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Web誌友会 板/2

1039復興G:2013/05/07(火) 15:12:46 ID:AB6RqYXc

>>999 「訊け」管理人殿

書き込みに感謝します。
貴殿登場によりユタカ様もよろこんで出て来られたと思います。

遅くなりましたが、>>999>>1000の貴殿書き込みについてのコメントです。

>>・・・さて、雅春先生は(『生命の實相』20巻で)「心が変らなくても、救ってくださる神が欲しい」という趣旨の、慟哭にも似た感情を述べておられます。「心を支配すれば、人生が変わる。」そして、「その理屈は分る」と述べられて後、それでも「心という暴れ馬を乗りこなせない」との心情を吐露されておられました。いやこれ、大半の者が悩むテーマなのではないでしょうか。
 そして「ホレ、心を乗りこなしてみよ。そしたら救ってやるよ」なんて〝無理難題〟を吹っかける者を、果たして「神と称してよいのか」とも思えます。特に私のようないい加減な人間は・・・・(笑)。<<

ということで、榎本恵吾先生のご文章を引用されました。

榎本先生は、ご自身の悟りの境地から、ユニークなすばらしいご文章を書いてくださっていますが、谷口雅春先生の『人生は心で支配せよ』というご本について、それは、ひと言で言えば、「人間の心で支配するのではなく、神の心で支配せよ」と書かれているのだ、と言われたことがあります。

『人生は心で支配せよ』(谷口雅春著作集 第10巻)の巻頭には、先生直筆の御揮毫が印刷されて掲載されており、そこには

「自ら其の鋭を挫き光を和らげ言を慎む」
と書かれています。

これは老子の
「其の鋭を挫(くじ)き、其の紛を解く。其の光を和し(和らげ)、其の塵に同ず」
 (『老子』第4章より。<道を体得した者は、まずもって己の鋭さをくじかねばならぬ。また、糸のもつれたのを解きほぐさなければならない。次にきらびやかな光をぼかさねばならぬ。そして世の俗流とその歩調をあわせて行くがよい。>―諸橋徹次 解説。ここから「和光同塵」という四字熟語が生まれている)

という言葉を採用して書かれたものと思われます。つまり、自己主張をつつしめという意味の言葉が、『人生は心で支配せよ』の巻頭に掲げられているのです。ということは、「心で支配せよ」の「心」とは自我の心ではないぞ、と示されているのだと思います。

そして『人生は心で支配せよ』の第4章49頁には、次のような詩的なご文章が書かれています。

「世界は生きている。
 神の脈搏を打っている。
 神の呼吸を息している。
 この世界を支うるものは感性を備えた心である。
 この世界のたましいは神である。
 自然現象一切は生命の発現である。
 葡萄(ぶどう)の幹を流れる樹液にも、
 穀物の中に生きている胚種にも、
 樹梢(こずえ)に芽を吹く花蕾(つぼみ)にも、
 神の生命は脈動する。」

と。そして、

「吾等はは生命の脈動が常に搏(う)っている生ける宇宙の中に生活するのである。この宇宙は、創造を司る一つの霊によって造られたのである。……」

その霊は愛であり、無限であり、完全である。吾等も神の子として神に結ばれているのだ、と書かれていて、まさに榎本先生がおっしゃるとおり、それはひと言で言えば、「人間の心で支配するのではなく、神の心で支配せよ」と書かれているのだと言えるでしょう。

それが、谷口雅春先生のお悟りだったのだ。それで、榎本先生は
≪「實相は完全であるからこちらの力は何も要らない」というふうに、喜ぶのを遠慮しないことが「實相を観ずる」とか「自覚する」とかいうことであったのです。……≫

と書かれているのだと、私は思いました。


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