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Web誌友会 板/2

5642a hope:2015/08/02(日) 22:53:28 ID:cEpBaIdo

【神示】


「神の子」なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的である。

現象世界とは現界、幽界、霊界を通じて呼ぶ言葉である。

人間の運命とは「神の子」なる人間の実相(因子〈たね〉)が現象世界に投映する時、時間的空間的に展開するのに、おのずから一定の順序を追うて展開して行くようにだいたい定められているのを言う。

それはたとえば朝顔の種子(たね)の中にはすでに「花」の因子(たね)が包蔵されているが、それが現象世界に「花」となって完成するまでには、日光に逢い、湿気に遇い、芽を出し、蔓を生じ、ついには花を開くというように、だいたい一定の順序を追うて展開するがごときである。

かくのごとく、神の子なる実相人間も、その投影を現象界に完成するにはだいたい一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に遇うがごとく、あるいは幸福に恵まれ、あるいは虐運と戦うことによって、ついに実相人間の現象界への投影を完成するのである。

しかし、その投影が完成するには、その投影は「念波の集積」で成り立っているのであるし、人間は心の自由をもち、自由に実相の悟りによって念波を浄め得もすれば、迷いによって念波を汚すこともできるのであるから、現象世界に実相人間を顕現する過程(進化の過程)を心次第で縮めることも長くすることもできるのである。

霊魂進化の過程を短縮するのは念の浄化による。

念の浄化には、実相を悟ることが第一であり、物質欲に捉われざることが第二である。

物質欲に捉われざるためには「物質本来無し」の真理を悟るのが第一である。

「物質本来無し」の真理を悟る程度に達せざる者には、物質の快に捉われさるための修行としてみずから進んで苦を求めて喜ぶか、物質に快を求めてかえって苦を得る体験を通じて、ついに物質欲に捉われさるに到るかの二途しかない。

前者はみずから進んで嘗(な)める苦行であり、後者は幸福を求むれども求むれども運命的に他動的にやってくる苦難である。

その他に過去の悪業の自壊する過程として自己の霊的流動体に起こる擾乱(じょうらん)現象の苦痛もある。

苦難がみだりに取り去られず、多くの霊魂の霊界通信が苦行の価値を力説しているのもこのいろいろの理由によるのである。

(昭和八年九月十五日神示)


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