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Web誌友会 板/2

5177a hope:2015/02/10(火) 00:33:22 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p31 

谷口―― 自分のそとに神様を求めるから解らなくなるのです。自分の内にある生命力――これを神様と見ておれば、だいたいまちがいないのです。自分をアミーバ-のような小体から、現在のような複雑微妙な人体に造り上げた不可思議な生命力――この生命力は、どんな医学者、生物学者よりも、偉大な力をもっている。どんな医学者、生物学者でも胃袋の一片をも製造することができない。

学者は、この不思議な生命力の歩いた足跡を調べてみるが、それは不思議な生命力の行く先にいろいろ実験的に何物かを置いてみて、こうすればその生命力はどういうふうに歩みを変えるかと観察しているにすぎないのです。学者は観察する、ただそれだけです。創造(つく)るのは神のみです。自分の内にやどる生命力のみです。


山本(医博、画家の父)――なるほど〝There is no God, I am God.〈神は余所(よそ)にいない、自分が神だ〉というわけですね。三十年前にわたしはインディアン・コイン(インディアン貨幣)を手に入れたことがあります。だいぶ古いものですが、四角な銀で造ったものでして、それに梵語でなにかかいてある。それを二人の外国人に翻訳させて、両方比較してみて誤訳のないことを確かめてみたのですが、それは「神は余所(よそ)にいない、自分が神だ」と書いてあったのです。

「自分が神だ」――わたしは余所へ交渉に出かけるようなときには、このインディアン貨幣を持って出ると必ずその交渉に成功する。妙なものですねえ。「自分が神だ」という観念があるので、心に自信力ができて心の力で成功するのですねえ。


谷口―― そうです。「自分が神だ」というのが「生長の家」の信仰なのです。「自分が神だ」といっても何も傲然と構えて相手を軽蔑するわけではないのです。自分が神だと解ったら他(ひと)も神だと解るのです。だから他をも尊敬するようになれるのです。人皆に「自分は神だ」と自覚させるようにするのが「生長の家」の教えなのです。

ある宗教では神を自分と懸け離れた手の届かないような非常に遠い所にいられるもので、どんなに修行しても近づけないもののように説いていますし、ある一派ではキリストだけが神の一人子(ひとりご)であって、他の人間は神の子ではないようにも説いていますし、またある宗教では、その宗祖だけが神の顕現であって、他の人間は下らない無価値な凡夫のように説いていますが「生長の家」ではみんなに「自分は神だ」というメダルをぶら下げさせるのです。そのアイ・アム・ゴッドのインディアンの貨幣は大変結構な護符ですねえ。


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