくら無料掲示板とはいえ、ビッグデータは今後のインターネットの課題となりつつあります。

2093志恩:2013/06/22(土) 11:03:22 ID:.QY5jUA6
トキ様

お読みになりました??

>>2092:の神の子様が、

まるで、ここの掲示板を、ご自分の監視下の掲示板みたいなエラソ〜〜なこと、おっしゃってますけど。

教団も遺産も、その上、今度は、ここの掲示板も オレ様のもの。。みたいな。

あまりね、欲張り過ぎますと、あなた(緑色の神の子さん)、
大きい籠を選んだ舌きりすずめのおばあさんみたいな目にあいますわよ。

>>「ご自分のホームページを紹介するほうが簡単ではございませぬか?」<<

ここのですね、「ございませぬか」って、いう言い回しが、アーサー王っぽいんだよね。

ところで、あなたの部下の、ランスロット君は、最近いらしていませんが、お元気でしょうか?

2094志恩:2013/06/22(土) 11:15:07 ID:.QY5jUA6
神の子さんではなく、いつものお名前で出られて下さいませ。

2095トキ:2013/06/22(土) 11:17:58 ID:JSI6eQpM
>>2092

 ご投稿には感謝します。

 しかし、復興G様のご投稿は全てテキストデータですから、ビッグデータには該当しません。
内容も素晴らしく、多くの人の利益になっています。むしろ、今後の生長の家には絶対に必要な
ものだと考えます。

 従って、ご意見には賛成しません。

 今後、同種のご意見は別板の運営板でお願いします。

 復興G様、これからもご投稿をぜひお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2096うのはな:2013/06/22(土) 11:33:33 ID:buTH5B6I
>>2094 名前:志恩 投稿日: 2013/06/22(土) 11:15:07 ID:.QY5jUA6
神の子さんではなく、いつものお名前で出られて下さいませ。

  どのような(誰)の名前だと思いますか?

2097ありがとう:2013/06/22(土) 12:03:42 ID:???

>>「ご自分のホームページを紹介するほうが簡単ではございませぬか?」<<

そうやって勝手にURLを貼り付ける愚かなブロガ―をよく見かけますが

 この掲示板に 文章が掲載されることに価値があるのです。

2098志恩:2013/06/22(土) 12:08:59 ID:.QY5jUA6
うのはなさま

あのお方です。いくつもの お名 がございます。その1つが、アーサー王です。
ちなみに、アーサー王とランスロット君の、象徴的な間柄を表す動画は、かって、別板に貼ったことがございますけれど、
部屋板へでも、再掲しますか? トキ様、相応しくありませんでしたら、離れ島への移動を、、お願いします。

2099復興G:2013/06/22(土) 17:10:08 ID:AB6RqYXc

皆さま

ありがとうございます。

私が謹写掲示させて頂いている 榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動』 というご文章は、本邦初公開、いや地上世界初公開のものであると思います。
もし、どこかのホームページ(ウェブサイト)等に既に公開されているところがありましたら、教えて頂きたく、お願い申し上げます。

2105<削除>:<削除>
<削除>

2106トキ:2013/06/22(土) 19:24:51 ID:JSI6eQpM
 上の投稿を以下のように訂正します。

 Web誌友会/2 板の2100と2101のご投稿は、別板の掲示板・運営/方針 板
へ、管理人の判断で移しました。投稿者様には深くお詫び申し上げます。

http://jbbs.livedoor.jp/study/11788/

 続きは、そちらへのご投稿をお願いします。

また、復興G様におかれましては、気にせずに、続きをご投稿をお願い申し上げます。

 なお、この板は、web誌友会という特殊な正確の板ですから、復興G様がご投稿中は、
他のご投稿者様は、他の板へのご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2107復興G:2013/06/22(土) 20:49:24 ID:AB6RqYXc

トキ様、ご配慮ありがとうございます。

合掌

2108トキ:2013/06/22(土) 21:33:56 ID:JSI6eQpM
復興G様

 いえいえ、こちらこそ、行き届かず、たいへん申し訳ありませんでした。

合掌 ありがとうございます


管理人敬白

2109神の子さん:2013/06/22(土) 21:56:38 ID:kj2UqabE
現役信徒さん、お疲れ様でごわす

2110復興G:2013/06/23(日) 06:37:19 ID:AB6RqYXc

  『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         四  (1日1文ずつ謹写掲示。cf.>>2084

 さて、今世紀最大の出来事はなんであったか。それは生長の家の出現であり、尊師谷口雅春先生が降誕されたこと、そしてご昇天されたことであると、私たち生長の家信徒は誰しもがうなずけることに違いないのである。

 「生長の家の出現は、宇宙はじまって以来の荘厳である!!」

 と思わず感嘆した人があったと聴くが、その人は、尊師の全宇宙の救済について、

 「それをやったのが私だよ」

 「それをやったのが生長の家だよ」

 というひびきの中身にふれた人であったのであろうと想われて、うらやましい限りである。

 さて、イエス・キリストの十字架上の昇天には色々の意味、解釈があってその違いによって宗派が別れているほどであるときくが、その一つであろうか。イエス・キリストは弟子の前で色々な奇蹟を起こされたのは、弟子たち一人一人の中に、神がましまし、そしてみ業を為し給うのであり、「あなた方一人一人の中に神と神の国があるのである」 と弟子たち一人一人の内なるものを祝福し、拝み給うたのであった。

 しかし、弟子たちには、その師であるイエスがみ業をあらわせばあらわすほど、「あれは、イエスだからこそ出来るのである」ということになってしまって、尊敬はするが自分のことではないことになってしまったのであるという。

 そこでイエスは、弟子たち(人類を含む)の前から、自分は一度は姿を消す必要がある。そして弟子たちが肉体上の自分(イエス)の方ばかりを向くのではなく、自分の内を向くようにとの願いをもって十字架につき給うたのである、という解釈である。

 これによると十字架のお姿そのものが、弟子たちの内なるものへの拝みであり、祝福であり、愛なるものの燦然たる輝きそのものであるということになるのである。

 さて、尊師谷口雅春先生は卒然として九十二歳でご昇天あそばされたのであった。そして肉体のお姿を消し給うたのであった。これは、

 「私の方ではない、皆様お一人お一人の中ですよ。自分の内を拝みなさい」

 との拝みのお姿であったのであると拝察するのである。最後に肉体をお消しになることによって、そのお消しになったそのことが、肉体を捧げるという姿において最大の拝みを成就され給うたのであるということである。

 自分の片腕を燃やして世界を明るく照らしたという御仏がいまし給うたという仏教の話があるが、尊師谷口雅春先生は、ご自分の肉体すべてを捧げ、お使いになって、それを消し給うということによって最後の拝みを成就し給うたのである。

 それはまことに燦然とした愛なるものの輝きそのものであったのである。そしてそれは今も尚、さらに私たちの中において輝きを増されつづけているのである。

 谷口雅宣先生が、そのご昇天の日、山の上に夕日が燦然と輝いているのを、たしか総本山に向かう車の中でごらんになられて、

 「尊師はあの山の上にいましたのである」

 という感慨をお述べになっておられるのを拝読させて頂いたことがあったが、まことに燦然たるものを尊師谷口雅春先生のご昇天のことの中に確かめられておられたのである、と拝察せずにはいられないのである。

 「すべてを為し終えた気がする」

 と、尊師谷口雅春先生は 『生命の實相』 を完結せられた時にお述べになっておられるが、その意味は、ただ単に 「私の役目を為し終えた」 というようなある部分としての役目を果たし終えたというようなことでは決してなくて、釈尊が

 「かつてすべてのものをして吾れと等しくしたいという願いを起こしたが、その願すでに満足せり」

 と宣(の)り給うたことを、尊師谷口雅春先生は全宇宙の一人の病むものなき救済について、

 「それをやったのが私だよ」

 「それをやったのが生長の家だよ」

 という中身をもって宣り給うたのであった。それが唯神實相、實相独在論の威厳であることを銘記しなければと想うのである。(1998.7.4)

          ○

 榎本恵吾先生もまた、自分の肉体すべてを捧げ、使い切って、肉体を捧げるという姿において、

 「皆様お一人お一人の中ですよ。自分の内を拝んでください」 という最大の拝みを成就されたと思われます。(復興G)

2111復興G:2013/06/24(月) 06:44:55 ID:AB6RqYXc

  『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         五  (1日1文ずつ謹写掲示。cf.>>2084

 例えば組織の問題であるか何の問題であるとかを問わず、問題そのもの、現象そのものを “無し” として解決しているのが生長の家なのである。

 “現象なし” “不完全なし” と全現象宇宙を斬り捨て、全現象を “無し” と完全に現象を処理し終えているのが生長の家なのである。

 この完璧なる解決の上に立って人類光明化運動が発進しているのである。それ故、あらゆる問題にあたっては、教えの中そのものに求めよ、ということなのであり、それは充分に用意されてはじまっているということなのである。晴れ渡って進んでいるのが生長の家人類光明化運動なのである。

 “現象処埋が大切” という言葉は、針の先ほども現象を相手とし、それを認めての言葉ではないのであって、全現象宇宙を “無し” と消し給い、処理し終えて “こと終われり” なのが生長の家なのである。そしてそこに一点の曇りなき、神そのもの、實在そのものとしての価値創造としての光明化運動が純粋に持続されているのである。それが 「住吉大神宇宙を浄め終りて天照大神出でましぬ」 ということなのである。

 ありとしあらゆるものが、今、天照大御神そのものとして拝まれているのが全存在であり、天照大御神が天照大御神しているのが、光明化運動の 「光明」 ということなのである。

 「光明とは何か」

 それは、はじめのはじめより、ありとしあらゆるものとして、平等に、すでに、今あるところの “よろこばしきさやけさ” ということである。

 光りとは神であり、神はすべてのすべてであり、神の外にあるものなしであり給えば、光りははじめからすべてのすべてなのである。その光りなるものの存在には、新しい者も古い者もないのである。

 この共通なるもの、しかもはじめからあり、完全なるものがあるということが 「伝わる」 ということの基なのである。

 それ故、あまりにも、新しい人とか外の人とかということをクッキリとしすぎて、相対的な運動になっては、勿体ないことになるのである。

 「神には、新しい人も、古い人もないのですよ」

 「神には、教えの内に居る人も外に居る人もないのですよ」

 「もしも神がいるとすれば、『信仰をしたものは生かすが、信仰をしないものは生かさない』 ということは不自然なことで、そんな神に対しては 『何故、神は、平等に信仰をするように生んでおかなかったのか!!』 という不平と裁きしか生まれないのです。生長の家が感謝の教えであるといわれていますが、それは、不平、裁きの起こらない神を発見しましたよ、ということであります」

 ということが、表現はその時、その人によって様々に展開されていくのであろうが、説法、表現の基礎になっていると拝察されて来るのである。

 あらゆることの前に 「生きとし生けるものを生かし給える御祖神」 と感謝して唱えるようになっていたり、また 『生命の實相』 の冒頭に 「生命の實相の自性円満(そのままでえんまんなこと)」という言葉があり、また谷口清超先生の第一論文である 『文化の本源としての神想観』 の中に、「宗教は要するに、そのまま仏であり、神であることを知らせることである」 という意味のお言葉があるのは、内と外とを分けず、新しいものと古いものとを分けない拝みに立脚していることが、そこに尊師と基を一つにして表現されていると拝察されて来るのである。(1998.7.5)

2112ユタカ:2013/06/24(月) 23:30:30 ID:R1D4Jmeg
五の質問です。

>例えば組織の問題であるか何の問題であるとかを問わず、問題そのもの、現象そのものを “無し” として解決しているのが生長の家なのである。

 “現象なし” “不完全なし” と全現象宇宙を斬り捨て、全現象を “無し” と完全に現象を処理し終えているのが生長の家なのである。
____________

質問いたします。

1、「大自然讃歌、観世音讃歌」などのお経の存在はどうとらえるのでしょうか?などは『現象なし』とすると、二つの経?も神様から与えられたる素晴らしいお経?ということでよろしいのでしょうか?

2、榎本先生の仰ることは素晴らしいですが、本当に素晴らしすぎるほどお見事なのは分かりますが、生命の実相が買えない教区で困っている人に『無い!!』って・・・・本当に無い!!・・・・現実に現象宇宙を消した状態みたいじゃないですか・? 

榎本先生の話は、高尚すぎて現実味があるのでしょうか? 混乱期の今には合わなくはないのでしょうか?

よっぽど、修行の立った人しか理解できない気がします。。。

途中でこんなこと書いていいのでしょうか??


ときさま、バランスが悪い時はこれを削除してください。

2113ユタカ:2013/06/24(月) 23:37:20 ID:R1D4Jmeg
自主勉強に入るタイミングが分からない。

今回の誌友会は終了したのですか? 次回の範囲はどこになるのですか?

次回の範囲の周辺まで自主勉強をした方がいいかな?と思いますが? 先に進みすぎると調和が取れませんようなきがして・・・

いかがでしょうか?

2114こんにちは:2013/06/25(火) 02:57:15 ID:nSg7g3W2
>>2112 ユタカ様
榎本先生は、上記のことを命がけで実践されていました。
たとえば、ある方がプレゼントとしてお酒を持ってきたとき、榎本先生はその場で、お酒を瓶のままグビグビと飲み干してしまったことがあったそうです。
喜びを全身で表現されたんだと思います。
お酒を仏の慈悲と礼拝されたのでしょう。
私は、「現象なし」に徹する者の姿を見る思いがしました。

復興G様の引用は、言葉として受け取るだけでは何の意味もない、と思います。
その言葉の背後にある、榎本先生の生き様を見ることが大切なのだと思います。
復興G様は、おそらく榎本先生の生き様を、そばで見てこられたのでしょう。
だから、榎本先生の言葉をこれほどまでに愛されるのだと思います。

復興G様にとって榎本先生の言葉は、人生そのものなのでしょう。

2115志恩:2013/06/25(火) 06:23:16 ID:.QY5jUA6
復興G様

>>2112:で、ユタカ様が発言された五のこと〜

>例えば組織の問題であるか何の問題であるとかを問わず、問題そのもの、現象そのものを “無し” として解決しているのが生長の家なのである。

 “現象なし” “不完全なし” と全現象宇宙を斬り捨て、全現象を “無し” と完全に現象を処理し終えているのが生長の家なのである。
____________
ユタカ様の復興G様への質問

1、「大自然讃歌、観世音讃歌」などのお経の存在はどうとらえるのでしょうか?などは『現象なし』とすると、二つの経?も神様から与えられたる素晴らしいお経?ということでよろしいのでしょうか?

2、榎本先生の仰ることは素晴らしいですが、本当に素晴らしすぎるほどお見事なのは分かりますが、生命の実相が買えない教区で困っている人に『無い!!』って・・・・本当に無い!!・・・・現実に現象宇宙を消した状態みたいじゃないですか・? 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私も,上記のユタカ様の質問と同じ疑問を持ちました。

現象なし、不完全なし、と切り捨てるとは、今、生長の家で起きている様々な理不尽な現象で起きている事も、
現象はないのだからと、表れた現象に目をつぶって、見ないようにして、ただ「実相独在」を念じているのが、生長の家だと、おっしゃるのでしょうか?


========================
以下、貼付させて頂きますが、榎本恵吾先生は、「生長の家とは、家庭信仰であると思います」とおっしゃっておられたようです。
ということは、
生長の家の基本とは,
まず、神様、ご先祖様に感謝し、家庭の親兄弟、妻、夫、子供たちに感謝し、仲睦まじくすることが、基本だということだと存じますが、

総裁ご自身が、雅春先生のお気持ちを疎かにして、全ての兄弟と喧嘩し、教団から弟妹たちを、追放している状態が、基本なのですから、
立っている位置が、基本に立っていないのですから、
どうしても、やることなすことが、うまくいかないのではないでしょうか。

それで、ユタカ様の1と2の具体的な問題へのお答えを、教えて頂きたく、よろしくお願い致します。
-----------------------------------------------
生長の家宇治別格本山 VOICEより

>>「神はすべてのすべて 榎本恵吾先生」
大熊 良樹 (京都)
 (前略)
 昨年末。本山にて、山口職員の結婚披露宴が行われた。その時に榎本先生が贈る言葉として
「私は生長の家とは、家庭信仰であると思います」といわれたことがある。まさにその言葉通りに家族に囲まれ、
 共に真理の言葉を響かせながら坐亡された先生であった。2005/8/6>>

2116志恩:2013/06/25(火) 06:46:39 ID:.QY5jUA6
Web 宇治別格本山E−VOICより


無の門關に坐して〜その4 
  “無”と言えるすべては無く、その無しも無く〜 【窊】

榎本恵吾


副総裁先生(当時の、雅宣先生)は数年前の代表者会議の結語において、「この運動方針も 物質であるから現象であるということが出来るのでる」と言われているのである。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
運動方針とはそこに書かれていることと、それをもとに展開するすべてが 含まれているのである。

それが現象である。ということは運動方針は“すぎゆかん”ということを表現しているものと拝察されるのである。

現象であるということは“無い”ということなのである。

その後、全国教修会においてはハッキリと「人類光明化運動は現象であります」と言われているのであり、生長の家人類光明化運動を代表しているお方が、
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そのように述べられていることは、

光明化運動自身が“私は無いのである”との、消え切りの、澄み切りの、聖の聖なる鳴りひびきがそこに現成していることを示している、
と拝察されて来るのである。

光明化運動が消え切りの澄み切りであることは、天地一切萬物を最大に受け入れているということを意味しているのである。

最大なるものは神である。

萬物を“無の門関”を通して神として受け入れていることを意味しているのであり、天地萬物への礼拝運動が、生長の家人類光明化運動であるということが言えるのである。

それは、今ここにおいて現成している光明化運動のすがたであるのである。神あるいは時空を超え、自己を超え、すべてのすべてを超えてここに現前し、
厳存ましましているのである。

神は今であり給うのである。神が今であり給うことは、今ここが天国極楽浄土であるということにほかならないのである。

天地一切は光りであり、この運動方針も光りであればそれを発見しているところの、人間もまた神の子であり、神であり、光りであり給うのである。

神であり給うということは、その人はその人ではないということなのである。 その人ならざるその人から運動方針を読み上げているのである。

“私は神である”ということは私は無く、神である。荘厳なる姿そのままが鳴りひびいているのである。

神は一人ですべてのすべてであり給うのであり、“神の外にあるものはなし”であり給うのである。


“今こそ自然から学ぼう”ということは、

自然なることとは如何なることであるかということから 出発しなければならないのである。

自然の自然なるものとは神である。自然から学ぶとは神から学ぶということにほかならないのである.
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
自然の自然なるもの、神から生れ出ているのである。

自然から学ぶということは、神である自分から自分を学ぶということでなければならないのである。
それが自然の自然なることなのである。

その限りない懐かしさと新しさをもって出発して行くことが、「自然から学ぼう」という言葉を生んでいると想われるのである。

それはただ単なる自然の人間に対する効用性の研究ということから出て来るだけの言葉ではないということなのである。

さらに懐しさは愛という聖なるものへと昇華しているものなのである。(以下、略)

216 2005/7/27
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2117志恩:2013/06/25(火) 06:54:51 ID:.QY5jUA6
雅宣総裁の、立ち位置〜

①副総裁先生(当時の、雅宣先生)は、
数年前の代表者会議の結語において、「この運動方針も 物質であるから現象であるということが出来るのでる」と言われているのである。

②その後、全国教修会においてはハッキリと「人類光明化運動は現象であります」と言われているのであり、、、

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恵吾先生の立ち位置〜

自然の自然なるものとは神である。自然から学ぶとは神から学ぶということにほかならないのである。

自然から学ぶということは、神である自分から自分を学ぶということでなければならないのである。
それが自然の自然なることなのである。

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「自然から学ぼう」、1つとりましても、
雅宣総裁は、現象である。と捉え、

恵吾先生は、自然から学ぶとは、神から学ぶということ、と捉え、


現象を立ち位置にされて、出発されている雅宣総裁と、
実相を立ち位置にされている恵吾先生と、がいらっしゃると思います。

ですから、

恵吾先生をご存じない方々に、恵吾先生のお言葉をお伝えするとき、恵吾先生の言葉の裏を読めとおっしゃられても、
恵吾先生の生き方を知らない場合、言葉通りにしか、受け取れませんから、真意は伝わりにくいと存じます。

2118復興G:2013/06/25(火) 07:11:19 ID:AB6RqYXc

  『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         六  (1日1文ずつ謹写掲示。cf.>>2084

 合掌
 さまざまな説き方の一つの試みとして、ここに『無神』という冊子を別便にてお送りいたします。
(後注参照)

 これは私が宇治に転勤して参りまして少したったころ、練成をしながら、その興奮状態の中で書きとめておいたものでした。どうせ興奮状態の中で書かれたものだから、その内に整理をして、語調も整えてと想って、想いのままに綴っておいたものでした。

 ところが、後になって、いざ整理をしようと想いますと、どうしてもそのままでしかあり得ないような気がして来たのでありました。それで句切り句切りを独立させたように、詩のような姿にして並べることにしたのでした。

 「無我」という言葉は非常に人間にとって憧れざるを得ない中身を示しているように想えるのであります。人間は何故「無我」にあこがれるか。それは元の神が「無我」であり給うから、そこから生まれ出でた人間も「無我」に憧れざるを得ないのではないか。人間のレベルで言えば「無我」ということになるが、神のレベルでは「無神」ということであります。

 生長の家の教え自体も自分を消していると想われるのであります。

 例えば、聖歌『生長の家の歌』にしても、生長の家という言葉は、ただ題名にあるだけでありまして、ご存じのように、一番はキリスト教讃歌、二番は仏教讃歌、三番は古事記讃歌、四番はこれら三つが素晴らしいとなっている万教帰一讃歌となっており、生長の家という言葉は一つもないのでありまして、ただただ万教(即ち万物)を讃え、拝むのが生長の家であることが示されていると拝察されるのであります。

 『生命の實相』という書物にしてからが、その中に「物質無し」と書かれているのでありまして、本自体が「私は無いのです」とみずから消えているという、そこに無我の聖なる輝きのみがあって、それ故に、この書物は聖典と呼ばれているとも想われて来るのであります。

 さて、「人類光明化運動指針」の第九条

  「生長の家大神―総裁・副総裁―御教」

 という、この中には、大聖師谷口雅春先生は姿を消しておられるのであります。この指針が出来た時、これを承認なされたのは当の、谷口雅春先生でありますから、先生ははじめから、このように消え給うことの承認であったと拝察されるのでありましてまことに聖なるきわみでありまして、まことに「大聖」なる師という中身をもって「大聖師」とお呼び申し上げざるを得ないのであります。

 ご存じのように『無門関』の第一則の「趙州狗子」の公案の中に、「仏に逢いては仏を殺し、師に逢いては師を殺し……」という一節が出てまいりますが、ある時の神想観の中にニコヤカに観じられた尊師谷口雅春先生は、
「あのね。生長の家では仏に逢いては仏を殺し、師に逢いては師を殺す、などという血生臭いことはしないんだよ。私は無いんだよ」

 と師みずから消えておられたのであります。ここに、生長の家は、教団自体がみずから消えて、澄み切っていて、まことに、「生長の家は感謝の教え」であると言える姿がそこに拝せられるのである。澄み切りの教え即ち感謝、礼拝の教えということだと想うのであります。再拝三拝合掌 (1998.7.6)

 (注。『無神』 という冊子の内容は、「榎本恵吾記念館」 サイト
http://homepage2.nifty.com/hanabira/
の 「文書館 Ⅱ」 に公開されていますので、ご覧ください)

2119復興G:2013/06/25(火) 10:35:37 ID:AB6RqYXc

ユタカ様
こんにちは様
志恩様

榎本先生の『神癒の展開としての人類光明化運動』(五)に関してのご質問・コメントなど、ありがとうございました。

ご質問はまことに真剣な切実な課題であると思います。

まず、ユタカ様のご質問 (1) について。

>>1、「大自然讃歌、観世音讃歌」などのお経の存在はどうとらえるのでしょうか?などは『現象なし』とすると、二つの経?も神様から与えられたる素晴らしいお経?ということでよろしいのでしょうか?<<

――『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』などは、「神様から与えられたる素晴らしいお経」ではないと思います。

それは、雅宣総裁ご自身が、「私の書いた者は私が書いたのであって、神が書いたものではないから、“聖典”とは呼ぶな」という意味のことを言われており、このたび経本型にして出版されている詩の本も、当然のことながら“聖経”ではありません。

それは、総裁が

≪生長の家の詩としては、谷口雅春先生の『生命の實相』第20巻(頭注版)聖詩篇に「生きた生命」や「光明の国」「夢を描け」など十数篇が「生長の家の歌」として収録されている。その筆頭は、現在「甘露の法雨」と呼ばれている有名な長編詩だ。これの後篇が「天使の言葉」であり、これらは生長の家の真理を凝縮した「聖経」として取り扱われている。私の長編詩は、形式としてはこれら聖経に似てはいるが、それに取って代わるものでは決してない。そうではなく、むしろ聖経で説かれた真理を引用しながら、聖経では強調されていなかった方面の教義−−例えば自然と人間との関係など−−について補強を試みている。読者諸賢からの感想をお待ちしている。≫

と、「唐松模様」に書かれている通りであります。

そして、私自身この『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』を読んでみての感想は――

聖経『甘露の法雨』には

   万物はこれ神の心、
   万物はこれ神のコトバ、
   すべてはこれ霊、
   すべてはこれ心、
   物質にて成るもの一つもなし。
   物質はただ心の影、
   影を見て実在と見るものはこれ迷。
   汝ら心して迷に捉わるること勿れ。

   神は遍在する実質且つ創造主なるが故に
   善のみ唯一の力、
   善のみ唯一の生命、
   善のみ唯一の実在、
   されば善ならざる力は決して在ることなし、
   善ならざる生命も決して在ることなし、
   善ならざる実在も亦決して在ることなし、
   善ならざる力即ち不幸を来す力は畢竟悪夢に過ぎず。

   すべて真実の実在は、
   神と神より出でたる物のみなり。
   神は完全にして、
   神の作りたまいしすべての物も完全なり。

と、「完全なる神」 のみ実在であると書かれているのに対して、「讃歌」なる詩は現象をありとする方から書かれていて、立ち位置がちがい、聖経とは全然ちがうものだと思います。文法的にも、文語的な表現に口語的表現が混入していて不統一で、おかしいです。

 それで私は、「讃歌」なる“新経”は読みません、そんなものを読む時間があったら聖経『甘露の法雨』を誦みます、と言ってそうしていますが、しかし、教区の行事(たとえば教区練成会など)で「讃歌」一斉読誦というプログラムが組まれていると、普通の方は読まないということは難しいでしょうね。

 これは、大きな公案です。

 今、すぐには、「こうするのが正しい」という答えが見つかりません。考えて行きたいと思います。
<つづく>

2120志恩:2013/06/25(火) 11:11:59 ID:.QY5jUA6
生長の家ブログより

発行/日本教文社発売
大自然讃歌 谷口雅宣著 定価1500円(税込) 生長の家発行/日本教文社発売

●自然と人間との一体感を深めるために!

生物互いに生かし合っている自然界を讃嘆し、〝自然即我〟の実相に目覚めしめる 

  【 長編詩を 日常の読誦に適した【経本】として刊行。】
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
※讃歌の前後に「自然と人間の大調和を観ずる祈り」(谷口雅宣)と「水と森の歌」(谷口清超作詞)を掲載。
-------------

詩だといいながら、経本として出版し、

 「毎日 読誦するように」、雅宣総裁が、全組織に総裁として命じておられます。

全国の練成会では、「新しいお経」として、雅宣先生作の 2冊のお経 とも、読誦する時間が組み込まれたプログラムが設定されてます、

詩なら、なんで、信徒が、日々、読誦する必要があるのでしょうか。

雅宣総裁の、言ってることと、やってることが、ちぐはぐだと、思われませんか?

2121復興G:2013/06/25(火) 11:31:00 ID:AB6RqYXc

<つづき>

ユタカさんのご質問の(2)について。

>>2、榎本先生の仰ることは素晴らしいですが、本当に素晴らしすぎるほどお見事なのは分かりますが、生命の実相が買えない教区で困っている人に『無い!!』って・・・・本当に無い!!・・・・現実に現象宇宙を消した状態みたいじゃないですか・? <<

――これも、本当に大きな課題ですね。

 「光明思想社版を使えばいい」 のですが、教団では、「それは反教団の運動をしている側に資金を与えることになるから、使ってはいけない」 と言っているようです。

 私たち古くからの信徒はすでに『生命の實相』などの聖典を持っていますから、ありがたいことです。

 しかし、新しく御教えに触れた方たちが、教団内で『生命の實相』も聖経『甘露の法雨』も買えないとなれば、由々しき問題です。

 それなら「学ぶ会」に行けば良い、とは思いません。

 なぜなら、真の「生長の家」は「一つ」であると信ずるからです。

 「二つ」とか「三つ」とか、「対峙」したり「三つどもえ」で争っている「生長の家」などというのは、皆ニセモノであると言わざるを得ないのではないでしょうか。

 真の「生長の家」は、いま地上から姿を消していると言わざるを得ないのかも知れません。

 『生命の實相』 「初版のまえ書き」 に

 ≪『生長の家』に発表される思想のインスピレーションの根元が本当の生長の家本部であって、それは神界すなわち「実相の世界」にある。かりにその地上的執務の中心を生長の家本部と名づけ……≫

 と書かれている、その『生長の家』というタイトルの月刊誌もなくなっている今、本当の生長の家本部は神界すなわち「実相の世界」にのみあり、地上からは消えた状態なのかも知れないと思われます。

 でも、私たちは今、『生命の實相』の本を手にすることができます。光明思想社版もあるし、中古本を amazon で取り寄せることもできます。

 『生命の實相』全読運動だ、読め、読めと、かつては掛け声をかけられたこともあったが、今は逆に『生命の實相』はテキストにするな、と言われるような時代になって、入手が困難になった。そのようなときこそ、『生命の實相』のありがたみが魂にしみる時なのではないか。

 ですから、今をチャンスとして、『生命の實相』をしっかりと学びなおし、真の生長の家を復活復興させていきましょう。それが、私たちの使命であると思います。
 ありがとうございます。

2122ユタカ:2013/06/25(火) 11:36:58 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、みなさま

復興Gさま、聖経との立ち位置の違いなどを教えて下さり誠に有難うございます。
違いがハッキリいたしました。

先ほど、歯医者のベッドの上でハッと気づきました。
榎本先生の 「現象なし」 「無我」 ということ。

『現象なし』 『無我』 
これを生活に生きるとは・・・・
私なりに答えを出してそのようにこれからは、生きてまいります。

『現象なし』 『無我』= ハイ!! 有難うございます。

以上が私の内なる答えです。

ハイ(喜んで)ありがとうございます。
ハイ 『有難うございます』    四方八方拝み倒します。
ハイ、ありがとうございます。

徳久先生の 大バカになれ!!= ハイ、ありがとうございます。


簡単な事がとても難しいのですね。 和解の鍵もここだと思いました。

これは、あくまでも、ユタカの私見でございます。

ユタカは、今から、これ一本で生活出来るよう心がけます。

教化部長 新経を読んでください。
ユタカ  ハイ、ありがとうございます。(行事終了後、聖経をあげる)

こうやって、行動したらどうなるのかなぁ??? やってみる。

2123ユタカ:2013/06/25(火) 11:48:48 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
>ですから、今をチャンスとして、『生命の實相』をしっかりと学びなおし、真の生長の家を復活復興させていきましょう。それが、私たちの使命であると思います。
 ありがとうございます。

ハイ、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いいたします。

この世の中から絶対に「聖経」も「生命の実相」も消えません!!

本物は残る、闇は消える  最後の審判の神示にありますものね。

眼に見えるものは嘘。真実でない、永遠に教団に聖経も聖典も残って代々伝わって行くのが本物で真実なら、

何も、あわて騒ぐ事もなく、淡々として、新経を読んだらいいなぁ って思います。

ニセモノはやがて消えるべき運命、それにとらわれ、相手にしないで、教化部長、本部と今を調和して生きて、実相の『信徒が全員和解して、みんなで、ニコニコしながら聖経をあげている 』真実を観じて

その真実を観て、持ち場持ち場で日々を力一杯生きよう!!!


これが、榎本先生からユタカが学んだ事です。

復興Gさま、ありがとうございます。 簡単でムズカシイそして深い学びをしたような気がします。

ありがとうございます。

2124ユタカ:2013/06/25(火) 11:56:42 ID:R1D4Jmeg
榎本先生からユタカが学んだ極意

『 ハイ ありがとうございます 』 『 ハイ ありがとうございます 』 『 拝 有難うございます 』

『 ハイ ありがとうございます 』 『 ハイ ありがとうございます 』 『 拝 有難うございます 』

『 ハイ ありがとうございます 』 『 ハイ ありがとうございます 』 『 拝 有難うございます 』

2125ユタカ:2013/06/25(火) 12:05:54 ID:R1D4Jmeg
現象は無い、自分も無い。

何がある?! 実相がある。 じゃ、現実をどう生きていけばいいの?

「拝、ありがとうございます」 だよ。

2126志恩:2013/06/25(火) 12:25:09 ID:.QY5jUA6
私は、新経を読めと言われても、「ハイありがとうございます」と,言えないな。
ユタカさんみたいに。(笑)

一目散に ジェット機のように 逃げる ね。

2127復興G:2013/06/25(火) 12:44:55 ID:AB6RqYXc

>>2120:志恩様。

>>詩だといいながら、経本として出版し、「毎日 読誦するように」、雅宣総裁が、全組織に総裁として命じておられます。<<

というのは、おそらく総裁は「私が命じたことはない」とおっしゃるでしょう。おそらくその通りで、総裁が「毎日読誦するように」と命じられたことはないと思います。

しかし、参議・理事などが、これは「新しいお経」として毎日読むように仕向けようと、運動方針書にも記載するようにした。すなわち「生長の家人類光明化運動・国際平和信仰運動 “自然と共に伸びる運動”実現のための第2次5ヵ年計画第2年度・第3年度 運動のポイント」
(平成24年1月24日 拡大最高首脳者会決定)に

≪1.平和・環境・資源の問題解決への貢献
(4)世界の幹部・信徒は、日常の聖経読誦に加え、『大自然讃歌』ならびに『観世音菩薩讃歌』の読誦を行い、神・自然・人間の大調和の実現を祈る。≫

とあります。

これは、総裁の承認がなければ「決定」にはなりませんから、結局 志恩様のおっしゃってるような結果になっていると言えましょう。

そういう運動が進められている中で、教団組織に所属しながら

「私は『大自然讃歌』ならびに『観世音菩薩讃歌』の読誦を行いません」

というのは、とても勇気の要ることです。

でも、谷口雅春先生は、『光明法語』に

   七月三日の法語 「ハイ」の無限力

 最も重き言葉は最も簡単なる言葉である。それは「ハイ」の一語である。一切の行為は「ハイ」にて動き、一切の事物は「ハイ」の一語にて成就する。汝、使命を感ぜんか、唯「ハイ、ハイ」とのみ言え。然してこれを実行せよ。然らば必ず成就せん。「ハイ」とは決意である。使命に対する決意である。如何なる困難も、吾使命を感ぜんか、「ハイ」の決意にてその困難は斫(き)り拓(ひら)かれ、坦々たる大道となる。「ハイ」は汝を自由ならしめる。「ハイ」は実相その儘である。

   七月四日の法語 「否定」の威力

「ハイ」に対立する最も簡単にして最も偉大なる力は、「否!」である。汝病気ならんか、「否!」と断じて言うべし。病いすなわち必ず癒えん。汝に不幸来らんか。「否!」と言うべし。如何なる不幸も汝を傷つける事は出来ない。最も自由なる人は自己の好まざることに対して断じて「否」と言う。かかる人には如何なる不幸も近づく事が出来ない。世界は如何なる「幸福」でも「不幸」でも自由に販売しているところの百貨店だと言える。それを求める貨幣は「決意」である。

 とお教えくださっています。

 私は、

 ≪最も自由なる人は自己の好まざることに対して断じて「否」と言う。≫

 を貫こうと思います。もちろん、クビを覚悟の上です。

 それは、「蟷螂(とうろう)の斧(おの)」かも知れませんが……。


ユタカ様。

>>教化部長 新経を読んでください。
ユタカ  ハイ、ありがとうございます。(行事終了後、聖経をあげる)
こうやって、行動したらどうなるのかなぁ??? やってみる。
『 ハイ ありがとうございます 』 『 ハイ ありがとうございます 』 『 拝 有難うございます 』 <<

――すばらしい!

それぞれ、内なる神の声に従って、自由自在に生きることですね。ありがとうございます!

2129みすはなまる:2013/06/25(火) 13:05:18 ID:???
>>2121

>>しかし、新しく御教えに触れた方たちが、教団内で『生命の實相』も聖経『甘露の法雨』も買え ないとなれば、由々しき問題です。

それなら「学ぶ会」に行けば良い、とは思いません。

なぜなら、真の「生長の家」は「一つ」であると信ずるからです。>>

復興G様はご経歴素晴らしい方と拝察申し上げますが、上記の>2121のご発言に関しては、納得出来ません。

皆様、それぞれ色々な考えがおありでしょうから、復興G様がどのように発言され、どのようなお考えを持たれても構いません。

学ぶ会に所属されている方は、「生長の家の真理がひとつであると信じていない。だから学ぶ会に行ってはいけない」と、誤解される可能性がございます。
復興G様の上記のコメント引用を、教団信徒や本部講師の方が信じてしまうと、「学ぶ会の講演会に参加しただろう」と、咎められ苦しむ信徒の方が、出てくる可能性がございます。

実際に、先日光明掲示板で総本山で奉仕に参加した信徒さんが、総本山の本部講師の方が、学ぶ会の講演会に一回参加したことで、呼び出され咎められた記事を見ました。

実際に私は学ぶ会で救われました。魂の喜びを得ました。ですから申し上げさせていただきました。

2130みすはなまる:2013/06/25(火) 13:07:58 ID:???
>>2128は、管理人様、削除をお願いします。御手数おかけいたします。合掌。

2131志恩:2013/06/25(火) 13:41:53 ID:.QY5jUA6
みすはなまる様、コメント、ありがとうございます。

復興G様

私も「学ぶ会の全国大会」に参加しましたが、
本来の生長の家らしくて、大変感動しました。

学ぶ会というのは、仮の名前であり、生長の家が本来の教えに戻ったら
学ぶ会という名は、捨ててもいい、と学ぶ会は、言っています。

ですから、あれは、仮の名なのです。

いまの教えには、もともとの教えが ない のですから、生長の家の教えを「学ぶ会」で
学んでも、いいのではないですか?

復興G様のように、学ぶ会が大嫌いな人もいらっしゃいますが、

真理を学ぶのは、それぞれ どこで学んでも自由だと思います。

復興G様のような大物の大先輩が

>>「「学ぶ会」に行けば良い、とは思いません。

なぜなら、真の「生長の家」は「一つ」であると信ずるからです。」>>

とおっしゃったら、裏を返せば、やり放題の教団に味方しているような発言に

受け取れます。

2132ユタカ:2013/06/25(火) 13:55:53 ID:R1D4Jmeg

難しいようで簡単。簡単なようで難しい。 『ハイ ありがとうございます』

現象は無い。自分もない。 何がある?! 『実相がある』 じゃ、現実をどう生きていけばいいの???
『 ハイ 有難うございます。 拝 有難うございます。』だよ。

『生長の家』は始めなく終わりなく、永遠にイキイキ生きて生きとおして『あり』続ける実相さ。 不滅、不滅。 本来生、不滅、清浄真無垢なり。

 
 聖経 真理の吟唱

天地一切と和解する祈り

われ今、ここに、神の子として新生し、神に感謝し奉る。 神は普遍的存在にましますのである。

一切を包容し、一切のものの周囲に、また一切のものの内にましまして、一切のものを渾然と一つに融和していたまうのである。

それゆえに、私もまた、神の子として、その渾然たる一つの融和体の中に存在するのである。

それゆえに、私は、天地一切のものと融和し、天地一切のものとの調和の関係にあり、わが働きは、他の天地一切のものを生かす働きとなり、また天地一切のものの動きは、また我を生かす動きとなるのである。

すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。


現象の世界に 如何なる 対立の 関係 があろうとも、 それは 妄想の顕す ところであり、 妄想(大自然讃歌、観世音菩薩讃歌など)は 『やがて 消えるべき 運命 にあるのであるから、


私は それ(新経)を恐れることもないし、 それに愕くこともないのである。

妖雲ぺきぺきと空を覆うことがあっても、 その上には常に蒼空があるのと同じように、 

如何に暗澹たる状態(裁判・新経)たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。

心を動ずることがないから、最も適切なる知恵が泉の如く湧き出て暗を消してしまう処置ができるのである。(今のところ神想観実修)

光の進軍に対しては暗は逆らうことも抵抗することも出来ないのである。

事に応じてわが為すところの行為は、神の子として大神の知恵の炬火をとぼして進軍するのであるから、誰もそれを遮ることはできないのである。

神は「暗に対しては光を以って相対せよ」と仰せられているのである。光は進む、暗は消える。

神はわれらに「常に心を明るくもて」と仰せられているのである。 一時といえども、私は、心を曇らすことをしないのである。神は勇気の本源であり、神の子たる私は勇気そのものである。

神の智慧われに来たりて、迅速果敢に適当なる決意と断行をなさしめ給うのである。

ああ、感謝すべきかな、天地万物は、ことごとく神の子として兄弟姉妹であり、われを常に祝福し、われを常に援助し、わが希望を必ず成就せしめ給うのである。

謹写 終わり
 ありがとうございます。

2133うのはな:2013/06/25(火) 13:57:24 ID:QeDx0zg2

でも、「学ぶ会」は昔から教団から目の敵のようにされていますね。
去年、現教団非公式講師の会で、学ぶ会に行った体験談を話してる講師に
出合いましたが、たいてい、「そんなところへ行ってはいけない」ですよ。

 教団をやめるやめないは、人それぞれ時期というものがあるだろうし、
退団したからといって、「学ぶ会」「ときみつる会」に行かなくてはならない義務もないでしょうけど
こんなにうさんくさい言われ方をする団体って統一協会以外にないですよ。
 おそらくある程度経験のある信徒さんだとか、それなりに機が熟さないとわからないものがあるのかもしれません。

2134復興G:2013/06/25(火) 14:28:07 ID:AB6RqYXc

みすはなまる様
ほか皆々様

私は、
「学ぶ会」に行けば良い、とは思いません。
しかし、「学ぶ会」に行ってはならない、とも思いません。

今、雅宣総裁と教団も、また「学ぶ会」なども、それぞれ果たすべき役割があって、その役を演じていらっしゃるのでしょう。
それぞれに、立派にお役を果たして頂きたいと思います。私もまた、私の役割を果たしたいと思います。

         ○

    既に天国の饗宴に招かれている

 吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。

 地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要るのであって、シテもワキも、二枚目も三枚目も馬の脚も要る訳である。吾々は此等の舞台上の役者と議論を戦わす必要はないのである。唯、各々がその役目を最も完全に実現してくれるように祈っていれば好いのである。

 尤(もっと)も自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだけれども。

 吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。
 (谷口雅春先生『幸福を招く365章』117頁〜より)

2135復興G:2013/06/25(火) 14:52:22 ID:AB6RqYXc

教団組織に属する地方講師でありながら、「私の使命は日本の使命を語ること、憲法復元を訴え続けること」と教化部長に宣言し、「クビにするならクビにしてください」と言って、誌友会で今も常にそれを説き続けているベテラン講師の方がいます(私ではありません)。

その方は、学ぶ会の全国大会や「靖国見真会」にも毎回参加しているけれども、教団から離れて「学ぶ会」に入会はしません、それでもよろしいでしょうかと前原副代表に問いかけ、「それで結構です」と言われて、教団からも学ぶ会からも公認で双方に参加しながら、谷口雅春先生からいただいた地方講師の辞令を大切に、教団から離れることはしない。そういう方もいらっしゃるのです。

それぞれの信念で、内なる神の声に従い、みずからの信ずる道を進まれたらよろしいのではないでしょうか。

2136ユタカ:2013/06/25(火) 15:08:06 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

いつもいつも、良い素晴らしいお話を有難うございます。

ユタカも、今日突然に榎本先生の仰ること、内容が理解できた気になっています、自分では。

>2135 の先生も生長の家の真理は一つだ!と思われているから自由に行動をなさっておられるのでしょうね。

世界の宇宙の救世主 谷口雅春先生 万歳!!

2137復興G:2013/06/25(火) 15:25:08 ID:AB6RqYXc

さて、皆さま。
第14回web誌友会は長引きましたが、6月15日(土)に>>2021で司会者の終了宣言、
>>2026で閉会の祈り、そして>>2027世界平和の祈り で閉じました。

その後、後夜祭が続いておりました。

次は第15回web誌友会になりますね。

まだその日程とテキストの範囲を決めていませんでした。

第15回web誌友会の日程として、
7月12日(金)21:30より
7月13日(土)23:30

テキストの範囲は
『生命の實相』第3巻「生命篇上」第1章〜第5章まで全部

というのを提案させて頂きます。

司会は、前回に続き、「訊け」管理人様にお願いできるでしょうか?

「復興Gの講話」というのは無しでよろしいのではないかと思います。いかがでしょうか。

2138ユタカ:2013/06/25(火) 15:57:16 ID:R1D4Jmeg
次回のWEB誌友会の予定など、皆様、いかがでしょうか? 


a hopeさま、
まさか、こんなに長い後夜祭になるとは・・・・思いませんでした。 予定表がかなりずれてしまったです。

さぁ、、範囲内で自主勉強をいたしましょうぞ!  って感じでどうでしょうか?

2139うのはな:2013/06/25(火) 18:18:10 ID:9BQVgwDU

 お邪魔して申し訳ないのですが、以前、ここでうのはなさん司会の話があったとき、
私としては自分の考えをはっきり書いてやる気が無いことを表明したつもりなんですが、
訊け管理人氏から最近、ぼくが司会をやらないあいだは、うのはなさんがやるだろうとか
勝手なことを書かれて迷惑しています。
司会者の件など決定したら、早めに掲示板上でお知らせくださるようにお願いします。

2140a hope:2013/06/25(火) 18:46:46 ID:edEDolt2
みなさま ありがとうございます。

みなさまのご投稿からたくさんお勉強させていただいています。
内容が、とても深いのでなかなか思うように進みませんが・・・。

わたしは榎本恵吾先生の御文章はたとえ十分理解できなくても、拝読していると気分がどんどん軽くなっていきます。
それは、恵吾先生ご自身が、実相独在をまことに悟られていて、そのお心で御文章を書かれているからではないかと思います。
復興Gさまの毎日の貴重な文章の謹写に心より感謝しています。合掌。

ところで、次回 第15回web誌友会ですが、わたしはその週は特別な用事はないので喜んで参加させていただきます。
わたしは前回と同じように、前半に復興Gさまのご講話を聴かせていただき、
後半部分で訊け管理人さまに司会をお願いするという形のweb誌友会を希望します。

前回、復興Gさまのご講話からみなさまの発言が広がり、後半部分にも活発な意見交換がありとてもお勉強させていただけましたので・・・。
また、訊け管理人さまの素晴らしい司会に、安心して参加することが出来ました。
今回もまた同じようにしていただけたら、とてもうれしいです。

2141a hope:2013/06/25(火) 18:47:35 ID:edEDolt2
>>2138ユタカさま

<<範囲内で自主勉強をいたしましょうぞ!>>
了解しました。

聖典「生命の實相」は、同じ場所を繰り返し読むことでさらにのだ深く「真理」が魂に浸み込んでいきますものね!
自主勉強の範囲も、web誌友会の範囲と同じ、

――――
テキストの範囲は
『生命の實相』第3巻「生命篇上」第1章〜第5章まで全部
――――

ですね。
ゆっくり読み直すことができて、うれしいです。

2142a hope:2013/06/25(火) 18:51:22 ID:edEDolt2
>>2141訂正
同じ場所を繰り返し読むことでさらにのだ→同じ場所を繰り返し読むことでさらに

2143ユタカ:2013/06/25(火) 21:44:59 ID:R1D4Jmeg
訊けさまも一緒にご発言するというルールでどうでしょう?

司会だから、発言を控えていて気の毒ですから。。。

2144トキ:2013/06/25(火) 21:56:32 ID:m45oDcl2
「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

>>1118

でa hope様がご提案されていますが、復興G様が紹介されている榎本恵吾先生や他のご文章は貴重な
もので、続けて拝読したい人も多いとおもいます。

 個人的には、専門の掲示板の場所を設定しても、その価値があるとおもいますが、復興G様は
どうお考えでしょうか。

合掌 ありがとうございます

2145ユタカ:2013/06/25(火) 22:23:58 ID:R1D4Jmeg
>2144

途中で抜けると通して意味が分からなくなるので、トキさんが毎日コピーして他に移して欲しい。

2146復興G:2013/06/25(火) 23:21:00 ID:AB6RqYXc

>>2144 :トキ様

ご愛念ありがとうございます。
お返事遅くなりました。

榎本先生のご文章などを掲示する専門の掲示板を設定して頂ければ、こんなありがたいことはありません。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
合掌

2147ユタカ:2013/06/25(火) 23:45:05 ID:R1D4Jmeg
>>2114 こんにちはさま、
榎本先生は酒乱に近い位ののんべえさんだったのですか?
生長の家酒豪ランキングをつけると どうなりますか?

志恩さま、

ジェット機でなく戦闘機かも知れませんよ。 

最近、みんなを見かけないけど、髪の子さんとかどこにいってしまったのかな?

2148ユタカ:2013/06/26(水) 00:00:00 ID:R1D4Jmeg
>>2117 志恩さま

毎回、フォローを有難うございます。志恩さんがいらしゃると、頭の中が整理できるので大変有難いです。

ありがとうございます、お世話になっています。

2150こんにちは:2013/06/26(水) 01:23:28 ID:nSg7g3W2
>>2147 ユタカ様
>>榎本先生は酒乱に近い位ののんべえさんだったのですか?
>>生長の家酒豪ランキングをつけると どうなりますか?

このコメントは冗談で言ってるのか本気で言ってるのかよく分かりませんが、まじめに話しますと、私の言ったエピソードは酒豪とか酒乱とかとは関係ありません。
客人が心からのプレゼントとして持ってこられたことに、榎本先生は全身で喜びを表現された、ということです。
それは、榎本先生らしい最高の礼拝であり、愛の表現であったと思います。

普通の大人なら分別ある抑制された行動をとるものですが、榎本先生は喜びを素直に爆発させました。
これは、やろうと思ってできることではない、と思います。
本部講師としての体面とか、常識とか、健康の問題とか、様々なことが頭の中を駆け巡ってしまうものです。
もちろん、榎本先生を良く知る信徒さんからのプレゼントだからこその行動ではあったと思いますが。

榎本先生は、「いのちがけで喜ぶんだ!!」とおっしゃっていたそうです。

講話を拝見していても思うことですが、榎本先生は時として、非常に厳しい表情をされます。
もう恐いくらいの厳しさです。
ここに、私は榎本先生の生き様を見ます。
実相独在に賭ける姿勢がいかほどのものであったか!!を思うのです。

榎本先生は信徒に対して非常にお優しい方でしたが、その裏側にはとんでもない厳しさがあったことを思うのです。
これは、谷口雅春先生にも言えることですね。

榎本先生は、生命の実相拝読も、神想観も、半端ない実践量だったそうです。
きっと、それは義務とか日課ではなく、榎本先生にとって生きることそのものだったのでしょう。
だからこそ、半端ない量を実践し続けられたのでしょうね。

復興G様やユタカ様には申し訳ないのですが、私は榎本先生のお話を読んで素直に「ハイ」とは受け取れないんです。
「ハイ」と受け取ることが、いったい何を意味しているのか?を思うと、とてもとても「ハイ」なんて言えない。
自分のいのちを神様に全部預けてしまえるのか??って。
神様が「この絶壁から飛び降りろ」と言われたら、本当に飛び降りられるのか?って。

でも多分ね、たとえば徳久先生なら、谷口雅春先生がそう言ったら、本当に飛び降りたと思うんですよ。
徳久先生の、谷口雅春先生を絶対的に信頼するお気持ちは、とんでもなく凄かったですから。
そしておそらく、榎本先生もまた、飛び降りたと思うんです。
榎本先生は、そういう方だと思います。
だから、a hope様がおっしゃるように、榎本先生の言葉を読むと心が軽くなるんですよ。
全托されて大安心している者の言葉ですからね。

私には、なかなかマネのできることではありません。
でも、生きるとは、そういうことだと思います。
榎本先生のような方こそ、本当に生きている人なのだと思います。

2151志恩:2013/06/26(水) 02:37:37 ID:.QY5jUA6
>>2148:ユタカ様

戦闘機と言ったら、訊けさんです。

2年前のこと、訊けさんは義春さんに「義春、いくぞ!」と声をかけ、義春さんも「よっしゃ」と
答えて、二人揃って戦闘機に乗りこみ、たびたび 本流掲示板の冊越えを試み、その度に、

二人とも、満身創痍になって帰還していたことが、義春さん 亡き今,懐かしく思い出されます。

2152志恩:2013/06/26(水) 02:41:56 ID:.QY5jUA6
酒乱の人とは、お酒を飲んだあと、暴力を振るったり、暴言を吐いたりする人のことを言います。
お酒を飲んで、楽しくなったり、朗らかになる人は、酒乱とは、言いません。(笑)

2153志恩:2013/06/26(水) 03:30:19 ID:.QY5jUA6
こんにちは様

復興G様もそうですが、こんにちは様も、榎本恵吾先生と親交がおありになったお方のようですね。
私は、本部に恵吾先生がいらしたころの、まだ幹部候補生でいらしたころの、
まだ お若くて無口でいらしたころの恵吾先生時代しか

知りませんので、宇治へいらしてからの、榎本恵吾先生をよくご存知の方々を、羨ましく思います。
恵吾先生の追悼文集「おわりなくはじめなく」は、恵吾先生のエピソード満載なのですけれど、

金太郎あめのように、どこから切っても 同じである 裏表の無い 信仰の天才、愛すべき人柄でいらした
誰に対しても、ものすごく愛深く誠実でいらした恵吾先生の素顔が偲ばれます。

平成17年7月12日「榎本恵吾先生」は、座亡で逝かれたそうですが、

座亡(座ったまま亡くなる事)で逝くことの出来る人は、余程の悟りの開けた篤い信仰者のみだと聞いた事ありますけれど、
これ1つとりましても、並のお方ではなかった。
 ーーーーーーーー
亡くなる当日の事も,宇治のvoiceに書かれてあります。
楠本先生のお話〜

(簡略化して書かせて頂きます)

7月12日、早朝3時半から神癒祈願をされて、4時半からの幽斎殿での神想観の先導をしてくれた。

5時10分からの大拝殿の早朝行事(神想観、聖経読誦)にも、いつもの様に一番前で
元気のよい大きな声を出していた。

9時の全体朝礼の時も一番前に坐っていた。
10時の部長会議にも出席した。
13時の幽斎殿での神想観の先導もした。

すべての行事を果した後、気分が悪くなったので帰宅したのであった。
その時、奥様に連絡があり帰宅、御主人と共に聖経「甘露の法雨」を誦げつづけた。
すると突然倒れた。つまり坐亡だったわけである。高級霊でした。

そして、
20年間、一日も休まず早朝行事に出席されていた。
神癒祈願部長として。毎日、5000人の祈願をしていた。

お通夜にも告別式にも多くの人が参列して中講堂に入れきれず外にも立っていた。
-----------------------

20年間、一日も休まず、皆勤で早朝行事に 出席されていらしたということも、
口先だけでなく、実際に 実践されていらしたことを 物語っているなあと、
榎本先生の生き方に、ほんとうに感動しました。

2154復興G:2013/06/26(水) 08:06:24 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。
榎本恵吾先生を偲び、感謝をこめて、今日も 『神癒の展開としての人類光明化運動』 の謹写掲示をさせていただきます。 合掌

  『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         七  (1日1文ずつ謹写掲示。cf.>>2084

 『聖使命菩薩讃偈』には「己れ未だ度(わた)らざる前(さき)に、一切衆生を度さん」とするものが最上、最尊、甚深微妙(じんじんみみょう)不可思議と讃えられているのである。

 しかしながら『生命の實相』の中には、自分が先ず救われなければ、救われたという状態はどのような状態であるかが解らないから他を渡しようがなく、救いようがないのであるということを、「自分に深切であれ」という教えの言葉が引用されて説かれているのである。

 また別のところで、あるキリスト教の牧師が “神様と約束した人数を集めることが出来なかったので、神様に申し訳ない” と言って神経衰弱にかかっているのを尊師がお聞きになって、こういう人は、数という外のものによって傷つけられるところのものが自分であると想っているからであり、外が崩れると自分も崩れてしまうような気持になるのであって、その点キリストは、右の頬を打つ者があったら左をも打たせよ、と言われ、十里の公役を強(し)いられたならば二十里を行け、と言われて外の形によって決して傷つくことのない實相の自分というものの自覚があったために、イエスは悩み給わなかったのである。というふうにお説きになっているのである。

 このように、自分が救われることが先であるとし、数は外であり、形であり、すなわち現象であるから、それは無いのであるという観方は現在ゆるされるのであろうか、ということである。

 即ち、神想観で 「吾れ今五官の世界を去って……」 と言った時、『自分も他人も、光明化運動も去って……』 ということであるとしてよいかどうか、ということである。

 五官の世界の説明において 「五官の世界は現象と言って、不完全もあれば完全に近いものもあり、貧乏もあれば金持ちもある。病人もあれば健康な人もある。戦争もあれば平和もある。そして、人類光明化運動の進んでいるところもあれば、遅れているところもある………」 と言ってしまってよいかどうかということである。

 『生命の實相』 の全読運動をおしすすめるということは、このように書かれていることを見逃さず、全面的に拝読せよ、ということになっているのだ、ということを銘記すべきである、と想うのである。

 また、かつて終戦直後、尊師谷口雅春先生は愛媛県の宇和島にご進講になられた時の話であるが、外を歩いている時、雨が降って来そうだったのでお伴をしていた河野初喜(こうのはつき)さんというご婦人に傘を、家まで取りに行ってもらった。少しして引っ返して来たそのご婦人は傘を持っていないのである。事情をきいてみると、「主人は雨はふらんよ、と言いましたので持って来ませんでした」ということであった。

 そのことについて「無病常楽の神示講義」の中で、これでこそ本当の妻の生き方であり、主人に向かってこのご婦人がもしも「あなたより偉い谷口先生がおっしゃっているのだから持っていく」ということになると「お前、どこの奥さんじゃ?」ということになってしまってそれは生長の家ではない、と言われ、本当に愛していたらその人のいうようにしてあげたくなるのであると話されて、ご講習会に奥さんが行こうとしている時、主人は映画を見に行く、と言われたら一緒に行ってあげたくなるのが愛であって、「あなたは映画に行きなさい。私はご講習会に行きます」では、生長の家ではないことになるというお話である。尊師谷口雅春先生のご講義を聴きなさいということは、このようなお示しを素直に聴き入れなさい、ということなのである。(1998.7.7)

2159解説者:2013/06/26(水) 09:36:26 ID:???

復興G様

学生時代に参加した宇治の大学生練成会で榎本恵吾先生のご指導がありました。
祈り合いの神想観の説明と実修でした。

榎本先生は黒板にニッコリと微笑む太陽の絵を描いて、とてもわかりやすく「現象なし」の教えを説かれました。
参加者の中に足の不自由な女の子がいて、祈り合い神想観が終わったときに、
「私、歩けるような気がする!」と元気いっぱいに歩いたのを目の当たりにしました。

休憩時間中に榎本先生を訪ねて、ノートに太陽やお地蔵さんの絵を描いていただいたこともよい思い出です。

復興G様が謹写してくださった榎本先生のご文章は拝読後すべてワープロソフトに保存しています。
すばらしいご文章を謹写してくださってありがとうございます。

感謝合掌

2160復興G:2013/06/26(水) 10:55:28 ID:AB6RqYXc

>>2159 :解説者様

>>学生時代に参加した宇治の大学生練成会で榎本恵吾先生のご指導がありました。
祈り合いの神想観の説明と実修でした。
榎本先生は黒板にニッコリと微笑む太陽の絵を描いて、とてもわかりやすく「現象なし」の教えを説かれました。
参加者の中に足の不自由な女の子がいて、祈り合い神想観が終わったときに、
「私、歩けるような気がする!」と元気いっぱいに歩いたのを目の当たりにしました。<<

ほー。・・・そんなことがありましたか。

ありがとうございます。

トキ様、さっそく 「web誌友会参考文献板」 を作って下さり、ありがとうございました。

ありがたく、使わせて頂きます。 感謝 合掌

2161復興G:2013/06/28(金) 06:48:20 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

この誌友会板、少し静かになっていますが、次回は

>>2137で、次のように提案させていただきました。

   * * * * *

第15回web誌友会の日程として、
7月12日(金)21:30より
7月13日(土)23:30

テキストの範囲は
『生命の實相』第3巻「生命篇上」第1章〜第5章まで全部

というのを提案させて頂きます。

司会は、前回に続き、「訊け」管理人様にお願いできるでしょうか?

「復興Gの講話」というのは無しでよろしいのではないかと思います。いかがでしょうか。

   * * * * *

――以上の提案に対して、ユタカ様 ・ a hope 様などから賛意のコメントをいただいており、反対・別提案などはいただいておりませんが、

>>司会は、前回に続き、「訊け」管理人様にお願いできるでしょうか?<<

に対して、まだ「訊け」管理人様からお返事をいただいていません。しかし、できないとも言われていませんので、基本的にはご承諾いただけたものと思っています。が、確認のお返事がほしいです。

>>「復興Gの講話」というのは無しでよろしいのではないかと思います。いかがでしょうか。<<

に対しては、a hope 様から

>>わたしは前回と同じように、前半に復興Gさまのご講話を聴かせていただき、後半部分で訊け管理人さまに司会をお願いするという形のweb誌友会を希望します。
前回、復興Gさまのご講話からみなさまの発言が広がり、後半部分にも活発な意見交換がありとてもお勉強させていただけましたので・・・。
また、訊け管理人さまの素晴らしい司会に、安心して参加することが出来ました。今回もまた同じようにしていただけたら、とてもうれしいです。<<

と、ご希望のコメントを頂戴しました。

で、「講話」というような投稿をするとすれば、上記の
7月12日(金)21:30より
7月13日(土)23:30
の前に、ということになると思います。

7月12日(金)21:30からは「訊け」様の司会で、ということで進めて頂きたいと思います。

なお、ユタカ様主導の「自主勉強会」は、それまでの間に自由にしていただけば、と思います。
<つづく>

2162復興G:2013/06/28(金) 06:50:05 ID:AB6RqYXc

<つづき>
なお、信仰/体験板の>1112で a hope様が、

>>【a hopeの自主勉強】
「生命の實相」 頭注版 第4巻はしがき〜第1章 『人間は 「肉体」 ではない話』 P23まで拝読しました。
わたしが赤線を引いたところをこの板で紹介させていただきます。

本文P2後ろから5行目〜(まえがき部分)
<<全身全霊をもって、生命の実相につらぬき入るには、この書を頭で読もうとせず、全身全霊で読む、黙読する、朗読する。目で読み、声で読み、声のリズムの中に自分を溶かし込んで読む、そして静かに端座して「神想観」を行じ、行じ終って動き出すとき神(愛)の生活を生きる、かくする時、知恵と愛とのそろった生活が実現するのであります。>>

(所感)
聖典「生命の實相」は、なぜ、聖典と呼ばれるようになったのでしょうか? それは、その書に書かれている言葉が神さまの言葉で、それを病人や悩んでいる人が読むだけで、病気が治ったり、悩みが解決したからだと思います。
ですが、ただ頭で読むだけではそのような奇蹟は起こらないようですね。
ここの部分に、「生命の實相」の拝読の詳しい説明がされていました。
数年前に拝読したときに赤線を引いたのですが、ほとんど忘れていました。
わたしは今まで朗読をしたことがないので、今回してみようかと思います。
<<声のリズムの中に自分を溶かし込んで読む、そして静かに端座して「神想観」を行じ、・・・>>とあります。
なんか、すごく効果がありそうな気がします。<<

と、書いて下さっていました。
『生命の實相』 の拝読は、そのような姿勢、気持でさせていただくと素晴らしいですね。

この誌友会では、「論議」 「論争」 をするよりも、「共感」 「共鳴」 し合って、生活が変わり、体験が出てくるようでありたいと思います。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

合掌

2163「訊け」管理人:2013/06/28(金) 23:26:06 ID:???

>>復興Gさま
>>WEB誌友会・参加予定各位


 返事が遅れて仕舞いまして、申し訳ありません。さっそく>>2161の件に関して、返答致します。

 さて、今回の誌友会ですが問題は、7月13日(土)になりましょうか。司会指名を受けました当方ですが、たぶん、同日以下の時間帯は參加不能になると思われます。「それでも構わない」「その間は他の者が、議論を整理する」など、その様な条件であればお受け致します。ですが、「それでは不十分」ということになりましたら、どなた様かに代わって頂きたく思います。

 さてその、13日のスケジュールです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<司会が出来ない時間帯>

○ 9:00〜12:00 (少年野球チーム練習)
○ 16:30〜23:00 (夏祭り準備+高校生へ勉強を教えることになっている+飲み会)

※ 司会出来る時間帯は日中、12:00〜16:00までの4時間ほどになりそうです。
              ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ・・・・さて、繰り返しになりますが「それでも構わない」というご意見でありましたら、司会の方は喜んで拝命致します。ですが、「ちょっとこれでは・・・」がご返答になりましたら今回、司会は別の方に代わって頂きたく思います。

 以上、当方の予定をお知らせ致しまして、皆様からのご返信をお待ちすることと致します。




追伸

 さて、これは提案です。このWEB誌友会ですが、どうぞ司会をされてください。出来れば「輪番が好ましい」とも、考えます。なぜと申して最も勉強になるのは、この、司会者だと思うからです。

 ・・・・・まあ、相当に資料を読み込まねばなりません。さらには、議論錯綜の際は「方向を修正せねば」なりません。それは大変ですし、心ない言葉も浴びます。それでもこれ、非常に勉強になります。(保証致します)私だけで独占するのは、申し訳ないくらいです。ですので出来れば、輪番が好ましいと思いますが、いかがでしょう。

2164復興G:2013/06/29(土) 08:52:30 ID:AB6RqYXc

皆さま
特に web誌友会に熱意ある
ユタカ様、 a hope 様

「訊け」管理人様が >>2163のようにおっしゃっていますが、どうしましょう?

2165a hope:2013/06/29(土) 10:12:12 ID:edEDolt2
>>2163>>2164訊け管理人さま 復興Gさま

わたしは、web誌友会の利点は、ある程度時間にとらわれなくていいということだと思っていますが、
やはり、ご講話に関しての講師の先生への質疑応答に関してはある程度時間の区切りがないといけないのではないかと感じています。


ですが、復興Gさまのとてもレベル高いご講話にすぐに反応できる方は少ないのではないかと思います。
前回も、前半の復興Gさまのご講話を拝読して自分の考えをまとめるまでにかなり時間を要しました。


訊け管理人さまが

<<・・・・・まあ、相当に資料を読み込まねばなりません。さらには、議論錯綜の際は「方向を修正せねば」なりません。 >>

とおっしゃっているようなことをすることは、わたしは家庭の仕事もありますし、自分が「ご講話」の内容を理解する事だけでで精一杯ですからとてもできません。
ですから、やはり訊け管理人さまが適任ではないかと思います。

たとえば、前半の部分の司会とご講話などに関しては復興Gさまにお任せして、とりあえず終了という形をとった後、
後半部分に関しては(日時や進行の仕方、内容等)は訊け管理人さまにお任せしたらいいのではないかと思いますがいかがでしょうか?

ユタカさまはどう思われますか?

2166「訊け」管理人:2013/06/29(土) 12:10:19 ID:???


>>WEB誌友会・参加各位


 解りました。それでは以下、私の提案を掲載致します。なお以下提案ですが骨子は、完全に「司会者サイドだけの都合」です。この、私ダケの都合を「優先したもの」という意味です。極論めいたものを提示しますが、目的は「落とし処を探ること」になります。その為の以下掲載文です。

 さて、司会である私サイドの都合だけで、今回の誌友会を進めるならば、以下がよいです。それは、

●終了日時を、15日(月・祝日)23:00とする。

 というものです。これならばご迷惑ですが、最小限になるのかもしれません。

 そして終了日時を上記のとおりとすれば、13〜14日は私が居なくとも、成立すると考えます。15日も時間が取れるか微妙ですが、少なくとも夕刻以降は登場できると思っています。(ちなみに同日15日は、幼稚園児に「ライフジャケットを付け」させて、「海に放り投げる」というイベントがあります。私、メイン人物のひとりに、されてます。逃れられません。で、そのため13〜14日も不測の事態が起りえます。準備のための時間で、「あれ、どうなった?」系の問い合わせが急遽、来るかもしれぬのです・・・いやなにせ、このイベントは「園児を海へ放り投げる」と云うものですからw)

 ・・・・・話が長くなりますが、上記条件ではいかがでしょうか。まあ無論、これは皆さんから見れば「極論」に映るかもしれぬ、そんな提案だと思います。ただし現状、〝正しい妥協を模索する〟必要を感じております。私サイド〝だけ〟の都合では「こうなります」 ――そんな提案を一度、明確にするのは意味があると感じた次第です。ですので、「本案以外ならば、私は司会しません!」てな性格のものでは、ございません。そこまで偏屈な男ではございませんので、その辺はご理解賜れますよう、宜しくお願い致します。





追伸

 なお追記です。

 >>2163掲載の「13日の予定」ですが、司会が可能な時間帯をもうひとつお知らせ致します。

●司会可能な時間

・ 早朝5:00〜8:00までの3時間
・12:00〜16:00までの4時間(既述)

 です。よろしくお願い致します。

2167志恩:2013/06/29(土) 18:20:49 ID:.QY5jUA6
私は、復興G様、トキ様、訊け様、ユタカ様、SAKURA様、ahope様
ほか、参加される皆様のご都合に合わせますので、よろしくお願いします。

13,14,15と3日間もあるのでしたら、
訊け様のご都合のつかない日は、ユタカ様が、ご都合がつけば、なさって下さってもと思いますが。

お二人が、司会者というのは、いかがでしょうか?
ところで、ユタカ様は、最近、おみえになりませんね。
お元気でしょうか。

2168志恩:2013/06/30(日) 09:13:33 ID:.QY5jUA6
ユタカ様は、沈思黙考に入られたご様子。
今日になっても、お返事、ありませんものね。

訊けさん、3日間もたいへんですが、ご都合のつく時間に、
復興G様をサポートして下さり、司会をなさって下さいますように
お願いします。

2169ユタカ:2013/06/30(日) 22:15:50 ID:R1D4Jmeg
こんばんは、毎日はでてこれません。失礼しています。

WEB誌友会ですが、復興G様が講話は無しでとおっしゃいます。

では、みんなでどう進んでいきましょうか?? テキストの範囲の中を読み、自分のここは!と思った箇所を貼り付けて

>>2162 復興Gさまのように 所感を貼っていきましょうか??

あまり復興Gさまを頼りすぎてもいけませんので。。。 そして、あとは、訊け氏の楽しい会話で花を咲かせてはいかかでしょうか?・・

皆さん、ドンドン提案してくださいね!!!

よろしくです。

2170志恩:2013/06/30(日) 23:47:58 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

いらしたのね。よかった。
訊けさんが、司会として出て下さる時間帯が、少ないようなので、
訊けさんが来られないとき、ユタカ様のご都合のつくとき
復興G様のフォローを
おねがいできたら、ありがたいのだけれど、と思っていました。

トキ様は、全体を見て下さってますし、ahopeさまや、SAKURAさまも
いらっしゃるから、安心。。

2173a hope:2013/07/01(月) 10:01:01 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

訊け管理人さまがお忙しい中、司会を受けて下さりそうでうれしいです。
そして、ユタカさまが登場されてわたしもホッとしました。
また、志恩さまがいつもお話をまとめてくださるのでそれもいつもとてもありがたく感じています。


わたしは、昨日、やっと前回のweb誌友会と後夜祭の部分を拝読し終わりました。
本当に、レベルの高いお話ですごいな〜感動しています。
ここ、トキ掲示板のweb誌友会がこのレベルの高さを保てるのは、
やはり復興Gさまのご指導があるからなのではないかと感じています。


ですが、>>2169でユタカさまがおっしゃるように、
いつまでも復興Gさまにたよってばかりでもいけないような気もします。

それでも、わたし個人としては、web誌友会の始めに復興Gさまのご講話が聴きたいです。
今、復興Gさまが毎朝、榎 本 恵 吾先生の「『神癒の展開としての人類光明化運動』
 ― 「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―」を、web誌友会参考文献板に謹写くださっています。
わたしも毎朝拝読していますが、実相独在を悟っていないわたしには、なかなかすんなり理解するのは難しい内容だと感じています。

たとえば昨日の「十一」の内容は、『運動の目標数』について書かれています。

実際に、昨日は埼玉教区で総裁先生の講習会があったようですが、本流対策板でトンチンカンさまがその参加人数を投稿してくださっていますが、
総裁先生ご自身が、とても数にこだわっている様子がうかがえます。
そして、学ぶ会さまの掲示板を拝見しましても『見真会』や『大会』の度にその参加人数を大きく公開されています。
確かに、参加人数が多ければ「素晴らしい内容だから人が集まったのだろう」と、一般の人は感じるかもしれませんが、
実際のところはどうなのでしょうか?

そこで提案ですが、もし、次回web誌友会の前に復興Gさまがご講話をして頂けるのであれば、
この、榎本恵吾先生の御文章の解説のような形でしていただけるとわたしたちはとてもお勉強になると思いますが、
みなさまいかがでしょうか?
(わたしは別に「十一」の内容でなくてもいいと思っていますが・・・)

2174復興G:2013/07/01(月) 17:30:21 ID:AB6RqYXc

皆々様

第15回 web誌友会について活発なご意見、ありがとうございます。

結局、「訊け」管理人様が司会を引き受けて下さって、

開始日時は最初の予定通り
●7月12日(金)21:30より で

●終了日時を、15日(月・祝日)23:00とする。

ということで、よろしいわけですね。

それから、私は >>2137
>>「復興Gの講話」 というのは無しでよろしいのではないかと思います<<
と書いていましたが、a hope 様のご希望もありますので、
7月12日(金)の夕方までに、そのようなものを書き込ませて頂きます。

2175トキ:2013/07/01(月) 18:39:58 ID:aEgZVZqI
復興G様、

 ご多忙の中、ご指導を賜ります事を深く感謝申し上げます。

 この誌友会は、多くの信徒の貴重な指針になっています。
今回もよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

2176ユタカ:2013/07/01(月) 21:41:40 ID:R1D4Jmeg

良かった、良かった。 a hopeさまのおかげです。

私も復興G様のご解説を楽しみにしております!!

全世界も注目だろーーなぁーーー!!

2177ユタカ:2013/07/01(月) 21:45:10 ID:R1D4Jmeg
すみません、いつもいつも志恩さまに大変お世話になります。いつも暖かく見守ってくださって感謝いたしております。

トキさま始め皆々様、本当に有難うございます。

これからもよろしくお願いいたします。

2178「訊け」管理人:2013/07/02(火) 06:52:49 ID:???

 やや余談です。復興Gさまご謹写文 ――『神癒の展開としての人類光明化運動』 ―― ですが、今朝も感動しました。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

「生長の家は世界一の教えであるのに、なぜ、○○学会のように集まらないんですか?」

とお尋ねしたのである。幸いに満ちたよろこばしさの雰囲気の中に、尊師は

「今のうちにあのように集める練習をしておいて貰って、そのうちにこちらが話しに行くようになるのです」

 と言われたのであった。

全文ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/17

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2179a hope:2013/07/02(火) 08:31:09 ID:edEDolt2
>>2174 復興Gさま

>> >>「復興Gの講話」 というのは無しでよろしいのではないかと思います<<
と書いていましたが、a hope 様のご希望もありますので、
7月12日(金)の夕方までに、そのようなものを書き込ませて頂きます。 <<


ありがとうございます。合掌。


榎本恵吾先生の――『神癒の展開としての人類光明化運動』 ―― をプリントアウトしてゆっくり拝読し直しました。、
そうすると、それ自体が「生長の家の教え」(『生命の實相』)の現代版解説書のように思えてきました。

わたしが今まで疑問に思ってきたことへの回答が、スパッと書かれていて目から鱗が落ちていくようです。
たとえば、「人類光明化運動発進の宣言」についても、それは方便的宣言であり、状況論であるとハッキリ書かれています。

これは、すごい真理に満ちた御文章だと感じています。
毎朝の楽しみがまた一つ増えました。

また、復興Gさまのweb誌友会前の「ご講話」も本当に楽しみです。
復興Gさまのあたたかいご愛念に心より感謝します。 

合掌。

2180復興G:2013/07/04(木) 15:28:35 ID:AB6RqYXc

 「参考文献板」 <15> 『神癒の展開としての人類光明化運動』 十一 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/15
に、

>>運動の目標は数によって表現せられているが、それは 「吾が内に神が今ここに、そして天国は今ここにある」 という、宗教的個中の消息の雰囲気とはおのずと様相を異にしている…… << (抜粋)

 とありました。
 それについて a hope 様が >>2173

>>実際に、昨日は埼玉教区で総裁先生の講習会があったようですが、本流対策板でトンチンカンさまがその参加人数を投稿してくださっていますが、総裁先生ご自身が、とても数にこだわっている様子がうかがえます。
そして、学ぶ会さまの掲示板を拝見しましても『見真会』や『大会』の度にその参加人数を大きく公開されています。
確かに、参加人数が多ければ「素晴らしい内容だから人が集まったのだろう」と、一般の人は感じるかもしれませんが、実際のところはどうなのでしょうか? <<

 と、問いかけられました。

 それにお答えしたいと思うのですが、ちょうど、この問題に関係の深い一つの投書(手紙のコピー)を保存してあったのが、昔の資料を整理しているうちに偶然に出てきました。そのお手紙をご披露したいと思います。

 その投書は、十数年前――多分平成10年頃に出されたものと思われるのですが、日付けが記録してないので、明確ではありません。差出人は 「一地方講師」 としてあるだけで、お名前はわかりません。

 宛先は、「生長の家の本部並びに幹部の方々へ」となっていて、本部および全国各教区の教化部長などに送られたもののようです。それは便箋10枚に細かい字でぎっしり書かれている長文のお手紙(コピー)なのですが、一部省略、整理してご披露したいと思います。

     * * * * * * *

 合掌
 私は一地方講師として末席を汚すものでございます。

 最近、『生命の實相』第37・38巻を拝読整理する時間を得まして、整理しているうちに、素朴な疑問が様々に湧き上がってきまして、「12月27日」 のご文章
≪――いつまでも他の欠点を見ながら、それを言い現わすこともできないで、常にグジグジ心の中で思い煩っている者は、自分自身を切り虐(さいな)んでいる者であるとともに、相手からも見くびられて尊厳を失墜するものである。≫ とあるご文章に励まされ、勇気を持ってペンを取りました。
 その疑問とは、まず「数の運動」及び「美しき日本への想い」についてです。


<< 「量」 より 「質」 の運動を >>

(聖典より)
   「11月21日」――仕事ができるばかりが能ではない。長上に対する敬愛と従順とが失われたら価値の大半は失われる。仕事は量であり、敬虔と従順は質である。「質」が「量」より尊ばれるのは当然である。それを逆に「量」を「質」より尊んだのが赤の思想である。日本精神は「量」より「質」を尊ぶのである。

   『女性の幸福365章』p.376――愛するとは一体の自覚である。吾等はは父祖の生命から生まれ、父祖の生命を承け継ぐ。父祖との一体感から父祖が築き上げてきたこの日本国を愛するのである。愛国心とは父祖を愛する孝心につながるのである。

   「5月30日」――中心帰一理念こそ真統(ほんとう)の日本人の深い感動の根本となっている。楠木正成(くすのき まさしげ)の辞世の語 「七生(しちしょう)報国」 は 「七度(ななたび)生まれ変わって国の恩に報いること」 である。

   「7月4日」――故人は滅しても国家理念は滅びない。国家理念のために没し切った個人の生命は永遠に滅びない。私は日本を 「久遠無窮」 の 「理念」 の体現として限りなく愛する。

   「7月8日」――日本も久遠無窮の理念が失われた時、弱体化するのである。
(生長の家もその理念を失った時、弱体化するのではないでしょうか)
 日本を大いに復興しようと想うならば、日本の理念を復興しなければならない。

  * * (投書者が聖典より抜粋 一応ここまで) * *
<つづく>

2181復興G:2013/07/04(木) 15:29:36 ID:AB6RqYXc

<投書文のつづき>

 尊師谷口雅春先生には 「日本の天皇制は日本民族 いや全人類の最大遺産、最高芸術である」 と教えて頂きました。

 そのかけがえのない天皇制の存在意義を、私たち生長の家を継ぐ者が将来にかけても皆に伝えていかなかったら、果たしてどうなるでしょうか。日本民族からますます 「愛国心」 を失わしめ、先祖、親への誇りは持てず、その末裔である私たち自身の尊厳性を失墜せしめることになってしまいます。

 今よく言われます「国際化」という遠心力の土台たる求心力の 「愛国心」、先祖供養の心、親孝行、そして 「われ神の子なり」 の自覚を少なからず崩していくことになると思います。

(中略)
 今の現実は、入会して真剣に道を求めようとすると、教えの勉強を深く繙(ひもと)く事より、愛行重視に傾きすぎて、「数・数」 と 「数」 のお化けに振り回され、幻滅し、重い心を引きずりながら結局組織の兵隊になり、将棋の駒のように追い回されて身も心も磨り減っていく。「数」 で人を裁き、悲しくも一番大事な 「互いの実相を大切に拝み合う美風」 はかなり失くなってしまいました。

 全力で献身された方ほど、病気になって倒れたり、ノイローゼになって入院されたり、この喧噪を避けるため人知れず故郷に戻られたり、そして耐えられずに哀しみ怒りを内に秘めながら組織を離れていく人が、かなりの数に上っていると聞きます。昔は決してこうではなかったように思います。

 またそのように真剣に教えを求め殉じようとする人と、例えば頼まれた義理で遊び半分に講習会のみに出かける人の重みが、ただの“一人分”として同じであることに大きな疑問を感じます。

 本当は真に神の意志による組織であれば、すべての人の個性を尊重し、育んでいく。数を集められる個性も、他の素晴らしい個性も共に大切にされる世界であるはずです。

 そして 「数」 に追われるような形式的な中心帰一でなく、「尊師が御心とされた神の御意志、麗しき真なる中心帰一の秩序のもと、すべてを愛し、育み合う世界の実現」 こそ第一に優先されるべきではありますまいか。

 谷口雅春先生は、私たち誌友、そして全人類の悦びと幸せを真に願われ、勿体なくも、私たちを 「菩薩」 と拝まれました。その崇高なお姿に接し、私たちは常に襟を正さずにはいられませんでした。(中略)

 今は講習会の大量の券の他、数多くの行事出席のため、お金は湯水の如く半強制的に集められ、多くの誌友は苦しんでいます。その多額の浄財は運動のための資金として本当に必要なものなのでしょうか。

(聖典より)
   <「12月4日」――真の宗教は生を明らめ生きる道を明らかにし、人間の生活をして真に幸福ならしめるところのものである。真の宗教とは決して教会や寺院で勝手に定めて、それを信者に強制する教条や規則ではないのである。その意味ではかえって職業宗教家より自由思想家、むしろ無宗教家といわれている人に、真の宗教を体得した人があるということができるのである。>

 現在の生長の家の指導者たる皆様方は、谷口雅春先生のこの御教えを敬愛し、「光明化運動を力強く推進して行かねば」 との使命感に燃えていらっしゃる点、心より素晴らしく有り難く思います。ただそれをあまり急ぎすぎて、残念ながら大事な点がちょっと忘れられているのではないかと、この一連の尊師の御言葉に接して感じました。
(後略)

     * * * * * * *

 以上で投書文の紹介をおわります。

 上記投書の手紙文が出てきたのは偶然ですが、偶然とは言えない何かがあるような気がしました。運動成果の 「数」 にこだわる問題を取り上げているときにちょうど、ひょっこり出てきたからです。

 投書は十数年前のことですが、今でも通ずるものがあるのではないかと思われます。

<つづく>

2182復興G:2013/07/04(木) 15:30:37 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 さて、去る6月30日、私は埼玉教区の講習会に一部参加しました。午前中は地元で誌友会があったのでこれに参加し、12時誌友会終了後すぐ西武新宿線の最寄り駅まで自転車を飛ばし、所沢のサブ会場「くすのきホール」に駆けつけましたら、午後1時前に到着できました。

 この講習会に誘われたのは、埼玉教区に住むある恩人からで、つぎのようなお手紙をもらっていました。

 「今年は<癸巳>まさに変革の年。新しい展開を目指して頑張りたく存じます。今年の埼玉教区最大のイヴェントは講習会でございます。1週間後の7月7日に生長の家本部の落慶式も控えており、大盛況の講習会に致したく存じ、先生にもその一端の担いをお願い致したく、講習会のご案内をさせて頂きます。どうぞ宜しくお願い致します。」

 ――というお手紙で、前回は1枚だったのが2枚の受講券と弁当券が送られていたのです。

 そういう幹部の方たちの熱意で、6月30日埼玉教区の講習会は前回比+410人(+5.42%)と伸びたようです。大成功おめでとうございます、と祝福申し上げましょう。

 ところで、>>2173 a hope 様のご質問

>>確かに、参加人数が多ければ 「素晴らしい内容だから人が集まったのだろう」 と、一般の人は感じるかもしれませんが、実際のところはどうなのでしょうか?<<

――について、率直にお答えすると、 “No” だと思います。「素晴らしい内容だから人が集まった」のでは[ない]ということです。

 私は、ほぼ断言できます――次回は、きっと減るでしょう、と。

 なぜなら、この講習会で総裁のご講話を聴いて救われた、大安心を得たという人は残念ながらほとんどいないと思われるからです。本当に悲しいことですが、それが私の率直な感想です。

 それは、本当に泣きたいぐらい悲しいことです。

 雅宣総裁には、この信徒の気持ちを分かってほしいです。

 ユタカ様は、

>>2121 の私の発言
>>しかし、新しく御教えに触れた方たちが、教団内で 『生命の實相』 も聖経 『甘露の法雨』 も買えないとなれば、由々しき問題です。
それなら 「学ぶ会」 に行けば良い、とは思いません。
なぜなら、真の 「生長の家」 は 「一つ」 であると信ずるからです。<<

というのを読んで、今まで教団から離れていたけれども、教団に復帰して愛行活動をすると決意されたようです。

 私は責任を感じています。ユタカさんが教団に復帰して本当に幸せになられるようでなければならない。私にもその責任があると感じているのです。

 時あたかも、機関誌『生長の家』の8月号(増頁特別号)が届きました。この全64頁のうち47頁を使って、「対称性の論理を学ぶ」という雅宣総裁の全国幹部研鑽会での講話をまとめた文章が掲載されています。

 これを読んで、果たして何人の人が宗教的、霊的向上などを得られるでしょうか。読んでも頭が痛くなるようなご利益(?)が得られるだけでしょう。魂が歓喜し救われるようなご文章ではありません。

 講習会での総裁の講話も、同様だと思いました。

 私は青年時代から60年以上、生長の家ひとすじに、少し大仰に言えば「命を賭けて」やってきて、こんにち80歳になりました。まだまだこれから自分の本当の人生が始まるのだ、という気持を持っています。しかし限られた今生の人生、一日も無駄に過ごしたくはありません。

<つづきますが、これから行事予定スケジュールが混み合っていますので、つぎはまた来週にお目にかかります。>

2183復興G:2013/07/04(木) 15:59:30 ID:AB6RqYXc

>>2180 訂正です。

× 「7月4日」――故人は滅しても国家理念は滅びない。
            ↓
○ 「7月4日」――個人は滅しても国家理念は滅びない。

2184曳馬野:2013/07/05(金) 00:28:57 ID:vcOZ9g8c
   >>2180

「7月4日」――故人は滅しても国家理念は滅びない。国家理念のために没し切った個人の生命は永遠に滅びない。私は日本を 「久遠無窮」 の 「理念」 の体現として限りなく愛する。

七つの光明宣言の「二」に於いて個人の生命、魂の不死を説きながら、国家理念のためにと但し書きの付くのはどうしてでしょうか?  


「7月8日」――日本も久遠無窮の理念が失われた時、弱体化するのである。

「国家理念は滅びない」といいながら「久遠無窮の理念が失われた時」とは如何なることでしょうか?

「秘められたる神示」p47、7行目に

「この聖戦に参加する者を常に護らん」とあり、

おなじp132、10行目に

「あの戦争は聖戦だとか皇軍だとか称されたけれども決して聖戦でもなければ」

同じくP133最終行に

「日本は大東亜共栄圏というのを造って経済ブロックをつくり、英米に対して対立的な経済的自給自足圏をつくろうとしたのである」と書かれ
「自然流通の神示」に反する行為が戦争に繋がったと言われている。

生長の家の神の教えに従うとはどうすることだったのでしょうか?雅春先生は「皇軍必勝」と書き軍人に持たせました。
迷いの自壊作用であると知りながら勝つことのありえない戦争を応援したのでしょうか?

本流といわれる人々は何に回帰しようというのでしょうか?50年代に生長の家を指導した人たち、
またその下で青年会を指導した人たちの指導が良いものであれば、もっと違う生長の家が出来ていたことでしょう。

2185復興G:2013/07/05(金) 08:14:12 ID:AB6RqYXc

>>2184 :曳馬野様。

コメントのご投稿、ありがとうございます。

一つずつ、お答えさせていただきます。

≪ >>2180 「7月4日」――個人は滅しても国家理念は滅びない。国家理念のために没し切った個人の生命は永遠に滅びない。私は日本を 「久遠無窮」 の 「理念」 の体現として限りなく愛する。<<

七つの光明宣言の「二」に於いて個人の生命、魂の不死を説きながら、国家理念のためにと但し書きの付くのはどうしてでしょうか? ≫

――七つの光明宣言の「二」には、お説の通り

 「二、吾等は生命顕現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。」

 とあります。それと「7月4日」の引用文は、矛盾するでしょうか? 私は、矛盾しないと思いますが――

 投書子が引用された 『生命の實相』 第38巻の 「7月4日」 の項は、一部抜粋してあるのですが、その前後のご文章を拝読すると、これは素晴らしい真理のみことばであることがわかる思います。まず、それを謹写させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     七月一日

 深海の中に棲む魚は盲(めしい)である。暗(やみ)のみを心に思い浮かべているからである。光を見る心になったときわれわれに眼ができ、美しい世界がわれわれの周囲に展開したのである。

 思想することは自由である、幸福になるように、あるいは不幸になるように。けれどもそれは各人の選択である。

 ただひと筋に光明思想に随(つ)いて来るものは幸いである。

 すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである。

 思想として、宗教として、哲学として、生長の家はすべてのすべてである。このほかにもっと何かよいものがあるかと思ってさ迷い出るものは、エデンの楽園にいてエデンの楽園をさ迷い出ずるものである。

 いろいろと変わった思想のものを読んで、思想を混乱させればさせるだけ、自分の運命が混乱してくる。

 罰を当てるのではないが、いちどお蔭を戴いてから去ったものの運命がそれほど花々しくないのは、その人自身の思想が混乱しているからである。

 元の思想に還ればまた幸福がその人のために蘇(よみがえ)ってくるのだが、いったん光明思想を去った者が元の思想に還ることは負けたような気がして正直に懺悔の心を表白することができない。そこでその人はいつまでもグズついて不幸の中に身をまかせているのである。

 真理の前に脆(ひざまず)くことは、不幸の中に身をまかせていることよりもいっそう勇敢なことであることを知らねばならない。

     七月二日

 本当の平和はわが心が神に結ばれたときのみに得られるのである。

 神さえあれば何も要らない。心に神を持つことは「すべて」を持つことである。神は「すべてのすべて」であるからである。
<つづく>

2186復興G:2013/07/05(金) 08:14:46 ID:AB6RqYXc

<つづき>

     七月三日

 われらのすべての経験は、自分の内にある「神」を掘り出す作業である。どんなにそれが失敗したように見えようとも、どんなにそれが深刻であり、悲惨なように見えようとも、それが深刻であり、悲惨であればあるほど、われらの神に通ずる坑道は深く穿(うが)たれてゆきつつあるのである。

 深く深く掘り下げてゆくうちには、やがて広々とした世界に出る。そこは、もうなんの悲惨もない、常楽のみの世界なのである。

 どんな経験も、苦しい経験も、楽しい経験も、ただ、われわれは神に近づく掘り下げ方だとして喜ばねばならない。

     七月四日

 宗教とは死なぬ道を教えるものである。不滅の道を教えるものである。

 ある場合には、それは「個」と「全体」との関連において。「個」は「全体」とつながっているものなるがゆえに、「個」は滅びたように見えても、「全体」は滅びないから、それにつながる「個」も滅びないというような考え方において。

 ある場合には、それは国家理念の立場において。「個人」は滅しても「理念」は滅びないがゆえに、国家理念のために没しきった個人の生命は永遠に滅びないというような考え方において。

 わたしは、日本を「久遠無窮」の「理念」の体現として愛したいのである。わたしは限りなく日本の国を愛する。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 さて、今日は午前中から出かけなければならない予定行事がありますので、曳馬野様へのお答えの続きは、夜にさせて頂きます。ありがとうございます。

2187復興G:2013/07/05(金) 19:35:04 ID:AB6RqYXc

合掌
>>2186 のつづきです。

曳馬野様。

>>2180 投書子の 『生命の實相』 第38巻引用文は、前後を切り捨て縮約してあるために、少し誤解を招くような表現になっていましたが、>>2186の全文をお読みいただけば、最初の疑問は氷解されるように思いますが、いかがでしょうか。

「生命は不死」というのは、「肉体が死なない」ということでないのは自明のことです。肉体は死んでも生命は不死である、ということですね。

それで、38巻「7月4日」のところには、

≪ 宗教とは死なぬ道を教えるものである。不滅の道を教えるものである。
 ある場合には、それは「個」と「全体」との関連において。「個」は「全体」とつながっているものなるがゆえに、「個」は滅びたように見えても、「全体」は滅びないから、それにつながる「個」も滅びないというような考え方において。
 ある場合には、それは国家理念の立場において。「個人」は滅しても「理念」は滅びないがゆえに、国家理念のために没しきった個人の生命は永遠に滅びないというような考え方において。≫

 とあって、個生命の不死を説くのにいろいろな説き方がある、ということを言われているのです。またある場合には霊界通信の記録をもって個生命の不死を説かれる場合もあるということでしょう。ですから、それは七つの光明宣言の「二」と何も矛盾しないと思います。


 次に、進みます。

≪ >>「7月8日」――日本も久遠無窮の理念が失われた時、弱体化するのである。<<
「国家理念は滅びない」といいながら「久遠無窮の理念が失われた時」とは如何なることでしょうか? ≫

 これも、「7月8日」 のことろを抜粋でなく原文全文を謹写しますと――

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

≪     七月八日

 ローマが滅亡したのは、理念または理想に対する献身的態度や、持久の精神、堅忍不抜の精神の衰頽したのによるのである。

 ものの尊さも、国の尊さも、今ある形の大きさによるのではない。

 理想――理念を失ったものは、すでに内容のない形骸ばかりのものになっているのだから、今はまだ生き生きしていようとも、それはすでに幹から断ち切られた生け花のようなものである。それは時間のたつにしたがって、衰滅枯渇してゆくほかにありようはないのである。

 どんなに小さくとも生ける理念を内部に失わないものは、時期が来れば生長するほかはないのである。それは生命の種子であり、機会ごとに伸びるのだ。

 西欧文化は、偉大のように見えても、もう理念が失われている。日本も久遠無窮の理念が失われたとき弱体化するのである。理念が本当の「日本」であって、形はその影にすぎない。日本を大いに復興しようと思うならば、「日本」の理念を復興しなければならぬ。≫

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――とあるのであります。

 理念は滅びない。しかし、理念は目には見えませんから、現象世界ではその 「滅びない理念」 を忘れて、目に見えるものだけを追い求め、それに振り回されていることがある。そうすると、

 「それはすでに幹から断ち切られた生け花のようなものである。それは時間のたつにしたがって、衰滅枯渇してゆくほかにありようはない」

 といことになる。
 そういう意味だと思います。

<つづきます>

2188復興G:2013/07/06(土) 09:44:20 ID:AB6RqYXc

< >>2187 のつづきです>

>>2184: 曳馬野様。

ご投稿まことにありがとうございます。

おかげさまで、神示講義『秘められたる神示』 を深く読みなおすことができ、その素晴らしさに深い感動を味わっております。うれしさ、ありがたさで一杯であります。ありがとうございます。

曳馬野様ご投稿に

≪ 「秘められたる神示」p.47、7行目に
「この聖戦に参加する者を常に護らん」 とあり、
おなじp.132、10行目に
「あの戦争は聖戦だとか皇軍だとか称されたけれども決して聖戦でもなければ」

同じくP133最終行に
「日本は大東亜共栄圏というのを造って経済ブロックをつくり、英米に対して対立的な経済的自給自足圏をつくろうとしたのである」 と書かれ
「自然流通の神示」 に反する行為が戦争に繋がったと言われている。

生長の家の神の教えに従うとはどうすることだったのでしょうか? 雅春先生は「皇軍必勝」と書き軍人に持たせました。
迷いの自壊作用であると知りながら勝つことのありえない戦争を応援したのでしょうか? ≫

 とありました。ありがとうございます。

 上記谷口雅春先生のご文章の断片を読みますと、まったく支離滅裂でとんでもない矛盾したことをおっしゃっているように感じられるかも知れません。

 しかし、私は 『秘められたる神示』 のご講義を改めて詳しく読み返し、一夜明けた朝、すーっと谷口雅春先生のおっしゃっている意味がわかった気がして、うれしくてたまりません。

 キーワードの一つは、たとえば 「ヒノモト」 という言葉です。これは、「霊(ひ)の本(もと)」すなわち対立者のない唯一者であり霊である。現象の国のことではない、ということですね。それは、たとえば 『秘められたる神示』 p.49に

≪「ヒノモトの軍(いくさ)」というのは「実相実現の内部的動力としてのヒカリの摂理の進軍」でありまして、形の上での物質の軍隊のことではないのであります。それが敵味方と対立する力でないのは、此の神示に「唯一の光であるからヒノモトと呼ぶのである」と示されているので明かであります。唯一者には対立はないのであります。「摂理としての内部的動力」が動き出すと、現象界には「迷いと迷いとが相搏(う)って自壊するという形」があらわれて、その自壊作用を通して平和と光明とのみ充満する理想世界が実現するに至るのであります。≫

 とあります。

 また、<p.47、7行目に 「この聖戦に参加する者を常に護らん」 とあり……> とご指摘いただいたお言葉は、「昭和7年12月11日霊感」 とされているご文章の一節ですが、その前には、つぎのように書かれています。
<つづく>

2189復興G:2013/07/06(土) 09:45:05 ID:AB6RqYXc

<つづき――「昭和7年12月11日霊感」 とされているご文章>

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「久遠常住の佛に帰依(きえ)するのが生長の家家族の帰依である。久遠常住の佛とは自己の内にある。各自の生命の実相がそれである。生命の実相に順(したが)いて生き、生命の実相に順いて善を行ずる。生命の実相は久遠常住の佛なるが故に生命の実相の発露するところおのずから善となり美となる。善も美も固定したものではない。戦いのうちにも善もあれば美もある。

 「怒りの内にも善もあれば美もある。戦いと怒りを否定する境地はなお初歩である。普通の怒りを否定し去ったのちに、尚実相が迷いを消すための戦いと怒りとのあることを知らねばならぬ。それは聖戦であり神の怒りである。神そのものが怒っているのではない。実相が迷いの中を厳かに進軍するとき、その顕れが戦いとなり、神の怒りとなり、天変地妖ともなれば階級争闘ともなるのである。迷いの方から言えば迷いの自壊作用であり、実相の方から言えば実相の勝利である。迷いは『虚』であり、実相は『実』なるが故に、唯勝つほかはないのである。汝らただ恐れず進み行け。汝らの前にわれ常に煙幕となりて蔽わん。汝らよ、戦いの時は来たのだ。此の聖戦に参加する者をわれ常に護らん。」

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――以上をしっかり拝読しますと、まず出発点が

 「久遠常住の佛に帰依(きえ)するのが生長の家家族の帰依である。久遠常住の佛とは自己の内にある。各自の生命の実相がそれである。」

 というところなのでありますね。つまり、肉体の自我を「なし」と否定し、霊なる普遍的な我れ、対立を超えた我れの自覚に立って、「実相が迷いの中を厳かに進軍するとき、その顕れが戦いとなり……」ということになる。

 それは、

 「迷いの方から言えば迷いの自壊作用であり、実相の方から言えば実相の勝利である。迷いは『虚』であり、実相は『実』なるが故に、唯勝つほかはないのである。汝らただ恐れず進み行け。汝らの前にわれ常に煙幕となりて蔽わん。汝らよ、戦いの時は来たのだ。此の聖戦に参加する者をわれ常に護らん。」

 とあるのであります。

 私はこれを拝読しまして、ハッと気がつきました。

 「現象あり」 の立場、現象の側から見れば、大東亜戦争も 「迷いと迷いとが相搏(う)って自壊するという形」 であり「侵略戦争」とも言える。

 しかし、「光一元」 の 「実相独在」 の側から言えば、それは光の進軍であり 「聖戦」 と言える。

 今も、私たちの生活はある意味 「聖戦」 でなければならない。――私は、そう思いました。

「霊魂進化の神示」 に

≪ 『神の子』 なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的である。現象世界とは現界、幽界、霊界を通じて呼ぶ言葉である。

 人間の運命とは 『神の子』 なる人間の実相が現象界に投影する時、時間的空間的に展開するのに、おのずから一定の順序を追うて展開して行くように 大体定められているのを言う。

 それは譬えば朝顔の種子(たね)の中には既に 『花』 の因子(たね)が包蔵されているが、それが現象界に 『花』 となって完成するまでには、日光に逢い、湿気に遭い、芽を出し、蔓を出し、蕾を生じ、ついに花を開くと言うように、大体一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に遭うが如く、或は幸福に恵まれ、或は虐運と戦うことによって、ついに実相人間の現象界への投影を完成するのである。≫

 とありますが、これは人類全体の運命についても同様の経過を経て 「神の国」 の種子(理念、構図)が現象界に展開して行きつつあるのだと思われます。

<つづく>

2190復興G:2013/07/06(土) 09:45:41 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 その 「神の国」 の種子――「神の構図」 とは、すべての人類が互いに生命の兄弟姉妹として拝み合い生かし合う中心帰一大調和、無限感謝・無限生長の喜びの世界である。それで、

≪ 東洋の使命、その代表者としての日本国の使命は 「霊の使命」 であり、霊は分割し得べからざるものである。分割されたる世界を一つにまとめるのが日本の使命であります。

 西洋の分割精神に基く科学文明によって個々別々に分断されている国々を、現象はどのように個々別々に見えているにしても、実相に於ては 「みんな “神の子” であり、互いに兄弟である」 という霊的実相を知らしめるための戦いがヒノモトの戦いなのであります。

 大東亜戦争も現象としては明かに 「迷いと迷いとが相搏って自壊する戦い」 であったのに相違ありませんが、その底を流れている摂理としてのヒノモトの心には、「人類は霊的に互いに兄弟であるから有色人種と雖も、平等にその人権をみとめ、有色人種の国々を民族自決によって独立せしめなければならぬ」 という理想が動いていたのでありますから、それが戦争中に 「大東亜民族の解放のための戦い」 だというような標識も出て来たのであり、結果に於て大東亜民族諸国の独立という偉大なる業績を成し遂げたのであります。

 日本はその解放戦のために、ひとり十字架を背負って “侵略国” の汚名を着、且つ “敗戦” という磔けにかけられたのでありますが、「八紘一宇」 (世界は一つの家庭) という霊的理想は幾多の自壊作用をつづけつつ、だんだん世界全体の人々の心を動かしつつあり、……唯一つの中心を求める願いは、世界連邦・世界政府などの理想で徐々に形をあらわしつつあるのであります。≫

 と、『秘められたる神示』 p.51〜53には書かれています。

 その 「神の国」 の実相顕現のためには、根本において 「物質なし、肉体無し。人間は霊である、神の子である、神である」 という自覚に目覚めなければならない。

 「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する。「霊」 の世界は 「一つ」 であるから、真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります。そのためには自我を死に切り、己れを無にする必要があります。対立のない「霊」の自覚に立っての「聖戦」を、今日も戦ってまいりたいと思います。それは、己れ自身との戦いであります。

 そういう自覚に立った時、曳馬野様ご投稿の、一見矛盾だらけのように取れる谷口雅春先生のご文章の真意がわかって、矛盾はないと、私は理会納得できました。

 ありがとうございます。

 では、今日のお仕事に行ってまいります。

2191曳馬野:2013/07/06(土) 18:10:55 ID:vcOZ9g8c
復興Gさんありがとうございます

その 「神の国」 の実相顕現のためには、根本において 「物質なし、肉体無し。人間は霊である、神の子である、神である」 という自覚に目覚めなければならない。

 「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する。「霊」 の世界は 「一つ」 であるから、真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります。
そのためには自我を死に切り、己れを無にする必要があります。対立のない「霊」の自覚に立っての「聖戦」を、今日も戦ってまいりたいと思います。それは、己れ自身との戦いであります。


色々言われたご意見は、私が50年代に生長の家を指導されていた思いが良いものであれば、違う生長の家になっていたでしょうと云った、指導方針に則った真理理解のご意見だと思います。

真理の実践者が多くいたのであれば住吉本宮は建立される必要がなかったのではありませんか?

住吉本宮を建立されたとき雅春先生は何と言われたでしょう?吾ら為す術を知らずと言われませんでしたか?


【・・・・・自覚に目覚めなければならない・・・・・・・真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります】

これが出来ている人がいるのでしょうか?

【「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する】、この原理を正しく理解実践できる人が八ヶ岳教団とか原宿教団とかという名称で人を指差すでしょうか?

本流と称する人達の中に一人でも居られるのでしょうか?

今ここに生長の家誌の昭和18年五月号があります。法語というべきものとして生命新体制記というものが書かれ、そこに盤珪禅師のことを取り上げ生長の家と全く同じであると書かれています。
盤珪禅師の不生禅といわれるものは一切の念を浮かべないというものです。そして論文的なものとして「絶対無の日本武道」なるものが説かれ、その最初の文に

【『絶対無』の心境が日本精神であります。苟も心に一塵の『有』がありましても、その『有』に縛られて日本精神本来の自由自在が失われてしまうのであります。・・・・・・・・
斯うでなければならないと条件づけたときに、既に吾々は絶対自由の境地から一歩踏み外したと云うことになります。】と書かれています。その法語五月八日には

【「いさかひはげにやまびこのこだまかやわれしづまればむかふおとなし」これは心学の歌である。『和』と云うのは、我と彼とがひとつであることを体得することである。
向こうが悪いと思い、此方が善いと思っている間は、彼と我とは別のものであると思っているから、『和』が成立せぬのである。】と書かれています。

雅宣先生がどうだこうだという前に、原理主義者といわれる人達は雅春先生を信じるというのであれば、上の雅春先生の言われることを自分の信じる原理主義に則り実践することが
求められるのではありませんか。「復興G」のはんどるは復興を目指す爺さんの謂いでしょうか?実践しない信仰者に対して原理主義の称号は云い得てますね。

復興Gさんが榎本講師の文を紹介されていますが、「光のある内に」をなかなかのものと思い読んだことがあります。
しかしながら、ここに書かれているものを読むにつけ、上の二つの引用文の心境には隔たりがあると感じます。

『其の儘の真理』とは如何なるものとお考えですか?組織運動の中での其の儘の生き方とは?

私も時間の少ない生活をしていますので早いお返事は出来かねますが。

2192復興G:2013/07/06(土) 21:54:41 ID:AB6RqYXc

曳馬野様

あなたのご投稿は、何をおっしゃりたいのか、さっぱりわかりません。

>>色々言われたご意見は、私が50年代に生長の家を指導されていた思いが良いものであれば、違う生長の家になっていたでしょうと云った、指導方針に則った真理理解のご意見だと思います。
真理の実践者が多くいたのであれば住吉本宮は建立される必要がなかったのではありませんか? 住吉本宮を建立されたとき雅春先生は何と言われたでしょう? 吾ら為す術を知らずと言われませんでしたか?<<

まず上記の意味が分かりませんので、わかりやすくご説明下さい。

私は明日は朝からずっと夜遅くまでスケジュールが入っていますので、明後日、月曜日以後にならないと投稿はできませんが……

2193ユタカ:2013/07/06(土) 22:14:26 ID:R1D4Jmeg
>2190 その 「神の国」 の実相顕現のためには、根本において 「物質なし、肉体無し。人間は霊である、神の子である、神である」 という自覚に目覚めなければならない。

 「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する。「霊」 の世界は 「一つ」 であるから、真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります。そのためには自我を死に切り、己れを無にする必要があります。対立のない「霊」の自覚に立っての「聖戦」を、今日も戦ってまいりたいと思います。それは、己れ自身との戦いであります。

 そういう自覚に立った時、曳馬野様ご投稿の、一見矛盾だらけのように取れる谷口雅春先生のご文章の真意がわかって、矛盾はないと、私は理会納得できました。


カァーー!! カァっコイイーー!!

復興ジャイアンツの御言葉には、神様が宿っていますね。。。。

本当に惚れ惚れします!!  

己との戦いとは全人類共通の課題でありますなぁ。。。


生命の実相第3巻第1章でユタカが線を引いた箇所。
○ (P、99後ろから4L)病気というものはゴムの袋に水をいれておいて、一方を押すと、そこはへこむかわりに他のところがふくれるのと同じで、われわれの心の袋の中に「迷い」の水を入れておくかぎり、押さえてへこましておいても、必ずどこかで、その「迷い」が頭をもたげてきて病気となり不幸となるのです。

○ (P,105 5L)  ともかく物質治療医学は病を征服したかといいますと、医学が病を征服していない証拠に医学いよいよさかんにして色々の治療法や医薬が発見または創製せられるのに正比例して病気がますますさかんになっていることであります。もし物質治療医学が真に病気を根治しうるならば、医学の盛んになるにつれて病気がしだいに減ってゆくべきはずでありますのに、病気は減るどころかむしろ殖えているのであります。それなら物質医学は全然病気を直しえないか癒しえないかと言いますとそうではない。実際個々の病気そのものは物質医学の治療法で癒しえているのでありましてこの事実を否定するのは公平ではありません。

2194ユタカ:2013/07/06(土) 23:45:34 ID:R1D4Jmeg
○ (P,106 7L)「生長の家」では薬物治療法を「迷い」をもって「迷い」を制する治療法だというのであります。病は神が創造らないから本来無い。無いものをあると思うのが「迷い」である。物質は生命でないから治す力がない、治す力のない物質たる医薬に治す力があるように思う、だから『迷い』である。
この二つの「迷い」は、根本は一つの迷いーー「物質に生命あり」との迷いから出発したのでありまして、この一つの「元の迷い」から、人間は肉体と称する物質だと思う「迷い」ができたり、治す力は物質にあると思う「迷い」ができたりしたのであって、この二つの迷いの力が互いに衝突して中和したような状態になる、これが薬物治療その他の物質治療によって病気が一時消滅したように見える理由なのであります。しかし、これでは甲の迷いが乙の迷いによって中和しただけであって、「元の迷い」が真に消滅したのではない。だから中和していた二つの迷いの釣り合いの状態が
破れると、すぐ元の病気が再発して来るか、別の他の病気に姿をかえてあらわれて来るかするのであります。

○ (P120 3L) もっとも医薬もだんだん進歩しまして、ペニシリンのごとき副作用の少ないものも逐次発見されつつありますが、しかも、かかる薬剤ができれば、一時はきいても菌に抵抗力ができてやがてきかなくなります。 だから根本的には心を清めて病気を無くするのが第一であります。

○ (P、128 10L)大体、母体に胎児すなわち生命が宿るということは人工ではとうていできないことーーとうてい人間の計らいではできることではないのでありまして、「生命」のみ「生命」を生み、「生命」のみ「生命」を養い育てることができるのであります。神が母の体内に「生命」の種子を宿し給うたならば、神がそれを養い育て給うのは必然であります。栄養が必要ならば神が母の口より入る食物を通じて必ずそれを与え給う。栄養が胎児にとって必要なときにおいて、その母親の口より食物の入らないようにするような悪阻などを、神が創造り給うはずはないのであります。それだのにここに、人間にこの不自然な悪阻というものが起こるのは、それは人間が、自己の生命が調和の神よりきたれることを自覚せず、一切のものが一つの神(全体を一つの調和ある状態に支配する力)によって支配されていることを自覚せず、個々の生命は別々に勝手に相食み胎児は母の肉体を食し、黴菌も母の肉体を食し、そこに自己の肉体をあたかも「生命」と「生命」とが相食み相戦う戦場であるかのような迷える人間観を抱いているから、その迷いの人間観が客観化して悪阻ともなってくるのであります。

だからわたしはそのご婦人にこの迷いを破るために神想観をなし、「胎内に宿っている胎児は神が宿し給うたものであるから、この胎児の生命は神が養い給うのである。 だから神は必ずこの胎児の生命の生長に必要な栄養は母体の口を通じて与え給うのである。母体が衰弱してしまったならば、せっかくこの胎内に宿っている生命も生長の機会を失ってしまうのであるから、神はけっしてそんな不合理なことをなし給うはずはない。そんな不合理は神から来たのではない。自分の『迷い』が映像を映していたのである。自分は今『迷い』の念を去り、生命は神が養いたまうものであって自分の身を削って養うのではないという真理を知ったから、もう自分の胎内に子供が宿ったということについてなんの恐怖も感じもない。母体も胎児も神の愛深き無限の養い給う力に抱かれてなんの恐れもなく平和である」と心のうちに数回繰り返して黙念して神想観をなさるようになさいとということを手紙で返事を書いてあげたのであります。

すると、そのご婦人からは、私の手紙が到着した日から不思議に吐き気がとまって食物gsたべられるようになり、その付随的功徳としては今まで熱をだしていた別の幼児が、それと同時に解熱したので実に驚いているーーという意味の感謝状を送ってこられたのであります。

○ (P、133 6L) 憎みを放下せよ、病気は治る。憎みを放下しても治らないのは過去の憎みの波動が残っているからである。過去の憎しみの波動を消すにはその反対の波動を心に起こせ愛は憎みの精神波動を中和する。(智慧の言葉より)

2195ユタカ:2013/07/07(日) 00:28:17 ID:R1D4Jmeg
以下はユタカの妄想を書きます。

曳馬野様の 日本語の意味不明で難解さが 生長の家総裁さんと よく似ていますね。。なんだろう?「指導されていた思いが良いものであれば、」って???50年代って創始者先生がご存命の時代でしょ?意味ワカンナイよネーーーこの文。さらに指導方針に則った真理理解って・・・急に何??宇宙人か?こいつは??どこの惑星人だ??

もしかして、生長の家の総裁と友達?それともまさかの本人?と勘繰るほどだよ。でも、人生の時間がないってことは総裁だったら違うな。いや、もしかして、、、総裁は人知れずまさかの病気で『ガン』とかだったり・・・?? ブログに乗せない夕食は妻が血のしたたる牛肉を大量に料理していたのかもしれない。。。????

どう考えても病気・・・だが、それは有り得ない。残念だけど・・・ 

WEB誌友会にあわないですね。。削除してください。 はははのは。







酔っ払って、妄想しながらひとりごと・・・・

2196ユタカ:2013/07/07(日) 00:34:49 ID:R1D4Jmeg
>真理の実践者が多くいたのであれば住吉本宮は建立される必要がなかったのではありませんか? 住吉本宮を建立されたとき雅春先生は何と言われたでしょう? 吾ら為す術を知らずと言われませんでしたか?<<

更に、もっとワカンナイーー。 詳しく書いてくれたらいいなぁ。。。でも、根本的に生長の家の教えの把握の仕方が自己流なとこがますます総裁そっくり!!!

はははのは。 これも削除してください。

2197ユタカ:2013/07/07(日) 14:47:37 ID:R1D4Jmeg
3巻第2章 ここは谷口先生と中畑さんと何人かの会話

○ (P、134 2L) 細胞は粘土、心は彫塑家、作品はわれらの肉体である。われらはすべて自己の肉体をいかようにでも作る権利をもった全能者である。ウエルズによれば、人体内の細胞の総数は一千兆以上ある。この驚くべき多数の細胞が「一糸乱れない支配」のもとにいろいろの分業に専心している。この「一糸乱れない支配」は誰がするのであるか、それはわれらの心がするのである。心を切り離すとき、細胞はもういろいろの分業をしなくなる。
一個の細胞を「人間」から切り離して人工培養をした実験によれば、心臓の細胞でも、腎臓の細胞でも、その他人体のどこの細胞でも、生きてはいるけれども、一列一帯に、どれが心臓の細胞だかいっこう区別のつかぬ類型的な働きしか営むことはできないのである。そうすると心臓の細胞が心臓特有の働きをし、腎臓の細胞が腎臓特有の働きをし、その他、人体各所の細胞がおのおの特有の働きをしているのは細胞自身の働きではなく、「我」の心の支配力を受けてのことであることがわかるのである。
わが心は全身の肉体細胞にいかなる働きをさせるかについて絶対の支配権をもっているのである。この心が支配権を捨てる時全身の細胞の働きが乱れる。これを病気というのである。

2198ユタカ:2013/07/07(日) 17:39:24 ID:R1D4Jmeg
○ (P,142 1L) ところが、神というものはそんなに自分の外にあるのではない、そんなに移り気で怒ったり愛したりしているものではない、 自分というものが神の子である、神の子であるから自分そのものがまた神である。他に神を求めるにおよばない、自分の内の神様を生かすようにすればよいものだという真理を悟るようになってからというものは、頼りにならぬ外の神様を頼りにしてその機嫌の良し悪しに従って、自分の運命がふらふら変化するというようなものではないと解ったから、ソトの神さまを恐れる必要がなくなった。自分のうちの神さまを生かすようにするだけで良い、この自分のうちの神さまと言うものはお供えのしようが悪いとか、お経やのりとのあげようが悪いとかで腹を立てたり復讐をしたりする我執をもった神ではない。どこまでも真ん円い円満完全な朗らかな神性であって、それはその神性をみとめさえすれば、その認めることによって、どれだけでも円満完全に顕れ出るものであることが確実であって、時々のご機嫌によってご利益を与えたり神罰与えたり、いろいろ変わるような不確かなものでないということが明瞭になってきた。
この不確かなものを信じていると心が動揺し恐怖するから、わたしでも恐怖心で病気になっていたが、 確実で不動な正しいものを信じるようになると病気が自然になくなった。

○ (P,143 5L_) 神と言うものは調和であり愛であるから、家のなかに不調和な精神的争いがあっては神というものは顕れぬーー

○ (P,148 7L) 下痢を起こしたまたは熱が出た時はその人の「生命」が迷いを外に駆逐し始めた証拠であります。すなわち迷いに対する真生命の勝利しつつあるシンボルであります。さらにこれを第二義的に申しますと、人間の健康が病気又は黴菌に打ち勝ちそれを駆逐し始めた実証であります。

○ (P,150 後ろ6L) 『生長の家』をお読みになると今まで自分の病気の回復を遅らせていたのは自分の暗い気持ちであったことをお悟りになり、生命の実相をお悟りになって根本から明るい気持ちになられたところが、五年間ゆき悩んでもてあましていられた肋骨カリエスが二、三ヶ月のうちに全治して、もうすぐあとから結婚問題まで持ち上がっている実例があります。

2199ユタカ:2013/07/07(日) 18:25:00 ID:R1D4Jmeg
○ (P,151 5L) それから、これは大阪で天理教の熱心な布教師をしていられる方の話でありますが、その息子さんが肺結核にかかって幾度も喀血せられた。「天理教の教えを真ぜよ、病気は治る」とお父さんが言われるけれども、そんな不合理な教えは信じられぬといってきかない。大阪のような都会では空気が悪いからというので北陸の海岸の親類の家に養生に帰っていられた。その時、その息子さんの姉の方が雑誌『生長の家』をもっていってあげられた。その方がお読みになると、人間の身体は神さまからの借り物だ、などという天理教は信ぜられないが、人間の身体は仮のもの、実相ではない仮現であるという「生長の家」の教えは合理的だから信じることができるといわれて、引き続き読んでいられるうちに、しだいに自己の生命の実相をお悟りになられて、健康がめきめき回復してきた。そのおとうさんである天理教の先生さんも大学を出られた立派な教育ある方でありますが、天理教を信じないと頑固に言い張った息子が信じることができると言う「生長の家」の教えというものはどんなものかとお知りになりたくなられて、試みに二冊送ってくれといってこられた。ちょうど手元にあった第二集第四号五号をおくってあげると『生長の家』を読むにしたがって、天理教の説かれた真の御教え、真の教祖のみ心というものが一回は一回ごとにハッキリ解るといって立て続けに十二回お読みになって、「これは真に神のことばである。神が書かせてお出でになる言葉だからこそ、こんなに味わいのつきないものがあるのだ」といわれた。一方息子さんのほうでは、『生長の家』をお読みになっているうちに真理が悟れて、天理教の教えに反抗している必要がなくなってきた。父が天理教を信じている、息子がどうしてもそれを信じないとがんばる、その頑張りがあった間は、父と息子の間に精神的葛藤があり、それが病気の治るのを妨げていたのでありますが、その息子さんの心のうちにがんばることも反抗することもいらない、天理教の中にも生きていれば、他の宗教の教えの中にも生きており、同時にまた自分のうちにも、父親の愛のうちにも生きている完全円満玲瓏珠のごとき「生命の実相」を味わわれるようになった時、今まで「天理教を信ぜよ」「信ぜぬ」で互いに和解ができていなかった父と子との間に和解が出来るようになられた。病気がずんずんよくなる、病気などはなんでもありませんが、病気の治ることよりも大切な家庭の中の和解がそこに成立した。
神の教えというものは愛の教え和合の教えであるべきですから、家族の一人が何教を信じたがために、父子互いに相争うようなことになる教えは、その教えそのものが本来いかに良くてもその教えを信じる人おのおのの理解に片寄りがあるからである、この片寄りがとれて、本当の神がわかり、自分の生命の本当の相というものが解ってくると、人間はその生命の実相において一帯であるからひとりでに和合せねばならなくなる。

2200トキ:2013/07/07(日) 18:36:29 ID:Zbzuk5S2
 曳馬野様のご真意は不明ですが、50年代の指導が良ければ、という事で、少し感想を申しあげます。

 生長の家の歴史を調べると分かる事ですが、生長の家も全く挫折なく、順調に伸びて来た訳ではなくて、やはり
いろいろと挫折もあり、障害も乗り越えて、今日まで来たのです。先達はその時に、全力で祈り、動かれて、運動
をされてきました。今日、ここまで伸びて来たのは、これは疑いもなく、先達の功績です。これは、素直に認めま
す。

 それで、今、生長の家の運動がおかしくなって来ているのは、いろいろな背景はありますが、その最大の責任は、
先達ではなくて、今、現代に生きている生長の家の信徒の吾々でしょう。それを無視して、先達に責任を転嫁する
のは、やはりよくないと思います。

 私の縁者の「一白鳩会員」が話しているのは、

 『確かに、マサノブさんは問題だが、あの人は、自分は、あれが正しいと思い込んでやっているのですから、
仕方がありません。問題は、周囲の側近や幹部です。マサノブさんの指導が間違っているのを知りながら、
こびへつらい、信徒に間違った指導をしています。これは、ある意味、マサノブさんよりも、はるかにタチが
悪いです。本当の生長の家の信徒なら、無理はしなくてもいいから、出来る事をすべきです。ただし、争いは
反対です。」
(総裁、ならびに本部の皆様、暴言をごめんなさい。高齢者ですから、止めても聞かないのです。)

 と言っています。

 『他の作と不作をとうな。自分の作と不作を問え」

という禅宗の精神が大事かと思います。

 (すみません、考えがまとまらないまま、書きました。)

2201曳馬野:2013/07/08(月) 05:46:49 ID:vcOZ9g8c
2184での投稿
「本流といわれる人々は何に回帰しようというのでしょうか?50年代に生長の家を指導した人たち、またその下で青年会を指導した人たちの指導が良いものであれば、もっと違う生長の家が出来ていたことでしょう。」

2191での投稿
「色々言われたご意見は、私が50年代に生長の家を指導されていた思いが良いものであれば、違う生長の家になっていたでしょうと云った、指導方針に則った真理理解のご意見だと思います。」

あなたのご投稿は、何をおっしゃりたいのか、さっぱりわかりません。

>>色々言われたご意見は、私が50年代に生長の家を指導されていた思いが良いものであれば、違う生長の家になっていたでしょうと云った、指導方針に則った真理理解のご意見だと思います。
真理の実践者が多くいたのであれば住吉本宮は建立される必要がなかったのではありませんか? 住吉本宮を建立されたとき雅春先生は何と言われたでしょう? 吾ら為す術を知らずと言われませんでしたか?<<

まず上記の意味が分かりませんので、わかりやすくご説明下さい。

【・・・・・自覚に目覚めなければならない・・・・・・・真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります】

これが出来ている人がいるのでしょうか?

【「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する】、この原理を正しく理解実践できる人が八ヶ岳教団とか原宿教団とかという名称で人を指差すでしょうか?

本流と称する人達の中に一人でも居られるのでしょうか?

と私は問いかけました。あなたの信念となっているこれらの真理を其の儘に実践できている人がいるのでしょうか?真理を実践すれば結果は現れものですよね。あなたの云われた真理が実践されているのであれば、雅宣先生が如何なる人であれ、実践者の心の影として、本流、八ヶ岳教団などという対立は現れないわけです。

2202曳馬野:2013/07/08(月) 05:47:52 ID:vcOZ9g8c
真理は正しくとも実践されなければ絵に描いた餅です。真理は正しい真理は正しいとばかり言っているのみで実践が伴わない人を指して原理主義なる言葉が発生したものでしょう。

「本流といわれる人々は何に回帰しようというのでしょうか?50年代に生長の家を指導した人たち、またその下で青年会を指導した人たちの指導が良いものであれば、もっと違う生長の家が出来ていたことでしょう。」

との私の意見は、真理の実践あるのみとの指導が40年代後半から徹底されず、自己満足型になっていったとの意味です。宇治別格本山のホームページの歴史の第二章に、親不孝者三人の体験談が載せられています。徹底した実相直視の体験談であります。雅宣先生がという前に先生の実相を徹底的に見、己の心の迷いを取り去るべきでしょう。それが出来ているうえであなたが言われた日の本の霊的進軍として、大東亜戦争と同じ意味合いで本流なる分派活動が起こっていると云うのですか?私はそうは思いません。雅宣先生がどうあれ実相を観て頭を下げていられる人間でありたいです。

周りの人々の実相を観ること能わず、体験の出ない運動になったがゆえに、入龍宮を観念で済ます人が増えたから、我らのみにては力足らず、かくなるうえは竜宮住吉の大神のお出ましを願うほかなしとして、竜宮住吉本宮の建立に至ったものだと思います。

勿論トキさんが言われるように今の自分の影ととらえなければいけません。それは第一で先達の責任であるというつもりはありません。ですから違った生長の家になっていたことでしょうと云ったのです。私が問題とするのは、本流回帰、復興の意味するものが観念論の真理回帰なのか、本来の実践真理への回帰なのかということです。

原理主義種でなく実践主義者であれというのが私の意見です。

2203曳馬野:2013/07/08(月) 05:56:13 ID:vcOZ9g8c
ユタカさん

>>酔っ払って、妄想しながらひとりごと・・・・

色々言う前に酒がまずい幼子になってくださいね、幼子の如くならずンば神の国に入ること能わず、ですから

2204復興G:2013/07/08(月) 07:09:55 ID:AB6RqYXc

>>2201>>2202 :曳馬野さん

>>真理は正しくとも実践されなければ絵に描いた餅です。……原理主義種(者?)でなく実践主義者であれというのが私の意見です。 <<

――ならば、あなたもまずそれを実践してください。

>>50年代に生長の家を指導した人たち、またその下で青年会を指導した人たちの指導が良いものであれば、もっと違う生長の家が出来ていたことでしょう。<<

>>この原理を正しく理解実践できる人が八ヶ岳教団とか原宿教団とかという名称で人を指差すでしょうか?
 本流と称する人達の中に一人でも居られるのでしょうか? <<

などと現在の状況を他人事のように、すべて他に責任転嫁するようなことを言っていたら、自分自身がその “原理主義者” になっているのではありませんか? 実践せよというなら、まず自分自身が実践しましょう。

2205復興G:2013/07/08(月) 07:29:40 ID:AB6RqYXc

 私は、

>>日の本の霊的進軍として、大東亜戦争と同じ意味合いで本流なる分派活動が起こっている<<

 とは思っていませんし、言ってもいません。「真の生長の家は、<一つ>でなければならない」 とのみ言い続けています。

 ただ、お互いに他を言うばかりではいけない、それは曳馬野さん、あなたも同じ穴の狢になってるのではないですか、と申し上げたのです。

2206復興G:2013/07/08(月) 07:37:32 ID:AB6RqYXc

>>2200 :トキ様

>>「他の作と不作を問うな。自分の作と不作を問え」

という禅宗の精神が大事かと思います。<<

――まさに、そこですね。ありがとうございます。

2207復興G:2013/07/08(月) 11:21:40 ID:AB6RqYXc

ユタカさま、『生命の實相』 の熱心なお勉強、ありがとうございます。

じっくり拝読して、コメントを書きますので、しばらくお待ち下さい。

土日はとてもハードスケジュールだったので(八ヶ岳本部の落慶式に行ったわけではありません。ネット中継も見ていません)、プライベートな雑用もたまってますので、少し時間を下さい。

ありがとうございます。

2208トキ:2013/07/08(月) 16:11:02 ID:rbsR5MnM
>>2206

 ご丁寧なコメント、恐縮いたします。ありがとうございます。

毎日、榎本先生のご文章を拝読しています。現在の状況について、答えがあるような印象を
持っています。

 今後とも、よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

2209ユタカ:2013/07/08(月) 20:22:50 ID:R1D4Jmeg
復興G様

ユタカのは抜書きで、何のコメントもしていません。 ただの抜書きです。

ご心配なさいませんようお願い申し上げます。

2210ユタカ:2013/07/08(月) 20:45:05 ID:R1D4Jmeg
曳馬野様

>色々言う前に酒がまずい幼子になってくださいね、幼子の如くならずンば神の国に入ること能わず、ですから

あ、そ。 じゃ、幼子のごとくに、ハッキリ言うけど・・・

>>2204 >>などと現在の状況を他人事のように、すべて他に責任転嫁するようなことを言っていたら、自分自身がその “原理主義者” になっているのではありませんか? 実践せよというなら、まず自分自身が実践しましょう。<<

上記の内容をよく読もう。復興G様に言われた同じ内容をカルト友達にも教えてやんな! カルト友達=同じ思想のあの人だよ。 真理の自己流解釈者講習会でみんなで笑いをこらえるのが大変なのだ。。。(迷いはレストランのメニューからくるんだろ・・・(笑))

ついでに幼子のよう悪いこというけど・・ 北杜市で誰か亡くなったの? 葬式が森の事務所であったって??

田舎の貧乏な小学校の体育館で何かしてたけど・・・ よく見なかったんだけど、、土葬にした??

チラ見で、解らないけど、脇に積み上げている大きい石で土砂崩れが心配な場所に見えたよ。 

それから・・ご神像の説明に。『生命の実相第1巻の巻頭』と言えず、聖書から・・・なんて言っちゃう所が痛いね、自分で失っといて。。


どう?まずい幼子ってこれでいい???

2211志恩:2013/07/09(火) 00:24:57 ID:.QY5jUA6
曳馬というのは、いわゆる、馬を引く....馬を後退させるという意味で、
戦いに負けた、という意味だとネットに載っていましたが、

そのようなハンドルネームにされたのは、シャレでしょうか?
それとも、偶然でしょうか?

2212志恩:2013/07/09(火) 00:29:58 ID:.QY5jUA6
別板で、「うなぎ専門店」の名だと、書いておられる人もおられました。
こちらの方かも。

3992 名前:神の子様 投稿日: 2013/07/08(月) 23:23:10
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<曳馬野> (ひくまの) ・・・ 「うなぎ専門店」

http://r.gnavi.co.jp/n974200/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「曳馬野」と名乗る人を見受けますが、この人は「鰻」が大好きなのでしょうか?
「ノーミート」をしているのだが、それで「鰻」に目が向くという人なのでしょうか?

2213神の子さん:2013/07/09(火) 01:32:53 ID:hEDgi/S2
10 :名無しさん@3周年[]投稿日:2011/02/21(月) 19:31:00.77 ID:le4nTp+5[1/4回]
イスラエルカルトの幕屋
http://zioneocon.blogspot.com/2004/02/75-japanese-march-in-support-of-israel.html
幕屋は日本会議に入ってる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0

幕屋は「つくる会」にエージェントを送り込み支配してるが
「つくる会」の副会長で明星大学教授の高橋史朗という者がある。
高橋史朗:元・反憲学連(生長の家系)活動家。扶桑社発行の『新しい歴史教科書』の監修者。
高橋史朗は生長の家の信者だが、主張内容が統一協会と完全に一致してることで有名でもある
統一協会のフロント組織「東西南北統一運動国民連合」の教職員向けの会合で講師を務め、
国際勝共連合制作のビデオ「性教育過激派の狙い」に出演するなど、統一協会とは切っても切れない関係。

統一協会、幕屋、生長の家、つくる会はズブズブの密接な関係があり
この全部について主張内容が日本会議と全く同じ、公式に(表向きに)発表してる部分だけでも
幕屋、生長と日本会議に二つも入ってる。

簡単に関係をまとめると、以下のようになる
http://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/topic/2005/0812-2.gif

ということらしい

2214山本富士子:2013/07/09(火) 05:24:43 ID:RgtAnGTI
昔、大昔、生長の家の集会で高橋さんの話を
聞いたことがありました。その中に情報収集のため
統一教会(勝共連合??だったか)の学生の集会(合宿??)
に参加したときの体験談を聞いたことが思い出されました。
アメリカに留学中、雅春先生の没収された神示を発見したりと
熱心な生長の家信徒だとばかり、思っていました。

2215復興G:2013/07/09(火) 15:05:46 ID:AB6RqYXc

合掌
皆さま ありがとうございます。

「web誌友会板」 で第一義の 『生命の實相』 を学ぶことを、粛々と実行してまいりたいと思います。

第15回web誌友会は、『生命の實相』 第3巻 「生命篇上」 (p.97〜p.213) をテキストとして、

今週の金曜日 7月12日(金)夜21:30から 来週
         15日(火・<海の日>で休日)夜23:00まで

「訊け」管理人様の司会で行われることになっているわけですね。

そしてその前に 「復興Gの講話」 がほしいというご要望がありますので、それにお応えすべく只今準備勉強中であります。

真理学習の意欲満々であるユタカ様が、すでに

>>2193
>>2194
>>2197
>>2198
>>2199

に、テキストの中で特に 「線を引いた箇所」 を謹写掲示してくださっています。それはだいたい私も特に注目していたところと一致しており、共感、感謝しています。

それで上記ユタカ様の投稿をはじめ『生命の實相』「光明篇上」 に関連して思うことを私の方から申し上げ、皆さまのから忌憚のないご意見・ご質問など積極的なご投稿を期待します。

明日、10日(水)あたりから私の投稿を始めたいと思っております。乞うご期待!

合掌 ありがとうございます。

2216復興G:2013/07/09(火) 15:09:33 ID:AB6RqYXc
誤記訂正です。

× 『生命の實相』 「光明篇上」
              ↓
○ 『生命の實相』 「生命篇上」

2217トキ:2013/07/09(火) 15:30:10 ID:Bz/1TirE
 復興G様、ご多忙の中、ご指導を賜り、深く感謝申し上げます。
よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

2218うのはな:2013/07/09(火) 17:42:21 ID:ZF4EvkZA
> 名前:復興G 投稿日: 2013/07/09(火) 15:05:46 ID:AB6RqYXc
合掌
皆さま ありがとうございます。

「web誌友会板」 で第一義の 『生命の實相』 を学ぶことを、粛々と実行してまいりたいと思います

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 暑中お見舞い申し上げます。
 復興G様が第一義の『生命の實相』を学ぶことを、、、と申されますと
 ものすごい説得力と威厳を感じますね。
 
 それでは聖歌斉唱 『宇宙荘厳の歌』

 参加しませんが、いつもありがとうございます(笑)

2219復興G:2013/07/09(火) 21:00:01 ID:AB6RqYXc

うのはな様

うのはな様からそのような祝福激励とお褒めをいただけるとはうれしい、光栄です。

がんばります。

感謝合掌

2220山本富士子:2013/07/10(水) 06:02:30 ID:RgtAnGTI
復興G様
いつもご指導ありがとうございます。

うのはな様
聖歌 すばらしいアイデァですね!。
ブログ誌友会に、よりいっそう宗教的雰囲気が漂います。
合掌ありがとうございます。

2221a hope:2013/07/10(水) 08:14:15 ID:edEDolt2
みなさま

おはようございます。
先週末から、忙しくしていてゆっくり掲示板を拝見する時間がありませんでした。
そんななかでも、自分自身の信仰姿勢をこれからどうしていったらいいのかと、
わたしなりにいろいろ考えたりしていました。
「唯神實相」「現象なし」の「生長の家の教え」は、宇宙最高の真理だと思っています。

では、まことにその信仰姿勢を貫き通すとはどういうことなのでしょうか?
実際には、ひどい現象がそこにあるのに、その現実に目をつぶって実相の光明面だけを見つめ、
現象の暗黒面とは適当に折り合いをつけて生きていくということでしょうか?


「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」は、現象人間の過ちが表現された二元論の長編詩です。
たしか、雅宣先生ご自身も、「あれは長編詩で聖経にかわるものではない」とおっしゃっているはずです。
雅宣先生が、ご自分の頭で考えられて真理を伝える方便としてお書きになったものだと感じています。

それなのにいつの間にか「お経」になって宇治別格本山などの練成会でも読誦され始めてしまったようです。
いったいどなたが、そのようなことを決められたのですか?
雅宣先生ご自身からのご命令なのですか?

「唯神実相」を悟らせることで衆生を悟りに導くのが生長の家の使命なのに、
あのような二元論の長編詩を「お経」として練成会などで読誦してしまったら、
せっかく真理を知って「唯神実相」に目覚めた信徒の魂を以前よりもさらに深く迷わせていまいます。
とても危険なことだと感じています。

わたしは、あの長編詩を「お経」として読誦することを即刻中止すべきだと思いますが、
みなさまは、どう思われますか?

2222a hope:2013/07/10(水) 10:14:51 ID:edEDolt2
>>2221のわたしの問題提起はこのweb誌友板での>>2180〜の復興Gさまや曳馬野さま、ユタカさまトキさまなどの
やり取りを拝見していて感じたことですがすでに一連のお話は終わっているようですね(笑)


>>2215で復興Gさまが
<<
「web誌友会板」 で第一義の 『生命の實相』 を学ぶことを、粛々と実行してまいりたいと思います。
第15回web誌友会は、『生命の實相』 第3巻 「生命篇上」 (p.97〜p.213) をテキストとして、
今週の金曜日 7月12日(金)夜21:30から 来週
         15日(火・<海の日>で休日)夜23:00まで
「訊け」管理人様の司会で行われることになっているわけですね。
そしてその前に 「復興Gの講話」 がほしいというご要望がありますので、それにお応えすべく只今準備勉強中であります。>>

とあるのを見落としていました。
すみませんでした。
このわたしの問題提起ですが、信仰/体験板の方に貼らせていただきます。
みなさま、そちらのほうでご意見をお聞かせください。

2223復興G:2013/07/10(水) 23:40:10 ID:AB6RqYXc

合掌 ありがとうございます。

お約束していました 『生命の實相』 第3巻 「生命篇」 をテキストにしての 「講話」 ――遅くなりましたが、始めさせていただきましょう。

第3巻の 「生命篇」 はまた、非常に素晴らしい、真理の根本が詳しく説かれているところですね。

私は非常に感銘深く、法悦をもって読み返し、勉強させていただいています。

まず、ユタカ様が >>2193>>2194 で抜粋謹写してくださいましたが、第1章の最初のところ――

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   第一章 はたして物質的治療は病気を征服しえたか

 あらゆる病気と不幸とは、「心の迷い」の別名――否むしろ「心の迷い」が形にあらわれたものでありますから、「心の迷い」を消滅させずにいて、一つの病気を、対症療法的に、その症候に対して施術なり薬物なりで攻撃してゆきますと、一時その症候は消えて癒ってしまったかのごとき外観をしめしますけれども、それは真に治ったのではなく、しばらく「心の迷い」が姿をくらましたのでありますから、やがてまた同じ病気が再発してくるか、異なる病気(たいてい、いっそう重大なる病気)に姿をかえて現われてくるのであります。

 一般周知の実例をあげますと、痔瘻を手術すると、肺結核が急に進行しておうおう死期を早める事実があり、皮膚病を治すと、内攻するといって腎臓病を起こす事実もあります。わたしの知っている例にも胃病が治ると痔を起こし、痔が軽快すると胃が悪くなる人があります。

 病気というものはゴムの袋に水を入れておいて、一方を押すと、そこはへこむかわりに他のところがふくれるのと同じで、われわれの心の袋の中に「迷い」の水を入れておくかぎり、押えてへこましておいても、必ずどこかで、その「迷い」が頭をもたげてきて病気となり不幸となるのであります。(p.99)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――とあります。

 それに続いて、天然痘を予防するために種痘を行うと結核に罹りやすくなるとか、結核予防のためにBCGを接種すると副作用の危険が大きいとか、これが書かれた当時さわがれた問題が取りあげられていますが、今なら iPS細胞を使っての治療法、再生医療なども同じことであろうと考えられます。

 「人間は神の子、本来病なし」 の真理から外れてiPS治療などをすると、今度は癌が増える、というようなことが起こって来るであろうと予測されるのであります。

 根本真理は、「病気は本来ない、それは迷いの映像(かげ)に過ぎない」 ということであります。それを 「あり」 として小手先の膏薬張りのようなことをしても、それは病気を他のところへ移転させるだけになると思われるのであります。

 真理は、次に書かれていることです。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     病気は非実在 (p.190〜 )

 神のみ実在であり給い、神は生命でありますから生命のみ実在であり、「生命の虚」は換言すれば非実在でなければならない、したがって生命の虚なるところの病気は非実在でなければならないのであります。

 実在するということはそこに神があるということであります。神がなければそこになに物も存在しえない。いやしくもわれわれ自身が存在するならば、その存在するものは神である、その存在するわれわれは神である、神以外になに物かが存在するという二元論は、神に対する一大不敬の論であります。 (中略)

 このようにわれわれは、「人間は神である」という。人間が神であるといっても、心霊学者のいうような明神であるとか、水神であるとかそういう個別的な神霊――したがって相対的な存在であるところの個々別々の霊のことをいうのではない、神と交通するといえば、そういう個々別々な霊魂と交通することだと思うようにして、人間は宇宙最高の神、絶対的な円満完全な神とは感応交通できるものでないと誤解されやすいようにしたのは、霊媒を使って研究する近代心霊学の一大蹉跌(さてつ)であります。

 絶対的な、唯一完全なる神は、それが絶対的であるがゆえに、われわれの内に遍満し、われわれはその神の内に存在を有し、われわれはこの神に対して心を開くと神の生命の流れが、現実世界に流れ込んで来る。
(p.190〜191)
<つづきます>

2224復興G:2013/07/11(木) 01:05:37 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

 去る6月27日の新聞で、

 「厚生労働省の審査委員会は26日、理化学研究所などが申請していたiPS細胞を使う臨床研究計画を承認した。目の難病になった患者が対象で、2014年夏をメドにiPS細胞を使った発の治療が国内で始まる」

 と報道されました。

 それで6月30日埼玉教区の講習会の時、「生長の家式に考えると、この問題はどう考えたらよろしいでしょうか」という質問も出されました。

 総裁のお答えは、要約すれば「人間中心主義、人間至上主義は間違っている。生長の家は“天地一切のものと和解せよ”という教えだから、他の動物を犠牲にして人間を治療するようなことをしてはならない」ということだったと思います。しかし、このたび厚労省で承認したiPS治療は、動物を犠牲にするものではないようです。

 それはともかくとして、『生命の實相』 第3巻に照らして考えれば、答え方は違うと思います。

≪ あらゆる病気と不幸とは、「心の迷い」の別名――否むしろ「心の迷い」が形にあらわれたものでありますから、「心の迷い」を消滅させずにいて、一つの病気を、対症療法的に、その症候に対して施術なり薬物なりで攻撃してゆきますと、一時その症候は消えて癒ってしまったかのごとき外観をしめしますけれども、それは真に治ったのではなく、しばらく「心の迷い」が姿をくらましたのでありますから、やがてまた同じ病気が再発してくるか、異なる病気(たいてい、いっそう重大なる病気)に姿をかえて現われてくるのであります。≫

 だから、もっと根本の問題、精神的な問題を考えるべきだ、ということになるのではないでしょうか。

 また、「人間至上主義は間違っている」 と雅宣総裁はよく言われますが、それが「生長の家の教え」でしょうか?

 生長の家では、肉体は人間ではない、天地一切のものと調和の関係にある霊なる神なるもの、至上者が真の人間であると教えられてきました。たとえば「本来生、不滅の神示」には

≪物質の束縛に縛られざるものを人間と言うのである。真の人間は『神の子』であって物質ではなく、肉体ではない。肉体ではないから物質の世界に出入(しゅつにゅう)する事もない。物質の世界に出入する事がないから物質の世界より見れば人間は不生(ふしょう)である。不生であるから滅することも亦ないのである。(中略)病なきを『人間』と言い、死なきを『人間』と言う。

 釈迦は『人間』の生老病死の四苦を見て出家したと言えども、釈迦はそのときまだ『人間』を見ていたのではない。念の影を見て『人間』と思い違いしていたに過ぎない。(中略)

 真の人間は無常の中にあらず、肉体の中にあらず、人間は永遠不死、金剛身、実相身、清浄身である。人間は神の子なるが故に本来『浄(じょう)』にして不浄ではない。≫

 そして「至上者の自覚の神示」には

≪ 人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が神だと悟った者を謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違いである。斯くの如き想像をする者は自己が神だと言う真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。自己が神だと悟れたら人間は本当に謙遜になれるのである。キリストが弟子の足を洗うことが出来たのも、自己が神だと悟っていたからである。

 本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性に自覚しないものは、いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈にすぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。≫

 とありました。

<つづく>

2225復興G:2013/07/11(木) 01:40:14 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

そして、このたびの 『生命の實相』 第3巻にも

≪ 実在するということはそこに神があるということであります。神がなければそこになに物も存在しえない。いやしくもわれわれ自身が存在するならば、その存在するものは神である、その存在するわれわれは神である、神以外になに物かが存在するという二元論は、神に対する一大不敬の論であります。 (中略)

 このようにわれわれは、「人間は神である」という。人間が神であるといっても、心霊学者のいうような明神であるとか、水神であるとかそういう個別的な神霊――したがって相対的な存在であるところの個々別々の霊のことをいうのではない……(中略)

 絶対的な、唯一完全なる神は、それが絶対的であるがゆえに、われわれの内に遍満し、われわれはその神の内に存在を有し、われわれはこの神に対して心を開くと神の生命の流れが、現実世界に流れ込んで来る。……≫

 とあるのであります。

 ですからこの 「真の人間至上主義」 に立ち還れば、自然との大調和が実現し、「自然と共に伸びる運動」もできるのだと、私は思います。

 「人間は神の子」 「実相独在」 の光を失えば、それはもう生長の家とは似ても似つかぬものと言わねばなりますまい。

 ところで、>>2221 :a hope様のご投稿

>> 「大自然讃歌」 や 「観世音菩薩讃歌」 は、現象人間の過ちが表現された二元論の長編詩です。
たしか、雅宣先生ご自身も、「あれは長編詩で聖経にかわるものではない」 とおっしゃっているはずです。
雅宣先生が、ご自分の頭で考えられて真理を伝える方便としてお書きになったものだと感じています。
それなのにいつの間にか 「お経」 になって宇治別格本山などの練成会でも読誦され始めてしまったようです。
いったいどなたが、そのようなことを決められたのですか?
雅宣先生ご自身からのご命令なのですか?<<

――について。

>>2127で私は次のように書いています。

>> >>2120:志恩様。
>>詩だといいながら、経本として出版し、「毎日 読誦するように」、雅宣総裁が、全組織に総裁として命じておられます。<<

というのは、おそらく総裁は「私が命じたことはない」とおっしゃるでしょう。おそらくその通りで、総裁が「毎日読誦するように」と命じられたことはないと思います。

しかし、参議・理事などが、これは「新しいお経」として毎日読むように仕向けようと、運動方針書にも記載するようにした。すなわち「生長の家人類光明化運動・国際平和信仰運動 “自然と共に伸びる運動”実現のための第2次5ヵ年計画第2年度・第3年度 運動のポイント」
(平成24年1月24日 拡大最高首脳者会決定)に

≪1.平和・環境・資源の問題解決への貢献
(4)世界の幹部・信徒は、日常の聖経読誦に加え、『大自然讃歌』ならびに『観世音菩薩讃歌』の読誦を行い、神・自然・人間の大調和の実現を祈る。≫
とあります。

これは、総裁の承認がなければ「決定」にはなりませんから、結局 志恩様のおっしゃってるような結果になっていると言えましょう。
そういう運動が進められている中で、教団組織に所属しながら
「私は『大自然讃歌』ならびに『観世音菩薩讃歌』の読誦を行いません」
というのは、とても勇気の要ることです。<<

と。すでに 「拡大最高首脳者会決定」 として運動方針書に書かれて、それに従って運動が行われているのです。
<つづきます>

2226復興G:2013/07/11(木) 02:11:35 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

>>2221 :a hope様 つづき

>> 「唯神実相」 を悟らせることで衆生を悟りに導くのが生長の家の使命なのに、あのような二元論の長編詩を 「お経」 として練成会などで読誦してしまったら、せっかく真理を知って 「唯神実相」 に目覚めた信徒の魂を以前よりもさらに深く迷わせていまいます。とても危険なことだと感じています。

 わたしは、あの長編詩を 「お経」 として読誦することを即刻中止すべきだと思いますが、みなさまは、どう思われますか? <<

 あの長編詩について、私は>>2119

>>『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』などは、「神様から与えられたる素晴らしいお経」ではないと思います。
それは、雅宣総裁ご自身が、「私の書いた者は私が書いたのであって、神が書いたものではないから、“聖典”とは呼ぶな」という意味のことを言われており、このたび経本型にして出版されている詩の本も、当然のことながら“聖経”ではありません。それは、総裁が

≪生長の家の詩としては、谷口雅春先生の『生命の實相』第20巻(頭注版)聖詩篇に「生きた生命」や「光明の国」「夢を描け」など十数篇が「生長の家の歌」として収録されている。その筆頭は、現在「甘露の法雨」と呼ばれている有名な長編詩だ。これの後篇が「天使の言葉」であり、これらは生長の家の真理を凝縮した「聖経」として取り扱われている。私の長編詩は、形式としてはこれら聖経に似てはいるが、それに取って代わるものでは決してない。そうではなく、むしろ聖経で説かれた真理を引用しながら、聖経では強調されていなかった方面の教義−−例えば自然と人間との関係など−−について補強を試みている。読者諸賢からの感想をお待ちしている。≫

と、「唐松模様」に書かれている通りであります。

そして、私自身この『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』を読んでみての感想は――
聖経『甘露の法雨』には

   万物はこれ神の心、
   万物はこれ神のコトバ、
   すべてはこれ霊、
   すべてはこれ心、
   物質にて成るもの一つもなし。
   物質はただ心の影、
   影を見て実在と見るものはこれ迷。
   汝ら心して迷に捉わるること勿れ。

   神は遍在する実質且つ創造主なるが故に
   善のみ唯一の力、
   善のみ唯一の生命、
   善のみ唯一の実在、
   されば善ならざる力は決して在ることなし、
   善ならざる生命も決して在ることなし、
   善ならざる実在も亦決して在ることなし、
   善ならざる力即ち不幸を来す力は畢竟悪夢に過ぎず。

   すべて真実の実在は、
   神と神より出でたる物のみなり。
   神は完全にして、
   神の作りたまいしすべての物も完全なり。

と、「完全なる神」 のみ実在であると書かれているのに対して、「讃歌」なる詩は現象をありとする方から書かれていて、立ち位置がちがい、聖経とは全然ちがうものだと思います。文法的にも、文語的な表現に口語的表現が混入していて不統一で、おかしいです。<<

 と書いています。

 これは、ただの長編詩ではなく、聖経に似せてつくった 「似せ経」 であり、[人為]的に作った「偽」 経であると思います。([人為]を一字にすると[偽]になる)

 そのような、作者ご自身が「聖経に替わるものではない」と言われたものを、「聖経に替わるもの」のように、

「世界の幹部・信徒は、日常の聖経読誦に加え、『大自然讃歌』ならびに『観世音菩薩讃歌』の読誦を行い、神・自然・人間の大調和の実現を祈る。」

という運動方針書を作った教団幹部の責任、それを承認した総裁の責任は重大であると思います。

で、私は 「ニセ経」 は読みません、と言っていますが、

<あの長編詩を 「お経」 として読誦することを即刻中止すべきだと思います>

と言っても、何か重大なきっかけになるような事件でも起こらない限り、「即刻中止」ということは難しいでしょうね。

2227復興G:2013/07/11(木) 07:48:50 ID:AB6RqYXc

>>2226 のつづきです。

では、どうすればよいか。

ユタカさんは、>>2122
>>『現象なし』 『無我』= ハイ!! 有難うございます。
以上が私の内なる答えです。<<

と書かれました。

>>教化部長 「新経を読んでください。」
ユタカ 「ハイ、ありがとうございます。」
 (行事終了後、「聖経」をあげる)<<

とも。

>>2132
>>現象は無い、自分も無い。
何がある?! 実相がある。 じゃ、現実をどう生きていけばいいの?
『 ハイ 有難うございます。 拝 有難うございます。』だよ。
『生長の家』は始めなく終わりなく、永遠にイキイキ生きて生きとおして『あり』続ける実相さ。 不滅、不滅。 本来生、不滅、清浄真無垢なり。

 聖経 真理の吟唱
天地一切と和解する祈り
われ今、ここに、神の子として新生し、神に感謝し奉る。 神は普遍的存在にましますのである。
一切を包容し、一切のものの周囲に、また一切のものの内にましまして、一切のものを渾然と一つに融和していたまうのである。
それゆえに、私もまた、神の子として、その渾然たる一つの融和体の中に存在するのである。
それゆえに、私は、天地一切のものと融和し、天地一切のものとの調和の関係にあり、わが働きは、他の天地一切のものを生かす働きとなり、また天地一切のものの動きは、また我を生かす動きとなるのである。
すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。
現象の世界に 如何なる 対立の 関係 があろうとも、 それは 妄想の顕す ところであり、 
妄想 (大自然讃歌、観世音菩薩讃歌など)は 『やがて 消えるべき 運命 にあるのであるから、 私は それ (新経) を恐れることもないし、 それに愕くこともないのである。
妖雲べきべきと空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空があるのと同じように、如何に暗澹たる状態たる状態 (裁判・新経) が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。
心を動ずることがないから、最も適切なる知恵が泉の如く湧き出て暗を消してしまう処置ができるのである。<<


――ユタカさんの、これは、すごい! 面白い!

古事記神話に、イザナミノミコトが「一日千人くびり殺す」と言われたら、イザナギノミコトは「では、千五百の産屋を建てよう(千五百人生みだそう)」と言われたように。

○常に生活が引き算になってはいけない。加え算にしなくてはならぬ。「これをしては他の迷惑になりはしないか。あの人は自分を迷惑がってはいないか」などと消極的に引っ込んでしまってはいけない。愛しよう、喜ばそう、為になろうと積極的に加え算になるようにすれば他をもいかし自分をも生かす。(智慧の言葉)

2228ユタカ:2013/07/11(木) 14:13:32 ID:R1D4Jmeg
天地一切と和解する祈り

>>2227は 下記二重カッコ((  )) に注意してお読み下さい。 そうでないと、普通の祈りではない事に気づかないからです。


>妄想 ((大自然讃歌、観世音菩薩讃歌など))は 『やがて 消えるべき 運命 にあるのであるから、 私は それ ((新経)) を恐れることもないし、 それに愕くこともないのである。


妖雲べきべきと空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空があるのと同じように、如何に暗澹たる状態たる状態 ((裁判・新経))) が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。


心を動ずることがないから、最も適切なる知恵が泉の如く湧き出て暗を消してしまう処置ができるのである。<<

2229復興G:2013/07/11(木) 15:36:15 ID:AB6RqYXc

>>2228 :ユタカさま

そうでした。(( ))の中は、谷口雅春先生の「天地一切と和解する祈り」に載っている言葉ではなくて、

ユタカさんが、そういう気持で祈っている、ということですね。

よくわかりました。 ありがとうございます。

2230復興G:2013/07/11(木) 15:38:05 ID:AB6RqYXc

 さて、今回のテキスト 『生命の實相』 第3巻 「生命篇上」 で、私が特に感銘深く魂に響いたのは、まず第3章のp.161〜164に、トルストイの思想について その遺稿 『人生の道』 から引用され、それが「生長の家」 の説くところとほとんど同じ思想に到達していたということは実に驚嘆に値する、と書かれているところです。

 それは、私自身高校時代に魂が目覚める体験をしたり、学生時代に現実の悩みの中で切なる魂の求めからトルストイの 『人生読本』 というのを読んだとき 「これだ!」 と驚嘆にも似た歓喜の思いを持ったことを思い出させてくださったからです。
 で、まずはそのあたりのところを謹写させて頂きます。(p.161〜 )

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 先日、ちょっと、神戸へ出たついでに書店へ寄ってみましたが、その時トルストイの遣稿の中から発見された『人生の道』という稿本の翻訳が見つかったので買って来ました。開いてみると「生長の家」の説くところとほとんど同じ思想にトルストイが到達していたということは実に驚嘆に値すると思うのであります。ちょっと御参考にその一節を読んでみます。

 「神が永遠不滅であるように、その陰影(かげなる目に見えるこの世界も永遠である。がしかしながら、目に見えるこの世界は要するに彼の陰影(かげ)にすぎない。真に存在するのは目に見えぬ悠久の力、すなわち神のみである。」(同書29ぺージ)

 「われわれはしばしば、われわれが手によって触知することのできる物のみが存在するのだというふうに考える。が、その正反対で、われわれの見たり聞いたり、触れたりすることのできないものだけが、すなわちわれわれが各自の『私』と呼んでいるもの、自己の霊と呼んでいるものだけが、真実に存在するのである。」(同書48ページ)

 「もしもわれわれが自己の周囲に目睹(もくと)するすべての物象を、無限無窮のこの世界を、自分が眺めたとおりのものと思うなら、われわれは大いに誤っているのである。われわれが、形体を有するすべての物象を知っているのは、そういう認識に到達させる視覚、聴覚、触覚を持っている結果にほかならない。もしもそれらの感覚が異(ちが)ったものであったら、この世界全体が別個のものになったであろう。したがってわれわれは、われわれの望んでいるこの外的世界がいかなるものかを、ほんとには知っていないのだ。知りえないのだ。われわれの正確に完全に知っているのは、ひとりわれらの霊のみである。」(同書45ページ)

 これによってみましても、教会宗教に反対して『キリスト教学批判』を書き教会から破門されながらも、「原始キリスト教に帰れ」と絶叫したトルストイの宇宙観がいかに「生長の家」の所説と一致しているかということがわかるのであります。つまり教会キリスト教(すなわち後世、人間が理知ででっちあげたキリスト教)でなしに、原始キリスト教――本当のキリスト教は、五官に見える世界は存在しないということを説いていたということになります。なんの教えでも真実の教え、深い教えは同じ真理に到達するのであります。トルストイはまた別のところでこんなことをいっています。

 「鉄は石より固い。石は木より、木は水より、而して水は空気より固い。しかしながら触れることのできないもの、見たり聞いたりすることのできないものが、なによりも一番固いのである。これのみが過去、現在、未来を通じて厳存し、永遠に滅することが無いのである。ではそれは一体なんであるか? すなわち人間の内なる霊である。」(同書49ページ)

 この「人間の内なる霊」という一句の「内」という言葉にわれわれは捉われてはならないのであります。「内」といっても、肉体は実在しないという前提がありますので、「肉体の内」という意味ではむろんないのであります。言いあらわしようがないので「内」といっていますが、「外」に対する「内」ではない、むしろ「虚(きょ)」に対する「実(じつ)」、「仮(け)」に対する「真(しん)」、「現(あらわれ)」に対する「実(ほんもの)」というような意味の「内」であります。

 この「内なる霊」すなわち「真物(ほんもの)の自分」こそ一等固いものであるというのがトルストイの思想であって、「生長の家」の説くところに一致しているのであります。
「生長の家」では常に「真物の自分」というものは、金剛不壊(こんごうふえ)の実相身であって、刀仗(とうじょう)もなおこれを傷つけることができない、全世界の重荷もなおこの金剛不壊の実相身を圧重することができないというふうに説かれているのであります。
<つづく>

2231復興G:2013/07/11(木) 15:40:15 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 この「本当の自分」の金剛不壊の実相が解ってきたら、人間は本当の自由を得るのであります。全世界のいかなる者にも自分が害しよう、傷つけよう、と思っても害することも傷つけることもできない、鎖で縛って自由を奪ってやろうと思っても、縛りきれない自由自在なものが「本当の自分」であるということがわかってくると、もうなにも恐れるところがなくなるのであります。トルストイはこの遺稿に次のように書いています。

 「吾人は肉体によって生くるに非ず、霊によって生くるのである。もしも吾人がこの事実を知って、自己の生命を肉体でなく霊に托するならば、吾人は鎖に縛られても、鉄の扉の中にいましめられても、なおかつ厳として自由である。」(同書67ぺージ)

 このようにわれわれは自分自身というものを物質であると思わず、「本当の自分」というものを「金剛不壊」の霊的実体であるということを自覚することになると、形の上では縛られていても、実際において縛られていない自由自在な状態が実現するのであります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――トルストイの思想に関してのご文章は、だいたい以上です。

 振り返ってみますと、私は、高校2年の終わり頃まで、「自分は肉体である。目に見えるものが、本当にあるものだ」と信じていました。

 ところが私はその唯一頼りとする体が弱くて、小さい時から病気がち。高校2年を終えた春休みのある日、下腹部の激痛で七転八倒し病院に運ばれました。盲腸から炎症が拡がり腹膜炎で大腸は癒着状態ということでした。私はこれで「死ぬ」と思いました。

 ところが死ななかったのです。

 父が、生長の家に触れていて、聖経『甘露の法雨』を私の枕元に置き、祈ってくれているようでした。

 やがて痛みがとれて熱もおさまり、一旦退院ということになりました。

 自宅に帰って静養していたある日、突然に私は、自分と世界が一変しました。

 それは、クリスチャンだった祖母――すでに亡くなってから14年ほどたっていた――の導きだったような気がします。

 自分が、肉体の自覚から生命・霊なる自覚へと突然に転換してしまったのです。そして世界が、苦しい不自由な世界から、光り輝く自由に満ちた世界へと、一変してしまったのです!

 ――そんなことを言っても、そのときの私の魂が歓喜した体験は、おそらくおわかりいただけないでしょうね。それは、不思議な光燿の体験でした。そのときから、私の実人生は始まったようなものでした。

 何事にも消極的で事なかれ主義みたいだった自分が、一変して積極的な自分になりました。

 「当たって砕けろ!」 と、意欲的に行動するうに変わりました。

 「人生、何があっても魂が経験を積んで生長するチャンスだ。魂は、伸びるしかないのだ! 人生は、よろこびばかりだ!」

 と思えるのでした。

 テキストのp.170に、次のようにありました。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   自分は無形の存在だと解れば自由になれる

 人間は 「肉体」 ではない、有形のものではない、無形のものだということが悟れるまでは、肉体という物質的な制限に心が捉えられていますから、本当に心が自由になれないのであります。心が自由になれないから、本当ののびのびした安らかな心境になれないのであります。

 これに反して、「人間」 は無形のものだ、「本当の自分」 というものは無形のものだ、ということがわかってきますと、心全体が 「行雲流水(こううんりゅうすい)」 のように自由な境地になれるのであります。行雲流水といいますが、まだ雲でも水でも形がありますから、風とか、岸とかいうものに支配されるのでありますが、「自分」 というものが、本当に無形の存在であるということがわかってきますと、もう何物にも支配されない自由自在な心境にでられるのであります。

 この真理がわかったとき人間は本当に安らかな心境になり、この安らかな心境を実生活に顕わしたときには、それがそのままで 「生長の家の生き方」 になるのであります。だから 「生長の家の生き方」 というものは、常に明るい生活であって、暗い影をもっていない生活であります。

2232復興G:2013/07/11(木) 16:08:22 ID:AB6RqYXc

 あと、テキストp.173からの 「罪を他に帰するは自分を木偶人形にすること」 というところの前後も、私たちが生長の家の生き方をする上で、とても大切な指針のお言葉であると感じさせて頂きました。それを謹写させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 人間の実相(ほんとのすがた)は神の子であって、本来無形のものである。無形であるから、何物にも縛られない自由自在なものである、金剛不壊(こんごうふえ)の霊的実在であるということを自覚しないからであります。このいかにしても害しようのない、金剛不壊の自分自身でありながら、その「本当の実相」というものを悟らず、他(ひと)とか物とか事件とかが自分を害したと思う、害したと思うと腹が立つ、腹が立つとそこによくない精神波動を起こす、類は類を招(よ)び、自分のよくない精神波動は、宇宙に漂っているよくない精神波動を招び寄せて、ついにその精神波動が形に化して病気を具体的に起こすことになるのであります。

     罪を他に帰するは自分を木偶(でく)人形にすること

 この「生長の家」の生活を始めない以前のわたし、つまり金剛不壊の自分の「生命」の実相を自覚しない以前のわたしは、絶えずこの悪い精神波動を起こしていましたので、不断に身体も悪く、心も不快だったのであります。

 今から考えてみますと、今でもまだ本当に善くなってはいませんが、わたしほど悪い人間は少なかったかもしれないのです。ちょっと胃腸が悪いと、「お昼にあんなおかずを食べさせたからだ」といって小言をいう。「おかずが半煮えであったから、そのために野菜の繊維素が不消化だったのだ」などという。つまり、人間というものを宇宙の主宰者である神の子であるとは考えずに、一片の野菜の繊維よりも弱いものだと考えていましたので戦々兢々(せんせんきょうきょう)として、自分に対して与えられるものに警戒していなければならなかったのであります。

 そんな弱い信念しかもっていないのでありますから「心」の顕現(あらわれ)である身体(からだ)が善くなるはずがないのであります、インキ壺をひっくり返してでも、これは自分が不注意であったのだ、自分が自己の円満完全な本性の自覚が足りなかったためにこんな失錯をしたのだとは考えずに、「お前がこんな所ヘインキ壺を置いておくものだからインキがひっくりかえったのだ」などという。あるいは「お前が呼んでも返事をしないものだから、手をあげる拍子に袖がひっかかって机からインキ壺が落ちたのだ」などという。終いにはこれは自分が悪いのではない、親がわたしの性格をこういうふうに生んだのだなどとまで思ったりする、始末にいけないわたしだったのです。

 何事が起こっても悪いことはみんな他(ひと)のせいにし、みな他(ひと)に責任を負わしてしまって、自分だけは責任のがれをしようと思う。

 こんな卑怯な虫のよい心は、ちょっと考えると、悪いところを他(ひと)にばかりなすり付けて自分は善い所ばかり独占するのだから、大変得になる心の持ち方であるかのように思われますけれども、けっしてそうではない。
<つづく>

2233復興G:2013/07/11(木) 16:12:37 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 聖典の第一巻で 「他(ひと)を生かせ自分も生きる」 という題で説明したことがありますように他を罪する心は自分を罪することになるのであります。他を心で斬るものは自分も他から斬られる――これが心の法則であります。

 寝られないと他(ひと)のせいにする、胃腸が悪いと他のせいにする、不幸があると他のせいにする――こういう心は、自分というものが全然他の人または他の物の傀儡(かいらい)であって、土偶(でく)人形のようなものだと考えていると同様である。

 土偶人形というものは少しも自主独立な選択力がない。右を向かせれば右を向き、左を向かせれば左を向く、手を上げるのもインキをひっくりかえすのも自分の力ではない。だからわたしがインキをひっくり返してもわたしが悪いのではないという弁解も成り立つ。この土偶人形と同じように自分自身にはなんの力もないものだ他動的にのみ支配されているものだ、とわたしは「生長の家」の心の持ち方になるまでの長い期間、「わたし自身」を考えていたのであります。

 そういう弱い自覚を持っていたから、わたしはしじゅう「他から害される」という強迫観念をもっていた。そして毎日「他(ひと)がこうだからわたしはこんな目に会った」とつぶやいていたものであります。人を恨む、その癖自分は同情されたい。その間じゅうわたしは神経衰弱で、不眠症になったり胃がつかえたり、下痢したり、震災に会ったり、泥坊に二度もはいられたりしていました。

 が、人間というものはそんな他から支配されるような土偶人形ではない、自主独立的な神の子である、自分の肉体、自分の運命、自分の境遇は、自分で自由自在に変化させうるものであるという真理をさとってからは、だんだんわたしのつぶやきも減ってきました。

 こうして自己の神性の自覚ができまして、つぶやきが減ってきますと、わたしの身体(からだ)も健康となり、以前にはずいぶん虚弱だったわたしが、会社生活の片手間にでも雑誌の執筆編集から、他人の病気相談にいたるまで、二重三重の激務に従事できるようになってきましたし、境遇もだんだん善くなりつつあるのであります。

 他(ひと)の陥るおとしあなを造っておけば自分もまたおとしあなに落ちるという意味で、昔から 「他(ひと)を呪わば穴二つ」 という諺がありますが、この 「呪う」 ということは本当は言葉で悪くいうことでありますから、「つぶやく」 ということも要するに 「呪い」 にほかならないのであります。だからこの 「他を呪わば穴二つ」 という諺は 「つぶやくものにはつぶやくような不幸が来る」 ということに言い換えることもできるのであります。

2234復興G:2013/07/11(木) 16:27:35 ID:AB6RqYXc

 上記を読んで、私は 「谷口雅春先生でも、お悟りになる前は、何でもひとのせいにするようなことがあられたのか!」 と、ちょっとびっくりするとともに、安心しました。先生でもそうだったんだ、と。

 「罪を他に帰するは自分を木偶(でく)人形にすること」

 ――その逆に、何でも 「自分の責任」 として引き受けられる者こそ、イエス・キリストや天皇陛下のように、偉大な業を成し遂げられるものとなるのだと思いました。

 ありがとうございます。

2235ユタカ:2013/07/11(木) 16:57:10 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、a hopeさま 志恩さま、皆様

明日の開会の時間までぎりぎりか、間に合わないか? のどちらかで帰宅します。

ですので、遅刻して参加します、皆さんのご予定はいかがですか?


a hopeさまは開会のお祈りを引き続きできますでしょうか? よろしくお願いいたします。

2236a hope:2013/07/11(木) 23:10:15 ID:edEDolt2
みなさま こんばんは

>>2225復興Gさま わたしの問題提起へのお返事をありがとうございます。 
そうでしたね。
復興Gさまは、以前、志恩さま宛にその件に関してはお答えくださっていたのでした。

たしか、聖経『甘露の法雨』や『天使の言葉』などは、それを読む人が、病気が治ったり、生活苦から解放されたりと、
たくさんの奇蹟が起ったから、長編詩から聖経と呼ばれるようになったのですよね。

一方、『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』は奇蹟も何も起こっていないのに、
むしろ、信徒の魂を迷わし不幸にする偽経なのに、
<<参議・理事などが、これは「新しいお経」として毎日読むように仕向けようと、運動方針書にも記載するようにした。>>
ことによって、新経本となり信徒に強制的に読誦させているのですよね。

本当におかしな話だと思います。【経】を辞書検索してみると(大辞泉より)

―――――――――――――――
きょう〔キヤウ〕【経】

1 《(梵) straの訳。音写は修多羅》仏や聖者の言行や教えを文章にまとめたもの。
2 仏教以外の、宗教や学芸の根本となる書物。聖典。「五―」

―――――――――――――――


とありました。
【聖】という字がつかなくても、すでに【経】をつけてしまった時点で、それは神聖なものでなければいけないのだと思います。
ご兄弟とも和解されていない雅宣先生が神や仏の言葉のラッパになれるわけがありません。


復興Gさまはハッキリ【偽経】であるとおっしゃっていますが、わたしはそのことを生長の家の全信徒に知らしめる必要があると思います。
わたし達は、実相(人間)には和解しなければいけませんが、妄想(虚説)には決して和解してはいけないのではありませんでしたっけ?

たとえば、ユタカさまや復興Gさまは
『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』が【偽経】(妄想・虚説・誤れる見解)だとはっきりわかっているわけですから、

>>教化部長 「新経を読んでください。」
ユタカ 「ハイ、ありがとうございます。」
 (行事終了後、「聖経」をあげる)<<

ということが可能なのかもしれません。

ですが、それれが偽経だと知らず真面目に読誦している多くの信徒のことはどうするのですか?
今現在もたくさんの人々が病気や生活苦、人間関係等で苦しみ魂の救いを求めています。
そのような人々に「真の教え」を伝えて、信徒を真理に導くのが講師方々のお役目なのではないのですか?
(ユタカさまが講師かどうかは知りませんが・・・)

わたしは、もっともっと積極的に『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』が【偽経】(虚説)である事を
アピールしなければいけないような気がしてきましたよ。

それは決して、雅宣先生ご自身を批判することにも、実相を礼拝しないことにもなりませんよね?
(つづく)

2237a hope:2013/07/11(木) 23:10:45 ID:edEDolt2
以下、「生長の家本流宣言掲示板」の宣言より引用させていただきます。

―――――――――――――――
……さらに例をあげてみれば、ここに放蕩息子がいるとします。放蕩息子といえども人間でありますから、実相は放蕩息子ではないのであります。放蕩息子にあらわれているのは仮相すなわちウソのスガタであります。


それでその息子に和解する場合を考えてみますと、「放蕩息子よ、よう放蕩してくれた。わしはお前の放蕩を喜ぶぞ」というように仮相(=仮の姿)に和解していたのでは、仮相はますますのさばって大きくあらわれて来るのであります。


……よく富豪の甘い親をもった家庭に始末におえない道楽息子があることがあります。これは道楽息子という仮相を排撃することをしないで、仮相に和解してしまったからであります。


仮相に和解してしまったら仮相があらわれる。それではいけない。それで「生長の家」の聖経『甘露の法雨』には、「仮相に対しては実相をもって、相対せよ」「非実在に対しては実在をもって相対せよ」と書いてあるのであります。


……われわれはいかなる態度をとるべきでありましょうか。「迷い」に対して和解したら、真理が消えてしまうのであります。「誤れる見解」に対して和解したら実相がくらまきれてしまうのであります。だからわれわれは、決して「誤れる見解」に和解してはならないのであります。


「誤れる見解」をわれわれは「虚説」と申しますが、虚説とはよく名づけたものであります。「誤れる見解」は実相の世界にはない。それは「虚説」すなわち「無い説」でありますから、われわれは虚説と和解することは絶対にできないのであります。虚説に和解したら自分の完全なる実相が昧(くら)まされ、完全なる実相が昧まされたならば、その投影として不完全なる現象すなわち不幸、病気、災厄等があらわれてくるのであります。


……虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳がないように思うのはまちがいであります。また虚説を容(い)れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのもまちいであります。虚説を排撃することいよいよ明瞭であればあるほど、真説は明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。


……虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許す……。どうかみなさんも虚説(=ないもの)に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、人間に対しては、その表面の包み(=罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、その罪を赦す(=その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。


要は「天地一切のものと和解せよ」との「生長の家」の第一最大のまこと誡命(=いましめ)は、「天地一切のものの実相と和解せよ」ということであって、仮相や虚説に対しては「サタンよ去れ」と排撃すべきなのであります。釈迦もキリストも同じような態度で虚説を駁撃せられたのであります。
(『生命の實相』第14巻「倫理篇」)

――――――――――――――――――


わたしは、『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』こそ、わたしたちが決して許してはいけない虚説(誤れる見解)であると思います。
そして、雅宣先生(人)に対してはどこまでも実相を見て許さないといけないのだと思います。

>>2230〜の復興Gさまの御文章は未読ですが、取り合えず投稿させていただきます。)

2238a hope:2013/07/11(木) 23:29:16 ID:edEDolt2
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

第15回web誌友会予告

日時 7月12日(金)21:30から15日(月)23:00まで

テキスト『生命の實相』 第3巻 「生命篇上」 (p.97〜p.213)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


>>2235ユタカさま

<<a hopeさまは開会のお祈りを引き続きできますでしょうか? >>

ハイ 喜んで!

明晩、9時くらいになりましたら、準備祈願のお祈りの言葉(ユタカさま作)を貼らせていただき、
いつものように、「真理の吟唱」より祈りの言葉を謹写させていただきます。

「訊け」管理人さま、今回も司会楽しみにしています。
無理のないように、楽しんで司会をしてくださいね!

2239志恩:2013/07/12(金) 03:52:34 ID:.QY5jUA6
WEB誌友会

いよいよ今夜からスタートですね。
とてもたのしみにしています。

復興G様、たくさんの貴重な資料のご謹写と、すばらしいご講話、
誠に、ありがとうございます。拝読しました。

いつもご指導、感謝申し上げております。

トキ様のコメント、
a hope様の疑問、ユタカ様の書き込みも、読まさせて頂いております。

SAKURA様は、お一人だけ、強力な 雅宣さん擁護派でいらっしゃいますが、

私は、雅宣さんが頭で考えて、作り出したお経は、どうしても読めません。
私には波動が、合いませんので、どうしても読めません。

上の人に、読めと言われないで済んでいるのは、
今は私は、組織に属していないからですが、よかったです。^^

人それぞれに、自分が合う生き方を、自然体で生きるのが、幸せな生き方だと思っております。

私は、連休なので、来客がありますし、主婦なので昼間は、多忙ですし、
しゃべりすぎるところが、ありますので、
なるべく出しゃばらず、たま〜に発言するように、心がけたいと考えております。

司会の訊けさん、司会をお引き受け下さって、ありがとうございます。

ご閲覧下さってる皆様、本流の皆様も、傍流の皆様も、

世界へ向けてのWEB誌友会ですので、よろしかったら、15日の夜まで

ございますので、ご参加下さいませ。

2240「訊け」管理人:2013/07/12(金) 08:28:35 ID:???

>>2239

 こんな文章を読むと、なんで「ムカツク」んだろう。

 司会はムリかもしれません。





2241「訊け」管理人:2013/07/12(金) 08:30:24 ID:???

 いやもうホント、私を信用してくださった復興Gさま、すみません。

 でも自分、もう、どーしても許せんです。この、思春期をコジらせた妄想老人のお相手は。メンドウです。コイツら甘えてきってやがる。

 ・・・・・いや現在、ムカツイてムカツイて、仕方ない状況です。とても司会は務まらぬと思います。志恩さんや童子さん、これらホンリュウの方々がバカに見えて仕方がない状況です。「偉そうにしやがって、コンチクショー」な状態と云う意味です。ですんでたぶん、皆さんにご迷惑をおかけすると思うのです。

 いや、もう、ホント・・・・「なんで貴重な時間を使って」「こんなバカどものご機嫌を、取らなきゃイカンのか。」そんなセリフを「平気で公言出来る気分」です。・・・そんな事に時間を使うよりは、他の生産的なことに投下したいですよ、自分のエネルギーをね。(高校生に勉強を教えたり、野球部の応援に行ったり。あるいは、近所のクソがきに野球を教えたり・・・・ですね) 

 ・・・・榎本惠吾先生に申し訳ないので、私は司会を降りたいです。いや、どーしても「自分ダケが正しく」「他が間違っている」と思えます。無反省です。そして、ホンリュウの卑劣さ下品さに、嫌気が差して来ております。和解派のクセに、です。そして現状は、一部老人に対して「偉そうにしやがって、コンチクショー」な状態でして、とても司会は務まらぬと思います。「榎本先生のご命日だ、自戒せよ」てな作法が、とても小賢しく思える現在です。「はっきり、言ってやれ」てな気分なのです。とても司会は務まらぬと思います。




2242a hope:2013/07/12(金) 08:56:02 ID:edEDolt2
「訊け」管理人さま

このweb誌友会の司会が出来ないことへの、言い訳はいらないのではないのでしょうか?
わたしは、今回は司会なしでいいのではないかと思います。

2243復興G:2013/07/12(金) 09:45:08 ID:AB6RqYXc


>>2242 :a hope:2013/07/12(金) 08:56:02 ID:edEDolt2
「訊け」管理人さま

わたしは、今回は司会なしでいいのではないかと思います。<<

――私も同感です。 よろしくお願いします。 ありがとうございます。

2244「訊け」管理人:2013/07/12(金) 10:00:05 ID:???


 ありがとうございます。

 当日でのドタキャンになりますが、その点はお詫び致します。




2246復興G:2013/07/12(金) 12:42:54 ID:AB6RqYXc

>>2244 :「訊け」管理人殿

司会者としてでなく、参加者として自由発言で参加されることを期待します。

2247神の子さん:2013/07/12(金) 12:51:40 ID:U0BvKudI
>>2240
訊けさんがそうおっしゃるように、「訊け」と見ただけでムカつく人も多々ありましょう

2248志恩:2013/07/12(金) 13:26:58 ID:.QY5jUA6
訊けさん

あれあれ、司会、ドタキャンされたのですね。残念です。
あなたはね、本流だと思うと、噛み付いて噛み付いて、

それだから、反論して 振り払ったら、
今度は、私や童子さまにむかついて、むかついて、
私や童子さまのせいで、やる気なくした、という具合に、司会をドタキャンしてしまって、
まるで、こどもみたい!!

いつもの威勢のいい訊けさんは、どこへ行ったのかしら。

くじけずに生きて行って下さい。

司会はやめられても、
発言は、されることを、復興G様同様に希望します。

2249志恩:2013/07/12(金) 15:07:50 ID:.QY5jUA6
訊けさんへ


WEB誌友会参考資料板より

>>4:復興G様

元生長の家本部講師 榎本恵吾先生(故人)の書かれた論文
『神癒の展開としての人類光明化運動―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―』 というのがあります。
53字×19行×1000頁 すなわち約100万字にもなる膨大な量のご文章です。

これは、榎本先生が宇治別格本山の神癒祈願部長をされていたとき、平成10年から11年(1998.7.1〜1999.11.29)に、毎日「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」で神想観・神癒祈願をされたあと、
この論文を書かれたのだということです。論文といっても頭で考えた論文ではなく、祈りからほとばしり出た、内なる神の声と言ってもよいものでしょう。
これは、平成10年大晦日の12月31日にも、11年元日の1月1日にも、1日も休みなく書かれております。

榎本先生はパソコンは使われず手書きで書かれる。
それを職員がパソコンで打ち込み、プリントアウトしたものを、当時本部に設けられていた「光明化運動・21世紀を考える検討委員会」宛に送っておられたそうです。

検討委員会では、教化部長・本部役職者・本部講師の人たちから「提言書」を募集していたのですが、
「優秀提言の選考と褒賞」の対象としては平成10年6月末で締め切ったので、7月以降に提出された榎本先生の論文は選考の対象とはならなかったようですが、これを読んだ担当者は、非常な感銘を受けたと漏れ承っています。

今、私はそれを保存されていたのをいただき読み返してみて、実に「今」――行き詰まり・分裂状態を呈している(と思われる)生長の家の運動を根本から考え直すために
、用意されていた光明化運動論ではないかと、深い感銘を覚えます。略<<


このように、今回の参考資料は、

訊けさんも、尊敬してやまない榎本恵吾先生のご文章を、復興G様が、謹写下さっています。

ですから、私よりも、訊けさんが、参加される方が、大事なのです。

で、訊けさんが、大嫌いな、私が居て、「志恩」という字を見ただけでムカつくのでしたら、
私が、欠席します。

いいですね、訊けさん、
私が、欠席しますから、訊けさんは、出て下さい。

訊けさんは、今は、まだ相変わらず、ヤンチャですが、
若いお方で、将来の生長の家にとりましても、日本や世界にとりましても、
重要な役割を果たすお方だと、思っておりますので、

時間のゆるすときに、ご参加ください。
榎本恵吾先生も、天国からいらして、参加されると存じますので、
よろしくね。

2250志恩:2013/07/12(金) 15:23:40 ID:.QY5jUA6
訊けさんへ

上記の投稿文は、あなたがいつも勘ぐる、「私が好感度を上げるために」
いっているのでは、ありません。私は、そのような小賢しいことをする人間では
ありません。

私のせいで、司会を降りた様な言われ方をして、
ひどく心外に思うところがあり、それも含めて、私の方が、
今回、欠席することにしたのです。

誌友会が終わったあとに、感想を述べさせていただくことは、
あるかもしれませんが、それにつきましては、ご容赦下さい.

2251復興G:2013/07/12(金) 18:15:27 ID:AB6RqYXc

皆々様。

ありがとうございます。

本日夜21:30から始まる第15回web誌友会の前に復興Gの講話を、というご希望があり、いろいろ書いて勉強しておりましたが、まとまりのないまま、お約束の 「夕方までに」 という時間が来てしまいました。それで、まとめは誌友会後にさせていただくことにいたします。ご了承下さい。

合掌

2252トキ:2013/07/12(金) 18:27:52 ID:77yRiluA
復興G様、では、よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

2253神の子さん:2013/07/12(金) 20:13:33 ID:63Scxhoo

2247 名前:神の子さん 投稿日: 2013/07/12(金) 12:51:40 ID:U0BvKudI>>2240
訊けさんがそうおっしゃるように、「訊け」と見ただけでムカつく人も多々ありましょう

2254トキ:2013/07/12(金) 20:31:14 ID:77yRiluA
 誌友会の前ですから、不規則発言はおしまいでお願いします。

合掌 ありがとうございます

2255a hope:2013/07/12(金) 20:58:28 ID:edEDolt2
第15回web誌友会開会の時刻 が近づいてまいりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を掲載させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

2256a hope:2013/07/12(金) 21:05:20 ID:edEDolt2
つづきまして、聖経「続 真理の吟唱」より『神の愛 万物を霑(うるお)す祈り』を謹写させていただきます。


『神の愛 万物を霑(うるお)す祈り』

ほんとうの愛は人間の外面の美を愛する愛ではないのである。
本当の愛は〝神を愛する愛〝である。
神はすべての人の生命(いのち)の中に宿ってい給うのである。
その各々(おのおの)の人間の生命の中に宿っていられる神を愛するのが本当の愛であり、
それによって、神を愛することと人を愛することが、食いちがうことなく、
ひとつにぴったり重なり合うことになるのである。

もし人間が人間の表層のみを愛し、皮膚の美を愛し、筋肉の美を愛し、
体力の逞ましさを愛し、或いはまた知能のすぐれたるを愛するならば、
それは人間の現象面のみを愛するのであるから、現象は無常であって常に遷(うつ)り易(かわ)るものであり、
常に萎び、衰え、消えてゆくものであるから、その愛を末遠く永遠に持続することが出来ないで、
その愛を中断して消えてしまうか、愛する対象が萎び衰えほろび行く姿を見て、
愛が却って悲嘆に変わってしまうことになるのである。
このように人間の表情や外面のみを愛する愛は、その愛を最後まで完(まっと)うすることができないのである。

これに反して、神を愛する愛は、神より出でて神に還るのである。
神は無限であり、神の愛も無限であるから、神を愛する愛を以て人間に内在する神性を愛し、
仏性を礼讃するならば、その愛は消えることなく衰えることなく、彼もわたしの神性を愛し、
われも彼の神性を愛し、神性と神性とが互いに還流して、
神の普遍的な愛の本源よりさらに大いなる愛の流れを汲むことが可能となり、
雨期の雨がひろく地上を霑(うるお)す如く、空気があらゆる空間に隙間なく瀰漫(びまん)するが如く、
この世界は神の愛、人間の愛、万ず生ける物の愛が充ち満ちていることは勿論、
山川、草木、国土、鉱物も植物も如何なる微生物も、ことごとく、その実相たる神性仏性を顕わし、
万物互いに生かし合い、扶(たす)け合いて、まことに地上到る処に天国浄土が実現するに至るのである。

われは今、神の愛にこころ満たされ、すべての人々の実相円満完全のすがたを敬し、拝するのである。

愛は今まで埋没していた内在の神性が具有するすべての美と徳とを顕在の世界にまで招き出だす力であるから、
「神があらわるれば乃ち善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、
一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」
と聖経『甘露の法雨』に示し給えるが如く、今より後、歎く者無く、悲しむ者なく、憂える者なく、
祝福の霊波は慈雨の如く天界より降り濺(そそ)ぎて、すべての生物神を讃え、
すべての人々の病いは癒やされ、暗黒は消え、すべてのものに霊光かがやき、
十方世界光明遍照の実相世界を現実に今見るのである。

かくして神を愛する愛がすべてのものを貫いてこれを霑(うるお)すとき、
いたるところに龍宮無限の宝庫は開かれ、今ここに天国浄土が実現するのである。
この真理を知らしめ給いし神に感謝し奉る。
ありがとうございます。

2257ユタカ:2013/07/12(金) 21:08:04 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。 ユタカ到着しています。

2258a hope:2013/07/12(金) 21:18:21 ID:edEDolt2

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

第15回web誌友会予告

日時 7月12日(金)21:30から15日(月)23:00まで

テキスト『生命の實相』 第3巻 「生命篇上」 (p.97〜p.213)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


もう、15分ほどで、第15回web誌友会の開会です。

復興Gさま、ご講話のまとめをどうぞよろしくお願いいたします。

ユタカさまもありがとうございます。
とても心強いです。

今回も自分自身の魂の向上のため、精一杯お勉強させていただき、
そして、心を空しくして素直な気持ちで発言していきたいと思います。

みなさま、どうそよろしくお願いいたします。

2259復興G:2013/07/12(金) 21:20:12 ID:AB6RqYXc

a hope さま

<<第15回web誌友会開会「準備祈願」としての祈り>>
そして
<<聖経「続 真理の吟唱」より『神の愛 万物を霑(うるお)す祈り』>>

素晴らしい祈りの言葉で、浄められました。

ありがとうございました。



ユタカさま

お帰りなさい。

よろしくお願いします。

2260復興G:2013/07/12(金) 21:35:38 ID:AB6RqYXc

>>2258 :a hope様

>>復興Gさま、ご講話のまとめをどうぞよろしくお願いいたします。<<

これは、>>2251
>>本日夜21:30から始まる第15回web誌友会の前に復興Gの講話を、というご希望があり、いろいろ書いて勉強しておりましたが、まとまりのないまま、お約束の 「夕方までに」 という時間が来てしまいました。それで、まとめは誌友会後にさせていただくことにいたします。ご了承下さい。<<

と書いておりました。

いろいろリアル世界で予期せぬハプニングもありまして、時間的に難しくなったので、「講話のまとめ」はないままで誌友会に入って頂きたいと思います。

もし、皆さまからのご発言がなければ、また私の投稿をさせて頂きましょう。

ありがとうございます。

2261ユタカ:2013/07/12(金) 21:50:09 ID:R1D4Jmeg
ユタカは今、復興G様の講話を読んで、ちょっと怖くなりました。。。

暗い悪い言葉が呪いと言うことはわかりますが、つぶやきも『呪い』に谷口先生は分類されておられます。。。

私達はもっと、もっと、実相独在を勉強して自ら大光明をはなったら、全ても光って見えてくるのでしょうか?

まだ、自分の周囲に対して何か、暗いところが見えるのは、自分の内なる神が輝いていないと言うことなのですね?

実相独在、光明一元に自分が立ったときには新経『大自然や観世音』はどうみえるのかなぁ????

と思いました。

2262a hope:2013/07/12(金) 21:52:01 ID:edEDolt2
>>2260復興Gさま

読み間違いをして申し訳ありませんでした。
今回は、わたしもここのところ色々と忙しくしていて、
web誌友会参考文献板の榎本先生の御文章も、まだ全部拝読し終わっていないです。

ですが今回は期間が長いので、じっくり自分のペースで参加していきたいと思っています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

2263ユタカ:2013/07/12(金) 22:06:40 ID:R1D4Jmeg
無形とは『素直』に生きるということに繋がっていくのでしょうか?

>自分は無形の存在だと解れば自由になれる

 人間は 「肉体」 ではない、有形のものではない、無形のものだということが悟れるまでは、肉体という物質的な制限に心が捉えられていますから、本当に心が自由になれないのであります。心が自由になれないから、本当ののびのびした安らかな心境になれないのであります。

 これに反して、「人間」 は無形のものだ、「本当の自分」 というものは無形のものだ、ということがわかってきますと、心全体が 「行雲流水(こううんりゅうすい)」 のように自由な境地になれるのであります。行雲流水といいますが、まだ雲でも水でも形がありますから、風とか、岸とかいうものに支配されるのでありますが、「自分」 というものが、本当に無形の存在であるということがわかってきますと、もう何物にも支配されない自由自在な心境にでられるのであります。

 この真理がわかったとき人間は本当に安らかな心境になり、この安らかな心境を実生活に顕わしたときには、それがそのままで 「生長の家の生き方」 になるのであります。だから 「生長の家の生き方」 というものは、常に明るい生活であって、暗い影をもっていない生活であります。


生命の実相を熟読して考察する事は、なんと、嬉しい、有難いことでしょうとおもいます。

2264復興G:2013/07/12(金) 22:15:22 ID:AB6RqYXc

>>2236>>2237 の a hope様 投稿の問題提起は、とてもとても考えさせられる大問題です。

新経は、ニセ経(似せ経、偽経)だと思う。
a hope 様は

>>ユタカさまや復興Gさまは
『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』が【偽経】(妄想・虚説・誤れる見解)だとはっきりわかっているわけですから、

>教化部長 「新経を読んでください。」
ユタカ 「ハイ、ありがとうございます。」
 (行事終了後、「聖経」をあげる)<

ということが可能なのかもしれません。

ですが、それれが偽経だと知らず真面目に読誦している多くの信徒のことはどうするのですか?

今現在もたくさんの人々が病気や生活苦、人間関係等で苦しみ魂の救いを求めています。

そのような人々に「真の教え」を伝えて、信徒を真理に導くのが講師方々のお役目なのではないのですか?<<

ユタカさまは、>>2261

>>暗い悪い言葉が呪いと言うことはわかりますが、つぶやきも『呪い』に谷口先生は分類されておられます。。。
私達はもっと、もっと、実相独在を勉強して自ら大光明をはなったら、全ても光って見えてくるのでしょうか?
まだ、自分の周囲に対して何か、暗いところが見えるのは、自分の内なる神が輝いていないと言うことなのですね?

実相独在、光明一元に自分が立ったときには新経『大自然や観世音』はどうみえるのかなぁ????<<

――さあ、この公案にどう応えるか?

2265復興G:2013/07/12(金) 22:20:30 ID:AB6RqYXc

>>2263 :ユタカ様

ありがとうございます!

そう、どんな問題にも正解がある!

>>生命の実相を熟読して考察する事は、なんと、嬉しい、有難いことでしょうとおもいます。<<

本当に、そうです!

2266ユタカ:2013/07/12(金) 22:24:57 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

開会のお祈りと真理の吟唱の謹写をありがとうございました。

真理の吟唱を読ませていただくと、安心します、このような世界ばかりが観れるような「自分に」なりたい!!

2267ユタカ:2013/07/12(金) 22:35:11 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

>そう、どんな問題にも正解がある!


本当ですか!! 嬉しい!!  このWEB誌友会でとりあげられている問題のすべてに正解があるのですね!!!

勉強するのが嬉しい楽しい有難〜〜い! ワクワクどきどきです!!

今自分は、あのお方に感謝しております。。。。 (誰かに石を投げられるかも?! ですが・・・)

2268ユタカ:2013/07/12(金) 22:37:49 ID:R1D4Jmeg

復興Gさまとユタカしかいない気がする・・・(笑)

2269トキ:2013/07/12(金) 22:47:07 ID:77yRiluA
 この経本の問題は難しいと思います。

違法拘束命令、という言葉を聞いた事があります。組織の上司の命令が、違法なものであった場合、この
命令に従うべきか、どうか、という事があります。この問題が議論になったのは、昭和の始めに起こった
二・二六事件でした。あのとき、反乱軍の将校が勝手に天皇陛下の軍隊に命令を出し、その命令に従い
反乱軍の兵隊さんは、陛下の股肱を殺害したのです。この兵隊さんの行動は、上官の命令を忠実に守った
という点だは忠義を尽くしたかもしれませんが、上官の命令が明らかにおかしいのですから、その意味で
は不忠であったと言えます。それ以来、法律の世界でも、この問題は大きなテーマになったと聞きました。

 先日、亡くなられた東京電力の福島第2発電所の吉田昌郎所長(当時)は、大震災のときに、東電本社
が「首相の了解が得られていない」として海水注入の中止を命じたのに対し、吉田氏はこの指示を無視して
注水を継続し被害の拡大を防いだ、とされています.

 もちろん、現場の人間が、勝手な判断を連発したら、組織は崩壊してしまいます。だから、そう簡単に
『命令違反」をしても良いとは思いません。しかし、明らかに指導部が間違った場合、その命令に従う
事が、倫理的に正当化できるか、という事は難しい事です。私自身は、本流復活派の考え方は支持しません。
が、教団指導部は、いくつかの点で間違っています。要は、原則として組織の命令には従うべきですが、
間違った指導に従う事は、それが間違いだと気がついた以上は、従わない事が義務になるのかもしれません。

2270ユタカ:2013/07/12(金) 22:47:45 ID:R1D4Jmeg
う〜〜ん・・・

水でもまだ形があるんだ・・・ もっともっと無形か・・・ 実感してみたい!

>まだ雲でも水でも形がありますから、風とか、岸とかいうものに支配されるのでありますが、「自分」 というものが、本当に無形の存在であるということがわかってきますと、もう何物にも支配されない自由自在な心境にでられるのであります。


 ↑↑ 難しい!!

2271ユタカ:2013/07/12(金) 22:55:46 ID:R1D4Jmeg
>間違った指導に従う事は、それが間違いだと気がついた以上は、従わない事が義務になるのかもしれません

トキ様のような教区の立場の上層の信徒方々が結束して行動したら山が動きそうですが・・・

下層の信徒は(ユタカ)ひたすら神さまに正解を求めていきたい・・・

2272トキ:2013/07/12(金) 23:06:46 ID:77yRiluA
 個人的な考えですが、喧嘩はよくないですが、無闇に従う必要もないと思います。
今の生長の家という組織は、谷口雅春先生や先達が苦労して作られたものですから、
今の世代の私達は、後の世代に継承する義務はあると思います。同時に、正しい教え
が継承される事が大事だと思います。判断基準は外形の行動ではないくて、内心から
判断されるものかもしれませんね。

2273あさひ:2013/07/12(金) 23:22:15 ID:/3nxKE2Q

訊け様

ものすごく有能な訊け様でも むかつく事があるのですね。

意外でした。でも人間的でいいですね。

合掌

2274復興G:2013/07/12(金) 23:23:40 ID:AB6RqYXc

私は今、投稿文を作成中ですが、ここでちょっとお風呂に入ってきます。

風呂から出てから続きを書いて投稿します。

もう夜遅いですから、皆さま、どうぞおやすみ下さい。

では、また明日。

2275復興G:2013/07/13(土) 04:34:14 ID:AB6RqYXc

 無門關の第五則に、「香嚴上樹(きょうげんじょうじゅ)」の公案というのがあります。

 「千仞の谷の上に懸かっている樹の枝を口でくわえてぶら下がっている人がある。手は枝をさわってはならない、脚は樹を踏んではならない。その時に返答しなければならぬ問題を問われて、返答しなかったら首を切るぞ。返答したら口が枝を離れて千仞の谷底へ落ちて死んでしまうぞ。さあ、どうするか」

 という公案(禅の悟りの試験問題)を、香嚴(きょうげん)和尚が出したのですね。

 谷口雅春先生は、『新版 真理』 第3巻で、これについて次のようにご指導くださっています。


 禅は「全」である。禅の悟りは、自分が全局の支配者となることである。対境(対する境遇)に支配されるようではいけない。上の公案では、自分で自分を勝手に縛っている。「手は枝をさわってはならない、脚は樹を踏んではならない」と。ありもしない公案をあるかのように想像して、自分で勝手に「板挟み」に陥っている。それが人生の困難のすべての場合であるのである。

 人生にどんな難問題があるように見えても、本当は問題というものは解決し得るためにあるのである。

 「口で樹の枝にぶら下がっていて、さあ返答せよ」と言われる場合、口をひらいたら千仞の谷に落ちるというが、それは自分で、自分の手は動かないと信じて、枝を握ることを忘れているだけのことである――と。


 『無門關解釋』には、戦時中にあった体験として、次のような話が書かれています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 何故この公案がそんなにも馬鹿々々しいものであるかというと、机上の閑(かん)空想の葛藤であるからである。

 葛藤本来なく、進退両難本来なしであるのに、わざとわが心で葛藤を作り、進退両難を爲(つく)っているからである。

 「口に樹枝をふくみ、手に枝を攀(よ)じず、脚に樹を踏まず、樹下に人あって西来意を問わんに……」というのが、何故に進退両難であるか。

 手が枝に触れなかったら、みずから能動的に手を動かして枝を握れば好いではないか。枝を握って口を離して、さてそれから祖師西来意に就て応答すれば好い。何処にも事実上進退両難はないのである。

 進退両難の原因は「手は枝を攀じず」と自分自身本有の自由自在の力を限ってしまったところにある。それは白墨の線を自分を縛る綱だと思って身動きの出来ないような自己暗示に陥った鶏の不動金縛りと同じことである。

 不動金縛りは自分の心の中に在る。心から不動金縛りを取り去ったとき、吾々はいつでも進退両難の窮境から脱却することが出来るのだ。何故なら、

 進退両難の窮境は実相に於ては無いものであって、唯空想の中にのみ存するものに過ぎないからである。


 太平洋戦争中の事である。ある日、私はいつになくAKのラジオのスイッチを拈(ひね)って見たら、そこに語られている話は航空兵田中曹長の美談であった。

 話の前半は聞き洩らしたので何処の戦闘の時であるかは知らない。上官下方(しもかた)准尉の操縦せる飛行機は不幸にしてそのエンジンの一つに敵弾を受けた。味方の陣地に帰還するには距離が遠いし、予備のエンジン一個のみの力では力が足りずにズンズン機体が下降して行く。

 下方には敵軍が待ち設けていて、飛行機が落下したら、それを鹵獲(ろかく)し、乗組員を捕虜にしようと待ちかまえている――まことにこれこそ進退両難である。下方准尉は捕虜になり機体を鹵獲せられるのは残念であるというので、潔(いさぎ)よく機体と共に自爆せんものと、既に自爆の準備を行っているのが田中機からは見えたのである。

 田中曹長はそれを見ると大声で「自爆しては可(い)けない。死するばかりが忠義ではない。生きられる限り生き伸びて最後の一分間までも自分の任務のために尽くすのだ。低空飛行をして続く限り味方の陣の方へ引返せ」と呼ぶけれども、それは無論聞えはしないのである。田中曹長は仕方がないから空中に大きく字を書いてその旨を合図する。

 下方准尉はその合図に気が附いたものか自爆を中止して、エンジンが傷ついて浮揚力の少い飛行機で低空飛行を続けて味方の陣地へ引返そうとするのだけれども、機体は愈々浮揚力を失って、敵陣の中へ滑走状態で墜落した。田中曹長は上空から見ていると、下方機は道なき道へ滑走状態で墜落したと見る間に、地面の凹凸に衝突して顛覆して破壊した。
<つづく>

2276復興G:2013/07/13(土) 04:34:53 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 と、下方准尉は機から這い出て来て機密書類を焼却していると、敵兵が周囲から集って来て下方准尉を包囲攻撃する。附近部落の村民まで出て来て敵軍に加勢する。下方准尉は拳銃を以てそれに防戦するのであったが、敵は多勢であり、味方は一人であり、拳銃の弾が尽きたら万事休すである。

 田中曹長はそれを上空から見ていたが、加勢に自分が降りて行って下方准尉を自分の飛行機にのせて還って、その急場を救いたいと思うのだけれども、適当な着陸地点がないから、もし着陸せぱ下方機と同様に顛覆して、もう再び空中へ舞い上ることが出来ない。そして味方の重要な飛行機が無駄になるのだ。

 又仮令(たとい)無事着陸しても下方准尉を救い還るには田中機は一人乗りだ。もし自分が救援に赴かなかったならば、下方准尉はあのまま敵の重囲に陥って戦死してしまう。

 それでは上官を見殺にしたのであって、自分の日本魂が満足しない。右するも死、左するも死である。「香嚴上樹」の架空的な机上の閑葛藤とは訳が違ふ.、真(まこと)にこれ如実に進退両難である。

 その時、田中曹長は、此の進退両難の世界から跳び出した、そして矛盾のないただ一筋の道に驀然として突きすすんだ。

 (私が此の講話を生長の家本部の道場でしたときに、企画部の星君が私のあとに道場で立ち上って、田申曹長が生長の家誌友であって現在内地に無事帰還していて、その体験談を誌友会で述べたということを発表せられた。)

 かくの如き危急の世界に於てさえも生長の家の悟りから見るときには、「進退両難」などというものはないのである。肉体は本来無く矛盾も本来無い。着陸地が無いということもない。「着陸地が無い」ということは、ただ心の世界に空想に描いた閑葛藤に過ぎないのである。着陸の必要がある限り、着陸地は到るところにあるのである。

 田中曹長は空想に描いた「着陸地なし」の閑葛藤を見事に截断(せつだん)して、敵兵の群がる頭上へ滑走状態で着陸した。敵兵は逃げまどう。滑走する田中機の下敷になって職死する敵兵は無数である。

 閑葛藤を見事に截断した田中機は、見事敵兵が虚を衝かれて退くところを、下方准尉に応援し、既に疲労してふらふらになっている下方准尉を「上官殿、私の飛行機に乗って下さい」と負うようにして、その一人乗の田中機に乗り込んでエンジンにスタートを掛けた。

 もう進退両難などは田中曹長の前にはないのである。

 「一人乗りの飛行機に二人乗らせては飛行出来ない。飛行出来なかったら戦死か捕虜かどちらかより仕方がない。この場合どうするか。」

 ――香嚴和尚ならば、こんなことを進退両難の葛藤の公案として弄(ひねく)りまわすかも知れないけれども、実は進退両難などは空想上の弄戯(ろうぎ)に過ぎないのである。二人を乗せた一人乗りの田中機は無事離陸して味方の陣地へ帰還したのである。

 だから無門が、此んな進退両難を公案に持出すなど「香嚴(きょうげん)真の杜撰(ずさん)、悪毒尽限無し」と酷評したのも無理はないのである。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「人生にどんな難問題があるように見えても、本当は問題というものは解決し得るためにあるのである。」

 「進退両難」というのは空想に過ぎない。実相においては、「進退両難」というものは「無い」のである。

 ――うーん、すごいことですね。

<< どんな問題にも正解がある!

 ひたすら神さまに正解を求めていきたい・・・ >>

 ――それで行きましょう。神様を信じて、明るく驀進しましょう。

2277ユタカ:2013/07/13(土) 05:38:11 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

有難うございます、素晴らしいお話に涙がでてしまいました・・・・

2278あさひ:2013/07/13(土) 05:43:30 ID:/3nxKE2Q

復興G様

>「口で樹の枝にぶら下がっていて、さあ返答せよ」と言われる場合、口をひらいたら千仞の谷に落ちるというが、それは自分で、自分の手は動かないと信じて、枝を握ることを忘れているだけのことである――と。

そうですよね。   合掌

2279ユタカ:2013/07/13(土) 05:51:42 ID:R1D4Jmeg

そして、田中曹長の行動はまさに天地一切のものと和解する祈りに通じるように思いました。

>妖雲べきべきと空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空があるのと同じように、如何に暗澹たる状態たる状態 ((裁判・新経))) が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。


心を動ずることがないから、最も適切なる知恵が泉の如く湧き出て暗を消してしまう処置ができるのである。<<


私達は、つぶやいていないで、もっと智慧をだして勇敢に行動しなければ!

それは建設的な思想で建設的な行動で、と思います。 情けないことに、具体的にどういう行動になるのか解りません。。トキ様でしたら、どのように教区で行動なさいますか?建設的なこうどうでしたら・・・

2280復興G:2013/07/13(土) 05:53:28 ID:AB6RqYXc

 『新版 真理』 第3巻 p.282〜p.284には、次のようにお教え下さっています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   問題は既に回答があるのが問題だ

 ところで、人生にどんな難問題があるかのように見えましても、本当は問題と云うものは解決し得るためにあるのであります。数学の問題でもそうです。どんなにあなた自身にとって解決し得ない問題でも、実はその回答は既にあるのですが、自分がそれを算出し得ないだけの事なのであります。

 口で樹の枝にぶらさがっていて、さあ返答せよと云われる場合、口をひらいたら千仞(仞は一尺の八倍。八千尺)の谷底に落ちると云うが、それは自分で、自分の手は動かないと信じて、自分の手で枝を握ることを忘れているだけのことであります。

 この「動けるだけの力を、その時、その場、その人に適する相(すがた)に動かす」と云うことは、是こそ禅の極意なのであります。

 「禅機の把握」と云うことは「全機の把握」でありまして、全体に行きとどいてあらゆる点を動かし得ることであります。これは心が全相(あらゆるすがた)に達したときに出来るのでありまして、心が一部にのみ引っかかっているときには、その引っかかっていることに気をとられて、他になすべき道が無数にあるのに、それを行なうことが出来なくなるのでありまして、自分で自分の力を「これ位のもの」と限ってしまうから二進も三進も(にっちもさっちも)行かなくなるのであります。
 『大乗起信論』には、「心、全相に達せざるを迷いと云う」と云うことが書かれております。あらゆる部面を悉く知って適当な行いが出来ないのが迷いなのであります。

 そこで全局(ぜんたいの場面)を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ、「対立」が残っているようなことでも思うようになりませぬ。

   人間は本来大力量である

 『無門関』に「大力量人」と云う公案がありまして、松源(しょうげん)と云う和尚が、「大力量の人、何によってか脚(あし)を擡(もた)げ起さざる」と云っています。そしてその公案の終りに、

 「脚を擡(もた)げて蹈翻(とうほん)す香水海」

 と書かれています。香水海と云うのは、釈尊時代の印度の天文学では、この宇宙は須弥山(しゅみせん)と云う山が中心にあって、その周囲に金剛囲山(こんごういせん)と云う金剛不壊(ふえ)の山脈が、何条にも取囲んでいる。その山脈と山脈との間に香水の海があると考えられていたのを引用したのですから、香水海と云うのは、「銀河系宇宙」全体と云うような意味であります。

 「何故お前は本来神の子であるのに、脚を擡(もた)げてこの宇宙全体を蹈翻(けとば)すことが出来ないのか、出来るではないか」と云う強い自覚を促す言葉がここに書かれているのであります。

 本当にあなたが自分自身の無限力なる「神性」を自覚したならば地球ぐらいは蹴とばすことが出来るのが当り前なのであります。キリストも「もし芥子種(からしだね)ほどの信だにあれば、この山に動いて海に入れと云うと雖も、必ず成らん」と教えているのであります。これが生命の実相をさとった境地であります。

2281ユタカ:2013/07/13(土) 06:06:29 ID:R1D4Jmeg
あさひさま


訊け様

ものすごく有能な訊け様でも むかつく事があるのですね。

意外でした。でも人間的でいいですね。

合掌


ありがとうございます。これはもしかすると、神さまが、もっともっと、復興Gさま、トキさま、訊け様たちに『感謝』しなさい という意味なのかも知れませんね。
と言うか、私はそう思って感謝します。(今はWEB誌友会が始まっているので、心の中から、訊けさま始め皆様に感謝の念を送っています。)ありがとうございます。合掌。

2282復興G:2013/07/13(土) 06:15:03 ID:AB6RqYXc

ユタカさま、あさひ様、皆さま、ありがとうございます。


 「行動」は、無鉄砲な、軽はずみな、心が一部にのみ引っかかっているような行動ではいけない、と思います。

 「抗争」であってはいけません。

>>全局(ぜんたいの場面)を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ、「対立」が残っているようなことでも思うようになりませぬ。<<

 とお教え頂いているのであります。

 自分の中に宇宙がある。自分は宇宙である。すべての根源なるものである。一切者である。だから、地球ぐらいは蹴とばすこともできるのである! 山に動いて海に入れと云うとも、必ず成るのである!

 ありがとうございます。

2283ユタカ:2013/07/13(土) 06:30:25 ID:R1D4Jmeg
>『自分の中に宇宙がある。自分は宇宙である。すべての根源なるものである。一切者である。だから、地球ぐらいは蹴とばすこともできるのである! 山に動いて海に入れと云うとも、必ず成るのである!』

カーーーー!!! ここはカァっっコイイ!! 谷口雅春先生、素晴らしい!!

心がドンドン明るくなってきます。 復興Gさま、万歳!! WEB誌友会 万歳!!

みなさま、万歳!! 有難う!有難う!! 万歳!! 万歳!! 嬉しい!嬉しい!!

2284a hope:2013/07/13(土) 09:03:56 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます!
最近外回りの仕事が多くて、暑さにやられてしまったようです(;'∀')

昨晩、web誌友会の合間に、榎本先生の『「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書』を拝読していると、
天国にいるように気持ちよくなってしまって、ちょっとソファーに横になったらそのまま爆睡してしまいました....

きっと、人間無限力の真理をまことに悟っていれば、暑さや仕事で肉体が疲労するなんてこともなくなるのだと思います。
もっと、もっと「生命の實相」を拝読して、無限力を発揮できるようになりたいです。

これから、昨晩からの皆さまのご投稿を拝見します。

2285a hope:2013/07/13(土) 09:30:16 ID:edEDolt2
>>2263 ユタカさま

<<生命の実相を熟読して考察する事は、なんと、嬉しい、有難いことでしょうとおもいます。 >>

同感です!!!!

2286トキ:2013/07/13(土) 09:43:12 ID:CtPMtdp6
おはようございます。

 何であれ、迷った時は、生命の実相」を拝読すると、その中に答えが書いてあると思います。
具体的に答えがかいてなくても、読めば、何か、答えにつながるご文章があります。

2287a hope:2013/07/13(土) 10:25:13 ID:edEDolt2
>>2264復興Gさま

今回も、わたしの問題提起を取り上げて下さいましてありがとうございます。

わたしが「生長の家の教え」を信仰したのは、聖典「生命の實相」に魂を震わしからでした。
その後、教団の信徒となり母親教室や、勉強会、練成会などに参加させていただいているうちに、
徐々に生活のリズムが狂いはじめ、体調を壊していったのです。

雅宣先生の教えは、現象のことばかりです。
一方、『生命の實相』では、「現象なし」です。

当時は、その矛盾がわかりませんでしたからわたしの魂は混乱しました。

そのうちに、神想観をしても落ち着かなくなり、あれほど魂を震わせた『生命の實相』を拝読しても、
その意味が通じないばかりではなく、拝読するのが苦痛にすら感じてしまうようになりました。

一時は寝たきりのようになってしまい、約3年前は子どもたちも今よりも手がかかりましたから、
家族に大変な迷惑と心配をかけてしまいました。


ですから、わたしは「生長の家」で二元論的見解をすることの危険性は、人一倍わかっているつもりです。

わたしの言う、雅宣先生の二元論的見解とは、
「現象なし」「唯神実相」を口では説きながら、実際は「現象(物質)」を見ていて「人間の罪」を認めてしまっている見解のことです。

雅春先生も、「生命の實相」で二元論的見解は決して許してはならない「虚説」であるとハッキリおっしゃっていますよね。

わたしは、たとえ、それが生長の家の総裁先生のお言葉であろうと、
わたし達は、まことに「生長の家」を信仰していくためにはそれを決して許したらいけないと思います。

なぜなら、そういう見解は、人々の魂を迷わせを不幸にしてしまうからです。

その点、榎本恵吾先生は、まことの「唯神実相」を悟られていたのだと感じ安心して御文章を拝読できます。
そのご文章の放つ波動は人々に「神の子」の自覚を目覚めさせ、人々の魂を向上させる働きがあるのだと思います。


わたしの今感じていることを、素直に述べさせていただきました。

合掌。

2288復興G:2013/07/13(土) 11:54:10 ID:AB6RqYXc

皆々様

ありがとうございます。

毎回のweb誌友会で、いちばん勉強させて頂いているのは私であると思い、感謝しています。

今回も、そうです。

今回の第15回web誌友会は、15日(月・休日)の23:00までですね。歓喜に満ちて深く勉強研鑽させていただいています。ありがとうございます。

本日午後はリアルの誌友会に出講することになりましたので、夜までPCから離れます。

離れる前に、今回のテキスト 『生命の實相』 第3巻の最初に、「七つの燈台の点燈者の神示」 として、8つの重要な神示が掲載されていますが、その中の一つ、「無病常楽の神示」を謹写掲示させて頂きます。

<<   無病常楽の神示

 病んでいると言う病いは本来ない、苦しんでいると言う苦しみは本来ない。『これだけ自分は苦しんでいる』と、その苦しみを自慢にするような心は、却って病気を招く心である。

 キリストの受難に倣(なら)って自分も亦苦しもうなどと言う心も愚な心である。キリストは神性であるから未だ嘗つて一度も受難はない。十字架も受難ではなく受苦ではなく法楽である。神の子には『難』の受けようがなく、『苦』の受けようがなく任運無作(にんうんむさ)、法爾自然(ほうにじねん)、水の流るるが如く、すべてが惟神(かんながら)の法楽である。

 斯くの如く悟るとき苦しみを自慢にする心も苦しみを厭(いと)う心もおのずから消え去ってしまい、苦もなく、艱難もなく、苦楽を超越した本当の楽想(らくそう)を生じ、吾れが一変し、天地が一変し、人生はただ歓びの讃歌に満たされるのである。

 実相は苦楽を超越する法楽であって、実相をもって苦もなく楽もないと言うのは謬見(びゅうけん)である。

 汝らが『楽』と称する『楽』は本当の『楽』ではないから、『楽』を求むれば必ず苦を生ずるのである。五官のうちに、感覚の惑わしのうちに『楽』があるとするのは謬見である。五官の『楽しみ』はその本性(ほんしょう)決して『楽』に非ざるが故に『苦』に変ずるのである。

 実相はかくの如き仮相(けそう)の苦楽を超越すれども、真相の『楽』そのものである。法悦そのものであり法楽そのものである。その『楽そのもの』が『常住の我』であって、これが『神の子』である。『神の子』が『人間そのもの』であって、その外(ほか)に『人間』はない。

 人間とは常楽を言い、無病を言い、不苦を言い、不悩を言い、不壊(ふえ)を言う。肉体は『人間』ではない。人間の心の痕跡(こんせき)であり、足跡(そくせき)である。破壊すべきものは人間ではない。汝らよ、汝ら自身の不苦不悩無病の実相を見よ。
     (昭和七年十一月十日神示)>>

 ありがとうございます。

2289ユタカ:2013/07/13(土) 13:51:42 ID:R1D4Jmeg
神ひとに語り給う
「病んでいると言う病いは本来ない、苦しんでいると言う苦しみは本来ない。『これだけ自分は苦しんでいる』と、その苦しみを自慢にするような心は、却って病気を招く心である。

 キリストの受難に倣(なら)って自分も亦苦しもうなどと言う心も愚な心である。キリストは神性であるから未だ嘗つて一度も受難はない。十字架も受難ではなく受苦ではなく法楽である。神の子には『難』の受けようがなく、『苦』の受けようがなく任運無作(にんうんむさ)、法爾自然(ほうにじねん)、水の流るるが如く、すべてが惟神(かんながら)の法楽である。」

「任運」といふのは運に任せて、「無作」といふのは計らいがないといふこと、”そのままの心”でゐるといふことです。「法爾」というのは、法そのままです。 法そのままの動きにまかせるのです。「法」とは真理であります。
真理の内部的催しそのままに自然に動き出して、ちょうど、水が高いところから低いところへ流れるようなものであって、すべてに無理がないのであるといふことであります。すべてに無理がないから、其処には楽があるばかりであります。その楽は人間が工(たく)する人工的な楽ではないから、「すべてが惟神(かむながら)の法楽である」と示されてゐるのであります。 「惟神(かむながら)」といふのは、”かみながれ”といふこであります。「神催し」と言ってもよいのでありますが神様のおはからひから自然にもよほす流れのままに生き、動き、生活して行くことであります。

そこに真理の喜びといふものが湧いてくるのであり、これが法楽であります。 日本では「神ながら」といふ場合に「惟神(ただかみ)」と書いて「かんながら」と読む習慣(ならはし)になってゐるのは、神のみが実在であり、そのほかのものは、妄想だといふことを何となく知ってゐたと思はれます。

2290rei:2013/07/13(土) 14:15:26 ID:ZIftZ1jM
合掌
ありがとうございます

ユタカさま
後方にて参加させて頂いております。
発言しないのはポイントがずれないようにとの思いです。
ユタカさまとa hopeさまの質問がとてもわたしの疑問と同じだからで
その通りその通りと頷いてますよ。ありがとうございます。

訊けさまは、初めて本音を語ってくれたみたいで、好感を持っています。
あなたの「自分はみ教え擁護です」という発言はとても私の心を打ちました。
またここへも出てきてくださるといいなと思っています。

復興Gさまいつも本当に感謝しております、ありがとうございます。
 
再拝

2291ユタカ:2013/07/13(土) 14:20:16 ID:R1D4Jmeg
> 斯くの如く悟るとき苦しみを自慢にする心も苦しみを厭(いと)う心もおのずから消え去ってしまい、苦もなく、艱難もなく、苦楽を超越した本当の楽想(らくそう)を生じ、吾れが一変し、天地が一変し、人生はただ歓びの讃歌に満たされるのである。

 実相は苦楽を超越する法楽であって、実相をもって苦もなく楽もないと言うのは謬見(びゅうけん)である。

ここが大切ですね。「苦楽を超越した本当の法楽」でないと本物でない。今迄「楽」と思って快楽を続けてゐると、それはやがて「苦」に変わってしまうのです。苦しみをさけて楽を得たいとか、肉体の快楽を得たいとかいふその「楽」では、それは相対的な「楽」でありますから、相対条件の如何によって変化するのであります。肉体の五感のたのしみはそれを嘗めてゐるうちにその快楽が苦しみに変わって来るのです。 ご飯でも「うまいなぁ」と思って食ってゐると、あんまり食べ過ぎると、お腹をこはして苦しみに変わって来るのであります。”性”の快楽などもあまり貪ると心身困ばいしてノイローゼになってしまふ。麻薬を吸引して恍惚となってゐると、それが習慣になると大変な苦痛となる。

さふいう苦楽を超越したところの絶対的なものが「法楽」であるのであります。「自分」といふものがある間は「自分」と「他」と、或いは「自分」と「神」とが対立してゐる。

対立は摩擦であるか、絶縁であるか、どちらかで、ピッタリ「一つ」になることが出来ない。先ず自分がなくなることが必要である。「自分」がなくなり、カラッポのパイプの中へ水が流れいるように「神」を流れ入らしめたら、「吾が一変し、天地が一変し、人生はただ、歓びの讃歌にみたされるのである。実相は苦楽を超越する法楽であって、實相をもって苦もなく楽もないと云ふのは謬見である」といふような状態が自分自身の生きた体験として味はふことができるやうになるのであります。

2292ユタカ:2013/07/13(土) 14:36:25 ID:R1D4Jmeg
>汝らが『楽』と称する『楽』は本当の『楽』ではないから、『楽』を求むれば必ず苦を生ずるのである。五官のうちに、感覚の惑わしのうちに『楽』があるとするのは謬見である。五官の『楽しみ』はその本性(ほんしょう)決して『楽』に非ざるが故に『苦』に変ずるのである。

楽をしたい楽をしたいと思ってゐると益々苦しみになる。例えば、覚醒剤を注射したら苦しみがなくなると思って注射すればするほど、覚醒剤中毒にかかって苦しみは増えて来るし、酒を飲んだらしばらくの憂さ晴らしができるかと思ったら益々苦しみは増えて来る。財産でも殖やしたら益々楽かと思って財産が殖えると、貧乏の親戚などが無闇に無心にやって来る。いろいろの団体から寄付金の強要にくる。強盗は来るし、税務署から呼び出しがあり、行かなければ、叱られた末、税金は取られるし、いろいろのたかりが集まって来て厄介は益々殖え、それに対する処置に困るーーーといふことになって、一向「楽」といふものは出て来ないのであります。だから神さまは「楽を求むれば必ず苦を生ずる」とお示しになってゐるのであります。

2293a hope:2013/07/13(土) 14:55:48 ID:edEDolt2
>>2287 で、わたしの経験と考えを宣べましたが、
もし、わたしが3年前から『生命の實相』だけを唯一の教えとして信仰していたら、
つまり、教団と関わらず、雅宣先生の教えも知らなかったらどうだったのでしょうか。

おそらく、あんなに体調や精神状態をおかしくすることもなかったかもしれません。

でも、今はそんことすべてに心から感謝しています。

そして、今、わたしは自分の使命を感じています。

それは、「生長の家の教え」で病気を克服したり、生活苦を解消したり、
人間関係を改善したりした人たちがその後、使命感をもって、
伝道に励まれるのと同じ気持ちなのではないかと思います。

わたしは、これから「生長の家の教え」はそんなんではないのですよ!

と、声を大にして発言していかなければいけないような気がしています。

また、谷口雅春先生の教えではあっても、自分たちがしている運動(政治運動など)に都合の良いものだけを信仰して、
都合の悪い教えには目をつぶるというのも正しい信仰姿勢とは言えないのではないかと思います。


今、大切なのはことは基本に戻ることです。

基本=「生命の實相」=和解・大調和・感謝 です。

教団も、学ぶ会さまも、ときみつる會さまも、個人で信仰している方たちも、
すべての信徒が聖典「生命の實相」に戻りそれを忠実に勉強していけばおのずと一つになれるはずです。
だって、「生長の家の教え」はそういう教えなのですから・・・・。

2294ユタカ:2013/07/13(土) 15:03:23 ID:R1D4Jmeg
>実相はかくの如き仮相(けそう)の苦楽を超越すれども、真相の『楽』そのもおうたいのである。法悦そのものであり法楽そのものである。その『楽そのもの』が『常住の我』であって、これが『神の子』である。『神の子』が『人間そのもの』であって、その外(ほか)に『人間』はない。
人間とは常楽を言ひ、無病を言ひ、不苦を言ひ、不悩を言ひ、不壊を言ふ」

實相といふものは、相対の「楽」ではなくて、「絶対楽」であり、その「楽」そのものが「本当の人間」だといふのであります。「本当の我」と「楽」とは一体であるといふので、ここには涅槃経の”常楽我浄”の大乗佛教思想と同じものがあらはれてゐるのです。苦しんでゐるのは「本当の我」ではないのであって、「本当の人間」とは常楽即ち常に楽しいのであります。「人間」とは本来無病のものなのです。
「人間じやもの四百四病の病ひの容れ物だ」なんて言ふ人がありますが、決してさうじやないのでです。人間が病気するんじゃなくて、人間の”抜け殻”が病気をするのです。本当の人間は「神の子」ですから、絶対に病気もしないし苦しみもしないのであります。

だから、神示には「人間とは常楽を言ひ、無病を言ひ、不苦を言ひ、不悩を言ひ、不壊を言ふ」とあるのであります。「不苦」即ち苦しまない、「不悩」即ち悩まない。「不壊」即ちくだけないところの、「常」であり、「楽」であるところの「真我」が「本当の自分」なのであります。常に無常で、うつり変わるところの肉体は「人間」ではないのであります。だから、(つづく)

2295ユタカ:2013/07/13(土) 15:35:26 ID:R1D4Jmeg
>肉体は『人間』ではない。人間の心の痕跡(こんせき)であり、足跡(そくせき)である。破壊すべきものは人間ではない。汝らよ、汝ら自身の不苦不悩無病の実相を見よ。
     (昭和七年十一月十日神示)>>

だから、(つづき)↑と示されてゐるのであります。
肉体の現在の状態は心の足跡でありますから心がどこを歩むかとふことによって、肉体の健、不健の状態の現れやうが変わって来るのであります。肉体は人間じゃなくて「心の痕跡」であるとは巧みな形容であります。だから、肉体に病気が現れてをつても、それは「人間」が病気をしてゐるのではなくて、「心の足跡」gsそんな姿にあらはれてゐるのに過ぎないものですから、「病気は無い!」とはっきり言へるのであります。たとひ肉体に病気があらはれて人から「お前、偉そうにいったって病気しとるんじや」と言ふことになるのであります。


森川政輝といふ人が、唯今、小豆島の観海楼といふ旅館の料理場の主任になってゐるのですが、この人は、唯今、生長の家の教化支部長として、関西教区方面にいられる秋月暁君といっしょに、私が住吉に居った自分に生長の家本部にやってこられたのでした。そのころ京都の宇多野療養所にをって二人とも肺病で、なかなか治らないで悲観しておられた。所がたまたま『生長の實相』を読んで生長の家にやって来て、一ヶ月位私の家に通って私の話をきいて私と一緒に神想観をした。
それで二人とも治って健康になったのですが、その治りつつある頃に森川政輝君は、あれは何とかいふ紀州淡輪(きしゅうたんなわ)にある淡輪ホームという療養所にをられましたが、ある日、その療養所から私に手紙を寄こされたのでした。何と書いてあったかと言ふと「私は、病気でねてゐながら、病気をしてゐない、”本当の自分”といふものがあるといふことがわかりました。」かふいふ手紙を寄こされたのであります。

かうして肉体は病気しても「本当の自分」は病気してゐないといふことがわかったといふ悟りを手紙に書いて寄こすやうになってから病気が完全に治ってしまったのです。

2296ユタカ:2013/07/13(土) 16:32:45 ID:R1D4Jmeg
それからもう二十数年にもなりますが、其後、諸方へ転々として行かれたらしいのですが、今では観海楼の料理場の主任をしてゐて、料理が美味しいというので評判がよい。どこで料理の仕方をおぼえたのか知らんけれども、観海楼に行くとあの人が僕に特別に念を入れて料理をしてくれる。旅館の板前の主任をやっているのいで、ただの料理の職人かと思ったら、ちゃんと立派な二回建の自分の家を一軒建てて、裕福に暮らして人間とし成功していられます。「かうなったのは先生のお陰です」と会ったときお礼を言ってゐられました。

もう一人の秋月さんも生長の家で肺結核が治って、一時大阪で生長の家の講師をしておられたが、その後、途中で信仰がふらふらになり、脱線しましたら、再び結核が再発したのかどうか知らぬが、顔色が黒っぽい紫色の所謂悪液質みたいになり、やせ細りましてもう顔に死相があらがれたやうになってゐました。これは罰が当たったじゃないのであります。

生長の家の神様は罰を与へないけれども、自分自身で自己処罰して罰を当てるのです。それで一時瀕死の状態みたいになってをられましたが、 今まで自分は間違ってゐた、生長の家で一ぺん生命が救われてゐながら、生長の家をはなれるなんて申し訳なかったと気がついて再び生長の家にもどって来られて、生長の家講師として人を救う愛行をして生涯を捧げようと決心されて、わが身の病気をわすれて、人を救うために真理を説いてあるかれたのです。

あの人の話は面白いのでなかなか評判がよい。落語家の金語楼みたいな風格があり、人を笑わせながら真理を説くのが上手なのです。さうして愉快に楽しく心を明るくする真理を教えて歩いているうちにまた、健康が回復してぷくぷく肥えてこられました。

人間は「肉体」ではないのですから、霊であつたら、普遍的の存在であり、自他一体でありますから、他を生かすようにしてゐれば自分が生きてくるようになるのです。

他を生かすことを止めて利己的になり、互ひの恩愛を遮断するようになると、大生命の流れがそのままに現象化しないで病気があらはれます。「人間は神の子である。」といふことを本当に自覚したら自然に他の人にもその真理を伝えたくなるのです。他に伝えたくないやうだったら、「人間・神の子・自他一体」の真理を自覚していない証拠です。

「報恩行についての神示」にありますやうに、吾々は、神さまの真理を知らしてもらふ機縁を与えて下さった橋架けなった人ーー真理と縁を結んでもらったひとに対して、その恩といふものをわすれてはならないのです。

生長の家の誌友は生長の家といふ縁を通して、神様を知らしていただいたのでありますから、「もう真理を知ったから、私は神さまと直結だ。もう生長の家など通さないでよい」などと恩を遮断すると、其の生命を断ち切る心の反映として、現象的に病気その他の不幸があらわれてくるのであります。

生長の家の教へは簡単ですから、もう知ったら止めようとおもったらいつでも止めれるけれども、知るという事と体得するといふ事とは違う。

生長の家の真理の書物は非常に沢山ある。他のどの宗教にも無いくらゐに沢山あるけれども、 簡単に言へば縦の真理は”人間・神の子”ということであり、横の真理は ”環境も肉体も吾が心の影” といふことで、縦と横との二つの真理で、それでおしまひだ。

「それでわかった。はいさやうなら。人間は神の子だから自分は神の子で神さまは親だから『子』と『親』とこれから直通だ」といふ訳で、相愛会へも教化部へも道場へも往かぬ。

そして「わしはわしで独立独歩の神さまの子だ」と考える人もあるけれども、それはやっぱり間違ってゐるのであります。 それは人間といふものが、神さまとのみ直通してゐると考えて、神の子の相互連関による孤立した存在ではないといふところの真理を忘れてしまってゐるのであります。

人間は「全体」の中にゐるところの「一人」であって、全体とのつながりに於いて生かされてゐるのであるといふことが神の子の自覚であるといふことを忘れてしまって、自分だけの力で神さまと直通だ!というやうな考えをおこしてゐるから、さういう間違った考へを起こすことになるのであります。

2297ユタカ:2013/07/13(土) 16:49:35 ID:R1D4Jmeg
臨済宗方広寺派の管長足利紫山労師が大分市の関川晃代さんに言はれた言葉に「あんたは、生長の家によって真理を悟らしてもらったんだから、ほかの宗教によろめいては行ってはいけませんよ。信仰にも貞操がなければならない」といふのでありますが、まことにそうであります。

「萬教は唯一つの真理に帰するから、何処へよろめいていっても同じぢやないですか」という理屈づけをして他の宗派をのぞいてくる人がありますが、これは自分の神性をはらかして頂いた「因」に対する純潔を欠いてゐるので、なんぼう偉さうに道をといてもいけないのです。

嘗て講談社の校正係をしとつた人で、人を恨み憎んでころしてやりたい位だったその恨みが、生長の家の神示を実行して消えた。そして今は清々しい気持ちになれた。その恨みが消える方法を教えてもらったのは生長の家のお陰であるというので、毎年二、三回は必ず、私にお礼の手紙をよこす人がありますが、さういう人は、本当に因縁の理を知り、恩を忘れない立派な人だと言はなければなりません。



以上  神 ひとに語り 給ふ  無病常楽の神示 講義   謹写を終わります。(漢字を現代漢字に変えています)



2298トキ:2013/07/13(土) 18:40:21 ID:CtPMtdp6
 私が大学時代、教授から言われた言葉に

 「わからなくなったら、原理原則に戻りなさい。そうすれば、見えてきます」

というものがあります。信仰でも同じだと思います。訳が代わらなくなったら、
原理原則に戻って考える。すると、見えて来るものがあると思います。

2299a hope:2013/07/13(土) 18:55:28 ID:edEDolt2
復興Gさま ユタカさま

『無病常楽の神示』と、その講義(「神 人に語り 給ふ」より)のご謹写ありがとうございます。

たしか、「神 人に語り 給ふ」は重版停止状態の聖典でしたね。
たいへんな時間がかかったのではないのでしょうか?
復興Gさまもそうですが、ユタカさんもホントにすごいパワーのある方ですね!
貴重な文献のご謹写に心から感謝して、拝読させていただきます。 感謝 合掌。
(途中横切りまして、失礼いたしました。)

2300a hope:2013/07/13(土) 18:57:54 ID:edEDolt2
>>2298トキさま

トキさまは「生長の家の教え」の信仰の原理原則とはなんだとお考えですか?

2301復興G:2013/07/13(土) 19:32:20 ID:AB6RqYXc

復興G、只今帰りました。

ユタカさま、神示ご講義の謹写、本当にありがとうございました。

おかげさまで、いっそう深い真理の勉強ができます。

ありがとうございます!

2302トキ:2013/07/13(土) 19:47:12 ID:CtPMtdp6
>>2300

谷口雅春先生が、亡くなられる時に、言い遺されたお言葉に凝縮されていると思います。

2303トキ:2013/07/13(土) 20:18:23 ID:CtPMtdp6
 個人的には、『人間、神の子」という言葉に戻ると、自ずから見えて来るような間がをもっています。
とはいえ、偉そうにいう資格は全然、私にはないとも自覚しています。

2304復興G:2013/07/13(土) 21:02:23 ID:AB6RqYXc

a hope 様。

a hope 様の >>2287 書き込み文は、とても重い、重大なことだと受け止めています。

私も学生時代にトルストイの『人生読本』という本に強い影響を受けたということを前に書いていました(>>2230)が、その最初のところをご紹介しましょう。

この本(トルストイの『人生読本』)は春の巻・夏の巻・秋の巻・冬の巻と4巻になっていて、それぞれ「○月○日」と全365日の項目に分け、古今東西の哲人たちの言葉を抜粋して掲げてあるのですが、その最初の「一月一日」というところに、次のようにありました。

<<   一月一日

 中途半端な事を夥しく知るよりも、真に優良な必要事を少し知る方が優(ま)しである。

 (1) 選び編まれた小さい文庫の中に、如何に大きな富があることだらう! 数十年の長きに渉つて此の世のあらゆる文明國から選び上げられた最も聰明にして価値高き人々の集團が、其処に於て吾々に、自己の研究と叡智の所産を、最上の整頓裡に提供してくれたのである。

 それ等の人々自身は紙背に姿を隠してゐて、近附き難い。また、若しも吾々が彼等の幽棲の空寂を破り、彼等の仕事を妨害したならば、彼等は恐らくそれに耐へ得なかったであらう。更にまた、いろいろの社会的条件が彼等との交際を不可能にしたかも知れない。

 併しながら、その最上の親友達にさへも彼等の公開しなかつた思想が、異なる世紀の局外者の爲めに、明瞭な言葉でここに書き現はされてゐるのである。然り、まことに吾々は、吾々の生涯に於ける最も主要な霊的方面の恩恵を、書籍から蒙つてゐるのである。(エマスン)

 (2) 吾々は一種の反芻動物だ。從つて、いろんな書籍をうんと詰め込むだけでは不十分である。若しも吾々が自分の丸呑みにした凡ての事柄を、改めてよく噛みしめ味ひ直さないならば、書籍は吾々に力と滋養を與へぬであらう。(ロック)

 (3) いろんな筆者のいろんな種類の書籍をあさり読む結果、読者の脳裡に溷濁と不明瞭の醸し出される事を警戒するがいい。有益な何物かを得たいと思ふなら、ただただ疑ふ余地なき価値を有する諸氏の著述によつてのみ、自己の頭脳を養ふべきである。

 書籍の過読乱読は、吾々の知能を迷誤錯乱に陥れる。だから、異論なしに良書と認定された書籍だけを読む事だ。若し違つた種類の著作の耽読に暫時移つて見たいといふ氣持のあらはれるやうな事があつたら、さういふ場合には、絶対に再びもとの読書の世界へ立還れなく置れなくなるのだといふ事を忘れないがいい。(セネカ)>>

 ――私は上記トルストイの『人生読本』を読んで、そうだ! と思い、しばらく『生命の實相』ばかり読むことに没頭していた時がありました。

2305a hope:2013/07/13(土) 21:09:36 ID:edEDolt2
>>2302トキさま

病なし、迷いなし、罪なし
これが生長の家の
根本真理であります。
それでは、神様
ただ今より眠らせていただきます。

(訊けブログより、引用させていただきました。)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65556575.html

生長の家の教えは、本当にすごい!!

これですね!

2306復興G:2013/07/13(土) 21:14:48 ID:AB6RqYXc

>>2290 rei 様。

いつもよく読んで下さっていて、ありがとうございます。

どうぞ、遠慮なく前に出てきてご発言くださいよ。

みなさん、大歓迎だと思います。

2307復興G:2013/07/13(土) 21:31:32 ID:AB6RqYXc

>>2304のつづきです。

同様のことが、 『生命の實相』 第38巻 「七月一日」・「七月二日」 のところに、次のように書かれています。
>>2185に書いていたことですが)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     七月一日

 深海の中に棲む魚は盲(めしい)である。暗(やみ)のみを心に思い浮かべているからである。光を見る心になったときわれわれに眼ができ、美しい世界がわれわれの周囲に展開したのである。

 思想することは自由である、幸福になるように、あるいは不幸になるように。けれどもそれは各人の選択である。

 ただひと筋に光明思想に随(つ)いて来るものは幸いである。

 すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである。

 思想として、宗教として、哲学として、生長の家はすべてのすべてである。このほかにもっと何かよいものがあるかと思ってさ迷い出るものは、エデンの楽園にいてエデンの楽園をさ迷い出ずるものである。

 いろいろと変わった思想のものを読んで、思想を混乱させればさせるだけ、自分の運命が混乱してくる。

 罰を当てるのではないが、いちどお蔭を戴いてから去ったものの運命がそれほど花々しくないのは、その人自身の思想が混乱しているからである。

 元の思想に還ればまた幸福がその人のために蘇(よみがえ)ってくるのだが、いったん光明思想を去った者が元の思想に還ることは負けたような気がして正直に懺悔の心を表白することができない。そこでその人はいつまでもグズついて不幸の中に身をまかせているのである。

 真理の前に脆(ひざまず)くことは、不幸の中に身をまかせていることよりもいっそう勇敢なことであることを知らねばならない。

     七月二日

 本当の平和はわが心が神に結ばれたときのみに得られるのである。

 神さえあれば何も要らない。心に神を持つことは 「すべて」 を持つことである。神は 「すべてのすべて」 であるからである。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ありがとうございます。

2308a hope:2013/07/13(土) 21:41:00 ID:edEDolt2
>>2290reiさま

わたしも>>2306復興Gさまに同感です。
reiさまのあたたかいお言葉にはいつも励まされています。

わたしは、前回からは補佐役ではない一参加者ですので、
一人一人の投稿者さまへのコメントはしていませんが、
reiさま、あさひさまそして他の閲覧者さまのたくさんのご参加は大歓迎です。

2309ユタカ:2013/07/13(土) 22:03:27 ID:R1D4Jmeg
rei様

ありがとうございます。どんどん出てきてください。いろいろな方のご意見を聞くことはとても勉強になります。

軌道がずれていたら、神さまが修正してくれますしね。 それに、なんたって復興G様がいらっしゃいます。

安心してご発言して下さいと思います。

訊けさまには、ぜひ出てきていただきたいですね。 人気のある方ですものね。。。

2310ユタカ:2013/07/13(土) 22:37:34 ID:R1D4Jmeg
>>2307

もう、白旗です。。。ありがとうございます。

>ただひと筋に光明思想に随(つ)いて来るものは幸いである。
>すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである。
>思想として、宗教として、哲学として、生長の家はすべてのすべてである
>真理の前に脆(ひざまず)くことは、不幸の中に身をまかせていることよりもいっそう勇敢なことであることを知らねばならない。

>神さえあれば何も要らない。心に神を持つことは 「すべて」 を持つことである。神は 「すべてのすべて」 であるからである。

神様さえあれば、何も要らない!! 解るなぁ、其の気持ち。 内なる神と宇宙の全体に神がカチカチ音を立てて一体になってゆく。

WEB誌友会は最高です!! 毎日感動しています、素晴らしいなぁ、自分を神の子と言ってもらえて・・・益々自覚が深まっていきます。

復興Gさま、ありがとうございます。

2311a hope:2013/07/13(土) 22:43:55 ID:edEDolt2
>>2304復興Gさま

トルストイの『人生読本』は、以前のweb誌友会前夜祭の時にも>>166で復興Gさまがご紹介くださっていましたよね。
あの時は、その後いろいろあってお返事ができなかったのでした。

わたしも、これからしばらくは「生命の實相」に専念して、とりあえず全巻読破を目指したいと思っています。
そしてこうして、このトキ掲示板で「生長の家の教え」をお勉強させていただけることに感謝の気持ちで一杯です。

2312ユタカ:2013/07/13(土) 23:09:12 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

私もa hope様のような純潔な魂の方は、今は唯ひたすらに「生命の実相」に没頭してa hopeさまの腹の底の底から大光明を発してたとえ暗黒がぶつかりに来ても自分の発する大光明で消してしまえるほどの強さで輝くまで、ドンドン光を、、a hopesの魂の中に生命の実相の光を入れていけばいいのでは?と思っていました。

そして、私も、谷口雅春先生の真理のみでやっていきたいですのでよろしくお願いします。 同じく日々感謝の思いで一杯です。。。

2313a hope:2013/07/13(土) 23:31:27 ID:edEDolt2
>>2312ユタカさま

ありがとうございます。合掌。

わたしは、「生命の實相」の真理を自分自身の生活に生かせるようにしたいと思っています。
そのためには、ユタカさまのおっしゃるように、

<<腹の底の底から大光明を発してたとえ暗黒がぶつかりに来ても
自分の発する大光明で消してしまえるほどの強さで輝くまで、ドンドン光を、、>>
わたしの魂の中に入れていこうと思います。

「自分が変われば世界が変わる」
この言葉の本当の意味もだんだんわかり始めてきました。

ユタカさま、こちらこそこれからもよろしくお願いいたします。

わたしは今日はこれでおやすみさせていただきます。
それでは、みなさま、安らかな眠りと、良い夢を・・・!

2314ユタカ:2013/07/14(日) 07:24:14 ID:R1D4Jmeg
ユタカのイチオシ!!

>すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである

自分の魂にビンビン響いてきます。 皆は魂に響いてくる言葉に出会えましたか??

WEB誌友会は最高! 万歳!!

2315復興G:2013/07/14(日) 07:47:06 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

私は一昨夜あまり寝てなかったので、昨夜は少し早く寝てしまいました。

皆さまの 光り輝くご投稿が、まぶしい。

そして、「web誌友会参考文献板」 に掲示させていただいている榎本恵吾先生のご文章にも、共感 共鳴して、私も、今日もまた「無」の法悦の中に遊戯(ゆげ)三昧に愛を行じてまいりたいと、神に祈っております。

生長の家バンザイ! 皆さま、バンザイ!

2316こんにちは:2013/07/14(日) 10:24:13 ID:cCXifkCY
こんにちは


http://888.pm/4nx

http://888.pm/hkd

http://888.pm/7rg

http://888.pm/t3m

http://888.pm/DXu

2317ユタカ:2013/07/14(日) 14:14:01 ID:R1D4Jmeg

>2316 を開いたら ブランドバックの¥広告だった>< イランわ!! 興味無い!!\\\

トキさま2316と2317削除してください。

2318a hope:2013/07/14(日) 17:23:05 ID:edEDolt2
別板の「まじめな話」の板から引用させていただきます。
とてもすばらしい体験談ですし、「人間神の子の真理」を悟れば、
本当に病気は消えるという、動かぬ証拠だと思います。

宇治では、今でもこのような奇蹟が実際に起こっているのですよね。

ジャリンコチエさま、勝手に引用してすみません。
チエさまもよろしかったら、web誌友会ご参加くださいね!



1320 :ジャリンコチエ:2013/07/13(土) 19:22:32

宇治の体験集より*Hさん65歳の男性です。
この方は食道がんで余命6ヶ月の宣告を受け宇治に来られました。
とても感動しましたので謹写

さあ後六ヶ月ということは八月です。「八月には愈々死ぬのだ」と思いますと、この八月までに腹を決めて
「にっこり笑ってさようなら」と谷口先生のあの別れの言葉を私も二十年も前に読んでおりましたし、
「またいずれお会いします」という風に、はっきり書いてありました。

「よし、これからは谷口先生のこの人間神の子の真理を
本当に心の底まで納得してから死のう」ときめました。
生長の家の組織との縁は切れておりましたが、谷口雅春先生の一信徒でなかった日は
一日としてありませんでした。

(中略)

ちょうど長田先生の御講話の最中でございました。
そこで先生が「現象は無い、物質は無い、肉体は無い」と
書かれて、これに×印を付けておられました。そして最後に「無し、無し、無し」と漢字で書いてあります。

本で読んだ通りに書いてあるわけなのですが、その後に私は自伝編の二十巻で「心も無いのかなあ」と、
心に思った時に、「心も無い!とその声は言ったのであった」という一行も思い浮かべたのです。

丁度その時に長田先生が「心も無い!」とおっしゃってですね、これを黒板消しでお消しになったのです。
その時に私の魂にグサッと矢が刺さりました!

「分かった!」と思ったんです。「あーこれで死ねる、これで死ねるぞ」と。
「分かった!」と思って体が震えるような喜びでした。

(中略)

その事があった後、この二ヶ月も三ヶ月も通らなかったご飯がですね、
その三日目の晩に通ったんです。それで部屋に戻りまして一緒におられた方に
「通ったぜー俺、今日、俺、分かったから、俺、それで通ったのかな⁈
という話をしまして、いよいよ最終日を迎えました。

(中略)

予約を入れていたのですが、もう分かったので、楠本先生には何もお聞きすることはありませんでした。
しかし、あの世で母に会ったとき、"最後に楠本先生にお会いしてご挨拶をしてきた"と
伝えたく思い、お会いすることにしました。

楠本先生は、「あなた何しに来たの、聞くことないの」と言われまして
「ありません、全部分かりました」と申しました。「そうか、分かったか、あっはっはっー」と先生はお笑いになりました。

その後、先生の最終のご講義を受け、使命があるということを教えて頂きました。
「よし、この人類光明化運動という使命が俺にはあるんだ」という気持ちを持って帰りました。

(後略)

翌日、ゼロになっていた穴が直径一センチ(普通は二センチ)まで拡がっていることが病院で確認されます。


そしてその後Hさんは食道がん克服の体験を生かして他の癌患者を救う使命を果たされます。
*部分的に略しましたが、文章は原文ママのはずです。携帯からチマチマ打ってるので読みにくかったらすみません。

1323 :ジャリンコチエ:2013/07/13(土) 19:35:58

余命を告げられた時の決意に圧倒されました。

2319a hope:2013/07/14(日) 17:57:23 ID:edEDolt2

それから、もう一つ同じ板に、とても同感できる投稿がありましたので紹介させていただきます。
閲覧者Aさま、勝手な引用をお許しください。


1325 名前:閲覧者A 投稿日: 2013/07/14(日) 06:39:16

会社組織で働いてたら、本当によくわかる。
トップの考え、方針の変更で、会社の雰囲気が、ガラッと変わる。
トップの考えについていけないから、トップの考えは変だから、自分の考えで事を運ぶと動いたら、会社組織と和解がなくなる。
ストライキを起こすしかないだろう。
会社をより早くするための、ストライキを起こすしかないだろう。
トキさんのような人が、日本各地に現れて、聖使命を納めないストライキを起こすならば、もしかしてもしかしたら変わるかもしれない。
――――――――――――――

わたしも、独身時代から会社勤めは何度もしていますので、閲覧者A さまのおっしゃる意味が本当によくわかります。
会社だけではなくて、幼稚園、学校などでもその上に立つ人(園長・校長)によってその雰囲気はガラリと変わります。

ましてや、人の魂の問題を扱う宗教団体のトップといったら、霊や魂のレベルまで影響を与えてしまうでしょう。

これはわたしの個人的な推測ですが、おそらく、現在教団に残られて「雅宣先生の教え」となんとか折り合いをつけながら、
本来の「人間神の子」や、「現象は無い、物質は無い、肉体は無い」などの講義をされている先生方は、
今は「雅宣先生の教え」のおかしさよりも、閲覧者Aさまのおっしゃる「組織との和解」を第一に考えていらっしゃるのではないのでしょうか?
だって、宇治の講師の先生方が「雅宣先生の教え」のおかしさに気づかれていないはずがありませんからね。

宇治で今でも奇蹟が起きているのは、今現在は、この「和解」が成立しているからだと思います。
大調和の神示にハッキリと「すべてと和解したものの中にのみわれはいる(略)汝がすべてのものと和解したとき其処にわれは顯れる」
とありますからね。
ただ、これから先はどうなるかはわたしにはわかりません。

わたしは、閲覧者Aさまのおっしゃるように、信徒がストライキでも起こすしか手はないようにも感じてしまっています。

みなさまは、どう思われますか?

2320a hope:2013/07/14(日) 21:29:37 ID:edEDolt2
宇治の長田先生という方は、ご講義で一人の男性の魂を救われ、
結果、その男性の病気という「本来ないもの」が現象からも消えました。
そして、その魂を救われた男性は、ご自分の体験を生かして他の癌患者の魂を救う使命を果たされています。

これが、本当の生長の家の「人類光明化運動」なのではないのですか?


一方、雅宣先生は今、何をなされているのでしょうか?

わたしは、雅宣先生は「生長の家」と信徒を愛していらっしゃると感じています。
ですが、本来の「生長の家の教え」とはかけ離れた方法でその愛を表現されようとしていらっしゃる。

練成道場もない森のオフィスで、雅宣先生はご自分のやりたいことをされたらいいのではないでしょうか?
そしてその代わりに、宇治別格本山や長崎総本山や他の練成道場の練成会は、
本来のままにそっとしておいてくださいませんか?

2321閲覧者A:2013/07/14(日) 21:48:06 ID:???
>>2320のa hopeさん、私のコメント引用恐れいります。
しかし、雅宣さんが生長の家総裁ですから、宇治や総本山や道場をどうするかの決定権は、雅宣さんですよ。
お気持ちは重々解りますが、総裁は自分のやってることが、正しいと自信持って、やっているのですよ。
経営者は、自分の方針に合わないなら、社員はお去り下さって結構と思っているのではないですか?
雅宣さんにしがみついても、駄目ですよ。
彼の生命を生かして差し上げないと。
教団組織に和解するんじゃなくて、真理に和解ですよ。
人と人に和解してはいけない。
真理に和解することは、雅宣さんの生命を生かされることも、その1つです。
そこに、信徒は自ずから何をすべきか見えてくるでしょう。

2322rei:2013/07/14(日) 22:09:44 ID:ZIftZ1jM
復興Gさま
ユタカさま
a hopeさま

あたたかい言葉をありがとうございます。

お言葉に甘えましてちょっと書かせて頂きます。
ただ、私は打つのも読むのも遅く、会話にならないかもしれないことを
先にお伝えしておきます。

この2年あまり、ここを拝見させていただきながら、
ずっと頭に引っかかっておりました。

それは「天使の言葉」の最後のほうにある言葉で
ーーー万の物ことごとく意に従って出現し、
   用足りておのずから姿を消す。ーーー
という言葉です。

15、6年位前ではなかったかと思うのですが、
信徒の幹部の方からの訴えで 
運動が辛くて辛くてたまらないという内容のものが雅宣総裁だったか、純子先生
にだったかに届けられて、信仰をそんなに苦しんでしないで頂きたいという答え
だったかと覚えております。その訴えが切実なものだっただけに、総裁はとても
悩まれたように、私には感じられました。
それ以後、組織運動がどんどん楽なものに変わっていったように思えるのです。
1年ごとだった講習会が2年ごとになり、講習会の目標数も教区大会の目標数も今
は自主目標になり、教区大会も隔年になりました。教区ごとに上からの伝わり方
に温度差があるのかもしれないとは思いますが、「自主目標」に間違いはないと
思います。強制的に数を押し付けられている運動は今はないと思うのです。
団体参拝も会員だけに限定されているのは、無理に誘わないでも良いという事で
はないかと思えます。総本山と河口湖での母親練成会もなくなりましたし、普及
誌の大量伝道もしなくて良いという方針で、ハッキリ言ってとても楽な運動です。
支部長にとっては。
政治運動もないし、署名活動もないですし。地元の誌友会を大切にして下さいと
いう運動ですね。ご縁があって生長の家に触れた信徒が楽な様にと楽しい生活が
出来るようにと変わっていったのではないかと思うのです。こんなことを言って
も、私も総裁の講話は超嫌なんですが、運動の面で言えばこのように思わざるを
得ません。

信徒が楽をのぞんだから。
伝道をしていくとそれはそれはとんでもない批判や厳しい目を向けられる事も常で
仲間内だけで真理の勉強しているほうがよっぽど楽だと思った事も何度かあります。
今の総裁の方針だと宗教っぽさがなくて、環境団体のようで世間一般の人に受け入
れられやすいと思われたのではないかと思えてきます。実際は反対になって、楽を
すればするほど、伝道の意欲も低下してしまったように思います。

だから、
「ストライキ」をするのじゃなくて、
「法悦を喜ぶ」ことをどんどんすべきだと思います。
信徒が喜んで喜んで、神の子だ!嬉しい嬉しい!ありがたい!
という声が大きく大きくなったら、
そのことに大勢が気づいたら、
総裁の今の姿は、用が足りて消えるのじゃないかと、こんな事を考えているのです
が、私の考えは甘いでしょうか・・・。

大勢ではなく、「わたし」が気づいたらいいですね。
もう、ユタカさまが実践しておられますね。
わたしも今からやります。
私は神の子、日本一バンザイ!!!バンザイ!!!万歳!!!

逢う人ごとに言っていきたい。
「私は神の子って教えられたの、嬉しいね、有り難いね!」
今まではこの言葉が足りてなかったように思う。

復興Gさま
田中曹長の話に照らして考えたらこのような気持ちになりました。
ありがとうございました。

合掌

2323閲覧者A:2013/07/14(日) 22:39:04 ID:???
横から口を挟みますが、人間は誰しも今を生きて生かされていますから、1秒前の自分は誰しもが、用足りて死んでいるのではありませんか?
神の子を喜ぶ声が増えて大きくなると、いまの総裁の姿は用足りて消えるという考えは、総裁に失礼ではありませんか?

2324ユタカ:2013/07/14(日) 23:18:44 ID:R1D4Jmeg
すぐ忘れちゃう人に何度も読んで頂きましょう。。。
>>2282

2282 :復興G:2013/07/13(土) 06:15:03 ID:AB6RqYXc

ユタカさま、あさひ様、皆さま、ありがとうございます。


 「行動」は、無鉄砲な、軽はずみな、心が一部にのみ引っかかっているような行動ではいけない、と思います。

 「抗争」であってはいけません。

>>全局(ぜんたいの場面)を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ、「対立」が残っているようなことでも思うようになりませぬ。<<

 とお教え頂いているのであります。

 自分の中に宇宙がある。自分は宇宙である。すべての根源なるものである。一切者である。だから、地球ぐらいは蹴とばすこともできるのである! 山に動いて海に入れと云うとも、必ず成るのである!

 ありがとうございます。

2325a hope:2013/07/14(日) 23:25:45 ID:edEDolt2
>>2321閲覧者Aさま

コメントありがとうございます。

<<彼の生命を生かして差し上げないと。
教団組織に和解するんじゃなくて、真理に和解ですよ。
人と人に和解してはいけない。
真理に和解することは、雅宣さんの生命を生かされることも、その1つです。
そこに、信徒は自ずから何をすべきか見えてくるでしょう。>>

というと、やっぱり、ストライキということでしょうか?
ストライキすることが、雅宣先生の生命を生かすことにつながるというのを、
もう少し詳しく説明してくださいませんか?

2326ユタカ:2013/07/14(日) 23:26:57 ID:R1D4Jmeg
>神の子を喜ぶ声が増えて大きくなると、いまの総裁の姿は用足りて消えるという考えは、総裁に失礼ではありませんか?

ほとんどの残留の信徒が皆さん、そのように思って我慢しているのに!!何を今更言うのか!!??

あなたは生長の家の信徒ではありませんね!!! どこの誰なんですか??? 教えに反する裁判をやってのけるのは誰なんですか??!! ご存知ない??


あぁ〜〜〜!!今日は夏みかん食べ過ぎた!!! アーーーー・・・スッパイ!!スッパイ!!!

ご苦労さん!!

2327a hope:2013/07/14(日) 23:28:07 ID:edEDolt2
>>2322 reiさま

組織に属さないわたしのような個人が「生長の家の教え」を信仰していくのであれば、
ただ、「人間神の子」を喜んで「生命の實相」をお勉強していればいいのかもしれません。

しかし、組織に属していると、人間って意外に洗脳されやすいものだと感じています。
雅宣先生の教えが最初はおかしいと感じていても他の皆が疑わずに信仰していると、
そんなもんだと感じてきて、だんだん本来の教えから遠ざかっていくようなきがします。

わたし個人的には何も問題はないのです。
ただ、こうしてこの掲示板にご縁があって、今「生長の家」の問題を直視している状態で、
わたしが何をすべきかを考えています。

この掲示板で、「おかしいこと(雅宣先生の教え)をおかしい、間違っている」と言い続けるのが、
今のわたしの使命のような気がしています。

2328トキ:2013/07/14(日) 23:30:56 ID:6oJ0A2W6
 ジブリの新作映画は、零戦の設計で有名な堀越二郎さんです。この零戦は、海軍がプランを出して来た時に、あまりにも矛盾するような要求が
多く、ライバルの中島飛行機が設計を断ったという話があります。こっちを立てれば、あっちが立たない、という要求でしたが、それを苦労して
両立する設計をなしとげ、零戦は世界最高の戦闘機になったのです。

 他にも、歌舞伎など、昔は女性が演じていたのが、ある時、突然、幕府が女性の歌舞伎を禁止したのです。それが契機で女形という形式で歌舞伎
は独自の発達をとげたのです。

 生長の家も、いわば組織が迷走を始めたのですが、それを凶とするか、吉とするかは、信徒の今後の言動によると思います。
これを乗り越えたら、生長の家はほんとうの世界宗教になると思います。

2329ユタカ:2013/07/14(日) 23:35:32 ID:R1D4Jmeg
いまの総裁の姿=裁判ってこと!! プラス兄弟親戚との抗争。 父親の通夜の席の行状。その他もっともっと現象的には最悪ということを言っているのでしょ。。。

何処が失礼だ?? 事実でしょ。

2330ユタカ:2013/07/14(日) 23:40:28 ID:R1D4Jmeg
フォローにまわっているのですが・・

>この掲示板で、「おかしいこと(雅宣先生の教え)をおかしい、間違っている」と言い続けるのが、
今のわたしの使命のような気がしています。

分かってないねーーー。 a hope さまは。↓

reiさまと私は一致していますがね。。。。

2331閲覧者A:2013/07/14(日) 23:42:43 ID:???
a hopeさん、一言言葉を添え忘れました。「組織、教団に留まり、内部から変革をしたいと思っている場合には、何らかのストライキが必要」だと思います。
あまり、ストライキという言葉に引っ掛からないで下さい。
ストライキを教団にあてはめれば、聖使命を納めないことも選択肢の1つでしょうが、例えば、生命の實相誌友会を復活したいと、署名運動を起こしたりすることも、内部変革の1つではありませんか?
ストライキという言葉を用いたのは、不適切でしたらお詫び申し上げます。
生長の家は拝の教えでありますが、表現するために生かされているのですから、なんでもハイハイ現象に従う教えではないと思うのです。

2332a hope:2013/07/14(日) 23:45:50 ID:edEDolt2
>>2330 ユタカさま

わたしわかってないですかね(笑)

でも、こうして現象をみて問題提起してみることで、
より多くの方のご意見が聞けるのも事実ですよね?

2333閲覧者A:2013/07/15(月) 00:12:34 ID:???
>>2326ユタカさん、私は末端の一信徒です。教団に所属していませんが、何せまだまだ学びが、これからの身です。
どこの誰かは、言った方がいいのでしょうか?住所氏名を明かす勇気はないので、お許しいただけませんか?

私は、雅宣さんの方針や過去の色々な言動を理解しているつもりです。正直、団体のトップとして、あるまじき行為だと憤慨しています。
しかしながら、信徒の人生は、総裁の責任にしてはなりません。信徒自身が責任をもって生かされていかねばなりません。信徒の信仰の責任を教団に求めることをしてはならないと思います。

教団信徒の方にも、色々な意見がありましょうが、「神の子の喜びが増えて大きくなると、いまの総裁の姿は用足りて消えると、我慢して残留している人が、多い」と言われますが、何故我慢されるのですか?我慢して雅春先生はお喜びなるでしょうか。

雅春先生は「生長の家のパテントは、皆さん1人1人に渡しましたよ。あなたにも。あなたにも。あなたにも。」とおっしゃいましたよね?

雅宣さんの言動には多々問題点あれど、経営者としては、社長と同じです。社長の意見に合わないならば、辞めるか内部変革を社員自身が行うしかないのではありませんか?

2334ユタカ:2013/07/15(月) 00:15:45 ID:R1D4Jmeg
閲覧者Aさま
>神の子を喜ぶ声が増えて大きくなると、いまの総裁の姿は用足りて消えるという考えは、総裁に失礼ではありませんか?

どうして失礼になると思いましたか?
私は、マサノブ総裁を観世音菩薩と見立てていると思っていらっしゃると思いましたが?

2335ユタカ:2013/07/15(月) 00:23:32 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

>>2232 わたしわかってないですかね(笑)

でも、こうして現象をみて問題提起してみることで、
より多くの方のご意見が聞けるのも事実ですよね?

>>この掲示板で、「おかしいこと(雅宣先生の教え)をおかしい、間違っている」と言い続けるのが、
今のわたしの使命のような気がしています。

a hope様の 使命はそこでは↑ないのではないですか?? そこを分かって欲しいと思います。

話題の提供には同感で感謝いたしますよ。。。

2337閲覧者A:2013/07/15(月) 00:25:38 ID:???
a hopeさん、私は真理に和解することは、雅宣さんの生命がいかされることと、書きましたが、ストライキすることが、雅宣さんの生命を生かすこととは、書いてないと思うのですが。

2338a hope:2013/07/15(月) 00:40:47 ID:edEDolt2
>>2335 ユタカさま

そうですね。
わたしの本当の使命は、そんなちっぽけなことではないかもしれませんね〜〜

と、ちょっと大きく出てみました(笑)

なんせ、人間無限力を悟れば、地球ぐらいは蹴とばすこともできるのですからね!

でも、わたしの経験(雅宣先生の教えで体調を壊したという)を生かすという意味においては、
それが、今現在のわたしの使命だと感じています。

これから、もっともっと「生命の實相」をお勉強して、ちゃんと「教え」を悟れば、
もっと大きな使命を果たせるかもしれませんね!

でも、それは神縁あって「生長の家の教え」に触れた皆さんに言えることですね!

2339閲覧者A:2013/07/15(月) 00:51:32 ID:???
ユタカさん、私は総裁を観世音菩薩と見立てて書いてはいません。

総裁は、一団体のトップであり、最高責任者です。
総裁は、総裁自身の考えで、教団を経営されています。
そして、雅宣さんの人生は雅宣さんの責任であります。
雅宣さんの人生の責任において展開されている雅宣さんの人生に対して、「信徒が神の子の喜びを大にしていけば、総裁のいまの姿は用足りて消える」と、教団信徒さんが所属している組織のトップに対して言うのは、失礼ではありませんか?
しかしながら、教団信徒さんのなかで、現状を知らない人には、私は真実を語り歩いています。

私は、所属している、学ぶ会の代表の先生方には、感謝の思いで一杯です。
今日はこれ以上書けません。もし何かありましたら、その際には他の板に書きます。

2340a hope:2013/07/15(月) 01:01:42 ID:edEDolt2
>>2337 閲覧者Aさま

本当ですね。
読み直してみると、わたしの早とちりですね。
大変失礼いたしました。

ユタカさま宛ではありますが、>>2333のご意見には、深く同意させていただきます。

「本当の和解は互にこらえ合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ、
こらえたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ、
感謝し合ったとき本当の和解が成立する、・・・」

という「大調和の神示」の文章は、とても大切だと感じています。

我慢の上に成り立つ和解は、本当の和解ではなく、むしろ我慢してる方の潜在意識に、
恨み、憎しみ、怒りなどの悪感情が抑圧されていくのだと思います。

ならば、どうしたら相手に感謝できる心境になれるかといえば、
やはり、我慢せずその時の自分の心(神の心)に正直な行動をとるべきだと感じています。

そしてその行動の現れは、その人その人によってちがうのでしょうね。

2341ユタカ:2013/07/15(月) 02:20:59 ID:R1D4Jmeg
閲覧者A様

観世音菩薩と見立てた方は閲覧者Aさまではありませんことは充分に分かっております。

>雅宣さんの人生の責任において展開されている雅宣さんの人生に対して、「信徒が神の子の喜びを大にしていけば、総裁のいまの姿は用足りて消える」と、教団信徒さんが所属している組織のトップに対して言うのは、失礼ではありませんか?

上記の場合、雅宣総裁に誰も言いにいきませんよ、信徒である一人一人の雅宣総裁への見方、即ち教えに反するように見える行為に見える自分の観方は、自己内部神性の光明で照らして観ていくという事を申しております。
あくまでも、自己の神性開発ということでありまして、総裁と直接関わりはありませんが?

>しかしながら、教団信徒さんのなかで、現状を知らない人には、私は真実を語り歩いています。

そうですか。私は現状を知らない人はそう数は多くないと思います。学ぶ会が活躍されていますから。
現状を知らない人などは、深く真理も知らない人だと思いますので、そのような方々に現象のこと、裁判や悪口を言うと、結局嫌気がさして、教団にも学ぶ会にも距離を置くのではないでしょうか?
そういう方々にこそ、本当の生長の家の御教えを正確にお伝えしてあげたら、其のほうが早く現状を認識してさらに信仰を深化させていけるものと信じます。

学ぶ会ならば、自由にのびのび、普通に嬉しい楽しいでしょうが、教団では、長い信徒はみな苦悩しているのは事実です、残念ですが・・・・ ですがそこが修行の正念場です、この御教えを深く正確に学べるなら
明るくやっていけるでしょう。 大体、深く学びたい人はこの間の地方講師の先生のように教化部長と副代表の前原先生に許可を頂いたりして靖国見真会で勉強してくるのですから・・・ご心配なく。。。

雅宣総裁は総裁自身の展開で、天災や裁判、インターネット悪口か書かれたりなど、相当に自分自身の展開で生活されていらっしゃいますから、閲覧者A様も自己の展開になられるでしょう。

学ぶ会なら大丈夫、神殿があるのですから。。。そしてWEB誌友会でみんな一つと教えていただきました。

教団も他団体も神様にとって一つ。みんな住吉大神様に愛されている。。持ち場持ち場で大光明を発するの事が使命でしょう。これだけが事実であると思います。

2342rei:2013/07/15(月) 08:29:47 ID:ZIftZ1jM
おはようございます。

ユタカさま
そうです、そうです。
私は総裁に向かって言ったのではありません。
なんで総裁に失礼になるんだろう?って考えていました。
正確に読んで下さり感謝です。

それにしても
閲覧者Aさまに向かって
「あなたは生長の家の信徒ではありませんね!!!どこの誰なんですか???」
と言われたあなたはとてもカッコよかったです。
ありがとうございました。

合掌

2343a hope:2013/07/15(月) 10:41:27 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

>>2341 ユタカさまの閲覧者Aさまへの発言ですが、

<<私は現状を知らない人はそう数は多くないと思います。学ぶ会が活躍されていますから。
現状を知らない人などは、深く真理も知らない人だと思いますので、そのような方々に現象のこと、
裁判や悪口を言うと、結局嫌気がさして、教団にも学ぶ会にも距離を置くのではないでしょうか?
そういう方々にこそ、本当の生長の家の御教えを正確にお伝えしてあげたら、
其のほうが早く現状を認識してさらに信仰を深化させていけるものと信じます。>>

この前半部分のお言葉にはほとんど同感ですが、ひとつだけ、<<現状を知らない人はそう数は多くないと思います。>>には首を傾げてしまいます。
教団に在籍されている、多くの白鳩会員さまは現状をご存じないように見受けられますが・・・。
特に、年齢が上の方々でパソコンを使わず、長年、聖使命会費をご家族、親せき、知り合いの方々の分まで、
沢山納められてこられたような方々です。(はっきり言えば、今の教団を経済的に支えていらっしゃる方々です)

わたしはそのような方々に、今現在の教団の状態、つまり雅宣先生が今までどんなことをされて、
これから何をなさろうとされているのかをしっかりご説明してあげるのは、本来であればそれは教団サイドの義務であると思っていますが、
実際には、意図的であるかどうかはわかりませんが、それがされていないわけですから、
その代わりに、閲覧者Aさまのような心ある信徒の方が事実を伝えてあげるのは素晴らしいご愛念だと思います。

ですが、教団にいる多くの白鳩会員さま方が「学ぶ会」や「ときみつる會」と聞いただけで嫌悪感を示すというのも事実だと思います。

だったら、現教団に在籍していて事実をご存じの信徒の方々が、「森のオフィス」や「裁判」に関する正確な情報等を、
何もしらない白鳩会員さま方にお伝えして差し上げたらいいのではないでしょか?

信じがたいことですが、本当はすべての信徒の方々にはご自分の納めている聖使命会費がいったいどんな風に使われているのか、
正しい情報を知る権利があり、そして教団側にはしっかりわかるように知らせる義務があるにも関わらず、それがなされていないようですので。
(つづく)

2344a hope:2013/07/15(月) 10:43:02 ID:edEDolt2
(つづき)

そして上のユタカさまのご発言の後半部分ですが

<<そういう方々にこそ、本当の生長の家の御教えを正確にお伝えしてあげたら、
其のほうが早く現状を認識してさらに信仰を深化させていけるものと信じます。>>

このご発言に関してですが、

大自然讃歌や観世音菩薩讃歌が平然と読誦されるようになってしまった現教団で、それは可能でしょうか?
いくらわたしたちがここで復興Gさまから『本当の生長の家の御教え』を学んでも、
ニセのお経や、誤った教えがはびこりだした教団で伝道していくのは、わたしは自分自身の経験から不可能に感じています。

なぜならそれは結果的に二元論を信徒に伝道することになり、伝道された方々の魂を深く迷わせる結果になると思うからです。
わたしは、今、大切なのは<<本当の生長の家の御教えを正確にお伝え>>する場所を確保することだと感じています。


そう考えたので、>>2320の発言を、雅宣総裁と、本部関係の方々に向けてご提案させていただきました。
以下、再掲載させていただきます。


2320 :a hope:2013/07/14(日) 21:29:37 ID:edEDolt2

宇治の長田先生という方は、ご講義で一人の男性の魂を救われ、
結果、その男性の病気という「本来ないもの」が現象からも消えました。
そして、その魂を救われた男性は、ご自分の体験を生かして他の癌患者の魂を救う使命を果たされています。

これが、本当の生長の家の「人類光明化運動」なのではないのですか?


一方、雅宣先生は今、何をなされているのでしょうか?

わたしは、雅宣先生は「生長の家」と信徒を愛していらっしゃると感じています。
ですが、本来の「生長の家の教え」とはかけ離れた方法でその愛を表現されようとしていらっしゃる。

練成道場もない森のオフィスで、雅宣先生はご自分のやりたいことをされたらいいのではないでしょうか?
そしてその代わりに、宇治別格本山や長崎総本山や他の練成道場の練成会は、
本来のままにそっとしておいてくださいませんか?

2345ユタカ:2013/07/15(月) 11:57:31 ID:R1D4Jmeg
>教団に在籍されている、多くの白鳩会員さまは現状をご存じないように見受けられますが・・・。

a hope様は何年同じ支部に所属して、どんな奉仕をされたのでしょうか?
教区でよく顔をあわせ、練成のお手伝いや講習会には実行委員として立たれましたか?
そうやって、会員同士仲良くしているならば、みなさんは本音をいいますよ。
a hopeさまはどのようにして白鳩の会員さんが現状を知らないと言われたのでしょうか?
勿論、私とて、入信したての人に組織の事を質問されても、知らん振りしていますがね??

特に、私の教区では、私の知り合いの中で、何も分からない、知らないなどという人は誰もいませんよ。。。
特に普段から教団擁護を発言しているのに、こっそり学ぶ会の全国大会にちゃっかり参加していたらしいですので、笑ってしまいました。

それほど、学ぶ会は盛んですし、信徒にとっては魅力でしょう、内容が。。。

それから、真理を学ぶ場も、人それぞれ確保されております。
自分の誌友たちと生命の実相の輪読会や読経、写経と様々。

それから、うちの総連の中で、もう引退しているお年寄りは、とっても情報が早く、いろいろなことを知っていながら、悠々自適、どーんと構えていらっしゃいます。
真理も充分ご存知で、個人指導能力も高いですが、高齢で引退、それでも、月一回は自分の誌友にやらせている誌友会に参加し影から操っています。
どういう風に操っているかというと・・・・
今日は、Bタイプ、来月もBタイプと、60歳過ぎた方の趣味の会にしています。 それは、がむしゃらに若いころに奉仕や出講伝道に励んできたから、私は神様からのプレゼントの時間なんだな、と微笑ましくみています。

話が脱線しましたが、教区でも自分の道場を持ってただしく真理普及している『場』はまだまだ沢山あります。教団の中でも。

正しく真理を学んでいれば、新経など何でもありません。
偽教など、 ニセモノハ やがて消えてゆく運命にあるのですから。

いかがでしょうか?

2346ユタカ:2013/07/15(月) 12:00:04 ID:R1D4Jmeg
reiさま

応援をありがとうございます。

教も一日明るく元気によろこでイキイキ生活していきましょう!

2347閲覧者A:2013/07/15(月) 12:00:17 ID:???
ユタカさん、地元白鳩でも有名講師で活躍中のある先生は、社会事業団をご存知ありませんでした。学ぶ会や、ときみつる会もご存知ありませんでした。裁判も生長の家関連の第三者が行っていると思われてました。
パソコンも何も情報源がなく、情報は教化部からのお知らせと機関誌のみという、そういう方がまだいらっしゃるのです。現に最近もまだ、いらっしゃったのです。
生命の実相が品切れになっていってる言っても、信じない「そんなバカな、そのうち出てくる」と言われる方もいらっしゃったのです。
どこか別世界のお話だと、受け付けない方もいたのです。
ですから私は真実をお伝えするばかりです。雅宣さんの悪口や様々な過去の言動など低次元な話は無意味ですし、そういう無意味な話はしようと思いません。

2348ユタカ:2013/07/15(月) 12:33:08 ID:R1D4Jmeg
>ユタカさん、地元白鳩でも有名講師で活躍中のある先生は、社会事業団をご存知ありませんでした。学ぶ会や、ときみつる会もご存知ありませんでした。裁判も生長の家関連の第三者が行っていると思われてました。
パソコンも何も情報源がなく、情報は教化部からのお知らせと機関誌のみという、そういう方がまだいらっしゃるのです。現に最近もまだ、いらっしゃったのです。

珍しいですね。。。 冗談みたいです。

少なくとも、私の知り合いの中では、時代に乗っていない方はおりません。地域によって違うのでしょうか?

いろいろと魂の段階もあるようですから、ひとそれぞれでその自身が自身の運命の責任者ですから、、、ありがとうございます。

2349a hope:2013/07/15(月) 13:06:10 ID:edEDolt2
>>2345 ユタカさま

<<a hope様は何年同じ支部に所属して、どんな奉仕をされたのでしょうか?
教区でよく顔をあわせ、練成のお手伝いや講習会には実行委員として立たれましたか?
そうやって、会員同士仲良くしているならば、みなさんは本音をいいますよ。
a hopeさまはどのようにして白鳩の会員さんが現状を知らないと言われたのでしょうか?
勿論、私とて、入信したての人に組織の事を質問されても、知らん振りしていますがね??>>

4年前に入信した時は、わたしはまことの新人でしたから、ユタカさまのいうように質問をしても適当にあつかわれ、
何も知らないうちに組織の歯車の一つにされそうになりましたよ(笑)

実際に、講師の先生がわたしの知り合いに小声で、
「いいから、何にもわからないうちにお役をつけちゃえばいいのよ・・・」とわたしのことを話しているのを聞いてしまい、
組織に対する不信感を増大させましたし・・・。

ユタカさまの言う「会員同士の本音」というのと、わたしのいう「現状」とはなんとなく違う内容のような気もしますが・・・

組織に長く属していなわたしが、今の教団組織の現状をどうして把握しているかはいえません。
身ばれがしてしまいますから・・・


<<話が脱線しましたが、教区でも自分の道場を持ってただしく真理普及している『場』はまだまだ沢山あります。教団の中でも。
正しく真理を学んでいれば、新経など何でもありません。
偽教など、 ニセモノハ やがて消えてゆく運命にあるのですから。
いかがでしょうか? >>

そうなのですか。
それは、とてもうれしい情報です。

ニセモノはやがて消えゆく運命ですね・・・わたしが消えちゃったりして・・・(笑)

いずれにしても、明るく前向きに信仰していくことは大切ですよね!
でも、その上で、これからも思うことを素直に発言させていただきます。

いつも感じていますが、この掲示板は沢山の生長の家の先輩方が閲覧してくださっていて、
もし、わたしが間違った発言をしたり、増上慢になったりしたら、きっとどなたかがご注意してくださったり、
警告してくださると信じているからです。
ユタカさまもそのおひとりです。
ですから、いつも心から感謝しています。

2350ユタカ:2013/07/15(月) 14:07:15 ID:R1D4Jmeg
>実際に、講師の先生がわたしの知り合いに小声で、
「いいから、何にもわからないうちにお役をつけちゃえばいいのよ・・・」とわたしのことを話しているのを聞いてしまい、
組織に対する不信感を増大させましたし・・・。


それは、嫌な思いをなさましたね。 ですが、私もそうでした、嫌な言い方するな〜。と思いましたが、私は「神様に奉仕したい」からやる。と決意してお役につきました。そして神様のお役に立って奉仕させて頂くうちにいろいろな事が学べました。
知り合いも増えて有難いことでした。 a hopeさまのところは教化部から遠い地域ですか? 私は、学ぶ会か教化部やどちらかの団体に所属することをお勧めします。

学ぶ会が3ヶ月の無代神誌進呈などされていますから(今は終了したかも?)それはスゴイ勢いがありました。。。 そういうのが、届いていない人もまだいるのですね。

2351ユタカ:2013/07/15(月) 14:34:30 ID:R1D4Jmeg
>>2227

○常に生活が引き算になってはいけない。加え算にしなくてはならぬ。「これをしては他の迷惑になりはしないか。あの人は自分を迷惑がってはいないか」などと消極的に引っ込んでしまってはいけない。愛しよう、喜ばそう、為になろうと積極的に加え算になるようにすれば他をもいかし自分をも生かす。(智慧の言葉)


素晴らしいからもう一度貼ります。

2353曳馬野:2013/07/15(月) 17:49:45 ID:TZ2/719s
a hopeさん

>>この掲示板で、「おかしいこと(雅宣先生の教え)をおかしい、間違っている」と言い続けるのが、今のわたしの使命のような気がしています。

>>大自然讃歌や観世音菩薩讃歌が平然と読誦されるようになってしまった現教団で、それは可能でしょうか?
いくらわたしたちがここで復興Gさまから『本当の生長の家の御教え』を学んでも、ニセのお経や、誤った教えがはびこりだした教団で伝道していくのは、
わたしは自分自身の経験から不可能に感じています。


「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」の何処が可笑しいのでしょうか?
ここに参加されている人達が皆さん揃って可笑しいというので、今読んでみました。
一言一句可笑しいところは有りません。このような生き方のできる生長の家でなければいけないと私は思いました。
汝ら『人間神の子』の自覚より更に進んで『神の子人間』の自覚に入るべし。との続々甘露の法雨の言葉をよくよく味わい体得することが必要だと思います。
「人間神の子」には現象の残滓がありますが『神の子人間』には現象の残滓は有りません。

私も妻も昭和45年ごろに生長の家に触れ、51年の青年全国大会には当時二泊三日の大会でしたが、九段会館に泊まっての参加者が270名余、
一日参加者を含めると300名余の参加者を、私が青年会事務局長、妻が女子部長として(結婚はその年の秋でしたが)雅春先生の膝下にお連れしたのです。
雅春先生に会う機会の最後になる全国大会であるとの思いでした結果、過去最高の参加者でありました。

当時『限りなく日本を愛す』『我ら日本人として』『日本を築くもの』『聖なる理想国家国民』古事記と現代の予言』『美しき日本の再建』『わが憂国の戦い』等読み耽りの生活でした。
ですから愛国主義者の云わんとすることは理解はします。
しかし古代から日本民族は善悪正邪という言葉を使わず、善くない心を「きたなき心」といい善き心を「清く明き心』といい「汚れる」「気涸れる」ことを嫌いました。
霊の本の中心帰一の理念の天下りはこの日本に顕れてはいますが、現実の日本が中心であると言いつのれば諸外国とは調和が取れないでしょう。
一人一人が汚れることなく気涸れることなく、自然との調和の内に生活し、神明に感謝を奉げつつ生活した、その結果として皇統連綿の日本国家が顕現して来たものと私は思います。

小泉八雲は日本に来てこんなに心のきれいな民族は世界に無いといい、日本に帰化したのであります。
光明思想が個人の欲望実現のために利用されようとしていると観るのは間違いでしょうか?
現象が先に立てば実相と云いつつも、穢れの世界であります。『人間神の子』の世界であります。
『大自然讃歌や観世音菩薩讃歌』は『神の子人間』の世界であります。

私たち夫婦は20年程特志家族です、その前はもちろん什一会員でありました。その献資が国際本部の建設に使われることに何らの異議はありません。
妻は雅宣先生の代に準教務になり、教区の練成会の司会等のお手伝いをし、白鳩会の教区副会長をしています。ここ五年程はほぼ毎日教化部の早朝行事に出ています。
妻は頭の回転の良くない人ですが、素直に素直に40年にわたり生長の家についてきました。心の底から中心帰一です。本流なる人々は生長の家でないと私は断言してはばかりません。
「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」は全く正しい生長の家です。

2354神の子さん:2013/07/15(月) 18:27:02 ID:???
 トキさんが下記に記したようまず、文法がおかしいんだよ!!!
** 盲信はやめろ!マサノブ氏が
一番嫌うことだ!
** それとも文法など問題ではない!内容だ〜とまるでカルトか〜*
**
** >>一時、文法的に間違いが多い、と指摘された「新経本」ですが、見ると、まだおかしな部分が多いです。
それと、以前も言いましたが、亡くなった人が、『新経本だけはやめてくれ」と化けて出て来た、という
話もきいています。

 私は、根本的な解決は、教団が本流復活派と和解をして、聖経を使えるようにすることだと思います。
こういう新経本を読ませるのは、とんでもない間違いだと思います。

 ただ、現実には、経本を読む事が義務化されているのも事実です。教区によっては、誌友会で講師が読む事が義務化されているというところもあるみたいです。しかし、現実には、『私は読まない」と公言する人もいて、それが今の段階では黙認されています。<<

2355a hope:2013/07/15(月) 19:27:17 ID:edEDolt2
曳馬野さま

とりあえず、
<<「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」の何処が可笑しいのでしょうか?>>
へのご質問のお答えは、

わたし a hopeの投稿 >>2221 >>2222
復興Gさまのご投稿 >>2225 >>2226

をご覧ください。


その上で、曳馬野さまが

<<「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」は全く正しい生長の家です。>>

と心から思われるのであれば、わたしは何もいうことはありません。
本流の方々の愛国運動(政治運動)に関しては、わたしも今まで自分の意見をたくさん述べてきました。
その時感じたことを率直に投稿してきましたが、自分が本当に正しいかはわかりません。
閲覧者さまにご判断していただくしかないと思っています。

<<私たち夫婦は20年程特志家族です、その前はもちろん什一会員でありました。その献資が国際本部の建設に使われることに何らの異議はありません。
妻は雅宣先生の代に準教務になり、教区の練成会の司会等のお手伝いをし、白鳩会の教区副会長をしています。ここ五年程はほぼ毎日教化部の早朝行事に出ています。
妻は頭の回転の良くない人ですが、素直に素直に40年にわたり生長の家についてきました。心の底から中心帰一です。>>

素晴らしいひたむきな信仰姿勢だと感じます。
でしたら、もしかしたらこういう『「今の教え」と「本流復活」を考える』と名前がついているような、
掲示板はご覧にならない方がいいのかもしれませんね。

2356a hope:2013/07/15(月) 19:33:13 ID:edEDolt2
曳馬野さま

>>2236 >>2237にも「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」についてのわたしの意見を投稿してありますのでご興味があればご覧さい。

2357トキ:2013/07/15(月) 19:37:16 ID:LMGO1Q8s
曳馬野 様

 ご投稿、ありがとうございました。久々の総裁援護派の参戦(?)、心から歓迎申し上げます。

 この私でも、援護をするのを諦めているのですが、さすがは先輩、堂々たる態度での援護意見を
開陳して下さり、感激しています。

 個人的には、ご意見には賛成しませんが、管理人としては、感謝申しあげます。
今後とも、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

2358ユタカ:2013/07/15(月) 20:11:24 ID:R1D4Jmeg
>「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」は全く正しい生長の家です。


@ >> 正しい、正しくない << と言う問題ではないでしょ。。。 「正しいのは「甘露の法雨」だけ」

@ 教団にあった「甘露の法雨」を今まで使用していたのに、わざわざいちゃもんつけて使えなくしたのはだ〜〜れだ??

@ どうして使えなくなってしまったんでしょーーーねぇ?? な〜〜〜んでだ??

2359a hope:2013/07/15(月) 20:46:16 ID:edEDolt2

>>2358 あっ ユタカさま!

今夜の 23時が、第15回web誌友会の終了時間ですね。
ユタカさま、閉会のお祈りをお願いしてもいいですか?

もしかしたら、ユタカさまはこのweb誌友会では、
聖典「生命の實相」の内容だけに徹底してお勉強されたかったのかもしれませんね。
それなのに、わたしが現象に関する問題提起を数回にわたりしてしまい、
途中論争のようなことにもなってしまいすみませんでした。

ですが、わたしは「生命の實相」をお勉強すればするほど、「雅宣先生の教え」のおかしさに気づいてしまうので、
それは仕方ないことなのかなあとも思います。

『「虚説」には「真説」をもって相対せよ。』
ですから、これからも生長の家の真説、「生命の實相」のお勉強を頑張りたいと思います。


復興Gさまは、昨日から登場されていませんが、最初のコメントで、
ご講義のまとめをweb誌友会の後にしてくださるとおっしゃっていたので、
きっとそのうちご登場されると期待しています。

それにしても、12日から15日までの4日間長かったですね〜〜

4日間期間の言い出しっぺの「訊け」管理人さま、
わたしとユタカさまに、いつかきっと、クリームあんみつをおごって下さいよ(笑)

2360復興G:2013/07/15(月) 22:25:55 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

>>それにしても、12日から15日までの4日間長かったですね〜〜<<

トキ様、a hope 様、ユタカ様、あさひ様、rei様、閲覧者A様、曳馬野様、そのほか皆々様。

本当にお疲れさまでした。

私は昨日・今日、今まで登場できなくて、ごめんなさい。

ユタカさまの謹写して下さった「無病常楽の神示」ご講義から、ご投稿文、貴重なご発言、すべてプリントアウトして、丁寧に拝読しています。

まずは、近々に投稿して下さった>>2353 :曳馬野様のご投稿は、a hope 様あてになっていますが、私も「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」はニセ経だ、と言ってきました。(>>2226

>>私自身この『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』を読んでみての感想は――

聖経『甘露の法雨』には、「完全なる神」 のみ実在であると書かれているのに対して、「讃歌」なる詩は現象をありとする方から書かれていて、立ち位置がちがい、聖経とは全然ちがうものだと思います。文法的にも、文語的な表現に口語的表現が混入していて不統一で、おかしいです。

 これは、ただの長編詩ではなく、聖経に似せてつくった 「似せ経」 であり、[人為]的に作った「偽」 経であると思います。([人為]を一字にすると[偽]になる)<<

 と書いていました。

 それで、曳馬野様のご投稿に、

>>「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」の何処が可笑しいのでしょうか? ここに参加されている人達が皆さん揃って可笑しいというので、今読んでみました。

一言一句可笑しいところは有りません。このような生き方のできる生長の家でなければいけないと私は思いました。<<

とありましたので、私も、総裁の「唐松模様」に掲載されたもののプリントを取り出して、もう一度読んでみました。私は、経本型になったものは、買う気がしないから、買っていません。

感想は、前にもまして、「これはおかしい」と感じました。

頭だけで、言葉と体裁を聖経にある程度似せて作られたニセ経で、文法的にも、文語の中に口語的表現が入り交じった、まったく変な日本語です。こんなものを青少年に読ませたら、誤った変な国語を習わせることになり、絶対にいけません。私自身は、読めと言われても絶対に読みません。

そうは言っても、よくできているなと感じたところもあります。それは「観世音菩薩讃歌」の締めくくりの部分です。

しかし、その部分でも、「雲晴れるが如く」の「晴れる」というのは口語で、文語なら「晴る」が終止形で、「晴るるが如く」が正しい。

助詞の使い方もおかしいです。文語では、主語の後には助詞を付けないのが普通ですが、目的語のあとには「を」をつけます。

「すべてのもの
観世音の教え説かざるはなし」
は、

「すべてのもの
観世音の教えを説かざるはなし」

が正しく、

「陽光映してきらめく様は、……」
は、

「陽光を映してきらめく様は、……」

が正しいのです。

文法的におかしいと思うところは、ほとんど毎ページごとにざらにあります。こんなものをありがたがって読むなど、嫌悪感をもちます。

率直な感想を申し上げました。

2361復興G:2013/07/15(月) 22:54:09 ID:AB6RqYXc

a hope 様。

>>2293 の投稿文は、わかりにくいところがありましたが、その後のご投稿をよく読んでいたら、だいたいわかりました。

>>今、わたしは自分の使命を感じています。
それは、「生長の家の教え」で病気を克服したり、生活苦を解消したり、人間関係を改善したりした人たちがその後、使命感をもって、伝道に励まれるのと同じ気持ちなのではないかと思います。

わたしは、これから「生長の家の教え」はそんなんではないのですよ! と、声を大にして発言していかなければいけないような気がしています。<<

――この前半のところは、>>2318で引用された、宇治の体験集より*Hさんの体験 そして>>2320

>>宇治の長田先生という方は、ご講義で一人の男性の魂を救われ、結果、その男性の病気という「本来ないもの」が現象からも消えました。そして、その魂を救われた男性は、ご自分の体験を生かして他の癌患者の魂を救う使命を果たされています。これが、本当の生長の家の「人類光明化運動」なのではないのですか?<<

――と書かれた。a hopeさまの使命感は、このHさんと同じ気持ちなのではないか、ということですね。

そして後半の、<「生長の家の教え」はそんなんではないのですよ! と、声を大にして発言していかなければいけない> の、“そんなんではない” というのは、雅宣総裁の説かれるようなものではない、という意味なのですね。

ちょっとわかりにくかったけれど、わかりました。


さて、テキスト以外ですが、『新版 真理』 第3巻のご教示

<< (香厳上樹) 口で樹の枝にぶらさがっていて、さあ返答せよと云われる場合、口をひらいたら千仞(仞は一尺の八倍。八千尺)の谷底に落ちると云うが、それは自分で、自分の手は動かないと信じて、自分の手で枝を握ることを忘れているだけのことであります。

 この「動けるだけの力を、その時、その場、その人に適する相(すがた)に動かす」と云うことは、是こそ禅の極意なのであります。

 「禅機の把握」と云うことは「全機の把握」でありまして、全体に行きとどいてあらゆる点を動かし得ることであります。これは心が全相(あらゆるすがた)に達したときに出来るのでありまして、心が一部にのみ引っかかっているときには、その引っかかっていることに気をとられて、他になすべき道が無数にあるのに、それを行なうことが出来なくなるのでありまして、自分で自分の力を「これ位のもの」と限ってしまうから二進も三進も(にっちもさっちも)行かなくなるのであります。

 そこで全局(ぜんたいの場面)を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ、「対立」が残っているようなことでも思うようになりませぬ。

(中略)

 「何故お前は本来神の子であるのに、脚を擡(もた)げてこの宇宙全体を蹈翻(けとば)すことが出来ないのか、出来るではないか」と云う強い自覚を促す言葉がここに書かれているのであります。

 本当にあなたが自分自身の無限力なる「神性」を自覚したならば地球ぐらいは蹴とばすことが出来るのが当り前なのであります。キリストも「もし芥子種(からしだね)ほどの信だにあれば、この山に動いて海に入れと云うと雖も、必ず成らん」と教えているのであります。これが生命の実相をさとった境地であります。 >>

――このご教示をかみ締め、皆さまのご投稿文を拝読しながら、今、自分は何ができるか、何を為すべきかを沈思黙考しておりました。
<つづく>

2362復興G:2013/07/15(月) 22:54:53 ID:AB6RqYXc

<つづき>

行動は、「風林火山」 ――

「疾(と)きこと 風の如く
徐(しず)かなること 林の如し
侵掠すること 火の如く
動かざること 山の如し」

という神想観の極致の境地で参りたいと思います。

それは、「絶対無」 の境地。

<<「自分」といふものがある間は「自分」と「他」と、或いは「自分」と「神」とが対立してゐる。

 対立は摩擦であるか、絶縁であるか、どちらかで、ピッタリ「一つ」になることが出来ない。先ず自分がなくなることが必要である。「自分」がなくなり、カラッポのパイプの中へ水が流れいるように「神」を流れ入らしめたら、「吾が一変し、天地が一変し、人生はただ、歓びの讃歌にみたされるのである。>>
(「無病常楽の神示」ご講義<ユタカ様ご謹写>より)

そして、
「闇に対しては光をもって相対せよ」 である。

○常に生活が引き算になってはいけない。加え算にしなくてはならぬ。「これをしては他の迷惑になりはしないか。あの人は自分を迷惑がってはいないか」 などと消極的に引っ込んでしまってはいけない。愛しよう、喜ばそう、為になろうと積極的に加え算になるようにすれば他をもいかし自分をも生かす。(智慧の言葉)

○古事記神話に、イザナミノミコトが「一日千人くびり殺す」と言われたら、イザナギノミコトは「では、千五百の産屋を建てよう(千五百人生みだそう)」と言われたように。

――それで、具体的に、如何なる行動をするか。

私は、今、「web誌友会参考文献板」 に掲示中である榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動論』 を本にして出版し、心ある生長の家幹部・信徒すべての方々に読んで頂きたいと思う。

そんな思いが湧いてまいりました。

これについては、トキ様が、「本当に、今、求められる内容だと思います」と書いて下さり、
a hope 様も
>>榎本恵吾先生の――『神癒の展開としての人類光明化運動』 ―― をプリントアウトしてゆっくり拝読し直しました。そうすると、それ自体が「生長の家の教え」(『生命の實相』)の現代版解説書のように思えてきました。

 わたしが今まで疑問に思ってきたことへの回答が、スパッと書かれていて目から鱗が落ちていくようです。
これは、すごい真理に満ちた御文章だと感じています。<<

 と書いて下さっていました。

 ユタカ様、皆さま、どう思われますか。

 私は、これからの課題、目標として行きたいと思います。

 あ、もうこのweb誌友会、終了の時間ですね。

 皆々様、本当に、本当にありがとうございました。

 合掌 礼拝

2363ユタカ:2013/07/15(月) 22:59:15 ID:R1D4Jmeg
閉会の御祈りは前回は復興Gさまが素晴らしい言葉と共になさいました。
今回は私でいいのでしょうか?

では、光輝く第15回WEB誌友会を閉会いたします。ご指導くださいました復興G様、参加者の皆様、有難うございました。神様の祝福のシャワーを頂いた素晴らしいWEB誌友会となりましたことを感謝申し上げます。


世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

ありがとうございます。ありがとうございます。 終わります。

2364ユタカ:2013/07/15(月) 23:00:22 ID:R1D4Jmeg
あ、復興Gさま、すみません。

お続けくださいませ。。。

2365a hope:2013/07/15(月) 23:05:38 ID:edEDolt2
復興Gさま 

素晴らしいまとめのお言葉をありがとうございます。


ユタカさま 

閉会の祈りをありがとうございます。


トキさま

いつもあたたかく見守ってくださっていてありがとうございます。


ご参加、閲覧してくださった「生長の家」のみなさま

最後までお付き合いくださりありがとうございます。


今回のweb誌友会もたくさんお勉強させていただきました。

心より感謝いたします。

合掌。

2366復興G:2013/07/16(火) 07:51:16 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

昨夜まで長丁場のweb誌友会にお付き合い下さいました皆さま、本当にありがとうございました。

ところで、曳馬野さんに、ちょっとご質問をしたいと思います。

「本流なる人々は生長の家でないと私は断言してはばかりません」 と書かれていました。

あなたは谷口雅宣総裁を支持する生長の家教団の幹部でいらっしゃると思います。

総裁が機関誌 『生長の家』 の八月号に書かれている 「対称性の論理を学ぶ」 を読みますと、

「牛でないものが人間であり、牛は人間ではない――これが非対称性の論理です。」

と書かれています。

その論理から言うと、

「本流なる人々は生長の家でない」

というのは、非対称性の論理である、ということになりませんか?

2367復興G:2013/07/16(火) 07:54:35 ID:AB6RqYXc

曳馬野さま

私は今日 日中は出かけますので、PCを開けるのは夜になりますが、私の質問にお答え願えれば幸せです。

よろしくお願いいたします。

2368トキ:2013/07/16(火) 09:53:03 ID:csJKRmmg
復興G様、運営の皆様、参加者の皆様、ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

2370曳馬野:2013/07/16(火) 18:21:54 ID:TZ2/719s

「本流なる人々は生長の家でない」
というのは、非対称性の論理である、ということになりませんか?

その通りです。調和を言いながら分離したものの見方をしていると云いたいのですか?
対称性として生命の実相の共通性があるのは言を俟たないです。
曳馬野のハンドルがどうタラつまらんことを言う人が本流だと云うから、
そんな対象を分析するような心の使い方をする人たちは生長の家でない、と申し上げました。

生命の実相など何も知らなくても、ここに本来の心があるのですから、素直であればそれは働きます。
素直であれば、印税を恒久的資金として事業団に与えたのであることは論を待たない、
自分の意に染まないからと生命の実相の書を人質に取ることが人の道とは考えられません。
つまり雅宣先生は異端であると、生命の実相の中途半端な理解に基づく行動をとり分離の行動をとった人たちが本流と申し上げたのです。

2371復興G:2013/07/16(火) 19:33:50 ID:AB6RqYXc

>>2370 :曳馬野さま

お気持ちは、わかりました。
ありがとうございました。

2372復興G:2013/07/18(木) 11:35:56 ID:AB6RqYXc

曳馬野さま。

>>2371 のつづきです。

私は、“本流”が全面的に正しいとは思っていません。「学ぶ会」に入会する気はないし、「学ぶ」誌の購読を勧められても拒否して、一度も購読したことはありません(頂いて読んだことはありますが)。

>>曳馬野のハンドルがどうタラつまらんことを言う人が本流だと云うから、そんな対象を分析するような心の使い方をする人たちは生長の家でない<<

とおっしゃるのは、同感できます。

しかし、「本流なる人々は生長の家でない」 と断言して、元の同志であった人々を不倶戴天の敵として争うようなのが生長の家なのですか? そんなことで、「万教帰一」が成り立つのですか?

私は去る5月、○○高校卒業後61年余の傘寿(80歳)記念同期会に115人集まった話は>>1223・1224に書きましたが、途中20年あまり同期会に出ていなかった(生長の家の運動に没頭していたため)時期がありました。退職して同期会に出るようになったとき、みんなから訊かれました。

「お前は、なぜそんなに“生長の家”をやっているんだ?」と。

「俺は、生長の家の教えによって、人間は死んでも死なない生命だとはっきりわかったから、今もこんなに元気で生き生きと生かされている。
そして、生長の家は万教帰一で、究極の世界平和の鍵を握る教えだ」

と言ったら、

「生長の家は今、分裂しているそうじゃないか。お前はいったいどっちに属しているんだ?」

と来ました。

それが、世間一般の見ている「生長の家」です。
もう、生長の家のお家騒動、分裂騒ぎは有名です。

総裁が、いくら「森の中のオフィス」に万教帰一を象徴する「七つの燈台の点燈者」のご神像や仏説の七宝の塔、多宝塔を象徴する「七重の塔」を建て、「万教包容の御祭」を行われても、元生長の家の熱心な同志をすら包容できないでは、物笑いの種になるだけでしょう。

>>『大和精神 すべての人・物・事は常に調和の中にあり、互にあらそったりしない世界である。という日本古来の精神。日本の建国は、この精神によっている。それが大和魂(やまとだましい)』

でも、それにはやっぱり 「生長の家」 の大調和は不可欠なような気がします。

だって、今の若者は生意気ですから、必ず反論されると思いますよ。
「大調和? 大和精神? えっ? 何それ意味わかんないし・・・。 それで生長の家のおじさんとかおばさんは、それ、実行してるわけ? 自分ができないこと、人に押し付けないでよね。」<<

――上記は >>1493 :a hopeさま投稿文からですが、
上記の 「大調和」 「大和精神」 というのを、最近総裁が力説される 「対称性」 という言葉に置き換えても、同様なのではないでしょうか。

私は今日も、榎本恵吾講師の 「神癒の展開としての人類光明化運動論」 を 「web誌友会板」 に謹写掲示させていただき、拝読しなおして、深い感銘に打たれています。

>> イザナギの命(ミコト)が禊(みそ)ぎ祓(はら)い給うということは、イザナギの大神が、はじめのはじめに還ることを意味しているのである。そのはじめのはじめとは、高天原(たかあまはら)であり、神詰まります神、即ち、七柱(ななはしら)の身(みみ)」を隠し給う、幽の幽なる神の御姿に還ることを意味しているのである。イザナギの命が 「私は無いのです」 と澄み切りになる御はたらき、 「無い、無い、無い」 と、そして、その 「無い」 も 「無い」 と澄み切りの澄み切りに澄み切る御はたらき、そしてそこに澄み切るよろこびが輝き顕れる、それが天照大御神の出でましているお姿なのであると拝察されるのである。

 天之岩戸(あまのいわと)隠れに際して、神々が咲(わら)いに咲った時に、出でまされたことは、天照大御神さまは、よろこびそのものであり給うことをあらわしているのである。<<

 ――この 「はじめ」 なる 「無」 に還った時、本来の 「大調和」 が実現すると思います。

2373復興G:2013/07/18(木) 13:34:55 ID:AB6RqYXc

曳馬野さま。

“本流”を名乗る方々の投稿には、根拠のないデマや偏見、聞くにたえない罵詈雑言のようなものも多々あると感じます。

しかし、中には傾聴に値するものもあります。

たとえば、信仰/体験板の 1143 :うのはな様投稿

信仰と人生 
http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533

同じく1144 :うのはな様投稿

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&amp;mode=res&amp;log=748

などからは、とてもよいヒントをいただきました。

総裁は、『「無駄なものは何もない」と知る祈り』 で

>> 「無駄」は「空しい」から来たというが、神の創造し給う実在の世界には空しさはなく、したがって無駄もないのである。すべてのものが、すべてのものに対して目的と意味をもって存在しているのである。ある行為が、その目的とする結果をもたらさない時、“無駄な行為”と表現することがあるが、それは特定の目的に固執した、特定の立場から見た偏見である。別の目的をもった別の立場の人が見た場合、同じ“無駄な行為”が“偉大な結果”への道程であることは数多くある。神は、特定の人間の特定の目的のみに合わせて世界を創られていないから、個人の狭いものの見方で神の創造を“無駄”と判断することは、間違いである。(中略)

 人生の道程における“失敗”は、だから本当の意味での失敗ではない。それは、実相・神の子の本質が人生に表出される際に、人・時・処において不足、過剰、遅速、混乱が起こった結果である。失敗だと分かれば、次の機会には人・時・処を正しく選び、不足、過剰、遅速、混乱が起こらない工夫をすればよいのである。この種の失敗は大抵、実相・神の子の本質を自覚せず、自己を感情の流れに任せたときに起こるのであるから、よろしく神想観を実修し、神の御心を我が心としてやり直せばよいのである。スポーツでも、技芸でも、学問でも、一見“失敗”と思えることの繰り返しを通してのみ、成功に到達するのである。その場合、数度の失敗で諦めた人だけが、自ら本当の失敗を選び、無駄を経験することになる。失敗を無駄と考えず、成功への“飛び石”と考えて努力する者には、無駄は存在しないのである。(中略)

 人生で出会うあらゆる人々との関係は、無駄ではない。それらはすべて、我がうちなる神性・仏性を引き出し、「神の子」「仏」として互いに認め、讃嘆し合うための手続きであり、配役である。“敵”と見える人でさえ、自分の現象的不足を教えてくれる“鏡”であり、さらなる向上の道を切り拓いてくれる教師である。

 これらの真理を教示したまい、無駄のない人生を感謝して歩む勇気を与えたもう神に、満腔の感謝を捧げます。ありがとうございます。<<

とご教示くださっています。

『“敵”と見える人でさえ、自分の現象的不足を教えてくれる“鏡”であり、さらなる向上の道を切り拓いてくれる教師である』

のですね。

それを言うだけでなく実生活に実践し、互いに拝み合いを実行しましょう。

2374あさひ:2013/07/18(木) 13:46:39 ID:/3nxKE2Q

復興G様

合掌

復興G様の長老としてのご指導感謝申しあげます。

さすがに長老としてのご指導と感服しております。

今後ともよろしくお願い申しあげます。
    
               合掌

2375復興G:2013/07/18(木) 17:46:28 ID:AB6RqYXc

>>2374 :あさひ様

ご声援、ありがとうございます。

2376トキ:2013/07/18(木) 20:26:17 ID:6wKLL.Xk
 復興G様が指摘されたような話は、現場の活動者はよく経験しています。

 家庭訪問をしても、裁判の件や総裁の件は話に出されます。私のような
古い人間は切り返せますが、大半の活動者は返答に困る様です。

 谷口雅春先生は、悲しんでおられると思います。

2377傍聴人より:2013/07/18(木) 21:22:14 ID:???
http://youtu.be/cus-CoB9gQU

今回の記録動画は保存版です。内田弁護士が判りやすく解説しています。

谷口雅春先生が誰の発言(持論)を悲しんでおられるか判ると思います。
すべてはその人の迷いから引き起こされた事なのですから。

2378a hope:2013/07/19(金) 10:04:24 ID:edEDolt2

>>2366に復興Gさまが雅宣先生の「対称性の論理・非対称性の論理」を例に挙げ、
曳馬野さまに質問をされていますが、
わたしは、雅宣先生のこの論文を読んではいませんが、
以前、トキさまが概要をこの掲示板でお知らせくださったのは拝見しました。

この雅宣先生のお考え(見解)こそ、二元論そのものだと思うのです。

わたしは、>>2287で自分の経験をもとに「唯神実相」の教えの「生長の家」で、
二元論的見解をすることの危険性を述べさせていただきました。
この雅宣先生の「対称性の論理・非対称性の論理」は、生長の家の「唯神実相」と
明らかに矛盾していると思います。
生長の家は「対称性の論理」のみを説いていればいいのではないでしょうか?
(すみません。論文を読んだわけではないので間違っていたらご指摘ください。)

雅宣先生がそういう二元論的お考えだから、本流の方々と和解ができないのではないのですか?
そういうお考えを信徒に伝えているから、信徒も周りと和解ができず本当の「神の子の自覚」もえられず、
かつてのような奇蹟が起きなくなっているのではないのでしょうか?

わたしは、最近、ある白鳩さん(信仰歴20年以上)に、
「雅宣先生の教えはおかしくないですか?」と質問してみました。
そしてら、すごい勢いで「雅宣先生は、難しい雅春先生の教えを現代風にしてわかりやすく説いてくださっているのよ!」
と、反論されました。
そして、「もっとちゃんと雅宣先生のご著書を読めば、雅宣先生の教えが、雅春先生の教えとちゃ〜んとつながっているのがわかるはずよ」
と言われ、わたしに、雅宣先生の「森の中へ行く」をご推薦下さいました。
でも、購入はしませんでした。
わたしには、雅宣先生の教えの方がよほど難解ですから・・・。

2379復興G:2013/07/19(金) 13:07:35 ID:AB6RqYXc

>>2373 で触れました、うのはな様から教えて頂いた、魂に響いたご文章を、ここに貼らせていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     信仰と人生

 信仰の生活は安易なイージーないい加減なものではない。

 併し信仰によって神につながる時、我らは神の愛の慈手(みて)によって導かれ、ついに困難をのり切るのである。

 レースに於ける競争者は殆どまけそうになる所でテストされると云われている。競争中彼は何回も、何回ももう抜かれるかも知れない、負けるかも知れないというキワドイ瞬間を経験する。然も彼は走り続ける。もうこれ以上耐えることの出来ない限度が幾度も来たと思いながらも不思議な力に支えられてそれを突き抜けて行くのである。斯くの如くして彼は、信仰につながる忍耐のゆえに、ついにレースの優勝者となるのである。

 信仰の開拓にも同じことが言えるのである。吾々はもう続けることが出来ないと感ずるような苛烈な人生体験に面するのである。もう事業の根拠は失われ、生活の地盤は崩れ、わがたよりたる城は落ちてしまったと云うような苦しき苦い体験に出喰わすることがある。このような時に信仰なき者は『神も仏もなくなった』と考える。しかし吾々が神の善意を信じて最後まで持続するならば、またどんな高価な価を払おうとも最後まで行きつこうと決心するならば、やがて吾々は筆紙に尽すことの出来ない信仰の悦びを得ることが出来るのである。その時、労しただけのお蔭があるとわかるのである。

 信仰への途(みち)は、最初は安易な御利益(ごりやく)信心から出発する。そして有頂天となり、やがて中途で光を失って大いに悩む。それは最初には「見せられた光」であり、「自分が見出した光」ではなかったからである。しかし一度見た光を見失うまいと勇気を鼓(こ)して進むとき、ついにその目標に到達する。其の時始めて彼は自分の蒔いた光の種を刈り取るのである。

               谷口雅春師  『生長の家』 誌 昭和24年7月号 巻頭言

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 もう一つ、「かごめの唄」 の秘義について。

“かごめ、かごめ、カゴの中のトリは いついつ出やる。夜明けの晩に、ツルとカメが すべった。うしろの正面だーれ”

 ――誰が聞いても、その意味の理解のつかぬ何だか訳の分からん 「かごめ唄」。それを、日本のすみずみの人が、みな、知っている!という、この不思議――!!

 これについて、『言霊(ことだま)』――ひつく神示のなぞことば――桑田二郎著・平成5年(株)潮文社・刊 から著者の霊感による解釈というのは、とても面白く読ませて頂きました。

これも、ポイントのことろを抜粋して貼らせて頂きましょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

* 「かーごめ、かごめー」・・・この世の“いのち”は、「かごめ(籠の目)」 の如くにおりなされた宿命の肉体生命のオリの中、

* 「かーごの中のトリは」・・・「トリ」 は、内なる“魂”の意識。“魂”は、肉体生命の宿命(かご)を通して、霊的な進化の実現へと進んでゆかねばならないのだが--------

* 「いついつ出やーるー」・・・その “魂” の意識は未だに、肉体生命の内奥の次元で、目覚められず、眠ったままの状態でいる。その “魂” の意識を、いつ目覚めさせる事ができるのか?

* 「夜明けのー 晩にー」・・・今がその魂が “霊性の進化” という夜明けのとき、目覚めねばならぬ時が来ているのにまだ、精神の無明の闇(夜・晩)の中にいる。人々は進化への意識を見失っており、その岩戸は閉じられたままで、まだ暗い-------- 

<つづく>

2380復興G:2013/07/19(金) 13:08:34 ID:AB6RqYXc

<つづき>

* 「鶴とカメがすべったー」・・・はるかな過去から、千万の進化の時を経て、今ここに来て、進化の方向からすべり落ちつつある。ここには、更に深い意味が秘められている。

しかも、その意味が 「神一厘」 の仕組みに、深くつながっているのだ。

「鶴」 は――太陽を頭頂に頂き(丹頂鶴のイメージ)、日であり、進化の方向へとはばたく霊(上)であり、精神。

天の御柱の左まわり=鶴、天の御柱の右まわり=カメ、その進化がズッコケつつある。

「ツルとカメがすべった」 という唄の文句も二つの意味にわかれる-------

つまり、「滑る」 と 「統べる」 だ。進化から脱線してゆくのが 「滑る」 ツル、カメ。進化へと進みゆくのが 「統べる」 ツル、カメ。すなわち、進化の実現とは、“魂” が “いのち” を正しく 「統理(トリ)」 すること! 「十(と)の理(り)」 に目覚めることだ。

    何がどうあれ、「滑って」 はならないのだ!! 死んで、すべてが終わるのなら、滑ろうが転ぼうがこの一生だけの問題だが、しかし、死はすべての終わりではない!!

そこから始まるのだ!! 霊としての意識は、不生不滅なるもの! 無限に続く「苦」の世界と無限に続く進化への次元!! 死を境にして、我々の “いのち” は、そのどちらかに分かれてゆく!

要は、意識のありようだ! 心の持ちようだ! 精神の方向性だ! 魂の自覚だ! それを進化の方向へと、しっかりと定める!! それをツルとカメが 「統(す)べった!」 という。「ツルと、カメ」 は、“いのち” の仕組みを 「たとえ」 の言葉にしたものだ。

* 「うしろの正面、だーれ?」・・・この、うしろの正面というのも、言葉通りの背中の真うしろ、という事ではない。そもそも、「夜明けの晩」 だとか、「うしろの正面」 だとかいう不思議なことばの言いまわしをするには、するなりの意味がある! 不思議な言いまわしは、つまり、不可思議次元を指し示しているのだ。

   つまり、うしろの正面の 「<うしろ>」 というのは、この物質世界の<うしろ>という事ではなく、“いのち” の内奥にむけられた意識のことだ! 自らの “魂” へと向けられた意識のことだ! うしろの正面だからとて、そのままに振りかえっても、後ろはうしろ、やっぱりそこも物質世界! 振り返らねばならぬのは、うしろの正面! すなわち、「うしろの正面、だーれ」 とは、自らの “いのち” の内奥を振り返って、自らの “魂” と対面せよ!! という、神次元からの呼びかけだ! それが自らの意識の本体である!! と教えてくれているのだ!!

   そのように、うしろの正面を見失ってしまっている意識の状態が、進化から外れた方向に意識を働かせてしまっている状態だ。そのままであっては、ならない!! その意識の働きの中から進化の法則に逆らったところの苦悩や、災いや、不幸の数々が、今、現在も、数限りなく生まれつつあるのだから!!

   要するに、そのさかさま意識が、カゴメ、カゴメの状態なのだ。その中から “魂” の意識が、羽ばたき出なくちゃならない! 今、人間の精神の進化段階がその時期に来たのだ! 今までのような、「無明」 のコテカン(固定観念)であっては、ならない時がきたのだ! いつまでも、意識を、カゴメのオリの中に閉じ込め続けていては、「ノアの箱舟」 に乗り遅れてしまう!! 「世の建てかえ」 の大峠が超えられない!! かごの中のトリが目覚めるか、どうかが、ツルとカメが “滑る” か、“総べる” かの分かれ道!

カゴの中のトリを目覚めさせるには、まず、自らの “いのち” の内奥の次元に意識をむけよ!
うしろの正面の目を開け!

いま、人間のこころの岩戸が開かれねばならぬ時がきた!! その時ゆえに、かごめの唄の意味も、自然に解かれた。・・・つまり、ツルとカメが “いのち” を正しく統べるところに、夜明けの晩に光がさす! 「無明」 の晩の、岩戸がひらかれる!!

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――とても面白い解釈だと思いました。

2381復興G:2013/07/19(金) 13:37:08 ID:AB6RqYXc

ツルとカメは、滑ってはならない。 “いのち” を正しく統(す)べらなくてはならない。

「統べる」 とは、本来の 「一つ」 を自覚して、 「一つ」 に還ること。

さもなければ、進化の法則に逆らったところの苦悩や、災いや、不幸の数々が、今、現在も、数限りなく生まれつつあるのだから!!

「うしろの正面」 すなわち自らの “いのち” の内奥を振り返って、自らの “魂” と対面せよ!!

そうして進化の実現とは、“魂” が “いのち” を正しく 「統理(トリ)」 すること! 「十(と)の理(り)」 に目覚めることだ。何がどうあれ、「滑って」 はならないのだ!!

“かごめ、かごめ、カゴの中のトリは いついつ出やる。夜明けの晩に、ツルとカメが すべった。うしろの正面だーれ”

――この、カゴの中の 「トリ」 は、私だ! (私は、酉(トリ)年生まれでもありますから。)

と、思いました。

2382復興G:2013/07/19(金) 13:40:08 ID:AB6RqYXc

それにしても、うのはなさんって、霊感的な、とても面白い人ですねえ。

2384曳馬野:2013/07/19(金) 18:30:46 ID:TZ2/719s
復興Gさんへ

>>しかし、「本流なる人々は生長の家でない」 と断言して、元の同志であった人々を不倶戴天の敵として争うようなのが生長の家なのですか? そんなことで、「万教帰一」が成り立つのですか?

生長の家でない、とは言いましたが、不倶戴天の敵だとは申しておりません。生長の家の生き方をしていないと云っただけで、感情は有りません。敵対している二つの組織がある、というあなたの見方から出た感想でしょう。したの元生長の家の熱心な同志をすら包容できないとの感想もあなたの感想でありませんか。

>>それが、世間一般の見ている「生長の家」です。もう、生長の家のお家騒動、分裂騒ぎは有名です。
元生長の家の熱心な同志をすら包容できないでは、物笑いの種になるだけでしょう

分裂してこれが生命の実相哲学である、と外の人に勧めるのは何ら問題はないでしょう。
そして彼らの周りに素晴らしい組織ができることは大変に良いことでしょう。
有名にし笑いの種にしたのはどなたでしょうか、。可笑しいことがあれば講師会で論議し、教化部長に問いただし、埒あかなければ本部での総裁出席の場で教化部長が問いただし、本意を確認すればよい。
内輪のことを曝け出し、己が正当とする、去るものを追わず来るものを拒まず、の生長の家からは遠い。

私は今日も、榎本恵吾講師の 「神癒の展開としての人類光明化運動論」 を 「web誌友会板」 に謹写掲示させていただき、拝読しなおして、深い感銘に打たれています。

この 「はじめ」 なる 「無」 に還った時、本来の 「大調和」 が実現すると思います。

でありましょうが、余りにも諄い、生命の実相にすべて書いてあると言われた尊師の講義に解釈するなんて。

2385復興G:2013/07/19(金) 20:06:24 ID:AB6RqYXc

>>2384 :曳馬野さん

レス、ありがとうございました。

>>生長の家でない、とは言いましたが、不倶戴天の敵だとは申しておりません。生長の家の生き方をしていないと云っただけで、感情は有りません。<<

――たしかに、「不倶戴天の敵だ」 と言ってはおられないけれども、そのような気持で戦っておられるのかと感じていました。

>>敵対している二つの組織がある、というあなたの見方から出た感想でしょう。したの元生長の家の熱心な同志をすら包容できないとの感想もあなたの感想でありませんか。<<

――その通りでした。事実はそうでないのなら、こんな嬉しいことはありません。

>>分裂してこれが生命の実相哲学である、と外の人に勧めるのは何ら問題はないでしょう。
そして彼らの周りに素晴らしい組織ができることは大変に良いことでしょう。<<

――これは、「学ぶ会」 の活動などを、何ら問題はない、良いことだとおっしゃっていると解釈してよろしいのでしょうか。

だとすれば、これは、今まで両陣営から 「あり得ない、不可能だ」 と言われ続けていた 「和解」 へ、一歩近づいたのかなあという感じがします。それは、ありがたい、うれしいことです。曳馬野さんが教団の上層部の方であれば、です。

>>可笑しいことがあれば講師会で論議し、教化部長に問いただし、埒あかなければ本部での総裁出席の場で教化部長が問いただし、本意を確認すればよい。<<

――その通りですね。そのように動き出しています。

なお、榎本恵吾講師の 「神癒の展開としての人類光明化運動論」 は、「尊師の講義に解釈する」 ことをされているのではなく、榎本講師は幽斎殿での祈りの中から、内からほとばしり出る思い、インスピレーションを書きとめられたものであると思います。

私はこれを読んで心が、魂が浄められるような思いがし、「唯神実相の生命の実相哲学ここにあり」の感がします。
榎本講師の書かれたものを読んで『生命の實相』を読むと、一層『生命の實相』が輝いて読めます。それは私だけでなく、たくさんの人がそうおっしゃって下さっていますので、これからも続けて行きたいと思っています。

ともかく、こうして曳馬野さんと会話ができたことは、ありがたくうれしいことでした。
ありがとうございます。

2386a hope:2013/07/19(金) 21:23:12 ID:edEDolt2
>>2382復興Gさま

うのはなさまって、ホント不思議なお方なのですよ。
わたしは、最初からうのはなさまの不思議な面白さ(?)さには魅せられているんです。

2387a hope:2013/07/19(金) 21:25:37 ID:edEDolt2

次回の第16回web誌友会の日程・内容などは、まだ決まっていませんが、
今夜から、また少しずつ「生命の實相」の自主勉強を始めさせていただきまます。
ユタカさま、勝手に始めますが今回もよろしくお願いいたします。

前回で「生命の實相」第3巻を終了したと見させていただき、第4巻に進ませていただきたいと思いますが、
範囲の目安としては、「第1章 人間は肉体でない話」と「第2章 真理はなんじを自由ならしめん」
くらいがよいかと思いますがいかがでしょうか?


それでは、まずは以前、信仰/体験板に投稿させていただいた内容を再投稿させていただきます。


【a hope自主勉強】

この第1章には、『ルカ伝』の中の清教徒シモンと娼婦マグダレーナのキリストへ対応を例に挙げて、
「赦されるという意味」が説明されています。

(赤線を引いた箇所)
P7 後から1行目〜
<<まことに「赦された」と申すことは罪の消えた状態をいうのでありまして、
たんに「勘弁してあげる」と口先でいってもらっただけで、本然の神聖が顕れておらず、
したがって罪が消えてはおらないで、再び罪をおかしたくなるような状態を指すのではないのであります。
自己本然の神聖があらわれた状態こそ罪が赦され消去された状態でありまして、
たんに口先で「あんたの罪は勘弁してあげる」といってもらうことを、
罪が赦されたなどと考えては大間違いであります。
本当に罪が赦され消去したならば、罪の顕れである病は消えてしまう。
それで神癒治療者は罪を消す人ともいえれば、相手の神聖を開顕する人ともいえるのでありまして、
施念者ばかりがいくら力んでみましても、相手に懺悔する心をもって
真理を受け入れてくれる心がなければ効果が少ないのであります。>>

P9 9行目〜
<<遊女マグダレーナは罪の赦し(生命の実相の開顕)を得るためには、
おそらく彼女の最も尊い香油の全部をキリスト(真理)の足下に注いだに相違ないのであります。
形ある宝はどんなに尊い宝でも、香油でも、自分が神の子であるという根本自覚に入ることにくらべるとなんでもない、
一切をなげうっても真理を知りたい、一切をなげうっても救われたい、その念願があれば必ずそれが形にあらわれる、
その現れが、マグダレーナでは香油をキリストの足に灌ぐという行為となったのであります。
なにもその行為に懺悔の事実を顕さないで、無代で、安いから治してもらった方が利益だ――と、
こういう物質的利益の方が先に立つようでは、その人は神癒の例波の受信機になれない
――したがって神癒によっては病気は治りにくいのであります。
治す方も治される方も、利害は全然念頭になく、神を愛する、神の栄を顕すためにならなんでもするというところまで達したら、
実にすばらしい顕著な治り方をするのであります>>

(所感)
このマグダレーナの懺悔のお話は何度読んでも感動します。
街中の人々から蔑まれていた娼婦であっても、心からの懺悔と真理を受け入れる心があったのでキリスト(真理)は赦されました。
そして、それが『まことの赦し』なのですよね。
「生長の家の赦し」も同じだと思いました。

すばらしい善人であっても、どんなに悪人と呼ばれる人であっても、神の御心(真理)は平等に働くのだと思いました。

2388ユタカ:2013/07/20(土) 17:02:37 ID:R1D4Jmeg
>>2362○常に生活が引き算になってはいけない。加え算にしなくてはならぬ。「これをしては他の迷惑になりはしないか。あの人は自分を迷惑がってはいないか」 などと消極的に引っ込んでしまってはいけない。愛しよう、喜ばそう、為になろうと積極的に加え算になるようにすれば他をもいかし自分をも生かす。(智慧の言葉)

○古事記神話に、イザナミノミコトが「一日千人くびり殺す」と言われたら、イザナギノミコトは「では、千五百の産屋を建てよう(千五百人生みだそう)」と言われたように。

――それで、具体的に、如何なる行動をするか。

私は、今、「web誌友会参考文献板」 に掲示中である榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動論』 を本にして出版し、心ある生長の家幹部・信徒すべての方々に読んで頂きたいと思う。

そんな思いが湧いてまいりました。

これについては、トキ様が、「本当に、今、求められる内容だと思います」と書いて下さり、
a hope 様も
>>榎本恵吾先生の――『神癒の展開としての人類光明化運動』 ―― をプリントアウトしてゆっくり拝読し直しました。そうすると、それ自体が「生長の家の教え」(『生命の實相』)の現代版解説書のように思えてきました。

 わたしが今まで疑問に思ってきたことへの回答が、スパッと書かれていて目から鱗が落ちていくようです。
これは、すごい真理に満ちた御文章だと感じています。<<

 と書いて下さっていました。

 ユタカ様、皆さま、どう思われますか。
===================================================

復興Gさま、私は榎本先生が何をおっしゃりたいのか?さっぱり分かりませんでした。 ですから、どう返事していいのか???(それより、わが使命行進曲のほうが好きです。と書こうかな?と迷いました。) 理解できなくて苦しんでいます、とは書けませんので、困っていました。 そして、繰り返し読んで、今日ゆっくり読める時間があったので、分からないところをじっくり呼んで、分かってきました。
神様が私は無いのです。というところが?分かりませんでした。榎本先生のは、上級者向けですね。私のような初級者は、現象的に神様がいないと信じてきて「生長の家」に出会って神様の存在を知らせて頂いたので、その神様が「私は無い」のですよ。となると思考が混乱してしまい、どう理解するかわからないのです。ですから。。。生まれつき神様の存在が分かっている人や、実相の内容を充分に理解できた人でなければ、榎本先生の本は難しいと思います。ですが、理解できた世界は光輝く世界でした。
これは、ちょっと難しい本ですが内容が素晴らしいので、勿体ないと思います、初心者に読みにくいと言うところが。、文章の一段落ごとに初級者でも理解できるようにやさしく解説をつけたらもっと良いと思いました。

2389ユタカ:2013/07/20(土) 17:22:57 ID:R1D4Jmeg
すみません、急な来客で途中で失礼します。

2390閲覧者A:2013/07/20(土) 19:05:27 ID:???
いつも素晴らしい真理の勉強をさせていただいて有難うございます。
閲覧者の身で、大変申し訳ないお願いですが、次回の誌友会は、お盆も近くなっておりますので、少しだけでも御先祖様の供養に関するお勉強ができたら嬉しくおもいます。
とくに何か先祖供養に関して質問があるわけではありません。
ここに、ご参加されていらしゃる、御先祖様の御霊様に、心から感謝申し上げます。

2391復興G:2013/07/20(土) 19:13:47 ID:AB6RqYXc

>>2388 ユタカ様。

率直なご感想を言ってくださって、ありがとうございます。

>>私のような初級者は、現象的に神様がいないと信じてきて「生長の家」に出会って神様の存在を知らせて頂いたので、その神様が 「私は無い」 のですよ。となると思考が混乱してしまい、どう理解するかわからないのです。<<

これは、榎本先生の 「無神」 というご文章を読まれますと、かなり解って頂けるのではないかと思いますので、「榎本恵吾記念館」 サイト
http://homepage2.nifty.com/hanabira/
の 「文書館 Ⅱ」 から、一部転写させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

無 神

 もしも、神というものがあって、その神に向かって誰かが「神は無い」と言ったとすれば、神は、「その通りである。私は無いのである。」と言われるであろう。

 そして逆に、その人に対して、「あなたによって私は生かされているのであります」といって礼拝されるのではなかろうか。

 神ご自身が『私が全宇宙の生みの親である。〇年〇月〇日。』などというものを、どこかに建てておられるとは、どうしても思えない。もしも、そういうものがあれば、そんなものを、自ら建てられるようなものを神と呼ぶ訳には行かない。

 神は全宇宙を創造し給うていながら
 その姿を消しておられるのであります。

 神は、人間を礼拝し給うているので
 あります。

 春には花を咲かせ、野山を緑でかざり
 雨を降らせ、陽を明るく
 風を渡らせて、何とかして人間を喜ばせて
 やろうとしておられるのである。

 生きた花々草々をもって、神は我らを供養し給うているのであります。
 しかし、依然として神はご自分を消しておられるのであります。

 どこまで消しておられるか。

 それは、神がお生みになった人間に「神は無い」といえるようにしておられるまでにであります。

 「神は無い」という声も、神のいのちによって人間はそう言っているのであります。そこまで神ご自身で、無神になっておられるのであります。

 「神など無い」と言えば言うほど、そこに、神の無神の聖なる輝きが、証明されているのではないでしょうか。

 日本神道の幽の幽なる神とは、ある意味でこのことを言っているのかもしれません。宗教も、真の宗教はこの神の無神なる輝きをうつしたものであるはずである。宗教が「この教えがお前たちを救ってやるのである。この教えにふれなければ、あなたは救われない。」というようなものであれば、即、それは神ではなく、愛ではなく、聖なるものであるという訳にはいかないのである。

 人前に立って「救ってやった。救ってやった。」というところには、聖なるものはないのである。

 説法も、お経も、そこにもし「この説法を聴かなければ救われない」とか、「この本を、このお経を読まなければ救われませんよ」というのを、少しでも残しておれば、それは無我ではなく、愛でもないのである。

それは無神の聖なるいのちの流れとは、およそかけはなれたるものでありましょう。

 おおよそ宗教は、
    全能なる神を信ずるのである。

 その信ずべき全能なるものの、生んだものの中に、これから救って完全にしてやらなければならないものがあると観ることほどの不信はあり得ないのであります。

 それは、宗教自体の自己矛盾であるといわなければならない。そこに宗教の「我」が出てしまっているのである。

 ただ、もし宗教にゆるされるべき道があるとすれば、それは神の生んだ萬物を拝むこと祝福することのみであります。それが無神なる輝きの世嗣なる宗教の姿でありましょう。

<つづく>

2392復興G:2013/07/20(土) 19:15:01 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 救済活動、救済活動と大声でよばわるものもあるが、おおよそ救済活動とか愛の行いとかいうものは、人前に宣伝すべきものではないのではないでしょうか。

 「私はこれだけの救済活動をしました。」
 「私はこれだけの愛の行いをしました。」

と、それを競っているところには、はたして愛なるものはあるのでありましょうか。

 愛は夜露の如く音もなく訪れ、
  萬物を潤して、
   夜明けとともに消えゆくのである。

 誰にも気づかれずにすべてを潤すのが愛であるとすれば、それが深ければ深いほど尊ければ尊いほど、気づかれないところの愛によって私たちはどれほど生かされていることでありましょう。

 その意味において、即ち、宗教は萬物を礼拝し祝福するためにのみあるという意味においては、神道の神社には、ご神体として鏡が置かれているのでありましょう。

 この鏡は、そこに来る人々の姿を写すのである。
 その写った姿をまつっているのが、神社である。
 その鏡の前に立った人をご神体としてまつっているのが神社なのである。

 そして、その鏡の前に立って人は自分の姿に気づくのである。
 自分で自分が甦がえるのである。
 鏡がゆがみなく、完全に澄み切っていることが宗教の宗教たる所以なのである。

 奈良に行ったとき、社寺の屋根の上に高い空があって白雲があった。空はこんなにきれいだったのかと思わされたことがある。何かお寺のいらかや、神社の建物を通してみると、山々、森々や、自然というものが、却って引き立って来ているのに気がついたことはないであろうか。神社の新造されたときに、そのような気持ちになった人は少なくないであろう。神社そのものが無我になってすべてを引き立たせているのである。神社そのものが周囲を礼拝し、讚嘆している。

 それのみか、国全体が引き立って来る、ということも、自然なことであるのかも知れない。


 アスファルトを突き上げて破れた所から芽を出している草の芽を見たことがある。芽というものは、先に行けば行くほど柔らかくなっている。先端は全然と言っていいほど堅さはないのにもかかわらず、なぜ突き上げ、突き破ることが出来るのか。機械でボーリングする場合は堅い岩盤と接触する部分の先端に最も堅い爪がつけられている。この芽の場合は、接触点に近づけば近づくほど、やわらかく出来ている。実は芽は全然アスファルトと接触していないのではないか。触れる寸前のところで、先に上の方で口を開けてくれているということが、あるのではなかろうか。芽には外に出ようとする意志、または願いがあるのだろうか。

 いずれにしても機械の場合とは反対になっているのである。アスファルトの根源と芽の根源とは、どこかで出所を一つにしているのであろう。その一つなるところから、この事件は発しているのであろう。そこから見れば、すべてが同じであるというような何かの地点なのであろう。

 仮に二十センチ下から地上に出ようと生長を開始したとき、それに合わせて地表のところに何か芽の動きに合った、働きが始まっていなければならないでありましょう。もしも、芽の動きと上の方の動きが調和していなかったならば、芽はつぶれるか横の方に曲がってしまうかするのでありましょう。石のようなものがある場合は別としても、たとえ土のようなものであっても、芽はそれよりどれだけ柔らかいか知れないでありましょう。何かが根源的なところで働いているのでありましょう。

 しかし、依然としてその何かは 「そんなものは無い。」 と言おうと思えばいくらでも言えるようになっているのである。機械にくらべ生命の方は、何か地面に出るための知恵をそなえているのであろうか。

 ある意味では、外から教えなくても自分で中から知恵を出して、生長の方法を知っているものを、生命というのかもしれない。
(後略)

2393復興G:2013/07/20(土) 19:28:11 ID:AB6RqYXc

私はある時、「自分が何とかしなければならない」 と思っていた、そんな「自分」というものは

本来なかったのだ! 空っぽだったんだ! ただ、生かされていただけだったんだ!

本来の空っぽに還った時、自分の中にすべてがあり、全ての中に自分があり、

自分は光だったんだ! 愛だったんだ! 神だったんだ!

と思えたことがありました。

いつも、その気持を忘れないようにしたいと、精進しています。

2394復興G:2013/07/20(土) 19:38:48 ID:AB6RqYXc

>>2390 :閲覧者Aさま

ご要望に応じたいと思います。

ご投稿、ありがとうございます。

2396山本富士子:2013/07/20(土) 19:51:46 ID:RgtAnGTI

>>私は、今、「web誌友会参考文献板」 に掲示中である榎本恵吾先生の
『神癒の展開としての人類光明化運動論』 を本にして出版し、
心ある生長の家幹部・信徒すべての方々に読んで頂きたいと思う。<<

ぜひ書籍になることを熱望します。
この本をチャッチャッと読まず、ゆっくりじっくり
読んでみたいです。

2397閲覧者A:2013/07/20(土) 19:57:17 ID:???
>>復興G様、有難うございます。心から感謝申し上げます。

2398復興G:2013/07/20(土) 22:03:42 ID:AB6RqYXc

a hope さま、どんどん自主勉強を進められていて、そのご熱意に脱帽です。

>>2387 清教徒シモンと娼婦マグダレーナのキリストへ対応――マグダレーナは罪の赦し(生命の実相の開顕)を得るためには、おそらく彼女の最も尊い香油の全部をキリスト(真理)の足下に注いだ。<<

このとき罪ある女マグダレーナは、高価な混じりけのない「ナルドの香油の入った壺」をこわして全部をイエスの足下に注いだといわれており、ある人々はそれを見て「なんでそんな無駄なことをするか、この高価な油を売って貧しい人々に施してやればよかったのに」と言ったということも聖書には書かれています。しかしイエスは、「この女はなし得る限りをなしてわが体に香油を注げり」 「全世界、何処にても、福音の宣べ伝えらるる処には、この女の為しし事も記念として語らるべし」と言われた。

それは、「讃美歌」391番に歌われています。

「ナルドの壺 ならねど
ささげまつる わが愛
みわざのため 主よ、潔(きよ)めて
うけませ うけませ」

と。

私は讃美歌が好きで、今も時々、教会ではない讃美歌を美しいハーモニーで合唱する集まりに出て、感動をもって歌うの楽しみにしています。

キリスト教会では、神の子なる人間イエスへの愛をささげたとするのでしょうが、生長の家では、キリストとは真理である。物質的利害を超え一切をなげうっても真理を知りたいという念願、神の栄えを顕すためにならなんでもするという真理への愛があれば、すばらしい顕著な治り方をするのである、と説かれているのですね。

2399復興G:2013/07/20(土) 22:06:37 ID:AB6RqYXc

>>2396 :山本富士子さま。

ご声援、まことにありがとうございます。

実現できるよう――御心ならば必ずできると信じて、頑張ります。

合掌

2400ユタカ:2013/07/21(日) 00:46:10 ID:R1D4Jmeg
すみません、沢山のレスを有難うございます。

>「神は無い」という声も、神のいのちによって人間はそう言っているのであります。そこまで神ご自身で、無神になっておられるのであります。

>神のいのちによって人間はそう言っている・・・・
という所が??です。人間は自由を与えられて強制されていないはずですが、ここでは「神に言わされて」いるように思えたのですが、
どういうように解釈するとよいのでしょうか?

すみませんが、教えていただけませんか?

2401ユタカ:2013/07/21(日) 01:14:35 ID:R1D4Jmeg
せっかく長文書いたのにまた消えた!! 頭に来たので、また、明日にします。!!!

2402閲覧者A:2013/07/21(日) 05:40:18 ID:???
私も、山本富士子様と同じで、榎本恵吾先生のご文章を、ゆっくりと拝読させていただいています。
本当に書籍になって欲しいです。復興G様、ありがとうございます。
正法眼蔵や般若心経の心とだぶるところがございます。

2403復興G:2013/07/21(日) 07:33:19 ID:AB6RqYXc

>>2400 :ユタカさま

ご質問、ありがとうございます。

>>人間は自由を与えられて 強制されていないはずですが <<

「神はない」 と、自分が言ったつもりでも、自分の力で言ったのではない。神の力によって、言わせていただいたのだ、ということになっているのではないでしょうか。

2404復興G:2013/07/21(日) 07:35:00 ID:AB6RqYXc

>>2402 :閲覧者Aさま

ありがたいご投稿、感謝します。ありがとうございます。

2405ユタカ:2013/07/21(日) 08:18:36 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

有難うございました。榎本先生は神様を讃えておられるのですね。。 皆さんに好評ですが私には高尚すぎて・・・あと何年か修行したら理解できてくるのだと思いました。 以上 終わります。

そして、復興Gさま a hope様 みなさま、来月の誌友会はどうしましょうか?

3日間という日程についてはどうでしょうか? 訊けさんが不参加のようなので元にもどして当日2時間で終了しましょうか? 他に良いアイデアがありましたらどうぞご発言ください。

まず、日程を決定しましょう。 テキストは『生命の實相 第4巻』で範囲は第4章位でしょうか?? これは復興G様の御指示待ちです。

よろしくお願いします。

2406ユタカ:2013/07/21(日) 08:46:02 ID:R1D4Jmeg
すみません、訊けさんが不参加というのは、ユタカの想像で、御本人に確認しておりませんでした。

きけさ〜〜〜ん、出てきてくださ〜〜い。 来月は出席しますか???

返事してください。

2407a hope:2013/07/21(日) 09:07:42 ID:edEDolt2

ユタカさまって、ほんとにさっぱりした性格で、かっこいいですね!

来月(8月)だったら、第2週(9日〜11日)、第3週(16日〜18日)あたりがいいのではないかと思いますが、
これも指導者であられる復興Gさまのご都合を伺いたいです。

第15回web誌友会は司会者なしでも大丈夫でしたから、次回も司会者はいなくても大丈夫そうですね。
ですから、訊け管理人さまも、ご負担に感じられることなく一参加者として是非ご参加してほしいですね。


また、閲覧者Aさまが>>2390で、「先祖供養に関してのお勉強がしたいという」素晴らしいご提案をしてくださいまして、
復興Gさまがご承諾してくれたので、次回第16回web誌友会の復興Gさまのご講話は
「先祖供養について」ということになりそうですね。とても楽しみです。

わたしは、「生長の家の教え」に触れる前は、お墓が怖くて仕方ありませんでした。
でも、今は違います。
お墓のお掃除や、お墓参りに行くことで、心が浄められたり、とてもさわやかな気持ちになれます。

もっともっと、ご先祖さまのこと(霊界)をお勉強したいと思います。
復興Gさま、どうぞよろしくお願いいたします。

2408ユタカ:2013/07/21(日) 09:25:38 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま 

3日間スタイルで続行ということですね・・・。 

次回も生命の實相が基本で、範囲までは読み進んで、その他で『先祖供養』を盛り込んで下されば良いなぁと思います。

司会者さんの件はOKですね。 a hopeさま、お墓が怖かったのですか〜〜〜?? 幽霊??かな??

ユタカは親戚がお寺、なので、子供のころは夏休みになると寺に遊びに行くのが楽しみでした〜〜〜。

先祖供養のことですが、「霊界」もそうですが、まずは父母に感謝が始まりですよね。。。先祖供養のお話を同じく楽しみにしています。ワクワク。

2409復興G:2013/07/21(日) 09:55:29 ID:AB6RqYXc

>>2405 :ユタカさま。

>>榎本先生は神様を讃えておられるのですね。<<

そう。神は「全ての渾て」で、「神の外にあるもの無し」ですから、有無相対の有ではなく、絶対無 即 絶対有 なのですね。

だから、自分というものが有るとしたら、それは神なのですね。

だから、神が絶対無であれば、自分も絶対無なのですね。

バンザーイ! ですね。

2410復興G:2013/07/21(日) 09:59:34 ID:AB6RqYXc

ユタカ様、 a hope 様、皆々様。

次回 第16回web誌友会、日程は3日間なら、私は

8月 第3週(16日(金)〜18日(日))がいいですね。

その間には、17日から宇治での盂蘭盆供養大祭がありますが、私は今年は宇治へは行かず、自宅で先祖に感謝の聖経読誦をさせていただくつもりです。

皆様は、どうでしょうか。

テキストの範囲は、がんばって、ユタカさんがおっしゃるように 第4章 p.91までやりますか。

2411ユタカ:2013/07/21(日) 10:01:55 ID:R1D4Jmeg
>>2405 :ユタカさま。

>>榎本先生は神様を讃えておられるのですね。<<

そう。神は「全ての渾て」で、「神の外にあるもの無し」ですから、有無相対の有ではなく、絶対無 即 絶対有 なのですね。

だから、自分というものが有るとしたら、それは神なのですね。

@ ここまでは、分かります。


だから、神が絶対無であれば、自分も絶対無なのですね。


神様が絶対無???

あるのは(実在するのは実相、神さまのみ)って教えていただきました。それを否定されてしまうことに違和感を感じてなりません。

無のもんかんを超えられずにいます。。。

2412ユタカ:2013/07/21(日) 10:06:11 ID:R1D4Jmeg
テキスト範囲は自主勉強範囲で自分たちで読む範囲にしましょうか?

復興Gさまの頑張らない範囲でテキストを決定なさってください。

いろいろ出すぎましてお詫び申し上げます。ごめんなさい。。。

2413復興G:2013/07/21(日) 10:07:34 ID:AB6RqYXc

>>2409 のつづきです。

「絶対無」 なら、自由自在。思いのままに、何でもできる。

「絶対無」 の中に、「全て」 がある。

だから、自分の中にすべてがあり、無限に ユタカ なのですね。

バンザーイ!

2414復興G:2013/07/21(日) 10:15:46 ID:AB6RqYXc

>>2411 :ユタカさま

「久遠の今」谷口雅春先生ご講義

http://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8

http://www.youtube.com/watch?v=lDSwsxbLfes

を、今一度、聴いてみてください。

2415復興G:2013/07/21(日) 10:38:18 ID:AB6RqYXc

テキストの範囲は、『生命の實相』 第4巻 第4章 p.91までやりましょう。

8月16日まで、まだあと 25日ありますから、それまでに十分自主勉強も可能でしょう。

ありがとうございます。

2416ユタカ:2013/07/21(日) 16:35:08 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。

理解するのに相当訓練が必要のようです。。。

2417復興G:2013/07/21(日) 16:45:14 ID:AB6RqYXc

だいじょうぶ、一晩寝て朝 目が覚めたら ハッ とわかったりするものですよ。

2418a hope:2013/07/21(日) 20:41:03 ID:edEDolt2
復興Gさま ユタカさま トキさま みなさま

次回 第16回web誌友会の日程ですが、

すみません、ユタカさまの<<当日2時間で終了しましょうか?>>のご意見を見落としていました。
でも、当日の2時間は、ちょっと忙しいような気がします。

わたしとしては、1日半〜2日間くらいが丁度いいのではないかと思いますが・・・。

復興Gさまが>>2410で、

<<次回 第16回web誌友会、日程は3日間なら、私は8月 第3週(16日(金)〜18日(日))がいいですね。>>

とおっしゃってくださっていますから、
その3日間の中で復興Gさまのご都合のよい時間帯にご講話なども含めて、
設定して頂けたらいいのではないかと思いますがいかがでしょうか?

わたしは、仕事の予定がまだ決まっていないので何ともいえませんが、
夜でしたらだいたい参加可能ですし、閉会後も、後夜祭で発言させていただくことも出来ますので、
次回も自分のペースで参加させていただきます。

とりあえず、仮予告としましては


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第16回web誌友会(仮)予告

日時   8月 第3週(16日(金)〜18日(日))あたり
テキスト 『生命の實相』 第4巻 第4章 p.91

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ということになりますね。

復興Gさま、ユタカさま トキさま みなさま いかがでしょうか?

2419復興G:2013/07/21(日) 22:32:39 ID:AB6RqYXc

>>2418 :a hopeさま

テキストの範囲は、『生命の實相』 第4巻 第1章〜第4章 p.91 [まで]

ですね。

2420復興G:2013/07/22(月) 07:48:49 ID:AB6RqYXc

ユタカ様。

肉体人間には誕生日があります。

そして、必ず死ぬ日が来ます。

それは、「時間・空間」 という生命表現のためのスクリーンに映し出された映像(かげ)なのですね。

しかし、「生命」 は、「時間・空間」 の中に生まれてのではなく、「時間・空間」 を創(つく)りだした主体者です。

「時間・空間」 上に映し出された映像である肉体は、「カゴの中のトリ」です。(>>2379>>2381

“かごめ、かごめ、カゴの中のトリは いついつ出やる。夜明けの晩に、ツルとカメが すべった。うしろの正面だーれ”

この 「うしろの正面」 が、「時間・空間」 を創りだした、現象面から言えば見えない背後にある、真実在そのものの 「生命」。

「web誌友会参考体験板」 <43>に

>> 「生長の家人類光明化運動よ。汝は何処(いずこ)より来たれるや?」

 何処よりも来たらず。来たって来たるところなく、去って去るところなし、過去、現在未来に非ず、である。三界に身を現わすことなき、生長の家人類光明化運動である。

 来たらずして来たり、去らずして去る。姿形なき、はじまりなきはじめのはじめなる、今なる、肉によらずして生まれたる、浄まり切りたる、聖(ひじり)の聖なる人類光明化運動の姿が今や、その姿を顕わそうとしているのである。

 尊師谷口雅春先生が 「自分もまた、明治二十六年十一月二十二日に母の肉体より誕生したのではなかった」 とのよろこびに帰った時、人類光明化運動も、はじめなきはじめなる久遠の、肉によらざる浄まれる運動として誕生していたのである。

 それは世界的状況という、現象の必要性、肉の状況にさそわれて出発した運動ではなかったのである。<<

 とあるのも、この 「うしろの正面」 から出発しているものであり、大聖師谷口雅春先生は、その御自覚で 「今、起て!」 との声をお聴きになって人類光明化運動は出発したのであった、ということなのだと思います。

 それは、別の言葉で言えば、「目無堅間(めなしかつま)の小舟に乗って龍宮に入り」、乙姫舞い踊る、永遠のよろこびの運動を展開する、ということなのでしょう。

2421復興G:2013/07/22(月) 08:14:01 ID:AB6RqYXc

 人間に誕生日があって、やがて死ぬ時が来るように、現象界の地球には誕生した時があって、やがて必ず死滅する時が来ます。それは、避けられない運命です。

 「世界的状況という、現象の必要性、肉の状況にさそわれて出発した運動ではなかった」
のが人類光明化運動だと思います。

 地球環境が悪化ているからとて、現象界の地球環境対策として対症療法的な、膏薬張りみたいなことをしても、いずれ地球だって死滅するのです。だから、「現象あり」 と認めての運動は、永遠に救われない運動となります。

 「衆生劫尽きて大火に焼かるると見る時も、わが浄土は安穏なり」 という実相世界、今此処天国なり、エデンの楽園なりという自覚から出発するのが、本当の宗教運動だと思います。

2422a hope:2013/07/22(月) 09:41:47 ID:edEDolt2

>>2419復興Gさま

テキストの範囲のご指摘ありがとうござます。
正確には、

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第16回web誌友会(仮)予告

日時  8月 第3週(16日(金)〜18日(日))あたり
テキスト『生命の實相』 第4巻 第1章〜第4章 p.91 [まで]
  

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

となりますね。
復興Gさまご自身のご予定等がはっきりしてからでかまいませんので、日程の設定をどうぞよろしくお願いいたします。



ところで、今回の範囲「第3章 祖国愛は神の道」p.46〜には、

p.50 7行目〜
<<・・・祖先の霊魂の念波は、現実世界にいる子孫の運命に影響を及ぼすということであります。すなわち、
(1)祖先または自分に関心ある縁者の霊魂の好まないところを子孫が行えば、祖先または縁者の霊魂の反対観念を受けて、その人の運命が妨げられます。
(2)祖先、または自分に関心ある縁者の霊魂が迷いにとらわれ、信ずべからざるを信じ、妄執にとらわれていますと、現実界の子孫たるわれらがその反対観念の掣肘(せいちゅう)を受けて、正しいことを行っても、それがおもしろくいかないことになるから、祖先の霊魂にはすみやかに真理を悟らしてあげる必要があります。
この第一の原理により、われわれは父祖が現世になくなっていようとも、父祖の期待に背くということを行えば、その父祖の霊魂の反対観念によって制裁を受けることになるのであります。さらに父祖に対して反逆の念を起こし、反逆の行動をとるようなことをすれば必ずその子孫の運命はよくゆかないのであります。>>

とあるように、ちょうど先祖供養に関する内容が含まれていました!
これも、すべて神さまのお導きのような気がします。

来月のお盆に向けて、「神の子の自覚」(唯神実相)と「先祖供養」の関係をしっかりお勉強していきたいです。

2423復興G:2013/07/22(月) 10:01:33 ID:AB6RqYXc

ありがとうございます。

>>2421 の続きです。

環境問題はどうでもよい、と言うわけではありません。

それは、「肉体なんてどうせいつかは死ぬのだから、どうでもよい」 と暴飲暴食、好き勝手をして早死にしてよいわけではないのと同様です。

人間には地上で実現すべき天分、使命があります。その使命を果たすべき道具である肉体を大切に使って天寿を全うするのがよいのは当然です。

しかし、肉体は道具である。それと同じように、地球は人類が 「み心の天に成るがごとく地にも成らせる」 場であって、大切に拝んで使い、長持ちさせることは大事でしょう。

しかしそれは、「神の国」 を地上に投影実現させるためです。
「神の国」 は、中心帰一・万物調和の永久平和の世界。「大日本神国観」 にあるような、お釈迦さんが言われた 「金波羅華」 実相の完全円満な相(すがた)、イエス・キリストが言われた 「みこころの天に成る世界」 ―― 「一切の生物ところを得て争う者なく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」 の世界を実現するのが目的である。

その 「神の国」 中心帰一・万物調和の永久平和の世界のモデルとして、具体的に日本は、無我・無私にして慈愛そのもののような 「スメラミコト」 天皇様を中心に、人間はみな日子(ひこ)・日女(ひめ)(天照大神の御子)なるいのちの兄弟姉妹として仲むつまじく栄えて行こうという 「八紘一宇」 の理想をもって建てられたのが日本である。この理想実現を、「日本国の実相顕現」 というのである。

だから、「日本国の実相顕現」 こそが、真の 「世界平和」 実現の道である。この日本を護る 「鎮護国家」 なくして究極の世界平和はあり得ない、と私は今も信じています。

2424閲覧者A(時々発言):2013/07/22(月) 10:31:43 ID:???
復興G様、>>2421>>2423に心より納得致します。
私は仏教の教えから、生長の家に触れましたので、心から嬉しく実感致します。

2425復興G:2013/07/22(月) 10:50:55 ID:AB6RqYXc

>>2422 :a hopeさま、ユタカさま。

ありがとうございます。

第16回web誌友会の日程について。

私の、先祖供養についての講話というのは、早めに、今週中(27日いっぱいまで)に終えるようにしたいと考えています。

自主勉強会は、並行して行われてもよいのではないでしょうか。

本番の誌友会は、今までのように初日は21:30から始まり、

終わりの日の終了時刻は23:00とするとして、

開始は 8月16日(金) 21:30 からで

終わりは、もし2日間なら 17日(土) 23:00まで とし、

3日間なら、18日(日) 23:00 まで とする。

どちらを選ぶかは、お世話を務めて下さっているユタカ様と a hope 様とで相談して決めて頂ければと思います。

私は、18日(日)午後からはリアルの誌友会出講があります。ですから2日間の場合、土・日より金・土の方が都合がよろしいのです。でも、皆さまが土・日の方がよろしければ、それでも結構です。

2426復興G:2013/07/22(月) 10:57:38 ID:AB6RqYXc

>>2424 :閲覧者A(時々発言)さま

ありがとうございます!

2427ユタカ:2013/07/22(月) 15:12:25 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま ありがとうございます。レスを読ませていただいて、アチコチ訪問しては読んで戻ってまた、戻っての繰り返しです。榎本先生の記念館で無神を読んだり、参考文献を読んで、行ったり来たり必死で考えています。難しいです。
今日の参考文献も全文は理解出来ませんが、本当に素晴らしいです。
>web誌友会参考文献板
43 :復興G:2013/07/22(月) 07:11:10 ID:AB6RqYXc

   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         三十三

  『生長の家の歌』 はその題名にのみ “生長の家” という名前があって、四番までの歌詞には一ヵ所も “生長の家” という名前は出て来ないのである。

 即ち、ここには、自分をどこにもかかげていない、消え切りの、澄み切りがあるのみなのである。

  「生長の家人類光明化運動よ。汝は何処(いずこ)より来たれるや?」

 何処よりも来たらず。来たって来たるところなく、去って去るところなし、過去、現在未来に非ず、である。三界に身を現わすことなき、生長の家人類光明化運動である。

 来たらずして来たり、去らずして去る。姿形なき、はじまりなきはじめのはじめなる、今なる、肉によらずして生まれたる、浄まり切りたる、聖(ひじり)の聖なる人類光明化運動の姿が今や、その姿を顕わそうとしているのである。

 尊師谷口雅春先生が 「自分もまた、明治二十六年十一月二十二日に母の肉体より誕生したのではなかった」 とのよろこびに帰った時、人類光明化運動も、はじめなきはじめなる久遠の、肉によらざる浄まれる運動として誕生していたのである。

 それは世界的状況という、現象の必要性、肉の状況にさそわれて出発した運動ではなかったのである。

 宇治別格本山の新練成道場が出来、多目的ホールに 「實相」 額を置くことになり、それまで長い間、幽斎殿に置いてあった 「實相」 をもって来て、壁にはめ込みの額に入れることになったのである。

 その時、もとの額縁(がくぶち)が要らなくなったので私はそれを貰い受けて、素晴らしいその額縁に、私の描いた絵を表装屋に出して、入れてもらったのである。

 その絵には 「東雲燦然神霊遍満」 と揮毫しており、総本山の東雲台から眺めた朝焼けの雲に乗ったようにして神霊が合掌の姿で天降りつつあるその光景であり、それぞれが合掌してい給うのである。この絵は今、幽斎殿の私の “祈りの間” の 「實相」 軸と向かい合って、私の背中の方の壁に立てかけて置いているのである。

 この額には、数十年おさまっていた大聖師の 「實相」 の字は既にないのであるが、 「實相」 の文字そのものが、 「私は無いのです」 との、みずからの消え切りの、澄み切りであることを知らされた今、その象徴として、額から 「實相」 の字は姿を消して、そこには、万物礼拝の澄み切りの合掌がそこに輝いている大聖師のお姿があり、完全円満なるものを礼拝し祝福する運動であるところの汚れなき生長の家の人類光明化運動のすがたがそこに輝いていて下さっているのであると拝察させて頂いているのである。

 姿、形なくして、吾れも知らず、他も知らず、全地上が澄み切りの、聖なる光に覆われているのである。そして、それがますます輝きを増し、生長して行くのである。 「世界平和の祈り」 はこのような内実を持ったものであることに心を新たにしたのである。このような光りは、誰も、何ものも反対することは出来ないのである。(1998.8.2)

2428ユタカ:2013/07/22(月) 15:16:27 ID:R1D4Jmeg
(つづき)
>この額には、数十年おさまっていた大聖師の 「實相」 の字は既にないのであるが、 「實相」 の文字そのものが、 「私は無いのです」 との、みずからの消え切りの、澄み切りであることを知らされた今、その象徴として、額から 「實相」 の字は姿を消して、そこには、万物礼拝の澄み切りの合掌がそこに輝いている大聖師のお姿があり、完全円満なるものを礼拝し祝福する運動であるところの汚れなき生長の家の人類光明化運動のすがたがそこに輝いていて下さっているのであると拝察させて頂いているのである。

ここの「實相」そのものが私は無いのです。

ここが分かりません。  まったくです。 文字だけのことですか??

何を言いたいのかがわかりません。

2429ユタカ:2013/07/22(月) 15:22:57 ID:R1D4Jmeg
>しかし、「生命」 は、「時間・空間」 の中に生まれてのではなく、「時間・空間」 を創(つく)りだした主体者です。
そうでした、そうでした。
時間空間の中で考えると分からないですね。

ですが、時間空間を越えた場所を『實相』と教えてもらったので、榎本先生の『實相』が私も「ない」のですよ。と書かれているところが理解できない難所です。

2430ユタカ:2013/07/22(月) 15:28:19 ID:R1D4Jmeg
a hope様

私は日程と行事計画は復興G様に合わせて進行すればいいと思います。 27日までに先祖供養のお話をされるということです。ですので、27日までに皆さんからも先祖にまつわるお話なども出していただければいいのではないでしょうか?

a hope さま、いかがでしょうか?

2431ユタカ:2013/07/22(月) 16:38:43 ID:R1D4Jmeg
2004年 8月号 白鳩誌 特集「父母の愛に目覚める」

表紙の言葉 子供を愛さない親はいません。あなたは両親、さかのぼればご先祖とも同じいのちでつながっているのです。
この世に生を受け、そして今日まで育ててくださった 感謝の思いを父母に伝えてみませんか。

インタビュー お父さん、お母さんは、どんなときもあなたを愛している
今、あなたがここに存在していること。 それは偶然ではなく、とても不思議で、有難いことなのです。 半世紀以上にわたって人々を生長の家の信仰に導き、救ってきた楠本加美野講師に、父母の愛の深さについてお聞きしました。
生長の家宇治別格本山総務 本部講師 楠本 加美野先生

ーーー「父母に感謝しましょう」という楠本先生の指導によって運命が好転したという方の話を数多くききます。

楠本先生 いえいえ、みなさんご自身が、「本当は両親を愛している自分」に気づいて、その通りになったということなんですよ。私と生長の家との出会いは七十年近く前になりますが、私自身、実父にも継父にも反発し、母にも冷たく、愛を信じない孤独な青年でした。肺結核になり死の恐怖に怯えたこともあります。
でも「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」の生長の家の教えに触れ、長年蓄積した憎しみ、そして、それによって起こっていたからだの不調があとかたもなく消え、幸せに満ちた生活に入ることができたのです。

ーーー憎しみなどの暗い心と身体の不調は関係しているのですか。

楠本先生 心と体の相関関係は、現代医学でも証明されつつありますね。生長の家では「病気というものは本来無いもの。病気はその人の心の影であるから、つくることも消すこともできる」と説いています。両親に感謝するという、本来の美しい心が芽生えることによって病気の苦しみが消え、環境も変わったという方を数え切れないほど見てきました。消えた、というより、本来の健康・幸せそのものの自分に戻ったんですね。

『父母に感謝できた時』
ーーーたとえば・・・・・。

医者からウツ病としんだんされ、ついには会社を辞めざるを得なくなった三十代の男性がいました。妻は子供をつれて家を出てゆき、離婚となり、高額な養育費を毎月求められました。別れた妻への憎しみはつのり、子どもと引き裂かれた憎しみも増し、地獄のような毎日だったそうです。けれども幸運なことに、その方の母親が生長の家をご存知だったんですね。彼は勧められるまま練成会へ参加するようになりました。なかなか変化は現れなかったけれど、それでも何かが変わると信じて・・・・。
ある時、「笑いの練習」を続けていたら、夜に布団の中で急にこみ上げるような悦びが湧いてきたというのです。それからは、いっそう真剣に行事に参加するようになり、ついに今の境遇は、自分の心がつくり出していたことに気づく」のです。 彼は自分の生い立ちを振り返り、「自分はあんなふうにはなりたくない」とおもっていた父親と同じ運命をたどっていたことに驚いたのですね。彼の両親は、彼が二歳のとき離婚しています。父親の浪費癖や女性関係に耐えられなくなり母親は二人の子を連れて家をでました。 今、自分が同じように我が子と離れてみて、この悲しみを父親も味わっていたことをひしひしとかんじたのです。そして父親を探しに行こうと心に決めました。

ーーー会えたのですか。

楠本先生 ええ、別れて、三十九年がたち、初めて父親の顔を知ったのですが、対面した父親は、酸素吸入器なしでは動けない状態でした。それでも彼に会いに出てきてくれ、「おまえたちのことを一度でも忘れたことがなかった」と言ってくださったそうです。
三十九年間も苦しみ、そして自分を愛し続けていて下さったことに心から感謝できた。「この体験があったからこそ生長の家に導かれ、本当の幸せを手に入れる事ができました」とウツ』病だったことが信じられないほどの生き生きとした手紙を、後に彼からもらいました。

(つづく)

2432復興G:2013/07/22(月) 16:53:50 ID:AB6RqYXc

>>2428 :ユタカさま

>>「實相」そのものが私は無いのです<<

ではなくて、

>> 「實相」 の文字そのものが、 「私は無いのです」 <<

ですよ。文字が無いのであって、「實相」そのものが無いのではありません。

2433ユタカ:2013/07/22(月) 17:13:54 ID:R1D4Jmeg
(つづき)
不思議な力を発揮する言葉

ーーー世の中には、子どもに残酷な仕打ちをする親がいますが。

楠本先生 二十歳のA子さんは、幼い頃、何年も母親に暴力を受けていました。母親は、A子さんが四歳のとき再婚をし、婚家先の家族から「その子は施設に預けるように」と言われたそうです。でも母親は手放しませんでした。その代わり、「あんたなんか生まなきゃよかった!」という言葉とともにA子さんへの虐待が始まりました。その後、妹と弟ができましたが、扱いの差は激しく、A子さんは「死にたい」とまで考えたそうです。

ーーーむごい話ですね。

楠本先生 そんな彼女が二十歳になり、宇治別格本山の練成会に参加する機会を得ました。浄心行を行い、両親への感謝の言葉を毎日唱え続けたのです。やってみるとお分かりになると思いますが、「ありがとうございます」という言葉は言えば言うほど 不思議な力 を発揮するんです。
憎んでいた相手の気持ちが、謎解き のように分かり始めるのです。神経過敏な母親は自分に負い目を漢字、精神的に追い込まれて、はねのけたい気持ちをつい、我が子へ向けてしまったのです。それほどの精神状態になったお母さんはかわいそうだった・・・・と。

ーーーそこまで優しくなれるとは、まるで仏さまのようですね。

楠本先生 私達はみな神様仏様の子なのですから、そんな慈愛に満ちた気持ちをはじめから持っているんですよ。自分が「尊い素晴らしい神の子だ」と自覚できた時、今度は、こんなに素晴らしい自分をこの世に生んでくださったことに対して、しみじみ、ありがたい!と思えるようになるのです。

『先祖の幸福の波動をキャッチする』

ーーー 不思議ですね。

楠本先生 A子さんは練成会を終え「生んでくれてありがとう」という電話を母親にしたそうです。母親は罪の意識にずっと苦しんでおられて、「ごめんね」と何度もいい、号泣されたそうです。義理の父親に対しても、背を向けていたのは自分の方だったと気づき詫びました。
その瞬間、今までに無い幸せな気持ちになれたのです。

ーーー父母に感謝できるようになったA子さんの人生は、笑顔がずっと増えていくことでしょうね。

楠本先生 感謝の気持ちを持つ人は、実は、ご先祖様がいつも子孫に発信してくれる幸福の波動をキャッチすることが上手なんですよ。
こういう人は、嬉しい瞬間っていうのが継続していくんです。

そんなことがあるわけないと思う方がおられるなら、ぜひ、気軽に宇治別格本山にいらっしゃい、いつでもお待ちしていますよ。

本文終わり。

楠本先生の写真の横に

「どんな仕打ちを受けた体験があろうとも、必ず父母の愛を見出すことが出来ます。 あなたは神の子ですから」

 
生長の家宇治別格本山総務室で


先祖供養の入り口の父母に感謝することを書かれてありますものを謹写させて頂きました。

みなさんも、資料があったら謹写下さい。

2434ユタカ:2013/07/22(月) 17:16:10 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

あはは〜〜。 やっぱりそうですか。そうだったんですね〜〜〜。

ちょっと、難しく考えすぎました〜〜。。。 ありがとうございます。

2435ユタカ:2013/07/22(月) 17:38:51 ID:R1D4Jmeg
先祖を祀る心

大地は神様  根は先祖  幹は両親  枝葉は子孫

枝葉に花咲き よき果を結ぶは 親に考養 先祖に供養

       
          桜の花はどこから咲くか 

 桜の花が美しく咲いて人にとろこばれるのは、一ぺんに、どこからともなく花が出て来たのではない。
それは根があり、幹があり、枝があり、葉があり、その根が、幹が、枝が、地の中にある養分を苦労して吸い上げ、葉が太陽のお光をいただいて、空気中の炭酸ガスを吸収して、一所けんめいにそれを同化して、やっと小さな芽のような蕾(つぼみ)をつくり上げ、その蕾を育て上げて、ついにあの美しい花を開かせたのです。

人間が今日あるのも、ただひとり、自分の力で此処に生まれ出ているのではない。
花には幹があり、根があるように、人間には父母があり、祖先があり、祖先のもとには神様があり、その神様の いのち が自分に通うていて人間は生きているのです。ですから神様に感謝しなければならぬ。 祖先に感謝しなければならぬ。 父母に感謝しなければならぬ。(中略)

貧乏をしたり、病気をしたりするのは、根に養分が足らぬからです。
感謝が根に養分をやることになるのであります。毎日、祖先に「甘露の法雨」を誦(あ)げて感謝いたしましょう。
そうしていますと、毎日いっそう人間は元気になり、運がよくなり、成績がよくなり、何でも都合よく行くようになります。

    谷口雅春先生 『美と健康の創造』より謹写

2436復興G:2013/07/22(月) 20:01:15 ID:AB6RqYXc

ユタカ様

親孝行・先祖供養について、すばらしい参考資料の謹写掲示、ありがとうございました。


榎本先生は、「現象は、無い!」 と執着を放つところに、無上の歓喜、法悦を感じておられたのですね。

「実相」 と言っても、現象の側から見た「相対的な実相」なんて、そんなものは無い! ということでしょうか。

2437閲覧者A:2013/07/22(月) 20:28:09 ID:???
ユタカ様、素晴らしいご文章をありがとうございました。

2438a hope:2013/07/22(月) 22:16:35 ID:edEDolt2

>>2430 ユタカさま 

①私は日程と行事計画は復興G様に合わせて進行すればいいと思います。
②27日までに皆さんからも先祖にまつわるお話なども出していただければいいのではないでしょうか?

↑の二つのご提案ですが、賛成させていただきます。
トキさまや、みなさまもきっと了解してくださると思います。

復興Gさま、みなさまどうぞよろしくお願いいたします。


ところで、わたしは今は教団の信徒ではないのですが、近所の親切な白鳩のおばさまが時々愛行で白鳩誌を持ってきてくださいます。
ユタカさまが、>>2431で『2004年 8月号 白鳩誌 特集「父母の愛に目覚める」』の楠本加美野先生への
インタビュー記事をご紹介くださっていますが、
今月号?(NO.40)にも楠本加美野先生へのインタビュー記事が載ってますよ!
それには、流産児供養のこともお話されていてその内容がわたしには少し衝撃的でした。

以下 楠本先生のお話より抜粋

<<・・・練成会での指導経験から分かったことですが、流産時がいる家庭の子どもには、共通した現象が起きています。
それは、やる気がなくなってしまうとか、親に暴力を振るったりして反抗する、暗いところが好きになる、
お菓子が好きになる、冷え性になる、孤独で寂しそうにする、無駄に金を使ってしまうなどです。
これは流産児がその苦しみを、生を享けたきょうだいの問題行動を通して親に訴えている結果だと考えられます。
中絶された胎児は、やはり親から愛してもらいたいし、霊界でどんなに辛い思いをしているかということを親に分かってもらいたいんです。
子どもが家に引きこもっているとか、大学を出ても働こうとしないというような悩みを抱えて
練成会に来る親御さんが今はとても多いですが、そういう家庭には、まず流産児がいます。
中には「いません」という人もいますが、「あなたの両親には?」と尋ねると、いることが多いんですね。
霊界はこの現象世界と同じように「念の世界」ですから、私たちの心の思いが伝わります。
もし自分に流産児がいれば懺悔して供養するのはもちろんですが、自分とご主人のそれぞれの親に流産児がいれば、
親に代わって供養してあげてほしいですね。・・・>>


流産児は自分には関係ないことだと思っていましたが、両親・義両親のことまで考えていませんでした。
それに実際、わたしのきょうだいの子どもが今不登校になっています。

子どもの問題行動のすべての原因が流産児だとは思いませんが、本来この世に生まれてくるべきだった尊い命を、
親の不注意で流産してしまったり、親の都合で中絶してしまったわけですから、
その流産児の霊界での苦しみや、親に愛されたいという念がそのきょうだいやその子どもたちに伝わって、
問題行動としてあらわれるということはありえることだと思いました。

インタビュー内容が素晴らしいので、全文紹介させていただきます。
(長文になりますので、明日から自分のペースで信仰/体験板の方ににさせていただきます)

2439ユタカ:2013/07/22(月) 22:28:00 ID:R1D4Jmeg
>榎本先生は、「現象は、無い!」 と執着を放つところに、無上の歓喜、法悦を感じておられたのですね。
現象は無い!と断ち切ると本当に気持ちいい感じがします。

相対的な実相・・・も無いと断ち切って実相の中で生活できればいいですね。 凡人の私にもできるのでしょうか?

復興Gさま、いつまでも理解できないですみません。。。。

2440ユタカ:2013/07/22(月) 22:33:51 ID:R1D4Jmeg
a hope さま

今回、先祖供養のお話があるので、8月号の普及誌はこちらに謹写されてはどうでしょうか? 別板ですと、すぐ消えて(上に上がってしまいます。)

2441ユタカ:2013/07/22(月) 22:40:31 ID:R1D4Jmeg
みなさまも ご自分のこれはよいなぁ。と思う資料をここに掲載されてみてはどうでしょうか?

閲覧者A様も何か先祖供養に関係がある文章がありましたらどうぞ。。。

うのはなさま、SAKURAさまも沢山資料を持っていそうですね。 よろしければ、ご掲載くださいませ。

まとめは復興Gさま、よろしくお願いいたします。

ということで、どうでしょうか?

2442復興G:2013/07/22(月) 23:15:28 ID:AB6RqYXc

>>2439 :ユタカ様

>>相対的な実相・・・も無いと断ち切って実相の中で生活できればいいですね。凡人の私にもできるのでしょうか?<<

実相と現象と、二者相対するものがあるというような 「実相」 というのは空想に過ぎず、本当の実相ではないということです。実相は絶対――対立を超えたもの――時間・空間が現れる以前の、時空を超えた 「久遠の今」、「超時の今」 にあるものだからです。そこは対立のない世界だから、 「実相独在」 というのです。

まあ、わかってもわからなくても、神に生かされている、実相の中で生活していることにはまちがいないので、
「バンザーイ!」 と喜んで、安心して生きましょう。生かされましょう。

2443a hope:2013/07/22(月) 23:22:45 ID:edEDolt2
>>2440ユタカさま 

<<今回、先祖供養のお話があるので、8月号の普及誌はこちらに謹写されてはどうでしょうか? 別板ですと、すぐ消えて(上に上がってしまいます。)>>

そうですね。
それでは、少しずつの紹介ではなくて、wordにすべて謹写し終わった時点で、こちらに投稿させていただきます。

2444a hope:2013/07/22(月) 23:25:05 ID:edEDolt2
復興Gさまとユタカさまが、榎本恵吾先生の『神癒の展開としての人類光明化運動』の御文章についてお話されていますが、
確かに、恵吾先生の御文章は独特で、頭で考えて理解しようとすると難しいのではないかと思います。

わたしは、頭で深く考えるのは苦手で、感覚で捉える(?)方が好きです。
だからあまり、内容については深く考えず、「あ〜そうなんだ!そうなんだ!」
「実相は完全円満なんだ。ありがたいな〜」ってすべてを肯定的に受け入れてしまっています。
でも、時々「恵吾先生、そこまで言いますか・・・」とニヤニヤと笑い顔になっているときもありますが。

恵吾先生は、御文章の中で一切の現象、迷い、暗黒等の本来ないものを「無い 無い 無い」と否定されて、
そればかりか、人間がイメージで考えてしまうような 「神」や「実相」さえも否定されて、
すべてのすべてである「まことの実相(宇宙に遍在し給う神)」の存在だけを肯定されようとしていらっしゃるのではないかと思いました。

とにかく、わたしにはすごく新鮮で刺激的な御文章なので毎日ワクワクしながら拝読しています。
この恵吾先生の御文章は、たとえ意味が通じなくても、お経を読誦するように拝読しているだけで
御利益がある御文章なのではないかと感じています。

2445ユタカ:2013/07/23(火) 00:31:34 ID:R1D4Jmeg
そうですね、私もあまり深く考えないでサラッと読みましょう。

きっとそのうち分かってくるし、實相の中で生かされているので。大丈夫。

ありがとうございました。

>でも、時々「恵吾先生、そこまで言いますか・・・」とニヤニヤと笑い顔になっているときもありますが。
訊け言葉だと、チェスト!!だっけかな? 完全同意です。

恵吾先生は、御文章の中で一切の現象、迷い、暗黒等の本来ないものを「無い 無い 無い」と否定されて、
そればかりか、人間がイメージで考えてしまうような 「神」や「実相」さえも否定されて、
すべてのすべてである「まことの実相(宇宙に遍在し給う神)」の存在だけを肯定されようとしていらっしゃるのではないかと思いました。


同感、同感。。。。  よーーーくわかります。 そこにこそ今の教団の問題の解決があるのですね。。いや、もしかすると、一人一人の問題かも知れませんね。。。

私達のために、教団があのような現われをそているのかな?? と榎本先生のスゴイ文章を読むとそう思う時もあります。でも、その悦びをすぐに忘れてすぐに凡人に戻ってしまいます。。。

それなので、勉強させていただけるWEB誌友会にとても感謝しています。ありがとうございます。

2446ユタカ:2013/07/23(火) 05:40:40 ID:R1D4Jmeg
>2442 復興Gさま
>まあ、わかってもわからなくても、神に生かされている、実相の中で生活していることにはまちがいないので、
「バンザーイ!」 と喜んで、安心して生きましょう。生かされましょう。

ありがとうございます。そうですね、神様って思っていたよりもっと広くて大きい・・榎本先生を読んで視野が広がった感じがします。。なんて表現したらいいのか分かりませんが・・・

それと、確認させて下さい、27日までは先祖供養関係のお話でそれ以降は生命の實相を開始ということで良かったのですよね? そうだと思って書き込み開始してしまいました。

ありがとうございます。

2447復興G:2013/07/23(火) 06:02:25 ID:AB6RqYXc

>>2446 ユタカ様

>>確認させて下さい、27日までは先祖供養関係のお話でそれ以降は生命の實相を開始ということで良かったのですよね? そうだと思って書き込み開始してしまいました。<<

そのように決めてかかったわけではありませんが、それがよろしいでしょう。よろしくお願いします。

ありがとうございます。

2448復興G:2013/07/23(火) 06:10:49 ID:AB6RqYXc

>>この恵吾先生の御文章は、たとえ意味が通じなくても、お経を読誦するように拝読しているだけで
御利益がある御文章なのではないかと感じています。<<

>>神様って思っていたよりもっと広くて大きい・・榎本先生を読んで視野が広がった感じがします。。<<

ほんと、実相とか神様というのは無限なのですから、有限な人間の頭脳で解るはずはない。

解ったと思ったら、それはウソでしょう。

私も、解ったようなことを言っているけど、それはウソで、本当は何もわかっていないのだと思います。(笑)

ありがとうございます。

2449ユタカ:2013/07/23(火) 22:20:04 ID:R1D4Jmeg
>2448 復興G様

榎本先生ワールドから見るとGさまでもそうなるのですか。(笑)そのような世界から見たら、今の事件などたいしたこと無いのかもしれませんね!

明るく頑張ります。 嬉しい、楽しい、わあっはは!!

2450閲覧者A:2013/07/23(火) 22:34:49 ID:???
榎本先生のご文章を拝見していたら、24時間神想観のような感じを受けます。正座瞑目合掌していなくても、いつも流れいり、満たされているのですよね。

2451ユタカ:2013/07/24(水) 06:27:05 ID:R1D4Jmeg
もしかして、、、先祖供養の資料謹写の場所間違えていますか?

a hope様が言っていたように・・・聖典板だったのかな? 間違えていたらすみません。。。

2452a hope:2013/07/24(水) 08:17:20 ID:edEDolt2
白鳩 NO.40 (生長の家本部編集)日本教文社発行より

〈インタビュー〉(p12~)
✻楠本加美野・生長の家長老に聞く
『生かされている感謝の思いを、先祖供養に込める』

(生長の家の先祖供養の中心地と言われる生長の家宇治別格本山(京都府宇治市)。半世紀以上にわたって練成会での指導を務め、多くの人々を信仰に導いてきた楠本加美野・長老(宇治別格本山総務)に、先祖供養の意義についてお聞きした。

―――長年にわたって生長の家の練成道場で指導をされてきましたが、一貫として「父母の愛の尊さ」について説いていらっしゃいますね。

〈楠本〉 生長の家は「天地一切のものに感謝せよ」と教えています。その中で一番大切なのが、父母に感謝することです。自分の存在が素晴らしい「神の子」だと分かれば、自分を生んで下さった父母に対して感謝の気持ちが起るのは、当然のことなんですよね。親は生まれてから一番世話になった人であり、身近な存在です。その父母に対して感謝できなければ、他人や天地の何物にも感謝はできないんです。

私の父は、私が生まれて間もなく行方不明になりました。その後、母は私が十三歳の時に再婚しましたが、私は母と継父をずっと軽蔑し、嫌っていたんです。ところが二十六歳のときに参加した生長の家本部練成道場の練成会で、「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」と谷口清超先生から個人指導を受け、ハッと胸を打たれました。

その十年前に生長の家に入信していた私は、頭では父母への感謝の大切さを知っていましたが、「悪い親に感謝する必要はない」という思いが強く、つまりそれまでの私の信仰はニセ物だったんです。

ご指導の後、私は一生懸命、「お父さん、ありがとうございます、お母さん、ありがとうございます」と唱えて祈りました。そうしていくうちに父母の愛の深さに目覚め、心から感謝できるまでになったんです。

練成会の参加者の中には、かつての私と同じように親を嫌い、「感謝できない」と言う方がいますが、父母への感謝ができないと、それは「神の心にかなわぬ」のですから、運命は決して良くはならないんです。「腹が立っても、癪(しゃく)に障(さわ)ってもいいから、とにかく感謝の祈りをしなさい」と私は言っています。そうやっていくうち、ありがたいと思えるときが必ず来ます。

父母に感謝できれば、先祖の始めが親ですから、自然と先祖に感謝の念が湧いてきます。もし父母に感謝していないという人がいたら、先祖にも感謝できないことになりますね。

2453a hope:2013/07/24(水) 08:18:20 ID:edEDolt2
《先祖は、子孫の「生命の根」》

―――先祖という目に見えないものへの感謝は、実感しにくいと思う人もいるのではないでしょうか。

〈楠本〉人が死ぬということは肉体が無くなるだけのことであって、生命そのものが無くなるというわけではありません。生命は生き通しですから、先祖の霊をお祀(まつ)りすることは、日本だけでなく、世界のいろんな国でも行われていることなんです。

生長の家創始者・谷口雅春先生は先祖供養の意義を「木」にたとえて、「大地は神様、根は先祖/幹は両親、子孫は枝葉/枝葉に花咲き、よき果(み)を結ぶは/親に孝養、先祖に供養」と表現されました。

先祖は私たちの生命の根であり、根が枯れると枝葉は枯れてしまいますが、根がしっかりしていれば枝葉は繁茂(はんも)します。子孫の繁栄は先祖のおかげであり、根に肥料を与えるということが、供養にあたるわけなんです。

―――親や先祖から頂いた生命を大切にすることは当然ですが、一方で、親が子を虐待して死に至らしめたり、経済的な理由などから、安易に人工妊娠中絶をしたりする人が跡を絶ちません。

〈楠本〉自分は親の性欲の結果として生まれてきたとか、頼みもしないのに何で自分を産んだのか、というような親への反抗心を持っていると、それらが今度は自分の子どもに向けた暴力や中絶として出てくることがあります。私は、中絶は殺人であると思っていますが、中絶がいかに残酷で罪深いことかということを、知ってほしいですね。

中絶する人の多くは、子どもが大勢いると養育に出費がかかるとか、少なく生んで、今いる子どもだけを大切にし、良い子に育てようなどと考えているんでしょうが、大事にしたいと思うその子に、いずれ問題が起きてきたりするんです。

練成会での指導経験から分かったことですが、流産児がいる家庭の子どもには、共通した現象が起きています。それは、やる気がなくなってしまうとか、親に暴力を振るったりして反抗する、暗いところが好きになる、お菓子が好きになる、冷え性になる、孤独で寂しそうにする、無駄に金を使ってしまうなどです。

これは流産児がその苦しみを、生を享けたきょうだいの問題行動を通して親に訴えている結果だと考えられます。中絶された胎児は、やはり親から愛してもらいたいし、霊界でどんなに辛い思いをしているかということを親に分かってもらいたいんです。

子どもが家に引きこもっているとか、大学を出ても働こうとしないというような悩みを抱えて練成会に来る親御さんが今はとても多いですが、そういう家庭には、まず流産児がいます。中には「いません」という人もいますが、「あなたの両親には?」と尋ねると、いることが多いんですね。

霊界はこの現象世界と同じように「念の世界」ですから、私たちの心の思いが伝わります。もし自分に流産児がいれば懺悔して供養するのはもちろんですが、自分とご主人のそれぞれの親に流産児がいれば、親に代わって供養してあげてほしいですね。

2454a hope:2013/07/24(水) 08:19:20 ID:edEDolt2
《先祖は子孫の幸せを願ってくれている》

―――供養といっても、どうすればいいのか分からない人が多いと思います。

〈楠本〉流産児を「供養している」という人でも、お寺に地蔵を建てて、お坊さんに拝んでもらっているといった程度です。でも供養はそういうことはして終わりではありません。親が愛の気持ちをもって供養しないと子どもは満足しないんです。愛の気持ちを持つことの大切さは流産児だけではなく、先祖の供養でも同じことですね。

初めて練成会に来られた方に、「家に仏壇はありますか」と聞くと、「ありません」と答える方が多いんです。先祖供養について尋ねると、たまにお墓参りをするとか、実家に帰ったときに仏壇にお参りするとか、そのくらいなんです。自分の家にも仏壇を置き、先祖供養は毎日してほしいものです。

生長の家で説く供養の仕方には、仏前に物をお供えする「物施」と、「人間・神の子、肉体なし」の教えが説かれた聖経を仏前で読む「法施」があります。子どもが酒乱で困っていたという女性が、亡くなった夫が酒好きだったので仏壇に酒を供えたら、子どもの酒乱が解消したという実例がありますが、これなどは物施の功徳です。
さらに、仏前で法施することは、霊が早く悟りを開き、子孫を導いて下さることにもつながります

―――良縁を求めることも、先祖供養と関係があるのでしょうか。

〈楠本〉結婚したいという人より、子どもが結婚する意志がないことを心配して、練成会に来る親が多いんですね。結婚は木にたとえると「枝葉」にあたるわけですから、やはり「根」を大切にすることが必要です。親が子の幸せを願うように、霊界でも先祖は同じように、子孫が幸せになるように思ってくれているんです。

結婚を望む方は、毎日、仏前や神前で聖経を誦(あ)げ、「どうぞ子どもに素晴らしい半身を与えて下さい」とお願いするといいんです。子宝に恵まれないという人も同じように先祖供養をするといいですね。

「先祖供養をしているのに子どもができません」と言う人もいますが、こどもが生まれるとか生まれないとかは神様のお計らいですから、先祖供養を続けながら、神様を信じてお任せすることが大事です。

2455a hope:2013/07/24(水) 08:20:05 ID:edEDolt2
《生きている家族と接する気持ちで》

―――先祖供養は、どのような気持ちで取り組んだらいいのでしょうか。

〈楠本〉先祖が迷っているから、自分はこんなに不幸になるんだ、聖経を読んであげるから、早く悟りなさいと考える方が多いんです。けれども、これでは供養にはなりません。供養とは問題解決のためではなく、あたかも生きている家族に接するように先祖にも接して、感謝することなんです。

自分がこの世に生を享けたということは、父母がいるということですよね。その父母にもまた父母がいる。こうして先祖を十代遡(さかのぼ)れば、千人余りいることになり、二十代遡れば、百万人以上もいることになる。その内の一人でもいなかったら自分は存在しないわけです。こんなんいたくさんの先祖から生命を受け継いで、自分がここに存在している、ということに思いを馳(は)せれば、どれだけありがたいことかを実感できるのではないでしょうか。

仏前や神前で聖経を誦げることは、先祖に感謝の念を伝えるだけでなく、実は自分自身の魂にもそれを伝えていることになるんです。自分と先祖がともに「神の子」を自覚して力を携え合うことで、私たちの運命はますます明るく開けてきます。

以上 
感謝 合掌。

2456a hope:2013/07/24(水) 08:29:47 ID:edEDolt2
>>2452>>2455のインタビュー記事は、平成25年7月15日発行の白鳩誌からです。
記事と一緒に、若々しくて、やさしい笑顔の楠本加美野先生のお写真も紹介されていました!

2457ユタカ:2013/07/24(水) 09:52:06 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

ありがとうございます。 読みましたよ〜〜。 そして先日のリアル誌友会でも今月号はこのページを輪読しました〜〜〜。

楠本先生にはお元気でまだまだ末長くご活躍していただきたいです。 楠本先生、有難うございます。

2458復興G:2013/07/24(水) 11:22:36 ID:AB6RqYXc

a hope 様

まことに時宜に適した、楠本先生インタビューの記事のご謹写、ありがとうございました。

ユタカ様も、その前に >>2431>>2435に、先祖供養についての貴重な参考資料を掲示して下さっていました。

これで、先祖供養についての基本がしっかり学べたと思います。

それで私は、

○お盆(盂蘭盆会<うらぼんえ>)の由来について

○先祖供養と言えば普通はまず、お墓参りや仏壇を拝むこと、お寺でのご供養などを思い浮かべると思います。谷口雅春先生は、『生命の實相』 第28巻p.77〜p.78に、つぎのようにご教示くださっています(『人生を支配する先祖供養』のp.111〜にも、「祖先の宗教と和解する」と題して収録されている)。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「生長の家」では、今までの宗教を決して排斥するということをしない。祖先の宗教によって祖先を祀りなさいということをいうのであります。

 葬式の場合にも、祖先からの宗教の坊さんを招いて、祖先伝来の宗教の儀式にして、祖先の宗教のお経を訥してお葬式をしてもらいなさいと、こういうぐあいにお教えする。

 既成宗教のお坊さんが新興宗教が勃興すると自分の宗教業を奪ってしまうと思って生活権の擁護のためにむやみに反対なさる方があるかもしれませんが、「生長の家」に限ってそんなことはしないのであります。

 今まで物質科学者が、霊魂なんてないものだ、肉体は滅んで灰になってしまったら、それでしまいになるのだなんていうふうに説いておった科学者こそ坊さんの職業を奪うというふうになっておったかもしれないけれども、「生長の家」は決してどの宗教からも職業を奪うということをしない、かえって他の宗教を生かす。

 祖先の信奉しておったところの宗教を生かすということによって、まず第一祖先と和解するのであります。祖先と和解し、祖先の信仰と和解し、ただ和解するだけでなしに、その祖先の信仰に光を与え、生命を与え、祖先を済い、そうして一家を光明化し自分自身をも済うというのが「生長の家」であります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 と。 では、特に 「生長の家の先祖供養」 とは?

 というようなことについても勉強し、私の体験も交えてお話ししたいと思っていますが、今、他の仕事が入っていますので、しばらく(2、3日)お待ち下さい。

 その間、上記のことについてや、皆さまが勉強されたことや疑問などを投稿して下さるのは、大歓迎です。

 ありがとうございます。

2459閲覧者A:2013/07/24(水) 12:27:22 ID:???
a hope様、楠本先生のご文章を読ませていただきました。ありがとうございました。勉強になりました。
いろいろ読ませて貰って1つ質問なのですが、復興G様は2〜3日お忙しそうなのですが、質問させてもらいます。
ご先祖様の中に、生前、生長の家を好ましく思わない方がおられた場合、お仏壇で聖経をあげても大丈夫でしょうか。

2460神の子さん:2013/07/24(水) 17:05:44 ID:R1D4Jmeg
>では、特に 「生長の家の先祖供養」 とは?

 というようなことについても勉強し、私の体験も交えてお話ししたいと思っていますが、今、他の仕事が入っていますので、しばらく(2、3日)お待ち下さい。


有難うございます。よろしくお願いいたします。 

私はお盆になると、夜中に誰かがお風呂に入っている音(家族は桶は使用せずにみなシャワーですが、お盆の最中は桶でカツーン、バシャー と水が流れる音がしているので覗くと真っ暗で誰もいない)を聞きます。

どのご先祖様かは分かりません。。。 

また、お盆の夕方になると、近所のお寺から提灯(ちょうちん)を下げて先祖の御霊を家に連れて帰る風景がご先祖様を大事に、そしてご先祖と共に生活していることが良く分ります、日本の素晴らしい伝統だと思います。

2462復興G:2013/07/26(金) 22:27:00 ID:AB6RqYXc

>>2459 :閲覧者A様

ご質問、ありがとうございました。

お返事、遅くなってすみませんでした。

>>ご先祖様の中に、生前、生長の家を好ましく思わない方がおられた場合、お仏壇で聖経をあげても大丈夫でしょうか。 <<

谷口雅春先生著 『人生を支配する先祖供養』 を拝読して考えましょう。

同書には、聖経をあげる場合の注意として、次のようにご教示下さっています。

<<○先祖に対して聖経を読誦する時の心得(p.32〜 抜粋)

 祖霊に対して、聖経を誦(よ)む時には、

1.唯、尊敬と報恩・感謝の念をもって誦むこと。

2.聖経の意味を説明する。
 聖経を読む前に、先ず「この聖経『甘露の法雨』はあなたが祖先から伝承して来た××宗の教えの真理を最も解り易く、現代語で書かれたものでありますから、心を集中して此の聖経を聴き給うて、その真理を体得し、霊界に於て解脱を得て神通自在となり給いて仏陀の境涯に達し給わんことを翼(こいねが)う」と生ける人に語るが如く唱えてから聖経を誦むがよい。
 そうでないと折角、『甘露の法雨』を論んであげても、それは他宗教の経文であると誤解して反感を起こして傾聴しない場合があるのである。>>

<<○宗旨の異る霊魂を一緒に祭祀してもよいか(p.53〜 抜粋)

生長の家の教えは万教帰一であるから、その祭主が生長の家であり、その心に他宗排斥の心がなければ、日蓮宗も真宗も本来一つという祭主の心が通ずるから構わない。

 要は供養する者が正しい信仰をもって行えばよいわけである。特に、生長の家は万教帰一であるから生長の家の信徒であれば聖経 『甘露の法雨』 を誦げてあげればよいのである。それにて何宗の人々の霊魂も皆救われるのである。>>

――しかしながら、次のようなご教示もあります。

<<「霊魂も生きているのであり、ひとりひとり個性があり嗜好も趣味もちがうのであり、どのような形式でお祀りしてあげることが、その霊魂にとって満足であるかは、いちいちの場合についてそれぞれ異なることであるから、本当は概括的に書くことはできないのである」(p.10)>>

<<●婚家の母と信仰が異る場合(p.178〜179)

《質問》 婚家先の母がキリスト教で、私が先祖祀りをしたいと思っても母が先祖祀りをさせてくれないのですが、どうすればよいでしょうか。

《垂示》 先ず第一に、その母を一番身近な先祖と思い、真心をこめて供養する気になって一所懸命に仕えることです。その真心があればお母さんも貴女の気持を解って下さるようになります。

 先祖供養は形ばかりではありません。形よりも先に、供養の真心が大切です。この心があれば、結婚した時に、夫婦そろって先祖の御霊前に報告されるでありましょうし、婚家の母の信仰しておられる教えや代々の宗旨を大切にされる姿勢が自然にとられて来ることになると思います。――供養ということは、形に祀る以前に真心と感謝の気持がなければなりませんので、婚家先の代々伝わっている慣習なども軽んずることなく遵守しながら仕えるようにされるとよい。

 次に、貴方自身が心の中に充分祖先に感謝し家族に感謝し礼拝する姿勢が出来てくれば、それが、現象面にも現われて、家庭内でのお母さんとの信仰の違いなども当然、自然に解消されて来るはずです。心の世界で母嫁一体になったその時に万教帰一の真理をお話してあげ、「先祖祀りとは宗派を越え、人間の当然の義務として行なわなければならない」という意義を真心をこめてお話しして理解していただき、形の上でもお祀りするようにすればよいのである。>>

 ――以上、挙げました谷口雅春先生のご教示を参考にして、適切なご供養をされますよう、お考え下さい。

2463閲覧者A:2013/07/27(土) 00:49:05 ID:???
復興G様、ご指導をありがとうございます。
大切なことを、忘れていたと、読ませていただいて思いました。
私が正しい信仰をもっていると信じ、真心と感謝で供養を行う事が大切ですね。その為にも、聖経の意味を学びたいと、心から思いました。
生前、その仏様が、生長の家の悪口を言ってたから、聖経はやめようと考えるのは、あまりにおろかでした。
本当にありがとうございました。

2464復興G:2013/07/27(土) 01:58:29 ID:AB6RqYXc

閲覧者A様

ありがとうございました。


>>2460 :神の子さん様

>>私はお盆になると、夜中に誰かがお風呂に入っている音(家族は桶は使用せずにみなシャワーですが、お盆の最中は桶でカツーン、バシャー と水が流れる音がしているので覗くと真っ暗で誰もいない)を聞きます。
どのご先祖様かは分かりません。。。<<

 ――うーん、夏の夜のコワーイお話みたいですね。(笑)

 しかし、真理を知れば、チーットモ怖くはありませんので、ご安心ください。

 まず、それは――「暗(やみ)の中にいて恐怖すれば枯尾花(かれおばな)も幽霊の姿を現ず」 と聖経 『天使の言葉』 にありますが、単なる錯覚、妄想である可能性があります。であれば何も怖いことはありませんね。

 でも、死者の霊の作用(はたらき)である可能性もあります。しかし、それであっても、怖れることはありません。

 よい質問を下さいましたので、明日お答えしたいと思います。明日午前中はリアルの誌友会がありますので、午後から夜にかけてしっかり勉強させて頂きましょう。
 お楽しみに。

2465ユタカ:2013/07/27(土) 08:48:04 ID:R1D4Jmeg
>本が神殿であるということは、本そのものが道場そのものであることなのである。(1998.8.7)

今朝はa hopeさまと復興G様の謹写からとても力を頂きました、有難うございます。

夜中の風呂の音・・・怖いですか?夏の怖いお話! 面白いですね。

でも、私は全然怖くなくて、お盆は本当にご先祖様が家に帰って来る実感があるので、お盆の期間は新しいお湯を入れなおして24時間いつでもお風呂が使える体制にして、ご先祖の食事もいつもはご飯だけですが、おかずも一緒に供えて、一緒にお盆の期間を過ごしています。

永遠生き通しの生命ですから、ご先祖さまの生命をありありと感じられる懐かしい嬉しいお盆の時間であります。

お盆はそのようにご先祖さまが家に帰って来てくれているからお墓にはご先祖さまはいません、ですから、お坊様がお経を読誦しに自宅まで来てくれますね。。

家の親戚はお寺なので、檀家さん宅訪問でお盆は大忙しです。見えなくなったけど、時々感じるご先祖さまという感じです。

生長の家宇治別格本山に永代供養をして「甘露の法雨」をあげて、『ご先祖に供養をしてあげた!』といい気持ちになっていましたら、

帰宅後ソファーに座ったら、ご先祖さまが私に頭上50センチ位の処で、三人いまして、その方たちが一緒に「甘露の法雨」を私に向かって読誦してくれていました。 こちらがご先祖に供養をした!!と偉そうにしていたら・・・!!

反対にご先祖さまの方がもっと強い力で、私に「甘露の法雨」をあげて常に常に護ってくれていたことを感じました。 現象界では楠本先生が父母の愛を語って両親への感謝を知らせてくださり、永代供養という事を通して、ご先祖様の生き通しの生命と限りなく深い愛情を実感させて頂ける生長の家は本当に有難い素晴らしいところです。

と入力している今、とても良い香りのお線香の匂いがして来ました。 今、ご先祖さまがいらして喜んでいるんでしょうね、有難うございます。。。

みんなも、体験談を書いてね。

2466a hope:2013/07/27(土) 16:57:24 ID:edEDolt2

>>2365ユタカさま

>>お盆は本当にご先祖様が家に帰って来る実感があるので、お盆の期間は新しいお湯を入れなおして24時間いつでもお風呂が使える体制にして、ご先祖の食事もいつもはご飯だけですが、おかずも一緒に供えて、一緒にお盆の期間を過ごしています。永遠生き通しの生命ですから、ご先祖さまの生命をありありと感じられる懐かしい嬉しいお盆の時間であります。<<

>>帰宅後ソファーに座ったら、ご先祖さまが私に頭上50センチ位の処で、三人いまして、その方たちが一緒に「甘露の法雨」を私に向かって読誦してくれていました。 こちらがご先祖に供養をした!!と偉そうにしていたら・・・!!
反対にご先祖さまの方がもっと強い力で、私に「甘露の法雨」をあげて常に常に護ってくれていたことを感じました。<<

>>、とても良い香りのお線香の匂いがして来ました。 今、ご先祖さまがいらして喜んでいるんでしょうね<<

ユタカさまは、ご先祖さまの存在をそんな風に実感として感じることができるのですね!
素晴らしいですね!!


わたしにもユタカさまほどではないですが、ちょっと不思議な経験があるのでお話させていただきます。

数年前のお盆前に田舎のおばあちゃんの所に行ったときのことです。
足の悪いおばあちゃんの代わりに、主人とわたしとお墓のお掃除をさせていただきました。

すごい田舎なので、お墓も人気の全くない山の中にあって、今まで(生長の家に触れる前まで)はとても怖くて、
一人ではもちろん、家族と一緒でも行くのが嫌でしたが、その時はピクニックに行くように楽しい気分で行きました。

周りの草を刈ったりむしったり、墓石をきれいに磨いたりした後、麦茶を飲んでいたときですが、
すがすがしい風がす〜っと吹いて、わたしは「あっ、ご先祖さまが喜んいる!!」って思ったんです。

その瞬間、主人が携帯できれいになったお墓の写真を「パチリ」「パチリ」と撮っている姿が見えました。
「おばあちゃんに見せるためだな」と思いましたが、同時に「必ず何かご先祖様の喜んでいる証拠が映っているに違いない!」と確信したのです。

そして、おばあちゃんの家に戻りパソコン大きく映してみると、本当に白いまん丸い大小のオーブが2枚の写真に3〜4個ずつ映っていました。
それまで一度も、主人やわたしの携帯やカメラの写真に、オーブが映るなんてことはありませんでしたから驚きました。
そして、あの時の自分に「何かが映っているに違いない」という確信があったことに関しても、とても不思議な気持ちになりました。

2467復興G:2013/07/27(土) 20:49:37 ID:AB6RqYXc

>>2465 ユタカ様
>>2466  a hope様

素晴らしい体験談、うれしくなりますね。ありがとうございます。

さて、
>>2460 :神の子さん様のご投稿について、具体的に解説させていただく前に、人間とは何かの根本問題について、考えさせて頂きましょう。

 『新版 真理』 第3巻22章 に、次のようなご講義があります。最初に、

<< 『無門関』 の第二十則に 「大力量人(だいりきりょうにん)」 と云う公案があります。

  松源(しょうげん)和尚云く、大力量の人、甚(なに)に因(よ)ってか脚を擡(もた)げ起さざる。

 ――「大力量の人であるのに、何故それ位の重荷を背負ったくらいで、脚を擡(もた)げて起きないのであるか」 と云うのであります。「大力量の人」 と云うのは実は皆さんのことなんです。皆さん一人一人が大力量の人であって、何でも出来ないことは一つもない。それは皆さんの本心が知っていらっしゃるのです。本心に於いては 「人間は神の子で無限力だ」 と云うことがわかっていながら、何によってその無限力を発揮することが出来ないのであるかということが問題であります。>>

 ということから始まって、次のようなお話が載っているのです。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   自分の心の足音に驚くな(p.294〜299)

 ある人が山の中の真暗な道を、夜おそく歩いておったら、後ろから大入道(おおにゅうどう)が追っかけて来た、その足音がだんだん近づいて来た、さあ敵(かな)わぬと思って一所懸命速歩(はやあし)で歩くと、後ろから追っかけて来る足音もだんだん速歩で近づいて来るのであります。

 「さあ大変」 と云うので走り出したら、向こうも走ってくるらしく、あわただしくパタパタと足音が急速に追っかけて来る。一所懸命逃げたのでありますが、やがて、もう行こうにも向こうが行詰りになっていてそれ以上行くことが出来ない。逃げようにも逃げる道を失ってしまって、さあ今にも後ろから追っかけて来た奴に取っ捉(つか)まって、其の化物(ばけもの)にひと呑みに噛みつかれるかと思って、絶体絶命、ハッと後ろを振り向いたら誰もいない。

 「怪(あや)しいな」 と思って、自分で足踏みして見ると、自分の冷飯草履(ひやめしぞうり)の足踏みする音が、追っかけて来ていた人の足音と同じであった。

 自分を苦しめる別の存在が客観世界に別にあるのかと思うと、それは実は自分の心の影なのです。「大力量の人甚(なに)に因(よ)ってか脚を擡(もた)げ起さざる」 です。君は大力量の人であるのに何の為に逃げているかと云う訳です。この後ろから追っかけて来る者を 「死」 とか 「病」 とか 「老衰」 とか 「貧乏」 とかに考えて見ましょう。

 何も後ろから追っかけて来るものは一つもないのに、何か追っかけて来ていると思って、それを恐れて逃げている人が多いのであります。これが即ち対立の世界観をもっておる人にあらわれる 「世界」 なのであります。つまり 「ペタペタと云う足音の世界」 と云うものと 「自分」 と云うものと別のもので相対立しておって、「彼」 は 「敵」 であると見ておった。ところが、豈(あに)図らんやそんなものは自分と対立している敵ではなくして、自分自身の足音で現わしている世界だったのです。

これと同じように、環境として現れている「世界」は、みんな自分自身の心の波の足音で現わしている世界なのであります。だから、自分自身さえ変ったら周囲が忽ち変ってしまうのであります。

 こうなると、自分自身を害する物は自分の他(ほか)に何もない。是(これ)は非常に楽天的な楽観的な人生観であり、こうした人生観をもつときはじめて人間は幸福になれるのであります。

 世界と云うものをば、鉄壁のように固く頑としておって、吾々がそれにぶつかっても、どうしても砕けないと観じておったら、此の世界はまことに苦しい世界でありますけれども、「自分」 を離れて 「外界」 なんて云うものはないのだ、自分の身辺の事象ことごとく自分が現わしているのだ、人間の生命を脅やかすべく後ろから追っかけて来る化物と見えるものは、実は自分の冷飯草履の足音と同じように自分の心が拵(こしら)えてそこに現わしている自分自身の延長に過ぎないのが外界であります。これは一元的世界観であります。禅の人生観も日本の純粋の思想も本来一元的であるのであります。

 さきにのべたように二元観に立つ西田哲学は、嘗(かつ)て其の筋の批評家から 「始めて日本の哲学を創始した」 と云って褒められたことがありますけれども、あの二元観は日本の哲学ではないのであります。日本の哲学は 「一」 の哲学であります。世界の国々は沢山に分かれているけれども 「本来一つ」 と云う哲学が日本の哲学でなければならないのであります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

2468ありがとう:2013/07/27(土) 22:13:19 ID:???


名前:トキ 投稿日: 2013/07/27(土) 20:11:51
うのはな様は、観世音菩薩です。うのはな様のために、観世音菩薩讃歌を読みましょう

2469復興G:2013/07/27(土) 23:14:23 ID:AB6RqYXc

 すべては 「本来一つ」 であるということは、常にご先祖様は私たちの中にいらっしゃり、ご先祖様の中に私たちはあり、分かちがたくご先祖様と私たちはいっぺんも離れたことがない、ということでありますね。

 「本来一つ」 であって、「一即多」 「多即一」 と時空間のスクリーンに映像(かげ)を展開しているのが現象世界である。

 ご先祖様は、この世ではすべてを与えきって、消えきって、何も持たず空っぽになってあの世へ行かれた。

 そのご先祖様から生命(いのち)をいただいて、私たちは生きている、生かされている。私たちのいのちはご先祖様のいのちだったのですね。だから私たちも本来空っぽだったのですね。

 「報本反始(ほうほんはんし)」という言葉があります。

 「本(もと)に報い、始めに反(かえ)る」 ということ。

 「大地は神様、根は先祖/幹は両親、子孫は枝葉/枝葉に花咲き、よき果(み)を結ぶは/親に孝養、先祖に供養」 というのがそれですね。

 ところで、私たちは本来神の子、神である。無限完全円満なるものである。

 しかし、現象に於いてはその無限なるものを自己限定して段階的に表現しつつあるのである。

 今生(こんじょう)には今生の肉体に誕生日があり、死ぬ時が来る。

 しかし、肉体は死んでも生命は死なず、表現の場(界)を変えて生き続ける。

 『生命の實相』 第23巻 「経典篇二 聖経 『天使の言葉』 講義」 には、次のようにご教示下さっています。

     (十)

   『念』 に従って一つの組織を現ぜるもの
   この 『生ける肉体』 なり。
   されば 『生ける肉体』 は念に従ってその状(すがた)を変ず。
   『健』 を念ずれば身健かとなり、
   『病』 を念ずれば身に病を現ず。
   されば汝ら常に 『健』 を念じて
   『病』 を念ずること勿れ。
   若(も)し、汝の 『念』 肉体を去れば、
   生ける肉体死体と変じ、
   死体はその状態を維持する 『念』 の力の去ると共に、
   分解して宇宙の要素に復帰せん。
   肉体を去りたる 『念』 は、
   その念の力にてなお一つの個性を持続し、
   幽界に於て生活(いとなみ)をつづけん。
   汝らの霊魂と称するもの是にして、
   『念(こころ)』 の浄まるに従って
   それに相応(ふさわ)しき高き霊界に入り、
   『念』 の浄まらざるものは、
   それに相応しき環境を 『念』 の力にて仮作(けさ)し、
   その環境にいて苦しまん。
   されば汝ら、
   常に心を高く持して
   苟(いやしく)も悪を念ずること勿れ。
   苟も不浄を念ずること勿れ。
   また苟も苦(くるしみ)を念ずること勿れ。
   また苟も病を念ずること勿れ。
   悪と不浄と苦(くるしみ)と病とは、
   神の創造(つく)り給いしものに非ざれば、
   ただ汝らの 『念』 の妄想せる幻に過ぎざるなり。
   汝ら暗(やみ)を見て、
   暗を実在すと信ずること勿れ。
   暗は唯是れ光の非在に過ぎず。
   悪と不浄と苦(くるしみ)と病とは
   ただ神の創造の無をあらわす。
   神の創造なければ
   其処に実在なし、
   実在の 『無』 ――これを称して悪と云い不浄と云い苦(くるしみ)と云い病と云う。
   (中略)
   されど病は実在に非ずして
   ただ恐怖の反映(かげ)に過ぎず。
   心の暗(やみ)の中に光射し来りて
   汝らの恐怖心消ゆるとき
   病はおのずから自消自滅して本来の『無』を露(あら)わさん。
<つづく>

2470復興G:2013/07/27(土) 23:15:18 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 さて、この肉体が、普通の物質的な分解作用を受けないで肉体としての一定の形を持続しているかと申しますと念の凝結作用によって、体が宇宙の要素に分解しないで一定の姿を維持しているので、それは無機物の作用ではなしに、念の力によるのであります。ですから、肉体から念の力が去った時には、肉体は肉体としての一定の形の持続力を失い、宇宙の要素に分解してしまい一時は腐敗して変なものになるとか、焼けない灰になるとかしますが、結局無くなってしまうのであります。
(中略)

 念の去った肉体はそういうふうに分解してゆきますが、それでは肉体を去った 「念」 の方はどうなるかと申しますと、念自身は念の惰力によって、やはり一つの個性を持続して幽界において生活をつづけるのであります。

 これはわれわれの霊魂と称するものであって、ここに書いてあるとおり念の浄まるに従ってそれに相応(ふさわ)しき高き霊界を環境に仮作(けさ)してそこでいわゆる天人としての歓喜愉楽の満ちた生活を送り、「念」 の浄まらざるものは、それに相応しき地獄とか煉獄とかの環境を念の力にて仮作し、その環境にいて苦しむことになるのであります。

 さてこの天国へいったり地獄へいったりする我(われ)というものは、実相の我ではなくて現象の我――仮相の我なのであります。実相の我というものはすでに円満完全な実相の天国浄土にあって、すでに満ち足りて、無限の愛、無限の知恵、無限の生命を備え、神の無限の供給を受けている欠くることなき状態であるのであります。そしてこの肉体に宿り、また肉体を離れては霊界において生活を続ける霊魂というのは仮相の、念の波によって構成された我であります。

 要するに霊魂というもの(幽体または霊体)もま念の力によって持続している仮の姿であって、「本当の我」 とは異(ちが)うのであります。だから仏教で無我ということを教える、「我(われ)」 というものはない、といって霊魂を否定しているのであります。

 生長の家でもまた 「霊魂も本来無い」 と言う。痛みや、苦しみを超克して次第に浄化してゆく霊魂は本来無い。そんなら全然無霊魂論であるかと申しますと、そうではない、霊魂というものを 「仮我(けが)」 または 「仮有(けう)」 として認めるけれども、そんな不完全な相(すがた)は本来ないのであります。

 すでに救われ、すでに無限の愛、無限の知恵、無限の生命を備えているのが、実相の我であるというのであります。

 この肉体や、また霊界で苦しみつつ浄化されてゆく霊魂は 「念」 の流転(るてん)、「業(ごう)」 の継続、「業」 の輪廻(りんね)なのであります。業が旋風のように輪のようになって転じてゆくのが念の流転、業の輪廻であって、その業または念は現在において蓄積され、また霊界において蓄積される。その間に修行しながら、念はだんだんに浄化してゆくので、その念の状態に従って念に相応(ふさわ)しい環境が自己の周囲に展開される。これが 『維摩経』 に 「菩薩心浄ければ、その土(ど)また浄し」 とある意味なのであります。(中略)

 自分が餓鬼の心をもてば餓鬼道に堕(お)ち、畜生の心をもてば畜生の境涯に生活し、自分が地獄の心を持てば、客観界に地獄の状態が実際に出現してくるのであります。自分の心一つで極楽が地獄にもなる。

 しかし、この時仮相の我と、実相の我を混同しないようにはっきり自覚しなければならない。自分たちの念がどれだけ浄まっているか、ということは、要するに実相をどれだけ悟っているか、ということによってきまるわけであります。
(中略)

 客観世界というものは業の現われの世界でありますから、業が浄まらなければ業の現われも浄まるわけがない。業が完全に破壊でき、打破できて、はじめてその現われたる客観世界も浄まるのであります。

 さてその業を打破するという問題ですが一つ一つ片端(かたっぱし)から業を破壊してゆくというやり方では、いつまでたっても破壊できない、そういうやり方では、無限の業をとうてい有限時間内に破壊することはできません。

 一歩一歩よじ登って行ったのではどうしたって無限の山へ登りきれるものではない。思い切って頂上へ飛び上がることが必要なのです。

 それで誰をでも容易に飛び上がらすことができる方法は 「実相」 の中へ飛び込んで行くことであります。

2471復興G:2013/07/28(日) 00:50:18 ID:AB6RqYXc

 さて、「お盆ってなーに?」

 ――盂蘭盆会(うらぼんえ)の由来について。

 お盆は、七月十五日の中元を中心に行ったり、月遅れの八月十五日や旧暦の七月十五日を中心に行うなど、その土地の習慣によってちがいはありますが、ご先祖のみ霊を十三日にお迎えし、十六日(十五日のところもある)にお送りするという、日本人にとって忘れることのできない仏教行事・ご先祖供養にほかなりません。

 『盂蘭盆経』といわれる中国で作られた文書から、お盆のいわれを伝えるお話をご紹介いたします。

 「盂蘭盆(うらぼん)」とは、もともとのことばは「ウランバナ」、訳して「倒懸(とうけん)」といい、つまりさかさまにつるされる苦しみを救うという意味。

 お釈迦さまの弟子の中で神通第一の目連(もくれん)尊者が、「安居(あんご)」 といわれる修行僧の集まりで、亡くなった母のことを思い出し、死後の世界を見たところ、母が何も食べることのできない“餓鬼道(がきどう)の世界”で苦しんでいる姿が見えた。

 目連尊者の母は生涯他人を思いやることなく、もの惜しみの気持が強かったため、死後にその罪で餓鬼の世界に堕ちてしまったのです。

 目連はそれを非常に悲しみ、母を救おうと神通力で食べ物や水を与えようとするが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。

 目連は悲しみ、お釈迦さまに母親を救う方法を尋ねた。釈迦は告げた。

 「七月十五日、安居(あんご)の最後の日に、できるかぎりの食べ物・飲み物・衣服を用意して、母親になりかわって比丘(修行僧)たちみんなに供養のまことをささげるとよい」と。

 その通りに実行すると、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。するとその喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。

 救われた母親の姿を見た目連は、毎年供養を続けることを誓った。

 この行いが二千数百年経た今も、お盆という行事になって伝えられ、行われているのだということです。


 以上は、中国での盆会の由来ですが、日本では、盂蘭盆会では家に帰ってきた先祖の霊魂をもてなす意味合いが濃くなっています。「先祖家に帰ってくる」というのは、元々の仏教の教えにはなく、日本古来の習俗によるもののようです。

 わが家の宗旨は天台宗ですが、天台の 「ぶっきょうスクール」 というパンフレットには、次のように書かれていました。

        ○

  「いのちをいただいた恩返し」

 「わがいのちをいただいた
 母あるは幸いなり
 父あるは幸いなり
 ご先祖あるは
 さらにさらに 幸いなり」

 遠い日の ご先祖とも
 近い日の 亡き人々とも
 深いご縁で結ばれている私
 この方々あってこそ
 今の私があるのです

 いただいた かけがえのない
 このいのち……
 お盆のご供養は
 いのちをいただいた方々への
 ご恩返しにほかなりません。

と。

>>お盆の夕方になると、近所のお寺から提灯(ちょうちん)を下げて先祖の御霊を家に連れて帰る風景がご先祖様を大事に、そしてご先祖と共に生活していることが良く分ります、日本の素晴らしい伝統だと思います。 <<

と、>>2459に閲覧者Aさまが書かれたとおりですね。

閲覧者Aさま、お答えの続きはまた明日以後にさせてください。

2472ユタカ:2013/07/28(日) 05:03:50 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

>2460の 神の子さんとは ユタカです。 別板で生長の家教団をチャカしに行って

そのままで投稿したから名前が消えていました。すみません。

2473復興G:2013/07/28(日) 05:08:06 ID:AB6RqYXc

あ、お答えが完結していなかったのは 閲覧者A様へ ではなくて、

>>2460 神の子さん様へ でした。ごめんなさい。

今日も午前中はリアルの誌友会に出かけますので、完結は今夜か明日になります。

お許し下さい。

2474復興G:2013/07/28(日) 05:10:26 ID:AB6RqYXc

あ、>>2460 はユタカ様でしたか。わかりました。

2475ユタカ:2013/07/28(日) 06:21:48 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
>>数年前のお盆前に田舎のおばあちゃんの所に行ったときのことです。
足の悪いおばあちゃんの代わりに、主人とわたしとお墓のお掃除をさせていただきました。

○ 良かったですね、それは良いことをなさいましたね、昔の日本人はそれはそれはご先祖さまを大切にされていらっしゃいますので、お墓の掃除やお墓参りに連れて行ってあげると本当に喜んでくださいますね。


>>すごい田舎なので、お墓も人気の全くない山の中にあって、今まで(生長の家に触れる前まで)はとても怖くて、
一人ではもちろん、家族と一緒でも行くのが嫌でしたが、その時はピクニックに行くように楽しい気分で行きました。

○ 人気が全くないとは?? 菩提寺はないのでしょうか? 墓地だけ?ですか? お寺があれば、お寺に挨拶に行って本堂にお参りに行ったらいいですよ。塔婆も立てて丁寧にご供養されたらご先祖様も喜びましょう。お寺の受付の方にいろいろ聞いてみて下さい。

>>周りの草を刈ったりむしったり、墓石をきれいに磨いたりした後、麦茶を飲んでいたときですが、
すがすがしい風がす〜っと吹いて、わたしは「あっ、ご先祖さまが喜んいる!!」って思ったんです。

○ お墓のお掃除をしていると、本当にすがすがしい風が吹いてくることもありますね。そして、私達の気持ちも清々しく嬉しくなりますね。復興Gさまのご解説のように私達とご先祖様が一つで直通しているから、ご先祖様の喜びが伝わってきて私達も嬉しくなるのでしょう。と思います。


>>その瞬間、主人が携帯できれいになったお墓の写真を「パチリ」「パチリ」と撮っている姿が見えました。
「おばあちゃんに見せるためだな」と思いましたが、同時に「必ず何かご先祖様の喜んでいる証拠が映っているに違いない!」と確信したのです。

○ ご先祖さまの気持ちが分かったのですね、やっぱり一つなんですね。。。 そしてご主人さまは本当に優しくってよく気がつく方で素晴らしいですね、幸せですね。

>>そして、おばあちゃんの家に戻りパソコン大きく映してみると、本当に白いまん丸い大小のオーブが2枚の写真に3〜4個ずつ映っていました。
それまで一度も、主人やわたしの携帯やカメラの写真に、オーブが映るなんてことはありませんでしたから驚きました。
そして、あの時の自分に「何かが映っているに違いない」という確信があったことに関しても、とても不思議な気持ちになりました。

○ ご先祖様がいたのですね、大小というのは大は大人で、小は赤ちゃんや子供でしょうか? お墓がきれいになって、ましてやa hopeさまやご主人が来てくれた事が嬉しかったのでしょうね。
  白い真ん丸い玉・・・普段は私もよくみます。。。ですが、特に印象の強かった体験があるので・・・
  生長の家に団体参拝練成会と言って、各教区に割り当てが来て長崎の総本山に練成会(さまざまな各種参拝)に行ったときのことが忘れられない体験です。 その当時は、まだ、谷口雅春先生のビデオ上映があったり、現在とは違いまだ信仰の雰囲気が色濃かった時代でした、献労(境内地で草取りや掃除、農作業)もさせていただき、各種行事も素晴らしくて心晴れ晴れとして神の子を自覚して地元の光明化運動をやる気満々で帰りのバスに乗車して座席にすわった時に、
  普段は白色ですが、そのときは、自分の頭の上に 『金色に光った』というか『黄金の光』を放ったと言おうか、金色に輝いたの三個の真ん丸い光った玉を見ました。 そのときは、びっくりしましたけど、これは『ご先祖様も一緒に「総本山の練成会」を受講して浄化されて本来の光を放っているんだな!!』と感激し、嬉しくもありました。 そのときの金色の丸い光がいまでも印象に残っています。 やっぱり生長の家は素晴らしいと改めて思います、書きながら・・・。です。  
  あとは、友達の家に行った時に その友人に丸い大きな白い玉がついているのを見ました。 a hopeさまにも一杯ご先祖さまがついて護ってくれていらっしゃることでしょうね、有難いですね。。

2476復興G:2013/07/28(日) 07:18:00 ID:AB6RqYXc

>>2471 盂蘭盆会の由来とされる目連伝説(『盂蘭盆経』)について考えてみましょう。

 (『盂蘭盆経』 というのは中国で成立した偽経だとも言われていますが)

 「施餓鬼(せがき)」というのは餓鬼道に堕ちた人を救うために食べ物や飲み物を施すことのようにもいわれますが、目連伝説では、目連尊者が 「母を救うにはどうしたらよいのでしょう」 との質問に対し、お釈迦様が与えられた答えは、「多勢の修行僧たちに供養しなさい」 ということで、餓鬼道に堕ちた母親に直接食べ物や飲み物を供養することではなかった。(母親に直接食べ物・飲物を与えようとしてもそれはできなかった。)

 多勢の比丘(修行僧)たちに施しをする「布施(愛行)」の行が、回り回って母親を救うことになる。それは回り道のようだけれども、業の法則・輪廻(りんね)についての深いお考えに基づいた釈尊のお教えだったのですね。

 『白鳩』 No.40に掲載されている谷口雅春先生の御文章には、次のようにあります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

先祖を供養――先ず食物と水をお供えすること
          生長の家創始者 谷口雅春

 皆さんは御先祖の霊をお祀りして、その霊たちに真理のお経を読涌することによって「真理」を御先祖の霊に供養していられますか。供養というのは、お供えして養うという意味です。養うというのは栄養になるものを食べさせて成長させることであります。

 人間は肉体が死んで魂が霊界へ行きますと、もう肉体をもっていませんから、肉体が食べるような物質的食物は不要になるのであります。

 しかしながら肉体を脱して霊界へ行きますと、霊魂が肉体を脱(ぬ)けるときの断末魔の苦しみで、一時、気を失って意識がなくなり、さて肉体から去った霊魂が、霊界に転生してやがて意識を恢復して気がついた時、無意識中のことはわからないで、死の直前の病気のことを思い出します。そしてやはり自分の病気をしている肉体がここに在ると思います。つまり、この霊魂はまだ肉体意識から去っていないのです。

 肉体があるつもりなのですから食物をたべたいと思い、飲み物をほしいと思います。しかし、もう死んで焼いてしまったと思っている人にお食事を差し上げる家族はありませんから、彼は “餓え” や “渇き” を感じて苦しむのです。

 こういう、まだ悟りをひらかぬ霊魂はその心が、地上の物質に縛りつけられていますから 「地縛(じばく)の霊」 と心霊学では申します。こんな霊魂のためには食物や茶湯(ちゃとう)又は “水” をお供えしてあげねばなりません。これも供養の一つであります。だから施餓鬼(せがき)その他の法事のときには、先ず食物や茶湯をお供えするのです。


霊魂にとっての悟りの第一歩

 しかし、やがて肉体を脱した霊魂は、「自分は “肉体” ではない、“霊” である」 と悟るときが来ます。それは、その霊魂にとって悟りの第一歩であります。悟りの基盤が出来たわけです。

 ずいぶんたくさんの霊魂がまだ 「自分は肉体をもっている」 と思ったままでいるのです。それだから、肉体の死の直前の病気のつづきを病んでいるつもりで苦しんでいるのもありますし、地上の物質的なものに対する慾をもっていて、地上の物に縛られ、「地縛の霊」 になっているのです。

 こんな霊に、「あなたはもう肉体を脱して霊界に来ているのだ」 と知らしてあげることは子孫の義務であります。
(中略)


病念を持ち越して霊界で苦しむ霊を救うために

 病念を霊界まで持ち越して、病気の記憶のままに病気を霊界で体験しつつ苦しんでいる霊魂の救われる道は、病気や肉体はないということと、死後の生命の継続を説いて聞かせてあげ、「死」 というものはない、それは現実界から霊界への転任である。その転任の時機は神の御手にあるのだという真理を悟らせてあげることが第一である。それには祖霊を招霊して 『甘露の法雨』 を毎日一定時間を約束して読誦してあげるがよい。

 一人の迷える霊魂を導くだけで、原因不明の病気や不治の病気、それに家庭不和などが改善される場合があるのである。だから、先祖とか親類縁者の祭祀(まつり)というものを決しておろそかにしてはならないのである。
(『新版 人生を支配する先祖供養』18〜19ページ、日本教文社刊)

          ――以上、『白鳩』 No.40より

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

2477復興G:2013/07/28(日) 07:20:28 ID:AB6RqYXc

 ――上記が普通によくいわれる先祖供養についてのご教示ですが、これは、>>2470 の根本真理についてのご教示では、

<< さてこの天国へいったり地獄へいったりする我(われ)というものは、実相の我ではなくて現象の我――仮相の我なのであります。実相の我というものはすでに円満完全な実相の天国浄土にあって、すでに満ち足りて、無限の愛、無限の知恵、無限の生命を備え、神の無限の供給を受けている欠くることなき状態であるのであります。そしてこの肉体に宿り、また肉体を離れては霊界において生活を続ける霊魂というのは仮相の、念の波によって構成された我であります。

 要するに霊魂というもの(幽体または霊体)もま念の力によって持続している仮の姿であって、「本当の我」 とは異(ちが)うのであります。だから仏教で無我ということを教える、「我(われ)」 というものはない、といって霊魂を否定しているのであります。

 生長の家でもまた 「霊魂も本来無い」 と言う。痛みや、苦しみを超克して次第に浄化してゆく霊魂は本来無い。そんなら全然無霊魂論であるかと申しますと、そうではない、霊魂というものを 「仮我(けが)」 または 「仮有(けう)」 として認めるけれども、そんな不完全な相(すがた)は本来ないのであります。

 すでに救われ、すでに無限の愛、無限の知恵、無限の生命を備えているのが、実相の我であるというのであります。

 この肉体や、また霊界で苦しみつつ浄化されてゆく霊魂は 「念」 の流転(るてん)、「業(ごう)」 の継続、「業」 の輪廻(りんね)なのであります。業が旋風のように輪のようになって転じてゆくのが念の流転、業の輪廻であって、その業または念は現在において蓄積され、また霊界において蓄積される。その間に修行しながら、念はだんだんに浄化してゆくので、その念の状態に従って念に相応(ふさわ)しい環境が自己の周囲に展開される。これが 『維摩経』 に 「菩薩心浄ければ、その土(ど)また浄し」 とある意味なのであります。(後略)>>

 とあるのであって、ご先祖様の御霊は本来 「すでに救われ、すでに無限の愛、無限の知恵、無限の生命を備えて」 おられるのである。

 だから、

<< 仏典には「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」という聖句がある。九族とは高祖・曽祖・祖父・父・自己・子・孫・曽孫・玄孫の各九代にわたる親族のことである。「九族が天に生まれて」天人歓喜常楽の生活を営ましめるためには、九族の名前をいちいち呼び出して祀るということが必ずしも必要ではないのである。自分自身が出家することが必要である。

 “出家する” とは必ずしも、家を出て僧侶の修行をすることではないのである。真理を悟って、俗世間に生活しながらでも、維摩居士(ゆいまこじ)のように自由を得るということである。俗世に処しながら、その俗世の生活が真理によって超出した境地で、「菩薩(ぼさつ)心浄ければ仏土浄し」 の浄き世界に住み得ることである。

 自分ひとりがそのような悟境に入れば九族悉く天界に生まれるのであるから、「迷っている霊はひとりも無い」 ということになるのである。「あの霊が迷っているのではないか」 と “迷い” に引っかかるより先に自分が迷っていないようになることが大切である。(『生長の家』誌昭和46年11月号参照)>>

 と、『人生を支配する先祖供養』 p.69〜70には書かれているのであります。


 では、今日午前中は出かけますので、また夕方から夜にお目にかかります。

2478復興G:2013/07/28(日) 22:53:31 ID:AB6RqYXc

今日は午前中リアル誌友会のあと、食事・懇談・個人相談のようなことが続き、夜は盆踊り大会のビデオ撮影などしてきました。

ここは富山県ではないけれど、盆踊りは越中おわら 風(かぜ)の踊りというのを、商店街の道を歩行者天国にして、老いも若きも、男も女も子どもも自由参加で、無心になって楽しく踊り歩く。私は撮影しながら心が安らぎ癒やされました。

私は今、合唱団でこの 「越中おわら」 などを組曲にして合唱することもやっているのです。

「盆踊り」とは、ウィキペディアによると

「盆の時期に死者を供養するための行事、またその行事内で行われる踊り」 とあります。

『盂蘭盆経』の目連伝説でも、目連がお釈迦さんの教えによって多くの比丘(修行僧)たちに食べ物や飲み物を供養したら比丘たちはよろこんで飲んだり食ったり踊ったりして喜んだとありますから、その流れを汲むものかも知れません。

谷口雅春先生の 「太陽の讃歌」 という詩には、

<<……太陽をほめる千万(ちよろず)の波の唇と共に
  わたしも声をそろえて
  生命の讃歌をうたおう。

  太陽を称えているうちに
  わたしは 波の歌う歌詞にあわせて踊りたくなった。  ……
  わたしはただ歌って踊っているだけで好いのであった。>>

とあります。
これが、先生のお悟りの喜びの境地から生まれた詩なのですね。

<わたしはただ歌って踊っているだけで好いのであった>

のですね。


さて、>>2460 でユタカ様が

>>私はお盆になると、夜中に誰かがお風呂に入っている音(家族は桶は使用せずにみなシャワーですが、お盆の最中は桶でカツーン、バシャー と水が流れる音がしているので覗くと真っ暗で誰もいない)を聞きます。
どのご先祖様かは分かりません。。。<<

と書かれたのは、「気味が悪い、怖い」 というニュアンスで書かれたのかと誤解していましたが、そうではなく、

>>私は全然怖くなくて、お盆は本当にご先祖様が家に帰って来る実感があるので、お盆の期間は新しいお湯を入れなおして24時間いつでもお風呂が使える体制にして、ご先祖の食事もいつもはご飯だけですが、おかずも一緒に供えて、一緒にお盆の期間を過ごしています。
永遠生き通しの生命ですから、ご先祖さまの生命をありありと感じられる懐かしい嬉しいお盆の時間であります。<<

ということですね。
それでご先祖様の方も、よろこんで「帰ってきたよ」 ということを知らせるためにお風呂に入っている音を出し、感謝の気持を通信して来られたのかも知れないと思いました。ならば、とてもほほえましいことですね。
ありがとうございます。

さて、今日はここまでにして、先祖供養に関する “講話” のまとめは、明日まで延期させて頂くことをお許し下さい。お願いいたします。合掌

2479a hope:2013/07/29(月) 08:54:34 ID:edEDolt2
復興Gさま

先祖供養(お盆)に関する素晴らしいご講話をありがとうございます。
とてもお勉強ななります。
″先祖供養に関する “講話” のまとめ″楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いいたします。


>>2475ユタカさま

わたしのお墓掃除のときの体験談に、うれしいコメントをありがとうございます。

>>そしてご主人さまは本当に優しくってよく気がつく方で素晴らしいですね、幸せですね。<<

わたしの主人は本当に優しくてよく気が付く人なのです。
そしてその優しさが全然押しつけではないのです。
「これをしたら、この人は喜んでくれるだろうな・・・」って、
常に相手の気持ちを考えているんですよね。
自分がどう思われるなんて、少しも考えて無いところが、主人のすごいところだと思い、
心から尊敬しています。

>>白い真ん丸い玉・・・普段は私もよくみます。。。<<

そうなのですか!
さらに、総本山に練成会の後には、
>>自分の頭の上に 『金色に光った』というか『黄金の光』を放ったと言おうか、金色に輝いたの三個の真ん丸い光った玉 <<を見たのですね!!
すごいですね。

ユタカさまにはなにか霊感的な力があるのですね。
わたしは写真に写ったものしか、見ていませんがそういう良質な光が実際に見えたりすると、
さらにご先祖さまとの一体感が深まるのでしょうね。

素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました。


わたしは今まで、「生長の家の唯神実相」と「生長の家の先祖供養」の関係を、
頭では理解していましたが、本当に魂から納得してはいなかったような気がします。

わたしは、生長の家の「唯神実相」だけをお勉強しているときは、
ご先祖さまとわたしも一つ、神さまとわたしも一つで、すべてのすべてが一つならば、
自分自身の実相礼拝だけしていれば、形式上の「先祖供養」など必要ないのではないか・・・。
という思いが強くありました。

しかし今回の復興Gさまのご講話やユタカさまのお話を拝見していて感じているのですが、
「唯神実相」を深く理解して、「神の子の自覚」を深めれが深めるほど、
自分の日本人としてのルーツにも目覚めて、ご先祖さまへの感謝の気持ち(一体感)が湧いてきて、
しぜんなかたちでお墓参りがしたくなったり、仏前で手を合わせたりしたくなり、
まことの先祖供養が出来るようになっていくのではないかと感じています。

なかなか、うまく表現できませんが、今、心から家族やご先祖さまに感謝できる自分がうれしいです。
そして、天地一切のものに無理なく感謝できるようになった時が、
まことに「生長の家の教え」を悟ったときなのではないかと感じています。

2480ユタカ:2013/07/29(月) 11:06:19 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。
復興G様 毎回素晴らしいご講話を有難うございます。
まとめですが、毎回まとまっているので素晴らしいと思いました。

a hope様 ありがとうございます。
>>なかなか、うまく表現できませんが、今、心から家族やご先祖さまに感謝できる自分がうれしいです。
そして、天地一切のものに無理なく感謝できるようになった時が、
まことに「生長の家の教え」を悟ったときなのではないかと感じています。<<

>〈楠本〉 生長の家は「天地一切のものに感謝せよ」と教えています。その中で一番大切なのが、父母に感謝することです。自分の存在が素晴らしい「神の子」だと分かれば、自分を生んで下さった父母に対して感謝の気持ちが起るのは、当然のことなんですよね。親は生まれてから一番世話になった人であり、身近な存在です。その父母に対して感謝できなければ、他人や天地の何物にも感謝はできないんです。<

楠本先生によりますと、a hopeさまは、もう生長の家を悟っていらっしゃるのではないですか。おめでとうございます(拍手) 感謝の心は清々しくて気持ちのいいものですね、ありがとうございます。

2481ユタカ:2013/07/29(月) 11:32:48 ID:R1D4Jmeg
そして

復興Gsさまが 縦横無尽に あらゆる視点からの霊界の様子や実相の事、佛教の盂蘭盆の意味など理論的に深く教えて下さっています。

私のお風呂の音の書き方の表現が悪くて上手く伝わらずに申し訳ありませんでした。 あと、盂蘭盆の目連さんが修行僧に施すということで思いましたが、私達も誌友会で誌友さんに昼食やまたは茶菓を召し上がって頂くのが嬉しいのは、全てが一つだから知らず知らずにご先祖様に施すことにも繋がっていたからかも知れないですね。。。

みなさん、教団の人も、そうでない人も、自宅を開放して生長の家の誌友会をひらきましょう。そして誌友さんに施しを受けて頂くと有難くなると思います。
復興Gさま、間違えていましたら修正をお願いいたします。

2483曳馬野:2013/07/29(月) 12:45:38 ID:TZ2/719s
>>2477

仏典には「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」という聖句がある。九族とは高祖・曽祖・祖父・父・自己・子・孫・曽孫・玄孫の各九代にわたる親族のことである。「九族が天に生まれて」天人歓喜常楽の生活を営ましめるためには、九族の名前をいちいち呼び出して祀るということが必ずしも必要ではないのである。自分自身が出家することが必要である。

 “出家する” とは必ずしも、家を出て僧侶の修行をすることではないのである。真理を悟って、俗世間に生活しながらでも、維摩居士(ゆいまこじ)のように自由を得るということである。俗世に処しながら、その俗世の生活が真理によって超出した境地で、「菩薩(ぼさつ)心浄ければ仏土浄し」 の浄き世界に住み得ることである。

 自分ひとりがそのような悟境に入れば九族悉く天界に生まれるのであるから、「迷っている霊はひとりも無い」 ということになるのである。「あの霊が迷っているのではないか」 と “迷い” に引っかかるより先に自分が迷っていないようになることが大切である。(『生長の家』誌昭和46年11月号参照)>>

 と、『人生を支配する先祖供養』 p.69〜70には書かれているのであります。

雅宣先生は可笑しいという方々にお聞きしたい。

この雅春先生の御文章が正しいのであれば、【孫にあたる雅宣先生は天界に生まれている】ことになります。【いや彼は迷っている】と云うのであれば、雅春先生は悟境に入っていないことになります。

【「あの霊が迷っているのではないか」 と “迷い” に引っかかるより先に自分が迷っていないようになることが大切である。】

この御文章が雅春先生の御見解だと私は思います。
生きていても霊界に往かれていても秩序を持ってお仕えすることが必要と思う次第です。
ここではSAKURAさんのみが中心帰一の真理に随順されているように見受けられます。

2484閲覧者A:2013/07/29(月) 12:49:18 ID:???
復興G様の講話を拝聴させて貰っています。
盂蘭盆のところまでは、まだ拝読できていません。
しかし、霊界もこの世と同じ、現象の世界であることを思いました。
ご先祖様は、自分のなかにおられ、自分もまた、ご先祖様のなかにあるのですね。
ご先祖様には、感謝の気持ちと、自分がご先祖様の生命を受け継いでいる…いつかは子孫に繋いでいくのですから、自分もまた空っぽなのですね。
違っていたら、ご指導ください。ありがとうございます。

2485ユタカ:2013/07/29(月) 13:13:17 ID:R1D4Jmeg
曳馬野 さま
>自分ひとりがそのような悟境に入れば九族悉く天界に生まれるのであるから、「迷っている霊はひとりも無い」 ということになるのである。「あの霊が迷っているのではないか」 と “迷い” に引っかかるより先に自分が迷っていないようになることが大切である。(『生長の家』誌昭和46年11月号参照)>>

ちゃんと読んでる?

曳馬野 さまがそのような悟境に入れば九族悉く天界に生まれるのであるから、「迷っている霊はひとりも無い」 ということになるのである。「あの霊が迷っているのではないか・雅宣先生は可笑しいという方々にお聞きしたい。 」 と “迷い” に引っかかるより先に自分が迷っていないようになることが大切である。(『生長の家』誌昭和46年11月号参照)>>

えへっ。。。。???

2486ユタカ:2013/07/29(月) 13:19:32 ID:R1D4Jmeg
真理は自分自身に帰す事が大事なんですね。。

曳馬野さまに教えられました。 ありがとうございます。

ユタカの祈り。。『神様、いろいろなものが不完全に見える私を実相だけ見える私に変えて下さい。』

今日からやろっと!!

曳馬野さま、ありがとうございます。

2487ユタカ:2013/07/29(月) 13:40:37 ID:R1D4Jmeg
曳馬野さま

>すでに救われ、すでに無限の愛、無限の知恵、無限の生命を備えているのが、実相の我であるというのであります。

これを一人出家すれば、と言っているのでしょう。谷口先生からすると、家族どころか天地すべてが「尊い神様の存在」に見えてすべてを拝んでいらっしゃいますね。

2488復興G:2013/07/29(月) 15:33:27 ID:AB6RqYXc

 皆さま、ありがとうございます。

 私の家の仏壇はやや大きめで、最上段のまん中に阿弥陀如来、左側(向かって右側)に観世音菩薩、右側(向かって左側)に勢至菩薩の像が安置されています。

 阿弥陀如来は無量光佛、無量寿佛、尽十方無碍光如来などとも言われる、宇宙に遍満する無限の光なる如来、佛。観世音菩薩はその 「慈悲」 を現す化身であり、勢至菩薩は 「智慧」 を現す化身である。この三つの像は阿弥陀三尊と称され、本来一体のものであります。

 そうして少し下の向かって右側に当家先祖代々の位牌、左側に妻の実家の先祖代々の位牌を祀っています。

 私は毎朝この仏壇の前に坐り、阿弥陀三尊像を仰ぎ見ます。そして、ご先祖様がこの如来三尊そのものと一体でいらっしゃると観じます。そうして

 << ご先祖様は、すべてを与えきってあの世へ行かれた。ご先祖様は愛にまします。神にまします。佛にまします。

 ご先祖様のいのちは神様のいのち(神様と言っても仏様と言っても同じであるという思いで、そう念じます)。
 ご先祖様の心は神様の心。
 ご先祖様の体は神のみからだ。

 そのご先祖様からいのちをいただいて、私は生かされています。
 私のいのちはご先祖様のいのち。
 私の心はご先祖様の心。
 私の体はご先祖様のからだなのでした。

 「私」というものは無かったんです。空っぽだったんです。

 その本来の空っぽに還ったとき、私は自由自在。
 私の中にすべてがあり、すべての中に私があり、
 私は全てなのでした!
 私は光なのでした!
 愛なのでした!
 無限の智慧なのでした!
 神なのでした!
 無量寿如来なのでした!

 ありがとうございます。ありがとうございます。>>

 と心に唱えて、神想観・聖経読誦をします。

 そのとき、招神歌の

 「生きとし生けるものを生かし給える御祖神
 元津霊(もとつみたま)ゆ幸(さきは)え給え」

 の元津霊はわが内にあり、それを「全てのものに幸え給え」という意味になります。

 「わが生くるはわが力ならず……」

 というのは、

 「すべてのものが生きていらっしゃるのは自分の力で生きていらっしゃるのではない。神様の権能(ちから)で生かされていらっしゃるのである」

 ということであると念じます。

 「もはや我れ生くるにあらず……」 というのは、

 生きとし生けるすべてのものは、自分の力で生きているのではなく神がそこに生きていらっしゃるのである。

 ありがとうございます。ありがとうございます。>>

 と念ずることになります。

2489復興G:2013/07/29(月) 15:52:03 ID:AB6RqYXc

 上記の 「すべてのもの」 の中には、もちろん、総裁谷口雅宣先生も入ります。

 そして、「学ぶ会」 など、“本流” の方たちも、入ります。

 「全て」 なのですから。

2490曳馬野:2013/07/29(月) 15:53:22 ID:TZ2/719s
【仏典には「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」という聖句がある。九族とは高祖・曽祖・祖父・父・自己・子・孫・曽孫・玄孫の各九代にわたる親族のことである。「九族が天に生まれて」天人歓喜常楽の生活を営ましめるためには、九族の名前をいちいち呼び出して祀るということが必ずしも必要ではないのである。自分自身が出家することが必要である。】

【谷口先生からすると、家族どころか天地すべてが「尊い神様の存在」に見えてすべてを拝んでいらっしゃいますね。】


ユタカさんあなたは『幼子の如く』といえば子供のようにめちゃくちゃ云うことだとばかりの書き込みをするし、よく読んでから理解してからものを言えという。
雅春先生は【「九族が天に生まれて」天人歓喜常楽の生活を営ましめるためには】と言っているのです。

現実世界の光明化のため生長の家を始めたのです。あなたのように屁理屈を言っておいて、『神様、いろいろなものが不完全に見える私を実相だけ見える私に変えて下さい。』と祈ったからと言って神様に責任を擦り付けるような人を救うとお思いですか?
あなた流で行けば神は云われるでしょう「既にそうしてある」と。

雅春先生が実相を拝んでくれても、迷っていると、信徒に思われる孫がいたのでは【天人歓喜常楽の生活を営なんでいる】とは言えない。
実相論で観念の世界を生きていて現実は嘲笑の世界で、どこが常楽の世界でしょうか?

吉田国太郎先生の常楽への道をよくよく読まれてからものを言ってください。

2491復興G:2013/07/29(月) 15:55:27 ID:AB6RqYXc

曳馬野さんも、SAKURA さんも、みんな入ります。

ありがとうございます。

2492閲覧者A:2013/07/29(月) 16:39:20 ID:???
_>>2488復興G様
私はいま、感激で涙腺が緩んでおりますが、復興G様は、お仏壇の前で神想観をされておられるのですか?
復興G様の、唱えられる言葉、私もぜひさせてください。
我が家も、復興G様と同じお仏壇です。ただ、お位牌は向かって左側に新しい仏様、向かって右側に古い仏様のお位牌を置いています。

2493復興G:2013/07/29(月) 19:19:50 ID:AB6RqYXc

>>2492 :閲覧者A様

ありがとうございます。

2494復興G:2013/07/29(月) 19:20:46 ID:AB6RqYXc

>>2483 :曳馬野様
「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」という聖句がある……この雅春先生の御文章が正しいのであれば、【孫にあたる雅宣先生は天界に生まれている】ことになります。【いや彼は迷っている】と云うのであれば、雅春先生は悟境に入っていないことになります。<<

――おっしゃるとおりで、そのことは、2年前に私も書いていました。
<「今の教え」と「本流復活」を考える 3>板の<168>で

>168 :復興G:2011/08/01(月)
 私は、雅宣総裁を罵倒することは、谷口雅春先生を罵倒することになるんじゃないかと思うんです。
 なぜなら、谷口雅春先生は「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」とお教え下さった。九族というのは、高祖・曾祖・祖父・父・自己・子・孫・曾孫・玄孫の9代にわたる親族である。出家するとは、真理を悟って自由を得ることである。一人が悟境に入れば、九族悉く天界に生まれるのであるとお教え下さっているのです。それが、三代目でとんでもない不肖の孫が出てきたということであれば、それは谷口雅春先生のお悟りがその程度のものだったかと、谷口雅春先生をおとしめることになるんじゃありませんか? <<

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311553464/168

 ――と。上記の思いは、今もあります。
 しかし同時に、

   神こそ渾(すべ)ての渾て、
   神は渾てにましまして絶対なるが故に、
   神の外にあるものなし。
   神は実在のすべてを蔽う。
   存在するものにして
   神によって造られざるものなし。

 であり、

   すべて真実の実在は、
   神と神より出でたる物のみなり。
   神は完全にして、
   神の作りたまいしすべての物も完全なり。
   ……
   神は罪人を造り給わざるが故に
   この世に一人の罪人もあらず。

 であって、雅宣総裁を迷いの塊と罵倒しているような“本流”の人々も本来神の子である。

 だから、教団と“本流”は現象世界では裁判に訴えて争いあっているようでも、

<すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。現象の世界に、如何なる対立の関係があろうとも、如何なる闘争の関係があろうとも、それは妄想の顕わすところであり、妄想はやがて消えるべき運命にあるのであるから、私はそれを恐れることもないし、それに愕(おどろ)くこともないのである。>(「天地一切と和解する祈り」)

 と祈り続けてきました。

 そして、ただ祈っているだけで何の行動もしないというのではいけない。

<妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空があるのと同じように、如何に暗澹たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずることがないから、最も適切なる智慧が泉の如く湧き出でて暗を消してしまう処置ができるのである。……神は勇気の本源であり、神の子たる私は、勇気そのものである。神の智慧われに来りて、迅速果敢に適当なる決意と断行をなさしめ給うのである。>

 ということで、祈りつつ行動しているのが今の私であるつもりであります。

2495ユタカ:2013/07/29(月) 21:14:44 ID:R1D4Jmeg
>雅春先生が実相を拝んでくれても、迷っていると、信徒に思われる孫がいたのでは【天人歓喜常楽の生活を営なんでいる】とは言えない。

だったら、それは雅春先生の問題でなく、信徒の問題でしょ。 あくまでも雅春先生が「ご存命で此処に今存在」なさっていたら、教団が裁判なんかやると思う??

誰もが、雅春先生の御前ではおとなしくなってそういうことはやらないでしょう。。。

だから、雅春先生はそういう、バカ教団の裁判、バカ孫の存在など見るわけ無いでしょう。 ちょっと考えれば分かるでしょうに・・・

2496ユタカ:2013/07/29(月) 21:27:17 ID:R1D4Jmeg
ユタカの言いたいことは、

雅春先生の九族は救われ済みで間違いなくて、雅春先生には不肖の孫の存在はないと言うことです。(現実世界においても)

雅春先生が無くなってやりたい放題の不肖の孫・に見えている、自分たちの間違いでしょう。。。

だから、祈るんだ!! なんか、悪いこと言った??

2497閲覧者A:2013/07/29(月) 21:41:46 ID:???
>>2494
復興G様、本流の人、皆が皆、総裁を迷いの塊だと罵倒してはいませんよ。
教団信徒の方でも、総裁をコケクソに言ってる方もいますから。
総裁の現象を罵倒する人は、どこに所属していても罵倒するのです。
総裁のご指導を知り、現実を見た上で、総裁の実相を観る…そういう人も沢山いることを、ご承知ください。

2498復興G:2013/07/29(月) 21:48:02 ID:AB6RqYXc


>>2497 :閲覧者Aさま

>>本流の人、皆が皆、総裁を迷いの塊だと罵倒してはいませんよ。<<

それはその通りだと認識しています。

誤解を与えるような表現があったとしたら、お詫びいたします。

2499閲覧者A:2013/07/29(月) 22:27:15 ID:???
>>2498復興G様
ご理解くださっていらっしゃるとのこと、ありがとうございます。感謝申し上げます。

2501復興G:2013/07/29(月) 23:24:52 ID:AB6RqYXc

 さて、“先祖供養についての講話” のまとめに入りましょう。

 「万教帰一の生長の家」ならでは の先祖供養について、書かねばならぬと考えています。

>>2462 で書きましたように、

<<○宗旨の異る霊魂を一緒に祭祀してもよいか(『人生を支配する先祖供養』p.53〜 抜粋)
生長の家の教えは万教帰一であるから、その祭主が生長の家であり、その心に他宗排斥の心がなければ、日蓮宗も真宗も本来一つという祭主の心が通ずるから構わない。
 要は供養する者が正しい信仰をもって行えばよいわけである。特に、生長の家は万教帰一であるから生長の家の信徒であれば聖経 『甘露の法雨』 を誦げてあげればよいのである。それにて何宗の人々の霊魂も皆救われるのである。>>

 とお教え頂いていますが、また次のようにも書かれています。

<同上書p.30〜31 要約>
<「宗旨を変える事によって起る障害」――往々精神病者の家族を持っているとか、あるいは変なえたいの知れない病気――小児マヒであるとか、癲癇(てんかん)であるとか、舞踏病であるとか、医者の方でちょっと原因不明な病気を持っておられる方が、その率にしてクリスチャンの方が多いのである。それはキリスト教がわるいのではないが、キリスト教が日本に移入されたのがきわめて近代であるために、祖先の霊魂たちがキリスト教というものを知らない。神道であるとか、仏教であるとかの信仰を持っていて、耶蘇(ヤソ)という名前を聞くだけでも嫌いだというふうな、異教を毛嫌いする霊魂たちが先祖に多い。それで霊界で村八分的になり、置き去りにされたような霊魂が、子孫に救われようと思って子孫に憑(かか)って来ると、医学的には原因不明な病気を現わす――(要約)>

 ――さて、私の祖母は熱心なクリスチャンでした。その祖母が霊界から私を生長の家に導いてくれたような気がするということを、前に書いたことがあります。

 わが家の宗旨は天台宗、仏教です。
 祖母はひとりクリスチャンです。

 で、「宗旨を変える事によって起る障害」 はないか?
 そう思われるような障害の事象は、ありました。

 孫の一人が中学生の3年間不登校で、ほとんど学校へ行きませんでした。家にひきこもり、たくさんのカメを飼って、カメばかりかわいがっていました。
 実は祖母の名前が、「カメ」 でした。

 これは、上記 「宗旨を変える事によって起る障害」 についてのご教示に関係があると直感しました。

 私が、お釈迦さんの教え(仏教) とキリスト教の教えが、神髄に於いてまったく一つの同じものであることをはっきりと会得して、それを先祖に伝えることができるように精進することが求められている、と思いました。

 自分の中に先祖があり、先祖のいのちと自分はいっぺんも離れたことがない。だから自分のからだをさすりながら 「ご先祖様ありがとうございます」 と感謝してもいいのだ。そして、ご先祖様を神として拝む生長の家の先祖供養こそ最高の供養だという榎本恵吾先生の言葉に、感銘を受けました。

 それで、>>2488 に書いたように先祖を拝むご供養をするようになり、真理の研鑽精進をしていると、「生長の家の歌」 の歌詞に、万教帰一の神髄が歌われていると思いました。仏教もキリスト教も、「久遠の今」 の教えであるとわかりました。

 そして、仏壇に安置されている阿弥陀如来像は、即 「永遠のキリスト像」 と見ても間違いないのだ、と思いました。

 仏教に帰依してきた先祖は、阿弥陀如来さまと一体であり、キリストを信じてきた祖母は永遠のキリストと一体で、キリストそのものでいらっしゃるのです! と拝むご供養、礼拝をするようになったとき、不登校だった孫に、すごい変化が起きました。

 高校に進学して毎日登校するようなっただけではありません。もともと持っていたすぐれた運動能力を遺憾なく発揮し、今自転車ロードレーサーとして飛び抜けて注目される選手になっています。具体的なことは省略しますが……。
 毎朝5時起きして、登校前に山道を約60km走るトレーニングをし、一日120kmぐらいは走っているようです。

 初めて高校生として日本一の記録を出したのが昨年8月19日、宇治別格本山 盂蘭盆供養大祭本祭の日であったことも、何か因縁を感じさせられます。
<つづく>

2502復興G:2013/07/29(月) 23:40:09 ID:AB6RqYXc

<つづき>

<< 祖先の信奉しておったところの宗教を生かすということによって、まず第一祖先と和解するのであります。祖先と和解し、祖先の信仰と和解し、ただ和解するだけでなしに、その祖先の信仰に光を与え、生命を与え、祖先を済い、そうして一家を光明化し自分自身をも済うというのが 「生長の家」 であります。>>

 永遠のキリストと阿弥陀如来は一つ、一体だ! ご先祖様は阿弥陀如来様であり、永遠のキリスト様です! と拝むことのできる、万教帰一 生長の家の先祖供養は、最高のご供養だと思います。

 一応これで “先祖供養についての講話” を終わらせて頂きます。

 長時間にわたり、お付き合いをありがとうございました。

 感謝 合掌 再拝

2503復興G:2013/07/29(月) 23:47:20 ID:AB6RqYXc

>>2502 の引用文は、『生命の實相』 第28巻 p.78 からでした。

2504閲覧者A:2013/07/29(月) 23:53:38 ID:???
復興G様、ご指導ありがとうございました。

>自分の中に先祖があり、先祖のいのちと自分はいっぺんも離れたことがない。だから自分のから だをさすりながら 「ご先祖様ありがとうございます」 と感謝してもいいのだ。>

のところ、感動を覚えました。
肉体も、神様を表現すると同時に、ご先祖様の生命も表現させていただくのですね。早速実行します。

お孫さまのお話も感動しました。
我が家は、ご先祖様方のなかには、みなが各々、別の新興宗教をされた方がおられました。
そこが少しだけ引っ掛かっていましたが、

>祖先の信奉しておったところの宗教を生かすということによって、まず第一祖先と和解するの であります。祖先と和解し、祖先の信仰と和解し、ただ和解するだけでなしに、その祖先の信仰に 光を与え、生命を与え、祖先を済い、そうして一家を光明化し自分自身をも済うというのが 「生長 の家」 であります。>>>

との言葉に、自分が先祖供養において、正しい信仰をもっていると確信が足りなかったと思いました。
お盆を前に、貴重なお勉強をさせて貰ってありがとうございました。
感謝申し上げます。

2505閲覧者A:2013/07/30(火) 00:05:34 ID:???
あと管理人様はじめ、いろいろお世話くださる、ユタカ様、a hope様、皆様ありがとうございました。
お陰様で、よい勉強をさせていただきました。

2506ユタカ:2013/07/30(火) 00:41:23 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

素晴らしいご講話を有難うございました。 それにしてもお孫さんとの体験談は素晴らしいですね。

そして、今のお孫さんは毎朝60kmも走るのですか! 一日120km! 普通の人には走れない距離です!自転車で国内の何処でも簡単に行く事ができそうですね。

こちらのお孫さんがカメを沢山飼うということや不登校などを通して、子孫にメッセージをはっきりと伝えてくるのですね。。。

今、教育現場ではクラスに3〜4人は不登校児がいますが、それぞれなにかしらのメッセージを伝えているのでしょうね。。 復興Gさまはこの世界が長くいらっしゃってご先祖様のメッセージがすぐに受け取れて精進して正しくご供養も充分に出来ましょうが・・・

普通に生活している方々にとっては、(宗教の勉強をしていないと)なかなか・・・不登校の理由が分かりませんよね・・・・ このようなお子さんを抱えている親御さんに伝道して差し上げないといけないと気持ちも新たになりました。また、復興Gさまの体験談をそっくりそのまま話してあげようとも思いました。


それにしても、生長の家のご供養はご先祖様が阿弥陀如来さまであり永遠のキリストさまと一つです!と拝む供養だったのですね〜〜〜!! 偉大だ===!!!

