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Web誌友会 板/2

3577復興G:2013/12/29(日) 07:49:14 ID:AB6RqYXc

<つづき>

  第7章 禅定とは々天地万物と融合する々こと

(中略)

   自他一体になれば天下無敵である

 この前に言いました堀田実さん、「平常無敵流平法」 という、その祖父の編み出したところの剣道の極意がその家代々伝わっている方です。ヘイ法といっても、兵の法、兵隊の法とは書いてないのであって、平らかな法と書いてある。これはどういう意味かというと、自他平等という意味だそうであります。彼と我とは本来平等の存在で、一体であると言うわけです。そして堀田先生が僕のところへその極意の本を持って来て、「読んでくれ」 と言われるので、僕は読んでみたら、こういうことが書いてある。それは──

 彼と我とは本来一体であって、それは恰度空気のように、どこも一つにつながっているのがわれわれの生命である。それを自覚するのが、それがこの無敵流の平法である。敵はないのである、自他平等である。

 ところが、相手が害念を起して自分を斬ろうと思って、太刀を振り上げる。太刀を振り上げたらその胸のあたりに自然に隙ができるのである。恰度そこに──空気が移動するとその空気が動いたあとが真空になる。そうしたら、隣りにいる空気がスーツとその真空を埋めるように這入って来る──それと同じように、自分を斬ろうと思って太刀を上げると、その上げたあとの胸のところがスーツと空く。その空いているところへ此方の剣がスーツと入る。相手の胸が斬られる、ということになるのである、というような意味が書いてあるんです。まことに素晴しい本である。

 その堀田実さんがこう言われた──

 「自分はまだこの極意をよく体得しないのであるけれども、武徳殿の範士である内藤範士(この人は素晴しい剣道の極意に達して、自分のお父さんから直接その剣道を習って、その極意に到達した)という人がいて、この内藤範士が相手の五段、六段の教士に対して試合をする、その時に、側から見ていると、内藤範士の剣は実にゆるやかにソーッと動いている。まことに静かであって、“静中動あり、動中静あり” とでも言うのですか、実に静かであって、ゆるやかに剣が動いているのに、そのゆるやかに動きながら相手の五段、六段の教士を 『お面!』 『お籠手!』 『お胴!』 とねえ、忽ち入るんです。そうすると五段、六段の教士が、『参りました』 と言って頭を下げている。まことに不思議である」 と。
<後略>

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ――以上で再掲を終わります。


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