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Web誌友会 板/2

3906a hope:2014/05/13(火) 22:29:21 ID:cEpBaIdo

テキスト第13巻 p66〜67

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2841

(a hope 赤線部分)

『ところが、われわれが外界にも生きて行く上に「善」を※云為(うんい)し、魂が一種の善(ただ)しさを要求し、
「善」とか、「人道」とか、「愛」とか、「※憐憫」とかいうものに関心をもたずにいられないというのは、
自己の存在の根底において、われわれは内界において自由であるとともに、
外界においても自由であるとの根本自覚をもっているからであります。』

※云為・・・言ったり、したりすること。言葉と動作。
※憐憫・・・いとしく思って憐れむこと。


『われわれはいっさいのものを外界をも完全に支配する自由を与えられているのであります。』


『だから、人の世に内外両面、主客相(あい)貫いた「善」というものの価値と権威を確立するには、
心の自由は同時に行為の自由であり、心に描かれたことは必ず客観世界にも実現する、
心の世界と客観世界とはただ一つのものの両面である――客観世界は心の世界の影であるという、
「生長の家」の※所説に基づいてこなければならない。
※倫理学は要するに、「生長の家」に来なければ主客両面、内外相(あい)貫いた
その本当の根拠がつかめないということになるのであります。』

※所説・・・主張している事柄。述べている意見。
※倫理学・・・善悪の標準や行為・欲求の規範など道徳一般を研究する学問。

(※は頭注より)


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