本当に詳しく正確に教えていただいてよく分かりました。。。。 明日からは私もご先祖様とお釈迦様は一つだ!大生命と一つだ!とそこまでしっかりと拝んで先祖供養させていただきます。

本当に勉強になりました、有難うございます。



ご先祖さまをそのように拝めるように精進していきたいと思いました。

復興Gさま、素晴らしい!! ありがとうございます。 眼からウロコ・・・でした・・

2507ユタカ:2013/07/30(火) 05:47:05 ID:R1D4Jmeg
閲覧者A様

閲覧者Aさまのお陰で、復興G様に、正確で素晴らしい生長の家の先祖供養を教えて頂くことが出来て有難うございました。

本当に、生長の家の先祖供養は最高のご供養ですね、復興Gさまのご講話も分かりやすくて完璧で惚れ惚れしてしまいますね。

全世界の人がここを読んで喜んでくれるといいですね。 生長の家万歳! バンザーーイ!! (昨日は嬉しくておへその辺りがウズウズしてお腹が喜んで咲って(わらって)いました。ご先祖様も喜んでいた感じがします。)

今朝も喜びが続いています!! 嬉し〜〜^^イィ!!

2508復興G:2013/07/30(火) 05:51:41 ID:AB6RqYXc

閲覧者Aさま、ユタカさま、皆々様。

ありがとうございました!

「生長の家の歌」 を謹写掲示させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   生長の家の歌

  (一)基教(キリスト教)讃歌

あまつくに いまここにあり
我ちちの みもとにゆけば
なんじらの うちにきたると
十字架に かかりしイエスは のたまいぬ
あわれ世のひと 十字架は
にくたいなしの しるしなり
此の肉体を クロスして
我神の子と さとりなば
久遠にいのちかがやかん
久遠にいのちかがやかん

  (二)仏教讃歌

衆生劫 つきてこの世の
焼くときも 天人みつる
我が浄土 安穏なりと
釈迦牟尼の 宣りたまいしは 現象の
この世かわるも 実相の
浄土はつねに 今ここに
久遠ほろびず 燦々(さんさん)と
まんだらげ降り 童子舞う
光輝く世界なり
光輝く世界なり

  (三)古事記讃歌

天津日子(あまつひこ) 火遠理の命(ほおりのみこと)
現象の わなにかかりて
海幸(うみさち)を 我の力にて 釣りたまう
されどつりばり 失いて
まがれる鉤(はり)に まようとき
しおづちの神 あらわれて
めなしかつまの み船にて
龍宮城に みちびきぬ
龍宮城は いま此処ぞ
龍宮城は いま此処ぞ

  (四)万教帰一讃歌

しおづちの うみのそここそ
創造の 本源世界
汝らの 内にありとて
キリストが のりたまいたる 神の国
この世焼くるも 亡びずと
法華経の説く 実相の
浄土何(いず)れも ひとつなり
十字まんじと 異なれど
汝のうちにある天国ぞ
汝のうちにある天国ぞ

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「web誌友会参考文献板」 <43>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/43

 をご参照ください。

 ありがとうございます。

2509a hope:2013/08/01(木) 07:12:23 ID:edEDolt2

みなさま おはようございます。

夏休みに入り、我が家の生活がいつもより忙しくなりまして、なかなか書き込みできませんが、
この、web誌友会板と、web誌友会参考文献板だけはしっかり拝見してお勉強させていただいています。

昨晩は、プリントアウトしたものをじっくりお勉強させていただきました。
復興Gさまの「先祖供養」に関するご講話は、閲覧者Aさま、2506ユタカさまと同じようにとても感動しました。

「生長の家」の「万教帰一の真理」をわたしたち信徒がしっかり体得して、ご先祖様に感謝できるようになれば、
それがまことの「生長の家の先祖供養」なのだと思いました。

それには、やっぱり、聖典「生命の實相」の拝読は不可欠ですね。

詳しいことはよく知りませんが、雅宣先生が「森のオフィス」で世界の宗教のお勉強会をされていたようですが、
わたしはなぜ、また、そこに戻られるのか不思議に感じています。

雅春先生が、せっかく沢山お勉強をされて、そして修業されて、「万教帰一の真理」悟られて、
聖典「生命の實相」を神殿とされたのに、それをお勉強なさらずに、わざわざ「教え」を退行させる必要があるのでしょうか?

雅宣先生は、聖典「生命の實相」をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています。

2510曳馬野:2013/08/01(木) 12:00:56 ID:TZ2/719s
「生長の家」の「万教帰一の真理」をわたしたち信徒がしっかり体得して、ご先祖様に感謝できるようになれば、それがまことの「生長の家の先祖供養」なのだと思いました。

それには、やっぱり、聖典「生命の實相」の拝読は不可欠ですね。

雅春先生が、せっかく沢山お勉強をされて、そして修業されて、「万教帰一の真理」悟られて、聖典「生命の實相」を神殿とされたのに、それをお勉強なさらずに、わざわざ「教え」を退行させる必要があるのでしょうか?

雅宣先生は、聖典「生命の實相」をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【「生長の家」の「万教帰一の真理」をわたしたち信徒がしっかり体得し】たはずの元教化部長、本部講師等本流回帰の人々が【ご先祖様に感謝できるようになれば】(ご先祖様を雅宣先生と読み替えてください)善いのですが、散々悪いことをした親や先祖には感謝できないと、現象に捉えられていることを反省し、正しく【聖典「生命の實相」の拝読】をし、生命の実相の把握に努め【聖典「生命の實相」をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています】

己の信念の影を見るにすぎずとは聖経に説かれているところ、打つべきは対境にあらずして、己の無自覚のみではありませんか?実相一元を説く人々が現象のみに心を止めることは如何なものでしょう。実相現象渾然一体と唱える神想観がありましたが、五官の観るままに信念のレンズを通さず(其の儘)に生きたく思うものです。

2511a hope:2013/08/01(木) 14:48:24 ID:edEDolt2

曳馬野さま

【「生長の家」の「万教帰一の真理」をわたしたち信徒がしっかり体得し】たはずの元教化部長、本部講師等本流回帰の人々が【ご先祖様に感謝できるようになれば】(ご先祖様を雅宣先生と読み替えてください)善いのですが、散々悪いことをした親や先祖には感謝できないと、現象に捉えられていることを反省し、正しく【聖典「生命の實相」の拝読】をし、生命の実相の把握に努め【聖典「生命の實相」をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています】

上の文章は少しわかりにくいので、曳馬野さまの言わんとすることをわたしなりに言い換えさせていただくと、


<<「生長の家」の「万教帰一の真理」をしっかり体得したはずの元教化部長、本部講師等本流回帰の人々が、雅宣先生に感謝できるようになれば善いのですが、(実際には)散々悪いことをした雅宣先生には感謝できないと現象に捉えられている。
(その)ことを反省し、正しく聖典「生命の實相」の拝読をし、生命の実相の把握に努め聖典「生命の實相をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています。>>

となりましたが、そういうことでよろしいでしょうか?

もし、曳馬野さまのおっしゃりたいことが、そういうことでしたら、わたしは曳馬野さまのご意見に心から賛同させていただきます。

わたしは「生長の家の本流」を名乗る方々は、誰よりもまずは雅宣先生や純子先生に感謝し、愛さなければおかしい感じています。
雅宣先生や純子先生に感謝もせず、愛してもいないのに、「われこそは本流・正統・真の生長の家である」と主張するのはとてもおかしいとわたしはず〜〜と前から感じていますよ。


ですが、まったく同じことが、雅宣先生や、純子先生にも当てはまると思います。
同じく、言い換えさせていただきますね。


<<「生長の家」の「万教帰一の真理」をしっかり体得したはずの雅宣先生が、元教化部長、本部講師等本流回帰の人々に感謝できるようになれば善いのですが、(実際には)散々悪いことをした元教化部長、本部講師等本流回帰の人々には感謝できないと現象に捉えられている。
(その)ことを反省し、正しく聖典「生命の實相」の拝読をし、生命の実相の把握に努め聖典「生命の實相をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています。>>

2512曳馬野:2013/08/01(木) 16:13:16 ID:TZ2/719s
>>2511 a hopeさん

私の云わんとすることはその通りです。
でも総裁白鳩総裁もそのようにするべきというのはどうでしょうか?
お二方は非難めいた発言をしているでしょうか?これからの生長の家はこうしていこうと思う、と組織の長としての発言のみであると思いますよ。
信仰は自分の心の問題ですよね。親に酷い仕打ちと思われることをされ、生長の家に触れ、本当の親はそのような人ではないと諭され、なかなかそのように思えない親の行動の中に、一筋の光を見出した時に初めて無条件の感謝が芽生えるものでしょう。
無条件の感謝が芽生えることが大事なので、お二方に何らかの条件を付けるのは如何でしょうか?

【生命の実相】

生命の実相と申候事は、此の世界が此儘神の国であり、人間は其儘神の子なりと申すに候、観ずれば、それが現るるものに候、観ぜざれば、現れる事なし、さればこそ心を静めて実相を見よと申すに御座候、現象に如何なる悪顕れ申候とも、何れも神の作り給へる実在には無之候間、気にかけずに唯実相円満完全なる相のみを観ずれば結局は円満完全なる実相現るるものに有之候   敬白  谷口雅春先生御書翰

私の机の上に何時も架かっていますもう一度言います、信仰は自分の心だけのものだと思います。

a hopeさんが会話のできる数少ない方であることに感謝です。

2513曳馬野:2013/08/01(木) 16:24:20 ID:TZ2/719s
先の書翰のなかの「気にかけずに」のところは全国講師として活躍された末井勉講師が講演のたびに「気にかけずに、気にかけずに、気にかけずに」と繰り返し繰り返し強調されたことです。

それぞれの人にそれなりに実相は現れているものであり、命あればこその存在であることを忘れないでいたいものです。

2514a hope:2013/08/01(木) 17:10:45 ID:edEDolt2

曳馬野さま

実際のところ、本流の先輩方が雅宣先生や純子先生に感謝しているかとか、愛しているかとかは、
それこそ個人個人の心の問題ですから、わたしにはわかりません。

ですが、せめて「言葉の力」を信じ「大調和の神示」を知っている生長の家の信徒であれば、本流であれ教団であれ、
まず、第一に雅宣先生と純子先生への感謝の言葉を述べて、和解を祈るのが当然だと感じているだけです。
本流の先輩方の中には、個人的にはそれをされている方々は意外に多いいのではないかとわたしは拝察しています。

ただ、そのことが形として見えてこないですし、反対に「光明掲示板」などでは
批判の言葉ばかりが目立ってしまっているのはとても残念に思っています。


ところで、なんだかわたしの最初の発言からは論点がずれてしまっていますね。
わたしが最初に発言したことは、

<<詳しいことはよく知りませんが、雅宣先生が「森のオフィス」で世界の宗教のお勉強会をされていたようですが、
わたしはなぜ、また、そこに戻られるのか不思議に感じています。
雅春先生が、せっかく沢山お勉強をされて、そして修業されて、「万教帰一の真理」悟られて、
聖典「生命の實相」を神殿とされたのに、それをお勉強なさらずに、わざわざ「教え」を退行させる必要があるのでしょうか?
雅宣先生は、聖典「生命の實相」をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています。 >>

ということです。
このことに関しては、曳馬野さまはどう思われますか?

簡単に言い換えれば、

すでに「万教帰一」の真理を悟っている生長の家で、今さら、世界の宗教をお勉強する必要があるのでしょうか?

ということです。


すみませんが、今日はこれから子どもたちと地元のお祭りに出かけます。
お返事はすぐにはできないと思いますが、必ずお返事させていただきます。
よろしくお願いいたします。

2515ユタカ:2013/08/01(木) 17:16:13 ID:R1D4Jmeg
生長の家のご先祖供養は、一つの宇宙の大生命からでた万教のご本尊さまとご先祖様・両親を通して私達は一体であると教えていただきました。

子孫はご先祖さまに・両親に感謝して、喜んでいただく行為を為すことが自然だと思います。

兄弟は仲良くし、助け合って生きていくことが親孝行。

先祖から受け継いだ事業があれば、世のため人のためにさらに事業を生かして繁栄させて、古い御番頭さんを大切に感謝して働いてもらう。

ご先祖さまに大いに喜んでいただけるよう生きて行きたいものです。

2516ユタカ:2013/08/01(木) 17:42:29 ID:R1D4Jmeg
上記2515は、馬野さんの>2513 それぞれの人にそれなりに実相は現れているものであり、命あればこその存在であることを忘れないでいたいものです。


の命という現象世界に反応して書いたものです。

2517曳馬野:2013/08/01(木) 20:58:24 ID:TZ2/719s
A hopeさん
ところで、なんだかわたしの最初の発言からは論点がずれてしまっていますね。

真理を知り生きるとは?どういうことか。ということからの発言です。生長の家の先祖供養とはどういうことかについて復興Gさんの投稿に賛辞が寄せられていることについて、その通りでありますが、其の儘に他の生活に及ぼさないのか不思議なんです。十分に生命の実相を知っているはずの本流の方々が、雅春先生から清超先生へまた雅宣先生へと運動の形態が変わるにつれ、【無私の日本精神】を発揮して行動すべきものを、中心帰一の真理を撥無する行動が解せないのです。生命の実相を知るとは無私にして其の儘に生きることと私は思っています。

吉田国太郎先生の言葉に【善を励んで善の虜となれば善中の悪。神を願って神に縛せられれば神中の悪魔。一切を放して放した姿に憑かれれば無中の有。無執無縛にて神を想い善事を励む、これ仏子現成の境涯。】とあります。

また雅春先生の【絶対無の日本武道】に
【「絶対無の心境」が日本精神であります。苟も心に一塵の「有」がありましても、その「有」に縛られて日本精神本来の自由自在が失はれてしまふのであります。絶対の自由は無条件に生命を捨てるところから生ずるのであります。我々は何でも予め抽象的な条件をつけて斯うでなければならない、ああでなければならないと、一つの予定的「有」をつかむと、その「なければならない」と云ふ自己限定にみづからいのちが縛られて自己生命の自由自在さを失って・・・・】とあります。

また五月三日無心無我の日には
【近思録に「夫れ天地の常は、其の心萬物に普くして、無心なるを以て也」とあり。無心なるところに天地の常があらはれるなり。「天地の常」とは「生命の実相」のことなり。ありのままの生命の完全なる相なり。それを現はさんとすれば、無心にならなければならない。無心にして天地運行し、四時行はれ、春化開き、夏茂り、秋実る。無心の中に一切がある。一人の僧趙州和尚に問ふ、「如何なるか是れ道」と。趙州和尚答ふ「平常心是れ道」と。平常心とは平常の雑念のままの心には非ざるなり。平常心とは無心のことなり。金剛経に「まさに住する所なくして其の心を生ずべし」と。無心の心を引き出し来たれ。】とあります。(これは逆に「其の心を生ずればまさに住する所無し」とも読まれています)

               つづく

2518曳馬野:2013/08/01(木) 22:49:03 ID:TZ2/719s
和合について

五月六日 心に隙が無くなる日
【天地一ぱいの心になるには、無心になるべし。無心が天地一ぱいなり。所謂る「我もなく敵もなく、天地を踏み破る」境地なり。と云って、無心になるにはどうすべきか。どうすべしと趣向を凝らせば、凝らすほどそれが邪念となりて無心から遠ざかるなり。そのままなり。そのままと云ってもどの其の儘かわからぬなり。其処で「肉体なし、物質なし」と一喝するなり。肉体あり、物質ありと思ふが故に、吾あり、対境ありと思ひ、吾と対境と分裂抗争して、其処に隙を生ずるなり。その隙が「敗れ」なり、「病気」なり。万事に於いてスキを無くすること肝要なり。無心とはその境地なり。一切との和合なり。】

五月八日 人を見て自分を直す日
【いさかいは実に山彦の反響かや我しづまれば向ふ音なし。これは心学の歌である。「和」と云ふのは、我と彼とがひとつであることを体得することである。向こうが悪いと思い、此方が善いと思っている間は、彼と我とは別のものであると思っているから「和」が成立せぬのである。「彼の姿は、私の心の姿である」と対手を見て自分に反照する、そこに真の「一」が出現する。「一」が「和」であり、「一」のくだけた姿が「不和」なのである。向こうの悪さを見て、此方の悪さを悟る、これが出来るのは人間だけだ。人間だけが、宇宙一体を知っている万物の霊長である。】

和解などでなく絶対無の実践のみが生長の家信徒の為すべきことと思います。
聖典「生命の實相」を神殿とされたのに、それをお勉強なさらずに、わざわざ「教え」を退行させる必要があるのでしょうか?とのことですが、退行しているかどうか私は知りません。私にとりましては絶対無の実践こそが問題でありますから。少なくとも本流回帰の方々が無心を行じているとは思われません。生命の実相を拝読することは、無心になるためにこそするべきと思います。

わたしが最初に発言したことは、簡単に言い換えれば、【すでに「万教帰一」の真理を悟っている生長の家で、今さら、世界の宗教をお勉強する必要があるのでしょうか?】ということです。

世界の宗教の勉強をしているかどうかは知りません。世界に出て往くについては絶対無の日本精神の実践のみでいいのですから、何教が何を言っているというようなことは必要ないでしょうね。

私の云いたいことは、本流回帰の方々が生命の実相、宇宙一体を自覚され無心に生きているでしょうか?ということです。

2519閲覧者A:2013/08/01(木) 23:51:51 ID:???
生長の家は最高の真理です。
人類や文化の歴史は宗教の歴史と言っても過言ではありません。
世界の宗教研究家もおられるのですから、世界の宗教を学ぶことは、それはそれで素晴らしいのではないかと思います。
歯みがきの歴史はお釈迦様に始まりますしね。
日本人が朝起きて歯を磨く習慣は、佛教の歴史でもあるそうですよ。

2520復興G:2013/08/02(金) 03:08:18 ID:AB6RqYXc

>>2518 :曳馬野さん

a hopeさんは忙しくてすぐにはお返事書けなそうなので、私の感想をちょっと横から失礼します。

>>私の云いたいことは、本流回帰の方々が生命の実相、宇宙一体を自覚され無心に生きているでしょうか? ということです。 <<

――それは、おおむね “No” でしょうね。

それは、私もそうです。

常に 「宇宙一体を自覚して無心に生きよう」 というのは私の切なる祈りでありますが、なかなかいつもそうとは行きません。

それは、曳馬野さん、あなただってそうでしょう。

>>本流回帰の方々が生命の実相、宇宙一体を自覚され無心に生きているでしょうか?<<

なんておっしゃるのが、「絶対無の日本精神の実践」 ですか? ちがうでしょう。

>>万事に於いてスキを無くすること肝要なり。
……「彼の姿は、私の心の姿である」と対手を見て自分に反照する、そこに真の「一」が出現する。「一」が「和」であり……<<

それを言うなら、先にまず実践してから言いましょうよ。

2521a hope:2013/08/02(金) 09:37:06 ID:edEDolt2

曳馬野さま

吉田國太郎先生や、雅春先生の真理のお言葉を沢山ご紹介くださりありがとうございます。

<<十分に生命の実相を知っているはずの本流の方々が、雅春先生から清超先生へまた雅宣先生へと運動の形態が変わるにつれ、【無私の日本精神】を発揮して行動すべきものを、中心帰一の真理を撥無する行動が解せないのです。生命の実相を知るとは無私にして其の儘に生きることと私は思っています>>

わたしも、ここにある【無私の日本精神】、つまり曳馬野さまのお言葉では、『無私にして其の儘に生きることと』になりますが、それは、まことに「生命の実相」を知ると発揮されるものだと感じています。


ですが、それは、「何も無い(nothing)」の『無』ではないですよね?
自分の中にも、雅春先生や清超先生そして雅宣先生と同じ(同格の)『実相』があるのですから、
つまり自分の中にすべて完全な神の存在があるのですから、それを出すことが【無私の日本精神】の発揮であり、
『無私にして其の儘に生きることと』だと感じています。

もし生長の家の組織に属していて『自分自身の内在の神(実相)』以外に『中心帰一』するものがあるとすれば、
それは現象の雅春先生、清超先生、雅宣先生ではなくて、
『実相』つまり『神』と直結している部分の雅春先生、清超先生、雅宣先生のお言葉にするものだと思っています。
(自分は神のラッパであると雅春先生はおっしゃっていましたよね?)

本流の先輩方やわたしを含めその他たくさんの信徒さんが今教団を去られている原因は、
「雅宣先生の教え」や、教団の運動方針が『神』(宇宙に偏在する神)の御心から外れてしまっているからなのだと思っています。
ですから、わたしたち信徒は雅宣先生のお言葉に心(魂)から中心帰一することができないのです。

今、現在教団に残っていて、雅宣総裁に中心帰一されているように見える信徒の方々も、
それはまことに中心帰一しているのではなくて、「現象人間の雅宣先生の教え」や、
組織の仕組みにただ従っていらっしゃるだけなのだと思います。

ですから、もし、これから雅宣先生や教団組織に何かもっと大きな事件等が起これば、
信徒は簡単に「雅宣先生の教え」や教団組織から離れて行き、教団は破産してしまうでしょう。

それを避けるための唯一の方法が、雅宣先生を中心に教団、本流のすべての信徒が、聖典「生命の實相」に戻り、
そして神の御心の運動=『まことの人類光明化運動』に戻り、
まずは、わたしたち信徒同志が和解することなのだと思っています。それ以外ないと思っています。

ですから、

<<和解などでなく絶対無の実践のみが生長の家信徒の為すべきことと思います。
聖典「生命の實相」を神殿とされたのに、それをお勉強なさらずに、わざわざ「教え」を退行させる必要があるのでしょうか?とのことですが、退行しているかどうか私は知りません。私にとりましては絶対無の実践こそが問題でありますから。少なくとも本流回帰の方々が無心を行じているとは思われません。生命の実相を拝読することは、無心になるためにこそするべきと思います。>>

という曳馬野さまのお考えになっている「絶対無」とわたしの思う「絶対無」が同じものであるとは思えません。

そして、本流の先輩方はたくさんいらっしゃいますので、
<<本流回帰の方々が無心を行じているとは思われません。>>
<<私の云いたいことは、本流回帰の方々が生命の実相、宇宙一体を自覚され無心に生きているでしょうか?ということです。 >>
という曳馬野さまのご意見にも賛同しかねます。


ですが、

<<世界の宗教の勉強をしているかどうかは知りません。世界に出て往くについては絶対無の日本精神の実践のみでいいのですから、何教が何を言っているというようなことは必要ないでしょうね。>>

こちらに関しては、わたしのご意見にご賛同していただいたようでうれしいです。


>>2519で閲覧者Aさまが、

<<世界の宗教研究家もおられるのですから、世界の宗教を学ぶことは、それはそれで素晴らしいのではないかと思います。>>

というご意見をくださっています。

それに関しては、またあとでお返事させていただきます。

2522a hope:2013/08/02(金) 09:41:12 ID:edEDolt2
訂正 
わたしのご意見→わたしの意見

2523a hope:2013/08/03(土) 23:20:11 ID:edEDolt2

>>2519閲覧者Aさま

<<生長の家は最高の真理です。
人類や文化の歴史は宗教の歴史と言っても過言ではありません。
世界の宗教研究家もおられるのですから、世界の宗教を学ぶことは、それはそれで素晴らしいのではないかと思います。
歯みがきの歴史はお釈迦様に始まりますしね。
日本人が朝起きて歯を磨く習慣は、佛教の歴史でもあるそうですよ。 >>

そうですね。
わたしも、人並み以上に好奇心は旺盛ですから世界の宗教に興味がないわけではありません。

ですが、もし「生長の家」の信徒が世界の宗教を学ぶのであれば、雅春先生の聖典から学ぶべきなのではないでしょうか?
たとえば、「生命の實相・万教帰一編」「ヨハネ伝講義」「即身成佛の真理」「真佛教の把握」・・・わたしは、まだまだ勉強不足ですが他にも沢山あるのではないのですか?
雅春先生の聖典はすべて、「唯神実相(一元論)」の見解から真理を説かれていますから、、
人々はそれを読むだけで「人間神の子」の自覚(悟り)を得られ、「生長の家」信徒の使命である人類光明化が促進されると思うからです。

一方、雅宣先生のお考えは、「対称・非対称」などというような「二元論」です。
そしてその「教え」は都会では悟りが得られにくいとか、自然との調和が大切だとかいうような、
悟りが現象に左右されるというような教えのようです。
(すみません、詳しくはわからないので間違っていたらご指摘をお願いいたします)
ですから、そのようなお考えの雅宣先生の世界の宗教に関してのご教義をいくら拝聴しても
また御文章を拝読しても、その宗教の歴史や教義内容は理解できたとしても、肝心な「神の子の自覚」は得られないでしょうし、
「生長の家」の使命である「人類光明化」にもつながらないとわたしは思います。

2524閲覧者A:2013/08/04(日) 13:17:00 ID:???

>>ですが、もし「生長の家」の信徒が世界の宗教を学ぶのであれば、雅春先生の聖典から学ぶべきなのではないでしょうか?
たとえば、「生命の實相・万教帰一編」「ヨハネ伝講義」「即身成佛の真理」「真佛教の把握」・・・わたしは、まだまだ勉強不足ですが他にも沢山あるのではないのですか?>>


もちろん、生長の家の信徒であれば、雅春先生の数多い聖典から学ぶことは大変必要であると感じます。


>>雅春先生の聖典はすべて、「唯神実相(一元論)」の見解から真理を説かれていますから、、
人々はそれを読むだけで「人間神の子」の自覚(悟り)を得られ、「生長の家」信徒の使命である人類光明化が促進されると思うからです。>>


確かにそうだと思います。
人それぞれの、育った環境に違いはありますから、「〜でなければならない」ということはないのではないかと思います。
ちなみに私は、仏教学から生長の家の真理に触れました。
育った環境も、周囲に仏教が色々な形でございましたから、生命の實相をはじめ、雅春先生の数多くのご著書をもとに、色々な方の先人のお考えを学ばせて頂いています。

2525ユタカ:2013/08/04(日) 21:06:04 ID:R1D4Jmeg
8月1日からウインドウズ8に変えましたが、使い方が分かりにくくて困っています。

ここを押してくださいの下線を押して中に入ると、元の画面に戻りたいのに戻れないのですが、、、

それと、さらにウインドウが小さいし。。。 格闘中・・・出来ない!!

2526神の子さん:2013/08/04(日) 21:23:11 ID:a8Cc2EfE
>>2525
メトロの画面からデスクトップに移動すると、Windows7と同じ画面いけますよ。

2527a hope:2013/08/05(月) 09:14:14 ID:edEDolt2

閲覧者Aさま

>>人それぞれの、育った環境に違いはありますから、「〜でなければならない」ということはないのではないかと思います。
ちなみに私は、仏教学から生長の家の真理に触れました。
育った環境も、周囲に仏教が色々な形でございましたから、生命の實相をはじめ、雅春先生の数多くのご著書をもとに、色々な方の先人のお考えを学ばせて頂いています。<<

そうですね。
確かに、「生長の家」の教えはねばならないがない教えだと言われていますよね。

それでも、わたしはその「教え」の純粋さを保つため、つまり、わたしたちが正しく法燈継承するためには、
聖典「生命の實相」を中心に学んでいくのがあたりまえだと思うのです。
ましては、「生長の家の総裁先生」であればなおさらですよね?
わたしは、雅宣先生は、ご自分勝手に「生長の家の教え」を解釈して、
聖典「生命の實相」の真理からかけ離れた「教え」を確立されようとされているようにしか思えません。
雅宣先生は、実際の所、現在も聖典「生命の實相」の拝読を毎日されているのしょうか?

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/2129

↑の本流対策室のトンチンカンさまのご意見はごもっともであると思います。


今朝の復興Gさまご謹写の榎本恵吾先生の『神癒の展開としての人類光明化運動』 四十七 には、

<<いのちのどん底にあるからこそ 『生命の實相』 なのであり、そのどん底にあるからこそ、それを讃えるために 『生命の實相』 があとから、その素晴らしさを映し出して呉れているのであるから、いのちのどん底のどん底なるものが先で、それが出て来て、最後に手で開いて頭で読むという姿が開花しているのである。>>

とありました。
それを拝見して、「う〜〜ん」と唸ってしまいました。
神縁あって「生長の家」に触れたわたしたちは、いのちのどん底ににある『生命の実相』を讃えることが使命なのではないでしょうか?
だからこそ、その流れとしてして聖典『生命の実相』を三正行の一つとして拝読し続けるのだと思いました。


また、ユタカさまが>>2289>>2297まで「神 ひとに語り 給ふ  無病常楽の神示 講義 」をご謹写くださっています。その最後の御文章に、

<<臨済宗方広寺派の管長足利紫山労師が大分市の関川晃代さんに言はれた言葉に「あんたは、生長の家によって真理を悟らしてもらったんだから、ほかの宗教によろめいては行ってはいけませんよ。信仰にも貞操がなければならない」といふのでありますが、まことにそうであります。
「萬教は唯一つの真理に帰するから、何処へよろめいていっても同じぢやないですか」という理屈づけをして他の宗派をのぞいてくる人がありますが、これは自分の神性をはらかして頂いた「因」に対する純潔を欠いてゐるので、なんぼう偉さうに道をといてもいけないのです。
嘗て講談社の校正係をしとつた人で、人を恨み憎んでころしてやりたい位だったその恨みが、生長の家の神示を実行して消えた。そして今は清々しい気持ちになれた。その恨みが消える方法を教えてもらったのは生長の家のお陰であるというので、毎年二、三回は必ず、私にお礼の手紙をよこす人がありますが、さういう人は、本当に因縁の理を知り、恩を忘れない立派な人だと言はなければなりません。>>


実は、わたしも生長の家の教えに触れる前は、仏教に興味がありました。
そして、近くのお寺に座禅に通ったり老師のご講話を聴いたりもしましたし、本も何冊か読みました。
その外にも、気功をしたり、精神世界の本を読みあさったりもして、数回の神秘体験も経験しています。

ですが聖典「生命の實相」ほど、わたしの魂を震わしたものはなかったのです。
「あ〜〜これをすべて拝読すれば、わたしは真理を悟れる!」と確信したのです。

今でも数行読んだだけで、魂が震えます。
こんな本はほかにはありません。
やっぱり、「聖典」=神のコトバなのだと確信しています。

そんな、素晴らしい「聖典」をないがしろにして、自分勝手に教えを説いている雅宣先生に、
早く目を覚ましてほしいのです。

その目を覚ますためには、教団の破産とか、総裁職からの追放とか、そんな事が本当に必要なんでしょうか?
雅宣先生ご自身が、聖典「生命の實相」に戻られればいいだけのことなのです。

2528a hope:2013/08/05(月) 09:57:05 ID:edEDolt2
>>2527に関連して、復興Gさまのご投稿も再掲載させていただきます。

2307 :復興G:2013/07/13(土) 21:31:32 ID:AB6RqYXc
>>2304のつづきです。

同様のことが、 『生命の實相』 第38巻 「七月一日」・「七月二日」 のところに、次のように書かれています。
>>2185に書いていたことですが)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     七月一日

 深海の中に棲む魚は盲(めしい)である。暗(やみ)のみを心に思い浮かべているからである。光を見る心になったときわれわれに眼ができ、美しい世界がわれわれの周囲に展開したのである。

 思想することは自由である、幸福になるように、あるいは不幸になるように。けれどもそれは各人の選択である。

 ただひと筋に光明思想に随(つ)いて来るものは幸いである。

 すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである。

 思想として、宗教として、哲学として、生長の家はすべてのすべてである。このほかにもっと何かよいものがあるかと思ってさ迷い出るものは、エデンの楽園にいてエデンの楽園をさ迷い出ずるものである。

 いろいろと変わった思想のものを読んで、思想を混乱させればさせるだけ、自分の運命が混乱してくる。

 罰を当てるのではないが、いちどお蔭を戴いてから去ったものの運命がそれほど花々しくないのは、その人自身の思想が混乱しているからである。

 元の思想に還ればまた幸福がその人のために蘇(よみがえ)ってくるのだが、いったん光明思想を去った者が元の思想に還ることは負けたような気がして正直に懺悔の心を表白することができない。そこでその人はいつまでもグズついて不幸の中に身をまかせているのである。

 真理の前に脆(ひざまず)くことは、不幸の中に身をまかせていることよりもいっそう勇敢なことであることを知らねばならない。

2529閲覧者A:2013/08/05(月) 11:38:25 ID:???
a hope様、少し多忙ですので、御返事に時間を下さい。

2530神の子さん:2013/08/05(月) 22:15:10 ID:R1D4Jmeg
>2526の神の子さん+助けて+

メトロってなんですか? どこのことをいうのですか?

2531神の子さん:2013/08/06(火) 02:50:03 ID:AU5Sebm.
>>2530
メトロ画面は8が立ち上がった時の画面です。
四角い箱(タイル)が幾つも並んでいる画面です。
そこに「デスクトップ」というタイルがあって、それを押すと、7の画面に行けます。

2532ユタカ:2013/08/06(火) 23:31:42 ID:R1D4Jmeg
神の子さま、ありがとうございました、今日量販店に行ってまいりました。
8って便利すぎて難しいです。これからもよろしくお願いします。

2533神の子さん:2013/08/07(水) 07:23:31 ID:Xc3ZNfYs
>>2532
ユタカ様
量販店で聞いて来られたのですか?
そうですね、とても便利になりました。
秋頃には8.1が出ますので、もう少し便利になりそうです(笑)

2534閲覧者A:2013/08/07(水) 22:47:29 ID:???

a hope様、大変お返事が遅れました。

私はa hope様のお考えを拝見し、そのお考えはa hope様の大切なご意見ですから、それはそれで決して間違えていらっしゃらないと思います。
私も、生命の實相は永遠に私の生命にとり、なくてはならない御本であり、神殿であり、宇宙最高の教えです。

「生長の家信徒行持要目」を心がけて生活しているならば、信徒の方が各々どういう立場であっても、それで構わないのではないでしょうか。

あまりこれ以上発言をしてしまうと、私の職業がバレてしまいますので、控えさせて頂きます。
ただ一つだけ・・・「生長の家信徒行持要目」の「行持」でありますが、正法眼蔵にも出て参ります。
その心を思うと、真理はあらゆる宗派をも超越しているのだと、感慨深く思います。

生長の家にも、過去、僧侶の資格を持たれた、田中忠雄先生や最近宇治別格本山を退職された先生もいらっしゃいました。
神社の神官・宮司をされながら生長の家信徒でいられた方もいらっしゃいます。
生長の家信徒でありながらも、クリスチャンで洗礼を受けた方もおられると聞いております。
信徒さんそれぞれの立場で、「生長の家信徒行持要目」を大切にされたらいいのではないでしょうか。

雅宣さんの件に関しましては、いまは時間がとれませんので、発言は控えます。

2535a hope:2013/08/08(木) 16:50:37 ID:edEDolt2
閲覧者Aさま

お忙しい中、ご丁寧なお返事をいただきましてありがとうございます。

>>>>私も、生命の實相は永遠に私の生命にとり、なくてはならない御本であり、神殿であり、宇宙最高の教えです。
「生長の家信徒行持要目」を心がけて生活しているならば、信徒の方が各々どういう立場であっても、それで構わないのではないでしょうか。<<

上の閲覧者Aさまのご意見には賛同させていただきます。
生長の家の教えは「万教帰一の教え」ですから、すべての宗教を包括していますものね!
「生命の實相」の真理さえしっかりと理解していれば、どのような立場であっても、
どんな宗教の本を読んでもけっして迷うことはないと思います。

光明掲示板で童子さまが、田中忠雄先生の『ここに禅の生き方が』(40年3月初版)を、ご紹介してくださっています。
これから、お勉強させていただきます。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1618

素晴らしい真理がお勉強できることに心から感謝いたします。

合掌。

2537a hope:2013/08/10(土) 08:03:04 ID:edEDolt2

みなさま おはようございます!

第16回web誌友会の日程が迫ってきました。
>>2425でこのweb誌友会の指導者であられる復興Gさまが、

>>本番の誌友会は、今までのように初日は21:30から始まり、
終わりの日の終了時刻は23:00とするとして、
開始は 8月16日(金) 21:30 からで
終わりは、もし2日間なら 17日(土) 23:00まで とし、
3日間なら、18日(日) 23:00 まで とする。
どちらを選ぶかは、お世話を務めて下さっているユタカ様と a hope 様とで相談して決めて頂ければと思います。
私は、18日(日)午後からはリアルの誌友会出講があります。ですから2日間の場合、土・日より金・土の方が都合がよろしいのです。でも、皆さまが土・日の方がよろしければ、それでも結構です。 <<

とおっしゃってくださっています。
そして、ユタカさまも確か、復興Gさまのご都合に合わせる形がいいとおっしゃってくださっていたと思います。
そうなると、18日の日曜日は復興Gさまがお忙しいようなので次回web誌友会の日程は、

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


<<第16回web誌友会(仮)予告>>

日時  8月 16日(金)21:30から17日(土)23:00まで

テキスト『生命の實相』 第4巻 第1章〜第4章 p.91 [まで]
  

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


とするのが、今のところbestではないかと思いますが、
ユタカさま、トキさま、みなさま、いかがでしょうか?


ユタカさまは新しいパソコンの調子はいかがですか?

わたしは、来週は仕事がお盆休みに入るので家族で旅行に出かけますが、
16日には戻りますので、また、自分のペースで参加させていただきます。


今、「第2章 真理はなんじを自由ならしめん」 のところを再拝読中ですが、
ここには一番最初に有名な小僧が指を切られた『俱胝竪指』のお話が紹介されています。
そしてその話を例にして「生命の実相」を悟ればなぜ病気が治るのか、ということが詳しく説明されています。
そして、「薬を廃(や)めること」が「小僧が小指を切り去った」と同じ働きをすると述べられています。
ここは、とても大切な箇所だと感じています。

また、この第2章に出てくる「逆念の放送」(p 40 後ろから4行目)「逆念の刺激」(p42 後ろから2行目)「逆念の働き」(p44 後ろから7行目)とある
『逆念』ということについてもう少し詳しくお勉強させていただきたいと思いました。

復興Gさま、トキさま、ユタカさま、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

2539復興G:2013/08/10(土) 09:57:46 ID:AB6RqYXc

>>2537 :a hope さま

ありがとうございます。

ユタカさま、皆々さま

私は、>>2425 に書いた通りで、お任せいたします。

楽しみにしています。 合掌

2540るんるん:2013/08/10(土) 10:54:13 ID:fYlJIcas
ユタカさま

初めまして。
ウインドウズ8は初めはびっくりしますけど、スタートボタンがないので。
でもすぐに慣れますよ。

(あなたのブラウザがInternet Explorerとして、説明させて頂きます)
ブラウザがInternet Explorerなら、IE10ですよね。
なら、ウインドウズ8だからというのでなく、既にIE9の時から、
ツールバーやお気に入りバーは非表示になってるのです。

ツールバー等を表示したいのですね?

ここでツールバーやお気に入りバーの出し方が書いてありますよ。
私はこれで、表示しました。(o^∇^o)ノ

http://internet-explorer9.info/howtouse/1019/

2541トキ:2013/08/10(土) 20:07:21 ID:yLGBQcM.
>>2537

 このたびも、web誌友会を開催、ご指導をして下さり、深く感謝申し上げます。
生長の家の盂蘭盆供養大祭の前でもあり、信仰について、今一度、学び直す時期
だと思います。

 深い内容の勉強ができるので、楽しみにしています。

 今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2542ユタカ:2013/08/11(日) 00:25:28 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま PCがなぜか応答していませんと表示されて、ここにも接続できなくてここを見るのに小一時間かかっています・ ・・
      誌友会は古いPCで対応します・・・ もう引きこもりになる寸前。

るんるんさま ご親切にいろいろとアドバイスをありがとうございます。 お気に入りは量販店で聞いてきたのでわかりましたが、この掲示板に接続しようとすると、ここには接続できません。と表示が出てきて、何度もやり直して嫌になっています・・。 また聞きにいかないと・・
メーカーは電話でないし・・ 


PCが動かない・・・  自分の運命が変わっていっている気がします。

いくら、あの冷酷非情と言われる雅宣先生で、自分も笑って悪口をいっているけど、本当は、純粋な実相の誌友会がしたい!!!

悪口はもう嫌だ!!!

お題目 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動


この異常な熱帯のような気温を感じたら、雅宣先生が何より環境を優先してきた事が分かったよ!! ユタカは心が変わって来ている気がする。。。


だから、PCが動かない気がする。。。

2543神の子様:2013/08/11(日) 06:45:12 ID:???
最近の異常気象は、地球温暖化が原因だと言う人もいますが、根拠はなく、地球温暖化と無関係です。

その多くは偏西風の蛇行やエルニーニョ、ラニーニャによって起こります。

地球温暖化は、オゾン層の破壊と無関係です。オゾン層が破壊されると、地表に届く紫外線は少し増えますが、紫外線が地表を暖める効果は極めてわずかですから、温暖化を促進しません。

なお、オゾン層のオゾンが減ると、紫外線の吸収が減り、オゾン層が暖まらなくなりますから、成層圏の温度が下がります。
現在はフロンの規制により、オゾン層の破壊は止まっていますから、成層圏の温度低下も止まっています。

人間がオゾン層で人為的に作ったオゾンを放出しなくても、フロンの放出をやめたことにより、
1995年以降は少しずつオゾン濃度が高くなっていて、あと40〜50年で元の濃度に回復すると考えられています。

地球温暖化は炭酸ガス濃度と無関係です。
炭酸ガスに温室効果はありますが、吸収できる15μmの地球放射を全部吸収済で、再放射による同じ大きさの15μmの下向きの大気放射が地表に届いていますから、温室効果を既に100%発揮済です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B0%97%E3%81%AE%E7%AA%93
大気の窓 波長15μmの透過率はゼロ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:A...
大気通過後の放射スペクトル分布
http://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kenkyu/ke03.html
近藤純正東北大名誉教授のHPの図 3.5 大気放射スペクトル

まだ吸収されていない15μmの地球放射はありませんから、炭酸ガス濃度が高まることによる温室効果の増大はあり得ません。

炭酸ガス濃度を2倍にする実験では、赤外線の吸収が変わらず、温室効果も変わらないことがわかっていて、追試でも確認されています。

100年後に炭酸ガス濃度が倍増した時の3度の温度上昇は水蒸気のフィードバック効果をIPCCが正と決めつけて計算したものですが、人工衛星による観測結果では水蒸気のフィードバック効果は負ですから、100年後の温度上昇は0.4度未満です。
http://blogs.yahoo.co.jp/nishiokablog/14779529.html

地球温暖化は1900年代後半の過去400年で最大の極めて活発な太陽活動(現代極大期)による自然現象です。
太陽活動の気温への影響の時間的遅れは15年ほどですから、2015年頃から太陽活動の低下の影響が出てきそうです。
http://yaplog.jp/itoh_kiminori/archive/161
20年移動平均線は太陽活動の指標と世界の平均気温に高い相関

http://stesun5.stelab.nagoya-u.ac.jp/study/sub8.htm
太陽風速度、宇宙線が気温に影響を与えるメカニズム、スベンスマルク効果

2544a hope:2013/08/11(日) 17:25:39 ID:edEDolt2

ユタカさま

本当に暑い日が続きますね。
我が家は、出来るだけエアコンを使わない主義なのですが、
さすがにここ2〜3日はエアコンのお世話になる夜が続いています。

ところで、パソコンの調子が良くならなくて、
それは、ユタカさまの心の変化が現れているというこなのかもしれないとのことなのですね。

本当は、純粋な実相の誌友会がしたい!!!
悪口はもう嫌だ!!!

ということですが、確かに、わたしも人格批判的な誹謗中傷はもう聞きたくありません。

ですが、わたしたちは「生長の家の教え」や「真理」に関しては、妥協できませんよね?
聖典「生命の實相」をお勉強していけばいくほど、雅宣先生の「教え」や運動方針の間違いが見えてきてしまいます。
わたしたち信徒がしっかり「生命の實相」を勉強しないから、現教団に今、このような状態が現れているのではないでしょうか?

ですから、このweb誌友会で「生命の實相」の真理をお勉強していくことは素晴らしい意義があるとわたしは感じています。

ユタカさまのパソコンの状態が一日も早くよくなって、web誌友会で「純粋な実相の誌友会」ができることを心からお祈りしています。

2545復興G:2013/08/11(日) 22:03:58 ID:AB6RqYXc

皆さま

今日も本当に暑い日でしたね。

そんな中、私はかなりの距離を歩いて、ある音感合唱の集いへ行ってきました。

外気温は40度以上あったという人もいて、熱中症になりそうでした。

なんとか合唱練習会場へたどりついて、冷たいお茶を飲み、讃美歌を歌っていたら、ものすごく感動が湧いてきて、涙が出てきました。

熱心なクリスチャンだった私の祖母が、喜んで、霊界から天降って来たような気がしました。

讃美歌ばかり約1時間ほど歌って、休憩に入った時、雷が鳴って、一時大雨が降りました。

しかし帰る頃には雨はやんで、涼しくなっていました。

雷は、「神なり」だと思いました。

合唱、いや合掌でした。


ユタカさん

私も、「異常気象はCO2による地球温暖化のせい」などというかがくしゃたたちの説は、眉唾物だと思っています。
そんなこと、信じていません。

他人のいうことでなく、自分を信じなくては・・・・内なる神を信じなくては。

パソコン、もうじき使えるようになりますよ。きっと。

祈って、待ってます。

2547ユタカ:2013/08/13(火) 17:49:46 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。

皆様のお祈りのお蔭で少しづつ8に慣れてきました、どうもお騒がせしました、ごめんなさい。 これは慣れていく以外方法がないと悟りました。。。

もうすぐ誌友会ですね。次はどのような形で進行していくのでしょうか、楽しみです。

ユタカの『生命の實相』の第4巻の扉には楠本先生のご揮毫で 「 万 事 好 転 」とあります。

このWEB誌友会にご参加の方の運命が「万事好転」することと信じます。 ユタカの近況ですが、最近は復興G様の榎本先生の謹写されておられる文章が理解出来るようになってきました、本当にすごい事が書いてあって、素晴らしいです、あのご本を読めば、大騒動など「無い」事かも知れません。いや、「ない」んでしょう・・・

と観じていいような気もしてしまいましたが、みなさんはどうですか?

最近、復興Gさまが美代先生の終講の言葉をご紹介下さって解説してくださった時にユタカは反発した意見を書き込みましたが、

今は違います。 美代先生と復興Gさまのご意見を素直に受け入れられるように変化しました。

美代先生の終講のことばを再掲します。続く+

2548ユタカ:2013/08/13(火) 18:39:43 ID:R1D4Jmeg
ヤッター!! 投稿出来た!! 上記8からの投稿成功!

二葉美代先生の終講のことば (再掲)

前文略) さて、この勉強会は戦後の乱れた日本を何とかして昔の愛国一本に澄みっ切った心の国にもどしたいと、谷口雅春先生の燃える様な愛国の書

古事記と現代の預言・限りなく日本を愛す・人のいのち国のいのち・美しき日本の再建

等々をテキストに致しまして世界の光明化 

日本国實相顕現を標望して始めたものでございます。 世界に比類なき真理国家日本を本当に知ること、

これが大切と、天地初初(アメツチハジメ)の真理よりしっかりと学んで参りました。

しかし 此のたび”限りなく日本を愛する”ご本の中に 新しい人生をつくり出す基礎は過去を捨てる諸君の能力にある。

敗戦の日本なし、 実相の日本のみ独在す

真の愛国心とはこの実相日本を礼拝する心にほかならないのである。 

実相をのみを愛し実相のみを観てゆけばよいのである。

さらに弟子像には人類光明化運動も愛国運動も暗黒を認めた上でそれを消すための運動ではないのである。

暗は本来ない現象は本来ない 唯 光明があるだけ現象の日本なし実相の日本のみ実在す  真の愛国心とはこの実相日本を礼拝する心にほかならないのである。

とございましたが、 ダメになった日本をよくしようと始まった私たちは間違っていました。 はじめから実相独在の日本しかなかったのです。

それをしっかり観じられる私たちでなければなりません。 でも私一人が観じてもどうなるものではないと仰いますか?

谷口雅春先生は 一人が悟れば世界が悟る と仰せになっていらっしゃいます。

全世界は一つの生命の展開です。 自分が宇宙の中心でありそしてすべてなのですね。

まだまだ 学ばねばならぬことが山程ありますが、残念です。どうぞ皆様今後ともしっかりと実相独在の日本を観じ続けて下さいませ。 合掌


 日の本の 天壌無窮の 弥栄を

  いのちをかけて 護れ 継ぐ人 



この時、私は復興G様に美代先生は運動をがむしゃらにやった後のベッドで書いた言葉と反発しましたが、

今は美代先生が悟って私達に残して下さった言葉として今はそのまま素直に受け入れます。 復興G様、あの時は反発してすみませんでした。せっかく美代先生の大事な御言葉ですからそのまま素直に頂きます。

ありがとうございました。 WEB版でのことなのでここに書きました。 (過去を引きずって、いました。)


終わり・・・

2549a hope:2013/08/13(火) 20:28:47 ID:edEDolt2

(a hopeの自主勉強)

――第4巻p25からp26まで一部抜粋――
<<その生命の実相を悟れば病気が治る――否、神の子たる人間生命の本来相には病気はないのですから、病気が治るも治らぬもない、ただ病気が本来の「無」を暴露するのでありますが、こうして生命の本来相を悟れば同時に薬剤も不要になるのであります。だから、神の子たる人間生命の本来相を悟ることが第一原因で、この第一原因から病気が治るという結果も顕われれば、薬をやめるという結果も生ずるので、病気が治るということと、薬をやめるということはともに結果であって薬をやめたということが病気を治す原因になるんではないのであります。したがってこれを禅家の筆法をもってすれば、「薬を服むという効果は!」ときかれても「曰く無所得」であると同時に、「薬をやめる効果は!」ときかれても「曰く無所得」と答えるほかはありません・・・・(略)>>

――p31からp32まで一部抜粋――
<<先日ある人が修行に来られた。「宇宙のいっさいのものは神様のお造りになったものでありますから、薬も神様のお造りになったものでそれを用いることはさしつかえないではありませんか」といわれた。わたしはその時言下に「人間は神の子ですから何を用いてもさしつかえありません。なにものを用いてもさしつかえありません。なにものを用いようともわれわれを害することはできない。いわんや医薬を服んだぐらいでわれわれの生命が害されるなどということは断じてない。ただ自己の生命を害するのは自分の心であります。・・・(中略)
『無明(まよい)』をもって『無明』を制し、毒をもって毒を制しようとするのが薬物療法で、人間は霊性なる神の子なりと悟らず、人間を肉体という物質的存在だと思っているものには物質的薬剤も一時的効果はあります。人間をば霊性なる神の子なりと信じている人には、薬が要らなくなるのです。しかしまた薬が要らぬとがんばる必要もなくなる。薬などはその人の実相生命にプラスもマイナスもしえないことがわかるからです」と答えたことがあります。・・・(略)>>


(a hope所感)

この「第2章 真理はなんじを自由ならしめん」 にはものすごく大切なことが書かれていると思いました。
特に、病気の方には必読箇所なのではないでしょうか・・・。
わたしの聖典にはほとんどの文章に色とりどりの線が引かれています。
「無所得」とは、頭注によると、「所得(利益)がない、したがってそれに執着することもない。」とあります。
「薬を服す」も「薬をやめる」も無所得なんですね!

わたしは、自分の父が何年も前から持病で医者にかかっていて、毎日たくさんの薬を服しているのに不安を感じていましたが、
この数ページをじっくり拝読して、父が薬をたくさん服していることが気にならなくなりました。
むしろ、今まで父が薬をやめられないことに関してわたしが不安に感じていたこと、
つまり「そんなにたくさんの薬を服んでいても効果などあるわけがない。反対に後あと副作用があるのではないか・・・」
という思いが「逆念」となってしまっていたかもしれないと感じました。
周りが薬をやめさせる努力をしなくても、父が「人間神の子」をさとれば、『無明』であり無所得である薬をしぜんにやめていくのですよね。
これは、他の依存症状を起こすような違法薬物やたばこやアルコールにも関しても同じことが言えるのではないかと思いました。

「物質なし」 「肉体なし」 「病なし」 「人間は神の子である」 生長の家の真理は本当にすごいですね!!

2550a hope:2013/08/13(火) 20:29:32 ID:edEDolt2
ユタカさま

素晴らしい「二葉美代先生の終講のことばを再掲してくださりありがとうございます。
<<真の愛国心とはこの実相日本を礼拝する心にほかならないのである。 
実相をのみを愛し実相のみを観てゆけばよいのである。
さらに弟子像には人類光明化運動も愛国運動も暗黒を認めた上でそれを消すための運動ではないのである。
暗は本来ない現象は本来ない 唯 光明があるだけ現象の日本なし実相の日本のみ実在す  真の愛国心とはこの実相日本を礼拝する心にほかならないのである。>>

本当ですね。そういう心から起こる運動こそが、生長の家の人類光明化運動なのですね!
そして、わたしも、復興Gさま謹写の榎本恵吾先生の御文章から毎日新たな気づきや感動をいただいています。
常に、実相礼拝の心を忘れずに毎日を過ごしたいです。

ところで、わたしは、明日早朝より家族旅行に出かけます。
ですが金曜日には戻りますので、またいつものようにa hopeが、web誌友会の1時間前になりましたら、準備祈願の祈りを担当させていただきたいと思います。
皆さま、どうぞ今回もよろしくお願いいたします。

2551復興G:2013/08/13(火) 20:31:50 ID:AB6RqYXc

>>2548 :ユタカさま

ヤッター!! 投稿出来た!!

おめでとうございます!

また、すばらしい心境が開けたご投稿、感動して涙が出ました!

ありがとうございます!

私も、負けないようにがんばります!

2552復興G:2013/08/13(火) 20:47:38 ID:AB6RqYXc

a hope さま

ありがとうございます!

a hope さまの進境もすばらしいですね! こうして、手を携えて心境がひらけ高まることこそが、最高のよろこびですね!

またweb誌友会のお世話、ありがとうございます!

よろしくお願いします!

2553a hope:2013/08/13(火) 20:48:28 ID:edEDolt2

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 <<第16回web誌友会予告>>

日時   8月16日(金)21:30から
      8月17日(土)23:00まで

テキスト 『生命の實相』第4巻
      第1章〜第4章 p.91 まで
  
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2554トキ:2013/08/14(水) 16:33:33 ID:kNbUEEgk
 このweb誌友会の時期は閲覧者様の数が増えます。それだけ皆様が期待しているのでしょう。
私も個人的に楽しみにしております。

 よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

2555復興G:2013/08/14(水) 20:06:27 ID:AB6RqYXc

トキ様

お世話になります。よろしくお願い申し上げます。

合掌

2557ユタカ:2013/08/15(木) 21:23:13 ID:R1D4Jmeg
トキ様

WEB誌友会を楽しみにしていているのですか、今度お世話役もやってね。
誌友会の時、閲覧者がふえるのですか!? ふ〜ん。。。見てるなら参加すればいいのにね、、雅宣総裁でも歓迎するよ、参加してね、磯部さん、もどうぞ。
うのはなさんはどうかな?

2558トキ:2013/08/15(木) 21:32:12 ID:NU0Bwiho
>>2557

 いいですね。イソベさん、ご覧になるだけではなくて、ぜひ、ご参加下さい。ニセ理事長から
ご案内申し上げます。

2559ユタカ:2013/08/15(木) 21:42:38 ID:R1D4Jmeg
やっぱりおかしい・・

連続投稿できなくて消えた、トキさん、復興Gさま、a hopeさま、るんるんさまにあてた投稿が画面に出ないのですが、管理人さんの見えるところには届いていますか?

せっかく、書いたのに、、、消えた・・

2560ユタカ:2013/08/15(木) 22:24:27 ID:R1D4Jmeg
復興G様 

何キロ歩かれましたか? 神の子無限力ですが、復興G様が心配です。

あと、明日の誌友会も心配です、ユタカは何もしていないので、空白で誰も来なかったらこの掲示版が空白になってしまいます・・・


a hopeさま
わかりました、ありがとうございます。 すみませんが、連続投稿ができたりできなかったりしています。

不安なので、終わりのお祈りが出てこなかった時はフォローをお願いしたいのですが・・・見ていてください。出ていないときはすみませんが、
a hope様のお祈りでお願いします。ごめんなさい、よろしくお願いします。

るんるんさま

初めまして、いまだに格闘しています、投稿がOKの時とどこかに消えてしまうときがあります。

書き込む をクリックすると前のは投稿できたのに、次のは、このページは表示できませんとでて、再接続すると全部消えてしまい、もう、やる気なくなってしまいます、それが長文だと・・・

さて、これは、投稿できるか?出来なかったら、もうイヤだーーーー!!

2561神の子さん:2013/08/15(木) 22:32:03 ID:fru8f.EI
ユタカ様

まず、メモ帳にでも下書きをしておいてから、コピー貼り付けされたらどうですか?

2562トキ:2013/08/15(木) 22:49:42 ID:NU0Bwiho
>>2559

 これは一般論ですが、ネットでの通信はいつもスムーズに進行するとは限りません。いくつもの
クッションを通しているので、途中で消える事があります。特に夜間はインターネットを利用する人
が多いので、サーバーが情報を処理できずに、投稿が消える場合があります。これには、処方箋はあ
りません。下書きを保存するなど、自衛をするしかないのが実情です。

 どうも、せっかく書いて下さった文章が消えてしまい、申し訳ありません。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2563ユタカ:2013/08/15(木) 23:19:47 ID:R1D4Jmeg
書き込む という 所を押しているのに、表示できません とか 接続できません とかの問題なので コピーの貼り付けとかの問題じゃないのですよ・・・

2564復興G:2013/08/15(木) 23:56:15 ID:AB6RqYXc

ユタカさん

今夜は出かけていて、遅く帰ってきました。

PCは、おちついてやれば大丈夫だと思いますよ。

>>2561 :神の子さんが、
>>まず、メモ帳にでも下書きをしておいてから、コピー貼り付けされたらどうですか? <<

と言ってくださったのは、下書きを保存してあれば書き込みに失敗してもまた再投稿できるから、成功するまで何回でもやってみることが可能で、

「全部消えてしまい、もう、やる気なくなってしまいます、それが長文だと・・・」

ということはない、と教えてくださったのだと思いますよ。

2565復興G:2013/08/16(金) 03:17:09 ID:AB6RqYXc

 第16回web誌友会は、いよいよ今夜からですね。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 <<第16回web誌友会予告>>

日時   8月16日(金)21:30から
      8月17日(土)23:00まで

テキスト 『生命の實相』第4巻
      第1章〜第4章 p.91 まで

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 そこで、プレ・誌友会と申しますか、問題提起を始めたいと思います。私の切実な疑問、課題がありますので、曳馬野さまなど教団の方からもぜひご教示を賜りたい――総裁から直接のご教示が頂ければ最高にありがたいことであると思っております。何卒よろしくお願い申し上げます。

 さて、テキストの中で、私が特に注目しましたのは、「第3章 祖国愛は神の道」 の中でp.53〜55のところです。まずはテキストの当該部分を謹写掲示させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

     郷土愛と祖国愛

 郷土愛、さらにそれが大きくなっては祖国愛――それは超越的な汎世界的な立場からみまするならば、一個の執着の念だとも評されましょうが、さらにそれを深く考えますと日本に生まれた日本人は日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。

 日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと同様であります。

 国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に生活を続けられているのもすべて国土のお蔭です。国土の恩(おかげ)と同時に、その国土の開発につぶさに艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜(たまもの)でもあります。

 この恩この賜の一切を否定してしまって、祖国などはどうでもよい、祖先の意志などというものはどうでもよいものだというように祖国に対して反逆的思想をいだくということは、恩の否定、賜の否定、感謝の否定ということになって、これは神の道――人の道ではないのであります。

     神の道と人の道

 神の道といいますが、人間は神の子でありますから、神の道とは人の道のほかにはないのであります。

 われわれの父祖が遺愛の記念品は、たとい一個の盃であろうとも一片の手紙であろうともわれわれはそれに愛を感じる。いわんや、いく百代父祖が生命をかけた国土に対して愛を感じないことは自然でない。それが人として当然のことであり、人情であるのであります。

 かくのごとき愛もただの執着にすぎないといって排斥することになるならば、一切の人間的な麗わしき人情を否定してしまうことになり、この世界を織りなしている「人間の心の美術」を無にしてしまうということになるので、それは人の道ではない――したがって神の道ではないのであります。

 キリストでさえも「隣人を愛せよ」といったのでありまして、「まず遠人を愛せよ」とはいわなかったのであります。われわれは、まず手近かなものを愛することから始めなければならないのであります。隣人といったら他人のことであって、家族のことではないと思っていられたら大まちがいであります。われわれにとって最初の隣人とは家族でありますから、家族を本当に愛しないようなものは本当に神を愛するものではないのであります。

 「手近かにいる兄弟を愛しないで、眼に見えない神をどうして愛することができよう?」 とキリストも反問しているのであります。

 われわれが親子となり、兄弟となり、血縁のつながる近親者となってこの世に生を受けてきているということは、決して偶然ではない。それは深き因縁あることであり、神がまず最初の隣人として、それらの人々を最も愛し最もよく世話をするように、われらの最も近くにそれらの人々を置き給うたのであります。

 むろん、われわれは距離の問題を超越して広く隣人を愛しなければならない。このことは真理であり、われわれはこの真理に従わねばならない。しかし、距離を超越して愛せよとは近くを捨ててまず遠くを愛せよということではないのであります。この点、誤解のないように願いたいのであります。

 「近くを捨てる」 ということならば、もはや 「近く」 とか 「遠く」 とかいう距離にとらえられているということになるのでありまして、本当に距離を超越したことにならないのであります。われわれが真に距離を超越しえたときには、近くにかかわらず遠くにかかわらず、摂理によって自分に与えられた者を愛することができるのであります。

 そうすると結局、距離を超越して愛するとは、まず手の届くところにある近き者を 「本当」 に愛するということになるのであります。真理に随(したが)うとは、最も自然な生活のできる人が、最も真理に近い歪(ゆが)みのない生活をしているわけであります。<謹写引用終わり>

2566ユタカ:2013/08/16(金) 06:38:40 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

終戦日で、昨日もP、53を読んで感動して、今朝も読んでいた所です!

祖国と一体の自分というのがウレシイ!!

2567るん吉:2013/08/16(金) 06:43:56 ID:fYlJIcas
ユタカさま

今、繋がってるみたいですね。よかった。

ちなみにwifiですか?

2568復興G:2013/08/16(金) 07:37:20 ID:AB6RqYXc

 私は先日 「終戦のエンペラー」 という映画を見て来ました。

 これは 「ハリウッド歴史映画の超大作」と宣伝されています。

 この映画のクライマックスは、1945年(昭和20年)9月27日の、昭和天皇 マッカーサーご訪問です。

 映画プロデューサー奈良橋陽子の祖父 関屋貞三郎は、1945年昭和天皇のマッカーサーご訪問、会見実現に向けて尽力した人物の一人(宮内次官だった)。その祖父から聞いていた終戦秘話をハリウッド映画にしたいと奔走し、実現した。

 占領軍総司令官マッカーサーは、フェラーズ准将に、「開戦の真の責任者はだれか」 の調査を命じる。フェラーズは重要人物に次々と当たって尋問するが、明確な答えは出て来ない。遂にマッカーサーは、天皇に直接会見してその人物を確かめようということになった。

 GHQ(占領軍総司令部)をご訪問になった天皇陛下は、マッカーサーの前に進み出て 「このたびの戦争の責任はすべて私一人にあります。他の誰にも責任はないから、処罰は私一人に限っていただきたい」 と申し出られる。

 マッカーサーは感動して、「処罰ではなく、この国の再建のために協力しあいましょう」 という。

 ここから、その後今に到るまでの日米親善協力の歴史が始まったのである、ということが、ハリウッド映画の大作として公開されることになったのです。

 ――日本人だけの映画制作だと ある種の固定観念に埋もれてしまう懸念があるけれど、アメリカ人は事実を徹底的に調べるし、お金をかけて描く。そこがハリウッド映画の良さ、 と言われる。日本で教師をしていた経験ある作家・脚本家のデヴィッド・クラスの台本で、イギリス出身のピーター・ウェーバー監督による、客観的な徹底調査の結果できたものである故に、国際性があります。

 奈良橋陽子プロデューサーは言っています。

 「今なお世界中で終わることにない争いの数々――。平和を願うものの一人として、世界が再び同じ過ちを起こさないてめに、何かできることはないか――常々そんな想いを抱いてきました。・・・・・些細な行き違いから始まる誤解や喧嘩。ひとりひとりがそれぞれ平和を願う立場を理解すれば、戦争はなくせる――。心から平和な未来を願うひとりの人間として、この映画を皆様にお届けします。」

 と。

 ピーター・ウェーバー監督の言葉に――

 「本作に描かれる日米双方の人物たちの決意が、その後50年以上にわたる平和の礎を築いたのです。」

 とある。

 その中心ポイントは、己を無にして 「一切の責任は自分にある」 と仰せられた天皇陛下。そしてその天皇陛下の御心をわが心とし、己を無にして美しい日本を復興させたいと願った人物たちの決意であったと思われます。

<つづく>

2569a hope:2013/08/16(金) 08:09:15 ID:edEDolt2

復興Gさま ユタカさま トキさま るんるん(るん吉)さま みんさなさま

おはようございます。
昨晩遅く、家族旅行から帰ってきました。
今日は、気分を入れかえて、子どもたちと静かにお勉強をして過ごしたいです。

>>2565復興Gさま謹写の後半部分

<<キリストでさえも「隣人を愛せよ」といったのでありまして、「まず遠人を愛せよ」とはいわなかったのであります。われわれは、まず手近かなものを愛することから始めなければならないのであります。隣人といったら他人のことであって、家族のことではないと思っていられたら大まちがいであります。われわれにとって最初の隣人とは家族でありますから、家族を本当に愛しないようなものは本当に神を愛するものではないのであります。・・・(中略)・・・
 そうすると結局、距離を超越して愛するとは、まず手の届くところにある近き者を 「本当」 に愛するということになるのであります。真理に随(したが)うとは、最も自然な生活のできる人が、最も真理に近い歪(ゆが)みのない生活をしているわけであります。>>

ここは、わたしも赤線を引いてありました。
ですがユタカさまが感動されたという、前半部分(P53の部分)『郷土愛と祖国愛』には、
何の線も引いてありませんでしが、今朝、復興Gさまの謹写全文を拝読して前半部分にもとても感動しました。
それは、わたしがこの掲示板で「日本国の実相」や「愛国心」について今までお勉強させていただいてきて、
心境が変わってきた、というか、真理に目覚めてきた証拠ではない思います。

雅春先生は、

<<郷土愛、さらにそれが大きくなっては祖国愛――それは超越的な汎世界的な立場からみまするならば、一個の執着の念だとも評されましょうが、さらにそれを深く考えますと日本に生まれた日本人は日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと同様であります。
 国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に生活を続けられているのもすべて国土のお蔭です。国土の恩(おかげ)と同時に、その国土の開発につぶさに艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜(たまもの)でもあります。
この恩この賜の一切を否定してしまって、祖国などはどうでもよい、祖先の意志などというものはどうでもよいものだというように祖国に対して反逆的思想をいだくということは、恩の否定、賜の否定、感謝の否定ということになって、これは神の道――人の道ではないのであります。>>

と、こんなにハッキリと、日本人としての「世界奉仕」「人類への貢献」のあり方とその理由をご教示されています。
これは「世界平和」を実現するための日本人としての取るべき態度ともいえますよね。

これは、時代が変わったからと言って、変えていっていい「真理」であるとはわたしとても思えませんが・・・
わたしも、是非、曳馬野さまなど教団の方からや、雅宣先生直接のご教示をいただきたいです。


>>2560ユタカさま

>>a hopeさま
わかりました、ありがとうございます。 すみませんが、連続投稿ができたりできなかったりしています。
不安なので、終わりのお祈りが出てこなかった時はフォローをお願いしたいのですが・・・見ていてください。出ていないときはすみませんが、a hope様のお祈りでお願いします。ごめんなさい、よろしくお願いします。<<

了解しました。
後夜祭は続くとしても、始めと終わりはけじめをつけたいですものね。
明日は午後から仕事にいきますが、夜は戻りますので大丈夫です。
ユタカさま、無理のないようにご参加下さいね。


みなさま

今夜、お会い出来るのを楽しみにしています。

2570a hope:2013/08/16(金) 08:25:20 ID:edEDolt2
>>2569 訂正
真理に目覚めてきた証拠ではない思います。→真理に目覚めてきた証拠ではない【かと】思います。

2571復興G:2013/08/16(金) 13:32:52 ID:AB6RqYXc

>>2568 のつづきです。

 ある誌友会で、「Voice」 の8月号に竹田恒泰氏が

『「国体の護持」を達成した日本国憲法』

という論文を発表しておられるが、それについてどう思いますか、という質問を受けました。私はその時まだその論文を読んでいなかったので、さっそく「voice」 8月号を買って読みました。

 竹田氏の論文は前記「終戦のエンペラー」の映画の内容と一致あるいは関連するので、その小見出しと論点の要約を挙げますと

(1)ポツダム宣言を受諾した目的は何か

 昭和20年8月10日午前0時から始まった御前会議で、わが国の政府と統帥部の首脳は「ポツダム宣言を受諾するか否か」究極の政治判断を迫られていた。同宣言を受諾すれば、日本は建国以来、初めて外国の軍隊に占領されることになる。そして、もし受諾しなければ、本土決戦に突入することになる。

 このとき、東郷茂徳(とうごうしげのり)外務大臣はポツダム宣言を受諾すべきと主張、これに対して阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣は本土決戦を主張した。

 しかし、双方ともめざすものは同じ「国体の護持」ということであった。

 数時間に及ぶ議論の末に議場に諮ったところ、三対三で完全に意見が二分してしまった。
 ここで議長を務める鈴木貫太郎総理は、

 「誠にもって畏れ多い極みではありますが、陛下の思召(おぼしめし)をお伺いし、聖慮をもって、本会議の決定と致したいと存じます」

 と述べたのだ。御前会議は国家の最高意思決定機関であり、天皇が自ら直接その決定を下すなど、わが国の憲政史上、一度の先例もないことだった。

 このとき、昭和天皇は次のような御言葉を発せられた。
 「自分は、外務大臣の案に賛成する」
 これでポツダム宣言の受諾が決定した。

(2)日本はほんとうに無条件降伏したのか?

 それは「否」である。
 ポツダム宣言の一部を抜粋して示すと

 「第五項 吾等の条件は左の如し。吾等は右条件より離脱することなかるべし。右に代る条件存在せず。吾等は遅延を認むるを得ず」

 として、ここから下の項目に、連合国の条件が記されている。ポツダム宣言は“有条件”だったことがわかる。

 ではその条件とは?
 第七項には同宣言の目的を達成するために連合国が日本を占領することが明記されているが、重要なのは、一定の条件を満たしたら占領軍は撤退する旨が次のように書かれている。

 「第十二項 前記諸目的が達成せられ、且(かつ)日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ、平和的傾向を有し、且責任ある政府が樹立せらるるに於ては、連合国の占領軍は直に日本国より撤収せらるべし」

 そして、その一定の条件とは次のようなものだった。
 「第十項(抜粋) 日本国政府は、日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし。言論、宗教及思想の自由並(ならび)に基本的人権の尊重は確立せらるべし」

 つまり、日本が民主主義的傾向を復活させ、言論の自由、宗教の自由、思想の自由を確立し、基本的人権を尊重する国になり、平和的傾向をもつ責任ある政府が樹立されたなら、連合国は占領軍を撤収させるという約束事が書かれているのである。

 ポツダム宣言は連合国と日本国の双方に権利と義務を盛り込んだ条約であって、なにも一方的に日本が義務だけを負うものではない。日本が無条件で降伏をした事実は存在しないのである。

 ではなぜ「無条件降伏」と理解されるようになったのだろう。それは、同宣言第十三項に、連合国が日本政府に日本軍の無条件降伏を宣言するように要求する内容が含まれていることが原因だと思われる。しかし、ここでいう「無条件降伏」とは軍の降伏を意味し、国の降伏が無条件であることを意味しない。つまり、明け渡したのは軍であって、けっして国ではないのだ。
<つづく>

2572復興G:2013/08/16(金) 15:09:43 ID:AB6RqYXc

>>2571のつづきです。

(3)天皇の地位をめぐり議論沸騰

 ポツダム宣言受諾を決定した8月10日の御前会議の直後、日本の外務省は連合国に対して同宣言を受諾する旨を次のように打電し、降伏することを意思表明した。

 「条件中には天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含しおらざることの諒解の下に、帝国政府は右宣言を受諾す」

 ところが、米国のバーンズ国務長官からの返答があったのは8月12日午前0時45分で、その内容は、天皇の地位を保障するとも保障しないとも取れるような曖昧な内容だった。

 これにより、重臣たちのあいだで議論が蒸し返された。連合国は日本政府の確認については一言も答えず、日本の統治権はGHQの下に置かれると述べただけだった。阿南陸軍大臣も、これでは天皇の地位は保障されないと考え、「国体護持の保障がないかぎり徹底抗戦すべき」と、ポツダム宣言拒絶を主張した。

 そして8月14日午前11時、再び御前会議が開かれた。またもや議論が紛糾したが、最後は2回目の御聖断により、終戦が決定することになった。

 この日のうちに「終戦詔書」が起草されて、内閣総理大臣以下全閣僚の署名が揃った。そして翌日の8月15日、玉音放送により、日本がポツダム宣言を受諾し、戦争を終結させることが全国民に伝達されたのだった。


(4)天皇を元首と記した「マッカーサー・ノート」

 その後、マッカーサー元帥は昭和天皇との会見を通じて、天皇と国民が一体であるという、まさに日本の国体をみてしまった。

 天皇をなくしたら日本は大混乱に陥り、数百年にわたって復讐の戦争が繰り広げられると考えた元帥は、それからというもの、本国政府の意思に反して、天皇を処刑せずに、皇室を存続させる方針を定めた。

 昭和21年2月3日、マッカーサー元帥はGHQが憲法草案を起草することを決断した。それは、2月26日に極東委員会が活動を開始することが原因だったとみられている。極東委員会とは、連合国11ヵ国の代表によって組織された日本の占領統治に関する最高の権限を有する機関で、これが活動を開始すると、GHQの権限が大きく制約されることになる。
 極東委員会には、ソ連とオーストラリアのように、皇室を存続させることに強く反発する国が入っていて、天皇の戦争責任の問題も活発に議論されていた。そのため、極東委員会が活動を開始する前に、GHQ主導で憲法改正の流れをつくらなければ、皇室を存続させられないとの判断があったと思われる。

 憲法草案起草の責任者となるホイットニー民政局長に示した「日本の憲法改正に際して守るべき三原則」(通称「マッカーサー・ノート」)には、憲法草案に盛り込む必須三原則が書かれている。

 「一、天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。
  二、国権の発動たる戦争は、廃止する。日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
  三、日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。予算の型は、イギリスの制度に倣うこと」

 日本国憲法には第一条から第八条にかけて天皇に関することが書かれることになるが、それはマッカーサー・ノートの第一項が基礎となっていることがわかる。他方、日本国憲法第九条の「戦争の放棄」は、マッカーサー・ノートの第二項が基礎になっている。元帥が示した三原則に基づいてGHQ草案が作成され、それに基づいて日本政府案が作成され、それを枢密院と帝国議会で議論して成立したのが「日本国憲法」である。

 占領を経ても皇室が存続したことに喜びを感じる半面、戦争放棄が憲法に盛り込まれたことは、日本の手足を縛るものであって、痛恨の極みである。日本国憲法は勝者である連合国が、敗者である日本に押し付けたものであることは歴史の事実であり、誇りある日本人としてはけっして承服できるものではない。

 しかし現在、日本国憲法はその問題点ばかり指摘される向きがあるが、当時の日本人が切望していた「国体の護持」を実現させたものであることも事実である。物事には光と影があり、日本国憲法にも影の部分だけでなく、光の部分があることを忘れてはいけない。
 国体が護持されたことは、数少ないながらも日本国憲法の光輝く部分である。皇室の存続は日本人の総意だった。わが国は敗戦の憂き目を経ても、「君民共治」の日本の国体を護持することができたのである。
<つづく>

2573復興G:2013/08/16(金) 15:27:04 ID:AB6RqYXc

<つづき>

(6)日本国憲法の成立により主権者は変更したか

 主権者の変更の有無を考えるうえで、まずは主権の定義を確定しておかなくてはならない。
 宮沢俊義博士のいう「国民主権を問題とする場合の主権とは、国家の政治のあり方を最終的にきめる力をいう」(宮沢俊義『憲法の原理』岩波書店、1967年)が主権の定義として広く用いられ、定着している。

 「国家の政治のあり方を最終的にきめる力」が天皇にあれば天皇主権、国民にあれば国民主権ということになろう。
 なお前掲書には「君主主権は国民主権と両立せず、一方の是認は、論理必然的に、他方の否認を意味」し、「天皇主権は国民主権と原理的に両立しない」のであって、「前者より後者への推移は、政治の根本原理の変革と見るべきものである」とも記されている。

 では、旧憲法から新憲法への移行により、「国家の政治のあり方を最終的にきめる力」が天皇から国民に移ったとほんとうにいえるだろうか。少なくとも憲法の条文を比較してみても、天皇の法的権限は旧新憲法問で根本的な変化はなく、主権が天皇から国民に移ったことを明示する条文はみられない。

 日本は古来「天皇不親政の原則」といって、天皇はごく一部の例外を除き、政治の意思決定に直接関与してこなかった。事実、明治維新から現在までのあいだに、天皇が国策を直接決定したのは、それこそ昭和20年8月10日の「終戦の御聖断」しか例がない。また、武家政権の時代は朝廷が政治を決定する立場になく、また平安時代以前も、摂関政治と院政、または豪族の政治が基本とされ、やはり天皇が直接国策を決定する立場になかった。

 権力者たる国民(関白・幕府・議会など)が国策を決定し、これを天皇が裁可・承認・追認などをすることで、国事が遂行されてきたことは、歴史を通して変わらない日本の意思決定の仕組みであり、この点に関して旧新憲法間でも差異はない。

 また、大日本帝国憲法下における確立された慣行によれば、政府と統帥部が決定した国策について、天皇はこれを却下する権能をもたなかった。これは、現在でも同様であろう。

 具体例を挙げてみよう。たとえぱ立法権は主権の重要な権能の一つである。もし日本が米国のような完全なる国民主権国家なら、主権者だけの力で法律を完成させられなければおかしい。たしかに米国は国民単独で法律を完成させることができる。

 ところが、日本の場合、国民は議会で法案を議決するところまでしかできない。そこから先は天皇の仕事になる。

 法律を公布するのは天皇の国事行為であることは日本国憲法第七条が示すところだ。法律をつくるのは国民だが、そこに息を吹き込むのは天皇、ということになる。したがって、日本は米国と違い、国民単独でも天皇単独でも法律一つ、完成させることができない。

 では、国民単独でも天皇単独でも主権を行使できないなら、わが国において、いったい誰が主権者なのだろう。答えは「君民一体」。つまり、天皇と国民が一体となった姿こそが、わが国の主権者の姿であると考えなくてはならない。天皇と国民が一体となったときに、初めて主権が発動するという意味である。そして、このことも旧新憲法間で違いはない。

 宮沢博士は、天皇主権と国民主権は両立しないと主張していたが、それを両立させてきたのが日本の歴史である。

 中国や欧州では「君」と「民」は対立概念だった。他方、日本では「君」と「民」、つまり天皇と国民が対立関係に入ったことは、これまで一度も例がない。また、そのような国は日本以外に存在しないのだ。よって、欧州の法学の概念で理解しようとしても、日本の統治を理解することはできないだろう。

 主権には権威と権力の側面があり、日本は米国と異なり、主権の権威の側面を天皇が、また主権の権力の側面を国民が担ってきた。また「君民共治」が日本の国体であることは繰り返し述べてきたところであり、「君民一体」と「君民共治」は日本の国体の表裏を成すものといえよう。

 このような理由により、帝国憲法から日本国憲法への変更に伴い、主権者の変更は実際に起きていないのであるから、国体が変更したと結論することはできない。したがって、仮に憲法改正に限界があったとしても、帝国憲法から日本国憲法への変更は、その限界の範囲内であったことになる。
<つづく>

2574復興G:2013/08/16(金) 15:34:00 ID:AB6RqYXc

順番を間違えました。

>>2572のつづきです。>>2573の前になります。

(5)「国体は破壊された」と騒ぎ立てる戦後の憲法学者

 ところが、戦後の憲法学者たちは「終戦によって国体は破壊された」と主張し続けて、現在に至る。憲法学界では、日本国憲法が有効である論理として「八月革命説」が支持され、現在では通説となっている。「八月革命説」は法学部の卒業生であれば、憲法か法学の授業で必ず耳にしたことがあるはずだ。いったいどのような論理であるか説明を試みる。

 第一に、憲法には改正の限界があると述べる。たとえば主権の所在など、国の根本原理を変更することはできないと主張される。

 第二に、大日本帝国憲法から日本国憲法への変更は、天皇主権から国民主権に変更する内容を含んでいるから、憲法改正の限界を超えるものであって、法的に説明がつかないものであるという。

 そして第三に、日本国憲法の成立は法的に説明がつかないのであるから、法的な意味における革命が起きたと考えよう。

 これが「八月革命説」の考え方である。つまり、わが国がポツダム宣言を受諾した昭和20年8月、ある種の法的な革命が起きたとし、日本国憲法は革命憲法としてのみ有効たりうるというのだ。この説は宮沢俊義博士によって論理立てられたもので、現在では憲法学者のほとんどが支持する支配的な通説になっている。

 終戦時に実際の革命が起きていないことは誰でも知るところだが、ここで、日本国憲法が成立するまでの手続きの流れを確認しておきたい。

 内閣はGHQ草案に基づいて草案づくりに着手し、昭和21年4月17日に内閣草案を完成させた。次に、内閣草案は枢密院に送られて可決され、6月20日には「帝国憲法改正案」として勅書をもって第九〇回帝国議会に提出された。8月24日に衆議院は原案に若干の修正を加えて可決し、貴族院に送付。貴族院は10月6日、原案にさらに若干の修正を加えて可決。次に、衆議院が貴族院で加えられた修正に同意して帝国議会での審議が終了した。そして改正案は再び枢密院の審議に付され、帝国議会での修正に同意して、すべての審議が終了した。そのうえで、10月29日に昭和天皇の裁可を経て、11月3日に「日本国憲法」として公布され、昭和22年5月3日に施行されたのである。
 このように、日本国憲法は、憲法と法令の規定に従って、枢密院と帝国議会で議論が尽くされ、大日本帝国憲法を改正することで、日本国憲法が成立したことがわかる。

 ところで、保守の一部で支持されている憲法無効論も、この八月革命説と論理は同じである。憲法無効論の論理は八月革命説とほとんど一致していて、「第三」だけが異なり「だから無効と考えよう」としている。憲法無効説と八月革命説は、結論の一行が異なるだけで、その前提となる論理はまったく同じなのだ。いずれの説も、憲法が変更したことで、国体は破壊されたと結論するものである。

 では、はたして日本国憲法の成立で「君民共治」の国体は破壊されたのだろうか。否である。大日本帝国憲法から日本国憲法への変更によっても、「君民共治」の日本の国体は変更せず、いまに残されていると考える。天皇の法的地位は、憲法の変更によってもほとんど変化していないばかりか、本質的な部分については完全に新憲法に継承されているからだ。

 ここで「八月革命説」を順に検証してみよう。まず、第一の憲法の改正に限界があるか否かの問題については、百年以上のあいだ世界の憲法学界で論争が続いていて、いまだに解決の目処が立っていない。つまり、改正に限界があるという説自体が、世界の憲法学界では二つある有力説の一つにすぎないのだ。「八月革命説」は、このような未確定なことを大前提としているのであって、それだけで不安定な説であるといえる。もし憲法改正に限界がないとの立場に立てば、そもそも「八月革命説」など成立しえない。

 それでは、百歩譲って、仮に憲法の改正に限界があるとして、第二の論点に進むことにする。ここでは、大日本帝国憲法から日本国憲法への変更が、憲法改正の限界を超えるか否かが論点となる。おそらくこの点こそが、国体が護持されたか否かの主戦場となろう。具体的には、大日本帝国憲法から日本国憲法への変更は、主権者の変更を伴うかどうかの議論に集約される。
<つづく>

2575復興G:2013/08/16(金) 15:45:21 ID:AB6RqYXc

<つづき>

(7)日本国憲法が無効なら世界中の憲法が無効に

 「八月革命説」では、帝国憲法から日本国憲法への移行は法的説明がつかないことを理由に「八月に法的意味の革命が起きた」と主張する。「法的意味の革命」とはいったい何か。

 簡単に説明するなら「法的意味の革命」とは、旧憲法と新憲法のあいだに法的連続性がないことを意味するだけのことである。「八月革命説」に立てば、帝国憲法と日本国憲法のあいだには法的連続性がなく、ゆえに「革命」が起きたと考える。

 つまり「八月革命説」はほんとうの意味の革命が起きたことを意味するものではない。憲法改正に限界があり、その限界を超えた改正が行なわれた場合、新憲法は法的に説明がつかないものとなるため、革命憲法であることにして、その憲法を有効と考えるのが「八月革命説」の主張である。

 これまで述べてきた理由により「八月革命説」は妥当ではない。大日本帝国憲法の改正規定に基づいて改正されたのが日本国憲法であり、大日本帝国憲法と日本国憲法は法的連続性がある。そして、この考え方は「八月革命説」に対して「改正憲法説」と呼ばれている。

 もし、「八月革命説」が妥当するなら、旧新憲法間に法的連続性がなく、日本国憲法成立によって国体は変更されたことになり、国家としての連続性も否定される。また昭和天皇が初代天皇であるということになってしまう。「改正憲法説」を採ることによってのみ、日本はポツダム宣言を受諾することによって、最終的には国体を護持することができたといえるのである。

 「国体の護持」こそが、ポツダム宣言受諾の目的だった。日本は敗戦により、誇りを踏みにじられ、歴史を否定され、ありとあらゆるものを失ったが、「国体の護持」だけは、日本人が最後に死守したものだったのではないか。国体が守られてこそ、いまの日本は日本たりえる。そして、このことは政府と統帥部の幹部だけの望みではない。特攻隊員たちや、硫黄島・沖縄をはじめとする最前線で命を絶っていった兵士たちの望みもまた、同じだったはずである。

 ここで「憲法無効説(押しつけ憲法論)」について付言しておきたい。「憲法無効説」はその論理が「八月革命説」と同じなので、同じ根拠で否定される。そのため、ここでは「無効」の部分について検討しておく。

 「憲法無効説」は、帝国憲法から日本国憲法への改正の手続きが違法であると説く。そして、違法であるがゆえに、日本国憲法は無効であるとする。もっともな論理にみえるが、次のような理由で完全に否定される。

 たしかに、違法な手続きで成立した法律は無効であることに異論はない。違法な手続きを経た契約が無効であることも同様である。しかし、それは法律や契約についていえることであって、憲法に関しては別である。憲法については、いかなる手続き上の瑕疵(かし)や違法性があったとしても、憲法自体を無効とする法理は存在しない。

 なぜなら、いま世界に存在している憲法のほとんどは違法な手続きに基づいて成立したものであって、そもそも憲法は戦争や革命や動乱のなかで、短期間のうちに書き上げられるものだからである。およそ、合法的に成立した憲法などほとんどないといってよい。安定した社会で平穏裏に合法的に成立した憲法といえば、明治二十二年に発布された大日本帝国憲法くらいではあるまいか。

 もし憲法成立の手続きに瑕疵や違法性があることを理由に、その憲法が無効であるとしたら、およそ世界中の憲法のほとんどは無効になってしまう。アメリカ合衆国憲法、中華人民共和国憲法、フランス共和国憲法然りである。

 したがって、仮に日本国憲法が、占領軍が違法な手段で押しつけた憲法であっても、たった七日間で書き上げられたものであっても、それが憲法無効の理由にはならない。

 憲法は存在している時点で、すでに憲法として有効なのである。
<つづく>

2576復興G:2013/08/16(金) 16:27:50 ID:AB6RqYXc

<つづき>

(8)九条の呪縛と日本の可能性

 そもそも、当時の政府と統帥部の首脳は、憲法の改正を望んでいなかった。にもかかわらず、連合国は占領中に、三つ目の原爆投下までちらつかせて、日本に憲法を変えさせたのであるから、日本人としてはけっして納得のできるものではない。

 しかも、前文や第九条をはじめ、問題のある条文が多く、日本国憲法こそが「戦後レジーム」の正体ともいえよう。連合国が日本占領の目的とした「精神的武装解除(精神的に骨抜きにすること)」は、憲法改正によってその基礎を固めたのである。憲法の改正なくして戦後レジームからの脱却はありえない。

 帝国憲法から日本国憲法へ切り替わったことによっても、天皇の法的な地位に本質的な変化はなく、天皇と国民が一体となった「君民一体」こそが、わが国の主権者の姿であることに何ら変化はない。にもかかわらず「国民主権」という言葉が独り歩きし、さも憲法の変更と同時に日本の国体が変わり、天皇と国民の関係が本質的に変化したかのような空気が蔓延しているのは確かである。

 その結果、学校教育の現場では「天皇は主権者の地位を国民に明け渡し、いまは象徴になった」などと、まったく見当違いなことを教えている。これも連合国による精神的呪縛の一つというべきであろう。

 日本人が日本をしっかりと理解することは、日本の将来にとって重要なことだと思う。憲法について国民的議論を積み上げ、日本の統治のかたちについて再認識をしなくてはいけない時期にきているのではないか。国体に関する議論を経ることで、日本人は確実に日本人としてのアイデンティティーを再確認し、日本人であることの誇りを取り戻すことができるのではないかと思う。

 これまで日本人は憲法を議論しようとしなかった。憲法改正を口にするだけで「軍国主義」などと罵られる状況だった。しかし、空気は完全に変わった。いまや、憲法改正を正論として語れる時代になったのだ。

 しかし、憲法改正の議論は、押しつけられた憲法を木っ端微塵に粉砕するような態度で臨むべきではない。屈辱的な「押しつけ憲法」であったとしても、そこには日本人が死守した条文があることを忘れてはい.けない。日本国憲法に一定の敬意を払いつつ、必要な箇所を粛々と改正していく態度こそ、あるべき伝統を重んじる日本人の姿勢ではなかろうか。

 日本人が自らの頭で考えて、自らの手によって憲法を改正していった先には、前途洋々たる未来が開けていると思うのだ。そのためには、日本国憲法第九条の改正が不可欠であろう。国防は国の基礎である。現代日本人を支配している自虐史観が取り払われ、日本が精神的・物質的に自立した国になったとき、日本はほんとうの輝きを取り戻すであろう。

 第九条の呪縛は物理的・精神的の両面にわたっている。九条によって日本は戦争を放棄し、戦力を保持せず、交戦権ももたない国になった。自衛隊は九条が保持を禁止する「戦力」には該当せず、軍隊ではないことになっている。しかも「専守防衛」を徹底することになっているため、近隣諸国から国際法に違反する挑発行動を受けても、絶対に自衛隊の側から攻撃をすることがない。とくに中国はそのことを熟知していると思われ、本来なら攻撃されてもおかしくないような挑発をわざと仕掛けてくる。
(後略)

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 以上、長々と竹田恒泰氏の日本「国体と憲法」論を紹介してまいりました。

 テキストから外れて長くなって、ごめんなさい。

 上記竹田氏の憲法論は谷口雅春先生の憲法論(帝国憲法に復元改正よ)とも違いますが、日本の国体は戦前も戦後も 「君民共治」 で変わっていない。今も、主権は 「君民一体」 の姿にある、というのは、ユニークな観点の独創性ある国体論・憲法論だと思われ、共感するところあり、考えさせられました。皆様、どう思われるでしょうか。
<つづきます>

2577名無顔無し:2013/08/16(金) 18:44:48 ID:???
護憲派というのも一種の宗教なのではないかと思えてくる。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との前文の一節は周辺諸国の現実をみれば絵空事に過ぎないと分かるはずだが、護憲派の方々は9条も含め、この憲法の精神を守っていれば日本の安全が確保されると「信じて」いるのである。護憲派の論者は、自覚的であるかどうかは別として、国民に対して現行憲法への批判を許さない「信仰」をうながしているように思えてならない。

 この「宗教」の面白い(実は深刻な)ところは、戦争というものは日本人が起こすものだという“日本人性悪説”に基づいていることだ。9条でもって日本人の手足をしばっておけば、平和は保たれると信じられている。逆に9条を改正したりすれば、日本の軍隊は海外に出て行って戦争を起こしかねない、「戦争ができる国にするのか」と心配されている。一方で中国が尖閣諸島をどれほど脅かしても、北朝鮮が核・ミサイル開発を進めようとも、「信者」たちは見て見ぬふりをする。日本が善良なる周辺諸国を刺激さえしなければ、日本の平和は守られることになっているのであり、冷静に考えれば失笑を禁じえない。

2578a hope:2013/08/16(金) 20:24:05 ID:edEDolt2

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 <<第16回web誌友会予告>>

日時   8月16日(金)21:30から
      8月17日(土)23:00まで

テキスト 『生命の實相』第4巻
      第1章〜第4章 p.91 まで

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

みなさま こんばんは。

もう少ししましたら、準備祈願の祈りをさせていただきます。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。


復興Gさま

大変興味深い竹田恒泰氏の『「国体の護持」を達成した日本国憲法』
をご謹写くださりありがとうございます。

ところで、とても初歩的な質問で恥ずかしいのですが、この文章のタイトルにもなっている「国体の護持」と、
「鎮護国家」との関係を教えていただけないでしょうか?

よろしくお願いいたします。

2579a hope:2013/08/16(金) 20:54:13 ID:edEDolt2

第16回WEB誌友会開会の時刻 が近づいてまいりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を掲載させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

2580a hope:2013/08/16(金) 21:02:17 ID:edEDolt2
続きまして、聖経「続真理の吟唱」より、『愛の絶対価値を高揚する祈り』を謹写させていただきます。

『愛の絶対価値を高揚する祈り』

今ここにわれは生きているのである。
″生きている″とは何と神秘なることであろうか。
わたしが生きているということは、決して物質の機械がここに動いているということではないのである。
考える力が生きているということである。
愛する力が生きているということである。
知る力が生きていることである。
よろずのものと調和し、調和せざるものを排出し、矛盾を克服し、混乱を鎮定し、
更に一層大なる価値を生み出す不思議なる力が生きているということである。

私は今、この不思議なる偉大なる力を尊敬し礼拝するのである。
私が今此処に生きているということは、この不思議なる神秘力が生きているということである。
この神秘力を私は″神″として讃えるのである。
それは物質の光がなくとも見ることが出来る力である。
それは電灯も、何の灯明(とうみょう)もない胃腸の中で、食物として摂取した色々の成分を、
分類し、選択し、必要なものを吸収し、不必要なものを外に送り出すところの、それは見ずして見る力であるのである。

私が今此処に生きているということは、この不思議なる神秘力が生きているということである。
物質の力は、物質的法則と、化学式に従って機械的に動いて行くに過ぎないが、
この神秘力は、物理化学の法則を利用しながら進んで行くが、自由意思を備えていて、
法則をのり越えて、新たなる独得の個性ある価値を創造する力である。
それは他の人とは異なる個性ある血液型をつくる力であり、個性ある指紋をつくる力であり、
個性ある指紋をつくる力であり、一点一画を描いても、その″点″にも″線″にも個性を示す不思議な力であるのである。

単なる物質は個性のない類型をつくるが、生命は単なる類型をつくることは決してないのである。
人間は絶対者の個性的表現であるから、よく似た顔をしているようだが、
悉(ことごと)く個性の異なる顔貌(がんぼう)を備えているのである。
一本の樹木の単純な葉ですらも、一枚一枚個性の異なる葉脈をその葉の上に描くのでる。
それは類型がないから、他に似たものによって代換えすることが出来ない。
その一つが減ずることは、かけ換えのない絶対価値が一つ減ることになるのである。

生命の神秘、不可思議なる価値は、そのかけ換えのない絶対なる創造力に存するのである。
その一つすらも減ずることは絶対価値が減ずることに成るのであるが、
絶対価値は、絶対であるが故に減ずることも滅(めっ)することもあり得ないのである。
減じたり、滅したりするものは、すべて相対価値のあるものばかりである。
貯金として貯えられたる貨幣の価値は、相対価値であるが故に、物価との相対的比較上減って行くのである。
しかし人間が誰かを″愛″したという″愛″は絶対的価値であるが故に、
その″愛″は永遠に滅することも減ずることもないのである。

日本の国民が国家を愛して国家を護るために戦った。
その″戦い″という行為は、相手があり相対的なものであるから、
立場立場の異なる人々によってその価値・不価値を色々に評価されるけれども、
その″戦い″という相対的行為の奥にあるところの日本国民が天皇を愛し大日本帝国を愛した
というその純忠なる″愛″の価値は相対的比較を絶した絶対なるものであるから、
肉体という相対的存在が滅びても、永遠にその″愛″の価値が滅することはないのである。
純粋な愛は、絶対者に属し、絶対界より出でたるものであるが故に、それは永遠の価値をもっていて滅びることはないのである。

感謝 合掌。

2581トキ:2013/08/16(金) 21:20:45 ID:Zvz5EuUc
 復興G様、今回も誌友会でのご指導、よろしくお願い申し上げます。

 また、皆様のご参加もお待ち申し上げます。

合掌 ありがとうございます

2582復興G:2013/08/16(金) 21:27:46 ID:AB6RqYXc

a hope さま

素晴らしい祈り
『愛の絶対価値を高揚する祈り』 の言葉、ありがとうございます。

皆々さま

どうぞよろしくお願いいたします。

ユタカさま

PCの具合、どうでしょうか?

2583復興G:2013/08/16(金) 21:29:05 ID:AB6RqYXc

トキ様

お世話になります。

どうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございます。

2584ユタカ:2013/08/16(金) 21:42:07 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。

旧PCの前にいます、熱くて火を噴きそうですが、大丈夫です。

今から、復興Gさまを読ませていただきます。 a hopeさま、真理の吟唱の謹写をありがとうございます。

そして、すみませんが、明日は9時から17時まで奉仕作業で出かけてきます。

2585rei:2013/08/16(金) 21:56:30 ID:ZIftZ1jM
合掌 
ありがとうございます。

「学ぶ会」の全国大会でゲスト講師としていらしていた竹田恒泰氏の
講演をお聞きして、素晴らしいと思いました。
全国で講演していらっしゃるのを知って、
追っかけました。
憲法のお話は本当に新しい視点を与えてくれ、感心しました。
大日本帝国憲法の復元を主張する人達の心情はとてもよくわかるが、
と言われ、それでも、そのままを復元するのには無理があることを、
諄々と説明されて、私にもとてもよくわかりました。
30歳を少し出たぐらいのお若い方なのに、すごいなあと思いました。
「君民一体」「君民共治」の話の時には、ものすごく感動しました。
谷口雅春先生の本を読んでるのかなあと思ったほどでした。
国を愛する心の深い方だと思いました。

復興Gさま
紹介下さりありがとうございました。

2586復興G:2013/08/16(金) 21:59:55 ID:AB6RqYXc

>>2578 :a hopeさま

>>「国体の護持」と、
「鎮護国家」との関係を教えていただけないでしょうか?<<

よい質問を、ありがとうございます。

「国体の護持」 というのは、前に2.26事件について勉強した時に、戦前の 「国体明徴運動」 というのを学んだことがありましたが、このたびは特に「ポツダム宣言」受諾の時に問題視されたこととして、天皇中心・君民一体の日本の国柄、国のあり方を護ることを指していますね。

「鎮護国家」 というのは、鎌倉時代に蒙古の襲来などがあり、仏教と国家が結びついて 「鎮護国家」 の祈りがなされたこと、日蓮も 「立正安国論」 で 「鎮護国家」 を言っている、などが思い浮かびますが、
私たちにとっては、総本山が 「鎮護国家 龍宮住吉本宮」 となっていること。

しかし、今は、その 「鎮護国家」 が祭祀の重点から外されて、「世界平和」 のみになっていることが、それでよいのか、これが大きな課題であると思います。

 今年の総本山 龍宮住吉本宮秋季大祭に向けての 「世界平和実現のための特別誓願」 という 「誓願券」 用紙が送られてまいりました。

 誓願文に 「鎮護国家」 という言葉はなく、

 「私は神・自然・人間の大調和による宇宙浄化・世界平和を誓願致します」

 というのを、横書きで書くようになっています。

 私は、書く気が起きなくて――

 今年は出すことをやめようかと思っているところです。

 その理由は、真の、究極の世界平和は、 「鎮護国家」 によってはじめて達成できるものだと信じているからです。

2587トキ:2013/08/16(金) 22:11:53 ID:Zvz5EuUc
>>2586

 鎮護国家特別誓願は、昔は、『天皇国日本」も文言があったと記憶していますが、最近のものは『天皇国」
が消えていたみたいです。私の友人の友人は、それを憤り、下書きの文章を無視して「天皇国日本」という文言の
入った昔の文字を請願券に書いて、「これでよければ提出するが、駄目なら出さないよ」と教化部の職員に
見せて提出していたと聞きました。ちなみに、教化部の職員は受け取ったそうです。

 ただ、それは、その人が古い幹部だから通ったので、他の人が同じ事をして、通るかは不明です。

 大事なのは、信徒が『鎮護国家」の意味を正しく認識する事だと思います。

 今、本部の人でも勉強していない人が多いので、説明が出来ません。教区になるともっとです。

その意味で、今回の誌友会は大事だと感じています。

2588復興G:2013/08/16(金) 22:20:21 ID:AB6RqYXc

 今回のテキスト『生命の實相』第4巻p.53〜 には、次のようにありました。

≪日本に生まれた日本人は日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。

 日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと同様であります。

 国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に生活を続けられているのもすべて国土のお蔭です。国土の恩(おかげ)と同時に、その国土の開発につぶさに艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜(たまもの)でもあります。

 この恩この賜の一切を否定してしまって、祖国などはどうでもよい、祖先の意志などというものはどうでもよいものだというように祖国に対して反逆的思想をいだくということは、恩の否定、賜の否定、感謝の否定ということになって、これは神の道――人の道ではないのであります。≫

 谷口雅宣総裁は、「多様性の中に神を見る祈り」 の中に次のように示されています。

≪ 生物は単細胞生物から発して多細胞生物へと進化し、菌類や植物や動物が出現して、さらに多様化、複雑化が進んでいるのである。しかも、それらがすべて生物圏全体の調和と安定に支えられながら、自らも生物界の調和と安定を目指し、また自ら調和と安定を担っている。これらはすべて、神の無限性が有限を通して現象界に展開する姿である。

 人類も単一の種でありながら、多様な種族、民族、国家へと分化、発展しつつあるのである。人間はみな神の子であるから、現象世界に現れれば複数の個性となり、多様な民族となり、互いの調和を求めて努力するのである。唯一絶対にして無限の神があるから、現象界には必ず複雑化、多様化、調和への動きが現れるのである。このことを深く知れば、「神の子」としての人間の生き方も、おのずから神の自己表現の展開に倣うことになる。≫

 ―――世界の国々も「多様性」を発揮して調和への動きが現れる。ならば、日本は日本の個性を発揮することによって、「神の無限性が有限を通して現象界に展開する」ことになるので、「鎮護国家」を外すことは国の多様性を否定することになるのではないか。雅宣先生の祈りからしても、「鎮護国家」はそのまま大切にすべきだと私は思うのですが・・・・

2589復興G:2013/08/16(金) 22:32:00 ID:AB6RqYXc

reiさま、ユタカさま、トキ様

ご投稿ありがとうございます。

「天皇国日本」 ――これは、天皇が主権者で国民を支配する国という意味でないことは明らかですよね。

日本は、「君民一体」の国。一度も「天皇が国民を支配する」、「うしはく」 ということはなかった。

天皇は「しろしめす」(「知り給う」の尊敬語)、民の声を「きこしめす」ので、皇室の御紋章は「きく(菊)」になっていると言われます。

それは、観世音菩薩が世の人々の心のひびき(世音)を観じ給う(聴き給う)お姿であります。

2590a hope:2013/08/16(金) 22:36:34 ID:edEDolt2
>>2586 復興Gさま 

<<「鎮護国家」 というのは、鎌倉時代に蒙古の襲来などがあり、仏教と国家が結びついて 「鎮護国家」 の祈りがなされたこと、日蓮も 「立正安国論」 で 「鎮護国家」 を言っている、などが思い浮かびますが、
私たちにとっては、総本山が 「鎮護国家 龍宮住吉本宮」 となっていること。>>


また、トキさまが >>2587

<<鎮護国家特別誓願は、昔は、『天皇国日本」も文言があったと記憶していますが、最近のものは『天皇国」
が消えていたみたいです。>>


とおっしゃっていますが、それでは生長の家の「鎮護国家」とは、本来は、「天皇国日本の国体」つまり言い換えれば、<<天皇中心・君民一体の日本の国柄、国のあり方を護ること>>をお祈りすることだったのでしょうか?

あちこちの生長の家の掲示板で「鎮護国家」外しが話題に上がっていますが、正直に白状しますと、
わたしはよく意味が分からないのです。
まあ、言葉の意味だけなら理解できますが、生長の家が誓願文に 「鎮護国家」と書くことがいったい何を意味しているのかが分からなかったのです。
だって、自分の住んでいる国の平和を願うのは当たり前ですからね。

すみませんが、もう少し、詳しく教えていただけないでしょうか?

2591ユタカ:2013/08/16(金) 22:49:39 ID:R1D4Jmeg
竹田さんの主権は「君民共治」の発想は生長の家でおしえて頂いたものとよく似ていて

なるほど!と思えました。竹田さんの独自の光明思想を読ませて頂いて、目からウロコが落ちた気がしました
。 

今日本の学校長の机上には赤旗新聞が乗っていますし、大東亜戦争で負けたから、今だにアメリカはじめ、シナ、朝鮮からいじめられ続けている日本が現状です、若者は正規雇用からあぶれている人が多いし、昨日か一昨日のテレビで、日本に不利な条件を日本国民をごまかすように政治家にしむけて日本を自分たちのやりたい放題にしてあ、思い出した、第5福竜丸だった。乗組員には何の保障もしないよう仕向けた、自分たちを正当化して。
戦争に負けるということはこういうことかと、くやしい思いです。 主権が天皇にあろうが、なかろうが、外国からの不当な圧力を排除するにはそれはあまり関係ないのかも? とにかくうるさい内政干渉を排除したいというのが、本音。

安倍総理が靖国にいくなら中国側から会談は中止するとか、人の足元をすくうようなことばかり・・・
日本も国土がせまいから???? いいなり以外に道はないのだろうか???・

生命の實相は第4章の「愛の神による運命の修正」 の所が興味を引きました。

顕在意識では悪事を行ってもそれほど反省しないけど、潜在意識がそれを許さなく自己を破壊の方へ導く力があるなどの説明やそれを超越する方法などを更に詳しくもっともっと知りたいと興味深く読ませていただきました。

2592ユタカ:2013/08/16(金) 22:52:34 ID:R1D4Jmeg
すみません、投稿が遅くて、皆さんと話題がずれています。。。

2593復興G:2013/08/16(金) 22:55:13 ID:AB6RqYXc

 日本の使命について、谷口雅春先生は 『光明道中記』 に、次のようにお示し下さっています。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 一月二十三日 寒菊競(きそ)い開く日

  十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするが日本の使命である。(『秘められたる神示―神示講義〈秘の巻〉』「久遠天上理想国実現の神示」)

 全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇(はっこういう)の建国の理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。

 理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。何故そう云う名称を附したかと言えば、生は縦に無限に生(の)びることを現し、長は横に長(の)びることを現すからである。縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇の御天職である。此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。

 全世界は天皇に於て一宇(ひとつのいえ)である。万国の民にそれを告げ知らせる東道(みちしるべ)の役目を以て出現したのが吾々の団体である。病気が治り運命がよくなり、万事に成功すると云うが如きはただ副作用に過ぎない。天地の真理、すべてが生長する真理に随順して生きる時、真理の中には病気不幸は存在しないが故に、病気不幸が消えるのは当然のことである。病気不幸が起るには何か真理に離れたことがある。省みて真理に載(の)るものは幸である。

     ○

 一月二十五日 光明充満する日

 「高天原(たかあまはら)に神詰ります」と実に朗々とした声で祝詞が響いて来る。朝の空気を動かし、霧を動かし、「高天原なる大宇宙に神が充満している」と云う観念が天地を動かす、実に荘厳だ。それを古代日本人は知っていた。常に古代日本人は「大宇宙に神遍在す」と誦(とな)え念じ、邪気を祓(はら)っていたのである。

 神が充満しているから、悪の存在はあり得ない。尽天尽地ただ神のみである。神光遍満、邪気不在である。その大宇宙を「家」と見たのが古代日本人である。吾々はそれを生長の家と名附けた。「生」の縦に生びる神漏伎(かむロギー)と、「長」の横に長びる神漏美(かむロミー)と、一つの中心普遍的神漏皇(かむロゴス)が陽陰の対偶と分化しあらわれて、陽陰の偉大な素晴しき交流となった家が「生長の家」である。

 私の家が生長の家ではない。大宇宙が「家」であり、生長の家の理で充たされている。生長の家の理を隠蔽することなく生きた時に、其の人が生長の人となり、其の人の家が生長の家となり、国家が生長の国家(いえ)となる。組合(クミ)と云う意味での国々は世界到るところにあるが、国家すなわち国がそのまま家族であるのは日本のみである。全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

2594ユタカ:2013/08/16(金) 23:02:47 ID:R1D4Jmeg
外国にこれだけコケにされていて、何が「世界平和だ!」 と思いました。

そのような事を言える立場にあるの・?日本は・・・?

シナ、朝鮮、アメリカから虐待を受けているとしか思えない・・・

2595復興G:2013/08/16(金) 23:13:41 ID:AB6RqYXc

>>2590 :a hopeさま。

>>生長の家が誓願文に 「鎮護国家」と書くことがいったい何を意味しているのかが分からなかったのです。だって、自分の住んでいる国の平和を願うのは当たり前ですからね。
すみませんが、もう少し、詳しく教えていただけないでしょうか? <<

――>>2593に謹写しましたように、
「全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。」

 その日本の使命を果たすことによって初めて、「全世界動乱の因を断つ」ことができる。

 それが、イエス・キリストの祈り「みこころの天に成るがごとく地にも成らせ給え」の実現であり、釈迦が金波羅華の華を拈って示した中心帰一の浄土を実現することになる。

 そういう使命を持った国が日本であるから、その日本を護ることが、「究極の世界平和」実現、神意実現への道である。それが、「鎮護国家」の意義であると、私は信じています。

2596復興G:2013/08/16(金) 23:20:40 ID:AB6RqYXc

>>2594 :ユタカさま

そうですね。今の日本の置かれている状態は……残念ながら……。

ユタカさんは、全心火の玉のような愛国者なのですね。

ありがとうございます。

2597復興G:2013/08/16(金) 23:28:57 ID:AB6RqYXc

しかし、ユタカさま、日本は使命のある国であり、護国の英霊も護って下さっていますから、

たとえ今暗雲が漂っているようでも、必ずその使命は実現できるようになっていると、私は信じていますよ。

2598ユタカ:2013/08/16(金) 23:44:18 ID:R1D4Jmeg
>>
しかし、ユタカさま、日本は使命のある国であり、護国の英霊も護って下さっていますから、

たとえ今暗雲が漂っているようでも、必ずその使命は実現できるようになっていると、私は信じていますよ。


復興G様、そうでした!!! 
そのために出龍宮住吉本宮が建設されたのでしたか?(確認)

2599復興G:2013/08/16(金) 23:47:14 ID:AB6RqYXc

ユタカさま

そうなのですね。

だから、「鎮護国家」 を祭祀の重点から外すということは間違いだと思いますね。

2600復興G:2013/08/16(金) 23:53:51 ID:AB6RqYXc

では、もう12時近くになりました。私は眠くなったので、今日はおやすみし、

世界平和の祈りをして、また明日お目にかかりたいと思います。

みなさま、おやすみなさい。

2601ユタカ:2013/08/17(土) 00:05:26 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

おやすみなさい。。ありがとうございました・・・明日はユタカは夜見に来ます。

2602a hope:2013/08/17(土) 00:17:25 ID:edEDolt2

>>2593 >>2595復興Gさま


<<全世界を宇(いえ)と為す神武天皇のの理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。>>
という、「八紘為宇」については、何度か、過去のweb誌友会でお勉強させていただいてきました。
それは、大和精神にもつながりますね。

その神武天皇の八紘為宇(はっこういう)の建国の理念を現象世界に実現するようにお祈りすることが、生長の家の鎮護国家の誓願の意義ということになるのですね。

それを、雅宣先生が外してしまわれて、

<<「私は神・自然・人間の大調和による宇宙浄化・世界平和を誓願致します」>>

とされたというわけですか・・・。

やっと理解しました。ありがとうございます。


わたしは、この新しい誓願文に、本来あるべき「鎮護国家」がないこともおかしいと思いますが、
「神・自然・人間の大調和」という所にすごい違和感を覚えます。

わたしは実相の「自然」というのは神や人間含めた天地一切のものを意味すると思うのですが、
わざわざ、神・自然・人間と分けられて表現されているのは、雅宣先生が、現象の「自然物」や「人間」をイメージされてこの誓願文をつくらたと感じてしまうからです。

「わたしは天地一切のものとの大調和による宇宙浄化・世界平和を誓願致します」とされた方がずっと生長の家らしいのにと思います。


復興Gさまも、ユタカさまもおやすみになったようなので、わたしも今夜はもうやすみたいと思います。

それでは、みなさま、おやすみなさい。

2603復興G:2013/08/17(土) 00:53:13 ID:AB6RqYXc

>>2602 :a hopeさま。

寝ようかと思いましたが、また起きてしまいました。

>>わたしは、この新しい誓願文に、本来あるべき「鎮護国家」がないこともおかしいと思いますが、「神・自然・人間の大調和」という所にすごい違和感を覚えます。
わたしは実相の「自然」というのは神や人間を含めた天地一切のものを意味すると思うのですが、わざわざ、神・自然・人間と分けられて表現されているのは、雅宣先生が、現象の「自然物」や「人間」をイメージされてこの誓願文をつくらたと感じてしまうからです。<<

私も、その通りだと思います。すべては 「一つ」 であり、完全に大調和しているのが実相だと思います。

2604ユタカ:2013/08/17(土) 05:31:53 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

神・自然・人間の大調和なんたら・・・ というのは、一般信徒(ユタカの所属の総連)に本当に意味がよくわからない?????違和感があって
まなさん勝手に神・自然という字の上に 筆ペンで日本国実相顕現・鎮護国家 と自分の書きたいように書いて下書きの通りに書いている人は少ないです。

教化部から文句がきたら、返して下さい、それでは提出しません とハッキリ言おう。

それが教団の間違いを是正していく道だし、教団内にいる我々の使命の一つのような気もします・。

2605ユタカ:2013/08/17(土) 05:33:17 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

神・自然・人間の大調和なんたら・・・ というのは、一般信徒(ユタカの所属の総連)に本当に意味がよくわからない?????違和感があって
まなさん勝手に神・自然という字の上に 筆ペンで日本国実相顕現・鎮護国家 と自分の書きたいように書いて下書きの通りに書いている人は少ないです。

教化部から文句がきたら、返して下さい、それでは提出しません とハッキリ言おう。

それが教団の間違いを是正していく道だし、教団内にいる我々の使命の一つのような気もします・。

2606ユタカ:2013/08/17(土) 05:34:35 ID:R1D4Jmeg
今朝は8を使ったのですみません

2607復興G:2013/08/17(土) 08:51:39 ID:AB6RqYXc

ユタカさん、えらい!

私は、「横書き」 ということにも、とても抵抗を感じます。

「日本語の文字と文は、 『天』 と 『地』 を持つ世界を写しとる一つの表現として、

天(上)から地(下)に向かって垂直に書かれる。」

それが日本語の文化だ、と書家の石川九楊氏は 『縦に書け!』 という本に書かれています。

天地を貫く大生命と一体になって祈りの言葉を書くには、縦書きがふさわしい。

石川九楊氏は、「横書きが日本人を壊している」 と言っています。

横書き文化を持つ西洋人のためには横書き用紙をつくってもよいが、日本人のためには

ぜひ 「縦書き」 用紙を用意して頂かなくては、私は書く気になれません。

2608復興G:2013/08/17(土) 09:26:22 ID:AB6RqYXc

私は、誓願券の横罫を無視して、縦書きで 次のように書きましょう。

私は宇宙浄化

君民一体の

天皇国日本

実相顕現

八紘一宇の

世界平和を

誓願致します

2609トキ:2013/08/17(土) 09:38:01 ID:vniWpnlU
 おはようございます。

 私の個人的な意見ですが、世界平和も大事なので、現在の教団がそれを祭こと自体には反対はしません。
ただ、『森のオフィス」にそういう施設なり神社を作り、そこで、毎日、拝めばよいかと思います。総本山
の祭祀の対象を変えるのは間違いだと思います。

 しかし、教団としての決定は既に出てしまいました。すると、信徒の一人一人が、どう祈ればよいか?
それはとても大事な課題かと思います。

 本日の誌友会で、その指針が得られるよう、学びたいと思います。

2610a hope:2013/08/17(土) 09:46:51 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

>>2603 復興Gさま

わたしの意見にご賛同くださりありがとうございます。

まことの「生長の家」の教えは「現象なし」です。
だから、方便として現象の出来事を説明することがあっても、
つねに「唯神実相」の立場(見解)から、本来ない現象人間の心の影として説明されていますよね。

一方、「雅宣先生の教え」は>>2588で復興Gさまがご紹介された『多様性の中に神を見る祈り』を拝読しても感じますが、
すべて「現象あり」の立場(見解)から、実相世界(神の存在)を説明されてしまっていると思うのです。

そんなところが、雅宣先生の教えが魂に響かない理由だとわたしは感じています。



>>2604 >>2605 ユタカさま

ユタカさまが windows8と格闘されている様子が目に浮かぶようです。
わたしが想像するユタカさまは、若い愛国男子ですが・・・(笑)

<<教化部から文句がきたら、返して下さい、それでは提出しません とハッキリ言おう。
それが教団の間違いを是正していく道だし、教団内にいる我々の使命の一つのような気もします・。>>

すごい気合ですね!!
全国の教団内にいる信徒のみなさんが、ご自分の心(まことの信仰心)に正直に行動なされば教団は善い方に向かうかもしれませんね。

ユタカさまや復興Gさまやトキさまのような方が教団に残られているのはとても心強いです。

今日は、わたしも午後から仕事に行きます。
午前中も色々忙しいので、なかなか書き込みできませんが、また夜、戻ります。

2611復興G:2013/08/17(土) 09:55:47 ID:AB6RqYXc

トキ様、a hope さま

ありがとうございます。



 谷口雅宣総裁は、昨年11月22日、総本山における「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」の挨拶で、次のように述べられたと、「唐松模様」に書かれています。

>> 「君民一体地上天国成就(燈)」 については、第1番目の名前と一見似ているようでありますが、「君民一体」 という言葉を重視すれば、それは必ずしも 「天皇と国民」 だけを指しているのではなく、天皇が存在しない国もあるのですから、一般に 「支配者と国民」 の関係を述べていると思われます。その場合、支配者と国民の間に 「意思の齟齬がない」 こと、さらには 「感情的な対立もない」 ということが 「一体」 の意味ですから、それが“神意”であるということです。<<

 と。

 しかし、「支配者と国民」 ではなく 「君民一体」 が名実共に 「国体」 として2000年以上も続いてきた国が、日本のほかにあるのでしょうか?

 竹田恒泰氏の論文のように、単なる精神論だけでなく、法学的に言っても、「主権在民」 でもなければ 「主権在君主」 でもなく 「君民一体」 のすがたにあり続けてきたのが、日本であります。

 そのことが、はからずも、奇しくも、1945年日本がポツダム宣言受諾・降伏というときに劇的なドラマとして展開し、「終戦のエンペラー」 というハリウッド映画になって多くの観客を集め、米日をはじめ全世界の人々の潜在意識にまで深く感銘を与えている。

 そうして、「君民一体・八紘一宇」 の日本のこころ、大和魂こそが世界平和をもたらすという真実が次第に世界に浸透し、「神の国」 の地上顕現へと神様のドラマが展開して行きつつあるのではないでしょうか。

2612トキ:2013/08/17(土) 11:40:23 ID:vniWpnlU
 私の個人的な感想ですが、谷口雅宣先生は、生長の家からいわゆる『右翼」的なイメージを払拭し、誰でもが信仰できる教団へ変えたい、という
願望があるような気がします。ある部分では共鳴できる部分もあったのですが、鎮護国家の意義を変えたり、聖経から『新経本」へと変えるに至って
は、おかしいと感じています。これは、失礼ですが、総裁御自身が、鎮護国家の意義を誤解されておられるのではないかと危惧しています。

 確かに、いわゆる右翼や新右翼と言われる人達の主張には、私も賛成できない部分がありますが、誤解は誤解で解けばよいのであり、正しい鎮護
国家のあり方を信徒が理解したら、それで何も弊害がないと思っています。

2613あさひ:2013/08/17(土) 16:23:02 ID:/3nxKE2Q
復興G様

テキストの
距離を超越して愛するとは、まず手の届くところにある近き者を 「本当」 に愛するということになるのであります。
真理に随(したが)うとは、最も自然な生活のできる人が、最も真理に近い歪(ゆが)みのない生活をしているわけであります

という所が心に残りました。       合掌

2614ユタカ:2013/08/17(土) 16:45:18 ID:R1D4Jmeg
ユタカ奉仕作業から帰宅ました。

復興Gさま 

請願券の記載例をありがとうございます! 私も縦書きで似たように書かせていただきますね。

同じにしますとご迷惑がかかるといけませんので。。。

>2611 の雅宣総裁のお陰で復興Gさまにいろいろな事を何度も繰り返し、潜在意識にたたみこめるまで教えていただけるので、

本当に雅宣総裁先生には、心より感謝します。 聖経も雅宣総裁のお陰で、何より大事なお経だと、心に沁みるほど分かりました。

私は、雅宣先生に感謝しています。

2615神の子さん:2013/08/17(土) 18:01:37 ID:R1D4Jmeg
ユタカの心が動いた復興Gさまのご文章を再度張ります。 ユタカの運命を変えた大事な言葉です。

>>復興Gさま

組織と信仰」――実は、私も「組織」というのが苦手で、今までやってきました。果たして「組織」と「信仰」は両立するのか? という疑問を感じながらやってきました。

しかし、「信仰」は個人のものでありながら同時に個人のものではない。
内面的には個人のものであるけれども、実際生活に於いては、『生命の實相』第3巻の巻頭にありましたように、

≪一人の生命が全体の生命のために生命を投げ出したとき、その生命は、全体の生命と一つになる。ひとりの生命がはなれ離れに動き出そうとするときには、いろいろの衝突や摩擦が起こるが、全体の生命とひとつになって、宇宙といっしょに動き出すならどこにもわれわれの活動に無理はおこらない。

 われわれが各個人(ひとりひとり)離ればなれに動き出すのは、たとえば、時計の針が針の力ばかりで動き出そうとするにもひとしい。そこには無理があり摩擦があり、ひょっとすればその時計の針が折れるかもしれないのである。

 しかし時計が全体の力で動いているときは実に小さなバネの力で長時間なめらかにそれは運転をつづけるのである。全体といっしょに動く生活、全体の力で生きる生活、自分だけの力で生きない生活、「我」で生きない生活、捨てたときおのずから生きてくる生活、これならいつまでたっても行きつまる気づかいはない。これが「生長の家」の生活である。≫

――そういう意味では、信仰生活は個人のものではない。全体の生命とひとつになって、全体とともに生きる生活でなければならない。

「個即全」というのが神の国のすがたであり、それを現実の国のすがた――国体として顕してきたのが日本ではなかったのか。

今、「組織と信仰」と言えば、教団に属している人は教団の組織運動と生活、ということを思い浮かべるでしょう。
しかし、その教団が本来の「一」なる神から離れておかしくなっているのではないかというので、“こちらこそ本流”と名乗る別派が幾つも生まれているのが現状です。

ですから、「組織と信仰」と言っても、人によって感じ方は様々であると思います。

「組織運動と信仰生活」と言えば、ややテーマが具体的に受けとりやすくなるかな――とも思いますが。

神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。

その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。

では、信仰者として、われわれは今、何を為すべきか。

――そういう意味を含んだ「組織運動と信仰生活」というのをテーマにしたらいかがでしょうか。とても、とても大きな課題になると思いますが――。

2616神の子さん:2013/08/17(土) 18:11:22 ID:R1D4Jmeg
>>神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。

その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。

では、信仰者として、われわれは今、何を為すべきか。


@ ユタカのあくまでも個人の意見は、自分自身は教団に戻り、雅宣総裁の實相に感謝すること。そこから始めて、鎮護国家請願券問題では正面から教化部と向き合う運動をする。ということです。

なぜか、突然これを発表したくなりました。。。

2617ユタカ:2013/08/17(土) 18:13:24 ID:R1D4Jmeg
ユタカはそれなので教団に復帰しました。。。

2618復興G:2013/08/17(土) 18:36:19 ID:AB6RqYXc

>>2613 :あさひ様

ありがとうございます。

ユタカさま

お帰りなさい。おつかれさまでした。ありがとうございます。

>>2615 もユタカさんですよね。

復興Gのログをよく保存していて貼って下さって、ありがとうございました。私もあらためて考えさせられました。

今、生長の家信徒われら如何に信仰生活と組織運動をして行くべきか、難しい公案を出されている。

そうした中で、榎本恵吾先生の 「神癒の展開としての人類光明化運動」 というのは、今、公案に答えを出すために、「これしかない」 と用意されていたもののようにも思われます。

2619ユタカ:2013/08/17(土) 18:52:37 ID:R1D4Jmeg
復興G様

>2615 ユタカです。

榎本先生のご文章は本当にスゴイですね、實相だけを観て、一瞬一瞬のあらゆる現象を断ち切って

それでいて、普通に現象を生活している。  そのように私なりに感じて、私の中で何かがドンドン変わっていっています。

實相を榎本先生のように深いところで理解?できれば、鬼に金棒で、何も困ることはないのでしょうね。。。

『WEB誌友会』 万歳!! っと大声で叫びます!! <<最初に創造してくれた訊け管理人万歳!!。有難うございます>>

復興Gさま始め、ありとあらゆる皆様、有難うございます!!

2620ユタカ:2013/08/17(土) 18:57:31 ID:R1D4Jmeg
あくまでも、ユタカ個人の意見ですから、

もっと良い読み方をされている方、違う意見の方、発表してくださいね。

2621復興G:2013/08/17(土) 19:12:27 ID:AENtSm/U

「教区会員板」 に、SAKURAさまが 「生高連の歌」 の歌詞を一部掲示して下さっていますね。ここにも貼らせて頂きます。

■□ 【 生長の家高校生連盟の歌 】       谷口雅春著

一、日出ずるくに  たぐいなき
  六合を兼ね 連邦の
  みやこをひらき 八紘は
  兄弟なりと  宣言し
  神武建国  三千年  

二、この国日本  高ひかる
  やまとの国に  生を享け
  大和の理想の 実現に
  精神せんと 溌溂の
  わかきいのち 高校生

■ (三)(四)(五)(六)…中略

七、こころあかるく 身を清く
  悦びを宣べ 世を照らし
  光輪卍字 十字架の
  万強帰一の 旗のもと
  平和の真理を 宣べんかな
  平和の真理を 宣べんかな
                            (上記、一部抜粋)

2622復興G:2013/08/17(土) 19:45:12 ID:AB6RqYXc

上記>>2621 SAKURAさまが教区会員板に掲示して下さった「生長の家高校生連盟の歌」 の歌詞には、日本の理想・生長の家の使命が簡潔に、実によく宣べられていますね。

七番の歌詞の4行目には一つ誤植がありましたが……
 <「万強帰一」 → 「万教帰一」>

この歌の意味をよく解るように次代を担う青少年たちに伝えて行くことに力を注げば、青年会も燃えて発展するし、生長の家が日本のため、世界平和の為に貢献する、本来の使命を果たせると思うのですが……

2623ユタカ:2013/08/17(土) 20:21:32 ID:R1D4Jmeg

はっと気づきました。 そうですか、伝道ということですね。。。

まず、信徒の自分の子弟に伝えるということですかね? 練成会ですね!!

そうだ、そうだ、練成会ですね。。 今でも少し日本のことを教えていますが、

この練成会にこの歌のように、やさしくもっと深く解説する日本の使命を盛り込めたらいいですね。


SAKURAさん、教区版でのご参加を有難うございます。SAKURAさんこそは信者さまですね。。

2624復興G:2013/08/17(土) 21:33:13 ID:AB6RqYXc

 生長の家の生き方は、未来のために「今」を手段にするような生活ではない。

 「今」 の中にすべてがある。「今」 をよろこぶ生活、「今」 を本当に生きる生活。未来に目的があるのではなく、「今」 に目的を置く、「今」 を生ききる生活。

 「天地(あめつち)のはじめは今をはじめとする理(ことわり)あり」

 その 「はじめ」 は、「はじめ」 「終わり」 を超越した、「絶対のはじめ」 「絶対なるはじめ」 ということ。

 時間も空間もまだ現れていない、「未発の中」 なる 「はじめ」 即ち 「一」 なるところである。

 おのれを無にして、カラッポの、消え切りの、澄み切りに還ったとき、自ずからそこに還るのである。

 そこから、次のような自覚が生まれてくるのである。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『日々読誦三十章経』より
  六日の経言(のりごと)

     人生に主となる言葉

 吾れは今、吾が本性が神とまったく同体であることを悟ったのである。吾れは神が渾(すべ)てであり、従って神以外に何物も此の世に存在しないことを知ったのである。

 神は渾ての渾てである。だから吾れが苟(いやしく)も存在する限り神と吾れとは一体なのである。吾れは存在する、それ故に吾れは神と一体なのである。神と一体なるが故に、吾れは神の本性よりその善きもの一切を賦(わか)ち与えられているのである。

 神の有(も)ち給う総(すべて)の物を吾れも亦有つのである。此の深き悦びに吾が心はわなないているのである。吾が心は深き聖悦に満たされているのである。神は全能である。それ故に吾れも亦全能なのである。吾れは凡てを知る智慧によって導かれているが故に、吾れも亦全智なのである。神は疲れたまうことなく、倦み給うことなきが故に、吾れは決して失敗も疲労もないのである。

 吾れは神が必ず吾が力を新たならしめ給う事を信ずる。吾れは神に吾自身をうちまかす。それ故に金剛囲山(こんごういせん)の動かざるが加く、吾が心も不動である。

 吾れはいま他の人たちの偏見や非難や時代の伝統から全然自由である。吾れはいま自分自身の判断と自分自身の標準とをもつのである。

 吾れは人間である。人間は神の子である。されば吾れは人生の主である。吾れは他の人々に人間は斯くあるべきだとは言葉では語らない。吾れは吾が生活を以って人間は斯くあると行じ示すのである。

 吾れはいま、自分の全意識の解放を得て歓喜勇躍の感に堪えない。自己が神の属性を賦(わか)ちもつと云うことが歓びでなくて何であらうぞ!

 吾れは永遠である。吾れは本性に於て神とは分ちがたきものである。吾れは真理である。吾れは生命である。吾れは智慧である。吾が実相は完全であり、神は完全である。それ故に吾れは此の完全さを日毎日毎に発揮するのである。

 吾れは生ける神の子である。吾れ今此の真理に目覚めしめ給いしことを感謝し奉るのである。

2625復興G:2013/08/17(土) 21:51:14 ID:AB6RqYXc

「神癒の展開としての人類光明化運動」 五十一より

≪ 「生長の家人類光明化運動」 のどこにも人間力は要らないのである。

 自分というものはどこにも存在しないのである。自分はどこにも要らないのである。自分の要らない運動を聖なる運動といい、神なる運動というのである。

 運動と自分との分裂ということは有り得ないことである。運動が神であり、自分というものは無いからである。

 「神と偕(とも)に生くる」 とは、神のみが渾ての渾てであって、自分というものは無いということなのである。

 「無一物中無尽蔵(むいちぶつちゅうむじんぞう)」 とは、自分が無いということである。 「無一物」 の一物とは自分のことなのである。≫

 伝道とは、自分が相手に伝えるのではなく、自分が自分に伝えるのである。

 自分を空にしたとき、神は全ての渾てすから、すべては神であり、すべては自分であるのです。

 ――そう思いました。

2626a hope:2013/08/17(土) 22:38:34 ID:edEDolt2
みなさま こんばんは

みなさまのご投稿はまだしっかり拝見していませんが、閉会時間が近づいたので思うことを述べさせていただきます。

今回のweb誌友会の開会前に、復興Gさまが問題提起として掲載されたテキスト内容、
「郷土愛と祖国愛」「神の道と人の道」は、現在の分裂した「生長の家」にとってとても大切なことが書かれていると思いました。

<<「手近かにいる兄弟を愛しないで、眼に見えない神をどうして愛することができよう?」 とキリストも反問しているのであります。>>

どう考えても「生長の家」の総裁が、ご兄弟と和解されていないのはおかしいです。
確かに雅宣先生は、本流からの全てのご批判に反論せず、静観されているように見えますが、
それがまことの静観であれば、相手と自分は本来一つであるわけですから、本流側の批判は治まって消えるはずです。

それが、そうならないのは、雅宣先生のお心も穏やかでない証拠だと思います。

<<われわれが親子となり、兄弟となり、血縁のつながる近親者となってこの世に生を受けてきているということは、決して偶然ではない。それは深き因縁あることであり、神がまず最初の隣人として、それらの人々を最も愛し最もよく世話をするように、われらの最も近くにそれらの人々を置き給うたのであります。>>

「兄弟を愛すること」=「神を愛すること」
ご兄弟と和解されていないということは、神とも和解されていないということになってしまいます。

わたしは、雅宣先生はじめ谷口家御親戚のみなさまの、一日もはやい和解をお祈りします。
そうすることが「生長の家」の大調和への大きな一歩になるのだと思います。


ところで、もう30分ほどで、第16回web誌友会の閉会時間となります。


ユタカさま

閉会のお祈りの言葉は大丈夫そうですか?


復興Gさま

今回も素晴らしいご指導をありがとうございます。
これから、じっくり読み返してお勉強させていただきます。

2627復興G:2013/08/17(土) 22:48:16 ID:AB6RqYXc

 さて、この第16回web誌友会はあと1時間以内で一応終了となります。

 今まで、当面の課題として 「特別誓願券」 のことに話題が集中していましたが、テキストは
 『生命の實相』 第4巻 第1章〜第4章まで
ですから、その全体をしっかり学んで、新しい気持で出発できるようにいたしましょう。

 第1章は 「人間は肉体ではない話」。
 「自由自在の霊性こそ人間自身の本来の面目である」
 「われらの本来の面目は、神本来の面目である」
 ということ。

 第2章は 「真理はなんじを自由ならしめん」
 生長の家では、生命の自由を得るためには、生命が松葉杖として頼っていたところのすべての物質的治療法を捨てて 「生命よ、ひとりで立て!」 という。
 しかし、「捨てる」 ことに引っかかってもならない。
 捨てることが病気を治す原因になるのではない。神の子たる人間生命の本来相を悟ることが第一原因。そこから病気が治るという結果も現れれば薬をやめるという結果も生ずるのである。一切の人間的工夫を否定してしまったところに、本然の自由自在な神の子たる生命が残る。一切を捨てて一切を得る道が生長の家。

 第3章は 「祖国愛は神の道」。

 第4章は、「愛の神による運命の修正」。
 ここでは、最初に

 ○野心とは「我」を通すことであって、愛とは「我」を殺すことにある。我を殺したときに一層大きな我が生きてくる。ナポレオンの偉業が滅びたのは、それは「我」を通す偉大さであったからである。キリストが死んでかえって限りなく生きたのは、神意に従う偉大さをもっていたからである。人間すべからく神に従う偉大さをもたねばならぬ。(「智慧の言葉」)

 とあり、そして

 われわれの運命は 「フト思いつく」 ということからほとんどその幸不幸が決する。それは業の流転によって生ずるが、結局は自分の心の奥底の問題であり、自分の運命は自分が作ることになる

 ということが、実例を挙げてしっかりと説かれているのであります。

2628閲覧者A:2013/08/17(土) 23:01:40 ID:???
合掌ありがとうございます。
発言できませんでしたが、大変よい勉強をさせて頂きました。
ありがとうございました。合掌。

2629復興G:2013/08/17(土) 23:06:36 ID:AB6RqYXc

 私たち人間は神の子、神と同体であり、偉大なる人生の主であります。

 一切は自己の責任であります。

 「吾れは神の本性よりその善きもの一切を賦(わか)ち与えられているのである。

 神の有(も)ち給う総(すべて)の物を吾れも亦有つのである。此の深き悦びに吾が心はわなないているのである。」 (『日々読誦三十章経』より)

 そして、
 「吾れはいま他の人たちの偏見や非難や時代の伝統から全然自由である。吾れはいま自分自身の判断と自分自身の標準とをもつのである。

 吾れは人間である。人間は神の子である。されば吾れは人生の主である。」 (同上)

 でありますから、私は特別誓願券の誓願文においても、自分自身の判断、自分自身の標準、自分自身の責任において、真に誓願したい言葉を、しっかりと書いて出したいと思いました。

 それは、このweb誌友会でトキ様、ユタカさまなどのご発言からヒントをいただいて、そういう決意ができたことですので、感謝いたします。

 ありがとうございます。

2631トキ:2013/08/17(土) 23:11:35 ID:vniWpnlU
復興G様、素晴らしいご指導を賜り、ありがとうございます。
多くの信徒の指針となっていると感じます。
本日は、先に失礼をします。心から感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

2632a hope:2013/08/17(土) 23:14:49 ID:edEDolt2

閉会の時間が過ぎましたので、閉会の祈りをさせていただきます。


世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、
すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


今回も素晴らしい学びをさせていただけたことに心から感謝します。

合掌。

2633ユタカ:2013/08/17(土) 23:16:26 ID:/B6zFSOc
時間も過ぎましたので、ここで一旦閉会をさせて頂いてよろしいでしょうか?

2634ユタカ:2013/08/17(土) 23:18:28 ID:R1D4Jmeg
あ、ありがとうございます。 

a hopeさま 有難うございました。 開いた時はなかったので、ありがとうございました。

2635復興G:2013/08/17(土) 23:36:21 ID:AB6RqYXc

ありがとうございました。

みなさま、おやすみなさい。

2636ユタカ:2013/08/17(土) 23:44:41 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

結語はスゴイ迫力でした。 トキ様もきっと素晴らしい解答を得られる事でしょう。

私もとても勉強になりました。ありがとうございます。

トキ様、a hopeさま、閲覧者Aさま、SAKURAさま、ご参加の皆様、有難うございました。

2637ユタカ:2013/08/17(土) 23:50:16 ID:R1D4Jmeg
2633 のユタカのIDが同じ環境にいながら

違う表示をするのはなぜなんだろう?? なんかが変・・・・???

2638ユタカ:2013/08/19(月) 08:50:35 ID:R1D4Jmeg
ちょっとユタカが簡単に作ってみました。もっと上手に作れる人いたらドンドン作ってね。 第4巻のページを書いているのでその前後から考えて解いてください。他の聖典からではなく今回のテキスト範囲からでお願いします。

次の問いに答えよう。

問1 第4巻 P、4〜6
マグダレーナが「汝の罪許された」といわれたゆえんは何か?

問2 P、10前後
神癒の霊派の受信機になれない時とはどのような時か?

問3 P、11前後
生長の家の懺悔とは?

問4 P、14
真の霊的更生とは?

問5 P、15
ニセ者の自分と本物の自分の分離とはどういう状態をいうのか?

問6 P、18
生長の家の治療法とは?

問7 P、19
我々の肉体を形成するものは何か?

問8 P19
皆さんは生命の實相を知った神癒医師ですが、神癒医師の務めとは何かを書いて下さい。

第2章
問1 P、24〜
倶てい和尚から指を切られた小僧の話を読んで、生長の家教団の状態を見ると「甘露の法雨」「生命の實相」を失った現状をどのように考えられるか?


以上 終わり。
自分なりに答えを出してください。

2639きのゆり:2013/08/19(月) 11:21:00 ID:.QY5jUA6
2638:ユタカさん

ポイントついた いい質問を、書いて下さってありがとうございます。
こんなふうに、突然質問されたら、私なんか、すぐには答えが出てきません。

もう一度「生命の實相」のここのところを、読み直さなければ、と思いますから、
ありがたいです。

web誌友会参考文献板に、毎朝、1つ、復興G様が、謹写してくださいます
ご文章も、毎日、たのしみに拝読させていただいております。ありがとうございます。

2640ユタカ:2013/08/19(月) 12:08:44 ID:R1D4Jmeg
きのゆりさん、ありがとうございます。

きのゆりさんも問題を作ってみてください。 ユタカも解いてみたいので・・・

ありがとうございます。

2641きのゆり:2013/08/19(月) 14:34:57 ID:.QY5jUA6
ユタカさん
お返事を、
ここへ書き込んだつもりでしたが、本流対策室に書き込みました。

2642a hope:2013/08/19(月) 16:13:28 ID:Hev0anJY
>>2638ユタカさま

素晴らしアイデアですね!
わたしは講師試験というのがどんなものなのか知りませんが、
講師試験の問題ってこんな風に出題されるのでしょうか?

ただ、聖典を拝読するだけではなくて、このような質問に自分の言葉で答えてみると、
より教えが良く身に付くのではないかと思います。

また、きのゆりさま(志恩さまですよね?)が戻られてとてもうれしいです。
やはり、この掲示板には志恩さまがいてくださらないと寂しいです。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

それでは、わたしもユタカさまの質問の答えを考えながら、今回のweb誌友会範囲の復習をしてみます。

感謝 合掌。

2644ユタカ:2013/08/19(月) 19:15:38 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
褒めてくれて有難うございます。 講師試験はユタカのときは、国際平和運動とはどういう運動ですか?3つの中から選びなさい。
1.戦争によって世界平和を作る、2・・
あと、ちょっと忘れたけど・・・ため息がでるほど。。ばかばかしい問題だったような覚えがあります。。。

余白にいたずら書きして提出したのに合格しちゃった。。そして合格してから通信教育されるんだけど、その後の問題がもっとバカっぽい内容だった。。。
年間何人受験とかノルマがあったのか知らないけど、受けてって頼まれて受けたよ。

a hopeさまも問題出してね。

2645神の子さん:2013/08/19(月) 22:40:38 ID:???
ああ、そんな試験だったらここに出入りしているSAKURAさんでも
受かるかもね〜(爆笑)

2646きのゆり:2013/08/20(火) 02:15:03 ID:.QY5jUA6
a hopeさん

a hopeさんは、お若くいらっしゃいますのに、よく勉強されてますね。
ユタカさんの問い1に出てくるマグダレーダは、娼婦でしたけれど、
同義語では、売春婦、遊女ですが、

イエスキリストの時代は、貧しい時代でしたから、貧困のために、性的サービスを提供することに
より、金銭を得ていた女性が多かったんだろうな、と答えとは、別のことを考えていました。

娼婦は、最古の女性の職業だったそうですが、男性の最古の職業は、庭師だそうですよ。
思えば、マグダリーダは、自分のやっていることに強い罪悪感を持っていたから、激しく懺悔して、
改心して、救われたのでしょうね。

それにひきかえ、
どんな悪行を続けていても、本人に、全く罪悪感のない人間は、救われようも、救いようもないように
思われます。

2647a hope:2013/08/20(火) 08:24:27 ID:edEDolt2
>>2644 ユタカさま

ユタカさまは、講師資格をお持ちなのですね!
生長の家の講師試験は、すべて三択問題なのですか?

それにしても、ユタカさまがばかばかしい問題と思われる内容なのですね。
それはとてもショックですね。

宇治の盂蘭盆供養大祭も、今年も参加者が激減したようですし、早く「本来の生長の家の教え」に戻さないと、
教団は本当に破産してしまいますね。


>>2646 きのゆりさま

<<マグダリーダは、自分のやっていることに強い罪悪感を持っていたから、激しく懺悔して、
改心して、救われたのでしょうね。>>

↑わたしもそう思います。

「生長の家の教え」は「本来、罪なし」ですが、心に罪悪感を持つからこそ、
その「罪なし」の真理が本当に理解できるのではないかとわたしは思っています。

罪の意識を感じなければ「赦される」ということもないような気がします。

ただ、実相世界においては、わたしたちは「救われずみ」というのも事実なのですよね・・・。

「小懺悔」というのが、自分の心の罪悪感を表出させて懺悔することで、
「大懺悔」というのが、「罪なし」の真理(神の子の自覚)を悟ることなのだとわたしは理解しています。

その大真理を悟る(「大懺悔」する)ために、わたしたちは「生命の實相」をお勉強したり神想観をするのだと思います。

間違っていたら、ご指導をお願いいたします。

2648きのゆり:2013/08/20(火) 09:04:06 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

a hopeさまのおっしゃった「小懺悔」「大懺悔」の通りだと、私も思っています。
それから、私は、指導する立場の人間ではないです。よろしくお願いします。

2649復興G:2013/08/20(火) 10:10:57 ID:AB6RqYXc

>>2638 :ユタカさん

よい試験問題、公案を出して下さってありがとう。

私も、よい勉強になります。

>>問8 P19〜
皆さんは生命の實相を知った神癒医師(メタ・フィジッシャン)ですが、神癒医師の務めとは何かを書いて下さい。<<

その回答となるテキストのご文章に蛍光ペンで傍線を引きました。その部分を謹写させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   肉体人間は「生命」の造った自働人形

 われわれは今まであまりに五官の働きに信頼をおきすぎて、生命の実相をみることを拒んでいたのであります。物質を見て霊を見ず、影を見て生命を見ず、肉を見て本当の人間を見なかった。(中略)

 けれども眼に見えない不思議な力が内から働くとき、脳髄細胞でも心臓の細胞でも肺臓の細胞でも、その内から働く無形の力が造り上げるのであります。この無形の内から働く力は、どの物質分子をどういうふうに有機的に化合させて、どういうふうに配列したら脳髄細胞に造りあげることができるかということを知っており、それをちゃんと脳髄細胞に作りあげて、物を考える物質(脳髄)というものを作りあげたのであります。この「無形の内から働く力」こそわれわれの「生命」であり、われわれの本当の心なのであります。(中略)

 この内から働く無形の力こそ「本当の自分」(生命)なのであります。この「生命」は肉体を超越して存在し、われわれの肉体がこの世にあらわれるまでにすでに存在していて、肉体を設計し創作したところの霊妙不可思議なる存在でありまして、この霊妙不可思議な生命力こそ「本当の自分」であって、われわれが今まで「われわれ自身」だと思っていたところのこの肉体は、この霊妙不可思議なる「本当の自分」の設計になる自働人形(ロボット)にすぎないのであります――言い換えますと、「本当の自分」が想念を起こした――その想念の反影がわれわれの肉体なのであります。(中略)

 だから、脳髄という肉体人間(ロボット)の頭で、どうしたらこの肉体は治るだろうかと思い煩うにはおよばないのであります。それは人造人間(ロボット)の頭で人造人間(ロボット)をいかに修繕しようかと思いわずらう必要がないようなものであります。人造人間(ロボット)に故障が起こったら人造人間(ロボット)を製作した技師が一等その修繕がうまいのでありますから、この技師に修繕のことを委ねるがよいのであります。

 この技師がわれわれ自身の「生命」でありまして、これが「本当の自分」である。「人間考え」「人間知恵」というものは人造人間の機構から発する作用で、いくぶんは「本当の自分」の考えを反映してはいますが実に不完全なものであります。医学的知識というものは要するに脳髄をこしらえたわれわれの「本当の生命」すなわち「本当の自分」から出る神知ではないのでありまして、拵えられた人造人間(ロボット)の脳髄から出る不完全な知識でありますから、内部から働く生命の自然療能の神秘的知恵に及ばないこと万々なのであります。

 肉体人間(ロボット)は人間の模型ではありますが、「真の人間」ではないのであります。われわれは「真の人間」を視つめなければならない。この「真の人間」を見いだし、その「真の人間」の実相を視つめますとき、それが「神の子」であり、いな「神」そのものの流れであって、その中に無限の供給がある、無限の生命の供給もあれば、無限の知恵の供給もある、無限の愛の供給もある――なくてはならぬいっさいのものの供給がそのうちにあるということが解るのであります。

 これを患者に解らせてあげるのは神癒医者(メタフィジッシャン)のつとめなのであります。すなわち神癒医者(メタフィジッシャン)というものは、人間を人造人間(ロボット)の境地から真の人間の境地にまで、高く上げる聖業を営むものでありまして、人造人間の故障の要所を外から繕(つくろ)う役目をするのではないのであります。(中略)

 みなさんが病人に対せられる時には真理を話して人間を治すことに主眼をおかれたいのです。(以上)

2650復興G:2013/08/20(火) 11:12:19 ID:AB6RqYXc

さて、>>2638:ユタカさん出題の
>>第2章
問1 P、24〜
倶てい和尚から指を切られた小僧の話を読んで、生長の家教団の状態を見ると「甘露の法雨」「生命の實相」を失った現状をどのように考えられるか?<<

――まず、その「倶胝竪指(ぐていじゅし)」とは、ということについて、テキスト 『生命の實相』 第4巻p.24 第2章冒頭のご文章を謹写いたします。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   『無門関』第三の公案に「倶胝竪指(ぐていじゅし)」という条がある。金華山の住持倶胝和尚はいかなる参門者があって何事を問おうとも、ただ一本の指を竪(た)てて示すのであった。その指を見ても悟るものもあれば悟らずして去るものもあったであろう。形を見るだけで真生命を見ない者は悟ることはできないのである。

   小僧某、一日外にありて人に問われて答うるに倶胝和尚をまねて一本の指を立てて示した。

   小僧某はこのとき倶胝和尚の形をまねたにすぎないのであって、なにゆえ倶胝和尚が指を立てるかその真生命には触れていないのであった。

   和尚これを聞いて小僧の立てた指を切り去った。小僧は痛いので悲鳴をあげて逃げようとする。この時倶胝すかさず小僧の名を呼んだ。小僧は和尚がなにをいうのかと思って振り向くと倶胝は例によって指を立てて示した。それを見た瞬間その小僧は大悟(さと)った。

   なにを小僧は悟ったか――それを知るものはその人もまた大悟(さと)ることができるであろう。

   小僧は自分に立てるべき指のある間は形にとらわれて真生命を見なかった。が、今自分が指を切り去られたとき立てるべき指がない。しかも師の和尚はかくのごとく立てよと指を示しているのである。無い指をどうして立てるか ここに禅の真生命がある、立てるべき指は形の指ではなかったのである。

   指があって立つような指なら指が無くなったときには立たなくなるであろう。本当に立つ指は指が無くなっても、なにがなくなっても立つ指でなければならぬ。和尚が示したのはなにが無くとも束縛されない自由自在の「生命の指」であったのだ。

   これが無いと困るとか、あれが無いと困るとかいう者は「生命」の実相を知らない者なのだ。なにが無くとも少しも困らないのが、われらの「生命」の実相であるのだ。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――さあ、ユタカさんがおっしゃるように、今

>>生長の家教団の状態を見ると 「甘露の法雨」 「生命の實相」 を失った現状<<

は、「小僧が倶胝和尚に指を切られたような状態」 と見ることができるでしょう。

 それは、教団にとってそうであると同時に、教団を離れている信徒にとっても、頼るべき総裁・教団が頼れなくなっているということは、「小僧が倶胝和尚に指を切られたような状態」 と言えるのではないでしょうか。

<<   小僧は自分に立てるべき指のある間は形にとらわれて真生命を見なかった。が、今自分が指を切り去られたとき立てるべき指がない。しかも師の和尚はかくのごとく立てよと指を示しているのである。無い指をどうして立てるか ここに禅の真生命がある、立てるべき指は形の指ではなかったのである。

   指があって立つような指なら指が無くなったときには立たなくなるであろう。本当に立つ指は指が無くなっても、なにがなくなっても立つ指でなければならぬ。和尚が示したのはなにが無くとも束縛されない自由自在の 「生命の指」 であったのだ。

   これが無いと困るとか、あれが無いと困るとかいう者は 「生命」 の実相を知らない者なのだ。なにが無くとも少しも困らないのが、われらの 「生命」 の実相であるのだ。>>

 ――今こそ、信徒みんながこの 「生命」 の実相をつかんで立たなくてはならない時であると思います。

<< 「光明化運動」 は単なる、實相をこの世に写し出す、影を生み出す運動ではないのである。光明すなわち實在それ自体の自己展開、価値創造として存在するのである。

 實在であることは、神であることであり、それ自体で不滅の久遠の自己展開そのものであるということであり、 「光明化運動」 は久遠不滅の自己展開それ自体である “生きもの” であるということなのである。

 斯くの如き、生長、創造それ自体であるものを光明というのである。 「光明化運動」 がみずから 「光明化運動」 を実現するのである。自分というものはどこにも要らないのである。>>

 ――と記されている榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動』 は、現在の公案にたいする素晴らしいヒントを与えてくれていると思います。

2651きのゆり(志恩):2013/08/20(火) 11:57:32 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

以前、初心者様が、総裁を代弁されるような語り口で、「宗教」「神想観」についてを
語っておられる書き込みがございますので、再掲させて頂きます。

初心者様は、「神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、
神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。失敗
の結果が宗教であり、神想観なのですよ。」と、言われました。

このお言葉と、その後の総裁のなさることは、連動しているなあと、最近、私は思っております。
^^^^^^^^^^^^^^^^^
トーキングスティックボード

699 :初心者:2011/11/09(水) 08:52:28 ID:hogyfr1M
(前略)

志恩様

わたくしは、自分が雅春先生より上だとはいちども発言したことがありません。
わたくしは、人を救うことはできません。救おうとも考えておりません。真理と
救済を切り離す。それがわたくしのやり方です。真理と救済とを結びつけている
かぎり、これはうまくいかない。そのように結論したからであります。

さらに志恩様は、わたくしが天皇を否定しているだとか、『古事記』が嫌いだとか
といっておられますが、そのような発言をしたことは、いちどもありません。わたくし
がいっていないことを、志恩様は勝手に決めつけられて、それを根拠にわたくしを
非難しておられるようにも感じられるのでありますが、今回の雅春先生よりも自分の
ほうが上だとわたくしが考えているという言及もふくめて、再考していただきますこと
を要望いたします。

それと、わたくしの「悟り」について言語化せよといっておられますが、それをひと言で
いえば、神へとつづく無限次元の空間が見えたということであります。しかしその
ことはそれほど重要なことではなく、それによって生じた特別な感覚があり、それが
永続的に持続しているということのほうが、よほどわたくしにとりましては重要なこと
であります。この感覚をお持ちの方ならおわかりでしょう。これがあれば、ほかはなに
もいらない。これはそんな感覚でもありますよね。

それと、神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、
神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。失敗
の結果が宗教であり、神想観なのですよ。

右脳意識状態というのがおわかりですか?完全ともいえる宇宙との一体感。これが
右脳意識であります。必要とあらば、神との一体感と置き換えることも可能でありま
しょう。この一体感は、圧倒的な感情として体験されます。これが人類のほんらい
あるべき姿ではないでしょうか。ことさらに神想観という方法によらずとも、宇宙との
一体感が当たり前のごとく感じられる。これがほんらいのあるべき姿なのではない
ですか。それができなくなったために、人類は、神や宇宙との一体感を得るために、
瞑想や神想観という方法にたよらざるを得なくなったのではないですか。
ちがいますか。

あるがままの宇宙との一体感。それがあれば、宗教も神想観も、人類は必要とする
ことがなかったでありましょう。左脳意識の発達により、あるがままの宇宙との
一体感が崩壊し、それをおぎなう手段として、宗教や神想観という手段が編み出さ
れたのではありませんか。もしそうであれば、宗教も、そして神想観も、人類の
失敗をおぎなう手段であるということになるような気がいたします。

                           つづく

2652きのゆり(志恩):2013/08/20(火) 11:59:55 ID:.QY5jUA6
つづき

トーキングスティックボード

701 :初心者:2011/11/09(水) 09:00:03 ID:hogyfr1M

それと、以前、復興Gさまも、ラカンの思想は百年もたてばあぶくのごとく消え去る
といわれました。

そして今回、志恩様も、わたくしの例えは、数十年もすれば
使いものにならなくなるといわれました。

まずラカンについては、人類が言葉を
もちいるかぎり、その思想が消え去ることはありません。ラカンの思想とは、
言葉についての思想であり、この問題は、千年以上も前から語られておりますが、
いまだ人類は、その解決の糸口さえ見いだせてはおりません。

しかも雅春先生は、この問題にかんして、おそらくひと言も言及しておられません。
わたくしが、雅春先生の教えに疑問をもつとすれば、生長の家が、言葉によって
真理を宣布しようとする団体でありながら、言葉の問題についてひと言も言及して
おられないということであります。うまく避けられた。そのような印象さえあります。

「スパイ」という言葉がなければスパイを見ることはできません。これと同様に、
「実相」という言葉がなければ、実相を観ることも、観じることもできないので
あります。言葉と、その言葉が指し示す対象は同時に生起します。実相が
まずあって、それに「実相」という言葉がつけられたのではありません。「実相」という
言葉と、この言葉が指し示めした実相は、同時に生起したのであります。少なくとも
わたくしは、このように考えるのであります。

これにより、実相とは、言葉の効果ではないのか、との疑問が出てまいります。
この疑問に、雅春先生は、答えておられない。ただのいちどとして向き合っても
おられないのです。いまだ解決されていない重大な問題を、雅春先生は避けて
とおられた。わたくしはこのように考えているのであります。

ラカンの思想があぶくのごとく消え去ることはありません。たとえ消えたと見えても、
ちがう形で生き残ります。なぜなら、ラカンの思想とは、人類が、そして雅春先生で
さえも解決しえなかった、言語それじたいの問題への言及だからであります。
ラカンは、誠実にその問題と向き合ったのです。。雅春先生は、なぜかしら向き
合われなかった。誠実に向き合ったラカンの思想があぶくのごとく消え去り、なぜか
しら向き合われなかった雅春先生の思想が永遠に輝きを放ちつづけると考える
のは、はたして正しいことなのでありましょうか。わたくしは、雅春先生が、言語の問題
に向き合われなかったことに、重大な疑惑を抱いております。

それとわたくしの例えが数十年先には消え去ると、志恩様はいっておられますが、
これはどのような根拠にもとづく推論なのでありましょう。ひも理論があと数十年で
解消される。そういう意味なのでありましょうか。数学的な記述としては、おそらく
ひも理論は、完全なものなのでありましょう。数学的に完全ともいえるひも理論が、
数十年で解消され、消え去るということが考えられるのでありましょうか。

それは絶対にないとはいえませんが、ひも理論に代わる理論としては、たとえば
ロジャー・ペンローズのツイスターと呼ばれる理論があるということを、わたくしは
存じております。こうした理論が、ひも理論に打ち勝つとすれば、それこそが、
役行者様のいっておられる弁証法的発展ということになるのでありましょう。

科学はこのようにして発展をつづけます。弁証法的発展を拒絶し、変われない
宗教と、弁証法を受け入れて変われる科学。いったいどちらが優れているので
ありましょう。数十年で変わるからといって高をくくっていると、いずれ宗教は、
さらに手痛い挫折を味あわされることになるのではありませんか。

それと志恩様は、「真理」という言葉を使って、それが完全無欠であるということを
述べておられますが、まずひとつは、「真理」という言葉をどういう意味で使って
おられるのか、それを問うてみたいとおもいます。

それと、「真理」にしても、「完全無欠」にしても、これは言葉であります。

このような言葉を易々と使われておられる
ことから、わたくしは、ラカンが直面した言語の問題に、志恩様が誠実に向き合われているとは、
とてもおもうことができないのであります。

いまいちど、言語について
深く考えていただきますことを希望いたします。

2653きのゆり(志恩):2013/08/20(火) 12:43:00 ID:.QY5jUA6
「森のオフイス」は、宗教色を無くして、神想観行事も無くして...います。
他の宇治大祭の行事などは、生長の家総裁として、されてますけれどね。
そうしければ、生長の家の看板が使えないからじゃないでしょうか。

2654神の子さん:2013/08/20(火) 13:54:35 ID:AB6RqYXc

>>2651 :きのゆり(志恩)様

 ありがとうございます。

 「初心者」 さんがラカンの説を金科玉条のように宣べておられたようですが、それは生長の家ではなく、宗教でもない。「初心者」 さんがラカンを信奉されるのは勝手だけれども、それなら言語学者として学会でそれを述べられたらよろしい。

 おそらく誰も相手にしてくれないでしょうが……。

 私も、そんなもの、相手にしません。

 ただ、初心者さんが
 「神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。失敗の結果が宗教であり、神想観なのですよ。」

 と言われているのは、
 「人類は神想観の修行をしなければ救われない、というのは迷妄であって、生長の家はそんな教えではない」 ということなら、そうだと思います。

 谷口雅春先生は神想観をすすめられたけれども、神想観をなさなければならない(神想観しなければ救われない)とはおっしゃっていない。人間は皆、既に救われ済みである、そのままで神のいのち、神そのものである、ただそのままのいのちをよろこべばよい! とお教え下さっています。それをよろこぶのが神想観であると。そのことを、またあらためて口をすっぱくして言い続けて来られたのが榎本先生です。

 「救済」 とは、その、既に救われ済みの自分に気がついて、無条件に喜べる生活に入ることだと思います。

 宗教がそういう 「救済」 をもたらさなかったら、存在の意味はありません。

 もし、生長の家からそういう 「救済」 が消えたら、信徒はどんどん離れて、教団を維持することはできなくなるでしょう。現に、今の教団はそうなりつつあります。それは今後ますます加速し、衰滅に向かうでしょう。

 初心者さんが、教団、総裁と関係があるかどうかは知りません。しかし、もし初心者さんの言われるような方向、つまり、

 「わたくしは、人を救うことはできません。救おうとも考えておりません。真理と救済を切り離す。それがわたくしのやり方です。」

 という道へ教団が導かれるなら、「与える者が与え返される」 というのが宇宙の法則、繁栄の法則ですから、信徒に何も与えなくなった教団は、自滅するしかないでしょう。

 いくら机上の空論をふりまわしても、現に、教団はそうなりつつあるのですから、そのことに早く気がついてほしいです。

2655神の子さん:2013/08/20(火) 13:56:26 ID:AB6RqYXc

>>2654 は復興Gです。
なぜ「神の子さん」になったんだろう?

2656復興G:2013/08/20(火) 13:58:43 ID:AB6RqYXc

何かが、リセットされてしまったみたいです。

2657きのゆり(志恩):2013/08/20(火) 15:44:02 ID:.QY5jUA6
復興G様

ご返信、ありがとうございます。

以下の文は、ポステイングジョイに載っていたものですが...、

>>ージョイー
ケーちゃんさん2011/08/04 08:07

榎本一子先生が、主人は、神想観が大好きで、暇さえあれば、幽斎殿で神想観をしてましたと話しておられます。
私も、幽斎殿に行けば、榎本先生が一緒に座っていらっしゃると思ってしまいます。<<

このように、神想観が大好きな榎本先生が、雅春先生と同じく、「人類は神想観の修行をしなければ救われない、
というのは迷妄であって、生長の家はそんな教えではない」 と、おっしゃったのは、

例えば、われわれが、生長の家人意外の人たちと旅行へ行った場合、その旅行期間中は、神想観が出来ない場合がありますよね。
そういう場合は、臨機応変に考えて、しなくても大丈夫ですよ。

しなければならない という 心の縛りを解いて下さっているお言葉なのだと、私は、思っておりました。

つまり、「神想観をなさなければならない(神想観しなければ救われない)とはおっしゃっていない。
 既に救われずみなのだから」という意味のことです。

それに対しまして、初心者さんが、あのとき、おっしゃった。

 「神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、神想観をなさなければならなくなった事態も、
 人類の失敗であると考えます。失敗の結果が宗教であり、神想観なのですよ。」

につきましては、榎本先生が、おっしゃったこととは、ニュアンスが異なると、私は思いました。
あの頃、初心者さまは、神想観については、否定的な発言をされてましたし。

宗教と神想観を、肯定しているけれど、それに、こころを縛られないように、、ということと
宗教と神想観を、やることになったことは、人類にとって失敗だったことと、

この2つの意味は、全然、意味が違うのではないでしょうか。

2658きのゆり(志恩):2013/08/20(火) 15:53:26 ID:.QY5jUA6
別のジョイに、いい文章が載っていましたので、こちらも転載させて頂きます。

登録日:2012/07/07 15:12 登録者:ずんちゃんさん

宇治から届いていた『宝蔵』(宇治体験集)を、今朝読みました。
そして、同封されている「ネットワーク宝蔵」も。
すごいのすごいの
榎本一子先生のご文章が今朝は私の魂にしみこみました。
「宝蔵会員で良かった〜」
と、感動しきり。


「若い頃、生長の家の熱心な信徒だった父に(後に本部講師、(藤原敏之先生のこと))、
「生活の中で悦びが感じられないんだけどいつも喜んでいられるようになるにはどうしたらいいでしょう」と訊いたことがありました。

 父は「悦びというのも感情だからそれも現象。

 喜べても喜べなくてもどちらもナイのだからどうして味わえないのだろうかと引っかからなくてもいいね。
 常に喜んでいる自分があることさえわかっていればいいね」とこともなげに言いました。

 “生長の家の信徒たるものいつも喜んでいなくてはならない”と心まで縛っていた縛りが解けた想いがして楽になったことがありました。

「私は神の子、悦びそのものである!感謝そのものである!調和そのものである!幸福そのものである!」
 現象の心に悦びが満ちていなくても、毎日少しずつでも心に唱えて実践していっているうちに、
 本来の悦びが、感謝が心に満ちてきたことがありました。」(ネットワーク宝蔵第219号より抜粋)

喜べなくても、常に喜んでいる自分があることさえわかっていればいい。
榎本恵吾先生の、「実相が観れなくても、実相があることを喜んだらいい。」というお言葉を思い出しました。

2659きのゆり(志恩):2013/08/20(火) 16:09:38 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

名前欄に、お名前を、書き込むのを忘れた場合、自然と「神の子さん」と表示されると、
以前、トキ様がおっしゃってましたよ。それじゃないでしょうか。または、自然とリセット
することも、あるのでしょうか。私は、そういうことは、わからないのです。すみません。

2660復興G:2013/08/20(火) 16:43:06 ID:AB6RqYXc

きのゆり(志恩)様

 もちろん、初心者さんが

 「神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。」

 といわれるのは、神想観とは何か(なさなければならないというようなものではないこと)が全くわかっておられない、誤解、思い込みの迷妄ですね。私はそう思いますよ。

 榎本先生が 「神想観大好き」 だったのは、「しなければならない」 ものではなく 「せずにはおれない」 ものだったということでしょう。

2662ユタカ:2013/08/20(火) 23:36:34 ID:R1D4Jmeg
最近の講習会で神想観をしているかは分かりません。

近隣教区の講習会にわざわざ行っても。午前中までにお弁当食べて帰るので。その後何をしているかは分かりません。閑散とした中で実習しているのかね??

ダレも知らないよね・・・そんなこと。

2663ユタカ:2013/08/20(火) 23:58:38 ID:R1D4Jmeg
バカなことを書きすぎました。 まじめなことも書きます。 

生命を立てたら下記の祈りをして神さまと共に歩もう。



使命を生きる祈り

住吉大神(すみよしのおおかみ)
宇宙を浄め給う
宇宙浄めの天の使い
として生まれしが、

○○○○(氏名)なり。

神は○○○○に使命を授け給う 

今日何を為すべきか教え給う 

この神より教えられし使命を

実践することが、
○○○○の生き甲斐であります。

2665復興G:2013/08/21(水) 15:15:15 ID:AB6RqYXc

ユタカさまが >2661 に書かれていました、

>>復興G様、私の問いの解答とご解説をありがとうございます。 谷口雅春先生は本当に素晴らしいですね、何も無くても立つ生命、それが生命の実相ということと私は理解しました。<<

ということについてですが、谷口雅春先生は 『生活の智慧365章』 の163頁以下に、次のように書かれています。

≪  幸福の鍵は何処にあるか

 若(も)しあなたに 「どんな幸福の扉でも開く鍵があるのですが、あなたはそれを欲しくありませんか」 と言われるならば屹度(きっと)あなたは、「本当にそんなものがあるならば、それを得たいものだ」 と思われるでしょう。その鍵は決して金属でできているものでも、楠や檜の板で出来ているものではありません。そんな物質で出来ているものは結局はこわれるものであります。虫食い錆くさるものに幸福を求めてはならないと教えられました。

 その鍵は “霊的なもの” で出来ているのです。そして他物にそれを求めても得られるものではなく、自分自身の内にその鍵があるのです。その鍵を 『生命の実相』 と呼ぶのです。それは必ずしも書籍の名前ではありません。『生命の實相』 の本はその鍵の在所(ありか)を示した本ですからそのように名づけたのです。

 その鍵はすべての人が自己の内にもっている万人具有の鍵であります。人間の生命のうちには 「無限」 が宿っているのです。その無限に気がついたとき、その人はその鍵を発見したのです。自分自身の生命のうちに 「無限」 が宿っている、何という素晴しい事でしょう。≫

 と。

 幸福を開く鍵は、万人の生命の内にある。
 「その鍵を 『生命の実相』 と呼ぶのです。それは必ずしも書籍の名前ではありません。『生命の實相』 の本はその鍵の在所(ありか)を示した本ですからそのように名づけたのです。」

 というお教えなのですね。

 『生命の實相』 の本に頼っているばかりでもいけない。『生命の實相』 に書いてある言葉を、悟っていないのに悟ったような顔をして真似して言っているだけでは、倶胝竪指の、小僧が立てた指みたいなことになってしまう。

 『生命の實相』 の本がなくなっても立つ 「生命」 の実相を悟れ、と私たちには今、天の声が天降っているのでしょうか。

2666復興G:2013/08/21(水) 16:58:39 ID:AB6RqYXc

 さて、谷口雅宣総裁は、私たち小僧の立てた指を切る役目をして下さっているように思えます。

 ただ指を切る役目だけで、指を切っても立つ生命を示し教えてはくださらないのです。

 だから多くの信徒が迷うほかない状態に追い込まれているのです。

 そのうち生長の家教団は潰れて地上から一時的に姿を消すことがあるかも知れないと思います。

 それでも、『生命の實相』 の本、そこに書かれた永遠の真理の言葉が地上から消えることはないでしょう。

 イエス・キリストが

 「天地は過ぎゆかん。されどわが言(コトバ)は過ぎゆくことなし。」

 と言ったように。

 そして、天上界にある生長の家本部は、永遠に 「過ぎゆくことなし」 で、潰れることはありません。

 神の国の構図は必ず実現します。

 神の国の構図は、中心帰一・万物調和の日本(ヒノモト)の理念そのものです。

 私は、それを信じます。

2667トキ:2013/08/21(水) 19:14:30 ID:/56QLe72
>>2662

 講習会では、現在も神想観のご指導の時間はあります。世界平和の祈りをしますね。

2669あさひ:2013/08/21(水) 19:51:29 ID:/3nxKE2Q

復興G様

新しい視点を教えられました。

すでに救われ済みの自分に感謝することでしょうか。

ありがとうございます。

2670あさひ:2013/08/21(水) 19:53:30 ID:/3nxKE2Q
ユタカ様

素晴らしい問題 答えも教えていただきたいです。

よろしくお願いいたします。

2671ユタカ:2013/08/21(水) 22:29:11 ID:R1D4Jmeg
> 『生命の實相』 の本に頼っているばかりでもいけない。『生命の實相』お に書いてある言葉を、悟っていないのに悟ったような顔をして真似して言っているだけでは、倶胝竪指の、小僧が立てた指みたいなことになってしまう。

うわ〜〜!ユタカの心にグッサ!!っと刺さりました・・・・ですが、分かっていなくても・・・おのれわたわざる先に・・・って聞いていますし・・・

 

>『生命の實相』 の本がなくなっても立つ 「生命」 の実相を悟れ、と私たちには今、天の声が天降っているのでしょうか。

無意味に教団から根本聖典が無くなるなんて思えないので、何かのメッセージか、摂理の手の内だと思います。

2672ユタカ:2013/08/21(水) 23:11:50 ID:R1D4Jmeg
>>さて、谷口雅宣総裁は、私たち小僧の立てた指を切る役目をして下さっているように思えます。

 ただ指を切る役目だけで、指を切っても立つ生命を示し教えてはくださらないのです。

 だから多くの信徒が迷うほかない状態に追い込まれているのです。


@ 谷口雅春先生の時代に「生命の實相」の本や講義の講習会や神癒祈願、練成道あ場まで作ってもらってとても優しい修行をさせてもらっていました。それで教区に帰ってからは伝道やら自宅誌友会。ですが、実態は数だけの表面運動ではなかったですか?ユタカには相見えました。

水泳で例えるなら、、信徒は谷口雅春先生によってクロールも平泳ぎも背泳ぎもバタフライも教えてもらっていました。
ですが、信徒はもう泳げるのに、なぜかプールサイドでウロウロして飛び込もうとしません。

そこで、雅宣先生が、本当はもう泳げるのだよ!!とドン!と背中をおしてドボンと突き落としてあげている様子が頭に浮かびました。
第1コース 学ぶ会はスイスイ泳いでいます。 第2コース ゆっくりながら順調に泳いでいるときみつる会・・・ っていう感じがします。


 >>そのうち生長の家教団は潰れて地上から一時的に姿を消すことがあるかも知れないと思います。

@長い地球上の歴史から考えても生長の家が無い時代の方が長かったのでは? それに、卆寿のお祝いで雅春先生はもっと大きな会場で2度3度お目にかかりましょうと仰ってくださいました。
そのとき、自分に恥じないよう、雅春先生に喜んでもらえるように今をどのように生きるか?? と思いました。
私は、以前復興Gさまが
萬教帰一を言う生長の家が分裂しているのではお話にならない、とのお言葉に深く反省をした次第です。。。

 >>それでも、『生命の實相』 の本、そこに書かれた永遠の真理の言葉が地上から消えることはないでしょう。

@光明思想社様から出ていますし・・・ 大丈夫だと思います。 すべては神様の意思であると信じて悪くなるはずが無いと思える今日この頃になりました。

WEB誌友会のお陰です。ありがとうございます。


トキ様

世界平和のお祈りをされていたのですか! そこまで残ったことないので知りませんでした・・・有難うございました。

あさひさま

ページ数を書いてあるので自分で回答がでる問題だから自分で読みましょう。。

2673ユタカ:2013/08/21(水) 23:14:22 ID:R1D4Jmeg
古いPCで書いたのでカーソルが飛んでしまい、途中で余計な字があったり、脱字をお詫びします。

2674ユタカ:2013/08/21(水) 23:25:37 ID:R1D4Jmeg
水泳の話はちょっとヘンだったかも・・・すみません。。。

その下に書いた文章と矛盾している感じがするからです。 ですが、思ったまま書いたのであります。

2675神の子さん:2013/08/22(木) 04:44:46 ID:kzsrkxKM
>>2666

>>さて、谷口雅宣総裁は、私たち小僧の立てた指を切る役目をして下さっているように思えます。

ただ指を切る役目だけで、指を切っても立つ生命を示し教えてはくださらないのです。

だから多くの信徒が迷うほかない状態に追い込まれているのです。>>

だからこそ、学ぶ会やときみつる会の受け皿があるのだと思います。
指を切っても立つ方法を教えてくださらない教団と総裁ならば、私は行動を起こしたい。
切られた現象の指を手当てしながら、実相は完全円満だと想うのみでなく、
生命の實相によって、悦びの渦が巻き起こるための、行動という偉大な愛行を、身をもって実践したい。
それでこそ、生かされている神の子だと思う。

教団や総裁に、信徒の人生の責任を負う必要はないのだから。
信徒の人生の責任は、その人自身であるのだから。

2676復興G:2013/08/22(木) 09:48:48 ID:AB6RqYXc

>>2675 :神の子さん

あなたのおっしゃるような意味で、学ぶ会やときみつる会の受け皿ができたのは、必然性があるとも思われます。

しかし、真理は一つ、神界の生長の家本部は一つであり、それが正しく地上に顕現すれば、地上の神の国建設運動も中心は一つでなければならないと私は考えます。

したがって、私は学ぶ会やときみつる会に入ろうとは思いません。

教団の組織に所属したままで自分の信ずるところを発言し行動します。

その結果どうなるかは、神のみぞ知り給うところでしょう。

2677神の子さん:2013/08/22(木) 12:43:20 ID:ZTt15T/6
>>2676

私は、決して復興G様に学ぶ会やときみつる会勧誘のために、発言したわけではありませんので、誤解なきようお願いします。
復興G様が教団一筋なのは、大変良く良く存じあげております。
復興G様の考えを変えようと、発言したわけではございません。
そのような考えは、ございません。

私は、教団の信徒の方が生命の實相を大切にされる活動も、学ぶ会における活動も、ときみつる会もどれも否定しません。

ただ復興G様、あなた様の発言に、不特定多数の閲覧者の方が誤解を受けてはなりませんので、一言申し上げます。

地上の神の国建設運動を行っているのは、教団にいらっしゃる、生命の實相を大切に思われる信徒のみではございません。
学ぶ会やときみつる会、新教連なども素晴らしい神の国建設運動を行われているのではありませんか?
現象としては、別れて見えるかもしれませんが、魂意気は同じではございませんか。

将来的には、先のことはわかりませんから、教団や学ぶ会やときみつる会がひとつになる時代が、100年先200年先来るやも知れません。
そのときに、神様は「お前は教団にずっと席を置かずに、学ぶ会にいたから駄目だ」と仰るでしょうか。
住吉大神様は、そんな狭い神様なのでしょうか。

2678復興G:2013/08/22(木) 14:15:27 ID:AB6RqYXc

>>2677 :神の子さん様

ありがとうございます。

私は一貫して、学ぶ会やときみつる会を否定したことはありません。

その存在意義を認め、学ばせていただいてもいます。

ただ、学ぶ会の方たちの中には、教団組織に所属している者に対して、そこに居続けているだけで罪作りに荷担していることになるのだと責めたり、愚か者呼ばわりする方がいらっしゃるようで、それはいけないと思います。

どこにいようとも、真剣に道を求め、懸命の努力をしている者同士、皆神の子として、お互いに尊敬し合い、よりいっそう無我になって神を現わす生き方、運動をしてまいりましょう。

2679ユタカ:2013/08/22(木) 23:25:34 ID:R1D4Jmeg
復興G様

復興G様はよく無我ろいう言葉をお使いになられますが、無我というのはどのようなものでしょう。

前に仰っていました、無我になって歌うとは?どういう状態なのでしょうか?

また、日常生活において無我とは? 自分以外の人の意見に合わせるということでしょうか?

どこからが自我でどこからが無我という区別はどのように判断したらよいのでしょうか?

無我って難しいですね??

2680ユタカ:2013/08/22(木) 23:32:46 ID:/B6zFSOc
明日から12月までユタカは勉強をしに学校へいきますので、夜に出てきます。

また、その勉強をしないといけませんので、こちらに来る回数が減ると思います。合格しないといけないので。。。

進行はa hopeさまよろしくお願いいたします。 志恩さんもヘルプをお願いします。

2681a hope:2013/08/22(木) 23:40:53 ID:SxnB56Eo

みなさまのご投稿を拝見させていただき、とてもお勉強させていただいています。
特に>>2665復興Gさまのお言葉

<<『生命の實相』 の本に頼っているばかりでもいけない。『生命の實相』 に書いてある言葉を、悟っていないのに悟ったような顔をして真似して言っているだけでは、倶胝竪指の、小僧が立てた指みたいなことになってしまう。
『生命の實相』 の本がなくなっても立つ 「生命」 の実相を悟れ、と私たちには今、天の声が天降っているのでしょうか。 >>

には、ユタカさま同様、とても考えさせられました。

今、わたしたち信徒にとって大切なことは、物質である「生命の實相」という聖典の著作権を守ることなのではなくて、
「生命」の実相を悟るためにお勉強したり、正しく伝道することのできる環境を守ることなのではないかと思いました。


ですから、>>2666で復興Gさまが

<<そのうち生長の家教団は潰れて地上から一時的に姿を消すことがあるかも知れないと思います。>>

とご発言されているのには正直驚きました。

わたしは、「学ぶ会」さまや「ときみつる會」さまも「聖典」を守ってくださったり、「雅春先生の教え」を守って下さったりと、大変ご活躍してくださっていて心から感謝しています。

ですが現在教団には、その二つの団体よりも遥かに多くの教化部や練成道場があり、そして信徒の数もまだまだずっと多いです。

ですから、教団の教えが本来の「生命の実相」に戻ってくださえすれば、即座に大規模な人類光明化が可能となり、
本来の「生長の家」の使命をはたしていけると思うのです。

復興Gさまがおっしゃるように、<<生長の家教団は潰れて地上から一時的に姿を消す>>ことになるのか、
それとも、<<本来の人類光明化運動に戻り、「生長の家」のまことの使命をはたして行く>>ことになるのか、
それは、すべて雅宣先生のご決断一つにゆだねられている状態なのだと思います。

わたしは雅宣先生は、今こそ神意に導かれたご決断をされるべきだと感じています。
それには、ご兄弟に相談されるのが一番良いのではないかと思います。
なぜなら、ご兄弟は雅宣先生をまことに愛していらっしゃると思うからです。
そして、雅宣先生だってご兄弟をとても愛していらっしゃるのでしょう?

本当は、わたしたち信徒すべてが「生長の家」の家族なのですよ。

雅宣先生、わたしたち家族を守るためどうか勇気あるご決断をなさってください。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

合掌。

2682志恩:2013/08/23(金) 06:55:08 ID:.QY5jUA6
ユタカさん

あしたから12月まで、学校へいらっちゃるそうで、4か月ちょっと、通学されるのですね。
勉強、がんばってね。

ユタカさんが、掲示板に出て下さっていたので、
最近、復興Gさまも、ahopeさんもいらして下さってました。

夜、ちょこっとだけでもいいですから、お顔、出して下さると、うれしいです。

2683復興G:2013/08/23(金) 09:38:25 ID:AB6RqYXc

>>2679 :ユタカさま

>>無我というのはどのようなものでしょう。
前に仰っていました、無我になって歌うとは? どういう状態なのでしょうか?
また、日常生活において無我とは? 自分以外の人の意見に合わせるということでしょうか?
どこからが自我でどこからが無我という区別はどのように判断したらよいのでしょうか?<<

 いつも、素直なよい質問をぶつけて下さって、ありがとうございます。
 そのように素直なのが無我だと思います。

 私の経験では、ある日フト、「あ、“自分が自分を守らなければならない” と掴んでいた “自分” というものは本来なかったんだ!」 と気がついた。――というような体験があるのですが、これは、説明は難しいですが……

 「 “自分” というものは本来なかったんだ! “空っぽ” だったんだ!」

と 気がついた。そしたら、 「本来の “空っぽ” に還ったら、自由自在だ!」 と思えた。そして、

 「自分の中にすべてがあり、すべての中に自分がある。みんな自分だ、すべては自分だ! だから、見栄や体裁を繕う必要はなく、そのままの自分を出していけばいいんだ、なんと楽でありがたくうれしいことか!」

 と思えたんです。

>> 無我になって歌うとは? どういう状態なのでしょうか?<<

 これは、僕は今もコーラスをやっていますが、我の力で発声練習をしてパート練習をして良い声で音程を正確に歌おうなんて自力でやってたら音楽は 「音が苦」 になってしまう。

 そうではなく、まず全体の和音の中に自分の声が消え入ってハモるときの何とも言えない快さをしっかり味わいながら “無我になって” ――我れを忘れて歌うと、「音が楽しい」 本来の 「音楽」 になって、声は自然に出てくるんですよ。

>> また、日常生活において無我とは? 自分以外の人の意見に合わせるということでしょうか?<<

 孔子は、

 「小人は同じて和せず。君子は和して同ぜず」 (論語)

と言っています。人の意見をよく聴くことは大切でしょうが、自分の意見を殺していつも他人の意見を入れるということではなく、自分の良心から出た想い、意見を素直に表明して、時には意見を戦わすことも 「無我」 だと思いますよ。

>>どこからが自我でどこからが無我という区別はどのように判断したらよいのでしょうか?<<

榎本恵吾先生の 『研修のヒント』 というのに、こんな話があります。
<つづく>

2684復興G:2013/08/23(金) 10:27:25 ID:AB6RqYXc

>>2683 のつづきです。

榎本恵吾先生の 『研修のヒント』 というのに、こんな話があります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 あるとき、研修生の一人がたずねたことがあります。

「人間智慧ではなく神の智慧でなければ、と言われるんですが、私には、どれが人間智慧でどれが神の智慧なのかわからないんです!」

 と眼に涙をにじませて言うのでした。これば実に素直に自分の心を表現しています。その人はおそらく、このように質問することそのことが神の智慧か、人間の智慧かと考えたかもしれませんが、このような質問は実に素直で美しいのであります。このような言葉には、神だとか人間だとかということを忘れさせてしまうものがあります。素直さが出れば、それが文句なしにこちらに喜ばしいものを感じさせてくれるのであります。

 その質問に感動した講師は次のように話したといいます。

 「あなたねえ、本当の神の智慧というものは、人間の知恵が出て来たからといって、無くなってしまうものではありませんよ。人間の知恵に邪魔をされて輝きがにぶるというのは、実はそれは本当は神の智慧ではなかったのです。
 人間が心してやらなければ出来ないようなものは、神のものではありません。神の智慧は、人間がどうあろうとも、それによってくもるものでも、無くなるものでもないのです。そしてすべてを満たし、生かし、遍満しているものです。われわれが、それがあるとかないとかを心配する必要は全然ないのです。
 ただただ “わが生くるはわが力ならず” というコトバを喜んでとなえていればよいのですよ」

 というと、その研修生は
「それで安心しました。楽になりました。」
 といって、なんとも言えない表情で講師にほほえんだのでした。
 「そら、そんな喜びの表情が素直に出ているのは、もう神さまなんですよ」
 と講師は言ったのでした。

 またあるとき講話中に、聴いていた練成員がつかつかと演壇のところに近づいて来たかと思うと、講師の前にあるマイクを手でつかんで、それを前後にゆさぶりながら泣き声ともつかぬ切なる声で

 「先生! そこがわからない! どうしたら解るんですかッ。三十年もやっているんです。どうしたら……」

 といって片手のにぎりこぶしで演壇をたたいておいおいと泣かれるのでした。これはもう、自分の中にある神性なる太陽の輝きが、表面の心の雲をつき破って全地上を照らすときの様相であります。その姿には講師も聴衆も感動したのであります。

 「素直」 のあるところ、必ず美しいものがそこにあり、そこには感動が生れるのであります。感動した講師はいいました。

「あなた、“神の子がわからない” と言われますが、いったいそんな立派な大きなお声はどこから出て来るのですか。あなたの心臓を動かし、体を生かし、そして声を出さしめているのが神なのですねェ。私から観たら神のいのちが、神が、『解らない!』 といっていられるんですよ。神も、神の子も、ひとごとではないんですよ。あなたが神であり、神の子なんですよ。私から見たら、『解らない!』 といって神のいのちが輝いていらっしゃるんですよ。ありがとうございます。」

 こう、その講師から言葉が出て来たことに、講師自身が感動したのでした。これがまた感動を呼んだのであります。そしてその人の声は、喜びの声にかわったのでありました。
<つづく>

2685復興G:2013/08/23(金) 10:28:10 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 自分を喜び拝むためには、現象の自分を見ていては拝めません。現象というのは、心と、心の現われとしてのすべてです。この現象は、生長の家では 「無い」 と言うのです。

 現象はたえず変化しているのです。心の状態はたえず変化し、一秒間に三千回も変化すると言った人もおります。それが正常な心だと言われております。

 ただし、それはたとえば雲のようなものです。雲はいくら曇っていても、青空はよごれないのです。今日どんなに曇っていても、明日晴れたら、今日の雲のしみは青空に残らないのです。心と心の現われなる現象は雲のようなものです。変化しない實相は、青空のようなものです。

 一秒間に三千回も変化するのが正常なる心であり、正常なる心の雲であり、正常なる現象です。ただし、それは現象であって、いくらあるように見えていても無いのであります。自分を拝むというのは、雲を飛び越えて青空なる自分をたたえることなのです。

 青空は、雲がなくなってからあるのではありません。雲があろうがなかろうが、全宇宙が青空であります。このように、心の変化がおさまっていいことが出来てから、自分を拝むのではないのです。

 心のきれいな人ほど、反省して心をきれいにしてから自分を拝もうとされるのですが、それは、タバコの煙を、火のついたタバコをもった手で消そうとするようなもので、人類は何千年間もそれをやって来たのですが、これをやればやるほど迷いが深まって行くという結果になったのです。

 また心のきれいな人ほど 「私は我がつよいですから、宗教で反省して、この自我をたたき壊してから自分を拝もう」 とされるのですが、これは宗教ではありません。

 宗教は神の完全と人のいのちの完全とを拝むのですから、「神は完全だから、自我というような不完全なものはつくっていられない」 と、自我という雲を放っておいて、青空である、太陽である自分をたたえるのが宗教です。

 本当の宗教は、反省によって心を浄めて行くのではないのです。それではいつまでたっても新しい反省の材料が入って来ますから、浄まり切るということは出来ないのです。

 つまり、我をなくしてから自分を拝むのではなく、我はあろうがなかろうがそんなものは放っておいて、神そのものなる、完全なる自分を讃えるのであります。

 電気をつけると暗はそのあとで消えるのであって、反省して心の暗をみがいて明るくしてから電気をつけるのではないのです。
 自分を祝福するという光明の電燈がつくことによつて、あとで自我という暗は消えると思ってもいいのであります。

 要するに、「ハイ」 と素直に、神のつくられた完全なる自分を受けるのです。感謝をして、神想観をして、本を読んで、愛行をして、生長の家になり切ってから自分を拝み、喜ぶのではないのです。それらの何ものがなくとも、このまま 「神は完全」 「自分は完全」 と拝むのであります。これが生長の家であります。
 (以上、榎本恵吾先生 『研修のヒント』 より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――結局、「我(が)」 というのは、「ない」 ものなのですね。「我」 というものは 「ない」 のですから、「どこからが自我でどこからが無我」 という区別も 「ない」 のですね。

2686復興G:2013/08/23(金) 11:09:20 ID:AB6RqYXc

 結局、感謝とよろこびのあるところに 「我(が)」 はない、我は消えている。

2688トキ:2013/08/23(金) 18:58:42 ID:2xWswl1k
>>2680

 勉強、頑張って下さり。合格をお祈りしています。

2689a hope:2013/08/23(金) 20:25:52 ID:kcv2QXTk

>>2680ユタカさま

<<明日から12月までユタカは勉強をしに学校へいきますので、夜に出てきます。
また、その勉強をしないといけませんので、こちらに来る回数が減ると思います。合格しないといけないので。。。>>

ユタカさま、そうなのですか。
何かの試験なのか興味津々のa hopeですが、ユタカさまの合格を心からお祈りさせていただきますね!

わたしも、数年前にある資格試験に合格しました。
その資格は今回の就職に役立ちましたが、お勉強することで得た知識も今の仕事に活きていると感じています。


<<進行はa hopeさまよろしくお願いいたします。 志恩さんもヘルプをお願いします。 >>

わたしも、日中は仕事をしていますし、家事、育児等などもありますから、
今までどおり、自分のペースで書き込みを続けさせていただきます。
その時出来ることをさせていただきますが、
このweb誌友会はお勉強したい人がみなで協力しながら進行していけばいいのではないかと感じています。



というわけで、わたしもさっそく問題作りに挑戦してみました!

第2章 
問2 P27〜
薬剤をやめた方が「生命の実相」を悟りやすいのはなぜか?

問3 P27〜
病人に「薬剤無用論」を説くときの注意点はなにか?

問3 P40
医師のまことの役割とはなにか?

問4 P40〜
「逆念の想念」とはどのようなものか、医師の治療を例にあげて説明せよ?


以上

問題作りってすごく勉強になりますね。
また、自分なりに回答を出してみますと「生長の家の教え」を人に伝道するときのマニュアルになりそうです。
あらためまして、ユタカさまの素晴らしいアイデアに感謝しています。

2690ユタカ:2013/08/23(金) 22:45:31 ID:R1D4Jmeg
皆様、素晴らしい光輝く、嬉しいお言葉をありがとうございます。

活気があってちょっと見ないとどんどん上に上がってしまいます。ですが、明日は上の方からじっくり読ませてお勉強させて頂きます。
ありがとうございます。

復興G様のお言葉に沢山の方が救われているように思えてなりません。ありがとうございます。

2691ユタカ:2013/08/27(火) 10:20:32 ID:R1D4Jmeg
>要するに、「ハイ」 と素直に、神のつくられた完全なる自分を受けるのです。感謝をして、神想観をして、本を読んで、愛行をして、生長の家になり切ってから自分を拝み、喜ぶのではないのです。それらの何ものがなくとも、このまま 「神は完全」 「自分は完全」 と拝むのであります。これが生長の家であります。
 (以上、榎本恵吾先生 『研修のヒント』 より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――結局、「我(が)」 というのは、「ない」 ものなのですね。「我」 というものは 「ない」 のですから、「どこからが自我でどこからが無我」 という区別も 「ない」 のですね。


復興Gさま、
復興Gさまに質問いたしますと、正確で分かりやすい回答をいただけます。
最後の「我」がないと言うお話を読んで笑って脱力いたしました。 ですが、私は訓練しないと、「我」が付きまとっているような気がします。

それなので「神想観」をして本当の自分を観じていきたいと想います。 唯今、勉強が難しくて行き詰ってしまい、復興Gさまのを読み返して、息を吹き返し安堵いたして、無我とは「自分の力で生きていない、生かされている」と実感したところです。
ありがとうございます。

a hopeさま

8月21日の謹写文に力を頂きました、ありがとうございます。生命の実相の問題も有難うございます。
問題を作るとなると、自分が集中して一生懸命読むので、勉強になりますね。

復興G様の上記の無我のお答えは本当に素晴らしいですね、「お見事!」って拍手しました!! きっと、ここを見ている読者さんも喜んでおられるでしょうね!
ありがとうございます。

2692ユタカ:2013/08/27(火) 10:26:48 ID:R1D4Jmeg
トキさま

応援を有難うございます、 勉強が難しくて、頭に入っていかなくて、後悔して落ち込んで、此処を見てまた立ち直ったりして、信仰の浅さを実感して反省もできました。頑張らないと!!

有難うございます。

トキさん、無我て素敵ですね〜〜!! 『我』って『無い!』のですって!!
なにか、すごく嬉しいです〜〜。
このままで良いって有難いですね。 心が跳ねていますよ〜。

有難うございました。 勉強してきます。。

2693a hope:2013/08/28(水) 10:55:10 ID:dyDQLtZQ

ユタカさま 

わたしも、コーラスをしていた経験があるので、復興Gさまの

<<“無我になって” ――我れを忘れて歌うと、「音が楽しい」 本来の 「音楽」 になって、声は自然に出てくるんですよ。>>

というご指導には実感があります。

そして、

<<感謝とよろこびのあるところに 「我(が)」 はない、我は消えている。 >>

のですよね!!

ご謹写くださった、恵吾先生の御文章も素晴らしく感動しています。
復興Gさまの、素晴らしいご指導には、いつも感謝の気持ちいっぱいです。


また、部室板 >>1321に恵美子先生作詞の「地球の人よ」をご紹介くださりありがとうございます。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1356688903/1321

人類が「神の御心」を生き、「神の子」同志と知るとき、愛の心は国境を越え通じあうと歌われていますね。

わたしは「無我」の状態からでた行動には、必ず「相手への愛」がともなっているのではないかと思いました。

神は愛である!
無我とは「愛」である!!

今朝の神想観のときに、そんなことを考えていました。

2694a hope:2013/08/29(木) 10:00:24 ID:dyDQLtZQ

「生命の實相」第4巻第3章より

問1 P47
生命の自由自在な力を発揮するために悟るべきただ一つのこととは何か?

問2 P50
祖先の霊魂の念波が子孫の運命に影響を及ぼす原因は二つあるが、その二つの原理を説明せよ。

問3 P55
「本当に愛する」とはどういうことか?

問4 P57
「念」と「業」の関係を説明せよ。

問5 P58〜
「生長の家」の因縁の超越方法とはどういうものか?

問6 P62
釈迦の「知らずに犯す罪は、知って犯す罪より重い」という言葉の意味を説明せよ。

問7 P62
「人類暗黒化運動」とはどのようなことか?

以上

答えはすべて、テキスト「生命の實相」の中にあります。
是非、「生長の家」総裁谷口雅宣先生、「白鳩会総裁」谷口純子先生、そして本流の先輩方にもご回答をいただきたいです。
わたしは、聖典をお勉強すればするほど、今の「生長の家」の現状が納得いかなくなります。


「恵味な日々」に純子先生が7月16日17日に行われた、生長の家国際教修会でお話された内容(「生長の家」が森に行く理由)をご発表されています。

<<「生長の家」の運動が今、なぜ都会を離れ、〝森の中〟へ行かなければならないのか。生長の家の国際本部が、なぜ都会にあってはならず、自然の中へ移転しなければならないかという理由を五つ挙げ、皆さんのこれからの運動や生活の参考に提供したいと思うのです。

その理由とは、次の五つです――

① 都会では自然がわからない

② 都会では人間中心主義から脱け出すのがむずかしい

③ 都会では、浪費と消費過多をやめられない。よって地球環境問題は解決しない。

④ 都会での生活は宗教の目的と矛盾する

⑤ 都会では新しい生き方は生まれない>>

http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/

と、箇条書きされそのあとその具体的な理由をとても丁寧にお話されています。
雅宣先生の御文章よりもずっと一般的でわかりやすいです。

ですが、純子先生、それって本当に「生長の家の教え」なのですか?

2695トキ:2013/08/29(木) 18:25:57 ID:i0wguQyw
>>2692

 いえいえ、もったいないお言葉、ありがとうございます。

2696復興G:2013/08/29(木) 22:39:53 ID:AB6RqYXc

>>2694 :a hope さま

① 都会では自然がわからない
② 都会では人間中心主義から脱け出すのがむずかしい
③ 都会では、浪費と消費過多をやめられない。よって地球環境問題は解決しない。
④ 都会での生活は宗教の目的と矛盾する
⑤ 都会では新しい生き方は生まれない
純子先生、それって本当に 「生長の家の教え」 なのですか? >>

――断じて、違います! 

ですね。「生長の家の教え」 は、断じてそんな教えではありません。

 生命は、物質的環境に支配されるものではない。

 それは第16回web誌友会テキストの範囲でも、

 <<自由自在の霊性こそ人間自身の本来の面目であります。>>(「生命篇」巻頭の扉)

 <<こういうしだいですから「生命」の本来相を自覚しないで、ただなんでも薬をやめさえしたならば病気が治るなどと考えて、薬をやめるなどは実に迂闊千万(うかつせんばん)な話でありまして、それでは薬というものを今まで自分の生命を縛っていた縄のように思うこととなり、薬をやめることをその縄から解放されるように思うようでは物質というものに「生命」を縛る力があるということを肯定し、「生命」は物質に縛られるものであることを肯定していることになり、そのような「生命」に対するアヤフヤな信念では、薬をやめたとて断じて効果があるものではないので、その人は心の奥底では、物質の「生命」を縛る力を認めているのですから、それは「生命無力」の自覚が形を変えて現われているにすぎません。>>(p.26後半)

とあり(「薬」=外のもの、「外的環境」も同じ)、いたるところで常にそれを説かれてきたのが生長の家の教えです。

2697復興G:2013/08/29(木) 22:47:51 ID:AB6RqYXc

「来たって来たる所なく、去って去る所なし」

時空超脱の自由自在な霊性が人間生命の本質であり、人間本来の面目です。それが 「神の子」 ということです。

2698復興G:2013/08/30(金) 07:53:17 ID:AB6RqYXc

 上記は、「森へ行くのは間違いだ」 と言っているわけではありません。神の子は、何処へ行くのも自由ですから、もちろん森へ行くのも自由で、行ってもかまいません。しかし、「森へ行かなければならない」 として5つの理由を挙げられたのは、生長の家の教えとは全然違う、ということを申し上げました。

 宗教家は、イエスが 「真理は汝を自由ならしめん」 と言ったその真理、教えを説いて人々に真の自由の自覚を与え、魂を救済することが第一でしょう。その第一のものをくらませてしまっているのでは、宗教としての役割、使命をないがしろにしていることになると、私は思います。

2699a hope:2013/08/30(金) 11:35:54 ID:dyDQLtZQ

>>2696 >>2697 >>2698 復興Gさま

ご指導をありがとうございます。

やっぱり、どう考えても、違いますよね。

<<――断じて、違います! 
ですね。「生長の家の教え」 は、断じてそんな教えではありません。
  生命は、物質的環境に支配されるものではない。>>

という、力強いお言葉に心より感謝いたします。合掌。

雅宣先生も、純子先生も「自然」というものを「物質の自然」としてとらえていらっしゃる。
そこからすべておかしくなってきてしまっているような気がしています。

「人間は自然の一部である」という雅宣先生のお言葉ですが、現象(物質)をみれば確かにそうなのだと思います。
ですが、「生長の家の教え」は「物質なし」「現象なし」なのではないのですか?

それなのに、お二人はこれから、太陽光パネル、電気自動車、森のオフィス、森での生活・・・
すべて物質にたよった生活をされていかれようとしているのですよ!!!
おかしくないですか?


「生命の實相」第4巻 P62 1行目〜

『考えてみますに、「罪」とは実相を「包み」隠すということでありますから、世の中に何が「罪」であるかといっても
「物質」にたよることを教えて、「実相」たる生命の威力を発揮せしめないことほどの「罪」はないのであります。
しかも、それは深切のつもりで罪を犯すのですから、なかなかとめ度がないのであります。
釈迦が知らずに犯す罪は、知って犯す罪より重いといったのはこの意味でありまして、「生長の家」でも、愛は尊いことだけれども、
知恵のともなわない愛は本当の愛ではないと教えられているのであります。
結核予防宣伝にしても、社会改造運動にしても善だとか、人類愛だとかいって、ひとかどその看板は立派なように見えましても、
人間は、その神の子たる実相を見失わしめ、結局物質にたよる心のみを増進せしめるような運動は、
すべてわれわれ「生長の家」から見れば、人類光明化運動ではなく、人類暗黒化運動なのです。
げんに以上の例でも人間を暗黒化しています。(注・60〜61参照)』


「生長の家」総裁、雅宣先生、「白鳩会」総裁、純子先生、お二人が自信をもってされようとしている運動は、
この「人類暗黒化運動」なのではないのでしょうか?


わたしは、聖典の言葉を利用して人を批判するのは良くないことだと充分理解しています。
ですが、「生長の家」の総裁、「白鳩会」総裁であるお二人関しては、例外なのではないかと感じ始めています。
なぜなら、「生長の家の教え」の法燈継承者として、わたしのような信徒の「教え」に関する率直な質問にはすべてお答えしていただく義務があると思うからです。

今までずっと、お二人は本流の先輩方のご批判やわたしのような信徒の率直な疑問を無視され続けてきました。

そして、独断で、ここまで「教え」を捻じ曲げられてしまっては、「もう庇いようがない」というのがわたしの正直な感想です。
おそらく、まことの「生長の家の教え」を理解されている信徒の方でしたら、みな同じ感想を持たれているのではないでしょうか?
だから、退会者が続出しているのだと思います。

2700トキ:2013/08/30(金) 11:46:08 ID:.RNTMl.2
 私の友人は、都会生まれの都会育ちでしたが、定年の後、田舎暮らしに憧れて、山の中の家を買い、晴耕雨読の生活をしています。
その友人には、普及誌を送っていますが、それを読んだ友人は、「実際に住むと、都会では想像していたのと違う世界が展開している」
と話していました。

 まず、冬季になると極端に寒くなるので、暖房対策は必須です。これを間違うと死ぬ事もあるようです。当然、使用するエネルギー
も増えます。プラス、水の問題は重要です。排水の処理も重大で、下水がないぶん、かなり処理が問題になるみたいです。

 人間関係も複雑で、地元には地元の慣習があるので、余所者である都会からの転入者は困る事があるみたいです。具体的なケースは
書きませんが、その友人も地元の人とトラブルになり、弁護士と相談する羽目になったといいます。余談ですが、沖縄県に移転を希望
する本土の人が増えていますが、そういう人達が地元でトラブルを起こしているとも読んだ事があります。少し前に山口県で大量殺人
があった事件も都会から戻った犯人の人間関係のトラブルだと聞きます。

 次ぎに、田舎暮らしを始めたらからと言って、別に質素な生活になる訳ではないみたいです。週に何回かスーパーに行くし、ライフスタイル
は変化はないみたいです。むしろ、田舎では自動車は必需品なので、どこにいくのも自動車に頼る事になります。都会で過ごしている人
がある程度の年齢になると免許を返上して公共交通機関を利用するのと対照的です。

 田舎では自然がわかる、といのはその通りです。でも、すぐに飽きると友人はぼやいていました。

 都会では新しい生活は生まれない、というのは逆で、田舎では毎日、家族以外に接する事があまりないので、生活のパターンが固定化
するみたいです。

 都会での生活が宗教の生活と矛盾する、というのは意味が不明ですが、田舎でも都会でもすばらしい信仰者は多数います。インドの
マザーテレサはスラム街の中に住んでいましたが、尊敬を集めた信仰者でした。

 そういう話を聞くと、実際には森の中の生活だけがすばらしい、というのは少し誇張があるみたいです。どこに住んでも、ベストを
尽くす、という姿勢が大事なような気がします。

2701曳馬野:2013/08/30(金) 16:08:55 ID:TZ2/719s
http://www.youtube.com/watch?v=FQ-moleGtLc&amp;list=PL77218CD291B782BF

土井裕子 「美しき天然」なんと美しい詩でしょう。

私は雅宣先生の心はこの歌の世界におられると思うものです。個人の幸せはもとより大切でありましょうが、それは数多の雅春先生、清超先生のご著書により各自で求めていただければ良いことです。

私は思います、本流と云われる50,60年代の生長の家を指導された方々が、初期の雅春先生と同じように、10人の人々が集まれば喜んで自宅でで誌友会を開き、集まれる人々の悩みを取り除いたでしょうか?先生のお宅の誌友会での遣り取りが次号の生長の家誌になったのでしょう。あの教化部長の話をぜひ聞きたい、あの本部講師の話をぜひ聞きたいと、誌友に求められる存在でありましたでしょうか?戦前の当市での雅春先生の講習会は夜だけの三日間だと聞いています。戦前の交通事情悪しきなか呼ばれるままに講演旅行に出られ、次号の生長の家誌の原稿を旅先から印刷所に送られる、そんな生活にして初めて聖霊篇 燃えさかる聖霊の火は出来たのです。

私たちが生長の家の教えを正しく継承しているというのならば、地方講師時代の藤原先生のように、末井先生のように、お名前は失念しましたが愛媛の講師会長をした方のように全身全霊の伝道を、愛行をしたらよいのではないですか。空前の信濃練成会を雅春先生はいかばかり喜ばれたことでしょう。

しかし私はこのような活動が過って為されたにもかかわらず、残ったものは頭でっかちな人たち、家庭が善くなったことに満足したエゴイストが大多数ではないかと思うのです。栄える会の会則がどうタラの意見がありましたが、朝3時から神想観し神の英知に導かれヤオハンを運営しているから栄えていると云われ、栄える会会頭をした和田さんは今どうしているのでしょうか。

真理により家計が善くなったのでしょうが、それは自然をエゴが食いつぶしたに過ぎないのではないか。昔は冷蔵庫がない代わりに保存食品の技が発達した。今は漬物一つ付けられない女人が多くなりました。微生物の働きにより多くのアミノ酸が含まれる漬物を食べていればアトピーなどには罹らないのではないか。炭を粉にして食べれば必ずアトピーは治るという人もいます。雅宣先生が原発はいけないというのに、冷蔵庫の消費する電気は如何ほどになるのであろうか。沸かし直す方式のポットだけで原発一基に相当するという元原発従業員もいます。総じて手間暇かけず、利便を求めるところに電気を利用し、足らない電気を原発に頼る。そして原発事故に成れば、大騒ぎで税金の徴収を始める。

2702曳馬野:2013/08/30(金) 16:10:17 ID:TZ2/719s
つづき

私は今年まだ一度も茶の間のエアコンをかけていません。皆さんはエアコンを利用していませんか。暑さ寒さと云う環境を飴のように捻じ曲げて、生きていますか。

>>――断じて、違います! 
ですね。「生長の家の教え」 は、断じてそんな教えではありません。
  生命は、物質的環境に支配されるものではない。

と云うことが観念でないのならば、エアコン、扇風機いりませんよね。
原発賛成の本流派の皆さんには福島に往って復興に協力していただきたいものです。放射能なんて外の物質には支配されないのですから。

http://www.miyashitashoji.com/cat1/  宮下正次さんのぶろぐ
現代の「はなさかじいさん」
彼は云います。大気汚染による酸性雨により森林の根元の微生物が減り、土中のアミノ酸が減ることにより、人間の白血球にもあたる木々の樹液製造能力が減ることにより、松くい虫等害虫の繁殖を抑えられなて、気の立ち枯れが60年代中ごろから始まったと。
そして木々の立ち枯れを救うために炭の粉を森林にまいて80パーセント枯れている木さえも回復させたのです。

その当時から高度成長の象徴のように自動車産業の進捗があり、昭和45年ごろには大気汚染防止法、水質汚濁防止法の制定がなされました。みんなが車を持つことが豊かさの象徴のように車に乗りました。その結果温暖化の問題を引き起こしたとして、人間の都合の観点から、温暖化対策はなされたのですが、大気汚染による自然への影響は顧みられませんでした。

彼れば彼は営林署の職員として森林の立ち枯れが気になったのです。その原因を探るうちに酸性雨による微生物の減少による土壌のアミノ酸減少が原因であると結論付けたのです。そして今森林に炭のアミノ酸の補給をすることに全力を奉げているのです。

日本人の現在の栄耀栄華は自然の命と引き換えであったのです。そして自動車業界は、国内での生産では勘定に合わないとばかりに、中国での生産にヨウロッバも日本も血道をあげています。その結果中国からpm25とかいう大気汚染が日本に来襲しています。大気汚染のし放題の国で物を作り自然を害しての人間の栄華であることを忘れていませんか。

2703曳馬野:2013/08/30(金) 16:12:09 ID:TZ2/719s
つづき

日本人は自然と共に生きてきました。その結果の美しき日本だったのです。

>>雅宣先生も、純子先生も「自然」というものを「物質の自然」としてとらえていらっしゃる。

物質なしと云いながら、何故物質の自然と「物質」と云う言葉がつくのですか、両先生は「物質なし」であればこそ宇宙と一体の命に溶け込んでいればこその、自然が傷つけられることの痛みをわがこととして感じるからこその自然回帰であると思います。

本流回帰の皆さんが神に実相を悟られたというのであれば、その心に自然の悲しみの声は何と聞こえているのでしょうか。

2704曳馬野:2013/08/30(金) 16:20:27 ID:TZ2/719s
>>2702

繁殖を抑えられなて、気の立ち枯れ を

繁殖を抑えられなくて、木の立ち枯れ に訂正

2705曳馬野:2013/08/30(金) 16:23:40 ID:TZ2/719s
>>2703

本流回帰の皆さんが神に実相を悟られたと を

本流回帰の皆さんが真に実相を悟られたと に訂正

2706名無しさん:2013/08/30(金) 17:19:41 ID:???

↑2701〜2705 この人はいったい何を言いたいのだろう?

2707HONNE:2013/08/30(金) 17:35:50 ID:jtmmmlXY
>栄える会の会則がどうタラの意見がありましたが、朝3時から神想観し
神の英知に導かれヤオハンを運営しているから栄えていると云われ、
栄える会会頭をした和田さんは今どうしているのでしょうか。


ネットで調べてください。
ヤオハンが全盛時、生長の家はヤオハンを広告塔のごとく取り扱っていました。
しかし、ヤオハンが倒産してからは、手のひらを返したようなものでしたので、
私は、生長の家に義憤を感じていました。
何故、ヤオハンは倒産したのか。その究明を怠った生長の家の組織の体質には嫌気を感じたものでした。
外面良しを優先する体質は、脚下照顧することを忘れることにつながり、
それは、現在の教団組織(本部だけではない)に蔓延しています。

和田和夫氏ですが、倒産(1997年)後の2001年に「ヤオハン 失敗の教訓」を
出版しています。
私は購入して読みました。しっかり、脚下照顧しておられますよ。
今の生長の家では、「脚下照顧」も「失敗の教訓」も禁句になっているように感じます。

2708a hope:2013/08/30(金) 19:06:36 ID:dyDQLtZQ

>>2701〜2705曳馬野さま

素晴らしい、歌「美しき天然」をご紹介くださりありがとうございます。合掌。
詩だけではなくて、歌声もオーケストラの伴奏もとても美しいですね。

これは、まさに実相世界(神の発した第1念の世界)の自然が歌われている歌詞だと思いました。

<<私は雅宣先生の心はこの歌の世界におられると思うものです。>>

でも、本当にそうなのでしょうか・・・?

それでしたら、

<<・・・両先生は「物質なし」であればこそ宇宙と一体の命に溶け込んでいればこその、自然が傷つけられることの痛みをわがこととして感じるからこその自然回帰であると思います。>>

というようなことは、ありえないと思うのですよ。

だって、実相世界では、すべてが完全円満に大調和していて、「自然が傷つけられる」なんてことも決してないわけですから。

雅宣先生と純子先生が本当に「自然が傷つけられている」と感じているのであれば、
それは両先生の心の「迷い」なのではないでしょうか?

2709a hope:2013/08/30(金) 19:07:52 ID:dyDQLtZQ

 「美しき天然」

(1) 空にさえずる 鳥の声
  峯(ミネ)より落つる 滝の音
  大波小波 とうとうと
  響き絶やせぬ 海の音
  聞けや人々 面白き
  この天然の 音楽を
  調べ自在に 弾きたもう
  神の御手(オンテ)の 尊しや

(2) 春は桜の あや衣(ゴロモ)
  秋はもみじの 唐錦(カラニシキ)
  夏は涼しき 月の絹
  冬は真白き 雪の布
  見よや人々 美しき
  この天然の 織物(オリモノ)を
  手際(テギワ)見事に 織りたもう
  神のたくみの 尊しや

(3) うす墨ひける 四方(ヨモ)の山
  くれない匂う 横がすみ
  海辺はるかに うち続く
  青松白砂(セイショウハクサ)の 美しさ
  見よや人々 たぐいなき
  この天然の うつし絵を
  筆も及ばず かきたもう
  神の力の 尊しや

(4) 朝(アシタ)に起こる 雲の殿(トノ)
  夕べにかかる 虹の橋
  晴れたる空を 見渡せば
  青天井に 似たるかな
  仰(アオ)げ人々 珍(メズ)らしき
  この天然の 建築を
  かく広大に 建てたもう
  神のみ業(ワザ)の 尊しや

2710ユタカ:2013/08/30(金) 20:49:01 ID:R1D4Jmeg
クソ真面目で神の子曳馬野さま
>私は今年まだ一度も茶の間のエアコンをかけていません。皆さんはエアコンを利用していませんか。暑さ寒さと云う環境を飴のように捻じ曲げて、生きていますか。

>>――断じて、違います! 
ですね。「生長の家の教え」 は、断じてそんな教えではありません。
  生命は、物質的環境に支配されるものではない。

と云うことが観念でないのならば、エアコン、扇風機いりませんよね。


笑っちゃいました。。。
曳馬野さん、復興G様を「どなた と心得る!(水戸黄門の助さん、角さん)」

冷房どころか、純子先生は原宿から本部の川上君の運転する自動車に乗って、飛田給の玄関前まで来て、降車したのをしっかりユタカは見ましたよ。白鳩研修の時でしたね〜〜。

それでね〜〜〜〜!! 
復興G様は80歳と言うご高齢にもかかわらず、8月のあの超灼熱炎天下で子供お年寄りが熱中症で病院に運ばれるなかを、、、、

復興G様は、自宅から何十キロ先の飛田給道場まで『自転車』で行かれて一仕事して、また、自転車で自宅までお帰りになって、私達をご指導くださっているのですよ。。。


曳馬野さん、冷房なんて、、、小さい、チッサイ!! 復興Gさまのド根性のこのような生き様を総裁に伝えて下さい。近場の道場の移動ならば、せめて電車に乗ったり、ノーミートを言うなら、鶏肉はおやめください!と。。。

曳馬野さん、ちょっと、信徒をなめていません????


先の言葉、福島行きなどは両総裁に言ったらどうですか?? 自然の偉大さが身を持って解ると思いますし・・・・・

はよ、行きな、総裁室に。。。

2711ユタカ:2013/08/30(金) 21:54:27 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

まだ、前回のお勉強が続いていますが、次回はどうしますか?
テキスト範囲はどうでしょうか? 前回は勝手に決めさせて頂きましたが、

次回、ユタカはあまり勉強できないので、私は口出し出来ません。 

復興Gさまはどうでしょうか?

灼熱地獄のような熱い8月を、ご高齢で徒歩や自転車で超距離移動されて・・・復興Gさまの体調・・・いかがでしょう?

次回は気候の良い10月頃にしましょうか??

復興Gさま a hopeさまどうしましょうか? 勉強しないユタカが聞いてすみませんが・・・・

2712HONNE:2013/08/30(金) 21:55:49 ID:jtmmmlXY
私は、エアコンも使います。扇風機も使います。
遠い所には、徒歩や自転車ではなく、自動車を使います。
北海道の冬は寒いから、暖房も使います。給湯器も使います。燃料は灯油です。
病院で検診も受けます。インフルエンザの予防接種も受けます。
病気になれば、病院に行きます。
それでも、私は神の子でございます。

2713ユタカ:2013/08/30(金) 22:07:57 ID:R1D4Jmeg
HONNNEさま

ふ〜〜〜ん、 で、肉も食べるの?? 北海道なら熊の手やら馬とか?? 

あ、それと・・
私は犯罪者です。されど、神の子です。 ・・・って言いいたい人等は、出て来ないでいいからね・・・

2714HONNE:2013/08/30(金) 22:46:28 ID:jtmmmlXY
ユタカさん
私は肉も食べます。
熊の手やら馬とか食いませんが、人を食います。
あ、それと・・
私は犯罪者です。これまで、どれだけの人を傷つけてきたでしょう。
されど、私は神の子です。

2715a hope:2013/08/30(金) 23:00:14 ID:ITz8Q7T6

みなさま こんばんは。

a hope 、久しぶりにすこ〜し酔っ払っております(笑)
長かった夏休みもやっと終わりましたよ!!

今年の夏は我が家も大変エアコンのお世話になりました。
扇風機なんて、24時間フル回転でした。
最近、やっと朝夕が涼しくなってきましたが、今年の夏は本当に暑かったですね〜〜〜!


曳馬野さま

<<>>――断じて、違います! 
ですね。「生長の家の教え」 は、断じてそんな教えではありません。
  生命は、物質的環境に支配されるものではない。

と云うことが観念でないのならば、エアコン、扇風機いりませんよね。
原発賛成の本流派の皆さんには福島に往って復興に協力していただきたいものです。放射能なんて外の物質には支配されないのですから。>>

というような、極論はちょっと違うのではないでしょうか。

復興Gさまがおっしゃる

<<生命は、物質的環境に支配されるものではない。>>

という意味は、神の子の自覚とは「エアコンを使うとか、放射能を浴びるとか、そんな現象の出来事には捉われない」ということのではないのでしょうか?

ですから、>>2712でHONNNEさまがおっしゃていることは、正しいのではないかと思いました。


>>2711ユタカさま

<<まだ、前回のお勉強が続いていますが、次回はどうしますか?
テキスト範囲はどうでしょうか? 前回は勝手に決めさせて頂きましたが、
次回、ユタカはあまり勉強できないので、私は口出し出来ません。 >>

そうですね。
お勉強は続けていくつもりでしますが、どのような形がいいのかはわたしもよくわかりません。

今のような形で、その時、思ったことを発言していけばいいのではないかとも思います。

わたしも復興Gさまのご意見を伺いたいと思います。

2716ユタカ:2013/08/30(金) 23:12:18 ID:R1D4Jmeg
HONNEさま

ついでに、次回WEB誌友会で司会者をしませんか??

神の子・神の子 と連呼しながら・・・ 面白い!

2717志恩:2013/08/30(金) 23:28:51 ID:.QY5jUA6
曳馬野さんは、この猛暑のなか、エアコンを使っておられないなんて、驚きです。
40℃近い日もありますからね。

そういう特殊な方、世の中には いらっしゃるようで、
エアコンがあるのに、使わなかった人が、何人も、死んでしまったというニュースを、
最近、テレビで放映していましたよ。

そういう考え方って、
まるで、輸血を拒否して、死んでしまう カルト宗教の「エ○○の証人」みたいじゃないですか。

>>ネット情報【エ○○の証人信者が輸血拒否で死亡:】
宗教問題と社会問題
2013年4月17日 - 信教の自由は守るべき、では輸血拒否で死亡も仕方がないのだろうか。
カルト・マインド コントロールの点から考える。<<

雅宣総裁の環境問題中心の教えを実行するとは、エアコンも使うな、と言ってるみたいです。

生長の家は、そのような不自然なことをする宗教では、ありませんので、
死ぬといけませんから、残暑厳しきおり、考え直されてください。

2718HONNE:2013/08/30(金) 23:34:53 ID:jtmmmlXY
神の子とは、感謝をする人のことだと思います。
夏は暑いものだと感謝する。
エアコンや扇風機があれば、涼しくなり快適になりましたとに感謝する。
だから、生長の家は【ありがとうございます】なのでしょう?

しつこくなりましたので、このスレッドはこの辺で去ります。

2719うのはな:2013/08/31(土) 00:09:09 ID:KJW8JIWI
>そういう考え方って、
まるで、輸血を拒否して、死んでしまう カルト宗教の「エ○○の証人」みたいじゃないですか。

 しかし曳馬野さんは、通常の人とちがう睡眠、出勤時間をクリアーしてるから
 エアコンなしと聞いても驚かないですね。

2720志恩:2013/08/31(土) 03:27:26 ID:.QY5jUA6
曳馬野さんは、仙人みたいな人だから大丈夫なんですか。
でも、もしも、そうでしたら、
私は、そのような事は出来ますが、皆さんは、命の危険がありますから、皆さんは、
まねしないで下さいねと言って欲しいですね。

2721ユタカ:2013/08/31(土) 06:34:34 ID:R1D4Jmeg
HONNEさま

しつこくないよ〜〜! 引き続き、もっと曳馬野さんに良く教えてあげて下さい。

曳馬野さんも茶の間にエアコンを入れていないけど、自室にはエアコン入れてガンガンに冷やしていますってか??

極端な持論が笑っちゃう、馬野さんは大真面目なとこがさらに・・(笑) 雅総裁も別荘近くで見つけた倒木を何時間もかけてのこぎりで切ってこれが自然の生活だ!とか何とか・・・よく思想が似ていますね。

HONNEさま、また出てきてください、待っています。

2722ユタカ:2013/08/31(土) 06:51:30 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
>人類が「神の御心」を生き、「神の子」同志と知るとき、愛の心は国境を越え通じあうと歌われていますね。

わたしは「無我」の状態からでた行動には、必ず「相手への愛」がともなっているのではないかと思いました。

神は愛である!
無我とは「愛」である!!

今朝の神想観のときに、そんなことを考えていました。


素晴らしい気持ちのいい言葉を有難うございます。 無我=『愛』  なんて素晴らしいんだろう!!

今日はどれだけ『愛』を見つけて感謝できるかな? 今日一日、無我を生きるように心がけます。素晴らしいな、有難うございます。

みんな神の子なのですね〜、ありがとうございます。

2723曳馬野:2013/08/31(土) 07:21:02 ID:TZ2/719s
A hopeさん

【と云うことが観念でないのならば、エアコン、扇風機いりませんよね。
原発賛成の本流派の皆さんには福島に往って復興に協力していただきたいものです。放射能なんて外の物質には支配されないのですから。】

というような、極論はちょっと違うのではないでしょうか。

復興Gさまがおっしゃる【生命は、物質的環境に支配されるものではない。】

という意味は、神の子の自覚とは「エアコンを使うとか、放射能を浴びるとか、そんな現象の出来事には捉われない」ということのではないのでしょうか?

ですから、>>2712でHONNNEさまがおっしゃていることは、正しいのではないかと思いました。

*極論ですか?【利用できるものは何でも自由に利用したらよい、これはいけないあれはいけないなどと縛られてはいけない】と云うことでしょうか?
そうなんですよ、あれがあったらいいな、こんなのがあったらいいな、と人間の欲望に企業家は火をつけて、それを得た満足感を生活の豊かさと錯覚させたのではないのかな。私の小学生の頃にはエアコンはおろか扇風機も無く、夜は蚊が一杯ですので、ムシムシの蚊帳の中で親子五人寝まして、暑いので母親は団扇で扇いでくれました。自分で汗の出るときに団扇で扇ぐと、涼しさと疲れとが同じで何にもならないことがわかります。母の愛は有り難いです。というわけで扇風機もエアコンも無くても元気に育ちました。利便追求の結果として存在している物質に頼ること、これを生命の自由と思いますか?夏の暑い日でも土方仕事は有りました。そんな作業従事者は筋骨隆々、暑さに負けない体になったのです。それに引き換え今のお年寄りはエアコンの中、花屋の一定の温度管理されている切り花同然で、ちょっとした温度変化に体がついていかないのですね。温度変化に負けない体を生命によって作り出すことが自由であり、エアコンに頼らなければいけない体は生命の自由とは思えません。物に頼る生活を物を自由に使うことと同じとは思われないです。電気製品に頼るところに電気の需要が膨らみ、自然エネルギーでは追いつかづ原発と云うことになったのではないのですか?。そして一端何か起きた時には手の付けようがない原発、使用済み核燃料の処理法のない核廃棄物を今に生きる人間の欲望を満たした負の遺産として後世に残す。これが生命の自由とは私は思えません。
【放射能を浴びるとか、そんな現象の出来事には捉われない」ということなのではないのでしょうか?】
放射能を浴びることに捉われなければその人にとって何の害にもならないということでしょうか?であるならば真理をよく知った本流派の人たちは率先して福島で活動すべきですね。生長の家が瞬く間に福島を席巻するでしょう。

2724曳馬野:2013/08/31(土) 08:04:33 ID:TZ2/719s
A hopeさん

【両先生は「物質なし」であればこそ宇宙と一体の命に溶け込んでいればこその、自然が傷つけられることの痛みをわがこととして感じるからこその自然回帰であると思います。】

というようなことは、ありえないと思うのですよ。

【だって、実相世界では、すべてが完全円満に大調和していて、「自然が傷つけられる」なんてことも決してないわけですから。】

【雅宣先生と純子先生が本当に「自然が傷つけられている」と感じているのであれば、
それは両先生の心の「迷い」なのではないでしょうか?】


人生苦に悩んでいる人を見て「辛いだろうな〜」と思わないのですか?
そう思う人は迷っているのでしょうか?
人間は完全円満大調和であるから悩むなんてことは無いのだから。

【私は、日本国家の前途を思い、日本民族に課せられたる運命を思い、泣くに泣けない悲しみの中に、眠られぬ幾夜を過ごしていたある日の未明】  秘められたる神示p7

【両先生は「物質なし」であればこそ宇宙と一体の命に溶け込んでいればこその、自然が傷つけられることの痛みをわがこととして感じるからこその自然回帰であると思います。】  私の文

同じと思いますかどうでしょうか。

2725ユタカ:2013/08/31(土) 08:10:22 ID:R1D4Jmeg
a hopeさまの>問3 P55
「本当に愛する」とはどういうことか? 無我に関連したので
上記を解こうとして・・・ 再読しました。
P53 

前略 日本に生まれた日本人は日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。
日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、桜の木が桜の花をさかせることによって人類をよろこばすのと同様であります。
国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に生活をつづけられているのもすべて国土のお陰です。

国土の恩(おん)と同時に、その国土開発につぶさに艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜物でもあります。

この恩 この賜物の一切を否定してしまって、祖国などはどうでもよい、祖先の意思などというものはどうでもよいものだというように祖国に対して反逆的思想をいだくということは、恩の否定、賜物の否定、感謝の否定ということになって、
これは 神の道ーー人の道ではないのであります。

a hopeさま 
問題を作ってくださって有難うございます。前後を読んでいましたら、ここで教団のことと重なり、せっかく尊師谷口雅春先生が鎮護国家を祈念して総本山を建立したのに・・・
素晴らしい言葉の請願券のまま、何千年もその言葉をそっくりそのまま伝えついでゆくという伝統を重んずることが 「人の道」と思い、

教団幹部は自分で「生命の實相」を読むなり、WEB誌友会に参加して人の道からはずれないようにしてほしいものです。
「生命の實相」という宗教法人「生長の家」のバイブルをしっかり読んで教団を立て直してもらいたいものです。と責めながら読んでいましたが、

更に先を読んで、
私も摂理によって自分に与えられた者を愛して、その人に自己の生命が神の子 仏子仏性であることを伝えてその悟りによってその人の運命に幸福なる世界境遇健康が展開して出てくるようにしむけてあげるように
を読んで、私自身がやらないと、自分が神様のお手伝いをします。
総裁に責任を押し付けるよりも、日ごろの自分の愛行の量が足りないんだって反省をしました。。

やっぱり、総裁や幹部のお陰で勉強させていただいているのですね〜〜〜。 実感します。

2726復興G:2013/08/31(土) 09:49:12 ID:AB6RqYXc

 みなさま、おはようございます。

 曳馬野さまが出てきて下さったおかげで、この板がにぎやかになったようで、ありがとうございます。

 神の子の生活は、ただありがたいばかりの、自由自在な生き方ができるのですね。ありがとうございます。

 私は、かなりの距離を(と言っても往復30km程度)、出向先などへ自転車(アシスト付き)で行くことがありますが、それは趣味で自転車を使うのであって、二酸化炭素を出さないために自転車を使わねばならぬと縛られて使うのではありません。自転車は、歩くよりは早く、周囲の景色を楽しみながら走れるし、健康にもいいですから、楽しんで乗らせていただいています。

 さて、>>2711>>2715 (web誌友会) 「次回はどうしますか」 について。

 ユタカさんは学校で忙しいから司会は無理で、あまり参加出来ないのですか。やむを得ませんね。

 でも、無理のない形で、楽しんで続けていきましょうよ。

 孔子の 「論語」 に、

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「学んで時に之(これ)を習う、亦悦ばしからずや。」

 <真理を学んで、常にこれを実修し、道に生きることは何と悦ばしいことだろうか。>

 「朋(とも)有り遠方より来たる、亦楽しからずや。}

 <志を同じくする友があり、遠方からも参加して同じwebの場で研鑽し、語り合えるのは、何と楽しいことではないか。>

 「これを知る者は、これを好む者に如(し)かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」

 <真理を知っている者は、真理が好きな者に及ばない。真理(道)が好きな者は、道を楽しむ者に及ばない。>

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――とあります。

 これらの言葉は、『生命の實相』 が好きで、楽しんでこれを生きようとする私たちのために、用意された言葉であるような気がします。

 感謝して、それを実行させて頂きましょう。

 それで、9月 第17回web誌友会、テキストは、前回第16回のつづきで、

 『生命の實相』 第4巻の後半、第5章から終わりの第8章まで全部、というのが適当ではないでしょうか。

 日程は、私は第3金曜日の20日から22日(日)の間が好都合です。

 開始は20日夜か、21日夜からにするか、a hope さまが決めて、開会の祈り・開会宣言をしていただけるとありがたく思いますが、a hope さま、いかがでしょうか。

2727曳馬野:2013/08/31(土) 10:18:52 ID:TZ2/719s
志恩さんお初でございます。ちょっと曳馬野のHDでものを言われたようではありましたが。

曳馬野さんは、この猛暑のなか、エアコンを使っておられないなんて、驚きです。
40℃近い日もありますからね。そういう特殊な方、世の中には いらっしゃるようで、
雅宣総裁の環境問題中心の教えを実行するとは、エアコンも使うな、と言ってるみたいです。

生長の家は、そのような不自然なことをする宗教では、ありませんので、死ぬといけませんから、残暑厳しきおり、考え直されてください。

●a hopeさんのところで書きましたように、私としては不自然なことをしているわけではありません。体を鍛えることをせず、やごい体で電気製品に頼ることはどんなものでしょうかと。当市でも39度とか言っていましたね。水さえ飲んでいればokなんです。
【「生長の家の教え」 は、断じてそんな教えではありません。生命は、物質的環境に支配されるものではない。】への意見です。私たち夫婦の寝室にはエアコンはついていません。茶の間はついているが今年は使っていないということです。日本中で電気の浪費をする、ために原発が必要になる。ドイツは原発を止めるという。未来に負の遺産を残さないことを国として決めた。あなたのように生命の実相を深くお知りになり、国の永遠を言う人が個人の利便のため、国土の未来を危うくする行動をとることは如何なものでしょうかと。SAKURAさん風に

曳馬野さんは、仙人みたいな人だから大丈夫なんですか。
でも、もしも、そうでしたら、
私は、そのような事は出来ますが、皆さんは、命の危険がありますから、皆さんは、
まねしないで下さいねと言って欲しいですね。

●勿論その通りで、肉体的に弱い方にそうしろと云うのではありません。真似しないでくださいね。
【生命は、物質的環境に支配されるものではない。】この通りでありましても、どれだけの人がこのように生きられるのでしょうか?この真理を声高に叫ばれるのであればエアコンはいらず、福島の放射能を無毒に変じてご覧あれ、ということなんです。放射能を無毒にできないのであれば、毒を出す可能性のある原発をなくそう、それが先生の環境保全の考えだと思うのです。個人は無いと云いつつ個人の生活の利便を追うことと、すべて一つの真理から地球の生命の自然な発露を求める先生とどちらが真理にかなっていると思いますか?

2728曳馬野:2013/08/31(土) 10:20:06 ID:TZ2/719s
つづき

【だって、実相世界では、すべてが完全円満に大調和していて、「自然が傷つけられる」なんてことも決してないわけですから。】とa hopeさんが言われていますが、
これは七つの光明宣言第二に
【吾々がひたすらそれに従って生きていこうとする生命顕現の法則とは何であるかと申しますと生々化育ということであります。これも吾々が「生命」として顕現れて来たと云う否定できない事実から出発するのでありまして理屈ではないのであります。吾々は事実上生まれてきて生長しつつあるのであります。】と書かれています。これによれば

【「来たって来たる所なく、去って去る所なし」
時空超脱の自由自在な霊性が人間生命の本質であり、人間本来の面目です。それが 「神の子」 ということです。】
と同じで想念の中での実相世界に感ぜられるのです。「実相現象渾然一体、実相現象渾然一体」と唱えることもあり、如意宝珠観では、「わが全身の細胞ことごとく如意宝珠にして」と唱え、肉体なしの一喝はあくまで肉体のみが人間とすることに対し、肉体ではない如意宝珠であるとするのが生長の家であると思っています。

その意味で萬物は物質でなく如意宝珠そのものであるから個人の欲望のままに自然を乱開発するのはいけない、自然に戻らないものを作り出してはいけない、とて神、自然、人間の調和を雅宣先生は言われているものと考えます。

2729a hope:2013/08/31(土) 11:36:15 ID:dyDQLtZQ
>>2723 >>4724曳馬野さま

曳馬野さまのお名前は(ひくまの)とよむのですね!
なんとなくですが、曳馬野さまとは、以前にもお話したことのあるような懐かしい感じがします。

web誌友会板にたくさん書き込みしてくださって、とてもうれしいです。
これからもどうぞ、よろしくお願いいたしまね!

ところで、
<<私の小学生の頃にはエアコンはおろか扇風機も無く、夜は蚊が一杯ですので、ムシムシの蚊帳の中で親子五人寝まして、暑いので母親は団扇で扇いでくれました。自分で汗の出るときに団扇で扇ぐと、涼しさと疲れとが同じで何にもならないことがわかります。母の愛は有り難いです。というわけで扇風機もエアコンも無くても元気に育ちました。利便追求の結果として存在している物質に頼ること、これを生命の自由と思いますか?>>

とのご質問ですが、実は我が家も、エアコンは出来るだけ使わない主義なのです。
わたしは自分の子どもたちには世界中のどんな場所に行ってもたくましく生きていけるように育ってほしいと思っていまして、
各子供部屋にはエアコンはつけてませんから暑い中でも扇風機だけで眠らせてますし、冬も必要以上の暖房は使わせていません。

ですが、今年は自分が仕事をしていますから、仕事が終わって疲れて帰ってくる上に、家の中が灼熱地獄では疲れが取れず次の日の仕事に支障がでてしあいますので、今年はエアコンのお世話になりました。
そうすることが、ベストだと判断したからです。

まあ、わたしがまことの「神の子の自覚」を悟って人間無限力を発揮すれば、曳馬野さまのおっしゃるようなエアコン扇風機なしの生活も可能になるのでしょうが、
まだまだ、わたしはそこに至っていないので、今は自分の「悟り」と相談しながら文明の機械のお世話になっています。

曳馬野さまは、エアコンや扇風機は<<利便追求の結果として存在している物質>>であるとお考えのようですが、太陽光パネルや電気自動車はそうではないとお考えですか?



<<【放射能を浴びるとか、そんな現象の出来事には捉われない」ということなのではないのでしょうか?】
放射能を浴びることに捉われなければその人にとって何の害にもならないということでしょうか?であるならば真理をよく知った本流派の人たちは率先して福島で活動すべきですね。生長の家が瞬く間に福島を席巻するでしょう。 >>

本流派の方々に関わらず、すべての人々はその「悟りの段階」それぞれだと思います。
だから、放射能を浴びて被害をこうむる方もいるでしょうし、全く何でもない人もいると思います。


また、「真理」を知らなければ、自分は明るく前向きに生活していても、「人類意識」や、「先祖の念」に影響を受けて病気になったり、突然不幸になる人もいると思います。

<<人生苦に悩んでいる人を見て「辛いだろうな〜」と思わないのですか?
そう思う人は迷っているのでしょうか?
人間は完全円満大調和であるから悩むなんてことは無いのだから。>>

『そういう辛い思いをしている方々をなんとか助けたい!』
という思いから、「生長の家」の人類光明化運動が発動したのではないのですか?
「人間は完全円満大調和」していることをお伝えしていく、つまり「人間は神の子」であると、お伝えしていくことが「生長の家」の人類光明化運動(人類救済)なのではないのでしょうか?
(つづく)

2730a hope:2013/08/31(土) 11:38:03 ID:dyDQLtZQ

(つづき)
<<【私は、日本国家の前途を思い、日本民族に課せられたる運命を思い、泣くに泣けない悲しみの中に、眠られぬ幾夜を過ごしていたある日の未明】  秘められたる神示

【両先生は「物質なし」であればこそ宇宙と一体の命に溶け込んでいればこその、自然が傷つけられることの痛みをわがこととして感じるからこその自然回帰であると思います。】  私の文

同じと思いますかどうでしょうか。 >>


雅春先生は、完全に「生命の實相」を悟られていました。
その上で、現象を見られて起こされた運動が「生長の家」の愛国運動、政治的運動だったのだと思います。
だから、当時は「真理」とそれらの運動の間には何の矛盾もなかったのだと思います。
ですが、現象に対する運動というのは時代が変わり現象が変われば、それに合わせて変えていかなければ、
運動そのものが「真理」から外れてきてしまうのではないかと、わたしは感じています。


一方、雅宣先生の環境保護運動ですが、一番の問題は、雅宣先生ご自身が聖典「生命の實相」をないがしろにされています。
ですから、教えの内容も、「唯神実相」とはかけ離れた二元論で、まったく「生長の家」らしくありません。
自然破壊という現象をみて、「やむにやまれぬ気持ち」で始められた運動という点では雅春先生と同じかもしれませんが、
それは、「生長の家」の人類光明化運動とはかけ離れた運動になってしまっていると感じています。


曳馬野さま、以上、すべて a hope の私見です。(>>2727 >>2728のご投稿を拝見する前に作成した文章です)

2731志恩:2013/08/31(土) 11:47:48 ID:.QY5jUA6
曳馬野 様

ご丁寧なお返事を、ありがとうございます。
エアコンを使用されなくとも、お水をマメに補給されてらして、なんともないのでしたら、環境問題に
協力されてるということで、それに越したことはないですよね。

幼少のころより、夏は暑いもの、冬は寒いもの、と、割り切って生きて来られた方々は、結構、猛暑にも強いお方が多いそうです。
それに、人間は、年を重ねるごとに、暑さ、寒さを感じる神経が、鈍くなってくるとも、聞いています。

私の夫も、環境問題を考慮してというより、実は、昔から、大のエアコンぎらいの人間でしたので、今から10年前までは、どんなに
暑くても、エアコンを家に導入しようとはしませんでした。

しかし、昔と違って、夏の気温が高くなっていますので、10年前からエアコンを導入しました。
我が家では、使いすぎないように配慮しながら、健康保持のために、使用しています。
(昔は、夏の気温は、30℃こえてたほど、今は、40℃近い)

そのきっかけとなったのは、ご近所の60代のご夫婦、二人暮らしでお子さんのおられないお宅でしたが、ご主人が、エアコンが大嫌いで、
エアコンを、使わず生活なさってたそうですが、ある夏、奥様が脳出血で救急車で病院へ搬送され、亡くなられて、一人残された高齢者のご主人も、
その2年後、真夏の暑い日に、
今度は、脳梗塞で倒れて、あれから、10年経ちますが、まだ死んでは おられませんが、後遺症が重くて、自宅へは戻れず、施設に入リ、
ハビリを続けていると、他県から、ときどき、
その空き家になった家の管理にいらしているご主人の弟さんに、前に、伺ったからです。

高齢者になると、血管は細くなります。そして、夏は、暑い中に ずっといますと、血が 血管に詰まりやすくなるそうです。


以下のネット情報もございます。

「熱中症で救急搬送された高齢者のうち半数が、部屋にエアコンがあるのに使っていなかったことが、日本救急医学会の調査で分かった。
政府は7月から3カ月間、節電を求めているが、調査の担当者は「エアコンをうまく活用して、暑さを乗り切って」と呼びかけている。

日本救急医学会が2012年7〜9月に、全国103の救急医療施設に熱中症で救急搬送された【2130人】の症状などを調べた。重症度や発症のきっかけ
などを聞き取って集計した。搬送された時期は7月下旬が最多。昨年は7月16日から26日にかけて本州、四国、九州が梅雨明けし、連日35度を超える
猛暑日だった。

室内にいて搬送された患者について、エアコンの使用状況を「使用中」「(設置しているが)停止中」「設置なし」に分けて聞き取った結果、65歳以上は
「停止中」が111人と53%を占めた。40歳未満と40〜64歳は「設置なし」が最も多かった。 」

大丈夫な人は、大丈夫ですが、お体、おだいじになさって下さいませ。

エアコンの省エネ化は、年ごとに、すごい進化を遂げています。
むしろ、テレビのほうが、つけっぱなしのお方が多くて、そちらの方が、電力を食うと言われています。

2732ユタカ:2013/08/31(土) 11:56:18 ID:R1D4Jmeg
おお! 復興Gさま!

>神の子の生活は、ただありがたいばかりの、自由自在な生き方ができるのですね。ありがとうございます。

なんと、素晴らしい!! 八方十方唯有難い!!と自由自在な生き方をしたいです!!
最近は真理の言葉が、輝いて見えるのです。

一般学校の方も最初よりは大分緊張がとれてきましたから、大丈夫そうになってきました。。
生命の実相は勿論素晴らしいです、復興Gさまのおっしゃる論語の勉強も新鮮で、宗教を超えて様々な人に受け入れられるのでこれからも真理に盛り込んで下さって、いろいろと教えて下さってみなさんで勉強すると、さらにとても楽しくなりそうです。

私は、論語に興味深々です。 よろしくお願いいたします。

2733a hope:2013/08/31(土) 12:55:38 ID:dyDQLtZQ

>>2725ユタカさま

わたしの作成した問題に取り組んでくださりありがとうございます!
愛国心の強いユタカさまらしい回答の出し方だと感じました。

ちなみに

>問3 P55
「本当に愛する」とはどういうことか?

のわたしの回答は、「神を愛する前に自分の家族を愛すること」となりました。
なかなか身近な家族に本当の愛を表現するのは難しいですけどね(笑)

ところで、家族と言えば「生長に家」の信徒もすべて家族なのですよね!
だから、わたしは「生長の家」のお父さんお母さんである、雅宣先生と純子先生のことは心から愛しています。
そして、いつも心から感謝しています!

2734a hope:2013/08/31(土) 12:57:05 ID:dyDQLtZQ

>>2726復興Gさま

素晴らしい、論語のお言葉を紹介してくださりありがとうございます。

 「これを知る者は、これを好む者に如(し)かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」
<真理を知っている者は、真理が好きな者に及ばない。真理(道)が好きな者は、道を楽しむ者に及ばない。>

『好きこそ物の上手なれ』ということわざを思い出しました!


<<9月 第17回web誌友会、テキストは、前回第16回のつづきで、
『生命の實相』 第4巻の後半、第5章から終わりの第8章まで全部、というのが適当ではないでしょうか。
日程は、私は第3金曜日の20日から22日(日)の間が好都合です。
開始は20日夜か、21日夜からにするか、a hope さまが決めて、開会の祈り・開会宣言をしていただけるとありがたく思いますが、a hope さま、いかがでしょうか。 >>

そうですね、第17回web誌友会もまた、無理のない形で参加させていただきます。
それでは、20日(金)〜21日(土)ということで、いかがでしょうか?

2735a hope:2013/08/31(土) 12:58:33 ID:dyDQLtZQ
  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

第17回web誌友会予告

日時 9月20日(金)21時30分〜
   9月21日(土)23時まで

テキスト 『生命の實相』第4巻
      第5章から第8章まで

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


今回も皆さんと真理のお勉強ができることに心から感謝いたします。合掌。

2736復興G:2013/08/31(土) 13:22:20 ID:AB6RqYXc

a hope さま、ありがとうございます!

お昼ご飯も遅らせて、懸命のご奮闘、お疲れさま。

どうぞ少しゆっくりしてください。ありがとうございました!

第17回web誌友会、お世話様です。楽しみに、私も準備させて頂きます。

合掌

2737復興G:2013/08/31(土) 13:31:43 ID:AB6RqYXc

>>2732 :ユタカさま

ありがとうございます!

「論語」 も、それから 「老子」 も、宇宙に遍満する 「道」 を説いていて、私は大好きです。

真理は一つ、道は一つで、『生命の實相』 と共通、共感するものがあり、『生命の實相』 を理会するのにも役に立ちます。

だから谷口雅春先生も、孔子・老子を現代に生かすというご講義もされているんですね。

2738ユタカ:2013/08/31(土) 19:20:35 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
>ところで、家族と言えば「生長に家」の信徒もすべて家族なのですよね!
だから、わたしは「生長の家」のお父さんお母さんである、雅宣先生と純子先生のことは心から愛しています。
そして、いつも心から感謝しています!

こちらを読ませて頂いて、とても嬉しい気持ちになりました。私も感謝したいです。。。

そして、WEB誌友会の予告を有難うございます。 昼食を取る間もなくご愛行されてありがとうございます。復興G様が張り切ってくれています!!嬉しいですね!
お元気な復興Gさまで有難いですね。

2739ユタカ:2013/08/31(土) 19:52:38 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
いつも素晴らしい、楽しいWEB誌友会を有難うございます。

谷口雅春先生が論語のご本を出していらっしゃたのですね、素晴らしいご紹介を有難うございます!

ぜひ、「生命の實相」を充分に理会するためにご指導をよろしくお願いいたします。 次回はさらに楽しみです!

ここに出てこない人も、楽しみですね〜〜〜。

復興Gさま、有難うございます。 それを楽しみに勉強を頑張ります!!

2740トキ:2013/08/31(土) 23:42:11 ID:jdO0MB3M
 復興G様、いつも素晴らしいご指導を賜り、深く感謝申しあげます。

 教区にいる人間の一人として、この誌友会は、信徒にとって貴重な学びの場となっていることは断言できます。
それは、今、誌友会では、環境問題について触れる事が義務化されていて、純粋な真理を勉強できる場所が少なく
なってしまったという点があります。また、講師にも、ここで説かれるだけの深い内容が講義できる
人が少ないからです。

 本当に、この誌友会でのご指導は、真理を学びたいと純粋に願う信徒の最高の学びの場の一つになっていると思います。

 広く閲覧者様の参加をお願いする次第であります。

合掌 ありがとうございます

2741復興G:2013/09/08(日) 12:57:25 ID:AB6RqYXc

>>2696>>2697>>2698に私が書きましたことについて、さらに思索・検証してみたことを書かせて頂きます。

 7月7日、「森のオフィス」 落慶式の記録動画を見ました。

 この中で、谷口純子白鳩会総裁が、谷口雅春先生の 「有情非情(うじょうひじょう)悉く兄弟姉妹と悟る祈り」 (聖経 『真理の吟唱』 より) を朗読されたのは、胸に響いて、よかったと思います。それは――

       ○

     有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り

 神は天地万物の創造本源であり給う。神は天地万物の生命(いのち)として、天地一切のものの内に遍満して、その存在を支えて居給うのである。

 私たちが花を見て、花の美しさを感ずることができるのは、私たちの生命(いのち)と花の生命(いのち)とが本来ひとつであるからである。

 私たちが空の星を見て、それを理解し天地の悠久を感ずるのも、星の生命と私たちの生命とが本来一体であるからである。

 或いはまた空の鳥を見てその可憐さを感じ、その声の美しさに聴き惚れるのも、空の鳥の生命と私たちの生命とが本来一つであるからである。

 大地に生うるいろいろの植物の果実が人間の食物となつて私たちを生かしてくれるのは、植物の生命に “神の生命” が宿っており、私たちの生命と本来一体であるからである。

 そのように、すべての生きとし生けるもの、在りとしあらゆる物ことごとくに “神の生命” が宿っており、そのすべてが私たちの生命と一体であるから、天地一切のものは、私たちの心の響きに感応して、或る結果をもたらすのである。

 それゆえに、物質と見えているものでも、私たちがそれに感謝し、それに宿る神の生命を直視(じきし)して祝福するならば、その祝福に感応するのである。果樹に感謝し、果樹を祝福するならば、豊かにして美味(おい)しい果実がみのるのである。

 天候のごとき自然現象も、人の心に対して鋭敏な反応を示すものである。常にそれに対して感謝している人たちには、常に天候和順にして、その人に害を蒙らせることがなくなるのである。「私が旅立つ時には必ず天気はよくなる」 と言う人は、常に天候に対して感謝している人である。

 この世界は “神の世界” であり、この宇宙は “神の宇宙” であり、御空(みそら)は “神の御空” であり、大地は “神の大地” である。天上天下、神の遍在し給わないところとては無いのである。

 それゆえに、神を拝し、神を讃え、神に感謝し、みこころを自己の生活に実践する者には、如何なる災害も自己に降りかかってくることはないのである。

 神は人間を万物の霊長として、天地一切のものを霊的に支配する権能を与え給うたのである。それゆえに、如何なる物も、人間が義(ただ)しき心をもって生活し、他を害する心を起さない限り、自分が害されるということはあり得ないのである。

 すでに「実相の世界」においては、すべての物が、宇宙の本源たる “唯一の神” に中心帰一し、一切の生物、たがいに兄弟姉妹として相和し相睦び、すべてのものその処を得て大調和の相(すがた)であるのである。

 神よ、この地上の現象世界においても、実相世界の中心帰一大調和の世界が実現して人類すべてが兄弟姉妹の自覚に入り、永遠に地上に天国が実現いたしますように護り且つ導き給え。ありがとうございます。
   (聖経 『真理の吟唱』 より)

2742復興G:2013/09/08(日) 12:58:55 ID:AB6RqYXc

 前記、「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」 は魂にひびいて、嬉しくなりました。

 これは、雅宣総裁の 『日々の祈り』 から “「すべては一体」 と実感する祈り” でなくてよかったと、しみじみ思います。

       ○

    「すべては一体」 と実感する祈り

 神はすべての存在の創り主にてあり給う。我は神の子として、神の創り給いしすべての存在の懐の中に抱かれているのである。だから我は、すべての真実存在と一体であり、すべての真実存在は我と一体にして、我を包み、庇護(ひご)し、安らぎを与えてくれるのである。

 真実存在は神の表れであるから、相互に不和はなく、不調和はなく、戦いや争いはないのである。我とすべての真実存在も、だから大調和中で神の愛に包まれているのである。

 鳥たちのさえずりは、神の無限生命の表れである。遠く近く、長く短く、華やかに時に静かに、多様に、絶妙な調和の中に、鳥たちが呼び交わす数々の声は、そのまま天上の交響曲である。

 森林を風がわたる低い和音、虫の声、小川の流れ、蛙の合唱、キツツキの槌の音。どれ一つとして互いに調和しない音はない。驟雨の音、雷の轟音、木の裂ける音でさえ、神の無限生命力の表現である。

 神の無限の美が、すべての存在に満ち溢れているのである。だから神の子・人間は、すべての真実存在に美しさを感じ、喜びを見出すのである。

 空の青と雲の白は、神の無限の美の表れである。輝く新緑と黒い木々の枝、若葉と森の深緑のコントラストを見よ。花々の鮮やかな色、微妙な色の移ろい、葉の緑の中でそれらが生み出す対照の妙を見よ。その対照を感じて、虫たちが花を訪れ、神の愛の使者として植物を受粉させ、新たな生命の進展を用意する。

 植物が実をつければ、その色の信号を合図に鳥たちが訪れ、豊穣の香りと味と滋養を得て、神の知恵に導かれつつ植物の種を遠方に伝播する。植物は虫や鳥に愛を与え、虫や鳥は植物の命の発展に協力するのである。そこに神の生命があり、愛があり、知恵が表れているのである。

 我らは神の子であるから、それら自然の営みの中に神の無限の知恵、無限の愛、無限の生命力を如実に感じるのである。神の無限の生かす力をすべての真実存在の中に感じるのである。

 感じるとは共鳴することである。我がうちに神の無限の生かす力がすでにあるから、自然界に現れる神の力に共鳴することができるのである。だから我は神と一体であり、すべての真実存在と一体である。我は神に生かされており、すべての真実存在に生かされている。

 それは、物質的栄養を得ているのではない。物質は、真実存在の仮の相である。物質は、真実存在が人間の頭脳によって翻訳された姿にすぎない。物質はエネルギーであることを知れ。エネルギーに色はなく、音はなく、肌触りはなく、匂いはない。しかし、人間の感覚と頭脳を通過するとき、エネルギーは色がつき、音を出し、匂いがし、肌触りのある“物質”のような外貌を呈するのである。

 だから、我らの周囲には、神の無限エネルギーが満ち溢れているのである。周囲だけでなく、我が肉体も神の無限エネルギーの1個の表現である。神の無限の知恵と愛と命の表現として、我は自分の肉体を表現しているのである。

 我は神の子であるから、1個の肉体の中に縮こまって存在しているのではない。木々の緑、鳥の声、川の流れ、大洋の大波、空の青、星雲の渦巻きに美を感じる我は、その微妙かつ壮大な美を我がうちに包蔵するのである。

 それら自然の営みの中に不可思議の知恵を感じる我は、その知恵と同じ無限の知恵を我がうちに包蔵するのである。自然の営みの背後に生かし合いの愛を感じる我は、神の無限の愛を我がうちに包蔵するのである。

 我は神と一体なり。我は宇宙と一体なり。すべては神と一体なり。すべては我と一体なり。我、真実存在の知恵と愛と生命を与え給いし神に、無限感謝の意を表現し奉る。ありがとうございます。
   (谷口雅宣著 『「すべては一体」 と実感する祈り』 より)

2743復興G:2013/09/08(日) 13:00:12 ID:AB6RqYXc

 ――前記二つの 「祈り」 の言葉を見比べますと、字面を見れば、後者(「すべては一体」 と実感する祈り)の方が一見すると美辞麗句があふれていて 「進化した」 祈りのように見えます。しかし、それは決して 「深化した」 祈りではなく、五官の世界、本来無い世界から見て作られた言葉で、五官には快くひびいても、魂の深いところには響きません。

 それは、谷口雅春先生の祈りは 「久遠の今」 なる創造の本源世界に立たれての祈りであり、雅宣総裁のそれは本来無い現象世界を 「有り」 と見て、前者をまねて作られた祈りの言葉であるからだと思われます。

 時恰(あたか)も、2020年オリンピックは東京開催と決まった、喜びのニュースが流れています。

 現在の異常気象は、海面の温度上昇が原因で起こったいると言われます。そして地球温暖化はCO2の増加が原因だという説が支配的です。それが本当なら、オリンピックには世界からたくさんの人たちが航空機に乗って移動しますから、その燃料消費は温暖化を加速する。だからもうオリンピックはやめた方がよいという議論が出てきてもよさそうです。

 しかし私は、素直に2020年東京オリンピック開催決定を喜びます。それは、神計らいのように思われるからです。

 なぜそう思うのか。それについては、項を改めてじっくり書いて行きたいと思っています。

 皆さま、ぜひ 「web誌友会参考文献板」 の >96 以降に謹写掲載させていただいています谷口雅春先生の御文章を、じっくり読んで下さいますよう、お願いいたします。そして、次も――

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(谷口雅春先生著 『光明法語』 より)

   九月九日の法語 大生命の歓喜

 大生命は内に無限の可能性を包蔵し、外に機会ある毎にその内蔵する可能性を顕現しようとする。而して内にあるものが外に表現せられた時に歓びを感ずるのである。

 それは画家が自己の内にある美を絵に表現せられた時に歓びを感じ、音楽家が自己の内にある感情を音楽に表現せられた時に歓びを感じ、舞踊家が自己の内にある生命の衝動を舞踊に表現し得た時に喜びを感ずるのと同様である。大生命は森羅万象を自己に内在する美と感情と衝動とを表現せんが為に造った。

   九月十日の法語 無限の生長と前進

 かくて大生命の創造は、大生命の歓喜の爆発であるとも言える。大生命は内に無限を包蔵する故に、その表現されるものは常に一層大きく、一層豊かに、一層美しきものであるほかはない。それは無限の生長であり、無限の前進である。

 時として過去に見出すことが出来ないところの全然新しいものを創造するのである。その新しき創造はつきることはないのである。大生命は無限の新しきものを内に包蔵する。その大生命が吾らのうちに流れ入って吾らの生命となっているのだ。

   九月十八日の法語 神の生命の歓喜

 神は生命の歓喜によって人間を創造したのである。神は生命の歓喜によって大自然を創造したのである。

 美しい緑の若葉は神の生命の歓喜を物語る。牡丹(ぼたん)の豊艶(ほうえん)なる、海棠(かいどう)の幽艶(ゆうえん)なる、白百合(しらゆり)の清楚(せいそ)なる、桜の爛漫(らんまん)たる、梅花(ばいか)の孤峭(こしょう)なる……数えれば限りはないが、いずれも神の生命の歓喜の発露であるのである。

 万物は、すべて神の生命の歓喜の発露であり、表現であるが、「神の生命」 そのものの発露であり表現であるのは 「人間」 である。人間が喜べば神が喜ぶのである。

   九月十九日の法語 歓喜の創造

 歓(よろこ)ばない人間は、神の生命の歓喜の出口を閉塞(へいそく)するものである。喜ばない人間は健康になることが出来ない。喜ばない人間は栄えることが出来ない。喜ばない人間は勝利することは出来ない。喜ばない人間は如何に盛んなように見えても最後に挫折するのである。

 イザナギの神様は 「あなにやし、好乙女(えおとめ)」 と歓喜して世界を創造したのである。イザナミの神様は 「あなにやし、好男(えおとこ)」 と歓喜して世界を創造したのである。喜ばない人間は創造することが出来ない。歓びは創造する力である。

2744復興G:2013/09/08(日) 22:19:17 ID:AB6RqYXc

 「久遠の今」 「未発の中(みはつのちゅう)」 から大生命の歓喜の爆発がビッグバンとなって、一切のものは時空間のスクリーン上に展開してきた。(「久遠の今」 については、web誌友会参考文献板 >96 以降をお読みください)

 この 「未発の中」 を直観把握した日本人の祖先は、これを 「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」 として神話を創作した。それが古事記の物語である。

 時空間は本来無い。それは生命が表現の場として仮に創り出したものである。だから時空間上に展開された現象も、すべて本来無いものなのである。

 すべてはその本源なる 「久遠の今」 において、一つであり、大調和しているのである。

 そこから、>>2741
「有情非情(うじょうひじょう)悉く兄弟姉妹と悟る祈り」 (『真理の吟唱』)
 も出てきたのである。

<<すでに 「実相の世界」 においては、すべての物が、宇宙の本源たる “唯一の神” に中心帰一し、一切の生物、たがいに兄弟姉妹として相和し相睦び、すべてのものその処を得て大調和の相(すがた)であるのである。

 神よ、この地上の現象世界においても、実相世界の中心帰一大調和の世界が実現して人類すべてが兄弟姉妹の自覚に入り、永遠に地上に天国が実現いたしますように護り且つ導き給え。ありがとうございます。>>

と。

 『光明法語』 には

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     十月一日の法語 異なる者の渾一調和

 異なる個性あるものがその個性を没却せずして互いに協力しつつ完全なる 「一」 となるとき其処に無限の美があらわれるのである。

 その完全なる美の極致の一つは交響楽である。各々の楽器はその個性を発揮し、その各々の吹奏が巧妙であればあるほど全体の音楽は一層妙なるものとなるのである。

 それと同じく、各民族、各人種も、各民族の個性、各人種の個性を発揮しながら渾然たる調和が発揮されるとき、そこに最も美しき文化が建設せられるのである。

     十月二日の法語 無限の健康調和

 各々の細胞がその個性を発揮しながら完全なる協力を遂げているとき人体の健康は最も完全に実現するのである。

 完全なる協力は 「本来一」 の自覚より生ずる。人間の健康も先ず人間同士が完全に 「一」 である自覚をもって互いに相結ばれ、人間相互にその感情が調和している時にのみ真に実現し得るのである。

 人間同士の感情が争っているときには、肉体は心の影であるから、心の乱れている限り真に無限の健康は発揮されようはないのである。汝ら互いに調和せよ。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 とあります。

 日本の心、大和精神はこの 「本来一」 の自覚より生まれた渾一調和の心であり、これこそが真の世界平和を作り出す心であると思います。

 オリンピックの精神、理想は 「平和」、人類が民族を超えて皆兄弟であるということであり、2020年のオリンピックが日本の首都東京で行われることになったのは、世界人類が新しい平和な神の国建設へのエポックを築くために、神のお導きがあってのことではないかと思い、私は胸を躍らせています。

2745ユタカ:2013/09/10(火) 22:13:32 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

真理の吟唱と日々の祈りの違いを教えて下さって有難うございます。

雅宣総裁もひそかにここをご覧でしょうから、どうぞお勉強なさってください。私達にこのような勉強の場を与えてくださった雅宣総裁に感謝します。

復興G様が東京五輪を神計らいとしていらっしゃっていますが、また、総裁は違います。そこでどう違うのか復興G様の続きを楽しみにしています。

よろしくお願いします。 日本五輪を私と私の周囲ではみな喜んでおります。

2746ユタカ:2013/09/10(火) 22:16:18 ID:R1D4Jmeg
現象の総裁に光は届くか?

>やっぱり、谷口雅宣総裁は「東京五輪」に反対しました! (538)
日時:2013年09月09日 (月) 12時17分
名前:「靖国見真会」参加者


谷口雅宣総裁のブログ「唐松模様」、2013年9月 8日 (日)「オリンピックの東京開催をどう考えるか」で、はっきりと、今回の「東京五輪」への反対を表明しました。

8日に行われた「山形講習会」でも、それを言ったことが述べてあります。

今回の山形講習会、参加者が500名を切ったようですね。

こんな話しを聞かされるのであれば、さすがに人のいい山形教区の信徒も、もはや、義理でも、或いは弁当がもらえるから言われても、参加しませんよ!

ところで、谷口雅宣総裁は、この500名を切った現実をどう思っているんでしょうかね?

生長の家信徒は、「生長の家」の講習会だからこそ、参加するのです!

そこでは、「生長の家」の真理が聞けると思うからこそ、参加するのです!

谷口雅宣総裁の自分勝手な“主義主張”を聞きたくて参加しているのではありません!

そこのところが、谷口雅宣総裁は、全然、分かっていない!

これはもう、仕方ありませんね。

だって、谷口雅宣総裁は、自分の“主義主張”をもって「生長の家の教え」だと言い張っているわけですから!

もう我慢ならない!

として、信徒がそれに見向きもしなくなる、講習会にも参加しない!

そういう現実を見せつけない限り、谷口雅宣総裁が、自分の、この“妄想”から目を覚ますことはないでしょうね?!

そういう意味で、山形教区の信徒が、500名を切る講習会を全国に見せつけた“勇気”を心から評価するものであります。

500名を切った「講習会」の“衝撃”が、今後、全国に飛び火すると思うからです!

2747ユタカ:2013/09/10(火) 22:17:37 ID:R1D4Jmeg
>谷口雅宣総裁に、このプレゼンはどう聞こえたのだろうか? (546)
日時:2013年09月09日 (月) 13時58分
名前:「靖国見真会」参加者


谷口雅宣総裁は、「反五輪」の立場から、こんなことを書いています。

>大石田町に住む75歳の女性からの質問である−−
 
「明るい方向に目と心を向けるべきとは分かっているつもりですが、東日本被災地、人々の事を思うとき、きまったばかりの2020年のオリンピックのことを考えると、どうしても心が晴れません。オリンピックの東京開催を、何事もなかった、ないように喜んでいる特に政治家の、心の内が理解しかね、悩んでいます。」

 大石田町は、山形県の内陸部の最上川に面した町で、江戸時代は河港町として栄えた。天領として船役所が置かれ、奥羽山脈を越えて仙台藩にまで至る物資の流通ルートの要だった。そして、福島県にも近い。だから、この女性が「東日本被災地、人々の事を思う」と書いているのは、もしかしたら福島県から避難してきた人を直接知っているからかもしれない。そういう数多くの人々の破壊された故郷が、五輪の東京開催で今後どうなっていくのか……この疑問に政府は答えていない。巨額の借金を抱えた国が、五輪への投資と東北復興の両方をやるといっても、誰も信じないだろう。大都市と大企業の繁栄のために、東北地方は再び犠牲になるのかという疑念と不安は深刻だと思う。<

そこまで、震災に思いを致すのであれば、“森の中のオフィス”にかかった150億円を、まずはそちらに廻したら良かったのではありませんか?!

意地悪く聞こえるかもしれませんが、谷口雅宣総裁の言葉には、どうしても“為にする論”というのが私の耳にこびりついて離れないのです。

だから、少しも心に響かない!

それよりかは、こちらの方がよほど胸を打ちました。

>高円宮妃久子さまが被災地復興支援に謝意を述べられた後にプレゼンが始まった。壇上に立ったのは世界的には無名のパラリンピアンの佐藤だった。プレゼンメンバーの紹介をチアリーダー仕込みの高らかな声で、明るく華やかにスタート。

 少し間をおき、東京決定へ流れをつくったエレガントなスピーチは始まった。彼女は、「私がここにいるのはスポーツによって救われたからです」と静かに語りかけた。目線はカメラに。両端に設置されたプロンプターは見ない。フワリと黒髪を揺らしながら、カメラ越しにIOC委員1人1人に語りかける。抜てきに「自分が立場に追いついてないな」と話していた3日前がうそのよう。

「骨肉腫で足を失ってしまいました」。右足膝下を切断したつらい過去には、言葉が詰まりそうになる。故郷の宮城県気仙沼市が東日本大震災で津波の被害を受けた。スクリーンには被災地の様子、佐藤が肉親と笑うシーンが映される。一瞬、佐藤はあふれそうになる涙に言葉が出なくなった。悲しみがあふれ出す寸前、佐藤は耐え、必死に話し続けた。

 だが、幾度もスポーツに支えられた体験をアピールするうち、自然と笑みがこぼれた。決してオーバーアクションではなく、時に胸に手を当て、かみしめるよう。実感こもる姿に、聴衆は引き込まれていった。

 人生を貫く「スポーツの力」。演技では表せない自然な笑顔、悲しい表情を交えて、約4分間。自分の人生をさらけ出し、IOC委員に届けた。「気持ちを込めて話せたな」。それは確かに人々の心を打った。

「とても印象的(impressive)でした」。プレゼンを終え、佐藤がロゲ会長にあいさつすると、耳元で優しくささやかれた。同会長は報道陣の前では「ベリーグッド」と親指を立て、佐藤のスピーチをたたえた。モナコ公国のアルベール2世公は「エモーショナルで感動的だった。他のIOC委員にも響いたはずだ」と絶賛。それは、東京が温めた「秘策」が成就した瞬間だった。<

谷口雅宣総裁、それでも「東京五輪」に反対ですか?!

2748ユタカ:2013/09/10(火) 22:21:06 ID:R1D4Jmeg
総裁はここまで観世音菩薩となって衆生済度してくれているのですか??

>谷口雅宣総裁には“友だち”がいない?NEW (576)
日時:2013年09月10日 (火) 08時37分
名前:「笑点」ファン


谷口雅宣総裁の近しい人から、「総裁には友達がいない」ということを耳にしたことがあります。

今、その意味がわかったような気がします。

だって、みんなで盛り上がっているのに、一人、冷ややかにそれを見つめている人がいたら、そんな人とお友達になろうなんて思いませんからね!

2020年の「東京五輪」に、明日の夢を、希望を輝かせ、みんなで頑張ろう!

日本が一つになって成功させよう!

そう盛り上がっているときに、ナンダラカンダラ、批判ばっかりしている人と誰がお友達になりたいと思うでしょうか?!

谷口雅宣総裁という人は、そういう盛り上がりを、単なる“喧噪”としか思い得ない人のような気がしております。

“森の中のオフィス”に引きこもって、「スポーツジム」で一人、汗を流す…。

それが谷口雅宣総裁の至福のときなのでしょうね…?!

ということで

by

昔、「穴グラ」という小説(?)を書いた頃と、本質的に、変わっていないということでしょうか?!




ありがとうございます。

2749復興G:2013/09/11(水) 00:11:28 ID:AB6RqYXc

ユタカさん、しばらくぶり。

 2020年東京オリンピックについてのコメント、ありがとうございます。

 竹田恒泰氏が、次のようにようにツイートしています。

≪ ○ 東京五輪招致の本当の目的は、復興です。ただ、招致委員会は、他国へは戦略的にその点を示さなかった。世界にとって復興のための五輪には興味がないからです。

○ 東京招致成功で、東北の復興が遠のくとかいう人がいるらしいが、分かってないな。これで復興はぐんと近づくんだ。聖火が東北を走る光景は、復興の象徴になるだろう。

○ 五輪で復興が停滞すると言う人がまだいるようだ。五輪の予算は東京都が既に確保してあるから、五輪によって復興予算が削られることはない。五輪のある復興と、五輪のない復興は何かが違うはず。大きくプラスになる。7年後に向けて復興の目標も設定でき、被災地を聖火が走る事は大きな希望になる。

○ 東京五輪は「復興五輪」というと「震災より前から招致活動していたじゃないか」と反論する人がいる。これはおかしな反論。前回は東京である理由を国内外に示せず落選したではないか。その後震災が起きて、国内に向けては震災、世界に向けては安心・安全を新しいテーマとして掲げて招致に成功したのだ。

○ 東京五輪はアベノミクスを成功に導く鍵になると思う。景気が回復し、デフレから脱却するための、大きな後押しになる。五輪招致は4本目の矢になったといえる。日本が元気になることは、震災復興に大きなプラス要素として働くに違いない。

○ 前回の東京五輪は「戦災復興」を象徴する五輪だった。次の東京五輪は、7年の内に復興を成し遂げて、「震災復興」を象徴する五輪にしなければいけない。それでこそ、世界に安心・安全を示す五輪を示すことができる。日本は復興を成し遂げることで世界に貢献できる。≫

――私も、前回(2016年に向けて)の招致活動の時は、賛成しませんでした(町内会で署名運動の回覧板がまわってきたとき、署名しなかった)。しかし、その後震災が起きて今回、

 ≪「日本が元気になることは、震災復興に大きなプラス要素として働くに違いない。次の東京五輪は、7年の内に復興を成し遂げて、「震災復興」を象徴する五輪にしなければいけない。それでこそ、世界に安心・安全を示す五輪を示すことができる。日本は復興を成し遂げることで世界に貢献できる」≫

 と竹田恒泰氏がおっしゃることは、その通りであると思いますね。

 総裁は、今年の異常気象はCO2による地球温暖化のせいであると断じて、

 ≪先進諸国は、インフラや技術が整備されているため、異常気象に対する抵抗力は比較的強い。しかし、途上国はそうはいかないから、異常気象による死傷者の数は当然、途上国の方が先進国を上回ることになる。つまり、我々の贅沢な生活や、放縦的なライフスタイルによって途上国の罪のない人々が死傷するという現象が、今後続いていくことになる。それでも五輪を開催して、自分たちの経済発展を進めていこうというのだろうか。私は、こういう倫理観の欠如した国の政策を嘆くのである。≫

 と言っておられますが、もしそれが本当なら、人類はもうオリンピック大会そのものを廃止すべきだ、ということになるのではないかと思います。しかし、そうはおっしゃらない。東京開催にだけ反対されるのでは、日本だけよければ他の国ではどうでもよい、みたいになってしまいます。

 異常気象は地球の海面温度上昇が原因と言われ、それはおそらくその通りでしょうが、そもそも地球の温暖化はCO2の排出増加によって起きたとする説は間違いだとする学者もあり(太陽の活動変化によって温暖化が先に起き、その結果CO2が増えたのだとする説など)、その真実は多数決で決まるようなものではないと思います。
<つづく>

2750復興G:2013/09/11(水) 00:12:07 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 ともかく、神はこの世界を創り給うて 「甚だ善し」 とおっしゃった、その 「みこころの天に成る世界」 が既にあることを信じ、「神の子」 の自覚を確立して愛と感謝に生きることが根本である。

 「みこころの天に成る世界」 は、

 ≪すでに 「実相の世界」 においては、すべての物が、宇宙の本源たる “唯一の神” に中心帰一し、一切の生物、たがいに兄弟姉妹として相和し相睦び、すべてのものその処を得て大調和の相(すがた)であるのである。≫
(「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」)

≪  十月一日の法語 異なる者の渾一調和

 異なる個性あるものがその個性を没却せずして互いに協力しつつ完全なる 「一」 となるとき其処に無限の美があらわれるのである。

 その完全なる美の極致の一つは交響楽である。各々の楽器はその個性を発揮し、その各々の吹奏が巧妙であればあるほど全体の音楽は一層妙なるものとなるのである。

 それと同じく、各民族、各人種も、各民族の個性、各人種の個性を発揮しながら渾然たる調和が発揮されるとき、そこに最も美しき文化が建設せられるのである。≫
(『光明法語』)

 という世界である。

 それを 「地にも成らせ給え」 と祈り、現象世界に実現するのが神の子人間の目的、使命であります。それでオリンピックというのは平和の祭典と言われ、世界人類がそういう姿をあらわす祭典として行うのは、神意の実現であって、それをやめるべきだと言うなら、人類は地上に生まれてこなければよかったのだ、ということになりかねません。

 なかでも日本は 「八紘一宇」 (世界人類は皆神の子の兄弟姉妹、世界はひとつの家族) という理想をもって中心帰一のすがたを現してきた日本の、天皇陛下のいます東京で、オリンピックが行われることは、まことに神意の実現であると、私は信じます。

 それを悦ばずして、何をよろこべばよいのでしょう。

 もちろん、ただ喜んで浮かれているだけではだめです。神意実現のために、祈りと決意をもって、真心を尽くし愛を行じてまいりましょう。

2752復興G:2013/09/11(水) 08:17:08 ID:AB6RqYXc

前回1964年の東京オリンピックは「戦災復興」を象徴する五輪だった。
その開会式では空前の世界93ヵ国・地域から集まった選手団が、それぞれの衣装・スタイルで誇らしげな笑顔を昭和天皇様に向け、喜びの礼を表わしながら入場した。

(生政連板869 :アクエリアン様 「感動の東京オリンピック開会式1964年」 より)
https://www.youtube.com/watch?v=1cZAq19IozM&amp;feature=youtube_gdata_player

私は、ここで開会宣言をされる昭和天皇様のお姿を、ハリウッド映画 「終戦のエンペラー」 のクライマックスシーンとオーバーラップさせながら拝ませて頂きました。

 天皇様はマッカーサーの前に進み出て 「このたびの戦争の責任はすべて私一人にあります。他の誰にも責任はないから、処罰は私一人に限っていただきたい」 と申し出られる。マッカーサーは感動して、「処罰など、とんでもない。この国の再建のために協力しあいましょう」 という。

 ここから、その後今に到るまでの日米親善協力の歴史が始まったのである、ということが、ハリウッド映画の大作として公開されるに到ったのです。(>>2568

 2020年のオリンピック東京開催決定の前にこの映画が公開され、どんなに激しい戦いをした敵同士でも、この天皇様のように全く無我無私で一切を自分の責任と引き受けられると、イエス・キリストが 「生命(いのち)を得んとする者はこれを失い、生命を棄つる者はこれを得ん」 と言っているように、陛下は生命を捨てて生命を得られた。

 このような無我無私の天皇様が中心にいらっしゃるから、日本は安定して、世界で最も人気のある国となっている。それで、2020年のオリンピック東京開催が決まった。大震災、原発の大事故も乗り越え、復興した姿を世界に見せて、新しい世界平和への道を示す使命が、今日本に与えられているのではないかと、私は思います。

     夢を描け   谷口雅春先生

若きと老いたるとを問わず
兄弟よ、夢を描け、
蜃気楼よりも大いなる夢を。
夢はあなたの肉体を超えて虚空にひろがり、
ひろくひろく宇宙にひろがる雲となって、
あなたをより高き世界へ
あま翔けらす大いなる翼となるであろう。

此の翼こそ世にも奇(くす)しき翼である。
夢の奇しき翼に乗るとき
若きものは向上し
老いたるものは若返る。

(中略)

兄弟よ、悲しみに打たれるな。
打たれても起き上れ。
描いた夢が破れても
あなたはまだ夢を描く自由はあるのだ。
自分にまだ偉大な力が残っていると想像せよ。夢を描くものにとっては
此の世界は常に新天新地である。

兄弟よ倒れるな、
倒れても起き上れ、
希望を失っても試みが破れても
倒れ切るな。
夢は希望の苗床である。

兄弟よ、出来るだけ明るい大きな夢を心に描け。
自分を暗い悲しいものだと想像するな。
あなたの「心」が全能の創造者(つくりぬし)だということを知れ。
あなたは自分の心で自分を想像した通りのものにするのだ。
自分を暗い悲しいものだと想像したら
その通りにあなたはなるのだ。
自分を明るい偉大な人間だと想像しても
その通りにあなたはなるのだ。
何故なら心は全能者であるからだ。

(後略)

2753あさひ:2013/09/12(木) 01:55:44 ID:u9w/1zYY

復興G様

2020年のオリンピックのことをお書きくださり 嬉しいです。

全く同じ思いです。  日本万歳 万歳 万歳

2754 志恩:2013/09/12(木) 03:30:20 ID:.QY5jUA6
あさひ様もおっしゃいましたが、
復興G様が、オリンピック東京開催決定についての
前向きな発言をして下さってので、とても心強く存じました。

復興G様同様にユタカ様も、ありがとうございます。

他板でも、前向きな発言をされた方々がいらして、うれしいです。

オリンピックが、決まったのですから、
震災復興や経済のことなど 総理が宣言したことを有言実行すべく
政府が一丸となって、取り組んで行かざるを得なくなりました。

政治連合板にも、私は先に書きましたが
これで、原発問題も震災復興も、後回しに出来なくなった。
期限を切られたも同然なのですから。

世界中から人が来るからには、もう日本政府に逃げ場は無いのです。
なんとしても原発を安定させ被災地を復興させなくては世界中の恥さらしになります。

オリンピックが来れば、経済が活性化される。
納税額も増え、震災復興にはプラスに働く。

オリンピック反対派が言う誘致費を復興に回せばよかった、
なんてのは後ろ向きの意見
お金を稼ぐからこそ復興が、いっそう出来る。

7年後という目標が、定められたことは、とてもいいことだと
前向きに私も考えております。

2755ユタカ:2013/09/12(木) 10:05:23 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま あさひさま 志恩さま

ありがとうございます。 

復興Gさまのご文章は、谷口雅春先生率いる優秀で明るくて皆が仲が良くて親切で、明るくて建設的で素晴らしい時代の神誌を思い出しませんか? 本当に嬉しくなってしまいます。


復興Gさまお書き下さるものは

『 神 誌 』です。 神誌がWEB版から今も発行されて続けていると言ってもいいのではないでしょうか?! 私にはそう思えて懐かしくてうれしくて嬉しくてたまりません。そしてこの喜びが日々の生活の生きる力となります。

あんまり素晴らしい!!ので コピーして皆さんでまた、読ませていただきます。 これを自分だけで呼んでは勿体無いと思いますので。

あさひさまも 志恩様も皆さん、嬉しいですね〜〜〜!! 有難いです。

復興Gさま ここで神誌を発行していると思ってこれからも沢山ご活躍くださいね! 楽しみにしております。

=================


私なりに心に残ったので赤線を引いたご文章を下記に・・・

生命の実相第4巻 P、159

山口ーー「縁なき衆生は度し難し」と申す言葉がありますが・・・・。

谷口ーー縁のない衆生はひとりもない。  ただ機縁が熟しているかいないかです。釈迦に弓を引いた提婆達多も成仏する。
    
    キリストを売ったユダも成仏する。地獄も餓鬼も修羅道も成仏する。 地獄も餓鬼も修羅道もいっさいの不完全なものは実在でないから

    「やがて 消える去るべき 運命 をもっているのです。」 以上 謹写 終わります。



あなたが神である。 あなたが仏である。

住吉大神

神愛充満

光明一元

ありがとうございます。

では、今日も一日明るく元気にがんばります!! 勉強がんばる!!

2756ユタカ:2013/09/12(木) 10:11:47 ID:R1D4Jmeg

復興Gさまが好きでたまらない!!

復興Gさま〜〜〜〜!!!


神様だから〜〜〜〜だ〜〜〜〜〜い〜〜〜 好き〜〜〜〜〜〜!!!

ありがとうございます〜〜〜〜!!

2757 志恩:2013/09/12(木) 10:37:43 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

みい〜〜んなの復興G様であることを、お忘れなく!!

2758復興G:2013/09/12(木) 10:40:11 ID:AB6RqYXc

あさひ様、志恩様

 ご賛同のコメント、ありがとうございます。

 私は2020年東京オリンピック決定には神意が働いており、神の御心は必ず実現する。だから、よろこんで神意に添うように私たちみんなが協力し合うことが大切だと思っています。

 神意に添う心というのは、中心帰一・大調和の心、感謝の心です。

 神意に適わない争いと我欲の心を優先させていては、神のご加護を得ることができない。

 神の御心から外れた方向へ暴走すれば、7年後にオリンピックが開催される東京に関東大震災級の大地震が起きないとも限らない。もしそうなったら、世界人類にとっての大ショックとなります。

 決してそうならないように、私たちは今こそ 「世界平和の祈り」 を日々熱祷してまいりたいと思います。神に感謝し、全人類に感謝祝福と愛の実践を行じてまいりたいと思います。私たちにはその使命、責務が与えられていると思います。

2759復興G:2013/09/12(木) 10:58:07 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

私は、毎日 「世界平和の祈り」 とともに、

「神様の天降る 2020年東京オリンピックの大成功」

を祈り続けてまいります。

皆さまも、いっしょに祈りませんか?

(東京第一教区では、全誌友会場に 「神様の天降る誌友会」 という額を掲げて誌友会を行っています)

2760復興G:2013/09/12(木) 11:10:07 ID:AB6RqYXc

ユタカさま、だ〜〜〜〜〜い〜〜〜〜〜好き〜〜〜〜〜!!!

みなさま、だ〜〜〜〜〜い〜〜〜〜〜好き〜〜〜〜〜!!!

日本万歳 万歳 万歳 バンザイ!!!

世界人類  万歳 万歳 バンザイ!!!

2761a hope:2013/09/12(木) 18:11:59 ID:dyDQLtZQ
みなさま こんばんは

本当に、2020年のオリンピック開催が東京に決まり、日本の未来に一筋の明るい光が射したようですね!
ここで、次回 web誌友会の予告をさせていただきます。

 
 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

  第17回web誌友会予告

 日時  9月20日(金)21時30分〜
      9月21日(土)23時まで

 テキスト 『生命の實相』第4巻
       第5章から第8章まで

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


この第5章〜7章までは、雅春先生と談話者の会話形式で書かれていて、とても具体的にわかりやすく真理が説明されていると感じています。
特に、わたしは気功をしていたことがあるので、第5章の『「生命磁気」の流れ』のお話のところは興味津々です。
手と手を合わせる合掌にも、とても重要な意味があるのですね。

このweb誌友会にはどなたでも参加できて、復興Gさまの素晴らしいご指導が受けられます。
どうぞ、みなさま、テキストの範囲を拝読されて、質問はもちろんですが、心に残ったり場所を紹介してくださるだけでもいいですので、気軽にご参加くださいね!

2762復興G:2013/09/12(木) 18:32:01 ID:AB6RqYXc

a hope さま、特にお世話をかけます。

皆々さま、よろしくお願いいたします。

ありがとうございます。

2763トキ:2013/09/12(木) 18:46:39 ID:JoLlTw8I
>>2759

 ありがとうございます。祈らせていただきます。

 また、誌友会のご指導、ありがとうございます。
楽しみであります。よろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

2764トキ:2013/09/12(木) 20:55:53 ID:JoLlTw8I
 先日、私の縁者の「一白鳩会員」と話していたら、大昔の話になりました。

 戦前や戦後の谷口雅春先生の講習会など、活気がすごかったと言います。何よりも、会場から出て来た人の
顔つきが生き生きとしていて、明るく、元気な様子だったといいます。戦前はともかく、戦中や戦後の誌友会
なども、あんな困難な状況だったのに、たくさんの人が集まり、その上、どうやって工面したのか、あの物資
が不足した時代にもかかわらず、茶菓子が出ていたそうです。誌友会に集まる人もみんな素晴らしく、真剣に
道を求める人達の集まりである、という事がよく分かったと話していました。

 そういう誌友会の雰囲気を味わえる機会は、リアルの世界では減りましたが、webの世界では、せめて味わい
たいと思います。

 皆様のご参加をお待ち申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2765復興G:2013/09/12(木) 21:22:44 ID:AB6RqYXc

トキ様

ありがとうございます!

2766ユタカ:2013/09/12(木) 22:12:35 ID:R1D4Jmeg
志恩さま
>みい〜〜んなの復興G様であることを、お忘れなく!! (ドストライクな一言をありがとうございます。)

ですが、早速、復興Gさまの方から、「みなさん、だ〜〜〜い好き!」って言っていただいたからOKですね?! えへっ!えへっ!

2767ユタカ:2013/09/12(木) 22:46:11 ID:R1D4Jmeg

復興Gさま
> 私は2020年東京オリンピック決定には神意が働いており、神の御心は必ず実現する。だから、よろこんで神意に添うように私たちみんなが協力し合うことが大切だと思っています。

 神意に添う心というのは、中心帰一・大調和の心、感謝の心です。

 神意に適わない争いと我欲の心を優先させていては、神のご加護を得ることができない。

 神の御心から外れた方向へ暴走すれば、7年後にオリンピックが開催される東京に関東大震災級の大地震が起きないとも限らない。もしそうなったら、世界人類にとっての大ショックとなります。

 決してそうならないように、私たちは今こそ 「世界平和の祈り」 を日々熱祷してまいりたいと思います。神に感謝し、全人類に感謝祝福と愛の実践を行じてまいりたいと思います。私たちにはその使命、責務が与えられていると思います。


一緒にお祈りさせてください。是非! 賛成です!希望の言葉をありがとうございます。

いろいろ教えてください。

a hopeさま ありがとうございます。

お世話になります。今度の終わりのお祈りは出せるよう旧PCで見ていますね!
いつも本当にありがとうございます。気功されていらしゃるのですね!すばらしいですね、時間のあるときまた聞かせてください。

2768復興G:2013/09/12(木) 23:43:59 ID:AB6RqYXc

ユタカさま

>>一緒にお祈りさせてください。是非! 賛成です! <<

ありがとうございます!

全体の1%の人が真剣に祈ったら、全体の運命が変わると言われています。

毎日、世界平和の祈りの後、>>2759に書きましたように、
「神様の天降る 2020年東京オリンピックの大成功」

を祈り続けてまいりましょう。

具体的な祈りの言葉は、そのときに思い浮かぶ言葉を、思い思いに念ずればよろしいと思います。

ありがとうございます!

2769復興G:2013/09/12(木) 23:51:11 ID:AB6RqYXc

みなさま、web誌友会参考文献板の方も長文になりましたが、お読み下さって、感想をお聞かせ頂ければ幸せです。

2770復興G:2013/09/13(金) 11:08:51 ID:AENtSm/U

>>2755:ユタカさま

>>私なりに心に残ったので赤線を引いたご文章を下記に・・・
生命の実相第4巻 P、159
山口ーー「縁なき衆生は度し難し」と申す言葉がありますが・・・・。
谷口ーー縁のない衆生はひとりもない。ただ機縁が熟しているかいないかです。釈迦に弓を引いた提婆達多も成仏する。キリストを売ったユダも成仏する。地獄も餓鬼も修羅道も成仏する。地獄も餓鬼も修羅道もいっさいの不完全なものは実在でないから
「やがて 消える去るべき 運命 をもっているのです。」<<

――私は上記を読んで、それは具体的にどういう体験があるから 「心に残った」 のか、訊きたいという思いに駆られましたが、やめました。そんなことをしても何のプラスにもなりませんからね。

「縁のない衆生はひとりもない。」
「あらゆる人間は、救われるほかにありようはない」

のですから、われわれは人を救おう救おうと力むのでなく、救いは神様にお任せして、われわれは常不軽菩薩として他を拝んで行けばいいんですね。

2771復興G:2013/09/13(金) 11:09:27 ID:AB6RqYXc

 私は、今朝も 「世界平和の祈り」 をしましたが、そのとき、「我れ」 というものは本来無い。私の中にすべてがあり、全ての中に私はあるんだ。だから、「神の無限の愛、われに流れ入り給いて……」 という 「われ」 は、人類すべてである。だから――

 「神の無限の愛、すべての人類に流れ入り給いて、すべての人類において愛の霊光燦然と輝き給う……」

 そう祈りました。

 そうしたら、おのずから2020年の東京オリンピックでは愛の霊光燦然と輝くすがたの中で、各国選手たちが存分にその個性と無限の可能性を発揮し、生命がいきいきとあふれ出る、すばらしい 「平和の祭典」 として大成功裡に行われると信じられました。

 2020年東京オリンピック大成功、バンザイ!! です。

 ありがとうございます。

2772復興G:2013/09/13(金) 11:20:45 ID:AB6RqYXc

>>2761: a hope さま

>>特に、わたしは気功をしていたことがあるので、第5章の 『「生命磁気」の流れ』 のお話のところは興味津々です。<<

――私は 「気功」 を知りませんので、 「気功」 というのはどんなものなのか、「気功」 と生長の家の教えとはどのようにつながるのか、など、興味津々で、a hope さまから教えて頂きたく思っています。よろしくお願いいたします。

2773トキ:2013/09/13(金) 17:27:26 ID:DGM/Xq/g
 「気功」で少し思い出した事があります。生長の家宇治別格本山に参拝したときに会ったご高齢の信徒さんが、

 『10年程前、大腸がんになり、ある人から勧められて「気功」を始めたら、逆に病状が悪化した。その後、
練成を受けてから、好転をした。」

という話をされていました。別の友人もガンでなくなられたのですが、なくなる前に「気功」をしていた、と
聞いた事があります。しかし、効果がなかったと聞いています。

 もちろん、「気功」は、やはり健康に効果がある人も多いと思います。テレビなどを見ると、不思議な事が
多々あるみたいです。ですから、きっと優れたものに違いありませんが、やはり限界もあると感じます。

2774a hope:2013/09/13(金) 20:30:38 ID:dyDQLtZQ
ユタカさま 復興Gさま トキさま

気功にしても、ヨガにしても、宗教にしても、突き詰めればすべて同じ「人間は霊的実在(神の子)である」という
真理を体得するための方法なのではないかと感じています。

わたしは、病気治しや、他の現世利益のために気功をしていたわけではなく、
自分が独身時代に経験した幽体離脱がなんだったのかを知りたい一心に、精神世界のことを色々調べているうちに、
ご縁があってある気功の先生とめぐり会い、一時期ご指導を受けていたのです。

詳しいことは話せませんがトキさまがおっしゃるように、気功をしているときにはわたしにも色々不思議な事が起きました。

人体をめぐる「氣」の状態がよければ健康ですべてがうまくいくし、滞っていれば病気になったり不幸が続いたりします。
この、気功の「氣」に相当するのが、第5章に出てくる「生命磁気」なのではないかと思うのです。

いずれにしても、それが神の御心に沿った正しいものであれば病気も治り、運命も好転するのだと思いますが、
そうでなければ、反対の結果が現れるのだと思います。

ですから、気功に限らず、宗教も神の御心から外れた教えであれば、同じような危険が伴うのだと思います。

2775復興G:2013/09/13(金) 21:15:29 ID:AB6RqYXc

>>2774 :a hopeさま

なるほど。

私も、「気功」 は病気治しのためにするものではないと思っていました。

a hopeさんは、独身時代に 「幽体離脱」 という体験をされたのですか。それはどんな体験だったのか、お時間のあるときに教えて頂けるとありがたいです。

2776ユタカ:2013/09/14(土) 08:42:18 ID:R1D4Jmeg
復興G様 トキ様へ

今朝も>>2741とWEB版の参考文献の霊性の目覚めを読みまして、浄化されました。

お祈りの大切さ、それがわずかでも全体を動かせると思うと嬉しくなってしまいます。

復興Gさまは連休中もいろいろと多忙でしょうから、連休が終わってひと段落がつきましたら、誌友会の後でも、始まりでものお祈りの時に「神さまの天降りる喜びの平和の祭典東京オリンピック」を震災などがないように?かまたは祝福してのお祈りの言葉を貼ってはいかがなものでしょうか?

今は決定直後で嬉しい!ですが、7年後ですから、途中忘れないようにここで貼っておいては如何でしょうか?

そうすると、世界平和のお祈りもずーーと、熟祷の継続になると思うのですが??

如何なものでしょうか??

2777ユタカ:2013/09/14(土) 08:46:32 ID:R1D4Jmeg
訂正

>2776 お祈りの言葉を貼ってはいかがなものでしょうか?


     お祈りの言葉を貼るというのはどうでしょうか?  に訂正させてください。

2778復興G:2013/09/14(土) 22:01:07 ID:AB6RqYXc

>>2776 :ユタカさま。

>>2741とWEB版の参考文献の 「霊性の目覚め」 は、ほんと、すばらしいですね。読み返して、また私も感銘を深くしています。ユタカさまが貼ってくださったおかげです。

>>誌友会の後でも、始まりでものお祈りの時に 「神さまの天降る 喜びの平和の祭典 東京オリンピック」 を震災などがないように? かまたは祝福してのお祈りの言葉を貼るというのはどうでしょうか? <<

はい、では私の内からわきあがる言葉が出てきましたら、公開させていただきます。

それは私だけでなく、皆さまの内なる神様のみ声と申しますか、思い浮かんでくる言葉も、遠慮なく公開してくださいますように。

ありがとうございます。

2779a hope:2013/09/15(日) 11:43:09 ID:dyDQLtZQ

復興Gさま

わたしの幽体離脱(体外離脱)体験ですが、あまり詳しい説明をすると身バレしてしまうので簡単にしか書けませんが・・・。
20代前半のとき、心身ともにものすごいストレス状態にあったときに経験したのです。

当時のわたしは、「神」の存在を否定し続けていました。
その時も、「神なんかいるはずがない。神がいたらわたしをこんな苦しめるはずがない。もし神が姿を現したらたら殴り殺してやる。」
というような恐ろしいことを呪文みたいに唱えながら自室のベッドに横たわっていたのです。

そしたら、突然、わたしの体がフワリと浮いて、天井から下を眺めていたのです。
そこで、見たのがベッドに横たわる自分自身の姿でした。

なにが起っているのか全く分からず、不安になって「自分の体に戻りたい!」と思った瞬間に戻りました。
その時の感覚ですが、それは夢とか幻想ではなくて、ものすごい現実感があったので今でもはっきり覚えているのです。

その経験の後、すぐに神の存在を認めたわけでも、自分が「霊的実在」であることを悟ったわけではありませんが、
とにかくまわりの景色が以前よりもずっと明るく見えて、気持ちがとても楽になりました。

余談になりますが、その後海外に行く機会があったのですが、その体外離脱した時の浮遊感が、
飛行機が滑走路から離陸した後、高度を上げていくときの感覚にすごくよく似ているのに驚きました。

最近では、あの時の体外離脱経験は、神が「あなたはそんなに苦しんでいるけれども、本当のあなたはその肉体ではないんだよ。」ということを、
つまり、人間は「霊的実在」であることを、気づかせてくれるきっかけを与えてくれたのではないかと思っています。

実際、その後徐々にわたしは精神世界に目覚めていきましたから・・・

本当にすべての出来事には意味があるのだと思います。

2781復興G:2013/09/15(日) 20:11:34 ID:AB6RqYXc

>>2779 :a hopeさま

幽体離脱(体外離脱)体験について詳しく書いて下さって、ありがとうございました。

そういうことが、あるんですね。

2782山本富士子:2013/09/16(月) 19:46:34 ID:ugbc/P.M
合掌 ありがとうございます。
復興 G 様
いつもレベルの高いまごころあふれる誌友会を開催してくださり
ありがとうございます。ピントがずれた質問かもしれないと思い、
迷う気もありますが、質問させていただきます。
私は「今のおしえ」問題について、雅春先生だったら、なんとお答えに
なるだろうか?と考える時に思い起こす本に「善と福との実現」の中で
恵美子先生の離婚問題が書かれてあるご文章のなかに、ある信徒がみ教えを
実践すべきではないかといわれたことに対して先生は信徒の誰がそこまで実践
したものがあろうかと答えていました。(その時、私はみおしえの底の深さに
、G様のご文章を拝読するときもそれは感じます。)
そして、もしかしたら雅春先生は、全面的に雅宣総裁についていきなさいと
いうのかなとおもったりしてしまいます。

☆しかし私は幸せな気持ちで誓願券を記入することができないのです。
全然変わってしまった文章をまごころこめてかくことができないのです。
そして、それを書くことをことわることもできないのです。わずか数枚のわりあてを
上手に断ることができないのです。
実相完全円満のすばらしさ(講話)に感動する心とは別にこんなささいなことに
こだわる自分があるのです。
G様にはなにをお聞きしたいのかわけがわからなくなりましたが、、、、

2783復興G:2013/09/16(月) 23:21:45 ID:AB6RqYXc

>>2782 :山本富士子さま

 ご質問、ありがとうございます。

 私は、『善と福との実現』 のご本を持っていますけれども、その中で 恵美子先生の離婚問題が書かれてあるご文章 というのをよく読んでいませんでした。

 今、じっくりと読んでいるところです。

 よく読んでから、明日、お答えするつもりですので、しばらくお待ち下さい。

 ありがとうございます。

2784復興G:2013/09/17(火) 10:13:12 ID:AB6RqYXc

>>2782 :山本富士子さま

 ご質問、ありがとうございました。

 『善と福との実現』 のご本を読み返しました。

 お気持ちは、わかります。

 私だって、迷います。ささいなことにこだわりもします。

 現象世界に生きていれば、だれでも迷います。

 谷口雅春先生も、迷われた。それは、『善と福との実現』 に書かれていますね。

 このご本を持っていない人のために、その内容の一部、私が感銘を受けたところを謹写掲示させていただきましょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 離婚は悲しきことであり、離縁は痛ましきことである。私にも地上の悲しみがあり、避けがたき悲劇がある。私を、天上の御簾(みす)の奥にある寳座(ほうざ)に坐つて如意自在の法悦三昧にふけつてゐる神様だと思つてゐる人があるかも知れないが、私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから憐むことによつて多くの人達の悩みを知る。

 私は自分の妻と子供の病苦をみづから征服することによつて多くの人々に病苦克服の道を教へて彼らを救ふことが出來たのである。家庭苦の問題に於いても同様である。眞に体験を通してのみ悲劇が如何ほどのものであるかを知ることが出來る(悲徳)。それは私に使命的に課せられた課題だと云ふことが出來る。

 私が人生に於いて嘗める悲劇は、わたし自身がつくるものではないのであつて、神から如何に解決するかの課題として提供せられたものである。私はひとつひとつそれを解決することによつて、人間苦は斯くの如くにして解決し得るものであると云ふ具体的解決法の模範を示すべき使命があるのである。

 みづから苦しむことによつて他の人の苦しみを解決し(悲徳)、他の人に樂なる生活を開示しなければならない(慈徳)。そのためには實相を観て喜ぶ方法(喜徳)と、行くべきを行かしめ、捨つべきを捨てしめて、解放によつて相手を救ふ方法(捨徳)とがある。

 慈悲喜捨の四徳は互にからみ合つて糾(あざな)へる縄の如きものであり、時にはみづから苦しみて体験によつて苦を乗り超え、抜苦の方法を示さなければならないのである。

 私は貧苦を身みづから体験し、關東大震災にて焼け出され、眞に無一物になつてから、人より富を頂かずして神より富を仰ぎ受ける道を発見し、その道を人々に授ける事によつて多くの人々は救はれたのである。

 眞に体験を通して得たる「苦」の克服の道でないものは迫力がなく権威がない。私は養父母と新夫婦との生活の調和の道を、たがひの生活を別にして、互が互を縛らぬやうに生活し得ることにしてそれを解決したのであつた。

 人間は幾度も生れ更る世代のうちに色々の人生の体験を経なければならないのである。釈迦も過去現在因果経や本生経を読むと、色々なものに生れて來てをられる。かくてこそ人を救ふ完全な人師となることが出來るのである。

 併し、まだその頃には私には、悲しい離婚の経瞼もなければ、苦い離縁の体験もなかつた。離婚の悲しみ、離縁の苦しみに悩みゐる者は如何にしてその悩みから脱し得るだらうか。

 それは頭脳ではわかつてゐるにしても眞に悲痛な体験を身みづから体験しなければ、眞に悲痛な家庭苦に悩む者のために倶(とも)に泣き、倶に苦しみ、その苦しみから解脱する伴侶となることは出來ない。それは悲徳の足りない道學者となり勝である。

 さう云ふ道學者は、ただ離婚したならば相手の實相を拝みやうが足りないのだと簡単に批判する。相手の悲しみに同悲する心もなければ、その苦しみを眞に抜き去る慈徳もない。
   (谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

<つづく>

2785復興G:2013/09/17(火) 15:44:49 ID:AB6RqYXc

>>2784のつづきです。

 谷口雅春先生は、同上書に、あるご婦人に対して次のようなご指導をされたことが記されています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 或る時の白鳩会例会で一人の婦人が、「結婚してから一年になりますが、良人(おっと)の妹が事毎に自分に楯ついて、一緒に生活するのが到底たへがたい思ひがします。一そうのこと離婚して頂きたいと思つてゐますが、先生一体どうしたら宜しうございませうか」と問うたのであつた。

 私は其の時、日本の家庭が今迄どんなに人間を縛つてゐるものであるかを痛感したのである。結婚は新夫婦當事者の愛の結合であつて、決して「小姑」と称せられる如きものから窘(いじ)められるために結婚するものではないのである。また良人の姉妹であるがゆゑにとて彼の妻を圧迫して好(よ)いものではない。其処には日本の家庭にありがちな、深く父コンプレックスに根ざしたところの悪習俗が残つてゐると云はなければならないのである。

 良人側に属する姉妹なるが故に、妻側をいぢめて好いと云ふやうな考へが、完全に日本の各人からぬき去られない限りは、日本の家庭の不幸は払拭されやうがないのである。

 無論、いぢめられるのは其の婦人自身の自覚が足りないのでもある。恐らく其の婦人の心の中に、嫁に行けば姑や小姑とからいぢめられるのが當然である。これは巳むを得ざる女性の運命であると云ふやうな諦めが其の婦人の心の中に存在したことが、其の婦人が小姑からいぢめられた原因の最大なものであるのであらう。

 『智慧の言葉』にも、「人間は先づ自分を侮つて他より侮られる」と云ふことが書かれてゐる。「弱きものよ、汝の名は人妻なり」と云ふやうな氣の毒な自己輕蔑自己侮辱が、他の圧迫を招び出すやうになつてゐるのだと云ふことも出來るのである。私はその時斯う答へて云つたものである――

 「なにも貴女は妹からいぢめられる必要はないではありませんか。世の中には姑にいぢめられる嫁もあるが、姑をいぢめる嫁もある。それは必ずしもどちらを窘(いじ)めるかは決つてゐない。しかし弱い者は強い者に窘められるのであつて、その反封はあり得ないのです。

 貴女が妹にいぢめられると云ふのは貴女が弱いからなんですよ。あなたの爲すべきことは貴女が強くなることなんです。鼠(ねずみ)は猫に窘(いじ)められる。それは鼠の方が猫より弱いからです。鼠が強くて猫が騒ぎ立てても平然としてゐるし、咬みついて來たら、逆に払ひのける力があるならば、猫は決して鼠をからかひには來ないでせう。他から虐められないためには先づ強くなることが必然です。」
   (谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――そうしてこのご婦人には、夫婦が一緒にその妹のところから去って別居することを勧められたのですね。

 愛娘 恵美子様の最初の結婚の場合は、戦時中のことでしたが、夫と性格が合わなくて、夫を尊敬し愛したいと努力しながら、どうしても愛することができなくて、悩み苦しみ、だんだん痩せ衰えて行く。それを、「私が悪いのです」 と自分を責めつづけている恵美子様の日記を見られて、谷口雅春先生は婿養子になっていた恵美子先生初婚相手の夫を離縁、離婚させられるわけですね。そうして――

≪私は雑誌に、離婚のことを発表したのである。(中略)

 平和家庭の模範であると考へられてゐる私の家庭に養子の離縁を発表することは、自分で自分の顔に泥を塗るやうなことになるのである。けれども私は自分で自分の顔に泥を塗ることに決心したのである。私は私がどんなに攻撃されても誤解されても好い、娘の生涯に新しい希望と道とを開かねばならないと考へた。

 今のやうに娘の良人がただ漠然と召集されて消息がないかのやうに、朦朧たるうちに隠されてゐたのでは娘は再び結婚の幸輻を味ふことは出來ない。ハッキリ別れたことは別れたと発表することによつて次の新生活の道がひらけるのである。私は決心して養子の離婚を発表したのであつた。≫
      (谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)

<つづく>

2786復興G:2013/09/17(火) 16:42:28 ID:AB6RqYXc

>>2785のつづきです。

 谷口雅春先生も、こうしてある意味でたいへんお悩みになったと考えられます。先生は

 ≪私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから憐むことによつて多くの人達の悩みを知る。≫

 と書かれているわけです。

 そうして――

 ≪一切衆生 悉有佛性 の眞理は、一切の男女を平等に 「佛」 として礼拝し、「佛」 として自由に幸幅を創造し享受することが出來る時代が來たのである。私の娘も、「佛」 のひとりとして、男性に劣らず初婚ならずとも幸福を創造し、享受する自由を得ることになつたのだ。併し、娘は尚、自分は再婚だから、二度目の結婚はどうせ、好い相手を選ぶ資格はないと信じてゐる……

 「汝の運命は、汝の信ずる通りのところのものである」

 この生長の家の教は眞實である。「私はどうせ好きな相手を選ぶ資格はない」 と云ふ娘の信念は、自分で自分の運命に堰をすることになつてゐる事を観た。

 世間の多くの女性たちが、みづから最も良き相手を選ぶ資格がないと、自分で自分を限定して如何に不幸の運命に自分を幽閉してしまつたことが多いことであらう。

 私は、私の娘の運命をきりひらくことは、ただ自分の娘の運命だけの問題ではないと思つた。私の娘と同じやうな境涯の幾十萬人の婦人の運命をひらいて見せるために神が私に斯のやうな課題を與へた。

 「人間は再婚でも何でも、みづからを不幸にわざと押し込め鎖ざさない限りは、無限に新たなる幸福が待ちかねてゐるものである」 と云ふ眞理を實際に實現して見せることによつて、幾十萬人の再婚の婦人の運命を救ふことになつてゐるのである。

 それは初婚の良人と生きて別れた女性だけの問題ではないのである。應召した良人に死別した女性の再婚の問題の解決は、今後の日本の女性にとつては由々しき問題を提供してゐるのである。

 みづから好んで、一人の良人を守り通す健氣(けなげ)な婦人のことは別として、傅統に縛ばられ、習俗に阻まれて再婚する決心もつかず、再婚するにしても、「どうせ私は再婚だから幸幅な結婚は出來ない」 と自分の運命を迷信で縛つてゐる女性のために、再婚は決して神の掟に反(そむ)くものでないこと、

 過去はないこと、人間は常に 「今」 新生するものであること、そして人間はいつでも永遠の処女であり、永遠の神性であるから、どんな時にも、最大の幸福生活を希望する自由と権利とを神から與へられてゐるものであること――

 此の眞理を、ただ説くだけではなく、生活に實践しなければならない。それは私の娘の運命を救ふと同時にそれを模範として、幾十萬の若き日本の未亡人を救ふ事になるのであり、それこそが神が私に解決すべく課したる処の課題であると。

 私はその時、一人の青年の姿を私の娘の良人として思ひ浮べた。そしてそれは成就した。彼の名は荒地清超と云ひ……≫
    (谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)

――ということになるわけですが、その間、次のようなご指導があります。これは、たいへん素晴らしい貴重なご指導だと思います。
<つづく>

2787復興G:2013/09/17(火) 16:43:05 ID:AB6RqYXc

>>2785のつづきです。(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)

 ≪娘が時々母親にすすめられたままに日曜の道場の集会に來るときには、私は、無時間、無空間の話をしたり、「今」「此処」の一点のみあつて過去もなく未來もない、随(したが)つて、過去の罪もなく、未來に流転する業因も存在しないと云ふやうな話をした。

 神のつくり給ひしこの世界には一切の悪もなく罪もない、吾々はあるべきやうにあらしめられるべく、内部の神の催しによつて動かされてゐる。自分で「かう生きよう」と力むときは、そのままがくだけ、神の催しがくだける。來るもの、催して來るものは悉く有り難いものだけである。

 旧(ふる)い道徳的の眼をもつて人を批判してはならない、眞に民主主義の宗教は、「人を斯くあれ」と縛る宗教ではない。各人の内から催して來るところの催しをいづれも神の催しであると拝んでそのまま受けるとき煩悩もそのまま菩提である。

 悩みは「悩み」と云ふ實在があらはれてゐるのではなく神の實相があらはれようとする陣痛の如きものである。悩みを通じて實相が尚一層輝いて顯現する。

 しかもその陣痛の如き悩みもお産のときの陣痛が、産婦の心持で無痛分娩となつたり、快樂となつたりするやうに、神性があらはれ向上するための魂の陣痛も、それは必至のものではなく、受ける心持の如何によつて苦痛が苦痛でなくなるのである。

 苦痛は本來無いのであつて、それは如何にして人生の体験を受けるかの受け方の練習課題としてあたへられる。課題は過ぎ行くべきものであつて、いつまでも課題をつかんでゐるのでは進級が出來ないのである。

 あらゆる体験は人生の教科として與へられたる課題である。離婚と云ふやうな人生上の悲劇も、その課題と真剣にとり組んでそれを解決するとき、そのやうな問題と取組まなかつた人々よりも其の人の魂は進化するのである。……≫
    (谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)

<つづきます>

2788復興G:2013/09/17(火) 17:23:46 ID:AB6RqYXc

さて、>>2782 で 山本富士子さまは、

>>私は 「今のおしえ」 問題について、雅春先生だったら、なんとお答えになるだろうか? と考える時に思い起こす本に、「善と福との実現」 の中で 恵美子先生の離婚問題が書かれてあるご文章のなかに、ある信徒がみ教えを実践すべきではないかといわれたことに対して
先生は信徒の誰がそこまで実践したものがあろうかと答えていました。

そして、もしかしたら雅春先生は、全面的に雅宣総裁についていきなさいというのかなとおもったりしてしまいます。

☆しかし私は幸せな気持ちで誓願券を記入することができないのです。

全然変わってしまった文章をまごころこめてかくことができないのです。

そして、それを書くことをことわることもできないのです。わずか数枚のわりあてを、上手に断ることができないのです。

実相完全円満のすばらしさ(講話)に感動する心とは別に、こんなささいなことにこだわる自分があるのです。<<

――と書かれていましたね。


誓願券については、この板の>>2586>>2625あたりでいろいろ論議してきました。私は、>>2608のように書いて提出しました。

ユタカさまが>>2604で言われているように、
「教化部から文句が来たら、返して下さい、それでは提出しません とハッキリ言おう」
を実行するつもりです。

でも、これにはかなりの決意と勇気が要ることです。

山本富士子さま。

どうぞ、強くなってください。

≪神のつくり給ひしこの世界には一切の悪もなく罪もない、吾々はあるべきやうにあらしめられるべく、内部の神の催しによつて動かされてゐる。自分で 「かう生きよう」 と力むときは、そのままがくだけ、神の催しがくだける。來るもの、催して來るものは悉く有り難いものだけである。

 旧(ふる)い道徳的の眼をもつて人を批判してはならない、眞に民主主義の宗教は、「人を斯くあれ」 と縛る宗教ではない。各人の内から催して來るところの催しをいづれも神の催しであると拝んでそのまま受けるとき煩悩もそのまま菩提である。

 悩みは 「悩み」 と云ふ實在があらはれてゐるのではなく神の實相があらはれようとする陣痛の如きものである。悩みを通じて實相が尚一層輝いて顯現する。≫

 のですからね。

 あなたはそのまま、神様の自己実現なのです!

 よろこびましょう!

2789トキ:2013/09/17(火) 19:32:32 ID:p7wViwYo
 谷口雅春先生のご文章を拝読し、ある戦前ご入信の先達の話を思い出しました。

 この件があったとき、谷口雅春先生はかなり悲しまれたそうです。ところが、あるお弟子さん(K氏としておきます)
が、この件で、谷口雅春先生を批判されたのを聞き、当時、若輩ながらも谷口雅春先生の事を尊敬していたその先達
は唖然とされたそうです。その後、K氏は生長の家を辞めて、一派を立てられたので、その先達はそのことを思い出し
たそうです。

 ただ、それまでは信徒が離婚をするのを憚れる雰囲気があったそうですが、その件があって以降、その事をとりたてて
問題にする風潮はなくなった、と聞いています。

 どうも、話の腰を折るような話をして、申し訳ありません。

2790トキ:2013/09/17(火) 19:34:52 ID:p7wViwYo
 それと、思い出したのですが、その先達と話している時に、

 『尊師の悲願である人類光明化運動・・・」

と話したら、

 『悲願ではなくて、喜願ですよ」

と訂正をされた事がありました。復興G様のご文章を拝読し、思い出しました。失礼をしました。

2791復興G:2013/09/17(火) 20:43:16 ID:AB6RqYXc

お詫び・訂正です。

>>2784>>2786
×私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから[憐む]ことによつて多くの人達の悩みを知る。
                                                                       ↓
○私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから[悩む]ことによつて多くの人達の悩みを知る。

2792復興G:2013/09/17(火) 20:46:46 ID:AB6RqYXc

トキ様、ありがとうございます。

>> 『尊師の悲願である人類光明化運動・・・」

と話したら、

 『悲願ではなくて、喜願ですよ」

と訂正をされた事がありました。<<

――「悲願」 は、「慈悲の心から発する、衆生を救うための誓願」 ということで、本来 「悲しい」 とか 「悲壮な」 という意味ではなかったので、「尊師の悲願である人類光明化運動・・・」 でもいいんでしょうけどね。

2793山本富士子:2013/09/18(水) 03:08:13 ID:ugbc/P.M
合掌 ありがとうございます。

復興G様
《山本富士子よ! つよく、あれ!》ご指導の一言確かに
いただきました。
我は金剛不壊身なり!実相完全円満なり!としずかに称えながら
新生させていただきます。
百万運動とかいう、野望のてさきにだまされたのではなく
たしかに理想世界誌に盛られた雅春先生のご文章に感動した
若い日々だったのだと、悲しい気持ちも払拭できました。

ご指導ありがとうございました。 合掌

2794a hope:2013/09/18(水) 09:44:17 ID:dyDQLtZQ

>>2793 新生(神性)山本富士子さま

<<我は金剛不壊身なり!実相完全円満なり!としずかに称えながら
新生させていただきます。>>

お誕生おめでとうございます!

生長の家の教えは、世界最高の教えです。
その教えに忠実に生きればわたしたちは必ず光り輝くのだと思います。

「いのちを守り、人々の魂を救う運動」こそ「生長の家の運動」ではないのでしょうか?
すくなくとも、今現在の生長の家がする運動はわたしにはそれ以外は考えられません。

「教団」」がそれをしないのであれば、自分が足元からしていけばいいのだということに、
大熊先生の「いのちを守る」運動への意気込みを拝見していてやっと気づかせていただきました。

もちろんわたし自身も、大熊先生の「いのちを守る親の会」を支援させていただいています。
そして、たくさんの奇蹟をいただき、感動の毎日を送らせていただいています。

2795a hope:2013/09/18(水) 09:46:05 ID:dyDQLtZQ

>>2790 トキさま >>2792 復興Gさま


トキさま:<< 『尊師の悲願である人類光明化運動・・・」と話したら、 『悲願ではなくて、喜願ですよ」と訂正をされた事がありました。復興G様のご文章を拝読し、思い出しました。失礼をしました。>>

復興Gさま:<<――「悲願」 は、「慈悲の心から発する、衆生を救うための誓願」 ということで、本来 「悲しい」 とか 「悲壮な」 という意味ではなかったので、「尊師の悲願である人類光明化運動・・・」 でもいいんでしょうけどね。>>


わたしは、このお二人のやり取りを拝見させていただいて、今まで自分の中で「もやもやしていたもの」がすっきりとしました。

「実相独在」を貫き通された榎本恵吾先生の御文章等を拝見していると、生長の家の運動は「よろこびの運動」ではなければいけないということはとても良くわかるのですが、
その運動の発進の動機も「よろこび一色」でなけれいけないような気がしていたのです。

ですが、今回、「悲願」という言葉の意味をあらためましてyahooの辞書で検索しみまますと、

―――――――――

語辞書の検索結果 - 大辞泉(JapanKnowledge)

1.
ひ‐がん【悲願】

1 ぜひとも成し遂げたいと思う悲壮な願い。「年来の―が実る」
2 仏語。仏・菩薩(ぼさつ)が慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓い。

――――――――

という、二つの意味があることがわかりました。
「生長の家」の光明化運動は、まさにこの″2″の意味、「菩薩(ぼさつ)が慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓い。」が発進の動機であったのだと確信できました。


この菩薩の慈悲の心というのは、右翼・左翼も関係なく、日本人・中国人・韓国人・アメリカ人・・・関係なく、
胎児・老人関係なく、貧乏・金持ち関係なく、教団・本流関係なく、都会・自然関係なく、
すべての人類の魂を平等に救えなかったら本物とは言えないと思います。

谷口雅春先生は、まさにそのような大きな菩薩の慈悲の心で「人類光明化運動」を始められたのだと感じました。

感謝。合掌。

2796復興G:2013/09/18(水) 20:16:46 ID:AB6RqYXc

>>2793 :山本富士子様。

ありがとうございます!

 私は今、明後日20日夜から始まる第17回web誌友会のテキストになるところを再読しているのですが、『生命の實相』 第4巻 150〜152頁に、次のようなご指導があります。

 歌川さんという方の体験発表についてのご指導ですが、私はこの 「痛み」 についてのご指導は、人生のすべての悩み、苦しみについても当てはまるのではないかと思いました。

 その部分を謹写させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 歌川 (前略) わたし自身はまだ本当に健康になりきれないのです。先日も神経痛で激しく痛むものですから、『生命の實相』 の一部分を一所懸命に読んで、肉体は物質だから痛むはずがないという念を強く心に思うようにしましたが、痛みが依然として止まないので、諸方の洋裁の講習に出ますのにはさしつかえるものですから、とうとう医者にかかって治しました。

 谷口――あなたはその痛さを病気だと肯定して、その痛さからのがれようとしていられるから痛みが去らないのです。あなたはその痛いということを病気だと思いますか。一局部が痛むということは全身の血液をその一局部へ集中する動員命令がくだっているということです。

 胃痙攣(けいれん)などで激痛があったり、手足に激しい痛みを感ずる時には、おうおう脳貧血を起こすことがあるものですが、これは脳髄の血液にも動員令がくだって、故障のある一局部へ血液軍をし集中する結果、一時的脳貧血を起こすのです。

 痛みは激しいほどよく、熱は高い方がよい。痛みも熱も病気ではない。かえって病気を治す生命力が強く働いている結果です。物質なる肉体そのものは痛んでいるのではない。肉体は物質であるから本来痛覚はないというのはそういう意味です。肉体が痛んでいるのではない、心が血液に動員令をくだしているのです。

 痛むということは、われわれに対するなにか害物の襲来に防禦戦を展開している証拠で、その防禦軍の指揮官がわれわれの心なのですから、痛いときにこれは大変、大病だと思って心が萎縮すると、敵に恐怖して全防禦軍の指揮官が退却命令をくだしたのと同じである。溶菌細胞、抗毒細胞、自療修覆細胞などの兵卒どもが萎縮してしまって、敵の蹂躙にまかせてしまうことになる。そのために病気の経過が永びき、かえって痛みの期間が永びいて治らない。

 これに反してこの痛みはけっこうなことである、痛みは病気になったのではない、病気を治しているのである。盛んに防禦戦を行なって敵を早く撃破してくれと思っていると、全身細胞の総帥たるわれわれの心が少しも恐怖しないので、全防禦細胞軍の士気がふるいたち、敵がすみやかに剿滅(そうめつ)されるから、血液の召集命令たる痛みもすみやかに解除されて、痛みが間もなく治るのです。

 痛みを恐れて逃げようとすると、痛みはかえって永びく。痛みを喜び迎えるほどになると痛みはかえって早く去る。「恐るるものは皆きたる」というのが心の法則なんです。

 あなたの××炎の痛みが永びいたのは痛みを逃げようと思ったからです。しかしその痛みの頂上が来たから医者にかかって治ったといわれるが、医者にかからなくとも痛みの頂上は防禦戦の頂上だから、その次には放置しても治るのです。

 この肉体の痛みということは、一つの自分の身に近い実例であります、人生の痛み――人生では痛みといわず、悩み苦しみというのですが、この人生の悩みでも苦しみと思って逃げまどえば、いっそう苦しくなる。この苦しいのは治す働きである。いい換えれば、自分の神の子たる真性を鍛え顕わす働きであると思って敢然と受けることにすると、苦しみがそんなに苦しみでなくなんなく人生の苦しみをくぐり抜けることになるのです。
(以上、『生命の實相』 第4巻 150〜152頁より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――肉体の痛みは病気ではなく、生命が血液に動員令をくだしているのである。

 人生の悩み苦しみは、神の子の真性を鍛え顕わす働きである。

 感謝して受け、逃げないことにいたしましょう。

2797トキ:2013/09/18(水) 20:23:00 ID:HPyZdUGM
復興G様

 ご指導、ありがとうございました。また、a hope様の言われる通り、悲願は、慈悲の事ですね。納得しました。

2798復興G:2013/09/18(水) 20:26:59 ID:AB6RqYXc

>>2795 : a hope 様

>>この菩薩の慈悲の心というのは、右翼・左翼も関係なく、日本人・中国人・韓国人・アメリカ人・・・関係なく、胎児・老人関係なく、貧乏・金持ち関係なく、教団・本流関係なく、都会・自然関係なく、すべての人類の魂を平等に救えなかったら本物とは言えないと思います。
谷口雅春先生は、まさにそのような大きな菩薩の慈悲の心で「人類光明化運動」を始められたのだと感じました。<<

 まさに、その通りですね。

 その法燈を、信徒ひとりひとりが、しっかと継承しなければなりませんね。

2799復興G:2013/09/18(水) 22:12:07 ID:AB6RqYXc

>>2797 :トキ様

 ありがとうございます。大変失礼しました。


 話は戻りますが、谷口雅春先生が 『善と福との実現』 の中で、

 ≪私を、天上の御簾(みす)の奥にある寳座(ほうざ)に坐つて如意自在の法悦三昧にふけつてゐる神様だと思つてゐる人があるかも知れないが、私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。≫

 と書かれていることに関連して、私は東山(とうやま)半之助先生がご著書 『ざっくばらん』 に書かれていることを思いだしました。「師は壇上に泣き給う」 というご文章です。

 『ざっくばらん―この道三十年―』 のカバーそでに書かれている 「著者略歴」 には

<<著者略歴 明治24年香川県に生まれる。高等小学校卒業後新聞配達、貸本屋等を経て朝日新聞・時事新報の地方記者となり活躍。38歳にして郷土の新聞「四国民報」社長となり、在職16年。その間生長の家の信仰に救われ、終戦後本部講師・理事となる。昭和30年3月より1年間ハワイ駐在布教に従事。現在(昭和40年当時)生長の家本部講師・個人指導部長、また日本教文社取締役・四国新聞社相談役。>>

 とあります。

 <つづく>

2800復興G:2013/09/18(水) 22:12:48 ID:AB6RqYXc

 <つづき>

 さて、その 「師は壇上に泣き給う」 です。

   *  *  *  *  *  *  *

師は壇上に泣き給う

 明朗とほほ笑みと和顔をモットーとせられる先生が、一千名近い信徒と若き血燃ゆる青年大衆の前で、本当の衆人環視の壇上に立たれて、白いハンヵチで顔を蔽われつつ咽(むせ)び泣かれたことがある。そして聴講者大衆も先生の涙に誘われて嗚咽(おえつ)して泣き、中には声をあげて泣くものさえあったのは、まさに歴史的事態といわねばならぬ。

 昭和二十五年五月三日。尾道市久保町の加藤慶一郎、豊子夫妻が半生の心血で築きあげた割烹旅館「藤半」の全域を挙げて生長の家に寄進した、尾道市生長の家道場で、全国青年大会が開催され、谷口総裁、輝子奥様、清超副総裁が西下御臨席で、全館満員の大盛況であった。

 まず清超先生が青年を湧かせる名講演で大会が開かれ、輝子奥様はあの清麗なお姿に満場の視線を集めてお立ちになり

 「私の父はすでに四十年前――私の十二歳の時に亡くなりました。私は十番目の末っ子で、ことに父に可愛がられましたが、その父の愛はいまだに私の心の中にはっきりと生きております。私は日本一の父だとその当時から今もなお固く信じております。

 父は無口な性(たち)で子供たちには何にも話しませんが、母は子供たちに町内第一の父だと常々言いつづけておりましたのが、私の心の底にしみとおったのでございましょう。父はまた、母を生涯一人の女として深く愛しておりました。

 いま私は娘恵美子にも、先生を日本一の父だ、夫だと教えております」

 と冒頭されて、女性のため感激無上の御講演があり、やがて谷口先生が登壇せられた。沈痛なる語調で……

 「今、私は家内から、日本一の夫であり、父であるとか何とか言われましたが……私はそのような資格あるものではないので……」

 と絶句して嗚咽され、白いハンカチで涙をぬぐわれつつ、涙声で――

 「ほんとう言えば、こうした壇上に立って多くの人々に向かって、教えを説く資格が自分にあるとみずから信じ得る人がはたして世にありましょうか……」

 と嗚咽がつづく。

 満場寂(せき)として静まり返った瞬間、たちまちあちらこちらから咽び泣きの声が、すすり上げる声が起こると思う間に、悲鳴に似た男の泣き声が私のすぐそばから起こった――大阪教区の重鎮 星丘重一(ほしおかしげかず)氏であると認めた瞬間、私もとうとう咽喉(のど)の奥から泣き声がほとばしってしまった。

 満場惨然たる流涕(りゅうてい)嗚咽の声、悲しみにあらず、歎きにあらず、哭(こく)するにあらず、慟(どう)するにあらず。ただ如来大悲の前にみずからを顧みて 「心は蛇蜴(だかつ)の如くなり」 と自責悲泣した親鸞と同じき、谷口先生の謙虚無執の自己懺悔の大慟哭に、呼び醒まされた自己叱咤の涙であった。

 「師は壇上に泣き給う」と語り伝えられて、全国の本部講師と地方講師は、粛然とその言動を慎しむに至った。

 「寝床を他(ひと)に始末させるのは豚である。講師は豚であってはならぬ」と神誌にお書きになり、本部講師が巡講の旅先で夜具蒲団を始末する習慣が始まったのも、この頃からである。
(東山半之助著 『ざっくばらん―この道三十年―』 より)

   *  *  *  *  *  *  *

 ――同書には、そのほか、戦前から谷口雅春先生のお側に仕えた東山氏の、今となっては本当に貴重な、先生に関するエピソードが満載されていますね。

2801復興G:2013/09/18(水) 22:18:27 ID:AB6RqYXc

訂正です。

「心は蛇蜴(だかつ)の如くなり」→ 「心は蛇蝎(だかつ)の如くなり」

2802a hope:2013/09/19(木) 09:34:25 ID:dyDQLtZQ

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

  第17回web誌友会予告

 日時  9月20日(金)21時30分〜
      9月21日(土)23時まで

 テキスト 『生命の實相』第4巻
       第5章から第8章まで

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


みなさま、ありがとうございます。

第17回web誌友会が明日の夜から開催されます。
今回は、準備祈願ではなくて開会時間の21時30分になりましたら、「開会の祈り」と「開会宣言」をさせていただきます。

復興Gさま、トキさま、ユタカさま、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

2803山本富士子:2013/09/19(木) 09:51:31 ID:ugbc/P.M
a hope 様
いつも誌友会で、丁寧な誠実な対応と投稿に
感謝しながらよませて頂いています。
すてきなお誕生祝いメッセージありがとう
ございました。 合掌

2804 志恩:2013/09/19(木) 13:48:57 ID:.QY5jUA6
2799で復興G様が、

東山半之助先生の著書「ざっくばらん」のお話をして下さいましたので、
私は、生高連のときから、東山先生のご講話を拝聴しておりましたから、
大変お懐かしく 東山先生の事、回想しております。

本部に奉職している間も、機会のあるごとに、お話させて頂いておりましたが、
当時、東山先生は、とても神々しい雰囲気の 品のいい初老の紳士でいらっしゃいました。

今は、雅春先生、清超先生方のおそばにいらして
後輩であるわれわれ全員を、きっと、霊界から見守って下さってるのでしょうね。

2805 志恩:2013/09/19(木) 13:53:07 ID:.QY5jUA6
復興G様は、われわれ信徒達の「宝物」でもあると思っています。
いつも 深い真理を教えて下さいまして、ありがとうございます。

2806復興G:2013/09/19(木) 22:23:34 ID:AB6RqYXc

志恩様

勿体ないお言葉、ありがとうございます。

普通なら、「何、私なんか人間のくずですよ」 などと謙遜(?)するんでしょうが、生長の家では、自分を神の子として尊敬し、自己を礼拝せよと教えられていますから、「ハイ、私は人類の宝でございます。ありがとうございます」 と感謝礼拝させていただきます。

そして、そのようにおっしゃってくださる志恩様もまた、人類の宝であられます。どうぞ自己礼拝讃嘆してくださいませ。

ありがとうございます。

2807復興G:2013/09/19(木) 22:35:56 ID:AB6RqYXc

 東山半之助先生は、『ざっくばらん』 を出版された昭和40年に74歳でいらっしゃいました。

 74歳は、今なら 「初老」 と言ってもおかしくないですね。ずっと昔は、40歳で 「初老」 と言っていた時代もあったようですが。

 『ざっくばらん』 の表紙カバーに載っているお写真も、まだまだ溌溂たる壮年の感じです。

2808復興G:2013/09/19(木) 23:01:53 ID:AB6RqYXc

 遅くなりましたが、私は今日は夜まで出かけておりました。地域の合唱団にも入っているので、夜はその練習があったのです。私も、この年になっても元気はつらつ、若者に負けない声で歌えます。私の人生はまだまだこれからです。ありがとうございます。

 人間はみな――いや、人間だけでなく有情非情悉くみな、時空を超えた大生命、「久遠の今」 なる 「如(にょ)」 から来生したもの、すなわち如来である。神である。

 その如来の生命(いのち)を なりひびかせることが成仏、成道(じょうどう)である。それが人類光明化運動である。

 これは、たとえ天地がひっくり返っても変わることのない大真理であると、私は信じています。

 ありがとうございます。

 おやすみなさい。

2810トキ:2013/09/20(金) 19:02:52 ID:v.8oHb4M
 東山半之助先生の「ざっくばらん」は、感銘を受けた本の一冊でした。
この本が今回登場するのは、とても楽しみです。たとえば浄土真宗の堕落に憤慨した先生が、
信仰からはずれ、それが生長の家に触れる事で、また、浄土真宗の行をされる部分などは、
鮮明に覚えています。

 今回もご指導を楽しみにしております。

2811トキ:2013/09/20(金) 19:04:00 ID:v.8oHb4M
>>2809

 すみません、あまり投稿者様の身元が分かるようなご投稿は慎重にお願いいたします。
せっかくのご投稿に水をさして、ごめんなさい。

合掌 ありがとうございます

2813 志恩:2013/09/20(金) 19:50:55 ID:.QY5jUA6
「ざっくばらん」は、昭和40年に刊行されてますから、実母の東山先生の
ご講話を拝聴したことがございまして、とても尊敬申し上げていた先生でしたので、
私は、当時、母と一緒に
拝読したに違いない本なのですが、手元になくて、覚えていません。
古本を探しましたが、売っていませんでした。
お話を、伺うのを、楽しみにしています。

それから、

本日のweb誌友会テキスト、
「生命の實相」の、 第4巻の第5章〜は、拝読しましたが、
今回のところは私は、差し障りがあり、発言してはいけない内容でした。

すみませんが、そういうわけで、今回は、見学にさせて頂きますので、
よろしくお願いします。

2814 志恩:2013/09/20(金) 19:53:15 ID:.QY5jUA6
>>2813 :実母の→実母も

2815トキ:2013/09/20(金) 20:43:10 ID:v.8oHb4M
>>2813

 そう言われずに、どんどん投稿をして下さい。期待しています。

2816神の子さん:2013/09/20(金) 21:02:31 ID:AB6RqYXc

 トキ様、お世話になります。

 よろしくお願い申し上げます。

 皆さま、どなたでもご遠慮なくご参加下さい。


 まもなく21:30から第17回web誌友会です。

 テキストは 『生命の實相』 第4巻の第5章〜第8章で、これを機に私もその範囲を精読して深く学ばせて頂いています。

 今回のテキストの範囲は、大部分にあたる第5章〜第7章は座談会の形になっていて 「生命磁気」 などにはあまり興味がなかったので、私は今まで 「精読」 はしていませんでした。

 しかし、a hope さまが >>2761

 >>この第5章〜7章までは、雅春先生と談話者の会話形式で書かれていて、とても具体的にわかりやすく真理が説明されていると感じています。
特に、わたしは気功をしていたことがあるので、第5章の『「生命磁気」の流れ』のお話のところは興味津々です。
手と手を合わせる合掌にも、とても重要な意味があるのですね。<<

 と書いてくださったことから、今回はみっちりと精読しました。すると、ここには羽仁(はに)もと子女史の 「友の会」 のことも書かれていますが、私の母がその 「友の会」 に入っていたようで、家の本棚に 「羽仁もと子著作集」 が約20冊ずらりと並んでいた事も思い出し、感慨深いものがありました。とても勉強になりました。

 皆様とともに、さらに深めた勉強が出来ますことを楽しみにしています。

 ありがとうございます。

2817復興:2013/09/20(金) 21:07:26 ID:AB6RqYXc

>>2816は、復興Gです。

2818a hope:2013/09/20(金) 21:19:56 ID:dyDQLtZQ

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

  第17回web誌友会予告

 日時  9月20日(金)21時30分〜
      9月21日(土)23時まで

 テキスト 『生命の實相』第4巻
       第5章から第8章まで

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2819ユタカ:2013/09/20(金) 21:27:47 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。

ユタカいてます。 a hopeさまよろしく!

復興Gさま、よろしくお願いします。

2820a hope:2013/09/20(金) 21:30:55 ID:dyDQLtZQ
第17回WEB誌友会開会時刻となりましたので「開会の祈り」をさせていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、
すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

2821a hope:2013/09/20(金) 21:33:31 ID:dyDQLtZQ

続きまして、聖経 真理の吟唱より 「神の光を受ける祈り」を謹写させていただきます。

「神の光を受ける祈り」

私の魂の内には永遠に消えない光が宿っているのである。
それは神から来たれる光である。
如何なる暗黒なる時にも、その光に照らされて進んで行けば、私たちは決して道に迷うことはないのである。
その光は愛の光である。智慧の光である。生命の光である。
愛が輝きだすときすべての憎しみは消えるのである。
智慧が輝きだすとき迷いが消えるのである。
生命(いのち)が輝きだすとき疲労は消え、老衰は消え、病気は消え、死が消えるのである。

神の愛の光が私の内に輝きだすとき「自」と「他」との障壁(しょうへき)が消える。
利益の奪い合いがなくなり、慍(いか)り憎しみは赦しと変じ、さらに相手を祝福することが可能となるのである。
私は常に心の窓をひらいて、神の愛の光を今受けるのである。
だから私の全存在には神の愛の光が照り渡っているのである。

神の智慧の光が私の内に輝き出すとき、人間が物質的存在だと見えなくなり、霊的存在だということが悟られて来、
物質的欲望が少なくなり、霊的愛他的な行ないに導かれて行き生活が浄(きよ)められるのである。

すでに神の生命(いのち)の光が、私の内に輝き出したのある。
わが全身は生命力にみちあふれ、老いなく、病なく、疲労なく、溌剌として人類の共通的歓喜のために尽くすことができるようになっているのである。

神の愛の光も、智慧の光も、生命の光も、無限であるから、それは輝かせば輝かすほど与えれば与えるほど、
光輝燦然(こうきさんぜん)としてその光と力とを増すのであるから、私は愛を人に与えることを吝(おし)まないのである。
智慧を与えることを吝まないのである。生命を与えることを吝まないのである。

人は神の子であり霊である。
霊であるということがわかると、自と他とが一体であり、彼と我とが一体であり、超焉(ちょうえん)として自他を超え、
彼我(ひが)を超え、私の愛憎を超えて、全体の栄のために尽くすようになるのである。
全体の栄のために自己を挺身(ていしん)するとき、一粒の麦が姿を没して大地に身を任すとき、
多くの新しき芽を分蘗(ぶんけつ)して、多くの実を結ぶことができると同様になるのである。

私はもはや、肉体的存在でないことをさとったのである。
私は「個」にして「全」、「全にして個」である。
個性を完全に発揮する悦びを味わいつつ、しかも全体の栄のために身を挺してそこに何等(なんら)の矛盾もないのである。

感謝 合掌。

2822復興:2013/09/20(金) 21:36:22 ID:AB6RqYXc

a hope 様、ありがとうございます!

ユタカさま、ご参加、うれしいです!

皆さま、どんどんご参加お願いします。

「神様の天降る誌友会」 となりますように。

2823a hope:2013/09/20(金) 21:47:27 ID:dyDQLtZQ

復興Gさま 

今回もご指導をどうぞよろしくお願いいたします。


ユタカさま

来て下さってホッとしました。
今回も、どうぞよろしくお願いいたします。


志恩さま

さしつかえない程度でいいですから、参加くださるととてもうれしいです。


トキさま

いつも、ありがとうございます。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。

2824復興G:2013/09/20(金) 21:48:52 ID:AENtSm/U

>>2822 :復興: は、復興Gです。

>>2808 再掲載

 人間はみな――いや、人間だけでなく有情非情(うじょう ひじょう=生き物も、無機物も)悉くみな、時空を超えた大生命、「久遠の今」 なる 「如(にょ)」 から来生したもの、すなわち如来である。神である。

 皆さまは如来にまします。神にまします。

 その如来の生命(いのち)を なりひびかせることが成仏、成道(じょうどう)である。それが人類光明化運動である。

 これは、たとえ天地がひっくり返っても変わることのない大真理であると、私は信じています。

 皆さま、よろこびましょう!

 ありがとうございます。

2825復興G:2013/09/20(金) 21:56:30 ID:AB6RqYXc

 テキストのp.94、p.140などに、予知・予感・予言のことが出ていますが、「予知夢」 について、次のような興味ある記事が、2013.9.14 の日経新聞夕刊に載っていました。

 同紙編集委員の嶋沢裕志氏が、作家の 椎名誠さんに聞く というインタビュー記事です。

   *  *  *  *  *  *  *

  「予知夢」 で母の死を知った

 世界中を旅する一方、ほぼ月に1度のキャンプで仲間たちと焚(た)き火を囲んで怪気炎を上げるなど型破りな生き方がファンを魅了する。その椎名誠さん(69)が今、老いと死を問いかけている。

 椎名さんには忘れられない衝撃的な体験がある。

 「1997年1月、真夜中に母が死ぬ夢を見ました。いわゆる 『予知夢』 です。リアルな夢だったので、夜3時ごろ妻に 『母が死んだ』 と伝えました。『きっと実家から電話が来る』 と。

 すると朝7時ごろ、母が倒れて今病院に運ばれたと実家の義姉から電話がありました。

 『絶対に何かあった。すぐ実家に行こう』。

 当時、都内の近所に住む弟に連絡すると、一番親孝行だった弟は、前日に元気な母の声を聞いたと言います。

 その弟と車で実家に向かうと、自動車電話に母が病院で息を引き取ったと知らせが入った。午前9時でした。

 6時間後を予知する夢を見たのです。兄弟で青くなりました。」

 ――学術的にも注目される 「予知夢」 の研究を進めている。

 <<しいな・まこと 1944年東京生まれ。東京写真大(現東京工芸大)中退。流通業界誌編集長を経て、作家、エッセイストに。映画監督、写真家でもある。「さらば国分寺書店のオババ」で作家デビューし、「アド・バード」「哀愁の町に霧が降るのだ」「岳物語」など純文学、SF、エッセー、写真集など著書は多数。>>

   *  *  *  *  *  *  *

 皆さま、そのようなご体験がおありですか?

2826ユタカ:2013/09/20(金) 22:00:49 ID:R1D4Jmeg
私はP、182の2L〜
生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。

という所から普通の人間が尊い生活を実現するのが生長の家の生活なのです。


谷口雅春先生が、本部もそれで良い、学ぶ会もそれでよい、ときみつる会も、新教蓮も、社会事業団もそれで良いとおっしゃって下さっているように、自分独自の解釈をいたして喜んでいました。

2827ユタカ:2013/09/20(金) 22:02:21 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、横切ってごめんなさい!!

どうぞ続けてください!

2828ユタカ:2013/09/20(金) 22:12:23 ID:R1D4Jmeg
正夢?かもしれませんが、

私が20歳のとき、従姉妹がはっきりとした顔の男の赤ちゃんを抱いている夢をみました。

4年後、初産で男の子を産んだというので、家族でお見舞い?に行きましてその赤ん坊の顔を見たとき忘れていた、夢に見たあの赤ちゃんを思い出して驚いたことがあります。

2829a hope:2013/09/20(金) 22:17:01 ID:dyDQLtZQ

すみません。
今回は、家がバタバタしていてなかなか落ち着いて参加できません・・・汗。


>>2825復興Gさま

わたしは予知夢は見たことがありませんが、子どもが小さかったころ、川に流されてしまう夢とか、
車にはねられてしまう夢を見たことがあり、夢の中で、ワンワン泣いて起きてみると、
夢だったということが数回ありました。
そしてもちろんその後も、そのようなことは実現しませんでしたが・・・。

なんか、ホッとする反面、なんであんな夢見たんだろう?と、ちょっと嫌な気分になりました。

2830復興G:2013/09/20(金) 22:37:05 ID:AB6RqYXc

ユタカさま、a hopeさま

私もいろいろあってレスが遅くなり、すみません。


>>2826 :ユタカさま

>>私はP、182の2L〜
生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。

という所から普通の人間が尊い生活を実現するのが生長の家の生活なのです。


谷口雅春先生が、本部もそれで良い、学ぶ会もそれでよい、ときみつる会も、新教蓮も、社会事業団もそれで良いとおっしゃって下さっているように、自分独自の解釈をいたして喜んでいました。<<

なるほど。


>>2826 :ユタカさま

なるほど。

テキストのp.181〜p.181に

 <<「生長の家」の生活は、形に捉われない、万人一様な型をきめるということがない自由自在な生活なのです。

 一つの型をきめておいて、その型に自身の生活をはめ込まなければ苦痛を感ずるというような不自由な生活ではないのです。婦人は家庭のみを守らなければならないという旧い型もまちがいでありますし、家庭以外にぜひとも社会へ進出しなければ生き甲斐がないというのもまちがいでありましょう。

 生命は生かさねばならない、今までの家庭婦人という旧い型は破らねばならないし、いわゆる社会婦人という新しい型の申へさえもはまっていってはならないのです。

 型へはまった時、生命は必ず窒息しかけるから苦しむのです。生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。>>

 とあるわけですね。

2831トキ:2013/09/20(金) 22:41:23 ID:v.8oHb4M
>>2825

 今回もご指導のほど、お願い申し上げます。

 身元が露見するのを防止するため詳細は言えませんが、予知というか、不思議な夢は結構見ました。
特に、信仰を始めた頃には、そういう経験がいくつかありました。それが、何年かすると、そういう
事があまりなくなったので、不思議な感じでいます。

 と、言うか、子供の頃には不思議な夢を見て、大きくなってそれが現実になった事もあります。

 実は、「たましいの共鳴」ーコロンバイン高校、附属池田小学校の遺族が紡ぐいのちの絆、という
本を読みました。この本は、コロンバイン高校(銃乱射事件で13名が死亡)と大阪の池田小学校
(小学校の児童8名が死亡)の遺族が交流した記録です。その遺族の一人、ドーン・アナさん、
ブルースベック夫妻はこの事件で死亡したローレン・タウンゼントさんのご両親です。お二人が、事件のあと、
お嬢様の部屋を整理していたら、日記が出て来て「人を目覚めさせるために、何かとてつもない事
が起きそうな気がする」と書いていました。「残念ながら、何か大きなことが起きなければ、人は
変わらないものだ。私はその一助となりたい。少なくても、そこに立ち会いたい」と書いていました。

 また、遺書も出てきました。「死んでからのことは恐くないけど、死ぬ瞬間が恐い。苦痛かもしれ
ないから。でも、そのあとに約束されている永遠の命と比べれば、ほんの一瞬に過ぎない」

 「この世の命の先にあることを切望して、わくわくする」

 そして、この世の先の世界で会いたい人の名前をあげていました。キング牧師、キリスト、釈尊など
です。さらに、こういった人達にどういう質問をしたいかまで書いてありました。

 遺書の最後は、次のように締めくくってありました。
 「じゃあね。私がみんなに会う、というよりも、みんな、きっと私に会えるからね。」

と。

 話がとんでしまいましたが、こんな話もあるのです。長い引用でごめんなさい。

2832トキ:2013/09/20(金) 22:46:16 ID:v.8oHb4M
× 話がとんでしまいましたが、こんな話もあるのです。長い引用でごめんなさい。

◎ 話がとんでしまいましたが、こんな話もあるのですね。本当に、長い引用でごめんなさい。

お詫びして、訂正いたします。すみませんでした。

2833復興G:2013/09/20(金) 22:48:31 ID:AB6RqYXc

 予知がどうこうというようなことより、こちらの方が重大な課題であると思います。

 >生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。<

 というお教えの、「持ち場に応じて深く切に生きて」 ということを、それぞれ真剣に深めて行けば、

元は一つなのですから、やがて 「一つ」 に還ることになる、といいますか、現に実相においては一つである。

「一つ」 のものが多様性を発揮しているのだ、と観ることもできるかな と思いました。

2834復興G:2013/09/20(金) 22:51:42 ID:AB6RqYXc

トキ様、興味あるお話、ありがとうございました。

ちぐはぐになってしまって、申し訳ありません。

2835復興G:2013/09/20(金) 23:03:53 ID:AB6RqYXc

>>2829 :a hopeさま

私も、過去の苦しかったいやな思い出を、夢でくりかえし見ることがあります。

夢では、もしかしたら過去世のことが出てくることもあるのかも知れません。

「過去は、ない。現象は夢のようなもので、無い」 ということを自覚させてくれることもあるでしょう。

まあ、夢というのは複雑な、面白いと言えば面白いものですね。

2836ユタカ:2013/09/20(金) 23:04:04 ID:R1D4Jmeg
また、話がそれますが、

奇跡のりんご の農家のおじさんが山の中で倒れて、UFOに乗せられて、そこで外国人を二人目撃して、その一人がどこかのテレビに出演してUFO体験談をしているのをみて、あの時一緒にUFOに乗った女性だ!と思ったと書いていました。

不思議な話でした。。。。

2837ユタカ:2013/09/20(金) 23:06:16 ID:R1D4Jmeg
恐れ入りますが、ユタカは明日は夕方以降にまたお邪魔いたします。

今日はこれで失礼いたします。 みなさま、ありがとうございました。

2838a hope:2013/09/20(金) 23:06:57 ID:dyDQLtZQ

>>2826 ユタカさま

P、182の2L〜
生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。

この箇所はわたしも赤線が引いてありました!

実は、わたしは今朝、第7章(p172〜)を久しぶりに拝読しなおしたのですが、そこには、
今、少し悩んでいた事に対するぴったりの内容が書かれていて驚きました。

今回だけではなく、本当に「生命の實相」を開く度に、その時に求める答えが必ず書いてあるので不思議です。

実は、わたしは、私生活であるボランティアをしているのですが、今回また依頼が来まして、そのボランティアで受ける仕事がわたしにはちょっと難しくて負担に感じていたのです。

でも、自分は「人助けをしなけらばいけない」という義務感や、「社会的によわい立場の人をを救ってあげるのがわたしの使命なんだ」というような、自分があたかも相手よりも強くて高い立場に立っているような気持ちがわたしにあったので、悩んでいたのです。

それが、今朝拝読したところに、どんぴしゃりと、そのわたしのいやらしい心を見透かされてような雅春先生のお言葉がありました。

『谷口 ―― この「救う救う」といいますけれども「救ってやる」という心では本当は人を救うことはできないのです。
「救ってやる」という心の中には自分は彼より偉いところにいる、高いところにいるという慢心がある。
そして相手に対しては「お前はわたしに救ってもらわなければ生きられない憐れな奴だ」という軽蔑がある。
この自己慢心と相手軽蔑とがある以上は本当は相手を救うことができないのです。
本当は相手を救うということは、相手を軽蔑して何かを与えるということであってはならないのです。
相手の神性をみる、相手を尊敬して相手の内に隠れている神性を拝み出し、本当の強い立派な相手を内から目覚めさせてあげるのが本当の救いなのです。・・・』


この御文章を拝読して、本当に驚きました。
そして、そのことに気づかせていただけたことに心から感謝しました。

2839復興G:2013/09/20(金) 23:23:05 ID:AB6RqYXc

>>2838 :a hopeさま

私も、
≪「救ってやる」という心では本当は人を救うことはできないのです。
「救ってやる」という心の中には自分は彼より偉いところにいる、高いところにいるという慢心がある。
そして相手に対しては「お前はわたしに救ってもらわなければ生きられない憐れな奴だ」という軽蔑がある。
この自己慢心と相手軽蔑とがある以上は本当は相手を救うことができないのです。
本当は相手を救うということは、相手を軽蔑して何かを与えるということであってはならないのです。
相手の神性をみる、相手を尊敬して相手の内に隠れている神性を拝み出し、本当の強い立派な相手を内から目覚めさせてあげるのが本当の救いなのです。・・・≫

というところには赤線を引いていました。

関連するお教えに、『静思集』 p.33〜

<< 同情は善いことでありますが、憐憫(れんびん)はよくないことなのでございます。

 人が悲しみに陥つてゐる際に、その悲しみに同悲の念を起して一緒に泣いてやるのは美しい同情でございます。然し、この人は 「憐(あわ)れな人だ」 と憐憫の情を起すのは善くないことです。

 同情と憐憫とはよく似たことですけれども、非常に相異してゐるのでございます。同情は相手と同じ情に泣くのでございますけれども 「この人は弱い人だ」 と云ふ軽蔑は伴ひません。ところが憐憫は、「この人は憐れな人だ、とても起ち上る力がないであらう」 と云ふやうな相手を弱者と見るやうな軽蔑の感じが伴ひ易いものでございます。

 憐憫は必ずしも同情を伴ひません。憐れなる乞食を見ても可哀想だとは思ひますが、乞食と同じ感情にまで成れないのが普通でございます。即ち同情と憐憫とはよく似た感情でございますが紙一重のところで全く相異してゐるのでございます。

 吾々は人から憐れまれる事を断じて拒絶する強さを持たねばなりません。艱難に陥つてゐると云ふことは憐れまるべきことではありません。吾々の魂がその時こそ高められ浄められてゐる時なのでございます。

 では艱難に陥つてゐる人を憐れむ理由が何処にあるでせう。吾々は彼等に 「可哀想だ!」 と云ふ言葉を投げかけるよりも、「君は起ち上がる力がある」 と強くその人の力を鼓舞する言葉をこそ投げかくべきでございます。>>

 とあります。とても大切なことだと思います。

2840復興G:2013/09/20(金) 23:26:48 ID:AB6RqYXc

お話は尽きませんが、また明日がありますから、今夜はこの辺でお寝みさせていただきましょう。

おやすみなさい。

2841ユタカ:2013/09/20(金) 23:41:02 ID:R1D4Jmeg
大熊先生のブログから引用。

>>素晴らしい体験談
平成25年9月20日(金)
その昔・・・ご婦人が長男さんを授かった時の話。

お腹の中に長男さんがいるときに不思議な体験をしたというのです。。

姑さんとの関係もなぜか険悪で・・そればかりか、ご主人さんの経営する会社も最悪な状況。

守ってくれるご主人のはずが、いつもイライラ。。とうとう・・破局的なケンカもしてしまいました。

ついに・・お腹の子を道ずれに。。自殺を決意。

車に乗り、猛スピ−ドで壁に激突する事を決意したのでした。。。

車に乗って暗闇を飛ばすが。。。。。。しかし、その日は渋滞。。いつにない渋滞。。

周りを見ると車。車。渋滞。渋滞。。異常な渋滞。。。。人生未経験の大渋滞。。

目的に向かっているのにまるで向かわせないとでもいうような尋常ではない「大渋滞」。。。。

とうとう・・奥さんは「目的地」につかず、死にそびれてしまいました。

そんなことがあるのですね。。それは、それは、なんとも、不思議な感覚でしたが、
後で考えれば、「救われた」のでした。

翌朝、不思議なことがありました。。。御主人が、

「おいっ。お前、まさか。
   昨晩、死のうとして
     いたのではないのか?」
        と言うのです。。。
ご主人は昨晩、不思議な夢を見た・・と言うのです。

長男である赤ちゃんが夢に現れて、

  「ぼくを助けてーっ。」
    「ぼくを助けてーっ。」
       「ぼくを助けてーっ。」

  と叫んでいるというのです。。そして言ったそうです。

  「お父さん。
   ぼくを助けて。必ず、

     お父さんのことを守るよ。。」


  「○○家を守るよ。」

    「だから・・助けて・・。。。。」


お父さんはこころの底から。。愛おしさと、申し訳なさとがこみ上げてきたのでした。

その愛おしさを仕事や家族に移入する事で・・その後、不思議なことに会社も危機を乗り越える事ができ、

夫婦関係がとてもよくなったのでした。。。

しかも、かわいい妹まで授かり、家は繁栄してゆきました。。。

 あれから
   ・・20数年。。。。岡野先生は、これは重大な「示唆」を含む素晴らしい体験談ですよ。
と・・感動されていました。。<<



おやすみなさい。。。

2842a hope:2013/09/21(土) 00:05:57 ID:dyDQLtZQ

>>2839 復興Gさま

ご指導をありがとうございます。
『静思集』は、わたしは持っていませんが、たしか、さくらさまが好きな聖典だったような気がします。
(さくらさまはお元気でしょうか?)


先日、悲願という言葉を調べていて、悲願には二つ意味があることがわかりました。
そして、その一つは「仏・菩薩(ぼさつ)が慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓い。」でした。

今回のweb誌友会では、そのことについて復興Gさまに質問してみようと思っていました。


実相世界はいつ何時でも完全円満なわけですが、現象は悲惨なことも多いです。
雅春先生もその現象を見られて、慈悲の心を起こされて光明化運動を始められたのでしょう?

この菩薩の慈悲の心とは、実相の心なのでしょうか?
それとも、現象の心なのでしょうか?

菩薩の慈悲の心について、教えていただけるとうれしいです。

2843a hope:2013/09/21(土) 00:06:31 ID:dyDQLtZQ

>>2841 ユタカさま

素晴らしいお話を聞かせてくださりありがとうございます。
大熊先生のブログも、岡野先生のブログも感動がいっぱいですね。

生まれてくる前のいのちであっても、魂が宿っているという証拠ですね。
その命を守ることで、自分自身の魂が救われるのですね。

すべて、自分自身にかえってくるのですね。

わたしも、これで今夜はお休みさせていただきます。

みなさま、おやすみなさい。

2844復興G:2013/09/21(土) 06:37:10 ID:AB6RqYXc

おはようございます。


ユタカさま

>>2836 「奇跡のりんご」 というのは

http://www.twinkle.eew.jp/easyfree11.html

ですね。
私は、UFOとか宇宙人とかは、体験がないからにわかには信じられないけれど、宇宙には、まだまだわかってない未知のことがいっぱいあるということね。

上記の最後に

<<私達は全てと繋がっているのですね。私達はかってに生きているのではなく生かされているのですね。>>

とあることは、まったく真実ですね。

>>2841 大熊先生のブログのお話も、あり得る、おもしろいお話ですね。
テキスト167頁 谷口雅春先生のご指導に、

<<あらゆる苦しみは 「迷い」 の自壊作用なのです。ちょうど、われわれの肉体に疼痛や発熱が、病気の人にとっては病気の治る救いの一過程になっているようなものです。……わたしはこのごろ、この世の中はすべて調和していると考えるようになっています。発熱もよい、疼痛もよい、蚊にさされるのもよい。盲人はその眼が盲目なことがその人の本当の救いになっている。……>>

とあります。三宮麻由子(さんのみや・まゆこ)さんは4歳で肉眼は光を失い盲目になったが、それで心の眼が開け、たくさんの人々に希望を与えるエッセイを次々に書いて数々の大賞を受賞していらっしゃる。名ピアニストでもある、すばらしい方です。

それを考えると、生長の家の現状も、いっそう素晴らしいものがここから生まれ出てくる過程なのでしょうね。

2845復興G:2013/09/21(土) 07:27:29 ID:AB6RqYXc

>>2842: a hope さま、お返事は少し待ってくださいね。

2846a hope:2013/09/21(土) 08:10:24 ID:dyDQLtZQ

みなさま おはようございます!

>>2845復興Gさま

わたしは今日はこれから仕事に行きます。
夕方には戻りますすが、家のこともあるので戻れるのは夜になってしまうと思います。

お返事をとても楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

2847復興G:2013/09/21(土) 10:31:51 ID:AB6RqYXc

>>2842 :a hopeさま

>>先日、悲願という言葉を調べていて、悲願には二つ意味があることがわかりました。
そして、その一つは「仏・菩薩(ぼさつ)が慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓い。」でした。
今回のweb誌友会では、そのことについて復興Gさまに質問してみようと思っていました。
実相世界はいつ何時でも完全円満なわけですが、現象は悲惨なことも多いです。
雅春先生もその現象を見られて、慈悲の心を起こされて光明化運動を始められたのでしょう?
この菩薩の慈悲の心とは、実相の心なのでしょうか?
それとも、現象の心なのでしょうか?
菩薩の慈悲の心について、教えていただけるとうれしいです。 <<

――テキストの174〜176頁に、次のようにあります。

 <<人間はなにができなくとも自分の価値は不減不耗(ふげんふこう=すりへることがない)の神性である事実が第一なのです。

 それがわかればなにもしなくともよい、人を救わなくともよいというのではないのです。それがわからなければ第一自分が救われていないのです。

 「生長の家」の「智慧の言葉」に「自分に深切であれ」という言葉がある。自分が救われなければ、他を救うことがわからないのです。

 救われたという状態はどんな状態だということがわからなければ、本当に人を救われた状態に導くことができないのです。盲目の手引きでは救いに導いているつもりで、かえって河の中へ引きずり落すかもしれないのです。

 人を救うことを、金を義捐(ぎえん)したり、救恤(きゅうじゅつ)品を集めて送ることやら、結核療養所という建物設備をつくることのように思っていられる人もありますが、それも一つの救い方で時には尊いのでありますが、本物の救いではないのです。

 物品や金をもらって人の愛に感じて救われる人もありますが、物品や金をもらったために懶(なま)け心や依頼心を増長させてかえって堕落する人もある。結核療養所という厖大(ぼうだい)な建築物をたて、それに不快な恐怖すべき名称をつけたために、病気の心的観念を周囲に撒布(さんぷ)して、一方には結核を治そうと努力しながら一方ではその治す力の何十倍も病人をふやしているとしたら、救っているつもりで一体なにをしているのかわからないのです。

 物によって人を救おうとする企ては必ず一利一害があって、利益の方を見る人はその利益を誇張して大変世の中を救っているように考えますけれども、物によって救うその救いは永久性の救いになっていない、物は永遠性のものでないから、物だけで救われた救いならば、その救いは必ず壊(やぶ)れる時が来るのです。

 物がなくとも救われる救い、何物がなくとも自分が神である――そのままで救われているという自覚上の救いにあずからなければ、本当に救われたといえないのです。>>

 谷口雅春先生は、「現象を見られて、慈悲の心を起こされて光明化運動を始められた」 というのは、必ずしも当たっていないと思います。というのは、『生命の實相・自傳篇』(頭注版第19・20巻)に書かれていますように、谷口雅春先生は 「現象なし、実相独在」 の真理をお悟りになるまでは、ご家族に対してすら、慈悲の心を起こして救おうとされても救うことが出来なかった。

 光明化運動を始められたのは、(『生命の實相』 第20巻 p.134〜 )

 <<ある日、わたしは静座合掌瞑目して真理の啓示を受けるべく念じていた。わたしはその時、偶然であろうか、神の導きであろうか、仏典の中の「色即是空(しきそくぜくう)」という言葉を思い浮かべた。と、どこからともなく声が、大濤(おおなみ)のような低いが幅の広い柔らかで威圧するような声が聞こえてきた。

 「物質はない!」 とその声は言った。で、わたしは 「空即是色(くうそくぜしき)」 という言葉を思い浮かべた。

 と、突然その大濤のような声が答えた。「無よりいっさいを生ず。一切現象は念(こころ)の所現にして本来無。本来無なるがゆえに、無よりいっさいを生ず。有(う)よりいっさいを生ずと迷うがゆえに、有に執して苦しむのだ。有に執せざれば自由自在だ。供給無限、五つのパンを五千人に分かちてなお余り、『無』 より百千億万を引き出してなお余る。現象界は念のレンズによって転現せる化城(けじょう)にすぎない。かしこに転現すると見ゆれどもかしこに無し。ここに転現すると見ゆれどもここに無し。知れ、一切現象無し。なんじの肉体も無し。」
<つづく>

2849復興G:2013/09/21(土) 10:53:04 ID:AB6RqYXc

<つづき 『生命の實相』 第20巻 p.135〜 >

 では、心はあるであろうかと思うと、その瞬間、「心もない!」 とその声は言うのだった。

 今まで、わたしは 「心」 という得体の知れない悍馬(かんば)があって、それを乗りこなすのに骨が折れると思っていたのだ。ところが 「心もない!」 という宣言によって、わたしは、その 「心」 の悍馬から実相の大地に降りたのであった。

 「心もなければ何も無いのか」 とわたしは再びその声の主にたずねた。

 「実相がある!」 とその声はハッキリ答えた。

 「無のスガタが実相であるか。皆空(かいくう)が実相であるか」 とわたしは尋ねた。

 「無のスガタが実相ではない。皆空が実相ではない。皆空なのは現象である。五蘊(ごうん)が皆空であるのだ。色受想行識(しき じゅ そう ぎょう しき)ことごとく空である!」

 「空と無とは異なるのではないか」 とわたしはたずねた。

 「空と無と異なるとは思うな。五蘊皆空であるのに空とは無ではないと思うから躓(つまず)く。空を無とは異なると思い、『無ではない』 と思うからまた 『五蘊は無いではない』 と引っかかるのだ。『五蘊は無い』 とハッキリ断ち切ったところに、実相が出て来るのだ。無いものを無いとしたところに、本当にアルモノが出て来るのだ。」

 「では、実相とはなんであるか」 とわたしは訊いた。

 「実相とは神である。あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである。これが実相だ」 ここに神というのはむろん 「仏」 という意味も含んでいた。

 「心も無いのが本当ではないか。」

 「無い心は受想行識の心だけだ。そういう意味でなら仏もない、衆生もない。心、仏、衆生三無差別(しん、ぶつ、しゅじょう さんむしゃべつ)と説く場合には、心もない、仏もない、衆生もない。衆生を抹殺(ころ)し、仏を抹殺し、心を抹殺し、いっさい無いといっさいを抹殺(まっさつ)したときに、実相の神、久遠実成(くおんじつじょう)の仏が出て来るのだ。」

 「それが、キリスト教ならイエスを十字架にかけることになるのですか。」

 「そうだ。肉体イエスを抹殺した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前(さき)から生き通しの久遠のキリストが生きているのだ。イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である! 今、ここに、久遠生き通しの生命が復活する。今だ、今だ! 久遠の今だ! 今が復活だ! 今を活きよ。」

 わたしの眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛(さんらん)と満ち漲(みなぎ)った。何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。しばらくするとその燦爛たる光は消えてしまった。わたしはポッカリ眼をひらくと、合掌したまま坐っている自分をそこに見出したのであった。>>

          ○

 ――上記が、谷口雅春先生のお悟りの時であります。それは時空を超えた 「久遠の今」 であり、「あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである。」 というところから谷口雅春先生は人類光明化運動に起ち上がられたのですね。

 だから、私は >>2847

 <<谷口雅春先生は、「現象を見られて、慈悲の心を起こされて光明化運動を始められた」 というのは、当たっていないと思います。>>

 と書きました。

 先生は、まず現象を見られて、慈悲の心を起こされても、「現象なし、実相独在」 の真理をお悟りになるまでは、ご家族(輝子奥様・恵美子お嬢様)をすら、救うことが出来なかったのです。

<つづきます>

2850復興G:2013/09/21(土) 13:16:26 ID:AB6RqYXc

>>2849 のつづきです>

 先生は、まず現象を見て慈悲の心を起こして光明化運動を始められたのではなかった。

 「現象なし」 「完全円満な実相のみ実在」 とお悟りになったところから現象のすがたをご覧になった時、慈悲の心から起ち上がられて、『生長の家』 創刊号に掲げられた、いわゆる 「生長の家発進宣言」 と称されている、正しくは 「『生長の家』 出現の精神とその事業」 と題されたご文章です。

 <<自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。起たざるを得なくなつたのである。友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。

 人類は今危機に頻してゐる。生活苦が色々の形で押し寄せて人類は将(まさ)に波にさらはれて覆没しやうとしてゐる小舟の如き観はないか。

 自分は幾度も躊躇した。起つことを躊躇した。自分は中心者として増上慢のそしりを受けることを恐れてゐたのだつた。一求道者としていつまでも謙遜でゐたかつた。併し今は謙遜でありたいと云ふことが自分にとつては安易を貪る一つの誘惑と感じられる。自分はこの誘惑に打ち克って人類を救はねばならない。自分の有つてゐる限りの火で人類を救はねばならない。自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照さずにはおかないだらう。

 此の火は天上から天降つた生長の火である。火だ! 自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を点ずる。生長の火を彼に移す。自分は今覚悟して起ち上つた。見よ! 自分の身体が燃え尽すまで、蝋燭のやうにみづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。

 自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。自分は此の火によって人類が如何にせば幸福になり得るかを示さうとするのだ。如何にせば境遇の桎梏から脱け出し得るか、如何にせば運命を支配し得るか、如何にせば一切の病気を征服し得るか、また、如何にせば貧困の真因を絶滅し得るか、如何にせば家庭苦の悩みより脱し得るか……等々。

 今人類の悩みは多い。人類は阿鼻地獄(あびじごく)のやうに苦しみ踠がきあせつてゐる。あらゆる苦難を癒やす救ひと薬を求めてゐる。しかし彼らは悩みに眼がくらんでゐはしないか。方向を過つてゐはしないか。探しても見出されない方向に救ひを求めてゐはしないか。自分は今彼らの行手を照す火を有つて立つ。>>

――上記が 「生長の家発進宣言」 と称されているご文章ですが、『生長の家』 創刊号には、この 「発進宣言」 の前に、次のような言葉が掲載されています。

<<   巻頭のことば

蛇に睨(にら)まれた蛙は恐怖のために動けなくなつて蛇にのまれる。

國が國を恐れるとき莫大な軍費を要する。

就職試瞼に臨んで恐怖心を起す青年はその就職に失敗する。

入學試験に臨んで恐怖する學生はその入學に失敗する。

恐怖が自己の境遇を支配すること斯くの如く甚だしい。

更にそれが自己の病氣や健康に影響するに至つては云ふまでもないのである。

此の恐るべき恐怖心を人生より駆逐すべき道を示さんとするのが 『生長の家』 の念願の一つである。

   *  *  *

  吾れを伸ばすものは、

  絶えず与へてゐると云ふ感じ、

  絶えず人から喜ばれてゐると云ふ感じ、

  与へる歓びは自己拡大の感じ、

  自己の愛が次第に拡がる感じ、

  この感じのうちに生命は伸びて行く。>>

――こうして見ますと、「発進宣言」 だけ読むと悲壮感をもって書かれているような感じを受けますが、その前のご文章を読みますと、そうではなく、「実相独在」 の境地から深い愛と智慧と歓びの情熱をもってこの創刊号が編集発刊されていることがわかります。

2851復興G:2013/09/21(土) 14:14:17 ID:AB6RqYXc

>>2850 のつづきです>

 先生は、「肉体はないのである」 というご自覚から、「久遠の今・此処・われ」 「一切は自分である」 という 「大慈悲」 の心、「実相の心(われ)」 に立って、菩薩行を続けられた。

 それは、仏道で 「証上(しょうじょう)の修(しゅう)」 と言われる 「悟ってからの精進」 としての菩薩行であられたわけです。

 だから、「自分の有(も)つてゐる限りの火で人類を救はねばならない」 とおっしゃっても、それは今回のテキスト173頁のご指導――

 ≪ 「救う救う」 といいますけれども 「救ってやる」 という心では本当は人を救うことはできないのです。

 「救ってやる」 という心の中には自分は彼より偉いところにいる、高いところにいるという慢心がある。

 そして相手に対しては 「お前はわたしに救ってもらわなければ生きられない憐れな奴だ」 という軽蔑がある。

 この自己慢心と相手軽蔑とがある以上は本当は相手を救うことができないのです。

 本当は相手を救うということは、相手を軽蔑して何かを与えるということであってはならないのです。

 相手の神性をみる、相手を尊敬して相手の内に隠れている神性を拝み出し、本当の強い立派な相手を内から目覚めさせてあげるのが本当の救いなのです。≫
(『生命の實相』 第4巻 173頁)

 ――とご教示くださっていますように、先生が発進宣言で 「人類を救はねばならない」 とおっしゃったのは、現象を見て、人類を下に見ておっしゃったのではなく、人類みな本当は神の子であるという 「拝み」 の心、「わが業はわが為すにあらず、天地を貫く祖神(みおや)の権能(ちから)」 という自覚の心、空っぽの謙虚な心をもっておっしゃっているのだと思います。

 私たちも、谷口雅春先生から

 「皆さんが谷口雅春である」 と言われたのですから、そのように生きることが、信徒の務めであり、それが

 「信徒ひとりひとりの法燈継承」 ということであろうと思います。

2852復興G:2013/09/21(土) 15:26:28 ID:AB6RqYXc

 テキストで、私が注目し赤傍線を引いたところに、次のお言葉がありました。

   *  *  *  *  *  *  *

(p.109〜 )
 大崎夫人――人に手を当てて治すときには、「どうぞ癒りますように」 と一心に心に念じながら手を当てていると効果が多いのでございますか。

 谷口――念じないでも、手を触れた瞬間、忽然(こつねん)と癒ったり、電話で癒ったりすることがある。これは神癒に属することで神様のお仕事で、こちらの知らないことです。

 しかし、人間として癒やしてあげる場合は、愛の念波を起こすことです。愛の心は神の心、神の心は生かす心ですから、愛は必ず相手の苦痛を柔らげ、病を癒やすのであります。

 しかし、愛の心も恐怖をともなった愛の心ではだめです。そもそも恐怖というものは神の全能の愛を信じないために起こるものですから、それは不信仰の表白でしかない、そういう愛が癒やす力がないということは当然なことです。
  (『生命の實相』 第4巻 109〜110頁)

2853トキ:2013/09/21(土) 15:26:30 ID:HscXDpxA
>>2851

 理論的、教義的な観点とは別に、現場の経験から言っても、伝道をする場合、相手への敬意と礼儀が大事だと考えています。

 初対面の相手は、だいたいは信仰に偏見や警戒心をもっています。こういう人達に上から目線での対応は百害があっても、
何もいいことはないです。一部の宗教法人を見ていると、騙してでも入信させるのが正しいと思い込んでいる人がいるみたい
ですが、これも間違いです。相手はバカでありません。仮に1度か2度、騙せても、何度も重なると真実がわかります。する
と、感情的な反発を必ずします。これは逆効果だと思います。

 人間界で言えば、相手は社会的な地位や立場もある人達で、自分と同等の存在です。単に自分がさきに真理に触れただけの
存在だと考え、同時に信仰的に考えて、相手も尊い神の子という視点で考える事が大事だと思います。

2854復興G:2013/09/21(土) 17:27:55 ID:AB6RqYXc

トキ様、ありがとうございます。

 谷口雅春先生は、伝道の効果を考えておっしゃっているわけではなく、すべての人が本来仏であり神であるというのが真実実相であることを見抜かれ、観じられたから、>>2851 のようにおっしゃっているわけですが、それが 「現場の経験から言っても、伝道をする場合に効果的」 ということは、それが宇宙の法則つまり真理に則っているということですね。


 ところで、私は 「生長の家出現の使命、意義」 について考えています。

 大切な使命の一つに、「万教帰一」 ということがあります。

 生長の家は、人と人とを和解させるだけでなく、≪宗教と宗教を和解させる働きをする≫。
 (『生命の實相』 第5巻p.134)。

 そして ≪個人を生かし、家庭を生かし、国家を生かし、肉体を生かし、経済を生かし、環境を生かし、すべてのものを大和同せしめ、すべてのものを共栄せしめる教えがこの 「生長の家」 なのであります。≫
 (同上書p.155〜156)

 これはとても大切な、生長の家の一大特徴である。これが出来なくなったら、生長の家出現の意義がほとんど消えてしまうと私は思っています。

 このことは、今回のテキスト範囲では、次のところに明示されています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(『生命の實相』 第4巻 p.96〜 )
 坂下夫人――おかげさまで宅の子供はこのごろ元気で暴れてしかたがないくらい元気でございます。

 谷口――そして生長の家の信仰は在来の御信仰とは衝突しはしなかったでしょう。

 どうも今までの宗教の信仰家といわれるかたは、名前にとらわれていて、キリスト教信者ならキリスト教という名前のついたものでないと、承知ができない。

 他の名前がついたものではどうも感情的に毛嫌いされるというような傾向があったのですが、キリスト教にもいく派もあり、みなそれぞれ教義や聖書の解釈が異っていて、名前は同じでもほとんど別物だと思われるのがあります。

 ところが仏教にもいく派もあり、名前は仏教でも真正のキリストの教えに一致するものがあるかもしれぬ。

 こういう場合、名前によって仏教を排斥し、キリスト教についているというようになると、教えの実質においてかえって真のキリストの教えを排斥して、他教についているということになるのです。

 だからキリスト教でなければならぬと宗教の名前にばかり固執することは、かえってキリスト教に遠ざかるかもしれません。

 本当をいえば、キリスト教の神髄も仏教の神髄も同じことである。真理は一つでなければならん。何教何教といって争っているようなことでは、その争っている気持そのものが、神の愛のみ心にかなうものではない。

 神は一切を包容し給うものであるから一切の宗教をも排斥せず包容しなければならぬ。

 それでは何々教といっていては争いの元になるから、教といわないで「家」ということにしよう。「家」というと、みながそこへ帰って、くつろいで落ち着くところである。それですべての宗教が生長の家へ来ると、元の巣へ帰ったことになる。

 生長の家へ帰って来たならば、あらゆる宗教はこの家から生長して兄弟だということがわかる。そこでは宗教争いがなくなって始めて、本当の偏狭でない、伸び伸びした愛の心が甦生(よみがえ)ってくるのです。
<つづく>

2855復興G:2013/09/21(土) 17:57:53 ID:AB6RqYXc

>>2854 のつづき>

 坂下夫人――わたしはキリスト教の家に生まれ、生まれつきのクリスチャンでございましたが、先年嵯峨の大覚寺の断食道場へいって断食修行したことがこざいます。そこでは断食中修行者が毎日仏教のお経をあげに行くところがある。

 ところがわたしはクリスチャンでありますから仏教のお経をあげるということを、どうしても自分の心のなかに許さないものがあるのです。それで、とうとうそのお経をあげるお堂までわたしだけ行かないことにしましたが、そのために周囲と自分とが調和しない。

 同じ人間でありながら、兄弟のような感じがしない。敵意というほどではなくとも、水と油との混ったような疎隔の感じに苦しめられたものです。

 そういうわけで心が乱れた結果でありますか、その断食修行はあまりわたしには効果がありませんでした。

 谷口――宗教が異なるために、その宗教の名によって人間がたがいに敵意を感じなくてはならないというのでは、その宗教が本物ではなく、かたよったところに執着している教えだということになるのです。それではすべての人間を和解さすことができない。すべての人間を和解さすのが本当の宗教の目的ではありませんか。

 坂下夫人――わたしどもは羽仁もと子さんを主宰とする 「友の会」 の会員なのでこざいますが、羽仁さんがキリスト教であるがために 「友の会」 の集まりは、キリスト教の祈りで始めるということになっていたのでありますが、

仏教の方にはキリスト教の祈りについてゆくことはできないといわれる方もありますし、そのため常に問題が起こって、阪神の友の会ではキリスト教の祈りは止めにして、われわれは宗教団体ではない、家庭改善と社会事業の団体であるというので、何教の方もはいっていただいているのでありますが、

わたし自身顧みましても、わたしが嵯峨で断食しました時には他宗の祈りにはどうしてもついてゆけない苦しみをしみじみ味わったのでございますから、仏教の方がキリスト教の祈りについてゆけないのも無理はないと思ったのでございます。

 だんだん生長の家でわからせていただきまして、仏教といっても名前は異なってもキリスト教とちがうものではないということが悟れてきまして、他宗の方に対しましても少しずつ広い気持にならせていただきましてありがたいと思っているのであります。

 谷口――「友の会」 の指導精神が、生長の家の万教包容的な信仰になられますと、全体の調和が.とれて最もよいと思うのであります。こうして、坂下さんのようにキリスト教の人でも救われるが、仏教の人でも救われる。
 (『生命の實相』 第4巻 p.97〜99)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――ところで私は、祖母が熱心なクリスチャンでした。そのことは前に、>>2501で書いたことがありました。

 谷口雅春先生は、

 ≪クリスチャンの先祖がある家系では、精神病者とか、小児マヒとか、癲癇(てんかん)とか、医学で原因不明な病人が出る率が高い。

 それはキリスト教が日本に移入されたのがきわめて近代であるために、他の祖先の霊魂たちがキリスト教というものを知らない。神道とか、仏教とかの信仰を持っていて、耶蘇(ヤソ)という名前を聞くだけでも嫌いだというふうな、異教を毛嫌いする霊魂たちが先祖に多いので、霊界で一緒につきあってもらえず、さびしいから子孫をたよって子孫に憑(かか)って来ることがあるからである≫

 とお教えくださっています。

 私も思い当たる節があるので、これはどうしても、キリスト教と仏教の神髄が一つであることを私自身がはっきりと悟り、先祖にそれを伝える供養ができるようにならなければと、真剣に学び精進してまいりました。

 そして、結果は現れてきたと思っています。

<つづく>

2857トキ:2013/09/21(土) 18:38:59 ID:HscXDpxA
>>2855

 インターネットでも、特定の宗教の人達が、他の宗教の批判を特集しているのを見て、寂しい気持ちになります。

 昔、近所の神社では、元旦になると、初詣の人達に向かって、キリスト教の人達が、「偽りの神を拝むな」と
叫んでいたのを記憶しています。ところが、ある年に、神社が、そのキリスト教の人達を神社に招待して、神社を
説明し、話し合いをしたら、翌年から、そういう光景がなくなったことがありました。伝え聞いたところでは、
その神社の神主さんが、生長の家の誌友だったみたいです。

2858トキ:2013/09/21(土) 18:39:30 ID:HscXDpxA
>>2856

 どうぞ、しばらくお休み下さい。

2859a hope:2013/09/21(土) 18:45:26 ID:dyDQLtZQ

復興Gさま 

「菩薩の慈悲の心」についてのとても丁寧なご指導をありがとうございます。
内容が『雅春先生の悟り』にまでわたっているので、1、2回御文章を拝読しただけですぐに理解できません。
プリントアウトしてじっくり勉強させていただき、後日感想を述べさせていただく形になると思います。


トキさま

<<人間界で言えば、相手は社会的な地位や立場もある人達で、自分と同等の存在です。
単に自分がさきに真理に触れただけの存在だと考え、同時に信仰的に考えて、相手も尊い神の子という視点で考える事が大事だと思います。>>

わたしは4年前「生命の實相」というすばらしい真理に触れました。
最近は、たとえ組織に属さなくても、自分自身でその真理を体得し伝道していきたいという気持ちになっています。

今回、復興Gさまに、「菩薩の慈悲の心」について質問したのにはそんな意味もあるのです。。
「自分自身が「まことの慈悲の心」を起こせるようになって、神の御心のままに人を救えたらどんなに素晴らしいだろう・・・。」
と。


ユタカさま

ユタカさまは、今、何か違うことをお勉強されていてさらにお仕事もされていて、おそらく神経が疲れていらっしゃるのだと思います。
わたしも、神経が疲れているときは(本当は「疲労はない」のが真理ですが・・・)大好きな聖典の言葉でも頭に入って来ませんし、気持ち悪くなる時もあります。

どうか、ゆっくり休んで下さいね。
今夜は、わたしが閉会の言葉を担当させていただきます。

2861ユタカ:2013/09/21(土) 19:17:53 ID:R1D4Jmeg

ありがとうございます、少し回復しました。画面はまだ読めませんが終わりのお祈りはできそうです。
終わりの時間になったらまた出てきます!!

すみませんでした。>2856削除おねがいします。

2862復興G:2013/09/21(土) 19:20:48 ID:AB6RqYXc

 < >>2855 のつづきです>

 霊界(あの世)も現界(この世)のつづきの現象界であり、「万教帰一」 の真理によって大調和が実現するのですね。

<< 祖先の信奉しておったところの宗教を生かすということによって、まず第一祖先と和解するのであります。祖先と和解し、祖先の信仰と和解し、ただ和解するだけでなしに、その祖先の信仰に光を与え、生命を与え、祖先を済(すく)い、そうして一家を光明化し自分自身をも済うというのが 「生長の家」 であります。>>
 (『生命の實相』 第28巻 p.78 より)

 このような、他の宗教では成し得なかったことを成就する使命をもって、神計らいによって出現したのが生長の家でありますね。

 さて、テキストの98ページにありました、坂下夫人が言及されている、羽仁もと子さんを主宰とする 「友の会」 について、私の母が縁あって羽仁もと子さんを信奉していたことは >>2816でちょっと触れましたが、母は羽仁もと子さん主筆の 『婦人之友』 という月刊雑誌の愛読者でもありました。

 羽仁もと子さんが設立された 「自由学園」 というのが東京の目白(西池袋)にあり、私も母の意向でこの 「自由学園」 入学が検討され話題に上った記憶があります。それは実現しませんでしたが……。

 今も 「自由学園明日(みょうにち)館」 というのがあって国の重要文化財に指定され、現在動態保存として一般に開放、利用されており、私も2度ほど音楽会に行ったことがありますが――

 この 「自由学園」 という名称は、羽仁もと子さんが17歳で洗礼を受け、生涯にわたってキリスト教を信仰した(教会に属さない無教会の立場であった)ので、新約聖書ヨハネ伝第8章31〜32節の

 「汝らもし常に我が言(ことば)に居らば、真(まこと)にわが弟子なり。また真理を知らん、而して真理は汝らに自由を得さすべし」

 というイエスの言葉からとって、信仰と自律・自由の精神をモットーとしたからだと言われています。

 ともかく私はそうしたご縁があったので、キリスト教にはとても親近感をもっていて今でも毎月一回讃美歌を合唱する集いに参加し、感動と祈りをこめて歌っています。

 明日はその讃美歌合唱の日です。そして明後日23日は天台宗のお寺で、彼岸会供養の法事に参加し、般若心経・観音経などを、これまた全心全霊で感動をもって読誦します。

 このようなことが何の違和感もなく出来ることは、まったく生長の家の御教えのおかげにほかなりません。
 本当にありがたいことです。

 この 「万教帰一の真理」 を、完璧に伝え伝えて行くことこそ、私たちに課せられた大切な大切な使命であると信じています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「汝らは地の塩なり。塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき。後は用なし、外に捨てられて人に踏みにじらるるのみ。

 汝らは世の光なり。山の上にある時は町は隠るることなし。また人は燈火(ともしび)をともして升(ます)の下におかず、燈台の上におく。かくて燈火(ともしび)は家にある凡ての物を照らすなり。かくの如く汝らの光を人の前にかがやかせ。……
 (新約聖書 「マタイ伝」 第5章13〜15節)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ありがとうございます。

2863ユタカ:2013/09/21(土) 19:21:52 ID:R1D4Jmeg
11時にまたきます

2864復興G:2013/09/21(土) 19:24:56 ID:AB6RqYXc

ユタカさま。

祈っています。

もう、だいぶ元気になられたと信じています。

だいじょうぶです!

2865a hope:2013/09/21(土) 19:31:12 ID:dyDQLtZQ

>>1863ユタカさま

それでは、よろしくお願いいたします。

2866a hope:2013/09/21(土) 19:33:37 ID:dyDQLtZQ
>>2865訂正  >>1863ユタカさま → >>2863ユタカさま

2867復興G:2013/09/21(土) 19:35:06 ID:AENtSm/U

>>2857 :トキ様
>> 昔、近所の神社では、元旦になると、初詣の人達に向かって、キリスト教の人達が、「偽りの神を拝むな」と叫んでいたのを記憶しています。ところが、ある年に、神社が、そのキリスト教の人達を神社に招待して、神社を説明し、話し合いをしたら、翌年から、そういう光景がなくなったことがありました。伝え聞いたところでは、その神社の神主さんが、生長の家の誌友だったみたいです。<<

 それは素晴らしいことですね。バンザーイ! です。

2868復興G:2013/09/21(土) 19:46:25 ID:AB6RqYXc

a hope さま

大量の聖典引用などして、すみませんでした。

もし疑問点などありましたら、遠慮なくご質問ください。

2869復興G:2013/09/21(土) 20:31:22 ID:AB6RqYXc

テキストの202ページに、

<< 沢田――なんでも医者がもうあの方の肺臓は大分空洞になっているといったとかで、非常に悲観しておられたとき、佐藤さんは突然 「肺臓なんか無くってもよいじゃないか」 と語調鋭くいってしまったが、気がついて 「オヤオヤこれは大変なことを口走ってしまった。そのあとをどう収拾したものだろう」 と思ったが、その言葉が病人に大変力を添えたようだった、それは神さまから言わされた言葉だったようですといっておられました。

 谷口――「肺臓なんか無くとも生きられる」 と佐藤さんが断乎としていわれた、それは実に尊いお言葉です。そのために肺臓がかえってよくなって、今まで腐っていた肺臓が再生してきたというのは大変おもしろい事実じゃありませんか。「肺臓がないと困る、肺病が伝染(うつ)っては困る」 などと、なまじっか生理学や衛生思想にとらわれてそう思っているとかえっていつの間にか肺臓が腐っていたのに、「肺臓なんか無くとも生きられる」 と心の思い煩いが肺臓から全然なくなったときに肺臓がかえって復活してくる。>>

 という記事があり、また205ページには

<<一燈園の経済は無一物の経済であります。無一物から無腎臓が出て来る経済だといわれます。すべてを捨てたときにすべてが得られる、という真理を一燈園は経済的にそれを実証しているのであります。>>

 とあります。そして、

<< 「生命力の無尽蔵」 を実証せられていよいよ一燈園生活も揃うのであります。>>
 (215ページ)

 と書かれています。

 これを読んですぐに浮かんだのは、近所の誌友 I さんの体験です。 I さんは、かつて文学青年でした。その文学仲間の同人誌に書かれた I さんの投稿文をご披露させていただきます。

   *  *  *  *  *  *  *

<<    むじんぞう余滴


 「小説家は、あらゆる人間のうちで、最も神に似ている。彼は神の摸倣者である……。」(フランソワ・モーリアック・小説論)という悪魔の囁きに邂逅してから幾年経ったろうか。

 「人物を創造し、心の秘密を探究する恐るべき才能を与えられた人間は、しかし神無き人間の不幸が何を意味するか。神の国が見出されるのは、人間の中のみである。」という言葉が、もはやセピア色となって久しくなり、茫茫として漂泊する風のように年を重ねていたある日の事。

 平成五年二月から四ヶ月間に、母を始め、仕事関係近親者の五人もが他界した。もはや絵空事ではない。人はどこから来て、どこへ行くのか。死後の世界はあるのか。

 このような場合、小説の効用など微塵もない。毎日暗澹として過ごしていた冷夏のある日、たった一度の自覚症状がおこった。(十分間程度の地に引き込まれそうな嫌悪感)そして、ヤブ(・・)医者と周りの人から言われている医師により、お腹を触手しただけで、異変を知らせてくれ、私は、後に神の手だと思った。

(何故なら、腎臓に疾患があったのだが、それは背中の方にあって、通常お腹の方から触手した位では、わかる筈はないのである)。
<つづく>

2870復興G:2013/09/21(土) 20:32:06 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 精密検査の結果、即腎臓を剔出する事になった。後にわかった事であるが、紹介された病院は、癌病棟であった。

 後日わかった事であるが、手術前日家族に病名が伝えられた。

 腎臓癌。それも腎臓よりも大きな腫瘍がまわりをとりかこんでいる事。手術して、最悪の場合には、そのまま閉じてしまう事、等等。

 兄姉の内で、喪服を用意する者さえいたという。しかし、神癒祈願のお蔭で、手術時癌細胞はことごとく死滅し、転移はどこにもなかった。手術は成功し、翌朝肋骨三本と腎臓を剔出した身体で、リカバリー室から、病棟に自力で歩いて帰った。

 しかし名医と言われた手から、十七年に一度といわれた手術ミスがおこり、出血多量で輸血がまにあわずに、瀕死の状態から、再手術して、奇蹟的に生還した。この経験時、多くの奇蹟的な事がおこった。すべて人智力では、理解出来ない事ばかりである。

 私は退院後、人類光明化運動を提唱し、人間は神の子であり、そのままで救われずみであり、真理を知るだけで、暗黒(やみ)なく、病なく、老いなく、死なし、の教えを知った。

 昭和七年の発足以来、その教えの原点である聖典 「生命の実相」 は千八百万部を越える。多くの人が、この聖典の教えによって救われている。凡そ宗教の宗派なるものは、神が人間を救済し給うための計画の中にはない。

 神とは真、善、美であり法則である。善にして愛なる所の神には神罰はない。恐怖心を煽る宗教は邪教であり、宗教ではない。

 環境は、自分の 「念」 の投影であるから、法則を正しく使い、協調することにより、幸福になる。

 宗教とは、奇跡を見せる所ではなく、奇跡をなくする所である。

 あたりまえがありがたく、あたりまえが奇跡である。

 私は、腎臓がなくなったが、無尽蔵の教えを得た。この教えのもとに、この教えを実践し、人類光明化運動を推進すべく、努力している今日この頃であり、多くの光を得ている日々である。

 (特に宗教問題が、とかく言われている時期に、世に少しでも多くの光を点したいと思い、体験の一端を書した。)>>

   *  *  *  *  *  *  *

 ――以上ですが、「無腎臓」 (片方は残っているのですが) になって、「無尽蔵」 の教えを知り、無尽蔵の霊的宝を得たという体験記でした。

2871復興G:2013/09/21(土) 20:40:07 ID:AB6RqYXc

I さんは今も相愛会長として、日々信念をもって常人の及ばぬような活躍をされています。

自己の信念を曲げず、「かえりみて直くんば百万人といえども我れ往かん」 の気概を持って発言される方です。

2872a hope:2013/09/21(土) 21:45:34 ID:dyDQLtZQ

みなさま こんばんは

昨晩>>2838で書きました、ボランティアの問題ですが素晴らしい方法で解決しました。
ここに事実をハッキリ書けないのがもどかしいのですが、
とにかくわたしの支援が必要なくなったという状況になったのです。
その状況の報告は、わたしにとっても、とてもうれしい報告でした!

わたしは、その方を「救おう、救おう」としていましたが、でも自分の力量に不安がありました。
そんな時、このweb誌友会のお勉強のためにたまたま開いた「生命の實相」にその問題に対する回答がありました。
そして、復興Gさまからも『静思集』のお言葉を紹介していただきお勉強させていただきました。
そして、今朝の神想観で相手の方の実相(本来の力強いお姿)をお祈りさせていただいていると、
その方への尊敬と感謝の気持ちが自然にわいてきました。

そんな風に自分の心が変って「気持ちが楽になったな〜」と思ったら、間もなく嬉しい報告の電話をいただいたのです。

これは、わたしの心が変ったから起きた奇蹟なのではないかと感じています。

みなさま、「生長の家の教え」はすごいですよ!!!

また、復興Gさまのご指導内容も、何回か拝読させていただいているうちに、だんだんわかってきたような気がします。
『雅春先生もお悟りになる前は、たとえ慈悲の心を起こされても家族すれ救えなかった』ということは「慈悲の心」にも段階があるということですね!

だんだんわかってきたので、ワクワクしてきました!
これからプリントアウトして、ゆっくり拝読させていただきます。

復興Gさま、素晴らしいご指導に心から感謝いたします。 

合掌。

2873復興G:2013/09/21(土) 21:53:48 ID:AB6RqYXc

a hope さま

具体的なことはわからないけど、とにかくよかったですね。

ご報告、ありがとうございました。

2874トキ:2013/09/21(土) 22:31:35 ID:HscXDpxA
>>2871

Iさんの体験談、感銘を受けました。文学青年らしく、印象深い文章だったと思います。
こういう体験談が知られる事は、多くの人の参考になると思います。

2875復興G:2013/09/21(土) 22:56:16 ID:AB6RqYXc

トキ様、ありがとうございます。


さて、私は、ユタカさんが >>2755

>>私なりに心に残ったので赤線を引いたご文章を下記に・・・<<として貼って下さった

<<生命の実相第4巻 P、159
山口ーー「縁なき衆生は度し難し」と申す言葉がありますが・・・・。
谷口ーー縁のない衆生はひとりもない。ただ機縁が熟しているかいないかです。釈迦に弓を引いた提婆達多も成仏する。キリストを売ったユダも成仏する。地獄も餓鬼も修羅道も成仏する。地獄も餓鬼も修羅道もいっさいの不完全なものは実在でないから
「やがて 消える去るべき 運命 をもっているのです。」>>

と引用されたご文章のつづきで、

<<そのほかにありようはないのです。罪でも病気でも悪癖でも結局は消えてしまってその人は結局救われるほかはないのですけれども、相手が反抗しているのをこっちから強制的に救うことはできない。それは人間は本来自由を与えられているから、強制することができないように造られているからです。……

 われわれは形を強制しても心を強制することができないのです。心は無限の自由を与えられているから、悟りたくないものを無理に悟るように強制するということはできないのです。だから心を悟らせる上では、形の上で、「ソレ悟れ」といわんばかりにいろいろの苦しみが来る。欲しないのに苦しみが来る、いわば強制的に来るのです。>>

 とあるところに、注目しました。

 私は学生時代に、デール・カーネギーの 『人を動かす』 (原題 “How to Win Friends and Influence Poeple”) というのを原書講読したことがあり、その最初のところを暗記していました。それは

 “There is only one way under high Heaven to get anybody to do anything. That is to let anybody want to do it.”

 だったと思います。(昔々のことなので、ちょっとあぶないですが)

 <人に何かをさせたいと思ったら、道は一つしかない。それは、その人に 「それをしたい」 と思わせることだ。>

 ということですね。

 今、教団と “本流” の人たちが、いずれもこの法則を破って、相手に強制的に何かをさせようとしているように見受けられますが、それは不可能なことでしょう。なぜなら神はすべての人間に自由を与えられたのですから。

2876ユタカ:2013/09/21(土) 23:00:33 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます、復興Gさま、トキさま、a hope さま、ご心配をかけて申し訳ありませんでした。大浄化作用でした、もう、大丈夫です、ありがとうございます。元気になりました!お祈りをありがとうございました。 ここで一旦、WEB誌友会を閉会させていただきます。
復興Gさまの第14回のすばらしい閉会のお祈りを再掲します。ますます浄まります。


生きとし生けるものを生かし給える御祖神 元津霊ゆ幸へ給え。
吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の機能。
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし 生長の家の大神守りませ。


生長の家の大神様 ありがとうございます。ありがとうございます。
web誌友会を、大神様の御導きにより、最高の真理の奥殿に導かれ終了することができましたことを感謝申し上げます。ありがとうございます。ありがとうございます。

 私たちは、大神様のお導きにより、次のことをはっきりと自覚させていただきました。

 ≪我々の運動の根拠となるもの、それは生命、実在だけであり、一瞬一瞬に久遠と無限を生きることである。

 今此処の一点に、宇宙と天皇と日本と世界と久遠とを生きることである。

 人が生きるとは、絶対が生きることであり、絶対が生きるとは実相独在を生きるということであり、実相独在をもち続けることが生命の純粋持続ということである。この他には、光明というものはなく、光明化運動というものはなく、創造というものはない。けだし、実在以外は「無」であるからである。

 私達一人一人が実在そのものであり、神そのものである。このことを教えられている私達にはもはや後退ということはあり得ない。金剛不壊の実在の巨歩があるのみである。私達が実相であり、金剛不壊であり、巨歩そのものであるから。そして、祈りそのもの、神想観そのものの生きて歩む姿としての人類光明化運動が今、此処に立っているのである。それが、今ここに「住吉大神の全身全霊として生きる」ということなのである。≫

           ○

 新たに生まれるための祈り

 われ今、合掌、天地四方を礼拝して、天地一切のものに感謝し奉る。古き天と地と四方一切のものは過ぎ去り、役目を果たし終りぬ。
 ここにわれ住吉大神に導かれて龍官海に入り、龍宮城の“神癒の社(やしろ)”に入り、大神の御前に坐して大神を礼拝し奉る。大神、右の手をあげてその掌もてわが全身を撫下(ぶか)し給いて霊をもって我を浄め給う。

 古き現象界の人類意識の妄想ことごとく浄められて、わが実相完全のすがたここに顕われたり。
 今より後、一切の悩みあることなく、苦しみあることなく、病いあることなく、老衰あることなく、貧しさあることなく、悲しみあることなく、憂いあることなし。
 久遠不滅の生命われに宿れり、常住健康、歓喜無限の生命なり。

 われ住吉大神の御禊(みそぎ)を受けて霊によって潔められ、霊によって復活のいのちを受けしことを、大神に感謝し奉る。
 今後、われ現象界に帰還したる後も、永遠にこの自覚をもちて生活せんことを大神に誓い奉る。ありがとうございます。
   (『如意自在の生活365章』21〜22頁より)

 住吉大神様 web誌友会を正しく導き給い、参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給いしことを感謝申し上げます。ありがとうございます。ありがとうございます。



世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

ありがとうございます。ありがとうございます。

2877a hope:2013/09/21(土) 23:11:20 ID:dyDQLtZQ

ユタカさま

<<ますます浄まります。>>

ほんとですね!
わたしたちはすばらしい御教えをここでお勉強できるのですから『浄まるしかない』のですね!!

すばらしい、復興Gさまのお祈りを再掲してくださりありがとうございます。
a hope これからも「生長の家の教え」をしっかりと勉強して、まことに法燈継承させていただきます。

復興Gさま トキさま ユタカさま、閲覧者のみなさま、今回も素晴らしい学びをさせていただきました。

ありがとうございました。

2878ユタカ:2013/09/21(土) 23:14:28 ID:R1D4Jmeg
これから後夜祭ということでお続けください。

ユタカももう一度読みましてから出てきます!

今日はおやすみなさい!

2879復興G:2013/09/21(土) 23:18:11 ID:AB6RqYXc

a hope さま、ユタカさま、トキ様、皆々さま。

ありがとうございました。

おやすみなさい。

2880復興G:2013/09/22(日) 07:15:06 ID:AB6RqYXc

 おはようございます。ありがとうございます。

>>2872 :a hope さま

>> 『雅春先生もお悟りになる前は、たとえ慈悲の心を起こされても家族すら救えなかった』 ということは 「慈悲の心」 にも段階があるということですね! <<

―― 「慈悲の心」 に段階がある というより、 「慈悲の心」 に 「正しい智慧」 を伴わないと人を救うことはできない、ということではないでしょうか。

 「正しい智慧」 とは、般若の智慧すなわち 「色即是空」 (物質はない、肉体はない、現象はない) ただ神のみ、仏のみ実在すると知り、心の法則を正しく使える智慧です。

 愛と智慧とは車の両輪のようなもので、どちらか一つでも欠けるとうまく走れない、ということではないでしょうか。

 こう言うと僭越に聞こえますね。谷口雅春先生も初めは智慧が欠けていて迷ったあげくに悟りを開かれたというように聞こえますが、そうではなく、

<<迷う心も無いから、悟って仏になる心もない。迷う心が進化して悟って仏になると思っていたのがまちがいであったのである。ただ初めから仏であり、神である 「実相の心(われ)」 があるだけである。その実相の心が展開した実相の天地があるだけである。浄飯王(じょうぼんのう)の王宮を出て、伽耶城(がやじょう)を去ること遠からず、菩提樹下(ぼだいじゅげ)に六年静思して初めて悟りをひらいて仏となったという現象の釈迦牟尼仏は本来無かったのである。

 『法華経』 の中で、釈迦自身が、

 「我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫(なゆたこう)である」 と言ったその久遠の仏のみが実在であったのである。その久遠の仏が今ここに生きているのだ!

 十字架上に磔けられて、「神よ、神よ、なんぞ我れを捨て給うや」 と哀号(あいごう)したイエスは本来無かったのだ。永遠の神性――「アブラハムの生まれぬ前(さき)から生き通し」 とみずから言ったキリストのみが実在であったのだ。

 自分もまた、明治二十六年十一月二十二日に母の肉体より誕生したのではなかった。そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始めから仏であった自分であったのだ。>>(自伝篇より)

 というのが真実 実相なのでした。そして、このお悟りに到るすべてのことが、闇ではなく、光が現れんとする過程の尊いご体験なのでした! ありがとうございます!

2881ユタカ:2013/09/22(日) 07:15:24 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、トキさま、a hopeさま、みなさま、ありがとうございます。

今朝は全世界が光輝いているように感じています。再掲させていただいた復興Gさまのお祈りの言葉がすばらしくって涙がでました。

トキ様、ご親戚の白鳩さまありがとうございます、私は知らない間に生まれ変わっていました。
感謝のお礼を申し上げたいです。
まだまだこれから勉強をすることは沢山ありますが、今はここまでこれたことを特に感謝しています。

ありがとうございます。 ユタカ 拝

仕事にいきますので、夕方もどります。

2882トキ:2013/09/22(日) 17:48:51 ID:vJ4ORW8I
 復興G様、ご指導、ありがとうございました。
皆様、ありがとうございました。

2883ユタカ:2013/09/23(月) 20:20:27 ID:/B6zFSOc
ありがとうございます。

私はweb版の勉強会で生まれ変わったと思いましたが、生まれ変わっていませんでした。

今日は原宿本部の最後の公式行事に参加して、たまたま一番前で総裁と近距離の場所にいまして、もうすでに総裁のほうが先に座っていて、「顔」を見ただけで怒りの気持ちが湧き起こってきました。

慰霊祭の祭壇は真っ赤なカーテンで「実相額」を隠して黒い箱から過去帳を出して、その中から、今年なくなった功労者名簿を読み上げていました。

壇上の総裁の後ろには、金魚の糞のように、大塚、雪島菅原佐藤大久保三好らと第1の植田もいた。落慶式と同じようにいた、異様な光景だった。

総裁は両足を広げ背中を丸めイスに斜めに座っている姿が「つまらない!」と全身で言っているように感じられて、さらにムカついた。

総裁の挨拶は、これから引越し作業を続行するので忙しいとかで、自分は30年同じところにいたからクダらない荷物が沢山あるので整理するとか・・なんとかで。。。

最後に信徒のみなさんは、生長の家の大調和の真理を宣布して欲しいということと、「死は悪ではない」という事を伝えて欲しいとか・・・

総裁の挨拶は現象のことばかり言っているのは方針なのでしょうか? 総裁の挨拶は軽かった。。。新しい事務所に行くのに職員の顔は暗い。



ということで、総裁は「死は悪ではない」 と言いました。

私は死は本来ない、生き通しの永遠不滅の生命を教えていただきましたが、

総裁は「死は悪でない」などと表現することは、

2884SAKURA & NANCY:2013/09/23(月) 21:03:08 ID:4bzfQCNk
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」へ
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【 SAKURA & NANCY 】で〜〜〜す。

■□ 本日で?「公式行事が終り……」という事で…下記URL…
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/2883 
上記を閲覧させて頂きました。

■>>死は悪ではない…<<
この言葉に目がとまりましたでしょうか?現象での【死…】この一点に集中しての解釈を
致しますと?当然ながら“ネガティブ感情…”が〜〜〜誰しも生じますでしょうネ?

思いなおしまして??
正直申しますと【この前後に〜〜〜何かの“コトバ…”がありましたのでは〜♫】そのように思います。
この?前後の“コトバ…”を教えて頂きますと幸です。…が?

此処では?私自身は【 死=生きとおしの魂 】との解釈を致しました…。
そうです〜〜〜ョネ!一般的には【死=恐怖心…】を抱いてしまいますのでは?私自身もなきにしも?

創立者「谷口 雅春先生」が?
■□【人間は〜〜〜「肉体人間…」ではない!「霊的人間…!!という事…」を、思い浮かべます。
そうしますと?【悪しき事…】でなく?【次なる世界へと…新たなる旅立ち…】という事でしょうか?
そのように「捉え方…」を少しだけ変えますと【気持ちが〜〜〜少し楽!】になりませんでしょうか?

いつも〜〜いつも〜〜【グサリする言葉…】がありますモノ!
そして、本日の【開催行事…】の光景を教えて頂きました事に、深く〜深く〜【感謝…】です。

                               再合掌

2885a hope:2013/09/23(月) 21:25:15 ID:dyDQLtZQ

>>2883ユタカさま

正直にいいますと、わたしも総裁先生の森のオフィス落慶式でのご様子の映像や写真を拝見したり、
雅宣先生の唐松模様や、FBでのご発言を拝読しますと、なんともやるせない気持ちになります。

そして、今回はまた、なぜ雅宣先生は「死は悪ではない」などと発言されたのでしょう・・・気になりますね。
「死も悪もない」ならすんなり理解できるのですが・・・。

>>2884でSAKURA&NANCYさまも、

<<正直申しますと【この前後に〜〜〜何かの“コトバ…”がありましたのでは〜♫】そのように思います。
この?前後の“コトバ…”を教えて頂きますと幸です。…が?>>

とおっしゃっていますが、わたしも、この総裁先生の「死は悪ではない」の発言の前後のお話が聞きたいです。

ユタカさま、どうぞよろしくお願いいたします。

2886ユタカ:2013/09/23(月) 22:36:34 ID:R1D4Jmeg
総裁の言葉は、唐松ブログで出てくると思います。

総裁の言葉うろ覚えですが、生長の家の教えは大調和の教えであるということと、今日は慰霊祭でした、皆さんも皆さんもいつかは死にますが、「死は悪でない」という真理を多くの人に伝えて下さい。

というように覚えています。 「え?? 死はない、永遠不滅の生命でしょ!」って思わず言いいました。

このような総裁でも退場には渦を巻くような拍手を受けて退場して行かれましたよ。 それと今日は189名の出席者なので語呂あわせで「イワク」のある日だとか何とか・・・意味不明でした。。


久しぶりに近距離で見た総裁はモーニングがだぼだぼで痩せてガンでは?と思うほど顔色が悪く見えた、総裁の挨拶になってから、姿勢が良くなって顔に赤味が差して来たように見えました。

光明の塔のホール?に、紙に不用と書かれた事務椅子やら書棚が乱雑に投げられていて引越し作業が始まっている様子でした。本部の内部は昭和時代そのままでした・・・トイレが男女一緒に近い感じの仕様で骨董品の水道の手洗い場でした。。

大ホール一回は満席に近かったですが二階はガラガラ。 そういえば、クイーンエリザベス2号のプラモデルの作りかけがあってそれを引っ越すときに持ってはいかないとか、どうでもよすぎて、総裁の挨拶とか言うものは、耳を素通りしていきます。。。

あまり覚えていなくてすみません。。。 誰かに脅かされているのでしょうか? 椅子に警護と書かれ男が座ってもいました。

総裁は誰かに脅されているのかな?って思いました。。。

2887志恩:2013/09/23(月) 23:07:34 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

総裁の顔色は、ガンじゃないかと思えるほど悪くて、痩せていらしたというのは、
なんか、痛々しいですね。

総裁ご夫妻は、ノーミートで、主食も多分雑穀米を召し上がっておられるとお見受けしますが、
健康を保つのは、食事も大事ですが、ご先祖様やご両親やご兄弟、その他、
周囲への感謝の気持ちがあるかどうか、とか、

ストレスを多く抱え込んで、くよくよしてないかどうかという、精神状態のほうが、
健康保持には、すごく大事だと、思います。

私は、最近、ご近所に住む、友人のことで痛感しているのです。

その人は、61歳の女性なんですが,
昔から、玄米菜食主義者で、肉も魚も食べない人でしたが、
なんと、最近、彼女から電話が来て、彼女は、胃がんの末期で肝臓にもがんが転移してたというのです。
あと、5年の命と医者に言われたそうなんです。

私は、生長の家の話は、以前から彼女に伝えていましたから、
彼女は、死は、寿命もあるし、人間は生き通しだと教えてもらっているし、
不安はないと、あっけらかんと笑って話していましたが、抗がん剤の点滴治療を
受けているそうなんです。

私は、肉も魚も感謝して食べていいと思っている人間です。
肉を食べたときは、野菜や大豆食品、海草類を多く摂り、

明るくストレスを、上手に解消しながら生きれば、
健康も保てると考えています。

総裁の健康状態は、心配ですね。
病院へ診てもらいに いらしてないのかしら。

ユタカ様から伺った
総裁のお話は、生長の家の総裁とは、思えないような内容ですけれど、、

2888志恩:2013/09/23(月) 23:21:43 ID:.QY5jUA6
その彼女は、なんでも考えすぎる人で、一緒に住んでたお嫁さんと
相性が悪く、実の妹さんや、弟さんとも、相性が悪く、それをくよくよ
自分の責任だと言って考えてた内向的な性格の人だったんです。

私のように、さばさばした性格でなくて、
私は、いつも彼女の悩み事を聞いてあげて、励ましていたのです。

2889ユタカ:2013/09/23(月) 23:32:48 ID:R1D4Jmeg
志恩さま
総裁の慰霊祭での挨拶は唐松ブログで全文でると思います。

>>総裁ご夫妻は、ノーミートで、主食も多分雑穀米を召し上がっておられるとお見受けしますが、
健康を保つのは、食事も大事ですが、ご先祖様やご両親やご兄弟、その他、
周囲への感謝の気持ちがあるかどうか<<

@年末にローストチキンを食っていたのはどこのどいつだ〜〜い??

総裁の礼服がサイズが合っていなくてそう見えたのかも? 本当にダボダボでした。。

引越し作業が忙しくて激痩かも? 痩せたからすごいお爺さんに見えましたよ。でも、椅子から立ち上がって話したときは、顔に赤味が差してキチンと話していました、クダラナイ話を。

「いやな人だ!」と思う自分が情けない、総裁が神の子と思えなかった。ユタカの信仰はニセモノ。

2890復興G:2013/09/23(月) 23:41:21 ID:AENtSm/U

ユタカさん、そんなに自分を責めることはないですよ。

すべては浄化の過程、いっそうよくなる過程、進歩の過程ですよ。


私は慰霊祭に参加しませんでしたが、私のところにも参加を勧めるハガキが来ていました。これが原宿本部会館使用の最後の行事になるからと。全会員宛ではないと思いますが、少なくとも講師や第一線幹部まではハガキが出されたのでしょう。

それにも拘わらず、189名の参加にとどまった。400人程度は入れるホールだと思いますが・・・・これが現実ですね。

いま役員改選が行われていて、今月一杯で組織役員は新しく交替します。これで、私の予想では、おそらく役員の数すなわち単位組織の数は、2割程度は減ると思います。もっと減るかも知れません。残念ながら教勢が、目に見えてガタッと落ちます。

総裁ならびに教団上層部の方たちは、この現実をしっかと見て、考えていただきたいですね。


私は、今日は原宿本部の春季慰霊祭には参加せず、お寺の彼岸会 先祖供養の法事に行ってきました。

住職が、4月に交替して初めての彼岸会でした。
交替したのは、先代が父親で、息子に引き継いだ形です。法燈継承みたいなことがなされたのです。

しかし、先代の父親もまだおつとめに同席して読経などしているのです。

新住職は挨拶で、「先代が約50年間この寺を護り育て、檀家は増え、こうしてたくさんの方たちが彼岸会にも集まってくださるようになった(50人近くの人たちが集まっていた)。私はそのあとを継いで、先代に頼らずしっかり頑張ってやっていきますから、よろしく……」 というような挨拶をされました。

少しも飾るところがなく、一所懸命な気持ちが表れていて好感が持てましたが、そんなに頑張らずに、「こうしてあとを継がせて頂けるのは、私の力ではなく仏の大慈悲のお力であり、先代のおかげ、また檀信徒みなさまのおかげです。」 と、ただ感謝の言葉だけだったらもっとよかっただろうと思いました。

2891志恩:2013/09/23(月) 23:44:37 ID:.QY5jUA6
いいんじゃない。気にされないで....。

そういう人でも、
「すてきな人だ!♡」と思う人もあれば、
「いやな人だ!♥」と思う人もあれば、

それは、自分の波長と 合うか合わないかの差ではないでしょうか。
そう、思ったんだから、しょうがないでしょう。

映画を観た感想と同じで、人それぞれではないでしょうか。
現象なんて、夢幻ですもの。気にされること、全然ないですよ。

2892SAKURA & NANCY:2013/09/23(月) 23:48:28 ID:txgr3N66
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
>>2884の投稿の続きです…。

■ブログ【 唐草模様… 】に投稿される??でしょうかと?云う事ですネ!教えてくださいまして【感謝…】

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/2886 から〜〜〜♫
閲覧者の皆様も御存じでしょうが?先程ですが〜〜〜

【総裁先生のフェイス ブック】…の中に? ≪一枚の写真≫が投稿されていました。それは?30年間!
住みなれました【お山…の家】を今月で・・・ ><しかもその写真は〜〜〜
【 梱包された荷物の箱…の数々(部屋の中) 】です。おそらくは〜〜〜?><大小かなりの
“段ボール箱”の数でしょうか?ましてや?【思い出の品も〜〜〜かなり捨て去り】かと。

私も個人的には【TYO在住】頃は?3年に一度の?【引っ越し…摩?】と云いますかしら〜〜〜ン!
その短期間ですら〜〜住みなれました“地…”への「思い出…」は、いざとなりますと?
こみ上げてくるモノが〜〜〜ありますモノ。

一つの区切りとしての【山梨…森のオフィス】は〜〜〜その事前作業である【引っ越し…荷物の梱包】…etc
今年の異常なる“夏の暑さ”も手伝っての〜〜〜>< 外見上での【やせ方…】に御心配して
いらっしゃいますようで?ある面は?公式行事(講演活動…)も含めまして、
【体力消耗…】となりましたのでしょうかと。私の捉え方です。…が?これも?あくまでも〜〜〜
「捉え方の問題」ですかと?思う次第に思うのです〜〜〜ョネ!

雅春先生時代の場所から…つまり【東京から〜〜〜新しい地…山梨】へと行かれますのですから?
殊のほか【思い出が〜〜〜走馬燈のように脳裏に】かと思えます。その事が?姿・形として・・・
第三者であります皆様に?どのように受け止められますかは?当にその人の「感情論…」が入って参りますでしょうかと思うのです…。

■【ポジティブでの感情】でしょうか?それとも【ネガティブでの感情】でしょうか?

この事一つでも〜〜〜【人生への旅路】に於けます【道は如何に開けるのでしょうか??】この様に
繋がってまいりますのでは?ないのでしょうか〜〜〜?

そして【或る一定年齢…】になりますと現象世界での【死…】を見つめ直す事も?多くの人にとりまして
当然ながら?考える事となりますでしょう。それは【表現法…人それぞれ】でしょうか?

【 死は悪ではない… 】
今回は?皆様の投稿で…多々なる“捉え方…”を考えます機会を頂きました事に…『感謝…』です。

                                 つづく

2893a hope:2013/09/24(火) 00:06:39 ID:dyDQLtZQ
ユタカさま

ご報告ありがとうごさいます。
わたしは詳しいことはわからないのですが、慰霊祭というのは今年亡くなった信徒を慰霊される行事なのですよね?
ユタカさまが参加された理由は、どなたかご身内かお知り合いで亡くなられた方がいらして、その方を慰霊するためなのでしょう?
それなのに、雅宣先生の行事中の総裁先生の<<両足を広げ背中を丸めイスに斜めに座っている姿が「つまらない!」と全身で言っている>>ような態度をご覧になったら、嫌な気分になるのは当然だと思います。
さらにお話の内容も、自分の引っ越しのことだったりしたわけでしょう?

おそらく、わたしもその場にいたらユタカさまと同じ反応が起ると思います。

2894SAKURA & NANCY:2013/09/24(火) 00:22:00 ID:txgr3N66
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【 SAKURA & NANCY 】で〜〜〜す。
>>2884>>2892 の投稿の続きです…。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/2886 から〜〜〜♫

■□さらに「総裁先生」が〜〜〜或る人にとりましては【癌…】とか???そのようにお見受けするかと?
このような【話の展開…】で、つい!つい!笑ってしまいましたのです。…が?

今回「パートナーの父様」が【癌との宣告…】となりまして!私が「食事療法…」を率先して、
“パートナー”ともども【食事療法…】を致しましたのです。・・・が?

その時に〜〜〜ハット!気づきましたのが〜〜〜?
「現総裁先生の奥様(純子先生)の料理」は【癌…】にもなりにくい“食事…の献立”内容なのですが??
食材の数々〜〜〜内容は?参考になりますかと。さらに、付け加えますと【癌…になられやすい方】は〜〜〜?
たいていの方々が〜〜〜ある面では“中肉系?”・さらには“肥満系?”の方が多いのでしょうか?
あくまでも?私の捉え方です。…が?

【癌…の宣告】を受けられましてから、ダン〜ダン〜痩せられていく方々の過程が多いのです。…が?
此処で「現総裁先生…雅宣先生」は創立者「谷口 雅春先生」と同じ【体型…】ではないのでしょうか?
本当に〜〜〜皆様と同じ捉え方となりますが〜〜〜「ダブダブ背広…」ですモノ!かなりの痩せ方?

これは?ある面では■【意志の強い!!】・【必ずや!成し遂げる精神力!!】が多大に感じられます。
逆に、私も含め〜〜〜「ふくよかタイプ…」いかがでしょうか?? (微笑)
ですから、只今【自覚でのダイエット!トライ〜〜〜】始まりなのです。「自称…何回目の決意?」(微笑)
それこそ〜〜〜><そちらの方が〜〜〜心配ではと、思いますのですが???

この事は「観覧者の皆様」どのようにお考えでしょうか??

                               再合掌

2895復興G:2013/09/24(火) 05:26:37 ID:AB6RqYXc

 私は >>2890

 >>残念ながら教勢が、目に見えてガタッと落ちます。
総裁ならびに教団上層部の方たちは、この現実をしっかと見て、考えていただきたいですね。<<

 と書きましたが、外に、他に求めることは間違いでした。

 一切はわが心の展開なのでした。

 『論語』 にも

 「君子(くんし)は諸(これ)を己(おのれ)に求め、小人(しょうじん)は諸(これ)を人に求む。」 《君子は何事も自己の責任に帰し、小人は他人の責任に帰する。》

 とあることを胆に銘じてまいりましょう。

 で、すべて総裁や教団上層部の方々に求めるということではなく、自分をかえりみて、谷口雅春先生のお教えや中国の古典などに学びながら、自分のこととして考えることですが……胸にこたえる言葉を引用してみましょう。

 まず、前回のweb誌友会テキストから――

   *  *  *

 谷口――その娘さんの方も、あまり世間の苦労というものを知られないために、恩を恩だと感じられないのでありましょう。

 ともかく、その方がその娘さんを後嗣(あとつぎ)ということにして、今まで人生で苦労して得たすべての財産を譲ろうとせられる。その譲られる財物を得るために、本来その義父母たちがどれだけ人生の戦場で労苦されたか、その労苦の結果得られた尊いものを譲ろうとされるのであるから、ありがたいことである、と感ずれば、感謝の念が自然に湧いて来るべきはずでありますのに、そういう感謝の念が湧いてこないのは、財物を得るのにはどれだけ人生の戦場で苦しまなければならないか、その苦労の体験がないからです。

 つまり苦労が足りない、苦労が足りないから、……財物を得るにはどれだけの苦労が要るか、その苦労しなければ得られない財物を譲るには、どれだけの思い切りと愛とが要るかということを体験させられるのでありましょう。
(『生命の實相』 第4巻187ページより)

   *  *  *

 「売家と唐様に書く三代目」 と云う諺もあります。

 第一代目は自分が大いにサービスをし、人によいものを与えて来ましたので第一代目はつぶれません。

 第二代目になっても第一代目のサービスの徳が蓄えられているのでまだ其の家はつぶれません。

 第三代目になるとだんだん初代の徳が失われまして中味のない形ばかりの富になって来ますから、とうとう先祖からの家も売り払ってしまわなければならぬようになるのであります。 (谷口雅春先生 『生活読本』 第13章より)

   *  *  *

 徳は孤ならず、必ず隣(となり)有り。 《徳というものは孤立するものではない。必ず隣ができるものだ。》 (『論語』 より)

   *  *  *

 桃李(とうり)もの言わざれども下(した)自(おのずか)ら蹊(みち)を成す。 《桃や李(すもも)は何も言わないが、美しい花にひかれて人が集まり、その下には自然に道ができる。徳のある者は弁舌を用いなくても、人はその徳を慕って集まり帰服する。》 (『史記』 より)

   *  *  *

 ――私たちは、大聖師谷口雅春先生から大きな大きな財産をゆずられた。それは、全国各地の道場、教化部やたくさんの信徒同志というような財産もありますが、もっと大きいのは形あるものではなく、宇宙のすべてと言ってもよい、「人間は神の子」 という大真理、そして「人類光明化運動」 のパテントを譲られたのであります。

 しかし、苦労知らずのまま大きな大きな財産を譲られて、そのありがたさを十分知らないまま、自分が偉いのだと錯覚して、その無限大の財産を生かし切ることができなかった。

 それで現 雅宣総裁は、倶胝和尚が小僧の指を切って落とされたように、私たちの指を切るような役を果たしてくださって、「形だけ真似したのではだめだよ」 とお教えくださっているのである。その雅宣総裁に感謝しなければならない。

 ――私は今、そのように考えています。

2896ユタカ:2013/09/24(火) 05:45:27 ID:R1D4Jmeg
>それにも拘わらず、189名の参加にとどまった。400人程度は入れるホールだと思いますが・・・・これが現実ですね。

参加者の中には、私が気がついただけでも、世界聖典普及協会の社員、本部講師の奥さん等、数合わせで参加しているのかな?と感じる人もいました。

ですから、純粋な遺族の参加はもっと少ないでしょう。。。

上層部が裁判などをして争っているから、信徒同志も「あっちを通りなさいよ!」等と譲らない声が聞こえて会場もいやな雰囲気でした。

これでは、人も激減するでしょうね。。。納得します。。

2897ユタカ:2013/09/24(火) 05:53:54 ID:R1D4Jmeg
>2895を見ないで書きました。

>2895 復興Gさま

そうでした! 復興Gさまの言葉で今日は考えたいと思います。 さらに勉強してまいりたいですから。

ありがとうございます。合掌。

皆様、ありがとうございます。

2898a hope:2013/09/24(火) 09:00:50 ID:dyDQLtZQ

みなさま おはようございます。

>>2895復興Gさま

<< ――私たちは、大聖師谷口雅春先生から大きな大きな財産をゆずられた。それは、全国各地の道場、教化部やたくさんの信徒同志というような財産もありますが、もっと大きいのは形あるものではなく、宇宙のすべてと言ってもよい、「人間は神の子」 という大真理、そして「人類光明化運動」 のパテントを譲られたのであります。
 しかし、苦労知らずのまま大きな大きな財産を譲られて、そのありがたさを十分知らないまま、自分が偉いのだと錯覚して、その無限大の財産を生かし切ることができなかった。
 それで現 雅宣総裁は、倶胝和尚が小僧の指を切って落とされたように、私たちの指を切るような役を果たしてくださって、「形だけ真似したのではだめだよ」 とお教えくださっているのである。その雅宣総裁に感謝しなければならない。
 ――私は今、そのように考えています。 >>

わたしは、雅宣先生はわたしたち信徒の心をすべて見通されているのではないかと感じています。
だからこそ、大観世音菩薩さま(写し鏡)となって、わたしたち信徒の姿を映し出してくださっている。


昨日の慰霊祭で、霊感の強いユタカさまの感じた「怒り」は、本来は慰霊されるべき霊魂の心のこもらない形だけの慰霊祭に対する「怒り」なのではないかと感じました。

本当に、形だけの行事ならやらない方がいいような気がします。

2900閲覧者99:2013/09/24(火) 09:42:30 ID:ZjEQmzns

 ユタカさんも、a hope さんも霊感があるというか、人の言葉として
 上がっていないところまで読み込む力がおありのようですね。
 ちょうど、復興Gさまが、『生命の實相』に立ち返って、適度な解説をいれて
 くださってるので、わかりやすい、まとまった誌友会を見学させていただきました。

 合掌、ありがとうございます。
 今後もよろしくお願いします。

 拝。

2901復興G:2013/09/24(火) 14:42:46 ID:AB6RqYXc

 一昨日の22日(日)、私は讃美歌などを無我になって美しく合唱するつどいに行ってきました。

 そこでだいたいいつも最初に歌うのは、讃美歌310番 「しずけき祈りの…」 です。 その歌詞は――

1.しずけき祈りの ときはいと楽し
 なやみある世より われを呼びいだし
 父のおおまえに すべての求めを
 たずさえ至りて つぶさに告げしむ

2.しずけき祈りの ときはいと楽し
 さまよいいでたる わが魂(たま)をすくい
 あやうき道より ともない帰りて
 こころむるものの 罠(わな)をのがれしむ

 ――これを歌って、私はある誌友会のことを思い出しました。

 それは、先祖供養のことを話題にした時、ある女性の方がこんな話をされたんです。

 その方は最近お姉さんを亡くし悲嘆に暮れていらっしゃったとき、ひろ・さちやさんという仏教学者の話を聴かれた。ひろ・さちやさんは、こう言われたそうです。

 「皆さん、みんないずれあの世へ行くことになるんですが、あの世へいくのに手ぶらで行きますか、それとも何か手土産を持って行きますか?」 と問いかけられた。「手土産を持って行くとしたら、どんな手土産がいいでしょうか?」 と。

 それでみんな考えてしまったけれど、ひろさんの答えは、

 「あの世への手土産は、この世で悩み苦しんだ話、苦情や小言をいっぱい土産話に持って行きなさい。あの世は極楽で、なんにも苦しみのない世界だから、そういう苦しみの話が、よい手土産になるんですよ。」

 ということだった。それを聴いたその方は、なにかホッとして、とても救われた気持になったと話されました。

 私は言いました。

 << 「あの世」 というのを、死後霊魂が修行する場としての霊界と考えると、そこは現象界の続きだから、必ずしも 「なんにも苦しみのない世界」 ではない。だけど、「あの世」 というのを 「実相世界」 「絶対愛の神の国」 と考えれば、そういうことが言えるでしょうね。>>

 と。そのことを思い出して、讃美歌310番 「しずけき祈りの…」 の歌詞――

1.しずけき祈りの ときはいと楽し
 なやみある世より われを呼びいだし
 父のおおまえに すべての求めを
 たずさえ至りて つぶさに告げしむ

 ――というのは、「あの世への手土産」 のことだな、と思いました。その 「あの世」 は、なにも死んでから行くところではない。今、此処にあるんだ。今、ここにある天国浄土、神の国なんだ。それは時空を超えた今、「久遠の今」 此処なんだ! 「父」 とは、その絶対愛にしてわれらの内より導き給う神なのだ! そう思いながら、うれしい感動をもって歌っていたのでした。
<つづく>

2902復興G:2013/09/24(火) 14:43:35 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 2番の歌詞――

2.しずけき祈りの ときはいと楽し
 さまよいいでたる わが魂(たま)をすくい
 あやうき道より ともない帰りて
 こころむるものの 罠(わな)をのがれしむ

――は、「生長の家の歌」 の3番の歌詞

  (三)古事記讃歌

 天津日子(あまつひこ) 火遠理の命(ほおりのみこと)
 現象の わなにかかりて
 海幸(うみさち)を 我(が)の力にて 釣りたまう
 されどつりばり 失いて
 まがれる鉤(はり)に まようとき
 しおづちの神 あらわれて
 めなしかつまの み船にて
 龍宮城に みちびきぬ
 龍宮城は いま此処ぞ
 龍宮城は いま此処ぞ

――を思い起こさせてくれました。

 「さまよいいでたる わが魂(たま)」

 というのは、私たちが 「實相独在」 をわすれて現象界を 「あり」 とみて、我(が)の力でガンバロウとする心です。五官の世界を 「あり」 と見る 「現象のわな」 が、「こころむるものの罠(わな)」(讃美歌) であります。

 「めなしかつまの み船」 とは、時間・空間の目盛のない、時空がそこから現れた一切創造の根源世界、創造(うみ)の根底(そこ)なる龍宮界へ航行する船。そこへ導いて下さるのが、しおづちの神すなわち生長の家の大神であるわけですね。

 こんな解釈をしながらうたうことは、まことに 「しずけき祈り」 であり、 「いとたのし」 であります。


 さらに、16世紀の宗教音楽家 パレストリーナ作曲の“Sicut Cervus” 「ああ神よ 鹿の渓水(たにがわ)をしたい喘(あえ)ぐごとく」 も歌いました。これは、

   泉を求める鹿のように

 清水わく泉をもとめる鹿のように。
 神よ、このように私の魂はあなたをもとめる。
 生命(いのち)の泉たる神を、私の魂は渇望している。
 いつのことか、私の神の御前にすすみ出るのは?
 昼も夜も、私の涙が私の糧である。
 あなたの神は何処(いずこ)? と
 日々私に語りかけるとき。

 というような意味の歌詞をラテン語で歌うのです。

 私たち人間の本当の故郷(ふるさと)は神の国、実相世界ですから、人間の魂はみな、清水わく泉をもとめる鹿のように、みおやなるかみ、主(主人公なるほんもののわれ)をしたい喘(あえ)ぐのですね。

<つづく>

2903復興G:2013/09/24(火) 14:44:24 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 そして23日(秋分の日)は、お寺での彼岸会供養の法事に行きました( >>2890 既出)。

 ここでは、50人近くの参加者全員で、観音経(妙法蓮華経 観世音普門品)と、般若心経を読誦しました。

 ほとんどの人には、「さっぱり意味が分からない」 での読誦だったようですが、私は 「半分以上、意味が解るよ」 と言えました。それは、大聖師から 『日々読誦30章経』 3日の経言 「観音妙智観」 で 観音経の意味をわかりやすく教えられ、『あなたは自分で治せる』 の第13章 「般若心経講義」 で般若心経の深い意味をご教示いただき、そして聖歌 「生長の家の歌」 では

   (二)仏教讃歌

 衆生 劫(こう)つきてこの世の
 焼くときも 天人みつる
 我が浄土 安穏なりと
 釈迦牟尼の 宣りたまいしは 現象の
 この世かわるも 実相の
 浄土はつねに 今ここに
 久遠ほろびず 燦々(さんさん)と
 まんだらげ降り 童子舞う
 光輝く世界なり
 光輝く世界なり

   (四)万教帰一讃歌

 しおづちの うみのそここそ
 創造の 本源世界
 汝らの 内にありとて
 キリストが のりたまいたる 神の国
 この世焼くるも 亡びずと
 法華経の説く 実相の
 浄土何(いず)れも ひとつなり
 十字まんじと 異なれど
 汝のうちにある天国ぞ
 汝のうちにある天国ぞ

とお教えいただいていたからにほかなりません。

 昨日はキリストの讃美歌、今日は仏陀のお経を、何の違和感もなく一つの真理だとして、ありがたく歌ったり読誦する、このような芸当ができるのは、「現象なし」 とする生長の家ならでは、おそらく不可能なことだと思います。

>>2962 でも書きましたが、

 この 「万教帰一の真理」 を、完璧に伝え伝えて行くことこそ、私たちに課せられた大切な大切な使命であると信じます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「汝らは地の塩なり。塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき。後は用なし、外に捨てられて人に踏みにじらるるのみ。

 汝らは世の光なり。山の上にある時は町は隠るることなし。また人は燈火(ともしび)をともして升(ます)の下におかず、燈台の上におく。かくて燈火(ともしび)は家にある凡ての物を照らすなり。かくの如く汝らの光を人の前にかがやかせ。……
 (新約聖書 「マタイ伝」 第5章13〜15節)

 ですね。

 テキスト 『生命の實相』 第4巻の191ページで、谷口雅春先生は

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 谷口――自殺するというような人は、心が狭くて主我的で自分の一つの考えに執着しすぎて、世界を自分の考え方に強制するか、でなければ世界から自分が逃げて行こうとするのです。自分の考えばかりを通そうとして、他の考えを生かそうとしないものはかえって自分自身が生きなくなるのです。

 「自分」 という殻から一生出ないひよこは死んでしまうほかはないのです。「自分」 という殻を破って出たときに人間もはじめて生長できるのです。人間は一度は自分の小さい世界を捨てる修行をしなければならぬのです。その方は今その修行を神さまから課せられているのでしょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 とご教示くださっています。

 「久遠の今」 なる本源世界に超入し、自由を得て、あらゆる殻を破りすべてを生かす精進・伝道を、実践してまいりましょう。

2904復興G:2013/09/24(火) 14:54:51 ID:AB6RqYXc

>>2900 :閲覧者99さま

うれいいコメントをありがとうございました。

こちらこそ、今後ともどうぞ よろしくお願いいたします。

合掌

2907復興G:2013/09/25(水) 12:19:26 ID:AB6RqYXc

 合掌 ありがとうございます。

 今日 「web誌友会参考文献板」 にアップさせていただいた榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動』 <九十三>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/124

を拝読して、再確認したこと――

 「万教帰一」 の 「帰一」 とは、「一」 に帰るということですが、その 「一」 とは、「久遠の今」 であることです。

 現象界のすべての教え、すべてのものは、「久遠の今」 なる 「一」 から展開して出てきた映像(かげ)であるが故に、その本源(もと)の 「久遠の今」 なる 「一」 に立ち還ってみれば、すべての教えの神髄はひとつであることが自明の理としてわかる。

 谷口雅春先生は、その本源(もと)の 「久遠の今」 なる 「一」 に立って、「万教帰一」 を説き給うたのである、ということです。

 「久遠の今」(1) 谷口雅春先生ご講義
http://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8

 「久遠の今」(2) 谷口雅春先生ご講義
http://www.youtube.com/watch?v=lDSwsxbLfes

 榎本先生も、この 「久遠の今」 を自覚し、「久遠の今」 に立って 『神癒の展開としての人類光明化運動』 を書かれていると思います。

 私たちは皆、この 「久遠の今」 から顕(で)てきたものであり、 「久遠の今」 こそ私たちの本当の故郷(ふるさと)なのです。

 この故郷に帰れば、私たちは本当にくつろぐことができて、癒やされる。

 だから、讃美歌517番の歌詞に

 1.「われに来(こ)よ」 と主はいま、
  やさしく呼びたまう、
  などて愛のひかりを
  避けてさまよう。

  「かえれや、わが家(や)に
  帰れや」 と主は今呼びたまう。

 2.つかれはてしたびびと、
  重荷をおろして、
  きたりいこえ、わが主の
  愛のみもとに。

  「かえれや、わが家(や)に
  帰れや」 と主は今呼びたまう。

 とあるのです。

 この 「わが家」 が 「久遠の今」 であり、それが 「生長の家」 であると思います。

 この、生命の故郷(いのちのふるさと)にかえれば、みんな一つ生命(いのち)だとわかり、仲良くなれるのだと思います。そして、ただ喜んでよろこんで、よろこびのうちに無限生長して行ける! ここに立ち還りましょう!

2909ユタカ:2013/09/25(水) 19:29:01 ID:R1D4Jmeg
そうでしたね、、、現象は無かったのですね。。。

今、すべて光明燦然として輝いていたわけですね。。
 そうか・そうか・・・そうでした。。。


どうしてすぐ忘れてしまうのかな〜〜自分? 実相に浸る時間がすくないのかも・・・
もう少し自己分析しないと!

2910復興G:2013/09/25(水) 19:32:07 ID:AB6RqYXc

 イエスは 「真理は汝を自由ならしめん」 と言いました。「佛」(ほとけ)とは束縛からほどけて(解脱して) 自由になった者、という意味だと教えて頂きました。

 それは、この時空超脱の 「久遠の今」 を知り、肉体はない、自分はないと知り、 「久遠の今」 に立って、愛に生きること。

 時間は本来なく、空間も本来ない。それは生命の中にある。時空は生命が創りだした認識の形式にすぎない。生命は時間の中に、空間の中に生まれたのではなく、時間・空間を作り出したものである。

 「現象時間は存在しない、従って非存在の現象時間の中にある事物も存在しない」。それが 「現象はナイ」 の意味である。したがって、罪も病いも死もない、争いも不調和もないのである、あるかのごとく見えてもそれは悪夢に過ぎず、と教えて頂きました。

 この 「久遠の今」 に立つと、聖典に書かれてあることが、よく解るようになります。

 たとえば、『幸福生活論』 の 「はしがき」 に、

     *  *  *  *  *  *  *

 多くの人達は、幸福をもとめながら、しかも不幸になっているのは何故でしょうか。幸福の法則を知らないからです。多くの人達は物質や、富や、領土や、凡(およ)そ形あるものを目蒐(めが)けてそれを掴もうと思って驀進(ばくしん)して行くのでありますが、「形あるものは形なきものの影」でありますから、影のみを掴むと、掴んだと思った刹那(せつな)、それは消えてしまうのであります。本当に幸福になるためには吾々は影の奥にある「実物」(実相)を把まなければなりません。

 人類が平和を求めながら戦争に突入し、永久平和の至福の世界を求めながら、それが実現しないのも同じ原理によるのです。また、あなたが健康を求めながら健康を得る事が出来ないのも同じ原理によるのです。形あるものはすべてその奥にある、形なきフィルムの投映(かげ)ですから、形なき世界を捉えて自由にすることを知らなければならないのです。

 幸福の法則を知ると云うことは、換言すれば原因結果の法則を知ると云うことです。これは簡単に云えば、因果の法則を知ると云うことです。昔から蒔かぬ種子は生えぬ、瓜の蔓(つる)には茄子(なす)が生(な)らぬと申します。

 仏教では三界唯心(さんがいゆいしん)と申します。基督(キリスト)教では「汝の信ずる如く汝になれ」と申します。あなたの心の状態が形の世界にあらわれて来るのです。

 あなたが何を心に捉えているかと云うことが形の世界にあらわれて来るのです。争いの心で「物」を捉えたのでは、「争い」が出て来るばかりで、幸福が出て来る筈はありませぬ。
  (谷口雅春先生著 『幸福生活論』 はしがきより)

     *  *  *  *  *  *  *

 ――多くの人は、上記のように教えられても、その 「因果の法則」 の 「因」 は、現象界の中の原因だと思っている。現象はもともと無いもので、私たちはその奥にある根本因、即ち 「久遠の今」 なる 形なきフィルムに、至福平和の理念という第一原因があると知らなくてはなりません。それを谷口雅春先生は、この本の第一篇第一章に 「先ず神をわがものと為せ」 とお説きくださっているのです。

 第三章には、「吾に宿る力」 という小見出しで、次のように書かれています。

     *  *  *  *  *  *  *

 「無限者」 の力は私の中に、あなたの中に、全ての人の中に宿っているのであります。「無限者」 とは神のことです。

 神は吾々の外にあるのではない。また或る特定の人、法王や、皇帝や、祭司や、管長やのみにあるのではないのであります。

 ある時代には、吾々は神の力は吾々を離れて遠き所にあると思っていましたし、また或る時代には、或る特定の階級人のみに神意が顕現していると考えていました。

 しかし宗教にも民主的な時代が来たのです。今や吾々は聖パウロが言ったように神はわが内に、全ての人の中(うち)に宿っていることを知ったのです。

 わが内に宿るところの生命は決して有限なる内の力ではない、神そのものの生命(いのち)なのです。吾々人間に生命を与え給いし神の愛を理解するにつれて、聖パウロが嘗(かつ)て言ったように神に満たされているように吾々はなることが出来るのです。
  (谷口雅春先生著 『幸福生活論』 p.61〜62より)

<つづく>

2911復興G:2013/09/25(水) 20:08:13 ID:AB6RqYXc

 私たちは、かつて谷口雅春先生に頼りすぎていたのです。

 『菩薩は何を為すべきか』 に

 <<生長の家大神――総裁・副総裁――御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない。>>

 とあることを金科玉条として、神意は総裁・副総裁を通してのみ天降るのであって、生長の家信徒たるわれわれは、それに盲目的に従わなくてはならない、と思い込んでいたのは間違いであった。

 私たちは、「神意」 に中心帰一しなくてはならない。それは、前記 光明化運動指針第9条のつづきに、

 <<如何にその人が有力者であろうと長年光明化運動に献身して来ようと、素晴らしき体験をもつ指導者であろうと、断じてその人を中心にしてはならない。

 若(も)しも人を中心とすれば、その人が理解し把握している以上の運動の展開は不可能となり、歪んでいれば運動も歪むほかなく、その人とそりの合わぬ者、反対意見の者は身を引くか、対立して禍根を残すであろうし、若し或る人が情熱的な信仰を持つ場合、その人が真に中心を明らかに自覚している場合はよいが、唯熱心であるだけならば、何時かその人に頼り過ぎ、その人が転任或は他界した場合は、忽ち火の消えた様に衰微してしまった如き事例は往々にしてある。

 すべて皆中心を誤っていることに気がつかなかった為である。光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である。>>

 と書かれているのでありますし、>>2910で引用させていただきました 『幸福生活論』 では

 <<神は吾々の外にあるのではない。また或る特定の人、法王や、皇帝や、祭司や、管長やのみにあるのではないのであります。

 ある時代には、吾々は神の力は吾々を離れて遠き所にあると思っていましたし、また或る時代には、或る特定の階級人のみに神意が顕現していると考えていました。

 しかし宗教にも民主的な時代が来たのです。今や吾々は聖パウロが言ったように神はわが内に、全ての人の中(うち)に宿っていることを知ったのです。>>

 とご教示いただいているのであります。

 今でも、「神意は総裁を通してのみ天降るのだから、総裁に中心帰一しなければならない」 と、信徒に盲目的な奴隷信仰のようなことをすすめる役員や講師があるようですが、それは雅宣総裁が排除される 「原理主義」 に通じることで、間違っていると思います。

<つづく>

2912復興G:2013/09/25(水) 21:56:15 ID:AB6RqYXc

>>2911 のつづきです>

 私たちは、「法燈継承」 には 「外なる法燈継承」 すなわち形の上で教団総裁の後継者を決めることと、 「内なる法燈継承」 すなわち信徒一人一人が谷口雅春先生のお心をしっかと受け継ぐこと、の両面が必要なのではないかと、論議してまいりました。

 ふりかえってみますと、それは、「トーキングスティック板」 から始まって、「web誌友会板(1)」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/
では、次のようなやりとりがありました。

     *  *  *  *  *  *  *

36 :金木犀:2012/05/20(日) 23:05:24 ID:L0Ei6.zw

私が君民同治の神示を謹写いたしましたのは、天皇というものが日本国民にとって、どういうものかをはっきりとこの神示で、皆様に自覚して欲しかったということと、憲法が占領憲法のままでは日本の実相が蔽われていることの最も象徴的なことであるということを考えて欲しかったからです。

この神示は、国と言うものが日本国民の外延であり、天皇の神聖性が日本国民自身の神聖性の自覺から来ているものであることを示して下さっており、さらには、観られるものは、つまり環境は観るものの心の反映であることを教えて下さっております。

いわゆる心の影ということではありますが、
環境とはわが心の世界、外延であるということであれば、
生長の家教団における総裁先生の行状は、信徒の心の反映であります。
法灯を正しく継承しない総裁は、信徒自身が法灯を正しく継承しないことから来ているのだろうかとも思います。
また、愛国書を絶版にされていることは、信徒が愛国的な真理を理解しないか、そういう愛国の思いが希薄になってきたことの心の反映なのではないかと思います。
このことは、雅春先生の強い愛国の情からすれば、まさにその法灯が継承されていないのではないかと考えます。

生長の家とは堂塔伽藍でもなく、建物や組織でもなく、生命の實相を語る神の言葉のあるところが生長の家だとすれば、実相世界の生長の家が現われたものが、教団であるのか、それとも本流であるのかは、両者の意識次第ではないかとも思います。

真理の法灯を継承するという意識の強いものが、法灯を継承することになるのではと考えます。組織の大きい小さいとか、教団という名前には関係ないのではないかという気もします。心の反映が環境でありますから、一滴もこぼさずに継承するという意識のないところには、法灯の継承が形の上でも現れず、それが生命の實相の敗訴にもなったのではないでしょうか。

(中略)

総裁先生の實相を礼拝することは、もちろん大切で、総裁先生がどういう使命をもって、今の姿を現しておられるかということを受け取り、懺悔と感謝をしつつ、
真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。

     *  *  *  *  *  *  *

37 :a hope:2012/05/21(月) 08:35:08 ID:kcv2QXTk

金木犀さま

素晴らしいご意見をありがとうございます。

大切なのは、わたしたち「生長の家」を愛する一人ひとりが、そのことを自覚することなのではないかと感じました。

そこに、素晴らしい正論があっても、わたしたち一人ひとりがそのことを自覚して、
正しい行動をしていかなかったら、物事は良い方向に進展していかないのではないかと思います。

金木犀さまの最後のお言葉

>>真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。<<

これが、心に響きました。

復興Gさま、わたしは、この金木犀さまのお言葉が今回のweb誌友会のテーマにふさわしいように感じました。

つまり、

『わたしたち一人ひとりが、真に法灯を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

です。

そのことを、是非、みなさんと一緒に考えていきたいとわたしは今思っています。

     *  *  *  *  *  *  *

<つづく>

2913復興G:2013/09/25(水) 21:57:12 ID:AB6RqYXc

<つづき>

     *  *  *  *  *  *  *

39 :復興G:2012/05/21(月) 09:23:59 ID:84pogn5s
>36 :金木犀様。

>総裁先生の實相を礼拝することは、もちろん大切で、総裁先生がどういう使命をもって、今の姿を現しておられるかということを受け取り、懺悔と感謝をしつつ、真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。<

a hope様は、>30で

>今、「生長の家教団」において、昔のような奇蹟が起きなくなってきてしまっているのは、まさに、現総裁が現象の悪や罪を認め、人間を神の子として認めていないからだとわたしは感じてしまいます。<

と、率直な感想を述べてくださいました。

>環境とはわが心の世界、外延であるということであれば、生長の家教団における総裁先生の行状は、信徒の心の反映であります。法灯を正しく継承しない総裁は、信徒自身が法灯を正しく継承しないことから来ているのだろうかとも思います。<

とすると、信徒一人一人が正しく法燈を継承すること――それは、基本としては、前回のWEB誌友会のとき出てきた言葉――

>われわれが「生命」を礼拝すると申しますれば自分自身を敬い拝むことになるのであります。
――自分が生きているのではない。神が今ここに生きていらっしゃるんだ。だから、自分を拝むことが、神を拝むことなんだ。<

>谷口雅春先生は「皆さんが神の子=神ですよ」と、『生命の實相』の本を通して、今も私たちを拝んで下さっているのです。
「ありがとうございます」と、その御言葉を素直に受け、私たちもまた、常不軽菩薩となって、自分を拝み、すべての人を拝ませて頂く。それが、「信徒一人一人が法燈を継承する」ことではないかと、今、思っています。<

と書いておりました、これが基本ではないかと私は考えておりますが……


>37 :a hope様。

すばらしいご意見をありがとうございます。

『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

これを今回のweb誌友会のテーマとして、みなさんと一緒に考えていきたい、ということですね。

それで行きましょう! ありがとうございます!

     *  *  *  *  *  *  *

――というようなことで、「一人ひとりの法燈継承」 ということをこのweb誌友会では大きなテーマとして、今まで1年半ほど、17回にわたり続けてきたのでした。

ありがとうございます。

2914復興G:2013/09/25(水) 22:29:25 ID:AB6RqYXc

 「君民同治(くんみんどうじ)の神示」 を再度掲示させていただきますと――

     *  *  *  *  *  *  *

   君民同治の神示

 国は人間生命の外延(がいえん)である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。

 人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。

 この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。

 しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主(しゅ)であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

 身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。

 天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。即ち観る主体(民)が神聖であるから、観らるる客体である天皇が神聖なのである。

 観る主体(民)の神聖性が包まれ蔽われて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽われて発現しなくなるのは其のためである。今の状態がそれである。

 人間は自己自身の神聖性の故に神造の国家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなわち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。

 かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。

 是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一体であり、君民一体であり、民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝み給う治(じ)は、君を拝むところの事(じ)と一体である。治事一体であり、治めると事(つか)えるとは一体であり、君民同治である。

 天皇は絶対者にましますとは、観る主体たる人間(民)の絶対性より来る。民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。

 打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが国家大権、天皇大権の一時中断の形をもって現れたのである。
(一二・二八 午後一二時)

     *  *  *  *  *  *  *

 ――これが 「君民同治の神示」 であります。

 「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。」

 これは、生長の家において、

 「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客である。」

 と置き換えることもできるでしょう。

 私たち信徒一人一人が、真剣に生長の家の深い真理を学び、愛を実践してまいりましょう。

2915トキ:2013/09/25(水) 22:36:10 ID:WYu6F15c
 復興G様のご意見に全く賛同します。

 生長の家がここまで大きくなったのは、生長の家の教えが優れていたからですが、同時に谷口雅春先生が人間的に優れていたから
というのも事実です。私がお話をした先達の一人は戦前入信の医師の方でしたが、
 
 「谷口雅春先生は人間味溢れる方でした。そこにいるだけで、心が暖かくなるような人でした、」

と言われていたのを覚えています。信徒は、皆様、谷口雅春先生を父親のように愛していたとも聞いています。しかし、そのような
風潮が、教えよりも、総裁個人への崇拝という風潮を作った可能性もあると思います。(大先達の復興G様の前で、こんな事をいう
のは思い上がっていると思うので、お詫びします。)でも、これは、谷口雅春先生のご真意というか、ご希望ではなかったと拝察
しています。

 その意味で、復興G様のお考えは、今後の指針となるものだと思います。

2916復興G:2013/09/25(水) 22:42:50 ID:AB6RqYXc

>>2915 :トキ様

ご賛同、ありがとうございます。

合掌

2917ユタカ:2013/09/25(水) 22:44:56 ID:R1D4Jmeg
>その意味で、復興G様のお考えは、今後の指針となるものだと思います。

そして、原点でもあるような気もします。

復興Gさま、有難うございます。全くその通りだと、完全同意します。ごめんなさい。

2918復興G:2013/09/26(木) 03:59:41 ID:AB6RqYXc

>>2917 :ユタカさま

ありがとうございます。

合掌

2919志恩:2013/09/26(木) 05:18:36 ID:.QY5jUA6
復興G様

曵馬野様が、「皆様、【君民同治の神示】を読んで下さい」とおっしゃいましたが、
過去にWEB誌友会で、復興G様ご指導のもと、長期間語り合っていたテーマでした。

今回、曵馬野様がおっしゃってくださいましたので、
あらためて、この重要な神示の意義を学べまして、ありがたく思っております。

>>2913:復興G様より

>36 :金木犀様
>>総裁先生の實相を礼拝することは、もちろん大切で、総裁先生がどういう使命をもって、
今の姿を現しておられるかということを受け取り、懺悔と感謝をしつつ、
真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。<<

これは、昨年の5月に、金木犀様が投げかけて下さったコメントですけれど、

これにつづいて、復興G様ご指導のもと、
「1人1人の法灯継承..」....このことについて、

皆様とともに、長期間、今まで学ばさせて頂いて来たのでした。
私もWEB誌友会の過去文を、読み返してみましたが、昨年より、今の方が、おっしゃることが、
納得出来るようになりつつあります。

また、気持ちを新たに、教えて頂けますこと、深謝申し上げます。

2920復興G:2013/09/26(木) 10:40:19 ID:AB6RqYXc

>>2919 :志恩さま

 ありがとうございます。

 ほんとに、この約1年半の記録をざっと読み返してみて、われながら真剣に取り組んで来れた、充実した勉強が出来たと思います。それは、神(高級霊)のお導きをいただけたおかげであり、また多くの天の使いともいうべき方々が参加されて貴重な発言をしてくださったおかげであると感謝しています。志恩様とは必ずしも常に意見一致ばかりではありませんでしたが、だんだん解って頂けるようになりつつあるとのこと、うれしく思います。

 まだまだ、私もこれからが正念場の本番だと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

 頓首 合掌礼拝

2921復興G:2013/09/26(木) 12:03:17 ID:AB6RqYXc

>>2914 で私は 「君民同治の神示」 から、

>>「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。」

 これは、生長の家において、

 「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客である。」

 と置き換えることもできるでしょう。<<

 と書いておりました。

 ここに、「民が主」 あるいは 「信徒が主」 という言葉がありますが、その 「民」 や 「信徒」 は、現象界の対立する自我であってはならない。肉体の自我を 「無し」 と消し去った、「久遠の今」、絶対なる神、佛なるものでなければならないと思います。


<< 神は吾々の外にあるのではない。また或る特定の人、法王や、皇帝や、祭司や、管長やのみにあるのではないのであります。

 ある時代には、吾々は神の力は吾々を離れて遠き所にあると思っていましたし、また或る時代には、或る特定の階級人のみに神意が顕現していると考えていました。

 しかし宗教にも民主的な時代が来たのです。今や吾々は聖パウロが言ったように神はわが内に、全ての人の中(うち)に宿っていることを知ったのです。>>

 と書かれている谷口雅春先生のご著書 『幸福生活論』、私は旧かな・正漢字の旧版も持っていますが、これを読みやすい大きい活字の 『新版 幸福生活論』 として新たに出版し平成20年全国大会のテキストとして使用されたのは、現総裁 谷口雅宣先生です。

 総裁 谷口雅宣先生を讃嘆し、感謝します。

 (「総裁」 という役職名に 「先生」 をつけて 「総裁先生」 というのは、社員が 「社長様」 とか 「社長先生」 というのがおかしいように、社会常識からいって誤用でありおかしいので、私は 「総裁先生」 とは言いません。)


 また、「本流」 の方たちは、私を>>2910>>2911に書きましたような心境に導いて下さいました、生長の家信徒の自覚を深め高めるための使命を持った菩薩様であると認め、感謝します。
 (ただ罵詈雑言のような自我まるだしの言葉を吐かれる方があるのは戴けませんが)


 生長の家の原点、時空超脱の 「久遠の今」 に立つ時、分裂は 「無い」、争いは 「無い」。


<<  天地一切と和解する祈り

 ・・・・すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。

 現象の世界に、如何なる対立の関係があろうとも、如何なる闘争の関係があろうとも、それは妄想の顕わすところであり、妄想はやがて消えるべき運命にあるのであるから、私はそれを恐れることもないし、それに愕(おどろ)くこともないのである。

 妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆(おお)うことがあっても、その上には常に蒼空(あおぞら)があるのと同じように、如何に暗澹(あんたん)たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。

 心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずることがないから、最も適切なる智慧が泉の如く湧き出でて暗(やみ)を消してしまう処置ができるのである。
 (『真理の吟唱』 より) >>

 ありがとうございます。

2922mm:2013/09/27(金) 22:00:51 ID:Aleu45Tg
布教功労物故者追悼慰霊祭について

ユタカ様の記述に事実誤認があるようですので。

事実ではないことから始まる議論は、真実味がありませんので。

参加者189名!
少な!
生長の家、終わり?
みたいなコメントにつながっておりますが、189名の方は今回新たに合祀された布教功労物故者の方々です。

ちなみにホール最前列中央は、新たに合祀された遺族の席。
壇上にに向かって右は、良本長老以下来賓席。
聖歌隊寄りの左側はどのような方が座っていたのか、知りませんが。
雅宣総裁からは遠い位置だと思いますが。

遺族として物故者慰霊祭に参列した者として、その意義も知らず教団の揚げ足を取る目的で参列した方がいると思うと悲しい限りです。
慰霊祭はそんな場ではありません。

現教団云々以前に、慰霊祭自体は非常に厳かな行事だと、私は以前親族が合祀されたときに思いましたね。

2927mm:2013/09/27(金) 23:32:53 ID:Aleu45Tg
事実を正しただけなんですが・・・
爆発しちゃえば!
私は、事実なら何を言おうと一切感知しませんので。

2928mm:2013/09/27(金) 23:48:52 ID:Aleu45Tg
そういえば信徒行持要目に、「常に人と事と物との光明面を見て〜、暗黒面を見るべから〜ず!」てのもありましたね。
なかなか実践するのは、難しいですが。

2930ユタカ:2013/09/27(金) 23:54:51 ID:R1D4Jmeg
189名のことは本部に各自で確認してください。

揚げ足とりは事実ではありません。

2933復興G:2013/09/28(土) 16:58:27 ID:AB6RqYXc

>>2922 :mm様

しばらくこの掲示板を見ていなかったのですが、今はじめて見ました。

ユタカ様は、一年半にわたり掲示板上でお付き合いしてきてわかることですが、「物故者慰霊祭に教団の揚げ足を取る目的で参列」 するような、曲がった根性の人では絶対にありません。

きわめて純情で、直情径行の人、というのが私のとらえているユタカ様の印象です。

思ったこと、感情的にもあふれてきた言葉をそのままバッと表現される方ではありますが。

教団組織からしばらく離れて、「本流」 の方に行っていたけれども、私がいつか<< 「生長の家」 は 「一つ」 でなければならない>> と書いたことから、教団組織に復帰することを決意され、現在聖使命会員、組織会員として復活、活躍されているのです。

春季慰霊祭は、原宿の本部会館使用の最後だと聞いて、会館の見納めのためにもと参加された。

ところが、中央正面に 「實相」 のお額が見えず、それは赤い布で覆い隠されていると思い、かっと怒りがこみ上げた、というのが真相のようです。

お互い、冷静に、真実霊性に徹し、光明面を見てまいりましょう。

私はこれから出かけなければなりませんので、しばらくこの掲示板を見ることはできません。よろしくお願いいたします。ありがとうございます。合掌

2934志恩:2013/09/28(土) 19:50:12 ID:.QY5jUA6
>>2928 mmさま

>>そういえば信徒行持要目に、「常に人と事と物との光明面を見て〜、暗黒面を見るべから〜ず!」てのもありましたね。
なかなか実践するのは、難しいですが。<<

  お前もな!! 私もな!! 総裁もな!!

