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Web誌友会 板/2
4001
:
志恩
:2014/06/01(日) 09:39:27 ID:.QY5jUA6
山ちゃん1952様ブログより 一部抜粋、2014.6.1
法燈継承と教義
教義の根本である『大調和の神示』ともよばれる『七つの燈臺の點燈者』の神示は
総裁は出来ているのであろうか?
教規の第十条の「正釈を逸脱しないように」が逸脱をしているのではないか。
これは完全なる教規違反であり、
そもそも教義の規範さえも出来ない人を総裁として仰ぐことが正しい道といえるのであろうか?
『歴史から何を学ぶか』には
「宗教と政治が一体化したときに運動には弊害が現れ、教勢は拡大せず・・・」
それは今は「環境という何も生長の家とは関係のない持論と排他的な運動に齟齬が出来、
教勢は明確に衰退し、弊害となり、それに何等責任も取らない」
その言葉を返したい。
また、法燈とは
比叡山延暦寺の根本中堂には法燈の光が今なお輝いている1200年の光が絶えたこともなく輝いています。
法燈は別に蝋燭の光ではなく、真理や経典などが変わりなく伝えられています。
真理というのは変えてはならないものであります。それを変えたりするのは法燈継承とはよびません。
佛教では自灯明と法灯明といいますが。
お釈迦さまがご往生をむかえられた時のことです。
お弟子たちは、お釈迦さまが亡くなられたら、さてあとは誰をたよりにしたらよいかと心配しました。
そのことを気づかれたお釈迦さまは「自らを灯明とし、自らをたよりとして他をたよりとせず、
法を灯明とし、法をたよりとして他のものをたよりとせず生きよ」(涅槃経)と語られました。
これが「自灯明、法灯明」の教えです。
とかく私たちは、人の言ったことに左右されがちです。
とくに権威ある人の言葉に追随しがちです。その方が安易だからです。
しかし、結局、「信用していたのにだまされた」ということがしばしばです。
人間が人間を信じるということは危険をともなうことなのです。
だから、人の言葉を鵜呑みにするのではなく、何が正しいかを見定めることのできる
自分を確立せよということを、「自らを灯明とせよ」と教えられたのです。
それでは、私たちは何を根拠に正しいと判断すればよいのでしょうか。
それを「法を灯明とせよ」と教えられたのです。
法とは、物ごとの本当のあり方のことです。
たとえば、すべてのものは変化し、永久に続くものではありません。
この事実が無常という真理なのです。この疑いようのない真理を法といいます。
このことは誰でも認める真理ですが、この明白な事実でも、
自分自身のこととなると素直に認めようとはしません。
他人は死んでも自分はいつまでも元気でいると思っています。
これが迷いなのです。自分jだけは例外だと無意識に思いこんでる誤りに気づき、
迷いから抜け出すには、この法に根拠をおき、法に教えられ、
自分自身が目覚めるよりほかに道はないのです。そこを「自灯明、法灯明」と教えられました。
法というのは変えてはならないものであります。
それを代々受け継ぐのが「法燈継承」であります。
山ちゃん1952様ブログ
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/2014-06.html
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