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Web誌友会 板/2

723復興G:2013/04/21(日) 14:27:51 ID:AB6RqYXc

>>721 :a hope様。

反応が遅くなって、すみません。

>>『神ひとに語り給ふ』は確か絶版になっている聖典で、購入することはできませんでしたが、ありがたいことに、光明掲示板でコスモスさまが内容をすべて謹写してくださっています。<<

それは、ありがたいことですね。
私も全文アップできるように用意はしていましたが、その一部ずつしか掲示はしていませんでした。

>>以前のweb誌友会で「七つの燈台の点燈者」と「生長の家大神」「住吉大神」との関係を、ユタカ(なせば成る我ハ神の子)さまや復興Gさまや他の投稿者のみなさまが話合われていたのを思い出し、・・・<<

ありがとうございます。

私も、その「トーキングスティック板」と、第1回WEB誌友会が開催された当時の「部室板」を読み返してみて、よく書かれているなと、感心しています(笑)。
ユタカ様が、『生命の實相』第1巻巻頭になぜキリスト教の「黙示録」が出てくるのか? またその「七つの燈台の点燈者」は住吉大神であると言われるわけは? といった質問を出され、それにお答えしたものでした。

私は、「光明掲示板」に書かれている中村晃生氏の「マサノブ教批判」シリーズに、「ご神像」のことも出てきましたので、最初から全文をダウンロード、プリントアウトして読み、それに対し同意できるところと反論すべきところを書いてみようとしていました。

そのことにも関連しますので、まずは、前記の<七つの燈台の点燈者 即 住吉大神>ということについての投稿文を、再録させて頂きましょう。

 まず、ユタカ様のご質問です。

          ○

[質問]:『生命の實相』第1巻巻頭に

<我振り反(かえ)りて我に語る声を見んとし、振り反り見れば七つの金の燈台あり。また燈台の間に人の子のごときものありて足まで垂るる衣を着、胸に金の帯を束ね、その頭(かしら)と頭髪(かみのけ)とは白き毛のごとく雪のごとく白く、その目は炎の如く、その足は炉にて焼きたる輝ける真鍮のごとく、その声は衆(おお)くの水のごとし。その右の手に七つの星を持ちその口より両刃(もろは)の利(と)き剣(つるぎ)いで、その顔は烈(はげ)しく照る日のごとし。我これを見しとき其の足下に倒れて死にたる者の如くなれり。

彼その右の手を我におきて言い給う。「懼(おそ)るな、我は最先(いやさき)なり最後(いやはて)なり活けるものなり。われかつて死にたりしが、視よ世々限りなく生く。また死と陰府(よみ)との鍵をもてり。されば汝が見しことと今あること、後に成らんとする事を録(しる)せ。すなわち汝が見しところの我が右の手のある七つの星と七つの金の燈台との奥義なり。七つの星は七つの教会の使いにして、七つの燈台は七つの教会なり。(黙示録第1章、12節―20節)>

とありますが、生長の家は神道なのに、なぜ聖書が一番先に書かれているのでしょうか? これを質問したいです。

          ○

というご質問でした。


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