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Web誌友会 板/2

2011復興G:2013/06/14(金) 23:06:24 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 平成23年12月、「故 二葉美代先生 三年祭」というのが有志発起人の呼びかけで金町の大きな会場で行われ、教区白鳩会の現あるいは元連合会長をはじめ錚々たる役員の方たちはもちろん、近隣教区の方も含め、二葉先生を慕うたくさんの人たちが集う熱気溢れる三年祭になりました。「二葉先生、大好きです!」と御霊前で叫ぶ人もいて、いかに二葉さんがたくさんの人たちから慕われていたかがわかりました。

 このときに、前記の「終講のことば」というのも、プリントして参加者に配られたのでした。


 ≪ダメになった日本を良くしようと始まった私たちは間違っていました。それをしっかり観じられる私たちでなければなりません。

 でも 私一人が観じても どうなるものでもないと仰いますますか?

 谷口雅春先生は、一人が悟れば世界が悟ると仰せになっていらっしやいます。

 世界は、一つ生命の展開です。自分が宇宙の中心であり そして全てなのですね。≫

 これは、とても思い言葉であると、私は思います。

 谷口雅春先生は、昭和43年の参議院選挙のあと、生政連活動の凍結を決断され、
「聖胎長養のため宗教に専念せん」と『明窓浄机』にお書きになりました。

 この「聖胎(しょうたい)長養」とは何か。

 「聖胎」は仏の種子、仏となり得る種を宿すことをいう。
 禅宗においては、見性(けんしょう=悟り)を得た心身をさらに長く養い、悟りを育てる悟後の修行を「聖胎長養」という。

 白隠はその法語で、永遠の「悟後の修行「を」勧め、たとえ悟りを得ても菩提心がなければ魔道に堕(お)つと説く。菩提心とは上求菩提(座禅・公案の修行)と下化衆生(人を助ける法施)の実践、それが菩提心であると説いた。

 谷口雅春先生は、

   ◆『選挙戦を終りて 更に聖胎長養のため
   宗教に専念せん』◆

 と題して

≪ 政治の一面は権力争闘であるから、そして権力は数の獲得によって得られる。従って政治に重点をおくとき、そうなるのは無理もないことなのである。鳩山一郎氏が生長の家に熱心で、総理大臣であった頃、私は立候補を思い立ったことがあったが、鳩山薫夫人が「先生のような宗教家はいつまでも清らかでおってほしい。政界へ出てはいけない。政界ほど複雑できたない処はないから」といって止めて下さった。それで私は政界へ出ることをそのとき思い止まったのであった。

 今、私は今度の参院戦で勝利を得て、勝に乗じて尚進んで政治戦に盡くすべきか、暫く退いて宗教の純粋圏に止まるべきかについて考えをめぐらすとき、“今暫く退いて宗教の純粋圏のサークルをもっと大きくすることに力を盡くすべきだ”と思わずにはいられないのである。≫

 と、昭和43年10月号の『明窓浄机』にお書きになっているのであります。

 私は、今、この「聖胎長養」に専念する時であると考えます。
<つづく>


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