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Web誌友会 板/2

4673a hope:2014/12/08(月) 00:08:39 ID:cEpBaIdo

>>4670 >>4671トキさま

「心の法則」と「神」に関するご説明をありがとうございます。
とてもよく理解できました。合掌。

たしか「不昧因果」(ふまいいんが)という言葉は、以前トーキングスティックボードで復興Gさまが、
「百丈野狐」のお話をしてくださった時にお勉強したのを思い出しました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/154
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/159

少し難しいお話だと感じましたが、雅春先生のご解釈が深くて感動したのを覚えています。


<<「人間そのものの発見とその自覚」(谷口雅春先生著)のP210にある、
「法則としての神と個別的人格としての神」というくだりは、横の真理と解釈する
のべきだと私は解釈しています。>>

「人間そのものの発見とその自覚」というタイトルの聖典もあるのですね。
雅春先生はいろんな角度から真理を説いて下さっていますが、わたしは今まで雅春先生の聖典を拝読していて、
矛盾を感じたり混乱したりしたことは一度もありません。
それは、本当に「神さまのお言葉」なんだからだと感じています。


ところで、先日>>4656で謹写した部分の最後の一文が抜け落ちていたので半分だけ再掲させていただきます。

―――――――――――――
p40 後から3行〜
われわれが五官で物質を観、現象を観、それに立脚していろいろ複雑な理論を作りあげて、
物質もある、現象もあると肯定するのはいともやさしいことなのであります。
科学者はみんなそれをやっている。

しかし実相覚で「物質は無い」というのは理屈ではないのです。
誰でも頭の善さを信じて理屈で真理に這入ってゆこうとして理屈をますます複雑にし、
「物質は無い」と単純に承認すればよい所を、
「物質は無いと有るとを超越したところの有るである」と無理に複雑化して言ったり、
「ニセ物の我は無い」と単純に否定すればよいところを「ニセ物の自分も真我(ほんもの)の一顕現として実在である」
などと複雑に言っていられると、いつのまにかその人は物質があるやらないやら、
自分自身で言っていながらわからなくなるのです。
理屈は迷わせるのです。

―――――――――――――――――――

抜け落ちていたのは「理屈は迷わせるのです。」という最後の一文ですが、
雅宣先生のご文章は、本当にこの理屈が多いようにわたしは感じています。


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