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Web誌友会 板/2

1434復興G:2013/05/28(火) 00:31:18 ID:AB6RqYXc

<つづき>

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「念仏称えはじめれば人を審判(さば)きはじめ」、宗団に内紛絶えず、分裂反噬(はんぜい)これ事とするはすべてみずからのみを尊んで神の子すべてを尊ばぬからである。まず、教団の内紛をやめよ。また宗教家よ、他の宗派と対立して争うな。宗教は和である。「剣(つるぎ)をとるものは剣によって亡びる」のである。「人を審判(さば)くものは、またみずからも審判かれん。」審判く者の満つる世界を地獄という。地獄には閻魔王(えんまおう)と鬼ばかりがいるのである。赦すものの満つる世界を極楽という。極楽には阿弥陀如来や観世音菩薩のみが住んでいるのである。

 されば「人間は神の子なり」と悟ることは、自分のみが「神の子」であると悟ることではない。「人々ことごとく神の子である」と悟り、協心同和して神様の顕現にましますあらゆる人間を礼拝することである。世界大平和は、帰一と協和と包容とより生ずるのである。楽園復活は帰一と協和と包容とのないところには生まれない。

近来「日本的」なる語がおびただしく用いられるに到って、「日本的ならざる」いっさいのものを排斥せんとするがごとき主張が所々方々に聞こえるけれども、これほど日本的ならざることはないのである。日本的とは、大和的であることである。いっさいと調和していっさいを包容することこそ本当に日本的なのである。われらは在来の小島的観念にたてこもる我執を放たなければならない。仏教よし、キリスト教よし、回教よし、すべてその教えの神髄にさかのぼるときすべて真理は「一つ」なのである。宗教は「一つ」であり、人間は一つである。すべての人間は神の子であるのである。
(『生命の實相』第33巻41〜42頁より謹写)

 合掌 ありがとうございます。


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