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Web誌友会 板/2
1882
:
志恩
:2013/06/11(火) 10:58:36 ID:.QY5jUA6
ユタカ様
君民同治の神示とは、天皇と国民についての神示です。
雅宣総裁と信徒のことを言っているのでは、ありません。
以前、金木犀様が、これについて、投稿され、コメントもされてましたので、貼付します。
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711:金木犀 2012/05/23(水) 06:42:30ID:L0Ei6.zw
『秘められたる神示』 谷口雅春先生
君民同治の神示講義(7)
しかし、そのような天皇の神聖性は、人民自身が「無」になって謙虚に天皇に対して回帰しない限りはあらわれない。傲慢に天皇を批判している者にとって、天皇の神聖性が理解されないのは当然のことである。
だから、「観る主體(民)の神聖性が包まれて蔽はれて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽はれて撥現しなくなるのは其のためである。
今の状態がそれである」と示されているのである。紅緑色盲に於いては、紅や緑の色彩が実際そこにあっても、自己自身に内在する紅緑の感覚が目覚めていないために、其処に紅緑の色彩をみとめることが出来ない。
それと同じく自己に内在する「神聖性」が包まれ蔽われて混濁している場合には、天皇の神聖性は蔽われて発現しない。
それ故に、「天皇の皇位を剥奪し、皇室費を停止して、天皇を唯のサラリーマン又は文教労働者となすべし」というような唯物論者の議論も生じて来るのであります。
唯物論者にとっては、人間はただの“物質の塊”以上のものではないから、その価値や尊さを、その能率的エネルギーの量に一般化して、それを平等に取り扱おうとするのは無理もないことであるけれども、
自己の内に「神聖性」が発現し、その「神聖性」を観る眼をもって、国家を観、天皇を観るとき、其処に、自己の神聖自覚の投影としての、神聖国家及び神聖天皇を観ることができるのであります。
だからこの神示には、
「人間は自己自身の神聖性のゆゑに神造の國家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなはち民自身が、天孫であり、神の子である自覺の反映にほかならない。
かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である」と時代に適応したところの民主主義に背反することなき、天皇神聖論をお諭しになっていられるのであります。
しかし、「民が主であり、君は客である」という表現をつかうと誤解を招くおそれがあり、「人民のほうが君主より偉いんだぞ、天皇は吾々の得た月給から納めた税金で養っているんだぞ」などというような間違った考えを懐くものも出て来る恐れがあるから、
神示は更にこれを綜合的立場から説明を加えて、「是を主客合一の立場に於いて把握すれば主客一體であり、君民一體であり、民は君を拝み、君は民を拝む」と説かれ、天皇の「治」を民を拝みたまう行事として、次のように示されているのである。
「民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝みたまふ“治”は君を拝むところの“事”と一體である。治事一體であり、治めると事(つか)へるとは一體であり、君民同治である。……」
このように神示によれば、政治とは権力階級が非権力階級を圧えつつ治めることではなく、
「民は君を拝み、君は民を拝む」――すなわち「君と民との拝み合い」ひいては「政府と国民との拝み合い」が本当の政治なのであります。近頃の政治を観ると、政府と国民とは「拝み合い」どころか、
「憎み合い」又は「争い合い」の様相を呈しているので、このような政府の要員や国民の代表にとってはこの神示は誠に好箇の反省資料だと思われるのであります。
併し現在の日本の状態は、天皇の神聖性などを観ることが出来る者は残念ながらきわめて少ないのであります。それは人民自身が自己の神聖性をみとめないで、自己をただの「物質なる肉塊だ」と観じている。
そしてこの肉体なる化学物質の反応の如き本能満足の要求を「基本人権」だなどと信じているのですから、「人民自身の絕對性の把握」など殆どない。
そして、“観られる世界”は“観る心”の反映であるから、天皇の絶対性など観得る人も殆ど無いのであります。そのことを此の神示には、
「天皇は絕對者にましますとは、観る主體たる人間(民)の絕對性より來る。民が自身の絕對性の把握が破れるとき、
その反映として國の絕對性と天皇の絕對性とは破れるのである。打ち續く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覺が破れたのが國家大權、天皇大權の一時中斷の形をもって現れたのである」という風に諭されているのであります。(完)
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