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Web誌友会 板/2

5784純粋教理批判:2015/09/25(金) 11:34:54 ID:DD4jWV6M
>「生長の家の教え」では「神とは人間の実相」のことですから、
「神が人間に与えたもうたもの」ということになると、
「人間が人間自身に与えたもうたもの」ということになってしまい表現自体に違和感を覚えるのですが・・・。

「神とは人間の実相」というのはわたしもはじめて聞いた言いまわしです。しかし、神一元の世界であればすべては神ということなので間違いではないのでしょう。

文献をだせといわれても無理です。「神は人間に自由なる意思をあたえた」とする表現が仮にあるとするなら、ホープさん流の神一元の考えでは「人間が人間に自由なる意思をあたえた」となってしまい、違和感を覚えるに十分な表現となってしまいます。

しかしこれを言い換えれば「神は神に自由なる意思をあたえた」となるわけですが、これはいい得て妙といった表現です。「神は完全なる世界をつくった」とする表現は「神は完全なる神をつくった」となり、「神は完全なる人間をつくった」はこれもまた「神は完全なる神をつくった」となるからです。

「神は〇〇に〇〇をあたえた」は「神は神に神をあたえた」となり「神は〇〇なる〇〇をつくった」は「神は神なる神をつくった」となります。神一元の神は、ふれるものすべてを金に変えたというミダス王のごとく、あらゆる対象を神へと変えてしまうようです。教えを信じていたころから教えにたいする違和感をどうしても解消できずにおりました。もしかしたら違和感の正体はこれであったのかもしれません。

「完全なる証明には外部が必要」とするゲーデルの定理が示すごとく、内部だけですべてを説明しようとするものは、すべてのものを自分に回帰させてしまうミダス王になるよりほかはない。そんな気がいたしました。


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