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Web誌友会 板/2

687復興G:2013/04/19(金) 22:58:01 ID:AB6RqYXc

>>684 :a hopeさま。

そうですね。

>>今現在、「生長の家」に不調和ばかり起こっているのは、わたしたち信徒の「心のレンズ」が曇っていて、實相と同調しない濁った想念(コトバ)を発しているからということになるのでしょうか? <<

そういうことになりますね。

しかし、です。

榎本恵吾先生の『研修のヒント』に、こうありました。

       ○

    三 今そのままで完全な實相を、讃え喜ぶことが「大懺悔」である

 懺悔には大懺悔と小懺悔のあることを、研修生の諸君はお聴きになったか、あるいは『生命の實相』等の聖典をお読みになってご存じのことと思います。

 小懺悔というのは要するに、心のあり方、行いのあり方、つまり過去のそれらについて、一つ一つ思い出して反省をすることに当ります。これはいわば煙草の煙を、火のついた煙草を持った手で消そうとするようなもので、ますます煙がつのるばかりであります。いくら努力しても混乱が深まるばかりなのであります。また小懺悔は、暗い部屋を明るくするのに、暗さをみがいて消して行って、光りが来てもいいように明るくしてから電燈をつけようとしているようなものでありまして、これでは永遠に部屋は明るくならないのであります。

 これに反して、大懺悔というのは、暗さを放っておいて電燈をつけるようなものであります。電燈をつけさえすればいいのであります。電燈をつけるのに当るのが、「實相を讃え喜ぶ」ことであります。「すばらしい、有難い」と喜ぶことであります。それ一つだけですべての不完全は消えるのであります。なぜならば、神は不完全をつくり給うていないからであります。

 神の創造し給うた世界には、不完全はない――實相の自分を素直に喜ぶことであります。暗ければ暗いほど、その暗さを忘れてしまって、明るさを持ってくることだけをやればよいのであります。たまには實相をみて自分をほめ、たまには現象をみてそれを無くそうと厳しく反省をする、というように、前を向いたり後ろを向いたり、していてはエネルギーの無駄使いとなります。それどころか心が前後に分裂してしまって、ノイローゼになってしまうのであります。ただただ神の子はまっしぐらに、光を喜んで前進するだけでよいのであります。

 あるとき練成を受けに来られた男のご老人がありました。「神の子である私は、すべてよくなる、ますますよくなる」ということを毎日毎日となえて、喜びの生活がはじまったのであります。

 ある日、田んぼに出られて畔(あぜ)の草かりをしていたのであります。「ますますよくなる。ますますよくなる。ありがたい。ありがたい」と喜びながらやっていると、チカッと何かが手にかみついたので、手をあげてみるとマムシがかみついていたというのであります。その人はそのままで、「これでよくなる。ますますよくなる」と言ったというのであります。マムシはバタッと落ちると逃げて行きました。

 それからその人は、マムシの毒のために意識不明になり、高い熱が出て、身体はゴム風船のようにはれ上り、一週間そのままの状態がつづいたのであります。それでもうわごとで「これでよくなる。ますますよくなる」と言っていたそうであります。だいたい、マムシにかまれてここまで生きておられるのがもう奇跡的なことなのでありますが、一週間たちますとハレがいっぺんに引くと同時に、実はその人は全身の関節リュウマチで、冬になると関節に布団針をさしこまれるような激痛に悩まされていたのでありましたが、そのハレが引くと同時にそれっ切り、その関節リュウマチが消えてしまったというのであります。
<つづく>


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