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Web誌友会 板/2
1543
:
ユタカ
:2013/05/31(金) 16:43:10 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま おかえりなさい。 みなさんにいろいろ教えていただいていました。
私のそのままでいいとわかったのは1490にもつうじるのですね。。。よく分かりました。
あと、分からないのは、総裁の中心帰一に通じるとあったことです。 どうして総裁への中心帰一に通じるのでしょうか?
もしかして、、、ユタカは分かっていないのかも・・・・ と思いました。下記に、こんにちはさまから教えていただいた『そのままでよい』の内容はここだ!!と思ったところを貼り付けます。
>つまり、構える心がなくなる。
『「善」という立場すらも捨てて、「そのまま」になる』ということでしょう。
実相という立場をも捨てよ、と。
谷口雅春先生は、
『「そのまま」は、もう善悪の立場を超えて、絶対と「一つ」になっているのであります。』とおっしゃいます。
本当に実相独在に立てば、実相と自分が完全にひとつだから、もはや実相はどこにもない。
自分のそのままの生活が、何でもない暮らしが、そのまま実相なのであります。
「これが実相、これが実相」と握り締めることが無くなり、自然体になる、ということでしょう。
これを、
>>1458
『平常の心が其のまま「道」である』と説明されています。
さらに、
>>1459
『「構える心」は「対立の心」である』として、実相独在にこだわる心と、あらゆる立場を捨て去った心について説明されています。
立場を捨て去った心のことを、「これを円融無礙(えんゆうむげ)と云います。」とも説明されています。
これらの説明をふまえて、
>>1463
『というわけで、「雨が降ったら傘を縕(さ)す」ように、闘争精神がある中で平和を得るには、「力のバランス」という傘をさす。』
『雅春先生は、現象の悪を認め、「生長の家の教え」から外れることをされた、ということにはならないのではないかと、私は思います』
という復興G様のご指導につながるのだと思います。
要は、「当たり前の判断をして生活しなさい、それが実相を生きることですよ」ということですね。
腹が減ったら飯を食う。
眠くなったら布団に入る。
盗人がウロウロしていれば鍵をかける。
それが禅の生活である。
思うに、感謝も、愛も、礼拝も、無限力も、生かし合いも、健康も、人間の当たり前の姿の一面相です。
しかし、一面相にこだわると、それはもう実相じゃない。
実相は、どんな姿も立場も超えて自由自在である。
それは当たり前を生きることである。
なので
>>1542
のそのままでよい と分かったと 復興G様に言われて今理解しました。(ジャンジャン)はい、眼覚めました!という心境です。
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