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Web誌友会 板/2
662
:
復興G
:2013/04/19(金) 11:40:34 ID:AB6RqYXc
<つづき>
神示講義『神ひとに語り給ふ』(44頁〜 )より
「七つの燈台」の意味するもの
さて、聖経の巻頭に「七つの燈台の点燈者の神示」という言葉が出ているのでありますが、爰(ここ)に生長の家は一宗一派ではないということが、ちゃんとこの神示に書かれているのであります。「我は七つの燈台に燈を点ずる者である」と生長の家の教えを創(はじ)められた神様がみずから言っておられるのであります。この「七つの燈台」という言葉は、キリスト教の新約聖書の一番終に『黙示録』というのがありますが、その第一章を披(ひら)いて御覧になりますと次のように書かれているのであります。
「われ振反(ふりかえ)りて我に語る声を見んとし、振反りて見れば七つの金の燈台あり。また燈台の間に人の子のごとき者ありて、足まで垂るる衣を着、胸に金の帯を束(つか)ね、その頭(かしら)と頭髪(かみのけ)とは白き毛のごとく雪のごとく白く、その目は焔の如く、その足は爐にて焼きたる輝ける真鍮(しんちゅう)のごとく、その声は衆(おお)くの水の声のごとし。その右の手に七つの星を持ち、その口より兩刀(もろは)の利(と)き剣(つるぎ)いで、その顔は烈しく照る日のごとし。……彼その右の手を我に按(お)きて言いたまう「懼(おそ)るな、我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、活ける者なり、我れ曾(かつ)て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く。また死と陰府(よみ)との鍵を有(も)てり……」
此の「人の子」というのは、じつは「神の子」であって、イエス・キリスト自身が、常に自分を「人の子」と言っておられた。そして「我れ曾て死にたりしが」とあるのは一度は十字架にかけられて死んだように見えたがということであります。それで「人の子のごとき者」というのは、イエス・キリストのことであることがわかるのであります。肉体のイエス・キリストは三十三歳で磔けにかかりましたから、老人ではないのでありますが、それが復活して久遠の古(ふ)りたる無始の昔からの存在として白髪の老翁の姿を以ってこの七つの燈台の間を歩んでおられるのであります。
ヨハネから見たら、どうも人相が「人の子」即ちイエスに似ているけれども老人の姿でありますから、どうも、イエスでないかも知れない、それで「人の子そのもの」と書かないで「人の子のごとき者」と書かれているのであります。ところが、その人の子のごとき者は、「我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、世々限りなく生く。また生と死との鍵をもてり」と仰せられているのであります。
白髪というのは老人の老いぼれという意味ではなくて、また今漸く三十歳になったばかりのイエスであるという意味ではなしに、久遠の昔から永遠に続いている生き通しの生命を象徴した「白髪の老翁」というわけでありまして、決して老いぼれのお爺さんという意味ではないのであります。「久遠の生命」というのは百五十歳位の数えられる長寿ではなくて、無限の長寿というものを象徴した白髪の老翁の姿で示されたので、その「頭と頭髪とは白き毛の如く雪の如く」白衣(びゃくえ)を足先まで垂れた姿であらわれられたのであります。
これはヨハネというキリストの弟子の中で、一番霊感の秀れた弟子が、キリストが磔(はりつ)けになりましてから、ローマ帝国の迫害を受けて、パトモス島という小アジアの小島へ流されて居ったときに神に祈って居りましたら、霊感的に、眼は瞑(つぶ)っておっても眼の前に七つの燈台の有様が見えて、白髪の老翁の姿がその間に歩みたまうのが見えたというのであります。
その白髪の老翁は――我はα(アルファ)でありω(オメガ)であり――始めであり終りであり、生と死との鍵をもてり」と宣言したもうたことによって「宇宙の根元の神」であるということが明かであります。その神様が出て来られたので、ヨハネはその威厳にうたれて、そこに平伏(ひれふ)してしまった。そして「死したるものの如くなれり」と聖書には書かれています。
<つづく>
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