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Web誌友会 板/2

1273復興G:2013/05/21(火) 12:31:38 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 12>

 此の白髪白髯の神様のお姿は、一番最初に私の家内が見たのであります。『生命の實相』の中の一篇

に「生長の家の歌」と題する部分があります。『甘露の法雨』も其の一篇でありますが、その中に

「光明の国」と云う題の詩があります。此の「光明の国」の詩の校正刷が来た時に、それを校正をし

ておりました時に、空中にそういう白髪の裾まで神々(こうごう)しい衣を垂れたところの神様が出て来られたの

であります。この時私はこの神様と問答したのでありますが、この神様は「橘の小門(おど)の盡十方無礙

光、光明遍照の実相世界にいる神」と仰せられました。橘の小門の実相世界で伊邪那岐命が禊(みそぎ)せられ

たときにお生れになったのが住吉大神であります。

 一人だけで見たのでは、幻覚だか、白日夢だか判りませぬから、これだけでは価値がありませぬ。

ところがその次に、その同じ白髪白髯の神様のお姿を私の家内の同窓で高岡高等女学校出身ですが、

家内よりはずっと後に卒業した人で、当時、尼崎にいらっしゃいました長尾初枝さんと云われる人

が、昭和五年『生長の家』の発刊当時非常に熱心な誌友でありまして、頻々と私の宅へいらっしゃい

ましたのであります。ある日、私と対坐して神想観をいたしましょうと言って、対坐して瞑目合掌、

招神歌を歌ったのであります。ところが、その長尾初枝さんと云われる御婦人は、霊視の出来る人

で、肉眼には見えないところの霊魂の姿とか神様のお姿とかを見ることが出来るのでありましたが、

その時一緒に合掌対坐して神想観いたしますと、神想観を終ってから、長尾初枝さんが「先生の後の

ところにこんなお姿の神様がいらっしゃいました」と言われるのであります。その時家内は丁度階下

におりましたが、二階へ上ってきて、その話を聞いて、「その神様はこんなお姿の神様と違いますか。

私の拝したのは斯う斯う云うお姿でした」こう家内が言うと、「ああそれです。此処の顔の恰好はこ

うで、着物の素地(きじ)、恰好はこうで、こういう風な年齢で、髯(ひげ)はこうでした」と両方から互いに言い合

って見ると、別のところで、別の時間に、別の人が見たのですけれども、それが両人(ふたり)の見た姿が同じ

にピタリと符合するのであります。若しもそれが、あちらで見たお姿とこちらで見たお姿とが別のお

姿だったらそれは別の神様かも知れませんし、或は出鱈目(でたらめ)かも知れませんけれども、併し別の時に別

別の人が見たのを互いに言い合って見ると同じ相(すがた)だと云うのですから、それはやはり同じ神様だった

と云う事に断定して好いと思うのであります。
<つづく>


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