2935うのはな:2013/09/28(土) 20:30:44 ID:.nzoConk

神様は、「そういう」ために、私たちを出合わせた。
 実は、そういうことのために、わたしたちは、出会っている。

2936志恩:2013/09/28(土) 20:40:54 ID:.QY5jUA6
>>2935:
うのはなやっこねえさん

なかなか、意味深いことばですね。

>>神様は、「そういう」ために、私たちを出合わせた。
 実は、そういうことのために、わたしたちは、出会っている。<<

2937HONNE:2013/09/28(土) 23:05:06 ID:BwZCzsIU
「常に人と事と物との光明面を見て〜、暗黒面を見るべから〜ず!」
という人が、実は、暗黒面にこだわりつづけ、光明面を見ずにいる。
誠に滑稽なことであります。
続きは、明日、書いてみたいと思います。

日時計とは、太陽に照らされてできる影の位置で時刻を知るものです。
さて、光はどこにある。
そんなところからです。

2938マリーゴールド:2013/09/29(日) 00:18:25 ID:???
私は、どう考えても、復興G様の仰る

>>「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客であ る。」

これは、生長の家において、

「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客で ある。」

と置き換えることもできるでしょう。<<

が、どうしてもわかりません。

どうわからないかと言うと、なぜ教団のことが、天皇陛下に例えられるのでしょうか?
生長の家が、高天原だからですか?
決して「総裁が悪い」という角度から質問しているわけでは、ありません。

2939神の子さん:2013/09/29(日) 00:21:14 ID:???
真理で人を裁くべからず・・・

この戒めを今の教えは守らないのですね。なんか終末を感じます。

2940神の子さん:2013/09/29(日) 00:23:49 ID:???
上記はmm氏の書き込みに対する感想です。

2941志恩:2013/09/29(日) 05:38:51 ID:.QY5jUA6
マリーゴールド様

正直に申しますと、私もマリーゴールド様、同様に、
復興G様が、おっしゃる、それは、理解できません。

「合わせ鏡」という考え方で、以前にも、このお話は
ここの話題にでました。
私は、どうしても、未だに、分からないし、納得がいかないことの1つです。

以前のとき、私は復興G様に
「それでは、北朝鮮の将軍様のされることも、私の心の影(反映)というか、合わせ鏡なんですか?」
と、おたずねしましたところ、
復興G様は、「そういうことになりますね」とおいっしゃいました。

雅宣様のされることだけでなく、将軍様のされることも、
どこかで、詐欺や殺人をやった人のことも
世界中で起こる、すべてのことが、自分の合わせ鏡(自分のこころの影、反映だ)
そうです。

>>「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客であ る。」
これは、生長の家において、
「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客で ある。」
と置き換えることもできるでしょう。<<

私も、上記のことは、天皇が、国民を想われるお気持ちであるのであって....
と考えておりまして、
私にも、置き換えて、考えられません。

2942志恩:2013/09/29(日) 05:45:39 ID:.QY5jUA6
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/?q=%B9%E7%A4%EF%A4%BB%B6%C0

2943志恩:2013/09/29(日) 05:48:45 ID:.QY5jUA6
>>2942は、昨年5月にweb誌友会板で「合わせ鏡」のお話が出たときの再掲です。

2944志恩:2013/09/29(日) 05:56:35 ID:.QY5jUA6
2942につづく「合わせ鏡」の話題が、もう少しございました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/?q=%B9%E7%A4%EF%A4%BB%B6%C0

2945志恩:2013/09/29(日) 06:26:25 ID:.QY5jUA6
復興G様

光明掲示板2に、投稿された 
まめすけ様のコメントです。


>>悪口を書くつもりはありません。ただお伺いしたく思いました。

会費は十数年収めていて、普及誌も多数取っています

ただ最近、純子先生のブログなど拝見していると
お料理や、景色や、自然や・・・

一生懸命コツコツ貯めて、やっと会費を払える状況なので、
現象的には、貯金も少ないし、大きな家や、田舎の家を買えない私には

(そうしたくても、仕事や持ち家や、お金の問題があります)

自慢にしか見えなくて、貧しい今の自分と比べてしまい
良い環境に住めない、今の自分はダメなのかな・・・と
凹むことがあります。

はっきり言って、会費や神誌代を払えるほどの余裕もありません。

でも一生懸命、それだけは払っています。

でも、そのお金が、1部の人達の贅沢な生活に使われてるようで・・・悲しくもあります。

総裁先生に対し、こんな事を思っちゃいけない、バチが当るのでは、などと思ってしまう、情け無い自分が居ます。

純子先生のブログで、豪華な料理を見ると、お金持ちってすごいなあ・・・とため息ばかり出て、全然嬉しくありません。

総裁先生=神様の天下りだとの教えを習ってきたので、
一緒によろこべない自分を、悪い自分だと思ってしまいます・・・

綺麗な景色、自然、料理。いかにも幸せはそれで分かります。

でも、貧しい中から、必死で数千円のお金を払っている私は
こんな贅沢の為に、お金を納めているんだろうか・・・と

疑問というか、ねたみというか・・・
そういう気持ちで、とても嫌な気分になるのです。

ポスティングジョイに、何か投稿しても、愛を与えましょうとか、祝福をしていないからでは、とか色々と裁かれてしまうので
、以前嫌になってやめました。

真理だけを生きている、上級者たちだけで,,,,,,,          (略)<<

このように、
生長の家のポスティングジョイに、割り切れない総裁ご夫婦のことで、投稿しても、帰って来る解答は

「愛を与えましょう。祝福しましましょう。」そして、「合わせ鏡だから自分を内省し祝福し祈りましょう」

というのなら、
信徒の心は、救われないと思います。

2946神の子さん:2013/09/29(日) 07:41:49 ID:???

給食にハエ付きパン…除いて食べるよう学校指導


岐阜県可児市の市立蘇南(そなん)中学校と市立東明(とうめい)小学校の給食で出されたパン計約100個にハエが付着していながら、両校とも付着した部分を取り除いて食べるように指導していたことが28日わかった。

 市教委によると、付着していたのはクロバネキノコバエ(体長約1ミリ)。蘇南中では今月2日、ハエが付いたまま焼かれた丸パン4個が、また東明小では同9日、同様のクロワッサン約100個が見つかった。両校とも児童生徒の訴えで明らかになった。そのパンを食べた子供もいた可能性があるという。

 市教委は、給食の異物混入で、「健康に影響がないと判断した場合は食べる」との方針を手引書で示しており、両校ともその手引書に従ったという。市教委は「配慮が足りなかった」として、手引書の改定を検討している。

・・・・・・・

 どこかの宗教法人と同じだ。

2947ユタカ:2013/09/29(日) 10:11:15 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。

他版で雅宣先生の過去のあいさつ文を読みました。今まで受け入れられなかったのが、今度は少し読めて自分が少し進歩した。

実相額が赤いカーテンで隠されていたのは、神様からまだまだ自分の実相が出ていないよ、もっと、もっと勉強しなさい、魂を磨きなさい。

「死は悪でない」 と皆さんも皆さんも死ぬ。 と失礼極まりない総裁の言葉。

これは復興Gさまの指摘にもありましたように、私は純情、直情径行の人間なので、自分の知らないところで 人を傷つける言動をしているのだな、と反省しました。

今回の総裁のスピーチに腹を立てたのは私の間違いでした、私をよりすばらしい人間に導こうとしてくださった観世音菩薩様のお示しと感じさせていただきます。

神聖なWEB版に、変な投稿をしてしまいすみませんでした。。。

ありがとうございます。 合掌。

2948マリーゴールド:2013/09/29(日) 10:19:21 ID:???
>>2941志恩様
ありがとうございます。
私も以前より、復興G様が仰って下さっている、合わせ鏡の話と、君民同治の神示の解釈の話が、どうしてもわかりません。

わからないなら、わからないで、私は良いと思うのです。
無理にわからないで良いと思うのです。

ただ、私は若輩者ながら甚だ失礼を覚悟で申し上げるのですが、すべてがすべて合わせ鏡であるならば、現象なしの教えであれど、苦しむ人が出てくるように感じるのです。

いま時間がございませんので、また時間とれるときに、ゆっくり拝見させてもらいます。

2949志恩:2013/09/29(日) 11:24:59 ID:.QY5jUA6
>>2948:マリーゴールド様

>>わからないなら、わからないで、私は良いと思うのです。
無理にわからないで良いと思うのです。<<

そうおっしゃって下さったので、とても気が楽になりました。
ありがとうございました。

2950ユタカ:2013/09/29(日) 17:39:44 ID:R1D4Jmeg
志恩さま

復興Gさまのおっしゃいます合わせ鏡の意味ですが、間違えていたら修正して頂きたいのでこちらに書きますね。

合わせ鏡とは自分の前におかれた鏡ということ。 たとえば、自分の顔の頬ににゴマがついていても自分自身では見えませんよね?

ですから、鏡をみるとよくわかるという事ですね。 その鏡とは、自分の現状の姿を教えてくれる人やすべての現象ということではないでしょうか?自分に向かってくる誰かが顔にゴマを付けていても見落としてしまったり、気がつかなかったりするので、目の前に現れた人が顔の頬に黒マジックで大きく丸いものを書いてきて「あなたはこんな姿」ですよ。と教えてくれる。

ゴマだと小さくて気がつかないから大写しでくる。 それを見ると自分はそんな姿ではない!と思う。そんなことかな?と思いました。

それが、観世音菩薩やあわせ鏡というのではないでしょうか?

書き方が悪くて意味が通らなかったらすみません。

2951ユタカ:2013/09/29(日) 17:43:48 ID:R1D4Jmeg
あとで、もう少し、丁寧に書きます。はしょりすぎかな?

2952復興G:2013/09/29(日) 20:08:24 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

私は、私事ですが今日は朝早くから東京国体の自転車競技ロードレースに孫の一人が出場するので、家族と一緒に奥多摩まで応援に出かけていき、かなり疲れて帰ってきました。

明日も午前・午後と重要な行事があり、その準備をしっかりとしなければならないので、今夜はあまりここに書くことはできません。

志恩様・マリーゴールド様から、私が書いた

>>「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。」
これは、生長の家において、
「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客である。」
と置き換えることもできるでしょう。<<

ということが、どうしてもわかりません、ということですが、
私は>>2875>>2895に、少し具体的な私の思いを書いていますから、ご覧になってください。

また、私が今読んでいる本のひとつ、曾野綾子さんの 『人間にとって成熟とは何か』 という本で、トマス・アクィナス(13世紀イタリアの神学者)が

「すべて存在するものはよきものである」

といっていることを知りました。

そしてweb誌友会参考文献板で、榎本恵吾先生は

<< 神は暗を見給わないのである。神は罪も迷いも病も死も見給わないのである。それ故、生長の家人類光明化運動は暗を知らないのであり、暗を見給わないのである。>>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/122


<< 「生長の家人類光明化運動」 は 「光明化」 と書かれているかぎり、これは 「暗(やみ)」 を相手にした、光明一元ではない、相対の運動ではないか。という言葉をきいたことがある。

 しかしながら、 「暗」 という字をよく見れば、 「日」 と 「音」 との組み合わせで出来ており、 「日」 が二つも使われていて、これほど明るい字は無いということに気がつくのである。……>>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/127


<< 神が天地を創造され給うたのは、ご自分の中の不満足、不完全を満たすために創造され給うたのではないのである。神は不悩不苦(ふのうふく)そのものであり給うのである。生長の家人類光明化運動も不悩不苦なのである。

 また、神は懺悔(ざんげ)をし給わないのである。神は罪を犯してい給わないからである。その如く、生長の家人類光明化運動は罪を犯してい給わないのである。そこにはただただ創造的前進あるのみなのである。

 生長の家人類光明化運動の歴史は成功の歴史であって、反省のための歴史は有り得ないのである。この運動は 「罪を犯さんと欲(ほっ)するも罪を犯すこと能(あた)わず」 と約束されているからなのである。

 ここに書きつづられている 「覚え書き」 も反省のためのものでは決して有り得ないのであって、ただただ讃偈(さんげ)のためのものであるのみなのである。>>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/129


――とおっしゃっているご文章に、「これが生長の家の神髄だ! 相手の悪、欠点を見て自己反省するのではなく、“悪は無い” と自覚することだ。光明の前進あるのみだ!」 と思いました。悪と見えるものも、善が現れようとしている過程であり、なにかを気づかせ教えて下さっているのだと思います。

しかし、信徒は総裁の奴隷ではない。一人一人の内なる神の声に耳を傾け、それを宣べ伝えていくことが必要だと思っています。(>>2910>>2911

ありがとうございます。

2953志恩:2013/09/29(日) 22:39:25 ID:.QY5jUA6
復興G様

お疲れで帰宅されましたのに、ご丁寧なお返事をありがとうございます。
お孫さんのおひとりが、東京国体の自転車競技ロードレースに出場されたそうで、
それは、わくわくされましたでしょう。
見にいらしたそうで、よかったですね。

「合わせ鏡」のお話は、どんなに教えて頂いても、
いまの私には、どうしてもピンと来ませんので、
それにつきましては、申し訳ありませんが、わからないままにさせて頂きます。

2954志恩:2013/09/29(日) 22:42:50 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

「合わせ鏡」が分からないといって、その意味じゃないんだけれど。(爆笑)

でもさ、私、わかんないから、無理にわかろうとしても、無理だから、
そのままで居たいのです。ご深切に、ありがとう。

2955マリーゴールド:2013/09/29(日) 23:16:58 ID:???

復興G様

お疲れのところ、コメントいただき、感謝申し上げます。
復興G様の言われるところも拝見させてもらいましたが、私も志恩様同様に、全くわかりませんので、わからないままでいさせていただきます。

ゆっくり、お休みになってくださいませ。

志恩様

何故か私は、この件においては、素直にわからないままでいいと感じました。思うことは多々ありますが、敢えていまは口には致しません。
これからも、よろしくお願いします。

2956復興G:2013/09/30(月) 06:43:07 ID:AB6RqYXc

おはようございます。

志恩様
>> 「合わせ鏡」のお話は、どんなに教えて頂いても、
いまの私には、どうしてもピンと来ませんので、
それにつきましては、申し訳ありませんが、わからないままにさせて頂きます。<<

マリーゴールド様
>> 何故か私は、この件においては、素直にわからないままでいいと感じました。思うことは多々ありますが、敢えていまは口には致しません。<<

――わかりました。それは、
「わたしはもう、谷口雅春先生のお教えはどうんなに教えて頂いてピンもと来ませんので、わからないままにさせて頂きます。」
ということですね。

谷口雅春先生は、

<< 「“本当の教祖” というべき “真理の啓示者” は “實相世界” にある “神” のみなのである。イエス・キリストも 『師というべき者は、唯ひとり天の父のみである』 といっているし、谷口雅春も、“自分は教祖ではない。實相世界に生長の家の本部はある” といっているのである。」

 このような文章――神の言(ことば)に接する毎に、私は畏れ平伏(ひれふ)すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、谷口は十二分にお応(こた)えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些(いささ)かの悔いることなくお応えし得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、唯々感謝合掌、悦びが、悦びの波紋が見渡す限り拡がる様を、心眼に拝するのである。
(中略)

 諸賢が本著に親しまれることにより、“聖なる求め” を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代り切に切に望むものである。
    昭和六十年五月二十八日>>

 (谷口雅春先生が最後に書かれたと思われる 『實相と現象』 の 「はしがき」 より)

 ――とおっしゃっているのですよ。この 「“聖なる求め”を 放棄する」 のであれば、もう “「谷口雅春先生を学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがですか。


 今日は朝から出かけますので、また夜に。

2957マリーゴールド:2013/09/30(月) 07:07:56 ID:???

復興G様

おはようございます。コメントくださりありがとうございます。

ひとつだけ申し上げます。私は雅春先生の説かれていらっしゃる真理がわからないのではありません。
たった一度として、教えを学ぶことをやめたことはありません。

復興G様のお考えと申しますか、復興G様におかれては、真理の解釈を分かりやすくご指導下さっておられるとぞんじます。
ただ、真理がわからない…ではなく、復興G様の、その点に関する真理の解釈が、私にはわからないのです。

これ以上は、話の堂々巡りになってしまいますから、そっとしておいてくださいませ。
これから外出しますので。

2958志恩:2013/09/30(月) 07:11:33 ID:.QY5jUA6
>>2956:復興G様

>>――わかりました。それは、
「わたしはもう、谷口雅春先生のお教えはどうんなに教えて
頂いてピンもと来ませんので、わからないままにさせて頂きます。」
ということですね.
この 「“聖なる求め”を 放棄する」 のであれば、
もう “「谷口雅春先生を学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがですか。<<
................................................................
私は、
雅春先生の教えを放棄するとは、申し上げておりません。
雅春先生の教えの「君民同治の神示」についてのご解釈が、

復興G様が受け取られた解釈と私の解釈は、以前から異なりますので、
その1点につきましては、復興G様とは、考え方が違いますので、

恐れ入りますが、「分からないまま」にさせて下さいと
申し上げたのです。

同じ「真理」の解釈でも、
どうしても、その人と同じ解釈では ない場合や、ご説明に
納得出来ない場合もあると思います。

同じ人間では ないのですから。

その場合は、
それつきましては、分からないのに、分かったふりは、
私は昔から出来ないのです。

ですから、いつかは、分かるかもしれませんが、今は分かりませんので、
今は、分からないままでいたいですと、申し上げたのです。

そのほうが「分からない!、分からない!」と自分を苦しめなくて済みますから。

お気にさわられたようですが、申し訳ありませんでした。

その他の真理につきましては、ご教授下さいます事は、納得出来ますし、
大変有り難く、学ばせて頂いております。

いつも、ありがとうございます。

2959志恩:2013/09/30(月) 07:21:40 ID:.QY5jUA6
「君民同治の神示」=「合わせ鏡」のことです。

復興G様のご解釈ー

>>世界中で起こる悉くが、自分の「合わせ鏡」であり、

  自分の心の映し(心の影)である。

  雅宣様のことも、悉く、自分の心の映しである。<<

2960a hope:2013/09/30(月) 10:49:38 ID:dyDQLtZQ
―――――――――――――

合わせ鏡 (Wikipediaより)

合わせ鏡(あわせかがみ)とは、2枚の鏡を合わせる(向かい合わせに配置する)ことである。

【概要】

鏡は自分の姿を写すために使われるが、その原理上、正面しか写らない。しかし自分の背中を見たい場合はある。そういうときは、背面に鏡を一つ設置、そこに背中を写して、正面の鏡で背中側の鏡に映った像を見ることができる。これが合わせ鏡である。

――――――――――――――


自分が鏡を見るとき、普通の状態では自分の正面の姿しか見えませんよね。
でも、もう一枚手鏡を使えばあらゆる角度から自分の姿を客観視できます。

わたしは、自分の周りに現われる人々は、すべてその手鏡(合わせ鏡)の役割をしてくださっているのではないかと思うようにしています。

だれしも、自分像(自己評価)というものをお持ちだと思いますが、でも、それだけが本当の自分とは限りませんよね。

たとえば、

人のケチな性格が気になる人は、自分にケチな心があるからだと言われていますが、
その人は自分にそんな「ケチな心」があるということにまったく気づいていないから、平気で「あんなにケチな人はいない!」と相手を批判してしまうのだと思います。

でも、「合わせ鏡の真理」を理解していると自分の心の中にも「ケチな心」があったんだと自己反省できるのだと思います。


ですが、これはすべて心理学的な解釈になると思うので、「生長の家の教え」でいえば、心の法則にあてはまる解釈なのだと思います。(間違っていたら、ご教示ください)

復興Gさまは(榎本先生も)、唯神實相のお立場から真理を教えてくださっているので、わたしたちにはわかりにくいのだと思います。

2961閲覧者B型:2013/09/30(月) 12:08:08 ID:3YSjwQJ6
>>2960
雅春先生は唯神実相ではないということですか?
確かに、直弟子と言われる人の文章をはわかりにくいですが…。
谷口雅春先生のお言葉の方が分かりやすいです。
このサイトでもよくわかります。
http://m.blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12029963.html

2963マリーゴールド:2013/09/30(月) 12:58:40 ID:???
>>2960

大聖師 谷口雅春先生は、唯神実相の世界をお説き下さりました。
宇宙の法則をお説き下さいました。
谷口雅春先生は、御自らを「ラッパ」であると仰いました。

ですから、どんなに素晴らしい著名な先生でいらっしゃっても、偉大なる真理を、雅春先生が説かれた真理を、後世にお伝えすることが使命であって、その先生方自らの意見を述べられることは決して否定しませんが

純粋に真理をお伝えする際に「真理ではこう述べられている。だからこうなるのだ」と個人的な感情を入れるようなことは、決してならないと思います。

その点は、私自身も人から尋ねられることがあれば、気を付けていかねばと思っています。谷口雅春先生だったら、どう仰るだろうかと、常に思い真理の書を拝読しています。

2964a hope:2013/09/30(月) 13:49:57 ID:dyDQLtZQ

>>2961 閲覧者B型さま(面白いネーミングですね!)

今日は久しぶりに平日の仕事休みです。
家事もしなくてはいけないのですが、わたしには真理のお勉強の方が楽しくて困ってしまいます(笑)

このご質問、(生長の家の「唯神実相」と「唯心論」の関係)に関しては、以前はわたしも混乱していて、
web誌友会で質問させていただき、復興Gさまからご指導いただきました。

探してきましたので、その場所をご紹介させていただきます。


web誌友 板(初板の方です)>>1615

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1615n-


わたしの書き込み方が下手で、ごちゃごちゃしてて読みにくいと思いますが、るんるんさまや、復興Gさまがとても丁寧にわかりやすくご指導くださっていますよ!

あと、<<直弟子と言われる人の文章をはわかりにくいですが…。>>に関しましては、
たぶん、何を目的に書かれているかによってわかりにくかったりわかりやすかったりすることもあるのだと思います。

たとえば、復興Gさまが毎日web誌友会参考文献板にご謹写くださっている、榎本恵吾先生の御文章は、「覚え書」とありますから、
恵吾先生が、ご自分の「お悟り」をご自分のために書き留められていたのではないかと思われますので、その心境に共感するのはなかなか難しいのだと思います。

一方、雅春先生はたくさんの聖典を執筆されていますが、「生活読本」や、「人生読本」などはとても分かりやすく書いてくださっています。
それは、雅春先生が、「生長の家の真理」を子供でもお年寄りでも誰が読んでもわかりやすいようにとのご愛念で書かれたからだと思います。

わたしは、『生命の實相』の中でも「万教帰一篇」なんかは、とても理解するのが難しいと感じています。

2965志恩:2013/09/30(月) 14:05:10 ID:.QY5jUA6
「合わせ鏡」について

教団は、「中心帰一」の洗脳が大きいと思います。
復興G様だけではありません。雅宣総裁のことを問題にしたら、教団のお方は、
『君民同治の神示』で反論してくるのです。

雅宣総裁と自分(信徒)とは、「合わせ鏡」であるから、
自分たちが、雅宣総裁の実相を観る眼が曇っているから、
雅宣総裁の実相が眩まされているんだ、それをもって「合わせ鏡」だとおっしゃるわけです。

「観る主体(民)の神聖性が包まれ蔽われて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽われて発現しなくなる」
この「神示」を提示される教団のお方達は、一応は、雅宣総裁も おかしいという認識は、持っているお方も
多いのです。

でも、その総裁の、おかしさは、自分たち信徒にこそ問題がある、信徒のせいだと、このようにもっていくわけです。
だから、雅宣総裁の実相が現れるまで実相を拝み切るようにしましょう…、
それが、今は何より、大事だと。。。。。

「なにせ、総裁とわれわれは「合わせ鏡」なのだから」、と。

そこまで言われるなら、「甘露の法雨」の読誦は、お辞めになって、
日々、雅宣様の「大自然賛歌」と「観世音菩薩賛歌」経を、徹底して読まれたらいかがかと思うわけです。
「合わせ鏡」なんですから。

しかし、それらは、読みませんとおっしゃる…気分が悪くなるからとか。

一方でそう言っておきながら、「合わせ鏡」だから実相を拝みましょいうというのでは、
ちょっと、私は、納得が行かないのです。

なぜ、「合わせ鏡」だとおっしゃりながら、読めないのでしょうか?

読めないご自分が一方にいて、それでなおかつ、総裁の実相を拝みましょう…?なんて、
矛盾してませんか?

「読めないご自分」から逃げているのではありません。

だいたい、
「総裁の実相を祈る」などというのは、
単なるきれいごとであり、欺瞞であると思います。

「総裁の実相を祈る」ということは「総裁の実相が顕われて居ない」ということを認めていることであり、
「総裁が、間違った行いをしている」ということも、認めていることでしょ?

なのに、「総裁の実相を祈る」、というのは、間違った行為を認めているのと、同じだと
私には、思えるのです。
それだと、間違った人と、共犯者になってしまうと思えるのです。

「あわせ鏡」だからと、言われて、「実相を祈らなきゃならない総裁って」
いったい なんなんだろうか..............

わたしには、どうしても、分からないのです。

2966志恩:2013/09/30(月) 14:19:58 ID:.QY5jUA6
光明掲示板2より

“洗脳最先端教区・福岡”の面目躍如?!NEW (1341)
日時:2013年09月30日 (月) 10時41分
名前:「靖国見真会」参加者


福岡教区の「機関紙」がスゴイと話題になっています。

「地方講師会」の10月の内容がコレです。

>研修課題

①「森の中のオフィス」に今回、「神像」を移設し、「七重塔」と「五つの橋」の施設を導入しましたが、その意義について説明して下さい。

テキスト 機関誌「生長の家」10月号
     「聖使命」新聞5月1日号

研修課題

②生長の家が目指している「脱原発」について、生長の家を知らない人から尋ねられた場合、あなたならどう答えますか?その理由をできるだけ多くあげてください。

テキスト 『次世代への決断−宗教者が〝脱原発〟を決めた理由』

※総裁・谷口雅宣総裁のブログ「小閑雑感」をはじめ機関誌及び普及誌『いのちの輪』『白鳩』『日時計24』等は常時テキストとして活用してください。<


こんなことを勉強するんだったら、私はイヤですね。

イヤならば辞めるしかない!

こんなことに付き合わされる地方講師の皆さん!

本当に、こういうことが生長の家地方講師の「研修課題」なのですか?

よくこういうことに我慢できると、心底、不思議に思えてなりません。
..............................................................................................

福岡教区の
「地方講師会」の10月の内容だそうですが、

こんなひどい状況に、なってるのに、『合わせ鏡』だから、雅宣総裁の實相を祈りましょう。
なんて、
なんだか、私には理解出来ない事です。

2967a hope:2013/09/30(月) 14:20:13 ID:dyDQLtZQ

>>2963 マリーゴールドさま

お久しぶりです!

わたしは、雅春先生のお言葉であろうと、清超先生のお言葉であろうと、雅宣先生のお言葉であろうと、
榎本先生のお言葉であろうと、復興Gさまのお言葉であろうと、トキさまのお言葉であろうと、
マリーゴールドさまのお言葉であろうと、志恩さまのお言葉であろうと、SAKURAさまのおことばであろうと、
また、自分 a hope の言葉であろうと、どなたのお言葉であっても、それが「真理」であれば、
必ず、真理を求めている人の心(魂)に響くのではないかと思っています。

雅春先生は確かに神さまの「ラッパ」だったのだと思います。
でも、わたしたちだって、その気になって真剣に真理を求めれば必ず神さまの「ラッパ」になれると思うんです。

だって、雅春先生ご自身が皆さんをさしながら「あなたが谷口雅春ですよ」とおっしゃったのですものね!

ただ、その時に気を付けなくてはいけないのは、生悟りなのに、わかった気になって増上慢になることだと感じています。
だから、このたくさんの方々が閲覧してくださっているトキ掲示板で、ノビノビ発言させていただいています。
わたしが間違ったことを発言すれば、必ず、先輩方がご教示くださると信じているからです。

わたしも「真理の言葉」を伝道するときに、個人的な感情を持ち込むのは良くないと感じています。
それは、いつも、気をつけたいと思っています。

マリーゴールドさま、すばらしいご教示をありがとうございます。合掌。

2968志恩:2013/09/30(月) 14:28:47 ID:.QY5jUA6
>>2966:の光明掲示板2の記事は、
同じものが、トンチンカン様によって、本流対策室にも転載されてました。
見落としていて、すみませんでした。

2969閲覧者B型:2013/09/30(月) 15:12:42 ID:M9X/hRgg
>>2964
a hopeさま

せっかく過去のweb誌友板を紹介してくださったのですが、唯神實相と唯神論の違いではなくて、

2960でa hopeさまが
>>復興Gさまは(榎本先生も)、唯神實相のお立場から真理を教えてくださっているので、わたしたちにはわかりにくいのだと思います。<<

と書かれたものですから、わかりやすく示して下さる雅春先生は「唯神實相のお立場から真理を教えてくださっている」のではないのかなと疑問に思ったので質問させていただきました。
復興Gさまも榎本先生のもご教示はいりません。
a hopeさまにyesかnoで聞きたかっただけです。

2971a hope:2013/09/30(月) 17:07:29 ID:dyDQLtZQ

>>2969 閲覧者B型さま

早とちりいたしまして、大変失礼いたしました。
もしかして、閲覧者B型さまは大先輩なのではないでしょうか・・・。

<<わかりやすく示して下さる雅春先生は「唯神實相のお立場から真理を教えてくださっている」のではないのかなと疑問に思ったので質問させていただきました。>>

↑のわたしなりのお答えですが、雅春先生は唯神實相を完全にお悟りになっていらしたと思うので、お立場も自由自在だったのではないかと思います。

相手の悟りのレベルに合わせて、ときには唯神実相のお立場から真理を話され、ときには、唯心論のお立場から心の法則をお話されたのではないかと拝察しています。

この トキ掲示板のweb誌友板で復興Gさまが、唯神実相のお立場でハイレベルのお話をしくださっているのは、
ここをご覧になっている閲覧者の方々や、書き込みされている方々のレベルが高いからだと思っています。
ですから、わたしは背伸びをしてがんばってそのハイレベルなお話についていきたいと思っています。

また、先ほどは>>2961で、明鏡さまのブログを紹介してくださりありがとうございます。

明鏡さまは、光明掲示板にも時々書き込みされている方ですよね?

先ほどは時間がなくてゆっくり拝見できませんでしたが(家事をしなければいけなかったので・・・汗)、
今拝見すると本当にわかりやすく真理のお言葉や、雅春先生のご著書のご紹介をしてくださっていますね。

お気に入りに入れて、お勉強させていただきます。
ありがとうございます。 合掌。

2972「訊け」管理人:2013/09/30(月) 17:30:05 ID:???


>>志恩さん

 シンプルにお聞き致します。「じゃ、何をされるのですか?」と云う質問です。さて、下記が貴女様ご投稿文です。

>>>だいたい、「総裁の実相を祈る」などというのは、
単なるきれいごとであり、欺瞞であると思います。<<<

 との事ですが、それでは ―― それでは今後、どうされるのですか。シンプルな質問ですがどうするのか?これは、非常に重要だと思いましたので、お聞き致します。




2973曳馬野:2013/09/30(月) 17:47:46 ID:7iGSjyRU
>>2965

志恩さん

それは違いますよ、訊けさんの出してくだすった末井先生の講話を聴いてもわかりませんか。

唯心実相論しかないというのが生長の家、他に何かあると思うのが迷い、実相しかない、なのに何か違うものが見え、何かを感じ、考えてしまう、

そんなことは止めなさいと、現象無と散々説かれているのではないですか。

雅春先生はどこかに書かれていますよ「私にはこう見えると云うのなら、目をくり抜いてしまいなさい、斯う感じ考えると云うのなら、脳髄を取ってしまいなさい」と。

何処に書いてあるかは復興さんにでも聞いて下さい、私には時間がありません。

末井講師は皆さんは服が何着もあるから、どれにしようかと悩み迷うけれど、私は一着しかないから何にも迷わないと、服に譬えて実相一元の私は歓びしかないと云っていませんか。


実相一元の雅春先生を信ずると云うのなら、現象を認めうだうだいうのは止めて歓び讃嘆感謝の道を歩まれては如何ですか。

実相が現れていないので実相を感じなさいではないんです。それでは実相を信じているのではなく、唯心所現の理により、現象を変化させようと云うに等しく、

その人は現象に住む人と云わざるを得ません。実相世界に住んでいることを自覚することが最も大事なことではありませんか。

雅宣先生がどうだこうだではないんです。実相を感じられない自分が問題なんです。雅宣先生を変化させるために実相を見るのではないんです。


谷口雅春著【神と偕生きる真理365章)のなかの【神想観の神髄】をよくよく読んでみてください。(私の実相を見てないからそう云うのだ、の突込みはなしでお願いしますね)

2974曳馬野:2013/09/30(月) 17:56:56 ID:7iGSjyRU
唯心実相論は変換間違い

唯神実相論です

2975志恩:2013/09/30(月) 18:26:06 ID:.QY5jUA6
どんだけ何十年と祈って来たと思ってるんですか?
で、まだ実相を祈れ、実相を祈れ、やれ合わせ鏡だ、信徒の責任だ、似た者同士だ。
やいやい やいやいと。
実相は、そのうちに自分で出て来るんじゃなかったんですか?
どういうかたちで出て来るかは、しりませんが。

現象はない、現象はない、と、
みざる、きかざる、いわざるばかりですね。私は、今、いそがしいから去る。

2976:2013/09/30(月) 18:47:54 ID:GFCWEKlA

 みサル、訊カザルが健康のためですね。ハッタリサルも去りなさいよ!!

2977マリーゴールド:2013/09/30(月) 19:47:36 ID:???
>>2965
志恩様に完全同意いたします。
雅宣さんのお経は読めない…だから、総裁の実相を祈りましょうと逃げているように見えます。

合わせ鏡を言うならば、少し前の民主党政権下の日本と教団の姿が合わせ鏡のように、思えますが。

現象なしの教えですが、現象処理は必要です。

2978マリーゴールド:2013/09/30(月) 21:04:12 ID:???
>>2956
復興G様

>>――とおっしゃっているのですよ。この 「“聖なる求 め”を 放棄する」 のであれば、もう “「谷口雅春先生を 学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがです か。>>

こう相手に仰るくらいであれば、ご自身で復興G教団でも、設立されたら如何ですか?

2979ユタカ:2013/09/30(月) 21:38:46 ID:R1D4Jmeg
ちょっとさーーー。

話がどんどん創作されていって、全然生長の家の真理とかけ離れているじゃん。

誰が総裁の実相を祈ろうなんていったのですか??? WEB版では聞いたことないな。

志恩さま達が合わせ鏡がわからないことが分からない。あわせ鏡なら全身、後姿までみえるじゃないですか?

自分の見えないところまで。 総裁の姿と自分の心を真釣り合わせることが、合わせ鏡だということだと思います。

2980ユタカ:2013/09/30(月) 21:51:24 ID:R1D4Jmeg
>復興G様

>>――とおっしゃっているのですよ。この 「“聖なる求 め”を 放棄する」 のであれば、もう “「谷口雅春先生を 学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがです か。>>

こう相手に仰るくらいであれば、ご自身で復興G教団でも、設立されたら如何ですか?


これは、

ちょっとこれは、復興G様の真意を理解できていない人の言葉ですねーーー。

ちょっと、残念だなーーー。マリーさまは沢山謹写されてご愛行をされていらっしゃいますのに。。。

復興G様にご自分から質問をされておいて、それを最後まで、自分が納得できるまで、なぜ、理解しようと思わないのですか??谷口雅春先生のお説き下さる真理を中途半端で話を途切らすのですか??

沢山質問してくださると、私たちも勉強になるのですが??

復興G様は生長の家教団と一体だしねーーー。復興G教団なんて、面白い!復興G教団があるならここ、WEB版2かな?(笑)

2981閲覧者B型:2013/09/30(月) 22:10:02 ID:YAg1Bdbk
>>2971
a hopeさま

簡潔なお返事ありがとうございました。

大先輩も大後輩も、ハイレベルもロウレベルも関係ないと思いますが、ありがとうございました。

雅春先生は、>>相手の悟りのレベルに合わせて<<などといった「上から目線」ではなかったと思いますが、ありがとうございました。

雅春先生のお言葉だけを後世に伝えていきたいと思います。

ちなみに私は、現教団会員でも学ぶ会会員でもありません。

合掌 ありがとうございました。

2982マリーゴールド:2013/09/30(月) 22:40:16 ID:???

ユタカ様

いろいろと有難うございます。

>>復興G様にご自分から質問をされておいて、それを最後まで、自分が納得できるまで、なぜ、理解しようと思わないのですか??谷口雅春先生のお説き下さる真理を中途半端で話を途切らすのですか??>>

私は過去に「みすはなまる」の名前で、WEB誌友会にて、この「あわせ鏡」の話や「君民同治の神示」に関することで、どうしても何度思い返しても、復興G様の仰ることが理解出来ず、納得することが出来なかったのです。
その際に自分の意見や考えも述べました。
それでも、復興G様の意見や御指導に納得理解することが出来なかったのです。

今回こちらを、偶然読んでおり、ついつい自分が「復興G様のおっしゃる、合わせ鏡が解らない」と発言してしまったのです。


失礼を承知で正直な感想を申し上げると、復興G様は雅春先生の真理を、この場においてお伝えされつつも、御自身の感情をmixされて、御指導されているのではないかと・・・。
とくに、この「合わせ鏡」の件と「君民同治の神示」の件では、そう感じたのです。

だからこそ、
>>「“聖なる求 め”を 放棄する」 のであれば、もう “「谷口雅春先生を 学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがです か>>

という言葉が、志恩様や私に対して、復興G様の口から出られたのではないかと感じたと同時に、復興G様の傲慢さを、失礼ではございますが感じたのです。


ユタカさまも仰るように、復興G様は教団所属の方でいらっしゃいますから、もしも万一、教団の方針で復興G様のみならず、講師の方皆様が「合わせ鏡である」と御指導されているのであるとするならば、それはどうしても理解することは不可能だと思いました。
しかし、ユタカさまが仰る

>>沢山質問してくださると、私たちも勉強になるのですが??>>

のお気持ちは理解はできます。


かなり前に、こちらの掲示板で疑問に思い、合わせ鏡において書いたことを改めて書いてもよいのですが、他にすることが沢山あるのでやめておきます。

私は、復興G様の真意が理解出来なくても、構いません。

神想観に励み、生命の實相を学び理会して参ります。

信仰において大先輩でいらっしゃいます、復興G様に対して、多大な失礼を申し上げましたことに対しては、お詫び申し上げます。
しかしながら、ウソ偽りのない正直な思いを書かせて戴きました。

2983トキ:2013/09/30(月) 23:01:50 ID:3636Vies
 個人的な感想ですが、生長の家の講師(総裁や理事も本流復活派の指導者も講師です)が、間違った場合、それを指摘する事は
悪い事ではないと思います。言い方が悪いですが、食堂に入って、うどんを注文したら、餃子が出て来たら、「それは違うよ」と
指摘する事は、生長の家の信仰を持っているとしても、別に問題はないと思います。ただ、それは、あくまでも利害関係者として
自分の不利益を回避し、または他の人の不利益を回避するという意味では肯定できますが、そこに信仰上の意味とか義務とかまで
結びつけて、相手を否定し、かつ自分を過度に正当化するのもできないとは感じます。

 総裁にしろ、教団の理事にしろ、本流復活派の指導者にしろ、私達と同じ人間であり、神の子であります。神の子ですから、
同じ価値を持ちます。同時に、現象として動いている以上、私も含めて、間違いをします。しかし、何か問題が起こったら、
それをどう考えるか、で、魂が向上もし、または心境が落ちます。今回の一連の騒動は、生長の家という組織には不幸ですが、
生長の家という信仰にとってはどうなるか、わかりません。

 受験生ならご存知の『Z会」、つまり学力増進会という通信添削の会があります。この会の創始者は、もともと学校の教師だった
人ですが、病気になり、声が出なくなってしまいました。学校の教師にとって、声が出なのは致命的ですから、教師を辞職せざ
るを得なくなりました。そこで、生活のために、受験生を相手の通信添削を始めたのです。この仕事が成功し、『Z会」という
ブランドは受験の世界では有名になり、この教師も成功者になりました。もし、この人が声を失わなかったら、平凡な教師の
ままだったと思います。それはそれで良かったとは思いますが、しかし、「Z」会は存在せず、多くの受験生が不利益をこう
むったと思います。すると、一見、不幸に見える『声を失った」という事実は、この人には、飛躍のきっかけとなったのです。

 こう考えると、悪い事ばかりではないかもしれません。

 ただし、これは、トキの愚見であります。復興G様から、正しいご指導があると思いますから、トキの意見は、よく言って
気休め程度にご覧下さい。

2984復興G:2013/09/30(月) 23:42:03 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

私は今日一日出かけていて、いろいろあって予定よりだいぶ遅くなって帰ってきました。
皆さまから活発なご意見、書き込みが出ているようで、ありがたく感謝いたします。

もう私から特に言うこともないのですが――

私は、曾野綾子さんの 『人間にとって成熟とは何か』 という新刊書を読んで、思いました。
雅宣総裁は、ワンダフル wonderful な総裁であると。

ワンダフルという語は、普通 「すばらしい」 と訳されることが多いが、原義は、full of wonder で、驚きに満ちているということ。

3.11の大地震津波は 「想定外」 のことだったと言われるが、“wonderful” というのも 「想定外」 の驚きがいっぱい、というニュアンスが含まれる言葉だと曾野さんは言われる。

そういう意味で、雅宣総裁は、ワンダフルな総裁であると思いました。

人生には 「想定外」 のことが次々に起こるのが当たり前である。人間は、あまり平穏無事でありすぎるとつまらなくなって、驚きを求めて冒険をしたくなるもののようです。そして、だから人間は進歩します。

生長の家も、谷口雅春先生ご在世の時、「想定外」 の奇蹟的なことが次々に起こり、驚喜して先生を神とも崇め、この教えの伝道を生き甲斐としてこれに生命をかけた信徒がいっぱいいた。そうして生長の家は大きく発展し、日本の国も救われて驚くべき発展を遂げた。

そして今は、別の意味で 「想定外」 の驚きに満ちたワンダフルな総裁をいただいている。

それは、創始者谷口雅春先生の教えや人格をそのまま受け継いだような方が三代目総裁になられたら、信徒はいつまでも総裁にばかり頼り切って、表面は平穏無事かも知れないが、實相神の子の無限力を発揮することなく惰性に流れてしまう。

だから、雅宣総裁のようなワンダフルな三代目が現れられたのは、私たち信徒一人一人がもっと自分自身で考え努力して 「神の子」 の自覚を確立し、飛躍向上するために、ふさわしい神の配剤なのではないか――私はそう考えています。

それは、トキ様が>>2983で言ってくださったこととだいたい同じですね。

また私は、ユタカさんが言ってくださってるように、「総裁の実相を祈る」 とか 「祈りましょう」 と言ったことは一度もありません。そのようなことを言った記録があったら教えて下さい。私は 「総裁の実相」 「○○の実相」 というようなバラバラな 「実相」 というものがあると考えたことがないから、言ってもいないはずです。実相は、対立のない 「一つ」 です。

志恩さんは >> 「合わせ鏡」 だから実相を拝みましょいうというのでは……云々 << といわれるが(>>2965)、何処でだれがそんなことを言ったか、教えて戴きたいと思います。少なくとも私は、そんなたわけたことを言った覚えはありません。

マリーゴールドさんは、私の発言に傲慢さを感じられたそうですが、私はマリーゴールドさんと志恩さんの発言に傲慢さを感じていました。いや、「いました」 という過去のことだけでなく、今もその思いは消えていません。なぜなら――

マリーゴールドさんは、>>2982でも、まだ
>>私は、復興G様の真意が理解出来なくても、構いません。<<

とおっしゃっていて、神意を理解しようと思わない、という態度だからです。だから
>>信仰において大先輩でいらっしゃいます、復興G様に対して、多大な失礼を申し上げましたことに対しては、お詫び申し上げます。<<
とおっしゃるのは、口先だけと感じられるからです。

私も、
>>「“聖なる求め”を放棄する」 のであれば、もう “「谷口雅春先生を学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがですか>>
と書いたのは、たしかに感情的になった点があります。私だって、感情的になることもあります。それが傲慢と感じられても、今それについて謝ることはしません。

私も、ウソ偽りのない正直な思いを書かせて戴きました。

ありがとうございます。

2985志恩:2013/10/01(火) 01:36:00 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様は、以前に「実相独在」を熱心に説かれておられました。
そして、「命がけで「実相独在」と相手を礼拝するのみ」と言われました。
雅宣様に対しても、しかり、というお話をされて、われわれをご指導下さいました。

復興G様は、自分は、日々実相礼拝をしているとも申されました。
それは、ご自身が範を示して下さっている訳で、われわれをご指導下さってる
わけですから、直接的には、「あなた方も、雅宣総裁の実相を祈りなさい」と
言われたのではないけれど、遠回しな言い方では、仰っておられたのです。

ですから、私は、復興G様を見習って、ずっと、雅宣様の実相礼拝は、続けているのです。
昨年の復興G様と、私のやりとりの一部を再掲させて頂きます。
..........................................................................................
トーキングスティックボードより転載
1886 :志恩:2012/05/07(月) 23:16:13 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

「立ち向かう人の姿は鏡なり」とは、身近に接する家族や職場の人のことでは、ないのですか?

たとえば、北朝鮮の将軍様、政治家、世の中には、大勢の,あり得ないと思えることを為す方達が,居ますが,それらの方達が、悪いことをすることも

すべて、「立ち向かう人の姿は鏡なり」なんですか?
..................................
1888 :志恩:2012/05/07(月) 23:32:27 ID:.QY5jUA6
復興Gさまは、

雅宣総裁先生が、雅春先生の教えを,どんどん自分流の替えて行ってしまう事も、
立ち向かう人の姿は鏡也ということで、

復興G様は、
ひたすら今後も「実相独在」と実相を祈られる事は、私も,復興G様を見習ってさせていただいている祈りがございますから、
その点は、理解出来ていますが、

では、具体的に,今後、彼の行いについて、どう思われ、どう、対処されていくのでしょうか?
全てを、認めて生きて行かれるということですか?

2986志恩:2013/10/01(火) 01:42:53 ID:.QY5jUA6
(つづき)

1891 :復興G:2012/05/08(火) 10:29:57 ID:ojEbkDH2

志恩様。

昨夜からたびたびにわたるコメント、ありがとうございます。

このテーマについては、組織板・女子会板など複数の板にまたがって投稿が行われているようですね。
女子会板の<1298>金木犀様コメントも、そうでしょう。
    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<女子会板>1298 :金木犀様2012/05/07(月) 21:47:24

志恩様、全く同感です。一度でも雅春先生の教えに触れて、感激した経験があるなら、生長の家は魂のふるさとであり、
それは教団に属していようといまいと、そういうこととは関係なく、雅春先生の思いに応えたいという気持ちがあります。

だから、雅春先生とは異なる主張に教団が変化するならば、それは耐え難いものがあり、それは違うと言いたくなります。

雅宣総裁の実相を見る見ないとは関係なく、雅春先生の教えと違えば、それを何とか正さねばと思うのは、
師にたいする弟子としての誠意の問題である気がします。

だから、教団が変わらないならば、雅春先生の正統な教えを受け継ぐべく、別派を立ち上げるのは当然であり、そうしないと、
失われていく儘に放置することになり、弟子として、法灯継承したことにならないと思います。

問題は、今の時点で、どうやって雅春先生の教えの一滴もこぼさずに後世に伝えることが出来るかの工夫ですね。
これに関しては、ほんとに住吉の大神に頼るしかないのではという気がします。
    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
上記、金木犀様が「住吉の大神に頼るしかないのではという気がします」とおっしゃる「住吉大神」は、外にいらっしゃるのではなく、わが内に今此処にいらっしゃるのですね。
内なる住吉大神に全托する、というのは、”使命感に対して、唯「ハイ」と従って実行する、ということになるのでしょう。

さて、志恩様。
>「立ち向かう人の姿は鏡なり」とは、身近に接する家族や職場の人のことでは、ないのですか? 
たとえば、北朝鮮の将軍様、政治家、世の中には、大勢の,あり得ないと思えることを為す方達が居ますが,

それらの方達が、悪いことをすることもすべて、「立ち向かう人の姿は鏡なり」なんですか? <

の答えは、ひと言で言えば、「その通りです」となりましょう。
まずは、聖典から谷口雅春先生のお言葉を繙いてみましょう。ハマナス様も、上記<<1889に、適切なご教示文を謹写紹介してくださっています。

『新版 真理』7巻p.16-17
『新版 叡智の断片』p.35-37, p.127, p.330-331

などに、根本的なお教えがあります。

2987志恩:2013/10/01(火) 01:47:24 ID:.QY5jUA6
(つづく)

1892 :復興G:2012/05/08(火) 15:51:18 ID:ojEbkDH2

志恩様。
(略)
谷口雅宣総裁についても、今、真に神の国を地上に実現するためになくてはならぬ役割を与えられ、その使命を果たすべく現れていらっしゃる方ではないかと拝するのであります。

 金木犀様が、<<1164で、

>私は分裂したことは悪いことではないと考えます。これは生長の家がより発展する可能性がでてくるものだと思います。
(中略)私は、こういうことでもなければ、分裂も出来なかったのではと思うと、
もしかしたら、総裁先生は、分裂させるために現れて下さった観世音菩薩ではないかと、ふと思ったりもするのです。

出来れば、もう一度教団には原点の思想に帰ってもらって、今度はお互い連携しつつそれぞれ個性を生かした運動をしていけたら理想的ではと考えているのですが。どうでしょうね。<
と、書かれていましたね。

私は、信仰/体験板<331>で、

<総裁谷口雅宣先生は、まことに偉大なる使命をお持ちになり、自己の信念を貫いていらっしゃる、超人的なお方であるとご尊敬申し上げます。
偉大なる谷口雅春先生の遺された大教団を率いる中心者として、われわれ凡人には想像もできない重責にあって、信念を曲げることなく生ききっていらっしゃるのですから。

谷口雅宣先生が今、あえて今までの生長の家を否定するようなことをおっしゃるのはなぜか。
それは、谷口雅春先生が「皆さんはイエスと同じ神の子である。皆さんが谷口雅春である」とおっしゃっても、

なかなかそれを実感として体得することは難しく、私たち信徒は『生命の實相』の本や谷口雅春先生に頼り切っていた。
その信徒を本当に目覚めさせる使命、役割を持って、あらわれていらっしゃるのではないかと、私は思います。

その重大な使命感に従い、いかなる困難にも屈することなく信念を貫いていらっしゃる総裁谷口雅宣先生に、心からなる感謝を捧げます。>

と、書きました。

2988志恩:2013/10/01(火) 02:35:27 ID:.QY5jUA6
復興G様

「立ち向かう相手は鏡なり」という数々の真理は、
雅春先生は、数々の聖典の随所でお説き下さっていますが、

榎本先生は「生長の家の信仰は,家庭信仰である」とどこかに書かれていらしたのを
読んでことがあるのですけれど....、

「鏡」ですから、身近なに映せる間柄の場合についてを
「合わせ鏡」というのではないかしら...というふうに私は、今まで捉えて参りました。

一番多く使われて来た「合わせ鏡」の例は、「夫婦」の例です。
似た者同士という意味で、使われて参りました。


雅春先生時代を振り返ってみますと、
あの当時は、共産主義や社会主義が、世の中で大手を振って歩いていた時代でしたが、

雅春先生は、あのころ、共産主義や社会主義に対しては「実相を礼拝する」だとか
「実相独在」だとか、おっしゃっては、おられなかった。

そのような間違った思想の方達のことは、
激怒されたり、激しく反論されたご講話もされてましたし、
大批判のご文章も、書かれておられたことは、ありましたが....

雅春先生は、そのような相手について、
「皆様、「実相は独在ですから」とか「合わせ鏡」ですから、と
 静かに 批判せず、沈黙されて いらっしゃいましたか?』

鈴木邦男さんだって、、当時、生学連として、使命感に燃えて、
張り切りすぎて、全学連と闘争までされていらしたではないですか。

雅春先生は、公人に対しては、とても厳しいお方でした。

そのような雅春先生の過去の出来事に、思いを馳せましても

私は、公人として世の中に大きく影響を与えるような方達や、
尖閣諸島を、自分の領土だと息巻いている中国も韓国や、不正をする政治家や、
北朝鮮の将軍も、「私の合わせ鏡」だとは、到底思うことが出来ないのです。

雅春先生だって、そのような、間違った思想を持った公人や間違ったことを主張する
諸外国を、ご自分の「合わせ鏡」だと、おっしゃっていらしたという記憶は、
私には、無いのです。

そして、雅宣総裁は、生長の家の後継者でおられます。公人です。

ですから、公人である総裁につきましては、
彼と私が「合わせ鏡」だとは、思う事は出来ないのですけれど、

復興G様が、おっしゃっておられますように、
雅宣様は、
なにか、われわれに大きな深い意味を教えて下さる、そのような重要なお役目を
持たれて、現れて下さったビックな存在でいらっしゃるということは、
そうでいらっしゃるだろうな、と同意出来ますし、納得させて頂いております。

2989復興G:2013/10/01(火) 04:44:52 ID:AB6RqYXc

志恩様。

合掌。
過去の発言録を丁寧に掘り出して再掲示していただいた御労苦に、感謝いたします。

「実相を拝む」 というとき、それ(実相)は自分の外にあるのではない。「自分を拝み、他(ひと)を拝む」 という言い方をすることもありますが、そのとき、「自分の実相」 と 「他人の実相」 が別々にあるわけではない。「実相」 は 「自他一体」 にあり、「一つ」 である。

だから、「総裁の実相を拝む」 という言い方はおかしいと私は思っています。「実相を拝む」 というとき、それは 「総裁は自分そのものである、自分の外延である」 という自覚がなければ、空想的に夢を描いているだけになっているのではないかと私は思うのです。だから、金木犀さまは 「雅宣総裁の実相を見る」 という言葉を使っておられるところがありましたが、私はそういう言葉は使っていません。

一切者の自覚、一切は自分の心の展開であるという自覚をもつことは、どんな場合にも静かに批判せず、沈黙していなさいということではありません。「未発の中(みはつのちゅう)」 すなわち時空未発の本源世界に立てば、そこは対立のない、「すべてが一つ」 の世界ですから、間違ったことが現れて見えれば、それを激しく批つことも 自由自在である。

谷口雅春先生は 「本当の和解とは、間違った奴をのさばらせておいて、自分は天地一切と和解しているんだなんて思ったら大間違いである。本当の和解は、未発の中から発して節(せつ)に中(あた)ることである」 とおっしゃって、志恩様がおっしゃるように、

「間違った思想の方達のことは、激怒されたり、激しく反論されたご講話もされてましたし、大批判のご文章も、書かれておられたことは、ありました」。

のは、その通りです。

で、志恩様は最後に

>>ですから、公人である総裁につきましては、彼と私が「合わせ鏡」だとは、思う事は出来ないのですけれど、復興G様が、おっしゃっておられますように、雅宣様は、なにか、われわれに大きな深い意味を教えて下さる、そのような重要なお役目を持たれて、現れて下さったビックな存在でいらっしゃるということは、そうでいらっしゃるだろうな、と同意出来ますし、納得させて頂いております。<<

と書いてくださった。

「合わせ鏡」 というのを、「常に自己反省ばかりしておれ」 という意味にとっていると、
>>公人である総裁につきましては、彼と私が 「合わせ鏡」 だとは、思う事は出来ないのです<<
 ということになるかも知れませんが、必ずしもそういうことではない。剣道でも自他一体の自覚を持てば、相手を撃つことは自分を撃つことで、自分の隙は自分で知っているから、ぴしりと急所を突いて撃つことが出来るという 「無敵流平法」 のように、適切な発言も行動もできる――それが本当の 「和解」 ではないかと、私は思います。

が、ともかく、昨夜は私もムキになって、激しいことを言い過ぎたかも知れません。その点は、謝ります。

「世界平和の祈り」 をして、マリーゴールド様も含め、すべての人々の平安を祈ります。

ありがとうございます。 合掌

2990復興G:2013/10/01(火) 09:07:19 ID:AB6RqYXc

一切は、自分の内にある。外にはない。

私の中にあなたがあり、あなたの中に私がある。

相即相入(そうそくそうにゅう)、すべては 「一つ」 である。そして、不調和はない、すでに大調和している。

有情非情同時成道、山川草木国土悉皆成仏。
天上天下唯我独尊(この 「我」 というのは、個我ではなく、「一切者」 なる我れである)。

――というのが 「実相」 です。 (『新版 真理』 第7巻 第1章)

2991志恩:2013/10/01(火) 10:31:57 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様、ご丁寧なご説明に感謝致します。
2989:のお話は、分かりやすく、私にも理解出来ましたので、ありがたかったです。

復興G様やトキ様は、ちがいますが、

私は、「君民同治の神示」、「合わせ鏡」を、教団の特に大幹部級のかたがたが、
ご文章やご講話で、信徒に対して、たま〜に、使われるのを知り、
ほんとうに生長の家のことを真摯に考えて発言される方々の発言封じ的に使用している事を
悲しく思うのです。

ですから「合わせ鏡」ということは、わからんちんで、すみませんけれど、
しばらくは、分からないことにさせて下さいますようにお願いします。

復興Gさまは、以前から けっこう、おこりんぼ です。
でも、雅春先生も、おそばで拝見していて、怒るべきときは、怒っておられるお方でした。

復興Gさまも、、怒りたいときは、遠慮なく怒ってくださいませ。

人間らしく いらして、そのほうが、好感がもてます。

わたしなんか、しょっちゅうです。

2992復興G:2013/10/01(火) 11:46:45 ID:AB6RqYXc

志恩様、ありがとうございます。


ところで 志恩様が、去年の 「トーキングスティックボード」 の記録を教えてくださったので、読み返しますと、金木犀さまの発言で、

>1164 :金木犀:2012/04/12(木)

>> 私は分裂したことは悪いことではないと考えます。
これは生長の家がより発展する可能性がでてくるものだと思います。

新時代には、新しい運動形態があるべきだと思いますが、実相哲学としては 同じ思想を目指しながら、各団体によるその運動の雰囲気個性が少しづつ違って、そこに波長の合う人が各団体を選んで入信するようにすれば、より多くの人を吸収できるのではと考えるのです。その準備段階かと考えるのですが。

私は、こういうことでもなければ、分裂も出来なかったのでは と思うと、もしかしたら、総裁先生は、分裂させるために現れて下さった観世音菩薩ではないかと、ふと思ったりもするのです。

出来れば、もう一度教団には原点の思想に帰ってもらって、今度はお互い連携しつつそれぞれ個性を生かした運動をしていけたら理想的ではと考えているのですが。
どうでしょうね。<

――と書かれ、また女子会板 >1298に

> 一度でも雅春先生の教えに触れて、感激した経験があるなら、生長の家は魂のふるさとであり、それは教団に属していようといまいと、そういうこととは関係なく、雅春先生の思いに応えたいという気持ちがあります。
だから、雅春先生とは異なる主張に教団が変化するならば、それは耐え難いものがあり、それは違うと言いたくなります。

雅宣総裁の実相を見る見ないとは関係なく、雅春先生の教えと違えば、それを何とか正さねばと思うのは、師にたいする弟子としての誠意の問題である気がします。

だから、教団が変わらないならば、雅春先生の正統な教えを受け継ぐべく、別派を立ち上げるのは当然であり、そうしないと、失われていく儘に放置することになり、弟子として、法灯継承したことにならないと思います。<<

と書かれています。

上記について、再び思うこと――

生長の家の運動は、神が始められた運動であり、本当の生長の家本部は神界、実相世界にある、と言われています。

<< 「“本当の教祖” というべき “真理の啓示者” は “實相世界” にある “神” のみなのである。イエス・キリストも 『師というべき者は、唯ひとり天の父のみである』 といっているし、谷口雅春も、“自分は教祖ではない。實相世界に生長の家の本部はある” といっているのである。」(『神 真理を告げ給う』)

 このような文章――神の言(ことば)に接する毎に、私は畏れ平伏(ひれふ)すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、谷口は十二分にお応(こた)えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些(いささ)かの悔いることなくお応えし得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、唯々感謝合掌、悦びが、悦びの波紋が見渡す限り拡がる様を、心眼に拝するのである。
 (『實相と現象』 の 「はしがき」)>>

――この、実相世界にある生長の家本部は、当然 「一つ」 でありますから、それが地上に正しく投影されたら、生長の家は 「一つ」 でなければならないのが当然であります。

今、現象的に分裂状態が現れているのは、実相の 「神の国」 が地上に顕現する過程として、「迷いと迷いとが相撃って自壊する過程」 として必然性があるとしても、一時的なものであって、やがて必ず 「一つ」 の本物、実相が顕現するのだと思います。その 「実相」 を観じ、祈りながら行動して行きたいと思います。

2993志恩:2013/10/01(火) 13:10:38 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

お懐かしき金木犀様の過去文を貼って下さって、ありがとうございました。
金木犀様は、すごいお方でいらして、
私は、いつも、金木犀様の的を得た表現力に感心していました。
あれから1年経ちますが、お元気でお暮らしでしょうか。

2992:復興G様の
それは、もう、おっしゃる通りだと存じます。
元はといえば、生長の家人同士なのですから、将来はもとの1つになる運命だというふうに
私も感じています。

でも、このように、心ある勇気のある方々が、身銭を切ってまで、原点回帰運動に
次々に立ち上がっておられる事は、これも、必然であり、神様のお働きである
聖なる運動の一環だと思えるのです。

そうして、深遠な意味で捉えれば、
復興G様が、仰るように、雅宣様も聖なるお働きをされてるお一人なのかもしれませんね。

2994志恩:2013/10/01(火) 13:41:27 ID:.QY5jUA6
このたび、マリーゴールド様が、
「合わせ鏡」のことで、私に同調されたコメントをされたのは、

かって、何度も
私が経験したと同様の、悲しみを
マリーゴールド様も、味あわれたので、おっしゃったのだと理解しております。

2991:志恩
>>私は、「君民同治の神示」、「合わせ鏡」を、教団の特に大幹部級のかたがたが、
ご文章やご講話で、信徒に対して、たま〜に、使われるのを知り、
ほんとうに生長の家のことを真摯に考えて発言される方々の発言封じ的に使用している事を
悲しく思うのです。<<

2995復興G:2013/10/01(火) 15:33:21 ID:AB6RqYXc

志恩様
ありがとうございました。


私は日経新聞を購読していて、「私の履歴書」 というのを愛読しています。1ヵ月毎に選手交代するのですが、9月はオリックス会長の宮内義彦さんでした。

 こういうことが書かれていました――

   *  *  *  *  *  *  *

 <第10回>
 新会社(オリエントリース)の事実上のトップに就いた乾恒雄副社長。(ニューヨーク支店から)帰国直後、われわれ12人の前に挨拶にこられた。

 リース業とはどんなものなのか。乾さんはニューヨークで勉強された知識をみんなに披露された。
 だがそれは、わたしがサンフランシスコで習得したリース業のあり方とは違ったものだった。乾さんの趣旨は、どちらかというとレンタル事業に近い概念だった。

 「副社長、お言葉ですがそれは間違っています」。
 みんなが耳を澄ませるなかを、わたしはリースが金融業の一翼を担っていることなどを無我夢中で話した。

 図らずも若造が最年長の乾さんに意見するかたちになったことに、ご本人もほかの社員もびっくりしたに違いない。
 わたしに乾さんを非難する気持ちはこれっぽっちもなかった。新会社の舵取り役になる方に正しい知識を持っていただきたい一心だった。

 「あのときの君には参ったよ」。
 程なく社長に就き、16年後にその座をわたしに譲るまでオリエント・リースを率いた乾さんは、ことあるごとにこう言って笑っておられた。……

       *

 <最終回>
 ……戦後68年、日本はすっかり変わった。今の豊かさは想像を超えたものだ。一番素晴らしかったのは戦火に巻き込まれなかったことだ。これからもぜひそうあってほしい。

 社会に共助の精神が芽生えている。悪いことではないのだろう。しかし
 何よりも自分の足で立ち、困難に立ち向かい、そして自分の頭で考えることを忘れてほしくない。

   *  *  *  *  *  *  *

 ――生長の家教団のあり方にも、示唆を与えるものがあるように思います。信徒一人一人が、何よりも自分の足で立ち、困難に立ち向かい、そして自分の頭で考え、信念を持って組織上部の人にも発言し行動するような勇気を持たないと、生長の家は神から与えられた本来の使命を果たすことができないと思います。

2996マリーゴールド:2013/10/01(火) 21:20:52 ID:???

 合掌 有難うございます。

 復興G様

 >>2984において、復興G様より私へのメッセージを拝見させて戴きました。
 私は、好い加減なお返事をさせて頂きたくはありませんし、いま現在、>>2984の復興G様の私に対しての御言葉に私自身、言葉がまとまりません。
 いま現在は、「心から感謝申し上げます」という言葉のみにさせてくださいませ。

 そして>>2989におきまして、私を含めお祈りをして戴きましたこと、魂の奥底より感謝申し上げます。
 
 復興G様と志恩様の対話を拝見させて戴きました。
 >>2989におきまして、復興G様が大変わかり易く、説明くださいました。

>>「合わせ鏡」 というのを、「常に自己反省ばかりしておれ」 という意味にとっていると、
>>公人である総裁につきましては、彼と私が 「合わせ鏡」 だとは、思う事は出来ないのです<<
 ということになるかも知れませんが、必ずしもそういうことではない。剣道でも自他一体の自覚を持てば、相手を撃つことは自分を撃つことで、自分の隙は自分で知っているから、ぴしりと急所を突いて撃つことが出来るという 「無敵流平法」 のように、適切な発言も行動もできる――それが本当の 「和解」 ではないかと、私は思います。>>

なるほど・・・。
ここを読ませて戴いたときに、私が教団信徒を辞めて間もない頃に抱いた感情を思い出しました。
その感情とは

「雅宣総裁、有難うございます。あなたが総裁でいらっしゃったお蔭で、私はこれほどまでに、生命の實相を学びたい。真理を真剣に学びたい・・・そう感じることが出来ました。雅宣総裁でなければ、私はそのように恐らく感じなかったでしょう。雅宣総裁は、ハッキリと真実と偽を分けてくださった。有難うございます。」
という感情です。
「合わせ鏡」というのは、必ずしも「相手の姿をみて反省」ではなく、相手を通して学ばせて頂く学びではないか・・・と感じました。
「あの人がこんな事しているから、私はしないようにしよう」という見方もあるやも知れません。
私が感じましたのは、「相手の存在を我が学びにしよう」それこそ、「合わせ鏡」かしら・・・と思いました。

それから、復興G様は>>2992におきまして、金木犀様のご文章を掲載下さいました。
大変懐かしく拝見させて戴きました。

>>今、現象的に分裂状態が現れているのは、実相の 「神の国」 が地上に顕現する過程として、「迷いと迷いとが相撃って自壊する過程」 として必然性があるとしても、一時的なものであって、やがて必ず 「一つ」 の本物、実相が顕現するのだと思います。
その 「実相」 を観じ、祈りながら行動して行きたいと思います。 >>

の中で、「迷いと迷いとが相撃って自壊する過程」と御説明下さっておられます。

この「迷いと迷い」と申しますのは、教団と社会事業団の裁判のことを指しておられるのでしょうか?
もしくは、現在の教団と学ぶ会等のことを指して仰っておられるのでしょうか?

私は現在、教団信徒ではございませんから、教団に関することの直接的な意見は控えます。
もしも万一、復興G様の仰る「迷いと迷い」が教団と学ぶ会等の本流のことを指して仰っておられるとするならば、私はここに疑問が生じます。

その疑問とは、「生命の實相を護ろう・・後世に遺そうと立ち上がっている社会事業団や、学ぶ会などの団体が、何故に“迷い”として表現されるのでしょうか?

(次につづきます)

2997マリーゴールド:2013/10/01(火) 21:34:46 ID:???

>>2996につづきます。

「合わせ鏡」についての話になりますが、復興G様と志恩様の会話を拝見させて戴いておりますと、どうしても「実相と現象」が頭から離れませんでした。

その昔、教団において女子活動をしていた時の「花のつどい」で「実相を観る」ことは本物と偽物を知ることであると学んだ機会がございました。
その際のテキストは、谷口雅春先生御著書「女の教養」P67であります。
以前に、光明掲示板・第一におきまして、このことを“さくら様”あてに投稿させて戴いたことがございます。
以下に再掲させていただきます。

☆☆☆☆☆

合掌 有難うございます。

 さくら様 お久しぶりです。


 谷口雅春先生御著書 『女の教養』P67に雅春先生は以下のようにお書き下さっています。


*****


>実相を観るということは、虚構を真実だと思い込むことではありません。
虚構を真実だとその実相を知り、真実を真実だとその実相を知ることです。

>キリストも蛇の如く叡く(さとく)、鳩の如く柔和であれと仰せられました。
相手が神の子の実相を出しているか仮相の狼を出しているかを見わけることが肝腎です。
何でも彼でも相手を信じさえすれば好いのだと思っていてはなりません。

******

私は貴女にアドバイスも何も出来る立場にございませんが

ただ申し上げたいのは
私は、雅宣総裁の神性・仏性を否定するものではありません。


生長の家の真理を普及されている教団において
雅宣総裁の言動・指導が
「虚構が真実」であるという実相を知ることが大切であると思うのです。

貴女の人生ですから、貴女の思われるように祈り実践されたらよろしいと思います。

雅春先生は

「心さえもない」とお説き下さっています。

神想観は現象の自分が実相を観ずる祈りではなく
実相が実相を観ずる祈りであると受け止めています。


とは言う私も悩みは多いですけどね。


「学ぶ会」をはじめとする本流の団体は
その存在が宇宙にコダマする偉大な祈りであると信じています。


 合掌 再拝

☆☆☆☆☆

以上です。

(次につづきます)

2998マリーゴールド:2013/10/01(火) 22:02:26 ID:???

>>2997につづきます。

私は花のつどいで、「実相を観るということは、虚構を真実だと思い込むことではなく、
虚構を真実だとその実相を知り、真実を真実だとその実相を知ることだ」と学んだとき、このことは将来の旦那様だけに言える話ではなく、あらゆることにおいて言えることであると思いました。

上記の>>2997での雅春先生のご文章のあとに、以下の御言葉が続きます。

「本来人間は善人でありますが、五官の快楽に捉われたときに仮相が出るのです」

五官の快楽には様々なものがあると思います。
私自身は、決して様々な快楽を否定するものではありません。
「環境問題」も大切な研究分野であると思います。しかしながら、「環境問題」に執着しすぎてしまうと仮相が出てしまうのではないか・・・と個人的に思いました。

上手く言葉をまとめることが出来ませんが
私自身はどうしても、雅宣総裁の御指導に「真理」を感じられなかった。
だから、雅宣総裁は本来善人であるけれども、雅宣総裁のお蔭で、こんなにまで真理を学ぼうと思わせて戴いた感謝はあるけれども、雅宣総裁の説かれていることは、虚構が真実であるとの実相を知ったから
雅宣総裁に感謝をして、教団を去ったと申し上げれます。

今の私は、まだまだ勉強不足ですから、「君民同治の神示」と教団・・・雅宣総裁に関して同じように考えることは、出来ません。
いつかは、解る日が来るやもしれませんし、来ないかもしれません。
纏らない内容で申し訳ございません。

   感謝合掌再拝

2999マリーゴールド:2013/10/01(火) 22:21:46 ID:???

 志恩さまへ

 >>2994において、温かい御言葉を戴きまして、心より感謝申し上げます。
 たしか・・・本流対策室板で、トンチンカン様が「WEB誌友会板は雅宣総裁の教えを学ぶ会ではないでしょうか」という内容を眼にしました。

 私は個人的に、この誌友会を「生命の實相」を学ぶ板と思っておりますが(おりましたが)、複雑な思いもございます。

 これからも「神――開祖――御教え」の真理を学んでいきたいと思っております。

     感謝合掌再拝

3000志恩:2013/10/01(火) 23:24:48 ID:.QY5jUA6
 >>2995:復興G様

>>――生長の家教団のあり方にも、示唆を与えるものがあるように思います。
信徒一人一人が、何よりも自分の足で立ち、困難に立ち向かい、そして自分の頭で考え、
信念を持って

  💛組織上部の人にも発言し 行動するような勇気を持たないと💛、

生長の家は神から与えられた本来の使命を果たすことができないと思います。 >>

この💛マークをつけたところについてですが、
今の教団の上部におられる方々は、破格の高給を支給されているイエスマンばかりなのだそうですから、
だれ一人、雅宣総裁に、忠告できないです。

われわれ信徒たちが、上部にも掲示板で訴え続けて来ていますが、
上部の方々も、皆様、馬耳東風です。

ですから、原点回帰するために、
教団から、分かれて、本流の皆様が、運動されているのです。

将来1つになるという意味は、どのような形で1つになるかわかりません。

闇は、自ずから消えて、ほんものが残り、最終的に 1つになるのだと思っています。

3001志恩:2013/10/01(火) 23:51:20 ID:.QY5jUA6
私は、雅宣様は幼少の頃から知っていますので、彼に情は移っていましたので、
本流派でありながら、キリッと、仕切れないところが、ありました。

なんとか、雅宣様は、目覚めて下さらないかしら....と、
心の隅で微かな灯りを灯している 自分が、しばらく前までは居ました。

でも、それが、見果てぬ夢だったと、鮮明に、分かって来たり、

生長の家の本来の世界的使命を 想いますと、心を正して

厳しい事を言わなければと、自分に言い聞かせて、大分前から厳しい発言も
するようになりました。

復興G様は、私などより 古くからの信徒さんだそうですから、

復興G様も、雅宣さんに情が移っていらして、彼をお孫さんのように

いとしく思われていらっしゃるのでは?

ですから、本心では雅宣さんに 対抗する「学ぶ会」憎しなのでは?

だって、言葉のはしはしに、そのお気持ちが、出ていますもの。

2つに分かれるなんて、とんでもないとか、教えに反しているとかおっしゃって、

本流を潰そうとなさっておられるのでは、ないでしょうか?

理性にもどられると、本流も大事ということを、おっしゃいますが、根が正直で

いらっしゃるので、本音を、どうしても、言ってしまわれるのです。そうでしょう?

3002志恩:2013/10/02(水) 00:04:27 ID:.QY5jUA6
マリーゴールド様

的を得たご発言をして下さって、感謝しています。
復興G様のご返信をお待ちしています。

3003マリーゴールド:2013/10/02(水) 00:39:43 ID:???

復興G様

>>2995のお話を読ませていただきました。
この副社長さんは、周囲の方の聞く耳を持たれた、素晴らしい方だったのですね。
サラリーマン…とくに中間管理職の方には、元気をいただくお話だと思いました。

生長の家の信徒さん一人一人が自覚し困難に立ち向かい、組織上部に言わないと、生長の家の本来の使命を果たすことが出来ない…とありますが

教区により違いはあるでしょうが、総裁に反感感じつつも、部長はみな基本総裁にイエスマンです。

「学ぶ会で素晴らしい講演会があるから、聞きに行きたいのよ。でもね、聞きに行ったら講師剥奪されて、役職もなくなると言われて、恐ろしいのよ。普及誌より学ぶ誌の方が、真理の言葉が沢山あるから、講演会に行きたいけど、教区の仕打ちが怖いの」

と、先日教団信徒さんに言われた真実の言葉です。
その方の話では、同じように総裁のご指導に不満を抱いている人は多いが、何か事を起こすと怖いから、学ぶ誌をコピーして、内緒で輪読会をしていると聞きました。

私にしてみたら、そんな弾圧かける時点で、生長の家ではない!!と思いましたが

このように、恐怖を感じて真理を学ばなきゃならないのですか?
おかしいと思いませんか?

教団は学ぶ会の講演に行くな、講師剥奪すると弾圧かけますが、学ぶ会は教団の行事に参加するな…などと一言も言われませんよ。

勇気を持って上に言いなさいという、以前に上から恐怖という呪縛をされている信徒がいることも、解って下さい。

3004マリーゴールド:2013/10/02(水) 02:30:19 ID:???
「合わせ鏡」の件について。

先日ユタカ様が、「色々と仰って下さったら勉強になります」と言って下さいましたので、過去の発言を改めて発言します。

この話は事実であり、いま現在も医院を経営されている話ですから、医院の診療科は伏せてお話します。

ある診療科を掲げて診療されている、医院がございます。
その院長先生が、とあることに凝ってしまい、その診療科とは全く違う診療を始めてしまったのです。

そこの医院の院長先生を信頼し、長年通っていたAさんは、院長先生が本来の診療科とは違う方法をとられて、なかなか治らず、他の医院に変更してみたら、症状が改善し元気になられた…という実話です。

ここで私は以前に、おそらく以下のような問いかけをしたと思います。

ここの医院の掲げる診療科目で、働きたくて勤務していた看護師さんは、院長先生が本来の診療科をされないのは、自分にも院長先生と似た心があるからで、その看護師さんは、院長先生を自分の合わせ鏡として祈り、本来の診療科の仕事をされるように、祈ってそこで働きなさい…となるのでしょうか?

患者さんも、上記の看護師さんと同じことが言えるのでしょうか?

私は、働きたいなら働けば良いと思います。
患者さんも通いたいならば、通えばいいと思います。

しかしながら、運命の主人公は自分自身なのですから、本来の診療科目で、その看護師さんが働きたいならば、働かせていただいたことに感謝して、新たな職場に行かれたらいいと、思いました。

患者さんにしてみても、他の医院に変更したいなら、今までの診療に感謝され、他の医院に行かれたらいいと思います。

この実話は、いまの教団の実状とも似ていると思ったのです。

患者さんにしてみても、思いきって他の医院に変更したことで、症状が改善し元気になられたわけです。

「生命の實相の真理のお話、愛国の国家のお話を聞けると思って、生長の家に行ったら、実際は違っていた。総裁が天皇陛下や生命の實相の話のご指導を聞けると思っていたら、聞けなかった。そしたら、教団の人が、総裁はあなたの合わせ鏡なのですから、あなたの生命が、総裁の生命なのですよ。自他一体なのですよ。総裁は時代に合わせてご指導されているのですよ」

と指導されてしまう現実が、あるのではないでしょうか?

3005復興G:2013/10/02(水) 06:58:14 ID:AB6RqYXc

志恩様、マリーゴールド様

レス、ありがとうございます。

私は昨夜はここを見ないまま寝てしまい、朝になって今拝読したばかりです。

今日はこれから出かけなければならないので、帰ってから、夕方以後にお返事を書かせて戴きます。

ありがとうございます。

3006ユタカ:2013/10/02(水) 07:05:19 ID:R1D4Jmeg
ユタカの教区の行事予定

10月19日 会場 教化部「大拝殿」
       指導 教化部長
       テキスト 「新版 真理 第2巻基礎編
       サブテキスト 明るい職場と人間関係

輝き世代の見真会
       10月16日
       会場 教化部「大拝殿」
       指導 教化部長
       テキスト 新版 女性の書

講師勉強会
       10月2日
       会場 教化部 大拝殿
       指導 教化部長
       テキスト 「正法眼蔵を読む」上巻 「詳説 神想観」

生命の實相勉強会
       10月23日 ※どなたでも参加できます。
       会場 教化部 大拝殿
       指導 教化部長
       テキスト 生命の實相 第7巻 (新版光明の生活法)
       サブテキスト 観世音菩薩賛歌 幸せは父母への感謝から


あと、若白学は生長の家ってどんな教え?などで勉強しておいでです。青年会はテキストを書いていないようです。


教化部で 真理の勉強もやっていますが・・・・?

3007ユタカ:2013/10/02(水) 07:11:42 ID:R1D4Jmeg
上記ユタカの投稿は

>教区により違いはあるでしょうが、総裁に反感感じつつも、部長はみな基本総裁にイエスマンです。

「学ぶ会で素晴らしい講演会があるから、聞きに行きたいのよ。でもね、聞きに行ったら講師剥奪されて、役職もなくなると言われて、恐ろしいのよ。普及誌より学ぶ誌の方が、真理の言葉が沢山あるから、講演会に行きたいけど、教区の仕打ちが怖いの」

と、先日教団信徒さんに言われた真実の言葉です。
その方の話では、同じように総裁のご指導に不満を抱いている人は多いが、何か事を起こすと怖いから、学ぶ誌をコピーして、内緒で輪読会をしていると聞きました。

私にしてみたら、そんな弾圧かける時点で、生長の家ではない!!と思いましたが

このように、恐怖を感じて真理を学ばなきゃならないのですか?
おかしいと思いませんか?


このマリーゴールドさんの書き込みに、ユタカの教区ではそのようなことはない!!

ので教区行事を書きましたよ。

3008ユタカ:2013/10/02(水) 07:20:46 ID:R1D4Jmeg
おかしいですね???  どんどん 「生命の實相」を勉強していいんですよーーー。 総裁も神に中心帰一とおっしゃいます。

教化部でも 真理のお話と生命の実相勉強会を行っているのに・・・

ここをご覧の教区会員さんは全国教化部誌をご覧になって、『よその教区で行っているから教化長に「生命の実相」勉強会してください!!』って言ってみてください。

毎日部長の部屋に訪問したり、相愛、白鳩連合会長にも相談して申し出ればやらない訳ないと信じます。

3009ユタカ:2013/10/02(水) 07:55:05 ID:R1D4Jmeg
ちなみに、ユタカの家は仏教で学ぶ会に参加し、ときみつる会にも行って

教区会員の地方講師に沢山お会いしますよ。 

復興Gさまも前にお書きくださっています、ある地方講師が学ぶ会には入会しないが、勉強に行くことを教化部長にも前原副代表にも許可をとって参加していると。

その方が講師剥奪されたのはほかに理由があるのでは??

3010ユタカ:2013/10/02(水) 08:46:53 ID:R1D4Jmeg

>その方が講師剥奪されたのはほかに理由があるのでは??

上記、「その方」とは、マリーゴールドさんの言う講師剥奪された方。

3011志恩:2013/10/02(水) 08:47:03 ID:.QY5jUA6
トキ様

教区は全国にあるので、教区の上部の人の
考え方で、そこの地区の方針が異なるのじゃないでしょうか?
ユタカさんところは、締め付けが無い地区なのでしょうね。

3012マリーゴールド:2013/10/02(水) 08:53:32 ID:???
ユタカ様

ありがとうございます。
私の発言に関して、一部ユタカ様の受けとめ違いがございます。
いまパソコンに向かえませんので、後でまた説明させていただきます。

3013トキ:2013/10/02(水) 09:44:35 ID:Bjm/pDfM
>>3011

 森のオフィスになってから、本部が直接、教区まで出かけるのが難しいので、ますます教化部長の権限が
大きくなっています。とは言え、教化部長は毎月、パソコンで総裁に報告書を出します。また、信徒が本部
に『密告」をするケースもあります。だから、好き勝手にできる訳にはいきません。

 これは個人的な感想ですが、教化部長にも、現役の若い人もいれば、定年を過ぎて嘱託扱いの人もいます。
若い人は家族もありますから総裁に忠実にならざるを得ませんが、嘱託の人は退職金ももらっており、年金
も出ますから、そこまでいかない傾向が強いと感じます。

3014ユタカ:2013/10/02(水) 10:34:32 ID:R1D4Jmeg
>後でまた説明させていただきます。


そですかぁ〜。 沢山話かけて下さって有難うございます。

今日はユタカの学校がお休みなので、これから久しぶりに近所の友達と会う約束があって、それを利用して愛行伝道に行ってきま〜す。

一人のインテリ愛国者には、生長の家ベースの学ぶ会やときみつる会の会報誌のコピーを渡して説明して、(うまく説明できないから、とりあえず読んで!というのですが、、)

もう一人のエコや地球の未来を心配している方には「いのちの環」をと。  生長の家もそれぞれ専門分野に分かれて詳細になって素晴らしいので下層の信徒も忙しくなりました。



生長の家は一つですから、友人、知人の個性に合わせて専門性の高い伝道ができることに感謝! 万歳!

行って来まぁ〜〜〜す!!

マリーさま、夕方以降か夜にまた。

3015ユタカ:2013/10/02(水) 10:42:40 ID:R1D4Jmeg
トキさま

練成会や各種行事でお役をやりながら、会員同士仲良くしてみんなで意見を一致させて、

教化部長に、「生命の實相」を勉強したいといい続けたらどうなるかな?

やっぱり、教区の意見として教化部長も巻き込んでいただかないと・・・

全国の教化部会報誌見ればね・・・・

なんとかなったら、いいですね。。。

3016志恩:2013/10/02(水) 11:36:11 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

考え方が、汪洋(おうよう)な教化部長さんが居る県もあるのですね。
ユタカさんが、何県の人か、知りませんが、珍しいのでは、そういう県は....

たとえば、東京第2とかは、教団脱退者2,000人だと言われている地区ですから、締め付けたら、
どんどん脱退していくので、仕方なく、ユタカさんみたいな考え方の人も、受け入れる。

そのような考え方をしている他県もあるかもしれません。

>>3011:トキ様 言

 >>これは個人的な感想ですが、教化部長にも、現役の若い人もいれば、
定年を過ぎて嘱託扱いの人もいます。

若い人は家族もありますから総裁に忠実にならざるを得ませんが、
嘱託の人は退職金ももらっており、年金も出ますから、そこまでいかない傾向が強いと感じます。<<

という所を、見ますと、実際は、複雑なんですね。

>>3014:ユタカ様

一人のインテリ愛国者には、生長の家ベースの学ぶ会やときみつる会の会報誌のコピーを渡して説明して、
(うまく説明できないから、とりあえず読んで!というのですが、、)

もう一人のエコや地球の未来を心配している方には「いのちの環」をと。  
生長の家もそれぞれ専門分野に分かれて詳細になって素晴らしいので下層の信徒も忙しくなりました。<<

そういう生き方もあるのですね。
私には、まねできませんけれど。

3018トキ:2013/10/02(水) 12:31:56 ID:Bjm/pDfM
>>3015

ユタカ様

 コメント、ありがとうございました。

 教化部の外、自宅などで教区の行事と関係なければ、生命の実相の輪読会なども自由です。ただ、一部の幹部が
本部の意向を先走りして、「そういう事はやめなさい」と言うかもしれませんが、組織にはその権限はありません。
ただ、教化部長が、生命の実相や神示集の講義をするか、というと、本部を恐れてしない人が多いと思います。

 規約の改正により、『生長の家を誹謗する団体」への所属は、地方講師や幹部の罷免事由になりましたから、
『学ぶ会」などの雑誌を購読している場合、あるいは現在の総裁への批判を目的にする会合は、教化部から何か
言われる可能性はあります。

 ただ、ここまで数が減ると、少々、本部批判や総裁批判をしたぐらいで幹部や講師を解任できない状態ですから
黙認している教区が多いと思います。例えば、福岡教区は、矢野先生が熱心に総裁援護論を展開しているのですが、
それが逆に反発を呼び、分派の会合によけい押し掛ける人が増えている、とも聞いています。

3019神の子さん:2013/10/02(水) 13:35:28 ID:???
、『生長の家を誹謗する団体」への所属は・・・・・

    ↑ 原案では、《掲示板運営及び投稿云々》とあります

3020志恩:2013/10/02(水) 14:58:04 ID:.QY5jUA6
>>3019:神の子さん様

>>『生長の家を誹謗する団体」への所属は・・・・・

    ↑ 原案では、《掲示板運営及び投稿云々》とあります<<

ものすごい、教団の 締め付け。

どこの国のこと1? と恐ろしくなります。

ユタカ様、罷免事由になるそうですよ。「学ぶ」誌、配ってると、危ないですね。

復興G様は、本流派であるマリーゴールド様と、志恩を、やっつけて、論破されないと、教団のおかたですから、
やばいんじゃないんですか。

ここの掲示板も、教団の方々は、発言をチェックして、見ておられるでしょうから。

その点、マリーゴールド様と私は、すでに、組織を辞めていますから、思ったまま発言できますので、
気楽ですし、幸せです。

3021志恩:2013/10/02(水) 15:51:45 ID:.QY5jUA6
訊け様の脱力掲示板より

84 名前:私はヘタレな神の子さん(だははは) :2013/10/02(水) 15:24:23
復興G様は、本流派であるマリーゴールド様と、志恩を、やっつけて、論破されないと、教団のおかたですから、
やばいんじゃないんですか。


既に論破されてますがな。。。

.............................................................

復興G様
失礼なこと申し上げて、すみませんでした。

3022志恩:2013/10/02(水) 16:05:14 ID:.QY5jUA6
上記のことで、うのはなさんにまで𠮟られました。
このたびは、どうも、すみませんでした。

3023マリーゴールド:2013/10/02(水) 16:22:59 ID:???

ユタカ様、みなさまへ

こんにちは。
先ず結論から申し上げます。
私がお伝えした教団信徒の方は、講師剥奪されていません。
私は>>3003において、

>>「学ぶ会で素晴らしい講演会があるから、聞きに行きたいのよ。でもね、聞きに行ったら講師剥奪さ れて、役職もなくなると言われて、恐ろしいのよ。普及誌より学ぶ誌の方が、真理の言葉が沢山あ るから、講演会に行きたいけど、教区の仕打ちが怖いの」>>

と、教団信徒のある方のお言葉を伝えました。
この方は、講師剥奪されることに、勇気が出ないから、学ぶ会の講演会に参加をされておらず、隠れキリシタンならぬ、「隠れ学ぶ会誌友」です。

私の書き方が紛らわしかったとしたら、ごめんなさいね。

ところで、>>3009で、ユタカさんのご家庭は仏教であって、学ぶ会やときみつる会にもご参加とのことなのですね。
>>2933において、復興G様がユタカさんが本流から教団の信徒に戻られた事をお話されてます。

ユタカさんのご家庭が、教団の信徒さんで、本流の行事にも参加されておられるのなら、よいかもしれませんけれど、

もし万一ユタカさんのご家庭が本流所属であるならば、ユタカさんが復興G様のお話に感激されたことで教団に戻られたとのことですから、ご両親大丈夫かしらと思ったのです。

復興G様は、このweb誌友会を通して本流から教団に信徒を戻す事を目的にご指導されておられるのかと、>>2933を読んで個人的に感じていたのでした。

3024志恩:2013/10/02(水) 16:51:59 ID:.QY5jUA6
復興G様のお気持ちは、以前より、はっきりされてます。

「2つに割れるのは、教えに反することだ」ということを繰り返されて、ご指導されてます。

つまり、裏を返せば、マリーゴールド様が、仰る通りの運動を、

復興G様は、意識されておられるか、無意識でされてるかは存じませんけれど、
このWEB誌友会に於いて、なさっておられるのです。

ですから、ユタカ様は、復興G様のご指導に、添って、いったんは辞められた教団に
戻られたのだと、私も、思っております。

今の教団の教えと、元々の教えとは、中身がすっかり違ったものになっております。
一人一人が、継承者になればいいということは、

元々の教えを学んで来た人なら、可能だと思いますが、
今の教えしか知らない人は、継承しようがないです。

ですから、ユタカ様のように、復興G様、同様に地方講師であり、
元々の教えも充分に学ばれて来られたお方でしたら、教団と学ぶ会、ときみつる会を
二股、三股 かけて、学んで行く事は、
出来るかもしれませんけれど、

幹部級ではない一般の信徒は、頭が混乱するばかりだと、私は思います。

私は、教団組織に、戻るつもりは、毛頭ありませんが、

WEB誌友会で、復興G様にご指導いただいていれば、自然と
教団から、離れて、本流などに行くのは、もってのほかだと、教育されていくとおもいます。

3025志恩:2013/10/02(水) 17:00:25 ID:.QY5jUA6
復興G様は、昔から、和解派でいらっしゃいますから。

3026マリーゴールド:2013/10/02(水) 17:43:07 ID:???

>>3024
志恩様

>>WEB誌友会で、復興G様にご指導いただいていれば、自然と 教団から、離れて、本流などに行くのは、もってのほかだと、教育されていくとおもいます。>>

ここ最近、志恩様と全く同じことを感じていました。

志恩様が>>3001でもご発言下さっておられますが
私も志恩様に全く同じ思いです。

過去からweb誌友会を閲覧させていただいて、復興G様の言葉から感じる、ニュアンス…雰囲気…などから、もしかしたら復興G様は、理性を保たれつつも、内心は学ぶ会を心の奥底では腹立たしく思っていらっしゃるのではないかしらと感じていました。

教団もこのままではいけない…しかし、学ぶ会はもっといけないと思っていらっしゃるのではないかしら…と。
ですから、いまの現状を迷いと迷いの自壊過程と仰るのかしらと今日は感じていたのでした。

復興G様は著名な先生でいらっしゃることは存じ上げつつも、そのような感情が、もし万一根底にあるならば、そのご指導で行われるweb誌友会は、生命の實相哲学が、どこまで純粋学べるのかしらと…。

とくに言うなれば「君民同治の神示」と「合わせ鏡」のお話あたりから、心配に感じていたのでした。

復興G様、失礼は承知しつつも、大切なことだと思いますから、復興G様の本音を伺いたく、発言しました。

3027復興G:2013/10/02(水) 18:19:38 ID:AB6RqYXc

 皆さま、ありがとうございます。

 復興G、只今帰ってまいりました。

 さっそく、マリーゴールド様へのお答えから、書かせて頂きます。

>>2996 >> 今、現象的に分裂状態が現れているのは、実相の 「神の国」 が地上に顕現する過程として、「迷いと迷いとが相撃って自壊する過程」 として必然性があるとしても、一時的なものであって、やがて必ず 「一つ」 の本物、実相が顕現するのだと思います。
その 「実相」 を観じ、祈りながら行動して行きたいと思います。 >> (復興G)

>>の中で、「迷いと迷いとが相撃って自壊する過程」と御説明下さっておられます。
この「迷いと迷い」と申しますのは、教団と社会事業団の裁判のことを指しておられるのでしょうか?
もしくは、現在の教団と学ぶ会等のことを指して仰っておられるのでしょうか?

もしも万一、復興G様の仰る「迷いと迷い」が教団と学ぶ会等の本流のことを指して仰っておられるとするならば、私はここに疑問が生じます。
その疑問とは、「生命の實相を護ろう・・後世に遺そうと立ち上がっている社会事業団や、学ぶ会などの団体が、何故に“迷い”として表現されるのでしょうか?<<

[お答え]

 生長の家の御教え、根本真理は、光明一元、ただ善のみ実在で、「迷い」 はないということ。

 しかし、「神その造りたるすべてのものを視たまいけるに甚だ善かりき」 と「創世記」 にある神の第一創造の世界、イエス・キリストが言った 「みこころの天に成る世界」 が地上に顕現する(時間・空間上に投影される)のは、段階を追って顕(で)て来るわけです。

 それは、人類は皆神の子で仲よく大調和しているのが 「みこころの天に成る世界」 だけれども、地上の歴史では、まず西洋文明の発展が先行し、東洋民族は白人の奴隷のように虐げられて植民地化されてきた。しかし、東洋で唯一日本はそうならずに、「神国」 の誇りと独立を保ち強くなって、ついに 「大東亜共栄圏」 の理想を掲げほとんど世界を相手に 「大東亜戦争」 を戦った。

 結果、美事に敗戦し悲惨な目に遭ったけれども、日本の勇敢な戦いぶりに感動し奮い立ったアジア・アフリカなどの諸民族が、民族意識に目覚め、次々に欧米の支配から独立して行った。

 これは、人間は皆平等な神の子だという神の第一創造のすがたが地上に顕現する過程として必要なことだったのだと、谷口雅春先生はお教えくださいました。(web誌友会参考文献板107)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/l50

 しかし、その大東亜戦争も、やはり実相の 「神の国」 が地上に顕現する過程として、「迷いと迷いとが相撃って自壊する過程」 だったのです。

 ≪今は過渡時代であるから、仮相(かりのすがた)の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦いはその序幕である。神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏(う)って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。(「声字即実相の神示」より)≫

 ≪敗戦の原因は多々あれども戦争を始めたから敗けたのである。是は過去現在未来永劫に変ることなき真理である。戦争を始めねば敗戦もない。……神が戦いをさせているのではない、迷いと迷いと打合って自壊するのだと教えてある。迷いの軍隊を皇軍だなどと思ったのが間違いだったのである。……心に相対があらわれ、彼我対立する心は既に戦いの心、分裂構想を予想しての心であるから、戦争準備の心である。世界は一円相であると言うことを知らねばならぬ。(「日本の実相顕現の神示」より抜粋)≫

 上記神示とweb誌友会参考文献板107のお教えは、矛盾するようだけれども矛盾ではないと私は思います。戦争は、迷いと迷いと打合って自壊する過程であるとともに、実相が顕現する過程である。

 ≪日本の国民よ、嘆くな。迷いの自壊の後には必ず住みよしの世界が来るのである。われを戦いの神と思うな。われは平和進駐の神である。住吉とは平和の理想郷と言うことである。わが行くところに平和は来り、わが行くところに龍宮無限の供給は来るのである。(「終戦後の神示」より)≫

 <つづきます>

3028復興G:2013/10/02(水) 18:45:31 ID:AB6RqYXc

>>3027 のつづきです>

 大東亜戦争が、地上天国実現の過程として必要だったように、学ぶ会も、ときみつる会も、生長の家本来の使命実現のために必要があって出てきたものであろうと思います。

 しかし、やはり 「迷いと迷いと打合って自壊する過程」 でもあると思います。「心に相対があらわれ、彼我対立する心は既に戦いの心、分裂抗争を予想しての心であるから……」 と 「日本の実相顕現の神示」 にあるとおりです。

 しかし、

 「嘆くな。迷いの自壊の後には必ず住みよしの世界が来るのである。」

 と教えられていますから、心配する必要は無い。安心して、各人の内なる神のみ声のままに行動して行けばよろしいと思います。教団にいなければならないこともなく、学ぶ会に入らなければならないこともない。

<つづきます>

3029復興G:2013/10/02(水) 19:26:55 ID:AB6RqYXc

< <<3028のつづきです>

 現象界はすべてのものが相対的に現れている世界であり、「絶対」 すなわち 「対立を絶している」 ものはこの世にはない。だから、相対的に目に見えるのはすべて迷いだ、とも言えると思います。私なども、現象のすがたは迷いの塊だと自覚しています。

 と同時に、私は時空超脱の神と一体でもあります。私が生きているのは自分の力で生きているのではなく、神がここに生きていらっしゃるのです。「私」 は本来無いんです。空っぽなんです。だから、とらわれないんです。自由自在なんです。

 現象的にも、教団の状況も日々変わってきています。

 学ぶ会やときみつる会の状況だって、日々変わっていると思いますよ。

 ちょっと前の過去の状況が今もそのままあると思っていたら、ちがうと思います。現象界は無常で、常に 「想定外」 のことが次々に起こるのが当り前なのです。

 教団の上層部の人たちが、学ぶ会などを激しく憎悪しているかのごとく、組織会員をものすごく締め付けていたということは、あったと私も思います。しかし、明らかにそれは変わってきています。その証拠はいろいろあげることができますが、長くなるのでやめておきましょう。ユタカさんが挙げてくださったことなども、その一例です。

 教区の五者や地方講師などが、『生命の實相』 の勉強会をしてほしい、しないなら役職を降ります、と教化部長に迫れば、教化部長は 『生命の實相』 の勉強会をするようになります。そうしたことは実証済みです。

 それは、外の 「学ぶ会」 などに行ってから言ってもぜったい諾(き)かれないことだと思います。だから私は教団組織にいながら、いつでもクビ覚悟で発言・行動しています。

 聖使命会員は谷口雅春先生からパテントを譲られた、人類光明化運動の株主なんだ。だから、役員が株主のいうことに耳を傾けるのは当然だと思っていますから。
<つづきます>

3030復興G:2013/10/02(水) 19:38:08 ID:AB6RqYXc

>>3027 で、


 これは、人間は皆平等な神の子だという神の第一創造のすがたが地上に顕現する過程として必要なことだったのだと、谷口雅春先生はお教えくださいました。(web誌友会参考文献板107)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/l50

としたURLは間違っていました。下が正解です。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/107

3031復興G:2013/10/02(水) 20:15:59 ID:AB6RqYXc

< >>3029 のつづきです>

>>3029に、

>> と同時に、私は時空超脱の神と一体でもあります。私が生きているのは自分の力で生きているのではなく、神がここに生きていらっしゃるのです。「私」 は本来無いんです。空っぽなんです。だから、とらわれないんです。自由自在なんです。<<

 と書きましたが、それはもちろん、私だけではない。皆さま、すべてそうです。

 ところで、マリーゴールド様の >>2997 で、谷口雅春生先 『女の教養』 のお教えを掲示して教えてくださいまして、ありがとうございました。

 しかし
>実相を観るということは、虚構を真実だと思い込むことではありません。
虚構を真実だとその実相を知り、真実を真実だとその実相を知ることです。<

 の意味が通じなくて、これは誤植ではないかと調べてみましたら、やはりそうでした。

   *  *  *  *  *  *  *

   九、「実相を観る」 とは本物と偽物とを知ること

 実相を観るということは、虚構(うそ)を真実だと思い込むことではありません。虚構(うそ)を虚構(うそ)だとその実相を知り、真実(ほんとう)を真実(ほんとう)だとその実相(ありのまま)を知ることです。キリストも蛇のごとく叡(さと)く鳩のごとく柔和であれと仰せられました。相手が神の子の実相を出しているか、仮相の狼を出しているのか見わけることが肝腎です。何でも彼でも相手を信じさえすればよいのだと思っていてはなりません。

   *  *  *  *  *  *  *

 が原文だと思います。(もし間違っているところがありましたら教えてください)

 私も上のご教示、ありがたく頂きます。

 マリーゴールド様は、もっといろいろおっしゃているようですが、ポイントは以上のようなことかと思います。まだ疑問の点があれば、おっしゃってください。


 さて、志恩様

 >>3001の 貴コメントは、見当外れの妄想ですね。私は、志恩様ほど情が深くはありませんよ。

 とだけ申し上げておきます。

3032マリーゴールド:2013/10/02(水) 20:45:03 ID:???
復興G様

貴重な時間を作って、疑問にお答えいただき、ありがとうございました。

まだ全体を拝見しておりません。
少し時間をいただいて、拝見させて下さい。

合掌再拝。

3033志恩:2013/10/03(木) 07:53:56 ID:.QY5jUA6
(本流掲示板から転載)

訊けさんへ

訊けさんの脱力掲示板より
web誌友会板用 対話

  (Q、訊けさん   A、志恩)

Q 運動方針が「元々と違う」・・・・・これを以て「御教えから外れている」と申されておられませんか。
Q運動方針の違いがすなわち、「元々の、雅春先生の教えとの違い」と言われる方あらば、それは暴論です。(無論個人的には「環境路線」には、反対です。
ですが、「御教えから外れているか」の視点からはクエスチョンです)
Q「愛国運動が御教えの根本」であるかの様な論もありますが、これも暴論です。


A:元々と違う..という意味は、

「元々の教えを、説かなくなった」という意味です。

 (さわりの部分は、ふれますが)

「愛国運動」は、教えの根本思想なのに、「愛国運動」することを暴論だと言う方が、暴論だと思います。

「愛国心」とは、日本人として、自然に抱くはずの 自分の国、日本を愛する心です。

 われわれの国である日本国を愛するとは、どういうことなのかを掘り下げ、
 天皇制が、2000年以上続いている世界唯一の国家の使命や意義....その
 根本的な生長の家の教えである思想を、全く説かなくなった。

 この事実を、大変なことになったと 問題視して、生長の家の眞の教えの灯を
 消してしまっては、世界にとっての、日本にとっての 一大損失である、
 という強い想いで
 心ある信徒たちが本流として立ち上がっておられるのです。

Q: 實相とは、いろいろな切り口で語られてます。『理』誌はたしかに、「天皇国日本」を切り口に實相を語る雑誌でした。
ですが、他誌(『生長の家』誌や『白鳩』『精神世界』誌等)ではたとえば「久遠の今」「仏性」「内在のキリスト」
・・・・ありとあらゆる切り口から實相が、語れております。
Q:つまり、實相とはなにも、「天皇国日本の切り口だけから語られる」と云うものでは「ない」のです。

Q :天皇国・日本の切り口を使用しないからと言って、「元々の教えと違う」と主張される方あれば、それは暴論だと思います。
Q:まして、そこを争点に「元々の教え×今の教え」にしてしまうのは、オカシイです。


A: 突然、「天皇国日本」についてからを、説かなくても、いいのでは。

 先ず、第一に説くことは、「神の子人間」「唯神実相論」...そこから、つづいて、
「天皇国、日本」を説かなければ、
 「天皇国、日本の民族である、われわれ一人一人の存在の意義を、先祖達の意義を、英霊様の意義を
 われわれ日本人は、知る事が』出来ないではないですか。

それをですね、今の「教団になったら」
なにも、説かない,。
それについて、言葉にして、文章にして、表さないということは、否定していると見なされるのです。

例えば、私が、「昔、私、熱烈なジュリーフアンだったのよ」と、訊けさんに言葉に表して言わなかったら、
訊けさんは、それを知らなかったでしょ。

私がそのことを言わなかったら、私が、昔、ジュリーに首ったけだったことは、訊けさんは知らなかった。
つまり、その情報は、無きに等しいということです。

今の教団は、そのような根本的な生長の家の教えは、説かず

「自然環境問題」一辺倒のことしか、説いていないでは、ないですか。

なぜ 訊けさんが、そのことを おかしいと疑問に感じないのか、私には理解できません。

3034志恩:2013/10/03(木) 08:07:40 ID:.QY5jUA6
訊けさんから、私への質問の続きです。

訊けさん言

Q :また、復興Gさまは教団へ誘導するために誌友会をされておられるのでは「ありません」
Q:で、志恩さんの論が正しいとするならば、こうなります。「WEB誌友会正しく聖典を学ぶと、教団へ行ってしまう」と。
Q :上記補足です。志恩さんの論が正しいとするならば、すなわち、「復興Gさまの指導を受けると教団へ流れてしまうのだ」が正しいとするならば、
「聖典を学ぶと本流ではなく、教団へ行く」という事に、なります。(意味はお判りでしょうか)
Q:聖典を元に学べば、つまり、復興Gさまの指導を仰げば「教団へ行きたくなる」
・・・・・・よくワカリマセンが、そうなりませんか。つまり、本流派は聖典を学べば「行きたくなくなるトコロだ」と今回、志恩さんはお述べになってはおられませんか(違えば反論を)
.................................



A:
誘導しようと意識されて、復興G様は、ご指導されてるのかどうかは、わかりませんけれど、
復興G様は、いつも、いつも、「2つに 分かれるのは、雅春先生の教えに反している」と、
力説されてます。そして、「学ぶ会」に行く必要も無いと。

>>「自分の実相」 と 「他人の実相」 が別々にあるわけではない。
「実相」 は 「自他一体」 にあり、「一つ」 である。

一切者の自覚、一切は自分の心の展開である。「未発の中(みはつのちゅう)」
  すなわち時空未発の本源世界に立てば、 すなわち時空未発の本源世界に立てば、そこは対立のない、
「すべてが一つ」 の世界である。<<

と、説かれておられます。

つまり、「1つだ」「1つだ」
...分かれるということは、教えに反している事なのだ、、と聞こえるのです。

訊けさんは「聖典を学べば...」と口癖のように言われますが、

web誌友会は、「聖典を準拠にして」「聖典をテキスト」にして、
それを、ご指導する講師が、
解釈されて、問題に当てはめながら、ご講義をして下さるものなのです。

ですから、聖典とは、様々な角度から、説かれているものなのですから、ご指導くださる講師が、
どこの「真理」に照らし合わせて、お話しされるか、によって、解答が違って来るのです。

例えば、「結婚何十年たった、折り合いのひどく悪いご夫婦」が居たとしましょう、
その奥さんが、
相談に来たとします。

すると、担当した講師は

「夫婦とは、合わせ鏡であるから、似た者同士であるから、ご主人の実相を祈り、感謝して
とにかく、よろこんで、よろこんで暮らしてみてください。

別れるなんて、とんでもない事です。夫婦は、1つなんですから」

これが、復興G様流のご指導だと思います。

これは、たしかに「聖典に準拠」しており、間違っては、おりません

3035志恩:2013/10/03(木) 08:15:19 ID:.QY5jUA6
それで、問題が解決すれば、一件落着になります。
しかし、その奥さんが、
そのご指導頂いたことを、一生懸命に数年だか、十数年だか、実行しても、

どうしても和解が、できない、
夫婦間は辛くなるばかりだ
お互いの考え方が異なるので、耐えられない程に、互いが嫌になってる夫婦が居た場合、

今度は、その奥さんが、別の講師に相談したら

「別れなさい。そして、お互いが、いいと思う道へ歩んで行きなさい」

別の講師は、このように ご指導されるかもしれません。

そうしたほうが、お互いが、一緒に暮らしているより、より幸せになる場合もあるからです。

結論をいえば、解答は、「絶対に、1つのままで、いなければならない、
分かれてはいけない ということだけでは、ない」と言う事です。

雅春先生は、前の女性と別れて、輝子先生と結婚されました。
恵美子先生は、前のご主人と離婚されて、清超先生と再婚されました。
佳代子様も、そうです。

みなさま、別れるべき時は、別れておられるのです。
そして、新たな幸せの道へ行かれたのです。

故に「聖典に準拠して」ということは、1つだけが、正しい答えではない。

分かれるのは、おかしいという考え方は、「聖典」の一部には、書いてあるかもしれませんが、
別の一部には、書いていない。別のことが書いてあると、私は、思っております。

「聖典に準拠した結果」

分かれないまま、問題が解決すれば、それが正解であり

分かれて、問題が解決すれば、それも、正解である

と思っております。

3036志恩:2013/10/03(木) 08:17:17 ID:.QY5jUA6
3033:訂正
本流掲示板 → 本流対策室板

3037志恩:2013/10/03(木) 10:08:25 ID:.QY5jUA6
>>3033:....で、お話したジュリーをご存知ない お方のために、
当時、大ヒットした ジュリー(沢田研二)の曲を1つだけご紹介します。
  「TOKIO (トキオ、東京のこと)♫」
 http://www.youtube.com/watch?v=YWd-g_I-jKs

3038復興G:2013/10/03(木) 11:45:58 ID:AB6RqYXc

 ここは 「web誌友会板」 です。

 『生命の實相』 をテキストにして、第1巻から順に、谷口雅春先生のお説きくださった生長の家の真理を深くしっかりと学び、生活に実践しましょう、ということが目的です。単なるおしゃべりは、他の板でしていただきたいと思います。

 そして谷口雅春先生が 『生長の家』 誌創刊号に

 「自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照さずにはおかないだらう。此の火は天上から天降つた生長の火である。火だ! 自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を点ずる。生長の火を彼に移す。自分は今覚悟して起ち上つた。見よ! 自分の身体が燃え尽すまで、蝋燭のやうにみづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。

 自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。自分は此の火によって人類が如何にせば幸福になり得るかを示さうとするのだ。……」

 と書かれている 「生長の火」 「法燈」 を、信徒一人ひとりが継承して行きましょう という意味で、

 「信徒一人ひとりの法燈継承」

 ということを研鑽のテーマに設定し、毎月一回開催し、先月までで17回を重ねてまいりました。

 さて、今月は第18回になります。

 テキストは、『生命の實相』 第5巻に入ります。
 範囲は、前半の100頁まで (序詩 「天使の言葉」 から第3章のおわりまで) が適当であろうかと思います。

 それで、日程ですが――

 先月のように金曜日の夜から土曜日の夜までとすれば、私はもう来週の11〜12日しか空いていません。

 で、今月14日(月)は 「体育の日」 で休日ですから、13日(日)夜から14日夜まで、というのを提案させて頂きます。いかがでしょうか。

3040マリーゴールド:2013/10/03(木) 15:27:16 ID:???
復興G様

>>3027から>>3031まで、いまプリントアウト行いました。
よく拝見させていただきます。
また、疑問点の有無に関わらず、感想の報告をさせていただきます。

合掌。

3041復興G:2013/10/03(木) 16:18:27 ID:AB6RqYXc


>>3040 :マリーゴールドさま

誠意あるご対応に感謝します。

今夜は合唱団練習に出かけ、夜10時には戻ります。

3042マリーゴールド:2013/10/03(木) 22:09:08 ID:???

復興G様

ありがとうございます。本日中は、書き込む時間を作れません。
明日以降に必ず、コメントさせていただきます。
申し訳ございません。

合掌再拝

3043復興G:2013/10/03(木) 22:25:49 ID:AB6RqYXc


>>3042 :マリーゴールドさま

いいですよ、別に急ぎませんから。ゆっくり書いてください。

ありがとうございます。

3044a hope:2013/10/03(木) 23:02:16 ID:Zlo2YeaM

復興Gさま

たいへんな生意気をいうことをお許しください。

志恩さまやマリーゴールドさまも、この掲示板の大切な仲間です。
わたしは、以前のように、本流、教団関係なく皆で楽しくweb誌友会をしたいです。

志恩さまや、マリーゴールドさまとのお話合いを円満に解決してくださらないでしょうか?

「唯神実相」を学ぶには大調和していないと無理だと思います。

3045復興G:2013/10/04(金) 08:02:15 ID:AB6RqYXc

>>3044 :a hope様

>>「唯神実相」を学ぶには大調和していないと無理だと思います。<<

は、その通りです。

私は、大調和しています。

志恩さまや、マリーゴールドさまとも、大調和していると思っています。

ありがとうございます。

3046ユタカ:2013/10/04(金) 08:16:38 ID:R1D4Jmeg
おはようございます。

私も大調和しております。みなさんも大調和しています。 楽しく勉強しましょう。しかし、真剣さは何より大切かとも思います。みなさんどうでしょうか?

そして私の中では生長の家は一つです。 認めたものが現れるのですね。 違いましたら、教えてください。

復興Gさまの日程がそこしかあいていないのでから、OKです。ですが、ユタカは、いろいろと仕事があり張り付いてはおられませんので、すみません。

そして、今、レポート提出に追われてて、テキストを全部読めるか、ちょっと不安なので、復興Gさま、よろしくお願いします。

3047復興G:2013/10/04(金) 08:58:26 ID:AB6RqYXc

第18回web誌友会は、日を限定せず、「10月中」 程度に大まかな枠の中で、自由に発言する形でどうでしょう。

過去の、web誌友会だって、前夜祭・後夜祭があって、設定した時間内に限らず皆さま発言されてきたんですから。

ただ、メインテキストの範囲は、第18回は 『生命の實相』 第5巻の前半、と決めておく。ということでどうでしょう。

そして、この掲示板はトキ様が大変なご愛念で設け、管理運営してくださっている掲示板です。

私は今まで、その中で、ある時期から 「司会」 として推薦され、それを受けて積極的に関わるようになり、今日に到っています。

このweb誌友会の指導者は、神様である。私も、心を空しくして神様のお導き、ご指導を受け、学ぶようにして行きたい、と思ってきましたし、言っても来ました。

でも生身の人間ですから、つい我意が出たり、感情的になったりすることもあり得ます。

私は、このweb誌友会の司会ないし指導者のような立場にいつの間にかなって来て、勉強させていただいて来ましたが、もっと公平な立場でリーダー役を務めて下さる方があれば、いつでも喜んで交替させて頂きます。

そうでなければ、私は私の信念を貫いて発言させて頂きます。よろしくお願いします。

ありがとうございます。

3048トキ:2013/10/04(金) 09:44:18 ID:ZGqV1L6s
 私は、復興G様のお考えに全面的に賛成いたします。貴重な内容ですから、
復興G様のやりやすい通りにしたいと考えます。

合掌 ありがとうございます

3049a hope:2013/10/04(金) 10:01:48 ID:Zlo2YeaM

みなさま おはようございます。

わたしは >>3047の復興Gさまのご意見に賛成させていただきます。
わたしは、今まで17回にわたりこのweb誌友会で復興Gさまはじめみなさまから、
大量の聖典や他の参考文献をテキストとして、生長の家の真理を精一杯学ばせていただいてきました。

今回は、今までの内容を復習したりしながら、すこしゆっくりお勉強させていただきたいです。

わたしは、復興Gさまには今までどおりのご指導をお願いしたいです。



また、>>3046のユタカさまのご意見

<<楽しく勉強しましょう。しかし、真剣さは何より大切かとも思います。みなさんどうでしょうか?>>

にも、賛同させていただきます。
復興Gさまは毎回、魂を込めて、一文一文みなさまのご質問にお答えしてくださっています。
このweb誌友会板では、わたしたちはその真心にお応えする真剣さが必要なのだと思います。

これからもまたこのweb誌友板で気持ちをあらたにお勉強を続けさせていただきたいと思います。

復興Gさま、トキさま、ユタカさま、みなさまどうぞよろしくお願いいたします。

3050復興G:2013/10/04(金) 10:46:19 ID:AB6RqYXc


トキ様、ユタカ様、a hope様。

ありがとうございます。

では、そのようにさせていただきましょう。

皆さま、どうぞよろしくお願い申し上げます。

3051志恩:2013/10/04(金) 10:53:09 ID:.QY5jUA6
違う意見を申し上げたとしましても 喧嘩してるわけではありませんので、
よろしくお願いします。

3052復興G:2013/10/04(金) 20:35:40 ID:AB6RqYXc

 皆々さま。

 第18回web誌友会のテキストに入る前に、私の基本姿勢を明らかにしておきたいと思っています。

>>3044 :a hope様投稿文

>>復興Gさま
たいへんな生意気をいうことをお許しください。
志恩さまやマリーゴールドさまも、この掲示板の大切な仲間です。わたしは、以前のように、本流、教団関係なく皆で楽しくweb誌友会をしたいです。
志恩さまや、マリーゴールドさまとのお話合いを円満に解決してくださらないでしょうか?
「唯神実相」を学ぶには大調和していないと無理だと思います。 <<

に対して、私は >>3045

>>私は、大調和しています。志恩さまや、マリーゴールドさまとも、大調和していると思っています。<<

 と書きました。

 それを、もう少し具体的に書いて、私の姿勢を明らかにしたいと思っています。が、明日・明後日と行事予定があり、忙しいので、来週早々に発表します。よろしくお願いいたします。

3053ユタカ:2013/10/04(金) 21:38:58 ID:R1D4Jmeg
ちょっと、失礼・・・

生命の實相第5巻 楠本加美野先生の御揮毫サインは  「 ハ イ 」 です。

4巻は『万事好転」と書いてあり、a hope 様が、何か大変な仕事だったのが、良くなったと書かれて嬉しかったです。

5巻の展開と『ハイ』とどう繋がっていくのか個人的に楽しみです。

3054マリーゴールド:2013/10/04(金) 21:50:33 ID:???

 合掌 有難うございます。

 復興G様

 感想のお返事が遅れましたこと、お詫びいたします。
 そして、>>3031におきまして、「女の教養」の転載の文字ミスをご指摘・訂正戴きましたことを、心より感謝申し上げます。
 有難うございました。

 >>3027から>>3031まで拝見させて戴きました。
 感想を述べさせて戴きます。

 復興G様は、今現在の教団と本流(学ぶ会等)のことを、「迷いと迷いと打合って自壊する過程」であることを、『声字即實相の神示』と『日本の實相顕現の神示』と『終戦後の神示』を引用されてご説明下さいました。

 私は、復興G様のお考えとは違います。
 「迷いと迷いとが相撃って自壊する過程」だとは、全く受け止めておりません。

 生長の家の信徒さんや職員さんや講師の先生方のなかに・・・

 「今の説かれていることは、おかしいな」「何故、鎮護国家が外されたのだろう」「なぜ環境問題ばかり説かれるのだろう」と、多くの方々が疑問を呈して、“今こそ生命の實相に立ち返り、護らなければ”という篤い光の志で立ち上がったのが、学ぶ会であり、ときみつる会であり、社会事業団であります。

 一言で申し上げれば、本流たる「光の進軍」(「生命の實相」を護る力)により、教団の迷いがボロボロ剥がれている現状こそが、いまの学ぶ会等の本流と教団ではないかと想うのです。

 だからこそ、教団の中でも地域によっては、復興G様が仰るように、「生命の實相の勉強会をしないなら、役職を降りる」という役職者も現れ、生命の實相の勉強会も行われていることが実証済みである・・・ではないでしょうか?

 それから・・・

 >>3029におきまして復興G様は、こう仰っておられます。

 >>現象界はすべてのものが相対的に現れている世界であり、「絶対」 すなわち 「対立を絶している」 ものはこの世にはない。だから、相対的に目に見えるのはすべて迷いだ、とも言えると思います。私なども、現象のすがたは迷いの塊だと自覚しています。>>

 とのことですが・・・

 「現象はない」は理会できています。常に移ろいゆくものであります。
 私たち神の子は、この現象世界において、『実相顕現運動』をさせていただいているとも言えます。

 「物、物にあらず、神の御心のあらわれなり」という言葉もございます。

 日本人は、世界を背負って立つほどの、素晴らしい神の子の技術を習得したあらゆるジャンルのスペシャリストがおり、素晴らしい作品も多々ございます。
 
 大日本神國観には「實相・現象渾然一体」という言葉もございます。

 喜怒哀楽の様々な現象に「かたよってはならない」「囚われてはならない」と思います。

 そして、続いて復興G様は

 >>と同時に、私は時空超脱の神と一体でもあります。私が生きているのは自分の力で生きているのではなく、神がここに生きていらっしゃるのです。「私」 は本来無いんです。空っぽなんです。だから、とらわれないんです。自由自在なんです。>>

 と御説明下さっておられます。

 神と一体であり、「私」が本来なく、神がここに生かされていられるならば、現象に現れることが「迷いの塊」だなんて、虚しいことを仰らないでください。

 今日の晩御飯でいただいた、けんちん汁や納豆や家族の愛情の表現までもが、「迷いの塊」になってしまうではないですか。

 
 (次につづきます)

3055マリーゴールド:2013/10/04(金) 22:15:07 ID:???

 (つづきます)

 それから>>3029におきまして、

 >>聖使命会員は谷口雅春先生からパテントを譲られた、人類光明化運動の株主なんだ。だから、役員が株主のいうことに耳を傾けるのは当然だと思っていますから。>>

 とございます。

 私は初めて聴いたのですが、雅春先生は「聖使命会員が雅春先生からパテントを譲られた、人類光明化運動の株主」であると、おっしゃられたのでしょうか?

 私が聞いた範囲では、雅春先生が講習会の中で

 「生長の家のパテントは、みなさんに譲りましたよ。あなとも。あなたも。あなたも」と指を指されながら仰った・・・。
 それを、ひとつの講習会だけではなく、いろいろな講習会で仰っておられたと聞いております。
 聖使命会員にしか、パテントは譲らないとは、仰っておられません。

 もしかしたら、復興G様が聖使命会員が激減している現状に、危惧を感じられての発言かもしれません。

 しかしながら、復興G様は

 >>外の 「学ぶ会」 などに行ってから言ってもぜったい諾(き)かれないことだと思います。だから私は教団組織にいながら、いつでもクビ覚悟で発言・行動しています。>>

 クビ覚悟で常に発言されていらっしゃるのは、雅宣総裁にとってマイナスであることを、仰っておられることを自覚されてのことだと思います。

 聖使命会員の浄財の行く手を、舵取っておられるのは、谷口雅春先生ではなく、谷口雅宣総裁ではないのではありませんか?

 私だったら、人から会員を勧められて

 「ここの会をクビ覚悟で会員活動していて、活動しているのだけど是非、会員になって」
と言われても、入会したくありません。

 これこそ、時代を観なければならないと、私は思います。

     
     合掌再拝

3056マリーゴールド:2013/10/04(金) 22:26:53 ID:???

 a hope様

 合掌 有難うございます。

 温かい御言葉かけをくださって、有難うございます。

 私は、復興G様と考えの違うところが、多々ございます。

 復興G様の御指導を閲覧していて「このようなことを、不特定多数の閲覧者が信じてしまって大丈夫かしら」と感じてしまう点も、過去に正直ございました。

 しかしながら、意見が違うことを申し上げても、決して喧嘩をしているわけではございません。

 復興G様に、憎しみ怨みは全くございません。

 よろしくお願い申し上げます。

      合掌再拝

3057志恩:2013/10/05(土) 00:31:13 ID:.QY5jUA6
>>3054:3055:

マリーゴールド様が、復興G様宛の1つ1つの考え方の違いについて
書かれた投稿文を読まさせて頂きましたが、

私の場合は、
マリーゴールド様の解釈の方が、どれも、しっくりと納得が行きました。

3058あさひ:2013/10/05(土) 01:18:42 ID:u9w/1zYY
マリーゴールド様
復興G様
志恩様
皆様

皆様の書き込み拝見して、それぞれの方の思いを吐露されて素晴らしいと思いました。

本音を吐露してこそこの掲示板の意味があると思います。

それは愛の証と思います。理解してもらえないと判断しましたら、黙って去るのみですから。

大いに本音を語って頂きたいです。  合掌

3059ユタカ:2013/10/05(土) 06:22:48 ID:R1D4Jmeg
>それは愛の証と思います。理解してもらえないと判断しましたら、黙って去るのみですから。

大いに本音を語って頂きたいです。  合掌


黙って去ったら、本音と本音を語った意味が無いと思います。相手を理解するまで語りあったらどうですか?

どちらも相手は愛深い神の子なのですし、今は、雅宣総裁によってより深く生長の家の真理を勉強する時代になっているので、双方のやりとりがとても楽しみです。

信徒も、個人によっていろいろな考え方がある事を知ってユタカはビックリです。

道場がある地域ですとその道場を作った力のある講師が「行」や「講話」、その道場に50人くらいは常時集合して迫力のある体験談などから多くの人生勉強をして、信念を深めていけます。

その道場主らと、復興Gさまのおっしゃることは一致しています。

そして、復興Gさまのおっしゃた、「学ぶ会には学ぶ会の使命がある。 しかし、一部の人間が教団にいる会員を見下したりする態度は良くない。」とはっきり仰った事も

忘れずに・・・。 そういう事見落とさずに、話を進めて行ってください。

3060ユタカ:2013/10/05(土) 06:44:27 ID:R1D4Jmeg
> >>聖使命会員は谷口雅春先生からパテントを譲られた、人類光明化運動の株主なんだ。だから、役員が株主のいうことに耳を傾けるのは当然だと思っていますから。>>

 とございます。

 私は初めて聴いたのですが、雅春先生は「聖使命会員が雅春先生からパテントを譲られた、人類光明化運動の株主」であると、おっしゃられたのでしょうか<



これは、生長の家の組織をわかりやすく、比喩されていると思います。ユタカはすんなり良くわかったのでナイス!!と思いました。

パテントは
譲られた、多いに自分らしく光明化運動をすることを「谷口雅春先生」は喜んで下さると信じます。

パテントは譲ったということは、今まで本店だけだったのがどんどん支店を出してよいという許可ではないでしょうか?今までも、支部はありましたが、それは本店直轄の支部でしたが、今度は学ぶ会・ときみつる会・新教連など独立した支店になったと、私は思っています。

生長の家は一つだと思いますから。  ユタカの比喩を どこに谷口雅春先生が本店、支店と言った??

などと聞かないでください、これはユタカのアイデア言葉ですから・・・^^

また、夜に〜〜。

3061マリーゴールド:2013/10/05(土) 06:54:28 ID:???
>>3057
志恩様

ご理解いただき、ありがとうございます。
感謝申し上げます。

>>3058
あさひ様

ありがとうございます。
私も本音を吐露してこそ、掲示板の本来の意味があると思います。
真理は決して変わるものではありません。
朱に交われば赤となる…の諺にもありますが
立場違えば、真理の受けとめ方が変わるのかしら…と感じたりしました。

>>3059
ユタカ様

>>そして、復興Gさまのおっしゃた、「学ぶ会には学ぶ会の使命がある。 しかし、一部の人間が教団 にいる会員を見下したりする態度は良くない。」とはっきり仰った事も

忘れずに・・・。 そういう事見落とさずに、話を進めて行ってください。>>

同感します。
生長の家は、人を見下す教えではありません。

私が「光の進軍なる本流によって教団の迷いが剥がれている」と申し上げたのは、教団信徒さんの事をさしている訳ではありません。

生命の實相に立ち返ろう…生命の實相を護ろう…神殿を護ろうという思いが、教団はじめ社会を浄化する源になってているのだと思います。

3062マリーゴールド:2013/10/05(土) 07:04:54 ID:???

>>3060
ユタカ様

誤解があってはいけないので、お伝えしますが…

私は>>3055において、実際に雅春先生が仰ったお言葉…

>>「生長の家のパテントは、みなさんに譲りましたよ。あなとも。あなたも。あなたも」と指を指 されながら仰った・・・。 それを、ひとつの講習会だけではなく、いろいろな講習会で仰っておられたと聞いております。 >>

と発言しています。
私は、雅春先生は真理を学ぶ万人に、パテントをお譲りになられたと解釈しています。

3064ユタカ:2013/10/05(土) 08:03:57 ID:R1D4Jmeg
トキさんへ

上記は部室かどこかへ移動させて下さい。WEB版と関係ないでしょ。

3065復興G:2013/10/05(土) 08:04:35 ID:AB6RqYXc

 おはようございます。

 私は今日は予定行事がありますのであまり書けませんが、マリーゴールド様のご質問

>私は初めて聴いたのですが、雅春先生は「聖使命会員が雅春先生からパテントを譲られた、人類光明化運動の株主」であると、おっしゃられたのでしょうか<

 は、たしかにそのようにおっしゃって(書かれて)います。
 神示講義 教の巻 『神ひとに語り給ふ』 の79頁から91頁までのところです。

 この本は絶版状態だと聞いていますから、時間が出来た時に正確にお伝えしましょう。

 夜に、書けるかも知れません。

 では、また。

3066ユタカ:2013/10/05(土) 08:12:00 ID:R1D4Jmeg
まりーさま

>>「生長の家のパテントは、みなさんに譲りましたよ。あなとも。あなたも。あなたも」と指を指 されながら仰った・・・。 それを、ひとつの講習会だけではなく、いろいろな講習会で仰っておられたと聞いております。 >>

と発言しています。
私は、雅春先生は真理を学ぶ万人に、パテントをお譲りになられたと解釈しています。<<


ユタカもよく存知あげております。

そして復興Gさまが聖使命会員とおっしゃたのは、教団内での話しをしているからそのように比喩をしたということもよく読んでご発言下さい。

復興Gさまとの直前の話の内容を突然「ぶち切って」、これまた、突然雅春先生の言葉を出せば良いというものでもありません。 話の内容にそってのご発言でないと意味が通らなくなります。

もう出発の時間・・・また

3069びわの實:2013/10/05(土) 08:54:07 ID:EzEpCyvA
>>3060
ユタカ様

>>聖使命会員は谷口雅春先生からパテントを譲られた、人類光明化運動の株主なんだ。だから、役員が株主のいうことに耳を傾けるのは当然だと思っていますから。<<

私もこの文章を読んだ時、雅春先生がおっしゃられたのかとビックリし、古くから生長の家であられる先輩に電話をして聞きました。
そうしましたら、マリーゴールド様がおっしゃられるように、

>>「生長の家のパテントは、みなさんに譲りましたよ。あなたも。あなたも。あなたも」と指を指されながら仰った・・・。 それを、ひとつの講習会だけではなく、いろいろな講習会で仰っておられた<<

ということでした。
それを聞いて雅春先生がおっしゃった御言葉でなかったんだと胸をなでおろし、ほっとました。
ところが

>>これは、生長の家の組織をわかりやすく、比喩されていると思います。ユタカはすんなり良くわかったのでナイス!!と思いました。<<

とユタカさんが書かれました。

「えっ?!」と私は何かすんなりいかないものを感じました。
比喩は比喩でもヒドイ比喩ではないだろうか?という感じです。
あまりにも物質的で商取引的?という感じです。
今の教団だからこれがナイスになるのでしょうか。
これだと、聖使命会費を払ってないと雅春先生からパテントは譲ってもらえないことになっちゃいます。
もし今の教団組織で比喩するなら、

>>聖使命会員は「谷口雅宣」総裁からパテントを譲られた、人類光明化運動の株主なんだ。だから、役員が株主のいうことに耳を傾けるのは当然だと思っていますから。<<

と言うほうがしっくり納得いきます。

私はどこの会費も払っていませんが、
谷口雅春先生からパテントは譲られたと思って雅春先生一筋で現在勉強中です。

ありがとうございます。

3070神の子さん:2013/10/05(土) 09:03:46 ID:???

 昭和29年 『聖使命会』発足の際

 聖使命会員をもって信徒とする、と規約にありますから

 そう言った意味でしょう。

 ここで単なる誌友と会員とが明確になった。

3071復興G:2013/10/05(土) 10:15:49 ID:AB6RqYXc

>>聖使命会員は谷口雅春先生からパテントを譲られた、人類光明化運動の株主なんだ。<<

というのは、ユタカさん
>>これは、生長の家の組織をわかりやすく、比喩されていると思います。<<

ではありません。谷口雅春先生がそのようにおっしゃっているのです。>>3065 のとおりです。

では、また夜に。

3076神の子さん:2013/10/05(土) 12:36:44 ID:???
通報しました

3078とある者:2013/10/05(土) 18:55:24 ID:Z6WT6I3k
パテントや株主のことは、
生長の家光明掲示板・第一のこちらに謹写されてありますね。

『神ひとに語り給う』神示講義 教えの巻「新天新地の神示」 24
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=324

3079復興G:2013/10/05(土) 20:09:33 ID:AB6RqYXc

>>3078 :とある者 様

 パテントや株主のことについての谷口雅春先生のご教示が、生長の家光明掲示板に掲示されていることを教えて下さってありがとうございます。

 皆さま。
 谷口雅春先生のご教示、全文をお読み下さる方は上記>>3078に掲示して頂いたURLをクリックしてご覧ください。

 これはは長文です(パテント・株主・聖使命会に関するところだけで原典の約14頁)。で、そのポイントを挙げますと、

○ 「神の人類光明化運動に協力せよ」 と神示に書かれてゐることを看過(みのが)してはならない。この真理で救はれた人は勿論、この真理に共鳴する人はこの運動に協力しなければならないと思ふ。

○ この人類光明化の眞理は、神様から知らして戴いて、私(谷口雅春先生)が實践してみたところが實際に効果があつた。それを私だけの費用で弘めてゐたのでは早くひろく人類に普及することができないから、皆と協力してやらうといふので「人類光明化のパテントは、皆さんに譲つた」といふ事にした。今後は私の独占事業でなく皆さんと一緒に此の人類光明化運動は協同してやらうといふことになつたのである。

○ 私は人類光明化運動の発明権を皆さんに譲つて、皆さんが人類を幾人救はれても私に発明権使用料といふのを支払はねばならぬといふことはない。皆さんは此の人類を光明化するといふ運動をする一大事業の株主になられた訳である。
 各人が自己の事業として自らが応分の出資をして、自らの運動として此の「真理」を弘めるといふ事になれば、私一人の努力でさへもこんなに弘がったのだから、皆さんが私同様に弘めて下されば、谷口が何万人も一度に出て来て弘めるといふことになり、此の真理は急速に弘まると思ふ。

○ 此の運動が私個人のものではなく皆さんのものになると、それによつて救はれる人の功徳、善因善果といふものも皆さんに帰ってくるといふことになる。從つてまた皆さんも人類光明化に要する費用の幾分を負担して頂くことになつたのである。

○ 幾分の費用を負担して人類光明化運動の株主になられると、株主には株主配当といふものが來る。それは会費の割り戻しではなく、人類光明化運動に参加した株主たる聖使命菩薩には、もつと素晴らしい功徳が循環して返って來る。

○ これは神に対して「真心」を捧げる「真心」の具象化であるから、「神様、どうぞこの献金が無駄に使はれることなしに、神様の人類光明化運動に使はれますやうに。」と祈ってから、献金すべきものである。

 ――ということになろうかと思います。

 この谷口雅春先生のご教示を噛みしめたいと思います。

3080トキ:2013/10/05(土) 20:43:46 ID:fQHgWtrM
 少し話しがずれますが・・・・。

 先日、朝日新聞を読んでいると、欧州でキリスト教の衰退が激しい、という記事がありました。従来、キリスト教は
欧州で国教ともいうべき立場にあり、ドイツなどは教会に使う費用を国が税金と同じシステムで徴収していたという
話も聞いた事があります。しかし、最近では、キリスト教を信じる人が激減し、教会も次々ご閉鎖されて売却。それを
最近増えた中東の移民が買取り、イスラム教の寺院にしたり、甚だしきは無神論者の団体が買取り集会に使っていると
いう話です。

 私は、スペインで仕事に行った時に現地の人と話しましたが、フランコ時代には法律で教会への参拝を強要したが、
フランコ総統が死んだ後、自由に参拝をするようになったら、途端に参拝者が減った、という話を聞きました。

 ところが、中国で、最近、キリスト教を信じる人が増えているという記事も別の新聞に掲載されていました。中国は
共産党の一党独裁で、公認された教会以外の教会に行くと、投獄されます。しかし、その危険を犯して中国人は教会に
通っているのです。最近は法輪功の弾圧もありましたが、信者はそれをも乗り越えて信仰を持っています。特筆すべき
は、特にカリスマ的な指導者は存在せず、信徒が自発的に行動をしているのです。

 私は思うのですが、生長の家でも、組織が強制するような運動のやり方は、逆に信仰への疑問を持たせると思います。
そうではなくて、もっと自発的な活動を推進するのが良いと思います。魂の救済に焦点をあてたら、どんな障害があって
も、広まるし、信徒は広めようと思います。それがないと、どんなに組織があっても、動かないでしょう。

 その意味では、上記の記事は熟読すべきかと感じます。

3081トキ:2013/10/05(土) 20:57:12 ID:fQHgWtrM
>>3080

「上記の記事」とは、復興G様のご投稿をさします。
誤解を招く表現をして、ごめんなさい。

 では、よろしくお願いします。

3082復興G:2013/10/05(土) 21:18:31 ID:AB6RqYXc

トキ様、皆さま

ありがとうございます。

3083マリーゴールド:2013/10/05(土) 21:25:14 ID:???

復興G様

新天新地の神示のパテントに関する解釈についてですが

雅春先生の仰っておられる通りであると思います。
大変大切なことであると思います。

ただ、雅春先生の貴重な数多くのご著書が絶版にされ、雅宣さんは、「大調和の神示の精神を大切に」と仰りながら、その神示講義のご著書は、絶版にあり手元にない信徒は読めません。

鎮護国家を外した雅宣さんの進む方向は、住吉大神様とかけ離れています。

それでも、教団の聖使命会員に執着しなければなりませんか?

私には、その解釈にございます雅春先生の精神を継いでおられるのは、谷口雅春先生を学ぶ会の「聖使命菩薩会」であると思っています。

しかしこれこそ、虚構を虚構だとその実相を知り、真実を真実であるとその実相を知ることが大切であると思います。

実相世界においては、大調和なる生長の家ですが、新天新地の神示解釈が書かれた当時の教団と、雅宣総裁率いるいまの教団の状況は違う事を、認識することが大切だと思います。

雅宣総裁の進む方向性が違うからこそ、総裁はその解釈の御著書を絶版にされていると思います。

しかしながら、再びこの御著書が万人の眼に触れる日が来る事を、心より願っています。

3085復興G:2013/10/05(土) 21:27:58 ID:AB6RqYXc

 このweb誌友会は、己を空しくして 『生命の實相』 の御教えを学ぶ勉強をしたいと思っています。そこに神様が天降ると信じています。

 ここweb誌友会では、「“教団擁護派” も “分派” もない、“神の子” の集いとして、心を空にして神様のお導きを受ける誌友会でありたい」 と、>>797でも書いておりました。

 その気持ちは、一貫して少しも変わっておりません。裸の神の子に立ち帰って学びたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

3087復興G:2013/10/05(土) 21:46:54 ID:AB6RqYXc

 ここは 『生命の實相』 をテキストにして真理を学ぶ場ですから、もうそれから外れたことは言わないことにしましょう。

 私は、>>3052
 >> 第18回web誌友会のテキストに入る前に、私の基本姿勢を明らかにしておきたいと思っています。
 ……それを、もう少し具体的に書いて、来週早々に発表します。<<

 と書いておりましたが、それを撤回し、何も書かずに、空っぽの心で 『生命の實相』 を学びたいと思います。

 明日は行事予定があり、これからその準備が必要ですので、来週月曜から私はテキスト 『生命の實相』 第5巻の勉強に本格的に取り組みたいと思います。

 よろしくお願いいたします。

3088神の子さん:2013/10/05(土) 22:04:32 ID:???
>>3087
全てが生命の実相に影響しませんか?

3089とある者:2013/10/05(土) 22:12:54 ID:Z6WT6I3k
ユタカさんの言い方で言うなら、
谷口雅春先生のご文章も「ぶったぎる」とややこしくなりますね。
今回のパテントの件は、最初に「新天新地の神示の解釈」を読んでもらうべきだったと思います。

3090マリーゴールド:2013/10/05(土) 22:43:40 ID:???

>>3088
神の子様

生命の實相は「真」でありますし、全てが生命の實相に影響し、繋がっていると、私も思います。

3091復興G:2013/10/06(日) 03:46:15 ID:AB6RqYXc


夜中に目が覚めて、ちょっとPCを開きました。

>>3088 :神の子さん様
>>3090 :マリーゴールド様

>>生命の實相は「真」でありますし、全てが生命の實相に影響し、繋がっていると、私も思います。 <<

――その通りでしょう。

では、何かおっしゃるとき、『生命の實相』 あるいは少なくとも 「聖典」 を典拠にして、説得力のあることを言ってください。根拠も典拠も示さずに、単なる感情論で何かおっしゃても、平行線をたどるだけで、不毛です。

3092復興G:2013/10/06(日) 03:54:56 ID:AB6RqYXc

>>3089 :とある者様。

>>今回のパテントの件は、最初に「新天新地の神示の解釈」を読んでもらうべきだったと思います。<<

そうでしたね。ありがとうございます。

3093ユタカ:2013/10/06(日) 08:01:22 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま みなさま

復興Gさま投稿文を誤読してしまい申し訳ありませんでした。
火曜日にゆっくり読み返したいと思います。 

それではーー、いってきまぁ〜す。

3094ユタカ:2013/10/06(日) 08:15:41 ID:R1D4Jmeg
それから、

またこれから勉強会が始まりますので、勉強会に関係ないことは別版に移動して話して下さい。
復興Gさまもここで今回や次回のお勉強会に関係ない発言にはスルーをお願いします。 必要なら別版でお願いします。

ここは神聖なお勉強版でいきましょう。 今回のことはごめんなさい。

ユタカが震源です。。。 部室かどこかへ移動いたしませんか?

3095復興G:2013/10/06(日) 08:25:37 ID:AB6RqYXc

>>3083 :マリーゴールドのご発言は、せっかく書いて下さったのですから、お答えをしようと思いますが、今日は忙しいので、明日に。

ユタカ様、ありがとうございます。

3096神の子さん:2013/10/06(日) 09:19:34 ID:???
>>3094
新天新地の神示の解釈の論議は、神聖ではないということでしょうか?

3097志恩:2013/10/06(日) 09:49:42 ID:.QY5jUA6
光明掲示板 第一に

コスモス様が謹写されておられますので、
転載させて頂きます。


【大聖師 谷口雅春先生御著 『神ひとに語り給う』神示講義 教えの巻 

 「新天新地の神示」】
 
第29回 教えの根本である神示の御講義 
<運動の拡大につれて>
「凡ての民族がこの教えによって救われるのである、
そういう意味がこの神示に示されているのであります。」

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=324

3098志恩:2013/10/06(日) 11:22:49 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

>>3094 名前:ユタカ 投稿日: 2013/10/06(日)

またこれから勉強会が始まりますので、勉強会に関係ないことは別版に移動して話して下さい。
復興Gさまもここで今回や次回のお勉強会に関係ない発言にはスルーをお願いします。
 必要なら別版でお願いします。
ここは神聖なお勉強版でいきましょう。<< 
......................................
ということですので、
私は、web誌友会板を、繰ってみたのですが、
「勉強会に関係ない」ことを書いたのは、私が、投稿文の中で書きましたジュリーは、
何者かということを、ご存知無い人のために貼ったジュリーの動画だけのようにおもうのですが、
その他は、どれもこれも、勉強に関係のある投稿文ばかりですけれど、

私が、投稿しました以下の訊けさんとのやり取りも、
web誌友会の勉強会に関係のあるものでしたので、ここへ貼ったのです。

>>3033
>>3034
>>3035

ところが、この私の投稿文の直後に、
復興G様は、次のようにコメントを書かれておられるのです。

......................................

>>3038 :復興G:2013/10/03(木) 11:45:58 ID:AB6RqYXc

 ここは 「web誌友会板」 です。

 『生命の實相』 をテキストにして、第1巻から順に、
谷口雅春先生のお説きくださった生長の家の真理を深くしっかりと学び、
生活に実践しましょう、ということが目的です。

単なるおしゃべりは、他の板でしていただきたいと思います。<<

..........................................

これは、あきらかに、訊けさんと私へのコメントですよね。
私は、web誌友会に関係する話題でしたので、真面目な気持ちで書き込んだのです。

それに対して、復興G様は、投稿者の私に対して

「単なるおしゃべりは、他の板でしていただきたいと思います」ともうされたのでした。

私は、このご感想に ずっこけました。

私が、単なるおしゃべりで書いたのかどうか、>>3033~>>3035まで、
ユタカ様、どうか、再読して下さいませんか。

3099志恩:2013/10/06(日) 11:39:03 ID:.QY5jUA6
復興G様

> >>聖使命会員は谷口雅春先生からパテントを譲られた、
人類光明化運動の株主なんだ。だから、役員が株主のいうことに耳を傾けるのは当然だと思っていますから。>>

のことが書かれている
雅春先生のご文章を、>>3079:に謹写してくださいましたが、
このご文章を拝見する限り...

>>聖使命会員は谷口雅春先生からパテントを譲られた人類光明化運動の株主なんだ。<<

という意味のことは書かれてありますが

>>だから、役員が株主のいうことに耳を傾けるのは当然だと思っていますから.<<

という意味の言葉は、見当たらないのです。

つまり、株主である聖使命会員のいうことを、役員(上の役職のひと?)は、耳を傾けるのは、
当然だ..という意味の事は、どこに、書かれてありますでしょうか?

私は、どこか、探しましたが、分かりませんでしたので、再度、教えて下さいますようにお願いします。

3100a hope:2013/10/06(日) 21:53:59 ID:Zlo2YeaM

みなさま こんばんは

わたしはここのところ、web誌友会のテキスト範囲の部分の聖典のお勉強しかしていませんでしたが、
今日は以前は難しくて良く理解できなかった「万教帰一篇」を拝読し直してみました。
そしたら、ものすごくよく理解できるようになっていて、自分自身でも驚いています。

わたしは今まで、17回にわたるweb誌友会で1回もお休みすることなく真剣にお勉強してきました。
それは復興Gさまのご指導があったからこそで、心からの感謝の気持ちが湧いてきました。
復興Gさまは、素晴らしい「生長の家」の指導者であると思います。


ですが、今回はマリーゴールドさまや、志恩さまのおっしゃっていることにも同感できるのです。

教団を去られた先輩方は、現教団で大変つらい目にあわれて、とても悩まれて、大決心の上に教団をさられた。
そして、雅春先生のご遺志を継ごうと、神の御心に沿おうとご自分の生活も顧みないで頑張って運動されている。

そのお姿には、ご自分の信仰心を貫こうとされる神聖さを感じます。
決して、「迷いの自壊作用などではない」と思います。

わたしは、教団を離れても、雅春先生の教えを必死に守ってくださっている先輩方のことも復興Gさま同様、
心から尊敬させていただいています。

みな、「生長の家の教え」が大好きなのですから、『御教えの基本』に戻ればきっと一つになれるとわたしは信じています。

3101ユタカ:2013/10/06(日) 22:47:09 ID:R1D4Jmeg
志恩さま、

今回は私が本部の件でいろいろな発言があったと思っていますので、勉強会の範囲の話題ではないと思います。

読み直す時間は今はありません、申し訳ありません。 次回のテキストの範囲での勉強会でここの版は使わせてください。

そして今の話の続きは別版でお願いします。

3102復興G:2013/10/07(月) 07:14:01 ID:AB6RqYXc

 皆々さま、おはようございます。ありがとうございます。

 にぎやかにいろいろご発言頂いているようですが、もう一度根本真理から考えてみましょう。

   「神こそ渾(すべ)ての渾て、
   神は渾てにましまして絶対なるが故に、
   神の外にあるものなし。
   神は実在のすべてを蔽う。
   存在するものにして
   神によって造られざるものなし。」
    (聖経『甘露の法雨』)

 ――それが実相であり、

 「迷いなし、罪なし、病なし。これが生長の家の根本真理であります。」
 (谷口雅春先生最期のお言葉)

 が根本真理であります。

 この根本真理から言えば、「迷いの自壊作用」 ということも非存在であり、端的に言えば、「無い」。

 あるのは神の光の進軍ばかりである。それが実相であり、実相以外は存在しない。

 しかし、それが時空間のスクリーンに投影される (目に見える、五官で認識される) のは、実相は無限であり、時空間の枠の中に限定された現象世界は有限の世界であるから、無限の実相はいっぺんに顕れ出てくるわけにはいかない。現象は本来無であり、夢まぼろしのような影に過ぎず、完全な実相が独在であるけれども、現象の側から見れば、実相の 「完全」 はまだ包まれた状態であります。

 だから、根本実相から言えば、現在の状態は 「迷いが自壊する過程である」 という、その状態は本来無であり、夢まぼろしのような影に過ぎず、総裁も、教団も、「本流」 の方々も、「和解」 を叫ぶ方々も、ことごとく 「無」 である。

 しかし、>>3054でマリーゴールド様は

>>本流たる 「光の進軍」(「生命の實相」を護る力)により、教団の迷いがボロボロ剥がれている現状こそが、いまの学ぶ会等の本流と教団ではないかと想うのです。<<

 とおっしゃっていますが、それはちょっとちがうでしょう。
 教団の迷いは、剥がれていないと私は思います。
 総裁や教団の 「迷い」 を、「あり」 としていくら指摘しても、全然剥がれる気配がない、というのが現状ではありませんか?

 もし、「このように教団の迷いが剥がれて実相が顕現してきた」 という実績があれば、教えて頂きたいと思います。

3103マリーゴールド:2013/10/07(月) 10:44:46 ID:???

 復興G様

 お早うございます。有難うございます。
 復興G様が>>3102で以下のように仰っておられます。

>>総裁や教団の 「迷い」 を、「あり」 としていくら指摘しても、全然剥がれる気配がない、というのが現状ではありませんか?

 もし、「このように教団の迷いが剥がれて実相が顕現してきた」 という実績があれば、教えて頂きたいと思います。 >>

 私は>>3054において以下のように発言しました。

 >>一言で申し上げれば、本流たる「光の進軍」(「生命の實相」を護る力)により、教団の迷いがボロボロ剥がれている現状こそが、いまの学ぶ会等の本流と教団ではないかと想うのです。

 だからこそ、教団の中でも地域によっては、復興G様が仰るように、「生命の實相の勉強会をしないなら、役職を降りる」という役職者も現れ、生命の實相の勉強会も行われていることが実証済みである・・・ではないでしょうか?>>


 もう少し言葉を付け加えるならば、「光の進軍」たる学ぶ会等の本流の出現によって、生命の實相を真剣に学ぼう・・・実践しようという波が、あちらこちらで起ってきているということです。

 実相において「人間は罪なし、死なし、病なし、迷いなし、現象なし」の教えです。
 そして、実相顕現運動であると思います。

 本来ならば、真理がただしく継承されていくはずの、「宗教法人 生長の家」において、真理が正しく継承されていない(教団の方針が真理を伝承されていない)ことにより

 神の子の神性・仏性が、「生命の實相を学ぶ場所にいきたい」と願う篤き思いや信念が、

 教団を揺れ動かしているという姿に映っているというのが適当な表現かも知れません。

 私は、復興G様が

 >>総裁や教団の 「迷い」 を、「あり」 としていくら指摘しても、全然剥がれる気配がない、というのが現状ではありませんか?>>

 と仰っておられる、その通りだと思います。

 雅宣総裁は雅宣総裁の信念によって、いま現在の方向に進んでいらっしゃるのですから、その雅宣総裁のお考え自体に迷いや間違いがあるなんて表現は失礼ですよね。
 高天原になりませる、「生長の家」において、総裁が御自身のお考えをすすめられるから、「和解」なされていないのだと思います。
その「和解」なされていない原因により、雅春先生の数多くの御著書の絶版・鎮護国家外し等の諸々の姿として現われているのではないでしょうか。

 すみません。話が少し飛びました。

 総裁や教団の 「迷い」 を、「あり」 としていくら指摘しても、全然剥がれる気配がないのですから

 「教団の方針が、本来あるべき場所において、あるべき行動をとられていないが為に、本流等の光の進軍の出現によって、「神の子の神性仏性が、生命の實相の精神に返ろう」という動きにより、浄化が行われている・・・という意見に変更します。

 それから・・・

>>だから、根本実相から言えば、現在の状態は 「迷いが自壊する過程である」 という、その状態は本来無であり、夢まぼろしのような影に過ぎず、総裁も、教団も、「本流」 の方々も、「和解」 を叫ぶ方々も、ことごとく 「無」 である。>>

 とのことですが

 では、「無」であるから、真理のお勉強だけで、何もしないでいいとおっしゃるのでしょうか?

 現象処理は必要ではありませんか?

 本来「無」であるけれど、この目の前に展開される世界において、現象処理を通して、尊い神の愛を学び表現していくことこそ、実相顕現運動ではないでしょうか?

3104マリーゴールド:2013/10/07(月) 11:07:19 ID:???

「人類光明化運動のパテントは『聖使命会』に譲り渡した<全文>を、童子さまが謹写くださっておられます。

 http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=369

3107復興G:2013/10/07(月) 16:28:29 ID:AB6RqYXc

>>3103 :マリーゴールドさま

ありがとうございます。

>> 総裁や教団の 「迷い」 を、「あり」 としていくら指摘しても、全然剥がれる気配がないのですから
 「教団の方針が、本来あるべき場所において、あるべき行動をとられていないが為に、本流等の光の進軍の出現によって、「神の子の神性仏性が、生命の實相の精神に返ろう」 という動きにより、浄化が行われている・・・という意見に変更します。<<

 ――上記のお言葉は、ちょっと意味がよくわかりませんが、私は、ともかく << 「神の人類光明化運動に協力せよ」 と神示に書かれてあることを看過(みのが)してはならない>> という御教えを忘れてはならないと思います。

 そして、マリーゴールドさまは、

>> ……では、「無」であるから、真理のお勉強だけで、何もしないでいいとおっしゃるのでしょうか?
 現象処理は必要ではありませんか?
 本来「無」であるけれど、この目の前に展開される世界において、現象処理を通して、尊い神の愛を学び表現していくことこそ、実相顕現運動ではないでしょうか? <<

 とおっしゃっていますが、私たちは生きている以上、何もしないなどということはあり得ない。神の子として、内なる神の声を聴きながら、それぞれの信念に基づいて行動、運動をすることになるのでしょうが、その時に、正しい真理、生命の法則からはずれたやり方で行動していたら、とんでもないことになる可能性がありますから、まず私たちはしっかりと真理を学び、「神の子としての大自在の境」 に立つ――その勉強をする場がこのweb誌友会だと思うのです。

 今回第18回web誌友会のテキストである 『生命の實相』 第5巻の最初に 「序詩」 として 『天使の言葉』 が掲げられていますが、ここにも

<<……吾が言葉は吾が息の言ふ処に非ず、
  神、我れと偕にありて、
  吾れも亦吾が言葉の内に神の声を聞くなり。
  吾れは喇叭(らっぱ)なり。
  汝らよ――
  吾れ個神(ひとり)を善しといふ事勿れ。
  形に現れたる神を讃むること勿れ。
  吾に宿る善きものは皆普遍なる神より來る。
  汝ら吾が示すところの神を崇めよ。
  吾れを崇めよといふには非ず。
  吾れはただ天使(つかい)なり、
  吾れみづからの本性の神なることを観たれば、
  吾れ汝らの本性の神なることを悟らしめん。
  汝らの先づ悟らざるべからざる眞理は、
  『我』 の本体がすべて神なることなり。>>

 とあり、本文の最初には

<<人間は神の子である――これが 「生長の家」 の主張する根本自覚で、この自覚を 「中心自覚」 と申すのであります。

 なぜこの自覚を 「中心自覚」 と申しますかといいますと、この根本自覚は円の中心のようなものであって、この中心から外的な一切の善きものが流れ出でるからであります。この根本自覚が完全であればあるほど、この根本自覚が強烈であればあるほど、われわれに発現する知恵はいっそう明らかとなり、愛はますます深くなり、生きる力はいよいよ豊富となり、万事における能力は層一層旺んとなるのであります。

 神われに在(い)まし、われ神の内にあるがゆえに、すべてのこと、あらゆること、われに不可能なるものはない。これが 「中心自覚」 でありまして 「不可能という言葉を取り去れ。」 これが生長の家の生き方の最初の第一であります。>>

 とある。この自覚を深めることが根本である。
 私が

 >> 総裁や教団の 「迷い」 を、「あり」 としていくら指摘しても、全然剥がれる気配がない、というのが現状ではありませんか? >>

 と書いたことに対して、マリーゴールド様は 「その通りだと思います。」 と言われた。

 それは、私たちの根本自覚が足りなかったからではないか。改めて、謙虚な気持で真理の学びを深めたい。それがこのweb誌友会だと思っているわけです。

 今日は、友人に不幸があって、これおからお通夜に出かけますので、あとはまた明日に。

 ありがとうございます。

3108マリーゴールド:2013/10/07(月) 17:10:21 ID:???

復興G様

お忙しい中ありがとうございます。
ご友人のお通夜とのこと、寂しくなられたことでしょう。
お力落としのなきよう、お過ごしください。

3109akemi:2013/10/07(月) 17:32:43 ID:???
私は生命の實相が学びたくて、こちらのweb誌友会を何度か覗かせていただいていますが、長文が貼り付けられたりしてわかりにくく、結局はすぐ閉じて他のサイトへ移動してしまいます。
信仰レベルにも影響するのかも知れませんが、女子だけの誌友会があってもいいかなあと思います。

今回、志恩様とマリーゴールド様のコメントを拝読させてもらいましたが、とても納得できました。
うのはな様やa hope様にも参加いただいた美鳩誌友会を拝読させていただきたいものです。

谷口雅春先生が、相愛会・白鳩会・青年会と分けられたのは何か意味があるのですよね?

3110トキ:2013/10/07(月) 19:19:28 ID:ysttnhIA
 web誌友会板/2 に以下のご投稿を頂戴しました。ありがとうございました。

web誌友会については、復興G様のご意向を最優先にしていますので、トキとしてはすぐに
お返事が出来ません。ごめんなさい。

 ただ、個人的な意見ですが、輪読会など、名称と趣旨、場所を変えたら『別板」で開催される
のは問題はないかと考えます。

 以上、よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

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3109 名前:akemi 投稿日: 2013/10/07(月) 17:32:43 ID:???
私は生命の實相が学びたくて、こちらのweb誌友会を何度か覗かせていただいていますが、長文が貼り付けられたりしてわかりにくく、結局はすぐ閉じて他のサイトへ移動してしまいます。
信仰レベルにも影響するのかも知れませんが、女子だけの誌友会があってもいいかなあと思います。

今回、志恩様とマリーゴールド様のコメントを拝読させてもらいましたが、とても納得できました。
うのはな様やa hope様にも参加いただいた美鳩誌友会を拝読させていただきたいものです。

谷口雅春先生が、相愛会・白鳩会・青年会と分けられたのは何か意味があるのですよね?

----------------------------------------------------------------------------

3111マリーゴールド:2013/10/08(火) 07:48:21 ID:???
>>3107
復興G様

おはようございます。
私と復興G様の話が続くのはよくありませんから、少し意見を控えさせてもらおう思います。

一点だけ申し上げます。

>>>> 総裁や教団の 「迷い」 を、「あり」 としていくら指摘しても、全然剥がれる気配がない、 というのが現状ではありませんか? >>

と書いたことに対して、マリーゴールド様は 「その通りだと思います。」 と言われた。

それは、私たちの根本自覚が足りなかったからではないか。改めて、謙虚な気持で真理の学びを 深めたい。それがこのweb誌友会だと思っているわけです。>>

どうして、こういう復興G様の受け止め方になるのか、わかりません。
私は、「高天原なる生長の家にて、正しく真理が継承されていないと思う。雅宣総裁がされたい、環境問題を否定はしない。雅宣総裁は自分の意思を持って、環境問題に取り組んでいるのですから、その意思を迷いと表現してはいけない。しかし、雅宣総裁の方針を高天原なる生長の家で行うのは違う。それを生長の家で行う行為これこそ、和解ではない。」

と思っています。そして謙虚な気持ちで学ぶ場が、web誌友会と思っているわけではございません。これに関しては、この板で話す内容ではないので、発言は控えます。

3112「訊け」管理人:2013/10/08(火) 08:02:47 ID:???


>>マリーゴールドさん

 横切りしますが、以下の点、


>>>私と復興G様の話が続くのはよくありませんから、少し意見を控えさせてもらおう思います。<<<


 そうですね、よくないと思います。ですが、他板でつづけられてはいかがでしょうか。他板でこの話題を継続される分には、まったく構わないと思いますが。





追伸

 いや、貴女さまのご意見を読んでおりますが、多々「前後矛盾」がございます。少なくとも個人的には、そう思えます。語義の定義があいまいであるためでしょうか読み手からすれば、「御主張が矛盾してるな」というのが率直な感想です。たとえば「現象処理」と言われますが、定義はできておられますか?または、「雅宣総裁の路線も間違いではない」とのことですがご不満なのは「生長の家教団でそれを展開すること」のご様子ですね。ならばいったい、なにをすればよいのでしょう。「環境問題を生長の家教団でするな!」運動を、展開されるのですか。具体的にはそれ、どんな現象処理を考えられておられるのですか。また、


>>>そして謙虚な気持ちで学ぶ場が、web誌友会と思っているわけではございません。(マリーゴールドさまご発言)<<<

 も、よくわからない御意見です。そのまま読めば上記は、「『生命の實相』に基づかなくとも」とも読めるのですが、いかがでしょうか。以下の復興Gさまのご返答、

>>>私たちは生きている以上、何もしないなどということはあり得ない。神の子として、内なる神の声を聴きながら、それぞれの信念に基づいて行動、運動をすることになるのでしょうが、その時に、正しい真理、生命の法則からはずれたやり方で行動していたら、とんでもないことになる可能性がありますから、まず私たちはしっかりと真理を学び、「神の子としての大自在の境」 に立つ――その勉強をする場がこのweb誌友会だと思うのです。(復興Gさまご発言)<<<


 この御文章に対しての返信も一度、されたほうがよいと考えます。理由は述べたごとく、貴女さまの御主張は(語義定義があいまいで)受け手には、よくワカラナイ点があるのです。

3113マリーゴールド:2013/10/08(火) 08:33:22 ID:???

訊けさん

アドバイスをありがとうございます。
いま貴方様の疑問にお答えする余裕な時間はありません。

>>>>>そして謙虚な気持ちで学ぶ場が、web誌友会と思っているわけではございません>>

と申し上げたことについて、過去の志恩様と私の会話でその理由を述べております。
Web誌友会を否定しているわけではございません。
生命の實相こそ、神髄であると自覚しています。

3114復興G:2013/10/08(火) 10:12:04 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

マリーゴールド様との対話は、際限なく続きそうで、これはweb誌友会の中心課題から外れるように思いますから、

>>3112 :「訊け」管理人様のご提案

<他板でつづけられてはいかがでしょうか。>

に賛成です。


なお、>>3109 :akemiさまのご投稿、ありがたく感謝いたします。

なぜ 「ありがたく感謝いたします」 かと申しますと、いろいろ考えさせていただけたからです。

というのは、

① 私自身、ひとりよがりで 長文を貼り付けたりして、多くの皆さまにはわかりにくいということがあったのでしょうと反省できました。

② このたび ここでのささやかな体験から、いろいろな宗教宗派が分かれて出来て行く過程の 人の心の動きに、似たようなものがあったのではないか――と思われて、私自身、勉強になっています。

現在の生長の家教団と、「本流」(分派) が出来て行く過程の、双方の方たちの心情にも、いっそう想像力を働かせ思いやることができる私になりました。

そういうことが出来たのは、akemiさまのご投稿のおかげですので、ありがたく感謝いたします。

別板で、「美鳩誌友会」 とかを開かれるなら、それは管理人トキ様が 「問題はない」 とおっしゃっているのですから、おおいに結構なことだと思います。

こちらのweb誌友会は、今まで通り続けさせて頂きます。

ありがとうございます。

3115復興G:2013/10/08(火) 10:56:28 ID:AB6RqYXc

 テキスト 『生命の實相』 第5巻の 「序詩」 として掲載されている 「天使の言葉」 に、あらためて感動しています。

     * * * * * * *

  ……さて天使の言葉(みことば)はのたまはく――
  われは完(また)き神の啓示者なり。
  神の與へ給ひしところのものを
  吾れも亦汝らに與へん。
  神の語り給ひしところのものを
  吾れも亦汝らに語らん。
  吾れは創造主(つくりぬし)より遣(つか)はされたる者なり、
  吾れは創造神(つくりぬし)の道(ことば)なり、
  吾れは創造主(つくりぬし)の波動(ひびき)なり。
  吾れは創造主(つくりぬし)より來りて汝らを言葉にて照り輝かさん。
  創造主(つくりぬし)の光波(ひかり)は吾れにして
  吾が光波(ひかり)の射(さ)すところ
  暗黒(やみ)なく
  病(やまい)なく
  老(おい)なく
  死なし。
  信ずる者は限りなき生命を得て永遠に輝かん。
  我は創造主(つくりぬし)の言葉なればなり。……

     * * * * * * *

 ――わが魂は、打ち震えるのを覚えます。

 そしてまた、本日 謹写掲示させて頂いた榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動』 百五に、

<< 生長の家人類光明化運動そのものが神想観そのものであり、神想観そのものが生長の家人類光明化運動そのものであるのである。神想観なるものと生長の家人類光明化運動は離れた存在ではないのである。

 ここには 「祈り」 と 「運動」 との分離はないのである。生長の家人類光明化運動なるものは神であり、神想観なるものも神なのである。それはそのまま渾(すべ)ての渾てなのである。渾ての渾てなるものをよろこびというのである。「よろこびの神想観」、「よろこびの光明化運動」 などという言葉はここから出て来ているのである。>>

 とあることにも、すごいことだと感動し、讃嘆せずにはおられません。

 ありがとうございます。

3117復興G:2013/10/08(火) 12:10:19 ID:AB6RqYXc

 テキスト 『生命の實相』 第5巻 第1章に入る前の扉裏には、神示が一つ掲載されています。ここには題は付けてありませんが、「七つの燈台の点燈者の神示」 の一つである 「本来生、不滅の神示」 と後に名づけられた神示です。

     * * * * * * *

 物質の束縛に縛られざるものを人間と言うのである。真の人間は「神の子」であって物質ではなく、肉体ではない。肉体ではないから物質の世界に出入(しゅつにゅう)する事もない。物質の世界に出入する事がないから物質の世界より見れば人間は不生(ふしょう)である。不生であるから滅することも亦ないのである。

 物質界は念に従って生ずる念の映像なるが故に、従ってまた滅すれども、「人間」は本来物質界に生ぜざるを以て又滅すると言う事もない。

 人間は本来「生(しょう)」である。「滅(めつ)」に対する「生(しょう)」ではなく本来「生(しょう)」であるから、老なく、病なく、死なく、破壊がないのである。老とは「生(しょう)」の衰耄(すいもう)を言えども、人間は本来「生(しょう)」であるから衰耄せず老朽しないのである。衰耄は「生(しょう)」に非ず、人間に非ず。衰耄なきを「人間」と言い、老朽せざるを「人間」と言う。病なきを「人間」と言い、死なきを「人間」と言う。

 釈迦は「人間」の生老病死(しょう ろう びょう し)の四苦(しく)を見て出家(しゅっけ)したと言えども、釈迦はそのときまだ「人間」を見ていたのではない。念の影を見て「人間」と思い違いしていたに過ぎない。
 釈迦が此の世を見て無常(むじょう)と観じたのも「真の人間」の世を観たのではない。それは無明(むみょう)の投影の世を観て無常としたのである。

 真の人間は無常の中にあらず、肉体の中にあらず、人間は永遠不死、金剛身(こんごうしん)、実相身(じっそうしん)、清浄身(しょうじょうしん)である。

 人間は神の子なるが故に本来「浄」にして不浄ではない。人間を指(さ)して不生不滅不垢不浄(ふしょうふめつ ふくふじょう)と言うのは真相ではない。

 般若(はんにゃ)の思想は無常想から実有想(じつうそう)に到る過渡的思想であるから、不生不滅不垢不浄を説きたれどもこれは物質に譬喩(ひゆ)しての方便説である。

 人間は不生不滅ではなく、本来生(ほんらいしょう)にして不滅がその実相である。

 また人間は不垢不浄ではなく真清浄真無垢(しんしょうじょう しんむく)がその実相である。

 本来生、不滅、本来清浄真無垢なる人間の実相を知ったとき汝らは歓びに満されて手の舞い足の踏む所を知らないであろう。
  (昭和七年十一月二十五日神示)

     * * * * * * *

 ――皆さま、上記神示の意味、わかりますか?

 「本来生(しょう)、不滅、本来清浄真無垢(しょうじょう しんむむ)なる人間の実相を知ったとき汝らは歓びに満されて手の舞い足の踏む所を知らないであろう。」

 の意味です。

 私は、
 「人間は不生不滅ではなく、本来生にして不滅がその実相である。」

 という意味が、なかなかわかりませんでした。

 今でも、「完全に解った」 と言えるかどうか、疑問ですが、ご著書 『無限供給の扉を開く』 の中に

 <<現象時間は存在しない、従って非存在の現象時間の中にある事物も存在しない>>

 <<そうすると、吾々は今ここの自己の内に過去も現在も未来も把んでいるから、過現未が自分の掌中にあるのです。

 普通、過去は変化することが出来ないというけれども、過去も変化できる。そこから吾々は真理を自覚すれば過去の業を消すことが出来るということがわかる。>>

 とあるようなお言葉にびっくりしました。
 「普通、過去は変化することが出来ないというけれども、過去も変化できる」
 と言われるんですから。

 <つづきます>

3118復興G:2013/10/08(火) 12:42:04 ID:AB6RqYXc

 < >>3117のつづきです>

 そうして、『叡智の断片』 に

<< 時間空間の中に生命が生れて来るのではなくして、生命が時間空間をつくるのである。時間空間は吾が心の中にある。時間空間は生命の掌中にあるのである。>>

 とあるのを読んで、ハッと思いました。

 時空間が先にあって、その中に自分は○年○月○日に○○(場所)で生まれたのではなく、自分が時空間を創りだした、時空間の創り主だったのだ!

 だから、『日々読誦30章経』 九日の経言(のりごと)
「自己を偉大にする言葉」に

<< 吾れは吾が心のうちに広大無辺なる宇宙を蔵する。星をみつめて佇(たたず)む吾れは見詰めらるる星よりもなお広大なのである。

 吾れは吾れのうちに星を理解する類(たぐい)なき能力(ちから)のある事を見出すのである。吾れは空の星以上のものである。何故なら吾れは彼等を理解すると同時に、自分をも理解するからである。

 吾れは天に在(ましま)す神々の如くに造られたのである。吾れは星の軌道を闊歩(かっぽ)する偉大なるものなのだ。吾れは主の如く永遠の道を歩む者なのだ。

 吾れ心を有するが故に、吾れは世界の王者である。いま吾れは吾が仕事の上に王者としての第一歩を踏むのである。

 吾れは星よりも大なるが故に此の宇宙を造れる力と同じものなのである。然り、吾れは宇宙を造れる力と一体なのである。

 いま吾れは凡ゆる種類の恐怖と弱小と卑陋(ひろう)とを超越して生活する。吾れは空の星に比肩(ひけん)せらるべきものである。吾れは、大地をつくり、天空を支えたまう神が、吾れを安固(あんこ)に保護したまうことを信ずるのである。それ故に吾はこころ安らかである。地の造り主、天の造り主と吾れは眞(まこと)に一体である。御親神様に感謝いたします。>>

 というお言葉も出てくるんだ。

 ――そう思った時に、雲は晴れて、「本来生・不滅」 のすごい自分というのが自覚でき、「手の舞い足の踏むところを知らず」 という うれしさを感じたのでした。

<<現象の流れの中にあるものは、全部こうして自分の内に “心のハンドル” をもって把んでいるんですから、吾々が欲して変化できぬものはない。吾々は、現象に対しては幻術師の立場にある。現象は仮現であって、心の現すところであるから、心によって自由に変化することが出来るのであります。

 未来のすべての時間がその内に握られており、そこから過去・現在・未来が発して来るところの “本源の今”、“源(みなもと)の今” “永遠を内に含む今” を自己の掌中に握ることであります。この “永遠を内に含む今” が “永遠の今”、“今即久遠(いまそくくおん)”、“久遠即今”、“未発の中(みはつのちゅう)” というものなんです。>>

 と、 『無限供給の扉を開く』 には、>>3117で謹写掲示させて頂いたご文章に続けてご教示下さっています。

 私は今、この 「本来生、不滅」 が本当の自分であると確信でき、大安心で、年齢を超えて無限力を出しながら感謝、感謝で生かされています。ありがとうございます!

3119復興G:2013/10/08(火) 13:14:21 ID:AB6RqYXc

 さて、本文第1章は、23頁から始まります。

 その冒頭に、次のご文章があります。

     * * * * * * *

   人間は神の子

 人間は神の子である――これが 「生長の家」 の主張する根本自覚で、この自覚を 「中心自覚」 と申すのであります。

 なぜこの自覚を 「中心自覚」 と申しますかといいますと、この根本自覚は円の中心のようなものであって、この中心から外的な一切の善きものが流れ出でるからであります。

 この根本自覚が完全であればあるほど、この根本自覚が強烈であればあるほど、われわれに発現する知恵はいっそう明らかとなり、愛はますます深くなり、生きる力はいよいよ豊富となり、万事における能力は層一層旺(さか)んとなるのであります。

 神われに在(い)まし、われ神の内にあるがゆえに、すべてのこと、あらゆること、われに不可能なるものはない。これが 「中心自覚」 でありまして 「不可能という言葉を取り去れ。」 これが生長の家の生き方の最初の第一であります。

     * * * * * * *

 ありがとうございます。

 私ばかりしゃべっているのでは 「独演会」 になり、「誌友会」 でなくなってしまいますから、私はこれで黙りまして、皆さまの積極的なご投稿をお待ちします。

 ありがとうございます。

3120トキ:2013/10/08(火) 20:32:49 ID:0V2GJHtc
 復興G様、ご指導をよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

 先日、他府県に転居された信徒さんからメールがあり、自分の近所の人が霊的な事で悩んでいるが、
どうしたら良いだろう、という質問を受けました。私は自分の意見を述べると同時に、生長の家宇治
別格本山の体験談集「宝蔵」を何冊か送りました。たいへん喜んでおられました。

 その時、実は、意図して『宝蔵」を送ったのではなくて、自宅の整理をしていたら、『宝蔵」が何冊
か出て来て、どうしたものか、と思案していたのです。すると、その他府県の友人からメールが届き、
偶然、目の前にあった『宝蔵」を送りつけたのです。その後、詳しく尋ねると、その友人は朝と夜に
きちんと神想観を続けており、そのときも祈っていたのです。

 復興G様のご文章を拝読し、この話を思い出しました。

 やはり、波長というか、通じるものがあるのだなあ、と感じた次第でありました。

3121a hope:2013/10/08(火) 21:08:54 ID:Zlo2YeaM

復興Gさま、みなさまこんばんは。 

わたしは、前回のweb誌友会のとき、>>2842で「菩薩の慈悲の心」について復興Gさまに質問させていただきました。
復興Gさまのご指導内容を何度も読み返して、やっと自分なりに理解できてきたのでご報告させていただきます。


<<実相世界はいつ何時でも完全円満なわけですが、現象は悲惨なことも多いです。
雅春先生もその現象を見られて、慈悲の心を起こされて光明化運動を始められたのでしょう?
この菩薩の慈悲の心とは、実相の心なのでしょうか?
それとも、現象の心なのでしょうか?
菩薩の慈悲の心について、教えていただけるとうれしいです。 >>


というのが、わたしの質問でした。

それに関して復興Gさまから、>>2847 >>2849 でテキスト中のご文章や、雅春先生がお悟りになったときのご文章を紹介してくださり、その後、>>2850


<<先生は、まず現象を見られて、慈悲の心を起こされても、「現象なし、実相独在」 の真理をお悟りになるまでは、ご家族(輝子奥様・恵美子お嬢様)をすら、救うことが出来なかったのです。>>
<<先生は、まず現象を見て慈悲の心を起こして光明化運動を始められたのではなかった。>>


というとても意味深いお返事をいただきました。
(つづく)

3122a hope:2013/10/08(火) 21:10:00 ID:Zlo2YeaM

(つづき)
そしてさらに、雅春先生の「生長の家発進宣言」と「発進宣言」 の前のお言葉を紹介してくださり、


<<――こうして見ますと、「発進宣言」 だけ読むと悲壮感をもって書かれているような感じを受けますが、その前のご文章を読みますと、そうではなく、「実相独在」 の境地から深い愛と智慧と歓びの情熱をもってこの創刊号が編集発刊されていることがわかります。>>


と、ご指導いただき、最後に>>2851で、


<< 先生は、「肉体はないのである」 というご自覚から、「久遠の今・此処・われ」 「一切は自分である」 という 「大慈悲」 の心、「実相の心(われ)」 に立って、菩薩行を続けられた。
それは、仏道で 「証上(しょうじょう)の修(しゅう)」 と言われる 「悟ってからの精進」 としての菩薩行であられたわけです。
だから、「自分の有(も)つてゐる限りの火で人類を救はねばならない」 とおっしゃっても、それは今回のテキスト173頁のご指導――

<<「救う救う」 といいますけれども 「救ってやる」 という心では本当は人を救うことはできないのです。
「救ってやる」 という心の中には自分は彼より偉いところにいる、高いところにいるという慢心がある。
そして相手に対しては 「お前はわたしに救ってもらわなければ生きられない憐れな奴だ」 という軽蔑がある。
この自己慢心と相手軽蔑とがある以上は本当は相手を救うことができないのです。
本当は相手を救うということは、相手を軽蔑して何かを与えるということであってはならないのです。
相手の神性をみる、相手を尊敬して相手の内に隠れている神性を拝み出し、本当の強い立派な相手を内から目覚めさせてあげるのが本当の救いなのです。≫
(『生命の實相』 第4巻 173頁)

――とご教示くださっていますように、先生が発進宣言で 「人類を救はねばならない」 とおっしゃったのは、現象を見て、人類を下に見ておっしゃったのではなく、人類みな本当は神の子であるという 「拝み」 の心、「わが業はわが為すにあらず、天地を貫く祖神(みおや)の権能(ちから)」 という自覚の心、空っぽの謙虚な心をもっておっしゃっているのだと思います。
私たちも、谷口雅春先生から「皆さんが谷口雅春である」 と言われたのですから、そのように生きることが、信徒の務めであり、それが「信徒ひとりひとりの法燈継承」 ということであろうと思います。 >>


とお答えいただきました。
(つづく)

3123a hope:2013/10/08(火) 21:10:50 ID:Zlo2YeaM

(つづき)
何度も読み返して、やっと理解できてきたような気がしています。

要するに、谷口雅春先生は「生命の實相」をまことに悟られていた。
そして「大慈悲」の心=「実相の心(われ)」に立って「人類光明化運動」をされていたということですね。

わたしは、「悪なし」「現象なし」の「生長の家の教え」を説いた雅春先生ががなぜ、現象問題に対応した人類光明化運動を始められたのか、
今までずっと疑問に思っていましたが、その答えがやっと理解できそうです。

つまり「人類光明化運動」とは実相世界を悟られた雅春先生が『実相世界の素晴らしさを現象世界に顕現させるために、深い愛と智慧と歓びの情熱をもって起こされた運動』ということになりませんか?

だから、雅春先生がいらっしゃらない今、わたしたちがまことの「人類光明化運動」をしていくためには、
わたしたちひとりひとりが「実相世界の素晴らしさ」をまことに悟って、
深い愛と智慧と歓びの情熱をもってしていかなければいけない、ということなのではないでしょうか?

それが、わたしたちが目指している「信徒ひとりひとりの法燈継承」の本当の意味なのではないでしょうか?
(つづく)

3124a hope:2013/10/08(火) 21:11:36 ID:Zlo2YeaM

(つづき)
復興Gさまが、>>2847で紹介してくださったテキストのご文章に

『人間はなにができなくとも自分の価値は不減不耗(ふげんふこう=すりへることがない)の神性である事実が第一なのです。
それがわかればなにもしなくともよい、人を救わなくともよいというのではないのです。それがわからなければ第一自分が救われていないのです。
「生長の家」の「智慧の言葉」に「自分に深切であれ」という言葉がある。自分が救われなければ、他を救うことがわからないのです。
救われたという状態はどんな状態だということがわからなければ、本当に人を救われた状態に導くことができないのです。盲目の手引きでは救いに導いているつもりで、かえって河の中へ引きずり落すかもしれないのです。・・・』

とありますが、この意味もやっと分かったような気がします。

他を救うためには、まずは自分が救われていなければ(神性自覚がなければ)、それは盲目の手引きとなり、相手を不幸にしてしまう可能性もあるというわけですね。

復興Gさまの素晴らしいご指導に心から感謝します。 合掌。

3125復興G:2013/10/08(火) 22:11:45 ID:AB6RqYXc

a hopeさま

真心こめて精読してくださって、本当にありがとうございました。

>>つまり「人類光明化運動」とは実相世界を悟られた雅春先生が『実相世界の素晴らしさを現象世界に顕現させるために、深い愛と智慧と歓びの情熱をもって起こされた運動』ということになりませんか?

だから、雅春先生がいらっしゃらない今、わたしたちがまことの「人類光明化運動」をしていくためには、
わたしたちひとりひとりが「実相世界の素晴らしさ」をまことに悟って、
深い愛と智慧と歓びの情熱をもってしていかなければいけない、ということなのではないでしょうか?

それが、わたしたちが目指している「信徒ひとりひとりの法燈継承」の本当の意味なのではないでしょうか?<<

その通りだと思います。それは、常住座臥、つねに神想観の境地で行くということ。

それは、榎本恵吾先生が、web誌友会参考文献板の百五で、

<<生長の家人類光明化運動そのものが神想観そのものであり、神想観そのものが生長の家人類光明化運動そのものであるのである。神想観なるものと生長の家人類光明化運動は離れた存在ではないのである。>>

と書かれている、すごいことなんですね。

「法燈継承」 とは、言うは易くして、すごい霊的・精神的には高度なことが求められていると思います。

それだけに、やりがいのあることですね。

合掌

3126復興G:2013/10/08(火) 22:16:12 ID:AB6RqYXc

>>3120 :トキ様

素晴らしいお話ですね。

>>その友人は朝と夜に
きちんと神想観を続けており、そのときも祈っていたのです。<<

だから、そのようなことができたのですね。感動しました。

3127a hope:2013/10/08(火) 23:12:51 ID:Zlo2YeaM

>>3125復興Gさま  

お返事ありがとうございます。

大熊先生もご自身のブログで、雅春先生の「人間そのものの発見とその自覚」を紹介されて、
「実相を喜ぶこと」の大切さと神想観の大切さを教えて下さっています。

http://blogs.yahoo.co.jp/warai88warai88/MYBLOG/yblog.html

以下、ご紹介させていただきますね。



「神は普遍者でありますから、 山へ行く必要はない。」

生長の家創始者 谷 口  雅 春先生

--------------------------------------------------------------------------------

 山に篭り断食などしていると、山に浮浪しているような野天狗とかいうようなつまらない種類の霊魂にひっかかったりして、その結果、ちょっとぐらいの第六感が働いて霊眼あひらいて霊の姿や霊界の一部が見えたり、或は天言通を得たとか言って、『神様の言葉』を自分でしゃべるとかいうような境地になる人もあります。

けれども、それは霊的感受力が鋭敏になった結果、一種の霊媒状態になったのであって、自分の実相が神であるという実相の神性を覚ったという状態ではないから、その霊の示すところにだまされて脱線する危険性が非常にあるのであります。

ですから、山へこもって断食水行をするとかいうようなことはしない方がいいのであります。

神は普遍者でありますから、山へ行く必要はない。 

悟るためにはやっぱり神想観をするのが一番いいのであります。


  「人間そのものの発見とその自覚」 90p



別に「森の中のオフィス」の批判ではないのである。
森のなかでなければいけないなどというのは、生長の家の発想でもなければ、考え方でもない。
したがって、そういうような御発言は「総裁先生」「幹部」「理事参議先生」にもないであろうと思う。
たまには森の中に行くこともいいし、オリンピックを深く考える事もよしである。
ただ、まず、実相を喜ぶこと。これが生長の家の生長の家たる所以であろう。

3128ユタカ:2013/10/09(水) 00:08:07 ID:R1D4Jmeg
素晴らしい!a hopeさまが出ていらしてくれて、また、純粋に実相研鑽の雰囲気が出て嬉しいです!

a hopeさまが前進されている様子がありありと伝わってきてとても嬉しいです。



ユタカの今日の実相の喜びは、「光のある内に」P、11 

人間は本来神の子であって、神の世継として、神の全財産をゆずられている。 神の全財産とは全宇宙のことです。

全宇宙のすべての宝が自分の中にあるんですから、これ以上、何も外に求めることはない。 みんな自分のうちのある。

ですから人間はただ喜ぶことしかないんです。

ただ与えることしかないんです。

だから私たちは本来喜びの歌をうたうしかないんですね。 そして喜びの歌を歌えば、どんどん喜ぶべき世界が展開してくるんです。


今日、学校に早めについてここを読みまして、心が明るく光輝きました。

教団も本流もつべこべ言わず、自分の実相をもっとよく知って『喜べ!』つーーーの!

喜んだら喜ぶことが増えんでしょ! 喜ばないと、損!損!


実相の内容をこのWEB誌友会でもっともっと深く勉強していきたいです。

3129復興G:2013/10/09(水) 07:03:00 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

昨夜私は23時過ぎにパソコンを閉じました。

その後に a hope様・ユタカ様が、また嬉しい貴重な投稿をして下さってたんですね。

ありがとうございます。

>>3127 :a hopeさま。

大熊講師がブログで、雅春先生の「人間そのものの発見とその自覚」を紹介されて、
「実相を喜ぶこと」の大切さと神想観の大切さを教えて下さっていることを教えて下さって、ありがとうございました。


神は普遍者でありますから、山へ行く必要はない。 

悟るためにはやっぱり神想観をするのが一番いいのであります。

――まったく、その通りだと思います。ありがとうございます!

>>3128 :ユタカさま。

「光のある内に」 から、ほんとうに嬉しくなるご文章を教えて下さって、ありがとうございます!

人間は本来神の子であって、神の世継として、神の全財産をゆずられている。 神の全財産とは全宇宙のことです。

全宇宙のすべての宝が自分の中にあるんですから、これ以上、何も外に求めることはない。 みんな自分のうちのある。

ですから人間はただ喜ぶことしかないんです。

ただ与えることしかないんです。

なるほど。このことを、忘れないようにしましょう。たとえ、自分の名前を忘れてしまっても、ね。

ありがとうございます!

3130ユタカ:2013/10/10(木) 04:52:06 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。

『光のある内に』のユタカの謹写させて頂いたご文章は

各自暗記して常に唱えるといいと思うほど、生長の家を代表する言葉です。

今日から皆様、暗記して常に唱えましょう。

WEB誌友会では”明るい言葉をで明るい話題で前進しよう”!!

ありがとうございます!

3131ユタカ:2013/10/10(木) 04:59:42 ID:R1D4Jmeg
明るい言葉で明るい話題で前進しよう!

この御言葉をコピーして、伝道にも役立ちます。 どんどん配布して自宅で実相輪読会などをしよう!

喜びが喜び連れてやって来る! 神愛充満!万歳! WEB誌友会万歳!

復興G様 万歳!!

3132ユタカ:2013/10/10(木) 05:05:12 ID:R1D4Jmeg
この御言葉とは

『人間は本来神の子であって、神の世継として、神の全財産をゆずられている。 神の全財産とは全宇宙のことです。

全宇宙のすべての宝が自分の中にあるんですから、これ以上、何も外に求めることはない。 みんな自分のうちのある。

ですから人間はただ喜ぶことしかないんです。

ただ与えることしかないんです。

だから私たちは本来喜びの歌をうたうしかないんですね。 そして喜びの歌を歌えば、どんどん喜ぶべき世界が展開してくるんです。』


上記のことです。 何度読んでも、うれしい!! 嬉しい!! ありがたい!

体からエネルギーが漲ります!

今日も一日神の子として力いっぱい元気で行きましょう!!

3133ユタカ:2013/10/10(木) 05:08:35 ID:R1D4Jmeg
神様が谷口雅春先生を通して譲られたパテントとは

上記のことだと思うのです、ユタカの世界では。。。

3134復興G:2013/10/10(木) 07:58:23 ID:AB6RqYXc

ユタカ様、ありがとうございます!

皆さま、ありがとうございます!

テキスト 『生命の實相』 第5巻の 「はしがき」 の最後に、

「わたしはすべての人類がこの宗派を超越して、すべての宗教に内在する唯一の共通的真理に触れられ、世界の万教が仲よく手をつなぐ時期の来るであろうことを待ちのぞむとともに、本書に掲げられたような無数の奇跡とも見えるごとき生活改善の実をあげられるよう希望するものである。

天国はこの普遍の唯一真理をわがものとする人の掌中にあるのである。」

とあります。

この真理を、簡単にわかりやすく表現されたのが、ユタカさんの掲示して下さった言葉でしょうか。

ありがとうございます!

3135復興G:2013/10/10(木) 09:17:42 ID:AB6RqYXc

 ユタカさんの掲示して下さった言葉は、>>3119 に謹掲させていただいた第5巻第1章冒頭の

<<   人間は神の子

 人間は神の子である――これが 「生長の家」 の主張する根本自覚で、この自覚を 「中心自覚」 と申すのであります。

 なぜこの自覚を 「中心自覚」 と申しますかといいますと、この根本自覚は円の中心のようなものであって、この中心から外的な一切の善きものが流れ出でるからであります。

 この根本自覚が完全であればあるほど、この根本自覚が強烈であればあるほど、われわれに発現する知恵はいっそう明らかとなり、愛はますます深くなり、生きる力はいよいよ豊富となり、万事における能力は層一層旺(さか)んとなるのであります。>>

 を、別の表現にされた言葉でもあろうかと思われます。

 また、

<< かく、われわれは自己の懐中に、すなわち自己自身のうちに無限の生命力または能力の出口を有するのであります。それだのにわれわれはなぜそれを他に対して求める必要がありましょうぞ。外にこれを求むれば求むるほど自分の内に口を開いている無限能力を忘れることになり、自己の内から溢れ出る無限健康力を忘れることになるのであります。>>
 (24頁最後の行から25頁の前3行)

 そして、

<< 自己の内部に頼り切れ

 ……いろいろの外部的力を借りて自分または他人の生きる力を増加しようと望むことは、自分の懐中に無限億万円をもっていながら他に金を借りに歩くのと同じことです。
 他に金を借りて歩けば、貸してくれた額だけの使用価値はありますから、それは決して無効ではありません。生気術は生気術だけの効力があり、気合術は気合術だけの効力があり、手のひら療治は手のひら療治だけの効力がありますが、ただそれだけです、他の力に依頼し、一時は急場の助けになっても、生命が依頼心を出したというだけその人は今後の生命の発現力が弱るのであります。>>
 (26頁後ろ5行〜27頁最初の2行より)

 とあるテキストのご教示も、冒頭の 「中心自覚」 から出てくることなのですね。

 皆さま、それについて何かご体験やご感想があれば、教えていただきたく思います。

 ありがとうございます。

3136トキ:2013/10/10(木) 21:16:31 ID:Loop7dac
 これは、私が青年会時代に会った真言宗のお坊さんの話です。

 そのお坊さんは、たいへん霊能力の強い人で、予言などもかなりの確立で的中させるそうです。
それで、ビジネスをしている人などが、経営判断などを聞きに来るそうです。が、それが行き過ぎて、
何かあると、すぐに予言を聞きに来る人ばかりになったそうです。また、そうなると、努力しないの
で、かえって商売が傾いた人が増えたそうです。

 結局、そのお坊さんは、『自分は、人助けのつもりで霊能力を使ったら、かえってその人を堕落さ
せ、不幸にした」というので、霊能力を封印した、という話をされていました。本来の仏道修行では
なくて、目先の利益ばかりを追いかける人になったそうです。

 そのお坊さんの話では、本当は、そんな霊能力に頼るのは間違いで、自分が努力し、修行するのが
王道なのだ、と話していました。

 依頼心を出すのは、魂の修行にとっては邪道なんですね。

3137復興G:2013/10/10(木) 21:43:26 ID:AENtSm/U

>>3136 :トキさま

「本来の仏道修行ではなくて、目先の利益ばかりを追いかける人になった」

というのは、そのお坊さん自身ですか、それとも経営判断などを聞きに来た

ビジネスをしている人ですか?

3138トキ:2013/10/10(木) 21:55:03 ID:Loop7dac
>>3137

 失礼しました。

 そのお坊さんを慕って、お寺に、おおくの真言宗の信徒が来たらしいのですが、その信徒が
霊能力のすごさに幻惑され、本来の心の修行を怠り、『次のビジネスはどうしたらいいだろう?」
『自分の息子の入試がうまくいくように、祈祷してくれ」という依頼ばかりで、仏道修行につい
て、誰も興味を持たなくなったみたいです。そのお坊さんは、本来は仏道修行を信徒にしてもら
いたくで、超能力はあくまでも人集めの手段と思っていたので、がっかりしたそうです。

 なお、余談ですが、そのお坊さんは、生長の家を高く評価されておられ、甘露の法雨を一読
して、『(真言宗の奥義と)いっしょですね」と話しておられました。

3139トキ:2013/10/10(木) 22:01:18 ID:Loop7dac
 つまり、本来はその人が自己内在の能力を発揮して、人生をすすむべきなのに、
外部の霊能力者に頼ると、一時はよいように思えても、依頼心が増えて、その人の魂の
向上にならず、結局、その人のためにならないのですね。

 真言宗に限らず、誌友会にはよくお坊さんや神主さんが内々で参加されたのですが、
印象に残ったので記憶しています。

3140ユタカ:2013/10/10(木) 22:25:47 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
>>3134 そうですね、その通りだと思います。

ただ与える事だけを考えていたら、闘争などは起こってはこないのではないでしょうか?

話が突然変わりますが、そう考えると日本は現在陰辱の徳を積んでいると仰った、二葉美代先生の言葉がふと浮かんできました。

生長の家もこれからますます、素晴らしくなりますね。 

ただ、与える事だけ でいいのですね。 自分の人生もただ与える事だけにしようっと! なんて素敵なことでしょう!

3141復興G:2013/10/10(木) 22:36:21 ID:AB6RqYXc

トキ様

ということは、

「本来の仏道修行ではなくて、目先の利益ばかりを追いかける人になった」

というのは、そのお坊さん自身ではなくて、経営判断などを聞きに来た

ビジネスをしている人ですね。

ありがとうございました。

3142復興G:2013/10/10(木) 22:45:25 ID:AB6RqYXc

>>3140 :ユタカさま

「陰辱の徳」 は 「忍辱(にんにく)の徳」 でしょうね。

<<ただ、与える事だけ でいいのですね。>>

その、「与える」 のも 自分の力ではなく、神の力で与えさせて頂くんだから、自分は何も要らない。
ただ喜びばかり、有り難いことばかりです。

バンザーイ!

3143マリーゴールド:2013/10/10(木) 23:43:27 ID:???

 a hopeさんへ

 合掌 有難うございます。

 こんばんは。いつも a hope様の真理を学ぶ真摯な姿勢に学びを戴いています。
 有難うございます。

 昨夜、真理を一緒に学んでいるお友達と、こちらのweb誌友会の話になりました。
 その中で、以下にお伝えさせて戴く、 a hope様の御発言の話になりました。
 復興G様の、深い御指導もございましたので、a hope様は既に、御存知でおられるかもしれないのですが、一助になるかもしれないと思い発言させて戴くことにしました。

 a hope様の>>3123の御発言

 >>つまり「人類光明化運動」とは実相世界を悟られた雅春先生が『実相世界の素晴らしさを現象世界に顕現させるために、深い愛と智慧と歓びの情熱をもって起こされた運動』ということになりませんか?>>

 の箇所です。真理の学びに真摯な友人が「人類光明化運動」について、書かれてある箇所を調べてくださいました。

 以下にお伝えしますね。

 ◎「菩薩は何を為すべきか」P62より

 >>『この人類光明化運動というものは、実は宇宙の創造神の御心を受けた高級霊界に於ける一大救済運動であって、その霊界に於ける救済運動の写しが地上に現れて居るのであります』>>

 ◎「新編 聖光録」P97 “人類光明化のパテントは諸君に譲られた”より

 >>『私は、この神からの啓示を受けて人類光明化運動をはじめたのであります。』>>

 ◎新編 「生命の實相」第2巻P164 “生長の家出現の使命”より

 >>『これは神が起された「神の国」運動の一つのあらわれであって、谷口雅春はただ、神から霊感的に示された言葉をペン先に含ませたインキを文字にして行く。・・・』

とございます。

 そして、 「神 真理を告げ給う」に、そこに私が感銘を受けた箇所がございました。

>>しかし“本当の教祖”というべき“真理の啓示者”は“実相世界”にある“神”のみなのである。イエス・キリストも「師というべき者は、唯ひとり天の父のみである」といっているし、谷口雅春も、“自分は教祖ではない。実相世界に生長の家の本部はある”といっているのである。>>

 のところです。

 「生命の實相」の学びの場所で、「生命の實相」とは違う御本の紹介になってしまい、大変申し訳ございません。

 ご紹介までにとどめさせて戴きます。

     合掌 再拝

3144ユタカ:2013/10/11(金) 05:02:18 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

本流も忍辱の徳を積ませていただいていると言うことになるのでしょうか? 現象的のいうならば?

>>3142谷口先生のお伝えされたいことは、「神以外ない・善行もすべて神さまのお力だったもですね。」

私は、これまで良い現象は実相の投影等と喜んでいましたが、此れさえも現象、「無い!」と。

本当の事、もっともっと高次元の世界にあるような気がしてなりません。今は、眼に見えるものは全部善に見えることも現象だから「無い」という自分でいます。

3145a hope:2013/10/11(金) 08:39:13 ID:Zlo2YeaM

みなさま おはようございます。

このweb誌友会板で真理のお話が続いていてうれしいです。

復興Gさまとユタカさまのお話になっている、「忍辱(にんにく)の徳」という言葉は初めて聞きました。
情報源があれば、二葉美代先生がどういうお話の中でこのお言葉使われたのか、教えていただけると嬉しいです。


また、トキさまの青年会時代に会われたという真言宗のお坊さんの話も興味深いです。

<<依頼心を出すのは、魂の修行にとっては邪道なんですね。 >>

そうなのだとも思いますし、依頼される方にとっても魂の修行になるのではないかと思いました。

「人間は神の子である」が「生長の家」の根本自覚、中心自覚であり、生長の家の使命はそのことを人々を目覚めさすことであるとすると、
どのような態度をとれば、自分に依頼心を起こさせず、相手に「神の子」の自覚を目覚めさせることができるのか・・・
それが、大切なのではないかと感じています。

「自分の足で立ちなさい」「自分で悟りなさい」「そのためにわたしは聖典を残したのですよ」という、雅春先生(神さま)の声が聞こえてくるような気がします。

3146a hope:2013/10/11(金) 08:44:14 ID:Zlo2YeaM

>>3143マリーゴールドさま

わたしはマリゴールドさまからはいつもたくさんの愛を感じています。
そして本当に心から生長の家を愛していらっしゃるのがわかります。
今回もあたたかいお言葉をありがとうございます。

長くからの信徒でいらっしゃるマリーゴールドさまには、きっと現実生活においても、
真理を一緒にお勉強するお友達がたくさんいらっしゃるのでしょうね。

わたしには、いまのところ、この掲示板だけが、仲間と「生長の家」の真理のお勉強ができ、
講師の先生からご指導が受けられる場所なのです。

だから、ここはわたしにとって、とても貴重な、大切な、そして神聖な場所なのです。
こらからも、たくさんお勉強させていただきたいと思っています。
マリーゴールドさまも、たくさんご参加くださいね。

また、今回は「人類光明化運動」に感する参考文献と文章をご紹介くださりとてもうれしいです。
ありがたいことに、すべて手元にありますので、前後の文章も拝読してお勉強させていただきます。

マリーゴールさまのご愛念に心から感謝したします。

合掌。

3147復興G:2013/10/11(金) 09:10:17 ID:AB6RqYXc

おはようございます。

>>3139 :トキさまのお話は、>>3127 でa hopeさまが教えてくださった、大熊良樹さんのブログで紹介されている
「神は普遍者でありますから、 山へ行く必要はない。」
という谷口雅春先生のお教えにもつながると思いました。

<< 山に篭り断食などしていると、山に浮浪しているような野天狗とかいうようなつまらない種類の霊魂にひっかかったりして、その結果、ちょっとぐらいの第六感が働いて霊眼あひらいて霊の姿や霊界の一部が見えたり、或は天言通を得たとか言って、『神様の言葉』 を自分でしゃべるとかいうような境地になる人もあります。

 けれども、それは霊的感受力が鋭敏になった結果、一種の霊媒状態になったのであって、自分の実相が神であるという実相の神性を覚ったという状態ではないから、その霊の示すところにだまされて脱線する危険性が非常にあるのであります。

 ですから、山へこもって断食水行をするとかいうようなことはしない方がいいのであります。

 神は普遍者でありますから、山へ行く必要はない。 

 悟るためにはやっぱり神想観をするのが一番いいのであります。
  「人間そのものの発見とその自覚」 90p>>

 です。

 ユタカ様の提題 「忍辱(にんにく)」 については、後ほど書かせて頂きます。

3148復興G:2013/10/11(金) 11:13:17 ID:AB6RqYXc

>>3144 :ユタカさま、ありがとうございます。

 a hopeさまからご質問もありましたが、「忍辱(にんにく)」 というのは、お釈迦さんの教えで 「六波羅蜜(ろくはらみつ)」 の一つですね。

 それについては、谷口雅春先生が 「『般若心経』講義」 (『あなたは自分で治せる』 の第13章および 『真佛教の把握』 に収録されている) に、詳しくお説きくださっています。それを謹写して、再確認の勉強をさせて頂きたいと思います。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

谷口雅春先生 『あなたは自分で治せる』 の第十三章・『真佛教の把握』 より謹写 収載

     『般若心経』 講義

   講義のはじめに

 この経は

 「佛説般若波羅蜜多心経(ぶっせつはんにゃはらみったしんぎょう)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ) 行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ) 照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)……」

 という聖句ではじまっております。この 『般若心経(はんにゃしんぎょう)』 という御経は佛教ではどんな宗派でも皆排斥しないで採用しているところの御経であります。

 生長の家でもこの 『般若心経』 の神髄を實践的に説いているのでありまして、観自在菩薩というのは観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)のことであります。

 観世音菩薩というと、其の佛像を御覧になって、何かそういう荘厳な佛像としてそこに現れているのが観世音菩薩だと、こう思っている人もありますけれども、これは御経の表面の意義でありまして、御経の内密の意義――密義ではありません。

 佛教では顕教(けんきょう)と言って経典の表面に顕れた意義を説く教えと、密教といいまして、御経の内部にひそむ秘密の意義を説く教えとがあるのであります。秘密というのは内緒にしてかくしてあるという意味ではないのでありまして、表面に現れていないところの奥深いところの内部的な意義を知り、それを實践する――これが密教であります。

 この観世音菩薩というのも、内部的の意義即ち密教的にみますと、これはそういう佛像ではないのであって、皆さん御自身が観世音菩薩なんであります。みんな観音様なんですね。

 観世音というのは世音(せおん)即ち世の中の音を観ずるのです。「世音」というと人々の心の響きです。人々の心の響きを「観ずる」というのは、肉眼でみるのじゃなくて、心の眼でみるのですね。心の眼で人々の心を観じて、その心の姿のままの姿に顕(あらわ)れる菩薩(大士<だいし>)というのが、観世音菩薩であります。

 この菩薩は 『観音経(かんのんぎょう)』 にあります通り、相手の心の姿にしたがって三十三身に身を変ずるというわけで、どんな姿にも心のままに顕れるのであります。必ずしも三十三種の身には決っていないのであって、ありとあらゆるどんな姿にでも顕れて、衆生(しゅじょう)を済度(さいど)なさる、これが観世音菩薩であります。

 衆生の中には 「自分自身」 も含まれていまして、自分の前にあらわれる人々の姿を自分の心の姿だと観ずると自分が済度されるのであります。皆さんが観世音菩薩で観察自在であって、なんでも観察しようと思えば自在に観察することが出来るでしょう。自己観察をすることが必要です。鏡に向かって自分が撲(なぐ)る姿をしたら鏡の中の人物は自分を撲ってくるでしょう。其のように全ての人物があらわれる、ちゃんと観世音菩薩だ。自分の撲る心がこっちへ向かって現れる。そうでしょう。その代り相手の心の通りにこちらも先方には顕れて見える、みんな観世音菩薩である。

 それによって、“ああなるほど、私の心というものはこういう心をしておったんだ” という事がわかるのであります。観察自在であってどんな姿にでも自由自在に顕れる、観音様が皆さんであるわけであります。その観自在菩薩が 「行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)」 というのは訓読(くんよ)みすれば、「深般若波羅蜜多(じんはんにゃはらみった)を行じ給える時には」 と読むのですが、「深(じん)」 は深遠(しんえん)きわまりなき、「意義深甚(じんじん)の」 というような形容で、「波羅蜜多(はらみった)」 というのは、「到彼岸(とうひがん)」 と訳されておって、六波羅蜜(ろくはらみつ)と言って、彼岸(ひがん)即ち 「實相世界」 に到るためには六つの行があるのであります。
<つづく>

3149復興G:2013/10/11(金) 11:30:12 ID:AB6RqYXc

<谷口雅春先生 『あなたは自分で治せる』 の第十三章・『真佛教の把握』 より謹写 収載
     『般若心経』 講義 つづき>

 それの先ず第一が 「布施(ふせ)」 ですね。布施というと 「施し」 です。お寺に何か献金するとか、坊さんに供養をするとか、貧しき人に物を与えるとか、このように供養するのが布施であります。

 その次には持戒(じかい)です。持戒というのは 「戒律を保(たも)つ」 と書かれておって、正しき行いをする事です。殺さないとか、盗まないとか、嘘をつかないとか、夫婦以外の異性と性の交通をしないとか、欲張らないとか、色々道徳上の禁制がありますが、そういうようないましめを保つのを持戒と言います。

 その次には 「忍辱(にんにく)」 といって――「忍(にん)」 は 「しのぶ」、「辱(にく)」 は 「はずかしめ」 という字です。人の辱(はずか)しめに腹を立てないで、忍ぶのであります。

 世間には 何もこちらが悪い事をしないのに悪口を言うような人がある。それをきくと、つい腹が立つ、「生長の家は人を救っているのに、却(かえ)って悪口をぬかしやがる」 などと思うと、つい腹が立つものですね。しかしそんな事に腹が立つのではいけないのです。「忍辱(にんにく)」 といって腹を立てずに屈辱を忍ぶというのが彼岸に達する一つの修行なのです。その修行を卒業するまでは其の人の周囲にそんな修行がでて来るのです。彼岸に達するというのは、實相の浄土なる状態に我々が達することを言うのです。

 我々が善いことをして居って、ほめられたり、表彰されたりしたら、嬉しいように思う人があるけれども、しかしそれは既に報いを受けたのですから、善業(ぜんごう)の蓄積にはならないのです。行動のエネルギーというものは既に形に顕れたら消えてしまうのは、物理学上のエネルギーが「仕事」という形に顕れたら消えてしまうと同じです。

 あの機関車が石炭をもやして汽車を走らす場合、石炭の燃焼エネルギーが、「汽車を動かすという仕事」 という形に現れたならば、そのエネルギーは消えてしまうのと同じであります。私たちが善業(ぜんごう)を行ってそれが賞(ほ)められるという形にあらわれないまでは、その善業は潜在エネルギーとして天の倉にたくわえられているのです。しかし善き事をして何か表彰されたり、賃銀をもらったりして形にあらわれたら、それだけ消えてしまうのです。

 そうしたら、ほめられないでいて、かくれていい事をしている方が、天の倉に貯えられたところの徳という事になるのであります。更に善い事をしながら悪口を言われたならば、天の倉に貯えられたところの富が、また更に利子がついたという事になります。

 だから、辱(はずか)しめを受けた時には 「ああ、有難うございます。天の倉に貯えられたところの陰徳に利子がつきました。有難うございます」 と感謝すれば好(よ)いのです。そしてほめられた時には、「困ったなあ、せっかく天の倉に貯えておいたのに、ちゃんと払いもどしがあって、貯えられた富が消えた」 と思って更に人に隠れて善業を積むようにすれば好いのですね。
 <謹写 終わり>

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

3150復興G:2013/10/12(土) 16:05:41 ID:AB6RqYXc

 上記、>>3149で <謹写 終わり> としましたが、もちろん谷口雅春先生の 「『般若心経』 講義」 が以上で終わりではありません。「六波羅蜜」 のうちの三つのご解説が終わっただけです。

 そのあと、『般若心経』 全文の御講義が、くわしく実にわかりやすく説かれており、全く素晴らしく、「五蘊皆空」(現象なし)、実相独在の悟りに導かれる貴重なよすがになると思いますので、時間が出来ましたら、謹写掲示させていただきたく思います。

 今回のメインテキストは 『生命の實相』 第5巻前半です。ここは 「聖霊篇 燃えさかる聖霊(いのち)の火」 として、「人間は神の子」 という中心自覚を持てば、外的な一切の善きものが流れ出でて、奇蹟的な治病その他の体験が続出し、おのずから教えが燎原の火の如く広まって行った有様が如実に記録されています。

 中でも顕著なのは、p.47〜p.57に出てくる服部仁郎氏周辺の体験ですね。


 さてテキストの範囲で、特に私の目にとまったご文章を謹写させていただきましょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(p.35〜37)

     手のひら療治に活が入る

 伊東さんも、佐藤彬(あきら)さんも、堀静さんも時々見舞って、立仙(りっせん)さんの病気の子供に手を当ててくださった。そのとき立仙夫人がかたわらからそれを見ていられると、やはり自然に患部へ手が行くと見えて、「手のひら療治」 の先生と同じところへ手をやられたそうであります。

 それでいて 「手のひら療治」 は四年間続けてもますます悪くなる一方でありましたのに、「生長の家」 のやり方ではズンズン快方に向かっていったのであります。

 それはなぜであるかといいますと、手を当てる点は、形は同じでも精神がまったくちがうからであります。「手のひら療治」 では 「ここに病気がある」 と手のひらの霊感で病気を探り出して手を当てるのでありますから、手早く治るような病気なら、「この手のひらの霊感で治してもらえる」 と暗示されて、治りに導かれるのでありますが、ながらく治り難い病気であれば、毎日手を当てていても治らぬ この手のひらは効かぬということになり、それと同時に 「手のひらを当てているここに病気がある」 と、病気の存在を動かし難い事実として、「病気がある、病気がある」 と毎日逆暗示を与えている結果になり、病気がかえって治らなくなるのであります。そこに気がつかないと手掌を当てる治療は逆効果をきたすのであります。

 「生長の家」 では今まで申しました例で解りますとおり、手を当てなくとも治る。服部さんのようにわたくしの書いた小冊子二冊を読むだけでも治る、神想観の歌を誦(しょう)するだけでもそれで真理を悟れば治るのですが、家族など手を当てて治す場合もあります。しかしその手を当てる心持が異うのであります。

 手のひら療治では、「病気がここにある、ある」 として手を当てるのでありますが、「生長の家」 では 「病気は無い、無い」 として手を当てるのであります。

 「病気が有る」 という観念がそこにあらわれて病気となっているのでありますから、「病気は有る、有る」 という思念では治り難いのは当然であります。それでも治る場合がありますのは 「手を当てたら治る」 という施法者と被療者との精神感応で治るのでありますが、それを今度は 「病気は本来無い!」 という根本悟りで手を当てれば、手を当てなくとも治るくらいですから、本当に治ってくるのは当然であります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――上記を読んで、思いました。

 多くの人は、失せ物をしたときには、「何々がない、何々がない」 とさわいでその失せ物を探すのでありますが、生長の家では逆であります。失せ物は、宇宙から完全に消え去ったとしたらそれは奇跡である。必ずどこかに 「ある」 ことはまちがいない。だから神想観をして 「何々はある、ある」 と念じながら探す。そうすると、失せ物は、「ここにいますよ」 と位置情報を発信してくるようです。信じたとおりに、出てくるのであります。

 病気や困ったことなどは、本来無いものだから、逆に 「ない、ない」 と念じて処理すれば消えてしまうのでありますね。

 ありがとうございます。

3151a hope:2013/10/13(日) 13:12:42 ID:Zlo2YeaM

>>3143 マリーゴールドさま

人類光明化運動の関するご紹介の御文章の中で、

<< ◎新編 「生命の實相」第2巻P164 “生長の家出現の使命”より
>>『これは神が起された「神の国」運動の一つのあらわれであって、谷口雅春はただ、神から霊感的に示された言葉をペン先に含ませたインキを文字にして行く。・・・』>>

というものだけ、確認できませんでした。

というのは、わたしは新編「生命の實相」はまだ、第1巻のみしか手元にないからです。
ですから、頭注版にこの箇所が該当する部分を探してみたのですがどうしても見つかりませんでした。
頭注版のどの巻にも“生長の家出現の使命”というサブタイトルが見つからないのです。

どこなのか教えていただけないでしょうか?

(つづく)

3152a hope:2013/10/13(日) 13:14:08 ID:Zlo2YeaM

(つづき)

みなさま

ところで、このマリーゴールドさまご紹介の他の文献を拝見していて感じたのですが、
たしかに、わたしは、「人類光明化運動」は個人(肉体人間)の谷口雅春先生が起こした運動ではないということがわかりました。


わたしは大熊先生の大ファンで、毎日、先生のたくさんあるブログをひとつひとつ拝見させていただいているのですが、
その中で、とても分かりやすく霊や魂のことをご教示してくださっている箇所がありますのでご紹介させていただきます。


「一霊四魂がわかれば先祖供養がわかる」
http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/10570919.html


復興Gさまが>>2851で、

<< 先生は、「肉体はないのである」 というご自覚から、「久遠の今・此処・われ」 「一切は自分である」 という 「大慈悲」 の心、「実相の心(われ)」 に立って、菩薩行を続けられた。
それは、仏道で 「証上(しょうじょう)の修(しゅう)」 と言われる 「悟ってからの精進」 としての菩薩行であられたわけです。>>

と雅春先生のご心境というか、お悟りの状態(魂の状態)をご説明してくださっていますが、
それは大熊先生の「一霊四魂がわかれば先祖供養がわかる」のノートの一霊四魂の図にの中の「奇魂(くしみたま)」の状態なのではないかと感じました。

とにかく、雅春先生は「大悟」されていたわけですから神さまの御心とはほぼ一致されていらしたのだと思います。

ですから、雅春先生は、天界(神の国)の「和魂(にぎみたま)」たちが天界を拠点に社会国家のために活動している状態も悟られて、
現象世界においては、ご自分が中心者となってその活動を表現されようとしたのが「人類光明化運動」なのではないかとわたしは解釈しました。
(間違いがあれば、ご指摘ください)


大熊先生も、ブログ中で「和魂(にぎみたま)」のことを、

<<▽次に、和魂(にぎみたま)です。

天界に昇って、天界を拠点に社会国家のために活動する御霊です。。。。
人類光明化を言う生き方(生長の家の生き方)は、これでありますねえ。。。。
世界に一人の不幸せがあってもならん。   
この自他一体の思いを、大きな和魂をすなわち、本当の≪ 大和魂(やまとだましい)と言うのです。≫>>


とご説明くださっています。
わたしは、大和魂についても過去にお勉強させていただきましたが、「和魂」=「大和魂」という解釈は、
今回とてもよく理解できました。

大熊先生は宇治別格本山の講師をされていた時には、とても人気があったと聞いています。
皆さんも、是非、大熊先生のブログご覧になって下さいね!
たくさんありますよ・・・ウレシイ(笑)

真理のお話だけでなく、素晴らしい奇蹟のお話や愛のお話もたくさん紹介してくださっていますよ。
拝見しているだけで、魂が悦び、愛の心で満たされます。

http://blogs.yahoo.co.jp/warai333warai
http://blogs.yahoo.co.jp/warai88warai/MYBLOG/yblog.html
http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151
http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/MYBLOG/yblog.html

↑まだ、まだ、ありますよ。
ご自分で、お探しください(笑)

(つづく)

3153a hope:2013/10/13(日) 13:15:16 ID:Zlo2YeaM

(つづき)

>>3148 >>3149 >>3150 復興Gさま

「忍辱(にんにく)」についてのご教授をありがとうございます。

<<辱(はずか)しめを受けた時には 「ああ、有難うございます。天の倉に貯えられたところの陰徳に利子がつきました。有難うございます」 と感謝すれば好(よ)いのです。そしてほめられた時には、「困ったなあ、せっかく天の倉に貯えておいたのに、ちゃんと払いもどしがあって、貯えられた富が消えた」 と思って更に人に隠れて善業を積むようにすれば好いのですね。>>

ものすごい、深い教えですね(-_-;)

『真佛教の把握』は手元にありますので、 今日はこれから『般若心経』 講義をゆっくり拝読してみたいと思います。

(つづく)

3154神の子さん:2013/10/13(日) 13:16:57 ID:u1Hw7rW6
復興G様

忍辱の意味の御説明でよく理解できました、ありがとうございます。

3155a hope:2013/10/13(日) 13:18:32 ID:Zlo2YeaM

(つづき)

今月のweb誌友会の期間と範囲をここで告知させていただきたいと思います。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

第18回web誌友会

期間 10月末日まで

テキスト 『生命の實相』第5巻
      第1章から第3章まで

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

今回は、ゆっくりお勉強できてうれしいです。
テキストの範囲以外でも、生長の家の聖典や、「生長の家の教義」に関する内容でしたら誌友会の話題にしても何も問題ないとわたしは感じています。
ですから、わたしは、今回は、大熊先生のご教義を紹介させていただきました。

みなさまも、気軽にご参加下さいね!

3156復興G:2013/10/13(日) 21:03:13 ID:AB6RqYXc

a hope さま、ありがとうございます。

>>3151

>> << 先生は、「肉体はないのである」 というご自覚から、「久遠の今・此処・われ」 「一切は自分である」 という 「大慈悲」 の心、「実相の心(われ)」 に立って、菩薩行を続けられた。それは、仏道で 「証上(しょうじょう)の修(しゅう)」 と言われる 「悟ってからの精進」 としての菩薩行であられたわけです。>>

と雅春先生のご心境というか、お悟りの状態(魂の状態)をご説明してくださっていますが、それは大熊先生の「一霊四魂がわかれば先祖供養がわかる」のノートの一霊四魂の図にの中の「奇魂(くしみたま)」の状態なのではないかと感じました。

とにかく、雅春先生は「大悟」されていたわけですから神さまの御心とはほぼ一致されていらしたのだと思います。

ですから、雅春先生は、天界(神の国)の「和魂(にぎみたま)」たちが天界を拠点に社会国家のために活動している状態も悟られて、現象世界においては、ご自分が中心者となってその活動を表現されようとしたのが「人類光明化運動」なのではないかとわたしは解釈しました。
(間違いがあれば、ご指摘ください)<<

について。

 「古神道の一霊四魂(いちれいしこん)の説」 について、谷口雅春先生は 『新版 人生を支配する先祖供養』 の51頁に、次のように書かれています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   古神道の一霊四魂の説

 日本の古神道では人間の霊を一霊四魂(いちれい しこん)に分けている。

 一霊とは実相の霊であり、これを直日霊(なおひのみたま)という。総括総撹の純粋霊である。

 それが奇魂(くしみたま)、和魂(にぎみたま)、幸魂(さちみたま)、荒魂(あらみたま)の四つのはたらきとなって分化する。

 荒魂(あらみたま)は最も波動が粗大で荒々しい、これは肉体そのものである。古神道が肉体そのものを物質として観ないで霊的な 「魂(みたま)」 として扱っていることは興味あることである。だから、墓地に肉体を土葬したり、お骨を埋めたりしたら、たしかに荒魂(あらみたま)は墓地にましますわけである。荒魂は物質界を処理する魂であるから、それを換言すれば 「墓地は迷っている霊魂がさまよっている所であり、悟っている霊魂はもうそこにはいないのだ」 という近代の霊界通信を裏づけることになる。

 悟っている魂(みたま)、即ち叡智の魂(みたま)は奇魂(くしみたま)であって、肉体を脱した時、直日霊(なおひのみたま)に還る。

 幸魂(さちみたま)は家族と共に生活し家に祀られた位牌等を媒介としてそこに鎮まり、

 和魂(にぎみたま)は天界に昇って天界を拠点として社会国家のために活動する。

 そこで、墓に留まっているのはまだ肉体生活のつづきの意識を持続して悟りを得ない荒魂であるから、その墓の形がどんな形を喜ぶかということは、その亡霊自身がどんな形の墓に執着するか、その執着によってきまるわけである。その人が生前、墓の形に関心があって「こんな墓を建ててほしい」と言っていたのであれば、その形の墓を建てれば満足するのである。祖先が真言宗の人であれば真言宗式に五輪塔(ごりんとう)を建てればよいし、キリスト教の人であれば十字架を建てれば悦ぶのである。

 しかし、墓地に関心のない無頓着な霊魂、あるていど悟りをひらいた荒魂は、墓にはいないで、四魂一体となって自由自在に顕幽(けんゆう)両界を往来して、愛他活動をして生活し得るようになるのであるから、墓石の形は別に問題とするに足らないのである。

 <つづく>

3157復興G:2013/10/13(日) 21:03:50 ID:AB6RqYXc

 <つづき>

 上記を拝読して思うのですが、「一霊四魂の説」 というのは日本の古神道における独特の説で、霊魂は 「一霊」 が実相であり 「四魂」 は 「一霊」 のあらわれ方、働きの面から仮に分けて説かれたものだと思います。

 それで、谷口雅春先生のような 「悟りをひらかれた魂(みたま)」 は、四魂一体の 「一霊」 として自由自在に顕幽(けんゆう)両界を往来して、愛他活動をしていらっしゃるのではないかと私は拝察しますが……これは想像です。

 本当のことは、わかりません。
 誰にもわからないのではないでしょうか。

3158復興G:2013/10/13(日) 21:08:17 ID:AB6RqYXc

>>3156 訂正です。

× 一霊とは実相の霊であり、これを直日霊(なおひのみたま)という。総括総撹の純粋霊である。

○ 一霊とは実相の霊であり、これを直日霊(なおひのみたま)という。総括総攬(そうかつそうらん)の純粋霊である。

3160マリーゴールド:2013/10/13(日) 22:32:44 ID:???

a hopeさま

いま家事が終わりました。>>3151で私にコメントくださっていたのに、遅くなりごめんなさいね。

復興G様がおこたえ下さった通りです。私は新編が字が大きく読みやすいので、頭注板と合わせて拝読しているのです。

復興G様、ありがとうございました。

3161マリーゴールド:2013/10/13(日) 22:50:12 ID:???
復興G様

>>光明思想社版の 『新編 生命の實相』 は、編成順が 頭注版など、今までの 『生命の實相』 と変わってい て、「實相篇」 が第2巻に収録されています。これに ついては、 「著作者人格権侵害ではないか」 という疑 問が出ています。>>

との事ですが、いま教団として著作者人格権侵害との動きが出ているのですか?

復興G様は、新編生命の實相の凡例を読まれてらっしゃいますか?

凡例のまず初めに
「本全集は、昭和四十五年〜昭和四十八年にわたって刊行された愛蔵版『生命の實相』全二十巻を底本とした。本書第三巻は、愛蔵版第一巻『生命の實相』を底本とした。」

とございます。

3163マリーゴールド:2013/10/13(日) 23:40:54 ID:???
復興G様

そうですか。
教えていただいて、ありがとうございました。
光明思想社の見解があるわけではありませんから、これ以上は発言を控えます。

3164復興G:2013/10/14(月) 08:00:00 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

>>3163 :マリーゴールドさま

マリーゴールド様って、とても素直なんですね。
ありがとうございます。

私も、上記の件についてはこれ以上の発言を控えます。

もし間違いか何かあれば、他の板でさせていただくようにしましょう。

人間はみんな 「神の子」 であって、自分の力で生きていらっしゃるのではない。神がそこに生きていらっしゃるのである。

「人間は神より出でたる光なり」

で、「神の光」 ならざる人はいない。

なぜなら、

  神こそ渾(すべ)ての渾て、
  神は渾てにましまして絶対なるが故に、
  神の外にあるものなし。
  神は実在のすべてを蔽う。
  存在するものにして
  神によって造られざるものなし。
    (聖経『甘露の法雨』)

ですからね。

うれしい! ありがたい!

すべての人を拝ませて頂きます。

ありがとうございます!

3165神の子さん:2013/10/14(月) 08:09:35 ID:AB6RqYXc

「すべての人」 には、自分も含まれます。

自分自身をも、神の子として拝ませて頂きます。

ありがとうございます。

3166復興G:2013/10/14(月) 08:12:54 ID:AB6RqYXc

あれっ?

>>3165 :「神の子さん」 は、復興Gです。

3170志恩:2013/10/15(火) 12:05:58 ID:.QY5jUA6
私は、新編は、
「新編 生命の實相 」第6巻( 生命編 生命円相の真理(中) )まで購入しました。
第7巻も出ましたので、これも購入しようと思っているところです。

新編につきましては、復興G様がおっしゃっておられるように、
山ちゃん1952様、トキ様、訊け様、そして私も、その中に混じりまして、
かって、いろいろと意見を述べ合ったことが
あったのですが、
私は、新編の方も、順次、買い揃えています。

ですが、
私は、昔から頭注版になじんで来たので、ひもとくのは、頭注版の方が多いですけれど。

しかし、復興G様のつぎのコメントは、復興G様のお考えの方が、疑問に思えております。

復興G様ー
 >>光明思想社版の 『新編 生命の實相』 は、編成順が 頭注版など、今までの 『生命の實相』
と変わってい て、「實相篇」 が第2巻に収録されています。
これに ついては、 「著作者人格権侵害ではないか」 という疑 問が出ています。>>

私は、文自体を変えてしまった場合は、著作者人格権侵害になると、思いますが、
文の 順序を変えた事が、人格権侵害になるのだろうか?と、疑問に思っております。

これにつきましては、私は、その道の専門家じゃないので、よくわかりません。

3172神の子さん:2013/10/15(火) 17:09:17 ID:Z6WT6I3k
3159 :復興G様

>>光明思想社版の 『新編 生命の實相』 は、編成順が頭注版など、今までの 『生命の實相』 と変わっていて、「實相篇」 が第2巻に収録されています。これについては、 「著作者人格権侵害ではないか」 という疑問が出ています。 <<

>>『生命の實相』 は愛蔵版も含めて、今までに刊行されたどの版でも、すべて順序は 「總説篇」 の次は 「實相篇」 となっている。それが、光明思想社版では 「總説篇」 の次に 「生命篇」、それから 「實相篇」 と順番が変えられている。これは、たしか 山ちゃん1952様が、すべての版について調べてくださったのだったと思います。だから、それは谷口雅春先生の御意思に反することではないかと、たしか本流の掲示板でも 疑問が出ていたと思います。 <<

ということなのですが、実際のソースがどこにあるか教えていただけないでしょうか?
そうでないと、復興G様が「新編 生命の實相」を売れないように企んでいると誤解してしまいます。

31733172です:2013/10/15(火) 17:10:59 ID:Z6WT6I3k
すみません、3171で紹介されていますね。
失礼しました。

3174復興G:2013/10/15(火) 17:15:25 ID:AB6RqYXc

 『文藝春秋』 の11月号に、(困難な局面に立っている) パナソニック新社長インタビューという記事が載っていて、その中で津賀一宏社長がこう言っています。

 ≪六月末の株主総会では、「創業者が生きていたら嘆かれたでしょう」 という発言がありました。しかし、創業者が生きていたら、嘆くより前に 「じゃ、こうしようか」 と真っ先に行動に移していたと思います。過去の成功にしがみついたり、失敗を憂えたりするのではなく、常に前を向いて改革を進めていたはずです。……≫

 と。この 「創業者」 は、もちろん松下幸之助氏です。

 また、ある友人はブログにこんな話を書いています。

≪ ある講演会で講師が、机上のコップを手で持つと、コップから水をこぼす仕草をし、こう言った。

 このコップに入っている水は、こぼせば 代わりに 空気が入る。

 これと同様に コップの水が 「人間我」 だとすると、

これが無くなると 神我(しんが)が入ってくるのである、と。

 つまり 利己心、慢心が砕けると、代わりに 「神我」 がとって変わる、ということだ。

 それはつまり、人間の生まれ更わりの時なのである≫

 と。

 私たちもひとりひとりが己を無にして空っぽになって、神我に生まれ変わって――「久遠の今」 に立って、光の前進をして行く時でしょう。

3176志恩:2013/10/15(火) 19:30:23 ID:.QY5jUA6
復興G様は、

根が正直でいらっしゃいますので、「学ぶ会」が、だいっきらいなので、
すぐに、売らなくてもいい喧嘩を「学ぶ会」に、無意識に売ってしまわれるのです。
悪いくせです。

今、「第7巻の新編生命の實相」が発売になりましたと、
光明掲示板で発表があったばかりのときに、

復興G様ー
>>光明思想社版の 『新編 生命の實相』 は、
編成順が頭注版など、今までの 『生命の實相』 と変わっていて、
「實相篇」 が第2巻に収録されています。これについては、
「著作者人格権侵害ではないか」 という疑問が出ています。 <<

こんなこと、仰ったら、たとえ、過去に「よくやったと思います」と
私は、言ってたんですよ、とおっしゃっても、そのときの言葉は、
帳消しになってしまうのです。

まるで、「新編生命の實相」を否定しているように、聞こえてしまうのです。

将来は、もともとの「生命の實相」も、発売される日が、きっと来ると思いますので、
新編は、新編で、おおらかに見守って差し上げて頂きたいと思っています。

毎度、きついことを、下の者ですのに、上のお方に申し上げて、すみません。

3178復興G:2013/10/15(火) 20:51:29 ID:AB6RqYXc

 「努力」 について。

 テキストの92頁〜94頁のところに、次のようにあります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ……ミケランジェロを現代に持ってきたような万能の天才がこの山根八春氏でありまして、「一所懸命に努力をすれば神が自分に入り込んでなんでも上達する」 との信念をもって、今まで努力に努力を重ねて自分の内に宿る神の無限力を開顕してこられたのであります。

 「生長の家」 家族になられましてから、外の神が乗りうつるのではなく、努力にしたがって内の神がひらかれてくるのだとお気づきになりました。

 日本現代の彫刻家中で最大の読書家であり、彫刻家であると同時に大工であり、指物師(さしものし)であり、左官であり、唐木細工師であり、経師屋(きょうじや)であり、画家であり、天文学、哲学などにも造詣が深いので、人間の能力は、出すようにすればどれだけでも出るとの生長の家の学説の見本をそのままそこに放り出したような人であります。

 立仙淳三氏は、まことに山根八春氏の多方面に傑出したる能力を驚嘆して曰(いわ)く、「国勢調査であなたの職業はなんですかと調べに来たら、なんと答えたらよいことでしょうか?」と。満座の人たち山根氏の作品の百数十枚の写真を回覧せられるにしたがってひたすら感嘆して、ただもう言葉が出ないのでありました。

   努力の再吟味

 この大努力の天才を前にして、「人間には努力が必要か」 という問題が再吟味きれることになりました。

 伊東種さんは 「努力なんか要らない。努力などという力みのないところに本当の生命の流れがある」 とおっしゃるのでした。

 佐藤彬(あきら)さんは伊東種さんを評して 「努力なんか要らない、要らないといいながら、伊東さんほど努力している人はない」 といわれました。

 山根八春さんは、「人は私を天才だといわれますが、わたしには天才はありません。わたしは自分に天才がないということに気づいたから努力しなければならないというので努力に努力を重ねてきました」 といわれました。

 伊東さんのおっしゃるところも、山根さんのおっしゃるところもわたしには結局同じように受け取れました。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――上記は、とても面白い、と言っては語弊がありますが、なるほど、と思わせて頂きました。

 私も、「無我」 になって、空っぽになって、自我の努力でなく 「神我」 にお任せして……と思っているのですが、外から見たら、大変な努力をしている――ということになっているかと思います。

 でも、無我夢中で、たのしい努力なんです。

3179トキ:2013/10/15(火) 21:00:17 ID:whce3742
>>3178

 私の友人が、本業の傍ら、絵が趣味で大きなコンテストにも入選されています。この人と
話をしていると、こんな事を述べていました。

 『神誌を渡したり、講演会に人を誘うのは立派な伝道であると信じます。が、例えば、生長の家の
信仰をもった人が自分の仕事や特技で能力を発揮し、立派な業績をあげる事も、ある意味では伝道で
はないか、と感じます。それは、真理を仕事や特技で実践し、成功した事例になるので、まだ真理を
知らない人に、生長の家への信頼を高める事になるからです。」

 私の周囲にも、真理を学び、仕事や特技で高く評価されている人が多いですが、そういう方々に
話を聞くと、なるほど、と学ぶ点が多いであります。仕事は仕事、信仰は信仰と分けるのではなく
て、仕事と信仰が一体になるのが理想でしょう。復興G様が書かれた部分は実に奥の深い部分であり
ます。

3180復興G:2013/10/15(火) 21:32:40 ID:AB6RqYXc

>>3179 :トキ様

ありがとうございます。


少し話が変わりますが、

>>3174 でも引用させていただいた、私の友人のブログに、次のようなことも書かれています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

[過去を否定したら自分がなくなってしまいます]

間違った選択で 
人生を過(あやま)っても 
それも自分の行動の内、
結果に責任をとって 
じっくり反省すればいいのです。

「間違った過去を捨てたいですか」
と聞かれれば
私は絶対 “ノー” と答えます。

自己に発するものは全部自己だから、
過去を否定したら
自分がなくなってしまいます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――なるほど。
 「過去」 という字は、「過(あやま)ちを去る」 と書いてあるけれども、それは 「過去を否定する」 ことではなかったんだ。

 過去も、「すべては尊い生長の過程であった」 と拝んで生かすことだ! と思いました。

 谷口雅春先生も、悟りを開かれる前に、随分ご苦労をなさったようだけれども、それがすべて無駄な過ちではなく尊いご体験であり、それがあったればこそ、その過去のご体験が人々を導かれる御教えの尊い肥やしになって、たくさんの人々を救われた。人生に無駄は一つもないのである、とご教示くださったことがあるのを思い出しました。

 先生が自伝篇に書かれているように、ご自身やご家族がどちらかといえば病気がちでいらっしゃったために、医学や心霊治療法なども研究された、そうして 「物質なし、肉体無し。神のみ実在」 と悟られた結果が、今回のテキストも縦横に説かれているのだ、とありがたく思います。

 すべてのこと、無駄はなく、光明ばかりなんですね。

 ありがとうございます!

3182マリーゴールド:2013/10/15(火) 22:47:22 ID:???

復興G様

本流対策室の3869番に、新編「生命の實相」に対して述べさせて戴きました。

3184神の子さん:2013/10/16(水) 14:12:22 ID:bc9yGlps
復興G様は、ご自分が散々意見を言ってから、これはここの板では関係ないからと他人を排除されますね。
ご自分が「他の板で述べます」と言ってからまず自分が移動すべきではないでしょうか?

生長の家は、来るもの拒まず去るもの追わずの精神ではなかったでしょうか?
それとも自分の意見にそぐわないものは排除する精神に変わったのでしょうか?

3185「訊け」管理人:2013/10/16(水) 14:16:06 ID:???


 関係ないものは、関係ないのです。そして、場所を考えることと「排除すること」とは、違うと思います。

 以上です。




3186神の子さん:2013/10/16(水) 14:33:37 ID:bc9yGlps
他人を動かさず、自分が先に動きなさいよということです。

3194復興G:2013/10/16(水) 22:15:57 ID:AB6RqYXc

トキ様、お世話をかけました。ありがとうございました。

皆さま、web誌友会のテーマから外れた発言を私が最初にしましたために、お騒がせして申し訳ありませんでした。

<3159・3162・3177>は、削除して頂きました。

それに関係する皆さまのご発言がまだ残っておりましたら、どうぞ各自 削除要請して下さいますよう、お願いいたします。ありがとうございます。

合掌

3196トキ:2013/10/16(水) 22:44:24 ID:fy0OTQvA
 皆様、宜しくお願いをいたします。

 管理人が行き届かず、皆様にご迷惑をおかけして、すみませんでした。

合掌 ありがとうございます

3197a hope:2013/10/16(水) 23:30:52 ID:Zlo2YeaM

>>3156 >>3157 復興Gさま

『新版 人生を支配する先祖供養』 の「古神道の一霊四魂(いちれいしこん)の説」を謹写してくださりありがとうございます。

<<それで、谷口雅春先生のような 「悟りをひらかれた魂(みたま)」 は、四魂一体の 「一霊」 として自由自在に顕幽(けんゆう)両界を往来して、愛他活動をしていらっしゃるのではないかと私は拝察しますが……これは想像です。
本当のことは、わかりません。誰にもわからないのではないでしょうか。>>


霊や魂の存在は確かですが、霊界や天界がどうなっているのかは本当のところは復興Gさまでも良くわからないのですね。

でも、もし雅春先生の魂(みたま)が、今、現象世界に顕在して愛他活動をされているとしたらどんな形でされているのしょうか・・・、なんか、そんなことを想像するのもまたお勉強になるような気がしています。



>>3160でマリーゴールドさまが、

<<私は新編が字が大きく読みやすいので、頭注板と合わせて拝読しているのです。>>

とおっしゃっていますが、本当にとても読みやすいです。
光明思想社の編集者の方々が、心をこめて編集してくださっているのがわかります。

わたしは、頭注版「生命の實相」を全巻読破した暁には、自分へのご褒美として新編「生命の實相」を購入していきながら、
心あらたに再拝読してきたいと思っているのです。

3199志恩:2013/10/17(木) 03:46:10 ID:.QY5jUA6
トキ様
3176と、ここの削除をおねがいします。

3200ユタカ:2013/10/17(木) 05:04:04 ID:R1D4Jmeg
トキさま

復興Gさまの投稿はここWEB誌友会におけるご指導同様、高い見識とプロフェッショナルな視線からの貴重なご意見で、後世に役立つのではないでしょうか?

ユタカは今、覗いてみて削除は勿体無かった、復興Gさまのは「移動」で良かったのではないでしょうか?

これからは、復興Gさまの貴重なご投稿は「保存」という方向で運営していただきたくお願い申しあげます。

3201ユタカ:2013/10/17(木) 05:09:56 ID:R1D4Jmeg
トキ様、上記の件よろしくご検討ください。

自分で保存したくても、消えてしまっては・・・コピペも不可能で・・・

3203復興G:2013/10/17(木) 07:39:35 ID:AB6RqYXc

 皆さま、おはようございます。ありがとうございます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

聖経「続真理の吟唱」より
〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉

生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給え。
吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の機能。
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし生長の家の大神守りませ。

(招神歌四首朗誦の後、次の如く祈る)

龍宮実相世界の本宮にまします住吉大神の御前に谷口雅春(ここへ各人の姓名をとなえる)畏みかしこみ祈り奉る。

大神よ、龍宮の本宮より出御(しゅつぎょ)ましまして、大神の稜威(みいつ)をあらわし給いて、
現(うつ)し此の世の迷いの雲を祓い給いて、宇宙いよいよ清まりて、日本国の聖なる実相を顕現せしめ給え。
天照大御神の大御光(おおみひかり)を岩戸の彼方に幽閉することなく、その大御光をあまねく六合(りくごう)に照り徹(とお)らしめ給え。
すめらみことの身に恙(つつが)なく、憂えなく、その御徳(おんとく)いよいよ冴え輝きて、
此の世の人々悉くその光を仰ぐことを得せしめ給え。

凡そ〝悪〝と見ゆることは、実は〝悪〝が存在するにはあらずして、
天照大御神の御光がいまだ其処にあらわれざるという消極的な姿にてあれば、
天照大御神、天之岩戸より姿をあらわし給うならば、光が必ず闇を消すごとく、
此の世のすべての暗雲と不浄と争いと戦いと混乱と騒擾(そうじょう)とは消え去りて、
あとかたも無く、光あまねく人生の隅々までも射貫ぬきて、
一切の禍と不幸とは此世よりその姿を消し去ること必定なり。
今より後、人類に悲しみなく、嘆きなく、苦しみなく、ただ喜びのみに満たされて、
人生の不幸ことごとく消え失せん。

住吉大神、龍宮実相の本宮より出でまして、尽十方(つくし)の光明遍照(ひむか)の、
竪端(たちばな)の音霊(おと)のひびきにて宇宙を浄化したまう時熟しぬ。

堅端の音のアハギが原とは、〝今此処〝の祓いの事であるのである。
即ち迷いをハギ取り実相の完全さを開顕するための言霊五十音配列の竪(たて)の端(はな)にある
〝アオウエイ!!〝の母音が唱えられる場所のことであるのである。
発声の語尾にアオウエイの音霊(おんれい)をつづけるとき、
宇宙すべての言葉は浄まりて、
一切の災いも、病いも、悲しみも、悩みも悉く雲散霧消(うさんむしょう)して、
住吉大神の御光あらわれ、
一切の〝悪〝と見えるものは消え去り、
すべての妖雲はその姿を消し、
今まで覆われていましたる天照大御神の大御光は白日となって六合(りくごう)に照り渡り、
万物・万生ことごとく、その光を受けて、
暗黒は消え、禍は滅し、病いは癒え、争いはなくなり、
まことに天国浄土を今此処に顕現するのである。

そのゆえに我れ今〝竪端の音霊(おと)〝を大神の光を迎え奉るコトバの力として恭(うやうや)しく唱え奉る。

(朗らかに高音にて次の如く朗吟する)

アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!(三回)

(かくて宇宙浄まりて天照大御神輝くことを心に瞑視しながら、〝みすまるの歌〝を次の如く朗誦すること二回)

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。
天照す御神の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 以上、前に a hope様が >1662 で謹写掲示してくださった 〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉 を転写させていただきました。

 ありがとうございます。

3204ユタカ:2013/10/17(木) 08:19:28 ID:R1D4Jmeg
素晴らしいな!復興Gさま!a hope様の続真吟を貼って下さって有難うございます。元気モリモリ!さわやかな朝になりました!
今日も神の子として元気に活躍してまいりま〜〜す!

皆さんもご活躍ください。 行ってきまぁ〜〜す!

3205トキ:2013/10/17(木) 09:55:24 ID:7C3dP3iM
>>3201

 ご投稿、ありがとうございました。

 今後、気をつけます。なお、今回の復興様のご投稿については、
復活は可能です。復興G様御自身のご希望があれば、他の掲示版に
投稿する事は可能であります。

 よろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

3208ユタカ:2013/10/17(木) 19:44:45 ID:R1D4Jmeg
トキさま

復興Gさまの投稿は全部とっておいて下さい。 いつか絶対必要になると思いますので。

よろしくお願いします。

3209復興G:2013/10/20(日) 16:36:44 ID:AB6RqYXc

 さて、しばらくお休みしましたが、もう一度テキストを最初から読み返してみましょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『生命の實相』 第5巻

     は し が き

 聖書にあらわれた奇跡の記述において、もっともいちじるしき部分は 『使徒行伝』 であると言わねばならない。しかもそれはキリスト自身の奇跡ではなく、キリストが 「われを信ずる者はわれより大なる業(わざ)を成さん」 と予告したごとく、イエスの弟子たちに起こったところの、常識では判断しがたいような、多くの驚歎すべき奇跡の連続が記載されているのである。しかも、それが二千年前の過去においてではなく、今現実にこの奇跡を諸君自身において起こしうるとしたならば、過去の奇跡を聖書において求むるよりも、まず現代において、現実にそれを手近に求めて、その奇跡の力をわがものとなすべきではないでしょうか。

 本書は民間のいろいろの治療法に言及し、いっさいの医療はもちろん、民間療法の門をくぐってなお癒えなかった人々が、ひとたび心をあらためて 「空手(くうしゅ)の生活」 にはいり忽然(こつねん)として長期間の難症より快癒した実例を本人の体験を通じて述べつつ、その快癒する心境の叙述により、その過程を自己の心的体験となし、自然に読む人の信念が高まり、「なるほど、ここだ!」 と、悟りの「コツ」とも言うべきものに悟入するように書かれているのである。

 この頭注版 『生命の實相』 全集の第一巻より第四巻に至るまでにおいて、あるいは哲学的、あるいは心理学的に、あるいは宗教的に述べ来(きた)った 「人間本来完全円満」 の真理が、この第五巻においては体験的な真理の体得となって果を結ぶように編纂されているのである。

特に第七章においては、キリスト教および仏教――特に曹洞宗、真言宗、浄土宗、日蓮宗、天理教、金光教等が、その説かれている神髄がいずれも 「同一真理」 であり、教義の外観にとらわれないで、その同じき 「一つの真理」 を把握するとき、万教はただ一つの真理に帰一すること、しかも、それがただの総合や、各宗派の寄せ集めて最大公約数にしたというようなものではなく、「生ける救済の真理」 の把握であることが、この真理を生活に実践して、奇跡的な生活改善の効果をあげえた人々の事実によって証明されているのである。

 治病の奇跡的な出来事は、その生活改善的効果のわずかに一部分にすぎないのである。わたしはすべての人類がこの宗派を超越して、すべての宗教に内在する唯一の共通的真理に触れられ、世界の万教が仲よく手をつなぐ時期の来るであろうことを待ちのぞむとともに、本書に掲げられたような無数の奇跡とも見えるごとき生活改善の実をあげられるよう希望するものである。

 天国はこの普遍の唯一真理をわがものとする人の掌中にあるのである。

    昭和三十七年八月二十日

            著 者 し る す

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

<つづく>

3210復興G:2013/10/20(日) 16:39:41 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 以上の 「はしがき」 の後半の方に、「生ける救済の真理」 というお言葉が出てまいります。

 「生ける救済の真理」 とは、何でしょうか。

 そもそも、宗教の目的とは、人間の救済、「救い」 にあるということができると思います。では、その宗教的な 「救い」 とは、いったい何でしょうか。

 病気が治ることでしょうか。金が儲かることでしょうか。自己や災害から守られることでしょうか。

 それらも、一時的な救いにはなるでしょう。

 しかし、そんなことは一時的な、影としてのあぶくのような救済であって、やがてみんな死んで行くのだとすれば、根本的な救いにならないことは明白だと思います。

 宗教的な意味に於ける根本的な救いとは、

 ≪人間は環境の奴隷となっている、「死すべきもの」 である肉体人間の自覚から、環境の主人公である 「真の人間」 に生まれ変わって、自由自在を得ること。「神の子」 「至上者」 の自覚を得て、真生命が解放されること。≫

 と言えるのではないでしょうか。

 つまり、「神の国はわが内にあり」

 「人間は神より出でたる光なり」

 と知ること。

 「自分の内にすべてがある。私は太陽である。世を照らす光として生まれた者である」 と自覚することであると思います。

 今夜は、これからリアルの誌友会に出かけます。

 また明日以後に書かせて頂きましょう。

3211a hope:2013/10/21(月) 00:14:10 ID:Zlo2YeaM

復興Gさま みなさま こんばんは。

わたしは今、聖典「生命の實相」40巻読破に向けて、時間さえあれば「生命の實相」を拝読しています。
ちなみに、現在、第26巻の教育実践編を拝読中です。

>>3210で復興Gさまがおっしゃるている

<<  宗教的な意味に於ける根本的な救いとは、
≪人間は環境の奴隷となっている、「死すべきもの」 である肉体人間の自覚から、環境の主人公である 「真の人間」 に生まれ変わって、自由自在を得ること。「神の子」 「至上者」 の自覚を得て、真生命が解放されること。≫
 と言えるのではないでしょうか。つまり、「神の国はわが内にあり」「人間は神より出でたる光なり」と知ること。
「自分の内にすべてがある。私は太陽である。世を照らす光として生まれた者である」 と自覚することであると思います。>>

この内容は「生命の實相」全巻を通して、色々な角度から、様々な体験談を通して、言葉を変えながら何度も説かれている「生長の家」の中心真理なのだと思います。

そして、このすばらしい自覚(悟り)は、聖典「生命の實相」を繰り返し拝読するだけでおのずと得られると書かれているのです。

実際に、今のような教団組織も練成会も総裁の講習会もなかった昔は、「生命の實相」の真理の言葉の一部を読むだけで、
病気が治ったり、運命が好転するような奇蹟が頻繁に起きていて、それにより真理に目覚め救われる人が続出していたのですものね。

そんなことから考えると、今の「生長の家」で昔のような奇蹟が起きなくなって、人々が救われなくなっているのは、
余計なことを学びすぎたり、現象の運動にこだわりすぎているからなのではないのでしょうか・・・?

「生命の實相」こそまことの聖典で「生長の家」の神殿なのですから、本当に真理を悟り救われたかったら、
余計なことはしないで、聖典「生命の實相」だけ拝読していればいいのではないかと感じています。

3212ユタカ:2013/10/21(月) 09:11:33 ID:R1D4Jmeg
おはようございます。ユタカは今日は3週間ぶりに自分の時間が持て、>3209〜3211をゆっくり読むことができて幸せな気持ちになりました。

復興G様が一人ひとりが現象を超えて太陽のように輝く人生を創造、発展していけることの喜びを毎回ご解説下さり、a hopeさまが、講習会等の体制の整備がなされていない時代などは、直接谷口雅春先生のご文章から学んでいけていたとのことに勇気を頂きました。

『生長の家』の御教えは「完成されている」と思いますので、a hopeさまの仰る事よく理解できます、私達は、仕事、家庭、地域などを通して「生長の家」を生きるという事が大切なことなのではないかと、みなさんとお勉強をするうちに分かってきました。

ですから、今は大衆に溶け込むこともとても大切で、また七つの燈台の神示も非常に重要で人生の根本と思います。

で、今日は久しぶりにうなぎやさんで両親孝行してまいります。。。^^

先の素晴らしい投稿に圧倒されてユタカの投稿は気がひけてしまいますが・・・

P、118 L3
「聖典『生命の実相』を注文して聖典が到達すると同時に、不思議に病気が軽快した例は沢山あります。これは本人の潜在意識が本の内容を読んで真理を知ったというよりも、

聖典『生命の実相』を護持している霊界の諸神諸霊がある。

その霊界の諸神諸霊たちが、危険の瞬間、霊界から守護の手をくだして聖典の所持者をその危害から救ったのだと思われます。



以上の箇所に『生命の実相』の聖典が本当に『神殿』である事の一部をご紹介下さっています。
ますますWEB誌友会の素晴らしさがよく分かります。トキさま、復興Gさま、ご参加のみなさまにさらに感謝いたします。

3213復興G:2013/10/21(月) 11:14:34 ID:AB6RqYXc

a hope さま、ユタカさま、ご投稿ありがとうございます。

>>3211 :a hopeさま

>>実際に、今のような教団組織も練成会も総裁の講習会もなかった昔は、「生命の實相」の真理の言葉の一部を読むだけで、病気が治ったり、運命が好転するような奇蹟が頻繁に起きていて、それにより真理に目覚め救われる人が続出していたのですものね。

そんなことから考えると、今の「生長の家」で昔のような奇蹟が起きなくなって、人々が救われなくなっているのは、余計なことを学びすぎたり、現象の運動にこだわりすぎているからなのではないのでしょうか・・・? <<

――その通りだと思います。それは

>>3212 :ユタカさま

>>「聖典『生命の実相』を注文して聖典が到達すると同時に、不思議に病気が軽快した例は沢山あります。これは本人の潜在意識が本の内容を読んで真理を知ったというよりも、聖典『生命の実相』を護持している霊界の諸神諸霊がある。その霊界の諸神諸霊たちが、危険の瞬間、霊界から守護の手をくだして聖典の所持者をその危害から救ったのだと思われます。(p.118)<<

によっても明らかで、人々が救われるのは、必ずしも現象界の教団によってではない。「真理」 により、また霊界の諸神諸霊の守護の手によって救われるのですね。

それで病気が治ったり、運命が好転するような奇蹟が頻繁に起きて、そこから 「神の子・人間」 の根本真理に目覚めて救われる人も続出したのですね。


昨夜 私はリアルの誌友会に出講で、会場リーダーからの注文が、「日時計主義の生活」 というテーマで話してほしいということでした。幸いにして、使用するテキストは一任ということでしたから、私はためらわず 『生命の實相』 第7巻の 「生活篇」 を使いました。

第7巻 「生活篇」 は、読むにつれ、命が燃えてきます。やる気に火がつきます。「生きていてよかった!」 と、ますます勇気と希望がわいてきます。

谷口雅宣総裁の 『日時計主義とは何か?』 という本もあります。しかし、これを読み始めると、屁理屈ばかりなのにうんざりし、やる気を失ってしまうことの方が多いです。これをテキストに使うと、誰も乗ってきません。なぜでしょうね。


これから出かける用がありますので、また夕方以後に投稿をしたいと思います。ありがとうございます。

3214トキ:2013/10/21(月) 19:07:40 ID:3mgcm06U
 偶然ですが、ある教区の信徒さんから、近所の人が神経系統の病気で悩んでいるので、
何とか救ってあげたいが、どうしたらいいでしょうか? という相談がありました。
状況が深刻なので、早く返事が欲しい、また、いい本があったら送って欲しい、という
内容でした。

 その教区にも、教化部があるのですが、どうも環境保護のお話ばかりで、個人救済は
してくれないみたいです。思案していると、生長の家宇治別格本山の体験談集『宝蔵」
が目についたので、バックナンバーをまとめて宅急便で送りました。すると、数日後、
体験談集と『生命の実相」を何冊か一緒に進呈すると、その近所の人の病気が快癒した
というので、本日、その信徒さんが地元の名産を一山送って下さりました。

 生命の実相は、今も救済に大いなる力を発揮すると痛感した次第でありました。

3216復興G:2013/10/21(月) 20:33:20 ID:AB6RqYXc

>>3213のつづきです。

 私は、考えます。

 宗教の目的は、人間の救済、「救い」 にある。

 では、人間の救済、「救い」 とは何か。

 それは、「幸福」 を与えることである。

 では、「幸福」 とは何か。

 幸福論と言えば、西洋の古典ではカール・ヒルティの 『幸福論』、アランの 『幸福論』 などが有名で、私も学生時代(約60年前)に読んで今も持っています。

 谷口雅春先生も 『幸福の哲学』 『幸福の原理』 『幸福生活論』 といった本も書かれていますし、『生命の實相』 第7巻生活篇の冒頭にも

<<われわれは人間として生まれて来た以上、幸福に暮したい。これは人間として、本能的にもっている欲望である。しかし人生はそんなに幸福な人ばかりで充たされていない。それはどうしたわけであろうか。その一つは彼らが「心の法則」を知らないこと、その二つは幸福とはなんぞやということを知らないからである。
……(中略)人間は金があっても必ずしも幸福にはなれないが、心をこの生き方にしたがわすとき、ひとりでに幸福になれるのだ。>>

 と書かれています。

 比較的最近に面白いと思ったのは、2005年2月28日付けの “TIME” 誌が “THE SCIENCE OF HAPPINESS” (幸福の科学<心理学>)というのを特集している記事です。それは雅宣先生の 『日時計主義とは何か?』 の101頁にちょっと紹介されており、私はその “TIME” 誌を買って持っていました。

 そこでは、世界の著名な心理学者たちがメキシコに集まって 「人間は何をもって幸福を感じるか」 についての調査結果などを発表し合った結果が17頁にわたってレポートされているのですが、集約すると、幸福の条件は金でもなければ健康でもない。持続的な幸福感は、明るい感謝の心や宗教心から得られる、という結論になっています。

 要するに、幸福は外的条件によって得られるのではなく、人の心にある、ということだと思います。

 幸福は、外にはない。内にある。感謝の心にある。

 このことに気が付かせ、大安心の心に導くのが宗教的救済であり、その救済をもたらすのが宗教の第一の根本的役割であろうと思うのです。


 さて、生長の家は今、その第一の根本的役割である宗教的救済を人々に与えているか。

 人間を、本来の 「神の子」 と見ず、自然環境を破壊する悪者の肉体的人間を見て、「人間至上主義はいけない」 「CO2排出を削減しなければ人間は救われない」 として環境問題にばかり力をそそぎ、宗教としての第一の根本的役割である 「人間救済」 をおろそかにしてきたのではないか。

 だから、信徒がどんどん離れて行って、教勢がどんどん落ちているのではないか――。

3217復興G:2013/10/21(月) 20:36:05 ID:AB6RqYXc

>>3214 :トキ様

ありがとうございます。本当に、そうですね。

3218復興G:2013/10/21(月) 20:58:17 ID:AB6RqYXc

 ところで皆さま、このweb誌友会のテキストですが、今月は 『生命の實相』 の第5巻前半ということでやってきました。しかし、a hope様は全40巻読破に向けて、時間さえあれば「生命の實相」を拝読し現在、第26巻の教育実践編を拝読中ということですし、ユタカさまが引用されたp.118も第4章で第5巻の後半に入っています。それで、もう 「前半」 という枠をはずし、今月は第5巻全部ということにして、今後毎月1巻ずつ勉強することにしたらどうかと思います。いかがでしょうか。

3219トキ:2013/10/21(月) 21:01:45 ID:3mgcm06U
>>3218

 私は賛成いたします。今後ともご指導のほど、お願いいたいます。

3220ユタカ:2013/10/21(月) 21:11:13 ID:R1D4Jmeg
 さて、生長の家は今、その第一の根本的役割である宗教的救済を人々に与えているか。

 人間を、本来の 「神の子」 と見ず、自然環境を破壊する悪者の肉体的人間を見て、「人間至上主義はいけない」 「CO2排出を削減しなければ人間は救われない」 として環境問題にばかり力をそそぎ、宗教としての第一の根本的役割である 「人間救済」 をおろそかにしてきたのではないか。

 だから、信徒がどんどん離れて行って、教勢がどんどん落ちているのではないか――。


全くそのとおりーーー!!!だと思います。

しかしだからこそ、真剣に勉強できるし、本当は100年後にこういうことが起きて収集がつかなくなると言うことが起こるかも知れないところをいち早く分裂沙汰が起きたのも何かの救いかも知れません。まだ、開祖先生をご存知の方が沢山いる時代だから素晴らしいです。 やる気の出ない駄本も使命を果たしているのではないでしょうか??

雅宣総裁が亡くなったら、さらに素晴らしい生長の家が出てくるような気がします。総裁先生の没後の話で申し訳ありませんが・・・

3221ユタカ:2013/10/21(月) 21:13:35 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

>>3219 賛成でーーーす。。。

いつも素晴らしいアイデアをありがとうございます!

3222トキ:2013/10/21(月) 21:18:24 ID:3mgcm06U
>>3216

 少し前にある教区の講習会に参加したところ、青年会時代の友人に久しぶりに会いました。講習会が終わってから、
近くに喫茶店に入って、少し話しをしました。

 彼女は、青年会時代、光明実践委員の資格をとり活躍していたのですが、結婚、出産、子育てと他府県への転居が
重なり、しばらく活動を休んでいたそうです。最近、子供が手がかからなくなったので、ご主人の許可を得て、活動
を再開、地方講師の資格も得て活動をしているそうです。(光明実践委員の資格は、ある一定の年齢で消滅します。)

 その彼女が、地方講師の受験前に注意されたのが、光明実践委員の受験の時と同じ内容の答案を書くと、今は不合格
になるから気をつけるように、との事でした。具体的に言えば、環境問題は外せない、教えの内容も谷口雅春先生の本
ではなくて、谷口雅宣先生の説き方で、理屈で説くようにと言われたそうです。講師補は、まだ、その程度で合格した
が、昇格試験は、総裁の本を舐めるように読まないと合格しないと言われているみたいです。

 『講師補の試験でも、昔の知識で書くと、記述式はもちろん、選択式の部分でも間違えるわよ。」

とも言っていました。ちょっと驚きましたし、寂しい気持ちになりました。

 おまけに、お互いの教区の様子を話すと、『信徒さんがどんどん減少している」という事では共通で、これも
思案してしまいました。

 どうも、話がずれてすみませんでした。

3223ユタカ:2013/10/21(月) 22:11:26 ID:R1D4Jmeg
信徒が減るのは高齢者が亡くなるからでは?

自分の支部に人が沢山来るように自分をみがきましょう。

総裁のせいではなく自分のカリスマが足りないと思ってさらに「神の子」を輝かせていきましょう、それしかない。。。気がする。。。

そういうと安東巌先生の言葉を思い出します。「雅宣先生は素晴らしい!講習会はすばらしいから人を沢山動員してください。動員できない人は自分に魅力がないのですから愛行をして下さい、そうすると講習会終了後に願いがかないます」と雅宣先生講習会を大絶賛していました、講習会推進の支部長宅訪問時のお話でしたね。

3224復興G:2013/10/21(月) 22:47:10 ID:AB6RqYXc

>>3220 :ユタカさま

>>しかしだからこそ、真剣に勉強できるし、本当は100年後にこういうことが起きて収集がつかなくなると言うことが起こるかも知れないところをいち早く分裂沙汰が起きたのも何かの救いかも知れません。まだ、開祖先生をご存知の方が沢山いる時代だから素晴らしいです。 やる気の出ない駄本も使命を果たしているのではないでしょうか??<<

>>3223

>>自分の支部に人が沢山来るように自分をみがきましょう。
総裁のせいではなく自分のカリスマが足りないと思ってさらに「神の子」を輝かせていきましょう、それしかない。。。気がする。。。<<

――えらい!

素晴らしい光明思想。一切者の自覚。

3225復興G:2013/10/21(月) 23:21:33 ID:AENtSm/U

 私は、昨夜の誌友会で、『生命の實相』 第7巻の

 (p.29) 「四、ひとの生命の実相を礼拝せよ」

 に関して、次のように話していました。

 実相礼拝の生活のヒントは――

 ◎ 「○○の実相」 (「夫の実相(または妻の実相)」) を拝むのではなく、

  「実相の○○」 (「実相の夫(または実相の妻)」 を拝む ことです。

 ――まず現象の夫(妻)を見てから、その奥にある実相を観るなんて考えるから、だめなんだ。

 まず先に神につくられたままの完全な夫(妻)を心に思い描き、それのみが実在で、現象に見える姿は夢まぼろし、絵空事だと否定するんです。

 なぜなら、「神こそ渾ての渾て、神は渾てにましまして絶対なるが故に、神の外にあるものなし。神は実在のすべてを蔽う。存在するものにして神によって造られざるものなし。」

 であり、

 「すべて真実の実在は、神と神より出でたる物のみなり。神は完全にして、神の作りたまいしすべての物も完全なり。」(聖経『甘露の法雨』)

 ――ですから。

 そしてまた、

 「総裁の実相を拝む」 なんて考えたら、だめ。

 「実相の総裁」 を思うのです。

 「実相の総裁」 というのは、神界にある生長の家本部にいます生長の家大神、住吉大神そのものでいらっしゃいます。

 その生長の家大神は、外に在(いま)すのではなくて、わが内にいます。

 その、わが内にいます生長の家大神なる総裁を、拝むのですね。

 ありがとうございます!

3226復興G:2013/10/21(月) 23:29:20 ID:AB6RqYXc

「悪」 という積極的存在が 「ある」 のではない。

悪と見えるものは、「善」 が顕れ出ようとする過程なんですね。そう見るのが光明思想であり、生長の家の御教えなんですね。

3227復興G:2013/10/21(月) 23:36:58 ID:AB6RqYXc

ありがとうございます!

3228ユタカ:2013/10/22(火) 04:28:19 ID:R1D4Jmeg
ああ、そうでした!!

ありがとうございます!!

素晴らしい! 今此処実相か! 「善」の現れる過程ですか!

よく分かります!全部! ありがとうございます!

3229ユタカ:2013/10/22(火) 04:37:35 ID:R1D4Jmeg
我が内にいる総裁が分かりません・・・

3230ユタカ:2013/10/22(火) 04:38:51 ID:R1D4Jmeg
すべて自分の内にある?

3231ユタカ:2013/10/22(火) 07:27:21 ID:R1D4Jmeg
神様と自分だけではダメなのですか?

総裁も我が内にある ということはどういうことでしょうか?

3232神の子さん:2013/10/22(火) 08:27:22 ID:Z0r.fvXk
>>3223
安東先生って、そんなつまらないことおっしゃったなんて信じられないです。

まさのぶさんが、素晴らしいのではなく、教えが素晴らしいんでしょ?
結局は、まさのぶさんに魅力がないから信徒も魅力がなくなるんですよ。

3233a hope:2013/10/22(火) 09:24:42 ID:Zlo2YeaM

ユタカさま、神の子さん、よこぎりまして申し訳ありません。

>>3218 復興Gさま

<<今月は第5巻全部ということにして、今後毎月1巻ずつ勉強することにしたらどうかと思います。いかがでしょうか。>>

賛成させていただきます。

「生命の實相」は全巻を通して、何度も同じ真理が、言葉や表現を変えて説かれていると思いますので、
できれば範囲は全40巻からということにしていただきたいくらいですが、それでは広範囲すぎますので、
毎月1巻ということに範囲を決めておいても、実際はそれほどこだわらなくてもいいのではないかと思いました。

たとえば、今月の範囲の第5巻第5章の『「ねばならぬ」を解放する宗教』では、小見出しに、
「生長の家とは何であるか」「宗教本来の使命」「各宗門は家に入る通路」「生長の家とは何か」・・・
とあるように、宗教や生長の家の使命に関した内容が論理的に述べられています。

そして、現在、わたしが拝読中の第26巻第4章『宗教教育をいかに施すか』の中の内容は、
谷口雅春先生が、校長先生や社会評論家などを交えて座談会形式で「宗教とはいったいどういうものか」を話し合われています。

わたしは今まで自分の読書に関してはこだわりがありまして、「生命の實相」のような続き物(?)は、
第1巻から順番に自分が納得できるまで読み込む形で読破していかないと気持ちが落ち着かなかったのです。

ですが、「生命の實相」に関しては、結局、同じ「真理」が形を変えて何度も説かれているということがわかってきました。
だから、拝読していて少しくらい意味の通じないところがあっても、どんどん読み進んでいってかまわないということにやっと気が付きました。

ですから、わたし自身は全巻読破に向けて、これからはどんどん拝読を進めていかせていただきますが、
その中で、このweb誌友会の話題に外れない内容に関しましては質問・問題提起などさせていただきたいと思っています。

復興Gさま、トキさま、ユタカさま、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

3234復興G:2013/10/22(火) 11:50:09 ID:AB6RqYXc

>>3229>>3231 ユタカさま

>>我が内にいる総裁が分かりません・・・
すべて自分の内にある?
神様と自分だけではダメなのですか?
総裁も我が内にある ということはどういうことでしょうか?<<

――お返事が遅くなって、すみません。

 「総裁も我が内にある」

 と言った時、私は

 「生長の家大神なる(実相の)総裁が、わが内にある」

 ということしか考えていませんでした。

 現象の、不完全と見える総裁は、夢まぼろしのごとく、本来無い。時間も空間も本来無いのですから、時空間の中に現れて見える姿は、みんな影であって本来無い。

 時空超脱の 「久遠の今」、「時空間はわが内にあり」 というところに立てば、「すべてはわが内にあり」 となる。

 ――それは、観念的にそうなるのですが、もう少し具体的に考えると――

 現象の、不完全と見える総裁は、私たちの現在の心境に於いて、必要な姿として使命を果たして下さっている、と私は考えます。

 それは、>>3220でユタカさまが

>>だからこそ、真剣に勉強できるし、本当は100年後にこういうことが起きて収集がつかなくなると言うことが起こるかも知れないところをいち早く分裂沙汰が起きたのも何かの救いかも知れません。まだ、開祖先生をご存知の方が沢山いる時代だから素晴らしいです。やる気の出ない駄本も使命を果たしているのではないでしょうか??<<

 と書いて下さったような使命を果たして下さっていると思います。

 本当に、雅宣総裁と教団が今のような状態で、分裂沙汰が起きてきたからこそ、私たちはこうして真剣に 『生命の實相』 を学ぶようになれたのですからね。

 本当にありがたいことだと思いますが、いかがでしょうか。

3235復興G:2013/10/22(火) 12:00:50 ID:AB6RqYXc

 雅宣総裁は、今の現象から見ると、「ワンダー・フル」 (不可解なことがいっぱい) な総裁です。

 しかし、もっと長ーーーい目で見たら、本当に 「ワンダフルな」 (素晴らしい) 総裁なのかも知れませんよ。

 信徒一人一人が本当に 「神の子」 の自覚に目覚めるために。

3236復興G:2013/10/22(火) 12:10:14 ID:AB6RqYXc

 トキ様、a hope様、テキストの件についてご賛同ありがとうございました。

 では、今後とも どうぞよろしくお願いいたします。

 合掌 ありがとうございます。

3238ユタカ:2013/10/22(火) 23:16:48 ID:/B6zFSOc
復興Gさま 

分かりました、私「総裁」と言う文字に拒絶アレルギーがあるのかも知れませんね、どうもすみません。。。

神の子さま

安東先生は講習会の動員の手段は数・数・数を追っていました。 「とにかく誘え! 雅宣先生は素晴らしい!!」って大絶賛していました。

有名でしょ、こんな話。 それで講習会に人数は上がるけど、午後から会場はガ〜ラ〜〜ンとしらけ切ったムード満載です。。。

講習会の無い年は一般の有名人を呼んでいたので、会場は午後の最後の時間まで満杯!!

総裁、ミジメ〜〜〜! 総裁はしらないでしょ、こんな現実。。。 金魚の糞のようにくっついているオッサンの誰かが教えてあげれば親切だと思うよ。

3239ユタカ:2013/10/23(水) 06:24:29 ID:R1D4Jmeg
自分が「生長の家 総裁」なんだ!

と思って日々の伝道を行うというのではどうでしょう??

うん! これ、いいかも!! 

復興Gさま、これって神の子自覚になりますか??
おかしい??

3240復興G:2013/10/23(水) 10:07:49 ID:AB6RqYXc

ユタカさん、またお返事遅くなりました。

>> 私 「総裁」 と言う文字に拒絶アレルギーがあるのかも知れませんね <<

 いや、私も実は、それ、ありますね。

 「総裁」 といえば 「雅宣総裁」 が浮かんでしまう。そうすると 「私の中に生長の家総裁がある」 とは素直にすぐ思えないものがあります。

 それで、

 「生長の家大神なる(実相の)総裁が、わが内にある」

 と、現象の世界を去って実相(久遠の今)の方から思い直したんです。

 そうして、「実相独在」 「実相・現象 渾然一体」 と祈る。

 そんなことをやっています。

>>自分が 「生長の家 総裁」 なんだ!
と思って日々の伝道を行うというのではどうでしょう??
うん! これ、いいかも!! 
復興Gさま、これって神の子自覚になりますか?? <<

 ――そういう気持で日々の伝道を行うというのは、素晴らしいことだと、私は思いますね。信徒がみんなそういう気持で伝道すれば、すごい、素晴らしいことになると思われます。

 私は、まだそういう気持にまでなっていませんでした。

 神の子の自覚が、足りませんでした。

 あらためて、思い直します。

3241復興G:2013/10/23(水) 11:27:58 ID:AB6RqYXc

 谷口清超先生のご著書 『愛と祈りを実現するには』 に、次のような素晴らしいご文章があります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   愛は生きている (p.256〜 )

 断乎として立ち上り、良心の命ずるままに従え。神示に従え──如何に困難であろうともそれに従え。立ち上った時、かならず道は開けてくるのである。

 壁に向かって突き進む時、壁は汝のために扉を開き、その彼方に楽園があるのだ。花咲き、鳥歌い、甘露の泉がわく所がある。吾々はそれに到ることが出来る。ただ愛を実行する勇気を示すことによってのみそれが出来る。

 「宗教時報」 の何月号かに二人の闇の女(注・売春婦)が更生をちかった投書がのせてあった。彼女らは電車の中で一人の美しい婦人が、ボロボロの服をまとった老婦人をいたわりはげましている会話をきいたのである。美しい婦人は、醜い婦人の生活苦の話をきいて、それをなぐさめ、はげまし明るい希望を与え、そうして最後に、千円札を彼女の荷物の中にそっと落してやったのである。貧しい婦人は、乗り換えの駅で、美しい婦人に両手を合せ、土下座して、泪(なみだ)を流して、伏し拝んで礼を言ったのである。闇の女は、この光景をみて、それ以来郷里にかえって正業にかえる決心をしたという投書である。

 諸君はこれを何でもない事だというであろうか。行きずりの 「愛」 の行為が少なくとも三人の女を救うということは、神に於いて偉大なる行為ではあるまいか。百千の議論を討わし、如何に立派な頭脳をもち金をもち合せていても、それを批判と不決断と下劣な欲望とに浪費する者は、よく反省しなければならない。諸君よ、「愛」 は生きている。生きているが故に愛は人間に生命を吹き込むのである。

   人間が幸福となる喜び (p.341〜 )

 吾々は他の喜びを吾が歓びとするのである。ひとが幸福であることが此の上なく喜ばしく感ぜられる。吾が喜びのために、ひとの喜びを犠牲にするのではなく、彼女が幸福であることが吾が歓びであり、彼の成功が吾がことのごとく喜ばしいのである。

 「生長の家」 の御教えが全国に伝えられるのは限りもなく喜ばしい事であるが、それは人々がこの御教えによって幸福になることがわかり切っているから喜ばしいのであって、教団が拡張するのが喜ばしいのでもなければ、同士がふえるのが楽しいのでもないのである。人間が真に幸福であること以外に吾々の喜びはない。

 「生長の家」 という名前が地上から消滅しても、生長の家の説く 「人間神の子、不幸なし」 の御教えは不滅であるから人類は幸福であり、その人類の幸福が、又同時に吾々の幸福なのである。若しかりに、教団の組織が、麻の如くみだれたとしても、吾々はそれによって人間神の子の真理がくもらされるとは思わないし、吾々が完全円満である神の子であることに狂いが来るとも信じない。何事もないのである。畢竟 「吾が国は此の世の国にあらず」 である。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 以上は谷口清超先生著 『愛と祈りを実現するには』 (昭和27年2月、日本がまだ戦後、占領下にあった時に初版が発行されたもの)からでした。

 今日の私たちのために書かれたご文章のようです。

 ありがとうございます。

3242ユタカ:2013/10/23(水) 22:29:08 ID:R1D4Jmeg
以上は谷口清超先生著 『愛と祈りを実現するには』 (昭和27年2月、日本がまだ戦後、占領下にあった時に初版が発行されたもの)からでした。

 今日の私たちのために書かれたご文章のようです。

 ありがとうございます。



本当に!! 自分のために書かれた文章だと思いました。
このようなご文章を見つけて長文を謹写くださり、復興Gさま、本当にありがとうございます。

それにしても、次から次へと総裁は課題をくれますね。。。

3243ユタカ:2013/10/23(水) 22:31:16 ID:R1D4Jmeg
> 雅宣総裁は、今の現象から見ると、「ワンダー・フル」 (不可解なことがいっぱい) な総裁です。

 しかし、もっと長ーーーい目で見たら、本当に 「ワンダフルな」 (素晴らしい) 総裁なのかも知れませんよ。

 信徒一人一人が本当に 「神の子」 の自覚に目覚めるために。



これが、真実なのだと思います。 それにしても、明るくて楽しい表現ですね! 復興Gさま! 面白くて楽しくなってしまいます!!

3244復興G:2013/10/23(水) 22:59:29 ID:AB6RqYXc

>>3242>>3243

ユタカさん

メッセージを受けとってくれて、ありがとう!!

3245ユタカ:2013/10/23(水) 23:26:59 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

復興Gさまのいつもの素晴らしいメッセージは、ここに書いている人もいない人もみんな(万人)が受け取っていると思います。

ユタカは返事を書いていない時も、(読むたびに)感謝しています。 どんどん進んでいく速度に間に合わずに、返事の抜けが多くて、申し訳ありません。

3247トキ:2013/10/28(月) 00:17:57 ID:Ra1M0mRc
>>3241
 
 復興G様が極めて貴重なご文章を投稿されたので、再度、注目してもらうために
書きます。

 谷口清超先生は、個人的にはかなり組織の充実に力を入れた方だという印象を
持っていました。これは、職員さんの待遇も悪く、苦労された人も多かったとも聞いて
います。私が新米の頃に徳久克巳先生に聞いたところでは、理事(その頃は参議はなか
ったと思います)でも給料が安かったと聞いています。そのため、運動を発展させる
ために、組織の充実に力を入れられたと思います。

 ただ、谷口清超先生御自身は、そんな無茶な運動の展開はご希望ではなかったと
思っています。それは、講習会の前の特別幹部会で、当時の百万運動について、青年会
の執行委員長に『結婚資金までつぎ込んでいる人がいると聞いていますが、そんな無理
はしないように」とご指導をされ、数字を減らすようにと言われているからです。

 しかし、そういう先生のお心を知らずに、無理を言う幹部はいました。組織が拡大した
のは嬉しい事ですが、やはり無理がなされ、それが積もり積もって、今回のような事の
遠因になったと感じます。

 一連の騒動で、信徒さんの中には、かなり恥ずかしく感じ、組織は勿論、信仰にまで
動揺を感じている人がいると思いますが、このご文章を読んで下されば、信仰の大切さ
を感じる事ができると思います。

3248トキ:2013/10/28(月) 00:22:03 ID:Ra1M0mRc
 数日、誌友会に書き込みがありませんが、気軽に書き込んで下さい。
むしろ、新人さんや、あまり投稿をされなかった方々のご投稿をお待ちしています。

 よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

3250神の子さん:2013/10/28(月) 07:36:23 ID:AB6RqYXc

>>3247>>3248 トキ様

ありがとうございます。


皆さま、ありがとうございます。

ここ数日私は公私いろいろ日程が詰まって多用だったためご無沙汰しました。

今月もあと残り少なくなりましたので、私もまた書き込みをさせていただこうと思っていますが、どうぞ皆さまも遠慮なくご投稿ください。

ありがとうございます。

3251トキ:2013/10/28(月) 09:37:48 ID:gh6g3OwI
>>3520

 復興G様、ご返信ありがとうございました。
失礼をしました。また、ご指導のほど、お願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

3252復興G:2013/10/28(月) 10:12:14 ID:AB6RqYXc

トキ様、ありがとうございます。

>>3250 :神の子さん は、復興G でした。

3253復興G:2013/10/28(月) 10:24:59 ID:AB6RqYXc

 テキスト 『生命の實相』 第5巻 <第5章 「ねばならぬ」 を解放する宗教> p.124〜 に、次のようにあります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       宗教本来の使命

 宗教本来の使命からいいますならば、宗教というものは人間を互いに和解せしめる働きをしなければならないものだと思いますが、この、人間を互いに和解せしめる働きをしなければならぬ宗教が、かえって人間を争わせる結果となるというのは、どうしてそんなことになるかと申しますと、それは一つのものに凝(こ)りかたまって、ほかのものの善さを見ることができないからであります。自分のものばかりが善いと思ってそれにばかり凝りかたまるから、他のものの善さを見ることができず互いに争わねばならぬようになるのであります。

 宗教は人を救うものだと申しますが、その 「救う」 ということはどんなことかと申しますと、「天国」 という物質的設備の至れり尽くせりの一区劃(くかく)に救い上げてもらうことでもなければ、極楽という装飾満ち備わった一環境へ連れて行かれるということでもない。人間が人間本来の 「無限の自由」 を回復することであります。

 「自由」 という言葉は近代的な言葉でありますが、古くからの仏教語で申しますと 「解脱(げだつ)」 ということであります。「解脱」 の反対は 「障(さわ)り」 とか 「凝り」 とか 「執着」 とかいいまして、何かに凝りかたまり引っかかってとらわれることをいうのであります。何かに凝りかたまり引っかかると、もうその人は自由ではない。方々へ衝突してスラスラとゆかないのであります。

 この 「解脱」 といって、凝りかたまりを無くすると本当にその人の 「生命」 が自由になる、この人間自身の 「生命」 が本当に自由になることを救われるというのでありまして、天国浄土と称する金殿玉楼(きんでんぎょくろう)の中におかれていましても、その人の 「生命」 にとらわれがあり、引っかかりがあると環境はいくら結構そうに見えましてもその人はあせったり、いらいらしたりして苦しむ、結局救われていないということになるのであります。

 それでいずれの宗教の開祖でも、この人間の 「生命」 を自由にするために教えを編み出されたものでありますから、どの宗教へ這入(はい)りましても、その神髄のところまで入り込んでゆきますと 「生命の自由」 を得る――すなわち本当に救われるということになるのであります。

 ところでその宗教で本当に救われた人が一人でも二人でも数人でもできてまいりますと、多くはその宗教の門に這入らなければ救われない、他の宗教の門から這入っては救われないというような偏見が湧いてきやすいのであります。

 だからキリスト教信者の大道演説などを見ていますと、 「キリスト教でなければ救われない」 と大声疾呼(たいせい しっこ)していますと、その隣に仏教僧侶が袈裟衣(けさぎぬ)を着け、 「仏教でないと人間は救われない」 とやり返しているような場合がおうおうあるのであります。そういう場合、仏教の悪口をいっているキリスト教の牧師に 「君はどれだけ仏教を研究してみたか」 と尋ねると、ギャフンとまいって返答に困るのであります。

<つづく>

3254復興G:2013/10/28(月) 10:25:46 ID:AB6RqYXc

<テキスト謹写 つづき>

(『生命の實相』 第5巻 p.126〜 )

       各宗門は家に入る通路

 救われるということは、人間がその本来の生命の自由を得るということでありますから、多くの高徳達識(こうとく たっしき)の開祖たちはその時代に応じ、人に応じて、人間本来の生命の自由を得る門をお開きになりましたのであります。

 その宗門を通って自分が救われたからといってその人が、他の人もその門にはいるように誘いたいというのは人情の当然のことでありますが、「救い」 に到達する 「門」 は、自分の宗門一つで他にそんな 「門」 はないと考えて、ほかの 「門」 から這入ってみたこともない癖に、ほかの 「門」 に難癖をつけたりけなしたりすることは慎しむべきことだと思うのであります。

 それで 「生長の家」 はそういう各派の宗教に対してどういう位置にあるかと申しますと、 「生長の家」 は 「家」 といってなになに教といわないのであります。なになに教といって各派の宗門に対立するような宗門ではないのであります。

 一つの門から他の門へ這入(はい)るのでしたら、一方の門を出てから他の門へ這入らねばなりませんけれども、これは相対的に立っている宗教の門としては必然のことでありますが、それでこそ他の宗門排撃ということも起こるのでありますが、「生長の家」 は宗門ではない。門でないから、他の宗門を出てこの門へお這入りなさいということは申さないのであります。

 「生長の家」 は 「家」 であるから、どの宗門からお這入りになりましても一向さしつかえはありません。どうぞ御遠慮なく御自分の宗門をそのままズッと奥まで、内陣までお這入りなさい。そこに広々とした奥座敷がある――

 その奥座敷が 「生長の家」 というのであって、この奥座敷には、どの宗教門をお這入りになった方でもかまわない。ずっと深くその教えの堂奥までお這入りになるならば必ずそこに到達する――それは広い解脱の境であって、本当の自由の境であるから、もう宗派争いなどということはない。

 あらゆる宗門からお這入りになった方も、皆互いに 「生長の家」 の家族として仲よく手をつないで生活できる境地になる――これが 「生長の家」 なのであります。

 だから 「生長の家」 は一面では人間を和解させるのでありますが、また一面宗教と宗教とを和解させる働きをももっているのであります。

       生長の家とは何か

 そんな自由な宗教があるものかと驚かれるかもしれませんが、「生長の家」 は宗教というべきか生活というべきか、思想というべきか、光明思想普及団体というべきか、教化団体というべきか、わたしは知らないのであります。

 まあ、どのようになりと名前をおつけになるがよい、ただ、在来の宗教というものは、教えというものと生活というものとが離れ離れになっている、教えは教え、生活は生活というふうに分れ分れになっていて宗教は信ずるが、家庭はなっていないとか、家族に不幸や病人の絶え間がないとかいうようになっていて、宗教とは心だけの救い、実生活にはなんの関係もないものだというふうになっていましたが、「生長の家」 では教えがそのまま、生活上の救いになっているのでありまして、教えを聴いて病気が治る、教えを読んで貧乏が治る、夫婦喧嘩が治る――というふうになっているのであります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

3255復興G:2013/10/28(月) 11:27:15 ID:AB6RqYXc

<< 救われるということは、人間がその本来の生命の自由を得るということであります >>

 と、上記 >>3254 にありました。

 これを拝読して、思ったこと――


 「救われる」 ということは、「解放される」 ということである(解脱)。

 人間はみんな 「自由」 を求めている。

 イエス・キリストは、新約聖書ヨハネ伝第8章31〜32節で、

 「汝等もし常に我が言(ことば)に居らば、真(まこと)にわが弟子なり。また真理を知らん、而して真理は汝らに自由を得さすべし」

 と言っています。このイエスの言葉

 「我が言(ことば)に居らば」

 とは、どういう意味でありましょうか。

 それは、同じくヨハネ伝の第1章1〜4節に

 「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬(よろず)の物これに由(よ)りて成り、成りたる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」

 とあります。その 「太初(はじめ)」 とは、時間も空間もまだ現れない前の、「未発の中(みはつのちゅう)」 すなわち 「久遠の今」 である。その 「太初(はじめ)」 にある 「言(ことば)」 に 「居る」 とは、神の生命そのもの、光そのものを生きる、「吾が生くるは吾が力ならず 天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)」 と、己をむなしくして天地に満ちる生命をただ喜んで感謝いっぱいに生きる、ということでしょう。

 それは、釈尊が 「天上天下唯我独尊」 と言われたように、「我れの外にあるものなし、自分は一切者である」 というところに立つこと。

 そこが 「生長の家」 である。

 それが、すべての教え(万教)の 「奥座敷」 である。

 そこに到ると、自ずから万教は一つに帰して、即、和解できてしまう――ということになる。

 「外にはない、すべては我が内にある」

 これがキーワードだと思いました。

3256トキ:2013/10/28(月) 13:34:28 ID:gh6g3OwI
 古典的な宗教は、外の神様におすがりする、という発想のところが多かったみたいです。
しかし21世紀になり、多くの既成宗教を含めて、内在の神様を見るという信仰こそ本当の宗教で
あるという事に気がつかれたと感じます。

 宗教が原因で、戦争や争いが起こるのは、この外の神様にすがるという発想が原因だと思います。

 釣りをする人は、『釣りはフナから始まり、フナに終わる」というらしいですが、生長の家の信仰
も、ここから始まるような気がします。簡単なようで、奥が深いと感じます。

3257トキ:2013/10/28(月) 21:02:31 ID:gh6g3OwI
web誌友会参考文献板
>>159

 榎本恵吾先生が書かれたご文章ですが、運動を経験しているので考えさせられました。
地道な運動よりも、目先の数字をおいかける傾向はありました。ただ、今からでも間に合い
ますから、信徒の一人一人が、運動や信仰を原点から考え直すべきだと思います。

 いつもすばらしいご文書をアップして下さる、復興G様に心から感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

3258復興G:2013/10/28(月) 22:18:22 ID:AB6RqYXc

 環境問題について考えてみたいと思います。

 三界唯心、環境はわが心の影である。

 その 「環境」 には、もちろん 「自然環境」 も含まれる。

 人間は神の子として、自然環境をも霊的に支配する権能を神から与えられている。

 それは、『生命の實相』 第11巻 「万教帰一篇」 (p.31) で、旧約聖書 「創世記」 に

○神、彼等を祝し、神、彼等に言い給いけるは生めよ殖えよ、地に満てよ、之を従がわせよ。又海の魚と空の鳥と地に動く所の諸(すべ)ての生き物を治めよ、神いい給いけるは視よ、我全地の面にある実蓏(たね)のなる諸ての草蔬(くさ)と、核(たね)ある果実(このみ)の生(な)るすべての樹とを汝等に与う、これは汝らの糧となるべし。又、地の諸(すべ)ての獣と天空(おおぞら)の諸(すべて)の鳥および地に匍(は)う諸の物など、凡そ生命ある者には、我れ食物として諸の青き草を与うと。即ち斯くなりぬ。神その造りたる諸の物を視たまいけるに甚だ善かりき、夕(ゆうべ)あり朝(あした)ありき是れ六日なり。(『創世記』第一章―二八〜三十一)

 とあり、そのご解説として

 (p.33)
 << なおこの一節で注意すべきことは、神の像(かたち)のごとく完全につくられたる 「人間」 こそ万物の霊長であって、他のいっさいのものを支配する権能を与えられている真理がいとも明らかに現わされていることであります。神は人間を祝福してすべての生き物を治めよと宣(い)いました。これ神の命令(みことば)であります。神の命令は絶対的なものであって、いかなる権威者もこれに逆うことができないのであります。>>

 とある通りであります。

 なお、自然環境について、谷口雅春先生は 『神 『新版 真理』を告げ給う』 に、神のみことばとしてどのように書かれているでしょうか。抜粋謹写させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(p.20〜)
 “わたし” は一切の現象の中に “わたし” の智慧と愛と生命とを顕現している。 “わたし” を見たければ森羅万象を見ればよいのである。しかし肉眼でそれを見るならば、必ずしも “わたし” の創造した万象の “真実の姿” を見ることはできない。何故なら、肉眼で見る人は、自分の先入観念や迷いの念で “雲” をつくって “真実の姿” を覆い隠しているからだ。だから神想観の時には肉眼を瞑じて、心の眼をひらいて実相を直視せよというのである。

          ○

(p.30)
 “わたし” は天地一切のものを創造った。そして人聞を最後に “わたし” の最高の自己顕現として造った。 “わたし” は最高の智慧であり、完璧の善であるから、 “わたし” の創造した一切のものはことごとく完璧の善であって “悪しきもの” は何ひとつ無いのである。(後略)

          ○

(p.39〜40)
 “わたし” の心は、限りなく、一切のもの――有情(うじょう)・非情(ひじょう)の悉く――を包容して余すところがないのである。包容しているというのも本当は適切ではないのである。有情・非情の悉くは “わたし” 自身のアイディアの展開であるのであって、その展開せる生物・無生物を存在せしめ、ところを得せしめているのは “わたし” のいのちそのものの力によるのである。

 “わたし” は到るところの空間に、そして凡(あら)ゆる時間に充ち満ちているのであって、限りがないのである。空間も時間も、 “わたし” のアイディアの展開である。 “わたし” が “空間” というアイディアを引っ込めれば “空間” がなくなり、 “わたし” が “時間” というアイディアを引っ込めれば “時間” がなくなる。 “時間” も “空間” も、 “わたし” が現象界に “わたし” のアイディアを演出するための舞台とその持続をあらわすために “わたし” がつくった認識の形式に過ぎないのである。

          ○

(p.40〜41)
 “存在する” ということは “わたし” のアイディアがそこにあるということであり、そこに “わたし” のアイディアが展開してあるということである。 “わたし” のアイディアは常に善であるから、凡そ真に “存在する” ものは “善なるもの” のみであって、 “悪” なるものは存在しないのである。病気というようなものは “悪” であるから、 “わたし” のアイディアの展開ではない。従って、それは如何に存在するように見えても、本当は存在しないのである。

 不幸・災難の如きは、 “わたし” のアイディアの展開ではないから、それは如何に存在するように見えても、本当は存在しないのである。 「存在しないのだ」 と心に強く否定して、それからその否定が現実になるように現象的手続を着々と行うがよい。

<つづく>

3259復興G:2013/10/28(月) 22:19:13 ID:AB6RqYXc

< 『神 『新版 真理』を告げ給う』 より謹写 つづき>

          ○

 (p.79〜80)
 更に、人間は万物の霊長であるから、単に人間同士が相愛して、互いに傷つけるような事を慎まなければならないのは無論であるが、あなたは天地の万物に対しても “愛” をもたなければならないのである。

 今まで多くの人間は、自然界の動植物を、自分の利益と快楽とのために利用し得る間は、好き候に利用しつくして、あとは棄ててしまって顧るということをしなかったのである。所謂(いわゆ)る “使い棄て” 精神で、万物の生命をおろそかにし、それに感謝することを忘れ、折角の美しきものを醜くして、悪臭芬々(あくしゅうふんぷん)たる状態にして流し棄てていたのである。

 現今、 “公害・公害” といって騒がれているのは、結局、人間自身が自然界の万物に対して “愛” をわすれて使い棄てにしていた報いである。

 人間でも、美しく元気で役に立ったり、楽しむことが出来る間は、利用し娯(なぐさ)みものにしながら、年老いて醜くなり弱ってしまって来たならば、 “使い糟(かす)” として棄ててしまうというようなことは、人間の心に “愛” が目覚めている限りは出来ないことであり、また、してはならない事なのである。

 人間に対してだけではなく、自然界の一切の事物も、ことごとく 「神の生命」 の自己顕現であるから、人間と兄弟姉妹の関係にあるのであるから、美味(おい)しいところだけを利用して、あとは醜い姿にして棄ててしまうようなことをしてはならないのである。

 自然界の万物も、みな “わたし” の生命の顕現であるから、もっと尊敬し、愛し、醜く廃(すた)れたものでも何でも生かして使ってやろうという行きとどいた愛念をもって万物を扱うならば、あなたは廃物と見えた煤(すす)の中にも輝くダイヤモンドと同質のものが秘められていることを発見し、そこから金剛(こんごう)の光を発することが見られるであろう。

 善きものの発明や発見はそのような心構えから出て来るのである。万物はすべて愛念をもってその実相を見るならば、そこには廃物というものはひとつもないのである。愛念をもって廃物に接すれば、その廃物の内に潜む宝庫を見出し、その宝庫の扉をひらくにはどうすればよいかの智慧もおのずから湧き出て来るのである。使い棄てにして万物のいのちを大切にせぬものは、その報いをみずからの生活で収穫しなければならないのだ。

          ○

<ここからが大事なところだと思います>
 (p.81〜82)
 だいたい一旦、罪を犯した者が、再び罪を犯すようになるのは、再び罪を犯す事そのことが自己処罰の一形式であるからなのである。

 みずから再び罪を犯す事が自己処罰であるというのは、いつまでも彼自身罪を繰返し繰返しして 「罪の世界」 の檻(おり)の中にみずからを監禁していて、彼自身を 「罪の世界」 から出られないように閉じ込めているからである。

 彼を 「罪の世界」 という檻の中から解放して自由の身にしてやるためには、自己処罰をする必要のないように彼をしてやらなければならないのである。換言すれば自己を “罪人(つみびと)” だとか “罪の子” だとか “罪悪深重(じんじゅう)の凡夫(ぼんぶ)” だとか思う必要のないようにしてやらなければならないのである。
 すなわち “罪悪意識” から彼を解放してやらなければならないのである。

 本当に正しい宗教は人間を此の “罪悪意識” から解放してやるために、 “わたし” が教祖となる人々を選んで、 “人間本来罪なし” の真理を説かせるように仕組んだのである。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――正しい宗教として、本当に人間を救い、自然を救うためには、根本――神に立脚しなければならない。それには、この最後のところが一番基本となる大切なところではないでしょうか。

 「人間至上主義ではいけない」 と言われるときの 「人間」 とは、「罪の子」 なる 「肉体人間」 を指していると思います。そこから一転して、「神の子・人間」 至上主義に立ち還らなければ、宗教としての最も大切な使命を果たすことにならないのではないでしょうか。

3260復興G:2013/10/28(月) 22:23:01 ID:AB6RqYXc

ごめんなさい。

『神 『新版 真理』を告げ給う』

は、 『神 真理を告げ給う』 の誤りでした。お詫びします。

3261復興G:2013/10/28(月) 22:38:09 ID:AB6RqYXc

『神 真理を告げ給う』 の中で、“わたし” とあるのは 神御自身であり、神の御言葉であります。

3265復興G:2013/10/31(木) 14:58:37 ID:AB6RqYXc

 今月のテキスト 『生命の實相』 第5巻 第5章より

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

      「なければならぬ」 を捨てよ (p.138)

 こうでなければならぬ、ああでなければならぬというのは人間の小智才覚の凝(こ)りであります。この心の凝り――こうでなければならぬ、ならぬならぬという凝りが心の中にありますために、その 「なければならぬ」 という自分で作った法則に自縛(じばく)せられて、ちょっとでもその法則を破ると身体が衰弱したり病気になったりするのであります。

 ところが 「こうでなければならぬ」 と心で掴(つか)んでいる凝りをパッと放してしまうと、人間は本来の自由を得る――どうしなくとも生きられる本来の自由な自分自身を見いだすのであります。工藤てつさんが、「人間は食べ物を食べなくとも生きられる」 と悟られたら、かえって今まで食道を通らなかった食物が通るようになった。ここに人間生命を生かす奥義――すべての病を癒やす秘訣があるのであります。すべての 「ねばならぬ」 が破れた時に、すべての自分の作った 「ねばならぬ」 に束縛せられていた自分の生命の自由が解放されるのであります。


     宗教同志争うな (p.172〜 )

 人類が各自に異なる宗教を信じているがために、夫婦でさえもこのように互いに争わなければならないというのでは、宗教は人間を悩ますためにあるのか人間を悩みから救うためにあるのかわからないということになるのであります。その悩みのために肉体に病気まであらわしている人がどんなに世界には多いか知れないのであります。

 こんなことでは宗教は人間を救うことができない。宗教そのものが争っているのですから、その宗教を信ずる人同士が争うのは無理もありません。だからその争っている宗教を包容して、一つに和解さすところのズッと広い大きな真宗教が出てまいらなければならないはずでありますが、それが 「生長の家」 なのであります。

 ふつう一つの宗教が出現しますと、その宗教を信ぜしめるため、今までの宗教を捨てさせて今度の宗教に改宗せしめようと思って、その宣伝に当たる人が苦心するものでありますが、 「生長の家」 ではそういうことはいたさないのであります。どの宗教の信者が来られましても、 「その宗教を止めて生長の家へ入れ」 とは申さないのであります。そして 「あなたはあなたの宗教の神髄に帰れ」 というのであります。

 「そちらの宗教を止めて、こちらの宗教に入れ」 ということになると、暗にそちらの宗教は悪いといっていることになりますから、そちらの宗教を信じている人は、 「ナニ、僕の信ずる宗教が悪いというが、貴様の行ないは現になっておらんじゃないか。貴様の信ずる宗教が悪いからそんな行ないをするのだ」 というふうに互いに審判(さば)き合いをしなければならなくなるのであります。

 そうなると夫婦でさえも常に争って、揚句(あげく)の果(はて)には病気にならなければならないのでありますから人生全体が光明化されるはずがない。ところが 「生長の家」 のように 「あなたはあなたの宗教の神髄に帰れ。そこに真実の道があり、それが生長の家である」 といわれると、もう争いようがない。

 キリスト教はキリスト教のままで救われている。仏教は仏教のままで救われている。神道は神道のままで救われているということになりますから、宗教争いをしようにも宗教争いのしようがなくなるのであります。こうして、この天理教信者の御主人は天理教そのままでいて、先の信仰よりも深く這入(はい)って行きお救われになったのであります。

 <つづく>

3266復興G:2013/10/31(木) 15:04:08 ID:AB6RqYXc

 <今月のテキスト 『生命の實相』 第5巻より謹写 つづき>

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(p.173〜 )
 ――この 「あなたはあなたの宗教の神髄に帰れ。そこに真実の道があり、それが生長の家である」 というのは、

 「時空間は認識の形式に過ぎず、時間・空間本来なし」

 「時空間をも生み出した本源世界に、既に大調和・無限生命、無限供給、無限歓喜の実相があり、時空間の中に展開されて見えるところの現象はすべてその影に過ぎず、本来なし」

 という 「久遠の今」 に立ち還ること。

 そこにすべての宗教の神髄があり、そこに真実の道がある。それが生長の家である。

 そこに立ち還った時、

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(p.212 最終頁)

 生長の家では「無」は「そのまま」であって、我(が)の 「はからい」 がなくなることです。「はからい」 がなくなれば、天地無限の供給の実相と波長が合うことになって、おのずから無限の供給が現象界にあらわれてくるのであります。

 天地間の生物界の実相を奪い合いとみることそのことが我(が)の見解でありまして、奪い合いを心に描いている限りは、現象界にもそれは消えません。天地間をただ、神一元の無限の供給の世界であると、そのまま信じて我見(がけん)を無にするとき現象界にも無尽蔵があらわれてくるのであります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ということになる。

 それを生活に生きるのが生長の家の生き方であると思うのであります。

3267復興G:2013/10/31(木) 15:43:48 ID:AB6RqYXc

 上記は、web誌友会参考文献板 >167 に

<< イエス・キリストの言葉と大聖師谷口雅春先生とは神においてひとついのちなのである。万教帰一とはこの意味でもあるのである。釈尊のいのち、日蓮、親鸞、道元、等々、すべての人々と一体のいのちである實相に帰り給うて、人々だけ、教えだけではなく、天地一切万物と一体であるその實相より鳴り出でたのが 「万教帰一」 ということそのことなのである。

 大聖師谷口雅春先生の説かれる如く、自分をとりまくすべてのすべては、観世音菩薩の吾れに告げ給うみことばなのであれば、天地一切万物がひとつであるということが万教帰一ということであるのであった。ここにおいて、万教帰一ということと、中心帰一ということは、ひとつのこととして拝受されて来るのである。>>

 とあるのを拝読しますと、より明らかにおわかり戴けるかと思います。

 つまり、時空未発の 「久遠の今」 において、イエス・キリストと大聖師谷口雅春先生とは神においてひとついのちなのであり、釈尊のいのち、日蓮、親鸞、道元・・・・等々すべてと一体のいのちである實相に帰一する。そこにおのずから 「万教帰一」 がある、ということなのであります。

 バンザーイ!

 ありがとうございます。

3268トキ:2013/10/31(木) 17:47:31 ID:n3VvP5Gk
>>3267

 言い換えると、この「いのち」ということが分かれば、あとの問題、例えば、政治の問題も
環境の問題も自ずとわかる、という事なのかな、と個人的には感じています。

3269復興G:2013/11/01(金) 14:39:17 ID:AB6RqYXc

ありがとうございます。 

このweb誌友会は、毎月 『生命の實相』 を1巻ずつテキストにして勉強して行くことにしました。

 それで11月になりましたから、第6巻に入ることになります。

 『生命の實相』 第6巻の 「はしがき」 に、次のように書かれています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     はしがき

 人類の不幸の根元を知らない人が多い。不幸の根元のうち最大なるものは、自己を罪人(つみびと)とする人類の罪悪意識であり、その罪悪意識が潜在意識にあるがために、人類は自己処罰として一切の不幸(戦争・病気・不慮の災禍等をも含めて)をつくりつつあるのである。

 罪の問題は宗教上の一大問題であり、人間に罪があるので宗教というものは存在するのであると説く宗教家さえあるのである。しかしこれは重大なる誤りであることをわたしは知ったのである。

 釈尊生まれて二千六百年、キリスト降誕して二千年、無数の高徳の弟子がその道を説いて来たけれども、結局人類を救うことができないで、原爆水爆の惨禍の予想の恐怖の前に驚いていなければならないというのは、今までの宗教の説き方のどこかに、まちがいがあったからである。

 そのまちがいは、罪を 「実在」 するがごとく説くことによって、かえって人類に罪を犯すように駆り立てていることである。それはあたかも、社会から前科者呼ばわりされた人間が、その言葉の実現力に駆り立てられて、再び罪を犯すようになるのと同じことである。

 人類を 「罪人」 だと宗教家が呼号すれば呼号するほど、人類は自己処罰として更に再び罪を犯すようになるのである。病気も戦争も一切の惨禍(さんか)は、潜在意識の自己処罰から起こる。これは最近発表された精神科学上の原理である。

 人生を、戦争や病気やいろいろの不幸な惨禍から救うためには、人類の罪悪意識を拭(ぬぐ)い去るための、精密なる理論体系を必要とするのである。その理論体系が私の「生命の実相」哲学である。

 実際、人類から罪悪意識が拭い去られたならば、いかに人間が解放されるか実証として、それぞれ、この 「生命の実相」 哲学にふれた人々が誌友会に集まって、その体験談をとおして、人間が本来清浄(しょうじょう)にして罪なきことを明らかにするために語り合った実際の対話を編集したものが本書である。

 罪は意識の中にのみ存在するのであって、「実在」 として固定するものでないから、イエス・キリストも 「汝の罪ゆるされたり」 の一言で、その患者の罪悪意識が消え、罪悪意識から来る自己処罰によって生じていた病気が、長期間の歩行困難の跛者(あしなえ)までが癒されているのである。

 イエスにできた奇跡も、実はイエスにのみできる神秘的な奇跡ではなく、精神科学的な事実であるから、その精神科学的原理を知って、その原理を実際に応用すれば、何人(なんぴと)にもイエスと同じような奇跡的事実を実演することができるのである。

 その体験談を集めたのが本書である。他(ひと)の体験といえば、なんだか他の人の経験みたいで、自分になんの関係もないことのように思う人があるかもしれないけれども、これは物理学者が物理実験室やビキニ環礁で行なう実験と同じことである。

 彼らは原爆水爆の実験をして原子力の実在と用途をためしてみるのであるが、わたしたちは、人生という実験場で、「精神」というものを材料として実験し、そこから「罪」の観念(罪悪意識)を引き出してみたらどんな結果が生ずるかを実験してみたのであり、また実験しつつあるのである。

 その点ではわたしたちは宗教家であるというよりも科学者である。やがて全人類は想念・感情の力が原子力よりもなお偉大なる力であり、人間の幸不幸はそれによって左右されることをことごとく知る時が来ることを信じて疑わないのである。

 本書はある意味においては人類への無罪宣言である。この宣言を素直に受けて信ずるものは、今まで自己を縛っていたあらゆる不幸から解放されるはずである。

 人間の解放には外からの物質的解放と、内からの霊的解放とがあるが、本書は、罪の本来無を説き、その実証を示すことによって後者の役割を果さんとするものである。幸いに、本書によって読者諸賢が自己解放を遂げられ、以前に優(ま)した幸福な生涯を送ることをえられれば喜びこれに過ぐるものはない。

      昭和三十七年九月二十日

                     著 者 し る す

3270復興G:2013/11/01(金) 15:04:34 ID:AB6RqYXc

 上記 『生命の實相』 第6巻 「はしがき」 に書かれていますように、

<< 人類の不幸の根元を知らない人が多い。不幸の根元のうち最大なるものは、自己を罪人(つみびと)とする人類の罪悪意識であり、その罪悪意識が潜在意識にあるがために、人類は自己処罰として一切の不幸(戦争・病気・不慮の災禍等をも含めて)をつくりつつあるのである。>>

 というその 「一切の不幸(戦争・病気・不慮の災禍等をも含めて)」 には、自然環境破壊ということも含まれると思います。

 そのことは、>>3258>>3259でも触れていたとおりです。

 生長の家が宗教団体としてなすべき最も大切なことは、環境破壊のもとになっている 「人間は罪の子である」 という罪悪意識から人類が解放されて、

 ◎ 「人間は神の子である」 という 「中心自覚」 「根本自覚」――「この中心から外的な一切の善きものが流れ出でる円の中心のような自覚」 を呼び覚ますことにあるのではないでしょうか。

3271a hope:2013/11/01(金) 21:32:05 ID:/9IAdiFk
復興Gさま みなさま こんばんは

今月から、web誌友会の範囲が「生命の實相」第6巻になったのですね。
わたしは、現在、第30巻を拝読中ですが、第6巻も合わせてお勉強させていただきたいと思っています。

わたしは今までweb誌友会で、雅宣先生の教えのおかしいと思うころをたくさん批判させていただいてきました。

ですが、最近は、雅宣先生や純子先生のキノコ採りや、マウンテンバイク等のブログ内容なんかを拝見しているうちに、
今まで一生懸命そんなことをしてきた自分をとても馬鹿らしく感じています。

そしてそんなことに自分のエネルギーと時間を使うよりも、聖典「生命の實相」を拝読して一日も早く「真理」を悟りたいと思うようになりました。

これは正直な気持ちですが、わたしにそういう決意をさせてくださった雅宣先生と純子先生には、今、心から感謝しています。

ですからわたしは、これからはこのweb誌友会板では現象の生長の家教団に関することに関しては発言を控え、
純粋に「生命の實相」の真理を学ばせていただきたいと思っています。

みなさま、どうぞ、素晴らしい聖典「生命の實相」を拝読されて、このweb誌友会板で感動したところなどを教えて下さいね!

復興Gさまいつもご指導ありがとうございます。
発言は少ないですが、いつもお勉強させていただいています。

今月もどうぞ、よろしくお願いいたします。

3273トキ:2013/11/01(金) 22:16:15 ID:I.hjCShY
実は、今日は、朝から夕方まで、営利目的の投稿の削除で何も投稿できませんでした。
が、営利目的も投稿が多いのは、実は、閲覧者様の数が多い掲示版であるという証拠でもあります。
 閲覧者様がいて下さってこその掲示版ですから、心から感謝しています。

それも、投稿者様の皆様、特に復興G様のご指導のおかげと感謝申し上げます。


 11月ですが、みなさま、web誌友会をよろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

3274復興G:2013/11/01(金) 22:32:51 ID:AB6RqYXc

a hope さま 皆さま

 ありがとうございます。

 私は、明日はある所で谷口雅春先生の 『光明法語』 をテキストにした勉強会をすることになっているので、その 「11月の法語」 を予めよく読んでおこうと、拝読しました。その中で、特に次の箇所で深く感ずるところがあり、考えさせられました。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   十一月三日の法語 神の子の美を讃美せよ

 無いものは否定する必要もない。病気の姿を思念をこらして一所懸命否定するのは、病気をありと認めて、それに対して戦っていることになる。病気は益々あるかの如くその姿をあらわすのは 「ありと認めて」 いる念の力に支えられて姿を現すのである。

 病気の念を捨てなければならない。吾らは病気に対して戦う事も否定する事も要らない.、吾らはただ人間が神の子であること、美しいこと、健康であること、老いない、死なない事を讃美して歌をうたえば好(よ)いだけである。

   十一月十四日の法語 自然の彫刻にまかせよ

 常に自然であれ。そのままであれ。神にまかせよ。力んではならない。自分で無限に人生を彫刻しようと思ってはならない。自然の彫刻は人間の我(が)のこころの彫刻よりも美しいのである。この根本真理に従って、事件が起った時、その事件の処理を行うべし。我を出したら頭を打つのである。急いだり、焦ったりしては躓(つまず)くのである。

 雪の一片一片の結晶が決して同一デザインのものがない様に吾等の生活の設計も同一なものはない。然も自然の彫刻はそれ自身で完全である。

   十一月十五日の法語 「声」と「コトバ」

 祈りには自力の祈りと、他力の祈りとがある。自力の祈りは、洗礼のヨハネの如く 「曠野(あらの)に叫べる声」 である。曠野とは、そこに神の生命が満ちていないと云う意味である。人と人とは個々に孤立していて、神の生命によって互いにつながっている自覚がないのである。互いに呼び交わす声は、声にとどまり、互いに意味が疎通する 「コトバ」 にはなっていない。互いに意味が疎通するには一人の生命の動きが神と云う共通の媒介によって他の人々の生命の動きと共感しなければならぬ。

   十一月十六日の法語 傲(たか)ぶる心を捨てよ

 神のコトバは宇宙に充ち満ちているのに、そのコトバをきく事が出来ないのは、自分の内に宿る 「神のコトバ」 を覆い、それを宇宙に満つる 「神のコトバ」 と波長を合わせる事をしないからである。自己内在の神性を覆えるものは 「傲(たか)ぶる心」 であり、「わしが」 「わしが」 の心である。「わし」 と云う力みは、海面上に浮き出ている氷山の部分みたいなものである。表面を力んで見詰めていると、氷山の底の部分が一層大きなものであり、普通の海水で互いに繋(つなが)っている事を忘れる。

   十一月十七日の法語 吾らは神の生命の枝

 「われは葡萄(ぶどう)の樹(き)、汝らは枝なり」 とイエスは言った。そして又 「われと父とは一体なり」 とも言ったのである。かくて吾らは 「天の父」 の枝なのである。われらの生命は天の父より来(きた)るのである。更に 「枝」 と 「枝」 とは互いに孤立することなしに、葡萄の樹の生命によって互いに一体なのである。

 「何人(なんぴと)もわれによらで父に来る者なし」 とイエスが言ったのは、「何人もイエスと同じき神の子の自覚によらずして天の父と一体になることなし」 と言い給うたのである。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ありがとうございます。

3275ユタカ:2013/11/02(土) 06:55:06 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。

もう月が替わって11月!! カレンダーもあと2枚! 一年って早いですね。

そして第6巻に突入! この間では 不幸の根源である人類の罪の意識を拭い去ることです。人間が本来罪なきことをを理論的に、体験実話を集めて述べた本書は、世を照らす太陽です。(本のカバーから)

上級な復興Gさまやみなさまと違ってユタカの心は、怒りの心で真っ黒です、なのでこの第6巻を熟読していきたいと楽しみです。
まとまった時間はないので、常に携帯してチョコチョコ読んで喜びたいです。


ユタカの 生命の実相の第6巻 の表紙裏の6巻の言葉は  『 感 謝 』 とあるので、今月ユタカは生活のなかで感謝唱行していきます!

6巻は初めから読んでいて嬉しい気持ちになります。 復興Gさま、トキさま、ahopeさま、みなさま、今月もよろしくお願いします。


トキさま、毎日のメンテナンス大変ですね、いつも私達の安全を守って下さってありがとうございます。

3276ユタカ:2013/11/02(土) 06:57:54 ID:R1D4Jmeg
訂正
>3275の 3行目 この間 という言葉は削除して読んでください。 単なる削除忘れ。

3277ユタカ:2013/11/02(土) 07:29:11 ID:R1D4Jmeg
いつ感謝するの?  ちょっと古いけど・・「今でしょ!」

私の怒りの心こそ 病念の素ですよね? ちょっと教化部に行っただけで、私の人相が悪くなってしまいました。 
素を絶たつと言う事は感謝の心というように思いましたので感謝の心で満たされるよう訓練していきます。

ちょ

3278復興G:2013/11/02(土) 09:27:30 ID:AB6RqYXc

 おはようございます。

 11月の 『光明法語』 後半の方で、魂にひびいたお言葉――

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   十一月十九日の法語 心柔和なる者

 氷山が(個人の喩<たとえ>)顧みて自分の脚下(きゃっか)を見るとき、自分の存立が自分によって成立っているのではなく、海水によって成立っているのだと知るとき、自己の高慢が摧(くだ)けるのである。これをパウロは 「自己に死にたる者」 と言い、洗礼のヨハネは 「悔(くい)改め」 と言い、イエスは 「柔和なるもの」 「へりくだれる者」 「貧しき者」 「悩めるもの」 「振返りて幼な児の如くなれる者」 などが神の国に人る事が出来ると言ったのである。「わしが……わしが……」 と云う自己が摧(くだ)ける事が必要である。


   十一月二十九日の法語 無条件降伏

 神への無条件降伏こそ、無条件[幸福]の源泉である。無条件降伏はただの観念の問題ではなく、それは一つの実行である。それは、上衣(うわぎ)をとらんとする者には下衣(したぎ)をも与え、十里の公役(こうえき)を強(し)いられなば二十里を行き、右の頬を打つものあらば左の頬をも打たしめる実行である。これを実行したときに奪われた上衣は戻り、敵は味方となり、二十里を行って益々疲れず愈々元気旺盛となるのである。与えることのうちにこそ、すべての自由と、無限供給の源泉があるのである。

   十一月三十日の法語 与えよさらば与えられん

 「求めよ、さらば与えられん」 と教えられている。併(しか)し 「与えよさらば与えられん」 と云う事は更に真実である。子供が重病に罹って医者が手を放した様な場合に、「神よ、この子を是非いやし給え」 と祈るよりも、「神よ、御心のままになし給え」 と完全に神に対して、自分の子を与えてしまった方が、癒えるる事が早い。何故なら、 「是非いやし給え」 と祈っている時は、その子の親の執着が子供の生命を縛っているけれども、神に与えた時には執着で子供の生命を縛る事がない。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ありがとうございます。

3279再掲:2013/11/02(土) 15:36:52 ID:???

名前:曳馬野 投稿日: 2013/11/02(土) 15:21:47 ID:vpari8YQ


雅春先生を否定するものは投稿しないでくださいがトキさんですよね。

前にも書きましたがこの掲示板の設立目的が分からないのです。

3281あさひ:2013/11/03(日) 01:46:46 ID:u9w/1zYY
>雅宣総裁は、今の現象から見ると、「ワンダー・フル」 (不可解なことがいっぱい) な総裁です。

 しかし、もっと長ーーーい目で見たら、本当に 「ワンダフルな」 (素晴らしい) 総裁なのかも知れません
よ<

うまい表現に感心しています。

3282ロレックス サブマリーナ ブルー:2013/11/04(月) 15:48:45 ID:???
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3283a hope:2013/11/04(月) 19:07:37 ID:/9IAdiFk

みなさま こんばんは

今回のweb誌友会の範囲である『生命の實相』第6巻のはしがきを>>3269で復興Gさま謹写してくださっています。
その最後の方に、

<<本書はある意味においては人類への無罪宣言である。この宣言を素直に受けて信ずるものは、今まで自己を縛っていたあらゆる不幸から解放されるはずである。>>


という文章があって、その中に<人類への無罪宣言>という表現がありますが、それを拝見しましたら、
楠本加美野先生が類纂された『人類無罪宣言』を思い出しました。
それは、加美野先生が「生命の實相」の各章から「罪本来なし」に関する文章を抜き出して、系統的にまとめられた聖典なのですが、
その中には今回のテキスト中の『第一章「宗教上の「罪の赦し」について』は第5章として編纂されています。

今回、あらためまして楠本加美野先生のお書きになった「編者のことば」を拝読させていただきましたが、とても感動しましたので、一部抜粋紹介させていただきますね。

(つづく)

3284a hope:2013/11/04(月) 19:09:32 ID:/9IAdiFk
(つづき)

<<・・・私は昭和三十一年、宇治修練道場に於いて練成の手伝いに励んでいた頃、
後に述べるが如き家系に係る業因について悩んでいたのであるが、練成局長である徳久克己理事から、
『生命の實相』の各章から「罪本来なし」に関する文章を系統的にまとめて抜粋筆写して
潜在意識の中にある ″罪″の観念を徹底的に消去するよう勧められました。

その頃宇治では山を崩し、谷を埋める献労を中心とした練成をしていました。
私は昼間は山崩しに全精力を捧げ、夜は『生命の實相』をひたすら読み「罪本来なし」の問題にとりくんでいました。

私は新しい気持ちで『生命の實相』を読みはじめました。
入信まもなくの頃『生命の實相』十回通読を念願にたて、四回までは毎日毎日少しずつ読みましたが、
それからはわかりきった事を読むような気がして、思い出しては読む程度で八回通読しました。
今度はテーマを与えられた事によって、今までと全然違った感激をもって、読むことができました。
すると、今までわかったような気がしていたのが、実は漠然としていてさっぱりわかっていなかったことがはっきりしてきました。
先ず罪の問題を全て『生命の實相』から抜き書きしました。
次に谷口雅春先生のあらゆる御本から抜き書きしました。
しかしそれを系統的にまとめる事が難事でした。
何回もあきらめようとしましたが、その度に徳久先生から励まされ、終りに「祈りなさい」と言われました。

私は四時に起きて神想観をすることにしました。
二か月位つづけた時、目次がひらめきました。
それは、″苦行不要″ ″犠牲不要″ ″神罰なし″ ″罪なし″ ″懺悔″ ″因果を超越する″でした。
私は希望に燃えてまとめ出しました。

その頃、それまで三回も流産してその後、子供が宿らなかったわが家に、神の子が宿りました。
そしてこれまでの研究を「人類無罪宣言」としてまとめ上げた時、長男が生まれました。
谷口先生から行孝(ゆきたか)と御命名いただきました。・・・>>

(つづく)

3285a hope:2013/11/04(月) 19:13:11 ID:/9IAdiFk
(つづき)

わたしが何に感動したかといえば、加美野先生が「本来罪無し」の真理を悟られるためにものすごい努力をされていたということにです。
現在、宇治別格本山の長老としてたくさんの奇蹟を起こされて、たくさんの魂を救われている加美野先生ですが、
当時は真理を悟るために、聖典『生命の實相』を8回も通読されて、さらに「人類無罪宣言」を編纂するのにも大変な努力をされていたのですね。

過去には、そのような努力をされた講師の先生方が沢山おられたのではないかと思います。

復興Gさまも、過去の一時期「生命の實相」ばかり拝読していた時期があるとうかがった気がします。

わたしは、大熊先生の「いのちを守る親の会」の会員なのですが、以前、大熊先生とお電話でお話させていただいたときに、
大熊先生ご自身も何度も「生命の實相」は拝読されたとおっしゃっていました。
そして、わたし自身にも完全読破をすることを強くお勧め下さいました。

大熊先生の個人指導の内容等をブログなどで拝見すると、『生命の實相』中に紹介されている個人指導の内容にとソックリだと感じています。

わたしは「生長の家の教え」を法燈継承するためには、聖典「生命の實相」の繰返しの拝読、それは絶対に外せない事だと確信しています。

3286a hope:2013/11/05(火) 09:45:58 ID:/9IAdiFk

またまた大熊先生のブログのご紹介をさせていただきます。
素晴らしい「生長の家」のご指導ですよ!

無意識に子を虐待してしまう<相談事例>

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

3287うのはな:2013/11/05(火) 10:15:00 ID:3Wm0z1bo
 a hope さん、お久しぶりです。
以前a hope さんのことをあほだといって、なんておっせかいに非難してくる人がいたので、
今日は讃嘆させていただきましょう。

 『生命の實相』の一巻から六巻までは特に重要だ、なんていう話を、昔、講師から伺いました。
a hopeさんは、いつも人の五倍くらい聖典を勉強されてるようで、その求道心の濃さみたいなものに
感銘を受けています。

 追従しながらすこしずつ勉強させてもらっています。
 これからもがんばってください。

 合掌 ありがとうございます。
  拝。

3288chanel 財布 2013:2013/11/05(火) 10:33:33 ID:???
シャネル 財布 カンボンライン
chanel 財布 2013 http://www.xinshenghj.com/chanelシャネル-k6xu9l-1.html

3289流氷:2013/11/05(火) 11:00:52 ID:601yv0.U

 シャネル先生を呼び捨てにしているな!貧民街へでも行け!

3290流氷:2013/11/05(火) 11:06:28 ID:601yv0.U
 部外者に使われている教区幹部さまへ

 上の3288、3289、と今のこの投稿を削除してください。
 誌友会版で失礼いたしました。

3291復興G:2013/11/05(火) 15:00:09 ID:AB6RqYXc

あさひ様、a hope様、うのはな様、皆々さま。

ありがとうございます。

三連休の期間、私はネットを見る暇がないほど、他のことでいそがしく働いていました。元気で働けることがありがたいです。


>>3281 あさひ様

 「ワンダフル」 についての上記 私のコメントは、曾野綾子さんの 『人間にとって成熟とは何か』 という本からヒントをもらいました。

<< (p.20〜 )
 英語の 「ワンダフル」 は 「フル・オブ・ワンダー」 ということで、実は驚きがいっぱい、ということだ。すばらしい、という表現の基本には 「想定外」 が含まれるらしい。もし想定通りに事が進んだら、必ずしもワンダフルではないのかもしれない。

 驚きがいっぱいであることが、すなわちすばらしいことなのだ、という発想は実は宗教的な解釈なのだろう。神などいるものか、と言う人の考えに私は反対したことがない。神がいるかいないか、誰一人として証明できる人はいないのだから。

 ただ私は、神はいるという保証もないが、同じように神などいない、という保証もできないものだと思っているだけだ。(中略)

 善しか人道として許されるものはなく、したがって自分は善を追う人道の道を歩く、と簡単に信じ、信じているだけでなく、それを強烈にアピールする人と私は付き合えない。なぜなら少なくとも私は、そんなにいいことだけして生きようとしていないし、そう思う人は自己満足であって、何が社会や相手にとって正しくいいことかはそんなに簡単にはわからないことが多いからだ。

 いつも言うことだが人は皆ほどほどの生き方をしている。身勝手なような人も意外と他者のことも心に留めている。社会正義は誰でも好きなのだが、それも時と場合と程度によって簡単には決められないと密かに考えて悩んでいる。アラブの人たちはこの正義という点に関してもっと大人で正直だから、彼らは格言の中で次のように言っている。

 「正義はいいものだ。しかし誰も家庭ではそれを望まない」

 家の中で正義を貫いているというのは嘘だし、端的に住みにくくなるということだからだろう。>>

3292うのはな:2013/11/05(火) 19:29:08 ID:LuPv6mG2

合掌 ありがとうございます。

 いつも横から閲覧だけしているようで参加者の皆様には恐縮いたします。
 私は初めて練成会に参加する前に、近所の誌友さんから『神想観』の本や
 テープを借りたことを、昔のことをよく思い出します。
 そこで、みなさまにお聞きしたいのですが、神想観するとき、その環境や
 周囲のことで、何か気を遣っているところ、こだわっているようなことがあるでしょうか?

 私は夜でも昼でも、薄暗いところでは絶対やらない。灯りを煌々とつけるということや、
 暗くなったら窓は必ず閉めて行うように気をつけています。
 なにか意見があればお聞かせください。

 拝

3293復興G:2013/11/05(火) 20:07:34 ID:AB6RqYXc

>>3283 〜3286 :a hope さま

 『生命の實相』 第6巻はしがきの 「人類無罪宣言」 に関して。

 私も、「罪の子」 の観念から自己処罰の意識が強くて、死にたいと思ったり、死ぬような病気をしたりしたことがあります。

 前にも書いたことがある、高校2年のとき(今から60余年前)のことですが――

 ある日腹痛を起こし、もう七転八倒の苦しみで、高熱がつづき、日赤病院に入院しました。盲腸炎がこじれて腹膜炎で、炎症が進み腸に癒着が起きている。そんな状態で最近死んだ人がいると言われました。私も死ぬのだと思いました。「罪の価は死なり」 とイエスは言っている。自分は罪深いものだから、こうして死ぬのだ、という思いでした。

 その 「罪」 とは、特に性欲の問題です。性欲は汚らわしいもので、「罪」 だという思いが深かったのです。その性欲の虜になってしまう自分は、汚らわしい罪の子で、その罪の価は死なのだ――という思いが潜在意識に深く存在していたように思います。

 それは、今から考えると、やはり先祖からの業(ごう)――家系に係る業因を受け継いで来た結果のように思われます。

 そのひとつは、祖父母が必ずしも仲良くなかったこと。

 祖父は医者をしていましたが、その助手・看護師の役をしていた女性にも、一人の子を産ませているのです。

 それは以前、父の戸籍謄本にそのことが記されているのを見ました。父には一人の異母弟がいる。その生母の名も記されているが、父の異母弟(私からいえば叔父)は祖父母の戸籍に入れられていて、生母はその後どうされたかわからない、という状態なのです。

 それで、祖母は悩み、浄らかなものを求め、キリストの教えに救いを求めて教会に飛び込んだと思われます。

 亡くなった時、キリスト教の教会で葬式をし、教会に納骨堂を作ってもらってそこに遺骨が納められています。

 ところで私の死にかけた病気のあとですが――

 私は死を覚悟しました。しかし、死にませんでした。父が、枕元に 『甘露の法雨』 を置いていてくれ、祈ってくれているようでした。日に日に痛みがとれてきて、ついに退院ということになりました。手術はしませんでした。

 そうして家で少し静養していたある日のことです。
 「天地がひっくり返るような、人生観の大転換が、突然何ものかの力によって、なされてしまったような感じ」 という体験をしたのは・・・・。

 そのことは、web誌友会板(1)の>1589
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1589

 に書いていました。

 「肉体の自分は、本来なかったんだ! 自分は、生命だった! 出せば出すほど限りなく出てくる生命だったんだ!」 と目覚めた思いがしました。

 それは、祖母が霊界から導いてくれたという思いがしました。

 それから約60年たちました。いろいろありましたが、最近のことでは、>>2501に書いたようなことも起こったのです。

 今、言われている 「日時計主義」 で、「吾れは太陽の輝く時刻のみを記録す」 ということですが――

 わが内にすべてがある! 自分の中に太陽がある! 自分が太陽である、光である! と思えるようになりました。

 「自分が太陽である! “吾れは吾が輝く時刻のみを記録す” だ!」

 それが 「日時計主義だ!」 と思えるようになりました。

 時間は、本来ない。したがって、時間のなかに表現された一切のものは、本来ない。闇は、本来ない。罪は、本来ない! と思えるようになりました。バンザーイ! です。

 ありがとうございます!

3294復興G:2013/11/05(火) 20:23:39 ID:AB6RqYXc

>>3292 :うのはな様

 ご投稿、ありがとうございます!

 いつも、神想観をされているんですね。すばらしい!

 神想観をするときは、暗いところで行うと低級霊がかかってくることがあるから、なるべく明るいところでするのがよいと、谷口雅春先生のお教えにあったと思います。

 私も、夜でも電気をつけて、明るいところでしますね。

 ただ、ちゃんと正坐しての神想観ではなく、随時 電車の中ででも眼をつぶって祈るような場合もあります。そんな場合でも、暗いところで祈った記憶はありませんね。

 特に気を遣っているとか、こだわっているわけではありませんが、自然にそうなっている感じです。

3295復興G:2013/11/05(火) 20:47:20 ID:AB6RqYXc

 テキスト 『生命の實相』 第6巻 第1章 冒頭のご文章を謹写、掲示させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   第一章 宗教上の 「罪の赦し」 について

       昭和九年三月本部道場において修行者たちに話した悟り

     わが実相の中にすでにすべては在る

 「生長の家」 が人類に告げんとするところは、人間の実相のなかにすでにすべてのものが備わっている、外に求むるよりも内に求めよということであります。

 ――わが実相は 「神の子」 であり、神は無限者であり、人は神の子として神の世嗣(よつぎ)であるから、欲(ほっ)するすべての事物はすでにわが持ち物であるのであります。

 すべてのものは今現象界のわが手になくとも、神の御手にあるものはすべて世嗣たるわれらの自由使用にゆだねられているのですから、すでにすべての物をわれらの手に与えられているわけであります。

 富を欲する者は無限の富をわが実相から引き出すことができまするし、生命を欲する者は無限の生命をわが実相から引き出すことができまするし、能力を欲する者は無限の能力をわが実相から引き出すことができるのであります。親の富は同時に世嗣の者の富なのであります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――>>3128でユタカさまが言われた 『光のある内に』 の

<< 人間は本来神の子であって、神の世継として、神の全財産をゆずられている。 神の全財産とは全宇宙のことです。

 全宇宙のすべての宝が自分の中にあるんですから、これ以上、何も外に求めることはない。 みんな自分のうちのある。

 ですから人間はただ喜ぶことしかないんです。

 ただ与えることしかないんです。

 だから私たちは本来喜びの歌をうたうしかないんですね。

 そして喜びの歌を歌えば、どんどん喜ぶべき世界が展開してくるんです。>>

 ということの典拠も、ここにあったんですね。

3296うのはな:2013/11/05(火) 20:52:18 ID:bcSF0IXc
>>3294 復興G様

 早速にコメントいただきまして、ありがとうございます。
 雅春先生の教えにも、明るいところで行なうことなどはよく知られていますね。
 それとは別に、私は最近、夜は魔が入りやすいから窓は閉める、ということも
 注意しています。私も以前は空いた電車の中で、世界平和の祈りなど黙念していました。
 たしか、電車の中の乗客の皆様の幸せを祈りましょう、というような白鳩会での指導があったころです。

 しかし、観行篇は六巻ではなかったですね。
 すこし脱線した質問で失礼しました。
 今後もよろしくお願いします。
 感謝 拝。

3297復興G:2013/11/05(火) 20:55:32 ID:AB6RqYXc

 昔の神誌 『生長する青年』(『理想世界』の前身) で、自動車王ヘンリー・フォードと光明思想家 R.W. トラインとの対話を連載で紹介してくださったことがあります。

 私は青年時代に、「これだ!」 と深い感銘を受けたのでした。

 その中で、印象的な言葉として今でも覚えているのは、つぎの言葉です。

<<フォード――天才とは、忍耐です。忍耐とは、徹底的実行です。

      内なる価値を磨き出せ

 トライン――一体成功の秘訣とか方法とかいうものがありましょうか? この言葉をあなたはお喜びにならないでありましょうが、とにかく我々がこの世に出て成功を得る方法ですね。青年男女が、この社会に漕ぎ出でて、順風に帆を上げて目的地にまで航海する方法ですね。

 フォード――それにはまず、まず何を成さんと欲するかを決定して、その決定したところのものに敢然として着手するのですね。その目的に終始一貫して、決して気を変えないことですね。そして常にその方向に向かって全力を注いで、自分を磨き出すのです。根本的法則としては、自分の手のとどくかぎりにある仕事を十分深切にやり遂げるのです。これが肝心です。

 自分の手のとどくかぎりにある仕事を十分深切にやり遂げるように努力すれば、それがどんなにつまらないように見えても、自分自身の内にある価値を磨き出してくれるものです。誰でも気がつかないが内にある自分の価値を磨き出すということが何よりも大切なんです。

 成功は外にあると思っていては間違いです。成功は必ず内にある。何でも皆、はじめは内にあるのです。内にあるものが鏡に映るように外界に映って形をもった現実となるのです。

 『外』 『外』 とばかり成功を心がけていては、たとい一時成功したように見えていても、砂の上の楼閣で、すぐ崩れてしまいます。内にある自分の価値を磨き出すだけでも一つの大いなる成功じゃありませんか。外の成功は、内の成功の影にすぎません。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 成功も、外にあるのではなく、内にある。内なる価値の展開が、外なる成功なのでした!

3298復興G:2013/11/05(火) 21:19:41 ID:AB6RqYXc

>>3296 :うのはな様

 「観行篇は六巻ではなかった」 けれども、第6巻でも神想観について書かれていますよ。謹写させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     すでに成る天国

 「祈り」 はこの信念を強くする役目をするのであります。

 「御心の天に成るがごとく地にも成らせ給え」 というイェスの祈りによりましても、イエスも神の御旨(みこころ)はすでに 「天」 すなわち 「実相の世界」 においては成就していることを知っていたのであります。

 すでに成れる 「実相の世界」 を祈りで変化するなどということはないのであります。

 「実相の世界」 はすでに改造するも改造しないもない、すでに神の御心のままに完全にでき上がっているのであります。それは既成の世界であります。

 神を知る者は、神の完全さを知る者は、神の無限能力を知る者は、

 「神が造った実在の世界はすでに完全であるぞ。」

 「ハイハイ、ありがとうございます。」

 「神が造った実在の人間はすでに完全であるぞ。」

 「ハイハイ、ありがとうございます。」

 ただそれだけでよいのであります。文句も理屈もいらないのであります。ただハイハイと受ければよいのであります。

 「お前は神の創造った神の子である。神の子が病気になったりするものでないぞ」

 といわれたら、

 「ハイハイ、ありがとうございます。神の子であるわたしは病気でないことがハッキリわかりました」

 と素直に答えるのが 「本当の祈り」 であります。

 神が何か自分に与えるのを忘れているかもしれぬから、声を出して時々神様に注意を与えるつもりで神を呼ぶなどは神の全知を無視したもので、不信心もはなはだしいのであります。

     神想観の極意

 「生長の家」 では神想観といって、坐禅観法によって自己の実相を観ずるような修行をいたしますから、大変むずかしい修行のように思う方がありますが、神想観の修行というのは、この 「ハイハイ、ありがとうございます」 の修行なので少しもむずかしいことはないのであります。

 「お前は神の子だ」 と自分の心に呼んで

 「ハイハイ、わたしは神の子でございます、ありがとうございます」

 と受ける行事が神想観なのであります。神想観において

「神の生命がさきはえられて、自分に流れ入って神の生命が自分の生命となる」

 と観じながら静かに息を吸うのは、

 「お前は神の子だ」 と自分自身に対して呼びかけ、その事実に対して注意を促しているのと同様なのであります。(後略)

3299トキ:2013/11/05(火) 22:18:45 ID:Lxq0GaG.
>>3298

 素敵なご指導、ありがとうございます。

 神想観は、入信して時間のない人は、悩む事が多いみたいです。
形式的な指導がメインになりがちですが、実際にはこういう指導が大切なの
でしょう。貴重な内容だと感じます。

合掌 ありがとうございます

3300復興G:2013/11/05(火) 22:36:55 ID:AB6RqYXc

トキ様、ありがとうございます。

3301a hope:2013/11/05(火) 23:01:55 ID:/9IAdiFk

みなさま こんばんは

>>3287うのはなさま

わたしを讃嘆してくださり、嬉しいコメントをありがとうございます(涙)


<<『生命の實相』の一巻から六巻までは特に重要だ、なんていう話を、昔、講師から伺いました。>>

わたしも本当にそうなのだと感じています。
なぜなら、今までこのweb誌友会で第5巻まで(現在は第6巻ですが)みなさまとじっくりお勉強させていただいたおかげで、
わたしはかなり、生長の家の教えを体得できてきているような気がしているからです。

今まではとても難しく感じていて、読み飛ばしていた『万教帰一篇』も、
今ではとても良く理解できるようになっていて、自分でも驚いています。

本当に復興Gさまやトキさまはじめ、このweb誌友会に参加くださたすべての方々のおかげで、
アホのa hopeは、どんどん生長させていただいているのだと思います。
みなさまには、心から感謝しています。

また、うのさまがいつも見守ってくださっているのも、とても心強く感じていました。
今回は、参加までしてくださっていて本当にうれしくてうれしくて、涙がでそうです。


>>3293復興Gさま

御祖父母さまに関する貴重なお話をありがとうございます。合掌。
復興Gさまの御祖母さまが、なぜ当時は珍しかったであろうクリスチャンだったのかすこし不思議に感じていましたが、
今回のお話で納得できました。

復興Gさまの御家系にも、やはり<<先祖からの業(ごう)――家系に係る業因を受け継いで来た結果>>が存在していたのですね。


ちょうど、1年前のweb誌友会での復興Gさまの素晴らしい体験談が含まれた当時の内容を再拝読してきました。


web誌友会板(1)の>1589
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1589


復興Gさまのお話の内容に再び感動するとともに、あらためましてこのweb誌友会のレベルの高さに驚いています。

もっとじっくり他の内容も拝見していたいのですが、実は、明朝、職場の健康診断がありまして、
わたしは今夜は10時以降は飲食禁止なのです。
これ以上起きていると、何か食べたり飲んだりしてしまいそうなので、今夜はもうおやすみしますが、
また時間のある時に、ゆっくりと内容を拝見させていただきます。

それではみなさまおやすみなさい。

3302トキ:2013/11/06(水) 09:43:02 ID:L78yryKo
>>3300

 こちらこそ、深く感謝申し上げます。

 思うのですが、ベテランと言われる人には常識とか考えた事がない疑問を、入信まもない人は結構、
感じるみたいです。

 個人的には、招神歌が疑問でした。ある講師は、「招神歌は大切です。テープがありますから、あの
通り、節から外れないように、徹底して練習しなさい」と言い、別の講師は、「招神歌は大切です。
神様とつながる機会ですから、心を神様にだけ振り向けなさい。最初は少々節から外れてもいいです
よ。」と言われたので、どちらが大事かわからないまま、結局、テープに合わせて練習はしたので、
普通に唱えられるようになったので、疑問も忘れてしまった事がありました。(高校生の頃です。)

 実は、こういう些細な疑問と、それに対する回答こそが大事ではないか、と感じた次第です。

合掌 ありがとうございます

3303トキ:2013/11/06(水) 10:10:08 ID:dkHqmOAw
 復興G様のご回答は、行き届いており、さすがと思いました。
ありがとうございます。

3304復興G:2013/11/06(水) 11:03:02 ID:AB6RqYXc

>>3302 :トキ様

ありがとうございます。 おっしゃるとおりですね。

招神歌については、私は
「招神歌は大切です。神様とつながる機会ですから、心を神様にだけ振り向けなさい。最初は少々節から外れてもいいですよ。」

の方が、第一義だと思います。

というのは、服部仁郎先生は重症の肺炎で呼吸困難になり、医者から見放された時に、一冊のパンフレットと招神歌をメモした紙を同業の片岡環(たまき)さんからもらい、その招神歌を、節回しなど全然知らないまま読んだ時に、「自分が生きているのではない。神が生かしてくださっているんだ」 と思っただけで、呼吸がすーっと通って楽になり、起ち上がられた。そして、多くの人を悟りに導き、病いを癒す力も得られたのです。

その服部先生の招神歌は、すごいオンチだったということで有名です。


また、『真理は死刑の鎖も断つ』 の著者遠藤義雄先生は、大東亜戦争後、海南島に戦犯容疑で死刑囚として判決を受け抑留されていた時に、『生命の實相』 第6巻(全20巻ものの第6巻で「万教帰一篇」)と聖経 『甘露の法雨』 を差し入れられ、読むと人間は霊的実在で不生不滅だと悟り、死刑の執行が恐ろしくなくなった。

そして 『甘露の法雨』 の前に書かれている招神歌を念じ 『生命の實相』 に書かれている神想観を、おおよそこうするのであろうと実行したら、群がる蚊が黒ごまを振りまいたようにたかっていたが一匹も氏の血を吸うものがなくなるなどの奇跡的な状態が現出し、中国人の看守が免刑の嘆願書を中央政府に出してくれて、無罪となり生還された、というようなことも起こったのですからね。

招神歌を上手に唱えたから救われるというものではないのですね。

形から入るのも一つの方法ではありますが、大切なのは形よりも心だと思います。

3305復興G:2013/11/06(水) 11:24:59 ID:AB6RqYXc

>>3301 :a hope さま

うれしいコメント、ありがとうございます。

私は、この『生命の實相』 第6巻は、特に素晴らしい大切な真理が書かれていると感じています。

今回こうしてweb誌友会で学ばせて頂いて、また一層深く魂にひびき、ありがたい極みです。

第1章 18頁からの 「罪を消す道」 なども、再読心読して、深い感銘を新たにしています。

私も、a hope さまに負けないよう、勉強して行きます。

ありがとうございます。

3306復興G:2013/11/06(水) 11:58:25 ID:AB6RqYXc

トキ様 皆さま

私が>>3304で申しましたは、テキスト『生命の實相』第6巻23頁からの 「本来罪なし」 のところに書かれていますね。24頁には

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ……声の節廻しのじょうずへたと、霊魂の進歩すなわち 「実相の開顕」 との間にはなんの関係もないことであります。

 神は祈りの節廻しの上手さに感動してその者の祈りをかなえてくださるものでも、祈りの節廻しが下手だから応えてくださらないのでもありません。神は音楽のじょうずへたによって霊験を左右し給うものではないのです。

 神は「実相」の中にのみいますのですから、「迷い」 を去り、「虚飾」 を去りさえすれば、自然に神が顕われ、すべてが備われる 「実相」 の常楽の状態があらわれて来るのです。これこそ神の霊験というべきものです。

 実相絶対の神を知らず、「祈りの言葉」 でいい加減に言いくるめてやりさえしたら、神から霊験を詐取(さしゅ)することができるというような、不敬な考えを神に対して抱くべきではありません。

 祈りの価値は卑劣な心で、霊顕を乞食のように請願(せが)みとることにあるのではないのです。金光教祖も 「霊験はわが心にあり」 といわれましたが、霊験は心の目がひらいて、神を本当に知り、神と自己との本当の関係を知ったとき、すでにすべてが備われる 「実相」 のなかから、自然にポッカリと現象界に浮び上がって来るものなのです。

 だから、心の目を開いて実相を顕わすことを求めず、現象そのものに霊験御利益をもとめる祈りはすべて、卑怯な、乞食的な、哀願的な、一の功徳をもって百の報いを得ようという虫のよい利己的な、内の下劣を隠して外に言葉を飾り、報いを得んとする偽善的行為となるのであります。だからわれわれが祈るにはまず 「心の目を開いて実相を顕わす祈り」 を第一にしなければならないのです。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――以上はテキスト 『生命の實相』 第6巻の24頁〜25頁からでした。かなり強い言葉でのおさとしですね。

 ありがとうございます。

3307トキ:2013/11/06(水) 20:49:49 ID:o8tDy51c
復興G様、御丁寧なご指導、ありがとうございました。

 確かに、その通りで、招神歌が下手だけど、たくさんの人を救済している講師はたくさんいます。

 思い出したのが、昔、舞鶴の長村婦美子先生の練成を受けた時に、長村先生が、ある講師に

 「あんたの招神歌はうまいなあ。けど、信徒さんは騙せても、私は騙せない。あんたの招神歌
には心がこもっていない!」

と言われたのを偶然、耳にした事がありました。私も信徒として、自戒すべき事だと考えています。

3308トキ:2013/11/07(木) 19:16:13 ID:2msfJH7c
>>3306

復興G様

 招神歌の問題について、最適な場所を教えて下さりありがとうございました。
深く感謝申し上げます。美しいという事は大切ですが、それに心がなければい
けないのですね。改めて感じました。心の持ち方は今でも宿題であります。

3309曳馬野:2013/11/07(木) 21:40:24 ID:vpari8YQ

● 「潜在意識が浄まれば、すべての罪業は消える!」って、素晴らしい真理だと思いませんか?


この a hope さんの云うことが生長の家の教えですか?

復興Gさんご意見をお聞かせください。

こちらには出てこないつもりでしたが、疑問に思いましたので。

3310a hope:2013/11/07(木) 22:16:09 ID:/9IAdiFk
>>3309曳馬野さま

●「潜在意識が浄まれば、すべての罪業は消える!」って、素晴らしい真理だと思いませんか?


聖典引用板>>2644に謹写させていただいた、雅春先生のお言葉を拝読して発言したのですが、言葉が足らず誤解されたのなら申し訳ありません。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2644

<<この実例によって、業というものは何処に存在しているかといえば、潜在意識の中につかまれているのであって、
聖典読誦の繰返しによって潜在意識を浄化すれば、個人及び家系に伝わるすべての罪業は
消えてしまうものだということが証明されたのである。>>

わたしの発言はこの雅春先生のお言葉のこの部分のことです。

発言を言い変えさせていただきますね。

○「潜在意識が浄まれば、個人及び家系に伝わるすべての罪業は消える!」って、素晴らしい真理だと思いませんか?

ですがそれは、

○「すべての人類の潜在意識が浄まれば、すべての罪業は消える」ともいえるのではないかとわたしは思います。

そのときが、まさしく地上天国が実現する時なのではないのでしょうか?

わたしもこの件に関しては、復興Gさまにご指導をお願いしたいです。

3311曳馬野:2013/11/07(木) 23:02:03 ID:vpari8YQ
 ● この実例によって、業というものは何処に存在しているかといえば、潜在意識の中につかまれているのであって、
   聖典読誦の繰返しによって潜在意識を浄化すれば、個人及び家系に伝わるすべての罪業は
   消えてしまうものだということが証明されたのである。

   わたしの発言はこの雅春先生のお言葉のこの部分のことです。


 ○ 復興Gさんのお話をお聞きしたいのではありますが。

  雅春先生の潜在意識は浄められている、とすれば、『家系に伝わるすべての罪業は
   消えてしまうものだということが証明されたのである。』はずなのにあなたは、雅宣先生はおかしいと主張されます。

  これはどういうことになるのでしょうか?

3312神の子さん:2013/11/07(木) 23:28:45 ID:5cnX3oXo
〉〉3311

 唯神実相論にしろ、心の法則にしろ、自分の心境を高め、または
他人を救うためにあるもので、他人を攻撃する道具に使うのは違うと
思う。

3313曳馬野:2013/11/07(木) 23:48:13 ID:vpari8YQ

>>3312さん

その通りですね、其の為には正しく真理を体得しなくてはならないのではないですか。

其の為に真理の理解への疑問なんですよ、a hopeさんの真理追求姿勢は素晴らしいと思っています。

3314トキ:2013/11/08(金) 09:30:33 ID:DU1rHjBU
曳馬野 様

 ご投稿、ありがとうございます。

 よかったら、曳馬野様御自身の見解もご披露下さると後進の私も勉強になります。
よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

3315復興G:2013/11/08(金) 11:35:27 ID:AB6RqYXc

>>3309 :曳馬野さん

>>● 「潜在意識が浄まれば、すべての罪業は消える!」 って、素晴らしい真理だと思いませんか?
この a hope さんの云うことが生長の家の教えですか?<<

谷口雅春先生は、楠本加美野先生の体験に関して、「明窓浄机」 (昭和33年3月号 『生長の家』 誌)に

<< この実例によって、業というものは何処に存在しているかといえば、潜在意識の中につかまれているのであって、聖典読誦の繰返しによって潜在意識を浄化すれば、個人及び家系に伝わるすべての罪業は消えてしまうものだということが証明されたのである。>>

と書かれていますが、生命の実相哲学、「実相独在」 の根本真理から言えば、現象の潜在意識も実在ではない、本来無い。無いから消える、というのが根本真理でしょう。

その真理からいえば、「人類無罪宣言」 の通り、人類のべての罪業は、無である。

「雅宣先生はおかしい」 などということは、妄想でありますね。

それとともに、「“本流” と称する人たちはおかしい」 というのも、妄想でありましょう。

テキスト 『生命の實相』 第6巻 37頁〜38頁に

<< 実相を見ればわれらはすでにすべてのものを与えられているのです。与えられているのに与えられていないと見るから、これを称して妄想(まよい)というのです。

 だから 『観普賢菩薩行法経』 の偈(げ)には 「一切の業障海(ごっしょうかい)は皆妄想(まよい)より生ず。若(も)し懺悔(ざんげ)せんと欲せば、端坐(たんざ)して実相を念(おも)え。衆罪(しゅうざい)の知恵の光にて消除すること霜露(そうろ)の如し」 と書いてあるのであります。

 実相の中には一切の業障(ごっしょう)はない。衆罪の積聚(せきしゅう)はないのであります。「懺悔」 すなわち 「罪を捨てる道」 は、ただ端坐して実相の光を見ればよいのであります。

 太陽に背中を向けて、そこにできた暗黒を 「どうぞ除いてください」 と祈っても暗黒は消えないのです。一々 「暗黒」 を除いてくださいと祈らなくとも、クラリと太陽の方へ向き変われば、すでにすべての光は与えられているのであります。

 病気はもちろん、家庭争議などでも同じことでありまして、われわれは 「夫婦喧嘩や親子喧嘩がわたしの家に絶えないが、どうぞして治す方法はありませんか」 などといって尋ねられることがあります。しかしそういうお尋ねをなさる人の家庭でも、神がすでに与え給うた家庭の実相を見れば、われわれの家庭はすでに夫婦相和し親子仲よく、すべての家庭皆調和して栄えているのであります。

 すでに調和し、すでに栄えているのに 「調和していない、栄えていない」 とみる――すなわち実相を包んでみる――すなわちこの 「包み」 を 「罪」 というのであります。だから罪の懺悔すなわち 「包み」 を消除するにはただ神の与え給うたアリノママの実相を見ればよいのであります。>>

 とお教え頂いております。

 ただひたすら、この根本実相の真理をいっそう深く学び、「実相独在」 なる根本真理、一切の罪業のない 「久遠の今」 に立って、明るく勇往邁進してまいりましょう。

3317復興G:2013/11/08(金) 14:20:02 ID:AB6RqYXc

誤文訂正です。

× 人類のべての罪業
     ↓
○ 人類のすべての罪業

3318曳馬野:2013/11/08(金) 17:12:44 ID:vpari8YQ
復興Gさんお答えありがとうございました。

業障界に有って業の消滅と格闘する、潜在意識を浄める行き方は、 無始劫以来の罪業を浄めることは勿論、

今現在も犯している罪業の外に出ることは出来ない、それらの追い付かないところへ飛行機に乗って飛び出すのです、

との意味のことを先生は仰っていたと思いましたので、ちょっとお聞きしました。

3319復興G:2013/11/08(金) 20:10:41 ID:AB6RqYXc

曳馬野さん

ありがとうございました。

テキストの20頁にも、

<< 「罪」 は 「罪」 をとらえて一つずつ支払っていても無くなるものではありません。それは例えば、あなたが暗黒(やみ)の中にいて、暗黒(やみ)を捨てようと思って暗黒を握ってなげ棄てなげ棄てしても、暗黒は無くならないのと同じであります。暗黒はすなわち 「光が無いこと」 ――本来 「無」 でありますから、暗黒を握って捨て去るわけにはゆかない。罪も本来 「無」 でありますから、「罪」 をとらえて一つずつ支払っても消えるものではない。暗黒を消すにはただ光を点ずればよい。罪を消すにはただ 「生命の実相」 に帰入するだけでよいのであります。>>

とありました。

ありがとうございます!

3320a hope:2013/11/08(金) 20:14:34 ID:/9IAdiFk

>>3311 曳馬野さま

もしかして、

<<雅春先生の潜在意識は浄められている、とすれば、『家系に伝わるすべての罪業は
 消えてしまうものだということが証明されたのである。』はずなのにあなたは、
雅宣先生はおかしいと主張されます。これはどういうことになるのでしょうか? >>

これは、わたし、a hopeへの質問だったのでしょうか?

以前、SAKURAさまにもお願いしたのですが、もしわたしへの質問であれば、a hopeへ、と呼びかけて下さらないと、
ご質問を見過ごしてしまうことがありますので、その時は失礼をお許しくださいね。


わたし自身は、「雅宣先生をおかしい」と言ったことはないと思います。

「″雅宣先生の教え″がおかしい」もしくは、「天地一切のものとの和解を説く生長の家の″総裁″(信徒に大きな宗教的影響を与える公人)が、
ご兄弟や分派の方々と和解していないのはおかしい」というような、一般論は言った覚えはありますが・・・。

全て、このweb誌友会で聖典「生命の實相」を中心に「生長の家の教え」を学んでいて率直に感じたことを発言させていただいてきました。


それに、雅宣先生が罪業を持たれているかどうかは、それは、ご本人の問題だと思います。

>>3315の復興Gさまのご指導のとおり、

<<生命の実相哲学、「実相独在」 の根本真理から言えば、現象の潜在意識も実在ではない、本来無い。無いから消える、というのが根本真理>>

なわけですから・・・。

もし、雅宣先生が「実相独在」を悟られていれば罪業も消えていらっしゃるでしょうし、そうでなければ潜在意識に蓄積されていらっしゃるかもしれません。

もし他の誰かが「雅宣先生に罪業がある」と思っているとしたら、その方御自身が「実相独在」を悟られていないからということになるのではないでしょうか・・・?

わたし自身「実相独在」を体得したわけではありませんので、「雅宣先生は罪業を持たれている」ような気がしてしまいますが・・・。

ですが、わたしはこれからはこちらのweb誌友会では、雅宣先生や教団の問題には触れず、真理のお勉強を中心にさせていただきたいと思っています。

曳馬野さま、わたしはこれからは批判的な発言は控えますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

3321再掲:2013/11/08(金) 21:06:03 ID:???
名前:トキ 投稿日: 2013/11/08(金) 09:30:33 ID:DU1rHjBU
曳馬野 様

 ご投稿、ありがとうございます。

 よかったら、曳馬野様御自身の見解もご披露下さると後進の私も勉強になります。
よろしくお願いします。

3325a hope:2013/11/17(日) 16:15:50 ID:/9IAdiFk

復興Gさま トキさま みなさま こんにちは

ひたすら聖典「生命の實相」の拝読に励む a hopeです。
今月は、第六巻が範囲なので、第六巻を読み返していてちょっと疑問に思ったことがあったので質問させていただきます。

「生長の家の教え」は、自己内在の神(内在のキリスト)を祈る、
つまり「実相礼拝」する教えであることは、今までお勉強してきたので頭では充分理解しているつもりです。

ですが、一方、「生長の家」の祈りや神想観やの中には『日本国実相顕現の祈り』や、『住吉大神宇宙浄化の祈り』のように、
「住吉大神あれましぬ。住吉の大神あれましぬ。」「住吉の大神出でまして宇宙を浄め給う…」
「住吉の大神ここにあつまれるすべての人々の生命を浄め給う」というように、
あたかも、住吉の大神さまが自分とは離れた存在(絶対的存在ではなく、相対的存在)であり、
宇宙浄化やわたしたちの生命浄化をしてくださるという表現がされているのがとても気になるのです。

わたしが、なぜこの事に疑問をもったかというと、今回のテキストの中のある文章を拝読したからです。以下謹写させていただきます。
(つづく)

3326a hope:2013/11/17(日) 16:17:16 ID:/9IAdiFk

(つづき)
生命の實相 第六巻 P35 5行目〜
『・・・では、人の病を癒やすにはどういう祈りがよいのでしょうか。「神よ、この者の罪を赦して病(やまい)を取り去り給え」と厳かに声を出して、患者に聴こえるように唱えて大いに効果を奏することもあります。

しかし、これは、神というものは人間みたいな人格的なものであって、頼めばきいてくださるし、頼まなければきいてくださらないというような、神と人間とが相はなれた観念を与えやすいのであります。

このような祈りだけでは人間が「神の子」であり、本来無病である真理がわからないのであります。神と人間とが対立的になって、人間は本来病気になるものであって、人間と対立した神秘的な人格神があらわれて、その病気を治してくださるだろう、という自分の期待と信念によって治るのであります。

そのような期待の念と深い信念とは、「環境は心の影」という心の法則によりまして、われわれの周囲に、われわれに働きかけて治してくれる人格神を引き寄せることになるのであります。この人格神というのは聖典『生命の實相』に説いてある第三義の幽神(かみ・ゆうしん)、すなわち「個性ある何かの霊魂」であります。

いわゆる信心深いというという人で、お宮やお厨子(ずし)を飾りたてて、その中に住んでいられる神秘的人格神の冥護(めいご)を常に祈っているような人たちの周囲には、この「個性ある何かの霊魂」が感応して、ある程度の守護をしてくれる場合が多いのであります。ふつう「守護神」といわれるもののうちには、自己の祖先霊のほかにこの種の霊魂がおうおうあります。


かく、悟りによらず、祈願による場合は、(1)祈りに対する自己の期待と信念によって病気が治る。(2)前記のごとき「個性ある何かの霊魂」に感応して病気を治してくれる。この二者の一方または両方が作用しまして、ある程度まで確かに効きますが、その治るのは吾が実相の無限神性が現れるからではなく、実相の絶対神が作用するのではなく、病気の人間が「第三者」に治してもらうというように相対的に働くのであって、「病気でない神性の自覚」ではないのでありますから、根本的癒しとはならないのであります。

詳しくいえば、それは「病気あり」と認めて、霊魂の医者にかかって治してもらうということになっているのであります。こういう相対的に働く霊的治療と、自己の絶対神性を悟って、神の子本来の「無病の実相」があらわれるのとは別であります。・・・』

以上、謹写終わり

感謝 合掌

(つづく)

3327a hope:2013/11/17(日) 16:19:12 ID:/9IAdiFk
(つづき)
「住吉の大神宇宙を浄め給う」「住吉の大神ここにあつまれるすべての人々の生命を浄め給う」という祈りは、
「神よ、この者の罪を赦して病(やまい)を取り去り給え」という祈りと、
同質の相対神(人格神)に対する祈りのような気がしてしまうのですが・・・。

つまりは、自己内在の神に対する祈りではなくて、住吉の大神さまという、
個性ある働きをする人格神に対する祈りのように感じてしまうのです。

それとも、生長の家の神さまであるという「住吉の大神」さまも、キリストと同じく、
自己内在の神であると理解していいのでしょうか?

住吉の大神さまのお働きと、「生長の家の実相礼拝」との関係を教えていただけるとありがたです。

3328a hope:2013/11/17(日) 20:06:22 ID:/9IAdiFk
>>3327 つづき

復興Gさま

先ほど、住吉の大神さまについては、以前復興Gさまからご指導いただいていたことがあったのでその所を探してきました。
この、web誌友会板/2の>>724から>>737までです
、復興Gさまが過去の投稿文をわかりやすくまとめて説明くださっていました。


とても難しい内容なので、わたしは良く理解できていなかったようです。

もう一度拝読しなおしてみたいと思います。

3329a hope:2013/11/17(日) 20:28:54 ID:/9IAdiFk

>>3328 訂正

住吉の大神さまについてのご説明は、web誌友会板/2の『>>723』から>>737までです。
過去のユタカさまのご質問に復興Gさまがお答えくださっています。

本当に、とても高度な内容だと思います。
わたしたちは、このweb誌友会で復興Gさまご指導の下、すばらしお勉強をさせていただいているのだと思います。
当時はわからなかったことも段々わかるようになってきていて、本当にうれしいです。

3330トキ:2013/11/17(日) 23:15:37 ID:aZGVb0iM
 招神歌の話題です。

 詳説 神想観では、招神歌は生長の家の大神の導きをいただくための大切なものである、と
いうご説明がされています。実際、招神歌により護られた、という体験は多数あります。

 通説では、招神歌により、生長の家の大神のご守護をいただき、結果、悪い波長が合わない
というものです。が、招神歌により、自己内在の神様と直結する事で、悪い波長が合わないの
だ、という解釈をする人もいました。これは、その人の独自の解釈ですが、ある部分、面白い
解釈だな、と思いました。

 ただ、最近、招神歌の意義を尊重する精神が忘却され、単に儀礼的に招神歌を唱える傾向が
ありますが、これは気をつけないといけないかもいけないかと感じます。

3331神の子さん:2013/11/18(月) 09:45:50 ID:???
ブラジルをはじめ海外では、雅宣氏の命令により
招神歌をうたう事が禁じられています。

3332復興G:2013/11/18(月) 09:58:44 ID:AB6RqYXc

 a hope さま

 生長の家の 「生命の実相哲学」 の根幹に関わる貴重な重要な問題提起と、過去のweb誌友会記録資料掲示までしてくださって、ありがとうございました。

 生長の家の 「生命の実相哲学」 の根幹は、「現象なし」 「実相独在」 ――

 「完全なる神の 『心』 動き出でてコトバとなれば 一切の現象展開して万物成る」

 というこにあると思いますが、これは、

 「生命は時間・空間の枠組みの中に誕生したものではなく、時空間以前の、時空を超えたものであり、生命が時空間を創り出したのである。人間そのもの、自分そのものもまた生命であって、時間・空間の枠組みの中に誕生したものではなく、時空間以前の、時空を超えたものであり、時空間を生み出した主体者なのである」 という、驚くべき真理の自覚につながること。

 時空間が本来ないものだから、時空間の中に現れて見える現象も、一切が影にすぎず、「ない」 ものなのである。

 時空間をも生み出した元のところを 「未発の中」 と言い、「久遠の今」 と言い、そこに 「実相」 すなわち

 「完全なる神の 『心』 動き出でてコトバとなれば 一切の現象展開して万物成る」

 ところの完全理念がある。それが根本実在であり、そのほかに真実の実在はないということですね。

 このことについて、もっと書きたいのですが、今日はこれから出かけなければならない予定がありますので、また夜にでも書かせて頂きたいと思います。

 ありがとうございます。

3333復興G:2013/11/18(月) 19:39:22 ID:AB6RqYXc

>>3332 のつづきです。

 私は学生時代に、19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウエルの主著 『意志と表象としての世界』 (磯部忠正訳・創元社刊) をちょっと読んで、びっくりし、目が覚めた思いがしました。その冒頭に、

 「幼稚を脱却せよ、友よ、目覚めよ!」

 というジャン・ジャック・ルソーの言葉が掲げてあり、本文は次のように始まっています。――


 << 「世界はわが表象である」(“Die Welt ist meine Vorstellung”)――これは生き且つ認識する凡てのものに妥当する真理である。

 ところがこの真理を反省的抽象的に意識することの出来るのは人間だけであって、人間が実際に斯く意識する場合、そこに人間の哲学的思慮というものが生じたのである。

 してみると、人間が太陽を知り、大地を知るのではなくて、ただ太陽を見る目があり、大地に触れる手があるにすぎないということ、人間を取り囲む世界は表象としてのみ存在する、即ち全く他者即ち人間自身であるところの表象者に関係してのみ存在する、ということが明白に且つ確実になる。もし何らかの先天的真理なるものが言われるとすれば、これこそその真理である。

 何となれば、この真理は時間とか空間とか因果とかいう凡ゆる他の形式より一層普遍的な、凡ゆる可能なそして考えられ得る経験の形式を言い表わしたものだからである。(中略)

 此の真理ほど確実にして、凡ゆる他の真理に依存せず、また証明を要しないものはない。即ち認識に対して定在する一切のもの、即ち此の全世界、は主観との関係に於ける客観にすぎず、直観する者の直観、約言すれば表象に他ならないという真理である。

 勿論此の真理は現在にも、また過去や未来にも、遠いものにも近いものにも妥当する。何となれば、この真理はこれら凡てのものの区別が生ずる唯一の基たる時間や空間そのものにも妥当するからである。およそ此の世界に属するもの、また属しうるものは凡て不可避的にこのような主観による制約にとりつかれているのであって、すべてのものは主観に対してのみ定在する。世界は表象である。(中略)

 およそ現前する凡ゆる対象をば、自分の身体をも、率直にただ表象とみなし、単なる表象と名づける必要がある。ここで度外視してあるのは、世界の他の唯一の面をなす 「意志」 に他ならない。何となれば、世界は一面では徹頭徹尾 「表象」 によっているが、他面では徹頭徹尾 「意志」 によっているからである。

 この両者の何れでもなく、客観自体であるというような実在は、夢想の怪物であり、そのようなものを想定することは、哲学に於ける鬼火である。>>


 ――ここにいう 「表象」 とは、原語のドイツ語では “Vorstellung(フォアシュテルング)” となっている。この語は “vorstellen(フォアシュテレン)” <前に立てる、前に置くという原義から、思い浮かべる、心に描くという意味にも使われる語> の名詞形で、 「心像」 「観念」 「概念」 などの意味で、哲学用語としては 「表象」 と訳されているわけです。

 「表象」 という言葉は普段ほとんど使われない言葉ですから、「心像」 とか 「心の影」 と置き換えて読んでみると、わかりやすいかも知れません。

 ショーペンハウエルは、「この真理は、決して新しいものではない。インドの賢者たちが疾くに認識した根本真理である」 とも言っています。

 私は、このショーペンハウエルの哲学の第一歩に、深い影響を受けました。

 ただ、彼は 「唯神実相」 の真理には到らず、世界は存在しうる最悪の状態だとし、厭世哲学とも言われ、生長の家とは正反対の結論を出したのだということで、私はこの冒頭の部分だけに深い影響を受けたけれども、後の方は読んでいません。

 それにしても、ジャン・ジャック・ルソーの言葉のように、

 「幼稚を脱却せよ、友よ、目覚めよ!」

 ということは、目に見える現象をそのまま 「あり」 と考えるような幼稚性からは脱却しなければならないということで、それは肝に銘じたいと思います。

3334トキ:2013/11/18(月) 20:39:47 ID:pV28pxMg
>>3333

復興G様

 素晴らしいご指導、ありがとうございます。「唯神実相」論の奥義とも言うべき部分
で、拝読して、自己の心境を反省するのみであります。

 眼に見えない部分・・・・というと、普通は霊界を想像しがちですが、それよりも
ずっと上の世界こそが本当に学ぶべき世界と痛感します。

 あらためて感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

3335復興G:2013/11/19(火) 09:54:41 ID:AB6RqYXc

トキ様、ありがとうございます。


a hopeさま

>>3327
>> 「住吉の大神宇宙を浄め給う」 「住吉の大神ここにあつまれるすべての人々の生命を浄め給う」 という祈りは、「神よ、この者の罪を赦して病(やまい)を取り去り給え」 という祈りと、同質の相対神(人格神)に対する祈りのような気がしてしまうのですが・・・。
つまりは、自己内在の神に対する祈りではなくて、住吉の大神さまという、個性ある働きをする人格神に対する祈りのように感じてしまうのです。
それとも、生長の家の神さまであるという 「住吉の大神」 さまも、キリストと同じく、自己内在の神であると理解していいのでしょうか?
住吉の大神さまのお働きと、「生長の家の実相礼拝」 との関係を教えていただけるとありがたいです。<<

などのご質問の答えは、a hopeさまが過去の記録を探してくださった

「この、web誌友会板/2の>>724から>>737までです、復興Gさまが過去の投稿文をわかりやすくまとめて説明くださっていました。」

や、web誌友会参考文献板の >175

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/175

同 >181

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/181

などをお読み下さると、納得される点があるのではないかと期待しています。

いや、すでにわかってくださっていると信じます。

ありがとうございます。

3336a hope:2013/11/20(水) 09:06:54 ID:/9IAdiFk

>>3330 トキさま

<< 通説では、招神歌により、生長の家の大神のご守護をいただき、結果、悪い波長が合わない
というものです。が、招神歌により、自己内在の神様と直結する事で、悪い波長が合わないの
だ、という解釈をする人もいました。これは、その人の独自の解釈ですが、ある部分、面白い
解釈だな、と思いました。>>

そうなのですか?
わたしは、聖典「生命の實相」を拝読している限り、
<<招神歌により、自己内在の神様と直結する事で、悪い波長が合わないの>>という解釈の方が正しいような気がします。
自己内在の神(実相)以外に、外に神を求めてしまった時点で、それは生長の家の「唯神實相」から外れてしまうような気がするのですが・・・。

だから、神招歌というのも、本来は自分の中に内在する「生長の家の大神」に呼びかけている歌ということになるのではないでしょうか・・・?

そんな風に感じました。

3337a hope:2013/11/20(水) 09:08:32 ID:/9IAdiFk

>>3332 〜 復興Gさま

ご指導をありがとうございます。
今、過去の投稿文や榎本恵吾先生の御文章を拝読中です。
そして「実相独在」や「唯神實相」の真理を頭で理解することと、まことに体得(悟る)ことの隔たりの大きさを実感しています。

たとえ頭では「自己の内部にすべてがある」と理解できていても、
それでも外に神を求めてしまい外にある大きな力に運命を支配されているように感じてしまっているのが、
釈迦やキリストや雅春先生のように悟り切れていないいわたしたちなのだと思います。


でも悟り切れば、

『実相を観ずる歌』のような状態が顕現するのでしょうね!

生長の家の教えって、ホントにすごいですよね!!!

だって雅春先生はわたしたち信徒に聖典「生命の實相」という形で「悟りへの道」への指針をハッキリ残してくださっているのですから、
わたしたち信徒は、ただただ「自己内在の神」の存在を信じて「生命の實相」心読すればいいのですから・・・。

わたしはこれからもひたすら、聖典「生命の實相」の拝読に励みたいと思います。

みなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしくださいね。

3338トキ:2013/11/20(水) 10:08:16 ID:LuR7Ta0I
>>3336

a hope 様
 
 ご投稿、ありがとうございました。

 『通説」的な理解の根拠は、招神歌の最後の言葉

 『生長の家の大神 まもりませ」

が、根拠だと思います。これに対して、『独自の解釈」は、『大実在たる
無限の生命」に精神を統一する(詳説 神想観 p78)で説明をします。
ただ、『独自の解釈」は、祈っている時に、霊感で感じた事だったみたい
です。個人的には、独自の解釈のほうに親近感を持ちますが、私はどちら
が正しいか、どうか、という点について、決定するだけの能力がないので
宿題にしております。

合掌 ありがとうございます

3340復興G:2013/11/27(水) 14:01:53 ID:AB6RqYXc

 さて、今月11月があと残り少なくなりました。

 今月のテキスト 『生命の實相』 第6巻には実に深い教えが説かれていて、うれしくなります。

 第3章 「無限能力をひらく道」 から、少し抜粋謹写し、思うことを書かせて頂きます。

 これは、昭和9年4月22日、生長の家本部(当時神戸近郊の御影(みかげ)元住吉にあった)で、谷口雅春先生を中心にした誌友たちの座談会記録です。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 南――われわれの心のうちには地獄もあれば極楽もある。心が悪を描けば地獄が出てくる、心に善を描けば極楽が出て来る。ひっきょう地獄も極楽も本来無いものであって、それは皆われわれ自身の心の中にあると悟るのが、実相を悟ったということになるのでございましょうか。

 谷口――それは 「現象の法則」 を悟ったというものであって、実在の実相を悟ったものではありませんねえ。

 南――なるほど、それは現象の法則を悟ったというものですか。はハア、なるほど。……

 谷口――現象界は心の展開として、いろいろに地獄にも極楽にも顕われて出て来るのであって、現象界は本来無いものじゃと悟る――これは 「現象の実相」 を悟ったものであって、まだ 「生命の実相」 を悟ったということにはならない。本来固定した相が無くて地獄にも極楽にも、心に従って顕われて来るのが現象界でありますが、実相界というものはただ 「極楽」 のほかはない、常楽妙々の世界なのであります。

 南――心に従って地獄にも極楽にも顕われて来るのを、心を浄めて極楽の状態のみを顕わそうとする、それがわれわれの心の修養というものでありましょう。

 谷口――そうです。それは修養でありますが、それはまだ悟りではない。「悟り」 というものは現象にとらわれないで、直接 「生命の至妙の実相」 を把握することなのです。「修養」 というものは現象(いまのあらわれ)の中で悪いものを、それを見わけてそれを握って捨てようとするのですから、けっこうには違いないが、現象をあるとして取り扱って、現象に依然としてとらわれるから、なかなか至妙常楽の実相を顕わすことができないのです。

 南――現象の雲を吹き払う風を作るということが必要ですねえ。

 原――風が吹くほど雲を起こすということにもなりはしませんか。

 谷口――だから雲など吹き払おうと思う必要はない。一躍して実相界に跳び入るのです。そこから無限の自由、無限の力が湧いて来るのです。雲はあっても無くとも好(よ)い、アルとかナイとかかかわっている間はだめだ。雲を跳び越えて、雲の彼方(かなた)にある太陽の輝く世界に跳び入るのです。雲はあっても無くとも雲の彼方の世界は太陽で輝いている。その世界に跳び込んでしまっておれば、雲はわれわれの念の力で繋(つな)ぎ留めておかないから自然に散って消えてしまう。この雲、あの雲にとらわれて、その雲をどうかしないでは救われないなどと考えるのは、現象にとらわれているのです。

 原――先生のおっしゃるのでは、「本来、どうしないでも人間はすでに救われている」 のだよ。無限の自由、無限の力はすでに有る……

 南――その救われている事実を、すでにある無限の力を、現実にあらわすのには……?

 谷口――本来至妙の実相が屈折せずに、歪(ゆが)まずに現象界に映って来るようにすればよいのです。それには実相が現象界に映し現われるための 「念のレンズ」 を浄めればよいのです。「念のレンズ」 を浄めるには、今現われている現在不完全な相(すがた)にとらわれないで、実相完全な相(すがた)のみを見るようにすればよいのです。本来救われているわが実相を見るようにすればよいのです。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と本来一体の自分を見るようにすればよいのです。

 南――現象にとらわれないで、ただ 「南無阿弥陀仏」 と称えて実相を見るようにしても、なかなか極楽的な状態を現象界にあらわしていない人がたくさんありますなア。南無阿弥陀仏にもいろいろの段階があるようです。南無阿弥陀仏と称えながら嫁いびりをする姑さんもありますなア。

 谷口――むろん 「南無阿弥陀仏」 にもいろいろの段階があります。阿弥陀仏とは木像(もくぞう)だとか金仏(かなぶつ)だとか考えていて、自分の実相ではないと考えている人もある。同じ 「南無阿弥陀仏」 でも 「帰一木像」 「帰一金仏」 では救われない。やはり 「帰一常楽実相」 の意味でないと、本来救われている実相が出て来ないのです。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

3341復興G:2013/11/27(水) 14:02:50 ID:AB6RqYXc

 ――以上、テキスト第3章のはじめの方のご文章(p.68~71)で、特に最初の南さんの質問

<< 南――われわれの心のうちには地獄もあれば極楽もある。心が悪を描けば地獄が出てくる、心に善を描けば極楽が出て来る。ひっきょう地獄も極楽も本来無いものであって、それは皆われわれ自身の心の中にあると悟るのが、実相を悟ったということになるのでございましょうか。>>

 に対して、谷口雅春先生は

<< 谷口――それは 「現象の法則」 を悟ったというものであって、実在の実相を悟ったものではありませんねえ。>>

 とお答えになっている。

 ちょうど、ちょっと前にある講師が、教区の「地方講師会だより」に、次のように書かれているのを見ました。

 「日時計主義こそ実相独在、唯心所現の生活実践です。現実にはまだ光明が十分現れていなくても、現象の背後にある実相を信じて、言葉を読んで、引き出すことで、地上に光明が現れる。そういう信仰と原理なくして、日時計主義は成立しません。」

 と。

 皆さま、どうお考えになりますか?

 「実相」 とは、現象の背後にあり、言葉を読んで、引き出すことをしなければ地上に現れないものなのでしょうか?

 それって、「二元論」 ではありませんか?

 谷口雅春先生は、

<< 「悟り」 というものは現象にとらわれないで、直接 「生命の至妙の実相」 を把握することなのです。「修養」 というものは現象(いまのあらわれ)の中で悪いものを、それを見わけてそれを握って捨てようとするのですから、けっこうには違いないが、現象をあるとして取り扱って、現象に依然としてとらわれるから、なかなか至妙常楽の実相を顕わすことができないのです。……

 ……雲など吹き払おうと思う必要はない。一躍して実相界に跳び入るのです。そこから無限の自由、無限の力が湧いて来るのです。雲はあっても無くとも好(よ)い、アルとかナイとかかかわっている間はだめだ。雲を跳び越えて、雲の彼方(かなた)にある太陽の輝く世界に跳び入るのです。雲はあっても無くとも雲の彼方の世界は太陽で輝いている。その世界に跳び込んでしまっておれば、雲はわれわれの念の力で繋(つな)ぎ留めておかないから自然に散って消えてしまう。この雲、あの雲にとらわれて、その雲をどうかしないでは救われないなどと考えるのは、現象にとらわれているのです。>>

 とおっしゃっています。

 「実相」 というのは、時間・空間が現れる元のところ、「久遠の今」 にある理念の世界であり、無限完全円満であって、それのみが実在である。時間・空間は仮想であって、ナイのである。したがって時間・空間のスクリーン上に現れて見える現象も、ナイのである。

 「日時計主義」 とは、

<< “I record none but hours of sunshine.”(われは太陽の輝く時刻のみを記録す)
 自分はこの標語を「日時計主義」だと言うのである。>>

 と 『生命の實相』 第7巻に書かれているが、この 「太陽」 は、自分の外にあるのではない。自分の内にあり、自分が太陽なのである。だから、「われは太陽の輝く時刻のみを記録す」 というのは、「われはわが輝く時刻のみを記録す」 ということである。

  ――私は、そう思いました。

3342復興G:2013/11/27(水) 14:54:35 ID:AB6RqYXc

 さて、>>3340 で謹写引用させていただいたご文章のつづきに、次のように書かれています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 杉野――今日、日の本足袋の松並さんから一冊のパンフレットを送って来ました。ひらいて見ると高橋正雄さんの講演で、なかなかおもしろいことが書いてある。極楽というものは高い所にあるのかと思っていたら、地獄の釜の底にあったということが書いてある。

 地獄から逃げ出したいと思うから苦しいので、地獄の方へ突進して、地獄の底に衝突して、地獄の底をブチ割ってしまったら、その地獄の底の下に極楽がある。

 家庭の借銭問題でも、あいつは血も涙もない鬼のような奴じゃという、そこにはや地獄ができている。この地獄からのがれる道は、借銭を逃れようとすればするほど地獄の鬼が追いかけて来るので、借銭を愛するようにしなければならない。

 借銭を愛するというのは、その借銭のいうことをきいてやるようにしなければならない。借銭は何をしてくれというかといえば、その要求するところは、ただ「払ってくれ」ということである。だからこの借金の問題を解決するのは、借金を愛して、借金の要求たる 「払ってくれ」 ということをきいてやりさえすればよい。そして問題のまっただ中へ飛び込んで、それを払うように一所懸命に働けば、地獄の釜の底がブチ割れて、地獄だと見えていたところのものから極楽が出て来るというのです。(中略)

 ……というので高橋正雄さんは以前のままにその家に住むことになったのです。そしてそんな立派な家に住むことができるようになったのは、借金があったからこそのお蔭である。借金が恩人であるから、その恩人のいうことをきいてやらねばならぬ。借金はありがたい、借金の力でこうして住まわしてもらっているのじゃ。だから、その恩人のいうこと 「払ってくれ」 という要求を叶えねばならぬと決心した、そこに無限の働く力が湧いて来て、間もなくその借金を払ってしまったというのです。

 谷口――(前略) 高橋正雄さんは 「借金はありがたい、借金のオカゲでこの家に住まわせてもらえる。借金を忘れぬようにしなければならない」 と思って、毎朝 「わしには借金があるんだぞ、獅子奮迅(ししふんじん)」 と大声に叫んで、借金のことを忘れずに、獅子奮迅の努力をして行かれることにせられた。

 これは高橋さんのような道徳的天才にしてできたことで 「わしには三千円の借金があるんだぞ」 と思うだけで、ウンザリして意気沮喪してしまう人もたくさんあります。親の借金をこんなにたくさん背負わされてばからしいと思って、反対に自暴自棄になる人もある。それに、高橋さんは 「わしには借金があるんだぞ。獅子奮迅」 と毎朝大声で叫ぶという事によって、獅子奮迅の力が湧いてきた。

 これは語尾の 「獅子奮迅」 という言葉の力が働いていることは見のがせないのであります。これとは反対に 「わしには借金があるんだぞ。意気沮喪」 とか、「わしには借金があるんだぞ。失望落胆」 と呼ぶようにしてごらんなさい。失望落胆、意気沮喪して働く勇気が出て来ないのであります。だから借金という悪いものを背負っている自分だということを思い出したのが、高橋正雄さんに獅子奮迅の力を出させたわけではない、この事実を見のがしては真相を見のがすことになるのです。

 それでは高橋正雄さんが 「わしには借金があるんだぞ、獅子奮迅」 と、偶然に 「獅子奮迅」 という言葉をつけたから、単に言葉の力だけでそんな獅子奮迅の力が出て来たのであるかと申しますと、それだけでもない。わしにはこんなに借金があって逐(お)い出されてもしかたのない自分であるのに、こんなに良い家に住まわせてもらっているのは、これ天地から生かされているのである、ただありがたい、自分の力で生きているのではない。

 天地をつらぬく生命が自分に宿って生かそうとしているのである――というありがたいという気持ち この実相を知るありがたい気持ちは、小我の力を否定して、「大生命われに宿って生きる」 の自覚である。この自覚があってこそ 「獅子奮迅」 という言葉も自然に出て来たのであり、その言葉の力も生きて来たのであります。(後略)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

3343復興G:2013/11/27(水) 14:55:11 ID:AB6RqYXc

 ――以上のご文章も、胸に響くものがありました。

 私たち、いろいろな問題をかかえている。言わば大きな借金をしているようなものです。その 「借金」 から逃げ出そうとしたら、苦しくなって、今ここが地獄になる。「地獄の方へ突進して、地獄の底に衝突して、地獄の底をブチ割ってしまったら、その地獄の底の下に極楽がある」 という杉野さんの発言は、今の私のためにあったのだと思わせて頂きました。

 借金は、「払ってくれ」 と言っているのです。その言うことをきいて、払ってやればいいのです。「私には借金があるんだぞ。獅子奮迅! 天地から生かされているんだぞ。獅子奮迅!」 と毎朝叫んで(声には出さなくても)、問題のまっただ中へ飛び込んで、それを払うように一所懸命働いて行きたいと思います。

 ありがとうございます。

3344復興G:2013/11/27(水) 15:34:13 ID:AB6RqYXc

 テキストp.112〜113 の、以下のご文章(佐瀬さんのご発言)も、うれしくなるご文章です。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 わたしは近ごろ 「生長の家」 の宣伝の方法を変えました。今までは誰にでも会う人ごとに 「生長の家」 の話をしなければ気がすまない。相手を見ず、人を見ず、遮二無二、神様の話をいたしますので、かえって反感を持たれていましたが、今では自然に向こうから求めてくる機会を掴むような気持ちになりました。すると不思議に向こうから話してくれと求められるようになりました。

 またある時にはわたしは 「生長の家」 というのはむずかしい宗教ではない、したいままをする教えである、こんなやさしい教えはない。「生長の家」 はコレをしてはならぬ、アレをしてはならぬとはいわない。あなたのしたいままをしなさいというのです。なんでもあなたのしたいままをしなさい。しかし一つの条件がある、それは 「自分は神の子である」 という自覚を持った上でというのです。

 デパートで物を買うにしても、何を買っても叱られるということはない。多く買えば買うほど百貨店から喜ばれる。しかし懐中にお金をもっていないで買えば万引きだといわれるでしょう。それと同じように 「自分は神の子だ」 という自覚がなしに、したいままをすればまちがいができる。ところが 「自分は神の子だ」 という自覚をもってすれば、自然によいことばかりできてきて皆様から喜ばれるのは、懐中にたくさんのお金をもっていて百貨店で買い物をすれば皆から喜ばれるのと同じことです、とお話しますと、「なるほどよく解る」 といわれる方が多うございます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ―― 「自分は神の子である」 という自覚をもってすれば、したいままをすればよい。それが、「神ながら」 ということなのでしょう。

 「善とは生命の実相に仕えること、生命の実相の催しのままに生きることである。物質的手段に頼ってみたり、時には生命の実相に頼ってみたり、フラフラするようなことではなんの甲斐もない。人は二人の主に仕えることはできない」

 という 「智慧の言葉」 (『生命の實相』 第22巻 p.10) も、しっかり守ってまいりましょう。

3345トキ:2013/11/27(水) 18:56:42 ID:QsleMvcs
>>3344

復興G 様

 今月は、生命の実相第6巻がテキストなので、毎日、繰り返し拝読しております。

>>「自分は神の子である」 という自覚をもってすれば、したいままをすればよい。

という部分は重要であり、同時に気をつけないといけない部分かと感じます。

 過去の宗教などでは、「あれをしてはいけない」「これをしなさい」という部分が
多くて、ずいぶん窮屈な印象がありました。あまり具体的な事例をあげると誤解をう
けて問題になるので止めますが、特定の信仰を持っている私から見ても、「いったい
神様がそんな窮屈な事を言うかしら?」としか思えないような教えもあります。

 その意味では、谷口雅春先生のこの部分はたいへん重要で、かつ大切な部分だと
思います。最近の生長の家では、こういう部分があまり重視されていないみたいで
すが。

 反面、「自分は神の子である」自覚がないまま、ニセモノの自分が神の子である、と
誤解して、好き勝手をすると、これも大変な事になるかと感じます。

 すると、最低限は「行」をきちんとする事が前提のような気がします。ただ、その辺り
の基準は自分もまだ勉強中であります。

 素晴らしい部分をご紹介下さった復興G様に心から感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

3346a hope:2013/11/28(木) 00:07:49 ID:/9IAdiFk

復興Gさま 

ご指導をありがとうございます。
>>3344にご紹介の文章には、わたしも赤線を引いてありました。

このお話をされている佐瀬さんという方は、小さいお子さんもいらっしゃるお母さんですね。
この文章の前にも、ご自分のお心の持ち方を反省されることで、養母さんと和解されたお話や、
良いい引越し先が見つかったお話、お子さんの脱臼が治ったお話など、数々の奇跡が紹介されています。

この方は当時はとてもお若いお母さんではなかったのかと思われますが、
すべての自分の周りで起こる出来事を自分の心の陰であると反省することができる素晴らしい方だと感じました。

そんな、彼女が伝道をされるときに、
<<「自分は神の子である」 という自覚をもってすれば、したいままをすればよい。>>
というようなことを言われたのですね。

ですが、この言葉がですが、>>3345でトキさまも

<<「自分は神の子である」自覚がないまま、ニセモノの自分が神の子である、と
誤解して、好き勝手をすると、これも大変な事になるかと感じます。>>

おっしゃっていますが、わたしも相手を見て慎重に判断して言わないといけない言葉なのではないかと感じました。
なぜなら、まことの「神の子の自覚」とは、そう簡単に得られるものではないと思うからです。

わたし自信も「人間は神の子だ」ということは頭では理解していますが、実際それを体得しているとはとても言えません。

これは「生長の家の教え」の基本ですが、まことに悟り、復興Gさまのおっしゃるような「神ながら」の行動をとれるようになるには、
トキさまのおっしゃるように『最低限は「行」をきちんとする事』とても大切な気がしました。

復興Gさま、わたしはこのように感じました。

ご指導をどうぞ、よろしくお願いいたします。

3347復興G:2013/11/28(木) 10:33:11 ID:AB6RqYXc

>>3345 :トキ様

>>3346 :a hope様

 ありがとうございます。

 本当に、おっしゃるとおりですね。

>>「自分は神の子である」 という自覚をもってすれば、したいままをすればよい。<<

 というところの、前のところ、“「自分は神の子である」 という自覚をもってすれば” というところが、大切なところであると思います。

 しかしながら、その 「神の子の自覚」 とは、たしかにa hope様がおっしゃるように、「そう簡単に得られるものではない」 とも言えましょう。けれども、また 「決して難しいことではない」 とも言えると思います。なぜなら、「自分が、自分が」 と掴んでいた自分はなかったんだ、ただ神に生かされている、天地に、大生命に生かされていたんだと、自分を空っぽにするだけでいいんです。難しい自力の修行は要らないんです。

 『生命の實相』 第6巻第3章の座談会に出てくる佐瀬さんは、たしかにa hope様がおっしゃるように、

<<ご自分のお心の持ち方を反省されることで、養母さんと和解されたお話や、良い引越し先が見つかったお話、お子さんの脱臼が治ったお話など、数々の奇跡が紹介されています。
この方は当時はとてもお若いお母さんではなかったのかと思われますが、すべての自分の周りで起こる出来事を自分の心の陰であると反省することができる素晴らしい方>>

 ですね。その佐瀬さんは、

<<わたしは今まで養母(はは)から叱られるのは、養母がわたしを無理解だからだとのみ考えていましたが、それが 『生長の家』 を読ましていただくようになりましてから、養母は決して無理解なのではない。神は無理解な養母を造り給わないから、そんな無理解な母は決して存在しない。それはわたしの心が映ってそう見えるだけである。実相の養母は、理解ある知恵と愛とを円満具足した存在であると気がつきました。それからというものは、わたしは養母が急に前よりいっそう懐かしくなり、養母に会いたい、母に会って養母の実相を見たいと思う念が切々と動いてきたのでございます。>>

 というように変わられたとき、

<<今まではこうしたら、叱られやしないか、悪くとられやしないか、とハラハラしながら養母に気に入るように務めながらも、悪くとられて叱られていましたのが、今度はどうでしょう。のん気にしたいままをして、それが自然に気に入るのでございます。わたしの心が養母の実相を見たから、養母の本来の善いところばかりが出て来るのでございました。今まで現象に見えていた 「無理解の養母」 は本来無いのであって、こちらの念の影で、あるように見ていたのだということがハッキリわかりました。>>

 とおっしゃっているわけですね。

 こちらが素直になって神の無限の愛を信じたとき、周囲のすべてが素直に調う。

 それで私は、トキ様がおっしゃってa hopeさまが同意されている

>>『最低限は 「行」 をきちんとする事』 がとても大切<<

 という言葉は、もっともだとも思われますが、ちょっと違和感を感ずるところがあります。

 それは、その言葉にはなにか <自力で 「行」 をきちんとしなければ、私たちは神の子になれない> ――神の創造にまだ作りそこないがあり、われわれの自力修行を必要とするような不完全なつくり方をされているという、神に対する不信があるのではないか――というな感じがするんです。

 「善とは生命の実相に仕えること、生命の実相の催しのままに生きることである。物質的手段に頼ってみたり、時には生命の実相に頼ってみたり、フラフラするようなことではなんの甲斐もない。人は二人の主に仕えることはできない」

 という 「智慧の言葉」 の、「二人の主に仕える」 ことになっていはしないか、ということです。

 私は、毎朝の神想観・先祖供養を当り前のこととして、習慣的に、よろこんでやっています。

 それは、無条件に神に、先祖に守られ生かされているのだから、あたりまえに感謝とよろこびを忘れないで出発するためです。自分はまだ不完全だから、修行して神に近づくためだとは思っていません。

 すでに、完全である。だから、ありがたいのみである。

 感謝とよろこびが神想観であり、感謝とよろこびが先祖供養なのです。

3348トキ:2013/11/28(木) 15:57:33 ID:5Wa7vmvU
>>3347

復興G様

 丁寧なご指導深く感謝申し上げます。

 青年会の頃などは、神想観や聖経読誦が苦手な時期もありまして、どうも内心忸怩たるものが
ありました。ある程度続けると、楽しみに変わります。まだまだ復興G様の域には達しませんが、
精進を重ねたいです。生長の家信徒行持要目の最後、『毎日一回は神想観を実修して心を光明化
すべし」ですが、神の子たる自分を思い出す事の大切さを感じます。

 生命の実相第6巻には、巻末に体験談が掲載されていますが、あれは修行者のありかたを別の
角度で説かれたもので、選りすぐりの体験だと思います。

 今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

3349a hope:2013/11/28(木) 22:11:31 ID:/9IAdiFk

>>3347 復興Gさま 

ご指導をありがとうございます。

おかげさまで、わたしにとって今や「神想観」は快感です(笑)
いつもは40分くらいですが、たまに1時間以上することもあります。
リビングのフローリングの床に薄い敷物を敷いてしていますが、最近はまったく足がしびれなくなりました。

聖経読誦は神想観ほど熱心にはできませんが、黙読するようにしてから以前より集中できるようになりました。
なによりも、ご先祖さまやご縁のあった御霊さまたちに感謝の気持ちを込めるようにしています。

生長の家の、三正行は、「神想観」、「聖経・聖典の拝読、、そして「愛行」ですが、
わたしは、「愛行」は主に家族に対してや、仕事を通して実行してます。


Gさまご紹介の智慧の言葉

「善とは生命の実相に仕えること、生命の実相の催しのままに生きることである。物質的手段に頼ってみたり、時には生命の実相に頼ってみたり、フラフラするようなことではなんの甲斐もない。人は二人の主に仕えることはできない」

を実行するには、まずは「生命の実相」を悟らなければ話にならないのではないでしょうか?
(むしろ、生悟りのままこれを実行するのは、自分の経験から危険であると感じています。)


復興Gさま、わたしも、生長の家の三正行は、<<自分はまだ不完全だから、修行して神に近づくため>>のものだとは思ってしていません。

自己内在の神を観ずる「神想観」、潜在意識を浄めるための聖経・聖典の拝読、そして、自他一体感を自覚する「愛行」、すべては、「生命の実相」「人間神の子」を大悟するための、完璧な「行」であるとわたしは信じています。

ですからわたしは、トキさまのご発言『最低限は 「行」 をきちんとする事』には、何の違和感もありませんでした。

むしろ、「生長の家」の講師の方々が三正行の必要性を信徒にきちんと説かなくなってしまう方が問題だと感じています。

復興Gさま、 a hopeのたいへんな生意気をお許しください。
ですが、復興Gさまの大きな胸をお借りして、素直に感じたことを述べさせていただきました。

引き続き、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3350トキ:2013/11/28(木) 22:48:27 ID:5Wa7vmvU
 今読み直すと、私の先の投稿は支離滅裂で、申し訳ないです。

 まず、行についての復興G様のご指導は、私の考え方が、形式的というか、
掛け声だけだったのをご注意下さったものかと感じております。この点、
気をつけるべき点だと反省しております。

 それと、a hope様のご投稿は、楽しくて、とても励まされます。いきいき
していて、嬉しくなるような内容ですね。

今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

3352復興G:2013/11/29(金) 19:33:01 ID:AB6RqYXc

>>3349 :a hope さま

 ありがとうございます。

 さて、「行」 について思うことをもう少し書かせて頂きます。

 私の知る限りでは、生長の家で 「行」 を最もひたむきに激しくきびしく実践した人は、榎本恵吾先生ではないかと思っています。

 榎本先生は高校生の時、アパートの一室を借りて住んでいた親友のところに一週間、居候をさせてもらって、その間ずっと神想観をつづけたことがあったそうです。焼きおにぎりを7個買ってきて、1日に1個食べ水を飲むだけの食事で、只管神想観を続けていた。友人は登校して帰って見ると、出かける前と同じ姿勢で神想観をしている。それが一週間続いた。友人は、「この男はすごい男だ」 と舌を巻いたそうです。

 この話は、恵吾先生の一年祭・追善供養の集いをしたときに、その友人(当時、榎本先生の郷里和歌山県のある町の町長になっていた)から聞いた話です。

 高校卒業後、飛田給道場で 「練習生」 (徳久克己総務の許で道場に住み込み、昼間は奉仕しながら夜間大学に通って勉強させてもらう研修生) となって修行された。道場ではもちろん早朝行事(神想観・聖経読誦)から毎日が始まる。そして当時道場で飼っていた鶏の世話をする仕事を与えられ、それも一所懸命されていた。

 先輩から、「鶏に愛の心を注いで世話をすれば、卵をたくさん産むようになる」 と言われ、真剣にそうしているつもりなのだけれども、産卵数はいっこうに増えない。それは自分の修行努力が足りないからだと反省し、自分を責めてばかりいた。

 そうしているうちに、高校時代の友人からは、「お前は生長の家を知らない時の方がよっぽど明るかった。生長の家をやるようになってから、雰囲気がどんどん暗くなって行った」 といわれたそうです。

 「生命の実相を悟りたい、悟りたい。まだだめだ、まだだめだ」 と一所懸命に 「行」 をすればするほど真理から遠ざかるように 「暗く」 なって行ったというのです。

 その榎本先生が、ある日聖歌を歌っているとき、フッと 「悟りは明日にしよう」 と思った。「悟りたい」 と思う心を捨てたのです。そしたらパッと 「今、生かされている! そのままでよいのだ!」 という喜びの光が心を満たした。

 それから、「行」 は真理を悟る 「ため」 のものではなく、ただ光が光する行となった――と聞きました。

 そして、「自然の美しい花などは、神想観をしてから咲いたのではないでしょう。人間も神想観をしてから生まれてきたのではないでしょう。そのまま喜んでいいのですよ。修行をしなければ救われないと思うところには、神が自分を不完全につくった、つくりそこないをしたという不信があることになる。すでに完全につくられていることを喜ぶのが神想観ですよ」 と説かれた。

 私は青年時代に先輩講師などから、「神想観をしなければ真理はわからない。神想観をしなければ救われない」 と言われて、疑問を持ち反撥を感じたことがあります。

 生長の家はまだ立教後たかだか ○十年だ。谷口雅春先生が現れられ、生長の家が始まるまでの人には、救われる道がなかったのか? 神は、そんな不完全な創造りかたをされたのか?――と。

 それで、神想観といえば形のことだとしか受けとっていなかった私は、なにか反撥を感じていました。

 a hope さまは、神想観・聖経、聖典の読誦・愛行の三正行を喜んで素直に行じていらっしゃるのは、すばらしいと思います。が、私はやはり、『最低限は 「行」 をきちんとする事』 ということは、“掛け声だけの形式的な 「行」 の勧め” になるおそれがあり、かえって人間を縛ることになり、真理から遠ざかることになる可能性があると危惧します。

 「三正行」 も、“……のために” となると、たとえそれが “「人間神の子」を大悟するため” であっても、ちょっとちがうのではないか。すでに完全がある、すでに一切が与えられている、だから行じなくてはいられない、という榎本先生のような生き方が本当だと私は思っています。

 三正行は、三度の食事のように当り前の、ただうれしい素晴らしいありがたい行であることを説くことは必要でしょうが……。

3353復興G:2013/11/29(金) 19:56:33 ID:AB6RqYXc

 web誌友会参考文献板の >183 に、このテーマにぴったりの、榎本恵吾先生のご文章がありました。

 ありがとうございます。

3354復興G:2013/11/29(金) 22:28:32 ID:AB6RqYXc

a hope さま、聖典引用板の >2678〜2684 に抜粋謹写された 『生命の實相』 第36巻 第3章 「無礙の大道」、すばらしいと思います。

また、信仰/体験板2 の >1471〜1482 で 「訊け」 様との対話、そして >1484 の トキ様が 『神真理を告げ給ふ』 p.44 からの謹写引用をされての締めは、まさに神が真理を告げ給うたお言葉だと感じました。

ありがとうございます。

3355a hope:2013/11/29(金) 23:33:14 ID:/9IAdiFk

>>3352 復興Gさま

キリストも釈迦も雅春先生も恵吾先生もお悟りになるために厳しい修行を積まれたのですね。
でも、その結果、そんな苦しみの伴う修行は必要ではなかったと実相世界の完全円満を悟られた。

でもそれって客観的にみたら、やはり厳しい修行があったから「大悟された」ということになるような気がするのです。

今、信仰/体験板で 訊け管理人さまやトキさまと、恵吾先生の「罪すらも『光』なんだ!」発言について、お勉強させていただいているのですが、
その内容から考えると、恵吾先生は『ご自分の経験された「悟りを求める修行」を間違いだった』とは思われていなかったのではないでしょうか?

その暗(やみ)の修行(一度、真理から遠ざかること)があったからこそ、まことの「実相独在」を悟ることができたのでると、
「あの辛い修行も光だったんだ!必要なことだったんだ!」と感謝されているような気がします。



ところで、復興Gさまが危惧されている、

<<『最低限は 「行」 をきちんとする事』 ということは、“掛け声だけの形式的な 「行」 の勧め” になるおそれがあり、>>

ということに関しては、>>3350でトキさまもご自分自身で反省されているようなので、わたしも納得させていただきました。
ご指導をありがとうございます。


ですが、

<<「三正行」 も、“……のために” となると、たとえそれが “「人間神の子」を大悟するため” であっても、ちょっとちがうのではないか。すでに完全がある、すでに一切が与えられている、だから行じなくてはいられない、という榎本先生のような生き方が本当だと私は思っています。
三正行は、三度の食事のように当り前の、ただうれしい素晴らしいありがたい行であることを説くことは必要でしょうが……。 >>

という御文章中の、『すでに完全がある、すでに一切が与えられている、だから行じなくてはいられない、』という生き方ができるのは、
やはり「実相世界の完全円満さ」を完全に悟られている恵吾先生や復興Gさまだからだと感じてしまいます。


それに「詳説 神想観」の中で、「三正行」について、雅春先生がご指導くださっている御文章があるのですが、
それを拝読する限り、「三正行」はやはり真理を体得するためにする「行」であるとわたしは感じてしまいます。

わたしは、どんな人間にも、「真理を知りたい」という欲のようなものはあるのではないかと思うので、
「三正行」を真理を体得するために行ずるという考え方も間違えではないような気がします。
少なくともわたしはそういう理由でしています。

3356a hope:2013/11/29(金) 23:34:52 ID:/9IAdiFk
>>3355の文章は復興Gさまのご投稿>>3354を拝見する前に作成しました。)

>>3354 復興Gさま

お褒めくださりありがとうございます。
聖典「生命の實相」の素晴らしさに、毎日魂を震わせています。

3358復興G:2013/11/30(土) 13:58:37 ID:AB6RqYXc

>>3355 :a hope さま

>>今、信仰/体験板で 訊け管理人さまやトキさまと、恵吾先生の「罪すらも『光』なんだ!」発言について、お勉強させていただいているのですが、その内容から考えると、恵吾先生は『ご自分の経験された「悟りを求める修行」を間違いだった』とは思われていなかったのではないでしょうか?<<

――その通りだと思います。

すべては光、罪すらも光だと、榎本先生は悟られたと思います。

>>「詳説 神想観」の中で、「三正行」について、雅春先生がご指導くださっている御文章があるのですが、それを拝読する限り、「三正行」はやはり真理を体得するためにする「行」であるとわたしは感じてしまいます。<<

――それは、現象の側から見ればそうで、実相(光)の側から見れば、すでにある 「完全」 が、現れたくて、生まれ出たくて胎動を起こしている状態なのではないでしょうか。

3359a hope:2013/11/30(土) 17:14:12 ID:/9IAdiFk

>>3358 復興Gさま

<<実相(光)の側から見れば、すでにある 「完全」 が、現れたくて、生まれ出たくて胎動を起こしている状態なのではないでしょうか。 >>

実相世界の状態は、わたしにはわからないのです。

だからそれを悟りたいから、「人間神の子」の本物の自覚を得て、人類光明化に全力で取り組みたいと思うから、
だから、わたしは毎日神想観をして、聖典・聖経を拝読して、愛行をしているのです。

復興Gさまの

<<三正行は、三度の食事のように当り前の、ただうれしい素晴らしいありがたい行である。>>

このような境地にはわたしはまだ達していないのです。


たしかに、榎本恵吾先生のご文章を拝読したりご講話を拝聴したりすると、心が軽くなって元気になります。
それは、恵吾先生が、まことに実相独在を悟られていてそれに徹していらしたからだと思います。

また、直接個人指導を受けたりご講話を聴いたりすると、その波動がより強く伝わってさらに実相世界を悟ったような気がするのかもしれません。

ですがそれは、「悟り」のきっかけを与えられただけであって、その後は、やっぱり自分自身の修行が大切になるのだと思います。

生長の家の「三正行」はそのためにあるのだとわたしは思うのですが・・・。

違うのでしょうか?


詳説 「神想観」の雅春先生の「三正行」のご指導文を、聖典板に謹写させていただきます。

3360復興G:2013/11/30(土) 20:35:48 ID:AB6RqYXc

a hope さま

詳説 「神想観」の雅春先生の「三正行」のご指導文を、聖典板に謹写してくださって、ありがとうございました。

プリントアウトして、赤線を引いてしっかり拝読させていただいています。

三正行の大切さが、よくわかります。

もっともっと、精進しましょう。

ありがとうございます。合掌

3364a hope:2013/12/01(日) 11:05:35 ID:/9IAdiFk

>>3360 復興Gさま 

わたしの思いを理解してくださりうれしいです。感謝 合掌。

実相世界は確かに存在していて、それが唯一の実在だということは、
生長の家の信徒だったら、雅春先生の聖典を拝読されていらっしゃる方だったら、
ほどんどの方が頭では理解されていることなのだと思います。

ですが、それを『体得する』というのは、全く別の次元のお話なのではないかと思うのです。

聖典引用板 >>2691に謹写させていただいた【真理を完全に悟るには――生長の家の三行】
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2691

わたしは、これを成し遂げることが「まことの法燈継承」なのだと感じています。

3365a hope:2013/12/01(日) 11:09:12 ID:/9IAdiFk

みなさま こんにちは

聖典 「生命の實相」や「生長の家の教え」をもっともっとお勉強されたいみなさまにうれしいお知らせです!

もと宇治別格本山の大人気講師だった大熊先生が、ご自身のブログでとてもおもしろい講義をしてくださっています。
3D形式(?)で、臨場感満載です(笑)
また、今日は、この掲示板で話題になっている榎本恵吾先生との秘話(素晴らしいエピソード)もお話してくださっています。

最近、やっとコメント欄を発見できたわたしもコメントしていますよ!(笑)

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/folder/172638.html

3366復興G:2013/12/02(月) 10:15:31 ID:AB6RqYXc

a hope さま
皆さま

私は昨日は朝から夜遅くまでリアルの世界で息つく暇もないほど4つの意義ある行事をこなし、このネット掲示板は開いてみることも出来ませんでした。充実した、私にとって忘れられない一日になったと思います。

さて、12月に入りました。

おもえば、今までこのトキ様が立ち上げ運営してくださっている掲示板で、たくさんの書き込みをさせていただき、たくさんの方々と心の交流をして真理を深く学ばせて頂きました。それによって私は素晴らしい魂の生長をさせていただいたと、深く感謝しています。

トキ様には、日夜ほとんど心のやすまるいとまもないくらい、この掲示板の運営にはご心労もあったのではないかと思います。深いご愛念に、ただ感謝あるのみです。

いま私は、この12月を区切りとして、この掲示板から退場させて頂きたいと思っています。

来年1月から、新たな場(リアルの世界とネット空間の双方ともに)で、私の生命表現、使命実現をして行きたい。

a hope さまが聖典引用板に謹写して下さった

<< 「知」が「信」によって生命を吹き込まれ、更にそれを愛行によって実践するとき真理が生動するものとなるのです。>>

とご教示いただいている愛行を、新たな場で、全生命をかけて実践して行きます。

ここはトキ様が運営して、生長の家あり方を真剣に考える皆さまのために開放して下さっている、万人のための掲示板です。このweb誌友会板で、私は昨年5月から約1年半にわたり、皆さまに推されて司会者とか、指導者とみなされるような立場におかれて勉強させていただいてきましたが、これは私の掲示板ではありませんから、私の色が濃くでてしまうのはよくないと思います。で、このあたりで退場させて頂いて、トキ様、皆さまにお返しするのが適当であると考えました。

今月、12月は、これまでのつづきとしては、『生命の實相』 第7巻を勉強することになりますが、第7巻に限らず、『生命の實相』 全巻および全聖典をテキストと考えて、私としては最後のweb誌友会とさせていただきたいと思います。

なにとぞよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます。

3367トキ:2013/12/02(月) 11:58:11 ID:vniWpnlU
復興G様

 今月いっぱいでこの掲示板を卒業されるとの事、驚きました。
今まで、素晴らしいご指導を賜っていたので、私達後進としてはたいへん寂しく、また、
残念です。今まで賜ったご恩に深く感謝申し上げます。

 復興G様は教えの大先達ですが、ご多忙の中、私達後進のために貴重な御時間を使い、
ご指導を賜った事は、神界から谷口雅春先生もお慶びかと拝察する次第であります。
 本当にありがとうございました。

 しかし、今後は、もっとすばらしい場所で、生長の家と信徒のために、もっと素晴らしい
活動を展開されると確信をしております。

 あと一月ですが、これが復興G様ご指導の誌友会は最終回になります。どうか、皆様、
奮ってご参加のほど、お願いを申しあげます。

 また、残り一月ですが、復興G様のご指導のほど、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3368志恩:2013/12/02(月) 12:13:24 ID:.QY5jUA6
復興G様

12月いっぱいで、ここの掲示板を卒業されるのですか。びっくりです。
私も、復興G様に、たくさんたくさん教えて頂きましたご恩を忘れません。

誠に、ありがとうございました。

>>来年1月から、新たな場(リアルの世界とネット空間の双方ともに)で、
私の生命表現、使命実現をして行きたい。<<

と、おっしゃっておられますが、
“リアルの世界とネット空間の双方ともに“....ということは、
ネットでも 新しいことを始められるということでしょうね。

楽しみに期待させて頂きます。

卒業とおっしゃっても、たまにでもいいですから、また、「特別ゲスト」として、
いらして下さって 教えて頂けましたら、有り難く存じております。

3374復興G:2013/12/02(月) 19:36:46 ID:AB6RqYXc

トキ様

志恩様

ありがとうございます。合掌

3375a hope:2013/12/02(月) 21:36:15 ID:/9IAdiFk

>>3366復興Gさま


<< 「知」が「信」によって生命を吹き込まれ、更にそれを愛行によって実践するとき真理が生動するものとなるのです。>>
とご教示いただいている愛行を、新たな場で、全生命をかけて実践して行きます。


上の復興Gさまの御決意に心からの拍手を送らせていただきます。
そして、今までとてもレベルの高い魂のこもった丁寧なご指導をしていただいたことに心から感謝します。

わたしは自分ほど、復興Gさまご指導のこのweb誌友会で生長させていただいたものはいないと自負しています。


復興Gさまは、この掲示板を引退されても

<<来年1月から、新たな場(リアルの世界とネット空間の双方ともに)で、私の生命表現、使命実現をして行きたい。>>

と仰っていますから、これからは、わたしもトキさまや志恩さま同様、そちらに期待させていただきたいと思います。


とはいいましても、12月いっぱいはまだこのweb誌友会でご指導いただけるわけですから、今回も精一杯学ばせていただきたいと思います。

復興Gさま どうそよろしくお願いいたします。

感謝 合掌

3376a hope:2013/12/02(月) 21:38:19 ID:/9IAdiFk

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第20回 web誌友会

期間  12月1日〜12月31日まで
テキスト 「生命の實相」全範囲および、全聖典

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

3377あさひ:2013/12/02(月) 22:02:53 ID:u9w/1zYY

復興Gさま

色々教えて頂いておりましたが、卒業されると聞き驚いています。

卒業されても、時々同窓会に出てきてください。

どこにおられても 雅春先生の弟子としての先輩、同志ですから。

ありがとうございます。

ますますのご活躍で更に大きくお国のためになられることでしょうね。
                   
                  合掌

3378ユタカ:2013/12/03(火) 05:43:55 ID:???
復興G様がいなくなるなんて考えられない!!

もうユタカは生きていられない!!

3379復興G:2013/12/03(火) 07:46:23 ID:AB6RqYXc

a hope 様

あさひ様

ありがとうございます!

ユタカさま

>>復興G様がいなくなるなんて考えられない!!
もうユタカは生きていられない!! <<

大丈夫ですよ、私はいなくなるわけではありませんよ。
今まで以上に、私はユタカさまともひとつの心で、今まで以上に力強く前進して行きたいと思っていますから。

ありがとうございます!

3380a hope:2013/12/03(火) 08:34:17 ID:/9IAdiFk

みなさま、第20回web誌友会が開会いたしましたので、開会の祈りをさせていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための  必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、
すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

3381a hope:2013/12/03(火) 08:39:00 ID:/9IAdiFk

つづきまして、聖経 『真理の吟唱』より
 「神に世嗣(よつぎ)を完(まっと)うする祈り」を謹写させていただきます。

「神に世嗣を完うする祈り」

わたしは今 〝神の子〝 であることを悟ったのである。
神はわが父であり給い、私たち人間を神の世嗣として地上に顕現せしめ給い、
神の御心を地上に実現するための 〝神の子〝 として地上天国建設の使命を授け給うたのである。
この大使命を自覚するまでの私たちは、いわば 〝漂流(さすらい)の子〝 〝放蕩息子〝 とも譬(たと)うべきものであったのである。
しかし今はもう私は 〝漂流(さすらい)の子〝 でも 〝放蕩息子〝でもないのである。
わたしは今、父の御許に立還(たちかえ)ったのである。
父はわたしが郷里に還ったことを悦びたまうて、父のもち給える一切の善きもの、
美しきもの、悦ばしきもの、楽しきものを与え給い、私を神の世嗣とし給うのである。
神の大いなる清く健やかなる生命の流れが滔々として、今わが内に流れつつあるのである。
それゆえに、私は今、無限に健やかであり、溢るるばかりの生命の豊かな躍動を内に感じ、
地上天国建設のために、
私に割当てられたる仕事にいそしむことができるのである。

私は今、ゆるされて神の世嗣となったのであるから、神の明らかなる智慧は常に神の御蔵あ(みくら)より私に流れ入って、
何時、如何(いか)になすことが、繁栄の道に叶い、健康の道に叶い、人類の福祉の道となり、
地上天国建設に役立つ道であるかを明らかに知ることができるのである。
わたしの努力することは必ず実を結び、わたしの計画することは必ず善き協力者を得て、成就することは明らかなのである。

わたしは今、神の世嗣として、わが内部に神の大生命が還流し、素晴らしい生命の輝きを発揮していることを自覚するのである。
それゆえに私は常に心明るく楽しく愉快で、光明の雰囲気を身辺に放散しているのである。
したがって、私の身辺にきたる人々は、ことごとく明るくなり、楽しくなり、愉快となり、幸福となるのである。
したがって、私は多くの良き協力者を得、共鳴者を得、いよいよ益々繁栄せざるを得ないのである。

わたしは今、自分がまことにも神の世嗣であることを自覚したのである。
今、ここに、私の体に神が満ちていますのである。
永遠の生命、永遠に疲れず、老いず、病まず、働きてやまざる生命、
――これが神の生命であり、私の生命であるのである。
その生命の貴(とうと)さを自覚するとき、わが生命はその高貴さを現実に発揮するのである。
その生命の貴さを自覚して行動するとき、神が現実に、この 〝私〝 を通して顕れ給い、
奇蹟と見ゆるごとき大業をもやすやすと成就することができるのである。
人間が神の世嗣であるということは、人間は自己を通して神の一切の善徳がこの世に実現する機関であるということである。
自覚せよ、自覚せよ。
〝私は 〝神の子〝 であり、神の世嗣であり、神の最高の自己実現であることを。
ありがとうございます。


以上 謹写 終わり 

感謝 合掌。

それでは、復興Gさま、トキさま、みなさま、今回もどうそよろしくお願いいたします。

3382復興G:2013/12/03(火) 09:19:34 ID:AB6RqYXc

 a hope さま、ありがとうございます。

 「神の世嗣を完うする祈り」 を拝読して、身の引き締まる思いと、悦びに打ち震える思いです。

 感謝 合掌

3383トキ:2013/12/03(火) 20:29:08 ID:1.ZeCdy2
"神 真理を告げ給う”の16pには、以下のご文章があります。

 「あなたが『生命の実相」をよむとき、あなたの内にあって眠っていた”わたし”の
分身が、実相を語るコトバの力によって目覚めしめられる。その程度は人によって
異なるのであるけれども、その目覚めの程度にしたがって、或は病気が消えたり、
その人の経営する事業が、実相円満の展開として、繁栄して来るなどの体験があら
われて来る。(後略)」

 今回もテキストとして、生命の実相を拝読します。素晴らしい成果が生まれる事
を確信しております。

 復興G様、a hope様、よろしくお願いします。皆様のご参加を心からお待ちして
おります。

合掌 ありがとうございます

3384復興G:2013/12/03(火) 22:16:24 ID:AB6RqYXc

トキ様

皆さま

ありがとうございます。

私は書き込みたいこともたくさんありますが、今ちょっといそがしいので、

土曜日以後に書かせて頂きます。

『生命の實相』 第7巻に関する話題を書きたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

合掌

3385ユタカ:2013/12/03(火) 22:33:07 ID:???

復興Gさま、これからもずーーーっと一緒にいさせて下さい。
ほんとに、本当に!  みんなともこれからもずーーーっと一緒にいて下さい。

今日一日は・・・・

上をむいて歩こう・・・
涙がこぼれないように・・・
泣きながら歩く一人ぼっちの夜・・・

って歌の通りでした。。。

3386復興G:2013/12/04(水) 09:59:48 ID:AB6RqYXc

ユタカさま

あなたと私は、離れたくても離れることのできない、いつも一体の命ですよ。

「泣きながら歩く一人ぼっちの夜・・・」

なんて、夢ですよ、夢!

夢から覚めて、笑いましょう! ワッハッハ・・・・・・!

ありがとうございます!

3387a hope:2013/12/04(水) 22:02:36 ID:/9IAdiFk
>>3381訂正 

「神に世嗣を完うする祈り」→「神の世嗣を完うする祈り」

3388a hope:2013/12/04(水) 22:03:17 ID:/9IAdiFk

>>3385ユタカさま

お久しぶりです。
最近書き込みが少ないのは、お勉強にお仕事に忙しくされていらっしゃるからだと拝察しています。

復興Gさまはこちらに書き込みをされなくなっても、
<<来年1月から、新たな場(リアルの世界とネット空間の双方ともに)で、私の生命表現、使命実現をして行きたい。>>
おっしゃっていますから、お別れするのとは違うと思いますよ。
だから、わたしはちっとも悲しくないのです。
わたしは、来年からは、復興Gさまからの「新たな場」でたくさん学ばせていただくつもりでいます。

わたしは、ユタカさまともまた一緒にお勉強できるのを楽しみにしていますよ!

3389a hope:2013/12/04(水) 22:06:06 ID:NQ9J2d7w

みなさま こんばんは。

わたしはもう4年前くらいになりますが、聖典「生命の實相」という素晴らしい聖典に巡り合って教団の信徒になりましたが、
今の教団の教えになじめず体調を壊し、その時に当時の「本流掲示板」で教団の現状知りました。
その後、2年間以上もの間、こちらのトキ掲示板で自分の感じたことを素直に発言させていただいてきました。

わたしが、初めて復興Gさまとお話したのはトーキングスティックボードで、復興Gさまが榎本恵吾先生のお話をされているときだったような気がします。
真理を知りたい一心で、当時、わたしにはとても難しく感じられた復興Gさまの「実相独在」の話について行こうと頑張っていました。

今朝、久しぶりにそこのところを再拝読してみましたが、その内容がすごいので驚いています。

復興Gさまは、とても丁寧に「実相独在」の見解からの「大調和の神示」「人類光明化運動発進の宣言」『因果、昧(くらま)さず』の解釈をしてくださっていました。
わたしは、2年間以上ここでお勉強させていただいて、やっと、その本当の意味が理解できるようになってきたようです。
そして今、その内容の素晴らしさにあらためて感動しています。

昨晩、風笠さまがトーキングスティックボードに久しぶりに登場されていましたが、
当時の風笠さまと復興Gさまの『無門關解釋』第二則「百丈野狐」に関するやり取りなどは、
当時のわたしにはほとんど理解できていなかったようです。

もう一度ゆっくり拝読しなおして、お勉強させていただきます。感謝 合掌。

皆さんもよかったら、ご覧になって下さいね。

本当に、素晴らしい内容ですよ!

トーキングスティックボード>109 〜>185までです。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/109n-

3390復興G:2013/12/05(木) 10:21:11 ID:AB6RqYXc

>>3389 :a hope さま

2年前のトーキングスティックボードまで読み返して下さって、ありがとうございました。

合掌

3391トキ:2013/12/05(木) 19:44:35 ID:SC0VGwQQ
 生命の実相第7巻は分かりやすくて、青年会などではよくテキストに使っていました。

 ただ、ある程度、勉強をすると、このテキストは、第1巻から第6巻まで読んで、その
内容を咀嚼しないと、これはこれで捉え方が変わって来るという印象を感じています。
唯神実相論を前提にしないと、単なる啓発書と誤解されるかもしれません。

 しかし、逆に、真理を生活に生かす、という目標から考えると、第7巻はその点をよく
とらえた内容かと感じています。この当たり、まだ、勉強中でわからない点が多々ありま
すので、復興G様のご指導をお願いする次第であります。

3392ユタカ:2013/12/05(木) 23:13:13 ID:R1D4Jmeg

>>ユタカさま
夢ですよ、夢!

夢から覚めて、笑いましょう! ワッハッハ・・・・・・!<<

===============================

ハッ!!
夢か!! 夢だ! 夢だったんだ!!!

汝らの先づ悟らざるべからざる真理は、
『我』の本体がすべて神なることなり、
汝ら億兆の個霊も、
悉くこれ唯一神霊の反映なることを知れ。

喩へば此処に一個の物体の周囲に百萬の鏡を按きて
これに相対せしむれば一個もまた百萬をの姿を現ぜん。
斯くの如く汝らの個霊も
甲乙相分れ、丙丁互に相異る相を現ずるとも
悉くこれ唯一神霊の反映にしてすべて一つなれば

これを汝ら互いに兄弟なりという。



生長の家が分裂しているように見えるのは夢だ!! 夢だ!!夢だった!!

異なる姿をしていても全て谷口雅春先生の生長の家だ!

みんな兄弟だった! どこに所属していてもそこが生長の家だった。

外形に捉はるること勿れ。
分かち難く一体なる事を知り、

おのづから愛と賛嘆の心湧き起こらん。



そうか!!!! そうだったんだ〜〜〜〜〜!!!!

復興Gさま、 卒業試験の問題を解答できたような気分です。それか、長い悪夢からの覚醒。??
自分の中で納得できればそれが最高です!!

復興Gさま、ありがとうございます!!! 

a hopeさま
どうもありがとうございます。
一緒に復興Gさまと永遠に勉強していきましょうね。

3393復興G:2013/12/06(金) 09:50:27 ID:AB6RqYXc

ユタカさま!

あなたは素晴らしい!

あなたは、私よりも一歩先を行ってらっしゃる!

私も、あなたに遅れないように、永遠に一緒に勉強していきます!

ありがとうございます!

3394a hope:2013/12/07(土) 23:19:08 ID:/9IAdiFk

みなさま こんばんは

>>3392ユタカさまの

<<ハッ!!
夢か!! 夢だ! 夢だったんだ!!!

汝らの先づ悟らざるべからざる真理は、
『我』の本体がすべて神なることなり、
汝ら億兆の個霊も、
悉くこれ唯一神霊の反映なることを知れ。

喩へば此処に一個の物体の周囲に百萬の鏡を按きて
これに相対せしむれば一個もまた百萬をの姿を現ぜん。
斯くの如く汝らの個霊も
甲乙相分れ、丙丁互に相異る相を現ずるとも
悉くこれ唯一神霊の反映にしてすべて一つなれば
これを汝ら互いに兄弟なりという。

生長の家が分裂しているように見えるのは夢だ!! 夢だ!!夢だった!!
異なる姿をしていても全て谷口雅春先生の生長の家だ!
みんな兄弟だった! どこに所属していてもそこが生長の家だった。

外形に捉はるること勿れ。
分かち難く一体なる事を知り、
おのづから愛と賛嘆の心湧き起こらん。  

そうか!!!! そうだったんだ〜〜〜〜〜!!!!>>

というお悟りの心境ですが、なんかお釈迦さまの悟りに似ているような気がしましたよ。

以下、謹写させていただきます。

3395a hope:2013/12/07(土) 23:20:55 ID:/9IAdiFk

「生命の實相」第39巻 佛教篇 P41 8行目〜

…悟ってみれば、天地間のものことごとくが生かし合いならざるものはない、実にありがたい世界だったのであります。
すべてのもの一つ一つに仏の命が現れている、仏の慈悲が現れている、神のいのちが現れている、神の愛が現れていることが悟れるのです。
神の生命(いのち)が現われ、仏のいのちが現われているからこそすべてのものが互いに愛し合い生かし合っているのです。
今まで殺し合いだと思っていた世界は神の、仏の、無限の生命(いのち)、愛、智慧に満たされているところの立派な世界だったのです。
互に憎しみ合い争い合っていると見えた生命(いのち)も、その敵と見えたものは、
自分にとっては自分をみがく砥石であってわれわれの生命(いのち)がだんだん砥石にかけられて、
いっそう立派な霊性が啓(ひら)かれてゆくために仕組まれている仏の慈愛、神の愛の現れだったのです。
天地間、ありとあらゆるもの、生きとし生けるもの、みんなこうして愛し合っている者はもちろん、
憎しみ合っているかのごとく見えている者同志さえも生かし合っている世界なのです。
みんな愛し合いの世界なのです。
みんな解け合いの世界なのです。
そういうことが釈迦に解ってきたのであります。
そこで釈迦は、十二月八日の暁(あけ)の明星を見ながら、「「有情非情同時成道、山川草木土悉皆成仏」と悟られたのであります。
すなわち「有情」――生きとし生けるもの、「非情」」――ありとしあらゆるもの、悉く今仏になっている。
山も川も草も木も悉く仏の姿である。
みんな生かし合い、拝みあいの相(すがた)である。
今まで地獄の相(すがた)だと思っておったのはまちがいだったとお悟りになったのであります。
これが釈迦のお悟りになった縦の真理であります。

以上 謹写 終わり

感謝 合掌


明日12月8日は、釈迦が悟りを開かれた日なのですね!

3396ユタカ:2013/12/08(日) 05:35:13 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

ありがとうございます。復興Gさま、これからも違う形かも知れませんが、これからも「生長の家の御教えの御導き」を頂けると分かりましてとても安心出来ました誠に、有難うございます。
私は、復興Gさまとのお勉強が大好きで・・・「ストカー」にでもなりかねないところでした? かも?? (冗談です、ごめんなさい)

復興Gさま、私は復興Gさまの先になど、とても、とても行けません。
今回も、夢ですよ。と復興Gさまに教えて頂いたので眼が覚める事ができました。かといって、a hopeさまが謹写下さいました生命の実相のような

自分を磨く砥石 にかけられて磨かれている自覚もまだまだ希薄です。

ですので、復興Gさま、ユタカはまだまだ勉強しないといけない事が沢山あります、これからも御教えのご指導ご鞭撻の程をよろしくお願い申し上げます。


a hopeさま

心を打つような素晴らしいご謹写を有難うございます。本当に実相世界って素晴らしいですね。
私達が住んでいる本当の世界なのですね。有難うございます。
今、私は何も出来なくてごめんなさい。

3397ユタカ:2013/12/08(日) 05:47:06 ID:R1D4Jmeg
>>夢ですよ、夢!

夢から覚めて、笑いましょう! ワッハッハ・・・・・・!<<



復興Gさまの言葉って本当に素敵ですね、明るく嬉しくなってしまいます。

そして、実相と現象の区別を常にできる簡単で明るい優しい良い言葉ですね。

3398復興G:2013/12/08(日) 11:05:43 ID:AB6RqYXc

>>3394・3395 :a hope さま

 ありがとうございます! 今日が、そのお釈迦様成道の日なのですね! 素晴らしい!
 おめでとうございます!

 「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」 と言いますが、本当は、「九族」 (4代前の先祖から4代後の子孫まで) だけではなく、「有情非情同時成道」 なのですから、

 「自分ひとりが浄まったなら、世界は浄まるのである」
(『叡智の断片』 p.127)

 「一即多・多即一であり、相即相入であり、皆さんのいのちは、私のうちにあり、私のいのちは皆さんのうちにあり、相即相入していることがわかるのであります。これが華厳の真理であり、生長の家の真理でもあり、法華経にもそれが説かれているのであります。

 そのように人間の生命の実相は互に一体でありますから、一人が悟ればすべての人が悟るということになっでいるのであります。

 ……一人出家すれば九族天に生まる ということが書かれておりますが、九族どころじゃない、一人が悟れば、人類全部みんなの者が悟るのであります。これこそが、実相世界の素晴らしい状態なのであります。もう既にすべての人類が悟っている、それが実相であるのであります。」
(『新版 真理』 第7巻 p.16〜17)

 とお教え頂いています。迷っている者があると見ていたのは、実は夢だったのですね!

 バンザーイ! 夢から覚めて、笑いましょう! ワッハッハ・・・・・・!

 ありがとうございます!


>>3396・3397 :ユタカさま

 ユタカさまのような方にストーカーされたら、うれしくて、舞い上がって昇天してしまいますよ(笑)。
 バンザーイ! です。

3399a hope:2013/12/08(日) 12:14:52 ID:/9IAdiFk

>>3398 復興Gさま

昨晩「生命の實相」第39巻 佛教篇を拝読していて、偶然、12月8日が釈迦の悟った日だと知りました。
「えっ? 今日って何日?」って、カレンダーで確認したら、前日の7日でした!

聖典『生命の實相』の拝読を続けていると、そんな偶然(シンクロニシティ現象)が、頻繁に起きるようになってきました。


<< 「一即多・多即一であり、相即相入であり、皆さんのいのちは、私のうちにあり、私のいのちは皆さんのうちにあり、相即相入していることがわかるのであります。これが華厳の真理であり、生長の家の真理でもあり、法華経にもそれが説かれているのであります。
そのように人間の生命の実相は互に一体でありますから、一人が悟ればすべての人が悟るということになっでいるのであります。
……一人出家すれば九族天に生まる ということが書かれておりますが、九族どころじゃない、一人が悟れば、人類全部みんなの者が悟るのであります。これこそが、実相世界の素晴らしい状態なのであります。もう既にすべての人類が悟っている、それが実相であるのであります。」
(『新版 真理』 第7巻 p.16〜17)
>>

↑これが「同時成道」なのですね!


また、今朝「光明掲示板」へ行ったら、伝統さまが、「釈迦成道会に因みて (3367)」というスレッドで、釈迦のお悟りについて詳しくお話くださっていました。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=716


なんて真理のお勉強は楽しいんでしょう!!

バンザ―――――イ!!!

3400復興G:2013/12/08(日) 12:59:32 ID:AB6RqYXc

 トキ様 皆さま

>>3384で (12月3日)
>>私は書き込みたいこともたくさんありますが、今ちょっといそがしいので、土曜日以後に書かせて頂きます。
『生命の實相』 第7巻に関する話題を書きたいと思っています。<<

 とお約束していました、その土曜日(7日)を過ぎています。遅くなりましたが、それを、これから書かせて頂きます。

>>3391でトキ様が

>> 生命の実相第7巻は分かりやすくて、青年会などではよくテキストに使っていました。
 ただ、ある程度、勉強をすると、このテキストは、第1巻から第6巻まで読んで、その内容を咀嚼しないと、これはこれで捉え方が変わって来るという印象を感じています。唯神実相論を前提にしないと、単なる啓発書と誤解されるかもしれません。<<

 と書いて下さっていました。
 『生命の實相』 第7巻 生活篇は、宗教臭くなくて、誰が読んでも生命が鼓舞されるような力強いご文章で書かれており、青年・壮年の新人に愛行贈呈すると必ず喜ばれると言ってよい、素晴らしいご本だと思います。

 では、唯神実相論を説かずレベルを落としてあるのかというと、そんなことはないと私は思います。

 この巻の最後のところには、次のように記されています。

<< 「生長の家」 の出現とともに、人間は 「新しい生命」 を見いだしつつある。今まで、人間は物質で造られているもの、死すべきもの、有限なるもの、病むべきもの苦しむべきもの、罪人として報いを受けねばならぬもの、かくあるべく運命づけられているものとされていたのである。ところが、「生長の家」 の出現とともに、人間は別の自分―― 「本物の自分」 を発見したのである。

 彼は霊で造られているもの、不死なるもの、無限なるもの、病まざるもの、苦しむこと能わざるもの、本来清浄(しょうじょう)にして罪に汚染し難きもの、円満に、幸福に、健康に、豊富に、生きることのほかは何事もできないように運命づけられているものであるところの自分を見いだしたのである。

 なんという人類全体の更生であろう。なんという人類全体の福音であろう。「真理はなんじを自由ならしめん」 と聖書にあるように、人類は 「生長の家」 によって、真理を与えられて、自己本然(ほんねん)の生命の円相を奪還したのである。>>

 と。

 この 「本物の自分」 を生かす道、「自己本然(ほんねん)の生命の円相」 を実生活に現し出す道を、雄渾無比の力強いご文章で書きあらわされたのが、この第7巻 「生活篇」 であると思います。

 私自身、青年時代から、この 「生活篇」 によってどんなに大きく影響を受け、育てられたことか、計り知れないものがあります。今日の私の幸福は、この 「生活篇」 によるところがまことに甚大です。

 例えば、私が結婚できたのも、「生活篇」 のおかげです。(のちほど、詳細を書かせて頂きましょう。)

 小学校から高校までの同期生と何十年ぶりかに会ったとき、かつてはまったく意気地なしで おとなしく非社交的だった私の 変わりように驚嘆されることが多いです。
 「人間って、こんなに変われるんだ」
 と。

 それは、この 「生活篇」 によって育てられたところが極めて大きいのです。それを思うと、感動で涙が出るくらい、ありがたいことです。

 ――つづきは、また後に。

3401復興G:2013/12/08(日) 13:45:37 ID:AB6RqYXc

>>3399 :a hope さま

>> 聖典『生命の實相』の拝読を続けていると、そんな偶然(シンクロニシティ現象)が、頻繁に起きるようになってきました。<<

 ―― 「一即多・多即一であり、相即相入」 で、「同時成道」 なのだから、それが当り前なのでしょうね。

 ありがとうございます!

3402曳馬野:2013/12/08(日) 16:46:19 ID:TUEhTkAQ

a hopeさん、復興Gさん、その他本流派の方にお聞きします


** それが丁度12月の8日。
あたかも暁の明星が東の空に輝かしく光を放っていたのです。

(中略)

** 釈迦は尼連禅河で沐浴して、ゆあがりのサッパリした気分で初めて6年振にバラモンの少女から
供養を受けて牛乳のお粥をお喫りになった時にとても美味しかった。



  この伝統さん引用文の件です。

 雅春先生は後半の少女の供養により悟りを得たと説かれます、しか禅門では一見明星により悟りを得たと云われています。

 その一見明星の様子を己の上に体験することを悟りとします。

 釈迦の悟りはどちらでしょうか?


** 一人が悟ればすべての人が悟るということになっでいるのであります。
……一人出家すれば九族天に生まる ということが書かれておりますが、九族どころじゃない、
一人が悟れば、人類全部みんなの者が悟るのであります。これこそが、実相世界の素晴らしい状態なのであります。
もう既にすべての人類が悟っている、それが実相であるのであります(復興Gさん引用文)

迷っている者があると見ていたのは、実は夢だったのですね!(復興Gさん)


 【ひとりが悟れば】は条件に聞こえますよね、(一見明星による悟り)

 【もう既にすべての人類が悟っている】は悟る悟らないには関係しないですよね、(有情非情同時成道)

 【 一人が悟ればすべての人が悟るということになっでいるのであります。】これは現象界が変化する、ということではないですよね。

  雅春先生が悟られても、本流派のお偉い方が悟られているような物言いをされても、雅宣先生は悟りとは関係ない人だと云われて

  いるのですから。

  【 迷っている者があると見ていたのは、実は夢だったのですね!】と高笑いされても現実は何ら変わっていないですよね。

  生長の家の悟りとはどのようなものなのでしょうか?

  有情非情同時成道と意識の世界で実相論を振りかざしても、教団を現象悪の権化のように見ることはどういうことなのでしょうか?


 観念の世界で実相を捉え喜んで、現実には現象悪と感ずるものに口汚く対応する、これが生長の家の救いなのですか?

 こんな救いであるならば、雅宣先生でなくとも私も御免こうむります。

3403復興G:2013/12/08(日) 19:00:26 ID:AB6RqYXc

>>3402 :曳馬野さん

私は “本流派” ではありません。

<< もう既にすべての人類が悟っている、それが実相であるのであります。>>

だから、
>>教団を現象悪の権化のように見る<<
ことはしておりません。

また、
“本流派” を悪現象の権化とも見ません。

>>3392で ユタカ様が

<< ハッ!!
夢か!! 夢だ! 夢だったんだ!!!

  汝らの先づ悟らざるべからざる真理は、
  『我』の本体がすべて神なることなり、
  汝ら億兆の個霊も、
  悉くこれ唯一神霊の反映なることを知れ。

  喩へば此処に一個の物体の周囲に百萬の鏡を按きて
  これに相対せしむれば一個もまた百萬をの姿を現ぜん。
  斯くの如く汝らの個霊も
  甲乙相分れ、丙丁互に相異る相を現ずるとも
  悉くこれ唯一神霊の反映にしてすべて一つなれば
  これを汝ら互いに兄弟なりという。

生長の家が分裂しているように見えるのは夢だ!! 夢だ!!夢だった!!
異なる姿をしていても全て谷口雅春先生の生長の家だ!
みんな兄弟だった! どこに所属していてもそこが生長の家だった。

  外形に捉はるること勿れ。
  分かち難く一体なる事を知り、

  おのづから愛と賛嘆の心湧き起こらん。

そうか!!!! そうだったんだ〜〜〜〜〜!!!!

復興Gさま、 卒業試験の問題を解答できたような気分です。それか、長い悪夢からの覚醒。?? >>

――と書いて下さったように、

また a hope さまが >>3395で 「生命の實相」 第39巻 佛教篇 P41〜から謹写引用してくださったように、

<<…悟ってみれば、天地間のものことごとくが生かし合いならざるものはない、実にありがたい世界だったのであります。

すべてのもの一つ一つに仏の命が現れている、仏の慈悲が現れている、神のいのちが現れている、神の愛が現れていることが悟れるのです。

神の生命(いのち)が現われ、仏のいのちが現われているからこそすべてのものが互いに愛し合い生かし合っているのです。

今まで殺し合いだと思っていた世界は神の、仏の、無限の生命(いのち)、愛、智慧に満たされているところの立派な世界だったのです。

互に憎しみ合い争い合っていると見えた生命(いのち)も、その敵と見えたものは、自分にとっては自分をみがく砥石であってわれわれの生命(いのち)がだんだん砥石にかけられて、いっそう立派な霊性が啓(ひら)かれてゆくために仕組まれている仏の慈愛、神の愛の現れだったのです。

天地間、ありとあらゆるもの、生きとし生けるもの、みんなこうして愛し合っている者はもちろん、憎しみ合っているかのごとく見えている者同志さえも生かし合っている世界なのです。
みんな愛し合いの世界なのです。
みんな解け合いの世界なのです。

そういうことが釈迦に解ってきたのであります。
そこで釈迦は、十二月八日の暁(あけ)の明星を見ながら、「「有情非情同時成道、山川草木土悉皆成仏」と悟られたのであります。

すなわち「有情」――生きとし生けるもの、「非情」」――ありとしあらゆるもの、悉く今仏になっている。
山も川も草も木も悉く仏の姿である。
みんな生かし合い、拝みあいの相(すがた)である。
今まで地獄の相(すがた)だと思っておったのはまちがいだったとお悟りになったのであります。
これが釈迦のお悟りになった縦の真理であります。>>

――と、そういう世界がすでに実在することのみを、ただひたすら観じております。

ありがとうございます!

3404a hope:2013/12/08(日) 20:16:50 ID:/9IAdiFk

>>3402曳馬野さま

<<雅春先生は後半の少女の供養により悟りを得たと説かれます、しか禅門では一見明星により悟りを得たと云われています。その一見明星の様子を己の上に体験することを悟りとします。
釈迦の悟りはどちらでしょうか?>>

とのご質問ですが、わたしは、「禅門の一見明星による悟り」に関しての知識がないのですが、
伝統さまの謹写された雅春先生の御文章をよく拝読すると、どちらもお釈迦さまの悟りだったのではないかと感じます。


以下、光明掲示板より「釈迦成道会に因みて (3367)」部分転載させていただきます。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=716

―――――――――――――

ウルビルワーの林の中で6年間苦行を続けられましたが、結局得るところなく、又山を下りて来られた
のであります。それが所謂「出山(しゅっせん)の釈迦」でありまして、『出山の釈迦像』として彫刻
とか絵などに表現せられているところの、瘠せさらばうたお釈迦さんの姿であります。

山から下りて来られた後、苦行は悟のたねにあらず、斯うお悟りになったのです。
苦しんでみたところが、本当に悟が開けるものではないんだ。
そこで一遍気持を変えようというので、尼連禅河という河に沐浴をされたのであります。

全身を沐浴せられて6年間の垢をお落しになると
綺麗さっぱりとした清々しい気持ちになられたのであります。

それが丁度12月の8日。
あたかも暁の明星が東の空に輝かしく光を放っていたのです。

(中略)

釈迦は尼連禅河で沐浴して、ゆあがりのサッパリした気分で初めて6年振にバラモンの少女から
供養を受けて牛乳のお粥をお喫りになった時にとても美味しかった。

お釈迦さんはその美味しい味はどこから来るか考えられたのであります。
そして是は物質の味ではないということが本当にお分りになったのです。

此の世界は、殺し合いの世界ではなかった、と悟られたのであります。
拝みあっているのだ、というように釈迦の心の中で「観」が転回したのでした。
みんな生かし合いの世界なのである、斯う云うように観る心が変わったのであります。

その時に、万物が本当に生命に満ち輝いて仏の生命そのものの顕現のように思われたのである。
そこでお釈迦さんは「有情非情同時成道、山川国土草木悉皆成仏」と悟られました。

情(こころ)ある者も、情なき草木も山も川も悉く同時に今、仏を成就している。
皆仏のいのちが輝いている、仏の命でないものはない。
だから「みんな一体」の世界である。斯ういう風に悟られたのであります。

――――――――――――――

「悟り」は、「小悟」「大悟」合わせて何回も訪れると言われていますから、どちらの悟りもお釈迦さまのまことの「悟り」だったのではないでしょうか?


それから、その後の曳馬野さまのご質問に関しては、よく理解できないのですが、
たぶん曳馬野さまは、雅宣先生や教団のことに関して質問されているのではないかと思います。

ですが、わたしは以前、>>3320で、

<<わたしはこれからはこちらのweb誌友会では、雅宣先生や教団の問題には触れず、真理のお勉強を中心にさせていただきたいと思っています。
曳馬野さま、わたしはこれからは批判的な発言は控えますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。>>

と、発言しています。
ですから、その件に関してはお答えしかねます。

お答えできず、申し訳ありません。

3405復興G:2013/12/08(日) 20:47:31 ID:AB6RqYXc

曳馬野さん

 もう一度言いますが、

 私は “本流派” ではありません。

 人を、“本流派の方” などと十把ひとからげにしていうことは、やめてください。

 人間はみな実相において平等な神の子であるとともに、現象においては一人一人みなちがう個性、ちがう体験、ちがう考え方を持ち、ちがう使命をもった、尊い神の子です。

 『光明法語』 <十月一日の法語> には、「異なる者の渾一調和」 と題して次のように書かれています。

 << 異なる個性あるものがその個性を没却せずして互いに協力しつつ完全なる 「一」 となるとき其処に無限の美があらわれるのである。その完全なる美の極致の一つは交響楽である。各々の楽器はその個性を発揮し、その各々の吹奏が巧妙であればあるほど全体の音楽は一層妙なるものとなるのである。

 それと同じく、各民族、各人種も、各民族の個性、各人種の個性を発揮しながら渾然たる調和が発揮されるとき、そこに最も美しき文化が建設せられるのである。>>

3406ユタカ:2013/12/08(日) 21:19:47 ID:R1D4Jmeg

おお、皆様、どの方もどの方も素晴らしい!!

皆様が光輝いているようです。復興Gさま、交響楽団の比喩はさらに判り易くて素晴らしいですね。

実相側に立って全てを観れる素晴らしさ!! 生長の家万歳!!! 日本国万歳!! 天皇陛下万歳!! 

復興Gさま、とても感謝しています、ありがとうございます。

3407トキ:2013/12/08(日) 23:28:38 ID:WeeA/EAo
>>3402

曳馬野 様

 ご投稿、ありがとうございます。

 以前、私が、「百万運動をしていた人でも、総裁援護をする人がいる」と書いたら、ある人から
たいへんお叱りを受けた記憶があります。しかし、曳馬野様を拝見していると、どうやらあの議論
は私の勝ちだったという事は言えるかもしれません。閑話休題。

 さて、復興G様は、登場当初、どちらかと言えば援護派と言われていたし、途中でも「靖国見真会
参加者」様から、きびしく非難されていたのも事実です。復興G様をいわゆる本流復活派というの
は、私個人はかなり違和感を感じる次第であります。

 それと、今、教団がたいへんな混迷状態にあるのは、周知の事実です。私は本流復活派を支持する
ものではないですが、しかし、本流復活派が教団を批判する意見には相当根拠があるものが含まれる
のも事実です。この状態で「何もしない」ことが、「悟り」と言えるか、私には理解ができないとこ
ろであります。

 私が見る所では、復興G様の言動は、あくまでも真理に指導に留まるものであり、本流復活派を支持
するものは含まれていないと思っています。

 さらに、a hope様も、本流復活派とは一線を画して言動をされています。

 以上は個人的な意見ですので、その点、ご理解下さい。

では、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

3408曳馬野:2013/12/09(月) 05:27:09 ID:TUEhTkAQ
【a hopeさん、復興Gさん、その他本流派の方にお聞きします】

 私は “本流派” ではありません。
 もう一度言いますが、 私は “本流派” ではありません。
 人を、“本流派の方” などと十把ひとからげにしていうことは、やめてください。

 書きようがまずかったでしょうか、【a hopeさん、復興Gさん、本流派の方にお聞きします】に訂正します


a hopeさんが伝統さんの投稿文を紹介し、そこには生長の家での悟りについて書かれていますが、禅の世界での悟りとは違うものであります。

でありますから釈迦の悟りとは如何なるものかとの質問なんですね。


そして復興Gさんの引用による雅春先生の書きようが、【悟れば】、と条件を付けていること自体が現象についてのように見えるのです。
 
【ひとりが悟れば】は条件に聞こえますよね、(一見明星による悟り)

【もう既にすべての人類が悟っている】は悟る悟らないには関係しないですよね、(有情非情同時成道)

【 一人が悟ればすべての人が悟るということになっでいるのであります。】

 「これは現象界が変化する、ということではないですよね。」の私の感想の理由が


【雅春先生が悟られても、本流派のお偉い方が悟られているような物言いをされても、雅宣先生は悟りとは関係ない人だと云われて

いるのですから。】なんです。ここの【本流派のお偉い方が】は復興Gさんのことではありません。文字どおり本流派の元本部講師の人の

ことです。


分派の人は救いを与える生長の家でなくてはならない、と云い、分派の元本部講師方は救われているから、自分たちと同じように信徒を

しなくてはならないとして、教団を糾弾しています。ですから


【情同時成道と意識の世界で実相論を振りかざしても、教団を現象悪の権化のように見ることはどういうことなのでしょうか?

観念の世界で実相を捉え喜んで、現実には現象悪と感ずるものに口汚く対応する、これが生長の家の救いなのですか?】

この様な分派の行動が救いを得た人のすることであるならば、これが生長の家の救いなのですか?との質問となりました。


 【 迷っている者があると見ていたのは、実は夢だったのですね!】と高笑いされても現実は何ら変わっていないですよね。

  生長の家の悟りとはどのようなものなのでしょうか?


これは復興Gさんまたあなたに同調する人への質問であります。

最初に掲げたあなたの抗議には【怒り】があるように感じます。
他人が何か言ったことで感情が揺さぶられるようで何の悟りでしょうか。

師が弟子を印可証明するとは言われますが、正しくは弟子が師を証明しなければならないのです。
己が悟ることにより、やはり師の云っていたことは正しかった、と。
それが連綿としているのが禅の世界です。

生長の家に有りますか?大日本神国観で云われている世界を自分で確認した人がいますか?
私はいないと思っています。であれば真理追求派のあなたは、また分派の元本部講師方は何を信徒に伝えようとしているのでしょうか?

3409復興G:2013/12/09(月) 06:05:05 ID:AB6RqYXc

曳馬野さんにお尋ねします。

あなたは、禅の世界での悟りが正しく、生長の家での悟りは正しくないとおっしゃるのですか?

3410ユタカ:2013/12/09(月) 06:53:19 ID:R1D4Jmeg
>>3408
曳馬野殿

曳馬野さんの実相は神の子で素晴らしい!
だけど、現象は宗教の救いの部分で言われれば、お前は「後回しの部分」に属しているな。。。。
特に曳馬野さんの「現実が変わらない」なんて発言には「お気の毒さま」 と言ってあげる、その発言には大宇宙の偉大さの認識が欠乏と言うか、脱落しているから。。。

眼に見えない事を判らないでしょ。曳馬野さん?

ランナーで言うなら、まだ、スタートにも立っていない。 観客席で走っている人を批判しているように見える。

3411復興G:2013/12/09(月) 07:11:38 ID:AB6RqYXc

曳馬野さん

>> a hopeさんが伝統さんの投稿文を紹介し、そこには生長の家での悟りについて書かれていますが、禅の世界での悟りとは違うものであります。
でありますから釈迦の悟りとは如何なるものかとの質問なんですね。<<

この答えは、a hopeさんが>>3404で書かれているように、
>> 「悟り」は、「小悟」 「大悟」 合わせて何回も訪れると言われていますから、どちらの悟りもお釈迦さまのまことの 「悟り」 だったのではないでしょうか? <<

に私も同意します。

もっと言えば、「この時に悟った」 「これが悟りだ」 と一つの現象、一つの形にとらわれてしまうのは本当の悟りでも何でもない。実相は無限であり、無限は現象知で知り尽くすことはできない。「悟り」 とは、「無限」 の自覚でしょうから、それを現象の言葉で表現し尽くすことはできない。また、「悟り」 は時間・空間を超えたものの自覚でありますから、『生命の實相』 第20巻 自伝篇に

<< 『法華経』 の中で、釈迦自身が、
「我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫(なゆたこう)である」 と言ったその久遠の仏のみが実在であったのである。>>

<< 自分もまた、明治二十六年十一月二十二日に母の肉体より誕生したのではなかった。そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始めから仏であった自分であったのだ。>>

 と書かれていることが悟りであり真理であると思います。

曳馬野さん
>>復興Gさんの引用による雅春先生の書きようが、【悟れば】、と条件を付けていること自体が現象についてのように見えるのです。
【ひとりが悟れば】は条件に聞こえますよね、(一見明星による悟り)
【もう既にすべての人類が悟っている】は悟る悟らないには関係しないですよね、(有情非情同時成道)<<

は、その通りであると思います。
悟っても、悟らなくても、【もう既にすべての人類が悟っている】 が実相ですね。それを悟ると、「バンザーイ!」 と叫びたくなる。ただそれだけのことだと思います。

【観念の世界で実相を捉え喜んで、現実には現象悪と感ずるものに口汚く対応する、これが生長の家の救いなのですか?】

――もちろん、それは違います。

ありがとうございます。

3412ユタカ:2013/12/09(月) 07:20:11 ID:R1D4Jmeg
本部の先生にこう言われるよ、

「曳馬野さんはまだ、復興G様と直接話すより、繰り返し練成会に参加しなさい。」

って指導されるレベルなんだよなぁ。いわゆる唯物論のカタマリ。

あなたの持論には、眼に見える物しか見えない、感じないことばかりで不自由さを感じて窮屈だな〜〜。せま〜〜い!!

「本当の人間は霊だよ、神だよ」って言ったって「霊ってあ〜だこうだ神と仏とは違うだの」と持論をもって人の話をきくつもり無いんだろうが・・・・

じゃ、行ってきまーす。

3413復興G:2013/12/09(月) 07:25:38 ID:AB6RqYXc

曳馬野さん
>>復興Gさんの引用による雅春先生の書きようが、【悟れば】、と条件を付けていること自体が現象についてのように見えるのです。
【ひとりが悟れば】は条件に聞こえますよね、(一見明星による悟り)
【もう既にすべての人類が悟っている】は悟る悟らないには関係しないですよね、(有情非情同時成道)<<

に対して、「その通りであると思います」と書きましたが、それは、
>> 【もう既にすべての人類が悟っている】は悟る悟らないには関係しないですよね <<
に対するお答えで、

>> 【ひとりが悟れば】は条件に聞こえますよね、(一見明星による悟り) <<

の、(一見明星による悟り) と書かれている、( ) 内の注との関連はよくわかりません。説明していただけますか?

「一見明星」 をネットで検索してみたら、次のようなのが出てきましたが……

http://www.geocities.jp/kajiwara20288/newpage18.html

http://page.freett.com/kajiwara8/newpage43.html

3419曳馬野:2013/12/09(月) 18:21:57 ID:TUEhTkAQ

 1、少女の供養により生かし合いの世界であると悟った。のか

 2、明けの明星を一目見た時に、何を悟ったのか

 が問題なのです。

ひとりが悟ればという以上、悟るという事が無ければ人間神の子と云えども観念の遊戯になります。
ですから禅では竹に小石が当たったその音を聞いた瞬間の様子、星の輝きを一目見た瞬間の様子、ここで瞬間と言葉では言いますが、
瞬間という現象時間をどんどん切り取って、前後裁断した、無時間の世界の様子をはっきり自覚した時を見性としているようです。

佛教の教えはこうこうであると、いくら生長の家で云っても、相手の方ではいやそうではない、ということであれば、
法を伝えるということでは万教帰一と云うことは実現できないことになります。ですから禅で説くこと、その悟り、見性、
また悟後の修行を成し遂げて大悟したとは、生長の家で云えばどのようなものであるかを言えるようでなくてはなりません。

ですから生長の家で実相を悟ったと言い切る人がいますかと聞いたのです。

【「悟り」 とは、「無限」 の自覚でしょうから、それを現象の言葉で表現し尽くすことはできない。
 また、「悟り」 は時間・空間を超えたものの自覚でありますから】

これが悟りとして、あなたのこの悟りで禅の悟りを得た人を納得させる自信がありますか。
出来なければ万教帰一の宗教界の調和は実現しません。

生長の家の中でさえ分派が出来るのですから、無理だと思っています。
日蓮宗を、学会を折伏できますか。

実相は、でも現実はでは、すべてのものは今を生きている、それを意識で認識と云う作用を通してから生きているのが普通の人間であると、する
禅をわかるには、対称を認識するとはどのようなことなのかをはっきり自覚しなくてはなりません。

見るものとみられるものとの分離の無い状態にならなければいけません。これは生長の家でも説かれています。
そのようになった人にとっての自然とは如何なるものなのでしょうか、これ今の教えになりませんでしょうか。

3420復興G:2013/12/09(月) 20:59:51 ID:AB6RqYXc

>>3419 :曳馬野さん

3419は誰宛なのか、書いてありませんが、復興G宛であると受けとらせてもらい、レスを書きます。

>> 1、少女の供養により生かし合いの世界であると悟った。のか
 2、明けの明星を一目見た時に、何を悟ったのか
 が問題なのです。

ひとりが悟ればという以上、悟るという事が無ければ人間神の子と云えども観念の遊戯になります。<<

――それは、根本前提が全くちがいます。

>> 1、少女の供養により生かし合いの世界であると悟った。のか
 2、明けの明星を一目見た時に、何を悟ったのか<<

――そんなことを知ることは不可能(お釈迦さんに聞いてみるしかないけれども、そんなことは出来ないのだから)であるし、それがわかったとて何の意味もないことだと私は思います。

【もう既にすべての人類が悟っている】は悟る悟らないには関係しないですよね、(有情非情同時成道)】
>>3408

 それが実相ですね。現象は、ナイ。

<< 時間及び空間というものは本来ない。実相世界は超時空的存在の世界であるからである。時間の観念、空間の観念は物質的存在を心に描くための謂(い)わば “画布(カンバス)” として必要なので “わたし” が人間に与えたところの架空的観念である。>>
(『神 真理を告げ給う』 p.45)

 で、時間も空間も架空的観念であり本来無いものでありますから、その時空間上に現れて見える一切のものは当然架空的観念であり本来無いものであります。

 ですから、悟る、悟らないは現象であって、無いものである。【もう既にすべての人類が悟っている】 ところの実相には関係ないことですね。

 神はその肖像(にすがた)として人間を創造(つく)られた、ということは、悟っても悟らなくても人間は本来皆完全であるということでしょう。そうでなければ、神はつくりそこないをされた、ということになる。

<< 人間の生命の実相は互に一体でありますから、一人が悟ればすべての人が悟るということになっているのであります。

 ……「一人出家すれば九族天に生まる」 ということが書かれておりますが、九族どころじゃない、一人が悟れば、人類全部みんなの者が悟るのであります。これこそが、実相世界の素晴らしい状態なのであります。もう既にすべての人類が悟っている、それが実相であるのであります。>>

 と 『新版 真理』 第7巻 p.16〜17には書かれていて、一見それは 「もう既にすべての人類が悟っている、それが実相であるのであります」 ということと矛盾するようですが、これは最後のお言葉が本命の結論なのだけれども、いきなりそれを言っても、「現象あり」 と思っている多くの人にはわかりにくいから、段階を踏んで、はじめの方では 「一人が悟れば、人類全部みんなの者が悟る」 という言い方をされているのだと思います。

 それは、『神 真理を告げ給う』 のp.12〜13に

<< 人間には在来からもっていた先入観念や薫習(くんじゅう)というものがあって、人間を通して真理を説く場合、どうしても、それによって“わたし”の説く真理が歪められ、賦彩(いろづけ)されて、“純粋なる真理“ そのままであることはむつかしい。併し、それはそれでよいのである。

 “純粋なる真理” は恰も無色透明の空気みたいなものであって、人間の五官には見えず、聴えず、捉えることが出来ないのである。高い段階の悟りに入った人でない限り、“純粋な真理” よりも多少、賦彩(いろづけ)された真理の方が一般の人々には分り易いからである。>>

 とある通り、神の御言葉として、そのように説かれているのだと思います。

 その、“純粋な真理” を説くための前段階である
「一人が悟れば] というところにばかり引っかかっているようでは、話にならないと思いますが、いかがですか?

