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Web誌友会 板/2
5697
:
純粋教理批判
:2015/09/20(日) 11:38:29 ID:DD4jWV6M
>>5678
>生長の家の信仰により環境保護運動をするのであれば、そのような現象に対応するような形ではなくて、
まずは信徒一人一人が「本来罪なし」の「実相独在」を自覚し(悟り)、それを人類に伝道していく方法が正道だと思います。
これがホープさんの環境運動にたいする考え方であるようです。教えはイデア論だとわたしは思いますが、ホープさんはイデア論を人類に伝道することでイデア論がつくりだした環境問題は消えると、このようにいっているとわたしにはおもわれます。
環境問題を解決するには、「地球の資源は神が与えたもうたものだ」とするイデア論から人類が脱却するよりほかはない。このことをわたしはいっているのですが、ホープさんはどうも逆の方向を向いているようです。
生長の家では「神は無駄なものはあたえたまわない。原子力エネルギーは神が人類にあたえたもうたものだ」と説くようですが、こうした教えで「神は無駄なものを人類にあたえたまわない。地球の資源は神が人類にあたえたもうたものだ」と主張する人々を教えみちびけるおもえるのはなぜなのでしょうか。
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