したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

Web誌友会 板/2

3342復興G:2013/11/27(水) 14:54:35 ID:AB6RqYXc

 さて、>>3340 で謹写引用させていただいたご文章のつづきに、次のように書かれています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 杉野――今日、日の本足袋の松並さんから一冊のパンフレットを送って来ました。ひらいて見ると高橋正雄さんの講演で、なかなかおもしろいことが書いてある。極楽というものは高い所にあるのかと思っていたら、地獄の釜の底にあったということが書いてある。

 地獄から逃げ出したいと思うから苦しいので、地獄の方へ突進して、地獄の底に衝突して、地獄の底をブチ割ってしまったら、その地獄の底の下に極楽がある。

 家庭の借銭問題でも、あいつは血も涙もない鬼のような奴じゃという、そこにはや地獄ができている。この地獄からのがれる道は、借銭を逃れようとすればするほど地獄の鬼が追いかけて来るので、借銭を愛するようにしなければならない。

 借銭を愛するというのは、その借銭のいうことをきいてやるようにしなければならない。借銭は何をしてくれというかといえば、その要求するところは、ただ「払ってくれ」ということである。だからこの借金の問題を解決するのは、借金を愛して、借金の要求たる 「払ってくれ」 ということをきいてやりさえすればよい。そして問題のまっただ中へ飛び込んで、それを払うように一所懸命に働けば、地獄の釜の底がブチ割れて、地獄だと見えていたところのものから極楽が出て来るというのです。(中略)

 ……というので高橋正雄さんは以前のままにその家に住むことになったのです。そしてそんな立派な家に住むことができるようになったのは、借金があったからこそのお蔭である。借金が恩人であるから、その恩人のいうことをきいてやらねばならぬ。借金はありがたい、借金の力でこうして住まわしてもらっているのじゃ。だから、その恩人のいうこと 「払ってくれ」 という要求を叶えねばならぬと決心した、そこに無限の働く力が湧いて来て、間もなくその借金を払ってしまったというのです。

 谷口――(前略) 高橋正雄さんは 「借金はありがたい、借金のオカゲでこの家に住まわせてもらえる。借金を忘れぬようにしなければならない」 と思って、毎朝 「わしには借金があるんだぞ、獅子奮迅(ししふんじん)」 と大声に叫んで、借金のことを忘れずに、獅子奮迅の努力をして行かれることにせられた。

 これは高橋さんのような道徳的天才にしてできたことで 「わしには三千円の借金があるんだぞ」 と思うだけで、ウンザリして意気沮喪してしまう人もたくさんあります。親の借金をこんなにたくさん背負わされてばからしいと思って、反対に自暴自棄になる人もある。それに、高橋さんは 「わしには借金があるんだぞ。獅子奮迅」 と毎朝大声で叫ぶという事によって、獅子奮迅の力が湧いてきた。

 これは語尾の 「獅子奮迅」 という言葉の力が働いていることは見のがせないのであります。これとは反対に 「わしには借金があるんだぞ。意気沮喪」 とか、「わしには借金があるんだぞ。失望落胆」 と呼ぶようにしてごらんなさい。失望落胆、意気沮喪して働く勇気が出て来ないのであります。だから借金という悪いものを背負っている自分だということを思い出したのが、高橋正雄さんに獅子奮迅の力を出させたわけではない、この事実を見のがしては真相を見のがすことになるのです。

 それでは高橋正雄さんが 「わしには借金があるんだぞ、獅子奮迅」 と、偶然に 「獅子奮迅」 という言葉をつけたから、単に言葉の力だけでそんな獅子奮迅の力が出て来たのであるかと申しますと、それだけでもない。わしにはこんなに借金があって逐(お)い出されてもしかたのない自分であるのに、こんなに良い家に住まわせてもらっているのは、これ天地から生かされているのである、ただありがたい、自分の力で生きているのではない。

 天地をつらぬく生命が自分に宿って生かそうとしているのである――というありがたいという気持ち この実相を知るありがたい気持ちは、小我の力を否定して、「大生命われに宿って生きる」 の自覚である。この自覚があってこそ 「獅子奮迅」 という言葉も自然に出て来たのであり、その言葉の力も生きて来たのであります。(後略)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板