 お釈迦さんが悟られて、「有情非情同時成道」 とおっしゃったのですから、もう 「既にすべての人類が悟っている」 というのが本当でしょう。ちがいますか?

3421復興G:2013/12/09(月) 22:45:30 ID:AB6RqYXc

曳馬野さん

>> 日蓮宗を、学会を折伏できますか。<<

曳馬野さん

 生長の家で 「折伏できますか」 なんていう言葉を私ははじめて聞きました。

 生長の家でいう 「万教帰一」 というのは、折伏して帰一させようなどというのとちがうのではありませんか。

 「『生長の家』家族の祈願および修養」 の第2項に、

 「吾らは凡ゆる宗教が大生命より発せる救いの放射光線なる事を信じ、他宗をそしらず、他人の尊崇の対象たるものに敬礼せんことを期す」

 とあり、聖歌 「生長の家の歌」 は1番が基教讃歌、2番が仏教讃歌、3番が古事記讃歌、4番は万教帰一讃歌となっており、この全歌詞の中に一度も 「生長の家」 という言葉が出てきません。あらゆる教えの神髄を讃え拝むことによって、おのずから 「万教帰一」 が成就するのが生長の家の素晴らしいところであると私は信じていますが・・・・・・。


>> 見るものとみられるものとの分離の無い状態にならなければいけません。<<

 すでに、「見るものとみられるものとの分離は無い、一体である」 というのが生長の家の教えなのではありませんか。

 『新版 真理』 第7巻の第1章にも、「華厳の相即相入の哲学」 として、「外界と内界とは互いに相即相入――即ち互いに一つのいのちであります」 と、詳しく説かれています。

 自然は、外界ではなく、自己そのものです。

 自然と人間が対立して争いあっているなどと見るのは、迷いであると私は思います。自然と自己は一体で、すでに大調和している、という実相を説くのが生長の家の教えなのではありませんか。

3422神の子さん:2013/12/09(月) 23:59:08 ID:???
復興Gさまの書き込みを拝見して、全く同じ想いを持ちました。

ありがとうございます。

3423神の子さん:2013/12/10(火) 09:31:39 ID:AB6RqYXc

>>3422 :神の子さん様

同意をいただいて、ありがとうございました。

3424rei:2013/12/10(火) 10:41:04 ID:ZIftZ1jM
合掌
ありがとうございます

私も復興Gさまの3421の書き込みに深く同意します。

曵馬野さまの言葉は生長の家の信徒とは思えない発言です。

3425神の子さん:2013/12/10(火) 11:43:53 ID:AB6RqYXc

rei さま

お久しぶりです。

同意の書き込み、ありがとうございます。

3426復興G:2013/12/10(火) 11:45:39 ID:AB6RqYXc

3425 :神の子さん は、復興Gです。

3427トキ:2013/12/10(火) 12:06:30 ID:1uDWx5.c
 個人的な感想ですが、日蓮宗の人でも、キリスト教の人でも、広く受け入れるのが生長の家だと思います。
仏教やキリスト教をやめて生長の家に入りなさいとは言わない。日蓮よし、キリストよし、神道よしですが、
その信仰をどんどん奥まで極めなさい、という指導だと思います。奥まで極めると、自然に生長の家になる
というのが信仰かと感じます。

 余談ですが、宇治の練成などを受けると、僧侶の方や神職の方もお会いします。職員の中ですら、僧侶等
の経歴のある人は何人もおられます。

 私個人は、復興G様のご発言に共感します。

3428復興G:2013/12/10(火) 12:14:48 ID:AB6RqYXc

トキ様、ありがとうございます。

3429志恩:2013/12/10(火) 12:18:48 ID:.QY5jUA6
曵馬野様は、どうして、そのような生長の家じゃない考え方で、凝り固まってしまわれたのかしら...
お気の毒に思います。

3430rei:2013/12/10(火) 12:32:44 ID:ZIftZ1jM
トキさま

日蓮宗の人でもキリスト教の人でも、日蓮正宗の人でも受け入れるのは
生長の家の素晴らしい所ですね。

でも曵馬野さまは夫婦ともに熱心な生長の家の信徒であると、
確か以前に書き込まれてありましたよね‥‥?
私の記憶違いだったかな。

3431神の子さん:2013/12/10(火) 14:42:09 ID:TUEhTkAQ
>>3421 より

 あらゆる教えの神髄を讃え拝むことによって、おのずから 「万教帰一」 が成就するのが生長の家の素晴らしいところであると私は信じていますが・・・・・・。


 自然は、外界ではなく、自己そのものです。
 自然と人間が対立して争いあっているなどと見るのは、迷いであると私は思います。自然と自己は一体で、すでに大調和している、
 という実相を説くのが生長の家の教えなのではありませんか。


 一つ一つ答えたものを書きましたが投稿は止めました。

【あらゆる教えの神髄を讃え拝むことによって】と云われてますが、それは生長の家から他宗を見た真髄なるものであり、禅の云う見性をしていない復興Gさんが

どうして禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ますか。出来るのであればこんな風な質問はしないと思います。

【曳馬野さんにお尋ねします。あなたは、禅の世界での悟りが正しく、生長の家での悟りは正しくないとおっしゃるのですか? 】

学会では御本尊と云われる曼荼羅は、日蓮上人(聖人)の魂を書き記したものであり、日蓮上人(聖人)は久遠元初の本佛である、と云われています。

天照大神は久遠元初の本佛である日蓮上人(聖人)の用と捉えられています。

志恩さんは法華経解釈から雅春先生も学会を批判されていた、だからおかしな雅宣先生を批判する本流派は正しいとの論を展開しています。

あらゆる教えの神髄と云っても生長の家の見方からのもので、それを学会は決して受け入れることはないと思います。



【自然と人間が対立して争いあっているなどと見るのは、迷いであると私は思います。】

トキさんは和解念仏和尚さんと云われるようですが、そもそも和解などと云う観念を持つことが可笑しいということになりますね。

【自然と人間が対立して争いあっているなどと見るのは、迷いであると私は思います】、と云われるのですから。

迷っている人はいないと云いながら、雅宣先生の主張は迷いの産物であると云われる。

復興Gさんの中に「迷い」と云う観念は有りませんか。私にはあなたのは観念上の実相論であり、実相に生きているとは思えないのです。

自己満足の実相論では決して調和は出てこない、ここ20年の生長の家の現実だと思いますが。


頭注版第一巻4ページの

【われわれがこの世界に「生命」を享けてきた事実から出発するのでありまして事実ほど力強いものはないのであります。】

と云われてることは、現象実相と云う観念の入らない、今の事実ではないですか。

実相は完全、であるが現象は、と云っている限り、現象無しなんて空文句だと思います。

この事実の世界が悲鳴を上げている、その原因を取り除こうとすることが迷いですか。

3432曳馬野:2013/12/10(火) 14:45:06 ID:TUEhTkAQ
3431は曳馬野です

3433曳馬野:2013/12/10(火) 17:23:29 ID:TUEhTkAQ

** 日蓮宗の人でもキリスト教の人でも、日蓮正宗の人でも受け入れるのは生長の家の素晴らしい所ですね。

** 日蓮宗の人でも、キリスト教の人でも、広く受け入れるのが生長の家だと思います。


reiさん、トキさん、八ヶ岳教団を受け入れてくださいな


** 曵馬野様は、どうして、そのような生長の家じゃない考え方で、凝り固まってしまわれたのかしら...お気の毒に思います。


志恩さんのように批判三昧になるぐらいなら、生長の家の考え方なんかまっぴらですね

3435トキ:2013/12/10(火) 19:54:10 ID:1uDWx5.c
>>3433

曳馬野様

 いやー、そうきましたか(笑)。うーん、素晴らしい! 本流復活派の皆様、ぜひ、この曳馬野様の声を
お聞き下さい。

 ところで、教団と本流復活派の両者の関係について、もっと冷静な議論は必要だとは思います。

 教団、というよりも、総裁の言動ですが、総裁ご自身は、生長の家を彼なりに考えていたとは思います。
戦前の生長の家は、もっと自由で家族的でした。平塚らいてふさんが文章を寄稿したり、陸軍主計総監の
辻村楠造閣下が教団幹部としてご活躍されたり、幅も広かったです。個人的な想像としては、彼はもっと市民
的感覚に近い組織や運動にしたかったのでしょう。

 結果として彼の試みは失敗する可能性が高くなりましたが、その動機の部分は理解できるのです。

 対して、本流復活派は、人生を生長の家に捧げて来た人達です。例えば、学ぶ会の前原先生などは、九州大学
を出て、父親から政治家になって欲しいと言われたのを断って生長の家の職員になっています。それほどの
覚悟で運動に身を投じたのに、教団の扱いは結構冷たいものがあったみたいです。某教区の本部駐在員から
本流復活派の幹部になったU先生など、自分が青年会時代に指導をした会員を上司に持つという酷い扱い
も受けています。

 彼らにも批判されるべき点がないとは思いませんが、それはそれで心情は理解できるのです。

 今思うと、現在の総裁が副総裁になった頃から、時代の変化が激しくなり、従来の運動では確かに難しい
部分もありました。だから、変革自体は必要だったのでしょう。しかし、その「変革」の内容が時代にそ
ぐわない内容であり、また、信徒からも歓迎されないものだったのも事実です。

 これ以上の事は、web誌友会の趣旨から外れるので止めますが、どちらかが正義で他方が悪という関係
ではなくて、どこかにボタンの掛け違いがあったという理解をしています。少し冷静になれば分かる事だ
と思います。みんな、難しい事を考え過ぎるので、かえってややこしくなっているような気がします。

 脱線をして、失礼をしました。

3436復興G:2013/12/10(火) 21:14:06 ID:AB6RqYXc

曳馬野さん

 お答え、ありがとうございました。
 おつかれさまでした。

 さて、これ以上レスしても水掛け論で、噛み合わないでしょうから、やめておこうかとも思いましたが、やはり書いておくことにいたします。

>> 【あらゆる教えの神髄を讃え拝むことによって】と云われてますが、それは生長の家から他宗を見た真髄なるものであり、禅の云う見性をしていない復興Gさんが、どうして禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ますか。出来るのであればこんな風な質問はしないと思います。<<

 ――生長の家には 「他宗」 はないと思います。なぜなら、「生長の家」 というのは一宗一派ではなく、あらゆる宗教宗派の生じた根元のところから出発していて、万教を包容するものであるからです。(お解り頂けるかどうか知りませんが)

 だから、谷口雅春先生は 『無門関解釈』 も書かれるし、清超先生は 『正法眼蔵を読む』 を書いておられるわけです。

 生長の家には、「立場」 というものはありません。強いて 「ある」 というなら、それは 「久遠の今」 でしょう。宇宙に遍満する、というか時空間を超えた 「家」 です。

 「久遠天上理想国実現の神示」 に、

<< 『生長の家』 の因縁を書き置く。『生長の家』 とは人間が付けた名ではない。神がつけさせたのである。『生長の家』 とはタカアマハラのことである。|(タテ)に無限に生(の)びることを 『生』 と言い、―(ヨコ)に無限に長(の)びることを 『長』 と言い、|と―とが十字に交叉した中心を息叉(イヘ=家)と言う、|の生命と―の生命とが交叉した中心が 『家』 である。>>

 とあります。|(タテ)は時間をあらわし、―(ヨコ)は空間をあらわし、「生長の家」 は時空間の発する元のところ、大宇宙の根柢にあり、一切を包容するものであるわけです。

 時空間に投影された世界 すなわち現象世界には、いろいろな宗教宗派があらわれています。それについて、『神 真理を告げ給う』 には次のように書かれています。
 (“わたし” は神)

<< 世の中には偉大なる宗教家もあり、碩学(せきがく)もあり、哲人もあり、既にそれらの偉大なる人たちの思想や信仰に共鳴し、同調し、心酔し、讃仰(さんぎょう)して、彼を聖者の如くあがめて集って来た人たちが集団をつくって運動している団体もある。それらはそれぞれの悟りの段階に於いて、それでよろしい。それらの宗教教祖や碩学や大哲の中に “わたし” は宿って、人々を導くために “わたし” は書いたり、説いたりして来たのである。真理は人間の肉体から生まれて来るものでも、人間の脳細胞から生産されて来るものでもなく、実にそれらの人々に宿っている “わたし” がそれを説いているのである。>>

 ――あらゆる宗教は人間の脳細胞から生産されて来るものでなく、教祖たちに宿っている神(宇宙根源の大生命)が教祖を通して語られていて、宇宙の真理をあらわしている。だから、

 「吾らは凡ゆる宗教が大生命より発せる救いの放射光線なる事を信じ、他宗をそしらず、他人の尊崇の対象たるものに敬礼せんことを期す」

 ということになるわけです。
 もっとも、そのあとに続いて、『神 真理を告げ給う』 には、>>1420でも引用しましたお言葉があります。

<< 人間には在来からもっていた先入観念や薫習(くんじゅう)というものがあって、人間を通して真理を説く場合、どうしても、それによって“わたし”の説く真理が歪められ、賦彩(いろづけ)されて、“純粋なる真理“ そのままであることはむつかしい。併し、それはそれでよいのである。>>

 と。

 で、曳馬野さんが、
>> 【あらゆる教えの神髄を讃え拝むことによって】と云われてますが、それは生長の家から他宗を見た真髄なるものであり、禅の云う見性をしていない復興Gさんが、どうして禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ますか。出来るのであればこんな風な質問はしないと思います。<<

 とおっしゃる、「こんな風な質問」 というのが
【曳馬野さんにお尋ねします。あなたは、禅の世界での悟りが正しく、生長の家での悟りは正しくないとおっしゃるのですか? 】

 という質問のことでしょうか。
>> 禅の云う見性をしていない復興Gさんが、どうして禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ますか。<<

 とおっしゃる、「禅の云う見性をしていない」 というのは、禅寺で修行をして、そちらの権威ある高僧から 「お前は見性したと認める」 という允可を受けていない、という意味なのでしょうね。
<つづきます>

3437復興G:2013/12/10(火) 21:16:43 ID:AB6RqYXc

>>3436のつづきです。

 私は、禅寺で修行をして、そちらの権威ある高僧から 「お前は見性したと認める」 という允可を受けなければ、禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ない とは思いません。

>>3436で書いたように、禅の教えも、「神(宇宙根源の大生命)が教祖を通して語られていて、宇宙の真理をあらわしている」 として、尊敬し拝むことができると思います。

>> 【自然と人間が対立して争いあっているなどと見るのは、迷いであると私は思います】、と云われるのですから。
迷っている人はいないと云いながら、雅宣先生の主張は迷いの産物であると云われる。
復興Gさんの中に 「迷い」 と云う観念は有りませんか。私にはあなたのは観念上の実相論であり、実相に生きているとは思えないのです。<<

 「迷い」 とは何か。
 また 『神 真理を告げ給う』 から引用させていただきますが――

<< あなたは仏教の 「煩悩即菩提」 という語をたびたび聴いたこともあるし、読んだこともあるであろう。“迷い” がそのまま “菩提” の道程であるということである。“迷い” という 「菩提とは別なもの」 があるのではないのである。“迷い” と見えているものが、実は “悟り” が動き出し、現象化しつつある道程であるから、“迷い” 本来無しといい得るのである。

 あなた達が “迷い” だと思っているものは、実は “わたし” が “神の国” を地上に顕現するための土台又は地盤になるための精神的基礎工事を行うために授けたところのものなのである。>>

 とお教え頂いておりますから、「迷い」 という 「悟り」 とは別なものがあるのではない。“悟り” が動き出し、現象化しつつある道程であるのだ。「実相独在」 が真理である、と思いながら、書かせて頂いています。

 とりあえず、以上が曳馬野さんの>>3432に対するレスポンスです。

3438復興G:2013/12/11(水) 07:00:10 ID:AB6RqYXc

訂正

>>以上が曳馬野さんの>>3432に対するレスポンスです<<

>>以上が曳馬野さんの>>3431に対するレスポンスです<<

まだまだ書きたいことが一杯あります(際限なく出てくる感じです)が、

今日は出かけなければならない予定がありますので、あとは明日以後に。

よろしくお願いします。

3439復興G:2013/12/11(水) 07:47:59 ID:AB6RqYXc

 榎本恵吾先生は素晴らしい!

 web誌友会参考文献板 >190

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/190

3440復興G:2013/12/11(水) 08:15:04 ID:AB6RqYXc

 聖経 『甘露の法雨』 に

  創造の神は
  五感を超越している、
  六感も超越している、
  聖
  至上
  無限……
   (中略)
  神は人間の光源(ひかりのみなもと)にして
  人間は神より出でたる光なり。
  光の無き光源はなく、
  光源の無き光はなし。
  光と光源とは一体なるが如く
  人間と神とは一体なり。

 とあり、真の人間は至上なるものである、というのが生長の家の説く根本真理であると思います。

 「人間至上主義は間違い」 というのは、生長の家の教えではないと私は思います。

 「人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』 が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。」

 という 「至上者の自覚の神示」 もあります。

 出かけますが、ちょっとだけ書かせて頂きました。

3442復興G:2013/12/11(水) 21:50:55 ID:AB6RqYXc

曳馬野さん

復興G、ただいま帰ってまいりました。

>>3440までの私の投稿に対して、ご高評を戴ければ幸せに存じます。よろしくお願いいたします。

3443曳馬野:2013/12/12(木) 05:27:14 ID:TUEhTkAQ
  
復興Gさんへ

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823257

これは禅門法語集続のなかの、正眼國師によるとされている『心経抄』です。

般若心経の説いていることの解釈です。 「煩悩即菩提」についての意味も説かれています。

雅春先生のものとは大分違います。また引用された『神真理を告げ給う』の神の言葉とも大分違います。


私は掲示板に出てきたとき、うのはなさんとの話で一日の生活の時間割を書いています。本当に時間の無い生活をしています。
ここへの書き込みは睡眠を減らし食事しながらの時もあります。

ですので、時間の取れる時で結構ですので、よく読まれての感想を頂いてからの話にしたいと思います。

3444復興G:2013/12/12(木) 11:30:12 ID:AB6RqYXc

>>3443 :曳馬野さん

 「体よく逃げましたね」 という感じがします。

>>3409の質問を、もう一度提出したいです。

>> 曳馬野さんにお尋ねします。
あなたは、禅の世界での悟りが正しく、生長の家での悟りは正しくないとおっしゃるのですか? <<

 ということです。

 私は、「人類最後の究極の教えである」 と谷口雅春先生がおっしゃっている生長の家の教えこそ、最高であると信じていますから、もっと、谷口雅春先生のご著書を読むことの方を優先します。

 教えて頂いたウェブページは開いてみましたが、古い本をスキャナーで読み取っただけの、よごれの多い画像ですから、判読するのも容易ではありません。
教えて頂いた、「禅門法語集続のなかの、正眼國師によるとされている 『心経抄』」 というのも、時間ができたら読んでみたいとは思いますが、私も今生での残り時間は限られていますから、今 『心経抄』 を読むことを最優先にしなければならぬとは思いません。

 私は、禅の高僧の書かれたものとしては、日置黙仙著 『錬膽術』 というのを読んだことがあり、今も持っています。大正4年(1915年)発行の古い本です。父の蔵書の中にあったもので、高校生時代に、何となく惹かれてちょっと読み、大学に入ってからまた読んで、膽(きも)に銘じたものです。その 「緒言」 に、こんなことが書かれています。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

   梅花一枝薫を説く

 花の薫(かをり)とは何ういふものぢやと聞かるれば、綻びかけた梅の花を一枝折つて、サアこれを嗅いで見よと、鼻の先に突き付けてやる外はない。突き付けられた梅の花を嗅いで見れば、成る程斯ういふものかと直ぐに合點が行く。さうせぬことには、薫とは斯ういふものぢや、あゝいふものぢやと幾ら口先で説いて聴かせても、迚(とて)も呑み込めない。如何なる名画家も、百花の爛漫たる色合を描くことは出來ようが、其の薫を寫すことは出來ぬ。

   盲人の象騨

 膽力といふものも、言葉や筆先で説き明すことは全く不可能ぢや。それぢやというて、花の薫を説くやうに、實物を突き付けることは尚ほ更不可能。止むを得ず言葉や筆で説く外はないが、其の説く所却つて皮相の歎に流れて世人を過まらすことになりはせぬか。

 昔、数多の盲人が集まつて大象を捕へた。其の或る者は象の足を攫(つか)み、或る者は尾を攫み、或る渚は鼻を攫んだ。是等盲人打寄つて象を評するに、足を攫んだ者は曰く、象は大足なり。尾を攫んだ者は曰く、象は大尾なり。鼻を攫んだ者は曰く、象は大鼻なりと。其の領解せるものは各々違つて居つたといふ喩話(たとへばなし)がある。

 膽力とは何(ど)ういふものか、其の要素、其の作用は説くことが出來ても、其の眞髄を説き明すことが出來ぬ。故に其の要素、其の作用の一端を攫んで、我れは膽力を得たりと得々たるに至つては、是れ草を折つて天を量(はか)るの類、畢竟盲人の象を評すると撰ぶ所はない。衲(わし)は、世人が衲の説く所を讀んで、斯ういふ間違ひをせねばよいがと心配ぢや。

 (復興G の感想――この「膽力」 というのは、「悟り」 と置き換えてもほぼ間違いないのではないかと思います)

<つづく>

3445復興G:2013/12/12(木) 11:30:53 ID:AB6RqYXc

<つづき>

   とんぼ返りの諷示

 普化(ふけ)和尚といふ支那の高徳の和尚が、大勢の弟子を集めて法話をして居ると、弟子の人々が、佛の御姿は何(ど)ういふもので御座りませうと尋ね出した。普化和尚は即座に大衆の面前で、とんぼ返りをして見せて、佛の姿は斯ういふものぢや、解つたかといふと、大衆は唖然として一言も發するものはなかつた。又、龍牙(りゅうげ)和尚といふ高僧も、是れと同じく、大衆より佛の御姿を見せて下さいと迫(せが)まれて、両膚を脱いで半身をむき出して、佛の姿は斯ういふものぢやと示したことがある。衲(わし)が此処に説く所、畢竟普化和尚のとんぼ返りぢや、龍牙和尚の両膚脱ぎぢや。何うぢや、分るかナ。

   拈華微笑の徹底

 昔、釋尊が霊鷲山(りゃうじゅせん)で説法をせられた時に、八萬四千の聴衆が詰めかけて居る。如何なる有り難い御説法があるかと固唾を呑んで耳を傾けて居ると、釈尊は傍(かたはら)に咲いて居る金波羅華を採つて、一拈りされた。是れで大法は説き終られたので、八萬四千の聴衆は唯唖然として居る。

 此の時、神通第一と呼ばれたる摩訶迦葉が、唯独り豁然と徹底して破顔微笑したといふのぢやから、ニッコと笑つた。これを見て取られた釋尊は、我れに正法眼藏涅槃妙心、實相無相の法門あり、摩訶迦葉に附嘱すといはれて、吉祥草座を下られた。

 之は禅家の拈華微笑といふ有名な話ぢやが、此の消息が分るかナ。此の消息が呑み込めねば錬膽の眞髄に徹底することは出來ないぞ。有限の言葉や文字でいくら説いても、深遠微妙な錬膽の眞髄を説き盡すことは出來ぬから、言葉や文字の奥に徹底する破顔微笑の用意がなくてはならぬ。若い男と女の恋仲でも、目と目との間に無限の深い消息が通じ合ふぢやないか。口先で語合うただけの恋仲には限りがあるが、同と目の物語は甚深微妙、其の味ひは限りがない。須らく言葉や文字に超脱する覚悟を以て衲(わし)の話を讀んで貰ひたい。

   叩門の瓦、指月の指

 「門を叩くの瓦子、月を指すの指」といふ言葉がある。夜更けて人の家を訪ふ。門前に行つて押しても突いても戸は開かぬ。握り拳で叩いた位でも寝込んで仕舞うて居るから中々目を醒して開けて呉れぬ。とうとう瓦を取つてドンドンと叩いて見たら、直ぐに起きて門を開けて呉れた。門を開けて中に入れば、最う瓦には用事はない。それを何時までも持つて居るには及ばぬから、疾くに棄てて仕舞ふが宜い。是れが門を叩くの瓦子といふのぢや。

 また、アア彼方(あちら)に好い月が出ましたといふと、何(ど)れ、何処へというて探す。アレ彼方にというただけでは埒があかぬ。そこで、ソレ其方へと指で指して教ゆれば、直ぐにあれ綺麗だと分る。既に月の有処が分つて見れば、もう指には用事はない。サッサと指を取つて仕舞ふといふのが指月の指ぢや。

 そこで此の書物は恰度門を叩くの瓦子、指月の指ぢや。錬膽の眞髄が分ったら、最う此の書物には用事はないぞ。

   鶏唱ふ家林の曉

 『五更(ごこう)鶏(とり)唱ふ家林(かりん)の曉』で、五更の夜半でも、鶏が歌うた以上は最(も)う朝ぢゃ。暗い、寂しいと悔むに及ばぬ。最う昼の内ぢや。錬膽の眞髄に徹底するは容易ぢやないが、併し、膽力とはハテさういふものかといふ呑込み出来れば、最う家林の曉ぢや、何もいふことはない。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 さて、復興Gの感想ですが、禅の神髄、「悟り」 は以上の日置黙仙師の緒言にあるように、不立文字、以心伝心と言われます。曳馬野さんが読めとおっしゃる 『心経抄』 にしても、やはり 「門を叩くの瓦子、指月の指、家林の曉」 であろうと思います。現象の言葉で、「これが悟りじゃ」 「これでなければならぬ」 と決めつけたら、もうそれは悟りでもなんでもない、執着にすぎないのではないかと私は思っています。

 いかがでしょうか。

3446復興G:2013/12/12(木) 12:30:10 ID:AB6RqYXc

>>3444 で私は
>> 「人類最後の究極の教えである」 と谷口雅春先生がおっしゃっている生長の家の教え<<

 と書きましたが、正確には次の通りでした。
 (『神ひとに語り給ふ』 p.162〜p.163より)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 生長の家は、これは人類最後の最高の教へをするところでありますから、ここに集つていらつしやる人達は、霊魂の高い素晴しい人ばかりなのであります。ですから聖使命菩薩として本尊の前に、その誠魂をお祀りしてゐるわけであります。即ち皆さんは、既にその魂が菩薩たる階級の人で、人を救ふ使命をもつてゐられる方が集つて來てをられるわけであります。

 救ふといつても色々あつて、病気が治るのも救ひでありますし、貧乏で困つてゐるのを金が儲かるやうにしてあげるのも救ひだし、社会の下積みになつてゐる人が世に出られるやうに導いてあげるのも救ひですけれども、そんな事は一時的救ひであります。

 病気が治つたにしてもとどのつまりは人間はやがては死ぬでしょう。貧乏が治って財産を積んでをつても冥途へ行く時にはその財産を棄てて往かんならんでせう。だから、そんな救ひは永久の救ひではない。

 本當の救ひといふものは、「人間は神の子である。老朽せざるを人間といふ。病まざるを人間といふ。死せざるを人間といふ。眞清浄眞無垢なるところの神のいのちそのものが人間だ」 といふことを自覚させて永遠に朽ちざる生命の自覚を與へる宗教が一番素晴しい宗教であり、この最も高い救ひを與へるのが生長の家であるのであります。

 さういふ眞理がこの神示(「本來生、不滅の神示」)には示されてゐるのであります。すなはち、

 「本來生、不滅、本來清浄眞無垢なる人間の實相を知つたとき汝らは歓びに満されて手の舞ひ足の踏む所を知らないであらう」 と示されてゐる所以であります。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 以上であります。

3447神の子さん:2013/12/12(木) 13:57:08 ID:gpBcRldI

復興G様,

お見事!です。 沢山の拍手を送らせていただきます。
総裁先生がここを読んでくださる事を祈ります。生長の家万歳!

3448復興G:2013/12/12(木) 16:00:59 ID:AB6RqYXc

>>3447 :神の子さん様

沢山の拍手を、ありがとうございます。

>>3446で引用させていただきました

<< 病気が治つたにしてもとどのつまりは人間はやがては死ぬでせう。貧乏が治つて財産を積んでをつても冥途へ行く時にはその財産を棄てて往かんならんでせう。だから、そんな救ひは永久の救ひではない。>>

 ということは、地球環境問題についても同じことであると思います。

 「自然環境がよくなったにしてもとどのつまりは地球も寿命が来たら死滅するでしょう。だから、そんな救ひは永久の救ひではない。」

 ということではないでしょうか。

<< 本當の救ひといふものは、「人間は神の子である。老朽せざるを人間といふ。病まざるを人間といふ。死せざるを人間といふ。眞清浄眞無垢なるところの神のいのちそのものが人間だ」 といふことを自覚させて永遠に朽ちざる生命の自覚を與へる宗教が一番素晴しい宗教であり、この最も高い救ひを與へるのが生長の家であるのであります。>>

 ――これは、自然環境について言えば、

 「本当の救いというものは、≪人間は神の子である。常に自然と一体であり、万物と大調和の関係にあるのものを人間という。争わないものを人間という。真清浄真無垢なるところの神のいのちそのものが人間だ≫ ということを自覚させて、永遠に環境の主人公で大調和している生命の自覚を与える宗教が一番素晴しい宗教であり、この最も高い救いを与えるのが生長の家である」

 ということでしょう。

 それで、真の人間は至上なるものである、というのが生長の家の説く根本真理であると思います。

 だから、再度言いますが、「人間至上主義は間違い」 というのは、生長の家の教えではないと私は思います。

 「人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』 が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。」

 という 「至上者の自覚の神示」 もあります。

 「人即ち神であり至上なるものであるから、その自覚をひろめて、本来の ≪自然とも大調和≫ のすがたを現して行こう」

 ということでなければ、真理からはずれているから、神の子の魂が共鳴せず、したがって、運動方針に

 「“新しい文明” の構築は、神・自然・人間の大調和から」

 というようなスローガンを掲げても、そのようなエネルギーなど湧いて来ず、教勢は下降の一途を辿るのみ、ということになっていると思います。

 今こそ、生長の家の原点といいますか、根源源泉に立ち還らねばならぬ。その時であると思います。

 私は、「人間は神の子である、至上者である」 という根本真理を、全心全霊をもって伝えて行くつもりです。

3449復興G:2013/12/12(木) 16:37:21 ID:AB6RqYXc

曳馬野さん

上記は、間違ってますでしょうか。

3450トキ:2013/12/12(木) 18:39:43 ID:2d5zi/No
 曳馬野様がご多忙の中、ご投稿下さった事には深く感謝申し上げます。

 その上で個人的な感想を申しあげます。

 個人的な体験ですが、生長の家の行事には僧侶の方や仏教の熱心な信仰者の方がよく参加されます。

 生長の家の掲示板だからこんな事を書くのではないのですが、そういう方々が、異口同音に言われるのが、

 「今まで、仏教系の大学でお経の勉強をしたが、全く分からなかった。谷口雅春先生の解釈を拝読して、
初めてその真意が分かった!」

と断言されていました。これは誇張でも何でもないです。古い仏教の解釈も大事ですが、現代の人が読んで
分からないものは、高嶺の花に終わってしまうと思います。その意味で、私は、谷口雅春先生の説かれた
教えを学びたいと思います。復興G様の言われる通りかと感じます。

3451復興G:2013/12/12(木) 21:32:08 ID:AB6RqYXc

>>3450 :トキさま

貴重な体験のご投稿、ありがとうございました。

3453神の子さん:2013/12/12(木) 22:10:23 ID:TUEhTkAQ

復興Gさん他拍手喝采の方へ

●「体よく逃げましたね」 という感じがします。

○やっと地が出て人間らしくていいです

● 曳馬野さんにお尋ねします。

あなたは、禅の世界での悟りが正しく、生長の家での悟りは正しくないとおっしゃるのですか?

○疑問は有ります。禅では師なり古人の示しを弟子がそうであったと証明して法の継承がされています。それについて生長の家では【大日本神国観】で

説かれている実在について証明した弟子はいないと私は思っています。これが証明されなければ、その人にとっては単に信じていると云うだけで、

真実存在しているとは主張できない、つまり天皇信仰の正しさを主張出ないことになり、カルト的主張とみなされ生長の家存在に?マークが付きは

しませんか。

●私は、「人類最後の究極の教えである」 と谷口雅春先生がおっしゃっている生長の家の教えこそ、最高であると信じています

○ここなんですね、信じていると、説くところに至る、との違いがあるのです。

教えは神なるものが説いたものか否か、私は知らない。「絶対無」を説いている点では究極でありますが、その絶対無に至る方法に於いてはっきりしない、

あなたが60年にわたり神想観をしても、絶対無に至っていないことからも、簡単なことではないでしょう。

盤珪禅師は或る侍が「剣の達人があなたに切りかかれば避けることは出来ないでしょう」と云ったのに対して、打ってみなさいと云い、侍が一瞬躊躇

したとき、我既に打ったと云いました。坊さんが侍の剣には負けないと云ったのです。

それについて雅春先生は、昭和18年の生長の家誌5月号で、平法無敵流の極意について、「それは理論として面白いし、武道以外の日常生活では

自他一体が常勝の道であることが体得せられますが、剣を以て立会う武道では、どういう姿で現れてくるか想像が付かなかったのでありますが…」

と書かれ、その時点では武道での自他一体の行動はとれていないことを表明されています。これは「私もこの教えで修行中です。」と云われていたことを

裏付けていると思います。ですから「実相の大地に降り立ったのである」と云われた心境が如何ほどのものであるかは判りません。

青年会全国大会で神想観の実習の際に、先生の座られた時にマイクの高さの調節を青年局員がしたところ、「僕がするからいい」と声を荒げた時が

ありました。黙って自分の好みで再調整するのが普通でしょう、然るに相手の行動に声を荒げられたのです。

また雅宣先生が皆さんの云うような人であるとするならば、そのような人しか育てられなかった清超先生は師と呼ぶに値しないと云わなくてはなりません、

そしてそのような清超先生と云う弟子しか育てられなかった雅春先生は師と呼ぶに値しないと云わざるを得ません。つづく

3454神の子さん:2013/12/12(木) 22:19:32 ID:TUEhTkAQ
 つづき

● 教えて頂いたウェブページは開いてみましたが、古い本をスキャナーで読み取っただけの、よごれの多い画像ですから、
判読するのも容易ではありません。

○これはJPEG表示と云うところをクリックすれば綺麗に観られます

● 梅花一枝薫を説く

 花の薫(かをり)とは何ういふものぢやと聞かるれば、綻びかけた梅の花を一枝折つて、サアこれを嗅いで見よと、鼻の先に突き付けてやる

外はない。突き付けられた梅の花を嗅いで見れば、成る程斯ういふものかと直ぐに合點が行く。さうせぬことには、薫とは斯ういふものぢや、

あゝいふものぢやと幾ら口先で説いて聴かせても、迚(とて)も呑み込めない。

○その通りですね

生長の家とは何と問われれば、今の教団、本流派を見よ、斯ういふものぢや、あゝいふものぢやと幾ら口先で説いて聴かせても、
迚(とて)も呑み込めない。

復興Gさんはどんな人と問われれば、『「体よく逃げましたね」 という感じがします。』を読めばよい

● 盲人の象騨
昔、数多の盲人が集まつて大象を捕へた。其の或る者は象の足を攫(つか)み、或る者は尾を攫み、或る渚は鼻を攫んだ。是等盲人打寄つて象を

評するに、足を攫んだ者は曰く、象は大足なり。尾を攫んだ者は曰く、象は大尾なり。鼻を攫んだ者は曰く、象は大鼻なりと。

其の領解せるものは各々違つて居つたといふ喩話(たとへばなし)がある。

 膽力とは何(ど)ういふものか、其の要素、其の作用は説くことが出來ても、其の眞髄を説き明すことが出來ぬ。故に其の要素、其の作用の

一端を攫んで、我れは膽力を得たりと得々たるに至つては、是れ草を折つて天を量(はか)るの類、畢竟盲人の象を評すると撰ぶ所はない。

衲(わし)は、世人が衲の説く所を讀んで、斯ういふ間違ひをせねばよいがと心配ぢや。

○一切のつかみを放ってもなお久遠の昔からの存在を教える禅に有って、一分のつかみを心配する、老婆親切過ぎかな、

生長の家の著書を読むもまたこの轍を踏まぬこと祈るは切なりですね。

何度も言いますが大日本神国観の世界を見たと云う人以外は盲人象を撫ぜるでありますから。つづく

3455神の子さん:2013/12/12(木) 22:25:33 ID:TUEhTkAQ
つづき

● とんぼ返りの諷示

 普化(ふけ)和尚といふ支那の高徳の和尚が、大勢の弟子を集めて法話をして居ると、弟子の人々が、佛の御姿は何(ど)ういふもので御座りませうと

尋ね出した。普化和尚は即座に大衆の面前で、とんぼ返りをして見せて、佛の姿は斯ういふものぢや、解つたかといふと、大衆は唖然として一言も

發するものはなかつた。又、龍牙(りゅうげ)和尚といふ高僧も、是れと同じく、大衆より佛の御姿を見せて下さいと迫(せが)まれて、両膚を脱いで

半身をむき出して、佛の姿は斯ういふものぢやと示したことがある。衲(わし)が此処に説く所、畢竟普化和尚のとんぼ返りぢや、

龍牙和尚の両膚脱ぎぢや。何うぢや、分るかナ。

○雲門は糞掻き箆と言い、趙州和尚は庭前の柏樹と言いましたね

●拈華微笑の徹底

○雅春先生の無門関解釈では日本国体天皇の実相を説くものと云われている。
対して井上義衍老師の無門関では全く違う提唱がなされています。


● 叩門の瓦、指月の指
 そこで此の書物は恰度門を叩くの瓦子、指月の指ぢや。錬膽の眞髄が分ったら、最う此の書物には用事はないぞ。

○『生命の実相』40巻その他真理の著書もまた叩門の瓦、指月の指、それを立脚点として本流派は立つ

● 鶏唱ふ家林の曉

○ 見性のまじかには何らかの気付きがある、そして悟後の修行これが大変、徹底した人は古人と云えど僅かです。

神想観して眼路の限り光明遍照となっても目を開けば、悪口雑言の人ばかり、何処に救われがあるのでしょうか。

   
●「心経抄」にしても、やはり 「門を叩くの瓦子、指月の指、家林の曉」 であろうと思います。現象の言葉で、

「これが悟りじゃ」 「これでなければならぬ」 と決めつけたら、もうそれは悟りでもなんでもない、執着にすぎないのではないかと私は思っています。

○その通りてすね、でその指し示す先にあるものに辿り着いた人が、禅にはいるが生長の家にいますか、とあなたを含めお聞きしているだけです。

  つづく

3456曳馬野:2013/12/12(木) 22:42:31 ID:TUEhTkAQ
上の三つは曳馬野です

でトキさん、

「古い仏教の解釈も大事ですが、現代の人が読んで分からないものは、高嶺の花に終わってしまうと思います。

その意味で、私は、谷口雅春先生の説かれた教えを学びたいと思います。」


それはごずいにですが

盤珪禅師は耳で聞いてわかるように説き、弟子にも筆記はすべからずと戒めました。記憶の膨らむことを配慮しての事です。

無学文盲の者から、町人、侍、藩主、天台の座主、禅のトップクラスまで五万余の弟子の礼をとった者がいたということです。

書き物を散々読んで妄想たくましくする、そして救いは無い、救われたと勘違いする。どちらてもいいです

3457曳馬野:2013/12/13(金) 00:02:15 ID:TUEhTkAQ

つづき

●「自然環境がよくなったにしてもとどのつまりは地球も寿命が来たら死滅するでしょう。だから、そんな救ひは永久の救ひではない。」

ということではないでしょうか。

○そりゃそうだ、と云いたいところなんですがね、じゃあ地上天国実現なんて看板下げてくれないかな、地球も単に縁起の産物ですからね

● それで、真の人間は至上なるものである、というのが生長の家の説く根本真理であると思います。

だから、再度言いますが、「人間至上主義は間違い」 というのは、生長の家の教えではないと私は思います。

「人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』 が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を

知らさんが為である。」という 「至上者の自覚の神示」 もあります。

○人間に教えを説くから真の人間は至上なるものである、との書きかたになりますが、その真の人間とは天地一切のものと別のもののように

聞こえますね

●「人即ち神であり至上なるものであるから、その自覚をひろめて、本来の ≪自然とも大調和≫ のすがたを現して行こう」

ということでなければ、真理からはずれているから、神の子の魂が共鳴せず、

○生長の家を何十年もしながら人間同士でさえ自他一体なことが分かららず、真理から外れている魂であるから、自然を破壊し己の欲望の

道具にする、現象は縁起の産物であると知り、今の一瞬一度の出会いであるから今を最も大事に生きる、欲望があってはねー

有情非常同時成道の捉え方に生長の家と禅では全く捉え方が違うようではあります。

3458ユタカ:2013/12/13(金) 05:04:32 ID:R1D4Jmeg
>>じゃあ地上天国実現なんて看板下げてくれないかな

お前、何者?

生長の家の信徒じゃないだろ!! 何しに生長の家で総裁に近づいたんだ??

たんまり貰った? 

気持ち悪くてこれ以上読みたくない。 曳馬野の書く事。

おえ〜〜〜〜〜!!ゲロゲロ〜〜〜〜!!

3459ユタカ:2013/12/13(金) 05:09:22 ID:R1D4Jmeg
>○人間に教えを説くから真の人間は至上なるものである、との書きかたになりますが、その真の人間とは天地一切のものと別のもののように

>聞こえますね


お前と総裁だけだ!そんな風に聞いているのは! ボケ!
いい加減にしろ!

3460ユタカ:2013/12/13(金) 05:26:05 ID:R1D4Jmeg
光明大掲示板より引用

>>神癒への原理NEW (3579)
日時:2013年12月13日 (金) 05時05分
名前:伝統

このスレッドでは、「神の癒し」に関する情報を紹介してまいります。


以下は、神癒を続出させた藤原敏之先生の著「すべてを癒やす道」の
はしがきからの要点の紹介です。


(1)生長の家の御教えが唯心実相論に徹した生命の実相哲学であり、
   一切を完成する最後のみ教えであることに、常に驚異と感動を覚えるものであります。

(2)尊師谷口雅春先生のお説き下さる真理は
   ”現象なし、肉体なし、実相のみ実在”の教えであります。

   このことを信じて人様にお伝えしますと、真理が絶対であり、み教えが真実(ほんもの)で
   ありますから、いかなる難病奇病の方々も、たちどころに神癒をお受けなり、
   盲人も唖(おし)もいざりでさえも起ち上がり、ことごとく解決するのであります。

(3)真の救いは

  ①宗教の救いは、自分の力や財力で処理できない事件や難問題を、
   神様の協力(助け)をいただいて解決し、処理するというようなものでありません。

  ②神のお造りになったままの実相世界(ほんとうのせかい)に悪や不完全なものは
   何一つ存在しないという、真理に目覚めることによって、

   もともとありもしない現象の悪や不完全を否定し去り、
   打ち消すことによって解決するのであります。

   それ以外に本当に人間が救われる道はないのであります。

  ③悪しきもの好ましからざるものはことごとく否定し、
   神のお造りになったままの完全さのみを肯定する。

   この肯定は現象の否定によって生まれるのであります。
   現象否定の極致が”信”であり、”救い”であります。

   現象の悪も認めながら、神を信じているというのは、相対の信であって、
   信じたつもりでも”信”でないから本当の救いとはならないのであります。

   ここのところが最も肝腎であり、真実の救いと、
   現象を処理するための方便的救いとは別れ道となるのであります。

  ④暗はもともと存在しないから、光をもってくればたちどころに消える如く、
   現象の悪、すなわち嘘のものを無くする方法は、
   本物(実相)を持ってくる以外にないのであります。

(4)私達は幸いにも谷口雅春先生によって、
   廻り道しないでも、真理に到達出来る最高の近道をお示しいただいております。

   ”我れ神の子”の自覚に徹し、ただ感謝し、ただ喜ぶだけで救いを成就できる
   という天国、極楽への最短距離の教えをいただいたのでありますから、
   素直に受けるだけでよろしいのであります。


現象世界以外理解できない曳馬野さんへ

実相世界が全く判らない独自の世界からの意見が気持ち悪いけど面白い。
藤原先生も熱心な仏教徒から生長の家になって大勢の人に奇跡を表した

総裁の話で奇跡は出ないし、災害ばかりに合いますよ! 波長がそこに合っているのでしょうね。。。

3461復興G:2013/12/13(金) 05:42:02 ID:AB6RqYXc

いやー、曳馬野さん

 ありがとうございました。
 「切磋琢磨」 っていうのは、こういうことだったんですね。ありがたいことです。

 あわてないで、じっくり行きましょう。

 まず、>>3453
>>● 曳馬野さんにお尋ねします。
あなたは、禅の世界での悟りが正しく、生長の家での悟りは正しくないとおっしゃるのですか?
 ○疑問は有ります。禅では師なり古人の示しを弟子がそうであったと証明して法の継承がされています。それについて生長の家では【大日本神国観】で説かれている実在について証明した弟子はいないと私は思っています。<<

 ――禅の世界で、「証明」 というのは具体的にどういうことですか? 教えて下さい。
 数学における 「証明」 とは全然違うものであろうとは想像できます。字義から言えば 「あかし して あきらかにする」 ですね。

 生長の家では、体験談というのが証(あかし)でしょうか。

>>生長の家では【大日本神国観】で説かれている実在について証明した弟子はいないと私は思っています。<<

 ――については、私は、ある友人が、病いで危篤状態になった時、中心帰一の実相世界のありさまをはっきりと見た、というのを聞いたことはあります。しかし、そんなものは幻想だろう、と言われてしまえばそれまでです。やはり、なるほどと人を納得させる証しにはなっていないでしょう。

>>禅では師なり古人の示しを弟子がそうであったと証明して法の継承がされています<<

>>その指し示す先にあるものに辿り着いた人が、禅にはいるが生長の家にいますか<< (<<3455)

と言われる禅の世界での 「証明」 について、具体的に教えて下さい。

3462復興G:2013/12/13(金) 07:40:36 ID:AB6RqYXc

いやー、曳馬野さん

まあ、
>> 禅の世界での 「証明」 について、具体的に教えて下さい。<<

というのは、いつでもいいです。

すでに大調和している、完全円満な世界しかない。

みんな神の子の兄弟姉妹だ。

雅宣総裁も、“本流派” の人たちも、みんな本当は大調和して素晴らしく仲の良い神の子兄弟姉妹だった!

うれしい! 私は、ただ歌って踊っているだけでよいのだった!

バンザーイ!


すべては自心の展開である。

教団派と本流派が争っていると見える状態が出現していたのは、私の心の展開であった。

それを、総裁が悪い、本流派が口汚く教団と総裁をののしるのは間違っている、嫌だと、他に責任を負わして、自分一人悟りすましていたのは、たいへんな間違いだった。みんな私の心の展開であった。

それは、頭では分かっていたのだけれど、今一歩、紙一重のところで、まだ他の責任にしていたところがあった。だから、曳馬野さんがそこを突いてこられたのだ。それで、私は目覚めさせていただいたのだ。ありがとうございます!

私は今、真理そのものの本当の自覚から自分を蔽っていた紙一重の、迷いの雲が晴れた感じがしました。

>> 「人間は神の子である、至上者である」 という根本真理を、全心全霊をもって伝えて行くつもりです <<

と、>>3488で言っていましたが、「全心全霊」 になっていませんでした。今、その覆いがとれて 「全心全霊」 に、さらに一歩近づくことができました。これからますます本物が顕れてきます。なんとありがたいことでしょう! バンザーイ!

曳馬野さんのおかげです。ありがとうございます。

バンザーイ!

3463神の子さん:2013/12/13(金) 08:06:50 ID:???
フレー フレー

3464rei:2013/12/13(金) 08:30:19 ID:ZIftZ1jM
合掌おはようございます。

復興Gさまってなんと素晴らしい方なのでしょうか。

素直で謙虚で
生長の家実相哲学に精通しておられて
誠実です。

こんな言葉をかけてもいいのかしらと思われる程の
立派な方ですね。
 
本当にありがとうございます。
いつもとても感謝しております。

3465神の子さん:2013/12/13(金) 09:15:03 ID:S24xM2hI
>>3459

>お前と総裁だけだ!
>そんな風に聞いているのは! ボケ!
>いい加減にしろ!
-----------------------
こういう言い方こそ生長の家人として恥ずかしくないですか?
み教えより人間の最低限の基本を学んで下さい。

3466トキ:2013/12/13(金) 09:43:08 ID:8hY2dlTw
ユタカ様、いつもご投稿ありがとうございます。
曳馬野様へ異論がある場合は、罵倒ではなくて、
冷静な反論をお願いします。

 他の方々にも感謝と敬意を込めてコメントをのちほどさせていただきます。
いつも素晴らしいご投稿、ありがとうございます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3467ユタカ:2013/12/13(金) 22:28:12 ID:/B6zFSOc
>>こういう言い方こそ生長の家人として恥ずかしくないですか?
み教えより人間の最低限の基本を学んで下さい。

この言葉をそっくり総裁に持って行け〜〜〜〜〜〜。

トキさん、罵倒しか出来ません!!!!

3469トキ:2013/12/13(金) 23:07:11 ID:fXLZteoA
いやいや、復興G様の言われる通り、切磋琢磨の丁度よい機会です。本当に、曳馬野様には
感謝、感謝ですよ。最近は、総裁援護をするのは難しくてネットでも援護論はすっかりと
少数派になってしまっていますが、その中で堂々と援護論を書かれるのは偉いです。

 しかし、なかなか曳馬野様の言う通りに生活するのは難しいでしょう。

 少し話しはずれますが、数年前に愛犬家の資産運用のプロの人が殺害されました。報道によれば、
加害者の依頼先だった被害者が、大事な客である加害者との約束よりも愛犬の用事に出かける事に腹を立てて
「オレと犬とどちらが大事なんだ」と詰め寄ったら、被害者が「犬です」と返答したのが事件の経過
だとありました。勿論、だからと言って殺人などとんでもないのですが、普通の人間にとって、やはり
優先順位は人間なのです。

 それを無理に人間以外のものを優先すると、おかしな具合になると思います。

 昔、徳川綱吉という将軍様は、動物を可愛がれという僧侶の進言に従い、生類憐れみの令
なるものを出しました。この動機は宗教的に純粋でしたが、天下の国民は全て難儀しました。

 理念や理想は大事ですが、現実に生きて居る人間は、やはり生活があります。谷口雅春先生
は「真理は生活の中にあり」と言われました。私も生活と乖離した信仰は息苦しくなるので
嫌いです。

 特定の宗教家にしかできない生活ではなく、ごく普通の市民でもできる信仰のあり方が
大事だと思います。人間至上主義は間違いかもしれませんが、人間否定主義のほうがどうも
恐ろしいかと感じてしまいます。生きている人間にとって、優先順位はやはり人間なのです。

 それが信仰が進化すると、自然と人間以外のものも同じ存在に感じられます。それは素晴らしい
事です。でも、無理に強制すると、おかしな事になると思っています。

 自然を大事にするのを否定するのではないです。が、優先順位は考えるべきだと思います。

 うちも軒先に蜂が巣を作っています。でも、刺しませんし、こちらもいじめません。朝起きて
蜂の巣の前を通る時には、挨拶をします。先日、アクビをした時に、手を伸ばしたら、何かと
ぶつかりました。見ると蜂でしたが、別に刺しませんでした。

 小さな事ですが、人間から始める事が大事かと思っています。

 ということで、私の与太話はこのあたりで終わります。

3470復興G:2013/12/14(土) 09:44:46 ID:AB6RqYXc

トキ様

面白い “与太話” 、ありがとうございました。

「肉体人間至上主義」 はいけない。

「神の子人間至上主義」 に立ち還ろう、ということで精進したいと思います。

ありがとうございます。

3471ユタカ:2013/12/14(土) 09:50:26 ID:R1D4Jmeg
罵倒してどうもすみません。

誤解しないよう言いますが、総裁や曳馬野に死んで欲しいと思っていません。
怒りの感情を感謝に変えたいと 修行中のユタカですが、教団破壊の現況に一人一人が立っていかなければいけない状況に、

曳馬野が出てきて、生長の家と似て異なる持論を展開して人を惑わせる危険人物でこの人が総裁と組んで教団を破壊した

人物だと心のどこかで思っているのです。 こういう人が出てきても復興Gさまのようにさらに、天へと上って行く生き方、捕らえ方こそ
菩薩の道を行く人とまた勉強させて頂きました!!!


トキさん、これでどう!???気分よく書いた。

いい湯だな・・ハハン!

3472復興G:2013/12/14(土) 10:03:46 ID:AB6RqYXc

遅くなりましたが、

>>3463 :神の子さん様

ご声援 ありがとうございます。


>>3464:rei さま

過分のおほめ、ありがとうございます。

でも、私は まだまだこれから の未熟者ですよ。

だから、希望があります。

悟りきった人間は、もうこの世に必要なくなるんじゃないかしら。

「まだまだこれから」 だからこそ、楽しみがあります。うれしいですね。

ありがとうございます!

3474復興G:2013/12/14(土) 10:14:22 ID:AB6RqYXc


>>3471 :ユタカさん

>> 怒りの感情を感謝に変えたいと 修行中のユタカです <<

――あなたも、一所懸命修行中なのですね。

希望がもてます。すばらしいです、ありがとうございます!

3476復興G:2013/12/14(土) 12:43:08 ID:AB6RqYXc

 童謡 「ぞうさん」 の作詞者で104歳になった まど・みちお さんが、白寿(99歳)のときの作品に、次のような詩(うた)があります。ちょっと出てきたので、ご紹介します。

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<まど・みちお作品集(白寿記念)> より

   とうさん (「ぞうさん」 のかえうた)

とうさん
とうさん
おはなが ぺちゃんこね
そうよ
かあさんも
ぺちゃんこよ

とうさん
とうさん
だれが すきなの
あのね
かあさんが
すきなのよ


   ふたあつ

ふたあつ ふたあつ
なんでしょね
おめめが 一 二
ふたつでしょ
おみみも ほら ね
ふたつでしょ

ふたあつ ふたあつ
まだ あって
おててが 一 二
ふたつでしょ
あんよも ほら ね
ふたつでしょ

まだ まだ いいもの
なんでしょ ね
まあるい あれよ
かあさんの
おっぱい ほら ね
ふたつでしょ


   一ねんせいに なったら

一ねんせいに なったら
一ねんせいに なったら
ともだち ひゃくにん できるかな
ひゃくにんで たべたいな
ふじさんの うえで おにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと

一ねんせいに なったら
一ねんせいに なったら
ともだち ひゃくにん できるかな
ひゃくにんで わらいたい
せかいじゅうを ふるわせて
わっはは わっはは わっはっは

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ――百歳になっても、幼児の心を持ちつづけている まどさんはすばらしい。

 私も、そうありたいです。

<つづく>

3477復興G:2013/12/14(土) 12:44:16 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 『生長の家』 創刊号に、次のような詩が載っています。

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  生長のお家は
  日当りが好い、
  お庭がひろくて
  藤の棚があります。

  生長のお家に
  ブランコが出来ました
  多勢の子供が来て
  さわいでよろこびます。

  大人も子供も
  生長のお家に来る人たちは
  みんな一しよに
  伸び伸びと生長します。

  生長のお家で
  私たちは生長の火をとぼします
  人類の魂を燃やす火です。

  私は自分の火が
  大きいか小さいか知りません。
  だけど小さな火でも
  大きな蝋燭(ローソク)に火を点(つ)けることが出来ます。

  私の生長の火よりも
  大きな蝋燭も集つて下さい
  何百何千の大廈高楼(たいかこうろう)が
  小さな燐寸(マッチ)の火でやけるかも知れません。
  私はそれを期待してゐるのです

  火がつかなければ
  何度でも燐寸を擦(す)ります。
  燐寸がなくなるまで私は
  人間の魂に火をつけて見たいと
  思つてゐるのです。

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ――こういう 「生長のお家」 を、復興しましょう。

3478ユタカ:2013/12/14(土) 20:44:49 ID:R1D4Jmeg
 >――こういう 「生長のお家」 を、復興しましょう。

復興Gさま

そういう「生長のお家」を復興しましょう。 

素敵ですねーーー。大賛成!!です。 これから明るい希望がもてますね。

復興Gさまにどこかチャーミングな所を感じていたのは上記の童謡の心を大切にしているからなのですね。
うん。。。納得、納得。。。。

復興Gさま、ありがとうございます!

3479ユタカ:2013/12/14(土) 21:40:11 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

「神の世嗣を完うする祈り」 を有難うございました。おお!素晴らしい!!
タイミング的にピッタリ! 繰り返し噛み締めて読みたいと思います。
何か嬉しくて有難いです。

3480ユタカ:2013/12/14(土) 21:42:18 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

私のお礼の言葉がタイミング遅くてすみません。今読んできました。

3481トキ:2013/12/14(土) 22:26:26 ID:RV0mIozw
>>3477

復興G様

 すばらしい詩を紹介して下さり、ありがとうございます。

復興G様の前でこんな事を言うのは釈迦に説法ですが、古い先達の方々から
聞いた生長の家は、この詩の通りだったと記憶しています。いつのまにか、
「あれもしてください」「これもしましょう」というものが増えて、最初
の理想が見えなくなったような気がします。

 一人一人が、この詩の精神を大事にすることが、必要だと感じます。

 実に素晴らしい詩です。感激しました。

3482復興G:2013/12/16(月) 10:32:27 ID:AB6RqYXc

>>3481 :トキ様

共感して頂いて、ありがとうございます。

昨日は朝から夜まで行事があって、失礼しました。


>>3479 でユタカさまがa hopeさまにお礼を言ってられるのは、
>>3381の「神の世嗣を完うする祈り」ですね。

私も、この祈りはタイミング的にもぴったりで、うれしく、プリントアウトして、何度も繰り返し念じています。

これは、
>>3128でユタカさまが言われた 『光のある内に』 の
<< 人間は本来神の子であって、神の世継として、神の全財産をゆずられている。 神の全財産とは全宇宙のことです。
 全宇宙のすべての宝が自分の中にあるんですから、これ以上、何も外に求めることはない。みんな自分のうちのある。
 ですから人間はただ喜ぶことしかないんです。
 ただ与えることしかないんです。
 だから私たちは本来喜びの歌をうたうしかないんですね。
 そして喜びの歌を歌えば、どんどん喜ぶべき世界が展開してくるんです。>>

ということとも繋がりますね。

ありがとうございます!

3483復興G:2013/12/16(月) 10:41:09 ID:AB6RqYXc

<再掲>

   「神の世嗣(よつぎ)を完(まっと)うする祈り」

わたしは今 〝神の子〝 であることを悟ったのである。
神はわが父であり給い、私たち人間を神の世嗣として地上に顕現せしめ給い、
神の御心を地上に実現するための 〝神の子〝 として地上天国建設の使命を授け給うたのである。
この大使命を自覚するまでの私たちは、いわば 〝漂浪(さすらい)の子〝 〝放蕩息子〝 とも譬(たと)うべきものであったのである。
しかし今はもう私は 〝漂浪(さすらい)の子〝 でも 〝放蕩息子〝でもないのである。
わたしは今、父の御許に立還(たちかえ)ったのである。
父はわたしが郷里に還ったことを悦びたまうて、父のもち給える一切の善きもの、
美しきもの、悦ばしきもの、楽しきものを与え給い、私を神の世嗣とし給うのである。
神の大いなる清く健やかなる生命の流れが滔々として、今わが内に流れつつあるのである。
それゆえに、私は今、無限に健やかであり、溢るるばかりの生命の豊かな躍動を内に感じ、
地上天国建設のために、
私に割当てられたる仕事にいそしむことができるのである。

私は今、ゆるされて神の世嗣となったのであるから、神の明らかなる智慧は常に神の御蔵あ(みくら)より私に流れ入って、
何時(いつ)、如何(いか)になすことが、繁栄の道に叶い、健康の道に叶い、人類の福祉の道となり、
地上天国建設に役立つ道であるかを明らかに知ることができるのである。
わたしの努力することは必ず実を結び、わたしの計画することは必ず善き協力者を得て、成就することは明らかなのである。

わたしは今、神の世嗣として、わが内部に神の大生命が還流し、素晴らしい生命の輝きを発揮していることを自覚するのである。
それゆえに私は常に心明るく楽しく愉快で、光明の雰囲気を身辺に放散しているのである。
したがって、私の身辺にきたる人々は、ことごとく明るくなり、楽しくなり、愉快となり、幸福となるのである。
したがって、私は多くの良き協力者を得、共鳴者を得、いよいよ益々繁栄せざるを得ないのである。

わたしは今、自分がまことにも神の世嗣であることを自覚したのである。
今、ここに、私の体に神が満ちていますのである。
永遠の生命、永遠に疲れず、老いず、病まず、働きてやまざる生命、
――これが神の生命であり、私の生命であるのである。
その生命の貴(とうと)さを自覚するとき、わが生命はその高貴さを現実に発揮するのである。
その生命の貴さを自覚して行動するとき、神が現実に、この 〝私〝 を通して顕れ給い、
奇蹟と見ゆるごとき大業をもやすやすと成就することができるのである。
人間が神の世嗣であるということは、人間は自己を通して神の一切の善徳がこの世に実現する機関であるということである。
自覚せよ、自覚せよ。
〝私は 〝神の子〝 であり、神の世嗣であり、神の最高の自己実現であることを。
ありがとうございます。

3484a hope:2013/12/16(月) 22:34:33 ID:/9IAdiFk
>>3479 >>3480 ユタカさま >>3482 3483 復興Gさま

わたしが、今月のweb誌友会の開会の祈りとして謹写させていただいた「神の世嗣を完うする祈り」を、
褒めていただきありがとうございます。

わたしは、「生命の實相」から「生長の家の教え」に入りました。
そして、すぐに「生長の家」の信徒になりましたが1年程で退会したので、
ここに書き込みを始めた当初は、信徒必携と言われている「聖光録」や「真理の吟唱」の存在を知りませんでした。

掲示板でお話をさせていただいているうちに、「聖光録」はももんがさまから教えていただき、
「真理の吟唱」はユタカさまに教えていただいたのでした。

掲示板の世界って現実と夢が混然としているような不思議な世界ですが、
そんな世界の中で 「生長の家」の新入生 a hopeはみなさまからたくさん学ばせていただき、
たくさん生長させていただきました。

わたしは今、この掲示板でお知り合いになれた一人一人の方々に心から感謝しています。合掌。



ところで、せっかくの機会ですので、今まで聞いてみたかったことをみなさまに質問させていただきます。
教団信徒であった期間が短いわたしは、実は、生長の家の「愛行」についてよく知らないのです。

「愛行」とは、愛を行ずると書きますから、現在のわたしの生活では「和顔愛語」を心がけ、
常に相手の実相を観るようにしています。

ですが、信徒だったころは「生長の家」の「愛行」というと、普及誌を配ったり講演会へお誘いしたりすることのように思っていたのです。
だから、正直に言えば、「愛行」という言葉にあまりいいイメージをもっていませんでした。

「生長の家」の「愛行」とは本当にはどういうことをすることなのでしょうか?

復興Gさま、トキさま、ユタカさま、曳馬野さま、あさひさま、reiさま、
(最近このweb誌友会板に書き込みされている方々の名前をあげさせていただきました)
そして、その他のみなさまにもぜひ、うかがいたいです。

みなさまは、どのような「愛行」をされていますか?

「生長の家」の「愛行」について教えていただけるとうれしいです。

3485rei:2013/12/17(火) 08:19:46 ID:ZIftZ1jM
おはようございます

a hopeさま
小さな私の名前も載せていただいたのでお答えします

愛行とは私も最初はあなたのように考えていた時期もありましたが
だんだんと発展して来て
自分以外の他(本当は自分自身なんだろうけれども)に対して
どんな小さなことでもいいから深切を与えることだと思って行動する様に努めています
具体的には
自分の利益を度外視して相手の為に尽くすことだと思っています
それが時には
祈りであり、電話であり、悩みを聞いてあげることであり、一緒の時間を過ごすことであり
本をあげたり、誌友会にお誘いしたり、真理はこうだよとそれとなくお伝えしたり
時には
人知れず見えない所で動いたり、自分の体験を語ってあげたり、写経をあげたり
そして時には
あなたは一人で歩けるよと云って黙って去るとか‥‥

どうすることが「愛」なのか必死で考えています
一人一人の顔が違う様に愛行も相手にあわせて千差万別

匿名で真理をお伝えくださる復興G様などは本当に素晴らしい愛行をなさっておられ
と尊敬させて頂いております。
またこの掲示板を開設して皆様に「場」を提供されおられるトキ様も
御自分の利益など考えておられないと思います。
素晴らしい愛行だと思います。
それは、お二人共、目に見えない大勢の生長の家の信徒へ向けてのの「愛」を発信されているのだと
私は思っています。

愛行に関しては、私は「信仰の活人剣」をバイブルにしています。

3486復興G:2013/12/17(火) 15:09:19 ID:AB6RqYXc

>>3484 :a hope さま。

生長の家で 「愛行」 と言えば、「神誌」 と言われた『生長の家』 の月刊誌をたくさんとって人々に配ること、とほとんど同義語に使われていた時代もありました。それは、振り返って見ますと――

『生長の家』 創刊号の目次ページの裏に、

「吾れを伸ばすものは、
絶えず與へてゐると云ふ感じ、
紹えず人から喜ばれてゐると云ふ感じ、
與へる歓びは自己擴大の感じ、
自己の愛が次第に擴がる感じ、
この感じのうちに生命は伸びて行く。」

とあり、その前、表紙の裏面には


<< 『生長の家』 は讀み捨てにするやうな雑誌ではありません。どんなに此れが好い雑誌であるかは讀んで御覧になれば判ります。

讀みガラを捨てないで常に座右に置いて下さい。そして心に暗い影がさして來たら本誌のどの一頁でも宜しいから、開いてお讀み下さい。あなたの心がそれはそれは輕くなります。暗い人生観が明るい人生観にかはります。

これを病人に贈れば實に好い慰めともなり見舞ひともなります。私の書いたものは唯讀むだけでも元氣が出て病氣が輕減することが度々あるさうです。
愛息や愛弟妹に讀ませて頂けば、在來の消極的教育とはちがつた溌刺たる積極的精神が培はれます。

『生長の家』 は一つの家庭に是非一冊はなくてならない雑誌です。日本國中の家庭が此の雑誌をとつて呉れれば日本國中の家庭が榮えます。争ひの絶えなかつた家庭が平和の家となり、悲しみの家が喜びの家となり、病人の絶えなかつた家庭が健康の家となり、何事も不如意であつた家が 『生長の家』 となります。

私は日本國中の家庭を樂しい 『生長の家』 とするために全精力と全資金とを此の事業に献げます。

日本を愛する人々よ、知人に此の雑誌を紹介して下さい。屹度その知人がお喜びになります。此の人なら讀んで喜んで呉れさうなと思はれる知人があつたら其の人の住所氏名を發行所まで御知らせ下さい。幾部でも見本誌をお送りします。(生長の家發送部より)>>


 とあります。そして、「『生長の家』出現の精神とその事業」 と題する冒頭の言には、

<<自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。起たざるを得なくなつたのである。友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。…(中略)…自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照さずにはおかないだらう。此の火は天上から天降つた生長の火である。火だ! 自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を點ずる。生長の火を彼に移す。自分は今覚悟して起ち上つた。見よ! 自分の身體が燃え盡すまで、蝋燭のやうにみづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。>>

 と、述べられています。

 そうして、谷口雅春先生ご自身が会社勤めをしながら身銭を切って 『生長の家』 誌一千部をつくり、最初は知人などに無料贈呈送付することから、生長の家の運動は始まった。そこで、この先生のお言葉に呼応して起ち上がった生長の家信徒たちは、「愛行」 と言えばこの 「神誌」 の購読者をふやすこと、さらにはこれを自分がお金を出してたくさんとって人々に配ること、とほとんど同義語に使われて、誌友拡大にひたすら邁進していた時代があったわけです。

 「誌友拡大」 こそが日本を救い人類を救うことになるんだ、この運動は神が始められた神様の運動なのだ、私たちは神に選ばれた霊の選士なのだ――そう固く信じてこの運動に熱中するあまり、ややもすれば行き過ぎや無理が生じたこともあったと、いま振り返ってみれば、思われます。

それで、a hope さまが
>>正直に言えば、「愛行」という言葉にあまりいいイメージをもっていませんでした<<
とおっしゃっているのは、「愛行」 は本来、自発的に行うものであり、よろこびの行であったはずだのに、強制される苦行のような状況もあらわれていたのかなあと思います。

<つづきます>

3487復興G:2013/12/17(火) 15:40:59 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

 谷口雅春先生特別御講話 「菩薩、何を為すべきか」 と題されたカセットテープ(世界聖典普及協会製作頒布)があります。「實相研鑽会」(地方講師・光明実践委員の相互研鑽会) での御結語を収録したものです。

その第1話は 「伝道とは愛の実践」、
第2話は 「上求菩提と下化衆生」

 という題で、実に素晴らしい御講話だと思います。その要点を、これから録音を聴き直して筆記し、お伝えしたいと思います。時間がかかりますので、しばらくお待ち下さい。

3488ユタカ:2013/12/17(火) 17:58:18 ID:R1D4Jmeg
「生長の家」の「愛行」とは本当にはどういうことをすることなのでしょうか?

a hopeさま

今から復興Gさまがお答えくださいますが、ユタカは?と聞かれたので。。。
ここのみんなは笑うでしょうが・・ユタカの思う「生長の家の愛行」は

今おかれた場で、生命の実相でこれいいなと学んだ事を「実践」することかな。
実践しようと心がけながら、「七転び八起き」でも前進することかな〜。

職場で学校で、いつも「神様に護られているから大丈夫。」って四六時中言っています。
そして「神様っているの?」などと話が進んだら、谷口雅春先生の御本を差し上げています。

先日は、倒産した会社の社長に「光のある内に」のここで勉強した「あなたの中にすべてがある」と言うところの文章のコピーとともに沢山励まして、雅春先生の御本を差し上げました。
次は、クリスマスに「青年の書」をあの人とこの人にプレゼントする予定です。

以上がユタカさんなりの愛行です。みんなは具体的にどんな愛行をしているんだろうな?








3489復興G:2013/12/17(火) 20:50:00 ID:AB6RqYXc

>>3486のつづきです。

 谷口雅春先生特別御講話 「菩薩、何を為すべきか」 と題されたカセットテープ(「實相研鑽会」 での御結語を収録したもの。世界聖典普及協会製作)の第1話 「伝道とは愛の実践」 を再生筆写させていただきます。「愛行」 とは何かについて、たいへん深いお話がありますので、ここに、連続して謹掲させていただきます。

(この實相研鑽会は、昭和54年頃に行われたものと思われ、『實相研鑽』 の本には収録されていません)

 最初に、先生はテキスト 『信仰の活人剣』 68ページから 「仏の使命」 というところを朗読されます。以下のご文章です。(≪ ≫ の中はテキストのご文章)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

≪ 仏の使命 (『生命の實相』 第39巻より)

 仏のなすべきことは何であるかというと、説法ということであります。

 そう言うとおかしく聞こえますけれども、「すべてのもの言によってつくらる、言葉は神なり」 というキリスト教的立場からしましてもそうなのであります。≫

 つまり、神様がコトバを出されるということは、一切の天地のものをお創造(つく)りになるということになるんですね。

≪仏教でも釈迦は 『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』 の説法を終わると、「如来(にょらい)の応(まさ)に作(な)すべき所の者は皆已(すで)に之(これ)を作(な)せり」 と言われました。≫

 仏の使命というものは、説法をするということである。

 成仏(じょうぶつ)するというのも、「成仏」 の 「成(じょう)」 は 「なる」 (成る=鳴る) である。

 仏の実相が鳴りひびくときに、本当に 「成仏した」 ということになるわけですね。

 あるいは 『法華経』 の中に、
 「大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)は十劫(こう)の間道場に坐っておられたけれども成仏しなかった」
と書いてあるけれども、それは説法をしなかったからですね。成り(鳴り)ひびかなかったからです。鳴りひびくということが大切であるわけです。

 華厳経には、毘盧遮那(ビルシャナ)如来が衆海(しゅうかい=もろもろの世界海)の中で、「正法(しょうぼう)を演説し給う」 と書いてある。

 「正法」 とは正しい真理の法(コトバ)です。真理のコトバを説法するのが、如来の、盧舎那(ルシャナ)仏の愛行であったわけです。

 僕も、毎日神想観をして――神想観というのは、これ、説法でありますよ。心の中で説法をする。

 「われ今、五官の世界を去って実相の世界に入る。
 ああ、美(うる)わしきかな、此の世界よ。
 神の無限の智慧に満たされてあるかな。
 神の無限の愛に満たされてあるかな。
 神の無限の生命に満たされてあるかな。
 神の無限の供給に満たされてあるかな。
 神の無限の調和に満たされてあるかな。
 神の無限の喜びに満たされてあるかな。
 ………」

 ――これはですね、まことに正法を説法している。

 実際に実在しているところの真理を、コトバに表現して、それを伝えるんですね。

 その説法が、アフリカのガーナ国まで行くわけですよ。本当ですよ。(拍手)
<つづく>

3490復興G:2013/12/17(火) 22:52:02 ID:AB6RqYXc

< >>3489のつづき>

 この真理の説法――本当の愛行というものは、雑誌をね、配るだけじゃないんですね。

 雑誌を配るのでもね、幹部の人からこうして割り当てられたから、めんどうくさいけれども、なんとかして配らんならんなと思って、つぶやきながら、つらい、つらいと思いながら郵便箱へ放り込んだりしておったらですね、それは伝道にはならんですね。

 本当に、雑誌を配るんだったら、「愛」 行と言われている、「愛」 を持たないといかん。つらいなあ、なんて思ったらいかんので、自分の、この雑誌一冊が、これを受けとる人が、本当に真理をさとって救われますように、実相が顕われますように。自分は天の使いとして、こうして真理のコトバを配らしていただいているんだ。ああ、ありがたい。「どうぞ、この真理の言葉を受けとってください」 という愛念があって配らなければですね、ただ単につらい行である、責任だけ果たさんならん、なんていうのでは、本当に真理の説法にならないというわけなんですね。

 この 『信仰の活人剣』 の中に、さっきちょっと開いたら、
 「願なき行は魔である」
 という言葉が書いてありましたがね。

 「願」 というのは、如来の本願、四十八願というのがありますがね、あれは何かというと、愛の念願です。それには、「こうしたい」 という一つの理想が含まれている。愛の理想が。

 「すべての人類が救われるまでは、私は仏にならん」

 という法蔵菩薩のすばらしい理想と愛というものが、あの四十八願の中にあってですね、それではじめて阿弥陀如来として法蔵菩薩が成仏せられた。

 われわれが伝道するのは、やっぱり、それでなければならにですね。理想がなければならない。愛がなければならない。………

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――まだまだ続きますが、テープ起こし謹写は一応ここまでにさせて頂きます。

>>3489で、神想観も説法である、すなわち愛行である、というのは、本当にうれしくなりますね。

 バンザーイ! です。

 愛行は、たとえ何も持っていなくても、あらゆるところで愛行は出来る。電車に乗って、乗り合わせているすべての乗客がみな神に生かされている神の子でいらっしゃると観じ、招神歌を心に念じて、第一首の

  「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ) 元津霊(もとつみたま)ゆ幸(さきは)え給え」 

 というとき、その意味は

≪ 「元津霊(もとつみたま)ゆ」 は 「元のみたまより」 「大生命より」 という意味。「幸え」 は、われらの幸福は自分の力で得られるものではなく、大生命から、「割(さ)きはえ」 されることによって得られる。「割き」 は 「分ち与える」 の意、「はえ」 は 「延(は)える」 すなわち 「根から末へ出て来る」 ことを言うので 「神」 という大根底から神の子なるわれらに霊を与えられることをいう。霊を与えられればわれらの霊は殖える。これを 「恩頼(みたまのふゆ)」 とも 「霊のたまもの」 とも言い、「霊のたまもの」 が殖えればわれわれはズンズン生長し幸福になれる≫(『生命の實相』第8巻「観行篇」)

 ということでありますが、その 「幸え」 が、「自分に」 ではなく、「電車の乗客すべてに」 と念じます。

  「吾が生くるは吾が力ならず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)。
  吾が業(わざ)は吾が為すにあらず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)。」

 というときも、「吾が」 というのは 「自分」 ではなく、乗客すべてが自分の力で生きていらっしゃるのではない、神の力で生かされていらっしゃる神の子にまします、と拝む気持で念じさせていただきます。

  「天地(あめつち)の祖神(みおや)の道を伝えんと顕(あ)れましし 生長の家の大神まもりませ」

 も、「乗客すべてを 生長の家の大神 守り給え」 「乗客すべてが生長の家大神に守られて、今すばらしく幸福でいらっしゃるのである」 と念じます。

 こういうことも、すばらしい愛行ではないかと思っています。

 まだまだ書きたいことがありますが、あとはまた明日にさせていただきます。

3491a hope:2013/12/18(水) 00:30:32 ID:/9IAdiFk

>>3485 rei さま

お返事くださり、ありがとうございます。
<<(愛行)とは自分の利益を度外視して相手の為に尽くすことだと思っています>>
というお返事、わたしはとても納得がいきました。
それはきっと、「無償の愛」または「アガペー」といって「神の愛」と同意義なのではないかと思います。

そう考えると、招神歌に、
『わが業(わざ)はわが為すにあらず天地(あめつち)を 貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)。』
という節がありますが、まさに「生長の家」の「愛行」は神の業によって行われるものだと言えないでしょうか?

また、具体的にも色々と教えてくださりありがとうございます。

<<どうすることが「愛」なのか必死で考えています
一人一人の顔が違う様に愛行も相手にあわせて千差万別>>

reiさまは常に相手にとって最善のことをしてさしあげようと努力されているのですね。
きっと、reiさまの心のこもった「愛行」にたくさんの方々が救われているのだと思います。

そして、ご紹介の「信仰の活人剣」に関しては、楠本加美野先生の「伝道物語」のまえがきに、
「本書は『信仰の活人剣』の実証篇とも言える。『信仰の活人剣』と併用され、日本国の実相顕現のために役立てることができますよう希(ねが)ってやまない。」
とあったので、以前購入してあって、現在手元にあります。
復興Gさまのお話のなかにも出てきていますから、どうやら、「生長の家」の愛行を理解するにはぴったりのテキストのようですね。
さっそく拝読してみます。

また、復興Gさまやトキさまの「愛行」に関しては、完全同意させていただきます。
わたしも、お二人のことは心から尊敬させていただいています。

rei さま、素晴らしいお返事をありがとうございました。合掌。

3492a hope:2013/12/18(水) 00:34:49 ID:/9IAdiFk

>>3488ユタカさま

<<今おかれた場で、生命の実相でこれいいなと学んだ事を「実践」することかな。
実践しようと心がけながら、「七転び八起き」でも前進することかな〜。>>

とありますが、ユタカさまもrei さま同様、[試行錯誤をされながら、具体的な形で実践されているのですね。
素晴らしいですね!

また、
<<職場で学校で、いつも「神様に護られているから大丈夫。」って四六時中言っています。>>
とありますが、実は、この「神様に護られているから大丈夫。」という言葉には、わたしも以前救われたことがあるのです。

4年くらい前ですが信徒だった時に、娘の一人のことでちょっと心配事があったときに、
年配の講師の先生が「娘さんは『神さまが護って下さっているんだ』、と思っていれば大丈夫ですよ」と、
本当にさりげなく、それが当たり前のことのように声をかけてくださったのです。
それまで、「自分の祈りの力で何とかしよう」と力んでいた自分の肩の荷がふっと下りて、
「あーそうなんだ、大丈夫なんだ」って、とても楽な気持ちになったのです。

そのお言葉は今でもわたしの心にしっかり残っていて、子どもたちのことで、
心配なことが起こるたびに(頻発してますが・・・)思い出し、心を落ち着けています。

今気づきましたが、その講師の先生のお言葉こそ、わたしにとって「神の言葉」であったのですね。
だって、その講師の先生の何気ない「愛行」による一言で、わたしは今でも救われ続けているのですから・・・。
だから、ユタカさまもきっと周りの方々をたくさん救われているのではないでしょうか?
わたしも、「神様に護られているから大丈夫。」このおまじないのコトバ、これから使ってみようと思います。
だって、自分が救われたのですから、お返ししないとね!

ユタカさまのお返事で、とても大切なことに気づかせていただきました。
ありがとうございます。合掌。

3493a hope:2013/12/18(水) 00:47:00 ID:/9IAdiFk

>>3486 〜復興Gさま

<<生長の家で 「愛行」 と言えば、「神誌」 と言われた『生長の家』 の月刊誌をたくさんとって人々に配ること、とほとんど同義語に使われていた時代もありました。>>

やはり、そういう時代が実際にあったのですね。

その名残のような形で、今でも「愛行」という言葉がそのような意味でつかわれていることがあるのではないでしょうか?

ですが、みなさまのお返事を拝見していると、どうやら「生長の家」の「愛行」はそういう意味ではないということがわかってきました。

また、貴重な谷口雅春先生の御講話のテープを再生謹写してくださり、心から感謝いたします。
本当に素晴らしい内容ですね。
「信仰の活人剣」の内容も拝見しながら、これからじっくりお勉強させていただきます。

感謝 合掌。

3494rei:2013/12/18(水) 08:34:20 ID:ZIftZ1jM
おはようございます

a hopeさま
素直な表現をされるあなたも素晴らしいなと思い、いつも読ませて頂いています。

復興Gさま
いつも本当に有り難うございます。
勉強させて頂いております。

ユタカさま
この前は曵馬野さまに対して熱くなっておられてちょっとビックリしましたが、
似た思いは感じていました。

みなさまいつも本当にありがとうございます。

3495ユタカ:2013/12/18(水) 22:05:46 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

大変な作業をそのようにお急ぎになってなさらないで下さいね。

テープを訊けさんに送ってみんなで聞くっていう方法なども考えられますよ。

復興Gさまが疲れたら悲しいです、ゆっくり作業してください。

reiさま、
ありがとうございます。愛行の事、完璧!と思ってしまいました。 本部の先生のようですねカッコイイ!
曳馬野さんのいう事は総裁の思想とそっくりですが、生長の家の御教えとは程遠いように思いました。
難解なことさえ言えば周りが黙ると思っているのでは無いのかと思うと熱くなります。

3496ユタカ:2013/12/18(水) 22:11:47 ID:R1D4Jmeg
難しい事を優しく分かり易く伝える方が難しい。

新しい事をやることは自由で派手で楽しい、それより、伝統を受け継いで行く方が、地味で苦しい。

3497復興G:2013/12/18(水) 22:34:03 ID:AB6RqYXc

ユタカさま

ありがとうございます。

ゆっくりやります。

谷口雅春先生の特別御講話を聴き直して、深く感に打たれています。

これで行かなくてはと、肝に銘じつつテープ起こし・PC打ち込みも、ゆっくりさせてもらいます。

そして、思うところもたくさんあります。

年内に、まとめの仕上げをしたいと思います。

合掌

3498rei:2013/12/19(木) 08:13:15 ID:ZIftZ1jM
おはようございます

ユタカさま
ちょっと私を褒めすぎ?のような気もします。
できてない部分は言ってないだけです‥‥。

でも、曵馬野さまに対しては昨日のような優しい言葉を使ってもらうと
私はありがたいです。

合掌

3499ユタカ:2013/12/19(木) 08:19:15 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

そうですか!分かりました、室内を暖かくして湿度も保って、ゆっくりなさって下さいね。

いつも有難うございます。 ユタカは今日も元気に仕事にいってきま〜す!^^

みなさん、有難うございます、今日も元気一杯、無限力で生き生きやりましょう! イェーイ!生長のイェーイ!(バカ?


3500ユタカ:2013/12/19(木) 08:20:40 ID:R1D4Jmeg
>3498

絶対 嫌だ! 大嫌い!

3501ユタカ:2013/12/19(木) 08:22:03 ID:R1D4Jmeg
あ、間違えた、感謝できたら

優しくなれると思います。

では、もう遅刻しそう!

3502ユタカ:2013/12/20(金) 00:23:54 ID:R1D4Jmeg
>また雅宣先生が皆さんの云うような人であるとするならば、そのような人しか育てられなかった清超先生は師と呼ぶに値しないと云わなくてはなりません、

そしてそのような清超先生と云う弟子しか育てられなかった雅春先生は師と呼ぶに値しないと云わざるを得ません。つづく

reiさま
曳馬野さんのこの言葉を読みましたか?
私は、60歳のお爺さん(総裁の事)の所業を今更、親や祖さまの責任にしていますよね?

40歳すぎた男の顔は自分の責任だよね。。。。と私は思います。(20歳過ぎたら自分の責任ですね。) 引く馬ノさんの人生の失敗は全て先祖の責任ですか?って聞いたら親が私をこのように生んだからです。と言うのかな??

とにかく大嫌い!!

3503rei:2013/12/20(金) 08:32:10 ID:ZIftZ1jM
ユタカさま
おはようございます

曵馬野さまは生長の家をよく研究していて、
妻と共に熱心に信仰しているなんていうのは嘘だなと思いました。

その指摘だけで良かったのではないですか。

復興Gさまが論破してくださり、逆に私は嬉しかったですね。
曵馬野さまは答える事も出来なかったではありませんか。

生長の家の素晴らしさが、より解った瞬間でした。

ユタカさまのお覚りもとても素晴らしいなあとおもいました。
現生長の家も本流派もみんな雅春先生の生長の家だ!って言われたところ。
分派争いしているんじゃなくて、拡大してるんだよね?
すごいじゃないですか。
枝分かれして伸びていってるんだ。
争っている様に見えるのは間違いで、それぞれが信仰を深めているんだと観るんだって
いうのは「実相を観る」という生長の家の素晴らしさを如実に顕す機会を頂いていて
本当にありがたいことですね。
あなたのお蔭です。
気づかせて頂いて本当に感謝しています。

合掌

3504復興G:2013/12/20(金) 10:55:08 ID:AB6RqYXc

ユタカさま
rei さま

>> ユタカさまのお覚りもとても素晴らしいなあとおもいました。現生長の家も本流派もみんな雅春先生の生長の家だ! って言われたところ。

「分派争いしているんじゃなくて、拡大してるんだよね?」

すごいじゃないですか。

枝分かれして伸びていってるんだ。争っている様に見えるのは間違いで、それぞれが信仰を深めているんだ と観るんだっていうのは。<<

 ――ほんとに、そうですね。

 すばらしい!

 実相世界にすでにある、中心帰一大調和の無限に完全な素晴らしい神の国が、いよいよもっともっと完全に地上に顕れようとしている課程なのだ! すばらしい! ありがたい! と思います。

3505ユタカ:2013/12/20(金) 21:09:27 ID:R1D4Jmeg
>実相世界にすでにある、中心帰一大調和の無限に完全な素晴らしい神の国が、いよいよもっともっと完全に地上に顕れようとしている課程なのだ! すばらしい! ありがたい! と思います。


あ、分かった!

そういう事だったのですね。 良かった! 悪く見えるのは夢で、本当は神の国建設拡大中か!
良かったなぁ、 本当に良かったな〜〜〜。
復興Gさま、reiさま、おじさん、本当に有難うございます。

3506seo thing:2013/12/21(土) 05:16:56 ID:1frP8/Xo
SnQoIN I really liked your article post.Much thanks again. Really Great.

3507神の子さん:2013/12/22(日) 18:01:14 ID:NYUcBHWQ

  >>3503  reiさん

 【復興Gさまが論破してくださり、逆に私は嬉しかったですね。曵馬野さまは答える事も出来なかったではありませんか。】

私は論破されてぐうの音も出ないと云われるのですね。では皆さんにお聞きしましょう。

生長の家では大生命の存在と共に個生命の永遠を信じるものであります、とありますよね(七つの光明宣言の解説の二)。 としますと

神が実在の世界に於いて、個生命として実在の完全なる人間を創造したと云うことになります。

そこで疑問

 現象界、これは霊界も含めた全宇宙という意味ですが、に存在する個生命は有限でありましょうか?

  有限でありますと、生まれ変わりをさんざんして魂の磨きをし、実在そのものの影を映し出すまでの魂に、全個生命が
  成った暁には、何処で(現象的に)生活するのでしょうか?
  (これは逆に言うと実在界で個生命として完全に生きていながら、何故現象界に顕現しなければならないかと云うことでもあります。
  無限のままでは何も表現されないから、との意の説明が巷ではされている。それでは実相世界が美しいものであると云うことは云えない。)

  高級霊は地上を卒業して高級霊界に転生すると云われていますね。地上には霊魂、人間は一人も居なくなる訳でしょう?
  高級霊になると他に転生してしまい、他の天体から低級霊が地上に転生してくる(これは50年頃の理誌に書かれている)
  のであれば、地上天国は如何にして実現できるのですか?
  何故完全な個生命の人間が、低級霊の姿を現じなければならないのですか?
  完全な個生命の実相人間が、何故影とは申せ不完全な姿を現すのでしょうか?
  
  いつの日か実相人間さながらの影を映し出すことが出来ると云うのならば、本来完全であった人間の影が何故不完全に映るようになったのでしょうか?

  
  七つの光明宣言の解説の二には
  
  【吾々が『生命』として顕現れて来たと云う否定できない事実から出発するのでありまして理屈ではないのであります。吾々は事実上生まれてきて
   生長しつつあるのであります。この事実より考えるとき・・・・】 と書かれています

  生長の家の教えは現実の認識から出発しているのではありませんか?
  現実の生活の改善というものが先に有り、あとから実相論が説かれているように見えます。
  
  「人間はこの世界に生まれてきたことはない」と説かれ、念のフィルムを通してそのように観ているだけである、だから病人とみている自分の観念を
  この人は病人でないという思いに替えれば、即健康な人になる、その無病なりとの信念になるのには、それぞれの人に応じて時間は変わるけれども、
  時間は本来関係がない、「吾らが真に実相の中に超入し得る底の神想観の境地に達して病気は無いと念ずれば瞬時の想念がよく完全にあらゆる病気を
  消滅せしめ得べきであるのである」
  と云われているのに何故「雅宣先生が病人である」と云うのならば、悟りを得たと云うような言い方の本流派、また復興Gさんは雅宣先生の病気を
  消滅させることが出来ないのですか?

  「全人類は同一の共通的心をもっていると認めなければならないのであります。その人間共有の一つの心を称して吾々は神とよぶのであります。」
  
  神癒への道p107〜「省略・・時間がありません・・・どなたか書いて下さい」には『それを不完全であり不健康であると観た間違いを懺悔し切り、
  無条件に実相の完全さの前に降伏することなのである」と説かれています。

  復興Gさん、また本流派の指導者の過っての本部講師さん、あなた方が何か現象に対してもの云えば云うほど、神癒への道に説かれている真理に
  私たちは反していますと表明することになるとは思いませんか?
  『それを不完全であり不健康であると観た間違いを懺悔し切り、無条件に実相の完全さの前に降伏することなのである』を実践していると云われますか?
  生長の家を復興するなんて烏滸がましいことだと思いませんか?
  生長の家の真理を真に理解している、また体得しているというのであれば、『神癒への道』を何十辺何百辺と読まれ真理の実践者となること、
  それでこそ復興を名乗り本流を名乗る価値があると思うものであります。

3508曳馬野:2013/12/22(日) 18:02:25 ID:NYUcBHWQ
上は曳馬野です

3509復興G:2013/12/24(火) 21:06:28 ID:AB6RqYXc

曳馬野さん

>>3461で私が質問しました
>>禅では師なり古人の示しを弟子がそうであったと証明して法の継承がされています<<
>>その指し示す先にあるものに辿り着いた人が、禅にはいるが生長の家にいますか<< (<<3455)
と言われる禅の世界での 「証明」 について、具体的に教えて下さい。 <<

の質問に、お答えはいただけないんですか?


さて、皆さま
>>3489>>3490のつづき
<< 谷口雅春先生特別御講話 「菩薩、何を為すべきか」 と題されたカセットテープ(「實相研鑽会」<地方講師・光明実践委員の相互研鑽会> での御結語を収録したもの>>
の続きを拝聴し、本当に素晴らしい御講話だと、深く感に打たれています。
これで行かなくてはと、肝に銘じつつテープ起こし(録音筆写)してお伝えします。

          ○

 谷口雅春先生特別御講話

  「伝道とは愛の実践」 つづき

 ――それにはやっぱり、正法(しょうぼう)すなわち真理を知らなければいけない。

 人に深切をすると言っても、真理でない深切をしたら、かえって気の毒なことを起こすかも知れない。物質で深切をする、あの人に何かあげたいと思って、カメラならカメラを、この頃流行の、シャッターをチャッと切れば自動できれいに写るという素晴らしいカメラが出てきたから、あの人にあげたい、と思ってそれをあげたら、それは相手によって、いい具合に使われるかも知れないけれども、あるいはその相手の人が、カメラマニアになっちゃって、仕事も何もほっといて写真ばかりに没頭して――というようなことにならんとも限らんわけでですね。これは相手にふさわしいものを与えなければならない。

 そのためには、やっぱりわれわれが常に神想観をして、宇宙の最高の智慧と一つになって、自分の行うことが神様の智慧によって導かれているということにならなければ、間違いを生ずるおそれがあるですね。

 そこで吾々は、神の智慧と、愛とをいただいて、更に神の生命を、無限の生命を、無量寿の生命を、そのいのちを相手に与えるアンテナになることですね。

 神想観は、宇宙の神様が人類に対して真理を放送し給うところの、自分がアンテナになることですね。自分が真理を伝えるんじゃないんです。だから招神歌には 「わが業はわが為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能」 と示されているのであります。

 自分が神想観をして人を救うんだというのは傲慢な心であって、そうじゃないんです。自分は神様のアンテナになって、神様の真理を増幅する、増幅アンテナになり、さらに神様の無量寿のいのちを全人類に伝えるための放送アンテナであるという素晴らしい自覚をもって、神想観をする。その時に、その神想観が力を発揮して、ブラジルへもアフリカへも、その伝道が通ずるということになる訳なんであります。

 ともかく吾々は、愛と智慧とが伝道にも働かなければならない。利己主義では本当の伝道にはならんのでありまして、<自分よかれ> ではいかんので、<相手よかれ> という心が根本になければ、本当の伝道にならんわけです。
<つづきます>

3510復興G:2013/12/24(火) 21:07:21 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

 宗教は愛である。愛なしに伝道したんではいかん。責任感で伝道しているのではだめです。本当に、これをしなければ国家を救うことはできない、人類を救うことは出来ない、隣人を救うことは出来ない――という愛の権化になって動き出したときにはじめて、伝道が力あるものになるわけです。

 愛は神である。愛なしに伝道したら、神なしに伝道しているのと同じことですね。だから吾々は、まず愛をもって――愛をもって何を与えるか。それは、真理を与える。真理とは何であるか。真理とは、

 「この世界は神の創造り給うた世界である。悪はないのである」 という根本実相、

 「悪はない。病気もない、罪もない、業(ごう)もない。」 この実相を伝える。

 この実相を伝えることによって、迷っている結果あらわれているところの病気も、貧乏も、家庭の不調和も、子供の不良も、何もかも消えてしまって、実相が顕れる。これが根本です。

 その真理を伝えるための愛行。――雑誌を配るのも、神想観をするのも、あるいは街頭で説教をするのも、すべてこの実相円満完全、一切皆善の、神のつくり給うたところの実相世界の素晴らしさをほめたたえ、そしてその素晴らしさを心の眼で見つめて行く。見ればあらわれる。それが神想観の行事でもあるわけです。

 また家庭を訪問して行っても、そのお宅の実相を拝む。既に繁栄しているすがたを、すでに調和しているすがたを、すでに病気がないすがたを、すでに調和しているすがたを、すでに病気がない姿を、拝まして頂いて、そうして 「ごめんください」 と入って行く。そのときにですね、もう一切の悪は消え、抵抗は消え、そしてそこに現れていらっしゃるのはみんな吾々神の子の兄弟であってですね、もう一切の苦悩がない神の子たちが現れてきてくださる。そして神の子が藭の子と対面して、神の子の実相が現れる。これが本当の伝道だと思います。

 その時にはじめて、「仏と仏とのみ能(よ)く真理を究尽(ぐうじん)し給えり」 (唯仏与仏乃能究尽) という境地が現れてきて、もうそこには一切の悪は無い。訪問して行ったお宅が、今まで病人があったとしたら、病気が消える。悩みがあったとしたら、悩みが消える。憂いがあったとしたら、憂いが消える。そしてもうそこに、その人の家庭に、天国浄土が出てくる、ということになるのが、本当の伝道であると、私は思うんです。それで、

「ああ、素晴らしきかな、この実相世界よ。
 神の無限の智慧に満たされている。
 神の無限の愛に満たされている。
 神の無限の生命に満たされている。
 神の無限の供給に満たされている。
 神の無限の喜びに満たされている。
 神の無限の調和に満たされている。
 ………」

――と、その実相を心の眼で見て、ほめたたえ、それを語る。そして目の前にいらっしゃるすべての人を、神の子の如来様であるとして、拝める。ここにはじめて、伝道の最後の成就があるということになると思うのであります。
 今日はこれで終わります。ありがとうございます。

<第一話 「伝道とは愛の実践」 御講話終わり>

3513復興G:2013/12/24(火) 23:07:37 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

 本流対策室の方では、「これにて退場させていただきます、さようなら」 とご挨拶しましたが、こちらweb誌友会板では今月(今年)一杯まで、最後の締めくくりをし、これまで多大なお世話になりました皆さまにきちんとご挨拶をしてから、お別れさせていただくようにいたします。

3514復興G:2013/12/24(火) 23:10:34 ID:AB6RqYXc

>>3484で a hope さまが

>>生長の家の愛行について<<

という課題を出してくださって、とてもいい勉強が出来たとと思います。

 私は、「伝道とは愛の実践」 の谷口雅春先生御講話を拝聴しなおし、「神想観は説法であり、愛行である」 とのお教えを確認し、「これだ!」 と方向付けがはっきりしました。この道で精進して行きます。

 今朝、起きようとする時に、ふと

 「顔を洗って出直して来い」 という言葉が浮かんできました。「人間は皆、神聖受胎した神の子である」 というお教えで、『愛と光との生活』 (谷口雅春法話集8) の中に出てくるお言葉です。

 フランスに、「ルルドの聖泉」 というのがあり、毎年1回巡礼期間というのがあって、その時には何十万人もの人が巡礼して行き、多くの奇跡的な治病などが起きているということですが、それについては、「黄金の薔薇(ばら)」 という谷口雅春先生の詩があります(『生命の讃歌』・『ひかりの語録』 に掲載されている)。

 謹写させていただきましょう。

<つづく>

3515復興G:2013/12/24(火) 23:11:17 ID:AB6RqYXc

       ○

   黄金の薔薇

      (谷口雅春先生著 『生命の讃歌』 より)

黄金の薔薇三輪空中に咲き出でぬ、
黄金は久遠金剛不壊を象徴す。
三輪は知恵と愛と生命なり
それを踏まえて立ち給えるは処女マリヤ!

処女マリヤは純潔を象徴す。
処女こそ全てのものの真(まこと)の母なり。
処女懐妊こそ
肉欲の子にあらず
不染者の受胎なり
久遠人間の受胎なり
聖霊の受胎なり
吾等すべて処女より生る!

「悔改めよ、天国は近づけり」
少女ベルナルドネは眼をあげぬ。
彼女の瞳を強く射るものは
女神マリヤの二の腕の
桃色の膚(はだ)に輝ける処女マリヤの
黄金の十字架!

桃色の美しき腕(ただむき)は
肉体を象徴す。
黄金の十字架のそれに懸(かか)れるは
肉体の久遠抹殺(エターナル・クロス)を象徴す。
「悔改めよ、天国は近づけり」
ふたたび聖声(みこえ)きこえきぬ!

「悔改めよ、天国は近づけり」
みたび聖声(みこえ)のきこえしとき
ベルナルドネは土を掘り
湧き出ずる泥水にて
浅猿(あさま)しき相(すがた)にまで顔漱(すす)ぎぬ。

少女ベルナルドネの顔は
泥にて覆われ、
群衆は叫ぶ
ベルナルドネは狂せりと。

されど、
ペルナルドネは狂せるに非ず
何人も自己の顔には泥を塗るべきなり。
他(ひと)の顔には泥を塗るべからず。

自己の顔に泥を塗るは
旧(ふる)き自己の抹殺なり
旧き自己を抹殺してのみ
我れこそは浄められたる者と言い得ん。

みずから泥を塗りたる顔は
やがて女神、聖少女ベルナルドネとして輝き、
泥水を噴出せしその跡より
滾々(こんこん)として湧き出ずる清水は
是れ万人の罪を浄むる聖泉!

今もなおこの聖泉に浴する者は
すべての難病悉く癒え
跛者(あしなえ)は立ち
盲人(めしい)は眼を開き
聾者は聞え
唖者は物言う。――

これ仏蘭西(フランス)ルールドの奇蹟なり。
現代に今もなおある奇蹟なり。

この奇蹟の根源は
みずからの顔に泥を塗ること!
吾れらすべからく
自分の顔に泥を塗らざるべからず
敢て他(ひと)の顔に泥を塗るべからず!

<つづく>

3516復興G:2013/12/24(火) 23:19:32 ID:AB6RqYXc

<つづき>

<< つづいて、新選谷口雅春法話集8 『愛と光との生活』 第一章より 謹写

 重大なのは、本当のキリストの発見であります。物質に依りて生れないところのキリスト、聖霊の神聖受胎であるところのキリスト、それが自分の中にも宿っている。

 自分の中に光がある。自分の中に罪を贖うところの原理がある。物質に依って生れず肉に依って生れず、永遠に汚れないところの永久の真理なるキリスト――それが自分の生命の生命――本当の自分であって、それが自分の内にある。と言って別にあるのでないのであってそれこそ本当の自分である、我こそは久遠のキリストである、こういう自覚を皆さん自身が有つことが、即ちキリストと一体になることが、これこそ本当のキリストに救われる道であり、本当のキリスト教だと信ずるのであります。

 キリストに救われるということは、他所からキリストが手を出して空中にでも引揚げて呉れるのではないのであります。自分の真に自分なるもの――その本当の存在キリストなるものと一つだということを自覚することが救われであります。

≪ルルドの聖泉について≫

 事の起りを簡単に申しますと、千八百何年かのこと、ベルナデットと称する十七八歳の乙女がルールドの町の郊外を歩いていると、白衣をつけ青い帯を結んで、黄金のばらの花三輪をその素足で空中にふんで立っている神々(こうごう)しいまだうら若い十五六歳にも見えるところの女神に出遇ったのであります。(>>3514 「黄金の薔薇」 ご参照ください)

 その女神は空中からその乙女だけに聴える声でいろいろのことを教えて呉れたそうですが、或る日 『お前は悔い改めよ、悔い改めたら肉体は救われるかどうか知らぬが魂は救われる』 と被仰(おっしゃ)るのです。『その悔い改めのしるしに顔を洗え、ここの土を掘って顔を洗え』 と被仰るのです。

 それから乙女は、そこの土を掘って顔を洗ったのです。土を掘るとそこから噴水が泉となって噴出した。土を掘り立ての時に出た噴水のことですからどろどろの土を噴(ふ)き出して、それで顔を洗ったら顔中泥だらけになった。

 そんな泥だらけの水で顔を洗うものですから、『あれは気が狂った、ベルナデットも可哀想なものだ』と町の人は言って居ったそうですが、やがてその神様が、乙女に 『此処に教会を建てよ。祠(ほこら)を建てよ』 と被仰ったのであります。

 そこで近所の教会に行って牧師さんに、こういう神さまが祠を建てよと言われるから祠を建てたいと言いますと、『一体なんという神様か、神様の名前が分らないでは献堂金の集めようもないから、その神様の名前を聞いて来い』 と言われますので、その神様のところへ往って聴きますと、『我こそは無原罪の受胎である』 こういう長たらしい神名を被仰ったのであります。

 (中略) 聖霊の汚れない妊娠、これは聖母マリアであるというので、ルールドの聖地にはマリアの像を岩壁に彫刻してあるのです。

<つづく>

3517復興G:2013/12/24(火) 23:20:18 ID:AB6RqYXc

<『愛と光との生活』 第一章より 謹写つづき>

 (中略) 人間は始めから罪なきものであります。それなのに、心の迷で塗りつぶして、あの人は病人であって肺臓が空洞になっていると思う。その思いの波動が物質化して医学的に検診して見ても肺臓が空洞になっているように顕れている。実相の肺臓は壊れていはしないけれども、そういう風に現れるのであります。そういう風に吾々の心で塗ったところの、心で色づけしたところの仮りの姿が肉眼に見えている姿であります。

 ですから吾々は肉眼で見える病気の姿を、本当にある、あると思って其の通りに始終心に描いておりましたら、先に描いた絵具が剥げる時分には又新しい絵具で病気の姿を塗っている事になりますから、何時(いつ)まで経ってもその絵具が消えないでいるのであります。

 心で賦彩(ふさい)せるものが現象の姿でありますから、上から塗った病気色の白粉が剥げたら実相の健康な生地が現れるのでありますけれども、夜昼なしに心の思いで 『ああ私は病気だ、病気だ』 と考えまして、『病気、病気』 という絵具を塗って、五官の鏡に映して見ておりますと、常に心の絵具で塗る通りに現れますから病気は決して消えないのであります。華厳経の唯心偈に 『心は工(たくみ)なる画師(えし)の如く種々の五蘊(ごうん)を描く』 と説いてあるのは誠にその通りであります。

 その迷の白粉(おしろい)を塗った顔を洗い浄めるのが空中に現れた 『無原罪』 の神様が 『顔洗え』 と被仰ることだろうと存じます。

 が、だから此の 『顔洗えよ』 『悔い改めよ』 というのはこれこれの日常の行為の一つ一つについてこれを改めるというようなそんな小さい個々別々の問題ではなく、もっと大きな悔い改め、『人間は肉体である』 と考えて居ったその考えをスッカリ悔い改めて、『人間は物質にあらず、肉体に非ず、久遠不滅のいのちである。神聖なる神のいのちがその儘ここに受胎しているのだ、神聖受胎だ』 という、その神聖受胎の悟りにまでクラリと変るのが、本当の悔い改めで、これが顔を洗うことであります。

 『顔を洗って出直して来い』 と俗に申しますが、心の顔を洗い清めて、神聖受胎そのままの顔になって出て来れば、今まで狭いと思っていた世界が広くなり、今まで暗いと思っていた世界が明るくなり、病がなくなり、家庭が調和し、本当に楽しい世界が其処にあらわれて来るのであります。

<以上で 『愛と光との生活』 第一章より 謹写おわり>

3518復興G:2013/12/24(火) 23:26:38 ID:AB6RqYXc

 今夜はこれまでにいたしまして、つづきはまた明日に。

 おやすみなさい。

3519復興G:2013/12/25(水) 11:12:23 ID:AB6RqYXc

 ありがとうございます。

 昨夜謹写掲示させて頂きました 『愛と光との生活』 第一章より 「ルールドの聖泉」 についてのご文章、
>>3516と<<3517の間のご文章を <中略> としていましたが、その部分も大切なところであると思いますので、追加謹写させて頂きます。

 (注。ルールド=ルルド、ベルナルドネ(<<3515)=ベルナデット)

          ○

<< ルールドの聖地にはマリアの像を岩壁に彫刻してあるのですが、『我こそは無原罪の受胎である』 とこう仰しやったところの、その無原罪の受胎が顕現するための、罪を洗うところの象徴としてそこに聖泉が噴き出しているのでありまして、その中に 『罪あると思っている人』 が浸ると、『無原罪の受胎』――『神聖受胎』――人間本来の浄らかなるもの――病なきもの――が現れて病気が忽然と消えてしまうことになるのであろうと思われます。

 これはフランス・ルールドに於ける奇蹟の私の解釈でありますが、その病の治る原理は 『本来罪なきものの受胎』 でありますから、その神聖受胎はなるほど或る程度までこちらの波長が合わなかったら形に現れて来ないのであります。だから昨年ルールドへ行ったけれども治らなかったが今年行ったら ぽかっと一度に治った というようなことも起るのであります。

 ラジオの波長でもそんなものであります。波長を合わすと徐々に聴えて来るというよりも寧ろ同波長の圏内へぴたりと合ったとき聴えて来るのでありましょう。神様の救いも矢張りそういう式に、神様の救いはラジオの波と同じように宇宙一ぱい充満しておりますけれども 『おかげは我が心に在り』 で、こちらの心の波長が合って来たらパッと聴えて来るのであります。波長が合わなかったら徐々にも聴えて来はしないのであります。

 此の波長が合うのは 此方(こちら)にも神様と同じ波長があるからであります。神様の無原罪の原理が、此方へ感じて来て、こちらが 『罪なき者』 になる、『浄められた者』 になる。それは本来 『浄められた者』 がみんなに宿って居るからであります。それを自覚しまして旧(ふる)い 『汚れたる我』 はないと悟る、本当の自分は既に 『久遠劫以前から悟りを開いていたものだ』 と悟る、これが 『我の置換』 であり、生れかわりであります。

 自分は肉体にあらず、ヒトであると悟る、自分はヒトなんだということはヒトとは霊止(ヒト)である。つまり神聖受胎であります。イエス・キリストが 『汝らの中に罪なき者が一人いる』 と言ったと聖書にありますが、罪なき者が皆さんの中に、ひとりひとりの中に 『罪なき者』 が一人いるのであります。既に悪い癖もなければ、いろいろの因縁も業もない、始めから聖浄なる者が、貴方の中にいらっしゃるのであります。罪なきものが一人ずつ宿っている、それが皆さんである。

 罪なき者であったらどうして病気が起るか。そんな病気などというものは本当は無いのです。罪なき者に悪い性癖がどうして現れて来るか。そんなものはあるように見えてもないのであります。それだのに或る人は人間には病気がある、悪癖があると思っているのであります。ですから思うとおりに現れる。

 心に描くものは形に現れる。時間空間の世界に出ているものは皆自分の心の影であります。実相の完全な相(すがた)の上に一枚賦彩(ふさい=いろづけ)した――心で色づけたものであります。その奥には真物(ほんもの)の聖(とうと)い完全な相(すがた)があるのですけれども、心で色づけして、それを別の相のように見ている、――見えているのであります。

 芝居を観に行きますと、六十の老人が十七八歳に化けてしまったり、二十(はたち)位の役者が七十位のおじいさんに化けてしまったりするのですが、そういう風に表面を自分の心の波に依って色づけして、病気を表したり、悪癖を表したりして化けているのであります。病人も、悪癖も、みんなお化けであって、それは本物の上をどうらんで塗りつぶしてお化粧しているだけのことであります。>>

<つづきます>

3520復興G:2013/12/25(水) 11:13:13 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

>>3516で、≪ルルドの聖泉について≫ と区切りをつけたところの前に、次のようなご文章がありましたが、割愛していました。それも、追加させていただきます。

          ○

<< 『我(われ)』 とは本来罪なきものだと知らなければならない。これが生長の家の高調しているところの真理でありまして、『本来罪なき神のいのち』 が自分自身でありますから、その真理が悟られますと、苦悩の解放が行われ苦悩の表現である病気なども消えることがあり、業(ごう)とか因縁とか今まで犯していた過去のいろいろの罪悪感から解放されることになるのであります。

 『本来罪なきもの』 『神聖受胎』 が自分なのであります。『贖罪(しょくざい)の原理』 は外にあるのではなく、内部の 『本来罪なき神性、仏性』 それ自身が贖罪の原理なのであります。吾々のいのちは既に 『神聖』 であり、『仏性』 でありますから、もう既に贖(あがな)われて了(しま)っているのであります。自分自身が 『罪を消すところの原理』 そのもの――光が闇を消すように――すべての罪を破砕する原理なのであります、だから生長の家では 『本来罪はない』 というのであります。

 『罪はない』 と申しますと時々間違って、罪がないからどんな悪いことでもしたとて好(よ)いか――などと考える人があるのでありますけれどもこれは法律上の問題ではなく、宗教上の自覚の問題であります。『罪がない』 ということは、『罪を犯しても好い』 ということではないのであります。

 本当に 『罪がない』 ということが判れば、『無い』 ものはマイナスの値打しかないから、吾々の嗜欲(しよく)を誘惑する魅力を失ってしまうのであります。

 罪に惹(ひ)き付けられると云う人はまだ 『罪がある』 と思っている観念がどこかに残っているからであります。本当に罪がないということが分ったときには罪の行為などというものは心に思い浮ばない、思い浮ばなかったら自然とそれが形に現れない、現れなかったら、したいと思わないのであります。

 生長の家に来られまして 『本来罪なし』 の自覚を得られますと、自然に 『酒』 や 『煙草』 が嫌いになるというのは、罪の非存在を悟ることによって、罪がその誘惑力を失ってしまうからであります。
<つづきます>

3521復興G:2013/12/25(水) 12:05:59 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

 人間は物質にあらず肉体にあらず仏性、神性そのものである、神のいのちの神聖受胎である。日本的に言えば日子(ヒコ)であり、日女(ヒメ)であり、ミコトでありヒトである。ヒト(人)というのは霊止(ヒト)即ち霊のいのちが止(とどま)っている、宿っている、これが人間であるということであります。

 それが本当に分りますと、もう罪というものは消える――消えるというよりも、罪以上の世界へ脱(ぬ)け出るのであります。

 ××教などにまいりますと 『あなたは因縁が中々切れぬから因縁を切る為にお運びなさい』 などと申します。何を運ぶかというと布教師の中には家財道具までも売って本山へ運びなさいというようなことも言われることもあるそうですが、本当に 『罪』 や 『因縁』 があるものならば、そんな家財道具を一つずつ運んで見たところが、数千億年前からずっと生れ更(かわ)り死に更りして出て来た間に犯したところの、無限ともいうべき罪とか罪障とか因縁とかいうものを有限の財産の持ち運びで贖(あがな)いをするということはとても此の世で出来ることではないのであります。

 本当の贖いというものは、そういう物質に依って贖うことは出来ないのであります。どうしても 『我(われ)』 を置替えなければならないのであります。『罪ある自分』 をポンと捨てて了って、『罪なき自分』 を持ち出して来なければならないのであります。つまり内在の仏性を、『爾(なんじ)に宿るキリスト』 を、自分の中に招(よ)び出して来なければならないのであります。

 自分の中に内在の仏性を招出(よびだ)すのが生長の家式仏教であり、自分の中に内在のイエス・キリストを招出すのが生長の家式キリスト教であります。>>

          ○

 以上で、聖典の謹写を終わらせて頂きます。

 我々は、「顔を洗って出直す」 (>>3517をご参照ください) 必要があると思います。

 「人間至上主義は間違っている」 といわれるときの 「人間」 は、「神聖受胎」 した 「本物の人間」 ではなく、まだ 「罪がある」 と思っている、「物質によって生まれた人間」 すなわち 虚妄(うそ) の人間であると思います。

<<吾れらすべからく
  自分の顔に泥を塗らざるべからず
  敢て他(ひと)の顔に泥を塗るべからず!

  自己の顔に泥を塗るは
  旧(ふる)き自己の抹殺なり
  旧き自己を抹殺してのみ
  我れこそは浄められたる者と言い得ん。
   (「黄金の薔薇」 より) >>

 そして、

<< 『顔を洗って出直して来い』 と俗に申しますが、心の顔を洗い清めて、神聖受胎そのままの顔になって出て来れば、今まで狭いと思っていた世界が広くなり、今まで暗いと思っていた世界が明るくなり、病がなくなり、家庭が調和し、本当に楽しい世界が其処にあらわれて来るのであります。(『愛と光との生活』 第一章より) >>

 このお言葉通り、日々、自分の顔に泥を塗って旧我を否定し、毎朝 「顔を洗って出直し」――神想観をして心の顔を洗い清め、「神聖受胎」 そのままの顔になって愛行、伝道に精進いたしたいと思います。
<つづきます>

3522復興G:2013/12/25(水) 12:08:45 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

>>3507で曳馬野さんが

>> 生長の家を復興するなんて烏滸がましいことだと思いませんか?<<

 とおっしゃる通り、「自分が生長の家を復興する」 なんて思ったら、烏滸がましいことです。

 谷口雅春先生がご教示くださっていますように、

<< 吾々は、神の智慧と、愛とをいただいて、更に神の生命を、無限の生命を、無量寿の生命を、そのいのちを相手に与えるアンテナになることですね。

 神想観は、宇宙の神様が人類に対して真理を放送し給うところの、自分がアンテナになることですね。自分が真理を伝えるんじゃないんです。だから招神歌には 「わが業はわが為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能」 と示されているのであります。

 自分が神想観をして人を救うんだというのは傲慢な心であって、そうじゃないんです。自分は神様のアンテナになって、神様の真理を増幅する、増幅アンテナになり、さらに神様の無量寿のいのちを全人類に伝えるための放送アンテナであるという素晴らしい自覚をもって、神想観をする。その時に、その神想観が力を発揮して、ブラジルへもアフリカへも、その伝道が通ずるということになる訳なんであります。>>

 これを実行したいと思います。

 <つづきます>

3523復興G:2013/12/25(水) 12:40:20 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

 神想観は、すばらしいです。

 >>3490で書きましたように、私は電車に乗ったとき、目をつぶって招神歌を心の中で唱え、乗り合わせているすべての乗客に神の生命をさきはえたまえと祈り、皆さまが現象の世界を去って実相の世界に坐していらっしゃる尊い神の子様たちである――と念じさせていただきますと、自分のために何も祈らないのに、満員電車の中でも必ず席を譲ってくださる方があらわれる、あるいは目の前にすっと空席があらわれるというようなことが起きます。

 あるいは、本流対策室/5 の方で >5113 に書きましたように

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/5113

 地元の誌友会に派遣されてきた講師が、体験談を織りこみながら、『生命の實相』 第39巻 <仏教篇> の、次のご文章を朗読してくださる。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<< 悟ってみれば、天地間のものことごとくが生かし合いならざるものはない、実にありがたい世界だったのであります。すべてのもの一つ一つに仏の命が現われている、仏の慈悲が現われている、神のいのちが現われている、神の愛があらわれていることが悟れるのです。

 神の生命が現われ、仏のいのちが現われているからこそすべてのものが互いに愛し合い生かし合っているのです。今まで殺し合いだと思っていた世界は神の、仏の、無限の生命、愛、智慧に満たされているところの立派な世界だったのです。

 互いに憎み合い争い合っていると見えた生命も、その敵と見えたものは、自分にとっては自分をみがく砥石であってわれわれの生命がだんだん砥石にかけられて、いっそう立派な霊性が啓(ひら)かれてゆくために仕組まれている仏の慈愛、神の愛の顕われだったのです。

 天地間、ありとしあらゆるもの、生きとし生けるもの、みんなこうして愛し合っている者はもちろん、憎み合っているかのごとく見えている者同士さえも生かし合っている世界なのです。みんな愛し合いの世界なのです。みんな解け合いの世界なのです。そういうことが釈迦に解ってきたのであります。

 そうすると、形は同一であっても釈迦の前にある世界がすっかり変貌してしまったのであります。そこで釈迦は、十二月八日の明けの明星を見ながら、「有情非情同時成道、山川草木国土悉皆成仏」と悟られたのであります。すなわち「有情」――生きとし生けるもの、「非情」――ありとしあらゆるもの、悉く今仏になっている。山も川も草も木も悉く仏の相(すがた)である。

 みんな生かし合い、拝み合いの相(すがた)である。今まで地獄の相だと思っておったのはまちがいだったとお悟りになったのであります。これが釈迦のお悟りになった縦の真理であります。
(『生命の實相』第39巻 <仏教篇> p.41〜p.42より)>>

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ――「天地間、ありとしあらゆるもの、生きとし生けるもの、みんなこうして愛し合っている者はもちろん、憎み合っているかのごとく見えている者同士さえも生かし合っている世界なのです。みんな愛し合いの世界なのです。みんな解け合いの世界なのです。」 と、教えて頂きました。

 ――生長の家で、教団と本流の人々が、いかに激しく争いあっているように見えても、実は拝み合い、生かし合いの相(すがた)である。

 私は、上記の実相を、ひたすら祈らせて頂きます。

 そうしていますと、実に不思議な円滑現象といいますか、シンクロナイゼーションといいますか、こちらから求めなくても、同調してくださる方、協力してくださる方とお会いできたりして、ただありがたいことが次々に展開してくる、ありがたい毎日を過ごさせて頂いています。

 これは、この掲示板、特にこのweb誌友会板で皆さまに育てていただいているおかげです。

 ここに書き込んでくださったことはないけれども、いつもご覧になって、時には涙を流して感動してくださっているという方に、最近お出会いして、お話ができたこともあります。

 「悪はない」 「悪と見えるものは、善があらわれ出ようとしている過程である」。

 既にある神の国は、必ず地上世界に現れざるを得ないのである、ということを固く信じて、喜んで、愛行にいそしんでまいりましょう。

3524ユタカ:2013/12/25(水) 13:29:58 ID:R1D4Jmeg
>>枝分かれして伸びていってるんだ。争っている様に見えるのは間違いで、それぞれが信仰を深めているんだ と観るんだっていうのは。<<

 ――ほんとに、そうですね。

 すばらしい!

 実相世界にすでにある、中心帰一大調和の無限に完全な素晴らしい神の国が、いよいよもっともっと完全に地上に顕れようとしている課程なのだ! すばらしい! ありがたい! と思います。
 「悪はない」 「悪と見えるものは、善があらわれ出ようとしている過程である」。

 既にある神の国は、必ず地上世界に現れざるを得ないのである、ということを固く信じて、喜んで、愛行にいそしんでまいりましょう。 <<

あはは!ははは!!

そういう意味だったのか! 今、分かりました!! 有難うございます。
今まで、分かったような、分からないような感じでしたが復興Gさまのご講義を読ませて頂いて、心からの喜びが出てきました。

今まで現象をそのまま見て、あーだこうだと言っていたのは曳馬野さんでなくて「自分」だった!です。
ごめんなさい、曳馬野さん。そして有難うございます、復興Gさま、トキさま、みなさま、すべてのみなさま。

今から、私は魂の肉体服を脱いで、真っ白い翼で天を舞い天使となって全世界を祝福する。
私は天使となる。 私は生まれ変わったです。

どうしましょう、こんな声が聞こえる。。。。

3525ユタカ:2013/12/25(水) 13:56:59 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

最初にお勉強した生長の家の重大な使命の「七つの燈台の点灯者」ってどんな事かの解答を復興Gさま献身的なご講義で理解できました。

今、私は、生まれ変わって心の底から笑えます! 喜べます! そして此れを伝えなくては!と元気一杯です。
心晴々、数十年ぶりに本当に心から笑えます。

復興Gさま、生長の家の御教えの偉大さを身をもって分かりました、偉業です。
この嬉しさを言葉に出来ません。 私はこれから心から喜べます。

本当に、本当に心から感謝します、復興Gさま、トキさまみなさま、生まれ変わってこれからも前進して行きましょう!!

喜び一杯です、有難うございます。

ユタカ 拝

3526復興G:2013/12/25(水) 21:06:39 ID:AB6RqYXc

>>3524>>3525 :ユタカさま

 ありがとうございます!

 ユタカさまは、神様からすごい使命を授けられた、神聖受胎のヒト(霊止)だと思います。

 明るく、うれしく、楽しく、ねばり強く、使命実現にいそしみましょう。

 バンザーイ!

 私も、さらに勇気百倍、うれしく ありがたく 使命に邁進させてもらいます。

 感謝 合掌。

3527ユタカ:2013/12/25(水) 21:48:44 ID:R1D4Jmeg

嬉しい! 嬉しい!!

うわぁはは! わっははは! わははは!!

うわぁはは〜〜〜〜〜〜〜〜!!

3528トキ:2013/12/25(水) 22:29:50 ID:JA1TBhRE
復興G様、素晴らしいご指導、心から感謝申し上げます。
一連の内紛もそう考えるといい兆候かもしれませんね。
感謝、感謝です。ありがとうございます。

3529山本富士子:2013/12/25(水) 22:49:42 ID:wj1ZCavg
合掌 ありがとうございます。

神想観、私のいのちもそこから来てそこにかえるのですね。
復興G様の神想観につながっていこうとおもいます。
ご指導ありがとうございました。WEB誌友会、何か目新しいことが
はじまるのかな?と思ったことがありましたが、そんなことではないのだ
とわからせていただきました。ありがとうございました。

3530a hope:2013/12/26(木) 00:16:12 ID:/9IAdiFk

みなさま こんばんは

そして、メリークリスマス!!
今晩は、ほろ酔い気分で失礼いたします。

復興Gさまがご指導を続けて下さっていてうれしく思います。
また、ユタカさまも感謝と喜びに満たされていられるようで、素晴らしいですね!

わたしは、家族が元気に幸せに暮らしていてくれること、毎日好きな仕事ができること、
まわりの人たちの笑顔が見れること、そんな当たり前のことが最高にありがたく感じられる自分が嬉しいです。

また、この掲示板でみなさまとつながっていられること、「生長の家」の教えのお勉強ができることにも感謝の気持ちでいっぱいです。


年末年始は忙しくてなかなか書き込みできませんが、a hopeは来年もこのトキ掲示板でお勉強を続けさせていただき、
今までどおり、感じたこと、思ったことを素直に発言していきたいと思っています。

みなさま、来年もどうぞよろしくお願いいたします。

3531rei:2013/12/26(木) 08:18:26 ID:ZIftZ1jM
おはようございます

復興Gさま
みなさま

ありがとうございます。

ようやく私も一つの落ち着ける境地に立つ事が出来ました。
「実相の大地に立った」という雅春先生のお言葉が
理解出来る様になりました。

本当に本当に有り難うございました。

合掌

3532ユタカ:2013/12/26(木) 08:58:51 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

今朝復興Gさまの、多分神想観中の祝福の念波をキャッチしました、ありがたい事に生長の家大神さまも一緒に来てくれました。

ご祈念を有難うございます。

ではいってきまーす。

3533rei:2013/12/26(木) 09:10:09 ID:ZIftZ1jM
「身分いやしきもの」さま
「曵馬野」さま

真摯に求道されていらしゃいますことが感じられます。
教えられることが多かったです。
特にありがとうございました。

3534復興G:2013/12/26(木) 12:26:01 ID:AB6RqYXc

安部総理が靖国神社に参拝したテレビ報道を見ました。

安部総理が、輝いて見えました。

「安部さん、ガンバレ!」

と、心の中で、声援を送りました。

ありがとうございます!

3535復興G:2013/12/26(木) 13:00:37 ID:AB6RqYXc

トキ様、山本富士子さま、a hope さま、rei さま、ユタカさま

コメント、ありがとうございます。

私も忙しくなりましたが、書き込みは、もうしばらく続けさせて頂きます。

皆々さま、ありがとうございます。

3536ユタカ:2013/12/26(木) 22:15:58 ID:R1D4Jmeg
安倍総理は立派でしたね。復興Gさまの祈りは効果があるので安倍総理に向けて祝福の神想観をなさって下さい。
>安倍首相の靖国参拝に関する記者会見全文
安倍晋三首相が2013年12月26日に、東京・九段北の靖国神社参拝後に行った記者団とのやりとり(全文)は以下の通り。

首相:本日、靖国神社に参拝を致しました。日本のために尊い命を犠牲にされた御英霊に対し、尊崇の念を表し、そして御霊安らかなれと手を合わせてまいりました。そして同時に靖国神社の境内にあります鎮霊社にもお参りをしてまいりました。鎮霊社は靖国神社に祭られていないすべての戦場に倒れた人々、日本人だけではなく諸外国の人々も含めてすべての戦場に倒れた人々の慰霊のためのお社であります。その鎮霊社に対して、すべての戦争において、命を落とされた人々のために手を合わせ、ご冥福をお祈りし、そして、二度とふたたび戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代をつくるとの決意を込めて、不戦の誓いを致しました。

記者団:12月26日は安倍政権が発足してちょうど1年となります。なぜこの日を参拝の日として選ばれたのでしょうか。

首相:残念ながら靖国神社参拝自体が政治問題、外交問題と化しているわけでありますが、その中において、政権が発足して1年、この1年の安倍政権の歩みをご報告し、そして二度とふたたび戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代をつくるとの誓いを、この決意をお伝えするために、この日を選びました。

記者団:中国、韓国をはじめとして、海外からの安倍総理が靖国神社に参拝することへの根強い批判の声には今後はどのように説明されていくのでしょうか。

首相:靖国神社の参拝は、いわゆる戦犯を崇拝する行為であると、誤解に基づく批判がありますが、私は1年間この歩みをご英霊に対してご報告をする、そして、二度と戦争の惨禍の中で人々が苦しむことのない時代をつくっていくという決意をお伝えするために参拝をいたしました。もとより、中国、あるいは韓国の人々の気持ちを傷つける、そんな考えは毛頭ございません。それは、靖国神社に参拝をしてこられた歴代の総理大臣と全く同じ考えであります。母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りをし、そしてリーダーとして手を合わせる、このことは、世界共通のリーダーの姿勢ではないでしょうか。これ以外のものでは全くないということを、これから理解していただくための努力を重ねていきたいと考えています。また、日本は戦後、自由と民主主義を守ってきました。そしてその下に、平和国家としての歩みをひたすら歩んできた。この基本姿勢は一貫しています。この点において一点の曇りもございません。これからも謙虚に礼儀正しく、誠意を持って説明をし、対話を求めていきたいと思います。

記者団:中国、韓国のリーダーに対し、説明したいということですか。

首相:ぜひこの気持ちを直接説明したいと思います。戦後、多くの首相は靖国神社に参拝しています。吉田茂総理もそうであります。近年でも中曽根総理、あるいはその前の大平総理もそうでした。そしてまた、橋本総理も小泉総理もそうでしたが、すべての靖国神社に参拝した総理は中国、韓国と友好関係をさらに築いていきたい、そう願っていました。日中関係、日韓関係は大切な関係であり、この関係を確固たるものにしていくことこそ日本の国益だと、そう皆さん信念として持っておられた。そのことも含めて説明させていただく機会があれば本当にありがたいと思っております。

記者団:2年後、3年後、今後も定期的に靖国神社に参拝されたいということでしょうか。

安倍:今後のことについてこの場でお話をすることは差し控えさせていただきたいと思います。私は第1次安倍政権の任期中に靖国神社に参拝できなかったことは痛恨の極みだとこのように申し上げてまいりました。それは総裁選においても、あるいは衆議院選挙のときにもそう述べてまいりました。その上で、私は総裁に選出をされ、そして総理大臣となったわけでございます。私はこれからも私の参拝の意味について理解をしていただくための努力を重ねていきたいと思います。

記者団:多くの戦犯の方が祭られていますが、戦争指導者に対しての責任に対してはどう思われますか。

安倍:それは今までも随時国会で述べてきた通りでございます。我々は過去の反省の上に立って、戦後しっかりと基本的人権を守り、民主主義、そして自由な日本をつくってまいります。そして今やその中において世界の平和に貢献しているわけでございます。今後もその歩みにはいささかの変わりもないということは重ねて申し上げておきたいと思います。

3537ユタカ:2013/12/26(木) 22:39:50 ID:R1D4Jmeg
生長の家の信仰を持つ稲田さんが総理の近くにおられるのも心強いですね。
学ぶ会の靖国見真会で講演なさったですね。
復興Gさま、お祈りをよろしくお願いします。

3538あさひ:2013/12/26(木) 22:41:45 ID:u9w/1zYY
合掌

復興G様

>安部総理が靖国神社に参拝したテレビ報道を見ました。

安部総理が、輝いて見えました。

「安部さん、ガンバレ!」

と、心の中で、声援を送りました。

ありがとうございます!<

全く同じ思いでした。

阿部総理への祈りと聖経読誦したいと思います。

3539ユタカ:2013/12/26(木) 23:04:25 ID:R1D4Jmeg
あ、そうか、自分で祈るのが大切か。人に頼っていては駄目だよね。

3540ユタカ:2013/12/27(金) 00:03:35 ID:R1D4Jmeg
トキ管理人さま

関係ないこと投稿してしまいました、ユタカのを削除してください。
安倍総理の。

3541復興G:2013/12/27(金) 10:00:33 ID:AB6RqYXc

ユタカさん、安部総理のこと、削除要請しなくていいんじゃないの? 

私は、このところ忘年会つづきでした。昨夜もそうです。

高校生時代の同期会、大学生時代の同期会、地域の合唱団等々にも積極的に出て、生長の家と直接関係の無い一般の方たちを祝福し、お世話をさせて頂くのも、愛行だと思って……で、そういう場合は、普段飲まないお酒を飲んだりもするんです。

昨夜も、地域の合唱団の忘年会で、お酒を飲みました。

夜10時半ごろ帰ってから、ユタカさんの>>3536、ありがたく拝見しました。しかし、お酒が入っているので、書き込みは遠慮しました。

安部総理の靖国参拝は、想定通り、というかアメリカなども 「失望」 という発言をしたりして、波紋はひろがっているようですね。

でも、ユタカさんが掲示してくださった、安部総理の真心の思いを、これから信念を曲げずに貫いて、ねばりづよく国際社会にも堂々と丁寧に説明して行けば、長い目で見れば、心底からの相互理解尊敬と世界平和のためにプラスになると信じます。そうなるように、祈り、声援を送ることは、これも愛行だと思います。ですから、このweb誌友会のテーマと無関係ではないと思うのです。

私はユタカ様の投稿に感謝し、「安倍総理に向けて祝福の神想観を」 ということに大賛成で、協力させて頂きます。

ユタカさま、ありがとうございます!

あさひ様、ありがとうございます!

3542復興G:2013/12/27(金) 10:07:26 ID:AB6RqYXc

「安倍総理に向けて祝福の神想観」 とともに、「世界平和の祈り」 を熱祷しましょう。

3543復興G:2013/12/27(金) 10:53:29 ID:AB6RqYXc

 私はこのところ、「大日本神国観」 の神想観もよくしています。

 その後の方で、

<< 天皇陛下、ありがとうございます。ありがとうございます。

 皇祖皇宗の御神霊ありがとうございます、ありがとうございます。

 百官もろもろの司(つかさ)様ありがとうございます。

 十方、八百万(やおよろず)の神々様、護国の英霊様、ありがとうございます、ありがとうございます。

 十方の諸仏・諸天様ありがとうございます。
    <かく念じつつ光明遍照の調和せる荘厳なる実相世界を心に描きつつ>

 既に大宇宙の救済は成就せり。金波羅華(こんぱらげ)実相の完全円満の相(すがた)、地上に隈(くま)なく反映し実現して中心帰一、万物調和の永久平和の世界今現ず。

 一切の生物ところを得て争う者なく、相食(は)むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし。

 実相・現象渾然(こんぜん)一体、実相・現象渾然一体……(繰返す)

 みこころの天に成る世界、既に地に成就せり、ありがとうございます。ありがとうございます。>>

 という祈りの言葉があります。

 この最後の、

 「みこころの天に成る世界、既に地に成就せり」

 というのは、イエス・キリストが、「みこころの天に成るがごとく地にもなるらせ給え」 と祈るように教えた、その神の国が地上(現象世界)にすでに成就している ということを祈るわけですね。

 そのちょっと前の

 「金波羅華実相の完全円満の相、地上に隈なく反映し実現して」

 というのは、お釈迦様が金波羅華すなわち金色の蓮華の花を拈って、実相世界が中心帰一の大調和の世界である、それを悟ることが仏法の極意であると示された。
その金波羅華実相の完全円満のすがたが、地上に隈なく反映し実現して、中心帰一、万物調和の永久平和の世界がすでに実現している有様を祈るわけです。

 だから、「スメラミコト」 というのは、クリスチャンなら 「永遠のキリスト」 (Eternal Christ) と置き換えてもよく、仏教信者なら 「大日如来」 と置き換えて念じてもよろしいのであって、要するに中心が一つあって大調和している世界、「一切の生物が処を得て争う者なく、相食(は)むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」 という世界がすでに成就していることを祈ることなのだ。

 だから、「スメラミコト」 というのを 「永遠のキリスト」 (Eternal Christ) とか 「大日如来」 (「阿弥陀如来」 あるいは 「釈迦如来」 でもよい) とか置き換えて念ずれば、この祈りは日本人だけでなく、世界中に通用する祈りなのだ、と私は思っています。

 「スメラミコト」 は、それぞれの国の国家元首とかではなく、「永遠のキリスト」 とか、「阿弥陀如来」 とか、イスラム教ならアッラーの神ということになるのでしょうか、ともかく現象人間ではなく、実在界(現象の根源、本源なる実相世界)の絶対的中心者を意味するものだと思います。

 その、実相世界の絶対的中心者と、日本の場合は天皇陛下とが渾然一体になっていられる、と念ずる祈りが、「実相・現象 渾然一体」 という言葉になっているのだと私は思っています。

3544復興G:2013/12/27(金) 11:06:05 ID:AB6RqYXc

 以上のような、イエス・キリストが、「みこころの天に成るがごとく地にもなるらせ給え」 と祈るように教えた、その神の国、

 お釈迦様が金波羅華すなわち金色の蓮華の花を拈って、実相世界が中心帰一の大調和の世界であることを示された

そのような万物調和の永久平和の世界が実現しているのが 「日本の実相」 である。

その日本を護り日本の実相を顕現することこそ、万物調和の永久平和の世界を実現する正しい道なのである。

だから、「鎮護国家」 によってこそ、究極の世界平和が達成できるのである、と私は信じます。




が地上(現象世界)にすでに成就している ということを祈るわけですね。

 そのちょっと前の

 「金波羅華実相の完全円満の相

3545復興G:2013/12/27(金) 11:10:04 ID:AB6RqYXc

ごめんなさい。上記の後3行は、余分でした。削除してお読み下さい。

3546復興G:2013/12/27(金) 11:15:20 ID:AB6RqYXc

 上記のような意味で、私は 「鎮護国家」 は、ナショナリズムとは全然違うと思っています。むしろ、世界平和の祈りと一体のもの、世界平和の祈りそのものだと思います。

3547復興G:2013/12/27(金) 11:39:50 ID:AB6RqYXc

>>3507 :曳馬野さん

>>3461で私が質問しました
>>禅では師なり古人の示しを弟子がそうであったと証明して法の継承がされています<<
>>その指し示す先にあるものに辿り着いた人が、禅にはいるが生長の家にいますか<< (<<3455)
と言われる禅の世界での 「証明」 について、具体的に教えて下さい。 <<
の質問に、まだお答えをいただいておりません。


 『神癒への道』 は、あなたに言われるまでもなく、私も「これだ!」 と何十回も読み、深く肝に銘じて、生き方の指針にし、実践しようとしているご本です。だから、同じことをさらにくわしく具体的に説かれている 「伝道とは愛の実践」 という御講話も繰り返し拝聴して、実践しています。(>>3522>>3523

 あなたが特に読めとおっしゃった 『神癒への道』 のp.107 には、次のようにありますね。

<< 本当を言えば、思念というような特殊な技術的なものが必要な訳ではないのである。思念者は決してだれも癒すのではないのである。すでにすべての人は癒されているのである。たれも 「病気の人も不幸の人もないのである。」 すべての人は神の子であり、病気も不幸もないのである。ただ自分が彼を病気であり不幸であると 「観た」 のに過ぎないのである。

 「観] を変えることが必要である。思念者がなすべき役割は、ただ神の造りたまうた実在の完全円満であるととを観、それを不完全であり不健康であると観た間違いを懺悔し切り、無条件に実相の完全さの前に降伏することなのである。この懺悔が完全でないと存在を不完全であると云う観の幾分が残滓として残っていることになるから、実相の完全さがあらわれない恐れがあるのである。(後略) >>

 「『神癒への道』 を何十辺何百辺と読んで真理の実践者となれ」 というお言葉は、まずあなたご自身が実践して頂きたいです。

 つまり、

<< すでにすべての人(本流の人も)は癒されているのである。たれも 「病気の人も不幸の人もないのである。」 すべての人は神の子であり、病気も不幸もないのである。ただ自分が彼(本流の人)を病気であり不幸であると 「観た」 のに過ぎないのである。>>

 と、その状態が実現するまで何十辺何百辺も祈ってから、他に言って頂きたいです。

 ですから、「『神癒への道』 を何十辺何百辺と読んで真理の実践者となれ」 というお言葉は、有り難く頂戴します。同時に、そのお言葉を、またそのままあなたにお返したいと思います。

3548ユタカ:2013/12/27(金) 22:42:49 ID:R1D4Jmeg
トキさま、復興Gさま
復興Gさまが愛行の話と通じるとおっしゃいました。安倍総理の会見のはそのままでお願いします。

それにしても、アメリカ側から言われると思いませんでビックリしました、小泉さんのときはブッシュと仲良しだったから報道が遠慮したとか・・・
それでは大日本神国観して、安倍総理めがけて光明思念を放送しますね、総理が神愛充満し光明に包まれて必要なときに必要な知恵がでて日本に尽力下さいます様に。。。

復興Gさま 鎮護国家=世界平和のお話をありがとうございます。
逆にいうと世界平和=鎮護国家になるのですか??
そうすると、総裁も鎮護国家を言っていて請願券も言葉は世界平和となっていますが、
鎮護国家を通しての世界平和実現となると、私の中では納得できます。

いかがでしょうか??

3549復興G:2013/12/27(金) 22:50:05 ID:AB6RqYXc

>>3548 :ユタカさま

ありがとうございます。

>>鎮護国家=世界平和のお話をありがとうございます。
逆にいうと世界平和=鎮護国家になるのですか??
そうすると、総裁も鎮護国家を言っていて請願券も言葉は世界平和となっていますが、
鎮護国家を通しての世界平和実現となると、私の中では納得できます。<<

なるほど。そう考えたらいいですね。

バンザーイ!

ありがとうございます!

3550神の子さん:2013/12/28(土) 01:02:33 ID:???
請願ではなく誓願です。根本的に違いますので気を付けてください。

3551ユタカ:2013/12/28(土) 06:55:17 ID:R1D4Jmeg
>請願ではなく誓願です。根本的に違いますので気を付けてください。

青色神の子さま
字を間違えてすみませんでした。気をつけます。意味が違いますものね。
青色神の子さんの雅宣総裁の世界平和と雅春先生の鎮護国家の違いのご意見をお聞かせください。
よろしくお願いします。

そうか、誓願か。 誓ってきたのですよね。
現象的には、言う人も、いわない人もユタカの周囲のほとんどの信徒が現本部に怒っているのは、納得します。

だた、それが総裁に伝わらないのは、この間の原宿本部での秋季慰霊祭の時もそうだったけど、
総裁が退場の祭 舞台からお辞儀をすると、相変わらず形の上では、信徒側で、割れんばかりの拍手と、バンザーイ!なんて続けているからでしょうね。。。

3552曳馬野:2013/12/28(土) 06:58:41 ID:xR0RYWLc
  復興Gさん

『自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり』の後に

『仏道をならうというは自己をわすするなり』

『自己をわすするというは、万法に証せらるるなり』とあります



身分いやしきものさんと訊けさんとのやり取りの最初は、『自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり』を
引用してのものでした。其処にあなたが遣り取りを始めて、最後は「きれいごとで終わるのですね」と云われて終了です。

そして彼の問題提起は『言葉の牢獄に居るのではないか』と云うものでした、そして抜け出る方策の一つが禅の説くものだと思う、私は違うところを求めるけれども、
というものでした。

大死一番大復活した人と、実相を見つめると云う、実相と離れたまま、想念に浮かべる人とは違います。
師また古人の云われたことをその通りであった、とそのものになった人は師の言説を証明したことになります。
然し生長の家では、信じると云うことで結果が出るから正しいと云うのみで、実相はこうであったと自分が実相を直接見たと云う人にはお目にかかっていません。


● 本当を言えば、思念というような特殊な技術的なものが必要な訳ではないのである。思念者は決してだれも癒すのではないのである。
  すでにすべての人は癒されているのである。たれも 「病気の人も不幸の人もないのである。」 すべての人は神の子であり、病気も不幸もないのである。
  ただ自分が彼を病気であり不幸であると 「観た」 のに過ぎないのである。
 「観] を変えることが必要である。思念者がなすべき役割は、ただ神の造りたまうた実在の完全円満であるととを観、
  それを不完全であり不健康であると観た間違いを懺悔し切り、無条件に実相の完全さの前に降伏することなのである。
  この懺悔が完全でないと存在を不完全であると云う観の幾分が残滓として残っていることになるから、実相の完全さがあらわれない恐れがあるのである。(後略)

 「『神癒への道』 を何十辺何百辺と読んで真理の実践者となれ」 というお言葉は、まずあなたご自身が実践して頂きたいです。

 つまり、

● すでにすべての人(本流の人も)は癒されているのである。たれも 「病気の人も不幸の人もないのである。」 すべての人は神の子であり、病気も不幸もないのである。
 ただ自分が彼(本流の人)を病気であり不幸であると 「観た」 のに過ぎないのである。

 と、その状態が実現するまで何十辺何百辺も祈ってから、他に言って頂きたいです。

 ですから、「『神癒への道』 を何十辺何百辺と読んで真理の実践者となれ」 というお言葉は、有り難く頂戴します。同時に、そのお言葉を、またそのままあなたにお返したいと思います。


この二つの意見であなたの立ち位置は明白ですね。この掲示板では生長の家で説く真理は正しいと云う前提であり、否定の投稿は禁止と云うことですので、私は「正しいと云うのなら
何故真理に則った行動をしないのか」、と云う観点から意見を言っているのであります。私には義務はないのですよ。あなたが正しい真理を生長の家は説いているというから、
それなら真理に則て御覧なさいと云っているのです。

「雅宣先生はおかしい」と観ることそのものがおかしい、これはあなたも本流の方も同じです。この観たものが現れると云う真理そのものがどうですかね。
雅春先生が孫の一人が生長の家の真理を肯定しないと詳密講習会で云った、と云った人がいましたが、これこそ現象を観ての発言でしょう

真理の言葉は自分が実践して何ぼで、他の実践不実践が心に浮かぶことそのものが、実相は完全と云いながら完全しか存在しないところには居ないと云うことを証明しているのです。
私の実相さえ観えず現象をとやかく云う人が、何で雅宣先生の実相が見れましょうか。それより観るとか観ないとかいうことが可笑しいのです。
何十億の金を持っている人は貧乏と云う観念は持ちようがないです。実相完全と知っている人は不完全と云う観念の持ちようはないです。

ご自分自身が実相と現象の二つの世界を見ているでしょう。どういうことであれ、自分が実相だけになっていればこそ、他の人も実相だけであることが分かるものでしょう。
現象は影であると云っても影が常について来るしそれに心が捉えられる。

という事で信は強盛でも実相そのものを証明した人は生長の家にはいないのではありませんか。

3553ユタカ:2013/12/28(土) 07:43:29 ID:R1D4Jmeg
よく読んでいない曳馬野さんへ
>引用してのものでした。其処にあなたが遣り取りを始めて、最後は「きれいごとで終わるのですね」と云われて終了です。

違います。復興Gさまが勝利したのです。

いいですか、復興Gさまが勝利したのです! と言われて終了していますよ!

これだけでも見落として、「実相を証明した人はいない」なんて発言していては、当然ながら誰からもレスは来ないし
説得力 ゼ〜〜ロ〜〜。 000000

説得力 0  

顔洗って、出直せば?? おじさんも生まれ変わりが必要だね。。。

3554復興G:2013/12/28(土) 08:39:07 ID:AB6RqYXc

>>3550 :神の子さん様
>>3551:ユタカ様

 ありがとうございます。

 私も見落としていました。「請願」 は請い(乞い)願う、請願(せが)み求めること。

 「誓願」 は、谷口雅春先生が 「伝道とは愛の実践」 の御講話で、

<< 「願」 というのは、如来の本願、四十八願というのがありますがね、あれは何かというと、愛の念願です。それには、「こうしたい」 という一つの理想が含まれている。愛の理想が。

 「すべての人類が救われるまでは、私は仏にならん」

 という法蔵菩薩のすばらしい理想と愛というものが、あの四十八願の中にあってですね、それではじめて阿弥陀如来として法蔵菩薩が成仏せられた。

 われわれが伝道するのは、やっぱり、それでなければならにですね。理想がなければならない。愛がなければならない。………>>

 とおっしゃっている、そのような愛の理想、与える誓いが 「誓願」 であって、求める願いの 「請願」 とはほぼ逆の意味ですね。

 「言葉は神なり」 ですから、気をつけましょう。

 それで、ユタカ様が>>3548

>>鎮護国家=世界平和のお話をありがとうございます。
逆にいうと世界平和=鎮護国家になるのですか??
そうすると、総裁も鎮護国家を言っていて誓願券も言葉は世界平和となっていますが、鎮護国家を通しての世界平和実現となると、私の中では納得できます。<<

 と仰る意味は、簡単に言えば、

 「鎮護国家 = 世界平和」

 ならば、

 「世界平和 = 鎮護国家」

 だから、総裁が 「世界平和」 とおっしゃっているのは、「鎮護国家」 とおっしゃっているのと同じだと受けとって、喜んでいていいのだ。「鎮護国家」 を、そのような絶大な誓願と考えずに、狭いナショナリズムぐらいに誤解する人がいたら残念だから、

 ≪総本山の祭祀の重点を、「鎮護国家」 から 「世界平和」 に移す≫

 と言われたけれども、「鎮護国家」 の看板を外す、などとは言われていませんから、何も目くじら立てて怒ることはない。

 ――ということなのではないかと、私は受けとりました。

3555復興G:2013/12/28(土) 08:48:32 ID:AB6RqYXc

>>3553 :ユタカ様

そんな勝ち負けなんか、ついていないのですよ。

「負けるが勝ち」 ということもありますし、私は、「一切は自分の責任」 と引き受けた方が、真理に於いて、本当の勝ちなのだと思います。

曳馬野さんとのことも、そうです。

3556神の子さん:2013/12/28(土) 09:05:25 ID:H/1Clsdw
真理においての勝ちなんてこそ無いと思います。
捨て台詞せず静かに去られたほうが良かったのに…

3557復興G:2013/12/28(土) 09:48:58 ID:AB6RqYXc

 曳馬野さんは、総裁の忠実なポチか、馬の脚を、一所懸命 演じていらっしゃる。

まあ、それもよいでしょう。

谷口雅春先生は、『幸福を招く365章』の117頁以下に、次のようにお教えくださっていますから。

         ○

    既に天国の饗宴に招かれている

 吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。

 地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要るのであって、シテもワキも、二枚目も三枚目も馬の脚も要る訳である。吾々は此等の舞台上の役者と議論を戦わす必要はないのである。唯、各々がその役目を最も完全に実現してくれるように祈っていれば好いのである。

 尤(もっと)も自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだけれども。吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。

         ○

上記
≪それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。≫

 ――「お役目ご苦労様です」 と感謝しながら、「自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだ」 と自覚して、内なる神のみ声を聴き、使命感のままに行動して行く。

 私は、そうありたいと思います。

 「馬脚を現わす」 という言葉があり、その意味は、馬の脚を演じていた役者がうっかり自分の姿(足)を見せてしまうことから、隠していた本来の姿が表にあらわれること、化けの皮がはがれることをいう、ということです。それは、悪事がばれることなどに使われることが多いようですが、「本来の姿」 はみんな神の子ですから、その本性(ほんしょう=神の子)が現われるという、良い意味で、曳馬野さんもやがて馬脚を現わされると信じます。

 そうしないと、何か仰っても、魂にひびかないから、観客からそっぽを向かれ、やがてだれもお客さんがいなくなってしまうでしょう。ということは、教勢がどんどん落ちて行くばかりになって、総裁からも相手にされなくなるのではないかと思いますよ。

 早く馬脚を現わした方が勝ちです。

3558復興G:2013/12/28(土) 10:46:53 ID:AB6RqYXc

>>3543で、私は 「大日本神国観」 の神想観について

>> 「スメラミコト」 というのを 「永遠のキリスト」 (Eternal Christ) とか 「大日如来」 (「阿弥陀如来」 あるいは 「釈迦如来」 でもよい) とか置き換えて念ずれば、この祈りは日本人だけでなく、世界中に通用する祈りなのだ、と私は思っています。

 「スメラミコト」 は、それぞれの国の国家元首とかではなく、「永遠のキリスト」 とか、「阿弥陀如来」 とか、イスラム教ならアッラーの神ということになるのでしょうか、ともかく現象人間ではなく、実在界(現象の根源、本源なる実相世界)の絶対的中心者を意味するものだと思います。

 その、実相世界の絶対的中心者と、日本の場合は天皇陛下とが渾然一体になっていられる、と念ずる祈りが、「実相・現象 渾然一体」 という言葉になっているのだと私は思っています。 <<

 と書きました。

 それからさらに考えたのですが、世界各国に人たちがそれぞれの国の国家元首を、イスラム教国ではアッラーの神と渾然一体なりと祈り、キリスト信者の多い国では永遠のキリストが国家元首として現れていらっしゃると祈り……というようになったとき、アッラーと永遠のキリストとは別ではない一体なのだとすると、あらゆる国の国家元首は一体だということになる。

 しかしそれは、必ずしも国境が無くて一つの無差別の世界国になるということではなくて、やはりそれぞれ違う個性を持った、文化的にも多様性のある国々が共存しながら、オーケストラが交響楽を演奏する如く、それぞれ違った音程や音色のひびきを奏でる。それが大ハーモニーして、感動し、楽しく喜び合う――それが神の国の実現したすがたなのではないか。そのようになるのだと思われます。

 そのとき、それぞれ違った音程や音色のひびきを奏でながら、それが大ハーモニーとなるには、一人の指揮者が必要です。その指揮者は、神――天之御中主神、永遠のキリスト、アッラー――現象を超えた絶対界の中心者と一体の、無我、無私にしてすべてを礼拝し、生かすお方でなくてはならないでしょう。それは、「自分が指揮する」 という自我がなくて、無指揮でも、ただ 「徳」 によって、おのずから皆が帰一するようなお方。

 そういう尊いお方が、日本にいらっしゃる――と、私はありがたく、ありがたく思っています。

3559復興G:2013/12/28(土) 10:48:55 ID:AB6RqYXc

 私はこれから出かける用があり、夜も出講する行事がありますので、あとはまた明日に。

3560身分いやしきもの:2013/12/28(土) 19:32:08 ID:6V6zA9Jc
「逃げ口上」といわれて、出でくる口実ができました。ありがとうございます。

あの勝負、わたしの一方的な勝利です。

>そんな勝ち負けなんか、ついていないのですよ。

復興G様。本気で言っておられるのですか。あれだけ一方的にやられて、「勝ち負けはついてない」ですか。復興Gさまは、「現象とはなにか」との問いかけに答えるために颯爽と出てこられたでのはなかったのですか。結果はみてのとおりの大失敗です。それでも「勝ち負けはついてないのですよ」ですか。そうだったのですか、しりませんでした。

最後はきれいごとで逃げ切りを図られることなど、最初からわかっておりました。ですから最初に、「きれいごとは最後にしてくれ」といったようなことを申し上げたのです。「復興Gさまの勝利です」は強烈なあてこすりのつもりでしたが、どうやらこちらの意図が伝わらずに「逃げ口上」ととられたようですね。

あれは逃げ口上ではなく予定通りの書き込みです。一方的に勝利していながら、なぜわたしが逃げなければならないのでしょう。理解に苦しみますね。

復興Gさまがきれいごとで逃げ切りを図られることなどわかりきったことではないですか。書くべきことははじめから用意しておりました。当方としてはあてこすりで書いたつもりでありましたが、復興Gさまをはじめとして、生長の家の方々は字義どおりに受け取ってしまわれたようでありますね。

>「負けるが勝ち」 ということもありますし、私は、「一切は自分の責任」 と引き受けた方が、真理に於いて、本当の勝ちなのだと思います。

「一切は自分の責任」といわれるのであれば、言葉には意味があるということをご自身の責任でもって、きれいごとではなく正々堂々と述べて見られてはいかがでしょう。

3562神の子さん:2013/12/28(土) 21:52:26 ID:AB6RqYXc

>>3560 :身分いやしきもの様

はい、私の完敗です。

そう書いたのに、

>そんな勝ち負けなんか、ついていないのですよ。

と言ったのは失言でしたね。

認めます。

泥水で顔を洗って、出直します。

ありがとうございました。

合掌 礼拝

3563復興G:2013/12/28(土) 21:57:55 ID:AB6RqYXc

上記は、復興Gです。

3564神の子さん:2013/12/28(土) 22:08:45 ID:VA75U0O.
出直さなくてもいいです。
そっと去って行きましょう。

3565ユタカ:2013/12/28(土) 22:31:26 ID:R1D4Jmeg
>3564

いちいちウルサイ! 足!

3567ユタカ:2013/12/28(土) 22:47:42 ID:R1D4Jmeg
ここで復興Gさまにお尋ねします、

一切は自分の責任とか、 一切を自分で引き受けたものが真理において勝ち。

生長の家の本で自己一切者の自覚とか書かれていますが、イマイチよく分かりません。
一切の現象が我より出でて我に返る。??

そうだった、と思うこともありますが、一切というと、すべての現象という意味だとすると、納得がいかない。
自分がこのような悪い事したかな?と思いますが???

3568神の子さん:2013/12/28(土) 22:52:02 ID:???
復興G様は、出直しの必要はありません。

3569神の子さん:2013/12/28(土) 22:55:19 ID:???
今まで通り投稿をお願いします。

3570復興G:2013/12/28(土) 23:31:07 ID:AB6RqYXc

>>3567 :ユタカさま
>> > 一切は自分の責任とか、一切を自分で引き受けたものが真理において勝ち。<
生長の家の本で自己一切者の自覚とか書かれていますが、イマイチよく分かりません。
一切の現象が我より出でて我に返る。??
そうだった、と思うこともありますが、一切というと、すべての現象という意味だとすると、納得がいかない。
自分がこのような悪い事したかな?と思いますが??? <<

 ――昭和天皇様が、終戦後にはじめてマッカーサー連合軍最高司令官に会われた時、「この度の戦争について一切の責任は自分にあります。国民には罪がないから、飢えに苦しんでいる国民を助けてほしい」 と言われた。

 その陛下のお気持ちは、「自分が悪いことをした」 というような “反省” みたいな暗いお気持ちではなくて、すべては自分である、自分がすべてを引き受けようという、無限の愛のお心、神のお心であったと思います。

 「一切者の自覚」 とか 「一切は自分の責任」 と引き受ける覚悟は、反省して自分を責めるような暗い気持とはちがい、いさぎよい勇気に満ちた覚悟で、恐怖のない大安心の覚悟なのではないかと思います。

 他に責任を転嫁しようとするのは、逃げようとする心だから、かえって恐怖心があって、大安心にはならないのではないかと思いますが……。

 「一切者の自覚」 とは、「われ神なり」 の自覚。すべては自分なのだ、宇宙が自分の手のひらに乗っている、一切は自分の心の展開なのだから、自分次第で世界が変わるのだ、世界は自分の心で支配している、自分は宇宙の主人公、自分は大いなるもの、偉大なる者なのだ! という心でしょう。一切は自分だから、他を愛することは自分を愛することである、となるのだと思います。

3571復興G:2013/12/28(土) 23:52:57 ID:AB6RqYXc

>>3568>>3569 :神の子さん様

 ご愛念、ありがとうございます。

 「自分の顔に泥を塗る(泥水で顔を洗う)」、「顔を洗って出直す」 というのは、フランス・ルルドの聖少女ベルナデットが黄金の薔薇三輪を踏まえた聖母マリアの姿を空中にみて、女神マリアの言葉どおり足下を掘り噴き出した泥水顔を洗った。谷口雅春先生はそのことを 「黄金の薔薇」 という詩に書いて下さっています。
>>3515>>3517>>3521をご参照下さい)

 つまり、過去の自分を捨て去り、神想観をしてさらに新たな気持で、生まれかわった気持で出直す、という意味です。ご心配なさらないでください。

 ありがとうございます。

3572復興G:2013/12/29(日) 00:10:49 ID:AB6RqYXc

 智慧の言葉に、「死ね! 生きる」 というようなお言葉があったと思いますし、イエスも 「己が命を棄つる者は却って生き、己が命を救う者はこれを失わん」 というようなことを言っていますね。自我を死に切る者が、却って大いなる命を生きることになる。それが本当の人生の勝利者である、というのが真理でしょう。

 孫子の兵法でも、相手を生かすこと(敵を徹底的にやっつけるようなことはしないで、むしろ味方につける)の方が大局的には自分も生きる、つまり勝利することになる、というような意味のことを言っていたと思います。

 私もそのようにしたいと、自戒しています。

3573復興G:2013/12/29(日) 06:59:25 ID:AB6RqYXc

 おはようございます。

 >>3572で、「孫子の兵法」 について触れましたが、孫子については、前に <「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板> に書いたことがありました。読み返してみると、面白くて、なかなかいいことが書いてあるなあと、自分で感心しています。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311411528/?q=%C2%B9%BB%D2

 その一部を再掲載させていただきます。

          ○

 『孫子』は、「生きるか、死ぬか」の瀬戸際にあって、どう戦って勝つか、ということを前提とした戦略を伝える書です。まさに、命がけの戦い。負けは死を意味します。だからこそ、絶対に勝たなければいけないんですね。

 生長の家も、ある意味で今、「生きるか、死ぬか」の瀬戸際にあるとも言えるでしょう。だから、『孫子』がとても参考になると思うのです。

 孫子は、この兵法書の中で、「軽々しく戦うな」ということを言っています。たとえば

 「兵は國の大事にして、死生の地、存亡の道なり。」

 という一文があります。これについて、『孫子の至言』の著者田口佳史氏は、

<「戦争というのは国の存亡を分ける重大事である」とし、だからどう行動するかについては、「察せざる可からず」 と言っています。この 「察」 の字は、下に 「示」 とありますね。これは神棚を表し、上の部分は手で肉をお供えしていることを意味します。したがって、神棚の前で雑念のない真っ白な心で自分自身に問いかけなさい、公平無私な判断をしなさい、というのです。「戦いというのは生きるか、死ぬかの大事なのだから、軽々しくやってはいけませんよ」 ということです。

 私たちはときに、どうでもいいことで争うことがあります。命を取られるほどのことはないからいいではないかと言われればそうですが、無用の争いはやはり避けたほうがいい。負ければ、心身の消耗が激しく、命を縮めることにもなりかねませんからね。

 どうしても争わなければならないにしても、絶対に勝てるのか、勝つことの意味は何なのか、といったことを熟慮する必要があるでしょう。

 争い事を前にしたら、むやみやたらと戦いに打って出るのは一番の愚策。命を損なう危険も視野に入れて、慎重に考えなければいけないのです。

≪ 百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。(謀攻篇)

 凡そ兵を用ふるの法、國を全うするを上と爲し、國を破るは之に次ぐ。≫

 ――「国を全うする」 というのは、自国はもちろんのこと、敵国をも無傷のままに勝敗を決することを意味します。

 それが一番上等な戦いで、勝ったとしても敵国に損害をおよぼすような戦い方は褒められたものじゃあないというんです。

 どういうことかと言うと、戦争に勝つことは敵国を占領することが前提ですから、被害が大きければ大きいほど復興が大変です。その任を負うのは戦勝国のほうで、「本当に勝ったんだろうか」 と思えるくらい、戦後の復興に莫大な費用とエネルギーを要するのです。

 そればかりか、これでもかというくらいの攻撃をすれば、多くの人を殺すことになります。当然、負けた国の人々からものすごい恨みを受けるでしょう。

 だから、敵をこてんぱんにやっつけるのは、上等な勝ち方とは言えないのです。>
<後略>

 ──以上は、 『孫子の至言』(田口佳史著)からの抜粋でした。とても参考になる至言ではないでしょうか。

 イエスの言葉では、マタイ伝第10章39節に

 「生命(いのち)を得(う)る者は、これを失ひ、我がために生命(いのち)を失ふ者は、これを得(う)べし。」

 という言葉もあります。「永遠の生命」(永遠のキリスト)のために現象の生命を献げる者が、永遠の生命を得る。イエスは、我れを愛するなら羊を飼え、とも言った。「羊を飼え」 というのは、生命の兄弟である、神の子である隣人を愛せよという意味だと、谷口雅春先生は 『ヨハネ傳講義』 でお教え下さっています。

3574曳馬野:2013/12/29(日) 07:23:34 ID:xR0RYWLc
 
  復興Gさん 余りの独善的解釈ですね
 
そうすると、【形は同一であっても】【釈迦の前にある世界がすっかり変貌してしまったのであります。】そこで釈迦は、【十二月八日の明けの明星を見ながら、】
「有情非情同時成道、山川草木国土悉皆成仏」と悟られたのであります。すなわち「有情」――生きとし生けるもの、「非情」――ありとしあらゆるもの、
悉く 【今】 仏になっている。山も川も草も木も悉く仏の相(すがた)である。

みんな生かし合い、拝み合いの相(すがた)である。【今まで地獄の相だと思っておったのはまちがいだったとお悟りになったのであります。】これが釈迦のお悟りになった縦の真理であります。
(『生命の實相』第39巻 <仏教篇> p.41〜p.42より)

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ――「天地間、ありとしあらゆるもの、生きとし生けるもの、みんなこうして愛し合っている者はもちろん、憎み合っているかのごとく見えている者同士さえも生かし合っている世界なのです。
みんな愛し合いの世界なのです。みんな解け合いの世界なのです。」 と、教えて頂きました。
 ――生長の家で、教団と本流の人々が、いかに激しく争いあっているように見えても、実は拝み合い、生かし合いの相(すがた)である。

ありとしあらゆるもの、悉く今仏になっている。山も川も草も木も悉く仏の相(すがた)である。



 【曳馬野さんは、総裁の忠実なポチか、馬の脚を、一所懸命 演じていらっしゃる。】


あなたも本流派の御仁と同じ、現実を見ること能わず、想像の世界、観念の世界の住人なんですね。志恩女子が私を馬と揶揄した其の儘に私を馬と呼び、総裁のポチと呼ぶ。
佛教篇を引用して滔々と捲し立てたところで、見当違いの結論でもって、目明きメクラの誘導では皆川に落ちてしまいますよ。

上の【  】は私が附けました。

【今まで地獄の相だと思っておったのはまちがいだったとお悟りになったのであります。】と書かれています。【曳馬野さんは、総裁の忠実なポチか、馬の脚を、一所懸命 演じていらっしゃる。】と
思っていたのは間違いであったとあなたは悟られましたか?

当然悟られてはいないですよね、【形は同一であっても】【釈迦の前にある世界がすっかり変貌してしまったのであります。】とあります。

あなたは云う 【 私は、上記の実相を、ひたすら祈らせて頂きます。】と、この祈りは現象が真象そのものの影となることを期待するものでしょう?

この現象の変化を求めているのです、あなたの祈りは。私の行動の変化を求めているのです。然し釈迦の悟り、また雅春先生の解釈は違います。

【形は同一であっても】【釈迦の前にある世界がすっかり変貌してしまったのであります。】なんです。お解りになりますか?

【 私は、上記の実相を、ひたすら祈らせて頂きます。】


あなたが悟れば、今目に見えている形は同じままで、見えている世界がすっかり変貌するのです。そう書かれていませんか?
どこまでも見える世界は信念の影なんです。これは生長の家で云うことですよね。祈ってどうこうしようなんて説かれていますか?
祈らなくてもいいんです、変貌した相が見えれば。祈ったって見えやしません。神癒への道を何十辺も読み、生長の家を60年やり、雅宣先生の実相を20年祈ったところで、
変貌して見えないからうだうだ言っているのでしょう?


【 私は、上記の実相を、ひたすら祈らせて頂きます。】は未来に結果を求めているのではないですか?

【悉く 【今】 仏になっている。山も川も草も木も悉く仏の相(すがた)である。】は未来でなく今ですよね。こう先生は云っているのです。

変化を求める心そのものが不足の表れなんです。求める必要のない世界であってこそ満ち足りた世界、阿弥陀の世界でありましょう。
現象は無いんです、心に浮かぶ心象でしかないのです。あるものはそのままに実相なんです。善悪を超えて。
其の儘の心を大切にすべし、なんです。変えるべきは己の心象なんですよ、外の姿でなく。

少女からの飲み物の供養により生かし合いの世界を釈迦が悟ったと雅春先生は云われるけれど、禅の世界の「明星一見」の悟りは全く違うとされています。

3575復興G:2013/12/29(日) 07:46:45 ID:AB6RqYXc

>>3573のつづきになります。

 孫子に関連しては、<組織 板> の方にも、面白く有益な書き込みがありました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/312

 一部、抜粋再掲させていただきます。

>312 :復興G:2012/01/23(月) 12:34:57
>>311 :役行者様
> いま、高度経済成長の時代に終わりを告げ、ガムシャラにガンバろうという気風はなくなり、一度止まって内面を見つめ、再構築していこう!という時代が始まろうとしています。大きくみて、転換期と思われます。……少なくとも、私は地球規模の転換期と思っています。<

まさにその通りだと思います。
自力で戦ってガンバロウ!とすると、ろくな事にはなりませんね。

 去る12日の日経夕刊「あすへの話題」に、「彼と己を知る」と題し和田昭允氏(東大名誉教授)が、いわゆる「孫子の兵法」について書かれていました。

<引用>
「彼を知り己を知れば百戦して殆(あや)うからず」は先刻ご承知、戦略論の古典「孫子」不朽の箴言だ。(中略)
 相手を“敵”と決めつけないで“彼”とするところに、その深い想いが覗える。
 百戦百勝はベストではない。戦わずに相手を屈するのがよいと説き、戦争は国を全うするのが最善、国を破るのは次善だとも言う。相手を傷つけずに言うことを聞かせるのが一番良いと教える、高い視点からの処世哲学だ。だから英訳書の表題も格調高く「戦争の芸術」だ。ナポレオン、リデル・ハート、毛沢東など、古今東西の戦略家が強い影響を受けたという伝説は十分納得できる。

 朝敵の徳川家を全うさせた明治の新国家建設や、完膚無きまでに叩かれた後、経済大国として全うした日本はその成功例だ。(中略)

 われわれの“彼”は森羅万象、つまり宇宙、地球、環境、社会、職場、家族……であり、“己”は学術、思想と価値観、そして厖大な知識集積から価値を創造する叡智だ。これらを弁えれば、冒頭の言に続く「彼を知らずして己を知れば一勝一負し、彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし」の羽目には陥らない。

 国家をはじめ物事を誤らないためには、まず彼と己をよく見極め、知る。その上で知情意を尽くして有終の真善美を飾る努力をすれば、悔いは残らない。
<引用終了>

 よく、「人を見抜くことが大事」とも言いますが、彼(相手)を本当に知るというのは、「敵ではない。味方である」と知る。「すべて真実の実在は、神と神より出でたる物のみなり。神は完全にして、神の造り給いしすべての物も完全なり」。というところまで見抜く。それが真に「彼を知る」ことである。

 また、「己を知る」というのも、己の長所と欠点を知るというような中途半端なことではなく、「己というものは本来なかった。完全円満な神のいのちだけだった。すべてと一体で調和している自分だけがあった」と知るのが、本当に己を知ることだと思います。そこまで徹底すれば、まさに「百戦して殆(あや)うからず」となるのだと思います。

    ===================
<つづく>

3576復興G:2013/12/29(日) 07:48:22 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/?q=%CC%B5%C5%A8%CE%AE

<組織 板>
>318 :復興G:2012/01/24(火) 10:13:55

<312>で私は「孫子の兵法」について書かせて頂きましたが、それに関連して 「尊師の平法」 というか、谷口雅春先生が 「無敵流平法」 というのをお説きくださっているのを思い出しました。

 それは、剣道の極意も 「敵はない。敵と見える相手も実は自分自身のすがたである」 という自他平等一体の境地で、平常心で立ち向かうと、かえって相手の隙がよくわかって打ち込める。だから 「敵はない」 から 「無敵流」 で、「兵法」 と言わず 「平法」 というのを創始した達人があったそうです。

 やはり剣道をやっていたある方が、師匠は実にゆっくりと剣を動かしているようだのに、隙を突かれて打ち込まれてしまう。こちらは必死で素早く剣を打ち振っているのに、どうしても打ち込むことができない。ところが 『生命の實相』 を読み、「天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき天地一切のものは汝の味方である」というのを拝読して、相手も自分自身だという思いになった。自分自身なら自分の隙は自分だからはっきりとわかる。その境地で師匠に相対して打ち込んだら、相打ちになったけれども師匠も思わずよろけた──というようなお話であったと思います。

>326 :四季眞:2012/01/26(木) 19:06:10 ID:ib/hnTbI
>>318 :復興G閣下

「無敵流平法」
:「日常生活の中の真理・仏典編(第6章〜第7章)」を参照願う。
他に、講話録音テープにもあり申す。

同書をお持ちでない方のために、ご教示頂き申したる
〜第7章より)」を以下に謹写させていただきましょうぞ。

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   天下無敵の世界を造り出すには

 「汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。……」

 こういうように聖経 『甘露の法雨』 には書かれている、そういうように、天地一切のものと和解して何ものにも害されることがない、隙がない、という状態になれるというわけなんであります。

 東海道の豊橋という処に、堀田実先生という人がいる。この先生は、いま(編者註・昭和四十四年当時)生長の家のあの方面の連合会長をしておられるんです。この人は、徳川時代に始まった平常無敵流平法の、そのズーッと孫に当られる方であって、その極意を伝授しておられる、極意の書がありましてね。まあ高さで、あれで四十センチ位、あるいは五十センチ位ありましょうか、和紙に書いて綴じた極意の本です。その極意の本を譲られて読むけれども、よくその意味が解らなかったというのであります。

 ところが或る目、『生命の實相』 を得られて、そして、それをお読みになって、
 「汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。……」

 この、生長の家の神示、神様のお示しを読んだ時に、はじめてこれが無敵流平法の極意であるとわかって、釈然とした──と、言って、その極意の書を僕に 「読んでくれ」 と言って持って来られたことがあるのであります。

 天地一切のものに和解したら、どこにも隙がない。和解がないから隙ができるんです。現在の日本国の現状を見ると、全くこれは隙だらけの敵対だらけの世界である。敵対だらけの世界は、隙だらけの世界である、ということになるんです。

 もう少しこの 『維摩経』 でも読んで貰って、政治家は尚一層精進して、敵の無い、天下無敵の世界を造り出して頂きたいと思うのであります。

<以下、つづく>

3577復興G:2013/12/29(日) 07:49:14 ID:AB6RqYXc

<つづき>

  第7章 禅定とは々天地万物と融合する々こと

(中略)

   自他一体になれば天下無敵である

 この前に言いました堀田実さん、「平常無敵流平法」 という、その祖父の編み出したところの剣道の極意がその家代々伝わっている方です。ヘイ法といっても、兵の法、兵隊の法とは書いてないのであって、平らかな法と書いてある。これはどういう意味かというと、自他平等という意味だそうであります。彼と我とは本来平等の存在で、一体であると言うわけです。そして堀田先生が僕のところへその極意の本を持って来て、「読んでくれ」 と言われるので、僕は読んでみたら、こういうことが書いてある。それは──

 彼と我とは本来一体であって、それは恰度空気のように、どこも一つにつながっているのがわれわれの生命である。それを自覚するのが、それがこの無敵流の平法である。敵はないのである、自他平等である。

 ところが、相手が害念を起して自分を斬ろうと思って、太刀を振り上げる。太刀を振り上げたらその胸のあたりに自然に隙ができるのである。恰度そこに──空気が移動するとその空気が動いたあとが真空になる。そうしたら、隣りにいる空気がスーツとその真空を埋めるように這入って来る──それと同じように、自分を斬ろうと思って太刀を上げると、その上げたあとの胸のところがスーツと空く。その空いているところへ此方の剣がスーツと入る。相手の胸が斬られる、ということになるのである、というような意味が書いてあるんです。まことに素晴しい本である。

 その堀田実さんがこう言われた──

 「自分はまだこの極意をよく体得しないのであるけれども、武徳殿の範士である内藤範士(この人は素晴しい剣道の極意に達して、自分のお父さんから直接その剣道を習って、その極意に到達した)という人がいて、この内藤範士が相手の五段、六段の教士に対して試合をする、その時に、側から見ていると、内藤範士の剣は実にゆるやかにソーッと動いている。まことに静かであって、“静中動あり、動中静あり” とでも言うのですか、実に静かであって、ゆるやかに剣が動いているのに、そのゆるやかに動きながら相手の五段、六段の教士を 『お面!』 『お籠手!』 『お胴!』 とねえ、忽ち入るんです。そうすると五段、六段の教士が、『参りました』 と言って頭を下げている。まことに不思議である」 と。
<後略>

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ――以上で再掲を終わります。

3578復興G:2013/12/29(日) 07:57:53 ID:AB6RqYXc

>>3567 :ユタカさま

上記は、

>>一切は自分の責任とか、 一切を自分で引き受けたものが真理において勝ち。
生長の家の本で自己一切者の自覚とか書かれていますが、イマイチよく分かりません。<<

――のお答えの補足にもなると思いますが、いかがでしょうか?

3579復興G:2013/12/29(日) 08:12:48 ID:AB6RqYXc

>>3574 :曳馬野さま

 私は、上記の 「孫子の兵法」・「尊師の平法」 はまことに至言であると思います。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<< 孫子は、この兵法書の中で、「軽々しく戦うな」ということを言っています。たとえば

 「兵は國の大事にして、死生の地、存亡の道なり。」

 という一文があります。これについて、『孫子の至言』 の著者田口佳史氏は、

<「戦争というのは国の存亡を分ける重大事である」とし、だからどう行動するかについては、「察せざる可からず」 と言っています。この 「察」 の字は、下に 「示」 とありますね。これは神棚を表し、上の部分は手で肉をお供えしていることを意味します。したがって、神棚の前で雑念のない真っ白な心で自分自身に問いかけなさい、公平無私な判断をしなさい、というのです。「戦いというのは生きるか、死ぬかの大事なのだから、軽々しくやってはいけませんよ」 ということです。

 私たちはときに、どうでもいいことで争うことがあります。命を取られるほどのことはないからいいではないかと言われればそうですが、無用の争いはやはり避けたほうがいい。負ければ、心身の消耗が激しく、命を縮めることにもなりかねませんからね。>

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 上記の 「至言」 にしたがい、私はあなたとの論戦はもう終了とさせて頂きます。

 ありがとうございました。

3580身分いやしきもの:2013/12/29(日) 10:39:02 ID:wg729R3g
ユタカ殿

あなたなど相手にしていない。あなたに読んでもらいたくて書いているわけでもない。「読んでない」などと、そんなわかりきったこと、いちいちいってもらわなくてけっこう。勘違いしなさんな。あなたが読んでいるなどとは誰も考えていない。

「来るな」というのであれば、わたしのことをここで書きなさんな。書くだけ書いて「来るな」とはどういうことか。来てほしくなければなにも書くな。

それにしても、復興Gさまは、わたしと訊け様がやりとりしている最中に、割り込むかのように出てこられましたのに、わたしには「来るな」というのもおかしな話ですねえ。復興G様は割り込んでもよいが、わたしは割り込んではならない。掲示板にこのような新ルールでもできたのでしょうか。

復興Gさまは、「一切者の自覚」などといっておられながら、自分と意見のあわぬものは排除したいかのように、わたしとの対話を避けておられるようにも見受けられます。

「雅春先生は、現象世界はひとりひとりがつくっている」といわれていると、復興Gさまはたしか書いておられましたよね。「ひとりひとり」とはどういうことか、ほんとうにわかってお書きになられたのでしょうか。これこそが「一切者の自覚」ではないのですか。ただ漫然と引用されただけのようですね。

>「雅宣先生はおかしい」と観ることそのものがおかしい、これはあなたも本流の方も同じです。この観たものが現れると云う真理そのものがどうですかね。
雅春先生が孫の一人が生長の家の真理を肯定しないと詳密講習会で云った、と云った人がいましたが、これこそ現象を観ての発言でしょう

曳馬野さまはこのように書いておられます。復興Gさまがみておられる世界は復興Gさまがご自分でつくっておられるのですよ。このことを復興Gさまはいまだ自覚しておられないようです。

復興Gさまは、「総裁はおかしい」と本気で考えておられるのですか。これが「一切者の自覚」なのですか。「総裁がおかしい」とすれば、それはいったい誰の責任ですか。復興Gさまご自身の責任ではないのですか。「総裁はおかしい」と本気で考えておられるのなら、これはあきらかな責任転嫁でありましょう。

しかも「一切者の自覚」といわれる復興Gさまが、わたしをなぜ避けられるのでしょう。わたしは、「言葉には意味がない」とする根拠を、たとえたどだとしくではあってもこれまで述べてまいりました。これにたいして、生長の家の方々は、「言葉には意味がある」とただこのひと言を述べられるだけで、根拠はいっさい示そうとはなされません。

根拠を示せないのは、「意味はある」とする考えが間違いだからです。「物質はない」とする根拠は示せるのにたいして、「物質はある」とする根拠はいっさい示せないのとおなじ道理です。「物質はある」とするのがたんなる思い込みであるように、「意味がある」とするのもたんなる思い込みなのです。だから根拠を示せないのです。

「いずれにしましても、一切者の自覚」といわれるのであれば、ご自分でおつくりになられた世界に責任を持つべきではありませんか。割り込む、逃げる、避ける。これが復興Gさまのいわれる「一切者の自覚」であり、責任の取り方というものなのでしょうか。

復興Gさまはどうやら、自分を批判しない人々、脅威とならない人々、反証不可能な超越項が通じる人々だけを相手にしたがっておられるようですね。反証不可能な超越項をもちいずしてはなにも語れない。これが復興Gさまの限界なのです。限界をあらわにされる相手とはかかわりをもちたくない。これも道理というものです。

ここの掲示板もついに有料掲示板へと衣替えしたようですね。情報は筒抜けというわけですか。もしそうであれば、いったい誰の差し金なのでしょう。

3581復興G:2013/12/29(日) 10:49:14 ID:AB6RqYXc

 「一切者の自覚」 を持てば、現象世界が乱れて危機と見えれば、「現象はナイんだ」 と言って放(ほう)ってはおけない、そして、祈りも愛行であり広義の行動でありますけれども、祈りに基づいた、さらに積極的な行動も当然起こすことになる。自分は泥をかぶっても、現象界が正常に、清浄になるように身を捨てても何とかしたいと思い、行動するのは当然でしょう。

 菩薩は、「己れ未だ度(わた)らざる前(さき)に他を度す」 のが使命ですから。

 私は、

 「生長の家は、谷口雅春先生が宇宙大生命の啓示を受けられて、あらゆる宗教の神髄はみな一つの大生命の救いの放射光線であり宗派争いをする必要はなく、本来の教えの神髄は一つであるとして、すべてを生かす道を示された。これぞ究極の世界平和をもたらす、人類最後の最高の道である」

 と信じています。

 その、神が始められた生長の家の運動が、現象界では総裁が還暦を迎えられた今もまだ副総裁=次の後継者、第4代総裁になる方が決まっていない。

 生長の家は、「天地一切のものと和解せよ――まず汝の兄弟と和せよ」 という御教えであるが、総裁のお身内の文字通りの ご兄弟姉妹などが、和して協力されているお姿が見えない。

 生長の家の根本聖典、神殿であるとされる 『生命の實相』 のご本や、聖経 『甘露の法雨』 を、生長の家本部や教化部で買えないような状況があらわれている。

 これは、生長の家教団の危機であり、ひいては世界人類の危機ではないか、と思われる。

 その責任を、ただ総裁お一人に押しつけて、「総裁が間違っている。雅宣総裁を退陣に追い込め」 というような行動をしようとは思いません。

 それは、生長の家の御教えに反し、天地の真理に反することである。

 「一切者の自覚」 をもって、御教えに従い、真理に従って行動したい、というのが私の根本姿勢であります。

 真理にのっとった行動をするためには、まず己れを無にして、命がけで御教えを、真理を学ぼう、ということでこのweb誌友会は20回を重ねてまいりました。

 真理にしたがって、私は、人類を救うには、まず家庭が救われ、生長の家が救われなければならない。生長の家が、「天地一切のものと和解」 した姿があらわれるように、「既に和解し調和したすがた」 が実現していることを日々祈るとともに、それが本当に実現する日が一日も早く来るように、自分の立場で出来ることをするのが、私の使命であり、最大の愛行になるのではないかと、今思っています。

 私は今月(今年)いっぱいで、今まで20回のweb誌友会のまとめをして、いったんここから退場させて頂きたいと、今月初めに申し上げました。

 その今月(今年)が、あと残すところわずかになりました。

 今日も、午後からは約束行事がありますし、明日からは息子たちや孫たちもやってくる、で、とりいそぎ、がんばって、もう少し具体的に思うところのまとめをしたいと思っています。

3582身分いやしきもの:2013/12/29(日) 10:50:32 ID:wg729R3g
>軽々しく戦うな

わたしと訊け様とのやり取りに割り込むまえにこのことに気づいておられればよかったですね。

3583トキ:2013/12/29(日) 11:49:51 ID:maZgyHM6
>>3580

身分いやしきもの 様

ご投稿、ありがとうございます。最近、用事のため書き込みが減っており、皆様にもお詫びします。

>>ここの掲示板もついに有料掲示板へと衣替えしたようですね。情報は筒抜けというわけですか。

 の下りですが、管理人は無料で場所をお借りしております。宣伝などが入っているのがその証拠でも
あります。もちろん、有料になって宣伝、広告が入らなくなるのなら、それはそういたしますが、現在
は無料掲示板です。

 あと、投稿者様の情報は外部へは提供をしておりません。

以上、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3584曳馬野:2013/12/29(日) 17:03:20 ID:xR0RYWLc

 復興Gさん

>>3576 >>3577での無敵流平法の解説でもって禅の悟りの世界を述べたつもりでしょうか?

>>3453でこう書きました


●盤珪禅師は或る侍が「剣の達人があなたに切りかかれば避けることは出来ないでしょう」と云ったのに対して、打ってみなさいと云い、侍が一瞬躊躇

したとき、我既に打ったと云いました。坊さんが侍の剣には負けないと云ったのです。

それについて雅春先生は、昭和18年の生長の家誌5月号で、平法無敵流の極意について、「それは理論として面白いし、武道以外の日常生活では

自他一体が常勝の道であることが体得せられますが、剣を以て立会う武道では、どういう姿で現れてくるか想像が付かなかったのでありますが…」

と書かれ、その時点では武道での自他一体の行動はとれていないことを表明されています。これは「私もこの教えで修行中です。」と云われていたことを

裏付けていると思います。ですから「実相の大地に降り立ったのである」と云われた心境が如何ほどのものであるかは判りません。


reiさんは「実相の大地に降り立ったのである」との心境が分かった気がすると書かれました。

わたしは「実相の大地に降り立ったのである」と云われた心境が如何ほどのものであるかは判りません。と書きました。

禅の悟りが生長の家より上か、との問いの答えを書きましても何らの答えは有りません。
ある意味生長の家の悟りについての疑問を呈したのです。

● 私たちはときに、どうでもいいことで争うことがあります。命を取られるほどのことはないからいいではないかと言われればそうですが、
無用の争いはやはり避けたほうがいい。負ければ、心身の消耗が激しく、命を縮めることにもなりかねませんからね。

これが至言ですか?
雅春先生の悟りと禅の悟りについてのやり取りはどうでもいいことなんですね。そしてただ信ずると云うもので、これが生長の家であるとして
示していこうと云うことですか?

  つづく

3585曳馬野:2013/12/29(日) 17:04:51 ID:xR0RYWLc
>>http://www.geocities.jp/ikiiki49/page006.html 子供たちに教えたい維新の偉人『山岡 鉄舟』 より

こんなエピソードがあります。明治天皇がお若い頃のある日、鉄舟たち侍従とのお酒の席で
鉄舟に相撲を挑まれ、鉄舟を押し倒そうとされました。天皇と臣下(じんか)、普通なら天皇に勝ち
をゆずるでしょう。しかし鉄舟は、飛び掛られた際に横にかわし、天皇は鉄舟の後ろに倒れて
しまわれました。周囲は鉄舟に謝罪を勧めましたが、鉄舟はこれに応じず、「陛下と相撲を取
ることなど、この上ない不倫(ふりん)であること。また、わざと倒れるのは迎合することであるこ
と。またもし、私が怪我をすれば陛下はどれほど後悔遊ばされるか。もし陛下が私を悪いと仰
せられるなら、謹んでこの場で自刃してお詫(わ)び申し上げる覚悟であること。」を決然と言いま
す。

 明治天皇は鉄舟の言葉をお聞きになり、「私が悪かった。」と仰せになったとのことです。
決死の覚悟でお諌(いさ)めする鉄舟、非を素直に認められるお若き日の明治天皇。このよう
な、君臣(くんじん)互いに信頼の絆(きずな)で結ばれているのが、日本の伝統なのでしょう。このよ
うな情景は、昭和20年、終戦後にも、昭和天皇と国民との間でGHQ相手に遺憾(いかん)なく発
揮されました。

>> http://rakudo.jp/category/05 楽道庵ホームページ 山岡鉄舟Ⅰより

「私は年齢が八、九歳の頃、母が文字の書法を教えてくれた。たまたまその中に忠孝という文字があるのを見た。私はどういう意味かを不審に思い、
母にそのいわれを尋ねた。母が言うには、忠と申す文字は、その使う場所によってさまざまな解釈もあるが、この場合は主君に仕える心の正しさをいう。
孝と申す文字は、父母に仕えるという意味である。しかし忠と孝とはもともと根本を同じくするもので、人がこの世で生きる上で、
必ずこの道理をわきまえなければ、人として生まれた甲斐がないばかりか、申し訳が立たぬものであると、大層情感を込めて話された。
けれども、私は幼年のこととて、それがさほど効能のあるものとは思えなかったが、母の膝によりながら、じっとその顔を眺めてみれば、
母は何となく深い心を含んで言われたように見受けられたので、私は幼な心に、母様よ、母様は常にその道を守られているのですか、
また私はどうしたらその道を行ない尽くすことが出来るのでしょうかと、何気なく質問したところ、母は何やら心に感じたところがあったようで、
はらはらと涙を流しながら言われるには、オー鉄よ鉄よ、母も常にそのように心がけてはいるものの、至らない女であるがために、未だこれといった成果もなく、
誠に残念に思っている。そなたは幸いに丈夫な身体に生まれついたのだから、必ず必ずこの母の教えを忘れないでおくれ。
忠孝の道は、その意味はなかなか奥深いものがあり、今日そなたに申し聞かせても容易に心に合点するというわけにはいかないでしょう。
これからはこの心を持って修行に専念すれば、将来において自然に了解することもあるでしょう。必ず必ず、うち捨ててはなりませぬと、
心を尽くして述べられた母の至情の教訓は、この出来事において私の精神にしみ渡ったのである。」


このように鉄舟は述懐しているが、我が子の目前で真情を吐露する母に感応道交して、鉄舟の幼い心にも生涯忘れ得ぬ至誠心が刻印されたのであろう。
母たる人の家庭教育がいかに大切かが知られるのであり、鉄舟の母のように、真心や至誠心をもって教育すれば、
子供はきっと立派な皆から尊敬される大人に成長するであろう。
すでに十五歳の折りには、「修身二十則」を作って自らの日常の言動を戒め錬磨している。


  つづく

3586曳馬野:2013/12/29(日) 17:18:59 ID:xR0RYWLc
「道の師」との出会い

特筆すべきは、「道の師」と鉄舟が呼んだ山岡静山との出会いである。静山について鉄舟がどのように感じて師事していたかを、静山が二十七歳で急逝した後に
鉄舟がしたためた一文から窺うことが出来る。

「そもそも静山の槍法に絶妙なることは海内無双にして、何人も称する所なり。而してまた内深く忠孝仁義の道に入念せらるる事、天下この人を凌ぐもの
また何人かある。けだし静山の技は、無我の真の発動なるべし。これ我の最も敬服する所なり。鉄太郎は剣法を修し、静山は槍法の達人なり。故に我静山の技に
対して師事するにはあらず、服する所はその心事の明鏡止水の如く、厚徳山の如きにあり。故に我その技の異なるにもかかわらず、しばしばその門に接して
教えを受く。」
(そもそも静山先生がやりの術に絶妙であるのは、日本随一であり、何人も称賛するところである。そして更に内面的には深く忠孝仁義という人の道に心血を
注いでおられることは、天下にこの人を凌ぐ者が何人あろうか。まさしく静山先生の技は、無我の真の発動であるに相違ない。これこそ私が最も敬服するところ
である。私鉄太郎は剣法を修行し、先生はやりの達人である。従って、私は先生の技に対して師事したのではない。敬服したのは、先生の心境が明鏡止水の如く
に一点の曇りも無く、徳の厚きこと山の如くであるからである。それ故、私は技が異なるにもかかわらず、しばしばその門に出入りして先生の教えを受けた
のである。)
(『鉄舟随感録』52頁)


また、師の静山の方も、常に人に語ってこう言っていた、「世間には青年が数多くいるものの、技芸に長ずれば真の勇気がなく、気概があれば技芸が拙く、
とかく困り者が多い中で、ただ小野鉄太郎だけはまことに鬼鉄のあだ名に恥じず、心根の寛厚な(度量が大きく手厚い)ことは、まるで菩薩の再来かと思われる
ほどの者であるから、彼の行く末は必ずや天下に名声をとどろかすものとなるであろう。頼もしいものだ」と。

「この弟子にしてこの師あり。この師にしてこの弟子あり」と言うべきか、何という高潔な素晴らしい師弟関係であろう。結局、静山の弟で同じく槍の達人で
あった高橋泥舟の懇請により、鉄舟は尊敬する師静山の跡を継いで、禄高がはるかに高い小野家の跡取りの身でありながら、静山の妹と結婚して小禄の山岡家を
相続することになるのである。この逸話もまた、一点の私心や打算を持たぬ鉄舟の無我至誠の人柄を如実に示している。

静山の妹のお英(ふさ)も、そうした鉄舟の風格にぞっこん惚れ込んで、「鉄太郎さんと結婚できなければ、私は自害します」とまで言い切ったという。
鉄舟は当時「ボロ鉄」と呼ばれるほど生活に困窮していたが、それはお英にとって問題ではなかった。鉄舟の方も、「おれのようなものをそれほどまでに思って
くれるのか」と感激したことも、山岡家を継いだ大きな一因である。

鉄舟は急逝した静山の死を悼んで景慕の情に堪えず、毎晩人知れず墓参したという。寺の和尚は大柄の鉄舟を怪物だと勘違いし、泥舟に伝えた。そこである日、
泥舟が窺っていると、雲行きがあやしくなり、ついにはものすごい雷雨となった。その時一人の大男が風雨をついて走ってきて、静山の墓前でうやうやしく
礼拝して羽織を脱いで墓にかけ、墓に向かってあたかも生きている人にものを言うかのように、「先生、鉄太郎がおそばにおりますから、どうぞご安心遊ばせ!」
と言いつつ、雷雨が過ぎるまでそのまま守護していた。これは静山が雷が苦手だったからである。物陰からこの様子を見ていた泥舟は、亡兄に対する鉄舟の
至誠心を目の当たりにして、感涙にむせんだという。

  つづく

3587曳馬野:2013/12/29(日) 17:37:32 ID:xR0RYWLc
無我・至誠の実践

鉄舟は二十三歳の折りに「心胆錬磨の事」という一文(『鉄舟随感録』125頁)を書いているが、そこで彼は心胆を錬磨することの奥義を自ら
体得するために、「古今の聖人傑士」がいかにしてその道を修得し、また発揮したかを、その事蹟を学ぶことによって、考究したという。
そして、「我れ幼年の時より、心胆錬磨の術を講ずる事、今日に及ぶといえども、未だその蘊奥(極意)を極むる事あたわざる所以のものは、
一つに我が誠の足らざるが故なり」と述懐している。

また、鉄舟が明治天皇の侍従をした功績を認められて叙勲されようとした時に、「まだまだお尽くし足らぬと思っているのに、叙勲などもってのほか
だ」と断言し、「喰うて寝て何も致さぬご褒美に、蚊族(「華族」と同音語)となってまたも血を吸う」と自嘲した。これこそ実に鉄舟全幅の赤誠の
表現である。

鉄舟は天皇の教育係役を西郷隆盛からのたっての依頼で引き受け、天皇から最も信頼された側近であった。しかも彼の前の主君は、
最後の将軍・徳川慶喜であった。将軍にとって代わって最高権力の座についた天皇に新たに仕えることになった鉄舟は、殊に将軍の部下であった
旧武士達から口さがない批難を浴びた様であるが、それでも彼は一向に弁明などせずに天皇にお仕えした。鉄舟にとっては、徳川将軍に仕えるにせよ
明治天皇に仕えるにせよ、いずれも至誠の一直心(じきしん)を行ずることに他ならず、自らに顧みて何ら天に恥じることがなかったからである。

孔子は大聖人であるが、その孔子にしてなおかつ、「勤勉では私も人並みだが、君子としての実践では、私はまだ十分には行かない」
(『論語』述而第七、103頁)とか、「君子の道は四つ有るが、私は未だその一つをも行なうことが出来ない」(『中庸』第十三章)などという
恐るべき述懐がある。私見に依れば、これこそ「意・必・固・我」の四つを断たれた孔子の無我・至誠のおのずからなる発露に他ならない。

孔子が「自分は君子の実践すらまだ不十分だ」と述懐され、鉄舟が我が身の誠の足りないことを痛感することこそ、無我と誠の実践そのものである。
自分は何でも出来る、足らぬところがないなどと自負する人は、傲慢で鼻持ちならなくなってしまう。それは結局、我が身可愛さ故の「身のひいき」
であり、我見である。これに対して、誠を実践躬行する人は、その限りのないことを知れば知るほど、ますます謙虚になって行く。
世語に「実るほどこうべ(頭)を垂れる稲穂かな」というのも、ここのところを指すのであろう。

以上楽道庵ホームページより


●生長の家の混乱は須らく本流派の頭領方の無我至誠の足らざるによるものと私は思うものであります。

生長の家無き古より無我至誠の道は有り、鉄舟居士が禅により大悟することによってそれを獲得したものであります。

生長の家により斯くの如き至誠の人如何ほど排出されたのであろうか。

 復興Gさんが斯かる至誠の人となられることを祈念し、誌友会最後の投稿とします

3588ユタカ:2013/12/29(日) 20:14:38 ID:R1D4Jmeg
トキさま
>3566 >3561を削除してください。よろしくお願いいたします。

身分いやしき者さまへ

ユタカの先の投稿は本当に大変失礼いたしました、身分いやしき者様に大変申し訳ございませんでした。反省をし、お詫びをして只今削除をお願いいたしました。
どうぞ、ごゆっくりお話をなさってくださいませ。どうぞ、どうぞ。
朝から仕事で今、帰宅いたしまして大変失礼をいたしておりました、今となりました事も合わせてお詫びいたします。
では、ごゆっくりお気の済むまでお話くださいませ。

3589神の子さん:2013/12/29(日) 21:21:40 ID:GRAXV.Tc
>>3565
身分さんのように、理路整然と上品に述べてください。

3590志恩:2013/12/30(月) 07:19:05 ID:.QY5jUA6
皆様へ

楽天ブログに「山岡鉄舟の臨終の見事さ」という文章が載っていました。

鉄舟は、涅槃の時を悟り、身を清めてから正座して、家族や、彼のもとを訪れた勝海舟に
穏やかに 別れの言葉を告げ、その後、「坐亡」されたのでした。

鉄舟は、胃癌だったそうです。
東郷平八郎は、喉頭癌だったとあります。

昔は、鎮痛剤も今のようには 進歩していなかった時代でしょうから、
武士道は、我が身を襲う 末期癌の痛みにも 強かったのでしょうか。

すごいことですね。

この鉄舟の武士道は、仏教から得た、とありました。
http://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/8001/


生長の家にも、
使命を果たされた後、穏やかに「坐亡」された本部講師がおられますことは、
生長の家のお方ならどなたでも、ご周知のとおりです。

榎本恵吾がそうでしたよね。「坐亡」されたお方でした。

榎本恵吾先生は、
平成17年7月12日、

3時まで神想観の先導をされ、部長会議にも出席され、その日の仕事を終えられた榎本先生は、ご帰宅。
不調を訴えられて、市内にお住まいの三女・四女 を呼び寄せられ、すぐに一子奥様もご帰宅。ご家族と居合わせた藤原職員とで、聖経を読まれました。
          
その後、駆けつけた祈願部の畑本職員に翌日の神想観先導に関する指示をし、「聖経を読んでくれるかね」と自宅に招き入れた。
そこに、なんと服部仁郎先生自筆の人型が届いた。

実は、榎本先生はお若い時に服部先生に学ばれ、先日の教修会で 服部仁郎先生自筆の人型を持っているという古くからの信徒さんに、
コピーさせてもらう為に送ってもらう事を お願いしておいたのそうです。

しかし送られてきた日、時間はまさに、その日の その時間であった。
榎本先生は、「祈願に携わる者にとって こんなに喜ばしいことはないねぇ」と、心から喜ばれたそうです。

そして引き続き聖経「甘露の法雨 」を家族とともに読誦。最後に「實相を観ずる歌」を皆で音読。
その直後、姿勢を正されたまま、『坐亡』されたのでした。

ちなみに、
徳久克己本部講師は、現場を離れて、1時間後くらいに亡くなられておられるそうですし、
藤原敏之先生も、ご自宅で眠るように大往生されてますし、
平岡初枝先生も、そうですし、

私の存じ上げている人類光明化運動に生涯挺身された大先輩の生長の家の先生方は、ご臨終の折りも、皆様 見事でいらっしゃいました。

やはり、生長の家でも、仏教でも、キリスト教でも、
道を極めた方々は、ご臨終の時でも、共通している見事さが、ございますね。

3591復興G:2013/12/30(月) 12:16:06 ID:AB6RqYXc

 ありがとうございます。

 私はいま、生かされていることがありがたく、ありがたく、しみじみと幸せを感じています。

 身分いやしき者様が、「言葉には意味がない」 とおっしゃるのは、言いかえれば 「言葉の意味は無量である」 ということだろうと、私は思っています。

 「無量」 は、「量が無い」 とも読めますが、「量(はか)り知れない」 ということです。

 限定された言葉では表現できないほどの、すごい意味があるということです。

 たとえば、「物質はない」 というのは、「物質は物質ではなく仏のいのちである」 ということだとも言われる。

 原子番号1の、最も簡単な構造の水素にだって、無限の可能性がある。酸素と結合して水H2Oになり、水はいのちだとも言われる。もし海水から水素を安価に分離する技術でも開発され、その水素を燃料電池に使えば排気ガスは皆無で排出されるのは水だけだから、最高のクリーンエネルギー源となる。水素はすばらしい宝である。

 いわんや、「肉体はない」 と言っても、以前 「驚異の小宇宙 人体」 という番組がNHKで放映されたことがあったが、その精妙な構造やはたらきには驚くほかはなく、肉体は大宇宙の叡智の結晶ともいうべき傑作芸術作品でもあって、肉体を粗末にしてもよいということでは決してない。

 「言葉」 というのも、単なる記号ではない。その背後には、はかり知れない意味がある。言葉にはいのちがある。

 「時間」 とは何か。時間は本来ない、それは架空的観念であるとも言われる(『神 真理を告げ給う』)。が、また、「『時は金なり』 という諺もあるが、時は金銭のような安っぽいものではなく、時はいのちである」 とも言われる(生活篇)。

 「時間を生かして使え」 とも言われるが、榎本恵吾先生は 「自分が時間を生かすというより、自分は時間に生かされていたんだ」 と言われた。

 時間がなければ、空間もない。時間・空間がなければ、生命の表現は出来ない。時間がなければ音楽の演奏は出来ないし、画を描くことだってできない。時間とは何かと問われても、すぐには答えられないほどのものである。

 で、私は 身分いやしき者さまと 「実相哲学を論じる部屋」・「本流対策室/5」 でやりとりさせていただいた結果、

<私にとって、
 「時間・空間は、愛行の場であり、喜びを表現し、幸福を味わうことのできる場である」
 と自分では確認することができました。>

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/5070

 と、確認できたことは、まことにありがたいことでした。

3592復興G:2013/12/30(月) 12:16:46 ID:AB6RqYXc

 さて、私は、今月初め(12月2日)に、次のように書いています。

≪ いま私は、この12月を区切りとして、この掲示板から退場させて頂きたいと思っています。

来年1月から、新たな場(リアルの世界とネット空間の双方ともに)で、私の生命表現、使命実現をして行きたい。

a hope さまが聖典引用板に謹写して下さった
<< 「知」 が 「信」 によって生命を吹き込まれ、更にそれを愛行によって実践するとき真理が生動するものとなるのです。>>
とご教示いただいている愛行を、新たな場で、全生命をかけて実践して行きます。≫

 と。

 その12月が、残りすところあと一日の三十日(みそか) となりました。晦日(みそか)は月末の意味として使われ、12月は31日を 「大みそか」 と言いますが、もとは三十日を 「みそか」 と読んだのだということです。

 太陰暦(「太陰」は天体の月の意味で、月の満ち欠けの周期を一ヵ月とする暦法)では、一ヵ月は三十日と決まっていたから、月末が三十日(みそか)だったんですね。

 「みそか」(三十日)は、「つごもり」 とも言う。それは、「月ごもり」(月がこもる、見えなくなる)ということから来ています。月が地球の影に入って、見えなくなるのが三十日。一日にもまだほとんど見えなく、三日ごろには利鎌のような細い月が見えてくる、それが三日月(みかづき)。月なかばの十五日ごろ、月はまん丸の満月となる、それが十五夜。

 それは、余談でした。

 さて、今月初めに私が

 「12月を区切りとして、この掲示板から退場させて頂き、来年1月から、新たな場(リアルの世界とネット空間の双方ともに)で、私の生命表現、使命実現をして行きたい」

 と申し上げたときに、私が考えていたのは、1月から私の実名を前面に出したホームページ(ウェブサイト)を作ろうと考えていたんです。

 しかし、今月は忙しくてウェブサイト作成の準備は進んでいなくて、1月1日から公開したいと考えていたのは、延期せざるを得ない状況です。

 また、実名を前面に出して――ということも考え直して、まずは 「復興Gのウェブサイト」 としてスタートする、というように、計画変更します。

 私は、このweb誌友会板で20回にわたり、研鑽させていただき、とてもとても大きな収穫を得ることができたと申しましょうか、自分の信仰を確実なものとし、魂の生長をとげることもできたと、本当に感謝しています。

 この場を設けて、日夜、心の安まるいとまもないほど大変なご心労もあったのではないかと思われるような運営管理をしていただき、無料開放してくださったトキ様、本当にありがとうございます。

 この場に出て、真心を尽くして発言し、共に研鑽に励んで下さった皆々様、ありがとうございます。

<つづきます>

3593復興G:2013/12/30(月) 12:17:27 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

 思えば、このweb誌友会の指導者は神様でなくてはならない、私は無になって、神様から、またご参加の皆々さまからご指導を受けるのだ、という気持で臨んでまいりました。

 その結果、この場で私が書き込ませて頂いた言葉は、自分の言葉とは思えない、何者かに導かれて、すばらしい言葉がたくさん出てきたような気がします。それは、皆さまのご発言、問題提起ご質問などがきっかけになってのことでもありますが。

 たとえば、最近では、「愛行について」 ということで谷口雅春先生の特別御講話 「伝道とは愛の実践」 のお言葉が浮かんできたり、24日朝に 「顔を洗って出直して来い」 という声なき声が聞こえてきたような気がして、「黄金の薔薇」 の聖詩や 『愛と光との生活』 第1章の御講義が浮かんできたり、「孫子の兵法」―「尊師の平法」 が浮かんできたり――

 みな、何者かに導かれて自然に浮かんでくるといった感じで、自分でも感心しながら、それを深く学ばせて頂いているんです。

 そのようにして、直接には私の手を通して神様からいただいた、尊いお言葉が大分たまったように思います。

 その中には、まだ消化し切れていないと言いますか、自分の身についていないものがいっぱいあるような気がします。

 それで、来年に入ったら、しばらく、私は今までに戴いたそれらの神のみことばを、もう一度振り返って整理し、咀嚼し直したいと思います。

 それで、月初めに申し上げましたように、しばらくこの場から退場させて頂きたく、お願いを申し上げます。

 このweb誌友会でお出会いした皆さまは、ただならぬご縁があって、魂の響きが共鳴し合えた方たちであると思います。

 身分いやしき者様、曳馬野様も、もちろんそうです。

 ありがたく、限りない感謝と祝福の祈りを捧げます。

 さて、私はこれから、一応退場させていただいても、二度と出て来ないということではなくて、ときどき来させて頂きたく思います。

 どうぞよろしくお願い申し上げます。

 午後からは、離れたところに住んでいる息子や孫たちもやってきますので、言葉足らずですが、皆さま、ご健康に、ますますお幸せ一杯の、良い新年をお迎えくださいますように、祈念申し上げます。

3594トキ:2013/12/30(月) 19:37:58 ID:rKKJiETs
復興G様

 web誌友会での素晴らしいご指導、ありがとうございました。また、たまにこちらにも
お越し下さるとの事で、とても安心しています。また、サイトやブログ等を作られた時には
こちらでお知らせ下されば幸いです。

 現在、教団内部では、なかなか復興G様のような碩学の講師の指導を受ける機会が減って
います。そのため、真面目に信仰を勉強をしたい人には残念な状況になっていると感じます。
この掲示板を見る人が、復興G様のご指導をご覧になられ、生長の家の信仰を深める契機に
なれば、管理人としても嬉しく思います。

 本年、復興G様から賜りましたご恩に深く感謝申し上げると共に、来年のご活躍を心から
お祈り申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3595ユタカ:2013/12/31(火) 09:34:12 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

ありがとうございました。 落ち着いたら?たまに顔を出してくださる事を心から嬉しく感謝申し上げます。

そして孫子の兵法など、正月明けたらプリントしてじっくり読みたいです。

有難うございます。 宇宙一杯ありがとうございます。 復興Gさま、大好きだよ!!

また、ここで会える日を楽しみにしています!!

復興Gさま、トキさま、みなさま、良いお年をお迎えください。
来年は午年です、皆さんの全てがウマくいきますように・・・

感謝、合掌 ありがとうございます。

3596復興G:2013/12/31(火) 21:24:10 ID:AB6RqYXc

>>3594 :トキさま

>>3595 :ユタカさま

ありがとうございます。

ユタカさまが、

>>来年は午年です、皆さんの全てがウマくいきますように・・・<<

 と書いて下さったので、干支(かんし、えと)について私が 『干支の活学』 という安岡正篤(まさひろ)先生の著書から学んだこと――それはとても示唆に富んだ興味深いものだと思いましたので、少しご披露して、新年を迎えるにあたっての最後のご挨拶を申し上げたいと思います。

 安岡正篤著 『干支の活学』 を読み返そうと開いて、まず最初に目に飛び込んできたのは、次の言葉です。

          ○

  いついかなる場合にも喜びの心を(『干支の活学』 p.31)

 先哲の教えに、「人間はいかなる場合にも喜神を含まなければならない」 ということがございます。「喜神」 とは 「喜ぶ心」 であります。言うまでもなく我々の心の働きにはいろいろあって、その最も奥深い本質的な心、これは神に通ずるが故に 「神」 と申すのであります。

 人間はいかなる境地にあっても、心の奥底に喜びの心を持たなければならぬ。これを展開しますと、感謝、あるいは報恩という気持になるでありましょう。新しい年を迎えて世界の国々を見渡した時、しみじみとこの日本の平和な新年に喜びを感ぜざるを得ないのであります。

          ○

 新年を迎えるにあたり、まず、この 「いついかなる場合にも喜びの心を」 ということを忘れずに、明るく前進いたしましょう。

 さて、来年は午(うま)年ということはよく言われますが、干支(干支――十干・十二支)と言うのは本来、生命あるいはエネルギーの生長変化の過程を系統的に分類したもので、干(かん)が幹(かん、みき)、支(し)は枝(し、えだ)であると言われます。

 来年は、「甲午(こうご、きのえ・うま)の年です。

 『干支の活学』 には、いろいろな干支の年について、その干支の意味を説いてありますが、「甲午」 の年については出ていません。それで、この本に出ている甲寅(こうえん、きのえ・とら)昭和四十九年の意味解説と、丙午(へいご、ひのえ・うま)昭和四十一年の意味解説の文章から、学んでみましょう。

 まず、干の 「甲」 の意味を知るために、甲寅(こういん、きのえ・とら)昭和四十九年の意味解説から――。

<つづく>

3597復興G:2013/12/31(火) 21:24:57 ID:AB6RqYXc

<つづき>

≪安岡正篤著 『干支の活学』 より抜粋引用≫

   甲寅(こういん、きのえ・とら) 昭和四十九年

 惰性を排し協力して創造・建設すべき年

 甲寅の教訓

 新年は甲寅(こういん)である。「甲」 は 「かいわれ」、草木の鱗芽が外に発現する形象で、「はじめ」 を意味し、したがって 「はじまる」 とも訓む。

 人間のわがまま勝手な理屈にうんざりしている人たちは、当然古来の勝れた賢哲の教えに改めて心を傾けるか、それも実は肩が凝るという面々は民間伝承の優れた智恵の言葉というようなものに強い魅力を感じている。

 近年送歳迎春ごとに、私が干支というものの新しい意義と教訓とを解説したのも、そういう心理の動きを察してのことであったが、この頃特にその要請が顕著になってきたようである。

 新年甲寅の 「甲」 はかいわれで、要するに旧来の殻を破って、新しい創成を始めることであり、革新政治にもなると同時に、甲(こう)は狎(こう)に通じて、狎れあってしまう。「寅」 も本義は人が手を合わせて確約する象形で、進む意と共に、敬(つつし)む意を大切とする。その誼を共にするのが同寅(どういん)で、同寅は同僚のことである。同僚は互いに寅(つつ)しみ亮(たす)けあうべきものである。

 そこで甲寅の干支は、「旧来の惰性を排除し、協力一致して、大いに新しい創造・建設の活動を始めてゆかなけれぽならぬが、それだけに誤ると、その反作用.弊害もまた大きいから、十分考えて慎重にやってゆかなければならぬ」 ということを教えてくれておるわけであります。

          ○

   丙午(へいご、ひのえ・うま) 昭和四十一年

 丙午の真義

 去年の干 「乙」 は草木の芽が新しい陽気に逢うて古い殻を破って頭を出した甲(きのえ)が、外の寒気の抵抗のために真っ直ぐに伸びられなくて曲折している姿であり、支の 「巳」 は冬眠していた蛇が地上に出ようとしている象(かたち)である。そこで乙巳は旧体制を打破して新しい創造発展に努むべきことを意味する。

 丙は乙より進んで陽気の発展した象(かたち)。丙は炳(あきらか・つよし)を意味するが、文字の成り立ち=一・かこい・入(人)が示すように、一は陽気、次はかこい、物盛んなれば衰うる理で、陽気がすでに隠れ始めることを意味する。

 午の上の二画は古代文字では∧と書き、地表をあらわしている。その下の十の横一は陽気で、縦|は陰気が下から突き上げて地表に出ようとする象形文字。だから午(ご)は杵(ご)なりで、〈そむく〉〈さからう〉という意味になる。即ち、反対勢力の高まりを示す。

 そこで丙午は、旧来の代表勢力がすでに極に達して反面にこれに対する反対勢力の突き上げに遭う象(かたち)である。これをどう処理するかによって、運命が一変してくる。

 和を以て相欺く

 人間何か真剣な問題に逢うと、古人が体験より発した言葉に改めて感を深うする。漢の高祖を教えた陸賈(りくか)の書といわれる「新語」を先日耽読しているうち、

 「君子は義を以て相褒め、小人は和を以て相欺く」

 という語にいたく打たれた。特に 「和を以て相欺く」 とはまさに今日の世界情勢にぴったりではないか。外国でも日本国内でも、平和と友好は合言葉のようになっている。しかしどこにまことの平和や友好があるのか。特に共産陣営では、平和は敵を攻撃する楯、自己陣営を誇示する旗幟(きし、はたじるし)に用いられ、友好親善は相手国を安心させるための謀略奸計の偽装にほかならない。まさに和を以て相欺くものである。

<つづく>

3598復興G:2013/12/31(火) 21:25:48 ID:AB6RqYXc

<つづき>

≪安岡正篤著 『干支の活学』 より抜粋引用≫

 そもそもなぜ馬をこの午に当てはめたかと申しますと、これもなかなか考えたものでありまして、ご承知のように馬というものは実によく相手を知っておる。騎手がよいときわめておとなしい馬も、一度人間を馬鹿にしたり、反感を持ったりすると、たちまち蹴ったり、振り落としたりして、いっこう言うことを聞かない。そういうところから馬を当てはめたのでありましょうが、日本もこれらの荒馬を乗り損ねたら本当にたいへんです。

 国家・国民という立場から言って、かりに彼ら共産勢力が政治を支配して、従来の保守勢力がすっかり衰退するということになると、日本は従来の歴史とは違った大きな社会変化を生ずる。最悪の場合には歴史的・伝統的な日本に終止符をうつことになる。だから、どちらでもよいと腕組みをしているわけにはまいらぬ丙午であります。

 しかしもっとよく観察すると、国家・国民にとって希望を持つことのできる、賀すべき反対勢力も目に映る。例えぽ自民党の中にも、「従来のような自民党ではもうだめだ、ここまでくれば思い切って改革しなければならん、場合によっては分裂も可なり、我々の手で新保守党をつくろう」 というような突き上げもあるわけであります。

 また、もっと歴史や伝統をたずねよう、立派な人に学ぼうというような、在来のジャーナリズムから言うならば反対の現象が勃然として興ってきた。こういうものをうんと持ち上げて、これに時を得させて、なんとかして代表勢力・支配勢力に育ててゆけば、日本は望ましい変革ができるのであります。

 そういう複雑な現象が丙午の中に含まれておる。これをどう処理するか、またどうしてこの機運を来年に発展させるか。こういうことが今年の干支より見た日本の重大な意義であり、また使命でもあります。

 したがって今年は本当に重大な時機であります。しかし今日の世の中はもはや一政府、一内閣・一政党の力ではどうすることもできるものではない。国民のあらゆる指導層の人々が真剣になって、新しい機運を盛り上げてゆくほかにはないのであります。みなさんもそこに活眼を開かれて、この丙午の年の真実の意義をよく認識して、遺憾なく達成していただくように深刻に望まれるゆえんであります。

          ○

 以上で、安岡正篤著 『干支の活学』 からの抜粋引用文を終わります。

 来年は、「甲午(こうご、きのえ・うま)の年です。

 「甲」 はかいわれで、旧来の殻を破って、新しい創成を始める意。

 午の上の二画は地表をあらわし、その下の十の横一は陽気で、縦|は陰気が下から突き上げて地表に出ようとする象形文字。だから午(ご)は杵(ご)なりで、〈そむく〉〈さからう〉という意味になる。即ち、反対勢力の高まりを示す。

 「旧来の代表勢力がすでに極に達して反面にこれに対する反対勢力の突き上げに遭う象(かたち)である。これをどう処理するかによって、運命が一変してくる」 と言われているのです。

 重大な年になるかも知れません。

 でも、それはより一層すばらしい神の国のすがたが顕現する過程であって、必ず神の御心にしたがい、万物調和の地上天国があらわれてくると信じます。


 まもなく、平成25年が過ぎ去って、新しい平成26年、2014年を迎えます。

 このweb誌友会、またこの掲示板に書き込まれたことのあるすべての皆さま、また、書き込みはしなくても、ご覧くださっていたすべての方々に、特に神様の限りない祝福が天降り、新しい年が、喜びに満ちあふれた、素晴らしい良い年になりますことを、お祈りさせていただきます。

 皆々さま、ありがとうございます!

3599復興G:2013/12/31(火) 23:36:28 ID:AB6RqYXc

上記の、安岡正篤先生の時局についてのコメントは、国家問題についておっしゃっているのですが、

私が 「重大な年になるかも知れません」 と書いたのは、生長の家教団に関しての事です。

何があっても、必ずもっと善くなる過程であると信じて、喜ぶことを忘れずに、愛行に邁進しましょう。

3600rei:2013/12/31(火) 23:47:50 ID:ZIftZ1jM
合掌

本当にありがとうございました。

3601a hope:2014/01/06(月) 20:09:45 ID:/9IAdiFk

みなさま 新年 あけましておめでとうございます!

暮れから家族で旅行をしたり、親戚が次々に訪ねてきたりでなかなか掲示板を拝見できませんでした。

復興Gさまは、今年も時々書き込みを続けてくださるようでとてもうれしいです。

ところで、今月のテキストの範囲は、「生命の實相」第8巻 観行篇 ですね。

わたしは、以前、ニューバージョンの「四無量心を行ずる神想観」が自分の波長に合わず、
神想観していても集中できす精神不安に陥りました。
以後、怖くて神想観ができない状態でしたが、本流宣言の掲示板で山科さまにご指導いただき、
この第8巻を拝読しなおすことで、また、素晴らしい神想観ができるようになったのでした。

ですから、この 第8巻はわたしにとってとても重要な意味がある聖典なのです。

この機会に、また、しっかりと拝読しなおしてお勉強したいです。

みなさまも、是非 このweb誌友会板で第8巻に関することや、生長の家の勧行(神想観・静的工夫)
についての体験談などありましたら書き込みしてくださいね。

トキさま、復興Gさま、みなさま、a hope はこれからもこちらでお勉強を続けさせていただきますので、
ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

今年も、素晴らしい「生長の家」のみなさまと、素晴らしい「生長の家の教え」を、
このトキ掲示板でお勉強できて a hope は最高に幸せです!

3602a hope:2014/01/06(月) 20:10:40 ID:/9IAdiFk

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第21回 web誌友会

期間  1月1日〜1月31日まで
テキスト 「生命の實相」第8巻 観行篇

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

3603復興G:2014/01/07(火) 10:52:47 ID:AB6RqYXc

あけましておめでとうございます。

生きとし生けるものを生かし給える御祖神
元津霊ゆ幸え給え。

吾が生くるは吾が力ならず
天地を貫きて生くる祖神の生命。

吾が業は吾が為すにあらず
天地を貫きて生くる祖神の権能。

天地の祖神の道を伝えんと顕れましし
生長の家大神守りませ。


天地一切のもの、自分の力で生きているものは一つもないのだ。

すべては大生命のお力で生かされていらっしゃるのだ。

ああ、神の創り給いし実相世界の妙なるかな。

神の無限の智慧に満たされてあるかな。

神の無限の愛に満たされてあるかな。

神の無限の生命に満たされてあるかな。

神の無限の供給に満たされてあるかな。

神の無限の喜び智慧に満たされてあるかな。

神の無限の調和に満たされてあるかな。

ありがとうございます。ありがとうございます。

今年がまた神の生命の歓喜の爆発として、いっそうよろこびに満ちた佳き年でありますことを感謝し奉ります。

ありがとうございます。ありがとうございます。

3604志恩:2014/01/07(火) 11:02:40 ID:.QY5jUA6
復興G様、ahope様

あけましておめでとうございます。

復興G様、まだ、引っ込まないで下さいませよ。
まだまだ、ここの掲示板での重要なお役目がございますから、
引っ込まれたら、困ります。

私では、ろくなことがいえないし、七十路婆って、ばかにされて、踏みにじられて終わりそうなんです。

3605志恩:2014/01/07(火) 11:08:16 ID:.QY5jUA6
身分いやしきもの様が、復興G様宛に語りかけているスレを再掲します。

本流対策室板
5402 :身分いやしきもの:2014/01/06(月) 12:48:34 ID:iei0MD3c
あんふらまんすに触れるもの様

すでに去られたようでありますが、つづきを書きます。

復興Gさまが、「時間、空間は愛を行ずる場だ」といわれましたが、これは当然のことです。箱のなかの世界は「〜をなすため」の世界なのですから。

箱の外の世界は、竜が飛びまわる奇怪な世界です。なにかをなせるような場所ではありません。なにかをなすには、箱をつくってひきこもるしかなかったのです。

箱が言葉でできていることからもわかるように、言葉のカベは竜から身を守るための防護壁のようなものです。カベで身を守ることで、
わたしたちは安心してなにかをなせる空間を形づくっているのです。

それでも安心は禁物です。無意識が外の世界とつながっているからです。そのために、わたしたちは侵入してくる竜にたえずおびやかされつづけています。しかしここでも言葉が竜の侵入をふせいでくれています。

ラカンのいう「無意識は言語のように構造化されている」とは、無意識の世界でも言葉が竜の侵入をふせいでくれているということをいっているのです。

それでも竜は、無意識をとおして侵入してきます。ジジェクのいう「無意識は外傷的な真理が声を発する場所なのである」とは、竜の侵入を「外傷的な真理の声」と言い換えたものです。

竜ははたして真理なのでしょうか。もしそうであれば、ジジェクのいう「そこで私を待っているものは、私が同一化しなければならない深い真理ではなく、私が共生することを学ばなければならない堪えがたい真理なのだ」の意味がわかる気がいたします。

そんなジジェクがこんなことをいっています。

○ラカンにとって、精神分析のいちばんの基本は、心の病を治療する理論と技法ではなく、個人を人間存在の最も根源的な次元と対決させる理論と実践である。

箱のなかの世界はなにかをなすためにつくられた世界です。そのために、心を病んだ人の社会適応とは、人並みになにかができる状態に戻してやることだと考えられがちですが、ジジェクによると、ラカンの考え方はそれとはちがっているようです。

「人間存在の最も根源的な次元」とはなんなのでしょう。それはたぶん「堪えがたい真理」の次元なのです。その次元にふれた人が心を病むのです。宗教的救済とは、心を病んだ人からその病いをとりのぞくことなのでしょう。しかしそれは、その人がふれている「人間存在の最も根源的な次元」からその人を引き離すことでもあるのです。

ラカンは、臨床の経験から「神経症、精神病、倒錯といった病理的な形成物は、現実に対する根本的に哲学的な姿勢がもつ威厳をそなえている」と考えていたようです。

竜はなにを告げたくて侵入をくり返すのでしょう。竜に侵入された人は、なぜ哲学的な威厳をそなえた病理を形成するのでしょう。愛を行ずるとはどういうことなのでしょう。幸福な人生を約束する同一化すべき深い真理を伝授することなのでしょうか。人々とともに、哲学的な威厳をそなえた堪えがたい真理を生きることなのでしょうか。

同一化すべき深い真理が言葉によって執拗に語られつづけるのは、それがたぶん竜の侵入をふせぐためになくてはならぬ防御壁であるからなのです。

3606a hope:2014/01/08(水) 08:33:57 ID:/9IAdiFk
>>3603 復興Gさま 

すばらしいお祈りの言葉をありがとうございます。
「生長の家の教え」に出会えたことに、聖典「生命の實相」がお勉強できることに、
わたしは今、感謝の気持ちでいっぱいです。

>>3604 志恩さま

あけましておめでとうございます。

わたしは、ずっと前から、志恩さまのことを心から尊敬させていただいています。
エネルギッシュで、ユーモアがあって、優しくて、人をそらさず、そして、ご自分にとても正直に飾らず生きていらっしゃる。
わたしは志恩さまのことは掲示板上でしか知りませんが、実際にお会いしても人間的にとても魅力のある女性なのではないかと拝察しています。

この掲示板の書き込みの全てを拝見してはいませんが、志恩さまのご活躍は素晴らしいと感じています。

志恩さま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

3607a hope:2014/01/08(水) 08:35:26 ID:/9IAdiFk
みなさま

わたしは、子どものころから「何か」を求めて生きていました。
その「何か」はいくら考えてもわからないので、かなり滅茶苦茶にいろんなことを経験して生きてきました。
一般的にみれば、いい経験も、悪い経験もたくさんあります(笑)

ですが、今、そのすべての経験が生かされているような気がしています。

わたしがこの人生をかけてすべきことは「学びつづけること、真理を求めつづけること、自分の魂を限りなく向上させること」です。

そしてわたしにとって、その完全な「手引き」になってくれるのが「生長の家の教え」であり、聖典「生命の實相」なのです。

その「手引き」さえあれば、どんな困難な状況になっても、神さまに護られているという実感を持てそうな気がしています。
そして、周りの人たちもみな、すべての人たちが、神さまに護られているのだと思えるようにもなってきています。

お金でも名誉でもない、この「絶対的な心の平安」こそ、わたしが子どものころから求めていたものなのかもしれません。

みなさんの人生の目的は何ですか?

3608志恩:2014/01/08(水) 11:19:47 ID:.QY5jUA6
a hope様

お優しいお言葉をかけて下さって、ありがとうございます。
私も、a hope様のこと尊敬しています。

復興G様は、ここから完全に消えられたのではなく、また、時折、いらして下さるそうですし、
今年から、何か新しいことをお始めになられるということで、期待したいですね。

頼もしき ユタカ様もいらっしゃるので、今度は、ユタカ様とahope様に、教わりたいです。

a hope様が言われた
「お金でも名誉でもない、この「絶対的な心の平安」こそ、わたしが求めていたものなんです。」

これが真理を学ぶ、根本的な事であり、目的であるように、私も思っています。

頭で知っていたり、頭で理解したようにみえましても、つぎからつぎへと、問題は、どなたにも
発生するもので、日常生活そのものが、練成道場ですから、周囲の人たちは、皆、先生であり….、

そのような気持ちで、吾々は、日々、新たに生まれながらの、気付きの連続で、感謝し直す
連続で生きているのだと 私の場合は、思っています。

自分のことは計算にいれずに、相手の気持ちになっていきていれば、例え喧嘩しても、
心は通じ合えるものと信じています。

家族や友人、知人との関係はそれで通じ合えてきましたが、
掲示板は、顔が見えない世界ですから、言葉だけですので、誤解されることも多く、難しい世界ですね。

お互いが、研鑽し合いながらの人生ですよね。

ことしもよろしくお願いします。

3609あさひ:2014/01/08(水) 15:34:05 ID:u9w/1zYY
皆様 あけましておめでとうございます。

よろしくお願いします。

3610トキ:2014/01/08(水) 17:50:23 ID:kBX.JSV.
復興G様、a hope様、あさひ様

 あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3611a hope:2014/01/13(月) 19:34:30 ID:/9IAdiFk
>>3608 志恩さま

もったいないお言葉をありがとうございます。合掌。

そして、志恩さまのご発言

<<頭で知っていたり、頭で理解したようにみえましても、つぎからつぎへと、問題は、どなたにも
発生するもので、日常生活そのものが、練成道場ですから、周囲の人たちは、皆、先生であり….、

そのような気持ちで、吾々は、日々、新たに生まれながらの、気付きの連続で、感謝し直す
連続で生きているのだと 私の場合は、思っています。>>

に同意させていただきます。

第8巻のP15にこのような文章が紹介されていました(わたしは赤線が引いてありました!)


>>○どんな苦労があっても、因縁によって世話させて頂いていると思えばありがたいばかりの一筋である。
人間は他(ひと)のために苦労させられているのではなく、自分の魂を高めあげ、
浄め上げるための修行として苦労を恵まれているのである。
学校は先生のために勉強するのではなく、生徒自身の向上のために勉強するのである。
人生は魂の勉強をする学校である。
苦労は教科書であり、苦労させて下さる人は皆自分の先生である。
われわれは苦労させて下さる人に感謝して拝まなければならない。
これが解ったら世の中にありがたくないものは一つもないのである。
これが解ったら人生は幸福なばかりである。
豚なら幸福とは快楽のことだと思っているかも知れぬが、
本当の人間は苦労の中に喜べるものである。(月刊『生長の家』の巻頭言より)<<



一見、この「人生は学校、周りの人はみな先生」という真理は、因縁について書かれているので、
これは生長の家の横の真理、つまりは「心の法則(三界所現)」の真理であって、
唯神実相とは関係ないようにも感じてしまいますが、
最後の一文
『豚なら幸福とは快楽のことだと思っているかも知れぬが、本当の人間は苦労の中に喜べるものである。』
という文章まで拝読すると、やはり、「唯神実相の真理」なのではないかとわたしは感じています。

「本当の人間は神である」つまりは、「唯神実相の真理」を大悟するために、
すべての苦労(と思える事柄)がわたしたちの目の前につぎつぎに現れてくるのですね。

そして、大嫌いな、どうしても許せない人こそ本当は大先生であり、大観世音菩薩さまということになりますね。

その人に心から感謝できた時、因縁を超越して魂が向上し、すべてがうまくいくようになるのだと思います。

それを悟ることができるのが、人間が神の子である証拠で、他の動物と決定的に違うところなのだと思いました。

3612志恩:2014/01/14(火) 04:37:47 ID:.QY5jUA6
a hope様

a hope様ー
>>一見、この「人生は学校、周りの人はみな先生」という真理は、因縁について書かれているので、
これは生長の家の横の真理、つまりは「心の法則(三界所現)」の真理であって、
唯神実相とは関係ないようにも感じてしまいますが、
最後の一文
『豚なら幸福とは快楽のことだと思っているかも知れぬが、本当の人間は苦労の中に喜べるものである。』
という文章まで拝読すると、やはり、「唯神実相の真理」なのではないかとわたしは感じています。

「本当の人間は神である」つまりは、「唯神実相の真理」を大悟するために、
すべての苦労(と思える事柄)がわたしたちの目の前につぎつぎに現れてくるのですね。

そして、大嫌いな、どうしても許せない人こそ本当は大先生であり、大観世音菩薩さまということになりますね。

その人に心から感謝できた時、因縁を超越して魂が向上し、すべてがうまくいくようになるのだと思います。
それを悟ることができるのが、人間が神の子である証拠で、他の動物と決定的に違うところなのだと思いました。 <<

志恩ー
>>大嫌いな、どうしても許せない人こそ本当は大先生であり、大観世音菩薩さまということになりますね。<<

もしも、雅宣総裁のことを指して、大観世音菩薩だと思いなさいと、おっしゃっておられるのでしたら、
私の場合は、個人・雅宣さんのことは、嫌いじゃないので、(数々のとんでもない「行為」については、激怒していますが)
なんとも言えません。

これは、個人的問題に対して、とか、ご自分に向かってなら、差し障りありませんけれど、


掲示板で書き込まれますと、本流の皆様に対して、
雅宣総裁は、大観世音菩薩だから、感謝しなさい、と言ってるみたいに聞こえますから。

相手が教団とか公人に対して、本流の方々は、自分のために戦っているわけではないのですから、
今の未解決の時点で、使わないほうが、無難だと思います。

3613a hope:2014/01/14(火) 08:47:37 ID:/9IAdiFk
>>3612志恩さま 

たしかにわたしは志恩さまのおっしゃるとおり、
雅宣先生は生長の家の信徒にとって大観世音菩薩様だと思っています。
それは、このweb誌友会板で何度も発言してきました。

そして、志恩さまが雅宣先生のことを愛していらっしゃるのも充分わかっています。

わたしは、真理の勉強をしている上で、虚説(間違った教えや、間違った態度)を赦してしまうことは致命傷だと思っています。

それが、臨済宗の開祖・臨済のことば

「道で、仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。
父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん」

の本当の意味なのではないかと感じています。

「殺せ」とはずいぶん物騒な言い方ですが、意味は『「虚説」に和解するな』と同じなのだと思います。


だから、全てが自分の内面の問題で、志恩さまが、

<<掲示板で書き込まれますと、本流の皆様に対して、
雅宣総裁は、大観世音菩薩だから、感謝しなさい、と言ってるみたいに聞こえますから。
相手が教団とか公人に対して、本流の方々は、自分のために戦っているわけではないのですから、
今の未解決の時点で、使わないほうが、無難だと思います。 >>

とおっしゃるような、おこがましい気持ちは少しもありません。
本流の先輩方も、志恩さまも、トキさまも復興Gさまも、皆さま、「今の教団の教え」の「虚説」に和解しないために、
戦われているのだと拝察しています。

3614ユタカ:2014/01/14(火) 08:52:13 ID:2W0UDPHA
おはようございます。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

私は、今月は2日、と12日がお休みで後全部仕事に出ていたので、本が読めていません。次に3日連続休みをとったのですが、練成会の当番月なので、なかなか纏まった時間がとれなくてごめんなさい。

a hopeさまはここで、本流の話や、神様以外の話には参加されないと宣言されていっしゃいますし、一貫してそのようにされていらっしゃいますから、
a hopeさまの観世音菩薩さまのお話は、教団や本流などとは全く関係の無いものと思われます。

ここは、本当に純粋に真理をお勉強する人のためのWEB誌友会板とお考え下さい。

a hopeさま、ユタカも本を読まないと!! 読んで投稿しに参りますね!!

a hopeさま、今年もコーラスをがんばってくださいね。歌が上手な人って劇を見ているみたいに歌われるのですね!

3615ユタカ:2014/01/14(火) 08:58:52 ID:2W0UDPHA
あれ?ユタカのIDがまた変わっているな・・・

3616a hope:2014/01/14(火) 09:10:28 ID:/9IAdiFk
ユタカさま!

おめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ユタカさまの書き込みを拝見してホッとしました。

仕事を始めてからコーラスの練習も休みがちになってしまいましたが、
今年は時間をつけて参加していきたいと思っています。

今年は、生長の家の聖歌も歌いたいな〜

それでは、仕事に行ってきます。

3617志恩:2014/01/15(水) 06:41:28 ID:.QY5jUA6
a hope様

昨朝は、せっかく、お声をかけて下さいましたのに、反論するようなコメントしてしまいまして、ごめんなさい。
a hope様のお気持ちは、よくわからせて頂いておりますのに、きつい事、言って。

実は、昨日の、1/14という日は、
朝から、原宿本部会館が、解体される予定日で…。

私も、「さあ、今朝から、いよいよ、本部は解体されるのか(泣)と、すごく悲しい気持ちでおりました。

そのタイミングのとき、私におっしゃったので。

>>大嫌いな、どうしても許せない人こそ、本当は大先生であり、大観世音菩薩さまということになりますよね。<<

と、a hope様が、おっしゃったので、

そのことは、私も、復興G様からも、度々、教えていただいております事ですから、その通りだと思っている事ですし、
他の方々だって、私だって、言ったことがある言葉なのですが、

この朝の、このタイミングのときに、私に、言うなよ,,,…(泣)と、思ったのです。

同じ事を、
昨朝、私にではなく、a hope様が ユタカ様あてに、おっしゃったのでしたら、
内容としては、正しいことをおっしゃっているので、私は、ノーコメントであったと思います。

掲示板は、言葉だけを 書き込む世界ですので、お互いのニュアンスは、伝わりにくいところがありますが…
私は、a hope様もユタカ様も尊敬しているお仲間です。

今後とも、教えて頂きたいと思っております。よろしくお願いします。

3618 a hope:2014/01/21(火) 09:28:38 ID:/9IAdiFk

>>3617志恩さま

最近、色々忙しい上に、事情があってパソコンが思うように使えず、
なかなか書き込めずお返事が遅れすみません。
わたしの発言が、志恩さまを傷つけてしまったことを心からお詫びいたします。

ですが、わたしは真理のお勉強をしたいだけで、志恩さまはじめ本流の先輩方に対して
どうこうして欲しいという気持ちは少しもありません。

「すべての現象は自分の心の展開で、自分が変ればすべてが変わる。」わけですから、
自分にとって今大切なのは自分の魂を磨くことだと思っています

これからも、こちらでお勉強させていただきますので、よろしくお願いいたします。

3619 a hope:2014/01/21(火) 09:31:29 ID:/9IAdiFk
第三章 無限知恵を感受する道 のp42〜には、
「神示」と「霊示」に関しての違いが述べられているので、自分なりにまとめてみました。
(間違いがありましたら、ご指摘ください)

神示 (良心)
1、 自己に宿る神の声
2、 絶対性 直魂(なおみたま)の働き
3、 内流で大脳に感応し、直感的にあらわれる
4、 対立を絶した内からの啓示
5、 「我執」に対して答えず、我執を捨てたとき、おのずから現れまちがわない。

霊示
1、 霊界の指導者(棲息者)の声
2、 指導者のレベルによって価値がかわる
3、 外から延髄に感応しおおむね霊媒式、二重人格式にあらわれる
4、 第二者、第三者などの対立せる人格からの意見
5、 「我執」にも答えてくれ、時々的中の明答を得たり、見当違いの答えで背負い投げを喰らう


わたしは、自分自身に霊感があると感じたことはあまりありませんが、
霊界があることや、霊界の指導者が霊媒者をとおして、
吾々現象界の人間に「霊示」をくださるということも信じています。

ですが、「生長の家の教え」を勉強していく上で、一番気を付けなければいけないのは、この二つのことを混同しないことではないかと思います。

その違いを見破るのにポイントになるのが「我執」があるかないかということなのではないかと思います。
「我執」・・・自己一身への執着心 (P44の頭注より)

わたし自身は、まだまだ「我執」の塊のような人間ですが、先日、大熊先生のブログを拝見していて、
『「我執」がない』とはこういうことを言うのではないかと感じた箇所がありますので紹介させていただきます。




大熊理事長が相談対応したことで自殺を思いとどまった方が年末から2人でてきました。
妊娠中絶に止まらず、家族関係やいじめ・引きこもり・ 病苦や経済難までご相談に乗ります。

「いのち」には代えられません。

ただし 1日2時間だけです。

お金やお礼は 必要ありません。
あなたに笑顔が戻ればそれでいいのです。

 (「いのちを守る社会教育家」)
一般社団法人「いのちを守る親の会」          理事長 大熊 良樹        



『お金やお礼は 必要ありません。
あなたに笑顔が戻ればそれでいいのです。』

わたしも、このような心境で、「生長の家」の光明化運動に邁進したいと思います。

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/11100212.html

3620トキ:2014/01/21(火) 09:47:47 ID:gcG1K95Y
>>3619

 時間がないので、簡単なコメントになり、ごめんなさい。
たいへんよく調べられたと感心しました。ざっと拝見した
だけですが、其の通りかと感じます。

 素晴らしいご投稿、ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

3621志恩:2014/01/21(火) 11:21:04 ID:.QY5jUA6
a hope様

よく調べられましたね。トキ様もコメントされましたが、私もその通りだと思います。
1、 自己に宿る神の声
2、 絶対性 直魂(なおみたま)の働きに、直に繋がっていた方が、人生に間違いが無いと
思います。

トキ様、a hope様、ユタカ様、その他の皆様、また、よろしくおねがいします。
…………………………………..
ここに書いていいかどうか分かりませんが….
実は、今日、少し前に、近所に住む末期がんの友人から、久しぶりにメールが届き、
その彼女のコメントに、驚いているところなんです。

メールによりますと、
なんと彼女は、この1月から、ご近所の音楽教室へピアノを習いに行きはじめたというのです。
小さいとき、習いに行きたかったけれど、行けなかった。今からでも
遅くないぞと思って、ピアノを習いに行きはじめたそうなんです。

「生命の實相」の教えは、やはり、ほんものですよね。
 👉❀.(*´◡`*)❀.👈(⬅縹様が出された絵をパクリました。)

縹様が私に教えて下さいましたように、私は、彼女のがんは、もともとなかったのだと、
光り輝く完全健康体の彼女の映像を、心を込めて、今でも、描き続けています。
ありがとうございます。
http://tingokokka.blog.fc2.com/

3622 a hope:2014/01/24(金) 19:50:29 ID:G/pK6qF2

生命の實相 第8巻 p76 後ろから4行目〜

>>諸君が神想観中、人間の完全円満なる実相生命を人間の一面であると観じ、しかし同時に肉体人間を人間の他の一面であると観じ、肉体なる容器に霊なる神の生命流れ入ると観ずるならば、それは人間に二つの異なる存在を――すなわち一つは完全なるもの、多は不完全なるものを――認めることになるのであって完全なる神想観と言うことはできないのです。

われらが肉体をば、真実在に相対する不完全な存在であると考える限りにおいては、われらは生命の実相を把握したということはできないのです。むしろかくのごとき人間観をいだいているからこそ、もろもろの病がその人の生命にあらわれてきたのであります。

実相の世界、真実在の世界においては、不完全とか、不調和とかは豪末(ごうまつ)も存在しないのです。実相の世界、真実在の世界においては人間はただの一つの存在であります。霊なる至妙なる人間しか存在しないのであります。吾人(ごにん)の肉体を実相とは別なる存在であると考えてはならないのです。

実在(ほんとうにあるもの)はただ一つ聖なる神の子なる「我(われ)」であって、肉体はただその聖なる実体の映像(かげ)としてのみ認めねばならないのだ、これを実相に対する実在として対立的に認めてはならないのであります<<

3623 a hope:2014/01/24(金) 19:52:07 ID:G/pK6qF2

>>3622 a hope 所感)

この箇所は、とても重要なことが書かれていると思いました。

たぶん縹さまが志恩さまにご教示されたというのは、この事なのではなのでしょうか?
(なかなか時間がとれなくて、トーキングスティックボードの内容はまだすべて拝見していませんが・・・)

どうしてもわたしたちは、「不完全な自分の肉体に神の生命が流れ込んで健康になるイメージ」を抱いてしまいがちですが、
それは完全な神想観ではないと述べられているのが興味深いです。

いかなる不完全をも認めないのが「生長の家の神想観」なのですね。

不完全な人間なんていないんだ!
不完全な世界なんてないんだ!
すべてが完全円満なんだ!

そう心から信じることができたとき、それが「実相独在」ということになるのだと思いました。

3624トキ:2014/01/24(金) 21:42:55 ID:imJLzwls
a hope様

 素晴らしいご投稿、ありがとうございます。

 最近は朝がすごく寒いですが、それでも神想観をします。

それが慣習化しているのも事実ですが、朝起きて歯磨きをする
という慣習が自分の歯を健康にするように、神想観をすること
が完全に自分が神の子である事を思いだせる貴重な時間です。

 生命の実相第8巻は神想観について書かれた本ですが、この
本に書いた事を実践する人が一人でも増える事を願っています。

3625 a hope:2014/01/29(水) 08:16:49 ID:G/pK6qF2
>>3624トキさま

神想観はわたしも大好きですから毎日必ずしています。
朝することが多いですが、あまりこだわらず、できるときにするようにしています。

わたしは気功をしていた経験があるので、以前は他人さまからの邪気をとても受け安かったのですが、
神想観をすることで自分の中の神としっかりつながることができるようになったので、
最近はほとんど邪気が気にならなくなりました。

谷口雅春先生の「神想観」や「祈りの言葉」、聖経、聖典の内容は、最高に素晴らしい波動なので、
祈りや拝読を続けることで自分の波動(気の流れ)がよくなり、人生も好転して来るのだと思います。

生長の家が混乱している今、わたしたち信徒は余計な運動をしたり新しいことを信仰をする必要はないと感じています。

信徒一人一人が「谷口雅春先生の教えの基本」に戻って正しい「生長の家の教え」を信仰していれば、
全てがうまくいくのだと思います。

トキさまが信仰/体験板>>1514で、

>>ただ「大自然讃歌」を真面目に毎日読んでいる人がいて、その人の
周囲に災難が続いている、という話は教区で聞いた事はありますが、
因果関係は不明です。<<

と発言されていますが、これは、雅宣先生には本当に申し訳ありませんが、
自分自身の経験からとてもあり得る話だと思いました。

「雅宣先生の教え」は、「雅春先生の教え」とは波動がまったく違いますものね。

ご自分の波動と合わないものを信仰されると、それまで良かった波動を下げてしまうこともありますから、
ある宗教を信仰されていて、違和感を感じたり幸福感を感じられなかったら、
すぐにやめられた方がいいのではないかと感じています。


だって、ご自分自身とご家族の人生はご自分で守るしかありませんものね。

3626 a hope:2014/02/01(土) 16:11:05 ID:tLWd4hcY

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第22回 web誌友会

期間  2月1日〜2月28日まで
テキスト 「生命の實相」第9巻 霊界篇

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


みなさま こんにちは

2月に入りましたので、第22回 web誌友会 を開会させていただきます。
この霊界編の第9巻と第10巻の「生命の實相」ですが、わたしは数年前に一度拝読済みのはずなのですが、
他の巻が赤線だらけなのに対して、ほとんど赤線が引かれていないのです。

「生長の家」の「唯神実相の真理」を学びたかったわたしには、この霊界編は心にあまり響かなかったのかもしれません。

ですが、第8巻の観行編でも、「霊示」と「神示」の違いをお勉強しましたが、
霊界の高級霊のお言葉は限りなく神の御心に近いものであって、お勉強する価値は充分あるのではないと思われます。
それに雅春先生が、不必要なことを「生命の實相」に書かれているとは思いませんしね。

今回、良い機会なので、この霊界編を読み直すことで「霊界」についての知識を深めたいと思います。
みなさまもご一緒にお勉強してくださるととてもうれしいです。

3627 a hope:2014/02/01(土) 16:13:06 ID:tLWd4hcY

それでは「開会の祈りの言葉」の代わりに、霊界篇「生命の行方」の冒頭の詩を謹写させていただきます。


「なんじのうちの神を生かせ――」

あなたはもっと深切にならなければならない。
何事にももっと行き届いた愛をもたねければならない。
小さなことでも慎まねばならない。
あなたの性格上の欠点は
常にこれくらいのことはよかろうと
なんでもいい加減の所で済ましておく所にあるのだ。
ちょっとぐらいどうでもよい。
ちょっとぐらい穢(よご)れてもよい。
ちょっとぐらい皺がよってもよい。
ちょっとぐらい乱暴でもよい。
わたしは、このちょっとぐらいが嫌いなのだ。
神は愛であるから、
神は深切であるから、
あなたがほんとうに神を信ずるならば、
何をするにも、その仕事を愛しなければならぬ。
何をするにも、その仕事を深切にしなければならぬ。
行き届いた愛で仕事をするとき、
深切な心で仕事をするとき、
あなたの内にある神が生きてくる。
「ちょっとぐらいどうでもよい。」
毎日あなたはこういって
あなたの内にある神を殺してはしないか。

―――― 月刊 『生長の家』巻頭の歌より――――

3628トキ:2014/02/01(土) 17:08:43 ID:dB3FklJU
a hope 様

 ありがとうございます。よろしくお願いします。

3631トキ:2014/02/01(土) 21:58:28 ID:dB3FklJU
>>3627

 すばらしいご文章ですね。
同時に、自分も反省すべきだと感じます。

 ありがとうございます。

3632ユタカ:2014/02/01(土) 22:26:46 ID:2W0UDPHA
a hopeさま
有難うございます。8巻はどこを開いても素晴らしかったですが、9巻は霊界編なのでテンション下がるね。

誌友会のお祈りを貼ります、二月三日が節分なので、復興Gさまのを貼りますね。
生きとし生けるものを生かし給える御祖神
元津霊ゆ幸え給え。

吾が生くるは吾が力ならず
天地を貫きて生くる祖神の生命。

吾が業は吾が為すにあらず
天地を貫きて生くる祖神の権能。

天地の祖神の道を伝えんと顕れましし
生長の家大神守りませ。


天地一切のもの、自分の力で生きているものは一つもないのだ。

すべては大生命のお力で生かされていらっしゃるのだ。

ああ、神の創り給いし実相世界の妙なるかな。

神の無限の智慧に満たされてあるかな。

神の無限の愛に満たされてあるかな。

神の無限の生命に満たされてあるかな。

神の無限の供給に満たされてあるかな。

神の無限の喜び智慧に満たされてあるかな。

神の無限の調和に満たされてあるかな。

ありがとうございます。ありがとうございます。

今年がまた神の生命の歓喜の爆発として、いっそうよろこびに満ちた佳き年でありますことを感謝し奉ります。

ありがとうございます。ありがとうございます。

3633 a hope:2014/02/01(土) 23:48:33 ID:tLWd4hcY

トキさま ユタカさま

ありがとうございます。


わたしは生長の家の教えに出会う前から、スピリチャル(精神世界)には興味があって、
「前世療法」等の精神世界系の書物はかなり読んでいて、催眠療法で過去生に退行できたり、
高級霊(スピリット)からメッセージを受け取ったりすることが可能であるという知識がありましたから、
数年前の「霊界篇」を拝読しても、特別新鮮な驚きがなかったのだと思います。

ですが、現象世界しか信じていなかったわたしが、スピリチャルに目覚めたときの衝撃はすごかったです。


自分は何の目的でこの現象世界に誕生したのか、
何のために困難な状況の中でも生きて行かなければならないのか、
なぜ、自分を苦しめる人に次々に出会うのか、
そして、どうして人間は輪廻転生を繰り返すのか・・・

そんなことが、スピリチャルに目覚めてくると、とてもよく理解できるのだと思います。

世の中の人々が皆、自分に「生き通しの魂」があることを悟ることができれば、
世の中の犯罪は減って、平和な世界が実現するのではないでしょうか?

今回、ここで、あらためて霊界のお勉強を出来るチャンスに恵まれたのも、きっと意味のあることだと思っています。

だから、ユタカさま、わたしはテンションを下げることなくお勉強をしたいと思いますよ(笑)

トキさま、ユタカさま、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

3634レンゲソウ:2014/02/02(日) 00:33:48 ID:1sfTkwE.
 以前、ここに常連で投稿をしていた”義春”の友人です。霊界の話で、思い出した
ので、スレ違いならごめん。

 ”義春”は、何度も手術をしたのですが、ある時の手術の時に臨死体験をして、
お花畑を歩いたと話してました。それ以来、かなり霊感が強くなり、不思議な
予言をしていました。

 宇治の大祭で、初めて『自然災害物故者慰霊塔」の前で「大自然讃歌」を読
誦して嵐が到来した時も、数日前に友人達に電話をして、『今度の大祭には行か
ないほうがいいよ。」と話していました。

 最後に入院した時に見舞いに病院に行ったら、本人は意識ははっきりしていて
声はかすれていたけど話はできました。

 「今、高級霊界では、谷口清超先生を中心にして、谷口雅春先生の高弟たちが
円状に集まり、生長の家のために祈っているよ。」

と話していました。何人かの人間がこの話を聞いているみたいで、不思議な話だ
と思います。

 ”義春”は、生長の家の現状は強く憂いていましたが、総裁にはある種の”友情”を
感じたみたいです。その根拠は自分は知りません。

 遺言で、場所を指定して、散骨を希望していたのだけど、ご遺族はきちんとし
たお墓を希望していたら、不思議な事に、散骨の予定地の近くにトントン拍子で
立派なお墓がたつことになりました。

 夜しか投稿ができないので、失礼。

3635神の子さん:2014/02/02(日) 08:39:50 ID:rH4JlRNU
>>3634
安易に、邪気を感じるだのスピリチュアルだの気功ができるなど言う方は全く信用しませんが、(霊感など、有る程度誰でも持てるものなので。幽体離脱だの、チャネリングみたいなことは一時してましたが、だいたいが幼児期や思春期に問題ある場合の霊体のズレなどでも起こるとこことです。だから本物の霊感は一握りなのです。
そんなことよりここに神の子として生きることの奇跡が一番だと分かります。)
しかし、義春様の場合の霊感は、素晴らしい信仰のその賜物でしょうね。
ある種の友情ですか、
心意気のある義春様らしい想いのように、感じられます。

私も及ばずながら、生長の家のために祈らせて頂きます。
ここの学習などには参加しませんが、レンゲソウ様のご投稿大変心強かった、ありがとうございました。

3636 a hope:2014/02/02(日) 10:21:16 ID:tLWd4hcY

みなさま おはようございます。

>>3634 レンゲソウさま

義春さまのご友人のお一人なのですね。
義春さまからの貴重なメッセージをこの掲示板でお知らせくださり心から感謝いたします。 

合掌。



<<宇治の大祭で、初めて『自然災害物故者慰霊塔」の前で「大自然讃歌」を読
誦して嵐が到来した時も、数日前に友人達に電話をして、『今度の大祭には行か
ないほうがいいよ。」と話していました。>>


<<「今、高級霊界では、谷口清超先生を中心にして、谷口雅春先生の高弟たちが
円状に集まり、生長の家のために祈っているよ。」
と話していました。何人かの人間がこの話を聞いているみたいで、不思議な話だ
と思います。>>


詳しいことは書けませんが、このメッセージはわたし自身義春さまから直接伺いました。
わたしは義春さまは今も、霊界からわたしたちを見守って下さっていると確信しています。

3637 a hope:2014/02/02(日) 10:22:09 ID:tLWd4hcY

>>3635 神の子さん

<<安易に、邪気を感じるだのスピリチュアルだの気功ができるなど言う方は全く信用しませんが、(霊感など、有る程度誰でも持てるものなので。幽体離脱だの、チャネリングみたいなことは一時してましたが、だいたいが幼児期や思春期に問題ある場合の霊体のズレなどでも起こるとこことです。だから本物の霊感は一握りなのです。
そんなことよりここに神の子として生きることの奇跡が一番だと分かります。)>>

↑ これは、あきらかにわたし、 a hopeのことですね(笑)。

この神の子さんのご発言にわたしも心から同感しています。
だって、わたし自身、現象人間の自分は全く信用していませんから・・・

わたしたち「生長の家の信徒」が信用すべきは、聖典「生命の實相」の真理以外ありませんよね!!


<<ここの学習などには参加しませんが・・・>>

でも、閲覧されているということは、参加されているのも同じではないですか。
どうか、次回は、素敵なHNでご登場してくださいね!

3638うのはな:2014/02/02(日) 11:18:03 ID:gMcqEbqU
<<安易に、邪気を感じるだのスピリチュアルだの気功ができるなど言う方は全く信用しませんが、(霊感など、有る程度誰でも持てるものなので。幽体離脱だの、チャネリングみたいなことは一時してましたが、だいたいが幼児期や思春期に問題ある場合の霊体のズレなどでも起こるとこことです。だから本物の霊感は一握りなのです。
そんなことよりここに神の子として生きることの奇跡が一番だと分かります。)>>

 そういう意見が一般的常識的だと思うのですが、ここの掲示板指導者が
もともと霊憑依の話などすると、藤原先生の實相哲学講話を引用したり、
聖典書写中に神霊の分体のようなものを見た話を聞くと、無視するのかと思えば興味を示して来たり、
宇治のある塔から悪い波動が出ている話を書いたり、人の話を曲解しては、
霊界の高い御位にいる友人に頼んでみる、えらいめにあいますよと
恫喝してくる人なので、ムキになって信用できないとか、信用できるって主張しあわなくてもいいと思いますね。
霊体験もふくめて、和気あいあいと真理の研鑽誌友会にされることを願います。



3639 a hope:2014/02/02(日) 14:10:59 ID:tLWd4hcY
今日は雨の日曜日です。
子どもたちと一緒に参加予定だった行事も、インフルエンザの予防のため中止になりました。

わたしは今、真理のお勉強をできる幸せを感じてます。

>>3638 うのはなさま

ありがとうござます。

<<霊体験もふくめて、和気あいあいと真理の研鑽誌友会にされることを願います。>>

なんてうれしいお言葉なのでしょう!

ほんとですね。
「生長の家」には、この『和気あいあい』という言葉がぴったりですね!!

霊感とか、霊能力ということに関しては、興味のある方、また体験談のある方は多いのではないでしょうか・・・。
わたしは、自分に本当の霊感があるとは思っていませんが、幽体離脱や、小周天が回るなどの不思議なことは実際に体験しました。

ですが、だからと言ってそれが特別なことだとは決して思っていません。

向上心を失って、なにか(誰か)に依存的になってしまえば、自分の人生はどんどん悪い方に転落していくのだと感じています。

ここで、わたしの魂を磨いてくださるみなさまと、史上最高の聖典「生命の實相」をお勉強できることに心から感謝しています。

3640うのはな:2014/02/02(日) 15:05:50 ID:LAQU8qrk
>>3639

笑.....あらまあ、留学経験のある方らしく、語学日本語が達者な方の
決意表明ですね(笑)気功を習得なさっている方なら、この「和気」というものが
どんなものか、あれこれ理屈をいわなくても解っていらっしゃるだろうと推測します。
有意義な時間をお過ごしください。



3641志恩:2014/02/02(日) 20:28:54 ID:.QY5jUA6
この霊界篇で、雅春先生は、大本教にいらしたときに、
共に心霊学を学んでいらした浅野和三郎のことについて、5頁から触れられておられます。

浅野和三郎訳「死後の世界」(オックスフオード大卒、ワード氏著)の中からも多く引用されてます。

雅春先生と共に学ばれていらした浅野和三郎が、いいかげんな人物でないことを、知っていただくために、
まず、浅野和三郎のことを、以下、Wikipediaより ご紹介させて頂きます。

浅野先生は、霊媒の中でも、ほんのひとつまみしかいないという、本物中の本物である素晴らしい先生でした。

死後の世界を、科学的に研究されて、具体的に人類に示して下さった、日本人としては最初のお方だったそうです

浅野和三郎ー(生家は代々、医者を生業にしていた)

1896年(明治29年)東京大学に入学、時を同じく小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)が英文学担当教師として赴任し、
          教えを受ける。在学中に機関誌『帝国文学』に処女作「吹雪」を発表。浅野馮虚の筆名で、

           その後短編小説等を続々発表し文才を発揮。さらに、英文学科に在籍しながら、英米文学の翻訳にも手を広げ、
         アーヴィングの『スケッチブック』、ディケンズの『クリスマスカロル』、エドワーズの『奇々怪々』を出版した。
          このような経歴が、心霊研究への下地となっている。

1899年(明治32年)に東京大学英文学科を卒業。海軍に請われて、横須賀にある海軍機関学校の英語教官に赴任する。

1915年(大正4年)の春、三男の三郎が原因不明の熱病になり、多数の医者に見せても回復せず半年を過ぎていたが、
         三峰山という女行者の言葉通りに快癒した事から、心霊研究に傾倒し、

1916年(大正5年)海軍機関学校を退官し、当時もっとも実践的な心霊研究をしていた大本に入信。
         教団内で有力な信者となり、論客として活躍するも、

1921年(大正10年)の第一次大本事件による大弾圧の後は教団を離れ、

1923年(大正12年)3月、🌻「心霊科学研究会」を創設。

         伴に大本を離れた人物として宗教右派に属する政治的新興宗教🌸生長の家創始者谷口雅春氏が居る。

1928年(昭和3年)、ロンドンで開かれた第三回国際スピリチュアリスト会議(世界神霊大会)に出席し、
          グロートリアン・ホールにて「近代日本における神霊主義」の演題を英語で講演する。

          さらにロンドンで霊媒や降霊会を訪ね、パリ、ボストン等を歴訪し、心霊関連の文献を多数持ち帰る。
          この実績をもとに、日本国内での心霊主義(スピリチュアリズム)の啓蒙活動によって、

1929年(昭和4年)5月に名古屋に「中京心霊協会」が、同年7月に大阪に「大阪心霊科学協会」が、そして
         12月に東京に「東京心霊科学協会」が相次いで設立されて心霊研究の実行機関が各地に設置された[。

🌸「東京心霊科学協会」では、翌1930年(昭和5年)1月15日に設立記念の新年総会を開催して、1月17日に新事務所開きを行って、活動を展開し始めた
           妻の多慶子は三郎の病気が治った翌年から、霊的な能力を見せ始め、

1929年(昭和4年)、次男の新樹の死をきっかけに霊言(トランス・トーク)を行うようになり、
         『新樹の通信』、『小桜姫物語』(ともに霊界見聞録等の内容)を収録し出版した。

3644志恩:2014/02/02(日) 21:11:03 ID:kwDJceLI
私は、この霊界篇を初めて拝読したのは、忘れもしない高校1年生の春のことでした。
生長の家に入信する前、私の母は、
浅野和三郎の門下生が、趣味で、こじんまりと、開催していた「心霊科学研究会」に
紹介されて、母は、時折参加していましたので、私も,母の影響を受けまして、
霊の世界があることは、実感として理解していましたが、

あの当時は、
今の時代のように、霊界について詳細に書かれている本は、あまりなかった時代で
ありましたから、
私は、この「生命の實相」の霊界篇は、目から鱗の事ばかりで、あれよあれよと、読み進みました。

読後、私は、この興奮を、この知識を、だれに語り尽くしたらいいのだろうかと、
頭が爆発しそうでしたが、
真剣に私の話を聞いてくれる深切な人が、すぐそばにおりました。

母の母、私のおばあちゃんが、その人でした。

私は、時間も忘れるくらい、事細かに、おばあちゃんに、
「人間は死んでも死なない、
いき通しの神の子なんだってさ、そして、死後は、こうなるそうよ」と、
熱心に話しました。

すると、それを聞いてくれたおばあちゃんが、喜んだの、なんのって!!

「◯◯ちゃん、なんていう、良い話を、わたしに してくれたの!
 わたしはね、産まれて来て ここかた、こんなうれしい話を聞いたのは、
 生まれて はじめてだったわ!
 そうなの!たましいは、生き通しなのね。死んでも死なないのね。
 ありがとう、ありがとう...」

と、涙をこぼして、おばあちゃんは、喜んでくれたのでした。

その翌年、私が高校2年生の12月に、おばあちゃんは、満面の笑みのまま、
大往生で、自宅で眠るように永眠しました。

この「生命の實相」霊界篇のお蔭で、私は、おばあちゃん子で、赤ちゃんの頃から、おばあちゃんに、
世話になりっぱなしで、甘えてばかりいる人間でしたが、1つだけ、大きな、おばあちゃん孝行ができた
思い出の、私にとりましては、とても有り難い聖典なのです。

3645志恩:2014/02/02(日) 21:42:00 ID:.QY5jUA6
おばあちゃんは、いつも、お守り甘露の法雨を、
肌身離さず、持っていました。

そして、他界するしばらく前から、天国へ何回か
行っているらしく、みたこともないような美しい世界に
行って来たとか、きれいな花がいっぱい咲いてたとか、
死んだおとうさんが会いに来てくれたとか、穏やかな表情で
話してくれていました。

そして、他界する1週間ほどまえのことですが、
真夜中に突然起きて、隣の布団で寝ていた母に
「お願いがあるの、窓を、このくらい(両手で10センチくらいを示し)
 あけてくれないかい」というので、

 優しい母は、12月の冬だったので ほんとは開けると寒いのですが、
 すぐに起きて、おばあちゃんが言うとおり、
 窓を開けに行ってあげたそうです。

すると、おばあちゃんは、母に
「ありがとね。今ね、わたしのたましいが、ひゅーって、
わたしの眉間のところから、出て行ったの、
ひゅーって、あの窓から、今、たましいが外へ出て行ったわ」

と言ったそうなんです。

それから、おばあちゃんは、1週間くらい、普通に生きていて、
夜寝て、朝になったら、布団に横たわったまま、満面の笑みで
亡くなっていたのでした。

私は、そのときから、
どうして、おばあちゃんは 死ぬ1週間ほどまえに、
眉間から魂が抜け出ていったというのに、その後も、1週間も
生きていたのか、それを不思議に思っていましたが、

あとになって、魂の尾は、肉体の眉間と、へそあたりの2カ所に
繋がっていて、最初、1本が、眉間から出て、それでは、死ななくて
あとから、
もう1本繋がっている、
へそあたりから たましいが出ると、霊魂は、
肉体から遊離するのだということを、本で知りました。

3646志恩:2014/02/02(日) 21:58:08 ID:.QY5jUA6
義春様も、ほんとうに霊界へ行って、見ていらしたのでしょうね。

ただ、a hope様や うのはな様や、他の方々が言われるとおり、
死後の世界がある…ことなどが、理解できましたら、

それで、1巻の終わりにされて、今、生きているこの世で、
如何に生きるかということに思いを致し、

この世のことを集中して考えて、あの世のことは、
行けばわかるのですから、

あまり霊界に関心持ちすぎぬように、今をだいじに生きたほうがいいと
私も思っております。
なぜなら、吾々は、この世に修行に来ている霊魂なのですから。

a hope様が いわれますように、身近なところで、
人に深切に生きることが、とても
たいせつなことだと、私も思っています。

3647 a hope:2014/02/03(月) 00:12:23 ID:tLWd4hcY

>>3641〜 志恩さま

浅野和三郎さまに関する情報と、おばあさまとの素晴らしい体験談を聞かせてくださりありがとうございます。
特におばあさまとのお話はとても感動しました。

肉体人間は誰でも必ず死にますが、生き通しの生命(魂)の存在を本当に悟れば、
死を恐れることは全くなくなるのですね。

志恩さまのおばあさまは、亡くなる前に志恩さまからそのことを教えて貰うことができて本当に幸せでしたね。

わたしも聖典「生命の實相」の拝読や神想観を続けているうちに、自分の肉体とは別の本当の自分の存在(霊的実在)が
段々はっきりと感じられるようになってきました。

「生長の家の教え」って頭で理解すると同時に、魂でも理解しないと本物にはならないのですよね。
どちらの理解が欠けてもいけない、とてもハイレベルな教えだと感じています。

志恩さま、素晴らしいご指導ありがとうございます。
これからも、このweb誌友会にどんどんご参加くださいね。

どうぞよろしくお願いいたします。

3648レンゲソウ:2014/02/03(月) 00:27:57 ID:oQQHc1pU
 ”義春”の件、コメント下さり有り難う御座いました。

 生長の家の人については、似たような体験をした人が多いみたいです。
以前、アメリカの有名な霊能力者が来日して霊視をしたときに、昭和天皇
の側近だった人物の霊を招魂したそうです。

 その人物の語る所では、昭和天皇は、極めて魂の高い方で、現在も日本
を神界から守っている、ということでした。日本人の霊能力者なら先入観
に左右された可能性がありますが、外人の霊能力者の霊視ですから、信頼性
が高いと考えています。

 このアメリカ人の霊能力者の著者を図書館で借りて読み、感銘を受けた
のですが、残念な事に本の名前を忘れてしまいました。

 どなたか、教えて下されば嬉しいです。

3649 a hope:2014/02/03(月) 09:37:21 ID:tLWd4hcY

>>3648 レンゲソウさま

わたしは何か月か前に、映画「終戦のエンペラー」を観たのですが、あれもたしかアメリカが制作した映画ですよね?
天皇が終戦時にマッカーサーと対談した場面が最後の方にありましたが、その時のお言葉がまさに「神の御心」「一切者の自覚」から発せられたお言葉でした。

その内容は、雅春先生の『秘められたる神示』の中の 君民同治の神示講義に詳しく書かれていて、
わたしは以前金木犀さまが謹写してくださったものを拝読しとても感動したのを思いだしました。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/710

<<…日本の歴史は、常に時の権力階級が我の力が行き詰まっては、天皇の方に振り向き、そこから神智が実現して正しき道に帰るということが繰り返されているのであります。それですから、大東亜戦争の末期に於ける御前会議に於いて、誰も意見をのべる者がなくなった時、ついに天皇は「ほかに誰も意見を述べる者がないならば、私の意見を述べよう。私の身体はどうなってもよいから、この上国民を戦争の惨禍の中に苦しめるのは見るに忍びないからポツダム宣言を受諾して戦争をやめる」と仰せられ、その後、天皇はマッカーサー元帥を訪問せられて、
「戦争の責任は皆私にある。国民には責任はない。私は絞首刑をも覚悟している。皇室財産は司令部の処置にまかせる。私の一身はどうなってもよいから、国民をどうぞこれ以上苦しめないで頂きたい」と仰せられたのである。「無にして絕對であり、一切の主である」ということは、「無」でありながらも、責任を回避するということではない。「一切の主である」とは「一切の責任は自分にある」との自覚である。「無」であるがゆえに神聖であり、一切の責任を自己に背負って自己が一切の者に代って苦しもうとする愛の深さゆえに天皇は神聖であるのである。>>

やっと見つけましたので、もう一度講義の全文を拝読しなおしてみたいです。

レンゲソウさま、わたしはレンゲソウさまのお探しのご本に関しては情報がありません。
どなたか、ご存じの方はぜひ教えてくださいね。

3650志恩:2014/02/03(月) 09:53:01 ID:.QY5jUA6
a hope様

コメント、ありがとうございます。
私は、ひとさまにお教えするようなことはできませんで、
私の方こそ、いろいろと教えて頂いております。

ユタカ様もいらして下さって、うれしいですね。

レンゲソウ様のおっしゃるアメリカ人の霊能者って、
だれでしょう。

SAKURA様は、ご存知じゃないかしら…。

3651トキ:2014/02/03(月) 21:30:28 ID:Eln5Aqks
 生長の家宇治別格本山の練成会に参加した時に、いわゆる憑依霊の
問題で悩んでいた人にお会いした事があります。霊感が強く、またある
種の力があったので、除霊まがいのことをしていたら、多数の霊に憑依
され、精神的にも追い込まれて、宇治に逃げるように来られたと聞き
ました。
 
 不思議な事に、宇治に境内に入ると、それまで憑依していた霊が
一斉に離れたので、不思議だ、と話していました。これは、甘露の法雨
の功徳としか思えないです。

 霊の問題で悩んでいる人は多いと思います。そういう方は、霊能者等
に相談する前に、まずは、徹底的に甘露の法雨を読まれるのが良いかと
思います。

3652レンゲソウ:2014/02/04(火) 00:47:27 ID:qlSX5ozQ
 浅野和三郎先生の「新樹の通信」には霊界についての詳細な情報が書かれています。
生命の実相第2巻に一部が引用されています。

 本には、キリスト信者や熱心な日蓮宗の信徒が亡くなってからどうなるかを実例をあ
げてかかれています。各自の宗教はそれぞれ独自の死後の世界を描いていますが、実際
に死んでからは、かえってそれらの知識が邪魔になって正しい霊魂の進化に行き着けない
とあります。ですから、最初、キリスト教信徒はイエス様の姿で、日蓮信者は、僧侶の
姿で高級霊が指導に当たるとあります。

 しかし、これらの信仰も、魂が高くなると、区別など不要であり、ここに谷口雅春先生
が、信仰の違いは実は対した事がない、とご指導をされた根拠があると信じます。

3653志恩:2014/02/04(火) 15:01:20 ID:.QY5jUA6
3652:でレンゲソウ様が、
「新樹の通信」の感想を述べられましたので、
私も、少しだけ書かせて頂きます。

この本は、浅野和三郎の息子 新樹(しんじゅ)氏が若くして亡くなり 、
新樹自身がその埋め合わせに幽界の状況を報告し 父の仕事を助けたいという
死後の世界のレポートです。

死後の世界では、心に描く事で、好きな部屋に住んだり 
好きな服装をしたり 富士山に登ったり 天狗に会ったり 竜宮に行ったり 
乃木大将と仲良しになったり….。


レンゲソウ様が、書かれていた
帰幽後の一仏教信者、帰幽後の一キリスト教信者の話も大変参考になりました。

あたまでっかちになって、教えのことばかり理屈でかんがえるのではなく、普段、身近な人たちに
深切に尽くすこと、つまり、普段の行動が大事だという事が、よくわかりました。
それが、あの世に行っても、スムースに行くようです。

また、乃木希典氏も登場し、自刃に至る心持ちも、新樹が乃木に質問して、
乃木が答えています。

自刃の原因は天皇に申し訳ないとの思いが一番強かったとのことですが、
「息子2人も亡くなり、多くの部下を無残に死なせてしまったところへ明治天皇の崩御で、
何もかもが厭になった」と語っておられました。

更に、自分はもう戦争はしたくないが、まだ日本はこの先もう一度戦争を体験することになっているようだ、
と述べている(昭和初期の段階で)ことが、非常に印象的でした。
国と国民の安寧をひたすら願う思いの強さを知らされ、何とも涙ぐましく頭の下がる思いがしました。

それから、この本では、人が死ぬときは、たましいの尾(緒)は、眉間、へそ、足につながっており、
へそ、あし、みけん、の順で、抜け出る、と書いてありましたが、

私は、別の竹内先生の本『心霊秘話』で、たましいは、眉間から、先に出て、あとから、へそから出て、事切れる。
というのも読みました。

私は、先にお話しました、私のおばあちゃんの亡くなる前の証言を、思いますと、
竹内先生が、書かれたことと、うちのおばあちゃんの場合は、一致しているとおもいました。

3654志恩:2014/02/04(火) 15:11:47 ID:.QY5jUA6
もう1冊、浅野和三郎著「小桜姫物語」―霊界通信 も読みました。

浅野和三郎の奥さんの 多慶子(たけこ)夫人を霊媒として 
夫人の守護霊である「小桜姫」が語る 死後の世界の体験談です。

死んだ直後の 自分の感想や あの世では個々に精神統一をして、
現世の執着を忘れる修行をする ということ。

神想観で精神統一を訓練しているわれわれは、楽勝です。

あの世のいろいろな世界(竜宮界、天狗界、龍神)について書かれておりました。

「新樹の通信」の本には、小桜姫と新樹が、向こう、一緒に行動するときもあり、
興味深かったです。

小桜姫の信仰心や祈りに対しする姿勢が、さすが日本神道の女性霊だなと感じました。

3655 a hope:2014/02/04(火) 18:44:14 ID:tLWd4hcY

>>3651 トキさま

<<不思議な事に、宇治に境内に入ると、それまで憑依していた霊が
一斉に離れたので、不思議だ、と話していました。これは、甘露の法雨
の功徳としか思えないです。>>

宇治別格本山では、毎日「甘露の法雨」が読誦されているのですものね。

「甘露の法雨」は聖典「生命の實相」の内容が凝縮されたお経ですから、
「実相独在」の波動が境内の隅々まで行きわたっていたからかもしれませんね。
きっと、憑依霊とは波動が合わなくて逃げ出してしまったのでしょうね。

わたし自身は「甘露の法雨」は御護りとして携帯してはいますが、毎日は読誦していません。
むしろ、神想観をしたり「真理の吟唱」や「生命の實相」を拝読したほうがより波動が整うような気がしています。
理由は、おそらくですが、そちらのほうが、内容がよく理解できるからなのではないかな〜と思っています。

「甘露の法雨」は波動は素晴らしいと思いますが、内容が凝縮されすぎていて初心者にはすんなり意味が通じないですよね。
まあ、お経ってみんなそんなんですけど・・・(笑)

これはなんとなく自分の感じたことですけど、宇治別格本山以外の場所では実相独在を悟っていない人間が
「甘露の法雨」を読誦するだけで憑依霊を退散させるのは難しいような気がしています。

谷口雅春先生がご存命だった時代は、日本全国の信徒のみなさんが熱心に「甘露の法雨」を読誦されていらしたと思うので、
全国の「生長の家」に宇治別格本山のような「実相独在」の波動が満ち満ちていて、
だから初心者であっても「甘露の法雨」を読誦するだけですぐに波動が合って、色々な奇蹟が起っていたのだと思います。

ですが今は・・・どうでしょうか?

だから、「生長の家の教え」を知らない方が「甘露の法雨」の読誦をされるのであれば、
同時に「生命の實相」の拝読もされて、「実相独在」の真理を理解されながらの方がより功徳があるような気がします。


トキさま、生意気なことを言ってごめんなさい。

でも、感じたことを素直に発言してみました。
みなさま、ご意見、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3656 a hope:2014/02/05(水) 10:10:41 ID:tLWd4hcY
みなさま おはようございます!

昨晩 >>3655 の投稿をしたあと、なんか肩のあたりが重たくなってきて、
あー、わたし調子狂っちゃったな〜って感じていました。

どうも、霊界のことをお勉強したり、憑依霊のことを考えたりすると、
わたしは調子が狂うようです(笑)

「生長の教え」では、「悪なし」ですから、
だから、「憑依霊」も「悪霊」ではありませんね。

本来ない「悪」を「あり」と考えてしまったのが、波動を狂わせた原因だと今朝の神想観の時に気づきました。

神想観のあと聖経「甘露の法雨」を読誦して、「ああーやっぱり素晴らしいお経だな」って感動して、
そして、いつものようにパソコンを開き大熊先生のブログを訪問しました。

そしたら、そこにいきなり「甘露の法雨」の写真が・・・。

素晴らしい体験談が紹介されています。

みなさんも、どうぞご覧になってくださいね。

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

3657志恩:2014/02/05(水) 11:21:39 ID:.QY5jUA6
a hope様

体調、だいじょうぶですか?

a hope様ー
>>昨晩 >>3655 の投稿をしたあと、なんか肩のあたりが重たくなってきて、
あー、わたし調子狂っちゃったな〜って感じていました。

どうも、霊界のことをお勉強したり、憑依霊のことを考えたりすると、
わたしは調子が狂うようです(笑)<<

世の中には、霊の話題が、苦手な人は、大勢います。
そして、
霊体質といって、霊を引き寄せる体質の人もいるのです。

私の場合は、全然平気なんですが、私の子供達も 霊の話は、苦手なので
私は、家族にも他人にも、霊の話は、なるべく しないようにしています。

9巻(上)、10巻(下)、は、霊界篇ですが、
10巻の方は、いよいよ 霊媒と霊界の話で、満載ですよ。

復興G様がいらっしゃる時でしたなら、復興G様が 話題を提供して下さいますが、
今は、そうではないですし、

レンゲソウ様と私が、霊界のことと、霊界通信の話をしましたから、
もう霊界の話は、これ以上、出ないように思うのです。

SAKURA様がコメント下されば、別ですけれど。
最近、控えていらっしゃるご様子で。

ユタカ様も「霊界篇」は苦手だと言われて、出ていらっしゃらない。
それで、もうそろそろ、霊界篇は、さっさとクリアーされたら、いかがでしょうか。

a hope様が、霊のことで、体調崩されたら、なんのためにweb誌友会してるか、わからなくなります。

つぎの第11巻は、萬教帰一篇になりますでしょ。
そうしましたら、トキ様も、ユタカ様も、得意分野でいらっしゃいますから、

たくさん教えて頂けるのではないでしょうか。

3658志恩:2014/02/05(水) 11:25:03 ID:.QY5jUA6
書き忘れましたが、トキ様も 霊のお話をして下さいました。

3659 a hope:2014/02/05(水) 12:01:49 ID:tLWd4hcY
>>3657 志恩さま

大丈夫ですよ!
以前のわたしなら、調子が狂う原因がわからなかったのでどんどん悪い方へ行きましたが、
今は、神想観や聖典のおかげで、原因がすぐにわかりますので自分で対処できるようになりました。

どうやら、第10巻はわたしはまだ未読だったようです。
雅春先生が、必要ないことを「生命の實相」に書かれるとは思いませんので、
全てしっかりお勉強させていただくつもりでいます。

霊界篇のお勉強は、わたしの魂の生長に必要なことなのだと思いますので・・・。

みなさんも、気になさらず霊界についてのお話、どんどんしてくださいね!

今日はこれから出勤です。

それでは、行ってきます。

3660志恩:2014/02/05(水) 12:09:57 ID:.QY5jUA6
a hope様

そう? 体調、大丈夫ですか? それならいいですけれど^^

「甘露の法雨」でも、お守り「甘露の法雨」でもいいですから、
そばに置いておかれたら、
高い波動が出ているので、その波動が、バリアのように周囲を囲って
守ってくれると思います。

3661トキ:2014/02/05(水) 21:38:49 ID:/kzEJ/lg
「神 真理を告げ給う」から、抜粋をさせていただきます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 「常に三次元の物質方面の事のみに心を奪われている肉体の“低い自我”を霊的次元
の”高い自我”の方にその心を向けさせて霊交の道を開くようにするためには、次の
三つの方法を実践するのがよいのである。

 その一つは、人間は肉体そのものではなく、”神の子”たる霊的実在であるという
真理を繰り返して読む事である。読む事によって智的に自己の実相の尊さを自覚す
るのである。

 第二に、祖霊の祭祀を丁寧にし、祖先の霊を呼び出してこれに真理の聖経を
毎朝夕読誦して真理の自覚を、祖霊と共に、自己もまた深めることである。

 あなた達の祖先の霊魂は真理を深く自覚する程度に従って、その神通力を
増し、あなた達子孫を護ってくれる事になる。肉体では到底余地し得ない
突然の災厄も、霊の世界ではその兆を見る事ができるのであるから、神通力
を増した祖霊はその災厄を何らかの方法であなた達に知らせてくれ、知らす
ことができなくても、他に何かの事情を起こして、あなた達がその遭難の場
に自然と近寄らないで済むようにしてくれるのである。

 そのようにしてあなた達の現在意識が”人間・神の子”の真理をある程度知り、
祖先の霊への真理供養も完全に行われ、祖霊が子孫への守護も相当程度行われる
ようになったときに、今度は、あなた達自身の”魂”の訓練が行わなければならな
いのである。これが、“低い自我”が”高い自我”と融合し、全心身によって”人間・
神の子”の真理を深く自覚するための第三の道である。釈迦もイエスもこの方法
によって"高い自我”を悟ったのである。

 それは、一定時間、外界に散乱する心を集めて散乱せしめず、その集めたる
心を霊的実在の世界に集中的に振り向ける静坐の修行をすることである。そ
れは、神想観でも座禅でも鎮魂でも、それぞれ名称は伝統の異なるに従って
いろいろ異なるけども、その目指す目的と原理に於いては同一であるのであ
る。」
(110p)

3662トキ:2014/02/05(水) 22:09:31 ID:/kzEJ/lg
 今回、「霊」の勉強をしていますが、それは、第二の道に関連する
事柄であります。

 生長の家では、毎日、仏前で甘露の法雨をあげますが、ただ読んで
いるのと、どうして読誦するかという原理を知ってあげるのでは、
その内容が変わって来る思います。

 そのために、生命の実相では、霊界編があり、詳細に説かれてあり
ます。単に「霊」があるというレベルではなく、正しい知識を得る事
は、魂の向上のためにも必要であると信じる次第であります。

3663レンゲソウ:2014/02/06(木) 01:02:56 ID:XXSV1ZXY
 京都第二教区の生みの親、長村婦美子先生のご著書「み教えに生命を捧げて」を読んで、
関連した部分を書きます。ご参考まで。

 長村先生は、個人指導をしていると、不思議な予知能力があり、予言が次々と的中する
事がありました。この点について、谷口雅春先生のご指導をあおいだ部分です。

 「そういう不思議な事が度々ありましたので、その後、昭和27年に京都の相国寺で
開かれた、谷口雅春先生、谷口輝子先生のご指導による「女性のための特別教修会」が
ありました時に、谷口先生にご指導を仰ぎました。それは、神は円満であり、完全であ
理、全知全能であるのに、なぜ未来を予知するようなことが見えるのか、私はきっとま
ともでないような気がしたからです。そうしましたら、谷口先生はジッとこわい顔をし
て私を見すえられましたが何もおっしゃいません。私は「シマッタ!! 申しあげるので
はなかった・・・」と思っていましたら、しばらく沈黙が続いてから、お側にいらした
谷口輝子先生が、

 「それは長村さん、人間は生き通しで死なないものとか、霊魂は不滅であるという真理
を知らない人達があなたの周囲に一杯いられるから、そういう人達を光明化すればいいん
ですよ。」とご指導をいただきました。ああなるほど、『神様は五感、六感を超えた実相の
第生命であり、宇宙を貫く法則である」と『甘露の法雨」に書かれてある通りだと思いました
が、もしや私の神想観のやり方が違っているのかしらと心配でならなかったのです。

 だから、私は、輝子先生のお言葉を頂きました時に感じましたことは、

 『実相しかないのだから、実相の完全円満を観じたらいいのです。徹底して神想観をしなさい」
という事を言われたのだと、私はその時感じさせていただきました。有難いことでございました。

(P65)

3664神の子さん:2014/02/06(木) 08:02:04 ID:rH4JlRNU
先日は、レンゲソウ様の投稿に思わず反応しまして大変失礼いたしました。
(今拝見しましたら、「現象の自分は信じない」?など意味不明な割り込みでからかわれていて驚きましたが…)
志恩様の素晴らしい体験やトキ様やレンゲソウ様のご指導は、生長の家らしくホッといたしました。
ありがとうございます。

義春様とはご友人と話したことがあり、勝手に、一時代信仰を育てられた青年会の同志のように感じていました。今はそのような信仰を育てる場所がないようで残念ですが…社会で生かす時期だと思い学ばせて頂いております。

色々な信仰をお持ちの方もいらっしゃるようなので、これから拝見も遠慮させて頂きたいとおもいますが、
信徒が真理を学ぶには聖典を自己流に解釈するより、
(特に今回霊界のことで、正しい信仰を持たない方の危険さもよくわかりました)
きちんと練成指導を受けたり、なにより行に努めることが大切だと、改めて思わせて頂きました。
ありがとうございます。

3665 a hope:2014/02/06(木) 11:03:22 ID:tLWd4hcY

>>3661 3662 トキさま

「神 真理を告げ給う」からの抜粋をありがとうございます。

これは、神さまからのご伝言ですね。

「霊交の道を開くようにするため」とはどんなことなのか、はっきり述べられていませんが、
「神の御心とひとつになるため」ということと同義でしょうか・・・


「生長の家の教え」で行けば、

第一が、聖典「生命の實相」の拝読

第二に、聖経「甘露の法雨」の読誦

第三に、 神想観

となりますね。



第二の読経に関しては、


――――――――
第二に、祖霊の祭祀を丁寧にし、祖先の霊を呼び出してこれに真理の聖経を
毎朝夕読誦して真理の自覚を、祖霊と共に、自己もまた深めることである。

あなた達の祖先の霊魂は真理を深く自覚する程度に従って、その神通力を
増し、あなた達子孫を護ってくれる事になる。肉体では到底余地し得ない
突然の災厄も、霊の世界ではその兆を見る事ができるのであるから、神通力
を増した祖霊はその災厄を何らかの方法であなた達に知らせてくれ、知らす
ことができなくても、他に何かの事情を起こして、あなた達がその遭難の場
に自然と近寄らないで済むようにしてくれるのである。

――――――――

そういうことなんですね!

だから、「甘露の法雨」には、「お守り」としての功徳があるというわけですね。

今朝は、自分はご先祖さまや神さまと一つの命であることを深く心に思いながら「甘露の法雨」の読誦をしてみました。
「自分はご先祖さまや神さまに護られているんだーー!!」
という、感覚が深まったようなきがします。


<< 生長の家では、毎日、仏前で甘露の法雨をあげますが、ただ読んで
いるのと、どうして読誦するかという原理を知ってあげるのでは、
その内容が変わって来る思います。

 そのために、生命の実相では、霊界編があり、詳細に説かれてあり
ます。単に「霊」があるというレベルではなく、正しい知識を得る事
は、魂の向上のためにも必要であると信じる次第であります。>>


トキさま、霊界篇のお勉強が楽しみになってきました。
最近、またちょっと忙しいですが、自分のペースでお勉強を続けていきますので、
こらからもご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3666 a hope:2014/02/06(木) 11:04:11 ID:tLWd4hcY

>>3663 レンゲソウさま

長村婦美子先生のご著書「み教えに生命を捧げて」の抜粋文をご紹介くださりありがとうございます。

長村婦美子先生に関しては、まだご著書は拝読していませんが、
掲示板でみなさまのご投稿を拝見してると、「とても厳しい方だけれどもまことの愛のある先生」でというイメージがあります。

そして、霊感も強かったのですね。

究極の「生長の家の教え」は「唯神實相」ですから、ご自分に霊感があり『霊示とも考えられる「予知」能力を使い人助けをすること』が、
正統な方法ではないのではないかと悩まれたのでしょうか・・・

そのことを、雅春先生にご相談されたら、雅春先生は、
<<谷口先生はジッとこわい顔をして私を見すえられましたが何もおっしゃいません。>>
という、とても意味深い反応をされたのですね。

なんかこの場面ですが、わたしは、禅問答のような雰囲気を感じます。

長村婦美子先生を信頼されているからこそ「自分で答えを出しなさい!」と突き放されたのではないでしょうか・・・。

結局は、輝子先生の優しいご助言があり 
<<『実相しかないのだから、実相の完全円満を観じたらいいのです。徹底して神想観をしなさい」
という事を言われたのだと、私はその時感じさせていただきました。有難いことでございました。>>

という、お悟りに至られたようですが・・・

レンゲソウさまのご紹介して下さった、この御文章を拝見するだけで、
当時の「生長の家」がどれだけ真剣に「御教え」の真理を追究されていただのか、
その雰囲気が伝わってきます。

わたしも負けずに真理の追究に励みたいです。

レンゲソウさま、さすがに、義春さまのご友人ですね!

これからもどうそよろしくお願いいたします。

3667志恩:2014/02/06(木) 15:18:14 ID:.QY5jUA6
レンゲソウ様

長村婦美子先生のご著書「み教えに生命を捧げて」は、読みたかった本でしたので、
さきほど、アマゾンコムへ注文しました。

3668志恩:2014/02/06(木) 17:01:39 ID:.QY5jUA6
 余談ですが、
私は、元・兵庫県白鳩会県連合会長の 長部眞知様(おさべまち様)
   元・京都府白鳩会県連合会長の 斉藤寿美様(さいとうすみ様)
     大阪の、岸本とし子様….

は、原宿本部で お会いしたことを、記憶しているのですが、
長村婦美子様も、お会いしたことはあると思うのですが、大昔のことなので、
思い出せないでいます。

昔の大幹部の皆様は、どなたも 気品と、風格と、素敵な雰囲気を漂わせておられました。

それは、昭和30年代後半〜昭和40年代はじめの頃の話ですから、
今は、ほとんどの方々が、霊界へ移行されて、
きっと、今の生長の家の現状を、案じられて、霊界から、ご覧になっておられることでしょう。

3669神の子さん:2014/02/06(木) 17:27:18 ID:???
 
 「信徒の方々は谷口雅春先生の大切な信者様でありますから

 私が指導するというような不遜な気持が少しでもあってはならないと思います」

     長村婦美子 『み教えにいのち捧げて』 74頁

3670神の子さん:2014/02/06(木) 17:37:31 ID:???

 小林春恵先生の 『わが信仰の旅路』 もお薦めです

 WEB「今昔物語』でも読めます 
 http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/category/21

3671志恩:2014/02/06(木) 18:31:37 ID:.QY5jUA6
神の子さん様

小林春恵先生、お懐かしい先生です。(新潟県ご出身)
小林先生は、(富山県ご出身の)平岡初枝先生と仲良しでいらっしゃいました。
北陸同士というお気持ちもあったのでしょうか。

本部の平岡先生のところへ、小林先生が、状況された折りに、お話にいらしたとき、
私は、お二人の先生に、お茶をお出ししたりして、少しだけ、交じって
お話させて頂いたことがありました。

小林先生は、凛とされていらっしゃいましたが、したっぱの私に対しても、
前から知ってる人間みたいに、親しく話してくださって、
清々しい感じの先生でした。

でも、「わが信仰の旅路」は、拝読していませんでした。
ご紹介有り難うございます。「今昔物語」、拝見します。

3672志恩:2014/02/06(木) 19:01:04 ID:.QY5jUA6
3671:訂正  ×状況  ◯上京

3673トキ:2014/02/06(木) 19:23:27 ID:xV3s1G5Q
谷口雅春先生著「如意自在の生活365章」の64pを拝読させていただきます。

 「人間の生と死を解明す」

 また”死する”ことを”他界する”ともいうが、それはあたかもアパートの一室
から他の室に入るようなものである。すぐに他の室に入ることができないで、
廊下へ出て、隣室の人を訪れる。廊下はまだ人の住む世界ではないのであって
空白である。しかし、廊下を通過しなければ、次の部屋に入ることができない
のである。その”廊下”に当たる部分がいわゆる”死”という現象なのである。

 釈尊は「涅槃経」の中で、人間の”死”を月の”没”に喩えた。そして、月は
没しても、月はなくなったのではない。その如く、人間は死して視界から
見えなくなっても、人間そのものは死んだのではないとお説きになった。
ベルグソンは、現象界にあらわれている場合の人間を、釘にかかっている
着物に喩えた。そして、”肉体”を”釘”にたとえて、肉体の死を釘が抜ける
ことに喩えた。そして釘が抜けて着物が下に落ちてテーブルの陰に隠れて
も、その着物は見えなくなったが、滅したのではないと同じように、人間
は肉体が死んでも滅したのではないといった。」

3674トキ:2014/02/06(木) 19:27:03 ID:xV3s1G5Q
 これはトキの個人的な考えですが、プロ野球の選手はシーズンが終わると、
そのままの球団に居る人もいれば、他の球団に移る人もいます。引退を
する人もいれば、監督やコーチになる人もいます。

 しかし、シーズンが始まると、選手である以上はベストを尽くす事を求め
られます。

 人間も今生きて居る以上は、その人生でベストを尽くすのは同じかと
感じます。

3675志恩:2014/02/06(木) 19:36:50 ID:.QY5jUA6
トキ様

「如意自在の生活365章」の「人間の生と死を解明す」の謹写をして下さいまして、
 ありがとうございます。
……………………………………………..
(『生命の實相』第10巻P.1〜3)より

~平等心より観たる霊界の消息と、差別心より観たる霊界の消息~

霊界通信には全然真実性のない低級霊からの通信もあれば、
崇高な真理を説く非常な高級霊からの通信もある。

しかし高級霊からの通信は非常に少ないのである。
なぜなら高級霊は地上の生活にあまり興味をもたないからである。

本書の第九巻にのせたフランスの霊媒家にヴェッテリニや、
谷口清超氏訳の『天と地とを結ぶ電話』にあらわれたアガシャの霊のごときは高級霊であって、
地上人類の最後の運命の予言までもしていて、

現在までのその予言の大多数が的中しているのである。
そしてその説くところは秩序整然、人間智の及ばないような
深い真理を説いているのであるが、

現象界の人類の運命の遷りかわりや死後の霊の進化のごときはいずれも
差別界のことであるから、

わたしは第九巻において
「差別心より観たる霊界の消息」としてそれを紹介しておいたのである。

 本巻における「平等心より観たる霊界の消息」は

差別界の霊魂の位相の相違や現象的変化を超えて、

すべての人類に平等に宿るところの神聖性に貫穿し、
神性仏性を端的に把握しえた境地において、

人間の実相を直視しての霊界通信である。

この霊界通信を寄越した霊魂は、よほどの高級霊であり、
差別を超えて人間のすでに完全なる実相を説くのである。

 以上のごとく、霊界の消息を、霊界通信の方法により、
あるいは心霊実験により知ることは大切であるが、

霊界には悟らずに苦しんでいる「迷霊」が多数あり、
読者の先祖の霊魂の中にもそのようにまだ悟っていない霊魂があるかも
しれないのである。

したがって、そのような霊魂を悟らしめて、
霊界における先祖の霊魂の苦痛を解脱せしめてあげることは、
子孫たるものの当然行わなければならない義務であり、

それを行うことによって祖先の霊魂が救われる時、
祖先と子孫は霊的につながって一体であるという原理により、
子孫が健康になったり、運命が好転することもありうるのである。

3676志恩:2014/02/06(木) 19:50:50 ID:.QY5jUA6
3674:トキ様

>> 人間も今生きて居る以上は、その人生でベストを尽くすのは同じかと
感じます。<<

その通りなのですが、私が、今、森のオフィスでの本部職員だったら、
どうするかな、と考えたとき、若い女性である場合は、

言うまでもなく、すぐに辞めて、他へ再就職しますが、
これが、自分が、40代くらいの男性で、子持ちで家庭が場合は、

総裁や教団の、おかしさに気づいても
与えられた場所で、家族のために、目をつむって頑張ろうとするか、

それとも、潔く辞める決断をするか、
私は、男性じゃないので、男性の気持ちは、わからないです。

3677志恩:2014/02/06(木) 19:52:12 ID:.QY5jUA6
家族がある場合です。

3678志恩:2014/02/06(木) 20:12:20 ID:.QY5jUA6
トキ様は、地区のお方だそうですから、トキ様のことでは、ありませんので、
誤解されませんように。

3679トキ:2014/02/06(木) 20:33:05 ID:xV3s1G5Q
「回想 山本玄峰」玉置弁吉著、春秋社より、一文を紹介させていただきます。

山本玄峰老師は白隠の再来と言われた禅宗の高僧で、昭和天皇のご信頼のあつい
方でした。(文中、老師となるのは、山本玄峰老師です。)

 「老師は大東亜戦争は最初から反対で悲観をしておられ「こんな無理な戦争は
してはいけない」

とよく言っておられました。昭和18年、初めて東京が空襲を受けたとき
「これで日本もいよいよ駄目だ」と、新聞を見ながら投げ出すように
言われました。当時、私は陸軍少尉で、中支で負傷をして除隊となり、
滝沢僧堂の雲水として老師の所におりましたので、この老師の言葉には
随分抵抗を感じ、

 「老師はよく駄目だとか負けるとか言われますが、戦争が駄目であり、
負ける事がわかっておれば、今の間に何とか打つべき手があるのではな
いですか」

と申しますと、老師は、
 
 「物には勢いと流れというものがある。無理に流れに竿差し、勢いに逆らっても
事は成就しない。人が東に走る時には東に走り、人が西に走る時には同じように
西に走っておらねばならなぬ。しかし同じ方向に走っておっても、泥棒とこれを
追っている刑事は同じ格好をしていても、心は全然違い、反対である。それと
同様に、同じ事をしていても、心の置き場所が違わねばならぬ」

と言われました。その時には老師が何を言っておられるのか、私には分かりません
でしたが、やがて老師の言葉が立証される時が参りました。老師は戦争終結の好期
を眈々として念じておられたのでした。

 昭和20年4月、鈴木貫太郎大将に会われ、単刀直入に進言せられました。

(以下、省略)

(200p)

3680レンゲソウ:2014/02/07(金) 08:17:49 ID:wusvM4XY
>>3664

 コメント、ありがとうございました。

 ”義春”も喜んでいると思います。彼は、小学生の頃から生長の家に来ていて、
熱心な活動者でした。今も、きっと彼なりに頑張っていると思います。

 今の青年会の諸君はかわいそうですね。あんな活動では、本当の生き甲斐とい
うか、いい思い出は残らないでしょう。それを承知でやらせている本部の人達は
酷いと思います。

 でも、これを読んでいる青年会のみんな、こういう時期だからこそ、谷口雅春先生
の本を読もうぜ。

3681志恩:2014/02/07(金) 08:27:25 ID:.QY5jUA6
トキ様

>>「回想 山本玄峰」玉置弁吉著、春秋社より<<のご紹介をありがとうございます。

私は、トキ様が、教区にいらして、外部からでは知り得ない、
生長の家の教団の実情を時々、公開して下さいますことは、
今後の生長の家の回帰にとりまして、非常に貴重なことだと思っております。

トキ様は、洗脳されてしまっているわけでは、ありませんから、
その点も、大変救いがあることだと存じております。
私は、トキ様は、要のお方だと思っております。

皆様へ

YouTubeに、雅春先生の御講話もたくさん掲載されていますが、
新しい榎本恵吾のご講話もたくさん載っていて、うれしくなりました。

①だけ貼付させて頂きますが、シリーズものです。

1.生長の家 榎本恵吾 講話 昭和62年 1月25日 宇治別格本山
https://www.youtube.com/watch?v=XS2YYMChUbs

3682志恩:2014/02/07(金) 09:46:09 ID:.QY5jUA6
3681:榎本先生の敬称が抜けていました。ごめんなさい。

3683トキ:2014/02/08(土) 13:59:30 ID:wtvdqDfw
 小林春恵先生の「わが信仰の旅路」をよまさせていただきます。
小林先生のご主人がなくなった場面です。

--------------------------------------------------

 「そこへ三条会館のママさんがハイヤーに乗って飛んで来た。
この人は、私のシュジンを非常に尊敬していました。主人が死んだ
からと聞いたので飛んで来たのです。

 そして、「先生、お前さんちの旦那さまでも、やっぱり死ぬん
だのう」って、そこへカタカタと体を折ったように座ったんです。
(中略)
「お父さん、ママさんがね、目に見えないのは信じられないって
言うから、目に見えるように、お父さん、知らせる事はできません
か?」って言ったんです。
 そうしましたら、しかばなー紙を細かく刻んで、わらで作った
しんにたくさん紙の花をさした造花ーが、突然、内側の方だけサ、
サ、サ、サ、それも下から上へあがって、パッと止まる。それを
何回繰り返したがわからない。

 それで、みんんが、「あれ、あれ」と言っています。風はないし、
外側はなんともないと、みんなで言っている。私はもういいだろう
と思いましたから、「お父さん、ありがとうございました」「ママ
ちゃん、わかっただろう」って言ったら、「わかった、わかった」
って言う。「お父さん、ありがとうございました」と言うと同時に
パチッと止まったんです。

(162p)

3684志恩:2014/02/08(土) 16:43:44 ID:.QY5jUA6
トキ様

小林春恵先生の「わが信仰の旅路」の
小林先生のご主人がなくなられた場面のご紹介を、ありがとうございます。

昔の本部講師のお方は、皆様、宗教的で人間味溢れる素敵な方々が多かったです。

その後の方々は、よく存じ上げませんので、昔の方々のことばかり申し上げて、

すみません。

3685 a hope:2014/02/08(土) 21:37:58 ID:cEpBaIdo
>>3675で志恩さまが第10巻の「はしがき」 を抜粋、謹写してくださり、
~平等心より観たる霊界の消息と、差別心より観たる霊界の消息~とまとめてくださいましたが、
内容が複雑で、一回拝読しただけではわかりにくかったので全文読み直してみて、
それぞれの特徴を箇条書きにまとめてみました。

【差別心より観たる霊界の消息】
・高級霊からの霊界通信
・予言の大多数が的中
・秩序整然としていて、人間智の及ばないような深い真理をとく
・現象界の運命の遷(うつ)りかわりや死後の霊の進化の説明(輪廻転生?)

【平等心より観たる霊界の消息】
・さらに位の高い高級霊からの霊界通信
・差別界の霊魂の位相の相異や現象的変化を超えている
・強烈な支配力をもって霊界の消息と人間の実相をとく


わたしは以前、>>3619で、「神示」と「霊示」の違いをまとめてみましたが、
この霊界篇の霊界通信はどちらも「霊示」になるのではないかと思います。

ですが、【平等心より観たる霊界の消息】の方は、実相世界のことを語っていて、
「甘露の法雨」の内容によく似ていると思いました。
(つづく)

3686 a hope:2014/02/08(土) 21:40:15 ID:cEpBaIdo
(つづき)

生命の實相第10巻p118 3行目〜

『マグナッセンの父からの霊界通信として発表されたものはこれで終わっている。前章のウェッテリニの霊界通信が、※四方立相の霊界の諸相を客観的に「かくある」として取り扱っているのに反して、これはまた「かくある」のは唯心所現の結果「かくある」のであって、不幸も悪も醜(しゅう)も恐怖すべきものは何一つ実在ではないと説き、「実相としては人間は永遠である。されば人間は決していまだかつて苦しんだことはない」と実相の立場から説いている。前者は差別心から見た霊界の消息であり、後者は平等心からみた霊界の消息であり、二つ合して完全となるのであります。』

※四方立相・・・方角を指し示し相(すがた)を立てる。たとえば四方に極楽がある、そのありさまはかくかくであるというようなこと。(頭注より)

とありました。

こうみてみると、

差別心より観たる霊界 = 相対的(客観的)に観た霊界 = 現象の霊界(影の世界)
平等心より観たる霊界 = 絶対的(主観的)に観た霊界 = 実相の霊界(実在・心の世界)

となるのではないかと思いました。

3687志恩:2014/02/09(日) 08:12:18 ID:.QY5jUA6
a hope様

わかり易く、書いて下さって、ありがたいです。
a hope様、おげんきそうで、よかった。

ユタカ様、どうされたのかしら。

3688ユタカ:2014/02/09(日) 18:21:40 ID:Y74LhUvw

はーーーい!! ユタカでーす。 
スッゴイ大雪でしたね、玄関開けるのにいつもの3倍の力が必要でした。。。
長靴の上まで雪が積もっていて、ズボンを長靴の上から出して、ひとまず玄関から道路まで雪かきしてから、横にある駐車場には思いっきり大の字になって倒れて、人間ハンコを作ったら、起き上がって、後ろからみると人間雪ダルマになって、楽しく出勤しました。
雪の日はなんて楽しいんだろう!! 出勤前で時間が無くて小さい雪だるましか作れなかったのが残念だけど、帰宅すると近所に小さな鎌倉が作られていて楽しそう。。。

それから、、、生命の実相は全然読んでないのです、だから出て来れないので、ごめん、ごめん。 第1のものを第1にしなさい!って怒られそうですね、、、すみません。

オリンピック始まっちゃって、、、ダメだな===。。。 ごめ〜〜〜ん。。。。

3690志恩:2014/02/10(月) 07:42:55 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

お元気に 生きておられましたか。
雪だおれじゃなく、雪に倒れて、人間ハンコつくったなんて、傑作。

ソチ オリンピック、始まりましたものね。
ユタカ様も、観てる!!開会式、きれいでしたねぇ。

真央ちゃん、転倒しちゃって、かわいそうでした。
まだ、団体戦のときだったから、よかったけれど、一人で戦うときは、うまく行くといいですね。

私は、昔から 雪といえば、雪かき、雪だるまですが、

今回は、大雪だったので、庭の雪を集めて、がんばって、雪だるまじゃなくて、小型の
[カマクラ】を作っちゃいました。みなで、その前で、記念写真も撮りました。
写真、掲載する方法を知らないので、ここへ載せられないのが残念です。

その中にビニールの敷物を敷き、数人で入って、即席 甘酒(お湯を注ぐだけの)も
イタダキマシタ。

私は、普段、庭仕事してますから、雪かきだって、☃雪だるまだって、カマクラだって、
出来ちゃう ヤルバァなんです。 
でも、見た目は、おっとり型の優しい笑顔のバァですよ。

私は、東京生まれの東京育ちなもんですから、たまの雪だから、うれしいんです。
しかし、これが、冬中 雪だったら、大変。屋根からの雪下ろしだってあるし。

北陸の親戚の人に電話で聞きましたら、毎日毎日、朝起きたら、
玄関前の雪かきから1日が始まる、2時間はかかると言ってました。すごく腰にくるそうです。
それは、大変だと思います。

親戚の家は年代ものの、とても広い家で旧家。親戚も高齢になり、屋根の雪おろしは、
他人の、そういう業者に 全部たのむので、
屋根の雪下ろし代は 一冬で、百万円以上、かかるのだと ため息まじりに言ってました。
自然をあまくみちゃいけませんよね。

ユタカ様は、「生命の實相」を、全然読んでないそうで、復興G様がいらっしゃらくなったから、
さぼってるのかしら、それとも、あれじゃないの、霊界篇だからじゃないのですか?

霊界篇というと、
おばけのQ太郎とか、目玉親父とか、怖めでは、皿屋敷のお菊を 連想したりして…

a hope様が、はやいとこ、9,10,は、終わらせるでしょうから、11巻からは、ご指導くださいね。
トキ様は、ご指導にちょこっと、いらして下さってますが、
ユタカ様がいらっしゃらないから、a hope様がさびしいと思います。

私が、出てもね。ご指導にはならないし、私の霊界篇の体験談も出尽くしましたし、
しばらく、ソチオリンピックもありますから、気がむいた時だけ、どなたかが書き込まれたら
いいかもね。

ユタカ様、気が向かれた時、オリンピックの事でもいいですから、出ていらして書いて下さいね。

3691トキ:2014/02/10(月) 19:11:09 ID:yIXij9CU
「坊さんに読経の意味を教える」

 主人の友人に樺沢さんという、禅宗のお寺のお坊さんがいました。
小さい子供の自分に、水に溺れようとしたところを私の主人に救けてもらったことが
あるらしいんです。それで、親御さんがいつでも、

 「おまえは小林昭三さんに助けてもろうた。昭三のお陰で助かったんだで」と
言ってたとみえて、主人とは仲が良かった。それで、主人が死んだというので、
この樺沢さんがお経を誦げに来たわけです。

 それで、樺沢さんが一生懸命お経を誦げていたらね、

「樺沢、忙しいところをわざわざ済まんかったなあ」
という声が聞こえた。自分の名前を言われたもんだから、樺沢さん、
何気なく、お経を誦げながら顔をあげると、仏壇の中にニコニコして
私の主人がいるって言うのですよ。

 それで、樺沢さん、びっくり仰天して、

 「小林な、おまえ死んだんではなかったか」

と言うと、

 「お前は人間は死ぬと、もうそのまま何も無くなると思っていたのか。
それだったら、おまえはどうして年忌をしたり、法事をしたりしているのか」

と言うたと言うのですよ。年忌する限りは、法事する限りはあくまでのその
霊魂が生きて居るということでなければならないわけですからね。

 「そんじゃ、昭三、おまえ、お経わかるか」
と言うと、

 「おまえよりよっぽどよくわかるんだから、しっかり読めよ」
と言うた。
 それで、樺沢さんが、

 「意味のわからないお経でもわかるかい」
と言ったら、
「真心で読んでりゃ、仏の慈悲に通うんえ」
と言ったというんですよ。

 それで、樺沢さんが、

 「昭三、ありがとう、俺はおまえのお陰で、お経を読む態度がわかったよ。
ありがたかったでえ」

という訳です。

(小林春恵先生 「わが信仰の旅路」169から171pより抜粋)

3692トキ:2014/02/10(月) 19:31:00 ID:yIXij9CU
 霊界の人にお経を読むと功徳がある、というのは、トキの考えですが、肉体がないだけに、
お経の意味が実感としてわかるという事かと拝察します。

 特に、実相という問題は、肉体のある人間は、なかなかわからないのですが、霊界の方々
には、深く理解する事が可能かと思います。

 この霊界編に書かれた文章を拝読しても、霊界の方が語る霊界の消息により、お経をよむ
意味が如実にわかると感じる次第であります。

 少し話しが飛んでごめんなさい。

3693 a hope:2014/02/11(火) 00:18:12 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは。

ユタカさまが元気に登場されてうれしいですね。
わが家の周りも雪景色ですよ!
わたしも志恩さま同様、雪があまり降らない地域に住んでいるので、雪が降るとなんだかウキウキしてしまいます。
そしてわたしも、子どもたちと一緒に、雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりして遊びましたよ!
今回は、カマクラまでは作りませんでしたが・・・(笑)


そんな中でも、わたくし、 a hope は生命の實相第9巻と第10巻を全部拝読し終わりました。
正直、第9巻全部と第10巻の第一章は拝読するのに、とても時間がかかりました。
霊界のことを書いてある本は、今までたくさん読んできましたが、
最近はどういうわけか、積極的に読む気になれないのです(-_-;)

ところが、第10巻の第二章からは、雅春先生の御文章がメインになっているからでしょうか、
そこからはどんどん読めました。

第二章 「個性生命の存続とその物質化」は、まるで、聖経「甘露の法雨」と「天使の言葉」
そして、「続々甘露の法雨」の解説のようになっているのですね。

その後の、第三章 「悟らぬ霊魂を救う道」では、雅春先生が実際に降霊してきた、
苦しみながら肺炎でなくなった女性の霊を真理の言葉で悟らせる場面も紹介されていてすごい迫力です。

読み終わってみて、「がんばって読み続けてよかった〜〜」って感じました。

>>3691でトキさまが、小林春恵先生の「わが信仰の旅路」からの抜粋文を紹介してくださっていますが、
今も昔も、霊界のことをよく理解していない(悟っていない)のに、仏教やキリスト教、
または新興宗教等の聖職に単に職業として従事されている方は多いのではないかと感じています。

そんな方々のお説教や文章には、全く説得力がありませんよね。

でも読経に関しては、

<<「意味のわからないお経でもわかるかい」
と言ったら、
「真心で読んでりゃ、仏の慈悲に通うんえ」
と言ったというんですよ。>>

とありますから、お経はたとえ唱える側がその意味がわかっていなくても、
心をこめて読むだけで霊界の御霊さまは喜んで下さるということなのですね。

でも、読誦する人間がちゃんと意味を悟っていたら、ものすごい功徳があるのだと思います。

第10巻の第四章にはそのことがちゃんと説明されていましたよ。
また、時間のある時に、謹写させていただきますね。

それでは、みなさま、おやすみなさい。

3694レンゲソウ:2014/02/11(火) 01:33:33 ID:M6Wo2DG6
 生命の実相第9巻、p63より謹写させていただきます。

 著しく進化をとげたスピリットは物理的心霊現象を引き起こす事
はできないのである、というくだりです。

 「そんな現象をあらわすことができるのは低級霊ばかりです。
低級霊にそれができるのは、その幽体がいっそう物質的でいっそう
濃厚だからです。高級霊はわれわれの感覚器官でみとめられるような
まったくわれわれとは実質の違った霊体をもってます。高級霊がわれ
われの感覚器官にみとめられようとする時には、低級霊を仲介的道具
としてつかうのです。」

 心霊現象というのは、肉体が全てではない、霊があるという初歩的
な段階では、人々を啓蒙する手段として重要です。しかし、いつまで
も心霊問題に執着するのも、魂の進歩には無用です。

 その両方を認識した上で、私達は霊について、正しい知識を得る
必要があると考えます。

3695志恩:2014/02/11(火) 05:52:37 ID:.QY5jUA6
トキ様

小林春恵先生著の中の
「坊さんに読経の意味を教える」は、とてもいい実話ですね。
亡くなられた小林先生のご主人の昭三さんが祀られてある
御仏壇に向かって

ご主人の友人である樺沢さんという禅宗のお寺のお坊さんが
お経を誦げに来て下さって、
樺沢さんが一生懸命お経を誦げていると、
昭三さんの声が聞こえて……

お経の意味が分かっても分からなくても、
正しいお経を、心を込めて読誦することは、
亡くなった方に、その真心が通じており、供養になるということが、
大変良く分かるお話でした。

ありがとうございました。

3698トキ:2014/02/11(火) 16:08:34 ID:A5kLOSv.
 「ある生命が受ける諸種の境遇のおよそ一半は業運の法則によって
決定せられているのである。残余のうち半分は個体の自由になしうる
ところで他の半分は高級なるスピリットの修正の手にあるのである。
各人の生命を支配するこれらの諸種の影響要因の区分は明瞭で、規則的
で、権威ある語調でレイヌの口を通じて語られたーライフの半分は業運
によって決定せられる。四分の一は各人の自由意思に属する。他の四分
の一は高級霊の手に委ねられている。

 スピリットの修正が必要なことは明らかである。しからざれば業運のみ
が絶対なものとなり、道徳は覆され、進化も何もあったものではないから
である。」

(生命の実相 第9巻 102p)

 生長の家をしていても、病気になったり、事故にあうことがあります。
信仰をしていても、どうしてこんな目にあうのか・・・? と疑問に思う
人もいるでしょう。

 しかし、以上のご文章を拝読すると、信仰をしていても、それは当然
だという事が理解できます。つまり、過去の業が消えて行く過程で、
一見不都合な事が生じるのは仕方がない事です。

 が、自分の自由意思やスピリットの修正により、より被害が少ない方向
で運命を変える事は十分に可能であります。

3699志恩:2014/02/11(火) 16:52:08 ID:.QY5jUA6
a hope様

お仕事もされて、ご家庭もあって、雪だるままで作っていたのに、
>>そんな中でも、わたくし、 a hope は生命の實相第9巻と第10巻を全部拝読し終わりました。<<

というのには、おどろきました。

私は、以前、東大の臨床医、救命部の部長で、
現役の東大教授である矢作直樹の「人は死なない」という
著書を読みましたが、

矢作氏も、
『前世や、霊魂や死後の世界というものの存在があると、認識できるということは
 自分の生き方や行動に自信を持つことができ、

「それでは、自分はどう生きていくか」という、
自身の存在のあり方や、心のありようを 考える事ができます』と書いています。

矢作氏は、現世と霊界は、重なり合っている、ここにある とも書かれています。

ところが、第9巻の88頁から、雅春先生は、霊界はどこにあるかを、
もっと詳細に教えて下さっています。

霊界…
地上に浮浪する階級の霊魂の住む世界が、われわれの住んでいるこの地上と同じところに
あるということは、確かである。

しかし、ここは、霊魂の落ちつくべき純粋の「霊圏」ではないようである。

(長文なので要約します)、スピリットが一段の進化を遂げれば、上層圏に行く。
        そして、 霊界は、七圏に分かれている。と、教えて下さっています。

3700ユタカ:2014/02/12(水) 02:59:19 ID:Y74LhUvw
トキさま

3696 と3697 を削除してください。

時間が無い時に、よく読まないで投稿したので、馬鹿炸裂してる・・・
アフォだ、自分。。。

3701神の子さん:2014/02/12(水) 03:25:41 ID:???

 小林春恵先生の御主人 昭三さんの末期 及び 御子息の盲腸手術に関しては

 『真理』 第3巻 初學篇 もお読み下さいませ。

 涙拭くハンカチをお忘れなく・・・

3702志恩:2014/02/12(水) 06:15:03 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

同じのが2つ載ってますから、1つだけ、削除して頂いたらいいと思うけれど。
全然、馬鹿炸裂じゃないですよ。これが馬鹿炸裂だったら、
私なんかほとんど削除して頂かないと,,,(笑)

神の子さん様
「真理」第3巻、教えて下さってありがとうございます。
お持ちじゃない方、
本流青年掲示板に、

童子様が、小林春恵先生と河田亮太郎先生の対談を掲載下さっていますが、
682に、そのことが、ちらりと載っていますよ。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=seinen&amp;mode=res&amp;log=85

3703 a hope:2014/02/12(水) 10:18:41 ID:cEpBaIdo

>>3696 ユタカさま 

神想観と聖典「生命の實相」のお勉強は、今のわたしにとって「生命の洗濯」なのです。
だから、毎日ただそれができることがうれしくてうれしくて仕方ないのですヽ(*^^*)ノ

<<いつかのいつか、一緒に雪の露天風呂に入って「生命の実相」を輪読して、その後雪で遊びましょう!!>>

そうですね。是非実現させましょう!
でももしユタカさまが男性なら混浴風呂でないといけませんね(笑)


3694でレンゲソウさまが謹写して下さった箇所と>>3698 でトキさまが謹写してくださった箇所、
そして>>3699で志恩さまご紹介の箇所ですが、すべてわたしも赤線が引いてありました。

高級なスピリットは決して五官で感じられるよな不思議な現象は起こさないのですね。
谷口雅春先生も「本当の神は霊媒にはかからない」とおっしゃっていますから、
心霊現象をすべてそのまま信じてしまわない方がいいですね。

でも、自分の運命の<<四分の一は高級霊の手に委ねられている。>>のであれば、
それらの現象は、とても重要なサインになるのだと思います。

「実相独在」「人間神の子」を信じきれるようになることがわたしたち信徒の最終目的なのでしょうが、
その前段階として、霊界のことを正しく理解しておくこともまたとても重要なことなのだと、
今回、霊界篇をお勉強していて感じています。

みなさ、2月は第9巻が範囲なんですが、第10巻の後半に霊界についての谷口雅春先生の素晴らしいご解説がありますから、
今回のweb誌友会の範囲を、9巻と10巻の両方にさせてください。
勝手をして申し訳ありませんが、みなさまどうそよろしくお願いいたします。

それから、時々ご本を紹介くださる「神の子さん」ありがとうございます。
先日、小林春恵先生の「わが信仰の旅路」をアマゾンで注文しました。

手元に届くのが楽しみです!

3704トキ:2014/02/12(水) 21:53:28 ID:YJzyOlvg
>>3703

a hope 様

 生命の実相第9巻の110pには以下の通り書かれております。

 「神は絶対的存在であり、内在的もしくは本質的存在であるから、外在的または比較級的存在
としてヨリいっそう高き霊、そのまたいっそう高き霊とさかのぼっていても、、結局それは比較的
世界には存在しないのである。一転して内在の絶対界を見る時、そこにわれらの実相としての神を
見る。この神をみることが唯一最高の心的滋養剤となるのである。」

 やはり、神想観をし、生命の実相を拝読し、自己内在の神と交流する事が、「生命の洗濯」だと
思う次第であります。

3705神の子さん:2014/02/13(木) 01:04:59 ID:???
人間は物質に非ず、生き通しであると云う確かな証拠 「小林昭三青年のこと (1767)
日時:2012年09月24日 (月) 09時43分
名前:童子

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=379

3706志恩:2014/02/13(木) 06:13:23 ID:.QY5jUA6
3705:神の子さん様

光明掲示板第一にも、童子様が書いて下さっていたのですね。
ご紹介、感謝致します。

小林春恵先生のご主人・昭三様がご昇天されるときのこと、
そして、ご昇天直後のこと、

医者から もはや 手遅れだと言われた息子さんの盲腸が、奇跡的に
手術もせず、治癒してしまったこと、

これを、読ませて頂きますと
「甘露の法雨」のすごさが、しんしんと実感出来ますよね。

3707志恩:2014/02/13(木) 06:52:41 ID:.QY5jUA6
 トキ様がご紹介下さいました
長村婦美子先生著「み教えにいのち捧げて」は、めちゃめちゃ面白いです。
もう少しで読み終わります。
大変読み易し、濃い内容の、奇跡の連続の体験談、満載の本です。

アマゾンコムに、新しいのですと1冊、
中古本ですと、数冊だけ、まだ、あります。

これも読ませて頂きますと、

「生命の實相」と「甘露の法雨」が、如何に、
高級霊からの天啓により、
雅春先生が、お書きになられたものであるかが、
実感として、分かるすばらしい本です。

小林春恵先生の「わが信仰の旅路」は、
a hope様が、買われたそうですが、
私も、こちらの本も注文したところです。

3708志恩:2014/02/13(木) 08:01:54 ID:.QY5jUA6
小林春恵先生にしても、長村婦美子先生にしても、
このように、本に書かれているような体験談は、

昭和30年代後半から40年代前半の、私が本部に奉職していた
雅春先生が総裁でいらした時期は、全国津々浦々から、
日常茶飯事の如く発表されていた時期でしたので、

あの当時は、珍しい事ではなく、大して驚かなかったのだと思います。

しかし、今の教えになりまして、な〜んも、個人救済も説かない、
個人救済があっても、本部は、偶然だとか言って、
取り上げなくなった時代になったからこそ、

雅春先生時代は、
数々のすごい奇跡があったのだと、身にしみて感じるのだと思います。

思い出しましたが、あの当時、昔の建物の時だった飛田給道場で、
全国の幹部を集めて、

谷口雅春先生が、ご講話されたり、ご指導されたりする全国幹部会かなにか、
正式名称は、忘れましたが、
ありました。

で、その日、私は、雅春先生のお世話係として、
原宿本部から派遣されて、飛田給道場に行っていました。

その日の夜のこと、私は、どの部屋で休んだらいいのかと、
担当者の人に聞きましたら、
大道場に近い部屋で、2つベッドが置いてある 2人部屋があるから、

小林春恵先生と、相部屋になるが、
そこで休んで下さいといわれ、

今、思えば、1晩、私は小林春恵先生と二人で同じ部屋で、
過ごしたことがあるのでした。

小林先生は、凛としていらして、女の校長先生みたいな雰囲気のお方でした。

私は、その前に小林先生が、本部へ平岡先生を尋ねていらした時に、
小林先生と、お目にかかっていましたので、
その夜、ご一緒したお部屋でも、とても自然体でお話していました。

あの当時は、わたしは、詳細は、わかっておりませんでした。
実は、すごい先生でいらしたことも。

今になって、いろいろと、教えて頂けて、ありがたいと感謝しています。

3709志恩:2014/02/13(木) 09:52:01 ID:.QY5jUA6
昔のことを書きますと、すごい先生ばかり…ということになりますので、
自慢話に聞こえましたら、申し訳ないのですが、

当時は、私は、こどもみたいなもので、今も、こどもみたいですが、
どの先生が、どういうお方なのか、などということは、何もわからなかったのです。

私自身も、あの当時は、本部の仕事だけでなく、本部員のための 会報作りのため...
会報の編集委員も兼ねて、やっていましたから、昼休みも返上して、
原稿集めやら、取材やらで、一生懸命でして、昼休みも休んだことはありませんでした。

仕事が終わった後も、、
地元で青年会を発足したり、個別訪問したり、自宅の誌友会を
手伝ったり、老後になった今とは異なり、一時も、休むヒマ無く、
張り切って、させて頂いていた時代でもありました。

3710トキ:2014/02/13(木) 12:16:22 ID:SSPkD/OA
 「スピリットが高級の進化をとげた場合は、高く進化せるというその
事実によって、そこには完全な調和が存在する。といってもこれは個性
の滅却ということではない。ある完成せねばならぬ仕事に対する意見が
マチマチにはならないということである。完成すべき目標は一つである。
分担すべき部分がちがっているが、受け持つ仕事をいかになすかという
ことについて評論されるということはないのである。

 これに対して低き霊界においては、地上において有した性癖や意見の
俤をそのまま備えている。社会問題、政治問題、宗教問題等は論争の
種であって、彼らにおいてはまだパッションは超克されていない。
霊界通信において、スピリットの持説が別れているのはこの理由である-

あるスピリットはきわめて真面目に、祈りは魂の安息のために必要であると
説いているし、またあるスピリットはきわめて真摯に、教会のために
寄付金を募るのはよいと考えている。またあるスピリットはウイットを
誇るために、あるいは単に戯言を弄する面白さからでたらめな意見を
述べて人々を欺くのである。「死者」は彼が生きていた時知っていたこと
以上のことを知らないのが普通で、生きて居るときよりも無知である
ことさえ時にはあるのである。例えば、生前優秀な肉体を備えていた
霊魂は、肉体を放棄することによってかえって貧弱となったのである。

(生命の実相第9巻167〜168P)

3711トキ:2014/02/13(木) 12:19:06 ID:SSPkD/OA
(感想)

 例えば、霊界の話と言っても、真面目なものもあれば、詐欺と言えるものも
あります。生命の実相第9巻に紹介された話は、信用できるものですが、この点
気をつける必要があります。

 ある種の霊能者は、人間が生きる場面で有益な助言をくれる場合もありますが、
魂の向上という場面では、必ずしも有益ではないとも言えるかと感じます。

3712トキ:2014/02/13(木) 16:00:32 ID:SSPkD/OA
>>3708

 志恩様は若い頃に立派な先生に師事されて素晴らしいご体験を
重ねられたと思います。ぜひ、後進の人のために、御自身の覚えてお
られる事を披露して下さる様、お願い申し上げます。

3713志恩:2014/02/13(木) 20:27:13 ID:.QY5jUA6
トキ様

お言葉、ありがとうございます。
ですが、私は師事されたというよりも、裏方のお仕事を、させて頂いてただけですので、
どんなにすごい先生のお近くに居ましても、自分が立派になったりは、
残念ながら、していないのです。

私が奉職していた時代は、私はもちろんの事、理事でも本部講師でも、
すごくお給料が安い時代でしたけれど、
皆様、とても熱心にお仕事されてました。
山口悌治理事の奥様だって、和服の仕立ての内職をされていたほどでした。

3714 a hope:2014/02/14(金) 10:13:35 ID:cEpBaIdo

>>3708 >>3709>>3713 志恩さま

<<小林春恵先生にしても、長村婦美子先生にしても、
このように、本に書かれているような体験談は、
昭和30年代後半から40年代前半の、私が本部に奉職していた
雅春先生が総裁でいらした時期は、全国津々浦々から、
日常茶飯事の如く発表されていた時期でしたので、
あの当時は、珍しい事ではなく、大して驚かなかったのだと思います。
しかし、今の教えになりまして、な〜んも、個人救済も説かない、
個人救済があっても、本部は、偶然だとか言って、
取り上げなくなった時代になったからこそ、
雅春先生時代は、
数々のすごい奇跡があったのだと、身にしみて感じるのだと思います。>>

志恩さまは、生長の家の歴史の「生き証人」でいらっしゃいますね!
>>3712でトキさまもおっしゃっていますが、わたしも志恩さまの昔のご体験をもっともっと伺いたいです。
こらからもよろしくお願いいたします。

小林春恵先生の「わが信仰の旅路」届きました。
まだ、最初の方しか拝読していませんが、文体がおばあちゃんから昔話を聞くようで、
わたしの日本人のDNAが騒ぐのでしょうか、とても懐かしい感じて慕情が湧いてきます。
就寝前等にゆったりとした気分で少しずつ拝読していきたいです。


ところで、みなさま、わたしは >>3693で、

<<お経はたとえ唱える側がその意味がわかっていなくても、
心をこめて読むだけで霊界の御霊さまは喜んで下さるということなのですね。
でも、読誦する人間がちゃんと意味を悟っていたら、ものすごい功徳があるのだと思います。
第10巻の第四章にはそのことがちゃんと説明されていましたよ。
また、時間のある時に、謹写させていただきますね。>>

と発言していました。

その部分の謹写を、「霊界光明化研究部」板にさせていただきました。

<<谷口――そこに『生長の家』や『生命の實相』の価値があるわけで、釈迦の説(と)いた、またはキリストの説いた真理をば、直訳ではなく、現代人にでもハッキリわかるように近代的知識を平易に織り交ぜながら、生命の真理が説いてあるので、それを仏前で読んで聞かせれば、祖先縁者の霊魂が悟りを開いて救われることになるのです。>>

この雅春先生のご発言には、 『生長の家』と『生命の實相』の価値とあって「甘露の法雨」とはありません。

やはり「生長の家」の信仰の基本とすべきことは、聖典『生命の實相』であり、
まずは、自分自身が「生命の實相」を拝読し真理を悟ることなのだと確信できました。

3715 a hope:2014/02/15(土) 01:35:08 ID:cEpBaIdo

『生命の實相』第10巻p159

・・・この実例でもわかる通り『生命の實相』を読んでなお、完全に治せざる医療不治の慢性病が家族中にある場合には、祖先の霊魂中、霊界においてなお悟らず、生前の病苦を継続せる者よりの哀願の念波の感応せる場合が多いのでありますから、祖先を祭祀する仏壇、御厨子などの前にて「某々(なになに)家祖先代々親族九族一切の諸霊よ、庶幾(こいねがわ)くは『生命の實相』の功徳により霊界にて悟りを開きて無限向上の道に入(い)り給え」と念じて後聖経『甘露の法雨』聖経『天使の言葉』聖経『続々甘露の法雨』を毎日かわる代わる朗読し、『生命の實相』の「實相篇」、「光明篇」および「経典篇」を順次読経のつもりにて朗読せられれば、霊界の先祖縁者の苦悩消え、限界の病人も治る例が多いのであります。

3716 a hope:2014/02/15(土) 01:36:16 ID:cEpBaIdo
(>> 3715 a hope 所感)

ここには、<<『生命の實相』を読んでなお、完全に治せざる医療不治の慢性病が家族中にある場合には、・・・>>とあります。
生長の家の信徒ならば、まずは『生命の實相』を拝読し人間神の子の自覚を得ることが、
すべての大前提となるのだと思います。

ですが、実際には「生長の家」において、時代とともにその優先順序が狂いだしたということはありませんか?

これはあくまでもわたしの推測ですが、生長の家で『甘露の法雨』の功徳で奇蹟が続出しだすと、
信徒は『生命の實相』のような難しい本を読んで真理を悟る努力をするよりも、
「より簡単に現象問題を解決できる方法」=『甘露の法雨』の読誦 に頼っていってしまったということはないでしょうか?

たとえば、信徒が伝道するときに
「この『甘露の法雨』はすごい功徳のあるお経だから、携帯してるだけでも功徳があるよ」とか、
「意味は解らなくても、読誦するだけで救われるんだよ」
というようなことを、言っていないでしょうか?

実際、わたし自身、「甘露の法雨」の携帯版をそういって、子どもたち一人一人に持たせています。

ですから、そのことを批判するつもりは全くありません。

このことは、つい最近気づいたことで、自分自身が反省したことなんですがですが、
そういう心こそ、自分の魂の向上を妨げる「依存心」「依頼心」だったのではないかと・・・

>>3661で、トキさまが謹写してくださった、「神 真理を告げ給う」の抜粋文にも、

<<その一つは、人間は肉体そのものではなく、”神の子”たる霊的実在であるという
真理を繰り返して読む事である。読む事によって智的に自己の実相の尊さを自覚す
るのである。>>

と、「霊交の道を開くようにするため」の第一の条件として、真理の書(生命の實相)の拝読があげられています。

『甘露の法雨』にしても、その真理を理解していなかったら、
もしくは「生命の實相」を毎日拝読してその真理を悟ろうとする努力をしなかったら、
『甘露の法雨』を何百回、何千回、何万回読誦しても、ほとんど功徳はないような気がします。

それは、聖経『甘露の法雨』を補完(補足?)したと言われる「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」にも同じことが言えると思います。

まずは、聖典『生命の實相』の拝読、それがなくては、その二つのお経も、いくら読誦しても何の功徳もないような気がします。

すべて、わたし a hopeが個人的に感じていることです。
ですから、みなさまのご意見を是非うかがいたいです。
よろしくお願いいたします。

3717神の子さん:2014/02/15(土) 09:07:12 ID:???
雅春先生時代は、
数々のすごい奇跡があったのだと、身にしみて感じるのだと思います

   ・・・・・・・

 河内守が3年前から耳が聴こえていたと告白しまして、
 医師が「全聾の人の聴力が回復するはずがない!」とコメントしてますが

 でも『甘露の法雨』の功徳で奇蹟が起こった事例は数多く発表されています。
 もちろん雅春先生の時代でありますが!!!!

3718トキ:2014/02/15(土) 10:26:55 ID:C5p9.pG6
a hope 様、ご投稿、ありがとうございます。

 この件は少し考えて、また、投稿をさせていただきます。その上で雑感を。

 谷口雅春先生の時代はもちろん、谷口清超先生の時代でも奇跡は続出していました。

 私の縁者の「一白鳩会員」は、谷口雅春先生が遷化されたあとの全国大会に出席した
時に、壇上におられる谷口清超先生、谷口恵美子先生の後ろに、谷口雅春先生と
谷口輝子先生がおたちになっておられるのを霊眼ではっきりと目撃しています。

 つまり、「護法の神様」がおられたので、何もわからない人が伝道をしても、それ
なりの奇跡が起こった時もあったと感じます。

 ところが、ある時期から講習会にしろ、全国大会にしろ、霊的な雰囲気がたいへん
悪くなったと「一白鳩会員」は断言しています。これ以上は申しあげませんが、
最近の生長の家で奇跡が起こらなくなった事と因果関係があると思っています。

 すると、信徒は、きちんと甘露の法雨の意義や意味を認識してから、行をする
必要は今後はあると思っています。

3719 a hope:2014/02/15(土) 12:24:37 ID:cEpBaIdo

>>3717神の子さん 

コメントをありがとうございます。 合掌。

わたしは、あのような不思議な事件(?)にも、何か意味があるような気がしています。
わたしたちは、ニセモノと本物を見抜けず、いとも簡単にだまされてしまうのは何故でしょうか?
わたしは、そんなことを考えてしまいますが・・・。

3720 a hope:2014/02/15(土) 12:28:01 ID:cEpBaIdo
>>3718トキさま 

トキさまのおっしゃる「護法の神様」とは、つまりは「高級な霊的波動」のことなのではないでしょうか?

<<壇上におられる谷口清超先生、谷口恵美子先生の後ろに、谷口雅春先生と
谷口輝子先生がおたちになっておられるのを霊眼ではっきりと目撃しています。>>

「一白鳩会員」さまが霊眼で見られた雅春先生と輝子先生見られたのも、
清超先生と恵美子先生を中心に、その会場全体に高い霊的波動が満ちていたからこそ
同じ波動の雅春先生と輝子先生のお姿を見ることができたのだと思います。

「一白鳩会員」さまは霊感がお強いようですが、低級な波動を感じれば、
また違うものが見えたりしてしまうのではないのでしょうか?


>>3704 でトキさまは

<<生命の実相第9巻の110pには以下の通り書かれております。

 「神は絶対的存在であり、内在的もしくは本質的存在であるから、外在的または比較級的存在
としてヨリいっそう高き霊、そのまたいっそう高き霊とさかのぼっていても、、結局それは比較的
世界には存在しないのである。一転して内在の絶対界を見る時、そこにわれらの実相としての神を
見る。この神をみることが唯一最高の心的滋養剤となるのである。」

 やはり、神想観をし、生命の実相を拝読し、自己内在の神と交流する事が、「生命の洗濯」だと
思う次第であります。 >>

とご指導くださいました。


そうすると、神が絶対的存在なら「護法の神」もまた内在的で絶対的であり、
霊眼で見えるようなものではない、ということになりませんか?

だからと言って、一白鳩会員さまがニセモノを見たということではなく、
ただ、それは、一白鳩会員さまにとってはそれはとても重要なメッセージだったのだと思います。
(つづく)

3721 a hope:2014/02/15(土) 12:31:38 ID:brQxC10.
>>3720つづき)

<<つまり、【「護法の神様」がおられたので】、何もわからない人が伝道をしても、
それなりの奇跡が起こった時もあったと感じます。
 ところが、ある時期から講習会にしろ、全国大会にしろ、霊的な雰囲気がたいへん
悪くなったと「一白鳩会員」は断言しています。これ以上は申しあげませんが、
最近の生長の家で奇跡が起こらなくなった事と因果関係があると思っています。>>

こう、「一白鳩会員」さまがおっしゃっていられるのであれば、
わたし、a hopeの持論風に言葉を置き換えさせていただくと、


(以下、 a hope 的解釈)

>>つまり、【霊的波動がとても良かったので】、何もわからない人が伝道をしても、
それなりの奇跡が起こった時もあったと感じます。
 ところが、ある時期から講習会にしろ、全国大会にしろ、霊的な雰囲気がたいへん
悪くなったと「一白鳩会員」は断言しています。これ以上は申しあげませんが、
最近の生長の家で奇跡が起こらなくなった事と因果関係があると思っています。<<


みなさま、「生長の家」の霊的波動を悪くしているのは、一体誰なのでしょうか?


わたしは、わたしたち信徒が自分の内在にではなく、外に神を求めたり外に責任を負わせようとしている限り、
「生長の家」の問題は永遠に解決しないのではないかと感じています。

3722トキ:2014/02/15(土) 16:09:13 ID:C5p9.pG6
a hope様

 ご投稿ありがとうございます。

 霊的な問題は慎重に対応しなければならないのですが、神様の御用をする運動では、
高級霊の導きがある場合があります。私も、過去、真理に触れて間もない人が、生長の家
宇治別格本山の神癒祈願で不治の病が消えたのを何度も目の当たりにしております。これ
などは、ある種の高級霊の導きと解釈するのが自然だと思っています。

 しかし、そういう奇跡に狎れてしまい、真剣な信仰をしないと、その後、同じような
トラブルが起こっても、ご守護をいただけない傾向が強いと思います。

 病気が消える、とか、事業が栄える、家庭不和が解決するなどは勿論嬉しい事です
が、それ自体が信仰の究極的な目的ではないので、その段階で止まっていてはいけな
いと感じます。しかし、多くの人がその段階で止まってしまったのかもしれません。

 あと、信徒がいつまでも受け身の信仰では良くない、という点は共感します。
谷口雅春先生ご存命中は、確かに正しい指導者がいたので、ある意味、受け身でも
通用したかもしれません。しかし、今は、信徒が主体的に、聖典を読み、行をし、
愛行もする時代に入ったと考えています。

 特に、最近は明らかに教団の言う事がおかしいので、信徒も困惑しているとは
思います。そのときだからこそ、聖典を熟読すべきだと思います。

3723トキ:2014/02/15(土) 16:52:49 ID:C5p9.pG6
 少し話しがずれますが・・・・・。

 大本教の出口王仁三郎先生には、「霊界物語」という全81巻の著書があります。
これは、王仁三郎先生が口述したものを筆記したもので、大本教の経典です。こ
れは高熊山で王仁三郎師が一週間、霊的な修行をしたおりに見た霊界の詳細な実態
のうち、人間に紹介する事を許されたものを記述したものです。また、霊界物語の内容は詳細です
が、私が見る限り、生命の実相の霊界編と内容はほぼ同じだと思います。

 余談ですが、出口王仁三郎師は、「巨人」と称される人でした。後年、不敬罪で
有罪になりますが、当時、京都府警特高警察課で大本事件を担当した銅銀民雄さん
ですら、王仁三郎師を「巨人」と言っています。面白いのは、出口王仁三郎師は、
「余は、その明哲たらんことを欲せざるものである。況や神様と見られることに
最も迷惑を感ずるものだる。余は唯本当の「人」たらんことを欲し、赤裸裸なる
「人」として言動せんことを欲するものである」(「余は人である」)と発言
しています。これなどは、谷口雅春先生が、「私は一求道者である」と言われて
いるのと同じかと思います。

 霊界物語はあまりにも精緻であり、浩瀚なので、読み手はそれに圧倒され
かえって自分の主体的な信仰姿勢を失う危険性があるような印象を持ちました。
 霊界編が、2巻だけなのは、谷口雅春先生がその危険性をお考えの上で、
決められたような印象があります。

 とりとめもない感想を失礼しました。

3724レンゲソウ:2014/02/16(日) 00:17:52 ID:uHaarCfc
 「人間はなんのために創造られたか、いずこより来たり、いずこに到るか。地球上の民族の霊魂は決し
て一時期に移植せしめられたるものではなく、数次にわたって、数個の集団として、他の天体において
ある程度修行せしめられたものが、遷移し来れるものでると、ヴェッテリエはその霊示において告げてい
る。それゆえに、高く上がるもの、低く降る者、民族はそれぞれの集団的運命を受けるものであり、われ
われは現にそれを受けつつあるのである。この霊界の秘密を知らずして人間の運命を予知することは
できない。」

生命の実相第9巻  p3から4 はしがき、より抜粋。

3725 a hope:2014/02/16(日) 00:24:03 ID:cEpBaIdo

>>3722トキさま

<< 霊的な問題は慎重に対応しなければならないのですが、神様の御用をする運動では、
高級霊の導きがある場合があります。私も、過去、真理に触れて間もない人が、生長の家
宇治別格本山の神癒祈願で不治の病が消えたのを何度も目の当たりにしております。これ
などは、ある種の高級霊の導きと解釈するのが自然だと思っています。
 しかし、そういう奇跡に狎れてしまい、真剣な信仰をしないと、その後、同じような
トラブルが起こっても、ご守護をいただけない傾向が強いと思います。>>


「生長の家」は「病気治し」等の現象に奇蹟を起こすのが目的の宗教ではないのですよね。
信徒が「人間神の子」の自覚を深め、「実相独在」を悟ることが目的なんですよね。

だから、トキさまのおっしゃるように、最初は高級霊の導きにより病気が治る等の奇蹟が起きたとしても、
それはあくまでも、完全な悟りへ導くためのきっかけでしかないのだから、
その後は、各自で聖典を拝読したり、神想観をしたりして、神の子の自覚を深めていかないと、
また、病気が再発したり、仕事がうまくいかなくなったり等、人生が悪い方へ行ってしまうのだと思います。

トキさま、「生命の實相」には、そういうことが何度も書かれていたように思いますが、
それを拝読しなければ、そのこともわかりませんね。

みなさま、わたしはもうすぐ「生命の實相」40巻を読破しますよ!!

そして今、「生命の實相」に出会い、ここで「生長の家の教え」をお勉強できることに心から感謝しています。

だって、わたしの人生は、もう「良くなるしかない!」のですから・・・(*゚▽゚*)

みなさま、「生命の實相」を拝読すれば必ず幸せになれるのですよ。

ここで一緒にお勉強しませんか?

そして、みんなで幸せになりましょう!!

3726 a hope:2014/02/17(月) 10:56:09 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

昨晩、神の子さんご推薦の「わが信仰の旅路」小林春江先生著を拝読しおわりました。

感動、衝撃、そして、癒し、悟り、思索・・・わたしの内面はこんな風に揺れ動きました。

文章に何ともいえない温かさと、ユーモアがあり、特に前半の「山信田のおかか」のお話は、
本当に上質の昔話を聞いているようで、「なんなんだろう、この感じは・・・」
と思っていましたら、編集された永井光延さんの「あとがき」を読んで納得しました。

このご著書は、春恵先生が直接執筆されたのではなくて、先生の秋田練成会でのご講話のテープをもとに、
編集者の方が書き下されて、他の春恵先生ご指導による体験談とともに一冊にまとめられたものでした。

当時の「生長の家」の勢いがわたしの魂に伝わってきます。

21歳も年下のご主人との出会い、別れ、も本当に素晴らしいです。
魂の年齢は、肉体年齢とは全く関係ないんだな〜としみじみ感じました。
そして、ところどころに、当時のお写真が紹介されているので臨場感もあるのです。


ご紹介くださった、神の子さま、抜粋文を謹写下さった、トキさま、
春恵先生とお会いした時の話をしてくださった志恩さま、本当にありがとうございました。

「生長の家の教え」は、本当に素晴らしい!!


http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/category/21

「今昔物語」さまにも全文紹介されているようです。(お写真はありませんが・・・)

わたしも、いくつか、信仰/体験板に抜粋謹写させていただきたいと思います。

3727トキ:2014/02/17(月) 20:05:14 ID:qvIK8UMY
a hope様

 素晴らしいご文章、ありがとうございました。

 小林春江先生は、総本山で講師としてご活躍をされました。小柄で上品な方だったと
いう記憶があります。懐かしいです。

 先生のご文章を紹介して下さり、きっと小林春江先生もお喜びだと感じます。

よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

3728神の子さん:2014/02/17(月) 21:15:45 ID:???

  5時発見
   
   ウソ》  春江
   本物》  春恵

  更生しなきゃ。

3729a hope:2014/02/17(月) 21:48:55 ID:TCqxqwno
>>3728 神の子さん

誤字のご指摘ありがとうございます<(_ _*)>。

とくに、聖典の謹写や講師の先生方のお名前は、間違えたらいけないと思っても、なかなか正確にできません(--;)

今後、気を付けます。

3730志恩:2014/02/17(月) 22:34:05 ID:.QY5jUA6
a hope様

小林春恵先生の著「わが信仰の旅路」の御文章のご紹介を、ありがとうございます。
私も、読みはじめたところです。

何枚か、小林先生のお写真が載っていますが、211頁に載っているお写真が、
私が、よく存じ上げているころの、小林先生です。

痩せていらして、小柄なお方でしたが、全然小さく見えませんでした。
きっと、雰囲気が大きいお方だったからでしょう。

長村婦美子先生の著書「み教えにいのち捧げて」も、
魅力いっぱいのすばらしい宗教的な価値のあるご本でしたが、

この小林先生のご本も、すごいですね。

悲しみと苦労の耐えない生活をずっとなさっておられたので、他人の痛みも、
心底、理解出来る、ご指導も出来る先生でいらしたのですね。

私は未だ、小出タケさんの苦労の連続のお話の箇所を読ませて頂いている
ところです。

お若いのに、こういう著書に感動される a hope様がいらして、とても
しあわせに思っています。有り難うございます。

3731トキ:2014/02/17(月) 23:14:57 ID:qvIK8UMY
>>3728

 御教示ありがとうございました。
私も見落としていました。ごめんなさい。

合掌 ありがとうございます

3732トキ:2014/02/18(火) 20:16:48 ID:09ii7m/M
「無縁仏を祀ることについて」

 自分のご先祖ならいいけれども、無闇に無縁の、他家の霊に供養していると、ちょうど、
金持ちがルンペンに施しをするようなものである。施された人は喜ぶけど、”お前、あそこ
へ行け、あそこへ行け、あそこへ行けば施しがあるぞ”という訳でルンペン等が集まって来る
ように、迷っている霊がいくらでもずーっとたくさん集まってくるのである。あなたの霊が
修行が足りて霊的力があれば全部を救えるけれど・・・少数の霊なら救えても、あまり沢山
集まってきたら救いきれないことになって、折角、諸霊に深切をしながら迷いの霊の禍いを
かぶることになる。だから、普通の人は無縁の霊を招ぶのは弊害があるのである。

 神社とか寺院とかで例大祭を行ったり、施餓鬼をやるときには、神社や寺院を守護する神霊
の加護があるから、無縁の霊を供養するのは可いけれども、個人の言えで無縁の霊を祀るのは
愛念ではあるが、自分に霊的力が足りないと無数に迷っている霊が集まって来てそれをさばき
切れなくなると困るので、個人では無縁霊を祀らないほうがよい。

(「人生を支配する先祖供養」 谷口雅春先生著、24pより)

3733トキ:2014/02/18(火) 20:23:48 ID:09ii7m/M
 毎年、夏になると、生長の家宇治別格本山に霊牌を出しますが、
これは、上のような事があるからであります。

 私の指導を受けたある講師の方が、一度、入院して危篤状態に
なった時に、魂が生長の家宇治別格本山に飛んでいたと語った事
がありました。また、思い霊障に悩んでいた人が、生長の家宇治
別格本山の境内に入ったとたん、それまで憑依していた霊が一斉
に離れた、という実例も語っています。

 ですから、自分に縁故のある霊については、好意でも自分では
絶対に祀らず、霊牌をかくことが大事なのであります。

3734 a hope:2014/02/19(水) 02:06:45 ID:cEpBaIdo

>>3730 志恩さま ありがとうございます。

春恵先生、本当に素敵な先生ですね。
わたしは、直接お会いすることは出来ませんが、こうしてご著書を拝読することで、
春恵先生と魂の交流が出来る気がしているのでとても幸せです。


みなさま

わたしは、この小林春恵先生のこの「わが信仰の旅路」を拝読して、
「夫にハイ」「両親へ感謝」の本当の意味が分かった気がしました。

うまく説明できませんが・・・

また、>>3705で、神の子さんがご紹介して下さった、童子さまのスレッドも拝読させていただき、
春恵先生のご主人、小林昭三さんの「生き方、そして死」、に関しての雅春先生のご指導もあったのでとてもお勉強になりました。


だだ、霊現象に関しては>>3723で、トキさまが、大本教の出口王仁三郎先生の「霊界物語」について言及されて、

<< 霊界物語はあまりにも精緻であり、浩瀚なので、読み手はそれに圧倒され
かえって自分の主体的な信仰姿勢を失う危険性があるような印象を持ちました。
 霊界編が、2巻だけなのは、谷口雅春先生がその危険性をお考えの上で、
決められたような印象があります。>>

と発言されていますが、わたしも、やはり霊界に関するお勉強はほどほどにしておいた方がいいような気がしています。

だって「霊示」は、あくまでも「霊示」であって、絶対的真理ではないですからね!


ところで、>>3733でトキさまが、「霊牌」をかくことが大切だとご指導してくださっているので、
「霊牌」をweb検索してみましたら、

http://www.uji-sni.jp/senzo/reihai.htm 

↑このページがヒットしました。

宇治別格本山の霊牌供養はとても有名なのですね!


あれ、たいへん、夜中の2時になってしまいました・・・。

それではみなさま、おやすみなさい。

3735 a hope:2014/02/19(水) 11:13:43 ID:cEpBaIdo

>>3724で、レンゲソウさまが 第9巻の「はしがき」の抜粋文をご紹介くさいましたが、
この「はしがき」の内容は「個人の運命」と国家や民族の運命の関わり、そして人類全体や宇宙全体にも及んでいて、
とても荘厳な感じがして、重要なことが書かれているような気がするので聖典板に全文謹写させてていだたきました。

3736トキ:2014/02/19(水) 20:45:24 ID:O.IEvtbM
 日本の古神道では人間の霊を一霊四魂に分けている。一霊とは実相の霊であり、これを
直日霊という。総括総覧の純粋霊である。それが、奇魂、和魂、幸魂、荒魂の四つのはた
らきとなって分化する。

 荒魂は最も波動が粗大で荒々しい。これは肉体そのものである。古神道が肉体そのものを
物質として観ないで霊的な「魂」として扱っていることは興味あることである。だから、
墓地に物質界を処理する魂であるから、それを換言すれば、「墓地は迷っている霊魂が
さまよっている所であり、悟っている霊魂はもうそこにはいないのだ」という近代の
霊界通信を裏付けることになる。

 悟っている霊、即ち叡智の霊は奇霊であって、肉体を脱した時、直日霊に還る。
幸魂は家族と共に生活し家に祀られた位牌等を媒介としてそこに鎮まり、和魂は
天界に昇って天界を拠点として社会国家のために活動する。

 そこで、墓に留まっているのはまだ肉体生活のつづきの意識を持続して悟りを
得ない荒魂であるから、その墓の形がどんな形を喜ぶということは、その亡霊
自身がどんな形の墓に執着するか、その執着によってきまるわけである。その人
が生前、墓の形に関心があって「こんな墓を建ててほしい」と言っていたので
あれば、その形の墓を建てれば満足するのである。先祖が真言宗の人であれば
真言宗式に五輪塔を建てればよいし、キリスト教の人であれば十字架を建てれば
悦ぶのである。

 しかし、墓地に関心の無い無頓着な霊魂、あるていど悟りをひらいた荒魂は墓
にいないで、四魂一体となって自由自在に顕幽両界を往来して、愛他活動をして
生活をし得るよういなるのであるから、墓石の形は別に問題とするに足りないの
である。

(「人生を支配する先祖供養」 谷口雅春先生著、43〜44p)

3737レンゲソウ:2014/02/20(木) 01:20:40 ID:5BgCSuPg
 二、三年前のこと、新津市の金子スイさんが非常に教化力が旺盛で大勢の人々が救われるので、
妻の春恵さんが、「金子さんは素晴らしいですよ。私も金子さんには教化の点では負けそうでご
ざいます」と言ったときに、昭三君はその『負ける」という言葉をとらえて、それを機会に真理
の説法を諄々とはじめたという事です。

 「生長の家の講師たるものが、勝ち負けを考えるなどと言うことはない。立場を谷口先生におい
て考えてみなさい。谷口先生は弟子が自分より優れたら大変だなどと考えておられると考えるか。
先生は弟子が自分をはるかに超えてくれたら、どんなにお喜びになるか。どの弟子もどの弟子も、
よりよく伸びることこそ先生のお喜びであるのだ。お前も講師の末席をけがす身が後進の伸びるの
が気にかかるスベタ芸人のような性根なら、み教えに対する背信だ。お道をけがすのはお前のよう
な弟子だ。のびる人をどんどん押し上げることこそ、布教者の第一使命だ。それが出来ない位なら、
今すぐ講師をやめなさい。」

 春恵さんは、そんな気持ちで金子さんのことを言ったのではなかったけれども、昭三君のこの言葉
の道を奉ずる真剣さに打たれて、ひれ伏して昭三君を伏し拝んだ。

(新版「真理」第3巻、谷口雅春先生著 20pより謹写)

3738トキ:2014/02/20(木) 20:20:36 ID:ihjxGdoU
 「人生を支配する先祖供養」を別の板に謹写させていただきました。

 霊界についての知識は過不足なく知る事が大事かと思います。
先祖供養はとくに大事ですから、この本は皆様、ぜひお読み下さい。

3739 a hope:2014/02/20(木) 23:49:55 ID:cEpBaIdo
宇治別格本山のHPより抜粋させていただきます。

http://www.uji-sni.jp/senzo/reihai.htm

―――――――――――――

宝蔵神社 霊牌供養とは


《万教帰一の先祖供養》

ご先祖様に報恩感謝の真心を捧げるために、
古来より様々な方法での先祖供養が行われてきました。

生長の家では、「万教帰一」の教えから、
霊牌(れいはい)と呼ばれる紙札に御先祖様の名前を記入して宝蔵神社にお祀りし、
現代語で書かれた真理の言葉である聖経『甘露の法雨』の読誦によって、
先祖と共に神の子の自覚を深め、宗派を超えて御霊を供養する という
方法が広く行われてまいりました。

「真理の言葉による供養の意義」につきましては、
生長の家創始者である谷口雅春先生は、著書 『生命の実相』 において、
以下のようにお説き下さっております。

---------------------------------------------------------------------------

「われわれは現世とか来世とかいうカンバスに何で絵を描くかというと、
念波で絵を描くのであります。
念波という絵具をもって絵を描くのでありますから、
その念波を善くし、またよくしてあげることが必要であるのであります。

最もよい念波は何であるかと申しますと、 悟りの念波、真理の念波なのであります。
この真理の念波を人に与えるということ、これが仏教でいう法施というものでありまして、
最も尊いほどこしであります。

われわれが人に物を施すのは、 物施といって物を施すのと、
それから法施といって悟りの念波を施すのとがありますが、
真理の念波を施すということが本当の最も根本的な供養になるのであります。

                        谷口雅春先生著 『生命の実相』 第28巻 71頁より

---------------------------------------------------------------------------

真理の言葉による「霊牌供養」は、
法施として大変意義あるものです。

多くのご先祖様に、まごころの霊牌供養によって、
報恩感謝の誠を捧げましょう。

―――――――――――――――

3740 a hope:2014/02/20(木) 23:52:43 ID:cEpBaIdo

>>3739 a hope所感)

<<生長の家では、「万教帰一」の教えから、
霊牌(れいはい)と呼ばれる紙札に御先祖様の名前を記入して宝蔵神社にお祀りし、
現代語で書かれた真理の言葉である聖経『甘露の法雨』の読誦によって、
先祖と共に神の子の自覚を深め、宗派を超えて御霊を供養する という
方法が広く行われてまいりました。>>


とあるように、やはり生長の家では先祖供養には、『甘露の法雨』は欠かせないのですね。


わたしは、正直にいいますと、神想観と「生命の實相」の読誦は、「真理の吟唱」「神示集」の読誦は大好きなのですが、
どういうわけか、「甘露の法雨」の読誦だけはあまり集中できないのです。

ですから、今朝は、「甘露の法雨」読誦の代わりに、「生命の實相」第21巻の経典篇の『甘露の法雨』講義を拝読してみました。
そしたら、わたしの魂がジンジン震えました!!

聖典引用板に、第21巻の「はしがき」を謹写させていただきましたが、そこにははっきりと、

<<この聖経はたんに現実界の人間が読誦して悟りを開いて病苦悩苦を去るばかりでなく、
霊界の諸霊もその読誦の声を聞いて悟りをひらき、迷える障りの霊も守護の霊となることが後に明らかとなったので、
神仏礼拝の際その祭壇に対(むか)いて読誦すべき生長の家の聖経となったのである。>>

と『甘露の法雨』の功徳がご先祖さまにまで及ぶことが書かれています。

ですが、

<<しかし読んで意味の分からぬようでは功徳が薄いので、
かつて毎日曜日に東京小石川護国寺の月光殿においてその大要を講義したものを次に掲げことにした。
主として講義の速記によったのでわたしの文章だというよりも、わたしの語調が写されているところに特徴があるであろう。
『生命の實相』の縮約が『甘露の法雨』であるから、この講義を読むだけで生命の実相の大要が摑めることと思う。>>

とあり、やはり、読誦する人間が意味が分かっていない場合は、功徳も薄いと説明されていましたね。

3741 a hope:2014/02/20(木) 23:59:00 ID:cEpBaIdo
>>3740訂正

わたしは、正直にいいますと、神想観と「生命の實相」の【読誦は、】「真理の吟唱」「神示集」の読誦は大好きなのですが、

わたしは、正直にいいますと、神想観と「生命の實相」の【拝読、】「真理の吟唱」「神示集」の読誦は大好きなのですが、

3742トキ:2014/02/21(金) 22:25:27 ID:N8fIPBW2
先祖に対して聖経を読誦するときの心得

 先祖に対して聖経を供養する時「先祖の霊魂よ、お前は迷っていて、迷いの霊破を送ってくるので
困っている。この聖経を読んであげるから、それをよく聴いて悟りを開いて、二度と迷いの霊波を
送って悩まさないようにしてくれ」というような事を言ったり、思ったりして聖経を読誦しても効果
が少ないのである。何故なら、そのような気持ちで聖経を読誦したりすることは、相手の悪をみとめ
て、軽蔑的語調や”よく勉強せよ”などと言っているようなもので、現実界の人間に対してでもこのよ
うなことを言うと、反抗心を起こして反発されたりするのである。

 これと同じ事が先祖の霊たちにも起こるのであって「お前は迷っているから、おの真理のお経を
おききなさい」では、いくら聖経を誦げても霊魂達は聴きに来ないかもしれないのである。

 だから、祖霊に対して聖経を誦む時には、

1 唯、尊敬と報恩・感謝の念をもって誦むこと。

  ただ尊敬と感謝の念をもって、「今まで色々と子孫が受けて来た密たる御恩に対して唯感謝
のためにこの真理の御経を霊界に対して放送しますから、どうぞ御受け下さいませ」と誦えて、
”ただ感謝”の念をもって読誦するがよい。

2 聖経の意味を説明する。

 聖経を読む前に、先ず「この聖経『甘露の法雨」はあなたが先祖から伝承して来たxx宗の教え
の真理を最も解り易く、現代語で書かれたものでありますから、心を集中して此の聖経を聴き給う
て、その真理を体得し、霊界に於いて解脱を得て神通自在となり給いて仏陀の境涯に達し給わんこ
とを冀(こいねが)う」と生ける人に語るが如く唱えてから聖経を読むのがよい。

 そうでないと折角、「甘露の法雨」を誦んであげても、それは他宗教の経文であると誤解して反感
を起こして傾聴しない場合があるのである。

3 読誦の時間を定める

  聖経読誦は、毎日一定の時間を決めて、正確に必ず読誦するようにするがよい。霊界には霊的訓練
があって、中々多忙であって、毎日不定の時間に読誦していては、残念ながらその聖経の読誦を霊が拝聴
することができないことがあるのである。だから、聖経を誦み終わると「毎日、”この時間”または幾時に
聖経を読誦しますから必ずその時間に来たりて傾聴して下さい」と約束して置くがよい。
(生命の実相 頭注版第26巻参照)

*「人生を支配する先祖供養」 谷口雅春先生 27〜28Pより謹写

3743トキ:2014/02/21(金) 22:26:38 ID:N8fIPBW2
*トキの感想

 上のご文章は先祖供養の大切さを説明される場合に教えてもらう文章です
から、大半の方がご存知の内容だと思います。ただ、忙しい毎日の中で、つ
いつい忘れがちですから、私も思いだす意味で書きました。

3744トキ:2014/02/22(土) 22:19:05 ID:Oh.Bvr1k
 他から怨まれていたりすると、食用茸だと思ったのが毒茸だったり、数滴服用がコップ三分の一
服用と間違えたり、衝突する乗物に選んで乗ったり、兎角、錯誤行為というものが行われることに
なるのである。これは人間の脳髄というものが一種の精神電波の受信機であり、高級霊界からの
放送霊波をインスピレーションとして受ける事もできるし、迷界からの怨念や呪詛の霊波を受信して
それによって行動することもあり得るからである。前者の場合は素晴らしい発明や創作や企画や
構図が生まれて来るのであるが、後者の場合には、とんだ錯誤行為によって衝突さいたり墜落し
たりする乗物に乗ったり、火災を起こすデパートにその時間、その場所に、みずから選んで買物に
出かけて焼死の惨害をうけることすらあるのである。生長の家の神示に「汝ら天地一切のものと
和解せよ」という教えが最初に掲げられているのも、そのためである。

「人生を支配する先祖供養」 谷口雅春先生著、132pより勤写

3745トキ:2014/02/22(土) 22:25:18 ID:Oh.Bvr1k
*トキの感想

 平安時代の「源氏物語」には、生霊の怨念の物語が書かれています。
生きて居る人の怨念がある人の人生を左右するのはよく見るところです。
 歴史上、暴君というか、専横を極めた人物の末路が悪いのは、この
生きている人の念がその人に集まるからです。

 しかし、亡くなられた人の念の強さも強大であります。この念は、
より直裁的にその人のかかりますから、聖経をあげる意味の一端は
ここにあると思うしだいです。

3746 a hope:2014/02/23(日) 01:25:38 ID:cEpBaIdo
>>3742〜3745トキさま

「人生を支配する先祖供養」より、抜粋謹写、およびご指導をありがとうございます。

わたしは、この聖典は、新版しか手元になくて、そちらとはページ数が違うようです。

新版「人生を支配する先祖供養」では、>>3742の「先祖に対して聖経を読誦するときの心得」はp32〜34で、
>>3744の箇所は、p152〜153にありました。

この聖典は、以前拝読しましたがとてもお勉強になり、それまでお墓参りが怖かったわたしですが、
拝読後はお墓参りが大好きになりました。

これは最近「生命の實相」を拝読していて気づいたのですが、「人生を支配する先祖供養」は、
ほとんどの文章が、今、勉強中の「生命の實相」第九巻・十巻(霊界篇)、第十一巻・十二巻(万教帰一篇)、
その他の巻や、その他の聖典からの文章を編纂したものだったのですね。

今回、霊界篇をお勉強するには、丁度良いテキストですね!

3747 a hope:2014/02/23(日) 01:26:10 ID:cEpBaIdo
新版 「人生を支配する先祖供養」 谷口雅春先生著p147〜

●憎念、怨念は何処へ行くか

怨み、憎しみの逆念が相手の人の運命を傷つけることは勿論であるが、相手から害を受けて、それに対して相手を憎み続けたり、恨み続けたりしていると本人自身の運命も傷つくことになるのである。

あるとき、阿難が釈尊に対して、「人を憎んだり怨んだりしていると、その憎しみ怨みの念を相手が受け取らなかったら、その憎念、怨念はどこへ行くのでありますか」といって訊いた。

すると釈尊は、

「お前は人に贈物をしたときに、その贈物を相手が受け取らなかったら、その贈物はどこへ行くと思うか」と問い返された。阿難は、

「相手がその贈物を受け取らなかったら、その贈物は贈主のところへ返ってまいります」

「そうじゃろう。憎念も怨念も、相手がそれを受取らなかったら、それを送った人のところへ返って来て、自分自身をその憎念、逆念が傷つけることになるのだ」

と釈尊はお答えになった。私は仏典を読んで、〝これは良い話だな〝と思って憶えていて時々書いたり話したりするのだったが、何経にあったかド忘れしていたら、深切な信徒の方がそれは「弥蘭陀王所問経(みりんだおうしょもんきょう)」に収められている物語だと教えて下さった。その親切な信徒の方に感謝する。

3748 a hope:2014/02/23(日) 01:27:58 ID:cEpBaIdo
(a hope所感)

>>3744で、トキさまがちょっと怖くなってしまうような文章をご紹介してくださっていますが、
他からの怨念や、迷界からの怨念や呪詛の霊波というのは、いわゆる気功でいう「邪気」にあたるのだと思います。

わたしは、以前は、このような悪い波動(邪気)を感じると、吐き気や、めまい、体のだるさを感じ、とても嫌な気分になりました。
「邪気」はわたしに向けられたものではなくても、相手が何かに対してそういう波動を強く発しているだけで感じました。

それは、わたしが自分の波長の受信機を、その波長に合わせてしまったからだと思います。

ですが、最近は、そういう波動はほとんど感じなくなりました。
それはおそらく、毎日神想観をし、「生命の實相」の拝読をしていて、「神の子」の自覚が深まってきているからだと思います。
これを、釈尊風に言えば、『相手からの「邪気」の贈物を簡単には受け取らなくなった』、からだと思います。

「甘露の法雨」の読誦も意味がわかっていればとても効果があると思いますが、
わたしは、一番の「邪気除け」は、自分の感情をコントロールして相手の悪い波長に合わせないこと、
そして、「赦し」と「感謝」と「愛」の波動を自分から相手に向かって発することなのではないかと感じています。
つまりは、やはり、「汝ら天地一切のものと和解せよ」ということになるのだと思います。

3749トキ:2014/02/25(火) 20:09:24 ID:CiaHUWO.
「自己の内に生きる本当の神」

 ”本当の神”というものは、此処に見よ、彼処に見よというように肉眼でも霊眼でも見えるものでは
ない。見えるのは一個の差別的存在であるが、差別と差別が一緒に融け込む「愛」という連結のなか
に神はいますのである。”本当の神”というものは差別を絶した全体であるから、われわれの行いや心
持ちが差別的な境涯を脱したら、その程度に従って神がハッキリとあらわれるのである。そこに本当
の神が生きてくれば、もうわれわれは恐れる必要はない。どんな悪霊が祟ってやろうと思っても、自分
自身がその悟りの怨念の波長を受けるラジオの受信機にならないからもう恐れる必要がない。何かを
恐れるとその何かを受信しやすい精神波動を自分自身のなかに作ることになるから恐れないがよろしい。

 いろいろの霊魂を祀ってもあながち悪いことではない。ただ、それは第二義の信仰であって、本当の
信仰の対象とすべきものではない。こちらのやり方によって、怒ったり、罰をあてたり、復讐したりす
るような個別霊を信仰の対象にしていると、相手は肉眼で見えない「霊魂」のことであり、こちらから
こうして祀っているのが気に入っているのか気に入っていないのかわからぬから、常に仏罰又は神罰を
受けるかと思って戦々恐々としていなければならなぬ。それでは信仰というものが心の平和の礎とはな
らないで、却って心の不安の原因になってしまうのである。”本当の神”を信仰すれば恐怖がない。その
境涯を仏教では無畏の境涯と称している。”本当の神”は自己の内に宿る”神の愛”であるから、それは
一切のものを拝み、一切のものと和解することになるから天下無敵となるのである。

 この事をキリスト教の聖書には、「完き愛には恐怖なし」と示されている。

 「人生を支配する先祖供養』 谷口雅春先生著、51〜52Pより謹写

3750 a hope:2014/02/25(火) 22:15:50 ID:cEpBaIdo
トキさま みなさま こんばんは。

web誌友会も、わたしとトキさまで盛り上がっている感じのような気もしますが、
きっと、他のたくさんの方も閲覧はしてくださっているのではないかと感じています。

ところで、わたしは明日から事情があって1週間ほどパソコンが使えないのです。
スマホから閲覧はできますが、書き込みする量は限られてしまいます。

今は、web誌友会に時々参加してくださる志恩さまも、温泉旅行に行かれているようですが、
閲覧されているみなさま、どうぞ、わたしたちの書き込みがなくてもご自由にご参加くださいね。

トキさまがどこかでおっしゃっていましたが、本当に、聖典の一部を謹写して、
ちょっと感想を述べるだけでもすごくお勉強になります。

聖典「生命の實相」の波動はものすごくいいので、ホント読んでるだけで波動が良くなりますが、
さらに、このような公の掲示板に謹写することで、それを閲覧する方々の波動も良くすることになりますから、
素晴らしい愛行にもなるのだと思います。

ところで、早々ですが、お休みに入る前に来月のweb誌友会の予告をさせていただきます。

でも、2月いっぱいは、霊界篇のお勉強を続けてくださいね!
(つづく)

3751 a hope:2014/02/25(火) 22:17:30 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第23回 web誌友会

期間  3月1日〜3月31日まで
テキスト 「生命の實相」第11巻 萬教帰一篇上

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「はしがき」にもありますが、萬教帰一篇は『生命の實相』のなかでも圧巻といわれる部分なのだそうです。
わたしは、最初に拝読した時にはよく意味が通じませんでしたが、2度目にはだいぶ意味が解るようになっていました。

このトキ掲示板で20回以上も、毎回休むことなくweb誌友会に参加してお勉強してきましたからね。
そして、復興Gさまという素晴らしい指導者の先生が毎回丁寧にご指導をしてくださったおかげで、
わたしは、「生長の家」の教えがだいぶ身についてきたのではないかと感じています。

ですが、真理を知ったと思って増上慢になってしまうのが一番の「魂の生長」を遅らす原因になることだと感じているので、
このトキ掲示板でトキさまはじめ、復興Gさま、志恩さま、その他大勢の大先輩に見守られながらお勉強させていただきます。、
そして、これからも感じたことを素直に発言をさせていただきたいと思っています。

どうか、みなさま、わたし a hopeの発言が少しでも「おかしい、真理から外れている」と思われたら容赦なくご指導くださいね。

わたしの『ただひとつの希望』(a hope)は、みんなで一緒に「生命の實相」の真理を悟って、
「生長の家」に再び燈を灯すことなのですから・・・。

真理のお勉強をするのに、焦る必要なんてまったくないのだと思います。
真理を知ろうとする向上心さえあれば、神さまはわたしたちを決して見捨てはしませんからね!

それでは、みなさま、少しの間ですが、さようなら。

3752トキ:2014/02/26(水) 19:43:40 ID:6n.to5HU
a hope 様、司会ありがとうございます。

 これは聖典とは関係ないのですが、ネット時代になると「教師が教える」時代から
「みんなが学ぶ時代」になったと思います。

 もう15年程前ですが、教化部で古い信徒さんとお話をしていたら、その人が、

 「谷口雅春先生が亡くなり、谷口清超先生に法灯継承をされたので、それは幸い
な事でした。しかし、もう谷口雅春先生は人間界にはおられないのですから、信徒
が主体的にしっかりとした信仰を持つ必要があると思います。」

と言われていました。思いだすと、谷口雅春先生は優れた弟子を多数育てられまし
たが、信徒は優れた指導者がいる事に安心してしまい、自ら主体的に学び、行を
行う姿勢にかけていたかもしれません。

 今の教団では、おかしな指導がなされているのは事実です。しかし、生前、谷口雅春先生
は多数のご著書を遺されています。自ら、学び、行をするのなら、きっと道は開けると
思います。

 共に谷口雅春先生の教えを学びましょう。

3753 a hope:2014/03/08(土) 17:57:12 ID:cEpBaIdo

第11巻 萬教帰一篇 「はしがき」 より抜粋 p1 5行目〜

今まで仏教とキリスト教は教えの立て方が異なるので、全然教義の上で和解されないものだとされていたのが、現象と実相とをハッキリ区別する本書のとき方で完全に一致し和解することができるようになったのである。

それは『創世記』の天地創造の章に「神その創造(つく)りたるすべてのものを観給(みたま)いけるにはなはだ善かりき」と書かれているいっさい皆善(かいぜん)の実在界は、『法華経』の「自我偈(じがげ)」に「衆生劫尽(しゅじょうこうつ)きて、この世(唯神所現の現象界)の焼くると見る時も、わが浄土(実在界)は安穏にして天人常に充満せり」と書かれている場合の実在界なのである。

神は実在界の創造者であり、現象界は「衆生の見る世界」すなわち唯心所現の世界である。だからキリスト教や新道の宇宙創造と、仏教の無明縁起説とは、決して衝突するものではないのである。

キリスト教のサタンは結局、仏教における「無明(まよい)」の人格的表現にすぎない。「無明」によって創造(縁起)されたる現象世界だけを観て、天国を説き、浄土を説こうとするから、天国は地上に出現しないのである。

イエスが「サタンよ去れ!」といったのは、なんじの「無明」の心の帳(とばり)を除け!
そこに浄土実現し天国現前せることを見いだすであろう、という意味である。まことに悟りをひらいて今ここにこの金剛の浄土を見いだすときは、衆生の阿鼻叫喚(あびきょうかん)の中にいるといえども、その苦悩から現実に逃れるのである。

3754 a hope:2014/03/08(土) 17:59:46 ID:cEpBaIdo
>>3753 a hope所感)

みなさま、こばんは。

生長の家の教えは万教帰一の教えですから、いわゆる生長の家でいう「実相世界」や「現象世界」、
そして「迷い」のことを、それぞれの宗教で使う言葉に置き換えて表現していることが多々あります。
最初はとても混乱しましたが、やっと自分なりに整理が出来るようになってきました。

特にこの万教帰一篇の「はしがき」のこの部分は、とても重要なことが書かれていると思うのですが、
生長の家の「実相世界」や「現象世界」そして「迷い」については知っていても、
キリスト教や仏教に何の知識のない人が読んだら、とても混乱するのではないのでしょうか。
(以前のわたしがそうでした。)
今でも、時々混乱するので、自分なりにまとめてみます。

〈実相世界の表現〉
 実在界  天国(キリスト教) 浄土(仏教) 神の創り給し世界 ・・・

〈現象世界の表現〉
この世 衆生の見る世界 唯心所現の世界 影の世界 ・・・

〈迷いの表現〉
サタン(キリスト教) 無明(仏教) 妄想 闇 虚妄 ・・・

トキさま みなさま 間違いがあれば、ご指摘、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3755ユタカ:2014/03/08(土) 21:34:40 ID:N20ePDNw
住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

復興Gさまが、この誌友会は神様に導かれて行っていく会と仰いましたので
初めと、最後にはお祈りを入れていきましょう。

3756ユタカ:2014/03/08(土) 21:40:41 ID:N20ePDNw
これは聖典とは関係ないのですが、ネット時代になると「教師が教える」時代から
「みんなが学ぶ時代」になったと思います。

今学校では上記の理由に教師が子供を放置している困った状況になっています。
小さい頃は、やはり教え導かないと自分勝手にてんでバラバラ状態で良くありません。

それと同時に、やはり教団の新入の方には、実相額を礼拝して、国旗と聖旗には敬礼を教えるべきと思います。

3757ユタカ:2014/03/08(土) 21:51:13 ID:N20ePDNw
a hopeさま
20回以上も続けてきて下さって本当に有難うございます。 復興Gさまはいつも素晴らしかった。でも、いまだに復興Gさまの投稿を全部は読めていないので、これから時間があったときは過去に戻って熟読したいと思っています。

ですが、復興Gさまったら、ご自分の結婚の体験を投稿されると言いながらなかなか出て来られませんね。ご自分の仕事が一段落したらまた出てきて欲しいですね。

みなさま、ユタカは非常に心境が低いです。なぜなら、ご本を読んで人を裁いてしまうのです。たとえば、いま、11巻の端書を読んで・・・
>キリスト教のサタンは結局、仏教における「無明(まよい)」の人格的表現にすぎない。「無明」によって創造(縁起)されたる現象世界だけを観て、天国を説き、浄土を説こうとするから、天国は地上に出現しないのである。

これって、、マサノブ総裁のことだ!! とかね・・・・
なんか、最近は聖典を読むのがつらい。。。。 まぁいいか、気にしないで、進むしかないか・・・・

3758 a hope:2014/03/08(土) 22:36:40 ID:cEpBaIdo
いつも、たのもしいユタカさま!

開会の祈りの言葉と、web誌友会のご参加ありがとうございます!!
そうですね、たとえ1か月間という長い期間のweb誌友会であっても、開会と閉会の「祈りの言葉」があった方がいいですね。

これからも、いろいろご指導、ご参加をどうぞよろしくお願いいたします。

3759 a hope:2014/03/08(土) 23:15:52 ID:cEpBaIdo

>>3757 ユタカさま

<<最近は聖典を読むのがつらい。。。。 >>

わたしも以前、同じような状態になった時があります。

魂が震えて止まらないほど感動した「生命の實相」が読めなくなった時期があるのです。

今思えば、原因はわたし自身にありました。
わたしが「教え」を盲信し、虚説を受け入れてしまったからだと思います。

ですが今は「教え」の何が虚説で何が真説か、自分自身で判断がつくようになってきました。

だから自分と家族の幸せのために虚説は断固として受け入れません!

そしてこのweb誌友会では「生命の實相」(真説)だけを学んでいきたいと思っています。

だって、それだけ学んでいれば必ず幸せになれるんですから・・・ヽ(*^^*)ノ

3760トキ:2014/03/08(土) 23:28:56 ID:PAFHPTEo
「本の良い処を考えて吸収しましょう」

 ただ読みっぱなしでは、それの中にある知識は、本を書いた人のものにすぎません。
それをよく心でかみくだいて自分のものとした時にのみ、それが働く智慧になるので
あります。むやみにたくさん読んだからとて力にならないのは、むやみにたくさんた
べたからとて、人間の肉にならないのと同じであります。考えながら、うなずきなが
ら、心の中へのみこむようにしながら読むことが大切であります。本に読まれてはな
らないのです。本は読まなければなりません。読む分量ばかりが多くて、読んだこと
について深く自分で考えてみない者は、本に読まれたのであって、本を読んだのでは
ないのであります。

 「ことごとく書を信ずれば書なきにしかず」

という諺もあります。本い読まれてしまっては、自分の力がつきません。自分で本の
善いことこを吸い取るだけの力がなくてはなりません。

新版 真理 第3巻 谷口雅春先生著、 p168より謹写

*皆様、聖典を心を込めて読みましょう。

3761a hope:2014/03/10(月) 13:06:24 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第23回 web誌友会

期間  3月1日〜3月31日まで
テキスト 「生命の實相」第11巻 萬教帰一篇上

☆ ☆ ☆ ☆ ☆



みなさま こんにちは

>>3760にトキさまが、本の読み方についての雅春先生の御文章を紹介してくださいましたが、
わたしは 真理第3巻は未読ですが、「生命の實相」の中にも似たようなことが書かれていたような記憶があります。

『・・・読む分量ばかりが多くて、読んだことについて深く自分で考えてみない者は、
本に読まれたのであって、本を読んだのではないのであります。
・・・自分で本の善いことこを吸い取るだけの力がなくてはなりません。』

ここは、本当に大切だと思いました。

というのは、今回のテキスト第11巻のはしがきには、有名な「戦犯容疑で死刑囚となった遠藤義雄氏」の体験談が紹介されていますが、
遠藤氏は、監房の格子戸から投げ入れられた、「生命の實相」の「萬教帰一篇」(今回のテキスト)と、筆写された「甘露の法雨」のみを読んで悟りを得られたのです。

神想観も、「詳説神想観」を読んだわけでも「観行篇」を読んだわけでもなく、「萬教帰一篇」の中の御文章からご自分で想像されて、
工夫されてしていらっしゃったようです。

真理を求める強い心があれば、たくさんの種類の書物を読むは必要はないのですね!


※「戦犯容疑で死刑囚となった遠藤義雄氏」の体験談は、聖典引用板に謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2774n-

3762トキ:2014/03/11(火) 20:14:29 ID:z0wnFjFc
 神は無量光、無辺光であり、無辺であるから際限がない、際限がないから形がな
い。際限のないものは見る事ができない。神示によりますと、われわれの眼に見る
太陽は本当の太陽ではない。本当の太陽というものは無量光、無辺光なる法身の日
之大神、毘盧遮那仏であって、いっさいの所に充ち満ちていられる。しかしそれで
はわれわれの五官では見えないから、われわれは五官のレンズや六感のレンズを
とおして無限を有限に屈折して見る。こうして五官や六感のレンズを通して無限を
有限に凝縮して見たのが、五官や六感でわれわれの見る太陽であります。しかし
本当の神様は無形であり、ただ光明無限であります。それがいろいろの化神となり
化仏となって人格的にお顕われになっている、この人格的にお顕になっている神様
を盧遮那仏とか生長の家の神とか阿弥陀仏とかいうのであります。

生命の実相第11巻 164p より謹写

3763a hope:2014/03/11(火) 21:27:56 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第11巻 p8 後ろから4行目

・・・ここにぜひとも注意しなければならないのは「無」と「有(う)」との対立、「仮相」と「実在」との対立、
「暗(やみ)」と「光」との対立、「死」と「生命」との対立、無明と知恵との対立は本当の対立ではなく、
これを対立と考えるのは人間の「思考の形式」の誤りであるということであります。

「無」と「有」と対立するといいましても、一方は無いのでありますから、対立のしようがないわけで、
本当は「有」の独在――「有」の絶対的存在――であります。
それと同じように「暗黒(やみ)」も「死」も「無明」も、光が無い、生命が無い、自覚(さとり)が無いというふうに
〝nothingness〝 の別名にすぎないのでありますから、この世に在りとしあらゆるものは、
すべて「光明」であり、「生命」であり、「知恵」であるのであって、その反対のものは、
どんなにあるように見えても本当は〝nothingness〝(絶無)なのであります。

だから「無」の中に「有」を肯定するのはなんでもない。
それは「1人角力(ずもう)」をすれば必ず勝つというのと同じで、神が、ただ「光あれ」といい給うだけで、
「光」はすでに「暗(やみ)」を征服したのであります。

3764a hope:2014/03/11(火) 21:38:28 ID:cEpBaIdo

>>3763 a hopeまとめ)

<<「暗黒(やみ)」も「死」も「無明」も、光が無い、生命が無い、自覚(さとり)が無いというふうに
?nothingness? の別名にすぎないのでありますから、この世に在りとしあらゆるものは、
すべて「光明」であり、「生命」であり、「知恵」であるのであって、その反対のものは、
どんなにあるように見えても本当は?nothingness?(絶無)なのであります。>>


「暗黒(やみ)」= 光が無い

「死」= 生命が無い

「無明」= 自覚(さとり)が無い


※実在するものは だた、「光明」「生命」「知恵」のみで、その反対のものは無い?nothingness?(絶無)

3765a hope:2014/03/11(火) 22:20:26 ID:cEpBaIdo
>>3764 訂正 
?nothingness? → 〝nothingness〝

3766トキ:2014/03/12(水) 23:07:43 ID:0zqgiqZo
 懺悔というものは誤っていた旧我の否定でありまして、自分が本当に神から出て
来た神の子であるという自覚がなければ成立しないのであります。今までの自分-
旧我というものが悪いと思って捨てるためにはどうしてそれが悪いのであるか、
それを知るための標準というものが、心の中に確立しなければならないでしょう。

生命の実相 第11巻 134pより謹写

*「世界標準」という言葉はありますが、同時に、その国の個性を殺すものであ
 る、という批判があります。それは、自分の考えでは、外観を標準にするから
 差し障りがあると思います。

  やはり、内心の良心、さらに言えば、内在の神様が、標準であることがとて
 も大事だと思います。

3767a hope:2014/03/13(木) 00:32:38 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第11巻 p9 9行目〜

○ 神、光を善しと観たまえり。神、光と暗(やみ)とを分ちたまえり。神、光を昼と名づけ、暗(やみ)を夜と名づけ給えり。夕(ゆうべ)あり、朝(あした)ありき。是れ首(はじめ)の日なり。(『創世記』第一章―四〜五)

大きくこれを観れば神の「宇宙創造」、小さくこれを観れば、人の「人生」はいずれも、「暗(やみ)」を征服して進む「光」の行程(こうてい)であり、「死」を征服して進む「生命」の歴史であります。「生命」の進むところ必ず「光」があり、「光」の進むところ必ず
「生命」があり、生命とは神から放射された「光」にほかならない。そして神は善であるから、「生命」のあるところ、「光」あるところ、必ず「善」である。これが「神、光を善しと観たまえり」の真義であります。

太陽の創造はまた『創世記』第一章の後節にありますので、ここに述べられた「光」というのは物質的太陽から放射する「光」ではないのであります。これはむしろ「大生命」すなわち法身の天照大御神の聖光(みひかり)でります。すべての創造は「大生命」すなわち宇宙の唯一根元神から放射されたる霊的観念によって造られる。したがってこれは善なることのほかはできないものであります。悪なる存在があるように見えるならば、それは本当の実在ではない。存在するものらしく見えるものにも、本物と偽せ物とがある。この本物と偽せ物とがあるということを「夕(ゆうべ)あり、朝(あした)ありき」と象徴的に書いてあるのであります。太陽創造以前にある夕(ゆうべ)と朝(あした)、夜と昼とはこういうふうに解釈すべきものだと掲示されています。

○・・・省略・・・(『創世記』第一章―六〜八) 

(前文省略)・・・で、この一節を解釈しますと、この世の中の存在はどれもこれも、実際に存在しているように見えているけれども、本当に存在しているものと本当には存在していない癖にあたかも存在するかのように見せかけている仮相(にせもの)とがあるから、これを区別して、実在を実在とし、仮相を仮相としてハッキリ区別しなければならぬ。

これを区別するには、穹蒼(おおぞら)のように無色透明な霊的理解がなければならぬ。『創世記』のいい方に従うと、水の中に穹蒼(おおぞら)を置いて、空の上の水と、地の水とを分かたねばならぬ。

地の水とは大地に根を下ろした本当の存在である。すなわち神が放射したまうた霊的観念によって造られた存在であって、これは完全で幸福で健康である他はない。

これに反して空の上の水というのは架空の観念的存在であって、神から来た霊的観念によって造られたものではなく、人間の迷いの念が描き出した仮の存在である。いっさいの不完全、不幸、不健康は、この空の水、すなわち架空の存在であるから、よく霊的直観によって、真(しん)の神の創造物と、そうでないものを区別しなければ、時に迷いに捉われてこの世の中にわれとわが心で不完全、不幸、不健康などを作って歎かなければならないことがあるぞ、存在には本物とニセ物とがあるぞ、夕(ゆうべ)もあれば朝(あした)もあるぞ、というのがおの1節の意味であります。

3768a hope:2014/03/13(木) 00:35:53 ID:cEpBaIdo

(a hope まとめ)

【実相世界】 ※「神一元」「善一元」の世界


① 法身の天照大御神 → 「聖光(みひかり)」の放射 → ☆善(唯一の実在)

または

② 宇宙の唯一根元神「大生命」→ 「霊的観念」による創造 → ☆善(唯一の実在)

または

③ 神 → 「霊的観念」の放射 → ☆完全 幸福 健康


☆実相世界には善(完全 幸福 健康)しかない


【現象世界】 ※「本物」と「偽せ物」の二元の世界

① 存在するものらしく見える世界  →☆「本物」 実相世界の現れ 「朝(あした)」「昼」
                  →★「偽せ物」  迷いの産物 「夕(ゆうべ)」「夜」 
または

② この世の中の存在   →☆「実在」
             →★「仮相(にせもの)」

または

③ 水    → ☆「地の水」とは大地に根を下ろした本当の存在(完全、幸福、健康)
      → ★「空の上の水」というのは架空の観念的存在(不完全、不幸、不健康)



☆真(しん)の神の創造物

★迷いの念が描き出した仮の存在

3769a hope:2014/03/13(木) 00:39:09 ID:cEpBaIdo

(a hopeの解釈)

谷口雅春先生は、「病無し、迷無し、罪無し。これが生長の家の根本の真理であります。 それでは神様、ただ今より眠らせていただきます」
と言って、昇天されたそうですが、そのお言葉の内容は、わたしがまとめたところの★印の否定、
つまりは、人間の不完全、不幸、不健康の完全否定であり、それを生長の家の根本真理といわれました。
そして、さらに「神様」と善一元である神様に呼びかけることで、実相世界のみを肯定されお眠りになりました。

ですから、反対に考えれば、いかなる理由があろうとも「実相世界」以外、つまりは現象に現れて見える不完全、不幸、不健康を認めたり、
肯定したりすることは、「生長の家」の根本真理からみれば、「虚説」になるのだと思うのですが・・・。
わたしが、生命の實相を拝読しているかぎり、そう書いてあるとしか思えません。

トキさま、みなさま、以上のわたしの(まとめ)、(解釈)に間違えがあれば、是非ご指導ください。

3770トキ:2014/03/13(木) 14:14:44 ID:YgQSZefk
 あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感に
よって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこ
れをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感
なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教とい
わず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹
してこれを拝むのである。

生命の実相第11巻、3pより謹写

------------------------------------------------------------------

a hope様

 すばらしいご文章をありがとうございます。生長の家の大事なところをたいへん
よくまとめておられるので、感心しました。

 この部分は、霊感をもって特に味わうべき部分だと思います。
そのためにも、行の大切さを痛感する次第であります。

 生長の家がいう実相の世界、これは、一人一人の内在にあるものだと感じます。

3771a hope:2014/03/13(木) 23:05:57 ID:cEpBaIdo

>>3770 トキさま

ご助言をありがとうございます。

わたしは、「生命の實相」は、頭と魂の両方で理解して、初めて自分の物になるのではないかと思っています。

それが、トキさま謹写の部分の「霊感のみこれをよく解釈し能う」という意味にもつながるのかもしれません。

わたしの場合、この11巻「萬教帰一篇」は、一番最初に読んだときは、魂は震えましたが、
なぜ、自分の魂が震えるのか、何にそんなに感動しているのか、それが頭で理解できていませんでした。

文章の意味が理解できないのに、この聖典からでている波動には感応したのだと思います。

でも、2度目に拝読した時には、「生長の家の教え」が、知識としてかなり頭に入っていたので、
内容もずっとよく理解できましたし、魂も以前よりずっと震えました。

ですがまだまだ、「霊感で解釈した」、と言い切れる状態ではないと感じています。

何度も、何度も読み返して、その「真理」を自分の物としたとき、
自分にも「昔の生長の家」のような奇蹟が起こせるようになるのだと思っています。

その日を楽しみにこれからも聖典のお勉強を頑張りたいと思っています。

この掲示板で、閲覧者の皆さまとつながっていることが、わたしの大きな力になっているような気がしています。

トキさま、みなさま、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

3772a hope:2014/03/15(土) 23:28:29 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第11巻 p17 後ろから5行目

「実相の世界」というものに目を覚ませばもう自由自在なものであって、物質の世界に頭を突っ込こんできても、光が暗(やみ)の中へ頭を突っこんでくるのと同じで、外見は物質的肉体をもちながらでも、中から実相が輝いている――だからそんな人は、自分も常に生々(いきいき)としていて明るく歓ばしく、健やかであって、そんな人の行くところ、光が暗(やみ)を照らすように、周囲の人々までも生々と、明るく、健康に化してしまうのであります。


(a hope所感)

この文章からすると、要するに、「実相世界」に目覚めさえすれば、自分自身がそこにいるだけで、周囲を光明化してしまうということのようです。

そう考えると、生長の家の光明化運動って、そんなに難しいものではないのですね。

聖典を拝読して、神想観して、「実相世界」を悟ればいいのですから・・・ね!

3773a hope:2014/03/16(日) 14:22:57 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第11巻 p21 4行目〜

この世界の生き物はすべて美しく、愛すべく、調和した生き物であるのであります。一つとして下等動物だとか、低級なものだとかいって軽蔑すべきものはない。どんな微細な生物もそれ自身において完全であり調和しており、霊妙な生きる力をもっているのであります。この世界は「神より発した第一念の世界」だというべきでありましょう。

こうして神から発した第一念の世界に住む生物が夢を見る、自分自身が神より発した純粋観念であり、だから霊的実在であるということを自覚せずに、「形あるがゆえに自分は物質だ」と第二念を起こして夢を見る。この第二念が描かれた夢幻(むげん)の世界、これがわれわれの住んでいる現実世界であって、第一義的実在の世界ではないのであります。それを「実在の世界」だと迷って執着する。執着するところに苦しみが生じて迷いは迷いを呼び、ここに現世のごとき争闘(そうとう)の世界、生存競争の世界が現出したのであります。


(a hopeまとめ)

第一念・・・神より発した純粋観念。
第一念の世界・・・完全で、調和した、霊妙な生きる力のある霊的実在が住む世界。(実在の世界・実相世界)

第二念・・・「形あるがゆえに自分は物質だ」という念。(自分が霊的実在であるという自覚がない。)
第二念の世界・・・夢幻の世界。(現実世界・現象世界)


※第二念の世界を「実在の世界」だと迷い執着する → 争闘(そうとう)の世界、生存競争の世界が現出する

3774トキ:2014/03/16(日) 23:53:45 ID:xBECQEI2
生命の実相第11巻 51pより、謹写

 「このようにして「実相の宇宙」もコトバによって成り立つ、すなわち神の思念の霊的波動
で成り立っているのであります。神の創造の聖業は七日で終わったとはありますけれども、
「七つ」はすなわち、成り成り続くという意味でありますから、永遠に創造の聖業は成り成
り続くという意味であります。これが天地および衆群が七日にして創造られたということの
真義なのであります。」

 第一念の世界のあり方を説き下さったものだと考えています。 By  トキ

3776a hope:2014/03/17(月) 09:56:21 ID:cEpBaIdo

生命の実相第11巻 p50 後から5行目〜

・・・「物質宇宙」は「実相宇宙」ではなく、その映像(かげ)でありますけれども、映像は映像だけに「実相世界」の影をも宿しているのでありますから「物質宇宙」の成り立ちを十分研究しますと、「実相宇宙」の成り立ちもわかってくるのであります。

最近科学の発見したるところによれば、「物質」というものはこんなに固く見えるけれど、実は固くもなんともない「電子」という電気的エネルギーの小体から成り立っているのであって、「電子」そのものは一定の質量はなく、その速力によって質量が変化するところのエネルギーの「渦巻(うずまき)」または「波動」だということになっているのであります。

すなわちいい換えると、「物質は無い、そこにエネルギーの振動のみがある」ということを近代科学はついに断定してしまったのであります。

3777a hope:2014/03/17(月) 09:57:35 ID:cEpBaIdo

>>3776 a hope所感 )

>>3774トキさま謹写の場所の直前の文章に、わたしは、赤線を引いてありました。
このところには『生長の家の「物質なし」の真理が科学的にも証明された』とあり、わたしは、目からうろこが落ちたように新鮮な気持ちになりました。

3778a hope:2014/03/17(月) 10:00:44 ID:cEpBaIdo

>>3774 a hope 質問)

>>3774トキさま謹写の箇所は、今のわたしには理解が難しいです。

「成り立つ」、「七つ」、「七日」、「成り成り続く」、「完成」・・・

わたしは、キリスト教の知識があまりないので、ここら辺の理解がたりないようで、なんか、ピーンときません。

―――――――
P52 7行目〜
○ 神七日を祝して之を神聖(きよ)めたまえり、其れは神その創造(つく)り成したまえる工(わざ)を悉く竣(お)えたまえて、この日に安息(やす)みたまいたればなり。(『創世記』第二章―三)
―――――――

とありますが、
なぜ、「七つ」や「七日」が「成り成り続く」「完成」につながるのか、暦の1週間は、七日ですが、そんなことと関係しているようですが・・・

なぜ、「七日」なのでしょうか?

トキさま、みなさま、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

夜、戻ります。

3779トキ:2014/03/17(月) 22:26:45 ID:93U7gMTQ
a hope様

 すばらしいご文章、ありがとうございます。

 これは私見ですが、谷口雅春先生の聖書の解釈は、霊感をもって
書かれていると拝察します。今は私もわからない部分が多いですが、
やはり地道に勉強をすることが大事かと思うしだいであります。

3780a hope:2014/03/18(火) 08:27:02 ID:cEpBaIdo
>>3779 トキさま

>>3770のトキさまのご投稿より

――――――――

あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感に
よって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこ
れをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感
なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教とい
わず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹
してこれを拝むのである。

生命の実相第11巻、3pより謹写

―――――――

というわけですね。

特に、この万教帰一篇は、谷口雅春先生が「はしがき」で、

「この書は『生命の實相』のなかでも圧巻といわれるべき部分であり、諸宗教の神髄もっぱらここに集まるともいいうるのである。ココに諸宗教に対する生長の家からする独特の判釈(はんしゃく)があるのである。
本書をよんで仏教の神髄を会得されたと言われる人もあれば、難解難信(なんげなんしん)の『法華経』が本書を鍵としてはじめて釈然としたと言われる人もある。」

と述べられていますから、雅春先生が特に霊感を働かせた部分なのではないかと感じます。

わたしは、どの巻もすごいと思いますが、特にこの万教帰一篇の文章の流れの美しさに魅了されてしまいます。


以前、そのあまりの美しさに感動して謹写したことがあるのを思い出しました。
聖典/引用板に、再掲させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2781n-

3781a hope:2014/03/20(木) 06:43:33 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

いよいよ、a hope 家は、春休みに突入します(;´∀`)。
今年は、子どもたちの卒業、入学も重なり、また、家族旅行などにも行きますから、
しばらくとても忙しくなります。

このweb誌友会でのお勉強を続けたいのですが、ちょっと家のことと仕事に集中したいと思います。

ですから、しばらく書き込みが少なくなるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

とりあえず、今月いっぱいは 聖典「生命の實相」11巻 がテキストの範囲で、来月、4月からは、
第12巻に移りたいと思います。

それでは わたしの大切な「生長の家」のみなさま、今日も素晴らし一日をお過ごしください!

3782トキ:2014/03/20(木) 09:48:15 ID:yDDmlM22
>>3781

 誌友会のお世話、ありがとうございます。
どうぞご家族のことを優先して下さい。掲示板はのんびり、長期戦で
いきましょう。

 今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

3783a hope:2014/03/20(木) 09:57:12 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第11巻 p71  後から8行目

『・・・だからイエスも「神の国は幼児のごときものなり」といっていられる。
幼児は親を見ると、すぐ親にとびついていって抱かれる、
自分が綺麗な着物を着ておろうと、裸であろうと、お小便(しっこ)で汚れておろうと、
そんなことに頓着なく親に抱かれる、そこに蛇の知恵の小賢しさがない。

すると親様なる神も、そのままの子供を抱き上げて神の位(くらい)にあげて愛するのでありまして、
外からの付けたしのいかんによって神は人を愛したり退けたりするのではないのであります。』


(a hope 所感)

神さまは、どんなに人間が汚れていても、たとえ罪だらけであっても、
幼児のような無邪気な心で甘えれば、必ず抱き上げて愛してくださるのですね! 

なんてうれしいことでしょう!!

3784a hope:2014/03/20(木) 10:06:07 ID:cEpBaIdo

>>3782トキさま

あたたかいお言葉、ありがとうございます。
わたしは、「生長の家の教え」とこの「トキ掲示板」が大好きなので、しばらくお休みしても必ずまた戻ります。

わたしが、こうしてご先祖さまにと神さまに見守られ、家族と幸せに暮らせているのも、
みんな、生長の家の教えに出会って、この掲示板で生長させていただけたからです。

トキさまはじめ、投稿者のみなさま、閲覧者のみなさまにいつも心から感謝しています!

こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。

3785a hope:2014/03/24(月) 09:47:49 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第11巻 p 121 中畑氏他と雅春先生の『法華経』に関する対談より

中畑 ――・・・釈迦が「四十余年間説教したけれども、今までのことは皆方便であって未だ真実を顕わしたのではなかった。今度こそ真実を語る」といって『法華経』をお説きになったその同じ真理が「生長の家」に書いてあるのであります。「生長の家」の教えの神髄はあらゆる人間は神の子である――言いかえるとあらゆる人間が仏であるということであるかと思いますが、たいていの人間はあらゆる人間が仏である神の子であるといっても、なかなか納得できない。こんな汚い人間がどうしてこのまま神になれよう、仏になれよう。
神とか仏とかいうものは、実に自分などのとても及ばない遠い所にあると思う過去からの迷いの「集積」をもっている。こういう「集積」をもっている人に、頭から「お前は神の子だ、仏の子だ」といって真実を説いてもとても信じられない。だから最初には釈迦はそれをお説きにならずに、「自分は罪深いものだ」と思っている人間のそのままの考えを生かすようにして、「お前たちは罪深いから自分の力ではとても救われない、だから仏の他力に頼れ。罪の深いそのままで救われるのだ」と説いて他力の教えをお説きになったのであります。しかしこれは方便でありまして、方便も必要あって使ったのでウソではないとありますが、方便で二乗、三乗の説き方がいろいろにしてあるけれども、本当に二乗三乗なんてないものである、一仏乗しかないものであるといって『妙法蓮華経』をお時になった。だからこの二乗、三乗の教えは真理を知るまでの方便にすぎないのでありまして、ほかの教えを聞いて、もう真理が解ったと慢心している人たちには「生長の家」の教えはちょっとわからないのであります。

谷口 ―― この「生長の家」でも始めは真理を説かないで、いくぶんボカしてあったのであります。ところがしだいに真実をはっきりさして人間は神の子である、もういっそう徹底させていうと人間は神である、ひとりも罪人はないとハッキリいうようになってきますと、「どうも谷口は慢心している、彼は人間を神といっている、人間は神の前にいと小さきものであるのに慢心にも程度がある」と思うような人がでてきまして、最初は「生長の家」に親しみを持っている人で、なかには「生長の家」から遠ざかられた人もあります。ちょうど釈迦が『法華経』をお説きになったときに、今まで二乗、三乗の教えに満足していた五千人の比丘(びく)、比丘尼(びくに)、優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)がその座を立ってさったということが経文にも書いてあるようなものであります。

3786a hope:2014/03/24(月) 09:49:15 ID:cEpBaIdo

>>3785 a hope 所感と質問)

わたしはこの中畑さんという人がどのような方か知りませんが、「法華経」や「生長の家」の教えについて、
雅春先生と対等に対談されているのがすごいと思いました。
この後、中畑氏が『法華経』の「長者窮子(ぐうし)の喩え」のお話をされ、大乗を悟る方便(手段)として、
小乗の教えを説く必要性を説明されています。
ですが、ここの部分を拝読していて、わたしは、『二乗、三乗、一仏乗』、という言葉と、
『小乗、大乗』という言葉の関連性がよく理解できておらずに少し混乱しています。

どなたかご指導いただけるとありがたいのですが・・・。

小乗 = 二乗、三乗
大乗 = 一仏乗 

と理解していいのでしょうか?
ですが、あまり難しい仏教用語で説明されると余計混乱してしまいますので、
出来るだけ易しい言葉で、ご説明くださるとありがたいです。

3787:2014/03/25(火) 17:16:49 ID:oeUx5MQw
3786番 a hope様
合掌 ありがとうございます

 こんにちは、春休みでお忙しそうですね。
中畑氏のご文章は、他の全集では削除されているそうですが、今回の内容は、前半は『法華経』の概略を述べておられ、後半は、谷口雅春先生が、『日常生活の中の真理』の203頁にお書き下さっている事と同一の内容を述べておられますね、

「無限に完全で富んでおられる長者の子でありながら貧しい罪悪深重の凡夫だと見ている人を救うためには、そういう浄土教も必要であるので、浄土宗や、真宗も必要なわけであります。」同書208頁
詳しくは原文をお読み下さいね。

続いて谷口雅春先生は、無限供給のお話しに移っておられますので、小乗大乗の説明が省かれていますが、乗とは、乗物の事を指し、仏の乗物のことであるそうです。

また同書から簡単に引用させて戴きますと…
小乗仏教とは、後期仏教の二大流派の一つ。大乗が広く社会の救いを説いているのに対し、個人の救いに重点をおいている。同書80頁
「日本は大乗相応の国である

で「煩悩を断ずる」と言って、小さい聖人が山に隠れるというのでは、人を救うことができない。これは小乗仏教になってしまう。支那の仏教がですね、山へ籠って坐禅をするようなこういう仏教になってしまったので、支那では仏教ではこの人生を救うことできないということになり、それで、支那は現在、中共みたいに唯物論の社会主義国家になってしまっている。
 ところが、日本においてはじめてこの大乗仏教というのが根を下して、それが大きく人生を救っている、ということになっているのであります。そこがこの日本の国は大乗相応の国であると言われている所以であるというわけなんでありますねえ。」同書88頁


 そのように、小乗といって、小乗の二乗、三乗の教えがあるといっても、方便としてあるのであって、「本来は、二乗三乗の教えがあるものではない、唯、一佛乗のみがある」と、これが、『法華経』の教えです。『法華経解釈』44頁

 それでは、大乗の一佛乗とは、どういう事かと申しますと、
「我が實相は無始以来佛である」ということです。『法華経解釈』48頁

 簡単に申しますと、「人間は神の子である」という事ですね。

 偉い先生に伺わせて戴いたのですが、
大乗仏教をさらに大乗したのが『生命の實相』の教えであるそうです。

そのように、生長の家は、大乗仏教もさらに大乗し、キリスト教をさらに大乗し、天理教をさらに大乗する教えで、それらの本質を取り出して、人類を救わないといけないそうです。

 仏典は、インド由来のもので、インドの風土らしく区別して積み上げて行ったり、数学的であったり、修飾が多かったりしますが、
生長の家は、人間神の子・今此処極楽浄土を自覚したら、そういう世界が出て来るという教えですので、仏教用語自体に詳しくならなくても良く、仏典の本当にいわんとしている事を受け取るようにしていって、本来の大切な主旨は、
A hope様が、2782、2783番に謹写されておられます内容だと思います。


 古事記でも、須佐之男命が大暴れしたのを、天照大御神様は良いほうに捉えなおして見てやろうとされ、それでも乱暴が続くと、現象を見る目を閉じられて、現象界も去られて岩戸の中に隠れられ、岩戸の中で、真剣に實相を祈られます。すると、八百万の神々が総動員して癒す力が働きましたが、これも、『生命の實相』の第一巻の冒頭文と同一で、實相を観ると、宇宙の大生命の癒す力が働いてメタフィジカルヒーリングが行われるということで、
日本人の元々の感性らしいです。

 谷口雅春先生は、だから日本人は素晴らしいんだよ、神様は地上に日本人という民族を誕生させて下さって、この本来の日本人の感性が、世界の為に必ず役に立つ、だから、日本の實相顕現を目指されたとお聞きしています。

3788a hope:2014/03/25(火) 20:48:02 ID:cEpBaIdo
>>3787 縹さま!

素晴らしいご指導に心から感謝いたします。 合掌。

わたしは、『日常生活の中の真理』も、『法華経解釈』も、まだ未読(というか、手元にない)の状態ですが、
>>3787の縹さまの引用部分を拝読しただけで、今回の混乱状態がすっきり解消されました。


――――
そのように、小乗といって、小乗の二乗、三乗の教えがあるといっても、方便としてあるのであって、「本来は、二乗三乗の教えがあるものではない、唯、一佛乗のみがある」と、これが、『法華経』の教えです。『法華経解釈』44頁

 それでは、大乗の一佛乗とは、どういう事かと申しますと、
「我が實相は無始以来佛である」ということです。『法華経解釈』48頁
―――――


それにしても、わたしの質問にぴったりの的を射た引用をしてくださっていて、感動しています。
それにしても、

――――
偉い先生に伺わせて戴いたのですが、
大乗仏教をさらに大乗したのが『生命の實相』の教えであるそうです。

そのように、生長の家は、大乗仏教もさらに大乗し、キリスト教をさらに大乗し、天理教をさらに大乗する教えで、それらの本質を取り出して、人類を救わないといけないそうです。
――――

なんて、すごいことでしょうね!

そんな、素晴らしい「生長の家」の教えに出会えたことに、心からよろこびが溢れてきます!

お勉強のし甲斐があります。

また、古事記や、日本国實相顕現に関しては、興味は山ほどあって、お勉強したいと思っているのですが、
まだ、「生命の實相」のお勉強だけで精一杯で、そこまで行き着きません(-_-;)

本当に「生長の家」の教えって、奥深いですよねぇ。


ところで、今回、「大乗」 「小乗」と「一仏乗」「二乗、三乗」を、
「生長の家」の教えでは同意義でとらえているということがわかりましたが、

あらたに、a hopeの頭に浮かんできた言葉があるのです。

それは、

「大懺悔」と「小懺悔」です。

以前、第1番目の「web誌友板」の>>1629〜で、復興Gさまが、この「大懺悔」と「小懺悔」をとても詳しくご指導くださっています。

そのご指導の時に、>>1632 >>1633で「法華経 安楽行品」からの抜粋文と、法華経研究家で生長の家地方講師(教務)でもあられた、
藤村義彰様(故人)の遺著『新訳 法華経』の解釈文をご紹介くださいました。

当時は、難しくてよく理解できませんでしたが、今、拝読しなおすと、「大乗」「小乗」という言葉もあり、
なんか、そこには、とてつもなくすごい真理が書かれているような気がするのですが・・・

縹さま、トキさま、みなさまはどう思われますか?


再掲させていただきますね。

3789a hope:2014/03/25(火) 20:52:23 ID:cEpBaIdo
(web誌友会板(元祖)より再掲させていただきます。合掌)

1632 :復興G:2012/11/11(日) 19:09:04 ID:vWpLkCzM
――『新編聖光録』で、前に引用させて頂いた「大懺悔」についての項に続いて掲載されているのは、「法華経 安楽行品」からの抜粋です。それは――

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

○如来の滅後、末法の中に於て、是の経を説かんと欲せば、応(まさ)に安楽行に住すべし。
若しは口に宣説し、若しは経を読まん時、楽(ねが)いて人及び経典の過(とが)を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢(きょうまん)せざれ。他人の好悪長短を説かざれ。声聞の人に於ても亦、名を称して其の過悪を説かざれ。亦名を称して其の美しきを讃歎せざれ。又亦怨嫌の心を生ぜざれ。善く是の如き安楽の心を修するが故に、諸々の聴くこと有らん者、其の意に逆わじ。難問する所有らば、小乗の法を以て答えざれ。但(ただ)大乗を以て為に解説(げせつ)して、一切種智を得しめよ。(法華経、安楽行品)

というのであります。その意味は、

≪ 如来の滅後に末法の時代においてこの経を説こうと思うならば、安楽の行をなすべきである。

 もしこの経を口に説き、また経を読む時には、他の人や他の経典の悪口を言ってはならぬ。

 また他の法師を軽んじたり、慢(あなど)ったりしてはならぬ。

 また他人の好悪(よしあし)や長所・短所を説いてはならぬ。

 また声聞の人の名をあげて、その過悪(あやまち)を説いてはならぬ。

 また名をあげてその人の美(よ)き事をほめ讃えてもならぬ。

 また人を怨み嫌う心を生じてはならぬ。

 よくかくの如き安楽の心を修めるが故に、すべての聴衆は菩薩の意にさからわないであろう。

 また難しいことをいろいろ問いかけてきても、小乗の法をもって答えてはならぬ。

 ただ大乗の教えのみを説いてその人に一切種智(いっさいしゅち)を得させよ。≫

 ――私たちが今、尊師の滅後に、いかに行ずべきかにういて、具体的に教えられているような気がします。
<つづく>

3790a hope:2014/03/25(火) 20:53:05 ID:cEpBaIdo

1633 :復興G:2012/11/11(日) 19:09:43 ID:vWpLkCzM
 その「安楽行品」の続きを、経典の原文は省いて解釈文のみ掲載しますと――

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

≪後の世の佛法がまさに滅びようとする時に、この経典を受持(たも)ち読講する者は、嫉妬や諂(へつら)い・誑(あざむ)きの心を懐いてはならぬ。

 また佛道を学ぶ者を軽んじ罵り、その短所をさがし求めてはならぬ。

 もし比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の中で声聞を求める者、縁覚を求める者、菩薩の道を求める者があれば、この人を悩ましたり、疑いや後悔の心をおこさせたりして、その人に『お前達は佛道から遠く離れている。とても佛の一切智を得ることができないだろう。何故なら汝は放逸(きまま)で佛道の修行をおこたり怠けているからだ』などと言ってはならぬ。

 またいろいろな教えを戯れに論じたり、教えに関して争ったり競ったりしてはならぬ。

 常に一切衆生に対して慈父のごとき想いを起こし、もろもろの菩薩に対しては大師であるという想いを起こすべきである。

 十方世界のもろもろの大菩薩に対して、常に心から敬い礼拝せよ。

 一切の衆生に対しても平等に法を説け。

 法に順(したが)って多くもせず少なくもせず、また深く法を愛する者のために、特に多く説くというようなことをしてはならない。

 この菩薩が後の世の佛法がまさに滅びようとする時において、この第三の安楽の行をまもって法を説くならば、決してこの人を悩ましたり乱したりする者はないであろう。

 志を同じくする好(よ)き人々が、共にこの経を読誦するであろう。

 また多くの衆が来てこの経を聴き、聴き終ってよく持(たも)ち、読誦し、説き、また書き、もしくは人にも書かせ、経巻を供養し、敬い、尊び讃めたたえるであろう。≫

 ――と、説かれているのであります。

3791a hope:2014/03/25(火) 20:54:28 ID:cEpBaIdo

1634 :復興G:2012/11/11(日) 20:36:08 ID:vWpLkCzM
――上記、法華経「安楽行品」の解釈文は、法華経研究家で生長の家地方講師(教務)でもあられた、藤村義彰様(故人)の遺著『新訳 法華経』に拠りました。感謝いたします。合掌。


(以上、再掲終わり )

3792トキ:2014/03/25(火) 21:24:58 ID:sA4yR8eo
縹様

 すばらしいご文章、ありがとうございます。

 法華経の講義は谷口雅春先生が特に好まれた部分で、よく引用されたと
戦前入信の先達に聞いた事があります。それだけ奥が深く、同時に味わい
のあるものだと感じます。

 ご丁寧なご指導に心から感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

3793ユタカ:2014/03/26(水) 21:24:37 ID:N20ePDNw
投稿できた!
朝、ここが見れなかった! もう来れないかと心配したけどああ〜〜良かった。

3794a hope:2014/03/26(水) 21:42:20 ID:cEpBaIdo
あっ、ユタカさま こんばんは!

昨晩から、わたしもこのトキ掲示板はじめ、したらば掲示板全般?の閲覧がしにくくなっています。
今朝は、わたしも閲覧不可でした。
でも、今は、大丈夫ですね。
わたしも、ホッとしています。

3795トキ:2014/03/26(水) 21:44:52 ID:wPOoKL4Y
 ご心配をおかけして、すみませんでした。

 昨晩から今朝にかけて、私も見れなくなっていました。
管理会社様のご都合かと思います。

 この掲示板だけでなく、他の掲示板も閲覧が難しくな
っていました。

 治ったみたいで、私もホッとしています。

合掌 ありがとうございます

3796:2014/03/28(金) 15:52:01 ID:oeUx5MQw
トキ様 合掌 ありがとうございます
 ご指導だなんてとても恐縮です。
親戚が来たり色々で、パソコンに近づきにくい日々が続くと思います。
お世話になり、本当にありがとうございました。再拝

3797:2014/03/28(金) 16:01:16 ID:oeUx5MQw
a hope様
合掌 ありがとうございます

 こんにちは、掲示板が表示されるようになったのですね、
私は、谷口雅春先生の御著書以外は、あまり読まないようにしておりまして、
他の法華経解釈の本でも、「ここは谷口雅春先生のご解釈と違うな」と注意しながら読ませて戴いたり、直接原文のほうを読ませて戴いておりますが、
法華経の原文も他の仏典も、雅春先生のご解釈と違う部分も出て来るのですね、
教師の心得の所も、色々と他にも書かれてあるのですが、
中でも大きく違う代表的なのは、一闡提ですね。

 ですから、a hope様は、はじめのうち出来るだけ谷口雅春先生のご解釈に慣れられて、まず生長の家のみ教えを一心に身に着けられますことをおすすめ致します。
 実際の行も大事だと思います。益々のご活躍をお祈り申し上げます。再拝

3798a hope:2014/03/28(金) 23:54:00 ID:cEpBaIdo
縹さま

お返事をありがとうございます。
縹さまは、雅春先生のご著書以外はほとんど読まれないのですね。
わたしも、今は「生命の實相」を中心に雅春先生の聖典を主に拝読するようにしていますが、
その他の生長の家の雅春先生の直弟子といわれたような方々のご著書も時々拝読しています。
どのご著書であっても数ページほど拝読すると、自分の波長に合う文章だと、魂が震えます。
ですから、そういうご著書だけ拝読するようにしていました。

ですが、今回、縹さまが

<<a hope様は、はじめのうち出来るだけ谷口雅春先生のご解釈に慣れられて、まず生長の家のみ教えを一心に身に着けられますことをおすすめ致します。>>
と、アドバイス下さいましたので、きっとそれは神の声だと思うのでそうさせていただきます。

今回、むずかしい「一闡提」というお言葉がありましたが、webの世界大百科辞典によると

―――――――

『いっせんだい【一闡提】

サンスクリット語のicchantikaを音写した言葉。通俗語源解釈では〈欲求しつつある人〉の意で,
快楽主義者や現世主義者をさすといわれるが,仏教では〈仏教の正しい法を信ずることなく,
悟りを求めないために成仏の素質や縁を欠く者〉〈仏教の正法を毀謗(きぼう)し,救われる望みのない人〉を意味する。
《大乗涅槃経》では〈一切衆生悉有仏性〉を説き,いかなる人も成仏する可能性をもつことを強調する。
法相宗はこれを否定し,天台宗・華厳宗その他大乗の諸宗はこれを肯定する。

―――――――

と、ありました。

雅春先生の解釈はどう違うのでしょうか? a hopeは興味津々です。

神の子人間はもともと救われ済みであるから、「一闡提」も本来存在しない、となるのでしょうか?

縹さま、お時間のある時でかまいませんので、またご指導いただけるととてもうれしいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

3799a hope:2014/03/30(日) 22:56:43 ID:cEpBaIdo

生命の實相」第11巻 萬教帰一篇上 P139 後から3行目

 ・・・すると釈迦はいよいよ本当の悟りを示されて今まで説いたところのいっさいを小法だといわれている。『法華経』の中でさえも、いよいよこの「如来寿量品(にょらいじゅろうほん)」の章に来て真実法になっているのであります。

さて釈迦がどういわれたかといいますと、「この如来はいろいろ衆生の小法を希(ねが)っているところの徳の薄い、穢れの多い者を見て、その人のために、自分は少(わか)くして出家し、伽耶城(がやじょう)の近くの道場に坐して悟りを開いて仏となったというふうに説いて聞かしてはいるが、本当は自分は成仏してから無量無辺百千万億那由他劫である。すなわち無限時間前から自分は仏であって大勢を教化してきたのである。

今さら仏になってから四十数年しかたたぬなどというのは真実ではない。その無限時間前から今までの間において念頭仏という仏が世に出てまた入滅して、また何々仏という仏が生まれ出てきて誰々を済度してきたなどということを説いたのは、そう説かないと理解できない人たちのために方便をもって説いたのであって、今こそ真実をいうならば、この自分は無限時間前からすでに仏であって時にしたがっていろいろの仏とあらわれて人間を教化してきたのである。如来の実相はこの世に生まれて来るということも、滅することもない、生き通しの者である」といっていよいよ真実をお説きになったのであります。

この悟りが「生長の家」のサトリであって「生命の実相」を悟った人ならば必ずやこの実感に入るのが当然であるのであります。「あの時にインドで説教していたのは余人ではない、自分であった」、「あの時にイエスと出現してユダで説教していたのは余人ではない自分であった」というような実感に入るのであります。この実感に入らない人は本当の悟りに入ったのではない。神と自分、大生命と自分というものがまだ本当の一つの流れになっていないのであります。

さすがにキリストは釈迦と同じ悟りに入っていられたので、「お前たちは自分をナザレに生まれた三十歳の青年だと思っているだろうが、実は自分はアブラハムの生まれぬ前からこの世にいたものである」とだんことしていっていられる。このキリストの心境、釈迦の心境というものは体験のない者、実感のない者には、いい加減な慢心とかでたらめとしか思われないのであります。だから、この心境を釈迦は包んで四十余年間弟子にお話にならなかった。いってもわからぬ、誤解を招くばかりだと思っていられた。・・・

3800a hope:2014/03/30(日) 23:02:33 ID:cEpBaIdo

>>3799 a hope所感)

生長の家の教えでは、「生命は生き通し」「人間は霊的実在」「人間は神の子(仏の子)である」とされています。

そして、上に謹写した文章には、釈迦の真の悟り(法華経の真実法)こそこの「生長の家」のサトリと同じであると述べられています。

わたし自身、「生命の實相」に魂を震わせて「生長の家」に入信したのにもかかわらず、
当時は「あなたは神の子ですよ」と言われることにとても違和感がありました。
現在のわたしですら、「たぶん、わたしは神の子・・・だと思う」くらいの悟りですが・・・(笑)

それもそのはずですよね。
だってこの、萬教帰一篇のこのあたりを拝読していると、「人間神の子」「生命の実相」をまことに悟るのは本当に難しいのだろうな〜と感じてしまいます。

だからこそ、釈迦は40余年間も衆生に「小法」(方便・対機説法・二乗・三乗・二元論?)を説き続けたのですよね。

ふ〜ん(ため息)。

そう考えると、すごいですね〜「生長の家の教え」って。

だって、いきなり最初から「人間は神の子だ!」ですものね。

3801ユタカ:2014/03/30(日) 23:24:06 ID:N20ePDNw
生命の実相を読むとユタカはとても気持ちよくなります。

先ほどから 初心者さまの投稿を読んでいて気分が悪くなっていましたが、

11巻を読んで、雅春先生の霊的な文章を読ませていただき心がクリアーになりました。

生命の実相の御本はなんて素晴らしいのだろう!! 谷口雅春先生、万歳!!

3802a hope:2014/03/31(月) 09:36:30 ID:cEpBaIdo

>>3801ユタカさま

本当ですね!

聖典「生命の實相」は素晴らしい!!

わたしたち信徒はこれを拝読しなければ、「生長の家を信仰している」とは言えませんね。

この万教帰一篇は「生命の實相」の中でも圧巻であると雅春先生ははしがきで述べられていますが、
特に、P136〜 の雅春先生の法華経と「生長の家」の教えのご説明の箇所はすごいと思います。

今わたしは、新学期に向けていろいろ忙しいですが、不思議なことに聖典をちゃんと拝読してお勉強している方が、
全ての出来事が順調に運びますし、体調も整います。

どんなに忙しくても、生長の家の三正行は忘れたくないです。

3804a hope:2014/03/31(月) 10:36:42 ID:cEpBaIdo

生命の実相11巻 p141 7行目〜

・・・それだから『法華経』の「見宝塔品(けんほうとうほん)」にも

「もし足の指をもって大千世界をボールのように蹴飛ばして他の世界になげることくらいはいとやすいが、この真理を説いて納得させるのはむずかしい。たとい手に虚空を自由自在に提げて空中を飛び廻ることはたやすくできても、この真理を自分で書き、人にも書かしめることはむずかしい。もし大地を足の爪の上に置いて、梵天宮(ぼんてんきゅう)に翔け昇って行くことがたやすくできる人であっても、この真理を読むことはむずかしい。

たとい八万四千の宝蔵十二部経を詳しく説いてきかすことができ、それを聴く者に六神通得せしめることが容易(たやす)くできる者でも、自分の滅後においてこの真理を聞き、その本当の意味を理解することはむずかしい。始めから今に至るまで、いろいろの教えを説いてきたが、この『法華経』に説く『生命の実相』の教えが第一である。もしこの真理を悟る者があれば、その人は仏心を保つ」

といっていられる。ここにも釈迦は神通力というものと、真理を悟って仏となるということは別であるということを説いていられるのでおもしろいのであります。

3805a hope:2014/03/31(月) 10:39:05 ID:cEpBaIdo

>>3804 a hope所感)

釈迦は『生命の実相』を悟られていたけれども、その悟りを大衆に説明することのむずかしさを充分理解していて、
敢えて、40数年間小法を説いて個人救済をし続けていたのですね。

ところが、谷口雅春先生には、釈迦にはなかった文才があった!

「生命の実相」のお悟りを得た後に、その霊感に観ずるままを書き下されたのが、
聖典「生命の實相」を始めとする数々の聖典であり、「甘露の法雨」や「真理の吟唱」のような聖経なのですね!!

なんだかa hopeはだんだんとわかってきましたよ。

また、この上の謹写文中で興味深いのは、神通力に関する言及です。
人は人間智で理解できないような不可思議な現象には目を見張り、
そのようなことができる人を神の生まれ変わりではないかと崇め奉る傾向がありますが、
それは、『生命の実相』の悟りとはまったく関係が無いようですね。

3806a hope:2014/03/31(月) 10:43:00 ID:cEpBaIdo

トキさま、縹さま、ユタカさま そしてこちらをご覧の生長の家のみなさま

ところで、今日は3月最後の日です。

一応今月のweb誌友会は、聖典「生命の實相」第11巻の「萬教帰一篇上」が範囲なのですが、
来月の範囲の代12巻も同じく萬教帰一篇なので、引き続き11巻もテキストとしてお勉強を続けさせていただきたいと思います。

どうそよろしくお願いいたします。

3807a hope:2014/03/31(月) 10:44:15 ID:cEpBaIdo
志恩さま

志恩さまは、本当に今月いっぱいでこの掲示板をご引退されるのでしょうか?
それは、とても寂しいです。

このweb誌友会板では、純粋に「生命の實相」の真理だけをお勉強させていただくつもりでいるので、
志恩さまには他の板はともかく、この板には残っていただいて、今まで通りのご参加ご指導をお願い出来たらとてもうれしいのですが・・・。
いかがでしょうか?


それでは、a hopeは今日もこれから元気に仕事に行ってきます!
みなさまも、素晴らしい一日をお過ごしくださいね!!

3808うのはな:2014/03/31(月) 11:18:45 ID:Y4ijvDxg
>>3807

けれど、志恩さんは最初の誌友会の時に、訊けブログの悪態連中にここを占領されるんじゃないかみたいな
話がでたとき、「わたしは占領されるとは思っていないのです」と鷹揚なことをいっていましたが、
結局、訊け氏から愚弄されるようなことをいわれたり、訊け仲間からいやなことをいわれたりして
他の掲示板に助けを求めたり、ここの誌友会は今回は参加しないとか、そんな
ことを言いだしたりしています。

 今回、卒業するなんていう話も残念なことですが、ここの掲示板管理運営の流れを見ると、致し方ない決断にも思えます。

3809志恩:2014/03/31(月) 12:19:56 ID:.QY5jUA6
a hope様

有り難うございます。先日もトキ様に事情をお話させて頂きましたけれど、
少し前に、夫に、私が生長の家の掲示板へ書き込みをさせて頂いて来たこと、3年間も,,

ということを、夫にバレたので、夫に話しましたら、
夫も、もちろん生長の家人ですけれど、

若手の優秀な人材も掲示板には、揃っているし、3月は卒業の時でもあるから、
あとのことは、お任せして、そろそろ引退したらどうか。。
と言われてしまいましたので、

私も、他に新しくやることも決まっていますので、お気持ちは
とてもうれしいのですけれど、
本日いっぱいで、卒業させていただこうと思っております。

でも、さよならは、言うのは、やめておきたいです。
なんか、さよならっていうと、この世からの お別れみたいですから。

ところで、a hopeさまは、トキ様の発言などで 拡散した方がいいご文章とかを、
光明掲示板に転載する作業は、お忙しいので、出来ませんか?

今、大事な時期でもありますので、それだけが、私は、心残りなんですよね。
どなたか、してくださるお方があれば、安心なんですけれど、a hopeさまは、むりですか。

もしも、むりでしたら、あきらめます。

ずっと、しんせつにして下さって、ありがとうございました。

3810うのはな:2014/03/31(月) 15:14:29 ID:p8.do.2Q
>>ところで、a hopeさまは、トキ様の発言などで 拡散した方がいいご文章とかを、
光明掲示板に転載する作業は、お忙しいので、出来ませんか?

ちょっと、割り込み失礼いたします。こないだも、トキさんは訊けさんに
光明へ転載したほうがといっていましたけど、それはどういう意味なんでしょうか?

 ここの管理人さんは他からあの管理人は何を考えているのかと非難され続けていますし、
以前は訊け氏の肩をもって、本流の人は生長の家らしく答えてあげてくださいだとか、
不調和に拍車をかけるような発言も多くされていて、他の掲示板と連携するような徳のある人物には思えません。
実際、こないだも志恩さんが訴訟されるとかどうとかここでトラブルが起ったことを
光明で解決してもらったのに、なにのお礼の言葉もないではないですか。

 自分が批判攻撃されると、管理会社に問い合わせだ組織的妨害だなんて解釈しかできないのに、
気軽に「光明へ転写」なんていわれても、光明掲示板の方々には迷惑かもしれません。
もし、そのようなことを実行するのなら、事前にむこうの管理人さんの許可を得るとか、話し合ってから
決めてもらいたいと思います。

3811うのはな:2014/03/31(月) 15:19:09 ID:g8I0RbfI

 関係ないけど、別版で聖典サイトをつくるだとか、もこもこしたことばかり話してましたが、
結局、ダハハ掲示板に挨拶に行って遊んだりして、光明掲示板さんのほうでは
昔の聖典特集を続々と発表しているというありさまです。

 向うは向うで忙しいことでしょうから、無能に気軽に利用されるのは避けたほうがいいでしょう。

3812トキ:2014/03/31(月) 19:37:50 ID:5C.JbqME
志恩様

 ご丁寧なご挨拶、深く感謝申し上げます。

 今までのようなご活躍が拝見できないのは残念ですが、
ご家庭の調和が大事なので、やむを得ないと思います。

 ただ、ご都合が許す限り、また、遊びに来て下さい。

 長年の御恩に深く感謝と敬意を表します。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3813a hope:2014/03/31(月) 21:30:57 ID:cEpBaIdo

>>3809 志恩さま 

そうですか、それはとても残念ですが仕方ありません・゚・(ノД`;)・゚・。

ご主人のご発言<<若手の優秀な人材も掲示板には、揃っているし、・・・>>
とは、どなたのことを指しておっしゃっているのかわかりませんが、
このweb誌友会板なんて、最近はほとんどがアホのa hopeの投稿ですよ。

このトキ掲示板は、常連投稿者は、そんなに多くはいないと思うのですが・・・。

でも、>>3812でトキさまもおっしゃっていますが、ご家庭が第一だと思います。
わたしも、この掲示板に投稿することで、家庭の調和が壊れるようなら、即、引退させていただくと思います。

ですが、ありがたいことに、わたしにとっては、「聖典のお勉強=家庭の平和」となるようなので、
「継続は力なり」の言葉を信じて、これからもこの掲示板で聖典のお勉強を続けさせていただくつもりでいます。

そして、志恩さまの

<<ところで、a hopeさまは、トキ様の発言などで 拡散した方がいいご文章とかを、
光明掲示板に転載する作業は、お忙しいので、出来ませんか?>>

とのご提案ですが、わたしはこのweb誌友板とその他数個の板以外はあまり拝見していませんし、
志恩さまが今までしていらしたことも実際にどんなことなのかよく分からないのです。
ですから、志恩さまの代わりをするというのはとても無理だと思います。
お役に立てず、申し訳ありませんm(__)m


志恩さま、今までいろいろありがとうございました。

また、いつかお会いできる日を楽しみにしています。

3814a hope:2014/04/03(木) 08:32:07 ID:cEpBaIdo

4月になりましたので、第24回web誌友会を開会させていただきます。
始めに、祈りの言葉を掲載させていただきます。


    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
 生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

3815a hope:2014/04/03(木) 08:34:15 ID:cEpBaIdo
聖経「続 真理の吟唱」より
  『新たに生まれるための祈り』

今わたしは、新しき日を迎えて、〝新生〝の自覚を得たのである。
「人新たに生まれずば神の国を見ること能わず」とキリストは説いたのである。
 〝新たに生まれる〝とは一度自分の肉体を十字架につけることである。
キリストは身をもってそれを実行したのである。
そして彼は三日の後(のち)に復活したのである。

肉体を十字架につけるとは、必ずしも現象的に肉体を磔(はりつけ)にすることではないのである。
この世界も、人体も、結局は意識――即〝心〝の展開せる世界であるから、〝心〝で〝肉体の無〝を完全に知り、
物質的肉体を〝心〝の世界で抹殺することが肉体を十字架に釘(つ)けることなのである。

これを仏教的に謂えば、観自在菩薩が深般若波羅蜜多の行を修し給うたとき、
「五蘊皆空(ごうんかいくう)」と照見し給うたのが即ち〝物質〝も〝肉体〝も〝肉体意識〝もことごとく十字架に釘けて、
それを〝悟りの心〝によって〝空無〝であると抹殺せられたのである。
キリスト教でも、仏教でも同じことである。
その真理の表現の言葉が異なるだけである。

イエスは肉体を十字架に釘けたが、キリスト教信者は、実際に肉体を殺さないで、
それを象徴的に行なう、それが所謂(いわゆる)〝洗礼〝である。
イエス在世の当時の洗礼はヨルダン河に頭部をも含めて全身を没し去り、その象徴行事によって「既に肉体無し」と悟り、
再び水面に浮かび上がったときには、最早やその〝自己〝を肉体にあらずして、
霊的実在なる〝神の子〝として新生したという自覚を得ることになっていたのである。

仏教ではこの洗礼の行事を、洗礼と称(い)わずして、灌頂(かんじょう)と称するのである。
頂(いたたき)きに水を灌いで、今まで〝物質あり、肉体あり、この自分は肉体である〝と思っていた五官意識の妄想を洗い流して、
自分自身をこのまま霊的実在なる大日如来であると観ずるのである。

神道に於いても、水を灌ぐことによって「肉体あり」という妄想を洗い流す行事があり、
これを〝禊(みそ)ぎ〝と称したのである。
〝みそぎ〝とは〝身剝(みそ)ぎ〝のことであり、肉体という仮存在の皮袋を剝き去って、
内在の霊妙完全なる存在なる「神の子」即ちミコトなる〝命〝の実相を自覚するのである。
そのとき、仮存在なる、〝肉体〝と〝肉体意識〝とが犯したところの罪穢(つみけがれ)は消滅する。
このことを古代の日本民族は知っていたのである。

すべての宗教の神髄はこのようにして、物質も肉体も、単なる仮存在であって、真実存在ではなく、
心のレンズによって時間・空間という映写幕に映影(えいえい)されたる〝影〝であることを悟ることにより、
人間は新たに生まれたる境地に到達し、執着を脱して束縛されざるが故に、却って自由自在の境涯に達し得ることを教えているのである。
この真理を知らしめ給いし事を神に対して感謝いたします。
ありがとうございます。

3816a hope:2014/04/03(木) 08:36:54 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第24回 web誌友会

期間  4月1日〜4月30日まで
テキスト 「生命の實相」第11巻 萬教帰一篇上
     「生命の實相」第12巻 萬教帰一篇下

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「生長の家」のみなさま おはようございます!

萬教帰一篇は、とても深い真理が書かれていて何度拝読しても感動します。
順番から言えば、テキストの範囲は第12巻ですが、第11巻も萬教帰一篇ですのでそちらも含めて、
今回のテキストとさせていただきます。

「生長の家」を愛するみなさま、まことの「生長の家の教え」を後世に正しく伝えるために、どうぞ積極的にご参加をくださいね。
そして、a hopeの解釈が間違っていたりしたら、容赦ないご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3817トキ:2014/04/03(木) 09:30:00 ID:8BOwyq4M
>>3816

A HOPE様

 ご案内、ありがとうございます。

 今回もよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

3818a hope:2014/04/04(金) 20:56:53 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第11巻 p143 11行目〜

・・・五波羅蜜の修行というのは、(一)布施(ふせ)といって施しをし供養すること (二)持戒(じかい)といって戒律をしっかり守ること (三)忍辱(にんにく)といって常に柔らかな心をもって、どんな辱めを与えられようとも心が動じないこと (四)精進(しょうじん)といって常に志操堅固(しそうけんご)であって怠らず向上を続けていくこと (五)静慮(せいりょ)といって、浮世の争いを避けて静かなところへいって反省修行すること、これらの功徳でさえも、「神の子たる者の生き通しの生命」を理解し信ずる功徳の千万分の一にも及ばない。

しかし般若波羅蜜の修行は別物であって功徳が多いというのは、般若波羅蜜の修行は「神想観」の修行であるからであります。

「神想観」をするということと、「生命の実相」の教えを読み、如来すなわち神の子たる者の生き通しの生命を悟ることとは、両方から互に相寄ってわれわれの信念と理解とを深めてくるのであり、どちらも忽(ゆるが)せにすることができない。・・・

3819a hope:2014/04/04(金) 20:58:26 ID:cEpBaIdo

>>3818 a hope所感)

上記謹写箇所に、「五波羅蜜」とありますが、これは六波羅蜜の内の五つの行のことのようです。
以下に、Wikipediaから、一部引用させていただきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C

―――――――――――――――
六波羅蜜[編集]
六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ)とは、甚深法界の六つの彼岸行のこと。「六度(ろくど)彼岸」とも呼ばれる。
1. 布施波羅蜜 - 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること。dānaという単語は英語のdonation、givingに相当する。具体的には、財施(喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施である。檀と略す場合もある。
2. 持戒波羅蜜 - 尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること。尸は屍に通じる。在家の場合は五戒(もしくは八戒)を、出家の場合は律に規定された禁戒を守ることを指す。
3. 忍辱波羅蜜 - 羼提(せんだい、Kṣānti' クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと。[2]
4. 精進波羅蜜 - 毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること。
5. 禅定波羅蜜 - 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。
6. 智慧波羅蜜 - 般若(はんにゃ、praj&ntilde;ā プラジュニャー)は、諸法に通達する智と断惑証理する慧。前五波羅蜜は、この般若波羅蜜を成就するための手段であるとともに、般若波羅蜜による調御によって成就される。
――――――――――――――――

こちらを読むと、だいたい、「生命の實相」にある説明と同じ内容が書かれているのではないかと思います。
そして、「生命の實相」には、六波羅蜜の六番目の彼岸行である、智慧波羅蜜別名「般若波羅蜜」が「生長の家」の「神想観」の修行であると書かれています。

さらに、

<<「神想観」をするということと、「生命の実相」の教えを読み、如来すなわち神の子たる者の生き通しの生命を悟ることとは、両方から互に相寄ってわれわれの信念と理解とを深めてくるのであり、どちらも忽(ゆるが)せにすることができない。>>

とあります。

言い換えると、「生長の家」では、この「般若波羅蜜」=『神想観』の修行と「生命の実相」の教え(聖典『生命の實相』)を読むことで、
「神の子(如来)」たる者の生き通しの生命を悟ることができるということなのですね。

この部分を拝読していると、「五波羅蜜」の修行の代わりとなりうるのが、
聖典「生命の實相」の拝読であるとなるような気もしますが・・・ a hopeは深読みしすぎでしょうか・・・?

しかし、聖典を拝読し続けることで、罪業が浄まり、神想観で波動が良くなれば、上記の五波羅蜜の心境に無理なく近づいていけるような気もします。

というわけで、 この箇所を拝読したa hopeの解釈は、
『「生長の家」を信仰するのに絶対に欠かせないのは、聖典「生命の實相」の拝読と「神想観」の修行である』となりました。

そして、その二つの行をゆるがせにしていては、どんなによい運動をしても、それは「生長の家」の運動とは呼べないのではないかと思います。

3820a hope:2014/04/06(日) 16:52:34 ID:cEpBaIdo

生命の實相第11巻 p145 5行目〜

・・・たいていの宗教では自身を神に比べて、いと小さき者だと認め、それをもって謙遜であると誇るのであって、自分が神である、自分が仏である、自分がキリストである。自分が釈迦である、などというと、あいつはなんという高慢な奴であろうと思う、そして※増上慢の比丘、比丘尼が常不軽菩薩を瓦や石で打ったように物質では打たないけれども、心でいろいろと批評して打つのであります。

釈迦にいわせれば人間の神性の大自覚に入っている者をとやかく批評して打つ者の方が増上慢なのであります。ところがその増上慢の比丘、比丘尼たちの方から見れば、人間の神性の大自覚に入っている者の方が高慢であり慢心しているということになるのであります。

境地が違えばどうも仕方のないものですが、自分が神であるということがわからねば、他人が神であるということもわからない。したがって他人を本当に尊敬することもできない。自分に狸が憑いていると思っている者は、他人にも狸が憑いていると思っている。

常不軽菩薩が、自分の出遇(であ)ういっさいの人間に対して「われ深くなんじを敬う」ということができ、褒めてあげた人から逆に擲(なぐ)られても、石で打たれても「われ深くなんじらを敬う」ということができたのも、要するに、自分が神であるという大自覚の上に立っていられたからであります。・・・

※増上慢・・・まだ最上の法および悟りを得ていないのに、得たと思ってたかぶること。(頭注より)

3821a hope:2014/04/06(日) 16:55:21 ID:cEpBaIdo
>>3820 a hope 所感)

この謹写箇所には常不軽菩薩という僧侶が出てきますが、この常不軽菩薩に関しては、以前お勉強したような気がしましたので探してみました。

聖典引用板の>>471に、「 常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)のこと」を復興Gさまがご謹写くださっていましたので、ご紹介します。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/471

文中に、

<<常不軽菩薩はこうしてすべての人間を礼拝した功徳によって、今、釈迦牟尼如来としてここに現れているのである――と釈尊は自分が常不軽菩薩の生れ変りだといっておられる。>>

とあります。

常不軽菩薩は、釈迦(仏)の一つ前の前世のお姿だったのですね。

ここで、ちょっと気になったのが、『常不軽菩薩はこうしてすべての人間を礼拝した』とあって、「実相礼拝」ではなくて、「人間礼拝」とあるところです。

「生長の家」の教えは、「実相礼拝」ですが、正直なところ、「実相」が何なのかハッキリわかっていて説明できる人なんていないのではないかと思います。

それならば、そのなんだかハッキリわからないものを「礼拝せよ」といわれても本当にそれができる人もごくわずかなのではないのでしょうか?

わたしが生長の家の教えに触れてから、「現象はどんな極悪なひどい姿をしていても、その人の実相は完全円満なんですよ。
だから、その実相を拝めばいいんですよ。」

というような意味合いの言葉を何度も聞いてきた気がしますが、そういう二元論的な考え方をしていては、
現象と実相という言葉に惑わされてしまい、本当の「実相礼拝」はできないような気がしてきました。

「現象に現れている悪と見える状態は悪ではない。」
「全てが善なんだ!すべての人が神(仏)なんだ!」

こう考えて、常不軽菩薩のように全ての現象を含めて「人間礼拝」することが、
「生長の家」の「実相独在」を信じることになるのでないでしょうか?

すみません、 なんか、ちょっとややこしくなってしまいましたが、わたしの言わんとすることが皆さんに伝わればいいのですが・・・

みなさま、ご意見、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3822ユタカ:2014/04/07(月) 00:34:05 ID:N20ePDNw
>「生長の家」の教えは、「実相礼拝」ですが、正直なところ、「実相」が何なのかハッキリわかっていて説明できる人なんていないのではないかと思います。

え〜〜〜〜!! 何のためにWEB誌友会で生命の実相の勉強会をしているの?って事になりませんか??

超ショック! 誰にも分からない実相を谷口雅春先生がまるで、魔法のコトバのように、無学の人にでも分かり易いように、親切丁寧に

分かりやすく説明して下さっていますね。 甘露の法雨の「神」の項も実相世界がかかれていると思っています。

創造の神は 五感を超越している、 六感も超越している、

聖 至上 無限 宇宙を貫く心 宇宙を貫く生命 宇宙を貫く法則

真理 光明 智慧 絶対の愛。つづく・・・・・


人間として最大限に認識できるように詳細に書かれていると思います。
古代の人はわかりませんが、現象世界の宇宙でさえ広すぎて、<現代の人間>には全容解明できないのに、
それ以上の実相など、特殊能力をもった人、例えば生長の家で言えば、谷口雅春先生のような
超人的な方以外には誰も分からなくて当然だと思いますが、それを素直に読み取れば、生命の実相にたどり着けると信じています。

ユタカはウインドウに直接書き込むから見直ししないので乱文すみません。

3823トキ:2014/04/07(月) 21:14:27 ID:NDrvF/0Q
 すみません、遅れました。

 以前、日本人の仏教学者がNHKの文化講演会でダライラマについて話していた
のを思いだし、そのデータを探していました。

 このダライラマの話は面白かったです。

 例えば、世界平和について、ダライラマは、「世界平和は大事ですよね? でも
あなたたち、本当に世界平和が実現すると思っているのですか? あなたたち、
一人一人が心から世界平和の実現を望んでいるのか、それとも、釈尊が非暴力を
主張する以上、弟子である私達も”釈尊が言った事だから”と言って、世界平和を目指して
いるのか。もし、後者なら、そんな口パクみたいな事を唱えて、世界平和が実現する
はずはない。釈尊がこう言ったから、ではなくて、一人一人が本当に思ってこそ、
世界平和が実現するのです。」と言っているのです。

 それで、「怒り」についても、「怒るな、と言っても、慈悲を持つ人間なら、誰でも
不当な事に直面したら、怒るのが普通です。それを”釈尊がこう言っているから”と言って
怒らない、というのは意味がない。怒らないというテーゼと怒るという現実のギリギリの
線で、どう生きるかが大切だ」という趣旨の話を言っているのです。

 つまり、いきなり世界平和とか怒らない、という場面に至るのが尊いのではなくて、
一つの理想、それが人間の実相を見つめて自分の生き方を見つめる、という姿勢が
大事なような気がします。それが「行」である、という印象があります。

 生長の家の大先達で、谷口雅春先生の弟子だった方が、「信仰をする上で、”公案”を持つ
と良いですよ」とご指導をされた事がありました。つまり、一人一人が自分なりに、行じて
いく。それが、最初は実相の礼拝ではなくて、人間礼拝から始まったのかもしれませんね。

3824a hope:2014/04/07(月) 21:18:21 ID:cEpBaIdo

>>3822 ユタカさま

ユタカさまのおっしゃる通りだと感じています。
谷口雅春先生は、実相世界を悟られていて、神さまのお言葉である数々の聖典・聖経を執筆されました。
そのお言葉は真理に満ちていて、何度も拝読することで、必ず「生命の実相」を悟れるようにできているとわたしも思います。

ですから、雅春先生の亡き今、わたしたち信徒にとって何よりも大切な行は、聖典・聖経の拝読であると感じています。


わたしたち信徒に「生命の実相」を悟らせて下さるために、谷口雅春先生は数々の聖典を遺してくださいました。
わたしも、できるだけ心を無にして、素直に聖典を読み進めていきたいと思っています。

ユタカさま、素晴らしいお言葉をありがとうございます。合掌。

3825a hope:2014/04/07(月) 22:12:30 ID:cEpBaIdo

>>3823 トキさま

ダライラマの興味深いお話をありがとうございます。

世界平和であっても、また日本国実相顕現あっても、環境保護であっても、
誰かの悲願であるから運動をするとか、それが自分の信じる宗教の運動だからする、
という考え方には、わたしもちょっと賛成できません。

宗教団体がする運動は、信徒や人類の魂の向上につながらなければまったく意味がないと思うからです。

宗教を信仰していても、自分自身では真理を追究することもなく、
誰かに言われたことだけを、ただただ、真面目に行じ、運動して生きて行くというのも、
それはとても楽だと思いますし、それなりの現象的な功徳もあるかもしれませんが、
わたしはそういう信仰態度は本当ではないと感じてしまいます。

まことに宗教を信仰するとは、決してそんなに単純なことではないと思うからです。

本当に魂を向上させるためには、トキさまがおっしゃるように、信徒一人一人が自分の生き方を見つめ、
「公案」をもち、自分なりの方法をみつけて行じていくことがとても大切であるとわたしも思いました。

トキさまのお話のおかげで、大切なことにに気が付きました。

ありがとうございます。合掌。

3826ユタカ:2014/04/07(月) 22:23:45 ID:N20ePDNw
a hopeさま

ありがとうございます。 

心が通じてとても嬉しいです、谷口雅春先生の御教えだけにひたすら眼を向けて

いければ、それが最高だと思います。 

永遠の生長の家総裁谷口雅春先生! 万歳! 万歳!! 先生の御聖典は人類至上最高の宝です!!

