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Web誌友会 板/2

3421復興G:2013/12/09(月) 22:45:30 ID:AB6RqYXc

曳馬野さん

>> 日蓮宗を、学会を折伏できますか。<<

曳馬野さん

 生長の家で 「折伏できますか」 なんていう言葉を私ははじめて聞きました。

 生長の家でいう 「万教帰一」 というのは、折伏して帰一させようなどというのとちがうのではありませんか。

 「『生長の家』家族の祈願および修養」 の第2項に、

 「吾らは凡ゆる宗教が大生命より発せる救いの放射光線なる事を信じ、他宗をそしらず、他人の尊崇の対象たるものに敬礼せんことを期す」

 とあり、聖歌 「生長の家の歌」 は1番が基教讃歌、2番が仏教讃歌、3番が古事記讃歌、4番は万教帰一讃歌となっており、この全歌詞の中に一度も 「生長の家」 という言葉が出てきません。あらゆる教えの神髄を讃え拝むことによって、おのずから 「万教帰一」 が成就するのが生長の家の素晴らしいところであると私は信じていますが・・・・・・。


>> 見るものとみられるものとの分離の無い状態にならなければいけません。<<

 すでに、「見るものとみられるものとの分離は無い、一体である」 というのが生長の家の教えなのではありませんか。

 『新版 真理』 第7巻の第1章にも、「華厳の相即相入の哲学」 として、「外界と内界とは互いに相即相入――即ち互いに一つのいのちであります」 と、詳しく説かれています。

 自然は、外界ではなく、自己そのものです。

 自然と人間が対立して争いあっているなどと見るのは、迷いであると私は思います。自然と自己は一体で、すでに大調和している、という実相を説くのが生長の家の教えなのではありませんか。


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