[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Web誌友会 板/2
3834
:
トキ
:2014/04/11(金) 22:08:59 ID:kOm.4.OU
「問題は既に回答があるのが問題だ」
ところで、人生にどんな難問題がるかのように見えましても、本当は問題と云うもものは
解決し得るためにあるのであります。数学の問題でもそうです。どんなにあなた自身にとっ
て解決し得ない問題でも、実はその回答は既にあるのですが、自分がそれを算出し得ないだ
けの事なのであります。
口で樹の木にぶらさがっていて、さあ返答せよと云われる場合、口をひらいたら千仞の
谷底に落ちると云うが、それは自分で、自分の手は動かないと信じて、自分の手で枝を
握る事を忘れているだけのことであります。この「動けるだけの力を、その時、その場、
その人に適する相に動かす」と云うことは、是こそ禅の極意なのであります。「禅機の
把握」と云うことは「全機の把握」でありまして、全体に行き届いてあらゆる点を動かし
得ることであります。これは心が全相に達したときに出来ることでありまして、心が
一部にのみ引っかかっているときには、その引っかかっていることに気を取られて、他
にすべき道が無数にあるのに、それを行うことが出来なくなるのでありまして、自分で
自分の力を「この位のもの」と限ってしまうから二進も三進も行かなくなるのであります。
「大乗起信論」に「心、全相い達せざるを迷いと云う」と云うことが書かれております。
あらゆる部面を悉く知って適当な行いが出来ないのが迷いなのであります。そこで、全局
を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ「対立」が残っているよ
うなことでも思うようになりませぬ。
新版 真理 第3巻 282p より謹写
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板