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Web誌友会 板/2

3900a hope:2014/05/11(日) 14:19:32 ID:cEpBaIdo

>>3899 曳馬野さま


<<この答えですと、垂れ流しの企業の生き方と、被害にあった人の生き方の両方についてのものになっていないように思いますが如何ですか。
無限の繁栄の裏側に、犠牲になった人がいた。その人たちを真理を伝えることにより救うとはどのようなことですか?>>

「生長の家」の教えでは、『現象は本来ない』『現象は影である』ですから、
その真理から言えば、現象世界における無限の繁栄など影であり、犠牲になった人などもいないということになります。

本来、実相(神)しかないわけですから、その実相(神)の心が呼び起されれば、現象(影の世界)も変わるのだと思います。

その真理をお伝して、人々を救済するのが「生長の家」の使命なのだと思うのです。



<<【どんな現状であっても、全てに感謝して生きていけたらいいなと思います】ということですと企業の責任は問わずと聞こえるのですが。>>

わたしは、あくまでも、「生長の家」の「生長の家」式唯神実相世界観の立場から考えて発言しています。

現象世界の企業の責任問題を追及するのは、「生長の家」の役割(使命)なのでしょうか?


<<これを教団の在り様を虚説に基づくとして非難する事により、生長の家の環境をきれいにしようとする事の整合性が分かりません。>>


ですから、もし、経団の考え方(在り様)が現象人間の環境を破壊した罪を認めてしまっていて、
その償い(対策)として環境保護運動をしているのであれば、それは物質(破壊された環境)も、人間の罪も認めた運動ということになってしまいます。

「生長の家」の教えは「物質なし」「罪なし」が教義の基本です。

だから、わたしは、もし、現教団が上記のようなお考え(立ち位置)で環境保護運動をされているのであれば、
それは、「生長の家」の教えからみれば間違った運動方針(虚説?)なのではないかと感じてしまうのです。

誤解して欲しくないのは、わたし自身は「環境保護運動」には大賛成なのです。

問題は、それが「生長の家」式唯神実相世界観の立場からのものでないといけないのではないかと思っているのです。

曳馬野さま、これがは今のわたしにできる精一杯のお答えです。
わたしは、完全に「生長の家の唯神実相」を悟ったわけではないので、これ以上のお返事は無理だと思います。

ご理解いただけるとうれしいです。

また、こちらをご覧のみなさま、ご意見をいただけるとさらにお勉強になると思います。

よろしくお願いいたします。

感謝 合掌。


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