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Web誌友会 板/2
4061
:
トキ
:2014/06/13(金) 18:55:54 ID:uXigT6Go
画龍点睛様が使った「虚説」という表現について、少し感想です。
以前も書きましたが、大川隆法氏が「谷口雅春霊言集」なるものを出版し、生長の家信徒を自分の
教団(まだ「幸福の科学」は出来ていませんでしたが)に勧誘した時に、生長の家は機関誌に
「虚説に惑わされるな」と題した文章を発表しました。
週刊誌の報道では、生長の家本部は、大川氏に「霊言というのなら、こちらの目の前で再現して
みろ」と迫ったとあります。当然、大川氏は無視したみたいです。
後年、「幸福の科学」の幹部だった人物が暴露したところでは、「谷口雅春霊言集」は、生長の家
の未発表の内部資料を基に複数のゴーストライターが書いた作文だったみたいです。少し生長の家の
歴史を知っている人間が読めば、あの「谷口雅春霊言集」は贋作であるのは明らかでしたが、当時
は谷口雅宣先生が登場し、部内で動揺が生じた時期なので、あれを信じた人がいるのは残念でした。
あの時に、教団が「虚説」という表現を使ったのが、その後、本流復活派にも影響を与えたと
感じております。
この「虚説」という表現は、結果的には、相手の存在そのものを否定する表現になってしまって
います。贋作をした大川氏ならこの表現でもいいでしょうが、生長の家の解釈を巡る考えの相違で、相手
を「虚説」と言い切りのは行き過ぎだと感じます。
確かに、今の総裁のやった事は、結果的には「ことごとく失敗」なのは認めます。しかし、その
動機の部分においては認めるべき部分があるのも事実だと感じます。それ以上に気をつけるべき
は、自分達も知らず知らずのうちに、「真理」から離れている場合がある事です。
脚下照顧が大切だと思う次第であります。
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