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Web誌友会 板/2

2231復興G:2013/07/11(木) 15:40:15 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 この「本当の自分」の金剛不壊の実相が解ってきたら、人間は本当の自由を得るのであります。全世界のいかなる者にも自分が害しよう、傷つけよう、と思っても害することも傷つけることもできない、鎖で縛って自由を奪ってやろうと思っても、縛りきれない自由自在なものが「本当の自分」であるということがわかってくると、もうなにも恐れるところがなくなるのであります。トルストイはこの遺稿に次のように書いています。

 「吾人は肉体によって生くるに非ず、霊によって生くるのである。もしも吾人がこの事実を知って、自己の生命を肉体でなく霊に托するならば、吾人は鎖に縛られても、鉄の扉の中にいましめられても、なおかつ厳として自由である。」(同書67ぺージ)

 このようにわれわれは自分自身というものを物質であると思わず、「本当の自分」というものを「金剛不壊」の霊的実体であるということを自覚することになると、形の上では縛られていても、実際において縛られていない自由自在な状態が実現するのであります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――トルストイの思想に関してのご文章は、だいたい以上です。

 振り返ってみますと、私は、高校2年の終わり頃まで、「自分は肉体である。目に見えるものが、本当にあるものだ」と信じていました。

 ところが私はその唯一頼りとする体が弱くて、小さい時から病気がち。高校2年を終えた春休みのある日、下腹部の激痛で七転八倒し病院に運ばれました。盲腸から炎症が拡がり腹膜炎で大腸は癒着状態ということでした。私はこれで「死ぬ」と思いました。

 ところが死ななかったのです。

 父が、生長の家に触れていて、聖経『甘露の法雨』を私の枕元に置き、祈ってくれているようでした。

 やがて痛みがとれて熱もおさまり、一旦退院ということになりました。

 自宅に帰って静養していたある日、突然に私は、自分と世界が一変しました。

 それは、クリスチャンだった祖母――すでに亡くなってから14年ほどたっていた――の導きだったような気がします。

 自分が、肉体の自覚から生命・霊なる自覚へと突然に転換してしまったのです。そして世界が、苦しい不自由な世界から、光り輝く自由に満ちた世界へと、一変してしまったのです!

 ――そんなことを言っても、そのときの私の魂が歓喜した体験は、おそらくおわかりいただけないでしょうね。それは、不思議な光燿の体験でした。そのときから、私の実人生は始まったようなものでした。

 何事にも消極的で事なかれ主義みたいだった自分が、一変して積極的な自分になりました。

 「当たって砕けろ!」 と、意欲的に行動するうに変わりました。

 「人生、何があっても魂が経験を積んで生長するチャンスだ。魂は、伸びるしかないのだ! 人生は、よろこびばかりだ!」

 と思えるのでした。

 テキストのp.170に、次のようにありました。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   自分は無形の存在だと解れば自由になれる

 人間は 「肉体」 ではない、有形のものではない、無形のものだということが悟れるまでは、肉体という物質的な制限に心が捉えられていますから、本当に心が自由になれないのであります。心が自由になれないから、本当ののびのびした安らかな心境になれないのであります。

 これに反して、「人間」 は無形のものだ、「本当の自分」 というものは無形のものだ、ということがわかってきますと、心全体が 「行雲流水(こううんりゅうすい)」 のように自由な境地になれるのであります。行雲流水といいますが、まだ雲でも水でも形がありますから、風とか、岸とかいうものに支配されるのでありますが、「自分」 というものが、本当に無形の存在であるということがわかってきますと、もう何物にも支配されない自由自在な心境にでられるのであります。

 この真理がわかったとき人間は本当に安らかな心境になり、この安らかな心境を実生活に顕わしたときには、それがそのままで 「生長の家の生き方」 になるのであります。だから 「生長の家の生き方」 というものは、常に明るい生活であって、暗い影をもっていない生活であります。


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