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Web誌友会 板/2
2574
:
復興G
:2013/08/16(金) 15:34:00 ID:AB6RqYXc
順番を間違えました。
>>2572
のつづきです。
>>2573
の前になります。
(5)「国体は破壊された」と騒ぎ立てる戦後の憲法学者
ところが、戦後の憲法学者たちは「終戦によって国体は破壊された」と主張し続けて、現在に至る。憲法学界では、日本国憲法が有効である論理として「八月革命説」が支持され、現在では通説となっている。「八月革命説」は法学部の卒業生であれば、憲法か法学の授業で必ず耳にしたことがあるはずだ。いったいどのような論理であるか説明を試みる。
第一に、憲法には改正の限界があると述べる。たとえば主権の所在など、国の根本原理を変更することはできないと主張される。
第二に、大日本帝国憲法から日本国憲法への変更は、天皇主権から国民主権に変更する内容を含んでいるから、憲法改正の限界を超えるものであって、法的に説明がつかないものであるという。
そして第三に、日本国憲法の成立は法的に説明がつかないのであるから、法的な意味における革命が起きたと考えよう。
これが「八月革命説」の考え方である。つまり、わが国がポツダム宣言を受諾した昭和20年8月、ある種の法的な革命が起きたとし、日本国憲法は革命憲法としてのみ有効たりうるというのだ。この説は宮沢俊義博士によって論理立てられたもので、現在では憲法学者のほとんどが支持する支配的な通説になっている。
終戦時に実際の革命が起きていないことは誰でも知るところだが、ここで、日本国憲法が成立するまでの手続きの流れを確認しておきたい。
内閣はGHQ草案に基づいて草案づくりに着手し、昭和21年4月17日に内閣草案を完成させた。次に、内閣草案は枢密院に送られて可決され、6月20日には「帝国憲法改正案」として勅書をもって第九〇回帝国議会に提出された。8月24日に衆議院は原案に若干の修正を加えて可決し、貴族院に送付。貴族院は10月6日、原案にさらに若干の修正を加えて可決。次に、衆議院が貴族院で加えられた修正に同意して帝国議会での審議が終了した。そして改正案は再び枢密院の審議に付され、帝国議会での修正に同意して、すべての審議が終了した。そのうえで、10月29日に昭和天皇の裁可を経て、11月3日に「日本国憲法」として公布され、昭和22年5月3日に施行されたのである。
このように、日本国憲法は、憲法と法令の規定に従って、枢密院と帝国議会で議論が尽くされ、大日本帝国憲法を改正することで、日本国憲法が成立したことがわかる。
ところで、保守の一部で支持されている憲法無効論も、この八月革命説と論理は同じである。憲法無効論の論理は八月革命説とほとんど一致していて、「第三」だけが異なり「だから無効と考えよう」としている。憲法無効説と八月革命説は、結論の一行が異なるだけで、その前提となる論理はまったく同じなのだ。いずれの説も、憲法が変更したことで、国体は破壊されたと結論するものである。
では、はたして日本国憲法の成立で「君民共治」の国体は破壊されたのだろうか。否である。大日本帝国憲法から日本国憲法への変更によっても、「君民共治」の日本の国体は変更せず、いまに残されていると考える。天皇の法的地位は、憲法の変更によってもほとんど変化していないばかりか、本質的な部分については完全に新憲法に継承されているからだ。
ここで「八月革命説」を順に検証してみよう。まず、第一の憲法の改正に限界があるか否かの問題については、百年以上のあいだ世界の憲法学界で論争が続いていて、いまだに解決の目処が立っていない。つまり、改正に限界があるという説自体が、世界の憲法学界では二つある有力説の一つにすぎないのだ。「八月革命説」は、このような未確定なことを大前提としているのであって、それだけで不安定な説であるといえる。もし憲法改正に限界がないとの立場に立てば、そもそも「八月革命説」など成立しえない。
それでは、百歩譲って、仮に憲法の改正に限界があるとして、第二の論点に進むことにする。ここでは、大日本帝国憲法から日本国憲法への変更が、憲法改正の限界を超えるか否かが論点となる。おそらくこの点こそが、国体が護持されたか否かの主戦場となろう。具体的には、大日本帝国憲法から日本国憲法への変更は、主権者の変更を伴うかどうかの議論に集約される。
<つづく>
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