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Web誌友会 板/2

4092a hope:2014/07/01(火) 08:01:53 ID:cEpBaIdo

>>4090 トキさま

<<総裁ご自身は、「自分は自由主義者」と言われているので、彼の主観的な感想なんでしょうね(笑)>>

そうなのですか!

でも、「生長の家」の総裁である方が、「生長の家」の講習会やご自分のご著書、またはブログで、
「生長の家の教え」ではなくて個人の主観をお話になったりするから、信徒が迷ってしまうのかもしれないですね。


「訊け」さまが、「生長の家ってどんな教え」を読むかぎり、総裁の思想は「間違っていない」といっておられますが、
このご著書は、タイトルどおり、本来の「生長の家の教え」の関してのみ書かれているご著書だと思うので、
雅宣総裁もそのことをわきまえて、執筆・編集されたと思うのです。


ですが、これはわたしの個人的な意見ですが、他の雅宣先生のご著書、例えば「次世代への決断」等、
又はブログでの内容等拝見すると、そのご思想は、本来の「生長の家の教え」とはかなり違ってきてしまっているように感じています。




トキさまの謹写箇所「不信項へ迷信の因」は、p82の「宗教争いは偶像崇拝より起る」に関連していると思うので、
過去に謹写したものを再掲させていただきます。

―――――――


「生命の實相」第13巻 p82

宗教争いは偶像崇拝より起こる

物質的な形あるものを礼拝の的にするようになりますと、物質的な形あるものは有限でありますから、
ここまでは自分の領分であって、お前の領分ではないというような争いができてくるのであります。

人間を和合させる働きをせねばならぬ宗教でさえも、肉体キリストという物質的顕現に捉えられていましては、
顕現せられましたそれぞれの応身または報身は異なりますから、互に信者争い、
領分争いをしなければならぬようになってくるのは当然であります。

その宗教が偶像崇拝教である程度は他教を排斥する程度でわかるのであります。

つまり、すべての争いの第一の萌芽(ほうが)は、物質的な形あるものを崇拝すること
――すなわち偶像崇拝――よりくるものであります。

すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますならば、
「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのであります。

キリストでもこれを肉体イエスという「物質的形体」に見いださず、
「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在り」といわれた「永遠神性」にこれを見いだし、
仏でもこれを肉体釈迦に見いださず、「過去の諸仏は皆わが弟子なり」と阿難答えた「久遠の釈迦」に見いだし、
「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず「すべての教えわれに流れ入りて生命を得ん」と示された「久遠実在の生長の家」に見いだすとき、
すべての教えは、ここからあすこまでは自分の領分だなどという縄張り争いをする必要がなくなるのであります。

―――――――

そして、>>4091で曳馬野さまが、ご質問されている内容の答えもここにあるように感じていますが・・・


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