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Web誌友会 板/2
321
:
わたし
:2013/02/19(火) 17:54:45 ID:CEjZCaQI
>>308
初心者さま
一介の信徒です。
「「これは唯心所現で片づく問題ではなく、構造的な問題と考えます。人をしてそのようにさせるなにかがある。
これはその構造の問題であるというのがわたしの予想です。
教えの構造。
日本語の言語構造。
わたしにできることがあるとすれば、これをいくらかでも分析していくことだけであると考えますが、いずれにしても、わたしには荷が重すぎる課題です。」」
初心者さまも「言語」に触れておられますが、言葉あるところには対立の可能性があり、傲慢な態度を生じさせる可能性があります。
これは、言葉の根本的な性質です。
ですから、こうした問題を根本的に超えるには、言葉を超えなければなりません。
もっと正確に言うならば、「思考を超える」ということです。
最も正確に言えば、「自己を超える」ということです。
私のこの言葉も、もちろん対立・傲慢の要因となります。
ですから、インドの聖者などは「沈黙」をもって語ります。
自然界のごとくに。
広がる青空、流れる雲、清流のせせらぎ、打ち寄せる波、水平線に映える夕日・・・
自然は、言葉を持ちません。
彼らは、沈黙をもって語りかけます。
それゆえ、自然は美しいのです。
荒涼としているかに見える砂漠でも、生命の住めない宇宙の星でも、そこには神の霊気というべき何かが満ちています。
自然は、対立の言葉にも傲慢の言葉にも、何も言葉を返しません。
自己を持たないからです。
言い換えれば、エゴがない、ということです。
それゆえに、自然は美しいのです。沈黙は美しいのです。
生命の実相といえども、甘露の法雨といえども、言葉をもって語るという問題があるのです。
言葉あるところエゴがあります。
それを超えるものは、沈黙以外にはありません。
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