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Web誌友会 板/2
4449
:
「訊」
:2014/10/09(木) 09:25:16 ID:???
「生長の家の運動は、世界の平和に役立つかどうかということは知ったことではないんですよ。ただただ、人間は神の子であるということが真理であるから、ひたすらその道を説いているのであって、真理というものは、「世界の平和のために」という世界の都合で変えたり、曲げたりするという訳には行かないのです。それが宇宙のためにということでも同じことでありまして、「宇宙の平和のため」というように、宇宙の都合に合わせて真理を変更するということは出来ないのです。ただただ、真理は真理であるのみです。泥棒がやろうが、釈迦、キリストがやろうが、「1+1=2」なのであって、泥棒の場合は、1.5くらいにしておけというわけには行かない。「1+1=2」という数学的法則によって、原爆まで生まれて来るので、原爆は世界の平和に反するから、その真理を変更するという訳にも行かないのであります。
真理はただ真理するという一つの道があるのみなのであります。また、真理というものは人間の力でつくり出すものではありません。それは久遠に久遠に、天地を貫いて生きているのでありますから、「吾が生くるは吾が力ならず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)」とも言うのです。あなたに賛成していただいたから生長の家の真理が存在するのでもなければ、あなたがお認めにならないから生長の家が存在しないのでもないのですね。」と申し上げたのであります。
「釈迦、キリスト、尊師谷口雅春先生と、今日生長の家にふれたばかりの者と、同じ神の子であるということはないでしょう」と言われる方もいられるのですが、「神は完全であって、神のつくり給うた世界には不完全はない」というのが真理なのです。それは、人間の修行の度合というものによって、その真理を変更することは出来ないのです。百万年前からの暗でも、いま出来た暗も、光がともれば同時に消えます。それは光の前には暗は消えるのが真理、法則だからであります。暗は実に無いのが真理だからです。それを百万年前からの暗が、いま出来た暗に向って、「おれはこんなに長く暗をやつているんだから、いま出来たばかりの暗と同じ扱いをするのはけしからん」と言って、どんなに頑張ってみても意味をなさないのであります。それは真理によってそうあるのです。これを「七つの燈台の点燈者の神示」では、「疑わずにわが光りを受けよ」と録(しる)されているのであります。
ここで私たちは、「ハイ」と言って自分がこの身このまま輝くものであることを素直に受けるのです。「素直にハイ」を実行するのはここであります。よく講師が「話だけ聴いても駄目だ。実行しなければ駄目だ」と言われることがありますが、これは“実行”という救われるための一つの修行科目があるのではないのです。それは、“この身このまま救われていることを素直に喜ぶということを実行せよ”ということなのです。実行ということによって救われるのではないのです。救われずみであることを喜ぶのです。「実行」の実は「実相」の実であり、それは神であり、光りであるのです。神・實相・光りには人間の努力、修行の成績というものの助けはいらないのです。神がそのすべてをふりそそいで吾々を生かして下さるための条件はいらないのです。
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