[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Web誌友会 板/2
3960
:
志恩
:2014/05/29(木) 06:12:58 ID:.QY5jUA6
第13巻p177に「善の三相応」という題で説かれている頁がございます。
>>「善」の動機説、精神内容説は古来から唱えられている。
その説に従えば、
動機さえよければ、その行為の精神内容さえよければ、
形はどうでもそれは「善」であるとみとむべきであるというのである。
人類のためだという動機ならば、手段としての行為はどのようなものでも、また
どのような結果を招いてもその行為は「善」であるというのである。
これは谷口倫理学では、排斥するところである。
動機が善であっても、それが不結果を招くのは、その動機としての彼の行為を指導し、
彼を行為にまで駆るところの精神内容に、すべての場合や条件を尽くさざるところの
不完全さがあるということを暴露しているのである。
不完全は「善」ではないから、不結果を招くような動機も手段も「善」とはいい難いである。
(略)
p179
・・・善を完うするのは、人間(肉我)にはできないことであるが、神にしてのみ
能うことである。(略) 自我の転換である。
・・小知で善をなしたと小善ぼこりをしていても、必ずそれは悪に変じているのである。<<
以上のように、
排斥すべきところは、しっかりと、排斥するのが、谷口倫理学。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板