したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

Web誌友会 板/2

2280復興G:2013/07/13(土) 05:53:28 ID:AB6RqYXc

 『新版 真理』 第3巻 p.282〜p.284には、次のようにお教え下さっています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   問題は既に回答があるのが問題だ

 ところで、人生にどんな難問題があるかのように見えましても、本当は問題と云うものは解決し得るためにあるのであります。数学の問題でもそうです。どんなにあなた自身にとって解決し得ない問題でも、実はその回答は既にあるのですが、自分がそれを算出し得ないだけの事なのであります。

 口で樹の枝にぶらさがっていて、さあ返答せよと云われる場合、口をひらいたら千仞(仞は一尺の八倍。八千尺)の谷底に落ちると云うが、それは自分で、自分の手は動かないと信じて、自分の手で枝を握ることを忘れているだけのことであります。

 この「動けるだけの力を、その時、その場、その人に適する相(すがた)に動かす」と云うことは、是こそ禅の極意なのであります。

 「禅機の把握」と云うことは「全機の把握」でありまして、全体に行きとどいてあらゆる点を動かし得ることであります。これは心が全相(あらゆるすがた)に達したときに出来るのでありまして、心が一部にのみ引っかかっているときには、その引っかかっていることに気をとられて、他になすべき道が無数にあるのに、それを行なうことが出来なくなるのでありまして、自分で自分の力を「これ位のもの」と限ってしまうから二進も三進も(にっちもさっちも)行かなくなるのであります。
 『大乗起信論』には、「心、全相に達せざるを迷いと云う」と云うことが書かれております。あらゆる部面を悉く知って適当な行いが出来ないのが迷いなのであります。

 そこで全局(ぜんたいの場面)を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ、「対立」が残っているようなことでも思うようになりませぬ。

   人間は本来大力量である

 『無門関』に「大力量人」と云う公案がありまして、松源(しょうげん)と云う和尚が、「大力量の人、何によってか脚(あし)を擡(もた)げ起さざる」と云っています。そしてその公案の終りに、

 「脚を擡(もた)げて蹈翻(とうほん)す香水海」

 と書かれています。香水海と云うのは、釈尊時代の印度の天文学では、この宇宙は須弥山(しゅみせん)と云う山が中心にあって、その周囲に金剛囲山(こんごういせん)と云う金剛不壊(ふえ)の山脈が、何条にも取囲んでいる。その山脈と山脈との間に香水の海があると考えられていたのを引用したのですから、香水海と云うのは、「銀河系宇宙」全体と云うような意味であります。

 「何故お前は本来神の子であるのに、脚を擡(もた)げてこの宇宙全体を蹈翻(けとば)すことが出来ないのか、出来るではないか」と云う強い自覚を促す言葉がここに書かれているのであります。

 本当にあなたが自分自身の無限力なる「神性」を自覚したならば地球ぐらいは蹴とばすことが出来るのが当り前なのであります。キリストも「もし芥子種(からしだね)ほどの信だにあれば、この山に動いて海に入れと云うと雖も、必ず成らん」と教えているのであります。これが生命の実相をさとった境地であります。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板