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Web誌友会 板/2
5785
:
純粋教理批判
:2015/09/25(金) 12:54:49 ID:DD4jWV6M
「神が神なる神をつくった」とする考え方が成り立たないわけではありません。チリの生物学者ウンベルト・マトゥラーナが提唱するオートポイエーシスがまさにこの一例と考えます。
オートポイエーシスとは自分で自分をつくりだすシステムとわたしは理解していますが、マトゥラーナ本人も「オートポイエーシスは自分で自分を持ち上げようとするようなものだから、すっきりと理解できる筋合いのものではない」と認めているようです。
オートポイエーシスを理解できるか、といわれても「理解できる」とはどうしても言えません。わかった気にはなれるが理解した気にはどうしてもなれない。オートポイエーシスはこうした事態の代表格のような気がいたします。
オートポイエーシスにしても外部はあります。外部からの入力も、外部への出力もない、これがオートポイエーシスのようです。しかもそれでいてオートポイエーシスは外部からの影響をうけている。
内部は外部にたいして完璧に独立している。にもかかわらず外部は内部に入り込んで内部に影響をあたえつづけている。わたしが考えているのはこうしたシステムのような気がいたします。
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