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Web誌友会 板/2

1081復興G:2013/05/08(水) 23:23:49 ID:AB6RqYXc

>>1052 で、ユタカ様が<『教義の大綱』について>というのを投稿されたのについて――

≪前記の<『教義の大綱』について>だけを読むと、たとえば<日本国威を発揚し、皇威を顕楊する東道(みちびき)の神として心の幽斎する副神として生長の家大神……>というような言葉がありますから、生長の家は時代錯誤の超右翼、超国粋主義団体か、というような印象を持たれるかも知れません。

しかし、生長の家は右翼でも左翼でもありません。右翼と左翼の中間というような意味での中道でもありません。そんな現象を超えた、根源的な意味での「中道」、万教帰一の道でありますね。

前記<『教義の大綱』について>というのは、昭和15年(大東亜戦争勃発の前年)に、文部省から宗教結社として届け出るようにと強い指導を受け、作られたものですが、その経緯などについては、『生長の家三拾年史』に「生長の家の本尊に就いて」と題して詳しく書かれています。そして『神の真義とその理解』という本にも、その一部「昭和十五年四月九日午後二時より名古屋公會堂に於ける講演の速記」というのが収録掲載されています。これは41頁にわたる長文のものですが、この「教義の大要」等の届出文の真意を理解するためにはとても重要なものだと思いますので、謹写掲示させて頂きましょう≫

とお約束していました。それを、長文ですから以下十回以上に分けて掲示させて頂きます。

生長の家は、昭和14年に成立した「宗教団体法」によって、宗教であると認められて文部省の管轄に入ることになり、文部省に届け出をしなければならなくなった。それで当時生長の家本部の副理事長だった秋田重季氏・中神学氏らが文部省の稲田宗務課長らと色々交渉して、昭和15年、文部省に届け出られた<『教義の大綱』について>という文章は作られたが、文部省の稲田氏らが『生命の實相』などをよく読んでいて生長の家に好意的で、届けはこう書いたらいいと具体的に提案され作られたものだということがわかります。
(その前には大本教が不敬事件で弾圧されたこともあった、そういう時代だった)

 以下のご講演記録をご覧ください。『三拾年史』は正漢字旧かな使用ですが、『神の真義とその理解』に、新かなにして掲載されているものを原本にします。その方が読みやすいと思いますので。

 原本の1行ごとに、間を1行空けて表示させて頂きます。ふりがなは(  )内に入れて表示しますから、その分、末尾は不揃いになります。


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