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Web誌友会 板/2
3859
:
a hope
:2014/04/25(金) 22:25:43 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第12巻 p150 3行目
・・・もし、この「生長の家」が何々教というように、ほかの宗教に対して対立的になっている一つの宗教でありますならば、このように他のいっさいの宗教を包容して、そのすべてを生かしてゆくことができないのです。
「生長の家」がこのようにいっさいの宗教を包容してその神髄を生かしてゆくことができるのはなぜであるかと申しますと、「生長の家」はいっさいの「生命」がそこから発生し、そこから生長し出た「家」であるからであります。
「家」というのは「生(いき)」が「寄(よ)」る、すなわちいっさいの生命がそこに寄り集まる所をいうのであります。この「家」のことをまた「巣」と申すのでありまして、小鳥の巣、獣の巣、虫の巣などいろいろありますが、すべて「巣」というものは「生命」が集まって来て、そこで「生命」が窮屈な社会的仮面を脱いで、本来の伸び伸びした面目を発揮する所なのであります。
「家」すなわち「巣」というものは、蜘蛛の巣を見ましても一つの中心に集まっている。スベテが一つの中心に統一されている―――このスベテの「ス」、統一するという意味の「統べる」という言葉の「ス」スベテが統一されて、スキ通り、スミきって、少しも乱れがないいっさいを包容するという意味での「澄(すみ)」「透(すく)」などの意味が「生長の家」の語にはあるのであります。すなわちわれわれの教えは無色透明の「家」であるからこそ、すべての宗教の方々に喜ばれるのであります。
この「生長の家」というのは、そのように中心の無色透明の真理の家でありまして、「生」すなわち「縦」に無限に伸びること――すなわち無始無終の時間と、「長」すなわち「横」に無限に長びること――すなわち無始無終の空間とを、一つの中心より放射状に発生せしめて一切万象発現の枢機(すうき)を握り、一切万象そこより発し、そこに帰る中心を握っている巣(統、主)であるから、「生長の家」といったのであります。
このように「生長の家」といいますのは、一切万象をそのうちに統べ包んでいる宇宙をいうのでありますから、いっさいの宗教が「生長の家」に包容されるのは当然のこと、いっさいの事物の創造原理さえも「生長の家」に包容されねばならないのであります。
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