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Web誌友会 板/2

2189復興G:2013/07/06(土) 09:45:05 ID:AB6RqYXc

<つづき――「昭和7年12月11日霊感」 とされているご文章>

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「久遠常住の佛に帰依(きえ)するのが生長の家家族の帰依である。久遠常住の佛とは自己の内にある。各自の生命の実相がそれである。生命の実相に順(したが)いて生き、生命の実相に順いて善を行ずる。生命の実相は久遠常住の佛なるが故に生命の実相の発露するところおのずから善となり美となる。善も美も固定したものではない。戦いのうちにも善もあれば美もある。

 「怒りの内にも善もあれば美もある。戦いと怒りを否定する境地はなお初歩である。普通の怒りを否定し去ったのちに、尚実相が迷いを消すための戦いと怒りとのあることを知らねばならぬ。それは聖戦であり神の怒りである。神そのものが怒っているのではない。実相が迷いの中を厳かに進軍するとき、その顕れが戦いとなり、神の怒りとなり、天変地妖ともなれば階級争闘ともなるのである。迷いの方から言えば迷いの自壊作用であり、実相の方から言えば実相の勝利である。迷いは『虚』であり、実相は『実』なるが故に、唯勝つほかはないのである。汝らただ恐れず進み行け。汝らの前にわれ常に煙幕となりて蔽わん。汝らよ、戦いの時は来たのだ。此の聖戦に参加する者をわれ常に護らん。」

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――以上をしっかり拝読しますと、まず出発点が

 「久遠常住の佛に帰依(きえ)するのが生長の家家族の帰依である。久遠常住の佛とは自己の内にある。各自の生命の実相がそれである。」

 というところなのでありますね。つまり、肉体の自我を「なし」と否定し、霊なる普遍的な我れ、対立を超えた我れの自覚に立って、「実相が迷いの中を厳かに進軍するとき、その顕れが戦いとなり……」ということになる。

 それは、

 「迷いの方から言えば迷いの自壊作用であり、実相の方から言えば実相の勝利である。迷いは『虚』であり、実相は『実』なるが故に、唯勝つほかはないのである。汝らただ恐れず進み行け。汝らの前にわれ常に煙幕となりて蔽わん。汝らよ、戦いの時は来たのだ。此の聖戦に参加する者をわれ常に護らん。」

 とあるのであります。

 私はこれを拝読しまして、ハッと気がつきました。

 「現象あり」 の立場、現象の側から見れば、大東亜戦争も 「迷いと迷いとが相搏(う)って自壊するという形」 であり「侵略戦争」とも言える。

 しかし、「光一元」 の 「実相独在」 の側から言えば、それは光の進軍であり 「聖戦」 と言える。

 今も、私たちの生活はある意味 「聖戦」 でなければならない。――私は、そう思いました。

「霊魂進化の神示」 に

≪ 『神の子』 なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的である。現象世界とは現界、幽界、霊界を通じて呼ぶ言葉である。

 人間の運命とは 『神の子』 なる人間の実相が現象界に投影する時、時間的空間的に展開するのに、おのずから一定の順序を追うて展開して行くように 大体定められているのを言う。

 それは譬えば朝顔の種子(たね)の中には既に 『花』 の因子(たね)が包蔵されているが、それが現象界に 『花』 となって完成するまでには、日光に逢い、湿気に遭い、芽を出し、蔓を出し、蕾を生じ、ついに花を開くと言うように、大体一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に遭うが如く、或は幸福に恵まれ、或は虐運と戦うことによって、ついに実相人間の現象界への投影を完成するのである。≫

 とありますが、これは人類全体の運命についても同様の経過を経て 「神の国」 の種子(理念、構図)が現象界に展開して行きつつあるのだと思われます。

<つづく>


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