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Web誌友会 板/2

1847復興G:2013/06/10(月) 11:33:27 ID:AB6RqYXc

>>1846 のつづきです。
ウィキで「八紘一宇」を引くと、

≪……「下則弘皇孫養正之心。然後」(正を養うの心を弘め、然る後)という神武天皇の宣言に着眼して「養正の恢弘」という文化的行動が日本国民の使命であると解釈、その結果である「掩八紘而為宇」から「八紘一宇」を道徳価値の表現として造語したとされる。

 ……この用語に最初に着目した行政機関は軍部であり、昭和11年(1936年)に発生した二・二六事件では、反乱部隊が認(したた)めた「蹶起趣意書」に、「謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり」とある。

 この事件に参加した皇道派は粛清されたが、日露戦争以降の興亜論から発展したアジア・モンロー主義を推し進める当時の日本政府の政策標語として頻繁に使用されるようになった。

 ……その後の日中戦争から第二次世界大戦にかけても大日本帝国の政策標語としてしばしば言及され、日本国内各所で東アジアにおける東亜新秩序実現の為のスローガンのひとつとして使われ……現在における日本の代表的な国語辞典では、「第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」と説明している。(抜粋)≫

とありました。

「八紘一宇」を、
≪……「下則弘皇孫養正之心。然後」(正を養うの心を弘め、然る後)という神武天皇の宣言に着眼して「養正の恢弘」という文化的行動が日本国民の使命であると解釈、その結果である「掩八紘而為宇」から「八紘一宇」を道徳価値の表現として造語した≫
とされる本来の意味に戻して、ひろめたいと思います。


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