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Web誌友会 板/2

1656復興G:2013/06/07(金) 21:06:06 ID:AB6RqYXc

<つづき>

  各将軍たちの感想

 右の如き勅語問答を、その頃問題の人であった眞崎、柳川両将軍にお話ししたら(二人は叛乱将校たちの与望を負っていたから、統制派から憎まれていた)、二人の将軍は眼に涙を浮かべて何も言わなかった。事件当時の陸相であった川島大将に話をすると、同じく涙ぐまれて、

「ああ若(も)しそういうお言葉であったらなァ……」
といわれた。さらに皇道派の間に立って、散々苦労をせられた林陸相は
「そういう勅語を賜ったのならば、これほど有り難いことはなかった。そうすれば万事よくいったのだが……残念であった」といわれ、これも涙をおさえられた。

 私は今でもああいう勅語を奏請した広田首相等及び、それをそのまま看過した湯浅内大臣は、非常な誤りを犯したものだと考えている。

  筆者と内大臣の第二の問題

 今一つ、私が湯浅内大臣に進言したいことは、「叛乱将校たちが勝手に兵を動かし、そのうえ重臣たちを殺傷した罪は万死に値いする。それゆえ彼等が如何なる極刑に処せられても、私に異論はないが、ただあの人たちは全く純真に国を思い、陛下の御為と思って事を起こしたのであるから、陛下に対する叛逆の罪名だけは、彼等が処刑される以前に取消して戴きたい……そうしないと彼等は浮かばれないです」ということであった。

 湯浅内大臣は一向平気な顔をしているので、私はさらにいった「若し彼等を叛逆者として処刑したならば必ず今後にたたりをなすでしょう」

  栗原中尉は幽鬼となった

 さらに栗原安秀中尉は、銃殺の刑と聞いた時、どうしてもそれが信じられない。

 「わしが銃殺されるなどという事があるものか」と言いはった。つまり彼はこの純真に天皇の御ために起った自分が、如何に間違っても銃殺などされるはずはない」と信じて疑わなかったのである。その愚かさを笑う者は笑え、私にはどうにも笑えないのである。栗原中尉の遺書にいう。

 「……余万魁の憾みを呑み、怒りをふくんで斃れたり。我が魂魄、この地に止まり、悪鬼羅刹となり、余は断じて成仏せざるなり、断じて刑に服せしに非ざるなり。余は虐殺せられたり、余は斬首せられたり(中略)」

 「余輩国家の非常時を座視するに忍びず、可憐なる妻を捨て故旧と別れ、挺身ここに至れり。而もその遇せられるこの状なり。何んぞ何んぞ安心立命する能わんや」
 死体下げ渡しの報に接して駆けつけた栗原中尉の父親は、棺を開けて見ると栗原中尉の顔は無念の形相凄まじく、到底二た目と見るに忍びなかったという。父親はたまりかねて、

 「安秀、よくやった。お父さんはお前のやったことに満足しているぞ」

 といわずに居られなかったという。


  嗚呼皇軍この日に滅ぶ

 拙著『天皇と叛乱将校』には、この事件の結論を下記の如くに書いてある。率直にいえば、叛乱将校達を反逆者として処刑した時、大元帥陛下の率い給う皇軍すなわち天皇の軍隊は滅んだのである。

 彼等を銃殺のために撃った銃声は、実は皇軍精神の崩壊を知らしめる響きであったのである。しかもその銃には菊の御紋章の入っている銃で、刑死の瞬間まで尊王絶対を信念とした人々を、極度の憎しみで射殺したのである。この深刻な不祥事の国運に及ぼす悪影響を思うと、戦慄せざる者は神経の麻痺者であろう」

 かくして忠君や尊王をいう者が馬鹿者扱いされる時代が始まったのである。私のこれらの言葉を誇張であると思う者は、その恐るべき我が国運の推移を見るがよい。
<つづく>


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