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Web誌友会 板/2

540元青年会員です:2013/03/11(月) 07:19:01 ID:zOkAUrF2
WEB誌友会ありがとうございました。
私も学ばせていただきました。

>>520 復興Gさま
この「自然と人間の大調和を観ずる祈り」は、私には雅宣総裁の偽らざる本心であると感じられます。
客観的な評論的な話ではない、雅宣総裁個人の心を感じます。
それは私の胸に、強烈に痛々しく響いてまいりました。

それは生長の家総裁としては、問題のある祈りであるかもしれません。しかし私は、生長の家総裁以前の人間谷口雅宣として見る時、必ずしも問題だとは思えないのです。
この総裁の祈りは現象に心とらわれた迷いであるかもしれませんが、人間の良心というものを痛く痛く感ずるからです。

そこに私は、谷口雅春先生の、日本國體や人類滅亡の危機への痛切な叫び声を重ね合わせて想います。
お二人の思想には異なる部分がありますが、その言葉の悲痛な響きがとても似ているのです。そして、その裏側には深い愛情が流れていることを感じます。

私には、雅宣総裁の述べる真理の言葉よりも、この「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の方が谷口雅春先生を連想させます。本心より発する生身の言葉だと感ずるからです。
(残念ながら、雅宣総裁の真理の言葉には、谷口雅春先生のごとき喜びが感じられません)

私が思うには、雅宣総裁は、生長の家を悟る以前の谷口雅春先生に似ていらっしゃる感じがします。
現象世界の問題に苦しみ続けられた、若き日の谷口雅春先生に。
雅宣総裁の提唱するノーミート運動にも、そうした強い傾向を感じます。

若き日の迷える谷口雅春先生は、罪にまみれた自分自身の汚らしさに苦しみもがいていらっしゃいました。
つまり、現象世界の問題は外側の問題ではなく、自分自身の問題でありました。
そうであるがゆえに、その苦悩は私たちの想像を絶する痛み苦しみであったでしょう。
それはキリストの十字架にも似た、人類全員が背負う根源的な悩み苦しみでありました。

その生きる本源からの痛ましい苦悩こそが、輝かしい光明思想の生長の家を生み出したとも言えましょう。

雅宣総裁はおそらく、魂の奥深くでご自分を審判いて(さばいて)いらっしゃるはずです。
若き日の谷口雅春先生ほどの死ぬような苦しみではないにせよ、ご自分を責めていらっしゃるはずです。
そこに、私は人間谷口雅宣の良心を感ずるのです。人間誰しもが心深くに持っている、深い苦悩を感ずるのです。

残念ながら、それは生長の家総裁としては問題があるかもしれません。
雅宣総裁が、その深き苦悩から光明思想へと飛躍すれば良いのですが、それは今世では難しいかもしれません。
なぜなら雅宣総裁は、残念ながらまだ、自然破壊する人類の問題をご自身の問題として、十分には引き受けきれていないように思えるからです。

谷口雅春先生は、全人類全生命の問題を自分自身の問題として、十分に引き受け切っていらっしゃいました。
そうであるがゆえに死ぬように苦しみ、そうであるがゆえに必死で救いを求め、そうであるがゆえに「罪なし!人間は皆、神の子である!」の真理に目覚められました。

雅宣総裁は、そこまで自分自身の根源的な心に正直になることは出来ないのでしょう。
CO2削減という物質レベルで解決しようとしていること自体に、本質に触れ得ていないものを感じます。

ですが、十分ではないにしろ、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」には、雅宣総裁の人間としての良心がある、と私には思えるのです。
それは、谷口雅春先生の良心にも通ずるものだ、と私には思えるのです。

このような雅宣総裁をいただいたことには、トキさまのおっしゃるように、神の深慮というべきものがあるかもしれません。
しかし、私にはそれ以外の理由もあるような気がしています。
それは、生長の家信徒としては禁句であるかもしれませんが、あえて言います。
「生長の家に内在する迷いが、雅宣総裁を通して顕在化している」
言い換えれば、こうです。
「谷口雅春先生に残る迷いが、雅宣総裁を通して顕在化している」
そして、こうも言えます。
「谷口雅春先生の求道を支えた良心が、雅宣総裁を通して顕在化している」

つづく


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