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Web誌友会 板/2

964復興G:2013/05/05(日) 20:28:00 ID:AB6RqYXc

<神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より 謹写つづき>

 だから、此の神示には次のように続いて示されているのであります。

 「神が病気を治して見せるのは、肉体は心でどうにでも移り変らせることが出来ると云う事実を見せて、『体(たい)』は念(こころ)の影だと云う真理をさとらせるためである。念(こころ)の影だと云う『体(たい)』とは肉体ばかりのことではない。幽体も霊体もすべて念(こころ)の影である。

 『死はない』と云うのは肉体ばかりのことではない。現に肉体細胞は刻々死滅し流転している。生き通しであるのは、斯くならしめている『生命』のみである、『生命』のみが吾れであり汝であり、そのほかに吾れも汝もないのである。……」

 この神示に明示されておりますように、生長の家に入教されて病気が治るのは、必ずしも患者自身が悟りを本当にひらいて自由自在の心境に達して治るのではなく、「神が病気を治して見せ」られるのであります。

 この場合の神というのは、実相に於て既に完全に人間をつくっていられる神が既に“完全なる人間”を癒すということはあり得ないのですから、実相本源の神から使命を受けて人類光明化運動に参加していられる高級霊を爰(ここ)では「神」と称するのであります。
 仏教で言うならば「法身の阿弥陀」は尽十方に充ち満ちていられて去来がないが、その弥陀の慈悲を受けて、現象界にも救いを成就するために現象界に出現せられる観世音菩薩のような方が、此の高級霊でありまして、この神示にある「神が病気を治して見せる」という場合の「神」に当るのであります。

 このような高級霊の強力な光明霊波に照らされると、病念の具象化であった肉体の波動が、光明の波動に同化されてしまいますから、自然に肉体が健康化されてしまうのであります。

 肉体は霊魂が地上生活をいとなんで向上するための道具としての被服であります。その被服の下に、チョッキや、ワイシャツや下シャツを着ているようにエーテル体、幽体、霊体という風な用途を異にする「体(たい)」を幾重(いくえ)にも吾々は着ているのであります。これらの霊魂の体については「帰幽の神示」の解説のときに説明いたしてありますから今は説きませぬ。

 それは兎に角、『死は無い』ということは肉体が死なないということではないのであります。
 「現に肉体細胞は刻々死滅して」いるのであります。十分間前の自分の肉体の成分と、十分間後の肉体の成分とは既に異っているのであります。

 私たちに体温があるということは、私たちの肉体が常に蝋燭(ろうそく)の蝋のように燃えつづけていることであります。しかも昨日の自分と今日の自分とが同じように見えるのは、ガス栓の焔が、瞬々刻々燃えて変化するガスによって成立ちながら同じ焔のような形をつづけていると同じで、同じ形に見えているのは、かくあらしめている「精神的設計」が同じように持続しているからに過ぎないのであります。

 その精神的設計の「主体」が『生命』なのであります。物質は燃えつきて常に変るが、その精神的設計の“主体”(生命)は常に変らないので『死は無い』と言い、『人間は生き通し』と言うのであります。
<つづく>


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