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Web誌友会 板/2

4671トキ:2014/12/07(日) 21:23:10 ID:PIBoJmSc
 谷口雅春先生の教えで、「神」と「法則」の言葉が出てきた場合は、いわゆる
「縦の真理」で言及される場合もあれば、「横の真理」で言及される場合もあり
ます。

 例えば、聖経 続々甘露の法雨の中にある、

 「神の子 人間」の上には、神の法則のみ支配す。

とあるのは、縦の真理と理解するのが普通でしょう。一般論として使う場合は、
「神」と「法則」が出てきた場合、大半は「縦の真理」で理解すべきです。

 ただし、「心の法則」での説明と理解すべきあと思われる場合もあります。

「人間そのものの発見とその自覚」(谷口雅春先生著)のP210にある、
「法則としての神と個別的人格としての神」というくだりは、横の真理と解釈する
のべきだと私は解釈しています。

 「神は法則である」という言葉が、生長の家の講演などで使われる場合は、だいたい
「不昧因果」(ふまいいんが) に近い意味に使われています。「神は法則である」と
出たら、だいたい、「だから、えこひいきしない」という言葉が続くのが普通です。もっとも
これは繰り返しますが、私個人の理解ですが。

 特に、総裁がこの二つの言葉を

>>「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」

という理論を正当化する根拠に使ったなら、これは「横の真理」の例えとして使ったとしか
考えられないからです。(「縦の真理」だと、これは疑問の余地なく間違いになります。)

 以上、ご説明申し上げました。

 さて、誌友会に戻ります。

(つづく)


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