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Web誌友会 板/2

459復興G:2013/03/08(金) 15:42:49 ID:AB6RqYXc

前夜祭として、少し書き込みを始めましょう。

私は、まずテキストp.168(>>453)の

≪本来の人間は「知恵」においても「富」においても「生命」においても本来無尽蔵です。それは水脈が神に通うているがために、必要に応じて汲めども汲めども水のつきぬ井戸のようなものでありますのに……≫

というところ、「人間はみな、本来(すでに)無限を内に蔵している」ということ。これが根本実相の真理であるということ。だから、常にその自覚を新たにする「神想観」が大切である、と改めて深く感じ入っています。
そして――

テキストp.178(>>456〜457)の
≪「生長の家」ではどんな服装にしなければ勝利者としての自覚が得られないなどとしゃくし定規な事はいわないのであります。ただわれらは常に「われ勝利者なり」という自覚を得るの助けとなるような服装をしなければならぬと教えるのであります。なぜなら「われ勝利者なり」という自覚が心にあってのみ、はじめてわれらの生長はのびのびと行なわれるからであります。
 何よりもまず心でありまして、心に成功感があってその人は成功し、心に勝利感があつてその人は勝利し、心に生長感があってその人は生長するのであります。

 人生はたとえていえば「心」という役者が演ずる舞台であります。成功したい者はすでに成功者であるかのように演出し、高徳者になりたい者はすでに高僧であるかのように演出し、健康になりたい者はすでに健康であるかのように眉をのばし、役者がある人物を舞台で演ずるように、心から自分のなりたいと思う人物になりきって人生という舞台で演出するとき、その人の「心」は人生でそれを形に現わすことをうるにいたるのであります。≫

――上記を読んで、私は今まで服装には無頓着であったことを反省し、これからは「われ勝利者なり」の自覚を服装にいおいても表現することを考えていこうかと思っているところです。


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