素晴らしい、素晴らしいa hopeさまに復興Gさまがエールを下さっていました。おめでとうございます。

これからもよろしくお願いいたします。

3827ユタカ:2014/04/07(月) 22:31:31 ID:qaUx0OOg
>>
世界平和であっても、また日本国実相顕現あっても、環境保護であっても、
誰かの悲願であるから運動をするとか、それが自分の信じる宗教の運動だからする、
という考え方には、わたしもちょっと賛成できません。

@今、残留白ぽっぽがこんな感じ・・・孫だから間違いない。。

現象は間違えだらけ、自分で教えを実行することが大切か・・・・

難しいな。。。。。。

3828トキ:2014/04/08(火) 21:00:44 ID:r8BJKVNU
>>3825

a hope様

 いつも素晴らしいご文章を書いて下さり、深く感謝申し上げます。

 この点、確か、うろ覚えですが、聖使命会員に関する文章でしたか、
谷口雅春先生が書かれていたと思います。

 「谷口雅春先生に申し訳ないから、運動をする」というのは正しくない
という趣旨だったと記憶しています。「喜びの運動でないと、本物ではない」。

 聖典を熟読し、生活に生かして本当の喜びが得られた。そこから、他人に
も勧めたい。これが、基本的には運動の原点かと思います。

 馬の鼻先に人参をぶら下げるように、数字が上がったから偉い、という
世界にしてしまうと、これは本当の信仰ではないような気がします。

3829ユタカ:2014/04/08(火) 23:25:18 ID:N20ePDNw
ユタカは8つかえなくてXP使ってた。明日からアイホンだな。。。

3830a hope:2014/04/09(水) 19:50:25 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第11巻 p190 5行目〜

・・・『新約聖書』の偉大さはイエスを歴史的人物であると否とのごとき問題ではありません。そうかといって、わたしはイエスを歴史的人物でないと否定するものでありません。そんなことは問題とするにたりないと思うのです。『新約聖書』の中の言葉がイエス自身の御発言であろうとパウロの思索せる宗教的真理であろうと、その作者の名前に捉われる必要はないのです。

福音書が神の啓示に満たされているということは、福音書それ自体のうちにある永遠生命のある言葉みずからが証明しているので、「生長の家」が神の啓示に満たされているというのも、要するにその中に包蔵されている永遠生命の言葉――読んで病が治るほどの言葉自身が証明しているのであります。

書いた人の歴史的地位などを問題にしていては、「生長の家」もわたしという一介の会社員が事務の片手間に書いたにすぎません。

『妙法蓮華経』にしませいても、釈迦が、これこそ未顕真実(みけんしんじつ)の至上の真理であるといって『法華経』を説いたといいますが、誰も釈迦がそれを説いているのを見た人もない。皆、釈迦没後多年を経て書かれたものである。すると『法華経』は釈迦正統であるかどうかも証拠はない。

釈迦が説いたから尊いとか、イエスが説いたから尊いとか言っている人は、ここに到って何を信じたらよいかわからなくなるのであります。


大宅さん、真理というのは誰が説いても尊いのであります。何も釈迦が説かなければ尊くないとか、イエスが直接説かなければ尊くないとかいうものではありません。金剛教祖が説いてもよいし、大本教祖がといてもよいし、天理教祖がといてもよいし、またわたしが真理を説いてもよいのであります。

生長の家の神さまの神示に「誰にてもあれ、生命の実相を説くところにわれは顕れる」とあります。誰が説いても真理を説けばそこに神が顕れてい給うのです。なぜなら神とは真理そのものでありますから、実際、神があらわれないくらいなら真理を説いているのではないのであります。

もし歴史的に顕れた神が教えをとくから尊いといわれるなら、現在この世にあらわれている神が説く教えならいっそう尊いではありませんか。なぜなら歴史的ということは歴史家の考証に誤りがあるかもしれない、歴史家の偽作かもしれないが、現在、その教えをする神を見たという人が現に生きていて証拠となっている『生長の家』の教えの方がいっそう尊いではありませんか。

わたしが『生長の家』を書いているとき、わたしならぬいと神々しき神姿が筆を動かしている有様を見た人は現に埼玉県に生きている。昭和七年九月に仮見新道場修行に来ておられた松原太郎氏の母堂は、霊眼がひらけて同じく神姿を拝されました。また・・・(以下略)

3831a hope:2014/04/09(水) 19:52:21 ID:cEpBaIdo

>>3830 a hope所感)

この箇所はわたしたちが真理の追究をしていく上でとても重要なことが書かれていると感じました。
そして、>>3828のトキさまのご投稿の谷口雅春先生のお言葉にも関連するのではないかと思います。

<<生長の家の神さまの神示に「誰にてもあれ、生命の実相を説くところにわれは顕れる」とあります。誰が説いても真理を説けばそこに神が顕れてい給うのです。なぜなら神とは真理そのものでありますから、実際、神があらわれないくらいなら真理を説いているのではないのであります。>>

『真理の言葉』というのは、釈迦やキリストそして谷口雅春先生が説いたから尊いのではなく、
『真理の言葉』そのものが尊いのですね。

わたしたちは、聖典「生命の實相」(文中では『生長の家』)を拝読すれば「神に出会う」ことができるということなのだと思います。

本当に、ありがたいです。 合掌。

3832トキ:2014/04/09(水) 21:57:26 ID:CrCxN0aA
 宣宗皇帝の若いときに弟子となって、そこで修行した師匠の香厳和尚でもそうであり
ます。これは有名な和尚さんで、香厳の撃竹といって、石が竹を撃つ音を聞いて
悟りを開いたと言われる。いったい香厳和尚はそれまで瀉山和尚について修行してきた。
 しかし師についても、本を読んでもどうしても悟れない。何々経にはなんと書いてある
となかんかよく喋るけれども、そのものを直接に把んでいない。先生の瀉山から、
「書物にもなんにも書いてない、人のいった言葉の受け売りではない、自分の中から
出て来た自分の言葉で仏とはどんなものかいってみよ」と言われたが、どうしても
答えられない。つまり仏とはいかなるものか、ということが分らなかったので、いっさいの
書物を焼き捨て、もう瀉山和尚についていることも止めて、南陽の慧忠国師の遺跡に庵を
つくって、もう仏とはどんなものかということも考えずにいた。ある日、竹林の側を掃除
しておった。そうしたら、その箒に石ころが引っかかって、その石ころがコツンと竹薮の
竹にブッ突かった時に、その音を聞いた時に、竹と石と天地と自分と「一つ」-すべては
「一つ」だということがわかって悟りを開いたえらい坊さんであります。われわれが心の
耳を開いて聴けば、いたるところに先生がいるわけです。路傍に転んでいるところの石ころ
も、あの辺に生えているところの雑草も、あるいは藪に伸びている一本の竹であっても、
皆われわれが本当に心の眼を開いて見た時に、心の耳を開いて聴いた時に、そこに本当の
真理を語っているわけなのであります。

生命の実相 第11巻 195Pより謹写

3833トキ:2014/04/09(水) 22:01:04 ID:CrCxN0aA
>>3831

 すばらしいご文章、ありがとうございます。

Learn to live and live to learn というか、一生勉強なのでしょう。

藤原敏之先生が、練成で学んだ事を実生活で実践する事が大事だ、と
ご指導をされた事を思いだします。「真理の言葉」は、魂に共鳴する
と感じます。

3834トキ:2014/04/11(金) 22:08:59 ID:kOm.4.OU
「問題は既に回答があるのが問題だ」

 ところで、人生にどんな難問題がるかのように見えましても、本当は問題と云うもものは
解決し得るためにあるのであります。数学の問題でもそうです。どんなにあなた自身にとっ
て解決し得ない問題でも、実はその回答は既にあるのですが、自分がそれを算出し得ないだ
けの事なのであります。

 口で樹の木にぶらさがっていて、さあ返答せよと云われる場合、口をひらいたら千仞の
谷底に落ちると云うが、それは自分で、自分の手は動かないと信じて、自分の手で枝を
握る事を忘れているだけのことであります。この「動けるだけの力を、その時、その場、
その人に適する相に動かす」と云うことは、是こそ禅の極意なのであります。「禅機の
把握」と云うことは「全機の把握」でありまして、全体に行き届いてあらゆる点を動かし
得ることであります。これは心が全相に達したときに出来ることでありまして、心が
一部にのみ引っかかっているときには、その引っかかっていることに気を取られて、他
にすべき道が無数にあるのに、それを行うことが出来なくなるのでありまして、自分で
自分の力を「この位のもの」と限ってしまうから二進も三進も行かなくなるのであります。

 「大乗起信論」に「心、全相い達せざるを迷いと云う」と云うことが書かれております。
あらゆる部面を悉く知って適当な行いが出来ないのが迷いなのであります。そこで、全局
を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ「対立」が残っているよ
うなことでも思うようになりませぬ。

新版 真理 第3巻 282p より謹写

3835a hope:2014/04/13(日) 23:12:00 ID:cEpBaIdo
みなさま こんばんは。

>>3832 トキさま

素晴らしい文章のご謹写をありがとうございます。

ですが、文末に<<生命の実相 第11巻 195Pより謹写 >>とあるので確認しましたら、
この御文章は、第11巻ではなくて、第12巻よりの御文章ですね。

わたしも、ここの部分には赤線が引いてありました。


『ある日、竹林の側を掃除しておった。
そうしたら、その箒に石ころが引っかかって、その石ころがコツンと竹薮の竹にブッ突かった時に、その音を聞いた時に、
竹と石と天地と自分と「一つ」-すべては「一つ」だということがわかって悟りを開いたえらい坊さんであります。』


このような本物の『悟り』というのは、「悟りたい」と強く欲したり、
『悟ろう』と力を入れて努力しているときには悟れず、
無心になって何かに集中しているときに訪れるものなのかもしれませんね。


ですが、知識として「真理」が何たるかを頭で理解しておくことも、
本当の『悟り』を得るための下地としては絶対に必要であるとわたしは感じています。

そのためには、やはり、聖典「生命の實相」の拝読はかかせませんね。

3836a hope:2014/04/13(日) 23:15:03 ID:cEpBaIdo

第11巻の終わりから、第12巻の最初のところには、「天理教」の教えについて述べられていて、
「生長の家」教えとの違いが説明されています。


――――――――――

「生命の實相」第12巻 P3 後から4行目〜

・・・天理教ではこの「理(り)」を「神」と称しているのでありますが、生長の家では、
「理」をただちに神とはいわず、その理を「心の法則」といいまして、
その「理」「法則」の奥に神という理以上の存在があるというのであります。

――――――――――



天理教の教え  「理(り)」= 「神」

生長の家の教え  「理(り)」=「心の法則」(横の真理)  「神」 = 唯神実相(縦の真理)


ということになるのだと思います。

3837a hope:2014/04/14(月) 00:06:43 ID:cEpBaIdo

>>3836 つづき

「生命の實相」第12巻 p4〜

神を人格的存在として考えますと、悪因に対して悪果を与えられ、悪念に対して悪しき現実が与えられる場合、
この「理」としての一面だけを見ますとき、それは悪に報いるに悪をもってせられるのでありますから、
この「理法」(こころの法則)を人格化して称するとき、『旧約聖書』では「エホバの怒り」とも称され、
「神を畏るるは知恵の始め」(『箴言』1−7)などともあり、これを天理教では「神の立腹」とも称されてしまして、
「神の立腹を知る」とは、要するに因縁因果の理法を畏敬し、心の法則を知れということでありまして、
俗耳に入りやすきように、「神の立腹」とか「エホバの怒り」とか称されているのでありまして、
神が立腹して病気を創造したり、不幸悲惨を創造したりせられるのではありません。・・・

3838a hope:2014/04/14(月) 00:09:26 ID:cEpBaIdo

>>3837 a hope所感)

謹写部分からp8までの雅春先生のお言葉を拝読するとわかりますが、
「理(り)」=「神」と直接的に表現している天理教の教えですが、
教主の晩年の筆先になると、「病は本来ない」、それは「心の影」であるというように、
「生長の家」の教えと同じ真理を説くようになってきたようです。

要するに、天理教主も、釈迦と同様、最初から究極的な真理「唯神実相」を信者に説くのは避けたのですね。
現象を信じ切って生きている信徒に、いきなり本当のこと「病なし」だとか、「人間は神である」を説いても、
とても理解されないと思ったからでしょうか・・・

結局、教主は最後に本当の真理を説いたにも関わらず、それを悟るものがいないと嘆かれて、
亡くなってしまわれたようですが・・・

この部分はとても興味深く拝読しました。
そして、あらためまして、最初から「唯神実相」を教えの中心にもってきて説いた「生長の家」の教えの偉大さを実感しています。

「生長の家」の教えが万教帰一である所以は、ここにあるのですね!

3839トキ:2014/04/14(月) 21:24:04 ID:in.6Zpfw
>>3838

a hope様

 素晴らしいご文章、ありがとうございました。

 また、中山みき様が天理教を始められた頃は、江戸時代ですから
当時の識字率を考えると、とても難しい事を説いても、大半の人が
解らなかったと思います。

 明治時代になると、教育が広まりましたが、まだ、そこまで高い
内容を説いてもわかならい人が多かったと思います。

 特に、天理教が飛躍的に発展した時期は、明治の始めにあたり、
当時は政府の干渉がきつく、純粋に教祖の教えを広めるのが難しい
時代だったと聞いています。実は、天理教の人が主宰している掲示板
でも、現在の天理教の教えは厳密には、中山みき様の教えと違う部分
がある、という事を示唆する文章があったのを記憶しております。

 そう言えば、キリスト教の死海文書を分析すると、イエスの教えは
生長の家の教えとかなり似ているみたいです。

3840a hope:2014/04/15(火) 17:08:42 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第12巻 p23 7行目〜

・・・このように「生長の家」の生き方は、肉体の世界を念の映像(かげ)であると悟るのでありまして、映像の世界の成就は、むろん第二義的のものでありますから、別に第一義「実相世界」よりも重んずるのではありません。

しかし、世の人々の多くは、現象世界の完全ならんことを念願している方が多いのでありますから、これらの人々に「現象世界は実在ではないから捨てよ」と申しましても、それでは現実生活とかけ離れたようになりまして、世間の実生活者を救いに導くことができませんから、「現象世界を成就させようと思うならば、現象世界は映画であるから、フィルム(念)をととのえよ」ということを強調し、念を調えることによって、現象世界の調ってくる実証により、「なるほど現象世界はカゲであった」とさとらせるように説くのが「生長の家」の説き方なのであります。

今まで仏教などの宗教では、たいてい「現象世界は映像であるから捨てよ」という。が、カゲであるから捨てなくてもよい、「カゲの世界」を成就しつつ、その成就の実証によって実相を悟るように説いているのが「生長の家」であります。

3841a hope:2014/04/15(火) 17:34:29 ID:cEpBaIdo
>>3839 トキさま、ありがとうございます。

そうですか、天理教というのは、生長の家よりも歴史が長いのですね。
当時は文字すら読めない人も多かったのですから、教義をわかり易くするために
「神」を擬人的に説いたのも仕方なかったのかもしれませんね。

キリスト教の死海文書についてよく分かりませんが、
ほとんどの奇蹟が起きたような本物の宗教の本来の教義には、
最終的には同じ真理(唯神実相)が説かれているのでしょうね。

3842a hope:2014/04/15(火) 17:36:06 ID:cEpBaIdo
>>3840 a hope 所感)

ところで、>>3838でも述べましたが、わたしが聖典を拝読するかぎり、釈迦も天理教教主も、
最初は心の法則(理、唯心所現、因果報応等)を教義の中心とし、
最後に「現象なし」の「唯神実相」の真理を説かれたと説明されているように解釈できます。

ところが、「生長の家」では、最初から「唯神実相(実相世界)」を第一義とした上で、
第二義の「心の法則(現象世界)」も教義に組み込んでいるのですね。
それが「生長の家」の「縦、横の真理」であり、特徴的なところだと感じています。

>> 3840 の謹写部分には、「生長の家」の真理を人々に悟らせるための方便について述べられていますが、
最後のところに、

<<「カゲの世界」を成就しつつ、その成就の実証によって実相を悟るように説いているのが「生長の家」であります。>>

とあります。

文中の、『「カゲの世界」の成就』というのが、具体的には、病気が治ったり経済問題や家庭問題が改善されたりすることで、
言い換えれば「生長の家」の奇蹟にあたり、その『実証』というのが、『体験談』で公に発表することにあたるのだと思います。

「生長の家」では、「現象世界」のみを信じる人々の目を「実相世界」に目覚めさせるための方便として、
『奇蹟の体験談』をすることがとても重要な意味を持つということなのだと思います。


みなさま、わたしの解釈にまちがいがあれば、ご指摘、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3843a hope:2014/04/15(火) 19:54:39 ID:cEpBaIdo
>>3842 訂正

「生長の家」では、「現象世界」のみを信じる人々の【目】を
               ↓
「生長の家」では、「現象世界」のみを信じる人々の【心】を

3844a hope:2014/04/18(金) 22:25:19 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第12巻 p50 最後から1行目

真宗では「他力」を尊んで自力をけなすのであります。そして「自力」というものを価値のないもの、自分だけの力ではとうてい救われっこないものだと「自力」を軽蔑するのでありますが、いくら軽蔑いたしましても「自力」というものがそこにあるとうことを認めている以上は、「自力」を全然無視したとはいえないのであります。「自力」の存在を認めておればこそ「自力は駄目じゃ」といわねばならぬようなことになる。

ところが「存在するものは仏力ばかりである。神力ばかりである。自力というものは本来無いものじゃ」と解って、自力を全然認めないようになってしまえばアトは「他力」ばかりになってしまう。「他力」ばかりになってしまったら、もう「自力」などというものはない。この「他力」ばかりの信仰が「生長の家」なのであります。

「他力」と仮に申しましたが、「自力」に対立してこそ「他力」という言葉を使うことができまするが、もう存在するものは仏力ばかりであると解り、「自力」というものは何一つ存在しないということがわかりますると、自他の対立が無くなってしまう。自他の対立がなくなって、存在するものみんな仏力である、みんな神力であるということになってまいりますと、もう「自力、他力」の区別がいえなくなってしまう。すべて「絶対力」ということになってしまう。「生長の家」はこの絶対力の信仰である。

仏力のほかに「なんらかの力」をいっさい認めない。「阿弥陀仏」独在、阿弥陀仏のみこの世にあるのだというのですから、どこもかしこも阿弥陀仏の浄土ということになってしまう。どこもかしこも阿弥陀仏の浄土であるから、もう地獄などというものは無いことになってしまう。「みんな救われているぞ、みんなそのままで阿弥陀仏の浄土にいるんだぞ」これが「生長の家」が全人類に対する宣言なのであります。・・・

3845a hope:2014/04/18(金) 22:27:12 ID:cEpBaIdo
>>3844 まとめ)

浄土真宗 「他力(仏力)」を尊重
     「自力」を軽蔑

生長の家 「他力(仏力・神力)」しかない → 「絶対力」の信仰
     「自力」は本来ない


( a hope 所感)

「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と唱えることで、阿弥陀仏様に救ってもらう(「他力」に頼る)のではなくて、

<<「阿弥陀仏」独在、阿弥陀仏のみこの世にあるのだというのですから、どこもかしこも阿弥陀仏の浄土ということになってしまう。どこもかしこも阿弥陀仏の浄土であるから、もう地獄などというものは無いことになってしまう。「みんな救われているぞ、みんなそのままで阿弥陀仏の浄土にいるんだぞ」>>

このことを自覚せしめる(「絶対力」の自覚)のが、「南無阿弥陀仏」と唱えることの本来の意味だったのですね!

3846トキ:2014/04/18(金) 22:33:32 ID:3z.z80Ek
a hope様、すばらしいご文章、ありがとうございます。

南無阿弥陀仏と言えば、藤原敏之先生を思いだします。藤原先生は浄土真宗の
勉強を正式にされ、布教師もされていました。しかし、その頃から浄土真宗の
伝統的な考え方とは異なる説法をされていたので、御止めになられたそうです。

 その藤原先生が、生長の家に触れて、本当の親鸞上人の教えが解ったと説か
れています。

 嘆異抄に学ぶなどは代表ですが、きっと藤原先生もお慶びだと思います。

3847a hope:2014/04/20(日) 09:56:17 ID:cEpBaIdo

>>3846トキさま

ありがとうございます。

ご紹介の藤原敏之先生のご著書「嘆異抄に学ぶ」は、メインタイトルは「そのまま極楽の道」ですね。
そうですか、藤原先生は浄土真宗の布教師をされていたのですか・・・。
このご著書は未読ですが、いつかは拝読したいです。

3848a hope:2014/04/20(日) 10:51:42 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第12巻 p84 2行目〜

・・・悪いと知って一歩一歩改善してゆくのは道徳的救いでありますが、 宗教的救いというのは飛躍の救いであります。自力の一歩一歩の改善ではどうしても救われない自分だと知った時に、その「改善しなければならないような悪い自分」というものは「虚仮(こけ)の自分」であった、言い換えると「ウソの自分」「本来ない自分」であったと知る――その時、忽然旧我が消えてしまって、本当の自分――尽十方無礙光如来と同体の自分というものが顕れて来るのであります。そこに完全に「我」というものの置き換えができるのであります。

今までは、「罪悪の自分」であると思っていた「ニセ物の自分」はその時忽然と消えて」しまって、罪を犯そうにも犯しようがない無限に善いところの「尽十方無礙光如来と同体の自分」というものが現れてくるのであります。すると自然に、法爾(ほうに)に善いことばかりしか思わなくなり、善いことばかりしか行わなくなるのであります。そんな都合のよいことが本当にできるかと思う人がありますが、それが本当にできぬくらいなら宗教的救いではない。

宗教的救いというものは、先刻申しましたように、極楽浄土という一地域の中へ罪悪深重のままで、悪を犯す傾向をもったままで移住することではない。「尽十方無礙光如来」と同体の本当の自分があらわれて来て、自然に善いことばかりに心が動き、自然に怒る心がなくなり、自然に争う心がなくなり、自然に恐れる心がなくなるのであります。どうしたらその宗教的救いが得られるかと申しますと、真宗では「南無阿弥陀仏」と称えればよいわけですこぶる簡単でありますが、「南無阿弥陀仏」の心がわからないで称えてもやはり、本当の救われた相(すがた)があらわれないで、片手に「南無阿弥陀仏」と称えながら片手で嫁をいじめをしている姑(しゅうとめ)さんもないことはない。これは南無阿弥陀仏のこころが解らないからであります。

「生長の家」では『生命の實相』をただ読むだけで「南無阿弥陀仏」の心を解らせる、いいかえれば阿弥陀仏に帰命し、阿弥陀仏と同体になっているところの自分の生命の正体をわからせるのです。すると突然、虚仮の自分――罪深い自分――本来ない自分というものが消えてしまって、「本来救われている自分」というものが現れて来るのであります。だから「生長の家」ではすこぶる簡単に救いがあらわれる、それは聖典『生命の實相』をただ読め、ひたすら読めということであります。

3849a hope:2014/04/20(日) 10:52:51 ID:cEpBaIdo
>>3848 a hope所感)

<<「生長の家」では『生命の實相』をただ読むだけで「南無阿弥陀仏」の心を解らせる、いいかえれば阿弥陀仏に帰命し、阿弥陀仏と同体になっているところの自分の生命の正体をわからせるのです。すると突然、虚仮の自分――罪深い自分――本来ない自分というものが消えてしまって、「本来救われている自分」というものが現れて来るのであります。だから「生長の家」ではすこぶる簡単に救いがあらわれる、それは聖典『生命の實相』をただ読め、ひたすら読めということであります。>>

ここにも、聖典「生命の實相」拝読の重要性が書かれています。

生長の家の信仰 = 聖典「生命の實相」の拝読 = 救われる   

というわけですね。

3850トキ:2014/04/20(日) 19:01:01 ID:NzS7L3Js
a hope様、ありがとうございます。

 藤原敏之先生が取り上げられた嘆異抄ですが、長らく浄土真宗ではほぼ禁書の扱いを
受けて来ました。暁烏敏という有名なお坊さんが、この本を取り上げた時も、部内では
いろいろとあったみたいです。

 暁烏敏さんは、いろいろとクセのあった人みたいですが、この本を取り上げた事で、
多くの人が救われたみたいです。しかし、藤原敏之先生のように、長年、会社勤めを
され、定年後に第二の人生で多くの人を救われた姿勢は、日常生活の中の真理を行じ
る姿勢の大切さを教えて下さっていると思います。

3851トキ:2014/04/22(火) 20:00:14 ID:CVE7kyjk
 本日、拝読した生命の実相第12巻のうち、少し感銘を受けた部分を紹介させて
いただきます。

 「近ごろ、宗教熱が勃興しましていろいろ「何々経講義」と題する本が出版され
ますが、その講義は字句の解釈の上では、相応立派なまちがいないものでありま
しょうが、その宗教的真理をそのまま「生活」に活きているというような人はす
くないと思うのであります。「生長の家」は何も変わったことを説くのではない、
「色即是空、空即是色、如来の寿命は無量なり」の宗教的真理を説くのでありま
すが、それが、説法と「生活」とが、先刻のお坊さんのように分離していない。

 説法講義と生活がピタリと一枚になっている。いわゆる宗教を生活に生きてい
るというのが「生長の家」であります。知識を満足さしたり、修養を衒ったり、
学者ぶったりするために宗教を説くのではない。宗教的真理をそのまま生活に
生きるのが「生長の家なのです。

(つづく)

3852トキ:2014/04/22(火) 20:03:48 ID:CVE7kyjk
以下はトキの感想です。

 もちろん、この話は生長の家の信徒ならご存知の話なのですが、真理を知っている
事と実践する事では、距離があります。しかし、問題は、今、どの位置にいるかでは
なくて、どちらに向かって動いているか、という事かと思います。

 本来あるべき自分に向かって努力する。人間、神の子の自分があらわれるようにがん
ばる。そこに人生の妙味があるように思います。

3853a hope:2014/04/23(水) 23:41:04 ID:cEpBaIdo
>>3850〜3852 トキさま

「生命の實相」第12巻の第三章のタイトルは「南無阿弥陀仏の実生活化」です。
そこには、真理を悟ることで、病気が治ったり生活が改善されたりと、現実生活に大きな力を発揮する事実が、
たくさんの体験談を例にあげて説明されています。

わたしがここを拝読していて感じたのは「本当に真理を悟れば、がんばらなくてもしぜんに生活が改善されていくのだ」ということです。
ですが、波動的に大きな影響力を持たれた谷口雅春先生がいらっしゃらない今、わたしたち信徒が「本当に真理を悟る」というのは、
とても難しくなって来てしまったような気がします。

ですから、そんな状態の中では、やはりわたしたち信徒は、トキさまがおっしゃるように、
<<本来あるべき自分に向かって努力する。人間、神の子の自分があらわれるようにがん
ばる。そこに人生の妙味があるように思います。 >>ということが大切なのだとわたしも思います。

そして、それには、聖典の拝読が一番重要であると感じています。

3854a hope:2014/04/24(木) 00:19:52 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第12巻 p105 後ろから1行目

この「超克する」ということと「対応する」ということは、似ているようでも大変ちがうのであります。「超克」するということは、病気を無いもののように取り扱って超越して克服してしまうことであります。

「対応する」ということは、病気をアルとして取り扱ってそれに相対することであります。医者や民間療法は病気をアルとして取り扱ってそれに相対(あいたい)することであります。医者や民間療法は病気に対応しますが、「生長の家」は病気を超克するのであります。


(まとめ)

医者・民間療法 ・・・病気 ←アルもののように取り扱って「対応する」
生長の家    ・・・病気 ←無いもののように取り扱って「超克する」

(a hope所感)

かつては医者が匙を投げたような大病であっても、聖典を読むだけであっさりと治ってしまったのですよね。
ですが、現在はそうは簡単にいかないようです。

その原因はここにあると感じています。

「病気は無い」という生長の家の真理を知っている生長の家の信徒であっても、
実際には自分や家族が病気になれば医者に行き、民間療法を試したりするのだと思います。

真理をただ知っていることと、本当に悟っていることの違いがここでわかるような気がします。

ちなみにわたしは、自分や家族が病気になれば、病院に行きます。
全然、悟っていませんね(笑)

でも、ありがたいことに、最近はほとんど病気をしなくなりました!

3855a hope:2014/04/24(木) 12:16:23 ID:cEpBaIdo

今朝、大熊先生のブログに行きましたら、今回のテキスト「生命の實相」第11巻に関して言及されていました。
「唯物論者は病気でしょうか。」という質問にお答えしてくださっています。

そして、安易な「中絶」をなくすことと、日本国実相顕現との関係もご教示くださっています。

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

その御文章の明快さに感動しました。

(つづく)

3856a hope:2014/04/24(木) 12:23:23 ID:cEpBaIdo
(>3855 つづき)

さらに、昨日のブログには、

――――――
 榎本恵吾先生と言う

   縁の深い先生に

    先導で読んで戴いた時・・

 「私は覚念した」のです。

  神以外は「無い」のだ・・と。

   (後日、詳細は記してゆきます。)



  その時に禅の「無い」と、

    教えの「実相独在」(ある)

     が融合し、人生が変わった。


 それ以来、わたしの指導を受けたり

  挨拶したり、手紙を読むだけで

     奇蹟が起ったといい・・・


  お礼状などが、続々

    来始めたのでした。


 しかし、当初・・禅僧出身の私は、

  「心境がよくなりました」

    というお礼状は

      嬉しいのですが・・・


   続々寄せられる

    「奇蹟」という言葉に

      恥ずかしいような

       気分でいたものです。


 (今は、心が整い「奇蹟」らしきことが起こっても

   「わたしの起こした奇蹟でなく」その方の、

  生命の実相が現れただけですから、

     有り難い「あたりまえ(本来性)」

        という気持ちで感謝し受けています。。)


  わたしが素晴らしいのでなく、

     その方の命が素晴らしのです。


 わたしがすごいのでなく、

    その方の命がすごいのです。


  わたしが神業なのではなく、

    その方の生命の元が

       「神」なのです。

―――――――――
http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/archive/2014/4/23

大熊先生は、「唯神実相」をまことに悟られているのですね。

(つづく)

3857a hope:2014/04/24(木) 12:25:28 ID:cEpBaIdo
(>3856 つづき)

大熊先生のご指導で、「奇跡」(ご本人はその言葉はあまりお好きではないようですが・・・)が続出しているのが、
その証拠なのだと思います。

みなさま、まことの「生長の家」の奇蹟を体験したかったら、
大熊先生の「いのちを守る」運動にご賛同されるといいのではないかと思います。

今週末にはいよいよ第1回の「命を考える講座」も開催されるようですよ!
大熊先生から、身近にお話が聞ける大チャンスなのではないでしょうか?

http://blogs.yahoo.co.jp/warai333warai

3858a hope:2014/04/24(木) 12:52:27 ID:cEpBaIdo
↑のわたしの発言で大熊先生にご迷惑がかかるといけないので追記します。

――――――
一般社団法人

   「いのちを守る親の会」   


 私たちは本気です。


   全ての垣根を超える


       超党派宣言


一般社団法人「いのちを守る親の会」は超党派・超宗派の「赤ちゃんのいのちを守る」中立的、一般社団法人です。
神社庁、カトリック教会、プロテスタント教会、生長の家、臨済宗、妙心寺とも一切公式(組織的)関係はありません。
外郭団体でも、公認団体でもありません。ご理解ください(理事会)

――――――

と、大熊先生はブログで宣言されています。

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/archive/2014/4/23

3859a hope:2014/04/25(金) 22:25:43 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第12巻 p150 3行目

・・・もし、この「生長の家」が何々教というように、ほかの宗教に対して対立的になっている一つの宗教でありますならば、このように他のいっさいの宗教を包容して、そのすべてを生かしてゆくことができないのです。

「生長の家」がこのようにいっさいの宗教を包容してその神髄を生かしてゆくことができるのはなぜであるかと申しますと、「生長の家」はいっさいの「生命」がそこから発生し、そこから生長し出た「家」であるからであります。

「家」というのは「生(いき)」が「寄(よ)」る、すなわちいっさいの生命がそこに寄り集まる所をいうのであります。この「家」のことをまた「巣」と申すのでありまして、小鳥の巣、獣の巣、虫の巣などいろいろありますが、すべて「巣」というものは「生命」が集まって来て、そこで「生命」が窮屈な社会的仮面を脱いで、本来の伸び伸びした面目を発揮する所なのであります。

「家」すなわち「巣」というものは、蜘蛛の巣を見ましても一つの中心に集まっている。スベテが一つの中心に統一されている―――このスベテの「ス」、統一するという意味の「統べる」という言葉の「ス」スベテが統一されて、スキ通り、スミきって、少しも乱れがないいっさいを包容するという意味での「澄(すみ)」「透(すく)」などの意味が「生長の家」の語にはあるのであります。すなわちわれわれの教えは無色透明の「家」であるからこそ、すべての宗教の方々に喜ばれるのであります。


この「生長の家」というのは、そのように中心の無色透明の真理の家でありまして、「生」すなわち「縦」に無限に伸びること――すなわち無始無終の時間と、「長」すなわち「横」に無限に長びること――すなわち無始無終の空間とを、一つの中心より放射状に発生せしめて一切万象発現の枢機(すうき)を握り、一切万象そこより発し、そこに帰る中心を握っている巣(統、主)であるから、「生長の家」といったのであります。

このように「生長の家」といいますのは、一切万象をそのうちに統べ包んでいる宇宙をいうのでありますから、いっさいの宗教が「生長の家」に包容されるのは当然のこと、いっさいの事物の創造原理さえも「生長の家」に包容されねばならないのであります。

3860a hope:2014/04/25(金) 22:29:22 ID:cEpBaIdo
>>3859 a hope 所感)

ほとんどの方々は、「生長の家」というと八ヶ岳に本部がある「生長の家」教団組織のことが頭に浮かぶのではないのでしょうか?
でも、聖典にはこんなにもはっきりと「生長の家」がなんであるかが説明されています。

まことの「生長の家」はそんな枠にはまった小さなものではなく、ものすごく壮大な「真理の家」なんですね!

3861a hope:2014/04/29(火) 22:58:49 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第12巻 p203 6行目〜

礼拝する、拝むということは絶対無条件でなければ拝んだのではない。条件があっては取り引きです。夫を拝むとか、子供を拝むとか、妻を拝むとかいいますけれども、それは絶対無条件の零(ぜろ)の拝み方でなければならない。拝んだら御利益が出て来るのだ。主人は放蕩しているけれども拝んだらキッとよくなるであろう――などとそんなことを思って拝んでおってはそれはよくならないのです。かえって悪くなってくる。

つまり夫をこの拝むという手段によって、まずそのまちがいをねじ直してやらなくてはならないと思って、飴ん棒のように捻じ廻したりしましても、ギリギリと掌(てのひら)を揉んで拝んでみましても、それでは、方便の礼拝でありますから、どうしたって真っ直ぐにはならないのです。真っ直ぐにするのは、歪んだものを把(つか)んで、それを捻(ね)じ直してみても駄目なので、真っ直ぐにするのは、歪んだものを放して、真っ直ぐに出して来なければならないのです。

3862a hope:2014/04/29(火) 23:04:43 ID:cEpBaIdo
(>>3861 a hope所感)

(a hope所感)

第五章「礼拝三昧禅」に実相礼拝の本当の方法が書いてありました。

<<拝んだら御利益が出て来るのだ。主人は放蕩しているけれども拝んだらキッとよくなるであろう――などとそんなことを思って拝んでおってはそれはよくならないのです。かえって悪くなってくる。>>

御利益を求めるということは、要するに現象の悪を認めてしまっていることですから、
そういう条件の上で実相を礼拝しても、現状は悪くなるばかりなのですね。

「絶対無条件の零(ぜろ)の拝み方」、それが「生長の家」の実相礼拝と言う訳ですね。

ふつうの人は御利益を求めて、神社やお寺等を参拝するのだと思います。

「生長の家」の実相礼拝はさすがにレベルが違いますね!

3863a hope:2014/04/30(水) 09:58:04 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」p213 

ミレーの「晩鐘(ばんしょう)」

あの有名なミレーの晩鐘の絵でありますが、農夫が夕焼けをしている広々とした畑のところに立って、そして拝んでいる。どこからか晩鐘が聞こえて来ているような、はるかに教会の尖塔が見えている。そういう景色の絵でありますが、わたしはその絵の複製を見るごとに、その拝んでいる農夫の姿の中に神の姿を見るのであります。

もし農夫の心の中に神が開いていなかったら、神がいらっしゃっても本当に「ありがたい」ということが分からないのであります。「ありがたい」ということがわかるのは、その人の心の中に、神の波長を感受する神の波長が開いているからであります。

おそらくこの農夫は何を求めているのでないのです。どうしてくださいというのではないのです。ただありがたい、この心境こそ、まことに尊いことであります。ただありがたいというのは、現象的にどういう御利益があるからありがたいというものではない、そういう条件付きのありがたさではない、いのち本物の中にそのまま坐りこんでしまって、ただありがたいのです。

念仏申す心――こういうふうに真宗では言っておりますが、その「念仏申す心」というのが、このいのちの本物の中にそのままどっかりと坐りこんでいるありがたさなのです。・・・

3864a hope:2014/04/30(水) 10:00:00 ID:cEpBaIdo
>>3863 a hope所感)

ここに、まことに「実相礼拝」できたときの心境が書かれているように思います。
「ありがたい、ただありがたい」そう心の奥から湧き上がってくるようにならないと、本物ではないようですね。

でも、実際に見える現象では、ひどい仕打ちをされれば、悲しみや苦しみ、そして絶望感、
もしくは口惜しさ、憎しみ、怒りなどの悪感情が湧き上がってくるのが現象人間なのだと思います。

そんな状況でも、わたしたちは、その現象や相手にむかって「ありがたい、ただありがたい」という心境になって「実相礼拝」が本当にできるのでしょうか?

大調和の神示には「本当の和解は互にこらえ合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ。こらえたり我慢したりしているのでは心の奥底で和解していぬ、感謝し合ったとき本当の和解が成立する・・・」
とありますが、じゃあ、どうしたらそういう心境になれるんですか、神様!!!

たとえ、上司や親の言う事であっても「真理において納得いかないこと」にただしたがってしまうのは、
宗教の信仰者としては「虚説に和解」していることになってしまわないでしょうか?

これは、わたしがこの3年間、ず〜と考えている「公案」ですが・・・(笑)
どなたかご意見、ご指導をいただければありがたいです。

3865トキ:2014/04/30(水) 20:06:37 ID:QatTUPLw
>>3864

a hope様

 素晴らしいご文章、ありがとうございます。

 この問題はなかなか難しいと思います。小林春恵先生の「わが信仰の旅路」には、
小出タケさんの話が出ています。この人父親はとても酷い人で、後妻さんと一緒に
小出さんを散々苦しめます。それで、小林春恵先生のところへ相談に行って、許さ
ないといけない、と言われるのですが、なかなか許せないので悩むという話がでて
きます。

 私も、この問題には答えがないのです。

 ただ、以前にも書きましたが、私は大学が理工系の勉強をしました。すると、
量子力学とか解析学などの難しい勉強をさせられます。いくら勉強してもわか
らないので、教授のところへ質問に行くと、

 「今、わからないからと言って、そんなに悩む事はないよ。今わからない事
でも、勉強をしているうちに、自然にわかるようになるよ。」

と言われた事があります。信仰でも、似たような事が言えるのかもしれません。

3867トキ:2014/04/30(水) 22:01:59 ID:QatTUPLw
追伸です

 許す、許さない、というのは、実際にやらないとわからない部分はあります。

 自分も過去、不当な扱いを受けた相手を"許し”ましたが、確かに精神的には
ある種の”高み”にのぼったような気持ちにはなりました。結局は相手の問題で
はなくて、自分の器量とか器の問題なのかもしれませんね。

 とはいえ、何でもかんでも、「いいです、いいです」というのも間違いだと
思います。

 基本は”神意”なんでしょうね。

3868曳馬野:2014/05/01(木) 00:01:54 ID:I/wU8psA
a hope さん

* これは、わたしがこの3年間、ず〜と考えている「公案」ですが・・・(笑)どなたかご意見、ご指導をいただければありがたいです。

* 私も、この問題には答えがないのです。(トキさん)

*本流側の偉才・縹さんと、同じく異才・トンチンカンさんを相手に論戦を挑んでおりますが、なかなか勝てそうにありません。

① 「曳馬野」=マサノブ君は、『生命の實相』を本気で読んでいない為、開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判を、現象肉体脳髄の
“人間知”であ〜だ、こ〜だと盛んに疑問を呈し投稿しておりますが、彼の『御教え』批判点の解答は、開祖・谷口雅春先生の御著書
を読んでいれば全部答えが書いていることばかりであります。彼は肉体人間知面ではひねくれもので、まともな霊的理解力や真摯な求道心を
持っていないために、『御教え』悟得の基本点、すなわち無心になって開祖の御著書を読む、そして疑問点が生じてきても必ず
この先にその解答が書かれていると信じて読み続けるという『御教え』悟得の基本姿勢に欠けているのであります。議論と理屈だけでは
何時まで経っても真理の周りを堂々巡りするばかりであります。

② 偉才・縹さんは謙虚な求道心を持たれておられますから、「曳馬野」=マサノブ君の疑問にもまことに丁寧に答えておられれることが
判ります。「曳馬野」=マサノブ君はやはり霊的には全くの音痴状態にある事がハッキリとわかるのであります。(公平なる観察者さん)

===============================================================================================

これらの発言から云いますと、御教えを悟得されているらしい【公平なる観察者さん】にお聞きするのが一番良いようですね。

でもまぁ、「曳馬野」=マサノブ君の疑問に、なんて観方の方ですので、公平なる観察者であるかどうかはしりませんが。

3869a hope:2014/05/01(木) 00:40:28 ID:cEpBaIdo
>>3856 トキさま

小林春恵先生の「わが信仰の旅路」の小出タケさんの父親と後妻さんを許す話は、、
以前、信仰/体験板の>1527〜に謹写させていただいました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/1527n-

拝読して、とても感動して、これが本当の生長の家の「許し」なんだと思いました。

わたし自身、「生長の家の教え」に触れる前には、母親とよくケンカをしていましたが、
最近では、聖典を拝読したり、神想観をすることで心が整って来ているので、以前よりずっとすぐに許せる心境になってきました。

<<「今、わからないからと言って、そんなに悩む事はないよ。今わからない事
でも、勉強をしているうちに、自然にわかるようになるよ。」>>

ということは、生長の家に於いては、やはり、三正行を欠かさないことがそういう心境に近づける近道なんだと思いました。

トキさまのコメントで大切なことを再確認できました。

ありがとうございます。合掌。

(つづく)

3870a hope:2014/05/01(木) 00:41:52 ID:cEpBaIdo
(つづき)
ですが、わたしが考え続けている「公案」というのは、酷い仕打ちを受けた当事者の内面のことではなくて、
「真理において納得いかないこと」に対する、信仰者の態度に関してなんです。


例えば一例ですが、個人救済することが使命の宗教団体の信仰者が、自分の権力的な立場を利用して、
立場の弱い個人の魂を酷く傷つけ、運命を台無しにしてしまうような真理(神)からかけ離れた行為をしているのに、
そんなに非道な行為であっても「中心帰一」だからと容認してしまうことが、
本当に「生長の家」の信仰者の態度なのだろうか?と疑問に感じるのです。

もちろん、内面的には、小出タケさんのように、どんなにひどい罪を犯した「人間」であっても、
最終的には許し和解するのが「生長の家」の教えであり、本人が救われる唯一の道だと思っています。

でも、今、現在、犯され続けている「非道な行為(真理から外れた行為)」を容認てしまうということが、
本当の「生長の家」の信仰者の取るべき態度なんでしょうか?ということです。

それとも、本来「悪はない」のだから、そんな「非道な行為もない」と考え、
ひたすら実相礼拝をしつづけるのが正しい信仰者の態度なのでしょうか?


わたしは、そんなことを、三年間考え続けているのです。
そして、いまだ、答えがみつかりません。。

3871a hope:2014/05/01(木) 00:43:39 ID:cEpBaIdo
ところで、みなさま、そんなことを考えている間に、午前零時をまわり、5月1日になってしまいました。
5月になりましたので、第24回web誌友会を終了し、第25回web誌友会を開会させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第25回 web誌友会 案内

期間  5月1日〜5月31日まで
テキスト 「生命の實相」第13巻 倫理篇〈上〉
     

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

3872a hope:2014/05/01(木) 00:44:28 ID:cEpBaIdo

始めにいつものように祈りの言葉を掲載させていただきます。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

みなさま、今月もどうぞよろしくお願いいたします。

3873a hope:2014/05/01(木) 00:57:50 ID:cEpBaIdo

>>3868 曳馬野さま

お久しぶりです。

<<*本流側の偉才・縹さんと、同じく異才・トンチンカンさんを相手に論戦を挑んでおりますが、なかなか勝てそうにありません。>>

そうなのですか?

申しわけありませんが、わたしは時間があまり取れないので、
曳馬野さまと縹さま、トンチンカンさまとのやり取りはほとんど拝見していないのです。

また、【公平なる観察者さん】というのが、どういう方なのかもよくわかりません。

でも、曳馬野さま、ご投稿ありがとうございます。

>>3870にわたしの「公案」について、具体的な例も挙げまして、もう一度説明しましたので、
曳馬野さまのご意見を伺えたらとてもうれしいです。

よろしくお願いいたします。

3874トキ:2014/05/01(木) 20:21:10 ID:JRJ33pmQ
>>3871

a hope 様

 お祈り、ありがとうございます。

 一月の間、みんなで地道に勉強しましょう。
ご覧になられている皆様、どんどん投稿を御願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3875曳馬野:2014/05/02(金) 01:12:05 ID:I/wU8psA
a hopeさん

**「真理において納得いかないこと」に対する、信仰者の態度に関してなんです。

**例えば一例ですが、個人救済することが使命の宗教団体の信仰者が、自分の権力的な立場を利用して、
立場の弱い個人の魂を酷く傷つけ、運命を台無しにしてしまうような真理(神)からかけ離れた行為をしているのに、
そんなに非道な行為であっても「中心帰一」だからと容認してしまうことが、
本当に「生長の家」の信仰者の態度なのだろうか?と疑問に感じるのです。

**最終的には許し和解するのが「生長の家」の教えであり、本人が救われる唯一の道だと思っています。

**でも、今、現在、犯され続けている「非道な行為(真理から外れた行為)」を容認てしまうということが、
本当の「生長の家」の信仰者の取るべき態度なんでしょうか?ということです。

**わたしは、そんなことを、三年間考え続けているのです。
そして、いまだ、答えがみつかりません。。
------------------------------------------------------------------------------------------
三年間考え続けているのに、生長の家で救われたと云う人から答えがないと云うのも寂しいことですね。ご自分が真理とはこういうものだろうと
思うものを心に掴んだものからでは納得がいかない、その例として教団の在り様を挙げているのでしょうか。今現在非道な事が為されていると
貴女が感じているのですよね。貴女は『生命の実相』をひたすら読み続ければ救われると云われました。

私の思うところは、『幸福生活篇』第三章「無碍の大道」p70-p77二行目辺りまでで答えになるのではと思います。
世の中に非道な事があるのでしょうか、されていると思う人は居るでしょうが、生長の家の信徒にして、そのように思うことはさて如何でしょうか。

教団の在り様が正しいと云う立場で言っているのではありません、あくまで真理に生きるとはどのような事かという視点からのものです。

3876a hope:2014/05/02(金) 22:46:33 ID:brQxC10.
>>3875 曳馬野さま

<<私の思うところは、『幸福生活篇』第三章「無碍の大道」p70-p77二行目辺りまでで答えになるのではと思います。>>

とのことでしたので、『幸福生活篇』第三章「無礙の大道」をもう一度拝読してみました。
この箇所はわたしも以前とても感銘を受けていて、赤線をあちこちにひいてあります。

前半部分は「生長の家とは何か」の定義のようなことが書かれていて、
そこのところは以前聖典引用板に謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2678n-


曳馬野さまが、わたしの「公案」の答えになるだろうとご指摘くださった後半部分は、
p75からですが聖典引用板に謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2834n-

とても素晴らしい真理が書かれていると思います。

要するに、全ての出来事を幸福であると見なし、すべてに感謝して生きる生き方ですよね。
これこそが、まことの「生長の家」の生き方なのですね。

そして曳馬野さまがおっしゃるように、当事者の内面的な面からみれば
<<真理に生きるとはどのような事か>>ということの答えになるのだと思います。

ですが、わたしの公案は、『真理に生きるとはどのような事か?』ではなくて、
『「生長の家」の信仰者の取るべき態度とはどのようなものか?』なのです。


ですが、曳馬野さまの

<<ご自分が真理とはこういうものだろうと思うものを心に掴んだものからでは納得がいかない、
その例として教団の在り様を挙げているのでしょうか。
今現在非道な事が為されていると貴女が感じているのですよね。
貴女は『生命の実相』をひたすら読み続ければ救われると云われました。>>


というご発言を何度も拝見していて、「はっ」と気が付きました。

要するに、わたしはもう自分で答えを出しているんですよね!

自分の頭で考えるのではなく、ひたすら聖典を拝読して神想観をして『神意』にしたがい行動すること。

それがまことの「生長の家の信仰者の態度」となるのだと思いました。

それに>>3867でトキさまも、

<<基本は”神意”なんでしょうね。>>

とお答えくださっていましたね!


a hopeは、ますます、聖典のお勉強に意欲が湧いてきました。
曳馬野さま、すばらしいご指導をありがとうございます。

合掌。

3877トキ:2014/05/03(土) 18:37:16 ID:EK75HwoA
>>3875

 これは、難しい問題だと思います。

 ただ、一つ言えるのは、本来、谷口雅春先生が説かれた「生長の家」という教えへの帰依
がポイントだったのに、いつの間にか、「生長の家」という組織への忠誠がポイントにすり
かわったしまった現実があります。もちろん、生長の家という教えを広めるためには、組織
は大事な手段です。しかし、手段と目的が入れ違ったら、おかしくなります。

 今回の騒動で、そういう基本的な部分をみんなが考えるようになったら、それも一つの
前進かもしれません。

3878曳馬野:2014/05/03(土) 19:26:32 ID:I/wU8psA
>>3877

>>本来、谷口雅春先生が説かれた「生長の家」という教えへの帰依がポイントだったのに、

教えへの帰依とはどういうことですか、其の為に無碍の大道に書かれている其の儘の真理を引用したのですが。
文句を言っている人は何処で生きて居ましょうとも、引用の真理を実践しているとは言えないと思いますよ。

>>いつの間にか、「生長の家」という組織への忠誠がポイントにすりかわったしまった現実があります。

私の云う文句の一つですね。

3879a hope:2014/05/05(月) 06:46:50 ID:cEpBaIdo
「児童教育に関する神示」

多くの母親は子供のことを余りに取り越し苦労するために、
かえって子供に悪思念を放送して子供の健康や運命を害している。
ある母親は一瞬間でも自分の眼の前にいないと心配でたまらないのである。
彼は自分の想像の中で、躓(つまず)いて転んでいる自分の子供の姿を思い浮かべる。
自動車にひかれかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。
水に陥って溺れかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。
世の母親よ、何故あなたはこの反対をしては可けないのか。
こんな取り越し苦労が起こるのは、
子供を神の子だと思わないで人間の子だと思うからである。
神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。
人間の子だと思うものは終世、取り越し苦労をして育てねばならぬ。
子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬して出来るだけその世話をさせてはいただくが、
神が守ってい給うと信ずるがゆえに取り越し苦労は必要はないのでる。
人間力で子供を生かしうると思うなら終日終夜起きて子供の番をしておれ。
それはできなかろう。
できない間に子供を生かしているのは神の力である。

感謝 合掌

3880a hope:2014/05/05(月) 06:48:02 ID:cEpBaIdo

わたしの大切な「生長の家」のみなさま

おはようございます!
今日はこどもの日ですね。

今回のweb誌友会のテキスト第13巻には、最初に「本当の教育についての講演」があります。
これは昭和10年三月十五日に、横浜市浦島小学校講堂で全校生徒保護者たちのために
講演したものの筆記であると最後に述べられています。

拝読してみると、当時はまだ「生長の家」は宗教団体ではなくて『光明思想団体』として活動していたのがわかります。

だから、一公立小学校の全保護者に向けて「生長の家の教育について」講演が可能だったのかもしれませんね。

その後、色々な経緯があって、「生長の家」は宗教団体になりましたが、
そんな経過とともに、もちろん利点もたくさんあったのでしょうが、
発現当初のような自由自在さを失ってしまって、枠にはまってしまってきたような気もします。

本来の教えから言えば、教団信徒で出会っても信徒でなくても、「生長の家の教え」「實相哲学」を学ぶもの、信じる者、継承するものは、
全ての人が生長の家人であり、家族なんですよね。

そう思うと、なんだかとてもうれしいですね!

だって、「生長の家」や「谷口雅春先生」は『生長の家教団』だけのものではないのですから・・・
わたしたち、「生長の家」を愛するものみ〜んなのものですね!

みなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしくださいね!!

3881a hope:2014/05/05(月) 06:51:07 ID:cEpBaIdo
>>3880訂正

教団信徒で出会っても信徒でなくても、→教団信徒であっても信徒でなくても、

3882トキ:2014/05/06(火) 21:25:39 ID:027zaSsg
 戦前は、例えば、生長の家の講習会を比叡山や高野山で開催されていました。
それも数日間に渡り開催されていました。たくさんの受講生が来ていたみたいで
す。同志社と言えば、八重の桜で有名なキリスト教の学校ですが、同志社の講堂
でも講演会がなされていました。それだけ尊敬を集めていたのですね。

3883a hope:2014/05/07(水) 01:03:43 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p56 3行目〜

人生の目的とは、要するにこの世に神の生命を顕現することであります。
神がこの世にあらわされた生活を示現することであります。
音楽は音楽家の永遠の生命が、五官に触れる形式であらわされたのであるがごとく、
人生は神の永遠の生命が、五官に触れる形式にあらわれたものでなければならないのです。
完全な意味においては、人間とはひっきょう「神人」でなければならないし、
人生とはひっきょう「神生」でなければならないのであります。

「神」なる「永遠の価値者」と諧和(かいわ)した生活であってこそ、
その人の人生が永遠価値あるものとなるのであります。
「生長の家倫理学」とは要するに、「人生に永遠価値を生きる生活の指導学」ということになるのであります。
それは神の生命がこの世に顕現する道の指導学、神なる「永遠の価値者」を
正しく人生に投映する生活はいかにすべきかの指導精神の解明となるのであります。

3884a hope:2014/05/07(水) 01:06:10 ID:cEpBaIdo

>>3883 a hope所感)

思い返せば、わたしは今までいろんなことを考えながら、疑問に思いながら生きてきました。

「何のために生まれてきたの?」
「なぜ、この両親の子どもなの?」
「なぜわたしは日本人なの?」
「何のために勉強するの?」
「何のために仕事をするの?」
「どうして、人を好きになるの?」
「どうして思いどおりにいかないの?」
「何のために結婚して、子供を生んで、育てるの?」
「いったい本当の幸せってなに?」・・・

そんなことをいつも考えながら、心の中で葛藤しながら、
「人間として生まれて来ちゃったんだから、とりあえずは人並みなことをして生きて行かなくては・・・」
と思って、それなりに人並みなことをして生きてきました。

ですが、聖典「生命の實相」に出会い、わたしは本当に幸せでした。
だってそれを拝読していると、今までのわたしの人生に対するすべての疑問がするすると解決していってしまうのですから・・・。

<<人生の目的とは、要するにこの世に神の生命を顕現することであります。
神がこの世にあらわされた生活を示現することであります。>>

うーん、まだまだ、わたしの私生活は、『神がこの世にあらわされた生活』とはとてもいえませんが、(;´∀`)
人生の目的が明らかになった今、わたしの心はとても落ち着いています。

文中にもありますが、この 倫理篇の『永遠価値の生活学』とは、いい換えると「生長の家倫理学』です。

「倫理」とは、webで調べると、

――――――――

りん‐り 【倫理】

1 人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。「―にもとる行為」「―観」「政治―」
2 「倫理学」の略。

――――――――

とありました。

ということは、この篇をきちんと理解すれば、
どのように行動することが「生長の家」人として守り行うべき道なのかがわかるのだと思います。

とても難しそうですが、ゆっくり、丁寧にお勉強を進めたいと思います。
みなさま、ご参加、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3885a hope:2014/05/07(水) 10:08:43 ID:cEpBaIdo
>>3882 トキさま

生長の家の30年史、40年史なんかにある昔の写真を拝見しますと当時の生長の家がどれだけ勢いがあり、
人々に必要にされていたかがわかります。

「生長の家」教えはむずかしいですが、その真理をちゃんと悟っている雅春先生や、
その他の講師の先生が講演会などでお話になると内容はしっかり理解できなくても、
その波動が人々に伝わり元気になったり、運命が好転したりすることが多々あったのではないかと思います。
だからこそ、人々が集まったのですよね!

「訊け」管理人さまが今、UPしてくださっている榎本恵吾先生のご講話を拝聴していると、
それぞれ講演会のテーマはあるのですが、どのテーマであっても、
同じ真理「実相独在」のみをず〜と繰返しお話されているような印象をもちます。
だからこそ、その説得力がすごいんですよね!

本当に、どんな罪を犯していると自責している人であっても、恵吾先生の講演を聞いたりご指導を受けたりすると、
「歓んでいいんだ、こんなわたしでも、歓んでいいんだ!」心がどんどん軽くなり救われたのだと思います。

「生長の家の運動」は、この「実相独在の悟り」があって初めて成立するものなのではないでしょうか?

中心に「生命の實相」のない運動は人々の心に響かず、なんの影響力ももたないと思います。

3886a hope:2014/05/08(木) 00:11:05 ID:cEpBaIdo
(a hope まとめ)

「生命の實相」第13巻 p56〜63

『古来からの人間の世界観』

○唯物的世界観 とは・・・
この世界は物質と物質の偶然的集合によって成り立つ存在であり、われわれを進歩に導いていく目的意志とか統一知性とかを認めない世界観

(結果)→ 人生に意義はなく、永遠価値もないので、無目的な、生き甲斐の無い、暗中模索的な生活になる(自暴自棄なデカダン生活)


○唯心的世界観(4種類)

① 多元的唯心論(多元的世界観)とは・・・
宇宙のいろいろの神を認めて、おのおのの神が、おのおのの目的意志をもって、おのおのバラバラに世界の各部各部を支配しているという世界観

(結果)→ 宗教争いが起こる


②二元的唯心論(二元的世界観)とは ・・・
世界を支配している「心的存在」に、悪魔と神、悪と善との二大潮流がある事を認め、それが対立していると認める世界観
(現今の多くのキリスト教信者の抱く世界観)

(結果)→ 悪は戦って克服しなければならないとか、人間は苦しむことが必要で、苦痛により進化する、などという自己虐待のような病的人生観が生まれる


③一元的唯心世界観とは・・・
二つ以上の相争う意思がなく、世界全体が一つの心に支配されている、という調和ある世界観
(生長の家の唯神実相哲学、万教帰一の教え  一神展開して多神を生ずる日本神道の世界観)

(結果)→ 実相世界の顕現、地上天国の実現


④不完全な一元的唯心世界観 ・・・
「一個の天地を貫く力」は認めるが、それは「盲目的意志」でありとするショーペンハウエルのような世界観

(結果)→ 不完全な世界の成立を予想するため、「念の具象化する法則」によりその人の人生観が厭世的になり、現実生活が不幸になり、病気や貧困が具象化する


↑ 間違いがあれば、ご指摘、ご指導をよろしくお願いいたします。

3887a hope:2014/05/08(木) 00:14:37 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻 p59 後ろから3行目〜

何宗の信者でも、本当の生命を把(塚)んでいる人の宗教は生きているし、同じ名前の宗教でも、形骸や名称だけを摑んで、本源真実の生命を摑んでいない人の宗教は、死んでいるのであります。そこで松の木やいろいろの樹木がある、何々教の神やいろいろの神がある、それが離れ離れに勝手にほしいままに生きており、勢力を主張している――こういうように観るのが多元的唯心論でありまして、一つの生命と他の生命とが勢力を争い、一つの宗教と他の宗教とが勢力を争っているのであります。世界を支配する「心的支配者」はみとめるが、その「心的支配者」が複数であって一つに統一されなていないのであります。それを一つに統一する本源真実の生命を認め、松の木も梅の木も同時に認めながら、キリスト教も神道諸派も仏教諸宗も同時に認めながら、それを生かしている一つの本源真実の生命を認めしめるのが「生長の家」であります。


(a hope 所感)

<<何宗の信者でも、本当の生命を把(つか)んでいる人の宗教は生きているし、同じ名前の宗教でも、形骸や名称だけを摑んで、本源真実の生命を摑んでいない人の宗教は、死んでいるのであります。>>

「本当の生命」、「本源真実の生命」とは明らかに「生命の實相」のことですね。
いい換えると、

<<生長の家の信徒でも、「生命の實相」を把んでいる人の宗教は生きているし、同じ「生長の家」という名前の宗教でも、その形骸や名称だけを摑んでいる人の宗教は、死んでいる>>

となりますね。

雅春先生の言葉(神さま)のお言葉ですが、なんか、とってもシビアな批評に感じてしまうのはわたしだけでしょうか・・・?

3889a hope:2014/05/08(木) 09:48:14 ID:cEpBaIdo
>>

3890a hope:2014/05/08(木) 09:51:46 ID:cEpBaIdo
>>3887 訂正

把(塚)んでいる人→把(つか)んでいる人
雅春先生の言葉(神さま)のお言葉ですが、→雅春先生(神さま)のお言葉ですが、

誤字等多くすみません。気を付けます。

3891a hope:2014/05/08(木) 22:40:44 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻 p62 2行目〜

こういうふうな多元的唯心世界観や、神や悪魔との対立する二元的唯心世界観は、世界を支配する意志が複数にあって、それらが互いに和協統一していないことを認めるのでありますから、かかる世界観を抱く人々は「われ欲する」と「彼欲する」との間に矛盾衝突があることを想定し、その矛盾衝突を克服してゆくためには苦痛困難の来ることを予想し、予想するものは皆来るの「心の法則」によって、彼の人生には苦痛困難が具象化してくるのであります。

だから世界観や人生観などは、哲学者のもてあそぶ閑人の閑事業で、忙しいわれわれにはなんの用事もないと思っていられますと大変なまちがいでありまして、遮二無二多忙に立ち働いたからとて、その人の人生が必ずしも幸福になるものではなく、正しい世界観、人生観が確立していなければかえって苦難を呼び迎えるような働き方にもなりますので、することなすこと不幸な結果を招くようになる人々は、必ずやその人の世界観人生観が正しくないからでありますから、まず世界観人生観の方向転換をしておいて働き出すということにすれば、その人の働きが幸福を現実に持ち来すような結果になるのであります。

いくら走っても方向がまちがっていては目的地に達しないのと同じように、働くばかりが目的を達するゆえんではない、まず世界観人生観の方向転換が緊急事なのであります。

3892a hope:2014/05/08(木) 22:45:08 ID:cEpBaIdo
(a hope所感)

<<いくら走っても方向がまちがっていては目的地に達しないのと同じように、
働くばかりが目的を達するゆえんではない、まず世界観人生観の方向転換が緊急事なのであります。>>

雅春先生は、世界観人生観の方向転換が緊急事だとおっしゃっています。

「生長の家」の運動であっても、この世界観、つまりは立ち位置を間違ってしまうと、
世界暗黒化運動となってしまうのだと思います。

現象世界での運動にしても、わたしたち「生長の家」人は常に実相世界の完全円満さを信じながら、
愛念をもって行動しなければいけないのだと思います。

「地区会員」板 >1197のトキさまのお話では、最近の生長の家は「このままでは地球は滅びる」と言っているそうですが本当ですか?

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1345969132/1197


わたしも訊商業さま同様、「地球が滅びるはずがない」と信じています。

「生長の家」の信徒がそんな恐ろしいことを予想して、その対応のために環境保護運動をしていたら、
それは光明化運動ではなくて、世界暗黒化運動になってしまいます。

「生長の家」の教えを信仰していれば、常に「美しくて優しい地球」に感謝しているはずですから、
そのままで、無理なく地球環境にさやしい生活が実現していくのだと思います。

「生長の家」教団のする環境保護の運動は、現象の悲惨さに対応していくような運動ではなくて、
「美しくて優しい地球」への感謝を中心とした信徒の自発的な運動であってほしいです。

3893トキ:2014/05/09(金) 10:04:07 ID:2noOJG2s
a hope様

 ご投稿、ありがとうございます。

 最近の生長の家が好きなのは、国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)
第2作業部会の最新報告書です。この報告書は、このままでは、今世紀末までに世界
全体で年鑑最大148兆円の損失が世界規模で起こるとかで、他にも、これでもか、
これでもか、という恐ろしい内容が書いてあります。総裁御自身は「地球が滅びる」
という表現は使われていないですが、このようなご指導を受けた幹部は、「地球が
滅びる」という表現をしている人が複数おられます。

3894a hope:2014/05/09(金) 11:16:05 ID:cEpBaIdo
>>3893 トキさま

そうなのですか!
そんな恐ろしい内容なのですか!!

テキストのp63の後ろから6行目〜

『だから、われらの把持する世界観人生観は、それは世界の支配者が唯心的一元であるというだけでは、
健全なというはできないのでありまして、その唯心的一元が、無限に完全な知恵と愛と能力と調和を備えている
大知恵大愛大能力者なる神であって、世界はこの無限に完全なる神によって支配され動かされているゆえに、
不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観になってこなければ健全な世界観にならないのであります。』

と書いてありますよ!!!


<<総裁御自身は「地球が滅びる」という表現は使われていないですが、
このようなご指導を受けた幹部は、「地球が滅びる」という表現をしている人が複数おられます。 >>

雅宣総裁は、この『「生長の家」式唯神実相世界観』を理解されていないはずがありませんから、
「地球が滅びる」という表現は、口がさけてもされないと思います。
その報告書は、あくまでも、資料の一部として啓示されただけなのではないでしょうか?

となると、雅宣総裁のご指導を、幹部の方々が間違って理解されている可能性がありますね。

でも、「生長の家」幹部の方でしたら、「聖典」をちゃんとお勉強されているはずですから、
「念の具象化する法則」を知らないはずはありませんのに、どうしてそのような発言をされるのでしょう・・・。

『世界はこの無限に完全なる神によって支配され動かされているゆえに、
不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観になってこなければ健全な世界観にならないのであります。』

教団は、現象の暗黒面を見て環境運動に取り組むことをやめて、この「生長の家」式唯神実相世界観に立って運動しなければ、
まことの生長の家の運動とは言えませんよね。

それにトキさまや訊商業さまも危惧されていますが、わたしもそのような指導の仕方は、一宗教の指導としても健全であるとは思いません。

3895a hope:2014/05/09(金) 11:47:43 ID:cEpBaIdo
>>3894 訂正

資料の一部として【啓示】 → 、資料の一部として【掲示】

3896トキ:2014/05/10(土) 20:14:00 ID:ZEoPpauM
 以前、聞いた話ですが、ブラジルなどは、移民された一世の方は、日本の仏教や神道を
信仰するが、二世や三世になると、キリスト教を信仰する人が多く、従来は、家庭内で
信仰の争いが起きていたみたいです。しかし、生長の家の信仰が広まると、仏教でも神道
でもキリスト教でも実は同じであることがわかり、家庭内が円満になったという話を聞き
ました。

 さらに言うと、キリスト教でも、現在のキリスト教と過去のキリストが説いた教えとの
間に齟齬があるのはわかっています。有名な死海文書などがそうですが、過去の文献が
最近、次々と発見され、当時のキリストの教えがわかってきました。それを見ると、実は
谷口雅春先生が説かれている教えとほぼ同じみたいな感想を持っています。

 親鸞上人について、これは出典の本を失念したのですが、最近、親鸞上人の蔵書を調べて
いると、「景教」の文献があったそうです。これは、中国に伝わったキリスト教の事です。

 これらの事を総合すると、谷口雅春先生の説かれた事は、歴史的にも、また現在の世界
情勢にも適合すると考えています。

3897曳馬野:2014/05/11(日) 10:09:28 ID:I/wU8psA
a hopeさん

●『世界はこの無限に完全なる神によって支配され動かされているゆえに、
 不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観になってこなければ健全な世界観にならないのであります。』

●教団は、現象の暗黒面を見て環境運動に取り組むことをやめて、この「生長の家」式唯神実相世界観に立って運動しなければ、
 まことの生長の家の運動とは言えませんよね。

○【教団は、現象の暗黒面を見て環境運動に取り組むことをやめて】と思うことが
 【不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観】で見ていることになるのですか?

○ イタイイタイ病、足尾銅山鉱毒事件、水俣病、カネミ油症事件、四日市公害、貴女がこれらの地域で関係被害者であったとしまして、
  【不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観】に立つとは、どのように生きていきますか?

3898a hope:2014/05/11(日) 11:27:49 ID:cEpBaIdo
>>3897 曳馬野さま

素晴らしい問いかけをありがとうございます。合掌。

わたしは現在、「生長の家」の「唯神実相哲学」をまさにお勉強中の身ですから、
曳馬野さまのようなご質問があると、さらに深く考える事ができるのでほんとうにありがたいです。

今、現在のわたしの思うことを素直にお答えしたいと思います。

○【教団は、現象の暗黒面を見て環境運動に取り組むことをやめて】と思うことが
 【不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観】で見ていることになるのですか?

( a hope 答え) 
はい そのつもりです。

○ イタイイタイ病、足尾銅山鉱毒事件、水俣病、カネミ油症事件、四日市公害、貴女がこれらの地域で関係被害者であったとしまして、
  【不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観】に立つとは、どのように生きていきますか?

(a hope 答え) 
どんな現状であっても、全てに感謝して生きていけたらいいなと思います。
ですが、実際に公害被害に遭われた方々は本当にお気の毒だと感じます。
本当の「生長の家」の教えを伝道して救ってあげたいと思います。

3899曳馬野:2014/05/11(日) 13:06:58 ID:I/wU8psA

a hopeさん

【現象の暗黒面を見て環境運動に取り組むこと】をしたことにより、タイイタイ病、足尾銅山鉱毒事件、水俣病、四日市公害、とうの
原因が企業の垂れ流しにあったことが分かり、昭和45年ごろの水質汚濁防止法、大気汚濁防止法やらの公害防止になったのです。

(a hope 答え) 
どんな現状であっても、全てに感謝して生きていけたらいいなと思います。ですが、実際に公害被害に遭われた方々は本当にお気の毒だと感じます。
本当の「生長の家」の教えを伝道して救ってあげたいと思います。

この答えですと、垂れ流しの企業の生き方と、被害にあった人の生き方の両方についてのものになっていないように思いますが如何ですか。
無限の繁栄の裏側に、犠牲になった人がいた。その人たちを真理を伝えることにより救うとはどのようなことですか?
【どんな現状であっても、全てに感謝して生きていけたらいいなと思います】ということですと企業の責任は問わずと聞こえるのですが。

これを教団の在り様を虚説に基づくとして非難する事により、生長の家の環境をきれいにしようとする事の整合性が分かりません。

3900a hope:2014/05/11(日) 14:19:32 ID:cEpBaIdo

>>3899 曳馬野さま


<<この答えですと、垂れ流しの企業の生き方と、被害にあった人の生き方の両方についてのものになっていないように思いますが如何ですか。
無限の繁栄の裏側に、犠牲になった人がいた。その人たちを真理を伝えることにより救うとはどのようなことですか?>>

「生長の家」の教えでは、『現象は本来ない』『現象は影である』ですから、
その真理から言えば、現象世界における無限の繁栄など影であり、犠牲になった人などもいないということになります。

本来、実相(神)しかないわけですから、その実相(神)の心が呼び起されれば、現象(影の世界)も変わるのだと思います。

その真理をお伝して、人々を救済するのが「生長の家」の使命なのだと思うのです。



<<【どんな現状であっても、全てに感謝して生きていけたらいいなと思います】ということですと企業の責任は問わずと聞こえるのですが。>>

わたしは、あくまでも、「生長の家」の「生長の家」式唯神実相世界観の立場から考えて発言しています。

現象世界の企業の責任問題を追及するのは、「生長の家」の役割(使命)なのでしょうか?


<<これを教団の在り様を虚説に基づくとして非難する事により、生長の家の環境をきれいにしようとする事の整合性が分かりません。>>


ですから、もし、経団の考え方(在り様)が現象人間の環境を破壊した罪を認めてしまっていて、
その償い(対策)として環境保護運動をしているのであれば、それは物質(破壊された環境)も、人間の罪も認めた運動ということになってしまいます。

「生長の家」の教えは「物質なし」「罪なし」が教義の基本です。

だから、わたしは、もし、現教団が上記のようなお考え(立ち位置)で環境保護運動をされているのであれば、
それは、「生長の家」の教えからみれば間違った運動方針(虚説?)なのではないかと感じてしまうのです。

誤解して欲しくないのは、わたし自身は「環境保護運動」には大賛成なのです。

問題は、それが「生長の家」式唯神実相世界観の立場からのものでないといけないのではないかと思っているのです。

曳馬野さま、これがは今のわたしにできる精一杯のお答えです。
わたしは、完全に「生長の家の唯神実相」を悟ったわけではないので、これ以上のお返事は無理だと思います。

ご理解いただけるとうれしいです。

また、こちらをご覧のみなさま、ご意見をいただけるとさらにお勉強になると思います。

よろしくお願いいたします。

感謝 合掌。

3901曳馬野:2014/05/11(日) 17:07:31 ID:I/wU8psA


●「生長の家」の教えでは、『現象は本来ない』『現象は影である』ですから、
 その真理から言えば、現象世界における無限の繁栄など影であり、犠牲になった人などもいないということになります。

○実相はまことに無相なり。真に甚大久遠なり。これを夢想という。実に月潭底を穿って水に迹なし、昔ながらに。看よ看よ。
 有りと見て無きは常なり水の月。無しと見て有るは常なり水の月。全く 夢の世を夢の世じゃとて怨にすな、夢の世ばかり己が世なれば

と云った人がいます。

●現象世界の企業の責任問題を追及するのは、「生長の家」の役割(使命)なのでしょうか?
 物質(破壊された環境)も、人間の罪も認めた運動ということになってしまいます。

○みんながみな環境を支配できる心の持ち主ではないので、政治という形で環境を整備する必要があるとは、生命の実相の一巻にある言葉
 ではないですか。環境が破壊されたと思うことと、病気で困ると思うことは実相を観ないことによる、として見方を変えてもらい、その結果
 環境を望ましいものに変えることが、生長の家の本義という事でしょうか。環境破壊が人間によって為された時、そこに罪有として憎みとか、
 怒りの心を持つのでなく、過っての公害が罪の意識失くして、知らずして起こされた罪は重いと云うものとして、その解消をしていくことが
 必要ではないですか。

病人が居なければ病気治しはいらない、環境が東洋の神秘と云われた昔の日本であれば、環境運動もいらない、経済優先で環境破壊をする人が
居なければ、今の運動もいらない。
【本来、実相(神)しかないわけですから、その実相(神)の心が呼び起されれば、現象(影の世界)も変わるのだと思います。】
と云われるその心を忘れ、儲け主義に走っている結果の環境破壊ではありませんか。

精神疾患の人が増え、子供を産むことさえできなくて少子化という。人間個人の心も、環境を動かす心も二つあるものでないと思うのです。
個人の心が正常に働くことと、環境を美しく維持していく心とは、同じではないでしょうか。そういうことで、個人救済を主にする本流もよし、
環境と云うより大きにものに、心を向うことにより個に執着する心を離れる教団もよし、其処にいがみ合いの心を持ち込むことがいけないのでは
ないですか。誠の心を生かしさえすれば生きる様子はどの様でも好いのでは。

こたえは結構ですよ、私の独り言、つぶやきです。  ごきげんよう ahopeさん

3902a hope:2014/05/11(日) 18:01:18 ID:brQxC10.
「生命の實相」第13巻 p64、65

物質の法則は神の法則か

(まとめ)

○「『物質の法則』も『愛の法則』も神の法則である」とする考え方
※物質の法則・・・ 神は物質世界も創造したとの考え方(物質ありの考え方)

(結果)→『物質の法則』は『愛の法則』に打ち勝つので、地上には天国も理想世界もない、ただ薄情な、巧者に物質の法則を立ち回るものが勝利を得るという不合理な世界になってしまう

(例)
1、溺れている子を助けるという愛の行為をした人が肺炎にかかって死ぬ
2、肺病を看護した人が、肺病に伝染して自分が先に死ぬ


○「物質の法則は本来無い、『愛の法則』のみが神の法則である」とする考え方
※物質の法則は神の法則ではなく『念の具象化の法則』である

(結果)→ 愛の行為が人間を肺炎にしたり結核にしたりするようなことは断じてない、という自覚に到達し、まっしぐらに愛行の中に飛び込める

(例)
1、寒中、水中に飛び込めば風邪を引くと思う人は風邪を引き、そういう『念』をもたない人は風邪を引かない
2、結核菌にふれると肺病になるという『念』をもっている人は肺病になるが、そういう『念』をもたない人は結核菌に触れても一向に病気にならない

3903a hope:2014/05/11(日) 18:03:00 ID:cEpBaIdo
>>3902 a hope所感)

この「物質の法則は本来無い、『愛の法則』のみが神の法則である」とわたしがテキスト内の文章をまとめた言葉は、
即ち「生長の家」式唯神実相世界観と同義になるのだと思います。

曳馬野さまの>>3901の「おひとりごと」にはお返事を控えさせていただきますが、
この世界観が人類に確立されれば、たとえ、公害にあっても発病しなくなるでしょうし、
発病した人も治癒するでしょうし、それ以前に公害すらも起らない、自然破壊すらも起らない、
という理想世界が実現するのだと思います。

「生長の家」の人類光明化運動とは、この「生長の家」式唯神実相世界観を人々に知らしめることなのではないでしょうか?
そうとしか、今のわたしには考えらませんが・・・。


雅春先生この唯神実相をまことに悟られていて、その世界観から現象世界を見つめられました。
だから、現象世界の運動をされてもそこに何の矛盾も生じなかったのだと思います。

雅春先生のいらっしゃらない今、わたしたちがすべきことは、まずは聖典「生命の實相」を真剣にお勉強してその世界観に立つことだと思うのです。

すべての「生長の家」の運動は、そこから出発しないと本物ではないような気がしています。

3904トキ:2014/05/12(月) 01:02:16 ID:Ug6wWcqQ
>>3903

a hope様

 私もご意見に賛成です。と、言うよりも、現実にやってみて、どちらの考え方が成果を
出しているか、明白だと思います。

3905a hope:2014/05/13(火) 07:47:36 ID:cEpBaIdo
>>3904 トキさま

賛成コメントをありがとうございます。 合掌。


みなさま おはようございます。

今、わたしはテキストである「生命の實相」第13巻のp66〜76を何度も拝読しなおしています。

そこには、「生長の家」式唯神実相的世界観とはどういう世界観なのかが、とても詳しく述べられているのですが、
その真理は余りにも深く、究極的で、超人的な内容なのでa hopeはどう所感をのべていいのかわからないのです。

また、わたしが適当な言葉でまとめてしまうことにとても抵抗を感じるので、
時間がかかるかもしれませんが、聖典引用板に前文謹写させていただきたいと思います。


感謝 合掌。

3906a hope:2014/05/13(火) 22:29:21 ID:cEpBaIdo

テキスト第13巻 p66〜67

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2841

(a hope 赤線部分)

『ところが、われわれが外界にも生きて行く上に「善」を※云為(うんい)し、魂が一種の善(ただ)しさを要求し、
「善」とか、「人道」とか、「愛」とか、「※憐憫」とかいうものに関心をもたずにいられないというのは、
自己の存在の根底において、われわれは内界において自由であるとともに、
外界においても自由であるとの根本自覚をもっているからであります。』

※云為・・・言ったり、したりすること。言葉と動作。
※憐憫・・・いとしく思って憐れむこと。


『われわれはいっさいのものを外界をも完全に支配する自由を与えられているのであります。』


『だから、人の世に内外両面、主客相(あい)貫いた「善」というものの価値と権威を確立するには、
心の自由は同時に行為の自由であり、心に描かれたことは必ず客観世界にも実現する、
心の世界と客観世界とはただ一つのものの両面である――客観世界は心の世界の影であるという、
「生長の家」の※所説に基づいてこなければならない。
※倫理学は要するに、「生長の家」に来なければ主客両面、内外相(あい)貫いた
その本当の根拠がつかめないということになるのであります。』

※所説・・・主張している事柄。述べている意見。
※倫理学・・・善悪の標準や行為・欲求の規範など道徳一般を研究する学問。

(※は頭注より)

3907a hope:2014/05/14(水) 22:12:29 ID:cEpBaIdo

テキスト第13巻p67〜71

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2844

(a hope 赤線部分)

『唯一の「善」は神のみである。
ということであります。「善(グッド)」は「神(ゴッド)」の別名なのであります。
「神」のいます処、そこに、「善」があり、「神」のいまさない処、そこに「善」がないということになるのであります。』

『自と他と、我と彼と、心と物と相離れているように見えますけれども、実は相離れているのではない、
本来、自他一体なのであります。神を愛するには、神と、神より出でたるものすべてを愛さなければならない。』

『「神は愛である」とは、『ヨハネ第一書』以来今日にいたるまで、神について下された最も要領を得た定義であります。
では愛とは?「おのれのごとく隣人を愛すべし」何故(なにゆえ)であるか。
答えて曰く、神はすべての親であるから、自己と他とは一体であるから、その答えは大いによろしい。
自他包容の渾一体(こんいったい)――すなわち「自他一体」そのものが神なのであります。
自他一体を生きるということが神を生きるということ、神をこの世に顕現することであります。』

『自他一体を生きることが神を生きることになるのでありますから、軽くいえば自己のごとく他を愛する。
いっそう切実にいえば自己そのものとして他を愛することが、神を生きることになるのでありまして、
「神を生きる」すなわち永遠価値の生活を生きることは「愛」を生きることにほかならないのであります。 』



(a hope所感・・・少しだけ)

これが「生長の家の愛」すなわち「自他一体の自覚」ですね。

<<神を愛するには、神と、神より出でたるものすべてを愛さなければならない。>>
<<自己そのものとして他を愛することが、神を生きることになるのでありまして、
「神を生きる」すなわち永遠価値の生活を生きることは「愛」を生きることにほかならないのであります。>>


これこそ、まことの「実相礼拝」なのではないかと思いました。
それにしても、すごい真理ですね!!

3908a hope:2014/05/15(木) 10:23:17 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます!

最近、yahoo検索で「中絶」と検索すると、大熊先生の「いのちを守る親の会」の公式ブログが第1ページに表示されます。
そこで表示されるのは、「胎児を殺さないで」というメッセージのついた、衝撃的な中絶画像です。
わたし自身は、そのショッキングな写真の数々を、正視することはできません。

そして、正直に言えば、いくら「ちいさな命を守る」ためだとはいえあのような画像を一般に公開して、
妊婦に罪の意識を起こさせるようなやり方が本当に光明化運動につながるのであろうか・・・と疑問に思っていました。

ですが、今日の同じブログの記事を拝見して大熊先生の本意をやっと理解できました。

http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/MYBLOG/yblog.html

大熊先生の「ちいさな命を守る運動」が「赤ちゃんを殺さないで」運動ではなく、
「お母さん産んでくれてありがとう」運動であるのは、それがまことの「光明思想」から生まれたの運動だからなんですね!


大熊先生は、日本国内で年間100万といわれるいう胎児が中絶されているという現実に慈悲の心を起こされて立ち上がられました。
そして、「生長の家の愛」「自他一体の自覚」に立たれて、それこそ、命がけで「ちいさな命を守る」運動をされています。

これは、谷口雅春先生が、人類光明化運動に立ち上がれた時とソックリです。


わたしは大熊先生はまことに「唯神実相」を悟られているのだと確信しています。
こちらの大熊先生のブログを拝見すると、人類光明化への情熱が伝わってきてパワーをもらえますよ!


http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/folder/172638.html

3909a hope:2014/05/15(木) 20:41:53 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p71〜72

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2846

(a hope 赤線部分)

<<「神は愛なり」とは、神は万物の本源でありますから、「神はすべてのものを自己そのものとして観給う」
――これが「神は愛なり」という意義であります。>>


<<「われわが子を愛す」といえば、「われそのものとして観る」ということであります。
子を愛する母は、わが子の噛んだものを口移しに食べても「穢(きたな)い」と感じない、
それはわが子をわれそのものとして観るからであります。
「穢い」などという感じ、すべての軽蔑の感じは自と他と相疎隔した感じによって起るのであります。>>

<<「美とはそこに生命があらわれていることである」と『智慧の言葉』にありますが、
ある種の美術はちょっと見るとどこが美しいのかわからない、
じっと見ていると美しさがわかってくる、それはその美術に顕れている「生命」を見いだし、
その「生命」を自分の「生命」と同じものとして感じる、
すなわち自他一体の感じを受けるから「美しい」と感ずるのであります。
だから「美」も「愛」も「生長の家」から観れば同じことでありまして、
自己と同じ生命を見出すとき、そこに美を感じ愛を観ずるのであります。 >>

3910トキ:2014/05/15(木) 22:15:39 ID:5KIvbXvk
>>3905

 ありがとうございます。続きを楽しみにしております。

3911a hope:2014/05/16(金) 10:29:13 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p73〜76

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2849n-

(a hope 赤線部分)

<<では「神を愛する」とはなんであるかと申しますと、
「愛する」とは自己と一体として認めることであるという一般定義に従いますと、
「神を愛する」とは神と一体であると認めることをもって第一とするのであります。

妻を愛するとは妻と一体であると認めること、子を愛するとは子と一体であると認めること、
隣人を愛するとは隣人と一体であると認めること、この「一体であると認める」すなわち愛するということが第一であって
いろいろの律法――「殺すなかれ」とか、「盗むなかれ」とか「姦淫するなかれ」とか、「偽りの誓いを立つるなかれ」
とかいういろいろの外形的な細目は、「神と一体であると認める」(すなわち「神を愛する」)という中心自覚とがととのえば
自然にととのってくることなのであります。>>


(a hope 所感t)

ここに、「中心自覚」という言葉がでてきました。
また、後半部分には「中心善」という言葉も出てきます。

この二つのことばは a hopeの解釈ではほぼ同義になると思いますが、
要するに、「中心自覚がととのえば、おのずと中心善もととのう」ということなのだと思います。
その説明が、上の抜粋分に詳しくされていますね。

『いろいろの律法――「殺すなかれ」とか、「盗むなかれ」とか「姦淫するなかれ」とか、「偽りの誓いを立つるなかれ」
とかいういろいろの外形的な細目は、「神と一体であると認める」(すなわち「神を愛する」)という中心自覚とがととのえば
自然にととのってくることなのであります。』

生長の家の教えでは「罪なし」「悪なし」ですから「生長の家」を信仰しているものが、
「罪」や「悪」を認めてしまえば「生長の家」からみれば、それが「虚説」となるのだと思います。

わたしたち、「生長の家」人には、そんな人々の罪を認め、罰するような考え方や法律は全く必要ありませんね。

だって、すべての善き行い(善)は『「神と一体であると認める」(すなわち「神を愛する」)という中心自覚とがととのえば
自然にととのってくる』わけですから・・・

そして、これが、人類光明化運動の基本なんだと思います。

ほんとうにありがたい教えだと思います。
a hopeは、この「生長の家の教え」に出会えたことに、いつも、心から感謝しています。

合掌。

3912a hope:2014/05/16(金) 23:16:10 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは。

a hopeは、今夜からテキスト13巻の第二章に進みたいと思います。

第一章では、「人間の世界観」、「念の具象化の法則」、「自他一体の真理」等を勉強することで、
「生長の家」式唯神実相世界観がどのようなものなのであるかをよく理解できました。

この後の二章から五章までは、主に「神性隠蔽」について書かれているようです。

見方を変えれば「神性隠蔽」とは、第一章で学んできた「生長の家」式唯神実相世界観に立つことを阻害するような考え方、見解であるともいえると思います。

それはいったいどのような考え方、見解であるのかということが、第一の神性隠蔽、第二の神性隠蔽、第三の神性隠蔽、第四の神性隠蔽、
というように、このテキストに順を追って詳しく説明されています。

第五章「実相を隠蔽する驕慢と自卑」の冒頭に、二章から四章までの内容のまとめ的な文章があるので、
まず最初にその個所を聖典引用板に謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2854

みなさま、a hopeは名前の通りほんとにアホみたいな普通の主婦なんですが、「生命の實相」が大好きなんです。
だから、ここで「生命の實相」をお勉強させていただけるのはとても幸せなのですが、なんか、みなさまの反応が少ないのが少々気になります。

それに、a hopeの「生長の家」というか、「生命の實相」信仰歴はまだ4年目に入ったばかりです。
だから、まとめ方や所感、解釈等におかしなところもあるのではないかと思うのです。
ですから、間違いがあればぜひ、ご指摘、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。


ところで、今回のこのテキスト13巻14巻には、今の「生長の家」全体の問題を解決する重要な内容がいくつも含まれているような気がします。

わたしたち信徒がこの「生命の實相」のお勉強がおろそかにしているから、現在の「生長の家」がこのような有様になってしまったのだと思うのです。


テキスト p125

『「自他一体」の事実が悟れないゆえに、利己主義が生じ、利己主義が、「物あり」という迷いと混合して、
貪欲、怒り、憎み、嫉妬、虚栄などの諸罪を構成するのであります。』


みなさま、このテキストをお勉強してこの「自他一体」の事実を悟れば、全ての悪感情はなくなるようですね。

そうすれば、病気が治ったり、家計が楽になったり、商売がうまくいったり、人間関係が改善されたり・・・と、
かつての生長の家で奇蹟と呼ばれたようなことが必ず起こると思います。
(でも、本当は当たり前【本来の姿】に戻ることなんですよね!)

みなさま、a hopeと一緒に、ここで聖典「生命の實相」をお勉強して奇蹟を起こしていきましょう!!

3914a hope:2014/05/17(土) 21:47:59 ID:brQxC10.
(a hope まとめ)p77〜

第一の神性隠蔽 とは・・・「神我一体」の実相を包んで見ざること  

【第一の神性隠蔽についての仏教的見解】
「浄土は毀(やぶ)れざるに、しかも衆(ひとびと)は焼け尽きて憂怖(うふ)諸々(もろもろ)の苦悩のことごとく充満せりと見る」(『法華経』「寿量品」)

【第一の神性隠蔽についてのキリスト教的見解】
実相の天地はすでに造られ、山野の果樹野菜はすでに繁茂し、すでに実相の人間は神の像(すがた)として完全に造られたるに(『創世記』第一章)
国土にはなお植物生ぜず、人間造られず、やがて人間は土の塵にて不完全に造られ、蛇の知恵に騙され、エデンの園を追い出され、労苦して、本来土の塵(ちり)に帰す(『創世記』第二章) アダムの原罪

【第一の神性隠蔽についての生長の家の万教帰一的見解】
「実相人間」から「仮相人間」への墜落、「本物の人間」から「ニセ物の人間」への墜落。
「実相人間」は本来、壊せず、毀(やぶ)れず、墜落せず、今も実相常楽の国土に、悠々歓びの創造を続けているにもかかわらず、夢のごとく、幻のごとく、物質の人間ありと観、土の塵にて造られたる人間ありと観ている。
だから、『法華経』と『創世記』は同じことが書いてある。


○実相の国土(「神の国」)・・・確実にあるもの。生滅増減しない。全部完全に儼存(げんぞん)する。

●現象世界・・・自分の念をもって賦彩(いろづ)けし投影した状態を見たもの。念に従って、生滅増減する。本来無いもの。

3915a hope:2014/05/17(土) 21:49:06 ID:cEpBaIdo
(a hope まとめ)p80 6行目〜 p81 2行目

第一の神性隠蔽 = 最初の迷い「包み」(罪)【アダムの原罪】 とはどのような見解をすることか・・・ 

1、 霊的実在を包み隠して、物質的存在と観る
2、 霊的人間の実相を包み隠して物質人間と観る
3、 神の国を現世の次に来る世界と観る
4、 「神の国」を今すでにある永遠無辺の世界だと観ず、吾人の物質的存在が終わらなければ「神の国」へ誕生できないと観る
5、 「神なる人間」を久遠常住の存在だと悟らない


以下、テキストを謹写  p80 後から 5行目〜

<<この原罪(第一の神性隠蔽)によって、人間をば「土の塵」――すなわち「物質的肉体だ」と観じ、世界をば物質的存在だと観じ、
自己を物質的存在だと見る限り、肉体は各人互に離れ離れのものでありますから、そこに利己主義の萌芽を顕わし、
物質は一見有限のものでありますから、与えれば減るの観念を増長せしめ、争闘、劫掠(ごうりゃく)、奪い合いを現出するにいたったのであります。

ここに「実相の『神の子・人間』は争闘、劫掠、奪い合いを現にしていないのに、現象人間は争闘、劫掠、奪い合いをなせる有様を現している」というふうになってきているのであります。>>

3916a hope:2014/05/18(日) 10:21:22 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

テキストp81〜 は、主に、現代のキリスト教の問題に言及していて、
その原因がキリスト(神)を肉体イエスに見いだそうとする「偶像崇拝」によるものであると、
述べられています。

<<キリスト教では形あるものを崇拝することを偶像崇拝といって、非常に軽蔑して忌み嫌うのでありますが、
「永遠の神性」を礼拝の対象にせず、二千年前ユダヤに生まれた肉体イエスを通さねば救われないなどと、
肉体を礼拝の対象にしているなどは、みずから忌み嫌う偶像崇拝に陥っていることになるのであります。
こうして「永遠神性(かみそのもの)」に背を向け顔をそむけて、ある特定の肉体を崇拝の的にすることは神の実相を見ざるもの、
本当の神を「自己の迷い」をもって包み隠せるはなはなしき罪なのであります。>>


この現象世界だけが唯一の実在であり、その世界の出来事だけが事実である信じている人間であれば、
自分自身に「永遠の神性」が宿っていて、自分自身が「神」そのものであるなんてことは、
絶対に受け入れられない事実だと思うのです。

だって、一肉体人間の力なんて、宇宙全体の壮大さから考えれば蟻粒よりももっと小さいですものね。
特に、実際に、人生で絶望感を一度でも味わった人ならば、
何か別の偉大な力に頼りたいと思うのはあたりまえの心情だとも思うのです。
だから、偶像崇拝のようなことが起きてしまうのですね。


本来の「生長の家の教え」はそんなんではないですよね?


ですが、わたしはどうもテキストのここら辺を拝読していると、
「生長の家」人であっても『「谷口雅春先生」を超えられるような偉大な人物はいない!』
などというふうに考えてしまうことは、この「偶像崇拝」なのではないかと感じてしまうのですが・・・。
それとも、これは、わたしが増上慢なのでしょうか?

P82 5行目の 「宗教争いは偶像崇拝より起こる」を、聖典引用板に謹写させていただきました。

みなさな、ご意見、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3917a hope:2014/05/18(日) 10:26:19 ID:cEpBaIdo
>>3916 追記

「生命の實相」第13巻 P82  「宗教争いは偶像崇拝より起こる」

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2855

3918a hope:2014/05/20(火) 08:43:47 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻 p83 「人間の不自由の萌芽(ほうが)」

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2857

3919a hope:2014/05/20(火) 08:44:40 ID:cEpBaIdo

テキストp84〜 キリストとニコデモ より

( a hope赤線部分)

<<現代でも多くのニコデモがいて、※わたしの主張に対して「いかでかかることどものありうべき」と反駁するでありましょう>>

※「わたし」・・・谷口雅春先生
「主張」・・・「現象人間から心の眼を一転して実相人間を見ることだ」ということ。

<<「すべて信ずる者の彼によりて永遠の生命を得んがためなり。」この一節は、今までキリスト教徒が、イエスを通さなければ永遠の生命が得られないと主張する根拠となった一節であります。

しかし、何故、イエス御自身の言葉として、「すべて信ずる者の彼によりて永遠の生命を得んがためなり」と三人称でいわれて、「われによりて」といわれなかったのでありましょうか。

イエスはここで特に「人の子」といったり「彼」といったりしているのであります。

それは「人の子」というのはイエス自身が注釈して「天より降りし者をいう」といっている。言い換えると実相世界に誕生した者――実相人間全体を普通名詞としていっているのであります。

イエスは「われを信ぜよ」といったのではなく、「人の子を信ぜよ、実相人間を信ぜよ、わたしはその一例だ、『久遠の実在』としての実相人間を信ずる者には肉体は死んでも、永遠の生命が与えられるのだ」といったのであります。>>

3920a hope:2014/05/20(火) 08:46:45 ID:cEpBaIdo

>>3919 a hope所感)

<<【イエス】は「われを信ぜよ」といったのではなく、「人の子を信ぜよ、実相人間を信ぜよ、わたしはその一例だ、『久遠の実在』としての実相人間を信ずる者には肉体は死んでも、永遠の生命が与えられるのだ」といったのであります。>>

↑を置き換えてみたいと思います。

<<【谷口雅春】は「われを信ぜよ」といったのではなく、「人の子を信ぜよ、実相人間を信ぜよ、わたしはその一例だ、『久遠の実在』としての実相人間を信ずる者には肉体は死んでも、永遠の生命が与えられるのだ」といったのであります。>>

このような考え方をしてしまうわたしは、増上慢であり、まことの「生長の家」信徒ではないのでしょうか?

谷口雅春先生は確かに偉大な宗教家で、哲学者で、人間的にも素晴らしい人格の持ち主だったと思います。
だから、わたしはもちろん、谷口雅春先生には直接お会いしたことはありませんが、心より尊敬していて信頼しています。

でも、だからこそ、谷口雅春先生の残された聖典「生命の實相」のお言葉を素直に信じたいのです。

「谷口雅春先生は神から選ばれた偉大な人だったから「唯神実相」が悟られたのだ」
「自分たち弟子には同じことはできない」などと考えてしまうのは、
谷口雅春先生がおっしゃっている「第一の神性隠蔽」「偶像崇拝」の罪を犯すことになってしまわないのでしょうか?

先輩方が今、憲法改正運動や、環境保護運動等、さまざまな「生長の家」の運動をされているようですが、
「自分が神の子である」「自分も谷口雅春先生と同じなんだ」というこの大切な真理を悟らなかったら、
その運動は、まったく谷口雅春先生のご意志とは、別の方向に行ってしまうのではないでしょうか?

教団も、本流の先輩方も何が『本当の「生長の家」の光明化運動』なのかを思い出されて、
その基本に戻って運動されたら、「生長の家」は一つになれると思うのですが・・・。

それこそ、谷口雅春先生が一番よろこばれることで、本当のご遺志だったのではないでしょうか?

3921a hope:2014/05/21(水) 09:15:40 ID:cEpBaIdo

(a hope 赤線部分)

第二章の後半(p88〜)には、「罪」について書かれています。

<<アダムの原罪(第一の神性隠蔽)以来、罪悪の観念は、すべての肉体人間の心の奥底に横たわっている観念であります。>>

<<罪なき者――本来無罪清浄なる人間に、なぜ、罪の観念が起こるかといいますと、われらは本来「無罪」なればこそ罪の感じが起こるのであります。>>

<<この「本来の相(すがた)」でないという自覚が、「罪」の観念であります。それは本来の完全な相を、本来の自由な相を、表出せんと喘ぎもとめている心の呻きなのであります。>>

<<そのように、われわれの「完全なる実相」そのものは罪なきもの迷いなきものでありますから、罪の意識はわれわれ自身の本姓にはないものであります。>>

3922a hope:2014/05/21(水) 09:17:28 ID:cEpBaIdo
(a hope所感)

みなさん おはようございます!

このテキストの部分には、人間の「罪の意識」を「炭火」から立ち上る「煙」に例えて、説明しています。
「炭火」そのものからは「煙」は立ち上がらない。
そこに、塵埃(じんあい)=「迷い」 があるから「煙」が発生する。

炭火の火力の強さ=生命の実相の悟りの深さ
塵埃の量=迷いの量
煙のあらわれ=罪の意識のあらわれ

<<宗教というのは、この「生命の実相」のうちに眠っている炭火の火力を熾盛(しじょう)ならしめる働きをするものであります>> p91 9行目

この、テキストの部分の説明はすごくわかり易いと思いました。

煙ばかりたくさんたっても、炎が燃え上がらなければ不完全燃焼です。

同じように、「罪の意識」をおこし、「迷い」の「塵埃」の存在に気づくことは必要だが、
それだけでは救われないのですね。

「人間神の子」の真理に目覚めて、「実相」の炎を燃え上がらせて初めてわたしたちは本当に救われる、というわけですね。

ここにも、また、素晴らしい真理が書かれていますね。

「罪は本来ない」という真理を本当に悟るには、この一連の作業が必要なようです。

a hopeは、「生長の家」の「浄心行」の本当の意味がだんだん解ってきましたよ!

3923a hope:2014/05/22(木) 09:00:52 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

どうやら今現在、信仰/体験板は試合会場になっているようですので、
こちらに投稿させていただきます。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/1855

わたしは、↑の投稿をして、「偽善」という言葉に関して自分の意見を述べて、
その後、大熊先生のブログを紹介させていただきました。

今朝、大熊先生のブログに行きましたら、なんと、また、シンクロニシティ現象が・・・

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/folder/172638.html

↑唯神実相を悟られた、大熊先生の素晴らしいご指導が受けられますよ!

必見です!!!

3924トキ:2014/05/22(木) 20:23:46 ID:Z9No9Nic
>>3923

 どうも、申し訳ありません。

3925a hope:2014/05/23(金) 00:04:21 ID:cEpBaIdo
>>3924 トキさま

全然、気になさらないでくださいね。

トキさまのおかげで、いつでも自由にこの掲示板でお勉強させていただけることに心から感謝しています。

合掌。

3926a hope:2014/05/23(金) 08:47:21 ID:cEpBaIdo
( a hope所感)

テキストp95〜101には、自己審判(自己処罰)または「良心の審判(さばき)」について述べられています。

「生長の家」の教えでは「神罰」はないとされていますが、
悪念(罪)は「念の具象化の法則」により現象界に不完全な状態(病気・不幸など)として現れでてしまうようです。

ただし、「悔い改め」=「魂の転向(コンパーション)」により、その罪を超越できるとも説明されています。


p101 4行目〜

<<・・・「罪」が現実的不幸として、客観化して現れるのは、罪自身がその存在権を主張するためではなく、
神のみ業――すなわち神の創造(つく)給いし完全なる実相のあらわれんがためであるとしますと、
「悔い改める」 すなわち心が「実相」の方へ完全に転回(コンパーション)してしまいますと、
さらに換言すれば「われ神の子なる実相」と「神の創造(つく)給える実相浄土」とを直接体験で把握してしまいますと、
罪はそのまま超越されてしまいまして、「包み」はそのままひらかれてしまい、
中味がそのまま握られてしまいますから「包み」の模様はもう問題とならない。

「包み」はその模様などに頓着なく解かれて捨てられてしまうのであります。>>


この、「悔い改め」=魂の転向(転回)が、「人間神の子(実相)の自覚」になるのだと思います。
聖典「生命の實相」をお勉強していると、色々な角度から、色々な方便で、この事が説明されているのがわかります。

(つづく)

3927a hope:2014/05/23(金) 08:50:46 ID:cEpBaIdo
>>3926 つづき)

次の、第三章には、第二の神性隠蔽「自他一体の実相の隠蔽(利己主義)」と第三の神性隠蔽「罪の弁解」がどのようなものであるか詳しく説明されているのですが、
どうも、この部分を拝読しているとわたしは心が重くなってきてしまうのです。

なぜなら、その内容は、信仰/体験板の【訊商業×熊本鎮台】の試合の内容にそっくりだからです。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/1743

訊商業さまとわたしの共通点は、どとらも、聖典「生命の實相」に感銘して「生長の家の教え」にのめり込んでいる、という点だと思います。

訊商業さまが、試合などという「対立的」な形で質問をされているのはどうかと思いますが、
わたしも、訊商業さまとほとんど同じ疑問を、熊本鎮台さま(破邪顕正さま)の数々のご発言から感じてしまうのです。


破邪顕正さま

この聖典「生命の實相」大好きな、生長の家の新入生ふたりに、是非、納得のいくお返事をいただけたらとても嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

3928a hope:2014/05/24(土) 20:25:40 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻  隣人に対する罪 p102 より謹写

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2864

(a hope 所感)

これもすごい真理だと思いました。

「神人一体なるがゆえに、自他一体なり」ですね。

だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。

そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。

そういえば、訊け管理人さまもよく、「別れた女の欠点を、クドクド述べるような行為」はしない方がいいようなことをおっしゃっていますよね。


ただ、ふつうの信徒がその「教え」が間違っているかどうかを判断するのは、とても難しいことだと思います。
わたし自身、入信直後は、教団の「今の教え」を盲信して大変な目に合いました。
そして、本流宣言の掲示板での破邪顕正さまの投稿に命を救われ、
その後、この掲示板で3年近くも復興Gさまやトキさま他のみなさまにご指導いただきながら、
聖典をお勉強して、やっと本当のことがわかってきたのも事実です。

ですから、「生長の家」という看板を立てているのであれば、もしくは、「生長の家」の本流復活を目指す団体であるのであれば、
ぜひとも、聖典「生命の實相」に忠実な内容を伝道して欲しいです。

そして、わたしたち信徒一人一人が聖典に忠実に信仰をしていけば、「生長の家」は必ず和解できるとわたしは信じています。

3929トキ:2014/05/24(土) 21:16:31 ID:oaDOQJ/.
>>3928

 私も同意いたします。

3930訊商業:2014/05/24(土) 23:49:32 ID:???
>>3928

 完全同意です。もう、アタリマエの話ですよね。

3931a hope:2014/05/25(日) 21:42:36 ID:cEpBaIdo
>>3929 トキさま >>3230 訊商業さま

わたしの意見に同意してくださりありがとうございます。 合掌。

わたしは最近、
『この掲示板で聖典「生命の實相」のお勉強を続けさせていただくことで、
自分自身も「生命の実相」の悟りに近づき、そしてこちらをご覧のみなさま全員にも幸せになっていただき、そんな形で人類光明化運動を展開していきたい』
という、とんでもない大きな希望を抱き始めてしまいました(笑)

ですが、自分の聖典の解釈や考え方に、100パーセントの自信があるわけではないので、
トキさま、訊商業さまに同意していただけるととても心強いです。

破邪顕正さまや、本流の先輩方は、このようなわたしの考え方には同意はしてはくださらないのでしょうか?
ぜひ、ご意見を聞かせていただきたいです。
(訊商業さまは、アタリマエとおっしゃっていらっしゃいますが・・・)

どうぞ、よろしくお願いいたします。

3932ももんが:2014/05/25(日) 23:03:34 ID:oI68lYAA
>>3928
>>a hope様

合掌、拝

a hope様、こんばわ。

昔なら、"完全同意"ですが、今は、"和解"を超えた、"大調和"と思うのしだいであります。

3933うのはな:2014/05/26(月) 00:59:00 ID:bbvLQDzg

志恩さんがどこかで、わたしがこうこう書くと、そのあとすぐにさくらちゃんが実相がどうとか
言いだして、って話のかみ合わなさみたいなものについて話していたことがありましたね。
 
 あれは、志恩さんは「運動」の話をしているのに、
 さくらさんは「教義」について話してるからかみあわないのだろうと思いました。
 上で、本流の人にこの意見の感想はどうか尋ねている人がいましたが、
 おそらく、読んでいないから感想は無理だと思います。

3934a hope:2014/05/26(月) 07:38:26 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます!

>>3932 ももんがさま  

「大調和」そうですね。
わたしも、「和解」という言葉より、「大調和」のほうが、より自然な感じがしますね。

「生長の家」は、すでに大調和しているのですから、信徒の信仰が本来の「生命の実相」に戻りさえすれば、
おのずと「大調和」するのだと思います。

「和解」しようと努力しても、心が罪につつまれたままでは(神性隠蔽)本当の和解とは言えないと思います。

「生長の家」の大調和には、信徒の大懺悔が必要なのかもしれませんね。

3935a hope:2014/05/26(月) 07:40:04 ID:cEpBaIdo
>>3933 うのはなさま

コメントありがとうございます。

<< 上で、本流の人にこの意見の感想はどうか尋ねている人がいましたが、
 おそらく、読んでいないから感想は無理だと思います。>>

そうですか。
それでは本流の方先輩方は、生長の家の新入生が、大切が聖典「生命の實相」についてまちがった解釈をして、
「生長の家」関係の掲示板で虚説を説いていても一切気になさらないということですね。

志恩さまとさくらさまの会話のことはちょっと思い出せませんが、
それでは、本流の先輩方は聖典「生命の實相」に書かれている教義内容(真理)よりも、
現象の運動のほうが大切であり、その運動が教義内容(真理)に忠実でなくても構わないとお考えなのでしょうか?

わたしは、うのはなさまを責めるつもりはまったくありませんが、
ですが、わたしは本当に、信徒全員が聖典「生命の實相」をちゃんと拝読すれば「生長の家」は簡単に大調和できると信じていますし、
それ以外、現在の生長の家の信徒のするべきことはないのではないかとさえ思っています。

それに、現在、光明思想社さまは新版「生命の實相」を出版・販売されています。

わたしa hopeや、訊け管理人さまのような熱心な「生命の實相」ファンのに感じた 素朴な疑問に誠実にお答え下さらなかったら、
信徒のみなさまの不信感がつのるばかりだと思います。

3936a hope:2014/05/26(月) 07:48:41 ID:cEpBaIdo
>>3935 訂正

新版「生命の實相」→新編「生命の實相」

その他、誤字多くありますが、お許しくださいm(__)m。

3937a hope:2014/05/26(月) 08:28:23 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻 p105〜 謹写部分

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2865


(a hope 所感)

この部分は、現在の「生長の家」が抱える重大な問題でもあると感じています。

<<恋愛そのものが悪いのではなく周囲との不調和がわるいのであります。>>

現在の「生長の家」が大調和することなく不調和のままでいたら、結局どの団体も行き詰まるということなのではないかとわたしは感じてしまうのですが・・・。

みなさんはどう思われますか?

3938ももんが:2014/05/26(月) 18:38:26 ID:oI68lYAA
>>3934
>>a hope様

合掌 拝

御返事、ありがとうございます、a hopeさま。

やはり、a hopeさま、素晴らしい、ですね。

全、同感でんす。

"人間の言語"を超えた、"神様の言葉"こそ、"大調和"の世界ですよ。

a hopeさまは、素晴らしい。

ありがとうございます。
合掌 拝。

3939部室版ができたら落ち着く:2014/05/26(月) 18:53:45 ID:T.KAOAfo
>そうですか。
それでは本流の方先輩方は、生長の家の新入生が、大切が聖典「生命の實相」についてまちがった解釈をして、
「生長の家」関係の掲示板で虚説を説いていても一切気になさらないということですね。

そんなことは知りません。正解であろうと、まちがいであろうと、読んでいなかったら
なにが書いてあるのかわからないわけだし、感想の仕様がないでしょう。
 光明掲示板では、トキ掲示板のことは知らなかったと書いている人もいました。
光明のほうへ行って尋ねればいいのではないですか?

3940トキ:2014/05/26(月) 18:57:25 ID:lWxxQQXc
>>3939

 いやいや、そんな事はないですよ。実際、先日も山ちゃん1952様が、この掲示板
をご覧になったご感想を書かれていますし、光明掲示板でも、この掲示板での感想が
書かれています。

 本流復活派だけではなくて、教団の偉い人達もこの掲示板は毎日チェックされてい
ます。

 返事、楽しみですね。

3941神の子さん:2014/05/26(月) 19:05:12 ID:T.KAOAfo
 本流復活派だけではなくて、教団の偉い人達もこの掲示板は毎日チェックされてい
ます。

なぜ、教区職員が教団の偉い人たちもこの掲示板は、、っていうことを
知っているのか不思議ですが、その方たちは、トキさんが誰かも知っているのですか?

 a hope さんはトキさんが上記のようにお答えですから、返事を気長にお待ちください。

3942a hope:2014/05/27(火) 09:10:03 ID:cEpBaIdo
聖典「生命の實相」第13巻 

貪欲・快楽・傲慢 p106〜

<<利己主義は、物質を実在として観、それに捉われる結果、「物」の霊なる実相を見ず、
「人」の霊なる「神の子」を見ず、ただ物に執し、物に捉われた結果、本当の人間を見失い、
かつ本当の人間と人間との関係を見失ってしまうのであります。>>


(a hopeまとめ)

本当の人間(実相の人間)を見失う → 三つの「罪の子」

○一つ目の罪
【貪欲】・・・物質ありと見るがためにそれを所有することに全生命をかける → 物質の奴隷

○二つ目の罪
【快楽主義】・・・物質的快楽を追及し、実相本然の快感から遠ざかる → 魂の苦痛(憂鬱なデカタン的情調)

○三つめの罪
【傲慢】・・・物質の量的多量および物質の感覚量の豊富に対する誇りは、他の人も同様の物質的迷いに引き入れる → 非常に危険

すなわち、
自分が神性隠蔽している以外に、その隣人をもその神性隠蔽に誘い込む → 二重の罪

3943a hope:2014/05/27(火) 09:14:11 ID:cEpBaIdo

>>3942 a hope所感)

聖典の著作権をめぐる争いや、数(信徒数など)への異常なこだわり・・・すべて物質ありと見ているからそのようなことが起こっているのだと思います。

まことの「生命の實相」とは物質の本のことではなくて、わたしたち一人ひとりの実相(神)のことですよね?

聖典「生命の實相」であっても、真面目に拝読して、その真理をちゃんと理解し実践していないから争いごとの火種となってしまっているのであって、
「生長の家」人としてこれ以上の神性隠蔽の罪はないのではないかとわたしは感じてしまいます。

本当に悲しい現実です。


教団のお偉さま方、また本流の先輩方

トキさまのおっしゃるように本当にこちらの掲示板を毎日ご覧になってくださっているのであれば、a hopeが心からお願いします。

わたしたち信徒の「実相」を開発してくださるどころか、争いごとに巻き込んで神性隠蔽の罪を犯し続けるのはもうそろそろやめて下さいませんか?

聖典「生命の實相」はまだまだ余るほど世の中に出回っているのですから、著作権などどこが所有していても同じです。

そんなくだらない争いごとのために信徒の浄財をつかうのはもうやめて、
一日も早く、「生長の家」らしい人間関係を取り戻して、本来の「生長の家」の信仰をしてください。

3944志恩:2014/05/27(火) 11:10:23 ID:.QY5jUA6
a hope様

a hopeさん、こんにちわ。今も、「生命の實相」の輪読会を継続して下さっていて、有り難うございます。
私、思いました。
a hopeさんが、私と同じくらいの年に生まれていらしてて、もしも、あの頃の原宿本部でご一緒に
奉職していたとしたら、きっと、ご一緒に、本部の有志でやっていた真理の勉強会をやっていたんだろうなって。

しかし、生長の家のこのような混乱期に、生長の家を見捨てないで、しかも、「生命の實相」の輪読会を
続けていて下さるa hopeさんて、本当に、すごいな、と思います。頭が下がります。

ところで、
ahope様が>>3937:で、

>>(a hope 所感)

この部分は、現在の「生長の家」が抱える重大な問題でもあると感じています。
<<恋愛そのものが悪いのではなく周囲との不調和がわるいのであります。>>

現在の「生長の家」が大調和することなく不調和のままでいたら、結局どの団体も行き詰まるということなのではないかと
わたしは感じてしまうのですが・・・。みなさんはどう思われますか?<<

と、本流の方々に呼びかけれましたけれど、まだお返事がありませんので、
私で、よければと、今回、ちょこっとだけ、もどる事に致しました。  つづく

3945志恩:2014/05/27(火) 12:05:29 ID:.QY5jUA6
この「大調和」の真理につきましては、
何に対して、「大調和すべきか」になると思います。
生長の家の一人一人が、生長の家の教えの本当の継承者なのですから、

(これは、山ちゃん19852様も、以前におっしゃっておられたことですが、)
第一義の問題として
一番たいせつなことは、

この生長の家の根本思想である教義を隠蔽しないこと。
そのままの教えを継承していくこと、この姿勢が、
生長の家で言う生長の家の教えと「大調和する」ということだと思います。

いうまでもなく、「生命の實相」は、生長の家の根本である教義ですから、
これを隠蔽してはいけない。

しかし、現教団は、「環境」一辺倒にしてしまいました。

組織や運動自体も、締め付けがひどい状況のようです。

そうした現象には光を当てれば自ずから消え去ると教えられていますが、
現象というのは、認めては為らないのか、どうかということも、考えてみましょう。

ahopeさんちの真ん前に、野良猫がフンをして行ったとします。祈ったら、フンは消えますか?
祈りながら、行動して かたずけるでしょう。

歪みをただし、正常化しますでしょう。
そのように、現象が歪んでいれば、歪みを正すのが「生長の家」の信徒としてのなすべき
大調和を生きるという行動ではないのですか?

生長の家が分裂しているのは、事実であり、一見、不調和にみえますが、
分裂という不調和よりも、
教えを隠蔽するという不調和のほうが、大問題でありまして

第一義の教えを護るためには、
分裂するしか 方法が、無いかったのだと思います。

「今の教え」の現象は、正常には程遠いといことは、多くの人たちの知るところです。
そのためには、批判と感じることも、言わなければ、ならないでしょう。

本流が利己的な精神で、あのような運動をされてると思っておられるのでしょうか?
私は、とても、そのようには、思えませんけれど。

ahopeさんは、お仕事にも行かれていて、お忙しいので、他の掲示板は、ほとんど読んでないと
前、おっしゃってましたよね。

以前からの、他の掲示板を、もっとお読みになれば、このようになっている経緯やこころざしも、
より理解出来るのではないでしょうか?と、思っております。



「生長の家」が分裂しているというのなら、分裂した原因を探れば、何故なのかという事が、
自然と、わかるような気がします。

そして、分裂してでも、正して行かなければならなかった原因を辿れば、
今後の、より一層の分裂を防ぐことになるやもしれません。


雅春先生が日の丸か赤旗かで徹底した論戦に挑まれたのを真摯に考える必要があると思います。

3946志恩:2014/05/27(火) 12:08:15 ID:.QY5jUA6
山ちゃん19852様ではなくて、山ちゃん1952様に訂正させて頂きます。

3947笑人形:2014/05/27(火) 18:33:15 ID:3yXShm..
>>3946

山ちゃんも19852 までになって、元宇治の美人職員さんから
笑われていることと思います。

3948志恩:2014/05/27(火) 19:21:30 ID:.QY5jUA6
3943:a hope様

>>(>>3942 a hope所感)

聖典の著作権をめぐる争いや、数(信徒数など)への異常なこだわり・・・
すべて物質ありと見ているからそのようなことが起こっているのだと思います。

まことの「生命の實相」とは物質の本のことではなくて、
わたしたち一人ひとりの実相(神)のことですよね?

聖典「生命の實相」であっても、真面目に拝読して、
その真理をちゃんと理解し実践していないから争いごとの火種となってしまっているのであって、
「生長の家」人としてこれ以上の神性隠蔽の罪はないのではないかとわたしは感じてしまいます。

本当に悲しい現実です。<<


この件は、
著作権のことで、信徒を巻き込んで、教団と社会事業団が争っている…
そんなばかばかしいことは、やめてもらいませんか!

という意味でしょうけれど、


これらのことも、実際の問題の具体的なことや 経過については、反復されながら、どこの掲示板にでも
書かれて来ている事ばかりなんですよね。


それに、巻き込まれるとか、 巻き込まれないとかいう 選択につきましても、
ご自分のご意志で いくらでも巻き込まれないための方法は、あると思います。

教団の活動指針などを読まれれば、今の教団が、信徒をどのような方向へ導いているか
一目瞭然で理解出来ることです。

数年前から、生長の家教団は、おかしな方向へ向かっていることも、ほとんどの人が
認識していることです。

常識的に考えましても、雅春先生が総裁でいらした時代から現在までを考えてみましたならば、
トキ様も常々ご指摘されてますように生長の家は、変節して来ているのは、間違いの無い
事実なのです。

大調和しかない、和解しかない、という真理につきましては、先に申し上げましたが、
何に大調和するか、和解するか、
そして、和解するためには、どうしたらいいかという要のところが、まだ未解決ですが、

ここのところは、縹様が、重要なポイントをトーキングステックボードで、教えて下さっています。

今は、預言にもある 変遷の時期ですから、
われわれは、これも、良い学びの体験であるとありのままを受け止めて、それぞれが、
真理を学び、実生活で実践しながら、自分が決められた選択の道を、心安らかに
歩んでいくのが、一番いい方向へ導かれると、私は、思っております。

3949a hope:2014/05/27(火) 19:26:57 ID:cEpBaIdo

>>3944 >>3945 志恩さま 

お久しぶりです。
また、わたし a hopeにもったいないようなあたたかいお言葉をありがとうございます。 

合掌。

ところで、本題にはいるまえに、ひとつ訂正させていただきますね。

>>3944で志恩さまは、

>>この部分は、現在の「生長の家」が抱える重大な問題でもあると感じています。
<<恋愛そのものが悪いのではなく周囲との不調和がわるいのであります。>>
現在の「生長の家」が大調和することなく不調和のままでいたら、結局どの団体も行き詰まるということなのではないかと
わたしは感じてしまうのですが・・・。【みなさん】はどう思われますか?<<

と、【本流の方々に】呼びかけれましたけれど、まだお返事がありませんので、
私で、よければと、今回、ちょこっとだけ、もどる事に致しました。 <<

とおっしゃっていられますが、このところではわたしは、本流の先輩方だけに呼びかけていたのではなくて、
この掲示板をご覧の「生長の家」のみなさんに呼びかけたのです。

わたしはこのweb誌友会板で聖典「生命の實相」をお勉強させていただいていて、
その内容から感じたことを素直に述べて、疑問に思ったことを率直に質問させていただいています。

ですから今回も、聖典をお勉強した結果、志恩さまが >>3945 でおっしゃっている『生長の家の根本思想である教義を隠蔽』の現実が見えてきましたので、
今回はそこのところをご指摘させていただいたつもりだったのですが・・・。
志恩さまにはそのことが正しくお伝えできなかったようで残念です。

今回の質問は、現在の「生長の家」全体の状態を見て感じたことだったのです。

ですが、志恩さまからのご質問、

>>本流が利己的な精神で、あのような運動をされてると思っておられるのでしょうか?<<

に敢えてお答えするのであれば、聖典の教義(真理)から解釈すれば、(たとえば「聖典の裁判」の一事例を考えてみましても)
残念ですが答えは「Yes」ということになってしまいそうです。
(これは、教団にも当然当てはまる「真理」だと思いますが・・・)

ですが、わたしの解釈が正しいとは限りませんから、みなさまのご意見を聞かせていただきたいのです。


そしてもうひとつの志恩さまの、

>>ahopeさんちの真ん前に、野良猫がフンをして行ったとします。祈ったら、フンは消えますか?<<

とのご質問ですが、本物の「大調和の祈り」ができていれば、猫は家の真ん前にはフンはしなかったと思います。 
わたしは、そのような本物の祈りができるようになりたいと思っています。

(つづく)

3950a hope:2014/05/27(火) 19:32:53 ID:cEpBaIdo
>>3949 つづき)

ところで、志恩さまは、わたしが聖典引用板に謹写した、

「生命の實相」第13巻 p105〜
利己主義すなわち自他一体の実相の隠蔽

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2865

↑は、お読みになってくださったのでしょうか?

わたしはその聖典の内容がまさしく、現在の「生長の家」の状態を言いあらわしているように感じたので、

『現在の「生長の家」が大調和することなく不調和のままでいたら、結局どの団体も行き詰まるということなのではないかと
わたしは感じてしまうのですが・・・。みなさんはどう思われますか?』

ということを質問させていただいたのです。
この真理からいけば、行き詰るのは本流関係の団体だけでなくて、当然、教団もということになりますが・・・。


志恩さまはそのことにははっきりとしたお返事をくださってはいらっしゃらないように感じます。

志恩さまのお返事は、

>>以前からの、他の掲示板を、もっとお読みになれば、このようになっている経緯やこころざしも、より理解出来るのではないでしょうか?と、思っております。
「生長の家」が分裂しているというのなら、分裂した原因を探れば、何故なのかという事が、自然と、わかるような気がします。
そして、分裂してでも、正して行かなければならなかった原因を辿れば、今後の、より一層の分裂を防ぐことになるやもしれません。<<

というところだと思いますが、ちょっと志恩さまのお答えの意味がハッキリとは理解できないのですが、
わたしの思う分裂した原因は「神性隠蔽」にあると思っていて、そのことは、>>3942 >>3943で説明させていただきました。


それに、「宗教争い」の問題は、過去の現象の出来事にいくら原因をさがしても解決はしないと思うのです。

すべての答えは、聖典「生命の實相」(久遠の今?)の中にあるような気がしていますし、前回も言いましたが、
「間違った教え」を正すには、「生命の實相」を真面目にお勉強し、理解して、その教えに忠実に行動していなければ正したとは言えないと思うのです。

ですから、わたしはこれからもこちらでお勉強を続けさせていただきたいと思います。
そして、祈りながら、出来るだけ「我」をなくして、発言していきたいと思っています。

志恩さま、お休み中ですのにコメントをくださりありがとうございます。
お蔭さまでこの問題をより深く考えることができました。

わたしと志恩さまとは、意見や考え方は違っても、「生長の家」を愛する気持ちは一緒だと信じています。

これからも、また、時々でかまいませんのでご登場くださるととても嬉しいです。

感謝 合掌。

3951志恩:2014/05/27(火) 19:33:51 ID:.QY5jUA6
笑人形様

久しぶりに書き込んだので、私、すごい誤字脱字だらけになりました。
山ちゃん様が、19852様だったら、、山ちゃん様は、未来の人ってことですよん。(笑)
19852年 生まれ・・・、タイムカプセルで 未来から過去の今の時代へ もどって来た人。

( 「・」は、「てん」で変換すると、出ます。)

3952ケセラセラ:2014/05/27(火) 19:44:51 ID:S9ZDz97U

 志恩さまへ

 志恩さんがお越しになって誌友会らしい雰囲気になったようです。
 なにも気にせず、マイペースでがんばってください。

 愛と追憶の真っ最中の人より

3953a hope:2014/05/27(火) 19:57:03 ID:cEpBaIdo
>>3948志恩さま

>>3948の志恩さまの投稿を拝見する前に、>>3949 >>3950を書き込みました。

<<これらのことも、実際の問題の具体的なことや 経過については、反復されながら、どこの掲示板にでも
書かれて来ている事ばかりなんですよね。>>

とありますが、
このweb誌友会は、あくまでも、聖典「生命の實相」のお勉強ですから、
わたしは、現象の問題であっても「生命の實相」の教義内容に合わせて発言しています。

志恩さまも、できれば現象の問題を考えるにしても、このweb誌友会板では、
聖典「生命の實相」の真理に照らし合わせてお答えくださるとありがたいです。

ですが、志恩さまの最後のお言葉、

<<われわれは、これも、良い学びの体験であるとありのままを受け止めて、それぞれが、
真理を学び、実生活で実践しながら、自分が決められた選択の道を、心安らかに
歩んでいくのが、一番いい方向へ導かれると、私は、思っております。>>

には、同感です。

わたしも、ここweb誌友会で学んだ「生命の實相」の真理をそのまま、実生活でも実践できるようにしていきたいと思っています。

ありがとうございます。合掌。

3954志恩:2014/05/27(火) 20:02:21 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

添付「生命の實相」第13巻 p105〜
利己主義すなわち自他一体の実相の隠蔽

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2865

読ませて頂いております。
宗教とは、創始者から二代目、三代目になりますと、いろいろと、どこでもあるようですね。

生長の家が、大調和しないと、教団も社会事業団も、未来、行き詰まる….という件は、
言えなくもないですよね。

大調和が謳い文句の生長の家が、大調和しなくて、どこの団体が、大調和するのだ、という
ご意見も、もっともに聞こえていますけれど

私は、雅宣様は、もとのままの教えでは、もう発展しないということで、
宗教者として、歩むべき道を、さんざん考えられた末に、自然、環境問題オンリーに運動を
されてみたのだと思うのです。

でも、もともとの教えを封印するこの運動の選択は、
社会事業団から、ご兄弟から、本部講師から、信徒から、おおくの人を敵に回さないと
出来ない運動でしたから、
その反動は、大きく、振り子のように、ご自分にもどって来るように思います。

雅宣様は、このまま、環境問題オンリーに突き進むと、言われていますよね。

果たして、どうなのでしょう。
私にも、未来の事は、分からない事です。

3955志恩:2014/05/27(火) 20:14:26 ID:.QY5jUA6
「生命の實相」につきましては、現実に生かしてこその真理だと思います。
現象に対処していかなければ、宝の持ち腐れになってしまうと思います。

ですが、同じ真理を聞いても、人それぞれの考え方、受け取り方があるんですよね。
だから、学びは、面白いのだと思います。

論戦も喧嘩では、ありません。

それから、さくらさんと私がバトルしたのは、随分まえのことです。
むしろ、昨年のこと、
a hopeさんと、さくらさんのバトルが、ここweb誌友会板で、行われていました。

その特集です。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/?q=%A4%B5%A4%AF%A4%E9

3956うのはな:2014/05/27(火) 20:31:22 ID:J.N9GUxQ

 a hope さんへ

 わたしが、こないだここで志恩さんは運動の話をしている、さくらさんは
 教義のことをといったのは、上の志恩さんの特集とは関係ないですよ。
 いつもわけもわからない割り込み攪乱をする人の話をひとつにまとめるのは
 大変なので、余力ができたときにやります。
 これで失礼します。有意義な誌友会が続きますように。

3957志恩:2014/05/28(水) 04:26:29 ID:.QY5jUA6
>>3949;a hope様

以下について、まだコメントしていませんでした。

>>a hope様ー
今回の質問は、現在の「生長の家」全体の状態を見て感じたことだったのです。
ですが、志恩さまからのご質問、

>>本流が利己的な精神で、あのような運動をされてると思っておられるのでしょうか?<<

に敢えてお答えするのであれば、聖典の教義(真理)から解釈すれば、
(たとえば「聖典の裁判」の一事例を考えてみましても)
残念ですが答えは「Yes」ということになってしまいそうです。
(これは、教団にも当然当てはまる「真理」だと思いますが・・・)

ですが、わたしの解釈が正しいとは限りませんから、
みなさまのご意見を聞かせていただきたいのです。<<

志恩ー
本流が利己的な精神で、あのような運動をされていると思っておられるのですか?
という私の質問に対して、

a hope様の答えが、「イエス」で、あったことにたいして、驚きでした。
あまりにも、認識不足というか、現実を見ておられない事に、驚きでした。

これについては、閲覧者の方々のほとんどの方々のほうが、認識されておられると
存じます。
これにつきましては、和解念仏和尚といわれていたトキ様だって、
認識されていることですが、
今更、改めて、a hope様にお話させて頂きましても、この感覚では、
あなたは、今は、聞く耳を持たれておられないと
感じますので、例え、お話しても徒労に終わると思いますので、説明は あえて致しません。



a hope様ー
>>そしてもうひとつの志恩さまの、

>>a hopeさんちの真ん前に、野良猫がフンをして行ったとします。
祈ったら、フンは消えますか?<<

とのご質問ですが、本物の「大調和の祈り」ができていれば、猫は家の真ん前にはフンはしなかったと思います。 
わたしは、そのような本物の祈りができるようになりたいと思っています。<<

志恩ー
これにつきましても、現世に於ける現象と実相の混在した中で、
いかに 対峙していかなければ、ならないか、
というのが、信仰生活ですからね。

祈っていれば、天候でも、晴れだけなのか、雨も台風も、来ないのか。

家庭問題でも、
何も問題は、発生しないものなのか、というものでは、ないです。

生きていれば、つぎつぎに課題は与えられるのです。
人間は、この世に魂の進化のための修行にきているのですから。

人生で、それぞれに課題は与えられる。その、与えられた課題に、どのように
対処して生きて行けるかが、信仰生活だと思います。

真理を学べば、自分にとって不都合な事が、何も起こらないのだということでは、ありません。

3958a hope:2014/05/28(水) 20:42:12 ID:cEpBaIdo

>>3954 >>3955 >>3957 志恩さま

お返事をたくさんありがとうございます。合掌。

>>3955
<<「生命の實相」につきましては、現実に生かしてこその真理だと思います。
現象に対処していかなければ、宝の持ち腐れになってしまうと思います。
ですが、同じ真理を聞いても、人それぞれの考え方、受け取り方があるんですよね。
だから、学びは、面白いのだと思います。
論戦も喧嘩では、ありません。>>


とのご意見、ごもっともだと思います。

わたしと、志恩さまは、聖典「生命の實相」の真理の解釈が大きく異なるようです。

それは志恩さまも、

<<同じ真理を聞いても、人それぞれの考え方、受け取り方があるんですよね。>>

とおっしゃっている通りだと思います。


ですが、わたしは、このweb誌友会ではできれば論戦はしたくないのです。


>>3953で書いたものを再掲しますが、

<<このweb誌友会は、あくまでも、聖典「生命の實相」のお勉強ですから、
わたしは、現象の問題であっても「生命の實相」の教義内容に合わせて発言しています。
志恩さまも、できれば現象の問題を考えるにしても、このweb誌友会板では、
聖典「生命の實相」の真理に照らし合わせてお答えくださるとありがたいです。>>

と、一度お願いいたしました。

「聖典裁判」のお話にしても、志恩さまが聖典の真理に照らし合わせてご説明くださるのであれば、
大歓迎ですが、そうでない現象の問題だけをとりあげて論戦するのであれば、
それは「生命の實相」輪読会の趣旨から大きく外れてしまいますので、
そのような内容のお話には、わたしは志恩さまのおっしゃる通り「聞く耳」はもてないと思います。



ですが、後半の志恩さまのお返事は、真理に関してのものですのでお返事させていただきます。

――――――

志恩ー
これにつきましても、現世に於ける現象と実相の混在した中で、
いかに 対峙していかなければ、ならないか、
というのが、信仰生活ですからね。

祈っていれば、天候でも、晴れだけなのか、雨も台風も、来ないのか。

家庭問題でも、
何も問題は、発生しないものなのか、というものでは、ないです。

生きていれば、つぎつぎに課題は与えられるのです。
人間は、この世に魂の進化のための修行にきているのですから。

人生で、それぞれに課題は与えられる。その、与えられた課題に、どのように
対処して生きて行けるかが、信仰生活だと思います。

真理を学べば、自分にとって不都合な事が、何も起こらないのだということでは、ありません。

―――――――――

本当に失礼ですが、これは本当に「生長の家の教え」なのでしょうか?

わたしは、今まで聖典をお勉強してきましたが、そのようなご指導内容は拝見したことはないです。


何を、不都合と見るかはその人によって違うとも思いますが、
本当の実相礼拝(祈り)ができるようになれば、実相世界がそのまま現象世界に顕れるわけですから、
自分に不都合なことなど全く起らなくなるのではないでしょうか?

それに真理は【学ぶ】だけではなくて、【悟る】ことが重要だと感じています。

そして本当に悟ったとき、自分にとって不都合な事など全く起らない理想世界(実相世界)が顕現するのだとわたしは信じているのです。

そのためにわたしは、こんなにも熱心に聖典のお勉強を続けているので、志恩さまのご指導内容には正直ショックを受けています。

3959志恩:2014/05/29(木) 05:30:09 ID:.QY5jUA6
a hope様

生長の家の元々の教えや、「生命の實相」が継承されず、隠蔽されてしまう現実を危惧されて、
立ち上がられた本流の皆様のこと、(著作権の裁判問題などのことも含めて)

それらのことを、a hopeさんは、本流は、利己的な心で、やっているのだと判断されました。
「生命の實相」に 照らし合わせてのお答えだと言われました。

「生命の實相」第13巻の
a hopeさんが、ご紹介された文のp124によりますと、「いっさいは自心の展開である」。。。
とありますので、今まで、復興G様があなたに教えて下さっておられた【合わせ鏡】という倫理で、
今の教団と、本流派のことを、あなたは捉えておられるのでしょうか?

この【合わせ鏡】につきましては、復興G様は、世界中で起きている全てのことは、自分の心の
展開したものであり、自分と、それらの世界中の事柄は合わせ鏡なのであるから、世界で起きている事柄は、
全てが自分の責任である、と教えて下さっておられました。

私は【合わせ鏡】の倫理につきましては、ごく身近な個人と個人との問題に適応する倫理だと主張。
しかし、復興G様は、そうではない、世界で起きている全てと、自分個人との倫理のことだと主張されました。
で、私は、その件は、納得出来ないままで終わっております。

此のたび、a hopeさんが、ご紹介下さった箇所も、「この世界は自心の展開である」ですから、
【合わせ鏡】の件につながると思います。

私は、残念ながら、まだ、その件は、理解出来ておりません。

ahope様ー
>>本当に失礼ですが、これは本当に「生長の家の教え」なのでしょうか?
わたしは、今まで聖典をお勉強してきましたが、そのようなご指導内容は拝見したことはないです。

何を、不都合と見るかはその人によって違うとも思いますが、
本当の実相礼拝(祈り)ができるようになれば、実相世界がそのまま現象世界に顕れるわけですから、
自分に不都合なことなど全く起らなくなるのではないでしょうか?

それに真理は【学ぶ】だけではなくて、【悟る】ことが重要だと感じています。

そして本当に悟ったとき、自分にとって不都合な事など全く起らない理想世界(実相世界)が
顕現するのだとわたしは信じているのです。
そのためにわたしは、こんなにも熱心に聖典のお勉強を続けているので、
志恩さまのご指導内容には正直ショックを受けています。 <<

志恩ー
先にも言いましたが、真理を学び、悟れば、何も「課題」が与えられないということではないです。
現象世界で生きていれば、つぎからつぎへと、われわれ現象人間の感覚から見ましたら、
思いもかけない不愉快に感じる事、悲しく感じることも、この現象世界で、自分の目の前に現れて来ます。

では、谷口雅春先生のお孫さんの雅宣様に、「課題」が大発生しておりますが、
雅春先生が悟っておられなかったから、このような「課題」が、発生したのでしょうか?

課題も問題も、何か意味があり、われわれに、与えられていると思っていますが、
全てが【合わせ鏡】だとは、私は思っておりません。

恵美子先生の、現在の身の上のことだって、考えますと、
最近は、高知でお見かけしたというおウワサが報じられていましたが、
つい最近まで、実の息子の雅宣様に、
母親である恵美子先生が、ご自宅で、軟禁状態にされていたのは、事実のようです。

それでは、恵美子先生が、悟っておられないから、そのような目に合う現象が現れたとおっしゃるのですか?
私は、難しい課題は、より悟ったからこそ、その方々に、与えられる場合もあると受け止めております。


p165,166,167に書かれてありますが、
>>この世には、業の法則、痕跡の法則、自然界の法則がある。しかし、
太陽の光の射すところに影は無いと同じく、実在の主張ー善の絶対権威の前には、自然界の法則も「不可不」の
法則も影を消して、無に帰してしまう。<<と書かれてございますが、

太陽の光も、照らさなければ、影は消えません。
そのお役目である光の進軍が、光明掲示板などの本流掲示板や、このトキ様掲示板の発言による行為、
光の進軍である行為であると思っております。

雅宣様のなさっておられることも、大きい目で見ましたら、何か大きな学びの意味があるのかもしれません。

                    つづき

3960志恩:2014/05/29(木) 06:12:58 ID:.QY5jUA6
第13巻p177に「善の三相応」という題で説かれている頁がございます。

>>「善」の動機説、精神内容説は古来から唱えられている。
その説に従えば、

動機さえよければ、その行為の精神内容さえよければ、
形はどうでもそれは「善」であるとみとむべきであるというのである。

人類のためだという動機ならば、手段としての行為はどのようなものでも、また
どのような結果を招いてもその行為は「善」であるというのである。

これは谷口倫理学では、排斥するところである。

動機が善であっても、それが不結果を招くのは、その動機としての彼の行為を指導し、
彼を行為にまで駆るところの精神内容に、すべての場合や条件を尽くさざるところの
不完全さがあるということを暴露しているのである。

不完全は「善」ではないから、不結果を招くような動機も手段も「善」とはいい難いである。
(略)
p179
・・・善を完うするのは、人間(肉我)にはできないことであるが、神にしてのみ
能うことである。(略) 自我の転換である。

・・小知で善をなしたと小善ぼこりをしていても、必ずそれは悪に変じているのである。<<

以上のように、
排斥すべきところは、しっかりと、排斥するのが、谷口倫理学。

3961志恩:2014/05/29(木) 06:18:10 ID:.QY5jUA6
悟ったら、自分の不都合と思う事が、現れなくなるのではなくて、
どのようなことが、あらわれようとも、
神の子人間を体得し、教えを、実践していれば、
時間という経過は、ありますけれど、良い方へ導かれて、いい結果になって解決して行くというのが、
私の生長の家信徒としての、今までの実体験からの感想です。

3962志恩:2014/05/29(木) 08:25:47 ID:.QY5jUA6
 藤原敏之先生著・「あなたは必ず救われる」より

【人生とは 魂向上のための 学校の様なものでありますから、何も問題がなくなるということはないのであります。
 人生とは問題のあるところだと考えた方がよろしいのであります。】

   {人生は魂修行の道場}は、聖典引用板に。。。。

3963志恩:2014/05/29(木) 08:47:29 ID:.QY5jUA6
>>3959:の訂正と補足

a hopeさんのご紹介下さった文は、p125ではなく、p105でした。
そこは、「神性隠蔽の章」。

私は、そのつづきの後の方の頁、
「実相隠蔽の章」の文を、取り上げて申し上げております。

3964a hope:2014/05/29(木) 10:08:18 ID:cEpBaIdo
>>3959 〜志恩さま

たいへん誠実なお返事をありがとうございます。

このweb誌友会には参加者がほとんどいなくて、わたしひとりが聖典を読み進み、
勝手に解釈していましたので、内心では少々不安に感じていました。

今日はこれから仕事なので、落ち着いて志恩さまの投稿を拝見できませんので、
ちょっと時間がかかるかもしれませんが、しっかりお勉強させていただき、
わたしも誠実にお返事させていただきます。

感謝 合掌。

3965a hope:2014/05/30(金) 08:50:24 ID:cEpBaIdo

志恩さま みなさま おはようございます。

昨晩、志恩さまからのお返事や、今回のテキストや自分の所感、それから志恩さまが一部ご紹介して下さった、
藤原敏之先生著の「あなたは必ず救われる」の『正しい人間観とは何か』p90〜を読み返しました。

そして、とても大切な真理を再確認することができました。
このような、貴重なお勉強の機会を与えて下さった志恩さまに心から感謝しています。合掌。

そして、自分なりに志恩さまへの返事ができる準備ができたのですが、
志恩さまはわたしの返事をお受け取り下さらず、この掲示板を去るご予定なのでしょうか?

そうであれば、わたしは直接のお返事は控えさせていただきたいと思います。

なぜなら相手がいない論議は、ただの批判になってしまうからです。

まして、わたしの大好きな「生長の家教え」の真理で、大好きな志恩さまを批判することはできないからです。


今回は、お返事の代わりに、

藤原敏之先生著の「あなたは必ず救われる」の『正しい人間観とは何か』からの抜粋文を聖典引用板に謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2882n-

お察しいただけると、うれしいです。

感謝 合掌。

3966志恩:2014/05/30(金) 13:30:48 ID:.QY5jUA6
a hope様

どうぞ、なんなりと私に仰って下さいませ。私も、他にも色々とやっておりますし、
卒業生ですけれど、私でよろしかったら….すぐには、お返事できないこともあるとおもいますが。

3967志恩:2014/05/30(金) 15:29:10 ID:.QY5jUA6
追伸:
但し、私は、講師では ないですし、末端信徒ですから、
あなたの質問で、わからないところが あると思います。

そのようなときは、
私としては、私の先生のようなトキ様や、縹様に、お尋ねして、教えて頂きながら、
a hopeさんに、お答えさせて頂く場合もあるかと、存じます。

3968a hope:2014/05/31(土) 07:56:08 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます。

志恩さま 掲示板に残って下さるのですね!

ありがとうございます。

それでは、志恩さまの広いお心に甘えて、正々堂々と論戦させていただきます。

ですが、わたしも仕事やいろいろの行事やらでなかなか時間が取れませんので、
ゆっくりひとつずつお返事させていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

そして、この論戦になるきっかけとなったわたしの投稿ですが、
どちらかというと、その内容に関して志恩さまや破邪顕正さまの本流の先輩方からから
ご意見をお聞きしたいと思っていたので再掲させていただきます。

よろしくお願いいたします。

3969a hope:2014/05/31(土) 07:57:52 ID:cEpBaIdo

>>3928 :a hope:2014/05/24(土) 20:25:40 ID:cEpBaIdo  より転載 

「生命の實相」第13巻  隣人に対する罪 p102 より謹写

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2864

(a hope 所感)

これもすごい真理だと思いました。

「神人一体なるがゆえに、自他一体なり」ですね。

だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。

そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。

そういえば、訊け管理人さまもよく、「別れた女の欠点を、クドクド述べるような行為」はしない方がいいようなことをおっしゃっていますよね。


ただ、ふつうの信徒がその「教え」が間違っているかどうかを判断するのは、とても難しいことだと思います。
わたし自身、入信直後は、教団の「今の教え」を盲信して大変な目に合いました。
そして、本流宣言の掲示板での破邪顕正さまの投稿に命を救われ、
その後、この掲示板で3年近くも復興Gさまやトキさま他のみなさまにご指導いただきながら、
聖典をお勉強して、やっと本当のことがわかってきたのも事実です。

ですから、「生長の家」という看板を立てているのであれば、もしくは、「生長の家」の本流復活を目指す団体であるのであれば、
ぜひとも、聖典「生命の實相」に忠実な内容を伝道して欲しいです。

そして、わたしたち信徒一人一人が聖典に忠実に信仰をしていけば、「生長の家」は必ず和解できるとわたしは信じています。

3970a hope:2014/05/31(土) 08:02:50 ID:cEpBaIdo

>>3935 :a hope:2014/05/26(月) 07:40:04 ID:cEpBaIdo よろ転載

>>3933 うのはなさま

コメントありがとうございます。

<< 上で、本流の人にこの意見の感想はどうか尋ねている人がいましたが、
 おそらく、読んでいないから感想は無理だと思います。>>

そうですか。
それでは本流の方先輩方は、生長の家の新入生が、大切が聖典「生命の實相」についてまちがった解釈をして、
「生長の家」関係の掲示板で虚説を説いていても一切気になさらないということですね。

志恩さまとさくらさまの会話のことはちょっと思い出せませんが、
それでは、本流の先輩方は聖典「生命の實相」に書かれている教義内容(真理)よりも、
現象の運動のほうが大切であり、その運動が教義内容(真理)に忠実でなくても構わないとお考えなのでしょうか?

わたしは、うのはなさまを責めるつもりはまったくありませんが、
ですが、わたしは本当に、信徒全員が聖典「生命の實相」をちゃんと拝読すれば「生長の家」は簡単に大調和できると信じていますし、
それ以外、現在の生長の家の信徒のするべきことはないのではないかとさえ思っています。

それに、現在、光明思想社さまは新版「生命の實相」を出版・販売されています。

わたしa hopeや、訊け管理人さまのような熱心な「生命の實相」ファンのに感じた 素朴な疑問に誠実にお答え下さらなかったら、
信徒のみなさまの不信感がつのるばかりだと思います。

3971a hope:2014/05/31(土) 08:12:58 ID:cEpBaIdo

志恩さま 破邪顕正さまはじめ本流の先輩方のご意見を一番伺いたいのはここです。

―――――

「神人一体なるがゆえに、自他一体なり」ですね。

だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。

そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。

――――――――

↑ このわたしの聖典解釈は、まちがっているのしょうか?

3972訊商業:2014/05/31(土) 09:51:50 ID:???

>>3971 a hopeさん

 良い質問ですね・・・・・・野球で云えば「内角低め」です。で、内角低めのさばき方ですが、「実力が如実に出る」んです。その意味でこの>>3971は「インロー(内角低め)」。

 本流派の実力が、如実に出ちゃう質問だと思います。

 それでは破邪サンの回答を、待ちましょう・・・・・・いつまでも(笑)。



3973ももんが:2014/05/31(土) 11:01:22 ID:oI68lYAA
>>3971
>>a hopeさま

合掌 拝

うん、たしかに、a hope
さまの、言葉は、○だね。

3974志恩:2014/05/31(土) 11:43:20 ID:.QY5jUA6
a hopeさん、訊けさん、

    _,,.-‐-..,,_       _,,..--v--..,_
    /     `''.v'ν Σ´        `、_,.-'""`´""ヽ
    i'   / ̄""''--i 7   | ,.イi,i,i,、 、,、 Σ          ヽ
.     !ヘ /       |'     |ノ-、 ' ` `,_` | /i'i^iヘ、 ,、、   | 💢批判💢は、してはいけないのが、
    |'' !゙  ―  〈―!     ii ―   ― !'.__ ' ' ``      | 生長の家の教えなのか!?
.   ,`|        ..ゝ!     ‖  .j     (}―  ―   |',`i
_,,..-<:::::\   ―  /      !   `    / |  /     |i'/
. |、 \:::::\ '' /    \  ̄ /〃.ヽ `'' _  , 'v>、
 !、\  \. , ̄        γ/| ̄ 〃   \_-‐' //`

{鐘🔔も 打たねば 鳴りません}

>>鐘は、叩く棒で 叩かなければ、鳴りません。
自分が 他人のことを、批判せずとも、救いは神から来るのであるから、
人間の力で、批判せずともよい。{生命の實相」を学び、自分がじっせんしていれば、
問題と見える者は、悉く、自然と 神が解決してくれる、とおっしゃるのでしょうか。

雅春先生は、自力と他力の関係を実にわかり易く教えて下さっています。
「吾々の祈りには、2種類ある。1つは一種の自力的修行である。しかし、

他力をわすれて自力のみに頼る生き方は、おのずから自分の力の限度というものに縛られるのです。
自力をつくし、もう既に自力がなくなり、そこから自分が空っぽになり、その空っぽから、おのずから

神があらわれるようにならねば、本当の神はあらわれない。他力だ、他力だと怠けて寝ているばかりでは
何の利益も出て来ないのである。

鐘の鳴るのは、向こうが鳴るが、こちらが鐘木(しゅもく)で、叩かなければならないのである。」<<
(「こころのかけはし」の真理を 引用させて頂きました)

志恩ー
間違っている事に対しては、批判する 必要は あります。

「従軍慰安婦」問題も、しかりです。韓国は、30年ほど前から、日本の軍人たちが、外地で多くの
婦女子を捕まえて、「性奴隷」にしたなどと、根も葉もない嘘を世界中にまきちらし、宣伝して来ました。
そのため、真実を知らない外国人も、日本人も、その嘘を信じ込まされてきました。
しかし、今まで20年以上も、じっと黙っていた人たちが、勇気を奮って、立ち上がったのです。

その勇気のおかげで、子孫であるわれわれは、真実に目覚める事が出来たのです。
勇気を奮って、間違った事に対して「批判」の声を挙げてくれたお蔭で、
われわれは、道に迷わずに済みました。

生長の家でも、元々の教えが隠蔽されて、今は、おかしな事が、次々と行われている。
それを、批判しないで、どうすると、言うのですか!?
                                        つづく

3975志恩:2014/05/31(土) 11:47:25 ID:.QY5jUA6
あら、批判されたくない一族の酋長 🎅ももんがさん、おはよっ。

3976ももんが:2014/05/31(土) 12:05:28 ID:oI68lYAA
>>3975
横浜の口さけお婆ちゃん、こと、志恩様、お早よございます。

素晴らしい、コメントありがとうございます。

復帰練成会何時でも、開催できます♪

3977志恩:2014/05/31(土) 12:23:42 ID:.QY5jUA6
憎たらしくて、かわゆい🎅ももんが草食系の酋長さん、コメント、ありがと。
横浜のばぁばも、見た目も、まだ、この通り、かわゆくて、げんきよ。

ネットより

宗教年鑑(文化庁)
生長の家   信者数
平成9   87万5192人(平成8年12月31日現在)
平成10   87万2925人(平成9年12月31日現在)
平成11   86万2507人(平成10年12月31日現在)
平成12   85万7600人(平成11年12月31日現在) 
平成13   85万0435人(平成12年12月31日現在)最新版

こんなに、信徒数、居るんですかね。

本来の教えは、大事。
宇宙重要文化財です!!
ももんがさん、わすれないでね...雅春先生のお蔭で、今でも、これだけの信徒がいることを。

お互いの神性を認め、あがめ、感謝することは基本ですが、
環境問題オンリーで、この先、大丈夫だと、予想されてるのですか?
本当は、英語も出来る 賢い ももんがさん。先は、読めてますか?

教団マンセーの職員や信徒が増えたら、生長の家の除草剤になってると思う。
だって、教団内部で、教団の批判したり、意見を正直に述べたりすると、みな辞めさせられるのが
現状だそうですから、
結局、茶坊主が、雅宣総裁の側近で、きげんとる。そういう連中が組織を
動かしていれば、自ずから、教団は、死にたいになると、言われていますよ。

今、来客ありまして、、入れなくなりました。ごめんなさい。

3978「訊」:2014/05/31(土) 12:28:31 ID:???


 そして議論は、『生命の実相』から大きく逸脱していくのであった・・・・・。

3979志恩:2014/05/31(土) 12:54:26 ID:.QY5jUA6
平成13年でした。....平成23年じゃなかった。
今、平成26年だもの。
今は、信徒数は、もっと減少しているんでしょうね。減少しても、かまわない 想定内だと
雅宣総裁は、思っているのでしょうけれど、
教団の信徒たちの顔が
お通夜のように暗いというのが、問題にされてます。
どうしてだということで、原因を究明されて、原因についての批判をされます。
ですから、生長の家のことがだいすきだからこその批判が起きてるのだと思います。
生長の家になったら、批判もしちゃいけないのなら、生長の家に入らない方が、
健全だという事になってしまいます。批判は、こころが、健全であるからできる行為です。

3980志恩:2014/05/31(土) 13:00:59 ID:.QY5jUA6
訊けさん
「生命の實相」の何頁に、こう書いてあるといえば、いいわけね。
私は、全巻,読んでますが、そういうのは、苦手だから、本部講師になれないの。
実践タイプの人間ですから。
だから、私に聞いたのが、間違いですよ。こんなふうに、具体論に、なりますから。

3981志恩:2014/05/31(土) 13:04:21 ID:.QY5jUA6
やっぱ、私じゃなくて、トキさんに聞かれた方が、いいと思いますよ。
何頁にって、教えて下さるでしょう。
縹様は、別板で、重要なこと、教えて下さってて、手が塞がって、おいでのようですから。

3982「訊」:2014/05/31(土) 13:08:25 ID:???

 さらに議論は、『生命の実相』から大きく逸脱していくのであった・・・・・。

3983シャンソン:2014/05/31(土) 13:25:57 ID:UUvJgKmA

本流系の方たちは、盗作ブログ屋の悪影響を受けないように注意しましょう。
『生命の實相』という表記を使用するように掲示板で御指導があったことと思います。

3984ももんが:2014/05/31(土) 13:29:04 ID:oI68lYAA
>>3977
志恩様へ

合掌 拝。

ありがとうございます。
御言葉も、御気持ちも、良く理解してますよ。

だけど、これは、全部本当とは、言えないよね。
>>だって、教団内部で、教団の批判したり、意見を正直に述べたりすると、みな辞めさせられるのが
現状だそうですから、<<

僕は、良く、志恩様の様ことを、練成の座談会でお話したり、講習会の質問に書くこともあるよ。

場合によっては、先生も、同調してくれます。
志恩様や復興G様やトキ様や掲示板のたくさんの皆様との対話は、無駄では無かったと思います。


全て録音されてしまうでしょ。


僕が、志恩様に、練成に復帰してと言うのは、真面目な、話しなんですよ。

この、掲示板で話しも、けっこうでしょう。

でも、本気で、良くしたいなら、教団の内部に入って、自分が見せてないと駄目ですよ。

上杉鷹山公や、山本五十六元帥では、有りませんが、志恩様の起こしを、心より、お待ちしています。

合掌、拝。

3985解説者:2014/05/31(土) 13:30:33 ID:???

志恩様

お久しぶりです。

>実践タイプの人間ですから。

ほほぅ!

すばらしい!

ところで、以前にお聞きした、本流派は和解をめざしているのかいないのか、教えを実践なさってらっしゃる志恩様の考えをお聞かせください。

余計な理屈は不要です。志恩様が実践なさってらっしゃることですから、和解をめざしているのかいないのか二者択一でお願いいたします。

3986ももんが:2014/05/31(土) 13:34:11 ID:oI68lYAA
>>3984

文章の訂正
『僕は、良く、志恩様の様ことを、練成の座談会でお話したり、講習会の質問に書くこともあるよ。』

下記の様に訂正します。
『僕は、良く、志恩様のお話された様に、練成の座談会でお話したり、講習会の質問に書くこともあるよ。

3987「訊」:2014/05/31(土) 13:35:54 ID:???


 皆さん、司会のa hopeさんのことも考えてあげてくださいね・・・・・司会って、たいへんなんですよ。

 論点は何か?を正確に把握されながら、議論を。

 お願いしますよ。



3988志恩:2014/05/31(土) 13:50:44 ID:.QY5jUA6
この第13巻の180,~183,に、以前、ももんがさんがご指摘されていた
雅春先生が解釈された「香厳上樹、飛躍の道」の公案のことが、書かれてありますが、
私は、雅春先生は、生長の家の解釈をされて、この公案をとかれたのだから、

これは、これで、いいと思いました。
ここの部分も、本当は謹写して、ここがこうだと思いますと、細かく感想を書けばいいのでしょうけれど、
読めば、どなたにでも分かるように説かれていますので、あえて、長々と感想を書きたくないので、書きません。
(只今、息子一家が来ているので、すみません)

3989a hope:2014/05/31(土) 17:32:53 ID:cEpBaIdo
みなさま こんにちは

今日は、子どもたちの運動会でお天気も良くて最高でした!
今、こちらを拝見しましたら、訊け管理人さまはじめ、久しぶりに登場された解説者さまやシャンソン(うのはな)さま、
ももんがさまなんかも登場くださり、なんかこちらもにぎやかな感じになっていますね。

今は忙しいので、また、後でゆっくり内容を拝見しますが、
訊けさまもおっしゃっていますが、出来ればこのweb誌友会板では、
聖典の内容に関係ないおふざけ的な発言はお控えくださるとありがたいです。

わたしはこれでも真剣に聖典「生命の實相」をお勉強しているつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。

3990トキ:2014/05/31(土) 17:54:00 ID:o.yb/M6Y
>>3989

a hope様


 遅れまして、すみません。賛成です。

 誌友会開催中です。
皆様、不規則発言は御控え下さい。

 合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3991a hope:2014/05/31(土) 23:19:29 ID:cEpBaIdo

>>3974 志恩さま

<<💢批判💢は、してはいけないのが、生長の家の教えなのか!?>>

などという、質問はわたしはしていませんが・・・。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2864

↑の聖典の文章を拝読した後、わたしは↓こう解釈しました。

―――――

「神人一体なるがゆえに、自他一体なり」ですね。

だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。

そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。

――――――――

↑ このわたしの聖典解釈は、まちがっているのしょうか?


これが、わたしの質問です。

ちなみに、>>3980で志恩さまは「私じゃなくて、トキさまに聞かれた方がいい、と思いますよ」とおっしゃっていますが、
トキさまご自身は、>>3929でこの a hopeの解釈に同意してくださっているのです。

ですから、志恩さまご自身からこのa hopeの解釈に対するお返事がいただけないのであれば、
志恩さまは、 a hopeの解釈に同意してくださったことになりますが、それでよろしいのでしょうか?


また、>>3988で、第13巻のp180〜183の「香厳上樹、飛躍の道」の公案の御文章を紹介してくださり、

<<読めば、どなたにでも分かるように説かれていますので、あえて、長々と感想を書きたくないので、書きません。>>

と、おっしゃっていますが、他の方は理解されたかもしれませんが、
申しわけないのですが、わたしには何のことなのかまったく意味がわかりません。

志恩さまはお忙しいでしょうから、志恩さまのペースで全然かまいませんのでご説明くださるとありがたいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

3992志恩:2014/06/01(日) 03:37:37 ID:.QY5jUA6
a hope様

ahope様ー
>>「神人一体、自他一体なり」ですね。

だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。

そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。<<

志恩ー
a hopeさんは、本流は利己的な心でやっているということを言われた後に、
上記のことを、言われたのです。

ということは、本流とは、私やトンチンカンさんや、光明掲示板などの本流派のことを指しますし、

上記のことは、ご自分のことも含んでいわれたと思いますが、
雅宣総裁の行いを批判している、われわれ本流のことを遠回しに
真理で、批判したことになりませんか?

ですから、「批判はいけないことなのか」、ということをお答えしたのです。

前々から、光明掲示板は、批判ばかりしていると、おっしゃる方が、おられるからです。

トキ様は、同意されましたが、
組織的な事や、雅宣様のされてることで、以前より、ここがおかしいと思うという事を、
トキ様は、常々、書かれておられますが、あれは批判には、入らないのでしょうか?

私は、組織内におりませんので、トキ様が、教団のことで、ここがおかしいと、知っている人からの
情報ですということで、雅宣総裁や教団がやっていることへの批判文と思える事を、教えて下さり、
トキ様が、書かれた事に対しまして、
同意してまいりました。トキ様が書いていらしたあれらの事は、批判とはいわないのでしょうか?

>>「神人一体、自他一体なり」ですね。
だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。<<

ことに、同意されたトキ様のお気持ちは、理解出来かねております。

a hopeさんも、本流は利己心でやっていると言われましたが、
それも、本流を批判していることになりませんか?

3993志恩:2014/06/01(日) 04:09:50 ID:.QY5jUA6
a hope様

例えば、雅春先生の「法華経解釈」を拝読しましたが、最後のほうに、
雅春先生は、創価学会の大批判文を書かれておられます。

この「法華経解釈」その他については、トーキングステックボードで、
縹様に、いろいろと教えて頂いておりますが、

縹様と私の対話も、他宗教を批判している、と言われれば、そう、なってしまうと思います。
…………………………………………………………….
2821 :縹:2014/02/11(火) 12:20:42
志恩様へ

その(創価)学会のことですが、法華経を悪用している団体ということですよね?

 法華経は、本来でしたら、鎮護国家の為に、使用されているはずだと思うのです。
なぜなら、法華経伝来時に、聖徳太子が、法華経を元にした国づくりを目指されて、
そして、代々の天皇様も、勅命で全国に国分寺を創建して下さったりして下さったのですから。

それなのに、その法華経の力によって、天皇陛下をないがしろにしようという趣旨の団体なのですか、そんな・・・
法華経は、人を中心にしてはいけないのではないかしら…。
…………………………………………………………….
2822 :志恩:2014/02/11(火) 16:08:08
縹様

以前は、創価学会は、他宗教は全て、邪教といい、他宗を、排斥する宗教でした。
ご先祖様からの 浄土真宗とかも、他の様々な教えも邪教だいい、
そんな宗教をやっている不幸になるといって、折伏して回っていた宗教でした。
最近のことは、わかりません。
池田大作は、韓国人だそうですから、日本の天皇を尊敬しては いないでしょうね。
…………………………………………………………………..
2823 :縹:2014/02/12(水) 06:31:42
 志恩様

 志恩様、2822番の内容でしたら存じておりました。
『法華経解釈』の最後にも、創価学会の間違いについて詳しいですね。

 現代では創価学会になる事は、もう近所づきあいの一つなので、信者が多くてもあまり気にしないでいいのではないか?と言われました。
 伝道した先で、一番断られる言葉で多いのが、「創価学会ですから」というものです。
 創価学会員でないと、芸能人に成れないとも聞いた事もあります。
私としては、選挙のたびに、こうも創価学会の関係者が当選していては、
このままではいけないのではないかと思ってしまうのですが…。
 建国記念日の日に、桝添氏が都知事に就任したというニュースを見て、呆然としてしまいました。

(志恩・注:舛添の奥さんは、創価学会の幹部で、創価学会が、舛添を強力に応援していた)

悪用されている経典は、法華経だけではなく、
聖書もでしたね。
統一教会は、教祖様が再臨のキリストと言う事でした。

本来でしたら、「正しい中心帰一とは何か」を、教えるのが、宗教家の役目ではないでしょうか?
そもそも、それこそが、生長の家の担当分野ではないでしょうか?

それをする宗教は、他にもあるのでしょうか?
生長の家がしなくて、誰がするのでしょう…
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

3994志恩:2014/06/01(日) 04:26:27 ID:.QY5jUA6
生長の家信徒の生き方には、色々な選択の道があると思います。

①教団内で、雅宣総裁に中心帰一して生きて行く

②教団内で、口では、批判せず、自分の信念にそぐわない事には、従わない

③教団の組織を辞めて、どこにも属さないで、フリーで学んで行く
 (③は、大熊先生についていくことも、そうだと思います)

④他宗教へ移動する。

⑤『学ぶ会』に入る(ここは元々の教えも説くが、堂々と、雅宣総裁や教団の批判もする)

⑥『ときみつる会』に入る(雅宣総裁や教団への批判なし。元々の教えを説くのみ)

a hopeさまは、③でしょうか。
私は、今は、⑥ですが、学ぶ会の「全国大会」へは、今年の第2回も、参加しています。

3995志恩:2014/06/01(日) 04:54:16 ID:.QY5jUA6
では、以下のことは、この真理の言葉は、おかしいではないかということになりますが、
「生命の實相」に書かれてある文の一部だけ、取り出して、書かれると、
それが、全部のことを言ってるようになる。
真理は、人時処三相応で、説かれていますから、一部の文章を紹介されても、
全てには、当てはまらない事もあると思います。

そして、a hopeさんは、「批判せず、雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。」

ということが、虚説と和解しない生き方だとおっしゃるのなら、それは、確かに、あなたにとっての
選択であり、間違ってはいないと思います。

しかし、あなたのように、知っている人もいれば、
雅宣様がされていることを、全然知らない信徒も大勢いるわけですから、

「今の教え」と「元々の教え」についてを、掲示板などで、
批判して、公表することも、間違ってはいないと思うのです。

ですから、あなたの考え方による生き方も合っているし、
元々の教えを消しては、ならないということで、運動をされておられる
本流の皆様の考え方で、生きておられる方々も、合っていると思います。

なのに、あなたの文だけでは、まるで、批判することは「生命の實相」に反する行為だと、
本流を批判している文になっているのです。



―――――

「神人一体なるがゆえに、自他一体なり」ですね。

だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。

そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。

――――――――

3996志恩:2014/06/01(日) 05:40:41 ID:.QY5jUA6
解説者様

和解は、和解、和解、と騒がなくていいと思います。

「和解」については、先日、書いたとおりです。人間と人間が和解するというよりも、
本来の生長の家の教えの神と和解するということが、第一義の考え方だから、
本流は、そのように、運動されているのだと思います。

また、教団は、教団で、今までの生長の家の教えや、やり方では、生長の家は発展しない。
宗教家は、具体的に
地球を護るために、教えに回帰するのではなく、
自然に回帰するということの方が大事だから、その運動をすべきである。
環境オンリーにして、個人救済はしないでよろしい。という方針で運動している。

両方それぞれに、きちっとした考え方の違いがある。

なので、人間と人間との和解は、当分ないと思います。未来永劫、ないかどうかはわかりませんけれど。

教団も本流も、もともと、同じ、神のいのちに生かされている神の子同士でありまして、
實相では、和解しているのですから、

現象では、考え方の相違が鮮明にあるために、和解できないのですから、
無理やりに 和解しなきゃならない 問題では ないと思います。

それは、訊けさんと うのはなさんを、見たら、分かる事でしょう。
實相では、和解出来ているけれど、現象では、和解出来ない。

それで、いいんじゃないの。
そして、
ある日、この道は、まちがっていたかな、と気付いたときは、
潔く、引き返して、人間と人間が 和解すれば良いし、

いやいやまちがいではない、ということで、
そのまま、平行線で行ってしまう場合もありますし、、人生色々ですから、
それぞれが、そういう生き方しかできないのですから、和解よりも、
別々に、精一杯生きて行くしかないように思っております。

3997志恩:2014/06/01(日) 05:57:38 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

部屋板のあなたのコメント、読みました。
あなたは、実は 訊けさんと肩を組んで、本流 を脅していたんですね。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1356490558/4264

3998志恩:2014/06/01(日) 06:01:20 ID:.QY5jUA6
私は、本流である光明掲示板へ、書き込めなくなってしまった人間ですが、
あちらのお方を、脅そうと思ったことは、一度も ありません。

私は、もう、web誌友会に参加する意志は、なくなりましたので、これで、失礼させて頂きます。

3999a hope:2014/06/01(日) 08:43:29 ID:cEpBaIdo
志恩さま

まず、最初に、わたしの部室板での発言が志恩さまのお心を傷つけてしまったことを心からお詫びいたします。
ですが、わたしの心も同時に傷ついていることをご理解いただけるとうれしいです。。

志恩さまはご自分のご意見をたくさんお話しして下さいますが、
本当に失礼なんですが、わたしにはその内容がどうしても聖典の真理と合致しないのです。

昨晩と今朝と2回にわたり、聖典引用板に 今回のweb誌友会のお勉強の続きをさせていただいていますが、
わたしが解釈して批判する以前に、聖典のお言葉そのままが、
志恩さまのお話の内容とは異なりますし、また本流の先輩方を批判しているように見えてしまうのです。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2886n-

聖典のお言葉は、谷口雅春先生のお口から発せられた神さまのお言葉ですから、
たとえ、破邪顕正さまであっても、それは否定はできないと確信しているので今回の部室板での発言につながりましたが、
こえは、わたしの思い上がりや増上慢である可能性も十分あるので、
破邪顕正さまから、お返事がいただけるのであれば、こんなに嬉しいことはありません。

志恩さま わたしは「生長の家」の問題を解決する唯一の方法は、現象に対峙する方法ではなくて、
全信徒が「生命の實相」をもう一度真剣に拝読し、観の転換をすることだと思っています。

4000志恩:2014/06/01(日) 09:36:52 ID:.QY5jUA6
a hope様

a hope様ー
>>昨晩と今朝と2回にわたり、聖典引用板に 今回のweb誌友会のお勉強の続きをさせていただいていますが、
わたしが解釈して批判する以前に、聖典のお言葉そのままが、
志恩さまのお話の内容とは異なりますし、また本流の先輩方を批判しているように見えてしまうのです。
聖典のお言葉は、谷口雅春先生のお口から発せられた神さまのお言葉ですから、…>>

志恩ー
聖典のお言葉もなにも、この聖典に説かれている教えを 法燈継承していない現総裁のことを、憂いて、
全国の心ある信徒が立ち上がられて、本流として運動しており、
本流掲示板でも、多くの方々が参加され、発言しておられるのです。

その本流の皆様の事を、利己心でやってるとか「生命の實相」を読めとか、

そういう、あなたのことを、以前でしたら、私は、光明掲示板へ行き、ahopeさんに、
お返事さしあげてくださいと、お願いに出向いたでしょうけれど、今は、私は、あちらへ入れなくなっておりますので、
それも出来ません。

山ちゃん1952様ブログからの引用は、別板に貼らせて頂きましたが、それについて述べられておられますので、
一部のみ抜粋して、こちらへも転載させて頂きます。。

これを読まれても、尚、お気持ちが変わらないのであれば、
今後も、訊けさんと肩を組まれて、本流にむかって、脅しの継続をされるのでしょうけれど。

訊け監督の、さくらマネでなく、a hopeマネになられるのでしょうか?

このたびは私は、力になれなくて、申し訳ございませんでした。
………………………………………….

4001志恩:2014/06/01(日) 09:39:27 ID:.QY5jUA6
山ちゃん1952様ブログより  一部抜粋、2014.6.1


    法燈継承と教義

教義の根本である『大調和の神示』ともよばれる『七つの燈臺の點燈者』の神示は
総裁は出来ているのであろうか?

教規の第十条の「正釈を逸脱しないように」が逸脱をしているのではないか。

これは完全なる教規違反であり、
そもそも教義の規範さえも出来ない人を総裁として仰ぐことが正しい道といえるのであろうか?

『歴史から何を学ぶか』には
「宗教と政治が一体化したときに運動には弊害が現れ、教勢は拡大せず・・・」

それは今は「環境という何も生長の家とは関係のない持論と排他的な運動に齟齬が出来、
教勢は明確に衰退し、弊害となり、それに何等責任も取らない」
その言葉を返したい。

また、法燈とは
比叡山延暦寺の根本中堂には法燈の光が今なお輝いている1200年の光が絶えたこともなく輝いています。

法燈は別に蝋燭の光ではなく、真理や経典などが変わりなく伝えられています。

真理というのは変えてはならないものであります。それを変えたりするのは法燈継承とはよびません。
佛教では自灯明と法灯明といいますが。

お釈迦さまがご往生をむかえられた時のことです。
お弟子たちは、お釈迦さまが亡くなられたら、さてあとは誰をたよりにしたらよいかと心配しました。

そのことを気づかれたお釈迦さまは「自らを灯明とし、自らをたよりとして他をたよりとせず、
法を灯明とし、法をたよりとして他のものをたよりとせず生きよ」(涅槃経)と語られました。
これが「自灯明、法灯明」の教えです。

とかく私たちは、人の言ったことに左右されがちです。
とくに権威ある人の言葉に追随しがちです。その方が安易だからです。
しかし、結局、「信用していたのにだまされた」ということがしばしばです。

人間が人間を信じるということは危険をともなうことなのです。
だから、人の言葉を鵜呑みにするのではなく、何が正しいかを見定めることのできる
自分を確立せよということを、「自らを灯明とせよ」と教えられたのです。

それでは、私たちは何を根拠に正しいと判断すればよいのでしょうか。

それを「法を灯明とせよ」と教えられたのです。
法とは、物ごとの本当のあり方のことです。

たとえば、すべてのものは変化し、永久に続くものではありません。
この事実が無常という真理なのです。この疑いようのない真理を法といいます。

このことは誰でも認める真理ですが、この明白な事実でも、
自分自身のこととなると素直に認めようとはしません。

他人は死んでも自分はいつまでも元気でいると思っています。
これが迷いなのです。自分jだけは例外だと無意識に思いこんでる誤りに気づき、

迷いから抜け出すには、この法に根拠をおき、法に教えられ、
自分自身が目覚めるよりほかに道はないのです。そこを「自灯明、法灯明」と教えられました。

法というのは変えてはならないものであります。

それを代々受け継ぐのが「法燈継承」であります。
                          
 山ちゃん1952様ブログ
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/2014-06.html

4002解説者:2014/06/01(日) 09:54:46 ID:???

a hope様、志恩様

>志恩さま わたしは「生長の家」の問題を解決する唯一の方法は、現象に対峙する方法ではなくて、
全信徒が「生命の實相」をもう一度真剣に拝読し、観の転換をすることだと思っています。

a hope様の意見に同意します。

生長の家の信仰は「神の御心を生きること」であり、生長の家の運動は、「神の御心を生きる人を増やすこと」であると私は思っています。

志恩様や本流派の皆様がおっしゃっているのは、運動のあり方、運営方針でしょう。

>>3996

志恩様のご意見、

>和解は、和解、和解、と騒がなくていいと思います。

は、本流派にも当てはまりませんか?

「あれはおかしい、これもおかしいと騒がなくていいと思います。」

4003志恩:2014/06/01(日) 10:34:12 ID:.QY5jUA6
解説者様=訊け様

4004曳馬野:2014/06/01(日) 10:58:56 ID:I/wU8psA

>>4002 名前:解説者 さん


生長の家の信仰は「神の御心を生きること」であり、生長の家の運動は、「神の御心を生きる人を増やすこと」であると私は思っています。


***

「神の御心を生きること」の御心を生きることが難しいからこそ、現在の状況が出て来たのではないですか?

どのようにしたならば御心にかなうのでしょうか?

『生命の實相』の書物は十分に読んでいる人達が本流を引っ張っているのですし、教団の講師にしても同じでしょう。

解説者さんは御心にかなっている人かなわない人の区別がおつきですか

4005曳馬野:2014/06/01(日) 11:06:17 ID:I/wU8psA

>>4003  志恩さん

解説者様=訊け様

***

これ本当?本当なら私騙されたことになりますね

4006志恩:2014/06/01(日) 11:20:04 ID:.QY5jUA6
解説者様=訊け様

理由は、以前、解説者様で言わなきゃコメントを、間違えて、訊け管理人様の名で、出してしまったことが
あるからです。本人は、違うと言われるかもしれませんが、
私は、それを見たときから、ずっと、そう思っています。

4007曳馬野:2014/06/01(日) 11:30:42 ID:I/wU8psA
志恩さんありがとう。

何故聞いたのかと云いますと、早い頃向こうの掲示板に少し書いたときに、恰も違う二人の人間の会話の様にして、

出ていてそれに答えたことがあるからなんです。私は本流方の掲示板も、訊け氏の掲示板も全く見ていないのですよ。

4008a hope:2014/06/01(日) 12:04:37 ID:brQxC10.
>>4000 志恩さま

<<その本流の皆様の事を、利己心でやってるとか「生命の實相」を読めとか、>>

↑、a hopeは、そんなことを本流の先輩方に言ってはいませんよ。

まあ、そういう意味にもとれてしまうことなので、これ以上の言い訳はしませんが・・・。

また、山ちゃん1952さまのブログ内容をご紹介くださり、ありがとうございます。

あとでゆっくり、お勉強させていただきます。

感謝 合掌。

4009a hope:2014/06/01(日) 12:05:56 ID:cEpBaIdo

>>4002 解説者さま

わたしの意見にご同意くださりありがとうございます。 合掌。

わたしも、解説者さまのご意見、

<<生長の家の信仰は「神の御心を生きること」であり、
生長の家の運動は、「神の御心を生きる人を増やすこと」であると私は思っています。>>

に同意させていただきます。


そして、志恩さまへのお返事の、

<<「あれはおかしい、これもおかしいと騒がなくていいと思います。」 >>

にも同意いたします。

なぜなら、「おかしい、おかしい」と言っていれば、心の法則で、ますますおかしくなってしまうことになりますからね。

生長の家の信徒だったら「和解、和解」のほうが似合いますよね!

さらにいいのは、「大調和 大調和」かもしれませんね。(これは、ももんがさまに教えていただいたのですが・・・)

4010解説者:2014/06/01(日) 12:16:21 ID:???

はぁーっ…。

また、身元詮索による論点ずらしですか…。

そもそも志恩様、貴女は私の質問、「本流派は和解をめざしているのかいないのか?」について答えていませんよ。

二者択一で、とお願いしたはずです。

めざしていないんでしょう?

祈りも現実逃避なんでしょうから。

4011a hope:2014/06/01(日) 12:21:32 ID:cEpBaIdo

曳馬野さま

web誌友会ご参加ありがとうございます。 合掌。


<<「神の御心を生きること」の御心を生きることが難しいからこそ、現在の状況が出て来たのではないですか?
どのようにしたならば御心にかなうのでしょうか?
『生命の實相』の書物は十分に読んでいる人達が本流を引っ張っているのですし、教団の講師にしても同じでしょう。>>


↑は解説者さまへのご質問ですが、この事に、わたしはすでにお答えさせていただきます。


「わたしは「生長の家」の問題を解決する唯一の方法は、現象に対峙する方法ではなくて、
全信徒が「生命の實相」をもう一度真剣に拝読し、観の転換をすることだと思っています。 」

総裁や講師の先生方のご指導だけを盲信せず、信徒一人ひとりが「生命の實相」を真剣に拝読することで、
まことに「神の御心」を生きることができるのだと思います。

4012a hope:2014/06/01(日) 12:25:00 ID:cEpBaIdo
>>4011訂正
わたしはすでにお答えさせて【いただきます】。→わたしはすでにお答えさせて【いただいています。】

4013曳馬野:2014/06/01(日) 13:01:55 ID:I/wU8psA
a hopeさん

全信徒が「生命の實相」をもう一度真剣に拝読し、観の転換をすることだと思っています。

総裁や講師の先生方のご指導だけを盲信せず、信徒一人ひとりが「生命の實相」を真剣に拝読することで、
まことに「神の御心」を生きることができるのだと思います。
******************************************************

ですから、この 云い方ですと、志恩さんが反発したように、本流の人も教団の人も「生命の實相」を真剣に拝読してないし、観の転換が為されて
いない人が大多数である、総裁も講師も本流指導者も怪しいから、自分自身でしっかり学び、判らないことが出てきたら、復興Gさんとか自分で
信じられる講師に訊けば良い。

     と聞こえて来るんですよ。あなたにとって信徒でどなたが神の御心を生きていると思いますか?

4014a hope:2014/06/01(日) 13:45:28 ID:cEpBaIdo

>>4013曳馬野さま

わたしは過去にひどく体調を壊した経験もありますので、「教え」に関しては過剰に疑心暗鬼になっているかもしれませんね。
ですから、わたし自身は今のところ「生命の實相」を拝読して独学でお勉強していくのが一番いいのではないかと思っています。


<<あなたにとって信徒でどなたが神の御心を生きていると思いますか?>

この質問に関しては、教団はじめどの団体さんにもたくさんいらっしゃるのではないかとと拝察していますが、
各自の心の中の問題ですから、a hope には答えられません。

もちろん、わたし自身は神の御心を生きていきたいと思っています。

4015曳馬野:2014/06/01(日) 14:12:16 ID:I/wU8psA

a hopeさん

わたし自身は今のところ「生命の實相」を拝読して独学でお勉強していくのが一番いいのではないかと思っています。

● 無師独覚は難中の難と云われてます、独学で済むのであれば、過去の有名講師にばかり群がる現象がなぜ起こるのでしょうか?



この質問に関しては、教団はじめどの団体さんにもたくさんいらっしゃるのではないかとと拝察していますが、

● そんなにたくさん真理を知った人がいて、あなたの嫌がる様な教団になったのでしょうか?雅春先生はどの本かは忘れましたが
  7人だったと思いますが《70人だったか》の真理をした人が心ひとつに祈れば実相は顕現すると云われています。

要するに100人の覚者が同時にはいたことがないのが生長の家と云う事になりますね。
この様に分裂する前に、あなたが沢山いるでしょうと云われる方々が何をしていたのかですね。
なにも御心にかなった行動をされなかったからこそ今のようになったと私は考えまます。

4016a hope:2014/06/01(日) 15:20:26 ID:cEpBaIdo
>>4015 曳馬野さま

わたしにとって、「神の御心を生きる」とは三正行を行じるというような意味なので、
曳馬野さまのおっしゃる「覚者」とか「真理を知った」とかとは、ちょっと捉え方が違うのですが、
曳馬野さまがせっかく公案をくれたので、考えてみたいと思います。 


● 無師独覚は難中の難と云われてます、独学で済むのであれば、過去の有名講師にばかり群がる現象がなぜ起こるのでしょうか?

○わたし自身も、youtube等で、谷口雅春先生はじめ過去の有名講師の先生のご講話は頻繁に聴いています。
 スマホで聞けば、「ながら聴き」ができますからありがたいです。
 (お掃除しながら、お料理しながら、ウォーキングしながら、洗濯ものをたたみながら・・・いつでも拝聴できるのでとても便利です)
 
 ここからがお答えですが、では、「なぜ、聴くか?」というと、真理がよく理解できると同時に、気分もよくなるからです。
 真理を本当に悟っている講師の方のお話は、波動がいいですから、たとえ、youtubeのご講話であってもその効果はすごいです。
 信徒が群がるのは、有名講師だから群るのではなくて、その講師が本物だから群るのだと思います。


● そんなにたくさん真理を知った人がいて、あなたの嫌がる様な教団になったのでしょうか?雅春先生はどの本かは忘れましたが
  7人だったと思いますが《70人だったか》の真理をした人が心ひとつに祈れば実相は顕現すると云われています。

○そのご本の内容を拝見していないので正しくお返事できるかわかりませんが、
 わたし自身の考えでいえば、本当に「唯神実相」を大悟したならば、一人でも実相世界は顕現すると思います。
 釈迦やキリスト、そして谷口雅春先生がそのような方だったのではないかと思います。

 以前は、その三人は特別な神に選ばれた人間だから、大悟できたんだと思っていましたが、
 聖典をお勉強しているうちに考えが変わってきました。

 今は、人間は一人残らず「神の子」で元は一つ(唯神実相)なのですから、誰か一人が大悟すれば、
 周りの波動の合う人たちは次々に大悟していくのではないかと感じています。【同時成道?】
 もしかしたら、その7人とか70人というのは、大悟した人と最初に波動の合った人達のことかもしれませんね。
 その人たちが、同時に祈れば、それはすごい力を発揮しそうですね!

 それで、曳馬野さまのご公案は、<<そんなにたくさん真理を知った人がいて、あなたの嫌がる様な教団になったのでしょうか?>>
 ということでしたね。
 お答えは、最初に大悟された谷口雅春先生が現象世界を去られてしまったからだと思います。
 これは教団の信徒に限らないと思いますが、谷口雅春先生をだけを特別な人だと崇拝しすぎて(偶像崇拝)、
 自己の内在や他の人の内在にも、谷口雅春先生と同じ神が宿っているという事実を、
 隠蔽してしまう人が増えてしまったからなのではないかと拝察しています。
 (あくまでも、聖典の内容から解釈した a hopeの個人的な意見ですが・・・)
   ↑ 
 ご意見、ご指導をお待ちしています。


 ところで、 a hope はこれから買い物に行ったり、夕飯を作ったりしなければならないので今日はもう書き込みできません。
 ですが、曳馬野さまの出してくださった公案のおかげで、自分自身納得のいく答えが見つかりました!

 ありがとうございます。 合掌。

4017トンチンカン:2014/06/01(日) 17:14:20 ID:itK3HnHY


a hope 様


     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
     <重大ニュース> 「谷口恵美子先生」原宿を脱出!!
     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


割り込みですが、、、<重大ニュース>だと思いますので・・・

「谷口恵美子先生」原宿を脱出!!


・これは、「谷口恵美子先生」と「マサノブ爺さん」の <波長> が合わなかった・・
 ということでしょうか?


・「谷口恵美子先生」の <軟禁状態> からの 脱出 なのでしょうか?

4018トンテンカン(罰ゲーム))):2014/06/01(日) 17:19:54 ID:oI68lYAA
>>4017
トンチンカン大師の悪智恵♪

誌友会に乱入♪

hope様、ご免なさい。

大師、僕と場外戦をやりたくて、わざと、張り付けしました。

大師様の心実相です。

4019トンチンカン:2014/06/01(日) 17:34:21 ID:itK3HnHY

<モモンガの空(から)念仏>・・なんて、どうでもいいのです・・・


「谷口恵美子先生」原宿を脱出!!・・・ <重大問題>ではないでしょうか? a hope 様


「谷口恵美子先生」は、<ときみつる會>に逃げ込まれたのですよ!!

4020a hope:2014/06/01(日) 22:57:46 ID:cEpBaIdo

>>4017 トンチンカンさま

お声をかけて下さってありがとうございます。
わたしは、教団に所属していたのがつい数年前でさらに短期間でしたから、谷口恵美子先生のことはほとんど存じ上げていないのです。
また今回の事に関しては、掲示板で拝見する情報が確かなのかもわかりませんし、さらにとてもプライベートなことだと思いますので、
本当はあまりあまりコメントしたくはないのですが、>>3959で志恩さまもそのこと言及されてわたしに質問されましたので、
恵美子先生には大変失礼なことになってしまうかもしれませんが、自分の意見をのべさせていただきたいと思います。


わたしは、恵美子先生は、どこで、どうお暮しになっていても幸せを感じていらしたのではないかと思うのです。
そして、雅宣先生のことも純子先生のことも、宮澤先生ご夫妻のことも、他のお子さんたちのことも、分け隔てなく愛して(実相直視)し、
そして、すべての事に心から感謝されていたのではないかと思うのです。


聖典引用版に謹写させていただいた、藤原敏之先生著の「あなたは必ず救われる」には、

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2883

<<このように人生は神様からの尊い御使命であると同時に、自己の魂の向上のための道場でもありますから、
何でも「ありがとう」と感謝して受けることが肝心なのであります。

生長の家は「天地一切のものに感謝せよ」との教えでありまして、都合のいいものだけや、
よくしてくれるものだけに感謝するのであれば楽でありますが、そうではなく最も都合のわるいものや、
自分を苦しめるものにまで感謝せよというのでありますから、ちょっとむずかしいのであります。

以上が生長の家の御教えの根本であるところの縦の真理であり、実相直視、
本当のことを観ることによってどんな難問題でも立ちどころに解決する根本真理であります。>>


とありますから、谷口雅春先生と輝子先生の一人娘であられる恵美子先生が、この「生長の家」の教えを実践されていないはずがありませんものね。

4021神の子さん:2014/06/01(日) 23:10:50 ID:xvcLqKrg
谷口恵美子先生の話題は別の板で議論すべきだとおもいます。この板はそういう場所ではないと考えます。

4022a hope:2014/06/01(日) 23:36:23 ID:cEpBaIdo
>>4021はトキさまですか?

もしトキさまであれば、>>4020 のわたしの投稿をどこか違う板に移して下さいね。

よろしくお願いいたします。

4023トンチンカン:2014/06/02(月) 00:26:22 ID:itK3HnHY

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「実相直視」、「聖典準拠」・・で、臭い物に蓋をするのでしょうか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



・「谷口恵美子先生」ご自身の問題として捕まえる場合は、「全てに感謝」で生活されて
 いるのだろうと推察させていただいておりますが・・・



・マサノブ総裁夫妻としては、「谷口恵美子先生のご年齢を考えれば、一人ぼっちにさせ
 ておくなんて、親を親とも思わない人間の所業」・・ではなかったのか?


・「お山に軟禁状態にあったという事」・・

・「お山の門の所に守衛を配置し本部関係者以外は一切面会も取り次ぎもさせないという
 事」・・

・「恵美子様の従姉妹とか実の子であっても面会取り次ぎさせないという事」・・


・このようなことを命令したのが、生長の家の総裁であり、そういう人が、「大調和の神
 示」の“ご高説”を説いているのです。


・これを見ないでおけ、総裁の「實相」を拝んで差し上げましょう・・なんてことでしょ
 うか?


・だから、<言行不一致>の元祖なんて言われているのですよ!!

4024神の子さん:2014/06/02(月) 00:58:43 ID:O9hK.LIc
〉〉4020

a hope様のご投稿を批判したものではありませんでした。
誤解を生む表現をしてすみませんでした。

4025a hope:2014/06/02(月) 09:22:29 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます!
今日も暑い日になりそうですね。

>>4023 トンチンカンさま

トンチンカンって漢字で書くと「頓珍漢」なんですね!
ということは、トンチンカンさんさんは男性の方ですか?


さて、本題ですが・・・。

光明掲示板等で、恵美子先生に関する情報(雅宣総裁夫婦の所業?も含め)が、たくさんお見受けできますが、
ですが、web上の情報はどこまでが正確なものかわからないと思うのです。

それなのに、そのことに関して井戸端会議的に噂しあうのはどんなものなんでしょうか?

わたしは、恵美子先生がお元気で幸せでいらしたら、それでいいと思うのですが・・・。


すみません、「くさいもの」に蓋をするのではなくて、「くさい噂話」には a hopeは興味がないのです。

4026トキ:2014/06/02(月) 09:30:44 ID:tDeT.yDU
トンチンカン様

 おはようございます。登場が遅れてごめんなさい。

 平素は、この掲示板をご利用下さり、深く感謝申し上げます。

 さて、谷口恵美子先生のご消息は確かに重要な事案で、信徒の大きな関心事で
あります。しかし、この板は、web誌友会の板であります。現在、誌友会が進行中
ですから、この板で、谷口恵美子先生のご消息を議論するのは、趣旨が違うと感じ
ます。

 たいへんご足労をかけますが、本流対策板や組織板等、他の板でのご投稿を
御願いします。

 せっかく投稿をして下さったのに、ケチをつけましたことを深くお詫びします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4027トンチンカン:2014/06/02(月) 14:32:30 ID:itK3HnHY


ご尤もな、お話で・・・


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
4026 :トキ:2014/06/02(月) 09:30:44 ID:tDeT.yDU

 さて、谷口恵美子先生のご消息は確かに重要な事案で、信徒の大きな関心事であります。
しかし、この板は、web誌友会の板であります。現在、誌友会が進行中ですから、この板
で、谷口恵美子先生のご消息を議論するのは、趣旨が違うと感じます。

 たいへんご足労をかけますが、本流対策板や組織板等、他の板でのご投稿を御願いしま
す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


・a hope 様には大変失礼なことでした。 お付き合いいただき感謝いたしております。


・「HN=トンチンカン」は、そもそもがトンチンカンだからだけのお話なのです・・・


・今回は、あの『超粘着ストーカー』の マサノブ爺さん(ももんが) からの<避難>
 の意味もありました。


・案の定、「トンチンカン大師の悪智恵♪  誌友会に乱入♪」・・なんて、この慌(あ
 わ)てよう・・


・逃避なのに、「大師、僕と場外戦をやりたくて、わざと、張り付けしました」・・なん
 てことなのです。


・最後には、「大師様の心実相です」・・なんて、訳の分からないことを言って、纏わり
 付いてくるのです。


・今後は、「web誌友会の板」はお寄りしないようにいたします!!




(参考)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4018 :トンテンカン(罰ゲーム))):2014/06/01(日) 17:19:54 ID:oI68lYAA>>4017

トンチンカン大師の悪智恵♪

誌友会に乱入♪

hope様、ご免なさい。

大師、僕と場外戦をやりたくて、わざと、張り付けしました。

大師様の心実相です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

4028a hope:2014/06/02(月) 21:38:02 ID:brQxC10.

>>4027 トンチンカンさま

ご丁寧なお返事をありがとうございます。
なんか、トンチンカンさまって、ももんがさま同様、ユニークで憎めないキャラクターですね。
さすが、トン・チン・カンって感じです(笑)

これからも、トキ掲示板でご活躍くださいね!

4029志恩:2014/06/03(火) 12:01:04 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

a hopeさま宛の返信だと思われる破邪顕正のコメントが、光明掲示板にございましたので、ご紹介させて頂きます。
………………………………………………………………………………………………...
光明掲示板より

『谷口雅宣総裁、“八ヶ岳教団”の“批判”はやめてくださいという方へNEW (8736)』

日時:2014年06月03日 (火) 10時24分
名前:破邪顕正


お言葉を返すようですが、「谷口雅春先生を学ぶ会」は何も“批判”ばかりしているわけではありません。

どうも、勝手な思い込み、先入観でものを見ているような気がしてなりません。

昨年から「全国大会」を開催するようになりましたし、今年に入ってからは「練成会」も開催できるようになりました。

“批判”ばかりしていて、どうして、こういうことができますか…?

こういう方は、結局、この「ネット」ばかりを見ているのでしょうね。

そもそも、この「ネット」の役割とは何か?

その見解が違うのだと私は思うのです。

私は、この「ネット」とは、今の「現実」を知らせることが一つの大きな使命だと思っております。

その「現実」を知らせることが、こういう方には、どうしても“批判”にしか映らないのでしょうね。

谷口雅宣総裁の「現実」を見たくない!

“八ヶ岳教団”の「現実」を見たくない!

見たくない心情の人には、どうしても、その「現実」は“批判”にしか見えない、そういうことではないでしょうか?

今の「集団的自衛権」の問題で、それに反対する“サヨク”は、さながら「ダチョウの平和論」を繰り返しています。

砂の中に顔をうずめて隠れていれば何も危険はないと錯覚するダチョウと同じで、所謂「平和憲法」さえもっていれば、日本を攻めてくるところはないと思い込んでいるのです。

つまり、外がどんな状況になっているのか、見たくないのです!

そういう人に限って「現象はない」という教義を振りかざす!

だから、そういう方とは、自ずから、立ち位置が違う、目指す方向が違うのだと、私は思うようにしています。

ただし、お断りしておきますが、私どものその“批判”でやっと眼がさめた、今の教団の何が問題かがわかった等の喜びの、感謝の声も一方にはあるのです。

その声がある限り、その声に応えていく使命があると私は思っております。

だから、これからも「現実」を知らせてまいります!

ご理解いただれば幸いです。

4030批判:2014/06/03(火) 12:51:03 ID:???
>>4029
“批判”ばかりしていて、どうして、こういうことができますか…
笑笑笑
確かにw
批判以外にもご飯食べたり、風呂に入ったり
練成やったり結構な活動ぶりに加え
現実にデマ混ぜるなどの現総裁のイメージダウンにも忙しく批判ばかりしてられませんな

4031週刊誌記者:2014/06/03(火) 13:10:18 ID:???

>現実にデマ混ぜるなどの現総裁のイメージダウンにも忙しく

どのあたりがデマなのか、ご教示ください!

4032「訊」:2014/06/03(火) 13:48:47 ID:???

>>4029破邪サン


>>>“批判”ばかりしているわけではありません。道場だって建ってます(趣旨)<<<


 そりゃ、そうでしょうよ・・・・・批判ばかりしている創価や幸福だって「道場」くらい、持ってますよ。

 練成やってるとか道場持っている・・・・・・それがなんで、証拠になる?(笑)いやその、「批判ばかりやってんじゃない!」の証拠に(笑)。

 ・・・・・もう、なんて云うのか。

 ・・・・・。

 で、本流の最大の問題は、「和解を目指してイナイ点」です。

 和解を目指してもおられずに、批判ばかりしている・・・・・ここが問題。そうでしょ。

 で、貴殿が全然答えてくれないのは、まさにこの点。




4033「訊」:2014/06/03(火) 13:56:54 ID:???

 あ、道場ではなく「全国大会」ですた・・・・すみません。

 まあしかし、批判ばかりしている創価や幸福だって「全国大会」くらい、開けますよ。

 ですんでそんなモンが「批判ばかりじゃない!」に対応する証拠とは、言えないですよね・・・・・・(笑)。

 いやホント、批判ばかりじゃ「ない」んでしょうよ。

 だけど、谷口雅春先生を「否定している」のは(本流対策室を見れば明らかだが)事実です。これに関しては多数の証拠、ありますね。

 今日も幸福の科学にでも中心帰一され、がんばってください。「看板だけが生長の家」の、〝誰の教え派〟の皆さん・・・・・



4034「訊」:2014/06/03(火) 14:43:51 ID:???


 「本流派は?和解を目指すことなく?批判ばかり」

 これが、問題なんです。で、セウォル破邪サンは、批判ばかりと云われているんじゃなく、「和解も目指さずに批判ばかり」と云われてイルんです。

 和解って「できない場合」ですが、その際は、「和解を目指さず批判ばかりしててイイの?」・・・・それが正確な、設問。

 ですんで問題を、矮小化されませんように・・・・・誰もそんな事、言ってません。本流への疑問は「批判ばかり」なんてモンじゃないんです。


 正確には本流への疑問は、「?和解を目指すことなく?批判ばかり」

 これなのです。

 (で、ずっと放置という・・・・・)




4035神の子さん:2014/06/03(火) 15:16:56 ID:zthpuNuI
>まあしかし、批判ばかりしている創価や幸福だって「全国大会」くらい、開けますよ。

でも他の批判ばかりしている人で、宇治の結婚練成に行くのが精一杯の人もいますよ。
全国大会でも開いて、本流の背教ぶりを講義できるわけじゃなし。

4036神の子さん:2014/06/03(火) 15:19:10 ID:zthpuNuI
>>4035

すみません。自分で書き込みしておいてこんなことをいうのはへんですが、
 今の話の流れって、誌友会の趣旨とちがうみたいですね。
 これからしばらく、誌友会版には来ません。失礼しました。

4037「訊」:2014/06/03(火) 15:23:26 ID:???


 げげ、誌友会板だった・・・・・

 (不適切ならば、削除ください。ホープさんに一任します)

4038a hope:2014/06/03(火) 16:02:43 ID:cEpBaIdo

訊けさま その他の誌友会にご参加のみなさまへ


いえいえ、今現在のテキストは、「生命の實相」第13巻と14巻で『倫理篇』です。
「和解」のはなしだったら、この誌友会ににぴったりではないですか!

わたしは訊けさまや、解説者さまのご意見にほぼ同意しています。

どうぞ、遠慮なく誌友会にどんどんご参加くださいね!

a hope が、今までしていた聖典の勉強は、「聖典引用板」でさせていただいていますから、気になさらないでください。

今は、時間がとれませんが、後で、みなさまのご投稿はゆっくり拝見させていただきます。

4039a hope:2014/06/03(火) 19:24:31 ID:cEpBaIdo
>>4029の志恩さま

志恩さまの転載してくださったご投稿は、a hopeや「訊け」さまからの質問へのお返事ではないようですよ。

「訊け」さまの質問は 

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/1743

↑です。

そして、a hopeの質問は

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/3937

↑と、

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/3971

です。


あの、ご投稿内容をいくら拝見しても、このわたしたちふたりの新入生の質問にはいっさいお答えしてくだっていませんよね。

とても失礼ですが、破邪顕正さまは、ただ、なぜ批判するかの言い訳だけ繰り返されているような印象を受けました。

破邪顕正さまが、おっしゃっている「現実」とは、いったい、何なんでしょうか?

聖典引用板にa hopeが謹写した「三界はただ自心の展開である」という「生長の家の教え」を
「学ぶ会さま」では、どのようにご指導くださっているのかご教示いただけると嬉しいです。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2892n-

破邪顕正さま どうぞよろしくお願いいたします。

4040a hope:2014/06/06(金) 08:05:07 ID:cEpBaIdo
聖典引用板から転載させていただきます。

2897 :曳馬野:2014/06/05(木) 22:20:10 ID:I/wU8psA


>>2893  a hope さん

すべてが「自心の展開」である、ということが判明しますと、ただわれわれの幸福を得るための仕事は、互に争うことではなく、ただ自心をととのえれば
自己が生きるとともに、自他一体なるがゆえに他者もともに生きるという幸福なる環境が展開し、いっさいの争いは滅尽(めつじん)してしまうのであり
ます。

ここに、「和解の方法」がしっかりと示されていますよね。
『聖典裁判』真只中の「生長の家」ですが、雅宣先生はじめ「教団」や「本流復活派」の講師の先生方は、
練成会や講習会でこの真理をどのようにご指導くださるのでしょう?

a hopeは興味津々です。
************************************************************************************
a hopeさんの云う事、笑っちゃいますね。この『生命の実相』の言葉が真理であると云うのであれば、
【ここに、「和解の方法」がしっかりと示されていますよね。】と「しっかりと」の修辞つきで断定しているのですから、ご自分が実践しさえすれば事足
れりではないですか。興味津々です、なんて周りを冷やかす必要はないですよ。【和解の方法】なんて言い方、そもそも可笑しいでしょう。第三者として
評論家になっているからこその発言ですね。あなたの心の影としての外界しか無い、というのが上の真理の言葉の意味でしょう。
雅宣先生や教団本流派の講師の先生方、というあなたと別人の見解なんて何で関係あるのですか。ご指導くださるのでしょうか、なんて言い方は、
「私から見たら皆さん真理の実践がありませんね」と云うのと変わりません。そのように自分と切り離された周りの人々がいる、と自ら真理に外れている
ことを表明しているのですよ。まして向こうに出張ってまで自分の信念を述べる、これは恥の上塗りでありましょう。

4041a hope:2014/06/06(金) 08:06:02 ID:cEpBaIdo
曳馬野さま

わたしは、皆さんを冷かしているつもりはまったくなくて、真面目に興味津々なのです。
このweb誌友会では、わたしは聖典「生命の實相」を拝読して感じたことや疑問点を率直に発言しています。
ですが、わたし自身、「生命の実相」をちゃんと悟っているわけではないので、自分の発言には自信がないのですよ。
ですから、本当に、心からご指導していただきたいのです。

曳馬野さまこそ、新入生の率直な疑問に「笑っちゃいます」なんて発言で冷やかさずに、誠実にお答えくださるとありがたいです。

おそらく、この掲示板をご覧の「生長の家」の大調和を願うたくさんの方々も、わたしと同じように、雅宣先生はじめ、教団・本流の講師の先生方からのお返事を待っているような気がします。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

以下、曳馬野さまご指摘のわたしの投稿文

(聖典引用板 >2894 >2895)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2894
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2895

4042a hope:2014/06/06(金) 08:11:58 ID:cEpBaIdo
>>4041訂正

【曳馬野さまご指摘のわたしの投稿文】が間違っていました。

正しくは、聖典引用板 >9892 >9893 

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2892
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2893

4043訊商業:2014/06/06(金) 11:33:12 ID:???

 いやホント、日本は広い・・・・・・・以下は、そんな話になりましょうかね。

 ところでa hopeの投稿趣旨って、〝解釈〟でしょう。そして、質問でしょう。たとえば「こんな風に解釈しましたが、皆さんはどうお考えですか」という・・・・・・・・その程度の投稿でしょう。それがなんで、こんな言い方でまとめられて仕舞うんでしょうか・・・・・・・見てみましょう(笑)。

――――――――――――――――

興味津々です、なんて周りを冷やかす必要はないですよ。【和解の方法】なんて言い方、そもそも可笑しいでしょう。第三者として
評論家になっているからこその発言ですね。あなたの心の影としての外界しか無い、というのが上の真理の言葉の意味でしょう。
雅宣先生や教団本流派の講師の先生方、というあなたと別人の見解なんて何で関係あるのですか。ご指導くださるのでしょうか、なんて言い方は、
「私から見たら皆さん真理の実践がありませんね」と云うのと変わりません。そのように自分と切り離された周りの人々がいる、と自ら真理に外れている
ことを表明しているのですよ。まして向こうに出張ってまで自分の信念を述べる、これは恥の上塗りでありましょう。

――――――――――――――――


>>>興味津々です、なんて周りを冷やかす必要はないですよ。<<<

 ・・・・・冷やかし?(笑)冷やかしていることに、なるのか、a hope投稿文は・・・・・(笑)。たとえば夏目漱石を読んで自分の感想を述べ、「先生の解釈は?」なんて質問する行為ですが・・・・・これって、冷やかしになるんでしょうか(日本は広いもんですね)。

>>>第三者として評論家になっているからこその発言ですね。<<<

 なんでそうなるんでしょうか・・・・・(笑)。a hopeの投稿は「問いかけ」ですよ・・・・・反論側にも反論の機会を与えているだけなのであり、「かなりフェアな態度と云える」わけですがね。これが「決め付け発言のオンパレード」・・・・・・・これだったら、そう言えましょうが(笑)ええその、相手方真意確認をスキップし、「決めつけ断言の反復だけ」をされておられれば、a hopeさん、「第三者・評論家」みたいな謗りを受ける可能性、あるんでしょうが・・・・・a hopeの投稿は「問いかけ」ですよ・・・・・反論側にも反論の機会を与えているだけ。



>>>あなたの心の影としての外界しか無い、というのが上の真理の言葉の意味でしょう。
雅宣先生や教団本流派の講師の先生方、というあなたと別人の見解なんて何で関係あるのですか。<<<

 逆に「どうして問われているのか」 ―― それをお考えには、なられてますかね。新入生から見れば実践されていない、少なくともそんな風に映る・・・・・だから、説明をして欲しいという意図でしょう。これが決め付け発言ばかりだったら「第三者の評論家」なんて謗りを、免れませんけどもa hopeの投稿は「問いかけ」ですよ・・・・・反論側にも反論の機会を与えているだけなのであり、「かなりフェアな態度と云える」わけですがね。

>>>ご指導くださるのでしょうか、なんて言い方は、
「私から見たら皆さん真理の実践がありませんね」と云うのと変わりません。<<<

 どうして、そうなるんでしょうか・・・・・・・・・解釈が(笑)。たとえば、

 「先生、英文法をご指導ください」と問う生徒に対し、「それは私を〝英語バカだ〟と思っているのと変わりません」なんて返答する先生あらば・・・・・・・・・・・まあ、なんて云うのか。「そこまで自信がなかったの!?先生!?」に、なりはシナイかと・・・・・。

 ・・・・ところで、「真理の実践がありませんね」「と云うのと変わりません」とのことですが、いったい、どんな考えをすれば、そんな問題意識になっちゃうんでしょうか・・・・・・・・理解不能で笑えて来るわけです。「そこまで自信がナカッタのか」と。

>>>まして向こうに出張ってまで自分の信念を述べる、これは恥の上塗りでありましょう。 <<<

 は、恥の上塗りと来ましたか・・・・・・はあ。

 まあ、私から見れば「実に正々堂々としたもの」に映りましたが、「恥の上塗り」に映る方もおられるんですね・・・・・・・やはり、日本は広いです(笑)。

 クドイですが、a hopeの投稿は「問いかけ」ですよ・・・・・反論側にも反論の機会を与えているだけなのであり、「かなりフェアな態度と云える」わけですがね。これがもしも「決め付け発言のオンパレード」だったら・・・・・・誰とは申しませんけど、そっちの方が問題では。




4044訊商業:2014/06/06(金) 11:37:34 ID:???


 「a hopeの投稿は」なんて表現が多出してますが、すべて・・・・「a hopeさんの投稿は」に訂正。




4045a hope:2014/06/06(金) 11:54:14 ID:cEpBaIdo
>>4011訊商業

いえいえ、a hopeのことは呼び捨てでかまいませんよ。
自他一体ですから・・・(笑)

お仕事行ってきます。

4046志恩:2014/06/06(金) 12:10:28 ID:.QY5jUA6
a hopeさん

先日、あなたが、私にも論点をずらして、a hopeさんの以下の質問に答えていないと
言われましたので、考えてみました。
「三界はただ自心の展開である」=「三界唯心の理」についてです。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2892

a hopeさん謹写ー
>>「生命の實相」第13巻 p123〜
   感覚世界の自主的征服
さて、この「三界はただ自心の展開である」との事実に眼が覚めてきますと、
すべての感覚的事物への自己の奴隷的屈従がなくなるのであります。

ほとんどすべての悪徳は、一切事物を「自己の心内(こころのうち)の存在だ」と気がつかず、
独立せる外界を構成せる事物であるとして、自己の内界(こころのうち)を調べないで、
外界をできるだけ多く、自己の所有としようとし、他を制して、他と争い(利己主義)、
あるいは自己を忘れて外界に隷属(感覚的耽溺)することになるのであります。

かくのごとくして、いっさいをただ「自身の展開」と見ないものには、
利己主義と「感覚的事物への隷属」とがこもごも生ずることになり、
争い、嫉妬、羨望、憤怒、憎悪、焦燥、貪欲、虚飾その他あらゆる罪悪(真理隠蔽)が、
「三界はただ自心の展開である」という根幹的真理の隠蔽の枝葉として繁茂するのであります。略<<


志恩ー
この「三界唯心」(三界はただ自心の展開)は、華厳思想で
谷口雅春先生が、全ての世界は外界になく、「心」から現出するものであり、心を
離れては何も存在しないのだとして、説明されてます。

>>その争いの「心」は、我とか、煩悩に汚され、覆われた神性を隠蔽している自心の展開なのだから、
自分の心さえ、排他的感情に陥らないで、自心を整えることをしさえすれば

いままで、例え,自心を尖らせれば、自己を鋭く刺すがごとき尖った環境がやって来ていたとしても、
あなたが、すべては自心のとおりのものが現れて集まって来ることを如実に悟ったとき、
自然にいっさいの対他的悪徳が消滅してしまうのであります。<<


同じ心でも、善の世界を顕現させられる心であるか、その反対の心であるかどうかは、
他人様の心の責任ではなく、自心の責任であるということですよね。

そして、実相の心で観た場合は、もともとの全ての一切は、仏性の現れであり,
あらゆる全てがそのままで真理であり、「実相は、既に神の子,仏の子、完全円満ということを、
教えて頂いている。

宗教を生きるとは、そのことを自分自身が、空念仏ではなく、腹の底から,信じられるかどうかだと思うのです。

つまり、他人の心がどうかではなく、a hopeさんや 私自身の心が、
心の法則によって,信じた通りのことが、実現しているというのが、この教えなのです。

折角「生命の實相」全巻を読んでも、真理は、両刃ですから、どう使うかが、
自他共に幸せになるか、不幸せになるかの、分かれ道です。

他人ではなく、あなたが、「行」が「信」を伴わないで、空念仏で終わっていれば、
読んでいない人と 変わらないです。

ご承知のように、
生長の家では、「第一義のものを第一義にする」ことが、全ての問題解決の基本であると教えられていますが
本流のことも教団のことも、現象は「心の現出した影」にすぎませんので、


本流は、良くなるためにやって下さっているし、
教団も、現象では、迷ったり、誰かに騙された、行き詰まったり、しているか、していないかは。真実はしりませんが、
やっている。
それらは、「神の子人間」の実現の過程にあり、大転換機のあるのだと、(三界はただあなた自心の展開なのですから)
信じて、

今は、その解決の道のりだと信じて、よろこんで生きることが、三界は唯心の所現の現在の環境を克服し、
無限供給を開く道だと思います。

うまずたゆまずすることは、
①朝夕、必ず、短くてもいいから,神想観を実修する。
②毎日、1頁でもいいから「生命の實相」などの聖典にふれる。
③人にお役に立つ事を、毎日1回以上実行する。

そうすれば、全ての世界は、心の展開であると同時に神と神の現れですから、今のような
ごたごたに見えることも人生で出会ったひとつのいい機会だ、かけがえのないチャンスに恵まれたのだと
思えてきますので、感謝して迎え、

ここが、おかしいという問題は、遠慮なく、互いが論議しあい、批判し合うのも、
真理の道を歩む道程であると思えて来ます。

私だって、自分は本流だといいながら、本流に言いたい事、言ってますし..(笑)

「人間万事塞翁が馬」(じんかんばんじさいおうがうま)って、ことだと思っています。

4047トキ:2014/06/06(金) 14:55:24 ID:aX0PLogY
 またまた遅れて登場しました。

 a hope様の態度は立派だと思います。応援しております。

4048a hope:2014/06/06(金) 21:49:37 ID:cEpBaIdo

>>4046志恩さま

わたしの質問に、とても丁寧なお返事をくださりありがとうございます。

ですが、とても残念ですが、志恩さまの聖典の解釈はどうも、わたしの解釈とはずいぶんと違うようで、すっきりと理解できないのです。

たとえば、一例ですが、

>>その争いの「心」は、我とか、煩悩に汚され、覆われた神性を隠蔽している自心の展開なのだから、
自分の心さえ、排他的感情に陥らないで、自心を整えることをしさえすれば
いままで、例え,自心を尖らせれば、自己を鋭く刺すがごとき尖った環境がやって来ていたとしても、
あなたが、すべては自心のとおりのものが現れて集まって来ることを如実に悟ったとき、
自然にいっさいの対他的悪徳が消滅してしまうのであります。<<

の聖典の御文章が、志恩さまが解釈されると、

<<同じ心でも、善の世界を顕現させられる心であるか、その反対の心であるかどうかは、
他人様の心の責任ではなく、自心の責任であるということですよね。
そして、実相の心で観た場合は、もともとの全ての一切は、仏性の現れであり,
あらゆる全てがそのままで真理であり、「実相は、既に神の子,仏の子、完全円満ということを、教えて頂いている。>>

となってしまっていて、わたしには、内容が全く違うように見えますし、意味もよく通じないのです。

志恩さまもおっしゃっていましたが、聖典の解釈は人それぞれですら、こればかりは仕方がないのかもしれませんね。


ですが、

<<うまずたゆまずすることは、
①朝夕、必ず、短くてもいいから,神想観を実修する。
②毎日、1頁でもいいから「生命の實相」などの聖典にふれる。
③人にお役に立つ事を、毎日1回以上実行する。>>

わたしは、
① 神想観は大好きです。
② 聖典のお勉強も大好きです。
③ 家庭、地域、ボランティア活動、仕事を通して、出来る限り「生長の家の御教え」を実践しているつもりです。

ですから、これも以前言いましたが、「生長の家」を愛する気持ちは志恩さまと同じだと感じています。

それに、きっと、この掲示板をご覧のたくさんの方々が、志恩さまの投稿内容に賛同されているのではないかと拝察しています。

誠実なお返事をいただきましたことに、心から感謝しています。

合掌。

4049a hope:2014/06/06(金) 22:12:35 ID:brQxC10.

>>2043 訊商業さま >>4047トキさま

応援ありがとうございます。

自分の使命が何なのかはまだハッキリとわかりませんが、
ここで「生命の實相」をお勉強させていただくことで、皆さんとつながっていられるということが、
わたしの大きな励みとなり、安心となり、そして幸せを感じています。

これからも、思ったことを素直に発言させていただくつもりでいます。

ですが、明日からちょっと忙しくなるので、書き込みを数日間お休みさせていただくつもりでいます。

来週中には戻りますが、その間、web誌友会に書き込み等ありましたら、
トキさまでも「訊け」さまでもどちらでもいいので対応をよろしくお願いいたします。

4050訊商業:2014/06/07(土) 08:51:29 ID:???

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

             <静聴>

○ 【動画】「久遠の今」 ―― 谷口雅春先生御講話(約15分)
https://www.youtube.com/watch?v=WueXb8tC-iQ&amp;feature=youtu.be

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


 ・・・雅春先生ご講話の「久遠の今」ですが、新しいヴァージョンの動画です。ある方がご自分で、雅春先生のご講話を動画編集したものであります。今回了承を得てK機関が、Youtubeにて公開するはこびとなりました。

 いやまあ、なんて云うのか・・・・「百の議論よりも先ず」でしょうか。先ず「ここから」では。

 「ここがベース」ではないでしょうか。

 ここがベースになっていないから、「議論が錯綜するのでは」ないでしょうか。

 少なくとも「谷口雅春先生を語る」のであれば、この動画こそが基礎部分になりましょう。そして、この動画を視聴されて後に展開される議論は、良質のものとなりましょう。全投稿者、「要視聴の動画」と云えるのではないでしょうか。




4051a hope:2014/06/10(火) 07:47:41 ID:cEpBaIdo
テキスト 「生命の實相」第13巻 p130〜
<<「生長の家」ではごくごく容易しい方法がある。これは『生命の實相』を幾回でも繰り返し翻読するだけで、言葉の力、声字の力によって自然に実相が開顕され、迷いが消滅し、在来努めて抑えようとしていて抑えきれなかった悪性癖が自然に消えてしまうので、後に気づいて驚かれる方がたびたびあります。>>

(a hope所感)

ここにある「在来努めて抑えようとしていて抑えきれなかった悪性癖」とは、
「焦燥」「不安」「恐怖」「臆病」等であると、この文章の前に述べられています。

わたし自身も、以前はこのような悪性癖が度々顔を出してしました。
ですが、「生長の家のみ教え」に触れ、「生命の實相」を拝読しお勉強していくうちに、自然とそのような悪性癖(感情)が出ることが少なくなってきました。

本当にありがたいことです。


>>4050訊商業さま

素晴らしい雅春先生の動画をご紹介くださりありがとうございます!
さすがに、新しいバージョンはパワーアップしていますね。

「久遠の今」を本当に悟り、実生活に生かすというのは、なかなか難しいことなのかもしれませんが、
現在、わたしたちは学ぼうと思えば、聖典はすぐに手に入りますし、このように良質なyoutubeの動画等拝見することができるのですから、とても恵まれていると思います。

信仰とは、誰かに頼るものではなくて自分から求めて行くのものだと感じています。

また、光明掲示板では、明鏡さまがわたしa hopeに素晴らしいご指導をしてくださいました。

「生長の家」には、まだまだたくさんの素晴らしい信仰者の方がいらっしゃるのだと実感できました。

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=1743

4052神の子さん:2014/06/10(火) 12:45:16 ID:529z8PYU
a hopeさま

拝読させていただきました、ひさしぶりなのでちょっと前後つながりませんが、
応援してます!

フレー!フレー! a hope様

4053a hope:2014/06/10(火) 23:14:46 ID:cEpBaIdo
>>4052 神の子さん ・・・もしかして、ユタカさま?

応援ありがとうございます。
これからも、マイペースでお勉強させていただきますね。


ところで、画龍点睛さまという方が、わたしの聖典解釈に関してご批判をくださっているようなので、
たいへんありがたく思います。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&amp;mode=res&amp;log=1693

やっと、家事が落ち着きましたので、これからプリントアウトしたものをじっくり拝読させていただきます。

ただし、わたしの解釈は復興Gさまや「訊け」さまとまったく一緒ではないと思いますので、
わたしは、わたし個人的に、画龍点睛さまにお返事させていただくことになるかと思います。

時間がかかるかもしれませんが、誠実にお答えさせていただきたいと思っています。

わざわざ、こちらに画龍点睛さまのご投稿を転載して下さったトンチンカンさまにうかがいます。

こちらでお返事させていただいた方がいいでしょうか?
それとも、新・本流復活掲示板の方でお返事させていただいた方がいいでしょうか?

画龍点睛さまに伺ってくださらないでしょうか?

4054a hope:2014/06/12(木) 23:10:31 ID:cEpBaIdo

トンチンカンさまからのお返事がないので、とりあえず、こちらで画龍点睛さまの投稿へのお返事を始めさせていただきますね。


画龍点睛さま 

今回のa hopeの聖典解釈へのご批判、心より感謝しています。

今回、画龍点睛さまは、わたしの投稿文を3つ掲載してくださり、その解釈が間違っているとご指摘してくださっていますが、
あの3つの投稿文は、すべて聖典「生命の實相」13巻の文章を新入生a hopeが解釈したものですから、
画龍点睛さまがおっしゃるとおりにわたしが間違って解釈している可能性はあると自分でも思っています。

ですから、今回、画龍点睛さまのご投稿文章をじっくり拝読させていただき、大先輩の大きな胸をお借りして、
正々堂々と真理の研鑽をさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
(つづく)

4055a hope:2014/06/12(木) 23:13:43 ID:cEpBaIdo
>>4054つづき)

画龍点睛さまは、まず、今回のweb誌友会のテキストでもある第14巻の〈和解の倫理〉の文章を掲載されて、

その上で、

『開祖・谷口雅春先生の上記「和解の論理」の御文章を正しく理会するためには、先ず「真説」とは何か、「虚説」とは何かを正しく把握しておかなければならないのであります。』

と述べられ、

『「生長の家」の信徒にとっての「真説」とは、開祖・谷口雅春先生がお悟りを開かれ、生長の家の大神様から啓示を受けられた神示としての『御教え』、
これが「真説」であります。この「真説」としての本来の『御教え』を、時代即応とか真理の目玉焼き理論という理屈をつけて、
人間知によって換骨奪胎して左翼的唯物価値観に基づく「今の教え」に改竄した「マサノブ教」ともいうべき三代目・マサノブ(自称)総裁の説く内容を「虚説」というのであります。』

とご自分の見解を述べられていますが、

それを要約すると

【「真説」とは、「谷口雅春先生の教え」であり、「虚説」とは「谷口雅宣先生教え」だ】

とおっしゃっているのだと思います。


ですがもう、この「真説」「虚説」のとらえ方からして、聖典に準じていないとわたしは感じてしまうのです。

だって、聖典にはそのような記述は一切ないですから。
(つづく)

4056a hope:2014/06/12(木) 23:16:26 ID:cEpBaIdo
>>4055つづき)

以前、わたしは、このweb誌友会板で聖典の虚説に関する内容をまとめた『虚説とは何か?』というレポートを作成しましたので、
それを一部、読みやすく変更して、再掲載させていただきます。>>20


―――――――――

『 虚説とは何か』 副題(虚説と和解しないために)     a hope


●「虚説(迷い・サタン・異端・邪説・雑念)」→【現象世界に投映されると】→ 暗黒化し、「罪」「病」「死」など(仮相)が現れて見える。    
           
○「真説(真理・神・生命・愛・知恵)」→【現象世界に投映されると】→光明化し、「真」「善」「美」などの(実相)が現れてくる。



●虚説 = 妄想の客観化  ⇒ 非実在

○真説 = 実相の顕現  ⇒ 実在(※実相独在)

(※悪人といわれる人や悪と感じる病原菌や害虫でも実相は完全な人間や細菌や生物なのだから本来すべて善である) 


●虚説とは、「迷い」や「誤れる見解」のことである。
それでは、「迷う」「誤れる見解をする」とはどんなことか?

それは、自分自身や相手(対象物)の実相を見ず、悪であると思ってしまうこと。
または、罪を見てしまうこと。
つまりは、本来無い仮相の現象に心を捉われてしまうこと。

○真説 (虚説と和解しないために)
「迷わない」「正しい見解をする」とはどんなことか?

それは、自分自身や相手(対象物)の実相だけを見つめ、すべては善であると思うこと。
または、罪を見ないこと。
つまりは、実相世界の完全円満さを常に喜ぶこと。


>>18復興Gさまの謹写箇所に、二元論に惑わされた誌友の話があるが、
このような「迷い」や「誤れる見解」をしてしまうことは、
キリストや、仏陀、谷口雅春先生のような聖人でない限り誰でも多かれ少なかれあることなのである。

これが完璧にできるようになったときが、真の悟り、復興Gさまのいう「久遠の今」の自覚が得られるときなのではないかと感じている。

だからこそ、わたしたちは謙虚に学んでいかなければいけないのだと思う。
他人の「虚説」を批判する前に、まず自分自身に「虚説」がないか反省することが必要なのだ。

そして「虚説」と和解しないためには、自分自身ができる限り「生長の家の真説」を実行し、
「虚説」と思われるものは実行しなければいいのである。

以上。

――――――――
(つづく)

4057a hope:2014/06/12(木) 23:19:49 ID:cEpBaIdo
>>4056つづき)

このレポートは、今から1年以上前に作成したものですが、今読み返してもよくできていると自分では感心しています。

ですから、すでに最初の時点から、画龍点睛さまのご投稿内容には違和感を覚えます。

今夜はここまでにさせていただきます。

感謝 合掌。

4058トンチンカン:2014/06/13(金) 00:05:39 ID:itK3HnHY

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4054 名前:a hope 投稿日: 2014/06/12(木) 23:10:31 ID:cEpBaIdo

トンチンカンさまからのお返事がないので、とりあえず、こちらで画龍点睛さまの投稿へ
のお返事を始めさせていただきますね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・a hope 様、トンチンカンの「パソコンの不調」がありまして書き込みが出来ない状態
 でした。 申し訳ありません。


・a hope 様の文面については、画龍点睛氏があちらの「掲示板」に返答されるものと思
 っておりますが・・・



<再掲>

8008 :トンチンカン:2014/06/12(木) 16:52:38 ID:itK3HnHY

訊け君に「お詫び」を・・・


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
7972 :トンチンカン:2014/06/10(火) 21:44:38 ID:itK3HnHY
>> 残念ですが、、、期待外れのようですね・・・ <<
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・このメッセージを書いて以降、トンチンカンの <IE> が 「このページを表示で
 きません」 なんてことで、掲示板を閲覧すること自体が 不能 になりました・・・


・パソコンが勝手に ≪復元処理≫ をして、ノートン(ウイルスソフト)が使用できな
 くなり、多分それがイタズラをしてだろうか、こんな羽目になりました。


・外部からは、訊け君が相当に「喚(わめ)いているよ!」なんて連絡をいただいたので
 すが、トンチンカンには対応が難しくて・・・(トホホ、、、)


・やっと回復していただきましたので、これからユックリと拝見させていただこうと思っ
 ております。

4061トキ:2014/06/13(金) 18:55:54 ID:uXigT6Go
 画龍点睛様が使った「虚説」という表現について、少し感想です。

 以前も書きましたが、大川隆法氏が「谷口雅春霊言集」なるものを出版し、生長の家信徒を自分の
教団(まだ「幸福の科学」は出来ていませんでしたが)に勧誘した時に、生長の家は機関誌に
「虚説に惑わされるな」と題した文章を発表しました。

 週刊誌の報道では、生長の家本部は、大川氏に「霊言というのなら、こちらの目の前で再現して
みろ」と迫ったとあります。当然、大川氏は無視したみたいです。

 後年、「幸福の科学」の幹部だった人物が暴露したところでは、「谷口雅春霊言集」は、生長の家
の未発表の内部資料を基に複数のゴーストライターが書いた作文だったみたいです。少し生長の家の
歴史を知っている人間が読めば、あの「谷口雅春霊言集」は贋作であるのは明らかでしたが、当時
は谷口雅宣先生が登場し、部内で動揺が生じた時期なので、あれを信じた人がいるのは残念でした。

 あの時に、教団が「虚説」という表現を使ったのが、その後、本流復活派にも影響を与えたと
感じております。

 この「虚説」という表現は、結果的には、相手の存在そのものを否定する表現になってしまって
います。贋作をした大川氏ならこの表現でもいいでしょうが、生長の家の解釈を巡る考えの相違で、相手
を「虚説」と言い切りのは行き過ぎだと感じます。

 確かに、今の総裁のやった事は、結果的には「ことごとく失敗」なのは認めます。しかし、その
動機の部分においては認めるべき部分があるのも事実だと感じます。それ以上に気をつけるべき
は、自分達も知らず知らずのうちに、「真理」から離れている場合がある事です。

 脚下照顧が大切だと思う次第であります。

4062a hope:2014/06/15(日) 12:30:03 ID:cEpBaIdo

>>4061トキさま

大川隆法氏の「谷口雅春霊言集」なんてものがあるのですか・・・。

そして、それが出版された後に機関誌に「虚説に惑わされるな」という文章がのり、
そのことにより、「虚説」=「贋作」というイメージが広がってしまったわけなのですね。

わたし自身も聖典をしっかりお勉強する前は、「虚説」の本当に意味がよく分かっていませんでした。
ですから、「悪」や「贋」と「虚説」を混同して発言してしまっていたこともあるかもしれません。

でも、今は、「虚説」というのは現象に現れて見えるものをいうのではなく、
自分自身の「間違った見解」であると理解しています。


ですが今の「生長の家教団」では現実に、生長の家総裁である雅宣先生が「間違った見解」をされて、
それが「今の生長の家の教え」であると説かれています。

その場合、過去のわたしのように「本来の教え」をあまり知らない信徒は、そのままそれを信じてしまい実行してしまうことになります。

本流復活の先輩方は、そういうことを危惧されて、雅宣先生や今の教団をご批判されているようですが、
その場合、ご批判の一つ一つに、聖典を根拠にした「真説」を示して、
「それは間違っている教えだから撤回してください」というように進言される方法をとらないと、
単なる人格批判や、根拠のない批判になってしまい、そのような言動をいくら続けていらしても、
信徒の皆さんからの本当の信頼は得られないのではないかと拝察しています。

実際このweb誌友会板では復興Gさまが、聖典を根拠に「雅宣先生の教え」のおかしな所をたくさんご指摘くださいましたし、
光明掲示板でも、山科さまや明鏡さまその他、聖典「生命の實相」を熟読されている先輩方は、しっかりとした根拠を示して、
雅宣先生の教えの間違いをご教示下さっています。

そのような冷静なご投稿は、単なる感情的な雅宣先生批判と違って、とても説得力があります。

ですから、虚説を摧破・駁撃するのにとても重要なのは、はっきりとした聖典による根拠を示し冷静に批判することだと思っています。

そして、トキさまが、

<<確かに、今の総裁のやった事は、結果的には「ことごとく失敗」なのは認めます。
しかし、その動機の部分においては認めるべき部分があるのも事実だと感じます。
それ以上に気をつけるべきは、自分達も知らず知らずのうちに、「真理」から離れている場合がある事です。
 脚下照顧が大切だと思う次第であります。>>

と、ご意見を言われていますが、わたしもそのご意見に賛同させていただきます。

常に、脚下照顧することが大切であるとわたしも感じています。

4063a hope:2014/06/15(日) 12:44:17 ID:cEpBaIdo
>>4062 追記

【聖典を根拠にした「真説」】とは、【聖典に準じた正しい見解・解釈】という意味です。

4064トキ:2014/06/15(日) 13:41:53 ID:fVXlCvWI
>>4602

 コメント、ありがとうございました。

 大川さんの件は、web誌友会と趣旨が違うので、のちほど、別の場所で
書きます。

4065曳馬野:2014/06/15(日) 17:19:24 ID:I/wU8psA

●生長の家を明朗の宗教と云うのは間違いかもしれない。生長の家は宗教ではないとも云われている。一宗一派の儀禮や集團を作るのが
宗教であるならば生長の家は宗教ではない。それは儀禮や集團を超越したところの超宗教的教化運動である。而もその教化運動は今まで
言詮不及、不立文字として文章を以て説き得ずとしたところの悟りの真理を、文章による古今未曾有の説き方によって易々と人心に滲み
込ませるやうにしたところは一個の文學運動と見ても可いのであって、必ずしも宗教運動と認めなくとも好いのである。併し宗教をば、
生老病死の四苦を解決しうるものを指すと云うような意味に解すれば、生長の家は文學運動であらうとも同時に宗教運動とも云ひ得るのである。

                                          
●『生長の家』とは私の家の名前でもなければ、また『生長の家』という表札を出してある大きな建築物を云ふのではないのです。
心の法則に随って宇宙生々の雰圍気を漂はしている皆様自身の家庭が『生長の家』なのです。さう云ふ家庭の満つる國家は『生長の國家』であり、
全世界がさう云ふ國家ばかりになったら、地上に天国が成就したことになるのです。何でも一歩からです。まづ一人が和顔愛語の『生長の人』
になることが肝腎です。
                              「生命の實相」 より

4066曳馬野:2014/06/15(日) 17:50:24 ID:I/wU8psA

生命の永遠性と云ふことが本當にわからなければ、久遠を貫く皇位の永遠性と云ふことが判る筈がないのであります。こんな事では伊勢大廟に
祭祠奉れる天照大神様は勿論のこと、歴代の天皇様の靈魂が今も現に生きて現人神様として御活動になっていますと云ふ事も解らないで、・・・

                                     「生命の實相」より

皆さんはここに引用しました三つの教えをどのように感ぜられていますか?

4067a hope:2014/06/15(日) 18:21:15 ID:cEpBaIdo

>>4065 4066 曳馬野さま 

web誌友会ご参加ありがとうございます。

えーと、この度は、曳馬野さまが「生命の實相」から抜粋文を謹写くださり、

<<皆さんはここに引用しました三つの教えをどのように感ぜられていますか?>>

と質問されていますが、お手数ですが、これらの抜粋文は何巻の何ページからであるかご教示ください。

今現在、このweb誌友会では、「生命の實相」第13巻14巻の倫理篇(教育篇含む)をテキストとしてお勉強を進めています。

今回のご参加で、曳馬野さまが何をされたいのかよく理解できません。

それに、わたしは、聖典の文章の全体の流れからではなくて、聖典の一文だけを取り上げて意見を述べたり解釈したりするのは、
曲解や、間違った解釈をする恐れがありますので、できるだけこのweb誌友会では避けたいと思っているのです。

ですから、これまでずっと順序だててお勉強してきています。

ですが、曳馬野さまのご質問内容が、今回のweb誌友会のテキスト13巻 14巻からの抜粋文であったり、
また、今までの話の内容と関連性があるのであれば、まずは、曳馬野さまご自身の抜粋文へのご感想や、解釈を述べていただけないでしょうか?

どうぞ、よろしくお願いいたします。

4068曳馬野:2014/06/15(日) 19:28:41 ID:I/wU8psA
a hope さん

昭和14年発行の生命の実相14巻でありますが、昭和26年発行の新修版には二番目のものは有りますが、最初と三番目のものは有りません。
総本山への考え方、天照大神様とはどのようなものなのか、地上天国とは何か、生長の家の目指すもの、それらに対する雅春先生の書かれたものに
何故戦前と戦後では違いがあるかと云う事、またここで自分はこう考えるというような話し合いが必要かどうか、そんなことを考えていただく機縁と
なさんとしての投稿です。今倫理篇の勉強会中であることは承知していますが、和解に関しては訊けさんへの投稿により私の意見は述べてあります。

4069a hope:2014/06/15(日) 23:23:44 ID:cEpBaIdo

>>4068 曳馬野さま

曳馬野さまがご紹介の最初の二つの御文章は、以前わたしが聖典引用板の>2678 〜>2684に謹写した
「無礙の大道」の内容とほぼ同じだと思いました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2678n-

ですから、なぜ、最初の一つ目の文章が、戦後削除されてしまったのか理由がはっきりわかりませんね。
なにか、当時使ってはいけない言葉でも含まれていたのでしょうか?
どなかた、ご教示くださるとありがたいです。


最後の御文章に関しましては、わたしの持っている14巻には載っていないのですから、
わたしは全文読むことができませんから、感想を述べることもできませんが、
この掲示板はたくさん「生長の家」の先輩方がご覧になってくださっているそうですから、
どなたかが曳馬野さまのご質問にお答えくださるかもしれませんね。



いずれにしましても、曳馬野さまが今回、このweb誌友会板で三つの文章をご紹介された理由は、
谷口雅春先生が書かれた御文章が、戦前と戦後で違いがあることをご指摘されたからなのですね?

そして、

①総本山への考え方
②天照大神様とはどのようなものなのか
③地上天国とは何か
④生長の家の目指すもの

に関して谷口雅春先生の書かれた文章が、戦前と戦後で違っていることを、
皆で話し合うことが必要ではないかと感じられているからなのでしょうか??

そうだとしたら、わたしもとても興味がある内容です。

まずは、その①〜④の内容が、戦前と戦後でどのように違く説明されているのか、是非ご教示していただきたいです。


また、

<<和解に関しては訊けさんへの投稿により私の意見は述べてあります。>>

とありますが、本当に申し訳ないのですが、わたしはここのところ忙しくて、他の板のすべては拝見していないのです。
その曳馬野さまのご投稿を見過ごしてしまったようですので、どの板の、何番の投稿なのか教えてくださいませんか?

どうぞよろしくお願いいたします。

4070ホープさんへ:2014/06/15(日) 23:56:31 ID:???

ご参考迄に。http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&amp;mode=res&amp;log=3

4071ホープさんへ:2014/06/15(日) 23:57:14 ID:???

ご参考迄に。http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&amp;mode=res&amp;log=3

4073曳馬野:2014/06/16(月) 20:44:09 ID:I/wU8psA
生命の永遠性と云ふことが本當にわからなければ、久遠を貫く皇位の永遠性と云ふことが判る筈がないのであります。こんな事では伊勢大廟に
祭祠奉れる天照大神様は勿論のこと、歴代の天皇様の靈魂が今も現に生きて現人神様として御活動になっていますと云ふ事も解らないで、歴代の
天皇様は肉体のお隠れ遊ばすと共に、この世に全然存在遊ばさないと云ふことになり、皇霊を禮拝すると云ふことも虚禮であると云ふやうな不敬
な事を考えるに到るのである。この點に於いて無霊魂無神論者や唯物論者は知らず識らず國體に反する大不敬罪を犯している云ふことになって
いるのであります。

【私は斯う云ふ意味で教育界から、すべての唯物論者を駆逐したいと思ふ位であります。】

                                     「生命の實相」より
【   】印は私が附けました。  『生命の實相』に学ぶと云う方々、このように生命の実相に書かれているのですから
運動の目的にされたらいかがですか。

4074a hope:2014/06/16(月) 22:20:33 ID:cEpBaIdo

>>4070 のご紹介の文章を掲載させていただきます。

―――――――――――

真理は 戦前も 戦中も 戦後も 変わるものではない

明鏡 - 2014年05月31日 (土) 23時42分


『 無門關解釋 』 はしがき  谷口雅春先生 


(原文は、旧漢字・歴史的仮名遣いである。)




・・・真理は 戦前も 戦中も 戦後も 変わるものではない。・・・



・・・(天皇の)大(おお)みごころあるのみなり。・・・




・・・そこで現実世界に 宇宙の真理・実相が

地上に天降(あまくだ)って顕現する必要があるのである。


それがキリストの説いた

「神意(みこころ)の天に成(な)るが如(ごと)く地に成る」

ことである。


その時 その無私絶対愛 の宇宙の中心真理の人格的顕現が

地上に顕現しなければならぬのである。


そのような人格者を地上に求めるとき、

キリスト教ではキリストの再臨(さいりん)という形でそれを表現しようとしているし、

仏教では弥勒下生(みろくげしょう)という形でそれを表現しようとする。


しかし即今(そっこん)キリスト何処(いずこ)にありや、弥勒いずこにありや、

ただ理想として心に描くだけでは抽象概念に過ぎないのである。


私は 無私絶対愛の 宇宙の中心真理の人格的表現を

抽象概念ではなく具体的に生ける人格として

天皇に於て見出(みいだ)さんとするものである。


それが真実であることは、

終戦時の天皇の絶対無私の愛の行蹟(ぎょうせき)が

この世界を戦火の地獄から救い出した事実によって

テスティファイせられているのである。


―――――――

4075a hope:2014/06/16(月) 22:24:24 ID:cEpBaIdo

>>4070 ご親切なお方へ

明鏡さまのご投稿をご紹介くださり、ありがとうございます。
谷口雅春先生のお書きになった聖典にある「生命の実相」もしくは「唯神実相」の真理は、普遍であるとわたしも信じています。

この『 無門關解釋 』の はしがき では、その「真理」のことを、『(天皇の)大(おお)みごころ』
『宇宙の真理・実相』『神意(みこころ)』『宇宙の中心真理』というように複数の言葉で表現されていて、
その「真理」が地上(現象界)に顕現することを、キリスト教ではキリストの再臨(さいりん)という形で、
仏教では弥勒下生(みろくげしょう)という形で表現しようとしているとありますね。


そして、谷口雅春先生は、その形を、天皇に見出されようとされた。

それは谷口雅春先生が日本人であり、日本は天皇国であるから当然のことだったのだと思いますが、
ですが、それをもって本当に「生長の家」は「天皇信仰である」となってしまったのでしょうか・・・?

わたしは、「生長の家」の天皇信仰に関してはまだ納得がいかないところがあるので、
>>4073で曳馬野さまが聖典を根拠として言わんとされようとしていることも、なんとなくわかるような気もしますが、
全然お勉強不足だと思うのでこの件に関してはこれ以上のコメントは控えさせていただきます。

どなたか、曳馬野さまのご投稿にお返事をくださるとうれしいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

4076a hope:2014/06/19(木) 19:22:20 ID:cEpBaIdo

今回のテキストのお勉強をしていたら、曳馬野さまのご投稿にもある「唯物論」について書かれていたので、そのことについてすこし考えてみました。


(a hope 所感)

「生命の實相」p143 に『唯物的世界観と唯心的世界観』という「小見出し」がありますが、
この「小見出し」と同じ「小見出し」の文章が同巻p57にあり、先月ですが(>>3886 )、にまとめました。

今回は「唯物的世界観」について具体的な例もあげて、前回よりも詳しく説明されていますが、だいたい同じことが述べられていると思いました。

ただ、前回と違うのは、唯物論者であっても厭世的にならない場合もあることが説明されていました。
以下、その部分を抜粋謹写させていただきます。

―――――――――
p145 後から、4行目

『このように唯物的世界観は人生の価値を全面的に否定してしまいまして、どうしても厭世的になりやすいのであります。

その逆に厭世的にならない人は唯物論では人生の理想とか、規範とか、目的とかということを失ってしまいます結果、どうせこの世は無目的で、永遠価値というようなものはないから、五官の快楽に浸っておればそれだけでいいんだということになりまして、浮薄な表面的な快楽主義に陥ってしまうのであります。』

――――――――――

4077a hope:2014/06/19(木) 19:28:00 ID:cEpBaIdo
>>4076 a hope 所感 つづき)

人間は、この「浮薄な表面的な快楽主義」に陥っていても、人生がうまくいっている時には成功者のように見え、
周りからの賞賛も受けたりするのかもしれません。

ですが、何かに失敗していったん転落し始めると、そのような人は自ら命を絶ってしまったり、
犯罪に走ってしまったりするケースが多いのではないかと感じています。

そのような唯物論者は過去にも現在にもたくさんいるのではないでしょうか?

「生長の家」が、「人間神の子」の教えを世の中に広める大きな目的は、
このような唯物論者たちを本当の意味で救うことなのだと思います。

ですから、曳馬野さまが、>>4073で謹写してくださった箇所に、

<<【私は斯う云ふ意味で教育界から、すべての唯物論者を駆逐したいと思ふ位であります。】>>

という少し過激であるともとれる雅春先生のご発言がありますが、もし、子どもたちを教育する教師が唯物論者であったならば、
たくさんの子供たちを「厭世的」な、もしくは「浮薄な表面的な快楽主義者」に仕立てあげてしまう可能性が大きいわけですから、
雅春先生にしてみれば、そのような「生命の永続性」を信じない唯物論者は「駆逐したい」と思われたのは本心だったのではないかと思います。

ですが、雅春先生は、そのような唯物論者ですら心から愛されて、救いたいと切願されていたのではないかと思いますが・・・。

4078a hope:2014/06/23(月) 10:43:49 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

今朝、大熊先生のブログに素晴らし個人指導のご報告があり、とても感動しました。

大熊先生は今は「いのちを守る親の会」の理事長さんで、
「小さな命を守る運動」に全力を尽されていますが、
以前は宇治別格本山の講師をされていて、たいへん人気があったそうです。

今回の内容は、今春、ある男性Mさんが大熊先生の個人指導を受けられたあと、ご両親に心から感謝できて、

<<Мさん「先生。毎日が光り輝いている感じなのです。職場では、主任から、2階級特進で、課長になりました。
しかも、不妊と言われていた妻に、赤ちゃんが授かったのです。生活でも仕事も良い事ばかりです。」>>

という、素晴らしい幸せな生活を実現されたというものです。

大熊先生のご指導内容は、「生命の實相」の真理そのものであるとわたしは感じました。

わたしも、大熊先生のような指導できるようになりたいと思いました。

ですから、これからも聖典の勉強を頑張ります!

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

4079a hope:2014/06/23(月) 11:21:56 ID:cEpBaIdo
>>4078訂正

「小さな命を守る運動」⇒「いのちを守る運動」

わたしは、勝手に「赤ちゃんのいのち」=「小さな命 」と解釈していましたが、
おそらく大熊先生ご自身は、「赤ちゃんのいのち」を「小さな命」だとは考えておられないと思います。

わたしたちは、元は一つなのですから、一つの「赤ちゃんのいのち」を救うことも、
結局は自分自身の「生命(いのち)」を救っていることになるのではないかと、今、気がつきました。

わたしたちの「生命(いのち)」には区切りはありませんものね!

4081a hope:2014/06/27(金) 10:17:25 ID:brQxC10.

聖典引用板>2973 〜>2975 曳馬野さま

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2973n-

今回の曳馬野さまのご投稿内容は、とても重要な問題提起であるようにも思います。

生長の家が、なぜ、政治の世界に進出したのかとか、「生長の家の歴史」に関しては、
わたしは全然勉強不足なので、この件に関しては、みなさまのご意見を是非うかがいたいです。

よろしくお願いいたします。

4082a hope:2014/06/28(土) 20:33:21 ID:cEpBaIdo
みなさま こんばんは

今回、曳馬野さまが聖典引用板でされた問いかけを再掲させていただきます。

―――――――――――

優生保護法などと云うものが出来てから、堕胎天国に成ったので、かっては堕胎防止法によりきつく堕胎は禁止されていました。
いかなる理由であれ堕胎は厳罰に処し、手を貸した医師は厳罰に処す法律を作る政治の世界から赤ちゃんを守ることと、大熊さんのように一人一人を助けて
いく生き方とは両方なければいけませんね。

然し生長の家出現すれど社会はますます個人の尊厳を優先する民主主義とやらのせいか、戦前より酷いものに成ってはいませんでしょうか?

―――――――――

この問いかけの参考となるような投稿を、光明掲示板で見つけました。
「相模の龍」さまという方の「雅春先生、山岡荘八氏と対談 」(9422)というスレッドです。

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=1839

これを拝読すると、わたしのような「生長の家」組織運動の歴史を知らない者でも、
雅春先生が、なぜ、「生長の家」組織を政治の世界に進出させたのかがわかります。

ここでも、「民主主義」が話題に上がっていますね。

4083ユタカ:2014/06/28(土) 22:13:55 ID:N20ePDNw
こんばんは、
8が壊れて動かないので昔のXPを引っ張りだしてきました、
これは、ウイルスうじゃうじゃ。

ラスト50も読まないで、勝手に発言します、生命の実相13巻P、59
8Lの

本源の生命を汲んでいないで外形だけ残っているような枯れ木のような宗教がある

上記、生長の家 国際本部じゃね? って思いましたよ。

それだけをこめんとしにでてきた。 明日は量販店に領収書をもってPCを修理にいきます。

大熊先生? 頑張っているけど、せっかく生まれた子供を放置して亡くなった子もいるね、助けてあげたいね。
前に、切り刻んだ手足の写真をみて恐ろしくて、もう見にいっていません。
もう、ブログにそういうの掲載されていない???

a hopeさま!がんばって! またくるね!

4084a hope:2014/06/29(日) 00:30:58 ID:cEpBaIdo

>>4083 ユタカさま

web誌友会ご参加ありがとうございます!

また、今回はユタカさまらしい率直なコメントをいただきました。
正直に言えば、わたしもユタカさまのご意見に近いものを感じているのです。

国際本部だけではなく、今の現象に現れている「生長の家」は「争いの家」とも呼ばれるような惨状です。


そして、大熊先生がお悟りを開かれ、その眼で現象を見つめられた時、惨殺されて闇に葬られているたくさんの胎児を、
見殺しにしておくことができなかったというご心境もなんとなくですが理解できるのですが、
一人の母親として、わたしも、「もう2度とあのように胎児の切り刻まれた写真を拝見したくない」というのが正直な心境です。

ユタカさまのおっしゃるように今現在の日本には、胎児だけではなくて、
せっかく生まれでてきた子供であっても、殺されてしまっているという現実も多くあります。

そして、子供だけでなくて青年や大人であっても、これからの日本の未来に希望を持てず、
人生に絶望して自ら命をたってしまっている人が後を絶ちません。


みなさま、「生長の家」は今、何をなすべきなのでしょうか?


現象の問題に対応する運動もたしかに大切かも知れませんが、それ以前に、
信徒一人一人の信仰がきちんと「生命の実相」に戻らなければ、なにをやってもうまくいかないような気がします。

4085ユタカ:2014/06/29(日) 17:07:36 ID:N20ePDNw
ahopeさま

雷雨で量販店に行く事をやめました、で13巻を読み進むうちに

よく訊け氏が「久遠の今」の映像を流してくれたけど、イマイチというか、
その意味があまりよく分からなかったですが、この間の88ページあたりのことが
その事につながってくるのでしょうかね??

昔は、教化部で「生命の実相」を正しく講義してくれていたのですが、3代目が講習会などでも分かるように

「迷い」はレストランのメニューから来る!! なんて講話をブッ放すもんだから、

生長の家の講習会が漫談になってしまって、勉強が出来ないんだよね〜〜〜。

生命の実相の本から正しく学んでいきたいですね。。。

P、88 の久遠神性にある救いって素晴らしいね。
善き現象界を造る母胎だそうです。

一人ひとりが久遠の実在を観て信じていけばいいのですね。

で、感想・・・あくまでも自身の感想・・
本源からズレテイル国際本部も、どこそこのなんとか会もみんな現象。
「実際の人間」(リーアル・マン)は悪くないのです。

みんな素晴らしい生長の家神の子!!

ってか?!!!

今からさらに、読み進みます。。。また!!

4086ユタカ:2014/06/29(日) 17:08:33 ID:N20ePDNw
上記 生命の実相13巻のことです。

4087ユタカ:2014/06/29(日) 17:15:02 ID:N20ePDNw
ユタカ、
本当に分かるまで、13巻を繰り返し繰り返し読みたい。。。

4088ユタカ:2014/06/29(日) 17:17:11 ID:N20ePDNw
訊けさまに「久遠の今」の講義をしてもらいたいね。。。

4089a hope:2014/06/30(月) 11:23:13 ID:cEpBaIdo

>>4085 ユタカさま

「生命の實相」第13巻の p77〜132 までは、主に神性隠蔽について書かれていますね。

「実際の人間」(リーアル・マン)を包み隠してしまう「罪」「迷い」とはどんなものか、
ここのところを丁寧に拝読していくと理解できるのような気がしています。


ところで、総裁先生は本当に、

『「迷い」はレストランのメニューから来る!!』などというご講話をされたのですか?

その類の迷いは、「どれにしようかな?」っていう現象に対応するときの迷いですね。
わたしも、レストランでのメニュー決定ではすごく迷ってしまう方ですが・・・。



「久遠の今」悟りとは、「生命の実相」悟りの状態と同じなのではないかと感じています。

「今」この時に『わたしは素晴らしい世界に生かされているんだー!』という最高の喜びを感られる状態が、
「久遠の今」の悟り(「生命の実相」の悟り)なのではないかと・・・あくまでも推測ですが・・・。

https://www.youtube.com/watch?v=WueXb8tC-iQ&amp;feature=youtu.be



これは、昨晩、聖典引用板>2981〜>2983にまとめた「谷口教育学」の内容にもつながるのと思うのですが、
この「久遠の今」動画の最後の方に徳久先生のお話が出てきますが、
実は、昨夕のウォーキングの時に、スマホのyoutube で、徳久先生の「ヨハネ伝講義」を聴いていたのです。

https://www.youtube.com/watch?v=yeIu8k1VAKA&amp;index=3&amp;list=PLSD5-8-K4t_6o56gFPAkhMbh3KuaOXE_O


その中で印象に残ったのは「羊に育てられたライオン」のお話でした。

ライオンは優しい性質の羊に育てられて(型にはめられて育てられて)優しい性質のようなライオンに仕上がっていても、
一度、仲間のライオンの「ガオッー」という鳴き声を聞いただけで、その本性が顕れ、ライオン本来の姿に戻るのだそうです。

人間も現象世界の罪や迷いの中で生活して、自分自身も罪や迷いに惑わされて生活していても、
一度、まことに「人間の神性」悟った人間(谷口雅春先生のような)の「コトバ」によって、
人間の本性である「神の子」が導き出される・・・というような、とても興味深い内容でした。


そのお話を聴いた後、ママ友に出会ってしまい、わたしの「ウォーキング講習会」は現象世界の井戸端会議へと転向していまいましたので(笑)、
もう一度、「ヨハネ伝講義」聴き直してみたいと思います。

4090トキ:2014/06/30(月) 22:34:28 ID:mO1r0CPg
>>4089

 素晴らしい御文章、ありがとうございます。

 総裁ご自身は、「自分は自由主義者」と言われているので、彼の主観的な感想なんでしょうね(笑)

 私個人は、生命の実相第13巻の130pにある「不信項へ迷信の因」が印象に残りました。

 恐怖、臆病は究極において自卑の一種でありますが、焦燥不安の状態を喚起し、神への従順ージッと
大きなもににお委せすることーができないような状態にいたらしめるのであります。お委せの心がない
から恐怖する、恐怖するからジッと委せておくことができない。二つの隠蔽は互いに相反映して、ます
ます実相無畏の状態を隠蔽してゆくものであります。実相本源の神に委せることができず、実相無畏の
状態が隠されてきますと、何か物質的な眼に見えるもので霊妙な働きをするものに頼らずにはおられな
くなる。そのためにいろいろの迷信発生し、偶像崇拝となり、本源の神を忘れて、霊媒に乗り移って出
でくるいるいろの霊たちの教えを本源の神の示しと取り違えて、まことしやかに信ずることになるので
あります。ここに実相の神を隠蔽する隠蔽(つみ)を生じるのであります。

 霊媒心霊はかくのごとく実相本源の神にお委せできない不信仰のあらわれなのであります。淫祀邪神の
崇拝も、人から見たら「あの人は信心深い人だ」と思われるかもしれませんが、また本人も自己を信心
深いと思っているかもしれませんが、決して本当に信心深いのであはありません。それはかえって実相
本源の神を信じないから、アチラの神を拝み、コチラの神を拝するようになるのであります。

(130~131P)

 霊的な信仰は確かに説得力はあり、また、ある段階では必要な部分もありますが、本源のものではな
いと知る事も必要かと感じます。

4091曳馬野:2014/07/01(火) 02:56:19 ID:I/wU8psA

 神への従順ージッと大きなもににお委せすることーができないような状態にいたらしめるのであります。お委せの心がないから恐怖する、恐怖するから
ジッと委せておくことができない。二つの隠蔽は互いに相反映して、ますます実相無畏の状態を隠蔽してゆくものであります。

 霊的な信仰は確かに説得力はあり、また、ある段階では必要な部分もありますが、本源のものではないと知る事も必要かと感じます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【神への従順ージッと大きなもににお委せすること】とは
【本源のものではないと知る事】が出来て『トキ氏』の様に、分派の様に、a hopeさんも言われるような教団を批判して「争いの家」と為すことなのでしょうか?

「本源のもの」を本当に知った人がいるのでしょうか?私には各自の観念の神でしかないと思われます。【神への従順ージッと大きなもににお委せすること】が
結果として【争いの家】を創出しているトキ氏の、分派の行動とは思えない。

4092a hope:2014/07/01(火) 08:01:53 ID:cEpBaIdo

>>4090 トキさま

<<総裁ご自身は、「自分は自由主義者」と言われているので、彼の主観的な感想なんでしょうね(笑)>>

そうなのですか!

でも、「生長の家」の総裁である方が、「生長の家」の講習会やご自分のご著書、またはブログで、
「生長の家の教え」ではなくて個人の主観をお話になったりするから、信徒が迷ってしまうのかもしれないですね。


「訊け」さまが、「生長の家ってどんな教え」を読むかぎり、総裁の思想は「間違っていない」といっておられますが、
このご著書は、タイトルどおり、本来の「生長の家の教え」の関してのみ書かれているご著書だと思うので、
雅宣総裁もそのことをわきまえて、執筆・編集されたと思うのです。


ですが、これはわたしの個人的な意見ですが、他の雅宣先生のご著書、例えば「次世代への決断」等、
又はブログでの内容等拝見すると、そのご思想は、本来の「生長の家の教え」とはかなり違ってきてしまっているように感じています。




トキさまの謹写箇所「不信項へ迷信の因」は、p82の「宗教争いは偶像崇拝より起る」に関連していると思うので、
過去に謹写したものを再掲させていただきます。

―――――――


「生命の實相」第13巻 p82

宗教争いは偶像崇拝より起こる

物質的な形あるものを礼拝の的にするようになりますと、物質的な形あるものは有限でありますから、
ここまでは自分の領分であって、お前の領分ではないというような争いができてくるのであります。

人間を和合させる働きをせねばならぬ宗教でさえも、肉体キリストという物質的顕現に捉えられていましては、
顕現せられましたそれぞれの応身または報身は異なりますから、互に信者争い、
領分争いをしなければならぬようになってくるのは当然であります。

その宗教が偶像崇拝教である程度は他教を排斥する程度でわかるのであります。

つまり、すべての争いの第一の萌芽(ほうが)は、物質的な形あるものを崇拝すること
――すなわち偶像崇拝――よりくるものであります。

すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますならば、
「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのであります。

キリストでもこれを肉体イエスという「物質的形体」に見いださず、
「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在り」といわれた「永遠神性」にこれを見いだし、
仏でもこれを肉体釈迦に見いださず、「過去の諸仏は皆わが弟子なり」と阿難答えた「久遠の釈迦」に見いだし、
「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず「すべての教えわれに流れ入りて生命を得ん」と示された「久遠実在の生長の家」に見いだすとき、
すべての教えは、ここからあすこまでは自分の領分だなどという縄張り争いをする必要がなくなるのであります。

―――――――

そして、>>4091で曳馬野さまが、ご質問されている内容の答えもここにあるように感じていますが・・・

4097a hope:2014/07/02(水) 15:40:00 ID:cEpBaIdo

みなさま こんにちは

今日は、久しぶりに平日のお仕事のお休みなので、ネットサーフィンしていましたら、
そのことから、とても興味深い文献を拝読することになりとてもお勉強になりました。

これは、たぶん、曳馬野さまがさかんにおっしゃっている、戦前と戦後で聖典の内容が変わっているという、
事例の一つなのではないかと思うのですが・・・

昨晩、聖典引用板にまとめた、「生命の實相」第13巻のp170 後ろから3行目〜の「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」
の文章のオリジナル版とも言える文章を、「邁進日本の心と力」(昭和13年11月発行)の中に見つけたのです。
(わたしは、この聖典は以前ある方からPDFファイルの文書としていただき保存してあったのです。 感謝 合掌)


それどころか、今回のテキストである第13巻の今お勉強中の第六章「価値の本質」が、「邁進日本の心と力」の中では、
第1篇「日本精神の倫理」としてほぼ同じ内容で記載されていて驚きました。

まだ、全文をちゃんと確認したわけではないのですが、わたしの持っている「生命の實相」頭注版(昭和38年初版発行)にはない文章が含まれていたり、
表現もところどころ変わっているのです。

わたしが感じたところでは、愛国を思わせるような表現はすべて違う言葉に換えれれてていて、
文章も愛国心や天皇に関するものは削除されているようです。

特に、昨晩お勉強していた、「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」【生命の實相13巻p170】のタイトルは、
「邁進日本の心と力」の中では「物質の否定・棄揚(きよう)・神国の肯定」となっているのです。

そして、そこには、日本神国、天皇に関する生長の家の倫理学的見解がかなり詳しく述べられていて、
わたしはその部分は、今日、もう何度か拝読しましたがとても興味深い内容でした。

「生長の家」が天皇信仰であるという根拠にもなるような御文章ですが、
ですが、現在出回っている「生命の實相」には、その御文章が削除されているのはなぜでしょうか?
頭注版「生命の實相」は、谷口雅春先生が直接編集に関わられていたのではないかと思うのですが・・・

曳馬野さまのご質問の趣旨は、そういうことなのではないかと思いました。

つまり、なぜ、雅春先生は、戦後の聖典から、日本神国や天皇に関するご文章を変更・削除されたのかということですよね?

曳馬野さま、違いますか?

4098曳馬野:2014/07/02(水) 16:15:16 ID:I/wU8psA
a hope さん

その通りです。理屈を言う方はいっぱいいますが、私の提示に精一杯お答えくださり誠に有難うございます。

4099トキ:2014/07/02(水) 21:08:28 ID:dkHqmOAw
>>4092

a hope 様

 「生長の家ってどんな教え」は、講習会の質疑応答をまとめた本ですね。

 各地の講習会には、総裁ご夫妻とご一緒に、総裁秘書室のメンバーと講習会企画推進室の
メンバーが来られます。もちろん、モバイル機能がついたパソコンも持参です。

 講習会での質疑応答は、書面で書かれて御昼休みに回収されます。総裁がそれをご覧にな
り、適当なものに返答をされます。私の記憶に間違いがなければ、そのときに、随行の人が
下調べをして、総裁に資料を提出し、総裁はそれを参考にして返答を書かれたはずです。

 その一部は、加筆されて機関誌に掲載され、さらに「生長の家ってどんな教え」になりま
した。ですから、あの本の内容はそれほど間違ったものではないと考えています。

 谷口雅宣先生も、昔はなかなか良い事を言われていた時もありました。もっとも、当時
は谷口清超先生もご健在だったし、徳久克己先生などの先達もお元気でしたから、自由には
ならなかった点もあったと思います。しかし、今は、彼の発言は支持できないものが多い
と感じております。

 この変化については、この誌友会の趣旨とは異なりますから、ここでおしまいにいたしま
す。

 釈尊は、亡くなる直前に、「自灯明、法灯明」と言われました。「自らをよりどころとし、
教えをよりどころとしなさい」という意味です。私は、この場合の「自ら」を肉体の自分で
はなく、神の子たる自己だと解釈をしております。谷口雅春先生の御意志も同じだと考えて
おります。

 こういう時期だからこそ、信徒一人一人が聖典を勉強する時期だと考えています。

4100a hope:2014/07/07(月) 10:44:32 ID:cEpBaIdo

>3007 >3010 聖典引用板 志恩さま

色々と戦後の歴史を教えてくださりありごとうございます。
とてもお勉強になります。 合掌。

――――――――――

a hope様

戦争直後にアメリカの占領軍(GHQ)により発令された公職追放令は、
サンフランシスコ講和条約を締結したので、廃止されたと、載っていました。

ですから、公職令の 廃止後は、自由に言論することが可能になったのでしょう。

終戦直後、
徳久先生は、天皇については、雅春先生が公職追放された関係で
語ることができなくなったので、
親孝行の話を中心にしよう。親孝行は天皇・・に繋がる。

そう思われた徳久先生は、
当時の飛田給道場では、天皇の話は、せず、親孝行中心の話をするように、
されていた。

私が、初、飛田給 夏期高校生練成会に参加した中学3年生の時とは、
昭和30年代の
最初のころでしたから、菊地藤吉先生(共産党から転向した先生)や、
加藤栄太先生などが、すでに、練成会で熱く天皇陛下のお話をされていました。

しかし、当時は、これも、占領軍政策で、日本弱体化のために、左翼思想の人間を
教育界のトップにすえて、言論統制を行った成果が出ていて、日本国土全体は、
共産党,社会党の、赤い、反日思想によって、牛耳られていました。

そして、その反日思想の人らの手によって、、
天皇が、日本国民を戦争に駆り出した責任者なのだとか、日本人は悪い国民なのだという
教育をタタミコマレテ、
われわれ日本人は、洗脳されていった時代でしたから、

雅春先生が、日本の国民に、それは、間違った考え方なのだという真実を、日本人が、
愛国心を取り戻すために、命がけで、説き、愛国運動をされていたことは、
当然のことだったと、思います。

でも、天皇万歳というと、右翼的ですから、
昔の説き方じゃなくて、親孝行を話をされるときに、天皇という生き方は、
無私であり、日々、国民のために四方拝もされてて、。。。というふうに、

親孝行の話とともに、他国には無い、天皇の、本当のすばらしさも、説けば、
自然に聞き手に受け入れてもらえると思っております。

ですから、親孝行の話から入り、日本人に対しては、天皇の話もする、、というのが、自然体では
ないかしら。
―――――――――

こちらの志恩さまのご説明は、とてもわかりやすくて「生長の家」の歴史をほとんど知らないわたしにも、納得がいく内容です。

そして、

<<でも、天皇万歳というと、右翼的ですから、
昔の説き方じゃなくて、親孝行を話をされるときに、天皇という生き方は、
無私であり、日々、国民のために四方拝もされてて、。。。というふうに、
親孝行の話とともに、他国には無い、天皇の、本当のすばらしさも、説けば、
自然に聞き手に受け入れてもらえると思っております。
ですから、親孝行の話から入り、日本人に対しては、天皇の話もする、、というのが、自然体ではないかしら。 >>

この、志恩さまのご意見に心より賛同させていただきます。

(つづく)

4101a hope:2014/07/07(月) 10:46:10 ID:cEpBaIdo
>>4100つづき)

ところで、「学ぶ会」さまや、「ときみつる會」さまなどの本流復活を目指していらっしゃる団体さまは、
やはり、教義には「両親に感謝」の教え、もしくは「人間神の子」の教えを中心にされているのでしょうか?

志恩さまも書かれていますが、もしそうではなくて、天皇信仰や、愛国を前面に出してしまっているのであると、
そのような言葉を目にしただけで、「生長の家の教え」に興味を失ってしまう人は現代の日本にはとても多いと思います。

わたしは今まで勉強不足でしたが、実際に生長の家の愛国書というものを拝見していると、とても奥が深くて万教帰一的で、
けっして、超国家主義とか国粋主義であるとは思えません。

ですが、今現在の日本には、(総裁もそうですが)、その真理をきちんと理解できていない人たちがほとんどだと思うので、
それはとりあえず前面に出さずに、「両親への感謝」「人間神の子」の真理を前面に、教義をされたら、
若い世代の人たちも「生長の家の教え」に興味をもってくださるのではないかと思います。

4102トキ:2014/07/07(月) 22:20:56 ID:I66.tKn.
 われらは古来、人類がすべて神の子であり、何某の尊であり、日子であり、日女
であるとの自覚をもった。今こそいっそう人類がすべて日子であり、日女であり、
何某の尊であるということを知らねばならぬ。すべからく人類は輝く太陽神の子孫
であるということを自覚しなければならぬ。これは古代日本人の原始的迷信などと
思ってはならない。一切の生命は太陽を源として生まれて来るものであることを
近代の科学は証明している。

 生命の実相第13巻 74pより謹写

*まもなく霊牌の時期になりますが、此の世にいる私達も、日子であり、日女である
ことを思いだしましょう。

4103a hope:2014/07/08(火) 00:26:29 ID:cEpBaIdo

>>4099 トキさま

<<釈尊は、亡くなる直前に、「自灯明、法灯明」と言われました。「自らをよりどころとし、
教えをよりどころとしなさい」という意味です。私は、この場合の「自ら」を肉体の自分で
はなく、神の子たる自己だと解釈をしております。谷口雅春先生の御意志も同じだと考えて
おります。こういう時期だからこそ、信徒一人一人が聖典を勉強する時期だと考えています。 >>

「自灯明、法灯明」・・・そういう意味だったのですね。

どんなに素晴らしい尊敬できる人であっても、肉体を持って生まれているかぎり、
その現象に現れている姿は完璧ではないのですよね。


「生命の實相」第13巻 p82 後から4行目〜

<<その宗教が偶像崇拝教である程度は他教を排斥する程度でわかるのであります。
つまり、すべて争いの第一の萌芽(めばえ)は、物質的形あるものを崇拝すること
――すなわち偶像崇拝――よりくるのであります。
すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますが、
「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのです。>>


だから、最終的によりどころにできるのは、自己内在の神だけなのかもしれませんね。
その神を顕すためによりどころにするのが、わたしたち「生長の家」信徒にとっては聖典「生命の實相」となのですね。


ところで、>>4102 のご紹介の御文章は、「生命の実相第13巻 74pより謹写」とありますが、
頭注版の13巻 74pには見つからないのですが・・・

出典をもう少し詳しく教えてください。

4107トキ:2014/07/09(水) 15:09:34 ID:nkzt7hXM
>>4103

 ご質問、ありがとうございました。あと、お詫びと訂正です。

 当該文章は、頭注版の3巻 74pの間違いでした。古い本でしたので、
表紙の印刷がかすれて読めなくなっていました。

 すみませんでした。

合掌 ありがとうございます

4108a hope:2014/07/11(金) 10:21:39 ID:cEpBaIdo

>>4102トキさま

お返事をありがとうございます。

本当ですね。

生命の實相第3光明篇第三章「生長の家」とはなんであるか の最後(p74)に、
おまけのように、トキさまの謹写された御文章が掲載されていました。

そのような、文章の紹介の仕方は、「生命の實相」ではちょっとめずらしいのではないかと感じました。

短い文章ですが、ですがその文章には、とても重要な真理が書かれていると思いました。

タイトル、ふりがな、頭注まで含め、前文謹写させていただきます。合掌。



―――――――――――――
日子 と 日女 

われらは古来、人類がすべて神の子であり、※何某(なにがし)の尊(みこと)であり、日子(彦)であり、日女(姫)であるとの自覚をもった。

今こそいっそう人類がすべて日子であり、日女であり、何某の尊であるということを知らねばならぬ。

すべからく人類は輝く太陽神(ひめしん)の子孫であるということを自覚しなければならぬ。

これは古代日本人の原始的迷信などと思ってはならない。

一切の生命は太陽を源(みなもと)として生まれて来るものであることを近代の科学は証明している。


※何某の尊――
むかしから日本では、人間を神の生命のあらわれとしてミコトといってうやまっていた。
決して肉体人間のみは見ていない。
何某というのはだれそれという不特定の人をさした代名詞。
たとえば大和武尊(やまとたけるのミコト)・大国主命(おおくにぬしのミコト)  【頭注より】

――――――――――――――


昨晩、聖典引用板にお勉強した「生命の實相」第13巻p173〜の箇所には、


<<日本語ではこれを「霊人」(ひと)という。
「霊人」とは霊的実在なる所の普遍的存在であるということである。

霊子(ひこ)または霊女(ひめ)という場合は「久遠男性」または「久遠女性」の意味であって、
朽ち果てるべき「仮面の人間」ではないのである。>>


とありました。

ミコトという言葉にしても、「命」「尊」二つの漢字で表現されるのですね。

でも実際に、「生長の家」で礼拝供養するときには、「比古の命」「比女の命」と書くのですね。(「人生を支配すり先祖供養」p20より)

色々な漢字が出てきて、ちょっとややこしい感じもしますが、そのなんでもあり的な特徴が「生長の家」の万教帰一の教えに通じるのだと思いました。

「こうでなければいけない」「こうしなければいけない」そういう「縛り」がまったくないのが、本来の生長の家の教えですよね?



だから、わたしは、なぜ、本流復活の先輩方が「天皇国日本の実相顕現」という表現にそんなにこだわっていらっしゃるのかが未だよく理解できません。

現代の日本で、「天皇国日本の実相顕現」という言葉を前面に掲げて運動をされることは、反対に「天皇国日本の実相顕現」を妨げる結果になっているのではないかと感じています。

わたしは生長の家の「人間神の子」の真理が現代の日本の若者を含む多くの人たちに浸透してこそ、
まことの(形だけではないという意味)「天皇国日本の実相」が顕現すると思うからです。

そのためには、まずは、現代の戦後の唯物論の教育に洗脳された人々に生長の家の「人間神の子」真理を広く伝道することが先決なのではないでしょうか?

雅春先生も、そのために、戦後の「生命の實相」などの聖典から、わざわざ、愛国や天皇信仰に関する文章を削除され、
どのような思想・信仰をもった人々にも「生長の家」の教えが浸透していうようにされたのではないのでしょうか?

それは、サンフランシスコ講和条約締結後、再び日本人に言論の自由が許されるようになった後でも、
雅春先生が「聖典」に戦前の愛国や天皇信仰に関する御文章を復活させることがなかった大きな理由でもあるとわたしは思うのですが・・・。

4109トキ:2014/07/11(金) 20:16:29 ID:v2lJ7fjA
>>4108

a hope様

 先日はたいへん失礼をしました。ごめんなさい。

 さて、「天皇国日本」ですが、これは私の考えでは、神界や高級霊界についての
理解が前提になると考えます。ご神示にもあった通り、これを現象の話と混同する
と問題があると思います。

 譬えて言うと、吾々が小学生の頃は、「引き算」の授業で小さな数字から大きな
数字を引けないと習いました。が、中学になり、マイナスという概念を習うと、
小さな数字から大きな数字を引く事は問題なしとなりました。

 私が大学の教養課程で、物理化学という科目で、量子力学等を勉強した時に、
「難しいからと諦める事はない。今はわからない事でも、勉強が進んだら、自然と
わかるようになります。」

と言われた事がありました。

 同様に、ある段階になると、この問題は自然と理解ができるものかと思います。

 それまで、みんなで地道に勉強をいたしましょう。

4111a hope:2014/07/13(日) 10:00:57 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

今回の第25回web誌友会は、5月に始まりましたが、わたしの勝手な司会で、今月で3か月目に入ってしまいました。

テキストは「生命の實相」第13巻と14巻です。


昨晩、「あまむし庵」さまのブログを拝読させていただいていました。

http://56937977.at.webry.info/

「あまむし庵」さまがどのようなお方は知りませんが、「天皇国日本の実相顕現」というお言葉を頻繁に使われているので、
本流関係の大先輩なのではないかと勝手に想像しています。

その御文章の感じが、どこかで拝読したことのあるような気もするのですが・・・(?)

わたしが拝読したログの内容は、『4/中心帰一 その一/現象の迷いの否定を通さない「中心帰一」は中心帰一ではない』から、
『12/「生長の家本部赤痢菌事件」の対処法と教訓/日本と世界の問題を自分自身の問題として受け止める 』までですが、
かなりの量でしたから(A4に27枚!)、プリントアウトしてじっくりと拝読させていただきましたがすごい内容だと感じました。

前半部分は、本流の先輩らしく、現教団や総裁・副総裁のご批判文が多かったので、一度は拝読をやめてしまおうかとも思いましたが、
続けて拝読していくと、その内容は「生長の家の教え」そのものように感じました。

reiさまも、とても感動されていて、コメント欄で讃嘆されています。

特に最新の『12/「生長の家本部赤痢菌事件」の対処法と教訓/日本と世界の問題を自分自身の問題として受け止める 』は、
今回のテキストである「生命の實相」第14巻の『和解の倫理』の解説をしてくだっていて、とてもお勉強になりました。

http://56937977.at.webry.info/201407/article_3.html


そこには、以前わたしも聖典引用板板に謹写させていただいたことのある楠本加美野先生のご体験も例にあげてくだっています。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/851

その時のわたしの(所感)を再掲させていただきます。

――――――――――

>>851
(a hope所感)
楠本加美野先生は、河口湖道場に赤痢が発生したとき、辞職願を書かれて責任を取ろうとされた。
でも、本当に責任を取るということは、そういうことではなかったと、「大調和の神示『七つの燈台の点燈者の神示』」に気づかされたとあります。
それは「省みて天地万物に感謝して和解すること」だったのですね!

わたしは、このお話を拝読して、『赤痢菌に和解する』とは、『赤痢菌が人にする「悪さ」(虚説)と和解することではない』のだと思いました。
加美野先生は「どうして今、この道場に赤痢が発生したのか……赤痢菌は神様の使いである、何かを教えて下さっているに違いない」そんな風に自ら省みられ、
真剣に懸命に祈られたからこそ大切なことを悟られて、赤痢菌の存在自体に感謝でき、赤痢菌と和解することができたのだと思います。

今、「生長の家」で起きている全ての問題は、赤痢菌同様、わたしたち信徒一人ひとりに、何か大切なことを教えて下さるために神様が与えて下さったありがたい課題なんだと思います。
だから、今、わたし達「生長の家」の信徒のすべきことは、やはり「天地万物に感謝すること」なのだと思います。
そして、感謝するとは、「省みて和解すること」なのだと思います。

わたしたちが自らを省みることのないまま、相手への真の「感謝」や「愛」や「赦し」の心のないまま、
相手の「虚説」だけを討つことは、生長の家の大神さまの御心そして谷口雅春先生の御心にはかなっていないような気がします。

―――――――――

(つづく)

4112a hope:2014/07/13(日) 10:09:37 ID:cEpBaIdo
(>>4111つづき)

「あまむし庵」さまは、加美野先生の御文章を引用されご指導してくださったあと、
当時の日本の社会状態や「生長の家」の運動の様子をご説明くださり、
わたしたち「生長の家」の信徒に、とても重要なご教示をしてくださっているように感じました。


以下、その部分を引用させていただきます。
(つづく)

4113a hope:2014/07/13(日) 10:12:02 ID:cEpBaIdo
>>4112つづき)

↓「あまむし庵」さまの御文章です。
―――――――――――

河口湖道場における「赤痢菌」事件。この当時日本は「赤色(共産)革命」前夜の大混乱期にあったのです。全信徒が一丸となって、谷口雅春先生著『占領憲法下の日本』を、全国民に配布するための伝道に立ち上がっていた時代です。人類に次々と毒素を増殖伝染させて行く「赤痢菌」は、当時の唯物主義的「赤色(共産)革命」の象徴のようでもあります。赤色革命、共産主義思想、マルクス主義思想は、人類全体に唯物論の毒素を増殖伝染させる「ユダヤ思想」をルーツとしているのです。

注)「赤色革命、共産主義思想、マルクス主義思想は、ユダヤ思想をルーツとしている」この件については、当ブログ「1/マルクスの建前と本音」を参照下さい。http://56937977.at.webry.info/201402/article_1.html

 赤色革命、これは『ヨハネの黙示録』十二章及び十三章で預言されたところの「赤き龍」(サタン)であり、『古事記』では「八岐大蛇(やまたのおろち)」として預言されています。前世紀、世界中で猛威をふるった赤色革命の嵐は、今世紀(21世紀)ではもはやその力は失ったかに見えますが、唯物二元論のユダヤ思想は、国際金融至上主義、国際グローバリズム、CO2温暖化環境保護主義、世界中の銀行システム、日本国憲法等々、様々な形を変えて全世界を蝕(むしば)んでいるのです。

注)「唯物二元論のユダヤ思想は、国際金融至上主義、国際グローバリズム、CO2温暖化環境保護主義、世界中の銀行システム、日本国憲法等々、様々な形を変えて全世界を蝕(むしば)んでいる」この点については、説明を要しますので、今後順次このブログでご紹介したいと考えております。

 現在、それらの赤色思想(唯物思想)が、生長の家の組織の中枢をも蝕(むしば)んでいる事実を見る時、この問題を地球規模的問題、且つ人類の歴史的問題として捉え直す必要性を、強く感じずにはいられません。つまり、現在生長の家人の目前に現れているところの危機は、天皇国日本の危機であり、同時に全地球的危機であることを、私達に教えてくれているものだ、と解すべきなのであります。目前の問題を国家、地球全体の問題として、しっかりと捉えることによって、改めて生長の家立教の使命の確認と、神から生長の家人に課せられた偉大な使命を、正しく受け止めることができるのではないでしょうか。

 以上の意味において、この問題に対して絶対感謝をすべきであると考えております。
(つづく)

4114a hope:2014/07/13(日) 10:14:16 ID:cEpBaIdo
>>4113つづき) ↓「あまむし庵」さまの御文章のつづきです。

  ありがとうございます。ありがとうございます。
  ありがとうございます。ありがとうございます。
  ありがとうございます。ありがとうございます。
  ありがとうございます。ありがとうございます。

 感謝唱行を繰返すことによって、自分自身の心の中で、「あぁ、ありがたい」「なんて有難いんだろう!」と、問題に対する感謝の念が生じてきます。さらに時間が経てばたつ程、その感謝の念は、「ただありがたい」底に終るものではなく、谷口雅春先生の教えを受けた私自身に対する、「神様から与えられた使命の躊躇なき断行の決意」に昇華して行くのであります。赤痢菌に感謝し得た楠本講師の感謝は、「誰彼の差別なく触れる人ことごとくに菌を伝える赤痢のようでなければならない」との、断固たる伝道の決意として結実した時、然(さ)しもの赤痢菌事件も見事に解決し得たではありませんか。

 今回、生長の家本部中枢で発生した、謂わば「生長の家本部赤痢菌事件」に対する私自身の感謝は、「神から与えられた使命の躊躇なき断行の決意」という、教訓を与えて下さったことに対する感謝となって行くのでした。それは取りも直さず、「天皇国日本実相顕現」と「人類光明化運動」の断固たる決意であります。

 今回の「生長の家本部赤痢菌事件」は、私にとって、現在進行形で進んでいる日本と世界を蝕むユダヤ問題(赤色思想・唯物思想による全世界への侵蝕問題)が、生長の家自体をも侵蝕している事実に目覚めさせたと同時に、この地球規模の問題は、自分自身としても極めて身近な大問題であったという「事実」を、深く理会し得たというところに、最大の「教訓」を読み取る事ができたのであります。

 今までは、ユダヤ思想、唯物思想が、日本と世界に及ぼす影響力については、ある種「他人事」的な距離感をもって、眺めていた憾(うら)みがありました。しかし、今回の「生長の家本部赤痢菌事件」を深刻に考える中で、これらの諸問題に共通する同一性を発見できたのであります。その瞬間、小生の意識は、日本と世界が抱え続けている「ユダヤ思想、唯物思想、赤色思想」の大問題を、「自分自身の問題」として受け止め始めていたのです。

 これが、「生長の家本部赤痢菌事件」に対する、小生の受け止め方なのであります。
――――――――――――――
(つづく)

4115a hope:2014/07/13(日) 10:16:27 ID:cEpBaIdo
>>4114つづき)

「あまむし庵」さまの御文章からは、感謝の念のようなものがじわじわと伝わってきて、拝読していてとても気持ちよくなってきます。

わたしは、気功をやっていたことがあるので、「氣」や「波動」にはとても敏感で、たとえそれが文章であってもその波動を感じてしまうのです。
ただ、すべてわたしの主観で感じていることなのでそれが正しい感じ方であるかは不明ですが・・・(笑)


大熊先生のご講義もわたしにはとても心地よいです。

http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/MYBLOG/yblog.html

大熊先生はよく「報恩」というお言葉をお使いになりますが、お二人に共通しているのは「愛」と「感謝」だと思いました。


「生長の家」は素晴らしい!!!

4117a hope:2014/07/15(火) 18:31:44 ID:cEpBaIdo

みなさま

今迄、聖典引用板の方に、web誌友会のテキストである第13巻の内容をまとめたものや、
(所感)を書かせていただいていましたが、聖典引用板の方には謹写した文章のみを投稿させていただきます。

これからは、テキストをわたしが個人的にまとめたものやその内容への所感は、こちらに投稿させていただきます。

(テキストまとめ)

○『善とはなんぞや』p176 
・・・無相なるがゆえに無限相であるところの自由自在な神性が、時相応、所相応、人相応に顕現した状態をいう

時相応・・・時にふさわしい
所相応・・・所にふさわしい
人相応・・・その人にふさわしい


△人の時所に相応しない「思い」と「行為」とは
・・・前例においてそれが同じ「思い」同じ「行為」であっても「善」だとはみとめられない

例)<<たとえば、赤穂(あこう)四十七義士が主君の仇(あだ)のために吉良上野介(きらこうずけのすけ)を殺害してみずから切腹したごときは、近代においては「善」であると認められないことは前述したとおりである。>>p176 8行目〜


△「善」の動機説、精神内容説とは
・・・古来から唱えられている説で、動機さえよければ、その行為の精神内容さえよければ、形はどうでもそれは「善」であるとみとむべきである
・・・人類のためだという動機ならば手段としての行為はどのようなものでも、またどのような結果を招いてもその行為は「善」である


【「善」の動機説、精神内容説を谷口倫理学が排斥する理由】

<<動機が善であってもそれが不結果を招くのは、その動機としての彼の行為を指導し、彼を行為にまで駆るところの精神内容に、すべての場合や条件を尽さざるところの不完全さを暴露しているのである。不完全は「善」ではないから、不結果を招くような動機も手段も「善」とはいいがたいのである。>> p177 後から6行目〜

4118a hope:2014/07/15(火) 18:38:06 ID:cEpBaIdo

>>4117 a hope所感)

ここの第13巻p176〜183には、宗教を信仰する人間が、その「教え」(真理)の表現として現象世界で何らかの「運動」をしていく時に、
守らなければいけないとても重要なことが書かれているような気がします。

たとえ動機が「善」であるように見えていても、その行為に結果がともなわばければ、
それは「善」とはいがたいと谷口雅春先生はおっしゃっています。

これは、たいへん厳しい教えなのではないでしょうか?

それでは、人間がまことの「善」をなしとげるにはどうしたらいいのでしょうか?


その答えは、P178の『人間に神を実現する』とp179の『自我のおきかえ』に書かれていて、
そのたとえ話としてp180の『香厳(きょうげん)上樹(じょうじゅ)、飛躍の道』に『無門関』の第五の公案「香厳上樹」のお話と、
イエスが悪魔に惑わされそうになった時のお話が紹介され、まことの「善」とはどのような事かの詳しい解説がされています。

ここのところも、とても重要だと感じているので、時間がかかりますが、聖典引用板の方に全文謹写させていただきます。 感謝 合掌。

4119a hope:2014/07/15(火) 22:32:13 ID:cEpBaIdo

『人間に神を実現する 』p178
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3024

(a hope所感)

ここでいう、「法界を覆う知恵」とは、神の知恵、つまりは「実相の悟り」のことだと思いました。

そして、その悟り、つまり、「法界を覆う知恵」を得るためには、「禅的な修養が必要」とあります。

生長の家の信徒であれば、修養とは三正行のことですから、聖典・聖経の拝読 神想観 愛行ということですね!

4120a hope:2014/07/17(木) 11:03:37 ID:cEpBaIdo

『自我のおきかえ』p179
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3026

(a hope 所感)

<<人間の小知は決して全法界に達せざるがゆえに、根本的には善をなすことができない。>>

なんて厳しい言葉でしょうか!!

ここのところの文章を真っ直ぐ受け取れば、「わたしたち人間は人間知では善をなすことができない」ということになります。

まあ、まことの善とは、「実相」の現れのことですから「生長の家」の真理から言えばそれは当たり前のことなのかもしれませんが・・・

現象世界のさまざまな「迷い」の中で生きているわたしたちは、「サタン」の誘惑も頻繁に受けますから、このまことの「善」を実行するのは至難の業のような気もします。

でも、そんなことばかり気にしていてはなにもできませんから、わたしたちは「生長の家」人は常に「三正行」を怠らず、
>>4114であまむし庵さまのおっしゃるように、「神から与えられた使命の躊躇なき断行」していかなければいけないのだと思いました。

4121a hope:2014/07/17(木) 11:05:18 ID:cEpBaIdo

「使命邁進の神示」

人がどう思ふかも知れぬと、そんなことばかり気にかけているようなことでは心の苦しみは絶えぬものだ。
自分がどの位愛したか、自分がどんな仕事をしたか、そればかりを考えるが好い。
肉体の人間は誤解するものだとあれほど言いきかしてある。
肉体は念の集積で出来たレンズ又はプリズムであるから、人によってその『眼鏡』は違うから、どんな光線でもみんな屈折して見えるし、丸いものも三角に見える。
深切で言ったつもりが悪意にとられたり、失敗(しくじ)って言った言葉でおかげを受ける人もある。
誰が何を思っても、それは迷いで屈折して色々に観るのであるから、ただ神に知られることだけを求めて人に知られようなどとは思わぬが好い。
人間の苦しみの一つの元は上べを飾りたい心である。(昭和七年三月十五日執務中神示)

4124a hope:2014/07/18(金) 22:36:18 ID:cEpBaIdo

「香厳上樹(きょうげんじょうじゅ)、飛躍の道」p180
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3027n-

(a hope所感)

「悟り」を開いた状態であればどのような行動をとっても「善」の現れとなる、ということなのでしょうか・・・?

自分(我)を無くした状態(無我状態)になった時はじめて、神の御心がそのまま現れてまことの「善」をなせるということなのだと思いました。

だから「善」をなすためには、自分の中の神とつながる毎日の「神想観」が何よりも大切なのですね!

4125a hope:2014/07/19(土) 09:33:00 ID:cEpBaIdo

『人格の自由と「認め」の倫理 』p183
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3029

(a hope 所感)

よく真面目に親の言うことを聞いて育っている人のことを、「お前は親のひいたレールを走らされているだけだ」と揶揄することがあると思いますが、
その場合、その人自身に人格の自由がなくて「親のひいたレールの上を走っている」場合と、
人格の自由を持ちながら「親のひいたレールの上を走っている」場合があるのではないかと感じています。

それは、不満だけれど仕方なくいうことを聞いているのか、それとも、親を信頼して喜んでしているのかの違いだと思います。

後者の場合であれば、たとえ親のひいたレールの上を走っていても「人格の自由」は認められているのではないでしょうか?


信仰にしても同じだと思いました。

わたしたちは神さまのひいたレールの上を走っている時、自然に不安が消えてすべてがうまくいき、おのずと喜びや満足感が湧き上がってくるのだと思います。


光明掲示板でわたしをご指導くださった明鏡さまのお言葉をみなさまに紹介させていただきます。

<<本来、信仰とは、信ずれば信ずるほど、心が幸せになり、安心してゆくものですが、
信ずれば信ずるほど、不安になるものを “ 迷信 ” といいます。>>

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=1743&amp;submitlog=1743


みなさまのお幸せを心よりお祈りします。 合掌。

4126a hope:2014/07/19(土) 09:50:47 ID:cEpBaIdo
>>4125 訂正

親のひいたレール→親の敷いたレール

すみません、なまってしまいました(;´∀`)

4128a hope:2014/07/21(月) 17:25:23 ID:cEpBaIdo

「驀進日本の心と力」より 『善の存立し得る根本条件』 p67
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3031

(a hope所感)

今回また「驀進日本の心と力」の中に、戦後、削除されたと思われる貴重な文章をみつけました。 

それは「人格の自由」についての文章なのですが、「生命の實相」第13巻では「夫婦の貞操」を例にあげ4ページほど(p184〜p188)で説明されているだけなのですが、
「驀進日本の心と力」では、さらに「天皇」「領土権」「所有権」の例もあげて、7ページにわたってとても詳しく説明されているのです。

わたしはこの部分も「生命の實相」を拝読しただけでは、なんとなくすっきりしませんでしたが、
原文を拝読することで、やっと真意が理解できたような気がします。

少しずつですが、「驀進日本の心と力」の方の原文を聖典引用板の方に現代文に直しながら謹写させていただき、
理解を深めていきたいと思います。

感謝 合掌。

※訂正とお詫び・・・今まで、「【邁進】日本の心と力」と書いていましたが、正しくは「【驀進】日本の心と力」でした。
 大変失礼いたしました。

4130a hope:2014/07/22(火) 23:06:48 ID:cEpBaIdo

「驀進日本の心と力」より 『領土権の根拠は那辺(なへん)にありや』p69
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3034

(a hope所感)

頭注版「生命の実相」には、領土権に関する文章は一切ありません。

とくに、

<<歴史以後に世界各国がこの国土は自分の国土であると宣言したところが、それは既に、歴史以前の大宣言(おおみことのり)であるから、世界各国の統治者は国土を『※うしはく』のであって知ろしめすのではないのである。
かくの如く『認め』の権威が明らかとなったとき、はじめて、夫婦の貞潔と云うものの価値と権威とも明らかになるのである。
夫婦の貞潔(ていけつ)が美徳であると云うのは単なる良人の占取欲(せんしゅよく)のためではなく、社会公安上の便宜ではなく領土権と等しく『人格の自由』と『認め』と、その『認め』の発表のコトバの力に基づくのである。>>

ここの部分は、「領土権」と「夫婦の貞潔」を同等に説明していて、唯物論的に考えてしまうと、
妻や良人を「領土」と同等に考えている「とんでもない思想」、ということになってしまうのではないかと感じました。

戦後、日本国内に唯物論的考え方をする人が増えてきてしまい、「領土権」について考えるにしても、
現象の土地や国土を取り合いするような現状のなかで、この「生長の家の教え」の真意を人々に伝えるのはなかなか難しいのではないかと思いました。

ですがわたし自身は、ここのところの文章をじっくり拝読していると、主人と結婚した時に「誓いの言葉」を交わし合ったことを思い出し、
「間違いなく主人はわたしの半身であって、かけがえのない大切な人だったんだ・・・」
ということに気がつきました。
そして、いままで感じたことのないくらい主人のことを愛おしく感じました。

「谷口倫理学」・・・すごすぎます(笑)

4132a hope:2014/07/24(木) 08:40:24 ID:cEpBaIdo

「驀進日本の心と力」より 『貞操の根拠は那辺にあるか』p71
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3037

(a hope所感)

<<夫婦の貞潔を冒してはならないのは、領土権を侵犯してはならないのと同様である。>>

ここのところの文章は、本当に生長の家の「唯神実相的世界観」をしっかり理解していないと、
現代では、激しく批判されてしまうかもしれない表現ではないかと感じています。

今、世間では不倫や離婚が当たり前のように行われています。

子どもたちのお友だちにも、片親家庭の子供が信じられないくらい多いです。

少し前の時代でしたら、父親のいない子供は肩身の狭い思いをしていたり、いじめられたりしたのだと思いますが、
今の子供達は全く気にしていないから驚きです。

中には、「お父さん」という言葉の意味を知らない小学校低学年児もいます。

時代背景はこれだけ変わってしまいました。

やはり、たとえそれが真理の言葉であっても、時代の変化に従って表現を変えていかないと、
真理の伝道はむずかしいのではないかと感じています。


みなさま、わたしは聖典「生命の實相」または、その関連文章を拝読して、素直に感じたことを発言させていただいていますが、
これは、わたし個人の解釈であり、感想です。

賛同してくださる方もいらっしゃるでしょうし、異論のある方もいらっしゃると思います。
また、「新人が、聖典解釈などとんでもないことをいている!」と、
不愉快に感じていらっしゃる方もいらっしゃるかと思います。

ですが、わたしは「生命の實相」真理の素晴らしさに魅了されてしまっていて、このweb誌友会を続けて行くことに生き甲斐を感じているのです。

Web誌友会の趣旨である「生命の實相」の輪読会へのご参加はもちろん大歓迎ですが、
わたし個人へのご意見、ご感想なども、遠慮なく、こちらでご発言下さいね!

どうぞよろしくお願いいたします。 感謝 合掌。

4134トキ:2014/07/26(土) 21:16:10 ID:Iil/ZUCE
先日、谷口輝子先生の「愛の相談室」という聖典を拝読しておりまして、こういうご文章
がありました。

 「この間、私の所へ、山形県酒田の一白鳩会員から手紙がまいりまして、私はその手紙を
見て、非常に感激したのでございます。70歳になっておられましたが、当時既にずっと十何年
前からの白鳩でございます。その方は川島しげ江さんとおっしゃる方で、短い手紙でございま
すけれども、こんな手紙をくださったのでございます。

 「先日、家で誌友会の最中に盗人が入りました。18歳の将来ある少年で、何も物は盗られ
ませんでしたが、指名手配されて捕らえられた少年の由。かわいそうでかわいそうで、寝ても
眠られず『光の泉』やいろいろのご本や、お菓子などを持参し、差し入れとして警察へ面会へ
行きました。初対面の時はなかなか話もしてくれませんでしたが、やがて和顔・愛語・讃嘆の
うちにすっかり人相が別人のようになり『将来立派な人になって、世のため人のために尽くす
人間になるんだ」といって、泣いて泣いて・・・・。真実に泣くのでございました。山形市内
の少年の施設に収容されて、元気で規則をよく守り、ご本を読んでおります由。もっともっと
御教えのご本をたくさん差し入れ続けてあげたい。誌友会の時に入ったというのは、何かの
因縁だと感じられます。必ずこの御教えで救われます少年に違いないような気が致します。
神想観をして祈っております。有り難うございます。有り難うございます。」

手紙にはそう書いてありました。

 ただ簡単な好奇心とか上辺だけの慰めなんかで刑務所を訪れたり警察を訪れたりしたのでは、
このように変わらないのでございます。真実、この川島さんは、母親のような、実際に生んだ
子供を愛するような気持ちで、その少年を哀れんで、夜寝ても、その子のことが心配になって
眠れないくらいに真実なる愛情をもって、そこを訪れて行かれました。そのために、この少年
はすっかり人相が別人のように変わったというのでございます。この母親のような愛情をもって
他人の子供にも対されるような人。これが本当の生長の家の人間であり、私達の誇るに足りる
白鳩会員であると思うのであります。

(谷口輝子先生 「愛の相談室」 22P)

 伝道というのは難しいものですが、基本は愛情が大事かと思います。その上で、その場その場
で一番良い表現をしたら、きっとその人のためになる言葉が出て来ると感じます。

4135a hope:2014/07/27(日) 12:44:20 ID:cEpBaIdo

「驀進日本の心と力」より 『所有権の根拠』p72
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3041

(a hope 所感)

今回の謹写部分で一番心に響いたのは、(注)の「常不軽菩薩」に関する文章でした。(これは生命の實相第13巻p187にもあります。)

<<(注)「認め」の倫理的価値は、遥かに遡(さかのぼ)れば『法華経』の「常不軽菩薩品(じょうふぎょうぼさつほん)」に於て、常不軽菩薩が万人を成仏すべきものとして礼拝したのに始まる。認めて初めて存在に入るのである。この時よりして万人は成仏すべく定められたのである。大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)が※十劫(こう)の間を道場に坐してしかもなお成仏しなかったのは、本来「仏」でありながら「認め」が存在しなかったからである。>>


ここに「認め」の重要さ述べられていると感じました。
宗教の教義をいくら勉強して知識を豊富にしてみても、いくら神想観をして外に神を求め続けても、たくさんの愛行を実行してみても、
わたしたちは『万人を神の子として「認め」、礼拝する』ことができなければ、成仏できないということが述べられているのだと感じました。

「常不軽菩薩」のように、どんなに憎むべき相手であっても、「赦し」「感謝し」「愛する」ことができたとき、
初めて「釈迦」や「キリスト」や「谷口雅春先生」と同じ心境になれるだと思いました。

4136a hope:2014/07/27(日) 12:46:00 ID:cEpBaIdo

(第13巻まとめ)

この「生命の實相」第13巻の倫理篇では、「円満完全なる人格(神の子・人間)とは何か」と、「それを隠蔽する『ツミ』とはどのような事か」、そして、「まことの『善』とはどのような事か」が、とても丁寧に説明されていました。

ここの部分は、とても深い真理が説かれていると感じたので、5月から3か月かけて丁寧にお勉強してきました。

とくにありがたかったのは、第6章の「価値の本質」のオリジナルであると思われる文章を、
「驀進 日本の心と力」に見つけて拝読できたことで、より理解が深まったことです。

さらに、つづけて「生命の實相」第14巻をお勉強することで、理解を深めていきたいです。


ですが、今日は、あまむし庵さまがブログを更新されたので、その御文章をじっくり拝読させていただきます。

http://56937977.at.webry.info/201407/article_5.html

感謝 合掌。

4137a hope:2014/07/27(日) 12:49:39 ID:cEpBaIdo

>>4134トキさま)

素晴らしい御文章をご紹介くださりありがとうございます。 合掌。

<<ただ簡単な好奇心とか上辺だけの慰めなんかで刑務所を訪れたり警察を訪れたりしたのでは、このように変わらないのでございます。
真実、この川島さんは、母親のような、実際に生んだ子供を愛するような気持ちで、その少年を哀れんで、夜寝ても、その子のことが心配になって眠れないくらいに真実なる愛情をもって、そこを訪れて行かれました。
そのために、この少年はすっかり人相が別人のように変わったというのでございます。
この母親のような愛情をもって他人の子供にも対されるような人。
これが本当の生長の家の人間であり、私達の誇るに足りる白鳩会員であると思うのであります。>>

「まことの愛」がどれだけ人を変えることができるかを証明していますね!
その「まことの愛」が、当時の生長の家には溢れていたのでしょうね。

他人の子を、我が子同然に考えるというのは、なかなかできることではないと思います。

この文章を拝読して宇治でたくさんの赤ちゃんと妊婦さんを救って大活躍されている大熊先生のことを思い出していました。

わたしも、自分の身近なところから真理の実践をしていきたいと思っています。

4139a hope:2014/07/30(水) 08:25:22 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

子供達が夏休みに入りました!!

普段は時間が取れなくてなかなかゆっくり勉強を見てあげられなかったり、
遊んであげられなかったりだったので、この時期はたくさん子供達と過ごすことができて本当に幸せです。



ところで、みなさまは、あまむし庵さまのブログはご覧になりましたか?

http://56937977.at.webry.info/201407/article_5.html

わたし自身は、その内容に感動するとともに深く自己反省することもできました。

「謙(へりくだ)り」ということの本当の意味を考えさせていただきました。


あまむし庵さまの素晴らし御文章に心から感謝いたします。 合掌。

4140a hope:2014/07/30(水) 08:32:09 ID:cEpBaIdo

みなさま

現在、このweb誌友会板では、聖典「生命の實相」倫理篇をお勉強しています。

この倫理篇には現在の「生長の家」問題を解決するヒントが沢山かくされているような気がしているので、
時間をかけてじっくりお勉強しています。

そして先日やっと第13巻をお勉強し終わったので、これからは14巻に移りたいと思います。

この巻の4章には、あの有名な『家ダニ』や『放蕩息子』のお話の「和解の倫理」があります。

あまむし庵さまもブログで自身のご解釈をご教示くださっていて、とてもお勉強になりました。

http://56937977.at.webry.info/201407/article_3.html


また、わたしは以前この掲示板での「訊け」さまのこの章に関するご発言を拝見して、
「和解の倫理」の真実に気づかせていただだいたのです。

ですので、今回はできれば「訊け」さまにも是非、このweb誌友会に参加していただいていろいろご教示いただきたいと思っています。

個人的には「生長の家」の教えを信仰していくのに、この「和解」を外してしまったらその「教え」の価値はゼロに等しいと感じています。


みなさま、本当の「和解」とはどういうことなのか、ここでじっくり考えていきませんか?

といいながらも、今回は夏休みでもありますので、わたし a hopeの書き込みはいつもより少なくなると思います。
みなさまのご参加をどうぞよろしくお願いいたします。

4142a hope:2014/08/03(日) 10:47:33 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第26回 web誌友会 案内

期間  8月1日〜8月31日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p126まで
     

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4143a hope:2014/08/03(日) 10:49:07 ID:cEpBaIdo

トキさま みなさま こんにちは

第25回web誌友会は、わたしa hopeの勝手な司会で、3か月間「生命の實相」第13巻の倫理篇〈上〉をお勉強させていただきました。

そして先日やっと13巻をお勉強し終わりました。
ここでちょうど8月に入りましたので、今月から第26回web誌友会を開催という形にさせていただきたいと思います。
勝手ばかりして申し訳ありませんが、今月からは、また、1カ月期間でテキストの範囲をお勉強し終わるような形に戻したいと思います。

みなさまのご参加をどうぞよろしくお願いいたします。

4144a hope:2014/08/03(日) 10:50:52 ID:cEpBaIdo
それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4145a hope:2014/08/03(日) 10:57:22 ID:cEpBaIdo
続きまして、「生命の實相」第14巻 p2にあります「仏陀の聖訓」を謹写させていただきます。


仏陀の聖訓

「まことに『恨み心』をもってしては、その怨みを解くことはできない。
ただ『怨みなき心』によってのみ怨みを解くことができる。
このことは、永恒(えいごう)に易(かわ)ることのない真理である」

とは『法句経(ほっくきょう)』の第五にある仏陀の聖言である。

「恨み心」をもってしては怨みを解くことはできない、「怨み無き心」によってのみ怨みを解くことができるなどと実にきまりきったことだというような、
怒っている心は怒っているのだ、笑っている心は笑っているのだというようなあたりまえのことを仏陀は何故いったのであろうか。

これは「迷っている妄心」で「迷い」を無くしようと思っても、結局その迷いを解くことはできないものであるという真理を説かれたものである。

怨みを解くには、怨んでいる心でその怨みを解消しようと思っても駄目なのである。

「本来怨んでいない心」を出して来た時、怨みはひとりでに解けてしまってしるのである。

「暗(やみ)の心」で「暗の心」を消そうと思っても駄目である。

「光の心」を出して来さえしたら暗の心は自然に消える。

そのほかの心をもってしては「暗の心」はとうてい消えないのである。

「暗の心」は「無い」と知ったら、「怨み心」は本来無いと知ったら、もう暗の心は消えており、恨み心は消えているのである。


感謝 合掌。

4147神の子さん:2014/08/03(日) 14:02:09 ID:Lz6iJNnk
ほーぷさん、
いつもありがとうございます、閲覧させていただいていますが、
夏休みなので、ゆっくり進んでください、一か月は出かけていてここを読めないので・。

4148a hope:2014/08/03(日) 18:39:54 ID:cEpBaIdo

>>4147 神の子さん

ありがとうございます。
はい、わたしも夏休み、家族で過ごす時間を大切にしたいのであまり書き込みできないと思います。

でも、このweb誌友会は中断したくないので、いままで通り時々赤線を引いてある箇所を謹写して、
所感を述べていきたいと思っています。

みなさまも、テキストの範囲で心に響いた箇所等を紹介してくださるととてもうれしいです。

4149トキ:2014/08/03(日) 23:51:47 ID:neiIgbMA
a hope様

 熱心なご投稿には本当に頭が下がります。
心から感謝申し上げます。誌友会、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

4150a hope:2014/08/04(月) 08:39:03 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p3 10行目〜

「生長の家」はたんなる宗教ではなく、生活であり、家庭であり、また、いっさいでありますが、
それが生まれ更(か)わりの宗教たる一面の最も鮮やかな特色をなす一面でありまして、
個の生まれ更わりの一面があるために生活も生きてき、家庭も生きてくるのであります。


(a hope所感)

>>4149トキさま

ありがたいお言葉に心から感謝いたします。 合掌。

上の謹写部分の文章の言わんとしていることを言い換えれば、「生長の家」を信仰していれば、つまり、三正行(聖典拝読・神想観・愛行)を続けていれば、
わたしたちは生まれ更わることができて、生活や家庭が生きてくるということですよね?

わたしはそれが、最近、実感としてわかってきているのです。

だから、このトキ掲示板で聖典のお勉強をさせていただくことも、そのわたしの「生まれ更わり」のための大切な「行」であると思って、感謝をこめてさせていただいています。

この第14巻の第1章 と第2章は、『悔い改め(生まれ更わり)』について詳しく述べられています。

これからしばらくは、テキスト内の『悔い改め(生まれ更わり)とは何ぞや』が書かれている箇所を抜粋謹写していきたいと思っています。

みんさまもよろしかったら、ご参加くださいね!

4151a hope:2014/08/04(月) 08:41:20 ID:cEpBaIdo
>>4150 訂正
個の生まれ更わり→この生まれ更わり

4152トキ:2014/08/04(月) 20:40:52 ID:FXm1V2Sw
>>4150

 これはとても重要なご指摘だと感じます。

 生長の家という団体に所属すれば自動的に救われるのではなくて、生長の家の信仰、
つまり谷口雅春先生の説かれた教えを実行すれば、魂の向上が正しく行われる、とい
う事ですね。

 生活の中に生きる信仰とは、やはり実践を通じての魂の深化こそが、大切だという感じ
がします。

4153神の子さん:2014/08/04(月) 21:01:56 ID:I/wU8psA
破邪顕正は新潟越南教区の中内英生教化部長は酷い保身の人間だと云っています。

彼は30年ほど前に本部錬成道場で錬成を担当していた。 100人以上の参加者の面倒を総務と二人つまり三人でしていた。

その彼でさえ魂が低いというのであれば、誰が魂の深化ができるでしょう。本当に困って10日間の錬成に参加する人たちの相手をしていたのに、

魂が低いとは?

4155a hope:2014/08/06(水) 18:58:58 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p3〜4

○本当の「生まれ更わり」というのは自覚が生まれ更わってくることであります。
自覚が生まれ更わってきて、忽然「われ神の子である」と自覚ができてくることができなければ、
肉体は何度生まれ更わっても本当の「生まれ更わり」というわけにはゆかないのであります。

○「われ罪の子」の自覚が忽然消えて、「われ神の子」の自覚に入るのが本当の「生まれ更わり」でありますが、
この「われ神の子」の自覚を得るというのは、罪を犯しながら、その罪を犯している自分を
「これで神の子だ、これで真我だ」と自慢自讃することではありません。
罪が外に犯されてるのは、まだ「われ罪の子」という偽存在(にせもの)のわれの自覚が潜在意識内に残っているからこそ、
それが具象化して出て来るのでありますから、その偽存在のわれの自覚を「神の子なり」「真我なり」と名称を付けかえてみましても、
それは何も真に「神の子」が自覚されているわけではない。

4156a hope:2014/08/06(水) 19:01:23 ID:cEpBaIdo
>>4155 a hope 所感)

<<罪を犯しながら、その罪を犯している自分を「これで神の子だ、これで真我だ」と自慢自讃することではありません。>>

わたしは、ここの文章に「悔い改め」の真意が表現されていると感じています。
「人間は神の子だ」という生長の家の真理の言葉を、「神の子だから何をしても許されるんだ」と解釈してしまうと、
人間は増上慢になってしまうのだと思います。

「悔い改め」とは自己反省することだと思うので、自己反省できない人は「生まれ更わる」こともでいないということにならないでしょうか?


>>4152トキさま と>>4153神の子さんのご投稿に、「魂の深化」という表現があり、神の子さんは「魂が低いとは?」と質問されていますが、
わたし個人的には、人間の魂の深化にレベルなどないのではないか・・・と最近は感じています。

その人がどれだけ「実相」(神の子)を現象生活に現しているかいないかで、その人から発する「オーラ」や「氣」の状態がかわってきてしまうので、
それを客観視して魂の深化のレベルのようにとらえているのが精神世界(スピリチャル)的な考え方なのではないかと思うのです。

ですが実際には、ニセモノの我が消えて「神の子」の自覚さえ得られれば、誰でも神と同一のレベルに達することが可能なのですから、
「生長の家の教え」を信仰するということがどれだけ素晴らしいことかがわかります。

わたしは「生長の家の教え」に出会えたことに心から感謝しています。 合掌。

4157トキ:2014/08/06(水) 22:09:41 ID:yk7MqROc
>>4153

 神の子様、HNをご表明下されば幸いです。

 なお、「魂の深化」(進化ではない)とは、自分としては
「神の子の自覚を深くする」という意味で使いましたが、
誤解を招く表現でしたら訂正させていただきます。

4158a hope:2014/08/09(土) 18:01:33 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p5 後から1行目〜

○われは肉体的存在だと思っていた信念が、クラリ!と一転して、わが肉体的存在は仮相であって、
そんなものは実在ではないと知って、実相そのものに新生することが「新たに生まれる」ということである。
「天より降りし者」すなわち実相より生まれた人の実相(神の子)のみが神の子であって、
その実相の自覚に入ることが本当に生まれ更わるということである、
とイエスはいっているということはすでに述べたところであります。 


p6 後から4行目〜

○悔い改めよというのは、心をクラリと転向せよ、今までこれが自分であると力んでいた「自分」はそれは「本当の自分」ではなかった。
それはニセ物の自分であった、「本当の自分」は別にあった、それは「神の子なる自分」であったと悟る。
ここに完全に「われの転回(おきかえ)」というものが行われる。
これが悔い改めであり、新生であるのであります。


p7 後から6行目〜

○今まで罪を犯したということが本当に悪いとわかっているくらいなら、その報いをのがれようと思って小細工をしたり、
逃げようとしたりするものではないのであります。
その人がもし完全に悔い改め、すなわち「われの根本的置き換え」ができていましたら、
最後の審判を恐れるなどということは決してないのであります。
なぜなら「本当のわれ」というものは、火にも焼けず水にも溺れることのない金剛不壊のものだということを知ることが、
すなわち「われの完全な置き換え」すなわち「悔い改め」であるからであります。
だから最後の審判が恐ろしいようでは「悔い改め」ができていないわけで、
最後の審判を恐れて悔い改めよでは意味をなさないのであります。 
最後の審判を恐れるならば、火に焼け水に溺れるような偽存在のわれを捨てて、
最後の審判にかからないところの金剛不壊の「われの実相」を求めよということになって、
初めてここに首尾一貫した「なんじら悔い改めよ」の意味をなすのであります。

4159a hope:2014/08/09(土) 18:03:23 ID:cEpBaIdo

>>4158 a hope 所感)

一言に「わたしは神の子です!」というのは簡単ですが、その自覚をまことに得るのはなかなか難しそうです。
その自覚は日々の修行(三正行)により、徐々に深まっていく場合もあるでしょうし、
ある日突然「われの転向(おきかえ)」が行われて「悟る」こともあるのかもしれません。

ですが、いずれにしても、その自覚を得るには「ニセ物の自分」を否定し、「本物の自分」を肯定するという「悔い改め」という行為が必要なようです。
聖典には、何度も何度もしつこいくらいに、この「悔い改め」とはどのようなことかが表現を変えて説明されています。

続けて謹写していきたいと思います。 合掌。

4164a hope:2014/08/15(金) 12:12:53 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p9 後から1行目〜

○それから「悔い改め」ということは、「自分が悪い」と感ずることではないのであります。
「悪い自分」が無くなるということであります。


p13 5行目〜

○後悔は旧我の持ち越し苦労であり、「悔い改め」は旧我をキレイサッパリ捨ててしまって、新しい本物のわれを展望することであります。
よく似ていますが根本的に相違しているのであります。


p13 後ろから8行目〜

「悔い改めと贖罪苦行との相違」

○「悔い改め」のしるしに水行したり難行したりする人もありますが、「悔い改め」ということと肉体を苦しめることとは全然別のことであります。
こういう人は罪を犯した代わりにそれだけ自分が苦しみを嘗(な)めれば、その罪が消えると思っているのかもしれませんが、
いくら肉体を外から洗い浄めましても、罪の運動慣性(業の流転力)は消えるものではありません。
罪の運動慣性が消えるためには、内から「われの置き換え」が完全に行われなければならないのであります。

4165a hope:2014/08/15(金) 12:16:38 ID:cEpBaIdo

>>4164 a hope所感)

実は、わたしは「生命の實相」をまだ全巻読破していませんでした。

わたしの未読の巻は、第31巻32巻の「宗教戯曲篇」と、第34巻の「道場篇」なので、
数日間、家族でキャンプに行っていたので、その中の一冊、第31巻を自分のバックパックに忍ばせて、
自然が溢れる森の中で一気に拝読してきました。

偶然にもその内容は、今ちょうど、このweb誌友会でお勉強中の「悔い改め」(生まれ更かわり)に関することでした。

わたしは実際の「聖書」は拝読したことはありませんが、谷口雅春先生の「耶蘇傳」では、
十字架に磔(はりつけ)になったのは、真のキリストではなくて、
キリストの姿をしたユダであったというショッキングな内容でした。

自分の罪を認めながらも、「神の子」の自覚まで悟れなかったユダは、業の流転力(心の法則)には逆らえず、
キリストの代わりに磔(はりつけ)になったのでした。

<<罪の運動慣性が消えるためには、内から「われの置き換え」が完全に行われなければならないのであります。>>

真のキリストは、内からの「われの置き換え」が完全にできていたはずなのに、たとえ人類の罪の身代わりになったとはいえ、
なぜ、現象的に自分の肉体を磔(はりつけ)にして苦しめる必要があったのだろうか?
とわたしは今まで少々疑問に感じていましたが、この谷口雅春先生の「耶蘇傳」の内容からだと、その疑問も見事に解消します。

谷口宗教文学も、凄いですね!!!

4166a hope:2014/08/17(日) 21:01:58 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p14〜

○また「悔い改め」とは一悪一悪と順次悪を減じて、一善一善と順次「善」を積み立ててゆくということではありません。
全体の悪が、クラリと光の方向へ転向してゆくことなのであります。


p15 後から6行目〜

○「自分は悪いからぜひ治そう」と決心することが悔い改めではない。
「悪い自分は無い」と知って、「神と一体である自分」を見出したときに、
そこに「ニセ物のわれ」と「本物のわれ」との置き換えが行われるのであることがわかるでしょう・
悔い改めというのは努力によって「ニセ物のわれ」を捩(ね)じ直すのではない。
「ニセ物のわれ」をカラリと捨てて、「本物のわれ」に転向することだということがこれでおわかりになったでありましょう。

4168a hope:2014/08/18(月) 22:06:36 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p16〜

○心全体が、この結局は破壊するところの泥舟を見棄ててしまって、金剛不壊の船に乗り換えてしまう「悔い改め」は、
やさしいようではなはだむずかしく、はなはだむずかしいようで、またはなはだやさしいことなのであります。
それは「人間は神の子である」――そうかなァ、とただ感ずる――そういうふうな気がする、ただそれだけでは悔い改めができていないのであります。
本当に泥船から金剛実相の船に乗り換えることが必要なのであります。

4169a hope:2014/08/18(月) 22:07:48 ID:cEpBaIdo

>>4168 a hope所感)

テキストには、この謹写部分につづき、『マタイ伝』第二十一章のふたりの息子の話が紹介されています。
父親に「ブドー園へゆきて働け」といわれた兄は、「ハイ、まいります」と素直に答えましたが、結局、行きませんでした。
弟は同じように父親にいわれましたが、「ゆきたくない」と答えます。
でも、やがて父親の命令にそむいたことを反省し、ブドー園に行って働きました。

この場合、最初は反抗していても、その後自己反省し、実際にブドー園に行って働いた弟の方が神の国に入れた、
つまり悔い改め(生まれ更わり)ができた、ということになるのだそうです。

4170トキ:2014/08/19(火) 22:18:20 ID:oJzhYg7A
a hope様、すばらしいご文章をありがとうございます。

 青年会で活動をされた経験のある人ならご存知でしょうが、青少年練成会では、このような体験が続出したものです。
いわゆる不良青年と言われた中学生や高校生が、いやいや連れられて練成に参加したのに、最後は真面目になり、その後
社会に出て有為な人材になったケースが続出しています。

 それで思うのですが、活動をしていても、不良の経験のある人は、人の心がよくわかり、また思いやりのある行動をさ
れることが多かったです。もちろん、だからと言って、不良になれとはすすめませんが、若い頃にいろいろあっても、
それが契機で真理に触れて熱心に信仰をされている人も多いです。

 ふと、思いだしたので、書かせて戴きました。失礼を御詫びします。

4171a hope:2014/08/20(水) 10:17:41 ID:cEpBaIdo
>>4170 トキさま


よいお話を聞かせていただき、ありがとうございます。合掌。

つまりは「生長の家」の練成会というのは、本来、迷える人々にこの「悔い改め」(生まれ更わり)をさせる機会を与える場所なのですね。
昔の生長の家の講師の先生というのは、この「悔い改め」の経験をご自分自身の実体験としてお持ちだからこそ、
人々を「悔い改め」に導けたのだと思います。
そして、それが「人類光明化」運動の本当の姿ですよね?

ですが、今の「生長の家」どうなのでしょうか?

もちろん現在でも、迷える人々の魂を救うために、本来の「生長の家の使命」に邁進され、
実際に活躍されている講師の先生はたくさんいらっしゃると思います。

具体的には、大熊先生やトキさま、そして宇治別格本山の講師の先生方などは、
「人類光明化」というその本来の「生長の家」の使命を第一にして、
そしてその一環としての日本国の実相顕現、そして世界平和実現を目指されて活動されていらっしゃるように感じています。

ですがこれはわたしの個人的感想ですが、
「学ぶ会」さま「ときみつる會」さま等の本流関係の団体さまや、生長の家本部の活動(雅宣先生ご指導)の内容を拝見していると、
この肝心な、「人々を悔い改めさせる(生まれ更かわらせる)」つまりは、「個人の魂を救う」という
本来の「生長の家」の第一の使命を「後回し」にされていたり、本部の活動に関しては「すっかり忘れて去られて」いるように見えてしまうのです。

すべての「生長の家」関係の団体が「実相礼拝」「人間神の子」の真理を第一に「個人の魂の救済」をすることを第一の活動としていけば、
すべてが調和しうまくいくのに・・・・・・・・・・・・。

活動に参加する人々の魂自身が救われて(生まれ更わって)いなければ、どんな活動をしいても本当にはうまくいかないと感じています。

4172トキ:2014/08/20(水) 20:04:46 ID:odw4ozeA
>>4171

 ご投稿、ありがとうございました。

 北尾巳代次先生の「幸福への階段」というご本を拝読すると、先生の青年時代の体験が掲載されています。
北尾先生は戦前のご入信で、また奈良県ご在住でしたから、組織というものに最初は関係されていませんで
した。薬剤師さんでしたが病気が治らず、医師に勧められた「生命の実相」を拝読して病気が消えたことから
信仰に熱心になられたのです。そこから感激して、他に悩んでいる人や困っている人がいると、信仰の話をし
て、どんどん救われたのです。この喜びが基本であると感じます。

 やはり、個人の救済が基本で、その基本ができないまま、大きな話をすると、問題が生じるのかもしれま
せん。このあたりは、私も勉強中であります。

4173隣人:2014/08/21(木) 08:11:46 ID:???

>ですがこれはわたしの個人的感想ですが、
「学ぶ会」さま「ときみつる會」さま等の本流関係の団体さまや、生長の家本部の活動(雅宣先生ご指導)の内容を拝見していると、
この肝心な、「人々を悔い改めさせる(生まれ更かわらせる)」つまりは、「個人の魂を救う」という
本来の「生長の家」の第一の使命を「後回し」にされていたり、本部の活動に関しては「すっかり忘れて去られて」いるように見えてしまうのです

================================

上のお方は「学ぶ会」と「ときみつる会」の講演会または御活動現場をご存知なんでしょうか?

いかにも不遜なご意見のように思われます。

いつのまにか御自分が増冗漫に成り果てていることにお気づきでしょうか?

4175トキ:2014/08/21(木) 09:41:38 ID:oa8Wv8S.
>>4173

 ご投稿、ありがとうございました。

 私も本流復活派の活動については知りませんが、教団内では、本流復活派
というのは、「信仰の基礎が出来ていない人」「政治路線に執着する人」と
いう宣伝がなされています。それを信じる人も多いです。また、一部の本流
復活派の方々の言動を見ていると、行き過ぎたものを感じる事もあります。
a hope 様のご発言は、その点を書かれたものかと感じます。

 この点、教団側の宣伝も問題がありますが、本流復活派の方々も誤解をとく
ようにご自身についての情報を積極的に発信される事を希望します。

4176トキ:2014/08/21(木) 10:02:43 ID:oa8Wv8S.
追伸

 おそらく、本流復活派の大半の方々は、真摯な姿勢で活動をされているとは
思いますが、一部には、誤解を招く言動をする人もいる、という意味でありま
す。教団についても、職員さんなどは、仕事でご家族がおられるので本部のい
う通りに表面上はしているが、内心は深く悩んでいる人が多いみたいです。

4177志恩:2014/08/21(木) 10:39:49 ID:.QY5jUA6
4171:a hope様

a hope様ー
>>今の「生長の家」どうなのでしょうか?

もちろん現在でも、迷える人々の魂を救うために、本来の「生長の家の使命」に邁進され、
実際に活躍されている講師の先生はたくさんいらっしゃると思います。

具体的には、大熊先生やトキさま、そして宇治別格本山の講師の先生方などは、
「人類光明化」というその本来の「生長の家」の使命を第一にして、
そしてその一環としての日本国の実相顕現、そして世界平和実現を目指されて活動されていらっしゃるように感じています。

ですがこれはわたしの個人的感想ですが、
「学ぶ会」さま「ときみつる會」さま等の本流関係の団体さまや、生長の家本部の活動(雅宣先生ご指導)の内容を拝見していると、
この肝心な、「人々を悔い改めさせる(生まれ更かわらせる)」つまりは、「個人の魂を救う」という
本来の「生長の家」の第一の使命を「後回し」にされていたり、本部の活動に関しては「すっかり忘れて去られて」いるように見えてしまうのです。

すべての「生長の家」関係の団体が「実相礼拝」「人間神の子」の真理を第一に「個人の魂の救済」をすることを第一の活動としていけば、
すべてが調和しうまくいくのに・・・・・・・<<

志恩ー
これは、本流の方々を見下す、a hope様の、独断と偏見の感想だと、大変残念に存じました。

4178残念な人:2014/08/21(木) 14:17:51 ID:???

あたしって凄いでしょう!

ここまでお勉強できたのよ!

って顔が透けてみえる。誰とは言わないが・・・・・・・

4179a hope:2014/08/21(木) 14:37:41 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p17〜

○われわれの真の「悔い改め」には「この実際に出かけてゆく」すなわち、天国が現前(いまあらわれ)るということが伴うのであります。
「なるほどそうだなア」と表面の心で感じましても、「全体のわが心の乗り換え」ができないので、救われていないということになるのであります。


(a hope所感)

<<われわれの真の「悔い改め」には「この実際に出かけてゆく」すなわち、天国が現前(いまあらわれ)るということが伴うのであります。>>

つまり本当に悔い改めると、天国が現前(いまあらわれ)るのですね。
それは、「人間知(我)で考えて行動をする」こととはまったく違うような気がします。

本当の「悔い改め」ができていれば、現象世界の出来事もすべてがうまくいく(=救われる)ということなのだと思います。

4180志恩:2014/08/21(木) 15:09:51 ID:.QY5jUA6
>>4179:a hope様
>>われわれの真の「悔い改め」には「この実際に出かけてゆく」すなわち、天国が現前(いまあらわれ)るということが伴うのであります。>>

つまり本当に悔い改めると、天国が現前(いまあらわれ)るのですね。
それは、「人間知(我)で考えて行動をする」こととはまったく違うような気がします。

本当の「悔い改め」ができていれば、現象世界の出来事もすべてがうまくいく(=救われる)ということなのだと思います。<<

志恩ー
そうおっしゃると、
まるで、本流は、人間知(我)で考えて行動している。だから…と、言っているように聞こえてしまいます。
そのように、われわれは、あなたから見られているのかと思いますと、お門違いなので、残念に思います。

4181a hope:2014/08/21(木) 15:23:58 ID:cEpBaIdo

>>4173 隣人さま >>4177志恩さま >>4178さま

ご指摘、心から感謝いたします。 合掌。

わたしが一番恐れているのは、増上慢になることですから、
わたしの意見や感想をご批判いただけるのは本当にありがたいです。

特に、>>4178さまのご指摘、


<<あたしって凄いでしょう!

ここまでお勉強できたのよ!>>


は、そのものズバリ、わたしの内心を突いています。

わたしは今迄、聖典「生命の實相」を本当に一生懸命お勉強してきましたので・・・

でも、それを鼻にかけて、人を見下してしまうようにみえてしまうのではわたしの信仰もまだまだだと思うので、
ゆっくり自己反省したいと思います。

感謝 合掌。

4182a hope:2014/08/21(木) 15:27:45 ID:cEpBaIdo

>>4173 隣人さま


<<上のお方は「学ぶ会」と「ときみつる会」の講演会または御活動現場をご存知なんでしょうか?>>

とのご質問ですが、

これは、実際、わたしなりに色々お勉強させていただいた上での率直な感想です。


それに、以前このweb誌友会で「学ぶ会」を代表されるであろう破邪顕正さまや新・本流復活でご活躍の画龍点睛さま、 
そして、現教団代表されるような曳馬野さまに信仰的な質問をさせていただきましたが、
どのお方からもお返事をいただいていないのです。

そのお三方は、新人a hopeや訊けさまのの発言を散々批判しておいて、その新人がしっかりと聖典を根拠にお答えしているのに、
それには一切お返事をくださらないのです。

ですから、正直わたしは、本流や本部の先輩方の信仰態度には強い不信感を抱いています。

わたしが、このような率直な発言をすることも、「見下している、増上慢である」と言われてしまうのであればそれは仕方ないことだと思います。・・。

4183a hope:2014/08/21(木) 15:31:08 ID:cEpBaIdo

トキさま

色々ご意見をいただきありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。

合掌。

4185トキ:2014/08/21(木) 17:12:29 ID:oa8Wv8S.
>>4182

 これは確かにそうなんですね。ネットに登場されるのは、教団側でも本流復活派
でも一部の人達だと思いますが、質問に対して返答しないのでは、信頼は得られな
いと感じます。その点は私も気をつけたいと思います。

>>4183

 いえいえ、こちらこそ、よろしくお願いします。

では、そろそろ、真理の勉強に戻りましょう。

4186神の子さん:2014/08/21(木) 17:55:03 ID:???

健気なa hope様 お勉強がんばってください!

4187a hope:2014/08/22(金) 08:53:58 ID:cEpBaIdo

>>4180 志恩さま

わたしは本当の「悔い改め」とは、そう簡単にできるものだとは思っていませんし、
正直、自分自身その心境にはまだまだ遠いと感じています。

ですから、>>4179で述べた所感は、本流とか教団とかと考えての発言ではありませんでした。

誤解されてしまったのなら、心からお詫びいたします。

4188神の子さん:2014/08/22(金) 08:54:55 ID:cEpBaIdo

>>4186 神の子さん

応援ありがとうございます。
聖典「生命の實相」を勉強していると、どんどん幸せになれるので、
これからも、気負わずに楽しみながらお勉強させていただきます。

4191志恩:2014/08/23(土) 16:04:33 ID:.QY5jUA6
a hope様

コメント、ありがとうございます。
どうか気にされませんようにお願いします。お続け下さいませ。

4195神の子さん:2014/08/24(日) 09:51:40 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か

『悪をなす自由』より p20

○善とは人格(すなわち自由の主体)が、その自由な発露として正しい道に乗ったことを善という。
強制されて正しい道にのったのは善ではない。
それは人格的自由なしに、ただ外面がやむをえず正しい姿をしているというだけにすぎない。

○だから本当の生活というものは、彫刻においてノミの運びが横にも縦にもそれる自由がありながら、
なおかつそのノミが正しい輪郭を穿(うが)ってゆくところに美がでるように、
生活において不正に外(そ)れる自由がありながらなおかつ正しい生き方をしてゆくところにあるのである。

4196神の子さん:2014/08/24(日) 09:56:12 ID:cEpBaIdo

>>4195 a hope所感)

悔い改めができたということは、その人の人格が正しい道にのった、つまり「善」になったということなのですね。
それは、他から強制されるのではなく、その人の自由意志で行うすべてのことが「善事」になるということなのだと思いました。

谷口雅春先生は膨大な量の御文章をわたしたちに遺してくださいました。
たしかにそれらの文章の中には、その時代背景に合わせて、その時代の人々に真理をわかりやすく伝えるための方便としてお書きになった文章も多く含まれていますから、
時代背景が変わってしまった現代では、一般的には通用しにくくなった部分もあると感じています。
ですが生長の家の「生命礼拝」「唯神実相」「人間神の子」などの中心真理は普遍であり、
どの御文章を拝見してもどこにも矛盾を感じません。

それは、谷口雅春先生がまことに悔い改め(生まれ更わり・大悟)されていた証拠になるのだと思います。

そして、その貴重な御文章をいくらでも自由に拝読し、お勉強できる幸せに、わたしはいつも心から感謝しています。

4197a hope:2014/08/24(日) 10:07:12 ID:cEpBaIdo
>>4188 4195 4196
ハンドルネームが「神の子さん」になっていますが、すべて a hopeの投稿です。

4198a hope:2014/08/25(月) 10:32:31 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か

『悔い改めと世界の変貌』p24 10行目〜

○「悔い改め」というのは、ちょっと考えると心だけの問題のようでありますけれども、
これは「われの置き換え」――われそのものの内容がクラリと一転してしまうことでもありますから、
それはただ心だけの問題ではない、世間そのものが一変して別世界になるのであります。

自分が変われば世界が変わるということはちょっと考えると「そんなことはあるはずはない」と思われるかもしれませんが、
自分が眼を開けば世界は明るい、自分が眼を閉じれば世界が暗い。

これは事実であって、理屈ではない。

理屈であればなんとでも駁撃することができるのでありますが、事実であるからなんとも否定のしようがないのであります。


われわれは心がクラリと一転して「偽存在(にせもの)のわれ」を見なくなり、
「真実在(ほんもの)の神に創造(つく)られたままのわれ」を見ることをキリスト教では「悔い改め」と申しますが、
仏教では「サトル」と申します。

「サトル」には「覚(さとる)」という字を書く。

そして「サトッタ人」を仏(ほとけ)といい、覚者という。

この「覚(さとり)」という字は「覚(さ)める」という字であります。

われわれが夢を見ている、夢の中でわれわれはある環境の中に住んでいる、夢の中ではその環境は実在だと思っている。

しかし一たび覚めると環境がクラリと変化してしまう。

なんじゃ悲劇の中にいたと思っていたのに蒲団の中かとわかる。

しかし夢を見ている人に「それは夢だよ。覚めたら、お前の周囲の事情は、お前が今見ているような不完全な状態ではない」と教えてやっても、
覚めるまではわからない。

それと同じで、覚れば環境までも変わってくるものだということを、まだ覚らない人に教えてあげてもなかなか解りにくいのであります。

4199ユタカ:2014/08/25(月) 10:47:40 ID:N20ePDNw
こんにちは
ありがとうございます。 ご無沙汰しています。新しいパソコンが壊れて入院したらハードの交換で3日前にパソコンがかえって来ました。
パソコンを触るのは半年?ぶり位ですかね? 何か小文字が現れなかったりちょっとまだ、おかしいかな?

でも、久しぶりに登場させて頂きました。
よろしくお願いいたします。

ちょっとここで送信してみよう。

4200ユタカ:2014/08/25(月) 10:48:20 ID:N20ePDNw
あ、できた、
送信できた!!

4201ユタカ:2014/08/25(月) 11:56:21 ID:N20ePDNw
トキ」さま
お元気でしたか?a hopeさまお久しぶりです。

ユタカは、この夏に宇治にお参りにいって、楠本先生の
お話を沢山聞いてきました。 楠本先生のお話は、真理がブレななくてとても素晴らしかったです。

また、92歳なのに、早朝行事前の朝のお参り、聖経と相変わらず続けていらっしゃいました。

総務は堀端さんになったのだから、堀端さんも一緒にお参りに参加したらいいのに!!!

堀さん! お参りは大切ですよ! と思いつつ、本人には言いません。どこかでしているといけないから。

宇治は素晴らしかった。a hopeさんの悔い改めとあったので、ちょっと書いてみます。

宇治の講話の中でも、生長の家は「人間は神の子」ということなんだ、「神の子」というのは「愛する」ということなんだ。「感謝」することなんだ。

というようなことを繰り返し聞いてきました、「生長の家をしていると、いいことばかりが起こってくると、思うでしょ?だけど、生長の家をやっていても、悪いことも起きてくるんだ、
そこでね、あー悪いことが起こった大変だ!と思うんじゃなくて、悪いことがでて消えたのだからこれからはどんどん
よくなるんだーー!!と思うことが生長の家なんだね。」

と聞きました。素晴らしい!!感動です!

そして、「愛すること、感謝することが神の子なんだ、みんな神の子だから、愛したい、感謝したいと思っているね、愛したり、感謝すると気持ちがいいのは、みんなの本質が神の子だっていう証拠だね。
どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。」

というような内容っだったと思います、

その「現象は変わらなくても自分の心を観方を変えるんだ」「感謝に変える」というところに
とても感動しました。

私は、この宇治の練成に行き、総裁のことを頭から否定していたことを止めて、少し理解できて
感謝しました。
総裁は、「地球が痛いよーー!くるしいよーーー!!」と言っている声が聞こえているのかも知れない、そうだとしたらそういう運動になりうるな・・・。だとしたら、素晴らしい総裁先生じゃないかと・・・・。

神の子は感謝すること、愛することなんだそうです。
今まで、総裁を憎んでいましたが、それは」やめて 感謝することといたします。

現象は変わらなくとも、自分が感謝に変わることが大切だって聞いたことが、自分の魂に一番響いたことでした。

4202ユタカ:2014/08/25(月) 12:02:44 ID:N20ePDNw
神様は善が本質だから、

人間の五感で悪く見えるような時があっても、善が本質だから
良くなっていくんだそうです。
神様への信仰って素晴らしいな。生長の家って素晴らしいな!!

みんな、幸せ、ありがとう。

4203ユタカ:2014/08/25(月) 12:16:40 ID:N20ePDNw
あ、ここをご覧の皆様、

今、楠本先生は総務をやめて、練成に集中していらっしゃるから、
ご飯を食べている時や廊下、個人指導などにたっぷり時間をかけて指導してくださいますよ、

今、楠本先生と「ゆっくり」お話しができる最高のチャンス時ですから、ぜひ宇治参りをおすすめします。
練成中は早朝の神想観が、終わったとこで、なんと、
楠本先生が各部屋に見回りまできて、早朝行事に出ない人を拝んでくれてみんな「神の子」になって次の日から行事に参加してるみたいだった。

楠本先生との嬉しい楽しいふれあいの時間を作ってくれた、総裁先生にまたまた、感謝したよ。

9月に人事が変わるって噂もあるけど、ユタカって本当に運がいい神の子だ!楠本先生と沢山話せたし、拝んでもらった!!

みんなも急いで宇治に行こう!! 目がハッキリ開くと感謝充満の世界だよ。

みんな神の子、ありがとう。

4204ユタカ:2014/08/25(月) 12:27:45 ID:N20ePDNw
生長の家って素晴らしい!!

朝の出発、起床放送第一発!! 「真理への道はただ一つ 人間は神の子である」ということである。


って毎朝起こされる。。。。。 今も耳に残っている。。。。

生長の家では、みんな神の子有難う。

4205ユタカ:2014/08/25(月) 12:30:02 ID:N20ePDNw
ゆたかは一般練成に参加です。

4206ユタカ:2014/08/25(月) 12:37:53 ID:N20ePDNw
あ、そうそう

大祭では、いろいろなネットで書かれている役職が高い人達を沢山見ても、
練成を受けていたから、
みんな神の子、有難うって感謝合掌、必ず良くなる!って思いながら。

生長の家はみんなが仲良しになる教えだし、末一稲荷での総裁の祝詞は、だれが書いたのか??
内容が素晴らしかった。
総裁両先生、暑い中有難うございました。奉仕のみなさま、有難うございました。

4207ユタカ:2014/08/25(月) 13:28:54 ID:N20ePDNw
ここの行ずる神の子の皆様はもう読んだかもしれませんが、読んでいない人のために宝蔵の編集後記に素晴らしいことが書いてあったので。。。

[編集後記]「また今月も来てしまいました」恥ずかしそうに、申し訳なさそうにおっしゃる方がいらっしゃいます。
「何をおっしゃるんですか、何度も練成会に来れるなんてこんなお幸せな、素晴らしいことはないじゃないですか!」
私は 祝福 と 尊敬 の思い一杯で、つい大きな声になってしまいます。

”こうして何度も来て、何と悟りの鈍い、指導やお世話のし甲斐ないひとよ”と練成道場の者は、がっかりしているのではないかとでも想っておられるのか・・・・と、
感じ方の違いに驚かされます。
練成会は、 
「問題があって、それがなかなか解決しないから行くところ、問題が解決したら行かなくてもいいところ。」
ということになっているとしたら とても悲しいことです。

大聖師谷口雅春先生が練成会に 「神性開発」  と付けて下さった意味がなくなってしまいます。

「人間神の子」の実相を輝き出させるのに、「これで十分」ということはありませんね。

もっと愛深くなりたい、もっと智慧深くなりたい、もっともっと神の子の無限の健康と豊かさと悦びを顕わし出したい!

神性開発練成会は、想ってもみなかった 平安 と 悦び の世界を現出させて下さいます。

ご参加をお待ちしています。 「榎本」


素晴らしいですね、宇治ネットワーク宝蔵!
中の 「行ずる神の子」も 素晴らしいので、また写しますね。

4208復興G:2014/08/25(月) 16:08:47 ID:6eQgEnKo

>>4199〜4207:ユタカさん

うれしい投稿に、涙が出ました。

生長の家は、みんなが仲良しになる教えだ。

私は掲示板への投稿はやめてもっぱらリアル世界で愛行させていただくことにしているのですが、ひと言だけ応援のメッセージを書き込ませていただきました。

ユタカさん、バンザーイ! 

神の子の皆様、バンザーイ!

  復興G 合掌

4211神の子さん:2014/08/25(月) 17:53:00 ID:zTvAOV2w
>>4209 志恩さん

あなたのそのような書き方、ユタカさんのあまりの変わりように思わず出てきて讃嘆した復興Gさん。

あまりにも暗い所にいるのですね。やはり分派はメクラなんですね。

せっかくa hopeさんが真面目に求めて、たった一人頑張っている版に、投稿した思いを完全に蹴散らかし、自己満足の投稿をする。

あなたは旦那に拝で引っ込むのが一番だと思います。

4214志恩:2014/08/25(月) 18:56:41 ID:.QY5jUA6
うのっち

ありがとう。フォローして下さって。
でも,私は、ここの掲示板が立ち上げられたときから、思った事は言って参りました
このような性格です。

反論があったら、どなたでも、反論されてください。
それで、私の方が、まちがっていたと思いましたら,考えを改めますので。

4215神の子さん:2014/08/25(月) 19:16:21 ID:zTvAOV2w
またや,神の子様で、私にお説教ですか。

私の意見に反論があれば、具体的に、おっしゃればいいでしょう。
それが、掲示板というところだと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まったくつんぼだな、版違いとはっきり言ってるでしょ。純粋に真理を求めている人たちに、メクラが物言う版じゃないということ。
説教なんてもんじゃない、あまりにうるさいスピーカーだってこと。『生命の實相』を求めて『悔い改めの真理』を研鑽している、そこに
共感したユタカさんが、真情を吐露したんでしょ。あなたの言ってることは分派の言っていること、宇治の錬成で生命の実相を学び、
悔い改めの何たるかを、自分の言葉て述べたユタカさんの邪魔。ここはweb誌友会なの、だからどこにでも出たがりで同じこと繰り返す
スピーカーは邪魔だから引っ込めといったんだ。自分がいかにも立派なことしてるつもりなんだろが。

こんなこと書かせるなあほ女。版違いだから終わり。

4218a hope:2014/08/25(月) 19:19:35 ID:cEpBaIdo
みなさま こんばんは。

今夜は、web誌友会板がにぎやかになっていて、わたしはとてもうれしいです。

ユタカさま 素晴らしい貴重なお話をたくさん聞かせていただきありがとうございます。 

また、復興Gさまの本当にお久しぶりのご参加くださりありがとうございます。

わたしも、ユタカさまの素晴らしいお話を拝見して、仕事の疲れも吹っ飛んでしまいました!

宇治の練成って、本当に素晴らしいのですね!


それなのに、楠本加美野先生が人事異動するなんていうお話がでているのですか?

それは、信じられないですね。



その他にも、志恩さんや神の子さん、そして流氷さま(うのはなさま)もご参加ありがとうございます。

なんか、今仕事から帰ってきたばかりなので、このweb誌友会板で何が起っているのかまだちゃんと把握できていませんが、
すみませんが、このweb誌友会板では、一応、聖典「生命の實相」をお勉強しているので、
もしご参加くださるのであれば、「人間神の子」「実相礼拝」の生長の家の教えに見合った発言を心がけてくださるとありがたいです。

よろしくお願いいたします。 感謝 合掌。

4220トキ:2014/08/25(月) 20:02:07 ID:QvXjW8KE
>>4215

 すみませんが、常連投稿者様はHNをご使用下さい。
よろしくお願いします。
 
 また、板の趣旨にそった内容のご投稿を御願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4221トキ:2014/08/25(月) 20:07:08 ID:QvXjW8KE
ユタカ様

 ご投稿、ありがとうございました。素晴らしい内容で感激しました。

 宇治は魂の故郷。練成に参加されてご先祖様もおよろこびだと思います。
どんな状況にあろうと、真理を学ぶ。その姿勢が大切ですね。

 今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

4222ユタカ:2014/08/26(火) 11:36:21 ID:N20ePDNw
復興Gさま

ありがとうございます、一言メッセージを有難うございます。
生長の家は進化をしながら素晴らしい方向に向かって伸びてゆくと信じます。

練成会で、善のみ唯一の実在と何度も読みましたし、長崎の大雨、広島の土石流本当に気象異常が手に取るようにわかります。
みんなが分からない時に分かっていたのは総裁だったのでは?などと反省もしています。

それから、純子先生が、キャビンアテンダントになったのは、雅春先生や清超先生を空の旅を行くときにご案内したいと思ってCAという職業についた事を聞いて、
なるほど、かっての教化部長さま達が純子先生の飛行機に乗り合わせるのは、当時の純子先生の「生長の家の方をご案内したい」という祈りがあったからなのでしょうね。

生長の家は、宇治は素晴らしかったです。愛と救いの霊波が充満して、すべての人、物(宇治の自然も含む)、事を愛し、祝福してくれていました。

そして、練成を受講する人数は、だいぶ減っていましたが、私のあくまでも個人的な見方をするなら、その少ない人達の信仰レベルが高い人が集まっているような気がしました。

それは、起床放送中に朝のお祈りをいたしましょうと放送されているのに、無視して、布団片付けや身支度をする人が多かったのですが、今回はお祈りの時は全員がしっかり布団の上で祈っていました。

そして、生長の家の宇治の大祭の奉仕員打ち上げがまた素晴らしい!!! これは絶賛ものです!!さすが、雅宣先生率いる生長の家、楠本先生が長く総務でいた生長の家!!
打ち上げには、お酒を飲まないでください!と放送があり、現場でも一切禁酒でした。

雅宣先生以前の職員 は大酒飲みで、下品に笑いこれが、信仰をリードする本部講師か??情けない!!とずーーっと思っていました、
なので、飲酒癖のある本部講師で有名な人は意外と分派に行ったのかもしれません。

とにかく、聖なる場所で飲酒する本部講師を見なくて、有難かったことも、

全部、雅宣先生のおかげ、楠本先生、堀端先生のお蔭です。


こんなことは、復興G様に申し上げることではございませんが、書いてしまいましたので、送信させていただきます。

4223ユタカ:2014/08/26(火) 12:13:36 ID:N20ePDNw
志恩さま

ありがとうございます、志恩様は本当に生長の家が好きなんですねえ。
私の鏡です、ありがとうございます、感謝合掌。

大宇宙の運行は、善なる神様が支配されているので、善くなっていくしかないのだそうです、
私は、それを信じていきます。

4224ユタカ:2014/08/26(火) 12:31:45 ID:N20ePDNw
a hopeさま
宇治は本当に、一歩入っただけで、心が安らぎます、、、。
私たちのご先祖さまが私達を、愛の霊波で抱きしめてくれているんでしょうね。

練成最終日に、涙を流して感謝の思いを起こして体験談を語る人の多いことよ!それをみて、みんなが救われた!
一人残らず救われた!って思い、ますます、神様に感謝しました。
教団にいる人も、いない人も、「人間神の子」を知っている人から、内なる神の子を生きて光明を放ってそれが世界中に拡散されたときには、世界平和となるのでしょうね。

本当に、「真理への道はただ一つ、人間は神の子である ということである。」 の一言につきるなぁ。
雅春先生素晴らしい!総裁先生がいらっしゃって、生長の家が続いていることが有難い。

みんな神の子、有難う。

4225ユタカ:2014/08/26(火) 12:35:19 ID:N20ePDNw
トキさま

ありがとうございます、これからもお世話になります、よろしくお願いいたします。

4226a hope:2014/08/26(火) 23:39:47 ID:cEpBaIdo

>>4224 ユタカさま

ありがとうございます。 合掌。

本当のことを言えば、わたしも宇治の練成には一般、短期と何度か参加したことがあるので、
ユタカさまの感動が手に取るように伝わってきています。

宇治の練成に参加される方々は病気や人間関係、家族問題等で、深刻な悩みを抱えた状態の方が多いですよね。

ですが、

<<練成最終日に、涙を流して感謝の思いを起こして体験談を語る人の多いことよ!それをみて、みんなが救われた!>>

とあるように、初日は暗い顔をしていた人たちも、日に日に笑顔が多くなり、最後には感謝・感謝で大調和して救われて行くのですよね!

宇治別格本山はわたしにとっても魂の故郷なのです。

だから、いつまでも変わらないでいてほしいです。



そして、

<<教団にいる人も、いない人も、「人間神の子」を知っている人から、
内なる神の子を生きて光明を放ってそれが世界中に拡散されたときには、世界平和となるのでしょうね。
本当に、「真理への道はただ一つ、人間は神の子である ということである。」 の一言につきるなぁ。
雅春先生素晴らしい!総裁先生がいらっしゃって、生長の家が続いていることが有難い。

みんな神の子、有難う。 >>


このユタカさまのこのご心境こそ、「実相一元」の光明化運動なのだと思いました。

このような「実相一元」の心境でいつもいたいな〜と思います。

ユタカさま、これからもお時間のある時でかまいませんので、web誌友会へのご参加をどうぞよろしくお願いいたします。

4227a hope:2014/08/27(水) 22:35:04 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p26 4行目〜

○迷わぬ人こそ悟りにくく、迷う人ほど悟りやすいというのは、薄曇りの空がなかなか晴れ難く、
密雲さかんに低迷している空ほど大雨とともにカラリと晴れた青空が来るようなものであります。


p26 10行目〜

○「悔い改め」の先行状態として来るのは「仮我の否定」であります。
「今の自分は善い」――こう考えている限りにおいて、「われの置き換え」というものの必要が感じられないのであります。
親鸞聖人は「罪悪深重の凡夫である」といわれた。
「地獄に堕(おと)されても、文句のいえない悪い悪い自分である」といわれた。
こういうように「自分で努力しても、自分で善くなれるものでない」と思って自分を放棄する。
こうして今の自分を悪い悪い、自分を無力無力と思うはてに、旧我が忽然と放下されて、
それは驟雨(しゅうう)によって大空の暗雲がことごとく放下されて、日光輝く青空が燦然と輝き出ずるように、
旧我が消えて新我が輝き出でるのであります。

4228a hope:2014/08/28(木) 19:51:02 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p 27

○黒雲のままでこれで空は晴れているのだと思う、空の色というものは本来黒雲の色をしているのである。
この黒雲こそ「本当のわれの顕われである」と思う――これでは「偽我慢心(ぎがまんしん)」というものであって、
悔い改めの先行状態とはならないのであります。
自分の内に「自分でないもの」がある、だからこれは「本当の自分」ではない、
「阿弥陀仏と一体の自分」ではない、「キリストと一体の自分ではない」――と解る
――かく解ってそれを捨ててしまうところに本当の「悔い改め」――「われの完全な置き換え」というものができてくるのであります。

4229a hope:2014/08/28(木) 19:52:34 ID:cEpBaIdo

>>4228 a hope 所感)

宗教を信仰していて、一番怖いのがこの「偽我慢心」に陥ることではないでしょうか?
ですが、人間は何かに夢中になっていたりすると、この「偽我慢心」に陥っている自分に気づかないことが多いのではないかと思います。

そういうわたしも、聖典をお勉強していて少し「真理がわかった!」と思うと、相手の気持ちや状況も考えずに思ったことをすぐに発言してしまいます。

そえが、本当の「愛(善)」から出た言葉なのか、それとも「偽我慢心」による自己顕示欲から出た言葉なのか、自分自身よくわかりません。

ですが、「悔い改め」には「本物のわれ」と「ニセ物のわれ」の「篩い分け」が必要だとあります。

それは、なかなか難しそうですが、>>4201のユタカさまの投稿に、

「愛すること、感謝することが神の子なんだ、みんな神の子だから、愛したい、感謝したいと思っているね、
愛したり、感謝すると気持ちがいいのは、みんなの本質が神の子だっていう証拠だね。
どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。」

という加美野先生の素晴らしいお言葉がありますが、

<<どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。>>

というところに「篩い分け」のヒントがあるような気がします。


よく考えてみれば、現象を変えようとしてもなかなか変わらないけれども、心は自分次第でどうにでも変えることができますものね。

聖典や雅春先生の愛弟子といわれるような先生方のご著書を拝読していると、

「愛せなくても、愛するんだーーー!」
「感謝できなくても、感謝するんだーーー!」
「肉体はあるように見えても、無いんだーーー!」

みたいに、昔の「生長の家」の指導って、なかなか強引だったように感じます。
そんな雅春先生や講師の先生方のちょっと強引な指導を、昔のほとんど信徒さんは素直に「ハイ」と受けているのです。

だからこそ、心を変えることができて、和解が成立したり、病気が治ったりという奇蹟が頻繁に起きていたのですね。

4230ユタカ:2014/08/29(金) 11:34:38 ID:N20ePDNw
>>宗教を信仰していて、一番怖いのがこの「偽我慢心」に陥ることではないでしょうか?
ですが、人間は何かに夢中になっていたりすると、この「偽我慢心」に陥っている自分に気づかないことが多いのではないかと思います。

そういうわたしも、聖典をお勉強していて少し「真理がわかった!」と思うと、相手の気持ちや状況も考えずに思ったことをすぐに発言してしまいます。

(^◇^) 真理に感動している神の子さんの発信は素晴らしいと思います。自信を持って突き進めばいいと思います、
ただ、その学んだ真理で、人や団体を裁くと偽我になってしまうのではないでしょうか?


そえが、本当の「愛(善)」から出た言葉なのか、それとも「偽我慢心」による自己顕示欲から出た言葉なのか、自分自身よくわかりません。

ですが、「悔い改め」には「本物のわれ」と「ニセ物のわれ」の「篩い分け」が必要だとあります。

それは、なかなか難しそうですが、>>4201のユタカさまの投稿に、

「愛すること、感謝することが神の子なんだ、みんな神の子だから、愛したい、感謝したいと思っているね、
愛したり、感謝すると気持ちがいいのは、みんなの本質が神の子だっていう証拠だね。
どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。」

という加美野先生の素晴らしいお言葉がありますが、

<<どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。>>

というところに「篩い分け」のヒントがあるような気がします。


よく考えてみれば、現象を変えようとしてもなかなか変わらないけれども、心は自分次第でどうにでも変えることができますものね。

聖典や雅春先生の愛弟子といわれるような先生方のご著書を拝読していると、

「愛せなくても、愛するんだーーー!」
「感謝できなくても、感謝するんだーーー!」
「肉体はあるように見えても、無いんだーーー!」

みたいに、昔の「生長の家」の指導って、なかなか強引だったように感じます。
そんな雅春先生や講師の先生方のちょっと強引な指導を、昔のほとんど信徒さんは素直に「ハイ」と受けているのです。

だからこそ、心を変えることができて、和解が成立したり、病気が治ったりという奇蹟が頻繁に起きていたのですね。


(^◇^) 肉体人間から 神の子人間という事実を生きることを悔い改めて、人類のために尽くそうと決意して神様の御心に沿って、御心を
祈って聞いて生きることが(内部理想を生きる)事が、 環境に負けないことが、神の子の生き方と 練成会で聞きました。

4231ユタカ:2014/08/29(金) 11:45:17 ID:N20ePDNw
宇治の練成会は素晴らしかったです。

藤原講師の娘さんの榎本先生が、何度も、私の父の藤原がよく練成でこうお話していました。。。

と藤原先生のお話を引用してお話下さいます、チャンスをゲットできると、素晴らしいお話をいただけます。

宇治には、まだまだ、救いの霊波が充満しています、、、。光明一元、神愛充満!!

ユタカは、また神さまに、ご先祖様に愛されに宇治参りに行きたいです。宇治最高!!

みんな神の子有難う。

4232ユタカ:2014/08/29(金) 12:16:27 ID:N20ePDNw
宇治に行く前はケチなユタカでしたけど、

宇治練成に行って、地球の気持ちが分かる素晴らしい、尊敬できる総裁先生と分かったから、

ソーラーパネルに沢山協力するよ!! 

人類に尽くすんだ! 多くの人のお役に立ちたい! 神様の御心が分かるということは、人類のために尽くそうという願いをもって使命の祈りを祈りながら目の前を感謝して全力を尽くすことだそうです。

神さまが必ず善に導いて下さる、宇宙を貫く生命、宇宙を貫く法則 神こそすべてのすべて。。。

との言葉が頭の中を グルグルと泳いでいるよ。。。

生長の家は素晴らしい! みんな神の子! 有難う。

4233ユタカ:2014/08/29(金) 12:20:16 ID:N20ePDNw
あ、すみません。

別に、ソーラーシステムの宣伝でもなんでもありません、

トキ様、4232は、ウザかったら削除でOKです。 すみません。。」

4234トキ:2014/08/29(金) 21:49:31 ID:X0bsm7xM
>>4233

 いえいえ、気にしないで下さい。

 では、誌友会を続けましょう。

合掌 ありがとうございます

4235a hope:2014/08/29(金) 23:53:01 ID:cEpBaIdo

ユタカさま 

<<(^◇^) 真理に感動している神の子さんの発信は素晴らしいと思います。自信を持って突き進めばいいと思います、
ただ、その学んだ真理で、人や団体を裁くと偽我になってしまうのではないでしょうか?>>

ホントですね。

「真理」は人や団体を裁くためにあるのではないですよね!
自他一体の真理から言えば、他を裁く=自分を裁く ことですものね。

素晴らしいアドバイスをありがとうございます。合掌。


ですが、『「虚説」には決して和解してはいけない』というのが、「生長の家の教え」ですよね?

「真理」ではないこと、つまり、「誤った見解(教え)」にしたがっていると、信徒の人生がどんどんおかしくなってしまうと思うのです。

わたしも雅宣先生は、信徒の大観世音菩薩さまであり、大きな使命をお持ちの素晴らしいお方であると信じていますが、
雅宣先生の「教え」は、「真理」からかけ離れていると感じているのです。


現象の地球は物質ですから、生長の家の教えでは「物質本来無し」です。
だから、その地球が「痛がったり、苦しんでいる」という見方は、「誤った見解」つまり「迷い」だと思うのです。

実相の地球は完全円満なのですから、実相一元を信じる生長の家の信徒がすべきことは、
完全円満な実相の地球を礼拝し、そして感謝することだけなのではないでしょうか?
そうすることで、地球や人類を救うのが、「生長の家」の信徒の本来の信仰の姿なのだと思うのです。

だから「生長の家」がメガソーラー建設などという現象問題に対応する事業をすることも、とてもおかしなことだと感じています。

4236ユタカ:2014/08/30(土) 08:26:19 ID:N20ePDNw
a hopeさま

宇治の練成では、七つの燈台の点燈者の神示から生長の家の教えが生まれた  と聞きました。

虚説と和解するな、とは生命の実相にかいてある前後の文章に対して書かれている箇所ではないのでしょうか?
それが、生長の家の教えなんて聞いたことは私はありません。

谷口雅春先生のCDでも、「袖振り合うも他生の縁」こうして同じ場所で真理を聞く人は前世においても親しくしていた人間柄で、その人にあうと、
なんとなく、懐かしい感じがするのだから、

「みなさん、仲良く、仲良くして下さい」 と繰り返し繰り返し仰っていらっしゃいます。雅春先生の最後のご講話です。

ご遺言のように思えました。 みんなと仲良くする、それが生長の家の教えでそれ以外が虚説だと思います。

4237ユタカ:2014/08/30(土) 09:17:11 ID:N20ePDNw
>>わたしも雅宣先生は、信徒の大観世音菩薩さまであり、大きな使命をお持ちの素晴らしいお方であると信じていますが、
雅宣先生の「教え」は、「真理」からかけ離れていると感じているのです。

(^◇^) 私も宇治の練成に行く前はそのように考えていました、ですが、宇治に行きすべての物が神様で、救いの霊波で私を包んでくれて私は神様に導かれて目が開き真っ直ぐな道に乗りました。
たとえば、昼食のために食堂にかかっていた日めくりに目たまたま目をやると、

一人一人が神につながることが大切なことである・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。   谷口雅宣著・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・。は省略します。) などとすべてが神さまと一体となるように導いてくれました。それを受けて、私は、素直にすべてに感謝していきます、私は神の子です。神の子は感謝すること、愛することが神の子。愛したり感謝すると、本当に気持ちがいいです。だから。私は絶対神の子に間違いないです。目の前の現象は変わらなくても自分が変わっているね。

本当に、自分が変わっています、今、私は人類に自分のできることで貢献したいと祈る自分になっって、アイデアをいただき始めたことも生長の家の御教えのお蔭です。

現象の地球は物質ですから、生長の家の教えでは「物質本来無し」です。
だから、その地球が「痛がったり、苦しんでいる」という見方は、「誤った見解」つまり「迷い」だと思うのです。

実相の地球は完全円満なのですから、実相一元を信じる生長の家の信徒がすべきことは、
完全円満な実相の地球を礼拝し、そして感謝することだけなのではないでしょうか?
そうすることで、地球や人類を救うのが、「生長の家」の信徒の本来の信仰の姿なのだと思うのです。

だから「生長の家」がメガソーラー建設などという現象問題に対応する事業をすることも、とてもおかしなことだと感じています。

(^◇^) 私はそうは思わなくなりました。最初に書きましたが、この異常気象で、津波、竜巻、大雨の崖崩れなどの災害も起こっている中で良いと思うことを実行していっていると今回思えました。
a hopeさまは、生命の実相を勉強して、人間は神の子で肉体は無いから、物質はないからたとえ怪我をしても病気をしても祈っているだけですか?
現実対処しているのが雅宣先生でありましょう。
それと、a hopeさまのちょっと怖い考えが、「地球を物質」 と捉えているところです。 地球を単なる物質と思いますか??

私は、違います、地球にも「生命」があります、意識もあるように直観します、地下で核実験などをすると地球痛むのが分かります。地球も命です。
宇治に行き、宇治の森、川すべての自然が生き生きとして私を祝福してくれました。地球からの愛の波動もいただきました。私のこの悦びは練成会を直接受講しないと理解できないかも知れません。。。。

次に輝子先生の御文章を謹写いたします。

物、物にあらず
神のいのちの現れである
つつましく水を使ふこと
つつましく火を使ふこと
一片の菜も、一切れの芋も
人参の牛蒡も生かして使ふこと
一枚の小皿も傷つけたら詫びること

有機物も無機物も一切の物のいのちを永持ちするやうに心がけること
一切の物は神からの預かりものである

あぁ、雅宣先生、素晴らしい! 雅宣先生は間違っていないって思うな、今のユタカは。。

今のユタカは、もう違うステージにいるよ!

4238ユタカ:2014/08/30(土) 09:30:12 ID:N20ePDNw
まことにすみませんが、
宇治に行って、自分が真っ直ぐに神様の方を素直に向いています、ですが、ここを見て、
また、以前のユタカに戻りたくないので、

神さまを真っ直ぐ
しっかり、信念になるまで、こちらにくるのは、やめておきます。何か、引っ張られるといけないので、、、。

みんなが仲良くする御教え、生長の家教団に帰属して、世界平和をお祈りします。


今年、末一稲荷での雅宣先生のあげた祝詞のないようには、「職員みな大調和で仲良く仕事ができるように」との言葉がありました。

地球と自然と人、大調和でありますように・・・・・。

みんな、神の子幸せ、有難う。

4239a hope:2014/08/30(土) 09:39:57 ID:cEpBaIdo

>>4236ユタカさま 


<<『「虚説」には決して和解してはいけない』というのが、「生長の家の教え」ですよね?>>

という質問に、


<<虚説と和解するな、とは生命の実相にかいてある前後の文章に対して書かれている箇所ではないのでしょうか?
それが、生長の家の教えなんて聞いたことは私はありません。>>

とお答え下さりましたが、

こらからこのweb誌友会えお勉強する予定の14巻の「和解の倫理」p55には、
虚説とは何か、が詳しく説明されています。

わたしは、聖典「生命の實相」に書かれてある教え = 「生長の家の教え」だと信じているので、
「虚説と和解してはならぬ」=「生長の家の教え」だと思っています。


ですが、ユタカさまもおっしゃっていますが、前後の文章をちゃんと拝読しないでその個所だけを拝読して解釈すると、
誤読の恐れもあるので、今迄このweb誌友会では、時間がかかってもテキストを飛ばし読みするようなことせず、
丁寧にお勉強しています。

来月の第27回web誌友会は、第3章「和解の倫理」をじっくりお勉強したいと思っています。

ユタカさまもご参加くださるとうれしいです。

4240a hope:2014/08/30(土) 09:51:48 ID:cEpBaIdo
>>4237 4238 ユタカさまのご投稿を拝見せず、>>4239を投稿しました。

ユタカさま

人それぞれ、使命は違うと思います。

わたしは、聖典「生命の實相」の独学を選びました。

このweb誌友会でたくさんの「生長の家」の先輩方に見守られながら、
自己反省しながらこれからもお勉強を続けていきます。

ユタカさまは、ユタカさまのご使命を邁進してくださいね!

感謝 合掌。

4241a hope:2014/08/30(土) 12:19:47 ID:cEpBaIdo
≫4237ユタカさま

<<(^◇^) 私はそうは思わなくなりました。最初に書きましたが、この異常気象で、津波、竜巻、大雨の崖崩れなどの災害も起こっている中で良いと思うことを実行していっていると今回思えました。
a hopeさまは、生命の実相を勉強して、人間は神の子で肉体は無いから、物質はないからたとえ怪我をしても病気をしても祈っているだけですか?
現実対処しているのが雅宣先生でありましょう。
それと、a hopeさまのちょっと怖い考えが、「地球を物質」 と捉えているところです。 地球を単なる物質と思いますか??>>


ユタカさまは、もうこのweb誌友会にはご参加くださらないかもしれませんが、
ご質問をいただいたので、それにはお答えしたいと思います。

ユタカさまのご質問

 ①a hopeさまは、生命の実相を勉強して、人間は神の子で肉体は無いから、物質はないからたとえ怪我をしても病気をしても祈っているだけですか?

(a hopeの答え)実際、「生命の実相」をお勉強するようになって、自分自身もそうですが、家族や職場の人たちというように、
自分が日々身近に関わっている人たちが、怪我や病気をすることがほとんどなくなってきました。

また、雅春先生やお弟子さんの書かれた「生長の家」の本には、たくさんの信徒の方が祈り(自分の心を変えること)だけで怪我や病気を消されています。
ユタカさまもそのような体験談を御存知ないはずはないと思うのですが・・・・

②a hopeさまのちょっと怖い考えが、「地球を物質」 と捉えているところです。 地球を単なる物質と思いますか??

ユタカさま、わたしも人間を始め、植物、動物、微生物、宇宙に生存する命あるすべてのものは神さまのお心の現れであると思っています。
だから、神さまのお心(実相)がそのままあらわれた地球には、すべて命あるものは大調和していて幸せに暮らしているので、
ケンカやいじめ、犯罪やもちろん自然災害などありえない完全円満な実相世界が広がっているのだと思うのです。

だから「生長の家の教え」から言えば、その完全円満な実相の地球の姿を見ることができないのは、
それはわたしたちの心の目が曇っているからということになってしまうのです。

ユタカさまは、 わたし a hopeのちょっと怖い考え、とご表現してくださいましたが、これは、わたしの考えではなくて、
谷口雅春先生のお悟り、つまり、「生長の家」の真理なんだとわたしは解釈しています。

4242a hope:2014/08/31(日) 18:13:11 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か


『悟りとは「実相」に目覚めること』p30 8行目〜

○「覚り」というものは、実に妙なハタラキをするものでありまして、ふつう、覚らない人にとっては、
五官に視え触れられる世界が実在であり、五官に見え触れられる人間が実在の人間である。
この生存競争をしているわれ、血みどろな争いに満ちたように見えているこの世界が実在に見えていて、
争いも戦いもない完全な、相互が自他一体に調和した、一連一連の別はあれども、
その一連一連が孤立せず相傷つけず互に一体となって美妙な大調和をなしている一大交響楽のような常楽実相の世界が、
五官に見えない奥に真実の実在としてあると申しましてもウソだと思われるのでありますが、
覚ってみますと、生存競争をし、互に噛み合い、殺し合いをしている世界はかえって無い
――あるように見えても無い ―― ことがわかるのであります。
たとえば、獅子と羊とが互いに草を食って遊んでいるような大調和の世界、
そんな大調和の世界はありえないので、たんに預言者イザヤや谷口雅春の空想のように考えられますけれども、
獅子が羊を食っている世界の方がかえって本来無いのであって、
それはわれわれの妄想(こころのまよい)が活動写真のように映じているのであります、
前節で申しましたように「悔い改めよ、天国はそこにある」でありまして、
心が一転、実相の方を振り向きますと、夢から現実世界に覚めて出るように、
強食弱肉の争闘世界がたちまして消えて、常楽大調和の実相世界があらわれてくるのであります。

そんなことは理屈では駄目、空想では無価値でありますから、強食弱肉の不合理世界、不幸災厄の不合理世界が、
今までは実際あるように思ってもいたし、実際あるように顕れてもいたのが「生長の家」所説の真理を知った結果、
夢からさめるように忽然(こつねん)、旧の不合理悲惨世界が消えて、大調和の世界が実現した実話を次に掲げます。

4243a hope:2014/08/31(日) 18:19:48 ID:cEpBaIdo

>>4242 a hope 所感)

上の謹写文の最後に「実話を掲げます。」とありますが、その後に『猫と雛鳥とはかくのごとく調和している』という小見出しで、
「祈り」によって猫が雛鶏(ひなどり)を食べなくなった、という二つの実例があげられています。

両方の祈りともに効果があり、猫は雛(ひな)をねらわなくなったのですが、
前者の猫は、その後、電車(汽車?)にひき殺され、
後者の猫は、その後、雛鶏を追いかけず、食べないという雛鶏との大調和が成立したのです。

その結果の違いは、「祈りの言葉」にあったようです。

●前者の祈りの言葉・・・「兄弟なる猫よ、兄弟なる鶏の雛を食うなかれ」

○後者の祈りの言葉・・・「猫と雛鶏とはその実相において完全に調和している。決して噛み合い殺し合いなどは存在しない」


前者の祈りでは、「兄弟なる鶏の雛を食うなかれ」と、「猫が雛を食べた」という現象の出来事を認めてしまっています。

一方、後者の祈りの方は、「猫が鶏の雛を食べる」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。


この後者の祈りこそ、本来の「生長の家」の実相一元の祈りであると思いました。

4244a hopeさん:2014/08/31(日) 18:44:21 ID:zTvAOV2w

前者の祈りでは、「兄弟なる鶏の雛を食うなかれ」と、「猫が雛を食べた」という現象の出来事を認めてしまっています。

一方、後者の祈りの方は、「猫が鶏の雛を食べる」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。
======================================================================================================================

虚説を唱える雅宣総裁がいる、貴女は言っていますよね。

つまり現象の雅宣総裁がしようとしている、原発からの撤退目的の行動は虚説から出発していると云っていませんか。

私にはあなたの実相論がよくわからないです。

4245a hope:2014/08/31(日) 23:15:03 ID:cEpBaIdo

>>4244 さま (曳馬野さま?)

誌友会ご参加ありがとうございます。

実相世界を悟っていないわたしの発言は「わたしの実相論」などという大それたものではなく、
あくまでも、聖典「生命の實相」のわたしなりの解釈なのです。

わたしが雅宣先生のご著書や祈りの言葉を拝見して感じていることは、
雅宣先生は実相世界の存在は認められていらっしゃいますが、同時に、
自然破壊等の現象世界の出来事も見つめられていて、人間の罪を肯定してしまっているのです。



>>4244に再掲してくださったわたしの発言に『雅宣先生の教え』と『本来の生長の家の教え』を
あてはめててみまるとわかりやすいかもしれません。

――――――――――――――

『雅宣先生の教え』では「人間よ自然破壊するなかれ」と、
「人間が自然破壊した」という現象の出来事を認めてしまっているのです。

一方、『本来の生長の家の教え』は 「人間が自然破壊する」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。

――――――――――――――


ですから、わたしの解釈では、雅宣先生の教えは、実相世界の存在を認めながらも、
現象の悪や人間の罪をも認めた二元論で虚説ということになってしまうのです。

ですが、前述しましたが、わたし自身も「実相世界」を悟っていませんから、
わたし自身のすべての発言も、二元論であり虚説であると自覚しています。

本当の「真理のお言葉」(真説)を発言できるのは、「実相世界」を完全に悟った人でなければ不可能だと感じています。


>>4244 さま これで少しはわかっていただけましでしょうか?

4246a hope:2014/08/31(日) 23:33:47 ID:cEpBaIdo
>>4245訂正  m(__)m

あてはめててみまるとわかりやすいかもしれません。

あてはめてみるとわかりやすいかもしれません。

4247a hopeさん:2014/09/01(月) 02:55:26 ID:zTvAOV2w
①自然破壊等の現象世界の出来事も見つめられていて、人間の罪を肯定してしまっているのです。

②『雅宣先生の教え』では「人間よ自然破壊するなかれ」と、
「人間が自然破壊した」という現象の出来事を認めてしまっているのです。

③一方、『本来の生長の家の教え』は 「人間が自然破壊する」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。

私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。
環境問題に特化した総裁、と云うように外界の現実を見るから、二元論の総裁という判断をしているのでしょう?

ですから、わたしの解釈では、雅宣先生の教えは、実相世界の存在を認めながらも、
現象の悪や人間の罪をも認めた二元論で虚説ということになってしまうのです。
_____________________________________________________________________________

虚説を言う総裁が存在する、総裁よ虚説を言うことなかれ、というのが分派の言い分であり、またあなたの言い分ですね?
赤ちゃんの命を大切にしようとする元本部講師は素晴らしいとあなたは言いますよね。失われる命がある、という認識のもとに彼の活動は
ありませんか?実相の地球は痛まないから、地球が痛んでいるとみるのは迷いであると、あなたはユタカさんに言いませんでしたか?

そういう言い方をすれば、堕胎される赤ちゃんは、エゴまみれの親を救う観世音菩薩の働きをしているだけで、可哀そうでも何でもないと
云えませんか?
広島の水害がしきりに報道されていますが、温暖化の影響か?巨大自然災害が地球規模で起きている。そして命が失われる。
親のエゴの犠牲になる赤子の命を救うことが素晴らしいのであれば、人類のエゴの結果起こる巨大自然災害の防止に努める総裁も素晴らしくは
ないですか?
_____________________________________________________________________


ですが、前述しましたが、わたし自身も「実相世界」を悟っていませんから、
わたし自身のすべての発言も、二元論であり虚説であると自覚しています。

本当の「真理のお言葉」(真説)を発言できるのは、「実相世界」を完全に悟った人でなければ不可能だと感じています。

●であれば虚説であると断言するのはいかがでしょうか?

4248a hope:2014/09/01(月) 07:35:47 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

9月に入りましたので、本日より、第26回web誌友会を開催させていただきます。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第27回 web誌友会 案内

期間  9月1日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p34〜p126まで
     

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


本当は、前回の26回web誌友会でp126まで終わらせる予定だったのですが、
p33までしか進みませんでした。

ですので、今回もまことに勝手ですが予定の変更をさせていただきます。

4249a hope:2014/09/01(月) 07:37:39 ID:cEpBaIdo
それでは、開会の祈りを掲載させていただきます。 合掌。

それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4250a hope:2014/09/01(月) 08:23:57 ID:cEpBaIdo

>>4247 曳馬野さま(ですよね?)

<<私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。
環境問題に特化した総裁、と云うように外界の現実を見るから、二元論の総裁という判断をしているのでしょう?>>

あくあでもわたしは、聖典「生命の實相」をお勉強していて自分の理解力の範囲内で、
その「真理」に照らし合わせて自分なりの判断をしているだけです。
ですから、わたしの発言が正しいとは言っていません。

ですから、

<<虚説を言う総裁が存在する、総裁よ虚説を言うことなかれ、というのが分派の言い分であり、またあなたの言い分ですね?>>

というご質問には、少なくともわたしのお返事は「NO」です。

何度も言いますが、言い分なんてものではなくて、自分なりの解釈をこのweb誌友会で発言しているだけです。


また今回、曳馬野さまは、「赤ちゃんのいのちを守る運動」に関しても言及されていますが、
わたしが、大熊先生を支援しているのは、大熊先生が「赤ちゃんのいのちをを守る」ことで、
お母さんやお父さん、その他の家族、そして、ブログを通しては人類全体に「生命の大切さ」を伝える、
人類光明化運動を展開されようとされているからです。

たしかに、大熊先生は、現象の切り刻まれた胎児の写真をブログで公開したり、
血なまぐさい現象の殺人事件等をブログで検討されたりしています。

正直に言えば、わたし自身は、そのような記事を公開することが、実相一元の光明化運動だとは思っていません。
ですがたぶん大熊先生は、人々の目を実相一元の世界に目覚めさせるための一手段(方便)として、
そのようなことをされているのではないかと拝察しています。

ですから、あくまでも「いのちを守る親の会」の運動の基本は、「お母さん生んでくれてありがとう運動。」
と「産婦人科のお医者さんありがとう運動。」であるとわたしは認識しているので支援させていただいているのです。


http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/MYBLOG/yblog.html



そして最後のご質問ですが、

<<●であれば虚説であると断言するのはいかがでしょうか? >>

これは、自分自身の心は、自分自身が一番よく分かっているので断言できるのです。
聖典をお勉強して、頭では真理がわかっていても、現象生活で実践できていなければ「悟った」とは言えないからです。

人が本当に悟ったときには、その周りからどんどん人類光明化が展開されると思います。

4251a hopeさん:2014/09/01(月) 09:14:14 ID:zTvAOV2w

<<●であれば虚説であると断言するのはいかがでしょうか? >>

これは、自分自身の心は、自分自身が一番よく分かっているので断言できるのです。
聖典をお勉強して、頭では真理がわかっていても、現象生活で実践できていなければ「悟った」とは言えないからです。
________________________________________________________________

やはりあなたの考えがうまくわかりません。

●であれば虚説であると断言するのはいかがでしょうか?  は書き方が悪かったでしょうかね。
総裁の説くところを虚説であると断言するのはいかがでしょうか? という意味でした。

4253神の子さん:2014/09/01(月) 20:56:55 ID:5pNnMYt.
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
五井先生有難うございます
天皇陛下有難うございます
皇后陛下有難うございます

4254トキ:2014/09/01(月) 22:11:41 ID:vK1CuS12
>>4523

 何度もお願いをしておりますが、
白光真宏会の投稿はこの板の趣旨と異なります。

この投稿はご遠慮下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人

a hope様

 きにせず、そのまま続けて下さい。
応援しています。

合掌 ありがとうございます

4255レンゲソウ:2014/09/02(火) 07:54:17 ID:hW7QlQFE
>>4251

 「その実を見て、その木を知れ」と谷口雅春先生は説かれています。

 谷口雅春先生が説かれた教えは、多くの人を救いました。今の環境保護に特化した
『今の教え」では、救われた、という人は私は会った事がありません。新経本も、
読んで救われたという人は知りません。かえっておかしくなった、という人が何人
かいます。

 それほど総裁を支持するのなら、まずは『新経本」で、悩んでいる人を救った
という実例を作って、掲示版にアップしてみて下さい。

 それに、ここは誌友会板です。静かに谷口雅春先生の教えを勉強する板です。
そういう発言は場所に合わないと思います。


*管理人様、適当な時期にこの投稿を消して下さい。誌友会の山をしてすみません
 でした。

4256a hope:2014/09/02(火) 09:08:07 ID:cEpBaIdo

みなさま、おはようございます。

>>4253 神の子さん 素晴らしいお祈りの言葉をありがとうございます。合掌

でも、それは白光真宏会というとこのお祈りの言葉なのですね?

トキさまがおっしゃっていますが、ここは、「生長の家」の教えについて学ぶ場所なので、
お祈りをしていただけるのなら、「生長の家のお祈り」にしていただけるとありがたいです。

よろしくお願いいたします。

>>4255レンゲソウさま

久しぶりにご登場くださりありがとうございます。


<<雅春先生が説かれた教えは、多くの人を救いました。今の環境保護に特化した
『今の教え」では、救われた、という人は私は会った事がありません。新経本も、
読んで救われたという人は知りません。かえっておかしくなった、という人が何人
かいます。
 それほど総裁を支持するのなら、まずは『新経本」で、悩んでいる人を救った
という実例を作って、掲示版にアップしてみて下さい。>>


本当ですね。
わたしも、是非、「今の教え」や『新経本』で救われたという体験談を伺いたいです。


ですが、曳馬野さまが正直に

<<やはりあなたの考えがうまくわかりません。>>

と、ご発言くださっているのは、わたしはとてもうれしく感じています。

「生長の家の教え」に関することなら、どんなご発言でもweb誌友会どんどんご投稿していただけるととてもありがたいです。

みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

4260a hope:2014/09/03(水) 09:38:52 ID:cEpBaIdo

>>4247のご投稿文を再掲します。

―――――――

4247 :a hopeさん:2014/09/01(月) 02:55:26 ID:zTvAOV2w
①自然破壊等の現象世界の出来事も見つめられていて、人間の罪を肯定してしまっているのです。

②『雅宣先生の教え』では「人間よ自然破壊するなかれ」と、
「人間が自然破壊した」という現象の出来事を認めてしまっているのです。

③一方、『本来の生長の家の教え』は 「人間が自然破壊する」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。

私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。
環境問題に特化した総裁、と云うように外界の現実を見るから、二元論の総裁という判断をしているのでしょう?

――――――――

わたしは、先月までこのweb誌友会テキスト「生命の實相」をもとに、「悔い改め」(生まれ更わり)についてお勉強してきました。
そしてこの「悔い改め」には旧我(偽我)の否定、と新我(真我)の肯定が必要だと知りました。

完全円満な実相世界の立場から観れば、「環境破壊し続けている人間」というのは明らかに旧我(偽我)であり、
妄想であり否定しなければならない存在です。

そして、本当の「悔い改め」には「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」の肯定が必要だということになります。


ですから、本来の「生長の家の教え」によって、環境問題に対応した運動をしていくのであれば、
この「悔い改め」真理を応用すればいいのだと思います。

それには、やはり「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」=「神の子人間」の実相を礼拝することが基本だと思います。


ですが、雅宣先生の運動を拝見していると「人間の実相礼拝」よりも「現象の自然」を礼拝しているように見えてしまうのです。


<<私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。>>


わたしは、雅宣先生の存在自体を虚説だと思っているのではなく、雅宣先生の教えと運動の仕方が本来の「生長の家の教え」ではないと思っているのです。


今まで何度も発言してきましたが、雅宣先生の存在自体は、信徒に本来の「生長の家の教え」とは何かを考えさせてくれるためにあらわれた、
ありがたい大観世音菩薩さまだと思っています。

4261a hope:2014/09/03(水) 10:20:14 ID:cEpBaIdo

テキストのお勉強に戻りたいと思います。

第三章の「自他一体と個性生命」には、「自他一体であれば、個性生命は存在しないのか?」ということが、
「個人の心」が肉体とは別に存在していることを証明する実例をいくつかあげて検証され(p38〜)、
さらに『エーテルと生命(p48〜)』では、科学的にも検証されています。


わたしは、あまむし庵さまのブログは欠かさず拝見するようにしているのですが、
今回の第三章「自他一体と個性生命」の特に、『エーテルと生命』の部分は理論物理学的にも検証されていて、
丁度、あまむし庵さまも昨日そのことに関して持論を展開されています。

この部分に関しては、あまむし庵さまのブログを拝見して、さらに理解が深まりました。
すごいですよ!!!

http://56937977.at.webry.info/201409/article_1.html

4262トキ:2014/09/03(水) 11:11:37 ID:lMH/UsH2
 藤原敏之先生のご著書で、終戦後、先生が京都で青年を指導されていた頃に、
ある学生さんから、「台風もある、地震もある、これでなんで、神さまがいるのだ」
と言われて、「それは、みんな現象の話ですね?」と言われてから、順々と実相の
世界について説かれたという話が書いてあったと記憶しております。

 実相論から発言すると、実際に被害にあった人からは不愉快に思われる場合が
あるので、気をつける必要はあります。が、それはテクニカルな部分で、問題の
本質とは異なります。神様の世界には「悪」はない、という事です。

4265a hope:2014/09/04(木) 23:51:56 ID:cEpBaIdo

>>4262 トキさま

<< 実相論から発言すると、実際に被害にあった人からは不愉快に思われる場合が
あるので、気をつける必要はあります。が、それはテクニカルな部分で、問題の
本質とは異なります。神様の世界には「悪」はない、という事です。>>


例えば、災害等で身内を亡くして悲しんでいる人や病気で苦しんでいる人に、
いきなり『生き通しの生命』や『現象無し』『肉体無し』の真理を説いてみても、聴く耳は持ってもらえないのではないかと思います。

これは、わたし自身が実際に宇治の練成で何度か実修し、さらにこのweb誌友会でも復興Gさまから教えていただいたことですが、
相手も自分も「祈り」によって救われるという神想観に「祈り合いの神想観」がありますが、
その神想観の祈り方の方法として、完全円満な実相を観ずる(実相直視)前に、
祈って上げる相手の心の痛みや苦しみを自分のことのように観じる(「同悲の心」を起す)というご指導がありました。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/216n-


<<相手のために祈るということは、譬えてみると、相手のシャツの汚れを電気洗濯機で洗濯してあげるようなものである。

 相手のシャツを洗濯するためには、まず、相手がどんなに汗臭かろうとも、相手のところに近づいて行って、
「さあ、シャツを洗濯しましょう。貸してごらんなさい」と言って、まずシャツを自分の手許に取り込むことが必要である。

 祈ってもらいたいと出て来られた人に対し、
「あの人は、これだけお話をきいているのに、まだあんなことを悩んでいる。悟っていないねえ」
 などという気持は、シャツを自分のもとに取っていないのである。

「友の憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞う」という友情をうたった歌があるが、相手の悩みを見て、
「もしも、私があの人の立場だったら、どんなにつらいことだろう。あの人の悲しみは、我が悲しみだ。何とかしてあげたい」と、
真に相手の悲しみを我が悲しみと感じ、共に手をとり涙を流さんばかりの気持となるとき、
相手の悲しみが吾がうちに摂取されるのである。相手の汚れたシャッを自分の手許にとり込むことになるのである。

 聖書には、イエスが他の人のために祈った心がよく示されている。
ラザロが死んで、その家族達が嘆き悲しんでいる所にイエスが来たとき、「イエス涙を流し給えり」とある。
 相手の人の苦痛や嘆きに対して、この、共に涙を流すほどの同悲の心があってこそ、神癒が行われるのである。>>



「現象は本来無い」ものだけれども、それを完全に悟りきれなければ、わたしたち人間は誰だって現象の出来事に心を捉われて、
悲しんだり、苦しんだり、怒ったり、妬んだり、どうしても許せなかったり、怨んだりという悪感情をもってしまうものだと思います。
そして、それら悪感情をもてば必ず「心の法則」が作用し、病気になったり不幸な運命を招くということになってしまいます。


創刊号 の「『生長の家』出現の精神とその事業」を拝読すると、実相世界を悟った谷口雅春先生は、
そのような「心の法則」を知らず、自分自身を苦しめ不幸になるという悪循環に陥っている人類に同悲の心を起されて、
「生長の家の火」をかざし人類光明化運動を始められたようですね。


だから、『現象は無し』『肉体は無し』は確かに「生長の家」の真理ですけれども、目の前で悩み苦しんでいる人に対しては
まずは、同悲(愛)の心を持ち、じっくり話を聞いて心境を理解してあげることがとても大切なのではないかと感じています。

4266a hope:2014/09/06(土) 10:50:25 ID:cEpBaIdo

第四章 和解の倫理 p55〜

悪魔の試みにも和解すべきや

われわれが神の方へクラリと向きを変え、神に従って生活しようと決意したとき、
かえってその神に従う生活に反対し邪魔しようとするような環境があらわれて来ることがあります。
この状態をキリスト教では「試みに逢わせられる」と申しますし、ある教えでは「引っかけ戻しの仕組みである」といっています。
それはあたかもわれわれが神想観をして精神統一をして、ただひたすら「神と一体」になる観念に精神を集注しようとしますとき、
いよいよますます雑念が浮かび上がってくるようなものであります。

4267a hope:2014/09/06(土) 10:56:29 ID:cEpBaIdo

>>4266 a hope所感)

わたしは、4年以上前にもなりますが「生命の實相」に偶然出会い、魂を震わせました。
そして、その後すぐに「生長の家」の信徒となり、本来の生長の家の教えと今の雅宣先生の教えの両方をお勉強するようになりました。

そして、雅宣先生の現象問題を扱った難しいご著書を必死に拝読し、
雅宣先生の「新・四無量心の神想観」を毎日行ずることで、どんどん精神状態と体調を壊していきました。

わたしにとって、このことがまさに「試みに逢わせられた」ということだったのだと思います。


<<「生長の家」倫理学の中心思想は、「人と神と一体であり、万(よろ)ずのもの皆神より出でたるものであるから、
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>(p55  11行目〜)


今は雅宣先生の教えが、本来の生長の家の教え、つまり「生命の實相」からすれば、異端邪説であるとわかるようになりましたが、
信徒になったばかりのころは全く分からなかったわけですから、なにも考えずただただ「雅宣先生の教えを盲信し、その結果、生活が狂いだしました。

雅宣先生の教えは、ごく一般的な常識的なことをおっしゃっているわけですから、一般の方が読むぶんにはおそらくなんの問題もないものだと思います。

それに、世間一般の方からみたら、「肉体無し」「物質無し」などという本来の生長の家の教えの方の方が、よほど常識外れに感じられると思います。

ですが、それが、本来の生長の家の教えだと今のわたしは確信していますし、現在の雅宣先生の教えはまったく別物たと思っています。


ただ、「肉体無し」「物質無し」が本来の生長の家の教えだからと言って、「生命の実相」をしっかりと悟っていないのに、
病気になっても病院に行かず、薬も飲まないで祈りで治そうとするのはとても危険なことだと思います。

聖典にはその危険性を警告するような文章がところどころに書かれているのですが、ご自分で聖典をお勉強せず、
ただ、練成や講習会や個人指導等だけで「生長の家の教え」を学ばれていた信徒の方などには、
そのような生悟りのために亡くなられてしまった方もたくさんいらっしゃるのではないかと拝察しています。

おそらく雅宣先生が、「教え」の進路変更をされ始めたきっかけはそんな危険性の回避という理由もあるのではないでしょか・・・?


ですから、現在の生長の家がこのような混乱状態(不調和)にある中で、確実に「生命の実相」の真理を悟るためには、
独学、つまり聖典「生命の實相」の拝読が一番安全で確かな方法なのではないかとわたしは感じています。

4268a hope:2014/09/06(土) 10:59:49 ID:cEpBaIdo

<<しかし生長の家は必ずしも薬剤の不要を説くのではない。
生命のみ真に癒やす力であるが、生命の癒やす力を完全に発見しえない人は、
第二善としてその他の方法を用いてもよいのは、停電の時にはローソクを用いてよいのに似ている。>>
(生命の實相第20巻 p157 8行目)

4269a hopeさん:2014/09/06(土) 14:14:33 ID:zTvAOV2w

<<「生長の家」倫理学の中心思想は、「人と神と一体であり、万(よろ)ずのもの皆神より出でたるものであるから、
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>
_____________________________________________________________________________________

これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。異端邪説はどこまで行っても説であり、考え、思想、念でしかない。
本来存在しないものと和解は端からしようがない。

4270トキ:2014/09/06(土) 17:07:42 ID:eK39pa7o
>>4269

 提案ですが、「a hopeさん」と「a hope」とは、混同するような
HNです。ご訂正下されば、読み手に混乱がないと思います。

合掌 ありがとうございます

4271名無し:2014/09/06(土) 17:15:09 ID:zTvAOV2w
>>4270

相変わらずだね、『生命の実相』を否定してもそれには知らん顔

これからは『名無し』で2ちゃん風にしましょう。

4272トキ:2014/09/06(土) 17:47:57 ID:eK39pa7o
>>4271

 この掲示板の方針として、常連さんには、適正なHNのご使用を
御願いしています。

 よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4273トキ:2014/09/06(土) 18:15:49 ID:eK39pa7o
 話を戻しましょう。

 戦前の信徒さんの中には、この医薬を廃する事にこだわられた人もいたみたいです。

 しかし、谷口雅春先生ご自身は、そこまで極端な事を指導されていなかったとも聞いて
おります。

4274ユタカ:2014/09/06(土) 18:26:04 ID:N20ePDNw
有難うございます。 練成を受講して「神の子」温泉につかり、素晴らしい神の子になったのも束の間、娑婆にでたらーーーー。。。
拝めない事だらけ。。。。。 すみません、ここにお勉強にきました、よろしくです。

a hopeさん 名無しさん 楽しそうですね。よろしくです! ですが、2チャンネルふうは勘弁してください。

先に、生長の家大神様を お招きしての誌友会ですからね、 a hopeさまは、現時点で精一杯の勉強と素直な心情なのですから。

何事も段階を経ないと。。と思いますから、

名無し様これからもよろしくお願いいたします。。。

4275ユタカ:2014/09/06(土) 18:38:37 ID:N20ePDNw
>4273 生命の実相講義のテープを聞くと、生長の家は何も病院いっちゃいかんと言っているのではないのですよ。

とハッキリ仰っていました。。

ですが、藤原先生の本には、額に脂汗をかきながら 盲腸炎に耐えて? 完治させた事が書いてあります。
昔は、情報が少なくて、雅春先生の2時間の講演だけの真理で信仰していたのではないでしょうか??
それにしても、すごい信念だと思います。

4276女狐に憑かれたノブタ:2014/09/06(土) 18:46:07 ID:???


 輝子奥様先生が 白内障 の手術を受けておられます

 そのとき 雅春先生はどう仰言ったのか ・・・・

4277不生の仏心を求めて:2014/09/06(土) 19:36:21 ID:zTvAOV2w
>>4276

世の中に余りにも見たくないものが多いので、「見たくない」という私の心の影として白内障になった。と云ったのでしたか。
実相を観よと教えながら、私が実相を見ることが出来ないから、貴女をそんな目に合わせて申し訳ない、と云ったのか
そんな見たくないものを一刻も早く消すべく皆さん頑張ってください、と云ったのかどちらでしょうか。

ユタカさん、ご意見に従い名前変えました。

4278ユタカ:2014/09/06(土) 19:55:14 ID:N20ePDNw
ちょと、a hopeさんより遅れたところからの勉強ですが、、

P,悔い改めよ天国は近づけり の項7L
悔い改めよというのは、心をクラリと転向せよ、
今までこれが自分であると力んでいた「自分」はそれは「本当の自分」ではなかった、それは「ニセ物の自分」であった、「本当の自分」は別にあった、それは「神の子なる自分」であったと悟る。

ここに完全に「われの転回」というものが行われる。
これが悔い改めであり、新生であります。 (途中略)

「悔い改め」すなわち「われの根本的置き換え」と同時に

「神の国」− 幸福の国・常楽の国ー は実現するのであります。

P、7最後の審判が恐ろしいのは悔い改めができていない証拠
9L なぜなら「本当のわれ」というものは、火にも焼けず水にも溺れることのない金剛不壊のものだということを知ることが、すなわち
「われの完全な置き換え」すなわち「悔い改め」であるからであります。

P、8 1Lだから最後の審判が恐ろしいようでは「悔い改め」ができていないわけで、最後の審判を恐れて悔い改めよでは意味をなさないのであります。
8L 本来「悪」を犯さず、
動けばすなわち 「善」のほかになりようがないところの「神の子ーわれ」・・・・。

ユタカは宇治に行って、「神の子」に新生しました、また行きたいなぁ。

全館放送だから、どこにいても神の子、神の子って追いかけてくる・・・

有難いです。

4279ユタカ:2014/09/06(土) 20:03:01 ID:N20ePDNw
名無しさんから 仏心さまへ

素晴らしいHNを有難うございました。 長いので仏心様でいいですか?

よろしくお願いいたします。

4280a hope:2014/09/07(日) 08:33:05 ID:cEpBaIdo

web誌友会参加のみなさま そしてこちらをご覧のみなさま

おはようございます。

みなさんのお話、興味深く拝見させていただきました。

たくさん思うこと、お返事したいこともありますが、今日は一日行事で出かけますので書き込みできません。

医学博士であった徳久克己先生も、最初は「家生命の實相」を否定しまくったとご講話で伺いました。

ですが、どんなに否定しても真理(真説)は否定できないものだと思います。

何が生長の家」の真説であるか、このweb誌友会で明らかにしていけたらいいですね!


それではみなさん、素晴らしい休日をお過ごしください!!

4281a hope:2014/09/08(月) 08:20:06 ID:cEpBaIdo

仏心さま(でよろしいでしょうか?)


>>4269再掲

<<「生長の家」倫理学の中心思想は、「人と神と一体であり、万(よろ)ずのもの皆神より出でたるものであるから、
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>
_____________________________________________________________________________________

これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。異端邪説はどこまで行っても説であり、考え、思想、念でしかない。
本来存在しないものと和解は端からしようがない。




<<これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。>>

↑で仏心さまがおっしゃりたいのは、「「天地一切のもの和解せよ」といいながら、
異端邪説を天地一切のものに含んでいるように表現しているにも拘わらず、
「異端邪説だけは和解してはならぬ」という内容のこの文章が矛盾を含んでいて、詭弁であると思われているのですね。
これに関しては、仏心さまとわたしの解釈は全く違うようです。

この場合の「天地一切のもの」とは「天地一切のものの実相(善一元の世界のもの)」という意味なのだと思うのです。
ですが、実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから、
方便として、このような説明になっていると思うのです。


ですから、原文に補足の言葉を入れさせていただくと、

(原文)
『そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。』

(a hopeの補足文)
『そこで天地一切のものと和解するには、【現象に現れてみえる】天地一切のもの、すなわち【実相(善)ではない】異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。』

という風になり、このようにわたしは解釈しています。



ですが、そのあとの仏心さまのご発言

<<異端邪説はどこまで行っても説であり、考え、思想、念でしかない。本来存在しないものと和解は端からしようがない。 >>

というご意見には、半分賛同させていただきます。全部賛同できないのは、お言葉が足りないからです。


a hopeの解釈は、

<<異端邪説はどこまで行っても【虚】説であり、【間違った】考え、思想、念でしかない。本来存在しないものと和解は端からしようがない。 >>

ということになります。

4282a hope:2014/09/08(月) 08:21:45 ID:cEpBaIdo

ユタカさま

web誌友会に戻ってきてくださりとてもうれしいです!
ユタカさまが戻ってくださると、web誌友会が活気づきますからとてもありがたいです。

わたしの進行速度や(所感)は気にされずに、ユタカさんのペースでご参加くださいね。

4283a hope:2014/09/08(月) 08:22:21 ID:cEpBaIdo
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第27回 web誌友会 案内

期間  9月1日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p34〜p126まで
     

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


みなさま

一応、範囲を決めていますが聖典の真理に範囲はありませんので、あまり範囲に関しては気になさらずにご参加下さいね!

4284ユタカ:2014/09/08(月) 09:16:40 ID:N20ePDNw
ありがとうございます
a hopeさま ありがとうございます、これからもよろしくです。

ユタカは、、、昨日、神様から熱い鉄槌をくらってしまいました!!!!  帰宅する道路でカラスが鳩を殺して食べているのを見せられてしまいました、羽が飛んで散らばって悲惨でした、練成道場では「ありがとうございます」って簡単。
帰宅すると、、、拝めないことだらけ。。。。

これって・・・「現象はない!!!」 「実相世界にはこのようなことはない!!! これは嘘!!!」 「実相円満完全!!」

って叫んだんだけど、、、、   

生長の家の 在家の生活 はこれでいいのでしょうか?? みなさんどう生活していますか???

目の前、弱肉強食しかみえないし!! ホント怖い=======!!!  悔い改めがぶっ飛んだ〜〜〜〜〜〜。

4285ユタカ:2014/09/08(月) 09:21:29 ID:N20ePDNw
それか、ユタカが、

現象に感謝していたのを、神様が注意されたのか???

本当に、気分悪すぎる。。。 ゲゲゲッゲ〜〜〜〜。。。。

みなさんは、ドショウもない現象を見てしまったら、どう対処していますか?? どのような言葉を使って現象抹殺をしていますか??

教えてください!!!

4286ユタカ:2014/09/08(月) 11:28:55 ID:N20ePDNw
教えていただきました。

現象はない、実相をはっきり見る訓練をさせていただいているのだ。

「有難うございます!」 って感謝したらいいらしい。。。。 生長の家って素晴らしい!なんでも感謝。

在家でも感謝、感謝なんだね。 このクソ現象世界でいかに感謝するか、「感謝ゲーム、感謝対戦、感謝バズーカ砲撃大会だね」(笑)

ありがとうございました。。。

4287不生の仏心を求めて:2014/09/08(月) 16:01:44 ID:zTvAOV2w
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>
_____________________________________________________________________________________

これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。異端邪説はどこまで行っても説であり、考え、思想、念でしかない。
本来存在しないものと和解は端からしようがない。


     <<これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。>>

↑で仏心さまがおっしゃりたいのは、「「天地一切のもの和解せよ」といいながら、
異端邪説を天地一切のものに含んでいるように表現しているにも拘わらず、
「異端邪説だけは和解してはならぬ」という内容のこの文章が矛盾を含んでいて、詭弁であると思われているのですね。
これに関しては、仏心さまとわたしの解釈は全く違うようです。

この場合の「天地一切のもの」とは「天地一切のものの実相(善一元の世界のもの)」という意味なのだと思うのです。
ですが、実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから、
方便として、このような説明になっていると思うのです。

  (a hopeの補足文)
『そこで天地一切のものと和解するには、【現象に現れてみえる】天地一切のもの、すなわち【実相(善)ではない】異端邪説とでも和解
   したらよいかどうかが問題になるのであります。』 という風になり、このようにわたしは解釈しています。

   a hopeの解釈は、

<<異端邪説はどこまで行っても【虚】説であり、【間違った】考え、思想、念でしかない。本来存在しないものと和解は端からしようがない。 >>
ということになります。

●私の思うところとは少し違いますね。」天地一切のもの」は顕れているモノそのもの、人間が意を通して何かを考えたそのことは、
「考え、思想、念」であり縁に触れて心に浮かんだものであり、一瞬の後には何も存在していないもの、であり、端から『天地一切のもの』
ではないということです。

貴女は「実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから」と言われる。とすれば何と和解し、
何とは和解してはいけないのですか、現象はどこまで行っても現象ですよね、現象には真象と偽象がある、と言われる。
真象であれ顕れたもの、現象であり消え去るものです。真象を好ましいもの、偽象を好ましくないものと普通考えますね、でも念の世界を
超越しない限り、因縁の世界から抜け出せないということのようです。

実相は無相か有相かの議論をしたことがあります。生長の家の実相を観るという場合の『実相』はそのものに相があるのか(理念)、
『真象』を指して実相と云っているのか、貴女はどう考えますか。

4288不生の仏心を求めて:2014/09/08(月) 16:35:30 ID:zTvAOV2w
ついでにお聞きします。無門関23に『不思善悪』の公案があります。
善とも悪とも考えない時の人間の本来のものはいかなるものか、というものです。

他人が善を行っているか、悪を行っているか、が問題でなく、その事を善である、悪であると認識する心とは何でしょうかということです。
本心、実相の心とか言われる、実在の心とは何かということです。

雅春先生自身が無門関解釈を書かれているのですから、それは禅の話で生長の家と関係無いというものではないと思っています。
如何に生きるかと心というか、思いを関係させていく生き方に疑問を持っています。

4289a hope:2014/09/09(火) 00:09:22 ID:cEpBaIdo

>>4284 〜4286 ユタカさま

そうですね。
現象の世界には素直に拝めないことも多いですよね。
わたし自身もたくさん家族がおりますし、仕事もしてますから、
現象生活をしていく上で、人間関係等で悩むことも多々あります。

でも、わたしたちには「生長の家の教え」がありますから、とても心強いですね。

最近は、わたしはどんなに心が不安になっても、聖典を拝読したり、
神想観をすることでほとんど自分の中で解決できるようになってきました。

すべてに感謝できるようになることがとても大切だとわたしも感じています。

4290a hope:2014/09/09(火) 00:12:15 ID:cEpBaIdo

>>4287「 仏心」さま

<<●私の思うところとは少し違いますね。」天地一切のもの」は顕れているモノそのもの、人間が意を通して何かを考えたそのことは、
「考え、思想、念」であり縁に触れて心に浮かんだものであり、一瞬の後には何も存在していないもの、であり、端から『天地一切のもの』ではないということです。>>



↑の「仏心」さまお考え方が、もし、

「考え、思想、念」つまり人間の『心』が実在ではなくて、「顕れているモノそのもの」つまり現象に見える『物質』だけが実在するというお考えでしたら、


それって、唯物論なのではないですか?


それでは「仏心」さまのHNである『仏心』も実在しないものとお考えですか?


聖経「甘露の法雨」には、

神が一切のものを造りたまふや
粘土を用い給はず、
木材を用い給はず、
槌を用い給はず、
鑿を用い給はず、
如何なる道具も材料も用い給はず、
ただ、『心』をもって造りたまふ。
『心』はすべての造り主、
『心』は宇宙に満つる実質、
『心』こそ『全能』の神にして遍在したまふ。・・・

とあり、神(仏)の心がすべてのもの(天地一切のもの)を作ったと詠われています。


ですが、一方で「生長の家の教え」では「現象人間の迷いの心」の方は「無い」と否定していますから、
「仏心」さまがおっしゃる<<人間が意を通して何かを考えたそのこと>>というのが、
「現象人間の迷いの心」のことで、「仏心」さまのお考えが、その「現象人間の迷いの心」が天地一切のものではないという意味であれば、
そのことに関してはわたしもそうなのではないかとも思いますが、神(仏)の心は実在だとわたしは信じています。
(つづく)

4291a hope:2014/09/09(火) 00:15:26 ID:cEpBaIdo
>>4290つづき

<<貴女は「実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから」と言われる。
とすれば何と和解し、何とは和解してはいけないのですか、>>


(a hope の答え)

真説に和解し、虚説には和解しなければいいのだと思います。

以下をご参考にしてください。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4056

――――――――――――
●虚説とは、「迷い」や「誤れる見解」のことである。
それでは、「迷う」「誤れる見解をする」とはどんなことか?

それは、自分自身や相手(対象物)の実相を見ず、悪であると思ってしまうこと。
または、罪を見てしまうこと。
つまりは、本来無い仮相の現象に心を捉われてしまうこと。


○真説 (虚説と和解しないために)
「迷わない」「正しい見解をする」とはどんなことか?

それは、自分自身や相手(対象物)の実相だけを見つめ、すべては善であると思うこと。
または、罪を見ないこと。
つまりは、実相世界の完全円満さを常に喜ぶこと。

――――――――――――

4292a hope:2014/09/09(火) 00:18:28 ID:cEpBaIdo
>>4291つづき

<<真象であれ顕れたもの、現象であり消え去るものです。真象を好ましいもの、偽象を好ましくないものと普通考えますね、
でも念の世界を超越しない限り、因縁の世界から抜け出せないということのようです。>>


(a hopeの答え)

――――――――――――
●「虚説(迷い・サタン・異端・邪説・雑念)」→【現象世界に投映されると】→ 暗黒化し、「罪」「病」「死」など(仮相)が現れて見える。    
           
○「真説(真理・神・生命・愛・知恵)」→【現象世界に投映されると】→光明化し、「真」「善」「美」などの(実相)が現れてくる。

――――――――――――


真説が現象世界に投映されたものが、真象(実相の投影)で、虚説が現象世界に投映されたものが偽象(仮相の投影)であるとわたしは理解しています
因縁の世界から抜け出すためには、念を超越するというよりも、虚説を否定し、真説ののみを実行すればいいのだと思います。

4293a hope:2014/09/09(火) 00:20:42 ID:cEpBaIdo
>>4292 つづき

<<実相は無相か有相かの議論をしたことがあります。
生長の家の実相を観るという場合の『実相』はそのものに相があるのか(理念)、
『真象』を指して実相と云っているのか、貴女はどう考えますか。 >>


(a hopeの答え)

わたしは実相世界を悟っていないですから、あくまでも聖典を拝読して解釈しているだけなので、
実相が無相か有相かなどということは実際のところはわかりません。
ですが、今現在のわたしの理解力だけでお答えさせていただきますと、
無相である実相(真説・正しい理念)が、現象世界にが投影され、芸術的活動で表現されたものが「美」であり、
道徳的活動で表現されたものが「善」であり、それらの現象人間の目でも確認できる真象が有相の実相なのではないかと思います。


『真、善、美と三つを同列に並べて説明する人がありますが、真とは本当にあるものということで、
「本当にあるもの」の道徳的活動が善であり、「本当にあるもの」の芸術的活動が美であります。
人生の目的とは何ぞや?といいますと、人生に「真」すなわち「本当にあるもの」すなわち実相を表現することであります。
実相が、本当の姿が、本当にあるものが実現したとき、人生に価値が実現したというものであります。
本当にあるものでないものには価値があるはずがないのです。
有るからこそ価値があるのです。なかったら価値がない。有るものだけが価値があるのです。』
「生命の實相」第13巻 p138 後から4行目〜



「仏心」さまが、素晴らしいご公案をたくさんくださるので、今回も、わたし a hopeはとてもお勉強させていただいています。
心より感謝いたします。 合掌。

>>4288に関しては、後日お答えさせていただきますね。

4294ユタカ:2014/09/09(火) 22:58:55 ID:N20ePDNw
>でも、わたしたちには「生長の家の教え」がありますから、とても心強いですね。

本当にそうですね。。
現象無し!! LooK into reality !!

「実相を観る」と、日本語ではちょっと難しいけど、英語で、Look at   ではなく Look into reality

と雅春先生がテープで仰って下さるのがありますが、それがとても分かりやすいですね。

そして、生長の家の先生に聞いたことは、嫌な事、拝めない事を見ても、それをいかに感謝として見るか楽しくゲームをする様にやっていくといいよ。。。

そしてね。。。。

教団にいる人もいない人も、今、難しい問題を与えられているのは、皆さんが高級霊だから、難しい拝めないような問題をどう解決するか神様に与えられているのだそうです。

本当に、現在は、昔の雅春先生時代の生長の家が大好きな人ほど、難しい問題を与えられていますね、みんな、みんな高級霊だそうです、とても素晴らしいですね!!

みんな生長の家高級神の子 素晴らしい!! みんな高級霊だから お釈迦さまだから、わざわざ難しい事をしてくれて、「これを拝んでご覧!!」としているところが素晴らしい!!

神の子同志の磨きあい!! 拝んだ人から感謝充満実相世界、みんな 神の子 有難う!!

4295ユタカ:2014/09/09(火) 23:00:26 ID:N20ePDNw
あのう・・ 上記の・・・

誰か、スペルチェックお願いします。

4296a hope:2014/09/11(木) 09:29:14 ID:cEpBaIdo

>>4294 ユタカさま

素晴らしいご投稿をありがとうございます!!
生長の家の教えは、「感謝」の教えですものね。


Look into reality!! (スペル間違いはないと思いますが・・・。)

直訳すると『(現象の中の)「本物」だけを観ぜよ!』みたいな意味でしょうか?


本来、「悪はない」のですから、現象に現れているすべての「不都合なこと」(悪と見えること)も、
自分の観方を変えればすべてが「感謝すべきこと」(善)になるということですね。

自分を苦しめている不都合な出来事に感謝できたとき、救われるのは誰でもない自分自身なんですよね!

4297a hope:2014/09/11(木) 09:36:01 ID:cEpBaIdo
>>4288 「仏心」さま


――――――――――――――――

ついでにお聞きします。無門関23に『不思善悪』の公案があります。
善とも悪とも考えない時の人間の本来のものはいかなるものか、というものです。

他人が善を行っているか、悪を行っているか、が問題でなく、その事を善である、悪であると認識する心とは何でしょうかということです。
本心、実相の心とか言われる、実在の心とは何かということです。

雅春先生自身が無門関解釈を書かれているのですから、それは禅の話で生長の家と関係無いというものではないと思っています。
如何に生きるかと心というか、思いを関係させていく生き方に疑問を持っています。

――――――――――――――――

わたしは無門関の『不思善悪』のお話も知りませんし、雅春先生の無門関解釈も未読ですが、その上で「仏心」さまの、

<<他人が善を行っているか、悪を行っているか、が問題でなく、
その事を善である、悪であると認識する心とは何でしょうかということです。
本心、実相の心とか言われる、実在の心とは何かということです。>>

というご質問にお答えさせていただきますね。

(a hopeの答え)

実相世界には存在しない「善」と「悪」の区別を認識する心とは現象人間の「迷いの心」であり、
実相の心とは、神の心、仏の心に他ならないと思います。

4298不生の仏心を求めて:2014/09/11(木) 19:47:07 ID:zTvAOV2w

(a hopeの答え)

実相世界には存在しない「善」と「悪」の区別を認識する心とは現象人間の「迷いの心」であり、
実相の心とは、神の心、仏の心に他ならないと思います。

_____________________________________________________________________________________________________
色々お答え下さりありがとうございます。a hopeさんの考えは承知しました。
ただ和解に関しまして真説に和解し、虚説には和解してはならない。とありました。
そこで判らないのです。善悪を認識する心は迷いの心であるといわれる。
真説虚説の判断は何によってなされるのでしょうか。
先の戦争では家族を亡くし言葉にできない辛酸をなめた人は大変多いと思うのです。
国体を守るためには戦争もやむなしとの考え方があります。結果に於いて戦に負けたのです。負けても今の日本はあります。
この場合に戦争はすべきであるというのは、真説なのでしょうか、虚説でしょうか。
雅宣総裁の発言は虚説であると貴女は言われます。虚説であると判断する心は、『本心』なのでしょうか。

「実相の心とは、神の心、仏の心に他ならないと思います。」は呼び名を変えただけのことで、どんなものかの説明にはなっていないのではありませんか。

4299トンチンカン:2014/09/11(木) 20:22:48 ID:JWwiWw8o

マサノブ爺さんは、<理性>で判断すると講釈していましたよ!!



<小閑雑感> (参考)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2008年11月10日
理性と教典解釈 (2)

 前回は、茅ヶ崎市の男性からの質問に答えたので、今回は厚木市の女性の質問に答えよ
う。まず、ここでのテーマは「教典の解釈」であって「真理の解釈」ではないことを確認
しておく。

 厚木市の女性は、古い時代に書かれた教典を現代人が読む場合、その解釈が昔のものか
ら変わる必要があることは認める。が、そうやって打ち出された新しい解釈が正しいか否
かをどうやって判断するか?−−という点を質問したのだ。私はこの時、黒板に「理性」
という文字を書いた。人間には理性があるから、それによって判断することができるとい
う意味である。そして、理性をめぐるイスラーム内部の考え方の違いについて触れたのだ
った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



・『真説虚説の判断は何によってなされるのでしょうか』


・マサノブ爺さんは、『人間には理性があるから、それによって判断することができる』
 と言っておりますが・・・

4300不生の仏心を求めて:2014/09/11(木) 20:48:50 ID:zTvAOV2w
トンチンカン女史さん

・『真説虚説の判断は何によってなされるのでしょうか』

・マサノブ爺さんは、『人間には理性があるから、それによって判断することができる』
 と言っておりますが・・・
________________________________________________________________________________________

引用の文章にはそんなこと一言も書いてないでしょう?朝日みたいな思い込み発言はやめましょう。

4301転載家:2014/09/12(金) 03:15:43 ID:???
ますます冴え渡る異才「トンチンカン」氏のマサノブ評*(5097)
日時:2014年09月10日 (水) 07時47分
名前:怒れる信徒 某



サーチャーさんが此処に転載していただいている「トキ掲示板」の異才「トンチンカン」氏のマサノブ評、今回は特に痛快、痛快そのもの。

大ヒマ人・マサノブ君は、又もや、似つかわしくないHN「不生の仏心を求めて」という名で登場したが、又もやボコボコに叩かれてしまった。

雅宣君、次のHNを「モグラたたきで叩かれし者」に変えたら?

両者のご健闘をお祈りする次第です。尤も、マサノブ君は全然「トンチンカン」氏の異才に歯が立たぬが・・・

4302a hope:2014/09/12(金) 09:06:53 ID:cEpBaIdo

少しテキストの内容を進めたいと思います。

「生命の實相」第14巻 p57 9行目〜

「生長の家」倫理学の特色といたしますところは、存在を「実相(ほんとうにあるもの)」と「仮相(まよい)」とに別けることであります。
そして「実相」だけが存在するのであって、その「実相」は完全であるというのであります。
例をあげていえば、人間に結核病を惹き起こす毒物としての結核菌は、それは仮相(かりのすがた)であって実相ではないのであります。
この場合、われわれが仮相(まよい)の結核菌を認め、許し、それに触れ、それを培養することにすれば、われわれ人類は滅びるのであります。
なせなら「仮相(まよい)」を実在だと思ってこれに和解し「仮相(まよい)」をことさらにのさばらせれば、実相はますます隠れるほかはないからであります。

ところが、神は結核菌を人間を害するようには作ってい給わないのであります。
結核菌は人間に対して無害に造られており、実在の世界においては、人間と結核菌とは調和して互に生かし合っているのであります。
調和が実相であって、「実在する結核菌」の本当の相(すがた)なのであります。
それで「結核菌と和解する」とはこの本当の姿を認めて、その心の投影(かげ)として自然に結核菌と人間とを互に相侵(あいおか)さない状態に至らしめるので、
われわれを害する「仮相(まよい)の結核菌」を認め、それに栄養を与え、培養するということではないのであります。
大体、「仮相」というものは、あるように見えても本来無い――「無いもの」と和解のしようがないのであります。
それでわれわれが和解するとは、ただ「本来あるもの」と和解するほかはない。
それでわれわれが、「天地一切のものと和解せよ」という場合は、
仮相(まよい)――われわれに対して毒性または敵性をもって顕れているウソのスガタ――に和解するのではなくて、
実相(すなわち、われわれと本来調和し、われわれと互に生かし合っているそのものの内性)と和解することなのであります。

4303a hope:2014/09/12(金) 09:08:34 ID:cEpBaIdo

>>4302 a hope所感)

ここの部分には「生長の家」倫理学の核心が「結核菌と人間との和解」を例にあげてとてもわかりやすく説明されていると思います。

この文章の「結核菌と人間との和解」について書かれている部分を、「【地球】と【人間】の和解」に置き換えて読んでみると、
「生長の家」の教えにより、どのように【地球】と【人間】が和解すべきかがとてもよくわかります。

4304a hope:2014/09/12(金) 09:15:28 ID:cEpBaIdo

「【地球】と【人間】の和解」(※注 a hope が聖典の言葉を置き換えた文章です。)


「生長の家」倫理学の特色といたしますところは、存在を「実相(ほんとうにあるもの)」と「仮相(まよい)」とに別けることであります。
そして「実相」だけが存在するのであって、その「実相」は完全であるというのであります。

例をあげていえば、【地球】に【自然破壊】を惹き起こす毒物としての【人間】は、それは仮相(かりのすがた)であって実相ではないのであります。

この場合、われわれが仮相(まよい)の【人間】を認め、許し、それに触れ、それを培養することにすれば、【地球】は滅びるのであります。

なせなら「仮相(まよい)」を実在だと思ってこれに和解し「仮相(まよい)」をことさらにのさばらせれば、実相はますます隠れるほかはないからであります。


ところが、神は【人間】を【地球】を害するようには作ってい給わないのであります。

【人間】は【地球】に対して無害に造られており、実在の世界においては、【人間】と【地球】とは調和して互に生かし合っているのであります。

調和が実相であって、「実在する【人間】」の本当の相(すがた)なのであります。

それで「【人間】と和解する」とはこの本当の姿を認めて、その心の投影(かげ)として自然に【人間】と【地球】を互に相侵(あいおか)さない状態に至らしめるので、
【地球】を害する「仮相(まよい)の【人間】」を認め、それに栄養を与え、培養するということではないのであります。

大体、「仮相」というものは、あるように見えても本来無い――「無いもの」と和解のしようがないのであります。

それでわれわれが和解するとは、ただ「本来あるもの」と和解するほかはない。

それでわれわれが、「天地一切のものと和解せよ」という場合は、
仮相(まよい)――【地球】対して毒性または敵性をもって顕れている【人間】のウソのスガタ――に和解するのではなくて、
実相(すなわち、【地球】と本来調和し、【地球】と互に生かし合っている【人間】そのものの内性)と和解することなのであります。


(a hopeが聖典の言葉を入れ替えたことに不快を感じる方がいらしたら、心からお詫びいたします。)

4305a hope:2014/09/12(金) 09:18:54 ID:cEpBaIdo

>>4304 a hope所感)


<<例をあげていえば、【地球】に【自然破壊】を惹き起こす毒物としての【人間】は、それは仮相(かりのすがた)であって実相ではないのであります。

この場合、われわれが仮相(まよい)の【人間】を認め、許し、それに触れ、それを培養することにすれば、われわれの【地球】は滅びるのであります。

なせなら「仮相(まよい)」を実在だと思ってこれに和解し「仮相(まよい)」をことさらにのさばらせれば、実相はますます隠れるほかはないからであります。>>


この場合の「仮相(まよい)」とは、地球に自然破壊をもたらすという罪深い人間(悪)を実在だと認めてしまう自分自身の「心の迷い」のことだと思うので、
わたしたちが、その「心の迷い」を否定せずに和解してしまうと、その自然破壊する人間の仮相の姿をのさばらす結果になってしまうということなのだと思いました。

<<それでわれわれが、「天地一切のものと和解せよ」という場合は、
仮相(まよい)――【地球】対して毒性または敵性をもって顕れている【人間】のウソのスガタ――に和解するのではなくて、
実相(すなわち、【地球】と本来調和し、【地球】と互に生かし合っている【人間】そのものの内性)と和解することなのであります。>>

これが、本来の生長の家の信仰の姿であり、「人類光明化運動」なのだと思います。
つまりは、「自然破壊などすることのない神の子人間に感謝せよ!」ということなのだと思います。

4306a hope:2014/09/12(金) 09:23:13 ID:cEpBaIdo

>>4298「仏心」さま

(仏心さまご質問)
雅宣総裁の発言は虚説であると貴女は言われます。虚説であると判断する心は、『本心』なのでしょうか。

(a hopeの答え)

雅宣先生のご著書やブログ、祈りの言葉などを拝見していると、雅宣先生は「地球に自然破壊をもたらす罪深い人間」を認めていらっしゃるようにしか見えないのです。
ですから、「雅宣先生の教え」は「生長の家」の倫理学から見ると「虚説」となってしまうのです。
「虚説」であるかないかは、わたしの『本心』が判断しているのではなくて、「聖典の教え」をわたしが解釈するとそうなってしまうのです。

この説明で、わたしがなぜ、「雅宣先生の教え」が「虚説」であると感じているかわかっていただけたでしょうか?

あくまでも、わたしは順をおって、「生命の實相」をお勉強し、解釈し、感じたことを素直に発言しているだけです。

>>4299でトンチンカンさまが転載してくださった雅宣総裁の御文章に、

<<人間には理性があるから、それによって判断することができるという意味である。>>
というご発言がありますが、「生長の家」の聖典を唯物的思想を持つ人間の理性で解釈しようとすると、
すべて否定しなくてはいけなくなります。

わたしは雅宣先生が「生長の家の教え」の基本である「人間神の子」を信仰していらっしゃるようにはまったく見えないのです。

4307a hope:2014/09/12(金) 23:02:51 ID:cEpBaIdo

トキさま ユタカさま 仏心さま みなさま こんばんは!

a hopeは、明日から数日間でかける用事がありまして自宅を離れるので、
いつものように書き込みができません。

ですが、わたしの返事がなくてもご自由にご参加くださいね!

来週中には戻る予定でいます。

それではみなさま、良い週末をお迎えください!!

4308ユタカ:2014/09/13(土) 00:20:48 ID:N20ePDNw
a hope様 いっていらしゃい! お帰りをお待ちしてま〜す、a hopeさま不在でも書きます。
>>4260 わたしは、先月までこのweb誌友会テキスト「生命の實相」をもとに、「悔い改め」(生まれ更わり)についてお勉強してきました。
そしてこの「悔い改め」には旧我(偽我)の否定、と新我(真我)の肯定が必要だと知りました。

完全円満な実相世界の立場から観れば、「環境破壊し続けている人間」というのは明らかに旧我(偽我)であり、
妄想であり否定しなければならない存在です。

そして、本当の「悔い改め」には「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」の肯定が必要だということになります。


ですから、本来の「生長の家の教え」によって、環境問題に対応した運動をしていくのであれば、
この「悔い改め」真理を応用すればいいのだと思います。

それには、やはり「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」=「神の子人間」の実相を礼拝することが基本だと思います。


ですが、雅宣先生の運動を拝見していると「人間の実相礼拝」よりも「現象の自然」を礼拝しているように見えてしまうのです。


<<私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。>>

わたしは、雅宣先生の存在自体を虚説だと思っているのではなく、雅宣先生の教えと運動の仕方が本来の「生長の家の教え」ではないと思っているのです。


今まで何度も発言してきましたが、雅宣先生の存在自体は、信徒に本来の「生長の家の教え」とは何かを考えさせてくれるためにあらわれた、
ありがたい大観世音菩薩さまだと思っています。

--------------------------------------------------------------------------------------------
何か、ahopeさまのこの御文章が、ちょっと良く分からないのですが、

生長の家の本来の教えを実相から観た教えとして、 現象の環境運動とごちゃ混ぜになっていませんか?
1>ですから、本来の「生長の家の教え」によって、環境問題に対応した運動をしていくのであれば、
この「悔い改め」真理を応用すればいいのだと思います。
2>それには、やはり「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」=「神の子人間」の実相を礼拝することが基本だと思います。
3>ですが、雅宣先生の運動を拝見していると「人間の実相礼拝」よりも「現象の自然」を礼拝しているように見えてしまうのです。

ユタカは、この間の宇治の大祭に行って実際の雅宣先生を見ていました、この目ではっきりと!
先生は、歩かれながら参加者を拝んでくれていました、奉仕の我々の事も神の子として拝んでくれていました。これは私が自分の目で確認しましたので2>の引用はクリアです。
3>は、宇治や教化部では神の子、感謝のお話を沢山聞けます。前ほどではなくなりましたが。
で、最後
4>
わたしは、雅宣先生の存在自体を虚説だと思っているのではなく、雅宣先生の教えと運動の仕方が本来の「生長の家の教え」ではないと思っているのです。

a hopeさま、私は総裁の本を良く読んでいなかったときは同じように思っていましたが、宇治の練成や大祭奉仕で変わりました、何とこのユタカが総裁の本まで買ってしまったのです。
で、話は元に戻らせていただくと、a hopeさまは、実相を拝むことが生長の家のすべてのことで、環境のことも環境を侵していない実相を拝むことこそが生長の家の教えで、総裁はそれをしていないというように読めるのですが?そうでしょうか?

私は、宇治に行って、楠本先生に沢山聞いて、総裁の事は、総裁がすべての実相を拝んでくれていたからこそ、今こそ環境問題に動いて下さったとわかりました。総裁は、すでに、a hopeさまの仰る「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」をすでに拝んで、
そして、「今やらねばならないことを精一杯して下さっていらしゃる」ことがわかりました。

a hopeさま 総裁は信徒を神の子として拝んで、今必要な最前線の運動の指揮を執る素晴らしい総裁だと私は急に目覚めました。

4309ユタカ:2014/09/13(土) 00:30:49 ID:N20ePDNw
a hopeさま
ユタカがせっかく総裁の本を買ったので、a hope様が、実相、」実相 実相 」 と 実相 とばかり仰るので、
現象世界にいることもしっかりと認識して欲しいので、読んでみてください。

>「罪なし」の教えと裁判員制度
Q 「人間本来罪なし」という生長の家の教えに触れていますと、裁判員制度でも志裁判員に選ばれた時、みんな神の子さんに見えて、極悪犯でもとても裁くことが難しく、冷静に判断できません。反面、本当は死刑にしたいと思えるのに、という場合もあると思います。
どうしたらよいでしょうか?(四十九歳 女性)

A 午前中の話の中でも少し触れましたが、この質問は、「実相」と「現象」を混同しているように思いますね。この二つを区別することは易しいようでいて、なかなか難しいのでります。裁判員制度とか、警察力、その他の法律で定められた社会のさまざまな仕組みというのは、これは現象界における我々の”心の作品”です。
我々が議会で法律や条例としていろんな制度を提案し、それを可決して制度が運用されるようになる。裁判員制度も同じでありまして、従ってこれは「現象処理」の問題である。

午前中、私が「人間に罪はない」とか「神の子である」とか「仏様である」という話をしたのは、「実相において」人間は皆そうだという意味であります。
ところが、実相においては皆すばらしい神の子であるけれども、現象世界に生まれて自由を与えられると人間は「迷う」ことがあるとという話もしました。

本来人間は神の子であるにもかかわらず、迷って、神の子にふさわしくない行動をすることがあります。 そういうことがあった場合には現象処理が必要です。(以下略)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
実相 実相のa hopeさま

総裁の書かれていることのどこが間違っていますか? その間違えを教えて下さい。

4310ユタカ:2014/09/13(土) 00:33:48 ID:N20ePDNw
訂正
>裁判員制度でも志裁判員

裁判員制度でもし裁判員   に もし と差し替えてお読み下さい。

4311ユタカ:2014/09/13(土) 00:38:25 ID:N20ePDNw
ユタカは

生長の家ってどんな教え? から謹写引用しました。。。よろしくです。

4312a hope:2014/09/13(土) 00:42:44 ID:cEpBaIdo

>>4308 4309 ユタカさま

web誌友会ご参加ありがとうございます。
たくさん質問をいただいているのですが、わたしは明日から出かけるのでお返事ができません。

できれば、わたし個人に対する質問はこれ以上は控えていたでけるとありがたいです。

このweb誌友会は、あくまでも「生命の實相」のお勉強会ですから、わたしは雅宣先生に関することでも、
「生命の實相」の真理に照らし合わせて発言しています。
ユタカさまも、ご参加くださるのであれば「生命の實相」の内容にそってお話を進めていただけないでしょうか?
どうぞよろしくお願いいたします。

それでは、ユタカさま、みなさまおやすみなさい!

4313ユタカ:2014/09/13(土) 00:47:06 ID:N20ePDNw
あくまでもユタカ個人の解釈ですと 神の子なのに迷って という箇所は

本来の実相を忘れて  ということかな?と解釈しました。

裁判員の問題を仰っている箇所を謹写しましたが、 環境も、現象の環境問題もこれと同じに考えていいと思いますが、どうでしょうか??

4314ユタカ:2014/09/13(土) 01:45:23 ID:N20ePDNw
>このweb誌友会は、あくまでも「生命の實相」のお勉強会ですから、わたしは雅宣先生に関することでも、
「生命の實相」の真理に照らし合わせて発言しています。


そうですか。ですが、私も仏心様と同じで

a hope様の解釈が理解できないので、生命の実相に沿って勉強しているような実感がないのですよ。。。

野狐禅のような気もします。。。

4315a hope:2014/09/13(土) 07:57:36 ID:cEpBaIdo

>>4314 ユタカさま

<<a hope様の解釈が理解できないので、生命の実相に沿って勉強しているような実感がないのですよ。。。
野狐禅のような気もします。。。>>

強烈なご批判をありがとうございます。 合掌。


これからしばらくa hopeはこのweb誌友会で聖典のお勉強はできませんので、
仏心さまや、ユタカさまに是非、正しい「生命の實相」の解釈をご教示していただきたいです!!


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第27回 web誌友会 案内

期間  9月1日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p34〜p126まで
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

web誌友会を長く続けていくには、ある程度の秩序が必要かとも思います。
現在 a hopeは、p55〜の「和解の倫理」を自分なりに解釈中です。

その時に仏心さまから、「雅宣総裁」と「虚説」に関する質問をいただいたので、
自分の解釈に照らし合わせて、自分なりのお答えをさせていただきました。

わたしに他意はなく、ただ、真理を知りたいだけですのでどうぞよろしくお願いいたします。

訊け管理人さま、トキさまその他のみなさまにも、是非参加していただきたいです。

自宅を離れましても、スマホから閲覧はしていますので時々参加させていただくかもしれません。

みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

4316トキ:2014/09/13(土) 22:18:54 ID:S.HsjIYs
 本題と合わないかもしれませんが・・・・。

 武道の世界などでは、「守」「破」「離」が大事だと言われます。(これ、武道の達人
からの耳学問です。)

「守」・・・・師匠の格をまねる事。つまり先生の真似をすること。

「破」・・・・師匠の格に至る事。つまり先生と同じ事ができること。

「離」・・・・師匠の格を破り、自分の格を出す事。つまり、自分の個性がでること。

 信仰の世界の場合、なかなか師匠を超えるというのは難しい点があります。
ただ、長年、信仰をしていると、その人なりのスタイルができるのも事実です。
 行をし、勉強をしているなかで、聖典に書かれている事が自分のものと体感できる
境遇になります。

 例えば、現在の総裁は総裁なりに勉強をして、彼のスタイルでの「生長の家」を作った
し、本流復活派の人たちも、同じように、彼らのスタイルでの「生長の家」を作ったと
言えるでしょう。そういうスタイルは、他の人にも参考になる点はあるとは思います。
 
 が、それらは、その人の信仰のスタイルではあっても、自分にあうか、どうかは別の
話だと思います。つまり、応用としての自分の信仰はあくまでも自分のスタイルであって、
他の人に応用して「効果」があるか、どうかは別の話です。そうすると、自分一人での
信仰の場合は「応用」は大事ですが、みんなで勉強をする場合は、やはり「基本」が
大事だと思います。

 そもそも、生長の家の場合、「師匠」とは、基本的に谷口雅春先生のことだと解釈す
るべきだと感じます。そして、基本とは、生命の実相などの聖典だと考えます。

 これらの聖典を熟読して、その上で、現在の自分の生活にどう生かすかは、各人が精進
すべき課題だと思います。不特定多数が参加するネット上での誌友会での勉強は、この
「基本」にこだわっていくことが大事かな、と感じています。

 みんなで勉強をしていきましょう。

4317トキ:2014/09/14(日) 19:19:04 ID:bXsTMpmc
 生命の実相の第14巻を拝読しましょう。まずはp4です。

 「われ罪の子」の自覚が忽然と消えて、「われ神の子」の自覚に入るのが本当の「生まれ更わり」
でありますが、この「われ神の子」の自覚を得る、というのは、罪を犯しながら、その罪を犯して
いる自分を「これで神の子だ、これで真我だ」と自慢自賛することではありません。罪が外に犯さ
れているのは、まだ「われ罪の子」という偽存在のわれの自覚が潜在意識内に残っているからこそ、
それが具象化して出て来るのでありますから、その偽存在のわれの自覚を「神の子なり」「真我な
り」と名称を付けかえてみましても、それは何も真に「神の子」が自覚されているわけではない。
偽存在のわれに本物の名前を付けかえてみたとて、それは贋物に本物の商標を付けて発表するのと
同じであって、本物の商品を発表することにはならない。本物の商品に本物の名前をつけて売り出
してこそ「本物」を発表したことになるのであります。

(生命の実相第14巻 p4より謹写)

 これは、信仰をする人はよく考え、自戒すべき部分だと思います。

 藤原敏之先生は、「信仰にも筋金が必要だ」と言われました。この筋金がないで、単に「人間、神の子」
という言葉だけで自分の言動を考えると、何をやっても許される、という事になりかねないです。

 あなたは必ず救われる、という本の42pで藤原敏之先生は、信仰の根本は「信」であると書いておられま
した。大事なのは、この「信」だと思います。そこから見るからこそ、日常生活の全てが正しく導かれてい
くと思います。

4318ユタカ:2014/09/15(月) 02:22:09 ID:N20ePDNw
信 から見ると日常が正しくなる。???

意味が良く分かりません。

信 は大切だけど、現在のような運動だと信 って生まれにくくない?

罪が見えるのは、まだ、清まっていないのか。。 前世からの業もあるだろうし、いつになったらきよまれるんだろうか?

4319トキ:2014/09/15(月) 19:06:49 ID:IbMkY2ZM
 人間=神の子の真理は、ひとつ間違うと、自分の言動を全て正当化する手段ともなりえます。
何をしようともその人の本質は神の子だ、ということになると、殺人をしようが、詐欺をしよ
うが、問題がない、ということになりかねません。

 そうではない、人間は神の子であり、自分も神の子である、という自覚が強くなると、自然
と言動が神の子らしくなる、という事だと思います。

4320トキ:2014/09/15(月) 19:17:06 ID:IbMkY2ZM
 悪い習慣を治したい、という人は多いです。この点についても、生命の実相の第14巻には書かれています。
自分の本質が神の子である、という事を知る事が大事なんですね。

-------------------------------------------------------------------------------------

 また「悔い改め」とは、一悪一悪と順次悪を減じて、一善一善と順次「善」を積み立ててゆくということで
はありません。全体の悪が、クラリと光の方向へ転向してゆくことなのであります。

(中略)

 以前には、「この自分は悪いからぜひ治さなければならない」と思いながらも治らなかった。ところが
今気がついてみると、治そうと思いもしないのに治っていたのであります。これでみても、「自分は悪いから
ぜひ治そう」と決心することが悔い改めではない。「悪い自分は無い」と知って、「神と一体である自分」を
見出したときに、そこに「ニセ物のわれ」と「本物のわれ」との置き換えが行われるのであることがわかるで
しょう。悔い改めというのは努力によって「ニセ物のわれ」を捩じ直すことではない、「ニセ物のわれ」を
カラリと捨てて、「本物のわれ」に転向することだということがこれでおわかりでしょう。

14Pより、謹写

4321ユタカ:2014/09/15(月) 23:16:57 ID:N20ePDNw
>>人間=神の子の真理は、ひとつ間違うと、自分の言動を全て正当化する手段ともなりえます。
何をしようともその人の本質は神の子だ、ということになると、殺人をしようが、詐欺をしよ
うが、問題がない、ということになりかねません。

ひぇ〜〜怖いです。
そんな事考えたこともありませんでした。。。
神の子だから、何でもやって許される・・・。恐ろしいですね。。。

その前に、a hopeさま、 強い批判の言葉を書いてしまい、貴女を怒らせててしまい大変申し訳ありませんでした。。
私には攻撃の意思はありませんので、どうか、気を取り直してください、よろしくお願いいたします。

今日は、自動車の安全点検に行って待ち時間に沢山生命の実相を読み進めることができました。そして、往復路で楠本先生の講話を聴ききながら勉強していました。外の景色はたわわに実った稲刈りでした。。。

でっかい声で、ありがとうございま〜〜〜す!! って叫びました。

本当に、有難うございます な世界しかないのが「生命の実相」ですよね。。。

有難うございま〜〜〜す!!!!!

4322ユタカ:2014/09/16(火) 00:12:47 ID:N20ePDNw
第四章 和解の倫理
p57 ここに和解の倫理がハッキリと顕れているのであります。
和解するのは誰と和解するのかというと、「自分を害する家ダニ」と和解するのではないのであります。
「害する者」と和解するのは「害する者」をのさばらせることになるのであります。

たとえば、結核菌 という人間を害する敵と和解することを考えてみます場合、結核菌は人間を害する者だと思いながら結核菌と「和解するつもり」でことさらに結核菌を培養して、これを呼吸器に吸い込むということにいたしましたならば、いかにも結核菌と人間とは和解したように見えるかもしれませんが、

それは、 「実相の結核菌」と和解したのではないのであります。


「生長の家」の倫理学の特色といたしますところは、存在を「実相ほんとうにあるところのもの」と「仮相迷い」とに分けることであります。

そして「仮相 まよい」は存在するように見えても、それは非実在(ない)というのであります。

そして「実相」だけが存在するのであって、 その「実相」は完全であるというのであります。

p、58
大体(だいたい)「仮相」というものは、 あるように見えても「本来無い」− 「無いもの」と和解しようがないのであります。

4323女狐に憑かれたノブタ:2014/09/16(火) 00:22:08 ID:???

 『谷口雅春先生の御著書が高校の教科書になった』

 読みたい人はURLは勝手にしらべて、

 この掲示板には勿体無い記事だから。

4324ユタカ:2014/09/16(火) 00:24:57 ID:N20ePDNw
p、58それで、われわれが「天地一切のものと和解せよ」という場合は、
仮相--われわれに対して毒性または敵性をもって顕れている ウソのスガタ----に和解するのでなくて、

実相----(すなわち、われわれと本来調和し、われわれと互いに生かしあっているその物の内性)と和解することなのです。

p59 対人関係、対物関係の和解は、そういうように物そのもの,人そのものの実相を見てそれと実相において和解してしまいますと、相手の調和した実相があらわれて相手が自分に逆らいまたは害しなくなるのでありますが、「迷い」に対したり「誤れる見解」に対しては、われわれはいかなる態度をとるべきでありましょうか。(途中略)

だからわれわれは、決して「誤れる見解」に和解してはならないのであります。
「誤れる見解」は 実相世界にはない、それは「虚説」すなわち「無い説」でありますからわれわれは虚説と和解することは絶対にできないのであります。

虚説に和解したら自分の完全なる実相が昧まされ、完全なる実相が昧まされたならば、その投影として不完全なる現象、不幸 病気、災厄等があらわれてくるのであります。

=================================

生長の家の教えは本当に間違いなく素晴らしいと思います。

間違った運動を指揮する総裁はいない!!  総裁先生素晴らしい!!

すでに、実相においてはすべてが調和している、実相円満完全。 有難うございます!!!

と、いうことでしょうか??  ユタカにはそういうように思えて、、生長の家ほどの偉大な教えは他には無いと思いすので、教えに沿って教えの通りを歩んでいきたい。。。。

4325ユタカ:2014/09/16(火) 00:52:06 ID:N20ePDNw

ユタカは SAKURAさんと同じで、自分で謹写させて頂いて、感動して感動の連続でした。

素晴らしい生命の実相のお勉強をさせて頂いて、本当にありがとうございます。

a hopeさん、 どうか、お勉強した真理を裁きにするのでなく、実相への感謝に変わると素晴らしいと思います。 合掌。。。

4326ユタカ:2014/09/16(火) 01:19:30 ID:N20ePDNw
そして・・・

自分も、、、、総裁、教団の悪口を言いたい放題、書いてごめんなさい。

心から、大反省しています。

4327a hope:2014/09/16(火) 09:38:48 ID:EsxzJUlc
みなさま、おはようございます!

まだ外出中ですが、ユタカさまに質問です。

ユタカさまはわたしに現象もしっかりと見るようにとご指摘下さいましたが、
ユタカさまは現象の雅宣総裁をご覧になって、
どの部分が実相でどの部分が仮相(迷い)だと思われていますか?

それとも、現象に現れて見える総裁のお姿全てが実相の現れであるから、
その姿に和解すべきであるとお考えですか?

4328ユタカ:2014/09/16(火) 12:58:21 ID:N20ePDNw
A hopesさま ご質問有難うございます。
>雅宣先生のご著書やブログ、祈りの言葉などを拝見していると、雅宣先生は「地球に自然破壊をもたらす罪深い人間」を認めていらっしゃるようにしか見えないのです。ですから、「雅宣先生の教え」は「生長の家」の倫理学から見ると「虚説」となってしまうのです。>「虚説」であるかないかは、わたしの『本心』が判断しているのではなくて、「聖典の教え」をわたしが解釈するとそうなってしまうのです。>この説明で、わたしがなぜ、「雅宣先生の教え」が「虚説」であると感じているかわかっていただけたでしょうか?
ーーーーーーーーーーーー
 このa hopeさまの見解ですと、谷口雅春先生が、人類の悩みを憂いて、その人たちを救おうとして出発した人類光明化運動も、谷口雅春先生が神の子の人間の「実相」を観ないで、悩み、苦しみ、病気の人達の「現象を認めて運動をしているから、生長の家の教え自体が虚説というようになってしまうと思いますが、どうでしょうか?
 先生も、そのような現象の方々をみて愛の心で出発したと思ったのです、またそのようなこともどこかの聖典に書いてありました。、雅宣先生の場合は同じように地球環境運動をなさっているととおもいました。
そいういう意味で、a hopeさまの神の目で愛の目で現象として見えていると処を見てほしいといいました。 ですから大雨で死者がでているのですから、環境運動はとても大切だと私はこう思うようになりました・
 A hope様は聖典に書いてあると仰いますが、聖典、生命の実相はまだまだ半分もここではお勉強が終わっていませんし、聖典といわれるものは他にもまだまだ沢山ありますので、この時点で、雅宣先生のお話を」 「聖典の教え」 を自分で解釈すると虚説になる。
と「聖典」っしゃるとこが私には、野狐禅 (ひとりよがりという感じで私は使いました)に陥りそうだとおもいました。何か、言葉足らずですみませんでした。。。

二番目の質問には、、、
私は教団に復帰しての信徒で、疑問や納得できない処を宇治の楠本長老に何度も何度も質問に行き、そして祈ったり、講話を聞いたり、と、それは、前に練成の様子を書いたのでそれを読まれて下さると分かると思います。そしてついに「有難い!!」と心から思えるようになりました。自分の中でとても納得いたしました。もう私は、昔のユタカではありません。
総裁のなさることを、理解して、総裁を神様として拝んでおります。
今、私の中では、雅宣総裁は、とても大切な 神様の顕れとして総裁先生のことを信じています。

そして、生長の家の運動は、すべて生長の家の大神さまが指揮を執って下さっていることを信じております。

ユタカ 拝

4329ユタカ:2014/09/16(火) 13:07:01 ID:N20ePDNw
a hopeさま

現象を見て というのは a hopeさまが実相にとらわれているように思いましたので、
そのように書いてしまい、大変失礼いたしました。

4330ユタカ:2014/09/16(火) 13:12:54 ID:N20ePDNw
>ユタカさまは現象の雅宣総裁をご覧になって、
どの部分が実相でどの部分が仮相(迷い)だと思われていますか?

そういう意味で、
総裁の実相は神様の顕れで、現状の地球に対して危機感を直観して運動をされているので、そういう意味では現象だと思います。

4331ユタカ:2014/09/16(火) 13:24:26 ID:N20ePDNw
>それとも、現象に現れて見える総裁のお姿全てが実相の現れであるから、
その姿に和解すべきであるとお考えですか?


現象と自分が見ていると
それは現象で、無い現象と和解できないと、ここでお勉強しました。 実在の総裁を拝むのが和解と思います。

4332ユタカ:2014/09/16(火) 13:45:14 ID:N20ePDNw
自分=見ている人 です

4333ユタカ:2014/09/16(火) 14:12:40 ID:N20ePDNw
>総裁の実相は神様の顕れで、現状の地球に対して危機感を直観して運動をされているので、そういう意味では現象だと思います。

「そういう意味」というところに注意して読んで下さい。実相と現象にあえて分けるならです。

ですが、生長の家の運動ですから、神様の運動であると思っていますよ、ユタカは。

4334ユタカ:2014/09/16(火) 14:47:01 ID:N20ePDNw
または、
a hope様のご質問には、最初に現象と仮定されているので、

無い現象に対して、 無いことの質問にはお答えできません。となるのかな???

ちょっと、よくわかりません。。。 すみません、、、。

4335a hope:2014/09/16(火) 20:38:28 ID:cEpBaIdo

トキさま ユタカさま みなさま ただいま戻りました!


わたしのいない間も、web誌友会を続けてくださってありがとうございました。 合掌。

ユタカさま、わたしはユタカさまのことを怒ってなどいませんし、少しも気分を害してなどいませんのでご安心くださいね。

わたしのいない間に、ユタカさまから、わたしa hope宛にたくさんのご質問をくださいました。

時間をかければ、すべてに誠実にお答えすることもできるのですが、今、とても躊躇しています。

なぜなら、質問者のユタカさまご自身が>>4325で、わたしに

<<a hopeさん、 どうか、お勉強した真理を裁きにするのでなく、実相への感謝に変わると素晴らしいと思います。 合掌。。。>>

とご提案してくださっているからです。

もし、わたしが、ユタカさまのご質問に聖典「生命の實相」の真理をあてはめながらお答えすれば、
ユタカさんのお言葉を借りれば、それらのわたしの「答え」の全てが、
また、「お勉強した真理」で「雅宣先生の教え」を裁くということになってしまうからです。

先にも言いましたが、わたしが雅宣先生のことに言及したのは、「仏心」さまからの質問があったからで、
それに誠実にお答えしただけなのです。

それはあくまでも、「雅宣先生の教え」に関してa hope個人の素直な見解を述べただけであって、
雅宣先生の人格や行動を批判したわけでも、悪口を言ったわけでもないので、「裁いた」という自覚がないのです。

それに、a hopeの見解が正しいものであるとは主張していません。

反対に、『正しい「生命の實相」による見解を教えてください』とお願いさせていただきました。

ユタカさまのご投稿内容は何度も拝見していますが、ユタカさまにわたしの見解が解っていただけないように、
わたしにも、ユタカさまの見解は理解できないのです。

ユタカさまとわたしは、おそらくこのまま「雅宣先生の教え」や「現教団の運動方針」の件で討論を続けても、
平行線だと思われます。

それでも、ユタカさまのご質問にお答えした方がよいでしょうか?

それとも、「雅宣先生の教え」と「運動」に関しては今後言及しないということで、
純粋な「生命の實相」のお勉強会に戻りましょうか?

4336ユタカ:2014/09/16(火) 22:34:25 ID:N20ePDNw
a hopeさま

ユタカは、あまり出演しないので、a hopeさまのご自由になさってくださいね。

今回は、宇治にいって悦びのあまり飛び出してしまいました。

4337a hope:2014/09/17(水) 09:25:28 ID:cEpBaIdo

>>4336 ユタカさま

わたしも宇治の練成は何度か受講していますから、その素晴らしさは充分わかっているのです。

今回、加美野先生が宇治別格本山を去られるという情報が流れていて本当に残念に思います。

ですが、すべてが神さまの御心によって動いているような気もします。


ユタカさま、わたしは今までずっと管理人トキさまの大きな愛に甘えて、
このweb誌友会板で自由に発言させていただいてきました。

これからも自由に発言させていただくつもりです。

ですから、ユタカさまもこれからも自由にご参加、ご発言くださいね!

ユタカさまのご質問には、ユタカさまのご要望があればお答えさせていただきます。

4338ユタカ:2014/09/17(水) 23:47:21 ID:N20ePDNw
トキさま

ユタカのPCだと、最新50と検索では4000までしか出てこないのですが、
4000番代が見れなくて話にならないのですが、ユタカのPCのせいか、トキ様の方ですか?

上にあがると、しばらく見えなくなってしまい話が全文見れなくて途切れ途切れで読むので、話がつながっていない気がします・

4300番位から再度閲覧する方法を教えて下さい。

ラスト50と検索では4000までしか出てこないのですが・・・・。ユタカだけ???

4339a hope:2014/09/18(木) 01:12:32 ID:cEpBaIdo

ユタカさま 杢さま(志恩さま)

実相哲学を論じる部屋で、杢さま(志恩さま)からご要望がありましたので、
ユタカまのご質問にお答えしたいと思います。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1387360729/494

(ユタカさまからは、「ご自由になさってくださいね」とのお返事をいただいていますものね)

4340a hope:2014/09/18(木) 01:18:14 ID:cEpBaIdo

(ユタカさまご質問)

>>4309
<<実相 実相のa hopeさま
総裁の書かれていることのどこが間違っていますか? その間違えを教えて下さい。>>


(a hopeの見解とユタカさまの>>4309ご質問へのお答え)

『虚説』というのは誤った思想であり見解である。
いわゆる『悪』と見えるもの(「罪」「病」「死」など)は誤った思想や見解が現象世界に投映されたものである。

――――――――――――――――――――――
●「虚説(迷い・サタン・異端・邪説・雑念)」→【現象世界に投映されると】→ 暗黒化し、「罪」「病」「死」など(仮相)が現れて見える。    
           
○「真説(真理・神・生命・愛・知恵)」→【現象世界に投映されると】→光明化し、「真」「善」「美」などの(実相)が現れてくる。
―――――――――――――――――――――

「虚説に和解してはならぬ」という場合の『虚説』とは、あくまでも「(誤った)思想・見解」のことであって、
現象に現れて見える雅宣総裁のお姿のことをさしているのではない。


だからユタカさまが総裁の実相を見つめ「総裁は信徒を神の子として拝んで、今必要な最前線の運動の指揮を執る素晴らしい総裁」
「間違った運動を指揮する総裁はいない!!総裁先生素晴らしい!!」と信じきることは、
もしかしたら正しい信仰の姿なのかもしれない・・・と、わたしは感じています。


ですが、実際に雅宣先生の思想・見解の表現されたご著書・ブログ・祈りの言葉等を拝見してみると、
わたしには、どうしても雅宣先生のご思想やお考え方に、現象を実在とみている『実相・現象二元論』や、
人間の罪や悪を認めた『善・悪二元論』のいわゆる『虚説』が見えてしまうのです。
それは、ユタカさまがご紹介してくださった、>>4309の「生長の家ってどんな教え?」の抜粋文からも確認できます。

<<午前中、私が「人間に罪はない」とか「神の子である」とか「仏様である」という話をしたのは、「実相において」人間は皆そうだという意味であります。
ところが、実相においては皆すばらしい神の子であるけれども、現象世界に生まれて自由を与えられると人間は「迷う」ことがあるという話もしました。
本来人間は神の子であるにもかかわらず、迷って、神の子にふさわしくない行動をすることがあります。 そういうことがあった場合には現象処理が必要です。>>

上の抜粋文は完全に二元論的考え方なので、わたしには違和感だらけなのですが・・・。


『実相においては皆すばらしい神の子であるけれども、現象世界に生まれて自由を与えられると人間は「迷う」ことがある』(実相・現象二元論)

本当に、現象世界に人間が生まれて「迷う」ことがあるのでしょうか?
「現象なし」「迷いなし」が生長の家の「実相一元」の教えなのだとわたしは認識しています。


『本来人間は神の子であるにもかかわらず、迷って、神の子にふさわしくない行動をすることがあります。』(善・悪二元論)

現象的に罪を犯してしまった人には「社会的制裁」等の現象処理も確かに必要かもしれませんが、
「生長の家」の創始者、谷口雅春先生は、そのように「実相」を悟らないために苦悩している人類に大慈悲の心を起されて、
「生長の火」をかざして人類光明化運動を始められて「生長の家」を出現されられたのですから、
その「生長の火」をまことに法燈継承されている「生長の家」の総裁であれば、
「そのような人には『人間神の子』の真理を伝道し、魂の救済をしてあげましょう。」
というご指導をされるのが当然なのではないかとわたしは感じてしまいます。


もし、わたしのこの見解が正しくて、「雅宣先生の教え」が虚説であった場合、
現在、雅宣先生は信徒の思考や考え方に大きな影響を与える「生長の家」の総裁ですから、
その教えを信仰する立場の信徒も皆、『虚説』を信仰していくことになってしまうのです。

そして『虚説』が現象世界に投映されれば、世界は暗黒化されてしまいます。

わたしは、雅宣総裁の実相を信じ礼拝するということは、総裁の「誤った教え」つまり『虚説』には絶対に和解せず、あくまで「NO」と拒絶し、
生長の家の総裁として大きな使命をもって現教団を守ってくださっている雅宣先生の実相のお姿には大いに感謝し、
そのお姿に和解すればいいのではないかと感じています。

4341a hope:2014/09/18(木) 09:23:05 ID:cEpBaIdo

「仮相(かりのすがた)は本来「無」と知るのが実相への和解」p59


だから、真に和解するとは、「ものそのもの」の完全なる実相を認めその実相と和解することであります。

「家ダニ」を見たならば、吸血鬼であるその仮相を見ず、互に調和した場所において相侵し相傷つけないように造られている「完全なる家ダニ」と和解することであります。

結局「和解する」とは、その「実相」を見て、その実相において完全を観ることであります。


対人関係、対物関係の和解は、そういうように物そのもの、人そのものの実相を見て、それと実相において和解してしまいますと、
相手の調和した実相があらわれて相手が自分に逆いまたは害しなくなるのでありますが、
「迷い」に対したり「誤れる見解」に対しては、われわれはいかなる態度をとるべきでありましょうか。

「迷い」に対して和解したら、真理が消えてしまうのであります。

「誤れる見解」に対して和解したら実相がくらまされてしまうのであります。

だからわれわれは、決して「誤れる見解」に和解してはならないのであります。

「誤れる見解」をわれわれは「虚説」と申しますが、虚説とはよく名づけたものであります。

「誤れる見解」は実相の世界にはない。

それは「虚説」すなわち「無い説」でありますからわれわれは虚説と和解することは絶対にできないのであります。

虚説に和解したら自分の完全なる実相が眩(くら)まされ、完全なる実相が眩まされたならば、
その投影として不完全なる現象すなわち不幸、病気、災厄等があらわれてくるのであります。

4342トキ:2014/09/18(木) 09:43:41 ID:Yzq10b2Y
>>4338

ユタカ様

 お問い合わせ、ありがとうございました。

 トキの端末では、そういう現象が出ませんでした。他の皆様のパソコンやスマートフォン
などではどうでしょうか? 一度、試して下さり、ご報告をいたただければ幸いです。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4343トキ:2014/09/18(木) 09:56:49 ID:Yzq10b2Y
 横レス、失礼します。

 私のやや近所にラーメン屋さんができましたが、しばらくしてご主人が来て

「ぜんぜん、はやらない。」

と嘆かれるので、気の毒になり、食べに行った事がありました。
ところが、一口たべて、味が悪いと思いましたが、何となく言いにくく、
その旨を言わずに帰ってきたことがありました。その後、そのラーメン屋さんが
閉店した事をしり、「ああ、あのとき、正直に言ってあげたらよかった」
と後悔をした事がありました。もちろん、そのラーメン屋さんも神の子ですから、
実相は祝福し、讃嘆する必要はあるのですが、だからこそ、ご本人の事を大事に
思うのなら、その人が長期的な視点で見たら、幸福になるような態度を取る事が
大事だと考えます。

 これを現在の教団で言うと、今の教団の指導部の方針は信徒からはほとんど支持さ
れない、おかしな指導を繰り返しています。外部からも、教団は呆れられている
のが実情です。

 このような指導が続くと、ご本人達も不幸だし、それ以上に教団の信徒さんが
もっと不幸です。この時に、その言動の非なる事を教えてあげ、修正するように発言
をすることは、ある種の愛念かと感じます。

 対して、総裁を支持する人の中には、高給につられてヨイショの発言を繰り返す
人もいれば、本心では疑問を感じながらも集団心理に流されて総裁万歳を叫ぶ人も
います。私見では、こういう事は、信仰という観点からは良くないと思います。

 もちろん、憎しみや怨みの念で相手を攻撃するのはよくないですが、忠告をする
事は、別の観点から大いに賞賛されるべきだと思います。

4344a hope:2014/09/19(金) 10:22:53 ID:cEpBaIdo

>>4343トキさま

気の毒なラーメン屋さんと雅宣先生がダブりますね。

人間の魂の救済をするのが宗教なのだとわたしは思うのです。
地球環境を守って、現象人間の命を守るのが宗教の使命ではないですよね?

「現象は心の影」なのですから、地球環境だって人間の心が「実相(神)」に目覚めれば必ずよくなると思うのです。

わたしには、雅宣先生や本部は、その本来の「生長の家の教え」をないがしろにして、
本末転倒の運動をされているように見えてしまいます。

でも、わたしにそう見えてしまうのは、わたし自身に実相をみる力が足りないからなのです。

ますます、三正行に励まなくてはいけませんね!

4345トキ:2014/09/19(金) 19:56:30 ID:NerXWxVU
 生命の実相第14巻に「悪をなす自由」という章があります。

 「人間が悪をも犯しうる自由をなぜ神が与えたのだろうか、という疑問は
読者からたびたび提出される疑問である」

 教団であれ、私達であれ、なぜ間違うか、「悪」をおかすのか。宿題ですね。

(つづく)

4346トキ:2014/09/19(金) 20:04:13 ID:NerXWxVU
 谷口雅春先生は、こう書かれていますね。

 「善とは何であるか。それはまっすぐというだけではない、
善とは人格(すなわち自由の主体)が、その自由なる生命の
発露として正しい道に乗ったことを善という。強制されて正
しい道にのったのは善ではない。」

 と説かれ、

 「本当の善というものは、そして本当の生活というものは、
彫刻においえてノミの運びが横にも縦にもそれる自由がありな
がら、なおかつノミが正しい輪郭を穿ってゆくところに美が
あるように、生活において不正にそれる自由がありながら、な
おかつ正しい生き方をしてゆくところにあるのである。」

とも説かれています。

(生命の実相第14巻 20pと21p)

 間違いをしない人間はいませんが、間違ったとわかったら、
正しい方向へと方針を変える自由も人間は神様から与えられて
います。ただ、それに気がついていない人に、実際の周囲の評価
を教えてあげる事は、決して間違いではない、と信じています。

4347トキ:2014/09/19(金) 20:18:19 ID:NerXWxVU
>>4344

a hope様

 そうですね。新人が誘えないのは、この環境の話があるからです。
新人さんが話を聞きに来る動機は、信仰の話を聞きたいのです。それが、
実際には、どこかの雑誌に出ていたような、環境保護の話では、聞きに
来た人には時間の無駄なんです。

 別に環境保護が間違い、という訳ではないです。が、優先順位はあき
らかに間違っています。本部の職員は高い給料をもらっているので、し
たがうのは当然ですが、私のような末端のヒラ会員は、自分の魂の向上
という本来の目的に向かいたいです。

4348不生の仏心:2014/09/20(土) 13:16:02 ID:zTvAOV2w
>>自分の魂の向上という本来の目的に向かいたいです。

自分の魂の向上、なんというふざけた目的、自然と共に生きることは自分なんてものを抱えていてはできませんよ。

自分もなく他もないところ自他一体ではないですか。

自分の事なんて忘れたときにこそ命は輝くのでは。個の救いなんて言う人は欲かきさんじゃないの。

自分の魂の向上が本来の目的ですか、笑っちゃいます。

4349トキ:2014/09/20(土) 13:31:44 ID:Mecku48I
>>4348

 そうですね。では、大笑いして下さい。
私は、無視して続きを書きます。(笑)

4350不生の仏心:2014/09/20(土) 15:06:49 ID:zTvAOV2w
>>本部の職員は高い給料をもらっているので、したがうのは当然ですが

高い給料もらう本部職員であればトキさんは、信仰に関係なく言うことを聞くとな、 ホントあきれる日和見さんだね

4351トキ:2014/09/20(土) 19:55:44 ID:Mecku48I
「悔い改めとは自卑にあらず」とう御文章が生命の実相第14巻にあります。

 すこし書いてみますね。

 ”それから、「悔い改め」ということは、「自分は悪い」と感ずることではないのであります。”

と谷口雅春先生が書かれていますね。ちょっと、考えてみましょう。

(つづく)

4352トキ:2014/09/20(土) 20:05:30 ID:Mecku48I
 続けて、”「悪い自分」が無くなるということであります”と書かれているのですね。

つまり、11pには、”「自分は悪い」と思うだけでは悔い改めの動機に来ているだけで、
本当の悔い改めにはなっていないのであります。しかしわれわれは別に「自分は悪い」
と思わなくとも、「天地を貫く生命が自分に宿って自分を生かしているのである、そ
の天地を貫く生命こそ本当の自分である」と解って「われの置き換え」が完全にでき
ましたならば、釈迦のように始めから「天上天下唯我独尊」と悟っても、もはやその
人は悔い改めができているのであります。”

と書かれています。そして、13pでは、

 ”後悔と悔い改めとは文字がよく似ていますから混同しますが、悔い改めは、「悪いわ
れ」を置き換えて捨ててしまって更正してしまうのでありますが、後悔というのは、
「悪いわれ」をいつまでも持ち越して、それに引っかかってクヨクヨ思うことであり
ます。”

とも書かれています。

”よく似ていますが、根本的に相違しているのであります”

と書かれているのであります。

4353不生の仏心:2014/09/20(土) 20:10:42 ID:Y5abQZiU
>>「自分は悪い」と感ずることではないのであります。

「自分は良い」と感ずることでもないのであります。

4354a hope:2014/09/21(日) 09:55:45 ID:cEpBaIdo

>>4348 仏心さま

<<自分もなく他もないところ自他一体ではないですか。
自分の事なんて忘れたときにこそ命は輝くのでは。個の救いなんて言う人は欲かきさんじゃないの。>>

↑はトキさまへのメッセージかも知れませんが、横レス失礼します。
仏性さま、「生長の家の教え」では、そういう考え方はしないと思います。

 丁度、今月のテキスト第14巻、第三章にそのことに関連した文章がありますので、
謹写させていただきますね!

