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Web誌友会 板/2

2226復興G:2013/07/11(木) 02:11:35 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

>>2221 :a hope様 つづき

>> 「唯神実相」 を悟らせることで衆生を悟りに導くのが生長の家の使命なのに、あのような二元論の長編詩を 「お経」 として練成会などで読誦してしまったら、せっかく真理を知って 「唯神実相」 に目覚めた信徒の魂を以前よりもさらに深く迷わせていまいます。とても危険なことだと感じています。

 わたしは、あの長編詩を 「お経」 として読誦することを即刻中止すべきだと思いますが、みなさまは、どう思われますか? <<

 あの長編詩について、私は>>2119

>>『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』などは、「神様から与えられたる素晴らしいお経」ではないと思います。
それは、雅宣総裁ご自身が、「私の書いた者は私が書いたのであって、神が書いたものではないから、“聖典”とは呼ぶな」という意味のことを言われており、このたび経本型にして出版されている詩の本も、当然のことながら“聖経”ではありません。それは、総裁が

≪生長の家の詩としては、谷口雅春先生の『生命の實相』第20巻(頭注版)聖詩篇に「生きた生命」や「光明の国」「夢を描け」など十数篇が「生長の家の歌」として収録されている。その筆頭は、現在「甘露の法雨」と呼ばれている有名な長編詩だ。これの後篇が「天使の言葉」であり、これらは生長の家の真理を凝縮した「聖経」として取り扱われている。私の長編詩は、形式としてはこれら聖経に似てはいるが、それに取って代わるものでは決してない。そうではなく、むしろ聖経で説かれた真理を引用しながら、聖経では強調されていなかった方面の教義−−例えば自然と人間との関係など−−について補強を試みている。読者諸賢からの感想をお待ちしている。≫

と、「唐松模様」に書かれている通りであります。

そして、私自身この『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』を読んでみての感想は――
聖経『甘露の法雨』には

   万物はこれ神の心、
   万物はこれ神のコトバ、
   すべてはこれ霊、
   すべてはこれ心、
   物質にて成るもの一つもなし。
   物質はただ心の影、
   影を見て実在と見るものはこれ迷。
   汝ら心して迷に捉わるること勿れ。

   神は遍在する実質且つ創造主なるが故に
   善のみ唯一の力、
   善のみ唯一の生命、
   善のみ唯一の実在、
   されば善ならざる力は決して在ることなし、
   善ならざる生命も決して在ることなし、
   善ならざる実在も亦決して在ることなし、
   善ならざる力即ち不幸を来す力は畢竟悪夢に過ぎず。

   すべて真実の実在は、
   神と神より出でたる物のみなり。
   神は完全にして、
   神の作りたまいしすべての物も完全なり。

と、「完全なる神」 のみ実在であると書かれているのに対して、「讃歌」なる詩は現象をありとする方から書かれていて、立ち位置がちがい、聖経とは全然ちがうものだと思います。文法的にも、文語的な表現に口語的表現が混入していて不統一で、おかしいです。<<

 と書いています。

 これは、ただの長編詩ではなく、聖経に似せてつくった 「似せ経」 であり、[人為]的に作った「偽」 経であると思います。([人為]を一字にすると[偽]になる)

 そのような、作者ご自身が「聖経に替わるものではない」と言われたものを、「聖経に替わるもの」のように、

「世界の幹部・信徒は、日常の聖経読誦に加え、『大自然讃歌』ならびに『観世音菩薩讃歌』の読誦を行い、神・自然・人間の大調和の実現を祈る。」

という運動方針書を作った教団幹部の責任、それを承認した総裁の責任は重大であると思います。

で、私は 「ニセ経」 は読みません、と言っていますが、

<あの長編詩を 「お経」 として読誦することを即刻中止すべきだと思います>

と言っても、何か重大なきっかけになるような事件でも起こらない限り、「即刻中止」ということは難しいでしょうね。


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