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Web誌友会 板/2
1002
:
ユタカ
:2013/05/06(月) 08:30:57 ID:2DhH33vQ
訊けさん、こんにちは、ご無沙汰してすみません。
早速ですが、以下の文章についてはどう思われますか? 訊けさんの生長の家に入教されて「紙が病気を治してみせる」のは最初だけ。。
とどこかで書いていますし、実際の組織で人をみていると、皆さん最初は奇跡が起きて入信されていますが、最初だけのような気がします。
ただ、実相の内容を学んで、実相だけを喜んで讃嘆して生活することは神の子の生活で素晴らしいと思います。榎本先生のおっしゃることに納得します。
宗教の御利益というのは肉体が治るよりも、このように心が一変することなのです。
そこで此の神示に就いて考えて見て下さい。
神様は「吾が臨(きた)れるは物のためではない、生命のためである。肉のためではない、霊のためである」とお示しになっているのであります。
神様は肉体的にもお蔭を与えておられるけれども、それは「肉体は心の影である」という真理を知らせるための実験みたいなものに過ぎないのであります。
イエスが二千年前に多くの奇蹟をあらわして多くの病人をいやし、ヤイロの娘やラザロを死より甦らしめられましたが、その癒された人も、甦らされた人も、結局はその肉体は死滅して今は存在しないのであります。
肉体的方面からのみ言いますならば、「死」はイエスの奇蹟に打ち勝ったとも言えるのであります。
併し神は、肉体を癒すのはその目的ではない、魂が真理に目覚めて向上することであります。「肉体が治った」と言ってその肉体のことだけで神に感謝しているのなら、やがて誰でも其の肉体が死ぬ時が来る。その時に感謝し得なくなるから、魂は永遠に救われたという訳には行きません。
肉体の恢復を契機として、人間は神の子であって、霊的存在であると気付き、「永遠の生命」をさとり、現象の消長、盛衰、変遷に引っかからず、常に感謝の心境になれることこそ、神から人間に与えられた本当の救いなのであります。
<つづく>
964 :復興G:2013/05/05(日) 20:28:00 ID:AB6RqYXc
<神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より 謹写つづき>
だから、此の神示には次のように続いて示されているのであります。
「神が病気を治して見せるのは、肉体は心でどうにでも移り変らせることが出来ると云う事実を見せて、『体(たい)』は念(こころ)の影だと云う真理をさとらせるためである。念(こころ)の影だと云う『体(たい)』とは肉体ばかりのことではない。幽体も霊体もすべて念(こころ)の影である。
『死はない』と云うのは肉体ばかりのことではない。現に肉体細胞は刻々死滅し流転している。生き通しであるのは、斯くならしめている『生命』のみである、『生命』のみが吾れであり汝であり、そのほかに吾れも汝もないのである。……」
この神示に明示されておりますように、生長の家に入教されて病気が治るのは、必ずしも患者自身が悟りを本当にひらいて自由自在の心境に達して治るのではなく、「神が病気を治して見せ」られるのであります。
この場合の神というのは、実相に於て既に完全に人間をつくっていられる神が既に“完全なる人間”を癒すということはあり得ないのですから、実相本源の神から使命を受けて人類光明化運動に参加していられる高級霊を爰(ここ)では「神」と称するのであります。
仏教で言うならば「法身の阿弥陀」は尽十方に充ち満ちていられて去来がないが、その弥陀の慈悲を受けて、現象界にも救いを成就するために現象界に出現せられる観世音菩薩のような方が、此の高級霊でありまして、この神示にある「神が病気を治して見せる」という場合の「神」に当るのであります。
完全なる人間を癒すのはありえない。と言う箇所が実相世界ですよね。 訊けさんは実相は自分で出てくるという榎本先生の文章を持ってきて感動して、他方で肉体を神が癒して見せるに感動していますね。結局、肉体を癒したのは内なる自分に宿る神だから感動したと言うことですか?
もう少し、訊けさんの感想文を長く書いていただければ、訊けさんの言いたい事が明確に伝わる気がしますが? 良く分からなかったので上記の文についてはどう思いますか?とお聞きしました。と言う自分も自身の言いたいことがよく分かっていないです。
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