4355a hope:2014/09/21(日) 09:57:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 第三章 自他一体と個性生命 
「芸術における個性と普遍」 p34 〜

自と他は一体である。
神とわれは一体である――この事実を認めることが倫理の根本であり、あらゆる善徳はここから流れ出るのであります。
それならば普遍的な大我のみあって、個性生命というものはないのでしょうか。
個性生命とは、無いものを有るかのごとく観ずる迷いでありましょうか。
「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」ということは、個性生命は本来無い物であって、
個性を没して全体の中に埋没することでありましょうか。
そういうふうに説く思想家もありますけれども、「生長の家」では、そうは説かないのであります。
個性を発揮すればするほど、全体の生命の中に溶け込むことになると説くのであります。・・・(以下略)

4356a hope:2014/09/21(日) 10:01:17 ID:cEpBaIdo

(a hope所感と、仏心さまへの反論)

ですから、個人がその人の個性を発揮して、その人なりの方法で魂を向上させれば、
自他一体の真理が働いて同時に他の人も救われることになるのではないかと思います。

特に、相手の辛い心情に同悲の心を起こすことにより、魂を共振させ、
その上で自分が実相一元の心情になれば、相手も同時に魂を向上させるのではないでしょうか?

この一連の行為が、以前紹介させていただいた「祈り合いの神想観」なのだと思います。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4265

だから、「個人の魂の向上」=「人類全体の魂の向上」であり、それこそ「人類光明化」の基本だとわたしは信じています。

4357不生の仏心:2014/09/21(日) 10:30:19 ID:q9uMnXHU
a hopeさん
引用の文意と私の発言が違うかどうかは知りません。

個性生命は本来無い物であって、個性を没して全体の中に埋没することでありましょうか。
個性を発揮すればするほど、全体の生命の中に溶け込むことになると説くのであります。
_____________________________________________________________________________________
個性を没して全体の中に埋没する、これ言葉のマジックでは、個性を没することができますか?
個性を発揮すればするほど、全体の生命の中に溶け込むことになる、溶け込んだ状態の時の意識なるものはどんなものでしょうか?

『個性』とはどんなものでしょうか?その個性を最大発揮するにはどうすればよいですか?

4358不生の仏心:2014/09/21(日) 10:49:57 ID:q9uMnXHU

特に、相手の辛い心情に同悲の心を起こすことにより、魂を共振させ、
その上で自分が実相一元の心情になれば、相手も同時に魂を向上させるのではないでしょうか?
_____________________________________________________________________________________________
同悲の心だけでなく同喜の心を起こして総裁の魂と共振させて自他の魂を向上させてみてください。
慈悲喜捨と云いますが、捨徳とはどんなものでしょうか?

魂の存在とはどんなものでしょうか?肉体無しで魂有りなんですね生長の家は。

4359a hope:2014/09/21(日) 11:15:24 ID:cEpBaIdo

仏心さま

またまた、たくさんのご公案をいただき心より感謝いたします。 合掌。

わたしは「生命の実相」を悟っていないので、今自分のできる限りの能力で聖典を解釈しての所感をのべているにすぎません。
だから、自分の中では「個の生命(魂)」と「永遠の生命」との関係ははっきりとはわからないのです。

それでも、仏心さまのご公案を神想観をして神様からの知恵をかりながらじっくり考えてみたいのですが、
残念ながら、今日はこれから家族と出かけるので夜遅くにならないと戻りません。

お返事は、今日はできませんのでご了承ください。

それでは、仏心さま みなさま 素敵な休日をお過ごしくださいね!

4360a hope:2014/09/22(月) 12:57:24 ID:cEpBaIdo

(仏心さまからのご質問①)

個性を没して全体の中に埋没する、これ言葉のマジックでは、個性を没することができますか?


(a hopeお答え)

仏心さまのこのご質問の意図するところがよくわからないのですが、
『個性を没して全体の中に埋没する、』とのご指摘の文章は、一部分であって全体をみると、

<<「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」ということは、個性生命は本来無い物であって、
個性を没して全体の中に埋没することでありましょうか。>>

という、読者に対して語りかけている、もしくは質問して是非を問うような形になっていますよね?

これがどうして言葉のマジックなのでしょうか?


一般的に考えると『個性を没して全体の中に埋没する』とは、頂点に立つ者の専制体制等の社会的状況の中で、
なにかしらの社会的制裁等があるため、個人の「人格の自由」(発想・意志・行動等の自由)が発揮できない状態、
もしくは自分の現状の社会的立場を守るため、自ら「人格の自由」を発揮しない状態みたいなものではないでしょうか?

言い換えると、『個性を没して全体の中に埋没する』とは他から強制的に、もしくは自ら進んで個人の「人格の自由」を抑圧したような状態で、
否応なく全体の流れに身を任せているような状態だと思います。

一方、テキスト中のその後の文章「一個の時計の生命」の例を拝読すると、
「生長の家の教え」では『個性を没して全体の中に埋没する』という状況に陥ることは
「ありえないこと」であるという結論になっています。

そこのところの文章を、続けて謹写させていただきますね。

4361a hope:2014/09/22(月) 13:08:41 ID:cEpBaIdo

>>4355つづき p34 後から3行目〜

これを例にあげて説明するならば、「全体の生命」とは一個の時計の生命と同様な訳であります。

一個の時計の生命は仮に時を精確に計ることにあるとするならば、時計の各個の構成部分が、
この時計全体の生命の中に溶け込むということは、時計の各個の構成部分が(たとえば歯車なら歯車が)
その個性を精確に発揮することであります。

すなわち、一個の歯車は、その歯車としての個性――すなわち、歯の刻み方が正しく、温度によっても直径を増加せず、
精確なる速度で一定の方向へ完全な回転の仕方をするという個性――を完全に発揮することが、
時計の生命の中に歯車の個性を溶かし込むということになるのであります。

歯車の個性が発揮されればされるほど、時計の全体としての生命はいっそう完全に発揮されます。
だから、この場合は、歯車の個性を全体の生命の中に没し去るという語は当てはまらないのであります。
個性を没し去るのではなく、個性を生かせば生かすほど全体の生命に貢献することになるのであります。

右廻りの歯車はできるだけ完全に右廻りに廻転するのがよく、
左廻りの歯車はできるだけ完全に左廻りするのがよいのであります。
右廻りの歯車がその個性を没して、停(とま)ってみたり、左廻りになってみたりするのは、
全体の生命を生かすことにはならないのです。

このことがわかるならば、芸術においても、個性を生かした作品ほど、
その作品に全体の生命(普遍的生命)というものが生きているということになることがおわかりになるでありましょう。

4362a hope:2014/09/22(月) 13:16:05 ID:cEpBaIdo

(仏心さま 質問②)

個性を発揮すればするほど、全体の生命の中に溶け込むことになる、溶け込んだ状態の時の意識なるものはどんなものでしょうか?


(a hopeのお答え)

神との一体感を感じながらの個人の使命達成ですから、
素晴らしい「生き甲斐」を感じることができるのではないでしょうか?

4363a hope:2014/09/22(月) 14:48:43 ID:cEpBaIdo

(仏心さま 質問③ ④)

『個性』とはどんなものでしょうか?
その個性を最大発揮するにはどうすればよいですか?

(a hopeのお答え)

仏心さまのこの二つの質問のお答えには、聖典の内容を拝読していただくのが一番だと思われますので、
以下にテキストの文章を謹写し、その文中からお答えになる部分抜粋し(a hopeのお答え)に換えさせていただきます。

4364a hope:2014/09/22(月) 14:49:45 ID:cEpBaIdo

「行為における個性と普遍」p35 

行為における個性と普遍は、時計において、歯車の行為が個性を完全に発揮するほど、全体の時計の生命を完全に生かすという実例で明らかになったであろうように、
個性もわざと発揮してやろうと思って突飛な行動をとったり、わざと奇矯な行いをしてみたりすることが個性を発揮することでもないことは明らかであります。

個性とはその位置におかれたる小生命(大生命に対する)が与えられたる使命であり役割です。
歯車の歯の間隔(ピッチ)の精確さや、その一定の廻転比率や、回転速度などは、
これを時計全体の生命の遂行の上に歯車が与えられたる使命であり役割であるがゆえに、それは個性として尊ばれるのです。
だから個性を発揮するということは、その一個の歯車が本来設計されている使命のとおりに完全に生きるということであります。

設計されたる使命以外にのさばり出る「我儘勝手」ということは、この歯車の譬えをもっていえば、
わざと正円にならずに歪(いびつ)になってみることや不整な一方に片寄った長短ある歯車となってみることであって個性を発揮することにはならないのです。
そんな不整なでたらめになってみることは、誰でもルーズになりさえすれば、なれることであるから、個性を発揮したとはいえないのであります。

個性とはその人(または物)でなければ、他のものにはできないところの特色でなければならないのです。
すなわちその人(または物)が、大生命から設計されたとおりの特色(使命)を発揮するのが個性を発揮するということなのであります。

4365a hope:2014/09/22(月) 14:51:32 ID:cEpBaIdo

(仏心さまの質問③)

『個性』とはどんなものでしょうか

(聖典のお答え)

個性とはその位置におかれたる小生命(大生命に対する)が与えられたる使命であり役割です。


(仏心さまの質問④)

その個性を最大発揮するにはどうすればよいですか?

(聖典のお答え)

個性とはその人(または物)でなければ、他のものにはできないところの特色でなければならないのです。
すなわちその人(または物)が、大生命から設計されたとおりの特色(使命)を発揮するのが個性を発揮するということなのであります。

4366不生の仏心:2014/09/22(月) 21:22:44 ID:zTvAOV2w
a hopeさん
いろいろ書いて下さりありがとう
後ほど整理して返事しますね。

4367a hope:2014/09/22(月) 22:07:48 ID:cEpBaIdo

>>4358 仏心さま

<<同悲の心だけでなく同喜の心を起こして総裁の魂と共振させて自他の魂を向上させてみてください。>>


(a hopeのお返事)

仏心さまのおっしゃっている意味がよくわからないのですが、「同喜の心」というのは、相手の「喜び」に共感する心という意味でしょうか?

もしかして、雅宣先生や純子先生が八ヶ岳の森のオフィス周辺で毎日キノコ狩りをしたり、
マウンテンバイクに乗ったり、ハーブを栽培したりして優雅に自然と共に生活を送っているその喜びに魂を共振させて、
お二人のように魂を向上させなさいという意味でしょうか?

だとしたら、実相を見る力不足のわたしにはそれはとても無理です。

現在の日本には、人生に悩み苦しみ今日を生きて行くのだけでも精一杯の人たちが沢山いるのに、
わたしには、雅宣先生や純子先生はそんな人たちの悩みや苦しむ魂にはまったく無関心のように見えてしまうのです。
わたしには、お二人は自然と共に生きて行くことを喜んでいらっしゃるだけで、
「生長の家」出現の精神である人類の魂の救済に関しては全く無関心のように見えてしまうのです。
ですから今のわたしには、そのように見えてしまうお二人の「喜び」に自分の魂を共振させるなどということは、申し訳ありませんがとてもできません。

これはわたしの正直な気持ちですが、その他にもたくさんの「生長の家」の信徒の方が同じように感じていらっしゃるのではないかと思います。

4368a hope:2014/09/22(月) 22:10:04 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑤)

<<慈悲喜捨と云いますが、捨徳とはどんなものでしょうか?>>


(a hopeのお答えというか、ウィキペディアによるお答え)

仏教の「慈悲喜捨」について、少しwebで調べてみました。
これは別名「四無量心」のことですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%BF%83

そして、「捨徳」とは、この説明の中の「捨無量心」にあたるものだと思います。

捨無量心――相手に対する平静で落ち着いた心。動揺しない落ち着いた心を指す。
単なる無関心を「無智捨」と呼び、捨無量心とは似て非なるものとして、修行者に注意を促している。 (a hopeがウィキペディアの文章より抜粋し、まとめた文章です)

4369a hope:2014/09/22(月) 22:11:58 ID:cEpBaIdo

>>4366 仏心さま

ことらこそ、読んでくださってありがとうございます。 合掌。
お返事楽しみにしています!!

4370a hope:2014/09/23(火) 19:54:23 ID:brQxC10.

>>4358
( 仏心さま ご質問⑥)

魂の存在とはどんなものでしょうか?肉体無しで魂有りなんですね生長の家は。

(a hope お答え)

今はちょうどお彼岸なので「霊魂」についてお勉強すると、ちょうどいい霊供養になるのかもしれません。
以前、肉体が亡くなっても存在し続ける個人の霊魂に関しては、以前このweb誌友会でもかなり詳しくお勉強しました。
(テキストは「生命の實相」第9・10巻 霊界篇>>3626 から>>3750まで)

先ほどさっと読み返してみましたが、志恩さまやトキさまレンゲソウさま、神の子さんなどが、
小林春恵先生のご著書を紹介してくださっていたりして、
とても和やかな雰囲気の中でお勉強が進んでいた様子が伝わってきました。

このようなweb上でのお勉強会であっても、「生長の家の教え」や「生命の實相」をまじめにお勉強していると、
今は現象世界を去られた「生長の家」の大先輩方の御霊が、霊界からお導きくださったり、
ご加護してくださっているような気がします。
本当にありがたいです。合掌。

仏心さまも「魂の存在」について本当のことが知りたいのであれば、聖典を拝読されるのが一番確かだと思います。

これもとても不思議な現象ですが、今回の仏心さまのわたしへの質問への「お答え」になる文章が、
今ちょうど勉強しているテキストの箇所にページをおって順番に現れてくるのです。
やはり、わたしには、何かのお導きがあるような気がしてなりません。
(今回の質問のお答えは、14巻p37から説明されています。)

そこにも、霊魂が死後も存在するということを証明する事例がいくつか紹介されていますが、
前述した霊界篇にはさらにたくさんの事例が紹介され、解説も詳しくされています。
熟読されれば、「生長の家」が死後の霊魂の存在をどのようにとらえているかがわかると思います。

以上で、仏心さまからのご質問にはすべてお答えしました。
それでは、仏心さま、お返事をどうぞよろしくお願いいたします。

4371不生の仏心:2014/09/23(火) 20:18:05 ID:zTvAOV2w
『個性』と『個性生命』と同義語として引用で使われているようなので、先に『個性』を取り上げます。

◎『個性』とはどんなものでしょうか、に対し

●個性とはその位置におかれたる小生命(大生命に対する)が与えられたる使命であり役割です。

○「その位置に置かれた小生命」とは現象に顕現したものを指しているのでしょうか?
「与えられたる使命であり役割です。」誰が与えたのでしょうか。あなたはご自分の使命がはっきりわかりますか?すべての人それぞれが自分の使命をどうしたら知ることができるのですか?
生まれながらに中共の人の使命とは中国に尽くすことになりませんか?
創価学会二世にして学会の教義を信じている人の使命とは学会に尽くすことになりませんか?縁があればこそその位置に置かれたのですからね。

◎その個性を最大発揮するにはどうすればよいですか?に対し

●個性とはその人(または物)でなければ、他のものにはできないところの特色でなければならないのです。すなわちその人(または物)が、大生命から設計されたとおりの特色(使命)を発揮するのが個性を発揮するということなのであります。

○上の個性と同じで『個性』をはっきり知ることか出来なければ、発揮することができないように聞こえます。『個性の説明』であって、個性の自覚に至る説明にはなっていないと思いますが。「大生命から設計されたとおりの特色(使命)」とはどの人間に与えられたのでしょうか?「その位置に置かれた小生命」とはどの人間を指しているのでしょうか?
ちなみにあなたの他人ではできない特色は何ですか?
日曜に教区の錬成があり、最終日の会議の後で久し振りに講師会長と話をしました。理誌100萬運動時の青年会執行委員会の副執行委員長の一人です。本流が何とかという人たちと同時代に活動した人です。彼はその時「使命」を感得して生きていたのでしょうか?そして時代が下り今講師会長として教区の練成会の指導をしている、今の彼は使命を感得していないのでありますか?以前の強化部長、本流を形成する御仁の○○氏から誘いを受けたけれど行かなかったと話していました。彼に大生命が付与した使命とは何でしょうか?彼は時代時代生長の家とともに組織の役を受け生きてきました。「使命」を自覚できていない時に当たり、どのように生きていけば使命を感得できるのでしょうか?その答えは引用の範囲には書かれていないように思います。

4372不生の仏心:2014/09/23(火) 20:51:19 ID:iJ7jcr4U

●「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」ということは、個性生命は本来無い物であって、個性を没して全体の中に埋没することでありましょうか。

○智慧の言葉にある『宇宙には唯一つの實在がある。それは「永遠の我」という実在である。』と云う時、「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」と云うように「自分」と「阿弥陀仏」とか「全体の生命」と「一体」とかいうような、「自分」とか「一体」とかの感覚が存在しますか?私は「「無我」「無心」でいるときには「自分」「一体」とかの分離感はありません。「個性」をどういう意味で使っているかが問題でしょう。
「個性」を「個性生命」と同義語として同一文で使うことがマジックに感じるのです。

●一般的に考えると『個性を没して全体の中に埋没する』とは、頂点に立つ者の専制体制等の社会的状況の中で、なにかしらの社会的制裁等があるため、個人の「人格の自由」(発想・意志・行動等の自由)が発揮できない状態、もしくは自分の現状の社会的立場を守るため、自ら「人格の自由」を発揮しない状態みたいなものではないでしょうか?
言い換えると、『個性を没して全体の中に埋没する』とは他から強制的に、もしくは自ら進んで個人の「人格の自由」を抑圧したような状態で、否応なく全体の流れに身を任せているような状態だと思います。

○これは現象界での「行動」についての事であり、生命に「永遠の我」「全体の生命」と名付けるものと「個性生命」と名付けるものとが存在するかと云うテーゼの説明になっていますか?「個性生命」と云うものが永遠の存在であるか、肉体同様の仮存在なのかの説明にはなっていないのではありませんか?『個性』が巷で言う肉体あるが故の後天的に獲得した性格を指すのでなく、実相の世界と云われる永遠性のある世界に於いて個別の永遠性のあるものとして人間が存在するのか、そしてその実在人間に『個性』が存在するのか、それらがはっきりした上でなくては、話が進まないと考えます。

智慧の言葉にある『宇宙には唯一つの實在がある。それは「永遠の我」という実在である。』

この意味をお分かりですか?どのように受け取られていますか?

4373不生の仏心:2014/09/23(火) 21:57:02 ID:zTvAOV2w
●仏心さまのおっしゃっている意味がよくわからないのですが、「同喜の心」というのは、相手の「喜び」に共感する心という意味でしょうか?
もしかして、雅宣先生や純子先生が八ヶ岳の森のオフィス周辺で毎日キノコ狩りをしたり、
マウンテンバイクに乗ったり、ハーブを栽培したりして優雅に自然と共に生活を送っているその喜びに魂を共振させて、
お二人のように魂を向上させなさいという意味でしょうか?

だとしたら、実相を見る力不足のわたしにはそれはとても無理です。

○これは異な事を云われる。よく言われるように、『同悲の心』を起こし相手の悲しみを取り込んだうえで実相を観ることにより、相手の悲しみは無の本性を現して消える、それによって実相を観る力も付き、悲しみに泣きくれる人も共に救われる、相共に救われるとあなたが言ったのです。泣きくれることが錯覚より来るのと同じで、雅宣総裁が誤れる「喜び」に浸っているというのであれば、『同悲』と同じで先ず「喜びを同じく」した上で彼の実相を観るということを何故しないのでしょうか?悲しみには共感するけれど喜びには共感しないというのですか?

●霊魂が死後も存在するということを証明する事例がいくつか紹介されています

○之については以前書きましたが、『魂の向上』を果たし地上を卒業し高級霊界?にいずれ移行するということでありますと、訓練して魂の向上をしなくてはならない『魂』は何時存在に入ったのでしょうか?神の構図として天皇中心の地上世界が存在すると云いながら、地上を卒業した高級霊が存在するとするのなら、霊界にも天皇は存在し、地上を去った天皇(天皇の魂)は地上では最高権威者であったわけですが霊界ではどのようなことをされているのですか?
個別霊が永遠であるとすれば、霊界を含む一切の 人間の数は決まっているということになります。地上にはいつまで人間は誕生するのでしょうか?低級霊の住む天体から生まれ変わって来るというような事を云われていますが。神の子がなぜ低級霊と呼ばれるような魂に何時成ったのでしょうか?

4375a hope:2014/09/24(水) 09:46:15 ID:cEpBaIdo

仏心さま 

お返事をたくさんありがとうございます。
そしてまたまた、a hopeへのたくさんのご公案があって本当にうれしいです。合掌。

わたしは聖典を拝読していてその内容に感動はしますが、その内容について「考える」ということはまったくしません。

ですが、、仏心さまからご公案をいただくとそのことに関して自分の力で考えなくてはいけなくなるのです。

それが、とても自分自身のお勉強になっているような気がします。

ひとつひとつ、ゆっくりお返事させていただきますね!

4376a hope:2014/09/24(水) 10:04:16 ID:cEpBaIdo
>>4375補足

わたしは聖典を拝読していてその内容に感動はしますが、その内容について「考える」ということはまったくしません。

わたしは聖典を拝読していてその内容に感動はしますが、その内容【の真偽】について「考える」ということはまったくしません。

4377a hope:2014/09/24(水) 19:32:15 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑦)

「その位置に置かれた小生命」とは現象に顕現したものを指しているのでしょうか?


(a hopeのお答え)

「甘露の法雨」の『人間』の項目に

・・・神は人間の光源にして
人間は神より出でたる光なり。
光の無き光源はなく、
光源の無き光はなし。
光と光源とは一体なるが如く
人間と神とは一体なり。・・・

というくだりがありますが、仏心さまご質問の「小生命」(大生命に対する)は、
わたしには、この「甘露の法雨」の『人間は神より出でたる光なり』というイメージがとてもぴったりときます。

実相一元・善一元の絶対的世界におられる神さまが、光だけの世界では闇の暗さがわからないからと、
自分の分身である小生命(神の子)を相対的世界である現象世界(暗の世界)に放射されました。

小生命は本来「光そのもの」ですから、そのままの姿であれば、暗の世界を明るく照らすだけで、
やることなすことすべてが「善行」となってしまいます。

でも、すべての小生命が「光そのもの」の姿であったら、現象に「暗」はなくなりってしまい、
それでは誰も「光」(善)とは何かがわかりません。

そこで、神さまは、わたしたち現象人間に「人格の自由」をお与えくださり、
悪をも、罪をも犯す自由をお与えくださったのではないかと思います。

ですが実際には、現象世界のすべての出来事はスクリーンに映った仮相であって、
小生命そのものは本来「光そのもの」ですから、現象世界で人間が悪や罪を犯しているように見えているのは、
スクリーン上で映画俳優たちが上手に悪役を演じているようなものであって実在ではなく、
わたしたちに映像で「悪」や「罪」を見せてくれることで、「善」とはなにかを教えてくださっているのだと思います。


前置きの説明が長くなってしまいましたが、ですから、「その位置に置かれた小生命」というのは、
神さまから現象世界に放射された位置(現象世界に映されているその立場)ということになるのではないでしょうか?

4378a hope:2014/09/24(水) 19:34:48 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑧)

「与えられたる使命であり役割です。」誰が与えたのでしょうか。

(a hopeのお答え)

大生命(神さま)です。

4379a hope:2014/09/24(水) 19:36:11 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑨)

あなたはご自分の使命がはっきりわかりますか?


(a hopeのお答え)

はい。大きな使命としては人類光明化ですが、小さな使命としては自分自身が実相を悟ることです。

4380a hope:2014/09/24(水) 19:37:40 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑩)

すべての人それぞれが自分の使命をどうしたら知ることができるのですか?


(a hopeのお答え)

三正行に励めばいいと思います。

4381a hope:2014/09/24(水) 19:38:49 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑪⑫)

生まれながらに中共の人の使命とは中国に尽くすことになりませんか?
創価学会二世にして学会の教義を信じている人の使命とは学会に尽くすことになりませんか?


(a hopeのお答え)

人それぞれ置かれた立場がちがいますが、すべての出来事に意味があるとは思います。
それが本当の使命かどうかは、その人が「本当の生き甲斐」を感じるかどうかで判断できるのではないでしょうか?
今のわたしにとっては「生長の家の教え」が「本当の生き甲斐」=「悟り」へ向かう最高の指針となっていますから、
自分のできる方法で「生長の家」に尽し、恩返しをしたいと思っています。

4382a hope:2014/09/24(水) 19:40:42 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑬⑭)

上の個性と同じで『個性』をはっきり知ることか出来なければ、発揮することができないように聞こえます。
『個性の説明』であって、個性の自覚に至る説明にはなっていないと思いますが。
「大生命から設計されたとおりの特色(使命)」とはどの人間に与えられたのでしょうか?
「その位置に置かれた小生命」とはどの人間を指しているのでしょうか?


(a hopeのお答え)

上でもお答えしましたが、『個性』=『使命』をはっきり知るためには、三正行が大切だと思います。
すべての人間が神から放射された光であり「神の子」なのですから、すべての人間に使命は与えられているはずです。

だから、「その位置に置かれた小生命」とは、すべての人間を指していると思います。

4383a hope:2014/09/24(水) 19:41:44 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑮)

ちなみにあなたの他人ではできない特色は何ですか?


(a hopeのお答え)

ここにきて、急に、就職試験の面接を受けているような気分になりました(笑)。
真面目にお答えしますね。

「あきらめないことです。」

4384a hope:2014/09/24(水) 19:44:31 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑯⑰⑱)

日曜に教区の錬成があり、最終日の会議の後で久し振りに講師会長と話をしました。
理誌100萬運動時の青年会執行委員会の副執行委員長の一人です。本流が何とかという人たちと同時代に活動した人です。
彼はその時「使命」を感得して生きていたのでしょうか?
そして時代が下り今講師会長として教区の練成会の指導をしている、今の彼は使命を感得していないのでありますか?
以前の強化部長、本流を形成する御仁の○○氏から誘いを受けたけれど行かなかったと話していました。
彼に大生命が付与した使命とは何でしょうか?
彼は時代時代生長の家とともに組織の役を受け生きてきました。
「使命」を自覚できていない時に当たり、どのように生きていけば使命を感得できるのでしょうか?


(a hopeのお答え)

「生長の家」の講師会長として教区の練成会の指導もされている方でしたら、
わたしになど相談しなくても十分ご自分でお答えがわかっていらっしゃるのではないでしょうか?


<<彼はその時「使命」を感得して生きていたのでしょうか?>>

本当の生き甲斐・喜びを感じていらしたなら、そうだったのではないでしょうか?


<<彼に大生命が付与した使命とは何でしょうか?>>

「生長の家」にご縁があった方だったらすべての方が、人類光明化という使命を神さまから与えられているのだと思います。


<<「使命」を自覚できていない時に当たり、どのように生きていけば使命を感得できるのでしょうか?>>

何度もいいますが、三正行だと思います。
生長の家の信仰の基本に戻ることだと思います。


今日のお返事は、ここまでにさせていただきます。 感謝 合掌。

4385a hope:2014/09/24(水) 19:51:49 ID:cEpBaIdo

(補足)

わたしの言う「三正行」とは、

聖典・聖経の拝読
神想観
愛行

の三つですが、雅宣先生の祈りの言葉、神想観、讃歌、ご著書等は含んでいません。

4386a hope:2014/09/25(木) 09:48:11 ID:cEpBaIdo

みなさま、おはようございます。

仏心さまのご公案に答えてばかりですと、テキストの内容が進まないのでテキストの方も少しずつお勉強していきますね。


「虚説に和解してはならぬ」p60

虚説の中でも、最大の虚説は「物質はある」という見解であります。
『生長の家』誌友の中で近ごろ脱線し「物質もある、心もある」という二元論に誘惑されたり、
「現象も真我のあらわれである」という説に惑わされたりした人がありました。
その理由は、われわれは天地一切のものと和解しなければならないから、「物質はある」という説と和解したとき、
本当の真理がかえってわかるのだという理論から、虚説に対しても一応は耳を傾けなければならないというわけだったのであります。

われわれは天地一切の実在(もの)と和解しなければなりませんけれども、虚説に対して和解してはならないのであります。
「人は二人の主に使えることはできない」という諺があります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
実相をくらませばみずから迷うことになるのであります。
迷えば迷いの影を現象界にうつして、現象界がままならぬ相(すがた)にあらわれてくるのであります。

・・・ (略)・・・

「なんじの敵を愛せよ」といったイエス・キリストでさえも、「サタン」に対しては和解していないのであります。
イエスが四十日四十夜、精神統一の修行をしている時、そこに幻のように現れたサタンに対しては、イエスはそのサタンの邪説に耳を傾けようとしないで、
「神を試むべからず、サタンよ退け、主なるなんじの神を拝し、ただそれのみの事(つか)うべし」と、一喝しているのであります。

この場合、サタンとは異端、邪説、妄説、妄想、雑念のことであります。

「ただ神のみ――ただ実相のみを観よ」ということが、「主なる汝の神を拝し、ただこれのみに事(つか)うべし」ということです。

そのほかの妄説妄想には決して、耳を傾けてはいけない。

ただ「サタンよ、去れ」と一喝しているところに、イエスの示されたる「サタンに和解するな」との範例をわれわれはみなければならないのであります。

4387a hope:2014/09/25(木) 09:50:05 ID:cEpBaIdo

>>4386 a hope 所感)

ユタカさまが >>4309で雅宣先生の「生長の家ってどんな教え?」中のご指導内容をご紹介くださり、
わたしが>>4340でそれは二元論で虚説になってしまうのではないか?
と意見させていただいた根拠となる文章が上に謹写させていただいた「虚説に和解してはならぬ」です。


<<「ただ神のみ――ただ実相のみを観よ」ということが、「主なる汝の神を拝し、ただこれのみに事(つか)うべし」ということです。>>

とここには、はっきり、「ただ神のみ――ただ実相のみを観よ」と書かれていますよね。

4388a hope:2014/09/25(木) 19:27:37 ID:cEpBaIdo

>>1195の訊け管理人さまのご投稿に榎本恵吾先生の『試論・波状光明化への道』の御文章が紹介されています。

これは、わたしが「大和精神」と「生長の家の愛国運動」の関係について考えているときに訊け管理人さまがご紹介してくださったものです。

実相独在を貫かれた榎本恵吾先生のご意見は、わたしには素晴らし正論であると感じます。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

『試論・波状光明化への道』342頁より謹写――

概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。

吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。
(つづき全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65587714.html

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残念ながら、現在は、「訊けブログで」は、つづきの全文を拝見できないようですが・・・

わたしは、今、生長の家の運動は、正に(一)の「實相現象の二元論」に進んでしまっているように感じています。

榎本恵吾先生は

<<吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。>>

と言い切っていらっしゃいます。

トキさま、訊けさま、ユタカさま、仏心さま、閲覧者のみなさまはどう思われますか?
是非、ご意見をうかがいたいです。

4389トキ:2014/09/25(木) 22:14:34 ID:2zHeYgV6
>>4388

 時間がないので、簡単になりますが、御許し下さい。

『試論・波状光明化への道』は私は詳細に拝見した事はないのですが、
運動に関する限り、問題はあったという印象はあります。少し前にこ
の掲示板の「生長の家政治連合」の最初のほうに書きましたが、組織
が拡大するに従い、信仰は信仰、運動は運動と別に考えるような傾向
はなきにしもあらず、という感想はありました。戦前や戦後の時期に
谷口雅春先生から直接教えを受けた信徒さんの中には、それを嘆く人
は確かにおられました。

 榎本恵吾先生はご自分の事はあまり言われる人ではなかったので、
そういうご文章を書かれていたのは知らなかったのですが、先生ご
自身も青年会をされていて、いろいろと悩まれたと書かれています。

 先生は特に偉大な先達から教えを受けておられたので、より明確に
問題点を指摘されたのではないか、と思います。

 とりとめもない文章になり、すみませんでした。

4390神の子さん:2014/09/27(土) 01:59:05 ID:pBuxGS.6
>>a hopeさん

>>(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。



この文章、間違いでは? 『唯神実相論 』なら 一元論で良いでしょう?
「唯心論」の間違い。とか・・・?

4391a hope:2014/09/27(土) 18:51:14 ID:cEpBaIdo

>>4389 トキさま

お返事ありがとうございます。
そういえば、信仰と運動に関しては、以前もよく話し合われた話題でしたね。

人々は魂の救いを求めて宗教に興味を持つわけですから、
その宗教団体に確実に魂を救えるような教義や体制がないのに、
現象の運動ばかりしていては、人々は違う宗教団体に流れていってしまうでしょうね。

もし、現生長の家教団の運動がうまくいっていないのであれば、
それは宗教としての教義に魅力がなく、迷える人を救える体制がないからなんでしょうね。

4392a hope:2014/09/27(土) 18:54:21 ID:cEpBaIdo

>>43890 神の子さん

ご参加ありがとうございます。合掌。

ご指摘の恵吾先生のご文章ですが、確かにちょっとコトバ足らずのような気もしますね。

わたしは、恵吾先生の(一)の文章を、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎ【現象処理をおろそかにした】為である。
「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。
(【 】内はa hopeが付け足しました。)

と、このように解釈しています。

「生長の家」の教義の基本は「唯心論」ではなく「唯神実相論」ですから、
その場所に「唯心論」が入るのはおかしいと思います。

わたしは、このように解釈しましたがいかがでしょうか?

4393トキ:2014/09/27(土) 21:32:20 ID:2bj1uyXc
 榎本先生の言われる事と意味が同じか、どうかはわかりませんが、
”個人指導”を真面目にすると、運動や活動の本当の意味がわかります。

 生長の家に駆け込んで来る人というのは、多くの場合、深刻な問題を
かかえて、どこにも相談に行けない、相談しても解決しない、という
状態なのです。そういう人に対して、真理を御伝えするというのは、
これは、本も読み、行も真面目にし、真剣な態度が必要になります。

 こうゆう地道な事をしていて、救われた、という人が出ると、相手
も本当に喜ぶし、自分も嬉しいし、そこに本当の信仰が見えると思い
ます。

 例えば、講習会で、弁当券と受講券を配って「顔だけ出してくれ」
と頼むのと、外見は似ていても、実際には天と地の差がある訳です。

 この点、「現象は現象として認める」と割り切ると、講習会で数字
をごまかすような話になってしまいます。

 ですから、現場の活動者は、よくよく気をつける必要があると思い
ます。

4394a hope:2014/09/29(月) 10:58:24 ID:cEpBaIdo

「光は暗(やみ)と和解せず」p63

「敵を愛せよ」と仰せられたイエスが、なぜ「サタンよ、退け」といわれて、「サタンを愛せよ」といわなかったのでしょうか。
「敵」というものも、その実相は完全な人間でありますから、「敵を愛せよ」とは、その実相なる完全な人間を見て愛せよという意味において、正しい真理であります。

しかしサタンというものはどうであろうか。
それは精神統一修行中に現れた妄想が客観化したものであります。
妄想というものは「本来ないもの」をあるかのごとく描いたのが妄想でありますから、その客観化であるサタンというものも、結局は存在するかのごとく見えても本来非実在であります。

それで、敵ならその敵の実相を見れば、敵の内性に神の子なる実相を見て愛することができますけれども、
異端、妄説、妄念、妄想は「本来無い説」――虚説でありますから、その実相を見れば、妄想は「本来無い」ということがわかるだけでありますから、
「本来無いもの」(虚説)に和解することは絶対にできないのであります。

光と暗は和解することができない。
光が近づけば暗は消えるほかはない。
それと同じく真説は虚説に近づけば虚説を消す働きになる。
真理が妄想の客観化なるサタンに和解せんとして近づけば、かえってサタンを消す働きにならざるをえない、
すなわち言葉でこれをいえば「サタンよ、去れ」の一喝とならざるをえないのであります。


虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳がないように思うのはまちがいであります。
また虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのもまちがいであります。
虚説を排撃することいよいよ明瞭であればあるほど、真理が明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

(つづく)

4395a hope:2014/09/29(月) 11:00:17 ID:cEpBaIdo

>>4394 a hope所感)

「虚説」とは現象に現れて見える「悪」や「罪」(もしくは敵)のことではない。
誤った見解、思想、つまり妄想、のことである。

「悪」や「罪」と見える現象の出来事はすべてがわたしたちにとって学びであり、見方を変えればすべて「善」ともなるのだと思います。

ですが、「虚説」は、「ありえない説」「ウソ」なのですから、どんなに見方を変えても、それは「真説」にはならないわけですから、
「虚説」に対しては、わたしたちは毅然と拒絶した態度をとり続けないと、いつの間にか自分自身も「虚説」に惑わされることになり、
迷いに落ち、人生が狂いだすのだと思います。

<<光と暗は和解することができない。
光が近づけば暗は消えるほかはない。
それと同じく真説は虚説に近づけば虚説を消す働きになる。
真理が妄想の客観化なるサタンに和解せんとして近づけば、かえってサタンを消す働きにならざるをえない、
すなわち言葉でこれをいえば「サタンよ、去れ」の一喝とならざるをえないのであります。

虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳がないように思うのはまちがいであります。
また虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのもまちがいであります。
虚説を排撃することいよいよ明瞭であればあるほど、真理が明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。>>

そして、そういう態度をとることは、決して真理から外れたことではなく、むしろ「救われる人間も多い」とあります。

人類光明化運動を正常化するためには、虚説の否定と、真説の肯定が必須条件なのだとわたしは感じています。

4396a hope:2014/09/30(火) 10:59:04 ID:cEpBaIdo

>>4394 つづき)

わたしにも最近その例がありました。
「生長の家」の某支部をみずから造るべく申し出られまして、聖典『生命の實相』を数十部みずから進んで預かって帰られた方がありました。
その某氏は最近、「物質はある」「真我も迷う」の虚説を立てて「生長の家」の真説を迷わす機関誌を発行されたのであります。
それとともに聖典『生命の實相』を誌友その他に売られたまま、その公金を私用に着服費消しておしまいになったのであります。

わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃したのでありますが、
(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)その人が消費された公金に対しては少しも咎めず、
無条件にその金額を進呈して決して請求しませぬという深切な手紙を書いて、
その人の実相――決して公金を費消せぬような完全なその人の実相を見ることにしたのであります。
これがわたしの範例であります。

虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許すことにしたのであります。
どうかみなさんも虚説に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、
人間に対しては、その実相の包み(罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、その罪を赦す(その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。

要は「天地一切のものと和解せよ」との「生長の家」の第一最大の誡命(いましめ)は「天地一切のものの実相と和解せよ」ということであって、
仮相や虚説に対しては「サタンよ去れ」と排撃すべきなのであります。
釈迦もキリストも同じような態度で虚説を駁撃せられたのであります。

4397a hope:2014/09/30(火) 11:00:15 ID:cEpBaIdo

>>4396 a hope所感)

<<虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許すことにしたのであります。
どうかみなさんも虚説に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、
人間に対しては、その実相の包み(罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、その罪を赦す(その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。>>

虚説が現象界に反映されれば仮相(病気・生活苦・人間関係の等の不和等の良からぬ環境)が現れ
真説が現象界に反映されれば実相(健康・順調な生活・良い人間関係等の大調和した環境)が現れるのだと思います。

『本来、信仰とは、信ずれば信ずるほど、心が幸せになり、安心してゆくものですが、
信ずれば信ずるほど、不安になるものを “ 迷信 ” といいます。』

上のお言葉は、光明掲示板で明鏡さまがわたしに教えてくださった真理のお言葉ですが、
その教えが「真説」であるか「虚説」であるかの判断をするのに、この明鏡さまのお言葉ほど的を射ているものはないのではないかと思います。

みなさんは、心が幸せになり、安心できるような「教え」を信仰されていますか?

4398a hope:2014/09/30(火) 11:08:49 ID:cEpBaIdo
>>4397 訂正

人間関係の等の不和等の良からぬ環境→人間関係の不和等の良からぬ環境

4399a hope:2014/09/30(火) 21:54:44 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第28回 web誌友会 予告

期間  10月1日〜10月31日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p80〜p126まで
内容   第六章「恋愛・結婚・夫婦関係の倫理」 
     第七章「家庭の宗教生活化」
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4400a hope:2014/09/30(火) 22:04:55 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは。

早いもので、 今月も今日が最終日となりました。
a hopeは一生懸命勉強しているつもりなのですが、テキストの真理がとても深いので、なかなか先に進めません(;´∀`)。

今朝、やっと第四章の「和解の倫理」をお勉強し終わって、次は第五章「ロダンの鼻かけ像の倫理」に行く予定でしたが、
この章はページ数は少ないのですが、生長の家の教えが万教帰一であること、現象世界や肉体とは何なのか、
そして「唯物論」や「霊魂論」等の「人生観」とはどういうことなのかが凝縮して説明されていてとても内容が濃いです。

第五章もとても重要なところなので、丁寧にお勉強していきたいのですが、
論理的すぎてweb誌友会のテーマには向いていないような気がするので、
第五章のお勉強は「聖典引用板」の方でゆっくり謹写を中心にさせていただきたいと思います。
ですが、もちろん、みなさまにもコメント等でご参加いただけるととてもうれしいです。


そして、こちらのweb誌友会板では次の第六章「恋愛・結婚・夫婦関係の倫理」 第七章「家庭の宗教生活化」の内容を中心にお勉強を進めたいと思っています。
こちらのテーマの方が誰もが興味あるテーマですし実際的でweb誌友会にはふさわしいのではないかと思われるので・・・。


トキさま、みなさま、そして恋愛・結婚・夫婦生活・家庭問題のエキスパートである訊け管理人さまのご参加も熱望いたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

それでは、明日10月1日になりましたら、第28回web誌友会を開会させていただきます。

感謝 合掌。

4401a hope:2014/10/01(水) 09:06:40 ID:cEpBaIdo

10月に入りましたので、第28回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4402トキ:2014/10/01(水) 09:38:00 ID:iCx2Lxm6
 今回もよろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

4403a hope:2014/10/01(水) 09:42:57 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第28回 web誌友会 案内

期間  10月1日〜10月31日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p80〜p126まで
内容   第六章 恋愛・結婚。夫婦生活の倫理
     第七章 家庭の宗教宗教生活化
     第八章 無軌道の倫理
    
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

みなさま おはようございます。
ここのところweb誌友会の内容が「悔い改め」であったり、「和解の倫理」であったりして、
とても大切な真理だと思うのですが、
わたしたちが実際に生活で活かしていくという面からみると、ちょっと難しい内容だったかもしれません。

ですが、今回の内容第六章、第七章、第八章は、真理をどう実生活に生かしていけるかが具体的に書かれているので、とてもわかりやすいです。

第六章のテーマは「恋愛・結婚・夫婦生活の倫理」です。

まずは、「恋愛」です。

<<「生長の家」の倫理学では恋愛は一つの感情の芸術である。>>p80 6行目〜

わたしは、気功をしていた時に、「恋はエネルギー」だと教わり納得しましたが、
なんと、「生長の家」倫理学では、「恋愛は感情芸術」だと言っていますね。

興味津々です・・・(#^^#)

4404トキ:2014/10/01(水) 22:03:35 ID:iCx2Lxm6
 生命の実相第14巻の81pには、永井荷風の事が書かれています。この永井荷風は
フランスから帰国後、いろいろな女性と浮き名を流しました。その中の一人は、陸軍将校
の奥さんで、その陸軍将校は妻の不倫を知り、衝撃のあまり自殺を考えます。が、同僚の
説得で離婚をし、その後、再婚します。

 この陸軍将校は、本間 雅晴。最初の妻は、参謀次長をつとめた田村怡与造中将の娘で
したが、次の奥さんは、冨士子さんです。

 本間は後年、戦争裁判で米国に処刑されますが、証言台に立った冨士子さんは、
以下のような証言をしたのは有名です。

「私は東京からここへ参りました。
私は今も本間雅晴の妻であることを誇りに思っております。
私には娘がひとりおります。
いつの日か、娘が私の夫、本間雅晴のような男性とめぐり会い、
結婚することを、心から願っております。

本間雅晴とはそのような人でございます。」(以下省略)

http://www.tamanegiya.com/honnmafujinn.html

という話を思いだしました。

脱線を御許し下さい。

4405a hope:2014/10/02(木) 00:33:08 ID:cEpBaIdo

>>4404トキさま

永井荷風に関する興味深いお話をお聞かせくださりありがとうございます。

最近はテレビドラマなどで「不倫や離婚の話」などがあたりまえのように放映されています。
そして、新聞の人生相談なんかでも、安易に離婚を勧めてしまうような回答が多いのには驚いています。

だから、わたしの身近な人たちでも平気で不倫をしてしまったり、すぐに離婚してしまったり、
そんなことがあたりまえのようになってしまっているような現実があります。。

こんな世の中になってしまうと、何が道徳的に正しいことなのかもわからなくなってしまいそうです。

そんな中で、富士子さんのように、最後の最後まで夫を尊敬し愛し続けることができるというのは、
現代では奇蹟に近いことなのかもしれませんね。

きっと良人である本間 雅晴も、心からに奥さまである富士子さんを心から愛されていたのでしょうね。

4406a hope:2014/10/02(木) 00:43:04 ID:cEpBaIdo
>>4405 訂正
心からに奥さまである富士子さんを → 奥さまである富士子さんを

4408 不生の仏心:2014/10/02(木) 21:11:58 ID:zTvAOV2w
●ある日至道無難禅師が懇意な商家にいくと、折節その家が大がかりな掃除中で、ちらかしてあり、空いている一間に主人と話していました。
そこに別の商家の使いが来て、紙に包んだ金を渡して帰りました。
長らく話をして、禅師が去った後、主人は金のことを思い出して、懐や、たもとなど探したが見つかりません。しかたなく禅師の元へ行き、もし何かの間違いで持ち帰られた
のではないか、と訊ねると、禅師はそれだけの金を取り出して主人に与えました。

数日後に主人は、例の一間の鴨居の塵を払っていると、紙包みの金が落ちて来ました。主人は驚き、禅師のところへ走り、金を返して詫びると、禅師は何事もなかったように、
それは思い違いをなさったのでしょうと、無心にその金を受け取ったのでした。

●悪口を浴びて村中を「もらい乳」
白隠さんが駿河の原宿(現在の静岡県沼津市原)の松蔭寺に住職してからの話

あるとき、村の娘が父なし子を産みました。
娘の父親は、だれの子かと問い詰めましたが、娘は頑として相手の男の名は口にいたしません。
しかし、とうとう耐えきれずに、白隠さんの子だとウソをついてしまいました。
父親が日ごろから敬愛している白隠さんの子であれば、許してもらえるだろうという娘の浅知恵でした。もちろん白隠さんは、身に覚えのないことです。
娘の父親は松蔭寺に駆けこむや、「この生グサ坊主!よくも娘をキズものにしてくれたな。さあお前の子だ、受けとれ」と怒鳴りながら、赤ん訪を突き出しました。
白隠さんは何の言い訳もせず、「ああ、そうか」と赤子を受けとりました。
この日は飴湯や米の粉をといて与え、翌日からは村中を「もらい乳」して歩き回りました。
それまで、高僧・傑僧として尊敬されている白隠さん、一転してとんでもない破戒僧とさげすまれ、弟子たちはもちろん信者も離れていきました。
それにもかかわらず悠然ともらい乳して歩き、赤子を親身になって育てる白隠さんの姿に、当の娘のほうがこらえきれなくなり、ついに父親に本当のことを白状しました。
驚いた父親は、さっそく白隠さんに非礼をわび、赤子を返してほしいと恐るおそる申し出ましたこのときも白隠さんは「ああ、そうか」と、泰然として赤子を返したといいます。

●一人の乞食坊主が、村人に取っ捕まり、砂浜に首まで埋められました。
浜の塩焼き小屋に放火して、燃やした罪を被せての私刑(死刑)でした。
だんだんと、潮が満ちてきて、乞食坊主の目前に迫ってきます。
そのまま、潮に呑まれ海水をイヤと言うほど呑まされ、水死するのは、もう秒読みに入っていました。
そこで死んだとしても、不埒な乞食坊主が塩焼き小屋に放火して燃やし、その罪で、殺されたというだけで、誰にも知られず、誰の記憶にも残らず、歴史にも残らず、ましてや、
その乞食坊主の名を冠した宗教も興らなかったでしょう。
・・・たまたまそこを通りかかったヒトが、乞食坊主を、助けました。
事情を聞いてみますと村の人に、塩焼き小屋に放火した罪を被せられた、と言います。
・・・そうなのか?と問い詰めると、・・・違う、と乞食坊主答えました。
・・・違うなら、何故、違うと、否定しなかったんだ? というと
、・・・だって、そう相手が思っているのだから、仕様がない・・・
と、その乞食坊主、答えて、何事もなかったかの様に、何処かに歩き去った、というハナシが、伝わって居ります。

その乞食坊主の名は、良寛禅師。

この三人の禅僧の話と>>4396の雅春先生の話と、どちらに感動しますか?

4409 不生の仏心:2014/10/02(木) 21:37:56 ID:zTvAOV2w

>>4396
わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃したのでありますが、
(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)その人が消費された公金に対しては少しも咎めず、
無条件にその金額を進呈して決して請求しませぬという深切な手紙を書いて、
その人の実相――決して公金を費消せぬような完全なその人の実相を見ることにしたのであります。
これがわたしの範例であります。

この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、その説くところへの反駁は許されるけれども、
トンチンカンさんがよく言われること、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』等の個人の生き方に
対する非難は許されないということになりませんか?

4410トキ:2014/10/02(木) 22:37:34 ID:gp2X4kJ6
 少し余談ですが、永井荷風には養子がいて、その養子が回顧録を書いています。
それを読むと、永井荷風はすごくワガママで、偏屈で、親族からは持て余しものだ
ったみたいです。文化勲章を受けた人ですが、人間的にはスゴく周囲には嫌われた
人という印象があります。最後はいわゆる孤独死を遂げています。

 本人は好きな事をして満足だったかもしれませんが、ワガママばかりを言って
いるので、友人も親族も離れて行ったみたいです。晩年になるとかなりの孤独
になり、大金をもってストリップ小屋に通い、踊り子に「先生、先生」と言われ
て悦に入っていたみたいです。言い方は悪いですが、お金の力で寂しさをまぎら
わせていたみたいで、寂しい人生だったと感じます。

 名もなく、誠実に生きる人のほうが、ずっと美しいと感じます。

閑話休題。

4411a hope:2014/10/02(木) 23:45:51 ID:cEpBaIdo

>>4408 仏心さま

web誌友会ご参加ありがとうございます。

えーっと、すでに話題は、恋愛・結婚・夫婦生活に移行していたのですが・・・
今回の仏心さまご投稿内容は、前回のテーマ「和解の倫理」についてですね。


ご紹介の3つのお話はどれも、無実の罪を着せられた僧侶たちが、
一言も言い訳をせず成すがままに罰をうけるというお話ですね。

ですがどのお話も結果的には無実が証明がされています。

三人の僧侶が無実の罪を着せられたことに関しては、何かの自壊作用だったのかもしれませんが、
その後、無実が証明されるという良い結果となったのは、その三人の僧侶が怒りや憎しみ等の悪い感情を起さず、
心穏やかに善処したからだと思います。

お三方とも偉大な僧侶ですから、きっと三界唯心所現の真理を体得されていたのでしょうね。

ですが、どうしてそれらの僧侶の伝説と、聖典の真理のお話を比較しなければいけないのでしょう?
仏心さまは、「生長の家の教え」が本当にお嫌いなのですね。

4412a hope:2014/10/02(木) 23:47:16 ID:cEpBaIdo

>>4409 仏心さま

<<この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、その説くところへの反駁は許されるけれども、
トンチンカンさんがよく言われること、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』等の個人の生き方に
対する非難は許されないということになりませんか? >>


これは「許す」とか「許されない」とかの問題ではなくて、自分自身の信仰の問題だと思います。
仮にも「生長の家」の人間神の子の教えを信仰している人間が、
「生長の家」総裁である谷口雅宣先生や純子先生の実相を観ることをせず、
人格批判をばかりしていればそれはとてもおかしなことだと思います。
ですから、わたしは今までもその件に関しては何度も訴えてきたつもりです。

ですが、お二人を「生長の家」総裁・副総裁として見たとき、お二人は社会的に大きな影響を与える公人なわけですから、
もし、そのお立場にふさわしくない行動をされたりすれば、公人として世間から批判されてしまうのは避けられないと思います。

実際にその行動の結果、「生長の家」のイメージを悪くしたり、信徒を激減させたりするような悪影響を教団に与えてしまうようなことがあれば、
それは現象処理としてして責任をとっていただくのは当然のことなのかもしれませんね。

4413a hope:2014/10/03(金) 00:06:42 ID:cEpBaIdo

>>4410 トキさま

<<名もなく、誠実に生きる人のほうが、ずっと美しいと感じます。>>

「野の百合の生きる道」を思い出しました。

わたしも大生命から与えられわたしの「使命」に誠実に生きていきたいと思います。

それではみなさま おやすみなさい。

4414トキ:2014/10/03(金) 20:32:02 ID:TNtMbJN.
 少し本題から外れますが・・・・。

 生命の実相第14巻の94pには、谷口雅春先生が、有名な某僧侶さんの聖典講義をラジオで
聞いた話が書かれています。

”その僧侶のいわれるには「本当の自分というものがこんなに醜く穢れた自分であるということ
を悟るのが宗教である」と声を激していわれたのにはわたしは思わずラジオのスイッチを切って
しまったのでありました。”

 谷口雅春先生は、この14巻では、人間の実相を見る事の大事さ、素晴らしさを説かれています
が、間違った考えを持った人の意見をおとなしく拝聴しろとは書かれていません。

 信仰とは理論理屈に終始するものではななく、実際の生活に生きてこその信仰だと思います。
 人生は短く、多忙な現代人には使える時間は限られます。

間違った意見を大人しく聞くのは時間の無駄だと感じます。

4415 不生の仏心:2014/10/03(金) 23:47:36 ID:zTvAOV2w
実際生活に生かすことが出来ず、理論理屈で組織に胡坐をかいた多くの先達がいたから、今の生長の家が出来たのでしょう。
個人指導をしっかりし個人の幸福を持ちきたす、そんなことをしていながら、あなたの教区を見るも哀れなものにしか出来なかったのではないですか。

素晴らしい真理を生きてきたというのであれば、貴女が嫌う今の結果は出て来るはずはないでしょう。

4416神の子さん:2014/10/04(土) 00:30:41 ID:???
組織の活動に助けられて講習会や本を売ってきた

お ま え さん に

100人中99人は

ふざけるな!!と怒りを覚えている事でしょう。

4417トンチンカン:2014/10/04(土) 13:06:56 ID:JWwiWw8o
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』、、と、「認識」して
いながらも、<自己弁護>に余念の無いマサノブ爺さん!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



<新、本流復活掲示板>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何としてでも自己弁護を貫いて逃げたいマサノブ君、哀れ・・・ (5289)
日時:2014年10月04日 (土) 09時53分
名前:怒れる信徒 代表


一昨日(2日)の夜、腹立ちと苛(イラ)立ちを隠せぬマサノブ君はパソコンに向かって、
次ぎのような投稿文を打ち込み掲載したのであります。最初にお断り申しあげておきます
が、投稿者、この「不生の仏心」なる人物は、紛れもなくマサノブ君本人か、彼の意を汲
む影武者である事は間違いありません。その理由は、完全な屁理屈の自己弁護の弁であり、
こんな内容の文章は、マサノブ君本人か、その意を受けた影武者君でしか書けません。教
団内の一般信徒や教団を去った元・信徒は誰も書ける者ではないからであります。先ず、
マサノブ君(=「不生の仏心」)の投稿文を転載いたします。


//////////////////////////////////////////////////


「トキ掲示板」<WEB誌友会>
4409 名前: 不生の仏心 投稿日: 2014/10/02(木) 21:37:56 ID:zTvAOV2w

>>4396
<< わたしにも最近その例がありました。「生長の家」の某支部をみずから造るべく申
し出られまして、聖典『生命の實相』を数十部みずから進んで預かって帰られた方があり
ました。その某氏は最近、「物質はある」「真我も迷う」の虚説を立てて「生長の家」の
真説を迷わす機関誌を発行されたのであります。それとともに聖典『生命の實相』を誌友
その他に売られたまま、その公金を私用に着服費消しておしまいになったのであります。
わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃
したのでありますが、(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)そ
の人が消費された公金に対しては少しも咎めず、無条件にその金額を進呈して決して請求
しませぬという深切な手紙を書いて、その人の実相――決して公金を費消せぬような完全
なその人の実相を見ることにしたのであります。これがわたしの範例であります。>>(「生
命の骨相」第14巻64頁)


この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、
その説くところへの反駁は許されるけれども、トンチンカンさんがよく言われること、本
流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』
等の個人の生き方に対する非難は許されないということになりませんか?


///////////////////////////////////////////////////

< 感 想 >


① マサノブ君は、インターネットの拡散情報効果で、次第に自分の親不幸ぶり、ジキル
とハイドとも言うべき宗教家らしからぬ二重人格ぶりが、かなりの数の信徒に知れ渡って
しまったのであります。マサノブ君の「言行不一致」振りに愛想をつかして信徒の脱落現
象が進み、教勢は顕著な衰退を来たしているのであります。


② マサノブ君は、今や、宗教家としての反論不可能な「言行不一致」の実態と、左翼唯
物現象論に基づくスキだらけの屁理屈論を徹底的に「本流掲示板」によって追及されてい
る状態であります。完璧な理論体系を持つ開祖・谷口雅春先生の「生命の實相哲学」には
全く歯が立たないのであります。大閑人でパソコン大好き人間のマサノブ君は「枯れ松模
様」にも書きたくてウズウズしているが書けない。辛抱しきれずタマに書けば待ってまし
たといわんばかりに、開祖・谷口雅春先生の『御教え』をシッカリと理解している元本部
講師先生がたを筆頭に「本流」の論客からメッタ切りにされ、特に異才「トンチンカン」
氏の徹底的肩すかし・ハタキコミ論法には御手上げの状態であり、枯れ松林の中で“きの
こ狩り”をして積もるウップンを晴らすのが関の山・・・


③ しかし、どうしても反論だけは何とかして書いておきたい。そうでなければ“総裁”
の沽券に拘わると思ってか、マサノブ君は一作日(2日)上記のような反撃に出たのであ
ります。その屁理屈論法は、『生命の實相』の内容を逆利用して、明らかな神性隠蔽状態
にあるマサノブという現象人間の自己弁護、それも読むに耐えない最低レベルの自己弁護
論を展開したのであります。

4418トンチンカン:2014/10/04(土) 13:07:29 ID:JWwiWw8o

(つづき)

④ 真理の逆利用――<親兄弟に人間らしからぬ行動をなしている>自分(現象マサノブ)
は本来ないのだから、その現象マサノブへの批難は成り立たない(マチガイである)。本
来ないものへの批難は何の効き目もない。徒労だけだ。だから、本来なき現象・マサノブ
に対する批難は一切為さずに、神の子としての完全な自分(實相マサノブ)を見なさい!、
と説教しながら、マサノブ君自体は、神性隠蔽されている本来なきニセ・マサノブをいつ
までも実在化して行動しているのであります。この矛盾・・・


⑤ 「實相・マサノブ」を観よ!というならば、先ず、そのように言った本人が現在の自
分の言動が、「神の子人間」=實相マサノブに100%相応しい言動を為しているであろ
うか?と自己反省するのが第一であります。しかしマサノブ君はこの實相の「神の子人間」
に照らしての「自己反省」が出来ないのであります。だから、マサノブ君は、真理に照ら
しての間違った言動をどこまでも押し通すのであります。その間違った言動があくまでも
正しいと判断しているのであります。まことに悲しい現象・マサノブ君のすがたでありま
す。なぜ斯くも悲しい「現象・マサノブ君」の姿が現れているのか?それは、「實相・マ
サノブ君」を覆う「神性隠蔽」の遮蔽幕が何重にも厚く、想像以上に厚く巻かれていて、
その「神性隠蔽」の遮蔽幕の奥にある「神の子」の自覚(火種)が酸欠状態・窒息状態に
あるといえるのであります。


⑥ この様な余りにも厚い「神性隠蔽」の現象に対しては、完全円満な「神の子人間」で
ある實相マサノブ君を静かに直視諦観するのでありますが、人時所に応じての対処法によ
って、その「神性隠蔽」を気づかせてあげる行動も必要なのであります。マサノブ君の極
めて部厚い、想像以上に部厚い「神性隠蔽」は、「生長の家総裁」と言う地位にあるため、
マサノブ君以外からの、特に特別な目的を持った霊界の存在からの強力な力で更に、更に
“補強”されていると言う事が十分に考えられるのであります、(類友親和の法則)。故
にマサノブ君の場合にはその「神性隠蔽」を気づかせてあげ、少しでも早く「實相・マサ
ノブ君」の顕現のための直接行動が必要でありまして、これがマサノブ君に対する“忠告
”であります。マサノブ君は“批難”と受け取っておりますが、素直にわれわれ「本流」
信徒からの“忠告”と受け取って頂かねばならないのです。そのように“忠告”と受け取
るのが宗教家の採るべき態度であります。


⑦ 『生命の實相』第13巻倫理篇上巻125〜128頁には次のように書かれているの
であります。即ち、――

<< 第一の神性隠蔽(罪)としては「神我一体」の實相を包んで見ざること、第二の神
性隠蔽としては「自他一体」の實相を隠して見ざること、第三の隠蔽としては「隠蔽(つ
み)の隠蔽(いんぺい)」として自己弁解すること、第四の隠蔽としては外界が自心の展
開なる事実を観ず悟らず、外界を以って自分に対立するところの有限の世界として観じ、
自心の整理を先にせず、物に執し、ものを奪い合わんがために、兄弟と相争い、――ここ
にこれら四つの根本的神性隠蔽が相寄り相混じて、種々なる罪を構成するに到るのである。
そして、最後は「肉体我」の驕慢の極致に至り、「エデンの楽園」を追放されるに到る・
・・>>

上記の『生命の實相』からの文章は、余りにもそのまま、マサノブ君にあてはまり、マサ
ノブ君の自己反省ために書かれた文章か?と見間違えるほどであります。マサノブ君は今
回、「不生の仏心」なる名前で「本流」からの“忠告”を“批難”として受けとって大反
論をした積もりでしょうが、実はマサノブ君自体がこの様な真理を逆利用した自己弁護を
なすことによって、マサノブ君自身が“驕慢”の極致に至っていることを全世界の全信徒
に完全にさらけ出したのであります。それにしても、教団最高位に位置する総裁が、名も
なき末端信徒から“忠告”されるに至ったことはまことに情けない現在の「生長の家」教
団の実態であり・・・、まことに残念極まりなきものであります。


⑧ 最後に申します。マサノブ君は、「個人の生き方に対する非難は許されない」と書い
ておりますが、これも屁理屈的自己弁護・自己正当化であります。これに対しては「トキ
掲示板」で、a hopeさんが的確な回答をマサノブ君に呈しておられましたので、転載させ
ていただきます。「不生の仏心=マサノブ」君!シッカリと読みたまえ!

4419トンチンカン:2014/10/04(土) 13:08:26 ID:JWwiWw8o

(つづき)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4412

「トキ掲示板」Web誌友会 板/2
4412 :a hope:2014/10/02(木) 23:47:16 ID:cEpBaIdo

>>4409 仏心さま
<<この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしまし
ても、その説くところへの反駁は許されるけれども、トンチンカンさんがよく言われるこ
と、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いを
する』等の個人の生き方に対する非難は許されないということになりませんか? >>

これは「許す」とか「許されない」とかの問題ではなくて、自分自身の信仰の問題だと思
います。仮にも「生長の家」の人間神の子の教えを信仰している人間が、「生長の家」総
裁である谷口雅宣先生や純子先生の実相を観ることをせず、人格批判をばかりしていれば
それはとてもおかしなことだと思います。ですから、わたしは今までもその件に関しては
何度も訴えてきたつもりです。ですが、お二人を「生長の家」総裁・副総裁として見たと
き、お二人は社会的に大きな影響を与える公人なわけですから、もし、そのお立場にふさ
わしくない行動をされたりすれば、公人として世間から批判されてしまうのは避けられな
いと思います。実際にその行動の結果、「生長の家」のイメージを悪くしたり、信徒を激
減させたりするような悪影響を教団に与えてしまうようなことがあれば、それは現象処理
としてして責任をとっていただくのは当然のことなのかもしれませんね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

4420トンチンカン:2014/10/04(土) 13:33:15 ID:JWwiWw8o

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ご自分の「所業」を、他人になすりつけてはダメですよ、、マサノブ爺さん!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・マサノブ爺さん自身が「実際生活に生かすことが出来ず」に、『生長の家を私物化して
 おり、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』のですよね・・・ <言行不一致>


・「理論理屈で組織に胡坐をかいている人」、、こそが、マサノブ爺さんでしょ・・・
 <詭弁、屁理屈、ゴマカシ>は、マサノブ爺さんの専売特許!!


・「個人指導」、、なんて、マサノブ爺さんに出来るのですか・・・


・「今の教団」を、「見るも哀れなものにしか出来なかった」のは、マサノブ爺さんご自
 身ではないのですか・・・ (戦々恐々、疑心暗鬼の渦巻く教団内部)






(参考)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4415 名前: 不生の仏心 投稿日: 2014/10/03(金) 23:47:36 ID:zTvAOV2w

実際生活に生かすことが出来ず、理論理屈で組織に胡坐をかいた多くの先達がいたから、
今の生長の家が出来たのでしょう。
個人指導をしっかりし個人の幸福を持ちきたす、そんなことをしていながら、あなたの教
区を見るも哀れなものにしか出来なかったのではないですか。

素晴らしい真理を生きてきたというのであれば、貴女が嫌う今の結果は出て来るはずはな
いでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

4421a hope:2014/10/04(土) 20:25:55 ID:cEpBaIdo

>>4416神の子さん
>>4417~トンチンカンさま

web誌友会ご参加ありがとうございます。

仏心さまが、このweb誌友会に時々ご参加くださり、わたしにたくさんのご公案をくださっています。
その内容を拝見していると、正直わたし自身も、仏心さまが雅宣先生や本部の意見の代弁者のような印象を持ってしまうことが時々あります。

ですが、掲示板上の最低限のマナーとして、そのような「決めつけ発言」、
もしくはそういう「決めつけ発言」のあるご文章の他の掲示板からの転載はご遠慮お願いいたします。

仏心さまからのたくさんのご公案は、わたしにとってとてもお勉強になっていますし、
わたしたちに現在の「生長の家」の問題解決策を考察するきっかけを与えてくださっていると思うのです。
だから、わたしは仏心さまのご登場にはいつも心から感謝しています。

どうぞよろしくお願いいたします。 合掌。

4422トンチンカン:2014/10/05(日) 10:08:40 ID:JWwiWw8o

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「生長の家の教え」が本当にお嫌いな、「雅宣先生や本部の意見の代弁者のような印象」
の人、、、 現在の「生長の家」の問題解決策を考察するきっかけを得られる・・?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・「生長の家の教え」が本当にお嫌い、、なら、「生長の家」を辞めて出て行けばイイので
 すよね・・


・「生長の家の教え」が本当にお嫌いな人、、が、「生長の家」の上層部の人の様なのです
 よね・・


・このような人の、「詭弁」や「屁理屈」を聞いて、現在の「生長の家」の問題解決策を
 考察するきっかけを得られると、本当に思っているのですか???


・いままでに、具体的に「どのような問題解決策」が得られたのでしょうか・・


・「哲学もどき」の問答で、時間稼ぎをしているだけのようにしか思えないのですが・・





(参考)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
4411 :a hope:2014/10/02(木) 23:45:51 ID:cEpBaIdo

ですが、どうしてそれらの僧侶の伝説と、聖典の真理のお話を比較しなければいけないの
でしょう?
仏心さまは、「生長の家の教え」が本当にお嫌いなのですね。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
4421 :a hope:2014/10/04(土) 20:25:55 ID:cEpBaIdo

仏心さまが、このweb誌友会に時々ご参加くださり、わたしにたくさんのご公案をくだ
さっています。
その内容を拝見していると、正直わたし自身も、仏心さまが雅宣先生や本部の意見の代弁
者のような印象を持ってしまうことが時々あります。


仏心さまからのたくさんのご公案は、わたしにとってとてもお勉強になっていますし、
わたしたちに現在の「生長の家」の問題解決策を考察するきっかけを与えてくださってい
ると思うのです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

4423神の子さん:2014/10/05(日) 10:15:02 ID:pBuxGS.6
流れ、無視で失礼します。


>>)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎ【現象処理をおろそかにした】為である。
>>「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。
>>(【 】内はa hopeが付け足しました。)
>>と、このように解釈しています。
>>「生長の家」の教義の基本は「唯心論」ではなく「唯神実相論」ですから、その場所に「唯心論」が入るのはおかしいと思います。


唯神実相論に傾き過ぎは いけないっということかぁ・・ふ〜ん 難しいですね。
「常に唯神実相論を、実相独在を念頭に置いて生きよ。」 って言いそうな先生のような気がしてましたので・・

でも、まぁおっしゃってる意味(ニュアンス)はわかりますよ。
わざわざ返事くださって有難うございました。

4424神の子さん:2014/10/05(日) 10:16:25 ID:pBuxGS.6
上の4423のコメントは、a hope様宛て でした。

4425a hope:2014/10/05(日) 11:49:18 ID:cEpBaIdo

14巻 p81 4行目〜

恋愛芸術においても※セルフ・コントロールということが必要であります。
セルフ・コントロールということに欠ける恋愛は頽廃感情の芸術でありまして、
かつて明治文学時代に永井荷風が『牡丹の客』その他に描いたような※頽廃美の恋愛は、
人が恋愛をコントロールしてゆくのではなく、恋愛が人をコントロールしていっているのであります。

生命ある恋愛と、頽廃せる恋愛との区別は。前者がどこまでも晴々しく生活向上の道を進んで行くのに反して、
後者がなんとなく、生活頽廃に導いてゆくことであります。
頽廃感情をともなう恋愛は、それ自身がセルフ・コントロールを失っている証拠であります。
二人が相逢えば人生を進軍する勇気が生まれてくるような恋愛が本当に正しい恋愛であります。
神がプロトンを中心に隠電子をその周辺に旋回せしめて、宇宙を生みだされた恋愛は豪壮無比な創造の恋愛であります。


(頭注より)
※セルフ・コントロール(self-control) … 自己制御
※頽廃美 … くずれ荒れている中にある美

4426a hope:2014/10/05(日) 11:59:50 ID:cEpBaIdo

>>4425 a hope 所感)

トキさまのお話にもありましたが、永井荷風は小説を書くためなのか、
それともそれが彼の持って生まれた性質のためだったのか、
実生活でもそうとう自由に女性とお付き合いをしていたのですね。

ですが、正しい恋愛とは、

<<二人が相逢えば人生を進軍する勇気が生まれてくるような恋愛が本当に正しい恋愛であります。>>

みなさんは、そのような恋愛をされましたか?

わたしは、主人と出会ったときにそんな感じがしました。
そしてそのような正しい恋愛の先に、幸福な結婚・夫婦生活がまっているのですね。


<<神がプロトンを中心に隠電子をその周辺に旋回せしめて、
宇宙を生みだされた恋愛は豪壮無比な創造の恋愛であったのです。>>

この部分の表現には驚きました。
なんということでしょう、神さまは恋愛感情で宇宙を生み出されたというのでしょうか・・・。

絶対世界におられる神さまが一体何に恋愛されて、この宇宙が生み出されたというのでしょう。

まあ、『豪壮無比な創造の恋愛』ですから、わたしたちには想像もできないようなすごい恋愛なんでしょうね!

4427a hope:2014/10/05(日) 12:36:33 ID:cEpBaIdo

>>4422 トンチンカンさま

――――――――――――――――――――――

・「生長の家の教え」が本当にお嫌い、、なら、「生長の家」を辞めて出て行けばイイので
 すよね・・


・「生長の家の教え」が本当にお嫌いな人、、が、「生長の家」の上層部の人の様なのです
 よね・・


・このような人の、「詭弁」や「屁理屈」を聞いて、現在の「生長の家」の問題解決策を
 考察するきっかけを得られると、本当に思っているのですか???


・いままでに、具体的に「どのような問題解決策」が得られたのでしょうか・・


・「哲学もどき」の問答で、時間稼ぎをしているだけのようにしか思えないのですが・・

――――――――――――――――――――――――


それでは、トンチンカンさまに伺います。

仏心さまを雅宣先生だと決めつけて、そのご発言に対して批判を繰り返していれば、
雅宣先生や上層部の方々が素直に「生長の家」を辞めて出ていかれるのでしょうか?


わたしは何故、仏心さまがそんなにも「生長の家」の教えがお嫌いなのか知ることで、
生長の家の問題解決への糸口が見つかるような気がしているのです。

4428a hope:2014/10/05(日) 12:51:57 ID:cEpBaIdo

>>4423 神の子さん

<<唯神実相論に傾き過ぎは いけないっということかぁ・・ふ〜ん 難しいですね。
「常に唯神実相論を、実相独在を念頭に置いて生きよ。」 って言いそうな先生のような気がしてましたので・・>>

とのことですが、もう一度、↓の恵吾先生の文章をよく読んでみてくださいね。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

『試論・波状光明化への道』342頁より謹写――

概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。

吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。
(つづき全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65587714.html

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


(一) の方は榎本恵吾先生のご・主・張・で・は・な・い・のでです。

恵吾先生のご主張は、あくまも(二)であり、唯神実相、実相一元に徹し、貫かなければならない、とおっしゃっていますよね。

4429トンチンカン:2014/10/05(日) 16:55:22 ID:JWwiWw8o

>>4427

マサノブ爺さんは、どちらの立場で対応しようと 「現在の総裁の座」 に居座るでありましょうから、
マサノブ爺さんが、「総裁という<公人>としての立場」にアル限り、言い続けます!!

「総裁」の座を辞任した時には、一切何も言いませんよ・・・

4430a hope:2014/10/05(日) 19:02:35 ID:cEpBaIdo

>>4429 トンチンカンさま

わたしがお願いしているのは、仏心さまのご発言を雅宣先生やその代弁者の発言であると決めつけないでくださいということなのですが・・・

雅宣先生をご批判するのがトンチンカンさまのご使命であるのなら、そうされたらいいと思いますが、
ハッキリとした根拠も無いものを憶測だけで「決めつけ」して批判するというのは、人としてどんなものでしょうか?

わたしは、一応このweb誌友会板で司会をさせていただいているので、今回、神の子さんとトンチンカンさまに、
そのような書き込みと、転載をすることをご遠慮くださるようにお願いさせていただきました。

トンチンカンさまが、これからもこのweb誌友会板に、仏心さまや雅宣先生を同一視するような書き込みをされるというのであれば、
わたしの力不足ですので、トキさまに相談させていただいて司会を辞退させていただきます。

4431トンチンカン:2014/10/05(日) 20:15:58 ID:JWwiWw8o

>>4430


a hope さん、誤解しないで下さい。


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4409 : 不生の仏心:2014/10/02(木) 21:37:56 ID:zTvAOV2w

この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、
その説くところへの反駁は許されるけれども、

トンチンカンさんがよく言われること、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化してい
る、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』等の個人の生き方に対する非難は許されないと
いうことになりませんか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・「不生の仏心」のHNにての書き込みに、「トンチンカンさんがよく言われること、、、」
 とありましたので、それに関するモノを回答したまでなのです・・・


・「Web誌友会 板/2」への書き込みは、トンチンカンとしては極力避けていたのです。


・今後も避ける積もりですが・・・



・ついでに、「仏心さまのご発言を雅宣先生やその代弁者の発言であると決めつけないで
 くださいということなのですが・・」、、、とのことですが・・


・普通一般の信徒ならば、「生長の家」が嫌いになれば、静かに去っていくものですよ。


・それが、「不生の仏心」のHNにての御仁は、堂々と「生長の家批判」、いやいや「雅
 春先生の説かれた<御教え>批判」をしているのです。
 

・「不生の仏心」とは一体どなたなのでしょうか??


・本部講師であっても、「このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、
 内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」
 を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、
 ご了承ください」、、なんて述べているのです・・


・「不生の仏心」=「マサノブ爺さん」、、、としか考えられないではありませんか・・・

4432トキ:2014/10/05(日) 20:56:27 ID:HZOhNCGA
>>4431

 うーん、この掲示板では、身元の詮索は野暮、という取り決めに成っています。
少なくても、このweb誌友会では、ご遠慮いただければ嬉しく思います。

 勝手なお願いですが、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

4433トンチンカン:2014/10/05(日) 21:01:13 ID:JWwiWw8o

>>4431 追記

・「不生の仏心」=「曳馬野」、、、 ご自分でそのように発言しておりますよ・・


・過去の「曳馬野」爺さんのコトバも判断すれば、益々マサノブ爺さんだと・・・



(参考)
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6651 名前: 不生の仏心 投稿日: 2014/09/27(土) 15:39:51 ID:zTvAOV2w

困るなー先生 曳馬野君って書くと馬と鹿の親戚っていう人いるんで

不生の仏心と変えたのに、今31周目 トンチンカン女史は何週目
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

4434トンチンカン:2014/10/05(日) 21:06:44 ID:JWwiWw8o

>>4432

出来るだけ、「Web誌友会 板/2」への書き込みは避けるようにいたします・・・

4435a hope:2014/10/06(月) 14:58:53 ID:cEpBaIdo

p83 4行目〜

人生から恋愛のみを遊離して楽しむだけならば必ずしも家庭生活というものは必要ではありません。
発情期の野犬のように一つの恋から他の恋へと渉りあるくだけでも、それは差し支えないといえるでしょう。

しかし、それでは人間生活の他の要素との関係上、忌むべき雑音、忌むべき波長を伴うことになるのであります。
嫉妬、闘争、その他の乱れた雑音がせっかくの美しい恋愛という美しい感情芸術の中に交じってくるのであります。
また生まれた子供の保育教養ということにも多大の道徳的破綻を伴うのであります。

そういう忌むべき乱れた雑音を避けつつ、人間生活のもっと深い大地に根を下ろしつつ、
恋愛を大きく育ててゆくのが結婚であります。
「結婚は恋愛の墳墓(ふんぼ)」ではなくして、恋愛という切り花を大地に植えて
健全な根を下ろさしめるということであります。

切り花はいくら美しくても実を結ばない。
それが家庭という大地へ根を下ろしたとき初めて実を結ぶことができるのです。
結婚生活は恋愛を人生の大地へ根を下ろさしめるということになるのであります。

4436a hope:2014/10/06(月) 15:02:26 ID:cEpBaIdo

>>4435 a hope所感)

「結婚は人生の墓場」という言葉はよく聞きますが、ここでは「結婚は恋愛の墳墓(ふんぼ)」と表現されていてますが、
似たような意味だと思います。

ですが、近年ではその墓場から生きかえって、新たな人生を歩む人たちが非常に多いです。

そして、聖典には

<<また生まれた子供の保育教養ということにも多大の道徳的破綻を伴うのであります。>>

ともありますが、現代の日本の社会状態では、親が離婚しても「子供の保育教養に多大な道徳的破綻を伴う」
のかどうかはというのもよくわからなくなってきました。

今の小学校では、の三分の一くらいが片親家庭だったりするクラスも少なくないのではないでしょうか?

アメリカやヨーロッパなどではかなり昔からそのような状態であったとは思いますが、
今は日本でもそのようなことが当たり前になってしまっています。


わたしはこの「第六章 恋愛・結婚・夫婦生活の倫理」を拝読していて感じるのですが、
恋愛にしても結婚にしても、夫婦生活にしてもこの聖典に書かれているような理想通りに行かないのが現状だと思います。

それは、現代だからという訳ではなくて、いつの時代のどこの国であっても問題が表面化するかしないかの違いはあっても、
聖典に述べられているような理想通りにはいかないという現状はある(あった)と思います。


ですが、「生長の家の教え」を学び、「三界唯心所現」や「人間神の子」の真理を悟ることで、
ここの書かれているような理想の恋愛・結婚・夫婦生活が可能になるのだと思います。

(つづく)

4437a hope:2014/10/06(月) 15:17:33 ID:cEpBaIdo
>>4436つづき)

さらに、p86 後から1行目〜 には、

<<よき家庭は社会国家のよき単位となるのです。
よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しないのであります。
ですからわれらはできるだけよき家庭を創造(つく)るように努力しなければならないのであります。
では、よき家庭とはどうしたら出現するのでありましょうか。>>

と述べられていて、『よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しないのであります。』とあります。

わたしはこの文章を拝読すると生長の家の「日本国実相顕現運動」の基本とは、
まさにこのよき家庭を出現させることなのではないかと感じてしまいますが、
みなさんはどう思われますか?

それとも他になにかあるのでしょうか?

4438a hope:2014/10/06(月) 15:26:44 ID:cEpBaIdo
>>4437訂正

さらに、p86 後から1行目〜 には、→ さらに、p84 後から1行目〜 には、

4439a hope:2014/10/06(月) 15:58:01 ID:cEpBaIdo

>>4431 4433 トンチンカンさま

お返事をりがとうございます。
わたしも「仏心さま」=「曳馬野さま」というのは認識しています。

トンチンカンさまがどのように思われようとトンチンカンさまの自由だと思いますが、
>>4432で管理人のトキさまもコメントくださっていますが、
この掲示板上での身元詮索はできるだけお控えくださいね。


ですが、テキストの内容に関してのご参加でしたらいつでも大歓迎です。

>>4437の日本国実相顕現運動についてのわたしの見解へのトンチンカンさまのご意見を是非おきかせ下さい。

4440「訊」:2014/10/07(火) 07:36:04 ID:???


>>4437 a hopeさん

 この件ですが、まったく同感です。「よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しない」ですが、まったくその通りですよね・・・・・・・いや、部下に「オイ」キャバ嬢にホイホイ、嫁に「ハイ」の私が言っても、説得力がナイですが、雅春先生の御言葉ですよね。

 ・・・・ちなみに「更に聖胎長養のため宗教に専念せん」という、雅春先生の御言葉も思い出しましたよ。以下ですが、

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&amp;mode=res&amp;log=423

 ここには趣旨に於いて、同様のことが述べられていると思います。

 国を変えようと思ったならば、選挙戦に特化するのではなく、「真理の言葉をキチンと勉強しよう」と。

 そして、そんな、真理の言葉を勉強した個人が「多数生まれるようにしよう」と。

 ・・・・趣旨に於いて雅春先生は、そう、仰っておられますよね。

 ・・・・まあ、そもそも(笑)。「そもそも」ですが、地域住民に嫌われている運動家なんて、魅力がナイですよね(笑)。「国家のため!」「憲法改正が悲願!」・・・・・・そんなこと言っている愛国者って、地域での嫌われ者が多いのも事実です。「あの人は変わり者」とか「ちゃんと生活しろよ」等のツッコミを浴びている人が、愛国陣営には多々おりますがやはり、それじゃイカンわけですよね。そしてやはり、「更に聖胎長養のため宗教に専念せん」だと思います。「よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しない」と、私も思います。





4441a hope:2014/10/07(火) 19:46:20 ID:cEpBaIdo

p86 8行目〜

しょせん感覚的刺激の喜びは永続性のものではないことを知らねばなりません。
「生長の家」の実相哲学の説くとおり、物質は本来ないものでありますから、
ないものから永続する歓びを味わうことはできないのであります。

どんなに肉体的に美しい配偶者を選んでも、その色香は永続するものではありません。
やがてその色香は褪せ、顔は皺み、若い時の美しさは消えてしまうのです。
感覚的容貌の美しさが家庭の歓びであるならば、結局その家庭は永続しないものであるほかはありません。

家庭はそういう永続しないものの上に打ち建てられるべきものではないのです。
永続する「実相」の上にこそ、われわれはわれわれの家庭を打ち建てねばならないのであります。

4442a hope:2014/10/07(火) 19:49:18 ID:cEpBaIdo
>>4441 a hope所感)

よく女優さんなんかで、年齢を重ねてもとても自然な感じで若々しくてかわいらしい方がいらっしゃいます。
でも、おなじ女優さんでも、なんか、顔が不自然な感じに若々しい方もいらっしゃいます。
まあ、どの女優さんにとっても美を保つには、相当な努力をされているのだと思いますが・・・その違いは何なんでしょうか?

正直に言えば、わたしも女性ですから年齢を重ねるにつれてお肌のお手入れも段々と時間がかかるようになってきました(;´∀`)

ですが、顔にしても体にしてもやはり唯心所現の真理の例外ではないと思うのです。

意地悪な人の顔は、なんとなく意地悪そうな顔つきになっていますし、
人の欠点ばかり探して悪口を言っている人は、いつも緊張していて近寄りがたい冷たさが顔にでてしまっています。

これは、生まれ持った顔の特徴ではなくて、後天的に造られた表情だと思うのですが、
この表情が悪いために、本当は美人なのに全然異性にモテなかったり、人生がうまくいかなかったりするのではないかと思います。

いつも相手の実相を観て、優しいまなざしを向けている人には、どんどん人が寄って来るのだと思います。

わたしは、今、楠本加美野先生のことを思い出しました。

御年92歳の加美野先生は実相を観る天才です。
だから、いつも女性にモテモテですよね!

わたしも、たとえおばあちゃんになってもみんなに気軽に声をかけてもらえるようなそんな和顔を目指したいです!

4443a hope:2014/10/07(火) 19:54:26 ID:cEpBaIdo

>>4440「 訊け」さま

ご登場お待ちしておりましたm(__)m
今回もまた、的を射た素晴らしいご投稿をしてくださり心から感謝いたします。

雅春先生の「更に聖胎長養のため宗教に専念せん」ですが、この御文章はとても奥深い内容だと感じています。

わたしも「訊け」さま同様に、雅春先生が政治運動を頑張ってきた信徒の心を気遣いながらも、
やはり宗教に政治を持ち込むとその純粋性が保たれないために信徒数が増えないという事実を認められ、
これからは真理のお勉強に専念して、魂を向上させるという本来の姿に戻りましょう、とおっしゃっているのだと感じました。


みなさま

これからテキストの内容は、どうしたら夫や妻の実相が輝き出て、家庭が光明化されるかという説明に入ります。

これは夫婦間だけにあてはまる真理ではなくて、すべての人に当てはまるとても重要な箇所なのではないかと思います。
わたしは、抜粋、謹写しながら進みますが、みなさまは是非テキストの全文を拝読してくだいね!

4444a hope:2014/10/08(水) 10:31:04 ID:cEpBaIdo

p87 8行目〜

・・・われらは良人の、妻の、欠点を見ないように、暗い方面を見ないようにしなければならないのであります。
肉体人間は「実相仏」ではないから、時にはつまずくことも、実相が蔽われて悪く見えることもあります。

しかしその悪さを実在であると思わないことです。
その悪さはやがて過ぎ去りゆくべきかりそめの迷いの雲だと思い、光り輝く善そのものの良人または妻の実相を観るように心がけよ。

たちまち、その悪さは消えゆきて本来「神の子」なる良人または妻の実相が出て、家庭は異常に光明化されることになるのであります。


良人または妻の善さはどれだけ深く信じてもよいのです。
信じて信じすぎるということはないのであります。
信ずれば信ずるだけ光を放つのです。

信じていたのに裏切られましたというのは嘘であります。
それは信じようが足らず、信じていても信じていることの言葉または態度での現しようが足らず、
信じていても相手の人格の自由をこちらの型にはめ縛ろうとした場合が多いのであります。

本当に相手の価値を信じていたならば相手をそんなに自分の型にはめようとはしなかったに違いありません。
自分の型にはめようとするのは、やはり、相手それ自身にまかせておいては何か善くないことが起こるに違いないと危惧するからであります。

危惧は信頼の足りなさの表現でありましょう。
本当に信頼していたならば相手を自由に放つ、放たないのは信頼がないからです。

伝書鳩でも信じているからこそ自由に放つのです。
良人を信じているといいながら、妻を信じているといいながら、鳩を放つほどにも良人または妻を自由に放たないならば、
その人の「信ずる」という心もよほどよい加減なものであります。
人の人格は、本来自由を好むものでありますから、自分の自由に縛ろうとするとき、
良人でも妻でも逃げて行くのであります。

4445a hope:2014/10/08(水) 10:33:36 ID:cEpBaIdo

>>4444 a hope所感)

ここに、『人格の自由』という言葉がでてきました。
たとえば、昨日の「訊け」さまとのお話にでてきた「宗教における政治活動」を取り上げて考えてみますと、
ある宗教が一政党を支持した場合、その宗教団体の信徒は、否応なしにその政党を支持しなければ運動が成立しません。
そうなった時に、ここで言われている『人格の自由』が保障されていないということになってしまうのです。

わたし自身が今現在、本流といわれている「学ぶ会さま」や「ときみつる會さま」に入信する気になれない大きな理由がそれです。

それは現教団にもいえることですけれど・・・

4446「訊」:2014/10/08(水) 16:22:12 ID:???



>>>たとえば、昨日の「訊け」さまとのお話にでてきた「宗教における政治活動」を取り上げて考えてみますと、ある宗教が一政党を支持した場合、その宗教団体の信徒は、否応なしにその政党を支持しなければ運動が成立しません。そうなった時に、ここで言われている『人格の自由』が保障されていないということになってしまうのです。<<<

 「いいとこ取りでOK」だと思いますがね。そして、それで「組織を辞めて!」な団体ならば、おさらばすればイイと思います。私はそんな感じですけれどもね・・・・・たとえば私ですが、こんな方々とは一緒に学びたくはナイのです。それは、

「天皇国日本こそ御教えの根本」

 と云われた上で、

「これを語らないのは生長の家ではナイ」


 など、妄言を吐かれる方々です。(※)そんな方々とは一緒に学びたくはナイですし、そしてたぶん、そんな団体は信条に反するような運動を、させられてしまうでしょう。(可能性として大の意味)ならば、御教えは学びつつも運動は拒否しますね。そして、「辞めろ!」と言われればサクっと、辞めますかね(笑)。

 話しがやや飛びますが、有難いことに雅春先生は「独習可能な環境を整備くださっておられ」ます。私なんかは組織がナクても、まったく困りませんけれどもね。・・・・・・・・「谷口雅春」先生の御著書だけでも、かなりの生長を自分に認めることが出来ました。加えて、聖典を読んでも〝それでも成果が出ない時期〟などは、「藤原敏之」先生が私に谷口哲学を補足説明くださいました。それでも押し寄せる自壊作用の波なんですが、その際は「榎本恵吾」先生から、実相は自働展開していくッ!そんなことをこれまた、補足説明賜りまして、さらには「吉田國太郎」先生が、往相精進の境を越えていく生き方をお示しくださいましたね。「服部仁朗」先生などはもっと、徹底した実相直視をお教えくださいましたし、「谷口清超」先生の紹介される体験談の数々は、御教えの効果を保証してくださるものでした。「徳久克己」先生のご講話は、営業車車中でいつも練成会を(大爆笑で)開催してくださり、私の精神状態を常に良化くださいます。「末井勉」先生や「平岡初枝」先生の御著書は、これまた他の御高弟にない聖典の読み方を紹介くださり、信仰生活のいろいろな場面(主に自壊作用)に好解釈を与えてくださいます。

 ・・・・・長々語りましたがこの様に、雅春先生は「独習可能な環境を整備くださっておられ」ます。事業環境の激化という環境に身を置きながら学んでいると、私なんかは、組織がナクてもまったく困りませんけれどもね。身に沁みて解ります、この、御教えの偉大さは。




<註>

※ 「天皇国日本こそ御教えの根本」など、妄言を吐かれる方々です。

 妄言である理由、それは、「生長の家は万教帰一」であり、「〝天皇国〟とは真理を語る際の切り口のひとつに過ぎないから」です。無論、それを(「天皇国日本」)根本教義だと個人が思うのは構わないと思います。けれども、「天皇以外の切り口を認めない!」とかなりますと最早、それは、谷口雅春先生の説かれた御教えとは「違ってくる」と思います。

4447「訊」:2014/10/09(木) 09:23:01 ID:???

>>a hopeさん

 「家庭の光明化」に関して、素晴らしい御文章を紹介します。さてこの、「家庭の光明化」に関してはたぶん今後、「相手を賛嘆すること」なんて話題が出てくると思うのですがこの件に関し・・・・・榎本恵吾先生が、素晴らしい御文章を寄せてくださっておられるのです。以下は、WEB榎本恵吾記念館からのコピペになりますが一緒に拝読しましょう。ここでは榎本先生が、「善くなるとか悪くなるとか、知ったことじゃない」と仰っておられるのですが、実に深い示唆がされているのです・・・・・・さて、人を誉めて家庭が光明化するとか、国家が光明化するとか「知ったことじゃない」、その真意とは?


(つづく)

4448「訊」:2014/10/09(木) 09:24:29 ID:???

>>4447文つづき

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

◆9.実行によって救われるのではない。救われ済みであるのを喜ぶこと
 
 ある奥さんが言われました。それは「わたしは生長の家にふれさせていただきましたので、子供を毎日、ほめることにしたのです。ところが学校に行きますと、担任の先生は反対に、子供の欠点を徹底的に摘出して、それをたたき直すという方針なんです。これでは却って子供にとっては不幸なのではないでしょうか。どちらかの一つにしてやらないと、却ってほかの子供よりも迷ってしまっているのではないかと思うんですが……」という意味のことでした。その時こちらは、“あなたの子供さんが幸福になられるか、なられないかは関係ないのです。人間が神の子であって、神そのものであって、そのままで完全円満ですばらしいのが真理であるから、ほめたたえているのであって、それは真理だからなのです。真理というものは、子供さんが幸福だとか、不幸だとか、そのように子供さんの都合によって曲げることが出来ないのです。ただただひたすら、「真理への道はただひとつ、人間はそのまま神の子である」ということだけなのです。ただただみ教えをいただいた私たちも、まっしぐらに真理を生きる、ひとすじの道があるのみなのです”と申し上げました。
 これと同じことなのですが、また別の人はこう申されました。それは三十歳くらいの練成員の方でした。「今日まで練成を受けさせていただきまして、生長の家のやっていることは将来大いに世界の平和のために役に立つことだ、ということを、よくわからせていただきました。私は今日で帰りますが、どうぞみなさん、しっかりやって下さい。」という意味のことでした。それでこう申し上げたのです。
 

(つづく)

4449「訊」:2014/10/09(木) 09:25:16 ID:???


 「生長の家の運動は、世界の平和に役立つかどうかということは知ったことではないんですよ。ただただ、人間は神の子であるということが真理であるから、ひたすらその道を説いているのであって、真理というものは、「世界の平和のために」という世界の都合で変えたり、曲げたりするという訳には行かないのです。それが宇宙のためにということでも同じことでありまして、「宇宙の平和のため」というように、宇宙の都合に合わせて真理を変更するということは出来ないのです。ただただ、真理は真理であるのみです。泥棒がやろうが、釈迦、キリストがやろうが、「1+1=2」なのであって、泥棒の場合は、1.5くらいにしておけというわけには行かない。「1+1=2」という数学的法則によって、原爆まで生まれて来るので、原爆は世界の平和に反するから、その真理を変更するという訳にも行かないのであります。
 真理はただ真理するという一つの道があるのみなのであります。また、真理というものは人間の力でつくり出すものではありません。それは久遠に久遠に、天地を貫いて生きているのでありますから、「吾が生くるは吾が力ならず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)」とも言うのです。あなたに賛成していただいたから生長の家の真理が存在するのでもなければ、あなたがお認めにならないから生長の家が存在しないのでもないのですね。」と申し上げたのであります。
 「釈迦、キリスト、尊師谷口雅春先生と、今日生長の家にふれたばかりの者と、同じ神の子であるということはないでしょう」と言われる方もいられるのですが、「神は完全であって、神のつくり給うた世界には不完全はない」というのが真理なのです。それは、人間の修行の度合というものによって、その真理を変更することは出来ないのです。百万年前からの暗でも、いま出来た暗も、光がともれば同時に消えます。それは光の前には暗は消えるのが真理、法則だからであります。暗は実に無いのが真理だからです。それを百万年前からの暗が、いま出来た暗に向って、「おれはこんなに長く暗をやつているんだから、いま出来たばかりの暗と同じ扱いをするのはけしからん」と言って、どんなに頑張ってみても意味をなさないのであります。それは真理によってそうあるのです。これを「七つの燈台の点燈者の神示」では、「疑わずにわが光りを受けよ」と録(しる)されているのであります。
 ここで私たちは、「ハイ」と言って自分がこの身このまま輝くものであることを素直に受けるのです。「素直にハイ」を実行するのはここであります。よく講師が「話だけ聴いても駄目だ。実行しなければ駄目だ」と言われることがありますが、これは“実行”という救われるための一つの修行科目があるのではないのです。それは、“この身このまま救われていることを素直に喜ぶということを実行せよ”ということなのです。実行ということによって救われるのではないのです。救われずみであることを喜ぶのです。「実行」の実は「実相」の実であり、それは神であり、光りであるのです。神・實相・光りには人間の努力、修行の成績というものの助けはいらないのです。神がそのすべてをふりそそいで吾々を生かして下さるための条件はいらないのです。

4450「訊」:2014/10/09(木) 09:25:56 ID:???


「今すべての病人は起つことが出来る」と録(しる)されているのは、実に神の無条件の生かす力が言い現わされているのです。“今”とは、このまま、そのままであって、これから何らかの時間を経ての人間の努力の結果ということではないのです。“今”ということは“既に”ということであります。“すべての病人”とは、生長の家に入っているものも、入っていないものもということであります。山を見ても、川を見ても、草木を見ても、それがどれだけ生長の家を熱心にやっているかどうかということはナンセンスであります。釈迦は「山川草木国土悉皆成佛(さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ)」と言ったのです。そのように、天地一切のものは生長の家であるというのが「今、すべての病人は起つことが出来るのである」ということであります。
 これが生長の家の大宣言であります。普通は、「他の教えを熱心にやる必要はないが、この教えだけは熱心にやる必要がある」ということになってしまうのです。それを生長の家では、天地一切のものはすでにすでに、この教えにふれているものもいないものも神であり、生長の家そのものであります、「ありがとうございます」と拝んでいるのであります。この天地一切拝みの教えが生長の家です。ですから、聖なる無我の輝きがそこにあるのです。「おれが救ってやる」というようなものではないのです。教えもそうなら、ご本もそうなのです。「これを読まなければ救われんぞ」というのではないのです。「この本をお読みにならなくとも、そのままで完全であることを拝ませていただくために、この本があるのです。」と本が無我となっているから、「聖典」と拝まれるのです。『生命の實相』には「物質無し」と書かれておりまして、それは本自身が“私は無いのです”と自我を完全に死に切っているのです。こんな尊い本に私たちは日々ふれているのであります。ですから私たちも、ただただ、ひたすらに拝み、讃嘆していく一すじなのであります。

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4451a hope:2014/10/09(木) 11:23:18 ID:cEpBaIdo

>>4446「訊」さま

すばらしいアドバイスをありがとうございます!

<<有難いことに雅春先生は「独習可能な環境を整備くださっておられ」ます。>>

本当ですね。
ありがたくて涙がでそうです。

その後ご紹介の、「藤原敏之」先生「榎本恵吾」先生「吉田國太郎」先生「徳久克己」先生
「末井勉」先生、「平岡初枝」先生などという愛弟子といわれるような先生方の御本からも
わたしたちはいくらでも「生長の家」の教えを学ぶことができるのですから、組織などに所属しなくても全然大丈夫ですね。

ですが、真理を共に学んだり、語ったりする仲間が全くいないというのも寂しいものです。
だから、わたしと同じようにどこの組織にも所属せず独学で学んでいる「訊」さまの存在はわたしにとってとても大きいです。
無理なさらない程度でいいので、これからもweb誌友会にご参加よろしくお願いいたします。

ところで、話題は『天皇国日本』のことに移りますが・・・
「天皇国日本こそ御教えの根本」そして「これを語らないのは生長の家ではナイ」などといわれてしまったら、
わたしも完全にひいてしまいます(;’∀’)

今までわたしもそれなりにお勉強してきたので、日本の天皇制度の素晴らしさは理解しているつもりなんですが、
時代が変わってしまったわけですから、今現在そのことを前面にだして運動してしまうと、
「訊」さまやわたしのような拒絶反応を示す人がほとんどではないかと思われます。


―――――――――

※ 「天皇国日本こそ御教えの根本」など、妄言を吐かれる方々です。

 妄言である理由、それは、「生長の家は万教帰一」であり、「〝天皇国〟とは真理を語る際の切り口のひとつに過ぎないから」です。無論、それを(「天皇国日本」)根本教義だと個人が思うのは構わないと思います。けれども、「天皇以外の切り口を認めない!」とかなりますと最早、それは、谷口雅春先生の説かれた御教えとは「違ってくる」と思います。

――――――――

この「訊」さまのご意見にわたしも賛同させていただきます。

たとえ、天皇信仰が万教帰一の頂点に立つ教えであったとしても、天皇信仰を持つ日本人に対しては説得力があると思いますが、
そうでない人たち(特に外国人や左翼の方がた)には残念ながら全く説得力はないと思うのです。
むしろ、反論されてしまい、それこそ「大調和の教え」に反する「対立」を起してしまうのではないでしょうか?

それに「生長の家」の教義の基本聖典である「生命の實相」には、「天皇国日本こそ御教えの根本」などということはまったく書かれていませんよね。

4452「訊」:2014/10/09(木) 11:36:17 ID:???

>>>それに「生長の家」の教義の基本聖典である「生命の實相」には、「天皇国日本こそ御教えの根本」などということはまったく書かれていませんよね。<<<

 その通りです。根本教義は天皇ではなく、「それは切り口に過ぎず」、実相なんですよね・・・・根本って。

 で、「永遠のキリスト」から実相を語ってもいいし、「仏性」から実相を語ってもいい、それが「雅春先生の偉大さ」ですよね。「久遠の今」という切り口もありますし「観世音菩薩」もありますが、天皇国日本って・・・・・・・御著書にもある通り、これは、方便・対機説法に於ける切り口のひとつです。実相を語るに於いて「天皇を外したらイケナイ」とか、言っておられる方あらば、「それは間違い」ってモンですよね。

 で、こんな書き方をすると、いやつまり、「天皇とは真理を語る切り口のひとつ」なんて言うと、不敬だ!とか、そんなことを書きたがる方もおられます。もう、こういう光景が残念・・・・・・・・断言しますがその方は、「天皇を解しておられない」ですしまして、雅春先生の愛国書なんて「読んでもおられない」と観ますね。

 ・・・・・・そんな方々と勉強しても、もはや、「迷いの淵を彷徨うダケ」です(笑)。WEBを通じてトキさんみたいな方と勉強していくのが、精神衛生上は◎だと感じてます。




4453秋だけど春:2014/10/09(木) 20:33:22 ID:VCnID1c2
>>「天皇国日本こそ御教えの根本」

 と云われた上で、

「これを語らないのは生長の家ではナイ」


 など、妄言を吐かれる方々です。(※)そんな方々とは一緒に学びたくはナイですし、<<

監督、ものすごーーーく、残念に思います。


 監督は、本流と色んな事があって、毛嫌いしている事もあるのでしょうが、監督自身も、相手を神の子さんとして拝む気持ちになれれば、
また、違った面が見えてくるのかとし思いますし、直にあってないからこそ増える不信感みたいのも、あると思いますよ。

4454秋だけど春:2014/10/09(木) 20:39:39 ID:VCnID1c2
 私は神道から生長の家に入ったので。すんなり理解しましたし、当たり前の事を言っていると思っています。
ただ、雅春先生命みたいには、なれません。
私は、御皇室と靖国神社の英霊様が一番だから、です。
 
 監督、葦津珍彦先生の御著書は、読まれましたか?

4455秋だけど春:2014/10/09(木) 20:46:36 ID:VCnID1c2
>>実相を語るに於いて「天皇を外したらイケナイ」とか、言っておられる方あらば、「それは間違い」ってモンで
すよね<<

完璧に、違います。


日本国の実相顕現は、天皇国日本であることです。


以前に紹介した、信徒用の、よまれていないでしょう?

4456秋だけど春:2014/10/09(木) 21:56:04 ID:R/XQXrSM
 a hopeさんにもお願い致します。

両陛下がおおわしますことで、日本の国民のだれ一人として、救われない者はいないということ。


 生長の家にはげまれるのであればなおのこと、聖上に感謝することの意味、ここをもっと、勉強して下さい。


両陛下は、日本の最前線にお立ちになり。日本の外交にも御精力頂いています。


祖国と日本とか、少し 、ご覧になるといいと思います。


御自分たちのためでなく、御皇室の為にお役にたつたちばにあるのが、国民でから。

敗戦の責任も、国民が陛下にお詫び申し上げる立場であると言うことを、
御理解いただきたいと思います。

4457 不生の仏心:2014/10/09(木) 23:56:22 ID:zTvAOV2w
>>4451
>>「生長の家」の教義の基本聖典である「生命の實相」には、「天皇国日本こそ御教えの根本」などということはまったく書かれていませんよね。

●世界の国境抹消運動の、もう一つは、日本より始まっている大日本世界国運動であります。世界各国の国境を消し去って、全世界にひろがる唯一つの大い
なる大日本国を建設しようとする運動であります。これは天照大神の下し給える『豊葦原の瑞穂の國は代々吾が子孫の王たるべき地なり』との御神敕以来、

着々として霊界から其の歩みを進めている運動でありまして、単に資本主義組織に対する反動として、近頃に起こって来たやうな根底の浅いものではない
のであります。だから、この運動には全世界が一国でなければならないと云う、古今を通じて誤らざる真理と、全世界には中心が唯一つだけあるべきだという

天地一切の事物に通ずる真理とが、完備しているのであります。『瑞穂の國』と申しますと・・略・・現実の國、世界全体を云ったものであります。
世界全体は大日本天皇陛下の代代王たるべき地であると云ふことは、天照大御神の御神敕以来定まっていますので、それがまだ実現しないでいるのは

準備時代であるからであります。・・略・・日本の皇位は、天祖の詔勅によって連綿としてつづくべき宇宙意志によって定められていますから、・・略・・
大国主命(世界各国分立主義)はみづから進んで国土を天孫に奉還しない。そこには全人類の幸福のために大日本世界国家を造るべく国境抹消運動として

武力行使が已むを得ず必要になって来るのでありまして満州等へ日本が兵を用いているのもその運動の一端であります。・・略・・
衣の相からでも日本人は世界統一の使命を持っているのであります。・・略・・世界を統一統治する使命を有った民族だと云ふことができるのであります。

●以上の引用は『大生長の家』に就ての神示の後に、第一章「中心(すめろぎ)に帰一する道」として、第二章「生長の家より観たる創世記」、
第三章「生長の家より観たる法華経」の前に聖典に載っていたものです。

今は第十二巻万教帰一篇第四章にちょろっと書かれているのみです。ここに書かれていることは『真理』なのでしょうか、
はたまた「対機説法」であり一つの切り口なのでしょうか?時代とともに『日本民族の使命』も変わるのでしょうか。

4458 不生の仏心:2014/10/10(金) 00:39:40 ID:zTvAOV2w
又こんなことも書かれている

新年、目が覚めたら、まず口を漱ぎ顔を浄め、四方を拝し心を悉く浄めてから、天皇陛下を拝み(おろがみ)まつれ。
みたみわれの悦びが沸々と心の中に沸り(たぎり)たつて来るであろう。
真に拝まないと本当のことは分からない・・略・・
何と云っても吾々日本に日本には、天皇陛下がいらせられることは有難い極みである。  「生長の家誌巻頭言」より

『真に拝まないと本当のことは分からない』 『天皇陛下がいらせられることは有難い極みである。』これも対機説法なのかな?

4459「訊」:2014/10/10(金) 05:57:01 ID:???


>>秋だけど春さま

 いやたぶん、当方の真意を誤解されておられます。わたしはなにも、聖上への軽視を以て「=御教え」とか、そんな風に考えているのではナイのです。再度掲載致しますが当方の真意とは以下文でして、

―――――――――

※ 「天皇国日本こそ御教えの根本」など、妄言を吐かれる方々です。

 妄言である理由、それは、「生長の家は万教帰一」であり、「〝天皇国〟とは真理を語る際の切り口のひとつに過ぎないから」です。無論、それを(「天皇国日本」)根本教義だと個人が思うのは構わないと思います。けれども、「天皇以外の切り口を認めない!」とかなりますと最早、それは、谷口雅春先生の説かれた御教えとは「違ってくる」と思います。

――――――――


 ・・・・・ご確認頂きたいのは「妄言」の意味です。そして、その妄言とは「それだけ!な方々」とお伝えすれば、よいのかもしれません。

 さて、妄言とは以下のような事を指すのでありますけれどもたとえば、「天皇国日本以外、実相を語る切り口はナイ!」とか申されて、そして、「天皇以外の切り口から実相を語る者は、生長の家ではナイ!」などと申される方々、その発言内容を指します。さらにそして、上記文中で触れた如く「個人としてそう信じる方」があるのは当方、別に問題とはしておりません。「天皇=御教えの根本」と個人的に思うのは、構わないと思うのですが、問題だと思うのは「天皇以外の切り口を認めない!」種の発言です。これを問題としておりまして、「妄言」と表した次第です。

 ・・・・ですので、皇室軽視とかの、そんな問題とは別種です。(当方はそう感じておりますが)



4460「訊」:2014/10/10(金) 09:25:33 ID:???


>>4459の補足

 この、>>4459当方主張をまとめれば、

・ 「天皇こそが根本教義だと〝個人的に〟信ずる」・・・・・○(妄言ではない)
・ 「天皇以外の切り口から真理は語れない」・・・・・×(妄言である)

 という感じです。たぶんこれで、間違ってはいないと思いますがいかがでしょう。

 さて、雅春先生の説かれた御教えとは、「玄関はどうでもイイから早く奥座敷に入りなさい」と云うものでありました。そして、「玄関」とはたとえば、「実相を把握する際の入り口」を意味するのでありまして、これには「永遠のキリスト」であるとか「釈迦牟尼如来」であるとか、あるいは、「久遠の今」であるとか「住吉大神」であるとか、「観世音菩薩」であるとか・・・・・・まあ、ありとあらゆる「玄関」、すなわち、「真理に入っていくにあたっての入り口が用意されている」わけです。これが雅春先生の哲学の「一大特徴」なのでありますが要するに、実相を把握するのが目的(=奥座敷)なのでありますからなにも、「入り口の部分で宗教同士が争うことはナイではないか」なのです。

 ・・・・・で、「天皇国日本」もその、玄関のひとつです。奥座敷ではナイのです・・・・・ここが、重要だと思います。

 ・・・・・・ところで「個人的に信ずるのは構わない」の件ですが、たとえば、生長の家に学んだキリスト者が生長の家を、「キリストこそが根本教義」と解する自由があるように、「天皇こそが根本教義」と解する自由は個人には、ありましょう。しかしながら以下も重要なのですが、問題が生ずるとすれば、「玄関と奥座敷の取り違い」です。詳しく述べますが、まあ・・・・

 ・・・・・・玄関に過ぎない「キリスト」「天皇」を「奥座敷だとカンチガイ」されますと、これは問題だと思います。こんな感じですとたとえば「釈迦牟尼如来から実相を把握しようとしている人たち」が、背教に見えましょう。これは、問題です。個人的に「天皇=根本」と信じるのは構わないにせよ、その、「天皇国日本」という切り口以外にも奥座敷に上がる入り口は多々、用意されているわけでありますから、「天皇に触れていない!天皇に触れずに実相を語るな!」なんて言葉はやはり、おかしいと考えます。まあ、当方主張はザックリと言えば、こんな感じでございまして決して、皇室の軽視ではナイのです。その辺が伝われば幸甚ではありますが・・・



4461a hope:2014/10/10(金) 09:51:04 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p90 8行目〜

われらすべての人間の実相は「神の子」であり、「仏子」であり、どれほど讃嘆し合っても言い顕すことができない善美の真(まこと)を備えているのであります。

そう思って人間を観よ、良人を観よ、妻を観よ、両親を観よ、子を観よ。

そう努めとき、その善さはしだいにハッキリ見えてくるでありましょう。

相対する人間が変貌し、家庭が変貌し、全世界が変貌し、全世界のすべてがその人の前で光り輝いて見えてくるでありましょう。

なんというそれは愉快なことでありましょう。

悪しきことのいっさいは姿を消して、光り輝く実相のみが見えてくるのであります。


われわれがいっさいのもの、いっさいの人間の、実相を観る心の眼が慣らされてくるときは、
立ち向かう世界が美しく輝く世界に変貌してくるばかりでなく、自分自身が、根本的に変わってくるのであります。

自分が偉(おお)きくなり、寛(ひろ)くなり、裕(ゆたか)になり、悠々(ゆうゆう)となり――自分自身の実相がでてくるのであります。

世界で最大の人物とはどんな人物であるかといってみるならば、いっさいのもの、いっさいの人間の、実相を観る眼を開いた人のことであります。

釈迦は実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであり、キリストも実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであります。

(つづく)

4462a hope:2014/10/10(金) 09:52:15 ID:cEpBaIdo

>>4461 a hope所感)

>>4447~ 「訊」さま 素晴らしい榎本恵吾先生のご文章を紹介くださりありがとうございます。

そして、

<<榎本先生が、「善くなるとか悪くなるとか、知ったことじゃない」と仰っておられるのですが、実に深い示唆がされているのです・・・・・・さて、人を誉めて家庭が光明化するとか、国家が光明化するとか「知ったことじゃない」、その真意とは?>>

とのご公案ですが、榎本恵吾先生は 「実相」しか見つめていらっしゃらなかったからそのようなお答えをされたのだとわたしは思いました。

だって、『善くなるとか悪くなるとか』、『人を誉めて家庭が光明化するとか、国家が光明化するとか』というお話は、すべて現象世界のお話で、
実相世界は「善一元」「光明一元」ですから、現象に見える「悪」や「光明化すべく不都合なこと」は「本来無い」ことですものね!

―――――――

○「真理への道はただひとつ、人間はそのまま神の子である」
○「神は完全であって、神のつくり給うた世界には不完全はない」というのが真理なのです。
○ここで私たちは、「ハイ」と言って自分がこの身このまま輝くものであることを素直に受けるのです。「素直にハイ」を実行するのはここであります。
○「実行」の実は「実相」の実であり、それは神であり、光りであるのです。神・實相・光りには人間の努力、修行の成績というものの助けはいらないのです。神がそのすべてをふりそそいで吾々を生かして下さるための条件はいらないのです。
―――――――


恵吾先生のご指導は、上に抜粋したように、心の法則である横の真理をほとんど説かれず「実相独在」に徹していらっしゃいました。

<<世界で最大の人物とはどんな人物であるかといってみるならば、いっさいのもの、いっさいの人間の、実相を観る眼を開いた人のことであります。
釈迦は実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであり、キリストも実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであります。>>

勿論、谷口雅春先生も、釈迦、キリストと同様、実相を観る眼を開いていた偉大な人物だったわけですが、
わたしは最後まで「実相独在」を貫かれた榎本恵吾先生も、またとても偉大な先生だったのではないかと感じています。

4463a hope:2014/10/10(金) 09:56:06 ID:cEpBaIdo

>>4435〜 春さま 

お久しぶりです。
今回は、web誌友会にご参加くださりとてもうれしいです。 

感謝 合掌。

>>4456では、わたしにご忠告、そしてアドバイスをいただきまして、心より感謝いたします。

天皇制度に関しては、自分が日本人でありながら、まだまだその真理を充分理解していないというのは自覚しています。

ですが、現代の日本で「生長の家の教え」を広めていくためには、まずは、「人間神の子」の真理から始めないと、
信徒の数も頭打ちしてしまうような気がするのです。

理由としては、>>4459 >>4460の「訊」さまのご意見にほぼ同じですが、さらに言わしていただけば、
「人格の自由」(選択の自由)が与えられない宗教団体には、カルトのにおいがしてしまうからです。

わたしは「生長の家」は「唯神実相」が基本真理で、その真理において「万教帰一」が成立していると信じているのです。

この根拠は、『神の真義とその理解』の中の一部である「昭和十五年四月九日午後一時より名古屋公會堂に於ける講演の速記」の文章です。

以前、復興Gさまが>>1082〜謹写してくださっています。

<<ところが生長の家は、教義と云っても生長の家独特の教義がないのであります。
ないと言うとおかしいけれども、生長の家は仏教の話もする、お釈迦様は斯う云うように被仰ったと言って、
仏教は斯う云うものであると言って話もする。
またキリスト教は斯う云うものである、耶蘇はこう被仰ったと言って話もする。
また金光教の教祖は斯う言われた、天理教祖は斯う言われた、日本の『古事記』には斯う書いてある、
老子には斯う云う事が書いてある、孔子は斯う被仰ったと云う風に、色々の教を一つにして説いて、
相手に随って自由無礙に方便自在の説教をしているのでありますから、
一定の生長の家の教と云い教義と云うたらどんなものだと言われると困るのでありまして、
生長の家独特の教義と云うようなものがないのであります。>>

これを拝読すると、やはり、天皇信仰というのは後付の方便だったのではないかと感じてしまいませんか?

ただ、「生長の家」が天皇国日本において生まれた宗教で、創始者の谷口雅春先生も当時は当然のように天皇を信仰をされていたという事実が、
とても重要な意味を持っているのではないか・・・と、わたしはそのあたりまでの理解にしか至っていません。

4464a hope:2014/10/10(金) 10:00:22 ID:cEpBaIdo

>>4457〜 仏心さま 

またまた、興味深い御文章を紹介くださりありがとうございます。合掌。
今日はこれから仕事なので、夜、ゆっくり拝見し、後日お返事させていただきますね。

4465秋だけど春:2014/10/10(金) 19:32:48 ID:K05YJkU6
訊け監督,a hope様 こんばんは。

監督の言いたい御真意、了解致しました。

a hope様、天皇国日本に生まれ、先祖&先輩と繋がった時の感動=日本人としての自覚、
これを私は30過ぎで得ました。
その時の感動や、運命の激変は、得難いものでした。

生長の家は、私にとっては、(正しい宗教は、国家鎮護=御皇室の安寧を祈願している)
日本国に対して恩返しが出来ない自分に絶望していた時に出会った
一つの(言い方は不遜ですが)ツールなんですよね。

生長の家が、国家に対して役に立たなくなって、会員数7万を切ったのも、時代の流れだし、
戦中・戦後の混乱期に発達したのも、時代の要請で。もとのような
会員数にはならないし、その必要が無いと思っています。
(各業界に、既に根を張っているから)

4466秋だけど春:2014/10/10(金) 19:41:38 ID:K05YJkU6
>>これを拝読すると、やはり、天皇信仰というのは後付の方便だったのではないかと感じてしまいませんか?<<

神示に、全て書かれていますよ。

4467秋だけど春:2014/10/10(金) 20:30:11 ID:K05YJkU6
 a hope様

私は女性的な人間ではないので、貴女のように、丁寧に相手に接する人は出来ませんが。
今日限られた時間でお話出来る事は、書かせていただきます。


 靖国神社と言うのは、何代か失念致しましたがある御代の陛下の為に
戦い、命を落とされた方の御霊を、今後も御皇室を護って頂く趣旨で
ある祠だか神社を立てられた。

 その流れが、靖国神社建立の意義で、上野の地は(幕末)血で穢れているから、
九段の(今の)位置が、定められたのだと聞いております。
死してなお、御霊になって、皇居をお守りされているのが、英霊様達です。

 a hope様に提示しようとしていた神示のお護り、無くなっていました。
必要でなくなったものは、自然に無くなるんですね、教えられたとおりだなあと、思いました。

 

いつか、天皇様の事を語り始めたら、涙が出てくる。。。

こんな日本人になっているa hope様を、期待して、御見守りしたいと思っています。



感謝  合掌

4468a hope:2014/10/11(土) 00:21:51 ID:cEpBaIdo

>>4457 仏心さま

<<●世界の国境抹消運動の、もう一つは、日本より始まっている大日本世界国運動であります。
世界各国の国境を消し去って、全世界にひろがる唯一つの大いなる大日本国を建設しようとする運動であります。>>


わたしは今回初めて『世界の国境抹消運動』という言葉と『大日本世界運動』という言葉を聞きました。
そしてその運動は、「着々として霊界から其の歩みを進めている運動」であり、
さらには「この運動には全世界が一国でなければならないと云う、古今を通じて誤らざる真理と、
全世界には中心が唯一つだけあるべきだという天地一切の事物に通ずる真理とが、完備している」とありますね。

とても興味深いです。

ですがこの件に関しましては、仏心さまが謹写してくださった文章からだけではその本当の文意が読み取れないので、

仏心さまの

<<ここに書かれていることは『真理』なのでしょうか、
はたまた「対機説法」であり一つの切り口なのでしょうか?時代とともに『日本民族の使命』も変わるのでしょうか。 >>

というご質問には、お答えすることはできません。

(つづく)

4469a hope:2014/10/11(土) 00:24:20 ID:cEpBaIdo

>>4468 つづき)

ですが、以前、やはり仏心さま(曳馬野さまでしたっけ?)とお話しているときに、偶然ですが、
「邁進日本の心と力」(昭和13年11月発行)の中に、頭注版「生命の實相」第13巻のオリジナル版とも言える文章を見つけました。
その内容でしたら、すべて拝読しましたのでお答えできます。


まずは、以下に「驀進日本の心と力」と頭注版「生命の實相」文章を比較してみた時の、
わたしの感想文を転載させていただきます。

――――――――――――
>>4097 より

これは、たぶん、曳馬野さまがさかんにおっしゃっている、戦前と戦後で聖典の内容が変わっているという、
事例の一つなのではないかと思うのですが・・・

昨晩、聖典引用板にまとめた、「生命の實相」第13巻のp170 後ろから3行目〜の「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」
の文章のオリジナル版とも言える文章を、「驀進日本の心と力」(昭和13年11月発行)の中に見つけたのです。
(わたしは、この聖典は以前ある方からPDFファイルの文書としていただき保存してあったのです。 感謝 合掌)

それどころか、今回のテキストである第13巻の今お勉強中の第六章「価値の本質」が、「驀進日本の心と力」の中では、
第1篇「日本精神の倫理」としてほぼ同じ内容で記載されていて驚きました。

まだ、全文をちゃんと確認したわけではないのですが、わたしの持っている「生命の實相」頭注版(昭和38年初版発行)にはない文章が含まれていたり、
表現もところどころ変わっているのです。

わたしが感じたところでは、【頭注版では】愛国を思わせるような表現はすべて違う言葉に換えられていて、
文章も愛国心や天皇に関するものは削除されているようです。

特に、昨晩お勉強していた、「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」【生命の實相13巻p170】のタイトルは、
「驀進日本の心と力」の中では「物質の否定・棄揚(きよう)・神国の肯定」となっているのです。

そして、そこには、日本神国、天皇に関する生長の家の倫理学的見解がかなり詳しく述べられていて、
わたしはその部分は、今日、もう何度か拝読しましたがとても興味深い内容でした。

「生長の家」が天皇信仰であるという根拠にもなるような御文章ですが、
ですが、現在出回っている「生命の實相」には、その御文章が削除されているのはなぜでしょうか?
頭注版「生命の實相」は、谷口雅春先生が直接編集に関わられていたのではないかと思うのですが・・・

―――――――――――
(つづく)

4470a hope:2014/10/11(土) 00:27:54 ID:cEpBaIdo

>>4469 つづき)

その後、志恩さまのご指導で、それが戦後の占領軍政策の言論統制への対象となってやむなく聖典から削除された御文章なのだとわかりました。

ですがその後何年かたって、言論の自由が認められた後も、雅春先生はその時削除された「愛国心や天皇に関する御文章」を聖典に戻されませんでした。

いったいそれは何故なのでしょうか?

その内容を拝読するとわたしはすべてが「真理である」と感じましたが、
同時に「時代の流れともに表現を変えていかなければ相手に通じなくなった『対機説法』だったんだな」とも思いました。

仏心さま、わたしはこの現象界で相手にコトバのよって「真理」を伝える方法は、『対機説法』(方便)以外ないと思うのです。


ですから仏心さまの最初のご質問、

<<ここに書かれていることは『真理』なのでしょうか、
はたまた「対機説法」であり一つの切り口なのでしょうか?>>

の関しては、どちらも「YES」が答えになります。

そして最後のご質問、

<<時代とともに『日本民族の使命』も変わるのでしょうか。>>

これに関しては「変わらない」と漠然と感じていますが、わたしは、まだ、その理由を説明できるまでに真理の理解が進んでいません。

4471a hope:2014/10/11(土) 10:13:24 ID:cEpBaIdo
>>4470 訂正
わたしはこの現象界で相手にコトバ【の】よって「真理」を伝える方法は、
                 ↓
わたしはこの現象界で相手にコトバ【に】よって「真理」を伝える方法は、

4472a hope:2014/10/11(土) 10:15:29 ID:cEpBaIdo

>>4465 〜 春さま

お返事をありがとうございます。合掌。

<<いつか、天皇様の事を語り始めたら、涙が出てくる。。。
こんな日本人になっているa hope様を、期待して、御見守りしたいと思っています。>>

わたしも日本人ですから、天皇信仰のことはもっともっとお勉強してその真理に感動して涙できるくらいになりたいと、心から思っています。

春さまが、わたしを見守って下さっていると思うとさらに意欲が湧いてきます。

春さま、また、いつでもお気軽にweb誌友会にご参加くださいね。

4473a hope:2014/10/11(土) 10:30:05 ID:cEpBaIdo

http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/26057265.html

「大和の国の神示」で検索していると、上のお方のブログがヒットしました。

ですがこの記事は今は閲覧不可になっている、「訊」さまのブログからの転載のようです。

もしかしたら、春さまがわたしにご教示してくださろうとしたのはこの神示だったのかもしれないと感じたので、
以下、転載させていただきお勉強させていただきます。 合掌。

4474a hope:2014/10/11(土) 10:31:07 ID:cEpBaIdo

大和の國の神示


われ再び大日本天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)と 云ふ意味について語らん。天孫降臨と云ふことは天の父のみこころが天降つて、天の下ことごとくが一つの光の世界になり、大和、平和の世界があらはれると云 ふ意味の象徴的表現である。日本民族が世界を治めるのでなく、『天孫』すなはち『天の父のみこころ』が全世界を治める時期が到ることである。これがイエス の『主の祈り』にある御心が既に成る世界の意味である。それが真の大日本世界國(ひかりあまねきせかいのくに)である。大日本世界國と云ふことを狭い意味に解して、日本民族の國だなどと考へるから誤解を生ずるのである。そんなものは、小日本であり、本當の大日本國ではない。天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来ることを「全世界五大洲の國土を『天孫』(てんのみこころ)に 御奉還申すべき時期が來る」と教へたのである。天孫とは肉體のことではない。「肉體は無い」と云ふことをあれほど教へてあるのに、やはり肉體のことだと思 つて執着が強いから大それた間違をして取返しがつかぬことになるのである。神からみればすべての人間は神の子であるから、特に日本民族のみを愛すると云ふ ことはない。あまり自惚れるから間違ふのである。大日本天津日嗣スメラミコトとは固有名詞ではない。理念の表現である。「大日本」すなわち「ひかりあまね き」、「天津」すなわち「天の父の」、「日嗣」すなわち「みこころを嗣ぎたまへる」、「スメラミコト」すなはち「天降りましたる帝王」と云ふ意味であるか ら、総じて譯せば「ひかりあまねき天の父のみこころを嗣ぎたまへる天降りましたる帝王」と云ふことである。天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平 和になる世界になれば、それが本當の大和の國である。それが本當の大日本天津日嗣すめらみことの治しめし給世界である。肉體のことではない。


(昭和二十一年一月六日朝の啓示による)

4475a hope:2014/10/11(土) 10:39:14 ID:cEpBaIdo
「大和の國の神示」講義

〔われ再び大日本天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)と云ふ意味について語らん。〕

 神示の冒頭に「われ再び・・・」と言われているのは、生長の家の草創期に天降った「久遠天上理想国実現の神示」(昭和七年五月二十七日)、「実相金剛身の神示」(昭和七年九月二日)、「梅の花の神示」(昭和八年一月六日)を通して、神は「日本国」と「天皇」の実相を明らかにされたが、大東亜戦争と、それに続く連合国の日本占領によって、日本国民の永続性と久遠性との自覚が破れ、国家大権と天皇大権が一時中断されたなかで再び「天皇」と「日本国」の実相を明らかにしようとされたからであります。

 さて、「天津日嗣」の〝天津〟とは、天津神すなわち「実相の神」のことでありますが、本源の神としては天之御中主神様を申し上げ、これが陰陽二つの働きに分れて見れば高御産巣日神(たかみむすびのかみ)様と神産巣日神(かみむすびのかみ)様の二柱の神様のことを申し上げているのであります。つぎに〝日嗣〟(ひつぎ)というのは〝日〟は即ち〝霊〟(ひ)であって「霊的理念」のことであります。従って「天津日嗣」とは、天之御中主神の中心帰一の原理であるところの「中」(みなか)の理念を承け継ぐということであります。つづいて「天孫降臨」と云うことでありますが、〝天孫〟の〝孫〟とは子のつぎの三代目になる孫といった意味ではなく、「天の御心」(理念)の真子(まこ)即ち「真実の子」(真実の具体化)という意味であります。ですから「神示」には、

〔天孫降臨と云ふことは天の父のみこころが天降つて、天の下ことごとくが一つの光の世界になり、大和、平和の世界があらはれると云ふ意味の象徴的表現である。〕

 と示されているのであります。つづいて「神示」には、

〔日本民族が世界を治めるのでなく、『天孫』すなはち『天の父のみこころ』が全世界を治める時期が到ることである。これがイエスの『主の祈り』にある御心が既に成る世界の意味である。〕

 と、示されているのであります。これはどういうことであるかと申しますと、天孫が天降ってきて、この世界を治めるということは、何も、肉体の孫がでてきて全世界を治めるということではないのであり、「天の父のみこころ」を受けた真(まこと)の子すなわち、皇孫尊(すめみまのみこと)によって全世界を治める時期が来るということであります。それは「御心の天になるが如く、地にもならせ給え」と祈れとイエス・キリストが言われたそれと同じ意味のことであります。
(つづく)

4476a hope:2014/10/11(土) 10:40:44 ID:cEpBaIdo
>>4475 つづき)

 「御心の天に成るが如く、地にもならせ給え」というのは、「神の御心が〝天〟即ち〝実相の世界〟に既に成就し実現しているのであるが、その如く〝地〟即ち〝現象世界〟にも実現し成就せしめ給え」という祈りであります。その「御心の天に成る」世界が大日本世界国であるというのであります。神示には「大日本世界国」と書いて、「ひかりあまねきせかいのくに」とふり仮名がつけられているのでありますが、漢字よりもこのふり仮名の方にもっと深い意味があるわけであります。即ち〝大日本〟とはひかりあまねき国であって、日本列島の如き小日本ではない。〝ひかりあまねきせかいのくに〟これが「大日本世界国」であるのであります。

 だから「大日本世界国」になることを、民族意識が昂揚(こうよう)して、日本民族が全世界を統一することだとそのように考えることは間違いなのであります。「大日本世界国」とはふり仮名でかいてある通り、「ひかりあまねきせかいのくに」であって、いわゆる黄色人種である日本民族の国というのは、小日本国である。本当の大日本国とはひかりの国であり、「ひかりあまねき」日本の国こそ大日本国である。それはすなわち「天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来る」ことだということであります。

 従って「神示」に示されてあるところの「全世界五大洲の國土を『天孫』(てんのみこころ)に御奉還申すべき時期が來る」という意味は、「天孫」すなわち「天の父のみこころ」が全世界を治める時期が到るということであり、またイエスの『主の祈り』にある「御心の既に成る世界」が地にもならしめられる時が来るということであり、それが真の「大日本世界国」即ち「ひかりあまねきせかいのくに」となるということなのであります。

4477a hope:2014/10/11(土) 10:42:09 ID:cEpBaIdo
>>4476 つづき)

〔大日本世界國と云ふことを狭い意味に解して、日本民族の國だなどと考へるから誤解を生ずるのである。そんなものは、小日本であり、本當の大日本國ではない。天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来ることを「全世界五大洲の國土を『天孫』(てんのみこころ)に御奉還申すべき時期が來る」と教へたのである。〕

 と「神示」に明瞭に示されている通りであります。そしてつぎに「天孫」とは「肉体ではない」ことが、はっきりと説かれるのであります。

 〔天孫とは肉體のことではない。「肉體は無い」と云ふことをあれほど教へてあるのに、やはり肉體のことだと思つて執着が強いから大それた間違をして取返しがつかぬことになるのである。神からみればすべての人間は神の子であるから、特に日本民族のみを愛すると云ふことはない。あまり自惚れるから間違ふのである。〕

 このように「天孫」とは「肉体ではない」ことがあきらかにされて、いよいよ「大日本天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)」の真の意味について神は語られているのであります。

〔大日本天津日嗣スメラミコトとは固有名詞ではない。理念の表現である。「大日本」すなわち「ひかりあまねき」、「天津」すなわち「天の父の」、「日嗣」すなわち「みこころを嗣ぎたまへる」、「スメラミコト」すなはち「天降りましたる帝王」と云ふ意味であるから、総じて譯せば「ひかりあまねき天の父のみこころを嗣ぎたまへる天降りましたる帝王」と云ふことである。天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平和になる世界になれば、それが本當の大和の國である。それが本當の大日本天津日嗣すめらみことの治しめし給世界である。肉體のことではない。〕

 かくの如く神示にはしめされているのであって、天之御中主神の御霊を嗣ぎ給うスメラミコトの治しめし給う世界が、これが本当の大和の国であり、それは「肉体のことではない」のであります。

4478a hope:2014/10/11(土) 10:43:25 ID:cEpBaIdo
>>4477 つづき)

さてこの「大和の国の神示」は、昭和二十一年一月一日に「天皇の人間宣言」と世にいわれる詔勅が渙発された五日後の一月六日の朝に掲示されたものであります。そして当時のことを回想すると、神武天皇の「八紘為宇」の建国の理想は世界を征服して一つに統一するという侵略主義であって、その軍閥の中枢を成しているのが天皇であるといった判断を連合国がもっていて、日本を裁くところの極東軍事裁判(東京裁判)において、天皇を戦争犯罪人として出廷せしめようとする強い動きがあるなかで、私はこの啓示を受けたのであります。従って占領軍の天皇への風当たりを避けしめるためその表現には配慮がなされているわけであります。私は、天皇さまを、實相を直視して全知全能の神の御現われであるというように今も考えているのであります。そしてアインシュタインがいみじくも言った如く世界連邦が成立し、誰をその連邦の神聖な中心にすべきであるかというと、さてこの「大和の国の神示」は、昭和二十一年一月一日に「天皇の人間宣言」と世にいわれる詔勅が渙発された五日後の一月六日の朝に掲示されたものであります。そして当時のことを回想すると、神武天皇の「八紘為宇」の建国の理想は世界を征服して一つに統一するという侵略主義であって、その軍閥の中枢を成しているのが天皇であるといった判断を連合国がもっていて、日本を裁くところの極東軍事裁判(東京裁判)において、天皇を戦争犯罪人として出廷せしめようとする強い動きがあるなかで、私はこの啓示を受けたのであります。従って占領軍の天皇への風当たりを避けしめるためその表現には配慮がなされているわけであります。私は、天皇さまを、實相を直視して全知全能の神の御現われであるというように今も考えているのであります。そしてアインシュタインがいみじくも言った如く世界連邦(※)が成立し、誰をその連邦の神聖な中心にすべきであるかというと、自然に日本天皇がその首座に推されるほかはないと信ずるものであります。

 「世界の未来は進むだけ進み、その間幾度びも争いは繰り返され、最後に戦さに疲れる時がくる。その時人類は必ず誠の平和を求めて世界的盟主をあげねばならぬ時が来る。この世界盟主なるものは、武力や金の力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた最も古く又尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならぬ。吾々は神に感謝する。天が吾々に日本という尊い国を作って置いてくれたことを。」(谷口雅春著書『秘められたる神示』170頁より)

『大和の国日本』29頁より謹写――

4479a hope:2014/10/11(土) 11:14:28 ID:cEpBaIdo

>>4478の文章に重複部分があるようですが、
文意は伝わると思いましたので、そのまま転載させていただきました。

4480 不生の仏心:2014/10/11(土) 21:02:24 ID:zTvAOV2w
>>「久遠天上理想国実現の神示」(昭和七年五月二十七日)、「実相金剛身の神示」(昭和七年九月二日)、「梅の花の神示」(昭和八年一月六日)を通して、神は「日本国」
と「天皇」の実相を明らかにされたが

と云われる三つの神示を普通に読めば私が引用したような戦前の雅春先生の解釈になるものと思います。
「大和の国の神示」が三個の神示と同じに読めますか?
生長の家は、雅春先生は『天皇』をどのようなものと説き、皇位にある『肉体天皇』はどのような方であると説いているのでしょうか?
私には神自身が戦前に云ったことを言い訳しているように聞こえます。

4481a hope:2014/10/12(日) 17:02:33 ID:cEpBaIdo
>>4461 つづき)

生命の實相 第14巻 p91 6行目〜

実相ばかりをみていたら、現象を視る犀利(さいり)な批評眼を盲(めいし)にしてしまい、
本当の現象界に処して善処する実際的知恵を失ってしまいはせぬであろうか。
われわれが世に処してゆく上には裏の暗黒面までも想像してそれに善処する方策を考えておかねばならぬと説く人もあります。
そういう小才のきいた処世人は一時は成功するにしても、しばらくにして人格から光を失ってしまい、
偉さを失ってしまい、多くの人々をリードする人格の力を失ってしまって、大成することはむずかしいのであります。

今どんな知恵者でも、人間の悪い方面、暗い方面ばかりを探し出して得意になっているようなことでは、
自分自身の人格が低卑となり、小さくなり陋(みにく)くなり、ついには自分自身の人格の光が消えてしまうこと、
良人の暗黒面ばかりを見ている細君がヒステリーで倒れてしまうと同じようになるのであります。

われわれはある場合、この世界に、家庭に、良人に、子供に、いろいろの悪が顕れるのを見ることもありましょう。
不完全が顕れているのを見ることもありましょう。
そしてその悪を正しい不完全を正していきたいと欲(おも)うでありましょう。

しかし自分自身が不完全であっては、何物をも何事をも本当に改善することはできないのであります。
環境はただ自身の展開であります。
自分がすべてのものの実相の善さを見る心になってこそ、環境の一切人を、一切事物をよく整えることができるのであります。

誰でも少しく心理学的研究をした人は、悪を征服するのに、悪の存在を認め、それと組み打ち戦うよりも、
「悪」はないとして、ただ「善」のみを心に浮かべてその念の催しのままに行き行為していったとき、
かえって善が実現するものだということを知っているのです。

良人が細君を叱り飛ばして、そのために細君がよくなったという例は稀であります。
良人と妻と、親と子とが、互い互いに彼らに、「悪はない」と信頼し、励まし、喜ばし、鼓舞してゆくようにすれば、
互いの信頼が反響し、増幅し、人格向上の実現的効果は著しくなるのであります。

(第六章、終わり)

4482a hope:2014/10/12(日) 17:03:42 ID:cEpBaIdo
>>4481 a hope所感)

<<しかし自分自身が不完全であっては、何物をも何事をも本当に改善することはできないのであります。
環境はただ自身の展開であります。
自分がすべてのものの実相の善さを見る心になってこそ、環境の一切人を、一切事物をよく整えることができるのであります。>>

これが、唯心所現の真理であって、この真理を体得した人が「一切者の自覚」を持った人物ということになるのだと思いました。


みなさま、 ここで「第六章 恋愛・結婚・夫婦生活の倫理 」が終わりましたので、
次からは「第七章 家庭の宗教生活化」に進みたいと思います。

気軽にご参加くださいね!

4483a hope:2014/10/12(日) 17:04:54 ID:cEpBaIdo

>>4480 仏心さま

今夜、三つの戦前に天下った神示と終戦直後に天下った神示である大和の国の神示をじっくり読み返してみますね。

4484a hope:2014/10/12(日) 17:11:50 ID:cEpBaIdo

掲示板をご覧のみなさま

実は、大熊先生も昨日のブログで『生長の家の斎神』に関してとても重要なご教示をしてくださっています。

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

以下に一部だけ、掲示板用に読みやすくするために改行を詰めて紹介させていただきます。合掌。

―――――――――
谷口雅春先生は、幽斎殿の斎神は、当初「天照大御神」「住吉大御神」「観世音菩薩」と思われていた。。
しかし「御心」を問われているうちに、霊感のある女性から来た手紙での指摘に「神意」を観られるのである。

そして、斎神を決定される。

「天照大御神様」
「塩椎大御神様」
「住吉大御神様」

御三神であると。

その意味は、「天照大御神」様の具現化としての「住吉大御神」様、「塩椎大御神」様であるが、
「塩椎大御神」様は、「御心」の具現であり、「御教え」であり「聖典」の象徴である。
「住吉大御神」は、その「御教え」を行動化(「浄化」澄み良し)する象徴であるのである。

しかして・・
3・11「東日本大震災」では、塩釜神社を祭祀する、宮城県を中心として「津波」の被害を受けたのであった。
聖典を象徴する海の神(産みの神)塩釜(塩椎大神)が、津波(流産児の涙)で・・冒されたのだ。

なんということであろう。

(つづく)

4485a hope:2014/10/12(日) 17:13:02 ID:cEpBaIdo
>>4484 つづき)

昭和60年5月24日。

最終講話で尊師は、私はもうお話しすることはない。
全て本に書いてあるから、読んでいただければいいのです。

とはっきり御遺言されたのでありました。

それを踏まえていうならば、生長の家的な、解釈であれば、
「御教え」である「聖典」の多くをおろそかに(読めなく)することそのものが真理隠蔽となるのであります。


そのことで必然、最初で最後谷口雅春先生が、神の御名で出された大号令。
「神命の書」さえも隠蔽されたのでありました。

(「神命の書」の写真)

幻の「神命の書」がいのちを守る奇蹟の事務所に届いた。。
ご覧になりたい方は事務所にお越しください。

そのことで・・「中絶」止まず、戦後総計、1億5千万人以上の「かわいい赤ちゃん」を無残に殺し続けた飽和点こそ、3・11ではなかったのか。

その深い意味が分かるのは・・谷口雅春先生から御教え(生命の實相・原理原則)と、
個人指導の根本となる、生命の法則(指導原理)(こうしたら、こうなる・・)を伝えられたからである。。

青天の霹靂どこではない。聖典の喪失である。
なんという皮肉。その直前に、教団から「聖典」は失われた。

自ら、社会事業団を「著作権問題」で訴えて、結果(最高裁で敗訴してしまったのだ)。

これからも裁判闘争が続くかもしれませんが、教団の勝訴は、まず、無理でありましょう。それは、失う前に捨ててしまった、その心の形の具現こそが「裁判」での「最高裁」の判決でありましょうから。
私はそのことを、一信徒として深く悲しむものであります。


[ただし例外としては「理念」たる大調和の精神を回復すれば聖典は戻るはず。
その方法・・メルクマール(目安)は、(1)住吉(澄み良し)の理念を回復し、
(2)尊皇の路線(完全平和)を回復し、(3)日の丸君が代を尊崇する精神(みすまる)を回復する事です。

そのことで、必然「聖典」は尊重されて、続々「再刊」「復刊」されるでありましょう。これぞ、塩槌の大神の復活であります。]

創始者谷口雅春先生の奥様であり、私たちの教えの母でもある「谷口輝子先生」は、裁判は生長の家に似合わない。
裁判というものは避けるべきものであると語られていたという事をよく聞きます。さすがであるな、と思ったものでした。

大調和こそ、御教えの根幹であるが、人間関係が「壊れたとき」に、和解ならぬ「裁判」があるわけで、
自ら裁判で訴えて負けるとは、生長の家史においては前代未聞。
当代では今後・・予想がつかないが(4代目以降も)、最低限の「モラル」がある限り、あり得ない事であろうと思う。

もし、このことが「恥ずかしい事」であるのなら、総裁先生おひとりの責任ではない。
私も信徒の末席にある者。信徒も含めた「生長の家」教団全員の全体責任であると思う。
聖典をおろそかにしている点。赤ちゃんを見殺しにし続けている点。

もうひとつ、畏れ多い事であるが、あえて言えば、「鎮護国家」外しは、生長の家出現の理念を根底から覆すものであったことに関して、
私は当時「講師」として宇治別格本山で末席にあったとはいえ、指導をさせていただいていた責任において私の責任を「懺悔」しなくてはならない。

御恩をいただいた多くの上司(谷口雅宣総裁先生)、先輩、同僚を含めて、限りない慈愛を戴き放しであり、
私も、この時期に「録を食んだ者」として・・安易に、批判できる立場にはない。

ただ、「鎮護国家」外しだけは、絶対にしてはならないことをしてしまったことを思う。

もし、違和感を感じないのであれば、それは「神の真義とその理解」(あるいは「生長の家30年史」・「40年史」・「50年史」)を読んでいないからだろう。

そこには、尊師(生長の家・生長の家大神)が「鎮護国家」のためにこそ、出現されたことの因縁が重ね重ね書かれてあるのだ。
生長の家の「悟り」と「神観」の全貌がそこに明記されているのである。

――――――――――

4486a hope:2014/10/12(日) 17:15:38 ID:cEpBaIdo

>>4484 >>4485 a hope 所感)

<<ただ、「鎮護国家」外しだけは、絶対にしてはならないことをしてしまったことを思う。
もし、違和感を感じないのであれば、それは「神の真義とその理解」(あるいは「生長の家30年史」・「40年史」・「50年史」)を読んでいないからだろう。>>

とありますが、正直に言えば、わたしは「鎮護国家」外しにほとんど違和感を感じませんでした。
鎮護国家という意味自体が全くわからなかったからです。(今もよくわかりませんが・・・)
大熊先生はその理由として、「神の真義とその理解」を読んでいないからだといわれています。

以前、一部を復興Gさまが謹写してくださったので、今、それも読み返そうかと思っています。
先日、春さまとのやり取りで少し紹介させていただきましたが、>>1081>>1090  そして >>1272>>1283  で拝読できます。

「生長の家の教え」は本当に深いですね。
でも、だからこそお勉強のし甲斐があるのですね!

4487神の子さん:2014/10/12(日) 23:37:14 ID:???
a hopeさま
>>(一) の方は榎本恵吾先生のご・主・張・で・は・な・い・のでです。

>>恵吾先生のご主張は、あくまも(二)であり、唯神実相、実相一元に徹し、貫かなければならない、とおっしゃっていますよね。


それなら了解です。よかった。実相独在、大好きです!!これをよくぞ知らせて下さった。雅春先生!って
つくづく思いますものね!これが知らなかったら、生きていけるのか?ですもの!

巷(ちまた)は 大概 ☆心の法則☆ が真理であったりするんですね。斎藤一人とか。

神人合一をめざすヨガや気功教室でさえも ☆物質有り☆。の考え方でしたからね。

 話、それて ごめんなさい。  では、

4488a hope:2014/10/13(月) 18:14:49 ID:cEpBaIdo

>>4487神の子さん

わかっていただけて、ホッとしました(*^-^*)

唯心所現や業の流転等の「心の法則」(横の真理)は生長の家でも対機説法(方便)として説くと思いますが、
それらは現象世界(霊界も含む)のことなので、「実装独在」の立場から言えば、「本来無い」ことなんですよね!

でも、現象世界があると思ってそれに捉われて苦しんでいる人に、
いきなり「実相独在」や「人間神の子(唯神実相)」の縦の真理を説いてもわからないから、
ふつうは対機説法(方便)として「心の法則」から説いていき、
最後に「そんなことはすべて現象世界のことであって、本当は病なし・迷いなし・罪なしなんですよ」って
「実相独在」「唯神実相」を説くのだと思います。

ですが、榎本恵吾先生は、心の法則はほとんど説かず、「実相独在」「人間神の子」の大乗を貫かれたのだと思います。

だかた、わたしは、恵吾先生はホントにすごい先生だったんだなって思っています。


トキさま、訊けさま 「生長の家」のみなさま わたしの上の説明に間違いがあればどうかご指摘をお願いします。

4489神の子さん:2014/10/13(月) 22:15:36 ID:pBuxGS.6
a hopeさん  レス ありがとぉ。

あなたの言うので合ってると思いますよ。

実相独在は難しいですものね。でも自分が「うわっ幸せ!」って感じるときは実相独在が

ちょっとでも解った時なんですよ。(大した解り具合じゃないですけど)もう既に今、神の子なんですものね。

すごい教えに出会えましたよね。横の真理ぽっちしか知らなかったらどうなってたでしょう。

心なんか自由にならないから、却って苦しんだでしょうねぇ。

色々、とりとめのない事を言って申し訳ありませんでした。

4490a hope:2014/10/13(月) 23:49:55 ID:cEpBaIdo

>>4489 神の子さん 

もしかして、神の子さんはるんるんさまなの?

わたしは、最近「うわっ幸せ」って感じること、すごく多くなってきていますよ。

栗の渋皮煮が上手にできて、主人がおいしそうに食べてくれたときとか・・・
子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきたりしたときとか・・・

ホントに大したことじゃないんですけどね。
家族が幸せそうな時に、わたしも「あー幸せ!」ってよく感じます。

「生長の家の教え」は家庭生活に生きてこそ本物ですよね。

ところで現在のweb誌友会のテキストの内容は「第七章 家庭の宗教生活化」です。

よろしかったら、またいつでもご参加くださいね!

4491a hope:2014/10/14(火) 20:59:12 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p94 6行目〜

十月十八日の朝のことであった。
ラジオの聖典講義であまりにも有名になられた某僧侶さんの聖典講義に敬意を表して、
唯声だけでもよいと思ってきいてみたが、あとにも先にもそれがわたしのその某僧侶の講義をきいた唯一回でありましたが、
その僧侶のいわれるには「本当の自分というものがこんなに醜く穢れた自分であるということを悟るのが宗教である」
と声を激していわれたのにはわたしは思わずラジオのスイッチを切ってしまったのでありました。

わたしにいわせれば、本当の自分というものは真清浄真無垢である。
それは神と同体、阿弥陀仏と同体であるのであります。
それが一時醜く穢れたる相(すがた)に見えようとも、それは本当の相ではないのである。

それは「非存在(にせもの)の我」の仮の相である――そんな醜い相は、アルように見えているにしても、
それは本当にあるものではない――本当の自分が根本からそんなに醜く穢れたものであるならば、
本物がそんなに下らないものであるならば、われわれは未来永劫救われっこはないのであります。
本当の自分が真清浄真無垢なるものであればこそ、そこにこそわれわれの救いが成立するのであります。

わたしは断言いたしますが、本当の自分は醜く穢れたものであると知ることが宗教ではありません。
どんなに外見が醜く見えようとも本当の自分は『法華経』の言葉を藉(か)りていえば窮子(まずしきこ)ではない、
無限長者の跡継ぎである、言いかえれば、神の子であるということを知らせるのが宗教なのである。

その宗教とはわれらの哲学や学説ではない、「われ神の子」の自覚がただちに生活となり、そのままが家庭となることであります。

(つづく)

4492a hope:2014/10/14(火) 21:10:04 ID:cEpBaIdo

>>4491 a hope所感)

わたしは、朝の家事の時やウォーキングの時など、出来るだけ、
谷口雅春先生や徳久克己先生榎本恵吾先生などの講話を拝聴するようにしています。

忙しく動いたりしていると、その内容なんかはよく把握していない場合もありますが、
それでも聞き流しているだけで不思議と心が落ち着いてきて、探し物が見つかったり、
忘れていたことを思い出したりと不思議にまわりの環境が整ってきます。

真理を体得されている人のお話は、ただ聞き流しているだけでも良い波動が伝わってきて、
自分も良い波動を出せるようになるのではないかと感じています。


<<・・・神の子であるということを知らせるのが宗教なのである。
その宗教とはわれらの哲学や学説ではない、「われ神の子」の自覚がただちに生活となり、
そのままが家庭となることであります。>>

どんなによい宗教(教え)であっても、それを信仰しているという人たちが、
その「聖典」をめぐって裁判をして争っていて、「大調和の教え」なのに和解する努力もせず、
相手の欠点を指摘し合って、批判ばかりしているような状態を見たら、、
いったい誰がその「教え」を心から信頼してくれるというのでしょう。

みなさまは、
『わたしは「生長の家の教え」を信仰しています!素晴らしい教えなんです。』
と誰にでも胸を張って言えますか?

4493トキ:2014/10/14(火) 21:55:19 ID:ChYKfF4M
>>4492

 これは、講師とか幹部という人が自戒すべき点ですね。

 谷口雅春先生は、「静思集」で、”先生と言われる事は、危ない事である”
と書かれていますが、先生、先生と言われると、いつか自己を見失う事があ
ります。初心に還る、基本を大事にする事こそ、先生と言われる人に大切な
のですね。

 ちなみに、私は”先生”と言われる人ではありませんが、謙虚でないので、
反省をしております。

4494a hope:2014/10/15(水) 20:35:03 ID:cEpBaIdo
>>4491 つづき)

生命の實相 第14巻 p95 7行目〜

自分自身を醜いつまらない人間だと見る人は、また他の人をば醜いつまらない人だと見る人であります。
人は自分のとおりのものを相手に移入して、相手のうちに自分自身の影を発見するのであります。

家庭の中にあって本当の自分はつまらないと思う人があるならば、その人は他の家族に対しても、
本当の貴様は実に醜くつまらないと見る人なのです。
「あんなことをいっていても本当の貴様の腹の中は実に醜く穢(きたな)いものであるぞ」
こんな考えを持ってすべての家族に対するならば、その人の家庭の空気は必ずや窒息するように暗くなってくるのであります。

だから、妻に対してその「本当の彼女」を見るということは、
彼女の腹を割ってみたら出て来るであろうところの醜い穢らしさを見ることではなく、
その神の子なる完全なる実相を見ることなのであります。
良人に対してその「本当の彼」を見るということは、
彼の腹を割ってみたら出て来るであろうところの醜い穢(よご)れた内心を暴露することではない。

たとい、醜い穢れた内心があるように見えてさえも、それは本当の彼ではない仮相であるとして、
その仮相の奥に神の子たる十全の真の良人を見ることであります。
これが真の宗教であり、宗教が家庭に生きることなのであります。
たとい今の現われはどうあろうとも妻は良人の完全なる実相を見、良人は妻の完全なる実相を見、
親は子の完全なる実相を見るところに完全円満幸福なる家庭が出現するのであります。


理論ばかりでは、それが実際生活にどういうふうにあらわれて来るものであるかについて、
明らかな概念が得られないでありましょうから、
ここには、その一、二の実例をあげて説明することに致しましょう。

4495a hope:2014/10/15(水) 20:39:36 ID:cEpBaIdo

>>4494 a hope 所感)

この後、奥様が、酒のみで外泊ばかりする良人の実相を観て、愛し、敬し、信頼することで、
「世の中で一番悪い良人だと思われていた良人が、今では世の中にこんなに善い良人が
他にもう一人あろうものかと思われるほどによい良人になりました」というくらいに良い良人に変身させた実例と、

喧嘩好きで勉強嫌いでおまけに家庭内暴力をふるい家出までしようとしている中学二年生の息子を、
お父さんがその仮相を見ないで、実相の、善良なる神の子なる息子を見るようにしたことで、
息子のご機嫌が直り、家でも中止し、親思いのやさしい息子に変身させたという実例が紹介されています。


わたしは、この二つの実例への雅春先生の指導を拝見していて感じたのですが、
本当に相手の実相を顕現させるためには、いくら神想観をして完全円満な「神の子」イメージを浮かべ祈ってみても、
一方でその相手に対して悪感情をもっているようでは効果はないのではないかと思いました。

p98の2行目に、

<<この奥さまはわたしの忠言に従って、今まで良人の仮相(かりのすがた)を見て軽蔑していた念を捨てられ、
良人の実相を観て、愛し、敬し、信頼することにせられたのです。>>

とあるようにこの奥さまは、まずは『良人への軽蔑の念』つまり良人に対する悪感情を払拭されてから、
良人に対して、心からの愛と尊敬と信頼という良い感情を起こされました。

また、

p100の4行目に

<<学校の先生も、家庭の皆さんも、この子供は始末におえぬ不良少年だと思っているから、
その思っている念がそのお子さんに反映して、本来神の子なる善良なお子さんを悪く見せているのですから、
今日からそのお子さんを始末に終えぬ不良少年だなどと思わぬようにしなさい。>>

とあるように、雅春先生は、周りの人たちの「その子供は不良少年だ」と思い込んでいる悪念(悪感情)がその子に伝わり、
その子を不良少年にしているのだから、その念(悪感情)を変えるようにご指導されています。

本当の意味で「実相を観る」とは、ただ神想観をして相手の完全円満なイメージを脳裏に浮かべるだけではなく、
自分自身の相手に対する悪念(悪感情)を払拭し、愛・尊敬・信頼等の良い感情を起すことなのだと思いました。

そうすると、その良い念(波動)が相手に伝わり、相手も良く変わるのではないかと・・・。
それが、「自分が変われば世界が変わる」という本当に意味なのではないかと・・・。

そう考えてくると、何年も相手の実相を祈っていても相手がよくならないというのは、相手が悪いのではなくて、
自分自身に実相を観る力(自分の感情をコントロールする力)がないからなのではないかと今、漠然と感じています。

つまりは、自分自身の悪感情を払拭し、相手を愛し、尊敬し、信頼する力ということですが・・・。

次にあげられている、三十年間もある一人の女教師を恨み続けていたというB氏の体験談(p102)はとても興味深いです。

4496a hope:2014/10/15(水) 20:43:02 ID:cEpBaIdo

>>4493 トキさま

<< 谷口雅春先生は、「静思集」で、”先生と言われる事は、危ない事である”と書かれていますが、
先生、先生と言われると、いつか自己を見失う事があります。
初心に還る、基本を大事にする事こそ、先生と言われる人に大切なのですね。>>


本当ですね。
「先生」と呼ばれているから偉いと勘違いしてしまう人は、本当に危険かもしれませんね。

その道のプロであるから「先生」と呼ばれるわけですから、
「先生」と呼ばれるからには、人一倍その道(教義)のお勉強をしていただきたいとわたしもいつも思っています。

ところでわたしはトキさまの素性は未だに知りませんが、とても謙虚で素敵な方だと感じています。

4497a hope:2014/10/16(木) 11:00:03 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p102 後から5行目〜

B氏はまだ『生長の家』誌友になって間がないのに、一週間もすると怒る心、怨む心、争う心の三悪心が自然に内から消えてしまったと告白された。
この人は今まで宗教的修養を熱心に目指された方であって、三年間に六畳敷の一室に天井までとどくほど修養書を読破されたほどの人であります。
けれども悪人を本来アリと認めて外から心を磨いてゆくいわゆる「修養」では、どうしてもこの三悪心は解けないのであります。

たとえばこの人は小学校時代に唱歌の女教師と些細な感情の行き違いから零点を付けられた。
零点ではお情け及第すらもできないのであるから、そのために少年の運命がどんなに阻まれるかしれない。
B氏自身は、小学校の落第を発表されるころには中学校の選抜試験に及第していてなんら前途の障礙(しょうがい)を受けませんでした。
けれどもなんといっても学校教師ともあろう者が、自分の感情から少年の前途を阻む惧(おそ)れのあるような行為をするとは赦しがたきことである―― 
こうB氏の恨み心は、爾来(じらい)三十数年間ズーッと続いてきたのでありまして、
いかなる外からの修養もこの恨み心を解消することできないのでした。

B氏は思えらく、この恨みは、相手の女教師が死ななければ消えないのであろうと。
ところが、三年前にこの女教師は死んでしまったけれども、いっかなこの恨み心は消えないのでありました。
そしてB氏はまた謂(おも)えらく、「この怨み心は自分が死ななければ消えないであろう」と。

ところがB氏がわたしの講演を聴き聖典『生命の實相』を読まれるに至って、忽然として、その恨み心が内から消えてしまったのでありました。
この話は、かつて『生長の家』誌にちょっと書いておきましたが、ここには三十年間修養を重ねてこられても消えなかった
かくも深く激しい恨み心がなにゆえかくも容易(たやすく)消えてしまったかを考えてみたいのであります。

それは今までその「恨み心」が消えなかったのは「恨み心」を本来アルとして取り扱ってこられたからであります。
ところが「生長の家」の聖典を読むと「恨み心」は本来無い、ただ本来恨まない心のみが実在であって、
それのみが本来の自分であると知らされたからであります。

恨み心は本来無い心だと知ったために恨み心は消えてしまい、恨まない神の心のみが実在であると知ったために、
恨まない本当の心が顕われて来たのであります。
それは内からの更生であり、みたまによる生まれ更わりであったのです。

外から形で矯(た)め直していったのでは、一つ直っても全体が直らない。
ところが、B氏が内から更生してきて実相が顕れてきますと、恨み心、怒り心、争う心、穢(きたな)がる心、
恐れる心、驕(おご)る心が同時に解消してしまったのであります。

もう一つ実例を挙げるならば・・・ (以下略)

4498a hope:2014/10/16(木) 11:02:17 ID:cEpBaIdo

>>4497 a hope所感)

わたしも以前はとても感情が激しくて、よく言い争いをしたり、相手の意見も聞かずに自分の我を通してしまったりしていました。
ですが、「生命の實相」を拝読して、神想観をするようになってからは、感情がおおきく波立つことがほとんどなくなってきました。

最初の頃は聖典に書いてある真理を意識して、自分の感情を無理にコントロールしようと頑張っていましたが、
今ではほとんど我慢することもなく自分の感情を穏やかに保てるようになってきています。

<<ところがB氏がわたしの講演を聴き聖典『生命の實相』を読まれるに至って、忽然として、その恨み心が内から消えてしまったのでありました。>>

ありがたいことに、今では you-tubeなどでいくらでも谷口雅春先生の講演が聴けますし、
聖典だって、amazonに行けば、中古でいくらでも安く手に入ります。

現代に生きるわたしたちは、真理のお勉強をするという意味では、昔よりもずっと恵まれているのだと思うのです。

ただ、一つ必要なのは「やる気」だけですよね!

4499秋だけど春:2014/10/16(木) 21:08:07 ID:JqsAztRk
けちをつけるようで、ごめんなさい。

>>ありがたいことに、今では you-tubeなどでいくらでも谷口雅春先生の講演が聴けますし、
聖典だって、amazonに行けば、中古でいくらでも安く手に入ります。<<

この感覚が、私には心地よく感じません。

例えば、 私の靖国の友人などは、なるべく靖国神社やその周囲のお店にお金を使うようにしています。
また、自分も、中古の本は買った事がありません。

聖典をたくさん買った人が、「生長の家にはたくさんお金をかけた」と聞いた時も、呆れました。


滅私奉公の精神が無くなったから、現象の事に恵まれていると錯覚するのは、間違いではないでしょうか。

4500秋だけど春:2014/10/16(木) 21:27:02 ID:JqsAztRk
>>現代に生きるわたしたちは、真理のお勉強をするという意味では、昔よりもずっと恵まれているの
だと思うのです<<

ここが、一番引っかかったんですよ。


今、一番、混乱している時と認識していますし、本当に本来の生長の家の御教え屋
天皇国日本がわからずじまいで、単に聖典読んでますだけで、現象的には恵まれている?
い感覚は、    まだまだ、、 おわかりではないのかなあと、拝察いたします。


求途の精神が強ければ、千円も一万円も、一緒なんですから。

そこ、大事ですよ。



死ぬ気で来た人たちを 立ち直らせてきた実績は、事実だから。


ま、hopeさんかんじの白鳩がええ買ったから、教団も壊滅するんでしょうけどね。

4501秋だけど春:2014/10/16(木) 21:31:53 ID:JqsAztRk
訂正  

生長の家の御教え屋⇒生長の御教えや
求途の精神が強ければ⇒求道の精神が強ければ

です

4502秋だけど春:2014/10/16(木) 21:38:11 ID:JqsAztRk
ま、hopeさんかんじの白鳩がええ買ったから
⇒、hopeさんみたいな感じの白鳩が多かったから

に、訂正させていただきます

4503秋だけど春:2014/10/16(木) 21:49:28 ID:JqsAztRk
もしhopeさんが、本当に生長の家の本髄を学ぶなら、
伊勢の練成
お薦めします。

聖典だけでのアホホープでおわらないよう、祈願しています。

4504トキ:2014/10/16(木) 21:58:47 ID:Wk.49lBI
>>4497

 おそらく、これは、元海軍主計大佐だったN先生の事かと思います。
生命の実相にも登場する人ですが、谷口雅春先生が匿名にされているので、私もイニシャル
にしました。

 余談ですが、海軍の場合、いわゆる軍事を担当する人とは別に、主計や軍医の場合は、
別のワクで採用され、官位も「主計大佐」「軍医大佐]などと称しました。

 私も家の近所に海軍大佐だった人が住んでおられました。その頃、老人を詐欺する人
が横行しており、私が話しかけても無愛想な態度でしたが、あるとき、その人から

 「君は何か信仰をもっているのかね?」

と質問をされ、

 「生長の家をしております。」

と返事を申しあげたら、

 「そうか。それなら、信頼できるな。」

と返答をされ、その後は打ち解けた態度を取って下さった事がありました。
 
 後日、理由を尋ねると、その方の友人に生長の家の人がおられ、その人
がとても尊敬できる人間なので、生長の家の人は信頼できると判断したみ
たいです。

閑話休題。

4505a hope:2014/10/16(木) 23:58:57 ID:cEpBaIdo

>>4499 春さま

わたしの発言で、春さまがご気分を害されたのであれば、心からお詫びをいたします。

わたしが生長の家の教えを学びたいと思ったきっかけは頭注版「生命の實相」を拝読して魂を震わせたからで、
今現在は、40巻読破もしましたが、そこには、天皇信仰のことも愛国心のこともほとんど書かれていなかったのです。

だから、神道から生長の家の教えに入られたという春さまとは「生長の家の教え」に対する認識が
大きくかけ離れてしまっているのかもしれません。

天皇国日本に関しても、後々もっとお勉強するつもりでいますが、
今現在、このweb誌友会では、頭注版「生命の實相」をテキストにお勉強を進めていますので、
ご理解いただけるとありがたいです。

春さま、いつも、こんな「アホ」なわたしの事をお祈りしてくださってありがとうございます。

わたしも春さまのご活躍とお幸せを心からお祈りさせていただきます。 合掌。

4506a hope:2014/10/17(金) 00:24:47 ID:cEpBaIdo

>>4504トキさま

わたしの「生長の家」に対する第一印象も「信頼できる宗教」でした。
それは、聖典「生命の實相」の内容が本当に素晴らしく、正に自分の求めていた真理だったからです。

特に生長の家の「万教帰一」の真理には感動しました。

どんな宗教を信仰している人でも、左翼の人でも右翼の人でも、たとえ肉食大好きな外国人であっても、
あたたかく受け入れてくれるような懐の深さに魅せられて大きな希望を持って入信したのです。

ですが、わたしのその希望は1年も経たないうちに破れました。

今は、ここで聖典のお勉強をさせていただけるので本当に幸せです。
掲示板を運営・管理してくださっているトキさまにはいつも心から感謝しています。 合掌。

4507「訊」:2014/10/17(金) 08:58:13 ID:???

>>a hopeさま

 ところでちょっと、誌友会テーマから逸れてもよいですか。今朝、目覚めた際に〝天籟の音〟が私に、忽然と聴こえたものですから・・・・・その、天下った声のテーマは、「不足感」です。以下、ご紹介致します。

 今朝、目覚めた際に突如、

 「不足感=充足なのだ!」

 なる声が、私の脳内に轟いて参りました。

 ・・・・声の主はいつも、夢の中で練成会を開催くださる「藤原敏之」先生でありまして、その先生が「不足感=充足なのだ!」と、私へお伝えくださったのです。トキさん曰く、藤原先生は御生前、「わしゃ、死んでからも練成会を開催するよ」と仰っておられたとのことですが、余談ですので話を戻してこの、藤原先生の御言葉に戻りますがいや、この、「不足感=充足感なのだ!」の御言葉が、なんとも心地よく感じられたのですよねえ・・・非常に嬉しく思えたのです。

 「不足=充足」だったのです。充足しているからこそ、(五官の意識上では)「不足感が表出する」ものだったのです。事業経営者として、常に悩まされるこの「不足感」ですが、実はこれ、「悩むべき対象ではなかったのだ」と。

 ・・・・不足感が表出してくる位に、我々は、「神から与えられていたのだ」と。

 だから不足感ですが、「表出してくるたびに、喜ばなければナランのだ!」と。
 
 ・・・それが今朝の、藤原敏之先生〝脳内〟練成会ご講話の趣旨、でございました。いやホント、最近うっかりしておりましたが、重要なことを失念していたと思いましたね。

 この、「不足感=充足なのだ!」ですが、本当に「その通り」、その通りに各種聖典に書かれてあります。雅春先生曰く、「既に与えられているからこそ、欲しくなるのである」と。さらにこれを解釈するならば、「『欲しい欲しい』と思えるものは、神が既に与え給うておられナイ限り、そんな心情は起こり得ナイ」と。いやつまり、藤原先生言われるが如く、「不足感=充足なのだ!」なのでありましたね。「充足しているからこそ、その『不足感』は、湧き上がってくるのだよ」と。

 そんな声が今朝、聴こえたわけです。と、なると我々はもっと、湧き上がる「不足感」ですが、「色々な言葉で礼拝せねばならん」のでしょうね。湧き上がる不足感ですが、礼拝するには先ず、「既に頂き済みだからだ!」が良いのかもしれません。あるいは、「迷っておられた先祖が、『守護神化』した証だ!」でも、良いのかも(※)。さらには、「過去の借金(積んだ悪業)を払い終えた相だ」と解放感を味わってもよいですし、榎本先生ならば「自動展開する実相が今、発現中なのだよ」と讃嘆されるのかもしれませんね。「ニセモノが破砕された相(=自壊作用)が不足感の正体だ。ニセモノが破砕されたからこそ、今回の不足感は、意識上に上がってきたのだ」でも良いでしょうし、「求めていたのではなく、『求めしめられていた』のだ」(吉田國太郎先生)もよいでしょう。まあ、いずれにせよ、今、此処にある「不足感」 ―― ここに〝あるかのような相〟で現れた不調和 ―― ですが、「神力発現の証としてある」のでありましょう。不足があるのではなく、唯、あるのは「充足のみ」なのでありましょう。

 そう云えばその後、榎本先生の声で、「訊けクン!不足感は実相を『包んでくださっておられる』のだよ!」とそんな、言葉も耳にしました。「天孫降臨は『雲と共に』行われたのだよ!」と榎本先生ですが、ここで云う「雲」とは、「迷いの象徴」ですよね。迷いの象徴である「雲に乗って」天下ってこられたのが、日本の神でしたよね。「だから『罪=光』なのだよ!」と。・・・・・・・「今までは迷いの雲が実相を『覆っていた』と、覆っているから『実相がなかなか出てこない』と、そんな説明をしてきたけれども、『罪も光』だったんだよ!」と、榎本先生。「天孫降臨は(迷いの象徴である)雲を利用して、行われたんだよ!」と。「だから、迷いも光だし、罪も光!不足感も光だし、光だけの一元世界なんだよ!」と・・・・・そんな声で榎本先生がご解説、してくださいましたね。

 いやー、今朝の脳内練成会ですが、なかなか良かったですね。「不足感=充足なのだ!」です。「不足感すらも光!」なのであり、そうなると我々・・・・・・もう、喜ぶ以外に何もすることがナイですよね。だって、「アルから」ですもんね。「既に頂戴しているから、不足感が起こる」わけであり、不足感が起こって来ないようでは、過去の業も破砕されないわけですからその信仰生活、「順調とは言えないことになります」からね。以上、今朝の〝天籟の音〟の内容でございました。



4508「訊」:2014/10/17(金) 08:58:57 ID:???


>>4507註>

※ 「迷っておられた先祖が、『守護神化』した証だ!」

 聖典にナイ教えですんで、解説します。これはあの、徳久先生のご講話テープで聴いた内容なのですけれども、先生曰く「祈っているにもかかわらず不調和なことが起こる際は喜びなさい」と。理由は、「迷っている祖先が『自己処罰』をしているんだ」と。「迷っている祖先が子孫(我々)の現状を見て、『ああ、申し訳ない。私が不甲斐ないばかりに子孫が苦労している』と、嘆いている姿がその、不調和な状態の正体だ」と。「それだけ祖先から愛されている皆さんなのだから、喜びなさい」と。で、さらに、それで終わんないのが、徳久親分です・・・・
 ・・・さて、その祖先ですが親分曰く、「迷いが晴れて守護神化する」と。「迷いが晴れて守護神化した際に、過去の業が音を立てて崩れるため、(祈っているにもかかわらず子孫には)不調和なことが起こる」と。

 ・・・・・長い説明になりますが、まあ、つまり。つまり、不調和なことが起こった際は、「ああ今!ご先祖さまの迷いが晴れて、守護神と化してくださったのか!」と喜べって意味です。

4509rei:2014/10/17(金) 13:49:55 ID:TZgHMI6s
合掌
ありがとうございます。
私も少し発言させてください。
a hope様が頑張っておられるので、のぞいてみました。

「訊け」さまのそれは素晴らしい悟りですね。

私は最近、「仙頭泰」氏の文章を見つけて読んでいます。
66項目あるので順次ですが、とても良いです。
どのような方か詳しくわかる方がおられたら教えていただけませんか?

誌友会と関係ない話でごめんなさいね。

4510トキ:2014/10/17(金) 18:26:11 ID:EP0hJGxs
 仙頭泰先生は、古い幹部の方です。確か、本部の青年会の役職もされていました。
終戦後に練成を受けられた方で、昭和の後半に活躍された方です。徳久先生の指導を受け
られた人のはずです。たくさんの後進を育てた方ともきいています。

 最後はハワイ教化総長をされていたと記憶しております。その後、突然、本部を
御辞めになられました。その時に聞いた噂が、大川隆法氏の「谷口雅春霊言集」が
出た時に、「幸福の科学」の関係者が「谷口雅春霊言集」の関係の講演会をハワイ
の教化部で行いたいと依頼し、事情を知らない仙頭先生がそれを許可したので、
後で問題になり、責任をとる形で辞めた、というものでした。ただ、前後の事情を
考えると、私はその噂には疑問は感じております。

 その後は、本流復活派の幹部として活躍をされ、特に「学ぶ会」で活躍されたみ
たいです。私は直接の面識はなく、以上の話も伝聞に過ぎないので、その点はご理解
下さい。

4511末端信徒のトキへ:2014/10/17(金) 21:48:29 ID:???

 伝聞だったら 書くべきではないな

4512秋だけど春:2014/10/17(金) 22:58:19 ID:rh1dGMz2
なんか、伝わってないなあという感じがして、もどかしいです。

横の真理は十分お分かりになっていて、家庭も光明かしているにも関わらず、
縦の真理が、今一つおわかりではないのかなあ。。。と。

人間神の子
で、
日本国実相のことを神示に照らせば、
赤子であることの意味も当然わかることなんだと思うんだけどな。。。。

人間が神の子であるってことは、なにも生長の家に聞かずとも、
古くからの日本人なら、当然の感覚なんですよ。
で、
生長の家の凄いとこは、この古来からの教えを、理論立てて、なおかつ、
市井の人に分かりやすく書いた事なんですよ。

キリストや釈迦は、家庭生活を維持できなかったけど、出家しなくても一般人が
真理を生きるのは、こんなにたやすいことですよ、と、
そこに、雅春先生が釈迦やキリストを超えたとか、天才的宗教家と言われる所以です。

昨日自分が言いたかったのは、日本国実相顕現、人類光明か運動から外れて、
単に真理をお安くお勉強しているわ〜の感覚、これにプチっときただけで、
言い過ぎでしたので、ごめんなさい。

人が幸せになりたいのは、そりゃわかる。
幸せってなに?

人のお役になること、やること、があることだよねって、
言いたかったんです。

4513秋だけど春:2014/10/17(金) 23:11:30 ID:rh1dGMz2
仙頭泰先生は、去年だったか一昨年、一度講義受けました。
素敵な先生でしたね。
古き佳き生長の家を、信奉している感じでした。

4514a hope:2014/10/17(金) 23:13:32 ID:cEpBaIdo

>>4507 >>4508 「訊」さま

素晴らしい〝天籟の音〟藤原先生の「不足感=充足なのだ!」と、
榎本先生の「訊けクン!不足感は実相を『包んでくださっておられる』のだよ!」
のお話を聞かせてくださり、ありがとうございます。

今朝、わたしは子どもの一人のことでちょっと心配事があったのですが、
この「訊」さまのお話を拝読していると、自分の心がどんどん軽くなっていき、不安が吹っ飛んでしまいました。

子どもたちにこうあってもらいたい、とか、主人にもう少しこうして欲しいなどと考えてしまうのは、
すべて、わたし自身が相手に対して不足感を感じているからなのですが、

でも、そんなわたしの感じている不足感も、実は、子どもたちや、主人の完全円満さを知っているからこそ感じているからなのだ!
と「訊」さまの文章を拝読していて気づきました。


また、徳久先生の「迷っておられた先祖が、『守護神化』した証だ!」という言葉も心強かったです。
ほんとですね。
霊界のご先祖様が、自分の子孫を不幸にしたいと思っているはずがないのですから、
ご先祖様の祟りなんてものがあるわけがないですよね。
どんな状態のときであっても、わたしたちはご先祖さまに愛されているんだ、だから、喜んでいいんですね。
そうわかったら、うれしくてうれしくて、自然に「ご先祖さまありがとうございます。」と合掌していました。


それにしても、そのような〝天籟の音〟を夢の中の練成会で聴くことができる「訊」けさまがうらやましいです。

わたしも、もっともっと「生長の家」の先生方の講演をきいて、聖典を拝読して、
夢の中で練成を受けられるようになりたいと思いました。

4515神の子さん:2014/10/17(金) 23:14:40 ID:cEpBaIdo

>>4509 reiさま

お久しぶりです。
web誌友会ご参加、ありがとうございます。

わたしも以前、仙頭先生の御文章を拝読して感動した記憶があります。
reiさまのおっしゃる、仙頭泰先生の66項目の御文章というのは、
学ぶ会さまのHP「光の進軍」の中にある御文章ですね。

トキさまも御経歴については教えてくださっていますが、先生の名前で検索すると、↓が出てきました。

http://mixi.jp/view_event.pl?comm_id=2449281&amp;id=76880587
http://hikarinoshingun.giri.jp/04-kataru-kai/0407seimeikenkyu-kai/seimei-kenkyukai-yotei.htm

実相塾(谷口雅春門下生の集い)という学ぶ会のお勉強会で今でもご講話をされているようですね。

テキストの内容とは関係なくてもいいので、これからもご気軽にweb誌友会にご参加くださいね!

4516a hope:2014/10/17(金) 23:18:42 ID:cEpBaIdo
>>4515 は a hopeです。

4517秋だけど春:2014/10/17(金) 23:28:36 ID:rh1dGMz2
a hopeさま

貴女の優しさ、素直さ、女性としての婦徳には感服致している春から、つらつらと
言いたい事だけ書かせていただいている状況で、心苦しいのですが、また続けますが。。。

縦の真理、
これ、本当に貴女の中で繋がっていますか?

国家とか天皇様と切り離された現状の日本人と、なんも変わらない印象を受けてしまうのです。
私が辞める前の白鳩さん達と、実際は違いがない、
鎮護国家を外した事の意味が理解できていない事が、答えです。

a hopeさま
日本中の寺も、御皇室の安寧を祈っているのです。
キリスト協会は知りませんけど。

私は、自分の息子を戦地に送る時の母親の気持は、どんなだったろうかと思った時、
一瞬でしたが、動けなくなりました。

靖国神社と縁が出来て、懇意にして下さる職員さんから送って頂いた書籍を、
泣きながら、ほぼ一週間、ほとんど寝ずに読みました。
御礼の御手紙を書こうとした時、
この手紙は、神様に通じていると思った瞬間、おいそれとは書けなくなりました。
(後日、直接御礼しました)


縦の糸、これが、運命を激変させますよ。

私が実証者ですから。



天皇国日本の実相顕現の為に生長の家は出現したのだと、繰り返し言いますね。

4518a hope:2014/10/17(金) 23:45:12 ID:cEpBaIdo

>>4512 春さま

そうなのです。
わたしは、まだまだ全然わかってないのです。

春さまの「人間神の子」のご説明も、頭では理解できるのですが、
それが、感動して涙するような天皇信仰にはまだつながらないのです。


<<昨日自分が言いたかったのは、日本国実相顕現、人類光明か運動から外れて、
単に真理をお安くお勉強しているわ〜の感覚、これにプチっときただけで、
言い過ぎでしたので、ごめんなさい。>>

イエイエ、そのように感じられてしまうのは、わたしがまだまだな証拠ですので、
春さまに、時々〝喝〝 をいれていただけるとますます励みになります。

ご意見をいただけるのは本当にありがたいので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。 合掌。

4519秋だけど春:2014/10/17(金) 23:59:46 ID:rh1dGMz2
監督の「不足感すらも光!」 いいね!

先日、靖国でおみくじを取ったら、第一番の大吉だったんです。

"光に満たされている"と書かれていました。

今、どんどん又状況が変わっていって(過去に経験済みだから、頭では理解している)

:現象的なことなど、もう、これ以上の上昇など望んでいないのに、また、そういう話が来るんですね。。


神は愛也

愛を以て全てのことにあたりたいと思います。

4520「訊」:2014/10/18(土) 09:26:59 ID:???
>>reiさん
>>a hopeさん
>>秋だけど春さん

 感想をありがとうございます。いろいろ返信を書いたのですが、もう少し考えてから投稿致します。まずは取り急ぎ、感謝の念などを表明。



4521rei:2014/10/18(土) 21:00:52 ID:TZgHMI6s
トキさま
春さま
ありがとうございました。
いつも埋もれ気味の私の投稿を読んで下さりありがとうございます。

4522神の子さん:2014/10/18(土) 23:11:23 ID:wvsp.ncs
清超先生の御本に『無駄なものは一つもない』というものがある。
榎本講師の様にごてごてした解説などいらない。
すべてに光を見なければ言えない言葉でしょう。

4523a hope:2014/10/19(日) 08:39:52 ID:cEpBaIdo

>>4522 神の子さん

web誌友会ご参加ありがとうございます。
わたしは、生長の家の教えに触れたのが、雅宣先生が総裁になられてからですので、
清超先生の時代やその前の雅春先生の時代の生長の家の運動の様子等は実際にはほとんど知りません。


今、聖典引用板に雅春先生と清超先生の共著である「菩薩は何を為すべきか」を少しずつですが謹写しています。

その内容を拝読していると、時代の流れとともに「生長の家」の運動方針もその時代にあわせて変えていく必要性を、
雅春先生が『人類光明化運動指針の解義 』の中のご解説で説明くださっているように感じています。

そして、清超先生は法灯継承者としてその雅春先生のご意志を一身に受けて、
その時代に合わせた運動をされようとしたのではないかと拝察しています。

わたしは、聖歌集にある清超先生の魂に響く歌の数々が大好きです。
わたしも 清超先生は全てのものに、光を見ていらしたのではないかと感じています。

4524秋だけど春:2014/10/21(火) 19:44:32 ID:rh1dGMz2
>>時代の流れとともに「生長の家」の運動方針もその時代にあわせて変えていく必要性<<

ここでしょうね。
分裂の原因が。

時代は変わっても、説かれている真理は、変わりませんし、
生長の家の運動は日本国実相顕現のためであり、人類光明か運動なんですよ。

その根本二つを(一つ目は、二代目が変えた)、現総裁が批判にさらされることになったのは、
当然のことです。
あの方、生長家の真理は、説いてませんから。
縦ですよ、縦。

実相からすれば、無駄なものは何もないから、彼らの(と言うか、信徒全体の波長が)
戦後民主主義で甘やかされて、感謝が無くなった頃から、
教団派没落したし、
侵略戦争を教団の見解とした処から、完全に売国奴になった、し
地上における教団の意味は無くなったと見るのが妥当です。

本流は、教団を戻したいとか、救いたいとか、そういう念が強いから、余計に
揉めるんだと思います。

全く別の路線です、バイバイ、なら、今後もこじれないでしょうし、
八ヶ岳など2,3年持ちません。
そこで、和解でしょうし、そうなるべく、この掲示板も意味があるのではないでしょうか。

私は、監督や貴女のような方には、復興G閣下のような、本来の御教えの指導者が必要不可欠と考えています。

各信徒や勉強したい人たちが、得手勝手な理解をしないように、地方講師もその為に存在していると思っています。

うのはなさんが、境界型人格障害かと思われる程の粘着を監督にするのも、この、勝手な理解に対しての怒りなのではないかと、
感じています。

貴女は、これからの希望ですから、ごゆるりと学ばれれば十分では?と思っております。
頑張って下さいませ。

感謝 合掌

4525a hope:2014/10/21(火) 22:24:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」p106 8行目〜

そこで、宗教的生活とは互いの見せかけの仮相の奥に、円満完全なる実相があることを直観的に透見(とうけん)し、
その円満完全なる実相を信じ、礼し、敬し、尊重し、讃嘆し、それを如実に言葉に表し態度にあらわして生活することであります。
かくのごとくするときには、周囲の人々、家庭の人々、相手の人々ことごとく善良なる人々となって顕れてくるのみならず、
自分自身の実相が顕われて自分自身が善良となり、その心性が大きくなり、豊かになり、美しくなり、癇癪が起らなくなり、
よりいっそう洗練された心ばえとなるのである。

およそこの世の中で最も高貴なる魂とは、接する人ごとにその相手の実相の美しさを観、いかにその外見が醜かろうとも、
その実相を敬し礼しうること、かの常不軽菩薩のごとくなければならないのであります。

これに反して逢う人ごとの魂の実相を観ず、外面の、見せかけの醜悪なる部分のみを強調して、
自分自身に失望し自分自身を軽蔑し、同時にすべての他の人々も自分自身と同様に醜いのが本当だなどと、
暗黒方面のみを探し出して、いやに皮肉にひがんでしまう人はよほど浅薄(シャロー)な魂の持ち主であります。・・・

4526a hope:2014/10/21(火) 22:28:10 ID:cEpBaIdo

>>4525 a hope所感)

ここに、『高貴なる魂』と『浅薄(シャロー)な魂』という言葉がでてきていてわたしは少し驚いています。
なぜなら、「実相を礼拝せよ」と言っている一方で、人間の魂に優劣をつけて表現しているからです。

<<およそこの世の中で最も高貴なる魂とは、・・・>>

とあるところの『この世の中』とは、明らかに現象界、もしくは霊界のことを指していていると思うのですが、
これらは、「本来無い世界」の事ですから、ここのところは読者に判り易いように方便的に説明しているのだと感じました。

わたし自身は、「人間の魂に優劣などない」と信じています。


○『高貴なる魂』・・・接する人ごとにその相手の実相の美しさを観、いかにその外見が醜かろうとも、
その実相を敬し礼しうること

●『浅薄(シャロー)な魂』・・・逢う人ごとの魂の実相を観ず、外面の、見せかけの醜悪なる部分のみを強調して、
自分自身に失望し自分自身を軽蔑し、同時にすべての他の人々も自分自身と同様に醜いのが本当だなどと、
暗黒方面のみを探し出して、いやに皮肉にひがんでしまう


と説明されていますが、わたしは仕事で何度か職場を転勤しているのですが、
どちらのタイプの上司や同僚と一緒に仕事をするかで、その職場の雰囲気がガラッと変わるのを経験しています。

一方の職場は和気あいあいと助け合っていますから、明るい雰囲気で満たされ仕事の能率も上がります。
(ありがたいことに今の職場はこちらです!)

ですが、もう一方の職場は陰険な陰口や悪口、そして足の引っ張り合いなどが絶えなかったので、
体調を壊す職員も多く、仕事の能率も上がりませんでした。

特に、上に立つ立場の人間(上司、教師等)の影響力は大きいと感じています。

4527a hope:2014/10/21(火) 22:52:01 ID:cEpBaIdo

>>4524 春さま

<<時代は変わっても、説かれている真理は、変わりませんし、
生長の家の運動は日本国実相顕現のためであり、人類光明か運動なんですよ。>>

上の春さまのご説明は、わたしも十分理解しているのですが・・・

どうやら、春さまのおっしゃる「縦の真理」とわたしの理解している「縦の真理」に隔たりがあるようです。


<<貴女は、これからの希望ですから、ごゆるりと学ばれれば十分では?と思っております。
頑張って下さいませ。>>

わたしは昔からやや協調性に欠けていたので、独学で勉強するタイプでした。
ですからこれからも、聖典をテキストにyou-tubuのご講話を聴きながら、
自分のペースで、納得いくまで「生長の家の教え」を勉強していくつもりです。

春さまのわたしへのありがたい励ましのお言葉に、心より感謝いたします。合掌

4528シャンソン:2014/10/21(火) 23:07:43 ID:MVhE5szo
>>4527 合掌 ありがとうございます。

上記のa hope様の補足になればと思い、リンクさせていただきます。
 もし、見当違いならお許し下さい。

 再拝 http://www.el-aura.com/201210038/

4529a hope:2014/10/22(水) 00:01:08 ID:cEpBaIdo

>>4528シャンソン(うのはな)さま

素晴らしいスピリチュアリズムのお話をご紹介くださりありがとうございます。合掌。

わたしが心の中で漠然と感じていた「魂に優劣などない」ということに関して、
とてもわかりやすく書かれている文章だと思いました。


<<なぜバラバラな段階の魂が集う必要があるのでしょうか?
それは学びの為です。
全員が優しい魂だけだったなら、誰もが傷つける事もなければ、誰もが傷つけられる事はありません。
誰かに傷つけられることがなければ、許すことができません。
全員が意地悪な魂だけだったなら、誰も許すことができません。
誰も許すことができなければ、誰も愛や感謝を学ぶことができません。
なので私たちは、色々な成長段階の魂と共に生きて学ぶのです。>>

たしか、生長の家の教えでも人生は「魂の学校」であるとか「魂を磨く砥石」であるとか説かれていると思います。
「許すこと」「愛すること」「感謝すること」これらの事をを学ぶためにわたしたちはこの人生を生きているのですね。

そして、

<<全ての魂に優劣がないことを知ったなら、誰かと比べる事も、誰かを羨む事も、差別することも、もう誰の事をも裁く事は出来ません。
しかし、私たちには出来る事があります。
後続の魂を教え導く事が、先を行く魂に出来る事です。
教え導くことは、押しつける事ではありません。
自らの生き方を見せ、自らが善き方法を実践すること、これが一番の教えと導きの方法です。>>

人間は一人残らず「神の子」で、本来ひとつなんですから、「自分が変われば、周りも変わる」」ということですね!


それにしても、うのはなさまって、ほんとに不思議なお方ですね。 


それでは、うのはなさま、みなさま

おやすみなさい。 いい夢見てくださいね!

4530a hope:2014/10/22(水) 23:11:40 ID:brQxC10.

「生命の實相」p108

現実の悪はどう改善するか

しかし、「悪」が現にここにあるのを見ないでもよいものでしょうか。
「悪」そのまま放置してそれを改善するためのなんらの手段方法をもめぐらせないでもよいものでしょうかとは、
わたしがしばしば質問を受けることであります。

しかしわれわれは「悪」には執着しないでも「悪」を改めしめることは可能であるのであります。
それが「悪」であるとわれわれが知るのは、そこに「善」がないということであって、
悪が積極的にあるということではないのです――これは実に大切なる真理であります。

「悪」は無でありますから、「悪」を除かずとも善をつけ加えれば「悪」はおのずから消尽してしまうのであります。
「善」をつけ加えるにはどうすればよいかといえば、どこまでも、どこまでも相手を理想化し、
さらに理想化してどこまでも無限に相手を高め上げてゆくことにすればよいのであります。

どこまでも人間を理想化して眺めても、人間は理想化しすぎるということはありません。
なぜなら人間の実相は神の子であり無限に善さを備えているからであります。

(つづく)

4531a hope:2014/10/22(水) 23:12:38 ID:cEpBaIdo

>>4530 a hope所感)

<<しかし、「悪」が現にここにあるのを見ないでもよいものでしょうか。
「悪」そのまま放置してそれを改善するためのなんらの手段方法をもめぐらせないでもよいものでしょうかとは、
わたしがしばしば質問を受けることであります。>>

これは、ほとんどの人が感じる疑問なのではないでしょうか?

ですが聖典には『「悪」ありと見て現象処理せよ』との答えはどこにもありません。
謹写を続けます。

4532神の子さん:2014/10/22(水) 23:53:36 ID:eZjWifCU
それが「悪」であるとわれわれが知るのは、そこに「善」がないということであって、
悪が積極的にあるということではないのです――これは実に大切なる真理であります。

「悪」は無でありますから、「悪」を除かずとも善をつけ加えれば「悪」はおのずから消尽してしまうのであります。
「善」をつけ加えるにはどうすればよいかといえば、どこまでも、どこまでも相手を理想化し、・・・・・

この真理によって雅宣総裁を見るとき、

ですが聖典には『「悪」ありと見て現象処理せよ』との答えはどこにもありません。・・・・で終わりでは話が進みません

a hopeさんは今の総裁、教団はおかしいと云いますが、どのような行動をするのがよいのでしょうか?

4533a hope:2014/10/23(木) 10:24:36 ID:cEpBaIdo

>>4530 つづき)

およそ相手を良くするには自分を良くすることが第一であります。
自分がよくならないのに相手をよくなしうるということは困難であります。

そしておよそ自身を良くするための方法は、自分の心の中に光明の精神波動を照り輝かすことであります。
自分の心の中に光明の精神波動が波立っているときその人は善き人であり、
自分の心の中に光明の精神波動が波立っていないとき、暗黒の思念が押しかぶさっているとき、
その人は悪しき人なのであります。

人の欠点を見るとき、その欠点に自分の心が捉われ、それをとやかく言挙(ことあ)げするとき
自分の心の中には暗黒の思念が波打たずにはいられないでしょう。
「暗黒の思念」は決して相手を良化することはできないのです。

(略)

相手を良化しようと思うならば、まず自分の心の中から「暗黒の思念」を除去(とりさ)らなければならない。
まず自分自身を、「光明思念」でみたさなければならない――換言すれば相手の悪を見るような心になってはならないのです。
結局相手の悪を見ないで実相を見る心にならなければならないのであります。
ここにこそ自分自身が光明化し、さればまた相手が光明化してくる可能性があるのであります。

われらが何人に対してでも相手の実相を見るようにするとき、われらは相手と調和するようになってくるのであります。
実相においてはわれらは本来自他一体であるからである。

4534a hope:2014/10/23(木) 10:34:50 ID:cEpBaIdo

>>4533 a hope所感と>>4532 神の子さんへのお返事)

聖典の真理に照らし合わせて考えれば、「悪」と見える相手の心を変えるためには、
批判し続けたり、裁判で戦ったりするのは逆効果だと思われます。

ですが、雅宣先生は「生長の家総裁」という責任あるお立場で、本来は自らが光明波動を照り輝かし、
信徒を光明思想に導いていくべき使命をもったお方なのに、
実際には、その光明波動を発するには欠かせない聖典「生命の實相」とその真理をないがしろにし、
独自の教義と運動を展開されているように見えてしまうのです。

ですから、わたしは雅宣先生の実相(本来の御人格)は素晴らしいと信じていますが、
その教義や運動方針については、本来の「生長の家」の教えや運動からみれば『虚説』なのではないか思っています。
(わたし個人の見解です)


<<a hopeさんは今の総裁、教団はおかしいと云いますが、どのような行動をするのがよいのでしょうか?>>

とのご質問ですが、わたしは雅宣先生や教団の教義や運動方針はおかしいとは思っていますが、
雅宣先生ご自身を「悪」だとは思っていません。

むしろ、信徒を目覚めさせてくださる大切な使命をもたれた大観世音菩薩さまだと思っています。

ですから、雅宣先生の虚説(教義や運動方針)には決して和解はしませんが、
その大観世音菩薩さまとして信徒の前に立たれている雅宣先生の実相のお姿には心から感謝しています。

4535神の子さん:2014/10/23(木) 19:41:58 ID:ZWlCT05o
a hopeさんの御主人が無理を云ったり真理に反することを云ってばかりいたとしました時、「あなたの言うことは真理に反していますので
云う事をハイと聞くことはできません、あなたが無理を云ったり真理にはずれた事を云うのは、私の真理の理解を深めようという観世音菩薩様の
働きであると思い、あなたの実相には感謝いたしますが、云う事に拝と従うことはできません。

と云っているように聞こえるのですが、聞き間違いですか。

よく言いますよね、「ご主人が無理ばかり言うというご婦人に、そんな無理を云うようなご主人はいないのですよ、あなたが御主人に素直に
ハイと云えた時には、素晴らしいご主人であったと解りますよと、そして家に帰りハイと云えた時素晴らしい旦那さんがそこにいることが
分かった、」ということが。

非真理の教団と共に歩むより、自分で生命の実相を読んでいる方がよいと云う事は、非真理の旦那とは一緒に住めない、そんなことより一人で
生きていく方がよいと云っているように聞こえます。

4536a hope:2014/10/23(木) 22:45:32 ID:cEpBaIdo

>>4535神の子さん

わたしの主人は、「生長の家の総裁」ではないのです。
だから、「生長の家総裁」である雅宣先生とは比較にならないと思うのですが・・・。

たとえばわたしの主人が「人間は罪深い生き物である」というような「虚説」を信じていたとしても、
その主人の「思想や考え方」には共感(和解)はできませんが、主人のことを嫌いになって別れるということはありません。

ですがもし、主人に、「人間は罪深い生き物だから、お前もそのことを信じなさい」と命令されたら、
「そんなことを信じなければいけないのであれば、離婚させていただきます。」と離婚をお願いすると思います。

わたしが、現教団を退会したのもまったく同じ理由です。

4537a hopeさん:2014/10/23(木) 23:08:31 ID:Og4p/UYQ
そうしますと教団に残っている普通の人たちは真理とは何か分からない人ということですね。
虚説を強要されていることも解らず、退会もしないのですから。

4538「訊」:2014/10/24(金) 08:16:34 ID:???

>> a hopeさん

 うーん。以下の件に関してなのですが、コメントします。


>>>その教義や運動方針については、本来の「生長の家」の教えや運動からみれば『虚説』なのではないか思っています。<<<


 との事ですが、「虚説」ってのは言い過ぎの様な気がします。説明しますが、現総裁の問題は「優先順位の付けマチガイ」だとは思えても、虚説とまでは思えません。虚説と云うのは「雅春先生御教えの真逆の線の内容or完全否定となる」はずですが、雅宣総裁の説にはその種のものは、ありません(※1)。傍証としては『生長の家ってどんな教え』などの御著書がありますけれども、内容面ですがいずれも、雅春先生を完全否定するものは一切ありませんでした。故に、雅宣総裁ですが、御主張内容を「虚説」というのは言い過ぎだと思います。

 総裁の問題は優先順位の付けマチガイ、だとは思えますが「虚説とまでは思えナイ私」です。(※2)




<註>

※1 雅宣総裁の説にはその種のものは、ありません。

 本流側は「天皇を語らない=御教えの否定」と云った認識の様子ですが、これは暴論です。実相を語る際に「天皇から語らナイ」からとて、それだけで「雅春先生の完全否定」とはならぬのです。環境問題から実相を語る切り口だって、万教帰一の生長の家では「アリ」のはず。ですから、真理を語る際の〝入り口〟は問題とはならぬのです。

 問題を検証するならば〝奥座敷〟の方です。雅宣総裁が実相を語ってイナイのであればそれこそ、雅春先生の否定となるでしょう。しかし、未だかつてどなた様もこの点に関し、つまり、「環境問題は実相を語っているか」の点への検証が、見られないのです・・・・・本流派はココを、検証されるべきです。間違っても「天皇を語らない」という理由だけで総裁を、「御教えの完全否定者」等、発言されないことが肝要(さもなくばこれ、御教えを解してイナイのは「いったいどっちなのか」になろうもの)

※2 総裁説を「虚説とまでは思えナイ私」です。

 ・・・・こんな事を書くと破邪サンから、こう書かれます。曰く、「総裁の狡猾さに騙されている人がいる!」「読解力の問題なのか!?」「枝葉末節に捉われて、全体像を見てイナイ!」と・・・・・・・・・しかし(笑)。

 しかし私が具体論を求めますと、彼らは逃げていかれます。「具体的にどの(雅宣総裁)御記述箇所が『御教えの完全否定』なのですか?」と再三問うたこの3年間ですが、いまだかつて一度たりともその様なもの・・・・・出てきません。話が具体的になればなるほど現総裁ですが、少なくとも「虚説と言われるような言動はみられナイ」ってことに、なるんじゃないかと。

4539a hope:2014/10/24(金) 13:42:46 ID:cEpBaIdo

>>4537 神の子さん >>4538「訊」さま


貴重なご意見に心から感謝いたします。 合掌。

ですが、私の「虚説」に関する見解は、自分なりにレポートまでまとめてありますし、

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4056

どうして雅春先生のご教義が「虚説」であると思えるのかも以前ユタカさまが紹介してくださった「生長の家ってどんな教え」をもとに説明済みです。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4340


ですが、これはあくまでもわたしの見解であって、誰でも同じ解釈をするとは考えられません。


ですから、わたしの「虚説」に対する見解は上の虚説についてのレポートに書いてある通りで、
「訊」さまが、

<<虚説と云うのは「雅春先生御教えの真逆の線の内容or完全否定となる」はずですが、>>

とおっしゃるようなものではありません。

雅宣先生は、雅春先生のみ教えの真逆を説いたり、完全否定されているのではなくて、
実相世界の存在を肯定されながら、現象世界やその世界での罪や悪も認められてしまっている、
つまり、生長の家で「虚説」とされている、「実相現象二元論」を説かれているとわたしは解釈しています。

雅春先生も「横の真理」として現象界や霊界の「心の法則」を説かれていますから、一見、現象も認められているようにも見えますが、
ですが、それはすべて、「現象あり」を信じて迷っている人々の魂を、「唯神實相」に目覚めさせ、
救済するための方便として説かれていると思うのです。

「甘露の法雨」なども、二元論的に展開していますが、実相世界の実在以外はすべて、
「なし」「なし」「なし」「あらず」「あらず」と完全否定しています。

また、雅春先生の起こされた現象問題に対応する運動にしてもすべては、「人類の魂の救済」することが最終目的になっていると思うのです。

ですがわたしには、雅宣先生の環境保護運動は「人類の魂の救済」が目的なようにはどうしても見えません。

(つづく)

4540a hope:2014/10/24(金) 13:44:04 ID:cEpBaIdo
>>4539つづき

本当は、もうこれ以上、雅宣先生の教えや運動に関して自分の見解を述べたくないのですが、
今回は、また、神の子さん(仏心さま?)から質問をいただき、また、「訊」さまからも、
ご意見をいただきましたので、
自分の見解を素直に述べさせていただきました。

最後になりますが、これはあくまでも a hopeの個人的見解です。

<<そうしますと教団に残っている普通の人たちは真理とは何か分からない人ということですね。
虚説を強要されていることも解らず、退会もしないのですから。>>

どの「教え」が本当にわたしたちを幸福に導いてくれる「真理の教え」であるかを判断し、
信仰していくのかどうかを決めるのは、信徒ひとりひとりの自由意志に任されているのだと思います。

4541a hope:2014/10/24(金) 14:45:04 ID:cEpBaIdo
>>4539 訂正

どうして【雅春先生】のご教義が「虚説」であると思えるのかも
 ↓
どうして【雅宣先生】のご教義が「虚説」であると思えるのかも

4542「訊」:2014/10/24(金) 16:48:31 ID:???


>>a hopeさん


 おもしろいやり取りになって参りましたね。これから少年野球の指導があるためバタバタでして、無愛想返信で恐縮なのですが、貴女さま解釈は「単純に間違いだと思い」ます。以下ご発言を確認して頂けますか。


>>>雅宣先生は、雅春先生のみ教えの真逆を説いたり、完全否定されているのではなくて、実相世界の存在を肯定されながら、現象世界やその世界での罪や悪も認められてしまっている、つまり、生長の家で「虚説」とされている、「実相現象二元論」を説かれているとわたしは解釈しています。<<<

 ここです。この箇所で「二元論」との言葉がありますが、単純に間違いです。雅宣総裁ですが、「二元論から語られたわけではナイ」と思います。以下に論拠を示しますが、長いのが難点(笑)。ただ、この『生長の家ってどんな教え』のこの箇所の「全体を拝読されれば」、私が言っていることがコジツケ・過剰擁護の類ではナイことがハッキリすると思います。以下、謹写致しましたが、総裁ご著書からです。



http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3084
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3085
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3086
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3087


 さて、「原因」ですが・・・・・いや、なんで二元論に見えちゃったのかの原因の件です。これもはっきりしてまして、これは、「質問者の論点が関係している」のです。総裁ですがあたかも、「現象人間もアル」かのような観点から論を展開されておられますが、これは「質問者の論点がそうだったため」だと察せられます。a hopeさんが心配されて虚説とまで言ってしまわれてますけれども、「どうではナイ」のです・・・・・既述ですが雅宣総裁が「現象人間は迷う」と云われた話は質問者の投げかけ、つまり、以下にこの質問を引用しますが、

――――――――――――――――――――――――――
唯心所現について

Q:

〝唯一絶対〟の神様が、どうして有限の世界に人間をつくられたのでしょうか。そして、人間は神の子であるのに、どうして病気や争いを心に描いてしまうのでしょうか?(二十九歳・女性)

――――――――――――――――――――――――――

 という、問いかけが関係していると思います。相手方(29歳女性)が有限世界に人間をつくったのはなぜか?と問うているのですから、雅宣総裁もその次元から回答をされたのでしょう。全文を確認されておられないと恰も現総裁ですが、「二元論なの?」になるのは理解できますけれども、やはり、虚説と云うのは言い過ぎの感が拭えないような気もします・・・・・

 いや、ちょっと長いですけれども上記「雅宣総裁のご主張」ですが、確認されてみてください。私見ですが虚説どころか現総裁、「素晴らしい対機説法だと思う」のですがね(クドイが長いのは難点とは云え・・・・)



4543「訊」:2014/10/24(金) 16:51:11 ID:???

(×)虚説とまで言ってしまわれてますけれども、「どうではナイ」のです・・・・・
(○)「そうではナイ」のです・・・・・

4544「訊」:2014/10/24(金) 17:02:26 ID:???

<余談>

>>破邪サン

 さあ、この部外者ですが「総裁論を擁護しております」・・・・・・・(笑)。しかも厄介なことに、論拠まで示して(笑)示した上での擁護論です。(まあ、実際に擁護しているのは総裁ではなく「真実」なんですが余談)さて、この、擁護論に関してですが、破邪サン・・・・・・

 なにか、御反論はございませんか?(笑)

 日本男児の破邪サン・・・・・(笑)。

 ・・・・さて、ここは誌友会会場です。異論反論大歓迎です。どうぞご登場なさってこの、まぬけ(?)な訊けによる「総裁擁護論」ですが、論破してみてください。たまには、いかがでしょうか・・・・・対外試合など。そうすりゃ「現総裁=虚説が確定」し貴殿等の運動ですが、大盛り上がりになること必至です(笑)。

 どうぞ、ご登場ください。ご登場されサクッと、「現総裁の虚説っぷり」ですが、天下に晒してみてはいかがでしょう(笑)。期待してます。



4545a hope:2014/10/24(金) 17:17:53 ID:cEpBaIdo

>>「訊」さま

たいへん長文の雅宣先生のご文章を謹写してくださりありがとうございます。

今、ひととおり拝読させていただましたが、眩暈がして気分が悪くなりました。

本当に雅宣先生には申し訳ないのですが、わたしは雅宣先生のご文章(特に教義に関する文)を拝読していると、
体調がおかしくなってくるのです。

「訊」さま、そういう訳で、具体的に詳細なお返事することはできませんが、
わたしの見解が間違いと思われるなら、それは、「訊」さまのご自由ですからどんどん、反論してくださいね。


ですが、ふたつ質問させてください。

「訊」さまは今回謹写された雅宣先生のご文章を読まれて、魂が救われますか?
そして、その雅宣先生のご著書「生長の家ってどんな教え」をご家族や、
人生に悩まれているご友人なんかに差し上げることができますか?

4546秋だけど春:2014/10/24(金) 21:27:04 ID:SfBCfho2
監督は、本当に本流のアタマと論議したいのだよね。。。

私は、どっちもまかりなりに見知っているので、本当に両者が論議を尽くして、分かりあって欲しいと思っている。
けれども、監督がきぼうしているお相手からは、その期はないと言うことも聞いている。
私は良く読んでなかったけど゛、色々議論したんでしょう?
その結果、お相手は、もう監督とは、話する気は無いと伝えられました。


余り、他人を挑発するのは、どうかと思いますよ。

4547秋だけど春:2014/10/24(金) 21:54:24 ID:H/HqaC4s
監督の御発言は、

まず、破邪酸に対しても愛を持っていますか?


監督の言動は、日本国実相顕現に繋がっていますか?

おもしろくなってきた、という下卑た感性も、復興G閣下の以前に逆鱗に触れた御自身の思考過程を、
内省なさることをお勧めします。

破邪酸さんは、素晴らしい方ですよ。
私は、兄として敬愛しています。

根本的に、監督は、正統な生長の家は理解していないと思っています。

4548秋だけど春:2014/10/24(金) 21:56:28 ID:H/HqaC4s
訂正 ⇒破邪酸⇒ 破邪さん です。

4549「訊」:2014/10/25(土) 08:17:16 ID:???

>>秋だけど春さん


 先ず以て「相手方の主張を聞こうとする態度」ですが、これは下卑た感性なんですか。当方は言いまくりを潔しとシナイのです。相手方の主張、つまりここでは、「なぜ破邪サンは『総裁=背教』だと思っているのか」を指しますが、ここを確認したいと言っているのです。

 そして、その種の初歩的な問いかけすらも「逃げられている」のでは、運動は「成り立たない」とも思っています。いや、現段階ですが「現総裁」ですけれども・・・・・濡れ衣を着せられている状況です。そうですよね。なぜと申して「背教者」と云われる現総裁に関して、破邪サンですが、「なんら具体的な指摘はナイ」のですから・・・・・そして、それを問うているのが当方です。

 「相手方の主張を聞こうとする態度」ですが、これは下卑た感性なんですか。話が具体論になれば「すぐに逃げていく」・・・・・・こんな状態では、まあ、なんて云うのか。



追伸

 そもそも破邪サンですが「待っていました!」にならなきゃ、おかしいです。そうは、思いませんか。

 今回当方は破邪サンに、発言の機会を設けたのです。(または発言をしやすいように「促した」)>>4544みたいな投稿あらば、「待ってました!」にならなきゃおかしいのです。「総裁思想のオカシサを、指摘できる機会を得ました!訊けサンありがとう!」になろうってものです・・・・・・違いますか。

 ・・・・この程度の問い合わせで戸惑いがあるようであれば、まあ、その運動ですが、「しょぼいの一言」です。具体論に移った瞬間に総裁が有利になるようでは、破邪サンですが戦術変更をされるべきです。

4550「訊」:2014/10/25(土) 08:32:42 ID:???

>>4545 a hopeさん

>>>今、ひととおり拝読させていただましたが、眩暈がして気分が悪くなりました。<<<

 そうですか、それは残念ですね。しかしまあ、何て云うのか・・・・・少なくとも「二元論ではナイ」のです。その点は確認して頂けますと、幸いなんですがね。
 いや、「ところで」なんですが、ところで・・・・・・既述ですが「なんで二元論に見えちゃったのか」の件です。これははっきりしてましてこれは、

「質問者の論点が関係している」

 のです。
 総裁ですがあたかも、「現象人間もアル」かのような観点から論を展開されておられますがこれは、なぜそうなったか(二元論から語ったか)と云えば、「質問者の論点がそうだったため」だと察せられます。a hopeさんが心配されて虚説とまで言ってしまわれてますけれども、「そうではナイ」のです。以下、総裁ご主張ですが、

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 この方の質問は、「〝唯一絶対〟の神様がどうして有限の世界に人間をつくられたのでしょうか?」というものです。けれども、私は、「神は現象世界に人間をつくった」とは言いませんでした。そうではなくて「もともと実相世界しかない」という話をしました。しかし、この方は「いやこの世界はある」と思っている。だから、「有限の世界に人間をつくった」という質問になる。しかし私は、「有限の世界はナイ。実相世界がある」という話をしたのです。だから、神の創造された実相世界に、人間は今も神の子、仏として存在しているのです。どこか別の所にいるのではないのです。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 と、お述べになられておられます。で、当方は昨日、その事を示したつもりなんですが、気分がすぐれないのであれば、しょうがナイですね。次に移ります。



>>>「訊」さまは今回謹写された雅宣先生のご文章を読まれて、魂が救われますか?<<<

 気づきは、ありましたよ。たとえば以下に転写しますが、この箇所の対機説法ですけれども雅宣総裁、実に見事です。一緒に読んでみましょう。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 「どうして人間は神の子であるのに、病気や争いを心に描いてしまうのでしょうか?」――
 時々、こういう種類の質問を受けることがありますが、それらは「なぜ神の子である人間が間違うのか?」という質問に帰結すると思います。これと似た質問は、「神の子だったら、なぜ罪を犯すのか?」「なぜ間違いを犯すのか?」「迷いがどうしてあるのか?」などいろいろあります。(つづきhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3086

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 いかがでしょう。結構、説明がむずかしいそんな概念ですが、「案外やりおるわい、三代目」ではないですかね・・・・失礼な表現ですが(笑)。


>>>そして、その雅宣先生のご著書「生長の家ってどんな教え」をご家族や、人生に悩まれているご友人なんかに差し上げることができますか? <<<

 出来ます。総裁ご著書の同書に関しては、自信を持って勧められますね。ただし、『小閑雑感』は・・・・・・・・難解です(笑)。読んでも意味不明ですんで、勧めることはナイでしょうね。

 まあ、こんな感じです。また何かレスでもしてください。



4551a hopeさん:2014/10/25(土) 09:21:03 ID:RdJh7Ydg
ahopeさん
 今、ひととおり拝読させていただましたが、眩暈がして気分が悪くなりました。

 本当に雅宣先生には申し訳ないのですが、わたしは雅宣先生のご文章(特に教義に関する文)を拝読していると、体調がおかしくなってくるのです。

訊けさん
 そうですか、それは残念ですね。

わたし
 どんな声が聞こえてきても、どんな文章を読んでも、どんな行動が見えても、私の「こころ」には関係ないです。
 自分の心に気持ち良いものは素晴らしいもので、自分の心に気持ち悪いものはよからぬものと感じるのでは、救われていないのではありませんか。
 すべてを映し出す「こころ」そのものが自分であり、映し出されたものは単なる映像ではないのですか。

 わたしにはa hopeさんこそ観念で実相独在を云われながら実相現象二元論の最中にいると映ります。

4552「訊」:2014/10/25(土) 09:32:13 ID:???

>>4551

 この、不生仏心生徒の論に補足しますが、以下なにも「 a hopeさんへの非難でもなんでもナイ」点は強調しておきます・・・・・いやまあ、雅宣総裁の「御文章に関し」です。余談ですが、掲載しておきます。

 さて、1年くらい前でしょうか、私はあるイタズラを掲示板で行ったのです。雅宣総裁の御文章を掲載し、「誰の御文章かわかりますか」と、クイズを出したんです。そしたら・・・・・・・いろいろな答えが来て面白かったですね。ある人は「榎本恵吾先生だ」で、またある人は「徳久克己先生だと断言します」と・・・・・・・(笑)。

 いや、この話のポイントですが、先入観です。

 先入観なしに読めば雅宣総裁の御文章ですが、「読める」んです。

 そして、先入観なしに読めば雅宣総裁の御文章って、榎本先生や徳久先生の書かれたものと、そんなには変わらないのです。(つまり「雅春先生を否定するような思想はナイ」の意味) まあこれは、「a hopeさんへの非難でもなんでもナイ」点は強調しておきますが雅宣総裁・・・・・・そんなにヘンな思想は語ってはおられないと観ます。

 以上、余談でした。



追伸

 「相性のよしあし」はあるでしょう。ですんで、a hopeさんが気分を悪くするようなことは、あるのかもしれません。その点は理解できます。

4553a hope:2014/10/25(土) 17:14:06 ID:cEpBaIdo

>>4550「訊」さま >>4551 さま

お返事やご意見をありがとうございます。

雅宣先生の御文章はひととおり拝読させていただきましたが、>>3084〜3086
(聖典引用板)の内容は例え話もされたりして、
「生長の教え」を丁寧にご説明されている御文章だと感じました。

ですがその後の>>3087は、もう完全に現象ありを前提にお話され、この部分が「虚説」だと感じます。


具体的な一例をあげさせていただければ、

<<人間以外に、神様は自由のない生物を数多く創っておられる。>>
↑ これって、「生長の家の教え」でしょうか?

現象世界は影であり、神さまの創造ではないですよね?

たとえ、対機説法だったとしても、「現象世界の人間や生物」を神が創ったなどと考えるご思想には、
わたしはとてもついていけません。

「訊」さま、わたしは雅宣先生のご文章自体が二元論だというよりも、
むしろその「ご思想や考え方」が二元論なのではないかと感じています。

ですから、その文章の内容も違和感だらけですが、その文章から伝わる波動が、
雅春先生や、恵吾先生、徳久先生のものとは全く異なってわたしは感じてしまうのです。

その件に関しましては、まだわたしが本流の掲示板に書き込みをしているころから主張していましたし、
山科さまや明鏡さまという「生長の家」の大先輩が、聖典の文章を根拠に、とても丁寧な素晴らしいご指導をしてくださっています。

http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=383&amp;submitlog=383

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=1743&amp;submitlog=1743


「訊」さまや、神の子さまと雅宣先生のご教義に関して、議論するつもりはありませんので、
すみませんが、これ以上はこの話題へのお返事は控えさせていただきます。

4554秋だけど春:2014/10/26(日) 19:18:59 ID:IVp5xRE.
>>当方は言いまくりを潔しとシナイのです<<

これは、納得です。

ただですね、違いについてはきちんと破邪さんは書いていたと思いますよ。
判り切ったことを、今更また指摘する事はしないでしょう?

本流の方たちは、若かりし頃からの現総裁を見知っていたり、色んな思いこみもあって、
聞きもしない、これは確かにそうですね、当方は言いまくりを潔しとシナイのですに、合致します。

神示を読めば、わかるんですが、
監督の理解している生長の家の教えと、本流が復古すべきと言っている御教えは、
天皇国日本が違う、ここが境目だと思います。
勿論、私は天皇国日本の側ですから、監督の言われた"実相には、天皇なんて書いてないじゃん、どこにも"発言には、
嗚呼、やはりわかってないんだろうなあ、神示読んでねって言ったのに。。みたいな感じです。

破邪さんは、私直接聞きましたから、もう監督とやり取りする気は無いです。
お忙しいしね。

監督は、論議の体裁をとりつつ、本当の生長の家の御教えを、教えてほしかったんでしょうかね。

4555「訊」:2014/10/26(日) 19:45:11 ID:???

>>秋だけど春さん

 簡潔に書きますが、

>>>勿論、私は天皇国日本の側ですから、監督の言われた"実相には、天皇なんて書いてないじゃん、どこにも"発言には、嗚呼、やはりわかってないんだろうなあ、神示読んでねって言ったのに<<<

 こういうのが、「言いまくり」です。どの神示でしょうか、それは。そして「そもそも」なんですが、そもそも実相を語る際に「私は天皇国日本側」とかの、そんな言葉が出てくるものなんでしょうか。天皇国日本って「そんなモンなの?」という感じです。

 あるのは唯、「実相」です。語り口が多種多様なのであり、天皇国日本は「そのひとつに過ぎない」のです。そして、ひとつの切り口に過ぎない天皇国日本を、こう評するのはマチガイだと当方は、主張しているのです。その、間違った解釈とは、「天皇国の切り口から実相を語らないのは生長の家ではナイ」になります。ここは、お分かりですか。

 「天皇国の切り口から実相を語らないのは生長の家ではナイ」・・・・・もしもあなた様のご意見がかくの如しであれば、断言しますが「私ではなくあなた様が間違い」です。ですんで、以下のご主張ですけれども、微妙に違います。

>>>監督の理解している生長の家の教えと、本流が復古すべきと言っている御教えは、天皇国日本が違う、ここが境目だと思います。<<<

 その通りなんですが、私の理解の方が正しいのではないですか。なぜと申して天皇国日本「以外からも」実相ですが、語られるのが雅春先生の御教えだからです。そうでは、ありませんか。



追伸

>>>破邪さんは、私直接聞きましたから、もう監督とやり取りする気は無いです。お忙しいしね。<<<

 忙しくとも聖典は、読まれるべきです。聖典を読んでおられナイからわたしと、交流不能になるのです。そうでは、ありませんか。そもそもですが、私の誘い(>>4544)ですが、「待ってました!」と喜ばねば、ウソになります。今回当方は破邪サンに、発言の機会を設けたのです。(または発言をしやすいように「促した」)>>4544みたいな投稿あらば、「待ってました!」にならなきゃおかしいのです。「総裁思想のオカシサを、指摘できる機会を得ました!訊けサンありがとう!」になろうってものです・・・・・・違いますか。
 ・・・・この程度の問い合わせで戸惑いがあるようであれば、まあ、その運動ですが、「しょぼいの一言」です。具体論に移った瞬間に総裁が有利になるようでは、破邪サンですが「戦術変更をされるべき」です。

4556a hope:2014/10/26(日) 20:07:13 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p111

失錯(しっさく)は向上の段階

むろん、実際生活においては、家族の各員は誰でも時々何かの事柄で失錯を演ずることはあるでしょう。
しかしこういう失錯はいちいち拾い上げて咎め立てする必要はないのです。
それはよりいっそうハッキリと完全なる実相があらわれるための段階でしかないのです。

成長期の幼児は一つ躓いて倒れるごとに、いっそう十分立ち上がることを覚え、いっそう巧みに歩行することを覚えるのであります。
われらは無限生長の前途から考えればまだ幼児であるのである。
側(かたわ)らにいる人が、その倒れたことを非難せず、またむやみにその顕われた弱さに同情せず、
冷厳なしかし知恵深き愛をもって、「あなたは強いのです。実相は起きられるのです。」との励ましの一語でその実相の強さを引き出すとき、
その幼児はいよいよ強く生長していくのであります。

無限の善さを相手に見よ。
その善さを引き出しうるものであると信ぜよ。
これが本当は知恵深き愛なのであります。
弱さや醜さをそのまま本当の相(すがた)であるとして同情する甘き安価な表面の愛に陶酔するな。・・・

4557a hope:2014/10/26(日) 20:08:25 ID:cEpBaIdo

>>4556 a hope所感)

<<弱さや醜さをそのまま本当の相(すがた)であるとして同情する甘き安価な表面の愛に陶酔するな。>>

家族や友人が間違いを犯しているのがわかったとき、相手の強さ(実相)を本当に信じていれば、
ハッキリと、「あなたのしていることは間違っている。」と言ってあげることができるのではないかと感じました。

中途半端な同情や優しさで、相手の間違いを黙認してしまうのは、相手が弱い未熟な人間だと感じ、相手を下に見ているからなのではないかと・・・。

わたしは今迄ずっと、この掲示板で「雅宣先生のご教義や運動がおかしいのではないか?」と言い続けていますが、
例え、「虚説」に和解しないためとはいえ、何かを批判するというのは気持ちのいいものではありません。

破邪顕正さまはじめとする本流の先輩方だって、「生長の家」の「人間神の子」の教えを信仰されているのですから、
雅宣先生を批判し続けるのは心の奥底では気持ちよく感じているはずはないと思います。

ですが、今回の謹写部分を拝読していて、もしかしたら本流の先輩方は雅宣先生の「実相」を信じているからこそ、
激しい批判を続けていらっしゃるのかもしれない・・・とそう信じたくなりました。

わたしたちが客観的にみれば、雅宣先生は明らかに失錯を演じていらっしゃるのですが、ご本人はそれに気づいていらっしゃらないご様子です。
(もしかしたら、気づいていて気づかないふりをされているのかもしれませんが・・・)

冷厳なしかし知恵深き愛をもって、それに気づかせてあげることもとても大切なのではないかと・・・。

4558秋だけど春:2014/10/26(日) 20:59:15 ID:IVp5xRE.
>>どの神示でしょうか<<

この間、hopeさんが出していた神示。

もうね、破邪さんを引き出してきてどうこうって、彼方が決めることじゃないでしょ?
ここは、で出来てしかるべきだ、なんて。


相手は、うんざりしているんですよ。

4559秋だけど春:2014/10/26(日) 21:06:24 ID:Vjog84hY
>>「天皇国の切り口から実相を語らないのは生長の家ではナイ」
もしもあなた様のご意見がかくの如しであれば、
断言しますが「私ではなくあなた様が間違い」です<<

何度も言っていますが、真理にたどる道など、いくつもあります。

生長の家では、神示に顕して、雅春先生が体現されたほど、天皇国日本の切り口なんです。

他の(私など)人たちが、真理を知って、生長の家を聞いて、ふんふん、と納得するのも、原点が一緒だからです。

4560「訊」:2014/10/26(日) 21:40:47 ID:???


>>>生長の家では、神示に顕して、雅春先生が体現されたほど、天皇
国日本の切り口なんです。<<<

 すみませんが、ご解説頂けませんか。いや、「真理にたどる道など、いくつもあります。」とのことですよね。その部分は賛成なんですが、そうなると、上記(>>>で引用した)部分の意味がわからないのです。

>>>もうね、破邪さんを引き出してきてどうこうって、彼方が決める
ことじゃないでしょ?<<<

 そりゃまた、どうしてなのですか。

 雅宣総裁の虚説ぶりですが、指摘するのが破邪サンのお役目であったはずです。「総裁のマチガイを世の中に訴えていく!」運動でしょう。ならば・・・・・・・喜んで、現れなきゃオカシイでしょう。意味は伝わりますか。

 総裁説、その「具体論」です・・・・具体論で議論できるのですから、そしてそれを当方は担保したんですから破邪サンですが、現れなきゃオカシイですよ。「忙しい」ですって?なんですか、それ(笑)。みんな、忙しいんですよ・・・・・

 忙しい中、わたしも総裁説ですが「別段おかしくはナイ」と主張しているのです。総裁説がオカシければ、破邪サンですが「堂々と登場されればイイ」んです。だって、それが彼の仕事なんでしょう?ちがうんですか。「総裁のマチガイを世の中に訴えていく!」のが、彼の運動であり「仕事」でしょうよ・・・・・

 ・・・・・・議論が具体論に移行した瞬間、彼らは「常に逃げていきます」よね。それじゃ(少なくとも)外形的には、破邪サンですが「総裁に濡れ衣を着せていることになる」のではナイですか。



4561秋だけど春:2014/10/27(月) 19:51:25 ID:dLN.fF0c
>>上記(>>>で引用した)部分の意味がわからないのです。<<

うん? 意味が分からない?
私も解説の仕方が分からない。

>>「総裁のマチガイを世の中に訴えていく!」運動でしょう。<<

これは、違うと思いますね。
憲法改正と優生保護法改正が運動の目指すとこだと思われます。

>>総裁説がオカシければ<<

おかしい事は、もう言ってある。

>>だって、それが彼の仕事なんでしょう?ちがうんですか<<

違います。
生長の家の本来の教えを正しく伝え、現教団を救う目的らしいです。

>>議論が具体論に移行した瞬間、彼らは「常に逃げていきます」よね<<

議論など、必要ないからです。
判っている人に、来て欲しい、
教団の縛りから解放されて本来の真理の道を歩んでほしい、
というのが
運動の原点みたいです。

いちいち議論しなくても、分かる人にはわかる、分からない人は永遠に議論していても仕方ないと、
見切りをつけたんでしょう。

忙しいと言うのは、私のすいさつですので、あしからず。

4562秋だけど春:2014/10/27(月) 19:57:58 ID:dLN.fF0c
監督、神示は全部読んでますか?

私、今手元にないので、先日ahopeさんが書いたのと言いましたが、違う神示すも読んでますか?

4564「訊」:2014/10/28(火) 06:13:39 ID:???

>>秋だけど春さん(WED誌友会スレの件)

 誌友会の論点と違ってますんで、本流対策スレに返信しました。同スレの9326以降をご覧ください。



4565a hope:2014/10/28(火) 08:58:04 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

「訊」さまと「春」さまが、天皇信仰についてお話をされていますが、
わたしは、web誌友会のテキストの内容を進めさせていただきます。

天皇信仰と「生長の家の教え」に関しては、わたしもこれからお勉強して行かなければいけない大切なテーマだと思っていますので、
お二人の議論を拝見してお勉強させていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。


ところで、テキストのお勉強は「生命の實相」14巻の『第八章 無軌道の倫理』p113に入ります。

この章は、主に、「人格の自由」について説明されています。
「人格の自由」に関しては、第13巻の第六章でもお勉強しましたが、
今回はその真理をより身近な家庭生活でどう生かしていくかが具体例をあげて説明されています。

今月のテキストの範囲はこの第八章までですので、あと4日ほど、この章をお勉強して、
来月からは、『教育篇 「生長の家」の児童教育法』へ進みたいと思います。

4566a hope:2014/10/28(火) 09:18:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p114 後から3行目〜

生命は神であるから、それを縛らないで伸ばすとき、いくらでも無限に善くなり美しくなるのです。

それが善くならず、美しくならないのはそこに生命が出ていないからであります。
生命を物質と見て固定してしまっているからであります。

そこになんらかの善または美をつけ加えようとするならば、生命は過去において自発的に行って発現した
美や善を形式的に模倣せしめなければならなくなるのであって、芸術の型や道徳の型はそれである。

しかし型を真似たとき、もう生命は死んでいるのであって、ただそれはただの形骸であり、ただの人形にすぎないのであって、
もう本当の善も美も去ってしまっているのであります。

それは過去には善であり美でありえたのは、生命が自発的に、その自由衝動によって発現し行動した道であったからであります。

4567a hope:2014/10/28(火) 09:23:30 ID:brQxC10.

>>4566 a hope所感)

この文章の後、三つの事例が紹介されています。

①母親が息子を「健康の法則」で縛らなくなったとき息子の肺病が癒された実例。

②母親の「勉強させねばならない」の念波を捨て、「この子はよく勉強する子だ」と信じる気持ちになった時、
勉強嫌いだった娘が勉強好きになった実例

③形の道徳家であったキリスト教の牧師の妻が、浮気をし、その牧師を捨てて浮気相手に身を投じてしまった実例

どの実例も、相手を法則や形式で縛ってしまい、自由を奪った為に起きた不幸ですが、
①と②のケースは雅春先生の助言により、母親が心を変えることで子どもの本来の姿が現れました。

ですが③の悲劇の牧師さんの事例に対しては、雅春先生は周囲の人々にこうご助言されています。

「なぜ十五年も良人とした牧師からその妻がのがれたのか、それが問題です。
きっとその牧師は道徳家であって、その妻を縛ろうとしていたのに違いありません。
形の道徳家は不道徳家を作るのです。縛ろうとする時、ハミ出ようとするのが生命です。
今度もその情人を引き離そうと思って強制はしなさるな。
かえってその両人は反抗して強烈な力で結び合うことになるでしょう。
誰も縛らないで、生命そえ自身の衝動に信じまかせ切ってしまうとき、生命は正しく動くほかはないのです。
二人が離れるべきものなら自然に離れるでありましょうし、二人が即(つ)くべきものなら、
二人の前途をそのまま祝福してやらねばなりません」

ここで間違いを犯してしまっているのは牧師の妻ですが、この牧師の妻に「善(神の子)の自覚」つまり「本当の道徳観」があったならば、
このような悲劇は起きなかったと思います。

時々、「道徳的でなければいけない」の『ねばならない』に縛られた学校の先生や警察官がわいせつ行為等で捕まってしまうのも、
そういうことが原因なのではないかと感じました。

「善(神の子)の自覚」の伴わない形だけの道徳観(法則や形式)に縛られ続けたとき、
人間は衝動的に間違いを犯してしまう危険があるのかもしれません。
 

p117 後から3行目〜

<<真に「生命」それ自身の自由に委ねられるとき、「生命」は真を発揮し、
それが真であるがゆえに善を発揮し、美を発揮することになるのであります。>>


人間にとって『「人格の自由」が保障される』ということがどれほど重要なことであるかがわかります。

4568不生の仏心:2014/10/28(火) 11:06:00 ID:zTvAOV2w
>>4567

相手の自由を縛るな、と云いつつ「公人は斯くあらねばならない」と何故縛るのでしょうか。

雅春先生も清超先生も縛らず自由にされたと云うのに。

4569a hope:2014/10/28(火) 12:51:37 ID:cEpBaIdo

>>4568 仏心さま

何をおっしゃいますか。

雅宣先生のことだったら、誰にも縛られてなんていないではないですか。

森のオフィスにしても、世界平和にしても、自転車レースにしても、キノコ採りにしても、
公人として、自分のお好きなように、充分ご自由になさっているではないですか!

違いますか?

これから仕事ですので、お返事は夜になります。

4570a hope:2014/10/28(火) 12:58:40 ID:cEpBaIdo
追伸

雅宣先生は「生長の家」の総裁で、頂点に立っていらっしゃるのだから、
誰にも縛られるということはないと思いますよ。

唯一、縛ることが出来るの人物は、奥さまの純子先生でしょうか・・・?

4571不生の仏心:2014/10/28(火) 13:18:52 ID:zTvAOV2w
>>4569 >>4570

何云うのかな〜 業には身口意の三業があるんだよね

意業であなたをはじめ皆さんが縛っているんでは。意業だけで済まない人は身口の業で縛っているのでは。

貴女の真理の理解って面白いです。

4572a hope:2014/10/28(火) 18:44:53 ID:DrHwZkWE

>>4571 仏心さま

そうすると仏心さまは、雅宣先生の今までの言動は、わたしや本流の先輩方からの意業の束縛に反抗した言動であるとお考えなのですか?

もしそうだとしたら、それは「生長の家」総裁としてはあるまじき、物凄く自己中心的な幼稚な反抗だと思いませんか?

まさかそのようなことはないでしょう。

わたしは、雅宣先生はご自分の言動やその失策を他人のせいなだとはお考えになってはいないと拝察しています。

すべての責任は自分にあると「一切者の自覚」をもたれ、これから教団がどんな状態になっても、お一人で責任を取られる覚悟がおありだとわたしは信じたいです。

4573神の子さん:2014/10/28(火) 19:50:50 ID:???
雅宣さん、あなたを誰も縛ってはいないよ

貴方を縛っているのはあなた自身の心。つまり自己劣等感ですよ。

他人のせいではありません。

4574不生の仏心:2014/10/28(火) 20:19:19 ID:zTvAOV2w
>>4572

意業の束縛に反抗した言動であるとお考えなのですか?
もしそうだとしたら、それは「生長の家」総裁としてはあるまじき、物凄く自己中心的な幼稚な反抗だと思いませんか?

おかしな総裁がいるその原因が何かと云う事を云っているのではありません。
縛らなければよきものが現れるのが真理と云うから、顕れていないというのであれば、彼を縛るものがある、と云っているだけです。総裁の良し悪しを問題にしているのではありません。真理の言葉を学びながら現実の環境を見たときに、真理から考えていないように思えるのですよ。

4575神の子さん:2014/10/28(火) 21:06:42 ID:???
雅宣さん、あなたはこんな匿名の掲示板の本流とか自称している誰だかわからない人に

縛られていると感じているのですか。

もしそうならば、やはりそれも自己劣等感。貴方自身の心の問題です。

4576不生の仏心:2014/10/28(火) 21:18:30 ID:zTvAOV2w
>>4573 >>4575

a hopeさんと同じこと云うのですね。総裁が周りをどのように観ているかとか、感じているのかとか、そんなことは一切関係ないです。
不都合な人間がいると云うのであれば、それは彼を縛るものがあることを示しているというだけのこと。

日本語読めないのですか。

4577a hope:2014/10/28(火) 21:46:27 ID:cEpBaIdo

永遠の女性なるもの p118

生命は、それ自身の自由に委ねられたとき最も進歩し発達するものでありますから、
もし家庭において、良人が妻を、妻が良人を、形で(のみならず心でも)縛ろうとするとき、
その良人は思う存分発達することができず、常に「後顧の念」に縛られて社会へ出て十分の活動ができなくなり、
妻は自分自身独特の個性の美しさを発揮することができなくなって、その知識においても、
感情においても容姿においてもギコチない、型にはまった、停滞したものとなってくるのです。

そこにおいて、妻は女性としての魅力を失い、良人の進歩に雁行してゆくことができず、
良人の伴侶となることができず、良人から愛されないことになり、
その家庭は悲惨なカタストローフ【破局】を見ることになるのであります。


妻は家婦であると同時に、「永遠の女性」でなくてはならないのであります。

「永遠の女性」とは『創世記』の第一章にある、「神が神の像に肖(かたど)りて人を造り、男と女に造り給えり」
とあるところの、「神としての女性」であります。

内にすでに備わっているところの無限の女性美が、
滾々(こんこん)として常に顕れるところの女性でなければならないのであります。

常にいっそう「永遠の女性」であり、常にいっそう新鮮美がなくてはならないのであります。

年と共に老けゆく女性は本当の女性ではない。

歳とともにいよいよ新鮮に「永遠の女性」美が顕われるのが本当の女性なのであります。

4578a hope:2014/10/28(火) 21:53:06 ID:cEpBaIdo

>>4577 a hope 所感)

<<年と共に老けゆく女性は本当の女性ではない。
歳とともにいよいよ新鮮に「永遠の女性」美が顕われるのが本当の女性なのであります。>>

そうなんですか。
「永遠の女性」美 が顕れなければ、本当の女性ではないのですね・・・(;’∀’)
ちょっと厳しいですが、でも、なんだか嬉しい真理ですね!

わたしは、その「美」の秘訣は「神想観」にあるのではないかと感じています。

「神想観」をして、神にすべてを委ねる気持ちになった時、不安が消え、感謝が溢れ、
自分が神聖に輝くような気がするのです。

女性でも男性でも、「永遠の生命」や「神」を信じている人は、心穏やかで何歳になっても美しいです。

こちらをご覧の女性のみなさん

わたしと一緒に「生命の實相」の真理を学び、神想観ををして「永遠の女性」美を手に入れましょう!!

4579a hope:2014/10/30(木) 22:24:05 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p123 

相手を強制するな

相手を自分の考える善にまで強制してはならないのは、その強制によって相手はますます悪くなると共に、
自分自身がいっそう悪くなるからであります。

他を縛ろうとするならば、常に自分の尺度をもって相手を測っていかなければならないでありましょう。

その間に最も自分に大切なる自分自身のエネルギーが効果もなく失われてゆくことになるのです。

それはまったくエネルギーの浪費であります。

浪費であるばかりかそれは自他を傷つけるエネルギーとなるのです。

常に相手の欠点を見て、それを心に印象し、その印象を相手に念送するならば、
夏川静江の『ひとり静か』の放送物語を聞いてさえ、その物語のとおりに皮膚に斑点を生ずるのが人間の感性です。

それほど過敏でないにしても、悪を認めてそれを心に印象すれば、その想念は必ずや、自分自身を内部より破壊し、
その想念を送られた相手は、その悪しき想念の放送を受けて外部から弾丸を受けるかのように害されているのであります。

「善くしてやろう、という想念は相手を害し、すでに善いとの想念は相手をよくする」という「智慧の言葉」は実に真理であります。

自分自身の心を常に健全に、自分自身の肉体を常に健康に、自分自身の精力を百パーセントに善用しようと思う者は、
相手をして自分の好む軌道をのみ通らせようと思ってはなりません。

軌道のないところに本当の天道がある。無軌道の飛行機は脱線するおそれはないが、
ここを通らなければならぬと定められた汽車や電車は脱線転覆の惧(おそ)れがあるのです。
(つづく)

4580a hope:2014/10/30(木) 22:25:08 ID:cEpBaIdo

>>4579 a hope 所感)

<<常に相手の欠点を見て、それを心に印象し、その印象を相手に念送するならば、
夏川静江の『ひとり静か』の放送物語を聞いてさえ、その物語のとおりに皮膚に斑点を生ずるのが人間の感性です。
それほど過敏でないにしても、悪を認めてそれを心に印象すれば、その想念は必ずや、自分自身を内部より破壊し、
その想念を送られた相手は、その悪しき想念の放送を受けて外部から弾丸を受けるかのように害されているのであります。>>

やはり、「悪」を認める想念は、相手のみならず自分自身をも傷つけてしまうのですね。

「自分自身を内部より破壊する」とは、なんと恐ろしいことでしょう。
さらに、相手は「弾丸を受けるかのように害される」とあります。

「生長の家の教え」は「悪なし」の教えですから、現象の「悪」や「罪」を認めたような『虚説』は断固として排撃しつつも、
相手の仮相(迷いの姿)はあくまでも自分自身の心を映した鏡であるわけですから、その姿には感謝して、
自分と相手は一体である事を心に念じて、実相を礼拝することが本当の「生長の家」の信仰の姿なのではないかと感じています。

4581a hope:2014/10/31(金) 10:06:22 ID:cEpBaIdo

p124 後から7行目〜

軌道があるから脱線する。軌道がなければ脱線せぬ。

「ねばならぬ」に縛られた人たちは、自分も脱線して苦しみ、人をも脱線せしめて苦しむ人たちであるのであります。

電車なら線路がなくては人生の行路が歩めぬかもしれぬが、人間は神の子であるから、それ自身の自由にゆだねられたときかえって、
それ自身の中心を得て完全に回転するのであります。

すべて自主的運動をなすものは、それ自身の自由にまかされたとき、少しの歪(いびつ)もなしに回転し、
他から束縛しようとせられるとき、その回転が乱調子となり、一定の所からかえって撥ねて飛ぶのは、
廻っている独楽(こま)と同じであります。


竹はすべて真っ直ぐに生長するのが本性であり、藤蔓(ふじづる)は巻き付くのが本性であり、
笹芝は地を這うのが本性であります。

そのそれぞれに美があり、個性があり、個性の中に天意があり、神があるのである。

竹を竹して竹たらしめよ。藤蔓を藤蔓して藤蔓たらしめよ。笹芝を笹芝して笹芝たらしめよ。

藤蔓をして竹のごとく真っ直ぐならしめんとし、竹を藤蔓のごとく巻きつかしめようとする時、
竹も枯れるで、なおいっそうよくないのは、かく外部から強制せんとしつつ自分自身が奔命に疲れて滅んでしまうでありましょう。

人をいわゆる「自分の尺度」で測って、善ならしめようとして、相手をそこない、
自己をそこなっているのはちょうどこれと同じであります。

4582a hope:2014/10/31(金) 10:08:39 ID:cEpBaIdo

>>4581 a hope所感)

<<電車なら線路がなくては人生の行路が歩めぬかもしれぬが、人間は神の子であるから、それ自身の自由にゆだねられたときかえって、
それ自身の中心を得て完全に回転するのであります。>>

わたしは母親として子供達を見ていて、この事はすごくよくわかるような気がします。

身近なことですが、子供たちが学校から帰って来、宿題をやらないで遊び始めたとき、
「宿題を先に終わらせてよ!」とわたしが強制的にやらせた場合、子供たちは一応やり始めますが、
子供達の心の中に「遊びたい!」という気持ちが残っているので、集中力に欠け、時間ばかり食って、
能率が上がりませんし、せっかくの学習も身につかない様子です。

ですが、子供が遊び始めた時に、「今日は宿題はあるの?夕飯は6時の予定なんだけど?」と声掛けすると、
子供達は、「じゃあ、一回ゲームやってからやるよ。」とか、「夕食、食べ終わってからやる。」とか、
それぞれが、答えるのですが、そうすると本当にその時間になると必ずやり始めるのです。
そして、ものすごい集中力を発揮して、短時間で終らせます。

ここで、大切なのは母親の声掛けした後の態度なんだと思います。
わたしも何度も失敗しましたが、一度声掛けした後は、子供を信じて黙って見守ってあげなければいけないのですね。

子供が自主的にやりだす前に、「ほら、ゲーム一回終わったでしょ?早く宿題やりなさい。」とか、
夕食を食べている最中に、確認するように「あなた、夕食食べたら宿題やるのよね?」とか言ってしまうと、
子供は母親に信頼されていないと感じ、ますますやる気をなくすのだと思います。

身近な家族を信頼する、特に自分からみればまだまだ未熟に見える子供達を信頼し、
自由にさせるというのはなかなか難しいですが、
母親にそれができたとき、子供たちは本来の「神の子」の無限に伸びる力を発揮してくれるのだ、
ということがやっとわかってきました。
(つづく)

4583a hope:2014/10/31(金) 10:10:45 ID:cEpBaIdo
>>4582 つづき

p126 8行目〜

<<決して相手を縛って導こうとしてはならない。
自分自身が得ている真理で何か相手に捧げる実行的奉仕を為しつつ、相手自身を相手の思考の自由にまかせておくのがよいのであります。
相手の「神の子たる善さ」を信じてその自由にまかせておくのであります。
かくて人は本当の自由にまかせられるとき、廻っている独楽を触らないで自由に委(まか)すとき、
心軸を中心として立ち上がるように正しくいきるようになるのであります。>>

ここに、まさにわたしが「子供達への対応」に関して感じている結論の正しさを証明してくれるような文章が書かれていました。

聖典「生命の實相」はわたしの「座右の書」であり「人生のバイブル」です。

4585トキ:2014/10/31(金) 10:59:24 ID:O7P5.4T.
 そうですね、最近、感じるのですが、「千里の道も一歩から」という言葉の意味です。

 国家や環境の問題も重大ですが、まずは、目の前に、困っている人がいるのなら、その
人のために何かをする。個人なら家庭を明るくする。そういうところから始めてこそ、
国家の問題についても、環境の問題についても、説得力が出て来る、と感じます。

4586a hope:2014/10/31(金) 22:44:11 ID:cEpBaIdo

トキさま みなさま こんばんは

今月も今日が最終日になり、明日からは第29回web誌友会が開催します。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第29回 web誌友会 予告

期間  11月1日〜11月30日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p127〜p199
内容 「生長の家」の児童教育法
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆



わが家の子供たちもそれぞれ順調に成長してくれていますが、まだまだいろいろと心配事も多いです。
ですが最近は、子どもの問題行動もすべて自分の心の影なのだから、
自分の心を変えることが問題解決への近道だということがわかってきました。

今回さらにお勉強して「生長の家」の児童教育法をしっかりと自分のものにしたいです。
子育て中のみなさまも、そでないみなさまもどうぞご気軽にご参加くださいね。

それでは、明日になりましたら「開会の祈り」と、p128にある「児童教育に関する神示」を謹写させていただきます。

4587a hope:2014/11/01(土) 08:07:46 ID:cEpBaIdo

11月に入りましたので、第29回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4588a hope:2014/11/01(土) 08:09:19 ID:cEpBaIdo

「児童教育に関する神示」

多くの母親は子供のことを余りに取り越し苦労するために、
かえって子供に悪思念を放送して子供の健康や運命を害している。

ある母親は一瞬間でも自分の眼の前にいないと心配でたまらないのである。
彼は自分の想像の中で、躓(つまず)いて転んでいる自分の子供の姿を思い浮かべる。

自動車にひかれて死にかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。

水に陥って溺れかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。

世の母親よ、なぜあなたはこの反対をしてはいけないのか。

こんな取り越し苦労が起こるのは、
子供を神の子だと思わないで人間の子だと思うからである。

神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。

人間の子だと思うものは終世、取り越し苦労をして育てねばならぬ。

子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬してできるだけその世話をさせてはいただくが、
神が守ってい給うと信ずるがゆえに取り越し苦労は必要はないのでる。

人間力で子供を生かしうると思うなら終日終夜起きて子供の番をしておれ。

それはできなかろう。

できない間に子供を生かしているのは神の力である。


感謝 合掌。

4589a hope:2014/11/02(日) 11:55:31 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p129

われわれを神が造った。神と呼ぶのが嫌な者は生命といってもよい。

神の力を疑うものは馬鹿者だ。神が造った万物のなかでその主位にある人間の力を疑うものは真理を見る目のない者だ。

われわれの内に無限が宿っている。この無限を掘り出せば人間はみんな天才となるのだ。

天才を、人間は皆もって生まれて来ているのだ。それに人間はみんな天才にはならない。それは不合理だ。

その不合理は誰がするか。人間が真理を知らないからだ。親たるものが真理を知らないからだ。

ダイヤモンドをもっていながら石だと思って捨てて顧みないからだ。

人間を信ぜよ。神の創造を信ぜよ、生まれたままの人間を信ぜよ、それは幼児だ。

幼児に宿っている天才はまだ彫琢しないダイヤモンドだ。傷のつかない高貴だ。

表面にまだなんの天才の閃(ひらめき)がないからとて失望するな。表面を見て神の創造を疑うな。

神が天才を造って人間ひとりひとりの中に埋蔵(かく)しておいたのは、神が人間をして安価な怠惰の中に腐敗せしめないためだ。

人間みずからの努力と発見とを神が喜び給うからだ。

なぜなら人間は一個の生命であるから、発見と創造とに生きねばならぬからだ。

天才の閃きがわが子にあらわれないからとてわが子を軽蔑するものは、生命を軽蔑するものだ。

神を軽蔑するものだ。子供をわが子だと思うな。子供の生命の背後には無限生命がある。

神がある。明日火に投げ入れられるべき野の草の小さな花すら、神でなければ造られない装いがあることを知るものは幸いだ。

いわんや造られたるものの主位に位する人間の子供の天才を疑うな。

子供の天才を生長させるために必要な根本事項は神の創造に対する信頼だ。

親はわが子を神の創造だと信じ、できるだけ子供自身が神の創造を自覚し神の創造をはずかしめてはならない
という魂の高貴さを養成するように努力しなければならないのだ。

4590a hope:2014/11/02(日) 12:06:15 ID:cEpBaIdo

>>4589 a hope所感)

ここには、現象世界からではなく実相世界からの見解でわたしたち人間が神の創造であるということが
とても力強く述べられていて、拝読していてもとても元気になりますし気持ちがよいです。


そして、

<<子供の天才を生長させるために必要な根本事項は神の創造に対する信頼だ。
親はわが子を神の創造だと信じ、できるだけ子供自身が神の創造を自覚し神の創造をはずかしめてはならない
という魂の高貴さを養成するように努力しなければならないのだ。>>

とあり、母親が子供の「天才」を生長させるためには、その神の創造を信頼ることと、
魂の高貴さを養成する努力が必要だとあります。


p131
<<子供を礼拝せよ。子供の内に埋蔵された才能の宝を拝み出せ。信ぜよ。
なんじ癒えたりと信ぜば病も癒えるのである。
いわんや、あなたの子を信じて、あなたの子が善くならないということはないのだ。
子を信ずるものは人の父を信ずるものである、神を信ずるものである。>>

これは、子供だけに言える事ではないですね。

人間は一人残らず「神の子」なのですから、誰一人として、信ずるに値しない人間はいないのだと思いました。

4591トキ:2014/11/02(日) 18:02:54 ID:AXe06p4A
a hope様

 web誌友会の開催、ありがとうございます。

 真理を勉強する場所が少なくなっているので、こういうネット上での
勉強はとても大事だと思います。皆様のご参加を心からお待ちしており
ます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4592a hope:2014/11/03(月) 10:54:59 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p131 後から2行目〜

生命の目的は「生長」することである。そして生命は生長の営みによってのみ生長する。

生命の営みとは「活動」である。生命はきざしているところの「動」を現実の「動」に変えることによって生長する。

わが子が弱いとか、まだ発達期でないとか思うな。わが子に今あるところのすべての能力を発揮せしめよ。

きざしている芽のすべてをすくすくと伸ばさしめよ。

4593a hope:2014/11/03(月) 10:57:23 ID:cEpBaIdo

>>4592 a hope所感)

この後、なぜ「幼児」が乱暴をしたり、いたずらをしたり、物を破壊したりという脱線をするのか、
そのような「幼児」の脱線行動に大人はどのように対応すべきなのかが説明されています。

谷口雅春先生は児童心理学者でも教育学者でもありませんが、本当によく「幼児の心理」を理解されていると感じます。
まあ、「幼児の心理」というよりも、「生命の本質」と言った方がいいのかもしれませんが・・・。

p134 2行目〜
<<子供のさわがしさを叱る者は生命の生長に重大な障礙(さまたげ)を置くものだ。子供の伸びようとする生命はおさえられて浪費する。
かかる抑圧が永続的に行なわれるときそれは浪費される以下である。
なぜなら生命の発露を常におさえつける習慣をつけるとき生命は委縮するからである。
使わない能力は発達しない。使わない生命は生長しない。いな、それ以下である。

抑圧された衝動が子供の成長後いろいろの精神障礙および肉体的症状となってあらわれてくることは、
最近の精神分析が証明しつつあるところだ。>>

4594a hope:2014/11/03(月) 10:59:20 ID:cEpBaIdo

>>4591 トキさま 

こちらこそ、このトキ掲示板があるからこそ、わたしは大好きな聖典「生命の實相」のお勉強がみなさんと一緒にできるのです。
管理人のトキさまにはいつも心から感謝しています。

といいながら、わたしは事情がありまして、明後日から1週間〜10日ほど自宅のパソコンをつかえない状態になります。

時々、この掲示板は拝見するつもりでいますが書き込みはほとんどできないと思います。

今回のweb誌友会の範囲は、「生命の實相」第14巻の『教育篇』p127〜199までとしてありますので、
トキさま、「訊」さまなどで、お勉強を進めてくださるとありがたいです。


閲覧者のみなさま

ただ、自分が感動したところ、赤線を引いたところを、こちらに謹写し紹介してくださるだけでもお勉強になります。

もし子育て中の方でしたら子育てに関する質問をされてもいいですね。

この掲示板は、志恩さま始めたくさんの「生長の家の教育法」でお子様方を立派に育てられた
先輩方も閲覧してくださっていると思うのです。

きっと、よいアドバイスをいただけるのではないかと思います。

4595a hope:2014/11/04(火) 21:43:18 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」p136  2行目〜

白百合にバラの花をつけさせようと思うな。白百合の清さは一つの天才である。バラの花の美しさも一つの天才である。

諸君は「鈴懸(すずか)け」の小さな白い花房や、萩の可憐な赤紫の荳(まめ)のような小花(おばな)にも、
ほかの花卉(かき)とは取りかえることができないそれぞれの美をばみとめないであろうか。

どんな小さな花にさえも人工は及ばない。

「ソロモンの栄華の極み」の時の装いだも、その美しさは野辺に咲く名なし草の小花にも及ばないのだ。

いわんや、造られし物の首位にある人間の天才は、それがどんな種類の才でも、自然を曲げたものよりは高貴であるのだ。

生命を信じて礼ぜよ。

子供の生長、人間は常にここから始まらなければならない。

大地に根をおろさなければ偉大なる生長はのぞまれない。大生命に根をおろさなければ、偉大なる生長はのぞまれない。

天才は、それが偉大なのは大地に根をおろした生長であるからだ。

大地に根をおろした生長であれば、大工になる時左甚五郎のような巨匠となるであろう。

粘土細工の好きな鼻垂らしもロダンのような巨匠となるであろう。

4596a hope:2014/11/04(火) 21:44:39 ID:cEpBaIdo

>>4595 a hope所感)

<<いわんや、造られし物の首位にある人間の天才は、それがどんな種類の才でも、自然を曲げたものよりは高貴であるのだ。>>

「天才」とは、個性生命が大生命から与えられた「使命」のことではないかと感じました。

何物にも拘束されず自由に生きることができたとき、誰にでもその天才は発揮されるのだと思います。

わたしの子供達にはどんな「天才」があるのか、そしてわたしの中にも必ず「天才」があるはずです。

考えただけでもワクワクしますね!

「生長の家」はその教えを信仰すれば、全ての人間が「天才」に生長するから「生長の家」というのでしょう?

「生長の家」の信仰といえば、やっぱり「人間神の子」の自覚を得るための三正行ですね!

4597トキ:2014/11/08(土) 22:10:43 ID:9laNyN1c
 生命の実相第14巻の193pより、御文章を紹介させていただきます。

 「毎朝『馬鹿者!」だとか、「強情」だとか、「仕事のない悪い子だ」とか、
親たちや教育係からいわれでないで育ちえた子供はほとんどこの世界にないと
はなんという悲しいことだろう。「生長の家」は敢然かかる教育法に反対する
ために出現したのである。」

 これは中学や高校で体育会系の活動をした人なら、体験があると思います。

 どうも、努力や根性の押しつけが横行し、まるで軍隊の内務班のような押し
つけが普通になってました。

 しかし、最近のスポーツの世界では、こういう極端な上下関係の存在は
功少なく、弊害が多い事が指摘されています。例えば、喧嘩空手で有名な
極真空手などは、この種の「シゴキ」がなく、かえって広がったともいわ
れています。

 最近では女子柔道の世界で、この種のシゴキをして問題になっています。

 戦前、谷口雅春先生が言われた事が、21世紀になって常識になったの
は知るべきだと思います。

4598「訊」:2014/11/08(土) 23:00:50 ID:???


>>4597トキ理事長

 ・・・・誌友会論点からはややずれますが、以下の件にコメントを。

>>>しかし、最近のスポーツの世界では、こういう極端な上下関係の存在は
功少なく、弊害が多い事が指摘されています。例えば、喧嘩空手で有名な
極真空手などは、この種の「シゴキ」がなく、かえって広がったともいわ
れています。<<<
>>>戦前、谷口雅春先生が言われた事が、21世紀になって常識になったの
は知るべきだと思います。 <<<

 これは確かに、その通りです。最近では所謂「しごき」ですが、部活動から姿を消しつつありまして、私なんかも非常にうれしく思っています。いやホント、しごいたって「スポーツは上手くならない」のです(笑)。考えれば誰でもわかることなんですが、まあ、誰も分っちゃいなかった(笑)。しごかれて野球がウマくなるなら例えば、私なんか今頃「ヤンキースでエースになっているハズ」です(笑)でも、なってイナイんです(笑)・・・・・・しごきなんて、無意味。それが一点目です。

 で、二点目に述べたい点なんですが、「なんで最近野球界ではしごきがなくなってきたのか」に関して触れます。これ、「オリンピック・マター」なんですよ、実は。さてこの「オリンピック・マター」の意味とは・・・・・・

 ・・・・・ご存知か知りませんが、野球競技ですがなんと、「五輪から外れた」んです(!)。これ、野球界では激震が走っておりまして、もう、プロもアマもおろおろしているんです。

 で、五輪競技復活!を目指す野球界ですが、高野連が着手したのが「しごき・いびりの根絶」なんです。最近は強豪校の済美高(愛媛)や日南学園(宮崎)が出場停止処分になったんですが、これ、今までであれば「OK」だったケースです。今までであれば「騒動の責任者である選手個人だけを処分」にし、「チーム全体は出場してもよい」てな裁可がくだったはずの、軽罪だったんですが・・・・・・・両校ともに「出場はNo」となったんでありました。そしてこの、済美高(愛媛)と日南学園(宮崎)への処分から我々は、「ああ野球界・・・もう、ホンキだな」と察しているわけです。前段で述べた五輪競技の復活ですが、野球界はホンキになってます。そして、今後はしごき・いびり等は「厳格に処分されるであろう」、そんな流れです。

 ・・・・・まあ、トキさんは、「戦前、谷口雅春先生が言われた事が、21世紀になって常識になったのは知るべきだと思います。」とお書きでしたが、まあ野球界に関して云えば、ややニュアンスが違いますかね(笑)。正確に描写すれば、「自壊作用(=五輪競技から外れた)により、野球部部員たちは今まで以上に、野球そのものを楽しめるようになって来た」かな、と。もっと誉め言葉で盛り上がるようになれば、野球界もホンモノなんですがね(笑)。まあ以上、誌友会テーマからはやや外れますが、ちょっと補足したくなった事柄でございました。



4599「訊」:2014/11/08(土) 23:19:43 ID:???

(×)野球競技ですがなんと、「五輪から外れた」
(○)野球競技ですがなんと、「五輪種目から外れた」

4600トキ:2014/11/10(月) 09:50:29 ID:4moBTNpA
>>4598

訊け管理人様

 うーん、野球というのは華やかな世界に見えますが、たいへんな背景があるのですね。

 明治時代など、野球をするのは不良扱いをされていた時期もあったみたいです。内村鑑三
の長男の内村 祐之は東大医学部教授として有名ですが、同時に、野球人としても有名です。
内村鑑三は長男が野球をするのは反対でしたが、「一高、東大でトップなら」という条件で
野球をするのを認めた、と言われています。

 戦前は野球人の地位が低かったので、地位向上を目指した人たちが熱意のあまり、つい、
シゴキのような事を始めて、その悪弊が今日まで残ったのでしょうか。

 ともあれ、ああいうシゴキみたいな事を根絶するのが、谷口雅春先生の願いかもしれま
せん。

4601a hope:2014/11/13(木) 10:38:41 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第14巻 p138 2行目〜

善い言葉で暗示を与え、子供を十分信頼してやり、仕事の種類と時間とを子供の好きにまかしてやるならば、
子供はめったに仕事の選択に失敗するものではない。

子供を信ずること、および善い言葉で「あなたは善い子だからこれが上手だ」というふうに導くことを忘れてはならない。

4602a hope:2014/11/13(木) 10:39:59 ID:cEpBaIdo

>>4601 a hope所感)

「子供を褒める」というのはなかなか難しいことだと感じています。
ここでは、『善い言葉で暗示を与える』とありますが、それはだだ「褒めまくる」こととは、
まったく違うのだと思うのです。
ここで重要なのが「子供を十分信頼」するということで、それは、親の理想通りの子供に仕立て上げる(親の敷いたレールをおだてて走らせる)、
ということではないですよね?

まれに、親が子供を医者にしたいからと、眠っている子どもに「お前は将来医者になる」と暗示をかけ続けて育てたら
本当に医者になったというような話を聴きますが、その子に医者の天才(素質)がなかったら、
たとえ、親の希望通り医者になったとしてもその子の人生は決して幸せにはならないのではないかと感じています。

わたしは自分の子供達を同じように育てているつもりですが、それぞれ性格や得意なことが違います。

その子供の天才を無視して、親が自分の見栄や欲、または自分が出来なかった夢を実現させたいがために、
子供をおだてあげて自分の理想通りに育てようとすることの弊害は大きいのではないかと感じています。


ですが「人間神の子」という「生長の家」の祈りの言葉は万能ですね!

ジュニア「希望の祈り」―― 毎日の進歩のために―― には、
誰が読んでもその子(人)の天才が引き出されてくるような祈りの言葉がたくさん詰まっています。

たとえ、子供が反抗期などでその「祈りの言葉」を唱えたがらなくても、
母親や父親が子供の代わりに読んだり唱えたりすることでその子供の天才が引き出されてくるような気がします。

わたしにも現在、反抗期の子供がいますのでこれからその子に代わって「人間神の子」の祈りの言葉を唱えていきたいと思います。

4603a hope:2014/11/13(木) 10:42:17 ID:cEpBaIdo

トキさま 「訊」さま

わたしのいない間、web誌友会にご参加くださりありがとうございます。
また、パソコンが使えるようになりましたのでお勉強を再開させていただきます。

感謝 合掌

4604a hope:2014/11/15(土) 08:55:38 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第14巻 p148 8行目〜

円満な神の姿を小児の心にえがかせよ。完全な仏の姿を小児の心にえがかせよ。

いかなる場合にも、自己が全能なる神または仏の愛の手にいだかれていてなんの危険もないものだ、という自信を子供の時代から人間に植えつけよ。

幼児からのこの自信は将来のその人の運命を決するものだ。


子供の教育に当たっては人前だからといって自分の子供を遜(へりくだ)って、「この子はとてもイタズラ好きで駄目なんです」とか「この子はずいぶん馬鹿でして」などというな。

かくのごとき謙遜は子供の想像力を自分の想像力を自分の欠点の方へ働かしめ、子供の自信力をめちゃめちゃにして子供の生長に邪魔を置くことになるのである。

自身を常に「駄目だ駄目だ」といわれているときは、その言葉の力でその子供の周囲や表情には、一種のダメな無力な沈衰(ちんすい)した感じがつきまとい、彼の将来の運命を真に駄目にしてしまうのである。


諸君よ、何も神がつくったところの人間を指して、それがたとい自分自身だからとて、自身の肉身の子だからとて、駄目だとか、馬鹿だとか、かりそめにも悪くいわねばならない理由はないではないか。

それは創造主(つくりぬし)への冒涜である。それはわれわれをつくって生命を与え給える「ある者」をけがすものだ。

けがすだけではない。自分自身の運命を、自分自身の子の運命を、知らず知らずのうちにダメにしつつあるものだ。


子供をして彼自身を「神の子なり」と信じせしめよ。

神父(ちち)はその子をその全能な力にて常に完全に導き給い、無限生長に導き給い、どんな不遇の場合にも必ず守りていたまうことを信ぜしめよ。

どんな場合にも失望しない心、取り越し苦労しない心、摂理に信じまかせ切って、晏如(あんじょ)たるを得る心、倒れても倒れてもまた起き上がることのできる心、これらは幼児の心にきざまれた完全円満なる神を父とする想像から力強く生まれ出て来るものなのだ。


神仏を礼拝する習慣、これがここにも幼児から人間の生長に必要なものであることがわかってくるであろう。


子供に彼を保護する神を想像させよ。しかし神を恐れさすな。神を父と思わせよ。愛深き全能の力をもて守りたまう神を想像させよ。

4605a hope:2014/11/15(土) 08:57:26 ID:cEpBaIdo

>>4604 a hope 所感)

<<子供の教育に当たっては人前だからといって自分の子供を遜(へりくだ)って、「この子はとてもイタズラ好きで駄目なんです」とか「この子はずいぶん馬鹿でして」などというな。>>

日本人には、それが謙遜であると勘違いをして、この間違いをしてしまう親がとても多いのではないかと感じています。

また、子供同士の間でも、「自分はバカだし・・・」とか、「どうせオレは駄目な奴だし・・・」自分を見下すような発言をして友達の気を引こうとする子供の様子もよく見られます。

反対に、あまり自信過剰になって派手に振る舞えば、いじめの対象になってしまう危険もあります。


自分だけが特別に「神」に愛されているのではなくて、「自他一体」であり相手も自分と同じ「神の子」である、という生長の家の「自他一体の自覚」があれば、
親子関係もお友達関係もすべてうまくいくのではないかと思います。

4606管理人さまへ:2014/11/15(土) 16:17:41 ID:aSbVs1pI
トキ管理人さまへ

 訊け管理人さんなどがルール違反しているので、注意してください。
 訊け氏が部室版で違反しているいるあいだ、わたしのほうでも
 ここや他の版で、トキさんが注意するまで書かせてもらいます。

4607管理人さまへ:2014/11/15(土) 16:21:01 ID:aSbVs1pI
8020 :シャンソン:2014/11/14(金) 20:31:23 ID:syXTb1eg>>7271

訊けさんがこないだからおなじことばかり主張しているのは知っています。
わたしが尋ねていたのはトキ管理人さんにです。
 訊けさんはトキさんではないのですから、横から割り込まないで下さい。
そして一人一役もできないトキさんは回答をさけているので、これについて今は
問い合わせていませんと書きました。
今後、訊け管理人さんがおなじことを繰り返してきた場合は、悪意のある妨害行為と
みなして、管理者にもその責任を問いたいと思います。

4608管理人さまへ:2014/11/15(土) 16:25:56 ID:aSbVs1pI
1859 :「訊け」管理人:2013/11/27(水) 07:20:49 ID:???


>>トキ理事長

――――――――――――――
1560 名前:トキ 投稿日: 2013/09/16(月) 18:22:04 ID:8wIrzEBg
追伸

 うのはな様も訊け管理人様を話題にしないし、逆もそう、という約束は有効だと思います。
――――――――――――――

 珍文の整理、よろしくお願い致します。

4609管理人さまへ:2014/11/15(土) 16:43:07 ID:nhF2iOV6
8048 :「訊」 :2014/11/15(土) 16:39:44 ID:???
>>トキ理事長

 在トキ会の同意の下、>>8046宣言文が「適用の運びとなりました」ことを、ここにお喜び申し上げます。今後は同宣言文の「厳格な適用」を求めたく、罰ゲームの提案などをさせて頂きました次第です。なお、その、罰ゲームの内容は>>8047文に明記致しましたので、ご確認の上今後、同宣言文の「公平なる判定者」としてのお立場を、貴殿に強く働きかける所存であります。

 最後に繰り返しではありますが、在トキ会の同意の下、>>8046宣言文が「適用の運びとなりました」ことを、ここにお喜び申し上げます。



4610「訊」:2014/11/15(土) 16:47:46 ID:???

>>>珍文の整理、よろしくお願い致します。<<<

 完全同意です。ここは、誌友会スレでありますからね。ですので、完全同意です。

4611トキ:2014/11/15(土) 17:22:46 ID:kJfjg7Wc
 皆様のご理解に感謝します。web誌友会ですから、誌友会に戻りましょう。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4612a hope:2014/11/16(日) 23:06:03 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p151 7行目〜

真(しん)に人類の生長を望む者は人類が臆病になるべきいっさいの原因を一掃しなければならぬ。
「生長の家」がこの世に出現した一つの動機はこの目的を果たすためだ。

「そんなに悪いことをしては鬼が来て食べますよ」式におどしつけて子供を善導しようと思う者は、
ついに人類を不幸につき堕(おと)すことになるのだ。


元来、刑罰が恐ろしくて善き行いをする者は本当の善き人ではない。
刑罰の有無にかかわらず、善を愛する心から善をなす者にしてはじめて真に善人ということをうるのである。

形の上から見れば同じ行為をしたにすぎなくとも、刑罰を恐れて善事をするものは境遇に強いられた被征服者であり、
善を愛する心から善をなすものは自主独立の支配者である。

4613a hope:2014/11/16(日) 23:07:44 ID:cEpBaIdo

>>4612 a hope所感)

ここには、とても重要な事が述べられていると思いました。

人々に「善き行い」をさせるために、おどしつけてさせてはいけないということが書かれていて、
そうすると、人類を不幸につき堕(おと)すことになるとあります。

誰からもおどされたり強制されたりすることなく、信徒が「神の子」の自覚を持つことで、
喜んで自主的に善をなすようになるのが「生長の家の教え」なのですよね!

4614a hope:2014/11/17(月) 22:07:23 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p152 8行目〜

人間にとって、何よりも大切なことは、自分の脚で大地に立つということである。

何者にも強いられないところの不羈独立(ふきどくりつ)の精神で、自由に、のびのびと善事を行う生活こそ「生長の家」の生活であるのだ。

善を欲するがゆえにわれ伸び伸びと善を為す――かくのごとく幼児の精神を「生長の家」式に導いてゆくことによってのみ、
人間の人格の自由と強さと円満さと朗々たる明るさを得ることができるのである。

4615a hope:2014/11/17(月) 22:12:35 ID:cEpBaIdo

>>4614 a hope所感)

各自の人格の自由が保障された上で、自由にのびのびと善事を行うのが「生長の家」の生活なのですね!

テキストにはこの後、「悪」や「罪」の観念に支配されてしまい、
「万引きをすれば警察へ引っ張られる」と想像できても万引きをやめられない婦人の例や、
「甘い物をたべたら胃が痛む」と想像できても甘い物がやめられなかった作家の具体例があげられ、
「観念の強制力」がどれだけ強いものなのかが説明されています。

p154 1行目〜
<<この観念の強制力を「善」の方向に利用せよ。悪なるもの、不完全なるもの、
歪(いびつ)のもの、暗きものの想像をスッカリ子供の心から逐(お)い出し、
善なるもの、完全なるもの、円満なるもの、明るきもののみ心にえがきせしめよ。
観念の強制力が自ずから働いて、その子供の善をなそうという傾向、円満に達しようとする傾向、明るい快活な生き生きとしたことを好む傾向が増大してくるのだ。>>

4616a hope:2014/11/18(火) 22:48:40 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p155 5行目〜

直観力というものは実に不思議な力である。それはたんなる想像力とも異なって一種の洞察力である。

片鱗を知って全体がパッと明るく頭の中へ閃いてくるところの霊感的な力である。
たんなる想像力がこれよりあれへと外形をたどって連想や類推をかさねて、いろいろの形や物語の筋を組み立ててゆくに反して、
直観力は直接的に物全体に突き入って、そのもの全体を端的につかんでしまうものである。

この不思議な霊感的な洞察力はいかなる職業に従事する者にも必要であるが、特に宗教家、教育家、音楽家、芸術家、詩人等においては必要欠くべからざる性能である。

かくのごとき霊感的な直観力なくしては、何人も真の偉大に到達することはできないし、
真の偉大な事業をなしとげることはできないのである。

真の宗教家は天徠(てんらい)の声を語る詩人であり、真の教育家は霊感にみちびかれた預言者であり、
あらゆる芸術家は霊界よりインスピレーションを受けた者でなくてはならぬ。

・・・(中略)・・・

この直観力というものは類推によらず、分類によらず、実にパッと霊感的に、輝くように、
ものの全体の姿が心に映って来るところの天徠の閃光(ひばな)である。

子供においてはこの直覚の火花を十人のうち九人まではすでにその心のうちに燃やしかけているのである。

もし、この燃えかけている子供の直覚の火花を教育者や保護者が押し消さぬようにすれば、
ずいぶん宗教界にも、科学界にも、芸術界にも、
今よりズッと多くのいっそう偉大なる人物が輩出していたに相違ないと思われる。

しかし現今一般に流行している※唯物論哲学は、せっかく燃えかけているこの霊感の炎を押し消し、推し込むことになるのである。


宗教家にして※奇蹟を知らず、死後を知らず、生命のいずこより来りいずこに到るかを知らず、
科学者にして真に大なる発明のできないのは、すべてこの霊感的直覚の欠乏より来るのである。

・・・(中略)・・・

神秘を知らない人間ほど始末におえないものはない。

そんな人間にとってどこにも不思議と称すべきものはないのであって、至る所に満ちているのは、
ただ「当たり前」の興味のないガラクタ現象ばかりである。

彼は何を見ても不思議がらない、何もかも神秘ではない。だから何を見てもなんのインスピレーションもないのである。

リンゴの落ちるのは当たり前だし、湯気が鉄瓶の蓋をもち上げるのも当たり前だし、植物が生長するもの当たり前だし、
人間が生きているのも当たり前である。

(頭注より)
※ 唯物論哲学・・・ただ物質ののみが存在するものと考え、世界の存在のもとは物質であるという思想をもとにした哲学
※奇蹟・・・人間の常識では実際に起ることが考えられないような不思議なこと。

4617a hope:2014/11/18(火) 22:53:37 ID:cEpBaIdo

>>4616 a hope所感)

ここには宗教家にとって「霊感的直観」(直覚力)がいかに重要であるということが述べられています。

そしてそれは<<たんなる「想像力」がこれよりあれへと外形をたどって連想や類推をかさねて、
いろいろの形や物語の筋を組み立ててゆく>>ことつまりは、
「論理的推察力」とは反していると述べられています。

この「霊感的直観力」(直覚力)というのは、本来すべての人間が持っているのだと思いますが、
子供の頃から「唯物論的教育」を受け、その結果、魂や神の存在を認めず、奇蹟などの神秘現象を
偶然の出来事だと考えるような大人になってしまうと、その「霊感的直観力」が十分発揮できなくなるようです。

<<子供においてはこの直覚の火花を十人のうち九人まではすでにその心のうちに燃やしかけているのである。
もし、この燃えかけている子供の直覚の火花を教育者や保護者が押し消さぬようにすれば、
ずいぶん宗教界にも、科学界にも、芸術界にも、
今よりズッと多くのいっそう偉大なる人物が輩出していたに相違ないと思われる。
しかし現今一般に流行している唯物論哲学は、せっかく燃えかけているこの霊感の炎を押し消し、押し込むことになるのである。>>

谷口雅春先生が「唯物論」を虚説として激しく排撃しているのはこの理由からですね。

4618<削除>:<削除>
<削除>

4619a hope:2014/11/20(木) 23:36:36 ID:cEpBaIdo

>>4618 トキさま

トキさまはいろんな種類のたくさんの本を読まれているのですね。

そうなんですか、中国は<<文化大革命で伝統や文化、信仰が徹底的に破壊された>>のですね。

確かに、東日本大震災の時に東北の方々が秩序を乱さずお互いを思いやる態度をとることができたのは、
他の国の人々にとても賞賛され、それこそ日本人の「大和魂」だったのではないかと感じ、
あの時は本当に自分が日本人である事を誇りに思いました。

ですが現代の日本人のすべての人がそういう態度をとれるとは言い切れませんよね?
日本人であっても非常識な人はたくさんいますし、凶悪な犯罪を犯す人もいます。
それにむしろ現代の日本には「無神論」者や「唯物論」者の方が多いのではないかとすら感じています。

一方、中国の方々の中には、日本人にはないような素晴らしい長所を持たれた方もたくさんいらっしゃいます。

わたしは、どんな国の人であっても「人間神の子である」という実相一元の「生長の家の教え」を信仰していきたいです。

4620a hope:2014/11/21(金) 10:12:21 ID:cEpBaIdo

>>4619 補足

>>4618でトキさまが「中国人は雑巾と布巾の区別ができない」(西谷格著)というご著書を紹介され、
言わんとしていることはわたしにもなんとなく理解できます。

<<著者は、その差が生まれる根拠を「宗教」に求めています。
信仰や伝統が一応、存在する日本の社会と、文化大革命で伝統や文化、信仰が徹底的に破壊された中国の社会の差という事です。
その証拠に中国でも、チベットなどの宗教が存在する地域では、普通の常識や人情が存在すると指摘し
ています。>>

著者は「唯心所現」等で心の大切さを説く「宗教」が、
いかにに人間社会のモラル(秩序)を保つために重要なのかを実際の中国の現象をルポされて説明しているのですよね。

ですが、もし、この著書を日本語が読める中国人が読んだらどの様に感じるでしょうか?
または、この著書が中国語に翻訳されて多くの中国人に読まれるこになったらどうでしょうか?
反日感情をさらに掻き立てる要素となりませんでしょうか?
わたしは、例え日中関係であっても、日韓関係であっても、「合わせ鏡の真理」の例外ではないと思っています。

わたしには、実際中国人の友人がいます。
思いやりがあって親切で、行動力もある素晴らしい方です。

4621トキ:2014/11/21(金) 11:45:40 ID:ONqfu1kY
a hope様

 ご丁寧なコメント、ありがとうございます。私の書き方が悪かったみたい不快感を
与えたらお詫びします。

 個人的には仲の良い中国人の長年の友人がいて、中国にも見識、人格が立派な人が
多数おられるのも承知しております。ただ、私の友人自身が、この本に書かれている
事を同じ話をしており、嘆いていましたから、全ての中国の人とは言えませんが、
相当数の人は納得する内容かと考えています。

 最近の香港の反中国デモ等も、同じ民族で、似たような言語を話す香港の人たちが
本土の人達を強く批判している背景もこういう部分があると感じます。

 大手の貿易商社にお勤めで中国貿易を担当している生長の家の人の話を聞く機会があ
りましたが、

 「中国の社会は謎が多く、日本人は入っていけない。そして、残念な事に最近の中国
の社会は拝金主義が横行し、平気で人を騙す人が増えてきた。しかし、全部の中国の人
がそうではなくて、真面目で信頼できる人もいます。そういう人を見つけてビジネスの
パートナーにできるかがポイントだ。」

と話していました。

(つづく)

4622トキ:2014/11/21(金) 12:05:08 ID:ONqfu1kY
 マスコミがいう事と実際が合致するとは限りませんが、私が知る限り、実際に
中国でビジネスをしている人の感想もほぼ同じです。それがビジネスの世界にと
どまらず、最近は軍備を増強して近隣諸国を脅かしているのは洒落にならないと
思います。

 ただ、最近、中国のビジネスの社会で稲盛和夫先生の著書がブームになっている
とも聞いています。また、マスコミによれば、中国で宗教が民衆の間に浸透してお
り、キリスト教の地下教会や、法輪功などの信仰が、当局の弾圧にもかかわらず、
広まっているともいいます。

 私の中国人の友人も、「今の中国はまだ未成熟な社会で、公害問題なども、これ
から日本に学んで対策を立てる段階。それを知る必要がありますよ。」と話して
いました。

 つまり、人間としては、日本人も中国人も神の子であり、尊い存在ですが、
社会としては、中国の政府の政策が間違っており、中国の社会でいろいろと大きな問題が起きているの
は否定できないと思っています。

 しかし、中国人も賢い民族ですから、いつかは文明や文化、信仰についての
政策を改め、よりよい社会を作ると信じています。と、言うよりも、すでに、そう
いう点に気がついている中国の人が増えていると感じます。

 余談ですが、少し前に読んだ「 北京と内モンゴル、そして日本――文化大革命
を生き抜いた回族少女 の青春記」: 金佩華著、などを読むと、文化大革命の時期の
宗教の弾圧などは酷いものだったみたいです。

(つづく)

4623トキ:2014/11/21(金) 12:32:39 ID:ONqfu1kY
 ご指摘の通り、日本でも凶悪犯罪をする人が増えています。とても残念な事です。
昔、神戸の連続児童殺傷事件が起きた時に、ニューヨークに所用でいましたが、
ハーレムの人が「ハーレムでもあんな恐ろしい事件は起きないよ」と話していました。

 そう言えば、そのハーレムでは、教会があちらこちらにあり、黒人が教会で
ゴスペルをきれいな声で歌っていました。

 以上、要するに、民族や社会の優劣を論じたのではなく、社会における信仰の重要性
についての例としてあの本をあげたのですが、それが誤解を生んだとしたら私の本意で
はないので、お詫びします。

合掌 ありがとうございます

4624トキ:2014/11/21(金) 12:39:44 ID:ONqfu1kY
追伸

>>それにむしろ現代の日本には「無神論」者や「唯物論」者の方が多いのではないかとすら感じています。

 この本の著者も本の中で、a hope様と同じ部分について言及されておられます。
しかし、中国は国として積極的に宗教を否定し、または政府の管理下に置く方針にあり、
その点、日本と違うみたいです。ご指摘の通り、日本でも唯物論の人が増えて、それに
ともない日本でも社会の混乱が生じている点は全くその通りだと思います。

 貴重なご指摘に深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

4625トキ:2014/11/21(金) 22:05:35 ID:ONqfu1kY
 4618は削除させていただき、別の文章をかかさせていただきます。

 生命の実相第14巻の167pから謹写させていただきます。

 「そもそもわれらが日常感覚にふれるところの事物は、それがいかなるものにせよ、感覚
器官という入り口をくぐって、心の奥座敷まで這入ってしまい、心の奥座敷の住民となって
しまうのである。だから成人でも環境をよくすることは必要だが、発育期、生長期にある
児童にとっては、このことはなおいっそう必要なことである。環境にあるいっさいの事物が
幼い心にその姿を映す。心に映し込まれた姿は、一種の種子であって、すぐその時生えなく
ても、やがて、その種子の発芽に適する条件が揃ってくれば生えて来るのである。」

 これに関して、立花隆さんの「臨死体験」に興味深い話が紹介されています。

 ある男性は長年、なぜか自分の言動に自信が持てなかったのです。その理由が本人にも不明
でした。ところが、ある事で、その理由がわかったのです。

 男性は生まれた時に未熟児だったそうです。出産直後、産婦人科医が虚弱児で死にかけている
彼を見て言ったのが、

 「ほうってほけ。どうせロクに育たないよ。」

という言葉だったそうです。その言葉が彼の潜在意識に残っていたのです。
産婦人科医はわからないだろ、と思っていたのですが、赤ちゃんはちゃんと覚えていたのです。
 それが、その人を長年苦しめる結果になった次第でした。

 こういう実例があるのは驚きですが、注意すべきかと思います。

4626SAKURA:2014/11/21(金) 23:03:59 ID:???
こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

トキ様へ
「トキ様」の【雑巾・フキン】の話から〜〜

随分昔の事です。…が?
私が当時「町田の小田急百貨店」にて…販売を依頼されました時の事です。
同じフローア−で当時「藍工房」と言います常設のショップと
対抗しての販売の時の事です…。
当時は?1週間という販売期間ですから『客の集客』には正直申しますと…
かなりのプレッシャーが…
ですから?時間的には『暇…』だったのです。ウフフ!
その時「常設のショップ…藍工房」の方が、【モップ掃除】を始められました。
私どもは〜〜〜当前視線がそこに…集中!
エ〜〜〜ッ!そこからが〜〜〜驚き!なのです…。
『床(土足で歩きますョネ)を掃除しました…モップ』次ぎに〜〜〜何と!
商品の置いてあります『棚…』『電話…』を〜〜〜吹き始めました。
容姿は〜〜〜全く持ちまして【日本人?】なの?このような人がいるの?…二人して顔を
見合わせました。それくらい【日・本・語・堪・能】なのです…。

ですから…この頃ではあの人は〜〜〜『中国の人』立ったのですネ!

■先日より…投稿内容を拝読しながら…ここに投稿させて頂きます。

『国際化運動』此の事は?すばらしい〜事と思います。…が?
此処で…【日本語が堪能】だからと言いましても『常識派』とは言えないと
思う次第です。…が?それは、国により『慣習が異なる』という事ですから。。。

ですから…それに関して…ア〜〜ダ!コ〜〜〜ダ!と評価はその人の理解度と言えると思います。
余談ですが…【国際化】に関しましての【問題】は〜〜
今でも日常茶飯事にて起きて居る問題でもあると思います。

時間がありましたら…他にも多々なる“エピソ−ド”投稿させて頂きます。
今では〜〜〜笑い草となって居りますネ!!
                 ❤〜SAKURA

4627a hope:2014/11/21(金) 23:26:09 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p160 7行目〜

あらゆるものが頭でわかると思うな、あらゆるものが科学的知識でわかると思うな。
分類的分析的な知識にのみ頼りすぎると直観力は鈍りがちである。

昔の医術では、望診といって患者と少しく離れた距離から容貌を見るだけで、その患者が何病であるかわかった大家もあったが、 
現代の医術では。聴診打診はむろんのこと、レントゲン診断までしても、まだ病因のはっきりしない場合があるのである。

それは決して現代の医術が悪いのではない。現代の医術は実に人間の知識の精華である。
許されるならば、人間が神に対して誇りうる一つの名誉であるといってよいくらいだ。

しかしこれを学ぶものが分析的知識だけにとらわれず、さらにすすんで自己の霊性を啓発し、
直観たちまち病因とその治療法とを知るほどの人が少ないのはまことに惜しいことだ。

だが、また嬉しいことには、『生長の家』の誌友にそうしたこの種の霊性を啓発しつつある医師が多数できつつある。


これを要するに直観力は一見たちまち事物の真理を洞察し、高貴と無価値とに見分け、
欲する結果を得るためには何をなすが最も適当であるかを直観的に知り得る力である。

それゆえこの直観力はたんに科学者の発明や、芸術の創作や、宗教家の天啓に必要なばかりではなく、
実業家にもまた絶対に必要であるのである。

実業家が多くの事業にたずさわりながら、目まぐるしい経済界の変動に善処して、希望の成果を獲得するにぜひ必要なものは直観力であるのだ。
(つづく)

4628a hope:2014/11/21(金) 23:27:17 ID:cEpBaIdo

>>4627 a hope所感)

大調和の神示の冒頭に、

『汝ら天地一切のものと和解せよ
天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。
天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。
・・・』

とあるように、本当に天地一切のものへの感謝が出来ていれば、どんな病気と診断された人であれ必ず救われるのだと思いますが、
ふつうの人間はそんなに簡単に天地一切のものへの感謝はできないわけですから、
やはり病気になれば、病院へいって治療をするのが正しい行動ではないかとわたしは思っています。

ですが、「生命の實相」のどこかにも書いてありましたが、医者の一言で病気が治ってしまったり、
悪化してしまったりということも本当にある事だと感じています。

そのように、医者というのは、患者の生命に大きな影響を与えてしまうわけですから、
直観たちまち病因とその治療法とを知ることのできるという「霊的直観力」があるということがとても重要になってくるのだと思います。

おそらく「霊的直観力」のある医師は患者からの評判がよく、その病院も繁昌しているでしょうから、
もし病気になってしまったら、できるだけ繁昌している評判のよい医師に看てもらうのがよいのではないかと感じています。

また、他のどんな職業であっても「霊的直観力」のある人の方が、能率よく仕事をこなし、社会的にも貢献しているのだと思います。

この後、テキストにはどうすればこの「霊的直観力」を養成できるのかが説明されています。

テキストの謹写を続けます。

4629a hope:2014/11/21(金) 23:37:11 ID:cEpBaIdo

トキさま

トキさまがどのような意図で、このご著書をご紹介されたのかよくわかりました。
丁寧なお返事をくださりありがとうございます。 合掌。

4630a hope:2014/11/23(日) 12:01:05 ID:cEpBaIdo

>>2621>>2624トキさま 

トキさまが中国人の長所もたくさん認めてくださっていて、中国の将来についても明るい見通しを持ってくださっていることをとてもうれしく思います。
ですが、今回の件で、もう少し思うことがあるので、わたしの正直な気持ちを述べさせていただきます。


かつて、日本が高度成長期だったころ、日本人は拝金主義になりませんでしたでしょうか?
「海外旅行での恥はかき捨て」だと言って、海外の高級店での買いあさりなどのひどいマナーでの買い物をしていませんでしたでしょうか?

また、食材の産地書き換えや使い回し等、程度の差こそあれ、似たような非常識は日本人もしています。
実際、台布巾で床も拭いてしまっているような日本人をわたしは知っています。
布巾と雑巾の区別をしない人は、日本人にもいるのです。

中国と日本は国土、人口等の規模が違いますから比較にはなりませんが、もしかしたら、日本人も似たようなことをしていないかと、
中国人の行動を見て批判する前に自らの行動も反省すべきなのではないでしょうか?

目の前に現れる現象は、すべて自分の心の影ですよね?
そして、本当の「悔い改め」には、自己反省が必要だとここで学びました。
日本人は「神の国」に生まれたから特別な人種なのではなくて、「神の国」に生まれたからこそ、
「神の子」の自覚を持って生きて行かなければいけないのだと思います。

「生長の家」がこの日本国に出現した理由は、その自覚をもった日本人を増やすためなのではないでしょうか?

それに白人から見れば、中国人も日本人も韓国人も同じ顔をしたアジア人で大差ありません。
そのアジア人同士が波長を合わせて、どちらの国が優れているとか、どちらの国が野蛮だなどと批判し合っているのはとても悲しい現実だと思います。

せめてわたしたち「生長の家の教え」を信仰するものは、たとえ他国の事であっても現象の悪を認めず、
相手の実相を信じて礼拝していきたいですね!

4631a hope:2014/11/23(日) 15:07:07 ID:cEpBaIdo
>>4630 訂正

偽)>>2621>>2624トキさま 
正)>>4621>>4624トキさま

4632トキ:2014/11/23(日) 19:55:18 ID:.7kA9qJU
>>4630

 ご丁寧なコメント、ありがとうございます。
優しい御心には感激しました。
今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

4633SAKURA:2014/11/23(日) 23:37:01 ID:???
こんばんは… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>4626の投稿の続きです。…が?

■拝読しながら…気になる文章がありましたので…
>>4630 の文章の中から…
>>「生長の家の教え」を信仰するものは、たとえ他国の事であっても現象の悪を認めず、
相手の実相を信じて礼拝していきたいですね!<< (一部抜粋)

■現状の国際化…この問題の前に「戦争時代」にも…多々なる問題がありましたかと。
過去の歴史を振り返りますと…当時からの国家間でのその思想・思考の相違からの
多々なる弊害が現在まで及んでいる事は歴史上取り消す事はできないものです。
多くの方々は、その事に関しましては、内心思い当たる事がある面ではないのでしょうか?

■【此の雑巾・フキンのお話…】なのですが…?

現状、【日本国内】での販売時にて目の前で見た事であり…正直申しますと?
他の場所でも数回見た事があります…。
確かに?日本人の中でもそのような?区別の出来ない方も…戦後は多かったかと?
しかしながら「義務教育」を受ける世代からは、…つまり「断魂・断崖世代」では、
少なくとも「義務教育」の学校教育課程で教えられたモノという記憶があります…。
但し?その中でも…【環境・境遇】からは、本人の捉え方の問題になりますでしょうか?
失礼ながら…「炭鉱関係」とか?

■「しつけ」と云うことに最終的にはなりますのでしょうか?

■【 他国の事…実相を見るべき… 】。。。
確かに仰います通りとは思います。…が?
現状では…日本国に来日されて生活する上では、少なくとも『慣習』は、その国の『慣習』に
基ずいた行動を執って戴きたいモノです。
国際化というベールで…御本人達の国の慣習をそのまま持ち込んで「日本国内」での
生活をなさいますと…その考え方に同調します日本人は…それはそれで…いいのでしょうが?
現状?見えない形での【弊害】が起きて居るのは事実ですかと。

つまりは最終的には『 類の法則 』と云うことになりますのでは????

少なくともその事に寄ります【衛生問題】が将来的に於きました時は?
如何なものなのでしょうか?この頃…考えてしまいます…。
(又!時間がありました時に投稿させて頂きます…。)

          つづく 
                         ❤〜SAKURA

4634a hope:2014/11/24(月) 00:42:33 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第14巻 p161〜

さてしからばこの何事にも絶対に必要な直観力を養成するにはいかにすべきか。
先刻もいったように、幼児より子供の「神秘がる心」を押し消さないようにすることだ。
神秘なることを神秘として教えよ。

深く考えれば実に神秘であるところの現象を、当たり前の茶飯事だとして、見のがしてしまうような習慣をつけてはならぬ。
草木をただの毛細管現象で生長する機械だと教えてはならぬ。
あらゆる物にやどる生命の神秘を教えよ。

神秘に驚異し、崇敬し、その生命の神秘に一歩でも近づくことを名誉と思い、生命を合掌礼拝するように子供を教えよ。

ああ、生命の神秘を驚異し尊ぶ心――隣人愛も、生物愛護も、敬虔なる宗教心も、画期的な科学的発明も、偉大なる哲学も、妙なる芸術も、
それから実業界のすばらしき成功さえも、皆この生命の神秘を礼拝する心によって得られるのだ。

(中略)

こんなことを書いてもわたしは神仏に祈って相場をやれというつもりではないのだ。

ただわたしのいいたいのは、神仏はあるぞということだ。信仰は運命を支配するぞということだ。
いっさいの大成に必要な直感とか霊感とかいうものは、神秘を礼拝することによって得られるということだ。

諸君よ、石像を石だと思うな。木像を木だと思うな。そこには神秘な力と交通するアンテナが張られているのだ。

どんな小さな神社でも軽蔑するな。その前を通る時には頭を下げて通れ。

諸君よ、大芸術を産み出すために祈れ。自分の心を浄めるために祈れ。自己の生活を傑作とするために祈れ。

確乎不動の信念を得るために祈れ。友だちの病気の平癒のために祈れ。

わたしは「生長の家」の兄弟たちのために毎日祈っているのだ。

諸君は諸君で自己の家族や知人の平安のために祈れ。諸君の子供の生長のために祈れ。
そして諸君の子供にも親たちと一緒に神仏を祈ることを教えよ。

祈ることを教えることは神秘に近づく道を教えることだ。

かくする時、いっさいに応用してあらゆる偉大なるものを産み出すところの源泉となるべき霊感と直覚とが、
やがてあなたの子供たちを祝福する日が来るに相異ないのだ。

4635a hope:2014/11/24(月) 00:43:13 ID:cEpBaIdo

>>4634 a hope所感)

<<祈ることを教えることは神秘に近づく道を教えることだ。>>
人生を幸福に導く「霊的直観力」を養うカギはどうやら「祈り」にあるようですね。

4636a hope:2014/11/24(月) 00:50:14 ID:cEpBaIdo

>>4633 SAKURAさま


貴重なご意見をいただきありがとうございます。合掌。

たしかに、国際関係は複雑な時代背景があったり、それぞれの国の生活習慣等も異なったりしますからなかなか難しいのかもしれません。
ですが、生長の家の「人間神の子」の真理は万国共通の真理ですから、わたしたちは自信を持って信仰できますね。

SAKURAさま、お元気そうでなによりです。
また、いつでもご気軽にweb誌友会にご参加くださいね。

4637a hope:2014/11/28(金) 09:57:50 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p166 5行目〜

信仰実話は数多くたびたび繰返して子供に話してきかせよ。
しだいにそれより導いて、ついに彼をして大生命と一体であるとの自覚までに高めあげるのである。
ひとたび自己を守護する大生命の存在を深く心に印(いん)せられたものはあらゆる事物に恐怖しない。
彼は恐怖しないがゆえにたとい病気に罹ることがあっても速やかに治るのである。
彼は恐怖しないがゆえにいかなる困難にも挫折しない。
彼は恐怖しないがゆえに新しい試みをなすに躊躇しない。
・・・

4638a hope:2014/11/28(金) 09:59:06 ID:cEpBaIdo

>>4637 a hope所感)

どんなに頭脳明晰で勇敢な人間であっても無神論者(神さまの存在を信じていない人)は、
何かのきっかけで「恐怖心」に捉われたとき、人生に挫折してしまうのだと思います。

たとえどんなに失敗しても、人生は「魂を磨くための学校」であり、神さまがいつも温かく見守ってくださっていることがわかっていれば、
人は必ず立ち上がることができるのだと思います。

4639a hope:2014/11/30(日) 00:18:57 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」p173 5行目〜

自己を尊敬されたいものは、ひとを尊敬せよ。世界は正札であって駆け引きではない。
支払ったものだけのものが、自分に返って来るのである。尊敬を支払えば尊敬が返ってくる。
深切を支払えば深切が返ってくる。愛を支払えば愛が返ってくる。
だから子供から尊敬せられようと思う親たちは、子供を尊敬することを吝(おし)むな。
子供を尊敬すれば、子供もまた「善き父」または「善き母」としてその親たちを尊敬するのだ。

子供の教育には「道理」をもって子供の心のうちの神(道理)に相対するようにせよ。
強制は決して子供の心のうちにある神を生かしはしないのである。
かくのごとく「道理」をもって子供たちに内在する神に対するとき、
時には子供の方か大人に対して理論上勝つということもありうるのである。
かくのごときときには、大人の権威にかかわると思って※横車を押しとおすようなことをするな。

あらゆる者は大人でさえも、真理(神)の前には跪(ひざまず)かねばならぬところの
最小(いとちい)さきものであることを知らしめねばならぬのである。
真理の前に大人が跪いて見せるとき、子供もまた、真理の前に跪かねばならぬことをさとるのである。

大人が子供にいい負けたと思わせるような解決をしてはならない。
子供に負けるのではない、真理の前には大人でも素直に頭を下げるのが
どんなに善いことかであるかの実例を見せるようにするのである。
実にこのことは人間性の素直な発達のために大切なことであって、
すぐ子供も真理の前には頭を下げはじめるのである。

大人が自己のまちがっている場合に、そのまちがいを押しとおすようにしないならば、
子供の性質も素直になって悪いと自覚しながら頑張るというようなことはだんだん少なくなってくるのである。

※横車を押す ・・・ 横に車を押すこと。転じて無理と知りながら自分の言い分を通すこと。

4640a hope:2014/11/30(日) 00:20:46 ID:cEpBaIdo

>>4639 a hope所感)

<<かくのごとく「道理」をもって子供たちに内在する神に対するとき、時には子供の方か大人に対して理論上勝つということもありうるのである。
かくのごときときには、大人の権威にかかわると思って横車を押しとおすようなことをするな。>>

わが家でも、このようなことはしばしば起こります。
子供がすぐにいうことを聞いてくれなかった時など、感情にまかせて叱っていると、
子供の方がずっと冷静に、なぜ、わたしの言うことを聞きたくないのかを説明しだしたりします。
子供には子供の言い分がちゃんとあるんですよね。
そういうときに、「親に反抗するとは、けしからん」と叱って強制してやらせるのは、生長の家の教育法ではないわけですね。

そこで一呼吸して、「そうか、そういう理由があるんだね、それじゃあ、今すぐじゃなくてもいいから、やってくれるとうれしいな」
と言いかえたりすると、子供は「うん、後でやる」と本当に素直にやってくれます。

自分の子供って自分から生まれていますから、なんとなく自分の分身か付属品のように感じてしまいがちですが、
本当は、一人一人が尊い〝神の子さん〝 なんですよね。
でも、そんな大切なことを、忙しい日常に追われているとついうっかり忘れてしまいます。

<<だから子供から尊敬せられようと思う親たちは、子供を尊敬することを吝(おし)むな。
子供を尊敬すれば、子供もまた「善き父」または「善き母」としてその親たちを尊敬するのだ。>>

そうか、わたしが子供達に尊敬されていないのは、わたしの「子供たちへの尊敬の念」が足りないからだったのですね・・・

がんばります( `―´)ノ

4641a hope:2014/11/30(日) 16:26:01 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p176 2行目〜

大人よ、子供の考えることに碌(ろく)なことがあるかという先入観を棄ててしまえ、
天国に入る者は心は幼児の心のごときものであると古(いにしえ)の聖者はいった。
そのように時として子供の唇からは天的な啓示が語られることがあるのである。
たとえにも「負(お)うた子に教えられて浅瀬を渡る」という。
子供の言葉に霊界よりの啓示を聴くことのできるものは祝福された人である。

子供が自分自身で考えついた考えを尊重してやることは、その考えと同じ方向にはたらく心の働きを励まし助長してやることになるのである。
これは実に大切な励ましである。
子供は「励まし」か「嘲(あざけ)り」かでいっそう高く発達もすれば、
逆にいっそう低く退歩もする分水嶺(ぶんすいれい)に立っているのである。
多くの若き心はもう一歩のところで大発明大発見をするという瀬戸際まで漕ぎつけながら大人の嘲笑にあって委縮してしまっている。
世界はこうした愚かな大人の嘲笑がなかったらならば今よりもいっそう進歩していたかもしれないのである。

大人よ、若き心の独創的な考えの芽を摘むな。
どんなにそれが小さくとも、いやしくとも独創的でありえさえするならば、その価値を讃えよ。
どんなにそれが早熟的な、大人にとって嫌や味なものであろうとも、子供の独創性が発揮されているものならばその価値を認め、
価値をたたえられることによって発達するのが生命の法則であるからである。

4642a hope:2014/11/30(日) 16:27:58 ID:cEpBaIdo

>>4641 a hope所感)

この後テキストでは、<<幼児期の心に印象された記憶がいかに大切なものであるか>>が述べられていて、
「生長の家の教育法」の目的、根本原則、方法がさらに詳しく説明されています。

また、>>4625でトキさまが、立花隆さんの「臨死体験」をご紹介くださり、たとえ生まれた直後の嬰児であっても、
産婦人科医の不注意で言った言葉が潜在意識にあっために、その後の男性の人生に大きく影響していた、
という興味深い事例をご紹介してくださっています。

<<子供は生まれつきの霊感的語学者であって、音で聞いて言葉の意義を霊感で直接的に把(つか)むのである。
彼は不思議な直覚的理解力をもっていて大人の言語を大人の言語をかなり十分理解しうる。>>p183 7行目〜

人は大人になるにつれて、色々な経験をして世間的に賢くなると同時に、
この「直覚的理解力」が衰えてきてしまうのかもしれませんね。

生まれたばかりの嬰児は(生まれる前の胎児もですが)、そういう意味では全く汚れのない「神聖」そのものなのですね。
(つづく)

4643a hope:2014/11/30(日) 16:29:52 ID:cEpBaIdo
>>4642つづき)

その、「神聖な命を守る運動」にわたしも協力しています。
大熊先生ががんばってくれているからこそ、わたしもこの素晴らしい運動に参加することが出来ています。

大熊先生のブログを見たり、you-tube を視聴するだけでも応援になるそうです。
みなさま、ご協力をどうそよろしくお願いいたします m(__)m

http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/MYBLOG/yblog.html

以下、大熊先生からのメール内容を転載させていただきます。 合掌。

―――――――――――――

速報です。
  合掌 ありがとうございます。

赤ちゃんを守る救命センター。
一般社団法人いのちを守る親の会
「奇蹟の事務所」設立秘話が8分の、
動画になって全世界に公開されました。
ぜひ、皆さん、ご覧下さい。↓

http://youtu.be/A1Hjhegwj88

宣伝くだされば下さるほどに
妊婦さんや赤ちゃんが救われます。
どうか、ご協力お願致します。

       合掌  再拝

             大熊 良樹 拝  

――――――――――――――

4644a hope:2014/11/30(日) 23:21:49 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第30回 web誌友会 予告

期間  12月1日〜12月31日まで
テキスト 「生命の實相」第15巻 人生問答篇 上
内容  新生活への出発 人生の悩みを解く(上)
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆


早いもので、今日で11月も終わり、明日から12月に入ります。

そこで、テキストを第15巻の「人生問答篇」に進めたいと思います。
現在の「生長の家」教団は、あまり個人救済に力をいれていらっしゃらないようですが、
「生命の實相」を拝読していると、昔の生長の家は「生長の家」の人間神の子の真理を伝えることによる個人救済が
活動内容の大部分を占めていたような印象を受けます。
それに昔は「生命の實相」を拝読するだけで病気が治ってしまうという奇蹟が現実にたくさん起きていたのですよね。

現代の情報化社会に生きるわたしたちは、ふつうに生活しているだけで色々な情報が否応なしに入ってきてしまいます。
ですから「生命の實相」を拝読しても、わたしたちの頭の中にはいってしっている余計な知識が邪魔をして、
素直に真理が心に響かなくなっているのではないかと感じています。

わたしはこれからも出来るだけ心を真っ白にして、聖典「生命の實相」を拝読していきたいです。

4645a hope:2014/12/01(月) 10:43:29 ID:cEpBaIdo

12月に入りましたので、第30回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4646a hope:2014/12/01(月) 10:47:51 ID:cEpBaIdo

つづきまして、今回のテキストである 第15巻の『新生活への出発―― 幸福なる生活への序曲―― 』(序章)より抜粋謹写させていただきます。
 

・・・(前略)・・・p14 後から4行目〜

諸君よ、この書を手にせられたのを機会に今日からあなたの家庭をもっと明るく笑いに満ちたものとしようではないか。
苦い顔は家庭の外でも見飽きるほど見ているのである。
厭味(いやみ)や小言はもう飽き飽きするほど家庭の外で聞かされているのである。
せめてわれらは家庭にいる間だけでもわれらの人生を楽園としようではないか。
われらが外へ出て人生の戦いを戦うとき、振り返って、帰れば楽しい明るい慰められるべき家庭があることはなんという力強いことであろう。

諸君よ、この人生の楽しいオアシスを、決して苦い火宅とするな。
あなたの天国に地獄を持ち込むな。
一歩あなたの家庭に入るとき、そこを天国だと思え。
家庭の全員が、そこを天国だと思うようにするならば、そこに本当の天国ができ上がるのである。


「運命の神も、快活な人には十歩も百歩も譲歩する」(Fate itself has to concede a great many things to the cheerful man.)
という西洋の諺がある。
日本の諺「笑う門には福来る」というのと好一対(こういっつい)である。

天照大神が岩戸隠れをせられて天地ただ暗黒に満たされたとき、その暗黒の真っただ中にあって悲観せず、失望せず、
陽気な音楽を奏でつつ明るい笑いを笑い、ついにその暗黒を笑いによって吹き飛ばした天宇受売命(あまのうずめのみこと)こそ
生粋の古代日本人の標本であり、「生長の家」人の好標本であるのである。
苦難に面するとも朗らかに哄笑(こうしょう)せよ。
やがて諸君はその苦難を征服することができるであろう。

天宇受売命(あまのうずめのみこと)は八百万(やおよろず)の神々の奏(かなで)出でる音楽につれて明るい踊りを踊ったのであった。
音楽にもいろいろあるが、明るいリズムの音楽は聴く人の心のリズムを明るくし、肉体のリズムまでも調子よくし、
その結果心の悩みはもちろん、肉体の健康をさえもよくするのである。
近頃、琴曲(きんきょく)の名人でその演奏によって他人の病気を治したという実例がある雑誌に出ていたが、さもあるべきことである。
(つづく)

4647a hope:2014/12/01(月) 10:49:44 ID:cEpBaIdo
>>4646 つづき)

輝くような明るい笑いは人生の不幸を吹き飛ばし、不治症をさえ雲散霧消(うんさんむしょう)する不思議な効果をもっているものなのだ。
われわれが健康でなかったり、不幸であったりするのは自己の魂の中の天照大神が岩戸隠れをしているからであるのだ。
魂の中の天照大神が岩戸隠れをしてしまったら、形の世界はことごとく暗澹として光明を失ってしまうのである。
なぜなら形の世界は心の世界の映像(かげ)にすぎないからである。

諸君もしらるるとおり、日本古典の『古事記』によれば、天照大御神が天岩戸に御隠(みこも)りましたとき、
万物ことごとく暗黒の中に沈水してしまったのである。
その時、心の岩戸を開いて天照大神の出御(しゅつぎょ)を促したところのものは、
天宇受売命の明るい動作に促された八百万神々ことごとく高天原を揺り動かすような哄笑(おおわらい)であったのである。

諸君はこれをたんなる神話だと思うか。
しからず、これは生命の創価作用を説明する深遠なる象徴劇であったのだ。

「生長の家」ではわれわれ人間は皆神の子であるという。
われわれが神の子であるとは、各人は「天照大御神」を各自の魂の底に包蔵しているということである。
言い換えれば皆が天照大御神の御子(みこ)であるということである。

では、われわれは今日から神の子らしく朗らかに生き、各自に宿る天照大御神を岩戸を開いて導き迎え奉り、
この大御神の子たる実をあらわし、われわれは太陽の子だということを実相を現実にあらわそうではないか。

陰鬱にふさぎ込んで明るさを失ってしまうことは心の天の岩戸を閉ざしてしまうことである。
どんな善人でも陰気が心の中に籠っては太陽の魂が閉ざされているのであるから、本当の善人だということはできないのである。
本当の善人は心が明るくなければいけないし、いつまでも暗(やみ)を見つめる心を捨てなければならないのである。
(つづく)

4648a hope:2014/12/01(月) 10:51:27 ID:cEpBaIdo
>>4647 つづき)

禍(わざわい)を転じて福とするのが日本精神である。
死んでも死なないのが日本人であった。
伊邪那岐命が、その子迦具土神(みこかぐつものかみ)を切り給うたとき、その御刀につきたる血からも、
殺されました迦具土神の頭(こうべ)からも、胸(みむね)からも、腹(みはら)からも、陰(みほと)からも、
左の手からも、右の手からも、左足からも、右足からも、神々が生まれ給うたと『古事記』にある。
日本人にとっては一つの「死」は多くの「生」への始まりであった。
「死」さえも明るく見るのが日本精神であったのだ。

・・・ (中略)・・・

諸君はみんな神の子ではないか、神の子が朗らかに笑うほど自然な行事はないのである。
諸君が明るく笑う時、たちまち諸君の本性たる「神の子」に立ち帰るのである。
諸君が神の子たる本性に帰るとき、明るく朗らかな朗らかな神の子の本来の面目に復帰する時、諸君はもうそのままで自由自裁なのである。

天之岩戸は外にはなく、心で築いたものであるから、心が明るく朗らかなるその本来の面目に帰るとき、
もうそこには天岩戸は消えているのである。
何よりも明るく朗らかに笑うことが自己に宿る無限力を引き出す第一歩である。
「明るく朗らかな神の子が自分である。ああ自分が神の子であることがありがたい。」
今日から、就寝前の一分間と、朝目が覚めたときの一分間とに、こう二十回ほど繰り返して丹田に力を籠めた低声で自分の心に言って聞かせよ。
そして機会あるごとに大笑(たいしょう)せよ。
諸君の運命と健康とはこの言葉の力と笑いの力で日々にその前日よりもいっそう明るく改善されたものとなるであろう。

この一文をもって本章の序章とする。
本書は「生長の家」が昭和九年八月にその本部を東京に移転する以前、阪神間、住吉村の道場で実際にわたしに人生指導を求められた際の対談であり、
掲載の順序は第一章以外は座談の年代順に集めたものである。

著書しるす


感謝 合掌。

4649トキ:2014/12/01(月) 21:56:43 ID:SPm6GZyk
a hope様、誌友会ではお世話になります。
よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4650a hope:2014/12/01(月) 23:03:02 ID:cEpBaIdo
>>4648 訂正 

自由自裁→自由自在

4651a hope:2014/12/01(月) 23:05:46 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

今日から、第15巻の人生問答篇に入りたいと思います。
今朝、序章となっている「新生活への出発」の後半部分を謹写させていただきました。

第1章の「家庭争議の解決を語る」を拝読して感じたのですが、
昔の信徒さんというのは本当に「生命の實相」の真理をそのまま家庭生活で実行されていたのですね。

家庭の老人が小言をいうのも「自分の心の影」であり、
「生命の實相」をお友だちが受け取ってくれないのも「自分の心の影」であり、
ご主人の入れ歯を女中が割ったのも「自分の心の影」であると自己反省されることで、
家庭や友人関係を調和させてしまっています。
とても素晴らしい信仰姿勢だと感じました。

拝読していて、本当にうらやましいと思ったのはは、登場されている信徒の方々が、
谷口雅春先生と普通に対話されているということです。
当時は、質問すれば雅春先生から直接お答えがいただけたのですよね。

わたしたちは、もう雅春先生の直接のご指導は受けることはできませんが、
雅春先生が残してくださった聖典はいくらでも拝読することができます。

今回のテキストのように対話形式になっていると、具体的で判り易いですし、
雅春先生に対してとても親近感がわいてきます。

みなさんも、どうそご一緒にお勉強してくださいね!

4652a hope:2014/12/06(土) 00:25:56 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p38 10行目〜

杉野――ところがこの四、五日来憂鬱(ゆううつ)が来ましてねぇ。
理由がわからないで心境が朗らかになれない。
別に原因がないのに心が憂鬱なのです。

そうしますと今まで順序がトントン拍子にいっていた会社の仕事が一時失敗(しくじり)ましたのです。
それは委(まか)してある店の者が不良品を買ったというようなことですが、
わたしの心が朗らかであればこんなことは起らない。

わたしの心が朗らかでないために、それが会社の仕事、店の者の仕事に反映してそういうことが起こったのであります。
実に環境はわが心の影というわけですねぇ。

それがどうしてわたしの心にこういう朗らかでない心境が起ってきたのであるかどうかもわからない。
ところがよくよく反省してみますと四、五日前に『三日会会報』というのが来ました。
それをポケットに入れて電車の中で読んだのであります。

いつでも会社へ往復の電車の中では聖典『生命の實相』を読むようにしていましたのですが
ちょうど『三日会会報』が来たものですから、この雑誌も『生長の家』の分身だと思うものですから、
読んだら真理を知る上に同じ効果があるつもりで読み始めたのですが、
読んでいると『生長の家』と少し違うところがあるような、変な不安な憂鬱な気がしたのです。

なんだかその理論は物質の存在を認めているような、
小我自我(にせもののわれ)の存在を認めているような点がありますので、
読んでいるうちに物質も存在する、現象も存在するというような気がしてきたのです。
(つづく)

4653a hope:2014/12/06(土) 00:30:31 ID:cEpBaIdo

>>4652 a hope所感)

<<この雑誌も『生長の家』の分身だと思うものですから、
読んだら真理を知る上に同じ効果があるつもりで読み始めたのですが、
読んでいると『生長の家』と少し違うところがあるような、変な不安な憂鬱な気がしたのです。
なんだかその理論は物質の存在を認めているような、
小我自我(にせもののわれ)の存在を認めているような点がありますので、
読んでいるうちに物質も存在する、現象も存在するというような気がしてきたのです。>>

わたしは杉野さんが読んだという『三日会会報』というものがどんなものかはまったく知りませんが、
雅宣先生のご文章を拝読していると、わたしはまさに上のような感じがするのです。

確かに、雅宣先生は実相世界の存在をお認めになっていて、実相独在であるということも、
現象世界が「影の世界」であることもそのご文章中に表現されてはいますが、
一方で、本来ないはずの現象世界や罪を犯す現象人間をもあたかも存在するかのように表現されてしまっているので、
わたしはそのように感じてしまうのだと思うのです。

この後に雅春先生の杉野さんの発現へのお返事がありますので、明日謹写したいと思います。

4654a hope:2014/12/06(土) 00:33:08 ID:cEpBaIdo
>>4653訂正
杉野さんの【発現】へのお返事 →杉野さんの【発言】へのお返事

4655a hope:2014/12/06(土) 10:45:03 ID:cEpBaIdo
>>4652 つづき

「生命の實相」第15巻 p39 後から7行目〜

谷口――「ニセ物の我」とか「本物の我」とかいう区別はない。
いずれも真我(ほんもの)の表現だという、偽説に迷いなさるな。

「生長の家で物質は無い、現象界は蜃気楼のように心の影にすぎない」と申しますのは理論や理屈でそう言うのではなく、
実際真理において「物質はない」から無い(○○)と言うのであります。
実相から観て現象は映像(かげ)でるから映像であるというのであります。
そのほかに別に理由はないのであります。

むろん聖典『生命の實相』の中には椽大(てんだい)の筆を揮(ふる)って物質のない理論が詳しく書いてあります。
しかしそれは実相の悟りに導くためにそう書いてあるだけでありまして、
理論がこうだから「物質は無い」と結論するのではありません。

理論は、真実の悟りに導く方便として後から造ったものであって、理論より先に「物質はない」という真説があり、
その真理の啓示を解りやすく納得させるために理論を説いているのであります。

だからその真理に権威があって読んで信ずる人の心に「生命の実相」を悟らせ、自由自在の心境に達せしめ、
その副作用として医術難治の痼疾(こしつ)でもズンズン治る例がたくさんあるのであります。

むろん、理論はどうにでもつけられる。
「物質は有る」とでも「ニセ物の我こそは本当の我である」とでもどうにでもつけられます。
そしてその理論を信じたい者は信ずることができます。
それを信ずることも自由であります。

しかし、そういう理論を信じますと、信じなくとも多少在来の信念に動揺を来(きた)しますと、
「物質がある」という自己の信念の結果、物質によって自分自身が自縄自縛(じじょうじばく)せられることになり、
先の自由自在の心境が不自由な心境になり、不完全なる「ニセ物の我」を真我(ほんもの)の一顕現として肯定する結果、
不完全な状態が自分の世界にいっそう多く顕れて来、今までトントン拍子にいっていたことがトントン拍子にゆかなくなるのであります。
(つづく)

4656a hope:2014/12/06(土) 10:47:37 ID:cEpBaIdo
>>4655 つづき)

われわれが五官で物質を観、現象を観、それに立脚していろいろ複雑な理論を作りあげて、
物質もある、現象もあると肯定するのはいともやさしいことなのであります。
科学者はみんなそれをやっている。

しかし実相覚で「物質は無い」というのは理屈ではないのです。
誰でも頭の善さを信じて理屈で真理に這入ってゆこうとして理屈をますます複雑にし、
「物質は無い」と単純に承認すればよい所を、
「物質は無いと有るとを超越したところの有るである」と無理に複雑化して言ったり、
「ニセ物の我は無い」と単純に否定すればよいところを「ニセ物の自分も真我(ほんもの)の一顕現として実在である」
などと複雑に言っていられると、いつのまにかその人は物質があるやらないやら、
自分自身で言っていながらわからなくなるのです。
(つづく)

4657a hope:2014/12/06(土) 10:51:36 ID:cEpBaIdo

>>4655 >>4656 a hope所感)

次に、雅宣先生の「次世代への決断」の『大地震は〝神のはからい〝 か?』p82から雅宣先生のご文章を一部ご紹介させていただきます。

<<・・・しかし、その一方で、生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」とも説く。
この観点から考えると、地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから、
地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。
そうすると「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。
しかし、その場合、自然界の法則によるのは、「百年に一回起こる大地震」だけではなく、
「九十九年間は大地震が起こらない」状態も当然含むのだから、「九十九年間の地殻の安定は神がもたらす」ということも同時に言わなくてはならない。
なぜなら、〝法則としての神〝 は人間にとって悪いことだけをもたらすのではなく、良いこと、ありがたいことも、常にもたらしているからだ。・・・>>p86 3行目〜
(一部分だけの紹介をお許しください。)


みなさんは、この雅宣先生のご文章を読まれて混乱されませんか?

ここにある「物理学や化学の法則」または「自然界の法則」とは地殻変動等を起す「物質世界の法則」のことなのだと思いますが、
雅宣先生は<<「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。>>
とお答えになってしまっているのです。

要するに、物質世界を神の創造であると複雑な表現ではありますが、認めてしまっておられるのです。(二元論)

物質世界(現象世界)は実相世界が屈折されて投影された映像であり、本来無いものであり、
決して神の創造ではありませんよね?

わたしが理解している「神の法則」は「神への中心帰一の法則」です。
「神の法則」が完全に顕われている「実相世界」は久遠の今であり、人間に不幸をもたらすような不安定は存在しない、
常に安定だけをもたらす、完全円満な理想世界だと信じています。


みなさま、わたしの解釈に間違いがあれば、どうそご指摘ご指導をよろしくお願いいたします。

4659トキ:2014/12/06(土) 19:39:28 ID:0iMHaNvk
>>4657

a hope さま

 総裁のご文章は、すごく分かりにくい文章ですが、総裁の言いたい事はこういう事でしょうか。

>>生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」

 というところから、いきなり、

「物理学や化学の法則も、法則とある以上は、神様が作ったものである。」

として、次に、

「地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則に基づくものである。」

とあるから、

>>「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。

という結論に至る、という解釈かしら?

(つづく)

4660トキ:2014/12/06(土) 19:47:53 ID:0iMHaNvk
 私個人の解釈では、

>>生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」

というのは、もともと、「心の法則」を説明する時に使う説明です。

 同じ「法則」でも、物理や化学の「法則」は現象世界の問題と理解します。

 百歩譲って、法則が神様が作ったとしても、その法則を使うのは、神様では
ありません。以前、Winyというソフトを作った人が逮捕されましたが、使った
人には責任はあるが、作った人には責任がないと無罪になりました。それと同じ
で、法則を作った事から、その法則が作動する行動や言動(かりにこういう
表現を使いますが)をした人と、法則を作った(?)人とは、別の存在です。

 この総裁のご文章は彼個人の自然観を説明するための文章ではありますが、
生長の家の信仰を伝えるものではない、といえます。

4661SAKURA:2014/12/06(土) 23:11:50 ID:???
こんばんは……  ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。

「トキ様」「a hope様」へ……横スレにて…失礼いたします…。

■□ 『小櫻姫物語』からなのですが??
その中から「橘姫さまのお話」――>入水についてのお話で。。。詳しくは、
【 四十一、海神の怒り 】の内容から………
時代背景と致しましては……重複しますでしょうが?
「神武天皇のお后さまの入水の事」からでも思いますには、
やはり『人・霊』から来る事もあるようですし………

■【地・震】は?やはり『神の法則』から来る事もありますでしょうし……?
更に……
『人間の念』からでも、来す事もある事ではと思う次第です。

■□『小櫻姫物語』の中から……(具体的投稿文…抜粋)
「小櫻姫様の指導霊のお爺様」の“言・葉”からの抜粋なのです。

>>■橘姫の御物語は一と先ずこれにて打ち切りといたしますが、ただ私とし
て、ちっとここで申添えて置きたいと思いますのは、海神の怒りの件でござい
ます。大和武尊さまのような、あんな御立派なお方が、何故なれば海神の怒り
を買われたか?――これは恐らくどなたも御不審の点かと存じまするが、実
は私もこれにつきて、指導役のお爺さんにその訳を伺ったことがあるのでご
ざいます。その時お爺さんは斯う答えられました。――

『それは斯ういう次第じゃ。すべて物には表と裏とがある。命が日本国にとり
て並びなき大恩人であることはいうまでもなけれど、しかし殺された賊徒の身
になって見れば、命ほど、世にも憎いものはない。命の手にかかって滅ぼさ
れた賊徒の数は何万とも知れぬ。で、それ等が一団の怨靈となって隙を窺
い、たまたま心よからぬ海神の援けを獲て、あんな稀有の暴風雨を巻き起し
たのじゃ。

あれは人霊のみでできる仕業でなく、又海神のみであったら、よもやあれほど
のいたずらはせなかったであろう。たまたま斯うした二つの力が合致したれば
こそ、あのような災難が急に降って湧いたのじゃ。

当時の橘姫にはもとよりそうした詳しい事情の判ろう筈もない。姫があれを
ただ海神の怒りとのみ感じたのはいささか間違って居るが、それはそうとして、

あの場合の姫の心胸にはまことに涙ぐましい真剣さが宿っていた。
あれほど真心が何ですぐ神々の御胸に通ぜぬことがあろう。それが通じたれば
こそ大和武尊には無事に、あの災難を切りぬけることが出来たのじゃ。
橘姫は矢張り稀に見るすぐれた御方じゃ。』

 私はこの説明が果してすべてを尽しているか否かは存じませぬ。ただ皆さ
まの御参考までに、私の伺ったところを附け加えて置くだけでございます。<<

上記を投稿させて頂きましたが……
『人間の念…想念感情』からと…考えられますのでは??
皆様も御存知の■【源氏物語…蒼い君】…にでも伺えますかと…思うのです。

最後に…「霊の世界」へ持って行けますモノとは『物質』はできませんが〜〜〜
『想念感情』は持って行けるモノ…これだけは断言できますでしょうか??

         ❤〜SAKURA

4662a hope:2014/12/07(日) 00:18:41 ID:cEpBaIdo

トキさま 

お返事をありがとうございます。 合掌。

(トキさまのご発言)『生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」
というのは、もともと、「心の法則」を説明する時に使う説明です。』

ですが「神の法則」とは現象人間の偽我による「心の法則」のことではないですよね?

わたしは現象人間の過去に犯した罪や迷いが「心の法則」によって現れるのが自壊作用なのではないかと理解していますが、
この「神の法則」とは「心の法則」でも、実相世界の展開のことなのだと思うのですが・・・。

わたしは、現象世界の法則であっても、その法則が人間の迷いや罪によって屈折することなく実相世界からそのまま真っ直ぐに投影されていれば、
すべてが大調和して現れると思うのです。
ですから、地震などの天変地異などによって現象人間が被害を受けて見えてしまうのは、
現象人間の過去の迷いが消えるための自壊作用なのではないかと思っています。
たしか、雅春先生は、「津波は流産児の涙である」と言われたのですよね?
(今、大熊先生が「赤ちゃんの命を守る運動」を頑張って展開してくださっていますが・・・)

ですから雅宣先生の<<地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。>>
というお考えにはすごく違和感があります。

なぜなら、「甘露の法雨」にも、
「神があらわるればすなわち 善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、
一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、
乏しきものなし。」
とあるように、神があらわれれば地震などという人間を苦しめるような不調和な事態は起きないのが真理だとわたしは信じているからです。

それに、天変地異も戦争も不慮の事故も病気もすべて現象世界の出来事ですから、すべては影であり実在ではないわけですから、
たとえ何が起っても、わたしたち「生長の家の教え」を信仰しているものは実相世界の完全円満さを信じることができるわけですから、
わたしたちは本当に幸せだと思います。


(トキさまのご発言)『 この総裁のご文章は彼個人の自然観を説明するための文章ではありますが、生長の家の信仰を伝えるものではない、といえます。 』

トキさまがハッキリと、「生長の家の信仰を伝えるものではない」と否定して下さっていて「ホッ」としました。

雅宣先生のご文章を拝見していて感じることは、雅宣先生は「生長の家の教え」の概要は頭では理解されているようですが、
「生長の家」の信仰はされていないのではないかということです。(純子先生にも同じことを感じます。)

だって、お二人のFBにも、ブログにも、神想観をしているとか、聖典を拝読しているとか、愛行をしているとかそういうお話はほとんど出てきませんものね。

わたしの感じていることが間違いだったら心からお詫びいたしますが、もしそれが当たっていたとしたら、
そのお二人が「生長の家」の頂点に立つ総裁・副総裁をされているというのはとても不思議なことですね。

4663a hope:2014/12/07(日) 00:33:36 ID:cEpBaIdo
>>4661SAKURAさま

web誌友会ご参加ありがとうございます。 合掌。
今夜は遅いので、また明日お返事させていただきますね。

4664志恩:2014/12/07(日) 05:39:31 ID:.QY5jUA6
a hope様

トキ様、SAKURA様が、コメントされてましたが、大熊良樹先生も ブログに、
この事に関する 生長の家の教えから 観られた コメント を載せておられましたので,転載させて頂きます。
……………………………………….
大熊良樹先生のブログより

📈【 地震は地球の 感情座の異変】📉 平成26年19月9日

▽いのちはひとつであり。。互いに影響 し合っている のである。
それは、人間の関係 においてもそうであるし・・(自他一体であるという事である)
自然(地球)と人間も同じ関係にある。

自然災害について、思う事があります。結果には 必ず原因があり、そこには 必ず法則が 働いています。
 法則自体は「悪」では ありません。。
現象顕現の法則は、「現れ」即「洗われ」として、 浄化の働きを 持つのであります。。
現象は、諸行無常であり、「出たら」(かたちになったら)「消える」(無くなる)のです。
一定のエネルギーがたまると 抑えられたエネルギーは、容量を越えると、機会(縁に触れて)をえて「発露(顕現)」するのが法則であります。

しかし、なに(原因)に対して、なに(結果)が起こるか、法則に照らして、知ること わかること(理解すること)は、 災難を回避するための、
重要な智慧であると思います。。。

▽昭和52年刊行の「如意自在の生活365章」(日本教文社)p45にて、
谷口雅春先生は、天変地異 について こう説かれています。

地球もまた生命体であるから、人間とひとつであり、(「人間は「体」の面から見ると地球より 発生した「地球の子」みたいな
ものであるから」【本文引用】と表現されています。。)

原爆水爆など 地殻実験したり、地球を汚し貶めると)人間の想念感情が乱れたりすると、(また人間同士で貶め合うと)
地球の内層にある霊体・幽体・エーテル体 等に損傷をうけて、
(地球からまた)人間感情に影響を与えたり、噴火 地震などの天変地異という 現象となるという内容である。。。
 (あい呼応してしまう・・という事である)

まさに人と地球は ひとついのちであり 強くつながっているのだ。
地震は周期的に起こるだろうが、起きるタイミング。 人時処、三相応が重大である。。。
同じ地震 といっても・・ 地震の起こる場所で規模で タイプで、津波が起こるか 起こらないが決まる。
また、住宅の 建てる高さ海抜、位置。に寄って被害が変わる。。

朝か、昼か、夜か、いつ起こるかで・・被害も変わる。。
人間の想念感情 ということでいえば・・先祖が津波は ここまで来るぞ、と書いて石碑で残しているのにも関わらず、
無視して・・・千年に一度の災害が 来るものですか・・と、国民を代表する国会議員が震災直前に 言ったりする。。
われわれは、大いに「神」に「先人」に 御先祖様の声に・・・大自然の声に耳を 傾けなければ成らないと思うのであります。。

何々したから これこれが起こった・・   というのは光明思想 ではありません。(天罰思想と いうのでしょうか・・)

神は愛であり、裁きや試練など  一切与え給わないので  あります。逆であります。これこれを大事に しなさいという愛の教訓。
これを大事にしたら幸福になれますよ・・ という「幸福への鍵」。
幸福人生への重大ヒントともいえる・・     

大切な教えが  暗示されているのが  現象なのであります。これを「心象」といいます。 
われらはなお一層、真摯に声なき声に耳を傾けて「心象」たる「現象」から、 如何に生きてゆくべきか  学んでゆかねばなりません。
中絶をこのまま赦し続けて、尊き赤ちゃんのいのちを 見殺しにし続けるのならば、いくら上っ面の「国際平和」を祈り、
(深層に根差した祈りとは  いのちを礼拝する祈りである。)

「自然保護運動」を展開しようとも、

 (現象は心の影であり、 いのちを礼拝するところから自然が整う。)

 それは「空念仏」であり、 本末転倒となるのであります。

そういう「正中」(御意)を外した祈りなき信仰者は私の周囲にはいませんが・・。この事は実に大切なことであります。

4665志恩:2014/12/07(日) 05:43:58 ID:.QY5jUA6
4664: 平成26年19月9日 ➡平成26年10月9日に訂正

4666志恩:2014/12/07(日) 07:53:44 ID:.QY5jUA6
「法則」(ルール)について

雅宣総裁が語られる「物理学や化学の法則」というのは、人間が作り上げた 地球でしか通用しない「地球の法則」
と,私は受け取っております。

一方、谷口雅春先生が説かれた「心の法則」とは、雅宣総裁が言われる
「地球の法則」を“超越した“ “人智を超えた“高級霊界に導かれている「宇宙の法則」だと思っております。

ともかく、いま地球は 大激変中のようですね...、それに伴って、それに連動するかたちで、生長の家も 大激変中のようです。

前に、縹様が詳しく教えて下さいましたが、
雅春先生の神示や、様々な預言に書かれてある通り、 今、われわれは、新しい時代の潮流「宇宙の法則,心の法則」の時代へ と
大きく舵を切ろうとしている転換期の時代のところに 差し掛かっていて、そういう時代に ご一緒に 生きている….。

そして、本来の生長の家の「心の法則」とは、
雅宣総裁が、今、語られておられるような1000人のうち、5人が、理解出来るかどうかも分からないというような
「複雑」「難解」な法則ではなく、創始者であられる雅春先生が説かれておられた法則は、もっともっと「単純」な法則なのでは?

この法則で生きれば、都会に生きようが、森で生きようが、どこで生きようが、どこのどなたでも 大安心の気持ちで生きられる 平易な心の法則です。

このような 元の教えの 心の法則を 確信し、実践さえすれば、

「束縛」➡「自由」
「不公平」➡「公平」
「ムダ・ムラ・ムリ」➡「効率」
「短所是正」➡「長所進展」…..の世界が、宇宙に通用する永遠の法則なのですから、自ずから展開しだすと思います。

「心の法則」ではなく、
雅宣総裁のお立場に立ち、雅宣総裁の説かれる、「地球の法則」の お考えに照合した考え方をしてみますと、正しいことを仰っている。

《人間の文明がこれまで築いてきた社会システムや考え方のために、地球環境は今、大変な危機に直面していること、
それらの危機の原因を作ったのは、人間のエゴと嫉妬心が産み出したことだ。》

この雅宣総裁の これらの考え方は、「地球の理・法則」なのですが、「地球の理・法則」とは、人類が作り上げた、地球でしか通用しない法則のことですから。
もうすぐ通用しなくなりそうですよ。

そして、ここ10年の間に、このような雅宣総裁の考え方は急速に勢いをなくしつつあるように思います。
いま幸せに生きている人たちは、ほとんどが「宇宙の理・心の法則」に従って生きようとしている人たちだからです。

「地球の理・法則」を、
雅宣総裁が、音頭をとって、主張されてる事と,裏腹に、生長の家の教団内部の組織自体が、エゴに支配された閉鎖的な空間になっている、
そのエゴの法則に支配された組織になってしまって、教団全体が、こんなに凋落しているのは、どういうわけでしょう。

このことを1つとっても、このお考えが 
人類を幸福にするものとは、正反対である 誤った一時的な法則である事が、理解出来るではありませんか。

一方、これと対極に位置するのが、雅春先生が説かれた「宇宙の理である心の法則」であると存じますが、

こちらの方が、開放的で共生と融和を基礎にした永遠の法則のようです。

なるべく早く、元の教えであるこちらに変わるのが正しいと思われます。これは「全宇宙で通用しているルール」で、開放系のルールですから。

4667a hope:2014/12/07(日) 10:09:47 ID:cEpBaIdo

>>4661 SAKURAさま

『小櫻姫物語』の興味深いご文章を紹介してくださりありがとうございます。
志恩さまご紹介の>>4664の大熊先生のご文章にも『「地球」が「人間の感情想念」にあい呼応してしまう』という内容があります。
SAKURAさまのご紹介してくださって文章の内容となんとなく似ていると感じました。

以前、このweb誌友会でも、『「人類意識」と大きな災害の関係』の内容を学んだ気がしています。
後で探して、復習してみますね。

SAKURAさまのご参加とても嬉しです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。 合掌。

4668a hope:2014/12/07(日) 10:12:05 ID:cEpBaIdo
>>4664 志恩さま

大熊先生の貴重なご文章を探し転載してくださりありがとうございます。
このご文章は、赤ちゃんの命を含めた個人の命(魂)の救済をおろそかにしている現教団への警告のようにもとれますね。

<< (現象は心の影であり、 いのちを礼拝するところから自然が整う。)>>

この言葉が「どーん」と心に響きました。



また、>>4666では「法則」についての素晴らしいご指導をありがとうございます。

わたしは、雅宣先生は「生長の家の教え」は小さいころから学ばれていたでしょうから、
頭では十分理解されているのではないかと思うのです。

ですが、現象の問題を見つめられすぎて、そのことに捉われてしまわれた。
そこで、「現象は本来無い」と理屈ではわかっていても、現象的な「地球の理・法則」を重視され、
どうしても現象処理的な運動をされてしまうのだと思うのです。

でも、それは志恩さまがおっしゃるように、雅春先生が説かれた「宇宙の理である心の法則」とは、
まったく別物ですよね。

雅宣先生が一日もはやく、本来の「生長の家」の教えの素晴らしさを思い出して下さることを祈っています。

4669a hope:2014/12/07(日) 10:16:06 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

今朝、大熊先生のブログへ行きましたら新しyou-tube が紹介されていましたのでご紹介させていただきます。

https://www.youtube.com/watch?v=9pmz3jbNI8E&amp;feature=youtu.be&amp;list=UU72N5dUOwviUHUlBGtmU92w
↑「いのちを守る親の会」大熊理事長の情熱溢れる文書「退職の辞」公開!!( 2014/12/06 公開)

4670トキ:2014/12/07(日) 20:54:46 ID:PIBoJmSc
a hope 様

 コメント、ありがとうございました。

 遠出をしていましたので、ただいま帰りました。お返事遅れてごめんなさい。


 最初に谷口雅春先生のご著書、「人間そのものの発見とその自覚」という聖典
を拝読させていただきます。

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「人類の運命を決するもの」という題で話すことになっております。「人類の運命を決す
るもの」という題を話すについては、運命とはなんぞやということを話さなければならな
いと思います。運を天に任せるなんていう言葉がありますが、運という字はめぐるという
字が書いてあるのであります。運というのは誰か神様から強制的に吾々に割り当てられた
ところの宿命というものではないのであります。「因果はめぐる」なんていう諺がありま
すように、原因、結果の法則によって、その原因が結果となり、その結果がまた新たなる
原因を作って循環してゆくことになっているのであります。

 従って、いいことをしたらきっといいことが出てくる。悪いことをしたらきっと悪いこ
とが出てくる。人を憎めば憎まれる。奪えば奪われる、というところのその根本的な
「因果の法則」というものがあるのであります。その「因果の法則」をまた「業の法則」
とも言います。或いは「心の法則」ともいうのであります。吾々個人も、その運命とい
うものを自分がつくってその結果を穫り取るのでありますが、「大体、個人の運命とい
うものは決まっているか」と言うて訊く人がありますが、大体、生まれた時にその運命
の三分の一は決まっているのであります。

 それは、何故、決まっているかというと、これは神様が与えたんじゃなくて、吾々は
何回もこの世に生まれ更わってきているのでありますから、過去に、生まれ更わる間に
積み重ねてきたところの業の蓄積によって決まっているのであります。

(p198より謹写)

(つづく)

4671トキ:2014/12/07(日) 21:23:10 ID:PIBoJmSc
 谷口雅春先生の教えで、「神」と「法則」の言葉が出てきた場合は、いわゆる
「縦の真理」で言及される場合もあれば、「横の真理」で言及される場合もあり
ます。

 例えば、聖経 続々甘露の法雨の中にある、

 「神の子 人間」の上には、神の法則のみ支配す。

とあるのは、縦の真理と理解するのが普通でしょう。一般論として使う場合は、
「神」と「法則」が出てきた場合、大半は「縦の真理」で理解すべきです。

 ただし、「心の法則」での説明と理解すべきあと思われる場合もあります。

「人間そのものの発見とその自覚」(谷口雅春先生著)のP210にある、
「法則としての神と個別的人格としての神」というくだりは、横の真理と解釈する
のべきだと私は解釈しています。

 「神は法則である」という言葉が、生長の家の講演などで使われる場合は、だいたい
「不昧因果」(ふまいいんが) に近い意味に使われています。「神は法則である」と
出たら、だいたい、「だから、えこひいきしない」という言葉が続くのが普通です。もっとも
これは繰り返しますが、私個人の理解ですが。

 特に、総裁がこの二つの言葉を

>>「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」

という理論を正当化する根拠に使ったなら、これは「横の真理」の例えとして使ったとしか
考えられないからです。(「縦の真理」だと、これは疑問の余地なく間違いになります。)

 以上、ご説明申し上げました。

 さて、誌友会に戻ります。

(つづく)

4672トキ:2014/12/07(日) 21:43:12 ID:PIBoJmSc

 さて、生命の実相第15巻の95pに谷口雅春先生が

 「心で心が治せないというのは「迷いの心」で「迷いの心」が治せるはずが
ないということなんでしょう。「迷いの心」でいくら力んでみても「迷いの心」
は治せません。「迷いの心」を治すのは、「真理を知った心」のみです。

とあり、「迷いを治すのは真理のみです」と書かれています。

 ほんとうの真理を知ることの大切さを痛感する次第であります。

4673a hope:2014/12/08(月) 00:08:39 ID:cEpBaIdo

>>4670 >>4671トキさま

「心の法則」と「神」に関するご説明をありがとうございます。
とてもよく理解できました。合掌。

たしか「不昧因果」(ふまいいんが)という言葉は、以前トーキングスティックボードで復興Gさまが、
「百丈野狐」のお話をしてくださった時にお勉強したのを思い出しました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/154
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/159

少し難しいお話だと感じましたが、雅春先生のご解釈が深くて感動したのを覚えています。


<<「人間そのものの発見とその自覚」(谷口雅春先生著)のP210にある、
「法則としての神と個別的人格としての神」というくだりは、横の真理と解釈する
のべきだと私は解釈しています。>>

「人間そのものの発見とその自覚」というタイトルの聖典もあるのですね。
雅春先生はいろんな角度から真理を説いて下さっていますが、わたしは今まで雅春先生の聖典を拝読していて、
矛盾を感じたり混乱したりしたことは一度もありません。
それは、本当に「神さまのお言葉」なんだからだと感じています。


ところで、先日>>4656で謹写した部分の最後の一文が抜け落ちていたので半分だけ再掲させていただきます。

―――――――――――――
p40 後から3行〜
われわれが五官で物質を観、現象を観、それに立脚していろいろ複雑な理論を作りあげて、
物質もある、現象もあると肯定するのはいともやさしいことなのであります。
科学者はみんなそれをやっている。

しかし実相覚で「物質は無い」というのは理屈ではないのです。
誰でも頭の善さを信じて理屈で真理に這入ってゆこうとして理屈をますます複雑にし、
「物質は無い」と単純に承認すればよい所を、
「物質は無いと有るとを超越したところの有るである」と無理に複雑化して言ったり、
「ニセ物の我は無い」と単純に否定すればよいところを「ニセ物の自分も真我(ほんもの)の一顕現として実在である」
などと複雑に言っていられると、いつのまにかその人は物質があるやらないやら、
自分自身で言っていながらわからなくなるのです。
理屈は迷わせるのです。

―――――――――――――――――――

抜け落ちていたのは「理屈は迷わせるのです。」という最後の一文ですが、
雅宣先生のご文章は、本当にこの理屈が多いようにわたしは感じています。

4674志恩:2014/12/08(月) 09:29:46 ID:.QY5jUA6
a hopeさんは、他の掲示板はご覧になってないそうですが、「愛国」本流掲示板にa hopeさんのご発言が転載され、それに対するコメントも書かれてありましたのでご紹介します。

雅宣先生の「次世代への決断」の『大地震は〝神のはからい〝 か?』に混乱・・・ (5593)
日時:2014年12月06日 (土) 12時23分
名前:きんき

トキ掲示板より

a hope:2014/12/06(土) 10:51:36 ID:cEpBaIdo
>>4655 >>4656 a hope所感)

次に、雅宣先生の「次世代への決断」の『大地震は〝神のはからい〝 か?』p82から雅宣先生のご文章を一部ご紹介させていただきます。

<<・・・しかし、その一方で、生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」とも説く。
この観点から考えると、地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから、
地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。
そうすると「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。
しかし、その場合、自然界の法則によるのは、「百年に一回起こる大地震」だけではなく、
「九十九年間は大地震が起こらない」状態も当然含むのだから、「九十九年間の地殻の安定は神がもたらす」ということも同時に言わなくてはならない。
なぜなら、〝法則としての神〝 は人間にとって悪いことだけをもたらすのではなく、良いこと、ありがたいことも、常にもたらしているからだ。・・・>>p86 3行目〜
(一部分だけの紹介をお許しください。)

みなさんは、この雅宣先生のご文章を読まれて混乱されませんか?

ここにある「物理学や化学の法則」または「自然界の法則」とは地殻変動等を起す「物質世界の法則」のことなのだと思いますが、
雅宣先生は<<「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。>>
とお答えになってしまっているのです。

要するに、物質世界を神の創造であると複雑な表現ではありますが、認めてしまっておられるのです。(二元論)

物質世界(現象世界)は実相世界が屈折されて投影された映像であり、本来無いものであり、
決して神の創造ではありませんよね?

わたしが理解している「神の法則」は「神への中心帰一の法則」です。
「神の法則」が完全に顕われている「実相世界」は久遠の今であり、人間に不幸をもたらすような不安定は存在しない、
常に安定だけをもたらす、完全円満な理想世界だと信じています。

みなさま、わたしの解釈に間違いがあれば、どうそご指摘ご指導をよろしくお願いいたします。

……………………………………………………………………

おいおい、「物理学や化学の法則」が「神」かよ。 (5599)
日時:2014年12月07日 (日) 11時48分
名前:講師会長やめました。

>地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから<

>地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。<

おいおい、「物理学や化学の法則」が「神」かよ。

科学万能は「唯物論」だよ。

霊の法則が抜けているよ。すなわち、「愛の法則」ダ。


さては、講師試験、受けていないな?この人は。

a hopeさんの言われる通りですね。

4675a hope:2014/12/08(月) 11:55:04 ID:cEpBaIdo

>>4674 志恩さま

愛国掲示板の記事をご紹介くださりありがとうございます。
わたしは生長の家関係の掲示板は、すべて拝読はしませんが目を通すようにしていますので、
時々、わたしの投稿を紹介してくださっている方がいるのは知っていました。

今回は、「講師会長やめました。」さんが、わたしの投稿に賛同してくださるコメントをくださっていて心から感謝しています。 合掌。

他の雅宣先生の講習会での質疑応答の内容や、組織板でトキさまが教えて下さった教団の来年度の方針などを拝見してしると、
現教団がおおきく真理から外れて、迷走している様子がハッキリと伝わってきます。

なぜ、この様なことが起こっているのかわかりませんが、わたしはたとえ一人になっても「生命の實相」を学び続け、、
正しい「生長の家」の信仰を続けていきたいと思っています。

4676SAKURA:2014/12/08(月) 19:52:07 ID:???
こんばんは……  ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。

>> 4667 「a hope」様 お返事ありがとうございました…。「感・謝」……

昨日…横スレにて…投稿させて頂きました中に…『霊の世界』……
■「小桜姫物語」の引用を…投稿させて頂きました…。
(尚!この著者は、「創立者 谷口雅春先生」とも関連されました方かと思います…。)

尚!重複しますが…下記が詳細投稿の記事(フェイス・ブック)からの抜粋投稿と……
させて頂きます…。此処で…討論されていましたところの
『地震』に関しての話題は〜〜〜『神が与えたもうか?』…
この件の参考になればと…個人的なる解釈として詳細投稿させて頂きます…。
↓↓
              つづく
                     ❤〜SAKURA

4677SAKURA:2014/12/08(月) 19:54:36 ID:???
こんばんは……  ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。
>>4676投稿の続きです。

■―― 霊界通信 ――■  −その63− 
「小桜姫物語」 浅野和三郎 著  (転載編) ―その1―
    ―― 【 四十一、海神の怒り  】 ―― 
――――――――――――――――――――――――――――――

■私が伺った橘姫のお物語の中には、まだいろいろお伝えしたいことがございますが、とても一度に
語りつくすことはできませぬ。

何れ又良い機会(おり)がありましたら改めてお漏しすることとして、ただあの走水の海の御入水遊ば
されたお話だけは、何うあっても省く訳にはまいりますまい。あれこそはひとりこの御夫婦の御一代を
飾る、尤も美しい事績であるばかりでなく、又日本の歴史の中での飛び切りの美談と存じます。

私は成るべく姫のお言葉そのままをお取次するRことに致します。

『わたくし達が海辺に降り立ったのはまだ朝の間のことでございました。風が少し吹いて居りましたが、
空には一点の雲もなく、五六里もあろうかと思わる広い内海(いりうみ)の彼方には、総の国の低い
山々が絵のようにぽっかり浮んで居りました。

その時の私達の人数はいつもより小勢(こせい)で、かれこれ四五十名も居ったでございましょうか。
仕立てた船は二艘、どちらも堅牢な新船でございました。

『一同が今日の良き船出を寿(ことほ)ぎ合ったのもほんの束の間、やや一里ばかりも陸へ離れた
覚しき頃から、天候が俄かに不穏の模様に変って了いました。西北の空からどっと吹き寄せる疾風、
見る見る船はグルリと向きをかえ、人々は滝なす飛沫を一ぱいに浴びました。
それにあの時の空模様の怪しさ、赭黒い雲の峰が、右から左からも、もくもくと群がり出でて満天に
折り重なり、四辺(あたり)はさながら真夜中のような暗さに鎖されたと思う間もなく、白刃を植えた
ような稲妻が絶間なくなく雲間に閃き、それにつれてどっと降りしきる大粒の雨は、さながら礫
(つぶて)のように人々の面を打ちました。

わが君をはじめ、一同はしきりに舟子達(かこたち)を励まして、暴れ狂う風浪と闘いましたが、
やがて両三人は波に呑まれ、残余(のこり)は力つきて船底に倒れ、船はいつ覆るか判らなくなり
ました。すべてはものの半刻(はんとき)と経たぬ、ほんの僅かの間のことでございました。

『かかる場合にのぞみて、人間の依むところはただ神業ばかり……。私は一心不乱に、神様にお祈祷
(いのり)をかけました。船のはげしき動揺につれて、幾度となく投げ出さるる私の躯――それでも
私はその都度起き上りて、手を合せて、熱心に祈りつづけました。と、、忽ち私の耳にはっきりとした

一つの囁き、『これは海神の怒り……今日限り命の生命を奪る……。』
覚えずはっとして現実(うつし)にかえれば、耳に入るはただすさまじき波の音、風の叫び――が、
精神(こころ)を鎮めると又もや怪しき囁きがはっきりと耳に聞こえてまいります……。


『二度、三度、五度……幾度くりかえしてもこれに間違のないことが判った時に、私はすべてを
命に打ち明けました。命は日頃の、あの雄々しい御気性とて「何んの愚かなこと!」とただ一言に
打ち消して了われましたが、ただいかにしても打ち消し得ないのは、いつまでも私の耳にきこゆる
あの不思議の囁きでございました。

私はとうとう一存で、神様にお縋りしました。
「命は御国にとりてかけがえない、大切の御身の上……何卒この数ならぬ女の生命を以て
命の御生命にかえさせ玉え……」

二度、三度この祈りを繰りかえして居る内に、私の胸に年来の命の御情思(おんなさけ)が
こみあげて、私の両眼からは涙が滝のように溢れました。一首の歌が自ずと私の口を突いて
出たのもその時でございます。真嶺刺(さねさ)し、相模の小野に、燃ゆる火の、火中に立ち
て、問いし君はも……。

『右の歌を歌い終ると共に、いつしか私の躯は荒れ狂う波間に跳(おど)って居りました、
その時ちらと拝したわが君のはっと愕かれた御面影――それが現世での見納めでございました。』

― その2 ―に続く
❤〜SAKURA

4678SAKURA:2014/12/08(月) 19:56:51 ID:???
こんばんは……  ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。
>>4676>>4677の投稿の続きです。

■―― 霊界通信 ――■  −その63− 
「小桜姫物語」 浅野和三郎 著  (転載編) ―その2―

    ―― 【 四十一、海神の怒り  】 ―― 
――――――――――――――――――――――――――――――

■橘姫の御物語は一と先ずこれにて打ち切りといたしますが、ただ私として、ちっとここで申添えて
置きたいと思いますのは、海神の怒りの件でございます。大和武尊さまのような、あんな御立派な
お方が、何故なれば海神の怒りを買われたか?――これは恐らくどなたも御不審の点かと存じまするが、
実は私もこれにつきて、指導役のお爺さんにその訳を伺ったことがあるのでございます。
その時お爺さんは斯う答えられました。――

『それは斯ういう次第じゃ。すべて物には表と裏とがある。命が日本国にとりて並びなき大恩人である
ことはいうまでもなけれど、しかし殺された賊徒の身になって見れば、命ほど、世にも憎いものはない。
命の手にかかって滅ぼされた賊徒の数は何万とも知れぬ。で、それ等が一団の怨靈となって隙を窺い、
たまたま心よからぬ海神の援けを獲て、あんな稀有の暴風雨を巻き起したのじゃ。

あれは人霊のみでできる仕業でなく、又海神のみであったら、よもやあれほどのいたずらはせなかった
であろう。たまたま斯うした二つの力が合致したればこそ、あのような災難が急に降って湧いたのじゃ。

当時の橘姫にはもとよりそうした詳しい事情の判ろう筈もない。
姫があれをただ海神の怒りとのみ感じたのはいささか間違って居るが、それはそうとして、

あの場合の姫の心胸にはまことに涙ぐましい真剣さが宿っていた。あれほど真心が何ですぐ神々の
御胸に通ぜぬことがあろう。それが通じたればこそ大和武尊には無事に、あの災難を切りぬけることが
出来たのじゃ。橘姫は矢張り稀に見るすぐれた御方じゃ。』

 私はこの説明が果してすべてを尽しているか否かは存じませぬ。ただ皆さまの御参考までに、
私の伺ったところを附け加えて置くだけでございます。

                  つづく
❤〜SAKURA

4679SAKURA:2014/12/08(月) 20:00:19 ID:???
「トキ様」 へ 「a hope様」 へ 「観覧者の皆様」へ 
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜す。
>>4676>>4677>>4678 の投稿の続きです。

>> 4667 「a hope」様 お返事ありがとうございました…。「感・謝」……

私の申し伝えたい事は…
■【人間の念!〜〜思念!〜〜〜】つまり人間は肉体人間ではなく…
生命そのもの…つまり!霊的のモノ――>すべて「霊的人間」とは???
【心…】から来るものではないのでしょうか・『心の法則』

ですから〜〜〜

■□「地震・災難」とか?その他の場合は、やはり!
■「霊・界」でも軌道修正は、なされている様です。…が?――>『レイヌのお話』より!
(生命の実相に記載されています。)それが〜〜〜悲しいかな?
『念!〜〜思念!〜〜“心の世界感”が〜〜〜悪の方へ傾いた場合』は、
しかもかなりの【悪・念…】がきたす時は、さすがに「霊・界」でも……
やはり「軌道修正は出来ないとの事」を【生命の実相】でも書かれていました。
…が?【地・震】も〜〜〜「念…想念感情」から?起こりうる事と〜〜〜

そうしますと、現状…【生長の家】は、唯!
全面的に【エコ運動】中心を打ち出している中身ですから『心・の・法・則』は……
都合のいい解釈論で云っているように思います。

本当に!『心が豊かになる!!』のは〜〜〜【物からの“唯物論”の展開】に
どうしても見えて致し方ありません。

■今!の【生長の家】は夜の世界=水物中心とか?このように見えてしまいます。
色々な方の情報を収集しましても……変です〜〜〜ョネ!
最終的には【知・識】これは〜〜〜【心の状態によるモノ】では〜〜?

「神の世界」から〜〜〜遠のいた感じ〜♫が見えて致し方がないのですョネ!!
今回!【小・櫻・姫・物・語】を読んでから、
正直な話…3代目…今の「総裁御夫婦」におりましての【愛…】とは…??
この頃?疑問が〜〜〜いたるところに見えてしまいます…。
また!最近まで「HO職員」という名目上の職員(臨時?外部職員?)なのでしょうか?
果たして、これは【教・化・部】にどのような影響を及ぼすモノなのでしょうかと、
個人的ではありますが〜〜〜じっくり!じっくり!見ております…。

                  ❤〜SAKURA

4680a hope:2014/12/08(月) 21:29:55 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p41 7行目〜

南――それではわれわれは「物質は無い」「ニセ物の我は無い」と単純に信じていれば一番よいのでございますね。

谷口――そうです。それを反駁(はんばく)する理論づけすることは、肉眼で見て有るように見えるものを有るといい、意識に有るように感じられる「我」を有るというのですから最もやさしいことで、もっとも信じやすい理論ができるのですが、それは今までの人間知恵であって人間が新たに生まれ更(か)わって救われる真理にはならないのです。

南――それでもお釈迦さんは『涅槃経』で「我」があるということをお説きになったではありませんか。

谷口――そうです。お釈迦さんは四十余年間「無我無我」といって「お前たちの我(われ)だと感じている我というものは本来無いものじゃ」とお説きになり、徹底的に「ニセ物の我(われ)」の非存在をお説きになった後、『法華経』と『涅槃経』とに「本物の我」の 存在をお説きになったのです。
『般若経』に無我が説かれていて、『涅槃経』の「有我」が生きてくるのです。
『般若経』のごとくに「我」の存在を否定することをせず、「ニセ物の我」というのも「本物の我」を肯定主張することになりますと、わがまま勝手次第、生存競争、弱肉強食、病気の我の存在をも肯定することになり、そこからショーペンハウエルのように暗い人生観が生まれてくることになるのであります。

4681a hope:2014/12/08(月) 21:31:58 ID:cEpBaIdo

>>4680 a hope所感)

ここでも、偽我「ニセ物の我」の否定と、真我「本物の我」の肯定つまり「悔い改め」がいかに大切か述べられています。

ですが、わたしたちはこうして生きていても、自分が悪いことをしているとか、罪を犯しているなんて思いながら生活している人はあまりいないと思うのです。
ほとんどの人が自分は正しいことをしていると感じているからこそ、衝突が起きたり、喧嘩がはじまったりするのだと思います。

テキストでは、この後、原さんという方が、雅春先生にどうしたら「本当の我」と「ニセ物の我」の区別がつくのかと質問しています。

続けて、謹写していきます。

4682a hope:2014/12/08(月) 22:01:26 ID:cEpBaIdo

>>4676 〜 SAKURAさま

ご紹介くださった「小桜姫物語」の著者、浅野和三郎さんというのは、大本教を谷口雅春先生と御一緒に退会された方ですね。
以下、ウキペディアから抜粋させていただきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E9%9B%85%E6%98%A5

<<専従活動家時代[編集]
早稲田大学を中退して大本の専従活動家になっていた谷口は、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記を任せられたり、機関紙の編集主幹などを歴任するなど、教団内で嘱望されていたが、1922年(大正11年)の第一次大本事件を期に、浅野和三郎に従って大本から脱退。浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ねていたが、当時流行のニューソート(自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。>>

そしてこの「小桜姫物語」というのも、霊界通信のようですがとても興味深い内容ですね。

ところで、SAKURAさまも、最近の教団や雅宣先生や純子先生のご様子がおかしいと感じていらっしゃるのですね。
わたしは、現「生長の家」教団は、どんどん人の感情や心を大切にしないつまり「愛」のない宗教団体になってしまっていくような気がしています。

4683a hope:2014/12/09(火) 21:56:46 ID:cEpBaIdo
>>4680訂正 

正)谷口――そうです。お釈迦さんは四十余年間「無我無我」といって「お前たちの我(われ)だと感じている我というものは本来無いものじゃ」とお説きになり、徹底的に「ニセ物の我(われ)」の非存在をお説きになった後、『法華経』と『涅槃経』とに「本物の我」の 存在をお説きになったのです。
『般若経』に無我が説かれていて、『涅槃経』の「有我」が生きてくるのです。
『般若経』のごとくに「我」の存在を否定することをせず、「ニセ物の我」というのも「本物の我」【というものもひっきょうは一つの真我の顕われだと言って、「ニセ物の我」】を肯定主張することになりますと、わがまま勝手次第、生存競争、弱肉強食、病気の我の存在をも肯定することになり、そこからショーペンハウエルのように暗い人生観が生まれてくることになるのであります。

※【 】内の文が抜けていました。m(__)m

4684a hope:2014/12/09(火) 21:58:21 ID:cEpBaIdo
>>4683につづきます)

原――この行為は「本当の我」の顕われであるか、「ニセ物の我」の顕われであるかとういうことはどうして区別をつけたらよいのですか。

南――誰か悟りというのもを持って来て、これが悟りじゃと見せてくれませんか?

南――(誰も無言なので自分で悟って)心というものを見せてくれというのと同じか。ハッハッハッ……。

谷口――われらの実相は自他一体のものであるから、ヨリ多く自他一体の働きをするものはヨリ多く「本物の我」が顕われており、自他一体を切り割(さ)く働き――利己主義、忘恩、反逆などという「自他一体を切り割(さ)く働き」は「ニセ物の我」が顕われているのです。

4685a hope:2014/12/09(火) 22:00:41 ID:cEpBaIdo

>>4684 a hope所感)

自他一体を切り割く働きが、利己主義、忘恩、反逆などだとすると、その対義語を考えれば自己一体の働きということなのでしょうか?


利己主義(自分の利益だけを考え,他人を顧みないこと) ←→ 利他主義(利他を第一に考えて行動する主義)

忘恩(受けた恩を忘れること)←→ 報恩(恩返し)

反逆(権威・権力などにさからうこと)←→ 帰順(反抗をやめて服従すること)

また、以前、「自他一体の自覚」は生長の家の愛だともトキさまから教わりました。
今の「生長の家」にこの「愛」はあるのでしょうか?

4686a hope:2014/12/14(日) 18:51:48 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p49 後から7行目〜

谷口――病気の症状も「家庭の中の小言」と同じように、これは「身体(からだ)の中の小言」ですから、やはり、家庭の中の小言をなくする方法と同じようにして治るのですよ。

佐瀬さんのおっしゃった「小言も愛さなければならない、小言を言う人の身になって、ああ言って下さるのでありがたいと思うようになったら、かえって家庭の中の小言がなくなった」という事実と同じように身体(からだ)の中の小言でも同じことです。

身体の中にも治す力と舅姑(しゅうとしゅうとめ)がいて、それが自分の心、身体に応じて小言を言ってくださるのです。

その小言が熱となり、痛みとなり、苦しみとなり、吐瀉(としゃ)となり、下痢となって現われるのですから、自分の内部に働いている「自然寮能博士」という舅姑の心持ちになって、「こんなわたしの身体に気をつけてくださるのだ、ありがたい!」という気持ちになって発熱でも疼痛(とうつう)でもありがたく受ける気持ちになれば速やかにその病が治ってしまうのです。

4687a hope:2014/12/14(日) 18:53:59 ID:cEpBaIdo

>>4686 a hope所感)

『大調和の神示』に「天地万物に感謝せよ」とありますが、わたしたちは病気や犯罪、
災害等の自分にとって不都合にしか思えないことには、なかなか感謝できないのが普通だと思います。

ですが、『それをしなさい』と神さまは「大調和の神示」で繰り返されていますね。
実相世界は「感謝」で満たされていて、「病なく、迷いなく、罪なく」すべてが大調和しているのだから、
わたしたちもすべてに感謝できて、天地の万物と和解できれば、みんな、救われるのですよ、と。

そして、それができるのが「神の子人間」であり、それを人類に知らしめていくことが、
生長の家の「人類光明化運動」なのだと思いました。

4688a hope:2014/12/17(水) 09:59:01 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p50 6行目〜

谷口 ―― 雑念というのも、病気の症状や家庭の小言と同じことです。
小言は家庭を善くする働きであって、その小言の使命を知り、その小言はありがたいと思って反撥せずに素直に受けるようにしますと、自然と小言を言う必要がなくなって家庭が平和になり統一するのと同じように、雑念というのも実は心を平和にして精神統一をする働きがあるのです。
空の雲というものは一見、空を曇らしているように見えますけれども、雲というものは本当は空を綺麗にすみきらす働きをするものなのです。
(中略)
雲は空気を澄みきらす働き、症状は病気を治す働き、雑念は心を澄みきらす働きなのです。

4689a hope:2014/12/17(水) 10:00:08 ID:cEpBaIdo

>>4688 a hope所感)

途中、中略しましたが、ここに「空の雲」を例えにあげて、「業の自壊」(自壊作用)の説明がとても詳しくされています。
晴れ渡った実相世界から見れば、現象世界での様々な不都合と見える状態はすべてこの雲に当たるのですね。
そう思うと、なんだかどんな困難な現状でも冷静に対応できそうな気がします。

4690:2014/12/17(水) 10:10:20 ID:???

『生活と人間の再建』第11章「信仰生活の種々相」より謹写―

◆ 信仰の満潮期と干潮期

 吾々が真理にふれる時、そして神との接触が行われたと自覚された時、凡ゆる方面に吾々の生活が輝いて来て、病は癒やされ、家庭は調和し、事業は繁盛におもむき、「行く所可ならざるなし」というような状態になるのが普通である。そういう時にその人は信仰に熱がのっていて、所謂る「感激中」というような状態になるのである。所がその感激中は、そう長くは続かないのであって所謂信仰の「干潮期」がやってくるのである。最初に自分を感激せしめたその同じ真理が、今では一向自分を感激せしめないし、それに伴って自分をとり囲んでいる物質的環境も順調に行かなくなって色々の悩みやいらいらしさが現れて来るのである。
 ある場合には、自分自身又は家族の中に突然の病気が現れて来たり、愛する者との間に何か紛争が捲き起って来て耐えがたいような状態を演出することもある。暗黒が自分の周囲をとじこめて、迷宮はますます迷宮に入り、再び真理の光を見る望みは失われ去ったようであり、ともすれば、自暴自棄になろうとする。病気や周囲の不調和そのものの苦しみよりも、一度はあんなにも奇蹟を現して、自分に輝く世界を見せてくれていた真理が、今は何の効果もなく、この悩みを解決する力を失ったという事の打撃の方が、尚一そう痛切に感じられるのである。もう拠り所がない、もう掴むべき一筋もないというような時が往々にして訪れる。淋しい信仰の頽廃期である。

◆ 真理の種子は暗黒の中にも生長する

 かかる時吾々の魂は叫ぶ。真理は無力なのか? 信仰は無駄なのか? 祈りはきかれないのか? 否、否、祈りはきかれているのである。真理は有力に働いているのである。吾々はそれに対して信仰をもたなければならない。ただぐらつきかけているのは自分の信仰だけである。暗闇の中でも心臓は鼓動し、肺臓は呼吸して吾々を生かしている。かように、真理は吾々の暗黒期の中でも有力に働いていてくれるのである。祈りはきかれてすべてが順調に進んでいるのである。暗黒に見え、逆境に見えている時にさえも、真理の種子はそこに生長し、祈りはそこに実現すべく働いているのである。祈りによって蒔かれたる真理の種子は潜在意識の暗黒の大地の中に蒔かれていて、そこには日光が射さないけれども、種子は次第にふくらみかけているのである。そして、緑の小さい芽がその胚芽から生長し出でつつあるのである。吾々は一旦自分の潜在意識に蒔かれたる真理の種子が、もう芽をふかないかと思って、掘りかえしてみるような愚かな事をしてはならないのである。吾々が種子を目に見えない地面の中に植えつけて、その発芽するのを大地の力に任せてしまうかのように、吾々は祈りの結果を、祈りによって蒔かれたる真理の種子の生長を、神のみ手に完全に委ねて、神が神の方法によってそれを適当な時期に適当な形で、芽を出し茎をのばし、葉を広げ、蕾をつけさせてくれるまで待たなければならないのである。神に任せてこの待つ心のないものは遂に美しき花を見ずに終るかも知れないのである。

4691:2014/12/17(水) 10:11:16 ID:???

『生活と人間の再建』第11章「信仰生活の種々相」より謹写――

◆「現象の善さ」よりも「魂の善さ」を

 一たん蒔かれたる真理の種子は、吾々阿が信念の欠乏から、掘り返してみない限りは必ず膨脹し、必ず根を拡げ、必ず芽を出し、頭をもたげ、土を破るのである。その結果は破壊と振動とがその周囲に起るのである。それが起らないようでは、その祈りが効果があったというに足りないのである。新しい大きな芽が頭をもたげる時には大地の周囲が破壊するのである。かくて古きものは破壊し新しきものが現れるのである。周囲に起る不調和と見えたものは吾々が祈りを求めた新しき状態に移るために古き状態が真理によって爆撃されつつある光景にすぎないのである。これを吾々は「迷いの自壊作用」といって来たのである。この自壊作用そのものの中に神が吾々の祈りに応じ給うた解答があるのである。吾々はその変化の中に、擾乱の中に、不調和の中に、病気の中に、周囲の反抗の中に、祈りの実現しつつある過程を見て、感謝し得るだけの智慧をもたなければならない。吾々に必要なのは形の世界がすぐに調和してしまうということではないのである。神の求め給うのは吾々の生命の進化であり、魂の発達である。そんな擾乱の中に於いてすらも、その奥に神の智慧と愛との導きのあることを見得る所の魂の発達こそ、神が吾らに課し給うた所のものであるのである。吾々は直に小さな「現象の善さ」を求める。然し、神はもっと立派な「魂の善さ」を与えようと欲していられるのである。吾々が神の前にさし出す盃が余りにも小さいのである。吾々はもっと大きな盃をださなければ神の愛と恵みを完全に受けることはできないのである。神は吾々が形ある小さきものの成就を求めたのを契機に、形なき宇宙に拡がる魂の喜びを与えようとしておられるのであるということに気がつかなければならないのである。

◆ 解決を神の方法に委せ切れ

 もし吾々があらゆる方面に行きつまって何事も思うように行かないというような状態が信仰を得た後に、毎日祈っているにも拘らず現れたとしたならば、吾々は喜ばなければならないのである。それは大地がわれる程の大きなものが下から芽をふきつつあるのである。地面が動きだしたからといって、その地面の動きを征服しようと戦ってはならないのである。またその地面を平かにしようと鍬や鋤を加えてはならない。吾々は驚いたり騒いだりしてはならないのである。吾々は神に全托しなければならない。神は「神の方法によって」吾が祈りにこたえ給うのである。自分の我の心で「神の方法」を批判してはならない。かかる時に於いて我らの祈るべき言葉は、
「神よ、あなたの無限の智慧を以って吾を導き給え。神よ、この解決を貴方の方法にお任せ致します。今起っている事件の意義を知り得る智慧を与え給え、そしてこの試みに耐えてわが魂の発達致しますように」というようでなければならないのである。
 もし吾々が、祈りにも拘らずそこに現れた不完全な状態と見えるものに対して、恐れ戦き、或は周章狼狽し、我の心でその状態を変化しようと努力するならば、折角「神よあなたの方法にお任せ致します」と祈ったその祈りを、取消してしまうことになり、神の智慧に逆いて我の智慧を行使することになり、結局、祈った事物の実現をおくらしてしまうことになるのである。
 祈りは我々が神のみ心に対して完全に任せきり、「神の方法」に逆わなくなった時に、もっともなめらかに実現するのである。然しこれは時としては甚だ難しいことがあるかも知れない。ある場合には、今迄かくも愛し、かくも恩恵を与えてきた相手が自分に反抗して立ち、自分に矛を向けて、小さな欠点を鵜の目鷹の目で探しだし、恩を仇で返すような仕打をしてくることがあるかも知れない。そのような時に、普通ならば吾々は彼を憎み、自己を弁護するために、彼と同じように彼の欠点を数えあげて相手を傷つけたくなるであろう。然しそれでは決して神のみ心にかなうやり方ではないのである。かかる状態が自分の目の前に現れたということは、自分の魂がそれによって磨かれて、かかる敵をすらも愛する力を、わが魂に実現せんがための、神の摂理であるのである。

4692:2014/12/17(水) 10:16:53 ID:???


>>4688 a hopeさん

 上記は自壊作用に関する、私の好きな文章の紹介です。雅春先生は、本当に素晴らしいと思えます。

 さて以下に同書より、もうひとつ紹介します。祈りですが、「効果があるから不調和な事が起こるのだ」・・・・・その事がよく理解できる御文章です。そして不調和の中にあっても「これは、祈りの効果が現れつつある過程である」、そう確信できる御文章でもあります。ご紹介しますが、

『生活と人間の再建』第11章「信仰生活の種々相」より謹写――

◆ 祈りの反応としての不調和

 祈りの反応として現れて来る不調和な状態の中には、時として自分自身が病気になり、時として自分の愛する家族が病気に罹ることがあるのである。そんな時に祈りの効果を疑ってはならないのである。

 それはむしろ祈りの効果が現れつつあるのである。すべて古きものの破壊は新しきものの実現の場所を造りつつあるのである。

 発熱の中に、発疹の中に、下痢の中に、古きものが燃焼しつくされ、排泄され、新しき組織ができつつあるのである。これは祈りの応答として、神があなたに病気を課しつつあるのではないのである。肉体は魂の「機関」であり、精神の「座」であるから、発達せる魂が、尚一そう自由なる精神をその機関を使って働かせんがために、必要なる所の改造が行われつつあるのである。それは肉体の不調和の状態の如く見えているかも知れぬけれども、それは病気でもなければ不調和でもないのである。魂の機関が、精神の座が、それによって浄められつつあるのである。祈りの応答としてのかくの如き肉体の状態の意味を吾々が本当に知ることができるならば、吾々はその肉体の状態に対して、否、その奥に動いている所の浄化作用に対して「ありがとうございます」と感謝しなければならないのである。




4693「訊」:2014/12/17(水) 16:22:31 ID:???

 「web誌友会参考文献板」にも、自壊作用のご文章を掲載しました。199と200がそれです。

 ご参考になさってください。



4694a hope:2014/12/17(水) 22:25:15 ID:cEpBaIdo

>>4692「訊」さま

自壊作用に関する雅春先生の素晴らしいご文章をたくさんご紹介くださりありがとうございます。合掌。
拝読していて、「谷口雅春に訊け」ブログを思い出していました。

毎回、雅春先生やその御子弟の先生方のご文章にぴったりの音楽と映像をつけて紹介してくださっていて、
当時のわたしはあのブログにどれだけ感動してどれだけ救われていたかわかりません。
今となっては懐かしい思い出のようにもなってしまいましたが・・・。

ところで、「迷いの自壊作用」ですが、これぞ「生長の家」の〝個人救済の要〝 となる真理なのではないかと感じています。

わたしは「自壊作用」というと、聖経「天使の言葉」の冒頭にに収録されている「久遠生命」の神示を思い出します。

「久遠生命」の神示
(無相円相一切相の神示)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/1896
(帰幽の神示)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/1897


わたしは、人が本当に救われるというのは、病気が治ったり、お金に困らなくなったり、人間関係がうまくいったりするような、
現象的に都合がよくなるようなことではないと思っています。

どんな困難な事に出くわしても、神を信じて大安心の心持ちでいられるようになること、
「生き通しの生命」を心から信じられるようになること、
どんな相手であっても自他一体感を感じられるようになること、

そういうことではないかと感じています。

4695まこと:2014/12/17(水) 22:39:53 ID:bVgHiQ3c
雅則さんって
教えを何もわかってないのですねえ世襲って駄目ですね。
さ悟った人がなると良いですね。
物質無しをね。
な中々いないでしょうが。

4696まこと:2014/12/17(水) 22:48:20 ID:bVgHiQ3c
どんな困難に出くわしても、、、
行き遠しの命を信じて、、、
a hopeさん
そうですね、すごい!
そうなれない自分、いったいいつになったら、、

4697a hope:2014/12/18(木) 10:36:13 ID:cEpBaIdo

>>4695 >>4696 まことさま

web誌友会ご参加ありがとうござます。 合掌。

ところで雅則さんとは雅宣先生のことでしょうか?

わたしは、雅宣先生は「現象問題」に捉われすぎてしまって、
混乱されているように感じています。

その人が真理を悟っているかいないかは、完全に悟っている人ではないとわからないと思うのです。

だから、わたしたち一般人は、悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、
それが迷いだとは気づかないわけですから、同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います。

「生命の實相」は完璧な聖典です。
わたしたちは、本当の悟りが得たかったら、大悟された雅春先生の「聖典」だけを拝読していればいいのだと思います。

4698a hope応援団:2014/12/18(木) 10:51:20 ID:V8o5OZMU
その人が真理を悟っているかいないかは、完全に悟っている人ではないとわからないと思うのです。

だから、わたしたち一般人は、悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、
それが迷いだとは気づかないわけですから、同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います。

                     ↓
言葉を変えれば岡山の講習会参加者の半分が自由意思参加者として、4000人は迷いの淵に沈みつつある馬鹿者だということになる

4699トキ:2014/12/18(木) 11:14:22 ID:W358PcAI
 私が若いころは、まだ、谷口雅春先生の直弟子の方々がご存命でしたが、
こういう方々でも、晩年、

 「長年、生長の家をやってきて、やっと最近になって、谷口雅春先生の
言われていたことが少しわかるようになってきた。」

としみじみ述会されていたのを思い出します。現象の世界に生きる私たち
が、谷口雅春先生の教えを完全に体得するのは、少し時間がかかるのかも
しれません。谷口雅春先生ご自身が、「自分も一修行者」と言われていま
したが、進歩向上の余地が無限にあることに喜びを見出すべきなのかもし
れません。

4720a hope:2014/12/18(木) 19:02:05 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p52

荒川――われわれは過去にいろいろ「集積」があってそれを浄めるためにはいろいろの努力をしなければならない。
一朝一夕にその「集積」が集まらない。
善くなろうと思えども善くなれない憾(うら)みをうたた感ずるのであります。

谷口――達磨が「悟り」ということを言い出したために悟らぬ人が殖え、『大乗起信論』に無明の起源が論ぜられたために「無明」はあると思って迷う人が殖えたのです。
「無明」なんか本来ないのですよ。集積は無いから放っておけば自然に消える。
「迷い」は本来無いから放っておけば自然に消える。「ある」と思えば引っかかる。
無いとわかれば自由自在なのです。

荒川――なるほどよくわかりました。

谷口――「迷う我」が本来あると思うから、いろいろと苦労をして迷いから覚めねばならぬと思うのですが、「迷う我は無い」と知ったら「迷い」から覚めねばならぬと苦労する必要はない。
「迷い」から覚めようと苦労しないからいつまでも「迷い」ままでいるかというとそうではない。
心が「迷い」という自分の仮相のものに引っかからなくなるから、「迷い」が自然になくなるのです。・・・

4721a hope:2014/12/18(木) 19:06:45 ID:cEpBaIdo

>>4720 a hopeまとめと所感)

この後、雅春先生は『「迷う我」というものの考え方に三つある』としてその三つをご説明くださっています。(p52 後から3行目〜)

以下にまとめてみます。

「迷う我」の三つの観方

一、「迷う我」は無い(「生長の家」の考え方)
→「迷うまい」と自力的に努力しなくても、無いものに引っかかりようがないから、「迷う我」に引っかかりようがなくなり、自然に本当の自分が顕われてきて本来の自由自在な自分が顕現し現実の上にも人間がよくなる。


二、「迷う我」と見えるものも大生命の大きな一つの流れである(ショーペンハウエルの考え方)
→我欲の自分をそのままのさばらせることも大生命の働きだからそれでいいと肯定することになりこの世に修羅の巷(ちまた)を現出することになる


三、「迷う我」は大生命の顕われだけれども歪な顕われであるから、それを努力によって正しく修養してゆかねばならない(荒川氏の考え方)
→われわれは不断の努力がなかなか大変であって迷わぬまでに修養を継続してゆくことが果たして人間にできるかが問題になる


わたしは、「迷いは自由から来る」とご主張されている雅宣先生の「迷う我」の観方は、
この三番目の荒川氏の考え方によく似ているのではないかと感じています。

4745嘘つきトキ&「訊」応援団:2014/12/18(木) 22:45:17 ID:V8o5OZMU
削除合戦どうしたの

少し時間がかかるのかもしれません……嘘つきトキ

その人が真理を悟っているかいないかは、完全に悟っている人ではないとわからないと思うのです。
だから、わたしたち一般人は、悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、それが迷いだとは気づかないわけですから、
同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います。・・・a hope
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                     ↓
言葉を変えれば岡山の講習会参加者の半分が自由意思参加者として、4000人は迷いの淵に沈みつつある馬鹿者だということになる

嘘つきトキ&a hope&縹さんは 真理を知った偉い方なんですね  4000人もの信者の方を迷い道まっしぐらと云えるのですから

只今 訊けさん推薦で広報活動に参っています 耳触りのいい話で釣っておいて 実はここだけの話ですが 版が荒れ 教団と本流両方にダメージを与えて
 漁夫の利を狙っているのよ 私たち嘘つきトキ&訊けは

4746a hope:2014/12/18(木) 23:17:17 ID:cEpBaIdo

「嘘つきトキ&「訊」応援団さま」は曳馬野さまなのですか?

もし、曳馬野さまでしたら、いったいどうされたのですか?

雅宣先生が「生長の家」の正しいご教義をされているのなら、それでいいではないですか。
わたしのような信仰歴の浅い人間の掲示板での発言など誰も気にしないと思いますよ。

4748a hope:2014/12/18(木) 23:42:03 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p53 6行目〜

谷口―― (略)病気でも同じことで、「病気は自分の本来の姿ではない」と知っても病気の状態の実在を認めて「治そう治そう」と考えている間は病気に心がひっかかっていて治りにくいのです。
ところが、「病気の自分は本来無い」とわかれば、病気に引っかからなくなり、病気が消えてしまうのです。
「病気の我」も「健康の我」も同じく大生命の一つの顕われでありがたいという観方になれば、それでありがたいという平和な念を喚起して病気が治ることもありますが、病気の相(すがた)を人間本来、生命本来の相(すがた)だと肯定すること、たとえば我欲の自分も大生命の顕われだとそのまま肯定するのと同様になりますと、「迷いの自分」と「本来の自分」とを混同することになりまして、いつまでも迷いの世界に流転しなければならなくなるのです。
だから、どうしても「病気の自分は無い」と悟る、「迷うわれは本来無い」と悟る――そして常住悟っている、常住健康である自分を見出すことが最も勝(すぐ)れた悟りであって、病気の中に治そうとして働いている生命の力に自分の生命を観、神を見出すのはやはり病気の存在を認めているから最勝(さいしょう)の悟りとは言えないので、次善の悟りということになるのであります。

第一章終わり

4750嘘つきトキ&「訊」応援団:2014/12/18(木) 23:51:07 ID:V8o5OZMU
4000人からの人を迷いの道を進んでいると云ったのはあなた  あ な た

お偉いあなた あ な た なんです

4752a hope:2014/12/19(金) 00:04:03 ID:cEpBaIdo
>>4750 曳馬野さま

わたしはそんなことは言っていませんよ。
どこにそんな証拠がありますか?

4753トンチンカン:2014/12/19(金) 00:07:38 ID:r6TJQSCM

<転載>


1600 :トンチンカン:2014/12/18(木) 22:20:00 ID:r6TJQSCM

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
何故か、「苛立(いらだ)ち」を隠せない、マサノブ爺さん!!

賛同者(信徒)の激減に、「視界不透明」で失敗続き、アァ、八方破れの八つ当たりか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・30年も前から、「綿密に」マサノブ流の<主張>を画策し、清超先生の帰幽の後には、
 <独裁者>として君臨するに至ったのであります。

 <光明掲示板> 「<生長の家・30年の暗黒史>(改訂版)」、、、をご覧下さい!!
  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&amp;mode=res&amp;log=461


・「時代と共に変化する」、、との<詭弁>を弄し、雅春先生の説かれた<御教え>の根幹
 部分にまで手を着けるに至ったのであります。


・それだけではありません。 「原宿本部」は解体してしまったのです。 長崎の総本山
 は土足で蹂躙したのです。 ついには、「聖経もどき」までもが・・・


・内心では、「谷口雅春先生を超えた」気持ちだったのでしょうか・・・


・でも、でも、「信徒の目」は騙(だま)し切れるものではありません。


・最近の、「急激なる教勢の低下」こそが、すべてを物語っているのです。


・岡山の「講習会」では、「前回の受講者数」ではなく、35%も低く設定した「目標値」
 との比較をし、「目標を大幅に上回る受講者数」、、と、信徒の目を欺くような<手法>
 を取らざるを得ない所まで、追い込まれてきているのです。


・「衆生の救済」ではなく、「マサノブ爺さんご自身の救済」しか念頭にないのでしょう。


・コトここに至って、周囲に「八つ当たり」しても詮無いことではありませんか?


・「大調和の神示」を説きながら、「ご兄弟との大不調和」を省(かえり)みない、その
 根幹部分をこそ、徹底して<脚下照顧>していただきたいと思う次第であります。

4754嘘つきトキ&「訊」応援団:2014/12/19(金) 00:18:49 ID:V8o5OZMU
a hopeさんへの答え

少し時間がかかるのかもしれません……嘘つきトキ

その人が真理を悟っているかいないかは、完全に悟っている人ではないとわからないと思うのです。
だから、わたしたち一般人は、悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、それが迷いだとは気づかないわけですから、
同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います。・・・a hope
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                     ↓
言葉を変えれば岡山の講習会参加者の半分が自由意思参加者として、4000人は迷いの淵に沈みつつある馬鹿者だということになる

嘘つきトキ&a hope&縹さんは 真理を知った偉い方なんですね  4000人もの信者の方を迷い道まっしぐらと云えるのですから

4755a hope:2014/12/19(金) 00:56:15 ID:cEpBaIdo

>>4754曳馬野さま

お返事をありがとうございます。

ふ〜ん。
そういう風に飛躍して解釈されてしまわれたのですね。

でも、先ほども言いましたが、4000人の信徒さんの誰もわたしの発言など気にしないと思いますので、
そんなに感情的になってこの掲示板を荒らさなくてもいいのではないかと感じてしまいますが・・・。

わたしの発言で曳馬野さまがご気分を害されたのであれば、心からお詫びいたします。

4757「訊」:2014/12/19(金) 07:07:48 ID:???

BGM “Rom&eacute;o et Juliette-Aimer ”
https://www.youtube.com/watch?v=MuZ4-cdGgQE

>>曳馬野サマ

 ご立派ですが、認知症の貴殿へお知らせです。以下は、マチガイです。以下は誌友会スレでの、貴殿からhopeさんへのレスですが、

>>>ここに来ているのは『訊け』さんの許可のもとに来ています <<<

 と、ありますね。そして「ここ」とは「誌友会スレ」を指すわけですが「マチガイ」です。

 ・・・・確かに私はドンドンやってね、そう、申しましたよ。けれども「誌友会スレに関して」は、なんと書いていますか。誌友会スレに於いては「堂々のやり取り」を条件にしてます。堂々のやり取りを条件に「来られたし」・・・・当方はそう、申していたわけです。さて、ここで問題ですが、誌友会スレでの貴殿の御振る舞いは、「正々堂々」ですか。



追伸

>>トキ理事長

 誌友会スレの珍文ですが、削除願います。ええ、無論、そんな事をすれば「和解してない!」と(笑)そんな次元で攻撃されましょう(笑)。珍文を削除すると和解していない、そんな事になるそうですが、それでもヤリましょうよ・・・・・・・・。

4758神の子さん:2014/12/19(金) 08:07:00 ID:BSasglMk
203  御教の中へすーっと自分を入れて行く、後は神が好いようにして下さいます。
あとこちらは「WEB誌友会用の資料」を、確認するための場所です



4年経ってもこの掲示板なり生長の家の現状を神がよくしてくれないのは単なる能書きマンであることを証明してるのでしょうか?
「WEB誌友会用の資料」の価値がないと思われますね

それとも別の目論見で能書きするのでしょうか?
また始まったか嘘つきが 訊けの出るとこはどこでも行く 敢えて誌友会版に誘うのかね 荒れるようにしたいのですね と確認済み
嘘つきと話はしない 嘘つきトキ&訊けさん

4759「訊」:2014/12/19(金) 08:08:32 ID:???

>>>嘘つきと話はしない 嘘つきトキ&訊けさん<<<

 じゃあ、サヨウナラ(笑)。

 お疲れ様でした。

 もう、来ないでくださいね、おなごり惜しいですが(笑)

4761「訊」:2014/12/19(金) 08:13:19 ID:???

 ここをアラしては、いけません・・・・・OK?

 >>4757を再読されて、さらには「嘘つきと話はしない」を実行されて、今年の仕事納めを(笑)もう、早急に(笑)

4762神の子さん:2014/12/19(金) 08:23:49 ID:BSasglMk
203  御教の中へすーっと自分を入れて行く、後は神が好いようにして下さいます。
あとこちらは「WEB誌友会用の資料」を、確認するための場所です

4年経ってもこの掲示板なり生長の家の現状を神がよくしてくれないのは単なる能書きマンであることを証明してるのでしょうか?
「WEB誌友会用の資料」の価値がないと思われますね

それとも別の目論見で能書きするのでしょうか?
また始まったか嘘つきが 訊けの出るとこはどこでも行く 敢えて誌友会版に誘うのかね 荒れるようにしたいのですね と確認済み
嘘つきと話はしない 嘘つきトキ&訊けさん


嘘つき目論見さんが出てこなけりゃ静かなもんぜよ

4763「訊」:2014/12/19(金) 08:25:35 ID:???

>>>嘘つき目論見さんが出てこなけりゃ静かなもんぜよ<<<

 なぜか文末が土佐弁になっちゃいましたが、それは兎も角・・・・・・

>>>嘘つきと話はしない 嘘つきトキ&訊けさん<<<

 じゃあ、サヨウナラ(笑)。

 お疲れ様でした。

 もう、来ないでくださいね、おなごり惜しいですが(笑)

4764a hope:2014/12/19(金) 10:05:30 ID:cEpBaIdo

>>4756曳馬野さま

<<雅宣総裁は現象に引っかかり迷っている → 悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、それが迷いだとは気づかないわけですから、
同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います → 雅宣総裁は無視して雅春先生の著書だけ読もう

これがあなたの主張  発言を気にするしないの問題でなく あなたの主張が正しいか否かの問題です>>


わたしの言わんとしていることはまさにそういうことです。
わかりやすくまとめてくださり感謝したします。

わたしは、雅宣先生が環境問題に興味を持たれ運動をされるのはなにも問題ではなく、
むしろ「生長の家」の運動としてもふさわしいと感じています。

わたしが問題だと感じているのは、雅宣先生が
『その環境保護運動を正当化するために、生長の家の教えや伝統を都合のいいように変質させていってしまっている』
ということなのです。


わたしのこの主張が正しいのか否か、ぜひここで曳馬野さまやみなさまのご意見を伺いたいです。

4765「訊」:2014/12/19(金) 13:31:26 ID:???

>>a hopeさん

 やや、余談です。「こんな時こそ雅春先生」てな、そんな話です。

 さて、政治スレにも書いたのですが「我が国」は、これから益々・・・・・・・マズイ状況になりましょう。残念ですが、確定です。政府の予算額を見る限りまた、自殺者3万人を超える年がつづくと思います。自国政府が国民に「困窮化路線」・・・・これを強いているのですから、もう、どう仕様もナイ状況です。

 とまあ、五官で観る限りの話では、そうなります。

 五官で観る限りはそうなりますが、でも、我々には、谷口雅春先生がおられます。

 この事実がしみじみと、有難い昨今ですね。

 ・・・・・・いや、これ、私ですがもしも、「谷口雅春」という人物に出会っていなかったら、どうだったでしょうか。政府が今回発表した「数値」ですが、これを見た瞬間「狼狽した」と思います。狼狽して、とんでもナイ解決策をこれまた、人間智で打ったことでしょう(そして失敗した事でしょう)・・・・・

 五官で考える限りは絶望的ですが、私には「谷口雅春先生」がおられます。>>4507に書いた件を再読し、不足感をも礼拝していこうと思います。

以上、誌友会テーマとはやや逸れますがどうぞ、お許しください。今回感じた「不足感.」ですが必ず、大調和にて陰極陽転することでしょう。雅春先生がそう仰るんですから、間違いナイはずです。





4786a hope:2014/12/20(土) 09:46:33 ID:cEpBaIdo

>>4765 「訊」さま

<<我々には、谷口雅春先生がおられます。この事実がしみじみと、有難い昨今ですね。>>

こころから同感です!
現象的に、どんなに困難があろうとも、「生長の家の御教え」さえあれば、救われるのですからね!!

聖典「生命の實相」を拝読していると、至る所に「生命の實相」や「生長の家」誌等の
雅春先生のお書きになった『真理の言葉を』拝読するだけで病気が治ってしまったり、
家庭や職場の人間関係が改善したり、会社経営がうまくいったり、したという事実が沢山紹介されています。

その方たちは、べつに講習会に行かれたわけでも、練成会に参加されたわけでもなく、
ただ、『真理の言葉』を素直に拝読しただけだったわけですから・・・

web誌友会参考文献板に謹写してくださった、吉田國太郎先生のご文章にもありましたが、
 大切なのは「御教の中へすーっと自分を入れて行く」『幼な児のこころ』なのですね。

だからこそ、その御教えは、虚説であってはいけない、間違いのない完全な『真理』でなければいけないのだと思います。

4815a hope:2014/12/22(月) 22:11:29 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p56 後から7行目〜

…その時にわたしがしみじみ考えましたことはキリストが「なんじら誓うなかれ」と言ったことであります。
この世界にはいろいろの影絵が映し出される。
いろいろの人の念がフィルムになっていろいろの影が映る。
わたしの念ばかりがフィルムになってうつるのだったらそれはわたしの思うとおりにゆくかもしれないが、この世界は全体の念が集まってできたフィルムで映し出された世界であるから、わたしばかりの思うとおりにゆくものではない。
「誓う」ということは、このわたしばかりで決めたことに執着することである。
「こうします」と断言して、ほかの成り行きを許さないことである。
一つの行為に凝り固まって自分の生命の自由さを奪ってしまうことである。
このほかのことはしませんと自分の自由を限ってしまうから誓うということは悪いのです、遠方にいるのが見えるとか、未来にできることが予言できるとかいうのは神通力でありますが、どんな霊覚者でも未来に起るすべての事件を一度に知ってしまうわけにはゆかない。
未来はでいつつあるので固定しているものではないからであります。
だからどんな神通力者も一つのこの事件を起こらせようと一つのことに執着する限りは、この世の中はなかなか思うようにゆかない。

(中略)

どんな邪魔が来ても驚かないでその意味をしみじみ味わう、その邪魔に自分の自由を奪われないで、そこに自分の生長する道を発見する、すべてを融かして生長のほかに何もないようにする――これが本当の神通力であると考えます。

4816a hope:2014/12/22(月) 22:13:16 ID:cEpBaIdo

>>4815 a hope所感)

この第二章の内容は、雅春先生がまだバキュームオイルカンパニーの事務所で翻訳の仕事をされていた頃でしょうか、
三日会の集まりで講演を依頼されたときの内容のようです。
雅春先生は実際にはその集まりに遅刻してしまったのですが、その時の言い訳(?)みたいなお話をされていてとても興味深いです。

<<この世界にはいろいろの影絵が映し出される。
いろいろの人の念がフィルムになっていろいろの影が映る。
わたしの念ばかりがフィルムになってうつるのだったらそれはわたしの思うとおりにゆくかもしれないが、この世界は全体の念が集まってできたフィルムで映し出された世界であるから、わたしばかりの思うとおりにゆくものではない。>>

確かに「現象は心の影」であるのだけれども、雅春先生のような念の強いお方であっても、人類意識には逆らえないということなのでしょうか?

ですが、その思う通りに行かないような邪魔や障害物や敵でも心がけ次第で、
自分を生長させてくれる味方にしてしまうのが本当の神通力であると教えて下さっているようです。

4817a hope:2014/12/22(月) 22:17:28 ID:cEpBaIdo
>>4815訂正

未来はでいつつあるので→未来はできつつあるので

4858るん吉:2014/12/24(水) 06:55:44 ID:p..UGkhA
訊けさま
>>五官で考える限りは絶望的ですが、私には「谷口雅春先生」がおられます。>>4507
>>書いた件を再読し、不足感をも礼拝していこうと思います。

a hopeさま
>>こころから同感です!
>>現象的に、どんなに困難があろうとも、「生長の家の御教え」さえあれば、救われるのですからね!!

お二人様
有難うございます。困難のときこそ「実相独在」でした・・
私は今ちょっと問題を抱えてしまってまして。その途端、普段の「実相独在」と
思ってるつもり?が一気にどこかへ行ってしまいました。
「これが解決する?」てそんな気持ちになってしまいました。現象無しなのに・・
教えに触れて、20年以上・・・です。この教えが間違いはないと解ってるのにです。
訊けサンたちを見習います。
でも、訊けサンみたいに「声がきこえたりしたら、(魂できいてる?)いいな。裏山。

4859るん吉:2014/12/24(水) 07:00:43 ID:p..UGkhA
>>a hpopeさま
>>わたしは、人が本当に救われるというのは、病気が治ったり、お金に困らなくなったり、人間関係がうまくいったりするような、
>>現象的に都合がよくなるようなことではないと思っています。

>>どんな困難な事に出くわしても、神を信じて大安心の心持ちでいられるようになること、
>>「生き通しの生命」を心から信じられるようになること、

今の、私に必要なぴったりの文を有難うです。これから生きて行って困難が一つも無いわけがないですよね。
その時に、普通の解決の仕方(現象に注意を向けて、苦しむ)をしていたんでは
せっかく生長の家にふれたのにもったいないですよね。
有難うございました。

4891a hope:2014/12/24(水) 17:29:12 ID:cEpBaIdo

>>4858 >>4859 るん吉さま

わたしの発言に共感してくださり、ありがたいお言葉をいただき感激しています。

人の魂が救えない宗教はニセ宗教ですからね!
わたしの発言にるん吉さまが共感してくれたというのは、わたしにとって何より嬉しいクリスマスプレゼントです。

こちらこそありがとうございました。合掌。



ところでみなさま

今日はクリスマスイブです。
わが家では、今、ローストチキンの焼けるいい匂いがしています。

みなさんも、素敵なクリスマスイブをお過ごしくださいね!

メリークリスマス♡

4899るん吉:2014/12/24(水) 18:53:18 ID:p..UGkhA
a hope 様

そんな風に言って下さり有難うございます。
信仰歴は私なんかより、ずっと短いのに・・りっぱですよね。

私なんか、今更、物質有、現象無しになぞとても戻れないくせに

そのくせ、現象にとらわれて・・いやんなる、もうーっ。でつ。こんなざま。

訊けサンと、a hope さんの文をワードにきれ〜いに保存しました。

昔はブックマークしてたけど、いつなんどきなくなったら嫌だから保存、保存です。

何回も見て、かみしめる文章のひとつになりましたです。有難うございました

4912トンチンカン:2014/12/24(水) 22:25:17 ID:r6TJQSCM

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ヒキコ森」で、異常な<執念>で 「アラシ」 に耽(ふけ)る、マサノブ爺さん!!

他人の「HN」を、「トンチンカン」の名を、勝手に我が物としての <狼藉> です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・まあ、皆さん!! 見てやって下さい、、 「想像」してやって下さい・・・


・寒さ厳しき「ヒキコ森」にて、、、パソコンに向かって、<異常な執念>でもって張り
 付いている マサノブ爺さん を想像して上げて下さい・・


・『志恩さんお仲間が出来てうれしいです』、、なんて 表現 がありますが、マサノブ爺
 さんには、「お仲間」が居ないのですね?


・一人寂しく、「トンチンカン」に対する <怒り> を爆発させるのです。


・ある意味、お可哀相な、可哀相な、マサノブ爺さんでありますことよ・・・

4913神の子:2014/12/24(水) 22:40:27 ID:???
トンチンカンて変な奴

4914神の子さん:2014/12/25(木) 07:25:14 ID:QXuDEsMo
私が総裁でないことは、トキ訊けにはハッキリしているにもかかわらず、『トンチンカン』には一度も注意しないトキ訊けは確信犯である。

そして『トンチンカン』は気違いである

4915神の子さん:2014/12/25(木) 07:26:47 ID:QXuDEsMo
私が総裁でないことは、トキ訊けにはハッキリしているにもかかわらず、『トンチンカン』には一度も注意しないトキ訊けは確信犯である。

そして『トンチンカン』は気違いである

4916トンチンカン:2014/12/25(木) 11:40:06 ID:r6TJQSCM

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『私が総裁でない』、、と叫んでいる 「神の子さん(曳馬野)」爺さん!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・バレバレの 「曳馬野爺さん」、、、バレバレですよ!!


・「そして『トンチンカン』は気違いである」・・なんて、、、 また、これで<アラシ>
 ですか?

4917曳馬野:2014/12/25(木) 15:18:57 ID:c4sYVoOs
5579 :トキ :2014/12/25(木) 10:02:01 ID:vjAm3pEQ
>>5578

 曳馬野様の身元について、私は断言する証拠は持っていません。
ただし、私はあなたが総裁であるとは信じておりません。彼はあなた
ほど、下品な人間ではないからです。
もちろん、総裁である、という証拠も存在しません。
 しかし、個人的には、教団と何かの関係がある人間だとは信じています。
***************************************************************************************

馬鹿も休み休みなしてくれ

REMOTE_HOST 118-106-48-232.shizuoka1.commufa.jpこれを見てホスト規制したのじゃないか 静岡コミュファ これに四六時中つなげることが総裁に出来る訳ないだろ

4918a hope:2014/12/28(日) 12:41:43 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p59 後から7行目〜

わたしがここに来るについて実はわたしは話題というものをあらかじめ考えていなかったのであります。

わたしが「生長の家」というものを皆さんに宣伝し、ちょっとでもよいように「生長の家」を見せかけねばならぬとか、この「私」というものを少しでも偉く見せねばならぬとか、こう皆さんからわたしという人間をどう思ってもらわねばならぬとか相手から求める気持ちがあるならば、なんとかいろいろ本でも読んだり思想を練ったり準備をしておいて自分というものに箔(はく)をつけておかなければならぬ。
こう言ったら相手からなんとか思われやしないかと恐怖やら心配やらをしなければならぬ。

しかし、わたしはいっさい自分をどう思われたいとか「生長の家」をどう思われたいとか、自分の方から求める心を全然抜きにして、わたしという人間でもみなさんのお役に立ち相談相手になることができればなんでも訊いてもらいたい、何かのお役に立つならばそれを差し上げたい、こういうふうに上げたい一方で求める心なしに来ましたから、割合楽な気持ちでいられるのであります。
(つづく)

4919a hope:2014/12/28(日) 12:43:15 ID:cEpBaIdo

(a hope所感)

普通の人が講演会をする場合、あらかじめレジュメを用意したりしてその時間内にどんな内容の講義をするのか決めておくのだと思いますが、
真理を悟って神さまと一体化している雅春先生には、そんな必要はなかったのですね。

自分がどう思われるなどということはまったく考えず、ただただ相手のためになる話を神さまが与えて下さるのを信じて、
無我の心境でおられたのだと思います。

この雅春先生が講演を依頼された「三日会」という会には、霊眼の見える人、神懸かりする人、霊的治療のできる人などというような方々が集まって、
熱心に「道」の研究修行をされている場所のようで、講演後の質疑応答でも、雅春先生のご主張(生長の家の教え)に反駁するような、
かなり手厳しい質問をされていらっしゃる方もいらっしゃいます。

ですが、さすが真理を大悟されている雅春先生は、どんなご質問があっても淡々と真理のお言葉でお答えになっていて、
自由自在の心境であられる様子が伝わってきます。

本当に一度でいいから、雅春先生に直接お会いしたかった・・・・とわたしは感じてしまいます。

4920a hope:2014/12/28(日) 13:10:53 ID:cEpBaIdo

>>4918 a hope所感)

普通の人が講演会をする場合、あらかじめレジュメを用意したりしてその時間内にどんな内容の講義をするのか決めておくのだと思いますが、
真理を悟って神さまと一体化している雅春先生には、そんな必要はなかったのですね。

自分がどう思われるなどということはまったく考えず、ただただ相手のためになる話を神さまが与えて下さるのを信じて、
無我の心境でおられたのだと思います。

この雅春先生に講演を依頼した「三日会」という会は、霊眼の見える人、神懸かりする人、
霊的治療のできる人などというような方々が集まって、熱心に「道」の研究修行をされている場所のようで、
この講演後の質疑応答でも、雅春先生のご主張(生長の家の教え)に反駁するような、
かなり手厳しい質問をされている方もいらっしゃいます。

ですが、さすが真理を大悟されている雅春先生は、どんなご質問があっても淡々と真理のお言葉でお答えになっていて、
自由自在の心境でおられる様子が伝わってきます。

本当に一度でいいから、雅春先生に直接お会いしたかった・・・・とわたしは感じてしまいます。

4921a hope:2014/12/28(日) 13:13:26 ID:cEpBaIdo

トキさま

>>4919とこの投稿の削除をお願いいたしますm(__)m

4922神の子さん:2014/12/28(日) 13:33:33 ID:R4YKEcos

師の曰く、只こふして毎日是へ出まして皆の衆へあひますが、別に此方より皆へ何をいふて聞せうとも、思ひあてはござらぬ程に、何事成とも問度い事がらば、人々これへ出てとはつしやれ。
問はつしやれたらば、それについて何成ともいひ聞かせませう。是を皆へいふて聞せうと、思ひあては此方にござらぬ。


雅春先生に限らず、同じなんです。是は元禄の時代に語られたことです。私には特別扱いする気はありません。

4923a hope:2014/12/28(日) 14:45:21 ID:cEpBaIdo

>>4922 曳馬野さま?

すみませんが、ご紹介の文章の出典を教えて下さいませんか?

わたしは、雅春先生を特別扱いしているというよりも、真理を大悟された方にお会いしたいと思っているのです。

わたしは数年前ですがある地域で行われた「生長の家の講習会」に参加しました。
そして、直接、純子先生と雅宣先生のご講義を拝聴したのですが、なんの感動もなかったばかりか、
雅宣先生の講義内容に関しては、自分の理解している「生長の家の教え」とはまったくちがう解釈(?)をされていて、
驚愕し、その後気分が悪くなりました。

本当に申し訳ありませんが、雅宣先生に関しては、雅春先生と同じであるとはとても思えません。

4924a hope:2014/12/28(日) 15:32:00 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p60 5行目〜

誰でも自分の方へ求める心なしに与えたい一方でいるとその人の自己が拡大する。この自己が拡大するということが神通力であります。

普通の人は肉体的区別という卵の殻のようなものを作ってその中へ這入り込んで、ここからここまでの肉体が「自分」であってこれ以外は「自分以外」である、自分を大きくするためには自分の中へ他から取ってきて集めねばならぬように思っています。

こういうふうに自分というものを狭く考え、その考えで殻を作っていると人間は自由自在な気持ちになれない――すなわち神通力を失ったのであります。

ところが自分のことばかり考えないで、他の方へ与えよう、尽せるだけのものを与えようという気持ちになりますと、自分というものがこの肉体だけに狭く縮こまっていないで肉体という境を超えて他の人のことまでに及ぶようになる。

こうなりますと今まで自分というものはこの肉体の中だけだと思っていたのが、肉体の外の人々も皆自分であるとわかってくるのであります。

自分と他人とは肉体の上から観ますと一見別物でありますけれども、その「真如」すなわち「神性」においては自他一つである。

このことが、実際生活の上で他のためにしたい、他(ひと)に深切を尽したいと思ってしていると、自分ばかりのためだと思って我利的行為をしている場合よりも、気分がゆったりしてなんとなくいっそう広々とした幸福感を味わえるので自他一体ということが直観的にわかってくるのであります。

この他(ひと)に深切ということほど自分の気分を生かし、幸福にし、魂の奥底から幸福にするものはありません。

これは本来自分と他人とは一体だからであります。

4925a hope:2014/12/28(日) 15:34:08 ID:cEpBaIdo

>>4924 a hope所感)

これが、「自他一体の自覚」つまり「生長の家の愛」ですね!

よくボランティア活動をした時など、なんの報酬もなくても相手の喜んでくれている様子を見るだけで、
すばらしい幸福感を感じたりすることがありますが、そういうことなのではないかと感じています。

ところで、今朝の幸せの種メールの内容もこの「自他一体感」に通じる内容でしたので紹介させていただきます。

――――――――――――――――――――――――

○○さん、おはようございます!

-----------------

感謝する人と、感謝される人の心は一つになります。
人をたすけると、感謝されます。
感謝されると、感謝する人に感謝したくなります。

-----------------
【今日の名言】

感謝する心は、他人の心との一体感を感じる契機となります。
J・マーフィー
(米国の自己啓発家)

-----------------
【喜び上手】

家族が、お互いに感謝すれば、家庭の不和は消えます。
仕事で、お互いに感謝すれば、商売は必ず繁盛します。
感謝する人たちには、感謝の神様が降りてきて、幸せな世界を見せてくれます。
感謝ほど、気持ちのよいものは、ありません。

-----------------
【今日のポイント!】

感謝して、幸せになれ!

-----------------
さあ、「感謝の日曜日」です。
○○さん!
今日もぼちぼちいきましょうか!
p(^^)q よっしゃ〜

☆★☆★☆★☆★☆
★幸せの種メール★
☆★☆★☆★☆★☆

■あまくさチャンネル
世界と天草の感動の動画情報をご紹介します。
どうぞお楽しみください。

http://ama-ch.com

4926神の子さん:2014/12/28(日) 15:42:43 ID:PbwQ2xXs

>>すみませんが、ご紹介の文章の出典を教えて下さいませんか?

岩波書店 盤珪禅師語録 P88

>>わたしは、雅春先生を特別扱いしているというよりも、真理を大悟された方にお会いしたいと思っているのです。

今の生長の家、教団内在野を問わず居ないのではないでしょうか、この頃の楠本講師は知りませんので判りませんが、教団を去らずにおられることを考えますと
もしかすればですが。

禅の世界にならいるようですが。

4927a hope:2014/12/28(日) 16:18:08 ID:cEpBaIdo

>>4926 曳馬野さま

わたしは楠本加美野先生には宇治の練成会で何度かお会いしているのです。
講義内容は素晴らしかったですし、食堂でもお話しましたし、個人指導も数回受けました。
そして「病気が治る」「人間関係が改善する」などの奇蹟もたくさん起こされていました。

加美野先生は「生長の家の教え」を正しく伝授されていらっしゃる本当に貴重なお方だと感じています。

それなのに、今は、宇治を去られ、長崎の総本山に隠居されてしまわれたような方にになってしまっています。


何千人もの人が集まる「生長の家の講習会」では、加美野先生のように正しく「教え」を伝授されている講師がご講話をされれば、
確実に救われる人も増えますし、信徒の方々も他の方々をお誘いしやすいと思うのですが・・・。

なぜ、ご講義をされるのはいつも純子先生と雅宣先生だけなのでしょうか?

参加する人が救われない講習会なんて、時間とお金(浄財)の無駄遣いだとは思われませんか?

4928神の子さん:2014/12/28(日) 16:49:46 ID:R4YKEcos
>>これが、「自他一体の自覚」つまり「生長の家の愛」ですね!

「この世の中の千変万化を見て、見ている自己とみられる他己とが、別物でなくなれば、もうそれで万事畢了である。」と云った人がいる。


言葉は簡単であるけど、そこに行き着くためにプロの僧侶でも何十年の修業をしている。過って兵庫に福島先生と云う方がいましたが、見真会にお呼びした時に感じましたね、
一切裁かない人だと。飛田給に来られていた磯村先生にもいいもの感じました。

以来何人の強化部長が来たことか、只の一人として自然と頭の下がる人には会っていない。勿論私が阿呆であるからであるが。

4929神の子さん:2014/12/28(日) 17:08:17 ID:R4YKEcos
>>なぜ、ご講義をされるのはいつも純子先生と雅宣先生だけなのでしょうか?
>>参加する人が救われない講習会なんて、時間とお金(浄財)の無駄遣いだとは思われませんか?

まぁそういえば云えるけど、時間とお金(浄財)の無駄遣いだとは思わない人が沢山いると云うことですね。いくら救っても100年しか
もたない救いがね。鱈腹肉を喰らい酒を飲むこれが救いなのかな。

ノーミートなんて笑っていた人がいましたが。
貴女は肉を食べませんか?生きたいと思う動物を殺した肉は食べたくありませんね。中国とかロシアとかの経済が50年ごろの日本並みに
なって肉を食べますと、どんな食事情になるのでしょうか。

4930a hope:2014/12/28(日) 17:59:32 ID:cEpBaIdo

>>4929曳馬野さま

<<まぁそういえば云えるけど、時間とお金(浄財)の無駄遣いだとは思わない人が沢山いると云うことですね。いくら救っても100年しか
もたない救いがね。鱈腹肉を喰らい酒を飲むこれが救いなのかな。>>

そうなのですか、現在の「生長の家の講習会」つまり純子先生と雅宣先生のご講話が、
お金と時間の無駄だと思われていない信徒の方々が沢山いるということなのですね!!!

そうなのですか・・・

それなら仕方ありませんね。


それでは、たしか雅宣先生も純子先生も鶏肉は食べられるようですが、
にわとりは生きたいと思っていないのでしょうか?
魚も生きたいと思っていないのでしょうか?
野菜やフルーツも生きたいとは思っていないのでしょうか?

大自然に人間と同じような一体感を感じられているお二人には、
そのことは矛盾していないのでしょうか?


今回、純子先生が子供の貧困問題に対応された「長坂子ども食堂」というのをはじめられたようですが、
現代の日本社会では、親がどんなに貧乏でも、生活保護さえ受ければ少なくとも子供は食の貧困からは救われるのです。
それに、現在の子どのたちの貧困は、親の子育ての未熟からくるネグレクトがほとんどではないかとわたしは感じています。

ですから、純子先生や白鳩さんが戦後の配給みたいなことを始められても、
親の意識改革をしなければその運動は「焼け石に水」となってしまうと思うのです。

わたしは別に「長坂子ども食堂」を批判するわけではないですが、
それよりも「人間神の子」の「伝道」をして欲しいと感じてしまいます。

それをされないのであれば、それは「生長の家」の運動ではなく、純子先生の気まぐれボランティア活動なのだと思います。

4931神の子さん:2014/12/28(日) 18:20:59 ID:R4YKEcos
それでは、たしか雅宣先生も純子先生も鶏肉は食べられるようですが、・・・多分悟られていないのでしょうね。

にわとりは生きたいと思っていないのでしょうか?
魚も生きたいと思っていないのでしょうか?
野菜やフルーツも生きたいとは思っていないのでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
雅春先生はなんといっていますか。ご存知ですか。

4932きれいなジャイアン:2014/12/28(日) 18:34:02 ID:???
>>4930
食堂に来た子供達に真理を伝えると考えるのが普通

4933きれいなジャイアン:2014/12/28(日) 18:35:47 ID:???
肉を食べないのは命だけの問題じゃなくメタンガスが関係するのでは?

4934神の子さん:2014/12/28(日) 18:43:42 ID:R4YKEcos
それでは、たしか雅宣先生も純子先生も鶏肉は食べられるようですが、・・・多分悟られていないのでしょうね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
雅宣先生の食生活を直に見たのではありませんので、何とも言えませんね。
白鳩総裁は奥さんが自然となるだけのもので、純子奥さんが悟っているとは思えませんが、その奥さんが食事の世話をし、出されたものには感謝して頂くと云う、
生長の家流の生き方をしているのであれば、多分悟られていないのでしょうね、は言いすぎですね。

4935a hope:2014/12/28(日) 18:53:52 ID:cEpBaIdo

>>4931 曳馬野さま

<<雅春先生はなんといっていますか。ご存知ですか。>>

ハッキリと文献を示してお答えできませんが、 その真理は理解しているつもりです。

わたしが言いたいのは、純子先生と雅宣先生が人間や霊性の高い動物のような感情を、
その他の生物や鉱物も持っているように表現されていることに矛盾を感じてます。
(新バージョンの四無量心の神想観などの祈りの言葉を拝見するとですが・・・)

4936a hope:2014/12/28(日) 18:55:34 ID:cEpBaIdo

>>4932 >>4933 きれいなジャイアンさま

Web誌友会ご参加ありがとうございます。合掌。

<<食堂に来た子供達に真理を伝えると考えるのが普通 >>

その伝えて下さる真理が、本来の生長の家の「人間神の子」の真理であることを祈っています。


<<肉を食べないのは命だけの問題じゃなくメタンガスが関係するのでは?

たぶんそうだと思います。
でも、それって完全に現象問題ですよね?
現象問題に対応するのは間違いではないと思うのですが、「生長の家」ではそれ以前にする運動があるのではないかと感じているのです。

4937神の子さん:2014/12/28(日) 19:10:56 ID:R4YKEcos
>>4933

メタンガスの処理がしっかりできれば肉食してよい、というのではね。
中国10億の人たちが、しばらく前の日本のように肉食に邁進するようになれば、飼料確保が大変な問題になるでしょう。しかし本流さんのように中国を敵視するようで、どうやって中国人に
真理の伝道をするのでしょうか。日本人に対して雅春先生の時代にさえ、大したことはできなかったのにね。個人の救いを与えていくのが本来の生長の家という意見がある。

聞いてみたいですね、どのようにして中国人に伝道するのかを。環境問題では日本より4,50年遅れていて益々ひどくなるであろう中国の環境問題を、どのようにして個人の救いによって解決
していくのかな。

肉食しなければメタンも関係なくなる、佛教殺生戒を守り続けて、日本中津々浦々まで寺院があり、明治までの日本人が守ってきたことは驚嘆すべきことです。明治以後洋風化の中で肉食が
進んできたけれど、それまでは動物を殺す人たちを『四つ』と云って差別していたのでした。

生長の家人にして肉が好きという人は、何の悟りかと思います。

4938きれいなジャイアン:2014/12/28(日) 19:51:12 ID:???
確かに敵視している相手に真理を伝えるなんて無理だよね
メタンガスってのは以前、雅宣氏が書かれたものを少しだけ読んで、そういう考え方も
あるのかと思った次第

>「生長の家」ではそれ以前にする運動があるのではないか

これも言われてみれば、そうだなとは思うけど、形から入るってのもあったよ
どこで読んだかは覚えてない

4939神の子さん:2014/12/28(日) 20:49:28 ID:PbwQ2xXs
>>4935 わたしが言いたいのは、純子先生と雅宣先生が人間や霊性の高い動物のような感情を、その他の生物や鉱物も持っているように表現されている
ことに矛盾を感じてます。(新バージョンの四無量心の神想観などの祈りの言葉を拝見するとですが・・・)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
庭に石を入れた。大石を三人でコロに乗せて行った。石を動かしている私に、意志が囁いた。

「山で静かに暮らしていた私は、無理矢理にここまで運ばれて、無造作に転がされてから半年、随分身体が凝りました。でもこんど、ようよう
落ち着き場所を得られます。これらもすべて私の運命ですから仕方がありませんが、出来るだけ私の長所を生かすよう私の顔を正面に向けて下さい。
体も傾いたり横を向いたりしないようにして下さい。身体が凝りますから。できれば友達も欲しいものです」 春秋社 弓と禅 中西政次著より

「天地一切のものと和解せよ」は伊達や酔狂ではできないね、どこまで行っても一切のものだからね。観念でなく眞實天地一切と一つにならねば。

4940神の子さん:2014/12/28(日) 21:46:49 ID:PbwQ2xXs
庭に石を入れた。大石を三人でコロに乗せて行った。石を動かしている私に、意志が囁いた。
             ↓
庭に石を入れた。大石を三人でコロに乗せて行った。石を動かしている私に、石が囁いた。

4941志恩:2014/12/29(月) 08:03:36 ID:.QY5jUA6
a hopeさんへ

先日、よろこびの種メールを分けて下さったので、今朝は、私が お返しを。
今朝届いたばかりの種メールです。
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【喜び上手】

志があれば、心が落ち着きます。

種が、将来にどんな花を咲かせるかを知っているように、将来自分がどんな人になるかを知っている人は、心がぶれません。

毎日、少しづつ、確実に、なるべき姿を目指して伸びていきます。

あなたは、あなたらしく花を咲かせるのです。

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【今日のポイント!】

自分らしい、花を咲かせよ!

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さあ、「希望の月曜日」です。
◯◯さん!
今日もぼちぼちいきましょうか!
p(^^)q よっしゃ〜
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★幸せの種メール★
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4942a hope:2014/12/29(月) 10:30:55 ID:cEpBaIdo

>>4941 志恩さま

よろこびの種メールのお返しをありがとうございます!

このメールサービスは素晴らしいアイデアだと思います。
毎日たくさんの人たちに幸せの種を蒔けるわけですから・・・。
毎日の「真理の言葉」に救われている人も多いと感じています。

わたしも自分らしい花を咲かせて、神さまに褒めてもらわなくては・・・(笑)


みなさま

いよいよ後、3日ほどで2014年が終わります。
わたしは土曜日に仕事納めをしましたが、家の大掃除がまだ終わっていません。
お休みなので、真理のお勉強もしたいのですがとりあえず家のことを済ませます。

お掃除するときも、「ありがとうございます!ありがとうございます!」と称えながらするのが、
「生長の家」の信仰ですよね。

そうすると、本当にありがたくなってくるから不思議です。

>>4939で、曳馬野さまが興味深いご文章を紹介してくださっていますが、
感謝の気持ちをもって扱うと、すべてのものに命が宿っているような気がしてくるから不思議ですね。

実相世界では天地一切ののもが大調和して感謝しあっているのですから、当然のことかもしれませんが・・・。

4943a hope:2014/12/31(水) 12:26:00 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第15巻 p83 後から4行目〜

大村――病人が子供で、お経をあげても、『生命の實相』を読んでも意味がわからなくっても効くんでしょうか。

谷口――それは効きます。一つは念の感応で効きます。こちらが解って読めばその悟りの念が感応するのです。
それから人間の意識は幾層にもなっていて「表面の心」は教育されたことだけしか知りませんが、奥底の心は今まで幾度も生まれ代わってきている霊魂の意識ですから、現世で教育されないことでも知っています。

野田――奥底の心は「守護神」の心のことだと思いますが。

谷口――奥底の心の中には守護神の心もあり、自分の霊魂の潜在意識もあります。

高橋――表面の心には理解できなくとも奥底の心が理解するということになれば、『般若心経』の棒読みでも効果がありましょうね。

谷口――無論効果があるはずですが、読み手が理解して読むといっそう効果があります。

高橋――お経の意味が解って効果があるという説でありますが、ちょうどそれと反対のことがあります。
ある所に御加持(おかじ)をして非常に上手に病気を治す婆さんがあったが、その御加持に唱える真言が「油虫そこ退(の)け」というものだったから、ある人がそれは「阿尾羅吽欠娑婆訶(あびらうんけんそわか)」のまちがいだと教えてやった。
それ以来婆さんは正しく教えてもらった真言どおりを唱えて加持するようになったが、かえって病気を治す霊力がなくなったという話があります。

谷口――阿尾羅吽欠娑婆訶(あびらうんけんそわか)を「油桶底ぬけ」と言って病気を治したという話も聞いています。

篠原――「尻々、マカ尻、尻々、ソワカ」と言って病気を治した人もあります。これは「修利修利、魔訶修利、修利修利娑婆訶」の間違いであります。・・・

4944a hope:2014/12/31(水) 12:29:08 ID:cEpBaIdo

>>4943 a hope所感)

この後、雅春先生は「表面の心」(現在意識)と「奥底の心」=『霊魂の意識(潜在意識)+守護神の心』について、丁寧にご説明くださっています。

この三日会のメンバーは、次々に雅春先生のご主張に反駁するような内容の質問をされるのですが、
雅春先生はけっして相手をそらすような投げやりな応答はせず、本当に丁寧に真理をお伝え下さっています。

この部分は、なぜ、「神想観」をしたり、聖典「生命の實相」を拝読したり、聖経「甘露の法雨」を唱えたりするだけで病気が治るのか、
その理由もお答えくださっているのですごいです!

4945a hope:2014/12/31(水) 12:30:33 ID:cEpBaIdo

トキさま、みなさま

今年もこのweb誌友会板でたくさんお勉強させていただきました。
大好きな聖典「生命の實相」をここでみなさんと一緒にお勉強できてわたしは本当に幸せです。 感謝 合掌。

世の中にはたくさんの真理に関する著書が出回っていますが、本当に悟りたいのであれば、
「生命の實相」のみ何度も拝読するのがいいのではないかとわたしは感じています。

これで、今年のお勉強を終わらせていただきます。

今年も大変お世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

a hope

4946トキ:2014/12/31(水) 17:33:57 ID:pATDsQJw
 本年も弊掲示板をご利用くださり、心から感謝申し上げます。
管理人としては全力を尽くしたつもりでありましたが、徳が足りず、
皆様に多大なご迷惑をおかけした事と思います。

 にもかかわらず、多数の方々が、この掲示板をご利用下さり、
本当に嬉しく思います。

 いろいろな事がありましたが、来年もこの掲示板をよろしくお願いします。
最後になりましたが、来年が皆様にとりまして、佳き1年でありますよう、
心からお祈り申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4947神の子さん:2014/12/31(水) 19:31:19 ID:bVgHiQ3c
投稿出来るしあわせ、また、楽しさ
、、ありがとうございました
良いお年を、

4948a hope:2015/01/01(木) 21:54:39 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第31回 web誌友会 案内

期間  1月1日〜1月31日まで
テキスト 「生命の實相」第15巻 人生問答篇 上 
内容  第三章 生きる道の座談会〜
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4949a hope:2015/01/01(木) 21:55:46 ID:cEpBaIdo

新年 明けましておめでとうございます。

1月に入りましたので、第31回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4950a hope:2015/01/01(木) 21:57:13 ID:cEpBaIdo

続きまして、宇宙浄化の祈りをこめて・・・


聖経「続真理の吟唱」より
〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉

生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給え。
吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の機能。
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし生長の家の大神守りませ。

(招神歌四首朗誦の後、次の如く祈る)

龍宮実相世界の本宮にまします住吉大神の御前に谷口雅春(ここへ各人の姓名をとなえる)畏みかしこみ祈り奉る。

大神よ、龍宮の本宮より出御(しゅつぎょ)ましまして、大神の稜威(みいつ)をあらわし給いて、
現(うつ)し此の世の迷いの雲を祓い給いて、宇宙いよいよ清まりて、日本国の聖なる実相を顕現せしめ給え。
天照大御神の大御光(おおみひかり)を岩戸の彼方に幽閉することなく、その大御光をあまねく六合(りくごう)に照り徹(とお)らしめ給え。
すめらみことの身に恙(つつが)なく、憂えなく、その御徳(おんとく)いよいよ冴え輝きて、
此の世の人々悉くその光を仰ぐことを得せしめ給え。

凡そ〝悪〝と見ゆることは、実は〝悪〝が存在するにはあらずして、
天照大御神の御光がいまだ其処にあらわれざるという消極的な姿にてあれば、
天照大御神、天之岩戸より姿をあらわし給うならば、光が必ず闇を消すごとく、
此の世のすべての暗雲と不浄と争いと戦いと混乱と騒擾(そうじょう)とは消え去りて、
あとかたも無く、光あまねく人生の隅々までも射貫ぬきて、
一切の禍と不幸とは此世よりその姿を消し去ること必定なり。
今より後、人類に悲しみなく、嘆きなく、苦しみなく、ただ喜びのみに満たされて、
人生の不幸ことごとく消え失せん。

住吉大神、龍宮実相の本宮より出でまして、尽十方(つくし)の光明遍照(ひむか)の、
竪端(たちばな)の音霊(おと)のひびきにて宇宙を浄化したまう時熟しぬ。

堅端の音のアハギが原とは、〝今此処〝の祓いの事であるのである。
即ち迷いをハギ取り実相の完全さを開顕するための言霊五十音配列の竪(たて)の端(はな)にある
〝アオウエイ!!〝の母音が唱えられる場所のことであるのである。
発声の語尾にアオウエイの音霊(おんれい)をつづけるとき、
宇宙すべての言葉は浄まりて、
一切の災いも、病いも、悲しみも、悩みも悉く雲散霧消(うさんむしょう)して、
住吉大神の御光あらわれ、
一切の〝悪〝と見えるものは消え去り、
すべての妖雲はその姿を消し、
今まで覆われていましたる天照大御神の大御光は白日となって六合(りくごう)に照り渡り、
万物・万生ことごとく、その光を受けて、
暗黒は消え、禍は滅し、病いは癒え、争いはなくなり、
まことに天国浄土を今此処に顕現するのである。

そのゆえに我れ今〝竪端の音霊(おと)〝を大神の光を迎え奉るコトバの力として恭(うやうや)しく唱え奉る。

(朗らかに高音にて次の如く朗吟する)

アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!(三回)

(かくて宇宙浄まりて天照大御神輝くことを心に瞑視しながら、〝みすまるの歌〝を次の如く朗誦すること二回)

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。
天照す御神の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。

4951a hope:2015/01/01(木) 22:01:44 ID:cEpBaIdo

生命の實相第1巻 p30 

多くの富める家庭が不幸であり、病人が絶えないのはなぜであるか。それは貧しき人人から発せられた呪いの感情波動の支配下にあるからであります。

みなさんはブランコに乗って見られたことがありましょう。同じ小さい力でも、それが加わる回数が重なるにつれて大きく揺れて来るのであります。しかし大きく揺れて来ない前に、またぜんぜん静止させてから揺るならば、そのブランコは永遠に大きく揺れてこないのであります。

われわれはこのブランコの原理を利用すべきであります。呪いや、悲哀や、憎悪の感情波動がわれわれの頭脳に感応してわれわれをいく分不快にしたときには、われわれはさっそくこの全集または『生長の家』誌を開いてそこに書かれてある善き言葉を読めばよいのであります。

揺れかかっていたわれわれの感情のブランコはたちまち平静に立ちかえる。われわれの感情波動の波長が、もうその呪いの感情波動に合わなくなります。こうしてわれわれの感情は再び愛と平和と幸福にみたされ幸福生活を築く基礎ができるのであります。

毎日このことを繰り返せば毎日愛と平和と幸福とに心が充たされる。これは幸福を求める人の毎日繰り返さなくてはならない必須のことであります。一回きりで読んで止めてしまうようでは、せっかく善い方向に振れかかったブランコも停まってしまうように、諸君の運命の良化も停止してしまうのであります。

「精読八回自分は境遇を一変した」と一読者はいったがそこに真理がふくまれているのであります。ドシャ降りも一回では石に穴を穿つことができないが、繰り返すとき点滴よく運命の石を穿(うが)つのです。

自分はこの意味においてこの全集が繰り返し読まれることを希望します。朝起きた時、眠りに入る時、電車や汽車の中の暇な時間に、またお昼の休憩時間やこれから誰かに面会に行こうとする前に、この『生命の實相』の一ページがどんなに諸君の運命を幸運にするでありましょう。

しかし言葉はそれになれて来るとき新しく心を打つ力を失うのであります。わたしはこの意味において、『生長の家』を毎日毎日新しく書いて皆さんの座右に届けたいのであります。けれども時間の制約の関係もあり現在新しい言葉の力としては、『生長の家』『白鳩』『理想世界』『理想世界ジュニア版』『光の泉』『精神科学』や、英語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語の〝生長の家〝 が出ています。せめていずれか毎日一回は読んで下さい。これが諸君の運命の石を穿つ点滴であります。

だからぜひとも毎日一回は光明思想の本を開いて下さい。本書に飽きてきたら右の諸雑誌を読んでください。いずれにせよ、繰り返し繰り返し読んでください。やがて諸君の思考が根本的にあらたまる時が来ます。それが徐々であろうとも、あるいは急激であろうともその時諸君の運命も根本的にあらたまり、病は癒やされ、境遇は改まり、欲する事物が自由自在に集まる境地になられるに違いないのであります。・・・

4952a hope:2015/01/01(木) 22:04:04 ID:cEpBaIdo

>>4951 a hope所感)

年が明けて新しい年になり、わたしも新たな気持ちで「生命の實相」をお勉強して行きたくなりました。
そこで、今日は第1巻をもう一度読み返しています。

『黙示録』第一章、十二節――二十節
『七つの燈台の点燈者』の神示
『生命の實相』の頭注版に序して
初版のまえ書き
七つの光明宣言
総説「七つの光明宣言」の解説

と読み進みましたが、久しぶりだったからでしょうか・・・すべてのコトバがとても新鮮に魂にジンジンと響いてきます。

『生長の家の教え』ってやっぱりすごいですね!
あらためて感動しています。

小さな力でも、続けて揺らし続けることで大きな揺れを起すブランコのように、
今年もわたし、a hopeは「生長の家」の家の聖典『生命の實相』を学び続けたいと思います。


トキさま、みなさま

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

感謝 合掌。

4953るん吉:2015/01/02(金) 09:23:44 ID:p..UGkhA
a hopeさま

あけましておめでとうございます。うちの方も今日は、外の道も溶けてきたけど雪でぐちゃぐちゃ。

自分はどっちかと言うと、家の中にじっと居るのが苦痛のタイプですが、今日は家に居るしかないかも。です。

私は、12月から、今までのweb誌友会や聖典引用板から、自分にとってハッとなった文章等を保存していってる

最中です。まだ、ワードにして6枚くらいです。が、今日はこの作業中心にやっていこうと思ってます。

私は、毎日真理の言葉に触れていませんでした。いざと言うとき、何にも解ってないことに、思い知らされました。

『現象有り』 という、普通の考えが殆どを占めていました。そりゃ、毎日真理の言葉に
触れてないと物質の中に住んでるのだから『物質無し』とは思うのは難しいですよね。これからは、『実相独在、現象無し』 に毎日 触れて行かねば。と思ってます。

a hopeさんは、毎日、毎日、真理の言葉を書かれてましたね。web誌友会も常に参加してリードされてきましたね。凄いですね。

だから、現象無しも実相独在も、きっちり身についてらっしゃるんですね。

4955るん吉:2015/01/02(金) 14:31:39 ID:p..UGkhA

>>多くの富める家庭が不幸であり、病人が絶えないのはなぜであるか。それは貧しき人人から発せられた呪いの感情波動の支配下にあるからであります。



これ、本当でしょうか? 自分の影なんじゃないのでしょうか?

4956a hope:2015/01/03(土) 00:25:15 ID:cEpBaIdo

>>4953 るん吉さま

新年のご挨拶をありがとうございます!

<<『現象有り』 という、普通の考えが殆どを占めていました。
そりゃ、毎日真理の言葉に触れてないと物質の中に住んでるのだから『物質無し』とは思うのは難しいですよね。
これからは、『実相独在、現象無し』 に毎日 触れて行かねば。と思ってます。>>

『実相独在、現象無し』を頭で理解するのと、悟るのとは全然違うと思うのです。

聖典『生命の實相』等を拝読して、すぐに病気が治ったり、不調和な人間関係が良化されたり、事業がうまくいったりするのは、
神が奇蹟を見せることで、「現象は心の影」であることを知らしめてくださっているだけなので、
そのことに満足して真理への探究心を失ってしまったら、永遠に悟る(本当に救われる)ことはないと思うのです。

ですが、雅春先生がご存命の頃は、その光明思想の念波が強烈だったために、神の奇蹟があまりに簡単に起こってしまい、
多くの信徒は「現象的な救い」が「本当の救い」であると勘違いしてしまっていたのではないでしょうか?

そして奇蹟すら起らなくなった現在に至っては、信徒さんたちは真理を悟るための「聖典拝読」や「神想観」も、
あまり熱心に行じなくなってしまっているのではないでしょうか?
あくまでも、わたしの推測ですが・・・・。

きっと、信仰歴も長く、縦の真理と横の真理をとてもよく理解されているん吉さまですから、
わたしなんかよりもずっとよく「生長の家」の信仰を理解されていると思いますが、
聖典にもありますが、わたしも、本来の生長の家の信仰には、聖典(光明思想のコトバ)の拝読、これは欠かせないと感じています。


ですが、わたしは、現在の「生長の家」総裁・副総裁である谷口雅宣先生や純子先生のご思想は、
「生長の家」の光明思想であるとは思っていないので、そのご著書や祈りの言葉、経本等はできるだけ拝読しないようにしています。

4957a hope:2015/01/03(土) 00:28:53 ID:cEpBaIdo

>>4955 るん吉さま

どなたからも、お返事がないようなので、

『多くの富める家庭が不幸であり、病人が絶えないのはなぜであるか。それは貧しき人人から発せられた呪いの感情波動の支配下にあるからであります。』

に関して、わたしの解釈を述べさせていただきますね。


「現象は心の影」というのは真理ですから、誰かが現象的に病気になったり不幸になったりするのは、
確かに、誰かの「心の状態」が反映しているからだと思います。

ですが、それがいつも現世の自分自身の心が直接的に反映しているとは限らないと思うのです。

この場合は、貧しき人々からの悪しき感情波動を受けた結果、受けた本人も悪しき感情に捉われてしまい、
その心の影で不幸や病気が現れているのだと思うのです。
(その感情波動を発する相手が、ご先祖さまであれ、家族であれ、人類意識であれ、また過去生の自分であれ、同じことが起ると思います。)

本来わたしたちは「自他一体」ですから、相手と感情波動が合ってしまえばその感情はすぐに伝染してしまいますからね。

だから、そういう意味で、るん吉さまがおっしゃる <<これ、本当でしょうか? 自分の影なんじゃないのでしょうか? >>
というご解釈は正しいのではないかと思います。


わたしは過去に気功をしていたこともあるので、他人の気や感情波動にはとても敏感で、
以前は他人からの悪感情(邪気)をとても受けやすく、受けてしまうと自分自身もネガティブな感情に捉われて、
その結果、体調を壊したり運気が下がったりてしまうということが頻繁にありました。

ですから、色々な邪気除けをしなくてはいけなくて大変でしたが、幸運なことにわたしは世界最高の聖典「生命の實相」に出会いましたから、
もう、今では邪気除けする必要はまったくなくなりました。

ですから、そういう邪気除け(厄除け)という意味でも、聖典を拝読するのはとても功徳があると信じています。


注)以上、わたしの個人的な解釈ですので、間違いがあったり、野狐禅だったりする可能性があります。
遠慮なく、ご指摘、ご指導をお願いいたします。

4958神の子さん:2015/01/03(土) 18:57:10 ID:p..UGkhA
a hopeさま
>>信仰歴も長く、縦の真理と横の真理をとてもよく理解されているん吉さま


そんな風に言って下さり・・・い、今全然ですぅ。なんか真理がごちゃごちゃになってしまい
ました。現象無しが、そして実相独在が 自分にとって難しく難しくなってます。今・・

>>わたしは過去に気功をしていたこともあるので、他人の気や感情波動にはとても敏感で、
以前は他人からの悪感情(邪気)をとても受けやすく、

あ、そうだったんですか。じゃあ、他からの波動を受ける つうのも体験されてるんですね。
解りやすい説明を有難うございます。

4959a hope:2015/01/03(土) 23:19:05 ID:cEpBaIdo

>>4958 るん吉さま

<<なんか真理がごちゃごちゃになってしまいました。
現象無しが、そして実相独在が 自分にとって難しく難しくなってます。今・・>>

とのことですが、わたしはちょうど今のるん吉さまと同じような状態になった時があるのです。

それはもう今から4年以上前になりますが、わたしが『生命の實相』に出会い、その真理に触れて感動し、
もっと「現象なし、実相独在」の真理を学びたいと思って「生長の家」教団に入信した後のことです。

その後、信徒さんに勧められて、雅宣先生のご著書を拝読したり「祈りの言葉」を唱え始めてからるん吉さまのような混乱状態に陥りました。

そうなってしまうと、当初あれだけ感動していた聖典「生命の實相」の真理の言葉が全く頭に入らなくなり、
意味も全然通じなくなり、読めば読むほど混乱していき、おまけに体調までおかしくなりました。

それは、実相一元の「現象なし、実相独在」の真理を説く聖典「生命の實相」と、
現象の環境保護運動に生長の家の真理を利用されているような雅宣先生のご著書を一緒に読むことで、
魂がパニックを起こしたのだと思います。

るん吉さまが、雅宣先生のご著書を読まれているかどうか知りませんが、
もし、るん吉さまが教団に在籍されていることで、否応なしに雅宣先生のご思想の影響を受けられているとすると、
それが原因でそのような混乱状態に陥ってしまっている可能性もあるのではないでしょうか?

ですから、「現象なし、実相独在」の真理を本当に悟りたいのであれば、
確実に「現象なし、実相独在」を大悟されている雅春先生の聖典だけを拝読し、
本来の「生長の家」の信仰をしていくのがBESTなのではないではないかと感じています。

るん吉さまがこのweb誌友会の内容をワードの保存してくださっていると聞いて、本当に嬉しく思っています。
これからも、一緒に「生命の實相」を学んでいってくださると、とても心強いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

4960るん吉:2015/01/04(日) 09:32:58 ID:p..UGkhA
a hopeさま

レス、有難うございます。a hope様、私は雅宣先生の本なぞ読む気は全くありません。

だから、総裁の本のせいではありません。現象無し、実相独在 を必死に読んでます。しかし、今まではあまり読んで無かったのです。

なんとなく「解ってる」と思ってたからです。でも ちょっと壁にぶつかる出来事がありまして

その途端、現象にとらわれてしまいました。何にも解ってませんでした。

現象無し が真理だと解っていながら、現象につらい事があると、現象にとらわれてしまったんです。で、今、おくらばせながら必死に読んだりワードに移したりしてます。

今更、『現象あり』の仕方で解決しようとしたり、あるいは「現象有」の普通ぽっちの考え方で生きて行ったんでは、なんのために20年

やってきたのか解りませんし・・ a hope様みたいに、毎日、毎日真理に触れていきます。有難うございました。

4961a hope:2015/01/04(日) 22:12:38 ID:cEpBaIdo

 「生命の實相」第15巻 p101 後から4行目〜

谷口――それもけっこうですが、宗教というものは、お経や聖書の講義の中にあるのではありません。むろん、お経や聖書には真理が書いてある。だからはなはだありがたいのです。しかしその解釈にいたっては、その人、その人のサトリによっていろいろに解釈されるのであります。

親鸞聖人と日蓮上人とはいずれ劣らぬ名僧でありながら、釈迦のお説きになりました仏法を全然ちがうように解釈された。親鸞聖人が「ただ念仏さえとなえればほかの行は何一つせいでもよい」と言われると、日蓮上人は全然反対に「念仏など称えていると無間地獄へ堕ちるぞ」と言われた。

どちらもえらい名僧で学問は衆に秀でている。どちらもお経の一字一句の意味が解らぬという人ではない。それだのにお経の説き方は全然別になった。だからお経の一字一句がわかったとて、本当のサトリが得られるにはきまっていないのです。

日蓮上人の説き方が正しいのか、親鸞聖人の説き方が正しいのかは、日蓮上人、親鸞聖人以上の名僧でないと判別することができない。本当のサトリというものはお経の語義の中にあるのではない。

あなたは「一燈園は宗教ではない」と言われましたが、一燈園でも立派な宗教です。「生長の家」もまた見方によれば宗教です。宗教というものはお経の文字の講義をしたり講義を聴いたりすることではない。道に随った生活をするのが宗教的生活で、道というものを指し示す教えが宗教である。

道は必ずしも何々教というものの中にはない。何々教という立派な名義の中にいて、お経やバイブルの講義をどんなに立派にしても、道をはずれた行いをする人は宗教家とはいえない。それは宗教業者です。既成宗教はだめだという声が聞こえるのもそのためである。既成宗教がだめなのではない、宗教業者が宗教を形ばかりにして生命のないものにしたのです。

これに反してお経の一字も解釈しえないでも、道にかなった行いをする人は宗教生活者です。だから宗教の開祖にはずいぶん無学な人が多い。天理教祖でも、金光教祖でも、大本教祖でも、みんな無学である。無学の人が「道」にかなった行いをした。そこで無学の人と、天地に満ちている「道」とが一体になった。そこで「道」というものが、その無学の人を通して真理の響を奏でる、これが宗教(おしえ)というものです。

教祖が無学な場合には、一絃琴(いちげんきん)のような簡単な言葉で「道」を説かれた。しかし「道」というものは、天地にミチ、すべての人の真心の内にミチているので、真心をハッキリさせている人なら必ず共鳴する。そこで多数の人々が共鳴し信者となって集まって来る。

集まった人々の中には学者もあれば、教祖が簡単な単純な言葉で伝えられた「道」をいろいろ学者ぶったありがたそうな複雑な言葉で説明する。そこで表面はますます厳めしくなり、立派になってくるけれども、それを説く人の生活が道にかなわないと、だんだん、本当の「道」が奥の方に埋もれてくるのです。

はじめに権威のあった宗教がだんだん権威がなくなってくるのは、たいていそういう経路をとるものです。

4962a hope:2015/01/04(日) 22:17:21 ID:cEpBaIdo

>>4961 a hope 所感と提案)

この雅春先生のお話の前に、宮岸さんという方がお話をされています。
その内容を要約すると「自分は宗教が好きであるから、聖書の講義を聴いたり、仏典の講義を聴くとかして、本当の安心の深い生活をしたい。以前「一燈園」に入ろうとしたが、「一燈園」は宗教でないからやめた。自分の家の近くにお寺があるので、そこのお経の講義を聴きに行かせてもらおうかと思っている」というものです。
それに、雅春先生が答えになったものが、上に謹写した内容です。


『何々教という立派な名義の中にいて、お経やバイブルの講義をどんなに立派にしても、道をはずれた行いをする人は宗教家とはいえない。それは宗教業者です。』

『集まった人々の中には学者もあれば、教祖が簡単な単純な言葉で伝えられた「道」をいろいろ学者ぶったありがたそうな複雑な言葉で説明する。そこで表面はますます厳めしくなり、立派になってくるけれども、それを説く人の生活が道にかなわないと、だんだん、本当の「道」が奥の方に埋もれてくるのです。
はじめに権威のあった宗教がだんだん権威がなくなってくるのは、たいていそういう経路をとるものです。』


これって、今の「生長の家」教団のことなのではないでしょうか?
「生長の家の教え」を説いて下さっている、総裁や副総裁がご家族や本流の先輩方と和解してくださらなければ、
本当の「道」はどんどん奥の方に埋もれ、「生長の家」の権威もどんどんなくなってしまうということですね。

それ以前に、創始者である谷口雅春先生の残された聖典「生命の實相」のない「生長の家」教団は、もはや宗教団体とは言えないのではないかとも思いますが・・・。

これはわたしの個人的意見ですが、「生長の家」教団はいっそのこと、宗教法人からNPO法人か何かに方向を転換されたらいいのではないのでしょうか?

その方が「生長の家」教団の職員の方々や信徒の方々も、いろんな意味で救われるような気がします。

そうすれば、全信徒に「信仰の自由」が戻ってきますからね。
誰に遠慮することなく、雅春先生の説かれた万教帰一の「生長の家の教え」を信仰できるわけですから・・・。

雅宣先生、教団本部の方々、もしこの掲示板をご覧でしたら一考してみてください。

4963a hope:2015/01/06(火) 11:01:18 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第1巻 p139 後から6行目〜

われわれが未来の不幸を避けるためには、その不幸を予知する霊感などいくらもっていてもなんの役にも立たないのであります。予知された未来はすでに起こりずみであるからそれを取り消す道がない。それを取り消そうとあせるのは活動写真の映写機に一定の事件のフィルムをかけて活動写真を写しながら、舞台面の映画を消しゴムで消そうとするのと同じ愚であります。

現実世界という舞台面にこんな事件が映ってはいかぬと思うならば、「念のフィルム」にそんな事件を撮影しておかぬがよろしい。他のひとびとが集まってそういう事件の「念のフィルム」を合作しそうであったら自分だけ「類でないものは反発する」という法則によって、そのフィルムに入らなければよろしいのです。「類でないものは反発する」という法則によって、そのフィルムに入らなければよろしいのです。「類でないものは反発する!」これこそわれわれが悪運を避ける唯一の法則であります。

悪い事件の映っている「念のフィルム」に自分だけ映るまいと思うならば、自分の生命に、その悪い事件と親和し、互いに引き合うようないろいろな心持ち――暗い心持ちとか、鋭い心持ちとか、心で人を刺す性質とか、窮屈で人をいれない性質とか、恐怖の感情とか、取り越し苦労の感情とかを捨てて朗らかな、明るい、愛深い、人を咎めない、赦しの深い、寛大な、平和な、落ちついた、角のない、円満な、自信のある、自分を神の子として神と一体であると信ずる心を養成すればよいのであります。

これだけの心の準備ができるならば、自分の周囲にどんな不幸な事件が起こって来ても、自分だけはその不幸な事件の映画俳優の一座に加えられず、一緒に不幸の分け前を味わわなければならぬようなことはなくなるのであります。
(つづく)

4964a hope:2015/01/06(火) 11:02:30 ID:cEpBaIdo

>>4693 a hope まとめと所感)

●【悪い心持】 = 暗い心持ちとか、鋭い心持ちとか、心で人を刺す性質とか、窮屈で人をいれない性質とか、恐怖の感情とか、取り越し苦労の感情 
→ 病気・不和・不幸がおとずれる

○【良い心持】 = 朗らかな、明るい、愛深い、人を咎めない、赦しの深い、寛大な、平和な、落ちついた、角のない、円満な、自信のある、自分を神の子として神と一体であると信ずる心 
→ 健康・調和などの幸福がおとずれる


光明思想って意外とその仕組みは単純なんですよね。
でも、それがわかっていながら、なかなか感情をコントロールできないのがわたしたち現象人間なのだと思います。

4965a hope:2015/01/07(水) 09:24:55 ID:cEpBaIdo

>>4963 つづき 第1巻 p140 後から4行目〜

こう申しますと、なかなか繁雑な種類の心の修養をしなければならぬようで、この忙しい世の中に、とてもわれわれは実行できそうにないと思われる方もあるかもしれませぬが、これを一つの根本原理に還元しますと、決してこの修養は皆さんの想像されるほどは繁雑なものではないのであります。

この修養の根本原則とは、「自己が神の子であって、自己の生命は神の霊である」との事実に目覚めることであります。この事実に目覚めるときわれわれは心の根本において神の無限力に生かせれていることを感じますから、おのずから心が朗らかになり、明るくなり、寛大になり、円満な、平和な、恐怖心のない、取り越し苦労をしない人間になり、したがってどんな不幸も自分の側を素通りして近づかず、幸福ばかりが引き寄せられて来る心的磁石となるのであります。

では、「自己が神の子であって自己の生命は神の霊である」という事実に目覚めるにはどうしたらよいかという一つの秘訣を申しますと、常に言葉の力で「わたしは神の子である」という思想の種子(たね)を自分の心に植えつけるようにするのであります。

道を歩く時にも「神の子が今歩いている」と低声(こごえ)でいって、その言葉のとおりに思って神聖な罪にけがれない「本物の自分」を心に印象するようにします。往復の電車に乗っている小さな暇を利用しても「私の真性は神である。神こそ本当のわたしである。だからわたしは恐れない」と自分だけに聞こえる声で自分自身にいって聞かせます。

人に面会する前にも「わたしは神である。神がわが父である。父と子とは一体であるからわがなすは父がなし給うのだ」と言葉にだして数回繰り返して自分にいって聞かせて心に自信力を植えつけてから会うようにします。すると、その一回の面会には失敗してもだんだん人に面会するのに自信ができ、やがてはすばらしく成功するようになれます。結果を急いではなりません。

要するに「神と我とは父と子との関係であって自分は神の無限力に後援されている」という意味のことばを、暇あるごとに、機会あるごとに、言葉の力で、自分自身の心の奥底にたたみこむようにするならば、この自覚の深まるにしたがって運命が開けてくるようになり、神我一体の真理がいよいよ深く心の底に目覚めて、心全体が照り輝くようになりますと、「類をもって集まる」の心の法則によって、どんな時にも明るい運命ばかりが自分に吸い寄せられて来るようになり、もう前途の予感力が欲しいなどという欲望もぜんぜんなくなってしまうのであります。

なぜなら、もうその人は運命に対して不死身となり、何事が起ころうとも自分にとって悪いことは一つとして起らないとの大確信に到達するからであります。確信は「念の世界」における運命のひな形で、この世の出来事はすべて、このひな形のとおりに出てくるのであって、悪い確信をもてば運命が悪くなり、善い確信をもてば運命が善くなることは免れがたい事実なのであります。

4966a hope:2015/01/07(水) 09:26:58 ID:cEpBaIdo

>>4965 a hope所感)

「自己が神の子であって、自己の生命は神の霊である」
「わたしは神の子である」
「神の子が今歩いている」
「私の真性は神である。神こそ本当のわたしである。だからわたしは恐れない」
「わたしは神である。神がわが父である。父と子とは一体であるからわがなすは父がなし給うのだ」
「神と我とは父と子との関係であって自分は神の無限力に後援されている」


現象世界は影の世界で、実際には存在しない世界なのに、わたしたちはその影の世界で起こる出来事に、いつも一喜一憂して生きているのですよね。

今朝、信仰体験板に謹写した「今を感謝する祈り」に、

<<神は私を?神の子? として、自分の心も魂も体も、
ともに最も、勉強になり鍛錬になる場所で私を訓練していてくださるのである。
この訓練は神さまの愛から来ているのであるから、
今私はどんな場所におかれても感謝し、
どんなことを命ぜられても素直に今の仕事を感謝してていねいに深切に実行するのである。>>
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/2517

とありました。

わたしは、独身時代、自分の人生を恨み続け、神の存在を否定し続けていました。

わたしは、いつも心穏やかでいたいのに、自分の周りの人々となかよく暮らしたいのに、どうしてこんなにも辛い出来事をわたしに与えるのですか?

神よ、あなたは、どうしていつもわたしの希望を打ち砕くようなことをするのですか?

神さまなんている筈がない、いたら、こんなひどい仕打ちをわたしにする筈がない、もしいたら、怨み続けてやる!と、

そして、その「神を信じられない」という苦しみが頂点に達した時に経験したのが「幽体離脱」でした。

自分の肉体から魂が抜けて、小さなアパートの部屋の天井に張り付き、自分自身の体がベッドに横たわっている姿をハッキリ見ました。

その時は、その意味が全く解りませんでしたから、気が動転してしまいましたが・・・
その後は、不思議に心が落ち着き、自然に精神世界に目覚めていくようになりました。

今から思えば、あの耐え難い苦しみは、神さまがわたしを信頼し、愛してくださっていたからこそ与えて下さった、訓練だったのですね。

そして、本当に神を否定しきった時、神さまが?肉体は本当のあなたではない? ということを「幽体離脱」させることで、教えてくださったのだと思います。

本当に、すべて出来事に意味があるのですね!

4967a hope:2015/01/07(水) 09:35:36 ID:cEpBaIdo
>>4966訂正

?神の子? → 〝神の子〝
?肉体は本当のあなたではない? → 〝肉体は本当のあなたではない〝

4968るん吉:2015/01/07(水) 21:26:27 ID:p..UGkhA

現象の自分 今、心が苦しい状態。・・としても・・

本当の自分は、今も心が明るくて明るくて、感謝しててハッピーなのさ。と・・

4969るん吉:2015/01/07(水) 21:36:21 ID:p..UGkhA
幽体離脱されたんですね?凄い体験ですね。


a hopeさんは、いつもいつも自分が神の子だって頭の中にというか心の中に

有るんですね。それから、一日も雅春先生の御本を読まない日はないのですね!

そこまで、市内とだめですね。自分もこれからそうします。

4970a hope:2015/01/07(水) 23:23:53 ID:cEpBaIdo

>>4968 4969るん吉さま

わたしは、聖典「生命の實相」に出会う前から、精神世界に興味がありましたし、
気功をやっていたので、幽体離脱とは別に、小周天が回るという不思議な体験もしています。

そのような体験をしてみると、実感として肉体以外の何かが自分だと思えるようになるのかもしれませんね。

ですが、生長の家の教えである「現象は影」「物質なし」という感覚が実感として感じられてきたのは最近です。

それでも実際には、わたしは現象世界で生活しているわけですから、
子供のことなんかで色々な心配事もありますし、時には、不安で眠れないような時もあります。

ですが以前にくらべ、感情的に激しく怒ったり、悲しみが長く続いたり、誰かを恨んだりするようなことはほとんどなくなってきました。
本当にありがたいことに「神の子」の自覚が深まってきているからだと思います。

「生命の實相」を拝読していても、以前よりずっと理解できるようになってきています。


神さまがこの現象世界にわたしたちを投影してくださり、自由を与えてくださっているというのは、
神さまの深い愛情なのだったというのは、今朝、「希望の祈り」を謹写していて気づきました。

ですから、毎日「真理の言葉」に触れていれば、必ず進歩していくと確信しています。
大切なのは継続することですよね!


それから、

<<現象の自分 今、心が苦しい状態。・・としても・・
本当の自分は、今も心が明るくて明るくて、感謝しててハッピーなのさ。と・・>>

という、るん吉さまのお考え方は、ちょっと違うような気がします。
わたし的に解釈させていただければ、そのお考え方は現象・実相の二元論になってしまっているのです。

今のわたしだったら、

『現象の自分 今、心が苦しい状態の自分なんてないんだ!
こんなふうに心が苦しんでいるように感じてしまうのは、自分が現象に捉われているからなんだ!
自分は神の子だから、いつも神さまに護られていて、完全円満なんだった、ありがたいな、幸せだな〜』

とこのように、実相一元に気持ちを切り替える努力をすると思います。

あくまでも、わたしのやり方ですが・・・

それでは、るん吉さま、みなさま、おやすみなさい。

4971a hope:2015/01/08(木) 17:35:34 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第1巻 p182 3行目〜

われわれは赤ん坊をいっぺんに大人にしてしまうわけにはゆかないのであります。それと同じように皆さんの心のうちを、いっぺんに太陽のような「真理」の光でくまなく照りかがやかしてしまうということはできないのであります。

そこで本書または月刊『生長の家』を毎号繰り返し暇さえあれば読んでくださるようにしていただければ、しだいに皆さんの心の中(うち)に「真理」という偉大な太陽の光線が強く照り輝くようになる。すると、病気はむろん、どんな生活苦でも自然に消滅するようになるのであります。

それから、神想観の修行も一日一回はぜひ怠らぬようにしてくださると、いっそうすみやかに心の奥底に真理をかがやかすことになるので、効果も早いのであります。この坐法や観念法は『生命の實相』全集第四巻観経篇(頭注版 第八巻)に詳記してありますからご覧のうえ実修してくださるようにお願いいたします。

4972a hope:2015/01/08(木) 17:36:18 ID:cEpBaIdo

>>4971 a hope所感)

あらためて「生命の實相」第1巻を読み返していますが、やはり「生長の家の実相哲学」の基本がそこにあると思いました。
生長の家は発祥当初は宗教ではなく「哲学的思想運動」だった訳ですが、わたしは「生命の實相」全巻を通読してもあまり宗教色を感じません。
むしろ、「光明思想」(ニューソート)というイメージが強いです。
だからこそ、「生長の家」は世界中に広がったのだと思います。

4973るん吉:2015/01/09(金) 04:04:31 ID:p..UGkhA
a hopeさま
>>今のわたしだったら、

>>『現象の自分 今、心が苦しい状態の自分なんてないんだ!
>>こんなふうに心が苦しんでいるように感じてしまうのは、自分が現象に捉われているからなんだ!
>>自分は神の子だから、いつも神さまに護られていて、完全円満なんだった、ありがたいな、幸せだな〜』

>>とこのように、実相一元に気持ちを切り替える努力をすると思います。

>>あくまでも、わたしのやり方ですが・・・


あ、そうですねー!!きゃー 保存しよっ!そうか・・

現象に確かにとらわれてます。有る場面を想定して、考えて苦しい感情が勝手にでて・・・

でして・・

でも、このるん吉はいないんですよね。はー良かった!有難う!

では、寝ます。この頃寝れないんです。現象にとらわれて・・です・・・(´・ω・`)

4974るん吉:2015/01/09(金) 04:12:26 ID:p..UGkhA
a hopeさま

しょ、小周天てちょっとこ、こわい。すごいですね。

あれ、まかり間違うと危険やし・・気がくるくる頭の方までですね?まわって

どうなりましたか?あと、尾てい骨の辺から背中にかけて熱いのが上にいったりとか?

 もし、よかったら教えてくださいね。私はそういう気功教室も行った事あったんですけど

その先生のお説が「物質有」でしたからその日で辞めました。(イケメンでもったいなかった)

4976a hope:2015/01/09(金) 19:51:34 ID:cEpBaIdo

>>4973 るん吉さま

わたしの考え方に、共感してくださりありがとうございます!

わたしが、雅宣先生や純子先生のご著書やブログを拝見していて感じることは、
お二人が、現象・実相の二元論を説いていらっしゃる、ということなのです。

雅春先生や他の直弟子さんのご文章は現象のことを書いてもあっても、必ず「その現象はない」と否定されているのですが、
お二人の場合は、「実相世界は完全円満・・・だけれども、現象にはこういう問題がある・・・だから、神の子らしく現象問題に対応していきましょう」
という、お考え方をされてしまっているのです。

だから、現在、多くの教団の信徒さんも、そのご思想の影響を受けてしまっているのではないかと感じています。

ですが、雅春先生は、そういう「現象あり、悪あり」という考え方は「虚説」であるとハッキリ聖典に説かれていますよね。


ところで、るん吉さまは気功や精神世界に興味をお持ちのようですね。

確かに、小周天を回すのは、危険が伴うと思うので、必ず信頼できる気功師に指導を受けた方がいいと思います。
わたしの気功の先生はその数年後に亡くなってしまってしまったのですが、途方に暮れていた時に、出会ったのが聖典「生命の実相」でした。

神さまが導いてくれたのですね!

