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Web誌友会 板/2
295
:
初心者
:2013/02/18(月) 21:29:52 ID:4YcI.wfQ
トキ様
>よく生長の家で説かれるのが、幻灯機というか、スライドの上映の図をもって、実相と現象の喩え
に使われます。ランプがあって、フィルムがあって、レンズがあって、最後にスクリーンに投影され
る、という仕組みです。ランプやフィルムまでが実相世界で、それは完璧だが、レンズに曇りがある
と、スクリーンがおかしくなる、という話になります。このランプは変わらなくても、フィルムが
変わるという発想をするのなら、”個体の実相”を谷口雅春先生は説いておられない、という事は可能
かもしれません。実際には、フィルムではなくて、「流体の実相」が変化をする、という考え方は
可能だと思います。
上記の説明がなされるかぎり、「固体の実相」を想定するのは困難と考えます。もし
も上記の説明を取り入れながら、しかも「固体の実相」を「あり」とするならダブル
バインドがかならず生じます。
「固体の実相」を想定しないのであれば、上記のような説明でなされる雅春先生の
教えの基本的な思想は、それほど特別なものではないという気がいたします。
「固体の実相」を取り入れた瞬間にダブルバインドが生じ、それは特別なものとなります。
本流独特の尊大さは、「固体の実相」を取り入れたことに源流があるのではないか
とわたしはみております。「固体の実相」を否定できれば、雅春先生の教えは特別
なものではなくなり、本流はその尊大さを維持できなくなると考えております。
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