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Web誌友会 板/2

3863a hope:2014/04/30(水) 09:58:04 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」p213 

ミレーの「晩鐘(ばんしょう)」

あの有名なミレーの晩鐘の絵でありますが、農夫が夕焼けをしている広々とした畑のところに立って、そして拝んでいる。どこからか晩鐘が聞こえて来ているような、はるかに教会の尖塔が見えている。そういう景色の絵でありますが、わたしはその絵の複製を見るごとに、その拝んでいる農夫の姿の中に神の姿を見るのであります。

もし農夫の心の中に神が開いていなかったら、神がいらっしゃっても本当に「ありがたい」ということが分からないのであります。「ありがたい」ということがわかるのは、その人の心の中に、神の波長を感受する神の波長が開いているからであります。

おそらくこの農夫は何を求めているのでないのです。どうしてくださいというのではないのです。ただありがたい、この心境こそ、まことに尊いことであります。ただありがたいというのは、現象的にどういう御利益があるからありがたいというものではない、そういう条件付きのありがたさではない、いのち本物の中にそのまま坐りこんでしまって、ただありがたいのです。

念仏申す心――こういうふうに真宗では言っておりますが、その「念仏申す心」というのが、このいのちの本物の中にそのままどっかりと坐りこんでいるありがたさなのです。・・・


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