体験談、聞きたいですか?
うーん。でも、やっぱり、ここには書けませんね(笑)

4978るん吉:2015/01/10(土) 15:40:57 ID:p..UGkhA
a hope さま

れす、サンキュです。
>>実相世界は完全円満・・・だけれども、現象にはこういう問題がある・・・だから、神の子らしく現象問題に対応していきましょう」

こりゃ、総裁は二元論bんですね。現象はあるとしての解決の仕方ですね。ふむふむ。

ただ、自分もちょっと今難しいのは、「病気の問題ならね、実相の私は健康で・・云々」て
考え方が解るんですけど(それも難しいけど)ちょっと会社の悩みの場合は、どういう風に考えたら良いか、解らない・・です」

今の悩んでしまってる感情も、「るん吉なぞ本当の我でないのだ。(この物質人間るん吉は情け無い事にすぐ悩んじゃう。)本当の我は神の子で、今も悩んだりしてないし
感謝で一杯で心も明るい神の子。そして本当の我の存在する世界も苦しみもない完全調和してる世界なんだ。
現象なんか無いのだから、無い現象にとらわれないでいたら、ホントの調和してる世界が現れてくるんだ。」て
そう思うようにしてるんですけど・・
ただ、今の会社の状況が実際につらいので、それが無いにしても、実際はそこで仕事をしてるので心が苦しくなったりするので
その嫌な出来事に対する考え方を「実相独在、現象無し。と心に持っていながら、同時にその現象に対する考え方を
何とか替えなくてならないですよね。
「例えば、嫌な面ばかり見ないで、恵まれてる面をみよう。例えば仕事が有るだけ有り難い等」とか
「人の嫌がる仕事をするのを押しつけられたとしても、いやいや自分の仕事だけしてるよりも、
人の為にする機会が有ることが、却って良いじゃんか」とか、まあ無理やりに考えてます・・
(ほんとは、自分勝手な輩に対して、腹立ってたり、悔しかったりしてるんですけどね。)

このやり方で、良いのかな・・解らなくなってきた・・2元論になってるのか?
現象無し、実相独在の信じ方が、浅いので現象に対して(無いのに)悩んでしまってるんでしょうね?
へたくそな言い方でごめんなさい。

4979a hope:2015/01/10(土) 20:30:13 ID:cEpBaIdo

>>4978 るん吉さま

るん吉さまは、今、職場の人間関係で悩まれていらっしゃるのですね?

実はわたしも今の職場に転勤する前は、最悪の人間関係の中で働いていました。

わたしは、当時は新人だったので、いわゆる、〝新人いじめ〝 ともいえるような扱いを受けていたのです。

ですが、当時はすでに聖典「生命の實相」のお勉強していましたから、すべてが人生勉強だと思えましたし、
また、その意地悪な先輩たちの姿を自分自身の心の鏡であると反省するようにも努め、
毎朝の神想観の時にその人達に感謝の祈りをさせていただいていました。

それなのに、わたしがいくら反省しても、感謝の祈りを捧げても、その方たちは殆ど態度を変えることはなく、
むしろわたしへのいじめは悪化していきました。

たぶん、わたしがどんな仕打ちを受けても不平もいわず平然としているので、余計に頭に来ていたのかもしれませんね。

特定の誰かに対する「祈り」はいつもすぐに叶うとは限らないのかもしれません。

雅宣先生にしても、今まで、たくさんの信徒の皆さんが「実相顕現の祈り」をされているのだと思いますが、
現象のお姿は、いつまでもご兄弟とすら和解されようとしませんし、本流復活の先輩方とは延々と裁判を続けるなど、
とても実相を顕現されているお姿だとはいえませんものね(-_-;)

ですが、わたしはそんな不遇な扱いにも負けず、明るく自分のできることを精一杯していましたら、
そんな姿を遠くから見ていてくれて、評価してくださっていた方がたくさんいたんですよ!
もちろん、神さまも見守っていてくださったわけですが・・・。

だから、ありがたいことに、去年の4月からは人間関係の素晴らしくよい仕事場に転勤になり、
お給料もそれまでの2倍近くもらえるようになりました。

大切なのは、祈りの効果が現象にすぐに現れなくても、相手に感謝し続けることなのではないでしょうか?

相手には相手の業因がありますから、こちらがどんなに祈っても現象の姿がすぐに変わるということはないかも知れませんが、
自分自身が本当に心から相手に感謝できたとき、自分自身の環境は変わる(良化する)のだと思います。

わたしが辛いと感じるときに、心の支えとなっている聖典の文章を紹介させていただきますね。
すんなり受け入れるには、なかなか厳しい真理かもしれませんが・・・。

○どんな苦労があっても、因縁によって世話させて頂いていると思えばありがたいばかりの一筋である。
人間は他のために苦労させられているのではなく、自分の魂を高め上げ、
清め上げるための修行として苦労を恵まれているのである。
学校は先生のために勉強するのではなく、生徒自身の向上のために勉強するのである。
人生は魂の勉強する学校である。
苦労は教科書であり、苦労させてくださる人は皆自分の先生である。
われわれは苦労させてくださる人に感謝して拝まなければならない。
これが解ったら世の中にありがたくないものは一つもないのである。
これが解ったら人生は幸福なばかりである。
豚なら幸福とは快楽のことだと思っているかも知れぬが、本当の人間は苦労の中に喜べるものである。

「生命の實相」第8巻 観行篇 p15より

4982るん吉:2015/01/10(土) 21:38:05 ID:p..UGkhA
a hopeさま
すごいですね。実相が現れたんですね!
私はa hope様のように相手に感謝し続けれるかなぁ?グッとくる文章を読んだときは、感激して感謝できても
普段ずっとは難しいかな・・・でも常にグッとくる文章を読み続けていくことにします。
a hopeさんが貼ってくれた8巻の文ですが、

有難うございます。第8巻の文章は 私が探していた文章です。この頃生命の実相の
8巻は全然読んで無くて、解らなかったんですけど、苦労が有っても因縁・・そんな文章が
どこかにあったなあ。と思ってました。有難う。自分にピッタリ。ワード行でつね!あと、去年の暮れからワードに
写す作業をしていた時に見つけた文で、訊けサンがむか〜し書いてくれた文です

『人生は常に公平というわけにはいかないかもしれません。
しかし、醜い自己憐憫のマントをまとっていては絶対に勝てないし、
泣きごとの不快な響きは成功のチャンスを必ず追い払います。
そんなことはもうやめましょう。もっと良い生き方があるのです。』


ひとつ、ふたつの不平部分ばかりに、意識を向けてたら、他の沢山の恵まれている部分を見失ってしまう

ですね。本当に本当にありがとうございました。

4993るん吉:2015/01/11(日) 03:57:06 ID:p..UGkhA

4986 :自分が非難されるとすぐに削除他人の手を利用して非難するトキ:
                        2015/01/11(日) 01:24:57 ID:37HVEq.c

この>>4986から>>4992は曳馬野はんの貼り付けか・・

こんな貼り付け方したら、一瞬 私が「トキ」と呼び捨てにして書いたみたいになって

非常に迷惑!!うのはんと同じですね! 貼り付け方のルールを勉強しいや!

4994るん吉:2015/01/11(日) 04:05:56 ID:p..UGkhA
>>馬
>>これ「ブルンジ」経由 法的には誰が書いたかまず調べられない そういうことだよ誰が書いたかわからないと云うことは るん吉君


法的なぞ、どうでも良いよ!法的に調べる事なんざよっぽどの時だから。

法的にばれなくても、既に、あなたの「うのはなはん擁護」と「要支援2の取得方法も知らないくせに要支援2と言ったり」

等で、書込みをみれば、「あ、これ馬だ」とばれてます。その方が滑稽じゃん。

4995「訊」:2015/01/11(日) 07:01:11 ID:???



>>トキ理事長

 さて、敬愛する谷口雅春先生ですが「その先生を顕彰する誌友会スレ」です。そこに寄せられるバカな投稿ですが ―― いや、ズバリ書こう「バカである」と ―― 削除してください。騒ぐようなら私が鎮火、致します。先生の御前で汚物をばら撒く者や、汚物をばら撒いておきながら「私に発言を許さない」とか言う者、さらには、「私と和解できてイナイ」とか言う者・・・・・・そんな者あらば当方が、

 正 々 堂 々 と 論 破 

 致します。

 ですんでどうぞ、バカな投稿はすべて削除ください。私が責任持って論破、しますんで。



4996「訊」:2015/01/11(日) 07:09:17 ID:???


 再度言う。

 私が正々堂々と論破するから、かかって来なさい。

 新年からわずか11日目だと云うのに、この荒れ具合・・・・・当方は既に貴殿へ向けて、降魔の文を振るう覚悟だ。雌雄を決しようではないか。

5006a hope:2015/01/11(日) 12:04:49 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第15巻 p117 9行目〜

谷口―― (略)
(p120 7行目〜)
聖典『生命の實相』や『甘露の法雨』を読んで、「人間は本来、神の子であって病気は無い」という真理を知れば胃癌でも治るというのは、病気は無いと知れば病念がなくなる、病念がなくなれば病念が形をあらわしていたところの病気そのものが消えるのは当然です。

「生長の家」の聖典を読んでも世間並みの考えの方をヨリ強くもっていられると、病気の念をもっていることになるので、その病気の念が、形の世界に顔を出して病気としてあらわれて来るわけですから病気は治らないのです。念でおもえば、念のとおりに自分に形をあらわすのが、自分の肉体とか境遇とかいうものですからねえ。

だからわたしは人に言うのです、『生命の實相』や『甘露の法雨』の聖典は幾回でも交替に繰り返して読むべきものであって、一回ぐらい読んで書いてあることの意味だけが解ったくらいでは駄目なんです。読むたびごとに自分の病念を破砕して、最後の無にまで、その病念を破砕しきったとき、忽然(こつねん)とその病気が消える。あるいは今後病気にかかるという可能性がなくなるのです。

映画の例でいえばフィルムに病気の絵が全然なくなったとき、舞台の方でも病気の映画が消えるのと同じです。だから心のフィルムに描かれて潜在している病念がことごとく完全に消え去るまでは、幾回でも繰り返して読んでいただけねばならぬのが「生長の家」の聖典であります。


野田――肉体が念(こころ)の顕現であるということを知るのはなんといっても体験ですね。わたしは近ごろひどい病気もしませんがちょっとした病気になったときに谷口先生のいわれる原理を応用して、精神統一をして自己生命の本来の病気のない状態を念じていますと、ある時間後にその念(こころ)のとおり肉体が健康になってくるのでその体験を得ています。

他人の病気を治すときには病人と両手をつなぎ合わして対坐(たいざ)して精神統一していると病人の幹部と同じ場所の自分の肉体に感応があります。その人の病気がお腹ならば自分のお腹にその病的波動を感じて変に痛くなってきたりするのです。

ところが、その痛みは実際にはない、病人の痛いという念(こころ)の波動が自分に感応しているのですから、今度は「病気はない、痛みはない」という観念に精神を統一していると「病気はない、痛みはない」という念の波動の方が、「病気は在る、痛い」という念の波動にうちかって、痛みが感ぜられなくなって恍惚としてきます。するとその病人の方の痛みもとれて、軽い病気なら一度で治ってしまいます。

この体験でも、病気というものは念の波動のアラワレであって念の波動が自己本来の無病状態にかえれば治るということがわかりますね。・・・

5007a hope:2015/01/11(日) 12:06:58 ID:cEpBaIdo

>>5006 a hope所感)

ここでの雅春先生と、野田氏の会話はわたしには非常に興味深いです。
というのは、わたしはこの野田氏の体験と似たような体験を過去に何度もしているからです。

自分に病気治療の能力があると思ったことはありませんが、亡くなった気功の先生からは、お世辞かもしれませんが、
「○○ちゃん(わたし)は、一緒にいるだけで周りの人を健康にする『気』の持主なんだよ」と言われていました。

ですが、「あなたみたいな体質の人は、常に神さまと繋がっていないととんでもない危険な(悪?)道に外れてしまう可能性があるから、
「神との対話」みたいな、真理の書かれている良質な本をいつも読んでなきゃだめですよ」ともいわれていました。

わたしは、『生命の實相』は「神との対話」以上の聖典だと思っています。

そして、<<「生長の家」の聖典を読んでも世間並みの考えの方をヨリ強くもっていられる>>ような、雅宣先生や純子先生のご著書や祈りの言葉は、
「生長の家」の「病なし」「罪なし」「迷いなし」の根本真理を眩ませて、信徒を迷わせる「虚説」であると確信しています。
(a hopeの個人的な見解です。)

5009a hope:2015/01/11(日) 12:31:27 ID:cEpBaIdo
>>5008 「訊」さま

「虚説」は本来ない説だからこそ、わたしたちはその説に和解してはいけないのだと思います。
いかがでしょうか?

5012a hope:2015/01/11(日) 13:25:52 ID:cEpBaIdo

虚説に和解してはならぬ

 虚説の中でも、最大の虚説は「物質はある」という見解であります。『生長の家』誌友の中で近ごろ脱線して「物質もある、心もある」という二元論に誘惑されたり、「現象も真我のあらわれである」という説に惑わされたりした人がありました。その理由は、われわれは天地一切のものと和解しなければならないから、「物質はある」という説とも和解したとき、本当の真理がかえってわかるのだという理論から、虚説に対しても一応は耳を傾けなければならないというわけだったのであります。われわれは天地一切の実在(もの)と和解しなければなりませんけれども、虚説に対して和解してはならないのであります。「人は二人の主に事えることはできない」という諺があります。虚説に和解したら実相をくらますことになります。実相をくらませばみずから迷うことになるのであります。迷えば迷いの影を現象界にうつして、現象界がままならぬ相(すがた)にあらわれてくるのであります。

 「物質もある、心もある」という二元論に引っかかって、現象界が変にみだれて集金が集まらなくなったり、商売がうまくゆかなかったり、歯痛(はいた)が酷くなった数氏の実例は、かつて『生長の家』に書いたとおりであります。

 最近また「真我も迷う」の妄説に引っかかって、絶えて久しく煩わなかった頭部の湿疹になやまされて、すんでのことに医者にかかりそうになった時、初めて気がついた人があります。それは最近「生長の家」の説を受け売りして、少しばかり異色を見せて独立しようとして「迷いは真我より起こる」と発表した某々氏の雑誌を読んで、その妄説にまどわされ、真我は迷うものやら、迷わぬものやらわからなくなって、心が迷って、「本来清浄の実相」を見ることができなくなったことに原因するということを知り、神想観をして、本来迷わぬ「本来清浄の実相」を観ることを努めたところが、その頭部の湿疹が癒ってしまったという報告を受け取りました。

 「生長の家」の家族となり「真我は神であり、本来清浄の実相である」ということを知らされながら、時々そういう異端邪説に耳を傾けるようになるのが、これいわゆる「試みに逢わせられる」のであり、「引っかけ戻しの仕組み」であります。精神統一せんとすればするほどかえって雑念が浮かぶのと同じであります。この時に雑念妄想の方に心を傾けたら永久に精神統一しがたいのと同じように、この時に異端邪説に和解して耳を傾けたら、自分の実相が昧まされ不幸があらわれるのであります。

 「なんじの敵を愛せよ」といったイエス・キリストさえも、「サタン」に対しては和解していないのであります。イエスが四十日四十夜、精神統一の修行をしている時、そこに幻のように現われたサタンに対しては、イエスはそのサタンの邪説に耳を傾けようとしないで、「神を試むべからず、サタンよ退け、主なるなんじの神を拝し、ただこれのみに事(つか)うべし」と、一喝しているのであります。この場合、サタンとは異端、邪説、妄説、妄想、雑念のことであります。「ただ神のみ――ただ実相のみを観よ」ということが、「主なる汝の神を拝し、ただこれのみに事うべし」ということです。そのほかの妄説妄想には決して和解して、耳を傾けてはいけない。ただ「サタンよ、去れ」と一喝しているところに、イエスの示されたる「サタンに和解すな」との範例をわれわねは見なければならないのであります。

以上、「訊ブログ」より転載させていただきました。感謝 合掌。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65589252.html

5013a hope:2015/01/11(日) 13:27:24 ID:cEpBaIdo

>>5010 「訊」さま

<<『生長の家』誌友の中で近ごろ脱線して「物質もある、心もある」という二元論に誘惑されたり>>
とありますが、わたしは、まさに、雅宣先生のご思想がこの二元論なのだと思っているのです。

二元論に惑わされてしまっている「生長の家」の総裁のご著書を読むことで、
その総裁に中心帰一を強いられている信徒も同じく二元論に惑わされることにならないでしょうか?

つまり、無意識に、自分の意志とは別に、「虚説」をつかまされてしまうのです。
実際、わたしも入信した後、その経験をしているのです。

それだけ、「生長の家」総裁としてのご発言は重大なのです。

わたしは、どう考えても、雅宣先生や純子先生が「生長の家」の聖典「生命の實相」の実相独在の真理を体得されるまで熟読されているとか思えないのです。


「訊」さま

わたしは、自分の主張を押し通したいからこの掲示板で雅宣先生や純子先生を批判しているのではないのです。

一日も早く、本来の「生長の家」の教えの素晴らしさを思い出していただき、本来の「生長の家」あるべき姿に戻していただき、
生長の家総裁副総裁として、本来の「人間神の子」の真理を伝える「人類光明化運動」を指揮していただきたいと願っているからなのです。

ですが、もちろん、わたしの方が野狐禅である可能性はあります。
ですから、わたしの見解へのご指摘、ご批判、なんでも素直にお受けする覚悟はできています。

5014a hope:2015/01/11(日) 13:35:52 ID:cEpBaIdo

>>5011 「訊」さま

雅宣先生は、〝現〝 生長の家総裁です。

今、現在もブログでご自分のご思想を信徒に向けて発言し続けておられます。

わたし自身の経験したことだけでいえば、それは過ぎ去った過去の話ですが・・・。

5016a hope:2015/01/11(日) 14:19:29 ID:cEpBaIdo

>>5015 「訊」さま

<<*「物質もある、心もある」という二元論と云うその物質もなく心もないのが生長の家ではないですか?唯物論でもなく唯心論でもなく
 唯神実相論であると云われている。にもかかわらず『二元論』なんて端から存在しないものを言揚げする先生は?>>


確かに「唯神実相論」が生長の家の中心真理だと思いますが、「唯心所現」も横の真理として雅春先生は説かれていましすよね?
『二元論』に関するご説明は、そちらの真理に関わっているのだと思います。
わたしは「人間の我の心はない」でも「神の子の心はある」と信じています。



<<*そのない心で一瞬に体験した、全て体験したと云う夢の中の出来事、人間の生死と同じ、生まれたことも死ぬこともない人間が、
生まれて死ぬと云う夢を見ている。あなたは生まれていろいろ体験していると思っているでしょう。そしていつか死ぬと。
生死が夢ならばすべての体験も思いの世界のものでしかないのでは。>>


この現象世界の出来事は、しょせん影ですから、確かに夢なのかもしれませんが、
せっかく神さまがこの現象世界にわたしを投影してくださり自由に生きるという経験をわたしにさせてくださっているのですから、
たとえそれが夢であっても、わたしは精一杯自分のできることをして生きて、神さまに褒めていただきたいです。

5017a hope:2015/01/11(日) 14:41:50 ID:cEpBaIdo

ところで、訊けさま

今日のweb誌友会の書き込みって、本当に全部「訊」さまご本人ですか?

5018トキ:2015/01/11(日) 15:01:27 ID:cQ90QTGI
>>5017

謹告

 本日のは、訊け管理人様の名前を勝手に使った
曳馬野さんのなりすましです。これは、卑劣な行為です。

 当該投稿を削除の上、厳重に注意します。
今後は絶対に他人のHNを詐称しないでください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5019茅ヶ崎:2015/01/11(日) 15:02:06 ID:???
私もそれが知りたいと思ってました
「訊」と「訊け」さんは同じ人?

5020茅ヶ崎:2015/01/11(日) 15:03:04 ID:???
>>5018
リロード遅れまして間抜けな質問してしまいました。すみません。

5021トキ:2015/01/11(日) 15:05:13 ID:1j83ED3E
謹告

 本日、この時間までの投稿は、訊け管理人様からの
投稿はありませんでした。

 ご注意ください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5022a hope:2015/01/11(日) 15:24:07 ID:cEpBaIdo

やっぱり、一連の書き込みは「訊」さまではなかったのですね。
なんとなく、文章の感じが曳馬野さまににてるな〜と思ってました(笑)。

ご感想やご意見をいただけるのはありがたいのですが、
なりすましは混乱するのでやめていただきたいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

5025a hope:2015/01/11(日) 17:45:48 ID:cEpBaIdo

>>5023

申し訳ありませんが、「訊」さまになりすましをしていらっしゃるような、
どなたかわからない方のご文章は拝見する気にもなりません。

真理を追究される前に、人としての道を正しく歩まれたらいかがですか?

夕食の支度があるので、失礼いたします。

5030トキ:2015/01/11(日) 22:39:07 ID:DdasF.5E
>>5025

a hope様

 本当に、その通りです。しかも、なりすましをするような人が
青年会の先達を自称するのですから、驚いています。

 こういう人たちに関わり会わずに、真摯に谷口雅春先生の教えの勉強
をしましょう。

5038るん吉:2015/01/12(月) 09:03:52 ID:???

>>物質もある、心もある」という二元論に引っかかって、現象界が変にみだれて集金が集まらなくなったり、商売がうまくゆかなかったり、歯痛(はいた)が酷くなった数氏の実例



現象有り、という説(妄説)を心に受け入れると、とたんに 上記のようになっちゃうんですね。

・・・・・

5039a hope:2015/01/12(月) 10:03:18 ID:cEpBaIdo

>>5038 るん吉さま

そうなのですよ!
だから、わたしは4年前からそのことに警告を発しているつもりなんです。
当初は本流宣言掲示板へ投稿していましたが・・・

雅宣先生のご文章や祈りの言葉の内容は現象や物質を認めてしまっているんです。

現教団の運営はうまくいっているのでしょうか?
病人が増えてはいないでしょうか?
人間関係はどうでしょうか?

心が調えば環境(現象)もおのずから調うというのが、本来の「生長の家の教え」なのだと思うのです。
そして、その教えを広めるのが人類光明化運動ですよね。

それなのに雅宣先生は人間の犯した罪だとか欲望だとか、破壊されつつある自然だとか、
そのような暗い現象面を最初に見つめるところから、運動を出発させてしまっているから、
その認めた通りの現象がこれからどんどんあらわれてきてしまうのだと思うのです。

よくこういうと、雅春先生も人類が苦しんでいる姿(現象)をみて人類光明化運動を始められたという方がいらっしゃいますが、
これは、復興Gさまもおっしゃっていましたが、まったく違うと思います。

雅春先生には最初に、完全円満な「実相世界のお悟り」があったのです。
そのお悟りの心(明るい歓びの心)を人類に伝え、地上天国を実現したいという使命感から立たれたのです。

雅宣先生の運動とは全く違うとわたしは思っています。

5040曳馬野:2015/01/12(月) 13:04:24 ID:???
 本当に、その通りです。しかも、なりすましをするような人が
青年会の先達を自称するのですから、驚いています。

訊け本人が何も言わないうちからなりすましだと判断し、削除と云いだすこの不思議さ驚き桃の木山椒の木

トキ=訊け なんかな そして教団の大幹部

5047a hope:2015/01/12(月) 15:38:54 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第15巻 p123 後から4行目〜

谷口――わたしは誌友の方に、推しつけがましいことをいっさいしようとは思っていません。「生長の家」は誌友が助かるために出現したのであって、わたしの生活費が助かるために出現したのではないのですから、誌友が自分で進んで聖典を欲しいと申し込まれるのでなければ送ろうとは思いません。

そうでないと義理に縛られて聖典をとるというようになられると「生長の家」で説く道が立たなくなるのです。誰かのためになるということが、そのためになったことをいいがかりにして、あとでその恩義でその人を縛るようなことにでもなると、始めからその人のために尽くさずにいればよかったということにもなるのです。

「生長の家」の生きる道は、人間を縛る道ではなくて、いろいろのものから縛られているその縛りからその人間を解放する道なんです。医学や衛生に縛られている人なら医薬や衛生から解放する、人相や家相に縛られている人なら人相や家相から解放する、因縁に縛られている人なら、その因縁から解放する。職業に縛られている人なら、その職業を乗り越えてなお生きる道があることを示す。

こういうように人間の生命を縛っているあらゆる束縛を解き放って「生命」本来の自由さを奪還させるのが「生長の家」の道なのですから、「生長の家」が誌友に対して少しでも押しつけがましいことをすれば、たとい聖典の売れ行きはよくなり、経済的に、「生長の家」が大きくなっても「生長の家」の道が立たなくなるのです。

5048a hope:2015/01/12(月) 15:40:56 ID:cEpBaIdo

>>5042 a hope所感)

この第四章の対談も、まだ、雅春先生がバキュームオイルカンパニーでお仕事をされながら、「生長の家」誌を発行されていた時のようです。
野田氏(第三章に出てこられた野田氏と同一人物でしょうか?)が雅春先生に、今の仕事をやめて「真理」の執筆に専念した方が、
「生長の家」も発展するし、「生長の家」の生き方にかなっているのではないかと、提案されています。

何年か後には雅春先生はそうされたようですが、当時はその提案を否定され、

<<人間の生命の偉大さは、その仕事の形の大いさで計られるべきものではないのです。欧州全土を征服したナポレオンの事業よりも、本間俊平氏が困れる人に与えた一足の草鞋(わらじ)の方が尊いのです。>>p138 後から8行目〜

といわれ、ナポレオンも偉大だけれども、それよりも、キリストが『兄弟のいと小さき者になせる愛の行為はわれにしたのと同じことである』
と言われたように、本間俊平氏のごとく今の自分にできることをして、目の前の困った人を助けることこそ、
神の御心にあった生き方であると教えてくださっています。

[
「生長の家」の信仰の基本ですね!

5059a hope:2015/01/12(月) 17:13:52 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p140 5行目〜

谷口―― 
(略)
「生長の家」の生活が我の生活ならわたしの定めたように進んでも行きますが、聖意(みこころ)を行わんがために出現した生活であるこの生活は神のみこころに従って千変万化するほかはありません。

我で貫きとおす自信と、大生命にバックされて大生命の流るるままに動く自信とがあります。ナポレオンの自信が前者ならば、「生長の家」の自信は後者です。

時が来ればわたしは会社員生活を止(よ)すことにもなるでしょう。また止さないかもしれません。いずれにせよ、それは雑誌を大きくするという野心のためにするのでは普通の雑誌業者になってしまいます。

わたしが今会社員でいるのは、人類全体が今はまだわたしに普通の会社員生活をしながらでも、自分も生き、人も助け、万人に光を与える生活ができるという範例を示してくれと望んでいるからです。

もうそんな範例は十分見せてもらったから、今度は会社員でない生活も見せて欲しいという人類の声がより多くなってくれば自然に神催(かんもよお)しでわたしの生活は変わってくるのです。それは自然に神催しにです。「我」で変えるのではないのです。

「生命」はどういう形でいけねばならぬということはない。大生命に押し流されて生きる時最も自由なのです。形の方は「執して執せず」です。形というものは影であるから執する必要はないのです。「生命」が主です。「生命」さえわれかくのごとくして生きるという筋道が立っているなら、形は千変万化してもよいのです。

その反対に形は一つを貫いていても、形を維持することに「生命」の方が支配されていてはその人の生活は生きたものではありません。そうかといって形の方をむやみにやり方を始終変えてゆくのかというとそうでもないのです。しっかりと自分の魂の底に死んでも死なない生きとおしの生命が自覚されてきますと、自然に時に応じた最も適当な生き方ができてくるのです。

「我」の力で焦る生活、力む生活、こうでなければならぬと形を極(き)めすぎた生活は、ある時期は大いに生長してもやがては行き詰まるのです。幸いにして、その人が死ぬ瞬間までは行き詰まらないにしても、そのいよいよの瞬間には行き詰る。ナポレオンも行き詰り、豊臣秀吉も行き詰ったのです。いわんや雑誌経営の夢は捨てなければならないでしょう。われわれは死の時になってさえも行き詰らない生活をしなければならないのです。

形には執して執さず、ただわれわれの「本当の生命」が影を映して進む生活なら、死んでさえも行き詰らないのです。

5064a hope:2015/01/12(月) 17:17:23 ID:cEpBaIdo

>>5059 a hope所感)

「生長の家」の生活は、神催しの生活で自由自在なのですね。

<<「我」の力で焦る生活、力む生活、こうでなければならぬと形を極(き)めすぎた生活は、ある時期は大いに生長してもやがては行き詰まるのです。>>

『都会ではいけない、森でなければいけない』って本当に「生長の家」の生活でしょうか?

5067a hope:2015/01/12(月) 17:18:31 ID:cEpBaIdo

閲覧者のみなさま

わたしの雅宣先生批判などの投稿が気持ち悪ったら、読まないようにしてくださいね。
身体によくないですから・・・

ところで、今までずっと観察してきましたが、わたしが、聖典の真理に照らし合わせて雅宣先生の教えを批判すると、
曳馬野さまが激しいアラシを開始されるようです。
(わたしの思い違いならごめんなさい)

曳馬野さまって、初心者さまやさくらさまにソックリですね。

5077神の子さん:2015/01/12(月) 17:33:03 ID:3/GnsEUs
これほどしつこく妨害する曵馬野さんは
この掲示板に素晴らしい投稿があると認めているんですね。

5078a hope:2015/01/12(月) 17:35:12 ID:cEpBaIdo

トキさま

いつも、お世話になっています。
わたしは、曳馬野さま(「訊」さまを名乗る)から何を言われても大丈夫ですので、
ご心配なさらないでくださいね。

まだ、どれだけアラシが続くかわかりませんので、削除は明日にでもまとめてしてください。

トキさまの優しい心遣いには、いつも心から感謝しています。 合掌。

5099a hope:2015/01/13(火) 08:20:40 ID:cEpBaIdo

>>5067 訂正

曳馬野さまって、初心者さまやさくらさまにソックリですね。
     ↓
曳馬野さまって、初心者さまやさくらさまとされることがソックリですね。


誤解を招く発言をし、申し訳ありませんでした。
わたしは、曳馬野さま=初心者さま=さくらさま だとは思っていません。
ただ、お三方とも、聖典「生命の實相」の真理が蘇ると都合が悪いお立場にいる方なのかもしれませんね。

5103a hope:2015/01/13(火) 21:01:02 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p147 3行目〜

肉体の年齢は仮の年齢であって、本当の年齢ではない。本当の人間の年齢はその霊魂の年齢である。霊魂の年齢とは、どれだけその人間が真理を悟ったか、「実相の人間」に近づいたかということで定(き)まるのです。

5104a hope:2015/01/13(火) 21:04:05 ID:cEpBaIdo

>>5103 a hope所感)

以前、このweb誌友会で霊界篇をお勉強しているときに、
神の子さんが小林春恵先生の「わが信仰の旅路」を紹介してくださいました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/3670

その時は、トキさんや志恩さんもいろいろ春恵先生のお話を紹介してくださったりしたので、
わたしも興味をもったので、「わが信仰の旅路」を拝読してみました。

そして、衝撃を受けました!
なんと、春恵先生は、20歳年下の小林昭三氏と結婚されたのですよね!!

当時、そういうことは珍しいことだったと思いますが、
「生長の家の教え」では『肉体の年齢は仮年齢であって本当の年齢ではない』とありますから、
春恵先生も、昭三氏もその真理をよく悟られていたのでしょうね。

また、この第5章には、楠野という青年が登場して、自分の恋愛問題を雅春先生に相談しています。

当時の「恋愛」は当事者同士の問題にとどまらず、家族、親せき、霊学者なんかまでも関わってきていて、
なんだか大変そうです(;´∀`)

今の日本では、不倫や離婚があたりまえのようになってしまっていますが、この章を拝読していると、
当時は、今ほど恋愛の自由がなかったかもしれませんが、
現代よりも、もっとずっと純真な美しい恋愛をする人が多かったのではないかと感じます。

5106神の子さん:2015/01/14(水) 00:15:53 ID:???

1908 :神の子さん :2015/01/13(火) 23:46:42 ID:???
>>1905 レイさん  くだらんレスするな。汚物は消毒だ〜!

管理人を真っ先に消毒しなければなりません。なりすましはいかんと速攻消毒にかかった管理人でありましたが、


1901 :トキ :2015/01/12(月) 12:41:18 ID:A3MA1f1M
>>1900  曳馬野 様  あらあら、とうとう、うのはな様まで攻撃の対象にしましたか。うのはな様、味方と思っていた曳馬野 様が裏切りました。  の投稿に対して何もしない。

一日半何もしないと云うことは、なりすましではないと云うことになります。となりますと独占版でうのはなさんが、この一連のやり取りについて正しく読んでおられる。
管理人は簡単な内容を敢えて、『裏切りました』という言葉を使うことで、荒れる版にしようと自らしたことになります。管理人の価値が全くないと云うことになります。また

>>1901の投稿者「トキ」なるものがナリスマシであるならば、消毒の措置に出るのが管理人の一貫性から当然であります。然るに削除の行為はしない。ナリスマシを肯定している。

どちらにしても版が荒れればよいと云う行動をトキ管理人自ら採っているのです。

こんな管理人に護ってもらいながら投稿したい、いくら気取っても腹の中は詮索好きの、人を軽蔑する傲慢な人間、a hopeさん

5107a hope:2015/01/14(水) 09:26:34 ID:cEpBaIdo

>>5105 曳馬野さま

わたしが詮索好きだと見抜かれたようなので、それならば、正々堂々と反論させていただきます。

本当に雅宣先生が「生長の家」の教えを正しく法燈継承されていて、
教えの神髄を変えることなく時代に合わせて説いていらっしゃるのであれば、
わたしのこの掲示板での雅宣先生の教えへの「批判」など、なんの影響力ももたないと思います。

曳馬野さまや初心者さまやさくらさまは、雅宣先生の教えが、
本来の「生長の家」の『光明思想』とは真逆の『暗黒思想』であるとわかっていて、
敢えて援護されているのではないですか?

その目的は何ですか?

5110a hope:2015/01/14(水) 21:57:08 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第1巻 p152

「言葉」でこの世界に健康を満たせば、この世界の人類が健康になる。「言葉」でこの世界に光明を満たせばこの世界が光明化される。「生長の家」は実にこの「言葉の力」によって人類生活を健康化し、幸福化し、光明化せんがための「神の国運動」であって、「生長の家」の発行部数がふえるほど、この世界に「善き言葉の力」がふえることになる。

「善き言葉の力」がふえればそれだけ人間の心が光明化し、地上に浮動している人間の「想念波動」が光明化し、いっさいの現実的悪の種子(たね)が浄められ、キリスト教でいえばキリストの再臨、仏教でいえば弥勒菩薩下生、すなわち地上天国建設の時期が早まることになるのであります。


こうして「コトバの力」の見地から考えてみますときには「生長の家」のコトバの力によって人類生活を健康化し、幸福化し、光明化しようという運動に相反して、いかにこの世界にはコトバの力によって人類を不健康化し、不幸化し、暗黒化そうという運動が多いことでしょう。

毎日日本国中に合計なん百万なん千万という発行部数をもったジャーナリズムは皆いちようにこの人類生活不健康化、不幸化の運動に味方しているようにみえる。全世界でいうときは十数億の発行部数に達するジャーナリズムが毎日コトバの力で人類生活を不健康にするための印刷物をバラまいていることになる。

新聞紙の大半は栄養剤と薬との広告で埋まっている。その広告は「おまえたち物質で造られた人間よ、おまえたちはこの薬を飲まないと治らないぞ」「この栄養剤を飲まないと健康になれないぞ」とおどしつけている。

これは新聞が広告料という金のために牽制されて「悪しき言葉」の力の宣伝に利用されているからであって、こんな広告を読めば読むほど、われわれ人間が神の子だという信念、物質ではなくて生命であるという信念が失われて、人間は物質であるから永久に薬物の奴隷として永久にその前にひざまずくべきものなりとの烙印を押されることになるのであります。

5111a hope:2015/01/14(水) 21:58:58 ID:cEpBaIdo

>>5110 a hopeまとめ)

「コトバの力」の見地から考えてみる『光明化運動』と『暗黒化運動』

『光明化運動』――「生長の家」のコトバの力によって人類生活を健康化し、幸福化し、光明化しようという運動

『暗黒化運動』――『おまえたち物質で造られた人間よ』という「悪しき言葉」の力によって人類を不健康化し、不幸化し、暗黒化そうという運動

5112a hope:2015/01/14(水) 22:03:38 ID:cEpBaIdo

>>5108 曳馬野さま

<<そんな息子を敢えて副総裁にし、組織を任せた清超先生の行動は、なんと評価しますか貴女は。>>

わたしには、当時の清超先生のご意志はまったくわかりませんから、お答えしようがありません。


<<それよりも復興Gさんが去って後、あなた以外誰が参加されていますか誌友会に。>>

トキさま、訊けさま、志恩さま、るん吉さま、SAKURAさま、トンチンカンさま、
最近は忙しそうで参加が少ないですが、ユタカさまなんかが参加されていますよ。
曳馬野さま(仏心さま)だってこうして参加されているではないですか・・・

それに、書き込みはされなくても、何人もの閲覧者の方がご覧になってくださっているとわたしは信じています。

だから、わたしは、曳馬野さまに「傲慢」と言われようが、「強情」と言われようが、「臭い」と言われようが、
トキさまのお許しがある限りこのweb誌友会を続けたいと思います。

わたしは、大好きな聖典「生命の實相」をここで学ばせていただくことで、
本当の「生長の家の教え」が何なのか明らかにしたいだけなのですから・・・。


曳馬野さまこそ、何の目的もないのであれば、どうぞお体に障りますから、
こんな傲慢なわたしの「臭い」投稿はもう読むのをおやめになって心安らかにお過ごしください。

「臭い物には蓋」という諺もありますから、曳馬野さまにはトキ掲示板自体をご覧にならない事をお勧めいたします。

ご自愛くださいね!

5117トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/01/15(木) 10:14:34 ID:t.y68kmc
a hope様

 いつも素晴らしい御文章を書いてくださり、心から感謝申し上げます。
web誌友会でのご活躍は、管理人としても嬉しい限りです。

 最近、悪意に満ちた投稿者が、心ない投稿を繰り返しておりますが、
無視してください。釈尊やイエスキリストがお悟りを得る前には、悪魔
が現れて妨害をしたとお経や聖書にはあります。

 真理について書かれて、妨害投稿がある、ということは、内容が正しい
という事です。

 これからも、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5118神の子さん:2015/01/15(木) 10:19:10 ID:???

5113 :神の子さん :2015/01/15(木) 02:02:29 ID:???
そういう寝言は部室版>>2502と少し前からの訊けのもの読んでから言ってね
こんな人間、本流よりはるかに心の汚い人間を生み出したのが、生長の家なんだ
自らはお高く留まるけれど心は低い、そんなトキ&訊けに感応する貴女 すばらしいです

5119a hope:2015/01/15(木) 23:36:37 ID:cEpBaIdo

>>5117 トキさま

あたたかいお言葉をありがとうございます。 

「生命の實相」がこんなにも素晴らしい聖典でなかったら、
わたしはここでこんなに長くお勉強させていただいてはいないと思います。


<< 真理について書かれて、妨害投稿がある、ということは、内容が正しい
という事です。>>

わたしは、聖典を拝読し、謹写して、そのことへの感想を述べているだけですが、
いつかは、自分自身の口から直接「真理」が語れるようになりたいです。

この掲示板では、トキさまがいつも見守ってくださっているので安心してお勉強できます。

こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

感謝 合掌。

5120a hope:2015/01/16(金) 20:00:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p148 後から6行目〜

有名な観相家石竜子(せきりゅうし)も「人相は信仰生活に入らないまでの人には的中するが、信仰生活に入った人には的中しない」と言っています。人相も、姓名も、家相も、体相も、健康状態も、およそ形なるものは、われわれの過去からの念の集積の形象化(かたちにか)したものであります。

(中略)

人間は生まれると一定の姓名を与えられ、また大体一定の人相も備えられていますが、これはその人間の霊魂が現世に生まれるまでの過去生活において得たる念の集積(業ともいいます)が形に出てるのであって、業というものは自動的に流転する一種の波動ですから、われわれが自身の生命の実相を自覚し、真理を悟って超越しない限りは、業の自転する力によってわれわれの運命は生まれた時にはすでにその大体が定(き)まっているといってもよいのです。だから、 人相を見てその人の運命を言い当てることができる――これは当然であります。

ところが病気とか不幸とかを起す念は妄念であるが、妄念に捉われている人から観れば厳然たる存在でありますのは夢見ている人にとって夢が確乎たる存在であるがごとくでありますが、真理の上から言えば根柢のない存在であります。なぜなら神はそのような病気とか不幸とかを造り給わないから、それを起す念も真存在ではなく、偽存在、空しき虚の念、妄念なのであります。

だから真理を知り、自分の生命が神の子であって事情円満なものであるという実相を自覚すれば、業の流転から超越することになるのです。そうなさりますと、その人の運命は観相家が観ても当たらない、姓名判断の大家が観ても当たらない。自分の「生命」が自由な世界へ出て過去に捉われない自由創造を続けてゆくからです。

この自由創造の働きとして人相もそれに追随して変わってくることもあり、姓名も自然に変えたくなり、変わってくることもあります。

(中略)

心をあとにして形ばかりを追うている者は、とんだ失敗を演ずるものです。心が整い、自然に人相のよくなるような人は、また自然に善い家相に住むように事情が運(めぐ)って来、善き家相の家が誂(あつら)えたように見つかるとか、今までの家に住んでいても、自然に、物のならべ方や造作の仕方などにも、生き生きとした光明が見えて来、家相が一変してしまうのであります。だからこの変化というのはどこまでも真理を知った上での自由創造の働きとしてそうなってくるのでなければなりません。

「人間の生命は形に縛られるものだ」という迷いに捉われている結果、姓名を変えられるような方は、いかに姓名を変えてもやはり不幸が付随しますので、この姓名も欠点がある、あの姓名も欠点があるといって、始終転転として姓名を変えながらなお安住を得ないで、その不安の念がさらに次の不幸を起す集積となることがあります。

姓名が「生命」を支配するのではなく、あらゆる現象は「生命」が進軍して行く際に周囲に投映した念の影でありますから、「生命」こそ主なのであります。生命の自由創造として人相が自然変わるならば、それもよろしい。生命の自由創造として善い家相にすむようになれば、それもよろしい。生命の自由創造として改名したくなったり新しい屋号や仮名や雅号(がごう)をつけたくなるならば、それもよろしい。しかしいかなる場合にも、われらは「生命」が主であって、いっさいの形相は従だということを知らねばなりません。

5121a hope:2015/01/16(金) 20:01:37 ID:cEpBaIdo

>>5120 a hope所感)

わたしは昔から、「占い」の類にはほとんど興味がありませんでした。
「今日の○○座の運勢」とかTVなんかでやっていますと、あえて見ないようにしていました。
当時は「自分の運命は、自分で支配したい」という気持ちが強かったのですが、今は「わたしの運命は、神さま任せ」という心境になってきました。

<<心をあとにして形ばかりを追うている者は、とんだ失敗を演ずるものです。心が整い、自然に人相のよくなるような人は、また自然に善い家相に住むように事情が運(めぐ)って来、善き家相の家が誂(あつら)えたように見つかるとか、今までの家に住んでいても、自然に、物のならべ方や造作の仕方などにも、生き生きとした光明が見えて来、家相が一変してしまうのであります。だからこの変化というのはどこまでも真理を知った上での自由創造の働きとしてそうなってくるのでなければなりません。>>

「真理」を知って心が整えば、こちらから求めなくても、自然に幸福がやってくるということのようです。
そのためにやるべきことは、『聖典を拝読』して、『神想観』をして、周りの人に深切を尽す(『愛行』)こと、つまり「生長の家」の三正行ですね!

5122るん吉:2015/01/17(土) 13:54:56 ID:p..UGkhA
a hopesama

ずーっと読ませて頂いてますよ。
有難うございますねっ。

5123a hope:2015/01/18(日) 00:25:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p159 4行目〜

谷口―― (略)
真にあなたと民子さんとが誓ったとおりに純情で愛し合っているならば、二人の心は一年や二年離れているだけでは変わらないでしょう。今民子さんを遠山さんが郷里へ帰されたのは遠山さんの心では、あなたたちの恋愛が本当の永続性をもったものであるか、一時の浮気の熱病であるかをわからすためです。

別れているうちにお互いに気が変わるようでは浮気な出来心で本当にそれは神の結び給いし縁ではなかったのです。そこにあなたたちの前にテストが置かれてあるのです。今あなたたちの幸福のためにこのテストをパスしなければならないのです。

楠野――(切なそうに)一年も二年も、二人はわたしたちの愛が永遠性のものであるということを人々の前に実証するまでは会えないのですか。

谷口――恋するもの同士が逢いたいのは無理もない。その時期はもっと早く来るでしょう。あなたは倉田百三氏の戯曲『出家とその弟子』を読んだことがありますか。あの戯曲のなかで、唯円坊と「かえで」とが恋をする、恋して二人は会いたくてたまらないけれども相手の幸福を希(こいねが)って逢わないで耐えしのんでいる場面がある。会いたくて会いたくてたまらぬけれども、相手の幸福を欲して会わないでいる心持ちには、会いたくて会う心持よりも、いっそう深い愛と美が輝いている。肉体の会いたさに打ち克っている。

それには感覚的な騒がしい美はないけれども、魂の静かな美がある。ここからのみ本当の明るさが来るのです。こうして魂が整ってから、その心の反影として肉体の世界が整う。こうして得られる男女の結ばれ方が本当の結ばれ方なんです。

楠野――よく解りました。目が覚めたようです。行手がハッキリしてきたようです。先生のおっしゃるように努めます。(小声で)皆様失礼いたします。(退場)

5124a hope:2015/01/18(日) 00:27:33 ID:cEpBaIdo

>>5123 a hope所感)

正直に言えば、この第五章のここのところの楠野青年の恋愛相談を拝読していて、わたしは楠野青年と民子さんを気の毒に感じていました。
二人とも離婚歴や女性遍歴はあったとはいえ、お互いに当時は独身で、普通に考えれば恋愛するのも自由なはずなんですが、
ここでは、まわりの人々に過去の行動なんかを評価され、無理やり一時的に別れさせられてしまったという結果になってしまいました。
昔の恋愛というのはみな、そんな感じだったのでしょうか?

ですが、
<<会いたくて会いたくてたまらぬけれども、相手の幸福を欲して会わないでいる心持ちには、会いたくて会う心持よりも、いっそう深い愛と美が輝いている。肉体の会いたさに打ち克っている。
それには感覚的な騒がしい美はないけれども、魂の静かな美がある。ここからのみ本当の明るさが来るのです。こうして魂が整ってから、その心の反影として肉体の世界が整う。こうして得られる男女の結ばれ方が本当の結ばれ方なんです。>>

という雅春先生の素晴らしいいお言葉を読んだとき、恋愛においても「環境は心の影」「肉体は心の影」という真理は普遍なんだな〜と納得しました。

でも、まてよ、わたしはそんな恋愛を今迄に経験したのだろうか・・・
もちろん、主人とは恋愛結婚でしたが、そこに「魂の静かな美」があったのだろうか・・・

あらためてチャレンジしてみようかな・・・
そして、主人に「また君に恋してる」なんて言わせてみようかな・・・(笑)

5125a hope:2015/01/18(日) 00:31:45 ID:cEpBaIdo

>>5122 るん吉さま

あたたかいお言葉をありがとうございます。 合掌。
また、いつでもご参加くださいね!!

5126a hope:2015/01/20(火) 00:14:39 ID:cEpBaIdo

「生長の家」第15巻 p172

平井―― (略) 
人の転住に方角の吉凶、男女の相性の吉凶、生年月日による吉凶、事を始めるのに日の吉凶があるのでしょうか?

谷口―― 人間は神の子であってひとりひとり宇宙の中心でありますから、どの距離へ対しても無限でありまして、本来東西なく南北ないのであります。だからどちらを向いても、みんな善い方角であるのが真理なのであります。

周囲がいかに暗くともわが行く先に光明を必ず見る、われ自身が光明であるからだというのが「智慧の言葉」にありますが、そのとおりでありまして、人間は神の子でありますから、どちらの方角を向いても皆善い方角なのであります。

また「思い立ったら吉日」という諺が昔からある。この諺は真理をうがっているのでありまして、人間は思い立ったときに恐れることなく断行する、この恐るるところなく断行するところに鬼神も避くる誠が出てくるのであります。

(中略)

方角の吉凶も、日の吉凶もみんな自分の心に在る。出かけしなに、今日は悪い方角へ向いて行かねばならぬ、何か悪いことが起こらねばよいがとふと思う、――あとは忘れて別に気にかけないでも、最初に「今日は悪い方角へ向いて行く」と思ったときに、心の力でその方角が悪くなっているのであります。

その代り「今日はよい日だ」と思えばその日は必ず善くなる。「智慧の言葉」に「天気の小言を言うな」と書いてあります。「日の小言」も同じことである。神のお創造(つく)りになった日に、悪い日などというものは一日もない。どの日も皆善い日である。方角でもみんな善い方角である。

世間では人間には健康者と病人とがあるという。しかし「生長の家」ではあらゆる人間は神の創造(つく)り給うた神の子であるから、みんな健康者であって病人は無いという、人間に病人があるのは迷信だという。人間が病気に見えているのはその迷いが影を肉体という鏡に映しているのだという。そして真理を悟らして人間本来無病完全の神の子だという真理に悟らしたとき今までどうしても治らなかった病が消える。その実例は『生長の家』誌友の中にたくさんある。

5127a hope:2015/01/20(火) 00:18:04 ID:brQxC10.

>>5126 a hope所感)

なんて素晴らしい真理なんでしょうか!

「悪い日はない」「悪い方角もない」「悪い相性もない」「病気もない」、
あるものは「善い日」「善い方角」「良縁」「健康」だけなんですね!

今夜も善い夢が見れそうです・・・(*^-^*)
それではみなさま、おやすみなさい。

5128a hope:2015/01/21(水) 09:25:09 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p176 

どんな美人でも眉を顰(ひそ)める習慣のある人を奥様に貰うと、よほど男の方が修養の足りた人でないと相性が悪くなり良人の運命が悪くなるのであります。
眉の間の晴れやかな暗いところのない婦人ならなんの歳生まれの人でありましょうともたといひのえうまの婦人でありましょうとも必ず相性がうまくいくのであります。
眉の間を常にしかめている人は常に不快な感情を自分で味わっているのでありまして、必ずその人は不健康か、不運なのであります。

5129a hope:2015/01/21(水) 09:25:59 ID:cEpBaIdo

>>5128 a hope所感)

わたしはここのところの文章を拝読して、思わず鏡を手にして、自分の「眉間」を確認してしまいました。(笑)
幸せになりたいみなさん、特に、p177の後から5行目〜は必見ですよ!
これって、一番簡単に運命を好転できる「裏ワザ」なんじゃないですかね。

女性のみなさん、こめかみにテープ貼って、目じりの皺や、顔のたるみ引っ張ってる場合ではないですよ!
伸ばすところが違いますよ!!!

5130a hope:2015/01/23(金) 00:01:12 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p179 7行目〜

谷口――(略)
『神想観』をする時にも、精神を統一すると眉を顰める習慣のある人がある。こういう人は自己の放散する霊波が暗いから、ともすれば低級霊の霊波を感受致しますから今後は眉をできるだけ伸ばすようにして精神統一をし、自分自身より放散する心的霊波を朗らかなものにしていっそう高い明るい霊波を感受するようにせられるのが、神に近づく道であります。

眉というのは人間というラジオ的受信機の捻子(ねじ)のようなものでありますから、眉をひそめて神想観なり鎮魂なりしている方の様子をみていますと、その肩のところに悪霊波が客観化したのが見えることがあります。

5131a hope:2015/01/23(金) 00:02:36 ID:cEpBaIdo

>>5130 a hope所感)

わたしは神想観は大好きですが、たまに、気分のあまり良くない時にしたりすると肩が重く感じられ、意識も「祈りの言葉」に集中できないときがあります。
もしかしたら、こういう時には低級霊の霊波をキャッチしてしまっているのかもしれませんね。

この後、この座談会で雅春先生は、『狐狸等の「憑霊」』と『人間の「念」の形象化』の関係を説明してくださっています。

とても興味深いです。

5132a hope:2015/01/23(金) 10:21:27 ID:cEpBaIdo

(a hope まとめ) テキストp179〜182


「狐狸の憑霊」と「念の形象化」とは・・・

○人間は万物の霊長であるから、動物の霊に支配されるといことはない

○憑霊というのはほとんどが人間の「念」形象化である

○「念」は形に化して顕れる傾向がある

○一つの「迷いの念」が客観化して物質的にみえるのが病気であるのと同様に、
「迷いの霊波」がその地方独特な迷信と結合し、人間について狐狸の姿等に客観化してワザをするのが憑霊である

○感受した念の象徴化には一定の法則がある
・狡い懶(なま)け者人に感受した念(こころ)―― 狸の形に象徴化して見える
・賢(さか)しく敏捷で化粧好きな人に感受した念(こころ)―― 狐の形に象徴化見える
・執念深い人に感受した念(こころ)―― 蛇の形に象徴化して見える
・高慢な人に感受した念(こころ)―― 鼻の高い天狗に見える


※たまに何の罪もないのに故意に殺されたような場合に山野自生の狐狸の怨霊の憑依するような例【祟(たた)りの霊の襲撃】もあるが、
恨みも由縁(ゆかり)もないのに野生の狐狸の霊魂が感応憑依するものではない


p180 後から2行目〜
<<恨みも由縁もないのに人間に感応して来る狐狸の霊というものは、実は野生の狐狸の霊波ではなく、人間から発する善からぬ念波がその地方特有の迷信に則(のっと)って凝集作用、変形作用、象徴作用によって形象化したものが類似の念を有する人間に感応して、その姿をあらわしているのであって、人間の念同志だから最も感応しやすいのであります。>>



【対策】

○観念の波として心の中に存する病気が、心の中の観念を取り去ったら治るように、いわゆる狐狸の霊も心の迷いを消せば消えてしまう


p182 5行目〜
<<しかし形象化した以上はそれぞれ個性的に独立した働きをするので、霊眼にも見え、喋らせればペラペラ喋ったりしますが、本来それは無いものですから、その棲家(すみか)やら、生年月日やらいろいろ分析して追求してゆきますと、しだいにその答えが支離滅裂になって、結局、何も無いということになってしまうので、わたしはこれを象徴的憑依と称しています。>>

5133a hope:2015/01/23(金) 10:24:39 ID:cEpBaIdo

( a hope所感)

テキストではこの後(p182 9行目〜)「象徴的憑依」と「業の流転」そして「生霊」「怨霊」「障礙霊」との関係が説明されています。

雅春先生って、ほんとすごいですね!

5134トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/01/23(金) 11:50:26 ID:qhzd28iE
>>5132

 この憑霊については、正しい知識を持つことが本当に大事だと思います。

 かなり前ですが、タヌキにとりつかれた親族を真言宗の祈祷僧のところへ連れて
行った人がいて、加持祈祷をしていている最中に祈祷された人が亡くなり、結果と
して、祈祷をした人が逮捕され、有罪の判決を受けた事があったそうです。

 こういう悲劇をなくすためにも、このご文章は大事だと思います。

5135a hope:2015/01/24(土) 10:00:29 ID:cEpBaIdo

>>5134 トキさま

コメントをありがとうございます。
「生長の家」の教えからいえば、?神の子人間? が、動物や、
暗黒世界を支配する悪魔のような存在に支配されるということは在り得ないと思うのです。

ですが、そのような動物憑依の迷信や「罪あり悪あり現象あり」の暗黒思想がこの世の中に少なからず広まってしまっているのが現状です。

その迷信や暗黒思想を信じてしまい、波動を合わせてしまったときに『象徴的憑依』や『病気』や『不幸』のような良からぬ現象が起こるのだと思います。
(わたしは雅宣先生や純子先生のご思想もこの暗黒思想であり、現教団はこの暗黒思想の影響を受けてしまっているが為に衰退現象が起きているのだと思っています。)


完全なお悟りを得ている雅春先生の光明思想の『聖典』を拝読して、その心の「迷い」を完全にとりさって、
?神の子? の自覚がまことに得られればみな幸せになれますのにね!

その光明思想を広める運動こそ、本来の生長の家の「人類光明化運動」なのですよね!

現生長の家教団が一日も早く、本来の「人類光明化運動」を取り戻して下さること祈っています。

5136a hope:2015/01/24(土) 10:03:16 ID:cEpBaIdo
>>5135 訂正

?神の子? →?神の子?

5137a hope:2015/01/24(土) 10:05:23 ID:cEpBaIdo
>>5136
訂正になっていませんね(笑)

5139a hope:2015/01/25(日) 13:30:34 ID:cEpBaIdo

(a hopeまとめ) テキストp183


人間がある『念』を起こした場合に起る二つの作用

○ 外に放射 → 漠然たる念波 → 1、波長の合う他人に作用 2、凝縮作用により独立した個性的生霊になる 3、象徴作用により象徴的憑依を起こし、怨霊、障礙霊などになる

○ 自分自身の内に印象 → 『業』として潜在 → 生を生まれかわってもその業が流動流転してくる

5141a hope:2015/01/25(日) 16:07:31 ID:brQxC10.

「生命の實相」p183 後から4行目〜

伊藤――わたしは法華経の修験者として以前多数の病人を治したことがありますが、わたしの師匠になる方から霊術で病気治しをした者の末路は必ずよくないから止す方がよいと教えられ病気治療を止しました。それ以来諸方の霊術家の末路というものを考えてみるとたいていよくない。

ある霊術家は友だちと一緒に河豚(ふぐ)を食って自分だけ食傷して死にました。ある霊術家は腕に肉腫といいますか、女の尻ほどの大きな瘤(こぶ)ができて死にました。これなどは確かに霊術で退散せしめた悪霊の怨念に祟(たた)られたのだと思います。


野田――それは法力で病気を治すだけで病人に真理を知らせて治さぬためにそんなことになるのでしょう。真理を知れば、そんなことはない。病人が真理を知り、「生命の実相」を知り、障りをする悪霊の波長と合わなくなって病気が治る段には悪霊は障りをすることができなくなるにちがいありません。


伊藤――本人に悪霊が感応しなくなるだけで、その悪霊そのものを教化することができなければ、その悪霊はまた他の人に感応して禍(わざわい)を起すにちがいありませんから、わたしは、悪霊は何よりも教化しなければならんと思うのです。

日蓮宗の方では第一鑑定、第二教化、第三経文ということになっています。「鑑定」というのはいかなる悪霊が障りをしているかこれを鑑定しなければならない。「教化」というのは、その悪霊を霊媒に招霊して、よく教えを説いて聞かし、改心して再び禍を起さなくさせるのです。「経文」というのは経文を誦(よ)んで仏力によって悪霊を救いとるのです。

5142a hope:2015/01/25(日) 16:08:53 ID:cEpBaIdo

>>5141 a hope所感)

誰でも「重い病気」にかかれば、藁をもすがるような気持ちになって、その病気を治す努力をするのではないでしょうか?

良い医者にかかったり、食べ物を工夫したり、ご先祖さまや神さまにすがってみたりもするでしょうし、

狐狸の霊や悪霊が憑いていると言われれば、祈祷師や霊術家にその霊を祓ってもらおうとするのかもしれません。

ですが、ここでは一見、「命を救う」というとても尊い仕事をされている霊術家と言われる方々の末路があまりよくないという、
その原因についてみなさんで話し合われています。

この後、雅春先生がその原因について生長の家の「迷いの自壊作用」を根拠にした説明と、
「怨霊」や「障礙霊」などの『憑霊』を根拠にした説明を二方面からしてくださっています。

雅春先生は、どんな時にも相手の立場や理解力を考慮しながら、自由自在の方便を用いて真理を説明されています。

すごいです!!

5143a hope:2015/01/26(月) 10:53:23 ID:cEpBaIdo

「霊術で他人の病気を治した者の末路がよろしくない理由」の二面的説明

説明その一、自然(因果)の大法を破ったことへの報いを受けたから

○病気は「迷いの自壊作用」であるから、そのことによってその人の神性が磨き出される自然的過程になっている
○それを横合いからいって突然その病気を治すと、治された人は真理もなにも知らないままになる
○それは病人を治しながらかえって相手の向上をさまたげたことになる

p185 後から6行目〜
<<「迷いの自壊作用」として真理を知らす自然の過程として起ってきた病気がその意義を全うせずして捨てられる。これは因果の法則を破ったことになる。ここに病気を不法に治した人に責任が問われなければならない。だからわたしは直接治療で法力で患者を治すということはしないのです。そんなことをしなくても本を読むだけで、神想観をするだけで、真理を知ればそれだけで、病気は治るのです。>>



説明その二、障礙霊の復讐を受けたから

○怨霊その他の障礙霊にもそれ相当に理由があって病人を悩ましている
○それを霊術を用いて悪霊を退散せしめると、その悪霊の憤りによる害悪の念波が術者を襲う

p186

<<われわれがその病人を治すのにある種の霊術を用い、法力という強制力によってその悪霊を退散せしめますと、「盗人にも五分の理」という諺もありますとおり怨霊その他の障礙霊にもそれ相当の理由があって病人を悩ましているのでありますから、それ相当の理由で不平があり、憤りを発して、その憤りによる害悪の念波が、常にその術者を襲っているわけでありますから、術者の心が真理を知らず、ちょっと隙ができたとなると、その害悪の念波が術者を襲うことになり、心霊術家の末路はおもしろくないといあれるようになるのでありまして、これは一面から言えば因果の大法を破った報いであり、他面から言えば、障礙霊の復讐を受けたことになる。
生長の家では本を読んで真理を知って自分で治るからそんな弊害はありません。>>

5144a hope:2015/01/26(月) 10:54:33 ID:cEpBaIdo

>>5143 a hope所感)

「生長の家」の唯神実相の真理から言えば、「心(念)もない」わけですから、
その念波が凝縮したり象徴したりしてあらわれている悪霊など本来存在する筈はないのですが、
それを信じてしまっている人にとっては存在しているのも同然なのですから、
その原因を理解できるように説明してあげることも重要なのではないかと感じました。
それが、説明その二になるのだと思います。

この真理をちゃんと悟ることができれば、心霊現象なども全く怖くなくなるような気がします。

<<そんなことをしなくても本を読むだけで、神想観をするだけで、真理を知ればそれだけで、病気は治るのです。>>
<<生長の家では本を読んで真理を知って自分で治るからそんな弊害はありません。>>

いずれにしても、「聖典」を拝読することにより、真理を知ればこの人生でなにも恐れることはなくなりそうです。

5145a hope:2015/01/29(木) 23:44:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p191 2行目〜

谷口――・・・(略)
・・・このように念の力というものは黙念でも感応していろいろな禍(わざわい)をしたり、あるいはそれが善い念であったら幸福や健康を与えたりするものでありますが、また、この「念」はある人から放射された時だけ働くのではなく、いったん放射された「念」が一定の場所や物に蓄積されていまして禍を与えることもあります。

わたしは以前住吉の某所にいたことがあります。それはまだわたしが因縁を超越する真理を悟っていない前でしたので、その家に住まっている間中わたしは不健康でした。まだわたしが不健康で死ぬような気がする。・・・

5146a hope:2015/01/29(木) 23:46:00 ID:cEpBaIdo

>>5145 a hope所感)

人間の「念」の力というのはすごいものですね。
むかしの日本の幽霊は「うらめしや〜」といって出てきたようですが、幽霊の姿を見ないまでも、
そのような「悪念波(怨念)」に波長を合わせてしまうと、怨み殺されてしまうということも本当にあるようです(◎_◎;)。

まだお悟りになる以前の雅春先生も、当時住んでいた家に蓄積されていた「肺病で亡くなった方々」の悪念波を受けて体調を壊されていたようですね。

一時的な対策としては、その悪念の蓄積されている場所や物をさけるのがいいのでしょうが、
ふつうの人間ではどの場所やどんな物に悪念が蓄積されているかなんてわからないと思うのです。
ですから、自分自身の波動を良化しない限り、何度でも悪念波を受けてしまい、健康を害したり不運に見舞われたりする可能性はあると思います。

ですが、真理を悟って因縁を超越すれば、どこにいようが、何を持っていようが、そのような禍に巻き込まれることはなくなるようです。

わたしたちは、谷口雅春先生の「聖典」を拝読しつづけることで波動を良化できますし、
生まれ持った因縁も超越できるのですから本当にありがたいですね!

5147志恩:2015/01/30(金) 09:15:35 ID:.QY5jUA6
伝統さま掲示板より
人時処の三相応に適して生きるNEW (134)
日時:2015年01月30日 (金) 04時44分
名前:伝統

           *『白鳩』誌(昭和49年9月号)より 

私は家内にその曇っている内障ある眼のレンズ 〈水晶体〉 を切除して、
人工のレンズで補うことを勧めたのである。 私は理論的にそのことを勧めた。

「生長の家の誌友や信徒の中には老人性白内障にかかっても、聖経読誦で治したい、
神想観で治したい、悟りを深めて治したいと一心にあんたのように苦労している人も
あるが、そうして治るのは若い人の白内障である。 

老人性白内障は60歳を越えると誰でも顔にシミが出来るが、
これは色素排泄の調節力の老衰であるが、あんたには顔に他の人ほどにあまり
シミが出来ない。 

その代りにそのシミが不幸にして眼の水晶体に出来てそのために
レンズが不透明になって来たんだ。 

その不透明なレンズを人工的に切除して眼鏡のレンズと置き換えることは、
蝕くった歯に金充填するようなもので、歯は金充填をする手術をしながら、
眼の手術を恥じる必要はない。 

宗教人であるから、静坐や、悟りや、読経で治さ‘ねばならぬ’と頑張るのは、
柳生但馬守が自分は剣者だから雨を刀を揮って斬り払わ‘ねばならぬ’と考えたり、
沢庵禅師が、自分は禅者であるから坐禅によって雨に濡れないでいなければならない
と考えて、濡れていながら、実相は濡れていないと頑張るのと同じことだ。

生長の家はそんな‘ねばならぬ’を放ち去って、人時処の三相応に適するように
雨には傘をさして濡れずという風に物質的に処置し得るものは、簡単に物質的に
処置するのが三相応の道であり、それが生長の家の生き方だ。


あんたが白内障にかかって手術によって視力を恢復したということを聴いたら、
今のあんたのように老人性白内障にかかりながら信仰によって、悟りによって
直さねばならぬと頑張って苦しんでいる信者が “生長の家でも手術しても好いんだ” 
と安心してそれによって多くの人々が救われることになるのだ」

 
わたしはこんな話をして、家内をして、ついに白内障の外科手術をすることを
納得せしめたのであった。

http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18684691.html
 
           <感謝合掌 平成27年1月30日 頓首再拝>
……………………………………………………………..
a hopeさん

信仰は、両刃の剣だと思います。
病気になった場合、医者に行けばいいし、霊障害をうけていると分かった場合は、
ほんものの霊能者のところへ行ってお祓いを受ける事も、まちがいではないと私はおもいます。

本を読んだだけで,治る人も居ますが、そうではない場合もありますから。
その点は、本に書いてあるからと言って、あまりこだわらないほうがいいのではないでしょうか。

昔、谷口先生ご一家も、虫歯になれば、みなさま、歯科医へ行き、虫歯の治療をされてましたからね。

5148志恩:2015/01/30(金) 09:42:07 ID:.QY5jUA6
5143:a hopeさん

>>「霊術で他人の病気を治した者の末路がよろしくない理由」の二面的説明<<
これも、全員がそうだというわけではなく、そういう人が多々あるということだと思います。

前にも、お話しましたが、
私の母は、生長の家に入信する前は、知り合いの医学博士のすすめで
趣味で「心霊科学研究会」をされていた浅野和三郎先生の直弟子のお一人である竹内先生がされていた
集まりに参加しておりました。

その心霊科学研究会で、母も私も、当時の医学では治らなかった病気を一度行っただけで、完治して
頂いたことがございました。(私の病気とは、重度の腎臓病)

でも、竹内先生は、東大出の弁護士だったので、お金は困っておらず、
趣味でやっているからといわれて、お金は一円も
受け取られませんでした。
そのような、志の高い、霊能者でいらした竹内先生は、末路も晩年も幸せにお暮らしでした。

私は、いちどだけでしたが、先生の晩年にご挨拶にご自宅へ伺い、
年賀状の交換は、先生が亡くなられるまで、させて頂いていましたから
先生の実際の末路のご様子は、よく存じ上げているのです。

ですが、この世には、お金儲けのために、インチキまがいの霊能を商売にしている
霊能者があふれているのも事実ですから、
そのような悪徳霊能者の末路、晩年はよくないということだと、私は受け取らせて頂いております。

で、霊能力で病気が治った体験のある私は、その後,私が中学2年生頃のこと、、
母が、生長の家に入信しましたので,私も母とともに生長の家に入信し、
その後は、心霊のほうの集まりへは、行っておりませんでしたので、

心霊は、やめて、
心の問題専門に學んで参りましたから、母の晩年も私の晩年も幸せに過ごさせて頂いております。

5149志恩:2015/01/30(金) 10:19:47 ID:.QY5jUA6
つづき
私の実母は、生長の家に入信後、竹内先生宛に毎月、神誌「生長の家」誌を送る
愛行をし続けておりましたし、【生命の實相】全巻も 寄贈していました。

なので、竹内先生は、生長の家の教えにとても好感を持っておられることは、
先に書きましたように、
先生の晩年に 私が、先生のご自宅へご挨拶に伺いましたおり、、
生長の家の話がでましたから、そういうこともあり、末路が良かったのかもしれません。

5150a hope:2015/01/30(金) 11:14:26 ID:cEpBaIdo

>>5147志恩さま

貴重なアドバイスをありがとうございます。 合掌。

<<信仰は、両刃の剣だと思います。
病気になった場合、医者に行けばいいし、霊障害をうけていると分かった場合は、
ほんものの霊能者のところへ行ってお祓いを受ける事も、まちがいではないと私はおもいます。
本を読んだだけで,治る人も居ますが、そうではない場合もありますから。
その点は、本に書いてあるからと言って、あまりこだわらないほうがいいのではないでしょうか。
昔、谷口先生ご一家も、虫歯になれば、みなさま、歯科医へ行き、虫歯の治療をされてましたからね。 >>


わたし自身も病気になれば病院へ行きますし、わたしの家族もみな病院へ連れて行っています。
「因縁を超越する真理」を本当に悟るまでは、世間一般の常識に沿って生活していた方が無難だと感じています。


>>5148

<<>>「霊術で他人の病気を治した者の末路がよろしくない理由」の二面的説明<<
これも、全員がそうだというわけではなく、そういう人が多々あるということだと思います。>>

わたしももちろん、そうだと思います。
現在も、世界中にたくさん志の高い高潔な霊術者の方々がご活躍されているのだと思います。


>>5143での説明その二は、あくまでも、

『術者の心が真理を知らず、ちょっと隙ができたとなると、その害悪の念波が術者を襲うことになり、
心霊術家の末路はおもしろくないといあれるようになるのでありまして…』

と雅春先生もおっしゃっているように、術者が「因縁を超越する真理」を悟っていない場合に起ることなのだと思います。

志恩さまも、お母さまも、竹内先生も その後、「生長の家」にご縁があったのですね!
おそらく、当時はたくさんの霊能力者の方々が「生長の家の真理」で救われていたのではないかと感じています。

5151志恩:2015/01/30(金) 12:18:36 ID:.QY5jUA6
a hopeさん
>>5143での説明その二は、あくまでも、

『術者の心が真理を知らず、ちょっと隙ができたとなると、その害悪の念波が術者を襲うことになり、
心霊術家の末路はおもしろくないといあれるようになるのでありまして…』

と雅春先生もおっしゃっているように、術者が「因縁を超越する真理」を悟っていない場合に起ることなのだと思います。

志恩さまも、お母さまも、竹内先生も その後、「生長の家」にご縁があったのですね!
おそらく、当時はたくさんの霊能力者の方々が「生長の家の真理」で救われていたのではないかと感じています。<<

a hopeさんの 仰る通りだと私も思います。
だって「生命の實相」は、2000万部、2 0 0 0 万 部 もですよ、売れた空前の大ベストセラー本なんですから、

アクエリアンさんがご紹介下さったモーリーさん以外にも,隠れ生長の家人の甚大な数の人が、地底に潜んでいると想像できますものね。
やめちゃったかどうかは、しりませんけれど。。。

5152a hope:2015/01/30(金) 23:19:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p193 2行目〜

井上――念は自己から発射されて自己を放れてしまい、あたかも発射された弾丸(たま)のように自己から独立した念波は、弾丸が物に当たって運動慣性がなくなるように、目的を達した後は自然に消えてしまうということは解りますが、念を発したならば、自己自身がその念の印象を受けて、それを業として背負わねばならないということを承りますと、わたしにはこの問題の方が重大です。

この自己自身が業として背負わねばならぬ念の印象、念の習慣性というようなものは実に恐ろしい気がします。この業の解消法というものがありましたら、それを詳しくお教えしていただきたいと存じます。


(a hope所感)

この後この井上さんの質問に対して、雅春先生がとても詳しく沢山の例え話を交えながら「業の流転」の仕組みをお答えくださっています。

その中でもわたしが、特に印象に残ったところは、p199の4行目からの文章で、
「病念をまだ一度ももったことのない生まれたばかりの赤ちゃんがなぜ、病気にかかるのか」ということが説明されている箇所です。

その個所をつづけて抜粋謹写させていただきます。

5153a hope:2015/01/30(金) 23:20:41 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p199の4行目〜

・・・こうしてわれわれは生まれながらにして、いろいろな業をもっている、この業の内容というものは蓄積されたる過去の念でありますから、赤児(あかご)はまだ病気というものを思ったことがないのに病気しているから、病気というものは念のあらわれだということは承認できないといわれる人があっても、それは見当違いでわれわれは生まれながらにしていろいろな業をもっているということが解れば、疑問が氷解するのであります。

この業は幾度も生まれ更わった霊魂ほど現世、幽界を度かさねて浄化作用を営んでおります。で現幽両界の境を超ゆる時、および幽界にて浄化を遂げるうち、神の摂理によって業の濾過作用が行なわれているので、この業の濾過作用の一つは過去世の記憶のいっさいを拭い取られてくるということであります。

ですからわれわれの小児時代は比較的清らかでありますが、必ずしも幼児の心はキリストの言ったように天国の心ばかりはもっていないで、生まれつきの意地悪や、盗癖なども持っています。これは過去世の業を持ち越している証拠です。・・・

5154a hope:2015/01/30(金) 23:27:27 ID:cEpBaIdo

>>5153 a hope所感)

わたしは自分の子供達をくらべ見てみますと、みな自分と主人の子供で、同じように育てているつもりなのですが、
それぞれ持って生まれた性質も違いますし、成長するに従がって、得意なことや、好き嫌い等もハッキリ別れてきています。

そのことは、本当に不思議に感じていましたが、前世からの「業の流転」であると考えるとすべてが納得できます。

「業の流転」を考えて子供達を見直してみると、なんだか子供たちの悪癖まで、すべてが愛おしく感じられてきました!

5155a hope:2015/01/30(金) 23:36:14 ID:cEpBaIdo

>>5151 志恩さま

<<だって「生命の實相」は、2000万部、2 0 0 0 万 部 もですよ、売れた空前の大ベストセラー本なんですから、
アクエリアンさんがご紹介下さったモーリーさん以外にも,隠れ生長の家人の甚大な数の人が、地底に潜んでいると想像できますものね。>>

本当ですね。
そんな素晴らしい聖典「生命の實相」をないがしろにしている、現「生長の家」教団はクレイジーとしか思えません。


今の教団が恥ずかしくて、「自分は生長の家の信徒だ」とか「自分は生長の家の信仰をしている」とか公言できずにいるたくさんの方々が、
志恩さまのおっしゃる、『隠れ生長の家人』と言う訳ですね。

わたしもその一人ですが・・・。

5156志恩:2015/01/31(土) 06:34:19 ID:.QY5jUA6
5154:a hopeさん

神様から 授かった 子供たちは、神様から 預かった 子供達だと教えて頂いていますものね。
前世において深い縁(えにし)のあった人たちが、自分のところへ来てくれてるようです。

自分が居たと 同じ星から来た人もいれば、違う星から来た人もいるようです。
うちは、3人の子がいますが、a hopeさんとこのお子さんたちと同様、3人とも、それぞれ、性格が ちがいます。

小さいときは、いろいろと、子供はやるもんで、大人になってから、なんで、あんな危険なことを したんだろう、と
自分で言って、笑ってますよ。

うちの子供達、特に娘は、幼い頃は、うちが小高い丘のてっぺんにあるせいか、どんな高い所も
怖くない性格だったんですよね。高所安心症?

あれは、娘が、4、5歳くらいだったかしら、近所にマンションが建つので、大手の建設業社が、地面の造成工事をしてて、
どのくらいの はしごの長いクレーン車だったか、工事現場に、クレーン車が、置きっぱなしになっていたんです。

日曜日ですから、工事は休み、白いテントを 敷地の周囲に、ハリメグラシテあり、
「立ち入り禁止」の札が、吊るしてあるのもかかわらず、うちの子達3人は、日曜日、テントをくぐって、こっそり、敷地内に入って行った。
長男と次男は、低学年。女の子は、幼稚園。

3人が、敷地内に侵入した共通の目的は、クレーン車の、あの高い高い はしごのてっぺんまで、登ってみる事(汗)。

なにも臆せず、先頭を切って、どんどんと、当たり前のように、目標のクレーン車のはしごのてっぺんまで 登って行ったのは、娘だったそうです。

二人のおにいちゃんは、半分も登らないうちに、怖くなって、やばい、やめよう.降りよう、帰ろうと、言ったけれど,妹は、
高いところが ぜんぜん怖くないタチなので、お兄ちゃんたちが、制する言葉も きかず、

娘は、ひとりで、てっぺんまで 登って行ったそうです。あとから 娘に聞いたところによると、
その時は、なにせ、目標の てっぺんに いくことしか、頭になかったそうです。

娘は、一人ではしごの てっぺんまで 行っただけじゃなく、おまけに、てっぺんまで行く途中のところに、少しだけ 広くなってるところがあり、
そこで、おにいちゃんたちに、「こわくないよ」と言って、
でんぐり返しを してまで、みせたそうで、それで、てっぺんゆきの目標を達成したので、何事も なかったように、
満足そうな顔をして、降りて来たそうなんです。(あれは、登るときより、降りるときのほうが、落ちる危険性が高いと思います)

その直後は、3人とも親に言うと,𠮟られると思って、しばらくは、内緒にしていましたが、しばらくたってから、子供達は、私に打ち明けてくれました。
誰かを いじめるとか、迷惑を かけるということは、その点は、厳しく言っていたので、あまり なかったと記憶していますが、

後で聞いたら、身が縮むような悪さは、そのようにしていたんですよね。

あの時、子供達が、誰ひとり、クレーン車の高い はしごから落ちて、
死んでなかったのは、神様、産土神様、ご先祖様のご守護のお蔭ですけれど、本人も、まだ、この世に 生きる使命があったからだったと思います。

(娘の娘たちは、あの頃の年齢ですが、恐がりなので、そのようなことは、していません。)

5157志恩:2015/01/31(土) 06:41:43 ID:.QY5jUA6
たしかに、今の生長の家は、本来の生長の家とは、別物になってしまいましたから、
私は生長の家ですと、世間に いいずらくなりました。

教団本部からみたら、雅春先生の「生命の實相」を基に生きているわれわれは、大東亜戦争に関する
考え方でも、ウルトラ右翼に見えるのでしょうけれど、

教団は、ウルトラ左翼ですからね。

雅春先生と雅宣総裁は、真逆の世界を生きておられます。

5158a hope:2015/01/31(土) 12:48:36 ID:cEpBaIdo

>>5156志恩さま

お子さんたちの小さい時のお話を聞かせてくださりありがとうございます。
お話を拝見していて、その時の状況が目に映るように想像できました。

そのおてんば(?)だった娘さんも、今は二人(?)の娘さんのお母さまなのですね。
でもその娘さんたちが、お母さんと違う「恐がり」という性質なのもまた何か意味がありそうですね。


<<神様から 授かった 子供たちは、神様から 預かった 子供達だと教えて頂いていますものね。
前世において深い縁(えにし)のあった人たちが、自分のところへ来てくれてるようです。>>

<<あの時、子供達が、誰ひとり、クレーン車の高い はしごから落ちて、死んでなかったのは、
神様、産土神様、ご先祖様のご守護のお蔭ですけれど、本人も、まだ、この世に 生きる使命があったからだったと思います。>>


「児童教育に関する神示」は子育てにおけるわたしの心の支えとなっている神示ですが、
その中にも、

『・・・神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。
人間の子だと思うものは終世、取り越し苦労をして育てねばならぬ。
子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬して出来るだけその世話をさせてはいただくが、
神が守ってい給うと信ずるがゆえに取り越し苦労は必要はないのでる。
人間力で子供を生かしうると思うなら終日終夜起きて子供の番をしておれ。
それはできなかろう。
できない間に子供を生かしているのは神の力である。 』

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/3879

とありますものね。

子供を自分の所有物だと思って育てていると、子供を心で拘束してしまうのだと思います。

子供には子供の「神の子」としての使命があるのだから、
その使命を全うできるように感謝してお世話させていただきたいと思います。


志恩さまのお話はいつもとても具体的で解り易いので、閲覧者の方々も楽しみにされていると思います。

わたしも、いつもほとんど一人でweb誌友会をさせていただいていますので、
時々でも志恩さまやトキさま、その他の方々が参加くださると、ホッとします。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。 

感謝 合掌。

5159a hope:2015/01/31(土) 19:37:37 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p199 後から1行目〜

・・・過去世の業のうち、善くないものとしてわれわれの主として持ち越して来るものは、(一)個我をありとする念、(二)物を有りとする念の二大業であります。これが我欲の根本となり、たいていの人は本能的に個我を有りとして愛するがために、「物」本来ありと思うがために、「我」に少しでも「物」を所得せしめておかなければ自分自身を保護することができないと思い、己を愛し己を保護せんとして、遮二無二突貫して行きますから、自分自身を愛するのに邪魔となるもの、自分から「物」を持ち去ろうとするものに対しては、それを憎む念、憤る念を誘発しやすい傾向をもっております。これを業の催しと申します。・・・

(中略)

・・・この業の催しの中心力となるものは「個我を有りとする念」と「物を有りとする念」とでありますが、本来われわれは大生命と一体であって、個我はない、実在するいっさいは霊的大生命の所現であって、「物」は無いのでありますのに、なぜ、「個我」をありと思う念が起こり、「物」がありと思う念が起こったかと申しますと、現象界というものは、時間空間の縦横組み合わせのフィルムの上に映し出されますので立体写真的に写され、フィルムの一駒一駒中の映像を空間的に実在すると思い違いしやすいのです。その結果は一駒一駒を全体としての一つの流れに融け込ますことを惜しく思うのであります。・・・

(中略)

・・・つまり、個我と個我の所得に執着するときは、現象界は善い具合に順調に運ばないのであります。それで釈迦は「個我は無い」「所得はない」「無我」「無所得」ということを強調されたのであります。無我、無所得であることが悟れて、個生命が我執で執着しなくなったとき、現象界のフィルムは自動的に淀みなく回転し、一駒一駒のフィルムは全巻のフィルムの中に融け込んで一体となり、そこに現象界なるスクリーンには完全なる生命的映画が映ることになるのであります。

一駒一駒のフィルムが全巻のフィルムに融け込むとは、無我になって全体のために、または愛他的のために奉仕するということです。人を救い国のために尽す時のわれわれの心持ちの何物にもたとええぬ快さはここからくるのであります。この時には過去の持ち越しの自利的我欲的な業に縁を与えませんから、そういう業の催しは起らず、いったんかかる善業を積んでおきますと今後同様の縁が与えられる場合には前の善業が働き出して比較的容易に全体奉仕または愛他的の行為ができます。・・・

5160a hope:2015/01/31(土) 19:42:36 ID:cEpBaIdo

>>5159 a hope所感)

今回のテキストである第15巻の最後(p192〜204)に「業の流転」についての説明があるのですが、ここのところのご説明は、
唯物論者や、「生き通しの生命」を信じていない方々には、とても理解しがたい内容なのではないかと感じています。

わたしは以前、仏教に興味をもって少し勉強したことがあるのですが、その時にはまったく「無我」「無所得」の意味が解りませんでしたが、
今回、雅春先生のここのところのご説明を拝読して、やっと意味が通じました。

ですが、真理の「意味が解る」のと「悟る」のでは全く違うと思うのです。

『無我、無所得であることが悟れて、個生命が我執で執着しなくなったとき、現象界のフィルムは自動的に淀みなく回転し、一駒一駒のフィルムは全巻のフィルムの中に融け込んで一体となり、そこに現象界なるスクリーンには完全なる生命的映画が映ることになるのであります。』

現象界が上に抜粋した文章のような状態になって、自分の前に地上天国が顕われたとき、その時が本当に悟れた時なのですよね・・・。

「雅春先生のお書きになった聖典や愛国書をそのまま後世に伝え残すこと」も「生長の家」にご縁があった信徒の大切な使命なのかもしれませんが、
わたしはそれが雅春先生の本当の御遺志ではないと思うのです。

「わたしたち信徒一人一人がその聖典の真理を学び続けることで、雅春先生のお悟りに少しでも近づき、人類を光明化し続けること。」
それが雅春先生が一番お望みになっていることであり、本当のご遺志だったのだとわたしは理解しています。

今現在、雅春先生の聖典が地上からすべて消え去ってしまったわけではないのですから、
今手に入る聖典を熟読し、雅春先生のお悟りに少しでも近づくこと、それが一番雅春先生がお喜びになることなのだとわたしは信じています。


ところで、今日で、1月も終わりです。
明日になりましたら、第32回 web誌友会を開会させていただきます。

感謝 合掌。

5161a hope:2015/01/31(土) 19:45:52 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第32回 web誌友会 予告

期間   2月1日〜2月28日まで
テキスト 「生命の實相」第16巻 人生問答篇 下
内容   人生の悩みを解く(下)
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5162a hope:2015/02/01(日) 00:26:56 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p204 3行目〜

・・・業はどこにある。捉えんと欲しますれば、鏡にうつる波動的映像ですからどこにも本来ありません。本来無いものでありながら波動であるがゆえに何全何万年も経ましてもその力の流転を継続するものであります。石炭が燃焼するのは、実は数百万年前の木材の業の流転であります。この業の流転こそ、現象宇宙進化の大原動力ともなるのであります。

人間も業は恐るるに足らず、業が集積し流転しこれによって現象人間が進化するのであります。だから悪業を積む、病気になる、心が神に向かうというような経路によって高められる人が大勢あるのであります。それはなぜか。業の流転の奥には必ず実相があるからであります。

鏡面(かがみ)の中に映像が映るのは源(みなもと)に実体があるからである。映像がしだいに実相の完全さを映すように運命つけられているのであって、決してショーペンハウエルの言ったように盲目的意志に導かれているのではありません。業を恐れず、業をきよめつつ業を積んでゆく時、人生はただ光明への旅路となるのであります。

『生命の實相』(頭注版)第十五巻 <<完>>

5163a hope:2015/02/01(日) 15:24:36 ID:cEpBaIdo

2月に入りましたので、第32回web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5164a hope:2015/02/01(日) 15:26:40 ID:cEpBaIdo

つづきまして、今回のテキストである 第16巻の「はしがき」を謹写させていただきます。

「生命の實相」第16巻  

はしがき

わたしが兵庫県武庫郡住吉村で生長の家を始めたころに集まってこられた求道者との対談や、質問に対する回答の筆録は、今ではなかなか得がたい文献になっているのである。なぜなら、今ではあまりに生長の家の人類光明化運動が拡大してその規模が大きくなり、数名の熱心な求道者や悩んでいる人たちにしみじみわたし自身対談して個人指導を与えている時間的余裕がないからである。

昨今、わたしは大都会では大講堂で四、五千名を一堂にあつめて真理の講演をするし、小都会でも一千名より聴衆の少ないことは稀である。個人個人の悩みを親しくきいてあげ、その求めるところにしたがって回答を与えて差し上げることはまことに尊いことである。しかし、このように運動が拡大してくると、数人または一人ずつに対談していることは時間的に不可能となったのである。

講演または講習会によって大量に教化するより仕方ない。そうしてみると、わたしの住吉在住時代の対談の記録には講習会では得られないしみじみとした深いものが、その在々所々に真珠のように鏤刻(るこく)されているはずである。そのころにはテープレコーダーもなかったし、わたしの貧しい経済では速記者をやとうこともできなかったから、その記録は、会が終わってから、わたし自身がその場の光景や雰囲気を思い浮かべながら書いたのである。

書くにしたがって次々とその光景があらわれ、対話そのままが髣髴(ほうふつ)とあたかも霊示できくかのように浮かび上がってくるものであるから、翌月の『生長の家』誌にその記事がのると、翌月求道の集まりに集まって来られた人たちから「先生はどこかに速記者を隠しておいて筆記せられたのではありませんか。まったくあの場そのままの雰囲気と対談とが再現されている」と誉められたものである。


本巻に収録されている問答は、霊魂および心霊問題に関する多くの疑問や、因縁因果や、業に縛られて幸福になろうと思ってもなかなかなれない人たちに、その業因から解脱する方法についてこたえたものが多いのである。霊媒に出てくるいろいろの現象のうちには、真(しん)の霊魂の憑依ではなく、たんなる念の感応や、象徴的に動物霊の形をもってあらわれて来るものもある。

詳しいことは本文を読んでもらうより仕方ないが、いっさいの不幸は「迷い」から生ずるのである。よろしく、迷いから脱却すべきである。そのほか病気や老衰現象を克服して、この世に生を受けているかぎりにおいて健康であるにはいかにすべきかなどのことも取り扱われている。それらの問題はすでに『生命の實相』第一巻から第四巻(本全集及び携帯版では第一巻かた第八巻)の間に詳しく説かれてきたのであるが、なお十分納得のゆくように個人的に相談された場合にいちいち答えた章もある。

最後の章は、わたしが家庭光明寮という花嫁学校で若い人たちを指導していたころに、そこから巣立ちして人生に出発しようとする卒業生に贐(はなむ)けした言葉である。今では、この花嫁学校は広島県府中市本山町見晴団地に生長の家養心女子大学寮という名称で、嫁入前の娘さん達に家庭の諸芸と共に精神的修養を与える機関として経営されている。あまりにも終戦以来、生活の理想を失って止め度なく暗黒の道にさまようて行こうとする若い人の多きとき、この養心女子大学寮がこれらの若き女性に対してなんらかの光明を与えるものとなれば幸いだと思っている。

昭和三十八年 七月 十日  

著者しるす

5165a hope:2015/02/01(日) 15:30:08 ID:cEpBaIdo

トキさま みなさん こんにちは


今回も、こちらで第32回web誌友会を開催させていただけることに心から感謝いたします。 合掌。

ですが、わたし自身なぜこの「生命の實相」の学習会でもあるweb誌友会を
こんなにも熱心に続けているのか時々不思議に感じています。

一体、いつからこんなことを続けているのかと思って、第1回web誌友会がいつだったのか探してみました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1324435617/1735

そしたら、なんと2012年の4月14日にこの掲示板の部室板で第一回目の誌友会をしているのです。
今年は2015年ですから、もうすぐ3年になりますね。

当時は「訊け」管理人さまがとても楽しい司会進行をしてくださっていて、
ユタカさまも「おみくじ」なんかを用意してくれたりして盛り上げてくださっていて、
たくさんの方々が参加されて和やかな雰囲気の中で誌友会をしています。

また、そんな感じで誌友会ができたらどんなにうれしいことでしょう!

みなさま、どうぞご気軽にご参加くださいね。

5166トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/02/02(月) 10:49:34 ID:jnvqNl/M
>>5164

a hope様、いつも誌友会のお役を務めてくださり、心から感謝申し上げます。

 少し本題から外れますが、戦前はもちろん、戦後しばらくも谷口雅春先生と信徒が直接の
交流を持つことは普通だったみたいです。古い信徒さんの話を聞くと、谷口雅春先生と奈良
の橿原神宮の勤労奉仕で一緒にモッコをかついだ、とか、谷口雅春先生ご夫妻を囲んで、
ご講演後にお食事会を開いた、という話をよく聞きました。

 現在の信徒はもちろんのこと、昭和30年以後入信の信徒さんは、谷口雅春先生といえば
遠くから拝む存在になっていますが、それ以前の信徒さんが異口同音に言われるのが、
「人間味のあふれる、暖かい人柄」ということでした。

 明窓浄机に、谷口雅春先生が奥様のお手紙を引用して、組織が拡大し、人間が増えすぎた
ために、人との交流がおろそかになった点を憂いておられる御文章が掲載されていますが、
谷口雅春先生の真意が、この御文章にも伺えると思います。

 心して学びたいと思います。皆様のご参加をお待ちしております。

合掌 ありがとうございます

5167a hope:2015/02/04(水) 11:53:26 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p13 後から1行目〜

船橋――・・・(略)
・・・わたしは以前は軍医でありましたが、軍隊などでは二、三種の一定の薬剤をどの病気にも使うのでありまして、それを服(の)ませて次の診察の時が来ると「どうじゃ、もう治ったろう」と命令のように怒鳴りつけると、兵卒などはその瞬間気を呑まれて気をつけの姿勢をして、間髪を容れず「ハイ、治りました」と答える。

「治らない」などとは絶対に言わせない。「治った」とこっちからも言えば、あっちからも「治りました」と言う。両方の言葉の力で治してしまう。治らないなどと言えば厳しいいっそう痛い治療法を受けさせられる。「軍人たる者が、これくらいの病気で弱ることがあるか!」と一喝される。いやでも治ったといい、また治ってしまわなければならぬ。治らないと損だから治ってしまうのであります。

谷口――そうです。病気に対しては、寸毫(すんごう)も妥協するような気持があってはならないのです。病気である方がなんらかの利益があるとか、都合が良いとか、その病気というものを口実にするような気持が少しでも潜在意識の底にあってはその潜在意識が病気を製造することになるのです。・・・

5168a hope:2015/02/04(水) 11:54:50 ID:cEpBaIdo

>>5167 a hope所感)

この船橋氏と雅春先生の御会話は、わたし自身も経験としても思い当たることが沢山あります。

自分自身が小学校の高学年だったころ、練習不足だったリコーダーの発表の直前に激しい腹痛が起きて保健室に運ばれました💦
あれは、仮病ではなくて本当にすごく痛かったですし、顔色まで真っ青だったそうなので友達が心配してくれたのを覚えています。

わたしの子供達も学校で嫌な事があったときなど、朝なかなか起きてこないで、「頭がいたい」「お腹が痛い」「気持ち悪い」などということが良くありますが、
一応額に手を当てて大した発熱がない場合は、わたしが気合をいれて「えー、でも○○ちゃん今朝はすごく顔色もいいし、元気そうだよ!」と断言し、
「学校行ってみて、それでも調子悪かったら、先生にすぐに言うんだよ!お母さんがすぐ迎えに行ってあげるから・・」と
有無もいわさず支度をさせて学校に行かせてしまいます。
そうすると、ほとんど何事も起きず、元気に学校から帰ってきます(笑)

ですから、わたしは「病は気から」ということわざは、真理であると確信しています。

5169トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/02/04(水) 20:23:19 ID:q.BS7ms2
>>5167

 この船橋さんは軍医さんだったみたいですが、思い出した事があります。

 先の戦争でビルマ戦線にいたお医者さんの回顧録では、前線で負傷してようやく
野戦病院にたどり着いた患者さんに優しい言葉をかけると、そのまま気が緩んで
亡くなるケースが多かったみたいです。そのため、患者が到着すると、あえて
厳しい言葉をかけたり、場合によっては殴ったりしてから、病院に収容したと
聞いています。

 言葉の力が生命をも左右するという事でしょう。

5170a hope:2015/02/05(木) 23:58:49 ID:cEpBaIdo

>>5169 トキさま

「気が緩んで亡くなる」というトキさまのお話を聞いて思い出したのですが、
海上で何日も漂流して衰弱している遭難者が他船を発見した場合なんかでも、
自分が救助されるとわかった瞬間、「気が緩んで」死んでしまうこともあるので、
そのように衰弱している遭難者を発見した場合は、焦らしながら遠回りに徐々に救助に向かうようですね。

「生きたい」という欲望は、言いかえれば現象世界や肉体への執着でもあるわけですが、
「これで助かった!」と思った瞬間「気が緩んで」、本望ではなく霊魂が肉体から離れてしまうということなのでしょうか・・・?


ところで、「魂は生き通し」であり、本来人間は「死ぬ」ということはないわけですが、
その真理を悟らずに、現象世界や自分の肉体に執着しながら亡くなってしまった霊魂は、
自分の肉体が死んだということを理解できず迷ってしまうことがあるようです。
そうすると、成仏できませんから、憑霊となって誰かに善くない念波を送り病気にさせてしまうこともあるようです。


その具体例のようなお話がいくつか、テキストのp16の5行目からされています。

特に「前妻の逆念」のお話(p23 2行目〜)などは、雅春先生「生命の実相」の真理によるご解説がなかったら
「恐ろしい怪談」のような内容です(/ω\)

5171a hope:2015/02/06(金) 09:59:54 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

今回も、大熊先生が素晴らしいご講話を you tube に upしてくださいました!

「肉体としての命も大事でありますが、精神・魂としての生命(いのち)も大事であります。どちらも大事であります。
本当の、本当の、本当の生命(いのち)を大事に生きてまいりましょう。
うれしい 楽しい ありがたい うれしい 楽しい ありがたい
今日は人生最良の日だ 今日は人生最良の日だ 今日は人生最良の日だといえるような人生を歩んでいきましょう」

わたしは宇治の練成で大熊先生のご講義は受けたことはありませんが、
大熊先生のこの講話を拝聴していると、宇治の練成が懐かしく思い出されました。

これぞ、「生長の家」のご講話ですね!

愛を生きる <いのちより大事なものがある>
http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

5172a hope:2015/02/07(土) 00:12:01 ID:cEpBaIdo

(a hope 赤線ヵ所)

<<谷口―― 父の霊魂は決して子供を病気にするために念波を送っているのではないのです。ただ自分の肉体が死んでしまっているという自覚がない。自分が霊界に属していてこれから霊界の修行にいそしむべきであるという自覚がなく、あくまでも自分自身が現実界に属していると思っているから現実界に執着がとれない。執着がとれないから現実界への執着の念を送る。ところが、その念が苦しんでいる人の念、病気の人の念ですから、それを受ける人が病気になるのです。>>p19 2行目〜

<<谷口――・・・(略)・・・その病人の救われる唯一の道は肉体死後にも人間の生命は存続していて、依然として生きているという事実を話してあげるほかはない、病気は本来存在しないという真理を悟って死ねば、死後その病気は治っているけれども、意識というものは肉体の産物だと思って、肉体が死ねば意識がなくなるものだと思っている人が、死後霊界において意識を回復した時には、自分は生きていると思い、肉体もあると思い、自分は病気だったと思い出すと、霊界における自己の状態は自己の念の客観化でありますから、自分の身体(この時は、もう肉体ではなく幽体であります)が、やはり病気だったと思っているのです>>p21 後から4行目〜

<<こういうように一家の家庭的乱れというものが、一人の迷える霊魂を導くだけでこんなにも改善されてくる場合があるのであります。だから先祖とか親類縁者の祭祀(まつり)というものは決しておろそかにしてはならないのであります。
この祭祀に幽斎と顕斎とがありまして、顕斎とは形の上の御宮とか仏壇とか各宗で定められた一定の形に顕れた方式で祀るのであります。幽斎というのは心をもって心に相対するので、精神統一をして実相を念じ、人間の実相が円満完全であって悩みも病もないという念を霊界の諸霊に放送してあげて、念波によって霊界の諸霊の苦悩を除いてあげるのであります。
これは相手たる霊を生前の名前で招(よ)び出して置いて、一緒に神想観をするつもりでやられてもよい。念だけで頼りなければ、言葉で真理を説いてきかすがよい。それには聖典の「實相篇」を読んできかせてあげるのがよろしい。>>p30 2行目〜

第1章「念の病気に及ぼす力」終わり

5173a hope:2015/02/07(土) 00:13:45 ID:cEpBaIdo

>>5172 a hope所感)

この第1章を拝読して、わたしにも先祖供養の大切さがよくわかりました。
この対談のあった時代にはまだ聖経「甘露の法雨」がなかったのでしょうか?
ここでは、雅春先生は先祖供養には生命の實相の「實相篇」を読んできかせるようにとのご指導をされています。

あらためて「甘露の法雨」を読誦してみますと、この第1章の雅春先生のご指導内容は〝霊〝 の項目にそっくりだと感じました。

以下に、謹写させていただきます。 合掌。

5174a hope:2015/02/07(土) 00:19:13 ID:cEpBaIdo

「霊」

感覚はこれ信念の影を視るに過ぎず。
汝ら霊眼を備えて霊姿を視るとも
実在を視たるに非ず、
感覚にて視得るものは
すべて心の影にして第一義的実在にあらず、
霊姿に甲乙あり、
病める霊あり、
苦しめる霊あり、
胃袋もあらざるに胃病に苦しめる霊あり、
心臓も有(も)たざるに心臓病にて苦しめる霊あり、
これすべて迷いなり。

斯くの如き霊、人に憑(よ)れば
憑られたる人或は胃病を顕わし、
或は心臓病を顕す。

されど霊覚に映ずる
さまざまの苦しめる霊は、
第一義的実在にあらず、
彼らは誤れる信念によりて
流転する迷いの影なり。

迷い迷いて流転する心は
その信念が形となりて仮の相(すがた)を現ずべし。

されど如何に相を現ずるとも
仮相(かりのすがた)は永遠に仮相(かそう)にして実在となることを得ず。
汝ら、実在にあらざる物を恐るること勿(なか)れ、
実在にあらざる物を実在せるが如く扱うこと勿れ。

実在にあらざる物には実在をもって相対せよ。

真にあらざる物には真をもって相対せよ。

仮相(かりのすがた)に対しては実相を以て相対せよ。

闇に対しては光をもって相対せよ。

非実在を滅するものは実在のほかに在らざるなり。

仮相(かりのすがた)を破るものは実相のほかに在らざるなり。

虚妄を壊(え)するものは真理のほかに在らざるなり。

闇の無を証明するものは光のほかに在らざるなり。

彼らに生命の実相を教えよ。

彼らに生命の実相が神そのものにして完全なる事を教えよ。

神はすべてなるが故に
神は罪を作らざるが故に
神のほかに造り主がなき故に
此の世界に犯されたる罪もなく
報いられるべき罪もなきことを教えよ。

三界の諸霊
三界の諸生命
この真理を観じ、
この真理をさとりて、
一切の苦患(くげん)の源となるべき
顛倒妄想(こころのまよい)を摧破(さいは)すれば、
天界の諸神(しょじん)ことごとく真理の合唱(コーラス)雨ふらし
現世(このよ)の生命ことごとく光を仰ぎ、
惑障(わくしょう)ことごとく消滅し、此世はこの儘にて光明世界を示現せん。

5175a hope:2015/02/08(日) 23:30:45 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p31

山本――(画家、山本博士の息)―― 僕には神様があるということがどうしても解らないのです。それが解ったら安心できるのです。


(a hope所感)

第二章「治す念波の話」は、この画家である山本氏の発言から始まっています。

「生長の家の教え」では、「人間神の子」が真理だとされていますが、
ここでは雅春先生は「神の子」とは言わず『「自分が神だ」というのが「生長の家」の信仰なのです。』
とお答えされています。

「生命の實相」を拝読してお勉強しているかぎり、わたし自身は「人間は神の子である」という言葉より、
「人間は神である」という言葉の方が、ずっとすっきり納得できます。

ですが、「人間は神である」と表現すると、実相世界の存在を知らないほとんどの人が
「現象人間」のことを神だと言っていると勘違いをしてしまうからでしょうか・・・

いつの頃からか生長の家でも「神の子」という表現が定着していったのですね。きっと・・・

5177a hope:2015/02/10(火) 00:33:22 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p31 

谷口―― 自分のそとに神様を求めるから解らなくなるのです。自分の内にある生命力――これを神様と見ておれば、だいたいまちがいないのです。自分をアミーバ-のような小体から、現在のような複雑微妙な人体に造り上げた不可思議な生命力――この生命力は、どんな医学者、生物学者よりも、偉大な力をもっている。どんな医学者、生物学者でも胃袋の一片をも製造することができない。

学者は、この不思議な生命力の歩いた足跡を調べてみるが、それは不思議な生命力の行く先にいろいろ実験的に何物かを置いてみて、こうすればその生命力はどういうふうに歩みを変えるかと観察しているにすぎないのです。学者は観察する、ただそれだけです。創造(つく)るのは神のみです。自分の内にやどる生命力のみです。


山本(医博、画家の父)――なるほど〝There is no God, I am God.〈神は余所(よそ)にいない、自分が神だ〉というわけですね。三十年前にわたしはインディアン・コイン(インディアン貨幣)を手に入れたことがあります。だいぶ古いものですが、四角な銀で造ったものでして、それに梵語でなにかかいてある。それを二人の外国人に翻訳させて、両方比較してみて誤訳のないことを確かめてみたのですが、それは「神は余所(よそ)にいない、自分が神だ」と書いてあったのです。

「自分が神だ」――わたしは余所へ交渉に出かけるようなときには、このインディアン貨幣を持って出ると必ずその交渉に成功する。妙なものですねえ。「自分が神だ」という観念があるので、心に自信力ができて心の力で成功するのですねえ。


谷口―― そうです。「自分が神だ」というのが「生長の家」の信仰なのです。「自分が神だ」といっても何も傲然と構えて相手を軽蔑するわけではないのです。自分が神だと解ったら他(ひと)も神だと解るのです。だから他をも尊敬するようになれるのです。人皆に「自分は神だ」と自覚させるようにするのが「生長の家」の教えなのです。

ある宗教では神を自分と懸け離れた手の届かないような非常に遠い所にいられるもので、どんなに修行しても近づけないもののように説いていますし、ある一派ではキリストだけが神の一人子(ひとりご)であって、他の人間は神の子ではないようにも説いていますし、またある宗教では、その宗祖だけが神の顕現であって、他の人間は下らない無価値な凡夫のように説いていますが「生長の家」ではみんなに「自分は神だ」というメダルをぶら下げさせるのです。そのアイ・アム・ゴッドのインディアンの貨幣は大変結構な護符ですねえ。

5178a hope:2015/02/10(火) 00:37:33 ID:cEpBaIdo

>>5177 a hope所感)

<<人皆に「自分は神だ」と自覚させるようにするのが「生長の家」の教えなのです。>>

これが、生長の家の「唯神実相」の自覚なのではないかと思うのですが、
だからといって、実際に「自分は神だ」「あなたも神だ」「みんな神だ」なんて言って歩いたら、
気が触れたかと思われてしまいそうですね(;’∀’)

一方「人間は神の子だ」といえばその意味を素直にとれば『人間は神そのものではなくてその子供である』という意味ですから、
わたしには、御親としての「神」が自分の外に存在しているのではないかというイメージが湧いてきてしまい少し混乱してしまうのです。

みなさんはどうですか?

ですが、この対談で雅春先生は、

<<自分のそとに神様を求めるから解らなくなるのです。自分の内にある生命力――これを神様と見ておれば、だいたいまちがいないのです。>>
<<「自分が神だ」というのが「生長の家」の信仰なのです。>>

とはっきりご指導くださっています。

わたしたちはそとに神を求める必要はないのですね!
だって、自分の中にちゃんと神さまがいるのですから・・・そういう意味ですよね?

5179a hope:2015/02/12(木) 09:39:44 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p40 7行目〜

山本(画家)―― 人間に生きる力が宿っている――その力を神と名づける、各人が皆一個の神である。そういえばそういえぬこともないとは思いますが、宇宙にも神があるということ、全体を生かしている神があるということが、どうも解らないのです。

谷口――自分のうちに神秘な生命力が宿っている、それは認める。それならば他の内にも神秘な生命力が宿っている、それをも認めなければならなくなるでしょう。その自分のうちに生きている生命力と、他人のうちに生きている生命力とが、一つの源(みなもと)のいっそう大きな生命力から来ているということは、われわれの内に生きている力が、誰も彼も同じ相似の働きをしているのでも知ることができるでしょう。

誰でも胃袋があり、腸があり、心臓があり、肺臓がある。その細部の構造設計までも似ている。別にある人が発明した「人体」という機械を、他の人が真似をしてこしらえたわけではないのに、その細部の構造設計までが一貫した一つの同じ原理ででき上がっていることを思えば、われわれ各個人に宿る生命力は、各個人の肉体から出る個々別々の力ではなく、全体の生物を一貫して生かしている、共通的生命力というようなものを認めずにはいられないでしょう。

この共通的大生命力――これを称してわれわれは本源の神と呼ぶので、われわれにはこの本源の神の生命力が宿っていて、いろいろ生きた活(はたら)きをしたり、物を考えたりしている。その「活きている自分」というものはこの「本源の神」が宿っていて「自分」となっているのですから、「自分は神だ」ということになるのです。この「自分が神だ」とい真理がわかり、そしていっそう大きな生命に結ばれているということがわかると、われわれはわれわれ自身の内に宿っている大きな生命力に信頼することができ、安心がそこから湧いて来、大きな自己癒能もそこから湧いてくるのです。

5180a hope:2015/02/12(木) 09:41:43 ID:cEpBaIdo

>>5179 a hope所感)

『「われは神と一体なり」そして「彼も神と一体なり」(神人一体の自覚)ならば、「われと彼も一体なり(自他一体の自覚)」、
つまりは、わたしたちは「すべてが一つ」〝Oneness〝 というわけなんですね!!

わたしは生長の家の教えに触れて間もないころ、「実相を観ずる歌」が好きでよく唱えてました。
そして、宇治の練成に参加して、その歌に素晴らしい曲がついていることを知りました。
今回のこの部分の雅春先生のご説明は、この「実相を観ずる歌」の内容とそっくりだと感じました。

実相を観ずる歌

(一)
神はすべてのすべて
神は完(また)き生命(いのち)
神は完き叡智(みちえ)
神は完き聖愛(みあい)。

すべてのものの内に、
神の生命は生くる、
神の叡智は生くる、
神の聖愛は生くる。

神はすべてにして、
すべて一体なれば、
よろずのもの皆共通(ひとつ)の
ちから是を生かせり。

天地(あまつち)の創造主は、
唯(ただ)一つの神にませば、
天地はただ一つに、
いと妙に調和満つる。

吾座す妙々実相世界
吾身は金剛実相神の子
万ず円満大調和、
光明遍照実相世界。
 
(二)
・・・省略・・・

5181ヌん吉:2015/02/12(木) 22:24:41 ID:p..UGkhA
曲、もひとつかな・・・っと。にゃひっ。

5182a hope:2015/02/13(金) 08:13:23 ID:cEpBaIdo

ヌん吉(るん吉)さま?

きっと「ひとつ」だと思いますよ。
魂に響くような善い音楽はもとは「ひとつ」であり、すべてが『天楽』の顕われなんだと思います。

ヌん吉さまは、宇治の練成に参加したことがありますか?
わたしはまたいつか、宇治の練成に参加して「生長の家」の聖歌をみなさんと歌いたいです。

5183a hope:2015/02/15(日) 19:16:10 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p55 後から2行目〜

谷口――神は宮(みや)の中にいないということを知ると共に、本当の人間――「神の子」すなわち真人は肉体の中にいないということを知ることが肝心なのです。それでは肉体の人間は本物でないから、他人にでもその肉体に不親切にあたってやってもよいかというと、そうではないでしょう。

肉体は「真の人間」ではないけれども、われわれは隣人を愛するのに、その隣人の肉体をとおして愛し、隣人をいたわるのにその隣人の肉体を通していたわるしか愛を表す道がないでしょう。愛とはその肉体を象徴として肉体ならざるもの、隣人の神性に敬礼するにあるのです。

それと同じようにわれわれは神が霊であって宮の中にいないのを知る、知るけれどもその宮を象徴として神の霊に敬礼するために宮の前で敬礼をするのです。キリスト教は神殿偶像だといって軽蔑しますが、キリスト自身は神殿を尊敬して、エルサレムの神殿の境内で鳩を売ったり両替する商人を神社の境内を汚すものものとして、彼らを縄の鞭で逐(お)い払ったりしました。

5184a hope:2015/02/15(日) 19:20:58 ID:brQxC10.

>>5183 a hopeまとめ)

○肉体 ―― 肉体は「真の人間」ではないけれども、肉体を象徴として肉体ならざるもの、隣人の神性に敬礼するためにある。 または愛を表現するためにある

○宮・神殿 ―― 神はその宮・神殿の中にはいないけれども、その宮・神殿を象徴として神の霊に敬礼するためにある。 宮・神殿はあってもよく、なくてもよい


(a hope所感)

「わたしのお墓の前で泣かないでください。そこにわたしはいません、死んでなんかいません。・・・」

と「千の風になって」の歌詞にありますが、だったらお墓を建てる必要もないわけですが、
わたしたち人間はおそらくどこの国の人間であっても、身内が亡くなればお墓を建てて供養するのではないでしょうか?

それは、この説明から考えれば、亡くなった方の霊(実相・神性)をお墓を象徴として敬礼するためということになります。

確かに霊は肉眼では見えませんから、礼拝(敬礼)しにくいですし、年月が経つにつれてその存在自体を忘れてしまいがちになります。
ですが、お墓や宮・神殿のように形になって顕れていると礼拝しやすいですし、その存在を忘れてしまうということがありませんね。

一方、肉体をもっているわたしたちは、そのお互いの肉体を霊(実相・神性)の象徴として礼拝し愛することができるのですね。

すべてが「生長の家」の『実相礼拝』ということになりますね!

5185a hope:2015/02/15(日) 19:30:17 ID:cEpBaIdo
>>5183訂正 
最後の段落文中の【  】内の文章が抜けていました。m(__)m

<<それと同じようにわれわれは神が霊であって宮の中にいないのを知る、知るけれどもその宮を象徴として神の霊に敬礼するために宮の前で敬礼をするのです。【この境地に達すると宮は毀(こぼ)たなくともなんの障りにもならないのです。宮はあってもよく、なくともよい。】キリスト教は神殿偶像だといって軽蔑しますが、キリスト自身は神殿を尊敬して、エルサレムの神殿の境内で鳩を売ったり両替する商人を神社の境内を汚すものものとして、彼らを縄の鞭で逐(お)い払ったりしました。>>

5188a hope:2015/02/20(金) 09:55:31 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p41 後から6行目〜

山本(画家)――そういうわれわれに共通した大きな生命がある。その大きな生命に繋がっているということが解ってもわれわれはやっぱり死ぬのが恐ろしい気がします。そうした生命の海というものに没し込んでしまうのは恐ろしいですね。

谷口――死ぬのが恐ろしいのは、この肉体を人間だと思っているからでしょう。あなたは死ぬのが恐ろしいといわれますが、人間は決してしなない、生き通しのものですよ。これが解れば人間は死ぬことが恐ろしくなくなる。死なない者に「死」を恐れるはずがない。死なないから、死を恐れようがないのです。・・・

5189a hope:2015/02/20(金) 09:56:28 ID:cEpBaIdo

>>5188 a hope所感)

「肉体なし」、「死なし」、あるのは「生きとおしの生命」だけであるという『生長の家の根本真理』を、
この後、雅春先生が詳しくご説明くだっています。
そして、「肉体なし」、「死なし」と聞いて、そのコトバの表面だけを捉えて勘違いをして、
現象の苦しみから逃れるために自殺したりする人がいることに警鐘を鳴らして下さっています。

<<・・・現界で病気であって、死んだら肉体はないから病気はないと思って自殺する人もありますが、肉体が死んだ後も霊魂は存続している。霊魂は死の刹那のショックで意識を失うが、霊界で意識を回復すると、なんでも周囲が見えるものだから「自分は生きている」と思う、そうしてその次には「自分は病気だった」と思う、すると「自分は病気だ」という念によって、その霊魂体に病気をあらわす。先日もそういう例がありました。ある霊媒に十七年も前に亡くなった人の霊魂があらわれて来ましたが、依然として十七年前の臨終の苦しみを継続して苦しんでいました。>>p43 6行目〜

現象の苦しみから逃れるために「自殺」するということは、実際には何の解決にもならないということが解ります。

5190トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/02/21(土) 21:42:42 ID:v52dWahU
>>5189

 過去、たくさんの人と関わりを持った中で、この自殺願望の人とも何人もお話をしました。
生長の家の真理をお伝えすることで何人もの人が自殺を思い留まってくださったことは嬉しい
ですが、反面、私の徳が足りないために、亡くなられた人がいることは反省しています。

 これは私の独断と偏見ですが、自殺をする人も内心では生きていたい、と思っています。
しかし、勝手に、他に選択肢がないと思い込んでいるような気がします。パソコンがフリーズ
した時に、リセットをするような感覚でいるのでしょう。しかし、リセットをしても結果は
同じどころか、もっと悪くなると知っていれば、リセットのボタンを押さないように、
自殺をしても、もっと悪くなると知ることが必要だと思います。それに、神様は、
「この世で起きたことは、この世で解決する」という方針でおられますから、解決は
できるのが当たり前です。

 それと、こういう自殺などの問題は、正直、手間も時間もかかり、相談を受ける側
もそれなりの覚悟が必要です。私が青年会の頃は、まだ、こういう問題について、
正面から向き合った人が多かったような気がします。しかし、そういう「手間のかかる」
ことを嫌う風潮が出てきているのは困ったものかと感じます。

 最澄は「一隅を照らすもの、これ即ち国宝なり」と説きました。西洋でも道徳再武装運動
では、「闇夜を嘆くより、一本のローソクになりなさい」と言います。一人の人が自殺を
思い留まり、前向きになってくれたら、それは素晴らしい事だと思います。

 そのためにも真理をお伝えしたいと思います。

5191a hope:2015/02/23(月) 00:56:24 ID:cEpBaIdo

>>5190 トキさま

素晴らしお話をありがとうございます。

生き通しの人生にはリセットボタンはないのですね。

わたしたちはこの現象世界に生まれて色々な経験をすることで、魂が向上していくのですから、
人生で困難に出会うということは、むしろ魂向上の大きなチャンスなのですよね!

ですが、「真理」を知らなければせっかくのそのチャンスも生かせない。

だから、人々にその「真理」をお伝えして、魂の向上のお手伝い(個人救済)をしていくのが、
わたしたち「生長の家の教え」に出会った者の使命なのだとわたしは思うのです。

その伝道すべき真理は聖典「生命の實相」の中にしっかりと書かれていますよね!


たしかに、かつて雅春先生が「政治運動」等の現象問題に対応した運動をされていたことを考慮すれば、
「生長の家」を信仰するということは、聖典の中の真理を人々に伝え個人の魂の救済するというだけでは物足りないのかもしれません。

ですが、今、このように現象の「生長の家」が混乱している状態の中では、
個人の魂の救済という本来の光明化運動をおろそかにしていては、他のどんな運動をやってもうまくいかないのではないかと感じています。

5192a hope:2015/02/25(水) 09:46:32 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p57〜

谷口――何教でなければ救われないというのは、人間の生命を知らないからです。どんな祀り方でなければ、神の気に入らないというのは、神の実相を知らないからです。ある一定の祀り方で祀ってもらわなければ腹が立つというような神なら、それは「神」ではなく迷いでありましょう。

つまり社(やしろ)とか儀式とかによって沽券(こけん)をつけてもらわなければ、自分の「生命の実相」に威厳が出ないと思うからこそ、祀り方のいかんによって腹も立つのでしょう。それは何か他のものを外から付け加えてもらわなければ、自分が完全になれないという弱みがあるから、その外からの付け足しにようが悪いと腹が立つのであって、外から付け加えてもらう必要はないのです。

神は神であるから尊い、神は神であるから自由自在である、神は神であるから円満完全である、その尊さと、自由自在さと、完全さとは外からの付け足しによらず、それ自身の本質にあるのです。人間の生命の尊さも、神の子たる自身の本質にあるのですから、何教でなければ救われないということはないのです。

仏教よし、キリスト教よし、神道よし、なんでなくともよし、何であってもよいのです。人間の生命(たましい)が救われるのは外の力によるのではなく、それ自身の本質が「神の子」であるからです。それ自身の本質が「神の子」でなかったら、外からどんな力を加えても救われるはずがありません。

5193a hope:2015/02/25(水) 09:48:43 ID:cEpBaIdo

>>5192 a hope所感)

「生長の家」の聖典である「生命の實相」だけを拝読していているかぎり、「生長の家」が「天皇信仰」であり、
「光明化運動」が「愛国運動」であるとはとても思えないというのが、わたしの正直な感想です。

ですが、谷口雅春先生も「生長の家」も天皇国であった日本に誕生しました。
それには、とても深い因縁があったのだろうと感じでいます。

5194a hope:2015/02/27(金) 12:09:52 ID:cEpBaIdo

(a hope まとめ)

「生命の實相」第16巻 
二 神社と信仰より


【神はその宮を毀(こわ)されたら神罰を当てるか?】

<<谷口――本当の神様なら神罰は当たらないはずです。本当の神様は神の宮の中にいられないから神の宮を毀(こぼ)っても神自身は汚されようがないのです。神は神の宮が毀(こわ)れたり、立派になったくらいで、自分の神聖さが殖えたり減ったりするものではない。だから神にとっては神殿の立つも毀れるもおなじことです。それほどの神様であってこそ尊いのです。>>p59 2行目〜



【ではわれわれ人間はなぜ、宮や神殿を拝するのか?】

<<われわれが神殿を拝するのは自分の信仰を外に出して形に顕してそれを拝むことになるのです。・・・(略)
・・・それと同じく心のうちにある信仰を外界へ投影(うつした)して拝みたいという人間の要求が宮を作り神殿を構え、神体を安置することになるのです。>>p59 8行目〜



【宮や神殿は実在か影か?】

<<実在の神は霊であって物質に憑(よ)るものではありません。その宮は、人間が実在の神をわが心に反射して、外の形ある姿に翻訳し客観化したのです。画家が「実在の美」を感得する程度にもいろいろあり、その程度に従って絵の形が変わってくるように、人間が神を感得する程度にもいろいろあり、その程度に従って、神の宮や、神体にもいろいろ形が相異してくるのです。>>



【神社が『鏡(かがみ)』を御神体とし拝する理由】

<<われわれが神を祭祀するのに一点「私」の姿を映さないで、立ち向かうものすべてを自分の内に映す「鏡」を御神体として拝するということは誠に意義のあることだと思います。神はすべてを包容して無相(すがたなし)であると同時に、拝む人の心のとおりに顕われ給うのですから、鏡をもって象徴するのが相応(ふさわ)しいのです。>>

5195a hope:2015/02/27(金) 12:12:48 ID:cEpBaIdo


>>5194 a hope所感)

近年、日本各地に点在する小さな神社などが老朽化し朽ち果てていく様子を見ていると、
なんとなく神さまの罰が当たりそうな気がしてしまいますが、
そんな状態であっても本当の神さまは罰を当てるということはないのですね。

その時代の人間の信仰を形に顕したものが宮や神殿であるのならば、現在のわたしたちがその信仰を継続しないのであれば、
その宮や神殿は朽ち果てていってしまうのが当然の結果なのかもしれません。

ですが、当時の人々の念(業)が流転していることを思えば、もし現在も継続してその宮や神殿を信仰し続けるのであれば、
その宮や神殿を拝してきた人々の真剣な信仰態度や伝統を尊重して同じように祭祀し続けるのが当然だと思います。

そういう意味で、今回の雅宣先生の総本山の「鎮護国家外し」や、「ご祭神の変更」は善くないことだったのではないかと感じます。

5196トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/02/27(金) 13:00:50 ID:cw0xKYtE
>>5195

a hope様のご意見に同意します。

と、言うか、こういう祭祀を弄ぶ行為をしたら、それなりの事が起きると危惧しています。

5197a hope:2015/02/27(金) 21:31:41 ID:cEpBaIdo

>>5196 トキさま

<<こういう祭祀を弄ぶ行為をしたら、それなりの事が起きると危惧しています。>>

本当ですね。
神罰は決して起こりませんが、人間の念の憑依は十分考えられますものね。

雅宣先生は「生長の家の教え」のみならず、今までの「生長の家」の伝統的な祭祀の方法なんかまでも自分勝手に変質させてしまっているので、
それまで真剣に伝統的な「生長の家」を信仰してきたたくさんの信徒の恨みを買ってしまっていますからね。

それに、総本山の祭祀の弄びともなると、過去に総本山を拝していて、
今は他界されたたくさんの信徒の方々霊魂の念をも巻き込みそうですね・・・・(◎_◎;)

ですからわたしも、雅宣先生やその方針に従う本部の方々などがその「恨みの念」の憑依を受け、
何か善からぬことが起こるのではないかと危惧しています。

というか、もうすでに「今の教え」を信仰していて、不幸な状態になってしまった人が何人もおられるのですよね?

すべての問題の根本的な原因は「生長の家」総裁である雅宣先生がご兄弟や分派の方々と和解せず、不調和でいるということなのだと思います。

雅宣先生には、ご自分自身とご家族と部下を守るためにも、一刻もはやくそのことに気づいてほしいです。

5198a hope:2015/03/01(日) 21:34:40 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

本当なら、2月が終わり3月に入りましたので第32回web誌友会を終了し第33回web誌友会を開会するのですが、
わたしの勝手でたいへん申し訳ないのですが、「生命の實相」第16巻をもう少し続けてお勉強させていただきたいと思いますので、
今月も第32回web誌友会を続けさせていただきます。

よろしくお願いいたします。 合掌


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第32回 web誌友会 案内 (訂正版)

期間   2月1日〜3月31日まで
テキスト 「生命の實相」第16巻 人生問答篇 下
内容   人生の悩みを解く(下)
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5199a hope:2015/03/01(日) 22:49:26 ID:cEpBaIdo

うのはなさま

独占板でweb誌友会の案内をご紹介くださりありがとうございます。

本当に最近はweb誌友会が地味になってしまいましたが、
わたしは聖典「生命の實相」の勉強は続けることに意義があると思っているので、
マイペースではありますが、これからもweb誌友会続けていかせていただきます。

うのはなさまがいつもわたしを応援してくださっているような気がするのはわたしの思い違いでしょうか?

うのはなさま、わたしは今でもうのはなさまが大好きですよ!
あまり無理をせず、これからもこの掲示板でご活躍くださいね!!

5200a hope:2015/03/01(日) 23:50:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p63 6行目〜

谷口――心霊現象とは名前は心霊現象でも、実は半物質的現象なんです。全然心霊的である場合にはわれわれの五官にそれが見えてこないのですから、心霊現象は成り立たないのです。そこで心霊現象はその実、半物質的現象であるとしますと、この現象は物質的性質を多分に有した霊魂――いいかえると、物質的執着を脱け切らないでいる霊魂と、人格の低い霊媒とは親類筋になるわけですから、「類は類を招(よ)ぶ」の心の法則により、人格の低い霊媒には物質的心霊現象を起こす霊魂がおおむね感じて来るのです。

三枝――霊魂とは実際人間にかかってくるのでしょうか。 『生命の實相』の「創世記」の解釈(頭注版・携帯版では〈十一巻〉愛蔵版では〈六巻〉のこと)によりますと、人間は万物の霊長であるからいかなる霊魂にもかかられるものではないというようなことがありますが。

谷口――それはかかるという言葉の定義いかんによります。第一義的大自覚に入れば、人間は神の子でありますから、いかなる悪霊にもかかられるということはないのです。第二義的には、悪しき霊に憑かられるという信念をもつことによって、悪しき霊の波長に合うラジオ的受信機となり悪しき霊の霊波を感じて、悪しき霊の声を出し、悪しき霊の姿を感ずるのです。それはIOBKの波長に合うラジオの受信がJOBKの声を出し、その放送者と同じ言葉を喋るのと同じです。それは放送者と同じ言葉を喋るけれども、何もJOBKのアナウンサーはここに実際この受信機の側まで来て喋っているのでありますまい。それと同じで、悪霊が憑いて狐つきのような言葉でしゃべったりしましても、悪霊は実際人間に憑いてはいないのです。ただそこには悪霊が在るという夢と、悪霊に憑かれるという夢とがあるばかりです。すべてこの世の悪しきものは神の創造の繁栄ではなく、迷いが反射した白日夢です。

5201a hope:2015/03/01(日) 23:54:06 ID:cEpBaIdo

>>5200 a hope所感)

第一義的大自覚、つまり「人間神の子」「唯神実相」の自覚に到れば、悪い波長と合うということは一切なくなりますから、
悪霊にとりつかれなくなるのは勿論ですが、悪念波を受けて病気や不幸になるということもなくなるわけですね。

この対話のあとに三枝さん御自身が、あまり程度の高くない霊(神)に繫らて、
「神懸かり」状態になった時のお話をされていて興味深いです。p67 後から6行目〜

そして、「神想観」をするために精神統一をするたびに、その霊が懸かって来て「神想観」の邪魔をする、と雅春先生にご相談されています。

このあと、雅春先生は「神想観」の精神統一と無念無想(無想観)の違いをご説明くださっています。p69 4行目〜

5202a hope:2015/03/05(木) 07:52:19 ID:cEpBaIdo
(a hopeまとめ)p69 

「無想観」と「神想観」の違い


○「無想観」・・・精神統一して無念無想になること
→自分で自己を支配する権利を放棄してしまうから、ポカンとしたり、ボンヤリし意識が朦朧となり、他からくる霊波に支配されてしまう


○「神想観」・・・ひたすら精神をあつめて神なる自己の本質を思うこと
→自己の善意識を完全に自己の支配下に置き、意識を明瞭にして一つのことに集中しているので、低級な霊にかかられることは断じてない

5203a hope:2015/03/05(木) 07:53:52 ID:cEpBaIdo

>>5202 a hope所感)

わたしは以前、何年間か、近くの禅寺の坐禅会に参加していたのですが、坐禅というのは、この「無想観」に近いのではないかと思います。

何度参加しても、足は痺れましたし、完全に無念無想の状態になるのはむずかしかったのですが、
ある日、偶然、わたしの坐る場所がその寺の高僧のすぐ近くだったことがあるのです。

その時だけはまったく足も痺れず、自分でも驚くほど意識が集中して、無念無想状態を体験できました。

あの時は、その高僧の高級な念波(氣)がわたしに影響していたのだと思います。

5204a hope:2015/03/05(木) 20:28:46 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p70 3行目〜

谷口――「神想観」というのは心を集めて「生命の実相(ほんとうのすがた)」を想うことですから、必ずしも静坐せねばならぬということでもないのです。 『生長の家』を読むだけでも感激に満ちて、それに書いてある神の子としての自己生命の実相がピッタリと心に自覚できればよいのです。『生命の實相』を読むだけで病気が治るなどの例があるのはそのためであります。

釈迦は菩提樹下で静座している間中、悪魔波旬(はじゅん)に襲われていた。ところが、尼連禅河(ナイランジャナーかわ)で沐浴して心がサッパリした刹那、「なんじゃ『生命』はどんな行もしないでも、このままで完全じゃないか」と自己の「生命の実相」――神性が自覚できた。すると悪魔波旬は逃げてしまった。

ここが肝腎ですね。あなたのように、静坐式のものをすると、直ぐ、常に憑(かか)りつけの霊が憑って来て「神想観」のできにくいというのは、霊がまた憑ってくるであろうという予想や恐怖があるためにそうなるのですから、そういう人は、釈迦が菩提樹下の静坐を捨てて、沐浴一番自己の「生命の実相」を自覚した例に倣(なら)うべきですなあ。

釈然と自己の「生命の実相」さえ自覚(さと)れるなら、その方法はどれでもよいわけでしょう。常に聖典『生命の實相』を読むことを怠らず、我欲を捨てて他のために働いて働いて生活全体が捧げ切ったものとなられるとき自分と全世界とが一体だという「生命の実相」がわかってきます。これが一等穏健な自己の神性の自覚の仕方ですなあ。

5205a hope:2015/03/05(木) 20:30:00 ID:cEpBaIdo

>>5204 a hope所感)

わたしは「神想観」が大好きですが、たまに、雑念ばかり浮かんできてしまい充実した神想観ができない時があります。

そのような時はだいたい、仕事で嫌な事があったり子供たちのことで問題があったりして、
感情が高ぶっていたり、または反対に精神的に疲れきっていたりしています。

わたしは今回、上の雅春先生のご指導内容を読んで目からうろこが落ちました!

これからは、気持ちが乗らない時には静坐式の「神想観」は控えて、聖典「生命の實相」の拝読をするようにしたいです。

それにしても、やはり「生長の家」の信仰には聖典『生命の實相』の拝読は欠かせないようですね!

5206トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/06(金) 20:50:54 ID:1.Hn0ILE
>>5203

 谷口雅春先生が先導をされた「神想観」に参加された方の話では、
霊的な雰囲気が素晴らしく、初参加ですら奇跡が起きたと聞いています。

 霊的な体験も続出したそうです。

 あの圧倒的な雰囲気だけは忘れられない、と話しておられました。

5207a hope:2015/03/07(土) 22:36:05 ID:cEpBaIdo

>>5206 トキさま

谷口雅春先生は真理を大悟されたお方ですから、
それはそれは素晴らしい光明の念波を放っておられたのだと思います。

ああ、一度でいいからわたしも雅春先生に直接お会いしたかったな(≧◇≦)

5208K機関諜報員:2015/03/07(土) 22:58:21 ID:???

昨日、神想観をしていたときのこと。

瞑目合掌している自分を取り囲むような形で亡くなった両親やご先祖様が合掌し、
自分を祈ってくださっている姿をありありと観じました。

理屈抜きに「生かされている!ありがたい!」と思うことができました。

5209a hope:2015/03/07(土) 23:30:22 ID:cEpBaIdo

>>5208 K機関諜報員さま

素晴らしい神想観を体験されましたね!

わたしも、神想観がうまくいくと自然と感謝の気落ちが溢れてきて、
物事をとても前向きに考えられるようになり、体中に生きる力がみなぎってきます。

「神想観」って、ほんとに素晴らしいですね!!

5210a hope:2015/03/07(土) 23:32:19 ID:brQxC10.

>>5209訂正

感謝の気落ち→感謝の気持ち(笑)

5211a hope:2015/03/08(日) 12:04:42 ID:cEpBaIdo

(a hopeまとめ)

「生命の實相」第16巻 
五 祖霊祭祀の形式 (p71 〜 p77 )


Q1【祖先はいかなる形式で祀るのが本当か?】

A1○第一義的・・・神性を自覚した霊にとっては物質でこしらえたお宮や墓やお堂は不要である

A2○第二義的・・・サトリの境地に達していない霊魂には、宮を欲するものには宮を与え、仏壇を欲するものには仏壇を与えて供養して誠をつくすのが道である


Q2【子孫が祖先のもった宗教と同じ宗教でなくなった場合はどうなるのか?】

A1○第一義的・・・自由自在なわが「生命の實相」(神性)が把握された霊であれば、「ある一定の形式で祀ってもらわねばやりきれない」というようなことはない

A2○第二義的・・・①人間は皆が皆までサトリの境地に達しているわけではなく、完全でないサトリはどこかに片寄りがある、その偏寄(かたよ)りが流派となり宗派となって現れている。
②この偏りがある限り、霊魂になっても一つの宗派をもっている。
③しかし、霊魂もわれわれと同様の一個の人格であるから、生前にもっていた宗派を死後の悟りの程度によって改宗することがある。
④子孫が切実に一つの他の宗教に改宗したい内的要求にかられた場合には、祖先の霊魂の思念が子孫に感応してきている場合が多い。
⑤そういう場合にはその内的欲求にピッタリする宗派の形式でお祀りしてあげればよい。

※しかし、宗教に好き嫌いをしているようでは、まだ信仰に偏寄りがある

5212a hope:2015/03/08(日) 12:07:42 ID:cEpBaIdo

Q3【キリスト教徒が「生長の家の大神」を祈るのに矛盾を感じるが・・・】


A1○<<生長の家の神さまを祈るのと、キリストを礼拝するのと心のうちに矛盾をお感じになるのは、神に関する考え方に偏寄りがあるからです。個人の人間霊は別として、救いの神は一つだということが本当に自覚できていないからです。>>p75 8行目〜 

A2○<<キリストの神と「生長の家の神」とが互いに相容れないようにお考えになるのは、キリストの神だとお考えにならないで、他の神と対立的に存在するような小さな神だとお考えになっている傾きがあるからです。全包容的な神ならば、自己のうちにすべての神仏を包容して少しも矛盾を感じない神でなければならぬ。】p76 6行目〜



Q4【本当の神(全包容的な神・救いの神)とはどのようなものなのか?】


A○<<神はイスラエルだけの神ではない。日本だけの神でもない、キリストが出て来られない前にも人類は救われたのである。それまでは人間を救わずに放って置くような神ならば本当の神ではない。イエスのまだ生まれない以前や、イエスの名の及ばないどんな辺鄙な世界にさえも救いの手のとどいている神であってこそ、本当の神である。>>p75 後から7行目〜



Q5【本当の神はひとつなのに、地上にはなぜたくさんの神があらわれるのか?】


A○<<神の方は一つであるけれども、地上の人間の方は、国々および時代によって習慣や風俗や思想にいろいろ変化がある。そのために、神はその各種各様な人間が救いを受け容れるために時代および国々によっていろいろちがう神となってあらわれなければならぬのです。旧約時代の神とキリストの神とは、大いに変わっている。これは神が進化したためでなく、人間が進化したために神がそれに相応(ふさわ)しい姿で顕われたのである。>p75 後から2行目〜>



Q6【「生長の家の神」の出現の理由は?】


A○<<時代が変わってきて今までの宗教では迷信臭くて入れぬという人のために同じ一つの神ではあるけれども顕現を異(こと)にしてお顕われになったのが、「生長の家の神」であります。>> p76 4行目〜

5213a hope:2015/03/08(日) 12:09:27 ID:cEpBaIdo

Q7【生長の神の特徴は?】


A1○<<生長の家の神さまは、どの神を拝んではならぬとは仰せられない。どの神も同体であるから、どの神を拝んでもよいと仰せられています。>>p76 7行目〜

A2○<<この点においてキリストの神の神髄を伝えているのは「生長の家」です。この点において仏教の本当の神髄を伝えているのは、「生長の家」です。一切包容のすべての宗教の神髄を伝えているのは「生長の家」です。一切包容のすべての宗教の神髄を伝えるために神界に顕われられた一個の天使が――言いかえると一つの救いの霊波――生長の家の大神であるとすると、キリストの聖名(みな)と一緒に生長家の大神の聖名を称えても一向矛盾を感じないのは当然ではありませんか。>>p76 後から4行目〜



Q8【排他的な神は本当の神か?】


A○<<排他的な神は、本当の神ではなくて執着をもった人間の顕現であるか、そうでなければ本当の神をば信者が勝手に人間的に解釈して、人間同様排他的に伝えるのです。>>p76 後から5行目〜



Q9【生長の家の根本的お教え(本当の真理)とは?】


A<<本当の真理はみな一体というところにあるのです。人間も形の上では個人別別に分かれているけれども、「みんな一体」という真理がわかれば争いが無くなるのです。国家も「みんな一体」という真理がわかれば戦争の必要も各国の軋轢もなく、世界一つになるのです。「みんな一体」だということがわかれば、宗教上の争いも無くなるのです。ユダヤの神、インドの神、日本の神と区別して、彼の国の神は邪神などといっているのです。全包容的な神の前には、邪神としてその神に対立しうるものがないのです。みんな一体、宗教も一体、人間も一体、世界も一つ、別れているのは迷いであるというのが「生長の家」の根本的教えになっているのです。>>

5214a hope:2015/03/08(日) 12:13:05 ID:cEpBaIdo

>>5211>>5213 a hope所感)

p71〜77までの 「五 祖霊祭祀の形式」の所の文章を、Q&A式にまとめてみました。

聖典「生命の實相」の文章は座談会形式になっていたり、論文形式になっていたり、講演会形式になっていたり様々です。

この章は座談会形式になって、参加者の質問に雅春先生がお答え下さるという形でまとめられています。

今回は、わたしが自分自身の疑問を雅春先生に質問しているつもりになってこの箇所をまとめてみました。

ただ、漠然と通読するだけではあやふやだった、「祖霊祭祀に関する真理」がとてもよく理解できました。

特に、Q5の【本当の神はひとつなのに、地上にはなぜたくさんの神があらわれるのか?】と
Q6の【「生長の家の神」の出現の理由は?】いう二つの疑問への雅春先生のお答えは、「へ〜、そういうことだったのか・・・」と妙に納得できました。

世の中の状況がどんなに悪くなっているように見えても、人間の魂は進化し続けているということなのですね。

そしてQ9の【生長の家の根本的お教え(本当の真理)とは?】という質問のお答えにあたる雅春先生のご文章を拝読すると、
あらためまして全包容的な「生長の家の教え」のすごさが伝わってきます。  

感謝 合掌。

5215a hope:2015/03/09(月) 08:27:22 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p77 後から3行目〜

水田――わたしは今まで神さまというものは近づき難いほど遠いところにいられる方で、どんなに人間が努力してもなかなか神さまのところへ近づけないように思っていました。それにいろいろの宗教でいう神さまとか仏様とかいわれる方が、みんな別々のようでありまして、宗派ちがいの神様を、拝んではならないように説かれる宗教家が多い。まるで神様というものが一つの宗教に立て籠もって排他的に争っているようなんです。そこに非常に矛盾を感じて苦しんでおったのであります。

ところが『生長の家』を読むと神様はもとは一つということが書いてある。そして千変万化せられて境に従い人に従うてお出でなさるためにいろいろの宗教、いろいろの神に顕われあそばされているということがわかった。それで今までのような排他的な神さまの間に挟まって苦しむということがなくなったのであります。

それにありがたいことには、今まで神様は遠いところにあるとばかり思っていたが、神様はわがうちにある、神さま!と一念を起こせば、そのままに通じ、神がわがうちに生きてくる。それはちょうどラジオのスイッチを一つ押せば東京の放送でもすぐ自分の内に来て響をたてると同じようなものであることを悟らせていただいて非常にありがたく、常住坐臥つねに神とともにあるありがたさを感じさせていただいてこんな結構なことはないのであります。

もとから、わたしは胃腸が常に弱くて・・・・(この後、体験談が続く)

5216a hope:2015/03/09(月) 08:30:54 ID:cEpBaIdo

>>5215 a hope 所感)

わたしが「生長の家」の信徒になろうと決心したのは、生長の家が「万教帰一の教え」だったからです。

<<ところが『生長の家』を読むと神様はもとは一つということが書いてある。そして千変万化せられて境に従い人に従うてお出でなさるためにいろいろの宗教、いろいろの神に顕われあそばされているということがわかった。それで今までのような排他的な神さまの間に挟まって苦しむということがなくなったのであります。>>

わたしも、聖典「生命の實相」を初めて拝読した時、上の水田さんとほぼ同様の感動体験をし、心が解放されたのを思い出しました。

ですが、いざ信徒になってみると、この「万教帰一の教え」や「人間神の子」を信仰しているはずの「生長の家」が内部分裂を起こし、
信徒同士が裁判で争ったり、悪口を言い合ったりしていました。

そしてわたしの求めていた、全包容的な「生長の家の大神」は雲隠れしてしまっていたのです。

5217トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/09(月) 22:45:49 ID:TIiLraUE
>>5216

 私が生高連時代はもちろん、青年会時代でも、谷口雅春先生の直弟子の方々が多数ご健在
でした。その先生方が、よく、

 「組織が大きくなったのは嬉しいが、教団の雰囲気が全然変わってしまった。」

と嘆いておられたのを思い出します。この原因はいくつかありますが、運動偏重というか、
教団内が形骸化、官僚化し、訳がわからないまま、運動を展開するような状態にあったの
は否定できません。教えへの信仰が、組織への忠誠へと変貌したと思います。「明窓浄机」
を拝読すると、谷口雅春先生ご自身も、同様のご感想を持たれていたと拝察します。

 やはり、基本に還るべきなのでしょう。

5218a hope:2015/03/09(月) 22:51:03 ID:cEpBaIdo
>>5213訂正

下の部分の{   }内の文章が抜けていました。m(__)m

Q9【生長の家の根本的お教え(本当の真理)とは?】


A<<本当の真理はみな一体というところにあるのです。人間も形の上では個人別別に分かれているけれども、「みんな一体」という真理がわかれば争いが無くなるのです。国家も「みんな一体」という真理がわかれば戦争の必要も各国の軋轢もなく、世界一つになるのです。「みんな一体」だということがわかれば、宗教上の争いも無くなるのです。ユダヤの神、インドの神、日本の神と区別して、彼の国の神は邪神などといっている{のでは、かくのごとき信仰を奉じている人がいかに迷いに捉われているかを暴露している}のです。全包容的な神の前には、邪神としてその神に対立しうるものがないのです。みんな一体、宗教も一体、人間も一体、世界も一つ、別れているのは迷いであるというのが「生長の家」の根本的教えになっているのです。>>

5219a hope:2015/03/09(月) 23:15:02 ID:cEpBaIdo

>>5217 トキさま

生長の家の教えの信仰の基本っていったい何なんでしょうか?

>>5218で訂正した文章の中に、

<<みんな一体、宗教も一体、人間も一体、世界も一つ、別れているのは迷いであるというのが「生長の家」の根本的教えになっているのです。>>

とありますが、「生長の家」の根本的教えが、みんな一体、宗教も一体・・・であるのに、
その生長の家が、教団と本流復活派に分かれていること自体、この教えに反していませんか?


別れているのは迷いである・・・・ 


もしかして・・・「生長の家」が 教団や本流復活派に分かれているように見えてしまうのは、わたしの「心の迷い」ということなのでしょうか?

本当は、別れてなんていないのかもしれない・・・

別れて見えるのは、わたしの「心の迷い」なのか・・・

別れてなんかいないのかもしれない・・・

5220神の子さん:2015/03/09(月) 23:57:38 ID:???
「生長の家」の根本的教えが、みんな一体、宗教も一体・・・であるのに、その生長の家が、教団と本流復活派に分かれていること自体、この教えに反していませんか?

貴女も教団と別れているでしょう。人のことは言えないですね。『救い』とは何でしょう。救われたとはどんなことなのでしょう。
私には本流派の方たちは教にとらわれ『自由』になっていない人のように見えますが。

5221大和撫子:2015/03/10(火) 09:20:18 ID:???
現象世界において.「教団」と「本流」に別れているとスクリーンに映って見えても、魂の奥底の願いは誰しもが本来は真理を求めてやまないのだと感じます。

5222大和撫子:2015/03/10(火) 09:26:58 ID:???
いろんな見方考え方かあると思います。
この考え方が絶対に正しいというのはないと思います。
天皇國日本實現のために、通らなくてはならない過程かもしれません。
現象世界に別れて映って見えても、そこにとらわれ頭脳智において、何とかせねばと考えてはならないと思います。

5223トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/10(火) 10:14:09 ID:7hgdBF1o
>>5219

a hope様

 「基本」というのは、私自身は、「信」ではないか、と考えています。
藤原俊之先生は、よく信仰で一番大事なのは、「信」である、と言われて
いました。

 教団が分裂しているのは寂しい事ですが、これはよくなるための一過程
ですから、その意味では心配はしていません。

5224神の子さん:2015/03/10(火) 19:13:14 ID:???
>>5221大和撫子さん
魂の奥底の願いは誰しもが本来は真理を求めてやまないのだと感じます。


魂の底は神でありますから何も求めてはいないのでありませんか?満たされないものがあると云うことを感じるものは本来存在しない自我ではないですか?

その自我で、何かを信じるのが『信仰』なんでしょうかね。「信仰で一番大事なのは、「信」である」なんて言っている人がいますが、『全てが在ると云う実感』

の人には『不足感』はないですよね。『信』は『自覚』に至る過程でしかないと思うのですがいかがでしょうか。

『全てがある』と信ずることと『全てがある』と自覚する事とはまるで違うと思うのです。

5225大和撫子:2015/03/10(火) 22:00:21 ID:???
神の子様

私の知人に教団を辞めた方かおられました。
その方がこうおっしゃいました。
「甘露の法雨をしっかりあげたり、神想観をしているから救われるとか、願いが叶うという考えが間違えていることに気づいた。そうでないの。私たちは、みな救われ続けていて、すでに神が内在していて、私たちがその自覚に気づいてないだけ」

その知人の話と、神の子様の言われた事がダブってしまいました。
信じることの言葉の意味は、信じなくなる可能性が含まれます。
私たち自身が神であり、それを常に実感し生活していく中に自覚が生じていくのでしょうね。

私自身は、その自覚を深めるため神想観を実修します。
神様が内にあるからこそ、神様を求めてやまないのも事実だと思います。

5226レイ:2015/03/10(火) 22:13:20 ID:1ThqK4Lc
しつも〜ん(^o^)/

生長の家の神様についてどなたか良かたら教えてくらはい。
生長の家の主斎神・副斎神は何か?
神想観は生長の家の大神(住吉大神)に対して祈るって事で良いですか?

『生長の家30年史』の102P〜103Pでは…

さて吾々生長の家の団体では、心に宇宙大生命を祭るのであります。その宇宙大生命と云う文字の下に括弧して「(ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇大神、現人神トシテ天皇)ヲ礼拝ス」と書いてありますが、

次に宇宙大生命即ち宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明微にするところの導きの神様として心の幽斎する副斎神として生長の家の大神を礼拝すると云うことをハッキリ本尊の項目にあらわして置きました。
この生長の家大神とは誰方であるか、生長の家大神と云う文字の下に括弧をしまして、(『古事記』、『日本書記』に現われたる住吉大神)と申しました。

5227神の子さん:2015/03/10(火) 22:25:46 ID:???
大和撫子さん

ひとこと『神はすべてのすべて』と唱えて実相の世界に慣れて来ると入れます、と雅春先生は言われました。

「すべては一体」と云うことと「神はすべてのすべて」と云うことは同じことを言っているのですが、全てとか全てのすべてをどのように受取るか
が鍵ですね。

5228レイ:2015/03/10(火) 22:26:34 ID:1ThqK4Lc
話の流れをぶった切ってしまったようですが。

ここは博学な方が多いかと思いまして(^人^;)

私は、生長の家のご本尊は生長の家の大神(住吉大神)又は、自分の信じる宗教の神様なら何でも良し、みたいな…今一つハッキリわからないので。。

5229神の子さん:2015/03/10(火) 22:52:38 ID:???

智慧の言葉

宇宙には唯一の實在がある。それは『永遠の我』と云う実在である。

この事実の前に何の神があると云うのでしょう。

5230a hope:2015/03/10(火) 23:58:05 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

久しぶりにこのweb誌友会にわたし以外の方々の書き込みが沢山あってうれしいです。

わたし自身は、>>5221>>5225の大和撫子さまの

<<現象世界において.「教団」と「本流」に別れているとスクリーンに映って見えても、
魂の奥底の願いは誰しもが本来は真理を求めてやまないのだと感じます。>>

<<神様が内にあるからこそ、神様を求めてやまないのも事実だと思います。 >>

という、ご意見がとても心に響きました。


そして、>>5223のトキさまの

<< 「基本」というのは、私自身は、「信」ではないか、と考えています。>>

というご意見にも賛同させていただきます。

聖典「生命の實相」に書かれている真理を、素直に信じ行じ続けること、
それが「生長の家」を信仰するということなのではないかと思います。

だから、「すべては一つ」と書いてあれば「ああそうなんだ、すべては一つなんだ」と素直に受け入れることが大切なのではないかと感じています。


そして、レイさまが、「生長の家」の神さまについてご質問くださっていますが、
わたしも、そこのところはとても混乱するところです。

なぜなら、聖典「生命の實相」には、「生長の家」の主斎神・副斎神についての詳しい説明はないからです。


わたしの今現在の認識では、

『谷口雅春先生が、「生長の家」の主斎神・副斎神を決定されたのは、
「生長の家」を教化団体から宗教団体へと変更するために、便宜上、登録されたのが始まりなのではないか・・・。』

というものです。


そしてその理由としては、

『「生長の家」の創始者である谷口雅春先生が日本国に生まれた日本人であり、
当時、当然のように天皇を信仰されていたから』

というものです。


わたしも、聖典「生命の實相」にある「生長の家の大神」と「生長の家」の主斎神と副斎神との関係を、
どなたかにご指導をしていただけるとありがたいです。

5231a hope:2015/03/11(水) 00:20:50 ID:cEpBaIdo

「生長の家の本尊」についての参考資料 

>>1082 〜 復興Gさま謹写 『昭和十五年四月九日午後二時より 名古屋公会堂に於ける講演の速記』

5232レイ:2015/03/11(水) 03:28:21 ID:1ThqK4Lc
レスありがとうございます。

過去ログにあったんですね。
後で、じっくり読んで考えてみます。

主斎神・副斎神を決めたのは、宗教結社にする為の手続きで便宜上の理由で。
だから本当は生長の家では何を拝んでも良い、本尊も無いんだって言っても、じゃあ住吉大神・天皇・天之御中主神はどう位置付けてるのか?
そこらへんは正しく理解しときたいです。

簡単な言葉で書いてあるので私でも読めそうですが、出典は絶版書でしょうか。
これが絶版なら…やはり大変な事が起きていますね。
その後、文部省に変更の申し出をしていないらしいので、結びの神様を祭っている今の教団は既に…ってのは今日はやめときます。

5233大和撫子:2015/03/11(水) 06:57:55 ID:???
私の場合ですが、生長の家の神様は、生長の家は高天原ですから、宇宙創造の一切にみちみちておられる、実相を観ずる歌の歌詞そのものの方でいらっしゃり、聖経「甘露の法雨」の神の項そのものであられると感じております。その神さまの理念そのものが神の子人間であると感じております。

5234大和撫子:2015/03/11(水) 07:58:47 ID:???
神の子様
智慧の言葉をありがとうございます。
神はすべてのすべて…というと、実相を観ずる歌が思いめぐります。
歌詞のごとく、今日も生かされます。
なぜなら、私は神そのものですから。

5235a hope:2015/03/11(水) 09:22:53 ID:cEpBaIdo

>>5232 レイさま

<<主斎神・副斎神を決めたのは、宗教結社にする為の手続きで便宜上の理由で。
だから本当は生長の家では何を拝んでも良い、本尊も無いんだって言っても、じゃあ住吉大神・天皇・天之御中主神はどう位置付けてるのか?
そこらへんは正しく理解しときたいです。>>

レイさまのご意見に同感です。

ここのところのあやふやさが、教団と本流復活派の対立を引き起こす原因のひとつなのではないかとも思えます。

>>5222

<<いろんな見方考え方かあると思います。
この考え方が絶対に正しいというのはないと思います。
天皇國日本實現のために、通らなくてはならない過程かもしれません。
現象世界に別れて映って見えても、そこにとらわれ頭脳智において、何とかせねばと考えてはならないと思います。>>

という大和撫子さまの「天皇國日本實現のために・・・」というご意見を拝見すると、大和撫子さまは本流復活派の方でしょうか?

谷口雅春先生は、七つの光明宣言の冒頭に「吾らは宗派を超越し・・・」とうたっておきながら、
本当に『「生長の家」は天皇信仰でなければいけない』と他信仰を排斥するような宣言をされているとしたら、
それは明らかな矛盾だとわたしは感じてしまいます。

それとも、天皇信仰とは、本来、宗派を超越した信仰なんでしょうか?

どなたか、ご指導をよろしくお願いいたします。

5236大和撫子:2015/03/11(水) 09:47:54 ID:???
a hope様

私は生長の家の聖使命会にも入ったことなければ、どこにも所属していません。
私は、天皇信仰は生長の家の信仰そのものであって、天皇信仰でなければならないではなく、宇宙の真理であり摂理であると自覚しております。
申し訳ありませんが、私にはそれを教授できる能力はございせん。

5237大和撫子:2015/03/11(水) 09:53:34 ID:???
a hope様

参考までに。http://hikarinoshingun.giri.jp/03-aikoku/0304akk-shinomiya-masataka/01tennoushinkou-1.htm

5238レイ:2015/03/11(水) 15:28:07 ID:1ThqK4Lc
読んでみました。
先ず、主斎神をハッキリしたいです。

生長の家は本尊は無いけど、心に幽斎する神って事なら宇宙大生命すなわち天之御中主神(天照大神と一体)と、それが肉体人間として現れた現人神の天皇を祀る…だから生長の家ってのは天皇信仰て事ですかね?

副斎神は、これも本尊は無いけど、心に幽斎する神は生長の家の大神(住吉大神?)…ここもわからんけども、だから生長の家では日の丸を掲げて、その隣に光輪卍十字を掲げる…これが主斎神と副斎神を象徴してる?

難しいですね。。。

5239レイ:2015/03/11(水) 15:37:27 ID:1ThqK4Lc
私も本流復活派ですが。
とは言え天皇陛下は宇宙最高神!皇軍必勝〜!と言われたら引きますね(-.-;)

でも神道系の神、天皇…特に昭和天皇、太平洋戦争で戦った人たちを尊敬する気持ちは、やっぱり日本人として持ってます。
それが侵略戦争だったとしても…まあ、そこは他に詳しい人がいるので。

誌友会のテーマから離れてきて進行しないでもいけないので、この辺で退散します。

ありがとうございました。

5240a hope:2015/03/11(水) 22:51:00 ID:cEpBaIdo

大和撫子さま レイさま

いろいろなご意見、参考文献等をありがとうございます。 合掌。

実は、「生長の家」の天皇信仰については、自分の中ではだいぶ納得してきているのですが、
わたしの認識の仕方は、古くからの「生長の家」の信徒の方々、
特に本流復活派の先輩方には物足りなく感じられてしまうと思うので
これ以上の発言は控えさせていただきます。

>>5222で大和撫子さまが、教団と本流復活派の現象問題に関して、

<<いろんな見方考え方かあると思います。
この考え方が絶対に正しいというのはないと思います。>>

というご意見をくださいましたが、「生長の家」の天皇信仰に関しても、同じように、
<<いろんな見方考え方かあり、この考え方が絶対に正しいというのはない>>という結論にはなりませんでしょうか?

自分jが信じて信仰している「教え」が絶対的な真理であれば、
まずは、自分自身の周りから光明化が始まると信じています。

わたしは、これからも聖典「生命の實相」の真理を信じて、信仰していきたいです。

5241大和撫子:2015/03/12(木) 07:01:05 ID:???

<<いろんな見方考え方かあり、この考え方が絶対に正しいというのはない>>という結論にはなりませんでしょうか?

とのこと。真理はひとつですから。それぞれみな生かされている立場も課題も違います。
あなたがそれで良いならば、良いのではありませんか?

5242a hope:2015/03/12(木) 15:19:04 ID:cEpBaIdo

>>5241大和撫子さま

お返事をありがとうございます。

復興Gさまが、>>1278に<<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演>>の続きを謹写してくださっています。

一部抜粋させていただきます。

――――――――――

日本主義は結構でありますが、本当の日本主義は「八紘一宇」主義ですから、一切を包容する精神

でなければなりません。狭く凝り固まった日本主義の人達の中には、天照大御神様を日本特有の神様

であって外国の宗教の神仏と一緒にしてはならない、それは天照大御神の尊厳の冒瀆になるとお考え

になっている方もあるらしいのであります。特有とか特別とか申しますと何だか豪(えら)そうですけれども

普遍性がないと云う事であり、地方的だと云う事であり、どの民族からも共通的に礼拝せられる宇宙

的本尊とはなれないと云う事になり、神武天皇様の八紘一宇の理想から遠いと云う事になるのであり

ます。八紘が「一宇」となったら、「日本特有」などと云うものはありませぬ。だから「日本特有」

等と云う言葉を私は取除きたいのであります。天照大御神様はそんな小さい神でなしに、宇宙の大神

であられる。他の宗教の神はことごとく、宇宙の大神の垂迹(すいじゃく)あそばされたものであるから、一切宗教

の本当の本尊を拝むには天照大御神を礼拝すべきであると私たちは信じているのであります。そうす

ると、仏というもの、キリストと云うものも日本の神と同体の神であらせられるということになるの

であります。

―――――――――――

わたしは「天皇信仰は生長の家の信仰そのもの」であるように、「キリスト教信仰も生長の家の信仰そのもの」であり、
「仏教信仰も生長の家の信仰そのもの」であると感じています。

大和撫子さまの、

<<真理はひとつですから。それぞれみな生かされている立場も課題も違います。
あなたがそれで良いならば、良いのではありませんか?>>

というご意見に心より賛同させていただきます。

ありがとうございました。 合掌。

5243a hope:2015/03/12(木) 17:53:45 ID:cEpBaIdo

聖典「生命の實相」のお勉強に戻りたいと思います。

「生命の實相」第16巻 p90〜 の『 九 「戦いの哲学」と「戦い本来無しの哲学」』
では、
高津栄三郎という方が、雅春先生と議論をしています。
高津氏は、「鼠が猫に食われることが調和した事実」であり、戦いの世界こそ「生命」の世界の実相であると主張して一歩も引きません。

この議論好きな高津氏はなんとなく、初心者さまに似ていて拝読していて初心者さまを懐かしく思い出していました。
(そのご主張内容は似ているかどうかはわかりませんが・・・)

初心者さまはお元気でいらっしゃるでしょうか?

5244志恩:2015/03/12(木) 18:22:55 ID:.QY5jUA6
a hope様

a hope様は、お若いのにご熱心で継続力がおありになって、すごいですね。
日々、大変教えられております。

ほんとですね、初心者様は、どうなさっておられるでしょう….。
また、以前のように、さくらちゃんとコンビで出て いらっしゃるかしら?

5245ビックリ ◆KfYRXK6jJk:2015/03/12(木) 23:21:07 ID:p..UGkhA

コンビで出る=同時に出る=同一人物

5246a hope:2015/03/13(金) 07:47:17 ID:cEpBaIdo

>>5244志恩さま

あたたかい励ましのお言葉をありがとうございます。

わたしはなにが本当の「生長の家の教え」なのか、なにが「真理」なのか知りたいだけなのですが、
自分ひとりで勉強していると、どうしても偏りがでてきてしまいます。

わたしはこの掲示板で、志恩さまはじめたくさんの「生長の家」の先輩方に
見守られながらお勉強できる幸せをいつも感じています。

そして、なによりも管理人のトキさまのご愛念に心より感謝しています。

5247トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/13(金) 22:03:59 ID:LUa.pzQ2
>>5246

 いえいえ、いつも粘り強いご投稿に心から感謝申し上げています。
今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5248a hope:2015/03/16(月) 08:39:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p108 後から6行目〜

高津―― 猫が鼠を食わなければ何をたべて生きるのです。

谷口―― 猫と鼠は一緒に草原に寝転んで草を食って相戯れているような状態が「実相の世界」なのです。生命は互いに奪い合い食い合わなければ生長進化できないというのは実相を知らぬ「迷い」です。その「迷い」が客観化(かたちにか)されたのが、互に食い合う生命なのです。「迷い」がなくなれば「迷い」の具象化である現象生命の「食い合い」もなくなるのです。『生長の家』誌友には心一つで鼠と猫を調和させた実例がたくさんあります。

高津―― そんなことは信じられません。仮に猫が鼠を食わず、あらゆる動物が食い合いをしなくなっても、人間の痛みや苦しみはなくならない。たとえば地震とか津浪とかいう天変はなくなりはしない。そういう苦しみに出遭っても悩まないように悟らせるのが宗教家の役目です。

谷口―― わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。あなたのおっしゃる救いは、苦しみは苦しみのままで諦めてその苦しみから解脱する救いですが、わたしが説くのは現実の苦難そのものの諸共(もろとも)に救われるのです。悟りと同時に病気が治り、境遇も環境もよくなるのです。

高津―― たとい現実に地震も起らなくなるとしても、それは幾十億劫後の世界のことでしょう。それはありうるかもしれない、無いかもしれない。そういう世界を空想して現実の苦しみを救うことはできない。現実の苦しみを救うには、現実の苦しみに突き入って、苦しみは苦しみのままでそこに生命が生きているという真理を悟らせるようにするしか仕方ないでしょう。

谷口―― 地上に地震や、津波がなくなるのは地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから、その遅速は、地上全体の心の清まる遅速に関するのです。しかし、一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することはできない。・・・(略)

5249a hope:2015/03/16(月) 08:42:08 ID:cEpBaIdo

>>5248 a hope所感)

ここのところの高津氏と雅春先生のやり取りは、とても興味深いです。
現象世界に生きて、実際に病気になったり災害にあったりしているわたしたちは、
高津氏同様に雅春先生のこのご指導内容を、すんなりと受け入れることはむずかしいのかもしれません。

しかし、雅春先生は、

<<わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。>>
<<一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することはできない。>>

と、

つまり、人間の心が清まり「神の心」が顕れれば、地震や津波は起れなくなる。
たとえ、人類の心が清まらなくても、「一個人の心が清まれば、地震や津波はその人を害さなくなる」と、そう断言されています。


一方、現「生長の家」教団の総裁、雅宣先生は

<<生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」とも説く。この観点から考えると、地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから、地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。>> >>4657 

というとても自分勝手な、雅春先生とは全く正反対の「物質在り」の見解をされています。
ですから、雅宣先生率いる「現生長の家教団」は人間、一人一人の心を清める個人救済をおろそかにして、
ソーラーパネルだとか、電気自動車等という物質的解決方法にばかり走ってしまうのだと思われます。

それはまったく本来の「生長の家の教え」からかけ離れた運動だと感じています。

5250神の子さん:2015/03/16(月) 20:01:07 ID:???
<一人一人の心を清める個人救済をおろそかにして・・・・それはまったく本来の「生長の家の教え」からかけ離れた運動だと感じています。>

ということですのでa hopeさんにお聞きします

<つまり、人間の心が清まり「神の心」が顕れれば、地震や津波は起れなくなる。
たとえ、人類の心が清まらなくても、「一個人の心が清まれば、地震や津波はその人を害さなくなる」と、そう断言されています。>

どの程度の心になると『清まった心』といえて『神の心』が現れたと云えるのですか?

神の心の雅春先生が戦後執筆追放になったのはどうしてですか?GHQの支配下になど成るはずがないのではありませんか?

東北大震災の津波で亡くなった人達は皆さん心の清くない人達と云うのですか?

東京大空襲で亡くなった10万人の人たちは心の清くない人達ですか?

5251トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/16(月) 20:11:19 ID:irEswSAY
>>5250

曳馬野様、ご投稿ありがとうございます。
web誌友会にご参加のおりは、ご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5252トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/16(月) 20:24:48 ID:irEswSAY
>>5250

曳馬野様

 横レス、失礼をします。

 なかなか、面白い事を言われますね。

 私個人は、個人救済が基本であり、この基本を無視して国家や環境を語っても
砂上の楼閣だという解釈をしています。生長の家の歴史を省みると、この個人救済
を軽視しての運動は行き詰まると私は感じています。それが違うというのなら、
曳馬野様が率先して見本を見せてください。他人様を批判する以上はそれなりの
覚悟はお持ちだと思います。よい見本を期待しています。

>>神の心の雅春先生が戦後執筆追放になったのはどうしてですか?

 ところで、この人間の世界にいる限り、私たちは誰も現象の世界の法則から自由
になる事は難しいです。これは谷口雅春先生でも同じです。後年の信徒のなかには、
谷口雅春先生を異常に神格化し、抽象化する動きがあります。が、谷口雅春先生の
直弟子の方々はこういう事を嫌われました。

>>東京大空襲で亡くなった10万人の人たちは心の清くない人達ですか?

 これは「神 真理を告げ給ふ」は拝読するとわかりますが、霊的な観点から、戦争
や大災害が起きる意味が説明されています。ただ、魂の向上が目的ですから、こうい
う戦争や大災害という手段が必須ではないのは当然です。現に、生長の家の信徒は、
現在でも”世界平和の祈り”をしています。

5253a hope:2015/03/16(月) 22:37:05 ID:cEpBaIdo

トキさま

やはり>>5250の「神の子さん」は曳馬野さまなのですね。

わたしは、今後ハンドルネームが「神の子さん」からの質問には一切お答えするつもりはありません。
神の子さんはたくさんいらっしゃいますから、いちいち質問に答えているとこちらが混乱してしまいますからね。
まして、その「神の子さん」が曳馬野さまなのであれば、余計にお答えする必要はないと思っています。

トキさま、わたしの代わりにお答え下さりありがとうございます。
トキさまのご意見に賛同させていただきます。

5254a hope:2015/03/16(月) 23:38:40 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p112 5行目〜

谷口―― 『生命の實相』を読んでも心が真にそれに共鳴せず、実相を悟ることができない人は治らないのです。真理は種であるから、それを植えても生えない不毛の地や石地に播いては生えないけれども、それは真理という種がわるいのではない。十本の同じ種を植えて、半分も生えれば、その種は生える力がある、生えないのは土地が悪いのだと断定してもよいでしょう。

人間は心的存在ですから、酸素に水素を交えたら必ず水ができるというふうに、人間に「生命の実相」を混ぜたら必ず病気が治るというように一定の結果を生ずるわけにはゆかない。「生命の実相」を話せば話すほど、素直に受けないで、議論できるだけ反撥して来られるあなたのような人もある。だから「生命の実相」を受ける心の相異に従っていろいろの結果を生ずるのです。しかし、それを読んだ大多数の人々が病気から救われている事実を否定することはできません。

5255a hope:2015/03/16(月) 23:39:43 ID:cEpBaIdo

>>5254 a hope所感)

わたしは、「生長の家」の信徒であれば、聖典「生命の實相」に書かれてある真理には反発などせずに素直に受け入れるのが当然だと思うのです。

<<わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。>>
<<一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することはできない。>>

と聖典に書かれているのですから、わたしたち「生長の家」の信徒は、素直にそれを信じて、
一人一人が心を清める努力をすればいいのだと思います。

そうすることが「生長の家」を信仰するということなのではないでしょうか?

5256神の子さん:2015/03/16(月) 23:58:42 ID:???

>>私個人は、個人救済が基本であり、この基本を無視して国家や環境を語っても砂上の楼閣だという解釈をしています。
>>ところで、この人間の世界にいる限り、私たちは誰も現象の世界の法則から自由になる事は難しいです。これは谷口雅春先生でも同じです。

「たましいの救い」とは最も厳粛な意味での救いでありまして、救われるということはわれわれのたましいが個性をもちながらも神または仏そのものなる大自在の境地
…欲しいと思う事物はそこに現れ、欲せざる事物はそこから姿を消すというような大自在境にに達するということであります。「頭注版一巻p23」

個人救済は言葉の響きはよろしいが、a hopeさんのような原理主義的な解釈を引用文にするのであれば、救われているはずの雅春先生は大自在境に達していなくては
ならない。然るに貴女は雅春先生でも自由になる事は難しいことであるという。「引用の真理」が正しいのか、はたまたあなたの言うことが正しいのですか?
雅春先生でさえ大自在境に達していないというのであれば、どこに個人救済などありますか?

「縦には、未来世に病気、その他の不幸の芽を出す業因を蒔かない工夫をしなければならない。すなわち罪を犯さないでもこの世に生きられる工夫をしなければならない
のであります。横には現在われわれが接触する環境を浄めて、「生命」が苦痛や病気という手段を使って自衛を講ずる必要のない天国浄土のような環境をつくるように
しなければならないのであります。ところがこの環境というものが一方においては自身の念の影なれども、同時に念はまた環境の陰であって、二つ向かい合わせた鏡の
ように環境と念とは互いに影響しあうものであります。毅然とした強い念は環境の方を征服しますが、弱い、発達の程度の低い念は環境に征服せられるのであります。」
   「頭注版一巻p37」

幼いたましいの唯物論を信じる中国のの人々は、自然破壊なんて何のそので真っ黒な煙をまき散らしています。日本人にして生命の実相を読んだにしてもろくすっぼ救わ
れない幼いたましいの人間が多いのであれば、自然破壊を防ぐことにより、過去の日本のように自然の中で自然とともに生きた故郷と云う言葉のイメージが生きている
世界を自然環境から取り戻すとは大事なことであると思います。

>>霊的な観点から、戦争や大災害が起きる意味が説明されています。ただ、魂の向上が目的ですから、こういう戦争や大災害という手段が必須ではないのは当然です。

「魂の向上が目的ですから」こういう言葉を言うから聞いているのです。心の清いものは災害に会うことはないというのが真理と云うから、災害に会った人は心が清く
ないのかと、あなた方は魂の進歩の為に災害に会ったと、腹の中では思うですかと。

5258トンチンカン:2015/03/17(火) 00:33:11 ID:r6TJQSCM
>>5257 削除ねがいます!!

5261トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/17(火) 10:29:29 ID:BpP5RmUI
 これは私が不用意なことを書いたことが原因です。お詫びします。
この板は、誌友会のための板ですので、以後の議論は、別の場所でお願い
申し上げます。
a hope様、続けてください。

合掌 ありがとうございます

5262神の子さん:2015/03/17(火) 18:50:17 ID:???
>>なかなか、面白い事を言われますね。
>>これは私が不用意なことを書いたことが原因です。お詫びします。

面白いことをと揶揄しながら、雅春先生も自在境にはいない、と書き、反論されると「不用意なことを書いた」という。
不用意で書くかね、そんなことを。いつもそのように思っているから書くのじゃないかね。

5264トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/17(火) 21:31:12 ID:BpP5RmUI
曳馬野様
トンチンカン様

 ご投稿、ありがとうございます。
たいへん恐縮ですが、誌友会と直接関係がない話題は、
できれば、他の板でお願いします。

 勝手なお願いをして、すみません。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5267神の子さん:2015/03/18(水) 06:03:39 ID:???

5261 :トキ ◆AXzLMGIbhk :2015/03/17(火) 10:29:29 ID:BpP5RmUI
 これは私が不用意なことを書いたことが原因です。お詫びします。 この板は、誌友会のための板ですので、以後の議論は、別の場所でお願い
申し上げます。  a hope様、続けてください。 合掌 ありがとうございます


5264 :トキ ◆AXzLMGIbhk :2015/03/17(火) 21:31:12 ID:BpP5RmUI
曳馬野様 トンチンカン様
ご投稿、ありがとうございます。たいへん恐縮ですが、誌友会と直接関係がない話題は、できれば、他の板でお願いします。勝手なお願いをして、すみません。
 合掌 ありがとうございます 管理人敬白
***************************************************
このような寝言を言う暇に、ご自分のまいた種の刈り取りをしたらよいのでは。a hopeさんの誌友会版での発言が、東北大震災で苦しみにあえぐ人たちは
「こころの清くない人達だ」と云う意味の真理解釈をしたから、それに疑問を呈した。それに対しa hopeさんは答える義務はないと云い、あなたは「横レス失礼します」

と書いてある通り代理で答えたのです。その前文が「おもしろいことをいいますね」であり内容が「雅春先生も自在境にはいなかった」と述べた。
それに対し「個人救済こそ生長の家の基本」との分派、a hopeさん、トキ管理人に生命の実相より引用して生長の家の説く「救い」とは何かについて書いた。

それについて薔薇の花氏名の通りのトンチンカン氏ガトンチンカンな反応をしている。管理人になって寝言を言う前に、「トキ」と云う一人の人間が蒔いた種の後始末を
したらいかがですか。

「個人救済こそ生長の家の基本」「雅春先生も自在境にはいなかった」に対する私の反論に。是こそ誌友会版の趣旨にかなっものでしょう。

5268a hope:2015/03/18(水) 08:14:28 ID:cEpBaIdo
みなさま

上の神の子さんの

<<a hopeさんの誌友会版での発言が、東北大震災で苦しみにあえぐ人たちは
「こころの清くない人達だ」と云う意味の真理解釈をしたから、それに疑問を呈した。それに対しa hopeさんは答える義務はないと云い、>>

のご発言は事実ではありません。

曳馬野さまやさくらさまや初心者さまは他人の発言を正確に引用せず、
ご自分勝手に曲解して表現されます。

わたしは、聖典「生命の實相」のお言葉をそのまま引用して所感を述べているだけです。

嘘ばかりつく曳馬野さまのご投稿にはお返事をするつもりはありませんが、
>>5267の投稿は事実でないので反論させていただきます。

5269a hope:2015/03/18(水) 08:44:41 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p124 8行目〜

自分は完全な生き方をしていない淋しさというものを紛らわせようとしているほかない努力が飲酒喫煙壁でありますから、酒煙草をというものを止めさせる方法はどうしたらいいかというと、良人が飲酒家(さけのみ)であるとすれば、「あなた酒やめなさい、酒やめなさい」と言うだけでは良心の咎めを増すだけでなんにもならないのです。・・・

5270a hope:2015/03/18(水) 08:48:54 ID:cEpBaIdo

>>5269 a hope所感)

わたしも独身時代にはお酒をたくさん飲みましたが、やはり淋しさを紛らわすためでした。
ですが、どんなに酔っ払ってその場の淋しさや不安を紛らわすことができても、しらふにもどれば、自己嫌悪感が増すだけでした。

<<本当にこのままで完全に生きている。誰からも咎められない、ごまかしていない、良心の囁きに背いていない、という自覚ができて魂が本当に内部から喜んでくれば、良心に咎められる淋しさの感じがなくなるから、頭脳ラジオ・セットを麻痺させる酒煙草の必要がなくなってくるのであります。>>

「良心」とは、「神の心」の顕れだと思います。

平気で嘘ばかりつく曳馬野さまには、良心の咎めはないのですか?

聖典「生命の實相」の真理を勉強する誌友会を妨害する曳馬野さまたちの目的が何なのか詮索するつもりはありませんが、
少なくともわたしは真面目に「真理」の勉強をしていますので、これ以上の妨害はご遠慮願います。

5271a hope:2015/03/18(水) 08:56:13 ID:cEpBaIdo
>>5269 訂正

飲酒喫煙壁→飲酒喫煙癖

5272a hope:2015/03/19(木) 09:51:32 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第16巻 p141〜の「第五章 国と家庭を良くする話」はとても示唆に富んだ内容です。

現在の「生長の家」は教団と本流復活に分かれて一方は家庭生活の方法を見直すことから環境保護する運動をしていますし、
一方は日本国実相顕現を目標に掲げた政治的運動をされているようです(間違いがあればご指摘ください)。

どちらの運動も「国や家庭を良くするため」の運動なのだと思うのですが、はたして、そういう外界に働きかけ、
外界から改造していこうとする運動は本当に雅春先生の御心にかなった本来の「生長の家」の運動なのでしょうか?

ここの章で、雅春先生は物質的援助をすることで貧しい家庭を救う運動をされている滝村さんという方と対談しながら、
とても重要なお話をされています。

その対話内容を少しずつ謹写していきたいと思います。

5273a hope:2015/03/19(木) 09:53:44 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p152 後から2行目〜

滝村―― 夫婦仲が悪くなるのは下層階級ではその貧困が非常に原因しているように思います。毎日生活問題で夫婦が罵り合っている。貧困さえ無くなれば夫婦仲がよくなると考えられる場合がたくさんあるようです。


谷口―― 滝村さんは貧民階級をよく研究していられるから貧民の夫婦喧嘩が目について、その原因が貧困だという結論を下されるのでありますが、貧民はそうして貧困を題材にして夫婦喧嘩をしますし、金持ちは金持ちで、その富貴を題材にして夫婦不仲になるようです。   ・・・(中略)・・・

どうしても人生の幸不幸というものは、心に帰すべきで、心を治さないで形だけ直しておくのでは、球根を保存しておいて芽をつむようなもので、また別の芽がでてくるのです。

5274a hope:2015/03/20(金) 09:35:02 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p155 後から4行目〜

谷口―― ・・・(略)・・・
それは貧民にも病人もある。滝村さんは貧民の方をよく眺めているから、貧民が病気になるのを、貧しいことが原因だと思われるかもしれないが、この辺の富豪地帯で金持ちばかりの家庭で病人が絶えないのを眺めていると、金があるのが原因で病気になっているものだとも思える。

実際金持ちくらい気の毒なものはいないとも言えます。金があるためにいろいろの財産上の争いや、男女間の争いが暗黙の間に起って、病気はともかく、そのために家庭地獄を現出しているのです。


滝村―― しかし、貧民の苦しみと富豪の苦しみとを比べれば、富豪は勝手に放肆(ほうし)な生活をして苦しんでいるので、止めようと思えばやめられる苦しみを、勝手にやっているのですが、貧民は他から圧迫されてやむをえず苦しんでいるので、その苦しみ方が非常にちがうと思います。


谷口―― そうでしょうか。それならあなたがその貧民という人を一人ずつ伴(つ)れて来て、過去の清潔や心の持ち方をいちいち吟味して御覧になれば、必ずや、その貧民は今の貧しい境遇位置を受けるに相応(ふさわ)しい点数の心の持ち方をしてきたに違いないことを認めうると思いますが。境遇を作るのは心であって外界の圧迫ではないということを。


滝村―― (苦笑して)はたしてそうでしょうか。

5275a hope:2015/03/20(金) 09:40:28 ID:cEpBaIdo

>>5274 a hope所感)

現在の日本では様々な医療制度や生活保護制度等が充実してきていますから、この対談が行われていた当時とは状況が随分変わってきていて、
貧民だから医者にかかれないということはほとんどないのではないでしょか?

それにしても滝村氏は雅春先生の「環境(境遇)は心の影」という話を聞いて苦笑されていますが、
ごく一般的な常識をもつ人間であればこの「生長の家の教え」はずいぶん常識外れに聞こえてしまうのでしょうね。

5276a hope:2015/03/20(金) 10:01:46 ID:cEpBaIdo
>>5274訂正 

過去の清潔→過去の生活

5277トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/20(金) 20:46:05 ID:6cceFPIw
>>5274

 その通りですね。世間の人が聞くと、反発する人も多いかもしれません。
貧しさをバネに成功した人もいますが、最近は、貧しさ故の不幸ばかりが強調される
ので、それを言い訳にする人も多いのでしょう。

 稲盛和夫先生のご著書を読むと、実家はものすごく貧乏で結核になり、前半生は
ものすごく不幸でしたが、生長の家に触れて人生が変わり、今日の成功者になられ
たとかかれていました。そうすると、貧乏なのも、結核になられたのも、それで
信仰に触れられたのですから、意味があったとも言えます。

 どんな境涯でも、真理を学ぶ事の大事さを痛感するのみですね。

5278答えてねトキさん:2015/03/21(土) 01:11:03 ID:tPqHKCtk

>>私個人は、個人救済が基本であり、この基本を無視して国家や環境を語っても砂上の楼閣だという解釈をしています。
>>ところで、この人間の世界にいる限り、私たちは誰も現象の世界の法則から自由になる事は難しいです。これは谷口雅春先生でも同じです。

「たましいの救い」とは最も厳粛な意味での救いでありまして、救われるということはわれわれのたましいが個性をもちながらも神または仏そのものなる大自在の境地
…欲しいと思う事物はそこに現れ、欲せざる事物はそこから姿を消すというような大自在境にに達するということであります。「頭注版一巻p23」

個人救済は言葉の響きはよろしいが、a hopeさんのような原理主義的な解釈を引用文にするのであれば、救われているはずの雅春先生は大自在境に達していなくては
ならない。然るに貴女は雅春先生でも自由になる事は難しいことであるという。「引用の真理」が正しいのか、はたまたあなたの言うことが正しいのですか?
雅春先生でさえ大自在境に達していないというのであれば、どこに個人救済などありますか?

「縦には、未来世に病気、その他の不幸の芽を出す業因を蒔かない工夫をしなければならない。すなわち罪を犯さないでもこの世に生きられる工夫をしなければならない
のであります。横には現在われわれが接触する環境を浄めて、「生命」が苦痛や病気という手段を使って自衛を講ずる必要のない天国浄土のような環境をつくるように
しなければならないのであります。ところがこの環境というものが一方においては自身の念の影なれども、同時に念はまた環境の陰であって、二つ向かい合わせた鏡の
ように環境と念とは互いに影響しあうものであります。毅然とした強い念は環境の方を征服しますが、弱い、発達の程度の低い念は環境に征服せられるのであります。」
   「頭注版一巻p37」

幼いたましいの唯物論を信じる中国のの人々は、自然破壊なんて何のそので真っ黒な煙をまき散らしています。日本人にして生命の実相を読んだにしてもろくすっぼ救わ
れない幼いたましいの人間が多いのであれば、自然破壊を防ぐことにより、過去の日本のように自然の中で自然とともに生きた故郷と云う言葉のイメージが生きている
世界を自然環境から取り戻すとは大事なことであると思います。

>>霊的な観点から、戦争や大災害が起きる意味が説明されています。ただ、魂の向上が目的ですから、こういう戦争や大災害という手段が必須ではないのは当然です。

「魂の向上が目的ですから」こういう言葉を言うから聞いているのです。心の清いものは災害に会うことはないというのが真理と云うから、災害に会った人は心が清く
ないのかと、あなた方は魂の進歩の為に災害に会ったと、腹の中では思うですかと。

5279るん吉:2015/03/21(土) 09:45:17 ID:p..UGkhA

環境は心の影 つうときね、悪い心の影、良い心の影。←(これが清い心の影か?)

というけど、悪い心というのは「清くない心。」つうよりどっちかいうと「物事を悪く考えてしまうネガティブな心」「くよくよする心」

のことじゃないですか?と言うことは、その反対に「清い心」っちゅうのは「物事をくよくよ考えないで、楽観的に考える心」「明るい心」

じゃない?

5286神の子さん:2015/03/21(土) 19:30:07 ID:tYFyomJk
「私個人は、個人救済が基本であり、この基本を無視して国家や環境を語っても砂上の楼閣だという解釈をしています。」とトキさんが云い、a hopeさんが同意したのです。

勿論a hopeさんは以前から「個人救済」止めて「環境問題に特化した点」が教団の最もおかしな点としています。

ですから「個人救済が基本」という「救い」の意味を問うているのです。

なぜこれが勉強の邪魔になるのですか?お二人の説が正しいのであれば『生命の実相』に書かれた引用文の意味はどう解釈したらよいのですか?

批判だ邪魔だとかいう前に答えるべきだと思いますが。

5287神の子さん:2015/03/21(土) 20:01:46 ID:tYFyomJk
「自分勝手に間違った前提を作り、」

どこがどう自分勝手の間違った前提なのですか?

5288a hope:2015/03/21(土) 20:22:18 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p157 後から7行目〜

滝村―― ふつうの常識では、病気になれば医者にかかれば治ると思われているのですが、そういう常識に捉われている貧民が病気になっても医者にかかることができないのは悲惨なのです。


谷口―― そういう場合、医者にかかる金を与えるのが救いになるのか、あるいは人間は医者にかからなくとも治りうる自然療能を備えているという真理を知らしてやるのが本当の救いになるかは考え物です。

医者にかかる金を与えればその時は仮に医療費にありついて救(たす)かるかもしれないが、その金がなくなれば、二度目はまた救からないが、真理を知って自然療能の尊さを知って救かったら永久に医療費が要らなくなるから、無限の医療費を貰ったということになるのです。だから「生長の家」の真理を知らしてやることは彼らに無限の医療費を供養することになるのです。

5289a hope:2015/03/21(土) 20:23:43 ID:cEpBaIdo

>>5288 a hope所感)

医者に医療費を払えない様な教養のない貧民に『「生長の家」の真理を知らせる』には、
具体的にはどうすればいいのでしょうか?
この後、滝村氏はさらに雅春先生にそのことについて質問しています。

続けて謹写していきます。

5290a hope:2015/03/21(土) 22:26:46 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p158 4行目〜

滝村―― ところが、「生長の家」の真理はなかなかむずかしい。教養のない貧民にそれをしらせてやることはとうてい不可能のことだと思います。


谷口―― 決してそれは不可能ではないのです。医者の薬が病気を治すということも、貧民がそれを研究して知っているのではないのです。ただ一般にそういうから、その宣伝に乗ってそう思っているだけです。そして金がなくて医者にかかれないことを不幸なんぞのように思って苦にやむのです。

わたしに言わせれば、 医薬費を出しうる富豪の方が、医者にいい加減にゴマ化されて、軽い病気でも重く言われたり、あるいは恐ろしい病名を宣言されるだけで恐怖心を唆(そそ)られたりして、かえって病気を重くしている例の方が多いと思うのです。

その点は貧民は、病気にかかっても医者にかかる金がないと背水の陣を布いてしまっているから、罹病率が非常に少なく、自然療能に頼るしか仕方がないから、自然療能が強くて病気がはやく癒えるのです。貧民は貧乏だから病気に罹ってかわいそうだとあなたは言われるが、わたしに言わせれば金持ちは医薬費があるから病気に罹りやすくてかわいそうだとも言えるのです。

薬そのものに癒す力がないということは医薬を十分研究している医者自身の方が知っているのです。普通の人は医学を研究したことがないから宣伝だけで雷同して薬の卓効(たっこう)を信じているのですが、そんなものではないのです。

先日も・・・(中略)・・・

要するに一般人が医者の薬を効くと思っているのは、一般人が深く医学を研究してみた上で信じているのではない。この実話でもわかるとおり、研究している医者自身はかえって薬効を深く信じないで、ただ宣伝にかかっている素人だけが、信じているのです。

なんでも大衆というものは、自分で研究もしてみないで宣伝のとおりに信ずるものですから、「生長の家」の真理でも、深くそれを読みこなして、本当に真理を摑むことは至難であるにしても、「人間の病気は薬よりも自然療能を喚起すれば治る」という結論だけを信じさせることは、社会の先達の位置にある知識階級が宣伝するだけでよいのです。宣伝すれば大衆は信じて幸福を得るのです。

ところが現在では、貧民は栄養不良で、過労で、生活環境が悪いから病気に罹る、そして病気に罹れば薬がないと治らないというような宣伝ばかりが多く行われているから、貧民を恐怖さし、貧民の頼りうる唯一の医者たる自然療能を鈍らし、どんな不遇にもズンズン伸びて行ける生活力の芽を刈りとってしまって、貧しい人をいやが上にも不幸に押し込んで陰惨な状態に陥れているのです。

5291a hope:2015/03/21(土) 22:30:25 ID:cEpBaIdo

>>5290 a hope所感)

わたしは、病気になれば医者にかかり薬をもらって服用していますし、家族もみなそうしています。
現代の日本では、ほとんどの人が医者にかかることが出来ると思うので、
この対談の当時の状況とはずいぶん変わってきてしまっていると思います。

しかし、医学の進展した現代であっても、不治の病は存在しますし、
いくら薬を服用しても全く効果のない場合もあると思います。

それになによりも、「真理」を知って一生医者にかからず健康でいられるのならば、
それほど幸せなことはありませんよね!


以前、どこかで「生長の家の教え」にハマるのは、インテリが多い、と聞いたことがあります。

>>5277でトキさまご紹介の稲盛和夫氏もしかりですね!

わたしは自分にインテリジェンスがあるとは思っていませんが、勉強することは大好きですので、
「生命の實相」のような霊的波動の高い内容の本を読破していくことに魂の悦びを感じます。

「生命の實相」は拝読するだけで、魂を向上させ、「真理」を悟ることが出来る「聖典」なのですから、
「生長の家」にご縁のあったわたしたちにとっては「必読の書」ですよね!

5292a hope:2015/03/21(土) 23:14:42 ID:cEpBaIdo

>>5279るん吉さま

>>5248で、雅春先生が、

<<わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。>>
<<地上に地震や、津波がなくなるのは地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから、その遅速は、地上全体の心の清まる遅速に関するのです。しかし、一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。
地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することはできない。>>

と「真理」をご説明くださっていて、その文中に「心が清まる」という表現があるのですが、
どなたかが、そのことを大きく曲解されて、

<<東北大震災の津波で亡くなった人達は皆さん心の清くない人達と云うのですか?
東京大空襲で亡くなった10万人の人たちは心の清くない人達ですか? >>

と的外れな質問されているようですが、


わたしは、世の中に心の清くない人など一人も存在しないと信じています。

ここで雅春先生がおっしゃっている「心が清まる」という意味は、「真理を悟る」と同義だと思うのです。
だから、真理を悟っている方にとっては、たとえ現象に地震や津波が現れていても、それは影でしかないと思います。

また、どんな人間でも「実相の心(神の心)」の周りを包むツミ(迷い)を取されば、
そのままの清まった「神の心」が顕われて、悟ることができるのだとも思います。

そして、本来「悪い心」などない、「清くない心」などもない、 
『わたしは「神の子」うれしい たのしい ありがたい』というのが、
「生長の家」の実相独在の真理なのだとわたしは信じています。

5293神の子さん:2015/03/22(日) 05:49:08 ID:8wK9.k12

>>5248で、雅春先生が、
<<わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。>>
<<地上に地震や、津波がなくなるのは地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから、その遅速は、地上全体の心の清まる遅速に関するので
す。しかし、一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人を
その天災は害することはできない。>>

と「真理」をご説明くださっていて、その文中に「心が清まる」という表現があるのですが、どなたかが、そのことを大きく曲解されて、
<<東北大震災の津波で亡くなった人達は皆さん心の清くない人達と云うのですか?東京大空襲で亡くなった10万人の人たちは心の清くない人達
ですか? >>と的外れな質問されているようですが、わたしは、世の中に心の清くない人など一人も存在しないと信じています。

**これこそ『実相』を観念で捉えている観念論です。「われわれの心が清まれば起こらなくなるのです」「清まれば」と書かれているのです。
変化していく心を問題にされています。「世の中に心の清くない人など一人も存在しないと信じています。」この言葉は『実相』の概念に自己満足
している姿です。

ここで雅春先生がおっしゃっている「心が清まる」という意味は、「真理を悟る」と同義だと思うのです。
だから、真理を悟っている方にとっては、たとえ現象に地震や津波が現れていても、それは影でしかないと思います。

**「地上に地震や、津波がなくなるのは地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから、その遅速は、地上全体の心の清まる遅速に関するの
です」ここに「地上全体の【生物の心】が清まらなくてはならない」と書かれています。地上全体の【人間の心】が清まらなくてはならないと書か
れてはいない。動物が、植物が悟りますか?「心が清まる」という意味は、「真理を悟る」と同義だと思うのです。とのa hopeさんの意見は
「生物の心」と書かれていることを見落とした自己解釈です。
「真理を悟っている方にとっては、たとえ現象に地震や津波が現れていても、それは影でしかないと思います。」これも同じで、
「「たましいの救い」とは最も厳粛な意味での救いでありまして、救われるということはわれわれのたましいが個性をもちながらも神または仏そのもの
なる大自在の境地…欲しいと思う事物はそこに現れ、欲せざる事物はそこから姿を消すというような大自在境にに達するということであります。」
       「頭注版一巻p23」
に反する発言です。現象だから悟れば気に掛からなくなるなんてことは言っていない。「心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することは
できない。」との言葉にも反します。
「地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから」からこそ動物を殺して食べるのはやめよう、安いからと外材の輸入をすることで、穀物を生産
する場の確保のためとして材木の伐採をすることは止めよう、との今の教えがあるものと考えます。生命の実相か忘れましたが、屠殺の時に牛が涙を
流す場面が書かれ、食肉の為に動物を殺すことの罪悪について書かれたところがあります。杉檜の植林によってどんぐりの木椎の木などの雑木と呼ば
れる木々の伐採により、山の動物の食物を奪う結果を造り今里に猪、鹿の出現を見ています。昔はまがった松を上手に利用し棟木にしました。
人間の欲のための植林をしながら、今は外材に押され、林業の跡継ぎも減っている有様です。間伐さえままならない所もあります。

食事から食肉文化が無くならない限り「地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから」という『生命の実相』の言葉は成就しないのです。
この言葉の成就を目指して教団は進んでいると考えます。

「そして、本来「悪い心」などない、「清くない心」などもない、 『わたしは「神の子」うれしい たのしい ありがたい』というのが、
「生長の家」の実相独在の真理なのだとわたしは信じています。」なんて浮かれながら肉食をするのですか?a hopeさん

5294神の子さん:2015/03/22(日) 06:09:51 ID:8wK9.k12
簡単に言えば食肉にされる動物の嘆きの声、樹木の伐採による食物の減少による動物の嘆きの声、人間の欲望による開発のため伐採される樹林の嘆き、


これらが無くならない限り、「地上全体の生物の心が清まらなくてはならない」の言葉が実現することはない。

そのための運動がなぜ『生命の実相』に反する事なのですか?ノーミートなんてと云うあなた方こそ『生命の実相』に反することをしているのです。

5296神の子さん:2015/03/22(日) 09:29:38 ID:8wK9.k12
>>5295
深海魚さん わたしはトキさんのように卑怯ではありませんので、縹さんと同じく普通に返事しますね

棚口雅敏さんは聖使命会員なんですか?そして世界の平和を願っているのですか?

であれば遺憾と申すべきですね、そうでなければ何の問題もありません。

あくまで、生長の家を信じるという人間に対していっているのですから。

こういった掲示板なりブログなりで生長の家の真理の能書きを言う人に対してのものですので、只静かに自分は信じているという立場の人が
どんな行動をしてもそれは構いません。

5299神の子さん:2015/03/22(日) 11:58:26 ID:8wK9.k12

<雅敏さんは、聖使命会員であるかどうかは、知りません。しかし、そんじょそこらの一般人でもありません。雅宣総裁のたいせつなご長男さんです。>

親鸞聖人も息子の善鸞がよからぬ教えを説いたことで勘当しています。よく兄弟がどうのこうのと云われますが、秩序を破ることをしているのではありませんか?
真理をないがしろにするもの、秩序を破るものには義絶は仕方ありません。息子ではありますが大切なと云うことはないでしょう。

<で、彼は、「世界平和」を、願っている人か、願っていない人か、どういう精神のお方か、神の子さんには、おわかりでは ないのですか?>

知る由もありません。

<雅敏さんも、ここをご覧になっておられるとおもいますが>

こんな想像での発言では以下の発言には意味がありません。

<全世界の人が、肉食をやめないかぎり、世界が清まらないという新宗教みたいな考え方は、極極狭い範囲の人間たちしか共感できないマスロビィクス的な考え方で、こんなことを
いってはわるいですけれど、そのような考え方を強要される教えでは、いづれ、近い将来、限界がくると思えております。 >

「地上全体の生物の心が清まらなくてはならない」は『生命の実相』に書かれていることで地震津波等の大規模災害の起きる原因であると神が書かせ雅春先生が筆を執ったという
聖典に書かれていることです。

私の解釈が違うというのなら、まずあなたがトキさん、a hopeさんに代わりに解釈してください。聖典の解釈の相違を論じることが誌友会の邪魔をすることとは考えません。

5300神の子さん:2015/03/22(日) 12:10:27 ID:8wK9.k12

<問題にされてる文は、どうでもいいようなはしっこの部分であると感じております。>


生命の実相の一言一句神の言葉であると評価した人もいましたが、貴女にはどうでもいいような端っこの部分が説かれているというのですね。

<「心が清まる」という意味は、「真理を悟る」と同義だと思うのです。>とかって解釈したことも書きましたが、貴女も同じように取捨選択しながら生命の実相を読むのですね。

そしてこれはどうでもよい文章と判断しながら生命の実相を読むと云われるのですね。

5303神の子さん:2015/03/22(日) 13:26:04 ID:8wK9.k12
>>「地上全体の生物の心が清まらなくてはならない」は『生命の実相』に書かれていることで
地震津波等の大規模災害の起きる原因であると神が書かせ雅春先生が筆を執ったという聖典に書かれていることです。<<

この文についてを、
神の子さんは、「全世界の人が、肉食をやめることが、心を清めることだ」と、捉えるのでしたら、それは、どう考えましても、全世界の人が,肉を食べなくなることなどは、
不可能なことですから、永遠に、地震津波等の大規模災害の起きるということになります。

○だからあなたの解釈を聞いています。いつの日か地震津波が無くなると書かれている、そのためには「地上全体の生物の心」が清まらなくてはならないと書かれている。
「地上全体の生物の心」とはどんなものですか、あなたの解釈を教えてください。

「心を清める」につきましては、人間というものは、現象世界では、知らず知らずのうちに、神様から授かったままの、生まれたままの、そのままの良い心(無私、利他的な心など)
だけでなく、この世に生きて行くうちに悪い心(猜疑心、恨み、嫉妬、悪意、利己心、欲深い心など)で、曇って、心が塞がっているものですから、それを、「生命の實相」や、
聖典などを読み、神想観、浄心行、愛行したりして自分の心を顧みる….ということをして、生長の家では、「心を清めて」心をさっぱりさせて生きて行くというときに、昔は,
「心を清める」というふうに言っていました。

○これも「地上全体の生物の心」がどんな意味か分からなければ分かりませんね。わたしは文字どうりすべての生命あるものととらえますが、貴女は人間だけを指しているというのですか?
上の説明では本を読み神想観し浄心行し愛行をして心を浄めるという。動物植物鉱物には心は無いのですか?

人間は、この世に魂の修行にきているので、おのおのが出会う体験には、魂の進化のために無駄はない、!ということが さまざまな例で、教えられていると思います。

○人間は女の子宮から生まれたことは一度もないとか言いませんか?人間はこの世に生まれ修行しているのですか?
前にも聞きましたが、人間は何時低級霊になり高級霊になった暁に人間はどうなりますか?


私の解釈では地上天国は来ないと云うことですね、ではどうしたら地上天国は来ると教えられていますか?地震津波が無くなるにはどうしたらいいと書かれていますか?

5307a hope:2015/03/22(日) 20:11:38 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p160 9行目〜

滝村―― 薬剤の功罪いかんの問題は別として病気に罹れば医者にかかるという通念がまだ現在は一般人にあります以上、貧乏のために医者にかけず子供を失い、あるいは親を亡くしたという場合、その貧困が遺族に与えた悲しみは最大の打撃になると思います。

医者にかけても駄目な病人だったとは思いながらも、医者に一度でも見てもらっておけばよかったという嘆きがおこるのは普通で、まだ「生長の家」の真理を知らない人にとっては、医者にかかることの方が不幸に思われ、不幸にして医者にかかりえないことを、みずから幸福であると悟っている人はまったくなく、この点当事者にとっては貧しく医者にかかりえないことを不幸と感ずるほかはないのであります。


谷口―― そこで、あなたのような貧民愛の深い人が出現して街頭に立ってでも、医薬なくともたいていの病気の治りうる理由、人間は環境に支配せられるものではなくて、自覚さえ強まれば勇気さえ出せば健康上にも社会上にも頭をあげうるゆえんを宣伝して下さる必要があると思うのです。不撓(ふとう)の意気と不屈の努力さえあれば、現在でも貧賤から起って、少なくとも貧賤の階級を脱して中産階級程度に昇りうる機会はたくさんあるのです。可憐な婦女子でもそれができないことではない。一例をあげれば、
・・・(略)・・・
逆境は必ずしも人間を不幸にしない。人間を不幸にするのは、環境に甘える心だということがわかるのです。


滝村―― しかし外から改造して住みよい世界を造ってゆけば、内から浄まるよりも早く浄まるのではありますまいか。


谷口―― 早いかもしれない。しかし、どういうふうに改造するかの構図を作るのは人間の心だから心がよくならないでいて、形の構図を立派につくることはできない。まず、心をよくしなければならない。そして内部の力を発現させて徐々に人生にその影を刻んでゆく。この方がよいのではありますまいか。

とにかく、外から物質の豊富さと安易とを与えることによって人間は幸福になると考えている点において、そういう考え方は人間の生命の自主的な創造力を否認して、人間を一個の木偶人形(でくにんぎょう)にしてしまっている点において賛成できないのです。


滝村―― わたしは今気がつきましたが、形の世界が現実界(うつしよ)【念の影の世界】であるとしますと、今まで外から浄める方が早く浄まるのじゃないかと考えていたのが誤りであると気がつきました。

牛乳瓶は外から見てきたなく見えていても、それは内側に牛乳のカスがついているからであるとしますと、外から洗う方が手っ取り早いと思っていくら外から磨いても美しくなりっこはない。形をいくら変革しても、それを運用する人間の心が浄まらなければ別な点において新しい組織の運用に欠陥を生ずる!

わかりました。わたしは社会をよくする道は、ただ『生命の実相』の真理を宣伝しさえすればよいのだということがわかりました。この考えは急にわたしの頭に閃いて来て、今までわたしの心の中を占領していた疑問がスッカリ溶けてしまいました。

5308a hope:2015/03/22(日) 20:15:19 ID:cEpBaIdo

>>5307 a hope所感)

この第五章では、滝村氏が雅春先生と対談することで、徐々に真理に目覚めていく様子がうかがえます。

滝村氏は貧民を救うのは、外からの物質的援助をするなどして社会改造をするしかないと考えていたようですが、
結局は、社会を本当に良くするためには、人々の心を変えなければならないことに気がつかれます。

そして、

<<形をいくら変革しても、それを運用する人間の心が浄まらなければ別な点において新しい組織の運用に欠陥を生ずる!>>

とおっしゃっています。
ここに、『人間の心が浄まる』という表現がでてきました。

そしてさらに、

<<わたしは社会をよくする道は、ただ『生命の実相』の真理を宣伝しさえすればよいのだということがわかりました。>>

と断言されています。

それは、言いかえれば、

「この社会をよくするためには、人間の心を浄める(清める)ことが必要で、それには、人々に「生命の実相」の真理を伝道し悟らせればいいのである」

となりますよね?

少なくともわたしの信じる「生長の家」の第一の使命とは、そういうことです。

このことから考えると、残念ながら、聖典「生命の實相」を失い、「生命の実相」の真理の伝道に積極的ではなく、
環境保護という外の世界の改造ばかりにご熱心な現教団は、どう考えても「社会をよくすることはできない」という結論に達してしまうのですが・・・。

みなさんはそうは思われませんか?

5309トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/24(火) 20:47:37 ID:TsXze1oc
 少し観点が違いますが、青少年練成会などで、どうしようもない不良だった子供が
更生して立派な人になったり、大人の練成でも倒産寸前の会社が再建されたり、たく
さんの人が救われました。個人が救われたのですが、それが社会という観点から見た
ら、世の中がよくなったとも言えます。人間の心が変わるというのは、それだけの
偉業だと思います。

 その意味で、個人の救済から始める事が、結果として、社会のため、国家のため、
世界のためになるのかもしれないと感じています。

5310a hope:2015/03/24(火) 21:54:51 ID:cEpBaIdo

>>5309トキさま

トキさまのご意見に心より賛同させていただきます。
わたしも個人の心を救済してこそ、社会がよくなるのだと感じています

「日本国の実相顕現」も「世界平和」も個々の魂が浄められてこそ達成できるのだと思っています。

5311a hope:2015/03/24(火) 23:02:14 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p164〜

谷口―― 牛乳の瓶の穢(よご)れは内側に牛乳のカスが付いているから外からいくら洗ってもそれはとれない――それはあなたのおっしゃるとおりです。現代人の経済観念は、物質は「蓄(た)めて置かねばたりなくなる」という、物質有限観という人間の「迷いの滓(かす)」が牛乳瓶の内側に蓄(たま)っているから、外側から見ればそれが搾取でもなんでもして蓄めて置かねば損だというふうにあらわれているのですが、それは心の牛乳瓶の内側に「欲ばる心」という「迷い」のカスが溜まっているからであります。

人類に欲ばり根性がなくなり、報酬がなくとも励みが出て、働いて進歩しうるように人類の多数がなってくれば、人間は金の必要がなくなる。すると金で追い廻して人間を使おうとしても無駄のことであるから、そんな馬鹿なことをする人間も無くなるのです。金に追い廻される人間、金に縛られる人間があるからこそ金で人間を追い廻したり金で縛ろうとする人間も出てくるのです。

みんな自分の心が環境に現れるのです。みんな欲ばって、人よりは余計月給を貰おう、人を押し倒して人よりは余計地位が上がろうなど考えているから、みずから長時間勤務という制度を作りあげてしまって、我と我手で自分を縛り苦しめることになったのです。人を押し倒して自分が上にあがろうなどと思っているから、月給は余計貰っても、無理をして、人間らしい家庭の楽しみも味わえず、苦しんで、自分の欲ばり根性は棚に上げて、雇い主を怨んだりすることになるのです。怨むならば自分の心ばかりです。

自分の心が変われば、そのような外界が変わってくるか、それとも自分というものとその環境というものとが調和しなくなりますから、その人は自然にそういう環境を出てもっと自由な勤務につくことができるようになるのです。そして、その環境、状態が自身の心に相応するような代わりの人間がその環境に這入って来て、そこでまたその人が、心相応に鍛えられることになるのです。何事も無駄はないのです。心相応の人が心相応の世界で鍛えられるようになっているのがこの世界であります。


滝村―― なるほど、大変よくわからせていただきました。

5312a hope:2015/03/24(火) 23:07:17 ID:cEpBaIdo

>>5311 a hope所感)

この滝村氏の「牛乳瓶の内側にたまったカス」の例えは具体的でわかりやすかったです。

結局、人間も同じなんですね。
どんなに外見を磨いて綺麗にみせているつもりでも、その心は見抜かれてしまう。

だからこそわたしたちは、正しい信仰をして心を浄めていくんですね!

5313コヨーテ:2015/03/25(水) 09:08:44 ID:NBWk5vHk
>>5311>>5312、修養みたいな感、うけますよね。修養では、無理ですね。

5314a hope:2015/03/26(木) 06:46:48 ID:cEpBaIdo

>>5313コヨーテさま

コメントありがとうございます。
ですが、大変申し訳ないのですがよく意味が通じません。
もう少し、詳しくご説明くださるとうれしいです。

5317応援:2015/03/29(日) 16:06:44 ID:ibklqf52
A hopeさま

y欲張り根性がなくなり、、、、
そういうところが、修養っぽくおもえるということではないでしょうか、

5318神の子さん:2015/03/29(日) 16:33:43 ID:???
古桶の底をぶち抜くことを修業と云うのであれば

溜まった水を浄めることを修業と云うのであれば

吾が心と云う古桶をそのままにして修行と云うのであれば

5319a hope:2015/03/29(日) 23:09:35 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

コヨーテさんのコメントの内容がわたしにはよく理解できなかったのですが、
>>5317の応援さんのコメントを拝見して、コヨーテさんが言わんとしたことがなんとなくわかったようなきがします。

つまり、修養には「欲ばり根性のような汚い心を半ば強制的に外からの訓練によって叩き直す」ようなイメージがあるので、
それが、牛乳瓶の外側だけを磨いて綺麗にしていることのイメージと重なり、
そして、そのような修養的なやり方では、本当に心を浄めることは無理だとおっしゃりたかったのでしょうか?

そうだとすると、コヨーテさんのおっしゃることは、その通りだと思います。

心を浄め、真理を悟るためにはどんなに辛い修行をしても駄目だということは、
すでに釈迦やキリスト、そして谷口雅春先生が証明してくださっていますものね。

わたしは自分の心がどれだけ浄まったかは、
どれだけ自分の置かれた環境に「感謝」できたかでわかるのではではないかと感じています。


実は、わたしはここのところいろいろとありまして、なかなかゆっくりパソコンに向かう心の余裕がありませんでした。

家族が具合がわるくなったり、仕事で失敗したり、子供が問題行動を起こしたり・・・ちょっと気づかれすることが重なり、
精神的に追い込まれ、実際、一晩眠れないくらい心が動揺した夜もありました。

ですが、どんな困難があっても、どんなに苦しんでも、
「その困難や苦しみは自分が生長できる大きなチャンスだからありがたいんだ」って思うようにしました。

そしたら、本当に次の日朝の神想観で瞼の裏に素晴らしい光が見えて、すがすがしい気持ちになることができて、
それから、すべてが好転していきました。

そういう意味で、自分から辛い修行を求めなくても、今現在の自分の置かれた状況に感謝できるようになるのが、
それが一番の修養になるのではないかと感じています。

5320a hope:2015/04/01(水) 07:44:54 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

4月に入りましたので、第33回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5321a hope:2015/04/01(水) 07:46:43 ID:brQxC10.

つづきまして、聖経「続 真理の吟唱」より、謹写させていただきます。


「神の聖愛と叡智を受けて益々向上する祈り」

われ今、宇宙の大神の神前に坐して真心を献(ささ)げて感謝し奉る。
永劫の過去より久遠の未来に到るまでに常に我と倶(とも)にいまして、我を導き護り給うその海よりも深く、山よりも高き御恩に対し感謝し奉る。

われ大神の神子(みこ)として地上に誕生してより以来、常に神は我を護り、教え、導き、必要に応じて、魂の向上に、精神の発達に、肉体の健康増進に最適なる糧を、色々の経験を通じて恰度(ちょうど)適当に与え給うのである。

神はまことにわが生命(いのち)の父であり、また母であり給う。
わが魂を養うために何を今、その時、その場に与えるが最もよきかを知り給うのである。
必ずしも〝甘い〝 経験ばかりが魂の栄養にはならないということを知り給うのである。
時には厳しい環境が私にとって魂及び精神並びに肉体の鍛錬のために必要なることを知り給うのである。
これは神の〝父〝 としての峻厳なる叡智的愛なのである。
もし峻厳なる神の父性的愛がなかりせば、私の魂も精神も肉体も、常に温かな潤いの中のみに育てられて、例えば〝もやし〝 の中で育った荳の蔓(つる)の如く、ウドの軟弱にして、すぐ腐ってしまう茎の如く、まことに脆い軟弱なものになっていたに相違ないのである。

わが今日、いかなる困難にも毅然として耐えることが出来、如何なる複雑錯綜せる事態に面しても、周章(しゅうしょう)狼狽(ろうばい)することなく、神の叡智につながる心の導管(どうかん)を開いて導きを受け、快刀乱麻(かいとうらんま)に截(た)つが如くに自由自在に事を処理し行くことが出来る力は、まことにも父としての神の峻厳なる愛と智との巧みなる配剤によって養われたのである。
今、私はこの事を顧みて、大神に無限の感謝を献(ささ)げ奉る。

困難や苦痛や、時には悲哀さえも私たちはそれをみずから体験することによって、困難に面して将(まさ)に崩折(くずお)れんとする人の心境を知ることが出来、それらの人々の心に真に同情し、彼らに自己同一し、彼等を真に愛することが出来るのである。
愛は神の母性的顕現として来たるのである。
峻厳なる神の父性的顕現の奥に、その深奥(しんおう)の幽(ゆう)なるところに、神の母性的愛はましまして、吾らが困難に躓き倒れ、苦痛に将に悶絶せんとする時に、隠れたるわが意識の奥にて吾らを支え給うのである。
困難に耐える力を鼓舞(こぶ)し、悲しみの奥に聖地があることを、それとなくわが意識の奥底から囁きかけて下さり、再び立ちあがる力を育み下さるのが、神の母性的愛なのである。

かくて冷厳なる法則としての神の父性的顕現と、天人の羽衣の如く柔らかく、春の霞の如く温かく、見えざる慈手(じしゅ)をもて、吾らを抱きあげ給うところの神の母性的顕現と、この両者の調和せる導きと、み護りと、叡智と聖愛とがあったればこそ、私の今日の愛と智慧とを備えた生活があるのである。
吾らの父にして母にまします神に無限の感謝を献(ささ)げます。
ありがとうございます。

5322a hope:2015/04/01(水) 07:49:00 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第33回 web誌友会 案内 

期間   4月1日〜4月30日まで
テキスト 「生命の實相」第17巻 宗教生活篇 
内容   第1章〜第4章
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆


この17巻の宗教生活篇には、第1章と第2章に講演会での講演内容、
第3章と第4章に座談会での座談内容が収録されています。

真理は個人の生活に生きてこそ本物だと思います。
自分が光れば周りも明るくなりますものね。

これからも聖典「生命の實相」の真理を学んで、人類を光明化していきましょう!

5323トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/04/01(水) 22:15:53 ID:/cKczFlM
a hope様、ありがとうございます。
今月もよろしくお願いします。

 皆様もどんどんご参加をお願いします。

合掌 ありがとうございます

5324a hope:2015/04/03(金) 21:22:36 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p1

はしがき

〝生命の實相哲学〝 の説く中心真理はなんであるかというと、現象界は唯心所現であるから、心に従って自由自在に貧でも富でも病でも健康でも不幸でも現すことができるということである。
これを〝横の真理〝 という。
それからこの哲学の〝縦の真理〝 は、人間は本来、神の最高の自己顕現であり、如来であり、無限の生命、無限の知恵、無限の愛、その他すべての善徳に充ち満ちた久遠不滅の存在である――これがわれわれの実相であるということである。
この〝縦の真理〝 と〝横の真理〝 とを縦横に駆使して人生を支配しうる生活が本当の宗教生活であるのである。

宗教というものを死後の生活のためのものだと考えるのはまちがいである。
宗教は生命の不滅を教えるものであるから、死後にも生命が存続する限りにおいて死後の救いをも説くけれども、今生きている生命の救いが成就しないような宗教で、死後も存続する生活の救いが成就することは不可能であるのである。
生長の家の教えがすぐれているのは、宗教的真理を実生活に応用して、その真理を悟れる人々の身辺に、今ここに、天国浄土が実現するからである。

今ここに天国浄土を実現する道は仏教でもキリスト教でも説かれているが、それがたいてい忘れられているのである。
本書の一五一頁に小木虎次郎博士とわたしとの問答がある。
「趙州和尚(じょうしゅうおしょう)が僧堂にいると弟子が道を聴きに入ってきた。趙州和尚は〝何を担いで来たか。その担いでいるものを放して来い〝 としかりつけたという話がある。〝無だ、無だ〝 と言って〝無〝 を担いでいる人がある。無というもの〝 だと思うから〝無〝 を担ぎたくなる。〝無〝 とは〝なんにも無いことじゃ〝 とわかったらもう担がなくなる。〝裸になってすべてを捨ててこい〝 と言ったら、着物を脱いで来ることだと思って身体(からだ)を真っ裸にして出て来るようなことでは、〝まだ何か股間に提(ひっさ)げて来ているぞ〝 と言われてまごつくようなことになる」と小木博士が言っている。
この何ものをも摑まなくなり、露堂々と生命の実相の完全さが露呈するようになったとき、その人の生命は自由自在となって病気も貧乏も家庭苦もいっさいの生活上の問題が解決するのである。

宗教生活はいっさいの否定をとおして、〝無〝 さえも否定しきって、その奥にある生命の実相の大自在を発揮する生活である。
死んでから宗教の救いがはじまるのではなく、生きている今本当の宗教生活があるのである。
キリストも「死にたる者に死にたる者を葬らせよ」と教えている。
読者が本書を読むことを契機として真に大自在の生活に到達せられんことを希望してやまない。

因みに本書の対話の中に出て来る人名はことごとく実在の人であって、石川芳次郎氏はそのころ京都電燈の社長であり、ただ今は京福電鉄の会長をしている。
小木虎次郎は石川氏の岳父であって明治初年の〝博士〝 の稀有なころの工学博士である。
岡善吉氏はそのころ京都ガスの支配人であったが、今は大阪ガスの重役をしておられる。
そのほか本書に出てくる人は、いずれも懐かしい人たちばかりである。
『生命の實相』の頭注版がでるに方(あた)って更(あらた)めて芳名を掲げて敬意を表する。

昭和三十八年七月十日   

著者しるす

5325a hope:2015/04/03(金) 21:25:21 ID:cEpBaIdo


>>5324 a hope所感)

聖典「生命の實相」はどの巻も『はしがき』が素晴らしいのでわたしは読み飛ばすことができません。

「縦の真理」―― 人間神の子 (唯神実相)
「横の真理」―― 唯心所現 

このふたつの真理が〝生命の實相哲学〝 の説く中心真理であり、
<<この〝縦の真理〝 と〝横の真理〝 とを縦横に駆使して人生を支配しうる生活が本当の宗教生活であるのである。>>
と、述べられています。

人生を支配するには、どちらの真理もおろそかにできないというわけですね!

この17巻なのですが、わたしの頭注版にはまったく赤線が引かれていませんでした。
ということは、わたしはまだこの巻は未読だったわけです(;´∀`)

どんな内容なんでしょうか、ワクワクしています。
みなさんもぜひ一緒に拝読してみてくださいね!

5328神の子さん:2015/04/04(土) 08:54:01 ID:???
a hopeさま

でも、やっぱりこっちだよね。「縦の真理、人間神の子」

根本真理だから。

横の真理ぽっちは案外誰でも知ってたりするけど、(#^.^#)

5329神の子さん:2015/04/04(土) 09:16:30 ID:p..UGkhA
上はるん吉でした

5330神の子さん:2015/04/04(土) 12:21:43 ID:RwGVxWiM
51 :神の子さん :2015/04/04(土) 08:57:25 ID:p..UGkhA教区板に続き、

独占板 ( *´艸`)

5331神の子さん:2015/04/04(土) 14:00:03 ID:UgE//uj6
>>5319


5332るん吉:2015/04/04(土) 15:05:00 ID:???
a hopeさま
>>自分が大きく成長できるチャンス。
>>自分から辛い修行を求めなくても、今現在の自分の置かれた状況に
>>感謝できるようになるのが、・・・

読ませて頂きました。けど、自分は応援さんのいうよのがちと分かるかなぁ。ですね。
感謝も難しい時はあるし、それを自力で感謝やったら、現象の心でやるわけやから
これも、修養ですよね。
私はa hope様みたいに人間出来てないから、難しいかな。

5333a hope:2015/04/05(日) 10:09:48 ID:cEpBaIdo

>>るん吉さま

わたしはここでは偉そうなことを言っていますが、現実には全然大した人間ではありません(;・∀・)

日々、偽我(ウソの自分)との戦いです。

現象のわたしには欲ばり根性もしっかりありますし、見栄をはりたい時もありますし、
相手を傷つける言葉を発してしまったり、態度をとってしまったりして、
落ち込むこともよくあります。

でも、以前よりはそういう自分にこだわらなくなりました。
それは、そんな自分は真我(本当の自分)ではないんだとわかっているからだと思います。


例えば、子供が悪さをして暴れている時など、頭から叱らないで静かにさとすように、

「こんな悪さをする○○君は、本当の○○君じゃないんだよ。それはウソの○○君だね。
お母さんは本当の○○君を信じているよ。」

と言ってあげると、必ず静かになって悪さをやめてくれます。
「実相を見る(信じる)」とはそういうことなのではないかと思います。


『感謝』に関しては、わたしもるん吉さまのおっしゃる通りだと思います。

「感謝しなくては・・・」という気持ちでするのであれば、
それは「現象の心」で無理やりすることになってしまいますものね。

わたしは「感謝の気持ち」とは実相の〝気づき〝 であり『悟り』なのではないかと感じています。

だから、『感謝』は内から湧き上がってくるものでなければ本物ではないと思います。

わたしはそこのところがわかったときに「大調和の神示」の内容がよく理解できました。

そして、本当の「和解」とは「感謝し合うこと」であり、
それができたとき、現象世界に「生長の家」が復活するのだと信じています。

5334a hope:2015/04/05(日) 10:11:57 ID:cEpBaIdo

「大調和の神示」


汝ら天地一切のものと和解せよ 天地一切のものとの和解が成立するとき 天地一切のものは汝の味方である

天地一切のものが汝の味方となるとき 天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ 

汝が何物かに傷つけられたり黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ 

われ嘗て神の祭壇の前に供物を献ぐるとき 先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である 

汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である 神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ 

天地万物と和解せよとは天地万物に感謝せよとの意味である 

本当の和解は互いに怺え合ったり 我慢し合ったりするのでは得られぬ 

怺えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ 感謝し合ったとき本当の和解が成立する 

神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ 

天地万物との和解が成立せねば 神は助けとうても 争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ 

皇恩に感謝せよ 汝の父母に感謝せよ 汝の夫又は妻に感謝せよ 汝の子に感謝せよ 汝の召使に感謝せよ 

一切の人々に感謝せよ 天地の万物に感謝せよ その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見 わが救を受けるであろう 

われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる 

われは此処に見よ 彼処に見よと言うが如くにはいないのである 

だからわれは霊媒には憑らぬ神を霊媒に招んでみて神が来ると思ってはならぬ 

われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ 

われは愛であるから 汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる 

(昭和六年九月二十七日夜神示) 



「大調和の神示」 転載元 http://www.na.rim.or.jp/~hfg01061/public_html/16-9-27.htm 

感謝 合掌

5335a hope:2015/04/08(水) 09:24:55 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p44 5行目〜

病気の話が大分出ましたが、「生長の家」は何も病気治しばかりをするところではない。
「生長の家」の説くところは一切宗教の神髄である。
何教でなければならぬと凝り固まった宗派ではない。
また宗門でもない。
派生したものならば、その流れて行く方向がちがうかもしれぬ、また宗門でありましたならば、
それは門でありますから、東門と西門とはまったく別方向を向いているかもしれぬ。
別方向に流れたり、別方向を向いていたら、イヤこの教えは東向きじゃ、イヤこの教えは西向きじゃと言って互に争わなければならぬかもしれぬ。
けれども、「生長の家」はどの方向へも偏寄ってはいないから、宗派争い、宗門争いをする必要がない。
お前の宗教をやめて「生長の家」へ入れとは言わない。
また言う必要がない。
すべての宗門もそれで宜しい。
しかしもっと奥へ這入れ、その堂奥(どうおう)に「生長の家」があるということを説くのであります。

キリスト教の人はキリスト教でそれでよい。
仏教の人は仏教でそれでよい。
神道の人は神道でそれでよい。
しかし宗教というものをただ講座や、哲学や、乞食のような拝み倒しや、死に際の用だと思ってはならない。
宗教はその神髄まで深く入って来るとき必然的に実生活にまで生きてこなければならないのであります。
宗教が実生活にまで生きてこないとき、宗教は無用の長物視され、閑人の閑事業視され、老人の玩弄物視されてしまうのであります。

ところが宗教が実生活にまで生きてきますと、それが実生活の指導原理となってくるのであります。
実生活の指導原理となるばかりでなく、「神の子」の生活を人生に実現することになるのであります。
実際宗教の目的は、「神の子」の生活を人生に実現するためであって、これこそ「生長の家」がこの世に出現した使命であります。

5336a hope:2015/04/08(水) 09:26:31 ID:cEpBaIdo

>>5335 a hope所感)

この第1章「生活に生きる宗教」は、昭和9年11月10日に東京都有楽町報知講堂で行われた、
「人類光明化運動講演会」での谷口雅春先生の講演内容です。
その講演では、雅春先生の話を聞いたり、「生命の實相」を拝読したりすることにより心が整い、
病気が治ってしまったという『唯心所現』の実例が次々に紹介されています。

しかし上のわたしの謹写部分にですが、「生長の家」は決して『唯心所現』(横の真理)だけを説く宗教ではないと述べられています。

つまり、人々に唯心所現の真理(横の真理)を悟らせて実生活に生かすことで、「人間神の子」(縦の真理)を人生に実現させること、
それが「生長の家」がこの世に出現した使命であるとおっしゃっています。

>>5328でるん吉さまもコメントをくださっていますが、
この「人間神の子」の『縦の真理』が「生長の家」の根本真理にあるからこそ、「生長の家」は一切宗教の神髄だといえるのですね!

「生長の家」って本当にすばらしい!!

5337a hope:2015/04/10(金) 10:29:21 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p56 後から4行目〜

今までの宗教に属する人や道徳家が善くなろうと思っても善くなれないのは「頼みにならぬ我」――本来悪いわれ――本来無いわれ―― ウソのわれで善くなろうと思うからなのだ。 
なぜいつまでもそんな「ニセ物の我」で善くなろうと思いつつ善くなれないといってそんなことに引っかかっているのだ。
今まで他の宗教や修養法や自制法などでいくら禁酒禁煙しようと思っても禁酒禁煙できなかった人が「生長の家」に来られて神想観をやったり、わたしの『生命の實相』を読んでいるうちに、自然に巧まず工夫せずに禁酒禁煙させてくる実例が多いのであります。

それは前の場合には、酒を飲みたい心、――ウソの心で酒を飲むまいと工夫していたからそれが止められなかったのです。
「酒を飲みたい心」で酒を飲むまいと工夫したとてそれは無駄な努力にすぎないのです。
そんな悪い心は無いと知って、実相の心、阿弥陀仏の心、無限に善い心、久遠のキリストの心ばかりが実在であり、それが「本物の自分の心」だと知ったとき、ひとりでに内在の善が顕われてきて、善きことばかりができるようになるのです。

「生長の家」の説くところは、自分を悪いくだらないものであると大きくいったんその悪さを認めてから捨てるというような迂回的な捨て方をするのではない。
闇をいったんあると認めてその闇を握って摑んで捨てようと思っても、闇というものは消えるものではない。
闇というものを消す方法は、闇がアルとかナイとかいうことなしに頓着しないで闇の反対――「光」をだせば、闇は消えてしまうのです。

光さえ出せば幾億万年以来からの濃い闇でも電燈一個ともせば消えてしまうのです。
だから闇のことは頓着する必要はちっともないのです。
「悪い自分」のことは頓着する必要がない。
ただ本当の自分の「光」さえだせばよいのです。
本来「天照大御神」と同体の自分のみを認めればよいのです。
本来「尽十方無礙光如来と同体の自分」というもののみを認めればよいのです。
「久遠のキリストと同体の自分」のみを認めればよいのです。
そうしたら光が出ればすべての闇が消えてしまうように、悪い自分というものは本来無いから消えてしまうのです。
だから苦労して止(や)めようとしても止まなかった飲酒癖などが自然になんの苦しみもなく止まるのは、自分のうちに宿る仏性が出て来るからです。
自分の中に宿るキリストが出て来るからです。・・・

5338a hope:2015/04/10(金) 10:32:59 ID:cEpBaIdo

>>5337 a hope所感)

ここに、「生長の家の教え」が、「修養」とか「自制」とかいうような方法で
『悪い自分(偽我・本来無い自分)に働きかけて善くしていこうという教えではない』、
ということがはっきりと述べられています。

<<今まで他の宗教や修養法や自制法などでいくら禁酒禁煙しようと思っても禁酒禁煙できなかった人が「生長の家」に来られて神想観をやったり、わたしの『生命の實相』を読んでいるうちに、自然に巧まず工夫せずに禁酒禁煙させてくる実例が多いのであります。>>

わたしたち「生長の家」を信仰する者は、人間の悪や罪を認める必要はまったくなく、
だだ、神想観をして、『生命の實相』を拝読することで、自然に「実相の心」(本当の自分)が顕われてすべてが順調に流れ出すというわけですね!

5339トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/04/10(金) 19:49:24 ID:4juByk5Y
生命の実相第17巻 44ページより謹写

 病気の話が大分出ましたが、「生長の家」は何も病気治しばかりをするところではない。
「生長の家」の説くところは一切宗教の神髄である。何教でなければならぬと凝り固まった宗派ではない。
また宗門でもない。派生したものならば、その流れて行く方向がちがうもしれぬ、また宗門でありましたならば、
それは門でありますから、東門と西門とはまったく別方向を向いているかもしれぬ。
別方向に流れたり、別方向を向いていたら、イヤこの教えは東向きじゃ、イヤこの教えは西向きじゃと言って争わなければならぬかもしれぬ。

 けれども、「生長の家」はどの方向へも偏寄ってはいないから、宗派争い、宗門争いを
する必要がない。お前の宗教を止めて「生長の家」へ入れとは言わない。また言う必要
がない。すべての宗門もそれで宜しい。しかし、もっと奥は這入れ、その堂奥に「生長の家」
があると説くのであります。

 キリスト教の人はキリスト教でそれでよい。
仏教の人は仏教でそれでよい。
神道の人は神道でそれでよい。

 しかし、宗教というものをただ講座や、哲学や、乞食のような拝み倒しや、死に際の用だと思ってはならない。
宗教はその神髄まで深く入って来るとき必然的に実生活にまで生きてこなければならないのであります。

(つづく)

5340トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/04/10(金) 20:03:14 ID:4juByk5Y
 宗教が実生活にまで生きてこないとき、宗教は無用の長物視され、閑人の閑事業
視され、老人の玩物視されてしまうのであります。ところが宗教が実生活にまで生き
てきますと、それが実生活の指導原理となってくるのであります。実生活の指導原理
となるばかりではなく、「神の子」の生活を人生に実現することになるのであります。

<以上で、謹写を終えます>

 私が感じた部分は以上の部分であります。

 亡くなられた藤原敏之先生は、生長の家宇治別格本山の長期練成が終わる時のご講話
で、「みなさんは、今日で宇治の練成会は最終日を迎えますが、ここで学んだことを
帰ってから実践することが大事なんですよ。」と言われていたのを思い出します。

 聖典に書かれていることを生活に実践し、よりよい生活を送る。
その悦びがあって、はじめて他人様にお伝えしようという原動力になるのであります。

 生活に活かす、という信仰は、簡単なようですが、たいへんな部分はあります。
が、そこからしか、本当の向上はないと感じております。

合掌 ありがとうございます

5341a hope:2015/04/12(日) 23:26:23 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p60 後から2行目

神さまは決してイエス・キリストを磔刑(はりつけ)にされはしなかったのです。
またキリスト自身も磔刑に処せられて血を流したこともなかったのです。

ではなぜキリストは磔刑になって実際われわれの眼に磔刑になったのごとく顕われ給うたのでしょうか。

それは神の怒りをなだめんがためではない。
至仁至愛(しじんしあい)なる神は決して未だかつて怒り給うたことはないのです。
だから神の怒りをなだめる必要などは露さらないのです。

ではなんのために神はキリストを遣わし給うて磔刑にかかって苦しむ有様を現じ給うたのでありましょうか。

それは実に人類の罪の意識をなだめんがためなのであります。
「罪」というものを神は造り給わないのでありますから、罪はこの世に実在しない、実在しないはずの罪がどうして消えないかというと、人類自身の念が、罪がある、罪が重いと思ってそれに執着しているからなのです、「罪はない」と知って念を罪から解放しましたらなら、地球の引力がなくなったらいっさいの雲霧が飛び散ってしまうように、「本来無い罪」は自然に消え去ってしまうのであります。

だといって、「罪は無い」と教えてやっても、「罪はアル」と思っている人々には、なかなか「オオそうか」と罪念が消えてしまわない。
そういう人の罪の観念を消し去るためには、罪を贖(あがな)うためには罪の値を支払うためには、自分自身何か罪つぐないの苦しみをするか、誰かが代わりに苦しんで「オイお前の罪の代価はワシが代わりに払ってやったよ」と言ってくれる人がなくてはならない。

イエスが神から遣わされて十字架にかかって苦しまれたのは人類に対して「オイお前の罪の代価はワシが代わりに支払ってやったよ」と言って、われわれの罪の意識をなだめる役目で出現されたのであります。
決して神の怒りをなだめるためではなかったのです。

神は決して怒り給うような神ではないのです。
「オオ君が僕の代わりに借金を支払ってくれたのかありがとう」――人類はこう言って罪の重荷がおりたと思ってラクになり、ヤレヤレと思う。
これで、人類から罪の念が解放される。
罪本来無く、ただ罪の念で繋ぎ止めておいたために今まで消えなかった罪ですから、もうこれで罪は消えてしまったのです。

イエス・キリストはこういうように人類の罪の意識をなだめて人類から罪を解放し、人類をラクにしてあげようと思って、本来苦しまず、本来金剛不壊で傷つかない「久遠の実在」であるにもかかわらず、磔刑にかかって傷ついた姿であらわれたのであります。

だから、キリストの十字架の目的からいってもキリストでさえ苦しみ給うたのであるから自分も苦しまねばならないなんて考えているのはまちがいなのであります。
キリストの十字架は人間が楽になるように出現したのです。

宝蔵菩薩の四十八願は人間が楽になるように、極楽になるように出現したのです。
宗教というものは、こういうように人間が楽になるように、極楽になるように出現したのでありまして、今までの宗教には難行道という易行道(いぎょう)とがあると言われていますが、真宗などは易行であって、ただ南無阿弥陀仏と言うだけで救われるのでありますが、「生長の家」は易行よりもまだやさしいのです。

それは容易(やさ)しいだけではない。
楽な行である。
楽行道だと言っているのであります。
もう時間も予定の十時を十分過ぎましたから今日の講演はこれで終ることに致します。

第1章 終わり

5342a hope:2015/04/12(日) 23:27:37 ID:cEpBaIdo

>>5341 a hope所感)

あくまでも、磔行(はりつけ)になったのは肉体キリストの現象の姿であって、
実相のキリストは久遠の実在で、磔行(はりつけ)にもなっていないし、血も流していないのですね。

わたしたち人間の実相もみなキリストと同じ久遠の実在なのですから、悟ってみれば、
どんな苦難に見舞われようとも苦しむこともなく傷つくこともないのだと思います。

そして、「病なし 迷いなし 罪なし」 の「実相独在」の真理を悟るためにわたしたち「生長の家」の信徒がすべきことは、
神想観と聖典「生命の實相」の拝読なのですから、それは本当に「楽行道」ですよね!

5343トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/04/13(月) 20:18:29 ID:SxM22Y9g
>>5342

 おっしゃる通りですね!

 生長の家の聖典を拝読すると、いろいろ良い事が書いて有ります。
例えば、生命の実相の第7巻の「朝の時間を活かせ」などは有名です。

 ただ、そういう部分は、倫理とか道徳というところでも説かれてい
ます。信仰が倫理や道徳とどこが違うか、というと、神様の説かれた
真理から出発するところにあります。生長の家の信徒だと、人間=神の子
の真理から始まるかと感じます。

 タバコや肉食をやめなさい、ではなくて、人間 神の子の自覚が深まる
と自ずからタバコも肉食も減ります。そのために必要なのは、日常生活
の中で、誰でも始められるものですから、本当に「楽行道」ですね。

5344a hope:2015/04/14(火) 09:38:18 ID:cEpBaIdo
>>5343 トキさま

わたしの所感にご賛同くださりありがとうございます。

<<タバコや肉食をやめなさい、ではなくて、人間 神の子の自覚が深まる
と自ずからタバコも肉食も減ります。>>

わたしも、トキさまのおっしゃるようになってこそ、神の子の実相が顕現したといえると思うのです。


現教団の雅宣先生や純子先生のご指導は、
『人間は「神の子」だから「神の子らしく」肉食を減らし、地球にやさしく暮らしましょう!』
みたいな、ご指導になってしまっていて、そのような指導方法では、神の子の実相は顕現しないと感じています。

今現在、生長の家の信徒の為すべきことは、
雅春先生の遺された「聖典の拝読」と「神想観の実修」それが最優先だと思います。

それに、それは、誰をも幸せにする「楽行道」なのですから・・・

5345a hope:2015/04/14(火) 14:55:27 ID:cEpBaIdo

みなさま こんにちは

家政連板 >>5143で神の子さま(おそらく曳馬野さまかそのお仲間)が、
わたしの>>4344のトキさまへのコメントに反応されて、

<<「三正行」と云われているわけですが、二つだけでは野弧になりましょう。
教団の中で『愛行』をやり切れなかった人間、が隠れてネットで寝言を言う。どこが「楽行道」なんだか?>>

と発言されています。

わたしが今回、雅宣先生や純子先生のご指導を批判したので、きっと登場されるのではないかと予測はしていました。

わたしは、今までずっと、生長の家の信徒がすべきこととして、三正行をあげさせていただいていましたが、
今回は「聖典の拝読」と「神想観の実修」だけをあげさせていただいのには理由があるのです。

なぜなら、最近では「生長の家」の信徒のすべき「愛行」の定義がハッキリわからなくなってきてしまっていると感じているからです。

わたしが認識している愛行とは「生長の家の教え」つまり「人間神の子の真理」の伝道です。

ですが現教団の指導の下では、太陽パネルの建築への募金や、マイ箸運動、節電、・・・
そんなことが生長の家の「愛行」であるかのようになってしまっていませんか?

だから、あえて、生長の家の信徒が最優先にすべきことの中に「愛行」を省かせていただいたのです。

雅春先生の「聖典を拝読」し「神想観を実修」していれば、おのずと正しい「愛行」は行われるものだと思います。

5346a hope:2015/04/14(火) 14:59:39 ID:cEpBaIdo
>>5345訂正

わたしの>>4344のトキさまへのコメントに反応されて、
  ↓
わたしの>>5344のトキさまへのコメントに反応されて、

5347神の子さん:2015/04/14(火) 15:26:37 ID:wVeysO6Q
>>雅春先生の「聖典を拝読」し「神想観を実修」していれば、おのずと正しい「愛行」は行われるものだと思います

以下の3144を答えとしましょう

3140 :神の子さん :2015/04/14(火) 12:51:34 ID:1Pks5UNk
過疎の村起こしですか?安倍ポチの言いぐさと同じこと


3141 :神の子さん :2015/04/14(火) 13:08:17 ID:1Pks5UNk
福岡のまじめな信徒さんの書き込みを妨害するかのように、a hopeさんがつまらん貼り付けをしたので、出てこなくなった。

誌友会版で能書き云うだけならいいのだが、二つの版を独占した。トンチンカンさんも一つの版の独占、縹さんも一つの版の独占、

この三個の版には誰も反応しない。過疎化の原因は管理人のいい加減さでしょう。


3142 :神の子さん :2015/04/14(火) 13:36:28 ID:1Pks5UNk
なんかアクセス制限掛けてるのかな


3143 :神の子さん :2015/04/14(火) 14:11:50 ID:wUlsSC6Y
今現在、生長の家の信徒の為すべきことは、
雅春先生の遺された「聖典の拝読」と「神想観の実修」それが最優先だと思います。
それに、それは、誰をも幸せにする「楽行道」なのですから・・・ a hopeさん

「三正行」と云われているわけですが、二つだけでは野弧になりましょう。

教団の中で『愛行』をやり切れなかった人間、が隠れてネットで寝言を言う。どこが「楽行道」なんだか?


3144 :神の子さん :2015/04/14(火) 14:52:12 ID:wVeysO6Q
大体トキさんが教区の人間であり、生長の家の教えはこうだと云える人であるならば、そして人から信頼されているのであれば、

貴女の教区から分派に行く人はいないでしょう。そして総裁の教えがおかしいと云うのでしたら、今の教えから残っている信徒を救う

のが愛行でしょう。そして昔のままの素晴らしい教区として全国に知れ渡っていることでしょう。

そうなっていないとすれば現場で愛行をしていないと云うことでしょう。

壇上で能書き云うことを仕事としているのでしょうか?それとも本部直轄の組織人間で給金のために能書き云っているのでしょうか?


3145 :神の子さん :2015/04/14(火) 15:04:41 ID:wVeysO6Q
公開プロキシ規制だとか、リファラ規制だとか、管理人さん頑張っていますね

5352a hope:2015/04/14(火) 19:34:15 ID:cEpBaIdo

以下に1月12日の純子先生のFBからのご文章を紹介させていただきます。

――――――――

今週のことば--

私たちは、困っている人、災害にあった人、難民などに、物資を送ったり献金をします。
肉食からノーミートに転換することは、貧しい国の人々に献金するのと同じような効果があり、大きな愛行であり、善行と言えます。
そのように考えれば、毎日の食事から少しずつ肉を減らしていくことを、信仰者ができないはずはないと思います。
            
機関誌『生長の家』2014年11月号33頁

―――――――


本当に、肉食からノーミートに転換することが、貧しい国の人々に献金するのと同じような効果があり、
「大きな愛行」で「善行」になるのでしょうか?

それに、「毎日の食事から少しずつ肉を減らしていくことを、信仰者ができないはずはない」というご発言があまりにも押しつけ的に聞こえてしまい、
時にはお肉も美味しくいただいているわたしは、生長の家の「信仰者」ではないのかととても嫌な気持ちになりました。


繰り返しますが、>>5343でトキさまがおっしゃっているような、

<<タバコや肉食をやめなさい、ではなくて、人間 神の子の自覚が深まる
と自ずからタバコも肉食も減ります。>>

という状態になっていくのが、本当の「生長の家」の信仰者の姿なのだとわたしは思います。

5353神の子さん:2015/04/15(水) 06:30:32 ID:???
>>おそらく曳馬野さまかそのお仲間が


曳馬野に、お仲間無し。ひとりぽっち。

5354a hope:2015/04/18(土) 18:38:19 ID:cEpBaIdo

生命の實相第17巻 p80 1行目〜

実際に「生長の家」の聖典『生命の實相』を読みますと、「ああ自分の宗教の教祖はこういう意味を説いていられたのか」とはじめて頷けて釈然とするのであります。
よく宗教同士相争うているのを見受けますが、元来宗教は和解がその役目でありますのに、その宗教が互いに相争っているのは、「こうでなければならぬ、ああでなければならぬ」と捉われるから、ギコチなくなり、固苦しくなり、ついには互に相争うて和解を使命とする宗教本来の使命が滅びてしまうのであります。

「生長の家」はすべての争っている宗教を一つの真理の内に癒合して仲好しにさせるという機能をもっているのでありますから、よくちがった宗教の人たちが夫婦になると互に調和しないで家庭にいろいろな問題が起っているような場合に、そこへ一冊の『生命の實相』の聖典が舞い込みますと、今まで、反対のように見えていた宗教は実は一つの真理の表門と裏門であって、本当はやはり一つであるということが分かって夫婦が仲好しになられた例がたくさんあるのであります。

5355a hope:2015/04/18(土) 18:39:28 ID:cEpBaIdo

>>5354 a hope所感)

<<よく宗教同士相争うているのを見受けますが、元来宗教は和解がその役目でありますのに、その宗教が互いに相争っているのは、「こうでなければならぬ、ああでなければならぬ」と捉われるから、ギコチなくなり、固苦しくなり、ついには互に相争うて和解を使命とする宗教本来の使命が滅びてしまうのであります。>>

宗教の本来の使命は、「和解」だったのですね・・・・。


<<「生長の家」はすべての争っている宗教を一つの真理の内に癒合して仲好しにさせるという機能をもっているのでありますから、・・・>>

そして、本来の「生長の家」には、そういう機能があったのですね・・・。


今現在、その「生長の家」が内紛し分裂し、「和解」の使命が滅びてしまって見えているのは、
「こうでなければならぬ、ああでなければならぬ」と捉われているからにほかならないと思います。

生長の家が「和解」の使命を取り戻すためには、すべての「ねばなばならない」を払拭して、
信徒一人一人が、聖典「生命の實相」の基本に戻ること、それ以外方法はないように感じています。

5356神の子さん:2015/04/18(土) 18:58:11 ID:f6iBwf1Q

今現在、その「生長の家」が内紛し分裂し、「和解」の使命が滅びてしまって見えているのは、
「こうでなければならぬ、ああでなければならぬ」と捉われているからにほかならないと思います。

生長の家が「和解」の使命を取り戻すためには、すべての「ねばなばならない」を払拭して、
信徒一人一人が、聖典「生命の實相」の基本に戻ること、それ以外方法はないように感じています。
***************************************************************************************************

あなたが『ねばならない』に一番捉われているのでしょうが。基本に戻らなければならないとね。

あなた自身が教団との和解が出来ていない。

貴女の言う和解とは何?

5357レイ:2015/04/18(土) 21:32:04 ID:1ThqK4Lc
基地に言われて誌友会に参加する事にしました(^-^ゞ

5358レイ:2015/04/18(土) 21:35:44 ID:1ThqK4Lc
最近、インキンタムシだと思ったらパンツを毎日履き替えれば痒くないって事に気付きました。

しかし。

ただ、パンツを履き替え『ねばならない』から解放しても股間が痒くなってしまいます。

5359レイ:2015/04/18(土) 21:38:11 ID:1ThqK4Lc
働かねばならない
税金を納めねばならない
服を着ねばならない…

人生百般の『ねばならない』から解放されただけでは無軌道な人生になってしまいます。

5360レイ:2015/04/18(土) 21:44:55 ID:1ThqK4Lc
教団と和解せねばならない
メガソーラー募金をやらねばならない
聖典を読まねばならない
肉食をやめねばならない…

一切の『ねばならない』から解放されて、ただ神の子の値打を出す…その為にはしっかり勉強して誰にでも親切にして、神の子の値打ちを、この世に人間が生まれた目的を果たすようにしたいですね。

5361レイ:2015/04/18(土) 21:54:44 ID:1ThqK4Lc
さて、それなら自分は迷い子では無い、神の子だというヘッドライトを常に心に灯すようにしたいですね。

だから大事なのは…

ここで和解念仏和尚の出番でしょうかな?

5362私嘘つきです:2015/04/18(土) 22:37:42 ID:f6iBwf1Q
「私は学ぶ会に移りました、ああすっきりした」

「全国大会に行けなくなりました、残念」

何て作文書く、嘘つきを止めてからモノ言いましょう

5363レイ:2015/04/18(土) 23:30:32 ID:1ThqK4Lc
>>5362
嘘は言ってないけどね。
全国大会、行けるようにしたいな〜

貴方も行きませんか?

5364レイ:2015/04/18(土) 23:47:40 ID:1ThqK4Lc
誘ってもらえて感激ですか?

思いたったら明日、直ぐに申し込みを(^人^)

5365私嘘つきです:2015/04/18(土) 23:58:02 ID:f6iBwf1Q
嘘は言ってないけどね。
全国大会、行けるようにしたいな〜
**************************************************************
歩いて行けば〜 誰もあなたの歩くの止められないよ

空気吸うのは自由だろ、歩くのも自由、陰金たむしも自由にどうぞ

5366a hope:2015/04/19(日) 00:24:09 ID:brQxC10.

レイさま

Web誌友会ご参加ありがとうございます。

ですが、ここで言う「ねばならない」とは、自分の本意ではないことを強制的にするときに使うことばだと思うのです。

だから、>>9358の<<パンツを履き替え『ねばならない』から解放しても股間が痒くなってしまいます。>>

という場合に使うのはちょっと違う様な気がしますが・・・

パンツを履き替えればかゆみが止まりレイさまが快適になるのであれば、それはレイさまの本意なのではないですか?

一方、肉が大好きな人が『肉食を止めろ』と言われたら、それはその人の本意ではないですよね?

そういう時に、「自分は肉は食べたいけれども、環境のために肉食は控えなければならない」と使うのが本当の「ねばならない」のつかい方なのではないのでしょか?

たしかに、働くのが嫌いな人が働くのは「働かねばならない」ですし、
税金を納めるのがいやな人が税金を納めるのも「納めねばならない」でしょうし、
服を着るのが嫌いな人が服を着るのも「着ねばならない」となるのかもしれません。

ですが聖典「生命の実相」を拝読し、神の子の自覚がでてくれば、そんな怠け心やケチな心や変態心は自然になくなってきますよね!

だから反対に考えれば、聖典「生命の實相」を拝読して神の子の自覚を深めることで、
無理なく「ねばならない」を払拭できるのが「生長の家」の教えなのだと思うのです。

少し説明がややこしくなってしまいましたが、レイさまが>>9360で、そういう意味で、

<<一切の『ねばならない』から解放されて、ただ神の子の値打を出す…その為にはしっかり勉強して誰にでも親切にして、神の子の値打ちを、この世に人間が生まれた目的を果たすようにしたいですね。>>

とおっしゃっておられるのでしたら、レイさまのご意見に心より賛同させていただきますね!

5367a hope:2015/04/19(日) 11:22:31 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p96 4行目〜

実例をあげれば、先日話しました材木(さいき)さんの話でありますが、材木さんの泊まっておられた小川旅館のおかみさんが耳が悪くて少しも聞こえなかった。
始終耳ががんがん鳴っていて聞こえなかったのであります。
客も三、四人しか来ないで経営が思わしからず、困っている状態なので、材木さんが「生長の家」の話をしてぜひ読んでみるようにと教えられたそうであります。

それでおかみさんが生長の家の聖典『生命の實相』を貰って一所懸命に読んでみられた。
一度は、石井照子さんに訪問してもらったのでありますが、それ以来気分がすっかりよくなって今まで夕立のようにざあざあなっていた耳鳴りがぴったりやんでしまったのであります。
耳だけではない、主婦(おかみ)さんの心が変わってくると、それと同時に店が繁昌してきたのです。
四、五人しかなかった客が三、四十人もやって来て、部屋が足りなくなって一室に二組三組と詰め込まねばならぬような始末になってきたのであります。
心が変われば店が繁昌する。
貧乏も極楽も皆心の中にある。

これはただの一例ですが『生命の實相』という本一つで、この宿屋の主婦さんの環境が地獄から極楽へ一転してしまったのであります。
これを推し進めて行きますと、『生命の實相』の本を読ましたら、その読む人の環境が極楽になる。
すべての人間に『生命の実相』の本を読ましたら、すべての人間の環境が極楽になる。
そうすると心一つで地上に天国が成就することになるのであります。・・・

5368a hope:2015/04/19(日) 11:25:03 ID:cEpBaIdo

>>5367 a hope所感)

<<これを推し進めて行きますと、『生命の實相』の本を読ましたら、その読む人の環境が極楽になる。
すべての人間に『生命の実相』の本を読ましたら、すべての人間の環境が極楽になる。
そうすると心一つで地上に天国が成就することになるのであります。・・・>>

生長の家の伝道は、真理の書かれた聖典の「文書伝道」だと教わりました。
混乱したら基本に戻ればいいだけのことだと思うのですが・・・違うのでしょうか?

5369神の子さん:2015/04/19(日) 21:37:52 ID:1ThqK4Lc
>>5365
アナタは観世音菩薩さまですか?

ありがとうございます(^-^)

5370レイ:2015/04/19(日) 21:54:25 ID:1ThqK4Lc
パンツは冗談ですがf^_^;
そういう意味で。

私は神の子の美しい値打ちを出す為に生きていきたいと思ってます。
それがこの世に自分の生まれた目的、意味なんだと。

『人間の目的は「神の子」の値打を出すこと』
(人生読本37ページ)

5371レイ:2015/04/19(日) 21:59:50 ID:1ThqK4Lc
生命の実相は、私には難しくちょっと敷居が高いけど。
読み出せば引き込まれて一気読みもしますが、普段はなかなかページが進みませぬ。

5372レイ:2015/04/19(日) 22:58:49 ID:1ThqK4Lc
雅春先生の本を買いすぎて何れから手を付ければ良いか途方にくれていましたが。
自分の愛読書は人生読本と真理の吟唱になりました。

自分なりのやり方が掴めてきたトコで。
心が落ち着いて腹を立てる事が少なくなった自分に気付きます。

5373a hope:2015/04/20(月) 09:41:09 ID:cEpBaIdo

レイさま 

<<私は神の子の美しい値打ちを出す為に生きていきたいと思ってます。
それがこの世に自分の生まれた目的、意味なんだと。>>

<<心が落ち着いて腹を立てる事が少なくなった自分に気付きます。>>

レイさまの素晴らしいご心境に感動しました!


『人生読本』は、わたしにとっても愛読書です。
実は4年前に全文章をこの掲示板の信仰/体験板と聖典板に謹写していたのですよ。

その最初の文章が見つかりましたので紹介させていただきます。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311411528/730

わたし、、、若いですね(笑)

子供達もまだ小さかったので、今よりずっと家事育児に忙しかったのだと思いますが、
自分で読んでも、生長の家の教えに触れて感動している様子がありありと伝わってきます。


『生命の實相』は、確かに哲学的な説明が多いので難しいのかもしれません。
わたし自身は、哲学が好きなのであまり気になりませんが・・・。

雅春先生はたくさんの著書を遺してくださっていますが、その中でも「聖典」と呼ばれるものは、
拝読しなくても携帯しているだけで災難から身を護ってくださるお守りの役目をしてくださいますよね!

家の本棚に在るだけで、お家を護ってくださっているのだと思います。

聖典の真理の言葉は、頭で考えすぎずに素直に心読することが大切なのではないかと感じています

5374a hope:2015/04/23(木) 11:39:10 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p137 5行目〜

 谷口――なんでも「ぜひこうして欲しい」「こうでなければならぬ」とこの「ぜひひてほしい、ねばならぬ」に捉われますと、心が互いに引っかかって争わなくてはならなくなるのです。
この欲しい、ねばならぬ」を捨てたときに家庭の平和は来るのです。
自分で「こうではなければならぬ」という寸法を持っていると、そうでないものはみんなまちがっているように見える。
そうすると心の中でどうしても非難する。
心の中で非難すると、言葉に出して非難しなくとも必ずそれが感応して互い互いに意地悪をやるようになってくるのです。

だから、お父さんが仏壇を拝みにならなかったとて「お父さんが拝まぬから悪い」とお考えにならないでよいでしょう。
「一人出家すれば九族天に生まる」という言葉がある。
一人でも本当に悟れば、一家全体は救われるのです。
お父さんが仏壇を礼拝なさらなければ、この分はお父さんの分だと思ってあなたが代わりに礼拝してあげるとよろしい。
お父さんを咎める心になるよりよほど気持ちがよい。

5375a hope:2015/04/23(木) 11:51:49 ID:cEpBaIdo

>>5374 a hope所感)

ここに登場する「お父さん」は、ご自分が病身であり、ある霊覚者によると父の方の因縁があるので、
「お父さん」自身が父方の仏壇を礼拝しないとその病気は治らないといわれたそうです。
ですから家族がその「お父さん」に父方の仏壇を丁寧に礼拝するように頼むのですが、
まったく聞き入れずに、そのことで家族と争いのようになってしまっているようです。
その相談への雅春先生お答えが、上の謹写部分です。

とても考えさせられる内容だと思いました。


これを間違って解釈してしまうと、

『片付けをしないわが子を咎めることなく、親が代わりに片付けてしまう・・・その方が、叱らずにすむから、気もちがいい。』

ということにもなりかねません。


現「生長の家」の問題にあてはめてみて考えますと、
わたしたちは、生長の家の総裁・副総裁なのに本来の「生長の家」の信仰をしない雅宣先生や純子先生を、

<<総裁・副総裁が本来の「生長の家」を信仰なさらなければ、この分はお二人の分だと思ってあなたが代わりに信仰してあげるとよろしい。
お二人を咎める心になるよりよほど気持ちがよい。>>

となってしまいます。


今回、岡先生というお方が雅宣総裁に「公開質問」をされたようですが、
これは、ご自分自身のお心の「気持ちのよさ」だけを考えていては決してできない、
とても勇気のある行動だと思いました。

5376a hope:2015/04/26(日) 09:29:05 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」17巻p165 9行目〜

太田――先生、わたしは質問があります。
わたしは信仰は教育を否定しない、信仰と教育とは平行して行くべきものだと思うのです。
神様を本当に信ずるということと、神様にまかせたというのを口実になんの努力もせずに懶(なま)けていることとはちがうと思います。

谷口――それはちがいますねえ。

太田――ところがわたしの家内の場合では、神様を本当に信ずるということは、何もかも神様に打ち委(まか)せて、子供の教育はほったらかして、自分は何もせずに懶(なま)けているということなのです。

谷口――そんなことはありますまい。 
本当に神様を信じたら、懶(なま)けるなどという状態は自然になくなるのが本当の信仰です。
懶(なま)けるということは「行為」でないわけではない、形にあらわれた一種の「何もせぬという行為」である。
そして形にあらわれた行為は心の影ですから、心に本当の信仰が握れたら、その心の投影として行為が自由自在になる。
自由自在無礙になるのが本当の正しい信仰の投影としての行為です。
何もしないで懶(なま)けているという行為は、決して正しい信仰の投影ではありませんねえ。
信仰というものは、たとえばここにある茶碗でもここからかしこへ動かそうとする時に祈って手を動かさないでいるのが信仰ではない。
あの茶碗はきっと動かせると信じて自分が起ち上がって持ってくることです。

太田――ところが家内の場合では、わたしがいろいろと子供に注意していることを、子供を信じないからだと言うのです。
子供を信じ神様を信じたら、そんなに子供の行為に干渉しなくとも、大空に凧の糸目を切って放したように、本当に無干渉になってしまわねばならないと言うのです。
しかしわたしは、子供に注意を与えることが干渉だとは思っていない。
教育だと思っているのです。
教育というものは導くということです。

谷口――そうです。
教育ということは引き出すということです。
本来もっているものが出やすいように窓口を開いてやるということです。・・・

5377a hope:2015/04/26(日) 09:31:40 ID:cEpBaIdo

(a hope所感)

この後、ご主人の太田氏に、

<<神様を本当に信ずるということは、何もかも神様に打ち委(まか)せて、子供の教育はほったらかして、自分は何もせずに懶(なま)けているということなのです。>>

と思われてしまっている、奥さまの太田夫人が反論しています。


わたしも「子供の教育」に関しては、悩むことが多いので、この太田ご夫婦と雅春先生の御対談はとても興味深かったです。


よく「自由と放任は違う」という言葉を聞きますが、みなさんはどう違うとお考えですか?


上の雅春先生のお言葉に、

<<心に本当の信仰が握れたら、その心の投影として行為が自由自在になる。>>
<<自由自在無礙になるのが本当の正しい信仰の投影としての行為です。>>

とあります。


わたしは、正しい信仰(生き方)ができていないのに『自由』を主張するのはそれは 『自由』ではなくて「自分勝手」や「放漫」で、
そして相手の「自分勝手」や「放漫」をさせるがままにしてしまうのが「放任」なのではないかと解釈しました。

相手の「実相」を礼拝して信じることは勿論信仰の基本だと思いますが、現象の相手の姿がおかしかったり間違っていると感じたら、
「あなたのしていることは、おかしくありませんか?間違っていませんか?」と注意してあげることは、
相手の「実相」を信じているからこそできる、とても信仰深い愛深い行為なのではないか感じています。

5378a hope:2015/04/30(木) 12:17:50 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p212 9行目〜

谷口―― 東京でも「手のひら療治」の幹部が、ぞくぞく『生長の家』へお入りになるようであります。
病人に同じ手を触れるにしても、病気本来無い「生命の実相」を知って触れると、普通の二倍三倍の速力で治るのであります。
江口鎮白(やすきよ)さんの「手のひら療治」の道場には正面の机の上に全集『生命の實相』が置いてあるそうで、江口さんみずから『生命の實相』の治し方は大乗の教えであって、自分の治し方は小乗の治し方であって方便の教えである。
今の世に大乗の教えを受ける人が少ないのでやむをえずに方便としての小乗の治し方を採用していると言われているそうです。
こう言ううる江口さんは心の広い方です。

5379a hope:2015/04/30(木) 12:22:03 ID:cEpBaIdo

>>5378 a hope所感)

ここに、「大乗」と「小乗」という言葉がでてきました。
このことに関しては、以前第11巻「万教帰一篇」を勉強しているときに少し混乱して、このweb誌友会で質問させていただきました。
そのときに、縹さまが素晴らしいご指導をくださいました。
>>3785 〜>>3800 のあたりです。

あらためて読み返してみると『生命の實相』の教えがどれだけすごい教えなのかを再認識できます。
今世でこの教えに巡り合えたこと、この「生命の實相」を信仰の指針として学べることに心から感謝の念が湧き上がってきます。


ところで、以前わたしが曹洞宗の寺の座禅会に参加していたときに、
そこの寺の住職の法話で「大乗と小乗の説明」の例え話を聞いたことを思い出しました。


【住職の話】

まわりが火の海の中で遊ぶ子供をどのように救出するのか?

いきなり大きな車(大乗)で向かっては、子供は警戒してその車には決して乗らない。
1、ますは、羊車などの小さな車(小乗)を見せて子供の興味をひき家より連れ出す
2、そのあと、手押し車に乗り換えさせてより速く逃げ、
3、最後に大きな車(大乗)に乗せて安全を確保する。


そのような説明でした。

この例えを、「生長の家の教え」で考えてみました。


【a hopeの考え】

人間を「罪の子」だと信じている人間をどのように救出するのか?

いきなり「人間は神の子で罪なしですよ」(大乗・人類の救済)を説いても決して信じない
1、まずは、自分の心を変えることで病気や生活難や人間関係が改善することを知らせる(小乗・個人の救済)
2、そのあと、三正行をすることで「人間神の子」の自覚を深めさせ
3、最後に「唯神実相」の真理を悟らせる(大悟・大乗・人類救済)

生長の家の教えには縦の真理(唯神実相)と横の真理(唯心所現)がありますが、
ここでは横の真理が(小乗・個人の救済)、縦の真理が(大乗・人類全体の救済)になるのではないかと解釈しました。
間違いがあればご指摘ご指導をお願いいたします。

唯神実相を大悟した谷口雅春先生やキリスト釈迦等のレベルの方でしたら、大乗をいきなり説いても奇蹟は起きたかもしれません。

ですが、大悟していない(完全に救われていない)人間が人類全体の救済をいきなり目指すのは無理があると思います。
「生長の家の教え」で考えれば、まずは個人の救済(小乗)をしていくことが信仰の基本になるのではないでしょうか?

5380a hope:2015/05/01(金) 20:48:30 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

5月に入りましたので、第34回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5381a hope:2015/05/01(金) 20:51:10 ID:cEpBaIdo

つづきまして、今回のテキストである 第18巻の「はしがき」を謹写させていただきます。


「はしがき」p1〜

宗教的信仰をもっている人はともすれば凝り固まって、物の考え方や生活が偏狭になると思う人があるが、それはまちがった偏った信仰をもっているからである。

本当に正しい宗教的信仰は、人間の心を空・無礙の境涯にあらしめ、人間の生活を非常に自由にならしめるものなのである。

正しい信仰のない者は自分の生命の本体、生命の実相がわからないから、窮屈に片寄って委縮して大きな仕事もできないし、勇敢な決断もできない。

自分の生命の本体がわかると、その本体から無限大の力を汲み出して来て何をしても自由自在にできるようになるのである。

本当に正しい宗教というものは人間を解放するものなのである。

ある種の新興宗教では、「この宗教に入らないと不幸が起こるぞ」などと言って、人間を脅迫して人間の自由を縛るような種類のものがあるが、かくのごときは邪教であって正しい宗教ではないのである。
(つづく)

5382a hope:2015/05/01(金) 20:51:59 ID:cEpBaIdo
(つづき)
仏教では、「さとりを得る」ことを「解脱する」と言う。

すなわち、迷いによって自己を縛って窮屈にしていた状態から人間を解脱せしめ解放するのが、正しい宗教的信仰なのである。

正しい信仰には真理の裏づけがなければならない。

だから真理を知った人を仏教では「覚者」すなわち「仏陀」と称したのである。

キリスト教では「真理はなんじを自由ならしめん」と言っている。

所詮、正しい宗教的信仰は、人間を自由自在ならしめるものである。

すべての正しき宗教はこのように人間の全体的解放の道を示すのである。

人間が全的に解放され、「内在の生命」が自由自在に発露する結果、運命も好転するし病気も治ることもあるが、そんなことは宗教の随伴的功徳であって、中心的な救いではない。

人間が全的に解放されるとき、どのように人間が自由になり、心の底から悦べるかは、本書の内容を読んでいただければよくわかるのである。

本篇に収録された各章は生長の家草創当時、わたしがまだ神戸の郊外の住吉村にいたころに、集まって来た人達が自分の信仰体験について互に語り合った対話を筆録したものを筆録したものであって、対話者は、いずれも、キリスト教にするならば原始キリスト教時代の十二使徒とも言うべき人々であって、その対話も正しい信仰の深い境地を語っていて、その行履(あんり)はもって永遠に範(はん)とするに足るものなのである。

おそらく聖書の「使徒の書」が永遠の生命を失わないのと同じように、この書も永遠に汲めば汲むほど新しい生命の泉となるべきものをもっていると信ずる。

幸いに常に携帯して座右の友とし、小閑を利用翻読(ほんどく)して本書のすべてのページより常にその滋味を吸収して神徠(インスピレーション)を受けられんことを希(こいねが)う。

昭和三十八年九月十日      著者しるす

5383a hope:2015/05/01(金) 20:52:50 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第34回 web誌友会 案内 

期間   5月1日〜5月31日まで
テキスト 「生命の實相」第18巻 宗教問答篇 
内容   第1章〜第5章
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆j

5384トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/01(金) 22:02:28 ID:jeiQ0zK6
>>5377

 「自由」というのは、禅の言葉から出ていると聞いた事があります。
禅のお坊さんから聞いたのです。(もっとも、ネット上で調べたのですが、
正確性には欠けます。)

 仮説ですが、もし、これが事実だとしたら、「自由」というのは、本来
は人間の実相からくるものかもしれませんね。

5385重要!!:2015/05/02(土) 18:11:10 ID:???
 昭和の時代なら、いろいろと方針を教団が作って、それに信徒がまとまるというのもありだ
ったとは思いますが、これだけ時代が変われば、いろいろな考えの人がいるのが当たり前で、
そえを特定の発想でしばるのは限界があります

5386トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/02(土) 18:30:19 ID:kF8AX9Ms
>>5385

 そうですね。でも、その話は別の場所でしましょう。

a hope様、今月もよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5387ズン吉 ◆tRxz4P5hqk:2015/05/04(月) 17:37:14 ID:???
a hopeさま

前は会社の事でちょっと書いてしまってそのことで回答下さり有難うございました。

今は、何とか少ぅしマシな状況にはなってますが・・

まあ、自分で「こうこうこういう状況です。しんどいです」ってかけ合ったというか、

待ってても状況は同じだったんで。しかし、自分が神の子って忘れてますねぇ。

生長の家の「現象無し」忘れてて、現象ばかり引っかかってますね。(嫌な)出来事が

体験しながら其の出来事を「無し」と思うのは難しいですね。

わたしの解決法は結局、普通の解決の仕方やん。でした(/_;)

5388a hope:2015/05/04(月) 22:50:47 ID:cEpBaIdo

>>5387 るんるんさま

本当の「神の子」の自覚や「現象なし」の悟りは、
突き詰めれば「唯神実相」の悟りで「法華経」の悟りですから、
わたしたち普通の人間はそう簡単には悟ることはできないものだと感じています。

それを本当に悟られて、後世に名前を残しているお方は、キリスト、釈迦くらいで、
雅春先生はこれからのちに語られる方なのではないでしょうか?

だから、わたしたち普通の人間は現象世界に生きていれば物質はあると感じるのが当然ですし、
自分が「神の子」であるという自覚も心に思い描くことはできても、
本当に悟ることはとてもむずかしいと思います。(実際は「神の子」なんでしょうが・・・)

ですが、その「唯神実相」を大悟された谷口雅春先生がご存命だったころはその高級な波動に影響されて、
信徒にも奇蹟が続出したのだと思いますが、今は雅春先生がおられないわけですから、
わたしたちがどんなに「神の子」だと言われてもそう簡単には奇蹟は起きなくなってしまったのだとわたしは推察しています。

だから、るんるんさまの『自分が神の子って忘れてますねぇ。』とか、
『生長の家の「現象無し」忘れてて、現象ばかり引っかかってますね。(嫌な)出来事が』
という感覚はとても普通な正常な感覚なのではないかとわたしは思いますよ。

正直にいえば、わたし自身、生長の家の「横の真理」はだいぶ悟ってきたみたいで、、
自分の心や感情をコントロールすることで現象の状態を良くすることはかなり可能になりつつありますが、
『「神の子」や「唯神実相」の自覚となると、まだまだだな〜』とため息をつく毎日を送っていますもの(;・∀・)。


真理を大悟された雅春先生のいらっしゃらない現在、「人間神の子」や「現象なし」の自覚を得るには、、
谷口雅春先生のご著書つまりは「聖典」を拝読し続けるか、ご講話をyou-tubuなどで拝聴し続け、
その高級な波動に自分の波動を共振させることで悟るしか方法はないのではないかと感じています。

5389るん吉:2015/05/04(月) 23:08:17 ID:mj7GS0oI
a hopeさま

返信有難うございます。そんな風に言って下さり有難うございます。

「谷口先生の生きていらした時は、その高級な波動 云々・・」て前も書いてらっしゃいましたね('_')

わたしもそう考えた事ありました。

それで、現在はまたどこかに、別の誰か谷口雅春先生のような悟った人がいらして、その人の廻りで

いっぱい奇跡のような事、起こってたりするのでしょうかね?(*‘ω‘ *)エエナア・・

今の総裁さんでは、無理っすね。

でも、実相を悟るのは難しい。もっと簡単に皆が悟れたら良いのに・・

5390a hope:2015/05/04(月) 23:36:33 ID:cEpBaIdo

>>5389 るんるんさま

<<それで、現在はまたどこかに、別の誰か谷口雅春先生のような悟った人がいらして、その人の廻りで
いっぱい奇跡のような事、起こってたりするのでしょうかね?(*‘ω‘ *)エエナア・・>>


そうですね。

きっと、そういうことも起るかもしれませんが、わたしが宗教を信仰していく上で一番よくないと思っている「心」が、
「依存心」です。

本来の宗教は人間一人一人の「悟らせる」ためにあるのであって、
現象の状態を救う奇蹟を起こすためにあるのではないですよね?


るんるんさま

わたしたち一人一人が「聖典」を拝読して悟っていけば、必然、地上に天国が出現すると思うのです。
それこそ、雅春先生のご悲願なのではないでしょうか?

これからも、どうぞweb誌友会に時々ご参加くださり、
わたしと一緒に世界最高の聖典「生命の實相」を学んでいって下さいね!


すみません。
今日は少しアルコールが入っています(#^^#)。
わたしの文章に失礼があったらお詫び申し上げますm(__)m

5391るん吉:2015/05/05(火) 02:49:12 ID:mj7GS0oI
a hopeさま

失礼なんて全然思ってませんよ(#^.^#)ホホッ

解ってますって。依頼心なんてダメなことは。冗談で言ったんですよっ。

実相悟らにゃなんにもなりゃしませんものね。

有難うございました。!(^^)!

5392a hope:2015/05/05(火) 15:19:26 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第18巻 第一章「肉体と境遇を良くする道」p3

(内容――昭和八年九月中、生長の家の仮見真道場へ日々お見えになった方の折に触れての座談の中より、肉体も環境もわが心の影であるという事実を如実に語り出されたものを系統的に集めさせていただきました。)


p4後から4行目〜

谷口――高血圧症の人の症候の一つは「腹が立ちやすくなる」ということですが、そんなに腹が立たなくなると、もう高血圧も治ったのと同じでございましょう。
腹が立つので高血圧になる、高血圧になるから腹が立つ、両方から病気を亢進させていられたのが、その反対になると、両方から病気を治しているということになるのであります。


p5後から5行目〜

山田――(略)なんでも溜めておかない、溜めておくことは積み(罪)である、循環を悪くすることであると思いまして、出すべきものは出し、払うべきものはすべて払うということに致しておりますものですから、その代わり、入るべきものは入る、持って来て下さるものは持って来て下さるということになっているのだとありがたく思っているのでございます。

5393a hope:2015/05/05(火) 15:21:22 ID:cEpBaIdo

>>5392 a hope所感)

この第一章は、心を変えることで境遇を好転させた実例が沢山挙げられていて、唯心所現の真理【横の真理】がいかに大切であるかがわかる内容です。

ですが、谷口雅春先生は「唯神実相」を悟られているお方ですから、そのご指導内容は「生長の家」の【縦の真理】にも当然かなっていて、
この章を丁寧に拝読していくと、生長の家の【縦と横の真理】の関連性がとてもよくわかるような気がします。

5394a hope:2015/05/06(水) 10:17:09 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

今日はゴールデンウィーク最終日ですね。
みなさんはどんなホリデーを過ごされたのでしょうか?


ところで、先月のweb誌友会>>5377でわたしは

<<よく「自由と放任は違う」という言葉を聞きますが、みなさんはどう違うとお考えですか?>>

と質問させていただきました。


それに対して、トキさまが>>5384

<<>>5377

 「自由」というのは、禅の言葉から出ていると聞いた事があります。
禅のお坊さんから聞いたのです。(もっとも、ネット上で調べたのですが、
正確性には欠けます。)

 仮説ですが、もし、これが事実だとしたら、「自由」というのは、本来
は人間の実相からくるものかもしれませんね。 >>

とお返事くださいました。


今、大熊先生のブログの一つを拝見したら、偶然(?)、そのことに関する答えになる内容の記事があったので驚きました。
素晴らしい内容なので、みなさまにも紹介させていただきますね。

http://blogs.yahoo.co.jp/warai333warai

5395a hope:2015/05/06(水) 23:16:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 p17 5行目〜

宮――(略)信仰問題の話になりますと、わたしがよく「宇宙の大霊」と申すものでございますから、「大霊先生」と綽名(あだな)をつけられたことがあるくらいであります。
爾来、わたしは信仰が徹底して安心立命を得たつもりでいました。

今から考えてみますと自己陶酔をしていたのでありますが、逆境にあってよく耐え忍び、逆境においても耐え忍ぶことのできる自分をなんとなく誇りとし、つまり、逆境陶酔に陥っていまして、「逆境は心の影」であって、逆境が来るのは自分の心が悪いためにそれが現象世界に映っているのだということには気がつかないで、逆境の来る源たる「わが心」を直そうとしませず、ただ「逆境、ありがたい!」で通してきたため、信仰生活を続けながら、逆境は依然として続き、不調和はますます重なってきまして、ついには昨年7月には最愛の男の子を二十歳で亡くしたのでありました。

しかしその時ですらわたしは、これは神様の御心であると、感謝の心を失わなかったのでございます。

今年三月機縁が熟しまして、神様のみ恵みで「生長の家」を知らせていただいたのであります。

それも実に奇縁で、関西婦人連合会の席上で田村ふく子さんから、他の人にことづけてくれと頼まれて託された「生長の家叢書」を何心なく披(ひら)いて読んでみましたところが、言言句々わたしの心に思いあたるところがありますので、すぐに「生長の家」に会員にしていただきまして『生命の實相』を読ませていただきますと共に、わたしの信仰に革命が起こりまして、肉体上にも環境の上にも光明が輝くようになったのでございます。・・・

5396a hope:2015/05/06(水) 23:18:00 ID:cEpBaIdo

>>5395 a hope所感)

この宮さんというご婦人は、「宇宙の大霊」を信仰することにより安心立命を得たつもりになっていて、
逆境をも耐え忍んで感謝するという「逆境陶酔」に陥っていたことにのちに気づかれます。

この「逆境陶酔」とはキリスト教徒に多くみられる「受難礼賛」と同じような意味だと思うのですが、
「逆境」や「受難」を神さまの御心であると勘違いして感謝して受け入れてしまうと、
現象は心の影ですから、そのあとも「逆境」や「受難」が次々に起ってくることがわかります。

一方「生長の家の教え」では「逆境」や「受難」に遭うのは業(罪)の自壊作用であって決して神の御心ではないとされています。

だから、その罪を反省し本来の神の子の心を出すように(悔い改め)すれば事態はどんどん好転していくのですね!

この宮さんも、その後、聖典『生命の實相』を読まれると共に『わたしの信仰に革命が起こりまして、肉体上にも環境の上にも光明が輝くようになったのでございます。』
と言われています。

そして、たくさんの奇蹟の体験談をお話しされた後に、

<<「懺悔」すなわち心の中で犯された罪を思い出して捨ててしまえばすべての病は治るものであると、「生長の家」で教えられているのは真実であることを、こうして毎回体験させられて感謝致しているのであります。>>p29 2行目〜

とお話を終られています。


「生長の家」の『大調和の神示』には<<天地一切のものと和解せよ、天地万物に感謝せよ>>とあるので、その言葉の表面上の意味だけを読み取りますと、
この神示は、「現象に現れてみえるすべての事象に対して和解し感謝しろ」と言っているのかと勘違いしてしまいがちですが、
「生命の実相」第13巻の『和解の倫理』には、<<「虚説」に和解してはならぬ>>と説かれています。

「逆境」や「受難」は、実相の現れではなくて、本来無い心「罪・悪・迷い」(虚説)が現象に映った仮相ですから、
その仮相である「逆境」や「受難」には対しては、決して和解したり、感謝してはいけないということなのですね。

5397a hope:2015/05/09(土) 11:06:11 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第18巻 p29 6行目〜

谷口――大変結構なお話を承(うけたまわ)らしていただきましてありがとうございました。

そういうふうに外界に映し出された「自分の心の影」というものに照して、自分というものを省み「ニセ物の自分」を捨てて「本物の自分」の生き方をするのが「生長の家」の生き方なのであります。

しかし、この虫に螫(さ)されるとか病気になるとかいうのはわれわれを反省せしめるために神が与えた神罰であるかと言いますと、「類は類を招(よ)ぶ」の心の法則で、そうなるのであって、神が人間を罰するのではないのであります。

念というものは象徴的に展開して、その念に類似する形を現象界に具象化するのでありますから、悪念は神から直接に罰しも罰されもしないわけですけれども、その悪念を出した人の肉体と環境とにその悪念の内容(なかみ)相応のものが形に化して実際現象としてあらわれて来るのであります。

5398a hope:2015/05/09(土) 11:10:54 ID:cEpBaIdo

>>5397 a hope所感)

<<念というものは象徴的に展開して、その念に類似する形を現象界に具象化するのでありますから、悪念は神から直接に罰しも罰されもしないわけですけれども、その悪念を出した人の肉体と環境とにその悪念の内容(なかみ)相応のものが形に化して実際現象としてあらわれて来るのであります。>>

ここに、「念の具象化」言いかえれば、「業(罪)の自壊作用」の説明がされています。

ところで、悪念とはどんな念なのかと、ちょっと調べたくなったのでwebで調べてみました。http://thesaurus.weblio.jp/content/%E6%82%AA%E5%BF%B5

【意義素】 他者が苦しむのを見る必要性を感じること

【類語】 賊心 ・ 犯意 ・ 遺恨 ・ 害意 ・ 意地悪 ・ 物恨 ・ 怨念 ・ 意趣遺恨 ・ 意地悪さ ・ 醜悪 ・ 意趣 ・ 邪悪 ・ 害心 ・ 物恨み ・ 毒気 ・ 邪気 ・ 思 ・ 怨み ・ 恨 ・ 思い ・ 怨 ・ 毒念 ・ 毒心 ・ 悪気 ・ 恨み ・ 悪意


その内容を読んでみて、「悪念」ってホント恐ろしいな〜感じました。

特に、【意義素】の<<他者が苦しむのを見る必要性を感じること>>って表現がすごいですね(;・∀・)

「悪念」を放っている人には、他者が苦しむ姿をみる必要があるということなのですから・・・


以前、このweb誌友会で裕福な家庭に病人が多かったり、子供が不良になったり、不幸が続いたりするのは、
裕福でない人たちからの悪念に影響されているからだ、というような内容を学びましたが、
なんにも他人に悪いことをしていなくても、裕福であるだけで他から悪念を受けてしまうのですからたまりませんね。

誰でも自分自身が本当の幸せを感じた経験がなければ、他者の幸せには共感できないものだと思います。

自分が恵まれていると感じたら、自分が幸せだと感じたら、周りの人々にもその恵みや幸せを分け与えることが必要なのですね!

5399a hope:2015/05/11(月) 09:08:21 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第18巻 p29 後から2行目〜


「生長の家」で「神罰は無い」と断言しますと、自分の病気さえ治れば、あとはいい気になって利己的な忘恩的な行ないを平気でやる人ができてくるかもしれませんが、そう言う人の周囲には同類の忘恩的な利己的な人たちが集まってくるのであります。

忘恩的な人のところへは忘恩的な人間ばかりではなく「忘恩的な事件」までも集まって来るのであります。

「忘恩的な事件」と言ったらどんな事件であるかと申しますと、善い結果はその事件から生まれて来ないで、自己の努力に対しては忘恩的結果すなわち自己を裏切るような結果を招くようなことになるのであります。

よくこんな人は申します――「必ず成るという自信をもって、誠を尽くせばどんなことでも成就するということが『生長の家』に説いてあるが、今度の事件には自分は自身をもって誠を尽したのに不成功に終わった」と言われるのであります。

自信と一時慣行の誠とは、おのおの事を成す要素ではありますが、ただそれだけでは必ずしも事は成就しないのであります。

自信に対して自信を裏切らず、努力に対して努力を裏切らない結果を得るには、自分自身が裏切った心持と行為をしないすなわち忘恩的な心持ちと行為をしないことが必要なのです。

(つづく)

5400a hope:2015/05/11(月) 09:09:28 ID:cEpBaIdo

>>5399 a hope所感)

ところで「忘恩的な心持ちと行為」とはいったいどんな心持であり、行為なのでしょうか?

わたしのママ友でとても律儀(?)な方がいらして、その方はわたしやわたしの子供達が旅行のお土産をお渡しすると、
「うちはどこにも行かなかったけど・・・これどうぞ」って、近くのお店でわざわざ何かを買ってお返ししてくださるのです。

わたしはそのたびに、「彼女に余計な気を使わせてしまったな〜」とお土産をあげたことを少し後悔したりしてしまいます。

この後、雅春先生が「忘恩的な心持ち」について説明してくださっています。
とても大切なことだと思うので、シッカリ拝読したいです。

5401トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/11(月) 22:25:58 ID:9x8Ehrvk
 生長の家の活動をしておりますと、いろいろな人から相談を受けます。
宗教に救いを求める、というのは、医者や弁護士から見放されて、あとは
神様しか道はない、というケースも多いです。

 講師や信徒と言っても、中には冷たい人もいますが、相談を受けただいた
いの人は、それなりに時間もお金も使って、解決のために奔走します。それ
で、問題が解決したら、最初は涙を流して感謝をしても、あとは知らない顔
をして、生長の家とは関わらない人もいます。もちろん、そういう人ばかり
ではなくて、報恩感謝という気持ちで、人類光明化運動に邁進される人がほ
とんどですが。

 ご神示にもありますが、神様が問題を解決するのは、その人を導く契機に
するケースも多いです。しかるに、問題が解決して、感謝の念を起こさずに
自分だけがよければいいのだ、という気持ちでいると、後年、同じような
問題が起きて、また生長の家に駆け込んでも、もう問題が解決しない場合が
大半です。

 少し思い出したこともありましたので、書いてみました。

5402a hope:2015/05/12(火) 08:09:47 ID:cEpBaIdo

 >>5400つづき

忘恩的な心持ちはどこから生まれて来るかと申しますと、たいていは物質欲に捉われるからであります。

「恩は知っている」と自分でも思い、感謝もしているつもりであっても、「物を出すのは惜しい。心で感謝しておこう」などと思っていますと、その「惜しい」とう心が、恩者に遠ざかる働きとなってあらわれて、しだいにその人間を忘恩的にし、ひとりでに偉くなったように慢心が出てきて、恩者を忘れてしまうようになってくる場合があるのです。

そうなってきますと、自分は真理を十分悟ったつもりであり、神想観も一生懸命やっているし、自信と熱誠とをもって事業をやっているのにどうもことごとに自分を裏切る結果を招くようになります。

これは「類は類を招(よ)ぶ心の法則」によりまして「裏切る心」が、「裏切られる結果」を招くことになるのであります。


こういうように「心に法則」というものは、厳重に働くものでありまして、「物質無、我れ神の子なり」の絶対無に達しない限り、「刺す心」は「刺される結果」を招く、「裏切る心」は「裏切られる結果」を招くのであります。

また、真に悟りの絶対境に達しますれば刺す心も裏切る心も無くなるのであります。

現象世界は本来無いのであって、念の象徴化でありますからその象徴を追うてさかのぼってゆけば、その病源なる病念に到達するのです。

神のお罰(とがめ)であるなら、もっとハッキリした形をとるが、象徴(しるし)であるがゆえに明瞭にそれと気づかぬことが多いのであります。

5403a hope:2015/05/12(火) 08:11:16 ID:cEpBaIdo

>>5402 a hope所感)

<<忘恩的な心持ちはどこから生まれて来るかと申しますと、たいていは物質欲に捉われるからであります。>>

忘恩的な心持ちは物質欲に関係しているのですか・・・。


これはわたし独得な感じ方かもしれませんが、たとえば深切をした相手がそのことを心から喜んでくれて、「本当の感謝の気持ち」をもってくれていれば、
その気持ちはしぜんに自分に伝わってきて、わたし自身とても幸せな気持ちになります。

だから、わたしは特に物質的な「お返し」がなくてもその気持ちが伝わるだけで十分です。

それに、相手になんらかの「見返り」を求めるような深切は、本当の深切ではないとも思うので、
そういう押しつけ的な深切を受けても、心からの「喜び」や「本当の感謝の気持ち」は湧いてこないと思います。

わたしのお土産にすぐに「お返し」を持ってくる律儀なママ友に、わたしが申し訳ないような気持ちになるのは、
彼女に「喜び」や「感謝の気持ち」よりも『「お返し」をしなければ・・・』という気持ちを先に起こさせてしまうからです。

わたしは、ただ、彼女の喜ぶ顔を見たいだけなのですが・・・
「唯心所現の真理」に照らし合わせて考えれば、わたしの心の中に相手からの「見返り」を求めようとする心があるからなのだと思うのです。 

わたしは、考えすぎでしょうか?
「横の真理」も実践となるとなかなか難しいですよね。


「生長の家」の信仰に関しては、>>5401でトキさまがわかりやすく説明してくださいました。
「生長の家の真理」で救われたのならば、その「真理」を伝道して「人類光明化」に邁進することが、
「生長の家」の神さまに報恩感謝するということになるわけですね!

トキさま、的確なご指導をありがとうございます。 合掌。

5404a hope:2015/05/14(木) 15:59:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 p31 後から5行目〜

谷口――(略) 先般東京の誌友で時々鼻血がでるので「ひとの道」の教祖に神宣を乞うた人がありましたが、「いろいろと物事思いつめる性分があるからそれを直せ」という神宣でありました。

この人はこの神宣をありがたがり、そのとおり実行しようと決心しましたが、それ以来鼻血が出なくなりました。

その人はまたある日膝坊主に擦り傷を受け、また一匹の蜂が舞い下がってその人の腕を刺したのであります。

でその人は試みに「ひとの道教団」に再び神宣を乞いましたら「自分ばかり偉いと思って人をいろいろ批評する性分があるから神がこれにお気づけしたのである」というお示しでありました。

その人、これは大変自分の性分に合っている御神宣を受けたと思って、「人の道教団」を崇敬してただちにその信徒になったということであります。

鼻血が出るのは、物を鼻にかけ、また高ぶり、上に血が昇り、自分考えを標準にして物事をクヨクヨ思いつめる念が具象化したのであります。

蜂に螫(さ)されるのは、自分にある人を刺す心――いろいろ人を批評し傷つける心が象徴化したのであります。

膝坊主は曲げて突き出して他と衝突摩擦して血をだしたのであります。

いろいろと人を批評し、自分の方が曲がっていてもそれを悟らず、自分を偉いように思い、他と衝突する性分がこの人にはあるゆえに、その念の象徴化としてこの人はそういう傷を受けたのであります。


病は神のお示しということも、天理教のように「理は神じゃ」という「理」――すなわち「生長の家」で言う「心の法則」を知るならば、ひとの道教祖ならずとも何人にもこういう判断は自分につくのであります。

わからない場合には神想観をして、精神を統一し、神にお願いして自分を空しゅうしておれば、心に必ず神宣が浮かんでくるのであります。

神示を受ける方法は『生命の實相』全集の観行篇(愛蔵版第四巻、携帯版・頭注版第八巻)にわたしの書いた「神示を受ける道」をご参考になさるといい。

「ひとの道教」では「念の具象化の法則」を教えないで教祖に頼って自分の心得(こころえ)違いを教えてもらう、「生長の家」では各誌友が心の法則を知るから、誌友おのおのみんな「ひとの道教祖」と同じになってしまって、自分の環境を見、自分の病気を見て、自分の心のまちがいを悟ることができる。

悟れるだけではなく直そうという誠さえあれば聖典を繰り返し読み神想観に励めば自然に直ってくるのであります。

5405a hope:2015/05/14(木) 16:01:58 ID:cEpBaIdo

>>5404 a hope所感)

以前「天理教の教え」と「生長の家の教え」の違いをまとめたことがあります。>>3839 

今回、雅春先生は「ひとの道教の教え」についても言及されています。

<<「ひとの道教」では「念の具象化の法則」を教えないで教祖に頼って自分の心得(こころえ)違いを教えてもらう、「生長の家」では各誌友が心の法則を知るから、誌友おのおのみんな「ひとの道教祖」と同じになってしまって、自分の環境を見、自分の病気を見て、自分の心のまちがいを悟ることができる。>>

今回も、違いをまとめてみます。

――――――――――――――――

ひとの道の教え  教祖の「神宣」=「心の法則」(念の具象化の法則)

生長の家の教え  聖典のお言葉 + 各信徒による神想観による「神宣」 = 縦の真理「唯神実相」(人間神の子)と横の真理「心の法則」(念の具象化の法則)

―――――――――――――――



<<では、この「ひとの道教団」のような教えは不必要かと申しますと決してそうではない。
やはりこういう教えも要るのであります。
「生長の家」は究竟真実大乗(くきょうしんじつだいじょう)の教えである、釈迦の教えにすれば『法華経』以後の教えであって、「すべての人間は神の子であり、すべての人間が教祖である」教えありますが、その教えの神髄に達する以前の人――自分を神の子だと尊敬できない人――には、依頼心を出して他に頼ることによって、他から導かれて自分の心の欠点を直すようにするのもよいのであります。>> p37 後から7行目〜


雅春先生は、「他者に依頼心を起こすこと」を否定されていません。

ですが、本来の「生長の家の教え」であれば、<<「すべての人間は神の子であり、すべての人間が教祖である」教え>>
が、「生長の家の教え」なのですから、やはり、各信徒が「聖典」を熟読し、神想観に励み、
おのおのが教祖となり「神宣」を受けることができるようになるのが信仰の基本なんですね。

「聖典拝読」と「神想観」の重要性・・・、わたしはもう3年以上ここで「生命の實相」を学んでいますが、行きつくところは必ずそこです。

5406a hope:2015/05/14(木) 16:05:34 ID:cEpBaIdo
訂正 >>3839>>3836

5407a hope:2015/05/18(月) 00:03:49 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 p71 後から2行目〜

中畑―― そのありがたい心持ほど大切なものはありません。

どんな悪い集積が過去にあっても因果をそこで断ち切る働きをしてくれるのでありますから、因というものは幾らあっても縁を与えれば果が生じない、ありがたい念というものは、悪い因が果を結ぶために必要な縁を与えなくするのです。


佐瀬夫人――しかし、その因果の因を断つのにもいろいろのありがたさがあり、そしてそのありがたさの種類に従って、またその因が潜在していて今は縁がないから発現しないが、後になって重複していっそう大きい形となって顕われて来るようなことはございますまいか。

わたしはちょっとそれを思うと、今恵まれすぎているということが、不安なような気もするのでございます。

5408a hope:2015/05/18(月) 00:04:49 ID:cEpBaIdo

>>5407 a hope所感)

ここで、中畑氏が『ありがたい念というものは、悪い因が果を結ぶために必要な縁を与えなくす』と説明されると、
佐瀬夫人が「ありがたさ」の種類に従っては、後になっていっそう大きな形となって悪い結果が顕われはしないかと、
ご自分の感じている不安を吐露されています。

この後、どういう「ありがたさ」が「本当のありがたさ」なのか、中畑氏や雅春先生が詳しくご説明くださっています。


はしがき>>5381 5382 に

<<本篇に収録された各章は生長の家草創当時、わたしがまだ神戸の郊外の住吉村にいたころに、集まって来た人達が自分の信仰体験について互に語り合った対話を筆録したものを筆録したものであって、対話者は、いずれも、キリスト教にするならば原始キリスト教時代の十二使徒とも言うべき人々であって、その対話も正しい信仰の深い境地を語っていて、その行履(あんり)はもって永遠に範(はん)とするに足るものなのである。>>

とあるように、ここで対談されている方々のご発言の内容がすごくハイレベルです。
当時、雅春先生が発していた光明念波がどれだけ周りの人々に直接影響していたかがわかります。

5409a hope:2015/05/18(月) 00:10:20 ID:cEpBaIdo
>>5407 訂正
因というものは幾らあっても縁を【与えれば】→因というものは幾らあっても縁を【与えなければ】

5410王風:2015/05/18(月) 15:21:42 ID:teRiT5sw
象徴といいますか、、、
語呂合わせですね。

わた私はあんまり、語呂合わせが、当たってるように思わないのです。
こ語呂合わせ出来ないのも一杯ありますし。

5411トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/18(月) 20:20:32 ID:BNDKGGZc
 ひとの道教団は、戦前、かなり栄えましたが、戦時色が濃くなる時期に政府から睨まれて弾圧を受け、
一時、活動を停止しました。ものの本によれば、ひとの道教団の解釈が不敬罪になったということです
が、神宣を多数だしている中で、神宣の中で当時の基準から見て問題になったものがあったのでしょう。

 ひとの道教団は、戦後、PL教になりました。用事があり富田林市に行くと、PL教のものすごい建物が
あって、びっくりした記憶があります。後年には野球や花火で有名になりました。私の友人にも信徒さん
がおられました。が、最近、教祖の教えをないがしろにする傾向が見てて、教団は衰退傾向にあると
言われています。そのため、私の友人も脱退してしまいました。

 谷口雅春先生のご教示を拝見すると、なるほど、と納得するところが多いです。貴重なご教示に心から
感謝申し上げたいと思います。

5412a hope:2015/05/20(水) 00:02:11 ID:brQxC10.
>>5410 王風さま

コメントありがとうございます。
王風さまのコメントは、ひとの道教祖の「神宣」に関するものでしょうか?

確かに、語呂合わせ的に用意された「神宣」を受けてもあまりありがたみは湧いてこないかもしれません。
「神宣」を受けた本人に「感謝」の気持ちが湧かなれば、奇蹟は決して起きないと思いますし、
雅春先生は「生命の實相」の中で、依存的に「御神宣」ばかりにたよっていることに警鐘を鳴らされています。

以下その部分を謹写しますね。

5413a hope:2015/05/20(水) 00:03:28 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 p40 後から2行目〜


・・・しかし、ともかく、近ごろ「ひとの道教団」というような新しい宗教団体が頭角をあげて「病気も環境もわが心の影」という生長の家の真理を、神宣という厳かな名によって信者に単純な方法で実証させているのは大変結構な神の摂理だと思います。

ただ、そういう教えに頼る信者の常として、一にも神宣、二にも神宣、三にも神宣と、他からの神宣ばかりを頼ることになり、やれ蜂が螫(さ)したから神宣を貰おう、蚊が螫したから神宣を貰おう、脛(すね)に傷ができたから神宣を貰おう、腹が痛いから神宣を貰おうというように、年がら年中、なんでも彼でも神宣に頼っていて自主独立の生き方を失うようになる危険がありますので、そういう教団に入り、環境も病気もわが心の影だということがわかったら、もういつまでも一人立ちのできぬ子供のように御神宣ばかりに頼っていてはならぬ。

本当の救いにあずかるということはいつまでも一人立ちのできぬ人間になることではありませぬ。

さらに一歩進めて、「生長の家」的に自立独立の精神に立ちかえり、ひとり立ちして、自分自身が神であり教祖であり、他からの御神宣よりも自分の御神宣が自分を一番よく知ってうるというようになっていただきたいのであります。

だからひとの道教団の教えが生長してくれば当然「生長の家」になってこなければならないのです。

5414a hope:2015/05/20(水) 00:11:26 ID:cEpBaIdo

>>5411トキさま

ひとの道教団はあの有名なPL教の前身だったのですか!!
かつて、PL学園は高校野球で滅茶苦茶強かったですよね。
なんか、なんで強かったのか、わたしは妙に納得してしまいました(*^-^*)

<<最近、教祖の教えをないがしろにする傾向が見てて、教団は衰退傾向にあると
言われています。そのため、私の友人も脱退してしまいました。>>

そうなんですか・・・。

どこも、似たような現象が起きているのですね。

って思いましたが、よくよく考えると「生長の家」の場合は違いますね。

雅春先生は、

<<「生長の家」的に自立独立の精神に立ちかえり、ひとり立ちして、自分自身が神であり教祖であり、他からの御神宣よりも自分の御神宣が自分を一番よく知ってうるというようになっていただきたいのであります。>>

とおっしゃっているのですから、

その雅春先生のお言葉通り、信徒一人ひとりが、

<<「生長の家」的に自立独立の精神に立ちかえり、ひとり立ちして、自分自身が神であり教祖であり、他からの御神宣よりも自分の御神宣が自分を一番よく知ってうる>>

というようになっていたのならば、「生長の家」が衰退するということはありえなかったのではないでしょうか?


わたしは、「生長の家」の衰退の一番の原因は、「信徒の依頼心」にあるように感じています。

「教祖」=「谷口雅春先生」と解釈すれば、PL教と同じ理由で衰退しているともいえるのかもしれませんが・・・。

5415トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/20(水) 20:44:45 ID:KRFzkKaQ
>>5414

 この問題は難しいですね。生長の家50年史にも書かれていましたが、生長の家の教えが
ひろまり、奇跡が続出すると、信徒が自然と谷口雅春先生を崇拝する傾向が生まれたと
書かれていたと記憶しています。それでも、戦前や終戦後の信徒さんは、谷口雅春先生
を尊敬していたが、同時に親しみや愛情をもってご覧になっていたみたいです。それが
昭和の後半になると、教団が巨大になり、同時に谷口雅春先生を崇めるような雰囲気に
なったようです。それは人間の情としては自然かもしれません。ただ、私の知る限り、
谷口雅春先生を直接知る弟子の多くは、谷口雅春先生は人間味あふれる、暖かい存在で
あり、偶像化するような雰囲気には違和感を覚えておられていました。

5416a hope:2015/05/21(木) 09:35:47 ID:cEpBaIdo

>>5415のトキさまのコメントに関してですが、

「偶像崇拝」に関しては、ちょうど1年前の「生命の實相」第13巻 で詳しく学びました。

>>3916 >>3917 >>3918 >>3919 >>3920

わたしの、持論、質問を再掲させていただきます。

―――――――――――


>>3916

みなさま おはようございます。

テキストp81〜 は、主に、現代のキリスト教の問題に言及していて、
その原因がキリスト(神)を肉体イエスに見いだそうとする「偶像崇拝」によるものであると、
述べられています。

<<キリスト教では形あるものを崇拝することを偶像崇拝といって、非常に軽蔑して忌み嫌うのでありますが、
「永遠の神性」を礼拝の対象にせず、二千年前ユダヤに生まれた肉体イエスを通さねば救われないなどと、
肉体を礼拝の対象にしているなどは、みずから忌み嫌う偶像崇拝に陥っていることになるのであります。
こうして「永遠神性(かみそのもの)」に背を向け顔をそむけて、ある特定の肉体を崇拝の的にすることは神の実相を見ざるもの、
本当の神を「自己の迷い」をもって包み隠せるはなはなしき罪なのであります。>>


この現象世界だけが唯一の実在であり、その世界の出来事だけが事実である信じている人間であれば、
自分自身に「永遠の神性」が宿っていて、自分自身が「神」そのものであるなんてことは、
絶対に受け入れられない事実だと思うのです。

だって、一肉体人間の力なんて、宇宙全体の壮大さから考えれば蟻粒よりももっと小さいですものね。
特に、実際に、人生で絶望感を一度でも味わった人ならば、
何か別の偉大な力に頼りたいと思うのはあたりまえの心情だとも思うのです。
だから、偶像崇拝のようなことが起きてしまうのですね。


本来の「生長の家の教え」はそんなんではないですよね?


ですが、わたしはどうもテキストのここら辺を拝読していると、
「生長の家」人であっても『「谷口雅春先生」を超えられるような偉大な人物はいない!』
などというふうに考えてしまうことは、この「偶像崇拝」なのではないかと感じてしまうのですが・・・。
それとも、これは、わたしが増上慢なのでしょうか?



>>3920

<<(>>3919 a hope所感)


<<【イエス】は「われを信ぜよ」といったのではなく、「人の子を信ぜよ、実相人間を信ぜよ、わたしはその一例だ、『久遠の実在』としての実相人間を信ずる者には肉体は死んでも、永遠の生命が与えられるのだ」といったのであります。>>


↑を置き換えてみたいと思います。


<<【谷口雅春】は「われを信ぜよ」といったのではなく、「人の子を信ぜよ、実相人間を信ぜよ、わたしはその一例だ、『久遠の実在』としての実相人間を信ずる者には肉体は死んでも、永遠の生命が与えられるのだ」といったのであります。>>


このような考え方をしてしまうわたしは、増上慢であり、まことの「生長の家」信徒ではないのでしょうか?

谷口雅春先生は確かに偉大な宗教家で、哲学者で、人間的にも素晴らしい人格の持ち主だったと思います。
だから、わたしはもちろん、谷口雅春先生には直接お会いしたことはありませんが、心より尊敬していて信頼しています。

でも、だからこそ、谷口雅春先生の残された聖典「生命の實相」のお言葉を素直に信じたいのです。

「谷口雅春先生は神から選ばれた偉大な人だったから「唯神実相」が悟られたのだ」
「自分たち弟子には同じことはできない」などと考えてしまうのは、
谷口雅春先生がおっしゃっている「第一の神性隠蔽」「偶像崇拝」の罪を犯すことになってしまわないのでしょうか?

先輩方が今、憲法改正運動や、環境保護運動等、さまざまな「生長の家」の運動をされているようですが、
「自分が神の子である」「自分も谷口雅春先生と同じなんだ」というこの大切な真理を悟らなかったら、
その運動は、まったく谷口雅春先生のご意志とは、別の方向に行ってしまうのではないでしょうか?

教団も、本流の先輩方も何が『本当の「生長の家」の光明化運動』なのかを思い出されて、
その基本に戻って運動されたら、「生長の家」は一つになれると思うのですが・・・。

それこそ、谷口雅春先生が一番よろこばれることで、本当のご遺志だったのではないでしょうか?

―――――――――――――――

あらためまして、皆さんのご意見、ご指導をどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

5417トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/21(木) 19:41:42 ID:KEicg2LI
 個人的な感想ですが、「生長の家」という教えへの信仰心を、「生長の家」という組織への
忠誠心と混同してしまった点に原因があるような印象は持っています。このあたりは深入りす
ると、誌友会の本題からずれるので避けますが、目的は「信仰」であり、活動も組織も手段に
過ぎなかったはずです。それが、いつの間にか、「活動」が目的になったり、「組織」が目的
になったと考えています。この傾向は、谷口雅宣先生が副総裁にご就任される前から、めにつ
きました。古い信徒さんの多くは、この傾向を嘆いておられました。ただ、谷口雅宣先生が
指導に当たられてから、この傾向はますます強まったと思います。だから、組織から距離を
置く人が増えたのかもしれません。

5418a hope:2015/05/22(金) 09:27:36 ID:cEpBaIdo

>>5417 トキさま

トキさまのおっしゃっていることは的を射ているような気がします。
わたしは、「生長の家教団」に関わる前に、「生命の實相」(生長の家の教え)に出会いました。

「生長の家」の信仰の聖典である「生命の實相」には、
環境保護運動のことも政治運動のことも、生長の家が天皇信仰であるということも一切触れられていません。

だから、実際に信徒になってみるとその活動内容にものすごく違和感を感じました。
正直、全く興味のない活動をほぼ強制的にさせられるので、自分は騙されたのではないかとすら感じました。


創始者である谷口雅春先生は、「自分は一信仰者であり、神さまの言葉を伝えるパイプであり、
「聖典」は肉体人間の自分が書いたのではなくて、神が自分を通して書かせているのだ」という内容のことをおっしゃっています。

わたしたち信徒の本来すべきことは、その「聖典」の真理(教え)の信仰であって、
谷口雅春先生が過去に行ってきた運動(政治運動)等を引き継いだり、
今現在の社会問題に対応する運動(環境保護運動)を教団をあげてしていくことではないと思います。

5419a hope:2015/05/22(金) 09:36:05 ID:cEpBaIdo

「聖典」のお勉強を続けます。

「生命の實相」第18巻 p74 3行目〜

谷口――ありがたいにもいろいろの段階がありまして、物質が都合よくゆくからありがたいというように、心の影である物質の移り変わりにありがたがっているのではまだ本当ではないのであります。

むろんそういうありがたさも、不平不満足に思っているよりは、念(こころ)が浄(きよ)まっているので結構は結構にちがいないのですけれども、物質が運よく整うからありがたいとか、平常達者であるからありがたいとかそういうように思っていると、物質が運よく運んで来なければありがたくなくなり、平常達者でない人はありがたくないということになるのであります。

それでは本当のありがたさということにはならないのであります。

私の考えではどんなありがたさでも因果の因を断ち切る力があるのではないと思います。

物質に執着したありがたさ――儲けてよい着物ができてありがたいとか、達者でありがたいとかいうようなありがたさは、かえって執着を増し、因果の因を造ってゆくことになるのであります。

本当のありがたさというものは肉体の健康のことでも物質の調(ととの)うことでもないでしょう。

肉体の達者なことそのことがありがたいのではない、達者をあらわすような実相を自分がもっていることがありがたいのです。

物質の豊富なことそのことがありあたいのではない、物質の無限を現すような実相をもっているのがありがたいのであります。

わが実相が神の子であることが本当にありがたいことがわかれば、ほかのありがたさはすべて自分につきまとうようになるのです。

自分自身の実相がありがたいから、その影を映して、親でも子でも妻でも召使でもどんな事件でもみんな自分の向かうところすべてがありがたくなるのです。

やはりこれは、中心に乗ったありがたさとか、南禅和尚が猫を斬ったようにすべての形を斬り捨ててしまったありがたさと言うべきもので、形にとらわれているありがたさ、物質が調うたり肉体の達者なありがたさはまだ途中のありがたさであって、まだ究竟地に達していないのであります。

5420a hope:2015/05/22(金) 09:38:23 ID:cEpBaIdo

>>5419 a hope所感)

やはり『大調和の神示』(七つの灯台の点灯者の神示)の中の「天地万物に感謝せよ」とは、
自分に有利に働いた現象の物事への感謝ではなくて、完全円満な実相への感謝なのですね・・・。

今現在、現象世界がどんなに悲惨な状態でも、完全円満な実相への感謝ができたとき,
現象の事象もおのずと調い、しぜんに感謝の気持ちが湧いてくる、と言う訳ですね!!

5421王風:2015/05/22(金) 15:42:10 ID:SaWFFpi.
A hopeさま
返事下さってましたか?
有り難うございます(喜)
わ私の言う「語呂合わせ」は、pL(ひとの道)のことではありません。
生長の家の本に書かれてる「心の法則の語呂合わせ」のことです。
(だいたい宗教は語呂合わせのせかいとどこかで読んだ事がありますが)
例えば、語呂合わせしにくい症状の場合は、普通に(?)指導。語呂合わせしやすい症状(例えば身体のどこかに発疹等が出来てる人には、待ってましたとばかり簡単に「いつもブツブツ言ってるからだ」ですね。そぬな感じがさます。
ひ人の心の中には、色んな複雑な感情が沢山沢山入りみだっておると思います、

5422王風:2015/05/22(金) 16:31:51 ID:SaWFFpi.
>>トキさま
しかし、pl教の名はまだ、野球で全国で知られてはいますね。
残念ながら生長の家は、知らない人、一杯いますからね。
私もそのひとりでした。(お恥ずかしい)
最初、読む気がしなかった。しかし(ある雑誌を、貸してもらっ たのですがその中にチョッとした特集みたいのがあって、<.ノストルダムスの予言通り、.199x年に地球はめつぼうするか?>と言う質問を色んな宗教団体等に送って、答えてもらう。>と言う特集でした。こんなのは興味があって見てみると
解答を書いて送って来た団体は少なく、五件ほどでしたが、その中に生長の家からの解答がありました。
生長の家の解答だけが、まともでした。(後は訳の解らない団体がほとんどですが)他の団体の解答は、<身勝手な人間に腹を立てた神の怒りが限界に達して、どうのこうの、、、こんなふきだすようなおそまつ極まりない内容ばかりでしたが、生長の家だけが、
「こ、これは、、、、」と思わせる内容でした。
この宝島(だったと思う)を、読んで(と言うより友人に読まされて)生長の家のほんを、「読んでやってもいいか」と思った次第です。(生意気ですね)とにかく生命の実相を、読ますことにさえ成功したら、読んだ者は、誰でも(5人中4人は「!!!何と!すごい!」とビックリして感動するはずだ。と友人は思ってたようです。私は超感動しました!ただ5人中四人とかいたのは、読んでもあまりなにも、感じない者はいたらしいのです。
長々とすみません。十何年も昔のことです。その時代だから、生長の家のことを知る流れになったんだと思います。

5423:2015/05/22(金) 21:41:34 ID:IqhGaEeE
>>、生長の家が天皇信仰であるということも一切触れられていません。<<

ここが、聖典派を自称する監督もいうtenなんだけれど、実際の歴史ゃ田の書物を少しでも読んだら、かさては
『天皇教』とまで言われた、生長の家の古い歴史的意味が分かると思います。

私は研修生の後、すぐにどこかの教区に所属したわけではなく、しばらく考えていました。
菩薩になる心得があるのか、という事を、考えに考えました。
(そのうち、しばらくして信徒になりましたけど)

研修生時代、職員に残らないかと、誘われて母親に相談したことがあります。
私は、ある本部職員に、いつから生長の家は大東亜戦争を否定したのかと詰問したこともあります。
その先生は、かつては靖国神社の英霊様を本当に篤く思っていたのだと言いながら、
私の質問に対して、明確な答えはありませんでした。

私は、あの時の先生は、保身のためのコバンザメだと認識していましたが、今は、中立な立場で考えると、反論しなかった先生の気持が分かるのです。

生命の実相野、行間を読んでも、天皇信仰は、書かれていない、
保守のバイブルと言われているのは、あくまで、葦津珍彦先生であり、
信徒必携の聖光録には、ちゃんと天皇信仰を実践する道が書かれているのです。

生命の実相を、読むだけの人はたくさんいました。
練成会に出席しても、一度や二度でも、なんもぴんとこない人たちも、たくさんいます。

信徒になる(菩薩になる決意と言うか覚悟)と決めた人は、聖典だけに埋もれていては、いけないのだと言うことです。

なぜ300冊ち近い御著書を書かれたか。

生命の実相40巻は、入口に過ぎない、と言うことではないでしょうか。

5424:2015/05/22(金) 21:45:37 ID:IqhGaEeE
>>監督もいうten<<



>>実際の歴史ゃ田の書物を<<

実際の歴史や田の書物を

>>かさては<<

からでは

訂正します。

5425神の子さん:2015/05/23(土) 22:56:21 ID:WfTc7UhY
春さん

スマホかい?文章見てたらね、オモタ。

5426a hope:2015/05/24(日) 14:02:32 ID:cEpBaIdo

>>5421王風さま

「心の法則」は、たしかに語呂合わせ的にも当てはまるかもしれませんが、
王風さんがおっしゃるように、人の心の中は複雑な感情が混ざり合っていて、さらに、まわりの人たちの感情の影響もありますから、
一概にその原因を断定することはできないとわたしも思います。

ですが「生長の家」の真理は縦と横の真理の両方ですから、「心の法則」(横の真理)が働いて、
現在の悪い現象が現れているということが理解できているならば、たとえその原因がわからなくてもよいのではないかと思います。

ただ、ひたすら聖典「生命の實相」を拝読し、神想観をして「神の子の自覚」(縦の真理)を深めれば、しぜんに現象の問題は解決していくと思います。

「唯神実相」の聖典「生命の實相」があること、そこが「ひとの道の教え」と「生長の家の教え」の大きな違いなのだと感じています。

5427a hope:2015/05/24(日) 14:05:44 ID:cEpBaIdo
>>5423春さま

お久しぶりです。
お元気そうでなによりです。

わたしの「生長の家と天皇信仰」に関する認識の低さは、以前このweb誌友会で何度かお伝えしてありますし、
春さまともお話したこともあると思います。

>>4108 >>4451 >>4463(春さま宛です)>>4505 >>5193 >>5235 >>4242

<<生命の実相を、読むだけの人はたくさんいました。
練成会に出席しても、一度や二度でも、なんもぴんとこない人たちも、たくさんいます。
信徒になる(菩薩になる決意と言うか覚悟)と決めた人は、聖典だけに埋もれていては、いけないのだと言うことです。
なぜ300冊ち近い御著書を書かれたか。
生命の実相40巻は、入口に過ぎない、と言うことではないでしょうか。>>

『「生命の實相」40巻は、「生長の家の教え」の入り口にすぎず、「天皇信仰」こそ真の「生長の家教え」である』と、
春さまはおっしゃりたいのでしょうか?

それでは、その入門編である「生命の實相」40巻をまずは熟読し、「唯神実相」を悟っていなければ、
正統な「生長の家の天皇信仰」は語れませんね。

春さまは、きっともう、「生命の實相」40巻は何度も通読されたのでしょうね!

5428a hope:2015/05/24(日) 14:11:04 ID:cEpBaIdo
>>5427訂正

>>4242>>5242

5429:2015/05/24(日) 17:12:17 ID:qLRRKXM.
40巻は1回だけ、7巻とかは良く読みましたし、
人に相談持ちかけられれば、差し上げたりしました。

大好きなのは、霊界編です。
読んだ夜は、寝ていながら霊界で遊んでいる感じで楽しかったです。

真理シリーズもお薦めです。
静思集もいいですよ。

なんたって、一番は、『限りなく日本を愛す』です。超・お薦め!

>>「天皇信仰」こそ真の「生長の家教え」である』と、
春さまはおっしゃりたいのでしょうか?<<

Yes!!

私が嫌いな本流の古参の方たちと、趣旨は一緒です。
(団体としての教団も学ぶ会も、どっちもイヤ派になったのは、本人に協調性が無いせい)


輝子先生の御本も大好きです。

(日本で刊行された書物は、雑誌に至るまで全て国会図書館にありますが、東京じゃなくても、大阪にもあるみたいですよ。
(貸し出しは出来ないので、閲覧とコピーのみですが)
市町村に置かれていない場合は、都道府県の一番大きな図書館にあるか、照会してくれるはずです。
もし、そこに無ければ、インターネットで国会図書館のを検索して、希望の
図書をコピー以来出来ます。)

5430:2015/05/24(日) 17:14:15 ID:qLRRKXM.
>5425

スマホは通話とメールのみ、ここの投稿は3.4年前からPCで、同じフドレスから投稿しています。


一度スマホ板のここの掲示板見たけど、さらに字が読めず、無理でした。

5431:2015/05/24(日) 17:40:28 ID:qLRRKXM.
a hopeさんへ

書き忘れたことがあります。

聖典も大事ですが、もっと(というと語弊があるかも)大事なのは、神示です。

聖光録は、お持ちですか?
神示集はお持ちですか?

世手院40巻読破しないと、、、とか、何度も通読しないと、、、とお思いなら、それは違うと思います。
全ては、神示にあります。

底をご理解下さい。

5432:2015/05/24(日) 17:54:15 ID:qLRRKXM.
>>5222

<<いろんな見方考え方かあると思います。
この考え方が絶対に正しいというのはないと思います。
天皇國日本實現のために、通らなくてはならない過程かもしれません。
現象世界に別れて映って見えても、そこにとらわれ頭脳智において、何とかせねばと考えてはならないと思います。>>

という大和撫子さまの「天皇國日本實現のために・・・」というご意見を拝見すると、大和撫子さまは本流復活派の方でしょうか?

谷口雅春先生は、七つの光明宣言の冒頭に「吾らは宗派を超越し・・・」とうたっておきながら、
本当に『「生長の家」は天皇信仰でなければいけない』と他信仰を排斥するような宣言をされているとしたら、
それは明らかな矛盾だとわたしは感じてしまいます。

それとも、天皇信仰とは、本来、宗派を超越した信仰なんでしょうか?

yes

だから、正しい宗教は、神道も仏教も、鎮護国家を掲げ、天皇国日本の安寧を祈っているのです。

創価学会が国続都言われる所以は、自分たちの教えを御皇室にはびこらせると言う
∖式だったおもわくがあるからです。

どの宗派も、自分たちの宗派のそれぞれの教祖なりカミさまなり御本尊になりを
大事にしていますが、最敬礼するのは、天皇・皇后両陛下なのです。
これは、日本国に生まれたモノ・団体ならば、当然すぎる事なんです。

昭和天皇様のご巡幸の記録の本が復活したのを読みましたが、
いろんな団体が、昭和天皇様の御巡幸の前日には現地入りし、
お清めし、お送りしてから、また先の御巡幸先へ向かったと言うことが書かれています。

>>本当に『「生長の家」は天皇信仰でなければいけない』と他信仰を排斥するような宣言<<

など、していませんし、当たり前の事を言っているだけです。
練成とか行かれた事あればお分かりかと思いますが、朝の行事の締めくくりは
御皇室に対し、最敬礼
が先で、
続いて雅春先生、輝子先生、清超先生、と続きますよね、(この時は、最敬礼ではありません)。

なんとなく、わかっていただけたでしょうか。

5433:2015/05/24(日) 18:24:30 ID:qLRRKXM.
>5242

キリスト教については、話が長くなりますので、簡単に書きますが、
織田信長以降、全国をようやく制した秀吉が、既に九州の一部が宣教者により
選挙されていたのが、鎖国。キリスト経弾圧の始まりです。

人間神の子、というのは、生長の家に入っていなくても、神道の盛んな地域では、常識なんですが、キリスト教は
『原罪』を説いています。
この事が、日本の国柄に派合わない、とすることと、外国からの侵入・侵略を防ぐ目的で、鎖国政策を取り、全ての家に、仏教の檀家になることを強制しました。
(葬式上げられなくした)

大東亜戦争時代、キリスト教の学校で、御真影に対してのお辞儀を拒否した事件があり、その頃からキリスト教に対しての弾圧は強まりました。
が、神道側は、"ダイジョウブですか?"と、訪ねて言ったり、融和な路線で接していたのです。

またまたや時間がある時でいいので、『国家神道とはなんだったのか』を読まれると、より一層御理解が深まると思います。

共産党支持者は全人口の8から10%近くいるのに、キリスト教信者は5%
程度です。

今年、また、キリスト教団体左派が靖国神社に首相が参拝するなと訴える裁判があり、傍聴しました(抽選に当たったけど、待っている間、周りは左翼連中ばかり、反原発のチラシまで貰って、苦笑いして待っていた)
今の日本で、キリスト教と言うと(団体としては)、左翼がほとんどですし、雅春先生が説かれた
本来のキリストと言うものは、全然理解されていないと思いますよ。

キリスト敬小さい団体で、毎年靖国神社にも参拝と奉納芸をしているところもありますが・


皇后さまが、聖心のご出身なのに、洗礼を受けられなかった理由に『"悪"と言うものを認めるから』御自分は洗礼を受けるまでの信教に成らなかったと御回答があります。


総裁兄弟も、青学でしょ。バリ左翼になる為に高い月謝払って、笑えない話だと思いますけどね。

5434a hope:2015/05/25(月) 10:22:01 ID:cEpBaIdo

春さま

お返事をありがとうございます。

春さまは、「生命の實相」40巻を一回だけ通読されたのですね。
それで、「唯神実相」をお悟りになられたのでしょうか?

「生命の實相」の各箇所で雅春先生が、聖典「生命の實相」は何度も何度も繰返し読むものだとご教示されています。

他の方がどのような読み方をされるのも自由だと思いますが、
もし、正統な「生長の家の教え」をご自分の言葉で伝道するのであれば、
「生命の實相」を一回通読したくらいの人はご遠慮願いたいというのがわたしの正直な感想です。


春さま、ご気分を害されたら心からお詫び申し上げます。


わたしは、ここで、「生命の實相」を学ばせていただいていますが、
全40巻は春さまと同様一回通読しただけですが、第1巻〜第18巻までは、
多い巻では5回以上、少ない巻でも2回以上は繰返し拝読しています。

それでも、自分はまだ「唯神実相」が悟れません。


谷口雅春先生のお悟りというのは、釈迦やキリストと同じお悟りであって、
わたしたち凡人が「生命の實相」を1、2回通読したくらいで簡単に悟れるものではありませんよね?

「神示」にしても同じことが言えると思います。

春さまは「生命の實相」40巻は入り口に過ぎないと、ご発言されましたが、
わたしたちはまだ、その入り口にすらまともに、入っていないのが現状なのではないでしょうか?

「生長の家の天皇信仰」が素晴らしかったのは、
「生命の実相」つまり「唯神實相」を悟られた谷口雅春先生が中心になり信仰されていたからだと思うのです。

雅春先生がいらっしゃらない現在、誰が天皇を信仰しようとしまいと自由だと思いますが、
「生長の家の天皇信仰」を語るのであれば、まずは入門書である「生命の實相」を熟読され、
「唯神實相」を悟った方がしてくださらないと、それは正統な「生長の家の天皇信仰」だとは言えないと思います。


だだ、今回の春さまのご投稿を拝見していて、「日本人が天皇信仰をするのは当たり前なんだ」という貴重な気づきがありました。
それは、春さまの「天皇信仰」に対する情熱にわたしの心が動かされたからだと思います。

そして、春さまご推薦の雅春先生の愛国書『限りなく日本を愛す』を拝読したいと思います。

春さま、貴重なご教示をありがとうございました。

合掌。

5435a hope:2015/05/25(月) 10:27:10 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 p115 4行目〜

木野内――(略)――わたしは県の社会科につとめておりますから、宗教方面の集まりに対して思想上の講話をすることがある。

そういう講話には仏教諸宗の人もあり、キリスト教の人もあり、神道の人もありますので、片寄って仏教だけの話をしたり、キリスト教だけの話をするわけにはゆかない、いろいろの宗教と和解して思想を善導する話をしなくてはならない。

それにはこの「生長の家」の話はちょうどよい。

集まってくれるみんなの宗教が喜んでくれるのです。

思想善導と申しますと、わたしは職業柄各府県の社会科の人たちと会う機会が多いのですが、そういう人たちにわたしは常に申すのです。

思想善導にはどうしても何宗に偏らぬ真理を知らせなければならぬ。

それにはこの「生長の家」は大変都合がよいと申すのであります。

5436:2015/05/25(月) 19:53:35 ID:Gn9t2NCY
>>それでも、自分はまだ「唯神実相」が悟れません。

じゃあ、献労でしょうね。

私は献労の鬼と呼ばれた総務に鍛えられたので、献労は、動く浄心行だとも言われますが、
本だけ読んでて、悟れるものではないと思います。

お元気で。御活躍を蔭ながら応援しております。また、いつの日か。

5437:2015/05/25(月) 21:32:34 ID:Gn9t2NCY
「生命の實相」を一回通読したくらいの人はご遠慮願いたいというのがわたしの正直な感想です。

だから。一回読めば
わかる人間は次に行く。読まなくても分かっている人は世間にゴマンといる、

私は、何をちまちまとここでかいているのだろうと、うのはなっちの気持もわかりながら、するーしてきました。
復興G様のいらっしゃらない誌友会など、a hope様の遊びの場にすぎませんもの。

私の気分を損ねた?
ではなく、貴方は、アホを露呈しただけなんです。

40巻など、一度読んで、その都度必要な巻を読めば十分なんです。
練成でも、次の段階は、神示の説明です。

>>「生命の實相」を一回通読したくらいの人はご遠慮願いたいというのがわたしの正直な感想です。<<

何十回読んだか知れない湖尊に、私は嫌悪感と闘争心を持っています。

御遠慮下さいと言うのですから、もう二度と、あなたとはお話いたしません。

よろしゅうございますね?
(あんた、春にケンカ売ったんだよ、その意味、分かってる?筈もない
極楽専業主婦なんだから)

ちまちまと、40巻読むのがせいぜいの中で 暮らしていけば?

うのっちがうなたを排撃していたとは、そこまでしなくしてもただのアホのシロハトなんだからと
多めに見ていましたが、

貴方は、私に敵対宣言をしました。

以降、出てきたら、容赦なく、撃ちます。  では

5438a hope:2015/05/25(月) 22:01:02 ID:cEpBaIdo

春さま

春さまのご発言は明らかに「生命の實相」の内容と正反対なので、
今回は、聞き捨てならなかったのです。

と言っても、失礼ですが誤字脱字が多すぎて正しく理解するのもむずかしいですが・・・。

春さまがどんなに激怒されても、ここでは、正しく「生命の實相」を学びたいと思うので、
「生命の實相」の内容に反するようなご発言には、反論させていただくしかないのです。

春さまがご気分を害されたことに関しては、心よりお詫び申しあげます。

5439:2015/05/26(火) 04:23:10 ID:ncHu3vN2
別に激怒もしていないし、気分を害してもいませんので、お気になさらないように。

春さまのご発言は明らかに「生命の實相」の内容と正反対だとおかんじになったのなら、それはそれでいいじゃないですか。

私は、生命の実相以外に、(これだけ長い間コツコツやって来て)まだ唯神実相が分からない、というご発言から、
アプローチを変えてみたら?と言っただけです。

気にせず、御自分のやり方で、お好きなようにされればいいんじゃないですか?

お詫びなど、結構です。
こういうやり取りなど、お互いさまなんですから。

誤字脱字は、想像の範囲で頑張って理解して下さい。
自分も努力はしています。

お元気で。
感謝
合掌

5440a hope:2015/05/26(火) 09:02:15 ID:cEpBaIdo

春さま

御理解いただきありがとうございます。合掌。

ですが、>>5439の春さまの投稿にひとつだけ反論させていただきます。

わたしは、「唯神実相をわからない」とは今まで一度も発言していません。
「唯神実相を悟れない」と言ったのです。

宗教の真理は、頭で理解しただけでは本物ではないと思っています。
むしろ、人を増上慢にする危険のある恐ろしいものだと感じています。

その真理が生活に顕れ、自分の周りが光明化(幸福化)してきたときが、
悟りの兆しなのではないかと推察しています。

春さまのご投稿はいつもわたしに良い刺激をいただけるので、大歓迎です。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

5441:2015/05/26(火) 17:46:42 ID:k2koAQg.
奥様も、結構しつこいね(笑)

>>わたしは、「唯神実相をわからない」とは今まで一度も発言していません。
「唯神実相を悟れない」と言ったのです。

私の中では、同義に感じたので、正しく書いてなかったと思われます。失礼いたしました。

>>宗教の真理は、頭で理解しただけでは本物ではないと思っています

仰る通り。でから、自分も朝起きた瞬間から、"ありがとうございます"の生活をさせて貰っていますよ。

>>むしろ、
危険のある恐ろしいものだと感じています。

私はね、教団とか肩書とか、何十年生長の家をやっているとか、そういったものが、
人を増上慢にするとこの目で見て来て、本当に思うの。

>>その真理が生活に顕れ、自分の周りが光明化(幸福化)してきたときが

最初の数カ月で、ガンガン来ましたよ、円滑反応とかも。
ただね、
悟ったと思っても、それは一時の錯覚なの。次々に宿題は与えられて、さらに難しくなっていくの、それが修行なんだろうと思うけど。

私は専門職で、壱年目はフラフラしながら(根けないから)なんとか仕事に行ってたのが、
2年目からは、全体が見えて来て、楽しくなって、10年過ぎると趣味みたく楽しめて、20年たつと、
さらに困難と戯れよ、が快感になってくるの(基本、M?)が、職業を持った
醍醐味何だろうなって、仕事には本当に感謝しているんですよ。

私の敬愛するオヤジ(Y総務)は、「国を愛し、仕事を愛し、人を愛せ」と教えてくれて、
私は前2つは出来ていたけど、3つ目の宿題にいつも失敗して来ているのよ(笑)

幸せな家庭を営める婦徳を備えた女性こそが、多分、本当に幸せなんじゃないかな。。。
と、ある面ではうらやましく思っていますよ。
私は、自分に出来る事をやるしかないので、てきとーに自由にやらせてもらってるから、
これはこれで、感謝しています。

ちょっと昨日(今朝?)は言い過ぎたかも。。。と思っていたので、済みませんでした。

5442トキ:2015/05/26(火) 17:58:18 ID:r9g6yeCk
 格闘技の場面では、タオルを投げるところですね。

少し荒れてきました。1日だけ置いて、再度、皆様がこの板への投稿を
再開されることを提案いたします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5443:2015/05/26(火) 18:17:45 ID:k2koAQg.
どこが?
 なにが荒れてるの?

説明して下さい。

5444a hope:2015/05/26(火) 18:35:43 ID:cEpBaIdo
トキさま

今日はこの板全然荒れてませんよ!
わたしと春さまは大調和してますよ!!

5445:2015/05/26(火) 18:44:24 ID:k2koAQg.
多分、トーキングスティックボード方で、トキさんは頭一杯だと思われます。。。

5446トキ:2015/05/26(火) 18:49:14 ID:r9g6yeCk
>>5444
>>5443

 了解しました。私の誤解でした。お詫びいたします。
続けてください。

合掌 ありがとうございます

5447:2015/05/26(火) 18:58:48 ID:k2koAQg.
お疲れさまでした。


感謝
合掌

5448失礼つかまつり:2015/05/27(水) 16:48:28 ID:SY9qWg2.
春さま
しおんさまが、貼りつけて下さった<靖国の、、貴女の体験だんのyoutube>見させて頂ましたよ。
でさ、感想、看護師さんを、やられてらっしゃるのですね。けいふくいたします。「このまま、この仕事を続けていていいのか?」なぞ、とんどもないですよ。立派なお仕事です。
このし仕事やめて、他のどんなもっと尊い仕事を、さがされますのか?
続けて下さいよ。
天皇新興について、
まるで、右翼ですね。
私は谷口まさはる先生の、実相、を、友人らに紹介したいけど、いや、したいから、(貴女の体験談は、 絶対見せられない。
普通の人は絶対<引く>でしょうね。
それから、<ゆい唯神実相>が分かった者が、どれだけ居るよ?
悟り、だよ。二代目さんだって<悟ってたかどうかわからんさ>
なん十回も、なん十回もよんでも、現象の世界にいきてるんだからね。中々むずかしいのだ。
だから、谷口先生は言葉を変えて、言い方を変えて、これでもかこれでもかと、書いてくださってるのだ。
あんさんは、これからなん十回でも読む必要ありだ。
失礼どが、Ahopeさんより<唯神実相>の理解が上とは思えない
それから、はじめさんに(漢字出ない) おばあ様と呼ぶのは、止めることだ。
失礼千万。おばあ様と呼べるのは<孫>のみ。他人は名前で呼ぶのが礼儀
。あんさん、その年ではじめさまに<おばあ様>?だ?はじめさまのお孫さんは、ハタチもいってないだろう。
なにが、「私からしたら65さい以上はジジィ、ババァです」だ?

5449リポーター:2015/05/27(水) 18:09:28 ID:???
>>5448
女性ができる尊い仕事は出産と子育てですね。
a hope様は、その尊い仕事以外にも仕事されていますので大変ご立派だと思います
漢字ですが、はじめ様じゃなくて(はなだ)…様で変換できましたよ。

5450:2015/05/27(水) 20:02:31 ID:9hLD1c6Y
日本で右と言えば保守の事で、革新が左翼ってのが定義ですから、別に右翼と言われて、当たり前ですが、なにか?

もっと他に読む本があるのと、別に生命の実相だけが真理を説いているとも思っていないので、たまにでいいです。
新編 実相は、なんだろうな、物足りなかったですね。

私は神社新報社から刊行されている書物が一番心安らぎます。


誰と誰を比較して、上とかしたとか、考える方がオカシイ。
人はそれぞれ与えられた課題があって、発展の仕方も様々なんだから。

私は志恩さんは敬愛していたから、ちゃんと志恩さんとお呼びしていましたよ。
65歳以上云々ってのは、まあ、あてこすりのいい訳かな。
要するに、あのおばあ様が大っきらいだったの、それだけ(笑)

5451:2015/05/27(水) 20:04:20 ID:9hLD1c6Y
新編 実相は

新編 生命の実相は

5452a hope:2015/05/28(木) 08:53:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 p145 後から7行目〜

谷口 ――(略)―― それから病気というものはスレ合う心、呪う心で起ると申しましたが、そういう念がどうして起こるかと申しますと、「我」があって、こちらがなんでも我を突っ張ろうとするから、周囲の人も我を突っ張ろうとする、それで周囲と衝突することになって調和を欠く心になるのです。

――(略)――

もう一つ例を引いてみますと、ひとの道教団では病気を治していただくのに御神宣という神様のお示しを頂くことになっている。

その御神宣はたいてい共通であって「我を捨てよ」という意味のことが書いてある。

つまり、我見を捨てよ、自分の尺度を捨てよという意味である。

我見があり、自分の尺度があるので互に衝突して和合ができないのでありますが、この自分の尺度、我見というものを捨てると、争う心がなくなる、争う心がなくなると、聖典『生命の實相』の巻頭に書いてある「汝ら天地一切のものと和解せよ」の教えの「和解」ができてくる。

すると一切のものはわれわれを害することができなくなる。

全世界が天国になり、国家が安穏になり、家庭が平和になり、各人間が幸福になり健康になってくる。

ひとの道教団では病気の人がお伺いをたてると御神宣というものをくれる。

それは互に誰にも見せたらいかぬというようなことになっていて秘密になっていますが、たいてい「もうこれからいっさい我を立てません」などというような意味が書いてある。

互に見せ合うと、「君も同じことか、なんじゃ」ということになって、「我を捨てよ」という教えをおろそかにして実行しないことになる。

それではせっかくの御神宣がなんにもならぬことになるから、内容秘密主義にしてあるのです。

しかし、要はこの「我を捨てよ」ということである。

そしてこの御神宣を実行すると病気が治る、八十パーセント実行すると八十パーセント病気が治り、百パーセント実行すると、百パーセント病気が治る。

その理由は「我を捨て」我見を捨て、自分の尺度を捨てると天地一切のものと和解できるからであります。

5453a hope:2015/05/28(木) 08:57:30 ID:cEpBaIdo

>>5452 a hope所感)

現象世界に生きるわたしたちにとって、この「我を捨てよ」というご神宣ほど、
実行困難な課題はないのではないでしょうか?

わたしは、この現象世界は「人間の我と我が衝突し合ってでき上がっている」のではないかとすら感じてしまいます。

だって、すべての人間の「我」がまったくなくなったら、そこには地上天国、つまり、実相世界が顕現しますものね!

本当は「我」の強い人間ほど、神さまや実相世界を強く求めているのかもしれませんね。


>>5449でリポーターさまが、わたしのことを褒めてくださっていて恐縮しています。

たしかに、わたしは子供をたくさん産んで、子育てもし、仕事もしていますが、
毎日とても幸せに暮らしていますから、そのことを特別立派であると感じたことはありません。

春さまのように、たとえ子供を産まなくても、子育てをしていなくても、尊い仕事をされ、
周りの人々を幸せにして一生懸命生きていらっしゃる女性の方も、とても素敵で立派だとわたしは思います。


>>5441で春さまは、

<<私の敬愛するオヤジ(Y総務)は、「国を愛し、仕事を愛し、人を愛せ」と教えてくれて、
私は前2つは出来ていたけど、3つ目の宿題にいつも失敗して来ているのよ(笑)>>

とご発言されていますが、わたしは春さまのそういう率直さがとても好きです。

本当の春さまは、人を愛したくて愛したくて仕方ない、とても愛深い方なのではないかと拝察しています。

5454:2015/05/28(木) 20:16:26 ID:olvJqEs.
謹写する時って、どれくらいのスピードで出来ています?

私、今日も(はたして、出来るのか。。。やや不安で)、もとIT関係に居た方に
PCの裏技なんかもお聞き出来たんですけど。

明日は、まず内科に行って花粉症の御薬貰って、とんで 法事に行って、秋葉原でPC(マウスの調子が悪いらしいので)
用品勝手、
明日は彼氏のパースデイだから昼食とうとうを予約していますが、
その合間に、一応なのか文の原稿を書こうとしています。

出来る?
かな。。

5455:2015/05/28(木) 20:26:58 ID:olvJqEs.
用品勝手

用品を買って

昼食とうとうを

昼食等々を

一応なのか文の

一応7日分の



ああ、無理っぽい、なぜにこんな流れになったのか。。。


トキさんの,
作に期待しますの言葉は、重い、
凄い事、引き受けちゃったなあと思う反面、やる気と元気を与えて貰いました。

明後日、秋葉原行って、私のPC技術の無さを支援出来るグッズを探してきますわ。

5456:2015/05/28(木) 20:42:57 ID:olvJqEs.
a hopeさん



気軽に、働いているから子供がいないとか、おっしゃって欲しくない。

自分は、一生分泣きましたから、もう、泣かないのです。

貴方様の婦徳の深さに、救われているのかもしれません。

5457a hope:2015/05/28(木) 23:21:07 ID:cEpBaIdo

春さま

春さまは、トーキングスティックを握られたのですね!

わたしは自分のペースで無理のないように謹写しています。

なんでもそうですが、そのことを負担に感じてしまうと長つづきはしないと思います。

できるときに、少しずつでいいのではないでしょうか?


短い文章でも、心をこめて謹写すると読んで下さる方にもその思いが伝わるような気がしています。

また、文章を謹写するだけではなくて、わたしは春さまのご感想などもぜひ伺いたいです。

どうぞ負担に感じられないように楽しみながらしてくださいね。

もちろん、わたしも一緒に学ばせていただきますよ!

5458:2015/05/29(金) 21:25:39 ID:KR95VKjw
>>なんでもそうですが、そのことを負担に感じてしまうと長つづきはしないと思います。<<

それが、仕事も私生活もしたい放題に自由にだらだらしていたので、いい緊張になったのですよ!

250ページあるから、年内に終われればとおもいますが。。。

次は、昭和天皇スペシャルで行きたい、いずれは、葦津先生全巻!!!と
夢は広がるのです(笑)


老眼鏡、明日勝手来ます♪

5459a hope:2015/05/29(金) 23:34:24 ID:brQxC10.

春さま

はりきっておられますね!

天皇信仰については、興味が湧いてきましたので春さまの投稿を楽しみにさせていただきますね!!


ところで、話は変わりますが、
おそらく、春さまはわたしと同年代か、もしくは春さまの方が年下なのではないかと拝察していますが、
もう、老眼鏡が必要ですか?

わたしは老眼鏡はもっていませんが、スマホの小さい字や食品の添加物の表示なんかもよく見えますよ!

時々疲れていると、かすんで見えるときもありますが、「生命の實相」を拝読するとすぐに回復します。

それに、長年患っていた花粉症も今はほとんど症状がでていませし、ここ数年は鼻風邪すら引いていません。

その他、詳しいことを書き始めると身ばれしてしまうので控えますが、
身近な人の不治の病が治ったり、奇跡ともいえるようなこともわたしの周りで起きています。

春さまは、どう思われるか知りませんが、わたしはこれはすべて「生命の實相」の功徳であると感じています。

確かに、「天皇信仰」は生長の家の縦の真理「唯神實相」につながる大切な真理だと思いますが、
聖典「生命の實相」には、「心の法則」である横の真理も説かれていますから、
個人差はあるかとは思いますが、何度も拝読することで個人の現象の問題は解消されると思います。


っていうか、「生命の實相」にはそういう奇蹟の体験談が満載されてますよね?

老眼が治ってしまった体験談なんかもありましたが・・・

春さまは、きっとそんなちっぽけな個人的な問題なんかは、まったく気になさらないのでしょうね!

5460a hope:2015/05/31(日) 13:57:52 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 

第五章 種々の宗教問題に答う p148〜

( 質問内容のまとめ  a hope)


一、久遠実相の世界について

【質問内容】 
・何に遇っても恐れない無畏怖の境地に入りたいが、その心得はどのようなものか?
・久遠実相世界とはいかなる世界のことか?神界霊界のことか?
・「存在の実相」と「生命の実相」は別の意味か?
・「実相の人間」と「霊としての人間」は「生命としての人間」と解していいのか?


二、我(われ)の正体について

【質問内容】
・「生長の家」では「ニセ物の我」と「本物の我」を区別するが、「われ神なり」との「われ」を、生きる力であると観なすと、小我といえども「本物の我」――生きる力の一顕現であって、「ニセ物の我も本物の我も畢竟一つの生きる力の種々相であり、決して別物ではなく完全に帰一している」のではないか?


三、雑念妄想は実相を妨げず

【質問内容】
・神想観の時に雑念妄想があってはいけないか?
・雑念妄想が浄(きよ)まってこなければ神想観は効果がないか?


四、神想観と食物

【質問内容】
・神想観は、食量を増加せしめるものなのか、減少せしめるものなのか?


五、断・不断煩悩得菩提

【質問内容】
・ある人が、「達人でも常人とかわりはない。つまらないことはつまらないのである・・・(以下略)」と言っている。
しかし、本当の達人になったら、自己の内部から光明が輝いてくるので、自己の向かうところすべてが光明輝くものとなり、つまらないことは影を消し、つまらないものはなくなるのではないか?


六、実相と現象、真象と偽象について

【質問内容】
・なぜ神は善人のみを作らず悪人をも作ったか?
・神の愛は平等であるべきを、なぜ富者と貧者が存在するのか?
・富は神から何億万円でも無限に与えられていると『生長の家』では説いているが、あまり到富の体験者が出現していないのはなぜか?


七、人格的交通の祈りについて

【質問内容】
・祈りはただ自心の整理のためにするのか、それとも父(神)と子との間における人格的な交渉のような意味において、子が父に求めるごとき意味において祈るのか?


八、人は現象をとおして悟るか、現象の裂目をとおして悟るか

【質問内容】
・現象が「非存在」のものならば、本来「非存在」なる現象を介してわれわれが悟りに入ることがあるのはなぜか?


九、霊山霊地の霊験について

【質問内容】
・「生長の家」では、神様は罰を与えない・・・とありますが、霊山霊地と言われるような場所での恐ろしい霊験(例・鐘の柄に髪が巻き付いてはなれなかったり、鎖が手にくっついてはなれなかったりすること)をどう説明するのか?

(つづく)

5461a hope:2015/05/31(日) 14:00:37 ID:cEpBaIdo
(>>5460 つづき)

十、他人の不幸をいかに扱うか

【質問内容】
以下p185 後から2行目〜抜粋謹写

平田――(略)―― ここに一例ですが、今相手の子供が死亡したと致します。

いうまでもなく、相手は大不幸です。

わたしは、ああ気の毒に不幸であったと思います。

そしてお悔やみを申そうとする。

この時です。

相手は自由自在な無形な神の子で、不幸はない。

不幸に見えたのは自分の五感のまちがいである。

相手は神性で不幸はない。

不幸に思ったのは自分が不幸であったのだ。

しかしながら自分も神の思いを思いとして生くる神の子で完全で不幸はないとお悔やみの御言葉 御挨拶も述べずにいるのは、事実不人情であります。

不幸を分析すれば不幸になる、いつまでも不幸より逃れることはできぬといっても、不幸の言葉を述べねばしかたないのでありますまいか。

また相手が目の前で苦しんでいる、しかしながら相手は神の思いを思いとしているのだから本当は自由自在な生命で苦しんでいるのではない。

相手は苦しいと思ったのはわたしの五感の迷いだとただ相手の神性を拝んでいますと、相手が不幸に遇っても実際同情できません。

苦しんだように思ったのはそれはわたしの五感がそう思ったのだから苦しくない
というようになれば、事実悪も不幸も分析せず、善ばかりがのこるようになりますが、これではあまりに不人情に思います。

ここのわたしの迷いを御啓(おひら)き下さい。

十一、神想観の時、息苦しいのはどうすればよいか

【質問内容】
・神想観の時息苦しくなったり息がかえって急速になったりして『生命の實相』に書いてあるように呼吸ができない場合はどうしたらいいのか?


十二、対人恐怖はいかにすべきか

【質問内容】
・対人恐怖をから起こる性癖(落ち着きがなくなる、動悸が激しくなる、声がでない、手が震える等)をどう修養すれば直せるか?

5462a hope:2015/05/31(日) 14:08:10 ID:cEpBaIdo

>>5460 >>5461 a hope所感)

第五章は「種々の宗教問題に答う」として、「生命の實相」を相当読みこんでいないと出てこない様な質問内容が多いですが、
雅春先生がその一つ一つに丁寧にお答えくださっています。

「生長の教え」の神髄に触れた、とてもハイレベルな質疑応答ばかりなので、本当はゆっくり時間をかけて学びたいのですが、
5月は今日が最終日なので、とりあえずこの第34回web誌友会を今日で終了させていただき、
明日からは、第35回web誌友会を開会させていただきたいと思います。

なので、今回は、質問内容の概要を簡単にまとめてみました。

正直わたしは「生長の家」の講師を名乗っている先生方には、このすべての質問内容に即答して下さるくらいの実力を期待してしまいます。

言われたことを「ハイ」と素直に行ずることも大切かもしれませんが、
時には自分の信仰している宗教の教義に疑問を持って自分自身で考えたり、
または勇気をだして質問してみることもとても大切なのではないかと感じました。

今回わたしがまとめた質問内容に関しての雅春先生の模範解答は、すべて、第18巻の第五章のなかにあります。

聖典「生命の實相」がわたしの手元にあることが、本当にありがたいです。 合掌。

何度でも読み返して自分のものにしたいと思います。

5463a hope:2015/05/31(日) 14:15:31 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第35回 web誌友会 案内 

期間   6月1日〜7月31日まで
テキスト 「生命の實相」第19巻 自傳篇上  第20巻 自傳篇下/聖詩篇
内容  神示を受くる迄〈上〉 神示を受くる迄〈下〉 生長の家の歌
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5464トキ:2015/06/01(月) 01:06:56 ID:2E/FyuHQ
>>5463

 a hope様

 ありがとうございます。よろしくお願いします。

5465a hope:2015/06/01(月) 06:59:18 ID:cEpBaIdo

6月に入りましたので、第35回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5466a hope:2015/06/01(月) 07:00:36 ID:cEpBaIdo

 第20巻 聖詩篇 p189より 

「夢を描け」

若きと老いたるとを問わず 兄弟よ、夢を描け、
蜃気楼よりも大いなる夢を。

夢はあなたの肉体を超えて虚空にひろがり
ひろくひろく宇宙にひろがる雲となって、
あなたをより高き世界へ あま翔けらす大いなる翼となるであろう。

此の翼こそ世にも奇(くす)しき翼である。
夢の奇しき翼に乗るとき 若きものは向上し 老いたるものは若返る。

兄弟よ、夢の翼を休めるな、
自己を出来るだけ偉大であると想像せよ。

あまり高く翔けのぼることを恐れるな、
躊躇するな、尻込みするな、自分自身を限るな。

あなたは夢の翼によって肉体の制限(さかい)を超える。

たといあなたが地球にわいた黴よりもその肉体が小さくとも、
あなたの心は夢をえがくことによって
天地を造った偉大なる心と一つになるのだ。

兄弟よ、悲しみに打たれるな。

打たれても起き上がれ。

描いた夢が破れても あなたはまだ夢を描く自由はあるのだ。

自分にまだ偉大な力が残っていること想像せよ。

夢を描くものにとっては この世界は常に新天新地である。


兄弟よ倒れるな、倒れても起き上がれ、
希望を失っても試みが破れても 倒れ切るな。

夢は希望の苗床である。

大いなる希望の苗床から 希望の芽がまた萌え出でる。

希望の芽は夢につちかわれて生長する。

夢は希望の苗床である。

兄弟よ、出来るだけ明るい大きな夢を心に描け。

自分を暗い悲しいものだと想像するな。

あなたの『心』が全能の創造主だと云うことを知れ。

あなたは自分の心で自分を想像した通りのものにするのだ。

自分を暗い悲しいものだと想像したら その通りにあなたはなるのだ。

自分を明るい偉大な人間だと想像しても その通りにあなたはなるのだ。

何故なら心は全能者であるからだ。

(つづく)

5467a hope:2015/06/01(月) 07:01:42 ID:cEpBaIdo
(つづき)

兄弟よ、偉大なる夢を描かないで 偉大となったものが嘗(かつ)てあるか。

此の中に偉大と名のつく一切のものは、
みんなあなたの夢の産物ではないか、
コロンブスがアメリカ大陸を発見したのも あなたの夢の帆かけ船で 
人生の荒波を超えたからではないか。

汽車、汽船、自動車は勿論のこと、飛行機、ラジオに至るまで、
昔あなたの夢が形と化したのではないか。


新大陸の存在をあなたの夢が心に描く。

するとやがてアメリカが発見された。

あなたの夢が 
人間が空を飛ぶことを心に描いたとき飛行機が発見された。

あなたの心が『動く写真』を夢に描いた時 キネマが出現したのだ。

トーキーが出現したのだ。

兄弟よ、夢の勇者たれ、
あなたの夢が万能であると云うことを自覚せよ。

万能を自覚するとき、
あなた自身は本当に万能になるのである。

夢の勇者も 時としては失敗するように見えるであろう。

併(しか)し如何なる時にも挫折するな、
失敗するように見えた時、
彼は一層希望の実現に近づいているのである。


見せかけの失敗は 成功のきざしである。

陰極は必ず陽転する。

コロンブスを乗せた帆かけ船の船員が、
待てども待てども新大陸が見つからないで失望して、
今や将にコロンブスを監禁して 船を引返そうとしていた時
彼は一層大陸の間近まで来ていたのではないか。

兄弟よ、陰極は陽転するのだ。
何事にも此のコロンブスの話を思い出せ。

失敗に恐れるな、失敗のたび毎に
貴方が希望の実現に近づいている事を知れ。

そして人生の荒波に沈んで了(しま)わないように
夢の救命器をしっかっり結んで泳ぐのだ。


感謝 合掌。

5468a hope:2015/06/02(火) 09:05:50 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p5 8行目〜



わたしは中学時代にどこかの八卦見(はっけみ)で、人相をおおまかに見てもらったことがあったが、
「あなたは次男でありながら跡継ぎの人相をしている。生まれた家を出る相をしているから、
おそらく生まれた家を出て他家であとつぎをする人であろう」
とその人相見は言った。

わたしの血縁の兄弟は、すぐ兄が一人妹が四人あるが、どの兄弟もわたしにほとんど容貌(かおかたち)が似ていない。

わたしだけが特別な容貌をしていて、わたしだけが叔母の家に貰われ、わたしだけが最も多く教育され、
わたしだけが一等精神的方面に興味をもつようになったのである。

同じ家に生まれながら、わたしは兄弟のうちで別の容貌をもち、別の運命に導かれ、別の生活を送るように割り当てられていたのである。


わたしは叔母の家へ貰われていったのではないと、生みの母がわたしが成年になってからわたしに話して聞かせたことがある
――それは四歳の時、わたしがあまりにかわいらしいからどこかへ遊びに連れて行くのに一日だけ貸してくれと叔母さんに言われて、
それきり、わたしを生みの家へは返してくれなかったのだ。

迎いにいってもわたしを隠してしまって、その代わりに姑さんが出てきて「マサハルはここへ置いといたらいいじゃないか」と言うのだから、
姑さんに敵対するわけにもゆかないので、そのまま、叔母の家に置いたら、ついにその家の子になってしまったのだそうである。

運命が、わたしを選んでそう導いていたのであろう。

5469a hope:2015/06/02(火) 09:07:04 ID:cEpBaIdo

>>5468 a hope所感)

この第19巻20巻の「自傳篇」は、その名の通り、谷口雅春先生の自伝になっていて、
雅春先生が誕生されて『唯神実相』をお悟りになるまでの生涯が小説風に書かれています。

前回拝読した時は、特に19巻は、なかなか他の巻のように興味をもって読み進むことができませんでしたが今回は興味津々です。

谷口雅春倫理学、谷口雅春教育学、谷口雅春哲学・・・そして、「生長の家の教え」はどのような背景があってでき上がったのか・・・

今はもう現象界にはおられない我が尊師、谷口雅春先生の生涯に思いを馳せながら、
2か月間かけてゆっくり拝読していきたいです。

5470神の子さん:2015/06/02(火) 10:06:07 ID:JEmNUFoY
● 炭水化物(小麦、米)=砂糖 ●

・「いつものパン」があなたを殺す: 脳を一生、老化させない食事 (デイビッド パールマター 2015/1/16)

・ダダモ博士のNEW血液型健康ダイエット (集英社文庫 2004/3/19)
 O型とB型は小麦、とうもろこし、蕎麦を食べると体調が悪くなり太ります

・統合失調症、うつ病、パニック障害は糖を抜くと3日で治った。

・炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学  (夏井睦 光文社新書 2013/10/17)

・チョコレートは超危険食品 強い依存性、糖尿病の恐れ…妊婦や子供は摂取要注意
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/shapeup/1430052776/823

・すべての不調は首が原因だった!
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/shapeup/1425713834/73

小麦に含まれてるグルテンは脳を炎症させます。→精神病、ウツ病の原因に。
O型とB型は小麦を食べると腸に血が集まりアレルギーのようになり吸収が遅くなりタンパク質を脂肪として吸収してしまうため太ります。
小麦は毒です。
小麦は砂糖(炭水化物)です。

5471トキ:2015/06/02(火) 10:40:57 ID:n0OARqvg
>>5470

 ご投稿、ありがとうございました。
でも、板の趣旨とは異なると思います。

5472トキ:2015/06/02(火) 21:56:54 ID:n0OARqvg
 自伝編は、苦手という人もいますが、面白い部分も多いですよ。

 直木賞で有名な直木三十五は、谷口雅春先生と旧制中学と大学で同級生でした。
その他、先生の大学時代の同級生には後年、名を成した人が多かったと聞きます。

 楽しみに勉強をしたいと思います。

5473a hope:2015/06/03(水) 09:34:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p6 後から5行目〜

実父音吉は、大変遠慮深い性質の人だったらいしい。

親類を訪問するにも自分で弁当をさげていって相手に世話をかけたくないというふうな思いやりを常にしていた。

それを窮屈な人だと言って酷評する人と、思い遣りのある人だと言って深切な批評を下す人とがある。

どちらも本当らしい。

わたしの遠慮ふかい引っ込み思案な性質はこの実父から受け継いだものであって、わたしは今まで常にこの自分の引っ込み思案な性質と戦ってきた。

そして今ではともすれば「自分」という殻の中にのみ立て籠ろうとする遺伝的な遠慮深さを大分征服して、「世話になろう、世話をしてやろう」の大きな境地に這入りかけているのである。

それでもわたしは時々、他人の世話になることをあたりまえに思っている虫のよい人を見るごとに、親類の家を訪問するにも手弁当を忘れなかった「このせわになることをみずから慎んだ」わたしの実父の人のよさを時々思い出して敬愛の念を感ずるのである。

5474a hope:2015/06/03(水) 09:35:49 ID:cEpBaIdo

>>5473 a hope所感)

若かりし頃の雅春先生は、遠慮深い引っ込み思案な性質だったのですね。

<<「世話になろう、世話をしてやろう」の大きな境地に這入りかけている>>

とありますが、この境地はきっと、生長の家の愛である「自他一体の自覚」からくる境地なのでしょうね!

5475a hope:2015/06/03(水) 09:36:46 ID:cEpBaIdo

>>5472 トキさま

直木三十五に関しては、p19で雅春先生も触れておられますね。

以下抜粋、
『中学は市岡中学である。死んだ直木三十五の植村宗一君はわたしの一年上級生であった。そのころから無帽主義で丸刈りの長い頭をふり立てていた植村君を、皆が「海坊主」と綽名をつけていたことを聞いていたが、わたしは「そうかなァ」と思ったきりで人を綽名で呼びたいと思ったことはなかった。』


<<自伝編は、苦手という人もいますが、面白い部分も多いですよ>>

本当に、この「自傳篇」はある程度、「生長の家の教え」がわかってから拝読した方がずっとおもしろいものだと感じています。

谷口雅春先生を神様のように拝する信徒の方々も多いと思いますが、この自伝篇を拝読すると、とても人間らいい雅春先生のお姿が、多々感じられます。

みなさんも、ぜひ、ご気軽にご感想などをお聞かせくださいね!

5476:2015/06/04(木) 22:09:39 ID:o47GFWDo
正直な感想行っていいですか・・・?


私は、輝子先生との前にお付き合い(?)していた女性のことは、かなり、引っかかりました。
練成でも、さらっと聞きました。


でも、あえて言わなくても、、、、というのは、世俗の感覚ですかね?

私の中での1代目像が(?)になったのは、そこ辺りですけど、、、。

5477島津綾久(笑):2015/06/05(金) 07:40:09 ID:???

>>a hopeさん


 引っ込み思案なのに見栄っ張り、それが「若かりし日の雅春先生」だと思います。ところで19巻なんですが、私は大好きなんです。いや、雅春先生ですが「私と同じダメ人間だったから」です(笑)その事が、よーーーく、判る(笑)。19巻と20巻ですが、「女にダラシナイ雅春先生(笑)」たびたび登場しますよね。私なんか、よーーーく理解できますね。そして、読んでいて親近感を覚えましたね。考えてもみてくださいよ、普通、宗教の開祖が自分の性病罹患歴なんて普通、

 披露しませんよね(笑)でも、そんな事を隠しもせず堂々と著書で述べられる雅春先生・・・・・・やはり、偉大です。(池田大作なんかには、デキナイ芸当ですw)私は19巻から20巻、大好きでたびたび読んでいます。で、19巻ですが「壮大なる伏線」なんですよ、ええ・・・・で、どんな伏線か?

 それは、20巻のクライマックスです。

 20巻での感動的クライマックスシーンがあるんですが、19巻のダメ人間ぶり(雅春先生の若き日w)の描写があると余計に、感動が増すのです。「物質はない!」のあの、クライマックスですが、周囲に迷惑をかけどおしの青春期の描写、あれがあるからイイんです。

 ・・・・・・って、19巻20巻はホント、おもしろいです。私は大好きですね。



追伸

 少年野球チームの九州大会予選・県大会が目前です。ようやく強力打線に火が点いて、イイ感じの仕上がり具合。「子供のよい点のみ観じてそれを誉めよ」の雅春先生のお蔭でセガレチーム、最高潮の打線に仕上がりつつあります。「オマエらは強力打線!」「強力打線のチームだ!」「10点差で勝つ!」・・・・・そんな事を云い続けていると、ホントにそうなるから不思議です。ダメ人間(私のようなw)がヤッてもそうなるんですから、やっぱ神は偉大ですし19巻でダメ人間ぶりを披露した雅春先生も同様に、偉大だと感じてます。

5478島津綾久(笑):2015/06/05(金) 07:56:41 ID:???

>>a hopeさん

<追記:雅春先生の偉大さに関して>

 さて、少年野球チームなんですがメンバーに母親がいない子がいるんです。かなり引っ込み思案なんですが、かなり問題行動も起こす子なんです。(開会式最中にとなりチームの選手にカンチョーするような問題wまたは、相手チーム監督のはげ頭を撫でるような問題wそんな問題をよく起こすw)

 印象としては「怒られて育てられた子」です。そんな感じの子なんです。で、コイツなんですが雅春先生の言葉で覚醒してます。

 ・・・・・て、いきなりですが、野球の「バスター」って知ってます?

 ・・・・・バントの構えをしながらいきなり、「パッ!」とバットを引いてヒッティングをする技術です。

 言ってみればバント(緩い球を打つ)すると見せかけて「バーン」と打つ、そんな芸です。守備側はバントに備え前進守備をしますが、その間を抜く技術なんです。ええ「イキナリ」ですね。(「卑怯」ではナイw)

 ・・・・・前置きを省略しますがこの、問題行動クンですが「異常なくらいにバスターがウマイ」んです(笑)他のコーチは気づいてなかったんですが、私はこれに気付きまして、そして事あるごとに「バスターのショータ、バスターのショータ」と言っていたんです。「オマエのバスター、天才的」と。まあ、「子供の良い点のみ観じてそれを誉めよ」ですね、雅春先生の云われるところの。そうしたら先日の試合・・・・・

  ・・・・・・2点差を追っている段階で満塁になりまして、なんと、コイツに打席が回ってきたんです。で、私、「バスターやれ」と。(※ まあ、我がチームの文化として「バスターはご法度」だったんですwなにせ、あまり、正々堂々とはしてナイからwなので私個人は監督に反したことにはなりますが「オレが責任モツ!」とw)

 ・・・・・・で、「スコーン」とセンター前へ(笑)

 感動しましたね。

 ・・・・・・二塁ベース上でコイツ、「初めてガッツポーズ」をしましたよ。嬉しかったですね。

 ・・・・・・問題行動はまだ完全には消えてナイですが、チームの見る目は変わりました。コイツですが、今度の九州大会でもキーマンになると思ってます。これもホント、雅春先生のお蔭です。以上、「雅春先生は偉大です」に関連した、余談でした。



5479島津綾久(笑):2015/06/05(金) 08:04:52 ID:???

<訂正>

(×)今度の九州大会でもキーマンになると思ってます。
(○)今度の九州大会県予選でも


 ・・・・・・市大会を勝ち抜かないと県大会に行けないですが、迷惑なことに「市大会は強豪ぞろい」だったんです。でも、彼らはその、激戦を勝ち抜きました。今度、県大会に行きましてそこで勝ち抜けば今度は「九州大会」です。まだ、九州大会は決まってません、そんな訂正でした。(なお九州大会ですが「全国最高レベル」、だと思ってます)

5480トキ:2015/06/05(金) 20:10:31 ID:zbAAzhUk
>>5478

島津綾久(笑) 様

 「バスター」というのを初めて知りました。まだまだ勉強不足です。
しかし、とても良いことをされました。小さなことでも自信がもてれば
その子供の人生が大きく変わると思います。

 谷口雅春先生だけでなく、生長の家の大物講師と言われる方でも、
生長の家の信仰に触れるまでは、ダメ人間だった、という人もいます。
 具体的に名前を出すと差し障りがあるので隠しますが、偉い講師の
若い頃を知っている人の話を聞いたら、生長の家に触れるまでは、結構
いい加減な生活を送っていたのが、信仰に触れ、神様からのある種の
啓示を受けてから人が変わった、と証言されたことがありました。

 まあ、そういう次第ですから、我々も諦めずに頑張りましょう(笑)

5481a hope:2015/06/05(金) 23:27:47 ID:cEpBaIdo

>>5476 春さま

正直な感想をありがとうございます。

わたしも正直にいいますと、一番最初にこの第19巻を拝読した時には、
青年時代の雅春先生の所業に、少なからずショックを受けました。

というのも、当時は、それまで拝読してきた「生命の實相」(第18巻まで)の内容が、
あまりにも神懸かった素晴らしい内容だったので、それを執筆された谷口雅春という人物を、
わたし自身の中で、神さまのように偶像化してしまっていたからです。

そして、その神さまのような雅春先生の青年時代は、当然、品行方正であったに違いない、
と勝手に思い込んでいたからです。


でも、今はなぜ、雅春先生があそこまで赤裸々に、若かりし頃の所業の数々を書かれたのかわかるような気がします。

それは、「自分もあなたたちと同じような煩悩にまみれた人間だったんですよ(いや、人間なんですよ)」ということを、
正直に、信徒に伝えたかったからなんではないでしょうか?

「自分を偶像化して礼拝しないでくださいよ」、ってそんなメッセージも含まれているような気がしてなりません。


ところで、春さまはトーキングスティックは、もう、放されてしまわれたのですか?

せっかくお勉強させていただこうと、楽しみにしていましたのに残念です。
でも、よろしかったらこちらのweb誌友会には、また、いつでもご参加くださいね!

5482a hope:2015/06/05(金) 23:31:27 ID:cEpBaIdo

>>5477>>5479 島津綾久(笑)さま

素晴らしいご投稿をありがとうございます。

トキさまも感想を述べられていますが、
バズターのうまい少年のお話は、拝読していて思わず涙がでそうになりました。

自分を駄目な奴だと思い込んでいる子供が、自分を信頼してくれる大人に出会ったとき、
その子は無意識にその信頼に応えようと、本来もっている無限力を湧きあがせるのだと思います。

わたしも、子供たちの実相を見て、子供たちの無限力を湧き上がらせたいと思いました。


ところで、話が前後しましたが、青年時代の雅春先生ですが、本当に、ダメ人間ぶりを発揮されてますね(;'∀')

犯罪歴のある17歳の女性を憐憫愛で救ったんだとか、言い訳のようなことも言われていますが、
男女のするそれなりのこともしっかりされてますしね・・・。

それでいて、恋人は10歳の少女だというんですから!!

そこら辺は、かなり衝撃的な内容ですね・・・。


19巻20巻の自伝篇は、2か月かけてゆっくり学んでいくつもりです。

島津さまのまたのご参加を、楽しみにお待ちしています!

5483a hope:2015/06/06(土) 10:05:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p21 後から3行目〜



わたしは、そういう弱い先生をいじめる気にならなかった。わたしはむしろ、強い先生に楯突くのが好きであった。

といっても別に暴力を用いたことはなかった。思索や議論で長上を征服するのであった。

運動は嫌いでしたがって下手であったし、膂力(りょりょく)も衆に劣っていた。

勝負事はきらいであったのは、負けると不快であるので、勝てるようになるほどに技倆(ぎりょう)があがるまで、練習する気乗りがしなかったからである。

しかしいつか体操の時間に雨が降ったので畳敷きの柔道の道場で、同級生全部と腕相撲したことがあったが、その時は、どういうものか、もっと力の強い武術の選手や運動部の選手も混じっているのに、わたしがその全員を一人残らず腕相撲で負かしたことがあった。

ひとりが「谷口君は腕相撲が強い」と言い出すと、皆がその言葉の力で自己催眠にかかって負けてしまったらしい。

もっとも、わたしは運動では、鉄棒が勝負がなくて、ひとり楽しめて好きであったから毎日楽しみにやっていて級中、三、四番ぐらい上手になっていたから、手掌(てのひら)の把握力というものが強かったのかもしれない。

それにわたしは人一倍大きな手掌をもっていたので有利だったのだろう。

わたしはこの大きな手が一時恥ずかしいような気がしていたが、「この手は天下を握る手だ」となんとなくそう思って嬉しかったこともあった。

5484a hope:2015/06/06(土) 10:06:51 ID:cEpBaIdo

>>5483 a hope所感)

<<勝負事はきらいであったのは、負けると不快であるので、勝てるようになるほどに技倆(りょう)があがるまで、練習する気乗りがしなかったからである。>>

わたしも、勝負事はあまり好きではないのですが、やはりその心中を分析すると、負けると自分自身が悔しくて不快であるからだということもありますが、
わたしの場合は、自分が勝ってしまったときに、負けた相手からの悪念波を受けるのが嫌だからという理由もあります。


<<ひとりが「谷口君は腕相撲が強い」と言い出すと、皆がその言葉の力で自己催眠にかかって負けてしまったらしい。>>

こういうことは、本当に起こることだと思います。

わたしは気功をしていましたが、由美かおるで有名な西野流の西野氏なんかは、
〝氣〝 の力だけで屈強な男性5〜6人をまとめて吹っ飛ばしていましたからね。(現在はどうか知りませんが・・・)

わたしは、当時の雅春少年にも人一倍な〝氣力〝があったのではないかと拝察しています。

5485島津綾久(笑):2015/06/06(土) 15:59:25 ID:???

>>トキ理事長
>>a hopeさん

 

>>>犯罪歴のある17歳の女性を憐憫愛で救ったんだとか、言い訳のようなことも言われていますが、男女のするそれなりのこともしっかりされてますしね・・・。それでいて、恋人は10歳の少女だというんですから!!<<<

 もう、「ダメじゃん、雅春」ですよね(笑)「訊け管理人みたいなことするなよ」とツッコミが、来るんじゃナイでしょうか(笑)。この後は「風俗に通う雅春先生」も登場するんで、まあ、ダメ人間ぶりですが「ゆっくりご堪能ください」・・・・・・(笑)

 でも、まあ、真面目な話をしますが「普通ここまで書けない」ですよ。最近、ウチの市長が自叙伝なんか書きまして、この人、京大卒なんですが、さらには女関係もアヤシイ人なんですが一行もその種のエピソードが・・・・・・・・・出てこない(笑)。(私を揺さぶる)エピソードですが、ぜんぜん出て来ないんです(笑)「オマエ、そんなに立派だったか!?」てなもんですよ(笑)さらに以下はIF話なんですが、もしも私に自叙伝の執筆依頼が来てもたぶん。・・・・・・・「書けない」と思います。

 この、私でも(笑)。書けない(笑)

 ・・・・・ですが、色街通いをして性病に罹患して、イイ恰好をしようとしてスベってて、周囲の人には金銭面でも迷惑をかけながら生きておられた「雅春先生」です。堂々とその種の話を開陳されて、クライマックスの「ない!」につづくわけですが、やっぱ・・・・・雅春先生は偉大ですよ。クドイけど、書けないですって(笑)あの種の話は(笑)





>>>まあ、そういう次第ですから、我々も諦めずに頑張りましょう(笑)<<<

 トキさん投稿ですが「そうですよねえ(笑)」です。雅春先生は我々、ダメ人間の味方です(笑)狂ったような青春期を送られた方だから、非常な説得力がアルのだと思います。方便自在の雅春先生の御筆ですが、私のようなダメ人間の心をとらえるのはやはり、雅春先生も相当に悩まれたためなんでしょうね・・・・・・いやホント、人間って「現象として観る限り」ですが、「ダメダメですもん」ね(笑)。若き雅春青年の苦悩ですが、私には本当に伝わります。「なんで俺はこんなにスケベなんだ!」・・・・・・・私だって、悩んだもの(笑)




5486島津綾久(笑):2015/06/06(土) 16:10:08 ID:???

<補足>


 「我らの雅春先生を『ダメ人間』とは!」「けしからん!」・・・・・・そんなツッコミが来る前に補足しておきますが、私のような部外者には別印象なんです。

 ダメ人間なんて書いてますが、激怒する方おられればマチガイです。以下の話をお聞きください。

 ところで私のような一般人は「宗教なんて大嫌い」なんです。そしてシュウキョーなんて「大嫌い」、そんな私ですが雅春先生を大好きになったのはこの、19巻と20巻です。それが、きっかけなんでしてダメ人間ぶりを堂々と開陳された雅春先生ですが、私は「信用できる」と確信できましたね。「他のシュウキョーと違うぞ」と。「普通、ココまで書くか!?」と(笑)「ココまで書ける方なんだから、やっぱ信用できるなあ」と・・・・・・・ここまではOK?

 ・・・・まあ、昔っからドップリな方には失礼に映るかもしれませんが、部外者には別印象でして「むしろ好感」なんです。雅春先生は、やっぱ、人類救済のために起ち上がられた方なんだな、と。「ホンキなんだな」と。ホンキだから過去の「性病罹患歴や色街通いの件も堂々と語れるんだな」と。

 ・・・・そんな次第ですんで「けしからん!」なんて怒り方は、されないでください。




5487やはり!:2015/06/06(土) 16:49:55 ID:???

 あなたは 【誌友会出禁】 のはずです!

 笑って誤魔化すなよ。

5488島津綾久(笑):2015/06/06(土) 16:53:45 ID:???

お、元気でした?童子サン・・・・・・笑って誤魔化すなよ(笑)

5489トキ:2015/06/06(土) 18:39:39 ID:1mwIbKNI
島津綾久(笑) 様

 谷口雅春先生が偶像化されたのは戦後もかなり経てからで、戦前や戦後は
もっと親しまれる、愛される存在として信徒から見られていました。戦前、
紀元2600年の橿原神宮の勤労奉仕に、谷口雅春先生もゲートルを巻いて一般
信徒と一緒にもっこを運んでおられる写真もあります。それが、教団がどんど
ん大きくなり、信徒が増えると、いつの間にか遠くから崇めるような存在に
なってしまいました。

 谷口雅春先生の晩年に、体調がすぐれないという噂を聞いた戦前の花嫁寮の
卒業生の有志が長崎総本山の総裁公邸にお見舞いに伺ったところ、職員から
「面会なんか、とんでもありません!」と叱られたところ、その声を聞きつけた
谷口輝子先生が、「この子たちは私たちの子供のようなものです。入れてあげて
ください。」と言われたので面会が叶いました。が、その話を聞いた戦前に入信さ
れた信徒さんたちは、「大きくなりすぎたのかしらねえ。」と嘆いておられまし
た。

 お悟りになられてからも、信仰の面では厳しい先生でしたが、それ以外は人間味
あふれる、暖かい先生だったと聞いています。

5490亀の子:2015/06/07(日) 05:13:21 ID:???

2282 : 神の子さん 2015/06/04(木) 12:21:47 ID:kEnG6jMo
岡講師に引っ掛けて組織についてあれこれ言う暇に、福島正俊講師について話されるべきです。
昭和50年ごろに青年会一泊見真会にお出で頂いたことがあります。非常に澄んだ心の方でした。肉食をしない方でもありました。

「『生長の家三拾年史』を拝読して開巻第一に強く感じたことは「生長の家の本尊」について、谷口先生がお示し下さつた「教義の大要」である。
「国体ヲ明徴ニシテ皇室ノ尊厳ヲ明ニシ、各宗ノ神髄ヲ天皇信仰ニ帰一セシメ、尽忠報国、忠孝一本ノ国民精神ヲ昂揚シ、悪平等ヲ排シテ一切ノ
モノニ人、時、処、相応ノ大調和ヲ得セシメ、兼テ天地一切ノモノニ総感謝ノ実ヲ挙げ、中心帰一、永遠至福ノ世界実現ノ大目的ヲ達成センコトヲ期ス」
ここを拝読して、今更ながら、「生長の家が皇祖皇宗の御神霊の御垂示によって顕(あらわ)れ給うた御教」であることをはっきりと覚らせていただいた。」

a hopeさんが生命の実相には国体天皇の事は何も書いてない、として個人の幸せ追求を生命の実相をよく読んですればよい、肉食も子供たちが好きである
から避ける必要はない、というような論を正統生長の家として述べている。私はそんな論には与しない。上と下の福島講師の引用文で明らかでしょう。

「神想観、世界の平和、人類光明化のため、恩師谷口先生の御教 「生長の家」を 世界に宣布する。
一貫したものは「天地一切すべてのものは神様の生命(いのち)である」と言うことであった。このために必然的に神想観を行ずるほかに道がなかった
のである。本当に昭和十四年に入信させて頂いた時から、神想観だけは一日も欠かすことが無かったのである。・・・このときは神想観の行によって
理窟を抜きにして只、「ハイ」の精神を行じきることが出来たのであった。今このことをこと更に何故書くのかと言えば、生長の家の全組織にとって
一番大切なことは只「ハイ」の精神であって、この精神が無ければ「いのち」はあらわれて居らないのである。」

5491亀の子:2015/06/07(日) 05:16:01 ID:???
教区会員板より

5492a hope:2015/06/07(日) 10:25:36 ID:cEpBaIdo

>>5490 亀の子さま

亀の子さまって、本流の掲示板でご活躍だった亀の子さまと同一の方でしょうか?

今回、なぜ亀の子さまが教区会板の 神の子さんの投稿を転載してくださったのか、
その本意はよく解りませんが、現在、このweb誌友会では聖典「生命の實相」の内容を学んでいます。

『生命の実相には国体天皇の事は何も書いてない』というのは事実ですし、
この頭注版「生命の實相」は谷口雅春先生も編集に関わっておられます。

出版にあたり、国体や天皇のことを載せなかったのにはそれなりの理由があるからだとわたしは理解しています。


そして、その次の

『個人の幸せ追求を生命の実相をよく読んですればよい、肉食も子供たちが好きである
から避ける必要はない、というような論を正統生長の家として述べている。』

というような内容の発言はわたしa hopeはしたことはありません。


このような他人の言葉を正しく引用せず曲解して言い直し、
いかにもその人物がそのような思想の持主であると印象付ける情報操作(?)をなさるのは、
どのようなお方かだいたい想像がつきますが・・・。

5493a hope:2015/06/07(日) 10:27:18 ID:cEpBaIdo

島津さま

島津さまが登場されるとこの掲示板が一気に活気づきますね!

昨晩、島津さまの投稿内容を拝見していて気づいたのですが、
雅春先生が「生命の實相」に青年時代のダメ人間ぶりを包み隠さず暴露されているのは、
小懺悔のためだったのではないか・・・と。

そしてこの小懺悔は、次にきたる大懺悔=「唯神実相」のサトリに到るための、
なくてはならない重要な役割を担っているのではないか・・・と。

そして、そのことをこの「自伝篇」でわたしたちに教えて下さっているのではないでしょうか?


いずれにしても、雅春先生は、本当に偉大なお方ですね!

5494神の子さん:2015/06/07(日) 15:32:29 ID:???
あなたは 【誌友会出禁】 のはずです!

 笑って誤魔化すなよ。

  ・・・・・

 出禁は入室禁止すべきです!!

5495島津綾久(笑):2015/06/07(日) 21:29:03 ID:???

すみませんが残念ながら、私は出禁にはなっておりません(笑)。出禁になってるのは私ではなく、他の方です(笑)ゴメンなさいね、童子サン(笑)


まあ、競馬を頑張って(笑)

なにせ競馬は天皇賞ってのがある位、高貴な競技ですからね。そして、天皇賞なんてタイトルがナイ、下品な種目「野球」なんてものにイソシム、そんな私には関わらない方が、無難ですよ。でもまあ、誌友会くらいは参加させなさいよ(笑)そして、あなたも参加なさいな、童子サン(笑)

5496島津綾久(笑):2015/06/07(日) 21:36:16 ID:???
>>入室禁止にすべきです!!<<

ホント、貴殿は「教団ソックリさん」ですね(笑)反論不能な相手には、発言機会を奪うというワケなんでしょうがそれは、あなたが嫌いな教団と、同じ思考様式ではナイですか?(笑)

まあこれからも、その、教団ソックリさんぶりを遺憾無く発揮され、頑張ってください。期待してます!

5497トキ:2015/06/07(日) 23:18:46 ID:8DPiUf66
 すみません。遅くなりました。

 私の記憶では、島津綾久(笑) 様は入室禁止ではなかったと
思います。

 広くみなさまのご参加をお待ちしております。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5498光明遍照(旧:亀の子):2015/06/08(月) 08:31:27 ID:zJL4ZD5M
5492 : a hope 様へ

合掌、はじめまして。

>亀の子さまって、本流の掲示板でご活躍だった亀の子さまと同一の方でしょうか?


「谷口雅春先生に帰りましょう」の掲示板にも書かせていただきましたが、私、「光明遍照」旧名「亀の子」と、5490の「亀の子」様は、全くの別人です。


私は、トキ様の掲示板への投稿したのは、今日が初めてです。

トキ様、この場をお借りすることを、お許し下さい。

一度、別な掲示板で、トキ様の批判したこともあり、こちらへの投稿は、気兼ねしておりました。

今年になってから、心境の変化と環境の変化で「光明遍照」というHNで投稿するようになりましたが、今は、真理の勉強の方に力を入れており、投稿は控えております。

まして、他の人の文章をまるまる転載したり、初めて投稿する掲示板で、挨拶を欠くような礼儀知らずではありません。

「a hope」様の純粋な信仰心には、いつも心から尊敬しております。

5490の「亀の子」様の意図は、分かりませんが、私、「光明遍照」旧名「亀の子」とは、一切、関係ありませんので、ご承知おきください。これが私のこちらでの、最初で、最後の投稿となります。

これからも、今まで通りご活躍下さい。


再拝

5499トキ:2015/06/08(月) 09:31:36 ID:p8hPQ/zE
>>5948

光明遍照(旧:亀の子)  様

 ご投稿、ありがとうございました。詳細な事情をご説明くださり、
恐縮いたします。ご足労をおかけして申し訳ありません。

 経過がよくわかり、助かりました。感謝申し上げます。

今後とも、機会があればご投稿をお待ちしております。
益々のご発展をお祈り申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5500a hope:2015/06/08(月) 10:50:41 ID:cEpBaIdo

>>5498 光明遍照さま

お返事ありがとうございます。 
やはり、あの「亀の子」さまは違うお方だったのですね。

また、わたしへのあたたかい励ましのお言葉をいただきとてもうれしいです!

光明遍照(亀の子)さまのご投稿は、論理的でわかり易く、学ばせていただくことが多いです。
そして、「生長の家」を心から愛されているのがよく伝わってきます。

ときどきであっても、光明遍照さまのようなお方が、わたしの投稿を読んでくださっているのだと思うと、
アホの a hope はますます張り切ってしまいます!(^^)!

今は、真理のお勉強に力を入れていらっしゃるとのことですが素晴らしいですね!

このweb誌友会は真理のお勉強が中心です。

トキさまもおっしゃていますが、最初で最後の投稿などと、寂しいことをおっしゃらずに、
また、いつでもご気軽にご投稿いただけるとありがたいです。


どうぞこれからも、アホの a hope をあたたかく見守ってください。

感謝 合掌。

5501神の子さん:2015/06/08(月) 12:44:45 ID:???

 へぇ〜

 取り決めたことを勝手に破るのが生長の家なのですか!?

 復興Gさんに同意して トキ管理人が出禁を申し渡しています!

 たしかに、あなたの尊敬する総裁は印税をネコババして裁判しましたが

 だからといって、簡単に約束事を破っていいとは思いません。

5502島津綾久(笑):2015/06/08(月) 16:03:05 ID:???

競馬をヤリ過ぎるとやはり、廃人になる?(笑)脳が?(笑)

5503島津綾久(笑):2015/06/08(月) 16:05:26 ID:???


でもね、童子サン・・・・・・あなたみたいなダメ人間だって、生きていていいんです(笑)一緒に読もうじゃないか、19巻。

すっとこどっこいな童子サンですが生きていていい・・・そのことがよくわかる巻ですよ。

5504トキ:2015/06/09(火) 09:35:50 ID:oRATfjKo
合掌 ありがとうございます

みなさん、誌友会に戻りましょう。

5505a hope:2015/06/11(木) 08:49:49 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p24 



ニセ物の自由、わがままな自由を本物の人格の自由だと考えていた自分であったからこそ、教師を議論でいじめたり、長上に反抗したりすることが自由の発露だと思っていたわたしは、自然の勢いとして、周囲と衝突し、周囲によってしばられている窮屈な自分を見出さずにはいられなかった。

人間を肉体であると考える限り、完全なる自由は環境にありえない。
完全なる自由なき環境おかれた「自由を欲する人間」は苦しむほかはない。
わたしは別に常識で言えば苦しい環境には置かれていないのに、なんとなく人生がくるしくなり、生きていることが味気なくなり、さりとて自殺する気持ちにもならず、なぜ、「人間は生まれて来たのであるか」などということを思索するようになっていた。

5506a hope:2015/06/11(木) 08:51:09 ID:cEpBaIdo

>>5505 a hope 所感)

人間であれば、誰であっても思春期〜青年時代においては、親から自立しようという本能にも促されて、
「自由を欲する人間」になるのではないでしょうか?

よく、生意気な青年のことを、「くだもの」に例えて、「まだまだ青いな〜」と大人の人が表現しますが、
雅春先生も例外ではなかったのですね!

<<わたしは別に常識で言えば苦しい環境には置かれていないのに、なんとなく人生がくるしくなり、生きていることが味気なくなり、さりとて自殺する気持ちにもならず、なぜ、「人間は生まれて来たのであるか」などということを思索するようになっていた。>>

わたし自身も、この雅春青年と同じように生きずらい人生に悩みながら青年時代を過ごしていたような気がします。

おかげさまで、今は・・・程よく熟しておりますが・・・(笑)

みなさんの青年時代はどのようでしか?

5507a hope:2015/06/12(金) 09:37:34 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p27 



大本教の筆先に「我(が)のあるみたまが、我がなくなりて初めて神の本当の御用ができるものである。始めから我のないようなみたまは弱くて役に立たぬ」というような意味のことが書いてある箇所があるが、その真偽はさておき、わたしはずいぶん「我(が)」
の強い、敗けず嫌いの子供であった。

5508a hope:2015/06/12(金) 09:38:32 ID:cEpBaIdo

>>5507 a hope所感)

この大本教の筆先にうたわれている「我(が)」というのは、現象生活で発揮される「偽我」のことだと思いますが、
「我(が)」の強い人間は良いことであれ、悪いことであれ大きな事をする力があるわけですから、
もともとそのような力のある人間が「偽我」をなくして「真我」のみを出してくれば、
神業のような善行が可能になるのかもしれません。

ですが、そのように「我」の強い人間が現象世界で生きていると、
特に日本のように「長い物に巻かれ」ていれば無難なような社会環境に生きていると、
「出る杭は打たれる」ということが度々起こるのだと思います。

この第19巻を拝読していると、雅春先生の青年時代も散々ですものね。

しかし、打たれても打たれても、我の強い人間はその「我」を自分では押えきれないわけですから、
結果として、なにか大きな事をしでかしてしまうのだと思います。

その大きな事が悪事であれば犯罪につながるかもしれませんし、善事であれば人類救済につながるのかもしれません。

雅春先生は、本来もって生まれた「我」の強さを「唯神実相」のお悟りを得ることで人類光明化運動を展開されました。

わたしも、「我」は強い方ですから、その「我」の強さを良い方に生かしていきたいと思っています。

5509a hope:2015/06/12(金) 09:45:08 ID:cEpBaIdo
>>5508 訂正

誤)雅春先生は、本来もって生まれた「我」の強さを「唯神実相」のお悟りを得ることで人類光明化運動を展開されました。

正)雅春先生は、本来もって生まれた「我」の強さと「唯神実相」のお悟りで人類光明化運動を展開されました。

5510a hope:2015/06/14(日) 14:07:45 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p29 7行目〜

中学で先生から「お前は虚無党だ」と叱られたころのこと、同級生たちが集まって編集していた回覧雑誌に『鶴声(かくせい)』というのがあった。

わたしはその回覧雑誌に「なぜ人間は親孝行せねばならぬか」というような題で親不孝論を書いた。

すると、盛んに同級生から駁論が送られて来たから誌上でさかんに論戦したものである。

わたしはそのころ、人生を楽しいと思っていなかった。

わたしの立論は、すべて唯物的であった。

生命そのものの無限向上ということを認めないで、ただ生命を現世だけ在するものと観、その現世を苦しいものと感じているので、なんのために生まれたのか、生まれることに動機を与えた父母というものこそ呪うべきだというような見地から、親不孝論をとうとうと述べているのであった。・・・

5511a hope:2015/06/14(日) 14:09:10 ID:cEpBaIdo

>>5510 a hope所感)

後に「大調和の神示」を唱えられた雅春先生からは、信じられないような唯物的な思想を若かりし頃の雅春先生はお持ちだったのですね・・・(◎_◎;)

この世に生まれてきても、本当の幸福感を感ずることができないまま人生を生きていると、
両親を恨んだり、社会を恨んだりしてしまうのは当然のなりゆきなのかもしれません。

5512トキ:2015/06/14(日) 19:43:18 ID:BMShStuI
 大正時代や昭和の初めは、左翼運動が盛んになった時期で、インテリが社会主義や共産主義
にかぶれた時代でした。今から考えると、どうしてあんなバカな考えにみんな取り憑かれたの
か不思議ですが、そういう時代だったのですね。

5513a hope:2015/06/16(火) 10:39:05 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p34 



早稲田の文科に這入ったころ、わたしは十九歳であった。

姉崎正治博士のショーペンハウエルの『意志と現象としての世界』を読んで大いに心を動かされた。

この世界最大の厭世哲学は苦しみが人生の正味で楽しみは虚仮不実の存在であるということを、豊富な例証をあげて説明していた。

その哲学はまことに当時の自然派文学論を証明しているようにみえた。

人生は苦しいのが本体だ!

ますます私の人生観はこういうふうに傾いていったのであった。


早稲田の英語のセッションの講義を片上伸氏から聞いたが、そのセッションの中にウィリアム・ジェイムズ教授の「人生観は人の肝臓のいかんにある」という論文があった。

〝Liver〝 という字を「肝臓」と「生活者それ自身」という意味の両方の意味にかけてあるのであって、結局、厭世的人生観を抱くようになるのと、楽天的人生観を抱くようになるのとは、生活者それ自身の肝臓(血液、健康、元気)いかんにあるので、光明方面を見る人には楽天的人生観が抱かれるし、暗黒方面を見る人には厭世的人生観が起ってくるようなことが書いてあった。

そのころ別の方面から、ショーペンハウエルが厭世哲学を組み立てたのは彼は常に胃病にくるしめられていたからだったと聞いた。

厭世的人生観を抱いている者が胃病にくるしめられるのは当然である。

心が常に暗黒方面を見ているときは、その心の影として血液の循環は不活発になり、胃の腑の活動が鈍って胃病になるのは当然である。

もし今の私がショーペンハウエルに遇ったなら、彼の慢性胃病を治しておのずから彼の哲学的天才をして曠世(こうせい)の大楽哲学を組立させてやっただろうに、惜しいことをしたと思う。

5514a hope:2015/06/16(火) 10:43:36 ID:cEpBaIdo

>>5513 a hope所感)

ここで出てくる、ショーペンハウエルは、「生命の實相」第13巻や15巻でも学びましたが、
その世界観は「ニセモノの我」と「本物の我」を区別せず、どちらも同じ大生命(盲目的意志)の働きであると見る不完全な一元的唯心世界観で、
人間がそのような世界観に立っていると、不完全な世界を心に予想してしまうために、
「念の具象化の法則」により現象世界に病気や不幸等の不完全が顕れてきてしまうというものでした。

ちょっとショーペンハウエルの思想が具体的にはどんなものだったのか知りたくなったので、
Web検索してみました。

以下、「--ショーペンハウアー名言集--」 より抜粋

・医者は人間を弱いもの、弁護士は人間を悪いもの、牧師は人間を愚かなものとみる。
―「パレルカ-ウント-パラリポメナ」―
 
・我々の肉体が衣服に包まれているように、われわれの精神は虚偽に包まれている。
―「幸福のためのアフォリスメン」―
 
・一般に、男性のあいだでは愚かで無知な男が、
女性のあいだでは醜い女が愛され、ちやほやされる。
―「幸福のためのアフォリスメン」―
 
・われわれの人生の場景は粗いモザイクの絵に似ている。
この絵を美しいと見るためには、それから遠く離れている必要がある。
間近にいてはそれは何の印象も与えない。
―「自殺について」―

http://kakugen.aikotoba.jp/Schopenhauer.htm

この名言集の言葉を読んでいると、
たしかに、ショーペンハウエルの思想は、人生を皮肉ったようなマイナス思考で、
読んでいて面白いですが、元気に前向きに生きて行こうという気にはなれません。


それにしても、

<<もし今の私がショーペンハウエルに遇ったなら、彼の慢性胃病を治しておのずから彼の哲学的天才をして曠世(こうせい)の大楽哲学を組立させてやっただろうに、惜しいことをしたと思う。>>

という、雅春先生の自信満々のご発言には驚きました(≧◇≦)

「生命の実相」哲学(谷口雅春哲学)は完全にショーペンハウエルの哲学を超越してますものね!


あ〜「生命の實相」に出会えてよかった(*´▽`*)
わたしたちって、本当に幸せですね!

5515島津綾久:2015/06/16(火) 16:19:08 ID:???
 いやホント、「神なんていない!」ですよね・・・・・・神様なんて、いるワケがナイ。若き日にはそう、思うものですよね。そしてこれは、雅春先生も例外ではなかったんでしょう。(実際に後日、雅春先生は『神を審判く』を執筆なさいますよね)ショーペンハウエルなんてそんな、「神なんかいない!」に論理的整合性を与える書です。読めばコロッと、傾倒しますよ。だけども・・・・・我々はショーペンハウエルや、若き日の雅春先生を笑えるでしょうか。

 いやだって、あんなに聖典を読んでいても「悪はあるんじゃないか」・・・・・そんな考えが頭をもたげます。「和解なんて不要!」と主張される、生長の家信徒までおられますからなかなか(笑)なかなかスッとはいかないんでしょうね。

 現象ダケが実在だと思えば「和解なんてできるか!」ですし「悪はある!」になります。生長の家信徒(しかも信仰歴の長い人)でもそうなるんですから、若き日の雅春先生を我々は、笑えないと思います。そして我々ですが「静かに聖典を読むべき」なんでしょうね。いや、だって、信仰歴9年にならんとする私すらが今日、経営の行く先を心配して胃が痛くなっておりますからね(笑)。がんばろう、オレ(笑)。



追伸

 たださすがに、「和解は不要!」とまでは思わないけど(笑)どんな状況とも和解することでしか、解決策はナイですよね。榎本先生風に云えば現象悪ですが「これすらも光として礼拝するような生き方」ですね・・・・

5516a hope:2015/06/17(水) 09:13:19 ID:cEpBaIdo

>>5515 島津さま

「人生は魂を磨く学校である」

この言葉の意味が本当にわかるようになったのは、つい最近だったような気がします。

わたしも若いときは自分の人生を恨んだり、人をうらやんだり、神を否定したりもしましたが、
今は、すべて現象で起きる困難は「神さまがわたしを信頼して与えてくださっている試練」だと思えるようになりました。

島津さまは、会社を経営されていますが、会社経営を経験したことのないわたしでも、
その胃が痛くなるようなご苦労がわかるような気がします。

島津さまは、ご自分のご家族だけでなく、従業員やそのご家族または取引先の会社の従業員にまで、
責任を持たれて、会社を経営されているのですものね。
そういうことは、それなりの「実力」がある方にしか神さまが与えない試練だと思います。

自分の無限力を信じて、がんばってくださいね。


ところで、

<<榎本先生風に云えば現象悪ですが「これすらも光として礼拝するような生き方」ですね・・・・>>

わたしは、礼拝するとは、感謝すると同じ意味だと思っています。

以前は、うのはなさまと「訊け」さまの掲示板での御関係は険悪であると思っていましたが、
今は、全く別の感じ方をするようになってきました。

他の皆さんがお二人のことをどう見られているかはわかりませんが、
わたしは、お二人が仲良くケンカごっこをしてこの掲示板を盛り上げてくださっているように思えるのです。


ですから、トキさまや他の投稿者のみなさまにはもちろんですが、
「訊け」さまにもうのはなさまにもいつも心から感謝しています。

わたしはこの掲示板を通して、みなさんと繋がっていると思えるからこそ、
「生命の實相」の勉強が続けられるのです。

島津さま、お仕事もお忙しいかと思いますが、これからもこのweb誌友会にどんどん参加されて、
「生命の實相」の素晴らしさを、全世界にアピールしてくださいね。

どうぞ、よろしくお願いいたします。合掌。

5517島津綾久:2015/06/17(水) 15:44:21 ID:???

>>>そういうことは、それなりの「実力」がある方にしか神さまが与えない試練だと思います。<<<


 ありがとうございます!いや、でも、ホント・・・・・たいへんです(笑)。文句ばかり言われますからね、社長業は(笑)。現象的には毎日が、最悪です。まあでも、文句を言われてナンボな世界でもあるんで、がんばってます。田中角栄さんの本にもあったんですが、「仕事をするとは、文句を言われる事」と(笑)で、文句も言われないヤツは「仕事をしていない」と(雅春先生の御教えとはやや、違うが紹介)。

 でも、試練ですけれども、雅春先生がおられなかったらどうなっていたことやら・・・・確実に潰されておりますね。雅春先生がおられなかったら試練ですが、私は参っていたと思います。事業運営って本当に「予測できない事ばかり起こる」んです。カネは予定通りに入ってきません。けど、税務署は確実に来ます(笑)。税務署にカネを納めたら今度は、社員に払う給与が出ません(笑)リーマンショックの頃はそんな感じでしたが、そんな世界で生きてますと、雅春先生の光明思想にある「自壊作用」って概念が本当に素晴らしい・・・・これは、役に立ちます。悪いことが起こって来てもそれは「善いことの始めである」です。(もっと進めば「悪いことなんて起こってない!善一元の世界!」ですが、ここはこの方便で)この思想がなかったらとっくに、自殺してますね(笑)。

 ・・・ところで本日は、雅春先生の御命日ですね。以下の動画を拝聴しますと本当に、素晴らしい方と出逢えた幸運に感謝、したくなります。

<静聴>谷口雅春先生動画ご講話
https://www.youtube.com/watch?v=CxwERhp344s

5518島津綾久:2015/06/18(木) 16:37:20 ID:???
>>トキ理事長
>>a hopeさん


 出来立てホヤホヤ(?)の体験談を披露致します。スゲーことが、起こったんデス。新規取引は困難、そう思われていた中堅大手某社からの取引を当社が、ゲットしました。ヤッター!今回は、そんなお話です。
 ・・・・さて、何から語るべきか迷いますが今回の取引、「どんだけ難易度が高かった?」という点を先ずお伝えして、次に「私は何をやったのか」という点、これを述べたと思います。そうすればまあ、衝撃度が伝わるとも思いますしそして、結論としてはこの話ですが、「雅春先生が仰る通りにヤッてれば大丈夫」てな・・・・・そんな話になろうかと思います。オモシロイので少々、お付き合いください。

<この会社との「新規取引」の難易度>

 ざっと箇条書きにします。今回取引をゲットしたA社ですが、こんな会社なのでありました・・・・・現象的には、そして、人間知恵的には「ムリ」な先です。所謂「高嶺の花」ってヤツですね、見てみましょう・・・・

● ここ一社だけで「膨大な収益がもたらされる」・・・・・ここ1社だけで当社社員2名分の人件費、賄えてしまう(!)一社ダケで、ですよ・・・・・
● (しかし)過去30年間、取引先を変えていない。当社と競合する他社が長年独占してた。
● 私は一度しか訪問出来てイナイ。有望な見込み客だったとは云え、何か、訪問をさせてくれないムードがあった。(私の得意技は「飛び込み営業」なんですが、そんな私すらも躊躇させる、そんなムードがA社にはあった。まあ「来てもムダよ」的なムードと云いますか)
● 社員は専門家揃い。付け焼刃の知識では説得不能。
● 女子社員がいない。私の得意技である「女子社員と仲良くなってからの攻略」法、使えない。

 てな、感じなのです。もう、現象的には「あ〜あ」な先、それがA社でした。「あ〜あ、A社と取引を開始できれば経営は、かなり安定するんだけどもなあ」てな感じです。あのファンが私になびけば今度の総選挙、私もトップになれるのに・・・・・AKB48の子と似た心境になりましょうか。まあ、そんな先だったんです。あ、まったくの余談ですがAKB48の指原チャン、なんで1位になったかと云うと「中国人の熱烈ファンが投票用紙を爆買してるから」らしいですね。まあ私にとっての中国人がこの、A社だと思ってください。そんな感じで、先に進みます・・・・

 さて、ここと取引出来れば「当社人件費の2名分をA社取引だけで賄える」(!)そんな有望見込み客だったんですが、私はいったい何をしたでしょうか。それを以下に紹介します。

(つづく)

5519島津綾久:2015/06/18(木) 16:41:07 ID:???


<私は何をしたか?>

 飛び込み営業(得意技ですw)を反復したでしょうか・・・・・違います。既述の通りこのA社ですが、何度も訪問した位で取引出来るほど、甘くはなかったんです。じゃ、担当者をキャバクラに連れ出したでしょうか・・・・これも違います。そんな事したら逆に、人格を疑われたかもしれません(真面目な方が多いんですw私と違って)賄賂を贈った?それも違いますし、社長を相手に心のコモッた手紙を送ったも、違います。じゃ、何をしたのか・・・・・・・

 ・・・・ところでこれ、事業経営の話です。その事をお忘れなく。

 そして事業経営の問題だと云うのに社長の私ですが、

● 祈った

 なんです・・・・・・・(笑)いやこれ、経営者仲間に話しても、信じてもらえません(笑)なのでココでしか紹介、できないんですが「ホントにそれだけ」なんです。私がやったこと、それは、「A社との大調和」でした。具体的に祈りの言葉や、「よく読んでいた雅春先生の御文章」を紹介しますが、先ず、以下の雅春先生の御文章を拝読します。それは、

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

「神へ委ねよ。自分の信念や精神力がそれを実現するとは思わずに、神が既に実現したまえりと観じて感謝せよ。」

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 に、なります。有名な御文章ですよね、これ・・・・・・・ところで。

 ところで、なんですが「でもなかなかそうはならない」(笑)そうは、思いませんか?どうですか?いや、神が、神がですよ、既に・・・・・・「既にA社との取引を開始した」とはなかなか、思えないですよね(笑)

 どうですか。

 すんなり「そう思えれば」取引ですが、サクッと開始されるハズなんです。でも、デキナイ・・・・・・少なくとも私は、デキナイんです。アホなんであんなに聖典を読んでいても、どうしても現象に、惑わされます。既に取引が開始された、でも「30年も浮気をしない会社だ、ムリ」とか(笑)そんな考えが頭をもたげるワケですね。そんな悲しい凡夫の私なんですが、じゃあ、そんな時にどうしたか、これを次に書きます。この御文章なんですが、

● 中・後半部を特に、力点を置いて拝読した

 に、なります・・・・・どういう意味かと云うと「自分の信念や精神力がそれを実現するとは思わずに、神が既に実現したまえりと観じて感謝せよ」の部分です。ここを繰り返し繰り返し繰り返し・・・・・・・・繰り返し読んだんです。もうホント、「まさに全托」ですね、神さまに。

 「もう、オレ様なんかの知恵や行動力では、攻略不能ナンデス!神さま、貴方の力でお願いします!」

 と。さらには、

 「神さま!貴方に製造責任を問います!」

 とも(笑)

 もう、マジメに(笑)マジメにそう、唱えてました。(*榎本先生曰く「神への製造責任を問う」ですが、「製造責任を問われて大喜びされるのが神だよ」と・・・・ですんで我々はええ、堂々と問うてイイんです、「神の製造責任」w「なんで私はこんなにもスットコドッコイなんですか!?神様、あなたの責任だ!」とw)

 ・・・・ところで大事な点ですが私、現象的には「なんら行動してない」んです(笑)ここが大事な点です。もう一度言いますがこんな事業経営、有り得ないですよ(笑)「ふざけるな!」って言われますってば(笑)日本海海戦で云えばZ旗、上がっててもオカシクない営業先です。なにせ、ココと取引開始できれば「膨大な収益がもたらされるワケ」でして、この1社と取引するダケで当社は「人件費2名分を賄えるワケ」ですからね。なので普通、経営者ならば宗教なんかに逃げない(笑)。でも私は、宗教に逃げました(他経営者から見ればそう映る、そんな話)

 ・・・・そうなんです。「それだけしかヤッてナイ」という。

 そして、それダケしかやってナイのにA社との取引・・・・・開始と云う。

 もう本日、A社部長さんから電話があった時は、感極まって「ぎゃー」と云いましたよ(笑)。もう、それくらいの衝撃でした。

(つづく)

5520島津綾久:2015/06/18(木) 16:41:56 ID:???

 以上、まとめますが、まあ、「雅春先生のおっしゃる通りにやってれば大丈夫」なんです(笑)。「行動してない!祈ってばかりでいいのか!」・・・・・そんな事云う方あらば真顔で「いいんです」と申し上げ、ます(笑)いやだって、迷いの念(=人間知恵)に催されて、ギャースカギャースカ動いていたらたぶん、ダメだったですってば・・・・そんな取引先では、ナイんです。ライバル社はたぶん、これから当社を「なんで?」な目で見ることにナルでしょう。経営戦略だの事業構築・マーケティング論だの、そんな経営書には答えは書いてナイんです。答えが知りたきゃ谷口雅春先生著書の『生命の實相』ですが、これを読むべきです・・・・・いやホント、競合他社は今頃、「なんで?」なクエスチョンマークを多数、灯すことになるでしょうね。(ああこれ、昔の、「雅春先生を知る前」の自分ダ)





5521トキ:2015/06/18(木) 17:50:59 ID:C8zqGSvs
>>5519

 すばらしい体験談をありがとうございます。
他の方々の励みと参考になると思います。
 心から感謝申し上げます。

よかったですね。ますますのご繁栄をお祈りしています。

5522a hope:2015/06/19(金) 00:25:04 ID:cEpBaIdo

>>5519 5520 島津さま

よい取引が成立してよかったですね!


それにしても「祈り」の力はすごいですね・・・。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

「神へ委ねよ。自分の信念や精神力がそれを実現するとは思わずに、神が既に実現したまえりと観じて感謝せよ。」

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


「信ずる者は救われる」という言葉がありますが、わたしたち「生長の家の教え」を信仰するものは、
谷口雅春先生の言葉を信じ、祈って入れば必ず救われるのですよね!


実は、わたしは今日、仕事の人間関係でちょっと嫌な事があり、ちょっと落ち込んでいましたが、
島津さまの体験談を拝見して「祈り」の大切さを再確認できました。

さっそく「祈り」を実践します。

島津さまのすばらしい体験談に、心より感謝します。合掌。

5523a hope:2015/06/19(金) 09:49:46 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p42 後から 5行目〜

肉体的衝動を全然昇華したような恋――そういう恋愛を人生に実現してみたら、それは美しい生活ではあるまいか。

本当に恋していても恋していなくとも、そんなことはどうでもいい。

恋していると思い、思わせ、ただそうした恋愛の昇華した美感を思い楽しむだけでこそ、そこに美しい人生が展開するのではないか。

小鳥が性交するのはあまり美しいとはいえない。

しかし、小鳥が雌を招(よ)ぶために囀(さえず)るのは美しいのである。

また雌(めす)に招ばれてチチと応えて近づいてくる有様は美感である。

性交という実感に到るまでのチチと互いに呼び交わす音は、それは恋愛の感情のふるえの表現であるから美しいのである。

花が美しいのも恋愛の表現である。

人間も恋愛の感情をふるわすということが美しいのである。

文学にもいろいろの恋愛が取り扱われており、それらの恋愛が美しく感じられるのは、恋愛するときに人間がふるわす感情の振動――感情の音楽――それが美しいからではないか。

・・・略・・・

そんな恋愛観をもっていたころのわたしにとっては、わたしに逢うどんな娘も、ただ一つの画布(キャンパス)に見えるにすぎなかった。・・・

5524a hope:2015/06/19(金) 09:51:48 ID:cEpBaIdo

>>5523 a hope所感)

p38の「芸術至上主義時代」からは、いよいよ青年雅春先生の女性遍歴が始まります。

上記した部分のような恋愛観をもったインテリ青年(雅春先生)は、自身の「恋愛?」をひとつの芸術作品に仕上げようと試みて、
おもいきり失敗してしまいます(;´∀`)。

ちょっと信じられないような間抜けぶりを発揮される雅春先生ですが、なんかとても人間らしくてわたしは親近感がもてました。

5525島津綾久・・・・:2015/06/19(金) 09:58:11 ID:???

>>>自身の「恋愛?」をひとつの芸術作品に仕上げようと試みて、
おもいきり失敗してしまいます(;´∀`)。<<<


 そうそう(笑)ここからが、ホントにおもしろい(笑)カッコイイこと言ってんのにスベっちゃう・・・・・・・・私みたいな雅春先生が登場しますよ(笑)乞うご期待!てな感じですよね(笑)

5526a hope:2015/06/21(日) 21:53:38 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p131

転身



そのころ、突然、松江市の岡田建文という人から、その編集している週刊新聞ふうな雑誌『彗星』というのを送ってきた。

それには丹波綾部に皇道大本というのがあって、魂返しの鎮魂法で、松江の医師井上留五郎氏が、すでに縡(こと)切れていた病人を蘇生(よみがえ)らした話が書いてあった。

爾来、岡田建文氏からは『彗星』を毎号送って来た。

それにはいろいろの心霊療法や皇道大本の奇跡のことが書いてあったので、わたしはわたしの研究した立場から、多数の心霊療法の方式を説明し、その方式が有効に作用するの所以(ゆえん)の共通の原理を指示し、すべては三界唯心の理によってそれが可能であるという結論を与えて、皇道大本の奇跡も、もしそれが実際ならば同一原理によって起こるものであるという批評を与えた原稿を投書した。

岡田建文氏からは折り返し返事が来た。

それには、「すべての心霊療法は貴下の解説とおりの原理でできるのであるが、皇道大本ばかりは別物である。一度綾部に到ってその実際を見聞せられよ」と書いてあった。

それと共に送ってきた雑誌『彗星』には、皇道大本の世界建て替え説が紹介されてあった。

それにはいっさいの罪人と罪業が神力によって焼き滅ぼされ、清浄無垢(じょうじょうむく)の新天新地が創造される時期がいよいよ到来した。

その時期というのはここ数年間だという実に目睫(もくしょう)の間に迫ってくる福音であった。

「新天新地がいよいよ来るのだ!」

当時罪悪感に捉われながら、罪業を消去する道を求めて焦慮していたわたしにとっては、いっさいの罪人と罪業が焼き滅ぼされ清浄無垢の新天新地が創造される世界建て替えの福音は、心を打たずにはいなかった。

それはわたしにとって実に喜ばしい福音であると同時に恐怖すべき福音であった。


わたしは希望と、恐怖と、好奇心とで、ある朝思い切って綾部行きの汽車に乗ったのであった。・・・

5527a hope:2015/06/21(日) 21:55:08 ID:cEpBaIdo

>>5526 a hope所感)

「自伝篇」の青年雅春先生の物語は、17歳の少女久子との同棲生活を綴った「憐憫愛への転向」から、
故郷神戸での「工場生活時代」経て「転向」に進みます。

雅春先生は、そこでいよいよ『大本教』に出会い、「神霊の世界」へ足を踏み入れます。

5528a hope:2015/06/21(日) 22:58:48 ID:cEpBaIdo
>>5527 訂正

「工場生活時代」経て【「転向」】に進みます。→「工場生活時代」経て【「転身」】に進みます。

5529島津綾久・・・・:2015/06/22(月) 16:37:43 ID:???



 大本教への期待と挫折・・・・・ここも、いいですよね。雅春先生ですが、期待をもたれてはその「期待したものから裏切られる」んですよね。そんな経験を多数なさっておられます。「嗚呼!神サマ!あんたは非道い方だ!」・・・・・(そんな言い方はしてナイけど)そんな感じにまで追い詰められて、『神を審判(さば)く』までも執筆なさいます。仕舞いには、「心が変わらないままで救ってくれる神が欲しい!」、そんな慟哭にも似た感情を発露される、雅春先生です。

 ここからも、非常におもしろいですよね。いやホント、人は期待したものに裏切られる、そんな経験は多々あるものです。雅春先生とて、例外ではなかったのでしょう。そしてその、挫折経験という迷いだって、光だったのですよね・・・・・・



5530a hope:2015/06/23(火) 23:52:13 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p136 後から6行目〜

肉眼に見える個々の生命たちと、宇宙普遍の大生命と――今まではこれだけしかわたしの認識の世界にはなかった。

ところが今わたしは、宇宙普遍の大生命と肉眼に見える個々の生命のほかに、まだ何か意志をもった生物(いきもの)が存在して、それが人形遣いが操り人形を使うようにわれわれを操っているということを知ったのであった。

それは医学者が黴菌を恐怖したように、皇道大本の修行者たちは憑霊というものを恐怖していた。

修行者たちは狐。狸、天狗などの悪憑依霊が憑いているがごとき現象を見ると、それらの悪憑依霊から逃れたい一心になって心を浄め身を浄めるのであった。


皇道大本で鎮魂帰神の方法によって憑依霊の実験を見せる、もう一つの目的は、神というものはそんな宇宙普遍の原理というような空漠たるものではなくて、人格あり、意志あり、われわれに対してある強制力を以て『旧約聖書』のエホバ神のごとき状態で迫ってくるものだということを知らせるためであった。

というのは、その強制力によっていよいよこの地上からいっさいの悪人、いっさいの罪人が滅ばされてしまって、清浄無垢な世界が来るということを天下に呼号するのがこの宗教であったからである。

5531a hope:2015/06/23(火) 23:57:32 ID:cEpBaIdo

>>5530 a hope所感)

この後、大本教の教祖が出口直子という女性であり、その女性が54歳の時、
突然神憑状態になって世界の建て替えが来ることを大声でどなりだしたのが最初であると説明されています。

「さんぜん世界一度ひらく梅の花、艮(うしとら)の金神(こんじん)の世になったぞよ。
根に花さくは虎耳草(ゆきのした)、上も下も花咲かねばこの世は治まらぬぞよ。
金(きん)は世の滅びの因(もと)であるぞよ。
艮(うしとら)の金神表(おもて)にあらわれて、世をたてかえて心安き世に致すぞよ。
今までは悪の世で、強い者勝の世であったなれどこれから先は悪では一寸も行けぬ世に致すから早く改心致されよ。
改心致さねば地震、雷、火の雨降らして悪の霊(みたま)を平らげるぞよ。」


上に書き出した文章は、その出口直子教祖の叫び出したという「宣言」をおそらく違う人物が解釈し、漢字混じりの文章に直したものですが、
もし今の時代に一人の普通のおばさんが突然神懸かり状態になり、このような「世界の建て替え宣言」を叫び出したらどうなるのでしょうか?

おそらく誰にも相手にされないか、もしくは精神病院へ入れられてしまうかもしれません。

当時はテレビもパソコンもおそらく電話もないような時代で、情報手段と言えば口頭か手紙等の文章によるしかない時代だったのですよね。

だからこそ、この大本教祖の数々の宣言も「筆先」という形にして、少しずつ公開することでより信憑性をもたせることができ、
結果、多くの人々の思想に影響を与えたのではないかと思われます。

のちに谷口雅春先生はこの筆先の内容を違う意味に解釈されていますが、
当時の雅春青年は、この「世界建て替え宣言」に胸を打たれずにはいられなかったと書かれています。

そして、大本教のある綾部に居座り、大本教の出版物の編集の仕事に就かれます。

5532a hope:2015/06/24(水) 08:04:45 ID:cEpBaIdo

>>5529島津さま

<<人は期待したものに裏切られる、そんな経験は多々あるものです。雅春先生とて、例外ではなかったのでしょう。
そしてその、挫折経験という迷いだって、光だったのですよね・・・・・・>>

素晴らしい境地ですね!

ですが、わたしは今だに挫折経験を光であるとまでは思えません・・・(-_-;)
できれば、もうこの人生でこれ以上辛い経験はしたくない、というのが本音です。

それに、現実社会で生きているとどうしても人と接しなければなりません。
いろんな人がいるので、時にはわたしも「怒り」等のよからぬ感情を持ってしまいます。

実は、昨晩も自分は仕事をさぼってばかりいるのに、
何か起こるとすぐに責任転嫁する同僚のことがどうしても許せずにいました(+_+)

やっぱりそう言う時は、祈りですか?

島津さまは、そう言う時はどういう祈りをされますか?

5533島津綾久・・・・:2015/06/24(水) 13:23:00 ID:???


>>>実は、昨晩も自分は仕事をさぼってばかりいるのに、
何か起こるとすぐに責任転嫁する同僚のことがどうしても許せずにいました(+_+)<<<


 ああ、「人生あるある」ですよね(笑)人生でよくある事なんですが、経験談を披露しますと2つの点で「ラッキーだと感じること」です。一つ目のラッキーな点は「そんなヤツに出会えたこと」でして、二つ目のラッキーは「そんな奴のこと許せなかったこと」です。その2点に関して、喜ぶべきです。

 なぜと申して、自壊作用です。カタチに現れて、消えてくれたんです。借金(=過去の業)を払い終えた相がその、モヤモヤしたイヤ感ですんで、まあ、良かった良かった!そんな奴に出会えてよかったし、そんな奴を許せずに、モヤモヤできて良かったんです。もう一度言いますが「もう消えた」んですからね。

 ・・・・まあ、私もそんな事、しょっちゅうありますね。少年野球の運営なんかに関わっておりますと「明らかに頭のオカシイ親とかいる」んですね(笑)まあでも、「消えた!消えた!」とか思ってますと、なんか知らんが変わってくるものです。私にばかり雑用を押し付けるイヤなヤツがいたんですが(笑)コイツ(失礼w)もアレです・・・・・消えた消えたで感謝してたら、最近は大人しくなりましたよ。私にヘンなこと、しなくなりました(笑)。バカになって「何でもありがたく受けること」でしょうかね。




追伸

 ・・・・こういうことを書いていると、曳馬野サンが登場なさいます(笑)期待しましょう(笑)「実践できてない!」な書き込みを、お待ちしております(笑)

5534島津綾久・・・・:2015/06/24(水) 14:11:29 ID:???

 ところで野球では、10打席で3本ヒットを打てれば「伝説の好打者」と呼ばれます。そして、普通の国家試験なんかでも合格最低点って6割程度です。国家試験の採点も甘いですが、野球も甘いでしょう?・・・・・・って、なんの話か?「解決策のお話し」です。

 いや、その、「イヤなヤツがいる」「イヤなヤツを許せない自分が不満」に関する話なんですが、以下で何本か解決策らしきものを列記してみます。なかには3本くらい、ヒットするものがあるかもしれません。どうぞ、ご参考まで。


◆ 「イヤなヤツがいる」「イヤなヤツを許せない自分が不満」というイヤ感に関して。

● イヤ感の正体ですが「祖先霊の自己処罰が意識に現れているだけ」です。子孫(貴女)の姿を見たご先祖が、「オレが不甲斐ないばかりに申し訳ない」・・・・・そう、悔やんでいる姿です。それがその、イヤ感の正体です。まあ、「それくらい祖先から愛されている」んですから、そこを確認しましょう。

● また、徳久先生曰くですがその祖先の自己処罰に関し、「祖先霊が守護神と化した際に現れる感情である」と断言なさってます。ですんで、おめでとう!・・・・貴女のご先祖さまは、貴女の守護神と化したのです。「今、守護神となったぞ!」の証拠がその、モロモロのイヤ感なんだと思います。

● 理想の自分とは違う「不足感」かもしれません。それはそれで、おめでとう!みたいです。能力が欠如している、あるいは、愛が欠如している・・・・そう云った不足の感情こそが「神が動き始めた証拠」です。ページ数失念なんですが『生命の實相』33巻随喜篇にそう、ありました。「なにかが足りない、不安の感情こそが神が愛している証拠なのであります」と雅春先生が断言、なさっておられる箇所です。(頁数が判明すればお知らせしましょう)

● そして、(自分もなかなかデキナイ事ですが)基本に帰ることです。藤原敏之先生ならば「アンタ、その肉体をホンモノと取り違えていないかね?」と問われるハズです。イヤなヤツってのはあくまでも、現象なんでして、「中味は天地一切を創造し給うた神」です。マチガイありません。あの、「珍文アラシだって神」なんです(笑)。現象面はスットコドッコイなんですが、あくまでもそれは現象であり、消えゆく姿です。ゲラゲラ笑いながら、礼拝してればイイのかもしれません。「おもしろい人ですね」とか(笑)

● また以下は、光明思想ではなくFBからの情報です。職場でのイヤなヤツ対処法ですが「そいつの名前の下に『どん』を付ける」というものです。例えば宇野さんという同僚がいて、コイツがマジでワケワカンナイとします。そんな際は「宇野さん」と呼ばずに心の中で「宇野どんが」と・・・・・・・・ああ宇野どん、今日もやってるわ(笑)そんな感じです。そんな感じの対処法がFBにあり、私も活用してます。(また「そいつをバカボンのパパだと思い込む」とか、ソイツのセリフの語尾に「〜なーのだ」を付けるとかw紹介されてます。) 


<了>

5535a hope:2015/06/24(水) 21:45:29 ID:cEpBaIdo

>>5533 5534 島津さま

こんなに解決策を出していただけるとは驚きました!


「祖先霊の自己処罰が意識に現れているだけ」というお答えには、
なんだかその仕組みはよくわからないながら、妙に納得しました。

このわたしの「自己嫌悪感」は、わたし自身から出たものではなくて、
わたしの祖先の感情に感応して出ているものなのですね。

ふーん、そう思うと、不思議に気が楽になります。

「生長の家」の先祖供養に関しては、わたしはまだまだ勉強不足なので、
これから、お盆もやってきますので「先祖供養」もしっかり学びたいと思いました。


でも、一番わたしの理性的に納得いくお答えは、<<理想の自分とは違う「不足感」>>かもしれません。

わたしは外見はだいたいクールに保てるのです。
でも、内心は怒り狂ってたりするんですからほんとに情けないです(T_T)。

でもこの「不足感」こそ「神が動き始めた証拠」なのですね。
そして、「なにかが足りない、不安の感情こそが神が愛している証拠なのであります」か・・・。


まあ、自分に対する「不足感」があるからこそ「生長」できるのかもしれませんね・・・。

でもそれってホントにちょっと見方を変えると、わたしを生長させてくれようとしている神さまの「愛」とも取れますものね!

わー、すごいですね!
わたし、すごいこと気づいちゃった!!

島津さまって、ホントは「谷口雅春に訊け」管理人さまですもんね・・・。

やっぱり違うわ・・・ 礼拝 m(__)m

5536島津綾久・・・・:2015/06/25(木) 08:19:06 ID:???


 補足しておきます。そして以下は、自己流解釈でもあります。服部仁朗先生のご解説を自己流に、飛躍させた説なんです。なんですが、間違ってはイナイと思いますんで以下、ご披露します。お題は「神立宇宙銀行」でしてテーマは「不足感の正体」です。

 さて、カネがない(笑)そんな意識が浮上しますよね。まあ、カネがナイでも知恵がナイ、あるいは、愛がナイでも同じことなんですが、いずれにせよこの、「なになにがナイ」ですけれども服部先生・・・・・こんな不足感をどう、ご解説してくださってますでしょう。なんとそれこそ、

 「神さまからのものすごい配慮」

 との事です。意味、わからんでしょ?(笑)

 意味が伝わらないと思いますんで、詳細をダイジェストでお届けしますが「¥がフンダンにあったら困るでしょ?」と、服部先生(笑)「¥ですが、適当な分量があったほうがいい。だって、¥だらけになってご覧よ?家中が¥だらけで人が住めない(笑)」と。
 服部先生は黒板に使うチョークで譬えておられましたが、「チョークだって無限供給されたら適わない(笑)文字を書く分だけの、適当な分量が手のひらにあるのが素晴らしい」と。

 ・・・・何となく意味は、伝わってきたでしょうか。それでは先に進みます。

 さて、結論ですが¥がナイ!等の不足感ですが、「使う分だけ神が与えてくださっておられる」のです。で、残りは「全部、神さまが預かってくださっておられる」という・・・・・それが、神立宇宙銀行なんですが、まあ、我々が普段の生活に困らない分量を神は、甚々のご配慮をもって与えてくださっておられるという。そして、困ったときはポンと渡す変わりに必要となるまでは、「宇宙銀行の口座に置いてくださっておられる」という・・・・・そんなご主張です。

 まとめればその、「不足感」ですが、「アルから発生する」わけでしてそして、不足感を覚えるくらいに神は「深遠な智慧を以て必要なときにお与えになられようとされてイル」ってことです。お与えになるのは確実なんですが「必要な時期までは(保管料0円で)預かってくれて」おられるのです。クドイですがなにせ、¥もなにもガンッ!と与えられたらまあ・・・・・・現象界での生活に支障が出ますもんね(笑)。チョークがガンッ!と無限供給されたら文字、書けないのと同じですね(笑)





追伸

 「愛の不足は違うんじゃ」になりますか、ここまで来ると・・・・愛に関しては「いくらフンダンにあっても現象界の生活、支障はナイじゃないか」と。その答えを書けば「自壊作用デス」になります。神立宇宙銀行ですが、愛を動かしつつあるんじゃないですかね(笑)愛の口座引き落としですが現象界へ向けて既に、振込に入ったんじゃないでしょうか。振込手続きに入った証拠がその、今回の一連の嫌感なんじゃないでしょうか。

5537a hope:2015/06/25(木) 08:24:51 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

昨晩、島津さまのおかげで、「神の愛」に気づいたわたしですが、
今朝はまた、素晴らしい神想観ができたのでご報告します。

実修したのは、「神を讃える神想観」です。

実は、数日前からから家族の一人が風邪気味で、
今朝もベッドの中で激しく咳き込んでいたのです。

神想観中もその咳き込みが聞こえていたのですが、
祈りの言葉の「ああ、神の無限の生かす力、我に流れ入るかな」ところで、
「ああ、神の無限の生かす力(家族の名前)に流れ入るかな」としぜんに心で唱えている自分がいました。

そしたら、それと同時に、その咳き込みが突然おさまってしまったので驚きました!

朝食もたくさん食べてくれて、もはや風邪を引いていたことなど忘れてしまったようです!(^^)!

「神の愛」に気づいて、無心になることさえできれば、奇跡は簡単に起こせるのだと思います。

だって、わたしが奇蹟を起こすのではなくて、「神の無限の生かす力」が起こすんですものね!

谷口雅春先生の神想観は素晴らしいです。

みなさまも、その素晴らしさ、どうぞ思い出してくださいね。

5538a hope:2015/06/25(木) 08:46:09 ID:cEpBaIdo

>>5536島津さま

久しぶりに、「訊け」さま(島津さま)と同時書き込みできてうれしいです!
同時性が起こるのは、心が繋がっている証拠ですから・・・♡(笑)

「不足感」に関する補足、ありがとうございます。
このご説明もとてもよく理解できました。

<<愛の口座引き落としですが現象界へ向けて既に、振込に入ったんじゃないでしょうか。
振込手続きに入った証拠がその、今回の一連の嫌感なんじゃないでしょうか。>>

本当にそんな気がしてきましたよ!

今日、これから仕事に行きますが、あの同僚がどんな風に変わっているか楽しみです(*^▽^*)

「訊け」さまとは生長の家の教えの素晴らしさを心から共感できるので本当にありがたいです。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。合掌。

5539神の子さん:2015/06/25(木) 10:22:01 ID:4Iq7s.Ws
ホープさんから♡
訊け君良かったね。

5540a hope:2015/06/26(金) 09:29:47 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p142



ある冬の朝、わたしが一週間の断食を終わって食堂へいったとき、そこには大きな一斗釜に温かい芋粥が炊かれてあった。

そこは地方から出て来て、神様の御用に全身を捧げている全然無欲な奉仕の人たちが食事をする食堂であった。

杓子が二つしかなかったので、自分の順番が来るまで待っていた。

その間に見ていると、皆の者は争うようにして、粥の中の薩摩芋を択(よ)ってはわれがちに自分の茶碗の中へよそうてゆくのであった。

そしてわたしの順番の廻ってきたときにはもう薩摩芋は一片もないようになっているのだった。

その有様を見ていることはあさましかった。

そしてそれをあさましいと感ずるわたし自身もあさましかった。

世の中が神力によって大改造され、いっさいの悪人が焼き滅ぼされる時期がここ数年間に迫っていると信じ、その日のために身も心も浄めようとして神務に奉仕している人たちが、釜の中の薩摩芋の一片を争おうとしているのだった。

しかしそれが人間だったのだ。

人間の現実はかくのごとくあさましいものだったのだ。

どんなに最後の審判の日を眼の前に差しつけられて、改心しないと焼き滅ぼすぞと威脅(おど)されても善くなれないのが人間ではなかろうか。

わたしはますます憂鬱になり、淋しくなり、悲しくなり、神を信じていてわたしは喜べるどころか、いっそう悩ましくなるのであった。

5541a hope:2015/06/26(金) 09:30:58 ID:cEpBaIdo

>>5540 a hope所感)

この芋粥のくだりからは、雅春青年がどれだけ人間の現実に絶望されているかがよく伝わってきます。

まさに>>5529で島津さまがおっしゃっているような、雅春青年の悲痛な叫びが聞こえてくるようです。

そんな状態でも、雅春青年は女性にモテていらっしゃいます。

40歳を超えて処女だったというK女史は当時27歳だった雅春先生を運命の人(伴侶)だと信じて、
積極的に近づいてきます。

そして、もう一人の女性は、本当に生涯の伴侶となる輝子先生でした。

このあたりは、本当に良くできた小説を読んでいるようでとても興味深いです。


それにしても、大本教というのは、とんでもない世間騒がせな宗教だったのですね!

5542島津綾久・・・・・:2015/06/26(金) 09:59:47 ID:???



 この場面での絶望感ですが・・・・・誰しも似た経験があるんじゃナイでしょうかね。私も非常にたくさんのガッカリ、人生で味わいましたもんね。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

どんなに最後の審判の日を眼の前に差しつけられて、改心しないと焼き滅ぼすぞと威脅(おど)されても善くなれないのが人間ではなかろうか。わたしはますます憂鬱になり、淋しくなり、悲しくなり、神を信じていてわたしは喜べるどころか、いっそう悩ましくなるのであった。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


 そして、そうですね。ここからがいよいよ、雅春先生のお悟りに繋がっていくわけですが、「改心しないと焼き滅ぼすぞと威脅(おど)されても善くなれないのが人間」なんですよね・・・・・嗚呼、わかる(笑)わかり過ぎるオレ(笑)

 つづきも楽しみですね。




5543島津綾久・・・・・:2015/06/26(金) 15:55:11 ID:???



「改心しないと焼き滅ぼすぞ!」と威脅(おど)されても善くなれないのが人間・・・・・・ここが重要な点ですよね。ところで最近はFB上でも、メンタルケアの話題で持ち切りですけども「雅春先生とは段違い」なんですよね。その事に関して余談を。

 さて最近は、サラリーマンも経営者も疲れ切っていると見えて、「アメリカの経営者がやってる禅」とか「ヨガ」とか、けっこうそんな話題があがります。精神を病んで休業しているサラリーマンが大本営発表でも、14万人とかで、まあ、実数はその倍はいるんでしょうがそれは兎も角・・・・・・・「ああ!オレを救ってくれ!」な叫びは日本中に溢れてマス。本屋に行ってもそれは、よくわかりますよね・・・・(書棚に並んでいる本、ほとんどがメンタルケアですね。コンビニもそうですが)でもほとんどのアイデアって・・・・・


 「悪い自分をどう操作するか」


 という視点です。

 悪い自分をどう操作して、良くしていくのか・・・・・・そんなコンテストになってますね、我が国のこの分野は。あれを見ているともう、谷口雅春先生の偉大さですが、良く判ります。

 そうです、「脅迫されても善くなれない」んです、人間って。

 ・・・・・・仕事受注しないと会社は倒産だぞ!とか、リストラだぞ!とか脅迫されても人は、もう、動けないんです。そうですよね。


 ・・・・まあこの、現在のメンタルケア分野の情報に多々接するにつけ、「オレはラッキーだった」と思えます。30万だの100万だのの高額セミナーもありますが、経営者向けのそれらだって内実は、「悪い自分をいかに殺していくか。そして、如何に前向きになるか」、そんな話なんですからね。

 我々は本当に、恵まれてますよ。

 我々は谷口雅春先生を、知っているのですからね。





追伸

 ちなみにFB上で昨日紹介されたのが、「スティーブジョブスがやっていた瞑想法」(笑)これです(笑)英文でしたがまあ、アメリカでも「これは宗教ではないよ!」てなエクスキューズをバンバンしながら、勧めていくみたい(笑)やっぱ日本もアメリカも、一般人は宗教はキライなんですよね(笑)。宗教色を出さずにいかに、雅春先生を伝道していくか。ここが、非常に重要かもしれません。さらにちなみに、ジョブズの瞑想法ですが・・・・・・・そんなにスゴイとは感じませんでした。

5544島津綾久・・・・・:2015/06/26(金) 16:46:54 ID:???

 上げておきます・・・・・・。




5545島津綾久・・・・・:2015/06/26(金) 17:02:14 ID:???

 金曜日です。雅春先生の御文章を拝読し誌友会に参加ください。いや、もう、ホント・・・・・・世界最高の教えですよ。



5546トキ:2015/06/26(金) 19:35:19 ID:zN6IqBXI
 出口王仁三郎さんという人はすごく魅力的な人だったみたいです。
特別高等警察で大本教事件を担当した銅銀さんという刑事さんの回顧録には、
自分が取り調べた思想犯の中で、一番の大物だったと言います。

 少し脱線しますが、大本事件の後、出口王仁三郎の一族は世論の批判を浴び、
彼の孫が旧制中学の受験ができなかったそうです。それを見かねた銅銀さんが
東奔西走し、同志社中学への入学ができるうに取り計らったと言います。

 大本は、もともと、出口なおさんという女性が教祖です。出口王仁三郎さん
は別に教団を開いていたのですが、ご神示により大本に合流します。その後は
世界が滅びる、という予言で信徒を増やし、世間へ多大な影響を与えました。
これも、出口王仁三郎さんのカリスマ的な個性があってのことでしょう。

 これからの勉強が楽しみです。

5554トキ:2015/06/26(金) 21:15:32 ID:zN6IqBXI
失礼をしました。web誌友会の続きをお願いします。
なお、web誌友会と関係のない投稿は、別の場所でお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5555シャンソン:2015/06/26(金) 23:02:50 ID:qlRnzEq.

訊け氏は以前、ぼくはこれから雅春先生の御教えに沿った発言をしていきますと
いっていました。そのとき、私に対して、貴女も改心してといっていました。
 
 しかし最近では、私の独占部屋に入って来て、雅春先生を汚すなとか
いろいろ訳のわからないことを言い出し、絡んできます。
 トキ管理人の指示をよく読むようにといい、トキさんにも訊け氏を別の場所へ
誘導するようにお願いしましたが、いまだにスルーして訊け氏は傍流でも部室でも
うの話題について司会をしています。

 訊け氏の言動は上の「改心しないと滅ぼすぞ」とダブって聞こえます。
こういう人にどう応対すればいいのかわかりません。
 見識者の意見をお聞かせ願えれば幸いです。

 合掌 ありがとうございます。

5556神の子さん:2015/06/26(金) 23:11:22 ID:kEnG6jMo
現実の誌友会など用無しとして自己満足に特化した個人感想版に何云ってもダメです

あっという間に削除です

5557島津綾久・・・:2015/06/27(土) 08:20:12 ID:???

こちらには来ないでくださいね。

5558a hope:2015/06/27(土) 10:39:09 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p145 2行目〜

そこに漂う空気には純粋な宗教的信仰というよりも一種の自分の助かりたい打算があった。

その最後の審判というものには、日本対全世界の一大戦争を発端として、日本全土が敵軍に空襲せられ、その時に世界全地に大地震があり、飛行機より爆弾は火の雨と落下して日本全国がほとんど灰燼(はいじん)になるが、この綾部十里四方の上空だけは、神が守護していて飛行機を入れないから、この綾部の地だけは安全であり、その時の大地震にも綾部の十里四方は下津磐根(したついわね)と称して一枚岩であるから絶対安全地帯である。

大祓祝詞に「下津磐根に宮柱太しき建て、高天原千木高聳(し)りて」とあるのは、その時の予言であって綾部に一大神殿が建設せられ、日本国中どこもかしこも一時住むところがなくなるから綾部がいっさいの中心地となる。

この下津磐根の安全地帯へ逃げて来ている者は助かるが、その他の者はほとんど全滅する。

こういう功利的な意味で丹波綾部へ移住して来る者も多かった。


大本教の筆先の一部を引用して種々憶測を加えていろいろデマを飛ばすものが、あちらにもこちらにも出て来た。

根も葉もない事が現実味をもって伝えられ、大本教が世界を統一した後に現在大本教の功労者たる人たちは、イギリスの太守になるとか、アフリカの太守になるとか妙な功利的な利益を言い触らす者もあった。・・・(略)

5559a hope:2015/06/27(土) 10:40:17 ID:cEpBaIdo

>>5558 a hope所感)

大本教祖出口なお(出口直子)の「世界建て替え宣言」である筆先を信徒のそれぞれが勝手に解釈し、デマが乱れ飛び、
人々をパニック状態に落とし入れます。

その結果、その筆先を漢字混じりに書き直した執筆者として教主出口王仁三郎氏と、時の総務浅野和三郎氏等が起訴され、
本部のある綾部の地も包囲され家宅捜索が行われたとあります。

当時の雅春先生はご自分自身も綾部にいながら、そこで起っている異常な状態を冷めた目で客観視されています。
(つづく)

5560a hope:2015/06/27(土) 10:41:36 ID:cEpBaIdo
(つづき)

「生命の實相」第19巻 p147 4行目〜

(略)・・・わたしはそんな日が来ても決して大名にも太守にもなれないと思っていた。

そんな馬鹿らしいことは考えられなかったし、たといそんな馬鹿らしいことを想像しても、わたしはそんな資格があると思えなかった。

もし最後の審判がありとするならばその時綾部に集まっているすべての人が、わたしはとうていその審判を通過する資格があるとは思えなかった。

筆先の解釈の問題でさえも内部の人たちおのおのがその見解を異にして相争っていたし、信者たちおのおのは「信者の癖にこんなことをした、あんなことをした」と言っては互に悪口を言い、陰口をきいて相争っているのであった。・・・

5561a hope:2015/06/27(土) 10:45:02 ID:cEpBaIdo

>>5558 >>5560 a hope所感)

「生長の家」総裁・副総裁や本部職員の方々は「都会ではいけない」と都会を見棄てて田舎に移住され優雅な田舎暮らしを満喫されています。

<<そこに漂う空気には純粋な宗教的信仰というよりも一種の自分の助かりたい打算があった。>>???

(↑本部のみなさまの反論をお待ちしていますm(__)m)


そして、その方針についていけない信徒(本流)や、
ついていきたくても経済力がなくて田舎に移住できず取り残されている教団信徒たちは、

<<「信者の癖にこんなことをした、あんなことをした」と言っては互に悪口を言い、陰口をきいて相争っているのであった。・・・>>


わたしは、当時の大本教の異常な状態は、現在の「生長の家」の状態とよく似ているような気がします。

5562神の子さん:2015/06/27(土) 11:18:37 ID:kEnG6jMo
≪生長の家」総裁・副総裁や本部職員の方々は「都会ではいけない」と都会を見棄てて田舎に移住され優雅な田舎暮らしを満喫されています。≫

見てきたような嘘を言い の典型かな あなた生活してみて優雅と判断したのですか

≪ついていきたくても経済力がなくて田舎に移住できず取り残されている教団信徒たちは、≫

ついて行きたいけれど金が無いからあきらめたと、あなたに行った人がいたのですか。過疎の村ならいくらでも移住できますが

5563a hope:2015/06/27(土) 11:31:32 ID:cEpBaIdo
わたしは、反論にはお答えしたいと思いますが、
HNが神の子さんの投稿にはいっさいお答えするつもりはありません。

これから、出かけますので正式な反論をいただけたなら夜にお答えします。

よろしくお願いいたします。

5564神の子さん:2015/06/27(土) 13:11:06 ID:C0U.LZaQ
≪生長の家」総裁・副総裁や本部職員の方々は「都会ではいけない」と都会を見棄てて田舎に移住され優雅な田舎暮らしを満喫されています。≫

見てきたような嘘を言い の典型かな あなた生活してみて優雅と判断したのですか

≪ついていきたくても経済力がなくて田舎に移住できず取り残されている教団信徒たちは、≫

ついて行きたいけれど金が無いからあきらめたと、あなたに行った人がいたのですか。過疎の村ならいくらでも移住できますが

5565a hope:2015/06/27(土) 20:03:53 ID:cEpBaIdo

>>5561には不適切な表現がありましたm(__)m

以下の文章に訂正させていただきます。


>>5558 >>5560 a hope所感)

「生長の家」総裁・副総裁や本部職員の方々は「都会ではいけない」と都会を離れて田舎に移住されています。

<<そこに漂う空気には純粋な宗教的信仰というよりも一種の自分の助かりたい打算があった。>>???

(↑本部のみなさまの反論をお待ちしていますm(__)m)


そして、その方針についていけない信徒たち(本流関係の方々や、教団にいても本部の方針には賛同できずにいられる方々)は、

<<「信者の癖にこんなことをした、あんなことをした」と言っては互に悪口を言い、陰口をきいて相争っているのであった。・・・>>


わたしは、当時の大本教の異常な状態は、現在の「生長の家」の状態とよく似ているような気がします。


↑あくまでも a hope個人の感想です。

5566神の子さん:2015/06/27(土) 20:21:01 ID:f6iBwf1Q

>>5561には不適切な表現がありましたm(__)m  以下の文章に訂正させていただきます。

返事もしたくない人間から指摘されたからと云って、表面を取り繕っても、初めに書いたものがあなたの本心でしょう。それが

≪そこに漂う空気には純粋な宗教的信仰というよりも一種の自分の助かりたい打算があった≫という表現はそのままにしているということでしょう

そんな偏った観念から聖典を読んで何になるのでしょう

まぁここはあなたの好き勝手に書いてよいところだから構わないけれどね

5567a hope:2015/06/28(日) 00:58:25 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p170 後から5行目〜

宗教というものは大きくなればなるほど、だんだん穢(きたな)くなりやすいものである。

わたしが皇道大本の土を踏んだ時には、大本教には献金取り扱い所というものはなかったが、そのころになっていつの間にか、「献金取り扱い所」と書いた大看板が門前に吊り下げられた。

わたしはそんなものを吊り下げておいたならば、いかにも献金せよと参拝者の心に強いることになり、献金しなければきまりが悪くなって、心ならずも献金する人がでて来、集まってくる金が浄財のみとはならないから、そういう看板を出すことには神業に不純なものを交えることになって、かえって神業を妨礙(ぼうがい)することになると主張したが、老年の幹部たちはわたしの説を採用しなかった。

5568a hope:2015/06/28(日) 00:59:56 ID:cEpBaIdo

>>5567 a hope所感)

>>5543 で 島津さまが、

<<アメリカでも「これは宗教ではないよ!」てなエクスキューズをバンバンしながら、勧めていくみたい(笑)やっぱ日本もアメリカも、一般人は宗教はキライなんですよね(笑)。宗教色を出さずにいかに、雅春先生を伝道していくか。ここが、非常に重要かもしれません。>>

とお話されていますが、わたしは宗教が嫌われる原因の一つには使い道の明確にわからない「献金」を強要されることもあるからだと思います。

「生長の家」でも「聖使命会費」というのがありますが、現教団はその信徒の浄財を正しく使ってくださっているのでしょうか?

なんか、大本教のことを学んでいると、現教団とダブって見えてきてしまってついつい批判する心が出てきてしまいますね ・・・ 反省 反省 💦

5569神の子さん:2015/06/28(日) 10:37:51 ID:f6iBwf1Q

≪心ならずも献金する人がでて来、集まってくる金が浄財のみとはならないから、そういう看板を出すことには神業に不純なものを交えることになって、かえって
神業を妨礙(ぼうがい)することになると主張したが、老年の幹部たちはわたしの説を採用しなかった。≫ 

≪「生長の家」でも「聖使命会費」というのがありますが、現教団はその信徒の浄財を正しく使ってくださっているのでしょうか?≫
====================================================================================================================================
「聖使命菩薩讃偈」に聖使命を感得しとうたわれていながら雅春先生在世の時から腹の中の赤子から幼稚園小学生まで、また本人が何の関心もない子供たちを
聖使命会員として受け付けていた。法匡に精魂を奉安し聖経を読んでもらえば運命がよくなる、という信徒の欲望を満たすことで会員が増えているかのように
なっているが一人で10以上もの会費を払っているのだから、その中心者が止めればがくんと会員が減るのは道理です。

組織としては雅春先生も教団を純粋な神の組織として運営できていなかった。そんな中で集めた金で作られたものも純粋性に関して疑問が残るでしょう。
望みがかないますというニンジンをぶら下げて、信徒の欲望と二人三脚で大きくなったのが生長の家と云うことでしょう。

これが私の感想です

5570a hope:2015/06/28(日) 13:37:06 ID:cEpBaIdo

今、本流復活の掲示板の一つである「谷口雅春先生に帰りましょう」を拝見していましたら、
コスモスさまの投稿が目に留まりました。

ちょうど、献金についての話題でしたので紹介させていただきます。

http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=15378004


谷口雅春先生時代の献金には、「自分の聖使命会員となり人々の魂を救い人類を光明化するんだ!」
という「魂の大きな喜び」があったのだと思いました。

ですが現在は、人々の魂の救いより、現象の地球を救う運動への献金が主になっているようです。
だから、現教団への献金は、魂の喜びにつながらないのだと思いました。

「三界唯心所現」の真理から考えても、人間の魂を浄めれば現象の地球も浄まるのだと思うのですが・・・。

コスモスさまのご文章からは、教区の信徒さんたちの苦悩が伝わってきます。

5571神の子さん:2015/06/28(日) 18:28:02 ID:kEnG6jMo
≪ですが現在は、人々の魂の救いより、現象の地球を救う運動への献金が主になっているようです。
だから、現教団への献金は、魂の喜びにつながらないのだと思いました。≫
================================================================================================================
根本的に考え方が間違っていると思います。『生命の實相』一巻P4に
「われわれが生命を礼拝し、こうした「生命」の法則にしたがって生活することを目標においていますのは、われわれがこの世界に「生命」享けてきた事実から
出発するのでありまして事実ほど力強いものはないのであります。」とあります。

肉体人間と見えるままに生命そのものである、と同様に、自然と云うものが単なる物質の環境などというものでなく、生命として存在しているのです。
その生命が人間の欲望の犠牲となっている、その生命を大切にし共存を図ることは、とりもなおさず大調和の神示の実践そのものなのです。

現教団への献金が魂の悦びになっていない人は、個人の生活が改善されることを以て救いと考える、エゴの感情の抜けていない人の事であると思います。
自然界の生物の命とわが命が分かち難き一体のものと思える人にとっては、個人の悲しみと自然の悲鳴は一つです。
現象の地球を救うことが可笑しいというのであれば、個人の苦しみを救うのも可笑しいということになります。

5572a hope:2015/06/29(月) 09:56:30 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第19巻 P172〜

十三

恐怖の宗教は人を迷いに導き、そのあげくの果てには人を病気に突き落とすものなのである。

5573a hope:2015/06/29(月) 09:57:37 ID:cEpBaIdo

>>5572 a hope所感)

よく本流の先輩方は 教団が左翼化していると指摘されていますが、
右翼支持の方々から見れば『左翼に片寄る宗教』は、「恐怖の宗教」に見えるでしょうし、
左翼支持の方々から見れば、『右翼に片寄る宗教』は「恐怖の宗教」にみえるのかもしれません。

本来の「生長の家」は、右翼でもなく左翼でもない『中道の宗教』であるとわたしは信じています。

5574a hope:2015/06/30(火) 08:52:47 ID:cEpBaIdo
 
「生命の實相」 第19巻 p178 7行目〜

わたしは心臓病の医学書を読んだお蔭で、妻の病気を機構的に物質的な故障で、自療力では治らない固定したものだと思ったから、その得るところは不治症だという恐怖観念だけであった。

それは天地に慟哭したいような悲しみであった。

結婚後まもなく、わたしの妻は一生治らないような病気に罹ったのである。

病床の妻の寠(やつ)れた顔を見つめているとひとりでに涙が滲み出て来るのであった。

「泣くな。そんなに泣くと僕はいっそう悲しくなる。」わたしはこう言いながら蒲団の上に倒れかかって泣いた。――

なんと愚かなわたしであっただろう。

今なら神罰のないことも、病気の本来無いことも知っている。

そして病気を眼の前にしても、病気を見ないで、本来円満完全なる実相を見るべきを知っている。

だからこんなに恐れはしなかっただろうが、大本の教義に浸っていたそのころのわたしは人間の本来完全なる実相というものを知らなかったので恐れるほかはなかったのであった。

そのころの大本教でも、人間は神より与えられたる直霊(なおいのみたま)というものを授かっていると説いてはいた。

しかしその直霊を汚してしまってこんなに悪の世を招来したのであるから、神が神力、暴力、強制力で地震、雷、火の雨降らしてその汚れた霊(たましい)を一掃するのだというのだった。

それは悪がそこに現実にあるということを肯定し、その現実にある悪を勦滅(そうめつ)するには現実的な強制力を必要とする。

そして善なること能わざる「自分」たちこそは、その強制力によって勦滅されるはずの「現実にある悪」の一種であった。

そして、その動機の一過程として今ここの病気というものが出現していると思うとき、わたしは恐怖せざるをえなかった。

5575a hope:2015/06/30(火) 08:56:39 ID:cEpBaIdo

>>5574 a hope 所感)

<<それは悪がそこに現実にあるということを肯定し、その現実にある悪を勦滅(そうめつ)するには現実的な強制力を必要とする。
そして善なること能わざる「自分」たちこそは、その強制力によって勦滅されるはずの「現実にある悪」の一種であった。>>

この大本教の考え方って、「自然破壊する人間を悪」と見る雅宣先生の考え方によく似ていると思います。

そして現教団の「現実的な強制力」とは、森への移住、ソーラーパネルへの募金、ノーミート等にあたり、
それを実行しなければ、「人間は浄まらない」と教団信徒は脅されているような気がしているのではないでしょうか?

※ ↑ これも a hopeの個人的見解です。
わたしはHN「神の子さん」の投稿は同一人物であるのかも分からず混乱するので、一切拝読していません。

不変のHNをご用意くだされば、反論には誠実にお応えするつもりです。

5576島津綾久:2015/06/30(火) 09:03:25 ID:???


>>5574

 どうしても、こうなっちゃいますよね。いや、市販の宗教書(仏教でも基督教でも)を読んでいるとその、「若き日の雅春先生みたく」なって仕舞うと思います。ホントにそれは、恐怖ですよね。

 恐怖、ああ、恐怖・・・・・恐怖に駆動せられる人生。

 ・・・・恐怖感はあるのだ、それは神が人間に気付きを与えるためだ、恐怖感は必要なものだ、神が悪魔と戦い負けることもあるのだ、恐怖は強い実在だ、そんな解説を聞いて人は頑張れるものでしょうか。少なくとも私には、ムリでしたね(人生経験からそう云えますね)。そこで行くと谷口雅春先生ですが・・・・・・もう、本当にすごいです。

 さて、いよいよ明日からは20巻ですね。あの、ハイライトシーンへと繋がって参ります。雅春先生と一緒に感動をしたいものです。



5577神の子さん:2015/06/30(火) 11:46:12 ID:kEnG6jMo

『生長の家の食事』

而して一杯の飲料を手にしてはすべての人の罪をこの水の如く吾が心より洗い流して心にとヾめざらんがための象徴と思ひて飲め・・・・・
すべての他の人の罪を許すは、吾らの過ちをも亦大生命なる神より許されんがためである。・・・
      
  これは『七つの灯台の点灯者』の神示(昭和六年九月)に先立ち昭和五年十一月に降りたものです。この神示の実践なくして
  なんの生長の家でしょう。「汝らのうち罪なき者この女を打て」のキリストの戒めを実践している人はいるのでしょうか。

  かろうじて岡講師にのみ私は見ます。『「見ゆる」という罪が残る』とのキリストの言葉に反せず生きたきものです。

5578a hope:2015/06/30(火) 14:13:36 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p187 後から7行目〜

天香氏のような弱者に対する憐憫感と、他を凌ぐことに対する罪悪感との深き人が、微生物に対する憐みの感じを忘れてしまっていられるとはわたしは思いたくなかった。

氏は人間の生存の条件として不可避な多くの微生物の犠牲にはやくも気づいていられないはずがない。

ただ氏はまったく犠牲なき生活に――否それは生活でなくして自己の死滅より他はないが――入るよりも先に、自己の生存において少しの犠牲の出ずるのを忍びつつも、生命全体の上から観て、宇宙全体の上から観て、犠牲の総量をなるべく少なくならしめんがために、ありうる犠牲の極小なる生活の範例を示すべく生きながらえている種類の人ではないだろうか――わたしはかく考えることによってのみ慰められたのであった。

5579a hope:2015/06/30(火) 14:15:36 ID:brQxC10.

>>5578 a hope所感)

<<ただ氏はまったく犠牲なき生活に――否それは生活でなくして自己の死滅より他はないが――入るよりも先に、自己の生存において少しの犠牲の出ずるのを忍びつつも、生命全体の上から観て、宇宙全体の上から観て、犠牲の総量をなるべく少なくならしめんがために、ありうる犠牲の極小なる生活の範例を示すべく生きながらえている種類の人>>


わたしは、雅宣先生や純子先生の森でのエコ生活は、この天香氏の生き方(雅春先生の考察による)によく似ていると感じました。

現教団の方針は一方で人間の自然破壊を非難しながらも、
一方では大量の木材を伐採し動物たちの住みかを奪い「森のオフィス」建築し、
今そのリサイクルが問題となっている太陽光パネルの設置を次々にするなどして、
少なからず自然破壊に手を貸してしまっている結果になっているのだと思います。

この後テキストには、天香氏の弟子たちが谷口夫妻の住居の庭や便所を「一燈園」の奉仕の精神で自分勝手に掃除していった結果、
谷口夫妻は非常に嫌な思いをされたというエピソードもあります。(p189)

このことでもわかりますが、現象問題に対応する運動はどんな運動にしても、
人それぞれの立場や考え方に相違があるために、完全にうまくいくということは在り得ないのだと思います。

ですからそのことからも「生長の家の運動」は「人間の無罪・人間神の子」の真理を伝える「人類光明化運動」でなければならないのだと思います。


ところが、>>5576で島津さまがご投稿をしてくださっていますが、若き日の雅春先生も、実はそのことには気づかれていないのですよね。
テキストの文章からは、若き雅春先生が現象の悲惨さに打ちひしがれて、苦悩の毎日を送っておられるようすがよく伝わってきます。


ところで、早いものでもう明日からは7月に入るのですね(◎_◎;)
第35回web誌友会は続行しますが、第19巻が終わり次第、テキストは第20巻に移っていきたいと思います。

みなさまのご参加をお待ちしています!

5580a hope:2015/06/30(火) 14:26:13 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第35回 web誌友会 案内 

期間   6月1日〜7月31日まで
テキスト 「生命の實相」第19巻 自傳篇上  第20巻 自傳篇下/聖詩篇
内容  神示を受くる迄〈上〉 神示を受くる迄〈下〉 生長の家の歌
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5581神の子さん:2015/06/30(火) 14:38:14 ID:C0U.LZaQ
https://www.youtube.com/watch?v=Uhr0bKwudOs&amp;list=PLLbT7f5WbajLSJgga9Tg21fPpllFETNMI&amp;index=41

この一分二十秒あたりに九州大宰府跡が出てきます。結構な山の中ですね。今の交通機関で行くのではなかった昔の大宰府
菅原道真が島流しにあったかの思いを持ったのも宜なるかなです。

「東風吹かばにほひをこせよ梅花主なしとて春を忘るな」  「東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」

日蓮の身延、道元の越前永平寺、空海の高野山、最澄の比叡山、抜隊得勝の甲斐の塩山の向嶽寺、生長の家の九州総本山、
当地の奥山方広寺、秋葉山本宮秋葉神社(創建は和銅2年西暦709年)などは市外から其々30キロ40キロ程あります。

徒歩ですべて移動する時代に夫々参詣なり修行なりの参加は大変なものが在ったでしょうし、結構な山の中人里離れたところが多かった。
今よりはるかに人の数の少ない時代の話です。人を救い信者を増やすという事でしたら、市街地に拠点を据えるのがいいのに、なぜ山奥に拠点を据えたのでしょうか。
山に行くのがそんなに悪いのでしょうか。本山で雅春先生指導で錬成が行われるが、徒歩参加者のみとすると云われて何人の人が参加するでしょうか。

5582島津綾久:2015/07/01(水) 09:09:26 ID:???

 昨夜『生命の實相』20巻を読了しました。やはり、おもしろい!この巻は!




5583島津綾久:2015/07/01(水) 09:21:38 ID:???


 カンタンに云えば「高学歴ニート」なんですよ、雅春先生は。もう、カッコイイ事言いながら「生活力はナイ」と云う、ね。それである日養父から、強烈なことを云われちゃいます。「オマエ」と。

 「オマエは清貧だ、人類救済だと誇っているがそのために、年老いた親(養父)はオマエの生活を支えねばならん。我利我利亡者になった。」

 と・・・・・・・・・

 さらにはそんな、生活を支えてくれる養父から、孫(恵美子先生)を取り上げるんです。「近づくな」と・・・・・・

 いやーホント、雅春先生はスゴイです。

 こんなところにまで堕ちておられたからこそ、その後があるんですよね。「信仰と経済の両立」です。そしてこんな、高学歴ニートな時代を反省して編み出されたのが、雅春先生の真理です。これだから世の経営者も、「うん!」と唸るのだと考えます。いや、清貧って・・・・・・・そんなに偉いですか?宗教関係の方(笑)私は商売人だからか、そうは思えナイ(笑)。¥がアルからこそ、人も救えるのです。雅春先生の教えは「その辺の人生の機微を外していない」のであって、その点も特筆されるべき点かと考えました。




追伸

 夢の中の「神と雅春先生の対話」ですが・・・・・・・・ここが、強烈。

5584トキ:2015/07/01(水) 21:43:20 ID:.V9mWP8Q
>>5583

 そうなんです。家でお祈りをしているだけならともかく、
実際に世のため、人のためを考えると、お金の大事さは痛感しま
す。世間にはお金がなくて困っている人がたくさんおられます。
そういう人の痛みや苦しみがわかって、はじめて人の痛みがわか
るのだと思います。

5589島津綾久:2015/07/02(木) 10:45:21 ID:???

若き日の雅春先生念波は、ダメ人間を引き寄せますね。

5591a hope:2015/07/02(木) 12:09:13 ID:cEpBaIdo

みなさま こんにちは

今日は久しぶりの平日のお休みなので朝から家のお掃除を頑張っていました💦


ところで、web誌友会板への書き込みの件ですが、わたしは管理人ではないのであまり口出しはしたくないのですが、
テキストの内容と全く関係のない書き込みは、こちらへ書かれるのはご遠慮願いたいです。

また、運営に関してのご意見等は、別板の運営/方針板に書いてくださればわたしもお返事させていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。


ところで、本題ですが、

19巻の終わりから、20巻の始めにかけて雅春先生がお悟りになる前にかかれた「聖道へ」が掲載されています。

わたしはこの文章は、どうしても気持ちよく拝読できないのです。

冗談だと思いますが、>>5589で島津さまが、

<<若き日の雅春先生念波は・・・以下略>>

と発言されていますが、そういうことは本当にあるような気がします。

この「聖道へ」を拝読してると、わたし自身がどんどんネガティブな方向へ導かれていく感じがするのです。


ですが、この「聖道へ」は雅春先生が「唯神實相」の悟りに至るまでの心的過程がわかるので、
とても重要な箇所なのですよね・・・(-_-;)


訊けさま、「聖道へ」の部分だけでもいいので、代わりに司会進行をお願いできませんでしょうか・・・?

