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Web誌友会 板/2

2743復興G:2013/09/08(日) 13:00:12 ID:AB6RqYXc

 ――前記二つの 「祈り」 の言葉を見比べますと、字面を見れば、後者(「すべては一体」 と実感する祈り)の方が一見すると美辞麗句があふれていて 「進化した」 祈りのように見えます。しかし、それは決して 「深化した」 祈りではなく、五官の世界、本来無い世界から見て作られた言葉で、五官には快くひびいても、魂の深いところには響きません。

 それは、谷口雅春先生の祈りは 「久遠の今」 なる創造の本源世界に立たれての祈りであり、雅宣総裁のそれは本来無い現象世界を 「有り」 と見て、前者をまねて作られた祈りの言葉であるからだと思われます。

 時恰(あたか)も、2020年オリンピックは東京開催と決まった、喜びのニュースが流れています。

 現在の異常気象は、海面の温度上昇が原因で起こったいると言われます。そして地球温暖化はCO2の増加が原因だという説が支配的です。それが本当なら、オリンピックには世界からたくさんの人たちが航空機に乗って移動しますから、その燃料消費は温暖化を加速する。だからもうオリンピックはやめた方がよいという議論が出てきてもよさそうです。

 しかし私は、素直に2020年東京オリンピック開催決定を喜びます。それは、神計らいのように思われるからです。

 なぜそう思うのか。それについては、項を改めてじっくり書いて行きたいと思っています。

 皆さま、ぜひ 「web誌友会参考文献板」 の >96 以降に謹写掲載させていただいています谷口雅春先生の御文章を、じっくり読んで下さいますよう、お願いいたします。そして、次も――

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(谷口雅春先生著 『光明法語』 より)

   九月九日の法語 大生命の歓喜

 大生命は内に無限の可能性を包蔵し、外に機会ある毎にその内蔵する可能性を顕現しようとする。而して内にあるものが外に表現せられた時に歓びを感ずるのである。

 それは画家が自己の内にある美を絵に表現せられた時に歓びを感じ、音楽家が自己の内にある感情を音楽に表現せられた時に歓びを感じ、舞踊家が自己の内にある生命の衝動を舞踊に表現し得た時に喜びを感ずるのと同様である。大生命は森羅万象を自己に内在する美と感情と衝動とを表現せんが為に造った。

   九月十日の法語 無限の生長と前進

 かくて大生命の創造は、大生命の歓喜の爆発であるとも言える。大生命は内に無限を包蔵する故に、その表現されるものは常に一層大きく、一層豊かに、一層美しきものであるほかはない。それは無限の生長であり、無限の前進である。

 時として過去に見出すことが出来ないところの全然新しいものを創造するのである。その新しき創造はつきることはないのである。大生命は無限の新しきものを内に包蔵する。その大生命が吾らのうちに流れ入って吾らの生命となっているのだ。

   九月十八日の法語 神の生命の歓喜

 神は生命の歓喜によって人間を創造したのである。神は生命の歓喜によって大自然を創造したのである。

 美しい緑の若葉は神の生命の歓喜を物語る。牡丹(ぼたん)の豊艶(ほうえん)なる、海棠(かいどう)の幽艶(ゆうえん)なる、白百合(しらゆり)の清楚(せいそ)なる、桜の爛漫(らんまん)たる、梅花(ばいか)の孤峭(こしょう)なる……数えれば限りはないが、いずれも神の生命の歓喜の発露であるのである。

 万物は、すべて神の生命の歓喜の発露であり、表現であるが、「神の生命」 そのものの発露であり表現であるのは 「人間」 である。人間が喜べば神が喜ぶのである。

   九月十九日の法語 歓喜の創造

 歓(よろこ)ばない人間は、神の生命の歓喜の出口を閉塞(へいそく)するものである。喜ばない人間は健康になることが出来ない。喜ばない人間は栄えることが出来ない。喜ばない人間は勝利することは出来ない。喜ばない人間は如何に盛んなように見えても最後に挫折するのである。

 イザナギの神様は 「あなにやし、好乙女(えおとめ)」 と歓喜して世界を創造したのである。イザナミの神様は 「あなにやし、好男(えおとこ)」 と歓喜して世界を創造したのである。喜ばない人間は創造することが出来ない。歓びは創造する力である。


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