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Web誌友会 板/2

3611a hope:2014/01/13(月) 19:34:30 ID:/9IAdiFk
>>3608 志恩さま

もったいないお言葉をありがとうございます。合掌。

そして、志恩さまのご発言

<<頭で知っていたり、頭で理解したようにみえましても、つぎからつぎへと、問題は、どなたにも
発生するもので、日常生活そのものが、練成道場ですから、周囲の人たちは、皆、先生であり….、

そのような気持ちで、吾々は、日々、新たに生まれながらの、気付きの連続で、感謝し直す
連続で生きているのだと 私の場合は、思っています。>>

に同意させていただきます。

第8巻のP15にこのような文章が紹介されていました(わたしは赤線が引いてありました!)


>>○どんな苦労があっても、因縁によって世話させて頂いていると思えばありがたいばかりの一筋である。
人間は他(ひと)のために苦労させられているのではなく、自分の魂を高めあげ、
浄め上げるための修行として苦労を恵まれているのである。
学校は先生のために勉強するのではなく、生徒自身の向上のために勉強するのである。
人生は魂の勉強をする学校である。
苦労は教科書であり、苦労させて下さる人は皆自分の先生である。
われわれは苦労させて下さる人に感謝して拝まなければならない。
これが解ったら世の中にありがたくないものは一つもないのである。
これが解ったら人生は幸福なばかりである。
豚なら幸福とは快楽のことだと思っているかも知れぬが、
本当の人間は苦労の中に喜べるものである。(月刊『生長の家』の巻頭言より)<<



一見、この「人生は学校、周りの人はみな先生」という真理は、因縁について書かれているので、
これは生長の家の横の真理、つまりは「心の法則(三界所現)」の真理であって、
唯神実相とは関係ないようにも感じてしまいますが、
最後の一文
『豚なら幸福とは快楽のことだと思っているかも知れぬが、本当の人間は苦労の中に喜べるものである。』
という文章まで拝読すると、やはり、「唯神実相の真理」なのではないかとわたしは感じています。

「本当の人間は神である」つまりは、「唯神実相の真理」を大悟するために、
すべての苦労(と思える事柄)がわたしたちの目の前につぎつぎに現れてくるのですね。

そして、大嫌いな、どうしても許せない人こそ本当は大先生であり、大観世音菩薩さまということになりますね。

その人に心から感謝できた時、因縁を超越して魂が向上し、すべてがうまくいくようになるのだと思います。

それを悟ることができるのが、人間が神の子である証拠で、他の動物と決定的に違うところなのだと思いました。


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