もちろんわたしもできるだけ参加させていただきますが・・・。

いかがでしょうか?

5592島津綾久:2015/07/02(木) 13:23:09 ID:???
司会をするのは構いません。

ただし案外、激務だったりします。ゆる〜い感じで司会するんだったら、受けます。

5593a hope:2015/07/02(木) 14:23:38 ID:cEpBaIdo

>>5592 島津さま

ゆる〜い感じでいいのではないでしょうか・・・?

わたしも、書き出すと止まらなくなる時もありますが、
このweb誌友会の司会は、結構ゆる〜く楽しみながらやらせていただいています。

なんといっても「生命の實相」を学べるという喜びに勝るもの他にはありませんから・・・

ですが、わたしはこの19巻、20巻前半と9巻、10巻の霊界篇だけは苦手なのです。

今回、19巻は頑張りましたが、「聖道へ」だけはどうしても読めないのです。
その波動が、雅宣先生の文章に似ているような気がします。

島津さまのペースでかまいませんので、今月いっぱいの司会進行をお願いしたいです。

トキさま、勝手にお願いしてしまいましたがよろしいでしょうか?

5594島津綾久:2015/07/02(木) 15:53:28 ID:???


 『聖道へ』は確かに、気分の悪くなる書です。特に『生命の實相』を読了した方ならば、尚更です。雅春先生は『神を審判く』を執筆されますが、同書の元となったのが『聖道へ』ですものね。まあ、神はイルけど、救ってくれるとは限らないよ・・・・・そんな、「人類への死刑宣告」(※)めいた書なんで、a hopeさんは気分を悪くされると思います。

 でも・・・・・・「でも」な話を以下。

 でも、読んで頂きたいんですがね(笑)

 いや、この、『聖道へ』を読まれずにクライマックスを迎えられるのはたとえば、「桶狭間の困難を読まずに信長伝を読むようなもの」ですし、月9ドラマに譬えれば男女の危機の巻を視聴せずにいきなり、最終回を見るようなモノです・・・・・・もったいない、そんな感想は持ちますかね。

 とは云え、確かに、気分の悪くなる書です。特に『生命の實相』を読了した方ならば、尚更です。『聖道へ』は無明縁起説なんでして、雅春先生の御主張は(あくまでもこの時点は)「人間は救われるかどうかは決まっていないよ」というモノです。かなり売れて印税は入ってきた『聖道へ』ではございましたが、雅春先生の心中はまったく晴れていなかったのも、ムベなるかな・・・・




<註>

※ 「人類への死刑宣告」な『聖道へ』

 死刑宣告とまで書いちゃいましたが、とは云え同書にも後の聖典のもととなる思想も認められます。たとえば実相を「本質」と『聖道へ』内で書かれて雅春先生は、一元の神までは肯定しつつあったんですよね。その事は認められます。ただし、この時代の雅春先生は「善一元の神」までは未だ、御認めになられておられませんよね。死刑宣告は大げさかもしれませんが、まあ、この時代の雅春先生の思想は「無明縁起説」といえましょうか。

5595島津綾久:2015/07/02(木) 16:04:41 ID:???


 ・・・・・と、云うことでダメ人間大歓迎です。キャバクラ狂いが止まないであるとか、仕事の最中に高校野球を観戦しに行っちゃうとか、女性を見ると触りたくなるとか・・・・・そのようなダメ人間。大歓迎。

 一緒に聖典を読みましょう。

 なにせ、先生が素晴らしい。

 我々の先生は、ダメ人間界での「最高の出世頭」です、そう、最高レベルの元ダメ人間「谷口雅春先生」のご著書なんです(笑)。もう、ダメ人間のために書かれた・・・・・・そう云っても過言ではナイですし、最高の書です。・・と、云うことでダメ人間大歓迎です。一緒に聖典を読みましょう。





5596a hope:2015/07/02(木) 21:02:49 ID:cEpBaIdo

>>5594 島津さま

やはり、「聖道へ」は読んで気持ちの良くなる文章ではないですよね(;´∀`)

わたしは以前、雅宣先生の文章を読んで気持ちが悪くなると発言してどなたかに批判されたことがありますが、
たとえ雅春先生のご文章であっても、それが現象や悪を認めるという「迷い」から書かれた文章であればわたしは気持ちが悪くなるのです。

ちなみに、破邪顕正さまやトンチンカンさまの「総裁や教団へのご批判文」も拝読するととても気持ちが悪くなります。

わたしは、他の人よりも波動に敏感なのでその違いが身をもってわかりますが、
普通の体質の人はそのことには気がつかないまま運気を落としていくのではないかと思います。

今回、雅宣先生の祈りの入ったお経ができたそうですが、読誦しない方が身のためだと思います。

祈りの言葉やお経などは、唯神実相を確実に悟られた方が書かれたものでなければ、百害あって一利なしだと思います。

すみません、今日は少し酔ってますので、言いすぎたかもしれません。
ですが、これはわたしの正直な感想です。

5597神の子さん:2015/07/03(金) 00:47:27 ID:C0U.LZaQ
わたしは以前、雅宣先生の文章を読んで気持ちが悪くなると発言してどなたかに批判されたことがありますが、
それが現象や悪を認めるという「迷い」から書かれた文章であればわたしは気持ちが悪くなるのです。

ちなみに、破邪顕正さまやトンチンカンさまの「総裁や教団へのご批判文」も拝読するととても気持ちが悪くなります。

今回、雅宣先生の祈りの入ったお経ができたそうですが、読誦しない方が身のためだと思います。
********************************************************************************************************************
なんと身びいきな発言でしょう。【現象や悪を認めるという「迷い」から書かれた文章であればわたしは気持ちが悪くなる】
あなたがああだこうだと批判的な発言をする対象は、現象でありあなたにとって悪と思われるものでしょう。
現象無しの心の人がなぜ現象に心が影響されるのでしょう。癩病で膿みただれた人の頭を剃って坊主にした、その手を洗うべくお付の者が早々と
手洗い水を用意したところ、お前のその嫌う心の方があの癩人より汚いと云ってその水を使わなかった。また癩病の乞食が時々来た時に周りの人は嫌な気色を
漂わすが、その坊さんはいつも自分の鉢で飯を恵んだそうだ。

5598島津綾久:2015/07/03(金) 07:33:28 ID:???

>>>癩病で膿みただれた人の頭を剃って坊主にした、その手を洗うべくお付の者が早々と
手洗い水を用意したところ、お前のその嫌う心の方があの癩人より汚いと云ってその水を使わなかった。また癩病の乞食が時々来た時に周りの人は嫌な気色を漂わすが、その坊さんはいつも自分の鉢で飯を恵んだそうだ。<<<

 そうなんですか、そのレベルまでを相手に、お求めなのですね。




追伸

 現象や悪を認めるという「迷い」から書かれた文章であればわたしは気持ちが悪くなる ―― 学習途中にある者はこんな段階、普通にあるのではないでしょうか。そして、それをいきなり上記のレベルを提示されて「ダメだ!」と申される貴殿は、相当にご立派な方だとお見受け致します。たとえば当方が「造化の三神へのレス」をしたとしても、貴殿はその、〝癩病の乞食〟的なレスに対しても、さぞ、丁寧な返答を心がけておられる御仁なのでありましょう。素晴らしいですね。

5599神の子さん:2015/07/03(金) 08:21:42 ID:C0U.LZaQ

今回、雅宣先生の祈りの入ったお経ができたそうですが、読誦しない方が身のためだと思います。

祈りの言葉やお経などは、唯神実相を確実に悟られた方が書かれたものでなければ、百害あって一利なしだと思います。
******************************************************************************************************************
このような感想を書くような方向に進むのが可哀そうなだけです。

5600現役:2015/07/03(金) 12:40:39 ID:???
ちわ (^^

a hopeさんを支持します

全体主義みたいなのイヤだな〜

5601神の子さん:2015/07/03(金) 14:34:02 ID:C0U.LZaQ
5600さん

信仰に全体主義なんてものが在るのですね 初耳です

永遠の我と云う唯一つの存在があると云われていると思っていましたので

5602現役:2015/07/03(金) 16:08:30 ID:???
みたいなの…と言いました
めんどくさいな

5603神の子さん:2015/07/03(金) 16:57:17 ID:kEnG6jMo
じゃさっさと教団止めるのだね、信仰は自由だし虚説の所にいても仕方ないでしょうから。
講習会に出る人の半分が今の教えでいいとするとどれだけいるのでしょうか?
その人達は虚説を信じていて、百害あって一利ないお経を読む人たちだそうですから。

5604島津綾久:2015/07/03(金) 20:03:40 ID:???

 少し誌友会テーマからははずれますが、さすがに「百害あって一利なし」とまでは思いません。そして「一利なし」は同意しますが、総裁の新聖経ですが、無害ではあろうかと・・・・・内容未確認ながら雅宣総裁ですけれども、「そこまでアホではない」です。(アホなのはあの「造化の三神」解釈くらいです・・・・・あれは、アホです。ですが、それ以外は特に問題点はナイです、あくまでも思想的にはね)

 まあ、これが私見なんですけれども、特に本件へのレスは不要です。



追伸

 まあ、やや拡大解釈ながら雅宣総裁ですがひょっとすると・・・・・・・『聖道へ』執筆時の雅春先生なのかも、しれませんね。『聖道へ』当時の雅春先生ですが、「異常なくらいの肉食忌避者」です。関東大震災の避難所暮らし時代、隣人が差し出したパンですが「それにバターがついていた」という理由で、食べませんでした。「私は動物への愛を持ってはいたが、なけなしの食糧を恵んでくれた人間への愛に欠けていた」と述懐された、雅春先生です。ひょっとすると、ですが雅宣総裁は・・・・・・『聖道へ』執筆時の雅春先生なのかも、しれませんね。(総裁の全著作を拝読して後、本来、云うべきことながら)

5605島津綾久:2015/07/03(金) 20:18:07 ID:???


 >>5604補足

 で、「それじゃ雅宣総裁はいつ『雅春先生化』するのよ?」とか聞かれそうですが、『生命の實相』20巻から判断するに、

 「経済問題で苦しんでから」

 とかに、なるんでしょうかね・・・・・・・・・いや、まあ、半分冗談ですが。

 で、半分はホンキで云っているんですが、「雅春先生にあって、雅宣総裁にナイもの」って、貧乏体験だと思うのです。青臭いことを言いながら、それでいて「生活面では養父に頼り切りだった」雅春先生はその後、猛反省します。猛反省したのち「信仰と経済の両立」を実現なさいますが、果たして?雅宣総裁は、いかに・・・・・・・

 ・・・・・・青臭いことを、言いまくっておられますが(笑)それは、信徒という養父があってのことでは?ございませんこと、雅宣総裁。

 ・・・・・・雅春先生は養父に経済的な迷惑、かけていることを恥じておられました。そしてついに、『生命の實相』が生まれます。雅宣総裁は、恥じておられますか。いや、地方の教化部に行ってご覧になれば明らかなように、総裁の生活を支えるために信徒は、もう、我利我利亡者になってますよ。「オマエは人類救済とかご立派なことを云っているが、お前の生活を支える我々養父母はガリガリだ」・・・・・・・・・・これ、養父から雅春先生に浴びせられた一言でした。

 さて、雅宣総裁やいかに。



5606島津綾久:2015/07/03(金) 20:23:39 ID:???

<総裁への問いかけ>

 (『聖道へ』執筆時の)雅春先生は、養父がいたからこそ「青臭いことが言えて」ました。さて、総裁先生、あなた様は・・・・・・・・信徒という養父なくして果たして、現在のような青臭いこと(=環境問題w)言い続ける自信はございますか?

 もしも「ある」がご返答でしたらどうぞ、そのまま邁進くださいませ。そして信徒という養父に向かって、「あなたのサポートは不要であります」と宣言なさい。それならば、カッコイイですよ、マジで。



追伸

 でも、「太陽光発電を作りたい!」なんてこと、言ってんなら「自分のカネでおやんなさい」な(笑)もう、オトナなんだから(笑)恥ずかしいぜ?養父(=信徒)の懐頼みの「環境路線」なんて(笑)

5607a hope:2015/07/03(金) 23:09:52 ID:cEpBaIdo

>>5604 島津さま

<<少し誌友会テーマからははずれますが、さすがに「百害あって一利なし」とまでは思いません。
そして「一利なし」は同意しますが、総裁の新聖経ですが、無害ではあろうかと・・・・・>>

たしかに、総裁の指導内容に賛同されている方々には外見上は無害なのではないかと感じています。

今回、島津さまは総裁の環境運動をご批判されていますが、
その教義内容に関してはほとんど疑問をお持ちではありませんでしたものね。

ですが、島津さまは「一利もない」ということはお認めになっていらっしゃる。

だったら、信徒の浄財から「一利もない」経本の出版費用が少なからず出ていることや、
教団の信徒が毎日「一利もない」お経を時間をとって拝読するということに関してはどうお考えでしょう?

わたしは、それこそ浄財の無駄遣いであり、時間の無だ遣いであると感じてしまいますが・・・。

わたし個人的な意見としては、今回のお経を「甘露の法雨」の代わりに「先祖供養」のために読誦したら、
百害どころではすまないのではないかと恐怖感すら感じています。


ですが、この件に関して、島津さまと議論するつもりはありませんので、このお話はこれで終らせていただきますね。


その件以外の>>5604〜5606の島津さまのご意見には、心より賛同させていただきます。

生活に追われている一般人からみれば、雅宣先生の環境運動は、ボンボンの道楽ボランティアにしか見えませんものね(-_-;)。


わたしは総裁先生からは、

「そんな、生半可な気持ちでやっているんじゃない!
自分は地球救済のために命がけでやってるんだ!」

みたいな反論を期待してしまいますが、もしそうであれば、わたしも島津さまと同じことを総裁に問いかけたいです。


<< (『聖道へ』執筆時の)雅春先生は、養父がいたからこそ「青臭いことが言えて」ました。
さて、総裁先生、あなた様は・・・・・・・・信徒という養父なくして果たして、
現在のような青臭いこと(=環境問題w)言い続ける自信はございますか?

 もしも「ある」がご返答でしたらどうぞ、そのまま邁進くださいませ。
そして信徒という養父に向かって、「あなたのサポートは不要であります」と宣言なさい。
それならば、カッコイイですよ、マジで。>>

5608「訊」:2015/07/10(金) 10:09:21 ID:???

うん、考えるば考えるほどこのテーマは面白いです。養父や信徒なくして青臭いこと・・・・・・言い続けられるものか?

5609北斗のけん:2015/07/10(金) 15:07:23 ID:WZEY5Q7A
島津さま
私にレス下さってましたね。
「自分の国のことは一番すごい国の思うことは自由。ただ、他の国の人にそれを強いるのは、ダメ。。こんな内容)
有り難うございます。
いつもレスに、きずかず色んな方々に申し訳ない思いです。
それで、島津さまの意見に「なるほど、なるほど」です。
他の国の人にまで強いたら、ある意味「ナチス」じゃねえの。?って、うそですよ。言い過ぎですね
ただ、タイのひととしゃべる機会がありましたとき(その人は日本好き)
「日本は、他の国より色んな面で、優れてるし、進んでるし、キチンとしてるし、ほとんどの面で一歩も二歩も抜きん出てる。やっばり先進国だね」こう言ってくれたらしいですよ。
京都も選らばれたし。
やっばり、優れた国の方に入ってる感じで嬉しいですね。

5610北斗のけん:2015/07/10(金) 15:24:16 ID:WZEY5Q7A
A hopeさま
総裁は、あんまり、真理を解ってないのでしょうか?
或はそこまで真理に興味がないのか?宗教っぼいのが嫌なのか?
実は総裁は
環境の事にも、そこまで興味ないのかもね。何かしら「総裁としての、これっちゅう何か」 を出さないといけない。と、思って、でも真理はもう嫌だし。それで、総裁にとって少しはその方面(環境)の知識があって、世のためになってる感じのする、体裁のいい「環境問題」に 取り組んでるような様をみせてるのかな?「どうだ!私も中々やるだろ!」
ってさ、
あれ、すごいメチャクチャな文で分けわかんないですね。

5611島津綾久:2015/07/10(金) 16:21:01 ID:???
>>>他の国の人にまで強いたら、ある意味「ナチス」じゃねえの。?って、うそですよ。言い過ぎですね<<<


 言い過ぎではナイですよ。他国へ価値観を強いるのはナチスですし、USAですよ(笑)。そして、かつての大日本帝国がそうですよ。

 八紘一宇に賛同しないヤツを「アジア人じゃねー!」なんて言って罵倒して、ガンガンに好き勝手を、ヤッちゃいました。軍票大量発行により現地でインフレ起こしても「八紘一宇のため!反対者はアジア人じゃない!」です。行軍に伴い兵隊が、師団単位で道端で大便して放置して、疫病をばらまこうとも「八紘一宇のため!反対者はアジア人じゃない!」です。そりゃ、現地じゃ嫌われても仕方ナイですよね。(※)まあ、でも、日本は・・・・・・・・いきなり銃殺はしなかっただけ、良心的ですがね(ナチスやアメリカと比較しての話です)


<註>
※ そりゃ、現地じゃ嫌われても仕方ナイですよね。

 以下は山本七平さんの本からなんですが、日本陸軍には「比島歩哨史がナイ」との事。これって戦慄すべきことなんですが歩哨・・・・現地の幹線主要部で関所みたいなことやってた兵隊さん達のことなんですが、その歴史記録がナイんだそうで、理由は「全滅したから」らしいのです。

 もう、どんだけ嫌われていたんでしょうか、日本陸軍。「八紘一宇!」とだけ叫んでいればアジア人は全て、味方してくれると思っていたのでありました、嗚呼・・・

5612島津綾久:2015/07/10(金) 16:25:43 ID:???

 あ、注釈欄を補足しますが「歩哨が殺される」ってのはゲリラによって、なのです。最も安全そうな歩哨任務なんですが、日本陸軍には歴史記録が残っておらずその理由は、「ひとり残らず殺されたから」なんだそうです・・・・・・・・これは、戦慄すべき事実です。関所にいる兵隊が殺されるってのは、もう、現地はゲリラの巣窟となっていたことを物語りますし、軍政のまずさを露呈してます。

5613a hope:2015/07/12(日) 02:15:31 ID:cEpBaIdo

>>5610 北斗のけんさま

わたしも、「唯神実相」を悟っているわけではないので、あまり偉そうなことは言えないのですが・・・(-_-;)

雅宣先生は、頭では「生長の家」の真理はかなり理解されているのではないかと思います。

ですが、肝腎な「唯神実相」をお悟りになっていないので「現象なし」が徹底されていないのです。

だからどうしても「実相・現象」もしくは「善・悪」の二元論的に表現されてしまわれるのです。

わたしは、そのご文章を読んでいると「現象」をありありと感じてしまうので気分が悪くなるのです。

それに環境問題なんて、現象そのものですよね!

その問題に対応するような運動は「生長の家」の運動にはふさわしくないと個人的には感じています。

ですが、同じ環境運動でも、「実相世界の展開としての素晴らしい環境を地上に実現しよう!」みたいな、
もっと人々心に「実相世界」の素晴らしさを訴えていくような運動の方法をとるのであれば、
生長の家の運動にふさわしくなるのではないかとは思いますが・・・。


あー、今夜は夜更かしをしてしまいました💦
明日はちょっと朝寝坊してしまおうっと・・・

5614a hope:2015/07/12(日) 11:20:47 ID:cEpBaIdo

島津さま

web誌友会の司会ありがとうございます。
わたしは、戦争のお話にはどう反応していいのかわからないのですが、
しっかり拝見させていただきお勉強させていただいてますよ。

ところで、今日は榎本恵吾先生の帰幽された日なのですね。

大熊先生がブログで恵吾先生の素晴らしいご文章を紹介されています。

「訊け」さまへのエールとともにですよ!!

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

5615島津綾久:2015/07/12(日) 17:26:48 ID:???
>>5614

キャー、私、大熊先生から褒められちゃった。「あのブログを呼び捨てブログの言う方があるが」とのくだり、あの辺が大熊先生は流石だと思います。信徒ではナイ、しかも、シューキョー大嫌いな私なんですが、そんな私すらもメロメロにしてしまう偉大な人物・・・・・・それが、雅春先生です。「谷口雅春に訊け」ですが、偉大な人物を顕彰する意味を込めているのであり、その辺を大熊先生は、理解下さったておられるのであり、嬉しいですね。

5616a hope:2015/07/20(月) 16:39:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第20巻 p106 



わたしはこの霊媒の言ったとおりの善人であったのである。

貧乏になる稽古ばかりしていて、自分が貧乏しているから人をたすける力もなし、自分も苦しみ、養父母をも苦しめ、妻をも子をも苦しめたのであった。

自分こそこれ善中の悪であったのである。

わたしは現在のような奉仕生活――誰かが経済的に犠牲になったり、そのために家庭が不和になったりするような奉仕生活がまちがいであるということに気ついた。

後年わたしが発行した『生長の家』という雑誌が中心になって一つの信仰団体が組織されるようになったとき、他の宗教団体のように信者の労力を奉仕と称して無償では使わず、信者の財産を献金と称して資本主義の最高形態たる株式会社組織ににし、献金を聖典出版費に対する出資として取り扱い、出費に対しては半期ごとに配当を支払い、献労者を社員とし、各支部の献労者に聖典頒布の手数料を支払うことにしたのは、在来の宗教に見るような本部が信者から奉仕や献金を受けとることをあたりまえのことのように思うまちがいをなくすためであった。

そして狂信者が財産を本山へ献金したり、無料で働いたりするがために狂信者の家庭の内部に反対が起こって、宗教がかえって家庭に風波(ふうは)を起こすことがある弊害を防がんがためであつたのである。

これらは皆わたしの生活体験から在来の宗教に見出される欠点を修正したものである。

宗教が株式会社だと言えば、ただそれだけで本山の営利を目的とした不純な作為があるように考える人があるかもしれないが、「生長の家」を仮に宗教と認めても、「生長の家」そのものが株式会社なのではないのである。

「生長の家」はわたしの創(はじ)めた教えであって無形の道なのである。

その無形の教えを文字に顕わした聖典を出版販売する会社が株式会社なのである。

それは仏教は宗教であって決して株式会社ではないが、大蔵経の出版は株式会社なのがたくさんあるようなものである。

しかも生長の家ではその出版会社の株主は信者自身であって、信者の献金は増殖されてかえって信者に還る組織になっているから、信者はその宗教によることによって本山から財産を搾られることなく、かえってその宗教によることによって聖典頒布の収入を受けるのである。

むろん、わたしも損をしない、わたしは聖典の著者として印税を受ける。

これはわたしの精神労働に対する報酬であって、信者から受ける献金ではない。(もっとも現在はわたしの印税全部が社会事業団へ寄付されている)

生長の家の主張する生活は誰かが犠牲になって、損をして、他を生かす生活ではない。

誰も損をせぬ、誰も犠牲にならぬ、共存共栄の生活こそ正しい生活なのである。

聖典の筆者も、頒布者も利益し、それを購読する読者も決して損をせずわずかの書籍代を支払うだけで毎月支払う数十円、数百円の医薬費治療費が不要になった実例数を知らないのである。

ともかくわたしは長い間の奉仕生活の体験からこの新しい、誰も損をせぬ、誰も献金せぬ、誰も犠牲にならぬ宗教形態を創始したのである。

5617a hope:2015/07/20(月) 16:41:47 ID:cEpBaIdo

>>5616 a hope 所感)

<<しかも生長の家ではその出版会社の株主は信者自身であって、信者の献金は増殖されてかえって信者に還る組織になっているから、信者はその宗教によることによって本山から財産を搾られることなく、かえってその宗教によることによって聖典頒布の収入を受けるのである。>>


昔の「生長の家」の信者は、聖典頒布の収入を受けていたのですね!
聖典の著作権を巡って裁判している現在の「生長の家」とはずいぶんと様子が違いますね💦

雅春先生は、

<<生長の家の主張する生活は誰かが犠牲になって、損をして、他を生かす生活ではない。
誰も損をせぬ、誰も犠牲にならぬ、共存共栄の生活こそ正しい生活なのである。>>
<<ともかくわたしは長い間の奉仕生活の体験からこの新しい、誰も損をせぬ、誰も献金せぬ、誰も犠牲にならぬ宗教形態を創始したのである。>>

と断言されています。


現「生長の家」総裁雅宣先生、そして本部職員のみなさまには、信徒に経済的な負担がかからないような本来の「生長の家」らしい運営を心がけて欲しいですね。

5618神の子さん:2015/07/20(月) 17:32:19 ID:kEnG6jMo
<<ともかくわたしは長い間の奉仕生活の体験からこの新しい、誰も損をせぬ、誰も献金せぬ、誰も犠牲にならぬ宗教形態を創始したのである。>>
と断言されています。

現「生長の家」総裁雅宣先生、そして本部職員のみなさまには、信徒に経済的な負担がかからないような本来の「生長の家」らしい運営を心がけて欲しいですね。
*****************************************************************************************************************************************************
その舌の乾かぬうちに、教団が大きくなると懐が大変になりました、『聖使命会』の制度を造りました、どうぞ愛行してください、と云う事で今のような

聖使命なんて関係ない人の分まで受け付けて、欲かき信徒の欲望を利用して教化部長さん職員の給料がアップしたのです。その恩恵に与かっているのでしょう、

トキさんトンチンカンさんなどは。現実と会わない文章は変えておくべきですね、こんなところが聖典?株主になるだけの資本金のある人の話を一般信徒の話に
しないでください。

あなたのように一切負担しない人は言う必要ないですよ、気持ちよく出している人も幾らでもいるのですから。

5619トキ:2015/07/21(火) 12:32:04 ID:4UjCzrVw
>>5618

神の子さん 様

 聖使命会員制度は、人類光明化運動のパテントは職人に譲られた、ということで以前にも書いたことがあります。

 私が聞いている範囲では、谷口雅春先生が組織指導をされていた時代は、信徒に負担をかけたくない、という
ことで、献金なども最低限にされていたみたいです。特に初期は、教団の財政的な基本があまりできておらず、
かなり財政状況も苦しかったみたいです。そのため、職員の待遇はよくなかったとも聞いています。以前、書いた
栗原先生の件も、古い講師に尋ねると、経済的な背景があったみたいです。

 信徒数が増加して、今までのやり方では通用しない、ということで、聖使命会員制度ができたのはご存知の
とおりです。その後、谷口雅春先生が組織指導を外れられ、組織が肥大化すると、競争のようなやり方で会員
を増やす弊害が生まれた次第です。

 問題は聖使命会員というシステムにあるのではなくて、競争みたいに数字を追いかけるような風潮にあった
と感じております。

5620トキさんへ:2015/07/21(火) 17:45:43 ID:kEnG6jMo
谷口雅春先生が組織指導を外れられ、組織が肥大化すると、競争のようなやり方で会員を増やす弊害が生まれた次第です。
問題は聖使命会員というシステムにあるのではなくて、競争みたいに数字を追いかけるような風潮にあったと感じております。
***********************************************************************************************************************
【谷口雅春先生が組織指導を外れられた】というのは昭和何年の事であり、どのような組織改編がなされ、組織を動かす第一人者は誰になったのですか?
【組織が肥大化すると、競争のようなやり方で会員を増やす弊害が生まれた次第です。】これは何年ごろからの話ですか?

返事をもらってから感想を書きたいと思います

5621神の子さん:2015/07/21(火) 18:41:20 ID:kEnG6jMo
日本中のすべての人に伝道し此の教えを実行てもらいたい、との希望を持っていた雅春先生が

【ともかくわたしは長い間の奉仕生活の体験からこの新しい、誰も損をせぬ、誰も献金せぬ、誰も犠牲にならぬ宗教形態を創始したのである。】と云いながら
【信徒数が増加して、今までのやり方では通用しない、ということで、聖使命会員制度ができた】

と云う事はたかだか100万(全国大会に出るような少々熱のある会員で言えば4,5万)そこいらの会員で組織が動かなくなることを見越せなかったということになりませんか?
その結果、本からのみの原理主義者のようなa hopeさんのような方が【と断言されています。】との感想を述べるのでしょう。

そんな未来を見通す力のない方が大東亜戦争を聖戦と云い応援したが、東京大空襲により東京が焼け野原になる事も見通せず10万人もの犠牲種が出て、戦災孤児が多く出た
ことへの懺悔から、神の国寮の運営をはじめ運営主体の生長の家社会事業団に恒久的財源として生命の実相の著作権を譲ったものでしょう。

それをまた戦いの道を歩もうとはさてさて

5622トキ:2015/07/22(水) 15:36:18 ID:ToK4dAe2
 ロシアの作家が、「直線を引くのは、2つの点があれば十分だ」という言葉を書いています。
では、2つの点を示しましょう。

 戦前、谷口雅春先生が直接、ご指導をされていた時代、組織はお金はあまりなかった(職員
さんが内職をしていたとも聞いています)が、組織内の空気は生き生きしており、自由で闊達
な雰囲気に満ちていたと言います。これは戦前の事情を経験された複数の信徒さんの証言で
一致しております。

 私が生長の家高校生連盟で活動をしていた頃は、そういう雰囲気は薄らいでいました。
当初は、そうは言っても、まだ谷口雅春先生の直弟子の方々がご存命でしたから、宗教
的な雰囲気は強かったですが、そういう方々が他界されるにつれ、官僚的、形式的な
雰囲気が強まっていました。

 これらは、ある日、突然、そうなったのではなくて、組織の肥大化にともない、徐々に
そうなったと理解するのが普通でしょう。

 なお、お願いですが、常連投稿者様は、HNのご使用をお願いします。

5623誰か教えて:2015/07/22(水) 18:07:10 ID:kEnG6jMo
谷口雅春先生が組織指導を外れられ、組織が肥大化すると、競争のようなやり方で会員を増やす弊害が生まれた次第です。
問題は聖使命会員というシステムにあるのではなくて、競争みたいに数字を追いかけるような風潮にあったと感じております。

とのあなたの意見に対し

【谷口雅春先生が組織指導を外れられた】というのは昭和何年の事であり、どのような組織改編がなされ、組織を動かす第一人者は誰になったのですか?
【組織が肥大化すると、競争のようなやり方で会員を増やす弊害が生まれた次第です。】これは何年ごろからの話ですか?

とお聞きしたのですが

戦前、谷口雅春先生が直接、ご指導をされていた時代、組織はお金はあまりなかった・・・・・
これらは、ある日、突然、そうなったのではなくて、組織の肥大化にともない、徐々にそうなったと理解するのが普通でしょう。

が答えですか、戦前の話でなく聖使命会員制度の関係の話をしていることへのあなたの意見なんです。あなたの意見を読むと私には質問したような疑問が出た
のです。53年に九州に行かれる前に組織指導を外れられたというからそれはいつの事か、と聞いたのです。先生は聖使命会員の数又誌友の数(一括購入されている
発行部数)でもって生長の家の教勢を判断されていたと思われるのですが。【組織の肥大化にともない、徐々にそうなったと理解するのが普通】とのことですが
それが雅春先生が総裁の実務を取っていた昭和50年以前なのか以後の清超先生の時かは大事な観点だと思います。

「しかし、「ご利益を得るために献金する」というのでは、本当の愛の行いではありません。生長の家では、聖使命会員の方々を「聖使命菩薩」と呼びたたえていま
す。聖使命菩薩とは「自分が救われるより先に、他の人々を救ってあげたい」という愛他に励む尊い生き方を実践する方々のことです。こうした清い心の方々が
聖使命会員なのです。」と今でも意義について説かれています。
そして「聖使命会に入会されるときには、あなたご自身で氏名を書かれた「誠魂録」を提出して頂きます。」これらに反し身内知り合いはたまた生まれる前の赤子
まで会員として扱うことはいつごろから始まったのでしょうか?私は雅春先生の時代にすでに始まっていたと考えます。

あなたの言う直弟子の方々が組織の中心者であった時代にすでに始まっていたと思いますがいかがですか?これは雅春先生を聖人君子として扱うのか組織運営に
於いては宗教的真理のようにはいかなかったかということが問題になります。総裁の名代として強化部長はいるものと思うのですが、神誌一冊2円のバックに目の
眩んだ人もいたでしょうかと。50年に30歳の人で今70歳ですね。本流の指導者、教団に残りながらもぐずぐすいぅ人たちは清超先生の代に組織を動かしていた人で
しょう。

トキさんのように雅春先生の代にさえ組織運営に問題があったということてせすと、勿論清超先生の目を盗んで組織を動かしていた人間もいたと云う事になります。
私にはそんな方々が本流復活を言うのが解せないです。あなた方が求めるものはいつの時代のものですか?と聞きたいですね。

そんなことに関係して組織指導引退は何時かと聞いているのです。

5624トキ:2015/07/22(水) 19:37:30 ID:O8a8dKlY
 上の曳馬野さんの質問は、「組織」板で書きましたので、よろしくお願いします。

 お金の問題は難しいです。運動をする以上はお金は必要です。ただ、それが信徒
の浄財である、という意識がないと、費用の濫費に走る危険性もあります。ただ、
他人事ではなく、自分もそうならないとは限らない、ということを考えるのも
大事です。自らを省みることも大事です。

5625誰か教えて:2015/07/22(水) 20:42:24 ID:kEnG6jMo
>>5618 の私の文はその前のa hopeさんの投稿が一面観の意見と思えたことに対するものです。
誰の文章かが問題でなく内容が問題です。教団批判を事実に合わない聖典理解からのものと感じたから、反論したものです。
昔の高校生夏季錬成には日教組さながらの意見を言う生徒がいたものです。それに対しても話し合いがされたのです。
青年誌友会であってもいろんな意見がありました。講習会、講演会で拍手する人がいますが私は不思議なんですよ。
そうそうそうなんだよね、って感じで賛意を表現する、総裁の講師の話に自分が評価を与えるなんて馬鹿も休み休みにしてくれと云いたい。
私の意見が変であれば反論すればよいのであって、誌友会の目的は仲間のダベリングの場ではないでしょう。
トキさんが雅春先生の時代は素晴らしかったが組織を退いてから変になった式の論を展開するから、それに対しての意見を書いたのです。
トキさんは何時先生が組織から退いたかは論議する必要が無いという、であるならば雅春先生の時代は良かったが以後変になったというようなことは
言わなければよいのです。私には雅春先生の時代から清超先生の代に渡り、組織に係った人間が本流復活なりトキさんように組織にいるなりして、
あの時は良かったというその事が不思議なんです。あなた方が動かしていた組織でしょうに。
それが本当に真理に適った運動で素晴らしいものであったのならば、なぜ清超先生は雅宣総裁を副総裁にしたのでしょうか?
皆さん雅宣総裁がおかしいという人間だけですよね、こういった掲示板で生長の家の恥さらしをしている人は。
組織で好き勝手できた時代が懐かしいと云う事ですか?本流復活とは。またトキさんの願う生長の家の在り方とは。

これは質問ではありません、a hope さんと同じで言いたいことを書いているだけです。

5626誰か教えて:2015/07/22(水) 21:32:35 ID:kEnG6jMo

自然界との調和を言うと、自然界は現象ですよねと云ってa hopeさんは総裁を批判するけれども、こと人間だけは今生きている自分を中心に考えてものを言う。
波と水は一体です、水を離れた波なんてないし風が吹くという因縁があれば水は波立つのです。

絶対界と云う大実在があればこその万物の存在があるのです。万物の調和の中には自然界もあるのは当然です。その自然界を人間(体験上の想いの塊であって真の
人間ではない)の欲望のままにする、それへの警鐘なんです。その運動がなぜ変なのですか?万教帰一が当たり前であるように、万法は一つに帰一するのです。
絶対なるものに。

その世界に入ることが神想観の目的ではないですか?神想観する人間が自然界は現象でしょうということが解らない。
人間同士の調和はもちろんですが自然との調和も同じく必要なことです。

5627a hope:2015/07/23(木) 09:05:55 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第20巻 p128 後から5行目〜

ホルムズの思考に従えば神はいっさいの「造り主」であるが、神は決して勝手気儘にわれらに不幸を造っているのではないのである。

われらの思考するところにものを病気であろうと、貧乏であろうと、逆境であろうと、順境であろうと、幸福であろうと、われらの思考を鋳型として無差別平等に神はわれらに造り与えてくれるというのである。

そこに人間の自由と、神の当体の無相にして応現の自在なることが確保されているのであった。

それは仏教的思想に癒合したキリスト教思想であって、キリスト教的「造り主」をありとしながら仏教の「無明縁起」と一致しているのであった。

「造り主」の思想と、「無明縁起」は一致し難いものとして、ひとたび造り主を否定してしまったわたしは、ここに再び創造主を発見したのであった。

5628a hope:2015/07/23(木) 09:07:00 ID:cEpBaIdo

>>5627 a hope 所感)

<<それは仏教的思想に癒合したキリスト教思想であって、キリスト教的「造り主」をありとしながら仏教の「無明縁起」と一致しているのであった。>>

雅春先生は、ホルムズの著書『心の創造活動の法則』に出会う事で、それまで感じていたキリスト教と仏教の教えの矛盾を解消されます。

『「真の悟り」とは命がけで真剣に求める者だけが得られるもの』なのかもしれませんね。

5629a hope:2015/07/27(月) 00:01:42 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第20巻 p129 5行目〜

しかし、わたしがいったん創造主を否定し去った後にホルムズの哲学がこうていしてくれたこの神なるものは、まだ現在の生長の家が説いているような実相の神ではなかった。
それは現象界を造り出してくれるところの現象界の創造者であった。

5630a hope:2015/07/27(月) 00:03:02 ID:cEpBaIdo

>>5629 a hope所感)

時々、生長の家の信徒の方々が「教義」について議論されているとき、
『あなたは現象と実相をまぜこぜにしている』みたいなことを言って相手に反論される方がいます。

ここで紹介されているホルムズの思考する「神」は現象世界を創造する神だそうです。

「実相世界」を信じる生長の家の信徒であっても、このホルムズのように『現象界をも「神」が創造しているのだ』と考えてしまうと、
「実相」と「現象」がごちゃ混ぜになってしまうのだと思います。

「現象はない」のですから、「神」が現象界を創造するわけがありませんよね。

5631神の子さん:2015/07/29(水) 06:51:53 ID:kEnG6jMo
【「現象はない」のですから、「神」が現象界を創造するわけがありませんよね。】に関して


私たちの住む世界は常に一つであります。現実は一つしかなく、二つ同時にあるということはありません。二つあるのは現実を離れて空想している時であります。・・・・

現実は常に一つであるということは、右と左と同時に進むことはできない、右でなければ左であり、左でなければ右であります。

その一つだけの現実を絶対というのであります。その一つを最も善であると観る生活が極楽なのであります。  藤原先生


というのが生長の家のようですが、現象と実相と云う観念の世界に生きているのではありませんか?

司会者が現実対応に忙しそうですので一言申し上げます。

5632a hope:2015/07/29(水) 09:55:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第20巻 p132〜



万事は好都合にいったが、家族の健康だけは移転以来、かえって悪くなった。

恵美子が麻疹をする、麻疹が内攻して肺炎になったと宣告される、わたしの健康も悪くなって死ぬような予感がする、折ふし、保険会社勧誘員が来たので保険に加入しようと思うと、審査医が来て診察して見た結果不健康だからだめだと言う。

妻も瀕死の大腸カタルを患う。

どうしてこんな不健康が続くのか自分でも判断がつかなかった。


わたしは毎日、わたしの家庭に不幸や病気が絶えない理由について思索を続けていた。

三界は唯心の所現である。

そのことまではわかっていたから、家族たちの病気が心のあらわれであるということは明かであった。

しかし心をいかにすれば自由になしうるかがまだわからなかったのである。

心配すればその心配が形にあらわれて病気になる、それは解る。

しかし、家族が病気になっているのを心配しないでいることはむずかしいのである。

腹を立てればその乱れたる精神波動が形の世界にあらわれて自分の身体(からだ)が虚弱となり、家族に病気が起こる、それは解る。

しかし、会社などにつとめて、上役から無理な命令を圧倒的に受けたとき、それに対して憤りの念を起こさないことはむずかしいのである。

心が一切現象の源であると知るとき、その心が思うように支配されたならばなんでもないが、その心が思うように支配されない時には、心そのものがかえって恐怖の原因となるのである。

悪を思うまいと思えば思うほどかえって悪を思い、心配すまいと思えば思うほど心配し、怒るまいと思えば思うほど腹立たしくなってくる心はこれはいかにしたらよいであろうか。

心が悍馬(かんば)よりも扱いにくいものであるならば、その心の扱い方によって人が幸福にも不幸にもなるものとするならば、悍馬を乗りこなすのはよほどの名人でなければならないから、人生を幸福に無病に乗りこなす人も、また数少ないと言わなければならないのである。

わたしはそのころはまだ心の悍馬を乗りこなす名人ではなかった。

子供が重病だといって会社へ電話がかかると顔色が真っ青になって、会社を早引きしての帰るさ、電車の中でブルブルと戦(ふる)えている方の人であった。


心と仏と衆生とこの三つが無差別(むしゃべつ)であって、一心転じて仏ともなり衆生ともなり極楽ともなり地獄ともなるならば、結局仏とは常住のものでなくて一つの捉えどころのない現象だと言わなければならないのである。

常住のものではない捉えどころのないところの、仏かと捉えてみれば鬼になったり地獄であったりするような心が神であるならば、わたしたちは何に頼っていいのかがわからないのであった。

ホルムズの説くように、神は当体は無相であって、われわれの念に従って仏とも現われ、鬼とも現われ、応現自在のもので、本来常住の相(すがた)がなんにもないならばこれもまた頼りにならないものではないだろうか。

わたしは思索を重ね、静思を重ねたけれども安住の境地には達しなかった。

(つづく)

5633a hope:2015/07/29(水) 09:57:04 ID:cEpBaIdo

>>5632 a hope所感)

この時点で、雅春先生は、「生長の家の教え」でいう横の真理(心の法則)、仏教でいう「三界唯心所現」はお悟りになっておられますが、
その「心」を制御するすべが見つからず苦しまれています。

そして、この後、いよいよ雅春先生が「唯神実相」を大悟されますが、本当にここのところのご文章は圧巻です。

つづけて謹写していきます。

5634トキ:2015/07/29(水) 22:23:36 ID:Ezw2G2vY
>>5632

 少し余談ですが。

 谷口雅春先生が、外資系の会社にご在籍中、生命保険の加入を断られた
事について、藤原敏之先生が、「それは、そうでしょうなあ。」と冗談を
言われていたのを聞いた事があります。ちなみに、藤原先生は、日本生命
の管理職を定年までされていた方です。それぐらい、当時の谷口雅春先生
のお身体は弱かったのでしょう。

5635a hope:2015/07/31(金) 21:44:16 ID:cEpBaIdo

(>>5632 つづき)

「生命の實相」第20巻 p134 6行目〜


ある日、わたしは静座合掌瞑目して真理の啓示を受けるべく念じていた。

わたしはその時、偶然であろうか、神の導きであろうか、仏典の中の「色即是空」という言葉を思い浮かべた。

と、どこからともなく声が、大濤(おおなみ)のような低いが幅の広い柔らかで威圧するような声が聞こえてきた。

「物質はない!」とその声は言った。

で、わたしは「空即是色」という言葉をつづいて思い浮かべた。

と、突然その大濤のような声が答えた。

「無よりいっさいを生ず。
一切現象は念の所現もして本来無。
本来無なるがゆえに、無よりいっさいを生ず。
有よりいっさいを生ずと迷うがゆえに、有に執して苦しむのだ。
有に執せざれれば自由自在だ。
供給無限、五つのパンを五千人にわかつてなお余り、『無』より百千億万を引き出してなお余る。
現象界は念のレンズによって転現せる化城にすぎない。
かしこに転現するとみゆれどもかしこに無し。
ここに転現すると見ゆれどもここに無し。
知れ、一切現象無し。
なんじの肉体も無し。」

では、心はあるであろうかと思うと、その瞬間、「心もない!」とその声は言うのだった。

今まで、わたしは「心」という得体の知れない悍馬があって、それを乗りこなすのに骨が折れると思っていたのだ。

ところが「心もない!」という宣言によって、わたしは、その「心」の悍馬から実相の大地に降りたのであった。

「心もなければ何も無いのか」とわたしは再びその声の主にたずねた。

「実相がある!」とその声はハッキリ答えた。

「無のスガタが実相であるか。皆空が実相であるか。」とわたしは尋ねた。

「無のスガタが実相ではない。皆空が実相ではない。皆空なのは現象である。五蘊が皆空であるのだ。色受想行識ことごとく空である!」

「空と無は異なるとは思うな。五蘊皆空であるのに空とは無ではないと思うから躓く。
空と無とは異なると思い、『無ではない』と思うからまた『五蘊は無いではない』と引っかかるのだ。
『五蘊は無い』とハッキリ断ち切ったところに、実相が出て来るのだ。無いものを無いとしたところに、本当にアルモノが出て来るのだ。」

「では、実相とはなんであるか」とわたしは訊いた。

「実相とは神である。あるものはただ神のみである。
神の心の顕現のみである。これが実相だ」

ここに神というのはむろん「仏」という意味も含んでいた。

「心も無いのが本当ではないか。」

「無い心は受想行識の心だけだ。
そういう意味でなら仏もない、衆生もない。
心、仏、衆生三無差別と説く場合には、心もない、仏もない、衆生もない。
衆生を抹殺(ころ)し、仏を抹殺し、心を抹殺し、いっさい無いといっさい抹殺したときに、実相の神、久遠実成の仏が出て来るのだ。」

「それが、キリスト教ならイエスを十字架にかけることになるのですか。」

「そうだ。肉体イエスを抹殺した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前から生き通しの久遠のキリストが生きているのだ。
イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である!
今、ここに、久遠生き通しの生命が復活する。
今だ、今だ! 久遠の今だ! 今が復活だ! 今を活きよ。」


わたしの眼の前に輝く日の出のような光が燦爛と満ち漲った。
何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。
しばらくするとその燦爛たる光は消えてしまった。
わたしはポッカリ眼をひらくと、合掌したまま坐っている自分をそこに見出したのであった。

5636a hope:2015/07/31(金) 21:49:37 ID:cEpBaIdo
>>5635 つづき)

それ以来、心、仏、衆生三無差別の心というものが本来無いものであるということがわたしにはハッキリわかった。

迷う心も無いから、悟って仏になる心もない。

迷う心が進化して悟って仏になると思っていたのがまちがいであったのである。

ただの初めから仏であり、神である「実相の心」があるだけである。

その実相の心が展開した実相の天地があるだけである。

浄飯王の王宮を出て、伽耶城を去ること遠からず、菩提樹下に六年静思して初めて悟りをひらいて仏になったという現象の釈迦牟尼仏は本来無かったのである。

『法華経』の中で、釈迦自身が、

「我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫である」と言ったその久遠の仏のみが実在であったのである。

その久遠の仏が今ここに生きているのだ!十字架上に磔けられて、「神よ、神よ、なんぞ我を捨て給うや」と哀号したイエスは本来無かったのだ。

永遠の神性――「アブラハムの生まれぬ前から生き通し」とみずから言ったキリストのみが実在であったのだ。

自分もまた、明治二十六年十一月二十二日に母の肉体より誕生したのではなかった。

そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。

ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始から仏であった自分であったのだ。

わたしはその心境を次のように歌った――

――――――――――
ある日、わたしは心の窓を開いて、

大生命のみ空から光線のように降りそそぐ生命の讃歌に耳を傾けた。

ああ!声のない奏楽、声を超えた合唱

けれどもわたしはその声を聞いていた。

宇宙の囁き、神の奏楽、天使のコーラス。

わたしの 魂 は虚空に透き通って真理そのものと一つになった。

なんと美しい旋律だろう。

「これが真理そのものか!」とわたしは恍然として嘆声を漏らした時、

「お前は実在そのものだ!」

わたしはこう言って天使たちがわたしを讃える声を聞いた。
――――――――――


わたしはついに神を見出し、本当の自分を見出したのであった。

三界唯心の所現である、この心も、また現ずるところの現象をも、一切空無と截ち切って、その空無を縦に貫く久遠不滅の大生命が自分であった。

それ以来、わたしの見る景色が変貌した。

すべての存在が物質でない、何か後光のような燿光(ようこう)を発するエーテルの波のような存在に見えるのだった。

わたしは朝湯がことに好きであったが、秋の遅い太陽は、わたしが朝湯をあがっての帰り道、向こうの樹間(このま)からさしのぼることが多かった。

――――――――――
早晨(そうしん)

日光が樹間からさしのぼる、

生命そのもののような光だ。

うれしい!

自分が一個の生命であることが

うれしい!
――――――――

というような心境であった。

わたしの住む世界が、景色が変貌した。

5637a hope:2015/07/31(金) 21:59:11 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

毎日暑いですね💦

でも、この異常な暑さも現象にすぎません。

神想観をして、聖典を拝読すれば、実相世界の素晴らしさに心が震えて、
わたしは、今、ここに生きていられること、家族と一緒にいられること、
大好きな仕事ができること・・・すべてのことに感謝の気持ちでいっぱいになります。

「生長の家」の教えに出会えて本当によかった!


ところで、今日で7月が終わりなんですが、今回の第35回web誌友会の司会は「島津」さまにお願いしています。

島津さま、どうしましょうか?

20巻のお勉強を終了してもいいでしょうか?

5639a hope:2015/08/02(日) 22:50:07 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第36回 web誌友会 案内 

期間   8月2日〜8月31日まで
テキスト 「生命の實相」第21巻 経典篇 
内容  『甘露の法雨』講義
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

8月に入りましたので第36回 web誌友会を開会させていただきます。

もうすぐお盆ですね。
今月は、先祖供養のためにもこの第21巻の『甘露の法雨』講義を心をこめて学ばせていただきたいと思います。

それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。

5640a hope:2015/08/02(日) 22:51:11 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5641a hope:2015/08/02(日) 22:52:16 ID:cEpBaIdo

はしがき


『甘露の法雨』はいわゆるインスピレーションによって突然浮かんできた思想が一種詩的なリズムを帯びてきたのを書き止めて置いたものである。

後より見るとこの聖経は期せずして、『生命の實相』全巻の真理を縮約して歌ったものになっている。

それを読誦することによっていろいろの奇跡を演じたので、ついに聖経と称せられることになったのである。

その英訳をたんに携帯することによって第二次世界大戦中ハワイの日本民族第二世の軍隊(第百大隊、四四二部隊)がイタリーの南端から上陸する際に、機関銃弾がその英訳『甘露の法雨』に命中しながら、それを貫通することができず無傷で大量の兵員が上陸して戦功をたてたような奇跡もあり、交通事故に遭いながら無事だった実例のごときは数限りもないのである。

この聖経はたんに現実界の人間が読誦して悟りを開いて病気悩苦をさるばかりでなく、霊界の諸霊もその読誦の声を聞いて悟りをひらき、迷える障りの霊も守護の霊となることが後に明らかとなったので、神仏礼拝の際にその祭壇に対(むか)いて読誦すべき生長の家の聖経となったのである。

しかし読んで意味が分からないようでは功徳が薄いので、かつて毎日曜日に東京小石川護国寺の月光殿においてその大要を講義したものを次に掲げることにした。

主として講義の速記によったのでわたしの文章だというよりも、わたしの語調が写されているところに特徴があるであろう。

『生命の實相』の縮約が『甘露の法雨』であるから、この講義を読むだけで生命の実相の大要が摑めることと思う。

第一章は当時の講義の筆記漏れを後より再述して完璧としたのである。

昭和三十九年一月十日

著者しるす

5642a hope:2015/08/02(日) 22:53:28 ID:cEpBaIdo

【神示】


「神の子」なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的である。

現象世界とは現界、幽界、霊界を通じて呼ぶ言葉である。

人間の運命とは「神の子」なる人間の実相(因子〈たね〉)が現象世界に投映する時、時間的空間的に展開するのに、おのずから一定の順序を追うて展開して行くようにだいたい定められているのを言う。

それはたとえば朝顔の種子(たね)の中にはすでに「花」の因子(たね)が包蔵されているが、それが現象世界に「花」となって完成するまでには、日光に逢い、湿気に遇い、芽を出し、蔓を生じ、ついには花を開くというように、だいたい一定の順序を追うて展開するがごときである。

かくのごとく、神の子なる実相人間も、その投影を現象界に完成するにはだいたい一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に遇うがごとく、あるいは幸福に恵まれ、あるいは虐運と戦うことによって、ついに実相人間の現象界への投影を完成するのである。

しかし、その投影が完成するには、その投影は「念波の集積」で成り立っているのであるし、人間は心の自由をもち、自由に実相の悟りによって念波を浄め得もすれば、迷いによって念波を汚すこともできるのであるから、現象世界に実相人間を顕現する過程(進化の過程)を心次第で縮めることも長くすることもできるのである。

霊魂進化の過程を短縮するのは念の浄化による。

念の浄化には、実相を悟ることが第一であり、物質欲に捉われざることが第二である。

物質欲に捉われざるためには「物質本来無し」の真理を悟るのが第一である。

「物質本来無し」の真理を悟る程度に達せざる者には、物質の快に捉われさるための修行としてみずから進んで苦を求めて喜ぶか、物質に快を求めてかえって苦を得る体験を通じて、ついに物質欲に捉われさるに到るかの二途しかない。

前者はみずから進んで嘗(な)める苦行であり、後者は幸福を求むれども求むれども運命的に他動的にやってくる苦難である。

その他に過去の悪業の自壊する過程として自己の霊的流動体に起こる擾乱(じょうらん)現象の苦痛もある。

苦難がみだりに取り去られず、多くの霊魂の霊界通信が苦行の価値を力説しているのもこのいろいろの理由によるのである。

(昭和八年九月十五日神示)

5643トキ:2015/08/03(月) 14:53:26 ID:QRDw9Vfo
 暑いですが、元気で誌友会に参加したいです。
皆様もぜひ、ご一緒に真理を勉強しましょう。

5644a hope:2015/08/07(金) 23:49:12 ID:cEpBaIdo

トキさま、みなさまこんばんは

暑さのせいもありますが、子供たちが夏休みに入って生活や仕事が忙しくなったということもあり、
一日が終わるころにはぐったりとしてしまい、聖典を勉強する余裕がありませんでした(;´∀`)

ですが、大好きな聖典ですからお勉強を止めるつもりはありません。
マイペースでこのweb誌友会も続けていかせていただきますね。


ところで、第一章の初めは、聖経「甘露の法雨」の「神」の項目の解説です。

仏教やキリスト教の考え方を例えにあげて、
万教帰一的に「生長の家」が「神」をとられていることが説明されています。

久しぶりに聖典を拝読しましたが、やっぱり「生長の家」の教えは素晴らしい・・・(*´▽`*)

5645フニュ(´・ω・`):2015/08/09(日) 13:15:32 ID:wLZgPbag
>>雅宣先生は、頭では「生長の家」の真理はかなり理解されているのではないかと思います。

>>ですが、肝腎な「唯神実相」をお悟りになっていないので「現象なし」が徹底されていないのです。


総裁だけではないですよね。これがぁ、これがいっちゃん難しいのですね。

頭では理解できるんですね。雅春先生はわかりやすく書いてくださってますから。実相独在。

良いことがあったり、また人に親切にされたりしたら、勝手嬉しい感情が湧いてくるのと同じで

嫌な出来事や(病気とか、その他いろいろ)があったら勝手に苦しい感情がでてくるし。

実相独在を頭での理解だけだったら、その時の感情の制御は難しいです。うまくいえません。

5646a hope:2015/08/09(日) 19:29:30 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第21巻 p39 4行目〜

この現象界にいるように見えているのは、実は実相浄土にいながら現象界を念の作用にて仮作※1しているのである。

ここに即身成仏※2がある。

だからわれわれは南無阿弥陀仏と称えたとき、すでに成仏している自分を見出すのです。

その実相が悟れた時には、三界は唯心の所現でありますから、自分の立ち向かう環境ことごとくが、神と一つになる、無礙光如来と一つになる、無限の智慧なる、無限の真理なる、完全なる、円満なる、その自分自身の、少しも欠くところなき完全な相(すがた)が、この環境、周囲および体に現われてくる。

そうした時にこの現世が本当の天国となり、浄土となるのであります。

そうして機縁熟して、われわれが念の仮作する人生を投映する銀幕を代えて、霊界の銀幕に映像を投影して生活するようになる時、(いわゆるこの肉体が滅した時)われわれの念が光明一元の波長ばかりを起こすようにしていましたならば、未来世の銀幕には光明一元の世界が投影され、そこにわれわれは指方立相の極楽浄土を現わしていわゆるわれわれは極楽往生したことになるのであります。

これですでに実相では成仏している自分が、現世または霊界において極楽浄土を展開したりしなかったりする原理や、本来去来することなく、来生し往生するように現れる理由もおわかりになったでありましょう。

法顕(ほっけん)という人の訳の『無量寿荘厳経』にはこう書いてあります。

「かの仏如来は来って来る所なく去って去る所なし生なく滅なく過現未来にあらず」これは阿弥陀如来ですが、それと同じくわれわれも「来って来る所なく去って去る所なし過去・現在・未来にあらず」過去現在未来を打ち貫いて、そうして今、このまますでに自分が仏であるということを自覚せしめるのがこの生長の家であります。

(頭注より)
※1・・・本来無いのに仮に作り成す。
※2・・・その身そのまま仏となる。

5647a hope:2015/08/09(日) 19:33:39 ID:cEpBaIdo

>>5646 a hope所感)

<<その実相が悟れた時には、三界は唯心の所現でありますから、自分の立ち向かう環境ことごとくが、神と一つになる、無礙光如来と一つになる、無限の智慧なる、無限の真理なる、完全なる、円満なる、その自分自身の、少しも欠くところなき完全な相(すがた)が、この環境、周囲および体に現われてくる。
そうした時にこの現世が本当の天国となり、浄土となるのであります。>>

これは>>5645のフニュ(´・ω・`)さま(るん吉さま?)の

>>実相独在を頭での理解だけだったら、その時の感情の制御は難しいです。

というご発言にも通じることだと思いますが、
ようするに、頭で実相世界のことや「現象なし」をわかっていても、実相をまことに悟らなければ現世には天国は出現しないというわけですね。


そして、

<<そうして機縁熟して、われわれが念の仮作する人生を投映する銀幕を代えて、霊界の銀幕に映像を投影して生活するようになる時、(いわゆるこの肉体が滅した時)われわれの念が光明一元の波長ばかりを起こすようにしていましたならば、未来世の銀幕には光明一元の世界が投影され、そこにわれわれは指方立相の極楽浄土を現わしていわゆるわれわれは極楽往生したことになるのであります。>>

その肉体が死するときに、実相を悟っていれば、霊界においても極楽浄土は出現するし、悟っていなければ現世と同じような悩みや苦しみが続くというわけですね。


フニュさまがおっしゃる通り、「実相をまことに悟る」てそう簡単なことではないとわたしも思います(;´∀`)

でも、わたしたち「生長の家」の信徒には聖典「生命の實相」という道しるべがあるのですから、本当に幸せだと思います。

わたしは一生「生命の實相」を拝読しつづけ、実相悟ってから極楽成仏したいです。

だって、死んで霊界に行った後も煩悩に苦しみ続けるなんてまっぴらですからね(-_-;)

これからも聖典のお勉強、がんばろうっと・・・!(^^)!

5648フニュ(´・ω・`):2015/08/09(日) 22:09:08 ID:wLZgPbag
a hopeさま。
レスありがとうございます。 いつもご苦労様です。

えっと、はい、るん吉です。(#^.^#)バレテ 嬉し、恥ずかし・・

実相を悟れたら良いけど、その「実相を如実に悟る。要するに絶対境地?」に中々到達出来ない仕組みにでもなってるのか?

と思わせられる位、本当の己を悟るのはあまりにも難しすぎやしませんか?←これ本音。

しかし、こう考えたり、悩んでる我も無いのですよね。・・・頭では解る・・

生命の実相、読も!(*´ω`*)

5649a hope:2015/08/13(木) 09:59:06 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p43 9行目〜

「霊」とここにあるのは「霊魂」のことであります。

霊魂という場合は普遍的霊ということではなく、なんらかの体を備えた個別霊のことであります。

仏教は「無我」の教えでありますから、「霊魂」というものを第一義締としては認めないのであります。

生長の家でも、先刻説明したように、第一義締としては迷う「我」も極楽へ行く「我」もないというのでありますけれども、現世、霊界等のスクリーンに投影された念像が、ちょうど活動写真の銀幕(スクリーン)上に躍(おど)っている人物のように、個別の姿をあらわして見えるのが、現世の銀幕(スクリーン)においては肉体であり、霊界の銀幕(スクリーン)においては霊体であります。

この霊体を現している仮我を、霊魂というのであります。

霊魂という実体が実在するのではない、その正体は念の波によって、そこに実在するかのごとくあらわれている活動写真のごとき映像であります。

5650a hope:2015/08/13(木) 10:00:33 ID:cEpBaIdo

>>5649 a hope所感)

『生長の家の教えは「物質なし」の「唯神実相」なのに、なぜ、本来無い「霊魂(個別霊)」を供養するのか?』

それは聖典「生命の實相」の真理に感動して「生長の家」の信徒になった後、
「生長の家」が先祖供養を大切にしているという事実を知ったときに感じた疑問でした。

おそらく、雅宣先生も同じようなお考えをお持ちなのではないかと感じています。


霊界は現象界と同様、本来無い世界だけれども、肉体をもって生きているわたしたちには「現象界」はどうしても存在しているように感じてしまうように、
霊体となった霊魂にも「霊界」は存在しているように感じているのだと思います。

ですから、現象界で生きている間は、両親や兄弟、友人等の現象の姿を「神の子」として感謝してお祈りさせていただくのと同じように、
ご先祖ざまや生前ご縁があって亡くなった方々の霊魂に対しても感謝し供養するのは当たり前の事なんだと、今は思えるようになりました。

5651a hope:2015/08/14(金) 09:19:17 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p47 1行目〜
 
霊魂が病気をしたり、霊体が病気をしたりするのは変なことのように考えられますが、霊魂が病念を持つようになるのは、肉体的顕現から、霊体的顕現に移る場合、活動写真に喩えると、一つの銀幕(スクリーン)への映写を終わって、他の銀幕への映写に移る場合、
映写と映写との間に何も映らない「間」が生ずる。

この「間」がすなわち個性意識の中断であります。

活動写真に「間」があり、個性意識の中断がありましても、その人の業(映画において、印象の蓄積たるフィルムの絵)に変化のない限りは、再び意識が回復し、再び映画が始まりますと、その霊魂の意識には(界を変えての映画には)同様の病念が浮かぶのであります。

この病念が客観化して、霊魂自身には病気になっているかのような状態を呈する。

われわれから考えますと、もう霊魂になったらば肉体は無いのであるから、病気に罹りようがないと思えるのであります。

われわれから見たならば、体の無い霊魂が体の病気に罹っている。

胃病も心臓も皆焼いて灰にしてしまったのに、その霊魂が胃病にかかっているという実に滑稽なのでありますが、当事者たる霊魂にとっては、決して滑稽ではない、実に病気ありとして痛ましくも悩み苦しんでいるのであります。

といってわれわれも病気になって苦しんでいる霊魂を「体もないのに、自分の念の投影で病気になっている。滑稽だなア」などと言って笑うことはできないのであります。

「体もないのに病気になっている」というのは必ずしも、霊魂ばかりではないのであります。

われわれ自身も、本来こんな不完全な肉体は無いのに、念の投影(かげ)として現象界に肉体というような時間空間に制約された不自由な体を映し出して、それを実に有りと思い自分自身の病念によって、病気としている人がたくさんあるからであります。

こういう人が『生命の實相』を読んで本来肉体なし、病気なしと悟って病気が消えると、その人の病気が治るのであります。

これは皆さますでに信徒たちが体験せるとおりであります。

5652a hope:2015/08/14(金) 09:20:17 ID:cEpBaIdo

>>5651 a hope所感)

ここにはとても大切なことが書かれていると感じています。

要するに「肉体の死は苦しみの解決にはつながらない」という訳ですね。

自殺する人は、現象の苦しみから逃れようと自らの命を絶つのだと思いますが、
亡くなる前に「肉体なし」「現象なし」を悟っていなければ、例え肉体を滅ぼしたとしても、
霊界において「霊体(霊魂)」として苦しみ続けることになるのですね。

ここに「生長の家」の「肉体なし」「病気なし」「迷いなし」「死なし」等の真理の伝道の重要性が明らかになってきます。

終戦記念日を目前にして、わたしは今、戦死された英霊たちの霊魂に思いを馳せています。

当時「生長の家の教え」に触れることで、この真理を悟って戦死された英霊は多いのではないかと感じています。

「生長の家」の教えに触れた者の使命とは、この『「肉体無し」「唯神實相」の真理の伝道』以外わたしには考えられません。

5653a hope:2015/08/16(日) 09:08:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p50 後から6行目〜

だから、病み悩んでいる者には、生命の実相(ほんとうのすがた)が完全円満な神そのままの相(すがた)であるということを知らせてやったならば病が消えてしまう。

罪に悩んでいる者には、神は決して罪を作り給わないから、罪というものは本来ないという真理を知らしてやったならば、その罪と、罪より生ずる苦悩苦患(くのうくげん)が消えてしまう。

こうして一切苦患の源となるべき顛倒妄想を摧破(さいは)するために生長の家は出現したのです。

この真理の宣伝(のべつた)えられるや、天界のもろもろの神が和共(あいとも)に讃嘆して、「善いかな!善いかな!」と讃嘆の声を雨降らしつつ相共に人類光明化のために協力してくれるのであります。

それですから、生長の家では最近古今未曾有のことが起こりつつある。

それは、聖典を読むだけで神懸りになり、その神懸りになった人がちょっと『生命の實相』の受け売りをすれば病気が治るというふうな奇跡が続出する。

これ天界の諸神の共同活動によるものであります。

天界の諸神というのは霊界の上層にいる神格を得た諸霊のことであります。

こうして天界の諸霊の協同活動と人間界のわれらの協同活動とによって『生命の實相』の真理が宣布せられるにしたがい、この世の一切の迷い障りが消滅してしまう。

そうして、この惑障(わくしょう)の消滅とともに、惑障の現われであった地上一切の不幸苦悩は消尽して、このまま、この世が光明の常楽世界となるのであります。

5654a hope:2015/08/16(日) 09:09:26 ID:cEpBaIdo

>>5653 a hope所感)

『生命の實相』の真理は、「現象界」だけではなく「霊界」や「神界」に到るまで鳴り響くのですね!

<<生命の実相(ほんとうのすがた)が完全円満な神そのままの相(すがた)であるということ>> 【唯神実相】
<<神は決して罪を作り給わないから、罪というものは本来ない>>【人類無罪】

というように、その真理は本当に単純なのに、わたしたちはそれをなかなか悟れない(体得できない)・・・(-_-;)

悟れば、此の世が光明の常楽世界になるというのに・・・。

だからこそわたしたちには、聖典『生命の實相』を毎日拝読して、その真理を伝道して行く使命があるのですね!

5655a hope:2015/08/23(日) 22:59:48 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p59 2行目〜

生長の家の人類光明化運動には人間だけが参加しているのだと思うとまちがいでありまして、霊界における高級スピリットが参加していて、霊界からこの光明化運動を護念しているのであります。

そして一信徒が生長の家の真理を説くと、説く人もハッキリ分かっていないし、説かれる人もそれほどハッキリわかっていないのに、難病がパッと治ってしまうような実例がある。

これは、霊界からスピリットが強烈な光明思念を送って迷いの思念を破壊してしまうのであります。

5656a hope:2015/08/23(日) 23:01:17 ID:cEpBaIdo

>>5655 a hope所感)

唯物思想に感化されてしまった人たちには、この霊界とかスピリットとかいう存在を認めるのは難しいかもしれませんね。

わたしは「生長の家」の教えに触れる前からその類の本(精神世界関係)はかなり読んでいたので、
この現世の人間とスピリットとが影響し合っているという関係はすぐに理解できました。

真理を大悟された谷口雅春先生やその愛弟子さんたちがこの現象界に沢山ご存命だったころは、
「生長の家」教団自体が光明思念で満たされていたでしょうから、霊界のスピリットたちもその光明思念に共振し、
「生長の家」の光明化運動を護念してくださっていたのでしょうね。

ですから、たとえ真理を悟っていない信徒であっても、その「おかげ」を受けて、
聖典を拝読したり聖経を読誦するだけで簡単に病気が治ってしまったりするような、奇跡を起こすことができたのだと思います。

5657トキ:2015/08/24(月) 22:15:05 ID:jDE0Dx5.
>>5656

 これはその通りだと思います。

私の縁者の「一白鳩会員」が谷口雅春先生ご先導の神想観に参加したときに、
ものすごいパワーを感じたと言います。奇跡も続出したみたいです。

5658a hope:2015/08/27(木) 09:53:34 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p60 8行目〜

念の世界に、本来無い世界に、勝手に自分たちの妄念で不幸を創り、混乱状態を起こし、それがまたこの現象界に、勝手に自分たちの妄念で不幸を創り、御蘭状態を起こし、それがまたこの現象界に現われでようとした場合に、「かわいそうに」とそこに実相の世界から光明の念が及ぼされてくる、その光明の念が応現して観世音菩薩となり、阿弥陀如来となるのであります。

これは、化身または応化身の神であります。

そして宇宙に遍満する神というのは、実相とか、法身の神とか大本体の神とか言うのであり、この応化身の救済の活動に、霊界の高級霊が参加して活動するのは地上では悟りに近い現世の人々が参加して活動するのも同じであります。

この大本体の神が第一義の神であり、応化神が第二義の神である、これらは霊魂ではないから霊媒には憑(かか)らない。

霊界の高級霊というのは第三義の神と称するのがそれで、その眷族(けんぞく)あたりが、時には「大本体の神」の御名(みな)を僭称(せんしょう)して霊媒にかかってくることがあります。

仏典に「衆生仏を億念すれば、仏、衆生を憶念す」という 語がありますが、神は宇宙に遍満し給うのでありますから、憶念しても、しなくてもすでに満ちてい給うものでありますが、生が迷って、救いを求める気持ちになる。

換言すれば仏または、神を憶念した時に、阿弥陀仏となり、観世音菩薩となって、機に応じて現われ給うので、迷いは無明であり、暗(やみ)である。

暗は本来虚でありますから、そこに光が射せば暗は自然に消滅してしまう。

それが実相の神が、地上に応現し給うと、地上の迷いが自然に消滅してしまうということになるのであります。

5659a hope:2015/08/27(木) 09:55:08 ID:brQxC10.

(a hopeまとめ)

○第一義の神・・・宇宙に遍満する神・実相・法身の神・大本体の神・(光明の念)

○第二義の神・・・第一義の神の「応化神(応化身)」・観世音菩薩・阿弥陀如来 
        ※霊魂・で・は・な・い・から霊媒には憑(かか)らない

○第三義の神・・・霊界の高級霊 (スピリット)

○悟りに近い現世の人びと・・・高徳な僧や宗教の開祖とその直弟子たち・慈善活動家等・現世の高級霊【a hopeの個人的解釈】


○人類光明化運動・・・第二義の神「応化神」の救済活動に、霊界の高級霊(スピリット)や悟りに近い人びとが協力し合って行う運動【a hopeの個人的解釈】

5660a hope:2015/08/27(木) 09:57:54 ID:cEpBaIdo

>>5658 >>5659 a hope所感)

昔から、神さまのことを考えだすと、果てしなくひろがっていく宇宙の神秘を感じるのと同じような気持ちになりましたが、
実際、第一義の神は宇宙に遍満する実相ですから、それは当たり前のことだったのですね。

人間知では考えても考えてもわからない宇宙の果てのような存在が「実相・神」・・・

だから、「神さま」は慈悲深い「応化身」となってわたしたちの前に姿を顕(応現)し「迷っている」わたしたちを救済してくだる・・・

そしてその活動に霊界や地上(現世)で参加しているのが、スピリットや悟りに近い人々・・・

なんか、わたしはだんだんわかってきましたよ。

『縁あって「生長の家の教え」に触れた人々はみな「高級霊」である』どこかでと聞いたことがあります。

そういう意味だったのですね!

5661a hope:2015/08/31(月) 10:46:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p72 5行目〜

しかし、現実をこの現象界を軽んじることが、「無」を悟るということにはならないのでありまして、生長の家では現象界を軽んじようとは決して言っていない。

ただこの現象界を映し出しているところの、その源(みなもと)の世界を把握して、活動写真を映すフィルムをつかんで、この肉眼に見える世界は、その影にすぎないのだということが分かれば分かるほど、すべての現われが実相を映し出し自由自在に、意のごとくになるというのであります。


(a hope所感)

この第二章の前半は「甘露の法雨」の『物質』の項目の解説ですが、
ここには、われわれが「物質無し」「現象無し」をまことに悟れば、妄念、迷いが払しょくされて念のフィルムが無色透明になり、
現象界に映し出される映像が実相一元の完全円満で光明そのものの姿になるという仕組みが詳しく解説されています。

それはとてつもない悟りの境地だと思いますが、それが生長の家を信仰しているわたしたちが目指すべき『実相独在』『唯神実相』の悟りなのですね!

聖典「生命の實相」は学べば学ぶほどそのレベルの高さを実感できます。

ほんとにすごい聖典ですね!!

5662a hope:2015/08/31(月) 10:48:11 ID:cEpBaIdo

ところで、今日は8月31日、今月の最終日です。
本当なら、9月からは第37回web誌友会を開会して「生命の實相」第22巻に移りたいのですが、
まだ、第21巻のお勉強が終わっていなので、勝手ですがこのまま第36回web誌友会を継続させていただきたいです。

トキさま、みなさまいつも勝手を言って申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

5663a hope:2015/08/31(月) 10:48:55 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第36回 web誌友会 案内 (改訂版)

期間   8月2日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第21巻 経典篇 
内容  『甘露の法雨』講義
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5664a hope:2015/09/05(土) 23:21:49 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p79 後から6行目〜


・・・われわれの本質は久遠の実在なのだ。

宇宙に充ち満つる大生命と同体の我こそ自分である。

(自己を指して)大生命ここにありと自覚する。

(また、聴衆をさして)皆様自身のうちに大生命ここに在りと自覚する。

自分が実在であり、大生命であると自覚することが必要なのであります。

自分は宇宙に充つる真理と同じものだ。

自分の実質は久遠の仏と同じものだ。

永遠の真理と一つのものだと悟ることが肝心なのです。

それだのに自分と実在すなわち神とを別々に離して、別物のように考えているから、どんな大宗教もたんなる哲学になってしまって実際に人を救う力がなくなってしまうのであります。

われは真理と一つのものである。

実在と一つのものである。

神と一つのものであるという実感が要するに現実世界を生かす根本であります。

生長の家が仏教、キリスト教と神髄において、同じことを説いていながら仏教、キリスト教に現われない数多くの奇跡を現わしているというのも、そこなのであります。

仏教、キリスト教で言っているのと同じ真理を、抽象的に説かないで、「実在のみある」という立場から、真理を実生活と遊離しないで、生きた人間の中に持ってきて、我すなわち真理である。

大生命である。

と、真理と吾とをぴったり一つに重ねてしまって、吾すなわち真理なりとの大自覚に入らせる。

ここに生長の家が在来の宗教の真理と同じ真理を説きながら、生活上に、治病上に実際の力ができてくるゆえんがあります。

5665a hope:2015/09/05(土) 23:25:51 ID:cEpBaIdo

>>5664 a hope所感)

<<それだのに自分と実在すなわち神とを別々に離して、別物のように考えているから、どんな大宗教もたんなる哲学になってしまって実際に人を救う力がなくなってしまうのであります。
われは真理と一つのものである。実在と一つのものである。
神と一つのものであるという実感が要するに現実世界を生かす根本であります。
生長の家が仏教、キリスト教と神髄において、同じことを説いていながら仏教、キリスト教に現われない数多くの奇跡を現わしているというのも、そこなのであります。>>


仏教にしてもキリスト教にしても、真理を大悟した釈迦やキリストがこの世に存在していた頃は生きた宗教で、
実際に多くの人を救っていたでしょうし、様々な奇跡も起きていたのだと思います。

ですが釈迦やキリストが現象世界を去った後に、どちらの宗教でも偶像崇拝のようなことが起こったり、
<<自分が実在であり、大生命である>>という大切な真理がないがしろにされたりして、
形式ばかりを重視する「救済力のない宗教」になっていってしまったのだと思います。


わたしは、現在の「生長の家」にも、同じようなことが起きている気がしています。

5666a hope:2015/09/07(月) 08:16:52 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p82 6行目〜

・・・けれどもその仏教の説き方にいろいろの段階がある。
声聞遠覚(しょうもんえんかく)などという下段、中段にある人に説く説き方を聞いていますと、「この人間は生まれた以上死ななければならない」などとこんな説き方になるのです。

生きているものは死ななければならないという教えは、生命というものを眼に見えている肉体だと思っている悟りの発達の低い人たちに説く教えなのです。

5667a hope:2015/09/07(月) 08:18:28 ID:cEpBaIdo

>>5666 a hope所感)

わたしは物心ついてきた5歳の時に大好きだった祖父を亡くしてから、
その後何十年間も「この人間は生まれた以上死ななければならない」と信じて生きて来ました。

でも、実際はそうではないのですよね。

それにしても、

<<生きているものは死ななければならないという教えは、生命というものを眼に見えている肉体だと思っている悟りの発達の低い人たちに説く教えなのです。>>

『悟りの発達の低い人たち』とは、ちょっと衝撃的な内容でした・・・(-_-;)

5668トキ:2015/09/07(月) 18:09:19 ID:jVJQMSko
>>5667

 それは、衝撃的でしたね。

これは私見ですが、宗教の教えは、釈尊の時代から、相手を見て法を説く、つまり対機説法という
技法を使います。その場で一番最適な表現と内容で相手を説得します。だから、後から見ると、
必ずしも他の場面では適当とは言えないものもあります。

 例えば、お母さんが子供に「一生懸命勉強しないと、立派な大人になれないよ」というと、
「東大を出ても警察に捕まっている人はいます」と反論する人がいます。しかし、お母さんから
見ると、子供が大人になったときに困らないように、勉強を鼓舞するのが目的で、客観的に、
あるいは学術的に、初等教育の成績と将来の人生との関連を述べるのが意図ではないみたいな
ものです。

 と、まあ、個人的には、こう考えております。

5669フニュ(´・ω・`)るん吉:2015/09/08(火) 00:56:49 ID:???
>>悟りの発達の低い人たち』とは、ちょっと衝撃的な内容でした・・・(-_-;)


生長の家は、要するに「悟り」やもんねぇ。神の子の真理を絶対境地で体験して悟らにゃ、本物の我は出てこない?ですよね?

自我のまま、現象の我のまま?ですよね。「我即神」の絶対境地になってないんやもの。 

例えば、生命の実相を読んで「実相独在の真理」があまりに有難くて、読んだ後は有難い、明るい心持ちになって

その結果、心の法則によって現象界に良いことが起こる。(それは嬉しい事だけど)しかしその時の心は

依然として、自我の心ですよね?新生したわけでは無いですよ・・・ね。

ところで、二代目の清超せんせいは、ご自分が神の子ということを如実に実感されてたんでしょうか?

どう思います?

5670a hope:2015/09/08(火) 09:51:53 ID:cEpBaIdo

>>5668 トキさま >>5669 るん吉さま

コメントをありがとうございます。

わたしは、『生長の家の教えの神髄』=『谷口雅春先生の「実相独在・唯神実相」お悟り』だと思っていますが、
そのお悟りの境地はわたしたち凡人には一生かかっても実感できないような最高レベルのお悟りだと思うのです。

それでも谷口雅春先生は、その御慈悲心から「生命の實相」やその他の聖典の中でそのお悟りをあらゆる方便(対機説法)を駆使して、
わたしたちにもわかり易いように何度も何度も表現を変えて伝えて下さっていますよね?

ですからわたしたちは、聖典を繰り返し拝読していれば、頭ではその理屈はかなり理解できてくると思いますが、
実際には、そのお悟りの境地を100パーセントそのまま感受することはとても難しいことだと感じています。

このお悟りを感受するのには、文章の内容を頭で理解するのは勿論ですが、
その文章から発している波動に自分の波動を共振させることが重要なのではないかと感じています。

谷口雅春先生の波動は最高レベルの波動ですから、自分自身もよい波動を発していないと、
お互いの波動を共振させることはむずかしいと思います。

実際、わたしも心が乱れている時は、「生命の實相」をいくら拝読しても感動しませんし、魂も震えません。

そのような時は、常に三正行を怠らず波動を調えることの大切さを実感します。


谷口清超先生は、谷口雅春先生から正式に法燈継承をされた「生長の家」の法燈等継承者ですから、
かなりのレベルのお悟りをされていたのではないかと思われますが、
それでも、谷口雅春先生のお悟りには及ばなかったのではないかと拝察しています。
( a hopeごときが、大変生意気な発言をして申し訳ありませんm(__)m)

5671a hope:2015/09/12(土) 09:08:08 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p84 

「生長の家」では人間は仏であると始めから直截(ちょくせつ)に断定する。

迷いなんてものは本来無いものだ。

迷えば衆生になり、悟れば仏になるなんて人間の本体はそんなフラフラのものではない。

そんなフラフラな「心」は本来無い心である。

迷いなんて無い、始めからわれわれは仏なのだと断然と迷いを断ち裁(き)ってしまって、断然と「我は仏なり」と肯定してしまうからこそ実際に宗教が生き、実人生を動かす力が出てくるのであります。


不生不滅などというどちらつかずのフラフラの言葉で、われわれの生命を形容したのでは力がでてこない。

われわれは生きとおしの生命であって滅びはない。

消ゆることもない。

迷いを一刀両断に斬り捨てて「生」のみを断然高く掲げ、本来「生」であって、無限の昔から、無限の未来へ生きとおす無限の生命こそ吾であり、無限の生命、すなわち仏であると断言してしまって、そこでわれわれ本来仏であり、無限の生命、すなわち仏であると断定してしまって、そこでわれわれ本来仏であればこそ、滅びもなければ、迷いも無い、そしてこれのみが事実である、これのみが実在である、その他のものはすべて無い、とすべて無いものを斬ってしまって(自己を指差して)「ここに仏あり」と思う。

そうすれば自分のうちに無限の力の宿ることを自覚することもできるのです。

迷いは無い。

ここに仏が坐っている。

今は迷っていて一生懸命念仏して仏になれるというような、そんなフラフラした影みたいな人間ではないのだ。

そんなものは初めから無いものなのだ。

われこそ仏である。

本来無限の仏力が宿っている、これをまず肯定せよと「生長の家」では言うのであります。

心、仏、衆生、三無差別としての仏は本来ない、そういう仏も衆生も心も斬り捨ててしまったとき、なお残る実在――久遠よりの仏のみがあり、それが本当の自分なのであります。

5672a hope:2015/09/12(土) 09:09:49 ID:cEpBaIdo

>>5671 a hope所感)

>>5641で謹写したはしがきにも

<<主として講義の速記によったのでわたしの文章だというよりも、わたしの語調が写されているところに特徴があるであろう。>>

とありましたが、この第21巻の「甘露の法雨」講義は、谷口雅春先生のお話になられたままの語調がそのままご文章になっているようです。

たとえば、違う誰かが「われこそは仏である。」と発言したら、まわりで聞いている人はどんな風に感じるでしょうか?

気が違ったか、もしくは傲慢極まりないと感じるかもしれません。

まったく同じ真理の言葉を伝道するにしても、その真理を本当に悟っている人が話すのと、そうでない人が話すのでは、
影響力に雲泥の差が出て来てしまうのだと思うのです。

わたしたちは「仏の子」であり「神の子」だというのは確かな真理だけれども、
その真理を伝道するにはまずは自分がそのことを自覚し(悟り)その波動を発することが重要だと感じています。


偽我の自分を「仏の子」「神の子」だと勘違いしてしまうと、それは増上慢になってしまいますものね。

わたしはこの『「唯神実相」を悟る』というありがたい課題に、これからも謙虚に取り組んでいきたいです。

5673a hope:2015/09/13(日) 09:25:47 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p89  2行目〜


先日読売新聞に武本喜代蔵さんという大阪天満教師が書いておられるのをちょっと見たのでありますが、この武本という方はキリスト教の牧師さんで信仰によって病気を直された経験があるらしい。

名前も、わたしは十数年も前から聞いて知っているのですが、その方がこういうことを書いておられたのであります。

「信仰によって肉体の内部の病気が治るというのはあたりまえの話だ。しかし肉体の外部の、外傷は信仰では治らない。――」

こんなことを書いておられたのですが、わたしはこれを見て、この偉い牧師さんも本当のことが分かっていないな、と思ったのでありました。

この牧師さんには、われわれの外界に起ることは自分たちの内界の投影であって、外界も心の現われであるということが分からないで、肉体という一定の殻の内側だけが自分の心に左右されるもので、肉体という外殻の外側はもう自分の外だと考えていられるから、こういうことが書かれるのであります。

この方には三界は蜃気楼のごとく唯心の所現であるということが解らない。

自分というものは小さな肉体である。

脳髄に心というものが宿っていて、その心の宗教的感情はわずか五尺何寸、十四貫何匁のこの小さな肉体だけを支配しているとこう考えているのです。
(つづく)

5674a hope:2015/09/13(日) 09:26:58 ID:cEpBaIdo

>>5673 a hope所感)

<<「信仰によって肉体の内部の病気が治るというのはあたりまえの話だ。しかし肉体の外部の、外傷は信仰では治らない。――」>>

「生長の家」を信仰されているみなさんは、この武本喜代蔵さんの考え方を間違いだと思われましたか?

つまりは、『ガンなどの内臓疾患や精神病などの身体の内部の病気は信仰によって治すことはできるが、
事故等で外界からダメージを受けた外傷は信仰によっては治らない』、という意味だとわたしは解釈しました。

わたしは、すでに「生長の家の教え」を5年以上学んでいますが、いまだにこの武本さんの考え方は間違いであるといいきることはできません。

ですが、谷口雅春先生は「甘露の法雨」講義で、この武本さんは『本当のことが分かっていない』とおっしゃっています。

では、『本当のこと』とはいったいどういうことなのでしょうか?

つづけて謹写していきます。

5675a hope:2015/09/13(日) 10:44:30 ID:cEpBaIdo

>>5673 つづき)

ところが、この空間は自分という一点の中心から周囲にレンズを向けたように、念波の広がりによって成り立っているのであって、自分がその空間の中心である。

自分が宇宙の中心である。

いっさいを周囲の空間に現しているのが自分であるのです。

それが分かると、自分は実に偉大なものだという実感が得られるのであります。

そうすると、この自分たち一人一人が宇宙の中心であるといえば、この宇宙には中心ばかりたくさんあるということになって、なんだか変だと思われるかもしれませんが、少しも変なことはない。

無限大の宇宙は、いくらたくさん中心があっても、そのすべての中心をそのまま収容することができるのであります。

みなさんは御存知でありましょうが、楕円形には無数の中心があるのであります。

有限の楕円形にでさえ、無数の中心があるとすれば、無限大の宇宙に、たくさんの中心がありうるというのは当然のことであります。

無限大の実相の宇宙においてはわれわれおのおのが中心なのである。

と同時にわれわれは実相においては一つの大生命と、まったく一つのものであるというのであります。

楕円形の中央の一直線上にある無数の中心が一つでもかけたらその楕円形は成り立たない。

皆それぞれの中心の一つ一つがなくならない中心であるのと同じように、われわれ各自は皆宇宙の中心であって各自は宇宙を双肩に担っているのであります。

そして宇宙の生命と一つになってこの宇宙を動かしているところの存在なのです。

5676a hope:2015/09/13(日) 10:45:39 ID:cEpBaIdo

>>5675 a hope 所感)

「自分が宇宙の中心であったら、他の人はどうなるんだろう?」という疑問がここで一気に解消されますね!

現象は影である。

影の中(仮相)ではいろいろな不都合や差別なんかが起こって見えていても、
実在界(実相)では、わたしたちおのおのが中心で自由自在に宇宙を動かしているのですね!

すごいですね!(◎_◎;)!

5677a hope:2015/09/15(火) 10:58:10 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p101 後から5行目〜


この因縁というものは、人間だけにあるのではありません。

因縁は全宇宙にあるのです。

宇宙の因縁循環して、いろいろの現象を起こしているのであります。

星雲状態も、燃ゆる灼熱の天体が冷めて月になるのも、宇宙の業の流転であります。

宇宙の業が循環流転していろいろの姿を現している。

この世は宇宙の業が流転して、因縁因果の姿を現じているものでありますから、『法華経』にかかれているごとく「劫(こう)尽きて末世が来てこの世が滅尽(めつじん)してしまう」というようなこともおこりうるのであります。

宇宙の業が流転して一太陽系統世界が生成し、やがてさらに流転して滅びてしまう。

その一期間を「劫(こう)」というのであります。

この一期間の週期が終わってこの世が滅尽してしまうようなことが起こっても「実相の浄土」は因縁によって現じている世界ではないから、決して滅びることはありえないのであります。   

(中略)

「実相」の世界は完全円満であっても、現実界ではわれわれは地震にも逢わなければならないと考える人がありますが、広範な大地震というような事件は宇宙の業によって起こりますから、一人の人間の悟りが大地震そのものを無くしてしまうことはできない。

しかしわれわれが本当に実相を知って因縁を超越した時には、地震はありながらも自分が地震に傷つかないような状態になるのです。

生長の家の信徒が自動車に轢かれても、微傷だも負わないというのはすでに因縁を超越した証拠であります。

現象世界の重力の法則によれば自動車に轢かれたらつぶれてしまうか、負傷するのがあたりまえのことでありましょう。

その重力の法則が因縁の法則であります。

その因縁をまったく超越した時には、自動車に轢かれても傷つかない。

憂苦満つる娑婆世界にいながらも、寂光土にいるような状態が現われ出てくるのであります。

なぜならわが環境はわが心の影、三界は唯心の所現であるからであります。

(第二章 終り)

5678a hope:2015/09/15(火) 10:59:58 ID:cEpBaIdo

>>5677 a hope所感)

各地で頻繁に起こっている地震、 火山活動の活発化、 豪雨による水害・・・・
最近の日本列島はどうも落ち着きません。

果たしてそのすべての原因は、わたしたち『人間の業』の自壊なのでしょうか?

もしそれが宇宙の業の流転の一端であるのならば、わたしたちがどんなに自分たちの犯した罪を反省し、
現象問題に対応してもその自然災害を食い止めることはむずかしいのではないでしょうか?

実際、先日起きた栃木の水害でも、自然環境を守るためのソーラーパネル建設が堤防決壊の原因なのではないかという問題もあがっていますよね・

生長の家の信仰により環境保護運動をするのであれば、そのような現象に対応するような形ではなくて、
まずは信徒一人一人が「本来罪なし」の「実相独在」を自覚し(悟り)、それを人類に伝道していく方法が正道だと思います。

そしてそれが本来の「人類光明化運動」だと思いますし、わたしはその方法しか人類救済はありえないと感じています。

5679トキ:2015/09/15(火) 18:38:42 ID:FzzGVrCQ
>>5678

 地球の歴史を省みると、いわゆる「大量絶滅期」という時代があって、例えば大きな隕石が
地球に落ちて、生命体の大部分が死滅した時代もあったそうです。当然、その時代は人間は
存在しなかったのですから、『人間の業』というのも変ですね。

 確かにスピリチュアルな観点からは、人間の意識もある程度は地球に影響を与えるそうです
が、それを極端に誇張するのは逆に危険な気もします。

>>まずは信徒一人一人が「本来罪なし」の「実相独在」を自覚し(悟り)、それを人類に伝道していく方法が正道だと思います。

全く同意いたします。

5680a hope:2015/09/16(水) 00:46:18 ID:cEpBaIdo

>>5679 トキさま

わたしの意見にご同意くださりありがとうございます。

わたしは聖典「生命の實相」を拝読していると、気持ちが明るくなり生きる力がみなぎってきます。

この掲示板でその大好きな「生命の實相」のお勉強ができるのも、管理人のトキさまのおかげですから、
トキさまにはいつも心より感謝しています。


ところで、明日から1週間くらいになると思いますが、事情があって自宅のパソコンが使えなくなります。

ですから、しばらくこのweb誌友会の書き込みをお休みさせていただきますね。


わたしはお休みしますが、今月は先月に引き続き、第21巻を学んでいますのでみなさまどうぞご自由にご参加くださいね。

5681トキ:2015/09/17(木) 19:32:50 ID:A5YPtPrA
>>5680

a hope様

 ご丁寧なご挨拶、ありがとうございます。

ゆっくりと英気を養ってください。
今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

5682「訊」:2015/09/17(木) 19:37:34 ID:???
>>a hopeさん

 突然ですが最近、再度ハマっております。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65720842.html
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65721221.html

 この方、雅春先生の実相一元に達しておられますよ。DVDが英語版しかナイのが残念なんですが、かなりイイです。ご紹介しておきます。

5683純粋教理批判:2015/09/19(土) 10:47:56 ID:DD4jWV6M
部室板がかまびすしいのでこちらに再掲いたします。

復興Gさんのイデア論

うかつなことは申せませぬが、復興Gさんへの疑問を述べさせていただきます。

復興Gさんは徹底したイデア論者のようです。神は無駄なものを与えたまわない。原子力エネルギーは神によって与えられたものだ。これがイデア論に特有の物言いであるのは何度も述べたとおりです。

地球の資源は神からあたえられたものだ。家畜となった生き物は神からあたえられたものだ。復興Gさんの物言いがこれとまったく異ならないのは誰がみてもあきらかでしょう。

原子力を必要としているのは人類だけです。人類以外に原子力を必要とする生き物はおそらくおりません。そんな人類がいったいどれだけの生き物を絶滅に追い込んだのでしょう。神が無駄なものを与えたまわないのであれば、絶滅に追い込まれた生き物は人類を必要としていたとでもいうのでしょうか。それとも、無駄なものは与えたまわないとは、人類のことだけをいっているのでしょうか。復興Gさんにはこのような疑問をどうしてももってしまいます。

5684純粋教理批判:2015/09/19(土) 10:49:19 ID:DD4jWV6M
復興Gさんの物言いひとつとっても生長の家がイデア論であるのはあきらかでしょう。生長の家はイデア論なのですよ。

環境問題をつくりだしたのはイデア論です。生長の家をつくったのもイデア論です。総裁のなかでこのふたつながっているのですよ。

復興Gさんはけっきょくイデア論で総裁を批判している。総裁が否定しているであろう当のもの(イデア論)をもちいて総裁を批判しているのですよ。このことに復興Gさんはまったく気づいておりません。

復興Gさんの批判のごく一部しか読んでおりませんが、それでも以上のことがわかった気がしております。

5685純粋教理批判:2015/09/19(土) 10:53:22 ID:DD4jWV6M
イデア論で総裁を批判することの愚かしさにまったく気づくことなく、復興Gさんは一冊の本を著したのでしょうか。

5686純粋教理批判:2015/09/19(土) 11:50:16 ID:DD4jWV6M
生長の家の歴史は浅く人類的評価はまったく定まっておりません。人類全体の問題を考えるにあたって評価の定まっていない教えをもちだして持論の正当性を訴えるのは適切ではないでしょう。このようなことをされても反論することができません。

原子力がよいとおもうのであれば原子力エネルギーの優越性を訴えればよいだけの話です。教えをもちだして信徒の気をひこうとしているとしかおもえません。

5687純粋教理批判:2015/09/19(土) 12:34:35 ID:DD4jWV6M
重要なことを書きましょう。

復興Gさんがたとえ原子力エネルギーの自然エネルギーにたいする優越性だけで総裁と議論したとしても、その議論の中にはイデア論がひそんでいるのですよ。

人類は自己の欲望を肥大化させエゴむきだしでみずからの繁栄を追求してきましたよね。この追求に少なからず貢献したのがイデア論です。みずからの言葉をもって真理となす。これがイデア論ですから人類にとってこれほど都合のよいものはありません。

人類が原子力を必要とするようになったのはイデア論を都合よく利用して欲望を肥大化させたからです。イデア論と「原子力エネルギーを必要とする人類」は密につながっている。復興Gさんが原子力の必要性を説くとき、その言説の背後にはイデア論が間違いなくひそんでいます。

5689トキ:2015/09/19(土) 15:42:16 ID:YIc16UiA
純粋教理批判 様

 もし、ご希望なら、別の板、例えば、現在あまり使われていない「信仰・体験」板を提供するか、もしくは別に
純粋教理批判 様専用の「トーキングスティック」板を作りましょうか?

 ここは誌友会に使っているので、できれば他の場所のほうが良いかと思います。

 よろしくご検討ください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5690神の子さん:2015/09/19(土) 17:01:23 ID:DRZ7EDG2

<<ここは誌友会に使っているので、できれば他の場所のほうが良いかと思います。

トンチンカンに本流対策室でなら何を書いてもかまわないと云ったのに、本流対策室はそっちのけで、アジ演説の出来るとこへは何処でも出て来る

そを放って置くから差し障りが出るのだよ。うのはなさんを一つの版に閉じ込めるのなら、トンチンカンにも同じ処置をしたらいかが。

5691トキ:2015/09/19(土) 17:29:14 ID:YIc16UiA
>>5690

 コメント、ありがとうございます。

 確かにトンチンカン様に自由な投稿を認めていますが、同時に、純粋教理批判 様
にも自由な投稿を認めています。

 誌友会の場合、最初からテーマが決まっており、それにそった投稿が前提になって
おります。純粋教理批判 様の投稿は歓迎しますが、この場所以外の場所の提案をさせ
ていただいた次第です。

 ご気分を害された点はお詫びしますが、ご理解のほど、お願いいたします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5692トキ:2015/09/19(土) 17:54:24 ID:YIc16UiA
 すみません、追伸です。

 純粋教理批判様の投稿を妨害する意図は全然ありません。
その点は申し上げます。

 よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

5693純粋教理批判:2015/09/20(日) 09:14:11 ID:DD4jWV6M
トキさま

誌友会で総裁を「虚説」と批判するのは許される。その理由をお聞かせください。

こちらの板で総裁を「虚説」と批判するのはよいがそれへの応答は許されない。こういうことなのでしょうか。

一信徒と復興Gさんによる「虚説」発言への応答はここが主戦場であったはずです。復興Gさんがこちらで、「生命の経済学」という実体のない空言をもちだして総裁の環境運動を批判したのは事実でしょう。それにたいする応答がこちらの趣旨にふさわしくないというのはどういう意味でしょう。

5695トキ:2015/09/20(日) 11:09:20 ID:ati5bUBw
>>5693

純粋教理批判 様

 ご投稿、ありがとうございます。平素は弊掲示板をご利用下さり、深く
感謝申し上げます。

 純粋教理批判 様が、a hope 様への反論と書かれていたら、これは私も歓迎を
したと思います。ただ、部室からの横滑りの趣旨を書かれていたので、関係がないか
と理解をしておりました。

 総裁を支持する意見も反対する意見も歓迎をしております。
確かに、復興g様がこちらに投稿をされていた時期は、この場所が「主戦場」で
した。

 が、web誌友会は、主催者が変更し現在、テキストとテーマが決まっており、その内容
で進めることになっております。

 もちろん、純粋教理批判 様も他の投稿者様の投稿も大歓迎いたしますが、
この誌友会の板以外の場所でお願いをさせていただきた、という意味で、
決して純粋教理批判 様の投稿自体を否定したり、反対する意図はありません。

 おそらく当方の書いた表現に行き届かない点があり、誤解を生じさせた点
があったと思います。その点はお詫びします。

 ただ、場所については、趣旨と違いのではないか、という考えをもっています。
 
 もちろん、他の板のご利用にあたって、ご希望があれば、最大限の対応をさせて
いただきます。例えば、純粋教理批判 様専用のトーキングスティック板を設ける事
も可能です。ご検討のほど、お願い申し上げます。

 a hope様も現在、お留守ですから、a hope様のご意見も聞きたいですが、おそらく
は同じ意見になるのではないか、と考えております。

 せっかくのご投稿に注文をつけてしまい、ご気分を害された点は重ねてお詫び
します。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5696a hope:2015/09/20(日) 11:37:02 ID:H4pfxWHA

みなさま、こんにちは。

パソコンが使えないので、スマホからの投稿です。

トキさまのおっしゃるとおり、このweb誌友会板では現在生命の実相 第21巻の『甘露の法雨』講義を学んでいます。

テキストに関係のない内容はお控えいただきたいです。

ですが、わたしの所感に対する反論は歓迎させていただきます。

パソコンが使えるようにならないとお返事できませんが…

よろしくお願いいたしますm(__)m

5697純粋教理批判:2015/09/20(日) 11:38:29 ID:DD4jWV6M
>>5678

>生長の家の信仰により環境保護運動をするのであれば、そのような現象に対応するような形ではなくて、
まずは信徒一人一人が「本来罪なし」の「実相独在」を自覚し(悟り)、それを人類に伝道していく方法が正道だと思います。

これがホープさんの環境運動にたいする考え方であるようです。教えはイデア論だとわたしは思いますが、ホープさんはイデア論を人類に伝道することでイデア論がつくりだした環境問題は消えると、このようにいっているとわたしにはおもわれます。

環境問題を解決するには、「地球の資源は神が与えたもうたものだ」とするイデア論から人類が脱却するよりほかはない。このことをわたしはいっているのですが、ホープさんはどうも逆の方向を向いているようです。

生長の家では「神は無駄なものはあたえたまわない。原子力エネルギーは神が人類にあたえたもうたものだ」と説くようですが、こうした教えで「神は無駄なものを人類にあたえたまわない。地球の資源は神が人類にあたえたもうたものだ」と主張する人々を教えみちびけるおもえるのはなぜなのでしょうか。

5698a hope:2015/09/20(日) 11:38:39 ID:H4pfxWHA

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第36回 web誌友会 案内 (改訂版)

期間   8月2日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第21巻 経典篇 
内容  『甘露の法雨』講義
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5699神の子さん:2015/09/20(日) 11:57:37 ID:.f2R09mc
>>管理人も気がつかないまま、おかしな運営をしている、

テーマ?書いてる一人の人の解釈次第じゃないですかそんなの。この板だけは独善会の反対意見書くと「テーマと外れてる!」と他はほったらかしの管理人も一緒に大騒ぎなんだよね?ふしぎなことに。。
一人だけの解釈で、生長の家の本流や本部がおかしいだの、清超先生の悟りは雅春先生の下だの、悟りを開くだの、散々やって、
テーマといわれたら、ずっと生長の家のテーマなんてはずれてるのにね?
ただの疑問ですので。

5700トキ:2015/09/20(日) 12:03:56 ID:ati5bUBw
>>5699

 ご意見、ありがとうございました。

 ぜひ、誌友会への参加をお待ちしております。
「生命の實相」第21巻 経典篇がテーマです。一緒に勉強をしましょう。

 お待ちしております。

5701純粋教理批判:2015/09/20(日) 12:19:33 ID:DD4jWV6M
>ぜひ、誌友会への参加をお待ちしております。

わたしは参加しておりますよ。みなさまのご意見をお待ちしております。

5702曳馬野:2015/09/20(日) 17:53:53 ID:JPiKJZkg

>>5699 お元気ですね相変わらず、非難中傷がとかなんとかあったようですが。

この板だけは≪≪独善会≫≫の反対意見書くと「テーマと外れてる!」と他はほったらかしの管理人も一緒に大騒ぎなんだよね?ふしぎなことに。。一人だけの解釈で、生長の家の本流や本部がおかしいだの、清超先生の悟りは雅春先生の下だの、悟りを開くだの、散々やって、

テーマといわれたら、ずっと生長の家のテーマなんてはずれてるのにね?・・・・おもろい

〝病なし! 迷いなし! 罪なし!〟これが生長の家の根本真理であります。それでは、神様ただ今より眠らせていただきます。6月13日3:30am谷口雅春先生 最後のお言葉――

〝病なし! 迷いなし! 罪なし!〟これが生長の家の根本真理であります。この言葉は自分の事ばかりでなくすべての人を見る時にもその通りでないのですか?

雅宣総裁は罪を犯しているという人の意見を聞きたいものだ。あなた方の心は病あり、罪在り、ではないかと、罪の観念に満たされていないかと。自分の心以外のものは見ることができないと云われる生長の家。「心の影と云うのは現象の事です。影を見て、引っかかったら信仰は落第です。」と云った講師がいた。

試しに妻に訊いてみた、雅春先生の最後の言葉は何かと、ちゃんと答えれたね。教団で生きているが。此の根本真理に照らして『吾恥ずかしいところ一点もなし』という人間に出遭いたいものだ。

5703純粋教理批判:2015/09/20(日) 21:53:58 ID:DD4jWV6M
>>5675

>自分が宇宙の中心である。
いっさいを周囲の空間に現しているのが自分であるのです。

わたしは自分が宇宙の中心であるというよりも自分が宇宙をつくりだしているとおもいます。いっさいを周囲の空間にあらわしているのではなく、周囲の空間をつくりだしているものこそが自分であると考えます。

宇宙はホログラム映像です。ホログラムをつくりだしているのは自分です。空間をつくりだしているのも自分です。70億の人類が70億のホログラム宇宙をつくりだしている。この「自分」をわたしはドリーミングボディと呼んでいますが、仏教的にはひとりひとりが大日如来ということになるでしょう。

>それが分かると、自分は実に偉大なものだという実感が得られるのであります。
そうすると、この自分たち一人一人が宇宙の中心であるといえば、この宇宙には中心ばかりたくさんあるということになって、なんだか変だと思われるかもしれませんが、少しも変なことはない。
無限大の宇宙は、いくらたくさん中心があっても、そのすべての中心をそのまま収容することができるのであります。

ひとりひとりがひとつの宇宙をつくっているわけですから宇宙の中心はひとつです。中心が無数にあるのではなく宇宙が無数(70億)にあると考えるべきかと存じます。

>みなさんは御存知でありましょうが、楕円形には無数の中心があるのであります。
有限の楕円形にでさえ、無数の中心があるとすれば、無限大の宇宙に、たくさんの中心がありうるというのは当然のことであります。

楕円の中心は・・・。

>無限大の実相の宇宙においてはわれわれおのおのが中心なのである。

実相の宇宙においては、人間は宇宙大の大きさに広がっているのではないでしょうか。「おのおのが中心」ではなく「おのおのが全体」なのではないでしょうか。

雅春先生の教えを正しいものとして物事をつきつめていくとかならず矛盾につきあたります。宇宙には中心が無数にあるとする考え方では、ホログラム宇宙のなかにホログラム人間が無数に存在することになり、ホログラム人間がホログラム宇宙をみている、つまりは映像が映像をみているといった事態をどうしてもまねいてしまいます。

5704トキ:2015/09/20(日) 22:20:16 ID:LtlCeku.
>>5703

 純粋教理批判様のご意見は、たぶん、宇宙論で言う「多元的宇宙論」という発想を
パラレルにしたものかと思います。そういう可能性があること自体は肯定も否定もし
ません。でも、多元的宇宙論にしろ、ホログラフにしろ、人間の三次元的な発想でい
けば矛盾はあるかもしれませんが、4次元以上の発想でいけば、矛盾がないわけでは
ないと思います。(まあ、そこまで行くと、ぶっ飛んだ世界になりますが。)

 多元的宇宙論にしても、生長の家で言う「現象」ですから、その限りではあくまで
も「現象」の世界になります。映像が映像を見ている、という例えも、あくまでも
三次元的な制限の上での例えですから、申し訳ありませんが、私は少し違うと思って
います。

 よく現象というと、映画のマトリックスに出てくる妄想のような、頭脳を制御された
幻のような印象がありますが、実際には、それ自体もないと想像をしています。

 おそらく、現在の人間の置かれた状態は、そういう多元的な世界観でいけば、まだ
初歩の段階でしょう。しかし、そういう初歩の段階をクリアーすることが私たちの
義務ではないかと考えています。

 エコロジストが、Think globally, act locally と言っていますが、実相のあるべき姿
を追求するのが一つの義務としたら、置かれたその場で精一杯生きるのがもう一つ
の義務だと思います。

 小さな、些細なことが大事なのは、そういうことだと思いますね。

5705純粋教理批判:2015/09/20(日) 23:13:52 ID:DD4jWV6M
「多元的宇宙」がマルチバースをいっておられるのであれば、わたしがいっていることとは無関係です。それとも量子力学の多世界解釈をいっておられるのでしょうか。もしそうであればこれもちがいます。多元的宇宙とはなにをいっておられるのでしょうか。パラメーターの数をいっておられるのでしょうか。

わたしはDブレーンについて語っております。もちろん専門的な知識があるわけではありませんが、理論物理学者のマルダセナによればDブレーンにおける、おそらくはひもどうしの相互作用によってホログラム映像がつくられる可能性があるということです。

ホログラム映像がつくられるとして問題は誰がそれをみているのかということです。ホログラム映像は人間の映像をつくりだすはずですが、こうした映像人間がホログラムをみている可能性はないということです。ではいったい誰がみているのか、トキさんはいかがお考えになられますでしょうか。

もちろんホロクラム映像はドリーミングボディ(大日如来)がつくりだす夢のようなものであるはずなので、トキさんがいっておられるように実体はもちろんないものと考えます。

いずれにしても問題は、誰が何をどうやってみているのかということです。理学部出身のトキさんにはぜひともこのあたりの見解をお聞かせねがいたいものです。雅春先生の御文章ではこのあたりがまったく語られておりませんので、できれば雅春先生の御文章にもとづいた見解をおねがいいたします。

5706トキ:2015/09/20(日) 23:27:48 ID:Uri1CqDQ
>>5703

 追伸です。

 難しい論考ですが、宇宙の中心が自分である、というのは、おそらく認識の場では
そうなんだと思います。多元的な宇宙観というか、宇宙のあり方については、まだ確定的
な定説は存在しません。しかし、仮にそれを前提にして考えます。そこで、多元的な宇宙
をマルチバースと呼ぶ事にすると、マルチバースが存在するような空間が存在するとし、
そういう場所がある以上は、そこに中心はあり得ます。それは、おそらくは宇宙意思とも
言うべき存在でしょうが、宇宙意思と密接に繋がっている以上は、確かに、それをもって
宇宙の中心と考える事は可能だと思います。

 しかし、それをもって、宇宙全体と考えるのが適当か、どうかは私は違うような印象は
あります。もちろん、それは否定するまではいきません。考えようによっては、宇宙の
中心でもあり、宇宙全体とも考える事も可能だと思います。

 要は、人間が三次元というレベルで宇宙を表現する以上は限界があり、それはそれで
仕方がないです。その上で宇宙を表現しようとすると、やはり齟齬は生じるのかもしれ
ませんね。

 ただ、それをもって、宇宙の中心である、ということを否定するまでにはいかないと
思っています。

5707純粋教理批判:2015/09/20(日) 23:34:11 ID:DD4jWV6M
雅春先生の御文章は最初のほうだけを読むと現象宇宙について語っておられるようですが、最後のところではいきなり実相宇宙の話になっております。いったいどの宇宙の話をなさっておられるのでしょうか。

また「映像が映像をみている」は三次元に限定されるとのことですが、これを多次元に拡大した場合にはどのような考え方がふさわしいとおもわれるのでしょうか。後学のためにもぜひともご教示ねがいたいところです。

それとマルチバースではなく今あるこの宇宙、ユニバースに限定して話をすすめていただければとおもいます。

5708トキ:2015/09/20(日) 23:38:54 ID:v4x/1O0A
>>5705

 先の投稿は、5704の投稿を拝見しないままだったので、失礼をしました。
純粋教理批判様の言われている事がまだ理解をしていませんので、的外れな点はお許し下さい。

 イメージとしては、私は、スパコンの中の世界が近いのではないか、と想像しています。
スパコンで、生命体の生理作用をシュミレートしたり、気候変動のシュミレートをしたりします。
外部に見せる時にはモニターには映し出しますが、部内で情報を処理する場合では、そういう事
は一切しません。精密講習会で、谷口雅春先生は、実相世界とは具体的な世界だ、と言われてい
ましたが、スパコンの中の情報に近いものが、実相世界のようなものではないか、と想像をして
います。

 谷口雅春先生がそれについて語られているか、という点は私は知らないのですが、おそらく
ご存知であっても、それほど語られていなかったという予感はあります。

 明日は早いので、今日は寝てしまいますが、難しい問題なので、少し思案します。
ご投稿に深く感謝申し上げます。

5709純粋教理批判:2015/09/21(月) 08:12:23 ID:DD4jWV6M
わたしの記憶では、マルチバースはインフレーション理論でもあったはずですが、この理論は旧ソビエトの科学者が考えていたもので、したがって西側に知られたのは冷戦終結後ですから、雅春先生がマルチバースについて語っておられる可能性はないとおもわれます。

話をユニバースに限定いたしますが、わたしが問題にしておりますのは、ユニバースのホログラムはひとつなのか複数なのかということです。雅春先生はひとつであると考えておられるようです。

ひとつとすると、人類はホログラム宇宙(ユニバース)にあらわれたホログラム映像ということになってしまいます。それぞれの人がホログラム映像ということになります。雅春先生はホログラムとしてあらわれた映像人間を宇宙の中心といっておられることになります。

ここで問題が生じます。このホログラム映像をみているのは誰かという問題です。この考え方ですと、それぞれの映像人間がホログラムをみていることになります。ホログラムとしてあらわれた映像人間がホログラム宇宙をみていることになります。これがわたしのいう「映像が映像をみている」状態です。

映像が映像をみる。これはありえない。それぞれが宇宙の中心とされる雅春先生は「映像が映像をみている」といっておられることになります。

5710純粋教理批判:2015/09/21(月) 09:36:09 ID:DD4jWV6M
わたしは宇宙はひとつでもホログラムは複数であると考えます。70億の人類がいれば70億のホログラム宇宙があると考えます。ここが雅春先生とのちがいです。

ホログラムをつくりだしているのは人間です。人間が大日如来です。

5711トキ:2015/09/21(月) 10:40:56 ID:1YpTHrO6
>>5710

 お返事が遅れてすみません。

 今、思い出したのですが、10年以上前、新聞に変わった死亡広告を出した人がいました。

 趣旨は、確か、

 「自分は無宗教であす。だから葬式はしない。と、同時に、今、見えている世界は自分が存在する
限りは見えているが、自分が死んだら消滅するのではないか、という疑問をいだいている。それを検証
したいので、自分が死んだら、自分がこういう事を考えていた、という広告を新聞に出すようにと、私
の家族に遺言として残した。」

というものだったと記憶しています。

 どうやら複数の新聞に掲載されたみたいで、中外日報が後日、記事にしていたのも読みました。
宗教という観点から、参考になる内容だったのでしょう。

 私がそれを読んだ、という事は、ホログラムの世界が単一である、という証明にはならないが、一つ
の資料にはなるかもしれません。(笑) どなたか、お時間のある人は中外日報や他の新聞社に尋ねて
みてください。

 上の話は、ホログラムが複数あるという考えは、昔からあった、ということでしょう。
でも、その証明は容易ではない、ということも示すものだと思います。

 それはともかく、天使の言葉の中には、「百万の鏡をおけば 一個も百万の姿をあらわす」という
言葉があります。谷口雅春先生が、ホログラムが一つなのが70億なのか、という点については、おそら
くは、その中間のような理論をお考えではなかったのではないか、と勝手に想像をしています。「一即多」
ということがそれではないかと考えています。

5712純粋教理批判:2015/09/21(月) 11:06:46 ID:DD4jWV6M
誤解があるようです。70億の人類が70億の宇宙をつくっているとすれば、個人がつくりだしているホログラムはそのうちのひとつにすぎません。これが消滅したところでほかの人たちがつくりだしているホログラムが消えるわけではありません。

5713純粋教理批判:2015/09/21(月) 16:09:18 ID:DD4jWV6M
宇宙がただひとつのホログラムでできているとすれば、あるひとりの超越者によってそのホログラムはつくられたことになります。人間もまた超越者によってつくられたホログラムのひとつということになります。

超越者によってつくられた映像に人間の意識がやどった、それが宇宙の中心としての人間である、とするのが雅春先生のお考えのようにおもわれますが、このようなモデルで映像に意識がやどる仕組みが説明できるでしょうか。人間の持つ多様な要素が説明できるでしょうか。人間関係がなぜ生じるのか、その仕組みを説明できるでしょうか。

たとえば脳には複雑な機能がありますが、それらの機能がいかにして映像に組み込まれたのかの仕組みがこうしたモデルでは説明できないでしょう。ただひとつの可能性は、超越者ではなく人間が共同でひとつのホログラムをつくりあげた、とする可能性であるとおもわれますが、これでは肝心の映像が個人を離れたところにつくられてしまい、人間は離れた場所からそれをみているだけ、ということになりはしないでしょうか。

ホログラム宇宙は人間のなかにつくられなければならない。人間は宇宙の中心でなく宇宙の作り手である。ホログラム宇宙は人間のなかにある。これがわたしの考えです。

5714純粋教理批判:2015/09/21(月) 16:12:51 ID:DD4jWV6M
ホログラム宇宙が人間のなかにあるとするのは独我論ではないか、との批判をうけそうですが、もちろん独我論ではありません。独我論であれば「自分だけが宇宙をみているのではないか」といった不安をまねきかねませんが、わたしがいっているのはこういうことではありません。

宇宙にはただひとつの実体があります。その実体における出来事を人間は、各人がつくりだしたホロクラム映像で体験している。わたしがいっているのはこういうことです。

実体?それはイデア論だ!いえいえ、ちがいます。

ここでいう実体とはDブレーンです。Dブレーンは平面ということにしておきましょう。このDブレーン上に平面世界がある。ご存知のようにこれがブレーンワールドです。人間は平面世界であるブレーンワールドの出来事や体験をホログラム映像へと変換することで立体的世界をつくりだしている。わかりやすくいいますと、ブレーンワールドの出来事はそのままでは体験できないので人間はそれを立体化して体験している。これがわたしの考えでありますので独我論とはまったく関係がありません。

新聞広告の人物は独我論に陥っていたのでありましょう。たしかにこういう考え方なら古くからあります。トキさんは、わたしの考えをこれと同列のもとみなされたようですね。

5715純粋教理批判:2015/09/21(月) 16:45:28 ID:DD4jWV6M
ブレーンワールドの出来事はカオスそのものです。これを立体化したところでカオスはカオスです。カオスをコスモスへと変える必要があります。言葉の出番です。言葉にはカオスをコスモスへと変える力があります。

「カワ」と呼んだことで川があらわれた。カオスがコスモスへと変わる瞬間です。言葉がカオスをコスモスへと変えた瞬間です。言葉がなければ人間はカオスをコスモスへと変えることができません。カオスを「カワ」と名づけた瞬間から人間はコスモスの世界の住人となります。

5716純粋教理批判:2015/09/21(月) 16:58:03 ID:DD4jWV6M
「物質はない」は絶対的真理でもなんでもありません。すべての物質は言葉でつくられています。ないのがあたりまえです。

5717トキ:2015/09/21(月) 18:22:31 ID:1YpTHrO6
 用事で出かけていました。

 Dブレーンについては私は詳しく知らないので調べている段階ですが、ある特殊な
状態で存在するものみたいです。議論されているのは、例えば、10次元とか23次元
とかの存在を前提にしている場合、人間が3次元以上の存在を認識できない理由がまだ
説明ができていないみたいです。ただ、それを現象か実相か、と言うと、私の個人的な
解釈では、やはり現象の世界になると思います。もちろん、実体を現象と理解したら、
純粋教理批判様のおっしゃる通りになるのかもしれません。

 あと、私の個人的な印象ですが、ここで言う「言葉」とは、特定の言語とかいう意味
ではなくて、もっと広い意味、例えば、プログラムに近いような気がします。

 議論から外れますが、谷口雅春先生は、この実相のあり方について詳述はされていな
いと思います。その理由として、生長の家が誕生した昭和の初期は、まだ、ユークリッド
幾何学とニュートン物理学が力を持っていましたから、現在のような理論物理学は世間に
広まっていなかった、という理由があります。

 同時に、谷口雅春先生は、個人の悟りや社会の改善など、いわば「実践」の立場に力
を入れられました。青年の書で、はし書きで、霊界について青年が興味を持ちすぎること
は良くない、と言われていますが、現実世界からの乖離を恐れられたみたいです。その
例で言うと、「実相」があり、それについての基本的な知識だけで十分である、という
のが谷口雅春先生のお立場かと思います。

 さらに、これは私の憶測です。出口王仁三郎さんが、霊界物語で、自分の知識の全て
を開陳することは、神様から禁じられている、と書いています。私は、この実相論につ
いては、実は、それもあるような気がします。

 ただ、Dブレーンはについては、今後の研究により物理学に大きな影響を与える可能
性がありますが、現象と理解するべきだと個人的には思っています。ただ、将来、実相
と現象の間の橋渡しになる部分の説明になる可能性は、否定できないかもしれません。

5718純粋教理批判:2015/09/21(月) 19:31:09 ID:DD4jWV6M
実相とはなにかといっても定義不可能というのが実情でしょう。言葉とはもともと定義不可能なものであり、それを定義した気になって物事を判断するところに排他性や暴力性が生じます。実相独在といったところで外部があるのかないのか、どこまでが実相でどこからが現象なのか、それさえも決定不可能です。

ところで言葉ですが、実相の言葉はおそらくプログラムでありましょうけども、人間が用いる言葉はプログラムではなく「物事を分離させる力をもつもの」と解すべきではないでしょうか。脳のニューロンになんらかの作用をおよぼすものではないかと個人的には考えております。

マルダセナのホログラフィー理論ですが、今のところは3次元空間によく似た空間という制限があるようですし、理論が成り立つ条件としてドッジッター空間とか反ドッジーター空間とかといわれても素人にはまるでわからない世界の話です。

楕円の中心の数がそうであるように、雅春先生の御文章はけっこういい加減なことが書かれているようです。信じるか信じないかの問題であるのならともかく、「宇宙の仕組み」、「世の中の仕組み」、「人間の仕組み」を問題にしようとするときには、こうしたいい加減さが混乱をきたす原因となります。

5719純粋教理批判:2015/09/21(月) 19:45:26 ID:DD4jWV6M
邪悪なまでに難解とされるジャック・ラカンの哲学ですが、ラカンに言わせれば「これ以外の方法で語ることは彼らが許してくれない」となるようです。「彼ら」が誰かはラカンのみが知るところなのでしょうが、「神は無駄なものはつくりたまわない」などと何でもありの言説をふりまわす某御指導者様とは雲泥の差という気がいたします。

5720トキ:2015/09/21(月) 20:30:43 ID:1YpTHrO6
 うーん、このあたりは少し純粋教理批判様と認識が違うところだと思います。

 人間は、確かにそれなりの知識や知能を持っており、科学は発展していますが、
では、人間の認識している世界は、まだプリミティブな段階だと思っています。
その段階の人類に対して、実相の存在を説くのは大事ですが、一即多のあり方
など詳細に説くことが有益か、どうか、という議論があり得ると思います。

 幼稚園児をつかまえて、大学で習う内容の学問、例えばシュレジィンガーの
波動方程式を教えても、理解することなど不可能でしょう。ただ、幼稚園を
出て、ずっと大人になったら、大学という学校があり、そこでは難しい学問
を勉強する、という程度の説明をしておくだけで必要にして十分かと思います。

 谷口雅春先生が生長の家を始められたのは、純粋に「神学」の体系を作る
ためではなく、信仰を通じての人類の救済だと思います。これは谷口雅春先生
だけではなくて、釈尊でもキリストでもそうだと思います。それが後年になり
弟子が体系化して学問にしたのでしょうが、教祖自体はそういうことにはほぼ
無関心だったと思います。

 例えば、経営者なら経営の問題で四苦八苦しているでしょうし、家庭不和や
学業不振で悩んでいる人、病気で苦しんでいる人もいます。人生の意義につい
て苦悩している人もいるでしょう。

 そういう人達の救済がメインの目標であって、教学の理論化という点につい
ては二の次であった、という点が言えるのではないか、と思います。

(つづく)

5721トキ:2015/09/21(月) 20:36:06 ID:1YpTHrO6
 あと、よく宗教者の言動の不一致という点が世間から言われますが、これは実際に
活動をしている人間から見たら、驚くに当たらないと考えています。

 例えば、私はヒラの信徒ですが、もし生長の家の講師の試験で、「地獄があるか?」
という質問にイエスと答えたら、落第でしょう。しかし、自殺する直前の人間に対して
「自殺したら地獄へ落ちるぞ!」と脅したことは責められるべきではないと思っていま
す。

 釈尊でもキリストでも、対機説法というテクニックを使います。その場合、理論的な
整合性よりも結果の妥当性が重視されます。もちろん、それに不満を感じる人がいるの
は否定しませんが、私はそれを肯定します。

(つづく)

5722トキ:2015/09/21(月) 20:55:39 ID:1YpTHrO6
 例えば、Dブレーンにしても最近、ようやく証明されたもので、詳細についてはまだ議論の余地があるものだと
思います。実相とは宇宙創造の根源の存在と言えば、現段階ではそれで必要にして十分だと思います。

 純粋教理批判様の仰りたいことを煎じ詰めると、要するに、実相については詳細もわからないし、定義も不可能
なのだから、それを拝むことは意味がないし、危険である、ということかと思います。

 これに対しては、現段階の人間では、そこまでは不可能だし、その必要もない、ということを私は考えます。
人間も科学も、まだ、プリミティブな段階だから、というのがその理由です。

 ただ、神様をネタに戦争をしたり、テロを起こす人間がいます。それはそれで、政治学や宗教学の問題であり
ます。昔、ビタミンBを発見した人が、これだけは戦争に使われないだろう、と思っていたら、後で潜水艦の
乗組員がビタミンBを使って長期の作戦行動を可能にしている、という話を聞いてショックを受けた、という
記事を読んだことがあります。同じことで、信仰ですら、人間のエゴの道具になりえます。しかし、それでも
ビタミンBの存在価値には変わりはありません。それと同じことです。

 要は受け取る人間の側の問題だと思っています。

5723純粋教理批判:2015/09/21(月) 23:22:49 ID:DD4jWV6M
問題は中心化された個人です。自分を世界の中心とみなす中心化された個人、これが問題です。

中心化された個人は自分中心にしか世界をみない。すべては自分の心の影。自分が正しいと信じるものが真説で、そうでないものは虚説。自分中心に真理を理解した気になって、自己満足でしかない言説を周囲にふりまく。問題が起こればなぜそれが起こるのかを深いところまで考えようとはせず、自分が信ずるものを広めさえすればそれですべての問題が解決するとのご託宣。あげくの果てには自分の言葉を真理と思い込んでなんでもありの言いたい放題。おのれの主観にとじこもって客観性はかえりみない。雅春先生までもが人間は世界の中心と説いておられる。

>純粋教理批判様の仰りたいことを煎じ詰めると、要するに、実相については詳細もわからないし、定義も不可能なのだから、それを拝むことは意味がないし、危険である、ということかと思います。

中心化された個人にお灸をすえる。誰かがやらねばならぬことでしょう。

5724純粋教理批判:2015/09/22(火) 08:54:00 ID:DD4jWV6M
>要は受け取る人間の側の問題だと思っています。

問題が生じたとき、なぜそれが起きたのかとは考えない、教理を広めさえすれば問題は解決する、このように考えるのが宗教です。ようするに「ものを考えない人」をつくりだすのが宗教なのです。

宗教のなかでものを考えようとする人と考えようとはしない人との対立が起きたときに、考えようとはしない人をいかにして正当化するか。トキさんがなされたいのは結局こういうことでしょう。

ものを考えない人は自分中心にしかものごとをみることができないでしょう。自分中心にしかものごとを判断できないでしょう。すべては心の影。ものを考えない人はこうやっていともあっさりと自分を中心化してしまえるようです。「受け取る人間の側の問題」ではなく「受け取る人間の側に問題」というべきでしょう。

教理の体系化はなぜ必要なのでしょう。それは中心化された個人の勝手な解釈をなくすためであるのかもしれません。

5725純粋教理批判:2015/09/22(火) 10:00:49 ID:DD4jWV6M
Dブレーンをもちだすと科学的考察の問題がでてまいりますので、これは取り下げます。代わりに持ち出したいのが、プラトンが語ったコーラです(コーラについては以下を参照)。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/cola01.html

実相と現象のあいだに位置するのがコーラです。コーラは生成の場です。実相を現象へと変換する生成の場でもあるようです。コーラはわたしがDブレーンを持ち出して語ったことを裏づけているかのようですが、実際にはDブレーンを超えています。

>コーラという哲学概念のうちに、私たちは神以前のスピリットの活動を感じ取ることができる。

ここでいう「スピリット」を「外部」と置き換えれば、上記の引用は「私たちは実相以前の外部の活動をコーラに感じ取ることができる」と言い換えることができます。これが、わたしがこちらで述べてきたことです。

コーラを感じ取れるかどうか、これが問題です。コーラを感じ取るにあたって必要となるもの、これをわたしは「一回かぎりのカテゴリー」とこちらでは呼んでおります。

5726純粋教理批判:2015/09/22(火) 10:31:04 ID:DD4jWV6M
プラントといえばイデア論ではないのか。

もちろんイデア論ですが、プラトンともあろう人物がイデア論という単純きわまりない思想を信じていたとはとてもおもえませんね。

イデア論は、ヘラクレイトスの生々流転する世界とパルメニデスの永遠不滅の世界の調和をはかるためにプラトンが編み出した思想とされていますが、問題はこれに外部がくわわるかどうかです。外部がくわわらなければこれはただのイデア論です。

5727トンチンカン:2015/09/22(火) 11:03:40 ID:z9V4A.MQ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
スゴイですね!! この『哲学』みたいなもの・・・ (曳馬野ご一統)

『生命の實相』に替わる、「マサノブ教」用≪聖典≫作成の 「下書き」 でしょうか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

5729曳馬野:2015/09/22(火) 11:23:04 ID:JPiKJZkg

>>5727

ここは誌友会版なんだよね。昔の高校生錬成には所謂左翼系の考え方をする高校生も来たのです。そして座談会になるとただ神の子の話がよいとして参加するレベルの信徒では話にならないような質問が出たこともあるのです。つまりあなたの言う又分派の言う虚説に対し話し合いがもたれたのです。

標語専門でなく虚説であるというのであれば、相手に受け入れられる説明が必要なのです。そういう意味であなたの態度は誌友会参加者としてはあまりにひどいと云わざるを得ません。話をするという態度ではないのです。ただ単に≪ダメ≫というイメージの擦り込みに忙しいだけの人間と認めざるを得ません。

5730トキ:2015/09/22(火) 11:24:23 ID:CeKYIz4g
純粋教理批判 様

 ご投稿、ありがとうございます。おっしゃる通り、教義は必要です。
もっとも、教祖がご存命の間は、教義の必要性は低いかもしれません。
しかし、教祖が亡くなられると、結局は教義しか頼るところがなくなります。

 釈尊の場合は、ほぼ口述での伝承でしたが、後年に至り釈尊の教えをまとめる必要があり、それが第1次と
第2次の仏典結集になりました。しかし、それが後年に至り、仏教の分裂の原因になったと言われます。

 キリストの場合は、逆で、何回かの公会議で聖書が淘汰されたことが最近になってわかっています。
その結果、教会の組織は長年統一は守られましたが、実際にキリストが説かれた教えから乖離した内容
になったし、また、異端狩りで多くの人命が失われたのも事実です。

 谷口雅春先生の場合は、ご存命中に著作や講演という形で教えを遺されましたが、それでも現在、分裂に
至っていることは残念なことです。しかし、谷口雅春先生の教えは、基本的な部分には全くブレがありませ
ん。例えば、神想観をしなさい、先祖供養をしなさい、愛行をしなさい、と言った部分には変化はありませ
んし、解釈に違いが出る余地もありません。それ以上に部分の解釈、例えば世界情勢や環境問題については
解釈に対立があります。そこに組織が分裂に至った原因があります。

 おそらく、本流復活派が考えているのは、仏典結集後の分裂した仏教団体のような状態であり、教団が
理想とするのは、公会議後に統一したキリスト教のような存在だと思います。

(つづく)

5731純粋教理批判:2015/09/22(火) 11:58:22 ID:DD4jWV6M
>>5729

たしかにそうですね。誌友会の参加者から教理にかんする疑問が提出されたときに、「生長の家は救済がメインですからそういう疑問には答えないことにしています」では話になりませんよね。

トキさま、いかがでしょうか。

5732トキ:2015/09/22(火) 12:02:57 ID:CeKYIz4g
>>5731

 ご投稿、ありがとうございます。

 例えば、誌友会の参加者から教義に関する質問があったときには、疑問には答えるべきです。
また、私の知る限りは、そういう努力はなされてきたと認識をしています。

5733純粋教理批判:2015/09/22(火) 12:19:26 ID:DD4jWV6M
>例えば、誌友会の参加者から教義に関する質問があったときには、疑問には答えるべきです。
また、私の知る限りは、そういう努力はなされてきたと認識をしています。

こちらの誌友会板でも努力はなされるということですね。

5734トキ:2015/09/22(火) 12:21:09 ID:CeKYIz4g
>>5730

 教祖の想いを考えると、分派というのはさけたいところです。

 ただ、分派が出る余地がないような教義の設定や解釈の強要をすると、行くつく先は
独裁の正当化という世界になるような気がします。しかし、それでも限界はあるでしょう。

 教義の一本化に正当化したキリスト教ですら、プロテスタントやイギリス国教会やギリシャ
正教が生まれています。「個人の勝手な解釈」を撲滅するのは、不可能ではないか、と思って
おります。生長の家も、これから世界規模で拡大すると、国ごとに解釈に相違が出てくるのは
当然に出てくると思います。ましてや、これだけ価値観の多様化した現代では、ファンダメンタル
な部分ではみなさん同じ思考でも、それ以上の部分になり、統一することは無理だと思います。

 その上で、分裂を回避したい、となると、これは組織はファンダメンタルな部分にのみ特化し
それ以上の部分では、「個人の勝手な解釈」を認める、という方向しかないのではないか、と
感じております。

5735トキ:2015/09/22(火) 12:24:48 ID:CeKYIz4g
>>5733

 努力はします。ただ、必ずしも期待できる返答があるとは限りません。

 うのはな様が、ここの管理人は無能だ、という正しい指摘をされています
が、能力の限界はあります。それもかなり低いですよ。

例えば、戦前の生長の家の云々という質問だと、ここではなくて、別の人
への質問のほうが適当かもしれません。

 また、マニアックな内容のやりとりだと、長期に至る場合は場所をかえ
てゆっくりと対話をしたほうが良いかもしれません。

5736トキ:2015/09/22(火) 12:29:01 ID:CeKYIz4g
>>5729

曳馬野様

 私自身は、「虚説」という表現を使ったことはありません。が、教団発表する教義についての
批判をする意見の中には、的確な内容のものがあります。それに教団側がまともな回答をした事
は知りません。

 先日も、某教区で、教団の幹部が現在の総裁の方針の正しさを説明に地域の会合にこられたの
ですが、出席者から矢継ぎ早の質問をされ、右往左往し、ついに、

 「実は、私もよくわからないのです。」

と告白していました。

5737トキ:2015/09/22(火) 12:29:54 ID:CeKYIz4g
>>5736

 ここは、やはり、教団側も「虚説」との批判には、丁寧に説明をするべきだと思います。

5738トキ:2015/09/22(火) 12:56:50 ID:CeKYIz4g
>>5725

 Dブレーンの話題を引っ込めてくださり感謝します。

 何せ、Dブレーンを勉強しようと思ったら、相対性理論や量子力学の勉強からやり直す必要がある
とのことで、純粋教理批判様は頭が良いので簡単に理解できるでしょうが、私は返答がいつできるか
不明な状態だったのです。(笑)

 コーラの話ですが、私もまだ十分に理解をしているとは思いません。ただ、神以前の存在という
のですが、ここに言う「神」とは第2義の神と理解すべきなのかもしれません。第1義の宇宙創造の
神様以前の存在だとしたら、人間が認識ができる存在なのか、どうか、という疑問を感じております。

 しかし、それはそれで、否定するまでの見識を私は持っていないので、一応は肯定したとします。

 このコーラの話とか、あるいはスピリチュアルな世界から、宇宙も、地球も、その構成物である
鉱物や自然も神の表れである、という発想自体は、谷口雅春先生は否定されていなかったと記憶し
ておりますし、私も否定するつもりはありません。が、私は優先順位については、かなり強く主張
します。おそらく、谷口雅春先生もその点は否定されないのではないか、と勝手に考えております。

 例えば、人間でも、法律ではどの人間も同じ価値を持つとされています。しかし、主観的には、自分
の親兄弟と赤の他人では、同じ人間でも、重さは当然違います。生物でも、人間と人間以外の生物は、
スピリチュアルな観点では同等かもしれませんが、人間の視点からは当然に違います。いや、それは
間違っている、という反論はあるかもしれませんが、そうなると、もう、元禄時代の「生類憐みの令」
の世界になります。そういう世界に普通の人は住みたいとは思わないでしょう。

 生長の家の信仰は、あくまでも普通の市民生活をしている人間の生活を対象にすべきだと思います。

 確かにスピリチュアルな世界観を徹底したら、私の考えは否定されるべきなのでしょう。しかし
人類はまだプリミティブな段階というべきで、そんな高尚な段階にはまだ至っていないです。法律に
詳しい人に尋ねると、動物と人間を救助するべき場面で動物を救い、人間を見殺しにすると、現在の
刑法では殺人や遺棄罪などの犯罪になるそうです。もちろん、純粋教理批判様がそういう主義でこれ
から生活をする、というのなら、それは純粋教理批判様の自由ですから、止めませんが、おそらくは
他の人の共感は呼ばないでしょう。

 ただ、無制限な環境破壊などは肯定されないのは当然で、それはそれで、スピリチュアルな世界観
やコーラの話で正当化されるとも思っています。

5739純粋教理批判:2015/09/22(火) 13:56:13 ID:DD4jWV6M
トキさま

>ここは、やはり、教団側も「虚説」との批判には、丁寧に説明をするべきだと思います。

教団は何が虚説だと批判されているのですか。

5740純粋教理批判:2015/09/22(火) 14:12:02 ID:DD4jWV6M
>純粋教理批判様がそういう主義でこれから生活をする、というのなら、

「そういう主義」とは何でしょうか。わたしの主義をあえていうなら「人類ほんらいの能力をとりもどす」という主義です。あらためてたずねますがわたしがどこで「そういう主義」を語っておりますでしょうか。

それと第一義、第二義といった型にはまった応答は避けるべきでしょう。コーラはこのような単純な話で片づけられる問題ではないと考えております。生長の家の人は決まりきった型にどうしても思考を閉じ込めてしまいますよねえ、

5741純粋教理批判:2015/09/22(火) 14:14:25 ID:DD4jWV6M
「個人の勝手な解釈」が「この教えを広めさえすればすべての問題が解決する」や「この教えにしたがわない考え方は虚説である」となったときに、解釈は原理主義とみまがうばかりの危険思想に近づく可能性があるのではないでしょうか。

ユダヤ教のタルムードをご存じでしょうか。これは解釈だけで成り立っているような経典のようなものだろうと推測いたしますが、いつの時代にあっても対立するふたつの解釈があって激しい議論のやりとりがおこなわれるようです。やりとりの様子は両論併記という形でタルムードにつぎつぎと書き込まれていくものであるようです。

解釈とはいっても「個人の勝手な解釈」が許されるわけではなく、解釈の仕方に一定のルールがあり、それをまもることで「終わりなきやりとり」が可能となるようです。ようするに、やりとりを継続するための知恵があるということです。生長の家にそのような知恵があるでしょうか。個人の勝手な解釈による議論を継続できるような知恵が、生長の家にあるでしょうか。歯止めなき解釈、知恵なき解釈、議論なき解釈は解釈の暴走をまねくだけです。

議論ができるかどうか、これが問題とおもわれますが、現状をみるかぎりそれは不可能といわざるをえません。反証不可能な超越項の乱用はつつしむ。説明責任を果たす。議論を継続するためのこれは最低限のルールであるとおもわれます(説明責任をきれいごとで放棄し、反証不可能な超越項による反論しかできない人がいましたよね)。

5742純粋教理批判:2015/09/22(火) 14:18:37 ID:DD4jWV6M
Dブレーンにかんして、わたしはど素人ですからトキさんに勉強していただいて教えていただくつもりです。

5743曳馬野:2015/09/22(火) 14:52:11 ID:JPiKJZkg

>>5738 .>宇宙も、地球も、その構成物である鉱物や自然も神の表れである、という 『発想自体』 は、谷口雅春先生は否定されていなかったと記憶しておりますし、私も否定するつもりはありません。が、私は 『優先順位』 については、かなり強く主張します。おそらく、谷口雅春先生もその点は否定されないのではないか、と勝手に考えております。

確かに 『スピリチュアルな世界観を徹底したら、私の考えは否定されるべきなのでしょう』。 しかし 『人類はまだプリミティブな段階というべき』 で、そんな 『高尚な段階には』 まだ至っていないです。 『   』は私が付けました。


●「発想自体」ですか?実相の大地に降り立ったのだ、と言われているのです。存在の実相を観た上での立教ということになります。この「実相」なる言葉が何を指しているかは、至った人しか解りません。『優先順位』という見方は、この世の森羅万象が分離したものとして存在している、との六識の「差別智」からの見方であり、八識と云われる「実相智」からのものでないと思います。その実相智に至るための行事として「神想観」はあるのではありませんか?色々聖典を読むことは良いけれど、いよいよというところは神想観によらなければならない、と説かれていませんでしたか。トキさんは神想観により究極の存在に至りその上で、この肉体人間がこの世界の経綸の主催者と云われるのですか?

人類は原始と呼ぶべき精神発達段階であり、『高尚な段階には』 まだ至っていないです。これも上の説明と同じで現象を差別智から見たものではありませんか?「人間神の子」「無限の智慧徳相を具す」との生長の家に外れていませんか?

現象のお蔭を与えるべく真理の話をするのは、火のついた家の中で遊びに夢中になる子供を外に連れ出すための方便であると、法華経の喩えを引いて説かれたのではないですか?「すべては与えてある」との世界の体験こそが一番でしょ。然るにお蔭を与えようとしないのは救済の否定だぐらいの感想が在るのは如何なものでしょうか。「神想観」により到る世界の体得が生長の家の目的でないですか?これこそが生長の家の救済でしょう。私も本当には知りませんが、その世界にたどり着いたという人に遇いたいものです。そんな人であれば今の状態を解決するのは容易いものと考えます。

到らない人(こんな日本語にも真理が見えます)同士で話をするのは夢の中で喧嘩していると夢見ているのと同じことでないのでしょうか。このトキさんの言葉には私が思っている生長の家とは大分違うものを感じます。

5744純粋教理批判:2015/09/22(火) 16:43:16 ID:DD4jWV6M
リンクを貼ったさきが間違っていたのか、話がスピリチュアルの方向に向かってしまいました。スピリチュアルにはまったく関心がないので、とりあえず話の矛先をかえていただきましょう

コーラとは生成の場であるとともに外部への通路がひらかれた場所です。Dブレーンをコーラに、ホログラムをドリーミング(夢見)に置き換えていただければ話は通じるはずです。

Dブレーンをコーラに置き換えたことで、直観的にも、体験的にも、想像的にも話せるようになったはずです。生成の仕組みについてはすでに述べたとおりです。

5745純粋教理批判:2015/09/22(火) 16:59:28 ID:DD4jWV6M
個人の勝手な解釈どうしのひらかれた議論。ひらかれた生長の家実現のためにこれを実現しましょう。ルールは、説明責任を果たす、反証不可能な超越項の乱用はつつしむ、これでいいでしょう。

誌友会参加者として質問させていただきます。

「すべては心の影」とはどういうことをいっているのでしょう。

そもそも心とは何なのでしょう。

以上ふたつの質問に答えていただけることを期待いたします。

5746トキ:2015/09/22(火) 17:52:28 ID:CeKYIz4g
 ご投稿、ありがとうございます。いくつもご投稿やご質問を頂戴したので、どれから返答を
したらよいやら、と思案しています。極力、説明をいたしますが、宗教の説明は科学の分野と
異なり、最終的には、「信じるか、信じないか」の世界になるので、ご期待にそえない可能性
が高いのであらかじめお許しください。

 まずは、5745から自分の意見を申し上げます。

 生長の家の世界観は、唯神実相論という考えから出発をしています。

 平たく言うと、この世界で実在するものは神のみであり、ビッグバン以後に誕生した世界は
あくまでも全てバーチャルな世界だという発想です。この発想は古代ギリシャ時代にも存在し
たという話は聞いた事がありますし、最近の死海文書などの研究から原始キリスト教もほぼ
同じ発想をしていたと読んだ記憶があります。

 その意味では、谷口雅春先生の発想ですが、歴史上、他の宗教家も言っていたとは言えるで
しょう。これは生長の家の発想ですが、神様の啓示と考えたら、共通するのは当然だと言える
でしょう。

 さて、バーチャルな存在だとしたら、人間を含めて、全ての存在が仮想の存在という事に
なってしまいます。当然、本来なら「心」もない、ということになります。しかし、論理的
には、バーチャルな世界でも、そのバーチャル自体は神様のある種の意思の反映ですから、
神様とは全く無関係ではありません。

 聖書には、神様は人間を造られた時に、「はなはだ善かりき」と言われたとあります。
その意味では、神の最高の自己実現である、という事になります。同時に、神は人間に
自由な意思も与えた、と書かれています。

 余談ですが、よく小説家や漫画家が、作品を書いていると、登場人物が勝手に動きだす
と言います。それに近い状態ではないかと思います。

 バーチャルな世界とはいえ、そこに神様の意思が反映している以上、人間は神の最高の自己実現
である、という論理が成り立ちます。同時に、そこにある意思は、神の意思がそのまま反映したもの
ではない以上、ある種、独立した意思が成り立ちうる事になります。

 これを、仮に「心」と命名します。

(つづく)

5747トキ:2015/09/22(火) 18:10:45 ID:CeKYIz4g
 この「心」は、神様のご意思とは密接な関連がある以上は、心の動きとバーチャルな仮想世界
とも密接な関係があります。生長の家では、このバーチャルな仮想世界を「現象」の世界と言います。

 神がそのバーチャルな世界上にある人間の意思に自由を与えた以上は、直接には、神が人間
を操り人形のように動かすことは、しない、ということになります。が、結果は密接に「現象」
の世界に反映することになります。

 環境は心の影、というのは、この密接な連動を指します。

 以上は生長の家の発想を一般の人向きに咀嚼した(つもり)です。

 では、この以上の理論を検証することは可能か、というと、一般論としては
不可能です。ただし、個々の人間が、それを信じる、信じないかを決めるため
に検証をすることは、可能です。以上の理論については、谷口雅春先生が膨大
な書物に書かれているので、それを読んで、自分が実践し、それで自分の生活
や仕事が良い方向へと変化したなら、それは信じる契機となる、というもので
す。それで、多くの人が実践し、生活が向上したり、その他、納得ができる結果
が出たので、信じている、ということです。

 悪い言い方をすると、英語で、Take it, or leave it.という考えがあります。
信じるか、信じないか、という世界になってしまいます。

 演繹的なアプローチでは検証は不可能。実践するしかない、というもので
す。その意味では、残念ながら、ご期待にそえない結論になってしまいまし
た。

5748曳馬野:2015/09/22(火) 18:12:05 ID:JPiKJZkg
純粋教理批判さんの意味する「スピリチュアル」「反証不可能な超越項」とはどのような事を指しますか?

私のような禅と生長の家しか知らないものにはカタカナを使っての話が分かりにくいのです。

意識に上った風光に対して日本語であれば「心象」の言葉で用足りると思うのですが。ホログラムとかドリーミングの言葉を使われますと日本語でさえ人によって汲み取る意味が変わっていることが度々ですので、カタカナは先にこのような意味で使うと定義出来れば話は進むと思いますが、『現象』の定義ひとつでも難しいものになると思いますよ。

心にしても「私がいると認識する心」と「本来の心」と二通りに生長の家では説きますよね、禅では意識になる前の対象物に同化しているものを本心とし、その一瞬後に出来事に意味づけした状態の「念」に変化したものを心の変成作用としているようです。

ですから「心とは何なのでしょうか」?と問われましても、説明はできても、本心の方は禅で言えば究極の存在そのものとされていますので、言葉の世界では決して理解不能ということになります。

「すべては心の影」とはどういうことをいっているのでしょう。にしても説明としては心に応じて二通りに説明はできますが、本心の働きにより出来上がった世界は心を極めた人にしか納得できないと思われます。

『不立文字教外別伝』と云われる存在の根源を言葉で知ろうとすることがそもそもの間違いであろうと考えます。禅では自分の本来の姿を知ることを持って悟りとするようですが、考えで知るのでなく、自分というものが存在し生きているという意識が抜けなければ達することはできないようです。ですから今の私は、自分という限られた意識体があるとしたうえでの話は、全て本質に行き着くとは考えていません。

5749トキ:2015/09/22(火) 18:18:21 ID:CeKYIz4g
>>5741

 私はタルムードについては詳細は知りませんが、その内容はかなり生活に密接に関連したものだ
という印象を受けています。それと、ユダヤ教のラビも基本的には、普通の仕事をしながら信仰の
活動をするとも聞いています。(まちがいだったらゴメンなさい。)

 その意味では、生長の家とも近い存在ではないかと思います。その意味は、世俗から独立した
存在になる事による危険性への対応だと思います。

 過去、生長の家がかかえていた、または現在かかえている問題は、組織が大きくなり、その
中で、官僚化や形式化が進んだことにあると感じています。

 信仰の暴走、ということよりも、自分は活動や組織の暴走、という印象を受けています。
それは、かなり世俗的な部分もあります。活動や組織の暴走を防止することは、組織内の
システムを改善することで十分に可能です。

5750トキ:2015/09/22(火) 18:45:18 ID:CeKYIz4g
>>5742

 Dブレインについては、難しいので私も四苦八苦しています。
まあ、何年か先にはわかるかもしれません(笑)。

5751純粋教理批判:2015/09/22(火) 18:48:38 ID:DD4jWV6M
>純粋教理批判さんの意味する「スピリチュアル」「反証不可能な超越項」とはどのような事を指しますか?

まずは「反証不可能な超越項」とは「神が完全なる実相世界をつくった」といったような表現です。このようなことをいわれても反論のしようがない。実相世界が創造される様子を多少なりともイメージできるような表現をしてもらわなければ反論のしようがないということです。

「スピリチュアル」にかんしてはわたしもよくわかりません。世間ではふつうに使われているようです。かつてブログでスピリチュアルにかんしての質問をうけたことがありますが、答えられないので適当にごまかしました。

ところでドリーミングですが、これは北米やオーストラリアの先住民が用いている言葉のようです(ちょくせつ聞いたことはありません)。世界はある何者かが夢見ることでつくられているとする考え方、これがドリーミングです。

ドリーミングとは世界はある何者かの夢の中の出来事であるとする考え方ですが、こうした考え方がDブレーンのところで説明した「70億の人類に70億の宇宙あり(70億の人類が70億の夢をみている)」とちょうど符合するので、ホログラムの使用はやめてドリーミングの用語に置き換えました。

ドリーミングは心理学者のアーノルド・ミンデルがいたるところで用いておりますので、詳しくはこちらを参照してください。こちらの掲示板ではドリーミングという言葉が何度も用いられているようなので意味の説明ははぶいたという次第です。トキさんも聞かれたことがあるはずです。

「すべては心の影とはどういうことをいうのか」はこちらの板で「すべては心の影」と言い続けている一信徒にたずねたものです。「個人の勝手な解釈どうしのひらかれた議論」としてたずねたものです。

この方は「心の影」を乱発しておられるようなので、どういう意味でそれを使っておられるのか、まずは確認する必要があったというわけです。トキさんに答えていただいてももちろんかまいません。

5752トキ:2015/09/22(火) 18:54:43 ID:CeKYIz4g
>>5748

 純粋教理批判様が言いたいのは、議論に負けそうになると、神様とか真理とかいう実証
不可能な事柄を持ち出して、議論を打ち切るのは卑怯だ、ということなのでしょう。

 私もある部分ではその考えに共鳴しますが、宗教の場合、最終的には「信じるか、信じないか」
という結論になってしまうので、難しい点でもあります。

 それでも議論をするのは、何かの結論をだす、というよりも、それを読んだ人が自分の
宗教観や信仰のあり方の参考にするための資料として有益である、ということでしょう。

 ところで、純粋教理批判様が生長の家について、いくつかの批判を書かれています。
生長の家の信仰に限らず、宗教団体がある個人を傷つける言動をする場合はないとは限り
ません。生長の家では、愛と知恵との十字架で、と言います。

 知恵が足りないか、愛が足りないか、またはその両方が足りないかで、意図しなくても
誰かを傷つける場合はあります。

 それはそれで、私も一人の信仰者としては、謙虚に反省すべきだとは思います。

5753純粋教理批判:2015/09/22(火) 19:11:45 ID:DD4jWV6M
トキさま

わたしが「心の影とは何か」を問題にするのは、人類が心をもったのはたかだか二千年以前と考えられているからです。ではそれ以前はどうだったのか。「人類には心がある」といっても人類の歴史から考えればそれは一瞬のこと。「自由なる意思をあたえた」といってもそれも一瞬のこと。人類の歴史の中でいきなり心があらわれて、それから「すべては心の影」の時代がはじまったということなのでしょうか。

すべては心の影。これは現代人のおごりではないかとおもわれる次第です。

5754純粋教理批判:2015/09/22(火) 19:20:26 ID:DD4jWV6M
UFOが存在するかしないかも信じるか信じないかの問題ですが、UFOを実際にみた人はそのときの様子をくわしく説明できるはずです。宗教が詳しい説明をしないというのは、信じる信じないとはべつの問題のような気がします。

5755曳馬野:2015/09/22(火) 20:53:25 ID:JPiKJZkg
>>「実相世界が創造される様子を多少なりともイメージできるような表現をしてもらわなければ反論のしようがないということです。」


理想的な良いものばかりの世界という説きかたが生長の家でされますが、禅ではあるままの姿をして実相としているように思われます。因縁の法で物事が出来上がっているので、善悪の判断以前の物事そのものを実相と云っているようです。

この意味では実相の意味する物が違っているようです。五官に触れた瞬間には其の儘のものに触れているのを、一瞬の後に念のオブラートで隠したものを認識作用の上で理解している、そんな意味では「70億の人類に70億の宇宙あり(70億の人類が70億の夢をみている)」と言えると思います。

「心の影」と云うのも同じ現実はある一瞬においては世界中唯一つであるけれども、一瞬後には各人夫々の念のレンズを通して意味づけしたものとして認識しているのです。物事があるというけれど、ある瞬間の結果としての生成流動そのものでないでしょうか。記憶の中にのみ物事は存在するもので、前後裁断された善悪などの判断の入る余地のないものみたいです。ですから心の影と云いましても心によって作り出されたものという意味と、心によってそのように認識しているという二つの意味があると思います。

「人は自分と同じものを相手に見出す。あらゆる場合において、人は相手そのものを見るのではない。自分の心を相手と云う鏡に映してみるのである。」と言われているのですが、お前の環境はお前の所為だというように責任の所在を知らすための真理ではなく、環境を見ていろいろ感じるのはそのように感じる心を持っているのだから、嫌な奴などと感じるその心を考え直せ、という意味でしょう。

教団の在り様を見れば総裁の心が分かるなんて言う意味での心の影というものではないでしょう。でないと継母にひどい扱いを受け長じても心の傷云えず悲しむべき運命に泣いている人の個人指導に、それでさえ感謝できるものを探して感謝しなさい、ということができ感謝の結果よき状態になったというがごときは説明できません。感謝の心少なき結果としてそのようになっているのであって、継母の心が冷たいのではないということを表す真理として説かれているのでしょう。

しかしこれはどちらからもいえる真理ではあります、裁きの為の真理ではないということですね。

5756トキ:2015/09/22(火) 21:10:02 ID:PeyOW5Zk
>>5753

純粋教理批判様

 すみません、出先からパソコンを借りて書いています。

 生長の家の現役の会員が言及するのは不適当かもしれませんが、かって生長の家の本部講師で、
後年、高橋信次さんの教団に移籍し、その後、独自の教団を立てた園頭さんが、心の法則につい
て疑問を感じたことを書いています。園頭さんがその事を高橋さんに質問をすると、高橋さんに
キリストの霊が乗り移り(まあ、このあたりは本当かどうかは不明ですが)

 『愛の心のない人に心の法則を教えてはいけません」

と返答をしたそうです。実は、どこだか忘れましたが、谷口雅春先生も同じ趣旨のことを書かれて
いたのも憶えています。

 心の法則というのは、もともと、自分が反省し、進歩向上するために教えられたものですが、
それを中には、自分が他人を裁くために使う人もいる、ということでしょう。

 あと、人類が登場する前の地球はどうだったのか、というと、それは同じ事だったのではないで
しょうか。

 スピリチュアルな説明になってすみませんが、いろいろな本を調べてみると、有名なモンロー
研究所について書かれた「死後体験 3」という本に、人間はマイクロコスモス、つまり小宇宙
である、という説明がされていました。人体を更正する細胞まで意思を持っている、という説明
をしていました。それが分子や原始、さらにヒモまで言っても意思がある、という説明です。

 これも現象のレベルの話ですが、宇宙意思が細胞や分子のレベルまでも存在すると考えるのな
ら、心の影が連動するのも不思議ではない、と考えることは可能です。

5758純粋教理批判:2015/09/22(火) 23:57:21 ID:DD4jWV6M
>この意味では実相の意味する物が違っているようです。五官に触れた瞬間には其の儘のものに触れているのを、一瞬の後に念のオブラートで隠したものを認識作用の上で理解している、そんな意味では「70億の人類に70億の宇宙あり(70億の人類が70億の夢をみている)」と言えると思います。

生長の家では五官を迷いであるかのごとく説きますが、五官はたしかに実相なのです。五官によって得た情報のようなものを何らかの方法で変換することで人間はそれをドリーミング(ホログラム映像)として翻訳しているはずなのですね。

夢(現象)は映像です。映像に力の入り込む余地はありません。映像で力を伝えることはできない、と言い換えることもできるでしょう。映像の世界を生きていながら、それでも人間は五官によって力を感じています。したがってその力は映像以前のもの、つまりは現象以前のものと考えるより他はないと考えます。

>「人は自分と同じものを相手に見出す。あらゆる場合において、人は相手そのものを見るのではない。自分の心を相手と云う鏡に映してみるのである。」と言われているのですが、お前の環境はお前の所為だというように責任の所在を知らすための真理ではなく、環境を見ていろいろ感じるのはそのように感じる心を持っているのだから、嫌な奴などと感じるその心を考え直せ、という意味でしょう。

自分のなかにあるものを相手にみいだすことを心理学では投影といいますね。相手にたいする敵意があるとき、本当は自分の中にあるはずのものなのに相手が自分に敵意をもっていると思い込んでしまう現象が投影ですが、生長の家で説く「心の影」は投影についていっているのかとずっと疑問におもっておりました。その可能性もあるということを理解いたしました。

ただ心理学者のミンデルは(ミンデルはMITで量子力学を専攻していました)、投影にも量子力学的な背景があることを示唆しており、投影としての「心の影」にもなんらかの物理的実体がある可能性が残るのではないかと考えます。このあたりはトキさんの研究を待つしかありません。

5759純粋教理批判:2015/09/23(水) 00:29:01 ID:DD4jWV6M
>聖書には、神様は人間を造られた時に、「はなはだ善かりき」と言われたとあります。
その意味では、神の最高の自己実現である、という事になります。同時に、神は人間に
自由な意思も与えた、と書かれています。

自由とはなにかが問題ですね。スピノザは神一元の世界を思い描いていたといいますが、自由というものがどうしても説明できなかったようです。なぜかといえば一元論は決定論だからです。一元論ははじめから結末がどうなるかが決められている決定論だからです。

神一元の世界観では神と対立するものは存在しません。これはいってみれば一人でゲームをやっているようなものですから予想外の展開というものがありません。予想外の展開にもちこもうとおもったところで、それも自分がやるわけですから予想外といえるはずがありません。

すべてが予想の範囲内でゲームがすすめられて最終的な決着をみる。これが一元論です。自由というものがどこにある。スピノザはこの問題で悩みつづけ結論をだすことはついにできなかったようです。

自由とはなんでしょう。一元論が決定論であることを認めること。この苦渋の決断こそが人間にあたえられた唯一の自由という気がいたします。

5760純粋教理批判:2015/09/23(水) 12:56:00 ID:DD4jWV6M
実相にもいろいろある。

「物質はない」ということはいえるでしょう。しかしたとえば行く手に電信柱があるのに「電信柱はないんだ」とそのまままっすぐ歩いていけばぶつかって痛いおもいをします。電信柱はないはずなのになぜぶつかるのかといえばそこに力が働いているからです。

電信柱にぶつかった瞬間、それは力を感じた瞬間でもあるわけですが、この一瞬、人は実相世界にいるともいえる。しかしそのすぐあとに「痛い」とか「こんちくしょう」とかの思いが湧いてきて人はたちまちにして現象の世界にひきずりこまれる。

こういうことが起きているとすれば力はそれじたいが実相ともいえるが、人間が解釈や判断をくわえた途端に力は現象へと落ち込んでいく。力は実相でもあれば現象でもある。しかしここでいう実相とは「究極の実相」ではないということだけはいえる。

「それがある」、「それがただある」、これが究極の実相です。究極の実相を想像するのはそれほどむつかしくはない。宇宙のなかに自分一人だけがいると想像できれば、これが究極の実相です。

自分以外には何もない。もちろん自分もない。自分という感覚は他人があればこそであって、他人がいなければ自分という感覚もない。ただそこにあるだけ。まわりには何もない。
いや、まわりというものさえない。それがある。ただそれがある。

実相独在とはこういう意味です。ほかに何もない。「ほか」という観念もない。ほんとうになにもない。「ない」ということもない。「ただあるだけ」としかいいようがない。これが究極の実相です。

5761純粋教理批判:2015/09/23(水) 13:20:16 ID:DD4jWV6M
究極の実相を活性化させたのが外部です。外部が内部に侵入した。外部に侵入された実相は収縮を余儀なくされた。実相は内部のさらなる内部へのひきこもりを開始した。実相は他者との関係をもったことでこのときはじめて「自分」の感覚をもった。

心とはなんでしょう。言葉と情動がまざりあったもの、これが心です。かつての人類は言葉と情動が分離されていたために心をもてなかった。何千年かまえに言葉と情動がまざりあったことで人類ははじめて心をもつことができた。

心はしかし心を体験することはできない。心を体験しているものはべつにいる。心はほんとうの自分ではない。心を体験しているほんとうの自分がべつにいる。

心を体験しているもの、それが内部のさらなる内部へとひきこもった究極の実相です。心を体験している究極の実相こそがほんとうの自分です。「赤肉団上に一無位の真人」と臨済が呼んだ一無位の真人こそが究極の実相でありほんとうの自分です(このあたり、正統の解釈とはズレている可能性あり。正統の解釈があればの話ですが、存じておりません)。

わたしのいう一無位の真人はただみているだけです。心の中の出来事をただみているだけ。人は誰もが一無位の真人として世界をみている。このことだけはいえる。しかし多くの人はそのことを自覚できずにいる。

自分のなかの一無位の真人を自覚するには自分をべつの場所に置く必要がある。外部とつながった場所におく必要がある。外部とつながった場所に自分をおいたとき、人は一無位の真人を感じられるようになる。究極の実相を感じることができるのは外部だけだからです。

5762神の子さん:2015/09/23(水) 14:21:29 ID:???
臨済は言った。


「この赤肉団上(肉体のこと)に一無位の真人がいて、常にお前たちの面門を出たり入ったりしている。まだこの真人を見届けていない者はさあ看よ! さあ看よ」


 この言葉を聞くと、修行僧たちは、悟りに到達すると、自由闊達な真正の自分、つまり一無位の真人(そういった意識)が体を自由に出入りし、あらゆる差別を超越した大自由、大自在の境地になれるものだと思わない者はいないだろう。宗教学者や禅僧たちまでが、知ったかぶりして一無位の真人を真摯に解説している者もいる。

 しかし、これは悟りに到達して得意げになっている臨済の、上から目線の最もらしく作った造語で、よく先行した者があとに続くものに優越感を持って幻惑するようなヒントを与えたりする心境と酷似している。


 たぶん本来の自己を、臨済一流の言い回しで飛躍して言ったものと思われるが、真に親切心があるならば一無位の真人なんてまぎらわしい言い方はすべきではないと思う。聞いた者はよけい混乱するだろう。


 釈迦以降、悟りに到達した者は沢山いるが、だれ一人として一無位の真人なんて言葉はおろか、それに類似したような言葉を述べたものはいない。


 わたしは臨済と同じ禅の奥儀に到達したが、もし、わたしが臨済と同じように修行僧たちにヒントを与えるとしたら、やはり上から目線で宇宙の一握を実感せよ、とでも言うだろうか。すると修行僧たちは、悟りに到達すると、宇宙を一握できるぐらいの壮大な心境に浸れるぐらいに思うのではないだろうか。しかし、これは、わたしが最もらしく作った、悟りとは何の関連もない造語である。先行した者はどうしても上から目線になりやすいものである。しかし、そういった態度は人間として間違っているのである。


 べつに悟りに到達しても、宇宙を一握できるような壮大な心境になれるわけではない。しかし、悟りの何たるかを知らない修行僧たちは、ひょっとすれば金科玉条のように宇宙の一握にこだわってしまうかも知れない。もっとも融通無碍の法をもってすれば宇宙を一握できぬこともないが、それは芥子粒に須弥山を閉じ込めるのとおなじような、「法」の世界での話であって現実味は乏しい話である。


 だから、禅を学ぶ人たちは、いかにも最もらしい一無位の真人なんて造語に惑わされぬことである。何回もいうが、一無位の真人なんてものは、悟りとは何の関連もない、臨済が上から目線で、言い得て妙に作った造語でしかない。

 北宗禅の臥輪禅師の偈に

 伎倆あり、よく百思想を断ず。境に対して心起こらず、菩提は日々に長ず。(わたしには巧みな技能があって、百種の妄想を断ち切ることができる。対象に向かっても心は動かず、悟りへの道は日に日に成長している)


 というのがあるが、この偈を聞いた六祖慧能は次のような偈を示して、臥輪禅師の誤りを暗に指摘した。


 伎倆なしに、百思想を断ぜず、境に対して心しばしば起こる。菩提なんぞ長ぜん。(わたしには巧みな技能などない。百種の妄想を断ち切りもしない。対象に向かって心はそのつど動く。悟りへの道がどうして成長しようか)


 禅の奥儀を極めたわたしには、慧能の偈こそ真実とわかる。もし臨済の時代に慧能が生存していたならきっとこういうだろう。

「わたしには、一無位の真人なんてものは、影も形も見えない」

5763純粋教理批判:2015/09/23(水) 15:11:38 ID:DD4jWV6M
たしかに「一無位の真人」の表現をもちいはしましたが、それがなんであるかは理論的に説明したはずです。「内部の内部へと収縮した究極の実相」と説明したはずです。

そのときの様子をより詳しく理論化せよ、と言われても無理ですね。「一無位の真人」という言葉を用いたためにわたしが禅の悟りについて語っているとおもわれたのかもしれませんが、わたしがやろうとしているのは真理を理論化することです。

「一無位の真人」をもちいたのは、この掲示板にきている人たちが宗教関係者だからです。宗教関係者にこの言葉は有効であろう、と考えたからです。「生長の家の用語をもちいて説明せよ」との注文をつけられることもあります。

宗教関係者でなければ、わたしは「主体」という言葉をもちいたでしょう。ふつうの人たちが相手であれば「主体」という言葉をもちいて事態を説明したでしょう。もちろん「究極の実相」という言葉をもちいることもありません。

5764純粋教理批判:2015/09/23(水) 15:24:52 ID:DD4jWV6M
「一無位の真人が出入りしている」というのはわたしにはわかりません。これは理論化することができません。「正統の解釈とのズレ」といったのは、この意味です。

5765曳馬野:2015/09/23(水) 17:56:50 ID:JPiKJZkg

東都之市有大隱  飽来眠兮覺来嚬

不作善又不作惡  不拘舊又不拘新

生來無名併無姓  人呼之無位眞人

咄是眞人何奇怪  三百六旬氣如春


これは明治のある居士が詠んだものです。その人物に対し西有穆山は「彼の如き境涯に達するには、一生二生の修行では出来るものに非ずと驚嘆していた」と弟子の秋野孝道はいう。その西有穆山の弟子に丘 宗潭がい、秋野孝道、丘 宗潭から原田 祖岳が出ている。原田 祖岳から安谷 白雲がでつぎに山田耕雲がいる。彼の「禅の正門」の中に岩崎財閥のある24,5のお嬢さんが多分結核であろうが、病い重くまもなく死に至るという一月ほどの内に見性のみならず大悟したことが載っている。

また「彼は凡人ではない、吾等の遠く及ばぬところがある」と由理滴水天龍寺管長が云ったと孫弟子の天龍寺管長をした關精拙は云う。その次に関牧翁が出、次に大森曹玄、平田精耕、荒金天倫がいる。

『曹源一滴』という言葉がある。六祖慧能禅師によって大成し、臨済、雲門、洞山、潙山、法眼という禅匠たちによって、臨済宗、雲門宗、曹洞宗、潙仰宗、法眼宗の五家と、これに臨済宗の二派、楊岐派と黄龍派を加えて五家七宗に分化し日本に伝来した禅の法流です。先の詠を歌った人を明治大正の日本禅界を背負った方々が褒め讃えるのか、『曹源一滴』の慧能の悟りを継いでいるからに他ならない。その人間が「人呼之無位眞人」と云い「咄是眞人何奇怪  三百六旬氣如春」と謳う。「釈迦以降、悟りに到達した者は沢山いるが、だれ一人として一無位の真人なんて言葉はおろか、それに類似したような言葉を述べたものはいない。」が如何に戯言か知られるものである。臨済と同じ悟りに達したとは?

5766曳馬野:2015/09/23(水) 18:18:36 ID:JPiKJZkg

>>5762さん

何処から引用されたか知りませんが、禅の悟りには決して至っていない人のものと思います。単に言葉としての引用であれば意味がないと思いますよ、あなたが理解した上で同じく「一無位の眞人」を否定するのであればよろしいでんが。

臨済宗、曹洞宗の両宗の老師方が共に吾等の遠く及ばぬところがあると断言した人間の言葉を否定できるのであれば、述べて頂きたい。

5767曳馬野:2015/09/23(水) 20:27:52 ID:JPiKJZkg
中庸に「致中和、天地位焉、万物育焉」とあります。そこの前の所を雅春先生はよく引用して

「喜怒哀楽の未だ発せざる之を中と謂ひ、発して皆節に中る之を和と謂ふ。中は天下の大本なり、和は天下の達道なり。中和を致して、天地位し万物育す。」と言われていた。

ここの天地位焉、万物育焉を指して無位の眞人と云うのでしょう。天地万物に実相生命が宿り生かす、その大生命を指して無位の眞人と、立ち位置のない様のを表現する言葉です。

5768純粋教理批判:2015/09/24(木) 00:41:15 ID:DD4jWV6M
対話の相手があらわれずに間延びしているようなので書き込ませていただきます。

「主体」という言葉をもちいた以上、「主体とはなにか」の説明が必要でしょう。ふつう一般に心といわれているものを、わたしは意識、自我、主体の三つ組にわけて考えています。

主体とは「それがただある」が主体生成の過程をへて誕生したものです。この過程は、「それがただある」の収縮と言語的世界の誕生によって説明されますが、くわしいことはわかりません。

「それがただある」をとりあえずはエスと名づけましょう。主体生成はエスが主体として活動できる場の生成によって成し遂げられますが、場の生成にあたって主導的な役割を果たしたのが言語であったと考えられます。

人類が主体という概念にはじめて出会ったのはおそらくデカルトの「われおもう、ゆえにわれあり」ではなかったでしょうか。デカルト的主体はコギトと呼ばれ、現代の思想界や言論界においてはあまり評判がよくありません。

そんな中にあってコギトを高く持ち上げるのが、あのひねくれもののラカン派哲学者スラヴォイ・ジジェクです。ジジェクはデカルトがコギトをみいだすに至ったときの思索の内容よりも、そのときの「身ぶり」を問題にします。

デカルトがコギトをみいだしたのはある冬の寒い一日でした。寒さを避けるためにデカルトは日がな一日暖炉部屋にひきこもったのです。このひきこもりの身ぶりこそがコギトであるとジジェクは言います。

主体はひきこもることで主体となった。ジジェクがいいたいのはこういうことでしょう。エスもまた内部の内部へとひきこもることで主体生成の場と出会い主体となったのです。
ジジェクのコギトはエスとおそらくおなじものなのでしょう。

ジジェクは「主体は空無である」といいます。エスも空無です。しかしジジェクはこれにつけくわえて、主体は狂気のさなかにあるともいいます。ジジェクが正しければエスもまた狂気のさなかにあることになります。エスはいまだに救われていない。そういうことのようです。

「一無位の真人こそが究極の実相でありほんとうの自分です」などと光明思想を気取ろうといたしましたが、さっそくクレームが入ってまいりました。なれぬことはせぬほうがよいということでしょう。

5769純粋教理批判:2015/09/24(木) 00:50:17 ID:DD4jWV6M
主体を中心化した個人として批判するのがポスト構造主義です。ポスト構造主義は主体を言葉に支配されたあやつり人形とみなします、言葉の効果そのものとみなします。何を言ったところでそれは言葉によって言わされたにすぎない。何をなしたところでそれは言葉によってやらされたにすぎない。このように考えるのがポスト構造主義です。

人は誰もが自分で自由にものを言い、自由にことをなしていると考えますが実はそうではない、すべては言葉がそうさせているのだ、といわれたらどうでしょう。多くの人が「そうではない」と反論するでしょう。しかしその反論でさえもが言葉にあやつられてのことだとすればどうでしょう。

みずからを中心化させた個人は言葉を道具と考えますが、ほんとうはあなたこそが言葉の道具なのかもしれません。

5770純粋教理批判:2015/09/24(木) 00:56:43 ID:DD4jWV6M
教えを広めさえすれば環境問題は解決するといわんばかりの人への質問です。

「神は無駄なものをあたえたまわない。原子力エネルギーは神が人間にあたえたもうたものである」と説く生長の家が「神は無駄なものをあたえたまわない。地球の資源は神が人間にあたえたもうたものである」と主張する人々を教えみちびけるとおもえるのはなぜなのでしょう。

5771a hope:2015/09/24(木) 08:14:22 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

ようやくパソコンがつかえるようになりました(*^▽^*)
わたしの留守中に、ご参加くださったみなさまありがとうございます。

わたしも今日からまた、自分のペースでこのweb誌友会に参加して、
聖典「生命の實相」の真理を学んでいきたいと思いますのでよろしくお願いいいたします。

5772a hope:2015/09/24(木) 08:15:03 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第36回 web誌友会 案内 (改訂版)

期間   8月2日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第21巻 経典篇 
内容  『甘露の法雨』講義
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5773a hope:2015/09/24(木) 08:15:43 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第21巻 p106 後から3行目〜

われわれは光の子である。

すなわち光から生まれ出でたものですから、われわれは常に光の中に在る、と同時に自分の中に光があるのであります。

わがうちに光があり、光のうちにわれわれはあるのですから、われわれは絶対に暗(やみ)を知らない。

いっさいの暗黒はない。

すなわちわれわれを躓(つまず)かせる障礙(さわり)などはいっさいないのであります。

(略)

それだのにわれわれが不自由に、いろいろのものに妨げられたりするのはわれわれが本当の力を出しきっていないからで、その時、そこに暗(やみ)が姿を仮に表わして本来ない躓きを、あるかのごとくに表わすのにすぎないのであります。

(略)

智慧とは実相の悟りの智慧であります。

(略)

暗(やみ)とは光の欠乏せる状態に他ならないのです。

5774a hope:2015/09/24(木) 08:17:46 ID:cEpBaIdo

>>5773 a hope所感)

みなさんは、聖典「生命の實相」の文章を拝読してるとあらゆる迷いが消えて、
『本当の自分は実相そのものなんだ』という実感がわき出てきませんか?

わたしたちがこの現世に投影されている時間にはリミットがあります。
無駄な時間はありませんよね?

わたしはこれからも聖典「生命の實相」の真理を真剣に学んで生長し続けたいです。

5775純粋教理批判:2015/09/24(木) 10:44:56 ID:DD4jWV6M
考えがちがう相手と話をするのは時間の無駄。ようするに「個人の勝手な解釈どうしのひらかれた議論」は必要ないということですね(排他性ここに極まれり)。

ところでホープさんは「テキストに関係のない内容はお控えいただきたいです。ですが、わたしの所感に対する反論は歓迎させていただきます」といっておられますよね。歓迎していただけるものと無信じております。

5776純粋教理批判:2015/09/24(木) 11:16:59 ID:DD4jWV6M
>わがうちに光があり、光のうちにわれわれはあるのですから、われわれは絶対に暗(やみ)を知らない。
いっさいの暗黒はない。

これがわたしのいう排他性ですね。光と暗の二項対立を立てて劣位項である暗を外部へと排除することで優先項である光を内部にとどめおく。こういうことを延々とつづけていれば、誰だって排他的な性格が身につくことでしょう。現に「時間の無駄」といって問答無用とばかりに排除しようとしているではありませんか。

5777純粋教理批判:2015/09/24(木) 12:02:26 ID:DD4jWV6M
ずっと以前にもこちらの掲示板で「元本部講師」を名のる人が「時間の無駄」といっていましたが、そういう人にかぎってじつは何も考えてこなかった人であり、必要な知識を身につけてこなかった人なのですよ。

なにも考えずにきたからいまだに単純なことしか考えられない。必要な知識を身につけてこなかったから誰もが言えるようなことしか言えない。おおやけの場で発言をするのであればもっと考えておくべきでしたね。必要な知識を身につけておくべきでしたね。時間を無駄になさいましたね。

5778純粋教理批判:2015/09/24(木) 16:02:17 ID:DD4jWV6M
状況を説明いたしましょう。まずホープさんは以下のごとくいっておられます。

>生長の家の信仰により環境保護運動をするのであれば、そのような現象に対応するような形ではなくて、
まずは信徒一人一人が「本来罪なし」の「実相独在」を自覚し(悟り)、それを人類に伝道していく方法が正道だと思います。

「現象に対応するような形」とはあきらかに総裁がおしすすめておられる環境運動についてのことです。ホープさんが総裁の方針を批判しておられるのはあきらかです。

代わりにどうすればよいのかというと「教えを伝えることだ」といっておられます。そこでわたしは以下のごとく質問いたしました。

「原子力エネルギーは神が人類にあたえたもうたものだ」と説く生長の家の教えで問題解決が可能なのか。

この「原子力エネルギー」のところには、欲望のおもむくままにどのような言葉でも入れることができます。地下資源、水産資源、生物資源、森林資源、大地、海、川、どんな言葉でもいれることができます。

環境問題とはけっきょく人類が「〇〇は神が人類にあたえたもうたものだ」と考えたことからはじまったと考えます。生長の家もこれとまったく変わらぬことを説いています。おなじことをいっているにもかかわらず生長の家の教えが環境問題の解決にむすびつくとおもえるのはなぜかと、「私の所感にたいする反論は歓迎する」といわれたホープさんに問いかけたところ「答えるのは時間の無駄」との返事をいただいたというのが今の状況です。

5779a hope:2015/09/24(木) 18:31:24 ID:cEpBaIdo
>>5778

<<「原子力エネルギーは神が人類にあたえたもうたものだ」と説く生長の家の教えで問題解決が可能なのか。>>

とおっしゃていますが、それってほんとに生長の家の教えですか?

「生長の家の教え」では「神とは人間の実相」のことですから、
「神が人間に与えたもうたもの」ということになると、
「人間が人間自身に与えたもうたもの」ということになってしまい表現自体に違和感を覚えるのですが・・・。

その教えが説かれている引用文献を教えてくださいませんか?

5780純粋教理批判:2015/09/24(木) 22:52:46 ID:DD4jWV6M
生長の家に「神は〇〇を人間にあたえたもうた」とする教えや考えはないといわれるのですね。〇〇に入るのは「自由」でも「豊かさ」でも他のなにかでもよいわけですが、このような教えや考え方はないといわれるのですね。

「神は無駄なものをあたえたまわない」とする教えも考え方もない、ということですね(何度も聞いたような気がいたしますが、わたしの思い込みなのでしょう)。「神は無駄なものをあたえたまわないのであるから原子力エネルギーは神からあたえられたものである」とする発想が出てくる可能性はないということですね。

それなら問題はありません。そういう教えや考え方は「ない」ということを確認いたしました。こうした考え方が少しでもあれば、キリスト教のように拡大解釈されて人間中心主義にむすびつくおそれがあります。「ない」といわれるのであればそのおそれはないということで、これはこれでよろしいかと存じます。

引用文献をだせといわれてもそれは不可能です。教えはたしかにそういうものだと理解してきたということです。「ない」といわれるのであればわたしの理解がまちがっていのでしょう。すべては杞憂であったということでしょう。

神を主語にして人間に都合のよいことを述べてはならない。これはわたしの信条のようなものです。教えにたいする理解がまちがっていたようです。

5781神の子さん:2015/09/25(金) 01:44:30 ID:DD4jWV6M
>「生長の家の教え」では「神とは人間の実相」のことですから、

この表現も”あの表現も「生長の家の教え」からしたら違和感ありだけどだれも文献出せとは言わないふつう。生命の実相やたら引用してるからとて生長の家のしゆうかいではやはり思えない。シルバーウィークでおわりまた独占板にもどりましょう

5782a hope:2015/09/25(金) 09:33:56 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p118後から6行目〜


「悟る」ということでも迷っている凡夫の貧しき智慧が真理を教えられてだんだん向上して悟るのだなどと考えていますと間違いであります。

悟るというのは内在の神の智慧がポカリと浮かび上がってくるのであって、脳髄意識が悟るのではない、脳髄意識が悟るのなら、宗教的悟りというものは、肉体が死んで脳髄が灰になった後に通用しない悟りであって、それでは死後まで救う宗教的悟りだとは言えないのであります。

「いや智慧は脳髄の中にあるんだ」なんて言う人があるかもしれませんが、智慧は脳髄の中にあるのではない。

いったいこの脳髄という器官は、これは自分で作った、自分の心で都合のよいように作り出した道具にすぎないので、わたしたちはそれを利用しているだけであって、決して脳髄という物質の中から智慧が発生したのではないのであります。

それでまた、われわれの智慧は、ここにあり、かしこにありというように甲の人、乙の人の智慧と一つ一つばらばらに離れて孤立しているものではない。

天地一切のものに満ち充ちている智慧とまったく一つのものである、これを知ることがすなわち生長の家の悟りであります。

自分の智慧は、天地万物を生かしているところの大いなる智慧と一つのものであると分かると自分の智慧は小さい自分の中にだけ這入るようなそんな小(ち)っぽけなものではない。

実に広大無辺のものであって、わが念ずることがただちに天地に満つる節理の智慧に相感応すべきものであることが分かってくるのであります。

5783a hope:2015/09/25(金) 09:35:56 ID:cEpBaIdo

>>5782 a hope所感)

<<悟るというのは内在の神の智慧がポカリと浮かび上がってくるのであって、・・・>>

とありますが、これは、
「甘露の法雨」の『神』の項の一説に、

神があらわるれば乃ち、
善となり、義となり、慈悲となり、
調和おのずから備わり、
一切の生物処を得て争うものなく、
相食むものなく、
病むものなく、
苦しむものなく、
乏しきものなし、

とあるところの、<<神があらわるれば乃ち、>>という状態と同じことなのだと思います。

「神」とは自分の外側に存在するものでなく、自分の中に内在するものであって、そのことをわれわれが本当に悟れば、
すべてが大調和して、この現象世界に地上天国が顕われるのではないでしょうか?

ですから、原子力エネルギーにしても、地下資源にしても水産資源にしても、生物資源にしても、なににしても、
実相を悟った(神が顕現した)人間が利用すれば、『善となり、義となり、慈悲となり、
調和おのずから備わり、一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし、』という、
大調和の関係が保たれるのだと思われます。

わたしが、「生長の家」の『唯神実相』や『実相独在』真理の伝道をして人々を目覚めさせることの方が、
現象問題に対応する運動よりも重要で、もっとも優先すべきことだと考えるのはそういう理由からです。

具体的に例えれば、よく切れるナイフがあったとして、それを良心的な人間が利用すればすばらしい料理を作って人々を喜ばすでしょうが、
復讐心や、悪意や、狂気の人間が利用すればとんでもない事件に利用されてしまうかもしれません。

この現象世界にあるすべてのものはすべて実相世界の投影ですから、ひとつも無駄なものはないのだと思います。

「神は人間に選択の自由を与えたもうた」それが生長の家の教えかどうかはわかりませんが、
地球上のすべての資源をどう利用するかは、わたしたち人間の選択にゆだねらているのだと思います。

5784純粋教理批判:2015/09/25(金) 11:34:54 ID:DD4jWV6M
>「生長の家の教え」では「神とは人間の実相」のことですから、
「神が人間に与えたもうたもの」ということになると、
「人間が人間自身に与えたもうたもの」ということになってしまい表現自体に違和感を覚えるのですが・・・。

「神とは人間の実相」というのはわたしもはじめて聞いた言いまわしです。しかし、神一元の世界であればすべては神ということなので間違いではないのでしょう。

文献をだせといわれても無理です。「神は人間に自由なる意思をあたえた」とする表現が仮にあるとするなら、ホープさん流の神一元の考えでは「人間が人間に自由なる意思をあたえた」となってしまい、違和感を覚えるに十分な表現となってしまいます。

しかしこれを言い換えれば「神は神に自由なる意思をあたえた」となるわけですが、これはいい得て妙といった表現です。「神は完全なる世界をつくった」とする表現は「神は完全なる神をつくった」となり、「神は完全なる人間をつくった」はこれもまた「神は完全なる神をつくった」となるからです。

「神は〇〇に〇〇をあたえた」は「神は神に神をあたえた」となり「神は〇〇なる〇〇をつくった」は「神は神なる神をつくった」となります。神一元の神は、ふれるものすべてを金に変えたというミダス王のごとく、あらゆる対象を神へと変えてしまうようです。教えを信じていたころから教えにたいする違和感をどうしても解消できずにおりました。もしかしたら違和感の正体はこれであったのかもしれません。

「完全なる証明には外部が必要」とするゲーデルの定理が示すごとく、内部だけですべてを説明しようとするものは、すべてのものを自分に回帰させてしまうミダス王になるよりほかはない。そんな気がいたしました。

5785純粋教理批判:2015/09/25(金) 12:54:49 ID:DD4jWV6M
「神が神なる神をつくった」とする考え方が成り立たないわけではありません。チリの生物学者ウンベルト・マトゥラーナが提唱するオートポイエーシスがまさにこの一例と考えます。

オートポイエーシスとは自分で自分をつくりだすシステムとわたしは理解していますが、マトゥラーナ本人も「オートポイエーシスは自分で自分を持ち上げようとするようなものだから、すっきりと理解できる筋合いのものではない」と認めているようです。

オートポイエーシスを理解できるか、といわれても「理解できる」とはどうしても言えません。わかった気にはなれるが理解した気にはどうしてもなれない。オートポイエーシスはこうした事態の代表格のような気がいたします。

オートポイエーシスにしても外部はあります。外部からの入力も、外部への出力もない、これがオートポイエーシスのようです。しかもそれでいてオートポイエーシスは外部からの影響をうけている。

内部は外部にたいして完璧に独立している。にもかかわらず外部は内部に入り込んで内部に影響をあたえつづけている。わたしが考えているのはこうしたシステムのような気がいたします。

5786純粋教理批判:2015/09/25(金) 19:34:23 ID:DD4jWV6M
>わたしが、「生長の家」の『唯神実相』や『実相独在』真理の伝道をして人々を目覚めさせることの方が、
現象問題に対応する運動よりも重要で、もっとも優先すべきことだと考えるのはそういう理由からです。

そうですか。それなら信ずることをなさればよいでしょう。そのようにおもわれるのであれば、教えを広めて環境問題を解決する運動をまずは身近なところから起こされればよいでしょう。

総裁はすでに実際的な活動をはじめておられます。ホープさんの考えが実際の環境運動よりも重要といわれるのであれば、ホープさんが実際の活動をはじめられて、総裁の考えが間違っており自分の考えが正しいことをお示しになればよいでしょう。その結果や途中経過をこちらで発表なさればよいでしょう。

教えを信じることでホープさんじしんにどのような変化がおきているのか、これも重要な要素です。ホープさんのなかで環境問題の解決に向けた重要な変化がどのような形で起きているのか、それをこちらで発表していただかなければ、なにをいわれても説得力に欠けるというものです。ホープさんの変化をまずは語ってください。希望的観測はそのあとでも十分でしょう。

生長の家が立教して80年だそうですが、その間にも日本国内で数々の公害問題が発生しています。生長の家は公害防止のための役割を果たしたのでしょうか。わたしにはどうもそのようにはおもえません。

生長の家の教えが広まっていさえすれば公害問題は起きなかった。ホープさんはこのようにおっしゃりたいのでしょうか。たとえそうであっても、80年の年月をついやしたところで日本国内にさえ広まっていない教えを全世界に広めるのに、いったい何百年まてというのでしょう。

現実味のある提案とはおもえませんが、復興Gさんをはじめとして多くの方々がホープさんを支持しておられるようです。教えが広まるまで何百年でもまて。責任ある人の言葉とはとてもおもえません。

5787a hope:2015/09/25(金) 22:36:35 ID:cEpBaIdo
わたしあてにいろいろなご意見ご提案などいただいているようですが、
特に『a hopeの「生命の實相」の解釈が間違っているのではないか?』
というような内容ではないようなので安心しました。

わたし自身は日常に追われている普通の主婦ですから、
生長の家の総裁・副総裁先生というような公人の方とは立場がまったく違います。

ですからわたしが「生長の家」のために実際の活動を起こして、その内容をここで説明する義務などないと思っています。

わたしは聖典「生命の實相」の素晴らしい真理をここでお勉強させてもらっていることが、
今現在、自分自身のできる精一杯の光明化運動だと思っています。

5788純粋教理批判:2015/09/25(金) 23:07:05 ID:DD4jWV6M
ホープさんは自分の考えの正しさや有効性をためしたわけでもないのに、総裁に「これをやれ」といっておられるのですか。本を読んだだけで、実際にはなにも体験していないのに、総裁に「これをやれ」といっておられるのですか。正しさや有効性がわからぬものを「何百年もかけて実現せよ」といっておられるのですか。

自分がやる気もないことを人には「やれ」という。無責任にもなるはずです。しかも「教えの解釈が間違っていなかったので安心した」とのこと。環境問題などどうでもよい。教えの解釈が正しければそれでよい。こういうことなのでしょうか。

5789a hope:2015/09/25(金) 23:35:55 ID:cEpBaIdo

<<ホープさんは自分の考えの正しさや有効性をためしたわけでもないのに、総裁に「これをやれ」といっておられるのですか。
本を読んだだけで、実際にはなにも体験していないのに、総裁に「これをやれ」といっておられるのですか。>>


わたしは今はもう雅宣先生にも純子先生にも何もお願いなどしていませんよ。
過去に何度も何度もお願いしましたが、結局、わたしのような一信徒の掲示板でのお願いなど一度も聞いて頂けなかったですから・・・。


わたしは「生命の實相」を拝読しだして5年ほどたちますが、その有効性(?)はものすごく実感していますよ。
自分の周りの人たちへの影響力がどんどん強まってきているのを感じています。

身ばれをするので控えていますが、具体的体験もたくさんあります。

「生長の家の教え」はほんとにすごいので、その真理が「迷い」に眩まされないようにこれからもこの掲示板で発言しつづけるつもりです。

5790a hope:2015/09/25(金) 23:51:36 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p123 後から行5行目〜

・・・人間は罪があるから宗教が必要なのではなく、罪が無いから罪の無いことを知らせるために宗教が必要なのであります。


(a hope所感)

宗教とは人を教育して善人に仕立て上げるためにあるのではないのですね。
人々に真理を知らせ、目覚めさせるためにあるのですね!

5791純粋教理批判:2015/09/26(土) 00:03:33 ID:DD4jWV6M
環境問題解決の有効性?

それはすごいですね。身バレしない程度に教えてください。

個別の事案ではなく、こういう考え方をすれば環境問題解決につながるこのような行動があらわれる、といった具合の提案をおこなってください。生長の家が80年かけてできなかったことをホープさんはやっておられるわけですから、これは「すごい」の一語につきます。

5792a hope:2015/09/26(土) 00:36:52 ID:cEpBaIdo

<<個別の事案ではなく、こういう考え方をすれば環境問題解決につながるこのような行動があらわれる、といった具合の提案をおこなってください。>>

人類が聖典「生命の實相」の拝読をして唯神実相の考え方になれば環境問題の解決につながりますよ。

環境問題なんて本来無い現象なんですから・・・。

前から、そう言っているではないですか・・・。


もう、ねむいのでこれ以上のお返事はできません。

初心者さま みなさま おやすみなさい。

5793純粋教理批判:2015/09/26(土) 10:43:14 ID:DD4jWV6M
>人類が聖典「生命の實相」の拝読をして唯神実相の考え方になれば環境問題の解決につながりますよ。
環境問題なんて本来無い現象なんですから・・・。

生長の家の実際の活動においても、何か問題がおきてそれを解決しようとすると、ホープさんのように「それはほんらいない現象なのだから具体的行動は何もしなくてよい」という人がかならずあらわれていたという話を聞きます。それで何もできなくなって問題はけっきょくそのままであったのだそうです。

「現象なのだから何もしなくてよい」といっている人は気持ちがよいのでしょうが、まわりの人は迷惑です。

かつて日本は公害問題でたいそう苦しみましたが、生長の家の一部の人たちは「これは現象だから何もしなくてよい」と具体的な取り組みには反対したはずです。問題はほぼ解決したとおもわれますが、それは何もしなかったからではなく技術や法規制が大きな役割を果たしたからです。

今でも生長の家には、日本が公害問題を技術や法規制で解決したことにたいして「ない現象に取り組んだ」といって批判している人がいるのでしょう。

雅春先生は戦後左翼の問題に取り組んでおられたはずです。詳しい内情はわかりませんが「左翼問題は現象だから具体的行動はしなくてよい」とはいっておられなかったはずです。現象に取り組んでおられる雅春先生にたいする批判があったのかどうか、これはわかりません。

5794純粋教理批判:2015/09/26(土) 12:32:31 ID:DD4jWV6M
生長の家の活動で問題がおきたのでその問題を解決しようとすると、「それは迷いだ。現象にひっかかっているから問題を解決しようなどとおもうのだ」との反対論が一部の人からでてくることがあるといいます。

教えをそのように大上段にふりかざされてしまうと問題への対応ができなくなり、問題はそのままということになります。たとえ問題はそのままであっても、反対論をふりかざした人が責任を感じるわけでもありません。

その人のなかでは「問題はない」わけですから解決がないのもあたりまえ。教えをふりかざせたことでその人は大満足です。

環境活動にたいする批判もこれとおなじです。環境問題はない。なにひとつ対処しなくて環境破壊がそのままつづいたとしても、その人のなかでは「環境破壊はない」のですから解決がなくてもあたりまえ。

教えが広まるまで何百年かかろうが関係ない。環境破壊はないのだから、迷った人たちが勝手にあるとおもっているだけだから、何百年かかろうが関係ない。まわりはえらく迷惑するとおもいますが、本人は教えをふりかざせたことで大満足のようです。

5795純粋教理批判:2015/09/26(土) 14:49:42 ID:DD4jWV6M
>わたし自身は日常に追われている普通の主婦ですから、
生長の家の総裁・副総裁先生というような公人の方とは立場がまったく違います。
ですからわたしが「生長の家」のために実際の活動を起こして、その内容をここで説明する義務などないと思っています。
わたしは聖典「生命の實相」の素晴らしい真理をここでお勉強させてもらっていることが、
今現在、自分自身のできる精一杯の光明化運動だと思っています。

たとえ主婦であっても実際的な活動をしている人は大勢おられるのでは。「主婦だからできない」と言い訳するような人にたいしては「あなたは神の子だからかならずできます」との励ましがなされるようです。

「この教えで人類は救われる」といっておられるわりには、ずいぶんと消極的なお考えですね。自分のこととなるとあれやこれやの都合がでてきて「それはできません」となるわけですか。

ここで勉強することが自分のできる精一杯の光明化運動。生長の家にこのような考え方があるとは知りませんでした。自己限定を取っ払うというのが生長の家の考え方ではないのですか。「自分ができるのはこれが限界」。こういうことをいうためにホープさんは教えを学んでおられるのですか。

「日常に追われる」というのも妙ないいわけですね。日常に追われないのが神の子ではないのですか(文献をだせといわれても無理です)。いったい何を学んでこられたのですか。自分のこととなるといいわけたらたらの「現象あり」で、人には「現象なし」を押しつける。わかってもいないのにわかったふりをして人に説教したがる信徒によくあるパターンです。

おまえこそわかってもいないのにわかったふりをして人に説教するな。

ばれましたか。仰せのとおりにいたしましょう。

5796a hope:2015/09/26(土) 19:30:32 ID:cEpBaIdo

ここは 聖典「生命の實相」の真理を学ぶ誌友会です。

わたし個人の人格や行動に関してご批判またご助言くださるのはご遠慮くださいませんか?

わたしは「実際的な活動をしていない」などと一言も言っていませんし、
「生活に追われているからできない」などと云い訳もしていません。

『「生長の家」の総裁・副総裁先生とは立場が違うから、自分のしていることを公にする義務はない』
と言ったつもりです。

ですから、だれからもそのことでご批判を受けるような立場ではありませんので、
これからは、そのようなご投稿にはお返事は控えさせていただきます。

今月中に21巻のお勉強を終らせたいと思っているので、御理解をどうぞよろしくお願いいたします。

5797a hope:2015/09/27(日) 10:23:21 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p126 9行目〜

神を絶対的なものと観ないで、相対的な神をわれわれが信ずることになりますと、どうしてもわたしたちは本当の安心に到達することはできないことになります。

絶対者だからこそ安心して信頼もできるのだけれども自分の頼っているものは相対的な存在でそれに対するやはり強い力をもって対立している何かがあって、いつどこからかせめてくるかもわからないということになれば、不安で、どうしたって本当の安心を得られるはずはない。

相対的な神を信じている限り、安心は得られません。

絶対的な神を信じた時、われわれは初めて安心が得られる。

もし罪業が神から出てきたものならば、神が罪を作ったということになれば、罪は実在します。

しかし罪を作ったりするような不完全な神や、やりそこないの世界や人間をこしらえて、またやり直しをやるような神を信じていて本当に安心していられるはずはありません。

われわれが本当の安心を得るには絶対的な、完全円満なもののみを創り給うた神を信ずる他はないのであります。


われわれは神の子である。

神の無限の善でありますから罪を創り給うはずがない。

神の生命が宿ってわれわれは生かされているのであるから、神の無限に善なる生命すなわち我であるところの大自覚に入った時のみ、いっさいの不安や、罪苦は消え去って、本当の善なる実相が現われ、この世が光明楽土と化するということになるのです。

5798a hope:2015/09/27(日) 10:25:25 ID:cEpBaIdo

>>5797 a hope 所感)

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大辞林 第三版の解説

そうたい‐てき〔サウタイ‐〕【相対的】
[形動]他との関係において成り立つさま。また、他との比較の上に成り立つさま。「―な価値」「物事を―に見る」⇔絶対的。

ぜったいてき【絶対的】
( 形動 )
物事が絶対であるさま。何物にも制限されないさま。 ↔ 相対的 「 -な権力」 「 -な優位に立つ」

https://kotobank.jp/word/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%9A%84-548310#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89

------------------------------------------------------------------

この「相対的神観」と「絶対的神観」の違いですが、とても重要だと感じています。

世の中のほとんどの人が「神さま」といえば、自分とかけ離れた別の存在だと観じているのではないでしょか?

ですから、そのような考え方の人々に、いきなり「あなた自身が神なんですよ」と説いても、
すぐに「あーそうなんですか」と納得してその自覚(悟り)に到る人は少ないと思います。

ですから、「生長の家」では、ワンクッションおいて「神の子」という表現をつかって人々に伝道しているとわたしは学びました。

ですが本当は、生長の家は「絶対的神観」つまり『唯神実相』が教えの根本なんですよね!

5799a hope:2015/09/28(月) 08:04:19 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p138 6行目〜


話す人が、真理を知って話せば、同じ話でも効果が多いのであります。

どういって話すかというと、あなたの痛む肉体、物質は本来無いのでそれは心の影である。

痛むのは物質という形体だけの塊が痛むのではなくて、本当は心が痛んでいるのだ。

何かあなたは心に痛みを持っていますね。

たとえば発病の前に人に口惜しい、憎たらしいと思って腹を立てた、その痛み、苦しみが心のうちに鬱積して、表現できずにいるとかいったようなことがあるでしょうと伺いますと、きっとそういうことがあるのです。

しかし、よく考えてみれば自分が口惜しい、憎いというような思いをするのは、他の人からいじめられるのはやっぱり自分の心のせいなのです。

自分の心のうちに業を積んでいるから、それで人からいじめられるように自然になってくる。

しかしいじめられることによって業が消えるのでありますから、いじめてくれる人も神の子であったということが分かれば、ああ怒って申しわけなかったと、詫びる気持ちになると同時に怒りの念が消えてそのまま神経痛が治ってしまうという例がたくさんあるのであります。

5800a hope:2015/09/28(月) 08:06:16 ID:cEpBaIdo

>>5799 a hope所感)

「心が病気を作る」ということが分かれば、自分の心をコントロールすることがどれだけ重要かがわかります。

ですが、谷口雅春先生ですら「唯神実相」の真理を悟られる直前まで、心をコントロールするのが難しいと嘆かれていました。(「生命の實相」第20巻 p132〜)

唯心所現の真理から考えれば病気は悪しき心(業・罪)の影であり、
唯神実相の真理から考えれば悪しき心(業・罪)などない、ということになります。

生長の家の縦横の真理は、どちらもとても大切な真理なんですね。

5801a hope:2015/09/28(月) 08:44:43 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p143 後から3行目〜


病気や不幸は何からくるというと、病気や不幸は迷いから来るという。

その迷いはどこから来るかというと「迷いは無い」という、これが生長の家の解釈であります。

「迷い」はどこから来たと言われる方が往々にありますが、どこから来たということが答えられるくらいならば、「迷い」はあることになる、「迷い」は無いから出所(でどころ)もない。

迷いをアルと言ったら迷いから出たというあらゆる悪も肯定しなければならない、それが現実界の実際の状態であります。

しかしながらこの「迷い」は無いから、迷いから生じた憂苦満つる世界も本来無いのであります。


わたしがある時、「この世界には幸福ばかりが満ちている。人間は健康の人ばかりで病気の人は一人も無い。いっさいの生物は、互に争う者なく、生存競争で血みどろな戦いをして入る者のない」と講演いたしますと、「何を貴様は事実を見ないで空想ばかり言っているのであるか。この現実の人生の悲惨な戦いを見よ」と言って来られた方がありました。

わたしの申しましたのは現実世界のことでなく、実相世界のことであって、そこにはなんの悪も存在しないということが自覚されてくるのであります。

これが分からない人は生長の家に反駁(はんばく)して来られるのですが、こういう人たちはその反駁の根拠を現象界に置いて、いろいろのことを言ってくるのです。

5802a hope:2015/09/28(月) 08:46:29 ID:cEpBaIdo

>>5801 a hope所感)

<<「何を貴様は事実を見ないで空想ばかり言っているのであるか。この現実の人生の悲惨な戦いを見よ」と言って来られた方がありました。>>

わたしはつい最近、この掲示板上で同じようにどなたかに反論されたような気がします。
わたし自身、現実世界への対応はとても大切であると感じています。

ですがその対応方法も、実相世界の完全円満さを悟った上で対応するのと、そうでないのでは結果に雲泥の差が出て来てしまうと思っています。

谷口雅春先生は完全に「唯神実相」を悟られていました。

ですから現実世界への対応も、その時起きている現実問題に自由自在に対応されていたのではないかと拝察しています。

「生長の家」信徒であるならば、まずは教えを学び、「唯神実相」を悟り、その上での環境保護運動、政治運動、・・・でなければ、
すべてが間違った方向へ向かってしまう可能性があるのではないでしょうか?

5803a hope:2015/09/29(火) 07:32:39 ID:cEpBaIdo
>>5801 つづき)

「生命の實相」第21巻 p144 後から4行目〜


現象界すべてのものはわれわれの描く念のフィルムに従って「無」の展開せる諸相なのです。

その「無」の展開せる諸相の奥に、ちょうど芝居の楽屋裏に本当の人間がいるように、生長の家でいう生命の実相があるのであります。

それは実に無限の生命に満ちる世界でありますが、それは直観によって体得するより他はない。

ここに見よ、かしこに身よと言って示されるものではない。

示されるものはすでに現象で実相ではないのですから、実相は、このままここにあると、パッと悟るより仕方ないのであります。

5804a hope:2015/09/29(火) 07:34:24 ID:cEpBaIdo

>>5803 a hope所感)

実相とは 「ここに見よ、かしこに身よと言って示されるものではない。」
「このままここにあると、パッと悟るより仕方ないのであります。」というようなものなのですね。

ですが、雅春先生はそのあとに、現象世界に於いても、「実相の写し」ならば見せて示すことはできるとおっしゃっておられます。
いったい、「実相の写し」というのは、どのような現象のことをいうのでしょうか?

つづけて謹写していきます。

5805疑問:2015/09/29(火) 08:11:30 ID:NaAec0Zc

>自分の心のうちに業を積んでいるから、それで人からいじめられるように自然になってくる。


総裁にいびられたとかいう本部講師の人達にも当てはまるのでしょう?左遷されたとかいう本部の人にも。

5806a hope:2015/09/29(火) 08:14:44 ID:cEpBaIdo
(>>5803つづき)

「生命の實相」第21巻 p145 3行目〜


このように完全円満な実相の世界、天国浄土は、ここに見よ、かしこに見よというようなものではない、現象の奥にあるものであります。

だから現象世界を眼の前にもって来て「ここに天国はあるのだぞ」と言って見せられはしないけれども、どうかわれわれにそれを見せてくれという人には、実相を映し出した世界において、実相の写真(うつし)を見せて示すことはできるのであります。

実相の映画(うつし)の世界、それはこの席にいられる多くの方が体験しておられるように、欲しいと思ったものがすぐに出て来るとか、あるいは病気が忽然と消えて無病幸福な生活に入るとか、経済的に好転を来すとかいうように現実に迷いのない世界が出て来る、それが取りも直さず実相を映した世界であります。

まだ実相を直接的悟りで知らない人には実相の写真を見せて、実相の写真を見せるより仕方ない。

写真には血も通っていないし、厚みもない、血色もない、写真と実際の人間とはそれくらい異う。

現象世界の浄土と、実相の浄土との異いも、それくらい異うのですが、見合いお写真で相手の概念を与えるくらいの役目のために、実相の世界を体得できない人に実相の写真をみせてあげることがある。

皆さんの現象界の幸福の体験は、これがその写真です。

それが実相その物なのではない。

それは実相のあらわれにすぎない。

実在の世界を得るための写真であります。

5807a hope:2015/09/29(火) 08:16:18 ID:cEpBaIdo

>>5806 a hope所感)

たとえ、現象界に地上天国が出現したとしても、それはあくまでも実相世界の写真(うつし)に過ぎないのですね(;´∀`)

「現象は無い」のですからそれはそれであたりまえのことなのですが・・・。

その本来無い「現象世界」で、本来無い「肉体」を抱えて生きているわたしたちは、
本来無い「迷い」に振り回せれて、憂苦懊悩している・・・。

うーん。

やっぱり、一日も早く「生命の実相」を悟らねばいけませんね〜!

5808疑問:2015/09/29(火) 08:16:50 ID:NaAec0Zc


>唯心所現の真理から考えれば病気は悪しき心(業・罪)の影であり、
>唯神実相の真理から考えれば悪しき心(業・罪)などない、ということになります。
>生長の家の縦横の真理は、どちらもとても大切な真理なんですね。


人を非難する時は横の真理を使い、自己弁護する時は縦の真理を使うのでは?

5809a hope:2015/09/29(火) 08:23:25 ID:cEpBaIdo

>>5805 疑問さま

Web誌友会ご参加ありがとうございます!


>自分の心のうちに業を積んでいるから、それで人からいじめられるように自然になってくる。
総裁にいびられたとかいう本部講師の人達にも当てはまるのでしょう?左遷されたとかいう本部の人にも。


唯心所現の真理から言えば、そういうことなのだと思います。
現象世界の出来事のほとんどは自分の業(前世の業も含む)のなせる結果なのではないでしょうか・・?

と、わたしは思いますがみなさまのご意見もぜひ伺いたいです。

5810疑問:2015/09/29(火) 08:45:27 ID:NaAec0Zc

>「迷い」はどこから来たと言われる方が往々にありますが、どこから来たということが答えられるくらいならば、「迷い」はあることになる、「迷い」は無いから出所(でどころ)もない。迷いをアルと言ったら迷いから出たというあらゆる悪も肯定しなければならない、それが現実界の実際の状態であります。

>こういう人たちはその反駁の根拠を現象界に置いて、いろいろのことを言ってくるのです。

>「心が病気を作る」ということが分かれば、自分の心をコントロールすることがどれだけ重要かがわかります。ですが、谷口雅春先生ですら「唯神実相」の真理を悟られる直前まで、心をコントロールするのが難しいと嘆かれていました



「唯神実相」の真理を悟るまえのa hopeさんが自分の心をコントロールできずに、反駁の根拠を現象界に置いて、総裁は現象相手の運動をしているといつも述べているから、総裁の今の現実があるということになります。しかし「迷い」は無いから出所(でどころ)もない。迷いをアルと言ったら迷いから出たというあらゆる悪も肯定しなければならない、と云われる。

迷いの出所は自分の心であるからコントロールがどれほど重要か判る、といいそれは谷口雅春先生ですら「唯神実相」の真理を悟られる直前まで、心をコントロールするのが難しいと嘆かれていました、という。

では自分の心のコントロールの出来ないあなたが現象の総裁の生き様を批判する根拠は何なのでしょうか?

5811a hope:2015/09/29(火) 09:01:03 ID:cEpBaIdo
>>5810 疑問さま

申し訳ありませんが、今日はこれから仕事なのでお返事は夜になります。

>>5805の疑問さまの質問はとても重要だと思いますので、みなさま、特に「生長の家」本部講師、
元本部講師の方々、本流関係の講師の方々のご意見、ご指導をいただけるとありがたいです。


よろしくお願いいたします。

5812疑問:2015/09/29(火) 09:07:31 ID:NaAec0Zc

>その本来無い「現象世界」で、本来無い「肉体」を抱えて生きているわたしたちは、本来無い「迷い」に振り回せれて、憂苦懊悩している・・・。

>うーん。やっぱり、一日も早く「生命の実相」を悟らねばいけませんね〜!



一生懸命努力して4,5年経ってもこの感想、実際のところ4,50年キャリアの方でも同じ心境ではないのでしょうか?迷いはないと悟った方が、迷いの産物の悪現象を相手にする訳が無いでしょうから。私の所へも現象を証拠に反論してくる人がいるけれど、と雅春先生が言われているのに、現象を根拠に非難しまくりなのが本流派と自認する人たちでしょう?

5813疑問:2015/09/29(火) 09:42:57 ID:NaAec0Zc

>たとえ、現象界に地上天国が出現したとしても、それはあくまでも実相世界の写真(うつし)に過ぎないのですね(;´∀`)「現象は無い」のですからそれはそれであたりまえのことなのですが・・・。


人間は何処で生きてるのでしょうか?この現象世界は単に映しの世界として存在するということですが、五官で自分が感じているという意味ですか?実相世界と云うところで、具体的に生きているのでしょうか?五官で諍いの生活をしているように見える時に、実相世界ではどんな生活をしているのでしょうか?普通は五官の認識を通して自分の行動はされますね。

現象本来無しという言葉、は五官を使う実際の生活の上でどのような意味になるのでしょうか?非難されるような行動をしているとの判断は五官を通しての判断ですね、その五官は肉体についているものです、そのような判断の正しいかどうかの判断は何処でされるのでしょうか?

よき現象と云っても自分にとってのものですが、それを映し出すのもこの肉体、五官を使って映し出すのですよね、そうしますと純粋に実相世界と云うところで具体的な生活を人間がしていて、それを単に五感で感じているというものではないようです?

自然界の木々は心でもって現象の自然を映し出しているわけでもないでしょう?人間が何処でどのようにして生きているのか?これが気にかかります。

5814トンチンカン:2015/09/29(火) 10:05:29 ID:z9V4A.MQ

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レストランの「メニュー」をみて <迷う> ?

これって、『迷い』。。と言うより、『選択』ではないのでしょうか??
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・レストランの「メニュー」。。なら、コレって「指をさせば」解決するのです!!




(参考) <小閑雑感>
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2007年9月11日 迷いはどこから来る? (4)

迷いはどこから来るか? 現時点での答えは、こうなる……「欲望追求のために自由を行
使せんとするところから来る」。

谷口 雅宣
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『迷いは ナイ!!』。。。  ≪谷口雅春先生≫

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5815トキ:2015/09/29(火) 10:21:31 ID:ksUeryWU
 少し時間がないので、簡単に。

 例えば、中華料理店に入って、餃子を注文したのにラーメンが出てきたら、
「これは違うよ。」と普通は言います。そう指摘することは、別に、他人を
攻撃する事にはなりません。ましてや、人間の実相を見ない事でもありませ
ん。それに対して、中華料理店の店主が、それに応じないのなら、それを説明
する義務が生じます。

 社会通念という観点からは、説明をする義務の所在を考える事が大事だと
思います。

 現在の教団の方針は、伝統的な谷口雅春先生の解釈から違っています。
当然、それに納得しない人は、「現在の教えは、過去の谷口雅春先生の教え
とは違っている」と指摘します。これに対して、教団は、「いや、これは
谷口雅春先生の教えを現代風にアレンジしたもので、基本的な部分は同じ
です。」と抗弁をします。この場合も、教団側は信徒や社会に対して、そ
れを変更した理由をきちんと説明をし、納得してもらう義務が生じます。

 教義の解釈の大幅な変更を含めて、現在の方針の変更の多くは、教区の
人間の預かり知らないところで決まる事が多いです。これに納得しない人
が疑問の声を上げる事は、別に普通の事で、悟りの云々とは関係はありま
せん。

 生長の家が、あくまでも谷口雅春先生の教えが基本である、というのな
ら、教団側はこの義務から解放される事はないと考えます。

 疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと
外れていないと説明することだと思います。

5816疑問:2015/09/29(火) 11:22:25 ID:4q2kCbp2
>>5815

私ははahopeさんの引用並びに感想への疑問を述べているのです。教団の解釈が伝統的解釈と違うということはどちらでもいいのです。

真理は生きなくてはなりません、その生き方に於いての疑問を呈しているのです。どちらが正しいかということを論じているのでなく、伝統的解釈とあなたが云うその生き方そのものが、どのように生きれば矛盾が無いのかを、今の本流派を自認する人に問いただしているのです。

教団内で10年、本流を造って10年、20年かかって統一した生き方が出来ない、それでいて真理を悟れば本来の良き世界が出て来る、という話に聞こえるのです。

20年かかって世間の物笑いになっている生長の家の在り方を、相手方に答えを求めてどうするのですか?教団側は好きにすればの態度であるのでしょう、であれば本流を自認する側が真理を生きることにより不完全と見えることの解消をするしか仕方ないでしょう。

そんな意味で真理を生きるという事がどんなことか聞いているのです。私はよき結果が出ていないことの原因は何処にあるのかを聞いているのであって、出てない以上本流を名乗っていても正しく真理の実践が出来ていないのではないか?との疑問から発議しているのです。真理の実践は誰かに求めるものでなく自らするのが当たり前の事ではないですか?

5817疑問:2015/09/29(火) 11:58:34 ID:4q2kCbp2

真理を生きるということはどのような事なのですか?と聞いているのです。トキさんが不完全な事が有るとの認識を持っている、それに対し総裁はそんなことは知らんとの態度を取るように見える、その現実の事実に対してあなたはどんな行動をとるのですか?

不完全があると見えている時にどんな行動をするのが真理に適った生き方なのですか? 不完全を表している中心者の生き様を代えろ、と主張しても、それは相手の事です。自分の行動としてはお前は駄目だと言葉で云っているだけです、そんなことは真理を知らなくても誰でもします。

中国指導者相手に、共産主義を正しいものとして独裁的に政治をするのは間違っている、お前たちは辞めろと云っているのと何も変わりません。伝統的解釈と違うという貴女の真理の実践が正しいのであれば問題は解決向かっていることでしょう。

そんな意味で伝統的解釈が物事の解決に役立っていないのではないか?であればどのように真理の言葉を受け入れて実行すればよいのか?そのことを正当な解釈をしているという人に聞いているのです。

不届きな嫁に苦しんでいますとお婆さんに云われたら、そんな嫁は追い出しなさいというのですか?さんざん注意をしても嫁さんには嫁さんの考え方があります。こんな息子は死んでくれたらいいと考えていた母親が息子と和解で来た話もあります。相手の心変わりを求めるのが伝統的生長の家の解釈ですか?

5818疑問:2015/09/29(火) 13:32:32 ID:4q2kCbp2
 国家は吾々の最高理念である。数字に先立って『数』が存在するがごとく、理念はすべての形あるものに先行して存在する最高の存在であり、生命(いのち)の生命である。

国家はその理念のうちの最高なるものである。個生命はこの最高理念のために、『生命の生命』のために、一切をなげうって奉仕しなければならぬ。否、奉仕することそのことが喜びであり、それが個生命なる小さな理念的存在が最高の理念にまで包摂せられ向上し行く最後唯一の道である。

銃後の親戚知友に送られて征途に旅立つ軍人の歓呼こそは、見送る人も、見送られる人も、それは個生命が最高の理念に包摂し向上する刹那の生命の凱歌であり、鬨(とき)の声である。

(谷口雅春『明窓浄机』草創篇284-285頁「昭和12年 天皇は中心理念に在す」)

5819疑問:2015/09/29(火) 13:40:31 ID:4q2kCbp2

戦争の倫理的意義 谷口雅春

 私は『大自然が催し、大自然がはかろうて自分をその境遇にまで追い寄せた現在の生活』を百パーセント完全に生きることが、生長の家の生き方であるといった。この意味において『戦争』というものが吾々に課せられた場合には(現に課せられているのであるが)それを完全に戦い抜くことが生長の家の生き方でなければならないのである。

今与えられた環境から飛出すところの出家道は、否応の選択が働くのであるから、戦争というものは魂の修養にならないというような価値判断がはたらいて、戦争忌避や、敗戦主義に捉えられるおそれがあるが、生長の家では出征する人にとっては戦場が直に魂の修養の道場となり、戦争が直に吾々の魂を練るところの公案となるのである。

多くの人たちは戦争の悲惨な方面ばかり見ていて、その道徳的、宗教的意義を理解しない。そして動もすれば戦争を忌避するのであるが、戦争は実に真剣な、否応なしに左右をいわずに、ただひたすらに至上命令に従うところの激しき宗教的行事なのである。しかも同時に、肉体の『無』を理屈でなしに実証するところの行事である。

かの天華の修行に天華の教祖渡辺薫美が修行者たる一婦人に課したところの『千仭の谷へ、今跳べ!』の必至命令の如く、否やの選択を許さぬ絶対命令と同じことである。『爆弾を抱いて、そのまま敵のトーチカに跳び込め!』これに対して、軍人はただ『ハイ』と答えて跳び込むのである。宗教の修行においては、たとひ教祖の命令通り跳び込まなくとも、『修行が足りない、まだ心境がそこまで達していない』位で許されるだけに、それは修行の『型』をやっているだけである。また、その命令者が教祖という個人である。

しかし戦争においては否応はない、言葉通り肉体の生命が放棄せられる。そして軍隊の命令者は天皇であって、肉体の放棄と共に天皇の大御命令に帰一するのである。肉体の無と、大生命への帰一とが、同時に完全融合して行われるところの最高の宗教的行事が戦争なのである。戦争が地上に時として出て来るのは地上に生れた霊魂進化の一過程として、それが戦地に赴くべき勇士たちにとっては耐え得られるところの最高の宗教的行事であるからだと観じられる。

(『谷口雅春選集』谷口雅春著 潮文閣、1941年、302-303頁)

5820疑問:2015/09/29(火) 13:47:09 ID:4q2kCbp2

常住戦死の心 谷口雅春  

 宇宙には唯一つ、大御心のみがある。天皇の大御心である。『忠』とは、大御心に無我帰一する心である。すなはち天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)の心に『中』(ちゅう)する心である『中』とは的に中(あた)るであり、生命の本質に貫き徹するのである。

宇宙の実相に少しもウラハラなることをせず、無我になりて宇宙の心に従ふのである。吾らが大御心を行ずるのは、それによって幸福になれるからでも、都合がよくなるからでもない。さふ云う第二次第三次の事物よりも、尚尚すぐれて無常価値なるものが大御心である。その大御心を実現することは無常価値であるが故に、そのやうな第二次、第三次のお蔭などは心に微塵も止めないで、大御心を行ずるのが『忠』である。そしてそれがまた生長の家家族の心である。

大御心を行ずる為に、その他の物質的なるもの悉くを戦死せしむるのである。戦場に於(おい)て戦死せしむるだけではなく、常住戦死の心である。これを『死』と云ふ不吉な連想を伴ひ易き言葉を用ひず、『肉体なし、物質なし』と吾らは云ふ。その死に切った心だけでは消極的否定の心である。そこに『大御心のみあり』の大肯定がなければならぬ。生長の家ではこれを『神一元』と云ふ。天皇独在とも云ふのである。

  (谷口雅春「常住戦死の心」『谷口雅春選集』潮文閣、1941年、2頁)

5821疑問:2015/09/29(火) 13:55:24 ID:4q2kCbp2

常住戦死の心 谷口雅春  

 宇宙には唯一つ、大御心のみがある。天皇の大御心である。『忠』とは、大御心に無我帰一する心である。すなはち天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)の心に『中』(ちゅう)する心である『中』とは的に中(あた)るであり、生命の本質に貫き徹するのである。

宇宙の実相に少しもウラハラなることをせず、無我になりて宇宙の心に従ふのである。吾らが大御心を行ずるのは、それによって幸福になれるからでも、都合がよくなるからでもない。さふ云う第二次第三次の事物よりも、尚尚すぐれて無常価値なるものが大御心である。その大御心を実現することは無常価値であるが故に、そのやうな第二次、第三次のお蔭などは心に微塵も止めないで、大御心を行ずるのが『忠』である。そしてそれがまた生長の家家族の心である。

大御心を行ずる為に、その他の物質的なるもの悉くを戦死せしむるのである。戦場に於(おい)て戦死せしむるだけではなく、常住戦死の心である。これを『死』と云ふ不吉な連想を伴ひ易き言葉を用ひず、『肉体なし、物質なし』と吾らは云ふ。その死に切った心だけでは消極的否定の心である。そこに『大御心のみあり』の大肯定がなければならぬ。生長の家ではこれを『神一元』と云ふ。天皇独在とも云ふのである。

  (谷口雅春「常住戦死の心」『谷口雅春選集』潮文閣、1941年、2頁)

5822疑問:2015/09/29(火) 14:01:49 ID:4q2kCbp2

ああ天地万物を見るたびに、吾々は、天皇陛下があがめられます。 天皇の下に生まれ 天皇の大みいのちに還りて死し死して永遠のいのちを得る。   
 天皇万歳である。…・万歳は久遠の象徴(しるし)である。…・・この際、この時、この生長の家の思想を広めて吾ら死なん。死なんかな。死なんかな。来りてともに死に給へ。死は大なる生につながる。

(谷口雅春『明窓浄机』飛躍篇106頁 昭和16年 「天皇はすべてのすべてにまします」)

上二つダブりましたすみません

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5827トンチンカン:2015/09/29(火) 15:30:35 ID:z9V4A.MQ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
≪迷いのルツボ≫にはまり込み、右往左往して出口の見えない「曳馬野ご一統」!!

「頭脳明晰」なるが故、色々と考えるのでしょうね? 「無の関門」を越えられない・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・『迷いはナイ!!』。。 信じるのか・・ 信じないのか・・

5828トンチンカン:2015/09/29(火) 15:46:10 ID:z9V4A.MQ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『20年かかって世間の物笑いになっている生長の家の在り方』
『不完全を表している中心者の生き様を代えろ、と主張しても、それは相手の事です』
                            <曳馬野ご一統>

多くの人々が≪総裁のご乱行≫を言っているのです。 ≪総裁の「責任問題」≫です!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・今や、「開き直り」しかないのですか? 「屁理屈」で逃げ切るのですか?

・『世間の物笑いになっている』のは、「マサノブ爺さん」なのですよ・・・


(参考)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
5816 :疑問:2015/09/29(火) 11:22:25 ID:4q2kCbp2>>5815

私ははahopeさんの引用並びに感想への疑問を述べているのです。教団の解釈が伝統的解
釈と違うということはどちらでもいいのです。

20年かかって世間の物笑いになっている生長の家の在り方を、相手方に答えを求めてど
うするのですか?教団側は好きにすればの態度であるのでしょう、であれば本流を自認す
る側が真理を生きることにより不完全と見えることの解消をするしか仕方ないでしょう。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
5817 :疑問:2015/09/29(火) 11:58:34 ID:4q2kCbp2

真理を生きるということはどのような事なのですか?と聞いているのです。トキさんが不
完全な事が有るとの認識を持っている、それに対し総裁はそんなことは知らんとの態度を
取るように見える、その現実の事実に対してあなたはどんな行動をとるのですか?

不完全があると見えている時にどんな行動をするのが真理に適った生き方なのですか? 
不完全を表している中心者の生き様を代えろ、と主張しても、それは相手の事です。自分
の行動としてはお前は駄目だと言葉で云っているだけです、そんなことは真理を知らなく
ても誰でもします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

5829トキ:2015/09/29(火) 16:41:27 ID:ksUeryWU
 いやいや、疑問さんは、痛いところを突かれたので、錯乱されているのです。

 しかし、「疑問」さん、a hope 様も社会人ですから、質問をするのなら、
それなりの礼儀作法というものが必要です。こういう詰問をするような口調
の文章をいきなり送りつけて回答を要求するのは、社会通念上、「失礼」と
言います。

 ご理解ください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5832トキ:2015/09/29(火) 17:07:09 ID:ksUeryWU
 疑問様の投稿は、誌友会と関係がないので、一部の投稿を別板の移転板へ
移しました。こういう投稿は大変迷惑なので、以後、疑問様はそちらへ
投稿をしてください。

合掌 ありがとうございます

管理人

5833疑問:2015/09/29(火) 17:45:33 ID:gJV5Cq.Q

>疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと外れていないと説明することだと思います。私は、教義の解釈の変更が重大な事柄だ、と言っているのです。逃げずに返答をしたまえ。

>いやいや、疑問さんは、痛いところを突かれたので、錯乱されているのです。


教義が変更されたかどうかそんなことは知りません。教義が変更されて嫌だというのであればさっさと辞めたらいいのでは。なんで私があなたに説明しなくてはならないのですか?どこが痛いところなんですか?私は痛くもかゆくもありません。

国家が起こす戦争で死ぬことは神の子の無我の最高の心に到達するための最高に尊いことであると、常に常住戦死の心で生きるのが最高と云うから、そんな心を求められるのが生長の家の真理だと知ったうえで誌友会版で真理の研鑽に励んでいるのですか?と聞いて何が悪いのですか?

解釈の変更がたとえ有ったにしても、それを重大な事柄とするのはあなた並びに自称本流派でしょ。総裁は何も困っていないから10年以上同じ路線を走っていのでしょう。困るのは困る人が悪いと云った有名な本部講師がいました。困るならさっさと辞めて自分の思う運動をすればいいでしょう。

世間の常識で行くと人間神の事はどんなことかの話は邪魔で、トンチンカンのアジ演説は素晴らしと云うのですね。世間の人はウダウダ云っている人のその姿にあきれているのでしょ。世間の人で教団の在り方を批判している人がいますか?世間の人が何を考えているかに関する引用ですよ、原文に当たってみたらよいでしょう。

5834疑問:2015/09/29(火) 18:05:29 ID:gJV5Cq.Q

>>5830>>5831を自由に削除して自分の体裁を繕う姿が素晴らしい神の子の姿と云うのですか?

いくら少なく見積もっても2,3万の信徒はまだいるでしょう、今でも講師試験を受ける人がいるのです、その人たちは馬鹿で阿保であるというのですか?少なくても新たに講師になる人達にとっては重要な問題でなく、世間を笑わせようとするあなた方にとって問題と云うだけです。

総裁は公人であるから幾ら汚い言葉で批判しても許されるという判断でトンチンカンはそのままにしているのですね。そんな考えのトキさんはさっさと辞めて本流派と合流するほうがいいです。

5835トキ:2015/09/29(火) 18:22:34 ID:ksUeryWU
>>5833

疑問様

 トンチンカン様の投稿は、確かに、最初は削除と移転をしようと思いました。
と、同時に、疑問様の全ての投稿を全部、削除と移転をしようと思いました。
  
 しかし、それでは、誌友会としての流れが止まります。仕方がないので、
全く誌友会のテーマと関係がない部分をとりあえずは移転と削除しました。

 なお、疑問様とトンチンカン様には申し訳ありませんが、適当な時期に、
お二人の投稿を削除と移転をさせていただきます。

 次に。

 教義が変更されたというのは、たいへん重要な問題です。生長の家というのは
宗教法人です。法人というのは、法人としての「目的」があります。その「目的」
は、登記され、誰でもが閲覧することができるのです。

 戦前、天理教が当局の要求により教義の「革新」を余儀なくされたときに、大騒ぎに
なったこともありました。

(つづく)

5836トキ:2015/09/29(火) 18:37:35 ID:ksUeryWU
 それぐらい、教義というものは重要なものなのです。

 法律に詳しい人に尋ねると、法人における「目的」はかなり重要で、
目的外の行為は、原則として「無効」になる、というぐらいの重みがある
みたいです。

 生長の家の場合、生命の実相が目的に明記されていたと記憶しており
ます。だとしたら、生命の実相が教団内部で語られなくなったのは、
問題である、という声があがるのは当然ではないでしょうか。

 さて、疑問様は、教義の変更が嫌なら辞めろ、という発言をされまし
た。生長の家が発祥当時のような任意団体ならその解釈も可能でしょう。

 しかし、現代のような法人格を取得して団体では、一部の人の独裁の
ような行動が正当化され、異論を唱えた者が容赦なく排除されるのなら、
それは、法人格をもらった趣旨から逸脱すると思います。

(つづく)

5837トキ:2015/09/29(火) 18:47:56 ID:ksUeryWU
 さらに申し上げると、私が問題にしているのは、この掲示板では何を
書いても構わないが、誌友会の板では、テーマが決まっているので、それに
沿った内容の投稿をしてほしい、ということです。

 掲示板で、管理人がいたら、その管理人の指示に従う前提で掲示板は
成立しています。もちろん、運営上のご意見も可能な限りは拝聴しますが、
「疑問」様の投稿は、板の趣旨を逸脱しています。

 トンチンカン様の投稿も確かに表現に問題はありますが、トンチンカン様
の投稿が「疑問」様への反応であることを考えると、いきなりの削除ができ
ないと考えています。

 最後に付け加えますが、私の考えは、本流復活派も支持しないし、また、
今日の状態に至ったのは、総裁だけの責任でもない、という立場です。

 その考えは、過去、再三、表明しています。

 しかし、掲示板の方針として、極力、検閲はしない方向でいます。
問題になる投稿については、反論という方法での対応をお願いをしており
ます。

5838トキ:2015/09/29(火) 18:53:49 ID:ksUeryWU
 ですから、「疑問」様の投稿の原則としては、削除したくありませんでした。

 しかし、関係のない文章を長々と書いて、誌友会のリーダーに返答を強要す
るのは、これは違うと思います。

 この点はご理解をお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5840トキ:2015/09/29(火) 19:38:02 ID:ksUeryWU
以下、訂正します。

トンチンカン様

 ご覧の通り、「疑問」様から、総裁を「侮辱」する表現を問題視
する投稿が届いております。

 管理人としては、内容については容喙するものではありませんが、
表現については、多くの方が閲覧をしている現状もありますので、
より丁寧な表現をしてくだされば、助かります。それで削除をする
ということはありませんが、どの人であれ、人格を尊重する態度は
必要だと思いますので、ご協力をお願いします。

 勝手なお願いをして、すみません。

 今後とも、投稿をお願い申し上げます。

投稿者様各位へ

 もちろん、ここでは本流復活派へのきわどい表現もあるので、
総裁への投稿だけを問題視するつもりはありません。本流派への
投稿も、表現については慎重にお願いします。
 賛成意見も反対意見も大事ですが、本流復活派の方々
も、ご自身の信念により頑張っているのは事実ですから、その点
は尊敬したいと思います。

 同時に、教団への支持も批判も歓迎ですが、表現については慎重に
お願いします。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

5841トキ:2015/09/29(火) 19:41:49 ID:ksUeryWU
謹告

 以上の投稿は、誌友会とは関係のない内容が多いので、適当な時期に
削除させていただきます。もちろん、私の投稿も含めてです。

 ご了承ください。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

5842疑問:2015/09/29(火) 20:02:18 ID:gJV5Cq.Q
>しかし、関係のない文章を長々と書いて、誌友会のリーダーに返答を強要するのは、これは違うと思います。

関係のない人間が関係のない文章を書いたのはトキさんあなたでしょう。誌友会版でのa hopeさんの言葉解釈への疑問を書いていたところに、あなたが勝手に総裁と間違えての感想を、勝手に書いたのでしょう。

国家が起こす戦争で死ぬことは神の子の無我の最高の心に到達するための最高に尊いことであると、常に常住戦死の心で生きるのが最高と云うから、そんな心を求められるのが生長の家の真理だと知ったうえで誌友会版で真理の研鑽に励んでいるのですか?と聞いて何が悪いのですか?

とあなたへの返事は書いてあります。誌友会、講演会で真理の話をするのは何の為、本当の神の子の自覚に至る為でしょう。その神の子の自覚は天皇信仰に至る事でありその神髄は斯くの如しと書いてある文を投稿するのが何故削除に値するのですか?

いちゃもんをつけてきたのはあなたトキさんです。引用したような書き方で神の子の自覚を説くのが生長の家であるとの認識の下で、a hoopeさんがその体得にいそしむのであればよろしいのですが、そうでなければ後でこんなはずではなかった云うことになりかねません。

あなたが割り込まなければ、引用文までは書かなかったのです。趣旨に則った質問だから夜にの返事があったのでしょう。出しゃばり、趣旨に反したのはあなたなのです。

5843トキ:2015/09/29(火) 20:23:28 ID:ksUeryWU
>>5842

 すみません、一箇所、申し上げます。

>>勝手に総裁と間違えての感想を、勝手に書いたのでしょう。

私は、そういう文章は書いていません。また、あなたが総裁だとも思っていません。
その点はお願いします。

 誌友会、あるいは輪読会では、あくまでもリーダーの指示で動くことが前提になって
います。この点もご理解ください。

合掌ありがとうございます

5844トキ:2015/09/29(火) 20:46:31 ID:ksUeryWU
>>5805

 では、あらためて書きましょう。
 
 谷口雅春先生が、かってバキュームオイルカンパニーを馘首されたあと、
馘首した上司と対面をした時の話を講演で言われています。

 「会社をクビにされても恨んではいけませんが、クビにするのもよくない」

と。よほど修行ができた人でないと、クビにされたら恨みます。生長の家を
していても、それは、現象の人間ですから、酷い扱いや侮辱を受けたら、
やはり恨みます。ただ、それをいつ切り替えるかです。

 そういう念は、クビにした人のところへ行きます。確かに前世なり何なり
で、そういう人には原因になる行為があったのかもしれませんが、何でも
かんでも、前世の因縁とかでかたずけると、人間の自由な意思というものが
無視されてしまいます。それは魂の向上という観点からは、有害無益なので
す。また、そういう恨みの念で復讐をすると、今度は、また、次にその人が
その因縁で不幸になる、という循環になります。

 私も経験があるのですが、侮辱されたり、嫌がらせをされた人がいて、自分
が強い立場になったら、復讐をしたいという感情にはかられます。そこを逆転
して、そんなつまらないことをしないと決めるかは、難しいですが、大事な事
だと思います。本流復活派の中には、ごく一部ですが、パワハラのような言動
をする人もいて、そういう人に不愉快な経験をした人の中には、そういう人が
不遇な目にあって喝采を叫んでいる人もいるかもしれません。

 しかし、それをしたら、私は、「負け」だと思っています。

 前世の因縁が全てではありません。人間、どこかで、上のような悪循環をと
めるかが大事だと思っています。

5845疑問:2015/09/29(火) 20:54:52 ID:gJV5Cq.Q
https://twitter.com/search?q=%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E9%9B%85%E6%98%A5&amp;src=typd

でヒルコ蛭義氏が「完全にイ○カレてる。」「稲田の朋ちん様、あなたと一緒に進め、一億火の玉だとか、ほんと勘弁してください」と感想を言っている、何を読んでそんな感想になったのか?それは

http://sei4ch1ou.seesaa.net/article/421281552.html の資料2なのだ

世間で笑われているのは雅宣総裁でなく、創始者の説く生長の家の神髄を読んでの事なのです。私は大っぴらになるのは困るなんていう時期は通り過ぎていると思いますよ、トキさん。この資料2に書かれていることを世間に解るように説明する義務が本流は並びにトキさんには生じていると思います。

5846疑問:2015/09/29(火) 21:35:26 ID:tQSsSw6E

>>5843 >>勝手に総裁と間違えての感想を、勝手に書いたのでしょう。
私は、そういう文章は書いていません。また、あなたが総裁だとも思っていません。その点はお願いします。

>>5815が何処が誌友会の内容に関係しているというのですか?教団非難のアジ演説のみのトンチンカンの肩を以て私に「疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと外れていないと説明することだと思います。」いかにも教団の人間として教えの違いを説明するのがなすべきことと云っている。

私は教団の人間でないからそんなことはあずかり知らないことです。それでも>>5816>>5817で必要な返事はしておきました。しかるに「疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと外れていないと説明することだと思います。私は、教義の解釈の変更が重大な事柄だ、と言っているのです。逃げずに返答をしたまえ。」

「いやいや、疑問さんは、痛いところを突かれたので、錯乱されているのです。」とのたもうたではないですか。

5805に関しての事との断りもないのに、今になって「 >>5805 では、あらためて書きましょう。」とは何事です。5815を誰が読んでも5805への返事だとは思わないでしょう。 

トキさんはトンチンカンに似て論理がめちゃくちゃです。

5847トキ:2015/09/29(火) 21:41:11 ID:8GVLXtaY
>>私は教団の人間でないからそんなことはあずかり知らないことです。

ああ、そうですか。ここは、生長の家の信仰を持つ人を対象にする掲示版です。

真面目に生長の家の信仰をしている人にとって、あなたの存在は迷惑ですから、
以後のご投稿はご遠慮願います。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5848疑問:2015/09/29(火) 22:12:51 ID:gJV5Cq.Q
ろくな返事もしないで、神の子の自覚など話し合う必要はないトキたもんだ。アジ演説のみの人間は教団にとって迷惑ですからお辞めなさいと勧めてあげたのに。

あなたのように組織の幹部じゃないんだよ、なんで説明責任なんてあるものか。

「真面目に生長の家の信仰をしている人にとって」だからこそ真髄中の真髄の言葉を投稿してやったじゃないか、それを削除したのがトキさんあなただよ。どこが真面目なんだか。そんな人こそ教団にとってお邪魔虫でしょ。

5849a hope:2015/09/30(水) 00:05:19 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第36回 web誌友会 案内 (改訂版)

期間   8月2日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第21巻 経典篇 
内容  『甘露の法雨』講義
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5850a hope:2015/09/30(水) 00:33:44 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p152 5行目〜


今までのように迷いや、物質や、罪や、病や、死があると思っていたのでは、四十七年間もの痘痕(あばた)は治らない、物質の骨折などは治らない、こんなひどい病気は治らないと思いこんでいた、その迷いを、無いものをあると思いこんでいた迷いを、「迷いなんて本来ないのだ。罪なんて本来ないのだ。人間は神の子であって本来円満完全」であるという生長の家の歌『甘露の法雨』の功徳によって、スカッと罪の迷える意識を断ち切ってしまう。

その時にいっさいの罪は姿を消して、そこに本来の濁りなき完全なる実相が現象世界にも、その写真として姿を現してくるのであります。

この現(うつ)し世に、完全円満な人間の本来相が現われてきた時に、天国浄土が現実に顕現して、いっさいの罪も、病も、死も、悪もことごとく消滅して、ただ光明そのものの実相世界の映しとなるのであります。

これがいわゆる地上天国の建設であります。

5851a hope:2015/09/30(水) 00:38:30 ID:cEpBaIdo

>>5850 a hope 所感)

ふーん(@_@;)
地上天国の建設なんて、夢のそのまた夢のようなお話にも聞こえてしまうのはわたしだけでしょうか?

ですが、谷口雅春先生は本気でその目的に向かっておられたのですね!

5852a hope:2015/09/30(水) 08:12:45 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

今日は、9月30日で第36回 web誌友会最終日です。

今月中に、第21巻を終了したかったのですが、まだ第四章の「人間の実相および仮相」が終わっていません。

この第四章の講話は「甘露の法雨」最終項目である『人間』の解説になっているのですが、
実はわたしはこの『人間』の項目に関しては不思議な体験があるのです。

それは、数年前に宇治別格本山の練成会にはじめて参加した時のことです。
その日の早朝神想観は幽斎殿で行われていました。

たしか神想観が終わった後に「甘露の法雨」の一斉読誦が始まりました。

もうすでに1時間近い静座をしているわけですから、まだそのころは静座に慣れていなかったわたしの足は痺れて、
坐っているのが辛くて意識も朦朧としてほとんど「甘露の法雨」の内容には集中できずにいました。

そんなとき、やっと「甘露の法雨」の読誦が最終項目の『人間』に入って、
わたしは「あーもう少しで終わりだ!」などと現在意識では考えていたのです。

ところが、その時突然、わたしの目から涙が滝のように流れだして止まらなくなってしまったのです。
何かに感動して泣いているというのではなくて、ただ、ただ、涙が流れてきて止まらなくなってしまったのです。

今思えば、その時のわたしの現在意識は「辛い、早く終わってほしい」と感じていただけでしたが、
わたしの潜在意識が「人間は神より出でたる光だったんだー」とその真理に感動して、浄化の涙が流れていたのだと思います。

そんなわけで、わたしにはこの「甘露の法雨」『人間』の項目には特別な思い入れがあるのです。


トキさま、みなさま、またまた勝手を言って申し訳ありませんが、もう少しだけこの21巻をお勉強させてくださいm(__)m


ですが、明日になりましたら、第37回 web誌友会を開会させていただきます。

テキストは第22巻になりますが、内容は「聖語篇 智慧の言葉」と「精神分析篇 精神分析による心の研究」ですが、
第21巻の第四章の「人間の実相および仮相」も合わせて学んでいきたいと思います。

みなさま、第22巻の「聖語篇 智慧の言葉」は、「聖光録」や、「ひかりの語録」、
「ジュニア 希望の祈り」などにも収録されてます。

一文一文が短文なので謹写にも時間がかかりません。

どうぞ、お気に入りの「智慧の言葉」をご紹介くださいね!

5853a hope:2015/09/30(水) 08:22:48 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第37回 web誌友会 予告

期間   10月1日〜10月31日まで

テキスト 「生命の實相」第21巻 第4章
「生命の實相」第22巻  聖語篇/精神分析篇

内容   『人間の実相および仮相』
『智慧の言葉』 『精神分析による心の研究』
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5854トキ:2015/09/30(水) 11:21:13 ID:4h78wox6
a hope様

 誌友会の運営、深く感謝申し上げます。
今回、管理人が至らず、板が荒れた事を心から陳謝いたします。

 会場リーダーのご意向が最優先ですから、「生命の實相」第21巻
を続けてください。また、他の板と違い、この板は明確に投稿の目的
が決まっていますから、誌友会とは関係のない投稿は、会場リーダー
の請求があれば、削除いたしますので、ご連絡ください。

 では、今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

5855ほんとに理解できない:2015/09/30(水) 13:50:24 ID:gJV5Cq.Q
この現(うつ)し世に、完全円満な人間の本来相が現われてきた時に、天国浄土が現実に顕現して、いっさいの罪も、病も、 ≪死も≫ 、悪もことごとく消滅して、ただ光明そのものの実相世界の映しとなるのであります。


ここに ≪死も≫ と書かれているけれど、雅春先生でも死んだのです。現象界で永遠の命を保った人は一人もいません。神様でも口が滑るのでしょうか? 過去誰も不思議に思わないのが不思議。

≪   ≫は私が付けました

5856トキ:2015/09/30(水) 19:57:42 ID:4h78wox6
>>5852

a hope様

 私は、少し前から、禅宗のご住職様と仲良くなり、よくお寺に遊びに行きます。
もちろん、私は自分が生長の家の信徒であることも伝えております。生命の実相
をお見せすると、「谷口雅春さんが生命の実相で書かれている事は、臨済宗の悟り
と同じですね。」と感心されました。

 その時に、夏目漱石の話が出ました。夏目漱石は、鎌倉の禅寺に参禅していた
そうですが、禅宗の有名な公案である、「無字」の公案は通っていなかったとい
います。彼の有名な則天去私という言葉も、現在の自分の心境というよりも、目標
という意味合いだったみたいです。

 その彼がもっとも愛したのは、若い、無学に近い禅宗の修行僧だったそうです。
ご存知の通り、夏目漱石にはたくさんの優秀な弟子がいました。しかし、この
修行僧(正確には2名いたそうですが)は、素直な人だったみたいです。

 宗教上の経験を得る上で大事なのは、学識や学歴ではなく、a hope様のような
素直な気持ちになることだと思いました。

5857a hope:2015/09/30(水) 22:26:56 ID:cEpBaIdo

>>5856 トキさま

あたたかいお言葉をありがとうございます。 感謝 合掌。

わたしは宇治別格本山の練成会には、何度か参加していますが、すべてこの掲示板で書き込みを始めた後のことです。

わたしは、あの場所で、楠本加美野先生といっしょにお食事をしたり、
義春さんといっしょに講話を聴いたりしたこともあるのですよ!

本当にあそこは、素晴らしい霊的な雰囲気のある場所でした。


ところで、今回、トキさまはこの掲示板の閉鎖を考えられているのですね。

この掲示板は、わたしにとってはたくさんの思いでのある大好きな掲示板ですから、
閉鎖というのはちょっとショックでしたが、そろそろそういう時期なのかもしれませんね。

わたしは、トキさまが新しい掲示板を用意してくださるのであれば、
また、そこで、聖典「生命の實相」のお勉強会であるweb誌友会をぜひ続けさせていただきたいと思います。

トキさまにはお世話になるばかりですが、これからも a hopeをどうぞよろしくお願いいたします。

5858a hope:2015/10/01(木) 09:21:22 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。
10月に入りましたので第37回 web誌友会を開会させていただきます。
それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。

5859a hope:2015/10/01(木) 09:22:36 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5860a hope:2015/10/01(木) 09:23:21 ID:cEpBaIdo

つづきまして、聖経「甘露の法雨」より『人間』を謹写させていただきます。

5861a hope:2015/10/01(木) 09:25:51 ID:cEpBaIdo

人間 

吾は『真理』なり、『真理』より遣わされたる天使(てんのつかい)なり。
『真理』より照りかがやく『光』なり、迷いを照破する『光』なり。
吾は『道』なり、吾が言葉を行うものは道にそむかず。
吾は生命(いのち)なり、吾に汲(く)む者は病まず死ぜず。
吾は救(すくい)なり、吾に頼む者はことごとくこれを摂取して実相の国土に住せしむ。


天使かくの如く説き給えば天の童子また重ねて問う。
『師よ、人間の本質を明らかになし給え』
天使答えたまわく――
人間は物質に非ず、脳髄細胞に非ず、神経細胞に非ず、
血球に非ず、血清に非ず、筋肉細胞に非ず、
それらすべてを組み合わせたるものにも非ず。
汝ら、よく人間の実相を悟るべし、人間は霊なり、生命なり、不死なり。

神は人間の光源(ひかりのみなもと)にして人間は神より出でたる光なり。
光の無き光源はなく、光源の無き光はなし。
光と光源とは一体なるが如く 人間と神とは一体なり。
神は霊なるが故に人間も亦(また)霊なるなり。
神は愛なるが故に 人間も亦愛なるなり。

霊は物質の性に非ず、愛は物質の性に非ず、知恵は物質の性に非ず、
されば、霊なる愛なる知恵なる人間は、物質に何ら関わるところなし。
まことの人間は、霊なるが故に、愛なるが故に、知恵なるが故に、生命なるがゆえに、
罪を犯すこと能わず、病にかかること能わず、死滅すること能わず、
罪も、病も、死も、畢竟汝らの悪夢に過ぎず。

汝ら生命の実相を自覚せよ。
汝らの実相たる『真性の人間』を自覚せよ。
『真性の人間』は神人にして神そのままの姿なり。
滅ぶるものは『真性の人間』に非ず。
罪を犯すものは『真性の人間』に非ず。
病に罹るものは『真性の人間』にあらず。

地上の人間よ、われ汝らに告ぐ、汝ら自身の本性を自覚せよ。
そのほかの如何なるものにも非ず。
されば人間は真理の眼より見る時は、罪を犯す事能(あた)わざるものなり、
病に罹る事能(あた)わざるものなり、滅ぶること能(あた)わざるものなり。
誰か云う『罪人よ、罪人よ』と。
神は罪人を造り給わざるが故にこの世に一人の罪人もあらず。

罪は神の子の本性に反す、病は生命其(それ)自身の本性に反す、
死は生命其自身の本性に反す、罪と病と死とは、
畢竟(ひっきょう)存在せざるものを夢中に描ける妄想(まよいのかげ)に過ぎず。
実相の世界に於ては神と人とは一体なり、
神は光源にして人間は神より出でたる光なり。

5862a hope:2015/10/01(木) 09:28:35 ID:cEpBaIdo
罪と病と死とが実在すると云う悪夢を、人間に見せしむる根本妄想は、
古くは、人間を塵にて造られたりと云う神学なり。
人間は物質にて造られたりという近代科学なり。
これらは人間を罪と病と死との妄想に導く最初の夢なり。
この最初の夢を摧破するときは 罪と病と死との根本原因は摧破せられて その根本の無に帰するなり。

汝ら『生長の家』を読んで真理を知り病の癒ゆるは この最初の夢の摧破せらるる故なり。
この最初の夢なければ 次の夢なし。
悉(ことごと)く夢なければ本来人間清浄なるが故に 罪を犯さんと欲するも罪を犯す事能わず、
悉く夢なければ自性無病なるが故に 病に罹らんと欲するも病に罹ること能わず、
悉く夢なければ本来永生(かぎりなきいのち)なるが故に死滅すること能わず。
されば地上の人間よ 心を尽くして自己の霊なる本体を求めよ、
これを夢と妄想との産物なる物質と肉体とに求むること勿れ。

キリストは『神の国は汝らの内にあり』と云い給えり。
誠に誠にわれ汝らに告げん。
『汝らの内』とは汝ら『人間の自性』なり、『真の人間』なり。
『汝らの内』即ち『自性』は神人なるが故に 『汝らの内』にのみ神の国はあるなり。
外にこれを追い求むるものは夢を追いて走る者にして 永遠に神の国を得ること能わず。
物質に神の国を追い求むる者は 夢を追うて走る者にして 永遠に神の国を建つる事能わず。

キリストは又云い給えり、『吾が国は此の世の国にあらず』と。
此の世の国は唯影にすぎざるなり。
常楽の国土は内にのみあり、内に常楽の国土を自覚してのみ 外に常楽の国土を其の映しとして顕現せん。
内に無限健康の生命を自覚してのみ 外に肉体の無限健康は其の映しとして顕現せん。

人間の五官はただ『写しの世界』を見るに過ぎず。
『写しの世界』を浄めんと欲すれば心の原版を浄めて 迷いの汚点を除かざるべからず。
われ誠に物質の世界の虚しきを見たり、物質の世界が影に過ぎざることを見たり。
われはまた人間が神より放射されたる光なる事を見たり。
肉体はただ心の影なる事実を見たり。

汝ら、物質は移りかわる影にすぎざること 恰も走馬灯に走る馬の如し。
されば、影を見て実在となすことなかれ。
人間真性(そのもの)はこれ神人、永遠不壊不滅の霊体にして 物質をもって造り固めたる機械にあらず、
また物質が先ず存してそれに霊が宿りたるものにもあらず、斯くの如き二元論は悉く誤れり。

5863a hope:2015/10/01(木) 09:29:16 ID:cEpBaIdo
物質は却ってこれ霊の影、心の産物なること、恰も繭が先ず存在して蚕がその中に宿るに非ずして、
蚕が先ず糸を吐きて繭を作り 繭の中にみずから蚕が宿るが如し。
人間の真性は先ず霊なる生命にして 心の糸を組み合わせて肉体の繭を造り
その繭の中にわれと吾が霊を宿らせて、はじめて霊(ことば)は肉体となるなり。

汝ら明らかに知れ、繭は蚕に非ず、然らば肉体は人間に非ずして、人間の繭に過ぎざるなり。
時来たらば蚕が繭を食い破って羽化登仙するが如く、人間もまた肉体の繭を食い破って霊界に昇天せん。
汝ら決して肉体の死滅をもって人間の死となす勿れ。
人間は生命なるが故に 常に死を知らず。
想念(こころ)に従い 時に従い 必要に従いて 肉体と境遇とに様々の状態を顕わせども、
生命そのものは病むに非ず、生命そのものは死するに非ず、想念(こころ)を変うることによって
よく汝らの健康と境遇とを変うること自在なり。

されど汝ら、ついに生命は肉体の繭を必要とせざる時到らん。
かくの如きとき、生命は肉体の繭を食い破って 一層自在の境地に天翔けらん。
これをもって人間の死となすなかれ。
人間の本性は生命なるが故に 常に死することあらざるなり。


――かく天使(てんのつかい)語り給うとき、虚空には御妙の天楽の声聞え、
葩(はなびら)は何処よりともなく雨ふりて、天の使いの説き給える真理をばさながら称(たた)うるものの如くなりき。     

(聖経終)

5864a hope:2015/10/01(木) 09:39:18 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第37回 web誌友会 案内

期間   10月1日〜10月31日まで

テキスト 「生命の實相」第21巻 第4章
      「生命の實相」第22巻  聖語篇/精神分析篇

内容   『人間の実相および仮相』
       『智慧の言葉』 『精神分析による心の研究』
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5865a hope:2015/10/01(木) 10:06:17 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p155 後から7行目〜

救ってやろうという働きは真理の発した救いの言葉、仏教で言えば弥陀の本願力である。
その本願力は霊眼、霊耳の開けた人に分かって姿が見えるのです。
また姿が見えなくとも、その人が救いの本願力を振り向けられ、真理の言葉を口で語り、
筆に現してゆくことにすればそれによって、多くの人が救われるということになってくるというのは、
真理を取り次ぐ人の言葉はもう肉身の自分がいう言葉ではなく、真理みずから神みずからが語る言葉であるからであります。

5866a hope:2015/10/01(木) 10:07:33 ID:cEpBaIdo

>>5865 a hope所感)

<<真理を取り次ぐ人の言葉はもう肉身の自分がいう言葉ではなく、真理みずから神みずからが語る言葉であるからであります。>>

生長の家の「聖経」「聖典」と呼ばれている書物は、それを拝読するだけでたくさんの人々が救われてきました。

なぜなら、執筆者である谷口雅春先生御自身が、唯神実相を完全に悟られて神さまの言葉を真っ直ぐに伝える能力、
つまり霊眼、霊示などの霊覚をお持ちの方だったからなのですね。

5867a hope:2015/10/01(木) 10:14:46 ID:cEpBaIdo
訂正  ×つまり霊眼、【霊示】などの霊覚 → ○つまり霊眼、【霊耳】などの霊覚

5868a hope:2015/10/02(金) 09:57:55 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p157 7行目〜

神の救いは、衆生が救ってほしいというその時代に相応する姿であらわれるのです。

神は要するに時代に相応して教祖というものを遣わしたまいて、それを通じてわれわれに現われられる。

だから、すべての宗教の教祖は天の使であると言えるのです。

肉体はどんな服装をし、容貌をしていましょうとも、真理を語る人には真理が宿っておる。

だから、その「内なる人」は天の使であり、霊眼の見える人が見たら後光が見えたり、キリストの姿が見えたりするのです。

いくら神の救いの念波を送られても霊智、心眼の開けていない人々にはそれが見えもしないし、聞こえもしないのですから、それを聞くことのできる、見ることのできる人を通して、教祖を通して、時代に相応して救いが現されるということになるのです。

5869a hope:2015/10/02(金) 10:06:30 ID:cEpBaIdo

>>5868 a hope所感)

いったい「生長の家」の教祖って誰なんでしょうか?

谷口雅春先生は「生長の家教団」の創始者であって、教祖とは呼ばれてていないような気がするのですが・・・。

キリスト教においては、肉体のキリストではなくて、永遠(実相)のキリストが天の使(てんのつかい)だったのであれば、
「生長の家」においては、肉体の谷口雅春先生ではなくて、永遠(内なる)の谷口雅春が天の使だったということになります。

ならば「生長の家」の教祖は、永遠の谷口雅春 永遠のキリスト 生長の家の大神 となって、肉体人間の谷口雅春先生を指しているのではないですよね?

どなたか、ご指導をいただけるとうれしいです。

5870トキ:2015/10/02(金) 10:47:18 ID:Kttdv9Ec
>>5869

 谷口雅春先生は、「私は教祖ではありません。みなさんと同じ一求道者です。」
と言われていました。

 ただ、終戦後、公職追放で谷口雅春先生が教団の役職から解任された時期に、
、部内で谷口雅春先生をどう呼んだら良いか困ってしまい、一部の信徒さんが
谷口雅春先生を教祖先生と呼んだ事があったみたいです。が、その呼称は先生
の復帰と同時に消えたと聞いています。

 生命の実相第1巻に、ある青年が神想観中に「神がかり」になり、谷口雅春先生
の執筆中のお姿が、指導神に変化した姿をご覧になられていますが、それが参考に
なるのではないか、と考えています。

 私が青年会時代に接した古い直弟子の先生方も、谷口雅春先生を心から尊敬し、
愛しておられましたが、神格化したり、崇め奉るというような姿勢ではなかった
と記憶しています。

 肉体人間の谷口雅春先生は偉大な存在ですが、生長の家の教祖は、あくまでも
霊的な存在だと考えるべきかと思います。

 出先からの投稿なので、簡単になり、失礼をします。

5871a hope:2015/10/03(土) 08:41:02 ID:cEpBaIdo

>>5870 トキさま

<< 肉体人間の谷口雅春先生は偉大な存在ですが、生長の家の教祖は、あくまでも
霊的な存在だと考えるべきかと思います。>>

お返事をありがとうございます。
わたしもそんな気がしていますし、谷口雅春先生御自身が聖典の中でなんどもそのことをおっしゃっていますよね。

ですが、谷口雅春先生を生長の家の教えの祖(教祖)だという考え方をしてしまう方々は、
その霊的存在(神)のことは理解できないということでしょうか・・・?


時々、すごい唯物論者であっても、ある日突然、自分自身に劇的な霊的体験がおとずれて、
神(霊的存在)を信じるように転身するという実話がありますよね?
スターデイリーなんかもその一例ですが、昔は、「生長の家」の講話を聴いたり「生命の實相」を拝読するだけで、
そのような霊的体験をする人が続出していたようですね。

宗教とはその「真理」を心から信じるか、信じないかで結果に大きな差が出て来るものだと感じでいます。

「生長の家」の聖典は「生命の實相」ですし、中心真理は「唯神実相」ですから、
わたしはそのことだけを信じて、これからも「生長の家」を信仰していきたいです。

5872a hope:2015/10/04(日) 10:36:21 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第21巻 p161 8行目〜

日蓮上人の弟子になるということは、何も坊さんになるということではありません。

お寺の坊さんになって、死骸に念仏を称えることが日蓮上人の弟子になることだなんて飛んでもない話です。

日蓮上人は『立正安国論』を書かれ、そして日本国をば本当に生かすべき道を教えられた傑僧(けっそう)です。

だから本当の日蓮上人の弟子は、生長の家により、『法華経』の神髄を理解して、その教えに従い、本当に日本国を生かす者でなければならないはずです。

ですから、日蓮上人の弟子になることは坊主になることではありません。

あなたも言われたように、『法華経』の神髄を解くものが生長の家です。

それを知らすために観音様があなたに『主婦の友』を読めと言われた。

それなら、『法華経』の神髄である生長の家の教えをそのまま行って、日本国の杖となり、柱となる人間になることこそ本当の日蓮上人の弟子になることではありませんか。

子供を坊主にしなかったということで思い煩(わずら)う必要はない。

あなたは帰ってお子さんに『生命の實相』をよく読ませ『法華経』の神髄を体得させ日本国の柱になるような人間に要請しなさい。

これこそ真(しん)に日蓮上人の弟子になる道です。

あなたはこれまで、日蓮上人の弟子になるということを思いちがいしておられた。

それでそのことを気づかせるためにあなたが普段信仰していられる観世音様のお声が聞こえたのであります。

こういうように観音様と生長の家の神様とは連絡がある。

いな、同じ神様が時と場所と人とに応じて、観音様とも現われ、キリストとも現われ、生長の家の神様とも、現われるのです。

5873a hope:2015/10/04(日) 10:37:55 ID:cEpBaIdo

>>5872 a hope所感)

なんだかこのあたりには、すごく深い教訓が述べられているような気がします。
つまりは、日蓮上人の弟子であるということは日蓮上人と同じように僧侶になることではなくて、
日蓮上人が示された「道」つまり本当に日本国を生かすべき道を歩む者であることなのですね。

その実現方法として、谷口雅春先生は

<<それなら、『法華経』の神髄である生長の家の教えをそのまま行って、日本国の杖となり、柱となる人間になることこそ本当の日蓮上人の弟子になることではありませんか。>>

とおっしゃっておられます。

さらに、

<<あなたは帰ってお子さんに『生命の實相』をよく読ませ『法華経』の神髄を体得させ日本国の柱になるような人間に養成しなさい。>>

と相談者の方にアドバイスされています。

つまり、『法華経』の神髄=『生命の實相』なんですね!!

では、これをわたしたち「生長の家」を信仰し、また、谷口雅春先生のご遺志であった日本国実相顕現を望んでいる信徒に置き換えて考えてみると、

<<それなら、『生命の實相』である生長の家の教えをそのまま行って、日本国の杖となり、柱となる人間になることこそ本当の【谷口雅春】の弟子になることではありませんか。>>

<<<<あなたは帰って『生命の實相』をよく読み生長の家の教えを体得し日本国の柱になるような人間になりなさい。>>

ということになりませんか?

我こそはまことの谷口雅春先生の弟子であるというのであれば、やはり「生命の實相」を何百回も拝読し、
その教えの神髄である『唯神実相』を体得していなければいけませんね。

わたし、がんばろーっと。

5874トキ:2015/10/04(日) 11:36:02 ID:mVHM0jU.
 そうですね。戦前の誌友の方などは、谷口雅春先生に、まるで父親のような感情を
持っておられました。が、組織が大きくなり、信徒の数が増えると、雰囲気として
信徒の側が勝手に崇めるような雰囲気になったのも事実です。直弟子の東山半之助先生
は、著書「ざっくばらん」の中で、こういう風潮に苦言を呈しておられました。

 昔は、谷口雅春先生が講習会などで地方に行かれると、信徒さん全員を囲んで、みんな
で会食をされたみたいです。その写真も残っています。

 特に、現在では、大半の信徒が、谷口雅春先生を存じ上げない方ですから、これは
仕方がないかもしれません。

 しかし、谷口雅春先生の本心は、一人一人が「神の子」の自覚を得ることだと考え
ます。

5875a hope:2015/10/05(月) 10:15:57 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p166 8行目〜

生長の家では、天地一切のものと和解せよと、説いています。

しかしこれも和解という言葉にひっかかってはならない。

和解という一筋道に凝り固まるとかえって衝突することもある。

何事も和解、和解、とその一本道に乗っていると、医者が病苦で弱って自分で死にそうだと言っている患者を診察して、患者の悪い症状と和解したつもりで「あなたは大変熱が高い、もう死にそうだ」などと言ってごらんなさい。

医者はいかにも病人の意見とは和解したことになるでしょうが、そのために患者を生かすことはできないでありましょう。

そのために患者を生かすことはできないでありましょう。

また、すべての人と和解せよ、と言うと、敵が攻めて来ても、それに手向かうことは和解にならないというので、こちらは少しも防ぐこともせずに、ただ頭を下げている――そうしたら結果はどうなるか、敵に踏み躙(にじ)られて滅びてしまうことになる。

そのように、「こうせねべならぬ」という窮屈な一本のレールの上に乗っていたら、他人も生かされないし、自分も滅びてしまわなければならない。

それでは真理を明らかにすることもできないのであります。

それでは本当の道ではない。

5876a hope:2015/10/05(月) 10:18:35 ID:cEpBaIdo

>>5875 a hope所感)

「天地一切のものと和解せよ」とは、実相世界の一切のものとの和解であって、現象に現れている仮相や虚説に和解するということではないのですね。

ですが、わたしたちのほとんどは実相を悟っていないわけですから、何が実相で何が仮相なのか、何が真説で何が虚説なのかハッキリわからない・・・。

そこで、聖典のお言葉や、過去の谷口雅春先生のされた運動などを指針として、自分なりの解釈をして、
自分なりの運動を展開してしまうのだと思います。

ですが、そのような人まねの運動では本当ではないようですね。

続けて謹写していきます。

5877a hope:2015/10/05(月) 10:43:56 ID:cEpBaIdo
>>5875 つづき)

「生命の實相」第21巻 p167 3行目〜

本当の道というのは、一つに凝り固まってしまうものでなく、機に応じて縦横無尽に姿を変じ、それによってすべてが生かされる道でなければならないのです。

ある時は観世音菩薩のごとく優しくあることも必要だし、またある時は不動明王のごとき権威をもって起つことも必要なのです。

常にこうでなければならないというのではない、臨機応変、無礙自在に動きうる道でなければならない、そうあるのが本当の道であって、その本当の道にのった生活をすることが大切なのであります。

では、どうしたら一つに凝り固まらない自由自在な本当の道にのることができるかと言いますと、それは実相に入ること、すなわちわれわれの実の相を悟ることであります。

いつも言いますように、われは神の子なり、という実相をしっかりと摑(つか)んだ時に、自然に、自由自在な実相が顕れて、無礙自在な本当の道を、生きて歩むことができるのであります。

5878a hope:2015/10/05(月) 10:45:51 ID:cEpBaIdo

>>5877 a hope所感)

谷口雅春先生がされていた過去の運動の数々は、過去のその時点では正しい運動だったかもしれませんし、社会的影響力も強かったかもしれません。

ですが、現在の社会状況の中でその運動をそのまま展開するというのは、それは違うような気がします。

<<いつも言いますように、われは神の子なり、という実相をしっかりと摑(つか)んだ時に、自然に、自由自在な実相が顕れて、無礙自在な本当の道を、生きて歩むことができるのであります。>>

やはり、まことの「生長の家の運動」を展開するには、まずは「実相」の悟りを得ることが必要なのではないでしょうか?

そうでないと、何をやってうまくいかないと思います。

5879a hope:2015/10/06(火) 08:25:53 ID:cEpBaIdo

「生長の家」第21巻p171 後から6行目〜

要するに観世音菩薩も、普賢菩薩も、キリストも、また生長の家の神様も、皆神すなわち真理より出でたる光であり、人間もまた真理すなわち神より出でたる光であるのですから、要するに人間は、キリスト、釈迦と同じものである。

衆生の一人一人としてここにいながら、実は現象界のここにいることなく、実相界に釈迦、キリストと等しき仏または神の子としているのであって、現象の人間はただそれを知らないだけなのであります。

それを知らないから、神に頼れと言うと、自分とは別の、どこかの、天にまします神とか、宮にまします神とか、仏像とか、自分を離れた何物かに頼らなければならないように考えるのです。

5880a hope:2015/10/06(火) 08:27:09 ID:cEpBaIdo

>>5879 a hope所感)

それでは、本当に「神に頼る」とはどういうことなのでしょうか?
謹写をつづけます。

5881a hope:2015/10/06(火) 08:28:17 ID:cEpBaIdo

>>5879 つづき p172 2行目〜

しかし神に頼れというのは、何も余所(よそ)のものに頼りなさい、と言うのではない。

あなたの実相をみよ、釈迦でありキリストである――なんじの真性を見よ、その真性に委(ま)かせきれということであります。

あなたと神とは別々のものではない、あなたの奥が(奥とか内とかいうと、中に小さく種のように含まれているようですが、そうではない)、あなたの実が、実の相(すがた)がすなわち神である。

実の相(すがた)に委かせきったら嘘の相である不完全な状態は消えてしまうとこういうのであります。

5882a hope:2015/10/06(火) 08:29:18 ID:cEpBaIdo

>>5881 a hope所感)

すごい真理ですね!!!

5883トキ:2015/10/06(火) 21:13:47 ID:ODqgl6hw
 素晴らしい真理を書いてくださり、ありがとうございます。

 本当におっしゃる通りだと思います。生長の家の基本というのは、一人一人が
「人間 神の子」である、というところから出発するのだと思います。そういう
人が、社会に増えることで、世の中が良くなる、国も栄える、というのが運動の
基本だと思います。

5884a hope:2015/10/07(水) 08:46:06 ID:cEpBaIdo

>>5883 トキさま

そうなんですよね。
生長の家の運動って、本当はそういうことなんですよね。
聖典を拝読ればするほど、それしかないってわたしは確信が強くなるばかりなんですが・・・。

現在の「生長の家」教団総裁である雅宣先生や純子先生は、
この「人間 神の子」というお言葉をほとんど発言されませんね。

5885a hope:2015/10/07(水) 08:47:01 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p172 7行目〜

実相としてのわれわれに神人と本源唯一の神との関係はちょうど、日光と日光を発する太陽とのような関係である。

光のない光の源はあるはずがないと同時に光があればそれには、必ず源があるのであって、源のない光もあるはずがない。

要するに光と光の源とは離すことのできない一つのものであって、神という源を知れば、それからでた人間も光であり光源である神と、光である人間とは本来一つであって、決して別々なものではないことが分かるのであります。

その光は物質的光ではない。

太陽の光線を例に引いたのは喩(たとえ)であります。

で、「神は霊なるが故に人間も亦霊なるなり、神は愛なるが故に人間もまた愛なるなり。神は智慧なるが故に人間も亦智慧なるなり」とありますように、われわれが神から出でた物質的光ではなく、霊の光、愛の光、智慧の光であります。

5886a hope:2015/10/07(水) 08:49:33 ID:cEpBaIdo

>>5885 a hope所感)

<<光のない光の源はあるはずがないと同時に光があればそれには、必ず源があるのであって、源のない光もあるはずがない。
要するに光と光の源とは離すことのできない一つのものであって、神という源を知れば、それからでた人間も光であり光源である神と、光である人間とは本来一つであって、決して別々なものではないことが分かるのであります。>>

わたしは、ここの場所を拝読するたびに、何度でも感極まって涙が流れてしまいます。
どんなに悪人に見える人でも、どんなにミジメに見える人でも、どんなに意地悪をする人でも、
すべての「人間は神より出でた、光そのもの」なんですね・・・。

この「甘露の法雨」の『人間』の項目の解説である第四章には、人間の実相とは何なのかがとても詳しく説明されているので、
読み飛ばしができません。

この後、「愛」についての説明が続きます。
神の愛である『法愛』と肉体人間の『執愛』の違いがよく解ります。

じっくり何度でも拝読したいと思います。

5887トキ:2015/10/07(水) 21:38:30 ID:2YkAhnD.
 臨死体験をした人の多くが、死後の世界で、大いなる「光」を見た、という
報告をされています。その光は、慈愛に満ちており、どの人も安心して受け入
れられるとも言われています。

 臨死体験をした人が見た「光」と、谷口雅春先生が説かれた「光」が同じ
か、違うか、それはわかりません。しかし、近い存在のような印象は持って
います。

 ネイティヴ・アメリカンの人たちが「人類が忘れたもののために、祈れ」
と言っていますが、私たちの祈りは、人間が神の子であることを思い出す
ことが大事なのだと感じます。

5888a hope:2015/10/08(木) 10:34:28 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第21巻 p173 後から3行目〜

・・・この「法愛」が要するに本当の神の愛、実相の愛ということであって、実相の愛とは、すなわち自他一体の愛であります。

愛というのはすべて他と自分とが本来一つであると観ずることです。

たとえば、親が子供を愛するというのでも、子供とわれとは一体であると自覚することから起こるのでありますし、あるいはある男性が女性を愛するというのでも、わたしはあの人と一体である。

あるいは一体になりたいという念を持つことなのであります。

ところがこの愛が一人一人というように、少ない範囲に凝り固まってししまったときに、それは「執愛」になってしまって「法愛」にはならない。

ではどういうのが「法愛」であるかといえば、何にも執しないで、天地の流れそのままに、自由自在に愛すること、これすなわち「法愛」でありまして、何かに執する愛は自在ではないから「法愛」ではないのであります。

5889a hope:2015/10/08(木) 10:35:47 ID:cEpBaIdo

(.>5888 a hope所感)

肉体をもった人間としてこの現象世界に投影されているわたしたちの中に、この「執愛」を少しも持たない人間が果たして存在するのでしょうか?

母親であれば自分の子供と他人の子供がいれば、自分の子供をより愛してしまうのが当然の本能だと思いますし、
また、男性であれば戦場で窮地に陥れば相手を攻撃してしまうというのも、自分を護るという自然の本能ですよね?

肉体人間の持って生まれた「本能」を手放したときに、神の「法愛」が実現するというのでしょうか・・・?

5891a hope:2015/10/08(木) 14:06:08 ID:cEpBaIdo
>>5890

それでは、今日はお仕事がお休みなのでお返事させていただきます。

あの夜、返事をしなかったのは、>>5810の投稿の後に今月のweb誌友会のテキストの内容からかけ離れた
内容の投稿がずっと続いてたためにこの板の混乱を避けるためにお返事をしなかったのです。


わたしは、今まで雅宣先生や純子先生個人の生き様を批判したことなど一度もありません。

ただし、「生長の家」の法灯継承者としての「教義」内容の変更や、
その変更に伴う「森での生活」やソーラーパネル等の物質的手段に頼った環境保護運動への批判はさせていただきました。

ですが前にも一度言いましたが、今は「おかしい(虚説である)」とは思っていますが批判していません。

ここはweb誌友会板ですので、これ以上のお返事は控えさせてただきます。

5893a hope:2015/10/08(木) 14:55:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p174 7行目〜

「執愛」でも愛には違いはないのですけれど、それは捉われている愛でありますから、それでは、あらゆる時にすべての人を生かす力は出て来ないのであります。

自由自在にあらゆる物を千変万化しながら、その実相を生かす。

これが法愛であり、神の愛であります。

施しをするのでも執着の施しと法施とがある。

執着の施しは誰々には何々をやりたいが、誰々には何々をやりたくないというような、人に物を凝り固まった偏寄った愛であります。

人に物に偏寄らないで一様に実相を生かすのが法施であります。

先刻、「道の道たるは道に非ず」ということを申しましたが、ここでは「愛の愛たるは愛に非ず」ということも言えるのであります。

ただ子供がかわいいからいたわるというのは盲目的な親の愛で、かえって愛するがゆえに愛するわが子を害している場合も多々あるのであります。

なせ愛するがゆえにかえって愛する者を害するなどということになるかといえばその愛が執愛であるからで、愛とはやたらにいたわりかわいがるということだという一本のレールの上に乗ってしまっているからで、その一本道のほか融通がきかない、そのためにせっかく愛しながらかえって愛する者を生かすことができないということになるのであって、それは法愛ではない。

法愛というのは無軌道電車みたいなもので、レールははずれても決してひっくり返らないで平気で走って行けるような自由自在な愛になって、はじめて相手を生かすこともできるようになるのであります。

5894a hope:2015/10/08(木) 14:57:19 ID:cEpBaIdo

>>5893 a hope所感)

きっとわたしたち現象人間は、『「自由自在な愛」仕方』を学ぶためにこの人生で色々な人間関係の経験を積むのですね。

子供が自分の思い通りにいうことを聞かないだけでパニックをおこしてしまうようでは、
わたしなんてまだまだなのでしょうね (;´∀`)

ですが、すべての経験は魂を向上させるためにあるのですから、その様な経験も決して無駄ではありませんね!

「自他一体の愛」「自由自在の愛」「相手を生かす愛」=法愛

わたしたちが目的とすべく、究極の「愛」ですね!

5897a hope:2015/10/08(木) 16:02:14 ID:cEpBaIdo
>>5859

<<ホープさんは「教えを広めさえすれば環境問題は解結する」といっておられるが>>

↑のような発言はわたし a hopeはしていません。


トキさま

>>5895>>5896は、わたしの正しい発言をもとにした投稿ではありませんので、削除、または別板への移動をお願いします。

5899a hope:2015/10/08(木) 16:49:08 ID:cEpBaIdo

ここでのわたしの所感は、あくまでも、テキストである「生命の實相」の真理を学んだうえでのわたしなりの解釈です。

その解釈に間違いがあるのなら、どうぞご遠慮なく聖典「生命の實相」の真理をもとにご批判ください。

ここは、「生命の實相」の真理を学ぶ誌友会です。

「生命の實相」の真理をご批判する投稿は、トキさまにすべて削除していただきます。

5901a hope:2015/10/08(木) 16:59:56 ID:cEpBaIdo

>>5900

わたしの解釈(考え方)が間違っていれば、聖典「生命の實相」の真理でぜひご批判ください。

聖典「生命の實相」の真理の研鑽こそが、このweb誌友会を開催している一つの大きな目的なのですから・・・

どうぞよろしくお願いいたします。

5902通りすがり:2015/10/08(木) 18:01:11 ID:eRL0Pjck

生命の實相は、相手の間違いを批判するために、あらせられるのではない。

生命の實相は、神殿であり、その他のなにものでもない。

私達は神そのものである。

生命の實相は、私達の實相そのものである。

生命の實相の学びは、まさに私達の内にそのものに宿る神の叡智と、神殿なる生命の實相の饗宴のように感じる今日この頃である。

5903a hope:2015/10/08(木) 18:10:59 ID:cEpBaIdo
>>5902 通りすがりさま

すばらしい真理のお言葉をありがとうございます!

通りすがりさまのおっしゃる通りなので、自分の浅はかな発言を取り消します。

×『わたしの解釈(考え方)が間違っていれば、聖典「生命の實相」の真理でぜひご批判ください。』
               ↓
○『わたしの解釈(考え方)が間違っていれば、聖典「生命の實相」の真理の言葉(光)でわたしの「迷い」を消してください。』

みなさま どうぞよろしくお願いいたします!!

5904通りすがり:2015/10/08(木) 19:07:53 ID:FF/vzSxM
a hopeさん

あなたはとても素直な方ですね。時折、こちらを通りすがり拝見致しておりますが、あなたの学びの探求心には、感心致しております。

子供が思うようにならないのは、ある意味当然ですね。

親とは言え、親子ともに人格は別ですから、我が子は人生の師と観を転換したら面白いですよ。

しかし、あなたの生命の實相、あなたが神様そのものであらせられるからこその、素晴らしい探求心だと思います。これからも頑張ってください。

5906a hope:2015/10/08(木) 22:55:52 ID:cEpBaIdo

通りすがりさま

あたたかい励ましのお言葉をありがとうございます。

このweb誌友会板は参加者は多くありませんが、トキさまはいつもあたたかくわたしを応援してくださっていますし、
通りすがりさまのような生長の家の大先輩方がたくさん見守ってくださっているとわたしは信じているので安心して発言ができるのです。

>>5902のご忠告には本当に感謝しています。


また>>5904

<<子供が思うようにならないのは、ある意味当然ですね。
親とは言え、親子ともに人格は別ですから、我が子は人生の師と観を転換したら面白いですよ。>>

とのアドバイスには、目から鱗が落ちたような気分になりました。

「立ち向かう人はすべて自分にとって何かを教えてくれる人生の師である」という真理はわかっていた筈なのに、
なぜか、自分の子供たちだけは自分の責任でなんとか育て上げなければいけないんだという自分自身の我執(執愛?)に気がつくことができました。

わたしの子供たちはすばらし「神の子」でした。
これからは自分の子供たちもわたしの人生の師であると尊敬したいと思います。
そう観の転換をしてみると、不思議ですがなんだかとても気持ちが楽になりました!


通ろすがりさま

わたしは、これからも今までどおりトキ掲示板で「生命の實相」を学び続けていきますので、
これからもあたたかく見守ってくだささり、また、時には今回のようにご忠告やアドバイスをいただけるととれも嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。 合掌。

5907a hope:2015/10/08(木) 23:16:12 ID:cEpBaIdo
>>5905

<<わたしの正しい発言をもとにした投稿ではありませんので、削除、または別板への移動をお願いします。>>

の発言を撤回するつもりはありません。

「教えを広めさえすれば環境問題は解結する」という内容と、

わたしの正しい発言である、

<<人類が聖典「生命の實相」の拝読をして唯神実相の考え方になれば環境問題の解決につながりますよ。
環境問題なんて本来無い現象なんですから・・・。>>

の二つの内容は全く違いますから。

5908通りすがり:2015/10/08(木) 23:21:15 ID:hhzAW3mE
a hopeさんへ

5902は、忠告ということではなく、書かざるを得ない不思議な感覚で、入力した次第です。

時折、思い出したように通りすがりますので、また拝見にまいります。
その時は、1言何やら残すこともあるやも知れません。
ただ、私は講師でも何でもありませんので、気軽に接してやって下さい。

こちらこそ、よろしくお願い致します。

5914a hope:2015/10/09(金) 10:03:57 ID:cEpBaIdo

ここでのわたしの所感は、あくまでも、テキストである「生命の實相」の真理を学んだうえでのわたしなりの解釈です。

その解釈に間違いがあるのなら、どうぞご遠慮なく聖典「生命の實相」のお言葉(光)でその「迷い」を消してくださいね。

ここは、真剣に「生命の實相」の真理を学ぶ誌友会です。

この板の秩序を保つため、テキストの内容と無関係な投稿は、今後トキさまにすべて削除もしくは別板への移動をお願いするつもりです。

5918a hope:2015/10/09(金) 10:46:00 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p180後から4行目〜

生命の霊性、愛、智慧というものは、いかなる大科学者がいかなる装置で物質を捏ね合わしても発現するものではない。

生命は霊なる愛なる智慧なる神からのみ来るのであります。

この神から来た生命の霊性が現象世界に投影したのが、現象生命である。

この現象生命はどういう状態で現象界に存在に入るかというと一つのバイブレーションとして存在するのであります。

このバイブレーションを客観的に観察すると一つの念体である。

霊魂または霊体というのはこれであります。

物質は実相宇宙の投影が認識作用によってその霊妙性を捨象されて生じたバイブレーションの体でありますが、この物質の体に、現象生命の体が複合して、肉体人間としてあらわれているのであります。

だから人間は大別すると二種の体が重複しているのであります。

われわれは体が一つしかないと思っていますが、肉体と霊体とが重なり合って一つに見えているのであります。

5919a hope:2015/10/09(金) 10:47:32 ID:cEpBaIdo

>>5918 a hope所感)

この後には現象(肉体)人間が現象界に現われてくる仕組みがとても詳しく述べられています。
その時に、よく混乱してしまうのが、「霊体(霊魂)」と「霊」の違いですが、その説明は、p173にあります。

<<仏教では「霊」という言葉を使いませんが、神道やキリスト教では「霊」という字をよく使います。仏教では「霊魂」というものを否定してしまっていますので、「霊」という字を特に嫌う方があります。しかしこの「霊」というのは「物質を超越した」「物質に障礙せられぬ」「自由自在な」「不可思議な」「無礙な」というような意味をもっているので、必ずしも霊魂のことではありません。幽霊などでも、閉め切っておいても、無礙に不思議に室内へ闖入(ちんにゅう)して来るというので、霊妙不可思議なので幽霊と言うのです。「霊の光」という言葉が嫌いならば、不可思議光とか無礙光とか言えば仏教徒に喜ばれるでありましょう。同じことを指しながら、言葉で争うのはみっともよいことではありません。>>

つまり、谷口雅春先生は『霊魂・霊体・幽霊』という言葉は主に物質的現象で使われて、
『霊』という言葉は「物質を超越した」「物質に障礙せられぬ」「自由自在な」「不可思議な」「無礙な」というような意味でつかわれているようです。

ここのところは、霊魂の存在(スピリチャル)を否定する唯物論者にはとても理解しがたい箇所なのではないかと思います。

5950「訊」:2015/10/22(木) 10:04:53 ID:XHjRyBkA

 誌友会に無関係な投稿は、削除でよいのではないでしょうか。




5951トキ:2015/10/22(木) 10:17:39 ID:wrjEtJjs
>>5960

 ご提案、ありがとうございました。
近く、適当な時期に削除をさせていただきます。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

5952「訊」:2015/10/22(木) 17:11:14 ID:pyt3hUfk


a hopeさんですが「かなり可哀相」です。このスレは例えば、雅春先生のファンが集う場ですよね。AKBファンクラブでAKB批判はナシですよ。どうしても批判したければ、「谷口雅春アンチ」なスレでも(一時的に)開始され、そこでされればよろしいと思います。(但し「論拠不在」のキリッ系投稿は「かなり笑えます」のでご注意!)

 と、まあ、雅春先生ファンが、雅春先生の御思想を「是」としてやり取りを進めるスレッドです。「非」から雅春先生にアプローチされる方は、他スレでやって頂きたいです。ムズカシイんですよ、司会って(笑)。妨害珍文を注意すると、「あなたは和解してない」とか言われるんですからね(笑)。「ウンコは食卓の上ではなくトイレで、それが和解です」「珍文は珍文掲載場へ。人地処の三相応を得るのが和解なんですからね」・・・・・・・・そんな説明をしても、読んでおりませんからまあ、いずれにせよ司会者のa hopeさんですが、「かなり可哀相」です。




5953a hope:2015/10/23(金) 10:15:20 ID:cEpBaIdo

>>5952「訊」さま

あたたかいご助言をありがとうございます。

このweb誌友会板は、谷口雅春先生の教えでもある聖典「生命の實相」の真理を学び合い、研鑽し合うための板だと認識しています。

ですから、わたしの所感や解釈がその「生命の実相の真理」を基準に考えて、間違っている場合はいくらでもご批判くださってかまわないのですが、
ここのところわたしの人格や言動への批判や、本来の「生長の家の教え(谷口雅春先生の教え)」とはかけ離れた投稿内容が続いていました。
(今はトキさまが削除してくださってありますが・・・)

ですから、再びわたしがこのweb誌友会で書き込みを始めることにより、またそのような板の目的とは違う投稿が開始されるのではないかと危惧しております。

わたしからみれば、一連のそのような内容の投稿は「生長の家の教え(谷口雅春先生の教え)」への反逆であり、その勉強会への妨害行為としか思えません。

5954「訊」:2015/10/23(金) 11:02:39 ID:Ug2XjY8s




 まあ、司会者批判が来るってことはそれだけ、「雅春先生のご思想には問題がないため」なんですよ(笑)雅春先生の御思想自体に問題あらば、反対者はそっちに向かうんですがデキナイんだもの(笑)で、それじゃ虚しいから「司会者を攻撃する」んです(笑)。

 「あ、この方は今、私を注意した!」

 と言って、そしてつづけて「和解してない!」

 と来ます。さらには和解してない(=自分基準の和解なんだけどw)を以て今度は「教えに潜む二項対立(キリッ)」と来ますから、虚しさがさらに加速します。

 まあホント、高級用語で粉飾してるからわかりにくいダケでして、反対者の論法カラクリは笑えるくらいに単純です。ところで「オズの魔法使い」?だったと思うけど、人々を脅してた魔女の裏側にいたのは「ちっちゃいおじちゃん」だったですよね?(笑)雅春先生の反対者って、あれです(笑)あの、「ちっちゃいおじちゃん」(笑)

 用語粉飾してるからオッ!ってなるだけでして内容精査すれば・・・・・・「ちっちゃいおじちゃん」(笑)雅春先生の思想そのものには反論できないから、司会者を攻撃して悦に入っているダケなんです(笑)





5956シャンソン:2015/10/23(金) 21:50:13 ID:U14Q8fEE

  掲示板でドロドロとした詮索と喧嘩の嵐
 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&amp;mode=res&amp;log=4013

5957シャンソン:2015/10/23(金) 23:14:58 ID:OmuqqVZI
 誌友会関連者様へ

見ている人たちも、ここが何の版なのか、現在のテキスト・司会などが
どうなっているのか判然としないと思うので、誌友会のお知らせの再掲示をお願いします。

5958a hope:2015/10/24(土) 00:12:35 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第37回 web誌友会 案内

期間   10月1日〜10月31日まで

テキスト 「生命の實相」第21巻 第4章
      「生命の實相」第22巻  聖語篇/精神分析篇

内容   『人間の実相および仮相』
       『智慧の言葉』 『精神分析による心の研究』
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆


>>5957 シャンソンさま

ご指摘くださり、ありがとうございます。

5959a hope:2015/10/24(土) 09:08:25 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻  精神分析篇 「精神分析による心の研究」より

p112

「生長の家」は近代の精神分析をその教えの中にとり入れている。

精神分析が人間に与えた功績は、病気という象徴を通して、人の心の奥深く潜んでいる「迷い」に穿ち入り、その「迷い」(いろいろの欲望の紛糾)を掘り出して白日下にその正体を暴露し、その「迷い」を去り、欲望を正しくしたとき、ひとりでに病気の癒える事実により、病気とは「迷いの影」であり、「欲望の紛糾」の投影にすぎないことを科学的に明らかにしたことである。

諸君はここに語られたる病者の心理描写をただ興味本位に読んでしまうだけでなく、読みながら自分の心のうちに、この話のうちにある患者と同じ種類の「迷い」が潜んでいないかを反省し、反省し、「迷い」があればその「迷い」を捨て去り、懺悔の生活の上にあらわし、いろいろの虚偽や仮面や口実で修飾しなくともそのままで完全円満な「神の子」たる自己生命の実相を自覚せられたく希(こいねが)う。

ただしい生活は心を正しくし、正しい心は病を癒やすのである。

5960a hope:2015/10/25(日) 16:55:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p119〜

「病気でありたい意志」

患者の有する「暴露の抵抗」の性質について説明しておこう。

簡単に言えば神経症患者はその神経症に執着があるのである。

不思議とはいえ、患者の潜在意識は、自身のもっている病気を生活の必要品としていたわっているのである。

患者は悪の世界へ現実的に堕落するのを防ぐ防御癖として、その病気をこしられたのであり、同時に自分の病的な欲望を象徴的にその病気によって満足させているのである。

彼はこの病気なしには生活に耐えられないのである。

彼の隠れたる迷いの心は健康になることを恐れて、病気でいたいことを欲しているのである。

精神分析によって人間の心を研究したものでなければ、この不思議な「病気でありたい意志」を患者がもっているということは解しがたいであろう。

しかし多くの精神分析の結果によると、神経症患者は病気によって、周囲の人に対して暴力をふるい、勝利感を味わい、不快な仕事を避けようとしているのである。

このことは読んでいるうちに諸君にわかってくるであろう。・・・

5961a hope:2015/10/25(日) 16:57:24 ID:cEpBaIdo

>>5960 a hope所感)

わたしも、過去に神経痛を経験したことがあります。

とても痛くて、大変な思いをしていたので、まさか自分の潜在意識に「病気でありたい意志」が存在したとは信じられませんが、
思い当たることがあるのです。

それは、ちょうどその神経痛を患っていたときが、仕事で必要な資格試験の直前で、
その試験が、わたしにとってはかなり難しい試験だったので、そのことを相当なストレスに感じていたのです。

そして、当時のわたしの主治医の先生は診察の度に、「その神経痛は、その試験が終われば治るよ」と言っていました。

そして、本当に、試験が終わるとその神経痛は治ってしまいました。

優秀な医師というのは、病気が心(ストレス)から来るということをちゃんとわかっているのですね。

5962山川海:2015/10/26(月) 13:19:08 ID:AmFLWX.o

「ただもうありがたい!」という感謝の念はいっさいの「内心の錯綜」を溶かし去る力があるのである。だから、心の悩みを暴露された人が「天地一切のものと和解せよ」との聖典巻頭の神示に触れるならば、分析によって抉(えぐ)り出された自己内心の葛藤の傷が、ただちに温かい神愛の被覆を受けて、痕型(あとかた)もないように癒えてしまうのである。 ( P180 〜 181 )


頭痛なんかも、心の葛藤のケースがありますね。レントゲン検査、血液検査などをしても異常がない。医師から、どういう時に頭痛があるのか、問診で医師が“ 大笑い ” 、本人は大真面目ですが、医師からそれをやめたら治りますと言われて、本当にそれが終わったら治りましたね。


今でこそ、何か、震災や事故、事件があるごとに、精神分析やカウンセリングの大切さがクローズアップされますが、谷口雅春先生は、当時から 取り入れ、説かれておりました。

そして、心の傷を、神の愛に包まれた、感謝の念にまで導いて、当時の各界の指導的立場にある方々にまで、多大な影響を与えてきました。

5963a hope:2015/10/27(火) 08:04:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p140 後から4行目〜

神経的に現われる慢性病患者は、それが胃病でも、心臓病でも神経痛でも、ないし如何なる病気でも、自分の病気を世界にまたとない複雑精巧な病気であると思っていたいのである。

誰も自分の病気をなおすことができない――自分の病気は誰よりも偉いぞ――こう思うだけで彼は自分が誰よりも偉い気がするのである。

いろいろの治療を取り替え引き替えやってみたけれども治らなかったといって自慢そうに話している病人にはよくこんなのがあるのである。

彼は非常に自尊心が強いのである。

しかし、裸(はだか)では実力がその自尊心に伴わないので、病気の鎧を着て周囲を、家人を、医者を征服し、至る所に凱歌をあげようとするのである。

しかし彼が『生長の家』を読む。

最初は彼の迷いが『生長の家』の語る真理を反発し、抵抗し、ついに『生長の家』を捨てて読むまいとする。

しかし彼が強いて『生長の家』を読めば、彼の生命はついに真理を自覚する。

自分の本質は神の子であって、外から病気の鎧を装わないでもそのままで勝利者であることを自覚する。

この時、彼は「病気の鎧」を装う必要はなくなって脱いで捨てる。

この時忽然彼の病気は癒えるのである。

5964a hope:2015/10/27(火) 08:05:34 ID:cEpBaIdo

>>5963 a hope 所感)

『生長の家』(生命の實相)を拝読すれば、病気が癒える・・・。
それは、「人間神の子」の真理を自覚するからなんですね。

「人間神の子」の自覚とその真理の伝道、「生長の家」の信徒にとってそれ以外に重要なことが他にあるのでしょうか?

5965a hope:2015/10/27(火) 08:09:05 ID:cEpBaIdo

>>5963 山川海さま

Web誌友会ご参加、ありがとうございます!

P180 〜 181 のご紹介部分は、わたしの聖典にもしっかりと赤線が引いてありました。

<<今でこそ、何か、震災や事故、事件があるごとに、精神分析やカウンセリングの大切さがクローズアップされますが、
谷口雅春先生は、当時から 取り入れ、説かれておりました。
そして、心の傷を、神の愛に包まれた、感謝の念にまで導いて、当時の各界の指導的立場にある方々にまで、多大な影響を与えてきました。>>

わたしは、心の底から湧き上がってくるような「本当の感謝の気持ち」を体験できたとき、
人は癒されるのではないかと感じています。

聖典を拝読するだけで人々をそこまで導くことができる教えって、「生長の家の教え」しかありませんね!

5966a hope:2015/10/30(金) 08:28:19 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p154 5行目〜

・・・では、この婦人の公衆恐怖症が癒されたあとを、もう一度たどってみよう。

彼女は彼女自身が神によって選ばれた特に聖別された人間であるということを信じていた。

それは実に他に打ち勝って他を見おろしたい欲望の転化であった。

この神聖な自身を外界の誘惑によって汚してはならない。

そのためには自身をひとりで外出させないように公衆恐怖症をこしらえ上げる必要があった。

そのため潜在意識が罪の防御癖としてこの公衆恐怖症を造っているのである。

実に彼女の病気が治り始めたのは自身が特に聖別された人間であるという考えを捨てて「普通の人間」になろうと決心したときにおいてである。

すなわち周囲を見下そうとする驕慢の王座を捨てて、常人の間に下ろうと決心できたときである。
(つづく)

5967a hope:2015/10/30(金) 09:04:45 ID:cEpBaIdo
>>5966つつき)

なぜ彼女が驕慢の王座を下りて「普通の人間」になろうと決心することによって病気が治るかというと、人間が尊いのは、そんな驕慢の王座にいることによって貴いのではないということが解ってきたからである。

「生命」は「神の子」であるから、外界から誘惑されても常人同様生活を送ってもそんなことでは決して汚されることがないということが解ったからである。

だからこういう場合は、患者の「生命の実相」は何か特殊な生活をしなれば貴くなれないというようなものではなく、常人生活そのままで「生命」は限りなく尊く価値あるという真理を自覚させ患者自身をして「普通の人間」になろうと決心せしめたならば精神分析家の仕事は終わったも同然なのである。

そのためには、患者が実は医者の治療に対して治るまいとして抵抗している事実を精神内容の分析によって暴露すること、なんのために彼が治ることを欲しないのかその奥底の夢を暴露して彼を納得せしめるにあるのである。

すなわち患者をして「このままで実在は調和している。あなたの生命はいろいろの艶つけしないでも貴い、普通人のままで生命は貴いのだ」という最後の確信に到着せしむることによって自分だけが神に聖別されているという夢を捨てさし、普通人として普通の生活をしようと決心せしむるにあるのである。

誤れる理想主義は一種の虚栄である。

この虚栄の感情は、人を自己欺瞞に導いて行き、本当の真実なもの人間的なものを軽蔑し見下(みおろ)するようにならせる。

ここにこの種の患者の心の底を暴露すべき心理的鍵があるのである。

5968a hope:2015/10/30(金) 09:09:35 ID:cEpBaIdo

>>5966 >>5967 a hope所感)

<<誤れる理想主義は一種の虚栄である。
この虚栄の感情は、人を自己欺瞞に導いて行き、本当の真実なもの人間的なものを軽蔑し見下(みおろ)するようにならせる。>>

ここのところは、わたし自身が特に自戒すべきところだと感じました。

ですが、ふつうに生活していると、「普通の生活のありがた」さってなかなか分からないのも事実だと思います。


この前、TVのトーク番組に「ホリエモン」こと、堀江貴文氏が出演されていましたが、
彼の、「刑務所内の食事は美味しかったです」という発言に驚きました。

以前の贅沢すぎるような生活が続いていたのでは、「普通の食事のおいしさ」を彼が実感することはなかったかもしれませんね。


御飯がおいしく食べられる幸せ! 家族が側にいてくれる幸せ! 仕事に行ける幸せ! ここで真理のお勉強ができる幸せ! 普通であることの幸せ!

あー、わたしは本当に幸せだ!!

5969a hope:2015/11/01(日) 00:41:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p177 3行目〜

現在(いま)わたしはこんなに複雑な精神分析のやり方は用いていない。

こういう複雑面倒な実例を挙げたのは「肉体は心の影」であるという真理を明らかにして読者がみずから自己を省みる資料としたいためである。

上京後は毎日百数十人の人が仮道場へ押しかけて来るのであるから、フロイト博士やステケル博士のように一人当たりに長時間または長日月を費やして精神分析を行っていては間に合わないのである。

また一人一人密室で対談するのでなくて、多勢(おおぜい)の面前でなんの隠しもなしに対談するのであるから、いくら丁寧に質問したとて若い婦人が発表して恥ずかしいような心の秘密を打ち明けるわけもないのである。

だからわたしの精神分析方法は直感で相手の「心の障(さわ)り」に鋭いメスで穿ったような一語または数語を投げかけて、その内心の錯綜を隠蔽する余地を与えないで追撃する。

しかも具体的な心境を指摘すると満座の中で恥をかかせるようになるから、具体的なことを言わないで、「あなたはこういう心を持っているでしょう。その心を顧みて捨てなさい」と、知らぬ人から聞けば抽象的な、そして本人がきけば具体的にひしひしと自分の心の秘密に触れて、そういうまちがいの心を捨てずにはいられない心に達せしめるのである。

一例をあげれば・・・ (略)

p179〜
「肉体は心の象徴(かげ)である」この法則より分析してゆくときは、フロイト博士や、ステケル博士のように長い間の対談が要らないで、しかも、神経症状が治るだけでなく、このような具体的症状さえも治ってしまうのである。

(略)

p180 後から5行目〜
げに、三界は唯心の所現、この婦人の心が分析されてその不純物が除き去られると、肉体の病気のみならず環境まで変わってしまうのであった。

フロイト博士や、ステケル博士流の回りくどい誘導的質問に比べて、この精神分析がかくのごとく短期間に効を奏したのはなぜであろうか。

それは相手の打ち明け話を導き出すように誘導する代わりに単刀直入その婦人の心の秘密に貫き入ったことと、いっさいの「内心の障り(インナー・コンプレックス)を溶かし去るのに聖典を読んで得る「ただもうありがたい」という感謝の念をもってしたからである。

5970a hope:2015/11/01(日) 00:43:46 ID:cEpBaIdo

>>5969 a hope所感)

谷口雅春先生は「生長の家」をはじめられた当初は、一人一人に時間をかけて対応されるという精神分析の方法を用いられ、
それでも解決しなければ知り合いの霊媒師を紹介したりもされていたようです。

ですが、徐々に信徒が増えてくると、その方法では間に合わず、上に謹写したような「生長の家」独特の方法で個人救済をされていたのですね。

この「精神分析篇」を拝読していると、「生長の家の教え」が単なる、神さま任せの宗教でなく、
精神分析的方面からもきちんと研究された「教え」であることがわかります。

本当に「生長の家の教え」って奥が深くて、お勉強すればするほどおもしろくなってきますね!

ところで、もう日にちが変わり 11月になってしまいました(笑)
11月からは、第38回 web誌友会 を開会させていただきます。
テキストは第23巻になります。

今夜はもう遅いので、明朝、開会のお祈りをさせていただきます。

それではみなさま、おやすみなさい。

5971a hope:2015/11/01(日) 09:00:41 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。
11月に入りましたので第38回 web誌友会を開会させていただきます。
それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の「今の教え」と「本流復活」を考える WEB誌友会板/2 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5972a hope:2015/11/01(日) 09:01:53 ID:cEpBaIdo

つづきまして、テキストである「生命の實相」第23巻 p2より、謹写させていただきます。


○われらにとっては毎朝が新生である。

われらは朝ごとに新しく生まれかわる。

一日の務めを終わって振り返るとき、そこにどんな過ちがあろうとも、われらは夜ごとにそのすべてを大生命にあずけて新生の準備をするのである。

かの大海原が地上のすべての塵芥(じんかい)を呑吐(どんと)しても、すべてを浄化して澄みきっていると同様に、われらがすべての過ちを大生命にあずけて眠るとき、大生命はわれらの罪すべてを浄化して下さるのである。

この偉大な大海原の浄化力よ、この不思議な大生命の罪の消去力よ!

過去がいつまでもその呪いをもって、われらに追い迫っていると思うのは誤れる見解である。

過去はすでに過ぎ去ったものである。

涙はすでに流されたのだ。

過去を捉えて離さないものはただ自分の心でしかない。

過去の過ちを消す極意はただ過去からの心を放つにある。

毎日の朝は一日の過去から心を放って新しく生まれかわる好機である。

「生長の家」は新年の朝において半生の過去から心を放って新生する。

5973a hope:2015/11/01(日) 09:14:53 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第38回 web誌友会 案内

期間   11月1日〜11月30日まで
テキスト 「生命の實相」第23巻 【常楽篇/経典篇二/宗教問答篇】
内容   久遠常楽の生活/聖経『天使の言葉』講義 /人生の悩みに答う

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5975a hope:2015/11/01(日) 21:41:47 ID:cEpBaIdo
>>5974さま

お返事を別板に書きました。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11788/1346745644/4687

5976トキ:2015/11/01(日) 22:14:00 ID:IdEbqKhQ
a hope様の誌友会でのご文章は評判がよく、管理人宛にも賞賛のメールが届きます。
他の掲示版でも、賞賛の文章が掲載されています。

 管理人としても、a hope様を支持します。

妨害に屈せずに頑張って下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5978山川海:2015/11/02(月) 17:00:57 ID:RM7MmwUQ


夜、就寝前 と 朝、起床後に

「 お父さん、ありがとうございます。 お母さん、ありがとうございます。 」

と、20回以上、小声で唱え、30日間、実践してみて下さい。

運命が、“ バッ ” と 変わりますよ。

5979a hope:2015/11/03(火) 00:25:46 ID:cEpBaIdo

>>5978 山川海さま

はじめて生長の家の練成に参加した時、「お父さんありがとうございます。お母さんありがとうございます。」
と言いながら畳を拭くと言う「感謝行?」を経験させていただきました。

当時はまだ「教え」がよくわかっていなかったので、ドン引きしてしまいましたが・・・💦。


わたしの両親は健在ですが、友人のなかにはご両親のどちらかを亡くされたり、
もしくは両方を亡くされてしまった人もいます。

その友人たちは口をそろえたように、両親が健在のわたしがうらやましいと言います。

本当に、両親が生きているうちに感謝できることほど幸せなことはないかもしれません。

今夜から、さっそく「お父さんありがとうございます。お母さんありがとうございます。」
と20回唱えたいと思います。

今なら、感謝の気持ちが真っ直ぐに伝わるようなきまします。

5980a hope:2015/11/03(火) 11:45:12 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p6後から3行目〜

四、神は自己の内面に潜在している

われわれが苦悩の底から、また悲しみの深淵から、神を呼ぶのは一見「外」にある神を読んでいるかのように見えますけれども本当はそうではないのであります。

われわれが「苦しい時の神頼み」をしたく感じますのは苦悩というものは、神を呼べば消えるということを本能的に知っているからであります。

換言すれば神無きことが苦悩であることを先見的に知っているからであります。

誰が先見的に知っているかといいますと、彼自身が知っている。

彼自身が神を先見的に知っているのは、彼自身のうちに神が本来宿っているからであります。


苦悩がそんなに感じられず、五官の歓びが人間を、誘惑している間は心は五官の方へ気をとられていますので、実相(かみ)を心に見ない空虚感を感じないのであります。

空虚はあれど空虚感は伴わないのであります。

幾年も幾十年も、移り変わる年月のあいだ、人生の表層表皮の快楽に気をとられて、神を呼ばなかった心が、一朝事変(いっちょうじへん)が起って絶体絶命、人力のいかんともすべからざる苦境に立つとき、彼は「神こそ全ての全て」「神こそ最後の幸福の源泉」であることを思い出してはじめて神を呼ぶことになるのであります。

5981a hope:2015/11/03(火) 11:53:12 ID:cEpBaIdo

>>5980 a hope所感)

<<われわれが苦悩の底から、また悲しみの深淵から、神を呼ぶのは一見「外」にある神を読んでいるかのように見えますけれども本当はそうではないのであります。>>

誰でも、一度は「神さま、助けて!」という『神頼み』をした経験があるのではないでしょうか?

さらに、英語圏の人たちは、日本人よりもっと頻繁に「Oh my God!」 と叫びますが、
それも、無意識に自己内在の神を呼び出しているということになるのでしょうか・・・?

なんか、興味深いですね。

5982a hope:2015/11/04(水) 09:18:18 ID:cEpBaIdo

「お父さん、ありがとうございます。お母さん、ありがとうございます。」の効果なのかどうかわかりませんが、
さっそく運命が変わり始めたような予感がしています。

具体的な報告ができないのがもどかしいですが、今までずっと足踏み状態だったある問題が昨日から解決に向かい始めたのです。

信仰とは「信じて仰ずる」と書きますから、どれだけその「教え」を信じられるかで運命も決まるのではないでしょうか?


ですが、世の中には、真理からかけ離れたような「暗黒思想の教え」も存在します。

谷口雅春先生はそのような間違った教えのことを「虚説」といって、徹底的に排撃されました。

わたしたちも、その虚説に惑わされたいけませんね。



その教えが「真説」か「虚説」か、見分けるのは以外に簡単なのではないでしょうか?


信仰していて幸せを感じて、運命も好転してくるのであればその人は「真説」を信仰しているのでしょうし、
信仰すればするほどストレスを感じ、運命もよくない方に進んでいるようであればその人はもしかして「虚説」を信仰しているのかもしれません。

そんな時は、ちょっと立ち止まって自分の信仰してる「教え」が本当に正しい教え(真説)なのかどうか考えてみてもいいかもしれませんね。


わたしたち、生長の家の信徒は、「聖典」に書かれてある通りに「教え」を信仰していけば必ず幸せになれるのですから、
こんなに嬉しいことはありませんね!

5983a hope:2015/11/05(木) 23:06:08 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p9 後から5行目〜

人間知でなんとかやれると思えるような日常の仕事の場合には人は往々にして神を呼ばない。

しかし、人間智でどうにもできないギリギリのところまでいったとき、どうしても人間は神を呼びたくなるのであります。

「神」という言葉を使わないにしてもなんとなしに漠然とした人力以外の「大いなる救いの御手」を呼ばずにはいられなくなるのです。

これは決して今まで軽蔑していた宗教的偏見に屈従したからではありません。

われわれは平常は小知才覚で理屈をつけて自己が本能的にすでに知っている神を否定していますけれども、人間的小知才覚が役に立たなくなった時、そのすでに知れる神を呼ばずにいられなくなるのです。

戦争、大事変、危機一髪の重大事に際して、いかに多くの平常の「無神論者」が神を読んだことでありましょう。

だから、無神論は理論的には存在しえても本能的には存在しえないのであります。

5984a hope:2015/11/05(木) 23:08:15 ID:cEpBaIdo

>>5983 a hope所感)

ほとんどの人間は(それがたとえ無神論者であったとしても)、人間知ではどうにもならないような危機的状況に陥ると、
「神」もしくは「大いなる救いの御手」を呼ばずにはいれなくなるのですね。

<<だから、無神論は理論的には存在しえても本能的には存在しえないのであります。>>

どんなに凶悪人であっても、どんなに無慈悲極まりない人であっても、本能的には人間はみんな神を信じているということですね。

それって、「人間はみんな神の子だ」という真理の証明みたいな気もしますね。

5986a hope:2015/11/06(金) 08:49:20 ID:cEpBaIdo
>>5985

組織板にお返事を書きました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/2578

5987a hope:2015/11/06(金) 09:00:53 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 p10 9行目〜

絶望、失意、落胆の極みにおいても、自己よりいっそう偉大なるもの――「なんらかの形における神」を呼び続けることのできる者は、やがてはその困難を切り開き、その絶望から起き上がることができる人です。

神を呼ぶことができない人が絶望したときは、それこそ本当に絶望です。

なぜならその人は「いっそう大なる力」より汲むことを知らないからです。

いかに平常強き者も、自己に限られたる力以上の力に汲むことを知らない人は弱き人であります。
(つづく)

5989a hope:2015/11/07(土) 08:47:24 ID:cEpBaIdo
>>5987 つづき)

しかし、われわれは失意の時、危急の時、困難の時ばかりに神を呼ぶのでは、それは危急を逃れるのに役立つばかりで、常に偉大に生長する道ではありません。

常に偉大に生長するためには、常にわれらは神を呼ばねばなりません。

その人がいかに大きく生長するかは、その人の神を呼ぶ度合いで定まるのです。

神を呼ぶのも「外(ほか)にある神」を呼ぶのでは、それはかえって依頼心を増長せしめることになります。

それは偶像崇拝になります。

神を呼ぶのは常に自分に対(むか)って呼びかけねばなりません。

自分の内に「無限者(かみ)」がある。

その無限者、――無限能力者、全能者に対って呼びかけなければなりません。

これに呼びかける時、天地に満つる無限の親様の力が自己自身の内に出口を開いて、滾々(こんこん)と、必要な力を自分自身の内に湧き出させてくれるのであります。

5990a hope:2015/11/07(土) 08:50:50 ID:cEpBaIdo

>>5987 >>5989 a hope所感)

わたしは、ここに「生長の家の教え」がカルト宗教ではなく、健全な思想の宗教である証拠が述べられていると思います。

つまり、「生長の家」は創始者、総裁、または、特定の神さまなどの対象物を偶像化(理想化)して、崇拝するような教えではないのですよね?

『神殿は「生命の実相」であり、神さまは自分自身の中にいる』という、その真理を広めるのが「生長の家」の人類光明化運動で、
だからこそ、分け隔てなく世界中にその真理を広めることができるのだと思うのです。


「生長の家の教え」というのは、右翼であっても左翼であっても、日本人であっても外国人であっても、強者であっても弱者であっても、
罪人であっても善人であっても、肉食であっても草食であっても、富者であっても貧者であっても、
誰でも分け隔てなく受け入れることのできる本当に度量の広い世界一の「教え」なんですね!

5991山川海:2015/11/07(土) 12:50:48 ID:6EFcssHY

《 自分の内に 「 無限者(かみ) 」 がある。 》

素晴らしいですね。
無限の智慧、無限の愛、無限の生命、無限の供給、無限の歓喜、無限の調和が、
すべて自分の内にある。
それを、神想観で観ずることによって、現象世界に映写(project)してゆく。
自らの内に 無限の可能性を秘めているということが、光明思想の大きな特徴の一つであると思います。

5992a hope:2015/11/08(日) 10:50:28 ID:cEpBaIdo
                
あなたの力、あなたの智慧、あなたの愛、あなたの富は、実は〝わたし〝 の力、〝わたし〝 の智慧、〝わたし〝 の愛、〝わたし〝 の富の自己実現であることを、やがてあなたは知るときが来るであろう。

それを知るとき、あなたは〝小さいあなた〝 でなくなるのである。

あなたは、その時〝自分〝 という〝小さな殻〝 を破って「新たに生まれる」のである。

「新たに生まれる」ということは、そのようなことなのである。

<<〝無限者〝 >>の自覚に入ることである。

その時、あなたの生命は〝わたし〝 と共にひろがり、虚空に満つる普遍者となるのである。

その時、もう現象の〝生〝 もなく〝死〝 もない。

あなたは生死を超え、生滅を超え、全智にして普遍、すべて包容する宇宙的な大愛の所有者となるのである。

あなたが、そのような豊かな実を結ぶことは、親樹である〝わたし〝 の大いなる悦びであるのである。
              
 
『神 真理を告げ給う』 p90 より

5993a hope:2015/11/08(日) 10:52:33 ID:cEpBaIdo

>>5992 a hope 所感)

ちょっと不思議なことなのですが、>>5991の山川海さまのコメントを拝見したあと、
なんとなくいつも枕元に置いてある、聖典『神 真理を告げ給う』を手に取りたくなって「パッ」とページをめくりました。
そうすると、

<<〝無限者〝 >>

という文字が眼に飛び込んできたのです。

でも、真理のお勉強をしていると、こういうことは頻繁に起こりますね(*^▽^*)

5994a hope:2015/11/10(火) 08:41:45 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p16 6行目〜

多くの人たちは物質の世界で幸福を求め、平和を求め、調和を求めて、どうしたら、それが得られようかと日夜奔命に疲れていますが、本当の平和、本当の調和、本当の幸福は物質の世界から得られるものではありません。

物質の「無」ということを悟る――物質というものは「マイナスの存在」であるから、いくら加算してもマイナスを積みかさねても積極的(プラス)の歓びというものは出て来るものではないということを悟って、物質に頼った心をカラリと捨てさり、本来のわが実相(神なる無限の力)に頼って障礙(しょうげ)に会って障礙を見ず、苦しみの中にあって苦しみを見なくなるとき、突然本当の調和というものがわれわれの心の世界だけでなく現実の世界にまでも現れてくるのであります。

5995a hope:2015/11/10(火) 08:45:54 ID:cEpBaIdo

>>5994 a hope所感)

出典が示されていないので本当はあまり触れたくはないのですが、部室板で「良寛禅師の逸話」(?)が紹介されています。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1357725489/875

<<障礙(しょうげ)に会って障礙を見ず、苦しみの中にあって苦しみを見なくなる>>
 という生き方とは、無実の罪を着せられてもなにも抵抗せず、言われるがまま、されるがままにされてしまう・・・そういうことなのでしょうか?

そう言えば、キリストも無実の罪を着せられて磔(はりつけ)にされ処刑されましたがその後復活し、キリスト教が興りました。

わたしは、良寛禅師も、キリストも「物質なし」の真理を完全に悟られていたからこそ、最終的に救われたり復活できたりしたのだと思うのです。

本当の悟りを得ていない業を持った人間が、聖者のまねをしても救われることも復活することも決してないと思います。

5996a hope:2015/11/10(火) 09:21:03 ID:cEpBaIdo

〝業〝 というものは本来ないから、過去の業に引っかかるなと教えてあるのは、実相に超入した立場について言うことであって、現象界にまごまごしていて、色々の欲情をもち、煩悩に引き廻されていながら、「業は無いのだ」と放言して悪業を重ねて行くならば、業果は覿面(てきめん)にあらわれて業報の中に沈んでしまわねばならなくなるのである。

〝業因〝 〝業縁〝 〝業果〝 は、あなたたちが現象世界の思慮分別の境界にいて、煩悩や欲情にふり廻されていながら、「業(ごう)本来無し」などと詭弁を弄して自分自身を晦(くら)まして欲情遂行の口実にしているような事では決して消えるものではない。

そして業果、業報は覿面にむくいられて来るであろう。

人は自分自身を晦まし得ても、因果の法則は眩(くら)ますことはできないのである。

だからあなた達は常に自己の心と行いとを顧みて善を修め、愛を行じ、よき業因を積むように日常の生活を慎むようにしなければならないのだ。

「神 真理を告げ給う」p91 〜92 より

5997曳馬野:2015/11/10(火) 09:25:48 ID:LjM.KVNs
至道無難禅師のエピソードに、懇意な商家に赴いて、お金が紛失してどうも禅師のほかには思い当たらぬというので、禅師に問い質したところ、そのお金を返してよこした、まあそんなものかと思っておったが、後に紛失したお金が出てきた、申し訳なかったといって詫びると、にこにこしてただお金を受け取ったという。またある老人庵を提供して禅師を住まわせたところ、姪かだれか懐妊した、禅師が相手だという、責め立てると忍び忍びてそういうことになったというた、老人は怒って禅師を追い出した、のち娘が白状して、男は別にいて禅師は見も知らぬ人であったという、老人が詫びるとやっぱりにこにこ笑っただけであった。これをどう思いますか、白陰禅師に逸話がだぶっている、聖人というものはかくあるべしか、いいや時代が違う云々というような人が多いんでしょう。自分に引き比べて下さい、なぜにこう我慢というかすなおというか、うっふ我慢という、これわがままと読むんです、いつか必ず現れるからという期待の辺に行なう、まったくそうではないんです。よくよく鑑がみて下さい、禅師はただニールバーナ涅槃寂静であっただけです、如来もってなすのに方便力の故に涅槃を示す、ことはまったくほかにはなかったんです。ただただ頭の下がるのはこれです、仏の生活、仏であるということはまさに四面楚歌です、至道無難禅師がかつかつ正受老人に伝えるほかに、あるいはまったくこれを知るものはなかったです。これをまっとうする、ただただ怨罵の毒を歓喜しと云われるごとくに、誤解噂ものはこうあるべきの、残虐陰惨な世の中に放り出されるだけです。たとい仏教を知る狐狸の類です、舌頭たたわわとして定まらず、世の嬰児の五相完具するが如しと、なんの武器も取り柄もなしの、仏という陰日向なしなんです、裏を見せ表を見せて散る落葉かな、良寛さんのような無一物の暮らしがかつかつ成り立つ。世間体お寺のあとつぎなど、こりゃもってのほかの余計ごと、身から出た錆を今にして痛切に思うわけです、しかも一柱身心脱落、ちらとも屈託あれば不可です。わしは七十過ぎて代を譲って、ようやく一人暮らしを始める、ほんにまあ始めからずいぶん方向違いでしたか。

http://www17.plala.or.jp/tozanji/teisyou/sidoubunan.htmlより

同じ話は色々あるんです。「本当の悟りを得ていない業を持った人間が、聖者のまねをしても救われることも復活することも決してないと思います。」この言葉が観念では一元論であるが現実は物質ありの二元論であることを証明している。

5998a hope:2015/11/10(火) 09:36:31 ID:cEpBaIdo

>>5996 a hope所感)

わたし自身も現象世界の煩悩に苦しむ、業を持った一求道者です。

ですから、聖典を学び続けて、三正行に励み、
<<常に自己の心と行いとを顧みて善を修め、愛を行じ、よき業因を積むように日常の生活を慎むように>>
努力していきたいと思っています。

5999a hope:2015/11/12(木) 10:08:05 ID:cEpBaIdo

兎も角、あなた達は現象世界で、五官の感覚によって、過去を意識し、現在を意識し、未来を想望しながら普通に生活している限りに於いては、自分の起こした想念の業果や、自分の発した言葉の業果や、自分の為せるところの行為の業果から免れることはできないのである。

それ故にあなた達は〝善き想い〝 を起し、善き言葉を発し、善き行為を務めてなさなければならないのである。

そうすることが新たなる善徳の業因をつくることによって互いに善と悪との業因が相殺されて、もし今後行う善徳の方が多ければ、過去に種子を蒔いた業因は発芽する力を失って、将来あなたの運命は、善き業因の結果のみを穫(か)り取ることになるのである。

これは因果を超越するのではなく、因果の数量的な差益計算でそのようになるのである。

普通の人間は、〝因果を超越する〝 などという超音速ジェット機のような離れ業を試みるよりも、地道にコツコツと善因を重ねて行く方が確実な過去の悪業消滅の方法である。

しかし「因縁を超越する」というのは因縁がなくなるのではなく、因縁がありながら、因縁のない世界に超入することである。

超音速のジェット機で飛行するならば自分は轟々(ごうごう)たる空気振動の音をたてながら、しかし自分はその音のとどかぬ速さで飛んでいるのである。

こんなハナレ技(わざ)は普通の人間が試みてもなかなか出来ることではない。


『神 真理を告げ給う』p94〜95

6000a hope:2015/11/12(木) 10:09:38 ID:cEpBaIdo

>>5999 a hope所感)

テキストから少し離れますが、〝業〝 や〝因果の法則〝 について考えていたら、『神 真理を告げ給う』の上の文章に出会いました。


<<超音速のジェット機で飛行するならば自分は轟々(ごうごう)たる空気振動の音をたてながら、しかし自分はその音のとどかぬ速さで飛んでいるのである。
こんなハナレ技(わざ)は普通の人間が試みてもなかなか出来ることではない。>>

↑のところを拝読しているときに、わたしは前回の中国での大会で見事なトリプルアクセルを決めて優勝した浅田真央ちゃんのことを思い出していました。

女子フィギュアスケートの選手が、トリプルアクセルを決めるというのは、相当なハナレ技だそうです。

過去からさかのぼってみても、世界中でたった6人しか成功させていないのですよね!

http://matome.naver.jp/odai/2141499045587180201

わたしは、〝因果を超越する〝 というのも、そのようなことなのではないかと感じました。

それは、相当な宗教的天才(聖者・聖人)にしかできないハナレ技なんですよね💦

<<こんなハナレ技(わざ)は普通の人間が試みてもなかなか出来ることではない。>>

って、神さまもおっしゃってますし・・・。


だったら、わたしたちはどう生きるべきなのでしょうか?

上の文中には、

<<それ故にあなた達は〝善き想い〝 を起し、善き言葉を発し、善き行為を務めてなさなければならないのである。>>

とありますが、具体的にはどうすればいいのでしょうか?


つづけて謹写していきます。

6003a hope:2015/11/13(金) 11:14:11 ID:cEpBaIdo

あなた達が善業を積み重ねて行くには、「与えよ、されば与えられん」の黄金律に従って、人のためになるものを与えるという愛行を積み重ねるのが最も確実で容易な道である。

〝与える〝 といっても色々の与え方があり、何を与えるかの問題である。

貧しい人に金銭を恵んで与えるもの其の人の一時的な助けにはなる。

その人が助かった程度だけ、あなたはそれだけ善業の種子(たね)を蒔いたことになる。

けれども金銭その他の物資を恵み与える場合には、その助けは永遠の助けとはならないで、その金銭又は物資が無くなる時までの一時的な助けとなるだけである。

その功徳は一時発芽して伸びただけで旱(ひでり)に遭って途中で枯れてしまう苗木のようなものである、物質を与える場合の功徳は一時的であるから、あなたが折角蒔いた善業の種子(たね)も発芽して少しだけ伸びて、あとは枯れてしまうのは惜しいことである。

折角あなたは与えたのだけれども途中で枯れてしまうようでは、あまりにも勿体ない事であるから、途中で枯れてしまうようでは、あまりにも勿体ない事であるから、途中で枯れないような永遠に伸びて生長して行くような善業の種子をお蒔きなさい。


永遠に伸び増殖して行くものを布施するならば、相手が受けた功徳は永遠に伸びるのであるから、その功徳があなたに撥ね返って来る功徳も永遠に伸びることになるのである。


それでは永遠に伸び増殖して行くような布施とは何を与えたらよいであろうか。

それは真理を与えることである。

〝人間・神の子、無限力〝 の真理を、あなたが人々に与えて、与えられたその人が真理を使えば、真理は永遠に減るものでなく、それを繰返し使えば使うほど光を発揮し、能率は増加し、その真理を又その人が他の人に伝えるならば、恰も鼠算用のように功徳が殖えて行くから、あなたに撥ね返ってくる功徳も永遠に伸び増殖して、最初蒔いた真理の〝小さな種子〝 がついに天を摩(ま)する巨樹のように伸びて行くことになる。

真理を与える功徳はまことに無限無尽であるといわねばならない。

                    ○

人を称賛する言葉を与える功徳も無限に伸びる功徳であるのである。

称(ほ)められることによって、その人が自信力を得、そうでなかったら困難に面して倒れてしまったかも知れない人が再び起ちあがる勇気を恢復し、捲土重来(けんどじゅうらい)の力をもって、何かの事業に成功し、その事業がまた多くの人々の為になる善き事業であり、救われる人々が無数に出るような場合には、あなたに撥ね返って来る功徳もまた無限に増幅して尽きる事がなくなるのである。

この世界を称讃の善き言葉で満たすことは、この世界ぜんたいを明るくすることになり、称讃の一つ一つの言葉は、相手を生かすだけでなく、全人類を光明化し、あなた自身を生かすことになるのである。


称(ほ)める事の功徳は、単に現象の相手の外形や外貌を観てほめるに止まらず、相手の実相たる〝神の子〝 を観じてそれを称め讃えるならば更に大なる功徳を積むことになるのである。

つまりそれは神想観を修して「心の世界」で相手の実相が完全円満なることを観て称め讃えるのである。

その時、相手が不良の子供であれば、優秀善良なる模範児童に一変し、相手が病気の人であれば、その病気が癒えることになるのである。

『神 真理を告げ給う』p95〜93

6004a hope:2015/11/13(金) 11:15:37 ID:cEpBaIdo

>>6003 a hope 所感)

わたしたちが「因果の法則」にできるだけ縛られないように生きて行くにはどうしたらいいのでしょうか?

神さまからのお答え その1
<<それは真理を与えることである。>>

神さまからの答え その2
<<つまりそれは神想観を修して「心の世界」で相手の実相が完全円満なることを観て称め讃えるのである。>>

それを実行すれば、

<<〝人間・神の子、無限力〝 の真理を、あなたが人々に与えて、与えられたその人が真理を使えば、真理は永遠に減るものでなく、それを繰返し使えば使うほど光を発揮し、能率は増加し、その真理を又その人が他の人に伝えるならば、恰も鼠算用のように功徳が殖えて行くから、あなたに撥ね返ってくる功徳も永遠に伸び増殖して、最初蒔いた真理の〝小さな種子〝 がついに天を摩(ま)する巨樹のように伸びて行くことにな>>り、

さらには、

<<相手が不良の子供であれば、優秀善良なる模範児童に一変し、相手が病気の人であれば、その病気が癒えることになる>>

ということです。


つまり、「因縁を超越する」ことができたキリストや釈迦、谷口雅春先生のような宗教的天才ではないわたしたち普通の人間であっても、
「人間・神の子」の真理の伝道(愛行)による『個人救済』をつづけ、常に相手の実相を観る『実相礼拝』を続けていくことにより、
善徳の業因ができて過去の悪業因が相殺され、自分の周りを光明化していくことが出来るのですね!

「生長の家の教え」ってほんとに完璧ですね!

6005a hope:2015/11/14(土) 08:41:38 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p41 3行目〜

わたしがこの世に来れる使命は「人間が神の子であり、霊的存在であり、永遠の生命である」という真理を人々に悟らせることにあるのです。


(a hope所感)

「生長の家」の信徒のみなさんは、創始者、谷口雅春先生のこの「ご使命」を御存知ですよね!

6006a hope:2015/11/15(日) 11:17:40 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p73 後から1行目〜

宗教的救いと申しますのは、人間が神そのままの自由自在の実相を実現することでありまして、病気とか貧乏とか、そんな一つ一つの外界の欲望がかなったから宗教はありがたい、かなわなかったから宗教はつまらないというようなものではないのです。

もっともっと根本的な救いが宗教的救いなのであります。

(略) p75 行目〜

では、宗教的救いとはいうものはどこから得られるか、それは宗門を叩いたり、教会を叩いたりしても、必ずしも得られるにきまってはいないのでありまして、「自分」というものの「実相」を叩くことによって得られるのであります。

「実相」と言えばなんであるかと申しますと、神がわれらを神そのままの顕現として創造(つく)り給いしままの「本当の相(すがた)」なのです。

その本当の相は、移りかわるわれらの肉体的存在――五官的存在――病み老い朽ち果てる物質的存在を言うのではないのです。

われらの五官的存在はわれらの本当の存在ではないのです。

「本当の自分」というものは金剛不壊な火にも焼けず水にも溺れぬ神に造られたままの神の子なる実相の自分なのです。

6007a hope:2015/11/15(日) 11:19:08 ID:cEpBaIdo

>>6006 a hope所感)

<<宗教的救いとはいうものはどこから得られるか、それは宗門を叩いたり、教会を叩いたりしても、必ずしも得られるにきまってはいないのでありまして、「自分」というものの「実相」を叩くことによって得られるのであります。>>

谷口雅春先生は、『本当の生長の家の本部は神界にある』とおっしゃられたと言います。

わたしは、もう、現象世界のどんな宗教団体にも所属するつもりはありません。
谷口雅春先生のお言葉を信じて、神界(「自分」の「実相」)の扉を叩き続けたいと思います。

6008a hope:2015/11/19(木) 10:12:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p75 後から5行目〜

人は両(ふた)つの世界に住んでいます。

その一つは「創世記」第二章七節に「エホバ神、土の塵を以て人を造り」と書いてある人間――物質的存在として、肉体的存在として幾様にも物質に縛られている人間であります。

もう一つは「創世記」第一章二十七節に「神その像(かたち)のごとくに人を創造したまえり・・・神その造りたる諸(すべ)てのものを視たまいけるに甚(はなはだ)善かりき」とある神のイメージとしての人間、至善至妙自由自在としての人間であります。


この二つの人間、実相の人間と物質の人間とが、「創世記」第二章七節の後半で交錯しているのであります。

ここに迷いの元(もと)があります。

すなわち「土の塵」という物質的制約の中へ、神はその精霊なる「生命の気(いき)を吹き入れ給うた」――それによって人間は「生ける霊」から「生ける物」へと転落したように見えているだけであります。

ここに人間は自由自在であると同時に、不自由極まる物質的制約の中にある、いわゆる現象人間が出来上がったのであります。

6009a hope:2015/11/19(木) 10:17:22 ID:cEpBaIdo

>>6008 a hope所感)

実相の人間と物質の人間の交錯・・・
「生ける霊」と「生ける物」への転落・・・
自由自在の「人間」と不自由極まりない現象人間・・・

全ての正しい宗教の本質は「唯神實相」の真理に万教帰一しているのに、それを悟りきれないわたしたち「現象人間」は、
その真理を自分たちに都合のよいように二元論的に解釈して、捻じ曲げて、伝道してしまう危険があるようです。

それは、キリスト教の歴史においても起こっていました。

ここには、わたしたち純粋な「唯神実相」を信仰する「生長の家」の信徒にとって教訓となるような、
とても興味深い現象的事実が書かれていると思いますので、続けて謹写していきます。

6010a hope:2015/11/19(木) 10:20:40 ID:cEpBaIdo
>>6009 訂正
「生ける霊」と「生ける物」への転落・・・ →「生ける霊」から「生ける物」への転落

6011a hope:2015/11/19(木) 10:45:47 ID:cEpBaIdo
>>6008つづき

「生命の實相」第23巻 p76 8行目〜

それで「土の塵」にて造られたる(換言すれば物質にて創られたる)人間ばかりを見ていて、これが「人間」であると思っている人間は、「エデンの園」(自由自在の実相境)を逐(お)い出だされた不完全な罪ある人間ばかりを観て、人間は罪人だ、罪人だと言っているのであります。

そういう人には五官に視える物質的な人間ばかりしか視えないのですから、無罪、無病、不苦、不悩な「神の造ったままの人間」(「創世記」の第一章において神が己れの像【かたち】に造った人間)が視えないのです。

そして人間は罪あるもの、病にかかるもの、苦しむもの、悩むものだと思っているのです。

そう思っているから自分の「念の創作力」によって罪を顕わし、病を現わし、苦しみ悩んでいる――言い換えれば「創世記」第二章のように、エデンの楽園から逐(お)い出されているのであります。

6012a hope:2015/11/19(木) 10:50:13 ID:cEpBaIdo

>>6011 a hope所感)

わたしたち「生長の家の教え」を信仰するものはどうでしょうか?

<<不完全な罪ある人間ばかりを観て、人間は罪人だ、罪人だ>>と言っていないでしょうか?

そして、

<<そして人間は罪あるもの、病にかかるもの、苦しむもの、悩むものだ>>と思っていないでしょうか?

わたしは自分自身の現実の姿をかえりみれば、とても返事ができません。

6013トキ:2015/11/19(木) 20:30:04 ID:nbDXBsXE
 キリスト教でも、最近、死海文書など、初期キリスト教の文献が多数出土し、
研究がされています。

 それらの本を読むと、初期のキリスト教の教えは、現在の生長の家
の教えとかなり近いものだったみたいです。現在の二元論的なキリスト教は、
イエス様の真意とは違うものだったみたいですね。

6014a hope:2015/11/20(金) 10:14:52 ID:cEpBaIdo
>>6011 つづき

「生命の實相」第23巻 p77

神は、病にかかるような人間をなぜ創造(つく)ったか。

罪を犯すような人間をなぜ創造ったか。

不完全に人間を創造っておきながら、神はなぜ人間を罰するのか。

神は力が足りないのか、理性を失っているのであるか。

反クリスチャンのこうした反駁に答えうる人はいわゆるキリスト教徒にはほとんどいないのであります。

6015a hope:2015/11/20(金) 10:23:04 ID:cEpBaIdo

>>6014 a hope所感)

その真理を体得しているかいないかは別として、「生命の實相」を拝読している「生長の家」の信徒であればこの質問には簡単に答えられますよね!

たしか、以前you tubeか何かで聴いた徳久先生の講義の中で、「生長の家の教え」に出会ったばかりの若かりしころの徳久先生が、
キリスト教の牧師さんを訪ねては、同じような質問をして相手を困らせてから、「生長の家の教え」を伝道したようなお話をされていました。

>>6013でトキさまが言及されていますが、初期キリスト教は現在のキリスト教のようではなかったようですね。

そう考えると、どんなにキリストを愛していても、どんなにキリストのご遺志を継承されようとしても、
キリストの真意(真理)を悟っていなければ、それはキリスト(真理)に反していることになってしまうのですね。

自分勝手に真理を解釈して「伝道」することがどれだけ危険なことなのかがわかります。

でも、わたしたち「生長の家」の信徒にはそんな心配はありませんね!

だって、生長の家は文書伝道が主なのですから、「生命の實相」やその他の聖典そのものを直接手渡して伝道していけば、
真理が眩まされることは永遠にありませんものね!


ところで、キリスト教はどんな風に初期の教え(真理)が「偽造」されていってしまったのでしょうか?

謹写をつづけます。

6016a hope:2015/11/22(日) 09:10:18 ID:cEpBaIdo
>>6014つづき

「生命の實相」第23巻 p77 5行目〜

そういうキリスト教徒には、「創世記」の第一章にわれらの創造主なる神が、明らかに “ Elohim” と録(しる)されており、第二章では、 “Jehovah” と録されているのに気がつかないのであります。

「エロヒム神」がわれらの創造主であり、エホバ神はわれらの「ニセ物の創造主」なのであります。

「エロヒム神」は霊なる「言葉」をもってわれら人間を神の像(みすがた)のごとく完全に罪なく悩みなく創造り給うていっさいの物を支配する権利を与え給うたのであります。

「エロヒム神」を創造主とせる人間は霊的実在であって罪もなければ病もない、悩みもなければ苦しみもないのであります。

ところが「創世記」の第二章では、われらの創造主「エロヒム神」がいつも間にか「エホバ神」という名前に擦りかえられているのであります。

諸君はここに気づかねばなりません。

諸君が自分の「本当の父」だと思っていたエホバ神は「本当の父」ではなく、戸籍謄本がいつの間にか書きかえられて、「ニセ物の父」が「本当の父」であるように公文書が偽造せられているわけであります。

「創世記」第一章にあるわれらの創造主なる父はわれらを「言葉」にて神の姿に完全無欠に霊的実在として創造(つく)り給うたにもかかわらず、エホバ神は「お前はエロヒムの子ではない。俺の子だ。お前は完全なものではない。霊的実在ではない、物質で創造(つく)ったものだ。罪を犯すものだ」とわれらに言っているのであります。

そのエホバ神の言葉を信じて、「自分は愛の神、全能の神、完全の神の子で、神そのままの像(すがた)に完全に造られていると思っているのに、それは嘘であったのか。自分は土の塵(物質)の子であり、罪を犯すように造られ、そして罪を犯したら神に罰せられるように造られているのか」と嘆き悲しんでいるのが現時多くの信仰なきクリスチャンの現成なのであります。

わたしはこのような信仰をもっているクリスチャンを本当の信仰なき人間というのであります。

なぜならこのようなキリスト教徒か神を信じているように見えているけれども、「人間を神の像(すがた)に完全無欠に創造(つく)り給うた本当の神」を信じないで、いつの間にか戸籍謄本を書きかえ、本親のような顔をして、「本来無罪の人間」を「罪あり」と恐喝している継母の神を本親だと思っているからであります。

信仰というものは、なんでもかでも信じさえすれば「信仰がある」というわけではありません。

本当の親神を信ずるのが本当の正しき信仰であります。

6017a hope:2015/11/22(日) 09:15:41 ID:cEpBaIdo

>>6016 a hope所感)

真の宗教とは、その教えを信仰することによって、まずは個人の魂が救われ、その所現として環境が良化し、人類救済・世界平和に発展するものなのだと思います。

キリスト教が分裂し救済力が急激に低下していった原因には、このような「教え」の書き換えがあったからなのですね。

本来のキリスト教は、<<「エロヒム神」を創造主とせる人間は霊的実在であって罪もなければ病もない、悩みもなければ苦しみもない>>

という「唯神実相」の教えであり、それを信仰していた信徒は魂が救われ奇蹟も起きていたのに、
知らぬ間に、その神の名前が擦りかえられて、

<<エホバ神は「お前はエロヒムの子ではない。俺の子だ。お前は完全なものではない。霊的実在ではない、物質で創造(つく)ったものだ。罪を犯すものだ」>>

とまったく正反対のことを説き始めてしまったのですね。

それも、同じ聖典中に説き始めてしまっているのですから、聖書をしっかり勉強するような、
信仰心の厚い信徒ほど混乱してしまいますよね💦

わたしは、ここに「宗教」が二元論を説く危険があると思うのです。

わたしたち聖典「生命の實相」を常に拝読している「生長の家」信徒は、そんな虚説に惑わされることは決してありませんね!

6018a hope:2015/11/25(水) 10:13:50 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p79 後から1行目〜

世の人々よ、ニセ信仰家に欺かるることなかれ。

わたしは神の弁護者であります。

わたしは神の完全さを証拠だてるために遣わされた使者であります。

神は決して神罰を与えるものではありません。

神は愛の神であり、全能の神であり、完全の神でありその神によって創造(つく)られたるわれわれは神そのままに完全であり、自由であり、無罪であります。

わたしが諸君に神の完全さと、人間の完全さとを証する。

継親(ままおや)の神にあざむかれて人間を土の塵(物質)にて創造(つく)られたる不自由不完全なるものだと思うことなかれ。

6019a hope:2015/11/25(水) 10:17:31 ID:cEpBaIdo

>>6018 a hope所感)

なんと力強い言葉の響きでしょう!!

谷口雅春先生は、唯神実相を大悟された真正の神さまの弁護者でした。

わたしたち「生長の家」の信徒は、その雅春先生がラッパとなり遺された聖典の言葉を素直に信じて信仰すれは、
必ず幸せになれるのですよね!

本当にありがたいことです。 合掌。


では、なぜ、この現象世界には「神罰」と見えるような状態があるのでしょうか?

その理由も、聖典にはちゃんと説明されていますね。

6020a hope:2015/11/26(木) 09:41:48 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p80 6行目〜

神は人間を神の像(すがた)に完全に創造(つく)られた――わたしはただそれを信じるのであります。

あとからできた「怒りの神」や、「妬みの神」や脅喝(きょうかつ)の神や神罰の神を信じないのであります。

では、神罰と見えるような状態がなぜあるか。

それはわれらの神罰を念(おも)う「念」がそれを外界に投影したのであります。

神罰の観念をもっているから、自分で想像して造った神罰の法則に触れるとたちまち、神罰の観念が具象化して病気となり、不幸となるのであります。

神罰の観念と、人間は物質にて創造(つく)られたという観念は「創世記」の第二章以来、なかなか抜きがたき人間の潜在意識となっており、あらゆる不幸はこの神罰の観念と、人間は物質的存在だという観念との流転展開であります。

神罰の観念を抜いたならば、ほとんどあらゆる病気不幸は消えてしまうのであります。

6021a hope:2015/11/26(木) 09:43:20 ID:cEpBaIdo

>>6020 a hope所感)

一般の人が持つ「神罰」という観念は、<自分(人間)とかけ離れた存在である神が、
不正を働いたり、犯罪を犯したり、人の心を傷つけたりした人々を不幸にして罰するようなイメージ>なのではないでしょうか?

ですが、「生長の家」の教えでは「人間神の子」もっと究極に言えば「我は神なり」なわけですから、
「生長の家」の教えにならって「神罰」を定義すれば、「自己処罰」ということになるのですね。

このわたしの解釈が正しいかどうかはわかりませんが、わたしは、

<<【神罰】の観念を抜いたならば、ほとんどあらゆる病気不幸は消えてしまうのであります。>>

というところの【神罰】を、【自己処罰】に変えたほうが、「唯心所現」の法則にぴったりくるような気がします。

6022a hope:2015/11/30(月) 00:06:12 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p81 8行目〜

谷口が「神の子」でなければ、誰が神の子でありますか?

神以外に創造主(つくりぬし)なきがゆえにすべての人間は皆「神の子」なのであります。

「イエスだけが神の子であって、人間はイエスを通さなければ神の子になれない」と言う一派のキリスト教思想がありますが、笑うに耐えた邪見であります。

「イエスを通さなければ神の子となれない」ような人間は誰の子でありますか。

神以外に創造主があり、神以外に天父(てんぷ)があり、そこから生まれたイエスを通して「貰い子」としてもらわなければ神の子になれないなどとはなんと矛盾に充ちた思想でしょう。

わたしはわたしの神性ゆえに、わが父「神」を証し、すべての人類がまたわが兄弟「神の子」たることを証する。

人間はすべて神の子であって「貰い子」も「継子」もない、みんな神の子なのであります。

わが証(あかし)を真(まこと)とするものはわれに従え。

神を「神罰を下す継父なり」と誣(し)いるものよ去れ。


キリストが「われは道なり、真理(まこと)なり、生命なり、我(われ)に由(よ)らでは誰にても父の御許にいたる者なし」(「ヨハネ伝」第十四章)と言い給いし言葉から、キリストを通さねば人間は「神の子」にしてもらえないという普通クリスチャンの一般観念が生まれ出るのでありますが、ここにキリストが「我(われ)」と言い給いしは肉体キリストではないのであります。

「道」であり「真理」であり「生命」であるキリスト、「アブラハムの生まれぬ前より我はあるなり」と言われたキリスト、すなわち肉体キリストにあらず「真理なるもの」「生命なるもの」「実相なるもの」を通さなければ、本当の父なる「神」の御許へ行くことができないと言われたのであります。

6023a hope:2015/11/30(月) 00:11:57 ID:cEpBaIdo

>>6022 a hope所感)

わたしここのところを拝読していると、
「上の文章中の『イエス』や『キリスト』という名前を『谷口雅春』と置き換えてみても、まったく同じことが言えるのですよ」と、
谷口雅春先生がわたしたち信徒に教えてくださっているように感じます。

「真理は普遍なのですから、あなたたちさえその気になって聖典(真理)を勉強すれば、
わたし(谷口雅春)に頼らなくても悟ることができるのですよ」と。

<<キリストが「われは道なり、真理(まこと)なり、生命なり、我(われ)に由(よ)らでは誰にても父の御許にいたる者なし」(「ヨハネ伝」第十四章)と言い給いし言葉から、キリストを通さねば人間は「神の子」にしてもらえないという普通クリスチャンの一般観念が生まれ出るのでありますが、ここにキリストが「我(われ)」と言い給いしは肉体キリストではないのであります。>>

もし谷口雅春先生がキリストの再臨であるというのであれば、それは正しい教え(真理)が再臨したということであり、
決して肉体的にキリストが再臨したということではありませんよね?

現象的に存在していた谷口雅春先生をキリストの再臨であり神と同等のような存在であったと崇拝し始めてしまうと、
それは偶像崇拝になってしまいますから、それは「生長の家」の教え(真理)からかけ離れた間違った信仰になってしまうと思います。

6024a hope:2015/12/01(火) 00:22:01 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p82 後から2行目〜

それは肉体キリストではない、真理キリストであります。

アブラハム以前より存在し、二千年前にはキリストの肉体に宿り、今またわが肉体に宿りて、「本当の父」(完全んる神、神罰なき神、罪も病も創造らざる神)を証(あかし)するところの真理キリストであります。

真理によらざれば本当の父を見分けることができない。

「われに由(よ)らで誰にても父の御許に至るものなし」とはこういう意味だったのであります。

(略)

p83 後から2行目〜
「実相(われ)に依らで父の御許に至ものなし。」実にそうです。

「実相」を知らないでは、継親を本親だと見間違えるほかはないのであります。

だからわれわれは常に「実相」を呼び出すことが必要なのです。


ところが、この実相というものはどこにあるかというと、遠いところにない。

自分のうちにあるのであります。

だからある禅宗の偉い坊さんは「主人公、主人公」と毎日自分を読んでまた自分で「ハイ、ハイ」と答えていたそうであります。

生長の家では「神の子、神の子」と呼んで、「ハイ、ハイ」と答えるのであります。

道を歩いている時にも「今、神の子が道を歩いていると思う」のであります。

また神想観といって自分が神の子である実相を観ずる修行をするのであります。

そして心の底から自分が土の塵にて造られたアダムの子であるという潜在意識が消え、すべての罪の意識が消えたときに、われらは完全に救われたということになり、すべての自由な完全な状態が、実相そのままの現れとして自分自身に実現するのであります。

キリストが「汝の罪赦されたり、起ちて歩め」と言って病者を癒やされたごとく、わたしもまた同じように言って病者を癒やすことができるのは自分自身の罪の観念で自縄自縛された結果、病気をあらわしている者が、罪の観念を解除された結果、自然に治るのであります。

生長の家は出現して以来、多くの信徒たちがただ、『生命の實相』の聖典を読むだけで、その『生命の實相』の内容を語り伝えるだけで多くの病者を癒やしえた体験を発表していられるのも、神の創造(つく)り給える世界には本来罪も無く神罰もないからであります。


常楽篇 終り

6025a hope:2015/12/01(火) 00:23:23 ID:cEpBaIdo

>>6024 a hope所感)

<<アブラハム以前より存在し、二千年前にはキリストの肉体に宿り、今またわが肉体に宿りて、「本当の父」(完全なる神、神罰なき神、罪も病も創造【つく】らざる神)を証(あかし)するところの真理キリストであります。>>

↑の部分に、二千年前肉体キリストに宿った同じ「真理」が雅春先生に再び宿った(再臨した)という事実が述べられています。

すべての正しい「教え」は万教帰一していますから、当然、仏教の開祖である釈迦にもその「真理」は宿っていたのでしょうね。

そうすると、正しい教えを説く宗教家であればだれであっても、再臨のキリスト、再臨の釈迦と表現されても、それはまちがいではないような気がします。


わたしは、輪廻転生を信じますが、だからと言って、自分の前世や谷口雅春先生の前世がなんであったかということにはあまり興味がありません。

それよりも大切なことは、「久遠の今」を摑み、今世を精一杯生きる事なのではないでしょうか?

6026a hope:2015/12/01(火) 00:25:59 ID:cEpBaIdo

ところで、もう、日にちが変わって12月に入ってしまいました。

本当なら、第38回web誌友会を閉会し、第39回web誌友会を開会したいのですが、まだテキストの内容を終えていないので、
今月も第38回web誌友会を継続させていただきます。

明日からは、聖経『天使の言葉』講義 に入りたいと思います。
みなさま、ご気軽にご参加くださいね!

6027a hope:2015/12/01(火) 00:26:58 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第38回 web誌友会 案内(改訂版)

期間   11月1日〜12月31日まで
テキスト 「生命の實相」第23巻 【常楽篇/経典篇二/宗教問答篇】
内容   久遠常楽の生活/聖経『天使の言葉』講義 /人生の悩みに答う

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

6028a hope:2015/12/03(木) 10:27:10 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第23巻 p86

○われらは、二つの王国に生きてる。

その一つの王国は外界であり、他の一つの王国は内界である。

内界はこれ心の世界であって外界一切を支配するのである。

心の有する幽玄な力よ。

その微妙な寂寞(じゃくまく)のうちに備えている不可思議な力よ。

外界は常に不断に心の力に支配され、心の力によって新生する。

外なる王国は内なる王国の映像(うつし)でしかないのである。

心を支配するものは、この二つの王国を支配する。

心を支配するには生長の家では言葉の力、文章の力によるのであって聖典および聖経の読誦によるのである。

聖経『甘露の法雨』によって多数の病者が救われたことはあまりにも有名であって繰り返して述べる必要はないが、『天使の言葉』の読誦によってもまた多くの病者が救われつつあるのである。

その一例をあぐれば広島市の中等学校教諭加藤舜太郎氏は十歳の子息が肋膜にて重症なりし時、この『天使の言葉』をその枕頭にて朗読せるに体温三十八度以上の小児が発熱のままにて起き上がり、「自分は神の子で病気は無い」と称し、遊び始めたる不思議さに数日様子を見るべく医者に乞うて医療を四日間停止して観察せるに、そのまま健康児となってその医者をして驚嘆入信せしめたという。

ともかく神秘の力を有するのがこの聖経である。

6029「訊」:2015/12/03(木) 10:36:06 ID:IVqSJWPU


>>6028

 「砂漠はキレイだね。砂漠は泉を隠しているからキレイなんだよね」(ミュージカル「リトルプリンス」劇中セリフより)
 ・・・・・昨日の、谷口あかり姫ミュージカルがまさにそんな感じ(!)。

 砂漠に不時着するパイロット、水がなくなるんですが気づいてみれば、「あたり一面は泉だった」という、そんな場面がありました。

 「本当に大切なものは目に見えないんだ」

 これが、同ミュージカルのテーマのひとつだったんですが、我々は「すべてをいったん、受け入れること」をするべきなんでしょうかね。そして、すべてをいったん受け入れて後、本当に大切なものが現れてくるという・・・・・・・



○われらは、二つの王国に生きてる。その一つの王国は外界であり、他の一つの王国は内界である。内界はこれ心の世界であって外界一切を支配するのである。


 ホンモノとニセモノの峻別です。ニセモノだけを見て、そして「それだけが自分だ」などと思っていては、なりませんよね・・・・・・砂漠と見えてもいったん受け入れてみて、砂漠へ「泉を隠しているからキレイだ」と賛辞を送る。すると・・・・



6030a hope:2015/12/03(木) 23:39:54 ID:cEpBaIdo

>>6029 「訊」さま

谷口あかり姫のミュージカルを観覧されて、「訊」さまがロマンチストになってしまわれましたね!


ところで、あかりさんですが、本当に素晴らしい方ですね。

部室板で「訊」さまご紹介してくださっていますが、あかりさんの座右の銘の、

 『苦しい時こそ ワクワクする』

ですが、わたしも 「さすが生長の家の生き方を心得ていらっしゃる」 と感動しました。


<<我々は「すべてをいったん、受け入れること」をするべきなんでしょうかね。そして、すべてをいったん受け入れて後、本当に大切なものが現れてくるという・・・・・・・>>

「生長の家の教え」風に考えると、どんなに苦しく辛い状況に陥っても、目を背けないで真っ直ぐにその現状を受け容れて、
「あー、これって自分が生長するために与えてくれた神さまからのありがたい試練なんだな」って・・・

そうすると、本当に大切なもの・・・愛? 真理? が現われてくるってことなのでしょうか?

砂漠の中の泉、わたしも見つめられるようにならなくては・・・

6031a hope:2015/12/04(金) 10:13:14 ID:brQxC10.

「生命の實相」第23巻 p87 後から3行目〜

今日は聖経『天使の言葉』を話したいと思うのであります。

これは聖経『甘露の法雨』の続きでありまして、『甘露の法雨』はあまり長いために、一遍に唱えるには長すぎるというので、一度切って、改めて別の『天使の言葉』という題の
下(もと)に書かれたものであります。

『甘露の法雨』はわたしが机に向かっている時に突然リズミカルな霊感として浮かんできたのをそのまま書き留めておいたのでありますが、それを読む人々にいろいろな霊験や奇蹟が起ってきたので、人称して聖経と称するにいたったのです。

この詩の冒頭に「天の使(てんのつかい)また語り給う」と書いてありますが、このまたという語が『甘露の法雨』の続きであるということを意味するので、ここにはまず『甘露の法雨』を語り終えられた天使が、また語り出されたその時の有様が書いてあるわけであります。

(省略)

天の使というのは何かと申しますといつも話すように神 ―― 唯一つの神から、神の念波、すなわち神の救いの念波が送られている。

しかしそれをわれわれは五感で感じることができませんから、その時に神の霊波がわれわれの第六感を通してそこにあるかのごとく姿を現す。

その現われが救いの天使として姿を現すのであります。

仏教では観世音菩薩や普賢菩薩や、またキリスト教でならミカエル、ガブリエル、あるいはケルビム等々……というのは、皆その天使の名であって、これらは皆神より出でたる救いの霊波の人格的応現なのであります。

6032a hope:2015/12/04(金) 10:15:17 ID:cEpBaIdo

>>6031 a hope所感)

わたしは、「天使」って本当はそこら中にいるような気がしています。

自分自身が、真理「実相」を見つめようとしさえすれば、どこにでも「天使」を見つけることが出来るのではないでしょうか?

たとえば、ミュージカルに感動された「訊」さまにとっては「あかり姫」が天使だったのではないでしょうか・・・?

わたしは、子供たちの笑い顔やあどけない無垢な表情をみていると、天使を見ているような気がします。

きっと、だれの周りにも、天使はいるんですよね。

それに、気づくか気づかないか・・・それだけの違いなんではないでしょうか・・・

6033「訊」:2015/12/04(金) 15:29:35 ID:Tl1pPfxg


>>6032 a hopeさま


 加えてスゴイ話は「守護神」です。以前もご紹介しましたが、徳久先生御主張では「違和感・嫌感」もそれは、祖先の守護神化だそうで・・・・・・迷っていた祖先霊が守護神となった際、我々に起こるのがあの「イヤーな感じ」なんだそうでして、これも素晴らしい話ですよね。



追伸

 で、あかり姫はまさに、「姫」です(!)。我が祖先が遣えておりました島津斉彬公ですが、その血を継ぐ姫です。加えて雅春先生の血までお継ぎなんですから、私にとっては眩しい存在です。ついでに申せば姫のルックスは・・・・・・・・・・大学時代に恋をした、あの子とウリふたつ(!)

 嗚呼、姫・・・・・・・・・(独演状態)

6034a hope:2015/12/07(月) 22:08:20 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p95 

(三)

汝らよ――
吾個神(ひとり)を善しという事勿れ。
形に現れたる神を讃(ほ)むること勿れ。
吾に宿る善きものは皆普遍なる神より来る。
汝ら吾が示すところの神を崇めよ。
吾を崇めよというには非ず。
吾はただ天の使なり、
吾れみずからの本性の神なることを観たれば、
吾れ汝らの本性の神なることを悟らしめん。
汝らの先ず悟らざるべからざる真理は、
『我(われ)』の本体がすべて神なることなり。

それで先程も言いましたように神はいろいろの姿をして現われる。

観世音菩薩とか普賢菩薩とか、ミカエルとかあるいはガブリエル、ケルビムというようなさまざまの姿をもって現われるのですが、その現われが自分個神(じぶんひとり)を拝めというのではない。

この一個の神の現われだけが尊いというのでもない。

われはただ使い、神の使いにすぎない。

神のみ心をとりつぐものにすぎないといっているのであります。

天の使いの本体であるところの本当の神、天地遍満、天地普遍の神こそ尊いのであります。

一個一個の神を、この神、この仏をお祀りして、どこそこの神様の御利益は実にあらたかであるとかなんとか言っているけれども、その御利益は一個の現われである個神(ひとりのかみ)から来るのではないのであって、実はその奥の、天地普遍の神から来るものなのであります。

ですからまた、生長の家へ入信して病気が治ったかといって、わたしという人間一個を拝んではならないのです。

また生長の家の役員が病家をお訪ねして真理の話をするだけで瀕死の病人が起ったからといって、その役員一個一個を崇めてはならない。

その場合のわたしとか、生長の家の役員とかいうのはこれ天の使いであって、その人が病気を治すのではないのです。

病気を治すというのは、「生命の実相」が治す。

これは本の名前ではない。

生命の絶対実相、普遍実相の神の働きなのであります。

また生長の家の役員でなくとも生長の家の真理を伝える人はみな天の使いでありますから、その人たちから「生長の家」の話を聞くと不思議に病気が治るということがよくあるのですが、よくなっても、その人々がえらいから病気がよくなるのでは決してない。

それは天地普遍の神、創造神の大いなる力が現われてきて、そうした働きをなさせ給うのであることを忘れてはならないのであります。

ですからここに現われられた一人の神、あの神、この神を崇めよというのではないのでありまして、一人、一人の神は皆天の使いなのですから、その天の使いから出る力とか言葉とかいうものは、とりも直さず天地に遍満する唯一の神から出るものであるので、その唯一の神を崇めよというのであります。

それで自分は神から出てきたものである。

そして神から伝えられたところのことをなんじらに伝えるだけのことであると、ここに繰返し述べられているのであります。

6035a hope:2015/12/07(月) 22:09:38 ID:cEpBaIdo

>>6034 a hope所感)

谷口雅春先生は、ご自身のことを「神のコトバを伝えるラッパ」だとおっしゃっていました。

でも、昔は谷口雅春先生でなくても、役員さんなんかでも「生長の家」の真理の話をすれば、人の病気を治して(消して)しまわれたようですね(@_@)

そんなことが日常的に起こっていれば、「生長の家」教団が大きくなるのはあたり前ですね。

だって、誰だって病気や死を恐れているでしょうから、それが「生長の家」の話を聞くだけで、それが簡単に治ってしまうのですから・・・ね。

6036トキ:2015/12/08(火) 21:12:28 ID:0DKs45Qc
>>6035

 とても大事なことだと思います。

 少し前まで、生長の家の練成会で奇跡が起きたのを何ども目撃しました。
練成だけではなく、教区の行事でも不思議な出来事がよくおきました。私の
知っているケースでは、末期の癌で葬儀の準備をしていた人の癌が消えたと
いうこともありました。

 「菩薩は何をなすべきか」という本には、講師になったら、それにふさわ
しい指導霊がつくと書かれています。この指導霊に波長を合わせると、奇跡
おきるということです。もちろん、指導霊に波長があうように修行をしない
といけないし、逆に言うと、指導霊に波長があわないと、講師といえどもお
かしい事を言うことになるみたいです。

 大事な事は、個人の救済が基本だということです。

6038a hope:2015/12/11(金) 10:46:28 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第23巻 p97 7行目〜

(四)

汝ら億兆の個霊(みたま)も、
悉(ことごと)くこれ唯一神霊の反映(うつし)なることを知れ。
喩(たと)えば此処に一個の物体の周囲に百万の鏡を掟(お)きて
これに相対(あいたい)せしむれば一個の物体もまた百万の姿を現ぜん。
斯(か)くの如く汝らの個霊も
甲乙(こうおつ)相分れ、
丙丁(へいてい)互に相異なる相(すがた)を現ずるとも
悉くこれ唯一神霊の反映にしてすべて一つなれば
これを汝ら互に兄弟なりと言う。
すべての生命を互に兄弟なりと知り、
すべての生命を互に姉妹なりと知り、
分かち難くすべての生命が一体なることを知り、
神をすべての生命の父なりと知れば、
汝らの内おのずから愛と讃嘆の心湧き起らん。


一人の神――生長の家の神とか、何々の神とかいう、一人一人の神を拝めとは言わない。

皆の中に本当の神が宿っている、自分が神であり、自分が仏であるというのです。

ここに現われているのは皆一人一人異(ちが)ってはいるけれども、われわれの実相(ほんとうのすがた)は同じ神の姿、仏の姿であるということをわれわれに悟らしたいために、神の霊波が天使としてここに出現して来たのであります。

(略)

中心にある真実の存在とその百万の鏡に映っている姿がまったく同じであるように、神と同じ姿が皆本当の姿であり、神が皆の生命であり、本体であるのであります。

(略)

お前たちの本体が神である。

――すなわち神こそ生命の父であると知ったら、その時に皆の心の中にありがたいという感謝の心、大いなる生命を讃嘆する心が湧きおこってくるのである、と書いてあるのであります。

6039a hope:2015/12/11(金) 10:48:06 ID:cEpBaIdo

>>6038 a hope所感)

「自他一体」「神人一体」「神はすべてのすべて」・・・

生長の家の教えでは、常にそのことを説いていますね。

さらに、雅春先生は
<<、「あなたたちが谷口雅春である」「私のことはおいておいて、貴方が住吉の大神様ですよ」>>

大聖師「谷口雅春先生は神(救いの原理であり光)」である。 (10692)
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&amp;mode=res&amp;log=4260

より引用。

とまでおっしゃっていたようです。

上に勝手に引用させていただきましたが、この記事の内容が素晴らしいと思うので、以下に紹介させていただきます。 合掌。

6040a hope:2015/12/11(金) 10:56:24 ID:cEpBaIdo

大聖師「谷口雅春先生は神(救いの原理であり光)」である。 (10692)

日時:2015年12月08日 (火) 14時37分
名前:生命の教育実践者

私の元部下から、この掲示板に書き込みをせよと、メールが来ました。管理者、寄稿者のみな様には大変申し訳ありませんが、私はこのような「雑談」広場のような掲示板は大嫌いです。しかし大事なことですので、一言だけ書かせていただきます。

谷口雅春先生は釈迦の再臨であり、キリストの再臨です。

しかし、その表現は厳密に言うと、正しくない。

谷口雅春先生は神(救いの原理であり光)でありその神の現れが、ある時代は「お釈迦様」であり「キリスト様」であったのです。


神の視座から「例えば私が釈迦であった時」と語られているのです。

同じく「例えば私がキリストであった時」という言葉も個人的には聞いた幹部もあるでしょう。そのお一人が愛媛の寄能美枝先生のような方(霊的な先達)でありましょう。私も数人このような方を存じ上げております。これは、故人に限らず現在活躍しておられる講師にも、そういうお人がおられます。

実に、生長の家(教団ではなく本来の實相の展開という意味での「生長の家」)には素晴らしい先生方がおられたものです。そして今もなお、多くの素晴らしい先生がご活躍と、私は信じております。なぜなら、生長の家の御教えこそが、宇宙開闢以来の荘厳であるのですから。


どうか、皆さん。

教団にいても、教団を出ても、どこにどういうカタチであろうとも、神の子として、真理を生きてください。そして谷口雅春先生こそが神である。住吉の大御神であることを直視して戴きたいのです。「住吉の大御神」としての禊ぎ祓い。それをいのちを懸けて人生をかけて為すことこそが、「あなたたちが谷口雅春である」「私のことはおいておいて、貴方が住吉の大神様ですよ」と言われた栄誉に報いる道でありましょう。

谷口雅春先生が自から「ラッパである」といわれたからといって、ラッパだというものは、尊師である谷口雅春先生の實相をいまだ、一度たりとも観たことの無い者である。おそらくは、御自分の實相さえも、一度も観たことがないのである。御自分の「實相が神」であることを知れば「谷口雅春先生がラッパの働き」をされたとてラッパではない。神であることを知るでありましょう。

どこにどういうカタチであろうとも、神の子として、真理を生きる。尊師の「御悲願(宇宙清め)に命を捧げる」そのことで「住吉の大御神」としての禊ぎ祓い成り。「来たる日」の、天照大御神御出御となるでありましょう。

私はそこに人生もいのちも捧げさせていただきます。

生長の家の出現の意味も、使命も、生長の家の全ての全てが、そこにあるのですから。


http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&amp;mode=res&amp;log=4260

<愛国本流掲示板>さまより、引用させていただきました。 感謝 合掌。

6053a hope:2015/12/13(日) 10:10:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p116 後から3行目〜

三宅いくえさんといわれる熱心な信徒がおられました。

この方のご主人は、生前牛肉屋をしておられた。

牛肉屋といっても、大阪有数の肉屋であって一カ月に数千円の収益があるというほど、繁昌する大きな店を営んでおられたのでありました。

それに御主人の没後は、いくえさんが店をきり廻しておられたのですが、生長の家へ這入られて、熱心に本を読んでいられるうちに、自分の商売がだんだんいやになってきた。

特に『久遠の實在』に書いてある採食論のところを読んでからというものは、どうしても、牛肉屋という商売をしていることが堪えられなくなってきて、思い切って店をやめてしまおうとせられたのでありました。

6054a hope:2015/12/13(日) 10:11:59 ID:cEpBaIdo

>>6053 a hope所感)

確かに「生命の實相」を拝読し、神想観をしていると、どんな生き物にも尊い生命がやどっていていることが自覚されてきます。

ですから、特に生命を奪われるときに苦痛を感じるであろう霊性の高い哺乳動物を殺して商売をしたり、
その肉を食するということに抵抗を感じるようになると思います。

わたし自身も、最近はそういう気持ちが強くなってきていています。

ここに登場されている牛肉屋を経営されている三宅さんは店をやめてしまわれようと決心されますが、
お父様に大反対されてしまい、さらにお父様が代わりに肉屋をやると言いだされます。

そうなると、自分の代わりにお父様に殺生をさせることになり、結果的には「親不孝」をすることになり、
「生長の家の教え」に反してしまわれます。

そこで、三宅いくえさんは、谷口雅春先生にお手紙を書かれ事情を説明されて、その後、面接されます。

雅春先生は、はたして、三宅さんにどのようにご指導されたのでしょうか?

6055a hope:2015/12/14(月) 10:25:07 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p117 後から2行目〜

そこでわたしはすぐ「何日に来られよ」と返事して差し上げますと、さっそくと上京して来られて、朝東京に着くとすぐわたしの家へやって来て話されるのに「先生、わたしいったいどうしたらよいのでございましょう」とこういうことだったのです。

それでわたしは「あなたのどうしてもこの商売をやめたいというお心はわかります。やめたいという心は善い。善いけれどもあなたがやめたら父上が続いてやると言われるのでしょう。まあ、父上はあなたが説法してやめさせることができるでしょう。が、しかし、そんな御繁昌な店だったら、あなたがやめ父上がやめると言われればまた他の者がそこで開店するでしょう。で結局あなたは自分でやめても、一軒も牛肉屋をやめさせることにはならない」と申しました。

「それではいったい わたしは どうしたらよいのですか」と訊かれますから、「それではあなたは、牛肉屋をしてどんどん儲けなさい。そしてその儲けた資金で、世の中の人全体が肉食をしないような心になる運動に参加するのです。それはどうしたらよいかと言えば、生長の家の光明思想をどしどし世間に普及させるのです。世間の人がどしどし生長の家へ入って全人類が生長の家の信徒となり、人間は牛肉なんぞ食べなくっても健康を保つことができ、また肉食をよしたためにかえって健康になることがわかれば全人類の肉食量が減ってくる。また無理に肉食をやめさせなくとも、生長の家の光明思想に触れると、食欲が自然に正しくなって、野菜の方が好きになったという人が、実際にこれまででもたくさんいるのですから、そうすると、世の中の牛肉屋は自然に消滅してくるものです。今あなたの牛肉屋を一軒だけやめたとてなんにもなりはしません。それよりもっと根本的に全世界の牛肉屋をやめさす工夫、肉食をやめさす工夫をしなければ本当ではないでしょう?」といってさしあげたのでありました。

わたしが話し終わった時、三宅いくえさんは顔を上げて庭の方を見ておられましたが、突然「わたし、これまで乱視で片眼がぼんやりとしか見えなかったのですのに、今先生のお話を伺って眼を上げましたら、今まで見えなかった方の眼がハッキリしてお庭の景色が木の葉一枚一枚見えます。まァ美しい樹の葉が一枚一枚、はっきりと見えるのでございます」と言われるのです。

わたしはこの方が乱視であられたのを、その瞬間まで少しも知らなかった。

もとより三宅さんも自分の乱視を治そうと思って上京して来られたのではありませんでした。

ところがわたしがその方の人生上の煩悶を訊いていろいろと話してさしあげているうちに、三宅さんの心の中から迷いがとれて、心の目が開けて、はじめて実相が見えるようになられた。

その時今まで乱視ではっきりしなかった肉眼の目も開けて、庭の木々の一つ一つの葉まではっきりと眺められるようになったのであります。

6056a hope:2015/12/14(月) 10:26:50 ID:cEpBaIdo

>>6055 a hope所感)

わたしにとって、この体験談は「生命の實相」の中でもとくに心に残っている体験談の一つです。

現象世界って実相世界の現われなんでしょうけれども、それが歪んで反映されているために矛盾に充ちた世界なんですよね。

その「歪み」や「矛盾」を現象世界への働きかけだけでどんなにがんばって正そうとしても無理があることを教えてくださっているのが、
この体験談なんです。

自分が殺生をしたくないから、自分が肉食が嫌になったからと言って、周りに肉食をやめることを強制しても、
結局、人々の根本の「心」が変わらなければ、その努力も、その場限りの小さな善行に終わってしまうということなのだと思います。


<<「それではあなたは、牛肉屋をしてどんどん儲けなさい。そしてその儲けた資金で、世の中の人全体が肉食をしないような心になる運動に参加するのです。それはどうしたらよいかと言えば、生長の家の光明思想をどしどし世間に普及させるのです。世間の人がどしどし生長の家へ入って全人類が生長の家の信徒となり、人間は牛肉なんぞ食べなくっても健康を保つことができ、また肉食をよしたためにかえって健康になることがわかれば全人類の肉食量が減ってくる。また無理に肉食をやめさせなくとも、生長の家の光明思想に触れると、食欲が自然に正しくなって、野菜の方が好きになったという人が、実際にこれまででもたくさんいるのですから、そうすると、世の中の牛肉屋は自然に消滅してくるものです。今あなたの牛肉屋を一軒だけやめたとてなんにもなりはしません。それよりもっと根本的に全世界の牛肉屋をやめさす工夫、肉食をやめさす工夫をしなければ本当ではないでしょう?」>>

強制のない、「ねばならない」がないのが「生長の家の教え」なんですね!
そして、全世界を「生長の家」として救済するのが「生長の家」の光明思想化運動なんですね!

6057a hope:2015/12/15(火) 16:17:37 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p120 後から3行目〜

近眼の治った、実に素晴らしい体験をもっていられる方があります。

それは川村よし子さんという双葉女学校の二年生の方なのですが、数日前道場へ来られて、御自分の目の治ったおもしろい体験談をされたのでありました。

川村よし子さんのおばさんというのが、生長の家の熱心な信徒でしたが、よし子さんが某日(あるひ)、そのおばさんの家に遊びに行かれた。

その時におばさんが、生長の家の話を、いろいろとよし子さんに話されたそうであります。

よし子さんは、五度というひどい近眼だった。

それで、目などは心に従ってどうにでも変わるものだという話を、おばさんが諄々(じゅんじゅん)と説かれて、それから「よし子さん、この『甘露の法雨』を読んでごらん」と言ってよし子さんに『甘露の法雨』を読ませられたのでありました。

ところが、その時夜は大分ふけているので、『甘露の法雨』を半分ほど読んでゆくうちに、よし子さんはとてもねむたくなってきた。

一緒に読んでいられたおばさんが、よし子さんがあまり眠そうにするのでかわいそうになってきて、「あなたはもうお休みなさい。わたしが代わって続きを読んであげますから」と言ってよし子さんを臥(ふ)せさせ、その枕元で『甘露の法雨』の後半を声高に読まれたのでありました。

しかしよし子さんは眠ってしまわず、まだ「伯母さん、実相って何に?」などと言って分からぬところを聞いていたそうです。

そして翌日目をさまして、眼鏡をかけない眼で、ふとあたりを見廻すと不思議なことにいろんなものがはっきりと見える。

川村よし子さんの近眼は・・・

(略)

・・・その朝目をさましてみると、昨日まで眼鏡なしでは全然見えなかったものが、一夜のうちに、はっきりとみえるようになっているんですね。

額の絵の菊の花やら、障子の桟から、柱にかかっている時計の針まではっきり見える、世界中が急に明るくなってきた。

よし子さんは嬉しくて嬉しくてたまらない。

さっそくと眼鏡を捨ててしまわれたのでありました。

それでその日、七月二十九日の晩、初めて本部に来られて喜んでその話を皆の前でされたのでした。

その日はちょうど、明治大帝の御崩御の日に当たるので、代々木練兵場でたくさんの花火が打ち上げられた。

ぽーッと空に上がる花火が眼鏡をはずしても、見えるようになっているのです。

ところがこれまで眼鏡をかけて花火を見ているころには、花火は直径一尺ぐらいに小さくしか見えなかった。

それで花火なんて小っぽけなもんだと思っていられたそうですが、肉眼でみると、どうしてどうして、とても大きくて立派な花火なのです。

で、「伯母さん、花火はなんて大きくて美しいものなのでしょう」とよし子さんは感嘆されたと言います。

その翌日のこと、その日はからッと晴れた実に気持ちのよい日でありました。

空は紺碧に澄み渡って一点の雲も漂っていないというような日だった。

川村さんはこれまで厚い眼鏡をかけて、そのレンズでものを凝縮して見ていられたのでしたから、空の碧色(みどりいろ)もなんだかはっきり分からない白っぽい色ばかり見えていた。

ところがその朝、肉眼で紺碧の美しく晴れ渡った空を見て、はじめて「空はなんて美しい碧色だろう」と思われたのです。

「碧色の美しい空を、わたしは今まで知らなかった。空はこんなに美しいものだったのか」と思われたということです。

6058a hope:2015/12/15(火) 16:18:50 ID:cEpBaIdo

>>6057 a hope所感)

「甘露の法雨」の功徳って、ほんとにすごいものなんですね!

でも、その「甘露の法雨」を何百回読誦しても、何千回読誦しても、何万回読誦しても、死ぬまで読誦し続けても功徳のないことってあるんでしょうか・・・?

わたしは、人によってはそういうこともあると思います。

その人に、その真理を素直に受け入れる「心」がなかったら、何億回読誦してもなんの功徳もないのではないかと思います。

聖典拝読にしても同じなのではないでしょうか・・・?

また、「信じる者は救われる」といいますが、「生長の家」の体験談にしても「偶然だ」とか「集団催眠だ」などと常に疑いの心をもって聞いていると、
その人が同じように救われるということは決してないと思います。

続けて謹写していきます。

6059a hope:2015/12/15(火) 17:25:48 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p123 3行目〜

そういうあんばいにして、川村さんの視る限り世界中の姿がすっかり変わってしまったのでありました。

川村さんは、素直な幼児(おさなご)の心で真理を受け入れられたから、たった一度『甘露の法雨』を読んだというだけで、かくも偉大な功徳を得られたのであります。

『甘露の法雨』の功徳というのは、要するに『甘露の法雨』に書いてある真理の功徳にほかならないのであります。

そこで、この真理を読んで実相を見る目が開けた時に世界中の姿が変わってくるということになるのであります。

『維摩経』の中に、天人の世界へ行って御飯を出されると、同じ真っ白なご飯を出されても食べる者の心に従ってその色が変わる、ということが書いてありますが、これと同じことで、われわれも心が変われば、その心に従って世界が姿を変えてくるのであります。

今まで花火は小さいものだと思っていたのが実は花火は大きいものだと分かる。

空の色も心の目が開けた時に、ああこんなにも美しい碧色だったのかとわかってくるのです。

この世は苦しい世だ、憎しみに充ちた醜い世だと、厭世的に世界を眺めている人もある。

しかし、苦しみの世界は、あるのではない。

そういう人は心の目を開かない人なのです。

心のチカメなのです。

心がチカメであるから、楽しい、よきことのみに充ち満ちた実相の世界を見ることができないで、この世は憂いの充ちた世界と見えているのです。

それが一度真理に触れて、心の目がぱっと開いた時に、この世はこのままで極楽浄土となるのであります。

目の治った話はまだいくらでもあるのです。

昨日も『主婦之友』の記事で有名な栗原保介氏の令弟で栗原清吉さんが来られて皆の前で話されたのでありますが、この方は川村さんの五度よりもきつい三度と四度というまことにひどい近眼を二、三度話をするだけでたちまちにして治されたという、実際の話をされまして、お話をうかがった多勢(おおぜい)のもの皆大変に感動したのでありました。

栗原さんは今日そこに見えていられますから、あとで御自身の口からくわしくお話をしていただくと大変によいと思うのであります。

かくのごとくわれわれは、この眼という物質で物をみるのではなく、心によって見るので、心の目が開けたら、地獄も天国になるということを、生長の家で多くの方が体験され、またその体験によって実証されているわけなのであります。

6060a hope:2015/12/15(火) 17:29:22 ID:cEpBaIdo

>>6059 a hope 所感)

心の目が開ける(悟る)と、実際の視力も回復してしまう・・・

すごいですね!

そういえば、わたしは、ほぼ毎日「生命の實相」を拝読し、長時間パソコンやスマホに向かっていますが、視力の衰えはほとんどありません。

むしろ、以前より良くなっている気がします。

悲しいかな、同年代の友人の中にはもう「老眼鏡」が必要な人もいますが(@_@)、わたしにはまだまだ必要ないようです(笑)

それで、思い出したのですが、宇治の練成で練成員の名前を読み上げる楠本加美野先生は老眼鏡をかけていらっしゃいませんでした。

「生長の家」を信仰していれば、いつまでも健康で若々しくいられる、というわけですね!

6061a hope:2015/12/17(木) 10:38:42 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p131 9行目〜

さて、各種の波動を感ずる感覚器官に起る障害、半身麻痺であるとか、あるいは眼が悪いとか、耳が悪い、味がない、鼻が悪いというのは、要するに皆波動を受けいれるこちらの念波のまちがいなのであります。

ラジオでも受信機の波長が放送装置の起こす波長に合わなければ、感じない。

この感覚器官の波長の不調和はどこから来るかというと、すべて事物をありがたい、と受け入れる感謝の心の欠乏から来るのです。

有りとしあらゆるものはすべて神の無限の愛、無限の知恵、無限の生命に充ち満ちている。

その神の生命、神の愛、神の知恵を、素直に受け容れる人が少ない時にそういうわれわれの生活に必要な波動を感受できない――できないのではない、感受しない状態が起ってくるのであります。

顔面麻痺などというのも、面の皮があんまり厚くて、他人のよろこびも悲しみも鉄面皮で少しも感じない。

冷酷無情な、いつも他(ひと)のことは考えようとしない、自分だけを突張る頑固(かたくな)な心が現われて顔が突張っているので、その心が直ったら顔の突張りも自然にとれ、感覚の麻痺も治ってくるのであります。

中風で体が痺れているというのも実は心が痺れているのです。

心が痺れていて神様や、家族や、いろいろの恩人の厚い恵み、愛などに本当に喜びを感じることができない、その心が現われて身体に麻痺という状態をおこしているのです。

その心が現われて身体に麻痺という状態を起しているのです。

また近眼とか、蓄膿症とかも、総括的に言えば皆大体同じことで、目が見えなかったり、耳が遠かったりするのは、他(ひと)の心を受け入れる心がない証拠といってよいのです。

天地に満つる神の恵みを、正しく受け入れる心が少ないのであります。

受け入れたにしても本当にあるものをすっかり受けないで、半分くらいしか受け取らない場合には片目が見えないとか、片耳が聞こえないとか、近くは見えても遠くは見えないとか、半分しか感受機関が働かなくなるのであるのであります。

それがすべての愛、すべての知恵、すべてのよろこびを素直に受け入れる人になった時に外に現われた感覚器官の障害も消えてしまうのであります。

肉体は心の影でありますから、心のとおりに外部の現れが変わってくるのは当然のことであります。

6062a hope:2015/12/17(木) 10:41:48 ID:cEpBaIdo

>>6061 a hope所感)

「生長の家」の教えを信仰すると、体の不調和が調って病気が治ってしまう・・・

その本当の理由は、「生長の家」の信徒になったからではなく、毎日「生命の實相」を拝読しているからでなく、
神想観をしているからではなく、「甘露の法雨」を読誦しているからではないのですね。

<<この感覚器官の波長の不調和はどこから来るかというと、すべて事物をありがたい、と受け入れる感謝の心の欠乏から来るのです。>>
<<すべての愛、すべての知恵、すべてのよろこびを素直に受け入れる人になった時に外に現われた感覚器官の障害も消えてしまうのであります。
肉体は心の影でありますから、心のとおりに外部の現れが変わってくるのは当然のことであります。>>

「生長の家(聖典・聖経)」の真理を素直に受け入れる「心」が調った時に、「心」が感謝の気持ちで満たされ、肉体も環境も調和するというわけですね!

6063a hope:2015/12/21(月) 12:35:49 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p138 後から5行目〜

「しかしいくら肉体は痛くないと思おうにも痛いのは事実です」などと言われる方がありますが、そういう方はまだ「心の痛み」ということが本当に分かってはおられないのです。

心の痛みというのは肉体にあるのではい。

それだのにそういう方は「心の痛み」と言っても、その痛みというのは肉体の痛みを指して言っているかのように考えて、「この肉体は痛くないと思うと努力しても痛い」などと言われるのです。

それはまちがいです。

肉体を離れて心に着眼点をもってこなければならない。

それでは心の痛みとは何か?

家庭の中の不調和とか、人を憎む心とか、口惜しい残念だとかいう心、妬む心、癇癪を起こす心、これらが要するに心の痛みなのです。

腹が立ってどうしてもそれが制しきれないということが往々ある。

それも心の痛みです。

あるいは愛する子供や親を失って悲しみに暮れるということもある。

これも心の痛みです。

子を失う人の痛みは、われわれにとって最も大きい苦痛です。

その苦痛の蓄積の後に神経痛を起こす人もある。

この肉体は死んでも本当は人間はしなない生きとおしの生命であると知ると心の痛みが次第に癒えてくるのです。

そういうふうにして心の痛みが根本的にとれてしまったら肉体の痛みはすぐになくなってしまうのです。

こういう意味で肉体がいたいのではない、というのだと言いますと、それでも痛くないと思っても事実痛いものを、と言われる方は、まだ肉体を指さしておられるのです。

肉体に痛みはないのですから、その時省(かえり)みて、自分の心にある悲しみ、憎しみ、恨み、嫉み、というような心の痛みを、すっぱり捨ててしまった時、肉体の痛みも忽然と治るということになるのであります。

だから、痛いというのは、この肉体が痛いのではない、神経が痛いのでもない、ただ痛いという念が痛いのであります。

ですから、この肉体から念というものを奪い去ってしまった時に、もう肉体はなんの苦しみも痛みもなくなってしまうのです。

だからこの一節には「『念』全く去りたるものを死体と云う。汝ら死体が痛みを感じたるを見しことありや」と書いてあるのであります。

この肉体はまったく念の影なのでありますから、われわれが健康を念じたら健康になり、病いを念じたら病になるのであります。

それでは健康を念じさえすれば、癇癪を起こしてもどうしても健康でいられるかというとそうではない、われわれの念そのものがいつも健康な状態であることが必要なのであります。

念が健全だということは、痛いということを念じまいとすることや、健康健康と、その肉体の健康だけを思うことではない。

念そのものが大調和の状態になることであります。

普段はどうでも神想観の時だけ、健全な心になって念ずるなどというのは駄目で常住坐臥(じょうじゅうざが)に健全なる、大調和の念を持っていることが、すなわち健康を念ずるということになるのです。われわれが常に神の子の念を持つ。

これによって健康を生ずるということになるわけであります。

6064a hope:2015/12/21(月) 12:36:58 ID:cEpBaIdo

>>6063 a hope所感)

家庭の中の不調和・・・人を憎む心・・・口惜しい残念だとかいう心・・・妬む心・・・癇癪を起こす心・・・
腹が立ってどうしてもそれが制しきれない・・・
あるいは愛する子供や親を失って悲しみに暮れる・・・

すべてが「心の痛み」なんですね。

でも、この人生で生きていて、そのような「心の痛み」を全く感じないで生きている人なんているのでしょうか?

自分自身では制御しきれないような「憎しみ」や「妬み」や「怒り」「悲しみ」等の悪感情を、なぜわたしたちは体験しなければならないのでしょうか?

「生命の實相」に出会う前のわたしは、それは人間が不完全である証拠であり、そんな人間を創造した「神」がもし存在しているのなら、
「神」はわたしにとっては一番憎むべき存在である、とさえ思っていました。

ところが、「生命の實相」には、そんな不完全な人間や不完全な心は本来存在しないもので、在るもの実相、「完全円満」な人間の姿だけである、
つまりは「人間こそ神(神の子)」でありこの世は「唯神実相」の世界であると書かれてあるではありませんか・・・

わたしにとってそれは、本当に、「衝撃的」な真実でした。

ところで、そのような素晴らしい真理を説く「生長の家」の信仰者としてのわたしたちの使命っていったいなんなんでしょうか?


現象世界の不完全さを憂い、嘆き、悲しむことでしょか?

わたしは聖典の文章に答えがあると思います。

<<念そのものが大調和の状態になることであります。
普段はどうでも神想観の時だけ、健全な心になって念ずるなどというのは駄目で常住坐臥(じょうじゅうざが)に健全なる、大調和の念を持っていることが、すなわち健康を念ずるということになるのです。われわれが常に神の子の念を持つ。
これによって健康を生ずるということになるわけであります。>>

一般の人間がそういう心境になるのはなかなか難しいのでしょうが、「生長の家」の真理を知っているわたしたちにとっては、それはとても有難い信仰目標(使命)ですよね!

6065a hope:2015/12/21(月) 12:40:13 ID:cEpBaIdo

山川海さま

こちらをご覧になってくださっているでしょうか?

>>5978で山川海さまがご紹介してくださったので、わたしはあれから毎朝晩、父母への感謝の言葉を唱えています。

そして、数日前、素晴らしい功徳をいただきました!

本当ならここで感動の体験談を詳しくお話したいのですが・・・

なかなか解決しなかった娘のある問題が感謝行をはじめてすぐに良い方に向かいだし、そして1か月半後見事に解決したのです。

そして本当に娘の運命が、“ バッ ”と変わりました!!


この感謝行を続けていると、父母への感謝だけではなく、ご先祖さまや周りの全ての人々にも感謝の気持ちを持つことができるようになるような気がしています。

よいことを教えてくださって、本当にありがとうございました。 合掌。

6066a hope:2015/12/25(金) 23:52:49 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p151 4行目〜

(十一)

されば汝ら、
心の中に常に円満完全清浄なる実相の姿を描けよ。
常に円満完全無病なる神の子の相(すがた)を描けよ。
人は神の子にして其の他の何者にも非(あら)ざるなり。
円満完全なる神より不幸は生ぜず、
円満完全なる神より病は生ぜず、
不幸と病とは唯これ五官の妄想(まよい)に過ぎざるなり。
汝ら病を恐るること勿(なか)れ。
五官の感覚に描かれたる病は
一毫(いちごう)も汝らの生命の実相を病ましむること能わず、
一毫も汝らの生命の実相を不幸ならしむること能わず、
如何なる病も
如何なる不幸も
ただ『生命の実相』の表面を掩(おお)える
叢雲(むらくも)の如き幻に過ぎざるなり。
その幻はすべて
『生命の実相』を知らざる迷いより生ず、
汝ら『生命の実相』を知り、
迷い滅すれば恐怖滅し、
恐怖滅すれば
一切の不幸おのずから滅せん。


ここにはいっさいの不幸、病気、災難などというものは恐怖が因(もと)になって生ずるということが書いてあるのであります。

(略)

恐怖心を起こしたが最後、もう自由自在の知恵が出なくなる。

下手な考え休むに似たりというようになってくる。

たまたま考えついた考えは失敗だらけの支離滅裂なものとなる。

だからどうしても事業を大成するには恐怖心を滅しなくてはならぬ。

恐怖心を滅するにはどうしたらよいかというと、『般若心経』には「顛倒夢想を遠離すれば恐怖なし」と書いてあります。

恐怖の因(もと)は、顛倒夢想から生ずるのであります。

顛倒というのは「サカサマ」――有るものを無いと思い、無いものを有ると思う、これが「サカサマ」であります。

「夢想」というのも、無いものをあるかのごとく妄想によってえがき出すのが夢想であります。

では何がサカサマであり顛倒夢想であるかと申しますと、肉体は本来無いのに有ると思い、本来有る完全円満な神の子なる実相身をアベコベに無いと思う――これが顛倒夢想であります。

本来この世は神の国であり仏土であるのに、苦娑婆であるとか、地獄であるとか、穢土(えど)であるとか思う――これが顛倒夢想であります。

(略)

この顛倒夢想を覚ますには、夢にうなされてる人を覚ますのに大声でどなるように、われわれは言葉の力を用いるのであります。

「そんな病気の相(すがた)や貧乏の相は本来無いんだぞ」と耳元で大声を出してやると、「ムニャムニャ」と言いながら目を覚ます。

眼を覚ましてみると、今まで自分は貧乏なルンペンであってしかも病気をしていると思っていたのが豈(あ)に計らんや、その実(じつ)自分は無限の長者の後継者(あとつぎ)であって金殿玉楼(きんでんぎょくろう)に錦繍(きんしゅう)の夜具の上に実に楽々と寝ていたのだということがわかるのであります。

心が真理を悟り、実相に目覚めれば、天国浄土は今、このまま、ここにあることを見いだすことができるのであります。

その状態を説明して聖経『天使の言葉』には次のごとく書かれているのであります。

(つづく)

6067a hope:2015/12/25(金) 23:53:38 ID:cEpBaIdo
(つづき)

「生命の實相」第23巻 p154 後から4行目〜

(十二)

かく天使(てんのつかい)語り給えば――

虚空に蓬莱島(ほうらいとう)の如き理想郷実現し
島の頂(いただき)には水晶にて造られる宮殿ありて
その甍も柱も悉く水晶なり。
天使その主座に坐したまえば
天童たちその甍(いらか)を透過(つらぬ)きて天より舞い降りて
悉く天使の周囲に輪を描く。
此時いずこともなく天楽の音(ね)嚠喨(りゅうりょう)として聞え、
天童これに和し羅綾(うすもの)を流(ながれ)の如く引いて舞えば
島をめぐれる紺青の海に
ヴェニスのゴンドラ船の如き
半月の船静かに辷(すべ)りていと平和なる状態(すがた)なり。
此の時天使の声水晶宮より出でて虚空に轟(とどろ)き、
地を指(ゆびさ)して宣(のたま)わく、
『見よ、これ実相世界なり、
実相世界は父の国なり、
天国なり、
浄土なり。
父の国には住居(すまい)多し。
実相世界の住居は悉(ことごと)くこれ「生長の家」なれば
住民(すむひと)に飢えなく、
悲しみなく、
争いなく、
病なく、
万(よろず)の物ことごとく意(こころ)に従って出現し、
用足りておのずから姿を消す。
円満具足清浄微妙の世界、
これ実相世界、
これ汝らの世界、
そのほかに世界あることなし。
斯く天使の宣うとき、
天使の指(ゆびさ)し給う方を見れば
『生長の家』無数に立ち並びて
甍列をなし
炊煙(すいえん)春の霞の如く棚引きて
住民悉く鼓腹撃壌(こふくげきじょう)し、
其処はただ常楽の世界を現じたりき。(聖経終)

(略)

生長の家というのは実相世界全体を称して生長の家と申すのでありますが、その実相世界の如意円満具足清浄微妙の状態を顕現している国家、社会、家庭の一個一個がやはり生長の家であります。

よく生長の家の信徒で、実相を悟ってから欲しいものが自然に集まって来たという体験を話される方がありますが、それは環境は念の影でありますから、悟りに従って実相世界の「万(よろず)の物ことごとく意(こころ)に従って出現し、用足りておのずから姿を消す」状態が現象界に投影する結果そうなるのであります。

一切人(いっさいじん)の現象生活がそうなりました時、われらの地上生活は実相世界の影を完全に映出して、この世に地上天国が建設せられるのであります。

こえで聖経『甘露の法雨の後編『天使の言葉』の講義を終ることにいたします。
長々御清聴を煩(わずら)わしましてありがとうぞんじます。

6068a hope:2015/12/25(金) 23:56:04 ID:cEpBaIdo

(>>6066 >>6067 a hope所感)

実はわたしは「聖経」を読誦するのは苦手でした。

ですが聖典「生命の實相」の「聖経」の講義を拝読していると、「聖経」の意味が良くわかるのでとても幸せな気分になります。

そして今は「聖経」の言葉一つ一つの荘厳な響きに、以前よりずっとわたしの魂が共振するようになった気がしています。

6069a hope:2015/12/26(土) 00:00:02 ID:cEpBaIdo

トキさま みなさま

わたくしごとですが、年末年始は忙しくなるのでなかなか書き込みできません。
もし、わたしの代わりにこのweb誌友会の司会進行をしてくださる方がいらしたらお願いしたいのですが・・・
年末年始はみんさまもお忙しいのではないかと拝察いたします。

来月(1月)の半ばくらいになりましたら、第39回、web誌友会開会させていただけると思いますので、
それまでは、第38回web誌友会を続行という形にさせていただきたいです。

勝手を言って申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

6070a hope:2016/01/17(日) 10:00:24 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。
遅くなりましたが、第39回 web誌友会を開会させていただきます。
それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の「今の教え」と「本流復活」を考える WEB誌友会板/2 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

6071a hope:2016/01/17(日) 10:03:11 ID:cEpBaIdo

それでは、第24巻(頭注版)のカバーの帯の文章を紹介させていただきます。


「あなたの希望を実現させる力とは」

一年前ごろまで常に病気やら何々と不幸の連続であったA氏が、生まれ変わったように溌剌としていたので、「何が彼をそうさせたか」とたずねた。

A氏 「わたしは運命は心しだいでどうにでも変化できることを知ったのです。わたしたちはなろうとおもうとおりのものになれるのです。今まで自分は不幸になるという恐怖心が常につきまとっていましたが、今は反対に『わたしの生活には幸福のみあり』といえるようになりました。」

彼はここまで言うと「すべての問題解決のカギはここにある。君もこれを読んで幸せになって下さい」といって去った。

その本がこの本書です。

本書には心の力をいかんなく強め、すべてを解決する力を掌中におさめる方法が、わかりやすく書かれています。

6072a hope:2016/01/17(日) 10:06:25 ID:cEpBaIdo

>>6071 a hope 所感)

わたしは「生命の實相」のカバーの帯の部分の紹介文を読んでも感動し、啓発されてしまいます。(笑)

実相世界を完全に悟っていないわたしたちは、この現象世界で魂を生長させるために色々な問題にぶつかりながら生きて行く宿命を背負っているのだと思います。

でもどんな困難な問題にぶち当たっても、わたしたちには「生長の家の教え」がありますから大船に乗っているような気分ですよね!

人間知ではどうにもならない現象問題に心を煩わせたり、歎いたりしている時間があるのなら、
その代わりに1ページでもいいので聖典「生命の實相」の言葉を拝読したほうが問題はすみやかに解決に向かうのではないかと感じています。

今年もこのトキ掲示板で聖典「生命の實相」の輪読会であるweb誌友会を続けさせていただけることに、心より感謝しています。

合掌。

6073a hope:2016/01/17(日) 10:10:56 ID:brQxC10.

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第39回 web誌友会 案内

期間   平成28年1月17日〜2月29日まで
テキスト 「生命の實相」第24巻 参考篇 / 質疑篇
内容   心が肉体に及ぼす力 / 真理の応用および拾遺

     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

6078a hope:2016/01/18(月) 09:38:55 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p7 後から2行目〜

「文化高き」と称するところのわれわれにはぐくまれた最も不幸なる事柄は、自己の内に宿っている自然療能の力を信じなくなったということである。

われわれの住んでいる大都市ではあまりにも病気治療の設備が多いのである。

自然、われわれは病気を予想し、病気を予期し、その結果、心の法則にしたがって病気となってしまうのである。

辻から辻までの間に一軒、少なくとも二辻につき一軒の医院がある。

薬局はどの辻にも看板を麗々しくかかげている。

ちょっと病気らしい兆候があらわれたら来いとばかりに医者と薬やとが誘惑している。

それでわれらは外部の助けにいっそうたよりたがるようになり、内在の療力(なおすちから)が麻痺してしまって肉体の不調和を自力で治すことができなくなるのである。


文化低き時代には、小さな町や村には医者がめったに姿を見せなかった。

それで住民は内の癒力(ゆりょく)に頼って何物にも外物に頼らず、強壮で、強い抗病力(こうびょうりょく)を発揮したのである。


すぐ医者を呼ぶような家庭では、その家庭に育つ子供の健康はみじめな状態になりやすい。

これは医者が来るということによって子供に「自分は弱い」という暗示をかなり強く与えることになるのである。

ちょっと子供の加減が悪いようだとすぐ医者を呼ぶような母親が非常に多いがその結果、その子供の心の奥底には「病気」「医者」「薬剤」などの観念が刻みこまれることになり、生長してからも、その全生涯に影響を与えるものである。


やがて、小児と薬剤とは実に不一致な組み合わせだということが考えられる時代が来ると思う。

小児は愛の暗示のうちに、真理の暗示のうちに、調和の暗示のうちに育てるべきものである。

6079a hope:2016/01/18(月) 09:40:41 ID:cEpBaIdo

>>6078 a hope所感)

いったいどれだけの生長の家の信徒が「肉体は心の影である」という真理を体得しているのでしょうか・・・?

わたし自身は聖典の真理は信じていますが、病気になれば(ほとんどなりませんが・・・)すぐに病院に行き治療を受けます。

自分の病気は過去のわたし自身の悪しき心の影響、もしくは他者からの悪念波の影響で起こることですから、
その自分の悪しき心を直せば、もしくは他者からの悪念波を受けないような良い波動を自分が発すれば病気も治ってしまうことは頭ではわかっているのですが、
わたしの今の信仰状態ではそう簡単に自分の心をコントロールできないこともわかっていますので・・・(;´∀`)

それに、谷口雅春先生も真理の実践の強制はしていなかったと思います。

現在のわたしの信仰状態や悟りの深さでは、もし病気になったらなら医者の治療を受けながら、
「生命の實相」を拝読して真理を悟り、自己内在の治癒力を高めていくというのがベストな方法だと思っています。

6081a hope:2016/01/18(月) 11:54:06 ID:cEpBaIdo
>>6080

最初から、コメント欄に投稿していれば削除もされず、意見交換も可能なのに、
掲示板の規則と秩序を守らない方から、わたしがそのようなご批判を受ける筋合いはありません。

トキさま >>6080 とこの投稿の削除をお願いいたします。
今日はこれから出勤ですので、今後もweb誌友会板に同じような投稿がありましたら削除してください。

6084a hope:2016/01/20(水) 09:47:22 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p9 7行目〜

神は決して彼の愛もて造りたるものを、ただの偶然の暴威や、運命の残忍の手にゆだねて放っておくものではない。

神の造り給いし子供らの生命、健康、幸福は、外部的治療薬の上に万一を慮(おもんばか)ってぶらさげておいては決してないのである。

人間の生命、健康および幸福は、たまたま付近に薬になるべき植物や鉱物が見出されると見出されないとで影響をこうむるようには決して造っていないのである。


神は極小部分の人類しか発見できないような地球の遠隔地にある雑草や鉱物の中に人間を癒やす薬をかくしておいて多数の人間がそれを知らずに死んでしまうような不合理なことはしておくまいと思われる。

人間の病気その他の不幸を癒やす薬をいつまでもすぐ間に合うところの人間の内部に――彼自身のうちに――置いたという考え方がいっそう合理的ではあるまいか。


人間ひとりひとりの内部にはかくれたる力、破壊不能の生命、尽きぬ健康の泉が潜んでいて、それが発揮されれば、われらのあらゆる傷を癒やし、われらのあらゆる不幸を治す薬剤となるのではないか。

6085a hope:2016/01/20(水) 09:49:01 ID:cEpBaIdo

>>6084 a hope所感)

思えば、「生命の實相」に出会う前のわたしは、精神世界には目覚めてはいましたが、
生きとおしの生命や金剛不壊の実相、というものをよく理解してしませんでした。

ですから、自分や家族が病になれば、某大学病院の名医だとか、あるいは気功の名手だとか、アメリカンインディアンの秘薬だとか・・・
常に外部の何か特別に有効そうな何かに頼ってしまうことがとても多かったです。

現在であっても家族が病気になれば普通に病院に連れて行きますし、自分自身も仕事の健康診断で結果が悪ければすみやかに治療を受けています。

それは「病気になったら医者に行く」という、現代の日本社会の常識(集団意識)に逆ってまで、
『真理』を証明する自信もありませんし、その必要も感じないからです。
 
それに、「ねばならぬ」がないのが「生長の家の教え」ですものね!

特別なことをしなくても、普通に今の生活をしながら信仰(聖典拝読)していれば、いつかは必ず『真理』を悟ることができるのが、
「生長の家の教え」だとわたしは思っています。

追伸・・・
「生命の實相」の『真理』に対する肯定的なご意見、もしくはわたしの解釈が違うのではないかというご意見等は大歓迎ですが、
「生命の實相」の『真理』自体に否定的なご意見のご投稿はこのweb誌友会板にはご遠慮ください。(コメント板にご投稿ください。)

6086a hope:2016/01/24(日) 12:06:50 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p24 5行目〜

ごく最近聡明な一婦人にあったところ、彼女は雑誌小説から受けた憂鬱な暗示のために、その日半日以上まるで病気にでもなっていたといった。

その小説は有名な作家の書いたもで、優麗な筆で残忍な事件を描写してあった。

その強き筆致の印象が彼女の心の底にあった病的層に触れて彼女をすっかり病気にしてしまったのであった。


医科の学生が解剖実験室で受ける恐ろしい暗示作用や、病気のことをたえず研究していることからくる恐怖的影響のために病気になることはよくある例である。


これとは逆に、たえず愉快な、希望に満ちた、健全な思考が、肉体に好影響を与えて、病弱をも健康に甦生(よみがえ)らすことができることは当然と言わねばならない。

病者の心は多少ともどちらといえば弱くて、主観的で、消極的である。

そしてまた感じが非常に強くて善悪とも暗示に非常に感化されやすいのである。


これに反して健康者の心は自主的な積極的な自己創造的な態度であって、暗示に対して反発力が強く、病的な思想など吹っとばしてしまうのである。


誰でもたいていはその人が病気の際に、愉快な楽天的な知人から見舞いを受け、希望と勇気とを心のうちにつぎこまれて急に気分が快活になり、その時から病気がよくなるような光明を受けた経験をもっているであろう。


またわれわれは、その病気の際に憂鬱な悲観した気の晴れない見舞客に接すると、自分もまた光明を失っていっそう暗い気分に誘われた経験があるであろう。

6087a hope:2016/01/24(日) 12:08:30 ID:cEpBaIdo

>>6086 a hope所感)

その人(作品・文章)の思想が、「光明思想」であれば、出会った人は希望や喜び、生きる力の影響を受けて健康になる・・・、
反対にその人(作品・文章)の思想が「暗黒思想」であれば、出会った人は希望を失い、陰鬱になり、生きる力を奪われて病気になる・・・


昔と違って、現代の過剰情報化社会では、わたしたちはいろんな「思想」に簡単に触れることができます。

例えば、インターネットで「光明思想」と検索しただけでも2,750,000件もの情報が飛び込んできます。(嬉しいことに、生長の家関係の記事が多いです!)

そういえば、「生長の家の教え」を信仰しているわたしたちは、常に、「愉快な、希望に満ちた、健全な思考」を持ち続け、人類を光明化することが使命なのでしたね・・・。


<<病者の心は多少ともどちらといえば弱くて、主観的で、消極的である。
そしてまた感じが非常に強くて善悪とも暗示に非常に感化されやすいのである。
これに反して健康者の心は自主的な積極的な自己創造的な態度であって、暗示に対して反発力が強く、病的な思想など吹っとばしてしまうのである。>>

心が健康であれば、どんな「暗黒思想」に出会おうとも影響を受けることはないのですね。

テキストを勉強していると、心の健康を保つことの重要性をとても感じます。

6088a hope:2016/01/30(土) 00:12:38 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p36 

不老長寿の秘薬は「心」にあるのであって、ほかのどこにもない。

若く見せようとして若々しい着物を着、若々しい化粧をしたからとて若くなるものではないのだ。

何よりもわれわれはまず自分は年をとりつつあるとの心の念(おもい)を打破らなくてはならぬ。

年をとりつつあるとの念(おもい)が心のうちに根をはっている以上若々しい衣装や化粧が肉体を若返らす力はほとんどないといってよいのだ。

信念をまずかえねばならない。

年齢を肉体に彫刻した念(おもい)をまずくつがえしてしまわねばならぬのだ。


自分は若いのだ!

かく感ずる永遠の若さの信念をもて!

この信念をもつときすでに諸君は老齢との戦いに第一塁をおとしいれたのである。

これを信ぜよ――年齢について自身が心にいだく念(おもい)はすべて肉体にあらわれてくるものであるということを。

肉体は心の習慣的念(おもい)、習慣的感じのあらわれであるから、あなたが今までどんなに長らくこの世に生きながらえてきたからって、遠慮なしに自身を若いと思え。

これはあなたが永遠の若さをいつまでも失わぬようになるために非情な助けとなるのだ。

神は永遠に若い。

神の子は永遠に若くてよいのだ。

晴々した、陽気な、楽天的な希望をもった、愉快な青年のすがたを輝かしく描いて、それを自分自身であると思え。

青年の持ちまえである若々しい夢と理想と希望と、あらゆる輝かしい若さを自分自身のものであると思え。

この考えほど自分自身の年齢の歩みを遅らすものはないのだ。

6089a hope:2016/01/30(土) 00:17:10 ID:cEpBaIdo

>>6088 a hope所感)

<<若く見せようとして若々しい着物を着、若々しい化粧をしたからとて若くなるものではないのだ。>>

これは、ほんとにそうだな〜と感じることが多いです。

わたしも気をつけたいのですが、ある程度の年齢がいった女性が(男性もですが)外見だけがんばって若作りしているほど痛いものはありませんよね・・・(;´∀`)

内面の若々しさがある人って、どんな服装をしても、すっぴんでも若く見えてしまいますよね。

よっしゃ、聖典よんで、神想観して、わたしの内面革命がんばろうっと!

6090a hope:2016/01/31(日) 11:03:39 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p41

「わたしは舞台に立って芝居の客に台詞(せりふ)を聞かすと同じように、年齢にむかってこう叫ぶのである――『年齢よ、おまえがいかにさからうとも、わたしは汝を征服する!』と。」

諸君はここに永遠の若さを保って決して老いざりし世界的名女優の魂の叫びを聞くのである。

彼サラ・ベルナールを知れるものは、年齢に対するこの彼女の挑戦が、ただ豪語でないことを決して疑わなかったであろう。

サラ・ベルナールは六十歳のときなお生き生きした若さを失わず、四十歳を一日も越したようには見えなかったのである。


マダム・バーンハードその他の麗人たちが年齢よりわかく見えていたのは、特に彼らに対してのみ自然の恩寵が深かったというわけではないのであって、それは彼ら自身の年齢に対する心の態度に原因するのである。

彼らは年齢をして容貌にその皺をふるわすことを断固として拒絶したからではないか。

彼らは普通の意味では年寄りにならないことを心のうちに宣言したのだ。

(略)

諸君よ、自己自身の神性を自覚せよ。

人間の生命は「二二ンが四」を支配している数学の法則のように不滅であることを自覚せよ。

如何なる人生の事変も、労苦も、艱難も、自己の本質であるところの不滅の部分には触れることができないことを自覚せよ。

人間の生命は無限の創造活動をつづけているところの宇宙生命の一部分であるということを自覚せよ。

かくのごとき聡明なる自覚に達するならば、彼は決してなお壮年時代の若さにおいて精神力と肉体力の衰退を来すべきはずのものではないのである。


諸君よ、年齢をして断じてその醜悪なる鑿(のみ)のあとを刻ましめないと決心せよ。

しかして心に絶え間なく「吾れ若し」という暗示を与えて肉体の老衰を防止せよ。

人は極力かくのごとき心的努力を払わないかぎりは、人類全体のもつ「老衰」するという心的習慣に打ち負けて、いつまでも容貌にも精神力にも若さを保たせておくことはできないものである。

普通われわれは青年時代にすでに年齢の観念を心の世界に種蒔きはじめる。

そして四十五歳にしてその種の芽生えを見、五十歳にして老年の坂を下るとはなんたることぞ!

6091a hope:2016/01/31(日) 11:04:26 ID:cEpBaIdo

>>6090 a hope所感)

「生長の家」の教えって、ホント常識外れのすごい教えですね。(@_@)

だって、わたしたちに「人類全体のもつ心的習慣に打ち勝って、人類の常識を破りなさい!」と〝 喝〝 をいれてますものね。

これは、唯物論者には受け入れがたい「教え」ですね・・・絶対に・・・。

6092a hope:2016/01/31(日) 11:46:43 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第39回 web誌友会 案内

期間   平成28年1月17日〜2月29日まで
テキスト 「生命の實相」第24巻 参考篇 / 質疑篇
内容   心が肉体に及ぼす力 / 真理の応用および拾遺
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

今日が今月の最終日ですが、2月末日まで第39回web誌友会を続けて開催させていただきます。

みなさまのご参加を心よりお待ちしています!

6093トキ ◆UMw6UoGELo:2016/02/01(月) 21:05:21 ID:VYinVpl.
>>6089

 真剣に行じておられる白鳩さんは、ご高齢になっても、品のある人が多かった思います。
内面からの美しさというのは事実だと思います。

6094a hope:2016/02/03(水) 00:28:22 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p60 2行目〜

諸君よ、暇あるごとに、ポカンとしている一分間の暇に、電車の座席に座るごとに、本当に理想的な完全さを備えた自分自身の相(すがた)を心に描け、健康そのものの姿において、若さそのものの姿において、力そのものの姿において、自分自身を心のうちに思い浮かべよ。

健康を思え。

男は「永遠の男性」とも言うべき最も理想的な男性の姿において、女は「永遠の女性」とも言うべき最も理想的な女性の姿において、最も完全な自分自身を心に描け。

この最も善い方法が神想観である。(頭注版・携帯版八巻「観行篇」参照)

6095a hope:2016/02/03(水) 00:30:06 ID:cEpBaIdo
>>6094 a hope所感)

神想観とは「神さまを想い観ずる」と書きますね。
最近、生長の家総裁である雅宣先生が、FBにとても信仰深いお言葉を載せてくださっているので紹介させていただきます。

『「自分は独りで孤立していると感じるとき、「神さま」と呼びかけて神の御徳を観じよう。そして、「私はあなたの知恵と愛と命の表現者ですから、すべてと一体であり調和しています」と深く何度も念じよう。」

『自分を無力だと感じるとき、空を見上げ、胸をはって「神さま」と明るく呼びかけよう。そして、「私はあなたの無限の力のただ中にあります」と何度も唱えよう。』

『心が波立ち騒ぐとき、端座瞑目して「神さま」と静かに念じよう。そして、「私は魂の深奥において、あなたと一体です」と繰り返し唱えよう。』

どれも素晴らしい「神想観」だと感動しました。

6096a hope:2016/02/07(日) 10:10:16 ID:cEpBaIdo

『生長の家』信徒行持要目

一、 天地一切のものに感謝すべし。

皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使に感謝せよ。一切の人々に感謝せよ。天地の万物に感謝せよ。


二、 そのままの心を大切にすべし。

そのままは零なり、一切なり、〇なり。円満なり、無礙なり、無限供給なり、調和なり、病なきなり、一切の不幸、災厄、病難はそのままを外したるときあらわれるなり、顧みてそのままの心に復(かえ)るとき、一切の不幸は滅す。


三、 何事にも真心を出すべし。

憂患は外界より来るに非ず。真心顕れざるを憂患と言う。内に真心なきに非ず。それを顕さざるに過ぎず。真心とは全心なり、全力なり、一生懸命なり。『今』を生かすなり。真心あらわすとき、直ちに此処が天国浄土と化するなり。


四、 一切の人に物に事に行届くべし。

真心顕わるれば自然一切の人に、物に、事に行届くなり、人には必ず深切なるべし、和顔なるべし、声やさしく愛語すべし、如何なる小事にも行届くことを心掛けよ、若し行き届かざることあらば弁解すべからず。真心を顕わすことを怠りたる自分の罪なりとして懺悔すべし。

五、 常に人と事と物との光明面を見て暗黒面を見るべからず。

暗黒面を見る心ある時、その人に暗黒あらわるるなり、光明面を見る心ある時、その人に光明あらわるるなり。人に陰にて誹るべからず。善き面を見つけて賞賛すべし。凡て事と物とに不平言わず、感謝すべし。


六、 常に自我を死に切るべし。

常に肉体本来なく、物質本来なく、自我本来なく、唯神の生命、今此処にあらわれて生くると思いて感謝して作務すべし。


七、 人生を神生となし常に必勝を信じて邁進すべし。

自我を死に切りたるとき、既に『我』なく神の生命のみ生くるが故に、決して失敗を予想せず、明るき心にて日々の業務に獅子奮迅(ふんじん)すべし。失敗と見ゆることも真の失敗に非ず。樹は落葉したるうちに春の花の用意整いつつあるなり。


八、 毎日一回は必ず神想観を実修して、心を光明化すべし。

『菩薩何を為すべきか』より

6097a hope:2016/02/07(日) 10:14:42 ID:cEpBaIdo
>>6096 a hope所感)

テキストの内容から外れますが、何をすることが「生長の家」を信仰するということなのか、わからなくなったので、
『生長の家』信徒行持要目と、その解説を謹写してみました。

これが、「菩薩」つまり、わたしたち「生長の家」の信徒の為すべきことでしたね!

あらためまして、素晴らしい「生長の家の教え」に出会えたことに心から感謝します。合掌。

6098a hope:2016/02/10(水) 00:13:04 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p88 後から3行目〜

二、現象なしの自覚について

(問)―― 病はないということはない。病は現象としてあるのである。それはただ実在ではないのである。
それを「病なし」と言いきるのは言いすぎである。現象は無いことはない、現象を全否定してしまうのはまちがいである。
現象は本体的実在ではないことはもちろんであるが、本体展開して現象となるのであって、現象なしと言いきってしまうのは奇矯だと言う人があります。(中根氏出題)


(答)―― 生長の家では「現象は実在ではない、病は実在ではない」という言葉を各所のページで説いておりますが、また時には、非実在と書いて「あらず」とか「ない」とふりがなをつけたところもあります。

が、近ごろはいっそう平易なわかり易い言葉で、直截的(ちょくせつてき)簡明に『病気はない』『現象はあるようにみえてもない』と力強く言いきることにしているのであります。

わたしがなぜこう言うかは悟った人は知っていると思います。

われわれが平常使っている言葉は、現象界を言いあらわす言葉であって、実相に直参する言葉ではありませんから、その言葉をそのまま利用して、至妙の実相に直参せしめるためには、ふつうとちょっと違う「奇妙に見えるかもしれない」言葉を使うのであります。

言葉は月を指す指であって、言葉の表現にとらわれていては、月を指す指の形が太いとか細いとか議論していると同じで、いつも月が見えないことになるのであります。

6099a hope:2016/02/10(水) 00:14:17 ID:cEpBaIdo

>>6098 a hope所感)

まことの「真理の言葉」というのは、“悟った心”で書かれていますから心に響き気持ちが明るくなりますね。

6100a hope:2016/02/13(土) 08:51:39 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p91 8行目〜

生長の家で、「現象は無い、肉体は無い」とハッキリ「無い」と言いきることに反対する人に二種類あります。

その一説は、色即是空の「空」という字は単に「ない」という言葉と異(ちが)う、アルにはアルのであって何かアル、それは実在でないというだけだ、と言う人であり、その二は「諸法実相」という仏教上の言葉を「現象即実相」と解する人であります。

ところが、仏典には「空」をハッキリ「無し」と断言してあるところもあります。

『般若心経』にも「五蘊皆空」と書いてあって、その「空」を説明するためには、「色受想行識もまた無し」とか、「老死無し」とか、「老死の尽くることも無し」とか、仏教でもやはり「無い」という言葉を持ってきて説明するほかに仕方ないのであります。

「老死」すなわち老いたり死んだりすることは現象でありますが、『般若心経』には「老死というものは単に無いのではない、現象としてはあるのである」というように、長たらしい緩慢な表現の仕方をしてないので、端的に簡明直截的に「老死無し」と一喝し、始めから人間に老死は無いのだから、これから悟って無くなるというようなものでもないという意味をふくめて「老死の尽くることも無し」と言っているのであります。

『般若心経』の用語などでも「空」とは単に無とはちがうというような批評をせられる人から見たら、「老死なし」というのは言葉が奇矯である。

老死は実在に非ずと言わなければまちがっている。

もし「老死無し」というような奇矯なことを『般若心経』に書いたら人心を惑わすものであると経文の結集者抗議を申し込まねばならぬのでありましょうが、その当時は言葉に引っかかる人がなく、用語がまずくても経文の神髄をつかむ人が多くて、その経を読んでも気狂(きちがい)になる人もなく、かえって気狂が治るくらいで、今に到るまで、この経文が改竄されたということを聴かないのであります。


実際に『生長の家』を読んで「不完全な現象はあるように見えてもないのだ」また「ただ至妙の実相のみがあるのだ」と教えられても、続々と病気が治る、環境が治る、経済状態がよくなる実例があらわれるのはなぜでしょうか。

はたして「現象はない」「病気はない」「不幸はない」等々……というふうに「ない」という言葉を使うことが、不適当なのであれば、そういうよい結果が起こることはありません。

6101a hope:2016/02/13(土) 08:54:23 ID:cEpBaIdo

>>6100 a hope所感)

「物質なし」「肉体なし」「悪なし」「病なし」「死なし」・・・「現象なし」と『実相』以外の現象すべてを「なし」と言いきるのが、
まことの「生長の家の教え」ですね。

でもこのことは「生長の家」の教えを知らない一般の人が聞いたら、きっととても奇矯に聞こえてしまうのでしょうね…。


ですが、

「病なし 迷いなし 罪なし これが生長の家の根本真理であります。それでは神さま ただいまより眠らせていただきます。」

とご昇天の直前に、谷口雅春先生は言い遺されました。(最期のお言葉)

この「生長の家の根本真理」を信仰するのが、まことの「生長の家」の信徒の姿ですよね!

6102a hope:2016/02/18(木) 00:11:55 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p97 2行目〜

薬剤に併用禁忌(きんき)の薬があります。

たとえば鉄剤を飲んでから、タンニンを含有するものを飲むと、鉄とタンニンとが結合して、吸収不能のタンニン鉄になるのであります。

生長の家で「病気はない、老死はない、あるように見えても現象はない」と言いきるところに飲み易い(無学者にも解り易いの意)美妙な言葉の鉄剤となるのですが、その「ない」という言葉に茶々を入れる批評を読むときには、その「茶々」の中にはタンニンが含まれていますので、そのタンニンがせっかくの「ない」という言葉の鉄剤と結合して吸収不能のタンニン鉄となり、読者の心に「無」の字の吸収を不完全ならしめ、心の鉄剤の効果を薄めますので、わたしはこれを避けたいと思っているのであります。


近ごろ、生長の家思想の有名なると効果の顕著なるにつれて、その全体の思想を踏襲して包装や名称だけを加えて、一旗あげてみようとし、かつあまり同じことを書いても受け売りであると一見わかるので、同じ意味を異なる文章で書き表し、「何々会」等という別意の名称で雑誌などを出される方がありますが、そういう雑誌の文章は「無」の字の言葉の調合法がちがうので、わたしの処方した「言葉の鉄剤」に「茶々」を入れることになります。

茶々を入れられるとその人の心のうちで、「無」字のバランスがこわれるので『生長の家』を読んで万事好転していた人がその種の雑誌を併用したために「無」字の鉄剤の吸収率が鈍ってふらつく人があります。

そうしてその種の、雑誌の現象はあるとかないとか論じてある文章を読んだ日には、心のバランスが破れてなんとなく不安で、会社にいても思うように仕事が運ばなかったり、集金が集まらなかったり、ついぞ起こらなかった歯痛が起こってきた人などもあります。

「無」を説くのは仏教でも、一燈園でも説いている。

キリスト教でも解釈の仕様によれば「無」を説いているのです。

生長の家と、それらの宗教とどこが違うかと言いますと、「無」字の扱い方が「ない」と易しく言いきって、その「ない」がわたしの文章全体の流れの上に巧みに効果的に織り混ぜられていて、古今に多く類例を見ないような、読む人のこころに端的に作用して、病を即座になおすほどに心の開放を与え、「無」を説くとも隠遁的にならず、かえって積極的な活動力を与える点にあるのであります。

6103a hope:2016/02/18(木) 00:16:47 ID:cEpBaIdo
(a hope所感)

実はこの部分の文章は、5年ほど前に「本流宣言掲示板」で山科さまが紹介してくださっていました。

そしてそのスレッドを拝見したわたしa hopeがコメントし、その後、山科さまからご指導いただいています。

当時のわたしがなぜ、「生長の家」を信仰していたのにもかかわらず、精神不安に陥ったり、体調を壊したりしていたのか、
その原因がハッキリとしたとても重要なご指導でしたので、あらためまして紹介させていただきます。 

http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=383&amp;submitlog=383


ところで、先日、三重県の練成道場で、とても悲しい事件が起きましたね。

本来なら、「神の子」の実相が顕現して精神不安や病気が治ってしまうハズの練成道場で、なぜ、今回のような事件が起きてしまったのでしょうか?

聖典「生命の實相」の中にちゃんと答えが書いてありましたね。

6104a hope:2016/02/24(水) 10:30:48 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p115 7行目〜

あなたは「肉体人間が聖典を読んで、実相人間を知る」と言われますが、「肉体人間の知恵」がなくなれば、ひとりでに内在の光が発現してきて、「本来の実相」が輝く。

これは「肉体人間が聖典を読んだので実相人間を知った」のではなく、肉体人間(光の虚)がそれだけ減ったので実相が輝き出したのであります。

肉体人間の知恵、はからいをいっさい捨てほど実相人間があらわれるので、「肉体人間が実相人間を自覚する」などということは「迷いが悟りを自覚する」などという言葉と同様で、ありえないことなのであります。

6105a hope:2016/02/24(水) 10:32:08 ID:cEpBaIdo

>>6104 a hope所感)

「生命の實相」に出会ったばかりのわたしは、「肉体人間が聖典を読んで、実相人間を知る」のだと思っていました。

だから、一生懸命努力して「神に近づこう…」とか「神のみ心に沿おう…」「神さまに叱られないように生きよう…」というように、
人間知で「神(実相)」とは何かを想定して、その自分の想定した神のように生きる努力をすることが信仰生活だと考えていました。

ですから、宇治別格本山の練成にはじめて参加した時の個人面接でのO先生のお言葉には衝撃をうけました。


「この宇治別格本山は霊的な雰囲気に満たされていますね。
だから、この練成を受ければ必ず「生長の家の神さま」がわたしを正しい信仰に導いてくださると思っています。」

というわたしの何気ない発言にO先生は、

「あなたそれはまちがっています!
神さまは、あなたの中にいるんですよ。
この練成はそのあなたの中の神さまを開発するための練成会です」

という内容を大きな声で叱咤するように、わたしにご教示くださいました。


他者へ依存したり、外に神を求めるような「肉体人間の知恵」をなくし、
その人の『内在の神』を顕現させるのが「神性開発練成会」の目的だったのですね。

6106a hope:2016/02/28(日) 11:19:46 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p151 

十三、神仏一体なりやまた別異なりやを問う

池永―― 世間では神と仏を別物のように見る向きがありますが、本当は両者は別物ではなくて一の大生命の別名でしかないと理解させていただいていたのですが、『生長の家』の何号かに、ある信徒は神を粗末にしている家に行くとおのずと祝詞(のりと)が口に上り、反対に仏を粗末にしている家へ行くと、またおのずと待無阿弥陀と口へ出てくる云々と話されておって、神と仏はまったく別物であるかのように書かれてありましたが果たして両者は別物でしょうか、また同一物でありましょうか。

もし両者が別物なれば別々にお祭りせねばなりませんけれども、同一者を神という形式(名)で祭り、あるいは仏という形式(名)で祭るのであれば、神か仏の一方を祭ればそれでよいわけでしょうか。

また多くの家庭でのように神と仏を別々に祭るには及ばないのでありますか。

また『生命の實相』の中の「神への道しるべ」によれば種々の名前の神や仏のあるのは、唯一の神(仏)(作用ではなく本体)はただ一つの大生命であるように書かれております。

もしさようなれば、作用である多神多仏を拝まずとも本体である唯一の神(仏)なる大生命だけを拝めばよいのではないでしょうか。

本体を拝まないで作用を拝むのは本末を転倒せるものではないでしょうか。

所説のごとく従来の多くの既成宗教は光源である大生命なる本体を拝まずに光線から発する光線である作用を拝んでいることとなって礼拝の本末を誤ってはいないでしょうか。

迷信ではなく真の信仰を生くるためにまた偶像礼拝ではなく真の神(仏)を礼拝するために右について御教示をお願い致します。

6107a hope:2016/02/28(日) 11:20:55 ID:cEpBaIdo

>>6106 a hope所感)

この池永さんの質問は「生命の實相」の真理を最初に学び、その後「生長の家」教団に入信した信徒であれば誰でも感じる疑問なのではないかと思います。

宇宙大生命である神は一つなのに、なぜ、わたしたちはなぜ様々な神仏を礼拝するのか・・・?

「生命の實相」にははっきりと「唯神実相」の真理を説いている「生長の家」教団であっても、
宇宙大生命である幽の幽なる神である天之御中主神を主斎神としながら、
実際には、その光線(導きの神)である住吉の大神を副斎神として顕斎し礼拝しています。

わたし自身もそうですが、このことは、「生命の實相」の真理を中途半端にしか理解していない信徒にとっては、
とても混乱することなのではないかと感じています。

雅春先生のお答えをじっくり拝読し、謹写していきたいと思います。

6108a hope:2016/02/28(日) 13:11:19 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p152 後から4行目〜

谷口―― 神仏には全集『生命の實相』の「神への道しるべ」の欄に書いてあるとおり、第一義の実相本体の神と、第二義の化身としての神と、第三義の幽身(かみ)、すなわち諸々の霊魂としての神とがあるのであります。

ある信徒(森田益三郎氏)が霊感によって、「この家は仏を粗末にしている。この家は神を粗末にしている」と知るという場合の「神仏」とは唯一本源神なる(神仏)を指していうのではありません。

それは、神式で祀られている霊魂(幽身)または仏式で祀られている霊魂という意味であります。

神式で祀られている霊魂は、たいてい生前または帰幽前後の事情または信仰の継続により、神式の祭祀を喜ぶのであります。

かくのごとき霊魂は神式の祭祀に用うる祝詞をあげてもらうことを喜びます。

かくのごとき霊魂に祝詞をあげること少なければ、森田氏のいわゆる「この家には祝詞が欠乏している」ということになるのであります。

これに反して、仏式にて祭祀せる霊魂はこれまた生前の信仰または、帰幽当時の祭祀の習慣性の継続により、仏教経典を読んでもらうことをありがたがるのであります。

かくのごとき霊に対して読経を怠るときは、森田氏のいわゆる「この家にはお経が足らぬ」ということになるのであります。
(つづく)

6109a hope:2016/02/28(日) 13:12:55 ID:cEpBaIdo

>>6108 a hope所感)

<<神式で祀られている霊魂は、たいてい生前または帰幽前後の事情または信仰の継続により、神式の祭祀を喜ぶのであります。
かくのごとき霊魂は神式の祭祀に用うる祝詞をあげてもらうことを喜びます。
かくのごとき霊魂に祝詞をあげること少なければ、森田氏のいわゆる「この家には祝詞が欠乏している」ということになるのであります。
これに反して、仏式にて祭祀せる霊魂はこれまた生前の信仰または、帰幽当時の祭祀の習慣性の継続により、仏教経典を読んでもらうことをありがたがるのであります。
かくのごとき霊に対して読経を怠るときは、森田氏のいわゆる「この家にはお経が足らぬ」ということになるのであります。>>

「生長の家」の宇治や長崎にある、いわゆる本山と言われているような場所にも、
代々の講師の先生方はじめ数多くの信徒の霊魂(みたま)がたくさん祀られているのではないでしょうか?

上の説明から判断すると、それらの本来の「生長の家」を信仰していた方々の霊魂は、
当然生前または帰幽前後に信仰していた通りの祭祀の仕方を喜ぶということになります。

時代が変わったとか、方針が変わったとかいう理由で、祭祀の方法を勝手に変えてしまうというのは、
本来の「生長の家」の信仰をしてきた多くの霊魂を喜ばせるどころか、迷わせてしまうことにもなってしまいそうですね。

6110a hope:2016/02/28(日) 14:24:22 ID:cEpBaIdo
>>6108つづき)

次に各宗教が大生命なる本体を拝まずに、その光源からくる光線(化身としての精神)を拝むのは本末を転倒せりとの貴説は大変おもしろく思います。

各宗教は太陽を拝まずに、太陽から放射される七色中の一種を拝んでいるというような状態になっているのであります。

だからある宗教は黄色の光線こそ本当の神だと言い、ある宗教では赤色の光線こそ本当の神だと言いなどして、互に相争うようになっているのであります。

しかし生長の家では大生命の光源を礼拝するので、同時にすべての光線(各宗教)を礼拝することになり、決して各宗と相争わず、一切宗教を包容しながら各宗教の神髄に徹せしめうるのであります。

6111a hope:2016/02/28(日) 14:27:04 ID:cEpBaIdo

>>6110 a hope 所感)

<<しかし生長の家では大生命の光源を礼拝するので、同時にすべての光線(各宗教)を礼拝することになり、決して各宗と相争わず、一切宗教を包容しながら各宗教の神髄に徹せしめうるのであります。>>①

『生命の實相』では↑のように述べられていますが、
以下の『神の真義とその理解』では、

<<宇宙大生命(みおやのかみ)即ち宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明徴にするところの導きの神様として心に幽斎する副斎神として生長の家を礼拝すると云うことをハッキリ本尊の項目にあらわして置きました。
この生長の家大神とは誰方(どなた)であるか、生長の家大神と言う文字の下に括弧をしまして、(『古事記』、『日本書紀』に現われたる住吉大神(すみのえのおおかみ))と申しました>>②

というように、生長の家の副斎神は「住吉の大神」であり、
『宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明徴にするところの導きの神様として生長の家を礼拝する』と説明されています。
http://www.geocities.jp/seichou5/newpage11.htm
http://www.geocities.jp/seichou5/sub2.htm
(「生長の家研究室」さまのHPより勝手に引用させていただきましたm(__)m
まだすべてを拝見していませんが、貴重な文献の引用が多く、よく研究されているように感じます。)


以前は、『神の真義とその理解』はとても難しく感じていましたが、だいぶ理解できるようにはなってきました。

ですが、わたしはそれでもやはり、この二つの文献『生命の實相』と『神の真義とその理解』の文章の内容にある意味矛盾を感じてしまいます。

日本国民である谷口雅春先生が「唯神實相」(「生命の実相」の真理)を大悟されたことが因縁となり、
住吉の大神のお導きがあって「生長の家」教団が現象界に出現したということでしょうか?

どなたか、ご指導くださるとありがたいのですが・・・m(__)m

6112a hope:2016/03/01(火) 00:07:14 ID:cEpBaIdo

みなさまこんばんは

今日で2月が終わりですから、本当は第39回web誌友会を閉会し、第40回web誌友会を開会するところですが、
ここで少し立ち止まって、今後のこのweb誌友会の在り方を考えてみてもいいのではないかと思っています。

わたし自身は、聖典「生命の實相」のお勉強はぜひ続けさせていただきたいと思っていますが、
「Web誌友会」という名称で続けていくことに少し抵抗を感じています。

この件については、トキさまなんかと相談して、今後どうしていくか決めさせていただきたいと思いますが、
しばらくはこのままの状態で「生命の實相」のお勉強を続けさせていただきたいと思います。

みなさまのご意見等ありましたら、傍流掲示板/別板の 運営/方針板の方にご投稿ください。

http://jbbs.shitaraba.net/study/11788/#2

よろしくお願いいたしますm(__)m

6113a hope:2016/03/01(火) 17:31:26 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p154 

十四、個性はどこから来るか

池永―― われわれは皆異なる個性を持っておりますがこの個性はどこから来るのでしょうか。

俗に「親に似ぬ鬼子」と申して親の性格とは似もつかぬ性格の子供が生まれたりします。

その子供の個性はどこから来るものなのでしょうか。

またその肉体死後はその個性はどうなるものでしょうか。

人間はすべて神の子で完全円満であるとは生長の家の説くところでありますが、この子供(鬼子)はいかに説明されましょうか。


谷口―― 個性は因縁によって来ます。

因に二種あって、一つは本来因で、他は後天因であります。

本来因とはわれわれが大生命より割り当てられた役目であり使命であります。

かくのごとき使命としての個性は、われわれが実相を開顕するにしたがっていよいよ明瞭の度を加えるのでありまして、われわれの生命の悟り(実相の開顕)が進んでくるにしたがって、われわれはいっそう個性的になってくるのであります。


次は後天因によって来る個性は、実相因の個性でも使命でもなく、実相が誤れる念の集積のレンズにより屈折された歪曲(ゆがみ)がすなわちこの個性であります。

かくのごとき個性は芸術制作の場合などにたとえて申しますれば、一種のクセであって本当の芸術的発達の邪魔になるものであります。

このクセがなくならねば、アクの抜けた佳い作品はできないのであります。

クセが抜けして初めてわれわれの芸術が普遍美と共に、本当の個性美を備えるにいたりますように、われわれも縁に従って生ずる念の集積たる後天的(仮相因)による歪曲(クセ)がとれたときに、本当の個性、完全な個性すなわち大生命から割り当てられたる使命としての個性を完全に発揮しうるようになるのであります。

6114a hope:2016/03/01(火) 17:32:49 ID:cEpBaIdo

>>6113 a hope所感)

因縁には実相因と仮相因があるのですね。

まだ、どなたからもお返事をいただいていませんが、偶然にも>> 6111 で質問させていただいた因縁に関する応答がここにありました。


このことにあてはめて私の質問内容を考えてみますと、
つまり住吉大神に導かれて「唯神実相」を悟られた谷口雅春先生の実相因(大生命より割り当てられた役目・使命)が、住吉大神と同質のものだった。

だから、住吉大神を「生長の家」の本尊とされ、「唯神実相」の真理を伝える人類光明化運動とともに、日本国実相顕現運動(愛国運動)もされた…。

そういうことなのでしょうか?

すべての人や物に個性があるが大生命のはからいなのであれば、当然「生長の家」にも個性があるはずですものね。

それが、住吉大神の個性(使命)と同質のものだったということなのでしょうか?

うーん。なんだかわかったような、わからないような…(;´∀`)

6116トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/03/01(火) 18:20:30 ID:xH9S83Qg
>>6114

>>因縁には実相因と仮相因があるのですね。

 確かに、この世界は、実相と現象の渾然一体な世界ですから、その通りなんですね。

ただ、高級神界での出来事については、なかなかわからない点が多々あるので、思案する
ところも多いです。

6117a hope:2016/03/01(火) 23:10:29 ID:cEpBaIdo

>>6116 トキさま

<<ただ、高級神界での出来事については、なかなかわからない点が多々あるので、思案するところも多いです。 >>

ほんとですね!

「生命の實相」だって神さまが雅春先生をラッパにしてお書きになった聖典なのですから、その内容は、わたしたちが人間知でいくら考えてもきっと本当には理解できないものなのかもしれません。

だから、わたしたち信徒は聖典の真理を「分かった!」とか思って勝手に解釈せずに、常に謙虚な気持ちで学んでいかなければいけないのですね・・・。

それでも、わたしは聖典「生命の實相」を学ぶのがとても楽しいです。

これからも、マイペースでお勉強をつづけていかせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

6118a hope:2016/03/02(水) 09:57:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p156 9行目〜

苦痛とは「迷い」のケミカライゼーション(自壊過程)であります。

栗のイガがパチリと破裂する時の激震のようなものであります。

栗の果実は「実相の世界」においてはすでに成れる存在でありまして、イガが破裂しなくとも、それ以前からすでにあるので、すでに完成しているから、小粒から大粒へと生長することもないのであります。

しかるに現象世界は、実相世界が時間空間のスクリーンの上に展開されたる映画的世界でありますから、時間的序列の上に、空間的ひろがりの上に、順序を追うて展開してゆくのであります。

ところが実相がそのまま現象世界に展開してゆくだけならば、栗のイガがパチリと破裂するにも不調和な振動を伴わないでリズミカルな調和した諧調をもってイガが破れ実相が展開してゆくのであります。

もし事件の展開に不調和な振動(苦痛・不幸)が感じられるならば、それは本来因(実相)の展開ではなく、後天因(ウソの本物でない妄念)の自壊が伴っているのであります。

こういう「ウソの本物ではない妄念」の自壊作用として、ある発達程度の人の向上のためには、苦痛不幸が来るのであります。

ある発達程度以上の人にとっては、もうその人の生長のためには、苦痛不幸は必要ではない。

もうその人には「ウソの本物でない妄念」が伴わない。

「ウソの本物ではない妄念」が伴わなければ、それの自壊作用(苦痛、不幸)が起らない。

大勢の生長の家信徒諸君が、「生長の家」や、『生命の實相』を読んで、今まで病苦、人生苦が大いに軽減したり、病気が全然なくなったり、生活難が全然消えてしまったような実例を無数にあげているのは、「ウソの本物ではない妄念」がこれらの神誌・聖典を読むことによってなくなるから、すでに無いものは自壊作用を起こす必要がないために、苦痛、不幸が起らなくなるのであります。

地上天国の出現とは要するにこの「ウソの本物ではない妄念」が大多数の人類から消滅するために、苦痛、不幸がほとんど見られないところの理想世界が現象世界に出現することであります。

このように「ウソの本物ではない妄念」を人類から取り去りさえすれば人類の生活は光明化するほかなない、それが生長の家では人類からこの「ウソの本物ではない妄念」を取り去るための文書伝道を大々的に行ない、思想宣布によって地上天国の実現を促進しようとしているのであります。

6119a hope:2016/03/02(水) 10:00:17 ID:cEpBaIdo

>>6118 a hope所感)

<<苦痛とは「迷い」のケミカライゼーション(自壊過程)であります。>>

そして、

<<もし事件の展開に不調和な振動(苦痛・不幸)が感じられるならば、それは本来因(実相)の展開ではなく、後天因(ウソの本物でない妄念)の自壊が伴っているのであります。>>

その解決策は?

「聖典」の拝読」ですね!
でも、「迷い」の混じった「聖典以外のもの」をいっしょに拝読されませぬように十分気をつけてくださいね。

6120トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/03/02(水) 18:47:37 ID:CrZ0kDBY
>>6117

 ありがとうございます。こういう時期だからこそ、聖典の勉強は必要だと思います。
応援をしています。

6121a hope:2016/03/05(土) 13:31:14 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」p163 後から1行目〜

あなたのようにむつかしく、理論や理屈で攻め立てて来る人には「たましいの語の定義は?」などというようなむつかしい詮議が必要となって来るのでありますが、『生命の實相』の本はむつかしい理論や定義を書いたものではありません。

理屈ぬきの心になって、素直に読めば老人にも子供にも解るのでありまして、どんな大学者にでも理屈でサバイてゆこうという心ではわかるものではありません。

真理は中心に飛込んで摑むことが必要で真理の周囲をドウドウ廻りしてその形態模様を調べているようなことでは結局真理を摑むことができませんから御注意下さいませ。

6122a hope:2016/03/05(土) 13:32:41 ID:cEpBaIdo

>>6121 a hope所感)

これは「聖典」を拝読していく上で、一番気をつけなければいけないことでした。
「真理の言葉」はただただ素直に拝読することが大切なのでした!

6123a hope:2016/03/06(日) 17:23:43 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p186

(問) 最近「光明思想普及会」が成立いたしまして、その豊富な広告力とめざましき活動によりまして、全世界が生長の家の光明思想に浸潤して行きます様子は大変結構なのことだと存じていますが、その広告宣伝の方法について私は一つの疑義をもっています。

というのはその広告に引例されたる事実談が、すべて奇跡的な異常な(われわれは体験があるのであたりまえのことだと思いますが)事実ばかりであることです。

かくのごとくでは、宗教というものは異常の世界であるという誤解を一般人にもたせ、また、一方識者からは宗教はそんな表面の世界の奇跡のことではない。

生長の家がそんなところに止まっているのでは、生長の家は実につまらない何某教同様の宗教だとの誤解を受ける惧(おそ)れがあると思います。

その御平生(ごへいぜい)の主張に近ごろの広告文は反対であって、行文(こうぶん)の重心が奇跡にあったり、病気にあったりしているのはすこぶる遺憾であると思います。

むろん私は『生命の實相』を読むことによって病気の治った一人であります。

奇跡も疑うわけでもなく、病気の治る事実も疑うわけではありませんが、その宣伝が奇跡や病気治しに傾いているのは生長の家の神髄を誤解させるおそれがあると思って大変残念に思うのであります。

どうか宣伝部の方々に、もう少し質実な落ちついた宣伝ぶりをしていただいて、生長の家が健全な発達をするように祈ってやみませぬ。(東京、大正大学学生、T生)

6124a hope:2016/03/06(日) 17:28:45 ID:cEpBaIdo

>>6123 a hope所感)

現在の生長の家総裁である雅宣先生や純子先生は「生長の家」の奇跡の体験談をあまりお好きではないという噂を聞きますが、
おそらくお二人は、このT生という大学生と同じような疑義をお持ちだからなのかもしれませんね。

つまり

①<<広告に引例されたる事実談が、すべて奇跡的な異常な事実ばかりで>>

②<<かくのごとくでは、宗教というものは異常の世界であるという誤解を一般人にもたせ、>>

③<<一方識者からは宗教はそんな表面の世界の奇跡のことではない。生長の家がそんなところに止まっているのでは、生長の家は実につまらない何某教同様の宗教だとの誤解を受ける惧(おそ)れがある>>

とお感じになっているからなのではないでしょうか?


このわたしの見解に関するコメントは大歓迎ですが、コメント板の方にご投稿をお願いいたしますm(__)m

こちらには、雅春先生のご回答を謹写していきます。

6126a hope:2016/03/07(月) 00:56:56 ID:cEpBaIdo

>>6124 つづき
「生命の實相」p187 5行目〜

(答)
いろいろ御注意下されありがとうございますが、あなたのような仏教を専門に研究されていられる方には、釈迦に説法でございますが、『法華経』の譬喩品(ひゆほん)にある次の話を思いだして下さい。

紙面をとらないように、信徒小塚晴弘氏の要約によります。


あるところに長者があって、まことにたくさんの財宝や大きな家を持っていました。

その家の一つは古び腐れていましたが、それがものすごい火事になりました。

しかし、その家の中には何十人の子供たちが「家事の恐ろしさ」を少しも知らずに、かえって火事をおもしろがって無心に遊びたわむれています。

長者はなんとかして、この子供たちを無事に、この「今にも焼け落ちようとしている火宅」の中から、広い安全地帯へ救い出したいものだと考えて、「おい子供たちよ、急いで門の外へ出ておいで、とても珍しい、とてもおもしろい立派な鹿車(ろくしゃ)や、羊車(ようしゃ)のおもちゃをあげるよ」と言いました。

すると、子供たちは喜んで、急いでその焼けている家の中から飛び出して、広い通りへ無事出て来ました。

そこで長者は、一同に「おまえたちはみんな自分の子だから、これをあげよう」と言って、みんなに同じように、おもちゃの鹿車や羊車でなしに、ほんものの大きな七宝ずくめの立派な立派な生きた白牛がこれを曳き、多くの従僕(しもべ)らが護衛しているような車を与えました。

「この火宅の中で無心に遊びたわむれている子供らこそは汝ら衆生であり、おもちゃの車をあげようといって、彼らを救い、ほんものの立派な車を彼らに与えるものは仏である。」

(つづく)

6127a hope:2016/03/07(月) 00:58:21 ID:cEpBaIdo
(つづき)

あなたはこの譬話(はなし)を読まれた瞬間に、「そうであったか。なるほど、なるほど」とお解かりになるでありましょう。

生長の家で病気治しや奇跡を宣伝するのは、病気治しそのもののために、奇跡そのもののために宣伝するのではありません。

それは「今にも焼け落ちようとしている火宅」から一切衆生を安穏の地帯に救い出さんがために、「ここまでお出(い)で、おもちゃをあげよう」と言って誘い出すための玩具(おもちゃ)なのです。

おもちゃだと言っても、ただ嘘の方便ではない。

君も体験しておるとおり、本当に病気が治るのでありますが、肉体を治したいところが、それは、百年長くて二百年すれば消えてしまうところの、「本来ない肉体」なのです。

われわれはそういう「有限の宝」を与えるために大衆を呼んでいるのではない。

猫に小判という言葉がありますが、赤ん坊に百円札をやってもありがたがらないでしょう。

「有限の肉体の癒し」や、ちょっと不思議な現象界の奇跡のごときは「永遠の生命を摑む」という真実の無限の富の前には、極めて小さなることであります。

しかし、無限の富を見せても、「赤ん坊に百円札」のような結果になるのではその赤ん坊を救うことができませんから、まず赤ん坊の欲している玩具を与えて玩具を模型として研究さすことが必要なのであります。

「赤ん坊とは」実際に病気や家庭苦に悩んでいる人の喩えでありましてこういう人たちには、「その病気や家庭苦の治る道があるからここへ来い」と言って引っぱり寄せ、その病気や家庭苦を実際に治してみせて、この模型により「三界唯心所現」の理を知らせるということにすると、その人が救われるのであります。

病気や家庭苦の顕れまたは消えるのは、これ「三界唯心所現」の一大理法「模型」すなわち「玩具」であります。

そして健康を回復し、家庭が治まるのは、これ人間仏子(または「神子」)の、一大実相の「模型」すなわち「玩具」であります。

この模型によって研究し、児童の遊戯心を利用しつつしだいに工学の蘊奥(うんおう)を極めしめれば、幼児の玩具についての経験から発達してついには多数の旅客をのせて一時間に百マイルの速力で走るような飛行船も造ることができるようになるのであります。

(つづく)

6128a hope:2016/03/07(月) 00:59:14 ID:cEpBaIdo
(つづき)

『法華経』を説くときにもお釈迦さんは、「止みなん、止みなん、この真実を説いたら、お前たちは誤解して地獄へ堕ちるであろう」と言っていられる。

「人見て法説け」でありまして、大衆に対する新聞広告のごとものは、あれでも高尚すぎるくらいであります。

薬で病気が治るということはわかっても心で病気が治る、さらに三界は唯心の所現であるなどということは解らない人が多いので、これをわからすためには、新聞広告をまだまだ大々的にする必要があると思います。


実は、生長の家は「平凡な生活がありがたい」ということを知らせる真実の教えだと言われますが、平凡でなければありがたくないのでは捉われた見解です。

病気が治る事実を発表したらありがたくなく、平凡で感謝している人を発表したらありがたいのでは、偏った考えではありませんか。

むろん平凡な生活もありがたいし、異常な奇跡もありがたいのです。

自分が平凡でありがたいから、他人が奇跡をありがたがってはいけないということもないはずです。

本当の真理を言えば「奇跡」がありがたいのでもなく、「平凡」がありがたいのでもないのです。

「奇跡」の奥に「平凡」の奥にあるわが生命の実相が本来神であり仏であることがありがたいのです。

周囲が明るいからありがたいのでなく、自分が光体であることがありがたいのです。

自分が光体であるがゆえに周囲へ振り向けば、そこに時には「奇跡」という光線となって現われ、時には「平凡」という光線ともなってあらわれるのですが、どちらの奥にも自分の光体たる実相が輝いているのでありがたいのであります。

6129a hope:2016/03/07(月) 01:02:35 ID:cEpBaIdo

>>6126 6127 6128 a hope所感)

「三界唯心所現」の真理(横の真理)を衆生に説いて現象的に救済するのが「方便法」で、
「唯神実相」の真理(縦の真理)を説いて悟らせるのが「真実法」なのですね。

個人を救えない宗教はニセ宗教。 個人を救わない宗教家はニセ宗教家。
ニセ宗教もニセ宗教家も本物ではないのでいつかは消えてしまうのでしょうが・・・。

そして、これはわたし自身が自戒することですが、
どんなに理想論を掲げても、身近な人ひとり救えないのでは真の「生長の家」の信仰者ではありません。

6130a hope:2016/03/07(月) 09:37:13 ID:cEpBaIdo
>>6128 訂正

誤【実は】、生長の家は「平凡な生活がありがたい」ということを知らせる真実の教えだと言われますが、

正【君は】、生長の家は「平凡な生活がありがたい」ということを知らせる真実の教えだと言われますが、

すみませんでした。m(__)m

6131a hope:2016/03/07(月) 09:39:39 ID:cEpBaIdo
昨晩、遅かったのでちょっと頭が回らなかったのですが、自分の謹写したところを読み返して気づいたのですが、
釈迦が『法華経』を説くときに「止みなん、止みなん、この真実を説いたら、お前たちは誤解して地獄へ堕ちるであろう」とおっしゃった真実とは、
つまりは生長の家の「唯神実相」の真理のことだったのですね。

上の文章中では最後のところ、

<<本当の真理を言えば「奇跡」がありがたいのでもなく、「平凡」がありがたいのでもないのです。
「奇跡」の奥に「平凡」の奥にあるわが生命の実相が本来神であり仏であることがありがたいのです。
周囲が明るいからありがたいのでなく、自分が光体であることがありがたいのです。
自分が光体であるがゆえに周囲へ振り向けば、そこに時には「奇跡」という光線となって現われ、時には「平凡」という光線ともなってあらわれるのですが、どちらの奥にも自分の光体たる実相が輝いているのでありがたいのであります。>>

この部分ですね。

特に、

<<「奇跡」の奥に「平凡」の奥にあるわが生命の実相が本来神であり仏であることがありがたいのです。>>

という件ですが、

実際、病気や生活難で苦しんでいる人間が、いきなりこの『法華経』の悟りつまり「唯神実相」を悟るということは在り得ないことかもしれません。


それにしても、<<誤解して地獄へ堕ちるであろう>>とは、ちょっと怖いお言葉ですね。

6132a hope:2016/03/07(月) 10:30:09 ID:cEpBaIdo

そういえば、以前、小乗と大乗を勉強している時にも>>5379 、わたしは『法華経』の譬喩品(ひゆほん)話を思い出していました。
(それは、この生命の實相の24巻からの引用ではなく、以前、通っていた曹洞宗のお寺の住職さんからの法話の紹介でしたが・・・)

真理って、繋がってくると楽しいですね!

6136トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/03/07(月) 19:51:34 ID:.ksywd3s
>>6127

 この部分を拝読して思い出すのが、かって生長の家本部の神癒祈願部におられた磯村得弥先生です。
磯村先生は、若いころから熱心な信徒さんでしたが、事業で成功する志をたて、生長の家の信仰を事業
に生かして大金持ちになられました。河口湖の練成道場の建立のきっかけとなったのは磯村先生の提言
ですが、当時は不動産屋さんをしていたと話をされていました。

 しかし、ある時期に、きれいさっぱりと事業から手を引かれ、晩年は本部講師として本部に勤めら
れ、神癒祈願部で個人指導に専念をされました。留学生のお世話もされていたと聞いております。
お子様も音楽家として大成されたと言います。

 いきなり本部に入るのではなくて、やはり事業で成功したからこそ、しみじみと何が大切かを
知られたのではないか、と感じます。

6137a hope:2016/03/07(月) 23:40:47 ID:cEpBaIdo

>>6136 トキさま

「生命の實相」を拝読していると、昔は「生長の家」を信仰することで病気が治り、生活難も解消され、
運命が劇的に好転するなんてことはあたりまえだったようですね。

その磯村得弥先生というお方も、若いころから「生長の家」を熱心に信仰されていらしたのですから、
きっとその功徳もあって、事業も成功されて、お子様も御立派に育て上げられたのでしょうね。

でも晩年その事業をやめられて本部講師になられたというのは、現象世界での物質的成功が、
必ずしも生き甲斐や使命感みたいな、本当の魂の喜びには繋がらないということを悟られたからなのでしょうね。


わたしも、もう何年もこの掲示板で「生命の實相」を学ばさせていただいています。
最近では、自分も「生長の家」の信徒として個人救済をしてみたいと思うようになりました。

ですが、現生長の家総裁である雅宣先生の二元論の教義内容や、現象を扱った環境運動等の現「生長の家」教団の実態を考えると、
自分が「生長の家」を信仰していますとさえいえないのが現状です。

このような切実な信仰的問題に関する悩みを訴えることも、総裁や教団を批判をしているということになってしまうのでしょうか?

6138a hope:2016/03/07(月) 23:46:10 ID:cEpBaIdo

トキさま

わたしがこのweb誌友会板で、教団の運動や総裁の教義内容を批判することで、また、掲示板が荒れるのは本意ではありません。

曳馬野さんなんかは、この板の名前に「誌友会」という名称がついていることが気に障るのではないのでしょうか?

現在の「生長の家」の誌友とは、雅宣先生や純子先生のご思想満載の「白鳩」誌とか「いのちの輪」誌なんかを読まれている方々のことで、
「生命の實相」の誌友とはかけ離れたご思想の方々のことのような気がします。

というわけで、もうこれ以上ここで「web誌友会」を開会するのを控えさせていただきたいと思います。

ですが、今後も「生命の實相」の勉強会は続けさせていただきたいと思っていますが、どうしましょうか?

できれば、違う名称のスレッドを作っていただけるとありがたいのですが・・・。

6139トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/03/08(火) 10:59:19 ID:8fn5SkYo
>>6138

a hope 様

 いつも誌友会の運営、ありがとうございます。

 ご提案に感謝申し上げます。一度、別板の運営板で、その点についてお話し合いができればと考えています。
名称や板の規約についても、ご提案がありましたら、ぜひ、ご投稿をお願いします。

http://jbbs.shitaraba.net/study/11788/

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

6140トキ ◆UMw6UoGELo:2016/03/14(月) 12:44:32 ID:fwki8rZM
謹告

 まもなく、この

Web誌友会 板/2 のスレッドを閉鎖し、代わりに

『web「生命の實相」輪読会』 板

を開設の予定です。

『web「生命の實相」輪読会』 板のリーダーには、引き続き、a hope 様にお願いする予定です。

皆様、引き続き、ご支援、応援をお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

6141神の子さん:2017/03/01(水) 00:06:51 ID:GFWemD/o
150万円程度の中性子線測定器で正常値が0.00μSv/hのはずの中性子線が特定個人の元ではか不明だが測定されてしまう
https://www.youtube.com/watch?v=8R0luOy8ce8

新幹線の中やその付近でも27万円程度の測定器で正常値が0.058μSv/hのはずのガンマ線が特定個人の元ではか不明だが最大測定値を上回る形で測定されてしまう
https://www.youtube.com/watch?v=41lQN7rF3fQ

ベータ線(ガンマ線)を一つ計測すると、一回"ピィ"と鳴る測定器で正常値が約55カウント/min程度のはずが観測者の自宅では大きくそれを上回ってしまって測定されてしまう
https://www.youtube.com/watch?v=4veAJaorl1s

6142神の子さん:2017/03/19(日) 17:25:05 ID:ujnPaRNY
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6143神の子さん:2018/02/28(水) 19:14:00 ID:K/QVp5KE
http://goodlg.seesaa.net/article/451406304.html

6144神の子さん:2018/10/08(月) 07:51:55 ID:XVhX1PHw
日時:2018年10月08日 (月) 00時23分
名前:規約一部

7335: 志恩 :2017/01/09(月) 13:02:29 ID:6hRUvSRg
トキさんが、志恩に反論されると思いますので、もうしばらくお待ちください。
私は、これから、出かけるところです。
私は、トキさんのご意見に従います。

7336: 行ってらしゃい :2017/01/09(月) 13:08:00 ID:6P9xE/L6
>>7335
逃げまくり。証拠発見

7337: トキ ◆NeaLgIQX3w :2017/01/09(月) 14:15:16 ID:rpznmRAo
>>7335

 平素は弊掲示板をご利用くださり、ありがとうございます。

 色々とご心配をおかけして申し訳ありません。

この「したらば」掲示板は大変よくできた掲示板ですが、アラシ投稿には少し弱くて、ご覧の通り、アラシ投稿が横行する事態になっています。
そこで、「続したらば」掲示板を設置しています。こちらは有料ですが、アラシ投稿対策には強い掲示板です。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2.html

 今すぐの全面移行は難しいですが、真面目な投稿をしたい人は、順次、こちらをご利用くだされば幸いです。

 時期を見て、この「したらば」掲示板は閉鎖するか、名称を変更するか、にさせていただきます。

今後ともよろしくお願いします。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

6145神の子さん:2018/12/28(金) 23:05:59 ID:7W2PGskg
「したらば」掲示板一時閉鎖のお知らせ (5323)
日時:2018年09月21日 (金) 10時46分
名前:トキ

 平素は「生長の家「本流復活」について考える」をご利用くださり、感謝申し上げます。

 旧 生長の家「本流復活」について考える(したらば版)ですが、最近、シャンソン様などが書き込みを繰り返しているので、正常な状態ではなくなってしまいました。とはいえ、このまま「掃除」をしても、イタチゴッコです。そこで、一旦、書き込みを停止し、その間にアラシ投稿を削除したいと思っています。閉鎖の日時は後日おしらせします。清掃が終わった後に、再開したいと思います。

 なお、この「生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)」は閉鎖などはしませんので、ご安心ください。
 
 以上、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。


管理人敬白

6146空き家の住人:2019/01/06(日) 18:19:56 ID:MBTwK0G6

>>6142 :神の子さん :2017/03/19(日) 17:25:05 ID:ujnPaRNY
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WEB誌友会版に2年も載せておくトキ管理人が

清掃後再開します、といってもね。今でも書けるし清掃もしていない。

いうだけ管理人なんですね。掃除すると云ってから3か月半。


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