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Web誌友会 板/2

510復興G:2013/03/10(日) 06:36:40 ID:AB6RqYXc

 「神の子・人間至上主義」復興のために、「本来生、不滅の神示」を掲げさせていただきましょう。

   * * * * *

   本来生、不滅の神示

 物質の束縛に縛られざるものを人間と言うのである。真の人間は『神の子』であって物質ではなく、肉体ではない。肉体ではないから物質の世界に出入(しゅつにゅう)する事もない。物質の世界に出入する事がないから物質の世界より見れば人間は不生(ふしょう)である。不生であるから滅することも亦ないのである。

 物質界は念に従って生ずる念の映像なるが故に、従ってまた滅すれども、『人間』は本来物質界に生ぜざるを以て又滅すると言う事もない。人間は本来『生(しょう)』である。『滅』に対する『生』ではなく本来『生』であるから、老なく、病なく、死なく、破壊がないのである。

 老とは『生』の衰耄(すいもう)を言えども、人間は本来『生』であるから衰耄せず老朽しないのである。衰耄は『生』に非ず、人間に非ず。衰耄なきを『人間』と言い、老朽せざるを『人間』と言う。病なきを『人間』と言い、死なきを『人間』と言う。

 釈迦は『人間』の生老病死の四苦を見て出家したと言えども、釈迦はそのときまだ『人間』を見ていたのではない。念の影を見て『人間』と思い違いしていたに過ぎない。釈迦が此の世を見て無常と観じたのも『真の人間』の世を観たのではない。それは無明の投影の世を観て無常としたのである。

 真の人間は無常の中にあらず、肉体の中にあらず、人間は永遠不死、金剛身、実相身、清浄身である。人間は神の子なるが故に本来『浄(じょう)』にして不浄ではない。
 人間を指して不生不滅不垢不浄(ふしょうふめつふくふじょう)と言うのは真相ではない。般若(はんにゃ)の思想は無常想から実有(じつう)想に到る過渡的思想であるから、不生不滅不垢不浄を説きたれどもこれは物質に譬喩しての方便説である。

 人間は不生不滅ではなく、本来生にして不滅がその実相である。また人間は不垢不浄ではなく真清浄真無垢がその実相である。本来生、不滅、本来清浄真無垢なる人間の実相を知ったとき汝らは歓びに満されて手の舞い足の踏む所を知らないであろう。
  (昭和七年十一月二十五日神示)


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