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Web誌友会 板/2
1195
:
「訊け」管理人
:2013/05/18(土) 09:44:28 ID:???
>>a hopeさん
――――――――――――――
>>1193
それでは雅春先生は、この大和精神を一体どのような形で、
「生長の家」の日本国実相顕現運動や愛国運動につなげられたのでしょうか?
質問ばかりして申し訳ありませんが、わたしには生長の家のこの二つの運動が、どうしても理解できないのです。
どうぞよろしくお願いいたします。
――――――――――――――
ここは我々部外者は、疑問を感じますよね。なんで「現象無しの生長の家」が、なんで「現象に『悪』を見て、運動をしたんですか?」という疑問、当然ながら湧いてくるワケです。
ところで榎本惠吾先生も、同様の設問に挑まれておられたご様子です。愛国運動の思想的背景ですが、やはり当時も曖昧だったのかもしれません。榎本先生も相当に悩まれて(大学を休んで仕舞う程)、多々文を寄稿されてますね。
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『試論・波状光明化への道』342頁より謹写――
概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、
(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。
(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。
吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。
(つづき全文:
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65587714.html
)
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これはよほど、重要な設問だと思います。おもしろいやり取りに発展しそうで、期待大です。
拜
追伸
さて、「大和魂」に関しても私見を。
結論から申せば、かつ、簡潔に申すならば「大喜びすること=大和魂」だと、思います。
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この「然して後に」の語には千鈞(せんきん)の重みがあるのである。こういう八紘為宇の本当の神武精神がわかっていたならば、戦争も起らなかったにちがいないのであるが、それを軍閥が曲解したために、あの戦争は起ったと言い得るのである。(『私の日本国憲法論』91頁より――)
(全文:
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65717053.html
)
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記事ご確認願いたいのですが、この千鈞(せんきん)の重みがあると雅春先生が申された語ですが、要約すれば「喜ぶこと」になります。「喜んで」のちに、實相が顕れるとハッキリ、雅春先生は書かれておられます。そしてこれぞ、「正統の大和魂」だと思う次第です。
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