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Web誌友会 板/2

2153志恩:2013/06/26(水) 03:30:19 ID:.QY5jUA6
こんにちは様

復興G様もそうですが、こんにちは様も、榎本恵吾先生と親交がおありになったお方のようですね。
私は、本部に恵吾先生がいらしたころの、まだ幹部候補生でいらしたころの、
まだ お若くて無口でいらしたころの恵吾先生時代しか

知りませんので、宇治へいらしてからの、榎本恵吾先生をよくご存知の方々を、羨ましく思います。
恵吾先生の追悼文集「おわりなくはじめなく」は、恵吾先生のエピソード満載なのですけれど、

金太郎あめのように、どこから切っても 同じである 裏表の無い 信仰の天才、愛すべき人柄でいらした
誰に対しても、ものすごく愛深く誠実でいらした恵吾先生の素顔が偲ばれます。

平成17年7月12日「榎本恵吾先生」は、座亡で逝かれたそうですが、

座亡(座ったまま亡くなる事)で逝くことの出来る人は、余程の悟りの開けた篤い信仰者のみだと聞いた事ありますけれど、
これ1つとりましても、並のお方ではなかった。
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亡くなる当日の事も,宇治のvoiceに書かれてあります。
楠本先生のお話〜

(簡略化して書かせて頂きます)

7月12日、早朝3時半から神癒祈願をされて、4時半からの幽斎殿での神想観の先導をしてくれた。

5時10分からの大拝殿の早朝行事(神想観、聖経読誦)にも、いつもの様に一番前で
元気のよい大きな声を出していた。

9時の全体朝礼の時も一番前に坐っていた。
10時の部長会議にも出席した。
13時の幽斎殿での神想観の先導もした。

すべての行事を果した後、気分が悪くなったので帰宅したのであった。
その時、奥様に連絡があり帰宅、御主人と共に聖経「甘露の法雨」を誦げつづけた。
すると突然倒れた。つまり坐亡だったわけである。高級霊でした。

そして、
20年間、一日も休まず早朝行事に出席されていた。
神癒祈願部長として。毎日、5000人の祈願をしていた。

お通夜にも告別式にも多くの人が参列して中講堂に入れきれず外にも立っていた。
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20年間、一日も休まず、皆勤で早朝行事に 出席されていらしたということも、
口先だけでなく、実際に 実践されていらしたことを 物語っているなあと、
榎本先生の生き方に、ほんとうに感動しました。


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