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Web誌友会 板/2

3255復興G:2013/10/28(月) 11:27:15 ID:AB6RqYXc

<< 救われるということは、人間がその本来の生命の自由を得るということであります >>

 と、上記 >>3254 にありました。

 これを拝読して、思ったこと――


 「救われる」 ということは、「解放される」 ということである(解脱)。

 人間はみんな 「自由」 を求めている。

 イエス・キリストは、新約聖書ヨハネ伝第8章31〜32節で、

 「汝等もし常に我が言(ことば)に居らば、真(まこと)にわが弟子なり。また真理を知らん、而して真理は汝らに自由を得さすべし」

 と言っています。このイエスの言葉

 「我が言(ことば)に居らば」

 とは、どういう意味でありましょうか。

 それは、同じくヨハネ伝の第1章1〜4節に

 「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬(よろず)の物これに由(よ)りて成り、成りたる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」

 とあります。その 「太初(はじめ)」 とは、時間も空間もまだ現れない前の、「未発の中(みはつのちゅう)」 すなわち 「久遠の今」 である。その 「太初(はじめ)」 にある 「言(ことば)」 に 「居る」 とは、神の生命そのもの、光そのものを生きる、「吾が生くるは吾が力ならず 天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)」 と、己をむなしくして天地に満ちる生命をただ喜んで感謝いっぱいに生きる、ということでしょう。

 それは、釈尊が 「天上天下唯我独尊」 と言われたように、「我れの外にあるものなし、自分は一切者である」 というところに立つこと。

 そこが 「生長の家」 である。

 それが、すべての教え(万教)の 「奥座敷」 である。

 そこに到ると、自ずから万教は一つに帰して、即、和解できてしまう――ということになる。

 「外にはない、すべては我が内にある」

 これがキーワードだと思いました。


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